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探検の歴史 第2航海


1 :2019/10/07 〜 最終レス :2020/06/21
探検の歴史はロマンの宝庫!

前スレ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1284172512/

2 :
今だ!2ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ∩ ∩
   〜| ∪ |         (´´
   ヘノ  ノ       (´⌒(´
  ((つ ノ⊃≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
   ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒;;


     ∧∧          (´;;
    (゚Д゚ ,)⌒ヽ    (´⌒(´
     U‐U^(,,⊃'〜... (´⌒(´⌒;;

3 :
北極探検で沈んだ19世紀の軍艦、驚きの内部を公開
歴史の大いなる謎、フランクリン探検隊の結末に迫る
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/083000505/

前スレでも出ていたテラー号の船内に入って調査した由

4 :
船長の寝室はまだ未調査というが
そこにフランクリンが横たわっていたら
またニュースで注目されそう

5 :
探検家ウィリアム・ダンピアがWebで漫画化されていた。
私掠船乗りで博物学者でグルメでもあるダンピアくん。
こういうスタンスなら海賊生活もわるくない・・・かな
http://matogrosso.jp/dampier/01.html

6 :
航海時クロノメーターと現地時刻の時計とがあれば経度が測れるようになったとか書いてる本があったが
航海時に現地時刻の時計って要ったのかな。
現地時刻知るためには太陽とか星とか見なきゃならなかったろうし
知るたびに時刻の修正をしなきゃならなそうで意味なさそうな気がするけど

7 :
>現地時刻の時計
っていうのが良く分からないが・・・
それはいったい何という本?
クロノメーターと天測で経度はでるだろう。

8 :
>>6
それ逆ですね
現地時刻の時計が
たぶん天測を補足します

9 :
>>6
あ、逆ではないのかw
現地時刻の修正が必要なのは間違いないと思いますね
むしろそれが目的なので

10 :
>>5
完全にグルメ紀行でございましたww

11 :
初めての世界で初めての食材を初めて料理して食うって(●>ω<●)
舌の味覚の探検だな。

12 :
>>6
時計が安価になった頃なら砂時計に変わり船内時間様にもう一個時計使ったりはありそうてか今はそんなだろうか。
しかしクロノメーターが高価ならもう一つの時計はクロノメーターじゃなくて当時の並の時計とかか…

13 :
>>7
>経度を測るには、異なる二地点の時間を同時に知ることが不可欠だ。
>いまなら安物の腕時計が二個あればすむ話だが、振り子時計の時代にはきわめて難しいことだった。
「経度への挑戦」13ページ

14 :
今の安物の腕時計>開発時のクロノメーター か…

15 :
>>13
現地時刻を知るというのと、現地時刻の時計があると言うのは違う話だよ。
探検家や航海者が現地時刻の時計を持っている筈もない。
持っているのはグリニッジなりパリなりを基準に合わせた時計だけ。

16 :
>>12>>13>>8

そういうことですね
正午の前後何分から観測を始めるために必要なんです
そんで厳密には時刻でなく日時
あと南中高度とそのときの世界時があればいけたと思いますね
これは振り子時計だと難しいかとは思いますが
できないわけではないかと思います
船上だと狂い易いかとは思いますが
どっちにしろ現地時は適当な感覚で補正しますから

17 :
>>15
>現地時刻を知るというのと、現地時刻の時計があると言うのは違う話だよ。
しかし>>13の引用箇所はそういう意味で書かれてるとしか解釈できないのでは。
さもなくば
>持っているのはグリニッジなりパリなりを基準に合わせた時計だけ。
というとおり、時計はクロノメーター、いまなら安物の腕時計一個で済む

18 :
>>15>>13
今やというなら
探検家や航海者は現地時刻の時計を持ち歩いてますよww
いい時代になったものです

19 :
現地時刻時計って電波時計だと無理だろう?からGPSとかなのかなーとか思った

20 :
>>19
と思ったらGPS時計あり2000円ほどからだな。たしかに安物の腕時計か…。一個で済むが。
経度への挑戦が出版された当時はそんなのなかったかと検索したら関連ワードに映画って出てきて映画化されてんのを知る。
本は95年、映画は2000年

21 :
>>20
現地時刻用のgps時計とグリニッジ時刻の時計の二個か。
もしかしてgps時計が基準となる時刻も表示できるなら一個か

22 :
GPS時計見てたら心拍計、万歩計、睡眠計、GPS移動ルート、消費カロリーダイエットヘルスメータ、
距離測定、遠隔撮影、腕上げ転倒、長座注意、携帯探し、着信通知、とかすげー多機能で1979円とかとりあえず欲しくなるほど

23 :
古地図なんか見たら緯度は正確に測れるのに経度はいい加減にしか測れない時代が長く続いたから
単一の島を別の島と誤認して太平洋が幻島だらけ

24 :
ポルトガルがアフリカ周りでインドに行こうとしていた時代
緯度は天体観測で正確に測れていたが、経度は測れなかった。
ポルトガルからインドまでの東西の東西の距離は陸路の探検隊を送って
たどり着くまでの時間で計算し、航海の目安にした。
ポルトガルが西回りでインドに行けるという怪しげなジェノバの船乗りの提案に
乗らなかったのは、その船乗りが主張する地球の大きさが小さすぎたから。
当時ポルトガルは、本国から赤道までが地球前週の10分の1程度で
順調に航海しても1か月以上かかること、
そしてインド東部まで陸路と沿岸航海で4か月ほどかかることを知っていたが、
その船乗りはヨーロッパから西回りで2か月程度でインドに行けるという。
本当なら、6か月程度で地球を東西方向に一周できることになる。
実測により南北方向で地球の10分の1を移動するのに1か月以上かかるのは
証明済みなので、ポルトガルはその船乗りを詐欺師と見なし相手にしなかった。

25 :
>>23
https://www.theantiquarium.com/data/uploads/big-images/sebastian-munster-new-world_1.jpg
まあ太平洋にはジパングのまわりに7448の島々があるからそんなもんか

26 :
>>25
Archipelagus 7448 insularuてラテン語として訳したら列島諸島7448

27 :
>>24
ポルトガルのインド到達は
けっこうちゃんと手順踏んでて
陸上行の探査部からのフォロー有りなんですよね
ここにありましたが、もうちょこっとエピソードがあったと記憶しております
https://www.y-history.net/appendix/wh0901-014_1.html
コヴィリャン
1488年、ヴァスコ=ダ=ガマより早く、地中海経由でインドに到達したポルトガル人。
 ポルトガル王のジョアン2世が、エチオピアにいると考えたプレスター=ジョンと会見させることと、
インド到達という二重の目的で、地中海ルートで派遣した二組の使節の内の一人。パイヴァと共に東方に向かった。
なおもう一組は、アフリカの南端を回航してインドに達することを命じられた、バルトロメウ=ディアスであった。
コヴィリャンは1488年にインドに入り、カリカットやゴアに滞在した。
ディアスはアフリカ南端から引き返してインドには到達できなかったので海路での最初のインド到達は1498年のヴァスコ=ダ=ガマとなるが、
コヴィリャンはそれよりも10年も早く、最初にインドに入ったポルトガル人となった。

28 :
>>25
こっちのほうが詳しかったです
http://www.stampmates.さくら.ne.jp/Gv-pConvilha.html


>>24
当時の世界認識と空間把握
あと実際の機動力までのっていて
勉強になりましたありがとうございます

29 :
>>25
実際の日本列島の島の数は6852だから(海上保安庁まとめ)
7448ってけっこう合ってんじゃん。

30 :
>>29
台湾千島樺太及びそれらの付属島嶼と南洋諸島も含めれば7448を超えるだろうか?

31 :
>>29
東方見聞録のチン海海域に7448の島々をソースに書いてんだろう。
どこまで指すと考えるべきか。
ユーラシア東岸全域沖なのか

32 :
もういちど読む山川世界史のヨーロッパ人による発見と探検の世界図の
コロンブスの航路がけっこう適当だな。
帰りはアゾレス諸島まで北上して帰還したのにカナリアに寄ったみたいな航路になってる

33 :
むしろ島の数が7500というフィリピンの方が条件に合うね

34 :
>そして一四九四年には、西半球で新たに発見されたこの大陸に、「新世界」という名称がはじめてもちいられることになります。「世界の歴史5」

1494年に新世界って言ったの?説明ないんでなんのことかわからないネ

35 :
むしろ西半球が気になりますね
>>31
ちんかいかいいきも気になります

36 :
西半球は何かに書いてあったなと調べたら図説探検地図の歴史に1494年ピエトロ・マルティーレが
西半球という概念を導入、また1493年のピエトロの手紙で「新世界の発見者であるコロンブス」とか書いてるとかって載ってたんでこれのことか!
西半球の概念が1494年だしこれのことなのか?説明ないからわからんけど

37 :
>>36
でも1494年て大陸は発見してないな

38 :
結局のところアメリカ大陸の
最初の発見者は
カボットでいいのでしょうか?

39 :
アメリゴ説もあるがどっちが先かわからないとかだっけ

40 :
>>36
これはこれで気になりますね
この時点で新世界としてる訳ですか
新世界を創ったのはいったい誰なんだろう

41 :
>>39
到達年でいくとコロンブスさんの中の人の方が、
その二人よりも先のようですが
どういう基準にするかで、だいぶ幅がとれますね

1492年
8月3日 第1回航海出発(-1493年3月15日)
10月12日 バハマ諸島グァナハニ島に到達
10月28日 キューバ島着
12月6日 イスパニョーラ島着
1493年
9月25日 第2回航海出発(-1496年6月11日)
1494年
6月7日 トルデシリャス条約によりスペインとポルトガルの境界線画定
1496年
8月 サント・ドミンゴ市の建設
5月30日 第3回航海出発(-1500年10月)
1502年
5月9日 第4回航海出発(-1504年11月7日)
1503年
2月14日 スペイン、植民地との貿易を統括する通商院をセビリャに設置
12月20日 エンコミエンダ制、イスパニョーラ島で公認
1505年
イスパニョーラ島に黒人奴隷導入
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/38/Viajes_de_colon_en.svg/1280px-Viajes_de_colon_en.svg.png

42 :
>>41
>到達年でいくとコロンブスさんの中の人の方が、
>その二人よりも先のようですが

大陸本土でコロンブスが最初って話は「1492年コロンブスがアメリカ大陸発見」みたいな大雑把な話以外で聞いた覚えがないけど。
アメリカ発見ならコロンブス、大陸本土発見ならアメリカの教科書ではカボットと教えてるとか。しかしアメリゴが本土航海した説もあるという。

カボット本土航海
https://c8.alamy.com/comp/HRP6CW/voyages-of-the-john-and-sebastian-cabot-1497-98-HRP6CW.jpg
アメリゴ本土航海説
http://amerigoves.weebly.com/uploads/1/5/7/3/15734896/9595280.gif

43 :
>>41
>コロンブスさんの中の人

中の人てどういう意味?

44 :
>>43
伝統的な三人称ですね
中の人などいません

45 :
>>42
なるほど>>41はガセありで
いよいよ混沌としてまいりました

カボットの第二次航海を1499年とする説もありそうなんですが
第1次航海1497年で到達済みの世界線もありえます

http://www.stampmates.さくら.ne.jp/Gv-cbt.htm

ジョン・カボットの大航海
・1497〜:マッソウ号でラブラドルに到達、ニューファンドランド島を発見。
・1499〜:5隻でグリーンランド方面へ探検航海後、遭難、1隻だけ帰還。


彼に航海の許可を与えたヘンリー7世は、実は以前コロンブスに出資を求められて断ったという前歴があり、
自分の先見のなさのせいでスペイン・ポルトガルに出し抜かれたことを後悔していたようです。

かくして1497年5月、カボット一行はアイルランドのダーズィー港を出帆しました。船は「マッソー」号という名の小型船1隻だけ。乗組員はたったの18人であったのでした。
この航海の詳しい記録は残っていません。6月24日にカナダ沖のニューファウンドランド島に到達して鱈の大群を見い出し、
原住民には遭遇しませんでしたが、その魚網を拾って帰ってきました。
彼は現地の気候温暖なことを報告し、ここは亜熱帯であると考えましたが、それは勿論、勘違いで冬がとてつもなく寒いことには思い至らりませんでした。
この誤解はその後多くの航海者や植民者を苦しめることとなりました。

実は現在のニューファウンドランド島ではなく、カナダ本土に到達していたとする説もあります。
とすると、アメリカ「大陸」にこの時代の白人として最も早く到達したのはコロンブスの第3回航海(1498年)ではなくカボットであることになります。
しかしその一方で、アメリゴ・ヴェスプッチの第1回航海(97〜98年)の方が先に大陸に到達していたという説もあります。
ただし、ヴェスプッチの第1回航海は全くの創作であるとの説もあり、結局誰が一番早かったのかは今もって謎のままです。

カボットは1498/8/6にイギリスに凱旋しました。国王に年金を貰った彼は翌99年、今度は5隻の艦隊を率いて再び北大西洋に乗り出しました。
この航海については更に詳細不明です。アイルランドに戻った1隻以外、全部が遭難したと見られています。

46 :
そうなんだ…
もしかして先行して本土発見していた中の人って先行してアメリカ発見してコロンブスに教えた伝説のアロンソ・サンチェスとかか?とか思ったら…
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%90#%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9

47 :
たしか前スレで年表的なの書き写してたので
それ捜すか、、、

48 :
>>46
ちなみにおいら調べによると
名前がはっきりしてるなかで
新世界に始めていった方はこの方

超マイナーな歴史上人物を挙げるスレ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1518443892/147
147 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2018/08/12(日) 21:46:23.44 0
新世界の発見者ブジャルネ

グリーンランドに渡った父とエリクを追ってグリーランドを目指すも
濃霧に阻まれ北風に流され漂流することになる。
幾日も漂流したあと陸地に漂着するが、
そこは噂に聞くグリーンランド特有の氷雪の高山はなく森に囲まれていたとのこと。
ミナミに下り過ぎたと思ったので二日北上したがそこもグリーンランドではなく
さらに三日北上したがやっぱり目的地と違ってたらしい。
その後に西風に送られてグリーンランドに辿り着く。
グリーンランドに辿り着いたブジャルネの話を聞いた赤いエリクの息子
ライフ・エリクソンは興味を惹かれ、ブジャルネの船を買い求め
聞いた話に従い陸地に辿りつき、そこをヴィンランドと名づけた、、、

49 :
>>48
ググったけど北欧人の名前ならブジャルネは不自然だなあ
Bjarne ビャルネを誤って読んだみたいだけどどこソース?

50 :
>>49
なるほど
どおりでググっても見つからないはずですww
探検の歴史みたな名前の本でした

51 :
>>42>>45

カボットさんの方は、さらに前の航海もあって
第何次というのは適切じゃないかもしれないですね

まえに調べたとき、
基本的にコロンブスで間違いなさそうという判断をしましたが
そんなに大陸発見者としては否定されてるんですかww


カボットさん
1496/03   王室より特許取得
1497/06/24 北米沿岸の何処かに上陸
1497/08/10 ロンドンで王に報告し10ポンドGet
1497/12   年間20ポンドの年金Get
1498/02/03 航海特許取得
1498/03〜04 ロンドンの探検同行者に融資を求める
1498/05初め ブリストルより5隻の艦隊で出発

52 :
はてさて、、、、

>>42

コロンブス第三次航海

1498/05/30 スペインのサンルーカルから出航
1498/07/31 至るトリニダード
1498/08/02 トリニダードのイカコス・ポイントに上陸、食料と水を補給
1498/08/04〜12  パリア湾の探検でオリノコ川はたぶん見つけてます

53 :
>>51
>基本的にコロンブスで間違いなさそうという判断をしましたが
>そんなに大陸発見者としては否定されてるんですかww

南北アメリカ大陸本土の発見者としてはコロンブスではないっての常識レベルかと思ってたし
ウルムルさんは結構詳しい人なんかなーと思ってたんで意外。
逆にどうしたらその結論になったのか?根拠となったソースは何か?コロンブスの大陸発見を何年と判断したのか?と疑問が

54 :
>>53
昔コロンブスさんの中の人を調べたときの記録が見当たらないので
どうしてそう思ったのかも微妙なのですが
出航年と帰港年とルートは見ていたはずです

相手方もカボットさんだったかと思いますね

55 :
>>42
とりあえずコロンブスがアメリカ大陸発見としているサイトはありました
なおアメリゴとコロンブスは友人だったということです


日本船主境界
海運雑学ゼミナール
https://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_217.html

217 16世紀のマスメディアがつくったアメリゴ・ベスプッチの虚像


 アメリカ大陸の名称は、フィレンツェ生れの航海者で天文地理学者でもあったアメリゴ・ベスプッチの名に由来する。
しかし新大陸の発見者はもちろんコロンブス。
アメリゴがあたかも真の発見者であるかのように喧伝されたのは、いわばマスコミの力によるものだった。

 彼の本来の業績はコロンブスが発見した大陸がアジアではなく全く別の新大陸であることを明らかにしたこと。
北米東岸から南緯50度まで、緯度にして90度余りの長距離を大陸に沿って航海し、
地理や原住民の風俗習慣を観察し、合理的な推論から導き出した結論だった。

 ところが彼のこうした観察結果を報告する書簡が、
当時普及し始めていた活版印刷によってヨーロッパの主要な言語に翻訳・印刷され、ベストセラーとなってしまったのである。

56 :
よくみたら発見年などにふれられてないから微妙ですかね

>>55

 さらに1507年、ロレーヌ地方の修道院が当時の最新知識を取り入れた世界地理の本を出版。
この本に掲載された世界地図で、新大陸の呼称に「アメリゴ」の名からとった「アメリカ」が用いられていた。

 これはあくまで編集者のアイデアによるもので、彼自身は全く関与していない。
しかしこの本もまたベストセラーとなり、アメリカという名称は一気にヨーロッパに普及。
おかげで彼は、後日、新大陸発見の栄誉の横領者という濡れ衣を着せられる羽目に陥る。

 そもそも当時の常識からすれば、航海中の新たな発見の栄誉はその船団の指揮者に属し、学者として乗船したアメリゴにその権利はない。
彼自身そのことをよく知っており、自らそれを主張したことは一度もない。またコロンブスにとってアメリゴは晩年に至るまで親しい友人で支援者だった。
ここからも彼に栄誉を横取りする意図がなかったことは容易に想像できる。
 アメリゴの濡れ衣は、当時最新のマスメディアだった活版印刷が生み出した虚像の一人歩きによるものだったわけである。

57 :
こうしてみるとカボットはイギリス船団だからスペイン船団のコロンブスの発見をなきものにするために
カボット押しをしているのか。
最初に発見したイギリス偉い、みたな。アメリカはイギリス領だったわけだし。
大陸本土発見者とされるカボットの発見地もニューファンドランドなんて島じゃないの?て感じで微妙だし

58 :
>>48
せめて 自分でソース拾えるものを書けよ

59 :
>>57
選手権闘争もあって一筋縄ではなさそうですよね
親父さんの一次資料はほとんど残ってなさそうです

あとクリストファー・コロンブスはどうやら19世紀の生まれらしい、、、


>>58
あたまが弱いためたいへんすみません
詳しくはウィキペディアさんの中の人にでも聞いていただけたらと思います

60 :
>>59
>あとクリストファー・コロンブスはどうやら19世紀の生まれらしい、、、



61 :
>>53>>57

ちなみにコロンブスさんの第三次航海は帰ってからの報告ではなくて
イスパニョーラ島からの大陸発見書報告の書簡があるらしいので、
ラス・カサスからの歴史介入ではないようです

62 :
> >>58
> あたまが弱いためたいへんすみません
> 詳しくはウィキペディアさんの中の人にでも聞いていただけたらと思います

だからさあ

新世界の発見者ブジャルネ Bjarne ビャルネ でもググってかすりもしないんだが、

グリーンランド ヴィンランドとしては
レイフ・エリクソン Leif Erikson が、普通は こっちのほうが有名じゃね?

マイナーな人物を紹介するのはいいが、
49で指摘されても 自分で思い出しもしないとか コテハン付けて書いてるのだから印象悪いよ

63 :
>>62

検索したら普通にでましたが、
もしかしておいらは別の世界線に生きてますかね、、、

https://en.wikipedia.org/wiki/Bjarni_Herj%C3%B3lfsson

64 :
>>49

世界探検史
長澤和俊 [著]
講談社

みたいですね。
内容はおいらが書き写すのがめんどうだったので
相当アレンジしてあるのでご注意ください

おいらのアホ情報からBjarneに辿り着くとはかなりの手練れですねw

65 :
>>63

煽るのは結構だけどさ 自分って言ってて適当杉じゃね?
お前の書き込みじゃ 普通に検索して出ないよ 単語も用語も適当だし

あんたの初出の書き込み
ブジャルネ じゃ普通に出てこないって こうストレートに言わないと判らないの???

あと出しで wiki貼るだけ
英語版 wikipedia 貼る割りには スペルも確認しないから クソコテなんでしょ?

66 :
ブジャルネ
よくわからん 洋楽の名前が出てくる

Bjarne
こっちでも ググったが なんか外国の数学者が出るだけ

新世界の発見者ブジャルネ Bjarne ビャルネ でもググってかすりもしないので
書いた訳だが、

クソコテすぎる

67 :
>>65
おいらがおつむが弱くてクソコテなのは間違いないのですが
その点ぐーぐる先生は優秀なのでww

それにブジャルネじゃ見つからなかったって言ってませんでしたっけか

68 :
>>67
>それにブジャルネじゃ見つからなかったって言ってませんでしたっけか
時系列の古い書き込みにツッコミ入れてる俺の方が無粋なのは悪かったと思うが、
> あたまが弱いためたいへんすみません
> 詳しくはウィキペディアさんの中の人にでも聞いていただけたらと思います
これまで出てる単語やスペルじゃ 英語版wikiに ビンゴしないでしょ?
>グリーンランド ヴィンランドとしては
>レイフ・エリクソン Leif Erikson が、普通は こっちのほうが有名じゃね?
それに俺はこう書いてるのに、
>内容はおいらが書き写すのがめんどうだったので
>相当アレンジしてあるのでご注意ください
>
>おいらのアホ情報からBjarneに辿り着くとはかなりの手練れですねw
こんな言い訳ぐじぐじ 書きながら
wiki貼り逃げ(自分の書き込みと スペル間違ってる どうやって検索しろと)

69 :
>>68
ちょっと何に怒っていらっしゃるのか
いまいちわからないところがあるのですが
もし日本語のWEBソースが見つかってれば
そもそもおいらがそれをコピペしているので
今回のような事象はおこらなかったかと思いますね

おいらの場合は検索ワードは
Bjarne America でヒットしましたが、
前の履歴でちょっとクセでも付いているかもしれませんね
たしか最初に調べたときは名前の綴りもわからなかったので
レイフ・エリクソン Leif Erikson さんの中のページから見つけましたよっと
だからBjarneじたいも、おいらは知りませんし、
そして英語も読めませんので内容がどうなってるのかも不明ですww

70 :
>>69

ここは 探検の歴史のスレ、
で このスレで得意満面のような

『> ちなみにおいら調べによると > 名前がはっきりしてるなかで 新世界に始めていった方はこの方 』

こんな風に書いてて、他スレから わざわざ自分の書き込みを引用、
意味があるのかよと思いきや、読んだ本から適当に感想の書き込みだったと。
お前のコメントはそういうのばっかりだな

結局のところ 自分で調べたも嘘っぱちで、
英語も読めませんとか言いながら 英語版 wikiの貼り逃げ
そういうのが糞コテです

>だからBjarneじたいも、おいらは知りませんし、
>そして英語も読めませんので内容がどうなってるのかも不明ですww

>48 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2019/10/26(土) 22:39:24.90 0
>>46
> ちなみにおいら調べによると
> 名前がはっきりしてるなかで
> 新世界に始めていった方はこの方
> 超マイナーな歴史上人物を挙げるスレ
> https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1518443892/147
> 147 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2018/08/12(日) 21:46:23.44 0
> 新世界の発見者ブジャルネ

71 :
>だからBjarneじたいも、おいらは知りませんし、
>そして英語も読めませんので内容がどうなってるのかも不明ですww

ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
お前は 嘘つきだよ
迷惑だから 歴史板に書き込むな

自分が 『新世界の発見者ブジャルネ』とかの書き込みしてる癖に、
他の人に突っ込み入れられたら
『だからBjarneじたいも、おいらは知りませんし』
『そして英語も読めませんので内容がどうなってるのかも不明ですww』
理解もしてないなら 書き込むなよ

頭のおかしい糞コテはR


>48 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2019/10/26(土) 22:39:24.90 0
>>46
> ちなみにおいら調べによると
> 名前がはっきりしてるなかで
> 新世界に始めていった方はこの方
> 超マイナーな歴史上人物を挙げるスレ
> https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1518443892/147
> 147 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2018/08/12(日) 21:46:23.44 0
> 新世界の発見者ブジャルネ

>だからBjarneじたいも、おいらは知りませんし、
>そして英語も読めませんので内容がどうなってるのかも不明ですww

72 :
『だからBjarneじたいも、おいらは知りませんし』

こんな糞みたいな言い訳書くなら 最初から書くな

73 :
なんだか白熱してるね。スレを立てた人間からすれば結構なことだw

ウムウル氏の書き込みのスタイルがいっぷう変わっているのは確かだが、
自由連想で話題のきっかけが増えるのはよいことじゃないかな。
そもそもこの世のどんな知識も完璧な形で提示される事はない。
スレタイである「探検」も、不完全だったり間違った知識がきっかけで
行われたケースが多いからね。

74 :
>>73
おん、自由な発想で、書き込みから他の意見がまた書き込まれることはある、
そういう意味では否定はしないし、それが掲示板での面白さではあると思う。
ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
でも コイツの場合は、
適当な与太書いて それにコメント書いても 『おいらは知らない』とか
『○○については詳しく知りません』とか
いけしゃあしゃあとクズみたいなセリフを『自分ではわざわざ書き込むクズ』ですから
コテハンとして 『信用できない語り手』な訳ですよ
こいつの場合、他人には糞みたいな理由で糞レスする割には自分に甘い と言うか、
自分の前言を翻す悪癖があるから 人間のクズですな

8 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [sage] 投稿日:2019/10/13(日) 00:41:59.93 0
>>6
それ逆ですね
現地時刻の時計が
たぶん天測を補足します
9 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [sage] 投稿日:2019/10/13(日) 00:49:04.74 0
>>6
あ、逆ではないのかw
現地時刻の修正が必要なのは間違いないと思いますね
むしろそれが目的なので

75 :
他所からのリンク貼って 書いたりする癖に
『詳しくは知りません』とか
こういう糞resが大杉 ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP

少なくとも このスレでもミスリードを誘うような 自分でもよくわかってないコメント多過ぎだな

>基本的にコロンブスで間違いなさそうという判断をしましたが
>そんなに大陸発見者としては否定されてるんですかww

こんな風なコメントからすると古い本の知識というか、
あんのじょう 他のひとからもツッコミが入ってる。

「探検の歴史」と言う意味では コロンブスは西回り航路を主張して、
確かに 西回り航路の開拓者になった。この事は評価してもいいと思う。
が、
コロンブスの功績は 『アメリカ大陸への到達』で 『アメリカ大陸の発見』ではない、
コロンブス自身は 『(ユーラシアの)インドに到達した』と死ぬまで信じていたし、
カリブ海域の海域を主に攻略した。(補給基地を攻略したのは評価していいと思う)

76 :
時系列的に見て 「コロンブスが新大陸を発見した」と言う説は、古くからはあったが、
『そもそも発見とはどういう意味か?』と観点から
現在ではコロンブスの 「コロンブスが新大陸を発見した」というのは否定的見解が多くなっている。
(コロンブス自身が『自分が到達したのはインド』と思っていたから)

北米のネイティブアメリカンや、北米のイヌイット、
中南米 カリブ海などの先住民、
『先住民族が既に住んでいたのに 「欧米的価値観からの発見」というのは無理があるし』
事象や地理の発見と言う意味では
「探検」「見分」と言う点からすると 「見分」と言う要素ではコロンブスの評価は低い。

時系列的に見て コロンブスより遅いが、
アメリゴ・ヴェスプッチが、
南米大陸東岸に沿って南下して探検し 南米のほぼ南端の南緯50度まで到達した。
実は アメリゴより前に カブラルが ブラジルを発見したとされていて
(↑トルデシリャス条約での取り決めを根拠とする。)
もうこの辺で コロンブス以前からの探検ブームからの紛争の歴史と言っていいと思う。
『探査』と『報告』と『承認』それらと各国間のパワーバランスが絡んでるのでややこしい、
アメリゴ・ヴェスプッチに戻る、
アメリゴ・ヴェスプッチは 自身が南緯50度まで到達した事から推測して
「アフリカでもアジアでも存在しえない『新大陸』だと気付いた』
アメリゴは1503年頃に論文『新世界』を発表する。
アメリゴは 『探検調査』して 『見解』を論文で発表して 紆余曲折するが
結果的に『新世界』と言う概念は欧州知識人に受け入れられた。

『探検調査』 『見解』 『新世界』という点ではアメリゴ・ヴェスプッチが多くの支持を得ている。

アメリゴ自身は主に南米についての探査や論文を行っているが、
これは アフリカ航路の探検などと密接して居た訳で
大西洋側での補給路の開拓というのが積み重なっていた背景が大きい。

77 :
補給路や寄港地などのルートの明確さもなしに
「西回り航路」をぶちあげたコロンブスの無謀さがやはり浮き彫りになる。が、
アゾレス諸島ぐらいしか中間地点がないので、
水はともかくとして(雨などで最悪 水はなんとかしのげる)
この当時は ビタミンCなどの概念もなく、野菜不足からの壊血病で、
寄港地での野菜などの補給は重要だった。(この辺も書きたいが今回は省く)

ジョン・カボット、
『アジアへの航路探検』として大西洋を横断に出発し、北米大陸に到達した。
このひとも コロンブスと同じく、
『自分の到達した場所が アジアの一部と考えた』
イギリス王ヘンリ7世公認の探査であったので、
英国が北米大陸の領有権を主張する根拠になった。(政治の世界やね)が、
この頃の英国はスペインやポルトガルに比べて弱小で 植民地を経営する余力がなく
北米の領有権は揉める。

スペインとポルトガルが紛争回避で (カソリックの)ローマ教皇の承認で、
領有権の山分けをしていた訳で、
探検の歴史とは言っても政治的要素が非常に大きい、
新天地の領土獲得から締め出された フランス イギリス オランダなどの国などは
無視するようになる

経済的な要素の領土的野心が 宗教戦争の後押しになっているのも面白い、
『○○が××の発見』と言うのは 大航海時代では複数の要素が多いので、
科学の歴史ほどの基準の明確さがないので、私は判断が難しいと思います。

78 :
長くなったので まとめる
・アメリカ航路の開拓者 ←コロンブス (より明確にいうとカリブ海の攻略)
・アメリカ(北米大陸)の発見者とされるのは ジョン・カボットとされるが、上述するように、
明確さや探査と見分の(論文などの)紹介という総合観点では 断言できるほどではない、

一般的には北米大陸の発見者とされている。
・アメリゴ・ヴェスプッチ (アメリカの名前の由来になっている)
時系列的には後手になっているが、
この当時は地域探査は軍事機密でもあり、
事実上の占有と支配が発見の根拠ともなっていた時代でもある、
そういう背景の中でも 自分の探査の情報を精査できた博物学者でもあるので、
アメリゴ・ヴェスプッチが総合的に評価されているのではないかと思う。
このひとにも悲運はあったが、
マルティン・ヴァルトゼーミュラーが著書で紹介したので「アメリカ」と言う呼称が広まった。
僥倖というか 運もあるのだろうなと思う
アメリゴ・ヴェスプッチが 南米南端を到達出来たてたら言う事なしんだけど、
気象が荒くて 喜望峰に比べて難易度が数倍高い。航海の難所だな

79 :
ちょっと脱線、

樺太が島であるか 半島であるか、
間宮林蔵も 歩いて走破して、間宮海峡を発見 樺太(サハリン)が島であることを確認したが、
実際に 『船舶が通航可能かどうか』を
ロシア帝国の航海者、探検家 ネヴェリスコイが海峡の長さ探査や 実際に通航してまとめた。
シーボルトの著書『日本』での紹介の記述により 「タタール海峡」が世界に知られる。

樺太・アムール川周辺・満州は
周辺国の実効支配が及ばず、領有権が揉めに揉めた地域にで(今も揉めてる)
樺太も紆余曲折があり、ww2終戦時に不幸な事件が起きた。

択捉島まで最上徳内が探検し、
日本領を示す木柱を立てて、さらに番屋も立てさせて、これが生きて、
幕末でのロシアとの領土交渉で択捉島までが幕府の実効支配だと認めさせる根拠になった。

幕府の軍事力がもっとあれば…とは思うが、
経済的な支援も政治的な迷走もあったので やはり難しかったんだろうなとは思う

80 :
ちょっと脱線、

樺太が島であるか 半島であるか、
間宮林蔵も 歩いて走破して、間宮海峡を発見 樺太(サハリン)が島であることを確認したが、
実際に 『船舶が通航可能かどうか』を
ロシア帝国の航海者、探検家 ネヴェリスコイが海峡の長さ探査や 実際に通航してまとめた。
シーボルトの著書『日本』での紹介の記述により 「タタール海峡」が世界に知られる。

樺太・アムール川周辺・満州は
周辺国の実効支配が及ばず、領有権が揉めに揉めた地域にで(今も揉めてる)
樺太も紆余曲折があり、ww2終戦時に不幸な事件が起きた。

択捉島まで最上徳内が探検し、
日本領を示す木柱を立てて、さらに番屋も立てさせて、これが生きて、
幕末でのロシアとの領土交渉で択捉島までが幕府の実効支配だと認めさせる根拠になった。

幕府の軍事力がもっとあれば…とは思うが、
経済的な支援も政治的な迷走もあったので やはり難しかったんだろうなとは思う

81 :
二重書き込みになった… ごめんなさい

82 :
古本屋行ったらラス・カサスの「インディアスの破壊についての簡潔な報告」の改訂版があって
以前の版よりかなり分厚くなってたんでなんだ?とパラッと見てみたら
以前の版にあった「ラス・カサスはインディアスがインドの一部と信じ、新世界であることに気づいていなかった」
とかあったのがなくなってた。
やはり当時新世界をさしてインディアスと呼んだことに気づいて修正したようだな

83 :
>>82
ちょっと時系列を整理する。
名称が紛らわしい用語は 区別がつくように 説明上 『』で強調しながら他の用語を使うよ。
コロンブスは西回り航路でで『(東アジア全域の) インディア』に 新航路で行ける事を主張し、
中略
自分が到達したのは『インディア(アジア世界)』であり、
アジア世界に到達したのだから 西回り航路の報酬の 総督やら利権はすべて自分の物!と主張した、
コロンブスが到達したのが 『未知のX(新大陸;当時は概念がまだ当然ない)』だったら
コロンブスの報酬は貰えない訳だからね、
そうは言っても 続々と 後続が真実を報告してくるから
コロンブスも 『未知のX(新大陸)』だと言う事を認めざるを得なかった。
『未知のX(新大陸)』が何かというのは ひとまず置いておいて、
コロンブスの以前から アフリカ周りでのアジア航路も開拓されようとしていた、
『未知のX』って用語をなぜ使うのかと言うと、
『漠然とした アジア(黄金の国とか そんな幻想やら)』があったので
南北アメリカ大陸や オーストラリア大陸などは 概念になかった。

84 :
プレシタージョンの国 (伝説上のキリスト教の偉大な王が統治してる国)とか
黄金が山ほど取れる 島々 (ワクワクとか ジパングとか 変な妄想のアジア)
よく判らんけど 中東のイスラム商人経由での交易品の品々(こいつを手に入れたい)

こんな感じの様々な思惑やら願望やら探究心が プレ大航海時代として存在したよ、
大航海時代の前は 金や銀が 総供給量が少なかったので 欧州経済も貧しかったよ。
十字軍とかで イスラム世界へ戦争もしてたけど 航路や経済も同時に進んでた。

コロンブスが西回り航路を まずポルトガルにプレゼンして出資を募ったが、
ポルトガルのアフリカ探検が順調に成功しつつあり 喜望峰が攻略目前だった、
こういう状況もあり コロンブスの出資計画にはポルトガルが乗らず、コロンブスは去る、

コロンブスは、ポルトガルの次にスペインに 西回り航路プレゼンしたが、反応が鈍かった、
胡散臭い話ではあるが アフリカの補給路の競争はポルトガルに遅れを取っている、
(委員会で検討はされ やっぱ距離が遠いでしょ 無理無理 でも 美味い話を逃すのは惜しい )
なかなか決まらなかったが イサベル1世が結果的にこの計画に賭けた、

 ←←← 大西洋(スペイン) 未知数 でも大穴   ↓↓→→ (大西洋 アフリカ沿岸ルート) 手堅い

こんな感じに両陣営での 攻略方針は固まった。 結果は次回の講釈にて

85 :
>>83
ラス・カサスはインディアスがインドの一部ではなく、新世界であることに気づいてただろ?
おかしいだろ?と思ってたんよ。
そしたら削除されてたんでやはり!と思ったというわけ

86 :
そういう前哨戦もあった訳だが、
『未知のX』だから 先取争いが絶えず、
コロンブスが「インド」(実際にはカリブ海 西インド諸島)に到達し、帰還したことによって、
ポルトガル・スペイン両国において 『未知のX(インド?)』への冒険的航海がブームとなった。
期待された程ではないが黄金なども略奪して持ち帰ったので 沸いた。

スペインと ポルトガルは占有権とか領有権争いが絶えなかったので
スペインと ポルトガルは 『大西洋から西はスペイン』 『大西洋から東はポルトガル』と 取り決め、 注1、
ローマ教皇の裁定による 2分割協議が条約で取り決められた。
トルデシリャス条約である。
(注1、このへんもぐだぐだあるが まぁ詳しくはググってみてください)

『未知のX(インド諸島???)』の正体もよくわかってなかったが、
真水の大河が確認されたので 「どうやらここは島ではなく大陸らしい?」という事実も判り、
大陸らしい?がよくわからない???という状況が続くが、

87 :
アメリゴ・ヴェスプッチは自身の探査結果と、これまでの知られていた最新の他の情報から推測した。

1503年頃に論文『新世界』を発表する。訳だが、
彼の推察した根拠は、

・彼自身の 1499年から1502年にかけての『未知のX (南米探検)』で彼は南緯50度まで沿岸を下った。

・『未知のX(アジアかも?インドかも?)』は
これまで知られていた
喜望峰(南緯34度) よりも 南 (1488年 - ポルトガル人 バルトロメウ・ディアスが到達)
アジア最南端(マレー半島、北緯1度) よりも南
なので、それが 既知の大陸のどれにも属さない「新大陸」であることに気づいた。

未知の大陸であるならば それは(これまで知られれて世界とは違う)新たな新世界、
『新世界(しんせかい、New World)』あるいは『新大陸(しんたいりく、New Continent)』と表現した。
『新世界』『新大陸』は アメリゴの概念では同義であるが
厳密には 『新世界≒インド(インディアス)』ではないが 理解して頂けるだろうか

1503年頃に論文『新世界』を発表する。が、当時の欧州ではすぐに受け入れられなかった。
この当時は 探検報告などは軍事機密扱いで非公開
(ある程度の統治で既成事実を作ってからの発表など 情報が錯綜、バレたら敵に攻め込まれる)
『未知のXは アジアじゃ! 紛れもなき インドじゃ! インドつったらインドなんじゃ!』
という固定概念や 占有根拠(上述の山分け協定 トルデシリャス条約など)で まずはスルーされる。
アメリゴ・ヴェスプッチは忘れ去られるかに思われたが、

ドイツの地理学者 マルティン・ヴァルトゼーミュラーが 地図を配布する時に
アメリカという仮称を提案しつつ 新大陸の地図を紹介しました。
・〜 Amerigen (アメリゴの発見した大陸、文章長い…)
・ Terra American (アメリゴの土地 ラテン語形)
・America (Africa などのそれまでの大陸命名法に倣い アメリゴを ラテン語 女性名詞で呼ぶ)

結果的にこれが広まった、が『アメリゴの解釈 絶対認めん!(既得権益陣営)』は これを長く認めなかった

88 :
>>85
非常に長くなった、すみません
コロンブスの晩年に既に 「インド諸島ではないっぽい、こりゃ大陸でっせ」っての報告はあって、
コロンブスも認めていたらしい。
インドの既得権益は全部ワシのもんじゃ!って略奪やりまくって罷免されてるけど、
コロンブスにとっては 西回り航路到達の利権が失われるので
死ぬまで 『ここはインド』と言い張るしかなかった。
ラス・カサスはどう考えていたかは 私は判りませんが
スペインでは、
当時「新大陸」はインド(広義のインディア)であると考えられていたため、
『大陸』という概念は認知(見分)しても
『新世界≒インド(インディアス)』は 国の方針で従えない、
『インド(インディアス)としての新大陸』と考えていたのではないでしょうか、インディアスと言う用語はそう、
教皇の裁定から離れるのは無理なような気もしますし (表面的には無理ぽそう)

89 :
インディアス(Las Indias)と言う用語は、
はスペイン人が発見・征服・植民した地域の総称で、
現在の西インド諸島、アメリカ大陸の一部、およびフィリピン諸島を指す。
元々は、
中世ヨーロッパで一般に使用されていたインディアスの従来の意味は「概念上の東アジア」であり、
当時の『インド=アジア』と同義、
インド洋は元々は 欧州側からのアジアの海というような概念、
太平洋は大航海時代以前は命名されていなかった。
(大航海時代を経て 南米南端からの西からの航路で 太平洋は発見される)
インド インディアスって用語も時代で意味は変わるからどうなんだろうな
インド インディオ インディアン 語源的に同祖なのに意味違うのは勘弁して欲しいわ
ガキの頃 理解できなかったよ…

90 :
つまりラス・カサスはインディアスがインドの一部ではなく、新世界であることに気づいてたということだな

91 :
>>34>>36>>40

これが初出として
コロンブスとはいったいどんな関係なんでしょうかね
情報にアクセスできる立場だったのかしら

92 :
ふむぅ
スペイン宮廷にいたイタリア人らしいですね

>>91
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784000036320

アンソロジー新世界の挑戦
新世界とウマニスタ

マルティル,ペドロ【著】〈M´artir,Pedro〉/清水 憲男【訳】

93 :
>>92
この方、かなりの高レベル者ですね
大航海時代の発見を傍らで見ていた人ですか

ピエトロ・マルティーレ・ダンギエーラになってましたが
アングレリアの方が馴染む気がします
まったく根拠はありませんがw

94 :
>>82
マゼランの後になおアメリカをインド=アジアと思うなどということがあろうか

95 :
いや、ない

96 :
>>43>>46
コロンブスさんの中の人ユダヤ人説は
けっこう昔からあったそうですが
こもごも矛盾なくしたて上げたのは
サルバドール・デ・マダリアガさんらしい

それにしてもユダヤ人さんの中の人の
大航海時代への貢献は見過ごせないところがありますね

97 :
http://web.csulb.edu/~quamwick/100116-0.JPG
コロンブスの1492年の発見航海を描いたものだがコロンブスの船にユダヤを表す木が載っているから
コロンブスはユダヤ人なのだ、とかあったっけ。
船に載ってるのかこれ。向こうの陸地に生えてるつもりで描いたんじゃなくて?

98 :
>>97
セフィロトの樹にしては雑とちゃう?

99 :
ユダヤを表すてかホシャナ・ラバの日に使われるナツメヤシを思わせるとか。
また、左上の雲は十戒の石版を持ったモーゼか?とかいう話が。
創元社のコロンブスに載ってる

100 :
>>99
むずかしすぐるww
>>46
この方と会ったのは、ウエルバではなくポルト・サント島の設定らしいですね
ウエルバとカディスはどういう関係なんだろうか、、、

101 :
>>56>>57>>78>>87

アメリカ地図の北米の海岸線は
カボットさんの中の人の提供と見かけましたが
この辺りどうなんだろうなぁ

調べてみようかとも思いますが
地図スレ向きですかね

102 :
https://i.imgur.com/j0jWACX.jpg

103 :
>>33
元ネタのマルコポーロの記述だと
・島の数が7448
・中国からの距離が2500KM
・香木や胡椒を大量に産する
つまりインドネシアがジパングの正体として適当

104 :
>>101
記録が怪しいところまで含むと
ガスパル・コルテ=レアルの父ちゃんまで遡れそうですね

ただアメリカ地図自体が
陸橋を書いているとこ以上のぱわぁはあんまり感じられませんでしたよっと

105 :
>>103
中国港湾都市から九州だかまでの距離だと妥当なものになるとする解釈も?
ジパングって音自体は日本国の読みであってるとするなら
音は日本国(ジパング)で内容はインドネシアみたいなことが?
それともインドネシアがジパングの名で呼ばれたであろう根拠はあるのかな

106 :
http://widetown.cocotte.jp/japan_den/japan_den168.htm
ジパングはフィリピン!?

107 :
>>51
>基本的にコロンブスで間違いなさそうという判断をしましたが
>そんなに大陸発見者としては否定されてるんですかww
結構世界史詳しそうなウムウルさんでもこんなことをいうということは、
もしかして「コロンブスは大陸発見してない」って言ってる人って「1492年には」って意味で言ってたりするのか…
1492年にコロンブスが発見したのは島であって大陸ではない、
しかしその後大陸を発見した、みたいな

108 :
>>107
・南米大陸が『大陸であるかどうか』コロンブス以外の他のひとの貢献の方が大きい
 (西インド諸島での拠点を作った実績はあるが功罪が大きすぎた)
・すでに『人も文明も既に存在していたので』 『発見』と言うのは欧米価値観すぎておかしい。
現地主義というか 最近の業績評価の価値観からはコロンブスはかなり低評価
・「西インド諸島での征服拠点は多く作った」が南米・北米での探検報告が評価されてない。

109 :
アメリカ大陸の「発見」者はクリストファー・コロンブス とよく言われるが、
すでに先住民もいた訳だし 西洋キリスト教的価値観からの征服者、と
考える あるいは否定的に捉える方が多いと思います。

110 :
蓬莱島はもともと山東半島の沿岸の島、またはそこで蜃気楼で見える島影のことらしいが
定義が東海の遠くの島に拡大していって日本のことにされたり台湾が自称したりしてる。
ジパングもそんな感じでもともと日本のことだったのが中国の沖合の島に定義が拡大
していったのだろうか。

111 :
扶桑はアメリカだった!!!?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B6%E6%A1%91#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A5%E5%A4%96%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E8%AA%AC

112 :
まったく別の経路から見つけちゃいましたが
おいらのアレンジ部分に重大な誤りがみられますね
これはいけませんww
>>48>>50>>64

第1回北極探検史(世界編)
赤毛のエリクとグリーンランド
おぎたやすなが
https://arctica.jp/report/ogita-world-part1/
コピペ不可のようなので見たい人だけどうぞ
レイフが北米大陸に到達したのは
ビャルニの15年後の世界線とのこと

113 :
>>57
たぶんコロンブスさん陣営の中の方が
あんまり興味なくなっちゃったんだと思うんすよね

「イギリス陣営」
カボット親子
リチャード・アメリック

「ポルトガル陣営」
コルテ=レアル親子
アメリゴ・ベスプッチ

これどっちが寄せてきたんでしょうかww

114 :
「スペイン陣営」
コロンブス
アメリゴ・ヴェスプッチ

115 :
>>114>>113

コロンブスさんの報告が
印刷されて高速でばら撒かれたらしいのですが
よう考えたらたぶんこれのせいですね
>>36>>55>>56
>>76>>77>>86
中の人はどのくらい関わってたのかしら
俄然興味が沸いてまいりましたよっと
>>91>>92>>93

116 :
>>51>>113


ジョアン・フェルナンデス・ラヴラドール

新土地探検の功績[編集]
新大陸が発見されトルデシリャス条約が締結された後の1498年、フェルナンデスは、ポルトガル王マヌエル1世から、
トルデシリャス条約によって西経46度37分で区切られた大西洋のうち、ポルトガルに属する東側の海域を探検する権利の特許を与えられた。

フェルナンデスはペロ・デ・バルセロス(Pero de Barcelos)とともに北米大陸に向けて航海し、グリーンランド南西部および北米北東部の海図を作成し、
1498年ごろにはヨーロッパに紹介している。彼が紹介した北米の地域は現在のラブラドル半島あたりと考えられている。
彼は発見した土地を所有する権利を与えられたため、ラヴラドール(lavrador、ポルトガル語で地主、小農民、耕す人)の称号を使うことを許された。

現在までも、彼もラヴラドールの名で知られている。
このため、グリーンランドと北米沿岸の二つの地域がそれぞれ彼の称号にならい、「ラブラドール島」「ラブラドールの大地」と名づけられるようになったと思われる。
16世紀初期の地図には、グリーンランドを「Terra de Labrador(テラ・デ・ラブラドール)」としたものがあるほか(The Hamy King map of 1503)、
別の地図ではグリーンランド西方に「Terra Laurador(テラ・ラウラドール)」「Terra Laboratoris(テラ・ラボラトリス)」という名の陸塊が見える。

フェルナンデスはグリーンランドへの航海から帰りイギリスのブリストルに着くと、
イングランド王ヘンリー7世から特許を受け取り、1501年にはイングランドの名の下に新土地発見の航海へと出た。
だがその後の消息は不明である。

117 :
時系列と重要度がマッチしているのだろうか、、、
あとニューファンドランドも非常に怪しいww


>>116

ガスパル・コルテ=レアル

ガスパル・コルテ=レアル(Gaspar Corte-Real、1450年ごろ - 没年不明)はポルトガルの探検家。

父親であるジョアン・ヴァス・コルテ=レアル(Joao Vaz Corte-Real)もまた探検家であり、
三人息子の末子として生まれたガスパルは大西洋を探検する父に帯同して航海の経験を積んだ。

1500年、ポルトガル王マヌエル1世はガスパルを新しい土地の発見とアジアへの北西航路発見のため北大西洋へ派遣した。
西へ航海を続けた彼はついにグリーンランドと推定される陸地を発見、これを東アジアの一部と信じたが上陸することはなかった。

翌1501年、ガスパルは兄弟とともに3隻のキャラベル船で二度目の航海に出発した。
再度陸地を発見、氷海に上陸を阻まれたが南に針路を変えてついに上陸を果たした(カナダのラブラドール地方またはニューファンドランド島と推定される)。
彼はここで60人ほどの先住民を奴隷として売るために捕らえた後、兄と2隻の船をポルトガルへ返しさらに航海を進めたが、その後消息を絶った。
捜索のため兄のミゲルが1502年に出航したが、彼も帰らなかった。

118 :
これがポルトガルさんの中の人の
真歴史としてもいいのだろうか、、、
航海王子あたりから抜粋
http://embaixadadeportugal.jp/jp/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/
1386年  ウィンザー条約調印。
− バターリャ修道院の建設開始。
1394年  エンリケ航海王子が誕生。エンリケ航海王子は、ポルトガルの海外進出を促進し、サグレス航海学校を創設した人物。
1415年  国王ジョアン、セウタを征服。ポルトガルの大航海時代が始まる。
1418〜1420年 マデイラ諸島の発見。
1427年  アソーレス諸島の発見。
1431年  アソーレス諸島への移民が開始。
1434年  ジル・エアネスによってボジャドール岬の迂回が成功する。
1446年  アルヴァロ・フェルナンデスがギネに到着。
1458年  ルイス・カドモストがカーボ・ヴェルデ諸島を「発見」する。
1460年  エンリケ航海王子没。
1465年  宮廷作家で金属細工師のジル・ヴィセンテが誕生する。

119 :
>>117
1470年  ペロ・エスコヴァールとジョアン・デ・サンタレンがサン・トメ・プリンシペを「発見」する。
1471年  ペロ・エスコヴァールとジョアン・デ・サンタレンが赤道横断。これにより南半球が「発見」され、航海者は南十字星を指標に航海するようになる。
1481年  国王ジョアン2世即位。
1487年  ジョアン2世がインド航路開拓の情報収集のため、アフォンソ・デ・パイヴァとペロ・ダ・コビリャンを陸路でインドへ向かわせる。
1488年  バルトロメウ・ディアスが喜望峰迂回に成功。
1494年  トルデシリャス条約調印。ポルトガルとスペインが世界を二分する。
− ペロ・ダ・コビリャンがエチオピアに到着。
1495年  ジョアン2世没。マヌエル1世即位。
1497年  ヴァスコ・ダ・ガマがインド海路探索のため、レステロより出航。
− マヌエル1世が救貧院を設立。
1498年  ヴァスコ・ダ・ガマが海路でインドに到達。
1500年  ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに到達。
− ジョアン・デ・ノーヴァがサンタ・エレナ島を「発見」。
1501年  ガスパール・コルテ・レアルが新大陸を「発見」。
1502年  インドのコーチンにポルトガル商館を創設。
− リスボンのジェロニモス修道院建設開始。
1506年  フランシスコ・ザビエル誕生。

120 :
>>118

1507年  アフォンソ・デ・アルブケルケがペルシア湾のホルムズ島を征服。
1509年  ディオゴ・ロペス・デ・セケイラがベンガル湾を通りマラッカへ到達。
1510年  アフォンソ・デ・アルブケルケがゴアを征服。
1511年  アルブケルケ、マラッカを制服。ポルトガル人がモルッカ諸島に入植。
1512年  ティモール島を「発見」。
1515年  アルブケルケがホルムズ王国を征服。
1515〜1521年 リスボンのベレンの塔建設。
1517年  ポルトガル人が中国の明に到着。
1519年  フェルナン・デ・マガリャンエス(マゼラン)、世界一周の周航へ出立。
1521年  マヌエル1世没。ジョアン3世即位。
1524年(?) ルネサンス期最大のポルトガル詩人、ルイス・ヴァス・デ・カモンイス誕生。
1543年  ポルトガル人が種子島に漂着。

121 :
>>118
> これがポルトガルさんの中の人の

中の人とか面倒くさい言い回し意味あるの? コピペするしか能がないなら止めろ

122 :
引用するなら 引用元『ポルトガル大使館』と 出典を明記するか、
『ポルトガル大使館にある時系列を貼ってみた』とか書くべきだろ

自分の意見なのか他人の見解なのかその辺の明確さのない書き込みとか止めたら?

ウムウル氏は書き込みが多いが論点がブレ過ぎなので 話半分にしか見れない。

123 :
>>109
教師はそういうことをいってたし、教材はそういうことが載ってて世界史興味なかった俺は考えることなく無批判にそーだねーくらいに受けてめていたが
大航海時代調べ始めてウィキにあった以下と同様な考えになったな。
>しかし、ヨーロッパ白人もアメリカ大陸のインディアンも、双方が互いを知らなかった状況において、
>ヨーロッパ白人がアメリカ大陸に来訪したのを、「アメリカ大陸を発見」と呼んでも、
>必ずしも不公平ではないという意見も白人の中にはある。
俺は白人じゃないけど

124 :
あの時代のヨーロッパ探検家たちの業績を発見と呼ばずして何と呼ぶべきか、とも思えるし

125 :
無数の航海者たちの積み重ねの上に 探検と見分と報告書が積もっているわけで、
『コロンブスだけが取り立てて特別に凄いことを成し遂げた』と言う従来型の評価は崩れてきている。
探検家として資金を集めて 船団をまとめて実行できたことはすごい、←評価はすべき。
だが その後が コロンブスは負の業績つうか 判ってるだけでも悪すぎた。
順当に行けば総督として盤石の地位ままで業績が称えられた世界線も充分あり得た訳だが、
インディオたちから略奪(主に金)することにこだわり過ぎて 解任されてる。
日本も一歩間違えば凄惨のな略奪にあったかも知れんと思うと、
やはり自分はコロンブスは評価したくない。
まぁでも功績の完全否定でもないので 『コロンビア』などの美称も残っているし、
すべてを悪く言いたくないが これまでのTVやマスコミや教師たちから 吹かされた誇張は やるせない;;;

126 :
>>118
発見のモニュメント
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88
こちらにもラヴラドールさんの中の人>>116は居ませんね
そんで、こちらの方は>>96
ジャコメ・デ・マイオルカ - 天文学者
はいらっしゃいましたが、サグレスに学校はなかったんじゃないかなぁww
そして表記揺れぱわぁが凄い

127 :
>>124
> あの時代のヨーロッパ探検家たちの業績を発見と呼ばずして何と呼ぶべきか、とも思えるし
それは俺も 評価してもいいとは思うが、
あの時代だと 活版印刷もまだ普及してなくて 報告書とかの偽書も多くて、
明確な探査報告してる学術研究家が少なかったと思うのよ。
信頼できる資料が少なすぎ
信頼できる記述も少なくて、確定的に誰がどういう功績をあげたとは断言しにくい。
航路の開拓者や寄港地の開拓者としては評価してあげたいが、
緯度は天体観測でなんとかなるとしても
大西洋じゃ ろくな諸島がないので 経度なんて誤差修正もできないし、
(実際 南米や北米の 経緯度は不正確だった)
死の航海だったのだなと思う(壊血病とか etc)

128 :
>>96
コロンブスが出港した日、同じ港から追放されるユダヤ人が乗る船が出てたのか…
コロンブスはユダヤ人の新たな居住地を求めたとかいうか。
それはアメリカ…アメリカのための秘密結社はフリーメイソンか…ユダヤの陰謀ってやつか…

129 :
>>117
> 時系列と重要度がマッチしているのだろうか、、、
> あとニューファンドランドも非常に怪しいww

時系列を整理するのは悪くないよ、まぁでも大航海時代とかはパラダイムシフトと言うか、
実際に歴史的影響度の時系列前後みたいのは多いし
(ポルトガルのブラジル領有根拠とか、コロンブスの航海時系列と大きく齟齬してる)

大国間の軍事競争とか政治処理とか、内容を追っていかないとかなり難しい。
スペイン=ポルトガルが勝ち組に思えたような状況下でも、
シーレーンを妨害する海賊略奪戦略で 他の欧州国家も対抗策に出た。

大航海時代は複数の要素が多すぎて難しいわ

130 :
かつてアメリカ発見者をコロンブスとするかバイキングとするかで
イタリア?vs北欧?がアメリカで争ったみたいなのがあったんだっけ。
結果コロンブスの勝利、コロンブスデーなどだっけ。なんで見たか忘れた

131 :
>>127
北の航路は死屍累々すぎてヤバイですね
死んでるかどうかすら、さだかじゃありませんがww

132 :
>>125
みなさんも世の中も
『コロンブスだけが取り立てて特別に悪いことを成し遂げた』と言う
評価がされている気がしますが
ほんとのところどうだったんですかね?

おいらとしては四天王としては最弱みたいな気がするのですが、、、

順当に総督として盤石の地位ままで業績が称えられた世界線
これはかなりのハードモードの気がww

133 :
>>118
これが一覧になってて見やすいけど
ちょっとヤバめなの混じってますねww
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7d/Descobrimentos_e_explora%C3%A7%C3%B5es_portuguesesV2.png

134 :
>>133
前からずっと気になってましたが
子午線のラインはつまり>>133なんだろうな
やっと調査できそうな気がしてまいりました
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/48/S%C3%BCdamerika1650.png

135 :
>>132
四天王て誰だろう。これが思い浮かんだのは実際当時四人をピックアップしてるからだろう…
https://i.pinimg.com/originals/7b/2d/fa/7b2dfa915206f24299ee2ff6b4b0dd9f.jpg

136 :
>>133
やばめなのって種子島が山口とか?
中の人とか四天王とかやばいのとか何のことか明かさないとわかりませんよ

137 :
>>105
マルコが帰りに利用した船はザイトン発だがそのザイトンから九州太宰府までの距離が1500マイルほどだとか「ジパング伝説」に

138 :
>>103
>・中国からの距離が2500KM

間違いの根拠とするなら中国からの距離は>>137みたいに主要港からではなく最短部で測るはず、ということか。
どう解釈したものかw

139 :
大航海時代四天王は コロンブス アメリゴ ガマ マゼラン

140 :
>>138
最短は上海から九州の550kmくらいかな

141 :
マルコポーロの記録であることをふまえると当時フビライの領地であった朝鮮半島から対馬距離などと考えるべきか

142 :
>>135

1492
1497
1519
1526

の世界線ですか、、、
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/20/America_or_the_New_World_map_by_Theodor_de_Bry_1596.jpg

1526は第二次探検開始みたいですが
この年を記念する理由を見つけられませんでした

>>136
よくそんなところに気がつきましたねww

143 :
結局四天王とヤバメは何なの

144 :
>>134
ふむぅ、難しい、、、
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/navigation2/marteloio.htm#section52
より抜粋

位置の決定
マルテロイオの方法は avanzar をターゲットにすることもできる。 例えば トルデシリャス線 を見つけるために出航したとする。
トルデシリャス線とは 1494 年の条約で法的に定められた子午線のことで、 カーボベルデ (Cape Verde) の西方 370 リーグにある。
船はカーボベルデから出発して、トルデシリャス線を見つけるために、 常に西に帆走する必要はない。
むしろもっと都合のよい方位 (例えば南西) に向けて帆走し、 西を"意図した"コースとして扱ってもよい。
従ってマルテロイオを使用して、 "意図した" 西コースの avanzar が 370 リーグに達するまで帆走してもよい。
(略)
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/navigation2/tordesillas.gif
この特別な実例はマルテロイオの方法の柔軟性を示しているが、 基本的な欠陥も示している: 結果は地球が丸いことを無視している。
子午線は北極に集まり、 高緯度では狭くなるのである。
マルテロイオが示唆することとは異なり、 カーボベルデの 370 リーグ西はセビリアの 654 リーグ西とは同じ子午線上にないのである。
セビリアはカーボベルデよりもはるかに北にあり、 セビリアでの緯度ではカーボベルデの緯度よりも、子午線がより密になっているのである。
セビリアから西に帆走した船は実の所、654 リーグ帆走した場所 (点 D) に到達するよりも、 はるか前に真のトルデシリャス子午線 (図の点 T) に到達しているのである。
マルテロイオの方法では、 船乗りは、あたかも世界が平らであるかのように、 海図の上に平面三角形を描くことによって、コースを設定するのである。
これは地中海のように、緯度があまり変動しない場所に限定すれば十分に実用的であったかも 知れないが、もっと大きな規模では誤りを誘導するものとなる。

145 :
いろいろレスするウムウル氏がスルーする四天王&ヤバメはやばいか…

146 :
コロンブスは「発見した」土地でヒャッハーし放題。
同時代のイスパニアの船乗りや遠征隊は、鉄の鎧と銃火器を装備し、
数十人で石槍と木の盾を持った原住民数百〜数千を相手に無双していた。
マゼランは同じことをフィリピンでやろうとして原住民を舐めきり
鎧を着けられない浅瀬の上陸時に負傷し、艦隊内の不和から他の船員が助けず戦死した。
地球を襲ってきた圧倒的軍事力をもつ侵略者が油断と仲間割れで地球を守る主人公にやられる
ストーリー展開の原型みたい。

147 :
>>133
ニューファンドランド?のterra novaが1473てコロンブス以前ならこれが発見?
てかこんなの知られてないよなぁ

148 :
>>147
検索したらジョアン・バズ・コルテ・レアルて人が行ったらしいみたいな話が。
全然知られてないから相手にする価値なしな話なのか…

149 :
>>147>>148

おいらもそう思ってましたが
コロンブスが1477年にブリストル経由で
アイスランドに渡航してる世界線もあるようなので
ここにも世界線の収束がみられますねww

>>133

1336年のポルトガルによるカナリア諸島発見は
偽造文書による偽歴史というのが定説らしいです

150 :
>>149
>コロンブスが1477年にブリストル経由で
>アイスランドに渡航してる世界線もあるようなので
ウィキ見たらアイスランドは13世紀にはノルウェー植民地なんですでに発見済みでは

151 :
>>150
アイスランドでニューファンドランドの噂を聞いたとかいうのがあったっけ。
これはコロンブスより先にアイスランド住民がアメリカを知っていたとする主張であり
そんなのはガキが「それ俺が先に知ってたよ」と後出しするようなものだとか
モリソンだかは否定してたんだっけ

152 :
>>46>>82>>100
ラス・サカスさんがコロンブスの航海日誌から見つけた
提督の中の人が新世界を確信するに至ったと主張する
異人(おそらくアメリカ人)の死体を発見したのは
アゾレス諸島の西の端にあるフローレス島とのこと

こんなところでなにしてたのかしら、、、

153 :
発見者の権利が保証されていなければ、発見者は利益となる情報は公開しない。
貿易航路や猟場はライバルには秘密にしておくものだろう。
バイキングなど秘密にしていた航路などいくらでもあっただろうけど、
歴史的な功績にはならない。
大航海時代の国家や国王が支援した探検なら、発見した情報を正確に記録報告して功績を認めてもらおうとする。

154 :
>>132
ウィキペディアさんからコロンブスさんの中の人の悪行を抜粋
否定的評価[編集]
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。
さらに1496年以降、死亡率は倍加していった。量的にもスケール的にも、コロンブスは、エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロに並ぶ、
虐殺目的で戦争を楽しんだ最も悪名高いコンキスタドール、征服者の一人と言えるだろう[32]。

インディアンへの大虐殺[編集]
1493年の9月に17隻・1500人で出発したコロンブスの2度目の航海はその乗員の中に農民や坑夫を含み、植民目的であった。
11月にドミニカ島と名付けた島に到着したが、前回作った植民地に行ってみると基地は原住民であるインディアンにより破壊されており、残した人間は全て殺されていた。
コロンブスはここを放棄して新しく「イサベル植民地」を築いた。
しかし白人入植者の間では植民地での生活に不満の声が上り、周辺諸島ではアラワク族、タイノ族、ルカヤン族、カリブ族などのインディアンの間で白人の行為に対して怒りが重積していた。

155 :
>>154
1500人で約37ヶ月で533万を撃破
ざっくり一人あたり毎日300人を○害していく計算です
これはww 連合王国の白い悪魔と呼ばれるのも頷けますね

156 :
やっぱ提督の中の人はむちゃくちゃ悪かったのでしょうかね、、、
フランシスコ・デ・ボバディーリャさんが1500年10月にタイーホしてますし

>>155>>154


エンコミエンダ制
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%80%E5%88%B6

エンコミエンダ制(スペイン語:Encomienda)とは、スペインによるアメリカ大陸の植民地支配時代、
及び、スペインによるフィリピンの植民地支配時代に採用されていた、植民地住民支配のための制度である。

エンコミエンダの成立[編集]

エンコミエンダは、スペイン王室がスペイン人入植者に、その功績に対する王室からの下賜として、一定地域の先住民を「委託する(エンコメンダール)」という制度であり、
エンコミエンダの信託を受けた個人をエンコメンデーロ(encomendero)と呼んだ。

征服者や入植者にその功績や身分に応じて一定数[1][2]のインディオを割り当て、一定期間その労働力を利用し、貢納物を受け取る権利を与えるとともに、
彼らを保護しキリスト教徒に改宗させることを義務付けた。

エンコミエンダと呼ばれる仕組みは、レコンキスタ時代のイベリア半島にもすでに存在し、やがてカナリア諸島に導入されたのち、コロンブスによってカリブ海のイスパニョーラ島で実施されている。
しかし、コロンブス時代に実施されたエンコミエンダは、土地を配分する仕組みであり、上述した制度とは内容が異なっている。
土地ではなく、先住民の信託を主軸においたエンコミエンダ制度は1502年、イスパニョーラ(ハイチ・ドミニカ)総督として赴任したニコラス・デ・オバンドが、イサベル女王に提案して、その許可を受けたことで始まった。

157 :
>>156
だから前にも書いたじゃん、行いが悪すぎたって。
コンブスの場合は他の探検家(エクスプローラー)とは違ってて、
西インド諸島に到達した時点で 原住民を脅して略奪行為から始めてるんだよ、
この時点で他の探検家などとは違い 到達の栄誉以外はめちゃくちゃ悪行を重ねている、
まず、『始めに金(黄金)の確保を念頭に置いて 略奪を始めている』
終始この状態だったので コロンブスの兄弟(記録があやふやだが2人いたらしい)も習って略奪、
こんなやり方が続くわけでもなく 開拓拠点の自衛都市も破綻(住民の襲撃とかそんな感じ)、
ヤバいことやりすぎて、コロンブスの兄弟は死刑、
コロンブスも当然高確率で死刑な感じだったが
さすがに責任者のコロンブスまで処罰すると 王室の責任問題にもなるので 解任して権利を取り上げ終了。
要約するとこんな感じ

158 :
コロンブスの場合は、

西側航路の到達に成功した時点で 総督の終身地位と終身経済利権の10%を保証されてたから、
西インド諸島を安定的に拠点確保出来ていれば
『西インド諸島全域の終身総督の地位、& (高い確率で 南米北端地域の総督も可能性は有った)』
別に 難易度的にはそれほどハードモードではないので しくったコロンブスの方が悪い。

コロンブスの失点は、
・黄金以外には関心がなかった(香辛料や産物などの交易などを重視してなかった)
・略奪本位制の指針だったので 破綻的な指導者であった
・総督としての能力がなかった

これに尽きる

159 :
>>96>>76

アメリゴの南米探検のスポンサーが
フッガー家に繋がる改宗ユダヤ人
という話もあるそうな

160 :
>>159
フッガー家とか 大航海時代によって 金銀の流入と貿易経済構造が変革したので、
旧来的な金融資産家などは衰退してるね
ベルギー王家などはアフリカの奴隷貿易などで巨万の富を得た(悲しいね)
金や銀の市場流通総量が増えたのでインフレが進み 勝ち組と没落の格差が広がった、
大好景気とみるかハイパーインフレとみるか どうなんだろうね
スペイン・ポルトガルはシーレーンの維持が出来ずに
せっかく獲得出来た新世界への足掛かりを失うことになり、
本格的な植民地経営と他者妨害国策の時代になる
やっぱ難しいなぁ

161 :
南米への征服者と原住民虐殺とアフリカからの奴隷貿易を言いたかったが、
ベルギーは特殊な例だし(ここの歴史も面倒くさい;)時系列もズレすぎてるね
ごめんなさい

162 :
欧米の植民地から免れたのは日本とタイぐらいだけど、
(タイも実質的には侵略されてるよな どう見ても;;;)

日本の場合は偶然が重なって侵略を免れたけど、
種子島への鉄砲伝来はポルトガル船な訳で、
このバタフライ効果がなければ 鉄砲の伝来と量産化 →戦国の統一も難しく、
ドイツやイタリアのような連邦国家群かインドのように分断侵略された可能性も否めない、

地理的な
マラッカ海峡や 極東すぎた地政学的な幸運を喜ぶべきか、(アメリカやロシアなども)
運がいいのか悪いのか よく判らない日本ではある。
神風が何度も助けてくれてるので本質的な問題が討議されない日本ではあるが、
歴史の可能性にはどうみても偏りが多すぎるような気もする

163 :
>>157
>この時点で他の探検家などとは違い 到達の栄誉以外はめちゃくちゃ悪行を重ねている

逆に当時の航海士で悪行を働いてない者のほうが少ない気が。
ガマ、アメリゴ、バルボア、マゼランとかも結局武力行使してるような

164 :
>>154
>1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。
1496年までに800万人が三分の一って間違いじゃないの?
英語版ウィキのコロンブス以前のエスパニョーラ島人口が25万〜30万。
コロンブスの南米発見が1498年。つまり1496年てコロンブスがインディアン殺したのはエスパニョーラ島をメインする島々。
そこで>>155のように37ヶ月で533万Rのは無理だろう。そもそもそれだけの人がいないのだから。
この変な内容は誤訳、誤解によるものか?

165 :
>>164
だいたい ほぼその通りだと思うよ。
1回の出撃で インディオ 数1000人単位の虐殺(つうか抹殺)、これを繰り返して、
略奪の組織化(効率化)を後に行って 徹底的に殺しつくした。
反撃に出たインディオも死んだ、
奥地に逃げ込んだインディオは欧州からの疫病に免疫がなくほとんど死んだ。
使役する原住民がいなくなったので アフリカから黒人を奴隷として連れてきた、
今のカリブ海 西インド諸島の住民は アフリカからの奴隷の子孫です、
大航海時代の原住民は ほぼみんな絶滅したそうです。

166 :
樺太と北海道を合わせたぐらいの土地面積で 自然が豊か、
牧畜や農業に適した土地だったらしいです (寄港地も作り易く 山脈が要害にもなった)

167 :
>>164
提督の秘められたぱわぁが覚醒すれば
一人の原住民を100度○害することぐらい
朝飯前なのかもしれませんね、、、
人数に関してはどっかでみかけた気がするので
わりと由緒あるのかもしれません

168 :
>>165
ほぼそのとおりってやっぱ誤訳誤解ってことだよね?
1496年までに800万人いないであろう地域で533万殺したっておかしいよね?

169 :
>>154
否定的評価の参考図書の『American Holocaust』(David Stannard, Oxford University Press, 1992)
ての検索したらpdfのがあったがそんな事書いてなくないか?
つまり1496年までにとは書いてなくないか?
https://onkwehonwerising.files.wordpress.com/2013/06/american-holocaust.pdf

170 :
>>169
と思ったらあった。8,000,000で検索して出なかったがeight millionて書いてる箇所にあった。
これだとヒスパニオラ島人口800万人ってしてるんだな

171 :
>>169
常識的に考えれば
提督には常識を超えたぱわぁが備わっていることは
きっと間違いありませんね

現物の数字はここが詳しいようです
インディアスの破壊についての簡潔な報告
https://www.y-history.net/appendix/wh0901-048_1.html
スペイン人の破壊行為
(略)
例えば、われわれがはじめてエスパニョーラ島に上陸した時、島には約300万人のインディオが暮らしていたが、今では僅か200人ぐらいしか生き残っていないのである。
・・・この40年間にキリスト教徒たちの暴虐的で極悪無慙な所行のために男女、子供合わせて1200万人以上の人が残虐非道にも殺されたのはまったく確かなことである。
それどころか、私は、1500万人以上のインディオが犠牲になったと言っても、真実間違いではないと思う。」<同書 p.19-21>
征服者は「人類最大の敵」
 「1518年4月18日にヌエバ=エスパーニャに侵入してから1530年にいたる12年の間ずっと、スペイン人たちはメキシコの町とその周縁部で、
つまり、スペインと同じぐらい大きく、また、それ以上に豊饒な王国が4つも5つもあった広さ約450レグワの領土で血なまぐさい残忍な手と剣とでたえず殺戮と破壊を行った。
・・・結局彼らは400万以上の人々を虐殺した。このようにして、スペイン人たちは、彼らが征服(コンキスタ)と呼んでいたことを行いつづけた。
征服(コンキスタ)とは残忍な無法者たちが行う暴力による侵略のことであり、それは神の法のみならず、あらゆる人定の法にも背馳し、
トルコ人がキリスト教の教会を破壊するのに等しいか、あるいは、それ以上にひどい行為である。
しかも、その400万の中には、既述したような奴隷状態の中で日々迫害や圧政を加えられた結果、死んでしまったインディオや、
今なおそのような状態の中で殺されているインディオの数は含まれていないのである。
とりわけ、どんなに言葉をつくし、多くの情報を手に入れ、また、ありとあらゆる手段を駆使しても、誰の目にも明らかな人類の最大の敵であるあのスペイン人たちが、
ヌエバ=エスパーニャの様々な地方でたえず犯し続けてた驚くべき所業を語りつくすことはできないであろう。」<同書 p.60-61> 

172 :
>>160
フッガー家は競争環境の変化があったのはともかくとして
あぼーんした原因はスペインの王様がデフォルトしたのに連鎖して
没落したんじゃなかったんでしたっけか
新大陸の船が帰ってくると
港で待ち構えていの一番に取り立ててたのにダメだったようなww

173 :
>>163>>146
クック船長はめっちゃいい紳士だったのに
原住民が野蛮人すぎてダメでした
みたいな風潮はなんなんでしょうかね、、、

174 :
>>97
聖人クリストフォロスがキリストを対岸へ運び地に杖を刺すとナツメヤシとなった。
対岸のアメリカへ渡ったクリストフォロがナツメヤシをその地に植えたという暗示か

175 :
>>96>>128>>159
ユダヤさんの中の人ネタは
ネタだろうと思っておりましたが
調べてみるとやっぱそこそこおもしろいですね

>>162
そんでもって数百年後に故国を追われ新大陸に到達したイタリア人の航海士が
大量虐殺の引き金となるという、、、
こんなやばい見立てをしたのは誰なんすかww
ちなみに現地人は友好的でした

176 :
>>173
クックもマゼランも世界周航途上で原住民にボコラれ死って点でイメージがかぶる

177 :
>>146

個人的にはバルボアさんを○害して登りつめるところが
ラスボス登場的な感じで好きです

178 :
>>152
砂糖の交易に関して
裁判の記録があるとかないとか、、、

それにしても提督より早く西方航海にでかけた説はよくあるのだけれど
誰が逝ったのかは調べてもなかなか出てこないですね

179 :
>>160>>172

フンガー家はずっと鉱山でやってきてたのかと思っていたのですが
どうやらそうでもないらしい、、、


ウィキペディア先生の説明は微妙にバグってる気がしないでもないけど言いたいことはわかります
このマークある意味で大航海時代を象徴してますね、、、


ユリのフッガー家

1473年、神聖ローマ皇帝よりユリの紋章を授与されている[4]。
1485年銀の先買権を手に入れ莫大な利益を獲得する。

1490年、銀山のあるティロルの領主がマクシミリアン1世となった。これをきっかけにヤーコプは神聖ローマ皇帝と結びついた。
1494年8月18日、ヤーコプの息子であるウルリヒ(ドイツ語版)、ゲオルク(ドイツ語版)、同名の息子ヤーコプ(ドイツ語版)の3兄弟が契約を交わし、正式に商会を設立した[4]。
この契約は兄弟で資産を分割せず、生き残った商社員が商会を運営していくというものであり、フッガー家の特色となった[5]。

同年にはノイゾールの銅山を入手し、翌年トゥルゾー家と「ハンガリー貿易会社(Ungarische Handel)」を設立した。
これがシレジアの金山の大部分を支配した。ヴェネツィアなどにも支店を持った。

ゲオルクとウルリヒが死亡し、
1511年にヤーコプは「ヤーコプ・フッガーとその甥たち」という商会を設立した[5]。同年、ヤーコプは神聖ローマ帝国の貴族に列せられ[6]、
1514年には伯に叙せられている[6]。ヤーコプはスペイン国王やローマ教皇の御用銀行でもあった。
1517年の贖宥状(免罪符)販売は、ブランデンブルク公がフッガー家への借金を返還するためでもあった。

1519年、カルロス1世に選挙資金を貸し付けた。カルロスはフランス王を抑えて皇帝に選ばれた。
ヤーコプは、カルロスの支配するナポリ王国の収入の一部や、レコンキスタ完了後に国有化の進んだスペイン騎士修道会所領の地代収入から債権を回収した。
一方で、ヘルマン・ケレンベンツ(ドイツ語版)によれば、カルロス5世はフッガー家よりもジェノヴァの銀行から多くを借り入れていた。

180 :
>>155
8時間労働として一人Rのに1分36秒ほどか。
集めたり逃げたり反乱起きたり疲れたりしたんじゃないのと思うとどうも信じられないてか
800万人って数字、>>169のが唱えてる当時の新世界人口を最も大きく見積もってるレベルの数字とかかな

181 :
クック船長は、航海は一攫千金や権力目当てでなく学術目的の探検だったし、
実際学術的な功績はとても大きく
コロンブスら山っ気満々の冒険者とは雰囲気が違って
海の男たちの中では際立って学究肌な印象。
他国から見れば鼻持ちならない人と距離を置くイギリス貴族だったのかもしれないが。

182 :
>>147>>151
ニューファンドランド?沖のタラ漁は
けっこう先行プレイヤー説があるのですが
予想してたよりバスク人が出てこないですね
>>181
ほほぅ、人によって印象も違うみたいでおもしろいです
おいらのクック船長のイメージは叩き上げなのですが

183 :
>>159>>146

どうやらマゼランの世界周航をお膳立てした
フッガー家の代理人とは異なる人らしい、、、


ふむふむ、おつむの弱いおいらにも
だいぶ筋立てわかってまいりましたよっと

184 :
コロンブスらは交易路開発目的でいわば金儲けが主目的って印象。
で、一通り交易路開発が済んだら現れたのがクックで
未知の海域探検をしたって印象

185 :
>>177>>175
パナマの英雄バルボアさんの○害にかんだ人物も
ユダヤの系列に連なる中の人とのこと
うむぅ、、、輻輳しすぎてて難しい
旧大陸で聖戦を戦い
新大陸でも聖戦を遂行したのでしょうかね、、、

186 :
>>154
>コロンブスの到来から二十七年後の一五一九年には、元の人口五十万人が、
>およそ一万一千人にまで減っていた。「文明崩壊 下」草思社94ページ)
てのがあった。元が50万人説

187 :
>>182
クックの印象は、見る立場によって違うだろうけど、たたき上げでも成り上がりでもイギリス海軍の士官。
外国の雇われ船長や船員、原住民から見れば国家や軍の規則や名分にこだわったんだろうなと思うよ。

188 :
>>181
ジェームズ・クックは平民で貴族じゃないよ。
にも拘わらずあまりに有能なんでスピード出世で艦長になった。

189 :
勉強になたは

世界探検史
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211918

190 :
>>180
新大陸帰りの提督の覚醒した能力をもってすれば
たとえ通風で寝たきりだとしても
隠れた敵を撃破することなぞ造作もありませんね
ベットの中から「見えるぞ!私にも敵が見える!」と
言ったとか言わなかったとか、、、

>>184
おいらダンピアさんの中の人の印象がずっと掴めなかったのですが
>>5さんのおかげで完全にグルメニストとしてインプットされますた

191 :
>>190
新世界でしたね、
大事なところを間違いたいへん申し訳ありません、、、

>>153
航路情報の秘匿とインテリジェンスに関しては
フェニキア=カルタゴさんの中の人ですかね

192 :
>>178
おいら調べによると
逝った人はわかりませんが手はずした人は
カルザディラ博士
D.ディオゴ・オルティス・デ・ヴィルガスさんとのこと。
ディオ様でしたかww
ジョアン3世の家庭教師でたぶん>>24の判定会議にも出てたんじゃないでしょうかね

193 :
>>96>>128>>159
>>115
コロン提督が第一次航海の報告を送った
王室財務官のジェノヴァ人ルイス・デ・サンタンヘルさんも
中の人は改宗ユダヤ人らしい
この方が実質的パトロンとみてよいのではないでしょうかね

194 :
>>152
男女だから恋人が生贄にされそうなんで駆け落ちして東の果ての世界へと逃れようとして死んだんだろう

195 :
>>96>>139
コンベルソ(converso)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BD
のリストから漏れてる人も含めてまとめておきますね

コロンブス←ルイス・デ・サンタンヘル(コンベルソ)
アメリゴ←フェルナンド・デ・ノローニャ(コンベルソ、フッガー家?)
マゼラン←クリストバル・アロ(フッガー家)

>>183>>192
クリストバル・アロがポルトガル時代に西回り航路の開拓を計画したと
第一級資料のウィキペディアさんに書いてありますが
この人は全くわからんですね、、、

196 :
>>194
やっぱ新世界にも
漂流譚や伝説の東の大陸みたいな
伝説とかあったんでしょうかねぇ

197 :
>>154
>スペイン人が黄金を探し始めた当座、ハイチには二五万人のインディアンがいたが、
>二年後には、殺されたり自決したりして、彼らの数は半分にまでへっていた。「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史・上」17ページ

第二航海の目的を奴隷と黄金としているので1493年からとしたら1495年までにかな

198 :
ふむぅ、、、

@起源を主張
Aユダヤさん中の人活躍
B戦闘力を調査した件(○害ぱわぁ)

と、ネタを探ってまいりましたが
みなさんBがお好きなようですね

そしたら天下一武道会でもやるかなぁ

199 :
>>197
2年で半減なんてありえるかな?
接触以前の人数なんて確かめようがないからr誇張が入ってたとはいえ旧大陸から齎された伝染病で結果的に半減したってのはありそうだが

200 :
>>199
>>154のウィキだと92年から96年末までで約800万人が3分の1て。
4年で533万人Rほうがもっとあり得なさそうという

201 :
>>197
https://kamogawakosuke.info/1995/03/08/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E9%80%B2%E6%AD%A9%E3%81%A8%EF%BC%88%E5%89%8D%E7%B7%A8/
エスパニョーラ島で
>民族学者の推定では、元々30万人いた先住民のうち3分の1が1494〜96年の2年間に死亡したという。

202 :
人口を観測する支配者の前から原住民が避難して、
支配者に存在を把握されなくすれば、人口は減ったことになる。

203 :
>>118
重要条約がリストから抜けすぎてて
ポルトガルの歴史を追うことすら困難ですね、、、
お勧めのサイトとかないのかしら

204 :
>>151
これなんで読んだっけなとあちこち通った図書館行って探したがわからん…

205 :
>>86>>203
年表にはなっておりませんが
さすがウィキペディア先生といったところですね

デマルカシオン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3

206 :
>>133
>ちょっとヤバめなの混じってますねww
どれですか?わかりません

207 :
>>92

コロンブスが重用したサンティアゴ騎士団の中の人に
同名の方がいらっしゃいましたが
世界線の交錯や混線もあるのかしら、、、

208 :
>>158
提督の書簡を読んでおりますが
涙でるクラスの超絶ハードモードでワラタww

209 :
もうちょっと前のもありますが
>>205から当面のぶぶんだけ拾っておきまする

アルカソヴァス条約 1479年9月4日 
1454年1月8日にニコラウス5世がアフォンソ5世に与えた「Romanus pontifex」[12]、
1456年3月13日にカリストゥス3世がエンリケ航海王子のキリスト騎士団に与えた勅書 (Inter caetera) [13]、
そしてそれらを一部修正した1479年9月4日のアルカソヴァス条約が分界の直接の起源となった[10]。
この条約でカナリア諸島はスペインが、その他の大西洋諸島と「カナリア諸島から下(南)へギネアに向けて」すでに発見された、またはこれから発見される土地と島嶼をポルトガルが確保した[10][14][15]。
1481年6月21日に、ポルトガルは、アルカソヴァス条約の追認と先行勅書群の確認のための勅書 (Aeterni regis、永遠の王) を教皇シクストゥス4世から引き出し[9]

教皇子午線 1493年5月4日 
ローマ教皇アレクサンデル6世はスペインに向け、5月4日付の大勅書インテル・カエテラ (inter caetera) およびエクジミナエ・デヴォティオニス (Eximinae devotionis) を発給[17][18]。
この勅書によってアゾレス諸島とヴェルデ岬諸島の西100レグア[19]の地点を境界線として分割し、東側をポルトガルが、西側をスペインがそれぞれ「征服に属する地域」と定められた
同年9月にはスペイン船がその境界線に行くまでポルトガル領の海域を通る航海権を認める大勅書も公布した[11]。

トルデシリャス条約 1494年6月7日
スペイン国王フェルナンド2世とポルトガル国王ジョアン2世の間で交わされたトルデシリャス条約によって、分割線はヴェルデ岬諸島の西370レグアの位置[22]に変更された
この条約は1506年1月24日付のユリウス2世の大勅書で承認され[7][16]、1508年には両国国王に十分の土地財産を持つ司教座聖堂や修道院を建設することなどの具体的義務を明確にし、
その布教保護権を恒久的に与える大勅書を発した[11]。

サラゴサ条約 1529年4月22日
1512年、スペインは分界線は地球を等分割する子午線であるとする解釈を表明[4]。
サラゴサ条約によりポルトガルがモルッカ諸島を領有し、スペインは35万ドゥカートの賠償金と引き換えに領有権主張を放棄してフィリピンを確保した[8][11][25]

210 :
>>133
>ちょっとヤバめなの混じってますねww
何がやばめなんでしょう?発見年?地域?政治的とか?

211 :
>>182
ニューファンドランド沖バスク人鱈漁について「世界食物百科」
http://www.res.otemon.ac.jp/~yamamoto/vorl_2/Semi_2001_06.htm
>ニューファンドランド州のタラの「魚群」を発見した栄誉は西暦一〇〇〇年のバスク人に与えられる。
(略)
>この機会にバスク人にもうひとつの栄誉を与えておこう。
>彼らはリーフ・エリクソン[十一世紀ごろのスカンディナヴィアの航海者]や
>クリストファー・コロンブスよりもはるか以前に、こうして新世界を発見していた。
ウィキ見たらリーフ・エリクソンてアメリカ航海して帰還が1000年てなってるからバスク人と同じ時にアメリカ発見したことになりそうだけど。
バスク人がアメリカ発見とかまあ見かけないことを堂々と事実のように書いてる「世界食物百科」著者て
フランス人なんでヴァイキング気に入らなくてかとか思ったり

212 :
>>210
おいらが気になったのは
>>147と>>149のやつでした
>>104>>113
の父ちゃんかと思いますね

あとカボットさんの中の人が1494に到達している世界線もあるそうです

213 :
>>211
カトリックルールでは
四旬節OKだったら
金曜の鯨はセーフなんでしょうかね?

バスク人の中の人は
1500年以前の具体的な年数が出てこないので
あんまりおもしろくないのです、ヤバい的に

214 :
>>208
コロンブスの場合は兄弟が2人居て、
3人揃って略奪に励んだ訳だが(それが理由で兄弟は死刑になった)
仮に善政を敷いたとすれば総督の地位は確約済みだから無理する必要はなかった。
史実では無主占有で植民地支配の口火を切った訳だが、
交易路線にコロンブスが進んでいれば世界はまた変わっていたかもしれない、
シーレーンを維持するには拠点確保の交易路線の方が堅実なので、
舵取りさえ間違わなければ史実のコロンブスよりか栄達の地位に行けたと思う。

215 :
まぁ 完全にあり得なかった世界線の話としてコロンブスの事は置いておくとして、
史実ではヨーロッパなどの疫病が免疫の無かったインディオ達を猛威が襲ったとあるけど、
ぶちゃけた話 エボラ出血熱や スペイン風邪みたいな凶悪なパンデミックが
欧州とかを逆に襲ったかもしれないパンドラの箱もあったわけで、
(史実では性病などぐらいで済んだのは運がよかっただけなのかもしれない;;;)

216 :
>>214
ふーむ、善政で交易推しですか、、、


提督の中の人は新世界のエスパニョーラ島で
いったい何を交易したらよかったんですかね?

金属、貴金属、宝石を除いて
再生産可能でもって帰ってちゃんと値段のつく商品は
おいら一つしか思い浮かばないのですが

でも残念ながら新世界産ではあんまり競争力ないと思いますね

善政っていうのも、実際になにをしたらいいのか
アホのおいらには難しすぎますww

217 :
ポリネシア系民族とかろくな観測技術もないのによく広大な太平洋をカヌーで航海できたもんだな
ハワイとか普通に考えて多数の人間が到着して繁栄できる地理じゃないだろw

218 :
基本的に中の人って○○を演じている人って意味でないか。
声優とか俳優とか。
紛らわしいので無意味な使用はやめてほしい

219 :
糞コテはアホやから言っても無駄やで

220 :
>>215
これに関しては
鍛え方が違う説があるんじゃなかったんでしたっけか

そういえば、提督の息子は私が育てた
みたいな気がしてましたが兄弟全滅なのか、、、
おいらの知ってる3人の兄弟とは別の世界線もあるのかしら

221 :
コロンブスに関しては、3人兄弟、兄弟2人は残虐行為のKによって
死刑になったとされる資料と、財産を返還して刑を免れたとの資料がある。
いずれにせよ、スペイン王室と揉めて、3人兄弟は一時投獄、
コロンブスは総督の地位を解任、利権(以後発見される土地からの年間 10%の経済利権等 etc)
は全て没収された。
スペイン側とも揉めてるので、コロンブスの資料は信憑性の確かな資料が少ない。
(詳しくはコロンビア訴訟などで)
コロンビア訴訟などの経緯で 後に仲介提案として
息子のディエゴが総督の地位と 10%の経済利権等を一応引き継いだが、結局さらに揉めたらしい。
金貨(銀四匁)で換算すると、コロンブスの年間収入は30億円ほど、
この頃は経済規模が小さかったので現在に換算すると 年間 300億円ほどの収入になる。
ちなみに この頃の欧州への銀の流入量が年間 10億相当らしく
これでヨーロッパの経済がインフレになった。

222 :
>>221
まじっすかww
コロンブスさんの中の人そんなに現金収入あったのなら
部下の給与ぐらいちゃんと払ってあげたらよかったのに
300億を1500人で山分けしても
一人あたり2000万か
これならおだいじんできますね、経費が別なら

223 :
>>222
この頃は貨幣経済があんまり流通してなくて、経済規模がとても小さい、
オランダとかの大工の棟梁でも 10万ぐらいの年収しかなかったらしい、

>300億を1500人で山分けしても

全部 コロンブス個人の収入やで、
・以後発見される新たな土地の利権はすべてコロンブスの物
・インディアからの交易収入の10%の永久利権
・新発見される土地すべての利権と総督の地位保障

これらすべてを失ったのは全部コロンブスの悪行と無能 絶対アホやろw

スペイン側もなんとか全て没収したかったが、
トルデシリャス条約の関係上ごちゃごちゃした (スペインが利権失うからね)

224 :
コロンブスって帰化したのかな。
アメリゴは帰化して初代海軍総監になったとか書かれてる。
海軍総監になるには帰化しなくてはならなかったともとれる。
インディアス副王ならコロンブスも帰化してたのか。
コロンブスが帰化したって話は聞いたことがない。
逆にいうとアメリゴが帰化したってのが、当時としては珍しいくらいな印象

225 :
>>224
戦国日本で帰化とかあったのかってほどだしな。
信長の黒人家臣とか帰化したとも思えないのは帰化って概念がなかったんじゃないかって気がする。
とはいえ戦国なのでそういう発想がなかったほど日本は分裂していたからとも思えるか

226 :
ヨーロッパには戸籍制度がないのに帰化したかしてないかの厳密な区別があるのだろうか?
国を率いている王族がまず国家間で婚姻したり複数の国を兼ねたりで何々人だというアイデンティティが希薄だというのに

227 :
三浦按針とかも帰化とかせずとも武士になったか…

228 :
マラッカとか基地造られてたがいまじゃ日本にも基地が作られている

229 :
>>224>>226

スペイン船で新大陸に渡るインディアス航路を利用するには
国籍条項があって移動が制限されたそうな

帰化はよくわからんですが
在住年数による市民権獲得はカボットさんの中の人も利用してますね

230 :
>>218
アホなのですみませんww


>>181

>>184

>>208

提督の中の人が月食を予言して原住民にペテンを働いたのは
本人の叙述ではない法律上の記録に出てきますた

231 :
>>230
提督の中の人が読んだかもしれないアルマゲストは
レギオモンタヌスさんの翻訳版ではないような気がしますね
出版年は1496年でした

>>195
ヨハネス・ヴェルナーさんが経度決定方法は1514年発表でピーター・アピアンさんの解説は1524年
北の系統ですか、ふむむふ

232 :
「海賊の歴史」に載ってた詩のフレーズ
>悔い改めはその場だけ、航海ばかりしている俺だ、航海ばかりしている俺だ。
日本語だと後悔ばかりしてるとかシャレにすれば
悔い改めはその場だけ、後悔ばかりしている俺だ って後悔ばっかりみたいな

233 :
>>154
「銃・病原菌・鉄 上巻」316ページ、病原菌による大量死の例としてイスパニョーラ島先住民人口を1492年には800万人、1535年にはゼロとしているか

234 :
>>233
http://www.jericho-group.co.jp/news/news_bookcomment134.htm
その箇所あった

235 :
>>234
と思ったら「1412年、コロンブスがやってきたとき」と書いててページまんまじゃなかったようだな

236 :
>>235
これはだいぶ前身しましたねぇ、、、

>>231
実際のとこアウクスブルクからリスボンまで
どんな経路で商品運んだんだろうか、、、

レヒ川はドナウ川水系らしいのですが

237 :
コロンブス批判するアメリカ人も当然いるだろうがそういう人は自分がアメリカに住んでることをどう思ってんだろう。
上岡龍太郎が「(戦争のことでだっけ?)日本を責めるアメリカ白人はヨーロッパに帰ったらどうですか?」とか言ってたがそんな疑問は感じる

238 :
>>217
ポリネシア人の航海は、
タンポポが綿毛の種を飛ばすような感じだな。
遺伝子をばら撒いて、どこかに根付けば儲けもの。

クモにも糸を伸ばして風に乗って飛んでいく習性があるらしい。
飛んで行った先が生存に適しているかは全然保証がないが
とにかく飛んで行くことで種の生息域を拡げていく。

近代の「航海」の概念は、たどり着けることと帰ってこれることが前提らしいから
ポリネシア人の未知の海域への旅は航海というより種の遺伝子を拡げる
本能的行動だった、ということだろうか。

239 :
コロンブス以前にバスク人がアメリカでたらの干物を作っていたとか読んでたらが食いたくなりタラタラしてんじゃねーよを生まれてはじめて買った気がするが
原材料にたらとは書いてない。魚肉とは書いてある。魚肉練り製品だがたら使ってるかは知らん…

240 :
>>204
北米発見の話じゃなくてコロンブスの発見地を先に見ていたという無名の航海士についてだったようだ。
>モリソンの見解では、この物語を流布させた張本人は、新大陸に最初に移住して植民地にし、
>コロンブスを毛嫌いしていたスペイン人たちであり、悪意ある噂話が物語の元なったのだという。
「捏造される歴史」115ページ

241 :
>>223
仮にコロンブスさんの収入が
全て新大陸からのものとして考えて

新大陸収入の10%で提督が300億とすると3000億
これを各住民の推計値で計算していきますと

800万人→3.75万円/人
50万→60万円/人
25万→120万円/人

中位の推計値でもオランダ大工棟梁の6人ぶんですか、、、

こんなに経済的に発達していたとは思えないので
やっぱ800万人ぐらい必要なのかもしれませんww

それでも女子供含めて特殊技能職の1/3ぐらいは稼げるんだからたいしたものです

242 :
>>241
スペイン語版wikiによると、
彼の人生の終わりの彼の経済状況は億万長者のそれであり、
年間収入は約8,000ペソ(約400万マラベディス)と推定された。
と あります、
このマラベディと言うのはキリスト教に由来する言葉のようで、
スペインの金貨の名称になりました、
コロンブスの時期には マラベディ銀貨が流通してました、
このマラベディ銀貨の額面が不明ですが (この頃に貨幣改革が起こる)
(当時は銅貨が一般に流通していたので もっと価値はあるかもしれませんが;)
この当時の マラベディ銀貨 が 銀 3.195gで 、4マラベディ銀貨=1マラベディ金貨、
1マラベディ銀貨を 当時の銀貨の貨幣価値に換算して
すくなく 見積もって 30億円ぐらいとしました。大きく見積もれば 100億円ぐらいの価値はあるかな

243 :
大航海時代に前後すると、

銀の取引量が 50年間で 50倍の総量に拡大、(欧州全体で、年間でだいたい4%ぐらいの経済成長)、
穀物(小麦)の価格が 3倍まで高騰、

銀の総量が 欧州全体の6倍まで膨れ上がる(ほとんどが新大陸での銀山からのもの)
金は 欧州の総量の 1/5が流入した。

インフレしてない時代でのコロンブスの収入は実体経済に比例すると莫大な価値があったとみるのが妥当、

圧倒的な銀の流入で欧州の経済が活発化する

244 :
おかねいっぱいいっぱいね

探検の歴史
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1284172512/536
536 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2016/01/15(金) 08:02:08.54 0
誰か実質最初の世界周航の達成者である、
エルカーノさんについて語ってください。

544 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2016/01/20(水) 00:29:22.07 0
>>537
売却された金額は7,888,684マラベディ
とあるが、実際のとこどんぐらいなんだろうか
これで3年の航海
・5隻の老朽船
・280人(または265人)
が賄えたとして、利益はスポンサーのとこにいっちゃうのかな
ちなみに積荷のうち高価だったものは鼠で
なんと1匹が半ドゥカード(金1.8グラム)で取引されたらしいww

245 :
>>244
1ドゥカードが375マラベディらしい

おいら調べによりますと
提督の第1次航海150万マラベディ(うち王室から10万)
提督の第2次航海600万マラベディ(王室雇用200人)
ちなみに提督をポルトガルに留め置くために払われた年俸は12,000マラベディ
>>242
そうすると高級職の100年ぶんぐらいですかね
死亡した年代が1506年5月20日(54歳) だから
植民地は10年以上の経営ありですか
ふむぅ、めっちゃ稼げてますね

246 :
>>245
5〜6年ぐらいで逮捕されて投獄、総督解任 特権は没収された。
総督なので 軍隊と行政長官のトップ(地位は 王の代理人 副王の名誉待遇)、
発見の栄誉は別として、為政者としてふさわしくないとされて投獄された。
(釈放されて処罰だけは免れたが、地位と名誉と 利権はすべて失った)
色々理由もあるのだが、
・サンタフェの降伏(サンタフェの合意条約、コロンブスとの契約) ← 他の探検者にも乱発してたらしい
・イザベル1世は カソリックの盟主としての立場だったので コロンブスが原住民を虐殺したのが許せなかった
・この頃のスペイン王室はまだ スペイン国家として確立してないので内部が揉めてた
色んな理由がある

247 :
金貨 1枚 金3.5gぐらい 12万円ぐらい= 銀貨12枚(銀 3.2gぐらい) 銀1g 3000円ぐらい、
で まぁざっくり換算した。
金と 金貨の価値は 金貨は改鋳されて質が落ちる事がすくなかったが
(金貨は 東方イスラム世界など 通貨の通用しない地域などに 貴金属の重さで取引された経緯がある為)
銀貨は 通貨の発行国の都合により 改鋳されて かなり変動値があるが、
だいたいは まぁ このぐらいの目安でまるめた。
銀貨とかは商取り引きなど
金貨や自金などは 大型の取り引きや イスラム世界などの決済用(貴重なので実際は移動されない)
一般の市民なんかは銅貨を使っているが つうか
この頃なんかは普段は銅貨なんかも使ってないわな 年季払いとか ツケとかまとめ決済だな
通貨としての 貨幣経済が周りだすのは 銀インフレの大航海時代以降になる

248 :
大航海時代前後として、
商品もないから物価もない に等しいからなぁ…

ポルトガル アフリカ沿岸や中東との香辛料などの交易 (金などの取り引き)
スペインの羊毛 →イタリア商人 →紡績や染物 →フッガー家 →欧州各国 (銀貨中心)

銀の流入で 欧州各国(具体的にはプロテスタントなどの新興国家)に経済流通の基礎が根付く、
紡績や染料などの産業が育ちつつ 羊毛の為の放牧地の増大などで
スペインの羊毛価値の下落 フッガー家の相対的地位の衰退などになる

欧州にはない 交易したい必要な商品は沢山あるけど (需要がひっ迫)
現金がなかったが 銀の流入で 対外的な購買意欲が高まった状態が続く。

249 :
コロンブスがした航海をグレたちゃんはしてるわけか…

250 :
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/38/Gr%C3%A3o_Vasco_-_Adoration_of_the_Magi_-_WGA07794.jpg
↑幼子イエスの前にひざまずくのがブラジル発見者カブラルで1000クルゼイロ札のカブラルの肖像画のモデルになったというが
1000クルゼイロ札のカブラルって↓こんなだからむしろマリア?の後ろの人物じゃないかって気がするほどだ
https://media2.allnumis.com/271/14-04-2019/1000-cruzeiros-nd-1953-1959_271_989872046e5262d8L.jpg

251 :
グレタちゃんがなんでもヨットで世界を回るとか。
帆船で初の世界一周といえばマゼラン。
その航海は1519年に始まった。ちょうど500周年。
グレタちゃんは令和のマゼラン!?なんてことが

252 :
>>251
グレタちゃんのきれっぷりは
クリスティーナさんとかぶりますね
スウェーデン女性はこんなのばっかりなんでしょか

253 :
トルデシリャス条約の東洋側境界線は当初のものを用いたならば東経133度ほどともされる。
堺市が135度だから堺市は境界線、境としてその名が付けられたのであろう。
なんて思ってみたがそれ以前からの地名なので予言てことにすればいいか…

254 :
よく航海が長くて食料が無くなったり病気になったりがあったけど
船長は無事ってのがよくある気がする
何か特別な措置でもあるのだろうか

255 :
>>254
肉体労働が免除されてるおかげで
汗をかく量が少なくて
ミネラルとビタミンをあんまり消費しなくて済むんでしょうかね

>>248
商業革命までお金トレードほとんどなし説ですか、、、
おいらこれは信じられないですね

256 :
>>255
> >>248
> 商業革命までお金トレードほとんどなし説ですか、、、
> おいらこれは信じられないですね
ウルムル氏 多分誤読してると思いますが 『対外的な交易商品』の事ですよ 248は
市場で 現金が流通してなかった と言う意味ではないから
読み違いされてるかと思いますが
> 欧州にはない 交易したい必要な商品は沢山あるけど (需要がひっ迫)
> 現金がなかったが 銀の流入で 対外的な購買意欲が高まった状態が続く。
チーズや塩漬け肉とかの交換商品もありましたが、
外国との取り引きで 主要な交換商品になりえず イスラム世界での交換商品にならず、
逆に 欧州からは 香辛料や絹や陶器など 買いたい物はあるのに
売れる産物が少なかったとの説明なんですが

257 :
>>256
ふむぅ

対外的な交易商品もないから物価もない に等しい

ということですか、、、
たしかにこれではお金しかトレードできませんね

ということは、対外的な交易商品(購入)に物価がついていたのかと思ったのでした


>>236
銅の輸出ルートは>>179から
おそらく陸上でミナミに抜けて地中海ルートでリスボンまで運ばれ
そこからインドへの輸出に利用されたっぽいですね

258 :
商館というのはどういう施設なのでしょうか?
いまいちこの辺の情報が少なくて詳しくは分からないです

例えばポルトガルがインドに商館を建てて、そこをポルトガル人達の住まいとするなら分かるのですが
何だか商業活動もしてる?っぽい記述も見られます

259 :
>>258
胡椒とか買ったりで商館じゃないの
日本なら出島が商館みたいなものだったか
西洋人が植民地に砦建ててたが今の日本で言うなら米軍基地か…

260 :
>>259
ありがとうございます
そもそも取引がどういう風に行われてるかも理解してませんでした
胡椒を買うのに店に行って買ってくるってのは流石に無いですし
何かの手続きで商館を利用してるという所ですかね

261 :
>>258
まったく調べず推測で書きますが
おそらく商品倉庫および接待商談場と
会計のための一般事務が可能な書斎や事務所

これに加えて地域情報を取り扱う場合
地図、地誌、外交&機密情報、などを収める図書館みたいな施設

この辺りはあってしかるべきな気がしますね


特に倉庫なんかは
不逞の身内なんかからも守るため
ちゃんと管理したんじゃないかなぁ

まぁ、コンテナが使用されるまでは
積み降ろし時にやっぱ抜かれちゃったらしいですがww

262 :
>>261
ありがとうございます。あれから少し調べましたが
保護貿易だからこそ意味のある建物で自由貿易だと意味があまり無いとか
とは言っても261氏の言うようにこの時代ではあると色々と捗りそうです

263 :
>>258
ぶっちゃけて言うと、
大航海時代の頃って 国際法みたいのもまだなくて 紛争しまくりだったんだわ、
そんで 外交上の儀礼(プロトコール)とか
紛争時での 揉め事解決の目安みたいな 国際的な(政治的判断)判断も 積み重なってきたの。
揉め事が多かったから 国際法(暗黙の了解)みたいのが出来た。

んだから、
この時代には 『領事館』や外交官みたいのは まだない訳なんだけど、
外交組織の拠点だと覚えていいよ。
政治と行政長官のTOPである 総督を設置してる場合もあります。
たいていは 母国からある程度好き勝手に現地で判断処理出来る権限を持たされてます


ポルトガル・スペイン、(先発組 経営破たんした)
オランダ・イギリス (先発組の失敗に学んで コス狡い組織改革して進出した)
などのように 時代の流れと 国ごとによって 組織の内容はかなり変化してます。
この辺りは じっくり調べると 面白いし勉強になりますよ。

264 :
ポルトガル・スペインとかは 、
進出先に そのまま 『総督・副王』みたいな組織設置して
外国での自国民の権限守りながら 自国の拡張みたいな感じに展開したんだわ、
ぶっちゃけ 大きい政府のそのまたコピーを クローン分裂させて 領土支配しようとしたんだけど、
それがうまくいかなくて
色々がばがばで 儲かってるはずなのに組織が廻らないじゃん なんでー???な感じに自滅した。
(利益も上がったが 支出もさらに上がりまくりで 収支が合わなくなった)
先進的な試みしてたとも言える

東インド会社

そんで 各国が『東インド会社』ってのを組織するんだけど
なに? 株式会社 会社とか チョーウケるんだけど 知らねーしw な訳なんだが、

『大航海事業 儲かるよー めちゃ儲かりまっせ』みたいな 、
今で言う IT株や未公開株みたいな 怪しい儲け話が湧いては消え 沸いては消えで、
儲かる人も出たけど ハイリスクハイリターンで財産全部失うようなひとも出たの、

それで 『出資した額だけ 利益配分が受けれる』株式投資の概念が誕生した。
株式会社の項は 別の機会に解説するとして、
『東インド会社』は 名前は会社だけど 実は単なる会社じゃなくて、
本来は商取引の組織なんだけど この頃のは
『外交の権利』 『軍隊の交戦権利』 『植民地 経営の権利』なども持ってたの、
後発組は こういった 妖怪みたいな組織持ってたんだわ

先発組はこういう洗練された組織を持てなかったので 植民地経営に失敗した訳です。

265 :
なので 商館は各国違うのです

266 :
中南米とかは 銀行組織の支店や主張所みたいのが作れてなくて、
為替送金みたいな リスク回避が出来ず、
直接的に 金銀財宝を船で運搬してたので、
『嵐に遭って沈没』したり 私掠(公認と非公認あり)の海賊船に襲われたりしました。

なので カリブ海とかは その当時の金貨積んだ沈没船が多く眠ってたりする。

海賊の隠し財宝とかもありますね

267 :
スペインが金銀財宝 運搬してるので
イギリスが 海賊船を使って スペインの船を襲う戦略(弱者の戦略)取ってたんだが、
あんまりにも やりすぎて

『いい加減にしろ このガキ ぶっRぞ (゚Д゚)ゴルァ!』

ってな感じで
スペイン無敵艦隊と イギリスの艦隊が アルマダの海戦で 決戦したりする (まぁ他にも要素はあるのだが)


連投ごめんなんさい

268 :
>>263
ありがとうございます
教皇庁が国際法っぽく頑張ってた印象でしたがグダグダに

269 :
>>268
教皇と教皇庁が紛争解決の仲裁などに動いて解決もしてたのですけど、
トルデシリャス条約で

https://i.imgur.com/PBwWHa9.png

『東側の新領土がポルトガルに、 西側の新領土がスペインに属する』

と紛争解決の取り決めをしたので、
スペインとポルトガルの2国間の紛争解決の目安にはなりましたが、
面白くないのは 新領土獲得のおこぼれに 公式?に締め出された 他の諸外国でした。

カソリックの教皇と カソリックの大国が決めた指針の為、
非カソリック運動や プテスタント運動の燃料投下にもなってしまいました;;;
ネーデルランドやイギリスなどの台頭の下地です

イングランド国教会はプロテスタントじゃないけど、教皇側と決裂しましたので、
この場合 説明上 反教皇側ってことで (実際はそう単純じゃないけど まぁ説明上;;;)

270 :
国際法(カトリック限定)

271 :
>>245
第1次航海において最初に陸地を発見したモノに
両王から与えられる予定の褒美は1万マラベディで
提督がポケットへ着服
それにしても、お給料払ってるのが
200人/1500人の集団って
まともに統率できるんだろうか、、、
>>222

272 :
>>271
コロンブスの部下が一番最初に陸地を見つけたのだけど、
コロンブスは航海日誌を改竄して自分が第一発見者だと主張して懸賞金ゲットしてますね。
コロンブス側も資料を改ざんしてるし、
スペイン側も色々改竄してるので、
自分は コロンブス-スペインの記録はあんまり信用していませんw

273 :
>>272
>コロンブスは航海日誌を改竄して自分が第一発見者だと主張して懸賞金ゲットしてますね。
コロンブスが発見者だと言い張って(嘘ついて)年金ゲットってのは多くの本で見かけたが
航海日誌改ざんして主張し懸賞金ゲットとは聞いたことがない。ソースなんでしょうか。
>コロンブス側も資料を改ざんしてるし、
>スペイン側も色々改竄してるので、
こういうスペインによるコロンブス資料改ざんについて詳しい資料とは何でしょうか?今日実があります

274 :
>>273
コロンブス 資料改竄とかで いくらでも出てくるが、
コロンブスとスペイン側の資料改竄については、
コロンブスと スペインが結んだ サンタフェの降伏の調印文書の現物が喪失 現存してるのはコピー
コロンブスが自分の都合のいい内容に航海日誌を改竄したのが濃厚と多くの歴史家の指摘、
コロンブスだけでなく スペイン側も 西側航路の開拓者に 開拓の手形乱発の二枚舌状態で、
コロンブス訴訟で多くの報告書や書簡の信憑性が争われた。(結局のところ和解)
ラスカサスの調査資料が一番信頼性があるという感じ。
この頃の資料は 書簡などは偽装や捏造が多くて、真贋が怪しいのが多いです。
英語版 wikiなどで調べながら 英語のキーワードなどで調べるとより 検索ヒットします。

275 :
>>274
>コロンブス 資料改竄とかで いくらでも出てくるが、
まずはコロンブスが航海日誌を改竄して自分が発見者と主張し懸賞金ゲットを
調べようと検索しましたが無関係なのばかり並んでてよくわかりません。
絞ってもコロンブスが改ざんし発見を主張した、というようなのは見当たらない感じです。
陸地発見の箇所に関してはおおかたの本では、
コロンブスが自分が先に見たと嘘をついたとか幻を見たのだなどとしており、
陸地発見を主張したこと自体は一応認めているようです。
改ざんし発見を主張したとするサイトがあれば紹介してくれればありがたいのですが。

276 :
>>275
いや だから、本文をよく読んでよ。
この頃の書簡とか書類とかは 書簡は後から偽造されたり、
調印文書などの羊皮紙なんかは 削って改竄とかも可能なんだわ
それで、まず スペインとコロンブスが西側航路の探査契約した
『サンタフェの降伏(調印文書)』も 現物が残ってないの、
この時点で もうまず スペイン側とコロンブス側の主張の正しさは永久に真相は解明できないの。
(新たに 再発見とかされたら別ですが)
まず、 スペイン側はコロンブスの特権を剥奪した 逮捕投獄 その後釈放、
→ その後 息子が訴訟を起こして(コロンブスが貴族と結婚してたのでそのコネで訴訟を起こした)
・スペイン側は コロンブスの統治の無能さと犯罪行為 そして契約の無効をもって逮捕・解任した、
ここで まず 複数の要素があり、スペイン側の主張では航海日誌の内容が疑わしいのも、
契約無効の論点だった。
が、
コロンブスの息子のディエゴが 上述するようにスペイン王室に訴訟を起こし、1505年頃?
50年ぐらい訴訟が続いて、
結局の ところ ディエゴはコロンブス権利の相続、 総督の地位(一代限り)など、
限定的な内容で和解した。あとでまた取り上げられた。
コロンブスの疑わしさで解任されたのは事実なんだよ、その後に息子は訴訟起こしたけど、
訴訟は全部終わって無くて 遺族がまだ現在も続いてる(利権の主張だからね)
コロンビア訴訟(コロンブスの訴訟) 原語 Pleitos Colombinos
長いので 原語で ググってみてみてよ 詳しい解説は出てくるので
海外サイトを色々見てたので ソース元のPC履歴みたが出てこなかったが 似たようなサイトは出てくるよ

277 :
コロンビア訴訟(コロンブスの訴訟) 、日本語の検索だとまずヒットしない
原語 Pleitos Colombinos で、
スペイン語圏の解説サイトが 出てくる 英語圏だと微妙かなー スマン
自分はこれを翻訳したりして色々読んだ、
だから 日本語的におかしい部分もあるかもしれないが
日本語的に要約した。
間違っているかもしれない、出来得る限り答えたつもりですが 回答になっていなかったらすみません。

278 :
コロンブスの訴訟だから 日本語的には コロンブスの訴訟 英語的には コロンビア訴訟?
Pleitos Colombinos
スペイン語だと 訴訟の争点は複数あるので 複数形ですね
まぁ 調べても、コロンブス:スペイン双方にとって不名誉な事実ですから、ソース元は少ないですよ、
自分も色々調べながら判りましたし、海外文献追うのは面倒くさいです。

279 :
>>273
西側航路の成功報酬とは別に、
『西側航路で 最初のインドの陸地を見つけた船乗り』にも 懸賞金が懸っていたのですよ、
コロンブスは 最初に陸地を発見した船乗りの手柄を横取りして、
その為に 航海日誌を改竄したのです。
↑上記の事はググれば出てくると思います。
が、再三 書いたように、当時の 真実は闇の中ですし、後から推察してる事しか判りません。
コロンブスが、 最初に陸地を発見した船乗りの手柄を横取りした のも また時間があれば調べておきます、
時間があればですが

280 :
自分は、一応 ソースが判るような内容で書き込みしてるのですが、
今回のコロンビア訴訟に関しては ソース元をメモってなかった スミマセン
PC履歴にあるはずなんだけど 閲覧数が多すぎて判らなくなってます;
ですので、すぐに資料を提示できなくて 申し訳なく思っています。

281 :
>>276-280
詳しく回答ありがとうございます。
>>279
>コロンブスは 最初に陸地を発見した船乗りの手柄を横取りして、
>その為に 航海日誌を改竄したのです。
一応日本語で出版されている多くの本では「陸地発見者」に関し、
航海日誌が改竄されたのだとするものは見かけたことがありません。あるのかもしれませんが。
あくまでコロンブスは嘘をついたか、幻を見て発見を主張したと解釈されています。
嘘つき説はもっとも見かける気がします。コロンブスが発見者への年金を奪おうとした強欲の証拠などとされます。
幻説はエリオットモリソンが書いてました。
また、チャールズバーリッツはヴァミューだトライアングルに絡めてか
コロンブスが見た光を不可解な怪光などと書いてます。
果たしてこれからはコロンブスが航海日誌を改ざんして自分が陸地を発見した
という説も知れ渡ることになるのか。いつか聞くその日を楽しみに待とうかと

282 :
航海日誌改竄は「コロンブス 黄金と神と栄光を求めて」などでも指摘されている

283 :
何で質問者がマウント目線なの?

284 :
コロンブス訴訟資料とか大航海時代叢書あたりで出してくれれば

285 :
>>209
>ポルトガル領の海域を通る航海権


海領があったとして
どうやって決まってたのかしら、、、

286 :
コロンブス航海日誌改竄はコロンブスが自分が陸地発見したってことが主目的だったのかな

287 :
改ざんしてコロンブス自身が発見したってことにしようがすまいがコロンブス船団が発見したことに変わりはないだろうしな

288 :
>>285
教皇子午線?ヴェルデ岬諸島の西100レグアの境界線の東西でないの?

289 :
>>285
領海については、
現代国際法が明確化されるのは割と最近で それまでは慣習法なので明文化されてませんでした。

国際慣習法 → 近代国際法 → 現代国際法(この辺で定義がまとまる) 、
現代国際法までは明文化されてなかったかと (論争あったけど条約化されてなかった)

その前の前の時代(大航海時代より以前)だと
『海は万物全ての物』と言う概念で、
『万民が共有しているもの』として海の領海化は 海洋交通の自由を阻む概念として否定化されてました、
が、
大航海時代と前後の時代頃から 海洋交通や海洋での警察権などの解釈や紛争などで、
慣習法らしきものが紛争後に成立してきてます

国際法の成立する前の国際慣習法や
その前の時代(大航海時代頃) その前の前の時代(大航海時代より以前)だと
領海の概念も出てきますが 『認める』『認めない』も各論争ありましたが、

大航海時代の頃の(欧米の)慣習法ですと、
大砲の届く距離は威嚇したり追い払う有効射程距離圏ですので、管轄圏内とみなし、
『大砲の届く距離』に入る前は武装解除するとか 礼砲を撃つ(装填弾を空にする)などの
儀礼が発達しました。ペリーの外交の時にもこれをやられています。
大砲の届く距離は時代や国によってまちまちですので定まって無く まぁこれも なぁなぁですね

290 :
>>282
ざっと読んできた。
航海日誌改ざんしたのに数名候補。
まずコロンブス自身。ポルトガル管轄下への進入、そこでの陸地発見の隠蔽目的。
コロンブスの息子かコロンブス家の誰か。コロンブスの陸地発見の功績明確化目的。
頭の切れる法律家。訴訟に勝つため。ラスカサスも改ざんした可能性があるか?
みたいな感じか

291 :
>>290
コロンブス 黄金と神と栄光を求めて ジョン・ダイソン著 青木 康征.訳
コロンブスに否定的に書かれてるけど推察は割と良い線いってるとは思う、
コロンブスの、あの自信確信はどこから来たのか?
著者は、
あるとき、西へ流されてアメリカのどこかへ着いた漂流者が 帰ってくる途中、漂流して
その乗組員が、たまたまコロンブスのいた海岸へ漂着して、一切を話し、海図も渡した。
としているが、
漂流者の話というか身元が、アメリカ大陸じゃなくて、
カナリア諸島かアゾレス諸島あたりの寄港した人物の話を伝聞したとすれば、
コロンブスが西側航路での到達予想距離の見積りを誤算してたのと整合性がでるし、
当初 ポルトガルに『西側航路』のプレゼンして冷たくあしらわれて(既に開拓中だったので)、
スペインにプレゼンして 当時としても投機的な『西側航路』にスペインが乗った流れも理解できる。
「コロンブスにアメリカ大陸到達への航路を伝えた後に息絶えた」とか酷いと言えば酷いw
秘密を伝えた後に死なないと先取権(案)はそのひとものだしコロンブスがパクれないからなぁ…
翻訳された青木康征氏は中南米史が専門らしいし、コロンブス関連の著作や翻訳もされてますね

292 :
通貨 マラベディについて調べてて なんとか 取っ掛かりがあった;嬉しい

調べていくうちに判らなくなる なぞ通貨w どこの解説サイトも なんか整合性がない;
仕方ないので自分で調べる

>このマラベディと言うのはキリスト教に由来する言葉のようで、

こう書いたが、
もうちょっと語源追いをしてみたい、自分的にちょっとワクテカしてる

レアル(通貨)が、欧州側(スペイン)で発行された通貨の貨幣名で、
マラベディ(通貨)は、イベリア半島-アフリカ北岸などのムスリム(ムーア人)の通貨のようだ、

元々は 通貨じゃなくて 信仰者とかそういった風な当時の固有名詞みたいで、
それが転用されて キリスト教徒-ムスリム+ユダヤ人達での共通通貨になってたみたい。
それで 貨幣名(マラベディ)に なったと。語源追いは 面白いなぁ…


もっと書きたいが眠い もうちょっと調べたいけど もう遅いので寝る。

続きは次回の講釈まで アディオス アスタレゴ!

293 :
歴史的にみて金の価値が上がったり下がったりしてて 『なんでやねん!』って いつも思うのだが、
金は 通貨として便利だが、
日常での常用通貨としては やっぱ不便な訳で…
貨幣の歴史は面白いなぁ…楽しい

294 :
>>292
おいら調べによると1497年に通貨改革があって
そんときにオチョレアルができたっぽいのですが
その経緯とか推移とか調べてみてもらえると助かりまする

295 :
>>294
調べえてる途中なので 断片的ですが、
レアル(通貨)の元々の意味は、色々 通貨を複数発行した額面のなかで、
たまたま流通が多くなって残ったのが レアル(通貨)の たんなる額面の名前らしくて、
特に 名前の由来はないらしいっぽいです。レアルでググっても多分無駄に終わる 俺は無駄にググった;
現在調査中
そんで、レアル(通貨)を調べてて まじ よー判らんわ!状態になって
原点に返って 「レアル(通貨):マラベディ(通貨)」の コインの現物とか
マラベディ(通貨)で ググりまくってたら なんとかアラビア語由来の語源っぽいのが判りました;
自分的に ヒャッホー!
でも正直 英語はともかくとして
アラビア語とかは専門外なので 読めないよ;;;マジ どうやってググればいいのかと orz
まだ調査中です。
おやすみなさい

296 :
>>290
「コロンブス黄金と神と栄光を求めて」を訳した青木康征が訳した「完訳コロンブス航海誌」444ページに
>コロンブスの人生にこのような一大転機をもたらした原因が
>一四七八年のマデイラ島に隠されているように思われる。
>具体的に言えば、マデイラ島でコロンブスはいわゆる無名航海士と出会い、
>大洋の西への航海に関する大きな秘密を入手したという推理である
と書いててるが「コロンブス黄金と〜」は92年、「完訳〜」は93年に出てる。
無名航海士説については89年に同氏による「コロンブス大航海時代の起業家」で触れてる。
無名航海士説はあり得そうということか

297 :
>>296
>「コロンブス黄金と神と栄光を求めて」を訳した青木康征が訳した「完訳コロンブス航海誌」
これらの書籍の内容ではないですが、
コロンブスの妻(ポルトガルで結婚した 中流貴族の娘)が マディラ諸島の出身で、
・マディラ諸島の出身の妻から 西側航路の秘密を伝え聞き知った との説
・マディラ諸島に 『ヴワディスワフ3世 (ポーランド王)』が落ち延びた伝説繋がりで
 →コロンブスは『ヴワディスワフ3世の落胤(実子)』とか言う説もあるようです(DNA検証はされてない)
 →高貴な家系なので 西側航路の秘密の伝承を伝え聞いて知っていた説
などがあるようです。
後者のご落胤ってのはまぁ置いておいて、
コロンブスの妻が マディラ諸島の出身なので、
島に語り継がれていた 漂流者の吟遊詩人の詩のような漂流譚を聞いていた可能性はあるかも、
その漂流譚をコロンブスが伝え聞いて アクションを起こした…と言うのは可能性としてはありそうですね
どこかの王室のご落胤説ってのは自分は整合性がみれないので信用できません、
コロンブスの性格や行動からすると自分の出自はアピールするし利用したはずなので、
家系図もゆかりの品もなにも示してない残ってないでは憶測の域から出てない説かと思います。

298 :
>>297

無くなった嫁の父ちゃんが元航海士で
過去の航海記録を自由に見れたというのは
ありそうな話ですけどね

緯度と季節風の利用に関しては
この情報も生かされてると思えますよっと

299 :
>>297
>コロンブスは『ヴワディスワフ3世の落胤(実子)』

とかいってもなぜポーランド王が西側航路知ってるのか?とか無理があるような。
他の諸国が西側航路知らないのに

300 :
>>299
>>コロンブスは『ヴワディスワフ3世の落胤(実子)』
>
>とかいってもなぜポーランド王が西側航路知ってるのか?とか無理があるような。

ヴワディスワフ3世 コロンブスの父親?(wikiの URL弾かれました;)

私の説ではなく、
マディラ諸島繋がりで そういう説もあるよって事です。wiki ヴワディスワフ3世の項にあります

>2.
>コロンブスの持っていた地理、天文学、地図の知識、そして兄弟と通信する際に
>彼の使っていた暗号法は、高度な教育を必要としたはずで、
>これは彼が学者であることを示しており、
>自学自習で学問を身に着けたというそれまでの定説にそぐわない。

こんな感じに ヴワディスワフ3世のPageに書かれています(書いたの誰だよ;;;)

コロンブスの妻がマディラ諸島の出身ですので、マディラ諸島繋がりのネタを併記しました、
297でも自分は この説に否定的に付記してますので、話のタネ程度につまんでください。

>とかいってもなぜポーランド王が西側航路知ってるのか?とか無理があるような。
>他の諸国が西側航路知らないのに

ポーランド王に付いたあと、オスマン帝国の脅威にさらされていたハンガリー王国就いて、
十字軍遠征の流れでバルカン半島での戦いに敗れ、
→伝承ではそこか生き延びて 地中海伝いにマディラ島に流れてついて王国を築いた、
そういう伝承があるようです。
→コロンブスが系譜の流れで ポルトガルは北アフリカ沿岸を支配していたので 航海士の秘密を知ったとか知らないとか そんな感じ
 

301 :
無論 私は信じられません、
公開情報でコロンブスのDNAとヴワディスワフ3世のDNA 検証で、
血縁関係が判別すれば 面白かなとは思いますが、信憑性としてはどうかなと思います。

話つながりで書いたのですけど、信憑性の薄いネタをあえて書くべきではなかったかな…
すみません

302 :
>>300
>私の説ではなく、
それはわかります。そうでしょう。コロンブスの出自についてはいろいろ言われてて
どっかの王の子孫って説があるのも聞いてましたが
否定する根拠もないけれどなんとなく嘘くさいので気にしてなかったです。
なんで見たっけかなとざっと本をあさってみたが見当たらないような。
図書館で見たのかな…
>>301
>話つながりで書いたのですけど、信憑性の薄いネタをあえて書くべきではなかったかな…
>すみません
トンデモ説など取り上げるのもいいのではないでしょうか。
これからもどしどしトンデモなどもあればカキコミたいがそもそもネタがない

303 :
16世紀にスペインと西インドに存在した通貨単位
16世紀〜17世紀頃には 1レアルは 34マラベディの価値があった。
注意しなければならないのは これは大航海時代以後の経済状況下であって、
1400年〜1500年頃の時代を遡った マラベディ貨幣の価値とは違う事を意味する。
1レアル= 34マラベディのレートから推測すると
大航海時代以降の この頃のマラベディ貨幣は 銅貨の額面に相当する。
時代を遡る、知りたいのは コロンブスの時代前後だ
15世紀ごろ マラベディ金貨1枚が マラベディ銀貨6枚との交換レート告知の資料があった、
他の文献でも
『休戦協定を破った モロア人(ムスリム)の頭(首)に 1000マラベディの支払いを命じた』ともあった、
1レアル=34マラベディのレートでは 40万円前後の首代で安すぎる
マラベディ金貨1枚が 16万〜8万円程度 で 交換レートが マラベディ銀貨6枚とすれば 妥当だ、
マラベディの謎に戻る

304 :
金ディナールが元で名前はムラビトからきてそうなんですが
この説明だとあんまり好きじゃないのですかね?

305 :
無粋でしたのですみません
wktkしながら調べてるときが一番楽しいんですよね

>>300
ヴワディスワフ3世の件は
ある程度ありそうな繋がりがあった気がしましたが
内容はさっぱり忘れてしもうた、、、

306 :
>>304 >>305
マラベディ通貨 と マラベディの語源と 原義など、

マラベディ maravedi は、 marabitin や maraboutに属する モロッコアラビア語に由来する言葉で、
この頃の 北アフリカ-イベリア半島でのムスリムの国 ムラービト朝に由来する、
日本語だと判りにくいが
ムラービト朝 「al-Murabit」は文字通り「縛っている人」を意味していて、alは定冠詞、
まず、ロマンス語圏とモロッコアラビア語で 双方意味がある、
・スペイン側:捕らわれた人、ひとじち 、じゅん きょう者、マラベディの事
・モロア人側(北アフリカ-イベリア半島でのムスリム):
→アラビア語の原義では 縛られたひと 結束 捕虜
→要塞に閉じ込められたひと & 要塞に構えて戦うひと(戦に立ち向かう人)
→上記が転じて 宗教的な改修に応じなかった じゅん きょう者や
など書こうとしたら NGワードで規制されます
しゅうきょう や じゅんきょう などの書き込み閾値が超えると 規制されるっぽい
規制されると困るので

307 :
マラベディ maravedi は、 marabitin や maraboutに属する モロッコアラビア語に由来する言葉で、
この頃の 北アフリカ-イベリア半島でのイスラム教徒の国 ムラービト朝に由来する、
日本語だと判りにくいね
原義としては『縛る-縛った-拘束する(された)』 転じて → 『戦う人』 『宗教的な捕虜』 『じゅんきょう者』、
こんな感じの複数の意味があるっぽい
>このマラベディと言うのはキリスト教に由来する言葉のようで、
こう書いたが、キリスト教徒側でも殉教者とか捕虜みたいな意味合いで使っていたので こうだった。
レコンキスタで 領地回復するまで ムラービト朝 「al-Murabit」が支配地域が大きかったので
https://i.imgur.com/P4H6ZXQ.png
地域の 北アフリカとイベリア半島での共通通貨と マラベディ通貨があった訳だ。
アラビア半島などのイスラム圏では ディナール通貨が使われていたから、
このマラベディ通貨は この地域での副次的な 交易や人質交換用の通貨として成立した。
グラナダが陥落して、スペインの支配力が強まり歴史が塗りかえられ、
大航海時代が始まり欧州に飲まれて消えたのだから 判りくい訳だ…
『原義:アラビア語で 捕虜 marabit 』 → 『捕虜交換の為の通貨名に maravedi が使われる』
 → 『イベリア半島と北アフリカ沿岸で 捕虜交換貨幣と 交易通貨として 使われる』
 . .→『グラナダ陥落後は イスラム勢力は衰退したが 欧州側は maravedi の通貨をそのまま使う』
ポルトガルがアフリカ航路を開拓してたし 共通通貨として 使いやすかったのだろうな、
大航海時代には ムスリム-欧州のパワーバランスも崩れたし、
欧州は ゴールドラッシュ・シルバーラッシュだったので 相対的なマラベディ貨幣の流通量も低減化
インフレ後のマラベディ通貨の記録が主に残ってるって事なのだろう
続きは次回の講釈まで アディオス アスタレゴ!

308 :
>>304 >>305
これから 続きを書き込もうと思ってたら規制に遭ったの、特に気にしてないです。
ウルムル氏の推測は半分合ってて半分違う。まぁでもビンゴ賞
スペインも記録があんまり残ってないのとモロッコアフリカ側にもろくな記録が残ってないですね
現代アラビア語での語義変化もかなりあって アラビア語の解説の方がめっちゃ少ないかった。
聖戦とか聖者とかに 語義が 変化しすぎぃ
ホントはアラビ語での語源の方も書くべきなんだけど、 試しにコピペしたら文字化けするので、
2ちゃんねるへの書き込みは ローマ字での当て字にしました。
maravedi銀貨(金貨)が消えた謎は鋳潰されたからではないのかと思います、
こっちの方も調査中
maravedi銀貨(金貨)でも贋金作ってるひとがいたようだ 文字通り首が飛ぶのに 人間はすごいw

309 :
>>307
ほほぅ
追い払われたユダヤ人が持ってきたのかと思ったら
お風呂に沈められちゃった人達を
買い戻すために使われたのが元なんですね

コインに自分たちでムラビトですと打刻するもんなのか
けっこう気になってましたが
それならわからんでもない説ですね

310 :
コロンブス 航海日誌 改ざん で検索したらヤフー知恵袋のが出てきた。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273386462

311 :
>>309
調べた流れ
日本語の『マラベディ 』 →ほとんど解説らしいサイトがない
英語の 『maravedi (マラベディ) 』 → 通貨のmaravediで 「maravediは固有名詞」との情報見つける、
ここからが辛かったが (貨幣のマラベディの記事しか見つからない)
仕方ないので イベリア半島とかレコンキスタとかの論文や資料を暇潰しに読む、
マラベディの金貨の交換レートを調べる、
コインの発行には当時の経済や政治の情報がよくわかる (コインの人物や価値とか etc.)
こんな感じに 英語とスペイン語の解説サイト読んでたら、
『maravedi とは 聖者とか イスラムの支配者』とかフランス語の記事が見つかって、
そこからは ロマンス語系からアラビア語の語源追いですね
イスラム教徒の国 ムラービト朝とか 当時のイベリア半島とか 連邦村群というか
小さい都市群の集まりなので まとまった良い資料がなかなかないですね もっと追いたいのですが
もうちょっとうまい具合にまとめたいけど まぁ自分は趣味でやってるし とりあえずの自分用のまとめ
公開情報からなので 今回のまとめはソースが充分あるので 翻訳案件的なまとめです

312 :
コロンブス 航海日誌 改竄
こっちも調べる途中ですが、コロンブスはクズ野郎だな…と思いつつも 同情したくなる内容もあった;
しかしながら後から創作した話とか、
利権がらみの 人間のドス黒い欲望の臭いを感じられるので、生臭い話が苦手な人は注意
『コロンブス提督』 『コロンブス航海日誌』も 同行してた息子のディエゴがまとめた系なので、
「信頼できない語り手」の要素が大きいと思う、まあ価値の変化が激しい分野ですね
コロンブス : 黄金と神と栄光を求めて Christopher, Peter(著)Dyson, John(著)青木 康征(訳
↑図説で挿絵が多いので 読みごたえはあると思う

313 :
余談:雑談
マラベディ調べてたら、
モロッコ-イベリア半島での勢力争いの資料とか見てたら、
『我はバルバル人の末裔なり〜』とか名乗ってのとかあって 別の意味で面白くなってきたり、
双方が 姓と名を区別して呼称してないので 同じような名前が延々出てきて辛くなったり
(イスラムの方は同じ名前が出てるのは仕方ないにしても 欧州側も6人ぐらい同じ名前とか;;)
資料を読むのが面白いのと同時にスペイン語や当時の資料は読むのがめちゃ辛いです;
この辺調べてたらアトランティスに関連するキーワードが頻出するので、
アトランティスにハマるひとがいるもの やっぱ当然だな…とか思いつつも
アトランティス当時から海洋水面高度が80mぐらい上昇してる訳で、
その当時の遺跡は水没してるのがほぼ確実だから (山岳アトランティス人の集落があるなら別ですが)、
金属的な遺物は錆びてダメになってるだろうし、
雄牛信仰してた 牛の骨みたいのが見つかれば大発見になるのではないかと夢想したり、
海流の関係上 北米には漂着出来ないよな…とか 漂着しても西インド諸島 周辺だろうし、
人類が北米南米に到達したルートとか謎が多いですね

314 :
自分は 色んな妄想を広げながら、
公開情報などで絞ったり 確認出来るソースを拾ったりしてる訳です、
ですので 突拍子もないテーマで展開しつつ 風呂敷は畳んでいくスタンスです、
夢がないと言えば夢がないが、
夢があると言えば夢があるのが 自分的な歴史散策と資料の探索です。
毎回 長文投稿してごめんなさい…

315 :
>>309
イベリア半島だと、
欧州側とムスリム側が 初期の頃から一進一退で 虐殺とか皆殺しはあんまりしてないようですね、
自分たちの側の捕虜を殺したら 次に 敵側の味方の捕虜も殺されるし、次は自分の番かもしれない、
そういった心理的な寛容さと、どうせ自分の陣地になるなら経済的損失は控える長い視野でもある、
それが レコンキスタの途中から 宗教的な改宗拒否の殉教とか
見せしめの為の捕虜の殺害とかに変容して行って 宗教戦争の恐ろしさを感じます。
地理的にも 地中海と大西洋の拠点になるので、
地政学的にも 船の往来を押さえるのは 経済戦争をしていた系譜のようなものですから、
ベルベル人(バルバル人)や カルタゴの末裔だと考えれば異質さも考えられるかと、
結論的にやっぱ交易は儲かる とw

316 :
商人っていうと現代では民間を想像するんだけど
昔は国や貴族に仕えてるのがメインなのかね?

317 :
遠距離大規模なやつはがっつりしたリスクを引き受けないとダメなので
やっぱ王様や貴族クラスが多い気がしますね
たしかに民間交易が盛んになったのって
実際にいつ頃なんでしょか
海船と陸(河川)でも異なる気はしますが

318 :
>>310
>彼の航海日誌や出航前の手記にも日本に関する記述はありません。

コロンブス ジパング シバオ で検索すると
学習まんが「世界の歴史9」で

>コロンブスは、『シバオをジパングだと思う』と書いています。

とか出るしそういう話いわれてるだろうからコロンブス自身エスパニョラ島をジパングだと考えていたとか言われるか

319 :
海上保険は17世紀イギリスのロイズが発祥となってるが
それは規則をまもって掛け金をだせば誰でもはいれる点で画期的だった。
大航海時代のポルトガルやそれ以前のイタリア商人などは
王室や商人の協会が互いに航海での損失を補填する保険のような役割を担っていたが、
その恩恵を受けるには特権階級といえる資産と人脈が必要だった。

320 :
>>316
なんとなくインド人とアラビア商人は
民間で好き勝手やってるイメージがあります

321 :
イスラム商人は訪れた土地にイスラム教を布教していったけど
商売のプロトコルを統一化して交易の利益が出るので布教は進んだ。
イスラム教徒の食品のハラールというのは、
旅人でも変な物を食わされず健康でいられるような食品らしい。

322 :
インド人も布教ぱわぁ強そうなんですが
やっぱプロトコル的な要素の一環なんでしょうかね?

逆にフェニキア商人はプロトコルは履歴残ってるけど
布教要素は低めな気が

323 :
>>156
>>183
>>208

提督とフグ戴天の相手は
ロドリゲス・デ・フォンセカさんの中の人だったそうな
これはなかなかおもしろい系譜ありますね
そういえばアメリゴさんとはどんな関係になるんじゃろか

324 :
 >>195
 >>198
 >>213
クリストバル・アロさんの中の人は
ブルゴスに関係の深い改宗ユダヤ人のようです
これでかなりミッシングリンクが埋まったような気がしますが
きれいに嵌りすぎてる気がしなくもない

 >>224
 >>323
アメリゴさんの中の人は市民権の獲得はしたようです

325 :
>>322
インド文明は
ヒンドゥー、仏法パワーで中国圏との中間地点である東南アジア、西域、チベットはもとより東アジアも席捲してるから
布教パワーはなかなか強力ですな

326 :
>>128>>195

調査結果からいきますと
アメリカを開いたのは
ユダヤ人さんの中の人で間違いなさそうですね


>>198

そしたら今度は新世界サイキョウのオトコは誰か
これを調査してみようかと思います

327 :
>>6
> 航海時クロノメーターと現地時刻の時計とがあれば経度が測れるようになったとか書いてる本があったが
> 航海時に現地時刻の時計って要ったのかな。
> 現地時刻知るためには太陽とか星とか見なきゃならなかったろうし
> 知るたびに時刻の修正をしなきゃならなそうで意味なさそうな気がするけど
コロンブスの頃は クロノメーターがなかった(正確な時計がなかった)ので、
正午(昼の12時)と 深夜の 0時を基準点にしてた、
大地の動かない 固定された観測点だと 太陽の南中は求めるのは求めやすいのだけど、
海洋航海してる船の場合だと、
どっちが北か 南か 方位がよく判らない 羅針盤(方位磁石)の重要性もあるんだが そこは置いといて、
夜中(0時)と 日が明ける直前の宵の観測で おおまかな時刻の調整をしてました、
夜中は星座が観測できますので、
http://uproda11.2ch-library.com/e/e00273876-1582220004.jpg
おおくま座の北斗七星を探して 柄杓の延長線上にある 北極星を見つけます。これで北が判りました。
そこから 天の極北を探しますが 北極星から だいたい判ってる南の方角に線を引いて、正中と言います、
この正中の線上に 星座(目標になる星など)が ラインを結んでいるのを確認します、
このようにして 一日の基準点の 0時が定まります (地方時 恒星時になります)
現在の天文航法では 約52の星座を基本に覚えて(星座早見表などがあれば便利)、
それによって 天球面での 北極星の位置と 天頂 南中 - これらの正中の線との星座の位置で、
おおよその時刻が 求められるのが理解出来ると思います。
しかし、この方法では星座が観測できない日中ではうまく機能しませんので、
明方寸前の 薄明の時刻に 星座を観測しつつ 日の出も観測して 時刻を補正します、
(同様にして 日の入りと その直後ぐらいにも補正)
コロンブスの頃の航海の船ですと、正確な時計はありませんから、
星座を利用した 恒星時(現地の天文観測による 極北と天頂と南中への恒星の位置)現地時間、
を求めながら 1時間が測れる 砂時計を4つほど利用しつつ 天体観測で補正していたようです

328 :
1900年 ぐらいまでは
こういった 恒星時 (グリニッジと それに時差のある地方恒星時)を基準にしていたようです、
大航海時代以降には 月の位置を予測する補正表(多大な計算人を投入して作成)が利用され、
星座を 指標にしながら 月の位置
(グリニッジでの付きの予想位置と
どれぐらい 現地の月の観測位置がズレているかで 標準時とのズレが判る → 子午線の位置)で
月の位置を観測する 天文航法が確立されました、
クロノメーターが登場してからは 天文観測の手法は精度は劣るのが明らかになりましたが、
航海士の基礎技能として 天文航法は ずっと必須技能でした。
アメリカも 戦後すぎて 1970頃まで 航海表(天文航法の補正表)をずっと発行してました。
クロノメーターなどの正確な時計が登場して以降も 航海士さんの必須技能として、
太陽やら星を観測する事は求められています。
現在でも ヨットなど デジタル機器も伴いながら 天文航法を利用されてる方もいます

329 :
>>198
さて、おいらが新大陸天下一トーナメント出場枠に
推薦いたしますサイキョウのオトコ
ペドラリアス・ダビラさんの中の人ですね
おしっこちびっちゃうほど怖かったそうな
>>177
間違いなくラスボスの風格ありです

330 :
また 適当なホラ吹いてるね ウムウルさん

331 :
>>195
クリストバルとディエゴの兄弟が活躍
ディエゴはオランダとフランドルとの関係

>>120
クリストバルでアロさんは
1505年〜1510年にリスボンに定住し、マデイラ砂糖を扱う
1510年4月にマヌエル1世から15年間の商品を持ち込む権利を得る
1513年に王室の許可を元にギニアとシエラレオネで奴隷貿易にいそしむ
1512年にフェルナンドにブルゴスグループが金を貸し1516年に亡くなったあと債務はカール5世に引き継がれる
1517年にスペインに戻りその後24年活動する中で西向き航路を企画
1539年王室の債務を元に奴隷交易の権利を獲得

332 :
>>220
バルトロメをアデランタドと呼ぶ場合があって
ちと混乱しますね
アデランタド・ドン・バルトロメ・コロンブスで
新大陸で暴れてるときはアデランタドっぽい
そして末弟のディエゴはくず
やはりエルナンド・コロンの面倒もみておりました

333 :
しくじり先生で クリストファー・コロンブスがクリストバルコロン、マゼランがマガリャンイス、ザビエルがシャヴィエルとかやってた

334 :
最近ウムウル見ないね…

335 :
大航海時代調べてって16世紀、ポルトガルがマラッカに基地を建設、とか知ると、
在日米軍基地って大航海時代の延長なんだなって気がしてくる

336 :
それはちょっと微妙な気もするが
まあなんだかんだ現代世界は西洋的だよね
現代の世界覇権国は大航海時代の結果できた国だし
対抗勢力の筆頭はマルクス・レーニン主義政党だし

337 :
中東やらアラブなどは洋服をあまり着ないが
日本人が和服を着ると西洋人に興奮、歓迎されたりする
今こそ日本文化を

338 :
大航海時代や東インド会社の映画が見たい
大航海時代では1492コロンブスのDVD持ってて面白かった

339 :
そのコロンブス映画うちにもあるな

340 :
1492ってつまらないと評判な気が

341 :
淀川長治さんがホメてたよ

342 :
アマゾンプライムで
ザテラー見てきた。
英国人の探険に対する熱意 凄いわ…

343 :
提督の艦隊もおすすめだよ

344 :
>>32
詳説 世界史 山川出版社
https://stat.ameba.jp/user_images/20200225/22/tadatomiko/5d/bf/j/o0482036114719025239.jpg
アゾレス諸島まで記してるのにコロンブスの航路はその南。

実際はアゾレス諸島を通過してる
http://ktymtskz.my.coocan.jp/S/kouro/K/k301.jpg

345 :
>>338
海賊ものはあまたあれど
東インド会社メインなのってほとんどないんじゃ

いつもちょい役として使用されてるイメージ

346 :
>>338
これ見て感想をくだされ


■悪逆非道の東インド会社に立ち向かえ!

「インドの民よ!暴虐極まる東インド会社に立ち向かえ!」とばかりに憂国の志士たちが戦いを繰り広げる歴史エンターティンメント大作『Thugs ofHindostan』です。

347 :
>>82
>しかしコロンブスがまだ生きているうちから、かなりのヨーロッパ人は、
>この新しい陸地が中国などではないことにうすうす感づいていた。
>一五一三年にバルボアが太平洋岸に到達して疑念はいっそう強まり、
>その六年後、マゼランの世界周航によって事実がはっきりしたのである。

マゼランの航海後事実がはっきりしたとすればラス・カサスはインディアスをアジアではないと認識していたと考えられるだろう。
まあマゼランの航海後なお、みたいな解釈とかもあるようだが無理くりか

348 :
>>347
「幻想の古代文明」11ページ

349 :
逆風に強い三角帆派です
ガレー商船も良い

350 :
未だに逆風に逆らって帆走する仕組みが分からない俺ガイル

351 :
>>350
よくよく考えてみたが
わからなかった

352 :
>>351
風に対して船体と帆を斜めにする。
といってもなかなか実感は湧かないもんだよね・・・
斜めにしたところで風に押し戻される気もしてくる^^
分かりやすい実験の動画があったので見てみて。

帆船はなぜ風上へ行けるか?レゴで船と風を再現
https://www.youtube.com/watch?v=3QcnRduxhIg

353 :2020/06/21
>>352
すごヨ!
舵で水の抵抗をコントロールしてるのがミソに見える

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