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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part25


1 :2019/07/15 〜 最終レス :2019/07/29
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part24
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1559037707/

2 :
史実時系列表(仮・本戦後を加筆)

6月6日 会津征伐に関する軍議、芳春院(まつ)、人質として江戸に到着
6月16日 家康、大坂出陣
6月23日 細川忠隆隊上杉征伐に丹後宮津を出陣
6月27日 細川忠興隊上杉征伐に丹後宮津を出陣
7月1日 家康、江戸到着
7月2日 秀家、出陣式
7月12日 前田、増田、長束が輝元に大坂出陣を要請
7月15日 輝元、広島出発
7月17日 前田、増田、長束「内府ちがひの条々」、細川ガラシャ自害
7月19日 輝元、大坂城入城、伏見城攻防戦開始、秀忠が会津へ出陣
7月21日 家康、江戸から会津に向け出陣
7月22日 宇喜多、小早川、鍋島伏見到着、毛利軍が瀬田の砦構築を担当することとなる
7月25日 伝「小山評定」
7月26日 東軍諸将、西進開始、利長金沢を出陣
7月29日 三成伏見到着
8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月4日 瀬田の砦構築完了
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月16〜17日 市橋長勝・徳永寿昌・横井時泰らが福束城を攻略。
         福束城主丸毛兼利、大垣からの援軍伊藤盛正・武光忠棟・石田らは敗走
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月19日 市橋・徳永らは高須城高木盛兼、駒野城高木帯刀、津屋城高木正家を攻略
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信が迎撃に失敗し岐阜城へ敗走、島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略、東軍先発諸将赤坂に布陣、秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日  京極高次が北陸から大津城に帰城、東軍方として兵3000で籠城する。付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約15000がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月9〜10日 尾張の野間・内海にて毛利水軍が合戦
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 家康清洲入城(33000?)、前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着、小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠、西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月15日 毛利元康ら大津入場
同日   関ヶ原の合戦(本戦)で東軍勝利、宇喜多石田大谷が壊滅、島津長束長宗我部他は撤退又は敗走

3 :
9月16日 伊勢亀山、桑名城など東軍に降伏し開城
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)、佐和山城落城、大津城開城、大垣城から相良秋月高橋などが降伏
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 大垣城の福原長堯が降伏
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着
9月24日 権中納言九条忠栄が家康へ戦勝祝い
9月25日 輝元大坂城退去、福島黒田らが大坂入城、増田長盛、高野山へ退去
9月27日 家康大坂入城
10月1日 恵瓊、行長、三成が斬首される

4 :
8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)、
おそらく南濃周辺:長島城への備えとして原勝胤(長頼)800

近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、吉川広家ら5000、
  後続として毛利秀元ら1万、長曾我部盛親2100、鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700

その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中江直澄390、蒔田広定370あたり。

瀬田守備隊等
相良、秋月ら約6900、
美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、

あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?
大坂は輝元・元康15000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、
その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。

秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。

それと「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」
これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。

毛利は、毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)と仮定
毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。

■安濃津城攻城戦での吉川隊(秀元等他の毛利含めず)の死傷者数。

・戦死75名、負傷226名。死傷者計301名。
負傷内訳:銃創126名、槍創60名、矢創24名、刀創1名、銃槍創5名、銃矢槍創2名、
       矢槍創8名、計226名。

吉川広家が推測で兵3000引き連れていたとしたら、安濃津城力攻めでの死傷率は10%と言える。
けっこう高いね。
毛利の他隊も同様の損害が出てるなら、南宮山の秀元&吉川は13500くらいかもしれない。


それと東軍先発隊の兵数については、一般的には渡河部隊約35000と言われているけど、
>>5にあるように福島覚書準拠でいくと49300〜58000くらい?となる。
かなり差があるのでこれをどう見るか、だけど。

5 :
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら1050〜4000くらい?
長島城:福島正頼、援将山岡景友、計780余

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。

伊勢の東軍方は、安濃津城の富田信高、伊勢上野城の分部光嘉(史実では
寡兵での上野城防衛は困難とし安濃津城の富田に合流)、
松阪城の古田重勝、岩手(岩出)城(三重県度会郡玉城町岩出)の稲葉道通、
あとは去就不明の桑名城の氏家行広。


池田家履歴略記 巻之三には
上流渡河組18250余、下流渡河組16730余、とある。



上流渡河池田隊:18250 下流渡河福島隊:16730
犬山城抑え:3000〜4000 清洲城守備:1050〜4000?  
東軍先発隊総計約39030〜42980。 なお松平忠吉は駿府在番説と清洲滞在説あり。

6 :
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城


こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。

これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。



関東方面在番状況

宇都宮城:本丸結城秀康、蒲生秀行、二の丸小笠原秀政、三の丸里見義康、
       宇都宮城総計約18000?

大田原城:大田原晴清、那須資景、福原資保、千本資勝、大田原増晴、岡本義保、
       伊王野資友、服部正成及び伊賀衆。

黒羽城:本丸岡部長盛及び甲賀衆100、二の丸服部保英及び伊賀衆100、三の丸大関資増、千本義定

鍋掛:皆川広照、水谷勝俊

蘆野口:蘆野政泰、  伊王野口:伊王野資信、

烏山城:成田泰親
厩橋城:平岩親吉
高崎城:諏訪頼水

江戸城:本丸松平康元、石川家成、松平清宗?、菅沼定盈、諏訪頼忠
     西の丸武田信吉、松平康忠、天野康景、
    

特記点としては、6月下旬頃より家康の指示で、大田原城、黒羽城は1000人規模の人足を
動員しての防備強化普請を行っている。
同じく宇都宮周辺も、秀忠、秀康らによって約一ヶ月間強化普請を行っている。
兵数については不明部分も大きく、わかる方いれば補足、訂正等よろ。

7 :
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。

403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。

8 :
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。

9 :
保守

10 :
■■1■■
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが

徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている

もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。

※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法
とある
岐阜城後詰め決戦は発生するよ  岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた

■■2■■
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流

膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…

■■3■■
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。
個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。
輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。

11 :
以前のスレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>7
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>8
岐阜城早期落城させない為の手段が>7の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>7の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>9の1
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9の2のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>9の3

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負

12 :
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


国史跡岐阜城跡で石垣が新たに見つかりました!
http://www.city.gifu.lg.jp/32568.htm
一部抜粋
<山城としての岐阜城の評価について>
・ これまでの岐阜城の概念(山上の詰城+山麓居館という二元的構造)を考え直させる大きな発見。

国史跡岐阜城跡 山上部の発掘調査で信長期に築かれた石垣を確認しました!
http://www.city.gifu.lg.jp/26193.htm

◎岐阜城跡で初めて鉄の矢じりを発見(2区)
 鉄鏃(てつぞく)の長さ14.6cm、幅2.0cm  
→慶長5年(1600)8月23日の関ヶ原の戦いの前哨戦で使用された可能性がある。
遺物は軒平瓦、飾り瓦、鉄鏃など コンテナ4箱、破片数約500点が出土

→中でも、今回発見した、裏門周辺における巨石列や石垣は、これまで謎に包まれていた裏門の構造解明につながる大発見

有識者の評価  中井 均 (なかい ひとし) 氏 (滋賀県立大学教授)
『稲葉城趾之図(いなばじょうしのず)』に記された裏門とほぼ一致するところで門跡と見られる遺構が検出されたことは、
絵図が極めて詳細に現地の遺構を確認しながら描いた城跡図であることが明らかとなったといえる。
巨石を用いた構造は大手にあたる一ノ門、二ノ門と同じ構造であり、
背面の城域を区画する重要な門であったことがわかる。
また、今回明らかとなった裏門付近には小石材を用いた石垣も発見されているが、
これは斎藤道三の稲葉山城の石垣と見られ、金華山には道三期の石垣も残されていることが判明した。
門遺構、道三期の石垣が同時に発見された意義は大きい。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf
近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf
農林水産省東海農政局 木曽川水系土地改良調査管理事務所の案内
http://www.maff.go.jp/tokai/seibi/kensetu/kisocyou/html/pdf/014-99.pdf

上記より抜粋
忠節用水は古来、金華山麓に取入口を設けて、岐阜の旧称井ノ口村
の名を生んだといわれる農業用水である。天文3年(1543)の長良川の大
洪水により岐阜市忠節の地に取入口を移し、以来400余年幾多の変遷を
経て引水が続けられた。



関ヶ原当時の引水部や用水経路がいまいちよくわからないが、
惣構の水堀が用水兼用だったとするならば、非常用水源となりうるのではないだろうか。
また、水の手口という名称から、その麓、丸山の辺りが取水口じゃなかったのではないかと
思うがどうだろう?

13 :
野間・内海合戦については詳細は不明で、

白峰氏は考察論文、「伊勢国津城合戦頸注文」及び「尾張国野間内海合戦頸注文」に関する考察(その1)―津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討

の中で以下のように述べられている。

本稿で扱う野間内海合戦については、前掲『三重県史』通史編、近世1に、
「九鬼義隆西軍に加勢」として立項され解説されている中で、「九月九日・十日両日
尾張知多半島(愛知県)先端部付近での戦闘」であり、
「当時の知多半島は、長島城主福島正頼が預かっていたとみられる(『新訂寛政重修諸家譜』
第二一)ので、北伊勢において東軍に付いた長島城の背後、
ひいては岐阜方面に集結しつつある東軍の背後を脅かす作戦を実行したのであろう。
この作戦には瀬戸内水軍が主となったものと思われ、
これに九鬼水軍が参加したかもしれない。」としている。


野間・内海合戦関連

愛知県史資料編13織豊3より引用

東軍の攻勢によって主戦場が尾張国内から木曾川を越えて美濃国西部へと
移っていく中、尾張・三河両国の海岸部では、西軍方に与した
志摩国鳥羽(三重県)の九鬼嘉隆の軍船が焼き打ちを行っており、
九月には毛利輝元の臣乃美景継・村上景弘らの軍船も伊勢湾に現れた。
毛利氏の水軍は九月九日未明に伊勢湾を渡って知多半島に押し寄せ、
各地で放火や合戦をおこなった。「慶長年中記」九月十日条にも
九鬼水軍による焼き打ちに関する記述がみえるが、
毛利氏の水軍もこれに加わっていた可能性がある。


慶長年中記 巻一
十日 熱田西の海辺四五ヶ所、是ハ敵方九鬼大隅(嘉隆)焼候よし、
岡崎?地鯉鮒(池鯉鮒)へ行に焼見ゆる、熱田海辺より五六町ほと大船一艘、
地ハ紫に白き桐のとうのまく張たる九鬼大隅守のミよし先へ被遣候、
御馬印持候ものさんたか橋にて 御目見いたし候、とかくの御意なし、

次は 慶長見聞書 二

同日(慶長5年7月21日)岩手(伊勢国)城稲葉蔵人(道通)手勢九百六拾人籠候処、
九鬼大隅守(嘉隆)町口迄取懸候へ共、堅固被相抱候間、
敵の人数引退申候、其後九鬼大隅守・堀内安房守(氏善)以下船手の衆卒し、
尾州・参州之灘浦を焼払、漁人村老男女僧侶に不限切捨狼藉前代未聞也、
尾州毛呂崎(師崎)江寄ンとす、
浦のもの内々近日従関東御上を聞て、其間敵をたるめ魚を取て日々に送り、
様々の音信におよひけり、
然るニ案のことく千賀孫兵衛(重親)一夜の内ニ而のりつけ、
大勢籠たるやうニ見せ、浦々に旗を立置候間、
敵驚寄せ不申、其間に松平紀伊守(家信)・小笠原新九郎(広勝)・
同安芸守(小笠原信元)次第ニ乗付申候間、
弥敵船驚きこきのき申候、右ノ海上浦々の悪行の天罰にや、
此口の寄手の大将達のすへ?迄後ニ皆たへはて申候、
武家の習殺業なくて不叶されとも、
分の敵を討て非分の者を不討とはかやうの事にや、

此時戸田三郎右衛門(忠次)・清水権之助(政吉)ハ
大野・とこなへ(常滑)に罷在候間、
舟を出し防候間、敵不叶舟をこきのき引取申候、

14 :
野間・内海合戦関連

浦備前覚書 巻一 無尽集第七七冊

先年関か原御弓矢之時、伊勢地数船之御船指廻し、御国?ハ村上八郎左衛門殿
(景広)・乃美備後殿(景継)御船手不残被差出、
大坂よりハ菅野平右衛門殿(管達長)・村上彦右衛門殿なだ声古ヲ被差添御廻シ被成候、
伊勢之鳥羽ニ者九鬼大隅殿(嘉隆)大坂へ之御馳走ニ、
右之御方々大隅殿江御座候而方角万事御談合被成、
尾張灘手を御働被成御儀定ニ相澄、
おふミなと(伊勢国大湊)まて御座候而、彼表ニ而長々船中各御苦労被成候条、
一夜彼在所にて御休め被成之由、悉宿を取り御休息候処ニ、
乃美備後殿野せつちん(雪隠)へ参と被申、
五六丁家はつれへ被参候而都合被見合候処ニ、
彼在所より弐里間にて岩手と申城を敵方?持堅、
おふミなとの在所からも殊外手広不審ニ相見候条、
各うかと罷居儀ニ而無之候条、夕飯を仕廻、
夜入候者船へ各被召可然之通被申付而、悉船ニのり申候へハ、
夜半迄(過)ニ岩手?夜打ニ心懸人数差出、殊外物あぶなき躰にて、
下々共ニ備後殿御見合之段感入候、一日間ニて血地江御働ニ、
不残御渡り被成候、尾州之内大野と申浦江九月九日未明ニ被打入、
一段仕合能発向被成候、其次ニ二浦同前ニ候而、各御談合ニ、
今日之働ハ不残出来申候へ共、放火不仕候条、
明日之働ニハほうくわ(放火)を専ニ仕候様ニと仰事ニ候、
かたかミと申在所を未明ニ御働、一軒も不残放火仕り、
頓而其次野間の内海と申浦江御仕掛候処、
是ハ先代(源)義朝之御腹被召たる浦ニて候得者、
船本江人数差出相さゝへ候へとも、船よりの御仕掛丈夫候故、
終ニハにけくつし多分追討ニ仕り、
船本より一里半奥ニ義朝之御影御座候故、坊中江おひ入候故、
跡?足長仕ル儀ニてハ無之候条、各引取り候へと被仰付、
不残引取申候、礒兼加賀殿上下八人ニ而、
彼御影之寺放火不仕候へハ、此在所相働専ハ無之候条、
是非共ニ放火仕り引可申と被申候而ふかいりの故、
人数三十計討出取まき候条、別条子細も無之候間、
足床を見合高ミを取可相果覚悟ニ候、
壱人にても足を乱シ候而ハ不叶儀候之条、八人之者ハひつかけ相果覚悟ニ候、
其人数ハ加賀殿上下三人・乃美平左衛門殿上下弐人・
末永惣右衛門・世良源右衛門・末島(島末)与左衛門、
此八人ハ鉄炮弐丁御座候而、引懸五間ほとにて討候やうニと覚悟仕り候処、
敵も其覚悟ミきりはた?と不仕懸候処ニ、舟本江此聞候而、
乃美備後殿・村上八郎左衛門殿自身かけつけ候へハ、
のほりさきを見及引取申候故、無事ニ御しのき、
御両人衆殊外御しかり被成、(乃美)宗勝巳来上りはたらきの仕やうハ御存知ニ而、
深入沙汰之限りと被仰、無事ニ船本御引候事、
二日之間ニ六浦御働殊外出来候事、

15 :
関連スレ
関ヶ原合戦の真実 Part10
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1553429187/
大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part8
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1536754046/
【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 5 【徳川】 [無断転載禁止]©2ch.sc
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1498216606/
二重公儀論について考察する [無断転載禁止]©2ch.sc
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1472608426/
【秀吉・秀長】豊臣氏・羽柴家総合スレ5【秀頼・秀次】
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1542893023/

誘導は上記適当スレへ。

16 :
過去スレ
part1
https://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1477558509/
part2
https://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1484991108/
Part3
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1487680538/
Part4
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
Part5
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1496748424/
Part6
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
Part7
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
Part8
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1505981945/
Part9
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1509028014/
Part10
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
Part11
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
Part12
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
Part13
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1522672144/
Part14
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
Part15
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1528335113/
Part16
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1530344370/
Part17
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1532773324/
Part18
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1535414790/
Part19
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1537715258/
Part20
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
Part21
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1543403991/
Part22
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1549630474/
Part23
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1555282251/
Part24
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1559037707/

17 :
おすすめ参考書籍・資料・史料等

関ヶ原の役: 日本の戦史 (徳間文庫カレッジ) 文庫
? 2016/5/7 旧参謀本部 (編集) 1566円
いわゆる今までの一般通説的な関ヶ原合戦はこれ読めばひと通り書いてある。

「関ヶ原」を読む: 戦国武将の手紙 単行本 ? 2018/2/25
外岡 慎一郎 (著)  2160円
北陸方面の前田、大谷あたりを中心にあまり偏った見解なくわかりやすく書かれている。

関ケ原合戦―戦国のいちばん長い日 (中公新書 (642)) 新書 ? 1982/2/23
二木 謙一 (著) 799円
一般的通説の各種エピソードを詰め込んだ小説風。読みやすいことは読みやすい。

直江兼続と関ヶ原 単行本 ? 2014/8/4
公益財団法人 福島県文化振興財団 (著)  1728円

近年出てきた新説、新解釈等は、笠谷和比古氏、白峰旬氏、光成準治氏あたりの
著書が参考になると思われる。

金出したくない人向けには、

国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E9%96%A2%E5%8E%9F%E8%BB%8D%E8%A8%98%E5%A4%A7%E6%88%90&viewRestricted=0
ここで関原軍記大成が読める。

18 :
以上、時系列表等参考になるものと有力案のコピペ終了。

訂正等は遠慮なくよろです。

また、その他の案としては、美濃主攻案(P17>303)、北陸主攻案、早期尾張進攻案、
鳴海上陸作戦案(P24>137,405)、9月7〜10日赤坂挟撃案(P19>841)等あり。

また、上記諸表の兵力数は戦闘の損害による兵力減少を考慮しておりません。

19 :
再掲:西軍の基本方針としての後詰決戦案


伊勢に大軍を送り込むなら、北陸と美濃は籠城して持久態勢。

シンプルに言うならば、
「基本方針として、前線諸城、諸氏は、敵主力から攻撃を受けた場合、
迂闊には迎撃、反撃せず、約半月持久を目途に籠城持久し、西軍主力の後詰を待つこと。
後詰到着後、協同し敵主力を撃滅し、西軍勝利を目指す。」


つまり、敵主力が岐阜に来ようが桑名に来ようが犬山に来ようが北ノ庄に来ようが
とにかく前線の城は籠城持久し、敵主力のその地域へ拘束。
味方主力の後詰来援を以って有利な戦力比、地域(地形)で敵主力を撃滅する。
別に岐阜城後詰決戦でなくても桑名城後詰決戦でもいいわけで、
敵主力がどこに来るかはどうでもいい。

徳川に味方するであろう者がそれなりにいるであろう以上、
秀吉の小田原北条征伐のような圧倒的な関東進攻は非現実的で、
現実的に勝利を目指すなら、敵主力を撃滅し、有利な状況、条件で和睦、
これがいちばん現実的だと思う。


美濃戦線の岐阜城後詰決戦案もこの基本方針の派生として捉えられる。

問題点としては、籠城すべき拠点城は定める必要があるかもしれない。
例えば福束城や大聖寺城に半月持久しろと言っても、兵力・防御力等の点で
無理なものは無理だし。

20 :
前スレ>942
>925に「美濃を無視して京都大坂を〜」とある。美濃から行かないならルートは伊勢しかない。

21 :
8月22日付秋田実季宛佐々正孝書状より抜粋

一 勢州桑名氏内膳(氏家行広)、加勢原隠岐守(原長頼)、神戸羽下(滝川雄利)・
 亀山岡本次兵へ(良勝兄弟重国の子?)、
 加勢大和衆少身者五六人以上二手ほと入置之由、
 鳥羽島九鬼持分、此分上方一所之事

とある。

これに明石掃部を加えれば、桑名周辺には5000〜1万くらいが展開・在番していたのでは
ないかと思う。
石田の構想としては、犬山・岐阜・大垣・桑名各城に7000ほどで籠もっていれば
そう簡単に防衛戦は崩壊しないだろうという考えだと思う。


>>10の1の下段の、8月22日付徳川家康宛井伊直政・本多忠勝連署状と思われる書状だけど、
探してるんだけど全文がわからない。
徳川家康文書の研究 中巻ってのは中村孝也著の新装版じゃないほうなのかなぁ?
見たかんじ8月22日付徳川家康宛井伊直政書状しか載ってないんだよね。
ネットで検索すると現代語訳みたいなのは出てくるんだけど。
どなたかご存知ないですか?

22 :
いや、いやお見事な策です。で通信連絡が帝国陸軍レベルではいかんとも。先の大戦の連合軍かドイツ軍レベルで無いと難しく存じますが。

23 :
>>22
過去スレ読んでる?電話や無線なんてないんだから7月中、遅くとも8月初頭には
基本方針を策定しておく必要があると以前書いたでしょ。
そして基本方針に沿って敵の大軍が来たら前線拠点はまず籠城、
後詰の要請。半月も粘れば他方面から後詰決戦用の味方主力が到着する、というもの。

24 :
士気が大して高くない上に半月も捨て鉢にされる側のことも考えてあげて下さい

25 :
半月も救援に来ない
西軍についたはいいが東軍と全面衝突して逃げ場のない状況が果たして正しいか分からない
東軍方の懇意にしてた人物から降伏勧告と戦後処理で悪いようにしないと持ちかけられる
そもそも争いに巻き込まれただけで挙兵の首謀者でもないのになぜそこまで義理立てする必要があるのか

26 :
尾張を落とせず、岐阜城を失った段階で7割方詰んでる。

これを巻き返すとしたら宮津や大津の兵力を呼び集めた上で勢多か野良田あたりで野戦する(西軍側に内通者が多すぎて負ける可能性大だが)か、勢多に強大な陣城を築いて毛利輝元に総力を挙げた後詰させるしかない。

27 :
三成が家康生母お大を人質に取れたらどうだったろう?

28 :
>>23
別に東軍が蜂起して問答無用で攻め込んできたのではなく
三成たちが勝手に蜂起して東軍に喧嘩を売ってきたんだから
防衛線の維持を他人任せにして耐えろとか後ろから命令する方がおかしい
美濃の諸大名からすれば、三成や輝元が前線に出向いて戦えという話でしかない

29 :
>>19

「持久」しても、戦力の東軍優勢は揺るがないのでは?
(家康・秀忠・利長に優る戦力を西軍は動員できないのでは?)
戦力劣勢の状況下でも勝てるとする根拠は?

東軍が前線諸城の攻城戦を選択する理由は何か?
東軍が直接大坂の解放(毛利・奉行衆の駆逐)に向かう場合の対処は?
拠点を出て行軍阻止を企図するなら、戦力劣勢での野戦を余儀なくされるのでは?

30 :
>>1
関ヶ原本戦は、石田がでしゃばりすぎ。石田はそろばんしかできない小役人。
現場の総大将を宇喜多、副将を島津にすれば良かっただけ。
島津に島左近の部隊を与力として遊撃軍としてね。

31 :
家康が偽の源氏だと証明すりゃ良かった

32 :
>>26
わたしは敦賀・関ヶ原・桑名は放棄すべきではないと思う。
佐和山に篭って愛知川で迎え撃つ、あるいは瀬田で迎え撃つはあまりメリットをかんじない。
越前衆はほぼ前田に合力してしまうだろうし、湖西ルート考えると瀬田、となるけど、
岐阜落ちて美濃・越前放棄して瀬田まで後退ではさすがに離反者が増えると思う。
岐阜が落ちない方策を考えるほうが可能性があると思う。


>>29
総戦力では西軍劣勢だから西軍は東軍を各個撃破するしかない。
何度も言ってると思うけど。

東軍が大坂に進撃するには美濃か伊勢を通らなければならない。
抑えの兵も置かずに進撃すれば孤立するだけ。
というかそんな非現実的なことを東軍がするわけがない。

33 :
>>32
岐阜城を保つなら、佐和山あたりでのんびりせずにさっさと宇喜多や石田、島津らで岐阜城に入るのが当たり前。それすらせずに佐和山あたりにいる時点でどうしようもない。

岐阜城落ちた時点で美濃は諦めないとどうしようもない。前田利長に関しては1ヶ月何とかすれば、徳川家康にしても2ヶ月ほど時間稼ぎしたらあのあたりも雪になり、自然と戦えなくなるから、しばらく時間稼ぎして戦略練り直すしかない。

34 :
>>21
どちらかと言えば真実スレで聞いた方がいいんじゃないかな

35 :
>>32

その「各個撃破」の具体案は?
西軍の行動は東軍に筒抜けで、東軍のそれを西軍はほぼ把握できない、
という史実を前提にして


>東軍が大坂に進撃するには美濃か伊勢を通らなければならない。
西軍はその両ルートへの配備が必要だが、東軍は手薄なルートに注力
すればいい、勿論他方への「抑えの兵」は残して

というか、北陸から利長が来ることを想定しなくて良いのか
また、あんまりグズグズしてると、大友を破った黒田が毛利領に進軍してくるし

36 :
黒田官兵衛は名軍師だが海戦の心得はない
毛利水軍・村上水軍が関門海峡を固めていれば
官兵衛は不慣れな海戦の発生を恐れて本州上陸へ動けず
反転して薩摩へ攻め入るのではないか
中央で東西が争っている間に官兵衛が九州全域を切り取ることを目指すわけだ

37 :
そもそも黒田如水は「軍師」じゃねえよ。秀吉の前線指揮官の一人に過ぎない

38 :
流石に九州勢の動向は気にする必要は無くね
石垣原の戦いが関が原本戦とほぼ同時期、清正が宇土落としたのは本戦の情報入ってから
(本戦の知らせ聞いて慎重策に切り替えた可能性もあるが)
鍋島が東軍に転んで、柳川城接収するころにはもう本戦からひと月半以上経過してる
(本戦が無ければ鍋島の参戦は無いしもっと遅れるだろう)

39 :
島津にちょっかい出すこともないだろう
朝鮮で武名挙げたばかりで平定するには手強いし、そのくせ庄内の乱で荒廃してるから制圧しても旨味が無い
本国の義久や忠恒が西軍として動くつもりならもっと早く動き出してただろうから寝た子を起こすこともない

40 :
後々、徳川が諸大名から支持を失って天下を失った直接の原因は第二次長州征伐で大敗したから
第二次長州征伐で徳川が勝っていれば尊王論が台頭していても徳川の天下は続いていただろう

何が言いたいかというと史実の三成は上杉征伐が本格的に始まる前に決起したが、
俺は逆に家康が「謀反人」征伐で「失敗」するまで決起しない方がよかったと思われる

41 :
成功しちゃったらどうすんだよ

42 :
>>40
本当は上杉より毛利の方が適任なのだが、
家康在京(坂)時に毛利が国元で挙兵する
家康が諸大名に出兵を命じて毛利征伐を行い戦闘開始。
三成と小西と宇喜多が私財をなげうって鉄砲弾薬から最新の大砲まで毛利に援助する。

第二次長州征伐の大敗で徳川が天下を失ったなら、
徳川が天下を取りかけた260年前に同じ戦いをやるということで

43 :
関ヶ原の後に家康は自分の天下の地歩を固めたが
島津だけは家康に謝罪上洛せず対立が続いた
結局家康が島津に本領安堵という破天荒な寛大措置を取って、
ようやく島津が上洛して家康に頭を下げた

きっと家康は島津征伐(薩摩征伐)でしくじることを恐れたんだと思う
薩摩征伐でしくじったら、せっかく勝ち得たばかりの徳川の天下に傷がつく

44 :
ID:ZUDaX6fr
例え話ガイジ
NG推奨

45 :
歴史の皮肉だな

天下人まであと一歩の時期の秀吉は、徳川征伐のしくじりで天下を失うことを恐れた
だから小牧長久手で家康に負けた後は、秀吉は戦を避けて特別待遇で粘り強く交渉した
天下人まであと一歩の時期に家康は、島津征伐のしくじりで天下を失うことを恐れた
だから島津とは戦を避けて特別待遇で粘り強く交渉した

46 :
歴史の皮肉だな

天下人まであと一歩の時期の秀吉は、徳川征伐のしくじりで天下を失うことを恐れた
だから小牧長久手で家康に負けた後は、秀吉は戦を避けて特別待遇で粘り強く交渉した
天下人まであと一歩の時期に家康は、島津征伐のしくじりで天下を失うことを恐れた
だから島津とは戦を避けて特別待遇で粘り強く交渉した

47 :
>>44
ID:9bs7EB6J
自分の意見に反論されると「脳みそおかしい」と人格否定してくるガイジ
NG推奨

48 :
>>42
毛利征伐なんかやったら、宇喜多はどうするんだよ。所領の位置からして真っ先に討伐軍に協力して尖兵を努めないといけないし、断れば宇喜多征伐になるだろうに。

49 :
>>48
宇喜多は最初は徳川軍に従軍して途中で裏切るか撤退し、
停戦すべきという建白書を豊臣家へ提出する

ちょうど第二次長州征伐の岡山藩池田家がやったみたいなもの

50 :
結果論だが第二次長州征伐で徳川の敗因の一つは戦場が長州周辺という
西国だったせいもあるよ
徳川の金城湯池の関東とはあまりにも離れすぎていた

上杉の会津征伐は関東に近接しているからなあ

51 :
ID:ZUDaX6fr
例え話ガイジ
NG推奨

52 :
秀吉は普通に再度の家康征伐の準備はしてた。大地震で頓挫したけど
家康は征伐に失敗するリスクよりも征伐後の島津領の扱い考えて、どうせ島津以外治められる奴いないからってことで本領安堵決めたんじゃねーかな
庄内の乱終わったばっかの島津を先のこと考えずただ潰すだけなら難しいこととは思えない

53 :
幕末のクソ弱体化した幕府軍と当時の徳川軍。
小笠原長行と徳川家康。
池田章政と宇喜多秀家。

どう考えても、関ヶ原の時とは状況も人物も違いすぎる。

54 :
いつもの例え話ガイジにしては句点とクエスチョンマークが無いから新手の荒らしだろう

55 :
>>52
流石にあの時期に徳川軍や味方諸大名を九州南部まで派遣して、万一の事態が上方や関東であったらまずいと思うが。

やはり距離の問題もあるだろう。

56 :
>>51
NGにしたいなら自分だけでやればww
みんな僕を孤立させないでええええ同調してえええとPCの前で絶叫してるのww

ID:9bs7EB6J
脳みそガイジ
NG推奨

57 :
>>52
いやいや準備は承知しているが準備だけ
秀吉なんて母と妹まで家康のもとへ送ったんだぜ
どうしても戦を避けたかったのだろう

島津と家康の間だって、所領の削減すらないからな
しかも関ヶ原から2年間も島津が上洛してこないのを家康は我慢して粘り強く交渉していた

58 :
自分の持っていきたい結論のためにどれだけ状況が違うのかを一切考えないで十把一絡げに語ってるだけ
結論が先行してて論ずるに値しない

応答したら煽るかレッテル張りする典型的な荒らしのパターン

59 :
>>53
あと弱体化といっても第一次長州征伐で幕府は勝った後なので、
幕府の権威は再び盛り上がりの様子を見せていた
緩和していた参勤交代も復旧させていたし


中央政権は地方で起きた反乱を鎮圧できないと衰退する
平氏政権も富士川の戦いで源頼朝に敗れてから反乱が続出した
鎌倉幕府も千早城の戦いが泥沼化してから反乱が続出した
室町幕府も足利義尚の六角征伐が泥沼化して成功できず、
応仁の乱で地に落ちた将軍家の権威を再興する機会が失われた
そして第二次長州征伐

60 :
>>58
NG推奨と言っといて、何書いてんの?
誰も同調してくれないからやめたの?ww

61 :
>>58
ここはifを語るスレなので、他の歴史事象と比較して三成はこうすればよかったと
論じるのは当然ですよ

NG推奨にしないんですねw

62 :
挙げ句他人の見分けすらつかないポンコツ脳みそ
NGコロコロ常習してんだろなぁこいつ

63 :
>>62NGコロコロ常習
何ですかそれww
ポンコツ脳みそって自己紹介ですか?
あとNGにしてくださっていいですよ どうしてしないの?ww

64 :
比較は結構だが
違いがあることすらわからんのに味噌もクソも一緒くたで比較するのは阿呆のすること

その程度のこともわかってないから客観性のかけらもない三文駄文しか展開できない

65 :
あまり強い言葉で罵り合うのやめませんか

66 :
別人であることもわからない脳みそだから謝るも省みるもできない
ここでそれ以上絡んでも、三文駄文の値が安くなるだけよ

精々主張をお高く見せたきゃ真っ当な人間のフリくらいできるようにおなり

67 :
三成は「家康は太閤殿下の遺言に背いた!!」を金科玉条のように掲げて弾劾文を
作成したが、当時の考えでは天下は回り持ち
諸侯も「太閤の次は徳川の天下。だから遺言違反はしょうがない」ぐらいの感覚で、
三成の金科玉条への反応が薄かった

だから徳川が第二次長州征伐で失敗して諸大名の離反が相次いだように、
家康の上杉征伐か毛利征伐が失敗していれば、家康の天下に疑問符が付くので、
三成にもチャンスはあったかもしれない

68 :
>>66
このように僕の脳みそはすごいんだぞおおおおと2chで自慢ww
お笑いですね

精々主張をお高く見せたきゃ真っ当な人間のフリくらいできるようにおなり

69 :
>>66
別人であることもわかんないのかとありますが、2chでそもそも別人か同一人物かなんて
わかりようがないのでは?

それを含めてネット掲示板ですよ

70 :
他人の言葉返すだけのオウムに成り果てたか
畜生レベルの脳みそで頑張ったねー

71 :
>>70
脳みそばかり連呼していて哀れですね

72 :
相手が誰なのかもわからないのに勝手に同一人物扱いした自分のオツムの悪さの紹介ありがとうねー
よく言えたねーえらいえらい

73 :
ID:ZUDaX6fr
例え話ガイジなので
NG推奨

74 :
ID:9bs7EB6J
例え話ガイジなので
NG推奨

>>72
同一人物扱い?よくわかりませんねどこの部分ですか?

75 :
0060 人間七七四年 2019/07/15 18:10:53
>>58
NG推奨と言っといて、何書いてんの?
誰も同調してくれないからやめたの?ww  

自分が書いたことすらすぐに忘れる、まさにオウムレベルの鳥頭

76 :
>>75
これは失礼しましたね

ただ鳥頭とか脳みそとか言っているあなたの暴言も問題だと思いますよ

77 :
>>75
ではあなたはNG推奨ではないよということですね

78 :
三成が決起するなら、
家康が上杉征伐か毛利征伐(もしあれば)が失敗した時まで待つべきだった
失敗すれば、家康の天下に疑問がつく
それを待つべきだった

幕末期だって徳川が第二次長州征伐に失敗して人心が離れた所で、
討幕派が小御所のクーデターを起こして、徳川は辞官納地をつきつけられた
三成も徳川の上杉征伐か毛利征伐が失敗した後で、
小御所ならぬ大坂城のクーデターを起こして、徳川に辞官納地をつきつけるべきだった
かなり極端な話だが

79 :
筋が悪いと見れば謝る程度の知能はあったか
どちらにせよ、勝手に同一人物認定した挙げ句煽っておいて、こっちの暴言だけ取り上げてなぁなぁに済まそうとしても遅いわな

80 :
>>79
ではNG推奨ではないということですね

81 :
>>79
あなたも暴言という自覚があるわけですね
じゃあ謝ってもらいましょうか

82 :
9bs7EB6Jさんは同一人物扱いされたことに、コメントをお願いできますか

83 :
失礼しましたの一言でまさか自分のやった悪行全部がゆるされると思うのか
ましてやこちらが許したとも書いてないのに

発言内容にまるで責任感もかけらもないな

84 :
さんざん他人の脳みそをバカにしといて、てめえの悪行の方が100倍問題だわ
客観性?おまえのほうがよっぽどねえだろwwwww

おまえこそ反省して出直せwwwwwwwwww

85 :
>>82
あなたにとって、石田三成は西軍の総大将なのかいかがか?

86 :
俺をNG推奨と言っているレスと同一人物扱いすんな鳥頭というから、
じゃあNG推奨論者じゃないのか失礼しましたと思ったら、実は同じNG推奨論者というオチ?ww

何んじゃそりゃwwwwwwwwwwwwwwwwwww

87 :
>>85
謀主だね

幕末で言う大久保利通みたいなもの

88 :
殊勝な態度で許されないとわかった途端に開き直り
どんどん自分のろくでもなさを周りへ紹介してくれる

89 :
いつもの例え話ガイジより邪悪な奴が二人も湧いてきた件

90 :
>>88

ネット掲示板で粋がって、他人の脳みそをバカにして人格否定するおまえ自身のろくでなさが露呈されたな

91 :
すごいなー、是とも非とも答えてないのに他人の意見勝手にこじつけちゃうんだから
そんなこじつけばかりしてるから三文駄文しか書けないと言うことを理解もしてない

92 :
幕末の長州には大村益次郎がいた。
コイツは性格に問題ありで非業の最期を遂げてるが、軍略家としては天才的だった。

関ヶ原の時の毛利に誰がいる?
小早川隆景も死んで最早誰もいないんだが。

93 :
>>85
さんざん私をNG推奨とレスしておいて
自分はNGにせずに、三成は西軍の総大将なのかどうか質問してくる厚かましさも
ある意味で面白いわ

94 :
>>92
そう
毛利軍には家康に勝てるような戦上手がいない
だからこそ毛利のテリトリーでゲリラ戦をするしか徳川には勝てん

95 :
まさしくネット掲示板で粋がってらっしゃる御本人がおっしゃられるとはいやはや
ご自宅に鏡を置いてらっしゃらないなら是非置くと宜しい、便利なので

96 :
>>93
だってお前昨日答えなかったじゃん

97 :
>>92
乱暴だと思うだろうが、そもそも三成が挙兵して家康に勝てる確率が乱暴なわけでw
その確率を少しでも上げるにはどうすればいいか、もう普通では無理だから考えるのが難しいよ

>>95
他人の脳みそを2chで「評論」するなんて、おまえぐらいだろうな

じゃあここからはおまえの客観的な持論をどうぞ
三成はどうすれば関ヶ原で勝てるのか?

98 :
評論なんておこがましい
見てわかるレベルの低知能が目の前にあったから低知能と言ったまで

99 :
oFVONOElが「三成が家康に100%勝つ方法?ちょいと家康が飲むお茶に毒を盛るのが一番だな」
と答えてくれたら、oFVONOElを支持するわwww

100 :
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?というスレタイトルすら覚えてないらしい
勝手に三成が家康に100%勝つ方法に変えちゃうオツム

101 :
実権も人望もない三成には期待できない
毛利をどう動かすかだな

102 :
そもそも三成て総大将毛利の下の前線総司令官宇喜田の下の美濃方面司令官だろ?

103 :
菅沼暴れとるなぁ

104 :
家康だって秀吉が死ぬまでは天下取りに動かずに我慢したんだ
三成も家康が死ぬまで我慢すべきだったのかもしれないな

105 :
もし三成が何も決起せず家康が上杉征伐をそのまま実行
上杉は降伏か滅亡したとする

ただ上杉が滅亡したとしても会津120万石が空き地となるだけ
120万石を家康がどう切り分けるのか不明だが、
加増が少ないという不満が東軍諸侯から出るかもしれない
史実では家康は関ヶ原の後に西軍諸大名の没収領土+豊臣直轄領という
膨大な領土を味方の東軍諸侯に分配したから恩賞問題の不満は出なかったが、
上杉征伐だけなら没収領土は会津120万石のみだ
関ヶ原が起こらずに上杉征伐だけ起きれば三奉行も毛利宇喜多も健在だから、
家康は豊臣直轄領には史実のように大胆には手を付けられなかったと思う

106 :
首謀者は毛利宇喜田と現役の奉行衆である増田前田長束大谷
石田は隠居してたところを巻き込まれたっぽいしね

107 :
ID:ZUDaX6fr [36/36]

108 :
そもそも当時の豊臣の最大の課題は朝鮮出兵の不満を忘れさせることだよ
そのために必要なのは新しい戦で朝鮮での記憶を上書きすること
会津征伐は不満解決のための最高の方法だった

会津征伐が成功しようが失敗しようが、朝鮮出兵の記憶がリセットされた上に西国大名の疲弊が回復してからが
豊臣の本当の再スタートラインだったのに
再スタートラインに立つ前に西軍が暴走して台無しにした

109 :
毛利も上杉も再び群雄割拠時代に戻って自分の領地広げたい
くらいにしか考えてないわけじゃん(上杉は越後奪還目的か)
天下取ろうとまでは全く考えてない
三成は自分の地位回復したいがために動いた

110 :
>>105
確かに上杉征伐が順調に成功したら恩賞問題が起きる
美濃の織田 土佐の長曽我部 も徳川に加勢しているだろうから

111 :
三成は増田とも、もっとよく話しておくべきだった。
前線に出てから、豊臣の金は出せないとかありえないだろ。
徳川が大阪城に居座ってた時は散々使ってたんだぞw

112 :
豊臣「あ、徳川さん。政務に必要なら使って」
豊臣「クーデター軍にやる金はねえ!」

113 :
>>112
いや鷹狩りだけど・・・

114 :
>>113
は?

115 :
戦争やってるのに豊臣から鷹狩りのお金出してもらいたいの?お前の西軍はのんきだな

116 :
家康が秀頼の参加しない「放鷹の会」に金使ったって話だろ
それ以前に西の丸改修にも豊家の金ガッツリ使ってるけど

117 :
>>35
具体策もなにも>>19に後詰決戦狙いなのはちゃんと書いてあるでしょ。
時期的には清洲の東軍先発隊か前田が対象となる。

北陸主攻ならタイミングは微妙だけど8月8〜10日頃に前田との野戦(追撃戦)狙い、
退路遮断役は丹羽。
伊勢主攻なら岐阜籠城からの岐阜城後詰決戦、
美濃主攻で東軍が伊勢に向かうようなら状況見て伊勢へ後詰か尾張へ進軍、
清洲から動かない場合はなんとか清洲から釣り出す方策を考えるしかない。
小牧山・熱田を占拠して出てきてくれれば野戦。

東軍が伊勢の味方の救援を目的として伊勢に進軍するのはあり得る。
その場合本命は桑名。安濃津に上陸とか考えられないけど、
もし安濃津に上陸したとしても攻撃目標は伊勢亀山と桑名。
つか、なんでわざわざ安濃津に上陸して伊勢亀山と桑名の両面作戦をやらねばならないのか。
対近江、対美濃両面とかリスクしかない。
桑名を平押しするほうがマシ。それでも美濃、伊勢方面両方への警戒が必要だし。


西軍が最も警戒しなければならない部分は、徳川がいつ来るかわからんこと。
徳川が来る前に戦果を挙げなければならない点。

118 :
毛利、上杉ともかつて織田軍と戦っているので、信長の部下だった秀吉の本当の味方ではない。
島津は秀吉に屈服しているし、真剣に戦う義理はないわ。
何度やっても当時の"西軍"は勝てなかったね。

オカルトでは秀次、利休の祟りだろうな。

119 :
>>1
歴史のIF)この軍役どおりの戦力が関ヶ原に投入されていたら・・・

●島津家への朝鮮出陣用軍役覚書(1591年に秀吉から命令)
          人数    備考、身分
(1)馬上衆    340騎   知行300石以上給人
(2)徒歩小侍衆 300人   徒歩で戦う下級武士
(3)無足衆    500人   下級武士
(4)足軽     7732人
(5)夫丸     1900人   ★徒歩小侍衆、無足衆に随伴する陣夫
(6)道具衆    665人   ★
(7)人夫     2000人   ★
(8)加子     2000人   ★船頭、船員。船121艘。

※鉄砲1500丁、弓1500張など。
★農民、漁民から強制徴用

船、人員が間に合わず朝鮮への渡海は遅参した。(島津軍は各戦場では大活躍)
朝鮮との戦争は五ヶ月で終わらせる計画が長期化し徴用された農民、漁民の多くが犠牲。
薩摩では経験したこともない極寒の冬で病死が続出。
===
以上の重い軍役で経済が破綻し関ヶ原合戦時には島津は僅か1500人程度の参加だった。

120 :
庄内の乱てご存知?

121 :
>>117

全体的に良くわからんのだが、とりあえず。

>8月8〜10日頃に前田との野戦(追撃戦)狙い
 具体的に、何処で、誰が前田と戦うのか?「(追撃戦)」の意味は?

>伊勢主攻なら岐阜籠城からの岐阜城後詰決戦
 「主攻」の主体は東軍ってことで良いのか?
 だとすると、なぜ岐阜城で「後詰決戦」できるのか?

>美濃主攻で東軍が伊勢に向かうようなら状況見て伊勢へ後詰か尾張へ進軍
 そもそも「後詰部隊」は、どこにいて、誰が率いる、どの程度の兵力の部隊を想定してるのか?
 東軍の動きを把握して、東軍と同等以上の部隊運用を行うなんて、史実からすると夢物語だが
 その点は無視するということか?

122 :
>>121
上段
史実の北陸方面隊+瀬田の秀元・吉川、丹羽。
宇喜多秀家は大坂にいるから間に合わない。
前田が越前から金沢へ撤退する時。捕捉できれば追撃戦、
留まって対峙すればそこで野戦になる。
追撃先手が大谷ら北陸方面隊や越前衆、間に合えば秀元・吉川、
退路遮断役が小松の丹羽。

中段
西軍が史実通りの伊勢主攻なら、の意。

下段
前にも答えたけど、他方面の手空き部隊。
東軍の動きは攻撃される前線拠点からの後詰要請でわかる。
そこに後詰をして後詰決戦。

前にも述べたけど、このプランの最大の弱点は前田と東軍先発隊に
同時攻勢に出られると兵力不足から対処できないという点。
その場合、輝元が、元康・秀包の戦略予備の投入を決断してくれないと
非常に厳しい状況になる。北陸・美濃で総崩れも有り得る。

123 :
対前田戦は利政を調略して利長と兄弟争い起こさせる方が合理的
あるいは利長と大谷が極秘交渉して「加賀越前両国は前田家の切り取り次第。
ただし北陸道以外には前田軍は出兵しないこと」と密約を結ぶか

124 :
>>123
江戸にいる人質どうするわけ?

125 :
前田Kに関与した奉行の身柄を引き渡さないと話も聞いてくれないだろ

126 :
木曽川、長良川、揖斐川、関ヶ原、姉川、野良田、勢多。

これらで執拗に時間稼ぎしてゲリラ戦やりながら、東軍の兵糧が枯渇するのを待つ、とかは無理かなやはり。

127 :
そういう消極的戦術に至った時点で西軍から離脱者が続出するだけだと思うぞ

128 :
>>126
ゲリラ戦?
三成は夜襲にすら反対したんだぞ

129 :
>>127
いや>>126がいうように長期化すれば西軍のほうが有利だろう
京と大坂を抑えているから徳川抜きの中央政権が既成事実化できる

130 :
>>128
だよね、、、。
でも、岐阜城が落ちた時点で勝ち目があるとしたら、移動中に狙撃手でも用意して家康を暗Rるか、ゲリラ戦しか無いと思うんだ。

真正面からで西軍に勝ち目があると考えれない。

131 :
三成が夜襲拒否も、そもそも島津がそれ提言したこと自体も後世の創作やろ
二重引きの最中殿軍の毛利が寝返って見事に捕捉撃滅された連中のどこに夜襲する暇あんの

132 :
しかし、美濃を落とされた時点では、もう博打やるしか手はないと思う。他に勝ち目があるか?

133 :
>>129
ゲリラ戦って逆に言えば拠点の放棄だから東軍に京大阪まで簡単に侵攻されると思うんですけど

134 :
>>128
そもそも「夜戦の提案」自体後世の作り話だぞ

135 :
>>133
大坂城は難攻不落だ
大坂の背後には中国地方の毛利と宇喜多もいるから兵糧の海上輸送もできる
むしろ家康は西軍と大坂城で決戦するほうが嫌だろう

136 :
ゲリラ戦って少数の兵を散り散りに配置する訳で、よほど兵士個々人の士気が高くなきゃできない、普通に逃げる

目論見外れるわ、関係ないやつ無理くり巻き込んで編成した西軍には最も取ることができない戦法

137 :
何でこの人大阪が一枚岩だと思ってるの?輝元本丸入るの拒否されてるのに

138 :
となると、刺客用意して家康暗殺しかもう手がない。とにかく真正面からは9割方勝ち目が無いからな西軍には。

139 :
>>132
そう思う
岐阜城が落ちた時点で近江や美濃で決戦は無理
小早川の裏切りがなくても関ヶ原は西軍が負けてたよ 1日で終わるかはともかく
どうしても決戦するなら大坂城だね 近江や美濃で決戦するよりも西軍が勝つ確率が上がるだろう
あるいは西軍が勝たずとも、3年5年の膠着状態に持ち込めば厭戦気分が広がって
北政所の仲介で引き分ける結末もありうる

140 :
そも大阪城も関ヶ原の段階で岐阜城などと同様既に「古い城」であり、だからこそ大阪の陣では真田丸などの
新規の施設が必要だったわけでな

141 :
>>137
応仁の乱でもそうだったね
将軍御所を細川軍が占領
細川に反対する幕臣は追放、あるいは処刑
足利義政は細川の言いなりになって西軍の追討令を発して
細川に将軍家の旗まで与えましたとさ

142 :
>>141
それもまたふっるい応仁の乱理解だな。せめて中公新書の「応仁の乱」くらい読もうや。

143 :
でも細川が反対派の幕臣を追放や処刑したのは史実だぞ
追放だけで命が助かった幕臣が西軍に入って西幕府を形成したが

144 :
その話と将軍義政が細川の傀儡化したかどうかは別問題だっつーの。

145 :
ただ義政の政治を再評価する動きは反対だな
義政の政治能力欠如で応仁の乱が起きたことは免れない


話を戻すが桶狭間の戦いや上田城の戦いのように
土地勘を活かした戦いなら少数の兵力でも大軍を破れるんだけどな
ただ西軍は兵力が水膨れした烏合の衆になっているから桶狭間の再現は無理だろう
三成や輝元にもそんな軍事的才覚はなさそうだ

146 :
また例え話かよ

147 :
それにしても石田三成はどうして黒田官兵衛・長政とあんなに対立したんだろう
当時から張良と呼ばれた黒田官兵衛だ
秀吉の死後に豊臣の天下は危機に瀕する その時には「張良」が必要になる
と予想できそうなもの
張良こと官兵衛が豊臣軍の軍配を振って家康と戦うならどうするだろうと想像することはある

でも史実の官兵衛・長政は豊臣政権が疎外されて秀吉死後は家康に接近し、
豊臣の天下は見捨てられた

148 :
平地に乱を起こすタイプの人間だと秀吉に思われてたんじゃないかクロカン

149 :
黒田如水が西軍の軍監なら家康も慎重に動いたか
秀忠軍の合流を待つか

黒田が最初から東軍なのは家康にとってラッキー

150 :
三河後風土記の評出して来て、何がしたいんやこいつ ろくに調べてませんって自己紹介になっとるで
挙句すげぇ古臭い説出してきてるし

三国志の演義と正史一緒くたに語るレベルの頭悪いことしてるって気づいてるんかな

151 :
会津征伐に向かったのを関止めして西軍に組み入れた連中が当てになるかよ
重要な作戦やるなら首謀者が前線に立たないと彼らがついてこないのは道理よ

152 :
西軍勢力をある程度分類したほうが作戦信頼度の観点で良くないか

1.首謀者とその同志
2.積極的に加担したもの
3.取次等の関係で西軍に義理立てしたもの
4.都合上で西軍に組み入れられたもの
5.東軍方に内通の疑いを持たれたもの

153 :
>>147
>当時から張良と呼ばれた
張良の評は「関が原後に」自身への加増を辞退した「無欲さを評価した」ものだったと思うが

154 :
>>153
正解。ついでに秀吉没後に官兵衛は家康に接近などしていない。

155 :
>>154
いや長政は秀吉の養女の糸姫と離縁して家康の養女の栄姫と結婚している
長政の行動とはいえ父官兵衛が了承していなかった(反対していた)なら
なんらかの記録には残る だから了承していたと考えられる

156 :
>>153
うーむ、無欲だけでみんな張良と呼ばれるものなのだろうか?
確かに無欲の要素もあるにせよ、戦上手の共通点
主君に軍略を助言して天下取りを助けた共通点、
官兵衛の主君も張良の主君・劉邦も百姓出身だった共通点も考慮されて
黒田官兵衛は張良と評されたんじゃないかなと思ってたが、どうなんだろうか

157 :
>>154
それから秀吉死後に、家康と前田利家が対立して諸大名が家康か利家のどちらかへ馳せ参じた時は、
官兵衛も長政も共に家康のもとへ馳せ参じているので

158 :
徳川家次期当主の現在
ttp://konoyubitomare.jp/archives/1075245081.html

159 :
>>156
まずお前はまともな研究を読め
いつの時代の巷説持ち出して来とるんや
三河後風土記は当時とも言えない上に信憑性も低いわ、そんなものの記述を鵜呑みにするな

160 :
あなたは研究しているのですか

私はしていません

161 :
>>147
政敵だからだろ
秀吉の寵愛を一身に受ける事が三成の身上だったし。

162 :
>>161
逆に言えば秀吉がRば、三成は無用の長物どころか単なるトラブルメーカーでしかなくなる
三成を豊臣自身でリストラできていれば、西軍にもチャンスはあった

163 :
三成が居なかったら関ヶ原は無しで大阪の陣が10年早まっただけ

164 :
秀次が健在で豊臣政権を継いでいれば何にも問題無かったわ

165 :
家康が秀次に従う訳ねーだろ。秀次なんざ瞬殺だよ。

166 :
>>165
池田輝政
田中吉政
堀尾吉晴
中村一氏
山内一豊ガ必死で守るよ

167 :
無線があればなあ

168 :
>>166
こいつら秀次が無事に継いでいたら、天下のご重役に昇進して加増も間違いないしな。

169 :
>>166
普通に世代交代完了だわな
乱起こすとしたら家康じゃなくて秀頼を推す秀吉側近の三成側よ

170 :
ありきたりの話だが外様の大大名を五大老にする制度が間違い
秀頼が幼少なら前田と宇喜多を後見役にするだけでよかった

それでも豊臣の天下が必ず続くとはいえないが
家康に「公儀性」を付与してしまったために豊臣政権を内から崩壊させてしまう自滅行為は避けられたはず

171 :
>>170
秀次が死んだ時点で、豊臣政権は機能不全になっている。家康を嫌でも政権の枠内に入れないと機能できなくなっている。

ましてや前田が死んで宇喜多だけになったら、どのみち機能不全になるのは避けられない。というか、宇喜多自体があの時期に御家騒動起こしている体たらくだし。

172 :
宇喜多は政治家として問題があり年齢的にも諸大名の抑えがきかない
前田は、秀頼生母の母と義父を裏切った男
心理的な面で前田より縁戚の徳川をアテにしたくなるのは当然
秀次を殺してしまった以上、外様の大大名を頼るしか政権を維持する方法が無く、これは複数の選択肢から選んだ悪手ではなく、唯一に近い選択だった

173 :
>>170
家康は江戸では無く蝦夷に行ってもらえばよかった

伊達は青森

豊臣に逆らいそうな奴らは北に追いやる

174 :
>>171
秀次は太閤がなんと言おうが
生かしとけばよかったんだよな

175 :
家康外様どころか最大の縁戚やけどな、あと秀次の与力なだけあってかなり秀次と懇意だし
秀吉存命時から豊臣政権になくてはならない存在なのに外せるわけねーじゃん
豊臣から公儀性がなくなったのはただ単純にあれが秀吉のカリスマのみで成り立っていたから
あと家康は政権護持派だぞ、いらんことしてぶっ壊したのが西軍

176 :
関ヶ原なくても家康は豊臣政権を潰して江戸幕府を開いてたよ
秀吉が織田政権潰したようにな

家康は縁戚でも外様の大大名を幕閣にしなかった
だから徳川は260年続いた

177 :
内府違いの条々にすら、家康の独裁性は批判しても、秀頼をないがしろにしているとは一言も
書いてないからな。

178 :
>>171
やっぱり秀吉にはカリスマ性がある
秀吉が生きていた間なら五大老制がなくとも
秀次事件後でも十分にワンマンの政権運営の形でできたと思うぞ
徳川や毛利の同意がないと秀吉の政権運営が機能不全になるほどのことではない

ただ秀頼が幼少すぎて秀吉のようにワンマンできないから、
秀吉は秀頼のために統治体制を作る必要性に迫られた
ただあまりにも急ごしらえの泥縄式すぎた
秀吉もどういう制度設計にすべきなのか、模範もなくてわからないままだったろう

179 :
なんで政権について語るのに一番重要な
誰がどのポストに就けられて、どんな仕事を任されていたのかを一切調べないで語ろうとするかね
調べりゃ一発で外様どころか秀次存命時から家康は要職につけられてるってわかるわいな
また誰がいの一番に遺言破りして政権ボロボロにしたのかだって、調べりゃすぐ出てくるやろ

180 :
>>179
石田を襲撃した七将だね。徒党を組むだけでなく、現職の奉行を襲撃した。

181 :
>>180
三成らだよ、秀吉死後11日で遺言破っていきなり誓紙取り交わして徒党組んでる

182 :
>>176
蝦夷でもだめなら樺太に行ってもらいましょう

183 :
Wikipediaでは三成らと毛利の結託は家康の立場と違うなんて三成寄りの記述してるな

そういうことではなくて、家康にしろ三成にしろ秀吉の遺した遺言覚書体制では
とてもやっていけないと思っていたということだろう
豊臣一族の抑えもなく外様大諸侯と吏僚の相互牽制と融和で政権を維持しようなどという
秀吉の構想そのものがもともとお花畑で非現実的だったのよ

184 :
>>183
相互牽制どころか秀吉の遺言のどこにも合議でやれなんて書かれてない、政務家康で後見利家なんだから合議が出てくる余地がそもそもない
出てくるのは死後の連判状から、この時点で奉行や中納言などが遺言無視して勝手する気満々やろ

185 :
>>180
多分君はここの議論に加わるより功名が辻とか天地人とかのDVD借りてきて見てる方が楽しいと思う

186 :
>>185
ここは2ch 原則誰でも参加できる掲示板です
2ch管理人や運営スタッフじゃないあなたに参加者を追い出す権限はありません
もしある参加者に問題がある 客観的に明らかだと追い出したいなら
あらし報告板かレス削除板か批判要望板へ行ってみて下さい

あるいは参加者を限定できるmixi facebookのコミュニティかレンタル掲示板をおすすめします

187 :
豊臣家の文治派は他家が大勢力でいる事を許容出来ないってことを毛利と徳川は理解して動いてたっぽいな

188 :
>>166
池田輝政は家康の婿だろう。徳川に付くに決まってる。
田中から数えて全員でそれ何万石になる?全員足しても50万石になるかならんか。
そんなのが必死になったって、7万の徳川軍からしたら微々たるもんだ。

189 :
学のない人間の蒙を解いてあげるのも知識有るものの役割じゃないかね

190 :
ここはもう安住の地じゃないんだよ

191 :
>>186
権利の話じゃなくて幸不幸の話をしているだけだと思うぞ。そして間違いなく君は不幸になるぞ。

192 :
聞く耳を持てない人間は何をどう言っても聞きはしないからね
お互い不幸にならないよう距離取るのが幸福

蒙を啓くのだって聞く側に最低限の学力や聞くだけの意志がないと無理だし
大学が受験でふるいにかけた後、高い講義料払わせてるのはそういう事よ

193 :
>>188
秀次とも池田は婚姻関係にあるんだが。
全員で50万石でも瞬殺はまず無理だ。
そもそも秀次が生きていたら尾張100万石が相手になるからいくら徳川家でも瞬殺は無理。

194 :
どもそもどういう状況でどういう形で家康と秀次が対立するのか。そのへんの想定がないのに
どっちが勝つ負けるとか考察できるかよアホか。

195 :
>>192
自分で参加者を選べるmixi facebookのコミュニティを作られることをおすすめします

2chでは明確なルール違反を運営に通報しない限り何もできません

196 :
>>195
192じゃなくて191へでした

197 :
>>186
別に>>180の方を追い出そうと思ったわけでは無いのですが言い方が悪かったようで申し訳ありません
ただ、彼にはもっと幸せな生き方があるのではないか、議論に参加するなら謙虚に新しい知識を取り入れる
姿勢を見せた方がよいのではないかと思い少々お節介なアドバイスをしてしまいました

198 :
西軍というか毛利家の目論見としては戦線が長期化してる間に秀頼周りを掌握して豊臣の家臣同士と他の四大老が潰し合いして疲弊したところで徳川と優位な立場で和睦ってとこかな

199 :
2chでは小学生から老人まで誰でも書き込めます
頭悪いやつは書き込むなといくら言っても強制できません そういう掲示板なのです

関ヶ原の戦いを語るコミュニティならmixiにもfacebookにも作れます
SNSなら参加者を制限できます 作成者が参加者の承認を決めるからです
ご検討くださいませ

200 :
>>188
豊臣秀次に攻めてくる徳川
福島 加藤 黒田 藤堂 三成 大谷小西と
豊臣総力で迎え撃つから
逆に家康の首を取るチャンス

201 :
>>194
秀吉は死んだが
秀次は健在
そして家康は必ず潰しに来るだろうって話しなのですよ

202 :
>>200
つまり豊臣総力動員できる生存した秀次に徳川が喧嘩売る可能性は皆無ってことね、理解した

203 :
遠回しな嫌味の言い合いじゃなくて鼻血が出るぐらいの殴りあいをしてほしいものだ

204 :
秀次が生きていても家康が天下を狙うなら、違う方法を考えるだろ
どうして家康だけ戦法が不変なんだよ

205 :
>>202
違うよ
家康は勝つ為になんでもするので
前田 上杉 最上 佐竹 等毛利以外の外様を調略してくる
そしていざ秀次と攻めてくる
ここで恩顧の中 誰が寝返るか

ま 藤堂高虎だろう

206 :
秀保が生きてたら独立大名になれないし死んでたら坊主になってる

207 :
秀次は息子や娘が結構いるし、長生きしたらまだまだ作れただろうな。

毛利秀就、前田利常、宇喜多秀高と二世代目への婚姻に女子は使えるし、男子は跡継ぎの無い上杉景勝、佐竹義宣への養子なり、別家たてさせるなりできるから、秀次の場合は史実よりは苦戦するだろうな家康も。

208 :
別に家康も最初から豊臣にとって変わろうというわけじゃない
秀次と秀忠の仲も悪くないようだから関係を維持するなら徳川は安泰なわけだし

むしろ秀次を殺して豊臣と徳川との縁を悪くしようとした秀吉の自滅行動が無ければいいだけ

209 :
懇意の秀次が後継者なってくれたら万々歳やろ家康
家康が自領帰って目が届かない間に秀次に嫌疑かけて腹切らせとるしな秀吉

210 :
>>208
でも秀吉は秀次事件の後に、秀忠に淀殿の妹のお江与を嫁がせて豊臣と徳川の縁を強めようとしているぞ

211 :
>>210
秀吉も徳川と秀次の縁が強かったのを承知してたからだろ
秀次殺しが徳川と秀吉の関係も悪化させるということを秀吉も認識してたんだよ
徳川との関係が拗れるのを回避し秀吉側に取り込むためのお江与の輿入れ

秀次が生きてたら秀忠には秀次の娘が嫁いでたかもな
このスレ的には秀次が生きてる条件だと関ヶ原が起きなくなる可能性が非常に高くなるけど

212 :
>>210
逆に言えば秀次事件がそれだけ豊臣体制の動揺を呼ぶものだったってことだろ。
結局家康に頼った秀吉、ってことだ

213 :
>>200
>福島 加藤 黒田 藤堂 三成 大谷小西と

なんでそいつらが秀次につくと思うの?

214 :
>>180
おらよ

豊臣七将襲撃事件(慶長4年閏3月)は「武装襲撃事件」では
なく単なる「訴訟騒動」である
― フィクションとしての豊臣七将襲撃事件 ―
白 峰   旬
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/sg04810.pdf?file_id=9341

215 :
>>214
それ知ってて言ってるの。その白峰説の補論のとこに出てくる
慶長4年閏3月7日付鶴田善右衛門・久池井弥五左宛鍋島直茂書状の
i部分、
弓槍持ち出して走り回ってて襲撃じゃないと言えるのか?
武力行使でしょ。

216 :
>>188
因縁を言うなら、徳川は親の仇なんですがね。
都合の良い部分だけを見るからそういう話に成るんだよ。

大体、北条にやった娘の廃物再利用じゃ無いですか?一度婿を見捨てた曰く付きの娘。

217 :
>>213
秀吉に言われているからじゃないのかかな
豊臣を守れと

218 :
>>211
お合なんか嫁がせずに
わしのやる事が気に入らぬかと挑発され
家康は怒って江戸に帰る
徳川謀反の疑いありと
駿府城の時のように江戸城を取り囲む
誤ってきても許さない
池田輝政なんて父の仇と先陣切って押し寄せる 井伊直政の首はとってやる
一番槍はわしじゃと福島正則

待て待て家康と直政の切腹にて徳川を残そうじゃないか と秀吉

219 :
>>215
え?お前この論文何も読めてないじゃん。ホント大丈夫か?

220 :
単なる訴訟つか武力衝突も辞さない強訴やろ

221 :
>>220
弓槍持ち出してる時点で脅迫。
石田は大坂から伏見に逃げてる。
石田を殺さなかったから襲撃じゃないとでも言いたいわけ?

222 :
強訴って武器持ってやるもんだからな

223 :
>>222
言葉の定義が違ってる可能性があるので、あなたの思う
強訴
脅迫
襲撃
襲撃未遂

これらの意味の説明してもらえる?

224 :
>>221
いやだからお前この論文読んでないだろ。君には難しすぎて読めないのかもしれないけど

225 :
>>224
おかしいと思う部分を>>215で指摘してるでしょ。
奉行に訴え出る訴訟だというのなら、なぜ伏見に逃げ込んだ石田に執拗に
訴える?のか。浅野長政や前田玄以にでも訴えればそれで足りるのではないか。
もしくは奉行を越して家康に訴えれば済むのではないか。
伏見に逃げ込まれて手が出せなくなったので、「出てこい、石田!」等と叫んでいたのを
口論?言い合い?という表現をしたのではないか。

226 :
>>225
いやそこの欠片しか見てないじゃんお前。ちゃんと全文読めよ

227 :
石田は豊臣家分裂の導火線でしかない。
よく石田が豊臣の忠臣というが、ならば何故朝鮮出兵や秀次事件、利休事件など多くの事件事変で秀吉を何が何でも諌めなかったのか。
忠臣では無いと思う。

228 :
美談っぽく仕上げた方が小説やゲームは売れるしドラマの視聴率や映画の客の入りがよくなる

229 :
福島正則や加藤清正に言えよ

230 :
>>227
じゃあ家康も忠臣じゃないということで

231 :
臣というより親戚だしな

232 :
やだ親戚殺しちゃった・・・ああ、息子も殺したしな。

233 :
「親戚だから」殺さないとな

234 :
豊臣家の家臣の石田と関白の家臣の家康
秀次が死んで秀頼が継ぐ前に関白が空位になったのは不味かったな

235 :
秀次は絶対に殺してはいけなかった

236 :
>>208
いや取って変わることを念頭に置いてたっしょ 秀吉が織田に取って変わったのを見てるんだから

237 :
>>235
殺さない場合は、応仁の乱の一因である後継問題が浮上する

238 :
応仁の乱って直前に秀次事件みたいなのが起こり、三成ポジションの人が逆に失脚した結果、義政が大名の争いを抑えられなくなった面があるんだよな

239 :
>>236
秀吉は出世欲だけど 家康は家の保身と継続が第一

240 :
>>238
確かに。それで中央からの統制がとれなくなって群雄割拠戦国時代に至ってる。
やっぱ奉行衆が勝って中央からの強力な統制をとってれば豊臣政権存続の
可能性はあったようにも思う。
まぁ徳川が幕府開いても同じだけど、首都機能が関東か畿内かの違いだろうけど。

241 :
ヒント、奉行や宇喜多が地方の大国相手に強力な統制を発揮するには圧倒的に実力が足りない

242 :
そこで名門大老のテルの出番

243 :
ここの連中は
秀吉がろくに調べもしないでテキトー抜かしてる連中が思いつく程度のこと想定しないで遺言書いた間抜けやとでも思ってはるんやろか

つーかまさしく中央からの統制を行ってる最中にクーデターかまして豊臣の公儀性を否定した連中が中央統制を強化って、ギャグで言ってるんやろか

244 :
>>238
大丈夫か?
文正の政変は、赤松や伊勢が失脚したが、別に大名の地位は追われてないし殺されてもいない。それどころかこいつらすぐ復帰している。

応仁の乱は明らかに義政の指導力不足。
義政が明確に義視か義尚のどちらを後継者にするか決めたら、まだ何とかなった可能性がある。

245 :
>>242
テルで何とかなるなら、関ヶ原は起きない。

246 :
秀吉が高い評価をしてたのが家康で、かろうじて利家

小早川隆景、堀秀政、蒲生氏郷あたりが生きてたら家康と同等の評価をされてたかも

247 :
中納言ズはどいつもこいつも見習い感強い

248 :
秀吉は家康の執権政治を覚悟してただろうな

249 :
>>234
関白って16歳未満での就任って前例がないからなあ
秀吉が自分の寿命の見積もりを見誤ってたとしか思えん
>>237
豊臣の末路を見る限り、応仁の乱のほうがマシだったけどね
御家滅亡よりは御家騒動の方が豊臣が生き残る可能性は高かったのではないかと思う

250 :
そもそも秀吉が「関白」を武家の棟梁のポジションとして理解していたとも思えんのだよな。
実際関白の武士に対する指揮権は秀次事件で秀吉自身が否定したし。
家康は秀忠に征夷大将軍を譲った後、東国大名への指揮命令は全部秀忠に任せてる。

251 :
そもそも秀次を秀吉が処分したのって、関白を任命した天皇の意思には背かないのかな? 自分で関白を始末しといて、新関白に秀頼をとか酷すぎる。

252 :
高虎
高虎
藤堂高虎
こいつが天下を左右する

253 :
>>250
秀吉は武家出身じゃないから
だから武家の棟梁、武門という意識が他の武家の天下人と比べても
薄弱だった可能性が考えられる

>>251
明応の政変の時に天皇もそう考えたらしいが
公家の甘露寺親長が武家が「転変」しても、ただ武家の申し出通りに任せることが
「古来事」だと諫めている

254 :
>>247
岐阜、金吾、秀忠 粒ぞろいや

255 :
>>254
他にいたっけ?>中納言ズ

毛利輝元
上杉景勝
宇喜多秀家
小早川秀秋
徳川秀忠
前田利長
織田秀信

256 :
輝元景勝のツートップが強力すぎる
色々と

257 :
>>256
30万石パワーズ!

258 :
ツートップは120万石なんだが

259 :
その120万石を30万石に減らした馬鹿のツートップじゃん

260 :
関ケ原の時点での話だろが

261 :
輝元と景勝は周辺の縄張りを拡張できればよかっただけで
別に天下分け目の決戦をしたかったわけではなかったからね
三成が事態を大きくすることについていけなかったのも仕方がない

262 :
とはいえ秀吉のやり方に反することをやれば豊臣政権筆頭の家康と対立するのは避けられないわけで
家康が見逃すとでも思ってたのか

263 :
>>246
その三人は確実に利家より上だろ。家康よりも上かもしれん。
まあ、黒田官兵衛と真田昌幸からすれば、全員小物だけどな。

264 :
>>246
その三人は確実に利家より上だろ。家康よりも上かもしれん。
まあ、黒田官兵衛と真田昌幸からすれば、全員小物だけどな。

265 :
>>259
家康だって信長が加増してくれなきゃ20万石で
その信長が死んで武田の旧領が無ければ50万石
更に秀吉が加増してくれなきゃ250万石にはなってない。
自力では20万石が妥当な小物。

266 :
>>262
家康も領地拡大に走ると思ってたんじゃないの
領主というか大大名ぐらいの立場だと、強力な中央政府なんてウザいだけだろ
自由に領地経営や拡大ができるほうがいいに決まってるもの
戦国時代を生きてきた人からすれば、欲しいものを欲しいときに
欲しいだけ奪えないとか窮屈な世の中でしかないし

267 :
>>265
元々、西三河の旗頭って言われてた家だから、家康が継いだの五万石がそこらだよ。
信長晩年に東海三ヶ国で80万石くらい。武田の旧領火事場泥棒で、やっと130万石くらいだね。

だから、関東移封は表向きは大幅加増。

268 :
毛利上杉にしてみれば徳川と申し合わせて中央政権から離脱して群雄割拠に戻ったほうがいい
徳川も政務を任されて中央政権のうまみを理解しなければ同意できたろう

269 :
毛利と徳川は豊臣政権が崩壊すること予測して動いてたっぽいけど上杉はどうだったんだろ?
宇喜多は何も分かってなさそう

270 :
馬鹿言うな。秀家は以前から、徳川を除かなければ豊臣の安泰は無いって公言してたんだぞ。
一番状況を理解してたわ。

271 :
>>270
お家騒動すら収められない馬鹿が読み違えて豊臣にトドメ刺しただけだろ

272 :
あんなの徳川が仕掛けたに決まってるだろ。
家臣の仲裁を無理やり止めさせて、関ヶ原には宇喜田から離れた連中を
参戦させてんだぞ?ちっとは頭使え

273 :
なんでもかんでも家康のせいにすんなよ
あんなトロ甘処分で済んだのに何逆恨みしてんだよ
蒲生騒動と比較してみろ、騒動を領内で抑えられなかったくせに
大体大老首にすらなってないんだぞ、自分の家臣の制御も出来んのに
あんなん石田以上の大失態だよ、ボンクラだろあいつは

274 :
宇喜多家は直家の求心力が武田信玄並みだからなあ
重臣連の戦歴や実績も水増しはあっても山陽一帯でこれに並ぶのはもう吉川本家ぐらいっていう程に
そんな重臣たちを秀吉の養子として育った秀家みたいな素直な人がまとめきるのは難しい

実子秀頼の藩屏にせんと養子にしていた他家の子達を厚遇した秀吉の気持ちに沿うように真面目に振舞っているのも素直さの表れだけど
逆にその単純な素直さは家中の騒動を鎮める謀略やしたたかな根回しとは縁遠いからね
大谷らの仲介を経て家康の執り成しでお家取り潰しを免れたことも素直な秀家からしたら感謝はあるだろうし

ただまあ何とか人数揃えて伏見攻略から関ヶ原の本戦までよく頑張った方だと思うけどね
その状況と秀家のポテンシャルからしたら
小西行長も朝鮮出兵時に一門の侍大将クラスはほぼ全員死亡で編成もままならないぐらい壊滅しているのによく上方に駆け付けたなと思う
島津ですらせいぜい1000余りのところをその1/4ぐらいの所領で3000人以上動員してきたんだから

275 :
>>273
家康のせいっていうか、軍略として調略や放言はアリだから
別に家康を悪だとは言わんよ。家康は伊賀・甲賀の忍びを多数使ってた。
そうゆう連中に色々工作はさせてたはずだ。輝元が出陣を見送った
増田が裏切ったって流言も家康の差し金だと思ってるけどね。

秀家がボンクラだとは思わない。合戦は上手いよ。
ただ、家政を見ない坊ちゃんだったのは事実だから
そこを家康に付け入られたのだろう。

付け入る隙がなければ流言も調略も効かないからな。

276 :
一大名として頑張ったのは分かるが、前線の大将として何かをやったイメージが全くない

277 :
家康に限らず東軍の誰もが、関ヶ原で西軍を仕切っているのは三成であり
秀家は三成に命令されて戦う下っ端と考えていたのだから
秀家はとても自分で軍を指揮などできない無能で、三成に頭が上がらない馬鹿殿という評価だった
ただし馬鹿殿だけど性格が悪いわけではなく、絶対にRと東軍が思うほど憎まれてはいなかった

三成に命令されなければ人畜無害な憎めない馬鹿殿というのが東軍の秀家評だろう

278 :
>>276
西軍についた五大老で唯一現地に自前の兵力引き連れて実際戦闘でも奮闘したというだけで神輿として十分だろ
三成はいうても解任された元奉行
現職五大老の宇喜多が現場にいるいないは恩顧外の大名に対して三成の事実上指揮権を与える名目にもなる
もし宇喜多いなかったら小禄の長束正家が現地の西軍の現職トップなんだよね
これはちょっとねw

279 :
宇喜多秀家に戦上手のイメージはないし
言われてるのはいい悪いじゃなく、そもそも付け入ってすらいないって話をされてんのにとことんずれてんなこの人
ほんとに調べてんのか?

280 :
そもそも東軍は秀家を大老とすら認識していないんだよね
神輿ですらない三成の使い走りという扱いだ
おそらく宇喜多騒動で秀家は大老から解任されたというのが多くの大名の認識だったと思われる
解任された同士なら秀家個人は無能なので、三成の方が秀家に命令できるという理屈になる

これなら東軍の秀家に対する認識にも説明がつく

281 :
>>272
は?
仮に家康が仕掛けたにしても、それを収められない時点で国主としては落第なんだが。

282 :
外部からの圧力で組織がガタガタになるのは、それ以前から統制がとれていないせい
一門や重臣たちがバラバラになるなんて外部の圧力以前の問題で無様としか言いようがない

283 :
そもそもかけてもいない圧力の話をするのはナンセンスでは?
勝手に家政おろそかにして勝手にお家騒動起こして、自力で収拾できずに家康が解決したってだけの話だし

家康の時だけやたら陰謀論者増えるのなんなんだろうね

284 :
無かったと断言はできないので小説のネタとしてはそれなりに出来がいい
同時に実際にあったことを裏付けるものも無いので史実を語ってる場で「決まってるだろ」などというのは失笑もの

285 :
家康の介入があろうがなかろうが家臣に愛想尽かされて当然な主君だったのは確かだ

286 :
宇喜多と前田は自力成長じゃないから石高分の家臣団が育ってない

287 :
バカ殿と呼ばれる今川氏真とどっちがマシか
秀家の戦歴は勝ち組の豊臣と一緒だったのも大きいので割引が必要

288 :
>>279
>宇喜多秀家に戦上手のイメージ
信長の野望だと脳筋っぽいステだからその印象で語ってるんじゃね
強いというより他が壊滅的で鉄砲玉以外使い道が無いって感じだけど

289 :
>>287
秀家は幸州山城の戦いで実戦経験ゼロ&明の援軍もない少数の朝鮮陸軍に惨敗して自身も重傷を負っているから
戦歴でも雑魚だろ

290 :
つかまあ戦もないのに家中を半壊させる有様だしな

291 :
ID:c+srMaPt
こいつ例え話ガイジじゃないのか?
あいつも三成が謀者だとか頭の古いこと言ってたし

292 :
「宇喜多騒動は家康の仕込み」っていうのも例え話ガイジが言い出したんだけど

293 :
>>291 >>292


全部同一人物に見える病気かwwwいよいよガイジだなwww
ただこの戦国時代板では尊敬している戦国武将に何も瑕疵はないはずだあああ
というガイジだらけのスレッドだからガイジでも心配いらんぞww

294 :
>>243
>家康が中央からつーかまさしく中央からの統制を行ってる最中に
クーデターかまして豊臣の公儀性を否定した連中が中央統制を強化って、
ギャグで言ってるんやろか

これこそギャグだな
徳川は正義 石田はクーデターの賊軍という頭の古い徳川史観丸出し

家康は豊臣本位から徳川本位の中央政権に転換しつつ中央統制を強化していた
豊臣の公儀性を弱めて徳川の公儀性を強めようとしていた
これに対して西軍は豊臣本位の中央政権に戻し豊臣の公儀性をまた強めて徳川の公儀性を
排除しようとした
関ヶ原の戦いにどっちが正義か賊かなんてない
領土拡大など個々の大名の思惑は別として表向きの東西両軍の看板の違いはそれ

家康は秀吉の遺言という豊臣政権の公儀性を有していたので三成退治は正統
家康は天皇から大政を託されていて江戸幕府の公儀性を有していたので豊臣退治は正統
徳川信者極まれりだな  もはや学術討論じゃなくて家康第一教の御説教だわ

295 :
ガイジガイジ言うからモノホンが湧いた

296 :
>>295
三成はクーデター起こした悪党 家康は正義じゃないとガイジ認定かww

さすが旧主の秀頼に「謀反人」のレッテルを張ってのけた徳川の
信者はレッテル貼りが得意なことw

297 :
論ですらなく感情で他人にレッテル張ってる人は言う事が違うわー

298 :
>三成は豊臣政権に謀反を起こしたので家康が討った
>秀頼は江戸幕府に謀反を起こしたので家康が討った

こんな論理は学会でも歴史教育の場でも認められていません
この場でID変えていくらガイジ認定しようが認められないことは変わりません
徳川にゆかり深い地域の郷土史家の飲み会の場だけにしてください

299 :
道義的な善悪と政治的な大義名分がイコールだと思ってる人かな

300 :
>>297
新撰組ファンや会津ファンの郷土史家にみられるね
何が何でも薩長は悪 徳川は正義で感情的になりすぎている

301 :
>>299
歴史上どっちの大義名分が正しいかなんて不毛な議論
織田信長と足利義昭のどっちが大義があって正しいかなんて結論が出る問題でもない

302 :
ミトメナイさんが落ち着くまでは議論はおあずけですね

303 :
>>299
というか、承認欲求こじらせたもうアカン人なだけかと

304 :
>>302
開戦(挙兵)後に軍をどう動かせばいいか
あるいは豊臣政権の体制をどうすればよかったのかという議論をすればいい話

それを家康は正義 三成は謀反人の悪という一方的な大義名分論をかざし、
異論を唱えればガイジ認定 これでは公平な議論の土台ができない

305 :
「大義名分が正しいかどうか」はどうでもいい
掲げた大義に対して首尾一貫した行動がとれてるかってことが問題

306 :
>>303
徳川史観の人たちは徳川は善で、三成は悪 秀頼は悪 
薩摩は悪 長州は悪と偏った大義名分論に凝り固まりすぎている気がするね
好きな歴史人物が家康でも松平容保でもいいけど
ある程度公平に歴史をみるべきだと思う

307 :
>>304
そんなに鼻息荒くされても、その、なんだ、困っちゃうじゃない

308 :
家康のバックダンサー扱いされちゃった皆さんはホントに家康が好きですか?
わたしは大好きですけどね

309 :
菅沼元気だな

310 :
徳川が正義、三成を悪、秀頼を悪、薩長を悪という前提で
歴史を論じるのはよくないと言ったが
家康が天下を取って良かったとは思ってるよ
関ヶ原で家康が戦死していたら日本はきっと第二の戦国時代だ
家康のおかげで日本は長期間の天下泰平を迎えられた

311 :
大義名分がいらないなら
「徳川が嫌いだからぶっ殺ーす」
「豊臣が気に食わないからぶっ壊ーす」
で毛利VS宇喜多が始まるんだけどね

実際は内府違いの条々なんてものを各大名に回したんだけど

312 :
日本とアメリカの戦争も大義と大義の衝突だ
日本はアメリカに負けてアメリカの大義で国際連合誕生して今へ

313 :
秀頼とか薩長とかどこから出て来た話題なんだろう

314 :
脳内で作り上げた何かと戦ってる人や

315 :
三成と秀頼は公儀への逆賊謀反人で家康に征伐されたで何が悪いんや

316 :
三成は奉行に返り咲きたくて突如武装蜂起して豊臣公儀の遠征事業を妨害したのだから
道徳的にも悪だし豊臣への謀反人で間違いないだろ

317 :
ドラマとかだと三成は大概イケメン俳優が演じて善人に描かれがち
司馬遼太郎も三成を小説でかなり美化していたな

318 :
いや司馬こそ三成美化の走りだし

319 :
サラリーマン太閤記的な感じで読者を増やす目的もあって自己投影の対象になる主人公三成はみんなには煙たがられてるけど真面目で不器用で頑張り屋という設定にしたみたいだな

その辺は割と本当の三成像に近そうだけど実際には三成ほど頭の良い奴は司馬リョーの小説は読まないっていうw

320 :
三成美化のはしりは水戸光圀公かと
だから三成をよろしく見るのってまさしく徳川史観なんすよね

現在のキャラクター像に司馬先生が大きく影響してるのは確かですけれど

321 :
じゃあ徳川美化は誰が走りだ?

322 :
あれは明治維新以来の反徳川史観が研究の結果覆られた結果

323 :
加藤剛はかなりマヌケな三成を演じてたぞ
島津豊久に小憎たらしい奴だと罵倒されて援軍要請を追い返されても自分が何で嫌われてるかまるで理解せず意外そうな表情したり
「動いた!金吾殿がやっと動いた!」とヌカ喜びしてニヤついた次の瞬間には「違う!違うぞぉ!金吾」と慌てたりな

324 :
自分の名前を関白秀次より上にする三成が野心ない訳ない

325 :
有能な家臣ほど怖いものはない
良くも悪くも

326 :
>>319
むしろ三成は最期の処刑を除くと、なろう系主人公みたいな人生だよ

平凡な家に生まれてコネもないけど何故か取り立てられて
安全なところにいながら命がけで働いている加藤・福島と同じ禄が貰えて
たまに戦に出て城攻めに失敗しても怒られるわけでもなく出世しまくり
そこから秀吉の威光で威張りたい放題の人生を謳歌して
何故か戦の実績が何もないのに天下分け目の合戦の指揮ができる
そもそも武装蜂起だって豊臣家の意思に反する勝手な行動なのに
まるで豊臣家に忠義を尽くしたかのように美化されて褒め称えられる

最期の処刑がなかったら、まるで異世界から転生してきたかのようなありえない都合のいい人生だよ
今の三成人気は真面目で不器用で頑張り屋というより
努力しないで周囲からちやほやされて出世して称えられたいという現代人の欲求に
関ヶ原で負ける直前までの三成の人生が見事にマッチしているからだろう

逆に努力すれば夢は叶うという一昔前の美徳の時代まで三成の人気が低かったのは
徳川史観というより三成の人生がそういう美徳に反するものだったというのが大きい

327 :
また頭のおかしいのが来たな

328 :
>>324
でも三成は筑前50万石を断ってるぞ
野心持ちなら小躍りして受けるだろ。

329 :
地方官僚より中央官僚の方が儲かるからだろ

330 :
三成は全国の豊臣蔵入地から利権を得てた。
あと筑前50万石って言っても筑前は豊臣直領と捉えられていたらしいので
(小早川隆景も秀吉の「代官」として統治している)
中央政権での利権を棄てて旨味の少ない地方に飛ばされるような事案であったと考えられる。

331 :
知識云々抜きにしても議論の仕方がおかしい
>>324に対しては「なぜ野心の無い人間が関白より上位に自分の名を置くような真似をしたのか」という話題で絡むべきであって
筑前移封の件を持ち出すのは露骨な論点のすり替えというやつ

332 :
豊臣が〜、三成が〜、じゃなくて、 「どうすれば西軍が勝てたか?」
なんだけどね、スレタイは。
多少の脱線はいいけど、それに終始すようなのはよくない。

なんかすぐ豊臣だの三成だの言い出す奴がいるんだよね。

333 :
そうだな
では豊臣と三成抜きで関ヶ原を語ろう

334 :
秀次事件が起こらず秀次政権が確立していたら勝てた

335 :
>>291
あのう...もしもし???  多分俺その例え話君ですが、最近忙しくて書き込みしてなかった
んですよね。
久しぶりに書き込みを纏め読みしたら、同一人物認定君が暴れててワロタwwwwwwwww

見えない敵と死闘を繰り広げてる人を、その見えない敵ポジションで見るってこんなに面白い
もんなんですね。

思わず呼吸困難な笑いが延々と続いてなんとも   ( ̄▽ ̄;)

宇喜多騒動は状況からして家康の謀略だろうって書き込みした事有るんで、たぶん俺の事です。
大体さあ、あの騒動で出奔した宇喜多の家老は有る意味謀反人認定されてもおかしく無いのに
なんで家康が拾って大名や旗本にしてんだよ、状況証拠は韓国じゃないか。

336 :
>>335
秀次事件の後、三成は秀次家臣を何人か自分の家臣にしてますけど、
秀次って秀吉に謀反を起こしたことになってませんでしたっけ?
あなたの解釈を採用するのなら、三成は秀次事件の黒幕という事でいいんですか?

337 :
光秀家臣だった木村吉清って人が
秀吉の家臣になっているな
本能寺の変秀吉黒幕説を信じてるのか?

338 :
祝え!
我らがタトエルくんが素で残念な人であることが証明された瞬間である!

339 :
自演キモいわ

340 :
荒木村重とかもそうだけど謀反起こしてもひとかどの人物で人脈豊富だと別の家に客分で迎えられることは多かったみたいだよね

高山右近なんかは荒木謀反の際には信長から翻意させるように指示を受け荒木説得に動くも失敗
荒木はこの時に高山から取っていた人質を返しているけど、それは高山が信長へ自分の助命を取り付けようと必死に動いていたのを恩に着てのこと
その高山が今度はキリスト教禁教政策の中で秀吉から改易されると今度は前田家が高山を助けて客分として迎える

摂津の有力黒人でキリスト教徒や宣教師からの情報、商ルートを得られるメリットがあった上に実戦経験豊富で小禄でも大名の中でも顔が広くいから前田家には良い人材だった

謀反起こしたり、出奔した人々の流れを見ていくのも面白いな

341 :
何の話をしてるんだ?

342 :
>状況証拠は韓国じゃないか
普段どんな書き込みしてればこんな誤字が出てくるんだろうか

343 :
マニラで死ぬぐらいだったら
前田を説き伏せ西軍につけばいい

344 :
>>343
アホ

345 :
高山右近の人徳によって
前田 細川は西軍につく
黒田長政は官兵衛の目論みを察し
西軍に
小早川 福島もそれに続く
こうなると東軍不利と
加藤清正も西軍に

346 :
>>345
面白い妄想だな

347 :
>高山右近の人徳によって前田 細川は西軍につく
ここはまだ笑えるけど
>黒田長政は官兵衛の目論みを察し西軍に
このロジックの飛躍はギャグにしても意味不明。笑いどころが分からん

348 :
>>347
キリスト教を味方にするんだよ
官兵衛はキリシタンだったし

ついでに
ポルトガル船とスペイン船は伊勢湾 熱海で湾上から耐えず徳川に睨みをきかす

349 :
>>335
逆に考えてみたらどうかね?
仮に家康の工作が無ければ絶対に宇喜多騒動は起こらなかったのか、
工作をしてなかった場合、家康にとって戸川や詮家に寛大な処置を下すメリットは皆無なのか

350 :
>>345
西軍には本当は東軍に付きたかった武将がいっぱいいたけど東軍からの移動は利点がないから難しいだろ

351 :
どうしても西軍じゃなきゃ駄目っていうのが首謀者たちの中ですら宇喜多ぐらい
毛利増田前田玄以は腰砕けになるし長束大谷石田は内情が不明なところがある
意外と切腹させられた長束が反徳川の急先鋒だったかもしれないが資料が残ってない

352 :
「家康政権」になって困るのって、宇喜多騒動のゴタゴタ引きずってた宇喜多と、家康の吏僚に権限取られて
権力と既得権を失う奉行衆くらいなんだよな。

353 :
>>350
最終的にどうなるか
そこまで考えないのが多すぎた

354 :
まずは大野治長を使って淀に西軍に付くようにしてもらう
片桐且元と増田長盛をどうするか

大谷小西の付き合いで高山右近を調略
右近に前田 細川を調略

佐竹には淀に頼んで茶碗3つぐらい譲って上杉に味方してもらう

上杉 毛利 前田 と西軍なら
黒田官兵衛はどう考えるか

355 :
>>352
既得権を失うのは五大老もだろ
宇喜多、上杉、毛利は政治に口出しできなくなったんだから

356 :
>>353
西軍が勝ってたとしたら、毛利が四国九州の蚕食に夢中になって論功は宇喜多や奉行に丸投げ
一応新しい知行は割り振られるが、自力で現地の東軍敗残兵を駆逐、制圧するところから始めないといけない
揉め事が起きても中央政権に仲裁するだけの能力ないので自力で何とかしないといけない
なし崩しに乱世に逆戻り、こんなところだろう

357 :
>>355
毛利と上杉はそもそも中央の政務に興味無いんじゃないかな

358 :
>>355
そもそも秀吉の遺言で政務に関わるのは家康と利家だけで、他はヒラ取締役みたいなもんだぞ。
はっきり言って「大老見習い」みたいなもん。

359 :
根本的に石田は外様の大老の影響力を落としたいって方針だから
関ヶ原で豊臣の身内の宇喜多以外の大老が積極的に動かなかったのも当たり前、徳川が滅んだら次の標的になるだけだから

360 :
よし!宇喜多を会津討伐軍に参加させて裏切らせよう(小早川と真逆の立ち位置で)

361 :
宇喜多まで会津に行ったら三成主導のクーデターじゃなくて安国寺主導の毛利家によるクーデターになりそうだけど
中国地方から四国、摂津方面まで瀬戸内海で繋がってまとまって取れちゃう
そこから奉行味方に付けて会津に出陣した空き城抑えつつ大坂城を取り囲む形で対徳川で持ち込めばワンちゃんはあるけどテルさんはそんな勝負しないかw

362 :
>>328
そもそも筑前加増の話が出たこと自体が豊臣が腐敗している証拠だろう
慶長の役に出陣して朝鮮で命がけの戦いをしている武将には何の恩賞もなく
それどころか朝鮮で命がけの戦いをしている武将の領地の方を召し上げて
安全な日本でぬくぬくしているだけの三成に提示される

三成は何の苦労もリスクも負わずに甘い汁を提示してもらえる
野心すら必要ない腐敗したシステムが出来上がっていた

363 :
>>361
お前は脳みそをアップデートしろ

364 :
>>351
家康が上杉征伐で大坂出陣、江戸に向けて行軍してたとき、
道中の大名から饗応の誘いがあり、これを受けてたが、
水口の長束からも饗応の誘いがあったけど
暗殺を警戒して夜間行軍で(だっけ?)水口を素早く通過した、
ってのがなにかに記録されてなかったっけ?
慶長なんとか記か、板なんとかの侍医の記録だったような…。

これが真実なら少なくとも家康は長束を警戒していた(暗殺を企む可能性あり)と見れる。

365 :
>>364は慶長年中記だった。

366 :
>>336
秀次の旧臣は、直接の主君である秀次に不忠だった訳では無いじゃないですか?

宇喜多騒動の首謀者の一人、坂崎なんて宇喜多忠家の子で従兄弟なんですよ。
家督を狙った謀反だと解釈されても不思議じゃ無い状況ですよ。

流石に此処までヤバイ人を拾ったのは不自然な気がしますね。
家康が内紛を煽った首謀者で、後々まで面倒見る密約が有ったと考えた方が自然です。

367 :
>>349
確かに宇喜多家は直家が一代で作ったので大身の家老が多過ぎる状況でした。

丁度、太閤薨去の後の豊臣家を小型にした感じですね。
でも、宇喜多騒動の時の秀家は既に20代なんで、正面から主君の権威を無視する示威行動は
他の大老が黒幕とでも考えないと無理な気がします。

57万石の大大名で、太閤の養女の婿で、太閤の猶子「相続権は無いけど待遇面は養子」で、更に
豪姫の縁で次席大老前田の婿、そして当人も大老。

こんな人に、幾ら譜代家老だからって黒幕無しで逆らうの無理に見える。

368 :
蒲生騒動

369 :
陰謀論にかぶれる前に一度しっかり研究を読みなさい
ここまで言われてわからないならはなから歴史勉強するべきではない

370 :
>>368
家老が近習手討ちにした責任問題で主家が大幅減封喰らったのに
元凶の家老は三成の口添えで御咎め無しってやつだっけ

371 :
なんというか、現代的な価値観で考え過ぎなのかな。当時の日本は法治国家でも何でもない
むしろ江戸時代になっても主君の小姓が尻掘らせてくれなかったから殺して、遠方の知人に匿ってもらうなんて例があるくらい
人脈と実績があれば多少の無茶は何とかなる時代だった

>宇喜多家は直家が一代で作ったので大身の家老が多過ぎる
問題はそれだけじゃなく、秀家が神輿以上の実績を積んでないこと、
先代直家が中途半端な時期に死んだ後、秀吉のバックアップもろくに無い状態で忠家親子や戸川以下の家老たちが
備前美作を大国毛利の侵略から死守してその武名を高めちゃったこと
それで秀家が彼らを上から押さえつけようとしたら反発するのは当然だと捉え、
「こいつらいなきゃ今のお前の地位無かったんだし、寛大に扱ってやれよ」と取り成すのは当時の日本人的に極めて自然な感情

372 :
>太閤の猶子「相続権は無いけど待遇面は養子」
「俺が気に食わないことをしたら、その時の俺の判断で然るべき罰を下します」が可能だった秀吉はもう死んだんですが
>豪姫の縁で次席大老前田の婿
その前田は家康に屈服した直後。まあその時期を戸川達が見計らってた可能性はあるかもね

373 :
ちょっと調べてみたらこの頃庄内の乱もグダグダの極みに達してた頃だな
似たような問題が畿内の間近で起こるのは家康の権威を著しく失墜させる問題だわ

分限帳を分析すると戸川などの元与力給人が秀家直臣へと一気に組み込まれており、
宿老らから秀家へ権力を集中する家中再編を飛躍的に行う結果になったという分析もあるらしい
長期的にみるとむしろ秀家を利する結果になってる気がするが、それが家康の陰謀なのかね?

374 :
山岡荘八は意外にも三成姦臣説を採用してるんだよな。武田信玄を相当美化している小説家だから、石田三成も忠臣にするかと思ったが、小説読んだら石田三成こそ秀次事件の首謀者、関ヶ原や論功行賞の握りつぶしをした、としていた。

375 :
山岡は変り種だろ。伊達政宗を分不相応に持ち上げてんのも山岡だし。

376 :
>>366
京極高次は本能寺の時に秀吉の近江長浜を陥落させてるけど、
その後の秀吉の対応についてどう考えてる?
高次はもちろん光秀の家臣ではないし、織田家臣からしたら
光秀に同調したとんでもない野郎なんだけど

377 :
>>360
いや、それなら最初から裏切る前提で討伐軍に参加させた方がいい
軍の行動や作戦等の情報を大坂(西軍)に送るなりできる

まあ、バレるだろうがw

378 :
俺もちょっと想像した事がある。
西軍全員で会津に和睦させるためって名目で行って
どうせ家康は聞く訳ないから、そこで上杉に付いたらどうなるだろうって。

379 :
その場合の西軍は奉行と毛利、大谷、小西ぐらいだけどいいの?

380 :
その場合は佐竹が上杉側だろうし
真田も家康嫌いだから寝返るな

そして伊達が動きます

381 :
>>380
佐竹にそんな危ない橋渡れるわけないでしょ。
真田は寝返っても数的に問題ない。

382 :
そんな真田に翻弄されてるわけで

383 :
真田に翻弄された(されてない)

384 :
だから、佐竹をどうにかしたいなら東軍寄りの父親をどう説得するのか説明しろよ
話せばわかるなら絶対史実でやってるよ間違いなく
義重はどうみても無能やバカ殿とは言えんから無理に排除したら内乱になるぞ
先に言っておくが、義重はあくまで先代だから…って言い訳は無しね
義重はこの後10年ぐらい生きるはずだからまだまだ元気だし

385 :
そも佐竹は秀吉の力を借りて国内の国衆を強引に粛清してるから、その残党がウヨウヨ残ってる中
うかつに西軍へ旗幟鮮明にしたら、そいつらが即座に東軍について決起して内戦。

386 :
>>380
伊達が動く?
伊達政宗が裏切るとか自立するとか言いたいのかな?

387 :
>>384
こんな田舎侍
名のとおとった茶人の茶会でイチコロ
どうせ目が利かないだろうし
適当な見栄えのいい茶碗をくれてやればいいだけさ

388 :
>>387
そんなんで佐竹54万石を賭けるのかよ。
大体、名が通った茶人て誰がいる?
利休はぶっ殺したし、今井の倅は親徳川だが?

389 :
>>388
誰かいないのかな

関ヶ原の戦い当時の茶人ランキング
ってあるのか


おーい出番だよ
資料さん達

390 :
むしろ義宣の茶の師である古田織部が家康に肩入れして、義宣に「妙な気起こすなよ」って釘刺してたはず
そもそも西軍は自分らの領土を確保した上で対峙してるのが唯一東軍に勝ってる点なのに
それすら放棄して史実よりいい流れになるとは思えない
関東に本拠がある徳川より領地から遠く隔てられた西軍の方が早く限界が来る

391 :
詳しく知れば知るほど無謀だったとしか思えない徳川排除

392 :
諸侯が徳川を強引にでも排除する理由が特にないからな
何度か書き込んでるけど、家康が信任されたというよりは
反家康派が信任されなかったって印象が強いし

393 :
>>389
ルーン!かわわ、たうたレクサス

394 :
西軍上杉征伐参加案?を語るには、まず上杉征伐の陣立てを知る必要があると思うのだが、
前田、丹羽、青山、堀等の北陸勢や伊達等奥州諸将、佐竹、徳川、小山から反転した諸将、
このあたりはわかるんだけど(越後在番とか仙道口担当とか)、
後続?と思われる愛知川で引き留められた長曾我部、玄以の息子とか、
大谷、小西、鍋島、吉川&安国寺、小早川秀秋等、このあたりはどんな担当予定だったのか
さっぱりわからない。
九州・四国勢でも黒田、藤堂、加藤嘉明とかは先行してるし。
にもかかわらず秀信はまだ出陣していないとか。
出陣の遅さと迅速な美濃衆のまとめぶりからすると
秀信は早期に尾張・美濃の約束で首謀者グループに近い存在だったのでは、とも思う。
美濃方面隊指揮官が秀信だったのならば、独断の渡河迎撃も納得はできる。
石田・小西・島津はあくまで加勢で。


話逸らしてしまったが、上杉征伐の部署担当確認が必要かなと思う。

395 :
初動の一撃で最低でも家康と秀忠の首取らないと徳川領の目と鼻の先で孤立するわけだから相当食いつきは悪くなるわな
というか家康と心中前提、勝っても得るものは何も無いって前提じゃないと思いつきもしない

396 :
うちの御先祖様は関ヶ原直後の西→東寝返り組だが本領安堵されたので家康には感謝。

397 :
>>396
脇坂さんこんばんわ

398 :
俺は>>396のご先祖が桑山一晴であることに>>397の魂を賭けるぜ!

399 :
ん、同石高で転封だと本領安堵とはニュアンス違うな
幕末まで存続した新発田藩の溝口秀勝の子孫にチェンジでお願いします

400 :
>>395
暗殺しかないな。

401 :
佐竹義宣が父親に東軍に付けと言ったなんて史料は存在しない

402 :
>>401

逆だろ。
佐竹義重が義宣に東軍に付け、だろ。

403 :
>>402
ごめん。書き間違えてたわ。

404 :
利家とまつで利家演じる唐沢寿明が病床で言ってたが、秀頼の成長を待つまで決起すべきじゃなかった

s徳川の天下になっても豊臣は存続できる
家康が信州真田征伐に手こずったように「謀反」大名征伐にしくじって長期化すれば徳川の天下に綻びが出る

405 :
それだと西軍首脳であるところの奉行衆が駆逐されてしまう
西軍とは豊臣を護る正義の軍ではなく、失職した、もしくは失職しつつある奉行衆が自己の地位を回復するために外様の毛利を引き込んで起こしたクーデターに他ならない

406 :
三成が決起しないなら家康の戦う敵は上杉のみ 旧上杉領120万石を恩賞として分配に苦労するだろう

長期化すれば国元が会津から遠い大名から厭戦気分が出て徳川体制に綻びが出る

407 :
そもそも景勝は最初から戦う気がなかったって節があってだな。

408 :
徳川の天下が磐石だった要因は幕領400万石と
江戸から京都までの東海道を一門譜代で固められたから

三成が決起してくれないとその実現が難しい

409 :
>>408
決起しないなら豊臣にもチャンスはあるよ。
秀頼が成人すれば、何とかなるし。
ただし、三成が我慢できたらの話だよ。

410 :
そもそも関ヶ原が起きた事に豊臣家の立場云々は何も関係がないからな。あの内府違いの条々ですら、
家康の独裁を批判しても家康が秀頼や豊臣家を蔑ろにしているというようなことは書かれていない

411 :
蒲生氏郷が生きていれば、、、

412 :
>>411
東軍が増えるだけじゃね

413 :
んだ。実際「織田系」大名はみんな家康についてる。「織田家」は何故かほとんど西軍に付いたけど。

414 :
>>409
我慢以前に一旦引退になってたやん。
三成より毛利宇喜多が我慢できなかったんでは?
>>411
前田利家が元気でさらに堀秀政セットなら勝てそう。
氏郷家康しみったれてて嫌いだったし会津が
氏郷相手なら下手すると家康負ける。

415 :
前田利家が元気なら馬鹿どもはクーデター起こさないと思うが

416 :
クーデター鎮圧する側だな

417 :
蒲生氏郷が長生きしていると上杉の会津転封が起きなくて年貢持ち去り等々もなくなるから上杉征伐も起きない
ってことでいいの?

418 :
>>410
大あり
豊臣対徳川だろうが
それをわかっていたのが家康

419 :
>>418
ねえよ。関ヶ原の結果として家康は豊臣家を凌ぐ権威を持ったけど、それはあくまで結果論。

420 :
わざと言ってんだろ

421 :
織田系は近畿が領地だから東軍についてもすぐに包囲されそうなのでね

422 :
そろそろテンプレに
●東軍(徳川家)VS西軍(豊臣家)ではなく、東軍(豊臣家家臣)VS西軍(豊臣家家臣)
を入れるべきだね
あとは
●豊臣家の滅亡は後の徳川家及び豊臣家の問題であり、関ヶ原の戦い時点で論ずるべきではない
とかね

423 :
>>422
下段は関ヶ原と関係ない豊臣の話は明らかにスレ違いなので>>15へ誘導でいいと思う。
関ヶ原に関係ある豊臣の話ならいいけど。

上段は…、豊臣を巻き込む戦い方の提案の可能性は消すべきではないかと。
解釈も微妙な部分があるので保留かな。

というか、一般論的には豊臣家臣同士の争い、くらいは踏まえた上で
ifを語ってほしいとはわたしも思う。

424 :
豊臣家臣同士の争いなのだから無理に西軍が勝つ方法なんて考える必要がないよね
三成が奉行であり続けないと悔しくて夜も眠れない三成信者でもなければどうでもいい話だよ

それでも西軍全員が一丸となって必死に戦ったうえで負けたのなら
こういう戦術・戦略なら勝てたんじゃないかと語る価値もあるかもしれないが
奉行に返り咲きたい三成とその一派が必死だっただけで、大多数はやる気が足りないのだから考えるだけ無駄だろ
戦術・戦略以前にやる気がない軍隊が負けるのは至極当然のことだ

西軍はどうすれば勝てるかという土俵にすら上がっていないのが実態でしょ

425 :
まあ西軍が挙兵した時の基本戦略が「東軍の自滅」だからなあ。俺らが大阪で挙兵したら会津征伐軍は
勝手に崩壊する、ってどんだけハッピーなんだか。

426 :
ただ、それ以上奉行側にとって良いシナリオは他にはないんだよね。
秀長死去、秀吉死去、利家死去の順番が家康にとっては幸運過ぎた。

秀吉が最初に死んで、朝鮮役を秀長が即刻中止。
秀秋をとっとと摂政に据えて政権の立て直し。
秀頼は生まれてなくて秀吉と直接血は繋がっていなくても北政所の血縁者を一塊にまとめ秀長執権就任で秀秋が30になるぐらいまで頑張る。
五大老はそのままにわざと利家、毛利、宇喜多連合と徳川を対立する構造に持ち込み上杉には徳川の監視約として密約を結ぶ。
この構造を作り上げてしまうまでは利家が必要だけどできてしまえば死んでもらっても大丈夫。
家康死去までこの構造維持できれば秀忠相手なら秀長なしでもなんとかなるだろう。
その際に旧秀次一派のトップである池田に徳川討伐後は五大老に任ずると確約して徳川討伐。

その後動きの怪しい大身大名を徳川がやったように改易するなり、謀叛の兆しありとして征伐。
秀秋関白時代に伊達改易、毛利の大幅減封までできていればその次の世代は統一政権内部の政権運営のルールを決め運用していく時代にすることができるかと。

何せ豊臣政権の重要人物の死去のタイミングは全て悪く家康優位な状況を作り上げているからこれが変わらないと豊臣はどうにもならん。

427 :
幸運を幸運に出来て、かつ活用できるのが「実力」なんだよなあ。実力のない奴はどんなに幸運が転がり込んでもそれを無意味にする。

428 :
あとはまぁ、感想じゃなく実証を優先するてのが大前提かなぁ
もちろんIFを取り扱う以上、途中からかなり推測に頼らないといけない部分はあるだろうけど
土台から何まで全部実証なしの思い込みで、まずアプローチがてんで出来てないのが多くて

429 :
上で長文書いてる人も、結局最初の部分から思い込みで豊臣と徳川の関係を書いてるし

これは感想文じゃありません、れっきとした実証を土台としてますってのは非常に重要かと

430 :
>>425
そもそも西軍の前提が徳川を倒すというより、
政権からとくがわを排除して自分ら中心で政権運営を行う、って奴だしなあ
豊臣がどうなろうと知ったこっちゃない、とか
自分らが滅びても構わん、なんて手段を彼らがとれるわけがない
自分らの尻に火が付いた、と判断すれば多少は無茶も出来るだろうが、
それに気が付いたのが恐らくは家康の関ヶ原到着か、早くても岐阜陥落直前なんで
ここから出来ることがほとんどないのが痛すぎる

431 :
豊臣政権の存続がマイナスにしかならないという事を豊臣恩顧大名たちが憂いていたんだろうなあ
戦国時代に舞い戻るだけだろうと

432 :
>>422
あとは秀頼と淀殿を西軍側前提で話す人がいるけど、それならば根拠(史料等)を示すようとかかね

433 :
田丸某は秀頼様に弓引けないっつーて東軍抜けて西軍に付いただろ

434 :
というか現代において、家康は関ヶ原の時点で天下は狙ってません。
なんて論文書いてる教授いるの?

435 :
秀頼を助けるつもりだったって言ってる学者は聞いた事がないね
知識不足なら載ってる本を教えて欲しい

436 :
家康が関ヶ原時点で天下を狙ってると言ってる学者も聞いたことないがな

437 :
立場相応の権力を求め、相応の仕事をしていただけだろう

438 :
家康が秀吉死後の豊臣の天下を守ろうとしていたと言ってる学者も聞いたことがないがな

439 :
家康が秀吉死後の豊臣の天下を奪おうとしていたと言ってる学者も聞いたことがないがな

440 :
関ヶ原以降で天下云々を語るならまだ分かるがそれはスレチ
関ヶ原時点や秀吉死後から天下云々というなら、家康はどんだけ思い通りに人間を動かせるのか
あとは未来予知でもできるのかね
当たり前過ぎて誰も論文書かないだけでしょ

441 :
>>436
>>439
司馬遼の小説でも読んだんだろ

442 :
三成悪党の小説でも読んだんだろ

443 :
関ヶ原以降で天下云々を語るならまだ分かるがそれはスレチ
関ヶ原時点や秀吉死後から天下云々というなら、三成はどんだけ思い通りに人間を動かせるのか
あとは未来予知でもできるのかね
当たり前過ぎて誰も論文書かないだけでしょ

444 :
三成ってどこから出て来たんですか。
あなたは誰と戦っているのですか。

445 :
家康信者「三成は権力を私的に乱用しようとした謀反人!家康に逆らうなんて許されないこと!」

クルッ



おもろwwww

446 :
関ヶ原直前の時点で家康の上にいるのはお飾りの秀頼だけで政権の第一人者
秀吉の遺言で秀忠の地位もとりあえず安泰
とはいえ秀吉死去と朝鮮遠征の後遺症で政情は不安定で無理できないし、する必要もない

つまり秀吉が全部悪い

447 :
秀吉もどうやったら豊臣政権が幼少の秀頼のもとで続くかさっぱりわからなかったのだろう
実際どうやっても続かなかったと思うがな

448 :
家康が関ヶ原時点で天下を。

そりゃ、家康も野心はあっただろ。
ただし関ヶ原は家康の野心だけでは説明はつかない。やはり石田三成にも問題がありすぎる。

449 :
結局三成の話題ってどこから出て来たの…

450 :
石田三成なんて小物どうでもいいよ
あいつ謹慎中で西軍途中参加なんだから

451 :
>>450
その小物が、忠臣とか言われてるから気持ち悪いよな。

452 :
>>444
相手にしない方がいい

453 :
やはり秀次が健在で秀次政権を確立していないとどうにもならんな
秀次事件が豊臣家を全て滅ぼした

454 :
結論:西軍が勝つには、三成を初めとする中央集権派を粛清して、地方分権派諸大名を取り込むしかない。
   結果として、豊臣政権は室町幕府みたいな弱体政権になるだろうけど、豊臣家は諸大名のかつぐ神輿
   としてしばらく安泰になるだろ。

455 :
こうやってこうすれば勝てた

456 :
粛清は極端というか、諸大名との交渉ノウハウ持ってる連中いなくなったら神輿の体も保てなくなるぞ
その点は奉行が私欲を捨てないとどうにもならん
>地方分権派諸大名を取り込む
そのために散々甘やかした毛利上杉でさえ秀吉死んだらあの通り、家康も関が原で勝ったら以下略だぞ

457 :
このスレでは三成を悪く言うことは当然のことと許されますが
家康を悪く言うと小説乙大河ドラマ乙研究をしっかり読めここに来るなレベルが低いなど
あらゆる罵詈雑言で抑えにかかろうとする面白スレです

458 :
史料なり研究を基にして言え言われてるのに持ってこないで他人くさしてるだけやろ
何被害者ぶってんだ

459 :
それ罵詈雑言で抑え込むというよりただ論破されてるだけでは(名推理

460 :
>>448
家康は今川義元の死を最大限利用して自立して三河を手中に
家康は織田信長の死を最大限利用して甲斐信濃を手中にして大大名に
家康は豊臣秀吉の死を最大限利用して天下取りに
そして徳川幕府では朱子学を官学にして主従関係の徹底(下剋上阻止)
を教育することに努めたと

別に家康の人柄が悪いとか言ってないぞ
抜け目がないなあと思っただけで

461 :
>>458-459
ほらねww
三成を悪く言っても何も来ませんが、家康が悪く言われると飛んでやってきますww
こないだの参議委選挙では徳川19代目の落選は残念でございましたねw

462 :
ただ家康は仇敵に対して容赦ない所があったが
三成を評価してたほうだと思うよ

だからこそ三成の息子を助命してあげた
なかなか当時では考えられない寛大さだ

463 :
小物だから助命されただけだろ

464 :
>>463
大久保長安や古田織部なんて息子全員が死罪だよ

465 :
>>464
関ヶ原じゃねーじゃん、馬鹿かお前

466 :
信長や秀吉だったら助命を進言した家臣ごと粛正の嵐だっただろうな

467 :
妄想じゃないと証明をしろって言われてるのにできてないんだからそりゃ言われるやろ
徳川がどうとかの問題じゃない、最低限の常識の話

その程度のことも認識できてない時点で、歴史どころか学問がまるでできてない阿呆と思われてもしゃーないレベルなんやが

468 :
>>466
そういうこと
家康が天下分け目で争った仇敵の石田三成の息子を助けた寛大さはもっと知られていいと思う

そのおかげで家康の孫の三代将軍家光のガチホモの性癖を三成の曽孫のお振が直すことができた
春日局のはからいで男装して家光に近侍してお手がついた
男装した女と女装する将軍が結ばれるなんてもはやお笑い時代劇レベル

469 :
>>467
石田三成は悪人なのかなんて歴史学者でも証明しようがありません

470 :
ワイは別に悪人とも発言しとらんが
ただ速攻遺言無視して豊臣政権をむしろ脅かす状況にしてるし、忠実な人間ではなく野心の人とは思うが

471 :
誰も石田三成の話なんてしてねーよ、脳みそに障害あるんじゃねーのか病院で見てもらえ

472 :
>家康は今川義元の死を最大限利用して自立して三河を手中に
>家康は織田信長の死を最大限利用して甲斐信濃を手中にして大大名に
>家康は豊臣秀吉の死を最大限利用して天下取りに
どれもこれも、きっかけから結果までの間に大きな外部要因の変化があるの無視してて草

473 :
>>470
俺は家康が豊臣政権に忠実だとは思いませんね
野心の人だとは思いますが

家康を悪く言うと脳みそがおかしいと言ってくる>>471
三成を悪く言うレスには何も言ってきませんwww

474 :
>>473
てめえが>>442でいきなり三成の話を出したんだろ
例え話ガイジといい荒らすんじゃねえよ菅沼かよ

475 :
家康だって秀吉が死ぬまで辛抱強く待ってたんだ
三成も家康の死を待つべきだったな 秀頼だって幼いし

476 :
真面目に君は自分がいま何を発言しているのか理解しないといけないよ
誰も三成の話をしていないのに持ち出した挙句、そこを指摘されたらあざけりだすなんて
本当に君いま傍目で見てもただただ狂人にしか見えないぞ

477 :
関ヶ原合戦スレで三成の話をすると狂人呼ばわり
家康信者ってすごいねw
傍目で見てもただただおかしいとしか思えませんよww

478 :
取り敢えず、具体的に「三成を悪人扱いしてるレス」とやらをリストアップして、深呼吸してから読み直すことをお勧めする

479 :
とりあえずまず君の意見を君自身の手で実証してみようか
史料を出すなり誰それの研究者の論から持ってきましたでもいい

それはもう本当に最低限の部分だから

480 :
実際勝てなかった西軍がどうやって勝つかを議論するわけだから、多少のIFは良いと思う
ただ、根拠のないIFだったり、史実を無視したりるから、西軍を推す人はやり込められているだけだと思うよ
逆に東軍を推す人が根拠のないIFだったり、史実を無視していても同じかと
そこに家康厨とか徳川厨とかは関係ないよ

481 :
これには何も言わないのにねw
家康が少しでも批判されると脳みそがおかしいだの狂人だの言ってきますww

316人間七七四年2019/07/21(日) 21:26:38.60ID:c+srMaPt
三成は奉行に返り咲きたくて突如武装蜂起して豊臣公儀の遠征事業を妨害したのだから
道徳的にも悪だし豊臣への謀反人で間違いないだろ

482 :
>>478
そうだね
深呼吸した方がいいよ
三成の批判の>>316には何も言わないのに、家康が少しでも批判されたら、
ガイジだの脳みそがおかしいだの「実証」だの大騒ぎwww

316 人間七七四年2019/07/21(日) 21:26:38.60ID:c+srMaPt
三成は奉行に返り咲きたくて突如武装蜂起して豊臣公儀の遠征事業を妨害したのだから
道徳的にも悪だし豊臣への謀反人で間違いないだろ

483 :
おい今日が何日か知ってるか?
27日だよ先週のレス貼って何がしたいんだ?

484 :
>>474
本人じゃないの?
何故か勝頼スレが静かになってるし

485 :
>>480
そこは違うんじゃね
東軍は史実では勝ったんだから同じ土俵で語るのはナンセンス

486 :
え、先週の話?

487 :
菅沼は最近は夜中の3時くらいの誰もいない時間に喚いてる
この時間は寝てるんじゃないかな?

488 :
いや、そりゃあIF部分はどうしても推測頼りにならざるを得ない部分があるだろうけど
それでも推測の理由となった史料なりを用いるべきだし
土台になる部分から全部妄想で書いてOKってもんじゃないでしょ

489 :
>>483
だから? リストアップしろと言ってる>>478に言えば?

490 :
>>488
で?
三成を悪人呼ばわりするのは何の妄想?どこの論文で認められた史実ですか?

491 :
>>490
誰も三成の話はしてないんだよ消えろカス

492 :
なぜか家康を少しでも批判されると発作的に反応しちゃう人が何も反応しない>>316ですが、
これ↓のどこが実証的なんですかね?

316人間七七四年2019/07/21(日) 21:26:38.60ID:c+srMaPt
三成は奉行に返り咲きたくて突如武装蜂起して豊臣公儀の遠征事業を妨害したのだから
道徳的にも悪だし豊臣への謀反人で間違いないだろ

493 :
すがぬま〜

494 :
>>485
いや、実際出来る事と出来ない事は最低限分ける必要があるでしょ
あと、西軍は史実と違う動きをするのに、東軍は史実通りというわけにもいかんでしょ

495 :
あとまぁ悪人かどうかはともかく
失脚中の奉行が西軍に組して突如武装蜂起して豊臣公儀の遠征事業を妨害したって部分は完全にその通りだし
実際にあの当時的にもかなり悪寄りの行動だし間違いなく謀反だよ

496 :
>>491
ここはおまえのブログじゃないんだよww
消えろ来るなといってそうなるわけねえじゃんw

497 :
すがぬま相手にするとか池沼かな

498 :
>>494

じゃあ>>495の論をどう思う?
俺の排除のために無理やり論調を合わせなくていいぞ どうせIDはあと3時間で変わる

俺は関ヶ原の戦いに謀反は当てはまらないと思う
もはや豊臣政権が実質崩壊している
家康は豊臣政権という大義名分で
前田を屈服させ上杉を征伐し徳川政権の地ならしをしているだけだ
織田信長が足利義昭を利用して天下に号令しているのと構造は同一だ

499 :
>>498
自分は>>495のとおりだと思う

謀反じゃなければ、なんと呼ぶの?

500 :
他人に判断を預ける前にまず自身の意見の実証してくれんか
ちなみに下段に書いてる織田信長像もえらい古い否定された説で最新研究読むべきだし

501 :
家康が少しでも批判されるとガイジだの脳みそがおかしいだの狂人だの実証がないだの研究を読めだの
大量に罵倒レスが降ってわいてきますが、
三成の行いは悪とかそんな研究や実証はありませんけどww
でもなぜか三成批判はいかに幼稚なレスでも罵倒レスなしwwwwww

316人間七七四年2019/07/21(日) 21:26:38.60ID:c+srMaPt
三成は奉行に返り咲きたくて突如武装蜂起して豊臣公儀の遠征事業を妨害したのだから
道徳的にも悪だし豊臣への謀反人で間違いないだろ

495人間七七四年2019/07/27(土) 21:05:09.91ID:yASvgHtJ
実際にあの当時的にもかなり悪寄りの行動だし間違いなく謀反だよ

502 :
>>499

三成の謀反であるという実証は?
徳川史観の史料はダメだよ
現代の歴史学において三成は謀反で悪といっている論文出してきて

503 :
自分で判断任せておいて否定されたら罵倒って恥ずかしいことしてるんじゃないよ
大体当時として悪なのはその通りやろ、いつまで駄々っ子してるんだお前は

504 :
https://ci.nii.ac.jp/

とりあえず三成は謀反で悪だと実証している論文見つけてURL出してね

505 :
>>503
当時三成が悪という公論でもあったんですか?論文でも史料紹介でもいいので

506 :
まず第一に、謀反が悪とされる行為であるってことは理解できてる?
そっからの説明だと非常に骨が折れるんだけれど

507 :
やっぱこれ本人だよ

508 :
根拠(史料等)があれば家康叩いても文句出ないでしょ。反論はあるかもしれないが
西軍は根拠もないのに擁護するから、そりゃあ文句もでるよ

509 :
>>506
石田三成の挙兵は謀反であり悪である

史学雑誌で認められた定説でしょうか?

510 :
まじかよ、謀反の意味から説明させる気かよ

511 :
あれ?
最新の研究君どうしたの?
回顧と展望でも読んでるの?

早く三成の挙兵は謀反で悪だと言っている論文出してよ
ちゃんと査読付きのやつね

512 :
家に国語辞典ある?なければ今使ってる端末で辞典開いて
謀反の意味を調べてほしいんだけどいいかな?
1番目の意味の方ね

513 :
>もはや豊臣政権が実質崩壊している
>家康は豊臣政権という大義名分で
つまり政権として機能してないが家康が大義名分に使い諸侯がそれに従う程度に権威は残っていたと
それに対して挙兵したら「豊臣の権威なんてもう建前でも通用しないぜ」という宣言になる…これ謀反じゃね?

514 :
>>513
それをいうなら家康は秀頼から上杉征伐の承認は得ているが
毛利宇喜多石田大谷らの西軍征伐の承認は得ていない
よって中立的観点でみるなら関ヶ原の戦いは諸侯同士の私戦だな

515 :
三成がどうこう言ってる時点で間違ってるんじゃないの?
あれは現職奉行が宇喜多と毛利を引き込んでのクーデターでしょ
三成は途中参加のあげく責任を押し付けられた人だよ

516 :
三成がどうこう言ってる時点で間違ってるんじゃないの?
あれは現職奉行が宇喜多と毛利を引き込んでのクーデターでしょ
三成は途中参加のあげく責任を押し付けられた人だよ

517 :
もう相手にしない方がいいよ
質問して答えてるのに、その相手の質問には応じないんだもの
議論にならないよ

518 :
家康は意図してなかったかもしれないが
家康は当初は豊臣の承認を得る形で上杉を征伐しようとした
しかし結果として、
豊臣の承認を得ないまま家康は毛利も宇喜多も石田も大谷も三奉行も撃破することができた
豊臣の権威がなくても徳川の実力だけで天下を統治できると確信できた結果になった

>>516
ずっと過去のスレで三成の挙兵は明応の政変に似ている所があるというレスはあったね
あれもクーデターだから

519 :
>>518
あれお前と同じ池沼が言ってるだけだぞ
お前は三成ガイジで明応の政変と言ってるやつは例え話ガイジだ

520 :
明智光秀が織田信長に謀反を起こしたのは定説だ
客観的に認められていて異論はない
それでも光秀の謀反を「悪」だと言っている論文なんて聞いたことがないけどな

ただ石田三成を明智と同じように謀反という括りは定説にはなっていない
このスレだと三成謀反に異議を唱えると、
ガイジだの脳みそがおかしいだの言ってくるがなww

521 :
ほんとにもう指摘するのも恥ずかしいレベルなんだけどさ
主家が認めていない軍に囲まれて、それを慌てて打ち取る

この際に許可が取れるかどうか、また許可が必要かどうか もう少し落ち着いて考えてほしい

本能寺で信長も信忠も打ち取られて、そのあとに織田家臣たちが明智討伐に動いたことに承認が必要だったか?

522 :
>>521
秀吉は信孝を押し立てただろ

それで三成は謀反を起こした 三成は悪だと言っている定説はどこで言われてるの?
査読付きの学会誌で早く提示してよ

523 :
>>521
三成と光秀は同じ謀反人であります

学会報告でやってみてww
恥ずかしくないでしょww

524 :
押し立てる前から勝手に毛利と停戦して戻ってきてるんですが
しかも信孝別に織田家当主ですらないし

で、謀反の定義は調べた?
西軍がいつ秀頼から支持を受けたの?俺そんな書状も研究も寡聞にして聞いたことないけれど

525 :
うん学会報告でそれ言っても別に全く恥ずかしくないけど

526 :
>>524
だから諸侯同士の私戦だよ 関ヶ原の戦いは

関ヶ原の戦いは家康が三成の謀反を鎮圧した戦いです

ぜひともそれで論文を投稿してよww
はねられると思うよww

527 :
>>525
徳川史観すぎると批判されるだけだよww
そういってる学会報告あるなら出してみてよww
郷土史家のマイナーな内輪の団体じゃだめだぞ

528 :
学会学会言うのになぜ歴史書は読めないのか
働いてないから金がないのか

529 :
なんではねられると思うのか説明してごらん?
そもそも我々はずっと君がそれを実証をもって説明するのを待ってるんだから
当時の三成たちが豊臣家の支持を受けてないのは知ってるよね?

530 :
石田三成が謀反人であり悪であるという学会誌の査読付き論文はまだですか?
ぜひとも「実証」してほしいですね


https://ci.nii.ac.jp/

531 :
>>529
秀頼は幼少だから政治的意思がない
北政所や淀の意思は関ヶ原合戦時は不明
(昔は北政所が家康びいきだという説もあったが否定されつつあり)
そもそも北政所や淀の意思を以て豊臣家の意思といえるのか不明

532 :
広忠が刺殺されたのを見つけた植村新六郎はひとっ走り人質やってる竹千代に許可取ってきてそれから岩松八弥を討ち取ったんだろうな

533 :
主家から支持も受けていないのに勝手に挙兵して、主家のいる城を兵で囲み主家が認めた軍勢を攻撃する
これはまさしく国語辞典に書いてある謀反の意味その1に該当しているが、意味調べた?

また本来先に実証しないといけないのはあなたなんだよ
主張をし始めたのがあなたが先なんだからね
煙に巻くのもいい加減にして早く実証してみてくれない?

534 :
このスレでは明智光秀と石田三成を同じ謀反人なんだと断じて、
異論を唱えると脳みそがおかしいだのガイジだの言われるが

学界ではそんな定説は認められていませんw

535 :
>>532
そもそも三成って秀頼を討ったの?
秀頼を討ったのは家康だよ(笑

で三成は謀反人で悪人で家康は謀反人じゃないし悪人じゃない(笑

536 :
まず意見不明だからそれはセーフ理論が意味わからんのよね

本能寺で主家がまさしく意見どころか生死不明の状態で、諸将が勝手に戻ってくるのが謀反なのか

537 :
>>536
三成は秀頼に謀反を起こしたんです

そんな定説どこ?
ぜひとも論文を出して実証してくださいねw

538 :
だから、辞典読んだかって聞いてるんだけど

また早くこっちが先に求めてるんだから君の意見の実証もしてよ早く
他人せっつくしかできてないよ君

539 :
>>535
謀反人討つのにいちいち許可いるのかって話なんだが
勝手に挙兵しても主君が死ななければセーフなのか

540 :
石田三成が、明智光秀と同じ謀反人であり悪であるという学会誌の査読付き論文はまだですか?
ぜひとも「実証」してくださいね

https://ci.nii.ac.jp/

541 :
実証って別に論文によらんのだが、辞典読んだの?
辞典読んだうえで西軍の行動が謀反じゃないと認識してるなら大問題なんだけど

あとこっちも君の実証を待ってるんだけど、まるで聞いてませんという反応するのやめてもらえない?

542 :
むしろ彼の方が「家康が名分として利用した豊家の大義は、当時の価値観から建前としては完全に破綻しており
西軍の挙兵に正当性があったこと」を実証すべきなんじゃないのか

543 :
そうなんだよ、で最初からずっとそれ求めてるのになぜか答えてくれないんだよ

544 :
>>541
自分は499だけど、もう相手するのやめたよ
相手の質問にこちらは答えたのに、こちらの質問には答えてくれないとか、議論にならないよ
しかも独りよがりなことばかり言って、意味不明なレスも多いしね

545 :
>>544
そうします、忠告ありがとう

546 :
酔っぱらってんじゃないか?

547 :
遼太くんでないの

548 :
まあつまり水掛け論です

結果として豊臣政権の運営主導を三成が家康から奪おうとした
家康はそれを豊臣恩顧の大名の戦力を使って打ち破った

それが関ケ原
謀反かどうか、どっちかが悪人かどうかなんか論じても論じる立場で違うんだから無意味

水掛け論を喜んでしている人は総じてバカ
以上だ

549 :
もっと単純に「菅沼は馬鹿。菅沼相手にする奴は大馬鹿」でいいんじゃ

550 :
謀反かどうかは間違いなくすぐわかるやろ、何をどっこいどっこいに済まそうとしとるんじゃ

551 :
そもそも西軍が出した「内府ちがいの条々」の内容が異常すぎる。あれだけの条々出せるのは秀頼だけで、奉行が出すのは明らかにおかしいでしょ。あれは大義名分にすらなってない。

552 :
ただ行動を日本語の意味に当てはめるだけだからなw
まあ確かに善悪は個々人の問題だな、明智憲三郎なんかも先祖の謀反正当化するために珍説こねくり回してる
例えば末子可愛さに優秀な嫡子を害そうとした主君を討つのは人道的に悪とは言えまいよ

553 :
>>548ってめだか師匠並みのコメディアンなんじゃ

554 :
個々人の主観な善悪と当時の道義的善悪とを一緒くたにして煙に撒こうとしてただけのように見えるけどな、あれは

555 :
正義とか悪とかは立ち位置によって変わるから別にどうでもいいけど、謀反は謀反で変わらないよ

556 :
家康も謀反で変わらないね

557 :
>>552
>>555

まず謀反は悪の行い
そんなことも理解できないの?

558 :
家康が叩かれだすと、何故か三成の方がって言い出すよなw

559 :
>>558
「家康は悪人、とにかく悪人!」
「その件にはこれこれの背景があってな」
「三成を悪く言うな!この徳川史観!」
「???三成の話してないのにどこから出て来たんだ?」
>>442とか>>457とか、そういう奴ばっかで困るよな…

560 :
そもそも誰も善悪の話しなんかしてなかったのに三成ボーイが勝手に被害者意識を爆発させちゃったからな
ここで話されていたのは西軍の決起に大義名分は成立するのか? 謀叛には当たらないのか?
と、家康の秀吉死後から関ヶ原までの行動は名分的に非は無いのか?
ということであって、ほぼ結論が出たところで三成ボーイが癇癪起こして徳川史観だ家康信者だと騒ぎ出しただけ
議論の流れをちゃんと見れば、小説やドラマとは違って家康は内心はどうであろうと手続きを踏んで行動している為に非難しにくく、西軍は主家の意を汲み取っての行動かどうか怪しく、忠義の為の決起とは言い難い部分があると言われたのであって、
この最後の部分だけを摘まみ取って「家康は絶対正義なのか! 三成が悪だと言うのか!」と騒がれてもホント迷惑なだけだよ
たぶん今日も三成ボーイが出てくるだろうけど、議論の前提条件もその流れも踏まえる気の無い人を真面目に相手にしちゃダメだよ

561 :
>>560
傍目から見ればアンタも水掛け論争にアホみたいにボルテージ上げて相当な癇癪持ちだね
家康も三成も権力闘争でフラットにみればいいじゃん

562 :
戦国時代の戦争でいちいちこっちが謀反だ悪だあっちが正義だ大義だといちいち言ってるのかい?
それって腐儒の論だからやめたほうがいい

563 :
豊臣から公認されてる家康を引きずり下ろすには豊臣の許可が必要なんだが
輝元は本丸へ入ることは出来ず、戦に負けて後付の認可も取れなかった

564 :
>>562
だからそれ言ってんのは三成ボーイだけなの。あなたは頭が悪いね

565 :
>>515
最近そっちの説が主力よね。

566 :
鎌倉時代でも執権北条が敵対する和田も三浦も名越も謀反人認定して滅ぼしていった
北条の掲げる大義名分をそのまま学術的に事実認定して謀反と呼んでいいのかどうかは別儀でござる

567 :
また例え話か

568 :
だから謀反じゃないと主張したいならさっさと誰それの研究ですって出せよ
それも出さないで喚いても意味ねーぞ

569 :
三成が野心家だったのは隠し様が無いわな
それでいながら戦争下手という

570 :
>>566
俺はしっくりきた
家康が豊臣政権の謀反人として石田毛利上杉宇喜田を処断したことと
鎌倉期の北条が他の御家人を鎌倉幕府の謀反人として処断したことがシンクロする

571 :
しっくりくる前に謀反人とされた連中が先に何をやって何をやってなかったのかくらい調べろ
そこ調べないでパッケージだけ見てたらそらなんでもかんでもシンクロするわ

572 :
利家死後の豊臣政権の実態は家康の執権政治
執権に逆らう大名は将軍(関白)家の譜代でも謀反人として追討対象

573 :
>>572
秀吉の遺言だからな

574 :
だから、毛利上杉宇喜多たちはなにをして、鎌倉御家人は何をしていないのか調べたか?って聞いてるんだが

比較をするなら対象同士の違いをなによりもまず確認しなきゃ比較にならねーだろが
シンクロする部分だけ抽出して見ればそりゃシンクロしてるわいな

575 :
一理あり
ただ昨日のレスをざっと読むと
明智光秀と石田三成を安易に謀反人で同一視するのも問題だ
対象同士の違いの確認が必要だわな

576 :
謀反の定義なんて簡単だろ
権力を握っている人間に逆らって破滅したことが謀反
だから承久の乱は天皇が謀反を起こしたことになった

光秀は信長殺害には成功したが、すぐに秀吉に討たれて破滅したので謀反人
秀吉は乗っ取りに成功して関白まで上り詰めたので謀反人ではない
三成は豊臣を牛耳る家康に逆らって討たれたので謀反人
家康は豊臣を牛耳った後に江戸幕府を作るまでに至ったので謀反人ではない
秀頼は江戸幕府を作った家康に逆らって破滅したので謀反人

577 :
謀反に関しちゃ比較の話じゃなく、言葉の意味に沿った行動かどうかが主眼だしな
ざっと読んだうえでそこわかってないのは論外

578 :
>>576
そうか?
秀吉は成功したから謀反人じゃない? 光秀は失敗したから謀反人?
結果の成否で謀反と分類できるかどうかを決めるなんて聞いたことがない

敵の調略で寝返った穴山梅雪や木曽義昌だって当時でも今でも謀反だよ
政治的理由で許されただけだ

579 :
いや謀反は結果論だろ

580 :
>>576
誰が謀反人かをあんた一人が自分の持論で一刀両断して決めるのは文句ない
ただ他の人にあんたの持論を既定事項のように押し付けないでくれ

581 :
謀反の定義がちゃんとあるんだから、それを見ろよ

582 :
謀反は結果ではなく行動
秀吉は関白になってより正当性の高い大義名分を得るまで、道義的にどうあれ完全に織田家臣としての手順に沿って動いたから謀反人ではない

583 :
なんか妙にレスが伸びてると思ったら、謀反がどうとか。
スレタイと直接関係ないことで。
スレたてもけっこう手間掛かるんだからさぁ。

西軍の公儀性なら白峰氏が毛利・石田連合政権説(だっけ?)
唱えてるでしょ、同意できるかどうかは別にして。
立場変われば観方も変わるんだし。
他のひとも言ってるけど、豊臣家臣同士の争い。
西軍にしたって豊臣に対して謀反したわけではない。
家康、及びその与党に対して挙兵したにすぎない。
豊臣に対しての謀反ならば多くは味方しない。

豊臣家臣同士の争い。これを謀反とは言わない。

584 :
そもそも奉行のうち、長束正家はなぜ豊臣に固執したんだろ?

正家の嫁は本多忠勝の妹だから、その縁を頼れば徳川家でも計理の才は買ってくれたかもしれんのに。

やはり豊臣政権における甘い味が忘れられなかったのかな?

585 :
>>583
毛利、石田連合政権とかマジで言ってるの?
毛利と石田では所領も官位も何もかも格が違いすぎる。
それが連合政権なんて無理に決まってるでしょ。

586 :
謀反かどうかはただ行動を日本語の意味に当てはめるだけ
立場によって見方が変わるのはその行動が善か悪かという点だけ

てか西軍諸侯の多くが西軍の大義を認めて自発的に参加したかのような言い草だなw

587 :
せめて毛利、宇喜多連合政権と言ってほしいな。

588 :
>>586
対象の前提がなければ意味がない。
その対象は豊臣なのか、徳川なのか。

589 :
対象に関係なく許可の無い挙兵は謀反

590 :
もうホントただただ、国語辞典くらい読めで済む話
読めないのか?ここで訳わからん定義出してる連中は

591 :
>>589
西軍の挙兵が豊臣に対する謀反だというなら、
大坂の秀頼を討ち取れば謀反は成就する。
西軍の挙兵か徳川に対するものならば、
西軍は徳川との主従関係ではないので謀反とは言わない。

592 :
>>591
家康は秀吉から遺命で政権を委託されてる。
さらに秀頼の外祖父(になる予定)。

少なくとも、正当性の面では東軍に分がある。
そもそも西軍の大義名分が「内府ちがいの条々」しか無い時点で、西軍は正当性や大義名分では苦しすぎる。

593 :
「謀反」ってのは「既存の体制」に反旗を翻すこと。人への叛旗ではない。
なので天皇が体制への反旗を翻した時「主上御謀反」と記録されたし、
足利義昭が織田信長に反旗を翻した時も「公方御謀反」と記録された。

「徳川家康を中心とした既存の体制」に反旗を翻した以上、西軍は謀反

594 :
挙兵という行動が豊臣の権威にウンコ投げつける意思表示になるんだが
主家以外に対する勝手な挙兵が謀反に当たらないなら、上杉が最上や堀に勝手に侵略戦争仕掛けても無罪放免ってこと?
そんなん許してる中央政権なら確かに存在意義も大義もないわな

595 :
謀反(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%80%E5%8F%8D

謀反(むほん、むへん、ぼうへん)は、国家・君主・主君・時の為政者にそむくことである[1]。
1.^ 『大辞泉』小学館

>>593
「国家・君主・主君・時の為政者」とあるぞ、なぜ「君主・主君」を意図的に無視してるのか。
同wikiの「中世以降の謀反・謀叛」の項にはこうある。


鎌倉時代に入ると、武士の間の主従関係が重要になり、
ある武士と主君の関係を結んでいる家臣の武士が、
主君の武士に反抗することが起こり、これを謀反と呼ぶ。
戦国時代には数多くの謀反が起こって家臣が主君を追って自ら大名になる事件、
「下克上」が起こるようになった。

596 :
主君の秀頼から天下人の座を奪う家康の行為は下克上であり謀反ですね

597 :
それと西軍が豊臣に対する謀反だというのならば、大坂の秀頼を討ち取れば
それで終わる話。
徳川与党と戦うことよりも、最優先されるのは秀頼を討ち取ること。

598 :
>>594
加藤福島黒田らが挙兵して奉行の石田を襲ったことは豊臣の権威を傷つけることだな
無罪放免になったが

599 :
辞典を読めないバカは本当に困る
主君に背いて兵を起こすことがすでに謀反であって、主君を討つことも謀反の一部だがそれだけではない

600 :
つーか国語辞典をそのまま引用しろよ、何信頼性の薄いウィキペディアなんか引っ張り出してきてんだ
僕のソースはウィキペディアですは恥ずかしすぎんぞ

601 :
んで七将襲撃を引き合いに出してるやつがおるけど
まず最新研究だと襲撃ではなかった説まで出てきてるけどそれはそれとして

襲撃を公儀の名において止めて、その上で裁定下すプロセス入っとるやろ

602 :
>>576
謀反は一度臣下になったものが下克上すること

権力を有する中央政権に逆らえば謀反?
織田政権に逆らう武田 豊臣政権に逆らう島津北条も謀反になるぞ?
秀頼も一度も徳川の臣下になったことはない

603 :
スレチにも程があるけど
豊臣家は徳川家にゆるやかに臣従してるよ

年頭礼という臣下から主君に行うものを途中からやってるし

604 :
国語辞書通りなら主君から天下人の座を奪い
最後には徹底的に討ち滅ぼした家康は究極の下克上で謀反だな

605 :
>>603
それで主従関係は確立されていない

606 :
なぜ確立されてないと判断できるのかな?

607 :
緩やかっつーか、一回やっちゃったら政治家が何より嫌がる「前例」ってやつになるんじゃ

608 :
>>600
引用が 「『大辞泉』小学館」とあるからある程度の信頼性はあると判断したが?
くそ分厚い国語辞典なんて持ってないから。
わたしの持ってる「現代国語例解辞典」(小学館)には、 
むほん謀反
国家、または君主に背いて兵を起こすこと。 とある。

背く
1 人の思いや意見、命令などに反する、さからう。
2 人や物から離れる、背を向ける。


その論で行くと、秀吉の定めた伏見城在番の奉行を追い出し、
私兵である鳥居を伏見に在番させて伏見を占拠した徳川もまた謀反だとなるが。

609 :
>>596
なら秀吉も織田秀信に対し謀反したでいいのか?

610 :
>>609
はい

611 :
いや秀吉も家康もちゃんと手順踏んで前政権より大きな名分準備してるんだから謀反じゃねーだろ
勿論その過程の裏工作やらなんやらを道義的に悪と断ずるのは個々の主観だけど

612 :
なんで小さい事で言い争いしてるの?ここでは西軍が勝つ方法考えようぜ。
俺の策はこうだ!まず秀忠を寝返らせて西軍につける。無論真田は秀忠軍を邪魔せずむしろ道案内して秀忠軍は美濃に出る。秀家、三成ら軍と秀忠の軍で家康、正則らを挟撃するってー作戦だ。
西軍大勝利間違いござりませぬ!

613 :
単純に考えろよ、豊臣政権下の大名が勝手に近隣の大名に戦争仕掛けてその領土奪っても謀反じゃないのかよ
織田と武田、豊臣と島津北条の例は完全な的外れ
そいつら中央に領土の所有権保証してもらってるわけでもなんでもない

614 :
>>608
家康に与えられた権限、権力の大きさと
他大老や奉行に与えられた力の大きさの差を考えろよ
なんで与えられた権限の差を一切考えないの?

615 :
>>612
さすがに秀忠は無理じゃね?官位(輝元等3大老と同じだっけ?)じゃ釣れないし、他の物でも釣れる物が思い浮かばないw

616 :
>>595
今どきウィキペディアの記事を持ってくるとか本気でびっくりしたわ。お前恥ずかしいやつだな

617 :
>>614
国語辞典そのまま引用しろといったのはだれか。

秀吉(主君)の定めたもの(奉行による伏見在番)にさからい、
私兵鳥居元忠に伏見を在番させ占拠した(兵を起こした)。

「謀反」の構成要件が成立するだけだが。

あと奉行は家康に対し、「秀頼を見捨てた」とも書状に書いてる。
秀吉は重ね重ね秀頼のことを頼むと念を押していたのに、
家康は兵を動員して上杉征伐に出陣してしまった。

秀吉(主君)の「秀頼を頼む」という思いに反して
(秀頼を見捨てて)上杉征伐に出陣してしまった。

これも謀反の構成要件に当てはまる。
秀忠に任せて自身は大坂にいれば問題なかったが。
厳密に当てはめるなら、西軍を豊臣に対する謀反というなら
徳川もまた謀反。

618 :
>>617
だから、いつそれが主君に逆らったことになったの?
そして、奉行を罷免する権限が誰にあると思ってるの?

家康はそれらの権限をすべて与えられているでしょ
ましてや地方で反乱している諸侯を鎮圧するのに豊臣家から許可を得て行動してるでしょ

619 :
第一段階である国語辞典を読むがやっとこさできて
君が今度考えないといけないのは権限は誰に委任されてるのかという点

620 :
ましてや地方諸侯が勝手してるのを討伐しに行くことが秀頼を見捨てたになるわけないでしょ
むしろ秀頼を守るためにこそ地方諸侯の反乱を抑えて公儀性を見せる必要がある
だからこそ豊臣家にお伺いを立てて豊臣家もそれに許可を出してる

奉行側はそりゃ犯行声明文なんだから白だろうと黒つって糾弾するわいな
それ鵜呑みにするとかバカのするこっちゃで

621 :
>>618
秀吉(主君)の定めた(命令)、奉行による伏見在番に反し(さからい)、
私兵である鳥居元忠に伏見在番及び占拠をした(兵を起こした)。

いつもくそもなく謀反の構成要件を満たしている。

これが謀反ではないというのなら、家康は秀吉から
徳川が謀反を起こしても謀反にならない権限を与えられていた、となる。

622 :
公儀性は多分に与えられているよ
少なくとも問題のある奉行を追い出していい程度の権力はある

秀吉の命令ではなく遺言ってのもわかってるか?
遺言である以上出した当人がすでに亡くなってて、もし変事が起きたとしても対応できない
であれば生きて権力を委任された人間がやりくりするしかないわけ矢が

623 :
これが秀吉が生きていて
そんな命令出してない勝手をするなとなった場合は家康が非だよ
でも当人なくなってる上、奉行が問題を起こした場合にどう対応しなさいとも書かれていない
それを遺言を金科玉条にしてスルーしてたらそれこそ豊臣家自体が危ういよ
問題を起こした奉行を罰する方法がないんだもの、やりたい放題じゃん

624 :
えーとつまり、「秀吉に任命された政務総覧者たる家康には、豊臣政権下の一大名である徳川家の兵に
伏見城の在番を命じるだけの人事権は与えられていない」ってことか…家康って何のためにおるんや?

625 :
>>622
大坂と伏見の在番は秀吉が生きてる頃からあった制度だけど。
石田三成の真田信幸宛の書状だかも残ってる。

謀反の構成要件を満たしているのならそれは謀反。

謀反を起こしても謀反じゃないことになるだけ。
つまり、徳川は豊臣に対して謀反を起こしたが、謀反じゃなくなる権限を有していた、
となる。

626 :
生きてる頃に奉行問題起こしてたか?
君時系列わかってるか?

627 :
また、当時の当主が誰なのかもわかってないみたいだから一応書いておくと
当時の当主は秀吉ではなく秀頼
そして秀頼が幼少で命令を下せる年齢じゃないからこそ家康が政務を任されてる

遺言は必ずすべての事象に対応できるものじゃない以上、有事の際には政務を任されてる家康が行動せねばならない
これで奉行がなんもしてないのに家康が行動してりゃ横暴かもしれんが、実際に問題起こしてるしな

628 :
家康のしたことを謀反と判定するなら、秀吉が「どんな問題が起きても放置したままで構わんから、
取り敢えず秀頼が政務見れる年になるまで誰も何も重要な決断は下すな」と遺言しとくしかなかったな

629 :
家康に、奉行による伏見在番を排する正当な理由がないかぎり、
謀反の構成要件を満たしている。
七将襲撃時の伏見在番担当はたしか玄以と長束だったと思うが、
石田と増田に問題があるというのなら引き続き玄以、長束、浅野が在番担当すれば
いいだけ。
秀吉が在番を担当させたのは奉行と馬廻り衆であって徳川ではない。
徳川の管轄は政務であって、城の在番(防衛)ではない。
仮に奉行全員が家康によって罷免されたとしても、
在番は馬廻り衆がやるべきことであって、徳川がやることではない。

謀反行為であるが謀反にならなくなるだけ。

630 :
だから、正当な理由もそれだけの権限もあるって言ってんじゃん
ほど当主代理レベルに権限あるんだよ家康は、人の話聞かんなぁ

ましてや政務を行う城の防衛が政務に関係しないわけないだろ
七将襲撃は石田と増田オンリーへの問題じゃなく奉行全体への行動だし

631 :
伏見城で家康に政務任せます、ここは家康の城ですとまで言われてんだから
その伏見城の留守を任せる連中に問題がある以上追い出すしかないやろ

632 :
政務の範囲をどの程度まで考えてんだか知らんが
軍事政権で政務執るのに軍事行動が政務に入ってないわけないやろ

633 :
>政務の範囲をどの程度まで考えて
>>629に不満の無い範囲だと、書類の整理、ハンコ押し、オフィスクリーニング、それ以上のことをしたら謀反、ってところかな

634 :
いやお前・・・子供の使いちゃうんやから・・・

635 :
高卒一年目の事務員より責任無くて草

636 :
菅原遼太くんがここでバカにされてるから
巣である武田スレでファビョってるわ

637 :
菅沼遼太くんだったか失礼

638 :
他人に家康信者家康信者って言うけど、アンタはただの家康アンチだよ

639 :
>>628
それじゃあ政権が麻痺して機能不全になり、すぐに崩壊する。

640 :
>>629
なら豊臣がそれを理由に徳川家康を弾劾したらいいんだが、弾劾できる豊臣一族って当時誰かいたか?

そもそも5歳の幼児に一族の藩屏がひとりとしていないことが、既に世界史的に見ても異常な事態なんだよ。

641 :
頭にちんちんのせて「ちょんまげ」

642 :
>>640
8歳で父順治帝死んじゃった
清の康熙帝ぐらいか

643 :
>>640
一族の藩屏なら家康がいるだろ
家康が外戚として豊臣を支えていた
家康を弾劾できる権利があるのは家康だけ
石田や毛利にはそんな権利はない

644 :
>>631
天守にいつでも自由に上ってもいいとはいわれてるが、豊臣の城であって、
在番は奉行及び馬廻り衆の担当。
そして伏見在番の奉行に瑕疵はない。伏見在番の任務をこなしているのだから。
にもかかわらず、奉行を追い出し徳川の私兵鳥居元忠に在番させ
伏見城を徳川単独で占拠した。もはや豊臣の城とは言えない。
謀反の構成要件を満たしている。

西軍が謀反だというなら徳川もまた謀反。

645 :
>>644
徳川家康の謀反を断ずる豊臣一門がいないだろ。誰が徳川家康謀反を断ずるんだ?

徳川家康は秀頼の外祖父で遺命で政権委託されてる大老で一門。西軍謀反を断ずるべき立場にある。

646 :
自由に登っていいをまさか本気で天守閣に登るだけの権利だと思ってんのか?
あれはまさしく政庁を家康の物にしなさいって意味だよ

そして伏見在番以外の場所で問題を起こしてる以上そんな連中に政庁の警備任せるわけにもいかんやろが
他で問題起こしてるけど伏見在番だけはちゃんとこなしてるのでこの任務はセーフでーすになるわけないだろ

ましてや散々言われてる立場の差すら理解できていないようだし

647 :
誰か250万石はあげすぎです。って意見する奴はいなかったのかね。
秀吉に意見するのが危険で難しいってのは分かるが、それを言えてこそだと思うんだが。
その時点では、秀吉が徳川を除くだろ?って思ってたのかな?

648 :
なんで除かなきゃあかんねん
東国ほぼまかせっぱにできるだけの信用と実績のあるの家康しかおらんやろが
ぶっちゃけ破格に信用されてるし家康もその信用に応えてる

649 :
秀吉の外征志向が変われば進言できたんじゃない

650 :
先に問題起こした連中の行動を無視して、その問題起こした連中に対応した家康の行動だけ取り沙汰して家康がおかしいとか抜かしとるわけやろ
その視点のどこに客観性があんねん、先に誰が何をしたのかをまず確認せぇや

651 :
>>650
その通り。まるで犯罪者を刑務所に収容したら監禁罪だと言い出す人権団体のようだ

652 :
まだ水掛け論続けてるのね
正味のアホだわ

653 :
もう水掛け論という単語を見ただけでめだか師匠の顔が浮かんできて吹きそうになる

654 :
>>647
当時の関東は超がつくど田舎。
ましてや家康が与えられたころは、北条残党とかで治安も悪化している。

それに比較して、東海は交通の要衝で土地もいい。その土地を明け渡して関東行きますって言ってる家康を除くって、何を理由に除くんだ? 関東があんなに繁栄したのは、家康の統治によるものだぞ。

655 :
水掛け論じゃないよな
明らかに知識の足りてないのが暴れてるのを周りが総出で少しは勉強したらどうやって言ってるだけ

これ水掛け論に見えてる時点で、よほどのアホですわ

656 :
>>654
蝦夷と樺太に行ってもらうのが
西軍にとっては平和の道

657 :
安倍が退いて石破なり谷垣なりが総裁、総理になったとして、
閣僚は変わらず安倍の側近中心に組まなきゃいけないと思っとるんやろか
意思決定者が変わったらそいつの指示を言われたままに実行してくる人間が必要なんだけど

658 :
>>646
上段
そんなことは書かれていない。天守に上る場合のことが書かれている。
拡大解釈も甚だしい。
せいぜい城代として天守に上ることを許す、このあたり。

また、もしその論でいくなら、大坂城は前田利家の物となる。
そんな馬鹿な話はない。
豊臣が大坂城、伏見城を前田、徳川に譲るわけがないし、
もし譲るのならもはや大坂・伏見両城は前田・徳川の物なのだから
豊臣が在番を置くというほうが逆におかしくなる。


下段
そんなものは徳川の都合であって、秀吉が決めた意思に反する。
秀吉が決めたのは、政務は徳川、在番は奉行及び馬廻り衆。
徳川の都合で変えれば秀吉の意思に反した行動となる。


西軍が謀反だというなら徳川もまた謀反。


>>645

>>599に「主君に背いて兵を起こすことがすでに謀反であって」らしいよ。
行為自体が既に謀反らしいから。
だから徳川は豊臣に謀反を起こしても謀反じゃなかったことになる、
となっちゃうわね。

659 :
>>658
これもう義務教育の敗北だろ

660 :
移動中だからID変わってる
伏見城の城代であったとしても自分の兵を入れる程度のことはするぞ
政庁の天守閣は観覧車じゃないんだから、それだけの権威が付与されたと考えるべき

また、何度も言ってるけれど遺言なわけ、問題があったら生きてる人間が対応することになるの、わかる?遺言
で、その対応すべき生きてる人間というのが政務を任されてる家康という話

遺言が完全であればそれこそ政務者も置かずにただ遺言の通り動きなさいで済むけど、現実はそうじゃないからこそ対応できる人間に政務を任せてるわけでしょ
遺言で何よりも重要なのは家康に豊臣の意志決定権がかなり委任されてる点、これがなによりも優越する

生者と死者の見分けくらいいい加減につけなさい

661 :
てか兵を起こすって、伏見城入るときに戦闘行為でもあったんかね
大名が領内の城同士の間で兵を移動させることも挙兵にあたるのか

662 :
死んだお父さんの遺言で人を傷つけるなってのがあったとして
目の前で家族が強盗に襲われてるのに対抗したら遺言破ったー!親不孝やー!つってるレベルの屁理屈こねてるんやで今君は

663 :
>>628
秀頼成人まで、大名間の婚姻禁止、領地を与えるのも禁止、って遺言なんだから、
わりと真面目にそういう感じだよな。
朝鮮征伐の論功行賞も終わってない状況で、守れるわけがない。

664 :
>>661
奉行、馬廻り衆の在番に加えて、不安なので鳥居も在番させます、ならグレーだけど
まだ筋は通る。
でも奉行の在番追い出して自兵のみで固めたらもはやそれは占拠でしょ。
豊臣の城を自兵で占拠するのは、感覚的には謀反だと思えるけど?
逆に大坂は、馬廻り衆に加えて徳川の留守居在番なので
一応筋は通ってる。

665 :
いやそのグレーかどうかをなんであんたが判断するんだよ?お前秀吉か?
筋としちゃとことん通ってるだろ
前主が家康に当主幼少のため代理を任せました
その代理がいない間に奉行が問題を起こすので奉行を政庁の警護から外して信用できる自前の部隊で守らせました、それだけの話

666 :
感覚的にとかついに言い出しちゃってるしさ
お前のまるで知識も足りてない感覚のどこが信用できるの?
感覚じゃなくて当時どう判断されてたのかが非常に重要なんだろが

667 :
>>665
一応伏見の在番は奉行及び馬廻り衆という秀吉の意思は守ってるが、
指定されていない鳥居を追加したならグレーになるという話。
だれが判断も糞もなく論理的なもの。

伏見は秀吉の意思に反し自兵で徳川が占拠している。
謀反の構成要件を満たしている。
大坂同様、奉行か馬廻り衆との混在在番なら奉行も
内府違いの条々で指摘したりしない。

668 :
ID:JvizegVu
NG推奨

669 :
遺言、わかるか?遺言
死んだ人間の命令や

どこに死後奉行が悪さし始めた時の対応マニュアル書いてあるんや?ほっとけってか
ほっといてええならはなから政務担当役なんざいらんわな

なんのために家康にそれだけの権威を与えたのか、ちゃんと考えなさい
もっと言うなら、生きてる人間と死んでる人間の違いくらいわかるようになれ、小学生でもわかる話や

670 :
ましてや遺言で豊臣家の意思決定権が家康に委ねられているってのなんで無視してんの?
当主の代わりに意思決定を任されてる人間が当主の意思に背くもへったくれもないやろ

671 :
そいつが通称菅沼遼太だ

672 :
>>666
この>>600はあんたか?あんたなにひとつ史料提示も証拠になるようなもの提示してないよな?
調べろだと知識不足だの言うだけで。

だったらその当時どう判断されてたかの史料を提示したら?
ただそんなものを提示したところで「謀反」の意味・構成要件が変わるわけではないけど。

謀反を起こしたけど謀反じゃないことになる、だけ。


そもわたしの見解は>>583だが、厳密に辞典の意味通りにとるなら
西軍が謀反だというなら徳川もまた謀反というだけ。

673 :
>>672
当主は幼少の秀頼で意思決定ができず、代わりに家康が意思決定をしている
ゆえに家康の行動は当主の意思に背いたとは言えない これがわからん脳みそなの?
当時伏見城に兵入れた家康が豊臣家に謀反扱いされた史料なんてないが、オタクもしかしてないということはないという証明もできない!とか言っちゃうタイプ?

674 :
>>669
遺言に徳川が伏見を占拠していいとは書かれていない。
徳川の都合で豊臣の伏見城を占拠した。
これは謀反の構成要件を満たしている。
奉行に伏見在番の落ち度はない。

675 :
死んだ人間を当主だと思い込み続けてるし
オタク真面目に死人と生きてる人の見分け付けられるようになっとかんと、史学の問題じゃなく普段の生活でも大問題引き起こすで

676 :
>>674
死人は元当主であって当主じゃない、わかるか?
その当時の当主は秀頼で、意思決定権は遺言で家康が当主の代わりに意思決定するよう言われてる、これもわからんか?

677 :
>>673

>>599

678 :
だから当時の主君は秀頼だろつってんだろが
お前マジでこのレベルのことがわからんなら史学云々どころじゃなく、常識を疑うぞ

679 :
国語の問題やもはや
元々の主君は秀吉でした、秀吉が亡くなって秀頼が主君になりました、秀頼は若いので家康が当主代行しています
いま、主君は誰ですか

680 :
菅沼遼太とそのコピーかな。程度が一緒

681 :
片方見えないと思ったら一人称「わたし」の奴か

682 :
島津はもっと頑張れなかったのか

683 :
>>682
頑張れるわけないやん。内戦の影響で国内ガタガタ、事前に相談されたわけでもない。
よくあれだけ戦力を送りだしたよ。

684 :
ここで暴れてる奴って、武田スレを荒らし回ってる奴と同一人物なのかな?

685 :
島津氏はもともと大名権力が弱くて部下がなかなか言う事聞いてくんないから
速やかな遠征は出来ないのでやる気があろうが関ヶ原には間に合わない
首脳部の義久・義弘・忠恒の三派に分かれてのグダグダ内部抗争中なので頑張ろうにも意思統一ができない
特に忠恒は三成とツーカーの伊集院忠棟ぶち殺して三成怒らせてるので西軍に味方するわけがない
その裏に居たといわれてる義久も同様。
忠棟ぶち殺したおかげで直前までグダグダ庄内の乱やってたので余裕もない。
裏で支援してたとなりの加藤清正が在国中なので国を空けることもできない
精強島津強兵というのも後世作られたイメージで当時は中央から見れば弱兵だったので
関ヶ原に居たとしてもぶっちゃけ大したことはできない

頑張れる要素皆無という・・・

686 :
>>684
戦国板で暴れてるのはだいたいそう。
ガソリン撒かないだけマシだけど会話にならない人だから触っちゃだめだよ

687 :
>>648
家康の信用と実績ってなに?

688 :2019/07/29
>>687
秀次と一緒に東北仕置きしたり、関東の抑えしたり

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