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東南アジアの歴史


1 :2010/12/30 〜 最終レス :2018/08/16
インドネシア、カンボジア、シンガポール、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、
マレーシア、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、東ティモールの歴史について
語るスレです。

2 :
カンボジア、シンガポール、ベトナム、ミャンマー(ビルマ)、ラオスは
大陸系なので除外してやれ。
話が混乱するし抱き合わせだと混線する。
北方大陸派と南方島嶼派でダブルトラックになってしまう。

3 :
では東南アジア島嶼部に絞って語るスレということで・・・

4 :
ジャワ島に新幹線を建設しよう!
ジャカルタからスラバヤまでが一期線

5 :
現在、サウジアラビアの最大の財源は石油だが、1930年以前には巡礼の
落とす金が最大の収入だった。
中でも数の上で主流をなす「ジャワー」(東南アジアのムスリム)は最大の
カモとみなされ、まずジッダ港の検疫所や税関で、いろいろな名目で
少しずつ金を徴収された。シェイクと結託している宿舎の主人は巡礼が
持ってきた金袋の数いかんで露骨に待遇を変えたし、またジャワーが
まったくアラビア語を解さないのをいいことに、ほとんど意のままに
彼らを操った。
メッカにはスリが多いが、彼らの一番の獲物も、金をたくさん懐に入れて
オドオド歩いているジャワーだった。
ジャワー専門の結婚詐欺もあった。だいたいはエジプトの美人で、周旋屋を
通してジャワーに近づき、その妻となる。そのそも巡礼と結婚は両立しない
はずなのに有頂天になったジャワーは、新妻の求めに応じて彼女の母親、
姉妹、叔母、姪などを次々と呼び寄せ、持ってきた金を残らず使い果たしてしまう。
もう絞り取るものがないとわかると、女は夫を怒らせて離婚宣言をさせ、
次のカモを探しにかかる、その一サイクルがだいたい三か月だったらしいので、
ずいぶん割のいい商売だったことになる。

6 :
>>5をみて話題提供。
日本ではマイナーな話題だが、インドネシアはハドラマウト出身が他のイスラム世界同様に渡航してきて独自のグループ社会的地位を築いている。
現地ではハドラーとか呼ばれているそうだが。
このへんの突っ込んだ話題知っている人いない?

7 :
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/shuchoyemen.html
ハドラマウト保護領(東アデン保護領)の首長国
ハドラマウト保護領の土侯国の勢力分布図(1930年代)  
※ハドラマウトは古くから香料貿易で栄えた地域で、中世から北アフリカや
東アフリカ、インド、東南アジアなどへ多くの移民が渡っていった。
現在インドネシアやシンガポールに住む数十万人の「アラブ人」は多くが
ハドラマウト出身の商人で、1930年代には彼らからの送金でハドラマウトは
潤い、住民は輸入米を主食とするようになったため、農業が低迷した。
ところが1940年代に東南アジアが日本軍に占領されると、移民からの
送金が途絶え、ハドラマウトは43年と46年に飢餓に襲われるハメになった。
一方で、日本軍占領下で高揚したインドネシアの民族主義の影響を受けて、
1950年代からハドラマウトではスルタンへの改革要求や反英闘争が
盛んになっていった。

8 :
http://www.asahi.com/strategy/0108a.html
http://www.asahi.com/strategy/image/0108a3.jpg

9 :
http://jams92.org/pdf/NL28/28(24)_takano.pdf
ボルネオ北東岸地方におけるイスラーム受容をめぐって
http://jams92.org/pdf/NL27/27(06)_okushima.pdf
ブルンガン王国のアラブ人移民

10 :
シューリービジャヤやマジャパイトなどの歴史をもっと学びたいものですね。

11 :
近代以前は海賊と商人の区別自体が存在していなかったから、シュリーヴィジャヤでは、
怪しい船が来ると港の周りを鎖で閉めて入れないようにしていた。
逆に、これはいい船だと見ると、港の方から出ていって、無理矢理連れてきて
商売をさせるという、客引きのすごいのがあったw

12 :
倭寇ってのもそんな感じだろ 条件が有利だと商人で、取引不成立だと賊に変身する。
そういうことを日本人がやってきているのだから、対馬島を韓国に返すべき。

13 :
マラッカ海峡というのは、だいたい風が不規則だから、帆船が通るには
非常に不便。
スマトラにはマングローブがたくさんあって、海岸線から100kmぐらいが
沼地になっている。だから、どこでも隠れられる。
それでスマトラ島の海岸は海賊の巣になって、19世紀になるまで、あそこは
世界でも有数の海賊の本場だった。
海賊がいなくなったのは、汽船の発達によって、海賊船が懸命に船をこいだり、
あるいは帆走しても追い付かなくなったから。

14 :
BS−TBSで1日〜2日にやったアンコール王朝の番組、見た人いる?

15 :
この頃のゆとりは貿易風も知らないのか? 
季節ごとにやってくる一定方向の貿易風にのって航行するんだよ。
で季節ごとに風向きが変わるからそれでマダガスカルから広州まで
イスラム教徒が大航海時代以前から大海を漕ぎ出して逝ったのだ。

16 :
どうせマングローブ林云々もパイレーツオブカリビアンあたりからの知識なんだろw?
まんま映画みての知識だとバレバレだしなー
そもそも、現代でもあの辺は海賊のメッカだし、海賊の歴史も古い。
明が鄭和に南洋への公海を命じたのは
建文帝の捜索だけでなく、海賊討伐も任務であった実際になんども海賊討伐しているしナァ。

17 :
>>14
ジロちゃん、マルクス・アウレリウスを「マルコ・アウレリーオ」と言ってたな

18 :
>>15>>16
家島彦一、渡辺金一編『イスラム世界の人びと4 海上民』(東洋経済新報社)
に書いてあったことなんだが、有名な学者先生が名前を連ねているからといって、
本の内容をそのまま鵜呑みにしてはいけないんだな。
ありがとう。勉強になったよ。

19 :
>>2
東南アジアの歴史なのに、なんでカンボジアやミャンマーを除外すんだよw
馬鹿じゃね?
北方大陸派だの南方島嶼派だのとくだらねえ派閥分けして喜んでる幼稚な奴なんてお前くらいだろ。
Rよハナクソ。

20 :
大陸系は中華系やインド系のスレで話題にしても
スレ違い扱いされないから
こっちはネシア系中心でいけばいいんじゃね

21 :
>>15
インド洋から貿易風に乗っても、広州に行くにはやっぱりマラッカ海峡や東南アジア島嶼部
を抜けなくてはいけないわけだが。それにインド洋全部を一つの船で回ったわけじゃなく、
中継貿易の形態には変わらない。
それに、マラッカ海峡はちょうど東西が陸地に挟まれて季節風の影響受けにくいんだよ。
だからマラッカで風待ちして戻るインド洋からの船、華南からやってくる船の中継地点に
なったし、海賊も多かった。インド洋からの船が全部一直線に抜けてたわけじゃない。
それも、最初は危険だからマレー半島を陸路で越えてたのが、半島沿いの国家が強くなっ
て、治安が比較的強化されてからマラッカ海峡を直接抜けるルートがやっと本格化してる
んだよ。あの変は貿易風で全部片付くところじゃない。

22 :
5世紀ごろ、東南アジア各地に「インド化した国家」が出現した。
インド化は支配者の周辺の思想、宗教、制度などに顕著だが、他方で東南アジアには
カースト制度はなく、女性の社会的地位が高いなど、インドの影響は社会一般の
構造や制度にはほとんど及ばなかった。
またインドの制度や文化の全部をそっくり取り入れたというより、都合のよい
ものだけを取り入れた。
つまり「インド化」は、支配者層によるインド文化の選択的摂取のことであり、
「インド化した国家」とは実は「インド文化を摂取した国家」であった。
大陸文明の影響が表面的なものだったという点では、古代の日本列島と共通している。
日本も朝鮮半島やベトナムに比べると、中国の影響は表面的だったし。

23 :
日本が表面的だった? 地名からして日本全国漢化したし、官制から食文化まで中国の影響大だが?
日本に入らなかったモノといえば、景教・回教・宦官・血食文化・科挙 そのぐらいじゃないか?

24 :
>>23
「朝鮮半島やベトナムに比べると」と書いてあるが。
東南アジアでも、たとえば服装は、一般の人々はサロンをまとい、王族や貴族は
さらに薄物の絹を肩にかけ、珠玉や貴金属を織り込んだ首飾りや金のイヤリングなどで
身を飾った。
レンガの城壁をめぐらせた都は重門楼閣が人目を引いた。
バラモンが大勢王の傍らに侍り、インドの法も導入され、ヒンドゥー教や仏教が栄え、
王の名前はインド風の「〜ワルマン」であり、中央や地方の官職名もインド風だった。
だからといって完全にインドと同じになってしまったわけではない。

25 :
朝鮮半島やベトナムは別に自国の地名を漢語表記になどしていないんだが。
そんなことやったの近隣諸国で日本だけなんだよ。
よく酷使様が朝鮮ガーとかうるさいがあの連中の戯言しんじちゃいけないから。
というか、君はインド的影響を唱えるのに賢明で他の文化圏の影響を過小評価する傾向があるね。
自説を主張するあまり他の影響力を過小評価する まよくある話だよね。 つまらん男だ。

26 :
>>24
それクメール語の石碑とかに書かれていることで
11世紀以降の新興国であるタイやミャンマーのことではないだろう。
ベトナムも使用されている言葉が、チャムパ語からベトナム語に変わってしまっているし。。。
ヒンドゥーの影響があるのは大陸ではカンボジアぐらいで
ヒンドゥはマレーやインドネシアへ一旦拡がりを見せて、バリ島に保存されているよ。

27 :
ここは南方島嶼派のスレじゃなかったのか?
大陸も含めて語るスレ?
どちらかに決めないから話も噛みあわないんじゃないのかな。

28 :
大陸中心というかインドシナ半島中心かと思っていた

29 :
新興のシナ・チベやタイ・カダイを除いて
古層のオースロネシアとオーストロアジア中心に回せばいいんじゃない?
モン・クメール→チャムパ→マレー・インドネシアには
文化伝播の流れというものがあるから自然かもしれない。
シナ・チベやタイ・カダイそしてベトナム・キン(京)族+ミャオヤオは、中華系と切り離すと
理解できなくなるから中華系スレのほうで扱ってくれるはず。

30 :
呂宋国の歴史が分かりやすく読めるとこってないかなあ
wikipediaの英語版(Kingdom of Tondo)はぱっと見
それなりに充実してそうなんだけど

31 :
ピリピン系の歴史サイトなんてあるの? あったら紹介してよ。

32 :
スペイン人は、フィリピン諸島でムスリムに出会ったとき、非常に驚いたらしいね。
まさか地球を半周してきた土地でムスリムに出会うとは思っていなかったんだろう。
そしてスペイン人入植者たちは彼らに対して、本国でアラブ人やベルベル人を指した
「モロ」(ムーア人)という呼び名を使うようになった。

33 :
松原団地に住み着いていたホームレスの風間さんは
ある時から急に高級腕時計をするようになった
それから程なくして、トラックに1km引きづられて死亡
しかも松原団地から10kmも離れた場所で(これは新聞記事にもなった)
推測だが、腕時計や服などと引き換えに
生命保険にサインをさせられたんじゃないだろうか?

34 :
>>32 ラプラプもフマボンもイスラム教徒だったのかな。今のマレーシアみたいにアラブ風の名前じゃないんだな。
マレーシアでも歌手のエイミー・マストゥーラのエイミーというのは欧米っぽいけど、彼女が生まれた70年代頭位はいまほどイスラム色が強くなかったんだろうか。
ウィキペディアでも芸名とは書かれてないし。ちなみに同じく欧米っぽい名前のシーラ・マジッドはシャヘイラというイスラム教徒の名前を欧米風にして通称として名乗ってるみたい
彼女は65年生まれ
もっと若いシティ・ヌルハリザはいかにもなイスラム風の名前だから、マレーシアのイスラム教徒はここ30数年のうちに急速に敬虔さを増したってことかな

35 :
世界遺産プレアビヒアを巡って
タイ・カンボジア両軍が衝突。
少なくとも5人死亡。

36 :
http://home.hiroshima-u.ac.jp/heiwa/Pub/42/12Yamashita.pdf
タイとカンボジアの国境紛争

37 :
プレアヒビアが破損しちゃったぢゃねーか!
てか世界遺産の取り合いで戦争って何だよ
ガキの喧嘩じゃあるまいし。

38 :
観光収入で成り立つ国にとっては最重要事案だぞ?

39 :
>>3
分けたら余計過疎化しそう

40 :
アユタヤは3回戦争の舞台になってぶっ壊された結果、今では世界遺産
ワット・マハータートは上っちゃいけないけど、柵も監視人もいないから上にのぼって写真撮り放題
めでたしめでたし

41 :
タイとカンボジアは元々仲悪いだろうね。
カンボジア人のクメール帝国の滅亡後に、
タイ人が南下して国を建てて今に至ってるからね。

42 :
ASEANでの紐帯はお題目でしかないのかねえ。

43 :
>>34
まだセブ島付近まではイスラム教は布教されてなかったという記憶がある。
(ラプラプのいたのはセブ島付近の小島)
フィリピン南部の大きな島であるミンダナオ島までは布教されてて、
(マラッカ海峡や今のインドネシアに当たる島々を経て、南からイスラム教が来ている)
結局そこがイスラム教の東南アジアにおける最終到達点になってるね。
正直中国人がフィリピンに余り興味持ってなかったようなのがちょっと解せない。
東南アジア貿易における中継地として丁度いいと思うんだが・・・

44 :
そういえば確かに以前セブに行ったときはムスリムを感じさせる要素は皆無だったな。

45 :
スペインが征服する以前のフィリピン諸島の存在感の無さは異常。
琉球人も倭寇もみんなでスルーw

46 :
そんな孤立してたフィリピンの言語がよく残ったな。カリブ海の先住民みたいにスペイン人の持ち込んだ伝染病でばったばった死に絶えてても
おかしくなさそうなのに。

47 :
もっと北の沖縄も、もっと南のインドネシアも10世紀以前から大陸と
やりとりがあるのに、台湾・フィリピンだけは16世紀過ぎても未開の地
なんだよなぁ。不思議。

48 :
>>46
もともと、4世紀頃にアミやタイヤルといった人達が鉄器と硝子の文明を
携えて台湾に対岸の中国南部から渡ってきたという。
それが、もう少し後の世の10世紀頃にはフィリピンへ渡っていることが
(考古学的には)確認できる。
オーストロ・ネシア語族の祖形は、アミやタイヤルあるいはパイワンといった
台湾の言語であり、オーストロ・ネシア語族はフィリピン諸島をどんどん南下して
いったと考えられている。

49 :
あの中国から来たら病気への抵抗力もそりゃあるか。でもポリネシアまで広がったころにはすっかり太平洋上の無菌室みたいな環境に甘えてしまったんだな。
南米のアマゾンやパタゴニアの先住民ほどではないけど

50 :
良スレだね。

51 :
>>47
台湾に関しては三国志の呉が夷州と呼んで孫権の時代に交易していたという記録はあるけど
それが長続きしなかった模様。
48の言う福建省辺りからの移民も、多分呉の時代の交易と無関係ではないと思う。

52 :
台湾の固有言語は、オーストロネシア系の文法・語彙以外にも
タイカダイ系の語彙が混じっているので、粤(タイ)系話者が混入しているようだ。
その推定年代は、2〜4世紀ぐらい。よって現在の広東人(粤人)が成立するよりも古い年代。

53 :
台湾は交通が不便だからな、山岳部の部族は外界から孤立しやすいだろうな、。

54 :
ラオスは将来、タイの経済的・文化的植民地になり下がってしまうのかな

55 :
フィリピン、領有問題の南シナ海を「西フィリピン海」に改名へ
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0614&f=politics_0614_004.shtml

56 :
>>54
カンボジアよりもタイのほうが好きなんじゃね?
中国とタイの両面交易だろうけど

57 :
ラーオ語とタイ語って大差ないんだよね?
ラーンサーンとアユタヤの違いでしかないしなあ

58 :
そもそもタイとラオスの国境線はヨーロッパ列強が勝手に引いたものだからな
タイ東北部のイサーン地方は、100年ほど前まではタイではなくラオス(ビエンチャン)領で、
戦争の結果ラオスから取られてしまった
要するにこの辺は文化的にはラオスに近い

59 :
タイ国は文化が相当違ってもタイ語族ならば、全部タイ民族扱い。
中国のダイ族とチワン族ぐらい文化が違っていても、手探り状態でも言葉が通じれば
「細かいことはいいんだよ」とタイ民族扱い。華人もタイ語を使うからタイ民族扱い。
メーオやリースーは、全然言葉が通じないので少数民族認定。
リースーとカレンは、何とか言葉が通じるけど別の少数民族認定。要するにダブスタ。

60 :
ラオスは国土の大半が山岳地帯という地理的条件に加えて、14世紀に
建国されたラーオ族最初の統一王朝とされる、ラーンサーン王国は、
18世紀初頭にはルアンパバーン(北部)、ヴィエンチャン(中部)、
チャムサーパック(南部)の三王国へと分裂し、18世紀末までにはすべてが
シャムの属国となっていたという歴史的背景もあって、もとより国内の
地方割拠性が強い。
そしてさらに言語、習慣を異にする少数民族の存在、言語的・民族的に
近似した隣国タイとの関係など、複雑な問題が絡み合い、現在に至るまで
その国家建設は困難を極めてきた。
ラオスは1953年に「ラオス王国」としてフランスから独立する。
しかし独立運動の過程で生じた左右両派への分裂が、独立後も解消されることはなく、
1975年まで「30年闘争」とも呼ばれる内戦状態が続いた。
そしてその結果、ラオスの国家建設は、王国政府(右派)とパテート・ラーオ
(左派)の対立する両陣営において、異なる理想のもとに進められることになり、
その際、両者がともに重視していたのが、ラーオ語を国民語としてつくりあげ、
国民統合の求心軸として据えていくことだった。

61 :
さらにアメリカがベトナム戦争の時に手を突っ込んで
メーオ族がアメリカ側とラオス側に分裂して厄介なことになっているんだぉ

62 :
>>57
セルビア語とクロアチア語も大差ないよな
チェコ語とスロヴァキア語も大差ないよな

63 :
ラオスの製造業はというと、まず絹織物、綿織物、ラタン・竹・木の家具、
花梨・黒檀・チーク・檜の木工、彫刻、金銀細工などの手工芸業がある
外国企業の誘致も始まっているが、ラオスは内陸国であり、輸出には
タイ、あるいはベトナムの港を利用するしかないなど、輸送コストも高い
さらに人口が少なく、質まで考慮した場合の労働コストは、周辺国と比べて
決して低くはない
ビエンチャン特別市、カムヌアン県、サバナケット県、ビエンチャン県、
チャンパッサク県の大きい都市に製造業が集中しており、その他の地域には
家内工業があるだけというのが、ラオスの製造業の現状

64 :
iPhone使ってるのにユキチカ入れてないのと同じレベルだ

65 :
最近、メコン川流域のインドシナ五カ国(ベトナム、ミャンマー、タイ、ラオス、
カンボジア)に上流域の中国西南部の雲南省を加えた「拡大メコン地域経済圏」が
注目を集めている
しかし、1人当たりGDPで比較すると、域内最高のタイの2097ドルと、最低である
カンボジアの205ドルでは10倍ほどの開きがあり、タイを除く諸国の一人当たり
GDP平均値は200〜300ドルと極めて低い
つまり、タイを除けば低所得国の集まりである地域経済圏といえる

66 :
実際にはCLMとVで分かれるだろうが

67 :
インドネシアの王朝がインドに遠征したりしてたんだよね?
インドネシアにインドが入ってる由来ってそこからですか?

68 :
インドネシアの名前にインドが入ってるって意味ね

69 :
バリ島とかカンボジアみたいにインドの影響が非常に強い場所があるので
東南アジアというのは、シナとインドのハイブリッド地域なんだよ。
バリ島やカンボジアにも華人がいて、華僑の交易へのサプライヤーになっているし
シンガポールにはインド系の人もいて、印僑と現地の橋渡しをしている。

70 :
>>67
違うよ。
「オランダ領インド」が由来。

71 :
東南アジアはいずれ「人民元経済圏」となるかもしれない

72 :
タイやマレーシアは、1980年代に輸出向け製造業を中心とする外資系企業の
誘致によって工業化と輸出拡大を進め、これを原動力に目覚ましい経済発展を遂げた
これに対してミャンマーは、ビルマ式社会主義の時代に閉鎖的・統制的な
経済運営を続けたため、輸出は伸びず工業化も停滞した
また、1988年の市場経済復帰後には、国際社会からの制裁措置がボトルネックとなって、
ミャンマーにはODAが供与されなかった
1960年頃のミャンマーは周辺諸国より経済状態がよく、首都ヤンゴンは物資が豊富で、
タイのバンコクに住む日本人が買い出しに来るほどであった
しかし、26年間続いたビルマ式社会主義のもとで、経済状況は窮迫化し、
国民の生活水準は、アジアでも最低レベルに落ち込んでしまった

73 :
コピペ乙

74 :
ノルウェーで乱射事件を起こした容疑者が、日本・韓国・台湾のことを多文化主義を
採っていないということで理想の国だと書いていたらしいが、
移民政策という点では日本よりもむしろシンガポールのほうが理想の国だと思わね?
あの国は首相自ら「外国人労働者は雇用の調整弁」といっているし
外国人労働者は、政府が認める派遣会社に所属しなければならない
女性の場合は「妊娠したら、即刻本国送還」になるくらい、厳しい措置が取られている
出稼ぎ女性に対しては定期的に妊娠のチェックがなされている

75 :
シンガポールのあたりはもろにイスラム文化圏だろ
隣に世界最大のイスラム超大国があるし

76 :
スレ違いだけどあの容疑者って先住民サーミや、サーガの神々を復興させようとするパガニズムについてはどう思ってたんだろう。
イスラムを排斥して白人至上主義を訴えるならキリスト教も外来のものだと思う

77 :
ラオスとタイの統合運動というのはないのかな。
言語も文化も同一民族の支族と言っていいし、
ラオスも貧しい内陸国のままでいるよりは、東南アジアでは裕福なタイの一部になった方が良いのでは

78 :
ないよ。
曲がりなりにも独立国だから少なくとも形式上は各国から対等に相手して
もらえてODAなんかの援助も地元にやってくる。タイに編入なんかされたら、
最貧のイサーンよりも下のランクに組み込まれて惨めになるだけじゃん。

79 :
あのへん、ただでさえタイの独走っぷりが酷いのに
さらにタイの領域を拡大するとか周辺国が許さないよな

80 :
「負け組の歴史」というスレがあるが、ビルマのカレン族をはじめ、
東南アジア各国の少数民族も負け組だよな

81 :
このスレで質問させてもらうけどさ、やっぱりビルマの民主化って無理っぽい?
あの国は少数民族も多いしさ

82 :
どうだろうね。ベルリンの壁だって大方の権威の予想を裏切ってあっさり崩れちゃったし。
ただ、現状の延長から民主化していく道は、あるとしても果てしなく遠く見えることは確か。

83 :
お隣みたいに民主化と軍政が交互にこようと
安定さえしてくれればいいんだけどね
本格的に北朝鮮化すると面倒くさすぎる

84 :
高山正之のビルマに関する記述には首をかしげたくなる
イギリスのビルマ支配を非難するが、ビルマ族が他の少数民族にとって
「圧制者」だった史実を無視するのはいかがなものか
コンバウン朝時代には、たとえばシャン人首長が娘をビルマ王に提供しなければ
ならなかったし、ビルマ人兵士に対する食糧の提供、ビルマ人随員たちによる
シャン人からの略奪など、負の側面も書くべきだと思うんだが

85 :
シャン人(民族)は、ビルマ人(民族)とは語族が違い言葉が通じない。
むしろタイ系民族に近く、その中でも雲南シーサンパンナのダイ族に割かし近縁。

86 :
高山正之は軍政のプロパガンダを日本語に訳してくれる便利な翻訳機と思えばいいんじゃね。
ビルマ語はろくにできないはずだが。

87 :
ゴメン、取り消し。
全然違う人物と勘違いしていた。

88 :
コンバウン朝は、その勢力拡大政策のせいで清朝との関係を悪化させ、1766年には
乾隆帝が遠征軍をビルマ北部に派遣し、停戦後に清と冊封関係を結んでいる。
そして1824年、シンマピュー島とカチャール藩王国の領有をめぐってイギリス
東インド会社と戦争し、敗北。ヤカイン、タニンダーイー両地方を割譲し、
アッサム、マニプールに対する宗主権も喪失し、賠償金1000万ルピーを支払うはめになった。
この王朝、海外についてどのくらい情報を持っていたのかな
現代人の目から見ると身の程知らずとしか思えんが


89 :
市街地で生活の困難なのは、一は男が懶惰なるに由るのである。
沖縄婦人の勤勉なるは、実に驚く可きもので、旅館に反布を齋す者、市場に雑貨を市ふ者、
店舗に座して商品を鬻ぐ者、頭に重大な物品を戴いて往来を通行する者、多くは皆女子である。
道路修繕のため多数の女の頭に簀(ばけ)を戴いて、土砂を運搬するは屡々見るところである。
男子にして日傘を携えて緩歩する者が道路に群れを成すは、先ず旅行者の目を驚かす珍現象の一である。
首里、那覇等の沖縄人は、女子の養を受けるために、妻を娶るものの如く、男子は結婚の年齢に達すると、
自分と同年又は年長の妻を娶る者が多い。年少の婦女を娶る時は、家政を挙げて之に委任することが
出来ないからだ。男子は結婚に際し、営業資本として三四十円を新婚の妻に交付し、女子はこの資本を
受けて専ら営業に従事し、偶々余分の利益があると、之れを良人に授けて遊興の資をなすを以て女子の
働きとし、互に相誇るの状があるといふことだ。
故に商業の如き梢高尚な営業は主として女子の担任する所で、男子の労働する者は車力・木工等の類を
多しとする。上流社会の女子に至つては、全く之に異なり、深窓の下に起臥して、外出することが至って稀で、
教育も無く、手芸も無く、其の如何にして、日を費すかは殆ど想像の及ばざる所である。

90 :
だからその男子の遊惰放逸なること、中流以下の士民と別に異なることなくすべて遊芸の如きも男子に、
之を能くする者が多くて、女子には殆ど稀である。
首里、那覇に住居してゐる男子の柔弱なること、此の如きに至った原因は、今は之を詳にしないが、
士族は多く旧藩庁に奉職して、俸給を受くるを以て畢生の目的となすが故に、一朝幸いにして、
此の目的を達することが出来たら、女子は坐ながらにして其の生活を立つることができる。
そしてそれまでの間は女子が絣を織ったり、其の他の営業に従事したりして、良人を養うのは
恰度貯金を為して、他日の計を為すと同一の利益がある。沖縄婦人の最大幸福とするところは、
役人の妻となることである。由来沖縄人は官吏を尊ぶことの非常に甚だしい人民である。
それから男子の遊惰に流れた今一つの原因は、旧藩の政略にあるのではないかと疑はれる。
そもそも沖縄は弱小の一孤島で、夙に武力を以て敵に抗するの無益なるを覚り、武備を全廃して、
自ら任ずるに守礼之邦を以てした。而して島内に於て平和を維持するため、地頭は総て之を首里に
在勤せしめ、地方には地頭代を置いて行政事務を掌理させた。故に男子を惰弱に導いて、殺伐の気風を
撲滅するは、或は藩庁の政略であったかも知れない。
間切人民は概ね皆農業に従事するが故に男子も女子も共に労働し、首里・那覇と大に趣を異にするが、
家政は猶ほ女子に於て之を主どるものの如く、偶々民家に入りて諸事を問ふに、主人は茫然答ふる所を
知らない。妻を顧みて其の如何を問へば、妻は滔々弁を振って直ちに来客に応答するといふ有様である。
(沖縄女性史/伊波普猷/平凡社P63-67から引用)

91 :
コピぺ?

92 :
第二次世界大戦前後の東南アジアの国々の独立に日本がポジティブな意味で関わっていると聞きました。
たとえばWikipediaでインドネシアの項目を読むとそのような文脈が読み取れます。
が、それは日本語版であって、英語版にしてみるとその部分がゴッソリ抜け落ちており、しかも「日本統治時代に飢餓で多くの人が死んだ」などという記載があります。
これは何なんでしょうか?
インドの項目でも、日露戦争での日本の勝利が影響し・・・という記載がありますが、英語版では・・・?

93 :
日本の関係する歴史を知りたくても、日本語での記載だけだとどうしても「井の中の蛙」的な感じを受け、海外の人に話しても「それはプロパガンダ」なんて言われかねないだろうから自信を持てません。
本当のところを知りたいのですけど・・・。

94 :
現地かからすれば、利用できるものは何でも利用しようということで
自前の軍隊の錬度を上げるために、日本軍を利用しようというスタンスだったのですよ。
インドネシアのスカルノにしてもミャンマーのアウンサンにしても
そういう割り切りをしとるんです。

95 :
>>94
ありがとうございます。
あの時代にそういうスタンスもあったとしたら相当したたかですね。
見方を変えなければいけません。
ただ、インドにしろ東南アジアの国々にしろ、ヨーロッパ諸国が植民地化した後、果たして自力で独立できたかというともっと難しかったように思えます。
現にアフリカはもっともっと遅かったですから。
日本の存在は薄いものだったのでしょうか・・・。

96 :
>>95
インドや東南アジアは、宗主国がアフリカの吏員として使うために
訓練しとるんですよ。
フランスの場合は、端っこの港町の国で吏員を養成して
内陸へ連れて行く戦略もありましたが
イギリスの場合は、インドや東南アジアから下っ端役人を
採用しとったのです。
ガンジーが、南アフリカで法律家として働いていたのはごぞんじでしょう?

97 :
>>96
元々、日本は東南アジアを独立させる気はさらさらなかったから。
(せいぜいタイとフィリピンくらいで、あとは領土化・植民地化)
地元の独立勢力も利用するだけのつもりだったし。
戦後のインドネシアの独立戦争に日本人兵士が関わったのは事実だけど、
日本政府のスタンスは「個人が勝手にやったこと」だからね。

98 :
>92
日本と欧米の両方の本を読んで落としどころをご自身で思案するしかないですね
一部に奇矯な例外は存在しますが一般に欧米人の東南アジアへのスタンスは白人からのみの恩恵に導かれたというものです
日本と欧米が同じことをしていても彼らは日本の行為は悪意から欧米人は善意からと全く逆のことを平然と書きます(苦笑
WWUが終了して半世紀以上たちますが、欧米は保守であっても未だに独への(実質的な)核兵器供与は肯定しても日本は未だ危険な国で核兵器だけは持たせられないという認識です
所謂大東亜共栄圏の海外での認識はこんなものでしょうか
http://ichigo-up.com/cgi/up2/oiu/xs28306.jpg
http://ichigo-up.com/cgi/up2/oiu/xs28307.jpg
http://ichigo-up.com/cgi/up2/oiu/xs28308.jpg
http://ichigo-up.com/cgi/up2/oiu/xs28309.jpg
与えられた条件で最大限努力した日本人もいれば教条主義的な日本人もいる
当たり前のことではないでしょうか
因みに善意と愛情に満ち溢れた欧米人は日本が占領地域に投下したインフラ設備を発電機や港湾施設のみならず道路の舗装に至るまで全て捨て去りました
欧州人は植民地統治に必要な従前の被支配者民族への教育・福利厚生は熱心ですが植民地全体の発展は望まない傾向があるようです
日本と欧米の記述に異同があることを不信がられているようですが米の文献で「Hukbalahap」を調べても軽く流されるだけで↓のような経緯を詳細に述べているものは高度な専門書にでもあたらない限りみつけられないのではないでしょうか
歴史を記述する際、当事国にとって都合の良いことが中心に述べられているのは普通のことで、自虐的な日本が世界の例外です
http://ichigo-up.com/cgi/up2/oiu/xs28310.jpg
あと指摘がないようなので補足として、タイは戦前から独立国なのでビルマ等が参加した大東亜会議にも積極的に係わらなかったようです

99 :
みなさまありがとうございます。
なんだか、とっても残念ですね。
昨今、「アジア」というとなぜか中国・朝鮮ばかりが出てくることに嫌気がさしてます。
彼らはいかに被害者だったかばかり主張して話す気にもなれません。
タイ人の友達がいるのですが、彼女は若いからか、やはり昔の日本のことはあまり語りません。
(でも日本商品大好きを公言しますけどね。さっき挙げた国の連中とは大違いです)


100 :
>>98
画像ありがとうございます。
これはもともとどこの国の言語で書かれたものですか?
日本の研究者でしょうか。
ご指摘の通り、日本の世界的には例外的な「自虐史観」はどうしようもないですね。
実はここに書き込みをさせていただいたのも欧州人の友人と日本の戦争中〜戦後の歴史について議論をしていたからなのです。
議論をしているとどうしても「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」なんかの真偽とかに話が行ってしまって(もちろん疑念を理解いただくのは難しいです)、もっと明確にその時代の日本のポジティブな部分を提示したいなと思ったんです。
でも、これもまたすごく難しい。


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