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【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 5 【徳川】


1 :
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。

大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/

前スレ
【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 4 【徳川】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1469158293/
【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1438522749/
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1233143817/

大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.sc/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1201589307/

2 :
明石全登
幕府に依る激烈な禁教令下に集まったキリシタン部隊の中心人物。
鉄砲指揮から部隊指揮までなんでも出来る名将中の名将。
関ヶ原では杭瀬川の戦いでの指揮、福島粉砕劇など華々しい活躍をみせている。
戦後執拗な明石狩りが行われた。

長曽我部盛親
元大名。関ヶ原では西軍として活躍している。
大部隊を指揮した事がある数少ない武将であり、その点期待されていた。
藤堂隊を破るなど活躍をみせた。

大野治長
事実上の総大将。兄弟治房・治胤が戦場に立つ中秀頼を補佐。
後に和平交戦と意見をころころ変えたため兄弟仲は決裂。
最後は秀頼と自害。豊臣宰相としての器は足りなかったようだ。

真田幸村
昌幸の息子。真田丸を築き武功をあげる。
籠城を決められる際に宇治川−瀬田川ラインでの野戦主張などをしていたが実際それが有効かは未知数。
道明寺の戦いでは伊達政宗と戦い、天王寺口の戦いでは家康本陣を崩した。

毛利勝永
父は豊臣古参大名の勝信。
関ヶ原では伏見城の戦いにおいて、格別の働きにより首脳たちより感状を受けている。
天王寺口の戦いでは、次々と敵陣を突破して家康を追い詰め、
大坂城への生還を最後に果たす。

大野治房
治長の弟。主戦派の中心人物。本町橋の夜襲戦を成功させる。
大部隊の指揮は未熟だったが、岡山口の戦いでは秀忠に奇襲を仕掛け、
豊臣勝利寸前の処にまで持ち込む。
生死不明で幕府は長く探索を行った。

後藤基次
軍功豊富な事実上の参謀長。
大野治房を戦術面で補佐し、遊撃部隊としても活躍した。
道明寺の戦いでは先鋒を務め、進軍に不慣れな後続が遅れる中で、
幕府軍の先鋒大将水野勝成の大軍と長時間渡り合った。

木村重成
秀頼の元小姓。開戦論に関わった一人。遊撃部隊を率いる。
基次と共に今福の戦いでは佐竹を破り、真田丸の戦いにも加わった。
若江の戦いで叔父宗明と共に藤堂、井伊に大打撃を加えた。
木村・後藤の残存兵が、天王寺口の戦いで、勝永・幸村に道を開いている。

3 :
本多正信
菅 貫太郎
━━━━━
ナレーター
寺 田 農

4 :
豊臣信者の主張
関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された
秀頼は主君で家康は反逆者
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった
されでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している

5 :
三成が豊臣に謀反を起こして破壊したということが明白になったな

6 :
前スレ1000へ
関ヶ原が起きちゃったからね、しょうがないね。
あれは西軍が家康に喧嘩売った形だし。
しかも東軍が倒せるレベルの反乱でしかなかったからね。
恨むんなら奉行衆と総大将引き受けた輝元だね。
家康を恨むのは筋違い。

7 :
三成がなんとかしたいなら武力蜂起ではなくて主君秀頼への嘆願だわな
家康を台頭させてはお家の危機、ぜひ御一考をと。
まあ秀頼は傀儡すぎて役にたたんかも知れんが。

8 :
幼年の秀頼がそんな話理解できるわけねえだろうが

9 :
年齢考えれば三成や秀頼の方が若いのに家康が死ぬのを待てなかった時点でなあ……
正直三成がいくら豊臣御為を口にしたってあのタイミングじゃ
「単に自分が政権復帰したいだけだろ」って思われてしまうわな。

10 :
>>8
家光は生まれながらの将軍宣言を幼少のときにしてる
要はまわりの教育次第

11 :
家光なんて家臣に全部まかせて何もしていないと言われているのに。

12 :
>>11
別にそれでいいじゃん。それで徳川政権が無事回ったんだし。
いらん事して御家が滅亡するより余程マシだ。

13 :
>>11
それでなんとかしてしまうのが実力
なんにもできない秀頼の無能とはここがちがう

14 :
家光はいろいろやってるな

15 :
昔、と言っても司馬、山岡全盛の頃くらいだが
秀忠凡君、家光名君って感じだったと思うけど
二人の評価が逆転したのっていつくらいだろう
大河の葵三代の頃かな

16 :
秀頼の不幸は、朝廷の重臣菊亭晴季、隣国の池田輝政、浅野幸長に
徹底的に嫌われていたこと。いずれも秀次事件で厳罰を食らい、
池田を除く2人は秀吉が死ぬまで遠流となったし、浅野を除く2人は肉親を
連座で処刑され、高札で罪状を晒された。

だから、徹底的に秀頼を憎んでいた。池田は重病にもかかわらず、
大阪攻めの総大将を望んで任ぜられ、死ぬまで手放そうとしなかった。
どれだけ大阪城を潰したかったかが判る。また、菊亭は左大臣として
朝廷を牛耳り、朝廷と豊臣家と距離を置かせた。

17 :
関ヶ原合戦後、大阪のすぐそば、南紀に浅野を、播州に池田を配した。

18 :
>>16
菊亭は右大臣。
秀吉の死後、家康の計らいで復帰。

19 :
>>17
家康がやったとしたら嫌がらせ目的だろうね。
豊臣政権が西と結んで何かをしようとしても、間違いなく池田が妨害してくれる。
それを見込んでやった。

20 :
まあ、徳川政権に対して臣下の礼をとってないからね。
どういう決着をつけるにせよ、一定レベルの警戒は当然。
むしろ警戒しない方がおかしい。

21 :
>>4
連勝してたのに朝鮮から兵を撤退させたと
日本が海外に雄飛する機会を奪い
江戸時代という閉鎖的な暗黒時代を創ったが抜けてるな
まあ4の主張も含めて突っ込みどころ満載の内容だが

22 :
書き込んだ後思い出した。皇室や公家を蔑ろにしたと言うのもあったな

23 :
別の時空からのレスのようです

24 :
連勝してるとか妄想がすぎる

25 :
勝ってはいたでしょ
ただそれが費用に見合った勝利かというとまぁ…

26 :
>>25
途中経過では勝ったと言わない

27 :
>>26
>>21の連戦連勝には殆ど間違いはないと言いたかっただけだが?

28 :
>>25
まあ勝ってたとしても、結果を見る限り
ピュロスの勝利って奴でしかないと思うわ。

29 :
最終的に、ってのが大事だよな

30 :
>>4加筆版
豊臣信者の主張
連戦連勝してたのに朝鮮から兵を撤退させ、日本が海外に雄飛する機会を奪った
関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された
秀頼は主君で家康は反逆者
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった
それでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた
且元と大蔵卿局とで全く別の対応をすることにより、疑心を煽った
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している
禁中公家諸法度で朝廷や公家を統制し、政治的に蔑ろにした
江戸時代という閉鎖的で発展性の無い暗黒時代を創った

31 :
読んでないけど、よくもまぁこんな阿呆な長文書き込めたもんだな
他にする事はないのですか

32 :
読みもしないのに阿呆な内容ってよく分かるね
、戦国坂には長文レス何と珍しくないのに
やっぱり豊臣信者ってすぐ分かる嘘ツキの馬鹿しかいないのかな

33 :
>>31
内容に批判があるなら、レッテル貼りでは無く
きちんと反論すれば良いんじゃ無いかな
>>32
句読点、改行くらいちゃんとやれ

34 :
まあ何にせよ、秀頼を筆頭に豊臣、及びそれに味方した面々が無能だった事実は変わらないし

35 :
豊臣も立ち上がるなら、もっと早い時期にすればいいのに

36 :
>>35
家康が死ぬのを待ってたんじゃね
ところがどっこい、なかなか家康は健康でwww

やがて徳川の体制が盤石になり、喧嘩を徳川の方からふっかけられてしまったw

37 :
七手組青木、伊藤以外の五人は落城と共に討ち死にもしくは自害
速水なんて秀頼介錯した説まであるのに影薄いな
司馬の小説だと全員徳川と内通しているかの如くの扱いだったし

38 :
秀忠の軍事的才能の欠如を理由に家康がRば
諸大名は徳川を見限るって主張する豊臣好きをみるが
秀頼は元服しても母親離れが出来ない乳飲み子程度の評価しか
諸大名の間では無いのに、どうしてその事信じられるんだろう

39 :
家康が死んだとたんに離反する連中ばかりでもないのにね
まあ確かに伊達とか怪しいもんだが。

40 :
>>36
喧嘩をふっかけたってなに言ってんだ?
戦国時代の呪術というのは現代で言う科学に相当するんだぞ?

現代に置き換えるなら、

学識者で政府閣僚の林羅山が科学的捜査で物的証拠をあげて
豊臣は化学テロを行ったと強硬に主張し、首相の家康が五大学の学長に聞いたら容疑を大筋で認め
実行犯の文英清韓容疑者が、意図的にやりました。祝意ですと意味不明の供述をしている状態だ。
秀頼に政府への出頭を求めるのは当然だし、本人がだめなら母親を送れ、それがだめなら犯罪組織の疑いのある大阪から国替えすることと
命令するのは政府からしたら当然の処置だよ

豊臣には政府に対するテロの疑いがかかっているわけだから

41 :
あれって豊臣のやらかしには違いないけど、呪いではなく上下関係に関わってくる儀礼の問題だと思う
(諱を勝手に使っていいのは主君だけ)

42 :
>>40
ワロタwwwwwwwwwwwwww

でも、最近の大阪の陣の本では、本当に>>40に近いことを書いているからな。
大阪の「国家安康」がいかに問題のある鐘銘かを説明している。

43 :
戦国時代では諱で書くことがむしろを敬意を表していると主張している奴もいたな
一時期そういう傾向があったときもあるらしいけど、豊臣政権後期の書状とか見ると
宛名官途名で書かれているし、実際関ヶ原の時三成が真田に送った書状でも
宛名昌幸や信繁じゃ無く安房守、左衛門佐になってるし、やっぱり諱を書くのは
不敬って事になったんだろうね

44 :
>>42
>大阪の陣の本では

そうなのか?
個人的な意見で自分と同じ事を言っている人は見たことないのだが
何か本を読んで受け売りしたわけでもないし、学者でも同じ感想の人がいるのか

45 :
現代に置き換えるなら連帯保証人に勝手に親戚のおじさんの名前を使った位のやらかしだと思う

46 :
政宗なんかは庶民からも政宗とか書かれていたんだっけか

47 :
諱の名指し合いは俺たちマブダチだよと最高級の信愛を表す場合があり書札礼の最上位となることもあるが
実際に用いた秀吉クラスならともかく清韓が勝手にやっていいもんじゃない
政宗は「うふ、政宗って呼んで(はーと)。」って本人が言っまわってるから仕方ない

48 :
>>46
ある程度以上のビッグネームは敵味方関係なく諱呼びが多い。
家康とか景勝も書状によく残ってる。

49 :
五山の意見と、テロ実行犯の清韓容疑者の供述

東福寺
名前の二字の間に安の字を入れたことは、何よりも悪いことと考える。
国家安康の言葉については、日本・中国共に天子の諱を避ける事は古くからのしきたりである。
日本の庶民の諱についてはこのしきたりが無いことがあると言えども、
天子・執政・将軍の諱は避けるべきで、見逃してそのままにはできない。

天龍寺
家康の名前を考えなく書くこと、特に銘文の言葉が諱に触れることは、承知できることではない。
ただし遠慮して避けるのが道理かは、自分は忘れた。

南禅寺
銘文中に大臣(家康)の名前の二字を分けて書いたことは、過去・現在に例は無い。
その上同じ官位であっても、天子に次ぐ大臣と同じ位置に並ぶことはあってはならない
何よりも大臣の諱の二字を、四言詩に分けて書くことは前代未聞である。
仮に二字を続けたとしても、文章の詞の内に記載することは、全く無い。

相国寺
銘文中に家康の諱を書いたことは、好ましいことではないと考える。
ただし武家のしきたりは知らないが、五山においてはある人物について書く時に、その人の諱を除いて書くしきたりは無い。

建仁寺
銘文の国家安康で前征夷大将軍の諱を侵したことは、好ましいことではない。

文英清韓容疑者
国家安康と申し候は、御名乗りの字をかくし題にいれ、縁語をとりて申す也

50 :
縦読みで「家康R!」って書いてあるも同然

51 :
呪詛は否定されてるやん?

52 :
秀頼も分割して入れておけばよかったのに
眉目秀麗 放蕩無頼

53 :
「彼は30歳を超えざるに、甚だ肥満し、
自由に身体を動かすこと能わず」
セバスチャン・ヴィスカイノ

イスパニア(スペイン)使節として秀頼に面会したときの感想

54 :
秀頼がクソすぎて豊臣滅亡した

55 :
親が親ならってやつだよ。

返しきれない恩のある主君が秀吉に呼ばれて備中に途中で死んだのに、死後1年で信長の妻や子など家族を殺しまくり主家を横領し、
近衛家を騙して関白になり、武家関白制にして関白を世襲にしたと思ったら、その関白を殺し
北条家を倒して天皇家の権威のもと諸大名が天皇に忠誠を誓い、日本が平和になったと思ったら外征をはじめて2度も苦戦させた
そして秀吉が九州にいたときに、畿内にいた淀が妊娠して出来た子供が秀頼だ
秀頼もやけ食いしたくなるだろう

56 :
秀吉が支配を急いだのはな、年齢的にしかたない
うまく豊臣の世にするのはものすごく難しい話だったろう
でもまあそれは年齢的に仕方ない

秀頼はただのクソ
なんにもやれない、なんにも活かせない
ほんとに秀吉の遺産をまるで活かせないクソでしかなかった
家康じゃなくても秀頼ではあっという間にさらわれていくしかない天下でしかなかったわな

57 :
家康は秀頼を助命する機会を度々与えているが
秀忠とか徳川家臣団は秀頼の徳川への無礼に怒り満々だしな

58 :
>>57
そりゃまあ序列ってもんがあるからな
結局秀頼豊臣ってもんが家康家臣からしたら大したブランドじゃなかったって糊塗だよな

59 :
>>58
秀吉は、信長に仕える前に浜松の松下家の小物をしてたが、徳川家にはその頃の秀吉を知っていてバカにしてたのが多かったそうだ。

60 :
秀吉は信長がいなけりゃ大名になれるわけない人間だからな
その信長を備中高松に呼び寄せて死ぬきっかけを作り
死後10ヶ月で妻や子や孫娘や妹を殺して織田家をことごとく横領して
関白職をだましとって世襲にしたと思ったらその関白を殺しているのだから
豊臣には大義というものがない。
結局豊臣は滅びる運命だったんだよ
大坂城は主君の家族を殺し、主家横領中だった1583年に建てられはじめた簒奪の城で
秀頼は帝から任命された公儀に逆らった謀叛人だ

徳川から見れば、むかし小者でちょろちょろしていた人間が悪行に悪行を重ねて
よくもまぁ関白なんぞになれたものだという感じだろう。関東に左遷されて、湿地帯で葦の生い茂る江戸に住めとか指定して
嫌がらせされているしな

61 :
>>41
豊臣家としては秀頼を主君、家康を家臣と思ってたんじゃないの?

62 :
会社は株主のものなのに
社長が自分のものだと勘違いするのはよくあること。
与えられた権限や会社の財産を自分のものと勘違いするのを横領という。

秀吉も中国方面軍司令官を任されて、中国地方は俺のものと勘違いした
もし信長が生きていたら、中国地方攻略ご苦労であった、褒美をつかわすと1国与えるくらいだろう
だけど秀吉は信長の死をいいことに全部自分のものにして、主家の織田家すら横領した。

そして豊臣公儀は、天皇を主君としておしたて、諸大名を天皇に服属させることで、代理の関白である豊臣が采配をふるう体制だったが
これも自分の力だと勘違いして関白をRという暴挙にでて、契約書を書かせることで正当化しようとした。

そして主君の帝が関白と征夷大将軍を任命してもまだ自分に命令権があると勘違いしていた。
日本の君主は天皇であり、豊臣公儀は諸大名を天皇に服属させることで大義名分をえて、第一の臣下として差配していただけなのにな
秀吉が自ら宣言していたことだ。秀頼らはそれが分かっていない

63 :
1600年に朝臣最高位の徳川家康が差配するのは武家関白制において当然の道理だし
1601年に関白が任命され
1603年に征夷大将軍が任命されて大政奉還まで続く大権が委ねられて幕府が開かれた以上、
豊臣が何をいおうと、従わないなら謀叛人になる。

そして呪術が科学と同等の価値をもつ社会で、政府に対して呪いというテロを仕掛け
政府閣僚で学識者の林羅山が豊臣がテロをしたことを強く主張し、
五山が容疑を大筋で認めていて犯罪性を非難し、実行犯の清韓容疑者が意図的にやりましたと供述している以上
政府が本人が出頭するか、本人が来られないなら母親をよこすか、犯罪組織大阪から出るように求めるのは当然だし
従わず反乱をおこせば、軍を派遣して鎮圧し、国家反逆罪の首謀者は死刑にするのは当然になる。

まぁ、秀頼は国家反逆罪のテロリストってことだわな。死んで当然

64 :
株式会社に例えるのはおかしいだろ

65 :
いやおかしくない。

織田株式会社
株主織田
社長信長
副社長信忠
専務信雄
常務兼四国事業部信孝
取締役兼北陸事業部柴田
関東事業部滝川一益
四国事業部丹羽長秀
中国事業部羽柴秀吉

この構図を社長と副社長の死をいいことに、社長の一族をころしまくって、幹部を排除し

織田株式会社
株主織田
社長三法師
副社長秀吉

この構図で織田の財産を横領していった秀吉は

天皇株式会社
株主天皇
社長秀吉

この形にすることで、三法師の上位にたち、織田家の財産を横領したことを正当化して
全国の諸大名を天皇株式会社にM&Aしていくことで、社長の自分に従わせていったわけだからな。

秀吉の死後、

株主の天皇は関白を九条、征夷大将軍を家康にしたわけで

66 :
>>62
株主は意見する権利があるだけで所有者とは言わないよ
もちろん過半数を所持してたらほぼオーナーではあるけど。
ただそれはもともとの経営者が自社株としてほぼ持ってるわけだからなかなか有り得ないけど。
もちろん戦国日本のオーナーは天皇陛下だよ

67 :
鐘銘の件は豊臣側の故意だろうね
頼将(頼宣)や頼房に秀頼の諱を犯された事への意趣返しかも

68 :
その2人の「頼」は源頼朝の頼だと思う。
俺の諱が〜とか勘違いしたのか? 秀頼みたいなデブの名前を誰が欲しがるのかね

69 :
>>68
そりゃ源氏の頼の字なんだろうが
片諱で無い限り貴人の諱を避ける慣例から
豊臣側からしたら秀頼に対して遠慮が無いと思ったんじゃね?

70 :
間違えた
片諱で無い限り→偏諱で無い限り

71 :
>>70
その件で豊臣家が抗議したっていう文書とかはあるの?

72 :
>>69
そんな慣習はないぞ。
そして諱で侮辱するなら相手の上の字を自分の下につける。

73 :
名前についちゃ勝手に使えないだろ
一字もらうのに貢いだり懇願したりと苦労して頂くもんだ

74 :
でも頼朝は故人だしこれといった子孫もいないし許可のもらいようがないよね

75 :
>>74
まあ確かに
それにいまさら源将軍家にあやかるのも微妙でもあるよなあ

76 :
>>67
だろうねも何も、書いた清韓が意図して諱を入れましたって言っているのに
今更何を
ただ家康自体は不快に思っていても、堪忍したみたいだけど
秀忠や徳川家の家臣達は頭にきてたみたいなんだよな

77 :
徳川義直の義
徳川頼宣の頼
徳川頼房の頼

清和源氏の諱は義と頼
源が頼で
足利が義

78 :
菅沼の荒らし方はワンパターンすぎるよ

79 :
>>77
源も頼は頼朝以降でしかも頼家と摂関将軍くらいで
基本はやっぱり義じゃないか
家康の家は義家の家からきてるって言われてるくらいだし
あと源だと義朝や為朝、頼朝、実朝など朝の字も結構使われてるけど
家康は朝の字は使おうとは思わなかったのかな

80 :
義直の義は八幡太郎義家の義
頼宣、頼房の頼は太政大臣家の平家を滅ぼして幕府を開いた源頼朝の頼で

義直は義を直すとも読める。関白を殺したりする豊臣に奪われた大義を直す。
征夷大将軍としての決意表明に思える。そして

頼宣は、頼朝の頼に、宣で、宣にはすみずみまで広めるとか、帝の命令みことのりという意味があって、
幕府を開いた頼朝の意志を広めるという意味

頼房は頼朝の頼に、房は沢山群がってながく付いたもの、
さまざまな大名を、頼朝の、征夷大将軍の意志で束ねるという意味があるのではあるまいか

81 :
征夷大将軍じゃない人間が名前で決意を表明するの?
てか義直って名乗ったの秀頼を殺したあとじゃなかったっけ?

82 :
>>79
頼信、頼光、頼義がいるように、源氏の頼は義以上に古い通字だよ

83 :
あえて頼の字を使ったのは豊臣家(秀頼)への挑発の目的もあるだろう

84 :
秀の字なら兎も角、秀頼の下の字を自分の息子の諱の上の字に使うというのは
むしろ遜っている感じだし、逆に家康としては友好の証のつもりだったんじゃ無いか
頼宣が元服したのは秀忠上洛時、会見を豊臣方が拒否した一年後のことだし
秀忠や彦右に代表される家臣連中はどう思ったか知らないが

85 :
むしろ秀頼の「頼」はどこからきたんだろう

86 :
秀吉は頼を秀の下にしてるから、豊臣>頼朝と言う思惑が明確だな
頼は豊臣家伝統のものでも徳川家伝統のものでもないから
どっちが上下、挑発行為という議論は無意味では
侮辱するつもりなら諱を尻にしく命名するよ
秀吉がしたようにね

87 :
征夷大将軍の子に源頼朝の諱である頼をつけて
征夷大将軍になれる資格をもつ御三家にしたという事実の意図は明確だ牢。

家康は豊臣秀吉を平清盛に見立て、自分を源頼朝に見立てている。
頼朝は子供に頼家と名付けているので、頼は源氏の頭領の諱だ。
頼宣、頼房と源氏の頭領の諱を付けるのは征夷大将軍家として当然なのだろう

88 :
>>87
明確な答えがあるわけじゃないんだから、正否どちらにでも都合よく取れるわな

89 :
関ヶ原以前では頼を偏諱でもないのに使うのは無理だったろうな
徳川家としてはもう秀頼は主君では無いという意思表示だったのかもしれない
花山院家には気を使って家忠の名を取りやめたのに(結果家光になった)

>>87
御三家といえど頼房の水戸家は将軍になれない
そもそも水戸家は忠長の駿府家よりも格下だったし
幕府初期は将軍家、尾張家、紀州家が御三家だったわけで

90 :
秀頼の頼が源氏由来なのは鶴松の通称が八幡太郎だったことからも明らかだろう

91 :
通称や受領名って元服してから使うものかと思っていたんだが違うのか
鶴松の通称が八幡太郎だったって根拠の史料は何?

92 :
小早川秀秋・福島正則・井伊直政あたりなんかを見ると
この時代は幼名と通称の区別があいまいになってきてたように見える

93 :
通称と幼名を混同してるだけやろ

94 :
羽柴家崩壊
茶々と片桐且元の懊悩

http://www.heibonsha.co.jp/book/b288085.html


【目 次】   
第1章 関ヶ原合戦以前の茶々と且元 茶々の呼称について/秀吉の妻になるまで/秀吉の妻から秀頼の母へ/秀吉時代の片桐且元/
茶々・秀頼から且元への文書群/茶々・秀頼からの七通の文書/文書を伝えた片桐家の思惑

第2章 関ヶ原合戦後の茶々・秀頼の立場 徳川家康の政権執政への復帰/合戦後の茶々の行動/政権運営の在り方の変化/家康、領知宛行権を掌握/羽柴家譜代大名にとっての秀頼の立場/
「公儀」と羽柴家の分離/家康、官位執奏権を掌握/家康、羽柴家と距離をおく/家康、政権本拠を伏見に移す/伊達政宗の観測/家康、将軍任官を計画/家康、敵対大名を降参させる

第3章 且元を頼りにする茶々茶々の「気鬱」/茶々から且元への消息──消息@/年代の推定──消息@/茶々、且元の身上を心配する/茶々、且元に秀頼の親代わりを頼む/
対応の遅い茶々/茶々から且元への消息──消息A/年代の推定──消息A/家康への取り成しを願う/「難儀」の「申し事」/且元への信頼/再び茶々の気鬱/その後の秀頼/羽柴家の存在をどうみるか

第4章 茶々・秀頼と且元の対立 大坂の陣の引き金/且元が示した三ヶ条の衝撃 9月18日/且元成敗の意見 9月18〜19日/且元に対抗する大野治長/且元、家中に奉書を出す 9月20日/
織田常真から連絡届く 9月23日未明/且元襲撃を懸念する常真/且元、出仕を取り止める 9月23日/織田頼長、幕府との抗戦を望む/信頼と疑念に揺れる茶々と秀頼 9月23〜25日/茶々の発言力、家臣の本音   

第5章 茶々・秀頼から且元への説得 秀頼から且元への書状──文書B 9月25日/茶々から且元への消息──文書D 9月25日(日付は26日付け)/茶々から且元への起請文──文書E 9月25日(日付は26日付け)/
且元からの返事、武装する片桐・織田家臣 9月25日夜/秀頼、二度目の書状──文書C 9月25日夜/家臣の疑問再び。茶々の政治的力量/且元への警戒拡大。双方とも軍勢引かず 9月26日深夜/
秀頼の有力家臣、片桐貞隆/抗戦姿勢を見せる且元側 9月26日/茶々の怒り。軍勢退去へ 9月27日/茶々から且元への条書──文書F 9月27日/茶々と且元、それぞれの真意   

第6章 茶々・秀頼と且元の決裂 且元、城外の下屋敷に退去する 9月27日/絶大だった且元の権力/織田有楽・大野治長からの人質/織田常真の大坂退去 9月27日払暁/茶々・秀頼を見捨てる織田家一族/
有力家臣らにも見限られる羽柴家/開戦必至。秀頼、弁明を試みる 9月28日/家康激怒。幕府方の判断は「戦争になる」 9月25日〜10月1日/大坂城の武装開始 9月29日頃/高台院寧々の想いは空しく 9月29日/
且元・貞隆の大坂退去 10月1日/幕府方へ弁明する織田有楽/家康、且元に大坂城攻めを伝える 10月1〜5日/茶々と且元の訣別/茶々・秀頼そして且元の死去 慶長20年5月

95 :
黒田基樹も色々と手を拡げてきて、渡邊大門や小和田哲男ぽくなってきたな

96 :
織田豊臣やってやっと一人前とかいう業界の風潮があるらしいからな
それに文句言ってたグループなのに結局やるんかいという

97 :
黒田氏は豊臣氏ではなく羽柴家を多用する傾向があるように見えるけど
何可こだわりでもあるのかな

98 :
名字と氏を明確に区別するためじゃない?

99 :
そうなんだろうけど無意味な行為だ

100 :
無意味かどうかを判断するのはお前じゃないんやで


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