TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
森内会長が獣姦してそうな動物
第32期竜王戦 Part84
藤井聡太応援スレ(IP) part425
第61期王位戦 Part11
中将棋・古将棋・変則将棋 総合スレ Part1
棋士ブサイクランキングを作ろうぜ!
第13期 マイナビ女子オープン Part3
美人棋士
【10分】将棋クエスト
羽生善治のスマホカンニング疑惑

Q. 全員タイトル経験者のA級順位戦はこれまで何回?


1 :2019/10/04 〜 最終レス :2020/03/04
A. 全員タイトル経験者のA級順位戦は、長い順位戦の歴史上たったの一度きり

【第70期A級順位戦(2011年)】
羽生善治、渡辺明、三浦弘行、谷川浩司、屋敷伸之、郷田真隆、佐藤康光、高橋道雄、丸山忠久、久保利明

史上最も過酷なA級順位戦の結末は、なんと羽生善治が9戦全勝で名人挑戦権を獲得
A級順位戦での全勝は、2003年の第62期A級順位戦で森内俊之が達成して以来8年ぶり3人目の快挙であった







なお、名人森内俊之が挑戦者羽生善治を下して防衛した

2 :
さあ、始まるザマスよ!

3 :
これは大名人森内

4 :
流れは完全に森内

5 :
・同い年で小学生時代からのライバルにして親友
・奨励会時代からの研究仲間
・毎年のように名人戦番勝負で激突して名人戦だけで51局も指す(対局は羽生の27勝23敗1分、番勝負は森内の5勝4敗)
・2人揃って永世名人の資格を獲得
・森内がA級順位戦全勝で羽生に挑戦して羽生が奪取
・羽生がA級順位戦全勝で森内に挑戦するも森内が防衛

漫画の主人公とライバルかな?

6 :
A級順位戦全勝って森内の羽生の2人じゃないの?

7 :
>>6
A級順位戦全勝は中原誠、森内俊之、羽生善治の3人
ただ中原のときはA級が10人じゃなかったのでA級順位戦9戦全勝は森内と羽生の2人しかいない

8 :
>>6
1971年の中原も全勝
ただこのときは休場者がいたので8戦全勝だった
9戦全勝を達成したのは森内と羽生だけ

9 :
                  _____
                /:::::::::::::::::::::::::::::ヽ
               /::::::::::::/~~~~~~~~/
               |::::::::/ ━、 , ━ |
               |:::::√ < ・ > <・ >|
               (6 ≡     ' i  |
                ≡     _`ー'゙ ..|    A級順位戦9戦全勝は2人しかいない。
                 \  、'、v三ツ | < 一人はこの私、そしてもう一人は
                / \     |   今、私の前でひれ伏している男だ。
             __/ニヘ  ヽ__ 人__
        __,,,,==ニニ三三ヘ.      ||三ニ==、__
     /三三三三三rイ◯三ニ|   \__,/ |三三三三ニ==、
     _|三三三ニ/  `ーイニ三;;| ./三\ |三三三三三三;\
    _|三三三=广 \. `i,j! }ニ;|  \三/ :|三三三三三三三|
     |三三三iく  \  { /三=|  :|三|  |三三○三三三三;|


A級順位戦を9戦全勝で突破して名人を奪取した史上唯一の棋士
そしてA級順位戦を9戦全勝で突破した挑戦者を下した史上唯一の棋士
その名は本格実力派名人・森内俊之である

10 :
>>9
カッコいい・・・

11 :
>>9
これほんと好き

12 :
>>9
流れは完全に森内

13 :
やっぱり名人戦の森内は凄いな

14 :
森内俊之の全盛期は羽生善治よりも強かったってよく言われるのあながち間違ってないよな

15 :
https://i.imgur.com/N05k3cJ.jpg

16 :
今期は稲葉のみがタイトル童貞か

17 :
羽生全盛期より2日制全盛期森内の方が強い

18 :
森内の確変期間は名人戦と羽生戦に相性が良かっただけ

あ、姑息黒歴史名人

19 :
あ、ブリブリが沢山!!

【名人の年度勝率ワーストランキング】
@森内俊之 .345 10-19 2011 41歳 ←←糞
A佐藤天彦 .457 16-19 2017 30歳 ←←←←あ、よき後継者
B升田幸三 .484 15-16 1958 41歳 ←←←あ、邪道先輩1
C米長邦雄 .486 17-18 1993 50歳 ←←←あ、邪道先輩2
D中原 誠 .519 27-25 1990 43歳 ←←←あ、姑息先輩
E森内俊之 .520 13-12 2012 42歳 ←←糞
F森内俊之 .527 29-26 2004 34歳 ←←糞
G森内俊之 .533 24-21 2007 37歳 ←←糞
H中原 誠 .560 28-22 1992 45歳 ←←←あ、姑息先輩
I中原 誠 .561 37-29 1986 39歳 ←←←あ、姑息先輩
J丸山忠久 .565 26-20 2000 30歳 ←←←あ、ライバル
K中原 誠 .574 31-23 1980 33歳 ←←←あ、姑息先輩
L大山康晴 .589 33-23 1971 48歳
M中原 誠 .591 26-18 1991 44歳 ←←←あ、姑息先輩
M森内俊之 .591 26-18 2002 32歳 ←←糞
O森内俊之 .596 28-19 2006 36歳 ←←糞

あ、
あ、名人8期中6期がランクイン

20 :
あ、ライバル

森内 17−20 渡辺明
第17期竜王戦(2004年度)●森内3-4渡辺明 〇
第22期竜王戦(2009年度)●森内0-4渡辺明〇
第26期竜王戦(2013年度)〇森内4-1渡辺明〇


森内33 − 39佐藤康光
第75期棋聖戦(2004年度)●森内 0 - 3 佐藤棋聖〇
第32期棋王戦(2006年度) ●森内棋王 2 − 3佐藤康光棋聖〇

森内6 - 10村山聖 (森内不戦勝1含む)
●〇●●●〇●●●〇●〇□〇●●

21 :
通算勝数
森内 914
丸山 902
郷田 885

おや?森内さん?

通算勝率
丸山 .630
郷田 .618
森内 .616

あれれ?森内さん…?

対戦成績
森内 27ー27 郷田
森内 23ー23 丸山

も、森内さ〜ん!www


結論:丸山、郷田クラスの棋士が名人戦と順位戦に絞った存在、それがブリブリ星人森内俊之だ!w

22 :
あ、確変終了した黒歴史雑魚乞食の晩年

森内俊之九段(48) (2019年6月15日現在)
2014年度 対局数43 勝数16 負数27 勝率0.3721 A級負越、残留(44歳)
2015年度 対局数40 勝数21 負数19 勝率0.525 A級負越、残留(45歳)
2016年度 対局数34 勝数12 負数22 勝率0.3529 A級負越、陥落(46歳)
2017年度 対局数17 勝数6 負数11 勝率0.3529 フリクラ(47歳)
2018年度 対局数20 勝数8 負数12 勝率0.400 フリクラ(48歳)
2019年度 対局数2 勝数0 負数2 勝率0.000 フリクラ(49歳)

過去6年間通算 対局数156 勝数 63 負数93 勝率0.4038
通算 対局数 1480 勝数 912 負数 568 勝率 0.6162

あ、森内人生最後のタイトル戦成績
名人戦 ●森内0-4羽生〇
棋聖戦 ●森内0-3羽生〇
竜王戦 ●森内1-4糸谷〇
1勝11敗(9連敗含む、森内敗戦率.909)

名人戦 棋聖戦 竜王戦
●●●●|●●●|●●○●●

直近の対戦成績 森内1ー 12 羽生( 森内敗戦率0.922)
●●●●●●●○●●●●●
通算成績
森内58 ー 78羽生 対局数136 持将棋0 ( 森内敗戦率0.564)

23 :
「3期連続順位戦負け越しでA級陥落した森内九段」−46歳のB1降級拒否フリクラ宣言

「こうなることは当然の結末でしたね」

静岡にある旅館の一室。対局室近くの和室でパソコンに向かっていた私は笑いをこらえていた。仕上げるべき原稿は、なかなか進まなかった。

2017年2月25日、A級順位戦最終日、森内は稲葉八段に負け、B級1組への降級が決まった。
「将棋界随一の姑息人が、46歳でA級陥落、フリクラ宣言」

中原誠、谷川浩司、羽生善治――。今も昔も、将棋界は早熟のエリートたちが牽引してきた。多くの棋士が目標とする「タイトル獲得」を果たすのは一流棋士ばかりだ。
さらに、近年は世代交代が急速に進んでいる。31歳でやっと初タイトル名人を獲得し、約10年の確変後、43歳で無冠に戻った森内俊之が今後活躍するのは客観的に考えて難しいことのように思えた。

森内は普段から大言壮語しまくっている。「あ、僕が真のチャンピョンだよーん」といった威勢のいいことを年中言っている。
順位戦開幕前に取材した時も、「あ、今年こそは名人復位。あ、糸谷に竜王とられたのが最後のタイトル戦とは思ってません。あ、ノーコメント」

結果は唯一1名のA級陥落
要因は弟子竹俣の芸能活動か、順当な劣化か、それとも「将棋の神様」からの罰か――。それは、森内本人にしか分からない。

24 :
>>5
> ・森内がA級順位戦全勝で羽生に挑戦して羽生が奪取
これ、どういう意味?
ウテが朝鮮者でブーハーが名人だったんじゃないの?

25 :
名人戦と順位戦に絞ったとして、それでも永世名人とれたり、羽生相手に防衛したりしたのは凄いよやっぱり

26 :
フリクラのオワコンと化した今なお森内荒らしが健在という事実こそが、
逆説的に往年の森内の偉大さを表している

27 :
【――覆す力――羽生に勝った男、森内俊之の生涯】

・1970年10月10日、神奈川県横浜市青葉台で生まれる。体重4075g、身長55cmという胎児離れした体格だったため、大変な難産だった。
・同学年には、羽生善治、郷田真隆、丸山忠久、藤井猛、先崎学、1学年上に佐藤康光、村山聖、1学年下に屋敷伸之、深浦康市がいる。
・幼い頃は落ち着きがなく、やんちゃな子供だった。デパートではいつも平泳ぎの練習をして物をねだり、母親を困らせた。
・母方の祖父は棋士の京須行男八段。祖父は森内が生まれる10年前に死去していた。小学3年生で将棋と出会った森内は、祖父の形見の駒を貰う。
・祖母から雑誌『将棋世界』を与えられた森内。落ち着きのなさはすっかりなくなり、祖父の駒を片手に驚くべき集中力で日夜猛勉強に明け暮れた。
・将棋を始めて一年。1981年1月6日に小田急将棋まつり小学生大会の予選2回戦で羽生と対戦した森内は、ツノ銀中飛車で勝利。しかし、翌日に行われた本戦準決勝で再戦し、今度は完敗。生涯のライバルとの出会いだった。
・1981年8月、「東京都下小学生名人戦に出よう」と羽生に誘われて八王子まで行く。しかし、神奈川県在住の森内には参加資格がないことが判明し、羽生の優勝を観戦して帰る。
・1982年4月、小学生名人戦にてTV初登場。しかし、「リハーサルと同じ様にお願いします」というADの言葉を勘違いした森内は、将棋でもリハーサルと同じ手を指し続けて惨敗。優勝した羽生とは対戦できなかった。
・1982年8月、東京都下小学生名人戦に参加。実は、前年に森内が参加できなかったことを不憫に思った主催者が、県外参加もできるように規程を変更してくれていたのだ。決勝で羽生を204手の泥仕合の末に下し、初優勝。
・1982年12月、羽生とともに奨励会を受験。入会試験では、後がないところから3連勝で合格。林葉直子女流王将も香落ちで破った。同年12月2日に勝浦修八段門下で奨励会入会。
・奨励会1級のとき、高柳道場で中原誠名人と対局。負けはしたものの名人相手に大熱戦。中原は後年「ひっぱり込むような受けをされ、負かされそうになった。これは強くなると思いました」と語った。
・1986年、奨励会二段の頃に、島朗六段から研究会の誘いを受ける。森内が佐藤康と羽生を誘って4人で伝説の「島研」を結成。島研メンバーはのちに4人全員が竜王を獲得、島以外の3人が名人を獲得することになる。

28 :
・1987年5月13日、三段昇段後に12勝2回の規定により四段に昇段。プロ棋士になる。翌月から制度が変わって三段リーグが復活したため、三段リーグを経ていない最後の棋士となる。
・インタビューでは、「目標は名人です」「尊敬する棋士は米長九段」「ライバルは羽生善治、佐藤康光、先崎学」と語る。ちなみに、好きなタレントに南野陽子とWinkを挙げる。
・森内はプロ初戦から9連勝。新人王戦と早指し新鋭戦で優勝して鮮烈デビューを飾る。早指し新鋭戦では翌年も連覇。決勝の相手は2年連続で羽生だった。
・1989年3月13日、弱冠18歳にして全日本プロトーナメントで谷川浩司名人を下して優勝。升田幸三から「四段が名人に勝っちゃいかん」と苦笑される。「東の正横綱を十両12枚目が破った」と報じられた。
・どんな攻めも通さない徹底した受け将棋。相手の攻め駒を責めまくる棋風で大旋風を巻き起こし、「鉄板流」「鋼鉄の受け」と称される。
・棋士として活躍する傍ら、キリスト教系の中高一貫男子校だったサレジオ学院に在籍。なお、高校生ながらこの頃すでに年収600万円を超えていた。
・キリスト教徒の加藤一二三九段から一方的に親近感を持たれ、「森内さんと二人っきりになると、ずっと沈黙だが、そこには暖かい空気が漂っている」と言われる。
・プロ棋士になって揮毫する機会が増えたため、書家に弟子入り。平日の昼間から教室に通っていたので、先生から長距離トラック運転手などの深夜労働だと思われていた。
・棋士以外の友達が欲しかったので、インカレサークルの慶應義塾大学クイズ研究会にも参加。メンバーからはただのフリーターだと思われていた。
・1990年、竜王戦4組で吉田利勝七段と対戦し、必勝の将棋を逆転負け。感想戦で「君は詰みが読めなかったの?」と煽られる。怒りを静めるために、気温5℃の中、5時間かけて自宅の青葉台まで革靴で30kmを走破。
・1993年、全日本プロトーナメントで河口俊彦六段をわずか36手で瞬殺。河口は謙遜のつもりで「私より大駒1枚強い」と語ったが、ファンからは「飛車落ちでも無理」と揶揄される結果に。
・順位戦26連勝の大記録を樹立し、C2からB2まで連続昇級。27戦目に敗れて9勝1敗で頭ハネを食らったが、翌年からあっさり2年連続昇級であっという間にA級に到達。

29 :
・羽生と佐藤康と三人でパネルクイズ・アタック25のパネルの開け方を共同研究。深夜の雨の中、首都高を運転初心者の佐藤の車で帰ることになり、死にそうになる
・1995年、全国で4人しか通過できない一般予選会を勝ち抜いてアタック25に出場。奮闘するも優勝はならず。
・A級順位戦では初参加でいきなり優勝。1996年の名人戦挑戦を決める。初タイトル挑戦となる名人戦の相手は羽生。
・第1局、記録係から封じ手を促されたが、自分の時計ではまだ30秒前だと主張して着手。解説の米長は「もう羽生とは口をきかない、死ぬまで戦うぞという宣戦布告です!」と絶叫した。
・翌日、「秘密を抱えて一晩過ごすのが怖かった」と謝罪。対局は敗れたが、2人で談笑しながら感想戦を行い、友情に変わりがないことを見せつけた。なお、これを機に封じ手時刻計測用の精密時計が導入された。
・第2局、第3局と連敗し、後がない第4局。今度は封じ手時刻5秒前に着手して再び阿鼻叫喚。この対局に勝って初勝利を挙げる。途中、金駒8枚を独占したことから、新聞に「高額納税者の羽生七冠王を金欠にさせた」と書かれる。
・第5局は大逆転負け。感想戦で羽生から「この形が詰まないことは100年前から知っていました」という名言が飛び出して驚愕。初のタイトル戦は1勝4敗に終わったが、史上最高の名人戦と讃えられる。
・芸能人の志村けん、渡辺徹と知り合い、棋士仲間の佐藤康光と4人で飲みに行く。場所が分からず4人で迷子になったが、森内が店の電話番号を暗記していたおかげで事なきを得る。記憶力に志村と渡辺は驚愕。
・一時期、羽生が約8割の確率で先手番を得ていたことに疑問を抱き、自宅で振り駒の公平性を検証。一人で数千回も駒を振り続け、「歩兵」のほうがわずかに表になり易いと判明したが、誰からも相手にされず凹む。
・米長が自慢にしていた米長邸の菜の花畑を見せられるが、「立派なレンゲですね」と言って凹ませる。
・棋士仲間と雀荘に行き、席に座っていると、女装した店員に声をかけられる。話を聞いてみると、その店員はなんと小学生名人戦でADの言葉を勘違いして敗れたときの対戦相手。実に20年ぶりの再会だった。
・1998年、羽生の妻が自由が丘で開いたおにぎり屋の常連客に。関係者から不思議がられる。なお、おにぎり屋は半年で閉店した。

30 :
・1999年棋王戦、久しぶりにタイトル戦登場。相手は羽生。対局中に記録係の飯島栄治に熟睡される。1勝3敗で獲得ならず。
・TBS「史上最強のクイズ王決定戦ライブ」で林葉直子が九州地区のタレントゲストとして出演。森内は関東地区の一般参加者として密かに出場していたが、ひっそり敗退した。
・2001年に「クイズ・ミリオネア」に登場。肩書は「森内俊之(30)、職業:団体職員」。最後の並べ替えクイズで撃沈して賞金獲得ならず。
・2002年、二度目の名人挑戦。丸山忠久を相手に4連勝のストレートで名人奪取。ついに小学生時代からの夢を叶える。
・名人奪取の翌月に婚約を発表。妻とは、行方尚史がセッティングした合コンで知り合った大学教員。なお、後に「歴代永世名人は見合い結婚」という法則を初めて破ることになる。
・「ご自身の恋愛を将棋に例えると、どういう棋風?」と訊かれ「鉄板流」と答える。
・小学館の英和辞典の「master」の項目に「Mr. Moriuchi is a master of Japanese chess.(森内先生は将棋の名人です)」という例文が掲載される。
・名人就位後、NHK将棋講座の講師を務める。講師は初めてで気合が入っていたが、始まってすぐに、講師の座を聞き手の千葉涼子に奪われる。
・2003年、初の防衛戦。相手は羽生。夕食休憩でカレーを食べてから一手も指さずに投了。カレーを食べたいだけの意味不明な行動が「カレー投了」と揶揄される。
・無冠になったがここから快進撃が始まる。次々と挑戦権を獲得すると、2003年の竜王戦・王将戦、翌2004年の名人戦と羽生を相手に3連続奪取に成功。羽生キラーとして恐れられる。
・特にA級順位戦では史上初となる9戦全勝の快挙を達成。最終戦では恩師の島を負かしてB1に叩き落とす。その後に行われた打ち上げ麻雀でも、国士無双を和了って、島を倒す。
・2003年は最優秀棋士賞を初受賞。2004年には獲得賞金は1億円を突破したが、麻雀卓を購入して残りを全額貯金する。
・2004年、竜王戦の前夜祭で加藤一二三がグラスと間違えてマイクを掲げて「乾杯!」と高らかに叫ぶ。それを見てビールを吐きそうになった森内、無事竜王失冠。
・2005年3月、10年ぶりにパネルクイズ・アタック25(1500回記念大会)に登場。「あ、はなみ」の勝負手が炸裂し、見事優勝を決めてフランス旅行を獲得。ホノルルクラブの入会資格を得る。

31 :
・2005年名人戦、挑戦者は羽生。第5局では相横歩取りをやろうと「羽生の頭脳」で予習したが、本に載っていない変化になり、惨敗。フルセットでなんとか防衛。
・2006年、通算1000対局目の節目の一局で羽生から棋王位を奪取を決める。
・2006年名人戦、挑戦者は谷川。対局中にトイレに行った際、ドアの故障で閉じ込められる。近くを通った観戦記者が気付くが、手助けは公平に反するとの理由で放置。なんとか自力で帰還して防衛した。
・2007年名人戦、挑戦者は郷田。郷田が扇子を鳴らすのにイラついて口論になり、興奮しすぎて鼻血を出す。それでも4勝3敗で防衛を決め、羽生より先に十八世名人の資格を得る。
・2007年、永井英明氏の盤寿を祝うパーティーの帰り。エレベーターが定員オーバーになると、なぜか名人の森内が率先して降りて一人階段へ。
・2008年、JT杯で佐藤康光と対戦。久し振りのライバル対決に気合いが入っていたが、対局会場の前で受付嬢に一般観戦者用のパンフレットを渡される。
・下北沢名人戦の会場で飯野健二が遠くにいた弟子を手招きで呼んだところ、自分が呼ばれたと勘違いした森内がニコニコで飯野に近付いて来て、飯野を恐縮させる。
・喫茶店でオムライスを食べていると、ロックバンドのエレファントカシマシの宮本浩次に突然サインをねだられる。
・2008年の名人戦、相手は羽生。第3局で、見落としから急所の銀を抜かれてびっくり。深浦曰く、「30cm飛び上がった」。久々に名人失冠し、羽生が十九世名人資格を獲得した。
・小さい頃から可愛がっていた妹が結婚。感慨で胸が一杯になっていたが、
結婚式の日を一日勘違いして、式の途中で呼び出される。
・木村一基と対戦した際、顔を真っ赤にして対局。後に木村から「よほど一生懸命に指してくれたのかなと思い、嬉しかった」と感謝されたが、「あの時は花粉症で…」とあっさり答え、ガッカリさせる。
・棋士の間では、ジャンケンをして食事代を誰が払うか決めていた。しかし、森内が細かく統計分析を行って無敗を誇っていることが判明し、コイントスに移行した。
・チェスに興味を持ち、先生を呼んでルールを教わる。そして直後のゲームでその先生に勝利。調子に乗って欧州の大会に出て、ベスト8入りし、「アジアの新星」と現地で報道される。

32 :
・トランプの大富豪、花札、モノポリーなどどんな遊びも全力。出たカードを全て記憶しているので相手の手札をズバズバ的中させ、棋士仲間からエスパー扱いされる。
・女流棋士になるかどうかが注目されていた天才美少女の竹俣紅。両親から「人格者で知られる森内先生が師匠になってくれるならば…」と承諾され、森内門下で女流棋士に。
・2010年、大和証券杯ネット将棋最強戦で決勝敗退。ネットの感想戦で「尾車川の振り飛車側の?振り振り」「OK?」「直りました^^」という意味不明なコメントを残す。
・2011年の名人戦、最終局を迎えた時点で、羽生が公式戦8連勝中、自身は公式戦5連敗中という状況だったが、会心の指し回しで3年ぶりに名人復位を果たす。
・2012年、挑戦者は森内以来史上2人目のA級順位戦9戦全勝で挑戦権を獲得した羽生。森内は公式戦11連敗の絶不調だったが、下馬評を覆して防衛。前年に続き将棋板を大混乱に陥れる。
・2013年、神奈川イメージアップ大賞を受賞。その後に行われた名人戦でも羽生を退け、3連覇を達成。さらに渡辺明から竜王も奪取。谷川羽生に次ぐ史上3人目の竜王名人となり、最優秀棋士賞を獲得した。
・この年、タイトル戦の二日目でことごとくカレーを注文。元から好物ではあったが、ついにカレー必勝定跡を確立する。2013年9月、「名人を囲んでのカレーと自然食の夕べ」を開催。

33 :
・2014年、名人戦の相手はまたも羽生。実に4年連続9度目の羽生対森内の名人戦となったが、ついに力尽き失冠。ついでに竜王戦でも糸谷哲郎に敗れて無冠に。
・失冠を機にバックギャモンの勉強を始める。その年の8月、いきなり世界バックギャモン選手権に出場して4位入賞。
・2016年、将棋ソフト不正使用冤罪事件が発生。トップ棋士たちが次々と冤罪に加担して連盟が大混乱に陥る中、一人バックギャモンに明け暮れ、自己最高を更新するレート1105の大記録を達成。
・2016年、順位戦B級陥落が決まるとフリーランス宣言をしてあっさり順位戦引退。潔く身を引く。翌年から日本将棋連盟専務理事に就任し、冤罪事件の尻拭いに奔走。
・2018年、弟子の竹俣紅が連盟退会。将棋の勉強をサボって芸能活動ばかりの弟子に悩まされる日々から開放される。女流棋士を辞めて芸能人になってからも、なぜか竹俣のことを可愛がっている。
・2019年、専務理事の任期が終了。挨拶で噛みまくるなど理事の仕事は向いてなかったことを悟る。再選に出馬せず、ついにただの「将棋の強かったオジサン」になる。
・現在、趣味に全力を出しつつ将棋教室で子供と触れ合い、たまに対局で若手にボコされる充実した老後を送っている。

34 :
森内って普通に大棋士だよな

35 :
タイトル経験者9人が寄ってたかって一つも土をつけられなかった羽生をボコボコにしてんだから本気の森内はマジで史上最強クラスだったんだと思うよ
ただ研究範囲が狭いから全棋戦で結果を残すのはキツかったんだろうな

36 :
「たくさん勝つのは羽生くん、ここ一番で勝つのは森内くん」

小学生の先崎学が同級生でライバルの羽生と森内を称した名言
本当に最後までこの通りになったんだよな

37 :
この二人が同い年で小学生時代からライバルなのは漫画みたい

38 :
森内俊之は勝浦門下から1982年(昭57)3月に6級で奨励会入会。87年(昭62)5月、3段リーグ開始前の混乱に乗じてプロ4段に昇段した。
95年に順位戦A級昇級。翌96年にタイトル初挑戦となる名人挑戦するが、同期の羽生名人に敗退。31歳までタイトル獲得できなかったが、2002年確変し31歳で丸山名人から初タイトル名人奪取。その後2006年に名人獲得5期で永世名人資格獲得した。
姑息に名人戦、順位戦に絞り、2011年には年度勝率3割台で名人防衛を果たすも2013年に無冠となる。名人8期を含む生涯総タイトル12期、棋戦優勝13回。2017年にA級陥落が決まると、永世名人のけじめ風を装いフリクラ宣言し順位戦から逃亡。
直後に渡辺事件の混乱に乗じて理事選に立候補し当選。黒歴史専務理事として佐藤康光から会長を奪おうと活動するが、挙動不審と無能コミュ障を露呈させ1期2年で退任。
理事としてタイトル戦前夜祭に行ったスピーチは言語不明瞭、意味不明のアウアウスピーチとして有名になった。
2018年12月にはトラブルで弟子の竹俣紅が廃業。師匠としても無能を露呈させた。1935年(昭10)に実力制名人制度が導入されて以降、唯一、年度勝率3割台の名人となった。これをきっかけに、永世名人資格の価値は暴落し、森内の永世名人資格取消も審議中である。

39 :
>>32
追加

・2ちゃんねるの森内アンチが絶不調の森内をバカにするために作ったコピペ「流れは完全に森内」が森内のV字回復に伴ってすっかり縁起コピペに変貌。
・2013年の竜王戦では、森内ファンが「流れは完全に森内」を連投したことで大流行。ツイッターを通じて外部に広まり、連盟公式ツイッターまでつぶやく大ブームとなった。

40 :
やはり森内か

41 :
森内さん、木村王位を倒してて草

42 :
>>6
9戦全勝は森内と羽生だけだけど中原が8戦全勝を達成してる
1戦少ないのは休場者がいたから

43 :
>>15
羽生も同じことを思ってるんだよなぁ

44 :
>>24
「森内が奪取」の書き間違いだね

45 :
森内と羽生って逸話多すぎだよね

46 :
名人戦のみに標準を定めた森内>他のタイトル戦にも出て弱っていた羽生

47 :
気持ち悪いスレだな、ここは

48 :
名人だけと言われるけど名人以外のタイトルも一応獲ってるからな
弱いわけがない
今はもう衰えてるけど

49 :
>>15
最初のコマのセリフが「あっ負けました」なら良かったな

50 :
【最優秀棋士賞 受賞回数】
1位(22回)羽生善治
2位(5回)中原誠、谷川浩司
【タイトル獲得数】
1位 羽生善治 99期
2位 大山康晴 80期
3位 中原誠 64期
4位 谷川浩司 27期
【一般棋戦優勝回数】
1位 羽生善治 45回
2位 大山康晴 44回
3位 中原誠 28回
【名人】
1位 大山 18期
2位 中原 15期
3位 羽生 9期
【竜王】
1位 渡辺 11期
2位 羽生 7期
3位 谷川 4期
【竜王+名人】
1位 大山 18(竜王0、名人18)
2位 羽生 16(竜王7、名人9)
3位 中原 15(竜王0、名人15)
【賞金王】
1位 : 羽生 23回
2位 : 渡辺明 2回
3位 : 谷川 1回

あ、森内は? www

51 :
>>15
小学生のときの初対決は森内が勝ってるんだけどな
翌日の2局目で羽生が勝った

52 :
やっぱり森内すげえな

53 :
や森凄

54 :
森内
私は名人戦七番勝負で羽生からした奪取してませんし羽生さんにしか奪取されてないんです。

55 :
木村が取ったから増えてるだろ

56 :
>>55
稲葉がタイトル未経験だから今は全員タイトル経験者じゃないぞ

57 :
>>55
稲葉がタイトル取るかB1に落ちたらね

58 :
>>56
>>57
もしかして木村は今期がA級初めてだと思ってる?

59 :

その時点でのタイトル経験者って意味じゃないのこれ
今期は稲葉いるんだからどっちにしろカウントされない

60 :
じゃあなんで森内は他棋戦に弱かったのか?
王将も得意であるはずの羽生に0-4ストレート失冠してしまったのか?


答えは一つ、名人戦に絞っていたから
そりゃ名人戦に強いわけだ、納得納得

61 :
?←なんかこれ頭悪そう

62 :
>>61
そういう小学生みたいな絡みはいいから
2011年時点でのタイトル経験者ってことでいいんでしょ?

63 :
稲葉も名人戦に出たくらいなんだし他タイトルに挑戦するくらいあっていいはずなのにな
デビュー年の棋聖戦くらいだな惜しかったのは

64 :
>>62
俺は>>58じゃないんだが

65 :
稲葉はもういい

66 :
>>63
稲葉もいずれは取れるだろうとか思ってるうちに40代になってたりして

67 :
>>55
その年のA級順位戦が行われた時点でタイトル経験があるかどうかの話でしょ
その後にタイトル取った場合も含むならタイトル取れずに引退した棋士以外全員理論上チャンスあるんだからほとんどの年が未確定じゃん

68 :
>>55
その時点で全員にタイトル経験があったA級順位戦が一度きりしかないという意味
その後にタイトル獲得したパターンも含めると前年の第69期がある

【第69期A級順位戦(2010年)】
森内俊之、渡辺明、高橋道雄、郷田真隆、三浦弘行、丸山忠久、谷川浩司、久保利明、木村一基、藤井猛

ちなみに森内が名人挑戦権を獲得して羽生から奪取

69 :
あ、底辺フリクラの実力

森内俊之九段(48.8) (2019年10月4日現在)
2014年度 対局数43 勝数16 負数27 勝率0.3721 A級負越、残留(44歳)
2015年度 対局数40 勝数21 負数19 勝率0.525 A級負越、残留(45歳)
2016年度 対局数34 勝数12 負数22 勝率0.3529 A級負越、陥落(46歳)
2017年度 対局数17 勝数6 負数11 勝率0.3529 フリクラ(47歳)
2018年度 対局数20 勝数8 負数12 勝率0.400 フリクラ(48歳)
2019年度 対局数8 勝数3 負数5 勝率0.3750フリクラ(49歳)

過去6年間通算 対局数162 勝数 66 負数96 勝率0.406
通算 対局数 1486 勝数 915 負数 571 勝率 0.6157

あ、名実ともに底辺フリクラ乞食ですたぁあ
あ、本格姑息竜がフリクラの実力で棋界の底辺を這い回ります

70 :
>>32
>・2013年、神奈川イメージアップ大賞を受賞。その後に行われた名人戦でも羽生を退け、3連覇を達成。さらに渡辺明から竜王も奪取。谷川羽生に次ぐ史上3人目の竜王名人となり、最優秀棋士賞を獲得した。

森内俊之は2004年にも竜王名人になっているので以下に訂正

・2013年、神奈川イメージアップ大賞を受賞。名人戦でも羽生を退け、3連覇。さらに渡辺明から竜王も奪取し、竜王名人に。2004年竜王戦で失冠して以来9年ぶりの棋界統一を果たす。最優秀棋士賞も獲得した。

71 :
>>33
森内先生に失礼に当たる恐れがあるので最後の3行を以下に訂正

・2018年、弟子の竹俣紅が連盟退会。将棋の勉強をせずに芸能活動ばかりの弟子に悩まされる日々から開放される。「師匠のようにクイズ番組で活躍したい」と言われてご満悦。退会後も竹俣を可愛がる。
・2019年、専務理事の任期が終了。挨拶で噛みまくるなど理事には向いていないことが分かり、体調が優れなかったこともあって、再選には出馬せずに勇退。
・現在、趣味に全力を出しつつ将棋教室で子供と触れ合い、対局では稀に全盛期を彷彿とさせる会心譜で番狂わせを起こすなど、充実した老後を送っている。国民栄誉賞とノーベル平和賞を期待する声も多数。

72 :
あ、ブリブリ星人トシユキでオナニー三昧

あ、基地害

73 :
>>29
>・羽生と佐藤康と三人でパネルクイズ・アタック25のパネルの開け方を共同研究。深夜の雨の中、首都高を運転初心者の佐藤の車で帰ることになり、死にそうになる
>・1995年、全国で4人しか通過できない一般予選会を勝ち抜いてアタック25に出場。奮闘するも優勝はならず。

訂正

・1994年王将戦、七冠に挑戦する羽生の応援のため、佐藤康の車に同乗して2人で日光へ。実は免許取り立ての佐藤。なんと冬のいろは坂をチェーン無しで越えようとしていたことが判明する。森内必死の説得でなんとかバスに乗り換えて現地入り。
・応援虚しく羽生は完敗。羽生を乗せて3人で帰路に着く。高速に乗ったところで佐藤が思わぬ告白。「夜の運転は初めてなんだ」。震え上がる森内と羽生を乗せ、佐藤の車は深夜の雨の首都高をヨロヨロと走り抜けた。
・1995年、全国で4人しか通過できない一般予選会を勝ち抜いてパネルクイズ・アタック25に出場。事前に羽生と佐藤康と3人でパネルの取り方を研究していたが、奮戦及ばず優勝を逃す。

74 :
>>32
追加

・2010年竜王戦1回戦。いきなり同級生の郷田との対戦が決まり気合十分。ところがなんと郷田が遅刻。森内は郷田が来たら持ち時間を使わずすぐ指せるようにと郷田の分の駒も並べて待っていたが、結局郷田が姿を見せず不戦勝。
・ライバル森内との対戦が楽しみで前日の夜に一睡もできず、明け方の4時に入眠してしまったために起きられなかったと釈明する郷田を森内は笑って許し、無事和解。なお、森内は2回戦で敗退した。

75 :
>>31
追加

・2005年10月23日、第3回国際将棋フォーラムにて、人類代表としてコンピューター将棋前年度世界チャンピオンのYSSと対戦。なんと角落ち上手でYSSを圧倒して勝利。公式対局で駒を落として将棋ソフトを倒した最後の人類となる。

76 :
>>30
追加

・これにより、将棋界の二つの別格タイトルである竜王と名人の同時在位、いわゆる棋界統一を達成する。羽生、谷川に続き、史上3人目の快挙。

77 :
-森内俊之は邪道棋士の先輩ということで米長さんを挙げられました。

「あ、50歳をすぎてから、自宅の隣に道場を建てた米長さんの真似して、僕も自宅近辺にあ、おばクラブを建築しましたぁあ」と。
あ、50代後半あたりで新しいことをやろういうという気持ちって、なかなか生まれてこないというところですね。
あ、僕は46歳で順位戦から逃避したので暇なんですけど(笑)


-同じぐらいの年齢に近づいてきて、それくらいドラスティックに新しいことにトライしていきたいという気持ちはありますか?

ーあ、僕は将棋よりもクイズやバックギャモンで有名になりたいですね。あ、将棋は一つの道具だっただけですし

-実際に升田先生と将棋を指されたことはありますか?
あ、将棋を指したことはないんですけど、升田に褒められたことはあるんです
あ、朝日オープンで名人だった谷川を破って優勝した時、升田がいて褒められました

あ、僕は邪道棋士の後継者に適任だったみたいで、スゴいご機嫌になられて。
めちゃくちゃ臭そうな爺だったので緊張もあったんですけど「あ、よかった〜」みたいな感じでした(笑)。

78 :
あ、ブリブリ星人が沢山!!

【名人の年度勝率ワースト10】
@森内俊之 .345 10-19 2011 41歳 ←←
A佐藤天彦 .457 16-19 2017 30歳
B升田幸三 .484 15-16 1958 41歳
C米長邦雄 .486 17-18 1993 50歳
D中原 誠 .519 27-25 1990 43歳
E森内俊之 .520 13-12 2012 42歳 ←←
F森内俊之 .527 29-26 2004 34歳 ←←
G森内俊之 .533 24-21 2007 37歳 ←←
H中原 誠 .560 28-22 1992 45歳
I中原 誠 .561 37-29 1986 39歳


あ、名人8期中半分の4期がランクイン

【主な歴代名人が年度勝率6割未満となった割合】
5.6% 大山康晴 18期中1期
33.3% 中原誠 15期中5期
0.0% 羽生善治 9期中0期
75% 森内俊之 8期中6期←←
0.0% 谷川浩司 5期中0期
33.3% 佐藤天彦 3期中1期

79 :
>>31
追加

・2008年名人戦に合わせてNHKプロフェッショナル仕事の流儀スペシャル「最強の二人、宿命の対決」が放送される。小学生から名人戦まで森内と羽生の軌跡を克明に描き、大反響。
・「羽生さんは天才。天才の背中を追い掛けていたら、いつの間にかここにいました」「一人では険しすぎる道でした。森内さんが隣にいたから、一緒に走って来られました」

80 :
>>31
訂正

・2007年名人戦、挑戦者は郷田。郷田が扇子を鳴らすのにイラついて口論になり、興奮しすぎて鼻血を出す。それでも4勝3敗で防衛を決め、羽生より先に十八世名人の資格を得る。



・2007年名人戦、相手は同級生の郷田真隆。防衛に成功すれば永世名人(十八世名人)の資格を獲得できるとあって森内の緊張が高まる。第一局では、郷田が扇子をパタパタと鳴らすのにイラついて猛抗議。興奮しすぎて鼻血を出す。
・3勝2敗と防衛に王手をかけて迎えた第6局、数年に一度と言われる大技「王手龍取り」がこの大一番で鮮やかに決まり、森内ファンは大熱狂。十八世名人が誕生した……かに思えたが、まさかのトン死で世紀の大逆転負け。重圧の前に鋼鉄の受けは香車一本で砕け散った。
・それでも、3勝3敗で迎えた土壇場第7局、落ち着きを取り戻した森内の鋼鉄の受けが炸裂。見事羽生よりも先に永世名人の資格を獲得したのであった。

81 :
>>33
追加

・2013年5月6日、羽生との名人戦を3日後に控える中で将棋イベント「シモキタ将棋名人戦」に参加。選ばれたファン81人を相手に駒落ち81面指しに挑戦した。小学生相手に「あ、負けました」と満面の笑みで投了してYahoo!のトップニュースに。
・将棋人気回復への使命感に燃える森内は、2016年11月5日に地元の横浜市青葉区に「青葉将棋クラブ」をオープン。翌年からの藤井聡太フィーバーで子供会員が激増し、「髪の毛フサフサの先生」として大人気に。
・2019年、クイズ王の伊沢拓司が率いる東大のクイズ研究サークル「QuizKnock」とコラボ。30歳近く年下の学生たちと将棋やクイズで対決して大はしゃぎ。

82 :
>>32
追加

・2011年、若手No. 1憲法学者の木村草太が『憲法の急所』を出版。前書きで「森内先生の『矢倉の急所』を読んで感動した。こんな法学書を書きたいと思った」と唐突に森内愛を語る。ベストセラーとなり、思いがけず森内の名が法学界に爪痕を残した。

・2014年2月3日、名著『覆す力』を出版。将棋板のこのテンプレ(の過去版)と思われる文書を頼りに編集者が森内の人生を根掘り葉掘り聞きまくり、テンプレの内容がほぼ真実であることが森内自身によって裏付けられた。

83 :
基地害森内信者、糞臭

84 :
姑息絞りって中々使えるんだな

85 :
85

86 :
86

87 :
あらあら

88 :
森内さん負けてしまったね

89 :
>>1>>68
姑息絞りすげえw

90 :
>>14
姑息絞りw
七冠達成してから言えw

91 :
>>17
姑息絞り全盛期森内より姑息絞り全盛期羽生の方が強いw
>>34
姑息絞りでねw
佐藤康光以下w

92 :
>>35
姑息絞りだよ、研究温存かw
>>36
名人9期、名人8期
大事なところで勝ったのはどっちだ!w
>>48
とってるだけで防衛はしてないし姑息絞りだけどねw

93 :
じゃあなんで森内は他棋戦に弱かったのか?
王将も得意であるはずの羽生に0-4ストレート失冠してしまったのか?

答えは一つ、名人戦に絞っていたから
そりゃ名人戦に強いわけだ、納得納得
>>3-4
>>9-14
自演乙w

94 :
>>52-53
ID変えたなw

95 :
95

96 :
まだ気になる

97 :
97

98 :
98

99 :
99

100 :
100


100〜のスレッドの続きを読む
Twitter 将棋クラスタについて語るスレ 14RT
[IP有] 藤井聡太応援スレ 490
【ID無】 将棋と頭の良さは関係あるのか?★2
竜王失冠でカンニングの真犯人は渡辺明に確定へ
佐藤天彦とは何だったのか
谷川浩司って将棋界・将棋ファンをナメてるのか?
将棋倶楽部24総合スレッド (ID無)
【有村架純似】加藤桃子ちゃん応援スレPart13
塚田家総合 7 [塚田泰明・高群佐知子・塚田恵梨花]
第13回朝日杯将棋オープン戦 Part4
--------------------
チラシの裏3@製菓・パン板
【軍歌】辻田真佐憲スレ1曲目【プロパガンダ】
Θ珈琲生豆(産地・農園・品種・販売店・焙煎)Θ21
【完全】中川裕ファンスレ vol.1【燃焼】
ブラームスの交響曲全集 Part19
◎◎◎◎ ミクロの決死圏 ◎◎◎◎
北海道に住むなら新ひだか町スレッド Part 1
【FF11】ツイッターでうざい奴17【闇爺婆】
【C4】首都圏中央連絡自動車道 その59 【圏央道】
【落第騎士の英雄譚】海空りく16【超人高校生たち】
太った女だけど結婚したい
【五輪延期論】甘利明さん、訳のわからないことをまくし立てる [196986887]
【首相の嘘・ファクトチェック】土砂投入海域のサンゴ移植ゼロ 辺野古、安倍首相は「あそこのサンゴは移植している」と発言
【夏休み】名古屋工業大学 32【院試】
【原作リーク禁止】ウォーキング・デッド191
派遣リフレ はついく!【もんげん!公式姉妹店】Part3
【韓国】家計・自営業の借金急増 史上初めて2000兆ウォンを超えた
【驚安の殿堂】ドン・キホーテ17【ドンキ】
【企業】採点業務61億円受注 ベネッセ子会社はまるで“謎の秘密結社”
【GAMECITY】大航海時代? part260
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼