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【反骨の】 魏延 【相】


1 :2007/04/13 〜 最終レス :2020/04/19

とりあえずwiki
「魏延」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BB%B6
この人も演義の被害者の一人だね

2 :
2

3 :
謀反人として生涯を終えたことと、演義において諸葛亮との関係で貶められたこともあって、
魏延は中国では尋常でないほど嫌われており(楊尚昆を参照)、
彼の廟があった所に鉄道を開通させた際には、移築されずに取り壊された。

カワイソス

4 :
反骨大臣に読めるよな。人相じゃなくて。

5 :
出世スピードは凄い

6 :
しかし、いきなり反骨の相はないだろう。そんなんでは蜀に帰参したり投降する将はいなくなる。
演義だとしてもつじつまが合わない、というか、無理矢理な伏線を感じるな。

実際は政争に負けた、気質の強い優秀な軍人だったんだろう。
当世一般の高いプライドや義理感覚は持っていたとしても、それだけで批判できるものじゃない。
ソース未提示。

7 :
劉備には相当気に入られていたみたいだね。

8 :
だから名前(ry

9 :
>>6
それを言うなら、劉備にすぐさま「斬れ」と言われた刑道栄の方が(ry

10 :
正史ではどのくらい活躍してるの?

11 :
大活躍

12 :
演義の主人公とも言うべき諸葛亮と敵対したのがこの人の不幸

13 :
この人はかなり低い身分の出身のようだけど、
学問の方はどうだったのかな?

14 :
>>13
太守をやっているくらいだから水準以上は当然くらいに考えてもいいのでは?
中身としては、は実際の頭のよさ、つまり頭の回転は早いと思う。兵法は一般並に通じ、それを実用できるって感じ。
でも、優れた典籍を修めるようなずば抜けて「学がある」っていうのじゃないだろう。
むしろ、そういう白面の書生の重要性を認めつつ、かつ自分はそういうタイプじゃないし、また、生理的にソリが合わない。でも、けして憎んでるわけじゃない。

それが俺の「魏延さん」だな。

15 :
ていうか、後期になるといきなり猛将扱いされるけど、実際どの程度だったんだろう
周泰ぐらい?

16 :
>>14
耳学問だけでも、かなりの学を身につけた人物ってかなりいるからな。
侮れない。

17 :
魏延って朱温と似ている気がする。

18 :
むしろ朱才と似ているような気がする

19 :
孔明って意外と心が狭そうだな。

20 :
>>19
むしろ、後世でスーパーマンにしすぎただけじゃないかな。
あれもこれもやらなければならなかった、至って優秀な文官だったと思う。
でも人間なんだよ。
孔明スキーを越え過ぎちゃった人たちはなぜそれがわからん!
魏延さんも孔明も、腹も立てばクソもしたんだぜ?

21 :
つうか演義の孔明はかなり性格が酷い
正史の孔明のほうが人格者だよな

22 :
演義での孔明がひどいと思ったときは、魏延と初対面でいきなり反骨の相があるとかいいだすときと
南蛮遠征で孟獲を捕まえてきた部族長たちを元の陣に戻れといったシーンだね
心服してない孟獲が自陣に戻ってきたら彼らは真っ先に殺されるなんてのはすぐにわかるだろうに。
あえて見殺しにしたような感がある

23 :
晩年の魏延は相当な豪傑だったんでないの?
関羽だって、劉備に出会った時と荊州王気取ってた時とじゃ違うでしょう。

24 :
この中にわしを殺せるものがあるか

25 :
>15
張郃ぐらい。

26 :
>>23
人は成長するからね。

27 :
>>24
ここにはいない

28 :
孔明に逆らって死後殺された馬鹿。

29 :
名前で損してる人だね

30 :
三国志・蜀将討議スレッド17
http://hobby9.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1180445040/

31 :
>25 それってかなり凄いじゃねえか。
まあ王平にしてやられてるって所が共通してんのか?

32 :
>31
魏延は単に兵卒を叱咤激励し戦場での駆け引きに賭ける将ではない。
張飛を抑えて漢中太守に任命された時の話から
どのような戦争になるのか
それにどうのように対応するか
平時からどのように準備すべきか
これらを考え遂行できる人材であることがわかる。
つまり平時から敵情偵察、密偵による情報収集、必然的に諜報戦にも理解があり
地形の精密な測量を積み重ね、また兵站について膨大な書類を決裁できる。
聡明な頭脳と煩雑で単調な事務作業に耐えられる忍耐力を兼ね備えているだろう。
単に武のみの人材ではないのは明らかだ。

33 :
>>32
軍の司令官として、地方を一つ任せても安心できる人材ってこと?
劉備配下だった人物で、そこまでの能力のあった人って
他にいるんだろうか。
関羽は違う気がするし(最古参&顔、文斬った勇名で荊州任された印象)。
張飛は部下の把握が下手だから問題外だし。
教委もアレだからなぁ…
すごい出世スピードだったのは、劉備の配下にそういう人材が本当に
いなかったのも関係してるのかな?

34 :
総合的な能力でかなり秀でていたってことは、
蜀における諸葛亮の立場を脅かす可能性もありそうだった?

35 :
>33 関羽は文醜を倒していない。 それは曹操の軍勢の手柄。
最重要地の荊州を任せられる人材は、
能力だけでなく人物の格というか扱いについても絶妙の判断が求められただろうが
劉備の下の人物では やはり関羽が至善とは言わずとも次善だっただろうな。
曹操や孫権にも武勇だけでなく、知略に優れた人物だと買われているし
だからこそ実際に将軍位を与えたり侯に封じたり婚姻を結ぼうとしたという事もあるのだろう
(能力だけで上記の扱いを受けたとも思わないけど)
張飛も下っ端には厳しかったが士大夫層に憧れていたようで そのために学問も修めたようだし
実際に施政も悪くなかったと聞く。 最期で評価がだだ下がりしたのだろうな。
関羽も張飛も、補佐する人物がいたらもう少し変わってきたかも
姜維は出自はともかく、蜀ではガチガチの武官だからな。 前任者ほどの才気は無かった
(まあ費イに匹敵する人材は中々いないわな)
>34 いやあそれは・・・ 諸葛亮は言い方は悪いが独裁に近い立場を固めていたし、
諸葛亮に気に入られていたのだからわざわざ脅かす必要性も薄いだろう。

36 :
反骨の相八百長説はどこかで見た。
おまえらこれから裏切るなよという芝居だったと。
寧ろ孔明に信用されていた証拠。

37 :
というか単に演義を書く上での後だしジャンケンにも思うんだが。

38 :
演義で一番割を食ったのは魏延より陳式だ。

39 :
魏延って劉備の事は何て呼んでたんだろ?
劉備が帝位に就いてからは当然変わったんだろうけど

40 :
>>32
俺も魏延は司令官の器だったと思っているんだが、
そこまで買い被る理由をkwsk

某トンデモゲームではないけれど、魏延は劉備のこと慕ってたんじゃないかな。
長安急襲の拙作や孔明死後もいたずらに戦争を続けようとした事など、
魏を倒し(まではいかなくても長安・洛陽を陥し)て漢朝の正当な後継者になるという劉備の遺志に固執しすぎてるように取れる。

41 :
\(~o~)/

42 :
そして其の手柄で禅譲、蜀の新皇帝となる、と。

43 :
そりゃ劉備の事は慕うだろ。 取り立てられているわけだから

44 :
正直なところ諸葛亮時代の魏延は劉備を慕う云々よりも
自分の自尊心への固執と言った方が適切な気がする。
例えば長安急襲案は魏略を参考にするならば「俺を見れば敵は逃げるよ」
っていう自分を趙過大評価した部分に基づく部分が大きいし
それ以後も韓信の故事に習いたいと別働隊を要請し続けた事や
それを却下されると自分の才能を使いこなせないと諸葛亮を「臆病者」って批判したり
仲が悪いとは言え楊儀に刀を向けたり
諸葛亮死後には「丞相が亡くなられても自分がいる」「楊儀ごときの指揮を受けれるか」
と言ったりと自分に自信が在り過ぎるのが問題かと
また蜀将スレでも書いたけど、あんまり大将の器って感じじゃないね
なんにせよ諸葛亮死後の撤退で、味方の退路を断つのはやり過ぎ
下手すれば全滅の可能性もあったろうに

45 :
同意だね。
良くも悪くも一軍の将というしかないな。

46 :
魏延「わしを○せる者があるか!」
馬岱「ここにいるぞ」
魏延「なにっ」
○に入る文字を答えよ(5点)
1.倒
2.殺
3.愛
4.犯

47 :


48 :
外征のセンスがあったの?

49 :
魏延はきっとパフォーマンスの上手い、
つまりは自身のアピールに長けた武将だったと思うよ。
実際の戦い続けていれば、どっかで転んだ予感。

50 :
現場の人間として、明らかに戦争知らないようなバカが間違った指揮取りゃ反論もするし反抗もするわな。
長安急襲にしても、圧倒的国力差がある相手に正攻法で攻めるとか愚の極みな戦略よりかだいぶマシだろ。
と言うか魏に勝つには奇策に次ぐ奇策を成功させていかなければまず勝てない国力差があるのは事実なんだから。

51 :
北伐は示威行為で本当に魏を討つつもりは無かったのかもな
魏延はやる気だったかもしれんが

52 :
示威行為ですらない。あれはただの運動会

53 :
>>52
運動会ワロス

54 :
夢も希望も無い民衆に生きている意味と愛国心を与える為に
オリンピックやワールドカップを現代は行っているだろ。
つまりそういうことだ。

55 :
とりあえず実力としては、少なくとも劉備の目から見ると
関>魏>張
だったわけだ

56 :
魏延  ・・・・・・ 岳飛
諸葛亮 ・・・・・・ 秦檜
さすがに無理あるかw

57 :
つまり魏延さんは出師の表を間に受けてたんだね・・・
溢れんばかりの孔明への愛だな。

58 :
もし関羽以外の者が荊州を守っていたら?
http://hobby9.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1189212296/

59 :
魏延って意外とまじめな人物だったんじゃないのか。

60 :


61 :
孔明の出師は心底やる気でしょ孔明に能力がなかっただけで
チャンスがあったのは最初の北伐くらい
あの時は蜀をなめきって魏は何の対策もしてなかったし

62 :
魏延は小人匹夫だと思う

63 :
>>61
蜀漢は北伐(反魏活動)しなくちゃいけないから
嫌々やったんじゃないか?

64 :
h

65 :
>>63
そんな気がする。
孔明本人としては蜀の防備と政治体制を固めて
地方に割拠したいだけだったのかもね。
特に劉備死後は前線で戦える将軍もおらず
攻勢に出る危険を熟知していたと思う。
でも遺詔だしなぁ…てな感じ。

66 :
易中天:魏延謀反疑案(1/3)
http://www.6rooms.com/w/trqFA4ZYYLQY9xeurlbnqA

67 :
>>65
北伐や、漢の再興をうたい文句にしないと、求心力を保てない政権で、
戦争したくありませんなんて、どんだけバカな政治家だよw
だったら端っから劉備を担ぎ出さなきゃ良かっただけの話し。
可能、不可能を問わず目標をたて、一致団結する。
内心の不平不満は、この際おいておき、一心不乱に国政に打ち込む。
余所から来た流民集団と、地元の集団との連合政権を維持させる手段がなかった。
北伐以外に、どうやるんだ?
それぞれの利害関係や、派閥の問題をどう解決するんだ?
北伐は手段であって、目的じゃない。

68 :
>158 :名無し曰く、:2006/12/29(金) 22:40:19 ID:K3p8KBsB
>魏延はプチ関羽みたいな所があるよね、傲慢でプライドが高くて、でも言うだけの
>力はあって。さぞ扱いにくいタイプだったとは思うよ。劉備にしか心服しない、劉備に
>しか使いこなせない爆弾だったんじゃないか。 魏延の能力は惜しい、でもあまり
>力を持たせすぎると自分の死後こいつは抑えを失って絶対に暴走する、孔明は
>そう考えたのかもしれん。馬謖を抜擢したのも姜維を重用したのも、魏延に対抗できる
>重石たる人材が欲しかったのかも。
この意見、ちょっと納得。

69 :
>>68
馬謖は自分の派閥の若手を抜擢して勢力拡大したかっただけ
姜維は、・・・諸葛亮に重用されたっけ?
諸葛亮が魏延を嫌っていた、という話が無い以上、諸葛亮が魏延を排除したという話は妄想という他無い
・・・諸葛亮は魏延を後継者と考えていた、と同じくらいにはな
こういうことを想像するのは楽しいが、ちと現実味がないんでね?

70 :
北伐は上手く行かず、人材登用でも馬謖や李厳、楊儀などミスの多かった諸葛亮を引き立てる為に
武功も多く、劉備の新任も厚かった魏延を悪者扱いしてるような気がする

71 :
李厳なんて劉備時代からの重臣中の重臣だろ。
諸葛亮の登用の責任とかいう話じゃない。
>>67
ほぼ同意だが、蜀漢政権の中に益州人と荊州人の綱引きがあった、みたいな話だけは疑問。
そもそも劉二牧自体が益州外から来た人間である上、
益州の土豪たちとの紛争の記述もある。
そして、配下にしても雍州出身者(法正)、荊州出身者(李厳)などマチマチだった。
また劉備の臣下となった益州人にも荊州への留学組も多く、益州人とはいえ色々な立場があることが窺える。
孫呉だって華北出身者が多い。
曹魏にも荊州出身者がいる。
なんか蜀だけ内部対立の火種を抱えていた、まとめあげる求心力が必要だったみたいな考え方にはピンとこない。
(国内をまとめあげるためだけの北伐だった、みたいなよくある意見には特に同意出来ない)

72 :
http://www9.uploader.jp/user/nikoman/images/nikoman_uljp00045.jpg

73 :
魏延は陳寿を始め色々な方面から庇ってもらえているが、ただでさえいい
ところのない夏侯ボウの評価を更に下げているのは魏延だよな。
誰も文句言わないが、中々罪深い男だよ。

74 :
反骨っての自体が眉唾だろう

75 :
そもそも反骨は小説のみで、
かつ、諸葛亮が他にも裏切り者がいるのに魏延にだけ文句つけた時にでた言葉だ

76 :
>>71
魏呉はどちらも現地出身者がトップ〜重臣に多い政権
蜀はトップ、中期までの功臣がほぼ外来出身者による政権
この差は小さくはないのでは

77 :
魏延さんと高順は男の中の男。
異論は認めない事もない。

78 :
>>76
そうなんだよな、蜀は蜀で独自性ってあったしそれを荊州から劉備が
乗っ取ったみたいな感じになったわけだし、人材統制は難しそうだよね

79 :
結局、元々の益州の人間は一度劉備に降伏してるから
魏が攻めて来ても
(また降伏すりゃ良いんじゃね?)
って思ってる節があったんでは。

80 :
処女じゃないからRされてもいいや
みたいな発想ですね

81 :


http://love6.2ch.sc/test/read.cgi/male/1207390699/
(↑424を見てください↑)
(((( ;゜Д゜)))(((( ;゜Д゜)))(((( ;゜Д゜)))うわああああ

中国のマジ本物の拷問R画像動画っ!!!

82 :
tp://bear.seesaa.net/category/475865-1.html
孔明死後の本性を剥き出した魏延の元でその謀反の矛先を魏に降ることから
蜀へ乗り込むことに変え成都で以ってこれを斬る密約を果たすわけです。
tp://nekoryohu.michikusa.jp/dabun/sy11.htm
諸葛亮は自分の死後に魏延が反乱を起こすと確信していた。
そのため魏延が反乱を起こしたら魏延を斬れと馬岱に命令を出していた。
諸葛亮の死後、魏延は予想通り反旗を翻した。
馬岱は諸葛亮の遺言に従い、魏延を斬り反乱を防いだ。
tp://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3b4e5dd90302ffc15d2d44facc9c9364
魏延はかねがね諸葛孔明の戦略に逆恨みを抱いていたが、
やがて孔明が五丈原で病没するや、たちまち反旗をひるがえして、斬殺された。
孔明に先見の明があったことになる。
tp://www001.upp.so-net.ne.jp/eiyutan-3594/karuta/efudassa.htm
魏に投降しようという魏延に対し
tp://kanshigyoku.client.jp/jin-syoku7.htm
案の定諸葛亮死後反乱を起こした魏延
tp://unkar.jp/read/game13.2ch.sc/gamehis/1142384998#122
それを「やっちゃう」人間なんだ、魏延は。
tp://www.geocities.co.jp/Playtown-Part/4396/kingdom/kingdom1-8.htm
三国志中、最も評判の悪い裏切りを働いた極悪人。
tp://www.geocities.co.jp/Playtown-Part/4396/kingdom/kingdom2-8.htm
叛骨の士。劉備の侵攻時に裏切って韓玄を殺害。劉備に寝返る。
諸葛亮の死後、丞相にならんとたくらんで乱を企てるも失敗し、敗死。

83 :
正史では諸葛亮は善く魏延と楊儀を使いこなしている
これ以上無く魏延を重用している
諸葛亮は讒言を聞いても魏延を庇う
魏延は文句を言いつつも命令を守っている

84 :
魏延将軍は神だと思っている。
1780年ほど前の正月休みに両親と義陽郡の魏延実家(もんじゃ焼き屋)に
食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり魏延将軍が
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わない叛骨な相で。
魏延が「俺を殺せる者があるか〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた兵卒集団が「魏延さん!」「魏延さんかっけー!」などと
騒ぎ出し、魏延が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
サインをしてくれた。
兵卒達が魏延の主君劉玄徳の大ファンだとわかった魏延は
いい笑顔で会話を交わしていた。
そして魏延は「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は魏延の気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さん(カズ妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。

85 :
>カズ妹
惜しい

86 :
職人は"あえて"そこを改変しないのだよ

87 :
tp://oekaki1.basso.to/user45/goikkou/index3.html
案の定裏切りの体を見せ、しかも状況が悪くなり命惜しさに保身の為に
魏に投降しようかと言い出す卑怯者魏延をどうにかこうにか宥め透かし
おだて上げ慢心させる苦労人馬岱。

88 :
正史読んだけど、かえって魏延の印象悪くなったな。
楊儀に口で勝てないからって刃物突きつけたり、
撤退命令に背くのみならず、命令通り動いてる連中の邪魔したり、
部下に愛想尽かされて逃げられたり。
むしろ魏延を順調に出世させたり、魏延を馬鹿にした奴を厳しく問い詰めた
孔明の印象が良くなった。

89 :
魏延 文長
劣化呂布(裏切り&独立しやすい武力馬鹿&魅力が低いで「裏切者」の代名詞)
毛沢東が政敵楊尚昆を名指しして「貴様は魏延だ」と述べたのは有名な話
横山三国志で「蜀を自分の物にする」とか抜かしやがったが
呂布や孟達同様不忠の裏切り者の小悪党らしく自業自得で無様な最期を遂げる

90 :
それは横山を怨めよ

91 :
たいていの魏延オタは正史に載ってる>>88の事を見て見ぬ振りするよな。
大好きな魏延様が悪く書かれて、大嫌いな孔明が良く書かれているからなんだろうけど。
魏延も小物なら、そいつを好きになる奴も小物ってわけか。

92 :
なんか……頑張ってたんだね

93 :
>>92
華キンとかは正史と演義で人物像が180度違うが
魏延は正史でも演義でも両方小物だよな

94 :
>>93
カキンは史書でも皇后をむりやり引っ張り出したり馬車に気を取られたりしてるから180度ほどじゃないよ

95 :
魏延が嫌いというより、魏延オタクが嫌いなんだよな。
どいつもこいつも判で押したように「魏延は悲劇の英雄。孔明の陰謀の被害者。」
みたいな事ぬかしやがって、演義だけのエピソードの反骨の相や魏延焼殺計画を
鬼の首取ったように振りかざして孔明を貶める。
演義だけで判断してるって意味では「周瑜や魯粛は孔明のピエロ」って言ってんのと同じだよな。

96 :
オレ的に 魏延…亀田史郎
       孔明…協栄ジムの会長
トラブルばっかり起こしてるけど、いないと困るから御機嫌取らなきゃいけない。
利用価値がなくなればトカゲの尻尾切り。
もっとも魏延が勝手に撤退命令に従わなかっただけで、
孔明が魏延を見捨てたわけではないのだが。
楊儀に剣を突きつける魏延、アナウンサーを恫喝する亀田史郎、
明らかに自分より弱い相手にチンピラみたいな威嚇をする行為が
どうしても似通って見えるんだよ。

97 :
それは無茶苦茶だ

98 :
魏延の存在は重宝したと思うが、彼自身を高く評価するのも難しいな。
人材的に豊富とは言えなかった蜀軍では、少々の人格的問題はあっても
活躍の場があった。
だが、その問題が最終的に自分の首を絞めた。
あの関張も(特に張飛か?)人間関係で失敗してるから、難しい所だ。
仲違いしながらも合肥を守った三将に対して、蜀の将は公私のケジメが
着いていなかったのか・・・・・とも言えないか・・・・・

99 :
諸葛亮が長生きして魏延が先に死んでればな・・
魏延の名声も子孫も残っただろうに

100 :
実質最大の後見人である諸葛亮に対して、命令に従いつつも反発したり
幕僚との軋轢が強かったり、明らかに政局における立ち回りが下手だよな
政敵である楊儀の指揮下に入ったら(状況的に楊儀が諸葛亮の後継と見るに十分だろう)
不仲だった自分が殺されるかも、と考えたのか、それとも諸葛亮の遺言そのものを捏造と疑ったのか、
どちらにせよ、これに逆らった時点で魏延の命運は定まった
橋を焼いたのはやりすぎだし、楊儀反逆の上表も正しい内容とは言えない
むしろ、楊儀の方が諸葛亮の遺言に従ってるわけで、後に魏延が兵に見捨てられたのも仕方ない
ただ、これに前後して諸葛亮幕僚陣の動きがあまりにもシンクロしてるのが、違和感がなくはない

101 :
実際に裏切ったわけではないのにいつ裏切るかわからないという不信感を持たれるのは、恐らく姓が敵国の魏と同じだからだろう

102 :
孔明は魏延を買っていたでしょ。軍を与えたらすぐに戦果を上げてきたんだしな
ただ気に食わないのは自分の策に対して魏延常に反論、対象意見を出してきたこと
にわか諌議大夫のような存在になっていて、そのやり取りが不忠、反骨のように捉えられていたんだろう
孔明の策が絶対と考えている人から見ればそう見えるのは当然だ

103 :
長安奇襲策は成功率がとんでもなく低いし、長安取っても維持できないから切ったんだろう
気に食わないから策を切ったとは思えない
諸葛亮の策が絶対というより、魏延の策が僥倖を恃みすぎ、稚拙だっただけ
しかも状況が変わっても同じ策を進言するのも頂けない
また、でたらめに魏延を罵倒し、諸葛亮に詰問され、本土に戻された劉エンに対して
楊儀には詰問がいっていない以上、その罵倒は事実を捉えていたと見るべきだろう
これに対し刀を突きつけ黙らせるというのは、あまりに短慮
こういう行いが人望を失った最大の要因であると言える
また、諸葛亮の遺言に背き、撤退する軍の妨害をしたのは、内情はどうあれ反逆行為

104 :
最初の一回はともかく、二回目以降も長安急襲を進言するのはまずいわな
魏に警戒されてるに決まっている

105 :
どういう意味?

106 :
攻めてくるとわかっていれば当然狭道の守りも固めるだろう

107 :
1・かねがね諸葛孔明の戦略に逆恨みを抱いていた魏延は
  丞相にならんとたくらんで謀反を企てる
2・謀反に失敗すると命惜しさに保身の為に魏に投降しようかと言い出す
3・孔明の遺命を受けていた馬岱に「蜀を自分の物にする」よう
  そそのかされて魏への投降を撤回して楊儀と対決しようとする無策ぶり
4・馬岱に誅殺されて呂布や孟達同様不忠の裏切り者の小悪党らしく
  自業自得で無様な最期を遂げる

108 :
※フィクションです

109 :
馬岱って命からがら逃げ出した魏延を追い詰めて殺しただけで打ち破ったわけじゃないだろ
どうも戦上手じゃないみたいだし

110 :
馬岱って正史じゃ牛金に負けてそのまま消息不明だから
下手すると獲られた首級の中に混ざってる可能性もあるな

111 :
荊州に曹操が来たときに降らなかったのは何故だ

112 :
曹操が嫌いだったから

113 :
魏延は義陽郡の人との事だが
彼が仕えた太守って韓嵩なのか?

114 :
Wiki見たけど、演義の被害者って言うよりは正史でメッキが剥がれたって感じだな。
演義では陰険な孔明にいじめられて可哀想、みたいな同情できる部分はあったけど。

115 :
税集めしかできない能無しに軍の指揮なんか執らせるほうが悪いんだよ

116 :
頼むから壊滅的に頭の弱い子は書き込まないでくれとしか

117 :
植えつけられた先入観を脱却できずに物を考えるお子様が多い

118 :
あれ? ファンスレッドじゃなかったの?

119 :
諸葛亮と魏延は欠点を補った名コンビと言える

120 :
最近三国志に興味持っていろいろと調べているのだが、
魏延の死は自業自得としか思えんぞ。
なんで演義の被害者だの悲劇の英雄だの持ち上げられてんの?

121 :
>>120
史実魏延はその通り自業自得な面が強い。
ただ演義だと、二度の裏切りを捏造されたり(劉表配下、韓玄配下)、その最後に大きく関わる楊儀との対立があまり描かれず
諸葛亮に従わない反骨武将としてされてたりはする。

122 :
蒼天航路の魏延が良い奴に見えるが
あの後で傲岸になった末に政争で負けるという事を考えると泣ける

123 :
良い悪いはともかくキャラとしていい味出してるから趙雲よりも好き。

124 :
>>121
演義のヒーロー諸葛孔明大先生への当てこすりという事か。
しかしそれならば何故、調べれば>>88のようなボロが出る魏延を出汁に使うのか?
ネットで簡単に情報が手に入るこの時代に。俺が当てこするとしたら、張嶷を褒めちぎるけどな。

125 :
魏延が荊州で劉備に与した経緯が知りたい。
韓玄の下にいた、っていうのは無いと思うが

126 :
もともと曹操の南下が始まって襄陽の中がゴタゴタしてるときに劉備がやってきて、
城門を空けるから攻めろって言ったのが魏延で、そのことを記憶していて取り立てたって話じゃなかったか。
功績を立てて傲慢になっていくってのは魏延に限った話じゃないし、
義陽郡出身の人物ってのはこうゆういやな性格の人間が多かったらしいね。
同地出身のケ艾も傲慢な性格で恨みを買った部下から殺されてるし。

127 :
>>114
孔明死後の末路を見れば冷遇どころか、むしろ庇護の下にあったと言うべきだよな
にわか正史オタが持ち上げる人物の筆頭

128 :
wiki見たくらいで正史がどうとか語るのもどうかと思うがね
まあ間違ったことは言ってないが

129 :
>>127
蒋エンも董允も蜀軍撤退事の魏延の行動を非難しているだけで、普段から嫌っていて
孔明が死んだら途端に手のひら返したというような記述はないよ。
孔明は魏延に嫌われていたが、その軍事的才能を惜しんで重用し続けたというのは
立派は話ではあるが。

130 :
まあ事実軍功はTOPなわけだから

131 :
記録に残っている限りじゃそこまですごいわけじゃないけどね。
それは魏や呉陣営からあれほど危険視された関羽や張飛も同じだが。
しかし蒋エンや王平が手を加えたのかも知れんが、魏延が最初に作ったであろう漢中の
防衛線は姜維が「守るには便利」と認めているね。
軍才は本物だったのだろう。

132 :
>>131
>魏延が最初に作ったであろう漢中の防衛線
よく魏延ヲタが魏延を賛美するときにそれを言うのだが
何伝に載っている話?

133 :
>>132
不確かながら姜維伝だったように思う。
姜維が「今の漢中の陣地は守るには適しているが、敵を誘い込んで
打ち破るには適していない」として手を加えた。
>>131で言っているように魏延が作ったものとは明記されていないが。

134 :
>>131-133
誰が造ったかわかんないから、大好きな魏延様のお手柄にしちゃおうってか。
ホント魏延信者はやる事が小悪党じみているな。

135 :
このスレに限ったことではないが、魏延ヲタはよく他の人物をけなすよな。
孔明・楊儀はもちろん姜維や馬岱も能無し扱いするし。
誰かを貶めて、相対的に魏延を持ち上げようって魂胆なんだろうが、みっともない事この上ない。
そのうち「功績を鼻にかけ傲慢になって自滅した」って共通点だけで
魏延は許攸よりましとか言い出すのかね。

136 :
>>131-134
漢中の防衛線を作ったのは諸葛亮だよ。
漢・楽の守備線ね。後主伝と諸葛亮伝に記述がある。

137 :
>>131の言葉を借りれば諸葛亮の軍才は本物だったんだろう。
すると、長年漢中に駐屯していながら、
防衛線を構築したなどの具体的な功績のない魏延は…となってしまう。
魏延を持ち上げたいならあまりこの話は持ち出さない方が良いね。

138 :
福田「蜀が誇る演義の被害者劉禅に比べれば、魏延は可哀想でも無い。それと魏延
を客観的に観ても蜀の良将だと思う。関羽に比べれば。」

139 :
漢中の防衛線って姜維伝で出てくる劉備が作ったやつとはまた違うのか

140 :
>>139のいうように一番最初の防衛線は漢中奪取後に劉備が直接築いてる
あるいは法正の発案なのかも知らんが王平もこの線で防衛してる
それに手を加えて強化したのが諸葛亮
蜀滅亡時も樂城は陥落しなかった
まあ、どちらにしろ魏延の手柄にはならないけど

141 :
この人、演戯とかだと劉表配下で韓玄を裏切って〜ってなってるけど
実際にはそれは演戯のみの記述で正史では劉備の蜀入りから出てくるんだよね?

142 :
>あるいは法正の発案なのかも知らんが王平もこの線で防衛してる
>それに手を加えて強化したのが諸葛亮
遅レスだが王平の防衛は諸葛亮死後の大将軍曹爽侵攻のことか?
まあ、ここは「劉備(法正)が先鞭を付け、諸葛亮が完成させ、王平が実証した」と読めなくもないけど
だが、王平は「漢城・楽城まで下がって籠城策」を却下したので防衛線を使ってないことになるね
興勢山まで出張って、敵が兵を分けて黄金谷に来たら千で防ぐということなので
ついでに、分隊といっても十万からのを千で防げるかよと思う方は柳隠を参照のこと

143 :
よくわからんが、魏延は漢中でたいしたことしてないのはわかった

144 :
>>141
一番最初の出番は襄陽守備隊員で、曹操軍が迫る中劉備を締め出した
蔡瑁らに義憤を発して反乱し城門を開けようとして失敗して逃亡した。
重棗色の顔の男として登場し、演義オリジナルの逸話二つとも
「上役の行為に義憤を発して背き、劉備に付く」という展開を経て
諸葛亮に「反骨の相」を指摘される。今から見ても一級の伏線ぶりだよな

145 :
演義でこれだけ面白いキャラクタを与えられてるのに
それをただ「演義の被害者」とされると寂しいものがある。
じゃあ他の蜀将とかと同じように無味無臭で、最後だけ史実通り殺されるってやつのほうが良かったのかと。

146 :
>一番最初の出番は襄陽守備隊員で、曹操軍が迫る中劉備を締め出した
>蔡瑁らに義憤を発して反乱し城門を開けようとして失敗して逃亡した。
横レスだがこれって演義のみの記述じゃね?
演義は物語として面白くするための演出はかなりのものだと思う。
歴史書としてみると当然駄目駄目だけど。

147 :
>>146
横レスへの横レスだが、144は「演義のみの記述」と分かってて書いてると思うよ
心配するまでも無く

148 :
正史では蜀入りから出てくるの?って質問に何故か演義での登場シーン書いてるからなんかおかしくね?って意味で書いたんだがw
ああいう書き方すると質問者は144が正史だと思っちまうぞ。

149 :
そう読めてしまうならスマン。
一応141は演義正史双方の知識があるっぽいし、「出番」「オリジナル」「伏線」と創作の話だけを語っていると
強調したつもりだったが。
144のレスは演義のことにしか触れてないよ、と補足しておく。

150 :
141だけど変な質問のせいで混乱させたみたいで申し訳ない。
色々レスくれてどうもでした。
しかし魏延、ゲームだとどのメーカーのSLGでも義理と忠誠が低くて
裏切りやすいのは納得できない。
少なくとも劉備を裏切ることはないと思うんだけどな。
劉備死後忠誠下がっても仕方が無いけど、劉備生存中は忠誠マックスに
しておいてくれないものか。

151 :
それは魏延に限らず他の蜀将にしろ同じだろJK
他の奴は劉備存命中に裏切らず、劉備死後も裏切らなかった
自分の意見が通らないと暴発する人は忠誠・義理MAXなんて論外

152 :
まあその「裏切り」すら捏造された可能性もあるんだけどな。

153 :
負けた側が悪者扱いされるのは世の常だしねぇ
ま、昔の話だし可能性を語りだすときりがないけど

154 :
劣化呂布って感じだな
馬岱に一刀の元に切られるんだから武力は70台でもいいくらい

155 :
>>154
…その主張を通したいのなら、
どうしてそう思ったのか、どうしてそうなるのかをもっと理屈を交えて説明する必要があると思うよ
その文では魏延を貶めたいだけ、とか楊儀乙、みたいに受け取る人も出てくる、と言っておく

156 :
げぇ、魏延!

157 :
孫権が魏延と楊儀を馬鹿にしているが、呉も朱桓やシ番璋、全ソウと負けず
劣らずの小人揃いだよな。
一州多いとはいえやはり田舎は田舎。どちらも人材不足だったんだろうね。

158 :
一刀の元に斬られたから武力70台ってのはよくわからんな。
コーエーのパラの基準ってそんな薄っぺらい決め方なの?

159 :
一刀のもとにと言ってるからには演義の事なんだろうけど、予期せぬうちに
背後から斬られた事は度外視なんだろうか
昨今の度が過ぎた魏延贔屓は呆れるが、難癖つけたいだけのアンチも同類だな

160 :
そのデンでいくと、三国志最強の弓使いは無名兵士っていうw

161 :
>>155
>>82に書かれてある事と後↓
tp://dec.2chan.net:81/b/src/1254230597264.gif
tp://dec.2chan.net:81/b/src/1254230354397.gif
ゲームでもすぐ裏切りやがるしうんざりだよ

162 :
史実では小関羽という感じじゃないかな。

163 :
ライバルの楊儀って実は文官である以外は魏延と似ているよな
どちらも劉備に見出され(楊儀を最初に見出したのは関羽だけど)、諸葛亮のもとで出世を重ね
どちらもその能力を諸葛亮に頼られるが、どちらも仲の悪さを心配されるという・・・

164 :
楊儀も将軍なのに文官って言われるよな
変なの

165 :
原文:文吏
政事の実務能力に長けた種類の官吏のこと
文吏から転じて名将となったこの時代の代表格は満寵だろうが、
勿論個人によって得意不得意の差はある

166 :
>>161
演義の話じゃねーかw もっとも正史でも
・手柄を立てて調子に乗って威張り散らしてた
・自分にヘーコラしない楊儀に刀を突きつけた
・孔明死後、誰も自分について来なかった
・桟橋を焼いて蜀軍の邪魔をした
・王平に一喝され兵士に逃げられた
命令違反については、恐らくは「丞相死後は俺が武官筆頭だから、俺に従え」って気持ちがあって、
理屈としては正しいのかも知れんが、それでも誰もついて来なかったんだよな。
威張り散らして周りがヘーコラしてたのを、自分が尊敬されてると勘違いしてたのか。
ここら辺のエピソードで、魏延は裸の王様ってイメージがあるんだよなあ。

167 :
魏延の魏に降るはクラス委員長の「言うこと聞かないなら俺も不良グループの仲間になって悪さするぞ!」ってレベルだろうな

168 :
>>38同じ規律破りでも魏延は使えるから生かして・・・・・
>>22演義の孔明は、結構非情・・・

169 :
>>168
周瑜を確信的に追い詰めて殺してから哭礼したりとか。
まあ複数の筆者の手になるということもあるんだろうけど、
曹操にしてもその辺の多面性がキャラとして面白くなってるね

170 :
>>166
理屈として正しくないから兵士はついてこなかったと書いてあるじゃないか。

171 :
演義の孔明はなんであんなに非道で理不尽なキャラにしたのだろう…
初対面で、功をあげた魏延を殺そうとするのも理に叶ってないし(張松や法正は受け入れるのに)
命令違反の件で魏延を許すってのも、陳式と馬謖は斬ったのに?
しまいには味方なのに葫芦谷で焼き殺そうとする卑劣っぷりだ。
意味わからん。そりゃ孔明アンチも増えるってもんだ

172 :
魏延は自分にとって絶対に必要な能力の持ち主だから生かしておいて、
自分の死後は制御できなくなるから殺した。
そんだけ。演義読めば書いてあるじゃん

173 :
何で演義で性格悪くされるとアンチが増えるの?

174 :
正史でも性格わるいですが

175 :
性格悪いか? 正史だとそういうのより国家の為って感じだが

176 :
正史魏延は明らかに利権と出世のことしか考えずに行動していたようにしか見えないが

177 :
171と172と173と175は諸葛亮の話をしている
174は多分魏延の話をしている

178 :
KOEI三国志3では駆虎呑狼にかかりながら謀叛に失敗した武将が
「××様謀叛に失敗しましたお助け下さい」
といいながらすがりついてきやがる事があるぞ
まさに魏延じゃねえか

179 :
魏延ってファン多いね。評価も高いし。
質問場所、個人サイト、ブログなどネットの意見をいろいろ見てまわってきたんだが、
諸葛亮より有能という声も多い。軍権は諸葛亮でなく魏延がとればよかったとか
魏延の策をとるべきだったとか
好きな将にあげられてたり、魏延愛されてるな、とおもった
そして魏延の名が出ると必ず諸葛亮叩きがセットになってるw 嫌われてるなw

180 :
>諸葛亮より有能という声も多い。軍権は諸葛亮でなく魏延がとればよかったとか
>魏延の策をとるべきだったとか
こういうまともな評価も考察もできないアホが多いから、魏延ファンはおろか
魏延そのものまでもが嫌われたり叩かれるんだろうに
なんか魏延信者って、劉備には抜擢された一方で諸葛亮には献策を用いられない
反動やら、政権内部では叛乱として始末された末路なんかから好きになり、
それでいて魏延には過失を認めたがらない感情的かつ盲目的で、更に言うなら
軍事に関しても深く検証できてない人間が多い感じがする
まともなファンも迷惑するだろうな

181 :
>>91 >>95 >>134 >>135
みたいな事やってりゃ、韓国だって素晴らしい国、韓国人だって素晴らしい民族になるわな
まともな韓国人見たことないのと同じで、まともな魏延ファンなんて見たことないよ

182 :
このスレの魏延アンチにクレーマー体質を感じる。
自演だろうね。

183 :
もうちょっと魏延オタが周囲への罵倒を控えられたら反発も減ると思うんだけどね
ネットを見回すと
魏延を擁護するために姜維やら楊儀やら蒋エンやら費イやら
あらゆる人物を悪に仕立て上げていく様子は涙ぐましいものがある
それだけ魏延が好きなんだってことは分かるが

184 :
>>181
擁護してみると、まともなファンも意外といるよ
目につくところの魏延ファンは頭痛くなるのが多いけど

185 :
一言で言えば劣化呂布かハイパー孟達ってところかな

186 :
重石になってくれる上役がいてこそ、活躍できる武将だな。

187 :
魏延と王平の二枚看板で活躍すれば良かった

188 :
>>186
庇護する権力者が必要なんだと思う
魏延には協調性というものが無さすぎる
自信家のあまり周囲から一歩引かれて、劉エン、楊儀と衝突するありさま
その他魏延の発言も問題多い。
諸葛亮や費禕がなんとか手を焼いてたが、そういった庇護者が居なくなるとやばそうだ
武将としては申し分ないほど有能なんだけどねえ。庇護するのも魏延がそれほど有能だからだし

189 :
郭嘉や法正みたいに、実力はあるが人間としては最低ってタイプだから、
先の二人のようにもっと早くRばよかったんだよ。
劉備や孔明とか、自分を高く買ってくれる人がいるうちに死んでおけば
「魏延が生きていれば北伐は成功していた」とか惜しまれていたかもしれないのに

190 :
>>189
そんなかっこいい魏延じゃ、面白くないw

191 :
関、張の亜。

192 :
魏延はあえて反・孔明の言動をして
兵卒の離反を抑えようとしたんじゃないかな?
戦っても戦っても終わらない戦が続いたら
最高責任者の孔明に対する不満が出てもおかしくない
そいつらが反乱とか、脱走とか起こしたら大変なことになる
だから、あえて不満を口にして
反感持ってる奴を囲い込んで軽率な行動にでないように
纏め上げ、監視していた
魏延の実直さを知っている孔明は魏延が裏切らないと
信じているから安心できる
まさに信頼関係がなせる組織運営!!!
見たいな妄想をしている俺

193 :
いくら妄想でもそれはないだろう
諸葛亮が陣歿した後、魏延は自身が三軍の司令官として遠征を続行すべきと
主張している
たとえ楊儀や費イらの処置に憤激した事も影響しているにしろ、いまだ敵地で
指揮系統に混乱を生じさせ、将卒の動揺や、まかり間違えば魏軍に
つけいる隙を与えてしまう様なまねは慎むべきはず
史料を都合よく曲解したり都合の悪い点は見ないふりをしたり、
こういうマネをやらかすから歪んだ魏延好きって叩かれやすいんだと思う

194 :
>>193
歴史小説楽しめないタイプだなぁw
妄想だって言ってんだからエロ同人と
同じ感覚で聞いてくれよ
正史だって「今のところ一番可能性の高い」妄想なんだから
十年後今の解釈が正しいかどうかわからないんだしさ

195 :
エロ同人とか気持ち悪…
その類の輩かよ

196 :
>>194
ここはエロ同人スレじゃないんで

197 :
>>194
何十年経っても「正史」の文字は書き換わったりしないよ

198 :
>>189
まさにそうかもしれない、とおれも思うな。
魏延のウリは戦場での武勇であって、国家の大戦略を立て、その中で自分の立ち位置をわきまえてと
いうタイプには見えないなあ。まあ、こういう言い方も?? かもしれんだろうけど、多分敵側からすれば
「魏延の武勇は決して侮ってはいけないが、それは上級司令部の厳しい統制下にあってこそ威力を発揮するもの。
 蜀に魏延を統御できる者がいなくなれば、おのずと暴走して自滅するだろう」という読みがあったのかもね。

199 :
>>194
>正史だって「今のところ一番可能性の高い」妄想なんだから
正史ってそういう意味じゃないぞ。
国家が「正統」と認めた歴史書ってだけだ(唐以降は国家自身が公に編纂した歴史書)

200 :
魏延擁護者の理解レベルはその程度って事じゃないの?

201 :
「魏延には非は無い」ということにしようとすると
どうしても矛盾だらけになってしまうって。
それより「言動には問題もあったけど戦場での活躍ぶりはまさに名将」と
非も認めた上で優れた点を褒める路線の方がいいと思うんだけどな

202 :
それならいいんだけどね
諸葛亮以上の軍才とか、子午谷から長安を衝いてれば遥かに多大な戦果を
あげていたとか、期待や想像が過大になるのはいかんよね…

203 :
歴史小説楽しめないタイプだなぁw

204 :
>>203は三文小説を楽しめるタイプだなぁ

205 :
ここは歴史小説の話をしてる場ではないよ
お家にお帰り

206 :
以前三戦板にあった魏延スレ
ここでいろいろ考察やら議論やらがあって興味深かった
蜀、随一の名将は魏延
ttp://mimizun.com/log/2ch/warhis/1216844112

207 :
そこはまともな考察してる人達は大概魏延の行いに否定的だからなあ
擁護する人は無理矢理魏延は悪くないと非は認めないし
平行線が多かった気がする

208 :
傾奇者

209 :
どうにもわからないのは、なぜ>>1はwikiを持ち出して
魏延は演義の被害者の一人なんぞとぬかしてるのかな。
履歴を見ても、書いてる内容は今も当時もたいして変わってない。

210 :
それは自分も疑問に思う。
ただ、今は消えているが以前は魏延の項目に
「反面、日本での魏延は自分を重用してくれた劉備に対し忠義を貫いていたものの、
諸葛亮ら文官と反りが合わなかったために、
最後は冤罪で殺されてしまった悲劇の将として描かれることも多い。 」
と書かれてあったから(最近中英wikiスレの住人が消したっぽい)
そのせいか?

211 :
それ、その以前には
>悲劇の将として描かれること「が」多い。
だったんだぜ。明らかに思い入れのある人が書いた一文だったよな。

212 :
魏延擁護は「孔明非情無能の人説」につながる部分があるから、それでこのスレみたいに荒れるんだろうな。

213 :
なんか魏延オタは異常なくらい孔明を憎んでる感じを受ける
「魏延の墓は孔明信者どもに壊されたんだ」なんて言ってるヤツもいたし
>>56とかそこまで言うか…と驚いた

214 :
>>210
「私利私欲の謀反に失敗した挙句命惜しさに魏に投降しようと画策」
そして↓の決定的な瞬間↓
「魏に投降されると拙いと考えた馬岱により蜀を乗っ取りましょうと言われ
 て蜀を乗っ取るべく成都に進撃」
どうみても劉備の恩を仇で返してやがるようにしか思えねえんだけど

215 :
公孫サンとかもそうだがWikiは自爆気味の武官をかばう傾向があるな

216 :
>>214
アンカー間違えてるぞ
210はwikipediaの話をしている。君は演義の話をしている。

217 :
魏延が悲劇の名将として描かれる日本の作品ってどれよ

218 :
そんなの見当たらないから削除された

219 :
正史準拠と銘打ってる北方三国志だと魏延は善良な人格の名将で
やはり孔明の個人的嫌悪感情で魏延を冷遇して孔明が趙雲に怒られる
他はよく知らないけど魏延が善人に描かれている作品は多いみたいだね
こういうの見ると「魏延=善 孔明=悪」という認識になりやすいのかもしれない

220 :
ライト層が多そうな場所で
「正史の魏延を知って感動しました、忠臣ですね!」「正史魏延の最後がかっこよくて惚れた」
ってのをよくみかけて、正史で感動?かっこいい?とずっと疑問に思ってたんだが、
ニコニコで
魏延には一切の非はなく、楊儀・費禕・孔明に陥れられたが魏延はそれを知りながらあえて
亡き劉備と蜀のために自己犠牲的に馬岱の手にかかる、という話の動画が人気あるみたい。
たしかに、動画内容の作りが、知らない人にはこれが正史であると誤解を招く作りだったから、
もしかしてこれを見たのかなと思ったりもする

221 :
>>219
それは初めて聞いた
まあ最近の「正史準拠」ほど当てにならないキャッチコピーはないからね
作者ではなく編集部や出版社が売るために作ったキャッチコピーだろうけど
単に演義的なキャラ作りをしてないってだけで、演義のほうがよっぽど史書に近いとかいうのが

222 :
北方三国志って単なるハードボイルド小説に過ぎない感じ
作者の好悪がモロに出まくりで、史料を精査できてもいなければ
読み込んでもない
おかげで歴史小説を読んでる気がまるでしないし、あれならわざわざ
正史準拠なんてうたう必要がどこにあったんだろうかと

223 :
北方自身が「現代を背景にハードボイルドをやるのに限界を感じた」と言ってるから
歴史物ならリアリティが程良く誤魔化されて書きやすいという辺りが転向の動機らしい。
しかも南北朝→三国志→水滸伝と、どんどん勉強不足になってる。
北方三国志、逃げの産物なんかな。

224 :
北方の魏延も別に善良な人格じゃないと思うぞw
他の史実準拠っぽいやつも欠点はちゃんと描いてる
悲劇の名将とかってどの作品だよ

225 :
>>220
いやまあ、今は「演義とは違う三国志」みたいな入門書も出てるし、
似たような解説してるサイトは沢山あるから、その動画一つの影響ってことはないと思うよ

226 :
三国志入門の解説書でそんな事が書かれてるのか…

227 :
「三時間でわかる三国志」の類の本に
「曹操は死んだ関羽を荊州の王として封じた」みたいな事が書いてあった
学問的な正確さが要求される本じゃないにせよ、
三国志に興味を持ち始めたぐらいの人達に入口で地雷を踏ませるのは
著述業の態度としてどうなんよと思った
まあ、とにかく入門書にはそういうのもある

228 :
多少の偏りはあるにせよ「図解雑学」以外にまともな入門書をみかけた憶えがない

229 :
ホントに正史を読みこんだ人間は魏延無罪の擁護なんてしないからなあ
入門書で「正史では悲劇の〜」なんて読んで勘違いするんだろうな
実際魏延が他の将より特に忠義って話しもないし

230 :
「俺に任せてくれりゃあ長安なんて一発で落としてみせるのによ
丞相も見る目ねえなー…まったく」
そんな自信家でプライドが高い魏延が大好きです
単純馬鹿で骨の髄まで武将って感じ

231 :
丞相は大事な魏延を死なせたくなかったんだよ

232 :
孔明が総大将じゃないくて、
ゴイを総大将、参謀リゲン、実質的な大将魏延という布陣の可能性はなかったんかね?

233 :
その布陣だと総大将は李厳だが、5万以上の大軍の将兵が
その三人に従って迅速に命令を実行するのかという問題が

234 :
実際問題として、魏延の短所をおさえ、長所を引き出せるのは、
劉備と諸葛亮しかいないわけだな。

235 :
だな

236 :
俺の周りでは魏延を一番好きだという奴は三国志通、扱いされる。

237 :


238 :
蜀の誇る五虎将
張飛・関羽・趙雲・馬超・黄忠
蜀の埃る五虚将
魏延・孟達・傅士仁・麋芳・黄皓

239 :
さすがにそれらと並べるのは…。
人格に問題あるが一軍の将としては十分優秀。
それに政敵である楊儀を殺そうとする事自体はそこまで問題だとは思っていない
だがその方法が馬鹿すぎた
やるならもっと上手くやれよ

240 :


241 :
士仁じゃないのはまだいいとして、黄皓が将かよ

242 :
その中で能力的に魏延に対抗できそうなのは孟達くらいだろ

243 :
10〜20年前ならまだしも、今どき魏延賛美&孔明批判なんて、
「僕は入門書を数ページ眺めただけで全部理解したつもりでいる、
 知ったかぶりの馬鹿なんです。」って自己アピールする行為以外のなんなんだよ。

244 :
     ∧_∧
    <丶`∀´>     ∧_∧
    /     \   (    ) お前が言うな!
.__| |    .| |_ /      ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   / .|   | |
||\..∧_∧    (⌒\|__./ ./
||.  (    )     ~\_____ノ|   ∧_∧
  /   ヽ 馬鹿か?     \|  (    )
  |     ヽ           \/     ヽ. 日本からさっさと出てけ
  |    |ヽ、二⌒)        / .|   | |
  .|    ヽ \∧_∧    (⌒\|__./ /


245 :
魏延厨は適切な叩きAAも選べないようだな

246 :
そこが魏延らしいw

247 :
支那人に嫌われているらしいので、いい人のような気がします

248 :
敵の敵は味方
か?

249 :
何かを貶めずに魏延を褒めるってのは出来ないもんなのか?

250 :
>>249
無理。チョンに捏造や責任転嫁をやめろっていうのより無理。

251 :
>>249
劉備に抜擢されるほど武将として見込みがあった
自信過剰で他者との折り合いが悪かった
だから「関羽に次ぐクラス」と言っとけばいいのでは

252 :
関羽は部下からは人気なイメージ
魏延は部下に当たり散らしてそうな…ん?張飛?

253 :
魏延が部下に当たり散らすような事はないだろう
王平の喝で兵が四散したのは魏延の罪に加担したくなかっただけ
でも同僚にはデカイ態度とってたみたいだけどね
でも一国の丞相に対し臆病者と罵れるってのはある意味凄いな
それで咎められた様子も無いし厚遇され続けてるし
どっか魏延ならそれくらい言っても許されるみたいな雰囲気があったんじゃないだろうか

254 :
魏延のことは好きだが孔明が叩かれるのはおかしい

255 :
>>253
諸大将軍級の高官で宿将だからね
李厳失脚と車騎将軍劉エン死後なら、名前の知られる限り、
蜀漢全体でも序列第二位。

256 :
それほどまでに偉くても、孔明死後ほとんどが孔明の遺言に従って、
成り行きでしょーがなく従った僅かの兵も王平の叱責で霧散してしまう、
素晴らしい人望をお持ちの魏延様でした、ってかwww
ニコニコのhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3871569では、記述にないって事で
柳隠や傅僉あたりが魏延を慕ってたって上手い事やってるけどなw
まあ演義でも、当時の関羽様大好きな風潮に迎合して
周倉なんて犬を作ってるし、目糞鼻糞だなwwwww

257 :
いくらなんでも武官の魏延が宰相である諸葛亮より権威があるなんて思うやつはいないだろ…
いや、魏延は思ってたかもしれないけど
魏延が軍権を得るには、少なくともあの時点での命令違反はどう考えても駄目だが
ではその後なら可能だろうか
蒋琬の胸の内にもよるだろうな
楊儀は失墜させられたが…

258 :
劉備存命で関張がツートップ、諸葛亮は一段下っていう時代を知ってたから
魏延はなんとなく力関係を誤解しちゃってたのかもしれんね

259 :
実は張飛健在時から諸葛亮が丞相になってるから、地位は諸葛亮>張飛になってたけどね

260 :
というか漢中王推薦の上言の時既に諸葛亮>関羽>張飛
だけどね

261 :
そりゃそうだけど、地位や実際の権限とは別に一目おかれるような立場ってあるじゃん
関羽張飛はかなり初期から劉備に付き従ってるし「死ぬ時は一緒と誓った仲」とまで言ってる
劉備の配下という点では関羽張飛と糜竺(最も寵愛を受けたらしい)はやはり特別な感じがするね

262 :
>>261
それでいくと後から出てきてて魏延と支配下登録された時期は変わらないのに関張とほぼ同格の地位にいる諸葛亮の凄さがよけいに際立つな

263 :
>>261
その点では関張らは特別の存在だが、
魏延は諸葛亮より遅く劉備に従軍して、その当初から諸葛亮よりかなり格下の人間だぞ。
そのとき既に諸葛亮は軍師中郎将で、劉備軍団の序列第二グループに位置する。
諸葛亮の上には関羽・張飛・趙雲の三人の将軍と偏将軍黄忠(他にもいたかもしれないが)の
数名しか存在しない。
そんな後発からのし上がった魏延もすごいが、諸葛亮との力関係は誤解しようもないよ。

264 :
今月の文芸春秋の宮城谷三国志は魏延ファン必見ですぜ
曹仁、張遼、関羽亡き今、陸上の武力においてはもしかしたら最強かもしれないと宮城谷氏が評する猛勇っぷり
劉備の意思をつごうとする高潔な志
諸葛亮、司馬懿の両将を凡将と蔑む傲慢っぷりw
割かれてる分量は少ないが魏延の魅力がいかんなく発揮されている

265 :
まあ宮城谷ならそうなるだろうな

266 :
良い感じで描かれてそうだ

267 :
>>264
劉備の評価としては魏延>張飛だったという風にも書かれてたね

268 :
遠方に駐屯させる将としては魏延の方が向いているとは考えていたんだろうな。
士卒をよく養成し、というように、関羽に似ている。
張飛は戦術能力が高く短期の派遣には最適だが
長期遠方を任せるのは危なっかしいというタイプだったのだろう。

269 :
適正の違いや役割の違いってだけで有能か否かって話じゃないはずなのに
少ない情報で安易に能力的な上下を決めてしまう人って評論家(気取りを含める)に多いね

270 :
「反骨だから斬れ」発言や焼殺未遂があったから謀叛したんじゃなくて元々
謀叛の気があったから孔明は除こうとしただけだと思う
斬れ発言や焼殺未遂が無くても時期が違うだけでいずれ魏延の謀叛は起こる
と思う(もしかすると孔明を嘗めて謀叛の時期が早まったかも知れんし)

271 :
謀叛の気があったなんてなんで分かるんだ?
元々あの二人の対立を遡れば、
最初に魏延が韓玄を斬って劉備・黄忠を助けた時に、孔明が魏延を処刑しようと劉備に進言したのがはじまり。
それまでも魏延は荊州で蔡瑁から劉備を助けようとして荊州を追われる、劉備へ尽くす人物として書かれている
この時点で魏延には劉備への忠義を示すエピソードはあれど反骨を示すような点は全くない。
魏延に対して反骨反骨って言ってるのって孔明だけなんだよな、でも当の魏延にはそれらしき描写はない。それどころか活躍してる。
これはやっぱり孔明の方がおかしいとしか思えない

272 :
>謀叛の気があったなんてなんで分かるんだ?
相に出ているから。
占術に秀でた者が言えば、これは絶対的な予言。

カラクリ的なことを言えば、諸葛亮は、
「史実」において魏延が自分の死後に暴走し、謀反の罪を着せられて死ぬことを「知って」いる。
だから魏延の武力を必要としつつも、信用はしていないし、
自分の死を予感すると手を打てるうちに打とうとし、
それが失敗したので暴走のダメージを最小限に抑える策を楊儀と馬岱に遺言する。
その結果、魏延の暴走は蜀に大きなダメージを与えることなく終結する。
というわけ。

273 :
>相に出ているから。
>占術に秀でた者が言えば、これは絶対的な予言。
演義が作られた当時は知らないが現代では受け入れがたい価値観だよね
実際今じゃ孔明の方が悪いと言われて魏延に同情が寄せられてるし悲劇の英雄とも言われてる
演義のスレじゃ孔明が一方的に叩かれてばっか

274 :
ベジータもそうだし、やっぱ反骨の相ってあるんだよ

275 :
>>273
今の価値観で〜云々と言われてても、
もともとの演義はそういうのが有る世界観なんだから。妖術とかもね。
吉川とか現代アレンジ版はそこらへんに科学的(?)な解釈を加えてるけど。

つーか元々、劉表のところにいたときと、長沙にいたとき、二回裏切った前科も有るんだが。
十分裏切りやすい人物だろうに。

276 :
魏延 → 朝青龍
楊儀 → 舞の海
馬岱 → 白鵬
孔明 → 貴乃花

277 :
>>275
劉備とかどうなんだろ

278 :
曹操を一回裏切って徐州取ってるね

279 :
劉備は曹操の部下じゃない。そして漢室は裏切ってない。
演義劉備が道徳的に責められる裏切りって益州入りくらいじゃないか。

280 :
>>275
その二回の裏切りはふたつとも劉備と黄忠のためだし相手の方が悪いって描写されてるからな
魏延は劉備に対しては忠実なんだよな
だから、もし孔明に劉備ほどの徳があれば魏延の反骨を抑えることも出来たんじゃないかと思ってしまう
やはりこういった物語で「徳」というのは最強の力を持つもんだ
孟達はおkなのに魏延はダメって、孔明の反骨認定イミフ

281 :
その二つは完全に演義の独創なんだから、その意図するところは
魏延と裏切りを暗示させるエピソードなのは明白だろ。
そもそも「劉備に忠実」って言うけど、劉備時代にも抜け駆けやってるよ、魏延は。
諸葛亮の反骨認定なんかと無関係に、魏延のやや猪突猛進、傲慢なキャラクタはずっと描かれてる。
というかあなたの視点が良く分からない。
反骨認定は純粋に占いとして魏延が反骨の相なんだから仕方ないだろ。

282 :
でも、こうして反骨という理由付けがされただけでも、魏延はまだ救われている気がする
史実なんて目も当てられん暴走自滅だからなあ

283 :
ぶっちゃけ演義の魏延に対する諸葛亮のエピソードって、諸葛亮を貶めてるよな

284 :
何でもお見通しのスーパー軍師演出したかったんだろうけど
贔屓の引き倒しかもね

285 :
>>283
そのおかげで今孔明アンチが大量発生して
魏延に同情集まってファンも増えてんだからいいんじゃないのー?
痛い魏延ファンも大量発生してるが

286 :
何やかんや言っても司馬遼の三国志読みたかったなぁ

287 :
魏延が主役?

288 :
司馬遼太郎は晩年に曹氏主役の三国志の草稿作ってたと
陳舜臣が言ってた

289 :
>>286
興亡三国志by三好徹
魏延の事はあまり描かれていないけどね。

290 :
「別冊歴史読本 三国志群雄 野望のデータ」(新人物往来社)より
・馬岱 戦闘力=8
「馬岱は孔明の遺命通り魏延の謀叛に同調する振りをした。そこに楊儀軍の何平が現れ、
 「愚かな逆賊に加担した兵士達に告げる。帰順して恩賞を待て。」といった。これを聞いた
 兵士達は次々と魏延を見捨てて逃亡したが、馬岱の隊だけは動かなかった。魏延はこともあ
 ろうに命惜しさから保身の為に先帝劉備の仇敵・魏に降ろうかと言ったが馬岱は魏延に「ま
 ず漢中を攻略し、それから蜀を乗っ取って皇帝になろうではないか。」と言った。
「孔明没後に魏延が謀叛を企んだが、その魏延をただの一撃で両断してしまった。」
諸葛亮 洞察力=10
「長沙で降伏した魏延を叛骨の相が有ったので処断しようとしたが、劉備に止められた。
 だが孔明は信じて信じず、いささかも気を緩めなかった。はたして孔明が陣没すると、
 魏延は堂々と謀叛を起こしたが、ただちに処断された。」
楊儀 義理=7
「劉備に取り立てられた楊儀である。孔明の遺志にも忠実であったし、不遇に関して不満
 をもらしても、蜀を裏切る行為はなんらしていない。それだけに費禕が密奏するがごとき
 姑息な手段を用いることができなければ義理は完全に果たしたに違いない。

291 :
長安強襲策の出典が魏側の資料であること
魏延の人格の危うさは陳寿や蒋エン、同じ戦場にいた王平も認めていること
孔明は実際に魏延を冷遇していたかどうか
魏延名将論者はこの牙城をどう崩すかにかかってる

292 :
×魏延名将論者はこの牙城をどう崩すかにかかってる
○魏延を完全に非の無い悲劇の英雄にするために関わった奴に責任転嫁する
史料否定も正当化も確かな根拠があればいいけど、
魏延オタは根拠ゼロで推測に推測重ねるからな
正史をそのまま読んでそのまま受け取っても
魏延が名将なのは明白だろ
欠点さえ受け入れられないから魏延オタはキモイ印象がある

293 :
名将というより劣化呂布な裏切り武力馬鹿って感じだな

294 :
勇将だと思うが名将とは思わないな
郭淮 費曜破った戦いだって偶然鉢合わせて戦ったって感じだろ?
まあ注目するのはその前の行軍の速さらしいけど

295 :
羌中というのは史記の注などでは隴西郡臨トウ縣の辺りとされる。
武都郡と陽平郡の境界から北上してトウ水と接触する辺りで、
のちの姜維の主戦場に近い。
魏の雍州刺史と後将軍という高官がこんな辺境まで進出している時点で
国境争奪戦以外に考えられない。
魏延を日本語での名将とも別に思わないが。
この時代の名将というのは「敵国などにも名が知られた将」というくらいの意味のようだけど。

296 :
勇将=実力
名将=名声
ってイメージなのか?

297 :
魏延の場合はさしずめ猛(妄)将

298 :
勇将はそのまま「勇猛な将」だろう

299 :
陰平、武都攻略後に涼州へ長躯してる魏延様万歳!
陽谿の会戦って、話題にならないような・・・

300 :
個人的に魏延は権力を握れなかった姜維といった印象
魏延が諸葛亮死後に生きていたら姜維のように暴走して国を疲弊させてただろう

301 :
劉備一派が入ってきた時点で、益州やら荊州やらにとっては疲弊させられていく未来しかなかったと思うけどね。
誰がやってもw

302 :
法正、孟達、張松らが早死にしちゃったからねぇ><
評判ほど蜀に人材がいなかったのも一因な気がするのだが

303 :
tp://www.narinari.com/mobile/news_co.php?view=2007-04-7290&p=0
増長した董卓・呂布・魏延などの裏切り者がたどった末路
tp://sengoku.choice-and-order.com/02/03.shtml
馬岱は魏延と反乱を起こします…魏延が魏に降らないように
tp://www.accessup.org/jgame/7_Sangokushi_202/
呂布や魏延・糜芳など寝返り・謀反で有名な方々は忠誠度100でも寝返るほどです
tp://kanshigyoku.client.jp/jin-syoku7.htm
漢中を征圧し、蜀を滅ぼそうと目論むが、
tp://ameblo.jp/shiro13-1/entry-10183186544.html
単なる裏切り、魏延ごとき反骨だけの人物
tp://www001.upp.so-net.ne.jp/eiyutan-3594/karuta/efudassa.htm
魏に投降しようという魏延に対し
tp://www3.ocn.ne.jp/~kinnoji/batai.htm
魏延は馬岱に「魏に投降すべきだろうか?」というと
tp://www2.plala.or.jp/NA-YO/zijishaojiepeji.html
魏延の裏切りっぷりはものすごいものがあった。
1回の戦いで10回近く裏切ったからね。実際にあんな武将がいたんじゃ困ってしまうぜ!
tp://6551.teacup.com/orif/bbs/455
魏延は名将及び能力のある人物とは思えません
tp://seraphim.blogtribe.org/entry-f436ab54e4c542bc50762e91dcb08ba0.html
そして実際諸葛亮の死後魏延は蜀を裏切り魏に下ろうとし、(中略)
その時魏延が自分の武に驕り、(中略)
馬岱は悪人魏延の配下に降格させられると言う(しかも蜀の他の武将には誰もそうだとは知
らされていない。誰もが馬岱が本当に魏延の部下に降格させられたのだと思っていた)
屈辱よりも蜀への忠誠を優先させ、最後に魏延を斬って諸葛亮の最後の命令を遂行する。
西涼の武将に共通するのだろうか、義に厚い武将が西涼には多いように思う。

304 :
アニメ横山三国志や人形劇では呂布の最期が悪党にふさわしい見苦しいもの
ではなく美化された最期になっていた(なんと人形劇では魏延の最期はかか
れてない)
テレ東の三国演義はこういった改悪ではなく魏延の最期を美化することなく
きちんと史実に忠実に描写すべきだ

305 :
史実はただの自爆だけど
演義では孔明が魏延を虐げてるように描かれてるから魏延に同情が集まることも多いんだよな
昔の中国中央電視台のドラマ三国演義でも
孔明が無意味に魏延に辛くあたって虐げる描写が何度かあって魏延が辛そうにしていた
陳式が魏延に全ての罪をなすりつけるセリフもあるし、
少なくともそのドラマでは「薄幸の英雄」ってキャラ立ちだったな

306 :
魏延は犠牲になったのだ・・・孔明の犠牲にな・・・・
特に最後の方、どう見ても魏延への嫌がらせレベル
最後の反乱(?)も
魏延が蜀を制圧する、俺が皇帝だ!とかしてる訳でもないし
実質反乱でもないよなあれ、知らない人だと
単に魏延が悪い事をして危険だから処罰されたように見えるけど・・
劉備への忠誠心も高く高評価され
色々な目にあっても最後まで蜀に仕えた名将だろ
孔明、おまえチートレベルの軍師なら
もう少し上手くやれよ・・・
最初から最後まで魏延警戒し過ぎな上に批判し過ぎ
最初のあの黄忠と一緒に仲間になった時
一方的な論理で殺そうとした時からもうね・・・

307 :
はいはい

308 :
>>306
蜀漢の帝紀たる後主伝では「権力争い」の扱いだから
蜀漢王朝としても一方的な反乱とは思っていなかっただろうな
ただ孤立していたから自滅したのは仕方ない
肝心の劉備がとっくに死んでいたにもかかわらず
劉備にしか忠誠心を見出せなかったのが失敗だろう
「云何以一人死廢天下之事邪?」なんて
本来蜀漢史上有数の名言だと思うけどねぇ
(234年以降の魏延じゃどうやっても成功できないけどね)

309 :
>308
>云何以一人死廢天下之事邪
王平が魏延の兵に向かってした一喝と良い対比だな

310 :
あげ

311 :
>>309
魏延が「状況を読めなかった」のが問題なのか
それとも「空気を読めなかった」のが問題なのか
(要するに蜀漢そのものが「諸葛亮が絶対」という価値観に支配され
劉備しか見ていなかった魏延がそれに気付かなかったということだけど)
もともと蜀漢の大義はあくまでも「漢(劉氏王朝)の復興」であって
決して「諸葛亮の理想」なんかではない
蜀漢が中興の祖とする劉備が死んでなお北伐を行っていた以上
一部下に過ぎない諸葛亮が死んだくらいで北伐を止める道義はあり得ない
だからそういう意味「だけで見れば」魏延は正しい
(もちろん総司令官=最高権力者が最前線で死亡するという状況で
そのまま北伐継続が可能だったかと言えばそりゃ難しいだろうし
そもそも234年の戦況が蜀漢に有利だったかどうかも判らないけど)

312 :
いや魏延は普通に蜀漢王朝の臣としての自負で動いているだろう。
だからこそ「丞相一人が死んだくらいでなんだってんだ!」と言ったわけだから。

313 :
権力争いの中で死んだまでで、空気読めなかったとかじゃないだろう。

314 :
>>312,>>313
いやもちろん「魏延の意識」としてはその通りだろうし
ただの権力争いだった可能性も高いだろう
ただ楊儀(は劉備時代にも抜擢されているけど)や王平、蒋琬、董允等は
劉備よりもむしろ諸葛亮によって抜擢、重用された者だから
彼等にとっては「漢の大義」よりも
「諸葛亮の理想」の方が大事だったのではないかと疑っているのだが
(さすがに自分でも考えすぎじゃないかとは思うが)

315 :
はいはい諸葛亮が悪い諸葛亮が悪い
みんな魏延の味方だよ

316 :
その諸葛亮は魏延の味方なんだけどな。
態度からして、普通に不敬で首飛ばされてもおかしくないのに、他人の非難から庇ってやるぐらいだ。
その諸葛亮が死亡し、遺言(本物であれ捏造であれ)が作られて、諸将が認めた時点で、もう魏延は詰んでる。
魏延の思惑通りに言ったとしても、その後は上手くいかないだろうけどな。
楊戯に勝利したとして、魏延の思惑がどうあれ、単なる軍官に留まるわけがない。
高位の将軍として、国を切り盛りしなければならなくなる。漢中太守という実績もあるしな。
が、魏延の根回しの不足、調整能力の欠如は明らかだ。
蒋エン(事実上の失脚)、費イ(姜維らとの対立)ですら失敗したのに、魏延が継いだら空中分解しちまうだろ。
大体、魏延が劉備の忠臣扱いになってるのも胡散臭い。
劉備抜擢組の馬忠、張嶷や、劉備と縁戚関係の呉班すら、魏延に従ってないんだから、
忠誠云々ではなく、権力闘争による単なる暴走と見ていいんじゃないか。
大体、魏延信者が対立軸に置く諸葛亮は、劉備の忠臣の筆頭だろ。
同じく劉禅を任されておきながら、簒奪を暗に進める李厳と比べれば一目瞭然。
その時の対応や、出師の表での劉備への追慕を無視して、
『諸葛亮の理想』を『漢の大義(というか劉備の威光)』と相反する位置づけにするのは無理だよ。

317 :
君主が暗愚だったから群臣の競争や暗躍が顕著になる。

318 :
>>316
前半については同意
(「不敬」には該当しないだろうが)
魏延に務まるのはせいぜい一司令官までだろう
ただ魏延が劉備の忠臣であったということと
諸葛亮が劉備の忠臣であったということは別に矛盾しないし
二人とも死ぬまで劉備の忠臣であったと思うよ
だって両者が対立したのは「北伐の是非」といった国策の話ではなく
「北伐の戦法」という手段のことでしかないのだから
呉班だって同じ「劉備の忠臣」だからって魏延に従う理由にはならないだろう
(馬忠、張嶷は当時南中にいたから関係ない)
あと「漢の大義」と「諸葛亮の理想」を別のものとして出したのは
楊儀らにはそう見えてたのではないかと言っているだけであって
諸葛亮本人がそう考えていたとは一言も言ってないぞ

319 :
>>318
調べ直したら、馬忠、張嶷は、もう北伐に関わってる形跡がないな。
こちらの勘違いだ。北伐に参戦したのとごっちゃになってた。すまない。
魏延が忠臣だという事に関しては、それが疑う余地、とされているのに反感があるんだ。
国家の重鎮が、丞相を非難する(行動の是非ではなく、人格に対して)っていうのは、
軽率と言っても仕方が無いと思うよ。
魏延の行動はお世辞にも理性的とは言えないし、劉備への忠義を言い訳に出来るものでもない。
忠臣、という言い方が妙に魏延を持ち上げている気がする。
魏延が忠臣なら、他の連中だって忠臣だろう。なんだって魏延だけ忠臣扱いで持ち上げようとするんだってね。
嫌な味方をすれば、ずっと憚られているのを勘違いした猿山のボスじゃないか。
自身の能力に対する自負が、何故劉備への忠義という理由で糊塗され、美談にされるのか、理解に苦しむんだ。
正直なところ、魏延には司令官すら務まるのか疑問がある。
記述から窺える戦術レベルでの有能さに対して、戦略レベルの考えが稚拙すぎる。
長安強襲案とか、冷静に考えればギャグとしか思えん代物だ。
性格からしても、誰かに使われている間が一番才覚を発揮できるタイプだと思う。
楊儀らには諸葛亮の理想と漢の大義の二つが別物に見えていた説は、否定も肯定も出来ないな。
ただ、創成期からだんだんと国のあり方が以降してくるのは、蜀に限らずよくある事なんで、魏延の件と絡めるにはちと微妙。
とりあえず、漢の後継という大義はブレていないしね。

320 :
訂正
魏延が忠臣だという事に関しては、それが疑う余地、とされているのに反感があるんだ。
                  ↓
魏延が忠臣だという事に関しては、それが疑う余地が無い、とされているのに反感があるんだ

321 :
>長安強襲案
蜀につてがあるかも怪しい魏人の記述は気にせんでよし

322 :
正史に従っても、潼関で合流するつもりだったとあるので、
さらに勝算がない事になるんだけど……

323 :
>>318
誰も魏延の「行動」が正しかったとは言っていないと思うけど
魏延が「劉備に対して」忠臣であったことを疑う理由はないでしょ
(記録上彼が問題を起こしたのは諸葛亮時代以降の話だから)
それに魏延が忠臣かどうかということがわざわざ言及されているのは
彼が「反逆者」扱いされていることに対する反論だから
最初から忠臣として扱われている諸葛亮らとはそもそも立場が違う
確かに魏延が諸葛亮を「怯」と公言したことは誉められることではない
でも魏延は五丈原の撤退以外に諸葛亮の命令に逆らったことはない
(これすら本当だったかどうか疑問視されている
というか魏軍から見て蜀軍の撤退が大過なく行われたことを考えれば
魏略にある魏延主導の撤退が正しい可能性すらあると思う
だって他の説だと五丈原の蜀軍内で混乱が起きないはずがないから)
長安強襲案なんてギャグ扱いされているどころか
むしろ「北伐の数少ない可能性」として扱われている
(だから王夫之のように「北伐は魏を滅ぼすためではない」という主張が出てくるのだし
逆の面で魏延が再評価されているのだろう
もちろん魏延の力で実行できるかどうかは全くの別問題だけど)

324 :
>>321
亡命者は言うまでもなく
交戦している以上降伏者や捕虜は当然発生するだろうから
彼等の証言で「正しい」敵国の情報が伝わっている可能性はあるでしょ

325 :
>>323
俺の考える忠臣、というのは、人物、国家に対する無私、
もしくは忠義を窺わせるエピソードのある人物、という考え方なんだ。
そうでなければ、裏切っていない=忠臣になる。ちょいと短絡的過ぎないか。
それに、魏延は忠義というよりは、自身への自負から暴走したように見えるんだ。
漢中太守任命時の抱負からも、彼の己の能力への自信が窺えるし。
それが、国家を左右する作戦に口を挟める程になって、暴走していった、と見る。
少なくとも、諸葛亮に対する反感を窺わせるエピソードはあっても、
劉備への忠義を窺わせるエピソードは無い。
劉備を裏切らなかった事、劉備に刃向かわなかった事を理由に忠臣に位置づけるならば、
魏延は間違いなく忠臣なのだろうけど、そうすると、その他大勢の忠臣が増えすぎる。
撤退に関しては、
諸葛亮の遺言から楊儀らを臨時の指導者として諸将が認めて撤退。
その上、魏延が全軍の撤退に関して、橋を焼いて阻害するという妨害工作を行ったという記述があるのに、
なぜ魏延主導という考えが出るのか、理解に苦しむ。
実際に、魏延の行動のお陰で混乱しているわけだしね。
魏延案の是非については、長文になるので、他人様のサイトだが、こちらを参考にしてほしい。
こっちが主張するより分かりやすく纏められてるしね。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/antoine_henri_jomini/35318621.html
魏延案については、魏略を信用しないパターンでも、潼関で合流するつもりだったというのがアウト。
長安を何とかして潼関も何とかするつもりですかと。何処に勝算があるのか分からない。

326 :
>>325
忠臣の意味は「主君に忠実な家来」だから
劉備に対する忠臣がたくさんいたって何の問題もないし
後に問題を起こしたからと言って忠臣であったことまで否定することはない
魏延にそれだけの自負を持たせたのは劉備なのだから
劉備に対する忠義はあったとしていいだろう
撤退に関してあなたが魏延伝(通説)を正しいとするのは結構だけど
私は魏略が正しかったかもしれないと言っているだけなのに
他人が他説を出すこと自体を「理解に苦しむ」というのはどうよ
(晋書宣帝紀によれば司馬懿は撤退する蜀軍を追撃した時点ではなく
その後蜀軍の陣営跡を見た時点で諸葛亮が死んだと判断しているし
蜀軍が五丈原に文書等を放置した理由を諸葛亮の死に求めている
魏軍の司令官の記事だから「魏軍から見て」といっていいだろう)
魏延案の再評価については多くの本では「議論されてきた」としかなく
管見の限りでは張大可氏くらいしか見つけられなかったけど
私は「ギャグ扱い」に対して反論しているだけだからこれで十分でしょ
(さすがにJominian氏はよく考察されているけど)

327 :
>>326
こっちは魏延が自尊心から来る暴走でやらかしたと見るから、どうしても評価が辛くなるんだよね。
同じく自尊心が強い(と若い頃のエピソードから思われる)諸葛亮が、
劉備死後の国家にも無私の忠誠を尽くしたのとは対照的。
だから、どうしても忠臣という見方に不満が出る。とはいえ、そちらの見方も分かる。
魏延は不満を吐きつつも、指示には従ったわけだし(まあ、それも他の人間が普通に従っている事を考えれば、+要素にはならんが)
正直な話、撤退に関しては恣意的に魏略の件を採用したんじゃないか、と思える文だったから、少し攻撃的な文章になった。
いくらなんでも言いすぎだった。すまない。
ただ、前後の状況から見るに、魏延主導の撤退とは、どうしても思えない、というのはある。
蜀側の資料や、費イの行動の記録なんかを見るに、魏延主導の撤退には思えない。
というか、主導で撤退させてるのに、楊儀らにしてやられたのなら、魏延が間抜けすぎる。受け入れづらい。
やはり諸葛亮死亡による撤退に反発して、取り残されたという方がしっくり来る。
ギャグ扱いに対して反論、というのは、こちらが攻撃的過ぎた事から来るものかな。
魏延案に従っていれば北伐は成功していたと、無条件で設定する論が多いから、感情的になっていたのかもしれない。
とはいえ、正史、魏略どちらに従っても、成功の公算があまり見出せない案である以上、あまりいい評価は下せない。

328 :
>>319
驚いた。自分が前々から思っていた事とそっくりだ
同じ考えの人がいたんだな
特に「忠臣」の部分
何故いつも魏延ばかりが忠臣、忠臣と特別扱いなのか
ほんと疑問だった
正史にはとくに特別忠臣である事を示すエピソードもないのに
「劉備」と特定されてるのもよく分からない
とくにエピソードがないんだから劉備も劉禅も同じことだろう
「忠臣」「悲劇の英雄」は魏延を語る場でよく散見されるお決まりのワードだけど
だた単に史書には、有能だけど傲慢な武将が
撤退命令に逆らって楊儀に政争を仕掛け返り討ちにあったって書いているだけなのに
なぜ「忠臣」の「悲劇」なんて話になるのか

329 :
>>327
まぁ私の書き方もあまり良くなかったからお互い様ということで
魏延は「自爆」しただけで「反逆」はしていないというだけで
特筆する程の忠臣ではないとするあなたの考えは正しいと思う
撤退の件については諸葛亮の謀略説まで出てきている有様だから
まぁあり得なくはないという程度に取ってもらえれば
魏延案が支持されるのは「諸葛亮は失敗した」という史実があるから
魏が油断していた最初の時に奇襲したらうまくいったかもしれない
という意味で支持されているのだと思う
(他には案自体ないし)

330 :
そもそも忠臣=良臣ではないからな
臣下として本当に求められる像は社稷の臣なんだが、
仮に魏延が「劉備個人にのみ忠を尽くす臣」だとするなら、
たとえそれが劉備からみれば忠臣ではあっても、蜀という国家に
とっては害悪にもなりうるわけで

331 :
丁原=劉表
董卓=韓玄
呂布=魏延

332 :
そういえば魏延の小説が出てるな

333 :
地雷が多過ぎるPHPのだった気が

334 :
一般的に魏延といえば=裏切り者、になっていて、
それは違うだろ?と魏延ファンとしては大声で言いたいんです。
で、not裏切り者、に一番近い単語が”忠臣”なだけだと、私は思います。
正直、魏延を語る上で“忠義”が重要な単語とは、私には思えないんです。
劉備も孔明も、そんなものを持ち出す必要が無いほど、魏延を評価し、使ってくれてますから。

335 :
魏延は劉備に対してのみ忠臣、てのを熱心に主張する書き込みがあったけど、
たとえそれを周囲が認めたとして、それがどれほど魏延の名誉回復につながるの?
劉備さえよければ周りに迷惑かけようがどうでもいい魏延、
自分の子供さえよければ周りに迷惑かけようがどうでもいいモンスターペアレントと一緒じゃないか。

336 :
>>335
「反逆者」と「モンスターペアレント」では
名誉という点ではかなり違うと思うけどね
(馬鹿という意味ではたいした違いはないが)

337 :
>>335
個人的にはそういうの吐き気するけどな、結局それは自己愛だから。
でも日本人はそういうのが好きんなんだよ
「八百屋お七」なんて
恋した相手に会いたいがために放火しようとした
こんな話が美しい悲恋として扱われてるんだからな
>>336
劉備を溺愛する「モンスターペアレント」で
劉備以外の他の人間にとっては「反逆者」ってことになってしまうぞ

338 :
劉備に対して忠であった、ってのはそもそも演義のエピソードから生まれたイメージだけどな。

339 :
>>338
陳寿の時点で謀反ではないという考えはあったけどね

340 :
魏延は叛逆の罪で夷三族の刑を受け、蜀漢滅亡まで名誉が回復されることはなかった。
だから陳寿は「あくまで権力争いの末での敗死であり、皇帝・朝廷への叛逆の心があったわけではない(処分は不当に重い)」
と擁護しているのであって、魏延が正しいとか忠誠だとか言っているのではない。

341 :
>>339
今は劉備個人への忠誠心の話をしてるんです

342 :
すまん、なんか言葉が抜けてるな。
劉備に対して「だけは」忠であった、だった。
コーエーとかそれ以外の三国志系のファンブックに
襄陽で中から門開けようとしたり、韓玄を斬ったりとか、そこらへんがあるから
劉備にだけ忠義モノ、なんて感じのネタが有ったよなあ、と思い出してた。

343 :
>340 ショウエンが楊儀を失脚させて魏延の無念を晴らしたって伝承は有ったよね

344 :
魏延の罪を押し付けられて楊儀と諸葛亮はいつも悪者扱い
このふたりに同情するよ

345 :
>>343
陳寿の時点で? あったっけ?

346 :
>>328
つかさ、魏延の当時の立場を見る限り事実上ナンバー2、
諸葛亮亡き後なら魏延の指揮下に入るのが当然。
それなのに勝手に退却したからもめたんだろ。
そして魏延の指揮下に入るのが嫌だったから、諸葛亮が生前退却命令を出していたことにして、
命令違反とか言っているようにしかみえんのだが。

347 :
>>319
正面からせめても勝てない。これは諸葛亮が証明してしまった。
双方大軍を運用するのに向いてないし、進軍すればするほど状況は悪くなる。
長安は大都市周辺には要害も多いしまともに落とすのは蜀の国力では無理がある。
なら北伐をしないか、といったらこれは諸葛亮にはできない相談だ。
なら奇襲しかない。魏延案は別に鼻で笑われるような案ではない。

348 :
>>346
当然じゃないよ。
楊儀は丞相府の事務を統括しており、印綬と官属を抑えることで諸葛亮死後の執行権をそのまま引き継げる立場にあった。
加えて司馬・護軍という実務責任者の支持があった。
魏延は丞相府に席は持っていたが、本来的に外にいる将軍であり、
ナンバー2の高官といっても、丞相府の権限を介さなければ北伐全軍に命令する正当性を持たない。
だから費イは、魏延の意思に従う振りをして「楊長史を説得しましょう」と答えた。
楊儀と費イが魏延を欺いて彼の主張を無視したのは事実だろうが、だからと言って、魏延の側に諸葛亮の後を継ぐ正当性が
あったわけではない。

349 :
身分の高さとか正当性以前に、嫌われ者の上司には誰もついてこないって事だろ。
そんな魏延をホイホイ出世させた孔明、厄介事は嫌だとへりくだってた周りも責任はあるが、
偉くなればみんなついてくると勘違いし、自重するどころか傲慢に振舞った魏延は、
いい年して大人気ないと思わざるを得ない。しかも戦乱の世で、下が上に取って代わるなんて日常茶飯事なのに。
面識があったかどうかは定かではないが、同じ蜀にいた関羽や張飛の末路をなんとも思わなかったのだろうか。

350 :
史書に無い頭の中で作られたストーリーを当然のように話す魏延オタに何言っても無駄な気がする
まともな魏延ファンにも迷惑だな
ただ、費イはもっと違うやりようがあっただろとは思う
早急に事を運ばなければならなかったから焦ってたのかもしれんが

351 :
>>347
奇襲が悪いのではなく、そこに勝算が皆無なのが問題なんだよ。
魏延案の駄目さは>>325のリンク先を参照。
潼関で合流するのもどうやって? という感じで勝利の道筋が見えない。
正面から攻めても勝てないのは諸葛亮が証明した、というのも首を傾げる。
第一次北伐や第四次北伐は、なんだかんだで優位な状況は生み出せていた。
結果的に配下のミスで終わったのも同様だが、そこに勝算がない、というのはどういう事だろう。

352 :
>>350
あいつらは手始めに、コーエーの歴史ゲーとか無双あたりから入った新参者に
三国時代の名前や字(あざな)は…、一騎討ちは…、青龍偃月刀や蛇矛は…、とか
少なくとも間違いではない、当たり障りのない知識をひけらかしておいて信用させて、
そこから魏延にだけ都合のいい嘘や法螺を吹聴するんだよな。それで新参者は
「あれだけ三国志に詳しい人が言ってるんだから正しいんだろう」と鵜呑みにしちゃう。
幸いにも、俺や家族、友人は被害に遭ってないから詳しいやり口はわからんが、
詐欺やペテンと一緒だな。ネットで少し調べる程度ですぐに化けの皮が剥がれる、
騙したところで何のメリットもない、ちょっと考えればデメリットしかない意味不明な詐欺行為だが。

353 :
ここで被害妄想を語られても困る。
愚痴りたいだけならよそでやってくれ。

354 :
>>351
そのJominian氏は「史実での」魏軍の対応を基準として考察しているのだが
その史実では蜀は「揚聲由斜谷道取眉」と出発時点で行動を明らかにして動いている
(だから魏は諸葛亮本体の動きに気付かず陽動に引っかかったのだろう)
長安を奇襲することを前提とする魏延案でこんなことするはずがないのだから
「漢中の駐屯地を出発してから魏に察知されるまでの時間」も考慮すべきであって
それを無視して魏延の到達時間だけで考察してもあまり意味はない
(もちろん夏侯楙の逃亡を抜きにしても長安を落とせない可能性もあるけど
Jominian氏が魏延に有利な条件を無視しているのは事実だろう)

355 :
直從褒中出,循秦嶺而東,當子午而北,不過十日可到長安.
だから、子午谷に入って十日とかからず、という意味なんだろうな。

356 :
>>354
子午谷そのものも200km位だろうから十日では厳しいのは同じだろうけどね
(発言が本当なら威勢よく切り上げた数字なのだろう)
問題はどこで察知されるかだけど
1 沔陽又は南鄭出発時点:可能性は低い
史実での諸葛亮の動きを知らなかった魏側がこの時点で察知できる可能性は低いし
見付かっても5千人の部隊だから漢中東部の守備強化と思われる可能性がある
2 子午谷への入口:可能性半々?
子午谷全体が国境であって蜀側の入口にまで魏の部隊がいることはないだろうから
入口が魏(西城)が偵察できる位の状態なら見付かる可能性が高いし
蜀側(南郷)が完全に支配していたのなら見付からない可能性が高い
3 子午谷の中:ほぼ間違いなく見付かる
2と同じく魏側の入口まで蜀の勢力圏ということはないだろうから
余程間抜けでもない限り谷中のどこかに哨戒部隊はいただろう
その時点で長安に連絡が行くのは避けられない

357 :
ttp://maps.google.com/maps?f=d&source=s_d&saddr=107%E7%9C%81%E9%81%93&daddr=
33.671783,108.667145+to:210%E5%9B%BD%E9%81%93%2F210%E5%9C%8B%E9%81%93+to:210%
E5%9B%BD%E9%81%93%2F210%E5%9C%8B%E9%81%93&geocode=FdRKBwIdfFt8Bg%3B%3BFXIG_gEdqoN2Bg%3BFXPL-wEdrIhxBg&hl=ja&mra=dpe&mrcr=0&mrsp=1&sz=10&via=1,2&sll=33.517354,108.560028&sspn=0.790004,1.226349&ie=UTF8&ll=33.591743,107.731934&spn=3.157086,4.905396&t=h&z=8
(三行合わせてから飛んでくれ)
漢中盆地の端から山脈出口までで200キロだろう。隣に出来ている西漢高速を使えば現代なら100キロで済む。
勿論、道は現在よりはるかに悪かっただろうが。
漢中-長安間って直行できるなら意外なほど近いよ。

358 :
>>325
そのブログの管理人コメントで魏延ヲタにからまれてて同情した
これだから・・

359 :
>>358
ここで紹介されて見た奴なんじゃないのか

360 :
>>289
興亡三国志は好きだな
魏延脇キャラだけど

361 :
>>359の言い分がよくわからんが、
ここで紹介されて見た奴なら荒らしても許される、とでも言いたいのか?
それにしても、珍しく論理的に魏延擁護されてるのに、2週間近くほったらかしとはな。
やはり魏延オタクは、物事を調べたり客観的に考える事ができずに、
都合のよい我侭や妄想でギャアギャアわめきたてる事しかできないから、
この議論の流れについてこれなかったのか。

362 :
リンク張ったからここから凸した奴がいる、みたいな事言いたいんだろ。
お前の頭もわりと論理的じゃないぜ。

363 :
どうでもいいけどここでリンク張られる前のことだぞ
コメントの日付見てみな

364 :
>>361
それだと>>354以降魏延を否定する側から具体的意見は何も出ていないから,
魏延アンチは反論すらできないということになるけどいいの?

365 :
魏延アンチなんてものは存在しない
お前は幻を見ているんだ

366 :
>>364
>>356

367 :
>>366
ああごめん。>>354>>356は私の発言だ。
Jominian氏の意見よりは魏延の策に可能性があることを指摘しただけなのだが。
だから魏延を否定する側からの意見は全く出ていないのだけど。

368 :
>>364
の文面なんかは妙に挑発的だね。
>>354 >>356の文章を書いた人とは思えない。
>>365の言うとおり、魏延アンチってほどの人はいないと思うんだが。
さて、魏延案の問題点だが大別して、
夏侯楙が逃げてくれない限り、長躯後の攻城戦を控えていること。
部隊の秘匿がどこまで出来るかということ。
>>356で語られる魏延部隊の発見率がやや甘めに見える自分からすれば、この点ちょっと辛いかな、という印象を受ける。
大意については同意する。
察知後の魏中央の事後対応の速度。
(魏延の奇襲の場合だけ、甘めに見積もることは出来ないだろう
 史実では諸葛亮が喧伝したことを差し引いても、時間はあまりない
 疲弊した兵で長安を落とせるか)
ただし、これらの条件は、夏侯楙が魏延の目算通り逃げてくれるか、
あるいは周辺の不満を持つ勢力の協力(兵站面も)があれば、成功させられるか。
それでも潼関を閉鎖できるかどうか。潼関を抑えない限り、長安は維持できない。
魏延案は潼関で諸葛亮の本軍と合流する事が前提なわけだし。
孟達と通じる事に失敗し、討伐されていた事もマイナス要素。
蜀は、第二次の記述からも分かるが、陳倉城が修復された事すら気づけないほどの諜報力しかない。
この状況で、魏の油断を期待する魏延案が魅力的に映るかと言われると、難しいのではないかな。

369 :
>>368
>>361に対するレスだから挑発的に書いただけだけどね。
発見率については子午谷の漢中側の状況次第だから何とも言えない。
あなたが指摘する孟達の件も魏延案には不利に働くだろうし。
(孟達に向かった司馬懿が長安に来れそうにないことだけ有利だけど。)
やはり奇襲出来たとしても長安が落とせるかどうかが一番の問題だろう。
魏略での扱いからして夏侯楙が強かったということはないだろうけど,
それでも長安でちゃんと守られれば落とすのは困難になる訳で。
あと潼関の件は魏略には出てこないから,合わせて考える必要はないのでは?
いくら魏延でも5千の兵で長安+潼関を抑えようとはしないだろうから,
諸葛亮が来るまで長安を維持するつもりだったと思うけど。

370 :
>>369
>>361は魏延アンチというより、信者へのアンチに見えた。
まあ、曹操信者が暴れてた頃と同じ、反動だろう。
確かに夏侯楙が逃げてくれればそれに越したことはないんだが、
逃げなかった場合、魏の増援が到着すれば、魏延隊の全滅はほぼ確定、諸葛亮本軍も危険に晒される。
落とせなかった場合のアフターケアが効かない、というのもネックかねえ。
総合すると、どうしてもマイナス要素の方が強いように見える。
まあ、こっちが魏延案に否定的だから、悲観的に見えている部分もあるんだろう。
ただ、潼関は関中を維持する、関中を固めるのに必須の場所。これは譲れない。
長安はだだっ広い平原ばかり広がる、防衛にとんと向かない地形。
これを補うのが潼関。これを取らないと、せっかく長安を陥落させても、維持できない。
魏延がこの案を出した以上、潼関を得る事を想定していない筈がない。

371 :
>>370
魏延には自身があったのだろうけど,リスクが高すぎるのは明らかだからね。
「魏を倒せなければ滅亡しても構わない」という覚悟がないと採用できないだろう。
個人的には「魏を倒す方法」としては諸葛亮案よりましだとは思うけど。
(逆に「蜀が長生きする方法」としては諸葛亮案は優れていたと思う。)
潼関が長安を維持するために必要だという意見は分かるけど,
現に魏略の魏延案には潼関は全く登場しないし,
魏延も長安での食料の話や咸陽以西を奪取できるとしか言っていないから,
長安を確保したまま諸葛亮を待ち,長安で決戦するつもりだったと思う。
想定している魏軍の到達日数(20日以上)も長安までのものだろうし。
(まあ魏延案の可能性を考えている立場として,
明らかに成功率が0になる潼関攻略まで入れたくないというのはあるけど,
魏略には「潼関を取ること」は全く出てこないからいいでしょ。)

372 :
諸葛亮が魏延の策を退けた理由
tp://nobmatsu.sakura.ne.jp/itsubun/old/san2/15.html

373 :
アンチだの信者だの言い出すと大概くだらない流れになるが
オタ、信者への反動だったら何を言っても許されるなんてことはないし、
>>361>>365みたいな挑発するだけのレスは明らかに不要。擁護する余地なんかない。
>>367>>369>>371はお疲れさん。よぅ我慢したわえらい

374 :
>>371
潼関を取らなければ長安の維持は不可能とこっちは見ているから、その点で相容れないものがあるのかな。
個人的には、長安での防衛は、無理をして潼関を奪いにいくより運を恃む策のように思える。
長安は防衛面で激弱だし、取ったばかりで飛び地状態の長安で、本軍が来るまで守り通せるかというと、
夏侯楙が逃げるのと同程度、あるいはそれ以上の幸運が必要だと思うんだ。
長期的視野に立った場合、長安を得られる可能性は諸葛亮案の方が高い、と見る。
贔屓目を抜きにしても、魏延案と同程度だろう。なら、ケアができる諸葛亮案の方が順当と見る。
無論、魏延案が成功すれば、短期的に、劇的な形で魏に精神的打撃を与える事が出来る(それは後々の戦略に大いにプラスになる)が
諸葛亮案でも十分だし、なにより天秤にかけた時のリスクを考えれば、魏延案は採用されうるものとは思えない。
魏延案が、周辺の不満を持つ武装勢力の蜂起、協力を前提にしたものなら、
「魏を倒す方法」として、優れたものだ、というそちらの意見に諸手を挙げて賛同するんだが。
そうすれば夏侯楙が逃げなかった場合のケアもまだ利くし、成功時の潼関閉鎖もスムーズにいく。
ただ、これは空想の域を出ないか。
>>373
多分、俺と>>361 >>365を同一人物扱いしているのかな。
少なくとも、俺は>>368 >>370だから、彼らとは関係が無い。
別に信者への反動だから許す、ではなく、曹操の時の騒動を覚えてるから、それを連想しただけだよ。
俺は魏延案に否定的、悲観的な見方をしているから、>>364に乗っかった。
魏延が諸葛亮の北伐で大きな功績があったとは思うけど、だからって案そのものを受け入れる事は出来ない。
誤解を招かない為に含むところはないと前置きしておくが、反動が出るのは、盲信的な信者が暴れた負債、という面もある。
普通に魏延が好きな人には迷惑な話だけど、まあ良くも悪くも北伐関連はいろいろと入り乱れるから、そこら辺は割り切るしかない。

375 :
自分の気に入らないレスをアンチ認定、信者認定することが
くだらないと思ったから>>365を書いただけだ
そしたら次はそのレスが同一人物認定されたわけだ
アンチ認定の次は同一人物認定か
ははは・・・・笑い話だね

376 :
慎重、堅実、有能の極北であろう諸葛亮が不運のせいで成果を出せなかった以上
大胆、投機的な魏延に一定の支持が集まるのは仕方ないことだね。
だが魏延が司令官として無能なのか有能なのか、
或いは幸運なのか不運なのかが永遠に分からんし結論など出ない

377 :
英雄など現代人のエゴで作り出してかまわないんだよ
軍神魏延!非命の忠臣魏延!ロマンだけが真実だ!!

378 :
キチガイ乙としか

379 :
>>377
そうだね
実際それでいいと思うよ
だから魏延は英雄!悲運の忠臣!
でも史実の考察してる時にそんなロマンとか後世の創作とか
持ち出さないでね
ちゃんと区別するべし

380 :
魏延と関羽は立場、性格が似ているな

381 :
子午谷は全長約420kmと言われている
これを十日で越えるのは厳しいものがあるが
子午谷を巨視的に計測すると150km程しかない
この違いは何かと考えると傾斜に秘密がある
傾斜がある分距離が伸びるのだがそれでも数qも足せば充分だろう
260〜270kmも差があるのは子午谷が道路だからだろう
則ち牛馬や車も通れるように出来ているということ
牛馬や車を通す為には傾斜が緩くなければならない
最近の大きな建造物には大抵車椅子用のスロープが付いている
車椅子やカートがある高さを登るには、歩行者の十倍近い距離が必要
階段だとほんの四、五段なのにスロープだと8〜10mくらい行かねばならない
これを山に置き換えると人間なら傾斜を数m登るだけなのに
牛馬や車なら数十mを要するという事になるだろう
逆の方がいいかな
牛馬や車が傾斜を登るのに数十mを要するところを
徒歩ならば数mで行けるという事になるだろう
魏延は荷を人が背負って行くと言った
牛馬や車の為の子午道を使わず、徒歩で進行可能な最短距離を行くはずだ
これで日数の問題は片付くだろう

382 :

魏延の長安急襲案
精鋭5千と兵糧を背負った輜重兵5千で褒中へ進み、
秦嶺山脈に沿って東へ行き、子午道に当たって北上し、
十日とかからず長安へ至る。
長安を治める夏侯楙は必ず船に乗って逃げ出す。
諸葛亮は斜谷(褒斜道)から来て長安の東の潼関で魏延と合流する。

上手く行った可能性は結構ある。


383 :

先鋒を1万とする総勢6万の諸葛亮率いる蜀軍が褒斜道へ向けて進軍を開始する。
その報は密偵により長安に届く。長安の雍州軍は褒斜道の出口へ向かい蜀軍の到来を待つ。
先鋒1万を率いる魏延は褒斜道の入り口まで来ると、輜重車を捨てて兵糧を背負い
褒斜道へは入らず、密かに山脈に沿って東へ走る。子午道の途中に行き当たり、
そこから子午道を行く。諸葛亮の本隊5万はそのまま褒斜道を進む。
褒斜道出口の魏軍は数万の蜀軍がやって来るのを見る。
褒斜道出口で魏軍と蜀軍は対峙する。
魏軍は蜀軍の先鋒が消えたことに気付かない。
魏延は子午道をひた走り、長安の南50qにある子午道出口から出る。
子午道を出た魏延は行軍中に兵糧を消費して身軽になった輜重兵2千ほどを方々に放って
火を掛けて回らせ、自分は精鋭5千と輜重の3千を率いて一気に長安を目指す。
長安の夏侯楙は南方の空が焼け幾つもの煙が立ち上っているのを見て蜀軍の到来を予感する。
そこへ蜀軍が南に突如現れたという報が飛び込んでくる。
南の方々から煙が上がっている状況なので総合的に判断して相当な大軍である模様。
異変が起きて二日と経っておらず長安は事態を正確に把握することが出来ない。
そこへ8千ほどの蜀軍がすぐそこまでやって来ているとの報が入る。
長安の軍は褒斜道へ向かってもういない。
その魏軍が一体どうなったのか、長安はわからない。
蜀の大軍が長安に迫ったということは、既に敗けたのか、どうなのか、わからない。
知りたくても今すぐ確かめるのは不可能。
はっきりしているのは今こうして蜀の大軍が現れ、すぐそこまで迫っているという事。
そして長安にはそれを防げるだけの兵が残っていないという事。
余程肚が座ってないと逃げるだろう。
こうして長安は陥落する。

384 :

一方、褒斜道出口の魏軍。
120q離れている東の空が焼けているのは見えるのか、分からないが、
ずっと平野であるし昔の夜は暗いので見えるかも知れない。
褒斜道出口にいる魏軍の兵士の多くは長安周辺に家がある。家族もいるはずだ。
長安の空が焼けていたら激しく動揺するだろう。
空が焼けているのが見えるとしても見えないとしても
数日の内に長安が落ちた知らせが届く。
諸葛亮軍が魏軍の動揺を突いて攻めかかる。魏軍をあっさり破ることが出来るだろう。
長安が既に落ちていることもあって、これで数万の捕虜・降伏者を得ることが出来る。
騎兵で2つの部隊を作り魏延の後を追わせる。
無論諸葛亮も東へ急ぐ。
漢中に使いを出し、漢中に残っている兵の半分で関山道を進ませ
武都・隴右を平定して行かせる。

長安を落とした魏延は千人で西の城門を守り、軍を4千5百人ずつの二隊に分け
潼関・武関を抑えに向かう。(魏略では潼関しか書かれてないが気にしない)
内地なので敵兵は殆どいない。
潼関・武関を落とした頃、騎兵が追いつき、兵力はそれぞれ7〜8千にはなっている。
これで魏軍が押し寄せても、守りに徹すれば本格的な援軍(蜀軍)が来るまでもつだろう。

385 :

関に2万も置いて守りに徹すれば敵が6万でも多分落ちない。
東西南北四方に城壁をもつ普通の城を二万の兵で守るとする。
それを六万の敵が囲む。城壁一辺あたり 防衛側5千人、攻撃側1万5千人。
関所の城壁は一辺(単純計算上で)。
一辺を2万の兵が守る。この数字は普通の城の8万人に相当する。
攻撃側の数字も一辺に集中するので、普通の城攻めの24万人に相当する。
がしかし6万人が一斉に関所に攻めかかることは出来ないだろうから
戦闘参加可能員数の上限に引っかかり、過剰分は実効戦力外として数字の上では切り捨てられる。
仮に城壁の長さを1qとすると、
攻撃側が10mあたり100人で攻めると1万人。
防衛側が1mあたり6人で守ると6千人。
城攻めの比率としては城を落とすのが無理な数字。
実際は潼関・武関の横を川が流れているので
この通りには行かないが、基調とはなる。

386 :

洛陽から潼関へ、とは来ず
北から迂回して攻めて来られるとどう防ぐか
三輔と河東郡は黄河で隔てられている。
河幅はかなり広く、渡河するには船が必要。
兵1万が黄河を渡るには、20人乗りの船だと500艘
30人乗りの船だと340艘必要。
黄河上流でそれだけの船を調達するのは難しいのではないか。
それに一万程度では戦にならない。
河岸で待ち受け逐次撃滅すればいい。

潼関・武関に2万ずつで4万
黄河に4万
控えに3万
計11万だが、涼・雍併せれば何とかならない数字ではない。
これは潼関に6万、武関に6万、黄河に7万
魏軍総勢19万が一斉に攻めてきた場合の数字で、
いくら魏でも「急襲」による長安陥落という突然起きた事態に
ここまで大規模に即応できるとは思えない。特に黄河方面。
よって蜀には魏が大規模な攻勢を掛けてくるまでに
涼・雍を懐柔できるだけの時間はあると考える。

長安を取ることは可能。


387 :

整理

魏延がフェイント、魏が引っかかる
諸葛亮が褒斜道で陽動して魏の雍州軍団を引き付ける
魏延が子午道を速攻で駆け上がり夏侯楙を威圧して逃亡させ、がら空きの長安を占領
諸葛亮と対峙してる雍州軍団は後背地の失陥に動揺してあっさり崩壊。
漢中から部隊を派遣して隴・涼制圧。
魏延は4〜5千づつの2部隊で潼関、武関を押さえる。
諸葛亮の援軍の騎兵と合わせて7〜8千で奮戦し、本隊からの更なる援軍を待つ。
北側を迂回されたるケースもあるだろうが、船を調達出来ないだろうし、水際で撃滅する。
潼関、武関に2万ずつ、黄河に4万、予備に3万を配備できる態勢にすればひとまず磐石。
魏は大規模な動員を掛ける前に蜀に関中以西を掌握される。


388 :

魏延は北伐の度に求めたというから
タイミング毎に考える。

第一次は>>137の言う通り。
魏の対応は早かった。
魏延が潼関まで間に合ったか微妙。間に合ったとしても、
兵を休めたり、防戦の準備をする時間はないかもしれない。
少しの遅れも許されない綱渡りのような際どい作戦となっていた。
第二次・第三次
張郃は南陽郡の葉(方城)に屯していた。
他にも荊州には呉攻めの為数万の軍が集結していた。
蜀が潼関・武関を押さえられるか微妙。
それにこのとき関右に魏兵があまり居ないので
長安を落としても兵をあまり吸収できない。
のちのち長安を維持できるかどうか。
第四次
長雨で桟道が断絶している。
第五次
司馬懿の動きが遅い。子午道を警戒して慎重に行動した可能性がある。
もしそうなら失敗する。

389 :
だが、どのタイミングでも所詮ダメだったかといえば、そうは思わない。
227年 諸葛亮らは軍を率いて漢中に移り、沔陽に屯した。
3月に劉禅が詔を下しているのでその前後と思われる。
沔陽に屯するまでは南鄭に居た。(多分)
魏延の提案は南鄭でなされたことなので、
長安奇襲が提案されたのは227年3月頃のことだと考えられる。
この頃司馬懿はまだ宛には居らず、孟達もまだ生きている。
魏略には「劉備の死後、蜀に人はなく備えをしていなかった」と書かれてあるが
同じ魏略の、長安に行幸した曹叡が第一次北伐終結後に出した布告文に
高定の名が出ており、曹叡が蜀の辺鄙な所の異民族の酋長の名まで知っていたことが
明らかになっている。
諸葛亮が出陣して沔陽に屯していることを魏が知らなかったとは考えられない。
敵国が軍を出し、攻め込まんと駐屯しているのに備えをしないわけはない。
第一次での魏の対応の早さはこれに由ると思われる。

390 :
第二次での魏の対応はと言えば、諸葛亮が陳倉を囲んで20余日たっても
中央軍はまだ来ていない。
囲んだ場所を長安に移して考えれば、約180q洛陽に近づく事になるので
洛陽からの中央軍が長安に到達するのは[20余日+α]−[180kmの行軍日数]日となる。
これが長安陥落から中央軍がやって来るまでの日数となる。
20日という魏延の予想は妥当と言える。
長安−潼関 間が150kmあるので魏延と魏軍が同じ速度で移動したとすると
長安−潼関を4日で移動すると魏延が潼関を落としてから魏軍が来るまで12日。
5日で移動するなら10日。もし3日で移動するなら14日。となる。
荊州方面は武関まで行かなくても途中の丹鳳関でいいかも知れない。
更に孟達を寝返らせれば魏興・荊州を牽制できる。
この通りに進めば、三輔・涼州を策源と出来るし、益州からの輸送も余裕を持って行えるので
兵站の心配は消える。
ただし、これが上手く行きそうなのは沔陽に屯して時間を費やす前まで。

それに諸葛亮の言うようにリスクが高い。
もし子午道出口に敵が居て塞がれていればそれで終わり。
魏延軍一万は食糧不足により全滅しかねない。
それに褒斜道の諸葛亮軍はほぼ無策で出征していることになる。
従って魏延が失敗すれば諸葛亮軍も撤退しなければならない。
撤退時に敵の追撃を受けて大被害を出す危険性もある。
おいそれと秦嶺越えての遠征は出来るもんじゃない。
それに諸葛亮は駐屯地の沔陽で充分な軍事訓練を施して北伐に向かっただろうから
この選択なら史実のような蜀軍の練度の高さは無いことになる。

391 :

諸葛亮が却下した一番の理由はおそらく『正義』ではないかと思う。
蜀は蜀国でもなければ蜀漢国でもなく、“漢”国。
蜀の勢力が帝国となって、初めての魏との戦争。
漢にとって魏は「賊」で、蜀は「正義の国」ということになる。
正当な帝国の正義の軍が、奇襲でいきなり快進撃っていうのは格好悪すぎる。
奇襲というのは弱くて卑怯な者のすることだ。
強い者は堂々と正面から当たる。強い者は強いのだからそれで勝てる。
奇襲で長安取るのと、正攻法で堂々と長安取るの
成功したらどっちの方が格好いいか、
どちらの方が他国の漢臣の評価を得られるか、
後者だろう。もしかしたらその後彼らの支持を得られるかもしれない。
正攻法で勝つ自信が有るなら正攻法で行ったが上策。


392 :
>>388の137はミス

393 :
>>381の辺りからの文章は、前にどこかのスレで見たな。
結構な反論(まあ取るに足らないものもあったが)が飛び交ってたように思うけど、
コピペするほどのものかね。

394 :
取るに足らない反論しかなかったような希ガス

395 :
>>381以降の文章もかなり魏延に御都合的ではあるな

396 :
そうか?全然思わないぞ。ご都合主義とは偶然を味方にさせる事だが
>>381以降に書かれている事に偶然はなく、戦理と蓋然のみがある。作戦とはそういうもの。

397 :
どこが戦理?自作架空戦記書いてるだけじゃん

398 :
世界史板の連中がこれを見たらどう思うだろうか

399 :
魏延厨を何が何でも叩くスレになってるな
魏延を盲目的にマンセーするより気持ちわるい

400 :
>>381
これコピペなのか?なんだこれ
この考えだと距離が縮んだ分傾斜も急になって辛くなり
しかも牛が背負う分人が担ぐわけだからそれだけ兵にかかる負担も多くなるのに
牛馬に運ばせると辛くて人が担いで行くと楽
なんてわけないじゃん
それと、日数だけじゃなく兵士の疲労も考えるべきだろう
これじゃ使いものにならんぞ

401 :
今の軍隊や特殊部隊とかでは、20〜30kgの装備を背負って荒地を行軍する
ぐらいの訓練はやってるんだろうけど、当時はどうだったのか。
それぐらい出来て当然だったのか、ほんの一握りの精鋭だったのか。
前者ならば話はわかるが、後者ならば、そんな精鋭を五千だ一万だと
簡単に育てられるものなのか。
あと長安の設備とか人数とか全然書かれてないんだけど、
指揮官はボンクラ、兵士達は軟弱者、城壁はボロボロ、
武器防具は竹槍に普段着のみ、だったりするのか?

402 :
>>400
>牛馬に運ばせると辛くて人が担いで行くと楽
誰もそんな事言ってないって
傾斜が付いても距離が縮んだ方が楽
荷を背負うのは輜重兵と書いてあるよね
>それと、日数だけじゃなく兵士の疲労も考えるべきだろう
>これじゃ使いものにならんぞ
その距離で使い物になる・ならないは、ひ弱な現代人の感覚では量れない

403 :
>>401
昔の人は現代人と違って乗り物に乗らないから健脚ぶりは相当だろう
江戸時代、町民は普通に一日に10q歩いたらしいし
旅人は40〜80km歩き
飛脚は160〜200km走り
大名行列は32〜45km進んだ
マサイの男は狩りの為に日に100km歩くという
こんな健脚が標準の時代の中で体力に優れた精鋭と物を運び慣れた輜重兵だから無理でないでないの

404 :
>>397
魏略に書かれてある事は概略
概略だけで物事が運ぶわけないだろ

405 :
>>402
輜重兵が数人分の食糧を背負って足場の悪い急な坂道を走っていくの?
先に輜重兵が死なないかそれ

406 :
走る? いつから走る事のになったの?

407 :
>>374
しばらく来ていなかったので,返事が送れたことをお詫びします。
潼関を確保しなければ長安防御は難しいというあなたの意見は正しいとしても,
その長安で勝負できないのならもっと難しいと言わざるを得ないだろう。
(さすがに長安城より平地の方が守りやすいということはないだろうし,
諸葛亮案では祁山から東進して郿や長安を攻略する必要すらある。
魏軍が諸葛亮の都合に合わせて平地決戦に応じてくれればまだしも,
持久戦に持ち込まれたら史実と同じ結果にしかならないだろう。)
また,魏延は「而公從斜谷來,必足以達。」と言っているのだから,
諸葛亮を待った上で,長安で決戦するつもりだったとみていいだろう。
だから魏延だけで長安を守ること自体作戦としては想定していない。
(魏延のことだから魏軍が先に来たら戦ってしまうだろうけど。)
あと>周辺の不満を持つ武装勢力の蜂起、協力を前提にしたものなら
これは魏延本人はあまり考えていなかったと思うけど,
仮に魏延案が成功して長安以西を確保することができたとしても,
関中や関東で同調者が出ない限り魏を打倒することは無理だったと思う。

408 :
魏延スレにしては珍しく立派な議論してたらしいけど、放置されて5ヶ月以上経ってるのか。
その間に、魏延オタクは性懲りもなく論拠のない魏延マンセー、孔明や楊儀への誹謗中傷を繰り返してるようだが。
やっぱり魏延オタクにはまともに議論をする知性はないようだな。もっともここでの議論が立派っていうより、
魏延オタクの妄言があまりに低レベルで、それと比較して立派に見えるってだけなのかもしれないけど。
魏延ファンにもまともなのはいるのはわかったけど、それでもほとんどはキチガイだし、腐乱死体が一万円札握ってても
取りに行きたくないって感じだよな。極々少数のまともな魏延ファンもそうだが、キチガイ共にマンセーされ続け、
結果印象が悪くなってる魏延本人も何か気の毒になってくるよ。

409 :
魏延では・・・無理だよ

410 :
>>409
戦略的にはそのとおりだな。
成功するとすれば劉備本人か,せいぜい諸葛亮までだろう。
(魏延に一武将以上の立場を求めることが間違いだ。)

411 :
魏延の様な実力があれば
ああいう人生もありだわ。
所詮うちらは雑兵レベル。

412 :
魏延のような人生って言われてもねえ。
手柄を立てて出世したはいいが、偉いくせにトラブル起こしてそれを他人に尻拭いさせ、
ろくな大義名分も下準備もなく反乱起こして、誰にも相手にされず兵士にも
「魏延様は間違ってる」と逃げられ、関わりのないはずの三族まで死に追いやる。
自分を褒めてくれるのは、約1800年後の魏延の都合のいいようにしか考えられない馬鹿ばかり。
とてもじゃないが、ありとは思えないねw

413 :
有能描写も演義準拠に話してると思う
正史だと功績の記述が少なくわりと地味だけど演義は大活躍してるし
あと魏延オタは忠臣忠臣うるさいけど忠臣描写も演義にしかない(劉備を救ってその後諸葛亮に理不尽に殺されそうになり劉備に止められる、など)
他の武将文官に対しては正史ー正史ーってうるさいのに魏延だけ何故か演義準拠で話して
悲劇の名将だのなんだのと持ち上げてる

414 :
ネットの魏延絡みはネット層特有の自己投影的な変な空気を感じる(これは劉禅絡みにも言える)
劉備の漢中太守抜擢とそれに対する抱負一つで魏延は劉備に対しては忠義という物語が出来るんだからすげーわ
俺はあのエピソードにこの二人の強い結びつきみたいな心情的な浪花節はあんまり感じなかったけどね

415 :
正史とか演義とか以前に、魏延に都合のいいこと基準だろw このスレ建てられて7年近く経つけど、
擁護というかマンセーの理屈が妄想やダブスタや責任転嫁ばっかりで、何にも進歩がなくて草生える。
ネットである程度の知識が簡単に手に入る現代で、こんなんじゃ1000年経っても魏延の評価なんて上がらない。

416 :
魏延てそんなに嫌われるイメージあるかな?
オレも横山三国志と吉川三国志ぐらいしか読んでないけど、最後の最後で仲間割れしたぐらいで
別に蜀を乗っ取って劉禅から帝位を奪うつもりでもなかったろうし、要は楊儀と派閥争いに不運に
も敗れてしまったぐらいの感じかな。
蜀(劉備勢力)を裏切った武将は他にもいるけど、魏延はその中では一番蜀のために活躍したシーン
も多く描かれてるし、それまでのプラスの貯金で最後のマイナス差し引いても、まだ充分プラスのイメージがあるな。
むしろ楊儀のほうが陰険な小物っぽいイメージがある。

417 :
嫌われてないけど「○○のせいで汚名をかぶり嫌われた悲劇の名将」
ということにしておいたほうが○○を叩くのに都合がいいからそうしてるだけ
魏延オタが暴れて諸葛亮をはじめいろんなもの叩きまくったせいで反感買ってそのせいで嫌う奴もいるっちゃいるが
横山と吉川は演義準拠の話なので魏延は正史に比べると良く描かれてるから
悪い印象持たないのは普通だと思う
正史は反乱のところはそのままで、諸葛亮のイジメも無くむしろ優遇され魏延が劉エンと問題を起した時も諸葛亮にかばわれ、
活躍も諸葛亮の下で動いていた時しか記述が無い。演義の魏延が王双を討ったという記述も無い。
ただ、劉備や諸葛亮からの評価はとても高いので、将として有能であることは間違いないと思う。

418 :
魏延は孔明が生きてるときは、不満をいいつつも、ちゃんと職務を遂行してた。
魏延はなんだかんだいって、自分より偉い人のいうことはきくタイプだと思う。
孔明死後は、偉い人がいなくなったから、ギクシャクしてしまった。
まあ、蜀の国力、人材不足が原因だね。

419 :
>>417
>横山と吉川は演義準拠の話なので魏延は正史に比べると良く描かれてるから
そうかなあ?劉備が総大将で孔明がいない益州攻めでも命令違反して、黄忠やホウ統に
「魏延は命令違反したから処刑したほうがいい」と言われてるし、北伐で陳式とグルになって
孔明を馬鹿にしながら命令違反したら、魏軍にフルボッコされて陳式と責任のなすり付けあいしたり、
孔明死後反乱起こして橋を焼く嫌がらせをしても姜維に看破されたら「魏に降っちゃおうか」とヘタレるし、
とても良く描かれてるとは思えないな。まあ孔明の魏延に対する扱いも問題はあるけど
せいぜいどっちもどっちで、悲劇だの忠臣だのといった歯の浮くような言葉で飾られる男じゃないよなw

420 :
少なくとも劉備が最前線である漢中を任せた時点で,
劉備が信頼していたことを疑う理由はないだろう。
そして諸葛亮にとっても,その魏延に漢中を任せたまま南征を行ったのだから,
それなりに信用していたと言って良い。
両者が対立するようになったのは,あくまでも北伐開始以後の話。

421 :
両者が対立していたというのはあなたの脳内だけの話なのではないでしょうか

422 :
>>421
魏延と諸葛亮は,少なくとも北伐の方針で対立しています。
もっとも,魏延は文句を言うだけで,諸葛亮の決定には逆らいませんでした。
これが諸葛亮の死後に魏延が孤立し敗死するほどの対立だったかまではわかりませんが。

423 :
対立してないんじゃんw

424 :
孔明と魏延は対立していない、というか誰も魏延を支持してないから対立ですらないと言うか…。
魏延が孔明を臆病者呼ばわりしたところも、魏延の小物っぽさが滲み出てるしなw
魏延の末路も>>412に書かれたような自業自得の域を出ないし、相変わらず孔明がどうのと、
魏延の無能を棚に上げて責任転嫁する下品な理屈はいつまで経っても変わらないなw

425 :
自分の考えた企画を上司に却下されて飲み屋で愚痴ってるサラリーマンみたいなのを対立って言うなら対立なんでしょうね(棒)

426 :
魏延が無能とは思えんけどな
進んで一手を率いる一軍の将としてなら蜀でも指折りの指揮官ではあるけど、
仮に諸葛亮の様に三軍を統帥して大局を見据えて戦局を左右できるまでの
能力があるかと考えれば未知数だろうし、魏延の性格等も踏まえてしまうと
良い想像はほぼ浮かんでこないって感じ
結局のところ人格に問題や欠陥があるからああいう末路も妥当かもなって思うし

427 :
今に始まった事でもここに限ったことでもないが、魏延擁護の理屈で魏延が有能と思わせる言い分がないんだよな。
実際に立てた魏延の功績で話が盛り上がってるの見たことない。いつまで経っても長安奇襲作戦大成功の妄想しかない。
孔明死後に撤退命令に反対し、自分の考えを諸将に告知したのに誰も取り合わなかったんだから、
ナンバー2がどうのと言っても周りをまとめれない器量なしの無能と思われても仕方がないだろう。

428 :
魏延擁護論者って
諸葛亮をはじめ楊儀、費イなど魏延と関わった奴ら叩いてるだけだからな
魏延の反乱を擁護するため「周囲の奴らが全部悪い」とか言い出すし
でも何故か劉エンは叩いてないよな
なんでかな?諸葛亮叩けなくなって都合が悪いからとか?

429 :
>>427
少なくとも,227年に諸葛亮が出張ってくるまで,
大過なく漢中を治めていたのだから,それなりに評価すべきであろう。
(向こうがほとんど動こなかったのも一因だが。)

430 :
>>429
>>427は、要するに「魏延信者がバカな魏延マンセーしてるから魏延もバカに思われてる」
って言ってるだけで、魏延がバカって決め付けてるわけではないだろ。
まあ実際に立てた魏延の功績で、それなりに評価が出来るんなら別にいいと思うけど、
いつまで経ってもバカな魏延マンセーばっかりだし、難しいっつうか無理だろうな。

431 :
>>430
魏延が漢中を統治できていたにもかかわらず,
それを理解できないのであったらその程度の認識力でしかないですが。
諸葛亮マンセーを無視して魏延マンセーを気にされるようなオツムでは仕方ないのでしょうが。

432 :
>>431
そもそも,劉備がなぜ張飛を差し置いてまで魏延を抜擢したのか,
その理由を見つけなければ何も分からないでしょうねぇ。
諸葛亮が正しいことを疑う能力すらないおバカさんたちには。
(こういうのが研究者の中にもいるから問題なのだが。)

433 :
>>420>>422といい>>431>>432といい
見えない敵と戦い出す奴が何故多いのかと思ったら
よく読んだら同じ奴か

434 :
>>433
三国演義の世界だけを見ていて見えないのならそりゃあ当然だが,
三国時代史で見えていないのだったらちょっとヤバいのだが。

435 :
>>420>>422はまだわかる
N+qho2T80みたいな諸葛亮持ち上げは演義云々喚いて魏延のやった事を過大評価して三国時代史ガーとか言っちゃう典型的なのと一緒にするのはかわいそう

436 :
>>435
諸葛亮期初期における各地の状況を理解できていないなら,
そもそも史実を理解する以前に問題だろう。
(幸いに,そのような高度なち理解力の無い輩がのさばっているようで,
それが悪いがと言いませんが」)
こうやって,日本人の東洋史理解は衰えていく・

437 :
今さらな話で申し訳ないんだが、
誰も賛成しない独り善がりの駄駄を捏ねて橋をブッ壊した魏延の墓が、
国民のインフラ整備として橋だか道路だかを作る為にブッ壊されたってのは、
皮肉というか滑稽な話だよなw

438 :
http://jbbs.shitaraba.net/sports/42269/

439 :
諸葛亮に代わって、魏延・王平・張翼といった武将たちを指揮できる
戦略家としては

 ホウ統

 法正

 黄権

という逸材がいたのだが、北伐の時期には二人はこの世を去り、
最後の一人は魏に降ってしまい、蜀に諸葛亮しかいなかったのが痛い
これが魏延の運命を決めてしまった

慎重かつ臨機応変さにかける諸葛亮と魏延は相性が悪すぎた
どちらが悪いというのではなく、不幸な出会いと言うほかない

440 :
という願望です

441 :
史書に載ってる魏延の功績のほぼ全ては劉禅・孔明時代のものだし、それに見合った出世もさせてもらって、
イザゴザも黙認・尻拭いしてもらって、これで相性だの不幸だのとは厚かましいと言うほかない。
魏延age孔明sageしたけりゃなんJ辺りにでも行ったらどうだ。あそこは未だに反骨の相で魏延擁護できるぞw

442 :
魏延が虐げられてたのは蜀には名前で差別する風潮があったから!なんて珍説をネタとか抜きに言ってる奴らがいて頭が痛くなって来た…

443 :
「呉」とか「蜀」って苗字の人もいたのかな

444 :
呉懿「……」

445 :
中国史で見ると呉姓はわりと居る気がする。呉起とか
蜀姓は思い当たらんな

446 :
なんJでたまに見る古臭い手口の魏延上げは
単にスレ伸ばしたくてやってる感もないではない
あと魏を延ばすっていう名前で差別されたとかいうのも見掛けるけど
漢文の語順からしてあり得んし

447 :
2chの魏延ageは演義の扱いを叩けば通ぶれるみたいな浅ましい魂胆だけじゃなく、
なんか自分自身のコミュ障っぷりとそこから来る周りの当然な態度に対して変な親近感を感じて自己投影してるような輩が多いと感じる(雑談板だと特に)
普段通ぶり根性発揮したがるなんカスみたいな連中が魏延絡みだけは頑なに演義の扱いに執着するのはそういう事だろう

448 :
いつも「ギエンはエンギのギセイシャー」って演義叩きするわりには
魏延持ち上げも魏延がらみの孔明叩きも全部演義の話で叩いてるんだよな
まあ正史の魏延じゃ擁護のしようがないからしょうがないが

449 :
>>448
間違えた
「魏延持ち上げも魏延がらみの孔明叩きも全部演義の話でしてるんだよな」
に訂正

450 :
まあその手の奴はいきなり反骨がどうの言いだす奴が大半だから
自分に都合よく演義で云々言ってるのは頷けるといえば頷ける

451 :
蜀延だったらそれはそれで皮肉言われたと思うが

452 :
理由は後付けで
とにかく魏延上げ他下げしたいだけだから
理由は適当にデッチあげてるだけ

453 :
>>428
最近見たのでは、坂口和澄ってのがひどかったなw ちょうあんきしゅうだいさくせんを、戦争には博打も必要と
頭の悪いパチンカスみたいな理由でマンセー、命令違反、撤退の邪魔、兵士に見捨てられることは
書いてはいるが完全スルー、陳寿が反乱じゃないって言ってるから反乱じゃない、説得しない費イが悪い、
私情で魏延を殺したのは楊儀、王平伝より魏延伝のほうが正しい(根拠はない)から魏延は悪くないと、
ネットではびこってる魏延マンセー他叩きそのまんまだったw
まあ知識はあるんだろうが、曲解やえこひいきが酷くてバカ学者って感じしかなかったなw

454 :
反乱じゃないカラーって単なる言葉遊びだな
だったら権力争いによる私闘とか小競り合いでもいいんだぜ

455 :
魏延は幼稚園児じゃない、いい歳した大人なんだよ、息子も戦場に出てるような歳だよ
周囲は保護者じゃないんだから、いい加減本人の行動の責任を他人に押し付けるのはやめるべき
ちゃんとした大人なんだから本人の行動は本人の責任だろ

456 :
魏延信者は魏延の事を無双まんまな人物だと思ってんじゃねーの

457 :
アレ国志という漫画の魏延には笑った

458 :
魏延は蜀の朱桓、ミニ関羽といったところだな
めぐり合わせに恵まれなかった
人物なんて長所短所持ち合わせていてそれがどう転ぶかはわからんものなのに
事績をもとになんというか人物の絶対評価を決めつけようとするのはネットにありがちな狭い考え

459 :
>>458
>>441

460 :
>>441みたけど
イザコザ見逃してもらったケースなんて腐るほどあるだろ

461 :
なるほど、魏延信者の魏延持ち上げは事績をもとにしてないもんな

462 :
>>461
???
一般論の話だがね後半部分
そのすぐ信者がどうのとか言い出すのは頭が悪く見えるからやめた方がいいよ

463 :
魏延はあれだね
「間道からの侵攻を許可されなかったケ艾」だね
悲しいかな劉備の死後はすぐれた上司にめぐりあえなかった

464 :
まあな。ギエンは不利すぎた。
まず主君はギエンだけ寵愛する康熙帝ならよかった。
内政はせめて管仲がやるべき。
更にギエンの部下には韓信、李靖、岳飛らがいなかった。

ギエンはこれくらい不幸だったのだ。

465 :
>>460
よくある話であろうがなかろうが、魏延を気遣ってた人間がいたのは事実だろう。
本心が組織の和を保つ為とかで、魏延個人のためではなかったにせよ。
それなのにめぐり合わせに恵まれないってのはさすがに失礼。
そもそも、魏延がそのめぐり合わせを大事にする性格と思わせる事跡はないが。

466 :
張飛だって兵士に寝首書かれるのがもっと早けりゃただのバカ扱いだろ
孫堅だって戦でしょっちゅう危ない目にあって
董卓討伐の前にくたばってたらここまでの知名度にならなかった
めぐり合わせってのはそういうものさ

467 :
頭の中にある魏延の名将っぷりと史書の記述にギャップがあるから
それを埋めるために孔明のせい、周囲のせいってことにしてるんだよな

活躍増しで孔明に虐げられる名将に改変されてる演義だけ読んどけよ
お前の理想は創作にしかないよ

468 :
>>467
名将なんて一言も書いてないんだが
子供はすぐ興奮する

469 :
>>467
張飛差し置いて漢中を委ねられた時点で,
委ねられるだけの何かがあったのは確かだろう。
(それがS氏に都合が悪かったのかどうかは知らないがもみ消されたわけで。)

470 :
>>454
それ、魏延ファンが擁護の理屈でよく言ってるけど、所詮は陳寿の憶測に過ぎないんだよな。
仮にその通りだったとしても、廊下を走り回ってガラスや花瓶を割った小学生レベルで、
いい歳した大人を擁護する理屈として胸を張って主張できるものではないと思うんだが…。

471 :
「本当は名将たる功績があった。史書に記述は無いがそれは誰かにもみ消されたからだ」
でいいなら全武将を名将にできるだろ
魏延オタはほんと史書否定が好きだな

472 :
魏延好きだが、魏延が名将でなくても構わんから気にしない。ちょっと頭が足らん、ぱーこらりんでもいいじゃないか。人形劇三国志の張飛みたいで可愛い

473 :
ウェイヤンの人生を見てると、現場と管理の温度差に悩んだ工場長って感じがするよ。食人だとか軍事に拡大するなら首饅頭の人道主義の丞相との戦争とヒューマニズムの対立があって奥深い。

しかしながら、自身ら現場の声が魏延の主張であると仮定すると、後の世に”軍略は不得手”とされた亮の軍閥との対立が、対呉対魏への関羽、張飛体制が違って目に映るんじゃないかな?

「・・誰が・・・誰が、王になぞ成りたいものか、、、」

474 :
たまには理論派で書くと

☆ 魏延ー以下、ヤンー策略を採用しない

☆二兄弟を前線においてジジィとヤンの荊州閥をそばに置く


つまり、孔明は荊州閥を信じられず怖れていた訳ね。

475 :
だから、尚更 丞相の劉備の二兄弟の配属が・・・怪しい。

ましてや、武勇に優れた劉封に対する処分がねぇ、。

476 :
理論派()
電波派の間違いだろ

477 :
楊議?との確執は明らかな史実であって、諸葛亮に軍略を蹴られ続けている点からして文官閥ー士大夫閥ーと劉表麾下の荊州軍閥との不和が無いとは言えないだろ?

478 :
いいから小説は自分のブログかサイトでも作ってそこで書いててくれよ

479 :
実際孔明は大事な局面で王平ではなく子飼いつかって泣いて斬ったからな
本拠を失い立場が怪しくなった荊州閥が立場強化のために必死だったのは事実だろ

480 :
実際、蜀の国は劉備という中身があるのか、無いのか?分からない漢王朝の後裔をカリスマに建てて、その構成を劉表から組み入れた荊州閥と劉璋を追放して蜀を守った××州ー何州やったけ?ーらと寄せ集めだった訳やろ?

そこにカリスマを失って二兄弟までも無くし、国主は立てたものの暗愚でダウン症Level。一応のトップの孔明は分裂し兼ねない蜀の国の軍事から政治までを結束して固める必要がらあった訳な。

さ?小説なんて書いてないでファンタジーしてくださいね。

481 :
>>470
今さらだけども、その陳寿の憶測の根拠も「楊儀を殺せば、普段自分を煙たがってた連中も自分を必要とするだろうと考えたのだろう」
っていう、魏延は「邪魔なアイツを殺せば○○たんは僕のもの」みたいなストーカーじみた発想をしてるって言ってるようなもんだからなあw

482 :
どんな形なの?

483 :
魏延擁護って〜だろうとか〜だと思うとか〜って感じとか憶測ばっかでちゃんとした根拠がないのばっかだよな

484 :
気持ち悪いスレだな。

485 :
最後の戦いで王平には実力で負けたとみていいんだろうか?

486 :
魏延の末路は戦いですらないだろう。
誰も魏延に味方せず兵卒ですら魏延よりキャリアも立場も下な将の一喝で四散する烏合の衆。
反乱は乱世でよくある事だから魏延の反乱自体を批判はしないが根回しが下手糞すぎ。
ゲームでさえ相性とか忠誠度とかの概念があるのに。
公孫淵とか諸葛誕とかのほうがよっぽど上手くやってる。

487 :
戦下手な諸葛誕とは対照的だよな。

488 :
まあ魏延の死って蜀漢の首脳陣による粛清だろう
軍人最高位で最古参といってもいいし正直孔明だから抑えられたと思うので
孔明の死後抑える人がいない魏延は姜維以上に暴走する可能性が高い
だから粛清して禍根を絶ったというのが正解だと思う

489 :
将来粛清されてた可能性は否定できないが、最期は完全に自爆。
諸葛亮の遺命に背いて殿を務めないから放置されて、
それに逆切れして味方の退路を断つという無茶苦茶さ。
自分に軍権があり、周囲も同調してくれると2重に勘違いしちゃったんだろうね、
政治と組織を理解できない、良くも悪くも一将軍が限界だったんだろうな

490 :
暴走を恐れて粛清されたっていうより
暴走して反逆起こして鎮圧されたってだけだろ

491 :
>>481
こないだアイドル刺した犯人がそんな感じだったかな。
向こうは容疑を認めている分魏延よりは潔いと言えるかなw

492 :
>>220
亀だがニコニコでも大百科の魏延の項目のコメント欄はこの手のサイトにしては比較的冷静に魏延を評価している人が多く感じる
このスレ的にはそれでも甘いかもしれんが少なくとも典型的魏延信者な書き込みには待ったが入りやすい

493 :
実際精鋭5000で長安奇襲て、やったら成功したのかね?

494 :
馬超と一緒で一時的に落としても結局撤退する羽目になる

495 :
嫌儲に三国志スレ立ってたから覗いてみると魏延厨は全く条件の違うトウガイを引き合いに出して長安奇襲は成功する!とのたまってて相変わらずだな…と思った

496 :
>>492
そこ見たけど2016年になってもまるで成長していない魏延マンセーがのさばってて馬鹿馬鹿しくて涙が出るな。

497 :
>>493
夏侯楙が逃げるかどうかは分からないけど,さすがに魏延と夏侯楙なら魏延の方が有利だろう。
その後,東から曹真が来て,西から諸葛亮が来るまでに,魏延が持つかどうか。
仮に持ったら,野戦にめっぽう強い諸葛亮が勝利して長安を奪う可能性はある。

ただし,関東で蜀漢に呼応する動きがなければ,長安でおしまいの可能性が高い。

498 :
ふむ

499 :
これから巻き返して行こう


     /⌒ヽ
    / ^ ω^j、姜維
 _, ‐'´  \  / `ー、_
/ ' ̄`Y´ ̄`Y´ ̄`レ⌒ヽ   
{ 、  ノ、    |  _,,ム,_ ノl  
'い ヾ`ー;'´ ̄__っ八 ノ
\ヽ、   ー / ー  〉
\ \`ヽ-‐'´ ̄`冖ー-く
|| \ \         \     ∧_∧
||   \ \         \  ( ´Д`) 
||    \ \         \ /     ヽ
||      \ \         / |  | | 黄皓
||       \ \∧_∧ (⌒\|__/ /
          ヽ(     )朕は降伏する    ∧_∧   てめーの指図は受けねえ
           /   く          \  (    ) 
           |     \           \/    ヽ
     劉禅  |    |ヽ、二⌒)       / |   |  魏延

500 :
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信。これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある。書けばツイッターで速攻削除されている。
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272


山本太郎

愛媛県の伊方原発が再稼動される。正気とは思えない判断だ。東電原発事故や熊本地震から一体、何を学んだのだろうか?
http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12189491723.html


2011年
3月18日  「致死量の放射能を放出しました」東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた。
        事故に直接責任のある清水・勝俣に20億円を支払い、事故当時の経営陣は全員、全額退職金を税金から分捕って逃亡
2016年
6月25日 『悩みのない世界へようこそ』のスピリチュアルTV主催者テディ小泉(52、埼玉)さん、脳梗塞で倒れ、心筋梗塞で死去。
7月 2日 昨日、友人が脳梗塞で倒れ頭を打ち家でトイレの前で亡くなっていた。40歳だぜ!俺は放射能汚染が本気で憎い
7月 2日 ブロガーのサランさんが今日日本で心肺停止で亡くなったそうです。倒れる前日までブログが更新されてて
7月21日 ケニアに帰国したジョハナ・マイナ(25)選手が急逝。2012年に入社。仙台国際ハーフマラソンで3度優勝
8月 3日 写真家の宮本敬文(50)さん  脳出血で死去、SMAP写真集など手がける


マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。

日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。
健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
問題は、多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、日本政府が、原子力産業を終わらせるおそれのあることを何も認めようとしないことです。

501 :
陳寿の一見魏延擁護に見える評ってこのニュースの犯人の言い訳と内容同じだよなw

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081600506&g=soc

陳寿は遠回しに魏延とこの犯人は同じレベルと皮肉ってるんじゃないのかな

502 :
質問なんだが魏延が漢中の防衛網を築いたってどういう根拠で言われてるの?
魏延信者がよく喚いてるけどわからん

503 :
魏延もつくづく哀れな男よ、諸葛孔明にこき使われた挙句、諸葛孔明の命で殺されるとは

504 :
>>264
亀だが知識はあってもバ解釈しか出来ない宮城谷
ファンが比較的少ない時代しかやってないから上手く騙せてたがファンが数えきれない三国志においてはバ解釈しか出来ないネットの魏延厨と同レベルでしかないということがバレちゃったのが面白かった

505 :
>>502
魏延が漢中太守に任命された事からかな
防衛網を築いたかどうかは知らんけど

506 :
魏延 防衛網で検索しても出典を明らかにしないザ・魏延信者みたいなサイトしか引っかからん
大方劉備時代に作られたんだから時期的に漢中大守だった魏延が作ったんだろうレベルの話じゃね?

507 :
また魏延や魏延信者みたいなバカが犯罪起こしたな

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017071401286&g=soc

508 :
歴史的速報
遅報歴史まとめ
ガバガバ歴史速報 
ニッコリン
三国志の罠だ

この辺りの歴史まとめブログってなんで何回も魏延さんかわいそうです…な記事まとめるのか

509 :
http://www.tenbin-libra.com/entry/gien

魏延信者の寝言

510 :
>>509
2017年にもなってこんな十年一日な魏延信奉をやってるのか… 
反面教師としてはいいんだろうが、やはり魏延信者はバカとしか言いようがない

511 :
>>502
姜維伝にある。
魏延と言うよりは劉備自身が仕切った可能性が高いが,
漢中の守備隊長扱いの魏延が何もしていなかったはずはないだろうと。

512 :
藤林丈司

513 :
https://twitter.com/Jominian/status/882258446816497665

514 :
>>511
そういう憶測はいらないです

515 :
>>509
こいつ孔明どころか劉備まで馬鹿にしてて笑った
いくら魏延信者が馬鹿でも大体の奴は建前上、劉備は持ち上げとかないと破綻すると理解してるのに

516 :
えっ?諸葛亮は数少ない魏延の理解者だろ?
魏延自身も諸葛亮一派の自認もあり、位もこれ以上ないほど上がっている
甘えて不満を漏らす事はあっても、諸葛亮の命令は尊守しているし
諸葛亮の庇護が無くなると、即座にスポイルされることからもわかる

なんで、諸葛亮と不仲扱いになるんや?

517 :
横山センセの描写が余りにもネタ的な中毒性とオタクのシンパシ

518 :
横山センセの描写が余りにもネタ的な中毒性とオタクのシンパシーを得ちゃったせい
それとネットの三国志事情の創成期が余りにも劣悪過ぎる(=受け売り元がいい加減)のが合わさってまともな知識が浸透しなかった

519 :
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪

520 :
戦争の弱さをオナニー小説で慰める それがチャンコロ乞食の悲しき伝統

521 :
芸スポの三国志スレで魏延信者大暴れ

522 :
叛骨の男、魏延

523 :
俺を切れる奴はいるかー!

524 :
https://i.imgur.com/siQtYu5.jpg

525 :
日本ではかなり愛されてる武将のひとりだと思う
中国と違って人物の表面的な部分以外もしっかりと掘り下げて考察する所が大きいからかね

526 :
演義の魏延は叛骨の相だからと斬られそうになったり、(かつての版では)司馬懿もろとも焼き殺されそうになったり、
酷い扱いになってるけど、細かい部分では他にもあるね。
・魏による五路侵攻軍の際に孟獲の相手をさせられる。漢中太守なんだから曹真の相手をするのが普通だと思う。
・南蛮征伐に従軍。その間の漢中の守りは馬超。むしろ馬超を南征に従軍させれば活躍の描写が増えたろうに。
・藤甲軍相手にわざと負け続けさせられた。(横山版ではあとでフォローされてるけど)

527 :
漢中太守になる件が演義にはあったっけ?

528 :2020/04/19
>>525
日本の馬鹿な魏延オタによる魏延マンセーはネットの逆張り気質と日本の演義は吉川横山を始め李卓吾版がベースで魏延さんかわいそうです描写が多いから巻き起こってるだけ
正史だけ読んだら本来同情論なんて起きん
結局お前らは演義の描写ありきでグダグダ言ってるだけ

【隋唐演義】 田中芳樹 【徳間書店】
■最強は■五虎将軍■誰だ■
【蜀の悲願】 北伐 【軍師諸葛亮】
【大唐西域記】 玄奘三蔵 【西游記】
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