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鈴木創士〜レジェンド〜
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「意識の流れ」って結局なんだったの?


1 :2012/12/24 〜 最終レス :2018/04/11
有名どころで言うとジェイムス・ジョイスとかマルセル・プルーストが
使ってたみたいだけど結局、あれは連想ゲームみたいな人の意識の書き方って理解でいいのかな?

2 :
競馬で一番人気を背負って出走して惨敗した馬に対しての
「○○とは何だったのか。」の競馬板スレなら全くお馴染みなんだがW

3 :
>>2
残念ながら、馬の名前じゃなく、
「意識の流れ」は1890年にウィリアムジェイムスって人が提唱した、概念やわ。
小説の技法として取り入れた作家が何人かいてね。
雪の積もる日に子供たちがかまくらを作っているのをAは見た。
「故郷の白い家、雪に覆われて。煙突から立ち上る長細い煙。白い蛇の群れ。
まとわりついて、離れやしない。」
まぁ稚拙な文で申し訳ないけど、意識の流れはこんな感じの連想ゲームのように
広がっていく思ってる。
丸谷才一って最近死去した人が日本でも広めようとしたけど…
まぁあんまり上手くいかなかったみたいねww
そういう意味では「惨敗」してるのかもw

4 :
古くはロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』なんかもそうなんだっけ?
映画だとフェデリコ・フェリーニの『8 1/2』なんかがそうだよな。

5 :
或る言葉からイメージが奔流の様に湧き出てくる、みたいな?

6 :
>>4
ロレンス・スターンはジョンロックの原理を応用してるみたいね。
そっか。映画にも使われている技法なんだな。
小説畑の人間なので勉強になります。見てみるわ。
他になんかおすすめの映画あるかな?w
>>5
そうだな。言葉や情景だな。
イメージと言っても過去の経験や見たものが中心に出てくる感じだと思うわ。
例えばこれを芸術に使うとキャラの生い立ちとか不自然な説明にならないから、自然な描写になりやすいって
メリットがあったりなかったり…w

7 :
スターンにくらべたら、プルーストなんぞ屑

8 :
>>7
調べたら夏目漱石の「吾輩は猫である」にも影響してるみたいね。
スターン意識して読むとおもしろいと思う。

9 :
デイヴィッド・ロッジ「小説の技巧」(白水社、柴田元幸・斎藤兆史訳、1997)での
「内的独白」のイメージがなるほどと思わせる。
テープレコーダーを持ちだしている点は時代を感じさせるけど。
ロッジは「意識の流れ」と「内的独白」を同じものとしている。
>読者は、ちょうど誰かの頭の中にコードを差し込み、肉体的刺激や観念連想によって
被験者の脳裏に呼び起こされる印象、思考、疑問、記憶、空想などを無限に録音し続ける
テープをヘッドホンで傍受している格好になる。

10 :
先見えのする人は振り返りもしないだろうな。



11 :
そうかもしれないなあ、プルーストやフォークナーは好きだが、
意識の流れといった手法に魅力を見出しているわけでもない。
漱石では「坑夫」が「意識の流れ」小説だと言われているが、
なぜか漱石の小説で唯一読んでいないのがこれ
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/4/wakui.pdf

12 :
>>3
ウィリアム・ジェイムスの弟のヘンリー・ジェイムスもその1人なんだろうなあ
(まだ読んだことなくて、岩波文庫の漱石「文学論」注の受け売りですが)
「意識の流れ」って、ものごとを知覚した順序に記述する、プルーストについて
ベケットが「印象主義」と名づけた手法とも共通するんですよね。
この手法の方はおそらく古びないような気がする。モダンとか前衛といったものと
違う、もっと自然なものに思われるし。

>(印象主義とは)彼が現象を述べる際の非論理的なやりかた、一連の因果関係のなかに
強引に押しこめるために現象をゆがめて、 明瞭なものにするよりさきに、まず現象を知覚
した順序にしたがって、知覚したとおりに正確に述べる、その非論理的なやりかたのことである。
ひとつの文でも単語が知覚した順序で出てくるので、翻訳者はなんとか日本語でもその語順を
崩さないで、しかも日本語として意味が通り、リズムの文章にしようと腐心することになる。

13 :
最後、「意味が通り、リズム感のある文章にしようと腐心することになる」でした。

14 :
面白い手法だけど、全編に渡ってやられるとウザいってモームがどっかで書いてた

15 :
>>9 G
小説の技巧はほんと良い本だよな。
あの本に描かれている意識の流れに対して感じる感覚は的確な表現だと思ったわ。
話がそれるけど、リズムという点で言うと、ナボコフのロリータは名作w
ヘンリージェイムスはウィリアムジェイムスと仲がよく、純粋持続っていう
意識の流れと似たような概念を提唱したアンリベルクソンの影響をも
受けていたのかな。気になるwww
フィネガンズウェイクは間違いなく、翻訳者泣かせだと思いますwwww
>>10
先を見ようとして、こけた人がいたからそう思われても仕方ないのかもw
>>14
モームさん、禿同っすwww

16 :
David Lodge の「小説の技巧」を、僕も注文しちゃった。
いい本を紹介してくれて、お二人さん、ありがとう。

17 :
意識が「流れ」であると言ったのはフッサールかな。
「イデーン」の中で言われる、体験とは眼前に繰り広げられる「体験流」であるというのは
その後の思想に大きく影響を及ぼしてる。

18 :
Wikipedia の "stream of consciousness" の項目の解説に載っている William James の
意識についての考え方。以下は、引用。
Stream of consciousness is a narrative device used in literature "to depict the multitudinous
thoughts and feelings which pass through the mind. Another phrase for it is 'interior monologue'.
"[1] The term "Stream of Consciousness" was coined by philosopher and psychologist William
James in The Principles of Psychology (1890):
consciousness, then, does not appear to itself as chopped up in bits ... it is nothing joined; it flows.
A 'river' or a 'stream' are the metaphors by which it is most naturally described. in talking of it hereafter,
lets call it the stream of thought, consciousness, or subjective life.[2]
http://en.wikipedia.org/wiki/Stream_of_consciousness_(narrative_mode)

19 :
>>1-18 諸君! 意識のし過ぎは病であるかもよ

20 :
意識ねえ……。現実を見れば
突然に普通に健康な人がいやな思い出をフラッシュバックして思い出し、
身体的動作で紛らわせる位の行為はするはずの日常なのだが、
あなた方はそういう面を看過してしまうのですか??
では

21 :
>>20
お前のような現実主義者はプルーストやジョイス読み込む資格がない。
あれらの諸作品はユーモアかファンタジーなんだから。
衒学的な言葉遊びをしたい馬鹿にこそふさわしい著作群。
ミスリーディングしている輩がなぜか偉そうにしているのが凄まじく痛々しいぜ!

22 :
>>16
おぉ注文したか。
個人的には原文の載ってる章がおもしろいと思ってる。
コラムとして書いてたみたいだから基本的にどっからでも読めるおww
>>17
現象学やってる人か、フッサールは。
先入観を排除し、事象そのものを捉えるって考え方は
ジョイスなんかが使う過去から眺める事象を扱う意識の流れと対立してる部分があるかもww
逆に興味湧いたw
>>18
ちょっと英語力あんまないけど、今から辞書使いながら読んでみる!ありがと。

23 :
>>19
病気じゃないよ!元々狂ってるだけだよ!自慢してもしゃあないけどさ…
>>20
身体的動作のとこは看過するんじゃなくて、そこも含めて
描写してみたいとは思うw大変だろうけどw
>>21
>衒学的な言葉遊びしたい馬鹿
って言われて嫌な気分にならない辺り、俺はもっと痛々しいかもしんないww

24 :
>>23のレスポンスには驚いた!!
そこいちおう煽られているんだから認めてみてどうするのよなー?(^笑^)
では

25 :
>>24
おぉ、煽られてたのかww
鈍くて、すまんw

26 :
>>18
Stream of consciousness is a narrative device used in literature to
depict the multitudinous thoughts and feelings which pass through the mind.
Another phrase for it is 'interior monologue'.
意識の流れは心を通過する非常に多くの考えや
感情を表現するために文学において使われる物語の手法である。
またそれを"内的独白"と言う。
The term "Stream of Consciousness" was coined by philosopher
and psychologist William James in The Principles of Psychology (1890):
意識の流れと言う用語は”The Principles of Psychology(1890)"において
心理学者ウィリアムジェイムズによって提唱された。
consciousness, then, does not appear to itself as chopped up in bits ...
it is nothing joined; it flows.
意識は、こまごまと切られたものとして現れるのではなく、
it is nothing joined(ここわからん!)それは流れている。
A 'river' or a 'stream' are the metaphors by which it is most naturally described.
"川"や"流れ"は最も自然に描写された隠喩である。
in talking of it hereafter, lets call it the stream of thought, consciousness, or subjective life.[2]
↑上の文は全くわからんかった!w
稚拙な訳だけどとりあえずmindの心ってのは具体的に何を意味してんのかわからんwww(思考や感情と何が違うんだろw)

27 :
>>26
consciousness, then, does not appear to itself as chopped up in bits ... it is nothing joined; it flows.
A 'river' or a 'stream' are the metaphors by which it is most naturally described. in talking of it hereafter,
lets call it the stream of thought, consciousness, or subjective life.[2]
上記の三行は、William James 自身の言葉だね。直訳するとわかりにくいので、意訳せざるを得ないけど。
「というわけで、意識というものは、それ自身に対してバラバラに切り刻まれて現れるのではない。
. . . (バラバラのものを) つないだものというわけではないのである。つまり、意識は流れているのである。
「川」や「流れ」という言葉は、意識というものを自然に説明する時に使う比喩である。以下これについて
述べるに当たっては、考え、意識、あるいは主観的な生 (生活) の流れと呼ぶことにする。[注2]

28 :
>>27
おぉ、ありがと。
わかりやすい訳で助かります。
>(バラバラのものを)つないだものというわけではないのである。
この辺りを読むと、意識の流れを連想ゲームと言う言葉は的確ではないんだろうなぁwww
あと>>26で書いたけど、ここでいう心っていうのは無意識に近いものを指すのかなw

29 :
20はバカすぎる
そういう「流れと関係ない意識現象」も、通常の意識の流れと両立するだろ

30 :
>>29
こいつ真性の知的障碍者だな ばーか

31 :
>>14
世界の十大小説だっけか
そういえばモームのスレって無いのな

32 :
仮にスレが出来ても、長続きするスレって少ないよな。大作家でも、閑古鳥スレが
多いよな。何でだろ?

33 :
俺の場合、コテハンがうざいから気力が減るってのがある

34 :
あけました。
関古鳥が鳴きそうなスレになりつつあるなw
ヘンリージェイムスの短編集手に入れたった。
ねじの話がないのが残念…

35 :
インテリ向けだからな。ハードルが高い。

36 :
仕事帰りに正月の感覚でトリストラムシャンディ買ってきた
いつ読もう…

37 :
「トリストラム・シャンディ」買ってから、丸5年間読んでないなあ
ロッジ「小説の技巧」に出てきたのが読もうと思ったきっかけ

38 :
>>35
そっかー。文学板にスレ立てたの初めてだけど、今のところ似たようなスレみたことなかったし
需要あるかなと思ったんだw
>>36,37
なんかこんなのあったよー
夏目漱石が日本に向けて書いたトリストラム・シャンディの紹介文だってさw
URLこのままあげていいんかなw
http://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/soseki/

39 :
訂正。スレ立てたこと自体初めてだったw

40 :
http://twitter.com/toyokawah
http://ja.twtrland.com/profile/toyokawah
それにしても人相が悪い
東大農学部で元日経記者の顔立ちじゃないだろ、これ
>精神科の病院で事務長やってます。それやりながら
>どっかのライブで歌ったりタクシーのこと考えたり
>硬派の雑誌に小難しい記事を書いたりしてます。
twitterは非公開になっている
紹介文が変わっていた

ビデオニュース社より
http://www.videonews.com/

41 :
>>1
立川談志の落語で言葉からの連想で話がいったん脇にそれることがある

42 :
>>41
今見てきた。意識の流れの「流れ」は川の流れを例えたことから
詩的な感じで流れるように描写する作家は多いけど、
この人のは轟々と力強く流れてく雨上がりの川みたいw
すごくおもしろかったw
立川談志のおすすめの落語とかある?聞いてみたいw

43 :
>>42
談志の落語だったら「二階ぞめき」というネタが好きだ

44 :
面白くないよね、人生短いのだから高貴で退屈なインテリ風情に付き合う必要は無い
でも、トリストラムシャンディは面白いよ、斬新w

45 :
>>43
ありがとう!
>>44
>面白くないよね、人生短いのだから高貴で退屈なインテリ風情に付き合う必要は無い
おぉ、同意だぜ〜
意識の流れは泥臭いし、生々しいから高貴とはかけ離れてるイメージあるわw
実際でも、ユリシーズとかインテリ向けとか言われてるけど、アイルランドの子供達は
爆笑しながら読むみたいねwwwインテリ向けとは俺は思わんw
みんな、トリストラムシャンディおすなーww

46 :
エジプトの古代神話に巨大な河を移動するsun-boatがあり、それを
受け継いだのが古代インド・ヨーロッパ文明のsun-chariotであり、
古代ギリシャ人は海は巨大な河だと思っていたことからすれば、
近東や欧州人の発想の中に「流れ」というものがいかに大きな要素を
占めているかが分かる。
sunを自己の意識と置き換えることは誰にでも日常に起こりうること
だしw
日本人が「意識の流れ」という表現にピンと来ないのは当然だ。
おまけにモダニズムも。

47 :
37みたいなレスに何か意味あるの?w

48 :
一見単なるチラ裏書き込みのように見せかけて
ロッジの本に「トリストラム・シャンディ」について
書かれた項目があるという情報を提供している
ことが君のような思慮の足りないやつにはわから
ないようだね
まあ、俺が某スレに書き込まないのが淋しくて、
俺にかまってほしいからそのような憎まれ口を
叩いて俺を召喚しようとしているくことはわかっ
ている
ご希望どおりにしてあげたよ
今度はほんとに意味のない書き込みをしてしまった
他の方にはすまぬ

49 :
>>48
君のは、ただのコテハンの甘えた馴れ合い以外の何物でもないだろうw
何も分かってない君はできるだけ出番を少なくしてくれたまえw

50 :
俺も色々書き込もうとしたけどこいつのせいで萎えたわ

51 :
と言って、ほんとははじめから何も語れないやつw
っていうか、わざわざこんな書き込みする時点でみえみえなんだよね
頭悪過ぎ  
>>47>>49と同じ手合い  >>33についても同じ。
折角だから「意識の流れ」ないし「思いの流れ」について
>ジェームズは、心理学者にとって第一の事実は、「ある種の思いが進行することである」
と考える。そこから、彼は、英語で‘It rains’や‘It blows’と表現するように、'It thinks’と
するのが、一番ふさわしいが、そうはいかないから、「思いが進行する」'thought goes'で
いいとした。
(南博「原典による心理学入門」講談社学術文庫、1993より、『心理学原理』第9章の
紹介、p433))

52 :
>>46
なるほど、生まれた時から流れと共に生きてきたから考え方も根っから違うってことねw
sun-boatってどんなのか気になって調べた。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/images/20071105190548.jpg
sun-boatの長い舳先を巨人が引っ張ったって書いてるけど、もしかして彼らにとって意識ってのは
自発的なもんじゃなくて、他人に引っ張られるような受動的なもんだったのかねw
そう考えると確かに全然違うなぁ。
>>50
そう言わず書き込んでくれるとうれしいんだが…まぁ無理にとは言わないw
>>51
おぉ、参考文献までw
Iとか、HeとかWeじゃなくて、Itって表現したかったのかw
「ある種の思い」ってのが意識的に浮かぶものじゃないってのを示したかったってことかな?

53 :
>>51
お前らしいよな、蘊蓄おじさんw

54 :
>>51
何故、thought goes じゃなくて
thought flowsじゃないんだ?

55 :
>>51
いくらなんでも、南博ごときでジョイスが間に合うかよw

56 :
>>55
go(進行)からstreamないしflow(流れ)へと論旨は展開する。前掲p455−456
>思いは、どのように進行するのか?……
(1)すべての思いは、個人意識の一部分になる傾向がある。
(2)各人の個人意識のなかで、思いは常に変化する。
(3)各人の個人意識のなかで、思いは連続として感じられる。
(4)それは、常に、それとは、独立な諸対象をあつかうようにみえる。
(5)それは、諸対象のある部分に関心を持ち、その他の部分を排除
する。そうして、たえず、どの部分かを受け入れ、または斥ける。 つまり、
選択をこころみるのである。
 意識は、断片に分れてあらわれるのではない。《連鎖》や《連結》は、意識が
まずあらわれる最初から、それを記述するのに適当なことばではない。それは、
つなぎ合わせたものではなく、流れるのである。《川》あるいは《流れ》というたと
えが、一番自然な記述である。
 以下、われわれは、思いの流れ、意識の流れ、主観的な生の流れとよぶこと
にしよう。

57 :
>>54のアンカーミス
>>55
南博は、俺もあんまし好きじゃなかったな。マスコミ向けに
もっともらしいけど、陳腐なコメントをする心理学者の走り
みたいに感じていた。
この本は、タイトルのとおり、素直に原典の一部を訳したり、
要約し、紹介しているにすぎない。
ところで、誰がこれでジョイスの魅力を解明できるとか言った?
君、ほんと思い込みだけでものを言う、典型的な人格障害系だねw
相変わらず、「w」つけてるし

58 :
>>56
これは駄目だ。南博の言葉の言い換え(しかも段階を経たw)に過ぎんw
「意識の流れ」という表現が先ず、訴えかけて来る時の直接性と
懸け離れてるw
じゃなw
死ぬまで高尚文学にぶら下がってろw

59 :
>>58
それ、ジェームズの原典の訳で、南博の言い換えじゃないんだけど
君、本当に読解力もなく、思い込みでしかものを見られないようだね
「高尚文学」とか変な言葉使っちゃってさ
「訴えかけて来る時の直接性と懸け離れてる」って、頭悪そうw

60 :
>>59
誤解してもしょうがないだろう。
お前の引用がまずいから。
お前はド阿呆なんだから、おとなしくすっこんでなw

61 :
負け犬の捨て台詞w

62 :
確認なんだけどまず>>51の言ってるジェームズっていうのは
ジョイスのことじゃなくて、心理学者って言ってるしウィリアムジェイムズのこと
だよな?
>>55でジョイスと言ってるので理解の齟齬が起きてるのかなと思って一応確認。
んで>>54の疑問のところは>>56で言ってるように
「流れ」というのは一般的にわかりやすいジェームズが考えた例え、比喩だと思われる。
こっからは推測↓
ただし、学問上安易な比喩表現ができないため、
goesつまり進行と原典ではそう表現するしかなかったんじゃないかなぁ。
ほんとはflowsにしたかったんじゃないかと思うんだが、
どうだろ?

63 :
>>61
事実、お前の引用の仕方はまずい。

64 :
>>61
事実、お前の引用の仕方はまずい。

65 :
>>62
交通整理サンクス

66 :
>>62
「進行する」の一態様としての、「思い」「意識」の進行の特色を列挙し、「流れ」という比喩がふさわしい
と結論づけたということでよいのではないかと。
(他に、数珠のように個々の珠、断片的思考が断続的に連なるといった進行なども考えられる)
ゆく(go)川の流れ(flow)は絶えずして(連続性)、しかももとの水にあらず(常に変化)
ジョイス云々は相手にしない方がよいかと
プルーストスレで誰にでも噛みつく荒らしが
私を追ってやって来ただけですから
まともな読解・理解を彼に期待するだけ無駄。
俺にケチをつけるのが彼の至上目的で「意識の流れ」など彼にとってどうでもいい。
ジェームズから、脊髄反射的にジョイスのことを話していると勘ちがいしたのかも

67 :
>「進行する」の一態様としての、「思い」「意識」の進行の特色を列挙し、「流れ」という比喩がふさわしい
と結論づけたということでよいのではないかと。
1、「進行する」といっても「思い」はどのように進行するのか?
2 「思い」「意識」の5つの特色を列挙
3 2の5つの特色を包括的に一言で表現するのに、「流れる」という言葉がぴったりくる
とこんな流れです。

68 :
>>66
お前の言い訳はほんと見苦しいW
俺の書いた46の方がはるかに価値あるレスだよW

69 :
フランスの哲学者であるベルクソンは、ジェイムズ心理学では
各個人の身体を起点とした知覚が心理へと転換する際の説明が曖昧になっているので
結果として人間的諸個人の心理を超えた“精神”という問題が発生する、としている。
まあ、実際ジェイムズは心霊研究なんかにも関与しているわけです。
西田幾多郎などはこのようなジェイムズの弱点(とベルクソンに思われた)を
場の哲学への補強財として積極的に利用したようなところがある。

70 :
>>68
君の負け惜しみの方が見苦しいと傍目には見えると思うけどねw
47だけじゃなく、46も君が書いたのかい?
そうだとしても自画自賛はみっともないねえ

71 :
>>66,67
なるほど、プルーストのスレでやり取りしてたんですね。
(2)各人の個人意識のなかで、思いは常に変化する。
(3)各人の個人意識のなかで、思いは連続として感じられる。
ここがおもしろいですね。個人意識の中では連続しているものと感じられるかも
しれんが、それを他者に伝わるよう文学に昇華させたのが
ヘンリージェイムズなのかなと考えるとますます興味深い…。
>>68
46のエジプトの意見の人か。
あの観点は見たことがなかったので新鮮だった!
>>69
ジェイムズとベルクソンは交流も深かったみたいね。
でもベルクソンがジェイムズと批判しているのは知らなかった。
ある程度、同調しているのは知ってたけどw
西田幾太郎か。ちょっと図書館行って借りてきたいところw

72 :
>>70
お前から引用の「丁寧さ」を除いたら何も残らないW

73 :
トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1) adhvanyaさんの感想 ...

本来のタイトルは『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』。
しかし上巻終了時点でもまだトリストラムが産まれた日のエピソード周辺をうろうろしてる。
まあ完全なる「ネタ」 ... 訳も軽妙。
昔の作品(って16世紀英国かぁ)ってユーモアがすごいなぁ! ナイス!

↑こいつ馬鹿だな。トリストラム・シャンディが16世紀だってよ

バカには、トリストラム・シャンディは読んでもらいたくないね。

74 :
ありゃ、病んで八つ当たりする人、発見。
病気とはいえ、性格悪過ぎw

75 :
性格は悪いが、別に病んでないだろ

76 :
読書メーター確認したら、名前出された人は
18世紀って、正しく書いてるんだよね。
引用している感想は別人のだった。
とんだ濡れ衣なわけ
もちろん、合っていてもひどい書き込みだが、
普通間違えるかなあ

77 :
補足しておくと、普通の人ならまずしない読み間違いを
こう立て続けにするのは変だということ
(このスレに何人も、ここまで攻撃的な人格の持主が
来るとは思えないという前提で書いている)

78 :
>>76
心理学者ジェイムズのSTREAM OF CONSCIOUSNESSは1980年に出来たのなら、
「意識の流れ」のニ大巨頭で、1でも言及されたジョイス、プルーストの
作品が登場する以前であり、しかも、作品との関連を強調する者はないと
言って良い。
ジェイムズ自身が文学作品において、この用語を適用した例さえないだろう。
単に最初に「意識の流れ」を定義したというだけで、ジェイムズの定義など
たいした問題ではない。
「意識の流れ」というなら、ジョイス、プルーストの作品において言うべきか、
あるいはお前自身が自分で考えたことを口にするべきなんだよ。あるいは、
先行者の具体的な作者、作品として例えばポーの例を挙げるとか。
お前の杓子定規な引用は文学とは無縁だW
それも誤解を排する丁寧さを失ってはな。
お前のプルーストスレでの話の進め方も杓子定規だしW
だが、お前の姑息さには本当に呆れるW

79 :
>>78
訂正
1980年→1890年

80 :
自分の優位を保とうと必死の狂人が
自分に都合のよいドグマを建てるため
にこじつけているだけじゃないか
論理になってない。
君が押し付ける規範めいたものは
杓子定規どころか、歪んでいて使い物
にならない定規ってとこ。
それで人や人の書いたものを判断する
から、君の言うことは全く参考にならない。
そもそもジェームズの定義に何か意味
があると思って書いたわけじゃないしな。
俺が言えるのは「意識の流れ」自体は
どの作品においても作品自体の魅力
と無関係っぽいということだ。
プルーストしかり、フォークナーしかり。

81 :
>>80
>>君が押し付ける規範めいたものは
杓子定規どころか、歪んでいて使い物
にならない定規ってとこ。
以下の提案は1の趣旨に概ね沿ってるはずだが。
「意識の流れ」というなら、ジョイス、プルーストの作品において言うべきか、
あるいはお前自身が自分で考えたことを口にするべきなんだよ。あるいは、
先行者の具体的な作者、作品として例えばポーの例を挙げるとか。

>>そもそもジェームズの定義に何か意味
があると思って書いたわけじゃないしな
なるほどW
姑息な言い訳だなW

82 :
この狂人と話している、何を話しても脱線していく感覚がキモいんだよね。
はじめに攻撃衝動ありきって感じで、疑似論理があとからついてくる。
このスレはこう書かなきゃって押しつけてる時点ですでに十分に変なわけ
(彼はプルーストスレで散々やってきている)
粘着と呼ばれる人種に共通のパターンだが。

83 :
>>82
>>彼はプルーストスレで散々やってきている
お前の妄想W
どっちが狂人だかW

84 :
彼の言ってることのどこが変かを指摘しても詮無いのかも知れんが
>>1からはどうみたってこう書かなきゃって、帰結は導けんし、
ジェームズがジョイス、プルーストより時代的に先行している
から、ジェームズについて言うなら、ポーなどそれより前の作品を
持ち出さなきゃいかんというのも理屈になってないんだよね。
現代にジェームズのテキストもプルーストのテキストも同時に
存在している以上、現代に生きる我々はその双方を比較して、
何か言うことは自由に決まってる。
フロイトの精神分析理論をフォークナーやもっと最近の作家に
適用して一向に構わないのと同じこと。
「意識の流れ」というタームの言いだしっぺがジェームズである
ことは間違いないわけだし、それを紹介することはこのスレで
意味がないわけがない。
すべて、俺を否定するための「ためにする」論理もどきなんだよね。

85 :
>>84
>>現代にジェームズのテキストもプルーストのテキストも同時に
存在している以上、現代に生きる我々はその双方を比較して、
何か言うことは自由に決まってる。
お前は引用以外に何か言ってたっけ?

86 :
まあ、本来、「意識の流れ」については最初の10数スレくらいでもう
言うこともなかったのだけど(作品の魅力とあまり相関関係がない)、
>>47に召喚されたので来てみたら、こんなことになったw
>>85
別に材料提供だけでいいでしょw
ほんと、屁理屈ばかり。
だったら、>>18,>>26等もジェームズの単なる紹介と訳だから同じ批判があては
まるけど俺にしか言わない。
そもそも、>>47で何の意味があるのと言われた>>37にしても、本を買ったけど
まだ読んでない的な書き込みは直前の>>36>>34にしてもそうなわけ、でも
俺だけを狙い撃ちにしている。
まあ、よほど俺のことが好きなようだなw

87 :
あ、もちろん、私は単なる引用であっても、買ったけど、まだ読んでない
いつ読もうか的な書き込みも全然OKだと思ってます。

88 :
こうやって口汚く罵り合うような人たちが我が物顔で書き込むから
文学板はどんどん衰退していくんだろうな
それではごきげんよう、存分にやってください

89 :
>>85
>>現代に生きる我々はその双方を比較して、
何か言うことは自由に決まってる。
それで、材料提供だけかよW
ま、お前はほとんど常にそれだけだがW

90 :
>>88
まあ、スルーのケースが多いが、ふと存分にやってみることがある。
それで際限のないことになるわけだけど。
屁理屈やいちゃもんに対し、言葉でやりあったら相手がどう出てくるか、
多分、平均よりも興味があるのだろう。

91 :
>>90
粘着のチンカスどもと、好きなだけやりあってくれてもいいのですよ。
Gさんは、自分の思い通りにやればいいんです。
「そのせいで俺たちは書き込む気が失せてしまった」なんていうのは、
すべて言い訳です。初めから大したこともかけないクズどもに限って、
そういうことを言う。

92 :
>「そのせいで俺たちは書き込む気が失せてしまった」なんていうのは、
すべて言い訳です。初めから大したこともかけないクズどもに限って、
そういうことを言う。
Gってのはひまで粘着質なんでしょうね。
キモイ。
普通の感覚を持っている人なら書き込む気が失せる。
2ちゃんに書いている人の方がクズだと思う。
私はもう2ちゃんに書くことも読むこともやめる。
2ちゃんはためにならないと思うから。
さようなら。

93 :
>>76
あははははは

94 :
Gがくる板は死ぬ
これ文学板の常識だお

95 :
>>92
ケチをつけるしか能のないあんたは、
最初から来なければいいのよ。
そういうことを言いながらも、
これからもネガティブキャンペーンを続けるくせに。
いつもの元祖キモネンさん。

96 :
どもw>>1ですw
賑わってる?ようで何よりです。
>>78
そうですね。過去の文学作品からどこに「意識の流れ」、あるいは
内的独白が見受けられ、どのように思ったかなど書きこむ人がいれば
うれしいですね。
しかし、意識の流れを哲学、あるいは心理学の方面から
理解することと、文学においてのその適用性というのは
指摘してもらった通り、議論してなかったと思います。
どの方向にスレを持っていきたいか深く考えておくべきでした。
反省してます。
>>80のコメントに心理学、哲学方面でできた「意識の流れ」が
文学的な魅力とは一切関係ないと書いてあるが、この主張は
よく考えればそれまでの引用から考えられたことでした。
引用による主張を見逃したのは反省です。

97 :
気がついたけど、>>27の原文は、>>56で紹介したウィリアム・ジェイムズ
自身の文章の後半部分なんですね。
Principles of Psychologyの英文wikiのリンクからテキスト全文は簡単に見ることができる。
前半の「思い」の5つの特徴FIVE CHARACTERS IN THOUGHTの箇所の原文
How does it go on? We notice immediately five important characters in the process,
of which it shall be the duty of the present chapter to treat in a general way:
1) Every thought tends to be part of a personal consciousness.
2) Within each personal consciousness thought is always changing.
3) Within each personal consciousness thought is sensibly continuous.
4) It always appears to deal with objects independent of itself.
5) It is interested in some parts of these objects to the exclusion of others, and
welcomes or rejects - chooses from among them, in a word - all the while.

98 :
>>91>>95
感謝。やはり、ほっとします。
>>92みたいな粘着の良識派演技にはほんと
辟易します。みえみえなんですが。
ほんとに成仏して、さよならしてくれたらどんなに
この板のためになることかw
>>94
「荒らし」を呼ぶ男と言われたこともあるからね。
呼ぶというより、君みたいな寄生虫がくっついて
来ちゃうw
でも、文学板のスレはその程度で死んだりはしないさ
>>93
ばつの悪さをごまかして笑ってるわけだね
おとといの晩の錯乱状態から少しは回復したかい?

99 :
>>96 お騒がせしましたw
「意識の流れ」が作品の魅力と関係ないと言ったら言い過ぎかもしれない。
しかし、それは翻訳によって大部分が失われてしまう魅力のように思う。
語順自体が大きな意味を持ってくるからです。
ある語の次になぜあの語でなくてこの語が来るのか、それがずっと連なって来る。
>>12で触れた印象主義についても同じ。翻訳は、知覚した順序に並べられた語を
日本語の統語法によって崩してしまうことになる。
まあ、そこまで味わいつくせる他国語もないし、日本語で「意識の流れ」の手法を
用いた傑作でもあれば、話は変わってくるのですが、なぜか漱石の小説では「坑夫」
(中村真一郎が「意識の流れ」小説と評価している)だけ読み切ったことがないのは
>>11で述べたとおり。
ちなみに中村が、『「意識の流れ」小説の伝統』の副題に挙げているあと2作は、
長與善郎『盲目の川』、佐藤春夫『この三つのもの』
>>11でリンク貼った論文の参考文献に挙がっています。
>>41->>43で立川談志の落語の話がでてきましたが、この論文でも『坑夫』におけ
る落語の影響に触れている。
そもそも近現代の言文一致体自体、落語(の速記録)に多くを負っているとも言われ
ている(初代三遊亭圓朝のwiki)
ジョイス、ヴァージニア・ウルフ、もしかしてローレンス・スターンをある程度、原語で
読むことができれば、かなり「意識の流れ」に対する評価も変わってくるかもしれない。
フォークナーも日本語だけで読んだときは凄さがわからなかった。フォークナースレ
の読書会で原文を対照することによってようやく凄さの片鱗に触れた気がする。

100 :
同じ白痴の一人称語りという手法が使われていても、ダニエル・キイス
『アルジャーノンに花束を』は、フォークナー『響きと怒り』のように「意識
の流れ」小説とは言われない。
どうも違いは、一言でいうとモダニズム的な時系列のシャッフルの有無
にあるように思う。
「意識の流れ」の手法を用いたと言われる代表的な作品、『響きと怒り』、
ジョイス『ユリシーズ』、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』がいずれも
ある主体の特定の1日の内的独白に過去の一連の出来事を押し込んでいる。
『響きと怒り』なら、各部ごとに独白主体が変わり、第一部なら「1928年
4月7日」(ベンジーの独白)といった標題がつけられている。
著者の頭の中は本当は時系列順の出来事のストーリーみたいなものが
あるわけで、読者は時系列がシャッフルされた内的独白からそれを聴き
取って、ある程度、時系列順に組み立て直さないとわけわからんということ
になっちゃう。当然、1回目にはそんな作業をしながら読むのは不可能。
本当は小説のどこかでこの手法をやめ、最低限抑えておくべき時系列順
の出来事がでてきた方が読者には親切。
モームが、この手法を全編に渡ってやられるとウザいと言っていたというが
>>13)もっともだと思う。

101 :
シャッフルされた時系列を並べ直すと、結局、そこには原因結果の
因果の流れみたいなものが出て来てしまうことが多い。
「意識の流れ」の手法はもしかして、そういった因果律からの解放も
目指している面があるのかもしれないけど、人間ってのは、そういった
因果はめぐるといった物語的思考(神話・悲劇、近くは欠損家庭から
アダルトチャイルドが生まれるといった物語なんかが典型)から逃れ
られないんだと思う。
時間を空間のアナロジーで把握する思考から逃れられないように。

102 :
人類って裸のままでは脆弱な生き物は、そういった原因結果の関係を発見
することにより、将来を予測し、危険を回避し、食糧を確保し、生き延び、
繁殖し発展してきたわけだから。
原因結果思考、時間の空間的把握は有用不可欠なものだったし、染みついている。
話が脱線してきましたがw

103 :
そういえば漱石がウイリアム・ジェイムズの影響下で『坑夫』を書き上げたというのは聞いたことがありますね。
漱石作品では『こころ』を第一等に掲げるスティーブ・エリクソンは
フランス心理小説などは及びもつかない心理小説の傑作だとしています。

104 :
エリクソンという作家、読んだことありませんが、彼の愛読書リストを見ると、
『『失われた時を求めて』、『響きと怒り』、『百年の孤独』等多彩で錚々たる
作品の中に『こころ』が入ってるのですね。
ジョイスは『ユリシーズ』でなく、『ダブリナーズ』が選ばれている。
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9986/culture.html
http://d.hatena.ne.jp/kiraoh/touch/20070613
漱石はおそらく英訳で読んでいるのでしょうけど、漱石の他の作品も読んでの
選択なのかなあ。
>漱石作品では『こころ』を第一等に掲げる
となると漱石の他の作品を比べて傑出しているということのようですね。

105 :
最近、河出文庫から再刊された「ナボコフの文学講義」のジョイスの講。
『ユリシーズ』第三部第三章のモリーの意識の流れが引用される。
(訳は、ひらがなとカタカナのみで句読点がない)
これに対するナボコフの次のコメントはおそらくこのスレの今までの
流れからして、共感される方が多いのでは。
「意識の流れ」が本当に自然なのか、思考は言葉だけでなくイメージ
によってもなされるのではないか等。
http://moneyhelper.seesaa.net/article/1552771.html

>読者たちはこういう意識の流れの技法に不当にも感銘を受けている。
わたしは次のようなことをよく考えるよう提案したい。まず第一に、
この技法は他の技法にくらべてより「写実的」であるわけでも、より
「科学的」であるわけでもないのだ。現に、モリーの思考の全てを
記録するかわりに、そのうちのあるものだけ描写すれば、その表現は
いっそう「写実的」、いっそう自然なものとして、人の心を打つこと
だろう。問題は、意識の流れというのも文体上の約束事であるという
ことだ。なぜならわたしたちは不断に言葉で考えているわけではない
からであるーーわたしたちはイメージによっても考える。だがこの場
合のように、描写が排除されているときには、言葉からイメージへの
切り換えが記録されうるとしても、やはりそれは直接的な言葉による
しか術はない。もう一つーーわれわれの回想のあるものは来たっては
去ってゆき、あるものはとどまる。それはいわば無定形のナメクジのよ
うにじっととどまり、大小さまざまの思考の流れがこれら岩のように
凝然としている思考のまわりを廻って流れてゆくには、多少の時間が
かかる。思考をあるがままに記録する振りをする文体の欠点は、時間
の要素をぼかしてしまい、あまりにも印刷術に頼りすぎるということだ。

106 :
承前
>ジョイスが実現したような意識の流れのなかに、自然な事件を見ては
ならない。それがひとつの現実であるとしても、それはジョイスの脳髄
作用、この小説の心を反映しているかぎりにおいてのみのことなので
ある。この小説はジョイスが発明した一つの新世界である。その世界で
は、ひとびとは言葉、文章によって考える。彼らの連想はもっぱらこの
小説の構造上の要請、作者の芸術的目的と意図によって左右される。
つけ加えておこう、もし編集者が本文(テクスト)に句読点を挿入した
としても、モリーの物思いはいささかもその楽しさ、音楽性を減じる
ことはないだろう。
(下p357−359)
つけ加えると、日本語訳で、適宜、漢字を用いても同じだと思う。
日本語にしちゃったら、ほとんど音楽性もへちまもないけど。
『ユリシーズ』やフォークナー『アブサロム、アブサロム』の訳で
ひらがなどころかカタカナにして原文の文体の変化を伝えようと
いった試みがなされているけど、やめてほしいなあと思う。
ある世代以降の人にとっては(現在生きている人の多分ほとんど)、
カタカナはほんとに読みづらいはず。
単に読みづらいだけでそれを上回るメリットがあるとは思えない。
(この講義の翻訳は、引用もふくめて、日本語として読みやすい)

107 :
表音文字であるアルファベットの場合は、ピリオドやカンマを加える
だけでよいが、全部ひらがなにされてしまうと同音異字語の極端に
多い日本語では、いちいち漢字に変換して読まなきゃいけない。
『アルジャーノンに花束を』の翻訳ですら、それで挫折しちゃったw

108 :
思いついたから連投してしまうけど
ナボコフが、フォークナーの文学を認めなかったの理由ってのも
気になる(あとトーマス・マン嫌いも有名)
河出文庫上の解説で、池澤夏樹は、ナボコフは都会人なので、
フォークナーの南部の田舎・辺境の文学へのとっかかりを見い
だせなかったのではと推察している。
池澤は彼が全作品を選ぶという企画の文学全集で、フォークナー
については「アブサロム、アブサロム」の篠田一士訳で1巻を編んで
いる。
ナボコフについては、英語でなくロシア語で書かれた「賜物」を選んで
いる。
訳者の沼野充義は、文庫版文学講義下巻の解説者。

109 :
意識の流れ」と言っても、
流れのずるずる感から、滔々と、さらには奔騰など、流れの勢いには差が
あるけれども、いずれも途切れないことが重要ではあるが、日本人には
「奔騰」というのは違和感がアルと思う。
高低差の激しい地域に生まれたメソポタミア文明には地獄(無意識世界)の
思想は多く生じた。ギリシャ本土、クレタ、その他のギリシャの島々なども。日本の四国も日本では最も高低差の激しい地形だろうが、小説の『死国』という題名にもなっている。和歌山の熊野も同様の地形である。熊野は神話や説経節の現世と地獄の往還の地に相応しい。
だが、日本では神話創世の後、穢れの思想の発達により、現世と地獄との
往還には障害が伴うようになった。
日本、その他の東洋の地獄との往還には、「浦島物語」や「夢応の鯉魚」、
あるいはヒルトンの書いたチベットを舞台にした「失われた地平線」の
ごとく、時間のギャップを生じたり、入眠や目覚めがパンクチュエイティヴ
(断裂的)である。

110 :
意識の流れ」というのは、下世話に「意識と無意識の切れ目ない
ずるずる引きずる感じ」ではないか?
津原泰水の「黄昏抜歯」も、そのようなずるずる感をモチーフにした
短編だろう。「黄昏」という風景自体が明と暗の中間的な相であり、
明暗、二極の相の融合状態を象徴している。明暗二極とは意識、
無意識に対応させて構わないだろう。つまり、ここでは「黄昏」とは
意識と無意識の切れ目なさを暗示している。歯医者の診察室において
流れる音楽と薬品の匂い、歯に対する主人公の思い込みが相まって
不条理な「意識の流れ」が展開する。薬をきっかけとしてか、主人公は
「半ば落ちて」ゆく。そして、帰路につく主人公は心の黄昏状態を
引きずったまま、タクシーを止めるに至るが、それへ乗り込む瞬間に
心の黄昏状態は消滅する。
津原自身が「黄昏」を「意識の流れ」のアナロジーと見なしていた
可能性も高い。  
意識・無意識の融合感で言えば、プルーストのスワンでの、紅茶と
マドレーヌの香のフレーバーの融合が記憶を呼び覚ます。
世阿弥の夢幻能で夢と現実が場面で分けられているのは無論だが、
日本では落語においても夢と現実はnarraitive(語り)のcontinuity
(連続性)を伴わず、多くは「落ち」に使われ、劇的である。落語の
「落」は下界(無意識)に落ちることからも来ている可能性が大きいと
思う。「らくだ」、「地獄八景」、「粗忽長屋」などは、意識と
無意識の不連続性を表現していると思う。また、「落ちる」には
意識を失うという意味もある。
つまり、日本の文化においては 、「意識の流れ」ではなく、意識の
断裂や覚醒が強調されている面が大きいのではないか?
このことが「意識の流れ」文学の日本における受容に影響している
ように思う。

111 :
なるほど〜。落語はまさに落ちる話。

112 :
津原泰水の、それも「黄昏抜歯」が例にあがるところが
2ちゃん的、あまりに2ちゃん文学板的だ。
http://dioptase7.exblog.jp/16105501/

113 :
オルテガだったのかルカーチだったのかは判然としないのですが、
例えばドン・キホーテに代表される近代小説の特性は
理想と現実というギャップから生じる批判意識を駆動因として物語を牽引していくことなのだそうです。
このギャップは個人意識の段階においては時間となり、これが共同主観的に総合化されと歴史(物語)となる。
ただ、日本の場合はこのような遠心力が言語構造などの事情から機能しないので
“場”の求心力によって時間性が消滅してしまう。
日本のいわゆる物語とは欧米の小説とは違ったものである。
まあ、こんなことをボルヘスは指摘しています。
確かに漱石の夢十夜なんかだと回帰してしまうんですよね。
しかし、ジェイムズの強い影響下で書かれたとされる『坑夫』はどうなんだろうか?
それとジョイスは社会主義リアリズムの作家として出発しながらも
ヴィーコの循環史観(と詩学)を利用して『ユリシーズ』を発表した。
つまり転向文学者による回帰思想でもあるわけです。
では、この“回帰”とは日本的回帰(とボルヘスが想定する)とどう違うのか?

114 :
Gもナボコフかったのか。買ったものの積んでる。

115 :
>>114
阪急コミュニケーション版、プレミアついてたので、数年前、原書で
買ったが、序文で挫折。ナボコフって、すごいリア充だったんだな
という印象が残った。
文庫版は待望ってことで、刊行されるや取寄せて、すぐ読んだ。
といっても丁寧に読んだのは『失われた時を求めて』と『ユリシーズ』
の講義。この2つは、編者が引用を充実させたりして、かなり補われ
てるらしいけど、それが見事に嵌ってると思う。
『ユリシーズ』を読むとっかかりとして秀逸じゃないかなあ。どこを
どう楽しみながら読んだらよいかがイメージできた。

116 :
川端康成の小説に「意識の流れ」手法を見出そうとする次の
論文を見ると、「意識の流れ」は「自由連想」とあまり違わ
ないような捉え方をされている。
>フロイトは人間の無意識を明確にするために、自由連想」という方法を発展
させた。フロイトは「自由連想」で患者に思い浮かぶことをそのまま直接に話
させる。そうすることで無意識の中にある患者の想念や悩みなどが湧き上がる
と考えていたようである。
この外人、ジョイスを知る前から川端が意識の流れ的小説を
書いていたと言っているが、自由連想≒意識の流れと考えると
連歌や連句がすでに自由連想に通じる面を持ってわけだから、
ジョイスを待つまでもない。フロイトすらも。
(つきすぎず離れすぎずの連想。月並でなくしかもずれていないことが
必要。メタファーともつながりそう)
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/4/4-01.pdf
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/3/3-17.pdf
ちなみに、ナボコフのジョイス講義でも、自由連想的なものを「意識
の流れ」と呼ぶ箇所が多いように感じた。

117 :
文学研究における意識の流れ小説の古典的著書はこれのようだ。
Robert Humphrey;Stream of Consciousness in the Modern Novel(1954)
ロバート・ハンフリー『現代の小説と意識の流れ』(英宝社、1970)
手持ちの松柏社フォークナー事典の「意識の流れ」手法の項目をみると
ハンフリーは「主として作中人物たちの意識の姿を描き出すために、言語
表現以前の彼らの意識の究明に重点を置く方の小説」と定義づけ、この
型の小説の作者としては、ドロシー・M・リチャードソン、プルースト、ジョイス、
ヴァージニア・ウルフ、フォークナーの名を挙げているようだ。
言語表現以前の意識と無意識との関係いかん?
とりあえず、ハンフリーの邦訳注文してみた。
英文だけど、概説的な記事
http://engl352.pbworks.com/w/page/18970054/Stream%20of%20Consciousnes

118 :
>>103>>104
リテレールの1992冬号入手しました。
スティーヴ・エリクソンの「こころ」評は以下のとおり(訳は柴田元幸)
>日本の古い小説『こゝろ』の感情の精密な描きぶりにも驚いた
(翻訳でもはっきり伝わってくる!)。三十年後のフランス小説の
実存的傾向を先取りしている点も凄い。『こゝろ』に較べると、
フランス小説など、ほとんど浅薄でもお目出たいといってもいい
くらいだ。

119 :
結局、Gには何も分かりませんw

120 :
もともと「意識の流れ」ってタームが曖昧なんだよね。
>>119
低級な煽り、さすがトンデモなピント外れの妄言しか
書けないやつだけあるw

121 :
ようやく、kindleで『坑夫』落として読み始めた。
非常に実験小説的な作品。だから昔、最後まで読みとおせなかった
ようだ。実験小説は古びやすい。
現在の時点から、19歳の自分を顧みながら、19歳の自分のそのとき
の心理を分析的にときには混沌としたままに再現しようとしている。
「意識の流れ」だとか当時の心理学を意識したようなところがありそう。

122 :
「意識の流れ」を理解する上でGのレスは何の役にも立たないだろうな。

123 :
役に立つことなど期待してないしね
君は自分のトンデモ書き込みが有害無益だって
ことに気づいてないようだね
つくづくお目出度い人だw

124 :
>>122
おい、本スレ主、お前が研究者になれなかったのはお前の根性が腐ってて、
しかも creativity が完全に欠落してるからであることは明らかであることを
いまだに自覚してないみたいだな。
「零細」出版社からさえリストラされ、さらには人生からリストラされたお前の、
Gさんに対するプルーストスレでの嫌がらせが失敗し続けているからといって、
この「意識の流れ」スレにまで遠征してくるのは、いい加減にやめろ。
見苦しくってたまらぬ。「人生リストラ」野郎。

125 :
>>124
うっかりと、一行目に「本スレ主」と書いてしまったけど、これはこのスレ「意識の流れスレ」を
立てた人という意味ではありません。この「本スレ主」は、「マルセルプルースト本スレ」を
立てた人という意味です。このプルースト本スレの主(通称「本スレ主」)は、「マルセルプルーストのスレ」に
おいて、実に陰湿にGさんを数年にわたって執拗に攻撃し続けているのです。

126 :
>>124 d
ロバート・ハンフリー「現代小説と意識の流れ」一応読んだけど
作品読まないことにははじまらなさそうだ。
次の作品あたりは目を通しておきたいと読みつつあるところです。

ジョイス(「若き芸術家の肖像」)「ユリシーズ」
フォークナー「響きと怒り」「死の床に横たわりて」(「アブサロム、アブサロム!」)
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」「灯台へ」「波」
括弧はWilliam Faulkner Encyclopediaで言及のあった作品
その他はハンフリーの著書で引用が出て来る。
フォークナーは一応読んだことあり。
ウルフは「ダロウェイ夫人」は光文社文庫の訳で2回読んでみた。
「ユリシーズ」はまだ文庫の1巻目の途中。

127 :
ハンフリーの著書より。前意識と無意識との関係等
p6
意識とは、心意の動きの全領域を示す言葉で、そこには前意識から、心のさまざまな段階を経て、
合理的で伝達可能の知識という高次の段階までが含まれる。
Consciousuness indicates the entire area of mental attention, from preconsciousness on
through the levels of the mind up to and including the highest one of rational,
communicable awareness.
*前意識とは無意識的精神過程のうち、思いだそうと努力すれば、意識にのぼらせ得るものをいう(訳注)。
p7
意識には明瞭に区別されるふたつの段階がある。すなわち、〈言語表現の段階〉と〈言語表現以前の
段階〉と。
There are two levels of consciousness which can be rather simply distinguished: the“speech
level”and the“prespeech level.”
p7
約言すれば、言語表現以前の意識は抑制することもできねば、理性的な規制も受けつけず、論理的な
秩序も持たないのである。そこで今後は、〈意識〉は、特に言語表現以前の段階を含む、心的過程の
前領域をさすということにしよう。
In short, the prespeech levels of consciousness are not censored, rationally controlled,
or logically ordered. By“consciousness,”then, I shall mean the whole area of mental
process, including especially the prespeech levels.
p8
以上のように意識の概念をたどったところで、われわれは意識の流れの小説を次のように定義すること
ができよう。すなわち、主として作中人物たちの意識の姿を描き出すために、言語表現以前の彼らの
意識の究明に重点を置く型の小説であると。
With such a concept of consciousness, we may define stream-of-consciousness fiction as a type
of fiction in which the basic emphasis is placed on exploration of the prespeech levels of
consciousness for the purpose, primarily, of revealing the psychic being of the characters.

128 :
「流れ」にはあまり拘泥しない方がいい
p12
〈流れ〉という言葉は、さしあたり問題とすることはない、というのは意識が流れるものだとわかって
いたら、それをどう呼んでもいいわけで、たんに呼び方の問題にすぎないのだから。
The word“sream”need not concern us immediately, for representation of the flow of consciousness
is, provided one is convinced that consciousness flows, entirely a matter of technique.
p71
しかしこの〈流れ動く〉という言葉はかならずしも滑るような流れを意味しない。意識の流れは無意識
の状態に近い段階で見られるかもしれないが、表面に近い前言語段階がおよその意識の流れの小説の主題
なので、外界から流れにむかって投じられる制止や妨害が、われわれの重要な研究対象となる。つまり、
〈流れ〉なる言葉自体が正鵠を射ていないのである。持続する性質や妨害にたいして瞬時は乱れても
すぐにそれを呑み込んでしまう性質、ひとつの段階から別な段階に自在に移行できる性質を示すためには、
流動の観念に綜合の観念を加えねばならない。
“Fluid”does not mean a smooth flow necessarily. The flow of consciousness, it might be admitted,
is found on levels nearing the state of unconsciousness, but as the prespeech levels nearer the
surfice are the subject of most stream-of-consciousness fiction, the checks and interferences to
the flow from the outer world become an important consideration. In short, the term“stream”is
not fully descriptive. The notion of synthesis must be added to that of flux to indicate the
quality of being sustained, of being able to absorb interferences after the flow is momentarily
broken, and of being able to pass freely from one level of consciousness to another.

129 :
p72
意識の動きのもうひとつの重要な特徴は、時間のなかを自由に移動する能力――それ自身の感覚的時間を
見出そうとする傾向である。そこには、伝達を目的として心的経過が合理的に制御されるまでは、かなら
ずしも生活時間的な順序には従わないという前提がある。さらには、この〈時点〉にあっては、現実には
時計の上で、どれだけの時間を占める事件であろうと、意識の中では、細分化されることで際限なく拡大
もされるし、逆に、認知の一瞬に凝集することもある。
The other important characteristic of the movement of consciousness is its ability to move
freely in time――its tendency to find its own time sense, The premise it that the psychic
processes, before they are rationally controlled for communication pruposes, do not follow
a calendar continuity. Everthing that enters consciousness is there at the“present moment”;
furthermore, the event of this “moment,”no matter how much clock time it occupies, may be
infinitely extended by being broken up into its parts, or it may be highly compressed into
a flash of recognition.

130 :
自由連想の原理の応用という技法
p72
小説の中で、意識の流れの動きを制御するおもな技法は、心理学上の自由連想の原理を応用することであった。
The chief technique in controlling of stream of consciousness in fiction has been an application
of the principles of psychological free assosiation.
p73
自由連想の重要性や、それを巧妙に駆使することによって心的経過の中での動きの性質も描出できる経緯は、
ジョイスの作品中の内的独白の技法の中にあますところなく看取される。モリー・ブルームの意識の本質的
内容を分析してみると有益である。
The importance of free association and the skill with which it can be used to represent the
quality of movement in the psychic precesses is most clearly represented by the interior
monologue technique in Joyce's work.The elemental content of Molly Bloom's psyche lends itself
to informative analysis.
その他、映画のMontageの技法の適用、メタファーmetaphorやシンボルsymbolの趣向、さらには句読点の
約束the convention of punctuationの改変(p201)

131 :
リーダビリティのためのプロットに代わるパターンの必要性
p142
芸術、とりわけ小説という芸術は、パターンと拘束と、それに明確さとを要求する。小説の読者がそれを
要求するのだ、読者はそれらを手がかりに、自分たちの無拘束の意識を集中し、作品を理解し、解釈しよう
とするのである。したがって作家をその素材に何らかの形でパターンを、あるいは形式を課さねばならない。
Art, the art of fiction, demands pattern, discipline, and clarity. The reader of fiction demands
these things, and he must have them in order to have his own undisciplined consciousness focused
and in order to be able to understand and interpret. Consequently, the writer must somehow impose
pattern, or form, on his material.

132 :
承前(本書の最後の部分)
p202 
意識は前言語段階にあってはパターンをなしていない。意識はその本性から、行為とは離れて存在するので
ある。つまりこれではプロットは意識と平行線をたどって、まじわることがなかった。したがって意識という
混迷の素材には、或る種のパターンが重ねられなければならなかった。うまく仕組まれたプロットの代りに
作家たちは、あらゆる種類の統一の趣向を案出した。彼らは小説がこれまでに創始してきた古典的な統一
手段の数々に密着しようとした。彼らは文学上の雛型や、歴史の循環、音楽の構成などに倣って自己の作品
にパターンを与えた。彼らはまた、複雑な象徴的構成を使い、ついには外面的プロットを意識の流れと融合
させるところまで行きついたのだ!
Consciousness is in its prespeech levels umpatterned; a consciousness by its nature exists independent of action. In short, plot had to go by the wayside. Yet some kind of pattern had to
be superimposed on the chaotic materials of consciousness. In lieu of a well-made plot, the
writers devised all sorts of unities. They managed the closest adherence to the classical unities
that the novel had ever produced; they patterned thier work after literary models, historical
cycles, and musical structure; they even managed to fuse external plot with sream of consciousness!

歴史の循環は、>>113さんの触れているヴィーコ、音楽の構成は、ソナタ形式、ワーグナーの楽劇のライト
モチーフ等。

133 :
ちがうなあ

134 :
>>133
負け犬が、ほざいてるw

135 :
>>133
根性が腐ってて自分の意見も言えないくせにつまらない挑発はいい加減にやめろ。

136 :
>>133
マルセル・プルーストの本スレの主

137 :
確かポール・ド・マンあたりが述べていたことだと思いますが
ロマン派以前の作家にとって先行テキストを形式的に抽出して
再構成することに対して疚しさはなかったが
ロマン派以降はオリジナリティという点で疚しさが生じることになり
これが伝統(と作者には思われるもの)との断絶という自意識の発見と
その克服という傾向につながった、と。
あと、基本パターンの再構成による言語化(あるいは明瞭化)という点では
カッシーラーに似ていますね。
普通は意識の流れといえば英米系文心理主義の流れで考えられますが
ハンフリーの捉え方はドイツ思想やその傍流に似通ったところがありますね。

138 :
>>134->>136
d でも、本スレ主は、コテは名乗らないんじゃないかと。
>>133の人は必ずしも悪い意味で「ちがうなあ」と書いているのではないかも
しれませんね。
検索したら、2年以上前からこのコテ名とトリップでかなり書き込みをしている。
ちょっと見た限り、むしろ、粘着される側っぽい。
芸術デザイン板と哲学板への書き込みが中心でえびね(つくだに)さんとのやり
とりもありますね。

139 :
>>138
べつに悪いいみじゃないですよ。
「意識」が流れるというのは自己あるいは読者から見て「川のように」ではなくて
自己あるいは読者「から」、まはた「に向かって」流れるのだということです。

140 :
>>139
>べつに悪いいみじゃないですよ。
やはり、そうでしたか。

141 :
>>140
Gさんはプルーストよく読んでると思います。
プルーストは、モンテーニュやパスカル以降のフランス文学の身体的な「繊細」を持ってますよね。
ゾラやユゴーが省略してしまったそれが生き生きと楽しめるので私も一愛好者です。

142 :
吉川一義先生が強調されているモラリスト的な面もおもしろい。

143 :
>>139
悪い意味ではなかったんですね。どうも、本当に失礼いたしました。
実は、プルーストスレを初めとして、それに似た短い書き込みで
嫌味を連投する人が多いもんですから、ついつい勘違いしてしまいました。
それから、コテハンを今度は名乗るふりをするという新しい手練手管を
例の粘着男が使い始めたのかもしれないと思ってしまったのです。

144 :
包茎チンカスボーイは見境なく噛み付く狂犬じゃねえか
飼い犬ねしつけぐらいしとけよ、G

145 :
>>144
大脳欠損症患者の本スレ主は、
相変わらず嫌味ばっかり言ってるじゃねえか。
幼稚園にもう一度通わせてやれよ、G
www

146 :
それ、言葉に詰まった。
大脳が欠損してるから、すぐに
「は?」としか言えなくなる w

147 :
「意識の流れ」は当初はモダニズムと相まって前衛的手法・実験的手法と
して現れたけど、現在では内的世界を描く一技法として定着し、陳腐化
している面がある。
1954年の時点で、ハンフリーはすでに次のように言っている。
「現代の小説と意識の流れ」p189−190
>意識の流れは今ではもはや陳腐な技法にすぎない。
>性格描写の方法としての意識の流れは、新しく公認された実在となった。
芸術は常に人間の〈内的生活〉を動態的に表現し、対象化しようと努めて
きた。意識の流れが摘出した〈内的生活〉がすでにしてひとつの実在であって、
いかなる意識にも通用することをわれわれは認めているのだし、この実在を
伝達するための技法、趣向、形式も確立されている以上、小説芸術は従来に
なくその目的達成に接近していることになろう。
 しかしながら人間の内的生活、つまり前言語段階の意識が小説の主題として
妥当であるということが受け入れられた事実は注目してみる必要がある。

148 :
フォークナーと同時代人のハメットに始まるハードボイルドの手法は、あえて
三人称で、行動や表情の客観的描写により、直接描写されない登場人物の内的
生活・前言語段階の意識を読者に想像させる点でやはり、「意識の流れ」小説
出現後の手法なんだと思う。
この手法もその後、陳腐化していくわけだけど。
フォークナー研究者の諏訪部浩一は、「意識の流れ」を裏返したという言い方を
している。「『マルタの鷹』講義」(研究社、2012)p7より
>(ハメットは)『マルタの鷹』を書こうとしている時期(一九二八年三月)に編集者に
宛てた手紙では、探偵小説に「意識の流れ」の手法を応用したいと記し……
>いうまでもなく、『マルタの鷹』には「意識の流れ」というハイ・モダニスト的
な技法は用いられていない。だが、そういった方法論的な問題意識が深く内面化さ
れていたからこそ、「意識の流れ」をいわば裏返す形で、探偵の内面をいっさい
開示しない三人称をハメットが採用することになったと考えることは可能であろう。

149 :
プルーストの『失われた時を求めて』も「意識の流れ」の小説と言われることが多いが、
ハンフリーはそれを否定する。前掲p8
>『失われた時を求めて』は、たんに意識の回想性しか扱っていないのである。プル
ーストは細心の注意をはらって過去を捉えて伝達しようとしたのである。したがって
彼は意識の流れの小説を書いたのではない。意識は氷山のような形をしたものと考えて
みよう――もちろん、水面上のわずかな部部ではなしに、氷山全体の形をである。この
比喩でいくと、意識の流れの小説は水面下にかくれている、より大きな部分の方に密接
に係わりあっている。
ただ、「スワンの恋」の終りの方にでてくるスワンの夢、また、「心情の間歇」にでて
くる語り手の夢は言語表現以前の意識から無意識世界を垣間見させるものがある。
ことに後者は、「意識の流れ」の一技法の内的独白に似ている。
中村真一郎が、1980年代に南米小説の特質として語った次の箇所
(「読書三昧」新潮社、1985)
>作品の地肌が夢に似ているという点である。大体が、現実が内面化されるということは、
作者の眼が無意識世界へ投射されるということで、「二十世紀小説」の特徴のひとつは、
無意識界の表現ということになっていた。このために小説のなかに夢の登場するのも稀
ではなくなる。

150 :
集英社文庫の「ユリシーズ」Uに三浦雅士が寄せたエッセイ
「ユリシーズ」の最大の魅力は意識の流れの手法などにはない。
この手法がうまく活用されているのは、ヴァージニア・ウルフ
「灯台へ」のような小品であるとし、さらに
>いちばん成功しているのは、たとえば宮澤賢治が自分で「心象
スケッチ」と称して書いていた一連の詩じゃないかと思えるほどで、
あれこそ「意識の流れ」そのものです。この手法は、揺れ動く心象
世界を描くにはいいけど、物語をつたえるには必ずしも適切な手段
じゃない。
という。
確かに、賢治の「小岩井農場」や「真空溶媒」に自分も「意識の流れ」
っぽいと自分も感じる。妹としの死後の一連の挽歌もそうだな。
いずれも「春と修羅」第1集所収。
http://www.ihatov.cc/poems.htm

151 :
>>147
可能です。
以上。
↓次の方どうぞ

152 :
明治期の日本文学こそ意識の流れの奔流の宝庫、一例をあげれば、
森鴎外の『高瀬舟』。

153 :
文学史(近代)〜ツイべん。シリーズ〜
030.【新感覚派】 私小説に反逆し、現実生活を治政に裏付けされた鋭い感覚でとらえ、芸術の美を求めて新しい表現技巧を生み出そうとした。
後には内面における意識の流れを描こうとする心理的傾向に移った。横光利一、川端康成がいる。

萱原里砂
ヴァージニア・ウルフが短編の中で描こうとした『意識の流れ』は私の想像の中で登場人物達の間をハンディカメラで捉えていく映像のようになっていった。
一編読み終えるとなんだか短編映画を見たような気分になることも。
この感覚の表現、瞬間の捉え方を当時の批評家は印象派の手法を実践したと評した。
2016年1月17日

えかきのルロアさん
フォークナーの『響きと怒り』(1929)の第1部における、「30代の知的な障碍者の意識の流れ」とかも超有名ですね。
あれも面白いけど、現在の水準にあってはツッコミどころがないわけではないし、
ベケットによる障碍者の表象の方がラディカルさにおいては上でしょう、というのが小子の判断だね。
2016年1月18日

154 :
行き着く先は「ちゃかぽこ、ちゃかぽこ」になると思われる
いずれにせよ病的だ

低俗でもいい、私はモーム派

155 :
のお

156 :
言葉のサラダ

157 :
陽の当たる側に渡り、七五番地のゆるんだ揚げ蓋をよけて歩く。太陽はジョージ協会の尖塔に近づいている。

今日は暑くなりそうだ。とくにこんな黒服を着ていちゃなおさら。黒は熱を伝導し、反射する(屈折するだっけ?)。
かといってあの明るいスーツを着ていくわけにもいくまい...

なんだか若者気分になってきた。どこか東方の地、朝まだき、夜明けとともに出立。太陽より一足先にぐるりと一周、一日分先回りする。
それをいつまでも続ければ、理論上は一日も年を取らない。砂浜を、異国の地を歩いていき、市の城門へ着くと、そこに歩哨がいる。...

ラーリー・オロークの店まで来た。地下の酒蔵の格子から黒ビールのぶよんとした余臭が漂う。
開け放った戸口の奥から酒場が生姜や茶がらやふやけビスケットのにおいをぷんぷん吐き出す。
繁盛してるんだ、とにかく。市の交通のちょうど終点だからな。たとえばこの先のマッコーリーの店なんかは、場所がダメ。
もちろん北環状線沿いに家畜市場から河岸まで電車が走ることにでもなれば値は一気に跳ね上がるだろうが。
http://finnegans-tavern.com/hce/bb/042-/

158 :
言語のベジタリアン 文化のラマダン

159 :
言語のラマダン 文化のベジタリアン

160 :
>>157
ジョイスか。読みやすいね。

161 :
意識は連想によって流れ作られている その流れの中に無意識も見え隠れする
このような発見を小説作成上の方法として取り入れる流行があった
自分の意識を鏡で見せられるような驚きがあった
しかしあくまで方法なので、後発は物真似感が強くて廃れた

162 :
ウルフの『ダロウェイ夫人』を原書で再読したがハマると気持ちがいい
ただし文脈を取り違えると???になってしまう
読みやすさと芸術的効果と、やはり相反する部分がある。難しいところ

163 :
すげえな 小説を原書で それもウルフって 何者なの?
専門の論文とかは何とか読めるが 小説とかほとんど無理だ

164 :
あと、消しゴム頭みたいな。映画だけど
意識とか知覚とか、そんなもんflowsで書いたらもっと目茶苦茶になる

ヴァージニア・ウルフ他成功例といわれる作品がおかしくならないのは、少なくとも書き手が、美しく書こうという読者との共通認識を保っていたから
完全に個人的、内的な知覚や意識のタレ流しなぞ気色悪いばかり

165 :
デイヴィッド・チャーマーズ
あなたは意識をどう説明しますか?
https://www.ted.com/talks/david_chalmers_how_do_you_explain_consciousness/transcript?language=ja

今 この瞬間 あなたは頭の中で映画を見ています マルチトラックのすごい映画です
あなたが今 見聞きしていることを 3Dやサラウンド音響で再生します これはほんの序の口です
映画なのに匂いや味があり 触れることもできます 身体の感覚があるので
痛みもあるし お腹もすくし オルガスムもあります さらに 感情があり 怒りや幸福を感じます
記憶もあり 子どもの頃の場面が 目の前で再生されるのです
そして 常に意識の流れの ナレーションが流れています
この映画の主人公は これらすべてを 直接経験するあなた自身なのです
この映画はあなたの 意識の流れそのものであり つまり 心の中と世界における経験の主体なのです

意識とは人間の実存における 基本要素の1つです 誰でも意識があります
私たちは皆 内なる映画を持っているのです あなたも あなたも あなたもです
私たちがこれより直接的に 知っているものは他にありません
少なくとも 私は自分の意識については 直接的に知っています あなた方に意識があるかについては はっきり分かりませんが

166 :
ウルフは意識の流れという手法で作品を書いたのではなく、作品をあるべき形で書き、
それを後に説明する時に、意識の流れという手法によって説明したというようなことを言っていた
手法→作品ではなく、作品→手法

167 :
成功事例はほとんどがそのパターン
ベケットしかり

168 :
意識の流れなんか蘊蓄するよりも、こっちの読み方のほうがただしい。何より健全だ

>45
ユリシーズ
>アイルランドのこどもたちは爆笑しながら読むみたい

169 :
くわばたおはらやすなり公の意識の流れもよく分かりません。

170 :
プルーストは面白かったがジョイスはさっぱり入って行けなかった
フォークナーは好きでだいたい読んだが、マルカム・ラウリーの火山の下は
何度読もうとしても100ページ以上読めない

171 :
ちゃかぽこ、ちゃかぽこ

172 :
源氏物語って、意識の流れそのもんだろう?
草子地と会話文と心中思惟が混然一体化(未分化?)し、ウルフやジョイスが
読めばビックリするよ。
わざわざ外国文学を読まなくても、立派な見本が手近にあるじゃねえか。

173 :
作品が長持ちしそうなのはプルーストだよな
ジョイスも覚悟の上でのあれだろうが

174 :
プルーストは未だ読む勇気が湧かない

175 :
ねじの回転、あとがき解説よんでたら、カフカもこれだと
相性悪いな〜

176 :
それだけで最終形態として成立するものではないことはわかった

177 :
どうでもいいけど、ねじの回転、そんなにいいかね
なんか冗長でかったるいうえに尻切れトンボだし、無垢のアメリカ経験のヨーロッパがどうのというヘンリー・ジェイムズ問題もあまり関係ない
ヨーロピアンゴシックでも書いたつもりなんだろうか・・・

178 :
そんなあなには和製ミステリーがおすすめ

179 :
ビュトールが8月24日に死んだらしい。

180 :
西鶴が42才の時、速吟で一日に24000の俳句を作ったという話は、言葉が自然に溢れ出して来るような状態が長時間持続するということで、「意識の流れ」とのアナロジーが存在するかに俺にはおもえるんだが。

181 :
1日に100回以上ツイートをする人が日本に2000人はいる

182 :
BDSMと意識の流れの関係なら、catyherine robbe=grilletや赤坂真理を見るも良し。
Alain robbe=grilletとセックスレスでハードなサドマゾごっこに勤しんでたらしいが。

183 :
鈴木大拙著 : 日本的霊性
http://culturemk.exblog.jp/25218111/

鈴木の伴侶は、ベアトリス・レイン (Beatrice Lane) という米国人女性であった。
彼女は神智学者であり、禅の研究のために日本に来ていて、鈴木とも若き日に円覚寺で出会ったが、
結婚したのは 1911年、鈴木 41歳のとき。これは 1925年頃の写真で、左に見えるのは養子のヴィクターである。

このベアトリスについて、日本語でネット検索してもあまり情報は出てこないが、英文サイトならいろいろと情報を得ることができる。
1878年ニュージャージー生まれだから、鈴木よりも 8歳下。あのガートルード・スタインと大学で同級生であったらしい。
彼女らが学んでいたのはラドクリフ・カレッジというところで、講師は心理学者のウィリアム・ジェイムズ。
この人の名前は知らなかったが、調べてみると、「意識の流れ」理論を提唱したという。

184 :
ビートたけし「あああん!あべぴょん、らめえええええええ!ひぎぃ!アナルが裂けちゃううううううっ!んぐっ!あっあん!」

185 :
あげ

186 :
人間不信の意識の流れが喜劇、悲劇としては一番面白いと思うよ。

シェイクスピア―

ふるえる 焔。

187 :
意識の流れは卓袱台のようにひっくり返されることもあるよね
三島由紀夫なんかはそのあたり自覚的だったかもしれん

188 :
帝大はひとまとめに帝大系文学スレでもいいけど。

189 :
越境する小説文体―意識の流れ、魔術的リアリズム、ブラックユーモア (水声文庫)
橋本 陽介 (著)
出版社: 水声社 (2017/6/1)

第1章 ジョイス『ユリシーズ』の断片的形式と伊藤整、川端康成
第2章 中国における1920年代から40年代にかけての「意識の流れ」
第3章 新時期中国における「意識の流れ」と高行健の「言葉の流れ」
第4章 魔術的リアリズムの文体とその中国における変容
第5章 ブラックユーモア

190 :
たとえば有名な作品を例にとると、作中人物がその作品自体を読んでいるというセルバンテスの『ドン・キホーテ』や、
射精から始まる自伝でページが真っ黒に塗られた『トリスタラム・シャンディ』や、
言葉遊び甚だしい『不思議の国のアリス』や、意識の流れをそのまま文章にしたプルーストやフォークナーやケルアック、
何の教訓を感じ取れば良いのかわからないそして誰も来ない不条理すぎるカフカやベケット、
文章をハサミで切ってつなぎ合わせたウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』、
メタファーや引用が細かすぎてストーリーそっちのけのナブコフ『ロリータ』、
普通の田舎ののほほんとした話なのに普通に人が空飛んだりするガルシア=マルケス、
生物と無生物の間を空想科学で書いたサイバーパンク、
博学で猥雑で荒唐無稽でストーリーぐちゃぐちゃだけどくそまじめなピンチョン、
あり得たかもしれない複数の歴史をパラレルに同時に描くエリクソン『黒い時計の旅』、
適当に言葉を並べただけのオートマティスム、全人類の歴史をひとつの家族に凝縮した多国語ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』、
何も起こらない探偵小説であるオースターの『幽霊たち』、
SFで自伝を書くヴォネガット『スローターハウス5』など、そういう作品に、なぜか特別に魅力を感じてきたように思う。
http://asahisism8.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html

191 :
結局 (ゆいてすと)
ペッペル仮説によれば、ヒトの意識はおよそ 3 秒ごとにリフレッシュされるという
2016年8月22日

192 :
山下達郎さん サンデーソングブック 2010年1月10日「新春放談 ゲスト大瀧詠一(2)」

大瀧氏:僕もそう思ってますね。だから、それが行き過ぎるとね、ずーっつと千本ノックやってるでしょ、
一日6本とかね、曲だって6時間聴きっぱなしとかさ、1曲ごと、いちいち考えてる暇ないんだよね。
聴いて終わったら次なんだよ。終わったら次。やっぱりね、次がいいよ。

193 :
日本にはこの手法を使う作家っていないのか?

194 :
意識の流れ 、真空 とか、真如 とかの方が進んだ世界だよ。

195 :
意識不明の継体とか?レコード掛け後?

196 :
唯識 阿頼耶識 ? 認知色覚識。無はちょっとな。

197 :2018/04/11
筒井康隆がSFでやったぐらいしか
日本では流行らなかった

柳下毅一郎
【小説】1984【ジョージ・オーウェル】
大嫌いな作家挙げてけ
現代文学に足りないもの
アメリカ文学総合スレpart5
騎士団長殺し読み終わったぞ!!!
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