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殷周革命


1 :2018/03/24 〜 最終レス :2018/06/27
中国史の原点を語る

2 :
五胡十六国、五代十国、大躍進を上回る中国史上最大の断絶だと思う

3 :
そんなに断絶したのか?

4 :
殷も周も、統一王朝ではない。
「超大国」といったところか。

5 :
はっきり言って、殷も周も似たようなもの。
相似形。圧倒的な。

6 :
殷の言語は不明だがシナチベットである可能性はかなり低い
周がシナチベットなのは確実だから言語的には断絶と言える

7 :
なるほど。

中国がシナチベット語族になったのは、周が中原を乗っ取ってからのことなのか。

8 :
じゃあ殷の言語は何系統なのよ

9 :
殷(いん、拼音: Yīn、紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)は、中国の王朝である。
文献には天乙が夏を滅ぼして王朝を立てたとされ、考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝である。
商(しょう、拼音: Shāng)、商朝ともよばれる。
紀元前11世紀に帝辛の代に周によって滅ぼされた(殷周革命)。

10 :
殷というのは、周がつけた歴史的な王朝名。
当時の人々は、「商」という首都の名で呼んでいたと言われている。
商業の中心だったため、「商人」という言葉が、一般用語にまでなった。
「商朝が滅亡したあと、商の遺民が全国各地を行商したため」という話もある。

11 :
封神演義は、清の民衆に大人気の演目だった。

殷の賢臣が、紂王に諫言する。
紂王は、怒ってボロクソに文句を言う。
賢臣は、黙って聞いているが、ついにブチ切れて「昏君(フンチュン)!」と怒鳴る。
それが、最高の見せ場。

観衆も、一緒になって「昏君!」と叫ぶ。

天下の皇帝陛下をバカ呼ばわりする機会など、こんなときしか無かった。

12 :
大陸の歴史は、後になるほど、「北が南を征服する」というパターンばかりになっていくが、古代においては、そうではなかった

古代では、「西が東を征服する」というのが典型的パターン

13 :
周は、西の異民族

14 :
犬戎?

15 :
チベット系の異民族

16 :
>>12
西戎、北狄はけっこうごっちゃになってるぞ 

17 :
>>7
エラム人とペルシア人とか、
エトルリア人とローマ人とかみたいな関係だな

18 :
殷から周に交代したのは、民族移動による入れ替え戦だな

19 :
>>18
入れ換えっていうか、もとの住人が入れ替わったとかではない

20 :
なおチベットにもそれまでのふるい言語に代わりシナチベット系の言語が持ち込まれたもよう
古い言語の名残はアルナーチャルプラデーシュ州にのこる

21 :
中国の王朝の寿命は「約300年」といわれているが、殷は600年つづいた

22 :
周は、西周が200年余り、東周が500年

23 :
夏と殷は互いに違うのか同じなのか

24 :
>>16
百科事典ひくと匈奴は西戎の項にも北狄の項にも出てくる

25 :
>>23
文化は全然違うみたいだよ

26 :
封神演義の初期設定では、東西南北に強力な四大諸侯がいて、中央の殷を囲んでいる。
実質はもちろん、形の上でも、殷は統一王朝ではない。「盟主」という感じだ。

結局、西伯の周が、殷を滅ぼした。

27 :
あれは創作だから

28 :
三国志演義が史実5創作5だとすれば
封神演義は史実1創作9くらいだからな

29 :
ええっ、西王母さまは?

30 :
>>29
もちろん、実在する

31 :
ローマは奴隷帝国だがローマの父祖氏族は少子化し帝政時代は殆ど絶える
なにせ「妻というものは子を産まないヤツが一番だ
子を生む妻などもらったがさいご黒い赤ん坊を産みかねない」
この冗談からローマ人の激しい少子化がわかる

殷人は羌などを捉えて奴隷にしてもセックスはしなかった
たんに労働力にして拷問してRのである、殺人儀式マニアだ
ローマ人が金髪ロリ娘や黒人筋肉が夢中になったが
羌族の娘だって美しかったはずだが殷代はそんな様子はない
人種によって奴隷と決まっていたので子を産ませても意味はない
まずこれは動かない

殷王は呪術師シャーマンであり神王でもある
この殷の王権というものは数氏族で交代しており
匈奴の部族長に似たものだった

殷人は巨大な青銅器でしられ、1トンもあるバケモノじみた鼎を持っていた
周にも継承されるが鼎は権威の象徴である

32 :
>>28
>封神演義
分量的に言って、史実1:空想9999ぐらいだろう

33 :
>>32
つまり、登場人物の大半が、史実では実在しないと?

34 :
今の神様が人間だった頃はどうだったんだろうね
というスタンスで作られたキャラが多いから
東丘大帝 → 黄飛虎
炳霊公 → 黄天化

武成王も本来は太公望の尊称だしね

35 :
確かに、黄一族はウソっぽいな

36 :
当時の中国大陸は、仙道(仙人や道士のこと)が住む仙人界と、人間たちが住む人間界に分かれていた。
仙人界の一角、崑崙山の教主である元始天尊は、弟子の太公望に「封神計画」の遂行を命じる。
「封神計画」とは、人間界で横暴をはたらく仙道たちを倒して、魂を封神台に閉じ込める(=封神する)計画であった。

太公望が倒す仙道たちは、人間界最大の王国・殷を牛耳っている妲己(だっき)の一派であった。
妲己は殷の皇后におさまり、皇帝である紂王(ちゅうおう)を洗脳し、仲間の仙道を率いて民を苦しめていた。
太公望は遂行を渋るが、妲己のせいで一族を皆殺しにされた過去があり、計画を引き受ける。

37 :
>>31
ローマでは少年愛は盛んだったけど少女愛はそれほどでもなかった

38 :
>>36
それマンガの設定じゃないか

39 :
フジリュー版封神演義だと仙人でも何でもない紂王もなぜか封神されてた・・・

40 :
漫画では確か仙人じゃなくても常人以上に秀でた所?があれば無差別に封神されるはず

41 :
文王、武王や太公望は白人系

42 :
太公望は地球外生命体でしょ

43 :
哪吒は人造人間

44 :
殷の甲骨文みれば文法は今の中国語とあまり変わらない
漢文みる肝心で読めるってよ

45 :
>>44
てことは、漢文はそのあたりの時代から、たいして変わらなかったってことか

46 :
実際にしゃべっている言葉とは別物の文語だから変わると困るだろう
口語の時代差、方言差を越えて解読できるものでないと困る

47 :
>>6
>>7
いったいどこの誰がそんな電波を垂れ流してるの?
甲骨文の言語は現代中国語の直系の祖先でしょ

48 :
甲骨文は占いの記録だから関連する書記官(貞人という)が判ればいいのであって
方言とか時代の違いを気にする必要はないものです。
占いを行う亀甲や牛の肩甲骨に刻んでそのまま保管する。
外部に出ることはない。
漢文としての文法がまだ固まってないからある程度は読めるけど読めない部分も多い。

49 :
殷の祖先崇拝と周の上天崇拝みたいに、文化的にかなり異なった集団ではあったようだが

50 :
>>49
儒教には、その両方の要素が残っているな

51 :
でも周は殷と婚姻関係にあって
一族親戚同士という意識もあったってよ

52 :
>>48
きみ甲骨文読んだことないでしょ?
語尾がないということ品詞がそのまま動詞になってるということ自体は漢文とまったく同じ
内容も単調そのものなので高校レベルの知識さえあれば容易に読めるぞ

庚子。卜賓貞。王夢白牛。惟咎

庚子、卜して賓が貞(問)う。王、拍牛を夢みに、惟れ咎あるか。

53 :
>>52
横からだけど、そんなもん、ネットでいくらでも見れるだろ

偉そうに言うほどのことか?(笑)

54 :
解決済の質問

封神演義や殷周伝説に北伯侯とか東伯侯、南伯侯がそれぞれでてきますが
この三者はそれぞれ、(三国志などの地理でいえば)どこを領地にしていたんでしょうか?

55 :
ベストアンサーに選ばれた回答

 春秋以前の中国は結構小さかったんで、ほとんど中原の周囲です。「北伯」は現在の山西省、「東伯」は山東省、「南伯」は河南から淮河北辺りのことでしょう。
「西伯」つまり、周文公(姫昌)はいうまでもなく関中盆地です。

 三国志で言うと、北は袁紹領の西・かつての春秋時代の晋のあたり。東は陶謙領(呂布にのっとられた劉備領)あたり、南は袁術の淮北あたりです。西は長安周辺です。

56 :
封神演義では、中央の殷を、東西南北の四大諸侯が囲んでいるわけだが、これは実際の状況をどれくらい反映しているのか?

57 :
>>53
横からだけど>>52が言ってるのは「甲骨文読んだら偉い」とかいうことじゃないでしょ

58 :
>>57
「甲骨文字は、すべてが解読されたわけではない」という話に対して、
「高校レベルの知識があれば読めるぞ」などという、ピント外れなレスを付けてるところが笑えた(笑)

59 :
ピント外れはお前じゃね
まづはこの部分が間違いな少なくとも甲骨文は文法がキッカリ決まっていて基本的に漢文と一緒
>漢文としての文法がまだ固まってないからある程度は読めるけど読めない部分も多い。

つうかキミは前に現代中国語は膠着語だとか知ったか飛ばして逃げた奴だろ
ネットの上っ面の知識だけで知ったかぶるとまた恥かくぞ

60 :
>>59
甲骨文字は、意外と解読率が低いんだよ。
まだまだ、ナゾが多い。

それにしても、「キミ、甲骨文字を読んだことないでしょ?」という勝ち誇った態度には、マジで笑っちゃったよ、悪いけど(笑)

61 :
随分と必死じゃないかい
で甲骨文のどの部分のどこが謎か書いてみろよ?出来ないだろ
言っとくがネットで調べても出てこないぞ

文法が定まってないというのはwikipdiaの記事を鵜呑みにしたんだろ
接辞もほとんどなければ助詞もない甲骨文の文法がそんなに適当なものならインダス文字みたいに一生解読されてなかっただろうよ

62 :
>>61

>>48は自分が書いたものではない

63 :
>>61

 中国では2016年に古代文字解読に報奨金がかけられた。中国文字博物館が、未解読の甲骨文1字につき10万元(約160万円)を与えるというものだ。
未解読の甲骨文は約3000字あるといわれている。つまりは、これら全部を解読すれば実に50億円以上を受け取る計算となる。

 もっとも、達成できなければそれまでにかけた労力や資金は水の泡。あちこちにぶら下がっている魅力的なニンジンに飛びついてみるかどうかは、あなた次第だ。

※週刊ポスト2018年3月16日号

64 :
>>56
史記殷本紀には「西伯昌、九侯、鄂侯を三公にした。九侯の娘を宮室に入れたが淫を好まなかったので
怒って九侯を塩漬けにした。鄂侯がこれを諌めたので干し肉にした。西伯昌はこれを聞いて密かに嘆息した。
それを知った崇侯虎がそれを告げ口して西伯昌は幽閉された。」とある。しかし西伯昌以外はどの辺なのか不明。
甲骨文の研究で当時の殷王(紂王)が東夷征伐を繰り返していたことが判り、文献によれば東方には九夷と
総称される九つの夷狄がいたとされているので、これが九侯の実態の可能性はあるかもしれない。


ちなみに塩漬けとか干し肉にするのはずっと後の漢の功臣彭越とかもされてるから驚くには当たらない。

65 :
知乎 zhihu.com

目前已发现的甲骨文有多少字,已解读的有多少字?

1 个回答

4800左右独立的字,公认破解的1200-1300样子,里面还有分歧的

66 :
>>63
よりによってソースが週刊ポストか笑える
字形が判別できないのがそれだけあるということだろう
>>57
>文法がまだ固まってないからある程度は読めるけど読めない部分も多い。
が間違ってることの反論にはなってないぞ

67 :
>>64
なるほど
封神演義の状況設定は、史記に基づいているんだな

68 :
>>66
4800文字のうち、解読済で公認されているのは1200字から1300字程度ということは、解読率25%

Wikipediaには「解読率は20%程度と言われている」とある

69 :
>>64
自己レス。史記にはそう書いてあるけどそれが史実とは限らないのでその点には注意してください。

70 :
>>67
史記を参考にしてるのは確かだが崇侯虎は崇侯で名前が虎なのに侯虎という名前だと間違えて
黒虎という弟を創作してしまった。わざとかもしれないけど。

71 :
そういえば、そうだな。
西伯昌とか、周公旦、召公奭とか、そういう名前が多いんだよねえ。

72 :
名前というか、「グロスター公リチャード」みたいな封地+称号+名前のパターン

73 :
でも、普通は「シューコータン」という名前の人として扱われるよなあ

74 :
「ショコタン」と空目した

75 :
「召公旦」だったら、そうなっていた

76 :
周口店に行く周公旦をみるしょこたん

77 :
甲骨文に書かれている内容
捧げもの
これが一番多い
人間まで捧げものにすることもザラ
舞を奉納することもあった
軍事
遠征に行くけど神様は助けてくれますか?相手側が降伏して戦わなくても済みますか?とか神様に聞いたもの
ちなみに武丁という現存最古の甲骨文を書いた人は遠征はすべて嫁と家臣任せだったようだ
農耕
「年」(みのり)がありますようにと山や川の神に祈ったもの
狩猟
殷王が行う「田猟」は単なる仮ではなく諸侯や家臣との関係を構築したり軍事訓練を兼ねていた
猛獣である虎を対象とすることが多く危険も多かった
そのため狩りに前に無事を神に祈ったのである
安全
殷王や貴族の安否を神に聞いたもの
都から出るべきかどうか聞いたものが多いことから余程当時の世界は危険だったらしい

78 :
甲骨文は漢文と文法的には同じだが助辞の数が極めて少なく
其・此・須といった文頭助辞、也・矣といった文末助辞もなければ
與・而といった接続助辞もないし助動詞もほとんどありません

例えば「王貴人と胡喜媚は妲己の姉妹である」は漢文だと「胡喜媚與王貴人而妲己之姉妹也」
は甲骨文だと「胡喜媚王貴人妲己姉妹」になる

79 :
>>73,74
https://youtu.be/6mQnJ5LO1OM

80 :
>>78
つまり、もとの言語に助詞や語尾変化があったとしても省略して書いていたという事だよな

81 :
>>73
そう呼ばれる事が多いけど名前は姫旦だよな

82 :
名目上治めていた国は魯なので魯公旦のはずだが
実際には魯の統治は息子に任せて武王の補佐として成周を治めていたので周公旦と呼ばれた
らしいぞ

83 :
>>80
「漢字を並べただけ」という見方もできそうだな

84 :
>>82
武王は革命のあと2年で死んだ。幼い成王に代わって国政を担ったので魯に構ってる暇はなかった。
この時期に旦に王位簒奪の意図があるんじゃないかとして三監の乱という事件が起きている。
武王は紂王の子である武庚禄父に殷の旧領を与えた。三人の弟にこれを監視させた。この三人を三監という。
(管叔鮮、蔡叔度、霍叔処) 三監が武庚をそそのかして反乱を起こさせた。周公が鎮圧に当たったが三年かかった。
殷の遺民の恐ろしさを思い知ったので東西に二分した。西を弟の康叔に与え衛とし、東を紂王の異母兄の
微子啓に与え宋とした。

白川静の説では三監の乱とは武庚が率いる旧殷の勢力を三監が抑えることができなくて発生した
武庚の乱だろうという。

85 :
「微子啓」ってのも「微」の「子」爵である「啓」、なんだよな

86 :
>>85
蘇我臣入鹿みたいなもんかな

87 :
「微」が姓氏じゃなくて封地なんで前に出てた「グロスター公リチャード」の方が近い。
書いたの俺じゃないけど。あえて日本で例えると薩摩守とか上総介とかだな。

88 :
微子啓は、宋の建国者。

紂王の兄だが、人格・識見にすぐれ、周公旦から殷の旧領に封じられた。

ゆえに、宋は、小国ながらも殷の後継国家とされる。

89 :
宋は金文でも「天乙唐之孫」を自称しており、史記に伝わる殷の系譜を周代に保持していたはずだが、
その系譜と甲骨文における殷王の系譜には違いがあり、殷代以来繰り返し架上されてきた形跡がある

宋の初代(啓・開)は微子啓、次が弟の微仲衍で、衍の子の稽から宋公
甲骨文字では、「微」は殷(商)王の支配下の土地やそこの領主として見える
周が殷を滅ぼす時に微が味方し、殷の正統な末裔である禄父(禄子聖)の反乱が鎮圧された後、
微子を「正統な殷の末裔」に仕立て上げて殷民を統治させたものであろう

殷の遠祖・上甲は甲骨文に見えるが、国語や史記ではその諱を「微」とするものの、甲骨文にはない
上甲以前にいたという契・昭明・相土・昌若・曹圉・冥・振も、甲骨文にはまったく見えない
おそらく契から振までの七代は微の始祖であり、殷で実際に始祖とされた上甲が微の始祖と同一視されて微の名を付加され、
さらに殷の最後の王・帝辛(紂)と微子が兄弟(微子が年長の非嫡子)とされたのではないか

90 :
宋ってたくさんありすぎてまぎらわしいw

91 :
>>87
薩摩守や上総介は官職名だから違うと思う
やはり蘇我などの氏か北条などの名字に近いだろう
もともと封地名だし

92 :
羽柴筑前守が、日本を統一して国号を「筑前」にするというのが、中国式の王朝名

93 :
「走遍中国」で天乙時代の居城である偃師商城の復元CGが出てたけど紫禁城とあんまり変わらんかった
むしろ平面規模だけで言えば偃師商城のほうがデカい
紫禁城は歴代皇城のなかでは最小の部類に入るからな

94 :
これが、商の城か。
本当なら凄いな。

http://mmbiz.qpic.cn/mmbiz/HYa4bKFUSoGDm1DgtPaVs4LxCk5S54kTvDEIqZekIxrcPD0EVfyP6WpknpZ9ibHLls68ibTZ1s0OzibS5BOmAIFicw/640?wx_fmt=jpeg&wxfrom=5&wx_lazy=1&tp=webp

95 :
あんまり広大すぎるし、市街地の痕跡とかもあまり検出されてないようだから、農地や儀式用空間とか多分に含んでたんだろうなあ

96 :
>>91
あとから筑紫君磐井の方が適切だったかなと思ったけどレスにはしなかった。

97 :
>>95
まさに、城の中こそが国そのもの

城の外は、まったくの無法地帯

98 :
統一王朝とは、ほど遠い

無数のムラとクニに分かれてた時代における、最有力な都市国家

99 :
城の外に住んでいた連中ってのはどんな奴らなんだろう
すっごく気になる

100 :
>>99
そりゃ、三千年前の世界だからな

「原始人」を絵にかいたような連中だったのは、想像にかたくない

101 :
当時は、虎などの猛獣も、人間にとってシャレにならない脅威だったはず

102 :
封神演義には、

八百鎮諸侯尽朝於商、有四路大諸侯、率領八百小諸侯、東伯侯姜桓楚、居於東魯;
南伯侯鄂崇禹、西伯侯姫昌、 北伯侯崇侯虎。
毎一鎮諸侯、領二百鎮小諸侯、共八百鎮諸侯属商。

とあるから、東西南北の四大諸侯は、それぞれ二百の諸侯を率いる巨大勢力だったことになる。

103 :
虎は火で追い返せるからまだまし
火を恐れない熊こそ最大の恐怖

104 :
凡そ前漢までの中国では定住農耕民のほとんどは閭里と呼ばれる城郭都市内に住んでおり
当時は城郭外に暮らしていたのは蛮、夷、戎、狄と呼ばれる遊牧民ぐらい
都市国家同士はある種の同胞意識を共有しており自分たちを夏の末裔と考え華夏族と称していた

105 :
犬戎は犬ではなく人間ってw

106 :
犬戎って野犬の群れを想像してたんだが

107 :
犬を飼っていたんだろうね
食用かな?

108 :
まあ、犬と関係はあるだろな

羌は、羊飼いだし

109 :
ちげーよw、トルコ系かトハラ系かイラン系かわからんけど、西方人種の顔貌を有してたから
つまり華夏人からみたらイヌづらだったからだよ

110 :
>>78
同時代の周では
うらないのほかに記録でも甲骨文が使われてたそうだが

記録用のほうではどうなってたんだろう

111 :
>>110
>同時代の周では
>うらないのほかに記録でも甲骨文が使われてたそうだが
聞いたことないけどな。

112 :
イラン人は世界で一番鼻が高い
遥か太古に脱アフリカしたネアンデルタール(赤髪碧眼)の血を濃く
のこしてるのかもしれない

ユダヤの大鼻と揶揄される通りヨーロッパでは鼻は大きいのは「醜い」とされ
年取って鼻が大きくなれば曲がったりしてよけいに醜い
ヨーロッパでは鼻を低くする整形手術が多く
アメリカ・ブラジルでは鼻を高くする施術が多い

イランでは若者は働いてお金をもらうと真っ先に「鼻を削る」という。
これで自信持って女性と付き合えると笑顔でした

日本で整形手術は実行に移す男性は少ないので劣等感は白人のほうが強い

113 :
犬戎、葷粥、険允、鬼方、昆夷、匈奴は同語ともいう
唐の『晋書』四夷伝に「夏は薫粥、殷は鬼方、周は険允、漢は匈奴といった」とある
すなわち「フン/クン」という彼らの自称を音写したもの
犬の字を当てたのは野獣扱いしていたか、犬祖(狼祖)神話があったか

殷周革命の頃にはまだ馬に乗る技術は広まっていないが、
青銅器や二輪戦車を中央アジアやシベリアから伝えたのは彼らと思われる

甲骨文に登場する殷の最大の敵(方)は、山西方面の苦方(のちに鬼方と同一視される)や土方
他に蒙・基・巴・竜・危・妻・人・周・亘などの「方」がいたとされる

114 :
>>112
現生人類はネアンデルタール人が出現したずっと後の20万年くらい前にアフリカでホモサピエンスに進化して
世界に広まったと考えられている。つまりネアンデルタール人からホモサピエンスに進化したわけではない。

115 :
マックス・プランク進化人類学研究所

アフリカ人以外の現生人類の遺伝子4%は、ネアンデルタール混血由来だと言ってる

ま、かつてはネアン祖先説は完璧に否定されたがそれは古い情報

116 :
>>113
ここに詳しい
http://s155239215.onlinehome.us/turkic/70_Dateline/71_Huns/hun_dateline_1_En.htm

実は、匈奴以前からフンの源流を辿ることができるってことだね
BC771 の項は明らかに犬戎の周への侵入、鎬京失陥を指すが、
Huns (Ch. Jungs) invasion of Zhou China. Zhou capital Hao falls って書かれている フン(中国語で戎)と

117 :
周はエベンキ族だよ

118 :
>>117
世界で一番すぐれたミンジョクの祖先?

119 :
周はチベット系
殷のほうが朝鮮や粛慎、燕、斉と関わりがある
エヴェンキ含むツングース、東胡や高句麗とは遠縁かも知れない

120 :
>>118
エベンキエベンキエベンキ族 www
http://check.m.weblog.to/article/3864723?guid=ON

121 :
またアホが現れた

122 :
粛慎はずっと穴居人で
鮮卑の北魏が天下取っても無視されてたから
それどころか北魏は故国すら無視し、柔然が怒るわけだが

殷がツングース系という可能性はない
東方が文明化するのは、隣国の契丹人が天下とったかなり後でしょう

123 :
殷朝の末期には周でも甲骨文字が行われていた。殷墟から600km離れた周原で出土しており、
周では卜占ではなく記録や契約等の記述として使われている[3]。
また、殷の東方に位置する部族に対して密かに共闘を申し込んだ記述などが判明している[4]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E9%AA%A8%E6%96%87%E5%AD%97#
周のほうがよっぽど甲骨文実用的な使い方してるじゃん
負けたのはこういうところにあるんじゃないの

124 :
殷がやらなかったという証拠もないのだ

125 :
日本では殷と呼ぶ人が多いが、中国では商というのが普通

126 :
商の都が「商人」の語源なのは知られているが、商人が「商売する人」の代名詞になったのは、商王朝が滅んだあとのこと

周王朝の時代に、宋を商業の拠点とする商人たちが、全国に商業ネットワークを広げた

127 :
>>125
あっしょう。

>>126
あっそう。

128 :
殷は当初は十王家もあったし遺跡から出た人骨のDNAには多様性があるので
複数の民族の連合国家だったと考えるべき

129 :
古代匈奴の王族の人骨はハプロQ
また、突厥サダ部の独眼竜李克用もそうだ
殷の紂王、周の文王、孔子もハプロQであったとされる

ハプロQは、古いタイプで北米インディアンでは9割と圧倒的だが
ユーラシアではめずらしいタイプ
かろうじてシベリアのエニセイ川に住む少数民族ケット人が
ハプロQ100%だが、人口は1400人しかいない

したがってハプロQ遺伝子はシベリアのエニセイ川が発祥で北米に渡り、
匈奴や突厥として文明国をおそった古いタイプの遊牧民と確定され
また殷王も、周王も、もとは犬戎のような遊牧民であろうと言える

130 :
遊牧民・羊飼いとたいして先祖は変わらない周王だが
文字文明をもつ中原と無文字文化の蛮族の違いは何処かといえば
周邑が発祥地になったと伝えられる。孔子が誇る聖賢はまさに古代の周公

邑とは、木製の枠をつくり、そこに砂や石を投げ入れて突き固めて作った城壁
後漢でも農民がこのような砦を急造したとされるので動乱から身を守る

この城壁に囲まれる都市が周邑や秦邑であり、内部で文化を発展させる
日本では城塞都市はほとんど発達しないがモスクワのクレムリンは三角城塞
ロンドンの原型であるロンドン城、ロンドンタワーももとは城塞だ

カエサルのガリア戦記でも蛮族は木枠に石を投げ入れ城壁を作ると描写され
どうやって学んだのか知らぬが固い壁だとローマ人は褒めてる。もとはアジア由来だろう

多くの邑は王様がいた。だが時代が下ると大国の傘下に入り征服されて
大国の役人が派遣されて治めるようになる。これが県と称する

県(懸)の文字は罪人の首を糸で吊ってさかさにぶら下げるさまを指す
むかしはこれが国境のしるしだったそうな
無法者の首を切って下げるのか?征服された前王様の首か(ヒェッ)

131 :
中国は人肉食の習慣がある。中国皇帝は最近まで人肉用に改良された人を宮廷に飼育していた
廃止されたことになってるが肉人形は生活できないし、貴重なものだからまだ飼育してるかもしれぬ

欧州のネアンデルタールやクロマニョンは人肉食を行っていた形跡もあるし、牧畜民は
日常的に家畜を殺しさばくものだから人間だってやるだろう

一説に東アジアはタンパク質がとぼしいから中国では人食がおこなわれたという説もあるが

むしろ羊飼いではなく、人間を家畜として、毎日食べることに決めたオルドス地方の狄族長が居てもおかしくない

中国は人間が多いのだからそれは当然のこと。

牧畜技術の延長だ、人を増やす、何億も多く飼い、肉を食べて税金もとる。その人飼い専門の匈奴の族長が
中華皇帝と呼ばれる者かもしれない

132 :
匈奴スレのキチガイがここにも来ちゃったな
二次創作の設定をお披露目したいなら小説になろうにでも行けよ

133 :
全くだ。嘘を放置したくないから間違いを指摘するために読もうと思っても長文を繰り返すから相手にしきれない。

134 :
>>129
そのころはまだ匈奴なんてなく鬼方、土方とか呼ばれてたんじゃなかったか

135 :
>>125
司馬遷が殷と呼んでいたのだから殷と呼んでいた時期もあるのに
夏(summer)はシュメール(sumer)と関係があるのだろうか
どっちも他称だし

136 :
華夏族

137 :
>>135
夏といっても、意味はsummerではないので関係ない

138 :
マジレスかよ

139 :
でも、商はmerchantとかcommercialって意味なんでしょ?

140 :
しょうだよ

141 :
>>139
後からそういう意味になった

142 :
>>138
summerとしゅしゅめ

143 :
summerとシュメールに関係あるというのは、スピリチュアル系ではオナジミのテーマ

144 :
無関係とは思えない
夏はシュメールかもしれない

殷と商はどう違うのか

145 :
中華の華は夏から来てるとか言うね

146 :
>>144
>殷と商はどう違うのか
その質問は日本とジャパンはどう違うのかと訊くようなもんだ。

147 :
>>144
一種の流行もある

昔は殷と呼ばれていたが、殷墟の発掘が進むにつれて、商と呼ばれることが多くなった

148 :
中国では、「商」が定着している

日本では、「殷」と呼び続ける人が多い

149 :
ちなみに当時の人は「商」と呼び、
(甲骨文では「大邑商」と記されている)
史記には「殷」と記されている。
これ豆アルよ。

150 :
スレタイも「商周革命」にしようかと思ったが、消臭剤の宣伝みたいに聞こえるのでヤメた

151 :
>>149
甲骨文を調べたら、「商」が正しかったんだな?

152 :
>>151
首都が商なのは確かだが、いくら都市国家の時代とはいえ、それを王朝名とすべきかには異論がある

153 :
宮城谷昌光は、商と呼んでいる

154 :
キ・エン・ギが自称
シュメールがアッカドからの他称みたいなものとしても
殷ってのはどこから来た字なのか

155 :
周は結構あるのに殷とか商って名乗った国は何で後世出てこないんだろ

156 :
だいたい、紂王のせい。イギリスでもジョン王は避ける

アレキサンドリーナ殿下は彼女の洗礼名エリザベスと名付けられるはずだったが
代父を努めたロシア皇帝アレクサンデルに敬意を評してアレキサンドリーナとなった
国民の愛称はドリナ。女王をドリナって言うのはどーなの?ということで本人の希望がヴィクトリア女王

157 :
>>155
かつての商の都は、宋と改名した

そのせいだろう

158 :
Yahoo知恵袋
解決済の質問

中国王朝の殷という王朝の名前の由来を教えてください。

159 :
ベストアンサーに選ばれた回答

『殷』は「陰」からきた漢字という説があります。(白川静)
殷(陰)の字には呪いの意味があり、蔑称に近いとされますが、
殷が蔑称であるなら、
王朝がわざわざ蔑称を国名に使うとは考えられないので疑問符が付きます。

『殷』は「殷賑」の言葉から付けられた尊称説があります。(松丸道雄)
「殷賑(いんしん)」とは、
活気があってにぎやかなこと。また、そのさまをいいます。

中国の殷姓は、『世本』に記載されているとおり、
「周の武王が紂王を討ったとき、
子孫は分散し、殷を氏とした」というのが、
殷商王室のその後とされます。
「殷」は3300年以上前の帝 盤庚(殷に遷都した王)に始まる地名ですが、
さらにさかのぼれば、
後世の殷姓の人たちは仁徳で知られる、
子姓の成湯(夏王朝を滅ぼした初代の天子)の子孫だということになるそうです。

160 :
殷姓の姓氏の由来について、『姓纂』にはさらに詳細な記述があります。

「殷姓は成湯の国号である。
22代、44王、629年続いた。周によって滅ぼされ、
子孫は国名を姓とした。汝南地方」

周武王が紂王を滅ぼしたのは、紀元前1122年とされます。
後世の殷姓は、3100年以上前に出現したということになります。
彼らの最初の発祥地は、北方の河南と河北一帯といわれます。

もう一つ殷姓は、河南地域に源流があります。
漢代の史游の著した『急就篇』姓字注によれば、
「殷水は穎川にあり、ここに住む者はそれを氏とする」とあります。

北方の殷姓から始まって、山東一帯に伝わり、
変化した姓氏の一つが「衣」です。
この起源は『康煕字典』にはっきりと示されています。
「斉の人が殷を発音すると、それは衣に似ている。
今、衣という姓の人は、もとは殷で、礼記に注釈がついている」

161 :
中国の古代王朝周(B.C.11世紀〜B.C.256)。
この周王朝の前の中国史上最古の王朝は、
中国では一般に商(あるいは殷商)、日本では一般に殷と呼ばれています。
(いまではそれ以前の「夏」王朝の存在も信憑性がでてきましたが・・。)
しかしこの王朝、いったいどちらが正しい名前かはっきりしていません。

【殷】は、周王朝が帝辛(紂王)らを倒した後にこの王朝を殷と呼び、
その呼び名が春秋戦国の各国に継承され、
秦に継承され、と各王朝に継承されてきたので「殷」と呼ばれるようになりました。
日本でこの名前がよく使われるのは、
史記にてこの王朝の本紀が殷(殷本紀)であり、
史記は日本に馴染みが深いので殷が使われるようになったからです。

【商】は、
通志で「商の名の由来は王朝の祖である契が商に封じられたため」と、
書いてあるため「商」と呼ばれるようになりました。

こういうわけで日本では「殷】と呼ぶことが多く、
中国では一般的に「商」と呼ばれることが多いようです。

162 :
殷は神殿とかにもつうじつものであって
神権政治の国名として殷はふさわしいかんじはするね
だから悪い蔑称ではなく、ただの印象、当時の概念だというかんじ
もちろん商人が商帝国と自称したのは間違いなく
商も絵文字としてみれば大きな2階建ての建物、あるいは城に見える

殷は鄭州を起源として興ったようだが、周代は卿士である鄭国がおかれた
人口が極めて多く豊かな土地
殷の首都はやがて北方の安陽市にうつる、といっても鄭州と同じ河南省だが
地域の大部分が黄河の南にあるため河南と称された
河南は予州ともいわれる。三国志の曹操が権力をふるい始めるのは予州の支配からで
曹操が献帝を許県に移住させ、この地を都とした。許昌市は鄭州市の南だ

163 :
いまも、鄭州は河南省の省都

四千年前も今も、ここが中心であることに変わりはない

164 :
春秋時代の初期には、鄭が覇権国家だった

165 :
>>134
ひじかた?

166 :
>>165
どかた

167 :
あまり思われていないけど
SumerとSummerのスペルの類似は何かあるのかもしれん
夏朝もシュメールもどっちも他称だけど
もしかしたら正式名称がなかったのかもしれん
シュメールの自称のキ・エン・ギも君主(葦?)達の地
サア・ギ・ガも黒い頭の者達でしかないし

どうでもいいけど夏侯って氏は現在ではほとんど見かけないけどどうなったんだ
夏侯嬰とか低い階層が名乗っていたわけだよねというか
それ以前に見た覚えがない
大領主みたいな意味なのかな

168 :
>>!31
今もチンパンジーがサルを襲って食べたりしているけど
多分、人間って認識していないと思うよ
日本だって平安時代に実質死刑廃止をやっていたけど
当の桓武天皇が平気で蝦夷は処刑していたわけだし

169 :
>>167
>Sumerと
SumerじゃなくてSumeruだし、アッカド語を英語の綴りで検討しても意味がない。

170 :
古代の野蛮人は、猿人みたいなもんだわな

別の生物種くらいに考えられてたんじゃないのか

171 :
19世紀における、白人と東南アジアの土人の関係なんか、そんな感じだ

172 :
東南アジアの土人と聞くとロドリゴドゥテルテを彷彿とする

173 :
アメリカは法的にインディアンつまりモンゴロイドは殺しても構わない国だぞ
第二次大戦中はもちろん戦後も長くそうだった
日本人はインディアンと同じく殺してもまったく問題ない

カナダも同様でインディアンやエスキモーはいつでも殺していい
オーストラリアも原住民をコロすのに「英王室の所有地に侵入した」
だから英国王の管理人たる我らが処分してもいい、という理屈を展開した

174 :
タスマニア島の原住民は、イギリスからの入植者による狩猟で全滅したからな。
狩猟ファンによる「狩猟日誌」みたいな記録まで残っている。
20世紀になっても、異人種に対する感覚はそんなものだ。

ましてや、3千年前の土人など、都市の文明人が「彼らも同じ人間だ」などと思うはずもない。

175 :
山東省の東夷は、全身に入れ墨していた

176 :
呉越では、全身に入れ墨する習慣が春秋戦国時代になっても続いた

177 :
ネアンデルタール人の生き残りが発見されたらそれに人権は認定されるのだろうか?

178 :
まあ、ゴリラやオランウータンだって、虐待したら非難が殺到するだろうしな

179 :
再定義して細分するだけだろ
ホモサピエンス権
ネアンデルタール権
動物保護法

180 :
>>173
日本人キリスト教徒とかアフリカ人とかもいるけど
あいつら私達のことはヒューマンとも思っていないのにね
魂もないのに

181 :
Tang (湯王)はテュルク語でテュルクの王のこと、つまり狄(テュルクの音訳)の王
と欧米では疑われてる。テュルク遊牧民が、月氏を敵視してる構図は
テュルク系のウズベクとトカラ系月氏の末裔タージークとかわりはない

182 :
甲骨文資料によれば湯じゃなくて天乙だろう。

183 :
Tang (天乙)だから。同じこと

184 :
天王を名乗るのは北方の遊牧民

北魏の拓跋氏がはげしい漢化をおしすすめ
反発した宇文氏が皇帝を廃して天王をなのる

唐の李世民も遊牧民たちが天可汗の称号を付与する

子の高宗は天皇をなのり、武則天を天后とし
また武則天は史書の伝えるところによれば、漆黒の髪、大きな目、雪のような肌、
大きな胸、見る者を魅了する媚笑、そして聡明な頭脳を備えていたとのこと

爆乳ボインちゃんですね

185 :
宇宙には天王星って星もあるもんなあ

186 :
天王の初めは周かな

187 :
横浜には天王町という地名もあるぞ

188 :
日本の地名に出てくる天王はだいたい牛頭天王のこと

189 :
ウラノスじゃないんだね

190 :
武王は簒奪者

191 :
>>184
武媚娘の役にファンビンビンは、まさに適役だったわけだな

192 :
>>6
殷の言語は不明とかいいながらシナチベット語族である可能性低いとかどうゆう理屈だw

193 :
古代は言語とDNAの一致率が高いから

194 :
>>184
だからお前は匈奴スレに還れよオッサン

195 :
>>192
不明でも。これは違うだろってことじゃね。

196 :
殷って多分今の日本人だよ

197 :
妲己は結局実在しなかったの?

198 :
そういえば、妲己もファンビンビンがハマリ役だった

199 :
周はアッシリア

200 :
殷の東の敵の人方ってのが気になる
なぜ人と呼ぶのだろうか

201 :
鬼方と人方は、差別待遇か?

202 :
魏の国名は鬼方に由来するらしいから、そう悪くもないか?

203 :
鬼方が魏になり、人方が倭になった・・・というのなら面白いが、倭は遠すぎる(笑)

204 :
古代アメリカのインカ文明(殷・夏)との関連も解き明かしてほしいな

205 :
そもそも古代中国でいう「鬼」は日本でイメージするオニではなくて死者の魂を意味する幽鬼である。
日本のオニも隠(オン)に由来して元々は目に見えない超自然的な存在を意味していたと言われている。
いわゆるオニのイメージができたのは日本に陰陽五行説が入ってきて陰陽道ができてから。
陰陽道では東北(ウシトラ)の方角が鬼門とされ、牛の角と虎皮の腰巻を合わせて鬼のイメージができた。

206 :
>>201
見下している敵を呼ぶのに人って字を使うのがなあ

207 :
周の成王が弟の虞と庭の木の枝を使って「これを以てお前を封じよう」と封建の儀式の真似事をして遊んでいた
宰相から「殿下をどこへ封じましょうか?」と問われた。成王は驚いて、
「私はあれと遊んでいただけだ」と答えるが「『天子に戯言無し』です。王の発した言葉は覆す事はできない」と答えた
周公旦がはるか北方のTang (唐)を征伐して、虞を唐公に封じた
このとき家臣として鬼方一族が付けられた(容易に従わない蛮族ともされる)
あとになって晋水にちなみ唐から、晋と変える。これがのちの大国晋である。

Tang (唐)

Tang (天乙)

あ・・

周と同じ血筋である晋公は春秋戦国でおなじ姫姓の国家をほろぼしてゆく。そして超大国になる
これはいかにも奇怪なことからまったく異民族でないかと言われるが・・

208 :
だからお前はもう「小説家になろう」に行けって

209 :
Tang (湯王)はテュルク語でテュルクの王のこと、つまり狄(テュルクの音訳)の王
と欧米では疑われてる

210 :
晋の文公は春秋の五覇王のひとりだが、重耳といって母親は異民族の狄の姫であった
また父親の献公は遊牧民の驪姫を寵愛した

晋の先祖は姫氏で間違いないにしても、下半身がかなり乱れてるね・・・

211 :
>>200
字源を知っていれば容易に理解できるが
「人」ってのはもともとひれ伏した様子を象った文字だから
「巴」という「方」もいるがこっちは女がひれ伏してるバージョン

212 :
「人」という字は支え合ってなかったんや! >金八先生

213 :
のちの東夷、夷とは巨大な弓をたずさえた狩猟民の絵文字で
日本やツングースをさすと言われる
孔子教団は「仁」の教義を掲げたが、孔子は「東の人は素直というから
わしは舟にのり日本に行って仁義のおしえをひろめたい」と嘆いた
弟子は「東国は野蛮で下品でございます」と止めた
孔子は「正しい生き方をしておれば、天下でなんぞ恥じることがあろうかい」と論破した

214 :
>>209
戎はフンを指すのかもという欧米では向きもある
犬戎とミヌシンスクやスキタイサカとのリンクも

215 :
「ついに邪馬台国の位置を突き止めた!」というような話が、この時代なら中国でも展開されている

216 :
>戎はフンを指すのかもという欧米では向きもある

白豪主義者だけでしょ
アーリア=スキタイ=匈奴=フンという壮大なファンタジー
匈奴は新疆ウイグル自治区バルコル県にある単于庭の墓の発掘によってハプロQに属するモンゴロイドだと確定してるけどね

217 :
>>199
秦はアケメネス朝でありローマ帝国

218 :
>>210
晋が姫姓ってのも、
全くのデタラメかもしくは他の姫姓国から嫁や婿を迎えただけなのでは

219 :
文献では晋は武王の息子成王が弟を封じた国ということになっているので
これがデタラメだったら他の国はもっと怪しいということになる。
特に呉は胡散臭い。

220 :
中山国はモロに狄が作った都市国家で、代も異民族の作った城塞都市だったと思う
趙が代王を騙して煮殺して殺害、乗っ取った
代国は北緯40度の遊牧民が多い異色の都市なのでのちのちにも重視され
武霊王の長男は代に封じられてる。また北魏は代王であり、このあたりは帝都でもあった

月氏も甘粛に大きな城塞都市をいくつも持っていた。遊牧民だから野蛮、というわけではない
ただ中国とは人種や言語が異なるから意思疎通できず恐怖であり野蛮とされた

221 :
武霊王は長男を太子から外して次男に譲ったので捨て扶持として代をやった。
そしたら調子に乗った長男は趙王である弟に反乱を起こし敗死。
武霊王もそれに巻き込まれて幽閉されたまま餓死。

222 :
>>214
771 BC Huns (Ch. Jungs) invasion of Zhou China. Zhou capital Hao falls
フン(中国語 戎)が、中国・周に侵入、周の都・鎬京陥落

とある このフンは犬戎を指してるのは確か

フン族デートライン
http://s155239215.onlinehome.us/turkic/70_Dateline/71_Huns/hun_dateline_1_En.htm

223 :
あっそとしか言いようがない

224 :
>>220
代王を宴席に招いて暗殺したのは、晋の趙襄子ではなかったか?

225 :
天乙は商朝の初代王。殷墟出土の甲骨文占卜には、名は唐、と見える。
湯王、太乙、成湯、成唐とも
殷の建国者として実在の可能性が高い。聖王とされその徳は鳥にまで届くとされ・・

殷の湯王の出は唐(晋)に盤踞した遊牧民であった可能性がある
そして商をほろぼした周も、唐の土地は無視ができず、弟など重要な血縁のものをおいた

植民した人はなるほど城塞を造り農耕に精を出したが
北方の植物相が貧困で、南の洛陽のように五穀が取れるというわけに行かず
食事も全く変わったはずである。貧しい土地の漠北ではむしろ遊牧生活も悪くない効率になる

民の大多数は現地人であり代を重ねるうちに晋の公室も圧倒的に現地の色に染められて
妻は狄をめとるなど遊牧民の色が濃くなる・・というのはどうかな

226 :
そうやって晋公をないがしろにして力をつけた六卿が晋を食い物にして、さらに互いに潰しあった末に
趙・韓・魏の諸公国として建国するわけだから間違いとも言えない。

227 :
現代の中国の華北当たりのイメージを投影してる時点で全然だめだな
商代の頃の黄土高原は落葉樹の広がる森林地帯でインド象やサイ、水牛などが生息していた
今のような植生になったのは北朝時代に入ってから

228 :
森林地帯なんだから、どっちかっていったら、遊牧民というより狩猟民だな

229 :
なるほど酒池肉林ですね

230 :
中国は食人の文化があった
飢饉の時ではない
平時に市場で普通の食材として売られていたのだ

231 :
考古学上殷周戦は存在しない。
そもそも同時期2対立的な部族と国家が存在しない。

商の時代商の人口は10万以上20万未満であり、同時期にあった日本、ASEANの集落と比べて特別大きいわけでもなく。通常の部落集落であり
王族、王国、支配朝的な力、社会はない

銅技術を持つがそれを武器、農具などにして利器恩恵を得てない儀式道具利用である。
このためブンド水準は同時期の日本、ベトナム、そのた中国の集落にたいして優れない。むしろ同時期にすでに鉄器は日本にもそのた中国にも伝わっていたため、ことさら商は優れない

そしてそもそも商と周は元同じ発音であり、考古学上継承される同一文化集団である。
このため商と周という同じ発音の同一集落が後世駅正革命神話などの影響を受けて、商と周にわかれ
商周神話が生まれた。この場合、商周神話が歴史じゃなく存在しないのである

尚考古学上周北部集落は秦の統一まで人口、ブンドが大したことなかった。
ところがなぜか古来から中国史の中のルーツ朝になってしまったが、ルーツでもなければ王朝ですらないのである

232 :
考古学と歴史上は
@BC3000年前後アジア全域に広がったマレー系海洋濃厚文化のひとつで沿岸から伝播した
A商周戦争はないが、沿岸から周都まで移動の痕跡がある
B銅技術を持つが、利用、用途、量産は優れず儀式用具にとどまり同時代の日本、ベトナムの集落と文化水準は変わらない
C北方遊牧民(きょうぞく?)が混ざった文化を混成し、鉄器武装や騎兵軍団結成こそはやかったものの
そういった動きは一時期強い一代の支配者、王による暫時製作で、技術、文化として固着しなかった
これが旗に負けた遠因である

Dある程度秦に対抗したものの、とどのつまり人口と政府力的なレベルで相手にならず粉砕→滅亡した

Eある程度人口と領域は保持したが、遊牧の侵攻と辺境であることから発達が弱く辺境であった

F曹操の遷都である程度発達したものの、その期間は50年でまた辺境に戻った

G以後北方遊牧の度重なる侵攻を受けて、北部首都になるものの侵略と人口の塗替えが著しく
首都あれどけして繁栄はなくどちらかといえば荒廃する
たいし南部は一定の繁栄は実は維持した

Hそれこそ明ー清の北京回復まで荒廃と辺境のままで、歴史上発展はつい最近の事
それこそ20世紀ですらこくみん党のダム飢饉とホロもズムで壊滅しかかった
それを繰り返して実は荒廃してた地域の一つといえる。
それこそ水の危機は文革の最中にもおきた。この時点でここは荒廃地域だった


尚中国は荒廃した時代が多いが、古来ー南北朝ー北元時代(第二次南北朝)時代においても南部は一定の農業繁栄を維持した模様
たいして商地域は歴史的に文化、人種ごと淘汰された

233 :
>>231
>商の時代商の人口は10万以上20万未満であり、同時期にあった日本、ASEANの集落と比べて特別大きいわけでも
同時期の日本は縄文時代で三内丸山でも多く見積もって500人くらいじゃないの。

234 :
つまり商王10王家のうち西周が大虐殺で
革命をおこし王統を独占したと..

235 :
天乙時代の都城である偃師商城からしてすでに6キロ四方、宮城周囲7キロと
日本で一番大きい都城である藤原京よりもはるかにデカいよ
また殷代の甲骨文字では周を「方」(敵)と呼んでおり敵対していたことも明らか

都市国家であるにも関わらず数十万の人口を擁していたのは当時としては驚異的なこと
デロス同盟時代の最盛期アテネで20万
日本何て縄文時代でもっとも人口が多かった中期ですら日本列島の全集落を総計しても26万を超えなかったのだから

236 :2018/06/27
BC3000年ころにはまだマレー人は影も形もない
前身のプロト・マレー人ならいたが雲南の山奥で狩猟採集を行っていた集団で海洋民族ではない

殷周期の中国沿岸部は東夷と呼ばれる民族が割拠しており
ここまで諸夏族が伸長するのはもっと後の話

青銅は武器や鎧や戦車にも使われていた
農具は石器を使っていたの確かだが紀元前8世紀には鋳鉄による鉄製農具が普及している

鉄製の武器が前漢代まで普及しなかったがこれは他の文化圏では武器に向いた鍛鉄がまず最初に発見され次に鋳鉄が作られるが
中国では高度に鋳造技術が発展したため先に加工が容易な鋳鉄から製造がはじまったため鉄器農具の普及のほうが早い

古代中国では万乗之国千乗之国など保有する戦車の数によって国家の格付けが行われていた
オリエントや中央アジアの遊牧民と同様戦車戦を主体とする戦術をとっていたことは明らか

秦代は時代が離れていて何が言いたいのかわからない遊牧民の攻勢が始まるのは匈奴の時代に入ってからで
「竹書紀年」を見ればわかる通り春秋戦国時代は戎とよばた遊牧民は諸華族たちから一方的に侵略略奪を受ける側で
代や燕京や大同ももとは戎から奪った土地だ

曹操の三国時代とか貨幣経済が現物経済に戻り戸籍人口が豪族の囲い込みによって大激減した衰退の時代だが
江南が華北より発展したのも宋代に入ってからの話で7世紀にはいっても隋4500万に対して陳1500万と人口の7割は華北に集中していた

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