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武士ほど素晴らしい支配者はいない
現代人は弥生期以降の渡来系集団である
箸墓古墳の被葬者
邪馬台国畿内説 Part153
もうあきらめろよ邪馬台国は西都原

卑弥呼の使った鬼道を考察


1 :2019/07/15 〜 最終レス :2020/06/11
邪馬台国がどこにあったかはどうでもいい
大陸から見て鬼道と名付けられてるが、これこそ真の原始神道だったのでは

2 :
すまん、板違いだったかも

3 :
おか板に立てて

4 :
考察

5 :
まあ、マジレスするとオニノスベで検索してみて

6 :
平原遺跡が卑弥呼の墓なら、卑弥呼の鬼道は三種の神器を使った古代神道。

7 :
あり得るな

8 :
考察しよう

9 :
【鬼道と神道】

伊都国にあたる平原遺跡からは最大の銅鏡である八咫の鏡5枚を含む史上最多の40枚の銅鏡と、太刀と約2000個の玉、鉄器などが出土しており、三種の神器に相当する副葬品(鏡、剣、玉)が揃って出土している。
3世紀で最大の倭国の王位を象徴する八咫の鏡を用いた国家規模の祭祀に倭国の女王である卑弥呼が関わらなかったわけはない。
周囲には鳥居や御柱の跡も残っており、古代神道の形式が整っていたことがわかる。
これは3世紀においてすでに倭国には神道があったことを意味している。
邪馬壹国は鬼道などの言葉の印象が強いため後進国のように思われがちだが、中国人から見た鬼道とは、神道の儀式を指していたと考えられる。
そして、その祭祀は畿内ではなく筑紫の伊都で行われていた。

平原遺跡から出土した八咫の鏡の形式である内行花文鏡は、もともと紀元前から博多湾岸では多く出土し、漢の皇帝から王侯に冊封された証である威信材として用いられていたと考えられる。
内行花文鏡の文様は太陽を形取っていることから、天つ神としての太陽信仰の象徴として最適であったと考えられる。
漢の滅亡後に作られた平原遺跡では八咫の鏡を含めほとんどが国産の鏡となっており、漢から下賜された鏡よりも大きな内行花文鏡を完成させることで王権の象徴となったと考えられる。
後世においては、八咫の鏡を継承することが天皇位の証とされ、今日でも伊勢神宮と皇居で1枚ずつ祭られている。

10 :
>>9
素晴らしい 乙

11 :
馬韓の風習に鬼道って出てくるからな

そして馬韓には卑弥国という国がある

どちらも魏志の記述だな

12 :
魏志より

馬韓→鬼神を祭る、卑弥国がある

倭国→卑弥呼が鬼道によって民を支配する


はい確定

13 :
鬼神と鬼道の違いもわからん無能チョンコ

14 :
殉死がある宗教かな?

15 :
中華でない東夷なんだから多神教だのアニミズムだのは当たり前で
わざわざ記述されないんだよ
だからここの鬼道はそういう意味じゃない
五斗米道だの原始道教ならそう書けばいいんで
わざわざ鬼道なんてぼやかして書く必要はない

儒教の建前からみて正統でない信仰は味噌もクソもなんでも鬼道だぞ
だから鬼道の2文字だけでは実態を推測できない。

この場合の儒教の建前っていうのは魏にとっての儒教だから
「魏が正統で呉蜀は偽帝僭主」ということ

倭魏の外交は男弟や難升米が推進したんで、
卑弥呼自身は呉蜀を支持していた

16 :
【伊都国】

伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高祖宮は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していた。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言していて、伊都は神道の基本である太陽信仰の都である。
卑弥呼の鬼道とは、中国人から見た古代神道のことだったのである。

伊都国の平原遺跡は3世紀頃の女王墓であり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、後漢の頃には見られなかった巨大な国産の内行花文鏡、いわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、倭国大乱後の倭国の王権が伊都国にあったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
魏志において伊都国は人口が1000戸と少ないが、魏志に卑弥呼の王宮の下女は1000人とることと一致する。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都が分離されていたと考えられる。

伊都国には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクシフル山の山頂を囲む中国風山城(奈良時代は怡土城、戦国時代は高祖城と呼称される)があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にある高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。

アマテラスの孫のニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70〜80年を担った日向王家の王墓であると考えられる。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石(さざれいし)神社は天孫邇邇芸と木花佐久夜毘売を祭神とし、
平原遺跡からはニニギが授かった三種の神器である八咫の鏡と思われる超大型内行花文鏡が出土しており、筑紫の伊都がその名の通り倭国王家である日向三代の都であった証拠である。

17 :
平原は筑紫物部の遺跡。
平原・曽祢の「そね」という名称は物部ゆかり。
物部は王権ではない、だから墓も貧弱。

18 :
鬼道とは銅鐸祭祀。
銅鐸族とは鴨族。
その鴨族のなかに卑弥呼もトヨもいる。

    事代主
     ┣━━━━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃           ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津媛━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主            孝昭
     ┃             ┃
    阿田賀田須       天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命

19 :
邪馬台国は奈良やな

日本では弥生時代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。
古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。
漢方薬や漆器に施す朱漆や赤色の墨である朱墨の原料としても用いられ、古くは伊勢国丹生(現在の三重県多気町)、大和水銀鉱山(奈良県宇陀市菟田野町)、吉野川上流などが特産地として知られた。

20 :
 
纏向古墳群とは誰の墓なのか。
私は崇神の母系の物部ではないかと思ってます。
当時は母親の実家で子供を育てたわけですから、崇神の住んだ纏向は母親のイカガノシコメが住んでいた所でしょう。
つまり物部の土地である。

また大阪交野(かたの)に箸墓の縮小サイズである雷塚古墳(森古墳群)があります。
この雷塚古墳は箸墓と同時期か少し後と言われています。
箸墓は260〜280年くらいでしょう。
つまり雷塚古墳は崇神時代より少し前です。

ところでこの森古墳群、前期古墳にしては珍しく被葬者をほぼ特定できます。
交野の語源になった肩野物部集団です。
被葬者として推定できるのは彼らしかいません、一択です。

つまり崇神の前に【物部が前方後円墳を造っていた】という事になります。
しかも彼らは箸墓とも強い関りがあることになります。

というわけで纏向古墳群は瀬戸内海洋集団・物部の墓である。

21 :
>>17
物部氏の祖はアマテラスの孫の饒速日。
天照国照彦火明櫛玉饒速日命とも呼ばれ、アマテラスと大国主の両方の権威を継承した王権だ。
大和王権では軍事と祭祀(まつりごと)の両方を司っていた。
物部氏が主権を手放したのは、物部戦争で蘇我氏に敗れたから。
その後に書かれた記紀では王として扱われていないが、天照国照彦の称号は王であったことを示している。

22 :
天照って女である確証ないんだよな

23 :
物部は朝鮮半島仏教を信仰する新興渡来系氏族連合軍に敗れたんだよ

ちょうど同じ時期に大ブリテン島でブリテン人王国が
流入してきたサクソン人、ジュート人、アングル人の連合軍に大敗したように

24 :
>>22
月読も性別不詳 イメージは女だけど

25 :
>>24
天津神は男系が基本なので、ツクヨミも男性。
海の向こうに行ったきりと書かれているが、対馬のことだよね。

26 :
博多湾沿岸の筑紫の日向でイザナギの禊で生まれた三神である天照、月読、スサノオの行方を確認しよう。
月読は対馬(月読神社)、スサノオは出雲、天照は高天原だ。
博多湾沿岸の支配者はイザナギの息子である志賀島の綿津見(海神)とその弟の大山祇であった。
スサノオの跡を継いだ出雲の大国主が天照に倒されると、天照の孫が宗像の三女神に守られて筑紫の日向に戻ってきて、豊葦原中国の王となった。

もし高天原が沖ノ島なら、対馬、出雲、筑紫の間で睨みを効かせる要所になるのがわかるだろうか。
そして大国主以外はすべて海人族なのである。

27 :
宋史日本国伝
其《年代紀》所記云:
初主號天御中主。
次曰天村雲尊,其後皆以『尊』爲號。
次天八重雲尊,次天彌聞尊,次天忍勝尊,次瞻波尊,次萬魂尊,次利利魂尊,
次國狹槌尊,次角龔魂尊,次汲津丹尊,次面垂見尊,次國常立尊,次天鑒尊,次天萬尊,次沫名杵尊,
次伊奘諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,次天彥尊,次炎尊,次彥瀲尊,
凡二十三世,並都於築紫日向宮。
彥瀲第四子號神武天皇,自築紫宮入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。

28 :
【景行記】又娶八尺入日子命之女、八坂之入日賣命、生御子、若帶日子命、
次五百木之入日子命、次押別命、次五百木之入日賣命。

八尺入日子命は山王イマス。八坂之入日賣命は、イマス三女チチツと同姓婚したアザミツで、女王壹与。
若帶日子命は倭人伝・卑弥狗呼で成務天皇。この人は垂仁天皇と同体。五百木之入日子命は、その異父兄。
押別命は洛陽裏天皇イサクで女王卑弥呼末子。五百木之入日賣命は女王壹与の嫡女で、帶中津日子天皇イルカ。
女王壹与と嫡女イルカの関係は、実子への王権譲渡の関係で、一見すると相克では無く、相生。
しかし裏返すと、女王壹与自身の死を暗示。つまり、ここの記事は、女王壹与の王権後期における暗殺記事なのだ。
列挙順は、明確に死亡順。死亡逆順では無い。五百木之入日子命の中国史書での名乗りは山越王・陳ヒ。
255年に呉軍の討伐を受けて死亡している。従って、垂仁天皇の死亡も、同じ255年であることが推定される。
意訳すると、山王イマス養女、女王壹与アザミツは、255年に垂仁天皇を暗殺し、同じ255年に陳ヒを謀殺し、
266晋朝朝貢においてイサクを暗殺し、278年には女王壹与自身が香椎宮にて暗殺された。と、ここでは示される。
ちなみに「五百木」は父不明の意味。陳ヒは、母たるイススキヨリヒメが狭井川収容所に居た時に出来た労務者の子。
イルカは、山王イマスの命令で、陳ヒ、とその部下がアザミツを輪姦して出来た子である。
崇~記の「即於丸邇坂居忌瓮而罷往」が、その場所の表記であり、丸邇坂は女王卑弥呼実家の華南ジャングル。

29 :
【景行記】又娶伊那毘能大郎女之弟、伊那毘能若郎女、生御子、眞若王、次日子人之大兄王。

伊那毘能大郎女が天照、伊那毘能若郎女が妹のイザナミです。「伊那」が王家の家姓で、苅羽井家を示します。
日子人之大兄王がイザナミの唯一子である山ノ神イタイで、苅羽井家傍流山王家の家祖です。
眞若王は義子の崇神天皇イナミです。この記述は、以下に相応しています。

【孝元記】比古布都押之信命、娶尾張連等之祖意富那毘之妹・葛城之高千那毘賣、生子、味師内宿禰。

比古布都押之信命が、倭人伝の男弟であり、キスミミです。意富那毘が父君の日嗣ヒコクニクルで投馬国初代国王。
意富那毘は天照の実兄でもあります。葛城之高千那毘賣がイザナミで、倭人伝の男子一人。
味師内宿禰は、イザナミ義子の崇神天皇イナミです。天孫二ニギの御名がウマシマジであり、その名跡を継承したのです。
イナミの義子認定が、見方を替えて多重記述されています。

両者を読み合わせると、意外な政治要件が見えて来ます。苅羽井家と山王家とが、多島系排除で団結したのです。
女王卑弥呼の裁断による多島系ウマシマジ粛清の直後に、イザナミは女王卑弥呼に大金を支払い、
イナミを義子として苅羽井家に血縁させた上で、投馬国王家のキスミミに縁組させたのです。
キスミミも亦、イザナミに大金を支払い、イザナミは女王卑弥呼に上納したのです。
女王卑弥呼の権勢の強さを示す、政治的事績の記述なのです。
「共立女王ヒミカ」は女王卑弥呼とは別人格であり、キスミミの母堂で、天照の子、
そして、イザナミ妹の「夜麻登登母母曾毘賣命」ですが、倭人伝の云う「共立」の意味が見えて来ます。
投馬国は海軍の国です。イナミは女王卑弥呼の期待に答え、大倭海軍を背負って建つ海将と成り、
そしてミマキイリヒコ天皇に即位することになります。
女王卑弥呼は人生の最後に、ミマキイリヒコ天皇イナミに裏切られる事になります。
辞世の歌が「美麻紀伊理毘古波夜(ミマキイリヒコハヤー)」の嘆きの歌なのです。

30 :
>>25
何かやらかして追放 もしくは暗殺されたんやろな

31 :
>>30
対馬に祀られている。
つまり、対馬の王になって、博多には戻らなかったのだよ。
スサノオは山陰出雲に、天照は高天原すなわち沖ノ島に行った。
実は三貴人は誰も博多に残っていないが、博多に残ったのは同じイザナミの子とされるワダツミとヤマツミの兄弟だ。
天孫降臨の後も大山祇が妃を出しており、女系、兄弟(姉妹)相続と考えると、日向三代の間も大山祇一族も倭王に準じた立場であり、大山祇は倭王そのものだったろう。

32 :
>>31
詳しくありがとう 勉強になった

33 :
考察

34 :
博多なんて全然関係ないから。
しゃしゃり出てこないでくれ。
むしろ吉備の方がよほど重要。

35 :
吉備は魏志倭人伝に出てこない。

36 :
>>19
これ

37 :
>>1
古代から伝わる陰陽五行に基ずく鬼門封じの神巫女

魏志倭人伝に記された鬼道を司るこれが女王卑弥呼の等身大の姿

38 :
俺は日矛鏡を使っていたと思う。

39 :
日矛鏡は八咫の鏡と同等だから、平原遺跡の鏡とも同等。
卑弥呼の鬼道とは、三種の神器による古代神道そのもの。

40 :
だろうな

41 :
つまり邪馬台国は福岡県ということ。

42 :
天皇の称号ができた頃の神道は北魏が国教にした道教、仏教(神の称号天王、天皇)の影響力が最強。

43 :


44 :
ついに「南水行十日陸行一月」の謎が解けたyo!
魏志倭人伝の核心は「倭国(女王之所都)=計其道里 當在会稽東冶之東(その道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし)」の一文。

1.西晋初代・武帝司馬炎は、祖父・司馬懿仲達(秀吉)を後見人に指名してくれた大恩人・曹叡(信長)の、(実は呉より北にいた)卑弥呼を特別待遇してしまった判断ミスを正当化し、呉を滅ぼす先鞭を付けた賢帝に仕立てる必要があった。
→曹魏の帝都・洛陽から見て東南にある孫呉との戦いにおいて、その背後に倭国「女王之所都」があれば、最高の牽制となる。
→孫権の帝都・建業とほぼ同緯度の会稽郡「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580km南で、帯方郡から12,000里の「東冶(ン・にすい)」の東にあると思わせたい。
2.しかし本当の位置も残さなければならない。
3.ところで倭国の気候&風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある海南島の大陸側、儋耳朱崖に似ている。

そこで陳寿が行った忖度が、女王国(九州)島が、狗邪韓国(伽耶)の南から儋耳朱崖(ベトナム国境)まで届く、中国大陸をすっぽり包み込む「南北に」長大な2つの列島であるように思わせるテクニック。
まず、正解の【奴国@】と、「當在会稽【東冶】之東」となる幻の【奴国A】を設定。
「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【奴国@】を暗示(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」←2回目の念押しがポイント)。
次に、投馬国(宮崎)から南水行十日にある奄美大島を南に引き伸ばして、女王国島のパラレルワールド「邪馬台国島」を、そこに東治⇔東冶間の「陸行(徒歩)一月」を転用して幻の【奴国A】を創り、「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を下に延ばし日+Л→「月」)。
卑弥呼は、漢委奴国王以来の奴国王・帥升「其國本亦以男子為王 住七八十年」の男系女子(孫娘)で、先祖である歴代倭王(死者=鬼)の神託を聞くイタコとして(鬼道政治)、北部九州30カ国から共立された巫女(斎王)。
邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(南の狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸。

45 :
>>44の図解(模式図)だyo!【魏志倭人伝の倭国観】
   ┏━━┓帯方郡  ┏┛〜〜〜日本海〜〜〜〜
←┐┃黄海┗狗邪韓国┛(伽耶)〜〜〜〜〜〜〜〜
洛陽┃〜〜〜↓↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━━━━━━━━━━━━━━
【魏】┃〜対馬▲↓南「水行十日」〜〜〜〜┃「女王国東渡海千余里 複有国 皆倭種」 
 ↓ ┃「瀚海」↓↓〜_玄界灘〜〜〜〜〜〜┗━━━━━━━━━━━┓
   ┃〜壱岐▲↓〜〜〜〜┌南「水行十日」┐関門海峡〜瀬戸内海▲┃
v✖s┃〜〜┏末盧━━━━↑━━━━━┓↓〜〜〜〜┏━━━┓〜┃ 
   ┃〜〜┃伊都国→不弥国▲▲▲▲▲┃↓〜〜〜〜┃侏儒国┃〜┗━━━┛
 ↑ ┃〜〜┃▲↘_陸行一「日」(正)▲▲▲▲↓国東半島┗━━━┛「在其南 人長三四尺
【呉】┃〜〜┃★奴国@【女王之所都】▲▲┃↓豊後水道〜〜〜〜〜去女王四千余里」
建業┃〜〜┃狗奴国▲▲▲▲▲▲投馬国←┘宮崎平野=南「水行二十日」
会稽┃〜〜┗━━女王国島━━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜
東治┃〜東シナ海〜┌南「水行十日」〜〜〜〜〜〜〜〜
   ┃〜〜┌┌←←▲奄美大島┐↙陳寿の創作(女王国島のパラレルワールド)↓
 ↓ ┃〜〜│↓「陸行一月」(幻)│←「自女王國以北其戸数道里可得略載※」(北部九州30カ国)
   ┃〜〜│↓〜▲〜〜〜〜〜│亶州(沖縄)〜↓「自郡至女王国 万二千余里」
東冶┃〜〜│☆奴国A(幻)〜〜│←『【女王之所都】計其道里 當在会稽「東冶」之東』(魏<西晋のプロパガンダ)
   ┃〜〜│▲狗奴国(幻)〜〜│夷州(台湾)〜↑「此女王境界所尽 其南有狗奴國 不属女王」
香港┃〜〜└┐〜〜〜〜〜〜〜│←「※其余旁国(幻)遠絶 不可得詳」
┏▲海南島〜└邪馬台国島(幻)┘〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
┃↖儋耳朱崖〜〜南シナ海〜〜「所有無與儋耳朱崖同(服装・産物・動物・武器)倭地温暖冬夏食生菜」
┛←南越(ベトナム)〜〜〜〜〜↘▲裸国フィリピン〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜↘▲黒歯国インドネシア▲パプアニューギニア「複在其(奴国A)東南 船行一年」

46 :
平原一号墓出土鏡を八咫の鏡と呼ぶのはやめよう
皇室の三種の神器、伊勢神宮のご神体とは、無関係なバキバキに割られて
墓坑にバラ撒かれた鏡だ
割るためだけに作った鏡で、何の権威もまとっていない

平原1号墓の大量の銅鏡と比較すべきなのは、出雲の荒神谷遺跡の大量の銅剣
それまでの祭器だった青銅器を一括して大量に鋳直した物と考えればよい

47 :
大きさが八咫の鏡だから八咫の鏡だろう。
出雲が降伏して武装解除した名残が荒神谷遺跡だろう。
その後に豊葦原中国の王として天孫が筑紫の日向に降臨したとあり、その地が平原遺跡を含む倭国の王都であった伊都になる。
平原遺跡には三種の神器が揃っていて、たまたま大きな鏡があっただけではないことは明らか。

48 :
プジョー

49 :
考察

50 :
>>1
魏志倭人伝は意外と日本人の民族性を高く評価しているのだよな。
(たとえば倭人なんて、一応人偏がついているからな)
しかし卑弥呼の表記(卑しいと言う漢字を当てている)
とか鬼道とか悪い文字をあえて選んでいるからには当時の中国人は胡散臭いものを
感じたのだろうな。
たとえば張角の太平道のパクリみたいなものとか。

51 :
中国での鬼は死者のことだから、鬼道とは死者を祭る宗教。
仏教かな?

52 :
神道はそもそも祖先を祭るものだよ。
イザナギとかアマテラスとかは、皇祖だからね。

53 :
3つの柱の内の一つ

54 :
>>44
>>45
卑弥呼の魏帝への朝貢目的は、蜀の牽制として西のインド・クシャーナ朝「親魏大月氏王」同様、呉の牽制として東の「親魏倭王」号を取得し、帯方郡が管理している「伽耶の鉄」の倭国における輸入独占権の確保(郡宛て書簡封泥用の金印「親魏倭王」)。
つまり狗奴国戦争における後方支援(後に援軍)要請だったわけで、南の狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は狗奴国の位置であることに留意されたい。
そこで九州説、畿内説における狗奴国を検討すると、以下のようになる。

−女王国 東→渡「海A」千余里 複有「国皆倭種B」(〇九州説…A関門海峡・B本州、✖畿内説…A鈴鹿山脈・B北海道)
−其南↓有狗奴國 不属女王(〇九州説…熊本もしくは薩摩、✖畿内説…仲良し東海)

畿内説はいずれも当てはまらない上、「国皆倭種(→東)」と「狗奴国(南⤴東)」が重複し、矛盾が生じる。
また、鉄製武器(軍事力)も文字・駅伝制(通信手段)もない3世紀の畿内にいて、遠隔の北部九州を安定支配するのは物理的に不可能。
魏志倭人伝を史料として採用する以上、九州説が正しいことになる。
では、狗奴国が熊本か鹿児島かだが、邪馬台国七万戸を統治する倭女王をして、魏帝に援軍要請させるほど窮地に陥れる国の軍事力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸)もしくはそれ以上の人口(八万戸)を想定。
面積から見て、川内平野でゎ「平野面積≒戸数」となる3世紀の開墾能力では無理があると思われ、狗奴国は菊地平野(狗古智比狗の本拠)+熊本平野+八代平野の3平野を合わせた超大国と考定して、
北の邪馬台国は、北岸の吉野ヶ里遺跡を始め、弥生拠点集落の宝庫「筑後(川)の賜物」筑紫平野、卑弥呼王宮はその最高所・甘木朝倉を、
卑弥呼の冢「大作冢径百余歩(尺)=0.25m×100歩=直径25m」は、3世紀中頃の築造で、筑紫平野を一望でき、同時期の殉葬者が少なくとも66人以上確認されている「有棺無槨」祇園山古墳を比定。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

55 :
>>54
すると、欽明(天皇家開祖)の父にして、古代史の謎である継体の正体(呉の南の「越」王の分家>狗奴国・卑弥弓呼末裔/鯨魚@八代淡海→近江琵琶湖)も判明!古代史は以下のように一挙に解明できるのである!

漢委奴国王=1世紀(弥生後期)
帥升=2世紀(倭国大乱)
卑弥呼=3世紀(弥生終末)邪馬台国(帯方郡張政の仲介で狗奴国を併合)…伊都国王神武「更立男王国中不服」を派遣し、紀伊半島西部水銀鉱床で栄えていた大和纏向を征服させ、奥津城(王家の谷)として隠蔽&独占。
崇神朝=4世紀(前期古墳)伊都国(台与死後「複立男王並受中国爵命」)…垂仁、伊勢神宮を創建し紀伊半島東部も聖域化。紀伊半島の水銀鉱床完全独占。
応神朝=5世紀(中期古墳)邪馬台国(仲哀を武内宿彌&神功が暗殺)…魏晋【宋/斉/梁】南朝へ朝貢再開。479年「武」上表「安東大将軍倭王」に任官(悲願達成)。
継体朝=6世紀(後期古墳)狗奴国(武烈死後、倭王磐井を暗殺「百済本紀531年、日本の天皇・皇太子・皇子共に薨去」、筑紫君と矮小)…阿蘇邪靡堆へ遷都。倭国独自(九州)年号創設。
日出処「天子」倭王阿毎多利思比孤、新羅の朝貢を契機に隋煬帝に対し対等外交宣言607年
欽明朝=7世紀(飛鳥時代)…仏教伝来による墓制(国家祭祀)変更のため、欽明皇子、蘇我稲目と共に奥津城(王家の谷)に下向。大和分家として飛鳥疎開宮造営。
用明&厩戸…物部守屋を誅殺し前方後円墳廃止。大和分家を乗っ取ろうとした蘇我氏を九州本家の天智が誅殺し、近江大津京へ東遷(大化の改新)。
天武朝=8世紀(奈良時代)記紀編纂→唐外交の火種【九州年号&多利思比孤】を抹消すべく、崇神朝〜応神朝〜継体朝の歴代倭王権@九州本家の交代が、すべて大和分家で起こっていたように史実歪曲。
畿内を記紀の歴史テーマパーク化(九州の地名をそっくり移植。阿蘇外輪山→三輪山、八代淡海→近江琵琶湖など)
桓武朝=9世紀(平安時代)

まとめると、
九州本家…卑弥呼台与(邪馬台国)→崇神朝(伊都国)→応神朝(邪馬台国)→継体朝(狗奴国/阿毎多利思比孤)→天智東遷(難波宮大津宮)→桓武(平安京)
大和分家…神武朝(伊都国)東征→崇神朝奥津城造営(紀伊半島の水銀鉱床目的)↘欽明朝(推古摂政厩戸)→天武持統(飛鳥宮藤原京)→元明(平城京)

56 :
>>30
手柄をスサノオに譲った(とられた)のかと思ってた
同一人物説がチラホラあるから

57 :
>>51-52
鬼道が神道になったんじゃない?
鬼庭が茂庭に改名させられたような?

58 :
>>56
対馬に月読神社があるから、月読は対馬の王となったのだろう。
行ったきりというのは、天照の子孫は筑紫に戻ってきたことを意識しての言葉だろう。
月読や天照の孫の世代に、天照がスサノオの後継者であった大国主を倒して、対馬海峡から山陰までの倭国を再統一したのだろう。

59 :
>>57
鬼道はあくまでも中国から見た呼称だろ。
卑弥呼の時代は記紀の通りなら神功皇后の時代で、その事績は玉と鏡と剣で彩られている。
考古学的にもその少し前から九州北部は三種の神器の時代になっている。

60 :
>>58
だろうだろうで釈然としないな

61 :
>>59
そういう話じゃない

62 :
台与や卑弥呼の最後を考えたらかわいそうになってくる
もっと長生きして 未来の日本を見たかっただろうなぁと
思ってしまう!!
卑弥呼が長生きしていたら日本も変わっていたかな?

63 :
190年頃に20歳で即位したなら、247年に崩御した時に77歳。
即位が180年頃なら87歳だ。
卑弥呼は十分に長生きしたよ。

64 :
原始神道の教義の形成に五斗米道や太平道の連中が結構かかわっていたのでは
ないかな?
邪馬台国で読み書きができた人間はおそらく中国移民とその子孫
くらいしかいなかっただろうしな。
あの時代の中国から逃げてきた連中の中には多少なりとも組織を率いた
経験がある人もいただろうし、五斗米道や太平道はこうやって神様を祭っていると
神がかり婆さんにアドバイスをしたのではないの?

65 :
卑弥呼は天皇なん

66 :
天皇という呼称は天武天皇の時代のもので、それ以前は倭王が正式名だよね。
卑弥呼も倭王だ。

67 :
倭王の「倭」は大陸の人らが蔑んで呼んだ国名では
おほきみ(王)が正しいと思ってたけど

68 :
最近の研究では
卑弥呼は天照大神様みたいですね!
中国では卑弥呼と呼び 日本では
天照大神様と呼んでいたそうです
日本に実在した王女らしいです
ちなみに邪馬台国は徳島にあって
卑弥呼「天照大神」のお墓もあるそうです!

69 :
なんと残念な頭

70 :
>>67
古事記でも倭という語は多用している。
そこは問題ではない。

71 :
>>70
卑弥呼の時代に卑弥呼が言ったならともかく、古事記って
単に外国から倭と呼ばれたから倭を名乗るようになったんでは

72 :
倭はヤマトと読む

73 :
>>71

卑弥呼は倭王の名前で国書を送っているのだが?

74 :
倭と認識されてるから、はいはい倭ですよと応答したんじゃないのか

75 :
ヤマトも後々の読み方だよね

76 :
五十猛(イタケル)みたいに倭健命もワタケルだったりしてって説は見かける

77 :
動画で見たから間違い無いよ!
卑弥呼は天照大神であり卑弥呼の
墓が徳島にあるってことは
邪馬台国も徳島県にあった
つまり徳島の生まれの人達は邪馬台国の住人達の
子孫って事で間違いないと思う!
ただ卑弥呼の親の伊邪那美や伊奘諾が
日本のどこにいたのか?何をしていたのか?
がハッキリと解明されていない
また高天原も現在どこにあって現代の高天原は
どうなっているのか?
そう言った事も解明されていない

78 :
大和(ヤマト)にしても、
倭(ワ)→御倭(ミワ)→大和(ミワ)→乗っ取ったヤマトが読み方を充てたという説ある
大神(オオミワ)神社とか繋がりありそうな

79 :
何の動画www

80 :
小学生がいるな

81 :
>>77
間違いなかったら新聞にも教科書にも載る

82 :
>>78
1200年以上ある神社って現代と言葉が違うから謎だよな
アサマとかも謎

83 :
>>76
タケルも勇者的代名詞であって本名じゃないみたいだしね
ヒミコも日の御子や火の巫女みたいな代名詞であって本名じゃなさそうだよね
>>82
アソ、アサ、は火山地名とか言うよね
アハ、アワ、アヲ、オホ、は青地名とか言うよね
考え出すとキリがなくて面白い

84 :
>>50
古代中国は自分たち以外の周辺国を見下してたんよ
うちの列島だけでなく周辺国を賎しい名前で呼んでる

85 :
>>22>>24
素盞は明らかに男神だけど
天照も月読も性別不詳なのが気になってる
後に朝廷の都合に合わせて書いたのが記紀だから
そんなもの何の証拠にもならないしね

86 :
百襲姫は神懸かってお告げするスタイル
今で言う降霊による神託だろうな
という事は百襲姫は霊媒師だな
卑弥呼を百襲姫と見るなら

87 :
鬼道だけど
そもそも昔の中国さんは儒教だったよね
儒教に従わない異民族を野蛮な「化外人」と蔑んだ
(あと「化」は儒教に従うことだとNHKで言ってた)
儒教じゃない教えだから鬼道と呼ばれたのでは

88 :
>>86
えーと
そもそも権力のある者が娶る女は
神憑りする巫女と相場が決まっているのでは

89 :
>神懸かってお告げするスタイル
そうじゃないスタイルがあるのか?

90 :
卑弥呼は天照大神なんじゃないの?
動画で学者?教授?みたいな人が卑弥呼は
日本では天照大神って呼ばれていたって言っていたよ!
実際に徳島に卑弥呼・天照大神の
お墓もあるって言っていたし
天照大神も太陽の術を使えたから
卑弥呼の鬼道はお告げというより
天照大神の太陽の術?魔法?
のことを言っているんだと思う

91 :
百襲姫は未来に起こる出来事が見えたんだそうな

霊媒師じゃなければノストラダムスみたいな予言者だったかもな

92 :
実際に若い時代に卑弥呼や台与も邪馬台国の
軍隊を引き連れて悪魔や鬼の軍勢と戦ったって
記述があると言われているから
卑弥呼の鬼道はお告げではないと思う

戦場で敵軍に対して使うような術だったと思う!
卑弥呼や台与の死は邪馬台国や日本国を守るための
犠牲になったらしいと言われているし
子孫である神武天皇が卑弥呼や台与の意思を継いで
日本を収め現代の皇室まで引き継がれていると考えると
納得出来る!!

93 :
風読みだよ

94 :
小学生しかいないのかここは

95 :
>>90
学者でも教授でも多忙でYouTubeなんか出来ないので、仕事が無くて暇な塾講師などが個人的な趣味で妄想を語ってる動画なのだろうと推測できる

96 :
スレタイが読めるなら、こうだからこうという理論的な「考察」を書こうか

97 :
>>87
一番しっくりくる
Wikipedia
当時の中国の文献では儒教にそぐわない体制を「鬼道」と表現している用法があることから、呪術ではなく、単に儒教的価値観にそぐわない政治体制であることを意味するという解釈がある。

98 :
古代神道を鬼道と呼んだでいいだろ。

99 :
まだ古代神道そのものが謎なのに?

100 :
>>87
たしか日本の他にも鬼道の国もう一つ記載されてたハズ
つまり中国から見て異国の宗教の呼び名に過ぎないのだろう

101 :
古神道は550年に仏教が入ってくる前の事だから未来永劫解き明かされないだろうな

102 :
鬼道
難しく考えんで
豊作なら貴び不作なら殺される
持衰の農作版だよ

103 :
私 秘密にしていたけど実は鬼道を使えます!

104 :
>>87
儒教じゃない外国の宗教は全部鬼道だったんだろうね

105 :
仏教の前だと
渡来人から道教が伝わってたと思うよ
地元の大きな神社の話なんだけど
どう見ても大陸な一部で拝まれた道教系の神事なのに
無理やり仏教の神にしたり神道の神にしたり
祠や社もシャッフルしたり
あれこれ史料を見ても噛み合ってないしカオス

106 :
卑弥呼がアマテラスとか言ってる人いるけど、
そうだとしたら世話役してたのはツクヨミなんだろうな
スサノオは明らかに書かれ方が具体的すぎて世界が違う

107 :
土蜘蛛のWikipedia
ここだけ見ると卑弥呼を連想する
>名前に「女」(め)や「媛」(ひめ)などが使われている点から女性であろうと見られる土蜘蛛も
>熊襲や蝦夷と異なり、集団として扱われるのではなく個人名として登場する点に特徴
>荒ぶる神を鎮めた例など、九州地方の土蜘蛛に巫や農耕的呪術の特徴が見られる
>これら個人はシャーマニズムを権力の背景とした地域の首長だったと推論

108 :
九州は女性首長が多かったんだよね。
その最上位にいたのが卑弥呼だったと考えるのは自然なことだ。

109 :
海の向こうから九州に逃亡してきた時には、その集団の王や皇子が亡くなっていて、次の後継者が育つまでの間は一時的に当主を生き残った奥さんとか姉妹とかが継いでいたのかもね>土蜘蛛
ある土蜘蛛の女首長は、剣と鏡と玉と白旗を掲げて降参というか味方ですよの意思を示して、仲間を裏切って朝廷側に行ったんだよね
その人は「神なんとか」って名前を付けられてた
まつろわぬ男女は土蜘蛛だの熊襲だの
かたや宝物や異文化を持って近づく女は神

110 :
なんで三種の神器が異文化なんだよ。
あと、降伏ではなく神威を示したのかもしれないな。

111 :
>なんで三種の神器が異文化なんだよ。
え?はっきり言って渡来文化としか言えないような?
この地に元からあったなら、鮭を好んで東日本に暮らしてた縄文系の原住民が先にやってるはず
大陸は陸続きの移民だらけで国同士の戦争ばかりだったから職人や知恵ある異人が重用されるし輸入輸出の交流もあったから文化的な発展が早かった
だから大陸の戦乱から命からがら逃亡してきた渡来人氏族たちが持ってきたとしか思えない
鉄の民は鉄が取れて風の吹き込む山麓などに居座る
玉の民はヒスイが取れる日本海沿岸などに居座る

112 :
剣と鏡→製銅製鉄技術
玉(ギョク)→ヒスイ加工技術
白旗→楮を使った機織り技術

113 :
>>112
それらが伝来したのは弥生時代だろう。
神夏磯姫は古墳時代の人物だ。
もう大和だって三種の神器を持っている時代だぞ。
同じ三種の神器を持つ王族が他にも筑紫にいたということだよ。

114 :
まさかと思うけど
記紀を真に受けて信じてる人…?

115 :
そもそも鮭が捕れない九州に住んだのは海を渡ってきた移民なんだけどな?それは異文化じゃないのか?
翡翠は東アジア広範囲で好まれていた石
スマトラで見つかったのと同じ絵や形の古墳が九州にもあるので東南海洋系がいたのは間違いない
勾玉と鏡についてはどう見ても中国系デザイン

116 :
日本列島だと九州にしか自生してなかったシュロを神聖視したのも黒潮に乗ってきた系の南洋の民族だと思う
今でも天皇のお入りになる何かの屋根はシュロで葺くって言うよね
寺の鐘を打つやつも
そしてシュロと言えば音的に連想せざるを得ない首露王…

117 :
縄文人から見たら異文化だが、記紀を記録したヤマト王権そのものがその渡来人なんだ。
だから神夏磯姫との遭遇も、未知の相手ではなく、同じ三種の神器を持つ一族との再会なんだよ。

118 :
記紀の内容に触れるなら、それが渡来人王朝であるヤマト王権の視点から見た歴史であることに注意しないと。
在来の蝦夷は征服される側になっているんだ。

119 :
>なんで三種の神器が異文化なんだよ。
こんな狭い島国に入ってきたものは全て異文化

120 :
>>117
再会
ファンタジー小説のストーリーなら面白いけど非現実的

121 :
>>118
だったら、ヤマトにとっての異文化と言うべきだね
そもそも>>110が

122 :
>>120
当時は連絡手段も乏しかったから、離れ離れになった部族同士は分からなくなったんだよ。
だけど三種の神器を掲げることで、同族だと分かった。
そこでさらに神夏磯姫が「攻撃しないでください、敵ではありません」と呼びかけた。
リアルじゃん。

123 :
>>117
その姫と同じ種族の奴らは全て「まつろわぬ」奴らだったから同じ一族なはずがない

124 :
>>122
思い込み語るなら
少しは何らかのエビデンス出して

125 :
>>121
景行天皇の前の崇神天皇の段ですでに八咫鏡を皇居から追い出す話があるから、すでにヤマト王権も三種の神器のことは理解していたはず。
異文化ではないよ。

126 :
>>122
その姫は自分達の仲間を売って自分だけヤマト側に行って助かったという話なんだけど

127 :
後の世で
朝廷に都合の良いように書かれた記紀の話を
鵜呑みにしてる小学生がいるな

128 :
>>109
>まつろわぬ男女は土蜘蛛だの熊襲だの
>かたや宝物や異文化を持って近づく女は神
こいつがヤマト王権にとって三種の神器は異文化だというこ珍説を証明しろよ。

129 :
>>128
日本語で

130 :
仲哀の天皇の段でも筑紫の首長達が三種の神器を掲げて登場するから、三種の神器が筑紫のシンボルであったことは確実なんだよ。
そもそも紀元前から同じセットが出土するし。

131 :
そもそもの前提が分かってないようだけど、ヤマト政権は色んな「まつろわぬ」なんたらを取り込んで取り込んで力をつけたの
そっちはそっちで力をつけられたら困るから、力のあるヤバい人たちや謎の道具を持ってるヤバい人たちを恐れて取り込んだの
取り込めないやつら(まつろわぬ奴ら)は殺されたの
ヤマト政権が、なんとかワケという名前の者を各地に派遣したのは、取り込む交渉および取り込めなかったらRためだったの
記紀や各地の風土記で伝わってる童話みたいな話は全部そういうことなの
桃太郎の鬼退治だって地方の異種豪族を政権側が叩きに行く話
派遣された中でも一番ヤマト政権の役に立ったのがヤマトタケル

132 :
>>109
>まつろわぬ男女は土蜘蛛だの熊襲だの
>かたや宝物や異文化を持って近づく女は神
こいつがヤマト王権にとって三種の神器は異文化だという珍説を披露したのだから、こいつにそのエビデンスを示せさせろよ。

133 :
>>130
なんの物証も出てない以上は作り話の域にしか過ぎない

134 :
>>132
それだけでなく、あらゆるものが異文化

135 :
>>131
年代感覚がおかしいバカ発見

136 :
例えのひとつだろ

137 :
>>133
九州では紀元前から三種の神器が出るけど?
無知なの?
バカなの?
どっちか選んだら?

138 :
>>134
それを持ち込んだもの達にとっては、異文化ではないはずだよ。
そもそもヤマト王権は最初に何を持っていたんだ?
空っぽなのか?

139 :
>>136
何が何の例え?

140 :
古代の人間がどうやって力を示したのか
マウンティングの方法
庶民と違う布や仕立ての服、魔法のように便利な道具、魔法のように美しい石、よく分からない神事、こんなところ
国として力を付けるためには他国の進んだ文化を奪うしかない
最初から全てを持っていた神聖なる民族とでも言いたいのかムキになってる人がいるが、もしや九州人か?

141 :
>>137
なんでそんなにヒステリーなの?

142 :
なんかスレチな方向に

143 :
人の上に立つリーダー系は、いつの時代もどの国も、他人や他人の物を利用するのがうまいというのはある

144 :
卑弥呼の話は明らかに一族が敬った長という描かれかた
ヤマト政権は明らかに、俺を敬え、俺に従え、という利己的な感じ

145 :
姉→神の宿り木で神事的権力
弟→姉を守る政治的権力
こういう姉弟政権って沖縄方面に見られた形らしい
敬う対象としては女の方が強かったという形
大陸側のギシワジンデン(なぜか変換されない)では
卑弥呼は引きこもって弟が世話してるような記載
ヤマト政権は男系
(それも古くは長子ではなく何故か弟が継承する傾向)
もし卑弥呼の一族が女系なのだとしたら
異なる種族としか思えないねえ

146 :
秦の始皇帝の時代にもあるけど
自分ら民族が力を得るために多民族の王族に近づいて
気に入られたり娘を献上したり養子や義兄弟になったり知恵を授けたりして「俺ちゃん使える味方だよ」をアピールするスネ夫のようなやり方がある
将軍のような権利あるポジションを得たり親族を招き入れたりして自分ら民族の格を上げていく
代々仕えることもあるが、頃合いを見て裏切ったり、コントロールして実権を掌握したりする
多種民族が入り乱れていれば当然、そういう生き残るための悪知恵は生まれる

147 :
>>146
多民族じゃなく他民族
変換ミス

148 :
>>122
その同族妄想って自分で作ったの?それとも誰かのブログ?

149 :
>>130
>>137
物証というのはそういうことじゃなくて
>三種の神器が筑紫のシンボルであったことは確実
これが作ったものか真似たものか奪ったものなのかは不確実だよね

150 :
>>145
そういえば長男が継ぐ風習っていつから?と不思議に思って調べたら、どうも明治になってから長子相続のお触れが出たらしい
ちなみに末子相続については(ちょっと複雑だけど)遊牧民族に見られた傾向らしい、長子は生前分与されて独立しちゃうから

151 :
あとこれ
末子相続例1
>モンゴル人の間では親の遺産を相続する末子を、神聖な家の炉の火を守り継承する者であることから「火の王子(炉の番人)」と呼んだ
末子相続例2
>第1子は女性の以前の夫の子供である可能性が第2子以降に比べて高いため、あえて長子を相続者にしない

2つ目は、実は前王の子ではなくフリョイの血なんだろうと囁かれ始めた秦の始皇帝のことを言ってるのかなw
もし遊牧系以外での末子相続の走りが、秦の始皇帝の弟(前王の血を継いでいる)側についた人たちの末裔だったらと妄想すると楽しい

152 :
神代は多方面から女を調達してるもんね
結婚というより、討伐ついでに立ち寄った現地妻みたいな

153 :
>>145
>ヤマト政権は男系
>(それも古くは長子ではなく何故か弟が継承する傾向)
>もし卑弥呼の一族が女系なのだとしたら
>異なる種族としか思えないねえ
記紀や風土記では女性首長は九州北部に多いですね。
男系の兄弟相続は中央アジアの騎馬民族の特徴です。

154 :
>>152
神代はほとんど筑紫と出雲の話ばかりで、男がフラフラしていて地元の姫を娶る話なので、入婿ですね。

155 :
>>149
>>三種の神器が筑紫のシンボルであったことは確実

>これが作ったものか真似たものか奪ったものなのかは不確実だよね
少なくとも鏡については、九州北部の首長が漢帝国から冊封された証として与えられたもの。
すなわち倭王の証。
ちなみに普通は内行花文鏡。

156 :
>>152
神代においては征服はしていない。

157 :
>>155
なるほど

158 :
>>155
わかりやすい

159 :
>>154
入婿という説あるけど
多妻で入婿って可能なん?

160 :
>原始日本の妻問婚 -Wikipedia
>日本に置いて妻問婚は、飛鳥・奈良時代に先立つ古墳時代に一般的であったと考えられている。
>妻と夫はそれぞれの氏族で居住し、妻の財産は妻方の氏族が、夫の財産は夫方の氏族が管理した。
>求婚は「ヨバヒ」といい、女が許せばその場で結婚が成立した。
>族長クラスになると媒が入ることもあったが、基本的には本人同士が気に入るかどうかであった。結婚が成立した後、女がオヤ(族長)に告げ、認められれば公式の婚姻となる。
>子の養育は母の一族が行うものであり、夫方の一族が介入することはできなかった。
>妻問婚は平安時代まで継承され、これが摂関政治成立の原因のひとつとなった。


飛鳥奈良時代か
縄文弥生古墳時代あたりのソースないかなー

>>159
どうなんだろう?
うちの娘は権力者の子どもを生んだぞー!なんて口先だけなら何とでも言えてしまうなー
以下は引用
>夫が妻方に通わなくなったら「床去り」「夜離れ」
>通ってきた夫を妻が返してしまえばやはり離婚
>何らの宣言も届け出もない古代の離婚は大変あいまい
>一夫多妻はもとより多夫多妻となる婚姻も珍しくなかったらしい

161 :
こうなると誰が誰の子なのか、神の子の正統性も何も無いな…

162 :
族長クラスは媒(仲立ち)が入ったのか

163 :
>>161
だからこその女系相続なんですよ。
母親だけは確実だから。

164 :
いや、もはや種が分からないw

165 :
それ読んだら記紀のことでピコーンと来たんだけど思い付いた妄想を語らせて
相方を失ったイザナギは川沿いの3集落に住む女たちに妻問い、母違いの3集落の子たちは各々の母の元で育つ(そもそも父が同じなのかは分からんが)
1.高天原に住む太陽トーテムの種族の子、東から昇る光=左目から誕生、高天原の支配を命じられたがそもそも出身地
2.夜の国に住む月トーテムの種族の子、太陽より弱い光=右目から誕生、夜の国の支配を命じられたがそもそも出身地
3.海洋系の種族の子、製鉄民族は山の麓で鞴を使うor山の息吹の力を使う=空気が通る鼻から誕生、海原を治めよとか言われましても製鉄してるので無理
・地団駄を踏む=たたら踏み=製鉄
・青山は枯れ=大量の伐採が必要=製鉄
・海や河の水は干し上がり=大量の水が必要=製鉄
・激しい泣き喚き=作業いろいろ煩い=製鉄
・亡き母の国に行きたくて泣く=製鉄家系
それならばこの国に住むなとイザナギに追放される
スサノオ「どうせ資源も尽きたし姉ちゃんの国に行くべ」
アマテラス「ヤベェこっちの山海も無くなるじゃん」
スサノオ「そんなことないよ、うちの良い剣(鉄器)譲るから、そっちの玉(原石)融通してよ」
アマテラス「まあ交易ということならこっちも助かるわ」
ここからスサノオの乱行
・田の畦を壊し溝を埋め=田に水を引けないようにする=水が要る=製鉄
・新穀を召し上がっておられた御殿に大便を散らかす=新嘗祭11/23秋つまり製鉄に都合の良い冬期に本気を出すから鉄屑が大量生産される
・機織りの御殿=たたら踏みの織機をたたら製鉄に例えているだけ=製鉄
・逆剥ぎにした天の斑馬を投げ込む=斑点が浮かび上がる秋の鹿の皮革は鞴の原料だった(肉は炉に放り込んで燃料にした?)=製鉄
・機織りはショックを受けて機織り道具の杼(ひ)を陰部に突いて死んだ=赤々とした熱い炉の中が女の陰部つまり死の国に例えられるのはお約束であり死の国から生まれ来る赤子のように杼(ひ)に似た剣が生まれた=製鉄

166 :
ごめんスレチだった

167 :
>>163
158に引用される多夫多妻が当たり前の世の中だとしたら、誰の子であっても母の言ったもん勝ちになってしまうという話をしてるんだよ

168 :
>>164
女系相続なら、種は気にしなくていいんですよ。

169 :
>>165
3つの種族の中で、2つの種族(アマテラスとスサノオ)は交易姉妹都市みたいな締結をしたけど、スサノオ側の力が強くなっちゃったのが不都合だから悪者みたいに書いたんかな
この製鉄勢力が自然破壊する状態が、魏志倭人伝における倭国大乱なんだろうか?
魏志倭人伝
>元々は男子を王として70 - 80年を経た→イザナギ?
>倭国全体で長期間にわたる騒乱が起こった→スサノオ?
>卑弥呼と言う一人の女子を王に共立して混乱を鎮めた→融通して属国になりさがったアマテラス?
>年長で夫はいなかった。→巫女?
>弟が国政を補佐した。→ツクヨミ?
>王となって以来人と会うことは少なかった。→天岩戸おこもり?
>朝鮮半島の国々とも使者を交換していた。→他国との交易には肯定的な種族?そもそも朝鮮由来の種族?
>死後男王を立てるが国中が服さず更に殺し合い。→闇の夜(ツクヨミの世?)が続く中で騒いでいた悪神たちはこれ?
>卑弥呼の宗女(一族or宗派の女性)である13歳の壹與を王に立て国は治まった。→天岩戸からのおでまし?

170 :
>>155
>少なくとも鏡については、九州北部の首長が漢帝国から冊封された証として与えられたもの。
>>169
>13歳の壹與を王に立て国は治まった。→天岩戸からのおでまし?
だとすると、
天照のために鏡を用意した伊斯許理度売(鋳造女)と天津麻羅(鍛冶男)は朝鮮から来た神ということになるね

171 :
男王70〜80年は日向三代。
ちょうど伊都国の隆盛の時代であり、高祖神社の祭神が彦火火出見、細石神社の祭神が木花佐久夜毘売。
その前の倭奴国の時代の王がイザナギやその子らの大山祇、綿津見ら。彼らは志賀島の海神神社の海神とされる。
記紀は天照や素戔嗚を重視しているが、どうやら博多湾沿岸の倭国の正統ではなかったようだ。
イザナギの筑紫の日向の小戸における禊で生まれた神のうち、博多湾沿岸に残ったのは大山祇や綿津見らだった。
傍流であったはずの天照や素戔嗚が外で力をつけて筑紫へ戻ってくるのが天孫降臨。
海を任されていたはずの素戔嗚が大国主になったり、山の王であるはずの大山祇が海神だったりとねじれもあるが、どうやら兄弟相続の名残らしい。
山幸彦と海幸彦も兄弟だし。
記紀が描かれた頃には兄弟相続は廃れかけていたので、編者らの理解が追いつかなかったのだろう。

172 :
>>170
鏡は朝鮮からではなく、中国の漢王朝からもたらされるもの。
朝鮮も倭と同じく冊封される側の立場だよ。

173 :
天照の物語では八咫鏡は天照が作らせたことになっている。
これは鏡が国産化された時代の物語が混入したことになる。
それは漢王朝が滅亡したあと、卑弥呼の時代の話になり、初めての国産鏡が平原遺跡の鏡であり、空前絶後の世界最大の内行花文鏡である八咫鏡がまさにそれ。
それ故に天照は卑弥呼をモデルとした可能性がある。

174 :
168が飛んでる
なんで表示されないんだろう
何かがNGワードになってるのかな

175 :
おまかん

176 :
>>173
>天照が作らせた

天照を引っ張り出したい周りが作らせたんでなくて?

177 :
弥生初期
九州 イザナギによる倭国成立、稲作超拡大
畿内 スサノオが日本海から全国へ稲作を広める

弥生中期
九州 大山積や大国主による倭奴国の最盛期
畿内 稲作拡大 穏やかな瀬戸内で各地と貿易

弥生後期
九州 伊都に遷都したニニギらが後漢に朝貢 
畿内 九州を出た三島溝杭耳らが勢力を拡大

弥生末期
九州 倭国は乱れ神武らが九州脱出、収拾のため伊都で卑弥呼共立へ
畿内 関西から東海にかけて饒速日の王朝が成立

178 :
>>177
これは何の引用?

179 :
邪馬台国は奈良県で確定したっぽいです

180 :
>>173
伊都国からは製銅関連の発掘ってあったの?

181 :
>>179
それはないな
確定してたらトップニュースになってる

182 :
>>181
霊能者の人が奈良県だと思うって言っていたよ
つまり卑弥呼がいた場所が邪馬台国になり
邪馬台国は奈良県で間違いなっぽいです

183 :
なんだ荒らしか

184 :
>>173
アマテラスやスサノオを始め、記紀に出てくるキャラクターは色々な人間をモデルに習合したものだと言われてるね

185 :
>>180
鏡の鋳型などが出土していて、倭国の青銅器製作の拠点の一つ。
何しろ当時は材料が対馬海峡を越えて運ばれてくるから。
なんと言っても世界最大の内行花文鏡である八咫鏡がある。

186 :
>>184
素戔嗚は場面により性格が変わるし、世代数が合わない。
大山祇もあちこちに登場しすぎ。
何世代かの同じ称号を持つ複数の人物の話が一つになっているのかもね。

187 :
荒らしじゃないよ
その霊能者さんは天照大神と会話しているし
他の神様と会話もしているって言っていたから
間違いなく奈良県で決まりだとおもいます

188 :
災いを鎮めるため(アマテラスに出て来てもらうため)に、鉄を取り寄せたり鍛冶職を探しだしたりは、記紀の中でスサノオに張り合ってるんだよね
私はこう考えてる
スサノオ側に服して政権を譲ったことが、アマテラスの隠居というか「おこもり」を表しているんじゃないかって
でもアマテラスに近しくて権力を失いたくない者たちはそれじゃ困るから、朝鮮の助けを得て復権させたんじゃないだろうか
何を引き換えに助けてもらったんだろうかと考えてる
それなりのポジションなんだろうなとか

189 :
>>187
Twitterで言ったほうが炎上おもしろいよ

190 :
>>186
スサノオに関わらずだね
どれも一族の総称だろうね

191 :
>>185
空前絶後とか世界最大とか
その通りなんだけど、なんか笑う

192 :
倭人伝には朝鮮から使いが来てるって書かれてるよね

193 :
古事記は朝廷が都合の良いように出版した本だからな
ふんだんに使われたダジャレで人の記憶に残りやすいようにしてる
文字の読めない人にも伝わるように面白く編纂した

194 :
対馬は朝鮮と交易してた
早い段階から朝鮮に服属してたという論文が

195 :
>>177
何これ

196 :
>>191

本家である中国より大きいのを作ってしまうあたりが日本人らしいだろ。

197 :
>>194

魏志倭人伝でも後漢書でも、半島南岸の狗邪韓国から南は対馬を含めて倭の領域だ。

198 :
古代の話なのに、この人は一体何をもって日本人としてるんだろう?

199 :
素戔嗚は新羅に渡って苗などを持ち帰り、日本海沿岸に植林したのだそうだ。

200 :
日本人ってのは
あらゆる所から流れ着いた多民族のチャンポン

201 :
弥生初期
九州 イザナギにより能古島で倭国建国、稲作超拡大
本州 スサノオが日本海から全国へ稲作を広める
弥生中期
九州 筑紫生まれの大山積や大国主らによる倭奴国の最盛期、前漢に朝貢し内行花文鏡をもらう
本州 大山祇の子である三島溝杭耳らにより瀬戸内から近畿の稲作拡大
弥生後期
九州 伊都に遷都した天孫ニニギらが後漢に朝貢し金印と内行花文鏡をもらう
本州 三島溝杭耳の末裔である鴨一族と天孫ニギハヤヒの王権
弥生末期
九州 倭国は乱れ天孫族が九州脱出、収拾のため伊都で卑弥呼共立へ、滅亡した漢王朝のかわりに国産の内行花文鏡である平原遺跡の八咫鏡を製作
本州 ニギハヤヒの物部王朝に神武が合流して大和王権の基礎となる
古墳時代初期
九州 再びの乱を収拾するため壹與共立へ、続いて八咫鏡を継承した神夏磯姫が景行と共闘、沖ノ島の合同祭祀の規模拡大へ
本州 崇神により大和王権は拡大征服路線へ、八咫鏡を宮から追放し伊勢へ
古墳時代前期
九州 仲哀が筑紫に迎えられるが崩御、神功皇后が神夏磯姫の末裔の田油津姫を倒し筑紫を統一へ
本州 神功皇后の子で九州生まれの応神による統一王朝へ

202 :
>>201
空前絶後の人?なんでだろう読みづらい
スサノオが稲作の所で読む気が失せる

203 :
スサノオが騎馬製鉄民族系なら狩猟メインだから稲作なんてしないんじゃ
稲作やってた民の国に、鉄農具を売ることはあるだろうけど

204 :
妄想を書くなら理由を添えないと

205 :
台与も鬼道使っていたのかな?

206 :
>>197
それ中国人の視点で書かれてるからなあ

207 :
>>205
鬼道が何を指すのかハッキリしてないけど、もしも伝統的な祭事や神事を指していて女系なら継いだのではないの?

208 :
妄想ごり押ししておきながら、突っ込まれると答えない奴なんなん

209 :
>>202
日本書紀も、素戔嗚が高天原を追放されてから新羅に行き、そこから出雲に行った話が書かれている。
稲作ではなく林業の方が良かったかな。

210 :
>>196
そもそも本家とは?

211 :
鬼道も気になるけど
邪馬台国がどうなったのか気になるよね?

212 :
>>209
あの、日本書紀は海外向けに国の虚勢を張った出版物なので

213 :
>>211
なるねー

214 :
>>203

素戔嗚は剣を拾ったけど、作ったという話はない。
それに生まれは筑紫で、魏志倭人伝によると卑弥呼の時代でもまだ牛馬はいなかった。
素戔嗚は騎馬民族ではない。
騎馬民族は4世紀以降に畿内に入り込んでヤマト王権を建てた人たち。

215 :
>>209
稲作っていうのは一体どこから出てきたんだ?
適当すぎるだろ

216 :
>>214
それは朝廷側が、スサノオに製鉄技術ある凄い奴らっていうのを知られたくないから

217 :
>>214
筑紫生まれってソースどこ?

218 :
>>214
あなたの言ってること全部根拠ないよね?

219 :
>>209
林業のほうがよかったかなって
トンデモ小説でも書いてんの?

220 :
>>140
空前絶後の人だろうね

221 :
>>210

内行花文鏡は漢王朝が各地の王に冊封の証として配っていたもの。
例えば京都の籠神社に伝わる鏡はニギハヤヒがアマテラスから与えられた王権の象徴だが、漢鏡の内行花文鏡だよ。
伊都の王であった三雲南小路遺跡の鏡も漢鏡の内行花文鏡が多く含まれている。
漢が滅んでから国産化したのが平原遺跡の内行花文鏡。

222 :
>>215
元ネタが稲作だったから…

223 :
素戔嗚や天照って人間なの?神様なの?どっち?
卑弥呼は人間なんでしょ?

224 :
>>214
大陸で逃げ場を失い
馬は諦めて船に乗り換えたのかと

225 :
>>222
ごめん元ネタって何?

226 :
>>222
何元ネタって
あなたのネタ帳?

227 :
ゲームとかアニメとかでキャラのモデルにされる機会が増えたから、ここも子どもが増えた?

228 :
元ネタって漫画か何か?

229 :
>>217

『古事記』の記述によれば、神産みにおいて伊邪那岐命が黄泉の国から帰還し、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、天照大御神、月読命に次いで鼻を濯(すす)いだときに産まれたとする。
小戸は福岡市西区小戸で、現在ではヨットハーバーや公園がある。
博多湾の東側が大戸、西側が小戸、間にあった岬がタチハナ(立ち鼻)だそうだ。

230 :
>>140
ゲームやマンガを鵜呑みにした子じゃないかな

231 :
>>225

別のスレ

232 :
>>229
まあ説の一つに過ぎないね
古事記はメチャクチャ言葉遊びのカラクリがあるから

233 :
>>231
2ちゃんが元ネタって頭おかしいんじゃないの

234 :
>>218
魏志倭人伝が根拠じゃん。
倭国に馬はいなかったって。
スサノオが騎馬民族云々の方が根拠ないだろう。

235 :
まさかの2ちゃんw

236 :
>>234
馬がいなかったのは多くの研究者が言ってる
いま話してるのは、だからといってスサノオが騎馬民族の末裔かもしれないという可能性は消えないということ

237 :
大陸では西の彼方から色んな物を持ってきたのは騎馬民族なんだよね

238 :
>>234
掲示板を元ネタと言う人の根拠って何

239 :
スサノオが農業の神という話、ググって最初に出てきたページを貼っておきますね。

ttps://nihonsinwa.com/page/804.html

240 :
こいつ、動画で言ってたとか2ちゃんで見たとか、荒らしとしか思えないんだけど

241 :
>>236
>いま話してるのは、だからといってスサノオが騎馬民族の末裔かもしれないという可能性は消えないということ

それこそ根拠なり証拠なりを出しとくれないと。

242 :
>>239
2ちゃんで謎のリンク踏むバカはいない

243 :
>>241
そういう説は散見されるよ
いい加減スレチやめてほしい
スレタイ読んで

244 :
Twitter化してきたな
低年齢化が著しい

245 :
そんな個人サイト見せられても

246 :
鬼道考察

247 :
>>236
研究者云々って、そもそも魏志倭人伝に牛馬はいないと書いてあるじゃん。
どこまで魏志倭人伝が嫌いなんだよ。
それなら卑弥呼の鬼道云々だって無視すればいいだろ。

248 :
この人まじで会話が通じない

249 :
ずっと会話が成り立たない

250 :
>>247
だから、馬は現地調達だから日本に流れて来たときに馬は連れてこなかった可能性もあるんだよ

251 :
なんで嫌いってことになるん?

252 :
もう相手すんな

253 :
>>230
そっちの板でやりゃいいのに

254 :
>>247
中国人が見た倭にはいなかったんだろうし
多くの研究者も馬はいなかったと言ってる
これで満足?

255 :
>>250
妄想乙

256 :
空前絶後の荒らしに構うなよ

257 :
>>105
儒教の前は道教だもんね

258 :
>>109
神から始まる名前の神話上の神については、
神が神衣の略で機織り系の氏族の女を娶ったものだとか
他の豪族と和睦するために長の娘を娶ったものだとか
そういう説があるから成る程と思う

259 :
仲間を裏切った土蜘蛛の女ってもう一人いたよね

260 :
>>165
これは製鉄が農作物の神をRという話だけど、
古代中国だと逆に、畑を耕す民に対して「あいつら大地の神を殺して」みたいに蔑視していたという話があった
最近NHKで見たんだけどタイトル思い出せないわ

261 :
ほんまでっか見てた人おる?
心理学的にも脳科学的にも何とか学的にも、凡人には見えない色や霊が見える人がいることや、科学は五感だけで説明できないということが分かっているという回だった
妄想や幻想を見てる(ラリってる?)時と、霊に気付いてアッとなってる時は脳の状態が違うんだとか
うまく説明できなくて辛い
卑弥呼の鬼道は何のことか分かんないけど、シャーマン系の人ってこういうタイプだったのかね?

262 :
>>259
速来津姫かな?
結果的には一族が皆助かったらしいけど。

263 :
>>259
豊前の国が神夏磯姫
豊後の国が速津姫とされてる
肥後の国にも土蜘蛛と呼ばれた人たちはいた

男女関係なくペアで動くんだって

264 :
神夏磯姫は筑紫の梟師じゃん。
豊前まで出迎えに来ただけだろ。

265 :
.

◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 

縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!

.

266 :
>>264
なんで熊襲が迎えに行くん?

267 :
肥前国風土記だと
大山田女と狭山田女っていうツチグモが
荒神の祭祀方法を教えてあげて感謝されてる
賢し女をもって国の名にするとか書かれてる

卑弥呼がツチグモ出身説はありかも

268 :
>>264
空前絶後の説だなあ

269 :
>>264
ごめん何の出迎え?

270 :
>>266

攻め込まれても嫌だから仲間にしたほうがいいだろ。

271 :
だろ。
のレスはNGにしていいと思う
思い込みが激しくて物事を決め付けすぎている

272 :
>>267
>荒神の祭祀方法を教えてあげて感謝されてる
>賢し女をもって国の名にするとか書かれてる
中国人から見たら、訳のわからない鬼道?

273 :
風土記って書いてあるのに
なぜ中国人が出てくるのか

274 :
>>262
日本書紀では皆殺しだけど、古事記だと違うの?

275 :
それテキトーなことばっか言ってる人だから

276 :
>>274

肥前国風土記の方。

277 :
>>203
スサノオとの関係の有無は分からないけど
古墳時代初期(3世紀末〜)
山麓や台地に竪穴式・鏡玉剣(中国系)を副葬
↓急に代わる↓
古墳時代中期(4世紀末〜)
平地に横穴式・馬具や金銀冠(朝鮮系)を副葬
ここ気になる
少しずつ変化じゃなくバシッとチェンジな感じ
急に朝鮮との政治的関係が深まったそうだけど
あまりにも常用馬の装飾品の数々が細かいし
戦闘的な馬の輸入を誰がGoしたんだろうっていう

278 :
4世紀に朝鮮半島から畿内に流入した渡来人により、大和政権の拡大路線が始まった。

279 :
>>277
一般的には複数の豪族によってヤマト王権が作られていったと言われるけど、朝鮮の勒島と平和的に鉄の交易をしていた壱岐島(=鉄専門店)と取引していた日本海側の特産品地方が急に消えたのも彼らの仕業なんだろうか
鳥取にあった管玉加工技術者集団の遺跡から、殺害されたと見られる渡来系弥生人の遺骨が多数発掘されてるよね
うろ覚えだけど勒島にはヤマト王権側の人間が来たような話も残ってるみたい
権力誇示のために各地の豪族に鉄製品を配布してたヤマト王権は、どんどん豊かになっていく日本海側の鉄交易に割り込んで鉄利権を奪ったのではないかなと思う
よく分からない呪術めいた神具も怖かったのかも
管玉や勾玉で一体どんな神事をしていたのかは分からないけど

280 :
あと大陸や朝鮮半島の人間が「倭」と呼んだのは壱岐のことだったんじゃないのかなあ

281 :
壱岐と北部九州は鉄輸入のために米生産めっちゃしてたし、鉄の工具や農具も充実してた上に、いい船も造ってた
そんな豊かな集落なら攻めがいがあるだろうな
土蜘蛛なんて蔑んで呼ばれたのは北部九州の彼らのことで、その祭祀方法(神や死者の鎮め方・古墳の作り方)を権力誇示に使えるとしてヤマト王権側はパクッたんじゃないかね
それにしても記紀に書かれているように、榊に玉や鏡や剣を吊るしたのかな?ちょっと諏訪のアレみたいだね、木に動物の皮や鈴のようなもの等を吊るして祀るやつ

282 :
3世紀の時点で、大和には九州を攻めるような国力はなかった。
4世紀に大和が朝鮮半島から馬を輸入して状況が変わったのかもしれない。

283 :
いちいち浅いことしか言わないコイツうざいな

284 :
ヒマラヤ

285 :
(8)蒸して食べる
7000年前 中国に起源
最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。
この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。
蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。
日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。
しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。
今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html

◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の甑

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
.

286 :
.

7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈のセットで炊く、鼎で炊く、
さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。
ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。
弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。
中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。
弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。

.

287 :
株式会社コジマプロダクション社員が、新型ウイルスに感染
https://asahi.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1585562390/

288 :
オーパーツをDNA鑑定すればいいんだよ

289 :
あの時代の五斗米道や太平道にはある種のハルマゲドン思想があったみたいなのだが、
何故か日本の神道の教義にはハルマゲドン思想がないのだよな。
おそらく卑弥呼の鬼道は中国大陸から戦乱を逃れてやってきた人が
教義の形成に一役買っていたと思われるのだから、五斗米道や太平道みたいな
ハルマゲドン思想が一緒に伝わってもおかしくないと思うのだが。
そのあたりが謎なんだよな。

290 :
氏族共同体にまとめる為に原始道教を利用して神道作った。天照大神様は卑弥呼様の魂。倭姫命や神功皇后の斎王系は卑弥呼様の分身だ。

291 :
ケメコ

292 :
.

◆中国の釜

中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた

アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

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http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

.

293 :
馬の輸入?
日本の馬は朝鮮半島や大陸原産なのか?
>>277

294 :
馬は百済王から贈呈された

牛や羊も確かそう

295 :
道産子や木曽馬は日本原生の馬ではないのか?

296 :
日本に来てから分化して固有種になったんだろ。
Wikiによると、蝦夷地への馬の渡来は18世紀末だから、それから道産子が生まれたことになる。

297 :
生理による人間カレンダーだよ
妊娠10ヶ月もそう
女性が宿す体内時計が占いだったのさ

298 :
卑弥呼って恐竜の存在を知っていたのかな?

299 :
>>298
恐竜は知らなかったと思うけど、孔子様の教えや仏教や道教は
知っていた可能性があると思うぞ。
それと当時の大陸の情勢も知っていたとは思うぞ。
側近に黄巾崩れの読み書きのできる中国人がいたのは確実だからな。
なにせ魏志倭人伝には文書をもってやり取りをしていると書かれていたのだから。
あの時代の日本人が漢字の読み書きがまともにできたとは思えない。
おそらく大陸から渡ってきた人たちだろうて。

300 :
おそらく卑弥呼は公孫氏との交流の中で、大陸の政治情勢にも通じていた。
だからこそ、公孫氏の滅亡のすぐ後で魏に遣いを出せたとも言われている。

301 :
.
最古水田菜畑に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の中国とは
全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国には存在しない耕作用農具が伝わっている。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜(スキ)、鋤、犂 《すべて石刃》


クワは当時の中国には存在しない耕作用農具。

エブリは田を均す耕作用農具で、これも当時の中国には存在しない。

鋤は地面を引っ掻いて除草する除草用の耕作用農具で日本には伝わっていない。

スキが日本に伝わるのは菜畑遺跡から200年以上あとの弥生前期頃で、
やはり全て木製であり、犂は牛耕用の耕作用農具で日本に伝わるのは5C頃で鉄刃。

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.

302 :
中国大陸は殷の時代から卜占と言えば亀卜がメイン

ところが日本に亀卜が伝わるのは古墳期の5C頃

卜占の面から見ても、縄文末に渡来した北方モンゴロイド形質の人骨を遺した人びと、いわゆる弥生人の故郷は中国大陸ではあり得ないのである

303 :
獣骨もある

https://www.sankokan.jp/selection/antiquities/kokotsubun.html

304 :
.



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.

305 :
平原遺跡に鳥居が立っていたからな

306 :2020/06/11
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8


.

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