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そろそろ人類は次の構造へ進化するべき
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■■(家)おじの 陰嚢湿疹は なぜ治らないのか■■
この世は、本当の世界に似せて創られた仮の世界
- 1 :2019/12/19 〜 最終レス :2020/02/04
- 「霊界は想念の世界であつて、無限に広大なる精霊世界である。現実世界は凡て神霊世界の移写であり、また縮図である。
霊界の真象をうつしたのが、現界、即ち自然界である。故に現界を称してウツシ世と言ふのである」
出口王仁三郎
- 2 :
- この世は仮想現実であることが、ますます歴然としてきた現在
「では、本当の世界との関係はどうなっているのか?」を、そろそろ考えてみてもよい頃
- 3 :
- それには霊界のしくみを知る必要がある。霊界と現界とは合わせ鏡である。といっても、霊そのものの存在を認めたくない人が多かろう。たしかに生命や霊魂は肉体のどこを解剖しても見ることはできぬ。
肉眼で見えぬから存在しないという理屈はもう小学生でも通らない。物質的存在である原子や電子は目で見えなくても厳然として存在する。むしろ根源的なものほど、目では見えない。
霊魂が超物質存在であるように、霊界もまた超物質世界であり顕微鏡や望遠鏡でもつかまらぬ。
物質界を可視界・現界・形体界などと言い、対する超物質世界を不可視界・霊界・幽界・心霊界などと言う。霊界は現界に即して一体的・同時的に存在している。人間が霊体結合して生存するように、宇宙は霊界と現界が一体となり結合して成り立っている。
霊魂は霊界に属し、肉体は現界に属する。いわば波長の違う存在だから、霊魂や霊界が肉体の五官にふれぬのは当然である。
- 4 :
- は?この世は「ウツツ」だ。
「ウツツ」の「ウ」は「表面」のことなので、「ウツツ」とは
表面に継続的に付いた状態、つまり、「down to earth」である。
「ウツル」は、だから、「表面に付く」ことであるとともに、
「表面に付くように動く」ことでもある。「ウツシ」の「シ」
は、「ス」≒"let"の名詞化であり、「ウツス」とは、
「ウツル」ように「する」こと、「ウツシ」は、その名詞化である。
- 5 :
- まずは地に足を着けることだ。
- 6 :
- 「ウツクシ」いから映えるのか、映えるから「ウツクシ」いのか?
- 7 :
- つのがらい
- 8 :
- >>6
霊界は、この世よりもずっと美しい
多くの臨死体験者が、異口同音にそう語っている
- 9 :
- やはり、こんな仮想世界がゼロから出来たとは考えにくい
モデルとなる世界があったと考えるほうが自然だ
- 10 :
- 「ウツツ」の「ウ」、「ウツ」は、「うつむ(俯)く」や「うつ伏せ」の
「ウ」、「ウツ」と共通し、「ウ」という名(な)は、「表面的である」
ことや、「表面化する」ことなどの体(たい)を表すように日本語において
広く使われている。
でも、「うはむ(上向)く」は、「うつむ(俯)く」とはまるで逆の状態を
表しているではないか、と思うかもしれない。ここが日本語のとても
面白いところで、「うはむ(上向)く」の「うは」は、「うへ」であり、
「うふ/ぶ」から派生形である。「ふ」は、再帰表現を作るように
用いられ、ちょうど、数学操作における指数-1のような作用をする。
例えば、xが、指数"-1"によってx^-1にされると、x^-1=1/xになる
ような作用だ。そのように考えると、「うはむ(上向)く」は、
「『う^-1』む(上向)く」と見ることができ、「うつ」と「うは」が
ちょうど反転した関係にあることが分る。
- 11 :
- ところで、「ウツツ」の「ウ」は、日本語が中国語を利用したピジン語として
形成されていることの明白な証拠でもある。
https://en.wiktionary.org/wiki/膚
- 12 :
- 夢って不思議だ、見たこともない景色や人そしてストーリーこれがまるで現実の様に体験できる。
楽しい夢ならまだ自分の願望から作られた物だろうから分かるが、悪夢は何故見るのだろうか。
悪夢は何処からか、送信されてくるのだろうか。
- 13 :
- うつ(鬱)とは、本当は誰でもが知っているとおり、うつ≒"downtrodden"である状態を表している。それが否認されつづけているのは、そうするように社会的に要請されているからである。
- 14 :
- 出口の後継者ってしょーこーなの??
- 15 :
- >>14
谷口雅春、岡田茂吉、植芝盛平
- 16 :
- 「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」(江戸川乱歩)
- 17 :
- 王仁三郎は「現実世界はすべて神霊世界の移写であり、また縮図である。霊界の真象をうつしたのが現界すなわち自然界である。故に現界を称してウツシ世というのである。
これをたとえば一万三千尺の大富士山をわずか二寸四方ぐらいの写真にうつしたようなもので、その写真がいわゆる現界すなわちウツシ世である」と言う。
神霊界で起こったことが現実界に必ずうつってくるとして、問題はその時間の遅速であろう。霊界の時の流れは霊の情動によって左右されるものだから、現界的な時間・空間とは異なってくる。
だから、霊眼で神霊界のできごとを見た場合、過去も現在も未来も並列的に写る。それがいつどんな順序で現界にうつるのかは、人間の判断を越える問題である。
- 18 :
- つまり、あの世とこの世は、連動して同時進行しているようだ
- 19 :
- 臨死体験した人々が異口同音に語る真実
「あの世は、この世よりも遥かに美しい世界だった」
「あの世は、この世よりもずっと現実感のある世界だった」
「あの世から戻ってきて以来、この世が薄ぼんやりした、非現実的な世界に見えてしまう」
- 20 :
- やはり、この世界は、本当の世界に似せて創られたフェイクなのではあるまいか?
- 21 :
- 何かが繰り返すこと、何かが同一であることが本当はあり得ないのに
繰り返しが生じ、同一の物事が存在することがフェイクであるとする
なら、世界が世界として現れること自体がフェイクでしょう。
- 22 :
- その場合、世界は、「フェイク」というより、擬態として現れ、
「あたかも("as if")」そうであるかのように現れると言うべき
なのではないでしょうか。
- 23 :
- この手の議論では、いつも2つの別々のことが意図的に混同されている
んですよ。1つは、いま述べたとおり、世界の現実は、いくら厳密に
それを把握しようとしても、あたかもそうであるようにしか現れ得ないこと。
もう1つの別のことは、世界の在り方が、人々がマスメディアによる
ニュースを含む伝聞を通じて知り、認識しているかのように振る舞って
いるとおりのものであるかどうかということ。フェイク・ニュースが
話題にされるけれど、こちらの方は、フェイク・ニュースというもの
が本当にそのようなものとしてあるかどうかも含め、フェイクという
より、「メイク・ビリーブ」と形容した方が適切でしょう。いわば、
ゲーム的現実。人々がその「現実」を本当に信じているかどうはは、
たいした問題ではない。その「現実」が、本当は、まったく当てに
ならないものであると分っていたとしても、「それは言わない約束
でしょう」という暗黙の了解のうえで動いていて、本当にその「現実」
を信じるような単純な人がいれば、それを好きなように利用して
いいという相互理解が成立していて、物事が動いている。
- 24 :
- 信じているかどうはは×
信じているかどうかは○
- 25 :
- そのようなゲーム的現実において、優秀と評価されるのは、いかにも
尤もらしく聞こえて/見えて、人々がそれを信じているふりをすること
に積極的にコミットすることを厭わないシナリオを描いてみせること
ができる人材でしょう。
- 26 :
- 普通、人々は、誰か他人の言動が自分に都合のいいものであれば、
それが「自分が事実と確認できる現実」と合致しているかどうか
などどうでもいいと思っているんですよ。だから、自分に都合の
いい言動をする影響力のある人が現れれば、積極的に騙されたふり
をして応援するか、少なくとも好意的に黙認する。
- 27 :
- >>23
朝鮮人の「慰安婦」や「徴用工」の話は、その最たるものだな
彼らにとっては、あれが「真実」なんだろう
- 28 :
- たとえウソでも、本人が固く確信していれば、そいつの世界の中では真実
- 29 :
- 人はどのように世界を捉えているのか。
ある人は、「別の世界がある、別の世界は何々だ」といったフィクション(その人にとっての「リアル」)を作り上げている
- 30 :
- この世は仮想現実
- 31 :
- この世はお約束で動いているのだから、そのお約束に絶対に
裏切られることがないと信じてしまうのもバカだし、
お約束を信じているふりができないのもバカなのです。
- 32 :
- そのことが暗黙のうちに分って、身に付いているのが大人、
わざわざ口に出して、明示化しないと気が済まないのが子供
- 33 :
- 大人として明示的に口に出すのが許されるのは、
そのような理解の否認だけなのですよ
- 34 :
- この世は幻想。
あの世が、現実。
母体からこの世へ生まれると、
あの世のことを忘れてしまう。
あなた「今回は地球というところに喜怒哀楽の経験を積みに行ってきます〜」
あの世の母さん「良い旅行をね!」
あなた「うん、楽しんでくるよ」
あの世の母さん「例え苦しいことを経験したとしても、傍で見守っていることを
感じ取ってね」
あなた「そんなこと分かってるよ、いつも一緒だよ」
あの世の母さん「あなたの勇気に、感謝します」
あなた「それでは、いってきま〜す」
あの世の母さん「良い夢を!」
- 35 :
- 私たちが恨みという感情を抱くとき、頭のなかでは多くの時間を割いて考えを巡らす脳力を要します。
このことを示すのに、ニューサウスウェールズ大学の神経科学者らがある実験を行ないました。それは、被験者をけなすというもの。
fMRIで脳スキャンを受けている状態の被験者の脳内では、怒りが最初に爆発したとき、内側前頭前皮質(意思決定、記憶の探索)がまるでクリスマスツリーのように明るくなるのが確認されたといいます。
2週間後、けなされたことについてどう思ったか実験の感想を尋ねられた被験者の脳を観察すると、今度は海馬(情報の統合と短期記憶から長期記憶への変換)、
島皮質(感情や中毒に関連する脳の小さな部分)、帯状皮質(感情を含む多様な機能)など脳のさまざまなエリアが活性化したことがわかりました。
「怒るのにもエネルギーがいる」とはよく言いますが、本当にその通りみたいですね。
- 36 :
- 怒りや恨みは、精神的に大きな負担となります。ストレスホルモン「コルチゾール」が通常よりも高く分泌されることで不安、 憂鬱感、睡眠トラブル、
記憶力や集中力への支障、体重増加などの症状がみられることが研究(2007年・McCullough氏共著)によって明らかにされています。
- 37 :
- 怒りや恨みを解き放つには、こうした感情がいかに無用であるか認識することがひとつの鍵になるとFields氏は述べています。
怒りや攻撃の神経回路を理解したいま、こうした生物反応が必要なときもあれば、特にわたしたちの脳がうまいこと働くように設計されたわけではない現代の社会環境においては不発に終わることもあると認識するのは重要です
今後、不条理で納得のいかないことが起きて、もし怒りの気持ちを拭え切れなかったときには、このことを思い出してみてください。
負の感情を起こしているのはほかの誰でもなく自分の脳内であることをたしかめながら、状況を適切に判断するのが怒りの感情を乗り越える一歩につながるはずです。
- 38 :
- たとえば反日朝鮮人を見て、カーッと怒りがわいてきたとする。
でも、その怒りを引き起こしているのは、自分自身の脳だ。
怒りは、興奮物質による化学反応。
朝鮮人は、そのキッカケを作ったにすぎない。
脳には、「コイツは敵だ」と認識すれば、興奮物質を発して戦闘体勢に入る習性があるのだ。
自分自身の脳に踊らされていることに気づけば、怒りが虚しく見えてくる。
それは、「魂の叫び」でもなんでもない。
単なる脳の化学反応。
それ以上でも、以下でもない。
- 39 :
- ネコ科の大型肉食動物を初めとする外敵の脅威にさらされつつ、自らも狩猟により獲物をとらなければ餓死するリスクのあった原始人。
あの頃なら、こんな自己防御システムも有効だっただろう。
だが、現代の社会には、こんな怒りなど不要だろう。
無用な軋轢を引き起こすだけで、ろくなことがない。
いまや、「自分自身の脳によって、踊らされている自分」に気づくべき時代だ。
- 40 :
- この世の人生で起きる感情は、自分自身の脳が引き起こす化学反応にすぎない。
それは、真の感情ではなく、一種の疑似体験といえる。
- 41 :
- スピノザは、「人間は感情に支配されている。感情の支配から脱することが、真の自由である」と説いた。
これは、しばしば「奇妙な考えである」とされてきた。
でも、脳が感情を演出するシステムが明らかになってきた現代では、少しも奇妙ではない。
いずれにしても、心身二元論を前提にしているのは間違いないが。
- 42 :
- 「エチカ」第3部にて、スピノザは、私たち人間の感情について論じている。
スピノザによれば、精神と同様、感情もまた、自然の必然性、力から生じてくる。私たちの意志が何らかの仕方で規定されているのと同じく、感情もまた原因をもつ。
それゆえ感情についても、これまでと同じ方法で論じることができるという。
ここで見ておきたいのは、自己保存の努力(コナトゥス)という概念だ。
スピノザは言う。精神は自己の有に固執しようと努力する。この自己保存の努力が、精神と身体に関係すると、衝動になる。
衝動は人間の本質であり、したがって自己保存の努力が人間の本質にほかならない、と。衝動は意識にもたらされることで欲望となる。
ここからスピノザは次のように結論する。すなわち、私たちが欲望するものが善となるのだ、と。
- 43 :
- スピノザは「エチカ」の第4部で、感情のみに導かれる者は「奴隷」にすぎないという。
私たちはしばしば憐憫、憐れみによって行為することがある。だがその行為は理性的に吟味されたものではない。
自己以外の人には従わず、自分自身のなすべきことを知り、それをなす理性的なひと、ただ彼のみが「自由人」の名に値する。
そうスピノザは言っている。
(エチカからの引用)
感情ないし意見のみに導かれる人間と理性に導かれる人間との間にどんな相違があるかを我々は容易に見うるであろう。
すなわち前者は、欲しようと欲しまいと自己のなすところをまったく無知でやっているのであり、
これに反して後者は、自己以外の何びとにも従わず、また人生において最も重大であると認識する事柄、そしてそのため自己の最も欲する事柄、のみをなすのである。
このゆえに私は前者を奴隷、後者を自由人と名づける。
- 44 :
- 感情に支配された人間は、奴隷である
- 45 :
- カントの自由論もまた、現代人の目には奇妙に映るのだが、スピノザの延長線上にある
- 46 :
- 人間は、感性的存在者として、食欲や性欲、その他さまざまな生理的欲求を充たす行為を行う。
しかし、その行為は、たとえばお腹が空いたから食べ物を食べる、眠くなったから寝る……というように、たんに自然のメカニズムに従った行為にすぎず、そこに自由はない。
人間には、生理的欲求を充たすだけにとどまらない理性的存在者としての性質が備わっている。
それが「自由意志」である。
お腹が空いているけれども飢えた子どもを助けるために自分は食べない、眠いけれども敵から仲間を守るために自分は寝ない……
自分は食べることを選択できたし、眠ることを選択することもできた。
しかし、そのような傾向性に従う行為ではなく、あえて道徳的行為を選択した。
そうした行為をなすことができるのも、自由意志があるからだ。
自然のメカニズムに従う存在に堕落(だらく)することなく、自由意志によって定言命法に従う行為を選び取る——
これが、カントの実践哲学=倫理学の基本である。
- 47 :
- スピノザやカントのいう「自由」が、なぜ現代人にとって奇妙なのかというと、それはやっぱり、根底にデカルト的な「心身二元論」というベースがあるからだ。
身体は、動物としての生存本能で生きている。脳は、身体への脅威を認識すると、ドーパミンやアドレナリンを盛んに発して攻撃・防御体勢に入る。
このままでは暴力的な闘争が始まるのだが、そこをなんとかするのが精神であり、理性というわけだ。
- 48 :
- 本能や欲望、感情にコントロールされることが「奴隷」であり、そこから脱却することが「自由」。
身体、とくに脳に対する心、精神の自由だ。
- 49 :
- やはり、次元の異なる存在としての「スピリット」が無かったら、この話は成り立たない
- 50 :
- やはり、この世界は仮想空間であり、物質や身体は仮想現実
感情や欲望は仮想体験であり、本当の自分とは別モノだ
- 51 :
- 「感情」を哲学テーマとして真正面から取り上げたスピノザ、それを受けたカントの実践理性批判
他の多くのテーマと同様、これらの出発点はやはり、近世哲学の祖・デカルトにあった
- 52 :
- デカルトの「情念論」
デカルトは、人間の情念とは動物精気が運動することによってもたらされ、動物精気が血中を通じて脳に到達することで情念が表れると論じる。
特にデカルトは情念の原因が脳の中央に位置する松果腺にあると考え、身体運動の原因でもあると考えていた。
デカルトはさまざまな種類の情念を検討しているが、まず基本的な情念として愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみ、驚きの六つがあり、これらが複合化することによって情念は複雑化していく。
情念の働きを抑制するためにデカルトは謙遜、勇気などの徳を守ることを主張しており、知恵とは情念を支配する意義があると分析している。
- 53 :
- デカルトは心身二元論者
極端な言い方をすれば、「身体と霊魂は別モノであり、身体が死んでも霊魂は永遠に続く」と、なんの疑問もなくナチュラルに確信してる人だ
普通の現代人の感覚では、大昔の人の考えは理解できない
- 54 :
- 早い話が、デカルトの情念論とは、脳の松果体による動物的な反応である「感情」を、霊魂の働きである「理性」によってコントロールするのが目的
これを受け継いだのがスピノザの「エチカ」であり、カントの「実践理性批判」
- 55 :
- 哲学書を順番に読むのではなく議論で何が語られたか哲学の言語口コミサーチが大事。
- 56 :
- 噂や伝承。
- 57 :
- 書きものは弁証法になるけど、議論する哲学は神話がルーツの物語も多い。
- 58 :
- >>55
元ネタはたいてい聖アウグスティヌス
- 59 :
- アウグストス という名将もいるけどね。聖じゃないよ。オクタヴィアヌスも。
- 60 :
- 王仁三郎の時代には既に、プラトンやカントなどの日本語訳があったから革新的な発言ではないな
- 61 :
- この世界は各人の表象で成り立っており、物自体は認識できないという考えについては、すでに古代ギリシャでデモクリトスが語っていた
- 62 :
- 心の哲学(こころのてつがく、英語: philosophy of mind)は、哲学の一分科で、心、心的出来事、心の働き、心の性質、意識、およびそれらと物理的なものとの関係を研究する学問である。
心の哲学では様々なテーマが話し合われるが、最も基本的なテーマは心身問題、すなわち心と体の関係についての問題である。
- 63 :
- われわれの知覚経験は外界からどんな刺激が様々な感覚器にやって来るかに応じて決まる。
つまりこれらの刺激が原因になって、われわれの心の状態に変化がもたらされ、最終的にはわれわれが快不快の感覚を感じることになる。
あるいはまた、あるひとの命題表明(propositional attitude)すなわち信念や願望は、どのようにしてその人のニューロンを刺激し、筋肉をただしい仕方で収縮させる原因になるのだろうか。
こうした問いは、遅くともデカルトの時代から認識論者や心の哲学者たちが延々と検討してきた難問なのである。
- 64 :
- はっきり言って、宗教系もしくはスピリチュアル系の素養が皆無な人には、近世哲学を本当の意味で理解するのは無理
昔の人と同じ心になって考えるのは、普通の現代人には無理だ
- 65 :
- そういうバックボーンがない人には、すべてが言葉の遊びに見えてしまう
- 66 :
- まずは、すべての偏見と先入観を捨てて、「シミュレーション仮説」を受け入れることだ
- 67 :
- そうすれば、プラトン哲学の真の意味が理解できる
- 68 :
- 「この世は技術的にとても進んだ文明によって行われている精密なシミュレーションだ」というのがシミュレーション仮説だ。
英国オックスフォード大学のニック・ボストロム教授によって提唱された。いうなれば、この世界は壮大な一つの夢、幻だという説だ。
もっともボストロムがシミュレーション仮説を始めて考えたというわけではない。結構昔から、知られていた概念なのだ。
胡蝶の夢という話が、中国の古典「荘子」にある。
荘周という人が、あるとき蝶々になった夢を見た。夢から目覚めた荘周は、果たして自分は人間で、蝶々になった夢を見たのか、自分は本当は蝶々で、今人間になった夢を見ているのか分からないという説話である。
これはいってみればシミュレーション仮説である。
- 69 :
- むしろ、意図的にシミュレーション・ゲームを日々、構築しながら、
そのゲームに参加していると見た方がいいのでわ
- 70 :
- 世の中、虚虚実実ですよ
- 71 :
- 「虚虚実実」という言葉自体をもうほとんど聞かなくなったよね。
敵対する相手の側だけに対して声高に「フェイクだ」と叫びつづけ、
自分の側の立場にはフェイクが含まれる可能性を完全に否認、
または無視する。その一方で、フェイクは、フェイクのまま
横行する段階をはるかに超えて、誰にでも分るフェイクである
まま、誰もがそれをフェイクであると指摘してはならない
ことを暗黙に受け入れたまま、遍く通用している。
- 72 :
- その現状と比べれば、誰もが「虚虚実実」ということを口にできる
状態のほうが、はるかに清々しく感じられる。
- 73 :
- >>68
そんな根拠のないことを主張しているような人間がオックスフォードの教授に就任できるなんて
と普通は思うだろうが、学者という職業は飛躍したことを訴えないと自分を売り込めないので
通常の学問常識からかけ離れたことを訴えるのは割と普通というか職業柄当然のこと
どの学会や学術誌にも扱われないような内容を画期的な研究成果などと称して
民間企業の変な製品の共同開発者などに名を連ねてるのもおなじこと
- 74 :
- 正義の根拠が、相手が否認することのできない"factitious facts"
を突きつけることだけになっている。
- 75 :
- 映画「マトリックス」もシミュレーション仮説の一種である。映画では超知能であるスーパーコンピュータが、人間に現実そっくりな夢を見せているという話である。
映画の主人公ネオに対してモーフィアスが、自分で作ったシミュレーション現実にネオを連れて行く。ネオが椅子をさわりながら
「これは現実ではないのか?」
とたずねる。それに対してモーフィアスは答える。
「現実とは何だ? どう現実を定義するのだ? 君が触覚で感じ、においを感じ、味わい、見る。現実とは君の脳中で解釈された電気信号に過ぎない」
- 76 :
- 「シミュレーション仮説」は最近になって出てきた新しい考え方だけど、「この世は仮想現実」については、古代ギリシャや古代インドの大昔から、哲学の最大テーマと言って差し支えない。
インドからヨーロッパまで、人類は「この世は仮想現実なのではないか?」と疑い、それについて徹底的に考えてきた。
例外は中国人。
儒教を中心とする中国哲学には、「この世は仮想現実」というテーマがあまり出てこない。
老荘思想に、多少は出てくる程度だ。
中国人に限らず、日本人も含めて、東アジア人ほど即物的な人種は他にいない。
- 77 :
- 「この世は仮想現実」を特に強く前面に出しているのは、インド哲学だ。
インド哲学は、徹頭徹尾、この考え方に満ちている。
ギリシャ哲学では、プラトンがこの考えなのは有名だが、アリストテレスでは大きく後退した、
後退したといっても、現実主義者から見れば逆で、むしろ前進したと言えるだろう。
少なくとも、そういう異論があるだけ、インド哲学ほどそれ一色ではない。
それでも、西洋哲学は「プラトンに付けられた膨大な註釈である」と言われるほど、これを軸に展開してきた。
- 78 :
- スイス人工知能研究所のJuergen Schmidhuberはほんの僅かな初期パラメーターと数行のプログラムで宇宙すべてを記述できる可能性を示唆した。
- 79 :
- 宇宙すべてが宇宙すべてであることはどうやって分るのか
- 80 :
- 仮想世界なのかもしれんけど
だからどうなんだ?
- 81 :
- ゲームオーバーになったら分るかも
- 82 :
- この世は仮想現実です
別の真の世界があります、多分
- 83 :
- 真のイデアの世界ですか?
- 84 :
- 世界五分前仮説 (The 5 minute hypothesis)
https://youtu.be/gOrzlgiPkbc
- 85 :
- https://wiki3.jp/nirvana555
- 86 :
- >>80
何を見ても、「だからどうなんだ?」と思えるようになる
- 87 :
- >>80
んなこと言ったら、なんだってそうだろ
「日本の他にも外国がある」・・・だから何なんだ?
「地球の他にも惑星がある」・・・だから何なんだ?
実際、何も知らない大昔の村人だって、普通に生きていけたんだからな
- 88 :
- >>86
>>87
これは正論
- 89 :
- インド哲学ではこの世は「マーヤー(幻)」であると説明しています。ブッダはこの世は「空」であると説きました。いずれも同じ意味です。
つまり、今風にいえば「この世はバーチャル・リアリティである」ということですね。私たちはこのVR世界におけるアヴァターに過ぎないということです。
ブッダは、人は解脱した後、名と姿を持たなくなるといっています。逆にいえば、物質的存在の私たちが持つ名前と姿形は、一時の仮ものということです。
しかし、私たちはこの世界をリアルな現実であると思って生きています。ある意味、それは人類最大の錯覚です。ただ、それでいいのです。
人間の創ったVRゲームでも、できるだけそう錯覚させようとするではありませんか。
もし誰もが簡単に世界の実相を喝破してしまったら、ゲームが面白くないじゃないですか。
- 90 :
- 私たちをこの錯覚へと導くのは、実に精妙な五感の働きです。私たちは五感の情報が客観的事実そのものであると疑いませんが、
真実には脳が電気信号を自分流に翻訳しているにすぎません。しかも、性能の範囲内で探知しているだけです。
ですから、動物は種の違いによって認識している世界も異なっているのです。
- 91 :
- もしや、客観的な世界と本当の世界って似てるようなもの?
- 92 :
- 客観的なそれも観測者がいる、物理学での観測とは作用による因果関係を生じること。
全て因果関係がない状態こそ、観測者のいない世界よ。
- 93 :
- 現在の IT 技術者にインド人が多いのは、もともとインド人の知性がヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界に向いているからだと本気で説く人がいます。
確かにゲームの仮想現実の世界と、華厳経のような古代インド人の空想した途方もない不思議な世界は似ています。
パソコン画面をみつめる現代人と、森で瞑想しつづける行者は、どちらも今の身体を忘れて自己の内的な世界に没入している点で同じです。
二千年前の古い文献ばかり読んでそうなインド学の研究者には結構パソコン・マニアの人が多いのです。
パソコンはインド学の学問と相性がいいようです。マハーバーラタなどの主要なサンスクリット語のテキストをはじめ、漢訳大蔵経の印度・中国撰述部、
パーリ語大蔵経の全部、さらにチベット大蔵経までがどんどん電子化され、学者たちはパソコンを駆使して研究を進めています。
- 94 :
- 大乗仏教の「空」思想
世界のあらゆるものは「固定的で不変の実体」を欠く。
世界は始まりも終わりもない「関係性のネットワーク」。
仮想化を徹底した仮想通貨のように、世界の仮想化が進んでいる。
AI・ロボティクスやバイオ技術のように、現実と虚構、生命と非生命の境界が変化しているが、「空」思想によればそもそも世界は仮想現実なので、問題ない。
- 95 :
- 真空バージョンの般若心経リミックスでもつくろうかな。
- 96 :
- 空思想ってのは実体がないとかそんなことを主張する仏説ではない
全ては縁起によって生じているのであり二元対立的にみるようなわたくしと呼べるものが
どこにも存在しないという
ここから阿弥陀の他力思想というものもでてくる
- 97 :
- >>96
>全ては縁起によって生じているのであり
世界は始まりも終わりもない「関係性のネットワーク」というのは、そういうことを言ってるんだな
- 98 :
- >>96
>二元対立的にみるようなわたくしと呼べるものがどこにも存在しないという
世界のあらゆるものは「固定的で不変の実体」を欠くというのは、そういうことを言っている
- 99 :
- 世界はゆらゆらだぁ〜
これも世界は仮想現実だって話とおんなじなんすか
- 100 :
- 実体そのものがなくて仮想現実だなんてことは言ってないぞ
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内田樹6
※生きるために考えた part9※
■■□ おら 働いたこと ねえだ〜 □■■
【愛らしき口もと】東浩紀536【目は緑】
哲学とは何かと聞くと、それを考えるのが哲学だと
ジブリズム(宮崎駿)を語らう
『環境』グレタ・トゥーンベリ『正義』4
( ^ω^)…
■■■■■■■■■■プんまんどしどしぁ2■■■■
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