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【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】


1 :2014/08/30 〜 最終レス :2020/06/21
一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。
前スレ
【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1284293895/

2 :
うんこブリブリ

3 :
>>1

4 :
ついにトレビゾンドが正統だと世界史板住人にも認められたか

5 :
次スレ【栄光の】を【ビザンティン】にした方がいいかもしれない
しかし歴史用語で英語経由から現地語風に変更するのは最近は珍しくないが、他にも中世ローマだのここまでバラバラのまま並存してる例は珍しいかもしれない

6 :
ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国の関係はどんなものだったの?

7 :
そりゃ、時代による
マヌエル1世の時には、イタリア西岸に上陸し、イタリアで両国が直接戦ったことがあるよ
ドイツ人のローマ帝国(神聖ローマ帝国)とギリシャ人のローマ帝国(ビザンティン帝国)、
共にローマを名乗る帝国が、どちらも本家イタリアのローマ市は持っていないが
イタリアで戦うという、なんとも皮肉な状況

8 :
>>6
全くローマでない「神聖ローマ」をローマと呼び
コンスタンティノポリスの正統なローマを「ビザンツ帝国」などと珍妙な呼び方するとは
どういうことなのか?

9 :
>>8
神聖ローマ帝国は自称ですし

10 :
>>9
それならコンスタンティノポリスのローマは
SPQR(元老院と市民のローマ)が自称で
ビザンツなどとは称してないんだが?

11 :
元老院と市民のローマ(永遠の都ローマとは関係ありません)

12 :
>>10
言葉がギリシア語に切り替わってからもSPQRだったの?

13 :
>>12
コンスタンティノポリスがオスマンに占領される最後まで
ローマの国名はSPQR

14 :
>>6
「ちょ、おまえらごときが、何でローマ帝国名乗ってんの?本家うちだよ?ちなみに、元祖もうち!(生意気なんだよ蛮族がッ)」
とか言わなかったのかな?

15 :
ビザンツの方は国号もそうだし、ローマ法を改良したという触れ込みの法律を制定するようなこともしているが、
神聖ローマ帝国の方はそういう古代ローマとの一体性を誇示する政策を何かやったんだろうか。

16 :
>>15
イタリア政策

17 :
>>14
カール大帝が皇帝を名乗ったけど認めていない

18 :
もうビザンツ帝国というスレタイやめろ
西欧人がローマの後継を認めようとしないために作った名前だ

19 :
ギリシア=ローマ帝国にせい

20 :
>>16
失敗続きで逆効果じゃねーか

21 :
ローマを支配してないのにローマ帝国を名乗るのはおかしいだろ
せいぜいアラブ人の呼称する小アジア地域の名称で、ルーム帝国がいいところ

22 :
スレ名物アンゲロスブラザーズマダー?

23 :
Wikipediaの英語版SPQRの項目を見ると
を見ると、
Beginning in 1184, the Commune of Rome struck coins in the name of the SENATVS P Q R. From 1414 and 1517 the Roman Senate struck coins with a shield inscribed SPQR.
と書いてある。1517年には東ローマ帝国は存在していないと思うんだけど、
ここで出てくるthe Roman Senate って、何を意味しているのだろうか
知ってる人、教えて

24 :
>>12
WikipediaのByzantine_Empireの項目には、当時の自称を
1 the "Roman Empire", the "Empire of the Romans"Latin: Imperium Romanum, Imperium Romanorum; Greek: Βασιλεία τῶν Ῥωμαίων Basileia tōn Rhōmaiōn,
  Ἀρχὴ τῶν Ῥωμαίων Archē tōn Rhōmaiōn),
2 "Romania" (Latin: Romania; Greek: Ῥωμανία Rhōmania),
3  the "Roman Republic" (Latin: Res Publica Romana; Greek: Πολιτεία τῶν Ῥωμαίων Politeia tōn Rhōmaiōn),
4 Graikia (Greek: Γραικία),
5 Rhōmais (Greek: Ῥωμαΐς).
と書いてある。SPQRは何故か載っていない。でもSPQRの項目には、
Beginning in 1184, the Commune of Rome struck coins in the name of the SENATVS P Q R
とあるから、SPQRも国号として用いていたと考えられている

25 :
ビザンツが学名に過ぎないというのはわかるけど、西ローマが滅亡した後も
東ローマというのも違和感がある。ローマ帝国では古代ローマと混同されるから、
俺としてはローマニアという表記が妥当だと思うんだが
これだとルーマニアとも違いが出るし、実際当時の自称だし

26 :
だからローマと呼べばいい

27 :
後世から見ての他称なら東ローマ帝国で何の問題もないと思うが・・・
テオドシウス1世の時代から、間違いなく政体が継続してる
いずれにせよビザンツ帝国ってのは、始期も確定できない曖昧模糊で最低な呼称だわ
古代ローマから文化面で変容しちゃってるからローマ帝国と呼ぶのはイヤっていうなら、
コンスタンティヌス1世時代から変えるべき・・・でもそれはしないのは、まさに西欧の都合

28 :
コンスタンティノープル帝国と呼べばいい

29 :
中世ローマ帝国という呼称も見たことがある

30 :
まあでも西ローマ帝国でも東ローマ帝国でも滅亡するまで市民たちはローマ帝国民だっていう認識だったんでしょ?
あとさレオ朝のゼノンがオドアケルに西ローマ皇帝位を献上されて東西のローマ皇帝になったって本当?

31 :
そういう説もあるよね。ネポス帝を最後の西ローマ皇帝として、ネポスを
擁立したのがゼノンの後ろ盾で西ローマ皇帝に付き、ネポス死去後、ゼノンは
新帝を冊立しなかったから、自動的に東ローマは、単独の「ローマ」に戻っただけという説
そんなわけで西ローマが滅亡したあとは、「ローマ帝国」しか残らなかったのだから、
「東ローマ」という名称にも違和感がある。で、「ローマ帝国」がよいとすると
古代と混同してしまうから中世ローマ帝国という言い方も悪くないと思うのだが、
ビザンツ(ビザンティン)、東ローマと比べると少数派

32 :
ヘラクレイオス帝以降は中世ギリシャでも良さそうだな
ユスティニアヌス朝はバルカン出身で軍人皇帝時代以来
多くの皇帝がバルカン出身だった
バルカンがスラブ化してイリュリア人とかが滅亡したので
アナトリア出身者が皇帝になるようになった

33 :
それはない、アイデンティティがヘラスにはなくローマイオイにあったのだから

34 :
ギリシャ人意識については、プレトンを待たないといけないしねえ

35 :
>>27
しないも何もビザンツ帝国と呼ぶほとんどの学者は始期をコンスタンティヌス時代かヘラクレイオス時代に置いているが

36 :
ビザンツ帝国史の中ではプロローグとして取り上げられてるだけだろ、コンスタンティヌス1世は。
ユスティニアヌス1世はまだしも、コンスタンティヌス1世をビザンツ帝国の皇帝と呼んでる学者は見たことない。

37 :
呼び名なら中世ローマ帝国はどうかな
話は変わるけどメフメトさん折角異文化かぶれだったんなら帝国そのまま奪ってくれれば良かったのに
パレオロゴス朝→オスマン朝みたいな感じで
宗教もコンスタンティヌスで一回変わってるんだからまたイスラム教に変えればいい

38 :
そこは、ルーム・オスマン朝で万事解決だな!

39 :
当時東ローマはすでにコンスタンティノープルだけだった。
アレクサンドロス大王のように目の前に大ペルシャ帝国が
実在した場合とかではないから、メフメト2世らに帝国を
征服したというような実感はなかったはず。

40 :
現在のトルコにローマ人はどれくらい残ってるんだろうね

41 :
イスラム教徒にとってローマ人=キリスト教徒だけど
西欧をも支配した古代ローマ帝国に実感がないから
西欧人=フランク人だった
アラブ人にとってはシリアとエジプトとアナトリアとギリシャと
マグリブを支配していたのがローマ帝国
トルコ人にとってはアナトリアとバルカンを支配していたのがローマ帝国

42 :
>>35
ビザンツ帝国の始期は一般にコンスタンティヌス1世か
アルカディウスなのでは?

43 :
>>42
コンスタンティヌス1世だかアルカディウスだかの時に
今後はローマではなくビザンツ帝国に改称すると決めたのか?
オレの知識ではローマはコンスタンティノポリスがオスマンに占領される最後まで
国名はSPQR(元老院と市民のローマ)だったはずだが

44 :
>>42
アルカディウスよりスタートするのは、「東ローマ帝国」
東ローマ帝国=ビザンツ帝国と見なす立場ならそれでいいが、あくまで「≒」として考える学者が多い
つまり、古代ローマ帝国の成分が薄くなりすぎて同一のものと見なしたくない状態になってからがビザンツ帝国だと
そのタイミングは人によってバラツキがあるものの、公用語がギリシア語になったヘラクレイオス時代からというのが最も一般的

45 :
       ____
     /      \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  / o゚((●)) ((●))゚o \  ほんとはローマ伝統の
  |     (__人__)    |   ラテン語をつかいたいんだお
  \     ` ⌒ォ     /
       ____
     /      \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  /  o゚⌒   ⌒゚o  \  でもラテン語知らないから使えないお
  |     (__人__)    |  
  \     ` ⌒ォ     /
       ____
     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   だからギリシア語にするお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'ォ     /

46 :
東ローマ帝国のスタートはディオクレティアヌスだろうな

47 :
中世ギリシア語って大分ラテン語の影響うけてるよね
βが/b/から/v/に変わってるのは意味不明だが

48 :
>>36
成立の年号を330年に置いている書籍は結構あるよ
>>27が言うようなテオドシウスから変わったと言っている学者の方こそ見たことない

49 :
>>27で言ってるテオドシウス1世は、最後の統一ローマ皇帝だから名を挙げている
そこから政体が継続しているんだから、ビザンツなどと呼ばず東ローマで問題ないだろという話

50 :
テオドシウスの前や後の皇帝が政体を変えていたら意味が無いからなあ

51 :
トレビゾントのゲオリギウス司教は、1461年にメフメト二世に送った書簡で、
「何の疑いもなく貴方はローマ皇帝でございます。帝国の首都の合法的な主は、
誰もが皇帝であり、そしてコンスタンティノープルはローマ帝国の首都なのですから」
と書いたそうだ。

52 :
ローマ帝国の首都はローマで東ローマ帝国の首都はコンスタンティノープル
パルティアの首都はクテシフォンでササン朝の首都もクテシフォン
ウマイヤ朝の首都はダマスカスでアッバース朝の首都はバグダード

53 :
>>51
なるほど、そういう理屈なら、トルコ共和国がイスタンブルを首都としたら
ローマ帝国になってしまうからアンカラに遷都したのか。
どうせなら、ムッソリーニのローマ帝国とケマル・アタテュルクのローマ帝国で
戦ってみてほしかった

54 :
ローマという名の由来になった大昔の街は既に無くなった。
長く遺構を残し村名か字の名として土地に残り、近代にフィレンツェ程度の都市として復活。
ゲルマン蛮族に支配された旧地を残し、
帝国ローマはコンスタンティノポリスを中心とする千年帝国としてその名を刻んだ。
つまり ローマ→奈良、コンスタンティノポリス→京。
後年、時の京支配者を認めぬ存在が、奈良を"本当の京"だと言い出した。これがイタリアのローマ。

55 :
ローマ帝国のキリスト教国教化→東西分裂→西ローマ帝国滅亡 
まで、あっという間ということを、もっと一般に広く認識させるべき。

56 :
>>53
イスタンブルにしなかったのは軍事上の理由
イスタンブルじゃギリシャに海から砲撃されて終わり

57 :
アンカラ政府にはトルコ主義の意図がある。
イスタンブールはヨーロッパでは難しい事情がある。
そんな面倒なヨーロッパ事情に関わりたくないから英国は海に出た。

58 :
>>54
東ゴート王国は西ローマ帝国だった
東ローマが西ローマを滅ぼした

59 :
受験で世界史習ってた頃は「何このダセー国。まあ皇帝の名前とテマ制プロノイア制だけ覚えときゃいいだろ」
くらいにしか思ってなかったのが、気がつけば陰謀だの戦争だの外交だののごっちゃになった帝国の魅力に取りつかれ、
今じゃ専門書が何冊も部屋の棚に並んでる始末
これが多民族帝国の吸引力か…恐ろしい

60 :
>>58
勝手にローマを名乗らないでくれるかな。

61 :
>>60
東ゴートの正統性を認めたのは皇帝ゼノンですが何か
ビザンツこそローマを失ったくせにローマを名乗らないでくれるかな

62 :
ラヴェンナ帝国風情が一丁前に何か申しておることよの ガハハ

63 :
>>61
ランゴバルド語で言われてもよくわからんので、
プラトンの引用とかで頼む

64 :
>>54
ローマ→奈良、ラヴェンナ→京で
ローマ→京、コンスタンティノポリス→江戸じゃないの

65 :
>>64
ローマ:300年間
コンスタンティノポリス:1600年間
コンスタンティノポリスは京都に草も生えてない頃から世界最大の首都。

66 :
>>45
元々、ローマ帝国東方はローマ時代を通してギリシャ語が共通語。
ラテン語は軍隊とか一部行政機関でくらいでしか使われてなかったろう。

67 :
東ローマ帝国(笑)
http://i.imgur.com/cKQeeI1.jpg

68 :
新しい地中海扱った本でも見事なまでにビザンツを無視か蔑視する塩婆ちゃん

69 :
>>68
「コンスタンティノープルの陥落」ではそれ程でもないのに何でだろうな
あの人、レパントの海戦でもいちいちスペインに問題があるみたいな書き方してたけど、
物の見方自体はそこまで偏ってる印象受けない
何というか、自分が現在進行形で書いている題材以外の分野については気配りが極端に足りなくなるというか

70 :
>>65
京都に草も生えてない頃って人類誕生より古そうなんですがw

71 :
まあ小説家だし、そんなもんでしょ

72 :
塩野さんは一神教嫌いだからキリスト教に染まったビザンツが嫌いなんでしょ。

73 :
キリスト教化前のローマが特に大好きなだけで、キリスト教化後のイタリア(特にヴェネツィアと
フィレンツェ)も好きだよ>塩野
今回は中世イタリアの海賊対策が中心の記述だから、シチリア・南イタリアを領有していた時代に
その地域の防衛に寄与しなかった(できなかった)ビザンツに対して評価が辛い
まあ、それでも地中海の歴史上、イスラム勢力とビザンツの海戦もあったのに省略されているのは
偏ってるとは思う

74 :
塩野はイタリア語利用者でイタリアがすきなんだから、南の方をちょこっとしか支配していなかった
ビザンツに興味ないだろう。ギリシアに住んでいたことのある池澤夏樹とかが
ビザンツの小説をかいてくれればビザンツももう少し日本でメジャーになれたかも。

75 :
ビザンツの史料がのってる史料集ってあるのでしょうか
岩波の世界史史料や東京大学出版会の西洋中世史料集に
ビザンツがのってないようなんですが、
ビザンツファンとしては怒るところですか

76 :
>>68
「海の都の物語」の書評を渡辺金一が書いていて(俺は読んだことないけど)色々言われたんじゃないかな
で、「そんなら、アタシはイタリア語とラテン語なら読めるから、絶対にギリシア語使うようなところは避けて
自分の守備範囲で徹底的に勝負してやる」と決意して「ローマ人」や「十字軍」を書いた


としてもあの性格からすれば不思議じゃない

77 :
歴史人類学会の『史境』のヨハネス・マララス著『年代記』とか
論文集からを拾い集めるしかないような。

78 :
ビザンツって名前が悪い
ピンとこない
ビザンツローマ帝国とかどうかな

79 :
だから西欧人の都合による「ビザンツ」なんて言い方やめろよ
西欧人がコンスタンティノポリス遷都後のローマをローマと呼びたくない事情はわかるだろ
それをローマと認めたら西欧がローマの直系後継者ではなく傍系になってしまうからだ
だが西欧人でない我等がそんなことに迎合する必要は無い

80 :
でもローマを失ったのにローマ帝国とは言いづらい

81 :
>だが西欧人でない我等がそんなことに迎合する必要は無い
じゃ大秦か拂菻でいいよ

82 :
>>80
それならローマに皇帝が寄り付かなくなった国もローマ帝国とは言えないですね。

83 :
イタリア政策があるだろ

84 :
>>80
ラヴェンナ帝国さんの悪口はやめたまえ

85 :
東ローマ共和国と呼ぶべきか

86 :
スレタイがトレビゾンドじゃなくなってから一気に伸びててワロタ

87 :
The Byzantine Empire was the predominantly Greek-speaking continuation of the eastern half of the Roman Empire during Late Antiquity and the Middle Ages.
Its capital city was Constantinople (modern-day Istanbul), originally known as Byzantium.
Often called the Eastern Roman Empire in this context, it survived the 5th century fragmentation and fall of the Western Roman Empire and continued to exist for an additional thousand years until it fell to the Ottoman Turks in 1453.
During most of its existence, the empire was the most powerful economic, cultural, and military force in Europe.
Both "Byzantine Empire" and "Eastern Roman Empire" are historiographical terms created after the end of the realm; its citizens continued to refer to their empire as the Roman Empire
(Ancient Greek: Βασιλεία Ῥωμαίων, tr. Basileia Rhōmaiōn; Latin: Imperium Romanum), or Romania (Ῥωμανία),
and to themselves as "Romans.
"http://en.m.wikipedia.org/wiki/Byzantine_Empire

88 :
>>86
国別だったら古代ローマの次に勢いがあるな

89 :
これカワイイなw よし、ローマニアにしよう!
> Romania (Ῥωμανία)

90 :
>>89
それで思い出した。
元々ギリシア語圏だったが故にビザンツはギリシア化してラテン語は省みられなくなった…と自分は聞いてたが、帝都コンスタンティノープルの程近くには今なおラテン系の言葉を維持しているダキア、今のルーマニアがあるんだよな。
ラテン語を保持し続けた民が近くに居て本当にラテン語は省みられなくなってたのかい?

91 :
ダキア人の末裔ワラキア人の先祖は今のマケドニアあたりの山中にいて、
その後移住したという説があったと思う
マケドニアの北西のイリュリアはラテン語圏だったから、そのへんを継承しているのかも知れない

92 :
バスクといいルーマニアといい謎が多い

93 :
アルバニアが存在するのが謎だな
バスクやウェールズはまさに辺境だけど
アルバニアはイタリアからギリシャへの玄関口

94 :
不思議な事に古代文明の起源は
辺境や山地に有るんだよ

95 :
それ不思議でもなんでもないけど。
平坦な平野部を切り拓くには大規模な土木工事が必要だから、
文明が十分に発展するまでは平野部に進出できないってだけだ。

96 :
>>90
保持してたんじゃなくて近代に人工的に復活させたんだよ
イスラエルと同じ

97 :
みなさんは、ビザンツ帝国のどんなところに魅力を感じているのですか
教えてください
私は聖歌やイコン、教会壁画などです
ttps://www.youtube.com/watch?v=711DKJm80CI

98 :
>>97
学校の世界史がほぼ無視するところ

99 :
ローマ帝国が分裂してなお千年以上存続していたことに興味をそそられた

100 :
>>96
キリル文字を止めてラテン文字にしたり、抽象概念表すギリシア・スラブ系の単語をフランス語・イタリア語で大々的に置き換えたり、とは聞いた。
だけど文法とか基本語彙とかは一貫してラテン系だったとも聞いたぞ。

101 :
ロジャー・ベーコンに匹敵するような学者はいないの?
イスラム帝国に近い割にはアラビア科学の成果をほとんど吸収しなかったようだけど

102 :
トリボリア(ry

103 :
フォティオスに代表されるマケドニア朝ルネサンスや
プレトンに代表され、ルネサンスに多大な影響を及ぼしたパレオロゴス朝ルネサンスがないことにされるとは解せぬ

104 :
>>102
トリボリ??
そいつは時代的に違うだろ

105 :
フォティオスってカトリックとの政争の原因になったこととキリルのこと以外に何かしたの?

106 :
フォティオスは、総主教になる前は聖職者ではなく俗人の官僚で、その時代を代表する学者でもあった
ギリシャの古典についての「図書総覧」を編纂している

107 :
>>97
・皇帝に忠誠誓えば誰でも帝国臣民、どこの国の何系だろうと問題にならない
 というか皇帝自身が何系の血がどこまで混ざってるのかわかりゃしない
・中世西欧にあった十字軍思想や異端審問、魔女裁判の類が極端に少なかった
・運と実力に恵まれればパンピーから大臣や将軍、場合によっては皇帝にもなれる
・新しい技術の発明や進展は少ないけれど、過去から受け継いできたものをやりくりしながら時に発展させ、
 あの厄介な立地で千年保った
こんな所かな

108 :
ローマ帝国こそ世界の中心ですから。
ローマといったらアジア。ボスボラスの東だよ

109 :
BC2世紀 6位:ローマ
1世紀 1位:ローマ
4世紀 1位:コンスタンティノポリス 4位:ローマ
6世紀 1位:コンスタンティノポリス 8位:ローマ
8世紀 4位:コンスタンティノポリス 圏外:ローマ
9世紀 3位:コンスタンティノポリス 圏外:ローマ
10世紀 4位:コンスタンティノポリス
11世紀 2位:コンスタンティノポリス
12世紀 2位:コンスタンティノポリス
13世紀 7位:コンスタンティノポリス 約1万人:ローマ
14世紀 12位:コンスタンティノポリス
15世紀 圏外:コンスタンティノポリス
16世紀 2位:イスタンブール
17世紀 1位:イスタンブール
18世紀 1位:イスタンブール 24位:ローマ
19世紀 5位:イスタンブール

110 :
多分都市人口のことだろうが、説明も出典も不明で荒らしのコピペかよ

111 :
>>109
>17世紀 1位:イスタンブール
ここイスタンブールが一位だったことになってんの?
この時代の世界最大都市は江戸だったり北京だったりイスタンブールだったり
場所によってコロコロ変わるな、

112 :
江戸はちょっとよくわからないが、
西欧中心の歴史人口や歴史GDPとかは、
よく中東西アジア北アフリカを飛ばす。

113 :
ビザンツ帝国とかビザンチン帝国と言うより
東ローマ帝国と言った方がかっこいいと思うのは俺だけ?

114 :
>>113
そちらの方が正しいしな

115 :
でも、一応東西兼任のローマ皇帝なはずなので
東がつくのにも個人的に違和感を覚える
でも、中世ローマ帝国というのも東欧世界の中世って何やねんって思っちゃうし

116 :
個人的には、ビザンティン帝国という呼び方が好きだなあ
もちろん、後世の呼称であることは百も承知だが

117 :
ローマ東西分裂後を東ローマとして、完全にギリシャ化以降をビザンツなりビザンチンなりとすればすっきりする

118 :
当時、そこに住んでいた方は単にローマ帝国の意識
近代西欧人の方からするとビザンチン
西欧人の方にはコンプレックスがあるんだと思う
特に中世は

119 :
下痢便

120 :
ローマ帝国であることを認めようとしない
コンプレックスの西欧人の生み出したプロパガンタビザンツという名を
断じて使うべきではない
公用語鮮卑語から漢語になって漢化した北魏も依然と以後でも名前は変わらん

121 :
>>115
ローマが分裂して出来た国なのでそれが正しい
東ローマが正しい
すくなくともビザンツなどというよりはよほど正しい
このスレも次が立つことがあれば名前を正すように

122 :
そもそも栄光のとかいうスレタイが気に入らない
栄光の時代とかどれぐらいあったのか
ニケフォロス2世は敵のアラブ勢力が分裂していたから勝てただけだし
バシレイオス2世はブルガリアの僻地の反乱者にバルカン側を大部分盗られ
鎮圧に30年以上かかっている
しかも外国人傭兵のおかげで勝っているし
はっきり言おう栄光などと値する歴史はない

123 :
地政学的に百年もてばいい場所で、千年「ローマ帝国」と正しい継続性がある帝国が続いたこと
それ自体が「栄光」に思います
時代に合わせて、政治の中身を変える力こそ「ローマ帝国」であり「東ローマ帝国」の凄味でしょう

124 :
>>122
スレタイをどうするかは置いといてだ
仮に外国人傭兵の力で勝ったとして、だから何で評価に値しないの?
あと、30年っていう時間を言うなら、まずその時間が「かかりすぎ」だと断定する根拠を示してくれない?
ブルガリアなんて大した驚異ではなかった、もっと早く鎮圧できたと言える根拠を
ついでにニケフォロス2世の勝利はイスラム側の分裂ももちろん勝因の一つではあるだろうけど、
「分裂していたから」勝てた、なんて言うというのはつまり、分裂してなければ負けていたと?
何を根拠にそんな風に言えるんだか

125 :
東ローマ帝国では皇帝は神の代理としての全世界の主、という意識があったため、
多くの外国人傭兵を従えることは一種の誇りであり富を表すステータスとして歓迎された
あらゆる国・地域の人々を兵として配下とすることは「世界の主たる皇帝」という理念を視覚化できたのだ
したがって「外国人傭兵のおかげだから云々」などという批判は筋違いである

126 :
そういや、ユスティニアヌス1世の時点でフンの亡命貴族が率いる部隊とかいたな

127 :
ムンドゥスのことならゲピダエの王族だったと思うけど

128 :
そもそも東西分裂前のローマ帝国末期には異民族の傭兵なんて大勢いたわけで…。

129 :
傭兵どころか
異民族でも奴隷上がりでもローマ市民

130 :
>>127
あれ、そうなの?
「東ゴート興亡史」にフン出身と紹介されてたからずっとそう思ってたわ

131 :
>>94
メソポタミアもインダスもエジプトも黄河も長江もみな平野起源の文明だろうに

132 :
>>130
調べたのが大分前なんで正確性の保証はできないけど
たしか母方を通してアッティラの血を引いてるから、それでフン族の亡命貴族ということになったのかもしれんね
一応、叔父がテオドリック大王のイタリア遠征時にちょっかい出して撃退されたゲピダエ王トラウスティラだったと思う

133 :
>>132
なるほど、詳しい情報THX
そういやアッティラの孫云々の話もあったな、母方が婚姻政策でゲピダエ王族に嫁いだってわけか

134 :
ローマの名を世界に広めたのはアナトリアの帝国。
これが無ければ"ローマ"などという言葉は歴史の中に残らなかった。
せいぜいアステカかアトランティスくらいの秘密の文明名。
イタリア半島の中部に昔、古代の文明がありました。
今でも遺跡付近に宗教団体が居を構えています。キリスト教の一派だそうです。
と本来このくらいのところであるはずのところを、
世界史に燦然と輝くローマを作り出したのは、
紛うことなくコンスタンチノープルローマ。

135 :
>>120
そうや!東ローマ帝国の首都は旧名ビザンチニウムじゃなくてコンスタンチノープルだっちゅーねん!
ベネチアの野郎、部下だったくせにいちびり腐ってペスト菌バラまきやがって何がラテン王国じゃ
大体、カナン人は根性がひねくれとる。いい加減新名コンスタンチノープルを認めよ!
ビザンチニウムというのはローマの支配に入る前の地名でしょうが!分かっている癖に!
執念深い嫌味カナンはくそハザールと心中しろよ。ウクライナ人ぶっ殺したのも本当はロシア人じゃなくてお前らだろうが

136 :
ニケフォロス2世って「アラブ人の青ざめた死」なんてたいそうな名前ついてるのに
あんまりアラブの領土とれてないんだな
アナトリアの領土は拡大させたけど

137 :
>>136 願望では?
東ローマは周囲のブルガール、ノルマン、トルコ、アラブ、スラブなどの蛮族に
領土を奪われながら奪還できず、侵略され続けているのに内ゲバもひどいな
自分が皇帝になりたい軍人ばかり 
東ローマ 南宋 カルタゴ オランダ 負けに不思議の負けなし

138 :
>>136
あの時代には、封建化が進んでいた訳で
貴族の重層騎兵はイスラム世界の兵士には脅威だったでしょう
イスラム圏も高度な文化と武力を誇っていた時代ですから、お金もかかりますし
現実的軍事行動だったと言えると思います

139 :
ニケフォロス2世の頃まで、イスラームに負けっぱなしという反動もあるかも
実際には、ニケフォロス2世以前からイスラームには勝利し始めてるんだけど
アンティオキアの回復というわかりやすい功績で名声を獲得した、という感じ

140 :
なぜイスラームに負けまくったのな

141 :
ニケフォロスといえば、1世のほうの年代記での書かれっぷりにはわろた
年代記作者 「非道の為政者、その十大悪政を非難する!」
現代の研究者 「いずれも国情をよく観察した上での理に適った政策で、しっかり成果を残した」
・・・ビザンツ官僚ェ('A`)

142 :
皇帝はいつからラテン語しゃべれなくなったのだろうか

143 :
皇帝は神の代理人ってフレーズすき
帝国は神の国の代行者ってフレーズもっとすき
こんなに中二病を擽る国なんだからもっと創作の題材になってもいい

144 :
いくら過去の栄光があっても滅んで500年で後継者もいないからマイナーなのもやむなし。ロシア?知らない子ですね
子孫がイギリスだかにいるんだから、西欧に亡命政府立てておけばマルタ騎士団みたいに現在まで残ってたかもしれんが

145 :
 奈良県橿原(かしはら)市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀後
半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27〜395年)領内で見つかったローマ・ガラス
とほぼ一致した。東京理科大の阿部善也助教(分析化学)らの蛍光X線分析で分かった。国内の古墳
出土品のガラス器がローマ伝来と科学的に裏付けられたのは初めて。
(記事の続きや関連情報はリンク先で)
引用元:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASGCD3C6RGCDPOMB001.html

146 :
ユダヤ人は何回蛮族に攻撃・破壊されてもヘブライ人と呼ばれた頃から一貫してユダヤ人性を感じるのに
ギリシャ人はアカデメイア閉鎖、キリスト教改宗の辺りから既に精彩を欠くようになり
古代ギリシャ科学ですらユダヤ人から教わらないといけなくなったような感じがする
ラテン人なんてラテン風の名前すら消滅したし、今のイタリア人とは断絶がある感

147 :
>>146
個人差も強いとは思いますが、ギリシャ正教徒の右派気味の方は
今もコンスタンチノープルが日本でいう京都の感覚である事に驚いたことが
近代のバルカン戦争でもギリシャ軍がかつての都を目指して惨敗
日本人が思うよりはギリシャ人に東ローマ帝国の臣民の末裔の意識が強いかと

148 :
>>147
まあなんやかんやでみんなまだ正教信者だからな

149 :
>>141
中世のビザンツ官僚は、イスラム社会の力も現実的に把握していた
ラテン圏はからすれば、異教徒は潰せと考える人間が多かったから
その老獪さが、いやだったのでしょう
>>145
海のシルクロードや、商売、文化交流が今考えられている範囲が狭い気がします
もっと、広く捉えなおすべきかと

150 :
ニケフォロス1世は、東ローマ版のヴェスパシアヌス帝だな。
いわゆる財政再建屋で、世間の評判が悪くなろうと国家の基礎体力を滋養するタイプ。
その恩恵で花開いたのが五賢帝時代と、アモリア朝後期〜マケドニア朝前期の東ローマ再興時代。

151 :
>>150
ニケフォロス1世は優秀な文官タイプ
皇帝には、惰性的な人間も、軍人型の人間もいて
適度な新陳代謝が帝国を長続きさせたのだと思う

152 :
パレオロゴス朝の海軍とかマニアックすぎるわw
Byzantine Naval Forces 1261-1461 (Men-at-Arms)
ttp://www.amazon.co.jp/Byzantine-Naval-Forces-1261-1461-Men-at-Arms/dp/1472807286/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1416791274&sr=1-1&keywords=Ottoman

153 :
そのテーマで300ページとか書かれてたらどうしようと思ったけど、48ページで安心したw

154 :
内戦ばかりやって滅んだ国だな

155 :
>>15
皇位が血縁で継承されていない場合が多い(臣民が皇帝を変えたりしている)
そのことが、逆に帝国を長続きさせたのだと思う
>>152
中世のビザンツの重層騎兵もイメージが湧かないけれども、オリエンタルな要素があったのではと外国の本や模型からは感じる

156 :
コンスタン略は飛行機が出来るまでは、
世界の要の都市だったからな。

157 :
そのはるか前から衰退しているけどな。

158 :
1800年代後半までトップクラス
大コケは20世紀から。
今でもwikiでは市域人口なら世界7位だそう。一千万都市

159 :
コンスタンティヌスの建都から数えて1600年の歴史の中で
1300年くらい大帝国の都だった都市なんだから
大帝国の都おして世界最長記録かもしれぬ
長安やローマより長いはず

160 :
全然長い。正直怪物レベル
思いつく都市を挙げても匹敵者は無い
ロンドンパリベルリンモスクワ北京東京N.Y.
ローマカルタゴバグダッドエルサレムカイロ杭州...

161 :
東京は短いが京都千年の歴史
20世紀に首都で無くなったので良い形で残った

162 :
現代まで残ってる最古の都市ダマスカス

163 :
>>162
イェリコ

164 :
そのダマスカスも例のシリア内戦で目茶目茶になり
観光名所のサラディンやバイバルスの墓廟も見学できなくなっている。

165 :
正直ブハラでもサマルカンドでも紀元前都市なんてたくさん残ってる。
京都なんて新米都市レベル。
東京への対抗心で歴史の長さを売りにするが、
東京は東国でも最終開拓都市で、
どの都市でも古代以前。多分京都は新しい方。

166 :
3500年前の城壁を修繕しながらつい最近まで使ってた鄭州市なんてのもある。
黄河の大氾濫で定期的に埋め立てられてるからめぼしいものは残ってないけれども。

167 :
>>166
>つい最近まで使ってた鄭州市
ということは今はもう使ってないのか

168 :
>>167
一応史跡として保存されてるがドタバタしてるみたい。
>>166で言ったのは近年まで市街の境界として機能していた、という意味ね。
20世紀になって市街が拡大して狭い旧城壁が邪魔になったので調査してところ
(これはヨーロッパでもよくあった話)、
基盤部分が3500年前のものと判明した、という経緯。

169 :
日本は奈良が最古だから(現在まで続いている中では)、
なぜか古い都市が全然ない

170 :
縄文の集落から発展したってのはないのかな

171 :
諏訪
3万年前から定住してる

172 :
こういってはなんだが、出雲国造のような明々白々な古代都市は、
ちゃんと数えれば数多あるのだが、
親分の大和が初期に消息不明なため、
その他地域は全て遠慮して前に出れない状態。
二千年レベルは探せばあるだろう。

173 :
日本は木造建築が多いから古い家が残らない
古い都市がないのは当然
でも無かったということではない

174 :
初歩的な誤解をしていた 第四次十字軍は決してギリシャ人=正教徒 ラテン人=カトリックだから異端の首都を攻撃した訳ではなく
皇位継承争いで東ローマの皇子によって招かれた オスマン帝国が東ローマを滅ぼす時にはベネチア傭兵が守備についていた 
ギリシャ人が弱兵の為、西欧人はしばしば傭兵になっていた
カトリックと正教徒の関係自体は、別に対イスラム、ユダヤ、プロテスタントほど悪くなかったのどころか
皇子は東西両教会統一の提案までやっているし、なりゆきいかんで再統一できる雰囲気があるのが同じ一神教でも回猶新と違うな

175 :
フランク族の要求した軍資金を出し渋ったら帝都を占領された。
西の辺境の熊男たちの攘夷思想が疎ましかっただけだ。

176 :
フィレンツェ公会で合同が可決されたけど、使節団が帰った後、本国で神品と民衆の大反対で合同なかったことにされたし、合同が成功する可能性は低かったな

177 :
でで

178 :
>>173
いや、探しても現在まで続いている都市はなかった

179 :
ラテン帝国建国で滅んだのに、二ケア帝国が勝手にローマ帝国僭称したんだよなぁ
二ケア帝国をローマ帝国と認める程度は神聖ローマ帝国をローマ帝国と認める程度と同じに過ぎない

180 :
>>178
諏訪大社とその周辺は駄目か?

181 :
世界最古の都市とかあるあたりは乾燥地帯で都市以外に人が住めないような場所なんだよなあ
だから井戸を掘って灌漑して日差しを防ぐ建物を建てて都市をわざわざ作らなくても豊富に食料が調達できたし日射病で死にもしなかった縄文時代の日本ではどう考えても分が悪い

182 :
>>180
都市なの?

183 :
大都市だぞ

184 :
水はけのいいとこじゃないと住みにくいからな

185 :
このご時世だけどトルコ行くことになった
イスタンブールの有名所は抑えておくとして、これはという所ある?

186 :
夏ならトラブゾンはじめ黒海沿岸をお勧めするが・・・
寒い時期ならエーゲ海側も空いてるだろうから、エフェソスとか廻ればいいんじゃね

187 :
トラブゾン(スメラ僧院、アヤソフィア、博物館)
カイセリ(城壁、博物館)
カッパドキア(キリスト教遺跡)
コンヤ(ビザンツ時代の遺構あったっけ?)
イズニク(アヤソフィア、城壁)
こんなところか
トラブゾンは寒さは内陸部よりもマシみたいだけど、天候が悪いらしいね

188 :
ごみ問題の映画があったよね?

189 :
ありゃ、トラブゾンといってもトラブゾン県の山奥にある処分場の話
観光客が港湾都市トラブゾンの市街地を回ってるかぎりは関係なし

190 :


191 :
テオドルス=ラスカリス

192 :
最後のパレオゴロス朝は悲惨な
衰退振りで記録を見たくないな

193 :
イスタンブールにもハンマームがあるようだけれど、ビザンツ時代から続く施設は無いのかね?

194 :
ビザンツ皇女の降嫁についての質問です

ビザンツ研究者根津由喜夫氏の「二人のピザンツ皇女の運命. 「ジラール・ド・ルシヨン」を読み解く」
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/3854/1/AA11131902-27-nezu.pdf
のp3に、

「西方で復活したローマ皇帝権の継承者とピザンツ宮廷との間で成立した婚姻関係は3例のみ、
しかもビザンツ皇帝の実子が対象となったのはその中の2例にすぎないのである」

と記載があります。この2例の皇女と夫の名前を知っているかた、教えてください。

また、1204年以前のビザンツ帝国において、皇帝の実子である、
いわゆる「緋産室生まれ」の皇女の降嫁は、キエフ大公のウラジーミルに嫁いだ
アンナ以外の皇女(上記2例を含む。オットー二世に嫁いだテオファノは姪との説が
あるので除外)には誰がいたのか、ご存知の方がおられましたら、教えてください。

195 :
ビザンツ皇女なんて野蛮なモンゴル人にまで嫁ぐくらいだからな
娼婦と何が違うのか、教えていただきたい

196 :
チプラスを見てたらこいつらを思い出したんだが
政治家の兄弟とかおらんのかな?

  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)

197 :
ワロタw

198 :
>>196
舌先三寸でバルバロイを手玉に取ってるんだろ。

199 :
アマゾンの「旅に出よう、Kindleと」という広告の背景がアヤソフィアだったけど
あそこでギボンの「ローマ帝国衰亡史」でも読めというのか?

200 :
アヤソフィアとハギアソフィアってどう違うの?

201 :
>>196
チプラスは国民の意向をバックに外債を踏み倒そうとしてるのだから
寧ろブラザースの兄の息子の失敗の逆をやってるように見える
どちらにしても詰みではあるが

202 :
アヤ上智大学

203 :
>>196
おったwww

ツィプラス首相の兄弟、ギオルゴス・ツィプラス外務省国際経済問題担当「合意なければギリシャのみならず国際経済にも害」
http://jp.sputniknews.com/business/20150708/550970.html

204 :
196です
よう見つけてくれた!ありがとう!!!


俺ら極悪非道のチプラスブラザーズ!
今日も金がないからEUにタカってやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)

205 :
>>200
アヤはトルコ語、ハギアは古典ギリシャ語

206 :
ギリシャが国有の港を民営化
東ローマ帝国にとって港は手放す物らしい

207 :
保守
あげ

208 :
今回のギリシャ債務危機ではドイツとの関係ばかり問題視されて、終戦直後みたいな
米英の動きがないのは何故なんだろう ギリシャ・キプロスが経済危機に陥れば
ロシアが間違いなく地中海に出てくる だからそろそろ米英仏が顔を出してきてもいいはずだが
欧米西側にとって冷戦期に比べ著しくギリシャの戦略的価値が下がったのかも知れない
ユーゴ内戦も終結した事だし 冷戦期にギリシャが港売りに出したら米英は気が気じゃないはずよ
未だってロシアの金持ちが買うかも知れんでしょ

209 :
ギリシャ救済案の一つとして三分割はどうだろう ペロポネソスとエーゲ諸島が中露の勢力圏になるのはあきらめる
隣のトルコとクルディスタンに欧米の草が強力な動きをしているので妥協する
その代わりマケドニアは米英仏イスラエルの勢力圏とし、歴史的には古代マケドニアとあまり関係ないけど
古代マケドニアとの連続性をつけたがるスラブ系のマケドニアとくっつける 
首都はユダヤ人が多いテサロニキとする
最後の西トラキアはブルガリアかトルコに引き取ってもらう・・両方とも嫌がるか・・

210 :
ユダヤ人の王国はローマによって完全に滅ぼされた その後ユダヤ人は自前の国家をあえて持たない戦略を長く続けた
これが勝利の秘訣だったのだ イスラエルなんかユダヤ人の為にはならないよ
東ローマ帝国はギリシャ語圏の帝国で変に長続きしたせいでギリシャ人は変革できなかった
っていうか国が滅んだ事を理解して180度思考回路を変えた民族はユダヤしかいない
後の民族は帰属国家がどれだけ落ち目になっても、それにしがみつく事しか考えない
既存の王朝は新手にとって代わられていずれ衰退する 力をなくした皇帝より無冠の帝王になる事を目指すべき

211 :
マスゴミか>無冠の帝王

212 :
ビザンツ帝国の宦官について書かれた英書で
最も参考になる作品は、何という書物でしょうか?

何冊か教えて下さい。

よろしく

213 :
>>212
Wikipediaの英語版で

214 :
>>212
uploadに失敗し失礼しました。
Wikipediaの英語版で「宦官」を検索し、内容を読み、最後のNotes上の
山ほどある引用文献を調べれば良いのでは?あえて英書で推奨本と書いて
あるので探すのは問題はないと思いますが・・・。

215 :
>>194
超亀だが皇帝フィリップ

216 :
リビアはカダフィ政権崩壊後、東部トブルク政府(世俗派・カダフィ派)と
西部トリポリ政府(イスラム派・反カダフィ派)の二大勢力を中心に国が分裂しているが、
この東部と西部の境界が東西ローマ帝国の国境線だったんだよな
今のイラン・イラク国境は大体ローマ帝国とパルティア、東ローマ帝国とササーン朝、
オスマン帝国とサファービー朝の国境付近だわな 中東史には時々時空を超えるものを感じる

217 :
セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの境界も東西ローマ帝国の国境線

218 :
>>201
>>208
経済わからんアホはギリシャ問題はわからんよ。
ギリシャ経済救済の最右翼はフランスだったろ。
当初からフランスが根回ししてドイツとプロレス演じてた
だけだ。じゃなけりゃ25兆円程度しかGDPが無い国が13
兆円もの支援なんか得られるわけない。
ラテン諸国は緊縮財政に反対してたからな。

それよりトルコだ。今のトルコはビザンチン時代の遺産たる
戦略的要衝としての国家の地位に執着しているからクルド人の
台頭を警戒する。
トルコの国力の低下は正教徒にとっては悲願だろうけどなw

219 :
>>109>>65
コンスタンチノープルはその皇帝の権威にキリスト教会の
権威が支えられていた。相互補完的とも言えるけどな。
人口とかどうでもいいんだよ。ローマ教会の権威は政治力で
決定されていたから当然皇帝が居るコンスタンチノープルの
権威が都市としても教会としてもキリスト教世界で最高位。
だからイスラム社会でも後のカトリック世界でもコンスタンチノープルを
支配する価値があった。政治とは政治的な権威で動くものだ。
そして宗教はそれに利用されることが多い。
コンスタンチノープルが征服されてからは正教ではモスクワのクレムリンだな。
>>97
イスラム社会やロシアを通じて現代にも影響を及ぼしている点。
特に法典と宗教と政治地理的特異性。歴史で面白いのその連続性だ。
馬鹿にはなかなかここがわからないけどなww

>>90
ラテン語話していた時代からローマ人はギリシャかぶれだったんだよ。
古代ギリシャ風の象等で残存しているものの殆どは古代ローマ時代の
リメイクだよ。
>>87
イスラム社会でもローマ帝国と呼ばれているしコーランにもそう
出ている。

220 :
>>44
関係ないよw帝国というからには皇帝の権威で決まる。
ローマ皇帝の権威に基づいて成立している帝国なんだから
ビザンチンでも東ローマでもなくローマ帝国としか
言いようが無い。当時は自他共にローマ皇帝と称されていた
わけで誰も東ローマ皇帝だのビザンチン皇帝なんて言っていない。

むしろ古代の方がローマは市民の国で古代以降の方が帝国だろww
共和制ローマの方が時代も長いだろ。
オクタビアヌスがプリンスみたいなふざけたこと抜かしていたのはまだ
ローマの下民に媚びないとならない時代だからだよ。
帝政が定着して以来はそういう傾向は減っていく。形式化形骸化して
行くんだよ。元老院なんてものも単なる皇帝の諮問機関程度になっていくだろ。
むしろ古代の帝政こそ揺り篭期の発展途上の帝政だよ。それが完成するのが2-4世紀だろうな。

だから正しくビザンチンと称されている時代こそ帝政ローマ。
つまりローマ帝国とは古代以上にビザンチンそのままだよ。
エンペラーなんて当初は単なる命令権で個人的な称号だ。
これが明確な政治的な権威と役職にまで発展するのは3世紀前後だろ。

つまり共和制のローマはその限界から前王政の権原により帝政に
発展させたんだよ。その際により求心的な政権を確保するために
キリスト教を利用した。それが完成したのがビザンチン時代の初期だな。
つまり帝権は法典と信仰により完成するんだよ。
古代ローマ法典が共和政時代の判例法や慣習法に近いものが
帝政時代に皇帝の命令と共に法典化されたと言うのはここでは常識でいいな。
それが完成した時代こそ帝政と帝権の時代だ。その恩恵は現在の我々も受けている。

本やサイトを鵜呑みにしないで少しは自分の頭で考えろ。
シーザーからコンスタンチンまでの連続性が見えないアホには
帝権の発展と完成は永遠に見えて来ないよ。
共和制好きなんて如何にも馬鹿面下げた現代的価値観による曲解だなw

221 :
なんだこのキ○ガイ

222 :
保守

223 :
みんな分かってる前提で議論してるのに、一人大上段から大威張りで説教してるのが面白い

224 :
古代ローマ帝国の正統な継承国としては、15世紀中期まで東ローマ帝国(中世ローマ帝国)が存続していた。
当然のことながら、東ローマ帝国側は神聖ローマ帝国が「ローマ帝国」であることを認めず、
その君主がローマ皇帝であることも承認しなかった(二帝問題)。
一方、神聖ローマ帝国側でも、東ローマ皇帝のことをローマ帝国であると認めず、
「コンスタンティノープルの皇帝」「ギリシア人の王」などと呼ぶようになっていた。

225 :
>>224
「継承国」でもなんでもなくローマそのもの
コンスタンティノポリスのローマをローマと認めると
西欧文明はローマの正統後継者ではなく傍流になってしまうから
西欧人が「あんなのローマじゃない」とダダこねてるだけ

226 :
中世の終わりにはイスラム教徒のものになっちまったしな。

227 :
支配層がギリシャ人で国教がキリスト教の国をローマと言っていいのか問題

228 :
>>227
別の国だと言い張るならいつ革命があったのかはっきりしてもらおうじゃないか
コンスタンティヌスの遷都のときか?

229 :
ディオクレティアヌスの遷都の時かな?
帝国本土がイタリアからオリエントに変わった
以後ロマノス4世までオリエントを重視し続けた

230 :
>>229
遷都=革命 なのか?

231 :
アホな質問だなあと思ってたら、それ以上にヒステリックな反応で笑ってしまった

232 :
革命がなければ同じ国というのは革命的な理論だわ
あるいは「革命」の語義の革命的転換か

233 :
だから別の国だというなら前にあった国が滅びてるはずだろ

234 :
ガッリエヌスがクラウディウス・ゴティクスらに暗殺されてからは
バルカン出身者ばかり皇帝になるようになったけど
父ウァレリアヌスが東方担当でガッリエヌスが西方担当だから
既に東が優位で東ローマが始まりつつあった
ウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟では兄が西皇帝で
西が優位とされた例外だった

235 :
支配層ってギリシャ人だっけ?
アルメニア人とかイサウリア人とか色々な連中の寄せ集めだろ

236 :
クラウディウス・ゴティクスからユスティニアヌス朝はバルカン出身者が
軍の主力で軍出身の皇帝の多くもラテン語話者だった
ギリシャ語話者は文官や聖職者として支配層だった

バルカンがスラブ化してからは東ローマ領内からラテン語話者が消滅
アルメニア人やイサウリア人とかアナトリア出身者が軍の主力になり
文官や聖職者だけでなく皇帝らもギリシャ語話者になった

237 :
7世紀頃には公用語がラテン語からギリシャ語に変わり、政治的社会的に従来のローマとは様々な意味で変遷していたのは事実。
ただし、それでも当の本人たちは滅亡間際まで自分たちが「ローマ帝国」であるという建前を崩さなかった。
そういうところこそがビザンツ帝国史の面白いところだと自分は思うんだがな。

238 :
ラテン語を話していたイリュリア人やトラキア人が滅んでしまった

239 :
ササン朝のシャープール1世にウァレリアヌスが敗れたけど
この戦いの敗北で重装歩兵は主役の座を降りたようだね
息子のガッリエヌスは騎兵を主力とする軍の改革をして
その騎兵を率いる将軍らに帝位を奪われてしまった
以後ローマは騎兵出身者に支配され続ける事になる
ウァレリアヌスとガッリエヌス親子はエトルリア出身で
最後のローマ人らしいローマ皇帝だった

240 :
ガッリエヌスの息子サロニヌスを殺したガリア帝ポストゥムスと
ガッリエヌスを殺したクラウディウス・ゴティクスらは同類だな

241 :
ガッ

242 :
もしコンスタンティノス11世が、オスマントルコの降伏勧告を受け入れたら
現代まで東ローマ皇帝が存続しローマ教皇みたいな存在になってたかも

243 :
一方、降伏を受け入れたトレビゾンド皇帝は・・・

244 :
>>242
世界総主教「」

245 :
まあ20世紀までは、オスマントルコの影響下で細々と生きていても
第一次大戦で独立しても都市国家の皇帝程度で
世界平和を訴えるくらいしかないだろうけど

246 :
現代まで残っていたらビザンツ帝国などと呼ばれなかったかもしれん

ところで西欧でビザンツ、ビザンティンという名称が発生したのはいつ頃なんだろう?

247 :
あれだけの好立地で独立を保つことは許されないだろ

248 :
残ってたらコンスタチノープルでじゃなくて
ギリシャのどこかだな

249 :
東ローマ結構強くね?

ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
サラセン人をギリシャ火で撃破
ブルガリア帝国を滅ぼす

250 :
東ローマ結構強くね?

ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
サラセン人をギリシャ火で撃破
ブルガリア帝国を滅ぼす

251 :
東ローマやイスラムが古代ギリシア・ローマの知識を温存できたのに
ゲルマン諸国にはそれが出来なかったのはやはり文化程度が低かったから

252 :
ユスティニアヌスの大出費で帝国財政ガタガタ
以下下り坂
そして第四回十字軍で一旦滅亡
回復後もトルコに圧迫されトドメ

253 :
ラテン帝国の建国の時点でローマ帝国滅亡だと思うんだが
ニケーヤ帝国が取り返したけどここからは自称ローマ帝国でしょ

254 :
首都を奪われたら別の国扱いなんてやり出したら世界史がメチャクチャになるな

255 :
前漢→新(王莽)→後漢
みたいな感じかね

256 :
日本にも外国軍に占領されて主権が停止されてた時期があるけど、その前後で別の国だというのだろうか

257 :
財宝と貿易による経済力を根こそぎ無くしたからなあ
ローマ帝国としては1204年に終わったと解釈することはできる

>>256
別の国だろう
大日本「帝国」ではなくなった
日清戦争前の姿に戻ったってとこか

258 :
ミカエル8世なんてなんの正統性もないのにたまたまコンスタンティノープルを取り戻しただけだからな
王もう倒したのが劉姓でも王族でもなかったって感じ

259 :
それを言ったらローマ帝国の軍人皇帝乱立時代なんか1つの国家と言えない

260 :
もう自称ローマなだけになってたんだな
神聖ローマ帝国と同じ

261 :
王朝が変わってもイギリスはイギリスなんだから
1つの国扱いでいいんじゃないか

262 :
内乱で王朝が変わることと他国に占領されることは全く違う

中国だと宋が金に開封を占領された後も南宋として存続していたが、
盛り返して開封を奪い返したような感じ
まあそうはならなかったのだが

263 :
ラテン帝国の周辺にギリシャ人の国がいくつもできたからな
その中の一つすぎなかったニケーヤ帝国がコンスタンティノープルを奪取しただけ

264 :
プレートアーマーの騎士って弱点なさそうだな
オスマン帝国の兵士たちはあんなのとどうやって戦ったんだろう

265 :
倒したら自分で起き上がれないのが強いとは思えんな
捕らえられても殺されない貴族だから怪我しないこと優先で身を固めてるだけ

266 :
そういや西ローマ帝国崩壊から絶対王政までヨーロッパでは常備軍がないんだよな
(オスマン帝国は除くけど)
戦の時は諸侯の騎士を召集したり、傭兵を雇ったりしていた

267 :
常時労働力を裂くわけにはいかんからな

268 :
常備軍がないのは経済力が無いってことさ
中世ヨーロッパじゃ麦は植えた量の2倍から5倍くらいの収穫量だったし
奴隷くらいしか売り物がなかった

269 :
ローマ帝国も後半はゲルマン傭兵に頼りまくりだけどな

270 :
だから衰退した

271 :
しかし無敵のローマ軍団がウホウホいってロクな武器を持たないバルバロイに蹂躙されたってのは不思議だよな
文明レベル圧倒的に上なんだ軍事技術も圧倒的に上なんじゃないの

272 :
>>269
ガリアとかはローマ支配下に文明化して
勇猛な蛮族だったケルト人やイベリア人が
臆病な農民になってしまった
ローマ領内の蛮族が減ったので
ローマ領外のゲルマン人を傭兵にした

273 :
東ローマの歴史は長いが、ユスティニアヌスの征服活動以降ブルガリア帝国撃破くらいしか見せ場がないな。
数々の外敵に攻められまくってるのによく千年も続いたもんだよと感心するわ。

274 :
>>273
アルメニアやアンティオキアは無かったことに

275 :
続く価値のない国だったな
文化的に停滞していた

276 :
The Fall of Constantinople
https://www.youtube.com/watch?v=jQ37zhk9i3o

277 :
寛大な降伏勧告はねつけて被害甚大で国家終了って日本みたいだな

278 :
東ローマの美少年はオスマン兵の餌食になったようだ
まさにケツマン帝国

279 :
古代マケドニアと今のマケドニア共和国は完全に別物
羊頭狗肉もいいところだわ

ローマ人とダキア人の混血の末裔であるルーマニア人は認めてもいいけど

280 :
首都スコピエにでかいアレクサンドロス大王像があるけど、今のマケドニア共和国領に滞在したことあんのかな
大征服前の領土においても只の北西部辺境だから、あまり用はないよね

281 :
>>279
そそ、国名が同じなだけ、、
マザーテレサとアレクサンドロスが同じ民族だとは思えない

282 :
産地偽装のいいとこだな

283 :
「マケドニア」は民族名でも国名でもなく地名だと思えばええ
マケドニアという場所にあるからマケドニア共和国

284 :
そのわりにはヴェルギナの太陽を国旗に採用しようと試みたり、偽装する気マンマンなわけで
王都ペラをはじめマケドニア王国の中心は現ギリシャ領にあったわけだし連続性も間違いなくギリシャのほうが上
いくらギリシャ人にとってマケドニアはサブ・アイデンティティに過ぎないとはいえ、そら怒りますわ

285 :
ローマどころかイタリア半島にすら関わりなくなったビザンツがローマ帝国
名乗ってたのも偽装だな

286 :
モンゴルなんか全く領有してないムガールは

287 :
それは東晋とか南宋みたいなもん。大領土を獲得したうえで元々の根拠地を失ったということ。
長く続きすぎたから、いちおう主流かそれに準ずるものが順に継承していったものの源流からはかけ離れた姿になった。

288 :
ムガールは他称だし

289 :
中華民国

290 :
>>284
それこそが問題なんじゃないの?もう、建国当時から大問題になってたよね。
ギリシャ(今のギリシャ共和国)からみると、
国名どころか、アレクサンドロスという民族の英雄を剽窃する行為に見える。
そりゃ、今の正教徒のギリシャ人が、古代ギリシャ人の直系とは言い難いかもしれないが、
少なくとも言語は承継している。
でも今の「マケドニア共和国民」は、言語すらただのスラブ人であって、
アレクサンドロスとはいくらなんでも完全無関係だろ、という話。

マケドニアは、独立当初は「そんなこといったって、他に名称がないんだもん」
と言っていたように思うが、いつのまにか
アレクサンドロス大王を勝手に民族の英雄として持ち上げるようになった。
ギリシャの懸念は的中したわけだ。
+あたりだと、ギリシャを玄界灘の向こうの某国に例える論調が多いが、
それをいうならマケドニアだよなw

291 :
神武天皇を韓国の英雄とするようなものか

292 :
マケドニア共和国はたしかに民族的にみて西ブルガリアにすぎないが、実は笑い話以上のものを含んでいる。
かつての王都ペラの周辺一帯(現テッサロニキの近場)ですら必ずしも近代ギリシャ国家のものになると限ったわけではなかったからね。
港町テッサロニキを除いては、長い歴史の中でスラブ系が定住してしまっていてオスマン衰亡後どこに帰属するかは微妙な情勢だった。
二度のバルカン戦争を経てブルガリアがマケドニア地域の大半から手を引き、セルビアが現マケドニア共和国領を、ギリシャが残りを得た。
ただ大ブルガリア主義はずっとくすぶり続け、内部マケドニア革命組織などに見られるように歴史の節目で姿を現してくる。
ギリシャが真に警戒するのはマケドニア共和国が大ブルガリア主義に走ることで、ギリシャ領への野心がないことを憲法に明記させるなどしている。

293 :
>>285
ロシアみたいに正統が断絶したあと勝手に自称ならともかく、ビザンツは正式に継承・移転してるんだから全然別物

294 :
>>292
でもさ、テッサロニキ周辺どころか、
エブロス河谷(フィリッポポリス周辺の盆地)がスラブ化したのって、何時なんだろうねえ。
ブルガリア公定史観は、第一次帝国の6世紀からずっとスラブ人が住んでると主張するけど、
これは眉唾だよな。正直、第二次帝国初期の頃でもまだ怪しいと思う。
第二次帝国が南方を征服していく際、ギリシャ人を追い出していったんじゃなかろうか。

295 :
>>294
つまりこの状態で、いつまで耐えたかってこと?
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/Balkans650.jpg/800px-Balkans650.jpg
言われるまで沿岸部ばかりに気をとられてたけど、フィリッポポリスみたいな内陸部でも粘ってたんだな
スラブ定着の件は、ニケフォロス1世のスクラヴィニア再征服が途中で入ってくるのもあって判定が難しいね

296 :
東ローマ結構強くね?

ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
イスラム海軍をギリシャ火で丸焼き
キエフ大公国の侵攻を重装騎兵と艦隊で撃退
ブルガリア帝国を滅ぼす

297 :
コンスタンティヌス1世に始まりコンスタンティノス11世で終わった

298 :
同じ名前の皇帝が多いとそういう偶然は起こる

299 :
https://www.amazon.co.jp/dp/B012BST4TG/

これって見る価値ある?

300 :
>>299
表面的な仕上がり、ビジュアル系の番組だね
アクトビラのほうでみたけど。

301 :
東ローマ帝国はカールの戴冠も神聖ローマ帝国も認めていないんだよな
一応本家なんだし当然だが

302 :
オドアケルがゼノンに帝位を返上してるからゼノン以後は東西分裂状態は解消されてる
つまりそれ以後の西ローマと称するものはカールもハプスブルクも自称ローマ皇帝でしかない

303 :
ラテン帝国後は東ローマも自称

304 :
双頭の鷲の国章
ロシアは、いまも東ローマ帝国の後継

305 :
自称ね

306 :
西欧 ゲルマン人の侵入で土人化
北欧 ノルマン人の根拠地で元から土人
中欧 アヴァールやマジャールなどの騎馬民族が割拠
南欧 サラセン海賊が略奪・人攫いしまくり

うーん、ビザンツ帝国以外は悲惨過ぎる…

307 :
バルカン ギリシャ土人がローマを僭称

308 :
初心者ですみません
よく言われるローマ帝国の東西分裂と言ってもそれまでによくあった分割統治なわけで、ただそれ以降統一されることがなかっただけの話って聞いたんだけど本当なの?

309 :
>>308
そうですよ。
皇帝の息子たちで分割統治なんてほかの皇帝もやってた。
例えばコンスタンティヌス帝は三人の子供にそれぞれ領地を与えてた。
副帝のユリアヌスにひっくり返されたけど。

310 :
>>308
再統一も何も、帝国本店がイスタンブールに移り、
支店だったローマが窓際になり、リストラで部署廃止みたいな流れ。

311 :
19Cの神聖ローマ帝国廃止まで存続したんだが

312 :
>>311
カールの帝国も神聖ローマ帝国も自称
血統は必要条件ではないからまあいいとしても
元老院が存在しないのにローマ皇帝もあったもんじゃない

313 :
>>308
軍人皇帝時代のウァレリアヌスから東が中心になりだした
父ウァレリアヌスがオリエント担当で息子ガッリエヌスがドナウ担当
孫サロニヌスがライン担当で帝国三分割統治だった
ウァレリアヌスがペルシャの捕虜になるとサロニヌスはガリア人に殺され
ガッリエヌスもイリュリア人に殺された
この一家はエトルリア出身で最後のローマ人らしいローマ皇帝であった

314 :
>>309
コンスタンティヌス1世はクリスプスの死後ディオクレティアヌスのように
配下の将軍らに帝国を分配しようとせず残された3人の息子だけを後継者にした
同じ母から産まれた兄弟ならば共存し続けるだろうと期待したのだろうけど
息子達は殺し合い結局コンスタンティヌス朝は断絶してしまった
コンスタンティヌス1世以降は再統一しては再分割を繰り返す事になったけど
一人で帝国全土を統治し続ける事はウァレリアヌス帝以来不可能になっており
再統一の為の戦闘で兵を失う事を繰り返して軍が消耗しただけだった

315 :
東もかなり早い段階で元老院や民衆の歓呼なんかお飾りなんで別に必須とも
結局ローマの正当性って前任者から称号と首都を含む領土を引き継いだってことにつきるから、本来何の権限も無い教皇の任命して以降の西の皇帝より、
何かやたら正当性を攻撃してる奴がいる首都奪還後の東の方が空位期間があっただけで先例は実力主義なんだからよっぽど正当なローマ

316 :
>>310
そもそもローマ帝国は東西に分裂していなかった
西の皇帝は多くが東の皇帝の臣下にすぎなかったよね
例外的なのは自ら即位したマクセンティウスとコンスタンティヌス1世らで
東に対して西が敵対しておりコンスタンティヌス1世が東を滅ぼして再統一した
次にウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟皇帝では
兄が西の皇帝なので東の皇帝が西の皇帝の臣下だった
最後に西の将軍アルボガステスが東のテオドシウス1世に反抗したけど
敗北したので西は東から自立出来なかった
もしアルボガステスが勝利したのならばローマ帝国は本当に東西分裂したはず

317 :
いくら息子同士が仲良くても担いでる連中の派閥が違えば対立せざる得ないだろう
アルカディウスとホノリウスも担いでる連中がバルカン北部を巡って争った
フランク族出身のアルボガステスの敗死後にテオドシウス1世に後任に任ぜられた
ヴァンダル族出身のスティリコは西の現地人をあてに出来ないので古巣の兵で
西ローマの戦力を強化しようと東ローマからバルカン北部を奪おうとした

318 :
みんなありがとう
詳しいね
勉強になります

319 :
>>315
お飾りでもやることに意味があったのでは

320 :
どうやら『西洋古典学事典』(京都大学出版)を見ながら
書き込んだようだね。

321 :
東ローマ帝国の版図の変遷
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b2/Byzantine_Empire_animated2.gif

322 :
よく暗黒の中世と言われるけど
あれはあくまで西ヨーロッパにおいてであって
ビザンツ帝国ではギリシャ・ローマ時代のクオリティで
学問・建築・美術が維持されていたのだろうか

323 :
少なくとも美術の分野は衰退したな
イコノクラスム前後でイコンの質落ちすぎ

324 :
>>322
西と違って壊滅はしてないが
東だって全盛期と比べて色々と劣化してる

325 :
ヘラクレイオスのあとからニケフォロス1世が始まる迄くらいだな、暗黒時代
ユスティニアヌス1世に起因する混沌という見方にまで拡張することもできる

326 :
そしてロマノス一世くらいの時から技術の面でも西欧に抜かれていった

327 :
暗黒時代といえば東にも歴史がほとんど記録されてない暗黒時代があるんだな
ユスティニアヌスの大帝国が瓦解してイスラムが勃興してエジプト、シリアあたりを奪われて
コンスタンティノポリスまで圧迫されるようになって
そのあと二百年ほどローマの内情がどうなってるか史料が無くて全く不明

328 :
>>304
プーチン、皇帝即位はよ

329 :
>>304
ただの僭称だから
ローマ皇帝がモスクワに行ったわけでの譲ったわけでもない

330 :
ペテルブルクならまだしもモスクワの田吾作がローマ皇帝って

331 :
>>304
君府陥落後、ビザンツラストエンペラーの姪っ子ソフィヤはロシアへ落ち、イワン3世と再婚した
これなら正統後継国家名乗る資格を有するんじゃまいか!?

332 :
いくら田吾作土人でも皇帝の姪と結婚できたら名乗る絶好機

333 :
姪の夫なんて普通皇位名乗る身分じゃないだろ

334 :
栃木土人の足利尊氏や群馬土人の新田義貞でも栄光の源氏の正統後継者名乗ったようなもんだな

335 :
ロマノフ王朝ならまだしも、ソビエトや、今のロシアは東ローマと関係ないだろ、王族いないし

336 :
ソ連で断絶しちゃったからな プーチン王朝開始するとかせんとw

337 :
プーチンも本当はツァーリ名乗りたいんだろうな

338 :
>>335
ロマノフ家ですら足利や新田と比べるのもアレなくらい無理矢理な繋がりだからな
ロシア人は自分達で皇帝を虐殺したんだから未練がましく双頭の鷲なんて使わなきゃいいのに
国歌はソ連の替え歌で国章は双頭の鷲だなんて不思議な話だ

339 :
八幡太郎義家の男系子孫なんだから、河内源氏であることに疑いの余地はない
宗家が消滅した後、残るうちで一番の有力御家人という立場を有していた足利が後継者として名乗りをあげたのはおかしくない
問題は河内源氏自体の価値が尊氏の時点でだいぶ低減していたことで、あそこで盛り返せてなかったら後世は源氏もくそもない

340 :
信長だって平信長、家康だって源家康と名乗ろうと思えばできたかも
武田信玄は確実に源晴信と名乗ることは可能
なんたって頼朝を援けた強豪甲斐源氏・武田信義直系だからね

341 :
>>340
実際名乗っている
源朝臣武田大膳大夫晴信が正式

342 :
でも、欧州最大のメガロポリス・モスクワの偉容といい、あの広大な"版図"といい
東ローマの後継候補ってロシアでいい、ロシア以外見当たらない気も駿河

343 :
東ローマの後継国家なんて無いよ
ロシアはどちらかといとモンゴル帝国の後継国家だろ

344 :
正教を国教とした帝国だから

345 :
ロシア・・・東ローマの正統後継国家かつ欽察(金帳)汗国の正統後継国家

346 :
どっちかっていえばロシア帝国だろう、だって完全に「東ローマ(トルコとの運命感がっつり)の双頭の鷲国章」って揃えてる。
しかもたしか妃かなんか亡命しなかったっけ、伊スタンブルに替わる時にさ、キリル文字(グレ後る文字発祥地ギリシャ地域)もその時に正教会と一緒に兄弟かなんかが伝統を継承したのではないか。

347 :
中学生か

348 :
だからコンスタンティノス11世の姪だってばよ
その程度なら、オスマンは第2代の時点でヨハネス6世の娘を娶っとるわ

349 :
うんこブリブリ

350 :
・オスマン朝の後代の王はヨハネス6世の娘の血は引いていない
・リューリク朝の後代の王はコンスタンティノス11世の姪の血は引いている

でもコンスタンティノス11世の姪はローマで育って多分カトリックに改宗したとある
また、イタリアから先進文化を持ち込んだ(とwikipediaに書いてある)

351 :
後世の東ローマを象徴する言葉として「パンとサーカスの化石」というのがある。
「サーカス」の方は最初民衆の娯楽だった戦車レースを儀式として再現したことらしいが、
パンを配ることも儀式として行っていたんだろうか?

352 :
>>346
後半デタラメすぎて池沼っぽくなってるぞ

353 :
>>345
欽察汗国
金帳汗国
キプチャク・ハン(カン・汗)国
ジュチ(ジョチ)・ウルス
ゴールデン・ホールド
アルタン・オルド
ゾロタヤ・アルダ

どれが一番妥当なんだよ?w
試験に出たらどれ書いても正解なのかな?

354 :
>>350
リューリク朝のほうもどのみち後続三代、曾孫で断絶やろうが

355 :
そもそも東ローマの皇女ってどれくらい周辺国に嫁いでるの?
ミカエル8世あたりは姉妹や娘を使って方々と政略結婚させたはずだけど、全体像がよく分からん

356 :
ミカエル8世は血迷ってバリバリ蒙古のイルハン朝にまで娘嫁がせてるからな

東ローマの皇女の価値なんて、所詮その程度

357 :
ミカエル8世なんて運良くコンスタンティノープルを奪取できただけだからなぁ
血統的にはその辺の人代わらんし

358 :
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
その男は弟のほうの孫娘から生まれた高貴な血筋だからな
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)

359 :
ウィキペのヘラクレイオスの記事にササン朝に勝利したあと
「ソグディアナを支配下に収めて」と書いてあるけど、これは本当なんでしょうか?

ビザンツ帝国が一時的にでもソグディアナを支配下に収めていたのなら、そういう地図があっても
よさそうですが、あるのでしょうか?

360 :
どっかの地名と書き間違えてんじゃね?
その時期はソグディアナの大部分を西突厥が支配下においてるから、仮に意図した記述だとすればそのへん絡み。
ただ東ローマと西突厥は同盟してササン朝を攻撃したんであって、西突厥が東ローマの支配下にあったとは言い難い。

361 :
ノブゴロド対スウェーデンも、
セルビア対クロアチアも東西ローマ分裂が原因

362 :
初心者なんですが
神聖ローマ帝国がなんちゃってローマ帝国で
ビザンツ帝国が本家ローマ帝国ということですが

似非ローマのゲルマン蛮族にとってキリスト教が唯一のローマ的な存在なので
あんなにキリスト教の権威が強いんですか?

またローマカトリックの聖職者はゲルマン社会の中に入っててもローマ人が多かったのですか?
ラテン語でミサをやってたのも聖書を現地語に訳すのを禁じてたのもローマ人の「知の独占」で
「下賤な蛮族信者は高貴なローマ人の言うことを聞いとけばいいんだ。聖書を直接知る必要はない」という意図・意識だったからですか?

363 :
北ではスウェーデンとノブゴロドが対立していたが
南でも東西協会が対立してたら面白かったのに
リビアを東西に分けるとか

364 :
>>327
まさかと思うが東ローマも一時断絶とかしてないだろうな

365 :
>>364
歴史空白時代も皇帝の名前程度は分かってるからそれは無いと思うが

366 :
https://youtu.be/85-XncAUZXc

367 :
グラディウスやスパタから中世の剣に進化したのっていつ頃?

368 :
ローマ帝国の繁栄の曲線はトラヤヌス・ハドリアヌス期がピークで
それ以降はゆっくり下降して衰退開始
それでも二世紀中はまだまだ「最盛期」の範疇だったけど
三世紀から本格的にごまかしが利かなくなっていく

369 :
チート無双状態が200年も続いただけでも上出来だわ
アウグストゥスが即位してから東西分裂までの400年間もあれだけ広大な領土を維持できただけでもすごい

東ローマ帝国もユスティニアヌスの死後はどんどん領土を削り取られていくけど
バシレイオスによる中興もあったし、一度滅亡してもまた復活したりで、なんだかんだで1000年も続いたのはすごい

370 :
トルコ・スペイン・ポルトガル

フランス・イギリス

イギリス・ロシア・ドイツ

アメリカ・ソ連・ドイツ・日本

アメリカ・ソ連

アメリカ

アメリカの覇権が続くのか、それとも・・・

371 :
ビザンツが滅んですぐ北東でロシアが勃興したんだよね
ロシアに継承されたと思いたい

372 :
Rise and fall of Byzantine Empire Simulation
https://www.youtube.com/watch?v=f6WYSHy-jyg

373 :
>>370
トルコ・スペイン・ポルトガル

フランス・イギリス

イギリス・ロシア・ドイツ

アメリカ・ソ連・ドイツ・日本

アメリカ・ソ連

アメリカ

イスラム共同体

374 :
>>371
ルーシもモスクワ大公国も東ローマ滅亡の前からあるのでは

375 :
古本店でUbooks「ビザンツ皇妃列伝」てのを見つけて買ってきた。
8人にほとんどなじみが無いのと行動内容がネガティブなのとで
最後まで読む気が失せかけ・・・

376 :
コンスタンチノープル陥落前のロシア・・・田舎のスラヴ土人国
陥落後姪っ子落ち延び後のロシア・・・東ローマの正統?後継国

377 :
その姪が皇位第一位継承者だったらそうだな

378 :
>>356
そうかな?東ローマにおいて東方遊牧王国って愛憎の感情は抜きにして外交上わりと尊重されてたと思う
キエフ・ルーシが調子こいたとき、お前らはハザールのカガンやイスラムのカリフじゃないって諭した話があった
バルカンのスラブ系王朝や西欧のフランク勢と比べても、伝統的に悪くない位置づけがなされてきた感じだよ
モンゴルはそれら地域の覇者になってるわけだから、嫁がせるのにさほど抵抗がない相手だったんじゃないかな
逆にモンゴルから見れば、周辺弱小勢力にすぎないけど伝統国らしいから縁戚結んでやるかといった程度だろうね

379 :
ローマとカルタゴ
ビザンツとササン朝
武田信玄と上杉謙信
宮本武蔵と佐々木小次郎
早稲田と慶應義塾
ヒトラーとスターリン
日本航空と全日空
ドラクエとFF
アムロとシャア
イチローと松井秀喜
小倉唯と水瀬いのり

380 :
ササン朝とバトルアンドバトル
終わりなき戦い
ユスティニアヌスが西ローマの旧領を大征服するが
その後がランゴバルド、アヴァール、イスラムに領土を取られまくって
停滞の時代が続き、しばらくするとようやく安定して
バシレイオスの活躍で再び大国になるが、その後は暗君が続き
トルコ人にアナトリアを奪われる
更に十字軍によって一回滅ぼされる
なんとか復活するが、ふるわずオスマン帝国に滅ぼされる

色々あったけどよく1000年も続いたもんだよ

381 :
アメリカとソ連
東大と京大
三木谷とホリエモン

382 :
sage

383 :
>>107
東ローマ皇帝でパルティア王族の末裔がいるよね

384 :
場所的に不思議でもない希ガス

385 :
マケドニア朝初代がアルサケス朝の子孫ということになってたんだっけ。

386 :
箔付けのために自分たちで流した噂だろあれ
アルメニア系農民が600年以上も前に滅んだパルティア王族の末裔だとか嘘くささしか感じねぇ

387 :
確かアルメニアのアルサケス家はパルティア滅亡後も存続してたはず
そういえば王朝の起源ならパレオロゴス家はコンスタンティヌス大帝時代にイタリアから新都に入植してきた人の末裔を称していたらしい
こっちは可能性的にどうなんだろ

388 :
そっちは普通にありえるんじゃないの
詐称にしちゃ地味な内容だし、代々コンスタンティノポリスにいましたって話なわけだからその事実がなければ怪しまれそうだし

389 :
イタリアと周囲の島のビザンツ領っていつごろまで存在したんだ?

390 :
>>383
ラストエンペラーの姪ともにロシアに落ち延びたビザンツ貴族は多くなかったの?

391 :
>>389
ノルRンクエストまでかな?

392 :
君府陥落

393 :
皇帝の姪にどんだけ権威あんだよw
みんなイタリアに逃げたわwwww

394 :
安徳天皇の権威を擁していた平家の落人は壇ノ浦陥落以降、どこに逃げたのか・・

395 :
イスラムの興隆はビザンツ帝国とササン朝の抗争という絶妙なタイミングも大きい
これが全盛期のローマなら返り討ちにされ、ムハンマドが磔刑にされ第二のキリストになっていただろう

396 :
ビザンツ帝国では、ギリシア・ポリスの歴史は「無神論と恥ずべき政体(=民主政)の証明」
であって、叙述に値しないと考えられていたが、中世の西欧で共和政ローマが
どう評価されていたのか気になるな。

やっぱりビザンツと同じようにトロイアから逃れてきたアエネアス、ロムルスとレムスの
建国神話、王制時代の歴代の王の後はカエサル、アウグストゥス以下の帝政に
移って、ローマの共和政時代にはほとんど関心がなかったんだろうか。

397 :
>>394
平家と南宋とビザンツの最期ってなんでかくも似ているのか!

398 :
>>387
まさかイタリアへ移住した後に言い出したんじゃあるまいな

399 :
>>398
そっちかい!それなら詐称も十分考えられるな
Evaluation: Good!

400 :
西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパはカトリックの力が強くて、
全てbノおいて宗教が覧D先され、科学bヘ神の教えを冒涛タしていると
糾弾されて破壊され顧みられなくなり、
折角ギリシア・ローマと繋がった科学と医学は、著しく後退してしまった。
それが再び注目を集めたのが、聖地奪回を目論んで始めた十字軍遠征。、
ここで科学とは縁遠い信仰一辺倒の生活をしていたヨーロッパのド田舎の騎士や従者は
進んだビザンツ・イスラームの文化に目を奪われた。彼等は
ビザンツ・イスラームが保存していた古代ギリシア・ローマの文物に触れて新しいインスピレーションを得ることになる。
それがルネサンスの始まりで文芸復興と訳される由縁。
産み出したのではなくてヨーロッパはビザンツとの接触やイスラームとの戦争により再発見したということ。

401 :
西ローマ帝国崩壊後の北斗の拳っぷり
ゲルマン人の侵入で都市・経済秩序・流通網が破壊されまくった上に
ローマカトリックによる科学軽視で文明もどんどん衰退

日本に大量の中国人・ムスリム・アフリカ人が押し寄せて国内が滅茶苦茶にされ
カルト宗教団体が天下を取った場合を想像してもらえば分かりやすいと思う

402 :
教会「ケルト神話?北欧神話?スラブ神話?邪教は禁止です」

教会「ギリシャ・ローマ神話?まあ、いいんじゃないの」

なぜ容認されてるんだろうね

1月 January ローマ神話で"物事の始まりと終わり"をつかさどる神ヤヌス(Janus)
2月 February 古代イタリアの清めの神Februus
3月 March ローマ神話の軍神マルス(Mars)
4月 April  ギリシア神話の女神アフロディテ(Aphrodite)
5月 May  ローマ神話の豊穣の女神マイアス(Maius)
6月 June  古代ローマの結婚や出産の女神ジュノー(Juno)
7月 July  カエサル(Julius Caesar)
8月 August 初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)
9月 September ラテン語でseptem「7番目の月」の意味(3月を初月として)
10月 October  ラテン語でocto「8番目の月」の意味(3月を初月として)
11月 November   ラテン語でnovem「9番目の月」の意味(3月を初月として)
12月 December  ラテン語でdecem「10番目の月」の意味(3月を初月として)

403 :
>>402
Tuesday、Wednesday、Thursday「俺らは!?」

404 :
すまんFridayが抜けてた
にしてもなんで今日はローマ神が由来なんだ?

405 :
>>379
なんでアテネとスパルタがはいっとらんのじゃ

406 :
テーベはいつからテーバイになったんだよw
俺が学生の頃は、テーバイなんて誰も言ってなかったど

407 :
>>402
キリスト教教会もローマ神道を受け継いでるという考えなんだろうか?

408 :
>>406
テーバイが古典ラテン語読みで
テーベが中世ラテン語読み

409 :
>>401
アッティラはウイグル獄長?それとも牙一族族長?w

410 :
ササン朝ペルシアと東ローマ帝国の長年にわたる抗争で、
シルクロードは通行不能になり、交易路はアラビア半島に迂回された。
このことがイスラム教の成立に大きく影響している。
つまり、アラビア半島のメッカやメディナは貿易の中継都市として大いに繁栄した。
この地にムハンマド(マホメット)が登場し、
神の啓示を受けて唯一神アッラーへの絶対帰依(イスラム)を提唱した。

411 :
>>401
頼れるのがローマ教会しかなかったってことだろ
アッティラのローマ侵略を回避したのもローマ教皇だし

412 :
ゼノンが中央アジア系でテオドシウスはスペイン人なんだっけ?

多民族国家は知ってたが皇帝にまでなれるとは

413 :
イサウリアは小アジア

414 :
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

415 :
実は東ローマはボロボロになりながらもイスラムの西欧侵入を
食い止める防壁の役割を果たしていた。

東ローマがもっと早く滅んだイフの世界では、
西欧がスペインどころか、フランス、ドイツまでイスラム化してしまう確率がかなり高くなりそう。
そして千年帝国を滅ぼしたオスマン帝国は、その後、20世紀まで続いた

激戦区の中近東で、これもまた驚異

416 :
そしてそれは今現実のものとなってきている

417 :
>>415
首都がアレキサンドリアかアンティオキアだったらもっと早く滅んでいただろうな
自称ローマ帝国だからローマに亡命政府を作る可能性もありだが
正教だからカトリックのローマと対立していると単純に考えてはいけない
ベネチアがコンスタンティノープルを占領したのはあくまで
東ローマ皇帝が約束した金を払わなかったからで宗教的理由ではないから

フランスは自分が頑張ったからイスラムを防いだのであり、東ローマは関係ないのでR
何故かオスマンは北アフリカで最強国のモロッコだけは征服出来なかった
しかし、オスマンが早々とバルカンを占領すると、内ゲバばかりしているドイツはヤバいな
先手を打ってデーン人とノルマン人が無能帝国神聖ドイツを占領しないと確かにイスラムに征服されそうだ

418 :
なお日本はビザンツをボコったオスマンに対して不平等条約を結ぼうとした模様www
大日本帝国>オスマン帝国>ビザンツ帝国でいいよな?

419 :
>>415
同じゲルマン人のフランク族だからドイツを征服キリスト教化出来た
南国育ちのアラブ人には寒さに耐えてドイツ征服とか無理だろう
ドイツが文明化しないとそれに対抗してスラブ人らも文明化しないだろうから
モンゴル軍とかが攻めて来たらフン族の時と同様に民族大移動となって
ゲルマン人やスラブ人が移住してきて地中海沿岸のイスラム諸国は滅亡しそう

420 :
1453年の後、キエフかモスクワに落ち延びることはできなかったのか
1185年の平家、1279年の南宋の末路にそっくりだな

421 :
>>418
同時代かどうかを無視、結ぼうとした条約含めればそうかもね。
でもそのルールなら

その大日本帝国に不平等条約を押し付けたフランス、フランスを破ったスペイン、
スペインを破ったオスマン帝国となるね

オスマン帝国>スペイン>フランス>大日本帝国>オスマン帝国>ビザンツ帝国

422 :
>>420
当時のロシアなんぞ殆ど蛮族扱いだろ
実際パレオロゴス家の生き残りはイタリアに逃げてる

423 :
だれも再興しなかったってとこなのか

424 :
再興の手段なんてないだろ

425 :
再興しようにも

俺ら極悪非道のパレオロゴスブラザーズ!
もう帝都は陥落したのに専制公位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)

だったし…

426 :
でもコンスタンティノス11世は降伏せずに戦ったんだよな
僅かながらヴェネチア軍も参加してるし
絶望的ながらも曲げられない信念があったんだろう

427 :
マルタ騎士団みたいな亡命政府が出来てたらオスマン滅亡のどさくさで復興の可能性があったかもしれんが、コンスタンティノープルはトルコ化してたし、ギリシャ民族主義とも実は相性悪いから列強の保護がなくなった瞬間すぐに滅亡しそう

428 :
コンスタンティノス11世は、退かぬ媚びぬ省みぬで、玉砕を選ぶタイプだったんだろうか

429 :
降伏すれば1領主としての地位は保証してたんだったけ?
遊牧国家は平伏すれば結構寛容よな

430 :
>>429
トレビゾンド帝国は降伏したものの・・・

431 :
>>429
オスマン側がモレアスの領有を認めるといっても
帰った所で>>425な訳で、コンスタンティノス11世自身は
行く所が無いと考えてたんじゃないかな

432 :
>>420
教会合同で皇帝がカトリックに改宗したからモスクワに見捨てられたのでは

433 :
そのころから、モスカウの権威ってすごかったのか

434 :
すごくわないだろ

435 :
そりゃ こんな音楽を鳴らして攻め込んで来たんじゃ
東欧、中欧人どころかロシア人でさえも裸足で逃げ出すわw

https://www.you.tube.com/watch?v=KZVtkm-sW_w
https://www.you.tube.com/watch?v=kWrhSYxj8PY
https://www.you.tube.com/watch?v=nkuXZezwoUE

436 :
よく出てくる駅遁長官って具体的にどんな役職なん?

437 :
ゲド戦記のイメージにぴったりだな

438 :
結局誰でも皇帝になれるところが国を弱体化させたな

439 :
旅客機事故のついでに注目を集めるか?
トレビゾンド帝国

440 :
もう、東ローマ帝国マケドニアを名乗ってしまえば良いよな気もするな
ギリシャもブルガリアもルーマニアも激おこだけど


古代マケドニア(ギリシャ人格国家)が北西部の現マケドニア共和国地域を支配

その後ローマが侵攻、まとめてマケドニア属州として支配

ビザンツ→オスマンと支配者が代わってもそのまままとめてマケドニアと呼ばれ続ける

その間スラブ系民族(現マケドニア人の祖)が流入
スラブ人が支配的民族になる

ブルガリア&ギリシャ独立
オスマン支配のマケドニア地域に住むスラブ系民族の中にマケドニア人という民族意識が生まれる

第一次、第二次の2つのバルカン戦争を経てマケドニア地域はオスマン支配から離れ
ギリシャ、ブルガリア、セルビア(ユーゴ)に分割される

ユーゴ崩壊後ユーゴ内のマケドニアはスラブ系国家マケドニア共和国となる

ギリシャ人国家マケドニア王国の発祥地を持つギリシャ切れる
(ブルガリアも切れる)

https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/01/19/20180119k0000e030218000p/9.jpg

441 :
>>351
そもそも「パンとサーカス」自体、ユウェナリスっていう(当時の)社会や権力者や若者に憤ってた爺さんのボヤきな訳で

442 :
>>440
現マケドニア共和国地域 = ペラゴニア&パイオニア&ダルダニア

443 :
負けドニアは負け組だ

444 :
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

ANCSZ

445 :
アレクサンドロス大王の英雄譚も良いけど
個人的には十字軍の方がワクワク感が半端ない
異教徒ぶっ倒して聖地奪還とかこれ以上のロマンはないわ
聖十字架を発見した騎士たちの感動も一入だったろう

446 :
第一回十字軍なんて不利な状況の中よく戦ったもんだ
ローマ皇帝は全く手助けしないし
もし皇帝が強力なバックアップしてれば以降の十字軍との関係も変わったものになってたろうな

447 :
初歩的な質問で申し訳ありませんが、コンスタンティノスとコンスタンティウスの呼称の違いってどう意味があるんでしょうか?
あとコンスタンティノス11世ドラガゼスなど
〇〇何世の後につく名前はどういう意味ですか?

448 :
>>447
にわかだが、わかる範囲で。

コンスタンティノスとコンスタンティ「ウ」スは違う名前。(スペルのnの有無に注意)
でも、呼称の違いと書いてあるので、本当に聞きたいのは
コンスタンティ「ヌ」スとコンスタンティノスの違い、では?
それならローマ帝国(東)の公用語がラテン語からギリシャ語へ変わった事による変更。
最近だとグルジアとジョージアみたいなもの。

名前の後は""でくくってあればあだ名で、なければ性
コンスタンティノス5世"コプロニュモス" はニックネームで
コンスタンティノス9世モノマコスとか
コンスタンティノス11世ドラガセスは名前
(コンスタンティノス・パレオロゴス・ドラガセス)

449 :
>>448
なるほど、しっくり来ました
ありがとうございます!!

450 :
西側がローマと認めないから東ローマ帝国をビザンツ帝国と呼びますが、逆に自称、神聖ローマ帝国を他の呼び名はありますか?
できたら神聖ローマ帝国を認めない視線での呼び方があれば教えてください

451 :
>>448
神聖でもなく ローマ的でもなく
ましてや帝国でさえない

452 :
>>450
ドイツ帝国?
帝位継承権はハプスブルク家以外にも認められてたから、逆にハプスブルク帝国だとオーストリアに限定されるよな

453 :
ブロックチェーン関係でよくこの帝国の将軍が出てくるな。

454 :
>>452
レスありがとう
カール大公のフランク帝国→オットーの神聖ローマ帝国→オーストリア=ハンガリー帝国→ドイツ帝国
こんな感じの流れなわけですね
ナチの第三帝国もあえてソレを意識させてるのかな 
いろいろ読みあさって勉強したいと思います

455 :
なんで東ローマ帝国は目をくりぬくのが伝統なの?

456 :
北フランク王国でよくね

457 :
>>455
五体満足でないと皇帝になれないっていう慣習があるから。当初は鼻を削いでたけどユスティニアノス2世っていうやべー奴が出てから目を抉るようになった。おそらくペルシャあたりの影響と思われる。

458 :
アンドロニコス・コムネノス好きなの俺だけ?

459 :
>>458
高齢で幼女と結婚した皇帝?

460 :
>>455
殺さないのはキリスト教の影響かな

461 :
Rだけか?将来目測。殺しが最優先?発達未来あるのに。

462 :
新書で見たけど歴史モノというよりは、裁飾モノの様だよねえ。ハプスブルグは。

463 :
バシレウスとアウトクラトールってどういう使い分けされてたんだろう?

464 :
>>457>>460
ありがとう勉強になりました
捕虜も先導役だけ片目残しあとは両目潰した?手首切り落とした?みたいな話もどこかで聞いたような

465 :
本当かしらんけどバシレイオス2世だな

466 :
>>457
失明させられても義眼入れて暴れる皇帝がもし居たら、その後はどうなってたんだろう・・・

467 :
ダルマかね

468 :
『ビザンツ世界論』途中まで読んだけど挫折した...

469 :
嫌儲で拾った画像良かったら
https://i.imgur.com/MsXaOdV.jpg

470 :
11〜12世紀の交易図かな?見ていて楽しい

471 :
エデッサはギリシャの古代都市として成立していたが、黒海沿岸のオデッサの都市成立は近代であって、古代にはありそうでなかったのだ

472 :
ビザンツ帝国では魚料理が好まれてたのね
ttp://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3487460.html

473 :
ビザンツは他称
自称はローマ

474 :
地中海沿岸だから魚食べるのは不思議に思わないけどサーモンまで食べてたなんて交易国家らしいよね。

475 :
かつてのトルコ人のほうが、そのへんは色眼鏡かかってないよね
多少訛ったけど、ちゃんとルームとかルーム人と呼んでいた

476 :
友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

O2P

477 :
ウィキペディアで東ローマのダメ皇帝
https://ja.wikipedia.org/wiki/コンスタンティノス8世
・・・を見ていたら、
「古代ローマの剣闘士競技を復活させて自ら野獣相手に戦った」とあった。

60過ぎの当時としては超高齢者が野獣相手にコンモドゥスばりの立ち回り?
あり得るのかな執筆者の勘違い?

478 :
英語版みてもそういう記述はないな
しかも即位時には痛風で満足で歩くこともできなかったとあるし

479 :
東ローマ帝国の全盛期はマケドニア朝のバシレイオス2世の時だよなあ
このときにイタリア半島再征服すればよかったのに
ベネツィア、ジェノバ、アマルフィ、ピサ、ローマ全部手に入れることができ
安定支配もできたんじゃないのか

480 :
>>479
でも後継者はあの人ですよ?
悲劇の範囲が広がるだけのような……

481 :
>>480
確かに後継者があの人ではベネツィアなんかは真っ先に離反しただろうな
しかしローマの支配を握ったままなら後々の歴史は大きく変わったような気がする
もしかしたらマンツィケルトで負けることもなかったかも
コムネソス朝の国力では皇帝一人が優れていても無理なもんは無理だったし
結果的に滅亡を速めている

482 :
>>481
確かに国力があれば、コムニノス朝の皇帝達はその才能をより大きな成果に結びつけられたかもしれないし、
ロマノス4世は大敗しなかったかもしれない。けれども、神聖ローマと領土が接することになるんだよね。
長期的に東にセルジューク朝(またはオスマン・トルコ)、西に神聖ローマ帝国と大敵を持つことになるけれど、これがどの程度負担になるか。
そして征服事業で得られた領土は中世ローマ帝国が取りうる政策で国力の足しになる領土となるのか。
これはIFにIFを重ねる話だから、世界史板でやっていい話か分からないけれど。

483 :
>>482
神聖でもなければローマでもなくそもそも帝国ですらない国を
何で正当なローマ皇帝が恐れなければならないんだ?

484 :
領内すら満足に納められない神聖ローマがバルカンまで攻めてくるとは思えない
十字軍とかはかなり変わりそうだが

485 :
最末期の領土たるや…

486 :
>>473
ビザンツは後世で当時はローマじゃないのか?

487 :
>>483
チョンファン陛下と同じはったり権威がある

488 :
>>487
バシレイオス2世時代の神聖ローマ帝国は国内が混乱していて
後の30年戦争時代前までのハプスブルク帝国の強さとは全然違う
従って東ローマ帝国がイタリア再占領しても何の問題もなかっただろう
権威的な意味でのローマ、商業活動でアドリア海の女王と言われて元々帝国領だった
ベネツイア、その他ライバルのジェノバやピサやアマルフィを手に入れていれば
その国力の充実は全然違ってくる。バシレイオス2世がトルコ人とブルガリア人を
追い払ったところで止めてしまったことが後の滅亡の遠因にもなった

489 :
アルプ・アスラーン : 「もし捕虜となったのが逆に私の方だったならば、貴方はどうするだろう?」
ロマヌス : 「きっと貴方を処刑するか、コンスタンティノープルの街中で晒し者にするだろう。」
アルプ・アスラーン : 「私の下す刑はそれよりも重い。私は貴方を赦免して自由にするのだから。」

これ意味深だなあ。
一度プライドを失ったら落ちるだけなのかもしれん。

490 :
>>489
実際にはコムネノソス朝が最後の中興をするのだがマヌエル1世がいかに頑張ろうとももはやあの時代では失われたイタリアは返って来ずに国力を消耗した結果として
十字軍に首都を占領されてしまう
バシレイオス2世がイタリアを占領し、その上でセルジュークトルコと戦ったら
どうなったのか。あるいはそれを乗り切ったとしてモンゴル帝国と直接対決したら
どうなったのか。史実ではパレイロゴオス朝はイルハン国と同盟するのだが
それ以外に選択肢がなかったともいえる

491 :
バシレイオス2世がイタリアを占領する事は東ローマにとって自殺行為
バルカンを奪回する為にを対ブルガリア戦を強行した結果
テマ制が崩壊してアナトリアが無防備になったのだから
これでイタリアも占領したらセルジュークにアナトリアだけでなく
帝都も奪われてしまっただろう
東ローマの歴史は西方領土を奪回すると没落する事の繰り返し
ユスティニアヌス1世がイタリアを奪回するとバルカンをスラブに奪われる
ミカエル8世がコンスタンティノープルを奪回するとアナトリアをトルコに奪われる

492 :
>>491
あの時代のセルジュークにコンスタンティノープル城壁を落とせるとは到底思えない
小アジアの領土なくてもバルカン+イタリアを安定させた方がよかったと思うんだが
ベネツィアが金の卵なのは間違いないし
バシレイオスも南イタリアの安定はやってる。全イタリアが無理なら
うるさいローマ教皇を抑えるためにローマとアドリア海の女王だけでも

493 :
中世東ローマにとって小アジアこそ本国
むしろバルカンを放棄してでも小アジアを死守すべきだった

494 :
ひょっとして、メソポタミアやペルシアに進出した方が後顧の憂いを絶てるのではないだろうか

495 :
>>494
ロマノス4世はセルジューク本国のイランへ遠征しようとした
マンジケルトの戦いは防衛戦ではなくイラン遠征の前哨戦だった
イラン遠征の為に城攻め用の人夫を数多く連れていたので
これが足手まといになり敗北の一因となったとされる

496 :
>>495
ということはですよ、マケドニア朝の最盛期(ニキフォロス2世、ヨアニス1世、ヴァシリオス2世等)にそれをできていたならば、
オスマントルコを凌ぎ、アケメネス朝ペルシア帝国に匹敵する巨大帝国が誕生していたのでは?

497 :
>>496
東ローマにとってはメソポタミアはどうでもいい地域で歴史的に必然的に
イタリアを目指す宿命がある

498 :
>>496
マケドニア朝の最盛期にはブルガリアやキエフ大公国などスラブ諸国が脅威だった
ブルガリアを征服しキエフ大公国が分裂しないと遠隔地へ遠征する余裕がない

499 :
>>498
ブルガリアを征服した後も国庫は財宝であふれかえっていたらしいから
それ使ってイタリア征服なら簡単だっただろうに
何せ南イタリアに拠点あるのだし、北部イタリアも目と鼻の先

500 :
金だけで何とかなるのかな
良質な兵士を提供したアナトリアの小作農が、連年の遠征で没落してたんでしょ

501 :
>>499
バシレイオス2世が延命すればイタリアに遠征したはず
イタリア征服に成功した場合は戦力が分散するだろうから
マンジケルトの戦い以前にブリガリアとかが再独立したかも
ブルガリアが再独立してバルカンが危険になった場合
東ローマは仲間割れせずに小アジアを死守したかもしれない
すなわち東ローマは滅亡を免れてたかもしれない

502 :
>>500
アナトリアの小作農ではなく自作農が没落した

共和政ローマ 兵士兼農民→兵士

中世東ローマ 兵士兼農民→農民

503 :
ロマノス4世が率いた軍は多くが傭兵だった
トルコ系ペチェネッグ人の弓騎兵や
フランク人とノルマン人騎士が花形だった
十字軍は既にスタートしていた

504 :
要するに東ローマは古代ローマのように強くなかったから
大量の奴隷を入手する事が出来なかったわけだな
コムネノス家とか貴族が奴隷制の大農場を経営していたのならば
没落自作農が職業軍人になって東ローマは古代ローマのように
大帝国に拡大出来ただろう
東ローマでは没落自作農は小作農になり兵役を免除された

505 :
>>504
コムネノス家はマヌエル1世が国力に見合わないローマ帝国の復興をあげて
イタリア制服しようとしてベネツィアやジェノバを敵対勢力にしてしまったから
致命的なことになった。もしも守勢に徹していたならそのままの状態で現在でも
続いていたかもしれないし、モンゴル帝国に危険視されて滅ぼされていたかもしれない
セルジュークにコンスタンティノープル城壁落とすなんぞ無理だがモンゴルなら
可能だからだ

506 :
>>505
マヌエル1世がユスティニアヌス1世ではなくバシレイオス2世を手本に
していたのならば東ローマは生き延びたかも

コンスタンティノープル城壁は石造なのでモンゴル軍に耐える事が可能
イランやイラクの城壁は日干し煉瓦製で見かけによらず脆かった
ロシアと東欧諸国は木の城壁だけどウィーンとかが石の城壁なので
モンゴル軍は無理をせずに帰還した

507 :
>>506
南イタリアだけならともかくローマ占領はそれくらい難しいのかな
ユスティニアヌスは確かに成功しているがローマという都市はそれで一度死んだとも
言えるくらい致命的打撃を受けているし

508 :
>>507
中世東ローマはギリシャ人が多数派の国だからイタリアに強い愛着がなかった
マンジケルトの戦いでもロマノス4世はアルメニア人が多いカッパドキア出身なので
アルメニアを異教徒の支配から取り戻そうとしたけどギリシャ人らの戦意は低く
不利になるとすぐに逃げ出した

509 :
>>508
いくら軍の資質で劣っても数では倍以上だったんだから勝たないとな
もしバシレイオス2世がマンツィケルトの戦いしたら多分勝ってるわ

510 :
>>509
東ローマ軍の後衛を指揮していた副帝アンドロニコス・ドゥーカスは
先帝の弟である父ヨハネス・ドゥーカスこそが皇帝になるべきだったと
ロマノス4世の即位に不満であったのでこの機会にわざと退却したとされる
東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならばアルプ・アスラーン軍は
逆包囲され壊滅しただろう
当時セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていたので
アルプ・アスラーン軍に援軍の可能性は低かった

511 :
東ローマはやっぱりキリスト教国で啓蒙思想もなかったから特に何も生み出せなかった
ローマ帝国の精神的後継者は政教分離を徹底したベネツィアなんだろうなあ
啓蒙思想がキリスト教を抑え込んで初めて人類は産業革命を起こしてローマを超えることが
できた

512 :
>東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならば

このIFを東ローマに適用するなら、

>セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていた

に対しても、反乱が無いIFを適用すべきだろう

両方のIFを適用すれば、結局のとこマンジケルトの結果は変わらないであろう

513 :
>>512
変わらないなら変わらないでマヌエル1世がローマ帝国の復興を言い出さなければ
コムネノソス朝はそのまま続いた可能性はある

514 :
アルプ・アルスラーンはファーティマ朝を倒してエジプトを征服しようとした
新たな牧草地が欲しい遊牧トルクメンはエジプト遠征に乗り気でなかったので
アルプ・アルスラーンは側面援護を兼ねてトルクメンらにアナトリア遠征を許し
自らはマムルークを率いてエジプトへ向かいシリアに侵入した
ところがロマノス4世にトルクメンが敗退し
さらにセルジューク本国で謀反が起きたので
アルプ・アルスラーンはエジプト遠征を断念してシリアから退却した
そしてロマノス4世と講和して急いで本国に戻ろうとしたけど
ロマノス4世が講和を拒否したのでマンジケルトの会戦となった

515 :
【嘘HK】 放射能と無関係を装って「心筋梗塞激増」
http://nhk2.2ch.sc/test/read.cgi/nhk/1541301264/l50
【放射線ホルミシス効果】 全部バラしてヤバいよって言った方が、セルフガードするからいいと思います
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1545534951/l50

516 :
アルプ・アルスラーンはマンジケルトの会戦後に本国へ戻ると
西方領土拡大から本国重視に方針転換して中央アジアを制圧した
アルプ・アルスラーンは本国の兵力が減るのでトルクメンが移住
しないようにアナトリアを東ローマ領のままにしようとした

セルジューク朝では遊牧トルクメンが牧草地を求めて
イランの農地を牧草地化しようとして問題になっていた
セルジューク朝のイラン人宰相ニザム・アルムルクは
アルプ・アルスラーンの死後トルクメンをアナトリアへ移住させた

アルプ・アルスラーンは互いに対立するトルクメンとイラン人の
双方にとって邪魔な存在だったようだ

517 :
アルプ・アルスラーンはユーフラテス河を国境としてアルメニアを
セルジューク領としてロマノス4世と講和しようとした
これにニケフォロス・ブリュエンニオスらギリシャ人諸将は
賛同したけどロマノス4世は拒否してマンジケルトに進軍した

ロマノス4世がアルメニアを東ローマ領にしてアルメニア人を
ギリシャ正教徒に改宗させようとしたのでアルメニア正教徒の
アルメニア人はセルジューク軍に参加してロマノス4世に抵抗した

ロマノス4世もギリシャ人とアルメニア人にとって邪魔な存在だった
1072年にアルプ・アルスラーンもロマノス4世も自国人に殺された

518 :
ロマノス4世死後アナトリアのアンカラでノルマン人傭兵が
反乱を起こしてガラテア公国と称して自立しようとした
副帝アンドロニコスは父とともにこれを鎮圧しようとして敗北した
東ローマはノルマン人傭兵の鎮圧をセルジューク軍に依頼すると
セルジューク軍は傭兵だけでなくアンカラの住民も残らず追い払った

519 :
もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて、アナトリアのテュルク化を防げたとしてだ
どうせ13世紀にはモンゴルの波がやってくるわけで、ルーム・セルジューク朝みたいな緩衝材なしに対峙してしまう
従属国で済むんなら史実より良い状態で14世紀を迎えられるかもしれんが、下手うったら200年早く滅亡コースだからな

520 :
>>519
アナトリアにトルクメンが移住して本国の戦力が流失したので
セルジュークはカラ・キタイに負けたりするようになった
同様にアフガンのゴール朝もインドを征服すると本国から戦力が
流失してアフガンはホラズムに征服されてしまった
セルジュークの後継者ホラズムは流失したトルクメンに代わる戦力を
同じく遊牧民のカンクリ族で補い大国化したけど新参のカンクリ族と
従来から兵との対立でモンゴル軍に対して団結出来なかった

521 :
新たな遊牧地を求めてたのはトルクメン自身だからなあ
アナトリアにいけなくなったら、ほかに行ってたんじゃね?
いずれにしても、こういう歴史IFをしだすとキリがないし詮無いな

522 :
トルクメンとかはモンゴル軍に比べて規律が悪いから数が多くても勝てないだろうね
モンゴル軍はとにかく戦利品の略奪は戦闘終了後で違反者は厳罰に処せられた
他の多く国は遊牧民も農耕民も戦利品はだいたい早い者勝ちだった
いち早く戦利品を手に入れて満足した兵が勝手に帰ってしまう事が多かった

523 :
要するにニザーム・アルムルクがイランのトルコ化を阻止したわけだよな
もしトルクメンをアナトリアへ追い出さなかったのならばイラン全土が
アゼルバイジャンやトルクメニスタンのようにトルコ化したのだろうな
これはかつて東ローマがゴート族を西ローマ領に移住させた事に似ているな
もしゴート族がバルカンに定住し続けたら後のブルガリアのようになったはず

524 :
>>519
もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて
アナトリア全土が東ローマ領のままならば当然
ロマノス4世の出身地カッパドキアも健在となるけど
カッパドキアはヘラクレイオス1世やニケフォロス2世も
輩出した尚武の気風の地だけど住民の多くがギリシャ化
していなくてアルメニア人が多かった地方だから
いつまでも東ローマ領であるとは限らなかった

525 :
中国の史書にコンスタンティノープルに大きな水時計があったと
記されてるんだが、詳細分かる記録ある?

526 :
ほしゅ

527 :
ギリシアの炎

528 :
http://www.afpbb.com/articles/-/3217445
トルコ大統領、アヤソフィア博物館のモスクへの改名を示唆
2019年3月25日 23:09 発信地:アンカラ/トルコ [ トルコ 中東・北アフリカ ]

529 :
ビザンツの魅力ってあまりにも戦争が弱いのに1000年も続いたしぶとさだよな

530 :
そこが魅力だよな

531 :
イスタンブールのモザイク博物館に展示されてる大宮殿のものと推測されるモザイク画は血生臭い絵が多かったな。

猛獣が獲物に噛みついている絵など。

尚武の気風ということなのかな?

532 :
東ローマ帝国は
なりふり構わず現在まで存続して欲しかった
一都市国家でもよかった

533 :
国は滅ぶしかなかっただろうが皇帝がイタリアに亡命していれば皇帝兼イタリア貴族として存続したかも
逃げるよりは戦って死ぬことを選んだわけだが

534 :
バレオロゴス家の何人か位は亡命してるのかな?

535 :
>>534
皇女がロシア方面に逃げてたような…。

536 :
コンスタンティノス11世が逃げ延びてパレオロゴス家が存続したとしてもコンスタンティノープルが無ければただの一貴族程度でしかないのでは?

537 :
異教徒に国を滅ぼされたローマ皇帝なんてキリスト教世界じゃ最高のステータスじゃん

538 :
19世紀のギリシア復興時に国王として戻れたかもな

539 :
ビザンツの戦争の弱さは一流だけど皇帝で一番戦争が上手かったのは誰?
将軍はベリサリウスだけど

バシレイオス2世か?

540 :
バシレイオス2世はブルガリアに負けたりしていて、戦術面では最高点はつけにくいかな。
ロマノスあたりは?

541 :
ササン朝に完勝したヘラクレイオスとか挙げたいけどこの人も後年はムスリムに完敗してたり無条件で強いって人はいないよねこの国

542 :
ヘラクレイオスは前半生もけっこう負けてて、ムラのある人だから最強論議には上がらないんじゃないか。
小説の主人公にはピッタリだけどね。

543 :
>>541
ササン朝が突厥に中央アジア方面で負けまくって国力落としていた時期だからね。

544 :
ウマイヤ朝を追い返したレオーン3世あたりはどうだろう?

545 :
つか帝国弱くないだろ

546 :
弱いだろ

547 :
弱かったら1000年も保たんわ

548 :
時期と人によるが、
そんなに強かったらエジプトは奪回してたろうな。

549 :
弱くはないな、よくまあムスリムの本拠地近くで長いこと粘ったよ
惜しくも滅んだが彼らの侵食はペルシャだろうがインドだろうが中華だろうが止めれないからしゃーない

550 :
鉄壁のコンスタンティノープルのおかげ

551 :
あれ作った人も凄いな
どれくらいの年月かかったんだろう
築城時には侵略者から防げてたのかとか

552 :
こないだコンスタンティノープルに行ったら城壁がピカピカに再生されてた。

553 :
エジプトでのギリシャ正教とコプト正教会の勢力は30倍違う
他は全てはイスラームに改宗した
帝国政府はエジプト人の衆望を完全に失っていた以上もはや「奪回」のレベルでは不可能だった

554 :
皇帝直属親衛隊のヴァラング隊ってカッコいいな
面白い本とかあるかね

555 :
>>554
ヴァリャーギ親衛隊の軍装とか大雑把なのでいいなら
多分大きめの図書館なら置いてあるはずなんで借りてな

ビザンティン帝国の軍隊―886‐1118 ローマ帝国の継承者
(オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ) 単行本 - 2001/11
新紀元社

556 :
>>555
あとこれは読みやすいとはいわないが
ヴァリャーギ親衛隊の事を詳しく書いてある
現時点では日本で唯一?かも

これも図書館で探すのが良いかと

ヴァリャーギ ビザンツの北欧人親衛隊 単行本 - 2008/7
出版社: 国際語学社 (2008/07)

557 :
蛮族を親衛隊にするとか亡国の一歩だな

558 :
スイス傭兵「せやな」

559 :
>>555
探してみるあざす

560 :
http://www.youtube.com/watch?v=PRr44d-3gsg
Varangians - Elite Bodyguards of the Byzantine Emperors

Kings and Generals
2019/06/13 に公開

561 :
東ローマを扱った映画てあるの?

562 :
欧米でもマイナーそうだなあ。
ちなみに映画化するならどの時代がよかろうか。

563 :
>>558
スイス人は蛮族じゃないが

564 :
>>561
ヘラクレイオス1世の時代のヤルムークの戦いを映画化したのが、
Youtubeにあるよ。でも、軍装が共和制から帝政初期のレギオンの
まんまで、スパルタクスの反乱時と区別がつかない。
あの装備なら駱駝騎兵と弓兵で構成されたウマイヤ朝軍にいかにも負けそう。

565 :
>>563
蛮族に近いくらいの傭兵ならローマの略奪したドイツ傭兵部隊の
ランツクネヒトじゃないかな。

566 :
>>564
ほんと?ありがとう
今通信制限中なのとにわかだから時代背景やら人物やらちょっと知識下調べしてみてから月頭にでも見てみるよ
サンクス

567 :
>>566
ユスティニアヌスやテオドラの映画でいいなら・・・
探せば同時代のはまだあるはずです

http://en.wikipedia.org/wiki/Theodora,_Slave_Empress
http://www.youtube.com/watch?v=HQNI0XI36hQ
Teodora, emperatriz de Bizancio, parte 1 (1954)

http://en.wikipedia.org/wiki/Kampf_um_Rom

http://www.youtube.com/watch?v=SETCT5vwb7U
Kampf um Rom 1&2 - Trailer (Deutsch)
http://www.youtube.com/watch?v=vcjJQGEz2ac
Битва за Рим, часть 1 (1968)

ギリシャ人のはずなのにイタリア語やドイツ語w

568 :
>>567

2つとも元の原題タイトル(や英語タイトル)とかで検索すれば
他にも動画が出てくると思います
その作品の制作国の言語だと多いかもしれません

ドイツ作品の方・・・ユスティニアヌスがあのアメリカの名優オーソン・ウェルズw

569 :
>>567
付け足し

http://en.wikipedia.org/wiki/Kampf_um_Rom
Kampf um Rom

youtubeには朗読データとか出るのでドイツでは有名な作品のようですね

http://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%B9%20%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3-1625735
http://de.wikipedia.org/wiki/Felix_Dahn
フェーリクス ダーン

http://www.imdb.com/title/tt0047567/
http://www.imdb.com/title/tt00063174/
最初にあげたイタリアのテオドラの映画とこのドイツ映画の評価は・・・
昔の史劇ものにありがちな大味な感じなんでしょうかね(;^ω^)

570 :
コンスタンチノープル落城モノてないの?

571 :
古代ギリシャは「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてる
トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ

572 :


573 :
漁ってみたら別スレに元ネタがあった。(以下改行の関係で文だけコピペ)
>>ギリシャは優れた文明がある国なのに何でこんな嫌われてるの?

>>嫌われてはいない
バカにされてるのと、面倒見るのは勘弁と思われてるだけ

>>古代には優れていたけれど中世以降は後進国

>>偉大な文明の発祥地として尊敬されてる

>>近代ギリシャは古代ギリシャとは別物だから

>>日本かて奈良時代の日本と現代の日本は全然違うやん
風景も街も人々の服装も都も違うし、現代人と奈良時代人とは言葉も通じん
でも日本は日本や

>>歴史が連綿と続いている日本と比較することがおかしい
ギリシャは存在自体が消えて19世紀まで出でこないし

>>「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてるじゃん
トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ

>>は?

>>こじつけトンデモ説すぎて草
ほとんど騎馬民族征服説並み
さすがにネタだろうけど

574 :
>>567
>ギリシャ人のはずなのにイタリア語やドイツ語w

ユスティニアヌス朝初期の頃はまだ東ローマの公用語はラテン語
また東ローマ軍の将兵には数多くのゲルマン人兵士がいた
ユスティニアヌス朝の時にバルカン北部がスラブ化して
東ローマからラテン語話者とゲルマン兵が消滅していった
ユスティニアヌス朝最後のマウリキウス帝はカッパドキア出身で
この頃になると東ローマはすっかりキリシャ人の国になっていた

575 :
ギリシャ人は「西洋文明発祥の地」とかって威張ってるけど、はっきり言って現代のギリシャって古代ギリシャとは全然関係ないよね。
そのくせプライドだけは高くて周辺諸国ともめごとばかり起こすし、ロクなことしてない。失礼、言い過ぎました…

576 :
21 風吹けば名無し 2019/07/10(水) 02:09:17.06 ID:tenMxdKn0
バシレイオス2世「この帝国も形になってきたな!」
コンスタンティノス8世「んほぉ~この戦車競走たまんねぇ〜」
コンスタンティノス8世「ボードゲームするだけで抜けるわぁ…」
市民「うわぁ来たよ…」(東ローマ名物無能皇帝)
アンドロニコス1世コムネノス「改革の進行はどうだい?」シコシコ
宦官「現在ここまで進んでいます」
アンドロニコス1世コムネノス「え?市民や貴族が反乱?…ふんふん…」(処刑)
貴族「次の皇帝は誰?」
市民「イサキオス2世さんですね」
貴族(そっかぁ…)
イサキオス2世「この第3回十字軍なんか違うんだよね…王道すぎるというか…ひねりがないよねぇ…」
教皇、アレクシオス3世「うわぁ…」(そうですか…)(帝位奪取)
アレクシオス4世「そうだ!この第4回十字軍に途中でハンガリー攻撃させてコンスタンティノポリスをカッコよく陥落させようよ!」
イサキオス2世「皇帝は俺とアレクシオス4世ちゃんね!これは面白くなるぞ!」

577 :
んー

578 :
>>573
東ローマ時代のギリシャ人はなぜ弱兵なのか2
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1538302748/
別スレはもしかして上のスレかな?

579 :
>>575
じゃあ最初から言うんじゃねえぞ?この知恵遅れが。世の中を蔑むのもいい加減にしろよな?

580 :
ほしゅします

581 :
>>488
そこまで求めるのは無理ゲー。
バシレイオス2世に広域的な商業を解するだけのアタマはなかった。
禁欲的で質素を重んじたせいで、経済的には停滞した、とまで言われている。
ピサやジェノヴァを手に入れたところで、持て余すのが関の山。

582 :
>>581
仮にバシレイオス2世に広域商業、経済を理解できるアタマがあったら、是が非でもノミスマ金貨の改鋳に踏み切ったと思う。
つまり通貨供給量の増加によるデフレ対策と域内経済振興と出目(でめ)収入。
「中世のドル」とまでいわれたノミスマでそれをやるなら効果は絶大だっただろ。

しかし結果的にバシレイオスが活躍した11世紀初頭までノミスマ金貨の純度は変わっていない。
金の供給量は変わっていないのだから、通貨供給は増加しなかった、と考えるべき。
金貨の純度が劇的に低下するのは12世紀末、ミュリオケファロンの敗戦後。
東ローマにとって苦し紛れの出目収入策だったが、地中海域内で一気にインフレが進行。
商業国家であるジェノヴァやヴェネツィアで投資が進み、後の台頭につながった。

ただ、これをバシレイオスに求めるのは酷に過ぎる。
貨幣価値は貴金属の含有量ではなく、発行体の信用力によって決まることを喝破したのは、7世紀も後、江戸時代日本の天才勘定奉行荻原重秀だった。

583 :
あっ、間違えた。
ミュリオケファロンの敗戦後は11世紀末だった。

584 :
>ミュリオケファロン

この単語、いつも「桶」とか、マヌエルが右手でOKしてるとことか連想しちゃう

585 :
中世みたいな
供給能力低い時代に
デフレなんてあったの?
常にもの、サービス不足のインフレ状態だと
思うんだけど

586 :
>>585
供給能力は低かったが、需要も低かった。
もっと低かったのは貨幣の供給能力。
むしろデフレ状態の方が多かったよ。

587 :
>>582
>発行体の信用力によって決まること
これって中国の紙幣や16世紀フランドルの為替等で既に判明していたことじゃ?

588 :
>>587
中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う。
フランドルの為替はノーチェックやった。
ご指摘?くす!

589 :
>>588
>中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う
そうかな? 発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
政府の信用力を認知していたからだと思うのだが
まあ、中国の紙幣は貨幣は、毎回増刷し過ぎたり界もだんだん期限が長くなり最終的に無期限化したりしてたわけだけど
中国紙幣は為替が起源だけど、これはそれまで度々あった鉄銭や布巾など、銅銀金が不足していて貨幣供給不足の
場合に別素材を貨幣として流通させたもので、その場合必ず貨幣安定論として戦国時代からある子母相権論が出てくる

590 :
>>589
>発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
>政府の信用力を認知していたからだと思うのだが

受取り拒否は死罪!
こんなこと決める時点で信用力とかもはや関係無し。
貨幣の3条件(支払決済手段、価値尺度、価値保蔵)のうち後2者を満たしていない。
つまり死刑にさえならなければ誰も受け取りたくないし、誰も価値基準としないってこと。

591 :
確かに江戸幕府でも享保時代に貨幣改鋳を荻原重秀より確信的に、より徹底してやった大岡忠相は、旧貨幣の供出を拒否った4豪商の手代(現代風に言えば部課長級かな?)を問答無用で伝馬町の牢にブチ込んだが、別に誰も殺していない。
そもそも主人(代表取締役)でもなく番頭(役員級)でもなく、手代なんぞ遣わす時点で、豪商側の方が幕府(軍事政権)を舐めてたわけだが。

592 :
>>590
>受取り拒否は死罪!
これ出典は?偽造したり、価値を毀損するようなことをした場合の話じゃないの?
雑学系の本ではなく、中国経済史の本では見たことがない
自分が知らないだけかも知れないので、まともな出典を教えてほしい
なお、自分が書いている信用の話は、元の話だけではなく、宋金代の話も含む(というか、
最初の紙幣なので、主に宋金のつもりの話で書いていた)

593 :
>>590
https://www.wikiwand.com/ja/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E5%88%B6%E5%BA%A6%E5%8F%B2
元は決済上の利便性から紙幣の流通を押し進めた。交鈔の流通を拒んだり、偽造をする者は死罪となった.

594 :
なんだwikipediaか、、、まあ一般書とはいえ出典はわかったから、こんど確認してみるわ
仮に元の交鈔がそうだとしても、宋金とは違うという話だよね

595 :
話を戻すと、ビザンツのヒュペルビュロンの暴落は、コイン史で有名なシラカワサイトによると
http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/E035.htm
ちょうど1200年頃、第四回十字軍の頃に見える
でも1176年のミュリオケファロンの敗戦とその後の条約がきっかけかも知れない
どっちなんだろうね

596 :
>>595
すまん、ミュリオケファロンとマンジケルトの敗戦を混同してたわ。
高校行きなおしてきまつ・・・orz
ソリドゥス金貨
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B9%E9%87%91%E8%B2%A8
しかし紙幣の概念の無いこの時代、「中世のドル」の乱発(というか、それまでが貨幣不足のデフレだった)は交易上のインフレを招いたことはほぼ間違いなく、こちらも話を戻すが、ジェノヴァ、ヴェネツィア等の商業都市の台頭を招いた。

597 :
>>570
つ『コンスタンティノープルの陥落』 塩野七生

598 :
バシレイオス二世の時代は、戦争して略奪して奪った敵国の貨幣や財宝を自国貨幣に改鋳にする、
というような安直な考えしかなかった時代だからねぇ

599 :
>>598
確かに軍人皇帝時代らしい大雑把で乱暴なやり方。
しかも、それを胎蔵するために、宝物庫の床まで掘り下げるとかな。
しかしそのおかげで、帝国は安定した「中産階級」を抱え込むことができた、と言えなくもない。

600 :
>>570
>>597
小説なら
「艦隊山越え 征服王スルタン・メフメット」豊田穣
歴史解説ものなら
「イスタンブール 三つの顔をもつ帝都」ジョン・フリーリ
(「世界の都市の物語」シリーズ内)「イスタンブール」陳舜臣
といった本もあるね

601 :
新書48
http://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/books/1587183828/
38 無名草子さん (ワッチョイ dfbd-h83k) sage ▼ 2020/05/04(月) 05:19:42.19 ID:GxTw+zjF0
@中公新書6月。
遠藤耕太郎『万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜』
加藤文元『数学する精神 増補版』
蔭山宏『カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学』
倉沢愛子『インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』
中谷功治『ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち』
--------
シュミット本の著者は政治(哲)学でもなく法(哲)学でもなくドイツ思想史が専門のようだ。注目。

602 :
>>601

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784121025951
中公新書 2595
ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち
新書
中谷 功治(著/文)
発行:中央公論新社
新書判 336ページ
定価 940円+税
ISBN9784121025951CコードC1222
教養 新書 外国歴史
出版社在庫情報不明
発売予定日2020年6月23日
登録日2020年5月7日
最終更新日2020年5月7日

紹介
千年以上にわたるビザンツ帝国の歴史。
本書は、文字どおり波瀾万丈・有為転変の連続であった、その軌跡を描き出す試みである。
個性豊かな皇帝が登場し、過酷な政争や熾烈な外交および戦争が展開された歴史は、ダイナミズムに富んでいる。
コンスタンティノープルの発展、帝国が各地に及ぼした影響、十字軍との関わりなど、
豊富な論点を踏まえて、帝国の内実を描き出す。

603 :
まーた通史か
同じようなばっかしで面白くないな
どうせ皇帝の羅列だろ

604 :
小笠原『オスマン帝国』が売れたので二番企画なんだろうよ
オスマン帝国はかなり本が出ているようで、最初から最後まで全部扱った通史は
出てなかったからそれなりに売れたが、ビザンツ通史はもう何冊も出てるからなあ

605 :
誰かアレクシアス読んだのおらんの

606 :
読んだよ
個人的には読みにくかった
原文の文章の癖なのかな

607 :2020/06/21
イーリアスとどっちが面白かった?

マートン
フランスの歴史
欧州って下層農民から成り上がった王っているの?
ナショナリズムは良いものなのか悪いものなのか
中南米の土人は恥を知れ。
世界に一番影響を与えた日本製品
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