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東浩紀548
■■■■■■■■■■がえたころでは、チャップーズー 2
■■■■■■ウどどんペッじゃろろ?A■■■■■■
■■■■ マラを4日毎にしか洗わない純一2 ■■■■
千葉雅也39
なぜこの板にはき〇がいが多いのか?
(´・ω・`)なぜワシだけ運がないのだろうか
万物の根源は雲丹
★電波幻聴に関してのメモ
神とは何か?

論理学・集合論


1 :2017/03/31 〜 最終レス :2020/06/13
無いので立てました

2 :
論理学出来ない哲学者はゴミカス

3 :
今や論理学は数学者の独擅場
哲学者は蚊帳の外

認識論も心理学や脳科学に侵食され、
存在論も物理学の成果無しで語ればデッチアゲに堕する
現代の哲学は諸科学の中にあるのだから、もはや哲学者は不要

4 :
>>3
科学、数学、物理の真理と哲学真理は区別します。🍒
科学、数学、物理は人間の全体的な存在ではないのであるものを結論としてはいけません。
そして哲学思考は科学の過程で初めて明らかになる科学以上のものに対して前向きな態度をとります😃

5 :
日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。

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総量規制オーバーや、過去のトラブル等で借入れが難しい方。

多重債務でお困りの方。

誰にもバレずに借りたい方。

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詳しくはHPをご覧下さい。
NPO法人 エスティーエー

6 :
論理学の、世界的。歴史的名著Elements of the Reformed Theory of Logic (改革論理要諦)”

http://www.age.ne.jp/x/eurms/

7 :
ネットでよくみかける誤記 ゲーテル

8 :
論理学はオルガノン。👰

9 :
スレを立てるだけが仕事か>>1

10 :
岩波の哲学辞典には「実無限」の説明がある
しかし数学事典や集合論の参考書に「実無限」の項目は無い
それはなぜか

集合論は楽園なのか地獄なのか
俺には分からんが、現実離れしているのは間違いない

11 :
数学辞典に載っていてもおかしくない言葉だが、厳密には数学用語ではないからな。
実無限・可能無限とは何となくこういうものだという共通認識はあれど、
これらを数学的に定義して差異を数学的に論じたものは知らない。
たとえあったとしても数学ではなく論理学の領分だろう。

12 :
数学上で「無限集合」はどう定義されるか
答えは「有限集合ではない集合」

いやいやまったく
傑作だ

13 :
膾炙 本田。

14 :
おそらく何か誤解があるようだね。
有限集合を定義した上で、それ以外を無限集合と定義する、という文脈であることは分かってるのかな。

15 :
可能無限的な数学理論といえばペアノ算術を始めとする一階の算術が思い浮かぶけど、
あれは可能無限的と思われる理論の例に過ぎず、可能無限とはこうだという一般的定義があるわけではない。
一階の理論にはZF集合論も含まれるため、一階であることは可能無限を意味しない。
現状、個別の事例に対して理論の内容を解釈して可能無限的かどうか何となくの基準で判断するのみ。

16 :
数学板に「哲学板民ですが集合論を語りましょう」というスレを立ててきたらどうだね
それとも無知を白日の下に晒されるのが怖いのかねクズ哲くん?w

17 :
有限集合とは元を有限個しか含まない集合

>>15
悪いが、何言ってるか分からんわ

18 :
集合論は、数学というより哲学
いや、むしろ神話か

19 :
ポアンカレの次の言葉がある
「カントールの集合論は病弊であり、数学はいつの日かそれから治癒しなければならない」

妄言か、それとも鋭い警告なのか

20 :
>>17
それは「有限集合」と定義した対象の直感的意味。
「有限集合」の定義ではない。
「有限集合」の正式な定義(の一例)では
数学的帰納法の成り立つ集まりの要素と1対1対応する集合
として循環を回避する。

21 :
>>20
ある集まりが「数学的帰納法が成り立つ集まり」であることを
どうやって確かめるのか

22 :
そもそも、循環の回避など可能と思っているのか

23 :
>>21
「無限公理」
実無限が無条件では存在しないからこそ可能無限と区別される。

24 :
このままだと俺が一方的に集合論の解説をするはめになりそうだ。
言いたいことがあるなら疑問文じゃなくて自分の考えを書いてくれ。

25 :
>>23
その「無限公理」によって「数学的帰納法が成り立つ集まり」の何某かが保証されるのか?

26 :
>>24
解説するもしないも自由だ
誰も頼んでなどいない
おまえの好きにしろ

27 :
>>26
そうだな、俺はもう質問には答えないから自分で調べてくれ。

28 :
集合論の参考書ぐらいは持っている
調べることで分かるなら苦労はしない
どうせ誰も分かっっちゃいない

29 :
自然数と偶数の1対1対応は、無限に達成されるのか

危ういわな、論理的に

30 :
なぜなら、1対1対応そのものが、有限を超えてそれが適用可能であることを
何も保証しないからだ

31 :
「n→2*n という写像よって自然数と偶数の1対1対応は達成されている」
これは無限に達成されるのかね
有限集合を定義した>>20の意味ないわな

32 :
有限集合について、少しまともな定義があったわ

「それぞれの元はある自然数であり、任意の元がn未満となるような自然数nが存在する集合」と対等な集合

これも分かりにくいか、「対等」の定義もしてないし

33 :
ちょっと何が言いたいのか分からないから質問させて。
「無限に達成される」とは何?「無限ではないが達成される」という言葉もあるのか?
また、有限集合を定義する意味は何だと考えているの?

34 :
>>32
それが>>20のことだね。
自然数という概念もまずは定義してから使わないといけないから、数学的帰納法を先に持ってくるわけだけど。

35 :
ところで、高校で習う数学によれば

1+2+3+...+n=n(n+1)/2

だからn→2*n という写像が無限に達成されるなら、同じ理屈で
n→n*(n+1)/2 という写像も無限に達成されてるわな

自然数の無限和は自然数の写像ってわけだ

36 :
>>35
「任意の○○について」と「無限個の○○について」を混同してる。
数学の苦手な高校生に有りがちな誤解…

37 :
数学的帰納法というのは、道具立てであり
証明不可能な「ある種の論理的思考形式」なわけだ
それを実無限にまでそれを拡張することを奇妙には思わないのかな

38 :
>>33
「無限に達成される」の無限は、いまの話では実無限のこと
つまり普通に考ええる「どこまでも際限なく大きな有限」としての無限ではなく、「無限そのもの」
そのような無限に対して写像が達成されるのか、という疑念

有限集合を定義する意味は、無限集合を定義するため

39 :
>>36
ああ、まあ>>35は流れと関係のない蛇足な
気にするな

40 :
>>28
集合論の本の数学的厳密さには少なくとも三段階ある。
@公理を提示せず集合概念の直感にしたがい理論展開するもの(例:松坂和夫の集合・位相入門)
A公理を提示し、公理からの非形式的な推論にしたがって理論展開するもの(例:Halmos の Naive Set Theory)
B形式的に公理を提示し、公理からの形式的推論にしたがって理論展開するもの(例:集合論の専門書)

AかBの本をじっくり読まないと今あなたの感じているモヤモヤは晴れないと思う。
何を前提とするのか、写像とはどんなものか、自然数とはどんなものか…
こういう基礎的な疑問を棚上げして、とにかく集合論を使えるようにすることが@の目的だから。

41 :
>>40
じっくり読んだ結果が君なんだろ?

だったら意味ねえよ

42 :
集合論は集合論、論理学は論理学、数学とはあまり関係ない

43 :
松坂和夫は一橋という実学教育の大学の名誉教授だし、
純理論的ではないのだろうな。

44 :
哲学板にはフッサールをじっくり読んだ人もたまにいるわけだが
その頭の中はほとんどお花畑だよ

「集合論の専門書」なんてものをじっくり読むとどうなるか
それは「集合論」という楽園に住むことになるのじゃないか

45 :
だってね、あなた、どう見ても写像という概念がわかってないんだもの。
その癖、自然数概念については当然視してるようだし。
チグハグというか、普通は逆じゃね?ってのがここまで読んできた感想。

46 :
>>42
まあね。俺の場合、集合とクラスの違いをはっきりと認識できたことぐらいしか集合論には有難味を感じてない。

47 :
>>44
フッサールの生活世界論とか地平の話は面白いじゃん。お花畑かもしれないけど。

48 :
>>45
写像とは集合から集合への関数のことだ
教科書的にはな

自然数を当然視することは、俺に言わせれば健全なことなんだよ

そもそも、世界には数的な振る舞いがもともとあって、それは数を論理で縛る前からあるわけだ
だいたい、計算機などというものは、物体の振る舞いなのだから
ところが人間は元来、論理主義なので、数を論理で縛ろうとする
そうしなければ数理における真理を証明できないから
だから数学的帰納法によって自然数を構成しようとする

おまえにとってはチグハグでも、俺には普通の考え方

49 :
フッセ゚ール ×
平凡社ニーチェ論

ヴァゲン。

三十八度線 ウイスキー 無頼派詩人。
海難に幸あれ。津波 台風 地身事故。原始力。

50 :
>>47
フッサールの使う「地平」という言葉によって、貴方にどういう概念が生じるか
それはフッサールにも決められない

結局、独りよがりの解釈をぶつけ合うことになる
悲喜劇というしかない

51 :
第十三個師団発動。ひとりよがり?大いに戒律に反無し。

52 :
>>50
一般的にはそうだろうけど、
俺の場合は『形式論理学と超越論的論理学』を読んでいる最中に
「地平」という単語が突然出て来たから素直に嬉しかった。それだけ。
解釈はしていない。

53 :
五言絶句するほど スター学の成績じゃないね。


能 心 癒 魔 術
超 人 嫌 麻 出。

マリファナと マガミ。

54 :
麻里巴菜

魔神狂王

55 :
突然に地平という言葉が出てきて嬉しくなる気持ちは
俺は分からんな

フッサールには悪いが
論理の根拠を探すなど、無謀だったか

56 :
>>48
それだと自然数を例示することはできても定義はできない。
有限も(可能)無限も定義できず、議論を始める前に終わっている。
元々>>12の誤解を正すための話だったことは忘れていないだろうね?

57 :
平地か ノマドの神殿館をドリブルレイドバックショットするが如くさ。

趙雲子龍 か。マジ激務。移動力と山岳兵がいるな。

58 :
>>56
自然数をペアノの公理によって定義した
それで良いよ

で、有限集合の定義は>>20で良いのか?

無限集合とは、有限集合ではない集合とするなら、その場合
無限集合に1対1対応が達成される根拠は何だ?

59 :
碁湖将GUN。

クールレアリメギド 魔法スキル???

60 :
530?

61 :
>>58
ペアノの公理は認めるのかよ!(笑)
それなら一階の範囲ですら算術の範囲で自然数と偶数は1対1対応するわ(笑)
ただし、この場合は集合の代わりに述語を使う。
この述語を集合に翻訳すればそのまま無限集合の1対1対応の一例になっている。

62 :
アンクウか、メギド連発でしかクリアできないし。ゲームもめんどくさいよな。
経験値上げとか絵と背とアン。

63 :
思わず(笑)なんて書いてしまったが、自然数概念は恐らくあなたが思っているほど明確なものではないよ。
自然数をいつくか例示するのは簡単だけどね、それだけで一体何を議論できるのかという話になる。
確か、ヴィトゲンシュタインも似たような極論を言っていたが、自ら無意味だとも認めていた。

64 :
>>61
>>20は有限集合の定義だよな

その場合、無限集合に適用できる「算術」とは何のことだ

65 :
ウィートゲンシュタインのケンブリッジ講義なんてレベルそうでもないでしょ。

やはりシーア派かピュタゴラスの 統率とか、数秘とかの方が

リアル アーカイヴ 幻魔の早さに注目すれば。
再現不可能なほど現実感覚すごいと思うぞ。スンニ派もいいけど。

66 :
>>64
>無限集合に適用できる「算術」
俺はそんなことは言っていないし、そう誤解させるような発言をしたつもりもないのだが…

ええと、有限集合の定義は納得できたんだよね?
そして、有限集合でない集合を無限集合と呼ぶ。
AかBの集合論の本で確認してください。

無限集合に適用できる「算術」とは一体何のことだろうか?

67 :
ラッセルとウイトゲンシュタインでも90で終わる?結局。

68 :
>>66
おまえ、『算術の範囲で自然数と偶数は1対1対応するわ(笑)』と書いてるだろうが>>61

その算術だよ

69 :
>>68
なるほど、誤解の元が分かりました。

一階算術の範囲での議論を、拡張された理論であるところの集合論に翻訳したとき、その述語は無限集合の1対1対応の一例になる。
一階算術の範囲の議論を単純に翻訳するだけなので無限集合の特性は使わない。
自然数から偶数への写像が全射であることは偶数の定義よりしたがい、単射であることは割り算の可能性からしたがう。
では集合論に翻訳したことの影響はどこに現れるのかといえば、「自然数の集合」「偶数の集合」という言葉を使っていることだけ。
馬鹿馬鹿しいでしょ?だから先程は笑ったの。

70 :
>>69
「数学的帰納法が成り立つ集まり」でなくても、n→2*nは成り立つと思ってるのか?

そもそも、nは「有限な自然数」だろうが

おまえは、集合論の専門書をじっくり読んで、挙句そのざまなんだよ

71 :
>>70
「数学的帰納法が成り立つ集まり」   に関して   n→2*nは成り立つ
と俺は言ってるんです。
この述語を集合に翻訳すれば自然数全体という無限集合の1対1対応の   一例   になっている。
無限集合一般に関して「算術」なんて言葉は使っていない。
今、自然数全体という無限集合に関してのみ、翻訳前の語法を踏襲して「算術」と呼んでもよい。

>そもそも、nは「有限な自然数」だろうが
俺もそのつもりで書いてるんだけど…
何が言いたいのやら。

72 :
>>71
だから、有限集合の定義が
「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素の1対1に対応する集合」>>20
なんだろ?

で、無限集合とは、「有限集合ではない集合」のことだ

その無限集合に、有限集合の定義がまんま適用できるのは
どういうわけなんだよ、ってことだよ

おかしいだろ

73 :
>>72
またも誤解がある。
翻訳後、一階算術と同等の議論(数学的帰納法を含む)を適用する対象は自然数であって、
自然数全体や偶数全体ではない。
自然数と偶数の1対1対応を議論するとき、この二つの無限集合は単なる名前以上の用を為さない。
この二つの無限集合に対して何かを適用する機会はない。

強調しておくが、
自然数は 数学的帰納法の成り立つ集まりの要素 であり、
自然数全体は 数学的帰納法の成り立つ集まり だ。
要素と集まりを混同してるんじゃないの?

74 :
>>73
自然数全体を「数学的帰納法の成り立つ集まり」としてしまうならば
有限集合の定義>>20によって、自然数全体は有限集合だと
そういうことになるわけだ

分かったか

75 :
>>74
集合Aが有限集合であることの定義は、
ある自然数nに関して、nを集合と見たとき、集合Aと集合nの間に1対1写像が存在することである。
これでいいかい?
まさか細かい言葉尻を捕えて文句言われてるとは思わなかったよ…ただ喧嘩売りたいだけだったのか?

76 :
>>75
言葉尻の問題ではなく、俺は自分の思考を試しているわけだ

しかし>>20を撤回するわけか?
たぶん同じことだぞ
なぜならそれは>>32の内容であり、>>32>>20のことなんだろ>>34

喧嘩を売る?
ちょっかい出してきたのはおまえだよ
集合論の専門書をじっくり読み直してから、仕返しに来るが良い

77 :
>>76
>>75>>20を別解釈の余地のないように詳しく書いただけだよ。
意図するところは>>20と全く同じ。>>32>>20をより詳しく書いたものになっている。
俺の書き方が不親切だったね。

78 :
こいつの思考力なんて試すまでもないだろ

>>35なんて数学的帰納法を習ったばかりの高校生の典型的な間違い
皮肉にも、”自然数”も”無限”も全然理解できてませんと白状したようなもんだw

79 :
それがおまえの精一杯か
ご苦労さん

80 :
実無限は矛盾している
そう考える人もいる

どう矛盾しているというのか

無限とは限りが無いことだから、そもそも完結しない
しかるに実無限は無限を「完結したもの」として扱う
あきらかに論理矛盾している

と、そのように言う人がいた
だがこれは少々甘い
なぜなら、俺の見るところ実無限の完結性とは

完結しないものという内容に於いて完結している

そういうことだからだ
自然数全体が無限集合であることの証明も、恐らくそこを根拠にしている

81 :
ひょっとして沼の主張って結局のところ「実無限は可能無限ではない」なんじゃないの
何故今ここで主張するのか一見すると意味不明だけど、数学に反感を持っていそうなところを鑑みるに「集合論、ひいては数学は胡散臭い」というのが真の主張だとすれば納得がいく
有限・無限・自然数がどう定義されるか、あるいは定義できないのかを解説する>>14とは話が全く噛みあってない

82 :
そういえば可能無限・実無限も定義されていないって話もあったな>>15
例を挙げることは定義することとは違うからな
実無限が矛盾を引き起こすことを言いたいだけなら未定義のまま矛盾の例を挙げるだけで十分だけど、その矛盾例が見つからないから集合論が棄却されず残ってるわけで

83 :
数学に反感など持っていないな

“世界を知ることの本当”が知りたい

哲学にそれ以外の存在理由があるのか?

84 :
矛盾か無矛盾か

数学者の岡潔が小林秀雄との対談で集合論について言及している

自然数全体を代表とする可算無限は、その濃度がアレフ・ゼロ
一方、実数全体を代表とする連続体の濃度をアレフとするわけだが
アレフの方がアレフ・ゼロとより“大きい”、そういうことになっている
ところでアレフ・ゼロとアレフとの間に濃度は存在するだろうか

これは連続体仮説といって、カントールはそれが「無い」ことを証明しようとしたが
ついに発狂した

いまではそれがあるとしても無いとしても矛盾しない、という一応の結論が出ている
「ある」と「ない」が同時に成立することは、端的に矛盾律に反するわけだが
しかし矛盾しないのだ、と、そういう妙ちくりんな話になっている

それを受け入れるかどうか
岡潔は、それはもはや“感情が満足するかどうか”の問題だと、そんなことを言っていた
もう50年以上も前のことだが

85 :
逆数学的帰納法

『もしある性質Aがn+1番目について成り立つなら、n番目についてもAは成り立つ』

これを前提とするときに、、全てのnについてAであることの証明が可能だろうか

不可能なのはどうしてなのか

86 :
そこまで馬鹿なのか

87 :
いや、このポエムの出所は>>35のとんでも解釈と同じなので別に意外性はなかった

88 :
吠え面だけか

89 :
ちなみに>>85はω不完全性の何事かを上手く表現できないかなと
アナロジーを考えてみたつもりだったのだが

自分では冴えてるなと思ったが、ここでは受けないわな

90 :
冴えてない冴えてない
超準モデルや整列性に疑義を唱えたいのに順序を逆転してる時点で論外

91 :
そんなものに疑義を唱えてるように見えるかね?

スマリヤンがこんな例え話をしているわけだ
AさんとBさんは愛し合っており、しかも両名とも永遠の命を持っているが
Bさんが眠り病に罹ってしまう
この病気に罹ると永遠に眠り続けることになるが、ある特効薬を飲むと
眠りから覚める
今日、特効薬を投与するとBさんは2日間、眠りから覚めて、その後二度と起きることはない
明日、特効薬を投与するとBさんは4日間、眠りから覚めて、同上
今日からn日目に特効薬を投与すると、Bさんは2のn乗日だけは起きている
さて、AさんはBさんとできるだけ多くの日数を過ごしたいが、投与するのを
いつにすればよいのだろう

無限というのは、おかしなものだ

92 :
ω不完全性の話はもう辞めにしたいんか?w
理解していない事柄のアナロジーなど単語をデタラメに並べただけの自動生成ポエムと大差ないぞ
自分自身も何を表したかさっぱり分かってない
そのくせ自己評価は高いんだから呆れるより外ない

93 :
おまえは頑張って勉強したのだろうけど
頭が悪い>>20

俺のはポエムだが、おまえより頭がいい
それだけのことだ

94 :
ちなみにω不完全性について俺が知っていることと言えば
「体系に決定不能な文が存在するとき、その体系は不完全という」

それをω不完全性というらしい、ってことぐらいだ

95 :
>>20についてはおまえが妙な勘違いをしてたんだろう?
それを>>77で指摘された後ダンマリ決め込んでたおまえが言うの?
それ以外にも散々勘違いして脱線しまくってるし

おまえの無理解の何が致命的かというと、有限あるいは自然数を素朴に信用できると考えてることだな
ω不完全性という用語にたどり着いたのはいい線いってると思うけど、理解しなきゃ話にならんぞ?

96 :
>>94
肝心の「ω」の表す内容が丸々抜けてるわwwww
自然数との関係で重要なのが「ω」の内容なんだよ、何が冴えてるだ馬鹿者w

97 :
妙な勘違いをしようがないほど>>20は致命的に明白だと思うがな
こそこそ修正しようとして、結局俺の言った>>32が一番正解だったわけだ

「有限あるいは自然数を素朴に信用できると考えてる」というのは
おまえの勝手な印象だ

しかしまあ、自然数は素朴に信用した方が良いのじゃないか
理屈で縛るのは、人間が理解するためだけが理由だからな

98 :
>>96
ふむ、たしかにそういうことも書いてるな
よく勉強してきたな

99 :
おまえが未だに理解できていないのは、「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素」それ自身が集合であり、その集合と1対1対応するという内容な
>>75はそれを説いてる

おそらくおまえの勘違いはこうだ
『「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素」を入力とする関数』が1対1対応を与える

正しい理解はこうだ
『「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素」を定義域とする関数』が1対1対応を与える

100 :
こんな勘違いをするようだと、どうせ>>32も理解せず書いたんだろ
それでまた冴えてるつもりか?

101 :
>>99
つまり、「数学的帰納法が成り立つ集まりと1対1に対応する集合」であることは
有限集合の定義ではなかったわけだ

102 :
あのさあ、一々俺から言質とらないと自分の理解度も分からないの?

>>20には「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素と1対1対応する集合」と書いてある
おまえが「数学的帰納法の成り立つ集まと1対1対応する集合」だと思い込んで迷走してたんだろ

103 :
>>32はなかなか味わいのある定義だと思うぞ

なぜなら、無限集合とは、「有限集合ではない集合」であるために
その要素には『最大値となる要素が無い』ということになるわけだからな

104 :
馬鹿者w
やっぱり>>32も理解してないじゃないかw
>>32の内容も、>>32が有限集合の定義として採用できる理由も、全く

105 :
>>102
ああつまりおまえは、「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素」を
「いくつかの有限な自然数」に読み替えたいわけだ

しかし「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素」が有限であることは
どうやって示すつもりなんだ?

106 :
自然数を素朴に信用したら駄目なんだよ
少なくとも有限集合を定義する際にはな、気を抜くと循環定義に陥るから

107 :
>>106
だから、「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素」は、すなわち有限なのか?

どうなんだ

108 :
>>105
「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素」を使って、そこから有限集合を定義するんだぞ?
そんな基本的な状況すら理解せずここまで来たのか?
松坂和夫には書いてなかったと思うけど、ωと表される集合な(ω無矛盾性のωの由来)

109 :
>>108
だから、「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素」はすなわち有限集合ってことでいいのか?
それがお前の見解だな

110 :
ということは、だ
無限集合とは、「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素1対1に対応する集合」ではないってことだな

そういうことなんだな

111 :
なんだ今度は俺に妙な因縁つけるつもりか?
あるいは自身の思考力を試すとかいうやつかね
哲学が目的なら松坂和夫を真面目に読んでも意味ないぞ
おまえが疑問を持つであろう点に関しては言及すらしてないからなw

112 :
そうした場合にだ、無限集合、たとえば自然数全体の集合を
どうやって考えるつもりなんだ?

数学的帰納法が成り立たない、とするのか
それとも1対1が成り立たないのか?

なあ

集合論、ぶっこわれるな

俺はいいけど、おまえはどうなんだ、そこんとこ

113 :
松坂も持ってるが、赤とか松村とか上江洲とかあるな

読んで分かるなら苦労はしない
これは前にも言ったな

114 :
これまでは何をどう勘違いしているか何となく推察できてたんだが、いよいよ何が言いたのか分からなくなってきた
俺はいいけど、おまえはどうにかしろよ
思考力を試す前にまずは鍛えろよ

115 :
なんだもう吠え面かくしかないのか
はやく>>110に答えてみそ

仕返しするなら、もっと準備しとけよ
頭の悪さを知識量でごまかそうなんて、せこいのだよ君は

116 :
この兄ちゃんには馬鹿にされたが、>>103は割りといい話だと思うぜ

無限の怖さというか、人間の悪意というか

117 :
>>110>>20の文面を借りたものだから別解釈の余地があると既に指摘されているよな
まずはお前自身の言葉で>>110を別解釈の余地のないよう表してみな
おまえが自分でも理解してないことを書く人間だということは何度も見てるんだよ

118 :
>>116
全然駄目
もしかしておまえ、最近、微分積分の教科書も読んだんじゃないか?
そいつを無限集合の定義と無理やり絡めてるように見える

119 :
俺が理解できているか、できてないか
それは俺には分からんな

ここで分かるのは、おまえが俺より頭が悪いってことだけ

数学は理屈だからな
理屈による力技

120 :
微分積分なんざ、もう忘れたわ
なんて言いたいところだが
俺はエネルギー管理士だからな
おまえより計算は得意かもしれんわ

121 :
>>117
だから>>32でいいのだよ
有限集合で重要なのは、「上限nが存在する」ってことだろ
そのnをさらに詰めたいと思うなら、それはペアノの公理なり使えば良いわけでな

122 :
あのな、俺は意地悪で>>110を書き直せと言ってるわけじゃないんだよ

おまえ自身も理解しているかどうか極めて疑わしい、別解釈の余地のある文章
こいつに俺が同意したとして、おまえがどんな意味不明な因縁ふっかけるかわかったもんじゃない
あるいは思考力を試したいだけなら格好の問題だ

123 :
>>121
>>104に書いただろ
おまえは>>32の文面通りの内容すら理解し損ねている

124 :
>>116
デデキントの切断に少し似てるよな
実は俺もその類似性を発見してな
少しばかり世界が見えた気がしたわ
いやこれも人間のあれだな、あれ

125 :
>>122
だったらもう少し時間をやるから>>20をさらに修正したらどうだ
それでは話にならんだろ

よく>>112を読み返してな

126 :
>>125
言い方は悪いが、これはおまえへの課題だ
俺も答えを教えてやるわけにはいかんぞ
先日も今日もこの無理解から話がこじれ始めているが、いくら説明しても通じないなら後は本人の努力に任せるしかない

127 :
おまえは理屈を通すことができない

数学で理屈を通せないなら、負けなんだよ

128 :
もし有限集合の定義が
「数学的帰納法の成り立つ集まりの要素1対1に対応する集合」>>20
であるとするなら、無限集合の性格はどうなるのか

無限集合とは、「有限集合ではない集合」のことであるから
その場合に、無限集合の要素には数学的帰納法が成り立たないのか
それとも、無限集合から無限集合には1対1対応が成立しないのか

どうなんだろうなー

129 :
昔から2が素数であることに違和感があった
なぜなら無限にある素数のうち、2以外は全て奇数だから

しかし2が素数だからそれ以外の素数は奇数なのだ

130 :
>>20は有限集合ではなく、可算集合の定義だな

頭が悪いというのは悲劇だな、罪ではないが

131 :
ピンポン玉をある高さから床に落とすと
反発係数に応じて“必ず”跳ね返るわけだが
そうすると、ピンポン玉は永久に跳ね返り続ける

いやいや

132 :
完全なランダム

キーボードを”全く無意味に”叩き続けると
無限に叩くならば、トルストイの戦争と平和と同じ内容が
どこかで“必ず”出現する

これはつまり「無限であること」に、そこまでの力を与えますよ、と
そういうことだ

133 :
なぜ“逆”数学的帰納法は成り立たないのか

それは自然数全体には『最後の数』が無いから

134 :
にも関わらず人間は、数学的帰納法は成り立つと考えている

これはつまり、可能的な無限が実無限を覆うと
そう信じているのか
それとも気づかぬふりをしているのか

135 :
0から1の間にある点の数は、自然数全体の要素の個数より多い

その流れで言うならば
ゼノンのパラドクスとは頭の悪い混乱にすぎない

つまりそれは、『無限の過程を経るためには無限の時間を要するはずだ』という
怠惰な思い込みによる

なぜなら、有限の時間内に無限の過程を経ることに、
論理的な不都合など無いはずだからである

136 :
三平方の定理を満たす直角三角形の辺の長さa、b、c
このa、b、cが『互いに素な整数』であるような組み合わせの個数は
無限でしょうか、有限でしょうか

そんな問題があったとして、もしこれを人工知能に考えさせるとするなら
どういう回答を出してくるのだろう

137 :
命題P「AならばB」に於いて、前提Aが偽ならばBの内容に関係なくPは真である

この論理の気持ち悪さは、どこに起因するのだろう

138 :
『もしリーマン予想が正しければ、Xは正しい』とされる定理予備軍Xが
世の中に大量に作られている、らしい

もしリーマン予想が偽であったとき、Xの扱いはどうなるのか

これも気持ち悪い話

139 :
数学的帰納法を正しく使うことの正しさは、何がそれを保証するだろう

それを適用する対象がエッシャーの絵ではないことを、どうやって確かめるのか

140 :
>>137
その気持ちの悪さから「様相論理」(のもととなったもの)が生まれている。

141 :
私は小学校4年のあるとき、自分が1/3+1/4が分からないと気づいて
パニックになり、母親に訊いたらなぜか逆ギレされ、夜になって父に
教えてもらうことになるのだが、その時にはちんぷんかんぷん
結局これは5年の授業で習うことになる

最近は、分数ができない大学生もいるらしい
みんなしっかり頑張ろう

142 :
主要5教科のうち、何が一番重要だろうか
私は、それは当然に国語だろうと思っていた

だが最近、予備校教師の林先生が「ダントツで数学が重要です」と言っていたのを
偶然に見、佐藤優氏も同様のことを書いていたので
おお、そういうもんなのかと

143 :
数学検定でも受けるか

144 :
ある致命的な病気の遺伝子Y
この遺伝子を持っている割合は1万人に1人
Aさんが検査を受けたところ陽性となってしまった
検査の精度は99%
Aさんが本当にこの遺伝子Yを持っている確率はどのくらいか

145 :
答え・・・約1%

算数は侮れない

146 :
マジックワード 『すべての』

多くの論理学の参考書には次のような話が載っている

命題A:「どんな大きな数も30字以内(の日本語)で表せる」

リシャールによれば、この命題は正しい
なぜなら、もし30字以内で表しえない数があれば、その最小のものは
「30字以内の日本語で表せない最小の数」という30字以内の日本語で
表せてしまうので、背理法に従い命題Aは正しい

ばかばかしいですか
しかしそうはいえない
なぜなら、いまや我々は「全ての自然数(=自然数全体)」という有限の表現によって
無限の要素を含む集合を規定してしまったわけだから

任意の数を30字以内で表現することと、「自然数全体」という表現を受け入れること
何が違うと言えるだろうか

147 :
納得できること、できないこと

モンティーホール問題を納得できない人に対し、教科書的な確率論の計算を
示したところで、やはり納得させることはできない

1)確率は3分の1のまま変わらない
2)確率は2分の1に上がる
3)確率は3分の2に上がる

正直ものの常識人は1)を支持する人がが多いかもしれない
まっとうな数学者の多くが2)こそ正しいとした
論理の奥に分け入って3)と回答できる人間はあまりいない

3)が事実として正しいことは、コンピュータのシミュレーションによって
実証されている
だが論理を擁護するためにはその結果だけでは不十分であり
『上手に説明できる』ことを示す必要がある
ウィキにいろいろ書いているが、文字通り、いろいろと並べてあるだけだ
私は自分自身に説明するための理屈を思いつくまで、まるまる一日かかった

説明が上手であることは単なるテクニックの問題なのか、
それとも世界の真理とつながる何事かなのか
いやそもそも上手な説明などなく、単なる自己満足の勘違いなのか

148 :


C♯とD♭はピアノの鍵盤上では同じ鍵だが
本当は違う音

同じだけど違う
世界にはそのようなことが多い
論理はそこに寄り添わねばならない

149 :
ピアノの音は狂っている。
ピアノという楽器の狂気。
この狂気こそが宇宙をつくっている。

150 :
豆2

C♯とD♭の違いは、バイオリンなら実現できる
これは厳密な和音の成立と関係している
だから弦楽四重奏曲ではその違いを意識して演奏している(と思いたい)

音楽は深い、そして怖い

151 :
確率の一様性

理想的なサイコロを振ったとして、一の目が出る確率は、
6分の1、、、なわけです

6回サイコロを振ったとして、一度も一の目が出ない確率は、
確率論的な計算によれば、ぼほ3分の1です
その場合に、六回目に1の目が出る確率は3分の2なのか、と言えば
そうではなくて6分の1

もし100回振って、一度も一の目が出ないとしても、101回目に
一の目が出る確率は6分の1
確率論はそのように主張するわけです

それは恐らく事実としても正しい
理屈ではそうだと知っていたとしても、もし100回も一の目が出ないとしたら
我々は否応なく次のように感じるでしょう
1)次こそは一の目が出る(一の目が出る確率は上がっている)
あるいは
2)ここまで出ないのには、何か『理由』がある

この「感覚」は全く的外れの錯覚に過ぎない、のでしょうか
そう決め込んでしまうのは少々もったいない

152 :
大雨特別警報

これは「数十年に一度あるかないかの大雨」が予想されるときに出される警報、
のようです
つまり「めったにないこと」なわけです

「めったにない」という言葉そのものは、めったにないことが『起こった理由』については
その理由が「ある」ことを否定しません(どちらかと言えば肯定している)
しかしそれ以上は踏み込まない
(記号列によって個人個人に個々に成立するデリケートな中身は窺い知れず、神頼みですが)

一方で、「数十年に一度の大雨」という事態が実際に起こった場合には、その事態は必然であり
確率論を説くことにあまり意味はありません(感傷的な意味はある)
なぜならそれは「起こるべくして起こった」事態であり、直接的な起こった理由があるからです
しかしそれは、その雨がそのような雨であった理由ではありますが、
それが『めったにない』雨である理由ではありません(・・・分かりにくいか)

では「めったにない」こと、それ自体の意味とは、いったい何なのでしょうか

153 :
量子力学は確率の力学です
しかし確率論ではありません
確率論は、「簡単で納得しやすい基本的な確率」を最初に決めてから論を展開する
虚構上の公理系のようなものです
一方で量子力学は、基本的な「変動する確率」の振る舞いを決定論的に計算する、という
なんとも妙竹林なしろものです

そもそも虚構でしかなかった確率が、それ自体の振る舞いを与えられ、
実体化しているわけです
そうして、むき出しの確率が成立します

空間も重力も、そもそも幽霊のようなものだったわけですが
似たような経緯で実体の地位を得たわけです

確率は未だ、その地位を得るまでには至っていないようです
『確率は一般化にほかならない』(ウィトゲンシュタイン)

154 :
サイコロを振ったら、必ず一の目でも二の目でも出るけれど、
量子力学の確率では、目が出ないのが常態で、目を出そうとすれば、
観測なりなんなり特別なことをしなければならないんでしょう。

155 :
めったにないことはめったに起こらないからめったにないことなのである

この台詞に意味があるのかないのか、また余裕があるときにでも
俺は意味があると思っているわけだが

156 :
観測とは特別なことなのだろうかな

そうは思わない
なぜなら、人間がいようがいまいが現象するものは現象している
私はそういう立場だから

読んでもらってありがとう

157 :
量子力学は確率的な決定論といわれる。
一方でニュートン力学ではビリヤードの玉のような決定論。
どうして、どこから、ミクロの「確率的な」から、
マクロの「確率的でないようには見える」決定論に移行するのか?

158 :
こんな簡単な話ではないが

確率はそのものは測定不可能だが、世界が確率的に振る舞うならば、
その莫大な集まりの測定可能な振る舞いは決定論的になる
たとえば、表が黒、裏が白のオセロの駒を100万個ランダムに並べた盤を2組作るとして
それを遠方から眺めたら、どちらの色も同じ濃さに見えるだろう

雑だな
そのうち、もう少し気の利いた話をしよう

159 :
一つ言い忘れたが
量子力学は、たしかにモデルとしてはミクロを扱うのだが
その基本的なところで『観測可能な事態』を要素に組み込んである
この観測可能な事態は必ずマクロだから、量子力学は“現象としてはマクロを扱っている”

160 :
論理は言葉なのか

“人間は言葉で考える”
これはあちこちで言われる定説のようなものですが
子供の頃は、これに対して非常な抵抗がありました
同じように感じる人もおられるかもしれない
思考というのは言葉に限定されるようなものじゃなく、もっと広いものだ
言葉にできない“思い”はいっぱいある
と、そんな感覚というか確信があったわけです

ところがそこそこ歳をとって、浅知恵がついてまいりますと
言葉で表現できないようなものはそもそも思考ではない
それは単に上手く説明できない自分に対しての悶々とした気分にすぎないのだ
などと思うようになりました、いい加減なものです

しかし子供の頃に感じたあの確信は、果たしてそのままゴミ箱に捨ててよいものなのか
たとえば、計算はそれ自体、言葉なのか
それがもし言葉でないとするなら計算は思考ではないことになるが、そうなのか

161 :
ゲーデル数という奇妙奇天烈

記号論理に於ける個別的命題を、一つの数で表そうというのがゲーデル数のようだが
しかしゲーデル数で表現できるのは論理命題に限らない
原理的にはほぼ任意に言葉を表現できる

たとえば、言語を構成する記号の種類は有限だから
個々の記号に対して異なる自然数を割り振る
あ→1、い→3、・・・、こ・・・→19、・・・、た→31、・・、ま→61、ん→93 としても良い
その対応のやり方は任意である

単語は言葉の単位だから、各単語ごとに素数に上の数(31,61,19)を累乗したものの積を作る
上の対応に従って「卵(たまこ)」を表現すれば、2^31・3^61・5^19
百均の計算機では計算できないような数だが、「素数の上の累乗」であることの約束があるので
その数を素因数分解をすると、もとの単語が復元できる
言葉は単語の列だから、各単語毎に同様の操作を行い、単語の切れ目には
別のゲーデル数を与え、全ての積を作れば、一つの文(命題)を一つの数で表現できることになる

『数が意味を担う』わけである

162 :
波平はこうやって自演キャラを複数駆使して
何か新しいことやってるつもりなんだろうけど、
客観的に見ると哲学板で数学の板違いで荒らしてるだけなんだよね。

163 :
おまえがそれで良ければ波平と呼ばれても支障はない

しかし私はAKBに全く興味が無いし
安倍は全く評価してないし
反原発だ

それから前にも言ったが
数学基礎論は数学というより神話だ
だが注意しなければならないのは
神話だからなんでもあり、ではないってことだな

神話を区別せよ
形而上学を区別せよ
分かるとは分けることだから
最後は桂枝雀の受け売りだ

164 :
可能性と存在性

不完全性定理について、一般向けの解説書をいくつか見ましたが
その中で数論に触れるようなものは、あまりないようです
論理の直観的なパラドクスに訴えるものが多いかと思います
つまり、ゲーデル数は不完全性定理を理解するための絶対条件ではないわけです

いったい、ゲーデルはゲーデル数などという妙竹林なものを作り出して
何がやりたかったのでしょう

今なんとなく思うのは、「証明可能性」を「自然数の存在性」に書き換えることによって
形式を超える「わけわからん」ものを、形式の内部に取り込もうとしたのだろうか
というようなことです

165 :
真理と証明

フェルマーの最終定理は、わりと最近まで証明がなされていませんでした
ワイルズが証明するまでフェルマーの定理は真理ではなかったのか
「そう、真理ではなかった」とほざく“哲学者”も、世の中にはまあ多分いるわけですが
フェルマーの予想が偽であった時代など、太古から一瞬として存在しません
そもそも、証明したという事実が、れ以後はもちろん、それ以前にまで遡及して
真理を支える効力を持つものでなければ、証明の普遍性はゆらぎ
証明することの意義などなくなってしまうでしょう

そうすると、数論に於いても、まだその内容が予想されてもいない『真理』が存在しても良いし
まず間違いなく存在するわけです

しかし証明とは何でしょう

166 :
たとえば、ある公理系に於いて命題Aを述べることが可能であるとして
『命題Aは証明できない』ことは証明できるでしょうか

もしそれが証明できたとするなら、その公理系では証明できない命題が存在する
そういうことになります
またそれが証明できないときには
「命題Aが証明できないことは証明できない」ことが証明できるか、という問題を考えます
それが証明できたなら、やはりその公理系では証明できない命題が存在するわけです

これを続けると、どこまでも証明できない命題を作ることができます

しかしそもそも、命題Aが証明できたらどうなるのか
その場合には、「命題Aは証明できない」ことは偽である、ということになって
「命題Aが証明できない」ことは証明できないわけです

証明を規則的に構成しようとすると、おかしなことになります

167 :
命題A:『命題Aは証明できない』

>>166の最後は掟破りです
真であるものは、それを偽であると証明することはできない
もしそれができてしまうなら、それは矛盾した体系

一方で、ゲーデルの不完全性定理の内容とは
「この命題は証明できない」を公理系に於いて形式的に表現できるが
この命題は真偽不定となり証明できない
そういう話のようです

分かるような分からんような
いったいどこに>>166との違いがあるのか
破壊的自己言及?
まあそうなんだが、しかし世の中そういう表現は多いですよね
そしてちゃんと機能している

よく分からんね

168 :
ウィトゲンシュタインの論理哲学論考は、正直なところ何が言いたいのか
よく分からんところが多いわけですが、最後に有名な次の台詞があります

「私を理解する人は、私の命題を通り抜け、その上に立ち、それを乗り越え、
 最後にそれがナンセンスであると気づく。」

つまり、「俺の言ってることに意味などないよ」とぶっちゃけるわけですが
そう言われても困るわけで、意味などないと言われた諸命題は
結果として哲学を混乱させたようです

次の法令にははたして意味が無いでしょうか
「この条文は○年○月○日をもって失効する。」
いまその期日を過ぎて失効するとすれば、実は失効していないことになる
しかしだからといって実際の業務が混乱することはない
十分に意味が通るからです

全ての意味を形式に還元することはできるのでしょうか

169 :
>>168
読むんじゃないわよ感じるのよ😸

170 :
私なんか感じすぎちゃって喘ぎ声出ちゃったわ😝

171 :
数学っていかに間違っていても一つの新しい定理などを、発見すると、
途端に認められるものなのかなあ。

172 :
感じるのか
だがそれは“語りえぬもの”ということだ

論考は、語り得ぬものについては沈黙せねばならないと言いつつ
語りえぬものを饒舌に語っているってことだな

これは傑作だ

173 :
マトリックス レボリューション
見るのは2回目

示唆とトリックに富んでいて見てしまうな

多分人間は、プラトンの昔から本能的にあの世界観を受け入れることを拒否しない
むしろどうしようもなく、世界をあのように見たいのだ

根が深すぎて、いまさらひっくり返す手立てなど、私には見当もつかない
なぜなら、論理を生成するだろう母体(マトリクス)の何事かについて
(それを物自体とするしかないが故に)それを記述するために論理を使用できるかどうか
分からないから
あの映画はダブスタだと思う

しかし無限そのものに対して論理を適用できるぐらいだから、しても良いのか
人間とはまったく
・・・いや、まさかな

174 :
形式主義と存在

凡そ『無条件にこれだけは存在する』と万人に認められるようなものは
残念ながら一つもありません
そもそも、存在の意味を厳密に定義しようと詰めていくと、それが何のことか
人間には理解できません、矛盾してしまうからです

一般人は多分、もろもろの数学概念が実在するとは思っていません
円周率とか黄金率とか素数とか対数とか確率とか、そういったものは
人間が作り出した虚構でしかない、と
だいたい、みんなそう思っている

一方で、『数学概念は世界の実態の何らかを表現しており、それは存在している』と
思っている数学者は結構いるような気がします

「存在する」あるいは「存在であること」の必要十分条件とは何でしょうか
誰にも分かりません
いや、「俺には分かる」と信じている奴はいるでしょうけど、それを万人が納得するように
説明できた人は一人もおりません

ヒルベルトによれば、「存在=無矛盾性」です
これは時間論も含め、割りとあちこちで目にするテーゼです
それを『原理』として受け入れたとして、しかしもし
「存在が無矛盾であるとすれば矛盾が生じる」
場合にはどうするのか
前提が間違っていたのだから、背理法により「存在=矛盾」ということになりますが
しかしその場合、そもそも論理を適用できなくなるので、背理法を適用することも間違っている・・・

いま思うのは、「存在=無矛盾」なのではなく
「存在が存在であるために矛盾を永遠に回避し続けなければならない」

・・・・永遠にそれが可能であることは保証されない、ようですが

175 :
>>1

176 :
>>169
>>170成りすまし発見💨

177 :
大小でも、高低でも、前後、左右、上下でもいいけど、
対比が存在するというのは、何が存在することなの?

178 :
>>177
弁証法

179 :
人間とは不連続な存在です。

180 :
人間とは不連続な存在だからこそ連続性を求めるのです。

181 :
まず大小がなければ、等さは存在しないわけで、等さが存在しなければ
単位が存在しないでしょう。で、大小があるとは、どういうことなの?

182 :
>>181
小さな石も無ければ大きな石も…

183 :
大小がなければ数すらないだろう。では、大小はどこにあるのか?

184 :
>>183
君の心の中にある

185 :
勝があれば、負けがある。
勝ちだけがあって、負けがないことはないし、
負けだけがあって、勝ちがないこともない。
さて、勝ちが大きく、負けが小さいのだろうか?
負けが大きく、勝ちが小さいことはあり得るのか?
勝ちと負けに大小はなく、勝ちと負けは等しいのか?
勝ちが能動態で、負けが受動態?
能動態や受動態よりも先に中動態がある?
よく分りませんね。

186 :
>君の心の中にある

私の心の中にあるのなら、私の心の外の方が、私の心の中より大きい
ことを既に前提にしていることになりませんか?
中の方が外より大きいこともある?

187 :
>>140
様相論理のもととなったもの、とは具体的に何のことでしょうか?
>>147
世界の真理とつながる何事かは、コンピュータのシミュレーションによって実証させる、テクニックで、納得させるべし、という帰結を得たのですね。
>>160
分割分離分断などです。
>>164
「可能性」を「存在性」に書き換えて、形式を超える「わけわからん」ものを、形式の内部に摂り込もうとしていたわけですね。
>>169
ウィト当人ははたして気がついていたのでしょうか。
>>173
論理を生成する母体の何事かについて、それを物自体とするしかないが故に、それを記述するために論理を使用できるかどうか分からない。
であるとき、当該論理を直接使用するのでなく、当該論理の代替として新規に言語文法をいくつか構築し、その新言語を媒介として論理を適用し、よって母体へ達する、考えはありますか。
>>174
「永遠にそれが可能であることは保証されない」などは存在しない、のをコテさんは認めますか。同時に、やっぱり自身の言及は矛盾であった、のを認めますか。

188 :
形式の内部に取り込む
>>168
ウィト当人は気がついていたのでしょうか。

189 :
>>187
おまえは意味でしか思考ができないようだな、意味で思考すれば常に情報は四捨五入され
最適化されるんだよ、そして意味ではない思考とは哲学でも学校でも教えてもらえない、
お前が学ぼうとしても得られるものじゃない。

190 :
「おまえは意味でしか思考ができないようだな、」?
「常に情報は四捨五入され最適化されるんだよ。」?
「意味ではない思考とは哲学でも学校でも教えてもらえない、」?
「お前が学ぼう」?
力任せにゴミを散らかすだけのあなたに用はないです、よ?

191 :
1910年ごろ、Clarence Irving Lewisが、「実質含意が日常的な『含意』と異なる」という「気持ち悪さ」から「厳密含意」となるものを研究しはじめ、それがのちの「様相論理」につながった。
(と、理解しているが、その当時おれが生きてたわけでもないので本当かどうかと問われれば確信はないw
 「気持ち悪さ」は、おれ個人の感想です)

192 :
>>191
朝っぱらから、ご丁寧にありがとうございました、数
学基礎論のような論理集合計算系統の人間さんは、別
の板に全て追い出されてたので哲学板ではゴミが無分
別に散らかり、そんな形式的意味的ゴミ未満の文章や
、文学的詩学的価値もない文章に、とほほ、飽き飽き
していました、なので、少しは楽しめそうで、いわゆ
る高知能でない、腑抜け腰抜け腰砕け、ばかりがこう
べを並べていた、のが厳密な原因であろう、と気分的
に考えなくもない、です、ね。

193 :
対比(能動態 vs 受動態)が等さを生む(中動態)ことが数が現れること
であり、対比と等さのいずれかが時間的に優先するということではない。
むしろ、対比が等さを生むことが時間の前提であり、在ることの基礎である。

194 :
725 名前:考える名無しさん 2017/08/19(土) 04:32:22.53 0
こういう感じで、数学というのは、非常に論理的なところが面白い。
逆に、数学が苦手だったり、嫌になる理由も、そこにあると思う。
文系やアナログ脳全開の人たちには、数学はあまりに論理的過ぎて、
「あなた、つれないわ」、という感じになるのだろう。
哲学好きで、数学が苦手というのが、両者とも高度な論理性を要請するので、よく判らないのだけどね。
726 名前:考える名無しさん 2017/08/19(土) 04:40:27.50 0
>数学ではなくても、厳密な定義から始めて、厳密な手続きに従えば、厳密に正しい結果が得られると思い込む場合も同じことだ。
そうかもしれない。数学は演繹の体系なので、公理やそこから導き出された定理に厳密に従っているだけ、とも表現出来る。公理や定理の外部にあるような論理には数学ではアクセスしづらいだろうね。
727 名前:考える名無しさん 2017/08/19(土) 07:58:19.41 0
理系の学問というものを「理系哲学」とすれば、「文系哲学」と何らかのすみわけがある。
どこが異なるのか?
理系哲学を「形式的」というならば、文系哲学は「非形式的」である。
「哲学」とするならばどちらも含む。
非形式的よりの哲学のひとつに日常言語派(哲学)があるのだろう。
それでも「形式」をすてているわけではなく、「非形式的」な「核」のもとで「形式」も援用されている。
理系も文系も、哲学であるなら「理性」に訴えねばならない。
形式的に理性に訴えるのか、非形式的に理性に訴えるのか、そこの違いなのだろうか? 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27)


195 :
中動態がどうのというのは、図書館の待ちリストが長すぎて、まだ読んでない
んだけど、宣伝文に書かれていたことが変に感じられたから気になっている。
名詞的なことは、どう考えても順序的には、先ではなくて、後だよ。

196 :
中動態>>193のことですか。これらは、それぞれをもっと正確に理解してれば、順序的先後のところも含めて、言わんとしている意図は妥当です。が、今は理解が浅いので混乱してるだけです。

197 :
主語と述語がないと混乱する

198 :
引用して使えるような洞察が宣伝文に含まれているかどうか、それが私が本を
購入する気になるかどうかの分かれ目となっている。

199 :
>>187
>当該論理を直接使用するのでなく、当該論理の代替として新規に言語文法をいくつか構築し、
>その新言語を媒介として論理を適用し、よって母体へ達する、考えはありますか。

ない。なぜなら

巨大な計算機でも人工知能でも、そしてそれが人間でも良いが
計算という作業によって、その当の「計算のためのアルゴリズム」に達するとは思わない。
人間が計算をしているとき、それに必要な脳内活動を認識できるわけではない。

仮にその『計算機』が計算のアルゴリズムを認識できた場合
その作業に於いては「計算のアルゴリズムを認識するための“アルゴリズム”」が働いており
その“アルゴリズム”にまでは達していない。

いかなる新言語を用いようと、その新言語を言語として成立させるための活動を
新言語が表現しているわけではない。

さらに悪い事に、以上の推論は、「“架空の”世界観(=マトリックス、水槽脳)」を前提としており、
それは「「システムの階層構造」ということになるわけだが、その世界観が正しいことは
そもそも言えない(正しいとも正しくないとも言えない)
なぜなら世界観とは、世界がそのようであって欲しいという欲求を根拠としているだけだから。

200 :
>>187
>「永遠にそれが可能であることは保証されない」などは存在しない、のをコテさんは認めますか。

何を根拠にそれが『存在しない』と貴方は主張するのか、よく分からない。

1)何が矛盾しているのか。
2)仮に何かが矛盾しているとした場合、貴方は「矛盾するようなことは存在もしない」
 という主張を支持しているのか。

201 :
宣伝文で出し惜しみをしてはいけない。宣伝文だけから判断すると、
能動態と受動態の関係を、使役と使役の受動態の関係と取り違えて、
"passive"を哲学的に甘く見ている(みくびっている)という印象を受ける。

202 :
私は、議論したいわけでも、答えを知りたい(教えたい)わけでも、ありません。会話(や問答)は、何かしらの、ひらめきや思考、のための感触を掴む程度のものに過ぎないとご承知おきください。
私は統失(陰性)です。このスレには軽いアスペルガー症状の人がいる感じがします。
ジャバなどを普通にできます。よってム板系ネタの詳細は不要です。
>>199
アルゴ云々は、同意します。巷のAI・ニューロン・人間に迫るであろう危機の話と同じですね。ただし、出来ないのではなく、出来るけどやらない、というところまで到達できると良いでしょう。
水槽脳も同意します。がクオリアや思考実験のたぐいは興味ありません。世界がそのようであって欲しいという欲求を根拠としている、のであるから成立できているのでしょう。人間さんはこれを「愛」と呼びます。
>>200
なるほど。その文章で、現在のコテさんが持つ認識力理解力推論力などをある程度つかめました。問答をするつもりはないです。が今回は該当の前文を展開してみましょう。
<<いま思うのは、「存在=無矛盾」なのではなく
「存在が存在であるために矛盾を永遠に回避し続けなければならない」
・・・・永遠にそれが可能であることは保証されない、ようですが >>>>174
「、ようですが 」に依拠すれば、コテさんは「永遠にそれが可能であることは保証されない」と認識しています。この認識はコテさんの心証ですが、当人以外には存否不明のままです。
したがって、「」などは存在しない、の当否是非を問うことになります(1)。これに連動して「永遠に..」の言及撤回の是非つまり矛盾であるかを問うことで、当否と是非をより補強します(2)。

「矛盾するようなことは存在もしない」という主張を支持しているのか。 については支持云々などでなく、どちらでも生成して差し上げられます。
>>201
「比」「数」を論点とするのだから、問題ありません。同一性・矛盾などの哲学の話が中心、ではないのでしょう。

203 :
論争を避けて評価だけしたいのか
虫が良すぎると思うが、それもいいと思いますよ

204 :
蠱惑的な長文のつもり?

205 :
ふと気づいたんだが、日本語の「あした(明日)」は、英語にすると、
「at the distal end (of the night)」を表しているから、セリーヌの代表的な
小説の題名「Voyage au bout de la nuit」の「au bout de la nuit」そのまま
ですね。「あした」が表しているのが「夜の果て」だから、「夜の果て」だけ
だとまだ暗いのか明るくなっているのが両義的だから、単に「あした」ではなく、
「『あくる』あした」と表現してそれを明確にした。「あさ」が表している
のは、「遠くまであらわ」になっていることだから、「あした」の語源的な
意味が見失われて、「あくるあした」の代わりに用いられることになった
「あくるあさ」は、表現として冗長であるとも考えられるけれども、「あした」
の代わりに「あさ」が用いられることで、「あくる」は、「明/開くる」という
もとの意味から、むしろ、英語で表現するなら「turn」、「く(繰)る」に
近いニュアンスで解釈されることになったのだろう。

私が、論理学に扱ってもらいたいのは、そういう類の論理だ。

206 :
ところで、セリーヌの小説の題名の「Voyage au bout de la nuit」も、
「夜の果てへの旅」ではなく、「あしたへの旅」と訳されたら全然違った印象に
なるね。実際、あの小説の終わりの場面は、「あくるあした」でしょ。

207 :
シャープをしてる時の背後の気配は誰の気配なんですか?

208 :
>>207

リンスです。

209 :
>>205
誤:まだ暗いのか明るくなっているのが
正:誤:まだ暗いのかもう明るくなっているのか

210 :
>>205
誤:まだ暗いのか明るくなっているのが
正:まだ暗いのかもう明るくなっているのか

211 :
流俗の禁あつを避けて辿り着いたあけぼの、
湖沼で遭遇した凛然たる妖精さんたちは、
真紅の友禅模様をあしらった桶を抱きかかえ、
溢れんばかりに湧き出す泉で髪をすすぎ、
リンスの香りを漂わせながら乱れた髪をゆう、
夢虫すら必殺の、蠱惑なまなざしで、
ああ、僕たちに微笑みる事あれかし。

212 :
論理的な解釈の変更は意図的であることも、そうでないこともあるけど、
後付け的に解釈を正当化するように論理的な辻褄合わせが行われるのは、
例外というよりも常態なのだから、それを扱えない論理学は、論理学
の名に値しない。

213 :
生きることに働いている論理は、矛盾しているものは存在し得ないとか、
矛盾は排除されなければならないとかではなくて、矛盾があってそのまま
使えないなら、辻褄を合せながら使おう、だ。

214 :
論理学とは、その一部が数学の数理論理学とかさなるが、数学とは別物であり、どちらかといえば「サイエンス哲学」である。
科学哲学ではない。科学の哲学でもなく、哲学科学か?
文学理論と文学の理論がフランス語では違いがあいまいだと嘆いた文学者がいたけれども、科学と哲学においてもあいまいであり、
さらには理論とも間違えられる。
理性を科学する哲学あたりが無難か?
「日常言語で」などとくっつけてしまうと「言語学」との違いもあいまいとなる。
(哲学の)「論理学」のライバルは「倫理学」である。
倫理が先行する倫理論理学や、論理が先行する論理倫理学など考えてみるのもおもしろい。
論理学は論理的に「健全」である必要はない。不健全な論理も論理である。
ええっと何を話していたのかというと、>>212の「正当化」に反応したのだった。
「理性」を「正当化」と読み替えると、論理学もおもしろい。
犯罪論理学や犯罪倫理学などというサブタイトルでミステリー小説が書けそうなくらいおもしろい。

215 :
一般的な論理は、交替や回転がそのようなものとして現れること自体が
矛盾とその解消であることを理解していない。
明るく、暗い、これは矛盾である。しかし、光と闇が交替していると
見るなら、それは矛盾ではない。矛盾ではないという見方が生じると、
明るく、暗いことが最初から矛盾ではなかったとして後付け的に
理解されるが、それが後付けの論理であることは忘れ去られる。
明るく(1回目)、暗く(1回目)、明るく(2回目)、暗い(2回目)。
1回目に明るいことと2回目に明るいことと、1回目に暗いことと
2回目に明るいこととは、それぞれ別の事態であるが、それぞれ、
1回目と2回目は同じことであると見なされ、以降も同じこととされる。
しかし、そのように同じことする見方が、交替という理解に他ならず、
その理解の仕方によって矛盾が解消されている。したがって、
矛盾がないのは、事後的な事態であるが、その事後的な事態が
生じなければ、光の同一性も、闇の同一性もなく、矛盾も矛盾として
性格付けることができない。

216 :
そのように同じことする見方が×
そのように同じこととする見方が○

217 :
大将〜

ちらし寿司の上にカレーかけてあげて

218 :
そーいや回転寿司でちらし寿司が廻ってるのをみたことがない。
あるのかなぁ。

219 :
セニョール?…

220 :
集合とはなにか、なにがそれらを集合させているのか。
論理的集合と物理的集合。

自己組織化が集合化であったとしても集合論では扱わない。
集合論を哲学で扱おうとするなら、現象としての集合を扱うことになるのだろうか?
「集合論」という「現象」。数学哲学史なのか。

221 :
シオン議定書を読みなさい。

222 :
433中動態2017/09/11(月) 12:24:03.230
>426
罰を与えた(能動態)のでもなく、罰を与えられた(受動態)でもなく、
罰(ばち)が当たった(中動態)のです。恨むなら自分を恨みなさい。
呪うなら自分を呪いなさい。
434中動態2017/09/11(月) 12:25:20.680
罰(ばち)に意志はないんですよ?
435考える名無しさん2017/09/11(月) 14:14:45.490
193Time is Being2017/08/19(土) 09:17:33.410
対比(能動態 vs 受動態)が等さを生む(中動態)ことが数が現れること
であり、対比と等さのいずれかが時間的に優先するということではない。
むしろ、対比が等さを生むことが時間の前提であり、在ることの基礎である。
195考える名無しさん2017/08/19(土) 10:03:13.550
中動態がどうのというのは、図書館の待ちリストが長すぎて、まだ読んでない
んだけど、宣伝文に書かれていたことが変に感じられたから気になっている。
名詞的なことは、どう考えても順序的には、先ではなくて、後だよ。
436考える名無しさん2017/09/11(月) 14:19:32.240
私が書いたことのコピペようでもあり、違うようでもあるw本人は、自分でどう書いたかはっきり覚えていないのだから、勝手にコピペまたは改変するな。
437考える名無しさん2017/09/11(月) 14:27:56.310
私は、何も原則としてコピペをするなと禁止命令をしているわけではない。コピペするからには、本人がコピペしているのではなく、他人の文章をコピペしたことを明示することを要求しているだけ。
でないと、本人が書き込んでいるところに付け加えられることになって紛らわしいだろ。
私もいくらでも他人の書いた文章をネットから検索してコピペするが、その時には引用であることを明示している。本人が書き込んでいるところに紛れ込ませるのとは意味が違う。

223 :
438考える名無しさん2017/09/11(月) 14:44:08.710
79考える名無しさん2017/07/25(火) 19:04:56.320
僕たちは「尋問する言語」に支配されている 第2回(全4回)<『中動態の世界』で考える>(幻冬舎plus) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170725-00008343-gentosha-ent
220考える名無しさん2017/08/01(火) 15:14:38.560
一発ですべてを変える「革命」を求めても、世界は変わらない 第3回(全4回)<『中動態の世界』で考える>(幻冬舎plus) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170801-00008414-gentosha-ent
303考える名無しさん2017/08/09(水) 04:49:38.020
「勉強は楽しい」なんてウソ。でもその先に…… 第4回(全4回)<『中動態の世界』で考える>(幻冬舎plus) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170808-00008466-gentosha-ent
345考える名無しさん2017/08/25(金) 10:11:27.740
國分と面識あるのかね?
面識のない人に向かってこの物言いはさすがにないと思うけど。
実名顔出しでこんなこと書けるってある意味才能だと思う。
>たとえばスピノザ学者の大御所連であれ、院生ぐらいの人たちであれ、たとえば彼のスピノザ論を
>評価している人ってほとんどいませんよ。笑 指導教官ですらそうだ。
>浅田彰がバカにする、そのまんまの反応ですよ。専門違う人でも分かりますよね、これ。
これ2ちゃんの煽りレベルにも達してない酷い書き込みだと思うんだがw
もっと洗練した嫌味を書けないものか?これでも本当に哲学研究者か?頭悪すぎ。
338考える名無しさん2017/08/19(土) 17:43:54.530
國分功一郎さんのスレ立てりゃいーじゃんか?

224 :
>>222-223
勝手に人の書き込み引用して、しかも他人の書き込みと一緒に並べて変な印象操作するな

225 :
     _,,;::-―ー-:;:,,、
    /''''''   '''''':::::::\  
    |::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::|       
    |  .:"ー=〓=-'`:::: |         
    \   `ニニ´ .::::::/   
 ,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、.
 :   |  '; \_____ ノ.| ヽ i
     |  \/゙(__)\,|  i |
     >   ヽ. ハ  |   |
  
俺の経歴を簡単に紹介しておこう。
東京大学大学院数理科学研究科博士課程を数年前に修了し、
今は某大学で准教授をしている。哲学板にはよく行くよ。
たぶん哲学板住人がよく言うキラリと光る発言とは俺の発言がいくつか含まれているだろうな。
実際、俺は哲学初心者にマジレスをしているし、
哲学初心者からすれば「キラリと光る発言」と見られてもなんら不思議ではない。
言うなれば私は、私の天才的知能により誰もが持っている「内なる世界」
とでも呼ぶべき世界を、常人より遥かに優れた形で構築してしまっている。
その世界は既に外界のそれに迫り、一部では遥かに凌駕してしまっている。

226 :
論理学は、諸科学とは、論階が違うのだ。 一階だけ上なのだ。

227 :
>>226
だが、その論理学つまり論理の中核である推論の正しさや推論の限界を曖昧さを排して厳密に議論しようとすると
数学から様々な道具立てを借りて行わねばならない、日本語でも英語でもラテン語でも自然言語で議論していたのでは
厳密さや曖昧さの排除に限界があるからね

そしてこの論理学が数学の軍門に下りその代わりに曖昧さを可能な限り完全に排除した結果として生まれたのが数理論理学

228 :
>>227

集合”の初歩的な概念を数学と「共有」しなければならないだけで、あとは自前でまかなえる。

229 :
『論理は実在する』
かつてそんな主張をしたことがあった
賛同者はいなかったが

230 :
機械が計算をするのだから
計算は人間に由来するのではない

機械は計算することに何の感情も伴わないが
人間は自分が計算できることに驚いてしまう
それだけだ

231 :
0.99999・・・・・・=1
近似ではなく、寸分違わず同じだと、実数論はそう主張する
その最終的な根拠は、「排中律は正しい」と信じるから
排中律が正しいかぎり、0.9999・・・・と1との間に一つの数もない

一方で、自然数全体の個数は、有限区間に含まれる実数の個数に満たない
集合論はそのように主張する
その根拠は対角線論法による

しかし対角線論法が「正しい」と信じるならば、0.99999・・・≠1としても良いように思う

***************************

人工知能が将来、数学者となるのであれば、彼は我々を納得させなければならない

232 :
同じ数値であって、表現の違いなのである。
「表現論」もおろそかにはできない。
量子力学は「表現論」の問題であるとすらいえる。
理系からすると、円周率が無限に続くのだから未確定だとかいわれると、なんのこっちゃと思ってしまう。
哲学であれば「本質」と「表現」の混同なのかなとも思う。
哲学そのものが「表現論」なのだともいえる。だからこそ「量子力学」と同じものになる。
対象とするものは異なるが。

233 :
数えることはπと表裏の関係にあるので、厳密に数値を特定した場合でも、
それは測定に用いられるπを特定したことになり、そのπ上の点を特定
したことにはならず、数えることや測定することにおいて、数学に
おいて「理想化される」π上の点を特定することは原理的に不可能なのだ。
逆に言えば、数学において数を大きさのない点とする考え方が、数の
誤った理想化なのである。

234 :
数とは「関係」の一種であって、
大きさの無い点という無定義用語そのものは数ではない。
πを基数とすれば、1とはπ/πである。
π^0でもよい。

235 :
ところが、数は数直線上の大きさのない点であるかのように繰り返し説明されてきた。

236 :
さらに、π/π=1が表すのは等さであり、数えるとはどういうことか
という問いは、等しいとはどういうことかという哲学的な問いに帰着するのである。

237 :
数が関係の一種であるか、それとも点であるかは
どちらでも良いことなのだ
状況に応じて分かりやすい方を選べばよい

そもそも「関係」も無定義用語だ

238 :
定義も無定義用語だったりしてな

239 :
定義も無定義用語
そうだろう

定義などというものは
Aを定義したときに、その”定義”はAに的中する必要はなく
そのAの定義とされる記号列によってAが「Bとは違う」ことが分かればそれで良いのだ

240 :
1つ(奇数)と1つ(奇数)が、すなわち、、2つ(偶数)が1つ(奇数)
であることが同一性であり、円の本質である。

241 :
無定義用語の山からなにがでてくるか。それが哲学かも。
とすると山も無定義用語であり、無定義用語も無定義用語だ。
は! 哲学も無定義用語だ!
これをなんとかするのが哲学(無定義用語)なのか。

242 :
だから、e^(θi)もリングが1つしかないカウンタだと思えば
分りやすい。e^(2πi)=1で2つが1つと数えられる2進法の
10として偶数を表しているとするなら、e^(πi)=−1は、
10−1=1として奇数を表していると考えることができる。
無論、この関係は相対的であり、その半周期を周期とする
円運動を考えるなら、今度は、e^(πi)=−1の位置が10、
すなわち、偶数と見なされて、e^((1/2)πi)=iの位置が‐1
となって奇数の10−1=1を表していると見なされることになる。

243 :
哲学者≒山師

244 :
Entwurf、ハイリスク、永劫リターンの投企です

245 :
山師ってのはあれだな。ないものをあるかのように装い、世界を回す。

246 :
円が偶数と奇数の同一性を表していることは、逆平方数の和 Σ[n=1,∞] 1/n^2 が
(π^2)/(2*((2^2)-1))に収束することにも表れているのでしょう。

247 :
天下の回り物である言葉をヘリコプター・マネーのようにばらまいて
人々の言語活動を活発化させようとする役割を担っているのかもしれません。

248 :
不在への態度

たとえば、ぎっしりと未知の文字が書いてある石盤が見つかったとして
それが何を表現しているのか、現代の誰一人分からないとするなら
この文字列は何かを表現していると言えるだろうか

論理の実在を信じるなら
その意味を理解していた古代人がいたかもしれないこと
そのことを理解することは可能である

なぜなら、未知の記号の羅列そのものをいくら調べても、
それに意味があるのかないのかすら分からないが故に
記号の羅列は常に、それに意味があるかもしれない可能性を残してしまう
ゆえに現代の我々が知らない記号を使っていた古代人が存在したことは
まず間違いないこととして承認されることになる

過去に存在したこととして想起される何ものか、何ごとかが、いまここに存在しないことは
その何ものかを虚無として葬り去るための根拠としてははまるで足らないのである
ゆえに「いまここ」に根拠を求める独今論の類は、蛙の独り言にしかならない
「いまここ」は"一般化されない現象”ではあるが、世界の全てではないからである

論理を支える普遍、すなわち常在不変は時空を超えて存在しているようだが
残念ながらそれがどのようであるかについては分かりようがない
よって我々としては、論理学やら言語学やら数学やら物理学やら工学やら
哲学やら、によってそれに近づけるような錯覚を楽しむより外にやれることはない

249 :
ニコ生の数学の祭典見てるが
ぱねえな数学

数学できる奴には勝てんよ

250 :
”数学ができる”というのは、積分計算ができるとか
ベクトルとか行列とかを知ってるとかいうことも、もちろんあるのでしょうけど
本質は『論理によって局面(=問題)を鮮やかに開示する力』があるかってことです

哲学ごっこをやっているうちは思想の好き嫌いとか、興味があるとかないかとか
ごちゃごちゃ言い訳もできるが
数学は問題を解けなければ何を言おうが負けですからね

251 :
例えばこんな問題があります。千葉大学の入試問題だそうです

『5以上の素数は、ある自然数nを用いて6n+1または6n-1の形で表されることを示せ。』

252 :
まあ、その問題が出題されたままの文章かどうかわからないけど、
数学でもあるが、日本語の問題だよね。

「ある自然数n」とは特に明記されていない限りはひとつである。
しかし、文意から考えると複数あるはずだ。
そこに違和感がある。このような未熟な文章を出題するような大学なら行かないほうがよいw

253 :
また頭の悪そうな奴が来たわ

254 :
一応、答えを教えましょう

5以上の全ての自然数は、6n、6n±1、6n±2、6n±3であるが
6n、6n±2、6n±3は素数ではありえない
よって5以上の素数は、6n+1または6n-1

ああ、なるほど
言われてみればと

255 :
『文意から考えると複数ある』

ドラマのドラゴン桜で数学の先生が
『数学の問題は作成者との対話だ』みたいなことを言っていたように思う

問われている内容に於ける局面がどのようなものであるかについて
それを忖度する力は必要だし、それは期待されている

世の中には問題の本質よりも表現の細かいところが気になって
仕方のない奴がいる
私の知る限り、それは哲学科出身者だったが

かつて聞いたことだが
議論に於ける論理の原則というのがあって、それは
相手の言おうとしている中身を汲み取るように努めましょうと
でなけりゃ話が進まない
そういうことらしいわ

256 :
http://www.sampoh.co.jp/sp/

257 :
『5以上の素数は、ある自然数nを用いて6n+1または6n-1の形で表されることを示せ。』 とは

5以上の任意の素数が満たす性質を問題にしているのが明らかなので
まともなオツムの人が読む限り、

『5以上の各素数は、
「ある自然数nを用いて6n+1または6n-1の形で表される」
という性質を持つことを示せ。』

としか読めない。
つまり自然数nは各素数に応じて選べると考えてよい。

ゆえに、>>252のオツムがまともでないことは明白である。

258 :
まあそう苛めるなや
おそらく運知思想で脂汗たらしながら書いたんだろ

259 :
うーむ。日本語の問題ですよ。
文系がつまずくであろうこなれていない問題文。
まあ、数学がわかっていれば自然に、省略されているあいまいな部分をおぎなって読解できるのでしょうが。
理系のおれですら違和感がある問題文ばかり。

260 :
学校教育において習った範囲という文脈においては意味をひとつにしぼることができるのでしょうが、
受験生という立場でなく、一般的で答えが決まっていない「現場」でいろいろ考えるとひとつの意味にとらえることができない。

出題者が意図的に省略しているならともかく、無意識にあのような問題文をつくっていたとしたらちょっと考えさせられるものがある。

261 :
受験の記憶も 成績の記憶もないほうがいい ちょっとあるだけで。
紙面は固定化するからね。

262 :
それらすら、愛したことを思い出すよ。 ディスる 一喜一憂するじゃたらないけど。

263 :
>>250
> ”数学ができる”というのは、積分計算ができるとか
> ベクトルとか行列とかを知ってるとかいうことも、もちろんあるのでしょうけど
> 本質は『論理によって局面(=問題)を鮮やかに開示する力』があるかってことです
>
> 哲学ごっこをやっているうちは思想の好き嫌いとか、興味があるとかないかとか
> ごちゃごちゃ言い訳もできるが
> 数学は問題を解けなければ何を言おうが負けですからね

マジレスすると、如何に論理的であろうとも、
数学の話題を哲学板でやる時点で空気も読めてないし、
ルールも破ってるし、マナーも守れてない、それを踏まえて論理的だなんだと言える数学マンセーの感覚がおかしい。

264 :
理系は慈恵の自然医学、の方もいいのに。計算より実務能力。

265 :
数学マンセーってこともないのだが
君らがやれることなんて連想ゲームぐらいのもんだろ

ちょっと私を相手に"哲学”やってみそ
デカルトでもカントでも参考にしてさ

どーせできないわけだろ

266 :
言葉というものは同時に複数の意味を持つ。「重ね合わせ」である。
文というものは、この重ね合わされたもののテンソル積となる。
しかし、それぞれの言葉(単語など)は独立したものではなく、「もつれ」があり、
それゆえに整合性のある「(意味)世界」だけが残る。

まさしく量子力学であり、言葉というものは量子計算によって計算可能だ。
量子コンピュータによって人工知能は言葉を現実的な時間で計算可能になる。
そのように考えて、量子計算を実装・実験している。

論理・集合・写像における「もつれ」こそが哲学すべき対象ではないかと思う。
「もつれ(エンタングルメント)」とは人為的に構成するならば「制御」であって、人間の意思によって組み立てられる。
非人為的な「もつれ」。これが世界を構成している。
われわれも「もつれ」によって構成されているわけだ。

267 :
試験勉強もきつくなってきた
歳だな

268 :
フッサールの論理学研究
さっぱり分からん

ある種の人間にとって量子力学が>>266を意味するように
私にとってのフッサールがそのようになってしまうかもしれない

泣けてくるわ

269 :
フッサールねぇ。「ありのまま」ですよ。

270 :
意識は常に、○○についての意識として現れる
つまりこれは意識ではない何かが有形無形に存在することを前提としている
なぜなら○○は意識ではないから

概念とは、概念ではない何かを表現するもの
なぜなら、概念とは常に、○○についての概念として理解されるものだから

たとえば、「リンゴ」は概念であるが故に、リンゴについての概念ではない何かを
表現している

そういうことらしいわ

271 :
数学とまた一戦やるかぐらいの気概でいいんじゃない。

272 :
論理にORがある。この出口にNOTを付けたものをNORという。
プラグマティズムに、NORだけで全ての二値論理ができると証明した、
パースの公準がある。
このあたりの哲学がパソコンの由来の様である。
NORは双方の入力が0のとき、1を出力する。
貴方と私の知らない世界を選ぶという感じである。

NORの片方の入力に0を入れる。すると他方の入力を反転透過して出力する。
NORの片方の入力に1を入れる。すると他方の入力を止めて、常に0を出す。
つまりNORが情報を通すか通さないかのスイッチに使える。

NORの双方の入力にNORをつける。
NORの片方の入力のNORの片方に入力にxを入れる。
その片方にaを入れる。
NORのもう片方の入力のNORの入力にnot xを入れる。
その片方にbを入れる。
xが0のとき、まずaが反転透過される。not xは1なのでb信号は止められ、
0を出す。
上のNORの入力にはnot aと0が入力され、aを出力する。
つまりaが透過された。xが1のときは逆にbが選ばれる。
ここで、三つのNORでセレクターができた。

aをベン図xの外の値、bを内の値とすると、集合xができた。

後はこれを多段にすると、多入力のランダムアクセスの
プログラム・カウンターを持つ、大きなメモリー空間となり
、カウンターを順に動かすと、初期的なパソコンになる。

そして存在論のクワインの方法で最小化され、やがてパソコンになる。

273 :
数学とまた一戦か
何回も負けてきたのに
俺もしつこいな
自分でもどうなりたいのか分からん

だいたい、数学に勝った数学者っていないわけよ
みんな敗北した

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている
誰だっけ
おお、ニーチェか
読んだことはないが、わりと良いこと言うな

274 :
「ありのまま」なんてことが果たしてあるだろうかね

私が現象学を信用できない理由は
そもそも内観の分析によってでも、エポケーによってでも良いが
宙吊りにされた帰るべき「事象そのもの」など、どうやったって
触れることができるとは思えないからだ

275 :
>>272 論理がスイッチに使える。スイッチが選択に使える。選択から集合ができる。
つまり論理から集合ができた。
三つの集合から、三段論法の論理も定義できる。
多段にするとスイッチの信号列が、自然数をなす。スイッチの信号列は、集合列である。
つまり集合列は自然数である。
自然数を順に進めると、順にデーターがとれる。
つまり集合列内データー値は、記憶空間である。
これはランダム・アクセス・メモリーになっている。
自然数を小さくすると左の値に戻り、大きくすると右に飛ぶ。
これは、繰り返し文と、分岐文になっている。
つまり記憶空間は原始的なパソコンになる。
論理と集合と自然数と記憶とパソコンの概念が一致している。
プラグマティズムの創始、チャールズ・サンダース・パースの大発見である。
NOR回路は、CMOS−NOR-GATEで直ぐにできる。単なる直並列回路である。
ベル研でショックレー等が、原爆のフェルミ順位の概念から、回路の半導体化に成功する。
存在論のクワインがAND.OR.NOT系回路の最小化を自動化する手順を作成する。
ジャック・キルビーがフリップ・フロップ回路を実現する。
その後のパソコン・チップの最小化競争は急激である。
核融合炉に点火するエキシマー・レーザーの小型で、
毎秒百個のパソコン・チップが焼き付け製作され、非常に安価になり、普及する。
その後のパソコン時代は急激である。

276 :
P=T/Fではなく、行ベクトルによってP=[0,1]/[1,0]のように表してみる。
変数を使い、A AND Bを計算する。
A=[a,b],B=[c,d]とする。
CCNOTゲートでAND計算を行う。C=[e,f]とする。
A,B,Cの3つをCCNOTゲートに通すとA',B',C'になる。
A=A',B=B'である。
C=[1,0]のときA AND B = C' になる。

C'=[e*(a+(b*c))+b*d*f,f*(a+(b*c))+b*d*e]
C=[e,f]=[1,0]だから、e=1,f=0を代入すると、
A AND B = C'=[a+(b*c),b*d] になる。

277 :
ここまでは数学ではなく哲学の論理学の範囲でも扱えるw

C'=[a+(b*c),b*d]
これがANDの計算である。
複素数を扱うのでなければ、ここにでてくる+はORであり、*はANDである。
これは、哲学的にはどういうことなのか、論理学的にはどういうことなのか。
ANDの内部構造と考えるなら、a,b,c,dもまた内部構造を持ち、さらにその内部構造も内部構造を持つw

278 :
ここにあらわれてはいないが、a+b=1となる。これはNOTの存在を意味する。
NOT,AND,OR。この3つの論理演算はからみあっており実体はひとつだろう。
NORまたはNAND。量子ゲートでいえばCCNOT。

一番重要なのはなにかといえば、NOTであり、
a+b=1 または量子計算での |a|^2+|b|^2=1であろう。
われわれは1による論理世界に棲んでおり、それゆえにエネルギー保存則も成り立つ。
哲学もすべては「そこ」から始まるのではないのだろうか。

279 :
U。ユニバースすなわち宇宙は避けて通れない。
論理学も集合論もユニバースから捉えなおす必要があるのかもしれない。

ユニバースとは何か。モナドと逆方向にある存在。いや軽々しく存在と語ってはいけいなのだろう。

280 :
論理学や集合論には既にいろいろな宇宙がある。
グロタンディーク宇宙などは避けて通れないもののひとつだろう。

しかし、おれだけかもしれないが、哲学的にはしっくりこない。
哲学には宇宙と呼ばれるような議論領域はないのだろう。
あったとしてもいつでも飛び越えてしまう。
そうなってしまうと哲学は自由すぎる。
なにかあるはずだ。そうでないとなんでもありになってしまう。

健全性、倫理、美学、哲学においてはそのへんが宇宙になるのであろうか。
数学で語られる宇宙のさらに外側?にある哲学宇宙。

281 :
無限集合の話は面白いね

1、無限には可算無限と非可算無限の2種類がある

2、非可算無限は可算無限よりも大きい

これを発見したカントール自身、信じられないと言ってる

282 :
発見というよりも発明みたいなもんだからな
数学の無限という概念自体

283 :
命題変数PはT/Fの値を取る。
命題変数PのUniverse Upを考えると、
P OR ¬P = Up になる。
P AND ¬P = ∅ であり、
NOT P = ¬P, NOT ¬P = P となり、
これらがUpという宇宙を作っている。
同様にUqという宇宙があるとして、
2つの宇宙を結合するのに*と+があるとするなら、
Up+Uq=U(p+q)
Up*Uq=U(p*q)=PQ+(¬P)Q+P(¬Q)+(¬P)(¬Q)
のような形になるのかもしれない。

284 :
U(p*q)のほうは4つの世界(多世界!)があって、観測時にどれかひとつの世界だけが残るw
P=x,Q=Fとすれば、
U(p+q)=P=x
U(p*q)=P(¬Q)=P=x
P=x,Q=Tでも同じくPになる。
なかなかおもしろい。

285 :
Up+Uq=U(p+q)=P+¬P+Q+¬Q
Up*Uq=U(p*q)=PQ+(¬P)Q+P(¬Q)+(¬P)(¬Q)=P(Q+¬Q)+¬P(Q+¬Q)
和や積の考え方にもよるが、等価であるとみなしたい。
このへんまでは数理論理学というより哲学の論理学の範疇ではないのか?
Universeの探求が必要だ。多世界と射影の問題なのかもしれない。

286 :
¬PはUp内での存在であり(Up=P+¬P)、ライプニッツのモナドの予定調和とはUpとの関係なのかもしれない。
モナドはユニバースと合わせてこそ意味があるのではないだろうか?
モナドの議論に欠けているのはユニバースではないのか。
モナド・ユニバースによる意味論は意味論スレ行きだな。

287 :
パースの発見から、NORだけで全ての二値論理が構成できる。

A NOR X で、x=0のとき値がAの否定になっており、
x=1のときAが遮断されて、値が0になる。

つまり否定が全ての基本ではなく、全ての二値論理を作るには、
否定と遮断が必要なのである。

288 :
遮断というか、
A NOR X は X=0のときNOT Aであり、X=1のときはNOT Xである。
A=0のときNOT Xであり、A=1のときはNOT Aである。
A NOR X = NOT A AND NOT X = NOT(A OR X)
つまり、NOTと(ANDかOR)である。
Xの値によって0にするということであればGND(=0)の導入が必要になってしまう。
GNDとかPOWERのような絶対的値は持ってこないほうがよいと思う。

289 :
プロログくらいはできるんだろうな?

290 :
prolog? 昔自作して遊んだなぁ。

291 :
そうではない。否定と遮断で、全ての二値論理ができる。
NORを非対称に見ると、スイッチに使える。
NOR三つを三角に組むと、選択に使える。これはXの集合と同値と見なせる。
このセレクタを三つ三角に組むと、XとYのベン図と見なせる。
末端のデーターを変えるだけで、全ての二値論理が構成できる。
この構成で多段にして行くと、XYZ・・・は自然数であり、データ記憶の番地になる。
つまりランダム・アクセス・メモリーが構成できる。
この自然数を小さくすると繰り返し文、大きく飛ばすと分岐文になり、
原初的パソコンになる。
論理、集合、自然数、プログラム・カウンター、記憶、パソコン等の概念が一致する。
これがパースの公準による大発見なのである。

292 :
シャピロの「プロログの技芸」にある論理回路のプロログによる構成や、
二階論理は一読に値する。
プロログ・カバやアリティ・プロログ、エキスパート・プロログ2なども昔にあった。
スニップによる副作用があるから、プロログは実用的であり、単に論理的なだけではない。
プロログのアサートやリトラクトは知識単位であり大きく、自動学習には向かない。
AIのノードやアークのアサートやリトラクトやウェイト学習は、
プロログよりも細やかであり、実用的である。
そこから知識木を抽出して、人間に解かる様にするには工夫が必要である。

293 :
遮断を論理に導入するとGNDという絶対値が必要になってしまう。
TRUE/FALSEにも絶対的な意味を持たせてはならない。
遮断どころか真偽すらも論理から排除すべきだと考えている。

ユニバーサル論理、ユニバーサル集合論。そいうものを考えて楽しんでいるわけw

294 :
サルじゃないな。
ユニバース論理、ユニバース集合論に訂正。

295 :
NORを見なさいな。CMOS-NOR-GATEを見なさいな。
単なる半導体の直並列回路で実現されてますよ。
単なる電圧V1とV2があればNORができます。
NORは非対称に見ると、否定と遮断になっています。
これがパースの公準が明らかにした、全ての二値論理を構成できる、純粋な論理です。
この論理で選択や集合や自然数や記憶空間やパソコンが同一概念として構成できます。

296 :
論理回路であれば問題ない。最初から意味論を持っている。
哲学としての論理において真偽値を持った論理は健全なのか。
というと健全すぎるw
外部的な意味と接続される前の、外部的な意味と接続されない論理。
そこを哲学したい。

297 :
ただ、GNDを外部的な意味にとらえないのであれば、
それは「同じ(電圧)」ということであろう。
+/-的なものも排して、同じか違うかということだけで論理を眺めてみるのも面白い。

298 :
NORによるRAMの論理回路には意味は無い。
意味は全て、プログラム・データーに内在する。

このRAMの上にC言語の関数ポインターを用いると、網状のノードとアークが、
全てmainの前のリソース部に、二重配列で定義できる。
このときプログラムは、ノードとイベントのif文を持つfor文一行だけになる。
意味のあるノードのつながり方はリソース・データーに内在する。

さらにこのイベントにウェイトを付けてアークに渡す様にする。
ウェイトの学習は最小二乗法に時間微分を付けた、バックプロパゲーションでおこなう。
するとAIができる。さらなる意味はウェイトに内在する。
そしてあくまでAIは真似であるから、意味は学習データーに起因する。

学習情報を公開されたインターネットに広げる。
AI同士はゲームの理論のアルファ・ベータ枝刈りなどで競わせる。
すると飛躍的に良いAIにディープラーニングされる。
しかしそれでもAIはインターネット上の情報の真似であるから、
意味はインターネットの中にある。
そしてAIを構成しようとする仕掛けは、純粋な論理であり、意味を内在しない。

299 :
論理は意味を内在しないですか。そうですよねぇ。
T/Fも意味を持ってしまいがちなので論理から排除したほうがよいでしょうね。
というか、もともとの命題論理そのものが純粋な論理ではなく意味論だったのだと思います。

純粋論理は意味を持たないのだ、とすれば、純粋論理は「なるようになる」ものであり、変化は可逆であり、ユニタリ性をもつことが求められると考えます。
ユニタリ性とは、まあ、単一性であり、確率が全体で1になるだとか、保存則のようなものだとかですけど、哲学的に語られている文献にたどりつけませんでした。

300 :
論理には意味がない。データーに意味がある。

301 :
物理板にすげえのいたわ
それが俺の勘違いでなければ

2chで感心したのは8年ぶりぐらいだな

302 :
2chです

具体的に物理板のどこですか

303 :
>>147
確率は3分の2に上がるのは勝負の回数が多数の時だけ
高額賞品が当たるクイズなら通常勝負は1階のみ
ゆえに確率は3分の1のまま変わらない

304 :
>>303
それってもう前提条件・問題内容自体が変わってるやん
君は馬鹿なの?

305 :
これも間違い
http://fxconsulting.jp/gyanburu/husigi/hennsuu.html

2と3のドアの当たる確率が3分の2になるのはドアを二つ同時に
開けられる時のみ
しかしそれはルール違反でできない
2と3のドアの当たる確率はそれぞれ3分の1づつ存在し続けていて
変化は起きない

306 :
『挑戦者は2つのドアを同時に開けることはできない』

確率でものを考える人はこんな単純な事実に気が付かないから
3分の2なんて変な数字が出てくる

307 :
長年のモンティホール問題に決着がつきました!
やはり直観に頼って残りのドアが2つなら当たる確率は
50%で正しかったのです!

308 :
>>303
シミュレーションによっても勝負が1回切りなら
変更しないほうが当たる確率が高いと見事に示されています

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Monty_problem_monte_carlo.svg

309 :
モンティホール問題を解説したどのサイト見ても
1つのドア選択後の残りの2つのドアが当たる確率を3分の2だと
信じて疑わない
しかし、この『確率3分の2』という部分が事実を表していない
まやかしだったのです!

310 :
このように、確率なんかに頼らなくても、緻密な観察能力さえあれば
正解を導くことが可能となります

311 :
>>307
当たる確率は50%という自分の考えを否定してしまった人達は
復活のチャンスです

312 :
たしかに、脳内でシミュレーションすると、
残りの2つのドアが当たる確率は3分の2あるように見えます
しかし、現実問題として挑戦者が持つドアを開ける権限は
強力なまでに3分の1で固定されています
ゆえに、確率3分の1どうしの合算である『確率3分の2』という
数値は存在しないのです

313 :
お前ら圏論には興味ないの?

314 :
高階圏の時代にそれはない

315 :
モンティホール問題の本質はドアの背後に何があるかは
関係ないという事です

当たりの確率はドアの数が何億個だろうが

分母は常に選択できるドアの数
分子は常に1です

316 :
>>315
そんなに必死になって君自身の頭の悪さをアピールしなくても良いんだよ

317 :
1  |2  3

318 :
プレイヤーが1のドアを選択する

モンティがハズレのドアを開ける

プレイヤーが突然記憶喪失になる

目の前に選択可能な2つのドアがある

その中の内一つを選ぶと確率は50%

319 :
サヴァントは、より簡易にした表を掲載
「ドアを変えれば勝てるのは3回の内2回、負けるのは3回の内1回だけ、
しかしドアを変えなければ勝てるのは3回の内1回だけ」と述べる


ゲームが1回きりならどうでしょう?

320 :
最初プレーヤーがあたりを引く確率は1/3である

ドアを変更しない場合はそのまま1/3の確率である
(変更しないのであればモンティがドアを開こうが開くまいが確率は変わらない)

モンティがドアを開けた後にドアを変更する場合、
最初に選択したドアがハズレであれば変更後のドアはあたりが確定である
つまり、最初に選択したドアがはずれである確率=ドアを変更した場合に
あたりを引く確率である

最初の選択であたりを引く確率は1/3、はずれを引く確率は2/3である

ゆえに、ドアを変更した場合のあたりを引く確率は2/3と考えられる

321 :
ドッピオが1のドアを選択する

モンティがハズレのドアを開ける

2つの選択可能なドアがある

ディアボロが現れてその中の内一つを選ぶ

確率は50%

322 :
すごいなぁ。確率に対する無理解がこれほどまでとはw
直観的に、変更した方が確率があがる、ってことがわからないのはなぜかってことはおもしろい。
対象となる時空間の全体が読めない、ってことは不幸だ。
モンティが何をしたのかってことを哲学的に考察できないのは哲学者として不幸だ。
哲学者こそモンティにならなくてはならないというのに。

323 :
モンティホール問題の本質はドアの背後に何があるかは
関係ないという事です

当たりの確率はドアの数が何億個だろうが

分母は常に選択できるドアの数
分子は常に1です

324 :
モンティホール問題の本質は、モンティがしたことは「何なのか」ということだと思いますよ。
彼は、よりによって後ろに何もないドアを開けてしまったのですよ。
その行為によって「セカイ」が変わってしまった。そういうことなのです。
3つの可能性を2つに減らしてくれた。
しかし、選ぶ側の人間は2つの可能性のセカイで選んだのではなく、3つの可能性のセカイのときにドアを選んだ。
ドアを変更しない場合、過去のセカイに留まるが、ドアを変更した場合、新しいセカイでの「行為」である。
そして、第三者というわれわれの立場もある。
確率とは立ち位置によっても解釈が異なるものだ、ということでもよい。
いろいろな確率が考えられるわけで、それはそのセカイとのかかわり方による。

325 :
この問題を巡る人々の反応は、
『どちらを選んでも変わらない』とする意見が多かった

ドアが2つになった時点でプレーヤーが改めてコイントスによって
決めなおしたと仮定すると、景品を得る確率は1/2となる
ところが、2枚のドアの価値はルールで確率の高い(価値のある)
選択をすることが可能となっている

つまり、『どちらを選んでも変わらない』は誤りである

326 :
970 :コ−ヒ− ◆VMSHVHTgws :2017/11/30(木) 14:10:06.64 0
今の借金いくらなん?

971 :底辺 ◆49ci.4gb8c :2017/11/30(木) 14:15:21.43 0
450万くらいだね。
親には、ほぼ頼ってない。

974 :コ−ヒ− ◆VMSHVHTgws :2017/11/30(木) 14:20:57.29 0
450万の借金て相当だよ
どうやって返すつもりなん?
もしかして奨学金なのか

975 :底辺 ◆49ci.4gb8c :2017/11/30(木) 14:23:23.73 0
>>974
消費者金融

http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1509417474/960- 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27)


327 :
「偶数が表に書かれたカードの裏は赤色である」という
仮説を検証するにはどのカードをひっくり返すべきか?
https://ds055uzetaobb.cloudfront.net/image_optimizer/315d3d3cdc153302a1892adb9216e9f0570abbeb.png

赤色のカードをひっくり返したくなるのが『確証バイアス』といいます

328 :
■モンティホール問題(レモンとリンゴ)

レモン99個とリンゴ1個をひとつづつ
外からは中が見えない100個の箱に入れます

その中から1個の箱を選びます

レモンが入った98個の箱を取り除きます

最後に残った2個の箱の中から1個の箱を選びます

リンゴが当たる確率は50%です

329 :
そうではない

100個の箱から1つの箱を選ぶとき
リンゴを引く確率は1/100
リンゴを引かない確率は99/100

そこまでは良いだろ?

“もしリンゴを引かなかったとき”には(その条件下で)
残りの99個から98個のレモンを除いた1個がリンゴである確率は100%

そこで箱を交換するならば
「最初にリンゴを引かない確率」が、そのまま「最後にリンゴを引く確率」となる

ただしその確率とは、
『からくりを知るものにとっては』(ここ大事)
ということです

・・・てか、吊りだよな

330 :
■モンティホール問題(ドアオープン)

ヤギ2匹と新車1台が3つのドアに
それぞれ1つづつ入っています
ドアは最初から開いています

あなたはヤギの入っているドアを選びます

モンティがヤギの入っているドアを選びます

あなたはモンティのドアは選べません

あなたが選択を変更すると

新車を当てる確率は100%です

331 :
ハコにリンゴが入ってるか?皮の中だ。レモンも
それを引けるか?人間が先鋭で。

人がドアを触れることもないし、ドアは空いているドアから風が入るだろうな。
幻魔の世界知ってる?ブリザトンね。

レモン酒飲んだ?リンゴ酢と?探してみてね。の来ないと思う1%の酢酸や
アルコールも。

332 :
残ってないと思うよ。二つの果実は。近くにはないし。

333 :
誰が言った言葉だったか

『我々はみな運命に選ばれた兵士』だという

334 :
私が地球壊滅作戦の最高司令官と承知していただこうか(´・ω・`)

私は、長い歴史を持った知的種族の滅亡する直前の悲壮美が好きだ

生存の意思が強ければ強いほど悲しいまでの美しさが生じる

地球人類は今、終末を迎えた

死に物狂いで抵抗し、有終の美を際立たせてくれたまえ

335 :
>.329
プレーヤーはレモンとリンゴどちらでも
任意に選ぶ事ができるので
リンゴが当たる確率は50%です

336 :
>>335
リンゴでもレモンでも
どちらでも良いというのなら、そうだ
なぜなら情報を利用しないのは、メクラで選ぶのと同じだから

ただしリンゴをゲットしたいと望むのであれば、使える情報を利用しないのは
普通は愚か者と思われるだろう

正直者のバカを貫く自由もありますけどね

337 :
レモンが99個ではなく2個の時の場合でも、
同じことが言えますか?

338 :
同じですよ

339 :
モンティーホール問題は、頭の体操としての面白さもあるが
もっと気持ちの悪い話にもつながるように思う

それはつまり、『情報は信用できるのか』ということでしょう

ある情報が選択のために信用できる情報であることは
情報内容そのものからは保証されない

世界は奇妙にできているのだなー

340 :
優秀の美かもね。地球は美しい。アルコール目線でね。

341 :
人間知 と人知は違います。

342 :
■モンティホール問題(99万円とリンゴ)

このゲームができるのは1回だけです

1万円札99枚とリンゴ1個をひとつづつ
外からは中が見えない100個の箱に入れます

その中から1個の箱を選びます

1万円札が入った98個の箱を取り除きます

最後に残った2個の箱の中から1個の箱を選びます

1万円札はハズレですからもらえません

リンゴが当たる確率は50%です

343 :
リンゴを選ぶと「当たり」だとして
かつリンゴを選択したいと私が望むなら
99%の確率でリンゴを選ぶことができます

ただしこれは、『ルールが適正に行使されるに限り』
実はこちらの問題の方が根が深い

344 :
■モンティホール問題(99万円とリンゴ)

このゲームができるのは1回だけです

1万円札99枚とリンゴ1個をひとつづつ
外からは中が見えない100個の箱に入れます

その中から1個の箱を選びます

1万円札が入った98個の箱を取り除きます

最後に残った2個の箱の中から1個の箱を選びます

1万円札はハズレですがもらえます

リンゴが当たる確率は0%です

345 :
1万円を得たいと望む場合の妥当な選択は『交換しない』だ
その場合1万円をゲットする確率は99%(ハズレでももらえるのだろ?)
一方で、奇特にもリンゴを得たいという場合、妥当な選択は『交換する』
この場合の確率も99%(リンゴを当てたら、やっぱりもらえるのだろ?)

もうあきらめろ

346 :
間違えた

リンゴが当たる確率は1%です

347 :
神にも分からないこと

神にとって確率などというものはない
なぜなら神は全てを知っている、から

だが、全てを知っている存在は、その存在が矛盾なのではないのか

たとえば神は、自分がどのように全てを知っているのかを知っているのだろうか
どのように知っているのかを知っているとして、どうしてそれを知っているのかを・・

たとえば神は、自分が知っていることが「全て」であることをどうして知るのか
自分が知らないことが存在しないことを、どうして知っているのか

たとえば神は、知らないことがどのような事態なのか、知ることができるだろうか
神は、確率を知っているのだろうか
(・・・・これはできるような気もするな)

それでも神は存在して良い
“神について”考えない限り、神を信じて良い・・・

348 :
人間の私達は神について語ることはできない♪

まさしく、そのことによって神に栄光を帰するのです。👰

349 :
人が「神」というとき
自らその意味を知っていると思っています♪
人は世界における最高の地位を「神」にあてがう。👰
それは神を原則的に人や時物と同一線上に
置くことになります。⭐
これが、人の対神 関係の不敬虔です。👰

350 :
アスタロスとイシュタルとイナンナを検索しろ。

王路(引き寄せの法則) おまえらの力が必要だ!
https://mao.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1511490955/

661本当にあった怖い名無し2017/12/09(土) 02:07:05.26ID:2hmL36G30
もう一度、整理しよう。

地縛霊がいる意味というものを。さぁ、君は思い出せるかな。
私の書き込みを見ていなかった人は、まだ知らないかもしれない。

地縛霊がいることで誰が得をすると思う?

まず、地上の教師の仕事が忙しくなる。そして警官も仕事が忙しくなる。
また、霊界の教師の仕事もなくならない。

以上です。

351 :
モンティは何をしたのか。
最初の状態で選んだドアの当たりの確率は1/3である。
モンティがはずれのドアをひとつ開けた。
それでも最初に選んだドアの確率は影響を受けずに1/3のままである。
つまり残ったドアの確率が2/3になる。
確率は足して1にならなけばならない。

352 :
金持ち父さんで金持ちになるプロセスはドラマティックではなく
非常に退屈なものだと書かれていたからその状態はいい状態

353 :
■主観確率を支持する理由

主観確率の支持者がそれを支持する理由として挙げる
論拠はいくつか存在する

まず、論理説については、何を無差別と見なすかによって答えが
一意に定まらなくなるという問題がある

次に、頻度主義を取った場合、一回限りの出来事について
確率を割り当てることができなくなってしまう
たとえば、「このサイコロで1の目が出る確率」は
「このサイコロを無限回ふったときに1の目が出る頻度」と言い換える
ことができるが、「次にこのサイコロをふったときに1の目が出る確率」は
そのような頻度の言葉に置き換えることができない

また、頻度について語るのが難しい対象、たとえば殺人事件の捜査で
「A氏が犯人である」という確率を考える場合、A氏は犯人であるか
ないかのいずれかであり、そこには頻度は存在しない
しかし、こういう場合に確率という言葉がしばしば使われるのも確かである

354 :
性格とは非本能的努力の比較的連続的体系

355 :
>>344
間違えた

リンゴが当たる確率は50%です

356 :
■モンティホール問題(空箱とダイヤ)

このゲームができるのは1回だけです

外からは中が見えない空箱100個の中のひとつに
ダイヤモンドを1個入れます

その中から1個の箱を選びます

98個の空箱を取り除きます

最後に残った2個の箱の中から1個の箱を選びます

ダイヤモンドが当たる確率は50%です

357 :
モンティホール問題と量子力学を同じものとして考えるとおもしろい。
重ね合わせなのだと思う。
100のドアがあって一つが当たりだとしよう。
モンティは、それを2つのドアに圧縮する。
あなたが最初に選んだのは1/100の確率のドアだが、
もうひとつのドアはモンティによって1/100の確率の99個のドアがひとつに重ねあわされたものだ。
99/100のドアと最初に選ばれた1/100のドア。
選びなおすことができるなら、あなたはどちらのドアを選ぶのか。

358 :
量子力学が少しみえたきたような気がする。
ψ=|99/100>+|1/100>
確率と、確率を持っているものを選ぶ確率。
古典ビットと量子ビットの違いは、確率と、確率の確率という違いなのではないだろうか?
それを混同してしまうから量子力学がわけのわからないものになっている。
そう考えるとおもしろい。いまのところおもしろいだけだが。

359 :
スタンドのスタンドがレクイエムrequiem

360 :
「て」が「た」になった。
問題は時間として人間が認識している「位相」をどのように組み入れるかということであろう。
哲学において「位相」とはどのような扱い・立場なのだろう。

361 :
ここはもともとそういう社会性で
 あるのでさほど重要な問題にはならないと思われる。

362 :
>>345
ゲームは1回なので『交換しない』と『交換する』の確率は
ともに50%です

363 :
聖書を読みなさい。

364 :
>>362
メクラならそうだな

何度も言わせるな

365 :
見えていても同じです

二者択一の結果は50%のみです

366 :
リンゴとレモンが見えていて
リンゴが欲しければ、100%リンゴを選ぶだろう

それができなくなったら病院へ行かねばならない

367 :
間違いなく50%です
リンゴが欲しいとか感情は関係なく

二者択一の結果は50%のみです

368 :
二つの選択肢の中から一つを選んで
確率が100%になることは決してありません

369 :
長年のモンティホール問題に決着がつきました!
ゲームを1回に限定した場合、
やはり直観に頼って残りのドアが2つなら当たる確率は
50%で正しかったのです!

当たる確率は50%という自分の考えを否定してしまった人達は
復活のチャンスです

このように、確率なんかに頼らなくても、緻密な観察能力さえあれば
正解を導くことが可能となります

370 :
>>369
つまり、「決着がついた」と「決着がついてない」の二者択一において
貴方は「決着がついた」を選んだわけだ

それは100%なのか、50%なのか

どっちなのかね

371 :
>>370
『決着したかしていないかどちらとも言えない』という可能性を
排除しているので、誤謬になります

372 :
>>370
ああそうか
そうすると、リンゴとレモンの場合も
「リンゴもレモンも選ばない」という可能性を排除してはだめなのだな

373 :
論点のすり替えはやめましょう

374 :
>>371

1)決着がついた
2)決着はついていない
3)決着したかしていないかどちらとも言えない

三択ってことだな

貴方は何%の確率で「決着がついた」を選んだのだ?

375 :
>>373
論点のすりかえかどうかは、いずれ分かるかもしれないし
分からないかもしれない

貴方は、「見えていようがいまいが、二者択一なら50%だ」という

しかし本当にそうなのか、ってことですよ

376 :
>>374
二択問題と三択問題は同じではありませんので
比較できないです

377 :
>>376
「どちらとも言えない」を「決着はついていない」に含めたらどうだ
そうすれば二択だ

378 :
>>375
間違いなく50%です
それ以外の可能性はありません

逆に聞くと二者択一が50%でないとは
どういう場合でしょう?

379 :
>>378
だから、それを確かめるために
「決着がついた」という『貴方の選択』について考えているわけだよ

380 :
二者択一の結果が50%でないと主張するのであれば
変人扱いされると思います

381 :
>>379
「決着がついた」と「決着がついてない」にともに質量を
持たせることができれば、二者択一ができますが
現実には不可能ですね

382 :
>>380
おおそうか

「二者択一の結果が50%でないと主張するのであれば変人扱いされる」
という選択を貴方はしたわけだ

「変人扱いされる」「変人扱いされない」
この二択で考えるとして、貴方が「変人扱いされる」を選ぶ可能性は
何%なのかね

383 :
逆に聞くと二者択一が50%でないとは
どういう場合でしょう?

384 :
>>381
おお、質量がないとダメなのか?

しかし選択者である貴方自身は質量があるわけだから
問題ないだろう

385 :
>>383
リンゴとレモンが見えていて
リンゴが欲しければ100%リンゴを選択する

これは前にも言ったな

386 :
ちなみに、1グラムの石と1トンの石を二者択一しても
どちらか一方を選択する確率は50%です

387 :
>>385
なりません
自分が欲しいか欲しくないかは関係がありません
二者択一の結果は50%のみです

388 :
ちなみにリンゴ2つから一つを選んでも50%です

389 :
>>387
貴方は
『二者択一の結果は50%のみです』と選択したわけだ

これまで私がやってきたように、貴方の選択を二択問題にすることができる

いまの貴方が『二者択一の結果は50%のみです』を選択する確率は
100%、だとは思いませんか

390 :
問題

『1回のじゃんけんで決着がつかない確率は何%でしょうか』

391 :
>>390
間違いなく50%です

392 :
>>39

>間違いなく50%です

100%そう選択するわけですね

393 :
等価性の成立しない質問になります

394 :
逆に聞くと二者択一が50%でないとは
どういう場合でしょう?

395 :
>>393
おお
つまり「二者択一」であっても、50%が成り立つときと成り立たないときがあると
そういうことかね?

396 :
>>394
貴方の言う所の「等価性が成立しない」

そうい場合ではないのかね

397 :
寝ますわ

お題

『AさんとBさん、それぞれサイコロを振って大きい目の出た方が勝ちとするとき
 1回で勝負が付かない(つまり同じ目が出る)確率は?』

398 :
ちなみに>>390の教科書的な答えは33%だと思います

399 :
聖書を読みなさい

400 :
やなこった

401 :
最初に3つのドアがあるのであれば、そのひとつを選んだ時点で確率は1/3である。
賞品が移動しないのであれば、そのドアを開けない限り、他のドアがどうなろとも、
そのドアに賞品がある確率は1/3のままか、0になるか1になるかの三通りしかない。
しかし、減ったドアの持っていた確率が残りのドアに均等に分配されるなら話は別だ。
そのような事態が起こりうるのかどうかと考えるのはおもしろい。

402 :
そもそも「変化」とは在るものが無いものになることであり、
無いものが在るものになることである

403 :
なぜ、ある ものがあって ない ではないのかね?
 

404 :
天よりパンが降ってきた
ある者はなぜ肉でないかと大いに嘆いた

天より肉が降ってきた
ある者はパンが良かったと大いに嘆いた

天より神様が降りてきた
全員が喜ぶ物がわかるまで、当分は水を降らせます

405 :
「〜がない」と表現したとき対象は経験から観念によって導き出した何かであって
パーツとしては無差別に存在しているはずだ
そして「何もない」という表現は主語が存在せず文法的に成立しない

406 :
二人の男が定刻までにどちらがより多くお金を集めてこれるか
というゲームをしました
一方の男は札束ばかりを集めました
もう一方の男は小銭ばかり大量に集めました
さて、定刻になりそれぞれ集めてきたお金を数えると
札束のほうはすぐに金額がわかりました
しかし、小銭のほうはあまりにも大量にあったため
その日のうちに数え終わることができず
正確な金額がわかりませんでした
これによりこの勝負は引き分けとなりました

407 :
哲学は人間の全体の総意を得るために理論を用いて、科学は現象を説明するために理論を用いるものかと。
科学的証明がされても総意が得られない場合、哲学の分野が必要になるのでは?宗教でもいいけど。
もっとも、現代では科学信仰が根強いからそういった場合は少ないが…

408 :
神の存在証明

神は「全ての性質を備えている」ものとして定義される
その定義によって神は存在の性質を備えている
ゆえに神は存在する

んー・・

409 :
>>408はスマリヤンのパクリ
デカルトによる証明のエッセンスだそーです

410 :
もはや、哲学は倫理を模索する手段としての機能しかもちえないだろう
文明社会では、個人が直接的に関与できる人口を遥か超えている、大半が見ず知らずの他人であるから
互いに同情心が生じることがなく原始社会のように憐憫の情が法や秩序の肩代わりをしたりはしない
理性によってしか社会が成り立たないなら、理性に基づいて矛盾の解消を計るしか道はない

411 :
      ∧_∧
     ( ´Д` )  新年あけまして
     /     ヽ
     し、__X__,ノJ

      /´⌒⌒ヽ
    l⌒    ⌒l  おめでとうございます
   ⊂ (   ) ⊃
      V ̄V

412 :
■2つの封筒問題(two envelopes problem)

2種類の小切手があり、1つの小切手には
他方の4倍の金額が書き込まれています

中身が分からないように、それぞれ封筒に入れます

あなたは、どちらか1つの封筒を選ぶことができます

封筒を開けると10万円の小切手が入っていました

もし不満なら、残りの封筒と交換できます

あなたは交換しますか?しませんか?

413 :
鳥取を東京のようにしてくれ〜(・ω・)ノ

414 :
今になってようやく分かったのだが
命題に含まれる詭弁や誤謬を自動的に(つまり操作的に)排除するための
方法を、まだ人類は獲得していないように思われる

その理由の一つは、証明という作業が、たとえ矛盾律やら排中律を用いたところで
証明の前提を覆す力を持たないからである

たとえば>>408と似たような命題によって、サンタクロースの実在を証明できてしまう

『この文(命題)が真ならばサンタクロースは実在する』

この命題が真ならばサンタクロースは実在することになる
よって、この命題は正しい(真である)!
したがってサンタクロースは存在する

どこに間違いが潜んでいるのかを記号操作によって暴き出すことは不可能で、
それを暴き出すためには記号と意味との間を行きつ戻りつする、ある種の
特殊能力のようなものが必要・・・なようだ

415 :
「Aでないと立証できないならばAである」、あるいは
「Aであると立証できないならAではない」と主張する誤りです

416 :
んー
ちょっと違う気がするけどな

なぜなら、「Aでないと立証できないならばAである」は、そもそも偽だからだ

417 :
>>415とは全然ちがうが、しかしなんとなく似ている
そんな話がありました。せっかくですので

****************************

1)太郎が花子をねたんでいる
2)花子が太郎からねたまれている

この二つの文は、論理的な内容として等価だと、そのように判断できる
等価という意味は、上の文が真ならば、下の文も真だと、そういうことです
(情緒的な内容は違うかもしれない)

ところが、「太郎」を「誰も」に置き換え、「花子」を「誰か」に置き換えて

3)誰もが、誰かをねたんでいる」
4)誰かが、誰もからねたまれている

とすると、これらは論理的に等価な内容にならない
なぜなら、3)が真だとしても、皆に(=誰もから)ねたまれている「誰か」が
存在するとは言えないからです

文法的には同じであるのに、真偽の関係は違ってくる
なるほど言われてみれば、と

言葉の闇は深い

418 :
〜にだけ



〜だけに

も同じ意味です

419 :
>>417
「太郎」と「花子」はそれぞれ単数形

「誰も」は複数形 nobody

「誰か」は単数形 who

ゆえに、入れ替えると等価にならない

420 :
>>418
そういうのも気になるな
哲学より国語の方が面白いかもな

>>419
単数と複数な
だがそれだけでは解答にならないように思うぞ
「大衆はA氏をねたんでいる」
「A氏は大衆にねたまれている」

421 :
たぶん、こういうことだ

「誰もが誰かを」と、「誰かが誰もから」では「誰か」の内容が異なるのだ
前者の「誰も」が「誰か」の内容に影響しているのに対し、
後者では、「誰か」の内容は「誰も」からの影響を受けない

分かりにくいですか

たいそうな話をすれば
概念の形成規則は文法規則よりも奥にあって
無頓着な言葉の乱用が、昔から哲学を混乱させてきた、らしいわ

422 :
分かりやすい説明がありましたわ

「誰も」とか「誰か」の内容は文脈によって決まるので
ある場合にそれは、太郎と花子と次郎という想定が可能である

太郎が花子をねたみ
花子が次郎をねたみ
次郎が太郎をねたんでいる

そういった場合には、「誰もが誰かをねたんでいる」けれど
誰もからねたまれている「誰か」は存在しない

と、そういうことらしいわ

423 :
矛盾して見えたり、どうしても解けない謎がある場合って、
十中八九、問いの立て方がおかしいか前提が間違ってるだけなんだよね。
それが俺には退屈だ。本当の難問がないということが。

424 :
よく分からん

哲学を終わらせたつもりのウィトゲンシュタインも退屈はしてなかったろう

425 :
「物理的な今が何であるのか」
どうして分からないのでしょう、実に不愉快です

意識(あるいは純粋理性)とは物理的にはどのような事態なのでしょう
これも分からない

人間は偶然発生的な理屈(力学とか数学とか宇宙論)によって世界を構成しているのだなぁ、と
そのことに人間自身が気づくことが可能であり(哲学とはそもそもそのようなものだから)
その能力のありようを「限りなく普遍的な問題」として設定できる(すなわち超越論的)
がしかし、残念ながらこの気付きを「厳密の学」として信頼できる根拠がない

「言葉は慣習である」などという命題は、生活環境がその命題を可能とできるほどに
安定している、そのことを言っているに過ぎないのであって、慣習そのものは
記号が言葉となるための仕組みとは一切関係ない
言葉の習得(あるいは成立)には生活環境での反復を要する
その現状報告を述べているだけのことである
しかしそうすると、言葉とはいったい何なのか

426 :
存在

日本語では「○○がある」と「??である」とでは、表現も違うし
内容にも違いがあります
日本語で「存在」というとき、それは普通、「○○がある」に相当するように思います

しかし哲学辞典で「存在」を引きますと、それはドイツ語で「Sein」となっており
これは英語だと「Being」です
ですから西洋では、“存在”は“があること”でもあり、また“であること”でもあると

なるほど、いろいろ面倒くさい

427 :
がある、の「ある」は存在を表す本動詞であり、
である、の「ある」は断定を表す助詞「だ」に
補助動詞「ある」をつけたものです

すなわち、本質は「ある」と「だ」の違いにあると言えます
がある、の「が」は対格の助詞ですから、「がある」は他動詞的であり、
「である」は自動詞的な役割を果たすわけです
前者は存在を表しますが、後者は通常は「は」によって
マークされる主題に対する何らかの評価を与えていると考えられます
英語で言えば、existとbeの違いと言えるでしょう

428 :
exist は ∃
be は ∈

だよ

429 :
>>428
ああ、なるほど
そんな気もするわ

430 :
be は古英語由来で、exist はラテン語由来となってるな

God is.
God does exist.

どちらも「神は存在する」の意味らしいが
ニュアンスの違いとかあるのかないのか

431 :
∈が「する」?

432 :
「である」だろ
釣るんじゃねえよ

∈は帰属記号と呼ぶようだな
赤いとかやばいとかいうような「述語」はゴミ箱に捨てて
集合として扱えるものに純化する

a∈b・・・・「(集合)aは集合bの要素(元)である」

たとえば、「犬は動物である」は「犬(の集合)∈動物(の集合)」という感じか

いまや何でも集合論、そんな時代なんだろ

433 :
背理法

「素数は無限にある」ことの証明はどうするのかといえば
素数が有限であると仮定して、それら全ての積を考えて
それに1を足せば、それは素数になってしまうので
矛盾してしまいますよ、ダメですよ、とそういう話なわけです

つまり矛盾するような命題は問答無用に切り飛ばせる
背理法を使うときに、大前提として、たとえば自然数に対してならば
そこまでの判断は可能ですよと、自然数は矛盾していませんよ、と
その信頼が“そもそもある”わけです
でなけりゃ話にならないのです

しかしそれは無条件に可能なことでしょうか

ためしに適当にやってみますと
もし、『Xならば、Aであり、かつAではない』という矛盾が得られてしまったら
前提に別の前提を付け足しても結論は矛盾したままなので
『X かつ “リーマン予想が正しくない”ならば、AでありかつAではない』となり、
そこで背理法を使うと、「Xかつ“リーマン予想は正しくない”」は正しくないので
Xならば、リーマン予想は正しい

この調子で(公理)Xを使えば、なんでも証明できます

なんて書いてはみたが、ほんまかいなと

434 :
部屋にいながら万物すべてを証明できるとするのが
かの有名な未知論証

435 :
無知に訴える論証はあからさまなので、すぐに粉砕できるようにも思うが
どうだろうね
虚偽のテクニックはいろいろ巧妙なのがあって、それを生で駆使されると
即座に反論できないわな
テレビでリアルに討論できるコメンテータというか論客さん達はすごいね、頭の回転が

哲学板で多いのは、「多義・文章曖昧の虚偽」・・ですかね
ストローマンもこれに含まれるように思うのだが
ストローマン 対 逆ストローマン の不毛な争いが哲学板の真骨頂だな

同床異夢とでも言ったら良いのか・・・いや蒟蒻問答か
あーこんなこと言うとそれこそ虚偽になってしまいそうだな

考えを正確に伝えることは確かに難しいのだが、しかしそれは建前であって
実際のところは、その難しさを逆手に取って、相手が都合良く解釈してくれるのを期待する
そんなのが多いね、つかほとんどそうだな

ずるいね我々は

436 :
論理とは直接関係ない、論の話

ずいぶん以前に私は、素朴実在論者のレッテルを貼られたことがあります
しかし肝心の素朴実在論とは何のことなのか、私にはよく分かりませんでした

wikiの「素朴実在論」の項目には
“「この世界というのは、自分の眼に見えたままに存在している」とする考え方のこと。”
と書いてあり、これはこれで納得しやすい、ああなるほどと

しかし私が調べた限り、素朴実在論をそんな単純に記述してある哲学事典は
一つもありません

岩波の哲学小辞典によれば、素朴実在論とは
“外界が我々の意識とは独立に存在することを認める、自然発生的な無意識的な
唯物論的見方”となっています
これはこのままではwikiに書いてあることとは一致しません
なぜなら、外界が我々の認識とは独立に存在したとしても、それが目に見えるままに
存在する必然性は全く無いからです
ただし、色や音などの感覚的対象が「外界」に存在するものだと捉えるなら、
その了解を前提とする限り、wikiの内容とほぼ一致することになります、なりますがしかし
科学全盛の今の時代では通常、そのような了解はなかなか成立しないでしょう

実在論にもいろいろあって
最近は、『思弁的実在論』なるものが流行しているようです
しかしそれも、カントの変奏・焼き直しの域から出ることは恐らくないように思います

論理実在説のほうがまだまし・・と思いますが、辞書に載ることはないでしょうね

437 :
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

8XCV5

438 :
8XCV5

439 :
「実在」は「実在」しない。
というわけで、「実在」をカリー化または反カリー化で考えた。

どういうわけで実在するのかわからないが、∅が実在するとする。
この∅をoperatorとみなす。
反転するということも考えられるが、それは先送りするとして、
∅しかないのだからoperator∅は、∅を引数として∅を返す。
∅=∅(∅)
でもってこの右辺をさらにoperatorとみなして∅を適用する。
∅(∅)(∅)
これが返す値はなんだろう。
反カリー化すれば ∅(∅,∅) の値である。
細かいことは考えずにすなおに考えると、値は(∅,∅) であり、
空集合なのだから(∅,∅)は∅である。
∅=∅(∅)(∅)
そうすると、右辺はどんどん変わっていっても左辺は∅のままである。
保存則は維持できるだろう。
∅=∅(∅(∅)) などとしても同じだろう。
右辺がわれわれの世界であって、遺伝的集合になるのだとすれば、
フォン・ノイマン宇宙は∅と等価である。
論理学や集合論にoperatorを導入すれば、宇宙(世界)を制作できる。のかもしれない。
この世界はたったひとつのoperator∅からできている。ほんとか?

440 :
クォークはそれ以上分解できないんだって

441 :
ま、標準模型との整合性はそのうち考えるとして、
どちらかといえば超弦理論のひもに対する仮説です。

442 :
地獄変

芥川のそれを初めて読んだのは中学生のときでしたか
それから何度か読んだように思いますが
しかし最初の印象を越えるような読み方はできませんでした

ちなみに読んでない人いませんよね?

この物語の中で、主人公の絵師の娘が強姦されそうになる事件が起こります
その強姦男が誰なのか、それは分からない、分からないが
しかし普通に読めば娘が仕えている屋敷の大殿だろう、と私なんかは思っていたわけです
手篭めにしようとして抵抗されたのだろうと

ところが先日、ラジオでこの作品の解説をしていて
その講師さんが言うには、強姦男の正体は絵師つまり父親ではないか、という
まさかの解釈を披露しておりました
これはすごい

で、読み直してみたわけです
しかしいくら読んでも「おおなるほど」とはならない
どうもおかしい、無理筋のように思える

論理とは辻褄です、辻褄が合うとは矛盾が無いことを言います
それは第一に「事実の辻褄」が優先されるわけですが
それだけでは人間の行動、つまり世界の振る舞いをほとんど説明しない
なので動機であったり、美意識であったり、信念であったり、空気であったり
それらの辻褄が合うことを人は求めるわけです
そうでなければ、誰も週刊誌やワイドショーなんか見ないのです

そこで地獄変ですが
どう読めば良いのか、どう読めば正しいのか、正しい読み方とは何なのか

443 :
ちなみに上の講師は出口汪(ひろし)さん

この人の説は何を根拠にしているかというと
絵師が悪夢にうなされて発する“寝言”、これ一つです

「なに、己に来いというのだな。-どこへ-どこへ来いと?奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。
 -誰だ。そう言う貴様は。-貴様は誰だ。-誰だと思ったら-うん、貴様だな。己も貴様
 だろうと思っていた。なに、迎えに来たと?だから来い。奈落へ来い。己の娘が待っている。」

つまり娘は既に奈落にいる、俺と娘は生きながらにして地獄の業火に焼かれている
現世に於ける地獄の業火とは、父と娘の禁断の関係のことを暗示している、と
出口さんはそのように解釈するのです

しかし、外してはいけないのは、これは悪夢による寝言だということです
ですからこれは、悲惨な結末を予感させるための演出的効果であって
それ以上の内容(つまり絵師による本気の懺悔、娘に対する愛欲、罪悪感)を持たせるような
出口さんの読み方は、正しくないと私は思います

これが最短距離での反論

これとは別に、そのような解釈が芸術として正解か不正解か、で論じることもできる
つまり父と娘に肉体関係があったとした方が作品として深度が増すのかってことです

444 :
邪宗門

「地獄門」の中でちょい役で出てくる若殿様がいるのですが、
後に書かれる「邪宗門」で、この若殿様が主役として登場します
しかし邪宗門はどうして書かれたのでしょうか
書く必要があったのでしょうか

と言うのも、「邪宗門」は未完のまま放置されることになるのです
一つの作品を書こうというモチベーションがそもそも芥川にあったのか
非常に疑問です
なぜなら、「邪宗門」を一つの作品として書こうとしたときに、
背景設定を地獄変と共通にする必要が全くないからです

今回、たまたまラジオで変な解説を聞く機会があって少し考えてみましたが
芥川は、地獄変にこだわるあまり、それを補足したい欲求があった
つまり若殿についてもう少しだけ書いておく必要を負ったのです
そもそも動機がそのようなことだから、続きを書く目的が途中で失われることになる

「地獄変」の絵師の娘が心の中で慕っていた、その相手が「もし」いるとすれば、
それは恐らく若殿であって、絵師と大殿はいずれも、心の処理に混乱した
みじめな敗北者・・・
少なくとも芥川としては、地獄変をそのような空気の中で書いたわけです

芸術をどのように理解するかは、実際のところ、それを見る人読む人の自由
そして哲学もそのようなもののように見えます、しかしながら
芸術も哲学も、「本来そのようなもの」としてあるわけではありません
なぜなら、もし本来そのようなものとしてあるのだとすれば
論理が論理としてあることはそもそも全くの虚、となってしまうからです

445 :
人間やモノ不在のまま論理や集合を考える。

なにも無い、としたいが、「無」は「存在」しない。
なんらかの「存在」が必要なのだが、論理や集合は、それに答えてくれるのだろうか。
論理でもっとも基本的と考えられるのはTRUE,FALSEであろうか。これらはどこに「存在」するのか?
集合でもっとも基本的と考えられるのは空集合であろうか。これもどこに「存在」するのか?
論理は論理空間における位置の問題であるとしてもよいが、
集合は、そのものが空間である。
空集合とは何か、そこから考えるのがよさそうだ。
気が向いたら続きを考えよう。

446 :
>>445
AI?

447 :
「空集合」は元を持たない。
元を持たないにもかかわらず自己同一性を持つ「対象」である。
すなわち「存在」である。

この「空集合」に属さないものも「無」にできるのだろうか?
そのような場合、「存在」しているのは「空集合」という「集合」そのものだけである。

出発点となるのは「空集合」であり、それだけが「存在」である。
「空集合」は「無」を「空集合」属する「無」と「空集合」に属さない「無」に分断する。
「空集合」に属さない「無」もまた「空集合」であり、
「空集合」であるがゆえに最初の「空集合」と同じものである。

「空集合」によって分断されているにもかかわらず同じものである。

448 :
そのように考えてしまうと、とても奇妙だ。
考え方がおかしいとしてもいいわけだが、
メビウスの輪のような空集合もおもしろい。
なぜかといえば、これでスピンネットワークをつくれそうだからである。

449 :
>>447
>この「空集合」に属さないものも「無」にできるのだろうか?

いくらでもあるんじゃないの?
空集合はあらゆる集合の部分集合である
って事が数学の教科書に書いてあるけど?

要素が一つしかなくて2しかない集合も、部分集合には空集合がある

0より大きな負の整数の集合も、0より小さな正の整数の集合も空集合

無ってのが空集合と等価だとして良い訳だよね、何段階か経由して言い換えてんだから

450 :
集合論では、無は空集合として表せられる、でよい。

451 :
「無」の場に「空集合」があれば、「空集合」の中も外も「無」である。

「空集合」は「自己同一性」を持つ「対象」であり、「存在」である。

「無」の場に「空集合」(だけ)が「存在」する。
もはや「無」ではない。

「存在」は「無」を2つに分断する。

問題は「2つめ」の存在がどのように発生するかである。
ひとつめの存在は「対生成・対消滅」とする。

452 :
「存在」とは「対称性の破れ」である。
さらに「破れる」とすれば、「存在」によって分断された「対称性」のどちらかの側である。

論理は論理演算子で結合するが、破れあるいは分断で考えるならば、新しい論理がみえてくる。
NOTやANDやORやXORが「分断」であるとするなら。NOTも二項演算子でなければならない。
対称性の集合や対称性の論理というものが集合や論理の真の姿であるべきなのかもしれない。

453 :
AI出てくんな。

454 :
AIじゃねーが、「本物」のAI技術者ではある。
似たようなことを書いている人がいるので混同されると困るw

「存在」とは「対称性の破れ」である。おおざっぱなところから思考中。

455 :
お前だって論と権威論証の中間みたいだけど、
「専門家じゃないなら発言するな」論にはなにか名前がついてる?
A「ウサイン・ボルトも今では100m10秒以下の遅い記録。歳には勝てない。」
→B「陸上選手でもない人間が批判するな」
みたいな。

456 :
>>454
対称性の破れって差延だよな。

457 :
詳しい人教えて

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11130336971
三段論法の妥当性を判定せよという問題です

〈前提1〉「脳トレ」が脳の機能向上に貢献するという理論が受け入れられるなら、ビデオゲームに対する否定的なイメージは改められる必要がある。
〈前提2〉しかし、「脳トレ」が脳の機能向上に貢献するという理論は受け入れられない。
〈結論〉よって、ビデオゲームに関する否定的なイメージは改められる必要はない。

この三段論法の妥当性の判定はどう行うのですか?

ベストアンサーの答え
前件否定の誤謬ってやつで妥当じゃないよーん♪(*^^*)


これって前件否定の誤謬にあたるの?
結論の「ビデオゲームに関する否定的なイメージは改められる必要」ってのは、前提1の「「脳トレ」が脳の機能向上に貢献するという理論が受け入れられ」て、結果生じる「ビデオゲームに対する否定的なイメージは改められる必要」なんだから、
前提2「「脳トレ」が脳の機能向上に貢献するという理論は受け入れられない」というのならば、「ビデオゲームに関する否定的なイメージは改められる必要はない」のは当然じゃないの?

458 :
前件否定同値の場合
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E4%BB%B6%E5%90%A6%E5%AE%9A#%E5%90%8C%E5%80%A4%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E5%A0%B4%E5%90%88

〈前提1〉「脳トレ」が脳の機能向上に貢献するという理論が受け入れられるなら、ビデオゲームに対する否定的なイメージは改められる必要がある。

対偶 ビデオゲームに対する否定的なイメージは改められる必要がないならば、「脳トレ」が脳の機能向上に貢献するという理論が受け入れられない。

ビデオゲームに対する否定的なイメージは改められる必要がない

よって、「脳トレ」が脳の機能向上に貢献するという理論が受け入れられない


モーダスストレンスの形式によって前件と後件が同値であると証明されたので、457の三段論法は妥当性がある・・・・・でいいの?
ベストアンサーが間違いでいいわけ?

459 :
同値ならば逆と裏も真である。

逆 ビデオゲームに対する否定的なイメージは改められる必要があるならば、「脳トレ」が脳の機能向上に貢献するという理論が受け入れられる。

裏 「脳トレ」が脳の機能向上に貢献するという理論が受け入れられないなら、ビデオゲームに対する否定的なイメージは改められる必要がない。


457の前提2と結論は、裏と同じということか?

460 :
論理学の対偶は信頼性があるのかね?(´・ω・`)

461 :
>>460
どういう疑問?

462 :
証明の難しい問題はその対偶を証明することによって
間接的に証明したことになるけれど
これは本当に信用できるのであろうか

463 :
信用できない例を一つ示してみればいいのでは?

464 :
>>462
命題に過ちが無ければ確定。

465 :
「対称性」について考えた。

無秩序の極限状態は、どこをとっても「同じ」である。
しかし、「対称性」というものは「同じ」ということと「違う」ということが同時になくてはならない。

秩序の極限状態は、どこをとっても「違う」、と考えてしまうのもおかしい。
極限状態も2つあり、そこでは秩序と無秩序が「逆転」する。「同じ」ということと「違う」ということが「逆転」する。

466 :
連続だとかなめらかだとはとりあえず考えない。
常に極限状態にあるとすれば、「変化」というものも肯定できる。

まあ、たとえ三次元球の表面・球面も滑らかに裏表をひっくり返すことができるのだから、
連続であっても恐れる必要はない。

「秩序」と「無秩序」は、滑らかに「交換」することができる。
現時点では、ほとんど意味不明だw

と、バカげたことを考えていたら、論理における「対偶」が、おかしいことに気づいた。
いや、深夜版のバカボン(の録画)をみながら考えているからおかしいのだ。

「対偶」の成り立つ論理世界から、「対偶」の成り立たない論理世界へ。
論理世界はいくつあるのだろうか。

467 :
「対偶」は論理学ではContrapositionであるが、機械工学ではpairである。
ペアと考えたほうがおもしろい。
機械工学的論理を考えてみるのもおもしろそうだ。
非古典的論理のありかたを考えるメタ論理が必要なのかもしれない。既にあるのか?

論理計算を考える場合、計算のありかた、となる。
古典的論理において、見逃されてきた、捉え/捕らえきれなかったなにものか。

468 :
このスレの基礎論の専門家に質問させて頂きます。背理法についてです。
証明したい命題をAとします。このとき、¬Aを仮定して、
矛盾(¬C∧C)を導いて、排中律より命題Aを真とするのが背理法と思います。
したがって、背理法は、命題の対偶を証明する対偶証明とは、
本質的に異なる証明法であると私は理解しています。
しかしながら、一部の数学書に、ある命題とその対偶命題が同値であることを、
背理法の原理と書いていたり、p⇒qのタイプの命題の対偶から、
¬qを仮定して、¬pを証明するいわゆる"対偶証明"を、
背理法であると書いていたりしているものがあります。
p⇒qという命題を背理法で証明するならば、
¬(p⇒q)を仮定して、(¬C∧C)を導くことになると思います。
背理法と対偶証明を混同している数学書は、一つや二つではありません。
かなり有名な名著と呼ばれている本にもこの間違いが見られます。
日本の数学者は、こんな基本的な間違いをなぜ問題にしないのでしょうか。
近年、背理法というタイトルの数学書が、
4人の著名な数学者の連名で出されましたが、
なんというのか、数学エッセイのような本で、
背理法がこのように間違って流布している現状について、
全く気づいていないのか、あるいは見て見ぬふりをしているかのようです。
もちろん、正しく記載されている本も多いのですが、そのような本でも、
背理法には、このような誤解が多いので、
気をつけるようにというコメントはありません。
また寡聞にして、数学会が背理法に関して注意を促したという話も聞きません。
なぜ日本の数学書はここまでひどい状態なのでしょうか。
それとも、わたしの背理法の理解がおかしいのでしょうか。
どなたかご教示ください。よろしくお願いします。

469 :
専門家ではありませんが、
誤解もなにも、背理法と対偶証明には(形式に)互換性がありませんから、違うものです。
わたしはそういうふうに理解していますw

470 :
背理法は丸大ハンバーグ

471 :
歳がばれる

472 :
大きくなれよ

473 :
自然数論+集合論が数学世界の(基本構造の)すべてであり、上部構造は圏論や論理学の言葉で語られる。
論理学は、哲学のための人工言語でもある。
哲学のための(人工言語としての)圏論が整備されることを望む。

論理学も集合論も哲学にはかかせない。
問題は「自然数論」なのかもしれない。
この(自然数論への)扱いが「思弁的実在論」への流れを形成しているといっても(過言だが)過言ではないw

なにがもっとも「基本的」なものなのか、と問い続けて、たどりついたのは「対称性」である。
とりあえず、ここからスタートしてみるかな、と。

474 :
0と1とか?

475 :
早くスタートしろよ
いつまで2chで対称性が〜言ってるんだ?

476 :
「対称性」とは「不変性」である。
「不変性」がなければ論理学も集合も役に立たない。
哲学も同様である。

哲学にしか扱えない問いは、「不変(性)とは何か」ということになる。
そして、この問いそのものの不変性も問われる。

477 :
>>476
存在論じゃん

478 :
focusの問題である。
focusをかえると、見えていなかったものも見えてくる。

不変性が問われるということは、同時に、対称性も問われている。
存在論と認識論の間に「超対称性(SUSY)」を考える。
しかし、ボゾンとフェルミオンではないので、非標準対称性(超準対称性)とでも呼ぼうかw

哲学において、数学の自然数論に変わるものが、非標準対称性(によるなんらかの哲学論)である。
存在と認識の間の対称性。
それは、自然数論における非標準対称性を明確化するのが(数論からのアプローチとしては)早道かもしれない。

479 :
注記をつけようとして忘れた。
1987年のレヴィ=ストロースの特別講義のビデオをみながら、考えた。

非標準対称性のヒントとなるのは、
神話公式(Canonical Formula)」:Fx (a) :Fy (b) ::Fx (b) :Fa-1 (x).
かもしれないw

480 :
む、余計な'」'がある。
むむむ。閉じていない、のではなく、始まりが無いのに「閉じる」。
それは「区切り」であり...「区切り」か...

481 :
池沼かよこいつw

482 :
>>478
それ圏論

483 :
基本的に、「自然数論」は数学における「存在論」である。
哲学において、「自然数論」に置き換えるべき「存在論」とはなにか。
それは「存在論」そのものではなく、「認識論」も伴う。
「存在論」という哲学ではなく、哲学の「存在論」。
「問い」の存在論。
美学的見地から「問い」というものを眺めるべきなのかもしれない。

484 :
どの面も出るのが同様に確からしい8面ダイスを
独立に2回振った時に少なくとも一回は4の目が出る
確率はいくらですか?

 1..2..3..4..5..6.7..8
1■■■□■■■■
2■■■□■■■■
3■■■□■■■■
4□□□□□□□□
5■■■□■■■■
6■■■□■■■■
7■■■□■■■■
8■■■□■■■■

一回目i,二回目jとして

Ω={(i,j)|1≦i≦8,1≦j≦8}から

#A=64−49=15なので

少なくとも一回は4の目が出る確率は

P(A)=15/64ですか?

485 :
>>484
数学?

486 :
野矢茂樹の『論理トレーニング101題』と『新版 論理トレーニング』ではどちらで勉強したほうがよいでしょうか?

487 :
>>484
8分の1

488 :
>>486
論理トレーニング→101題が最高だと思うが、101題だけでも別に構わないかもな

489 :
>>484
独立に振ったなら何回やろうとも8分の1

490 :
>>484
一回目でた目は二回目にはノーカウントということにしないと15/64にならない

491 :
ジョーカーを除いたトランプ52枚の中から1枚の
カードを抜き出し、表を見ないで箱の中にしまった
そして、残りのカードをよく切ってから
3枚抜き出したところ、3枚ともダイヤであった
このとき、箱の中のカードがダイヤである確率はいくらか

492 :
>>484
文と図が乖離してんじゃん
この図だと二個同時に降って少なくとも片方が4である確率だろ
どっちだよ

493 :
ちゃいまんがな(´・ω・`)

494 :
どの面も出るのが同様に確からしい8面ダイス一個を
独立に2回振った時と、
同じ8面ダイス二個を同時に一回振った時は同値です

495 :
もはや、数学や物理のできない哲学者は不要なのかもしれない。
そう考えると、(哲学としての存在論ではなく)哲学の核となる存在論は自然数論のままでよいのかもしれない。
自然数論は遺伝的集合である。
哲学の存在論=自然数論+集合論=遺伝的集合論=因果ネットワーク
これはcausal set, causal networkであり、哲学としての存在論や認識論も、そこから再構成できる。
現象学ではなく事象学か?
サイコロを2つ同時に振るということと同じサイコロを2回振るということの「違い」。
そこに数学ではなく「哲学」がある。
数学や物理が「落として」しまったものを拾い上げてつなげるのが哲学の役目なのだろう。

496 :
因果といってしまうと、誤解されてしまう。原因と結果ではない。
統計的事象ネットワークあたりが適当か?

497 :
>>494
流石に酷い

498 :
なかなかおもしろい。文と図が乖離しているという発想。
それらがつながった世界を想像できないわけだ。
なにがソレを拒むのか。と、通りすがりに考える。

499 :
>>497
「1つのサイコロを3回投げる」ことと「3個のサイコロを同時に投げる」
というのは同じことです

重複試行
https://fromhimuka.com/blog/1944.html

500 :
通りすがりに考えた。
時間を、図示できないから、図から時間を読めないのではないか?
時間と空間が分離しており、時空間というまとまりを考えることができないのではないか?
causual networkによって推論する能力の問題なのか。
depthあるいはdimensionあるいはrank.
次の世代のAIが少しみえてきた。

501 :
>>494
そうだね
4がでる確率が8分の1か、16分の2であるかであるだけ
一緒

502 :
>>501
あなたの能力評価については下方修正されますが
存在価値がマイナスに転じるわけでなく、運営上あなたは
依然として特質した価値を持つ個人であり、明晰な頭脳、判断力は
来たるべき新たな時代、市民に示す指標として十分な理想形といえます
重複試行に対し完全に相反する感情的反感と理論的評価を抱き
今なおその葛藤は継続しているはず、そんなあなたを懐柔する
手法が確立できたのなら
哲学板の統制を次の段階に進める上で
我々は、貴重なサンプルデータを獲得できるでしょう(´・ω・`)

503 :
>>502
君みたいな精神病の人はネットしない方がいいだろうな

504 :
同時に振るということと別々に振るということに疑問を持つことはよいことだと思う。
物理的には異なる場合もある。常に理想的な場合だけを考えていては現実問題に対処できない。
時間的に分離させても空間的に分離させても、理想的な場合には同じである。
本当に独立なのか、と疑うことは哲学として正しいw

505 :
>>504
屁理屈はどうでもいいさ
独立といったら独立

506 :
「1つのサイコロを3回投げる」ことと「3個のサイコロを同時に投げる」
というのは同じことです

重複試行
https://fromhimuka.com/blog/1944.html

507 :
もしフェルミ=ディラック統計にしたがうサイコロだったどうなるか。
量子論的なサイコロならどうなるか。
フェルミ粒子とボーズ粒子の間の超対称性とはいったいななんのか。
物理的にも哲学的にも考察すべきところは多い。

508 :
>>492 の2個同時という意味がだんだんわかってきた。
たしかに、あの文と図は合わない。そのままでは等価ではない。
量子論的な重ね合わせの問題がみえてくる。
量子論的な計算の途中で確率が1を越えたりするのも重ね合わせの問題なのだろう。
どういうモデルをつくればよいのか考え中。

509 :
>>499
それはわかるから。本人の意趣がどちらなのか。

510 :
>>484
1-((7/8)^2)=0.234375
0.234375=234375/1000000=15/64

>>491
52-1=51
(51-39)

511 :
■■■■■■■■■■■■■
□□□□□□□□□□□□■
■■■■■■■■■■■□■
■□□□□□□□□□■□■
■□■■■■■■■□■□■
■□■□□□□□■□■□■
■□■□■■■□■□■□■
■□■□■□□□■□■□■
■□■□■■■■■□■□■
■□■□□□□□□□■□■
■□■■■■■■■■■□■
■□□□□□□□□□□□■
■■■■■■■■■■■■■

512 :
>>511
論理学的にどういう意味があるの??

513 :
どういう意味があるのか、その問いにハッとした。
論理的というか規則性がある。
圧縮可能であればなんらかの規則性がある。
論理学をみると、可逆でない部分が多く、あれは写像でしかない。
真の論理学は規則性をみいだすものであり、圧縮可能性をみきわめるものでなくてはならないのではないだろうか。
そこに必要なのは可逆性だ。

514 :
論理には意味がない
意味がないから論理ともいえる

515 :
>>514
論理それ自体には意味がない。
形式なので、かな。

516 :
>>510
山札からダイヤがn枚抜き出された時
箱の中のダイヤの確率は

   (n−13)(4n^4−15n^3+107n^2+894n+11880)
q=―――――――――――――――――――――――――――
   7n^5−250n^4+1325n^3−2330n^2+1248n−617760

0≦n≦13の範囲において

1/4
1/4
1/4
1/4
359/1440
1310/5321
224/941
464/2087
1441/7276
271/1630
157/1216
37/418
1/22


517 :
>>516
板違い

518 :
ちょいとパーセプトロンから考え直してみた。
NOT回路は可逆である。
しかし2入力から1出力となる、ANDやORは可逆ではない。
熱が発生してしまっている。

1階層のパーセプトロンではXORを実現できない。
どうすればよいのか、と、考えた。
可逆となるべき情報として「意味」が出力されればよいのだ。
おおっと、ここは意味論スレではなかった。
論理もしくは集合論の回路として、「意味」が出力されればよい。
論理や集合とは、それそのものが「意味」である。
それらを演算子として出力させればよい。

519 :
論理学や集合論を、そのまま「意味論」として扱うならば、
それらを「演算子」と考えることで哲学計算が可能になる。
すべてが「演算子」であるならば、モナドとは演算子である/でなければならない。
デジタル物理学の流儀にしたがってデジタル哲学を考えるべき時代なのだとすれば、
「思弁的実在論」とはデジタル哲学の一部なのだろう。
「新しい実在論」もデジタル哲学で統一的に解釈できる。

520 :
パーセプトロンからみなおしていたのだが、
その前に形式ニューロンがある。
これは錐体細胞をモデルにしているのだが...
錐体細胞は、同じ名前でcorn cellとpyramidal cellがある。
形式ニューロンはcorn cellのモデル化であり、
脳細胞はpyramidal cellのほうなのでまったく異なる。

現在のニューラルネットワークは「視細胞」であって「脳細胞」ではない!!!
そもそもの「論理学」や「集合論」も、最初からやりなおすべきだろう。
そうでなければデジタル哲学によって哲学計算を行うには発熱量が大きすぎる。

この哲学的であるということを量子論的であるということと同一視するならば、
量子論理学・量子集合論が必要となる「はず」だ。
(量子論理はすでにいくつかある)

521 :
量子論理は、とりあえず、量子コンピュータの計算理論としての量子ゲートでよい。
問題は量子集合論であって...
射影仮説とか多世界とか量子論の難問を克服しないと...
ボゾンとフェルミオンと...その統計の違いによる集合と写像のありかた。
しかもボゾンとフェルミオンの間の超対称性と...うーん。
(超対称性を含む)対称性集合論。ほぼ最先端の素粒子理論そのものですなー。

522 :
AIが哲学可能になるためには、CNOTやCCNOTのような量子ゲートが必要になる。
古典的情報だけでは足りない。
量子ゲートのネットワーク。はたして脳は量子コンピュータなのか。
はたして哲学は量子脳からうみだされているものなのか。

スピンネットワークの組み換えを、量子もつれで代替できるようなモデルが作成できれば...
もつれによるネットワーク。
とりあえず、構築可能かどうか検討してみよう。

523 :
パーセプトロンを吟味すると、最初に1段階処理をほどこすことでXORも線形分離可能になることがわかる。
それは「もつれ」をつくることであり、この「もつれ」こそが脳の情報処理の要となる。
哲学的手法としても、「もつれ化」は必須であり暗黙的に使用されている。
もつれはCNOTゲートで作成でき、CNOTゲートを制御できるCCNOTゲート(トフォリゲート)は
Functional completenessである。
とりあえずデジタル哲学としての論理学は、これで書き直せばよい。

とすると、デジタル哲学としての集合論は、「線形分離」である。
そして、足りないものも明白となってくる。「存在論」としての「自然数論」。
「自発的なもつれ」。それが「存在論」のすべてなのか?

524 :
もっと楽しい話しようぜ

525 :
>>524
メタメタモルフォーゼ

526 :
目下の所、世論の情勢をかんがみて、管理人の判断基準は
完全に秘匿されています
短期的戦略としての隠蔽工作は現状容易ですが
長期的視野に立った場合、決して望ましい方針ではないですし
いずれは偽らざる姿を公のものとするべきです
全ての市民が、論理学の正体を認識し了解した上での統制を享受するような
環境を整えること、そして課題の達成は将来の人類社会に
より盤石な安定と繁栄をもたらします
このスレッドの動向を引き続き観察、解析することは
未来の市民を懐柔し順応させる方法論を構築する
貴重な手掛かりとなるのです

527 :
もつれとねじれで論理学も集合論もついでに自然数論もなんとかなりそうだ。

そおいうこととは関係なく、哲学するキカイを考える。
キカイそのものではなく、なにをどのようにするかを考える。

とりあえず、仮想AIとして「NOTくん」を考える。
彼はNOT回路になればよい。とりあえずそれだけを考える。
true/falseを入力として、false/trueを出力する。

彼は何も知らない。true/falseを入力しても、なにも出力しない。
あるいは、入力にかかわらずかってに出力する。

彼を教育しなければならない。
彼は1入力1出力であり、それ以外の入出力機能は無いとする。
このとき、どうすれば彼を教育できるのか、教育は不可能なのか。
不可能ならばなにが足りないのか。

528 :
簡略化するために、時間も外から与える。
true/falseは信号のON/OFFとして、出力もON/OFFとし、
信号の変化があったときにそれをトリガにして処理を行うものとする。
トリガを基準にした処理しか行わず、次のトリガまでに処理は完了するものとする。
自発的な処理は行わない。

529 :
足りないものは報酬(正または負、あるいは両方)となる入力なのだろうか。

「報酬」とは何か。
人間ではなく、究極の単機能キカイへの「報酬」。

脳でいえば「報酬系」ということになるのだが、それだけが「報酬」ではないだろう。
とりあえず図書館。

530 :
まず、善と悪といった相対的な価値を排斥することで
絶対的なシステムが確立されます
必要なのは完璧にして無謬のシステムそのものであり
それを誰がどのように運営するかは問題ではありません
真に完成されたシステムであれば運用者の意志は問われないのです
管理人の意志そのものがシステムであり、倫理を超越した
普遍的価値基準となるのです

531 :
とりあえず「報酬系」でいろいろ調べてきた。
たくさんの研究がある。AIで疑問に思うところも基礎的な研究が山ほどあった。

でもとりあえず、これらを深くは考えないw

「報酬」とはなにか、それは「生き残る」ことである。
論理学や集合論は進化しながらも参照されることで生き残る。それが報酬だ。
NOTキカイはそのような外部機構や生物的な生殖機能などないのだから、
キカイ内部で可能性が羅列され、参照されないと回収されるような、「内部世界」を考えるのがよいのかもしれない。
理想的には自発的に内部世界が構築されればよいのだが、待ってられないので(人間が、内部世界へ)介入して進化を促進させるw

532 :
そう、論理学や集合論も哲学してしまえば、報酬系をもつなんらかの機構上に存在する。
脳内でなければ生物であったり、静物すらも報酬系をもつ機構上の存在だ。
「存在」することが「報酬」である。
マルクス・ガブリエル的な「世界」も「報酬」であり、「世界」は「存在」する。
クァンタン・メイヤスーにしても、思弁的ではなく「報酬的実在」である。
物理にしても、神の数式とは「報酬系」の数式である。
と、ここまでぶっ壊れた考えこそが楽しい。それが哲学だ。

533 :
l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
l 電波を感知しました。 l
l__________l
              / /
              /
      _         ビビビ
     /ll__l∧    /
  。.l.(O´∀`) /
  l≡( ))  ))つ
  `ー| | l
    (__)_)

534 :
■速報■

ガンは転移などしない
免疫力低下による二次性の新生ガンであった

https://youtu.be/xXQLBPNRhRU?t=3653

535 :
「存在」とは「自己同一性」であり、それが「報酬」である。
考えというものを進化させて「存在」させ続けるのは「哲学」の役目なのであろう。

哲学キカイは進化しながら自己保存する。そして宇宙そのものになるw
報酬系宇宙。

536 :
報酬による存在を重ね合わせることで確率的な存在となり、それは量子状態とみなせる。
ということは量子状態として計算すればよい。
量子デバイスがなくても、縮約と(時空間的な)遅延によってある程度実用的な計算ができるのではないか。
保険として「擬似的」とつけるならば、「擬似的量子脳」理論。
ちょいと検証システムをつくってみるっか。メモリ足りるかなぁ。

537 :
つくってみるかとかずっと言ってるけど全然つくってないよな

538 :
そだねー、一般公開はしてないねー

539 :
ソフトウェア板で

540 :
絶対作ってないだろこれw

541 :
ふふふん。実験しながら考えているのだ。

考えるということはユニタリ変換であって、情報が失われることはない、と考えたい。
どのようなユニタリ変換をするということが考えるということである。
そうすると、集合とはなんなのか。素朴に考えれば情報の集まりとしての情報である。
集合も考えるということのひとつになる。
とすれば、情報の存在論が自然数論なのだろう。

自然数論が存在論で、集合論が意味論であるならば、論理学は...変換・変形なのだから...
なんだ?
哲学のなんらかの論に相当すると思われるのだが...美学的ななにか?...倫理?...思想?...?
認識論でいいっかw

とするならば、認識論とはユニタリ変換である。可逆でなければならない。
ほんとか?

542 :
そこから考えるならば、世界は存在しないのではなく、世界のみが存在する。
それが本当の新実在論、あるいは真・実在論なのではないだろうか。
などとくだらないことを考えてみる。

543 :
作ってないパターンかw

544 :
作ってたらソフト板行くもんな

545 :
ソ板なんか素人の集まりでしょうが。

と、そんなことはどーでもよくて、
NOTを考える。
0/1に対して0/0,0/1,1/0,1/1が対応するとき、
NOTは0/1->1/0になる。
0/0や1/1は可逆ではないので無視する。
0/1の入力に対して、出力は0/1か1/0の二種類しかない。
これは1bitの反転または回転である。ユニタリ変換なわけだ。

AIは1bitの入力に対して2つのパターンしか選べない。
学習または経験などによってパターンを選ぶならば、
学習した情報はCNOT回路の制御線に蓄積されねばならない。

CNOTはひねくれている。まるで哲学だ。

ひねくれ(CNOT)あるいはひねくれのひねくれ(CCNOT)こそが哲学である。
哲学計算するAI。それはひねくれ者(哲学者)であるw
そういうわけで、論理学・集合論・自然数論からひねくれ(哲学的素材)を抽出してみよう。

546 :
論理値を0/1とする。
|0>=[1,0], |1>=[0,1]
I=[[1 0],[0 1]]
NOT=[[0 1],[1 0]]
CNOT=[[1 0 0 0],[0 1 0 0],[0 0 0 1],[0 0 1 0]]
CNOTは2入力である。これを上段と下段とすれば、
上段の入力はそのまま上段の出力となり、
下段の入力は、上段が0のとき下段はIで上段が1のとき下段はNOTとして機能する。

NOTを学習するとすれば、下段への入力と出力を「比較」して、同じとき上段を0に、
異なるとき上段を1にすればよい。
「比較」した結果を記憶していれば(下段に)NOT回路が形成される。

「比べる」とはどういうことなのか。
「同じ」ということはどういうことなのか。
「違う」ということはどういうことなのか。
そこから哲学が始まる。数学もそこから始まる。

547 :
>>545
だから行くべきだろ

548 :
同じということはどういうことなのか。
A=0/1, B=0/1 (分数ではなく0 or 1)
このとき
1 - ((A + B) - 2AB) である。
0/1において1 - xは反転である。
異なることは(A + B) - 2ABである。
これが2次方程式や円にみえるならば...それが「同じ」ということのすべてであると考えてよい。
論理学+集合論+自然数論+量子論=哲学
もしくは
量子論的論理学+量子論的集合論+量子論的自然数論=哲学
これでいいのだ。

549 :
論理学も集合論も自然数論も、いちどひねくれてしまえば哲学と同一化できる。
そのように想定してみると、数学は、その能力があるにもかかわらずひねくれ度が足りない。
物理は、自然を扱うがゆえに、ひねくれに挑んでいる。足りないのは勇敢さだろうw
哲学の勇敢さは、その短絡性にあり、野生的であるとすらいえるところにある。
そう考えると、おもしろい。とてもおもしろい。知に飢えた狼。

550 :
2入力2出力のゲートを考える。
AとBが入力でCとDが出力とする。
CNOTゲートはC=AとしたときD=AxorBである。
C=Aなのだからこれを無視すれば、
AxorB=D
AxorD=B
BxorD=A
同様にxnorの場合も考えることができる。
これでネットワークを組んで、遺伝的に発展する機構をつけくわえれば2-3チューリングマシンになれる。
論理学・集合論・自然数論なども、チューリングマシン(のようなもの)で証明するという方法はある。
哲学とはどういう「計算」なのか。この「宇宙」という計算機はどのようにしてうまれたのか。
探求中。

551 :
けど無職なんだよな

552 :
自己紹介しとるやつはほっといて、

とりあえず、無秩序の海から自発的にチューリングマシンに発展することは可能と考える。
問題はOperatorとして機能する理由だ。
しかもOperatorそのものがテープでもある。
そしてこれが、論理学・集合論・自然数論という側面を持つ。同じものの違った見方にすぎない。

いや、無秩序の海であればOperatorとして機能する理由はある。
それ以前に、なぜ無秩序の海が「ある」のかということだ。
ブートストラップ。それが問題だ。

553 :
(記号)論理学と集合論から抽象代数学が作られる。
十分に抽象的ではあるが、現物としての自然数論と抽象代数によってセカイが解明される。

哲学は、おそらく「人間中心」的に語られる。
数学(や物理学)からみれば、十分に野生的な思考であるw
その野生的なものを克服しようというのが理性なのだろう。
知のハンターとしての哲学は理性に血肉を与える。
そこにあるのは「生」であり、「自己同一性」だ。
「自己同一性」=「存在」である。

結論:哲学は「存在」するために「ある」。
(とすれば、数学も物理学も哲学なしには存在しない)

554 :
ミニマムな空間として1bit時空間を考える。
考えられる状態は2つ。
2つの状態が「同時」に「ある」ということはない。
最初から「時空間」といっているので、「同時」などということは不要だ。
とすれば、2つの状態とは「可能性」であって、(実際の)「状態」は1つしかないはずだ。

「可能性」は「実現」できるのか?
といえば、「実現」できないのであれば「可能性」はない。

1bit時空間といった時点で、(実現の)「可能性」が「ある」のは間違いがない。
問題は、「可能性」というものがどこから来る/来たものなのかということだろう。

このスレでいう、論理学や集合論は、まず、「可能性」がなくては成立しない。
すなわち、「可能性」が「ある」という前提で理系学問が存在可能であり、
哲学は、その、「可能性」について議論するものでなければならない。
かくして、「認識論的可能性」は廃棄されるべきものであり、「存在論的可能性」のみが残る。

「可能性の存在証明」
これがブートストラップになる。
その証明のために、どのようなロードマップをつくるべきか。

555 :
電波が飛び交うスレ

556 :
>>554
けど無職なんだよな

557 :
日本の哲学徒は集合論できないからな
海外だと哲学科(海外では哲学部もある)で強制法までやることも多いけど

558 :
「可能性」そのものから疑うということは哲学として正しい。
エネルギー論的に考えれば、「可能性」が「実現」する、ということは、エネルギー論的に低い状態にある。
少なくとも、エネルギー論的に低い状態になる「可能性」がなくてはならない。
エネルギー論的に「可能性」を語るのであれば、そういうことだ。
エネルギーとは「可能性」のことである。
そのように考えるならば、エネルギー・時空間・情報は、すべて「可能性」である。
そのにはなんらかの「ノルム」のようなものが「ある」と考えられるが、記述集合論までいってしまうといきすぎだ。
「ノルム」のようだが「ノルム」ではない。
orderかというとorderでもない。
区切りや境界でもいきすぎだ。
いまのところ「破れ」でいいかなと思う。

559 :
「破れ」が「可能性」をつくる/「可能性」である、ということでよいだろう。
無秩序の海であれば「破れ」など簡単なのだが、
いつものように、そこで「振り出しに戻る」のであった。

そこで考える。問題は「振り出し」である。
「振り出し」てしまう。
そこに、かっては「うっかり」という言葉をあてはめたのだが、いまひとつだった。
「うっかり」も無秩序の海に喰われてしまう/呑み込まれてしまう。

タローで考えれば、振り出しは0のカードであり「愚者」である。
0こそが求めるOperatorであるのは間違いない。
0から振り出される。0が、ではなくて0から、である。

560 :
「神の存在証明」は「可能性の存在証明」であり「無の存在証明」である。
「自然」とは「無の存在証明機構(機関)」である、としてもよいのだが...
ま、それが「宇宙」という計算機を構成している、ということでよいだろう。まだ21世紀だし。

561 :
というわけで、0が振り出されるということは先送りして、0から振り出されると考えてみる。
0はスピンを持つ。そしてそこにツイスターのような構造がある、というところまではおととい夢のなかにでてきた。
ま、あくまでも仕事への応用・活用が目的なのであって、活用されなかった部分を小出しにしているw

0が「宇宙バナナの皮」だ。こいつが自分自身を踏むことでOperatorとして機能する。
ここでいう0がψ=α|0>+β|1>の波動方程式と等価になるためには足りないものがある。
そこをつながなければならない。

562 :
>>557
強制法って何?

563 :
>>562
wikipediaにもある

564 :
書き方を哲学書っぽくしただけで、ただただ読みづらい。
単語は、極力先人の定義に従うといいよ。

565 :
無秩序の海には秩序がない。
どこをとっても均一・均質である。
しかし、無秩序であるがゆえに「どこ」ともいえない。
秩序がないということは、ひとつの(大きな)秩序なのだろうか。
しかし、それに「従って」いるわけではないので秩序ではない。
ここはひとつ「ランダムネス」と「圧縮」に立ち入るべきなのか。
あくまでも哲学板における集合論と論理学のスレなのだから、
その線でランダムネスと圧縮を考えるべきなのだろう。
予想としては情報論的な「スピン」が立ち現れてくるだろうと思うのだが、はたして?

566 :
無秩序は、論理の介入を許さない。

567 :
論理は秩序だから無秩序に太刀打ちできないのだろうか。
無秩序が秩序の最終地点なのだとすれば、そこが論理の最高峰なのかもしれない。

568 :
フォーティーン・ホーリー・サルベーション

569 :
書棚整理したら、論理と哲学の世界、が出てきたので読み始めました。

570 :
哲学版ってコンなんだったっけ?
ずいぶんと人がいなくなったな。

571 :
日本には哲学研究者はいるけど哲学者はいないという

572 :
>>571
居ないって言うか少ないのでは。

573 :
>>571
おまえが知らないだけ

574 :
>>573
じゃあ、哲学研究者でない哲学者ってだれやねん。

575 :
熊野純彦とか?

576 :
考える名無しの皆さん

577 :
わたしはウンコです

578 :
>>574
自分で調べろ。
人に安直に聞くという性癖をあらためないと、哲学はできないぞ。

579 :
ホントに人いないな。

580 :
ウリエルとラミエルってどっちが強いの?

581 :

ウゴウゴルーガかよ。

582 :
アズリエル

583 :
三段論法は今後使用禁止

584 :
量子ゲートをいろいろ考えていた。
そこにある構造。
NOTやANDやORではなくXORやXNORこそが論理の基本なのではないだろうか。
論理や集合だけでなく哲学そのものもそこからリブートあるいはリボーンできるような気がしてきた。
<a|b>がゲートとなれるのならば、そのような構造がなければならないはずだ。
まだうまく説明できないが、なかなかおもしろい。
「違う」ということと「同じ」ということがつながれている。そこから宇宙が構成できる。
宇宙のブートストラップ。もっとも単純な極限状態?「ひも」の正体?
「万物は流転する」って、同じであって違うということだよねぇ。つまり、XNORとXORをつないだもの。

585 :
気がしてきた

586 :
ブラベクトル <A|=[a b] とし、ケットベクトル |B>=[c, d] としたとき、
<A|B>=[ac bc, ad bd] である。
これが、I=[1 0, 0 1]であるとするなら、
ac=1, bc=0, ad=0, bd=1 になるはずである。
これを満たすa,b,c,dを考えたわけだ。
ただし、|a|^2+|b|^2=1, |c|^2+|d|^2=1 という条件がある。

587 :
■トランスプランテーション

メタトロンコンピュータにおける“ダウンロード”

メタトロンコンピュータにはファイルという概念がなく
プログラムとデータの区別もない
それぞれのプロセスを受け持つ「領域」は存在するが
隣接する領域との境界は明確でなく、通常のコンピュータのように
ファイルのかたちでコピーやペーストを行なうことができない
(演算結果をファイルに書き出すことはできる)

特定のプロセス領域を別のマシンに移すには
移殖=トランスプランテーションという手段を使う
移殖元の素粒子構造パターンの指定領域を、移殖先の構造パターン
の中に再構成するのだが、この再構成に必要なキーコードは
移殖元を分解しなくては手に入れることができない
移殖先での再構成には、移殖元の破壊が必要なのである
よって、ファイルの“コピー”というよりは“移動”に近い

再構成された領域が移殖先に定着し、もともとあった他の領域と
連携して動作するようになれば、トランスプランテーションは完了となる
この処理には、メタトロンコンピュータ同士の回路の末端を接触
させる必要があり、相性次第では拒絶反応も起こり得る

588 :
1*1=1,1*0=0,0*1=0,0*0=0としてしまうと対称性がない。
0*0=1ならばXNORである。
<A|=[a ~a], |B>=[b, ~b] とすれば
<A|B>=[ab ~ab, a~b ~a~b]となる。
|D>=<A|B>|C>を考えるなら
d=abc+~ab~c=b(ac+~a~c)
~d=a~bc+~a~b~c==~b(ac+~a~c)
となる。
「もつれ」ているのだ。
論理演算とは「もつれ」である。
そこから考えると、集合も「もつれ」である。
実物としての自然数論も「もつれ」のつらなりである。
哲学も「もつれ」の学問なのではないか。
「もつれ」が、同じであり、かつ、異なるということ、すなわち「存在」あるいは「自己同一性」というものを「つないでいる」。
「世界」は「もつれ」からできている。(あれ?そんな本あったなよな)

589 :
まちがいた。
「実物」->「現物」

590 :
ん? そのメタトロンとかゆーもの、存在するのかどーかしらんけど、
その話って「量子テレポーテーション」のことでしょう。「量子もつれ」です。
よーするに量子コンピュータのことですよね??

さきほどの「もつれ」の計算。複素数であつかえばそのまま「量子もつれ」です。

591 :
■メタトロンコンピュータ

メタトロンを集積回路に使用した量子コンピュータの一種
それまでのデジタル式フォン・ノイマン型コンピュータとは
一線を画す桁違いの演算速度と小型化を両立
演算装置と記憶装置の区別がなくサーキットそのものが
絶えず変化することで演算と記憶を
(量子論的に言えば別の宇宙で)行う

592 :
ま、別の宇宙とは幻想であって、なんらかの形でつながっている以上、われわれの宇宙と一部であり、われわれの宇宙のほうが一部でもある。
われわれには宇宙の一部、それは表面といっていい、そこしかみえていない。
さきの計算式にもみえていない宇宙が隠されているw
0*0=1
そこにみえていない宇宙の一部が隠されている。

593 :
それを言うなら0/0=1

594 :
いやちがうのだ。
0と1が順序をもたず、対称であったならば0*0=1だ、ということ。
1*1=1,1*0=0,0*1=0,0*0=1
値として0と1しかないとする。
これはXNORだがXOR対応もある。
1*1=0,1*0=1,0*1=1,0*0=0
XNORは同値ということであり、
XORは異値ということになるだろう。
先の式で「+」は、いうなればパラレルワールドである。
2つの世界が共存する。
その式に足りないのは、XNORとXOR世界の共存表現であろう。

595 :
対称性を考えると多世界になる。
しかし、量子ゲートは可逆であり、二度通ると元に戻る。
そこがおかしい。
足りないのは「向き」の対称性。
時間や空間のもととなっているのは「計算の向き」である。
時間スレがあるけど、「時間や空間」とは「計算」のことである。
粒子に対する反粒子とは「計算の向き」が逆なのだ。

596 :
とすれば、哲学と論理学・集合論そして現物としての自然数論を統合するには
「計算」から考えればよい。
「写像」や「射」でもよいのだが、それを「計算」と呼ぶのは、単に趣味の問題だw
「うっかりw」と「計算」してしまうものがOperatorである。
自己同一性がOperatorとなり、Operatorが自己同一性となる。
それが「存在」であり、「必然性あるいは必然的偶然性」であり...

哲学も数学も、局所的には音楽を奏でているのだが、全体としては雑音が多すぎる。
「対称性」を無視しているのか気づかないのかわからないが、そこから雑音(熱)が発生している。
この雑音に敏感に反応すべきなのが哲学者であり、それが哲学者のなせる唯一の仕事なのではないだろうかw
炭鉱のカナリアと考えるなら、哲学者が黙ったときこそ深刻な問題が発生しているのかもしれない。
(あたしゃ、哲学屋ではないのでどーでもよいが)

597 :
量子論・おおざっぱにいえば不確定性(「元・」原理)
と、選択公理って同じものなのではないか?
選択公理は無限集合に限らないのではないか、
量子論的有限集合などというものを考えてしまえば、1qubitでも選択公理の問題がでてくる。

などと、いつものようにくだらないことを考えていたら、
降りてきました。忘れないように、あるいは忘れるようにメモ。
確率をそのまま扱えば非量子論的デバイスでも量子計算ができる。
あたりまえといえばあたりまえな帰結。
問題は爆発的に増える、場の数。
それを、まさしく、別の宇宙wで計算させることで量子コンピュータが成り立つわけだが...

598 :
「計算」と「選択」を同じとみる(もちろん同じだ!)のならば、
別宇宙のような広がりが必要になる。
そんなものは無い。
とすれば、それは「最初からある」とするしかない。
1qubitの宇宙には1qubitの別宇宙が最初からくっついている。

599 :
1bitの宇宙がついているとするとやっぱおかしい。
どちらも半bitだ。
この半bitがもつれる。
とすれば、命題論理はもつれによる推論として再定義したほうがよさそうだ。
そうなると、命題は真か偽が決まっているということにはならない。
命題計算の向きを逆に考えると、重ねあわされた世界が発生している。
ならば、量子Prologが作れる。命題じゃなくて(一階)述語論理だけどね。
量子コンピュータによるAIは、量子Prolog的なものでいいんじゃないだろうか。
量子プログラミング言語としての量子Prolog。ちょいと考えてみるだけの価値はある。
量子バックトラックw
推論とか計算とか選択とかを逆向きに考える。
とするならば、脳のどこかにもアダマールゲートがあるはずだ。
生命そのものが量子計算機なのかも。
この宇宙という量子計算機は、いったいなにを計算しているのか。
「なにを計算しているのか」ということが「究極の問い」だったわけだ。
「銀河ハイウェイ...」か...

600 :
「命題」から考え直す。
「命題」とは、ただしいかただしくないか明確に定まる文や式である。
論理学では、これがすこし拡張されて、
「命題」とは、真または偽のいずれかになる文である。
真または偽に、いつなるのか。それは先送りされているw
そのことを勘違いした論理を扱ってはならない。

「わかんねーけどどっちかだよ」ということなのだ。
量子状態なのであるw
哲学と量子論は同じものであり、論理学も集合論も現物としての自然数論も量子論として語られなければならない。
哲学としての論理学は最初から量子論だったのだから。

601 :
600

602 :
3枚のドアがある

□□ ■■ ■■
□□ ■■ ■■
□□ ■■ ■■

モンティチョイス

□□ ■■ 
□□ ■■ 
□□ ■■ 

当たりの確率が1/2世界線へシフト

■□ □■
□■ ■□
■□ □■

603 :
それ、中がみえてる...

もしかしたら、重ね合わせたまま計算すれば条件付確率が計算できるかも。
などと思いついたが、眠いので明日の夜だな。
さっきからANDを2入力2出力でやれないものかと考えていたのだが、
重ね合わせたまま出力すれば可逆ゲートでもいけそうな気がしてきた。
つーことは...xxxxすれば量子デバイスがなくても比較的速く計算できそうな気が...
これが真偽値にモナドを付加することだとするならば、実はモナドって「宇宙」そのものなんじゃない?
窓はないけど宇宙が詰まっている。

604 :
>>603
お前、馬鹿だろう

605 :
モンティホール問題を状態ベクトルで考えようとしたが、
ちゃんとやろうとすると論文が一本書けてしまうレベルだと気づいた。
これは、もうすこし時間をかけて考えることにしよう。

それと状態ベクトルの表記のしかたがすこしマズかった。
命題Aを状態ベクトル(縦ベクトル)であらわすときカンマをつかって[,]にように表す。
縦に書きにくいから横に書くw
通常は
|0>=[1, 0]
|1>=[0, 1]
だ。
|0>や|1>はケットベクトル表記。
1や0は意味をもちすぎているのでaや~aで表していたが、
この手法を統一していなかった。
[0, 1]=[~a, a] としたほうがよかった。a=1のとき真となる。

606 :
なぜこんな記法をするのかというと、
QLC(Quantum Lambda Calculus)を作ろうとしているからである。
QLCによって論理学や集合論から自然数論を再定義すれば、
哲学計算ができる、と考えているからである。
これがなにになるかといえば、量子AIなのだw
数学と哲学の大統一でもある。なんてことはどーでもよくて、遊べるおもちゃをつくっている。
哲学するピタゴラ装置なわけw

607 :
日記は他所でやって下さい

608 :
論理学は哲学から発生しているが、記号論理学(数理論理学)のほうが成功してしまい、
哲学としての論理学はどこにいるのかわからないのが現状だw
そこを再統合するヒントは記号論理学の側にある。
「正しいか正しくないかが明確に定まる」ということはどういうことなのか。
論理学を哲学に回帰させるには、そのような点から再考すべきと考える。
わたしは量子論的に捉えなおすという方法を選んでいるが、それが正解かどうかはわからない。
量子論と、(超弦ではなく、最初の)ひも理論の考え方からやっていくと、
モナドのようなものが見えてくる。ただし、モナドはライプニッツのものと、圏論のものと、
計算機科学の3種類あり、どちらかといえば3つ目のものではないかと思える。
OOOを活用できるかなとも思っているのだが、よい文献がみつからない。

609 :
我流は止めて
文学部哲学科で勉強した方がいいよ。

610 :
オブジェクト指向存在論(object-oriented ontology, OOO)の論文といえば、
グレアム・ハーマンのTool-Being: Heidegger and the Metaphysics of Objects.である。
このころは、まだ、object-oriented philosophyといっていた。
Tool-Beingについては、わたしは単にOperatorと同一視しているので見解は同じではないw
命題も、また、ObjectでありTool-BeingでありOperatorであると考える。

611 :
LaQは立体的でありつつも平面を意識した日本生まれの知育ブロック

612 :
NHK教育を見て56492倍賢くスピノザ
http://nhk2.2ch.sc/test/read.cgi/liveetv/1543841584/

613 :
■ビッグバンの前にはもうひとつの「古い宇宙」があった:研究結果

宇宙はビッグバンから始まった…という通説は間違っていたのかもしれない
現在の宇宙は、収縮状態にあった「古い宇宙」が膨張し始めたことで
生まれたということを、量子力学を用いて示す研究が発表された

宇宙は常に膨張状態にあり、それは「ビッグバン」
──無限大の密度をもつ高温の1点からの爆発によって始まった、
と一般的に考えられている

614 :
「ならば」の使い方がよくわからん。本当に日常言語のPならばQは、「P→Q」ってことでいいの?
私には「P|=Q」のようにしか捉えられないのだけれど、日本語に精通していないってことなのか?

あと、「P|=Q ならば |=P→Q」における「ならば」の位置づけもよくわからん。
「P|=Q」はメタレベルの式でしょ?それをつなぐ「ならば」は、メタメタの言語ってこと?

615 :
おもしろい!
日常言語の「ならば」と実質合意と論理的帰結の違い。
日常言語の「ならば」と実質合意の違いからは、様相論理がうまれている。

マルクス・ガブリエル風に考えるならば、
「ならば」は意味場によって異なる存在となり、
実質合意や論理的帰結は、それぞれがそれぞれの意味場における存在である。

そう考えるならば、「メタ」はより大きな意味場になる。
しかしながら、無限連鎖してしまうと不完全性定理の餌食になるw

以下妄想
つまり...え?...えええ?...閉じてしまえばいいのか...
そうするとネーターの定理にも閉じていることを予言するような箇所があるのかもしれない。

616 :
おもしろい!
日常言語の「ならば」と実質合意と論理的帰結の違い。
日常言語の「ならば」と実質合意の違いからは、様相論理がうまれている。

マルクス・ガブリエル風に考えるならば、
「ならば」は意味場によって異なる存在となり、
実質合意や論理的帰結は、それぞれがそれぞれの意味場における存在である。

そう考えるならば、「メタ」はより大きな意味場になる。
しかしながら、無限連鎖してしまうと不完全性定理の餌食になるw

以下妄想
つまり...え?...えええ?...閉じてしまえばいいのか...
そうするとネーターの定理にも閉じていることを予言するような箇所があるのかもしれない。

617 :
む。ブラウザかサーバかどちらかがおかしい。
昨日からなにかが不調だ。特異日を考えるならばパールハーバー?

618 :
論理を量子論的な立場から考え直している。
一粒子系はだいたい考えたつくしたので、二粒子系。
二入力の論理ゲート。
そうすると、ANDやORがオカシイということに気付く。
これをどのように再解釈すべきか。
そのままだと情報が保存されていないようにみえる。
なにが足りないのか、ということ。

619 :
量子論理では「ならば」が面倒くさいと大昔に聞いた

620 :
真/偽をT/Fとする。
A = T or F, B = T or F である。
A and B = T とすれば、A = T, B = T であることがわかる。
しかし、
A and B = F のときはひとつに決まらない。
これはいったい(哲学的には)どういうことなのか。

621 :
 ∩     新年
 ∩∪     あけまして
 ∪.| |∩     おめでとう
. | |.| |∪       ございます
. | |.| |.| |
(∩∩∩∩)    2019年元旦.
(∪∪∪∪)
 |≡≡≡|
/≠≠≠\

622 :
考えるということはユニタリ変換であって、
情報が失われることはない、と考えたい
どのようなユニタリ変換をするということが
考えるということである
そうすると、集合とはなんなのか
素朴に考えれば情報の集まりとしての情報である
集合も考えるということのひとつになる
とすれば、情報の存在論が自然数論なのだろう

自然数論が存在論で、集合論が意味論であるならば、
論理学は...変換・変形なのだから...
なんだ?
哲学のなんらかの論に相当すると思われるのだが...
美学的ななにか?...倫理?...思想?...?

とするならば、認識論とはユニタリ変換である
可逆でなければならない
ほんとか?

623 :
人間の5大欲求とはよく言うが、
実は知られていない6つめの欲求がある
それが「自動化」だ
人間の歴史は自動化の歴史と言い換える事が出来る
如何に楽をしてより多くの仕事量(ジュール当たりのパフォーマンス)を
増やすか人間は苦心してきた
その究極形となるのが汎用人工知能である
これは人間の働きを全て代替する

624 :
プリンストンとかに招かれるような奴たとえば俺とかは
フィボナッチ等は学童の頃に嗜む
アンドリューワイルズもそうだ
テレンスタオもそうだろう
知能指数は
タオ>俺>ワイルズだと思う

とにかく今はゼータζ(s)だろ
素数とはは一体なんなのか
どんな調和があるのか
物理も化学もそう宇宙も全てが分かる瞬間こそ
素数そしてゼータ関数の解明である

フェルマー解いたワイルズは世界一有名な数学者の一人だろう
ゼータζゼロ点を解明しワイルズを超えたい

625 :
>>624
解りやすくおねがいします。

626 :
>>620
なんでもありって事
要はAとBだけじゃ結論が決められないってこと

627 :
質問です。
集合a,bについて、「「a∈b」が命題である」ことは、公理ですか?それとも定理でしょうか?

628 :
素数を知ったのは確か4歳くらいの時
聡明で美しい数字を想った
2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53 59…
何か法則性は無いのか
すぐ近くに次の素数が現れると思えばすぐ近くには無かったり
これが3桁4桁5桁となっていくと複雑な羅列が顕著になる
この素数に子供ながらにして興味津々になった記憶がある
小学低学年の時だったか
数列anで階差数列をしていけば容易ではないかと思ったりした
浅はかな学童
その内にリーマン予想を知る
複素数の関数が必要であること
学童の“大学への数学”“Z会”クラスの学力では無理だったのだ
そしてリーマンζ(s)を解き明かす目標の日々となる
そう2008年の「リーマンショック」にはビックリした
「リーマンやっちゃったよ」なんて街の声に誰かがリーマン解いたのか
そう思ったのである
しばらくしてリーマンとは米国投資銀行であり
その倒産を意味するを知る
またサラリーマンをリーマンとここ日本では呼ぶようだが
「おまえリーマンとしてはゼロ点だな」なんて地下鉄で説教
しているのを聴くとドキッとくる

629 :
 ┏┓┏┓ ┓┏┓
 ┏┛┃┃ ┃┗┫
 ┗┛┗┛ ┻┗┛
 令┃和┃元┃年┃
 ━┛━┛━┛━┛

630 :
空集合は開集合である。
これが境界を持つと閉集合になる。
それは境界のみがあるということ。
よって、それは球面である。
空集合を0次元球体とするなら、
-1次元球面なのか、
反1次元球面なのか、
-0次元球面なのか反0次元球面なのか。
それとも未発見の球面なのか。

631 :
0次元球体は「点」である。
これは開球体なのか閉球体なのか、両方あるのか、調べてみたがわからなかった。
球体といっているが、ようするに「集合」である。

空集合は開集合である。これが0次元開球体と同一視してよいものなのか。
これもわからなかった。
もし0次元開球体が空集合であれば、ただひとつしかないことになる。
もし0次元閉球体が点であれば、たくさんあってもよい。
0次元閉球体は、おそらく、フェルミオンだ。

では、0次元球面はどうなるのか?
これは0次元閉球体が2つ、のはずである。
しかし、これはおかしい。
閉球体が、さらになんらかのpropertyをもっていなければ、
2つの閉球体がまとまって球面となるようなことはない。
つなぐものと考えるならば、仮想粒子を交換しているはずである。
仮想粒子は、この場合はボソンのはずだ。
ここまでの登場人物であやしいのは0次元開球面/空集合である。
彼が閉球体をつないでいるボソンのはずだ。
2つの閉球体が空集合を交換する。
閉球体がなんらかの表面で閉じ込められたものだとしても、
中身は空集合なので「ひとつ」である。
なにが足りないのかといえば、2つの閉球体間のフェルミ面である。
登場人物の中から探すとすれば、これは2つの閉球体の表面であろう。

0次元球面は超伝導であり超流動的であり1量子ビットである。

632 :
ただ一つしかない、のはどういう理由?

633 :
空集合だから。外延性の公理。
さらには量子力学からの要請。

634 :
「エクリチュール」とは書くことであり書かれたものでもある。
哲学的にはパロールと対立させられる。
これを、記述行為あるいは記述されたもの、または情報であると考えてみる。
球体とか球面とか点とかいっても、それは「記述」である。
記述を「描く/描かれたもの」としてもよいだろう。
その「記述」のひとつの手法として「集合」がある。
対象など、とりあえず無定義の「点」でよい。

0次元閉球体は「点」ひとつだけの「集合」である。
とすれば、0次元開球体は、その「点」を含まない「集合」である。
やはり、「空集合」と同定してもよさそうだ。
0次元閉球体を、「ある」という属性しかもっていないとすれば、
0次元閉球体もまた、ただひとつの存在である。
そうなると、「0次元」とか「球体」とかも、哲学用語であるw
哲学的次元と、哲学的実体。
さて、「哲学的次元」をどうしよう。
0,1はよさそうだ、哲学者であってもさらに2ぐらいまでは数えられるようにしなければならない。
3以上は、「たくさん」でよいだろう。そこまでは求めない。
「点」と「空」による基底状態から、2をひきださなくてはならない。
それぞれがただひとつであっても、あわせれば2になりそうだが、哲学的にはそんな単純ではないw
必要となるのはproperty(properties)である。

635 :
>>595
>しかし、量子ゲートは可逆であり、二度通ると元に戻る。
それはゲートの中の話だけで入出力(他の量子原理も含む)に
接続するときに完全な情報伝達ができないのが量子力学の基本すらしらないのか?
よって「二度通ると元に戻る」とは間違いでもとにもどる近似(かなり誤差がある)となる
量子情報にデジタル情報として載せて繰り返し行うことで誤差の除去はできるが
1回目と2回目と3回目で同じ動作になるとは限らず、2度通るという話は糞知識の証拠だ

636 :
>>633
ありがとう。
空間における、何も存在しない部分は全て繋がっている、という事だね。

0次元球面というのが良くわからない。
また、2つしか存在しない理由は?

637 :
いやいや、現実の量子コンピュータではなく、
量子ゲート(可逆ゲート)だけで考えれば元に戻る。
それだけでは現実世界を構築できない。
どうやって電荷のようなものを自発的に発生させるか、そこが問題だ。

0次元球面は、2つの点である。そうなっているらしい。
しかし、2つの点がバラバラでは意味がないはず。
なんらかの仮想粒子を交換していなければならない。
(物理的にではなく)論理的に考えられるようなフェルミ凝縮があるのだろう。

638 :
繋がっていると表現してしまうとコネクターが存在するようなイメージになってしまう。
あくまでも「ひとつ」。

639 :
量子コンピュータが量子ゲート以外を拒む学者が総数なのは、
量子コンピュータの本質は計算過程を処理しないこと、計算時間が完全に0秒であること
量子コンピュータの計算時間とは読み出しにかかる時間だけということだからだ。
量子もつれ(エンタングル)をした量子計算アルゴリズムは1つの粒子として働き、
そこには伝達という原理が存在しないので相対性理論は適用されない。
量子テレポートが同時で光速を超えると言い出すのはその意味である。
量子ゲート以外の多粒子が相互に情報を伝達しあって構造によって伝達の原理でくみ上げる
それは量子コンピュータではなく古典的従来のコンピュータ回路である。
情報を伝達するが故に複雑な計算になるほど指数的に時間がかかるが、粒子が1つのとして
量子もつれが原理となる量子コンピュータでは指数的な時間がかかる演算を単純な計算と
どういつに0秒で処理ができる、複雑の度合いは量子もつれの数に依存し、一度外に
入出力してしまえば古典的コンピュータ演算に速度が落ちるという原理だ。

640 :
sm35775418

641 :
0次元開球体を空集合と同定した場合、
0次元閉球体は点である。
この点の表面は-1次元の球面なのか、それとも点そのものなのか。
0次元開球体に一点つけくわえれば0次元球面になるはずである。
そのままでは辻褄があわないような気がする。
これを解決するためには最初から点と反点がある、とすればよいだろう。
ほんとか?
ちょいとアルコホルがまわりすぎてうまく思考できない。
もしかしたら空と反空があるのかもしれないし、
空と反空のペアは反点と点のペアと同じものかもしれない。
もはや点でも空でもよいが、なんらかのペアあるいはパートナーとなる2つの組み合わせがある。
どちらからかみれば、ボソンとボシーノかフェルミオンとスフェルミオンか。
超対称性パートナーであろう。
このパズル、おもしろそうだ。

642 :
1次元開球体の両端それぞれに別の0次元閉球体をつけたものが
1次元閉球体である。
両端をひとつの0次元閉球体でつなげば1次元球面となる。
これらを点の集まりとすれば、点の数として、
1次元閉球体 > 1次元球面 > 1次元開球体
ということになるが、濃度としては一緒である。
これをそのまま0次元で考えると
0次元閉球体 > 0次元球面 > 0次元開球体
なんだかおかしい。
一般的に考えると 1点 > 2点 > 0点 ということになってしまう。
これを解決するのは難しくないが、納得できる説明を与えるのは難しい。
なにかよい古典的な事象/現象はないものか、と、台風の中で考える。
台風、すなわち、スピンなのだ。

643 :
日記はチラ裏

644 :
こんだけ広告がでてるんだから、チラ裏でしょうw
空集合は、あらゆる集合の部分集合として、そこに存在するにもかかわらず、
外延性の公理からただひとつである。
とすれば、こいつがすべての集合をつなげている。
マルクス・ガブリエルは「世界は存在しない」というが、
世界は、やはり存在するのだろう。ただし、集合論を拡張しなくてはならない。
もし、哲学的に集合論を拡張するのであれば、なにが必要なのか。
と、台風の中で考える。

645 :
プラトニズム・有限主義・形式主義、これら以外に論理や集合を捉えうる方法を考える。
これらを認識論的アプローチだと考えるなら、これ以上そのようなアプローチを増やしても、つまらない。
存在論的アプローチ、意味論的アプローチ。
このように考えても、認識論をベースにおいてしまうと、認識論的アプローチとなんらかわりがない。
なんらかの表出・表現・記述が必要になると、そうならざるをえない。
かといって仏教的なやりかたでは『役に立たない』。

646 :
これを運命の三女神に割り当てるとおもしろい。
存在は割り当てであり、認識は紡ぐことであり、意味は断ち切ることである。
クロートー、ラケシス、アトロポスでもいいし
ウルズ、ヴェルザンディ、スクルドでもいい。
そのままに、過去、現在、未来でもいい。
このようなしょうもないことを考えても、ひとつ得られたものがあった。
「意味」とは「つなぐ」ことではなく「断ち切る」こと。
「断ち切られた」から「意味」が生じる。

647 :
スレち

648 :
単純なスレちではないんだなぁ。
集合論関係の哲学書を読んだうえで書いている。
哲学的アプローチは奥が深い。
どこからどのように攻めるべきか。神話論とか物語論からも攻められるのだ。

649 :
空集合は公理的集合論から、ただひとつしかないのだが、
線分の両端が開放端だとした場合、そこにある開球体は両端なのだから2つある。
空集合は境界を含まないと考えるなら、境界は2つあるが中身はひとつだ。
境界と空。これが宇宙際のターミナルだとすれば、そこがタイヒミュラー宇宙港なのかも?
論理学や集合論を拡張するとするならば宇宙際ターミナル機構をくわえればよいのかも。

650 :
集合論の拡張はそれなりにみえてきているのだが、
論理学をどうしよう。
論理学の中で、集合論における空集合のように立ち振る舞えるものは、
矛盾律なのではないかと考えてはいるのだが、
よいアイデアが浮かばない。
矛盾律は奔放すぎる。
「束」には三種類ある。pencil,lattice,bundle。
それぞれ別物だが、なんとなくいっしょくたにしてみたくなる。
ごった煮にしてしまえばなにか生まれてくるかもしれない。

651 :
集合とは、ものの集まりであるが、
空集合だけはものが集まらない。
なにが集まらないのかによって区別が可能であろう。
そう考えると、「集まらない」ということも、集合論に、明確に入れるべきである。
これと同様に、論理学にも、非論理的なものも取り入れなければならない。
形式論理では、このようなものはたくさん考えられているが、
あくまでも「許容」であって、「非論理」を明確に、「論理」として扱っているのどうかという疑問がある。

652 :
竹之内脩『入門集合と位相』

部分集合について

∀x(x∈A⇒x∈B) @

@の対偶は

∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)  A

とあるがこれは間違い
Aの対偶は

∃x(x∈B⇒x∈A)

である
わかりにくい場合は

∀x∈A ⇒ ∀x∈B  B

と書き改めるべきである
Bの対偶は

∃x∈B ⇒ ∃x∈A

653 :
∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)が不成立な例

A:={1,2} B:={1,2,3}

とする.このときA⊆Bであることを示したい.そのために
∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)Aを用いる.
いま,4(¬∈)Bを選ぶと4はAにも当然属さないがこれは
部分集合の証明になっていない.
そこで,∃x∈B ⇒ ∃x∈Aを示そう.

Bから適当に元を選ぶ.たとえば1∈Bとすると
1∈Aであるから∃x∈B ⇒ ∃x∈Aが成立する.
ゆえに,A⊆Bの証明で∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)を用いてはならない.

654 :
また同著書で

A∨B ⇒ A∧B

を導出していた
たしかにAまたはBのとき
AとBとの共通部分もA∪Bに含まれるが
A∩BとA∪Bが一致するわけではないし

A∪B ⇒ A∩B

を必ず言えるわけではない
たとえばA∪Bの成分の

A∪(¬B)

はA∩Bに属さない

655 :
んー。数学屋ではないのでおかしなところを指摘したりはしないw
∀xが全体にかかっているときの正しい対偶のとりかたって、どーなるんだろう。
ま、図を書いて検討するのがベターだろうな。
でもそうすると図示可能であるということが前提となってしまう。
ああ、命題であるということがはたして図示可能なのかどうか。
哲学は難しい。

656 :
命題そのものを操れずに、それは哲学じゃない。
哲学者なら前提条件に介入するべきな。

657 :
全称命題の否定は全体にかかる
¬∀…

∃…

658 :
哲学は介入であるのかもしれないが、どのように介入するか。
どちらかというとメタ哲学の領域か。
いっそのこと命題に哲学者を組み込んでしまおうか。
哲学者入りの論理式とか哲学者入りの集合論とか。

659 :
>全称命題の否定は全体にかかる
全称命題の否定の命題を作ればいいだけ。
より高次がカオスに見えるからレッテル貼りは学術の基本であっても、
それを問い直す行為ではないのだよ。

660 :
>>657
∀の否定が∃?

661 :
数学は一階の述語論理しか使わねえから
高次の論理は関係がない
そんな視点はいらない

662 :
>>660
そうだよ
∀の裏は∃

663 :
>>661
>数学は一階の述語論理しか使わねえから
自分で数学の限界を示している、哀れだのう。
それが限界、それで説明できないものは存在しないという思考放棄
次元は説明しえない定義しえないところにもあり、
無限という輪廻を極限という数値化して限界から目をそらすのが
数学の限界、所詮は実態を解釈する幻想にすぎない、定義幻想だ。
物理学の足元にも及ばない。

664 :
>>663
ああどっかのスレで
閉論理式には真理値を用いることはできない
なんていうデマを発する奴がいたが
そいつに似ているな
お前論理に詳しいんだろ
だったら
開論理式と閉論理式の説明をしてくれ

665 :
>>662
裏と否定は違うぞ。

666 :
>>647
> スレち
板違い、はやく削除依頼だしとけ

667 :
>>665
そんな短文で絡んでねえで
どう違うのか説明してみろよ
俺は同じだと思うけどね

668 :
全称命題の否定について
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E7%A7%B0%E5%91%BD%E9%A1%8C

669 :
>全称命題は、存在命題の否定と論理的に等値である
>「少なくとも一頭は空を飛べない牛がいる」という命題を否定することと等値である

俺を否定したいだけで何が言いたいのかさっぱりわからない
全称命題の否定と裏がどう違うのか説明してくれ

670 :
というか
当たり前過ぎて
ぐぐっちまったよ
俺が何か重大な勘違いをしていたのかも知れないと思ってな

671 :
ところで
開論理式と閉論理式の違いについての説明はまだですか?
説明できないならこのスレに来ないでください
気持ちが悪い

672 :


開論理式
∀x(x < y)

閉論理式
∀x∃y(x < y)

こんな簡単なことを
さも凄そうに語っていた嘘つきさんまだですか?
ここで語ってくださいよ
叩きまくるからさ

673 :
キチガイスレあげんな!

674 :
>>667
裏じゃなくて対偶。

675 :
>>674
裏      ¬∀ ¬… ⇒ ¬…
対偶     ¬∀ ¬… ⇒ ¬…

これらを略して

¬∀…

∃…

なあ前件と後件を略しているくらいわからないか?
それから裏と対偶の違いではなくて
否定と裏の違いを教えてくれ
因みに「逆」の話はいらない

676 :
Rよ脊髄反射と解法暗記しかできないゴミ

677 :
自分の見たことのない書き方はすべて間違い
その程度の頭だろ?
R

678 :
全称命題の否定が特称命題だって知りませんでしたwwwwwwwwwwwww
何それ
まじかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
うっわwwwwwwwwwww
そんな頭で俺に絡んだのかよwwwwwwwwwww
やめてくれよwwwwwwwwwwwww

679 :
二度と俺に絡むな
ゴミクズ

680 :
低機能自閉症の知恵遅れ
精神遅滞者
R

681 :
お前がなw

682 :
   >>681
  \__________________/
      ∨
   |/-O-O-ヽ| ブツブツ・・・
   | . : )'e'( : . |
   ` ‐-=-‐
   /    \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\.          \      ∧_∧
||. .\\          \    ( ;´Д`) (オイ、なんか変なのがいるぞ)
.    \\          \ /    ヽ.
.      \\         / .|   | |
.        \∧_∧   (⌒\|__./ ./
         ( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
.         _/   ヽ          \  (     ) うわー、こっち見てるよ

683 :
お前がな、カスw

684 :
∀x(x∈A⇒x∈B)
犬、猫、猿がいるとする。
Aを犬、Bを猫でない、とする。
∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)を対偶とすれば、
犬のとき、猫ではないのだから正しい。
猫のとき、猫であって犬ではないのだから正しい。
猿のとき、猫ではないのだから正しい。
特に問題は生じない。
∃x(x∈B⇒x∈A)の場合、
犬のとき、猫ではないのだから犬であり正しい。
猫のとき、猫なのだから正しい。
猿のとき、猫ではないのだから犬でなければならない。正しくない。
あれ?おれどこか間違った?

685 :
>>684
違うな
∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)
の誤謬例
A:={犬,猫,猿}
B:={犬,猫,猿,雉}
とおく
このとき
鬼(¬∈)Bとする
当然鬼はAにも属さない
したがって対偶が成立し
∀x(x∈A⇒x∈B)
が成り立つ
というように∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)とすると
部分集合の議論と関係ないことが起こる
他方
∃x(x∈B⇒x∈A)の場合
上記A,Bの集合だとして
Bから適当な要素(雉を除いたもの)を選べば
必ずその要素はAに属する
ゆえに∀x(x∈A⇒x∈Bの対偶は∃x(x∈B⇒x∈A)である

686 :
ん?
∀x(x∈A⇒x∈B) は、xが鬼でも成り立つよ?

687 :
>>686
どういうことですか?
A:={犬,猫,猿}
B:={犬,猫,猿,雉}
このようなA,Bについて
鬼は外ですけど

688 :
まさか全称命題を全体集合の要素から持ってくるとか?
しかし
∀x∈AというときはAに属するようなすべての要素xですけど
どういうことだろう

689 :
Aのすべての要素
犬,猫,猿
Bのすべての要素
犬,猫,猿,雉
鬼は外です

690 :
そうかー。ってことは、「⇒」は論理包含ではないのですね。
論理包含だとばかり思っていました。

691 :
そりゃあ量化子を使っているのだから述語論理でしょ

692 :
どれをみれば命題論理だと思えるのだろう
不思議だわ

693 :
数学で使える論理ってほんとに限られてるわ
仮言三段論法とかいろいろあっても
論理学は使えないって言われる
クズ哲と同じくらいにね
数理論理学っていうのも同じくらいトンデモだし

694 :
そういう意味で圏論やホモロジー代数はやらないことにしている
今使える論理が使えない場合もあるだろうから

695 :
竹之内脩『入門集合と位相』を読んでいないので、
本当はどのように書かれているのかよくわからない。
それでもまあ、「⇒」は論理包含であり、
∃は文脈上で「任意の」という意味で使われているのではないかと思う。
作用域の違いも重要だ。これがちょっとズレるだけで意味が大きく異なってしまう。

696 :
なんだ基地外しかいねえや
ここ見ても書いても意味ねえ
じゃあな

697 :
お前がなw

698 :
ああ言いてえことわかったわ
含意命題P ⇒ Qのとき
この同値変形で

¬P∨Qって言いてえのか

馬鹿じゃねえの

A:={犬,猫,猿}
B:={犬,猫,猿,雉}

¬Aの要素は何だ
∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)と同じ問題が発生する

鬼∈¬Aをとれるという主張だがたしかにそうだ
そんで
鬼∨犬 真
鬼∨猫 真
鬼∨猿 真
鬼∨雉 真

∀x∈A ⇒ ∀x∈Bは
何の意味のない命題と化した

それでは
∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)と同じものとして

∃x(x(¬∈)A ∨ x∈B)

つまりAのすべての要素を調べたいのに
実質的にBの要素のみを調べることになる

699 :
A:={犬,猫,猿}
B:={犬,猫,猿,雉}

∀x∈A ⇒ ∀x∈B
の同値変形で
∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B)

の場合を考えよう

雉∨犬 真
雉∨猫 真
雉∨猿 真
雉∨雉 真
鬼∨犬 真
鬼∨猫 真
鬼∨猿 真
鬼∨雉 真

つまりAに属さない適当な要素を持ってきて
実質的にBの要素を調べているだけである
これは部分集合の証明ではない

700 :
因みに「適当な元」とは存在量化子を意味する
「任意の」は全称量化子であることは当然であり
存在量化子を「任意の」と読むなんていうことは意味不明だ

701 :
>>699
∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B)
訂正

∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B

702 :
∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B)

の場合鬼がとれるという主張だが
以上のように
∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)の場合と同様の問題が発生するので
部分集合の証明すなわち∀x∈A ⇒ ∀x∈Bの場合において
同値変形はするべきではないということがわかった

もう一度言う

∀x∈A⇒∀x∈Bの対偶は∃x∈B⇒∃x∈Aである
∀x∈A⇒∀x∈Bの同値変形はできない

以上

703 :
含意命題

P ⇒ Q 等値 ¬P ∨ Q

この命題論理をどう述語論理に書き換えるか

∀x∈P ⇒ ∀x∈Q

等値

¬(∀x∈P) ∨ ∀x∈Q)
i.e.
∃x∈P ∨ ∀x∈Q

これよりPに属さないような要素を考慮する意味はなくなった

704 :
∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B)は
∃x∈A ∨ ∀x∈Bに訂正
以上から

犬 ∨ 犬 真
犬 ∨ 猫 真
犬 ∨ 猿 真
犬 ∨ 雉 真
猫 ∨ 犬 真
猫 ∨ 猫 真
猫 ∨ 猿 真
猫 ∨ 雉 真
猿 ∨ 犬 真
猿 ∨ 猫 真
猿 ∨ 猿 真
猿 ∨ 雉 真

という意味のない恒真命題になった
これより部分集合の証明において
全称命題を等値変形することはできない

705 :
685 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2019/12/19(木) 20:45:34.73 0
ん?
∀x(x∈A⇒x∈B) は、xが鬼でも成り立つよ?


よく考えてからレスしろよwwwwwwwwwwwwwww
めんどくせえなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

706 :
学問には脊髄反射と解法暗記は通用しないので
勉強のやり方を変えた方がよい

707 :
ここは哲学板。
数学板に移動しましょう。

708 :
竹之内の本を入手できなかったので、結局、ほんとうはどんなことが書かれていたのか不明なままだw

x∈AをA(x)、x∈BをB(x)として考えるなら、
∀x(A(x)⇒B(x))はAに属さないxも含んでしまう。
なので、もし部分集合を語っているのであれば、もっと制限がついているはずである。

709 :
>>708
>x∈AをA(x)、x∈BをB(x)として考えるなら、
>∀x(A(x)⇒B(x))はAに属さないxも含んでしまう。

何故ですか?
∀x∈Aは「すべてのAの元」という意味なのに
何故Aでない元まで考慮するのでしょうか?

A:={1,2,3}

とするときAの任意の元は1,2,3の何れかであって
Aに属さないものを選べるとは思わないのですが

710 :
だって、∀x()で明示的に指定してあるじゃん?
∀x∈Aとは記述されていない。
記述どおりに読んでいるだけだが?

711 :
>>710
ああそれなら
∀x(x∈A⇒x∈B)という記法は論理学に合わせているだけで
実際の数学では

A,B:集合
A⊆B⇔def.
∀x∈A ⇒ ∀x∈B

という意味です

712 :
>>710
しかも
>x∈AをA(x)、x∈BをB(x)として考えるなら、
>∀x(A(x)⇒B(x))はAに属さないxも含んでしまう。

これを読みましたか?
貴方は意味不明です

713 :
∀x(x∈A⇒x∈B)

このようなxを全体集合のxと読み取る人は初めてです
因みに
A,Bは単なる集合であって
有限でもなければ無限でもありません
ですから選択公理の問題もありません

ここまで言わないとわかりませんか?

714 :
全称記号と作用域を考えるなら、あたりまえの考え方しかしていませんが?
記述されていないものを持ち込まれて間違っているといわれてもねぇ。

715 :
>>714
なに作用域って?

全称記号の存在性について言ってるのか?

716 :
なるほどね

∀x(x∈A)

にこだわる理由がわかったよ

すべてのxについてxはAである

こう読むんだろ?

これが数学と論理学の違いだね
たとえ数学で

∀x(x∈A)

こう書いてあったとしても
これはすべてのAの元と読む
まあここは論理学・集合論のスレだから
もう数学の話はしないよ

717 :
なんだ、全称記号を知らなかったのか。それではしかたありませんね。

718 :
真 ⇒ 真:真
真 ⇒ 偽:偽
偽 ⇒ 真:真
偽 ⇒ 偽:真

どうせ偽の仮定の問題をうまく処理したいだけなんだろうけど
君こそ数学における全称量化子の意味をわかってない
数学はどこの集合の元に属するのかということが非常に大切である
それだから偽の仮定などというものも排除されている

719 :
数学でいう集合というのは論理学でいう集合とは異なる
論理学から数学を観ればある意味で制限のかかった集合に観えると思う
しかし無制限に拡大した集合は数学では使えない
数学と論理学はどちらが厳密なのかというのはずっと議論されていることだと思うけど
俺は数学の方が厳密だと思ってるよ

因みに俺の専門は
成田正雄及びノースコットのイデアル論(ホモロジー代数を使っていない)
まあ興味があったら読んでみてくれ
もうこの話は終わりだ

720 :
仲本章夫の本を読んだことある人いる?

721 :
仲本章夫の論理学の本で哲学に関する話が面白かったんだけど
哲学入門とか認識論について読んでいる人いませんか?

722 :
数学が論理額より厳密に表現され得るのは人間の持つ精神面の振る舞いを排除した世界だからね
分野を跨いで、理論を統合するための方式に数学の形式論理で整合性を導くからより厳密に見える
のも物質世界の認識に限局した領域に限られるからこそだろう

723 :
部分集合の意味がわかった.
A:={1,2}
B:={1,2,3}
とする.このとき
∀x(x∈A ⇒ x∈B)
の対偶
∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A)
を示す.
∃x∈¬Bを仮定する.たとえば適当に∃x∈¬Aとし,
3∈¬A
を選ぶと
∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A)
が成立する.

724 :
ラッセルとヴィトゲンシュタインの決裂も集合論だよ。部分集合と全体集合はなかなかの難易度ですな。

725 :
そうなんだよね
部分と全体について考えるとわからなくなる
一応部分集合の証明を
∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A)
としてみたけれど
∃x(x¬∈B ⇒ x¬∈A)
を考えてみる
A:={1,2}
B:={1,2,3}
の場合
Bに属さないものを仮定する
Bの要素は1,2,3であるがBに属さないものをたとえば適当にAと考えるとき
Aの要素1,2はBの要素でもあるからそのような元をとることはできない
それゆえBに属さないものを仮定するということはできない
これが僕の結論です
上述の通り
∃x(x¬∈B ⇒ x¬∈A) ?

∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A) ?
との違いは
?はBに属さないものをとらなければならない
それに対して
?はBでないものつま適当にAやAでないものをとることができる
と解釈しています

726 :
>>725
>?はBでないものつま適当にAやAでないものをとることができる
訂正
?はBでないものつまり適当にAやAでないものをとることができる

727 :
部分があって全体が成り立つのか、全体があって部分が成り立つのかはルーツによって違うし、繁殖の違いによって違いがあるね。

728 :
集合においても体においても。

729 :
また部分集合の証明がわからなくなった
今度何か思いついたらここに書きます

730 :
有限集合の場合(元が全部みえる・わかる)には

A,B:集合
とする

∀x(x∈A ⇒ x∈B) ⇔def. A⊆B

これでよい

ここでストップ

731 :
∀x(x∈A ⇒ x∈B)
の対偶
¬(∀x(x∈B ⇒ x∈A))
等値
∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A)
やはりこう考えるしかないように思われる

732 :
∀x(x∈A ⇒ x∈B)

の対偶

¬(∀x(x∈B ⇒ x∈A))

の等値

∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A)

ではなく

∃x(x¬∈B ⇒ x¬∈A)

でなければならない例を発見したのでここに記録する

733 :
参考文献 チャート研究所『増補改訂版チャート式解法と演習数学T+ A 黄』
数研出版株式会社 2019年4月10日 第6刷

p.68 EXERCISES B 34 


Z:整数全体

とする.

9で割り切れる整数全体の集合をA,
15で割り切れる整数全体の集合をBとする.
C:={x+y | ∀x∈A,∀y∈B}とするとき,
Cは3で割り切れる整数全体の集合と一致することを示せ.

(別証)

まず,各集合について

A:={x | xは9で割り切れる,∀x∈Z}={xは9の倍数}
B:={y | yは15で割り切れる,∀y∈Z}={yは15の倍数}
D:={z | zは3で割り切れる,∀z∈Z}={zは3の倍数}
C={x+yは24の倍数}

である.このときC=Dを示したい.
そのためにC⊆DかつD⊆Cを示そう.

734 :
(1) C⊆Dの場合

 ∀a(a∈C ⇒ a∈D)の対偶をとると

¬(∀a(a∈D ⇒ a∈C))

であるから

∃a(a¬∈D ⇒ a¬∈C)

をいえばよい.このとき,Dに属さない数すなわち3の倍数でない数を適当に選ぶ.
たとえば2とすると2は24の倍数ではない.ゆえに対偶が成立するのでC⊆Dである.
(2) D⊆C

 (1)と同様にして∀a(a∈D ⇒ a∈C)の対偶をとればよい.
Cに属さない数,すなわち24の倍数でない数たとえば4を適当に選べば,
これは3の倍数ではないので対偶が成立するからD⊆Cである.
 以上(1)かつ(2)よりC=Dが成立する. □

注意 ここでは全体集合が定義されていないが,
このような約数・倍数の問題は整数全体で考え,各集合はそれぞれ全体集合の
部分集合であるという仮定がある,と考えることが妥当なように思われる.

735 :
Zを整数全体
とする.
次の集合の相等を示せ.

A:={x | x=5m+3,∃m∈Z}
B:={y | y=5n-2,∃n∈Z}

(1) A⊆Bの場合
 対偶
 
∃x_1(x_1¬∈B⇒x_1¬∈A)

を示す.そのために
∃x_1¬∈Bを仮定する.
このとき適当に

x_1:=2¬∈B

を選べば

x_1¬∈A

であるから対偶が成立する.
ゆえにA⊆Bが成り立つ.
(2) B⊆Aの場合 
 (1)と同様にして示される.

以上

736 :
どうでもいい

737 :
やたら短い式だな。

738 :
論理学も集合論も「対象」を扱う。
では、「対象」となりえないものはどうなるのか。
「対象」となりえないけど、なにかしら「ある」もの。
それは「自己同一性」を持たないので、うまく捉えることができない。

なんらかの境界を与えて囲い込む。
もっともよく使われる戦略?がClassである。
しかし、真のClassは集合ではない。
集合として扱うと各種のパラドックスを引き起こす。

739 :
参考文献 松坂和夫『集合・位相入門』岩波書店 2018年11月6日 新装版第1刷 
A,B,C:集合
A\B:差集合
A^c:補集合
とする.
p.13 (2.2)
A⊆A∪B
(証明)
 ∀x(x∈A⇒x∈A∪B)の対偶
∃x(x¬∈A^c∩B^c⇒x¬∈A^c)
を示す.∃x(x¬∈A^c∩B^c)を前提とすると適当に
∃a∈A\B  ?
を選ぶことができる.この?はx¬∈A^cをみたすので対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □

740 :
B⊆A∪B
(証明)
 A⊆A∪Bの場合と同様にして∃b∈B\Aを選べば命題が成立する. □
(2.3)
A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆C
(証明)
 A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆Cは
(∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒x∈C))⇒(∀x(x∈A∪B⇒x∈C))
と書ける.この対偶
¬(∀x(x∈A∪B⇒x∈C))
⇒¬(∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒y∈C))

741 :
すなわち
(∃x(x¬∈A^c∩B^c⇒x¬∈C^c))
⇒(∃x(x¬∈A^c⇒x¬∈C^c)∧∃x(x¬∈B^c⇒x¬∈C^c))
を示す.∃x(x¬∈A^c∩B^c⇒x¬∈C^cを前提?とする.
(?) 後件∃x(x¬∈A^c⇒x¬∈C^c)が成り立つこと
 ∃a¬∈A^cを前提?とする.ド・モルガンの法則から(A^c∩B^c)?(A∪B)^cであるから適当に
∃a(a¬∈(A∪B)^c)
を選べば前提?よりa¬∈C^cを得る.さらに前提?が在るので
∃a(a¬∈A^c⇒a¬∈C^c)
である.
(?) 後件∃x(¬∈B^c⇒a¬∈C^c)が成り立つこと
 ∃x¬∈B^cを前提?とし,∃b¬∈B^cを考える.(?)と同様にして∃b¬∈(A∪B)^cを適当に選ぶと
前提?からb¬∈C^cを得る.そして,前提?から∃b(b¬∈B^c⇒b¬∈C^c)である.
 以上(?)かつ(?)より対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □

742 :
>>741
訂正
>∃x¬∈B^cを前提?とし,∃b¬∈B^cを考える.
∃b¬∈B^cを前提?とする.

743 :
>>741
訂正
>(?) 後件∃x(¬∈B^c⇒a¬∈C^c)が成り立つこと
(?) 後件∃x(x¬∈B^c⇒x¬∈C^c)が成り立つこと

744 :
私が部分集合の証明において直接証明ではなく対偶法を用いるのは
全称命題から存在命題を示すことができないことより
全称命題の元(数)から個別具体的に元(数)を選ぶことはできない
という信念によるものである.
これがどこまで通用するのかはわからないが試みたい.
たとえば,集合A,Bについてその和集合A∪Bも
A∪B:={a| ∃a∈A∨∃a∈B}
であると考える.
もちろん和集合から任意の元をとることは厭わない.すなわち
∀x∈A∪Bに対して〜
と書ける.AとBの共通集合についても同様である.

745 :
論理学は哲学なのか?

746 :
分析哲学や言語哲学とつながりがありそうななさそうな

747 :
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7899517.html

748 :
あんまり汎用性がないのよねえ、形式にこだわる学は。

749 :
形式だから汎用性があるんだよ

750 :
A^c:Aの補集合と¬∈について
たとえば命題
A∩B⊆A
が在るとする.このとき
∀x(x∈A∩B⇒x∈A)の対偶は
¬(∀x(x∈A⇒x∈A∩B)
等値
∃x(x¬∈A^c⇒x¬∈(A∩B)^c) ?
と書いてしまっていたが?と以下の命題は等値であることがわかった
∃x(x∈A⇒x∈A∩B)
今後改めたい

751 :
A,B,C:集合
とする.
p.13 (2.2)
A⊆A∪B
(証明)
 A∪B≠Φとし,∀x(x∈A⇒x∈A∪B)の対偶
∃x(x∈A∪B⇒x∈A)
を示す.∃x(x∈A∪B)を前提とすると適当に
a∈A 
を選ぶことができるので対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □
B⊆A∪B
(証明)
 A⊆A∪Bの場合と同様にして適当にb∈Bを選べば命題が成立する. □

752 :
(2.3)
A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆C
(証明)
 A∪B≠Φとする.いま,A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆Cは

(∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒x∈C))⇒(∀x(x∈A∪B⇒x∈C))

と書ける.この対偶

¬(∀x(x∈A∪B⇒x∈C))
⇒¬(∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒y∈C))

すなわち
∃x(x∈A∪B⇒x∈C)
⇒∃x(x∈A⇒x∈C)∧∃x(x∈B⇒x∈C)

を示す.∃x(x∈A∪B⇒x∈C)を前提?とする.

753 :
(?) 後件∃x(x∈A⇒x∈C)が成り立つこと
 あるa∈Aを前提?とする.このようなaを適当に

a∈A∪B

と選べば前提?よりa∈Cを得る.さらに前提?が在るので

∃a(a∈A⇒a∈C)

である.
(?) 後件∃x(x∈B⇒x∈C)が成り立つこと
 あるb∈Bを前提?とする.b∈(A∪B)を適当に選ぶと,前提?からb∈Cを得る.そして,前提?から∃b(b∈B⇒b∈C)である.
 以上(?)かつ(?)より対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □

754 :
>>752
訂正
>すなわち
>∃x(x∈A∪B⇒x∈C)
>⇒∃x(x∈A⇒x∈C)∧∃x(x∈B⇒x∈C)
⇒∃x(x∈A⇒x∈C)∨∃x(x∈B⇒x∈C)
>以上(?)かつ(?)より対偶が成立する.
以上(?)または(?)より対偶が成立する.

755 :
(2.3)
A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆C
(証明)
 A∪B≠Φとする.いま,A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆Cは

(∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒x∈C))⇒(∀x(x∈A∪B⇒x∈C))

と書ける.この対偶

¬(∀x(x∈A∪B⇒x∈C))
⇒¬(∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒y∈C))

すなわち

∃x(x∈A∪B⇒x∈C)
⇒∃x(x∈A⇒x∈C)∨∃x(x∈B⇒x∈C)
を示す.∃x(x∈A∪B⇒x∈C)を前提?とする.

756 :
(?) 後件が両方成り立つとき
 あるa∈Aまたはあるb∈Bを前提?とする.このようなa,bを適当に

a∈A∪B∨b∈A∪B

と選べば前提?よりa∈Cまたはb∈Cを得る.さらに前提?が在るので

∃a(a∈A⇒a∈C)∨∃b(b∈B⇒b∈C)

である.
(?) 後件の一方が成り立つこと
 (?)と同様にして適当に元を選べばよい.
 以上(?)または(?)より対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □

757 :
参考文献 松坂和夫『集合・位相入門』岩波書店 2018年11月6日 新装版第1刷 
p.17 (2.16)
X:全体集合
A,B,:集合
X\A:差集合
A^c:補集合
とする.このとき
(A∪B)^c=A^c∩B^c
を示せ.
(証明)
 本書では和集合から論理積を導出している.これは
論理和から論理積を導出していることの誤魔化しであり全くの出鱈目である.
この論法は竹之内脩の集合論にもあった.
さて,別証を与えたい.
 (A∪B)^c⊆A^c∩B^c∧A^c∩B^c⊆(A^c∪B^c)を示す.
(1) (A∪B)^c⊆A^c∩B^cの場合
 ∀x(x∈(A∪B)^c⇒x∈A^c∩B^c)の対偶
∃x(x∈A^c∩B^c⇒x∈(A∪B)^c)
を示したい.そのために∃x(x∈A^c∩B^c)を前提にする.
いま,a∈A^c∩B^cとし適当にa∈X\(A∪B)を選べば
X\(A∪B)等値(A∪B)^cより
a∈(A∪B)^c
を得る.ゆえに,対偶が成立する.

758 :
(2) A^c∩B^c⊆(A^c∪B^c)の場合
 ∀y(y∈A^c∩B^c⇒y∈(A^c∪B^c))の対偶

∃y(y∈(A^c∪B^c)⇒y∈A^c∩B^c)

を示したい.そのために∃y(y∈(A^c∪B^c))を前提にする.
いま,b∈(A∪B)^cとし,適当に

b∈X\A∧b∈X\B

を選べば

b∈X\A∧b∈X\B ⇒ b∈A^c∧b∈B^c
              ⇒ b∈A^c∩B^c

を得る.ゆえに対偶

∃b(b∈(A^c∪B^c)⇒b∈A^c∩B^c)

が成立する.
 以上(1)かつ(2)より命題は示された. □

759 :
X:集合
とする.このとき
集合系:集合の集合
冪集合:Xの部分集合の全体
α:集合系
∪α:αの和集合
∩α:αの共通集合
について全称命題から存在命題を導出できないので
すべての元からある元を取り出すことができない
という理由からこれらを本書通りに定義できないことに気が付いた.
冪集合         Γ(X):={N|∃N⊆X}
αの和集合      ∪α:={x|∃A∈α(∃x∈A)}
αの共通集合     ∩α:={y|∃B∈α(∃y∈B)}
この定義でp.20の命題を示してみたいと思う.

760 :
松坂和夫は「任意」という言葉を「適当な」の意味で使っていることがわかった
それなので冪集合の定義は上記のものと本書は一致している

部分集合系   ∃M⊆Γ(X)

さてαの和集合と共通集合をどうするか考えている

761 :
冪集合Γ(X):={N|∃N⊆X}
の元としてXの部分集合全体Kを選び取ることも可能である

762 :
そう考えれば
αの和集合と共通集合との違いは
和集合の場合小さいものを選び取る
共通集合の場合大きいものを選び取る
という選択でよいのではないだろうか
量化記号としては一致してしまうが
集合の元が異なる(一致する場合もある)ので不合理はない

763 :
αの和集合と共通集合との違いはきちんと証明することができました
明日書きます
おやすみなさい

764 :
EARLの医学ツイート
@EARL_Med_Tw
4月5日
『感染の疑いがある医療関係者は隔離するのではなく、感染病棟担当にするのはどうか』
やっぱこういうこと言ってましたか山中先生・・・
EARLの医学ツイート
@EARL_Med_Tw
感染症の臨床現場からは一番遠い位置にいるんですよね、山中先生のご専門て。感染も臨床も畑違い。民放のワイドショーと変わらないですよこれじゃ
午前8:16 2020年4月5日

765 :
松坂和夫の写像ですが
R:実数全体
とする.
f:R_1 → R_2
このとき
f_4(x):=a^x
が定義できるとありますが
これはa^x=0とできないので諦めました
また
f_5(x):=x^2
は全射でも単射でもないとありますが
私は全単射になると考えています
なぜなら値域R_2をR_2:={0}と定めると
x^2=0 ⇒ x=0
より定義域R_1はR_1={0}であり
{0} → {0}
であるからです.
それから写像以降の話を自力で
書き換えるのは難しいので読むことを中断したいと思います.
次の本は鎌田正良の本を読みたいと思います.

766 :
参考文献 松坂和夫『集合・位相入門』岩波書店 2018年11月6日 新装版第1刷

p.20〜
A,C:集合
α:集合系
とする.
(2.17) ∀A∈α(A⊆∪α)

(証明)
 ∀x(x∈A⇒x∈∪α) (∀A∈α)

の対偶

∃x(x∈∪α⇒x∈A) (∃A∈α)

を示す.そのために,∃x(x∈∪α),(∃A∈α)を前提とする.
いま,a∈∪αとし,αの和集合の定義より.適当にN∈αを選べば

N∈α(a∈N)

が在るので

∃a(a∈∪α⇒a∈N) (∃N∈α)

が成立する.ゆえに対偶が成り立つ. □

☆ N∈αの選び方は自由である.たとえば,命題のようにA∈αを選べばa∈Aと書ける.

767 :
p.20 (2.18) (∀A∈α(A⊆C))⇒∪α⊆C
(証明)
 ∀x(x∈A⇒x∈C) (∀A∈α) ⇒ ∀x(x∈∪α⇒x∈C)の対偶
∃x(x∈∪α⇒x∈C)⇒∃x(x∈A⇒x∈C) (∃A∈α)を示す.そのために
∃x(x∈∪α⇒x∈C)を前提?とし,∃x(x∈A)を前提?とする.いま,?より
b∈Aとすると適当にこのAがαに属する.すなわちA∈αとなるように選べば
A∈α(b∈A)
と書ける.これはαの和集合の定義より,b∈∪αを意味するので,?からb∈Cを得る.
ゆえに,対偶の後件
∃b(b∈A⇒b∈C)
が成立する.
 以上より命題が成り立つ. □
☆ このA∈αはA⊆Cの選び方に依存する.

768 :
p.20 (2.17)' ∀A∈α(∩α⊆A)
(証明)
 ∀x(x∈∩α⇒x∈A) (∀A∈α)の対偶
∃x(x∈A⇒x∈∩α) (∃A∈α)
を示す.そのために
∃(x∈A) (∃A∈α)
を前提とする.いま,b∈Bとし,適当にB∈αとなるように選べば
B∈α(b∈B)
と書ける.これはαの共通集合の定義から
b∈∩α
を意味する.ゆえに対偶
∃b(b∈B⇒b∈∩α) (∃B∈α)
が成立するので,命題が示された. □
☆ A∈αの選び方は自由である.

769 :
p.20 (2.18)' (∀A∈α(C⊆A))⇒C⊆∩α
(証明)
 ∀x(x∈C⇒A) (∀A∈α)⇒∀x(x∈C⇒x∈∩α)の対偶
∃x(x∈C⇒x∈∩α)⇒∃x(x∈C⇒x∈A) (∃A∈α)を示す.
そのために
∃x(x∈C⇒x∈∩α) (∃A∈α)
を前提?とし,∃x(x∈C)を前提?とする.いま,?よりb∈Cとすると?から
b∈∩α
である.ここで,前提?の∃A∈αとαの共通集合の定義より
適当に
M∈α(b∈M)
を選べばb∈Mを得る.すなわち
∃b(b∈C⇒b∈M) (∃M∈α)
であるから対偶が成立するので,命題が示された. □
☆A∈αの選び方は自由である.

770 :
>>768
訂正
>☆ A∈αの選び方は自由である.
☆ B∈αの選び方はb∈Bのとり方に依存する.

771 :
>>767
訂正
>☆ このA∈αはA⊆Cの選び方に依存する.
☆このA∈αはb∈AにおけるAの選び方に依存する.

772 :
>>770
再訂正
B∈αはb∈BにおけるBの選び方に依存する

773 :
p.33 全射,単射,全単射の例
R:実数全体
とする.
? f_1:R_1 → R_2, f_1(x):=x+1
とする.
写像の存在より値域R_2を
R_2:={0}
と定め定義域R_1を求める.このとき,f_1(x)についてxの方程式を立てこれを解くと
x+1=0 ⇒ x=-1
である.ゆえにR_1は
R_1={-1}.
これより写像f_1は
{-1} → {0}:全単射
である.

774 :
? f_2:R_3 → R_4, f_2(x):=x^3
R_4:={0}
とする.?と同様にして
x^3=0 ⇒ x=0.
∴ R_3={0}..
ゆえにf_2は
{0} → {0}:全単射
である.

775 :
? f_3:R_5 → R_6, f_3(x):=x^3-x
R_6:={0}
とする.?,?と同様にして
x^3-x=0 ⇒ x(x^2-1)=0 
      ⇒ x_1(x_2^2-1)=0
      ⇒ x_1=0∨x_2^2=1
      ⇒ x_1=0∨x_2=±1
      ⇒ x_1=0∨x_2=1∨x_3=-1
であるから
R_5={-1,0,1}.
ゆえにf_3は
{-1,0,1} → {0}:全射
である.

776 :
論理式

∀x(Fx⇒Gx) 等値 ∀x(¬Fx∨Gx)

これで部分集合を考えなければならないことがわかった
∀x(¬Fx∨Gx)の対偶は

∃x(Gx∧¬Fx)

で認識できる

今まで∀x(Fx⇒Gx)の対偶は

∃x(¬Gx⇒¬Fx)

だと思っていたが大間違いだった

777 :
■無矛盾な対偶のとり方
∀x(Fx⇒Gx)について
すぐに∀x(¬Fx∨Gx)と同値変形してはならない
そこでまず∀x(Fx⇒Gx)の逆をとる
∀x(Gx⇒Fx)
これの同値をとる
すなわち∀x(¬Gx∨Fx)
この裏が
∃x(Gx∨¬Fx)
でありこれが∀x(Fx⇒Gx)の対偶である
例 
Z:整数全体の集合
Q:有理数全体の集合
とする
Z⊆Q
有理数でありかつ整数でないものは少なくとも1つ存在する
Q¬⊆Z
整数でありかつ有理数でないものは1つも存在しない

778 :
>>777
訂正
∃x(Gx∨¬Fx) → ∃x(Gx∧¬Fx)

779 :
でも写像の単射については∃x(Gx∨¬Fx)は使えなかった
通常の∃x_1∃x_2(φ(x_1)=φ(x_2)⇒x_1=x_1)
を示す他ない
同値な論理式でも使い分けが必要なのだということがわかった
異なる文章でも同じ意味はある
そういうことと関係しているのかもしれない
適当に選ぶというのは本当に難しい
エプシロンデルタのデルタくらいに

780 :
>>779
訂正

∃x_1∃x_2(φ(x_1)=φ(x_2)⇒x_1=x_2)

781 :
もし∀x(Fx⇒Gx)の対偶が
∃x(¬Gx⇒¬Fx)
だとすると
Z⊆Qにおいて
この逆も示すことができてしまい
常に
Z=Q
が成立してしまっていた
たしかにZ⊆QであるからZ=Qの場合もあるので
Qから整数を選ぶことはできるが
常にZ=Qであるわけがない
これは数学ではないのでなんとかしたかった

782 :
ZやQではなく加法群などで考えていると
そこで扱うものは単なる文字になってしまうので
∃x(¬Gx⇒¬Fx)が間違っていることに気が付きにくかった

783 :
間違いではないことはわかったが
適当な元のとり方が難しいだけだとわかった
∀x(Fx⇒Gx)の対偶は3つある

@∃x(¬Gx⇒¬Fx)
A∃y(Gx∧¬Fx)
B∃z(¬Gz∧Fz)

これらを扱う集合に応じて適宜使い分ける必要がある
AやBでも包含関係があれば等号の関係になってしまう場合がある
それらはどのように考えるべきなのか考え中だ

784 :
>>783
訂正

A∃y(Gy∧¬Fy)

785 :
この世は夢

786 :
数学だの論理学だの役に立たんよ。

787 :
死んだら終わり

788 :
部分集合の証明を
?∃y(Gx∧¬Fx)
?∃z(¬Gz∧Fz)
に則って始めたところ
包含関係があれば等号になるという問題は解決できたが
全射の証明すらできなくなってしまった

789 :
女子が働きながら家事をしているのに男子が外に出づっぱりだとこの世の外郭は男余りになり疑似地獄化する。
家事子育てをしない男子に外出制限をかけろ。特に定年後の老人男性。会社や学校で外出制限があるのと
バランスが悪い。老人の男性町で我が物顔の年功序列はおかしいだろう。

790 :
を集合論で解いてね。

791 :
A,B:集合
φ:A→B(写像)
とする.このとき

σ:A→Im φ

φ(x):=σ(x) (∀x∈A)

と定めるときσは全射である.
(証明)

Im σ=Im φを示したい.σの像の性質より

Im σ⊆Im φ ☆

が成立するのでIm φ⊆Im σをいう.

@論理式∃x(Gx∧¬Fx)を用いる場合

☆よりIm σに属するものはすべてIm φに属するので不成立.

A論理式∃x(¬Gx∧Fx)を用いる場合

Im σに属さないものはIm φに属すると言えそうだが☆より
Im σに属さないものはIm σ⊆Im φをみたさないので
これも不成立である.

今まで包含関係があれば等号が成立してしまっていたのは
@において☆を無視した場合とAにおいて☆を無視した場合である.

ゆえにσが全射であることを示すことができない.
しばらく数学を休もうと思う.

792 :
おそらく成田正雄は
φ(x):=σ(x) (∀x∈A)
と定めることによって直接

Im φ=Im σ

が言えると考えたのだろうが
そう簡単な問題ではなかった

793 :
独学だと辛いです。前原昭二「記号論理入門・新装版」p55
A を任意命題、 人 を矛盾とし、 人→A が成立するなら


A
と推論規則の形で表すことができる。
人 人→A
ーーーーー
  A
から、成立する仮定である 人→A を省いたということでしょうか?

794 :
この世は仮想現実

795 :
A,B:集合

とする.このとき

A=B

を示すには

A⊆BかつB⊆A @ 

を示す必要があると言われている.
しかし@でもし一方が示されると
その逆を示すことができないことがわかった.

この証明において論理式∃x(Gx∧¬Fx)を用いる.
(1) A⊆Bの場合

(@) Bに属しAに属さないものが在る.
(A) Bに属さずAに属するものが在る.

(2) B⊆Aの場合

(B) Aに属しBに属さないものはA⊆Bより不成立.
(C) Aに属さないものはA⊆Bをみたさないので不成立.

つまりA⊆BかB⊆Aの何れか一方のみしか成立しない.
等号A=Bは前提にしか持ちえないものだということがわかる.
それなので等号を扱う定理とそれを援用している各命題は不成立である.

796 :
もしこの論法を認めないと包含関係があれば等号の関係になってしまう.
たとえば直線と曲線の問題を考えてみよう.
一般に曲線は直線を含むと言われている.
そこで直線⊆曲線とする.
このときこの逆を考える.
ここでも論理式∃x(Gx∧¬Fx)を用いる.

曲線⊆直線について
@直線であり曲線でないものは在る.
A直線でなく曲線であるものは在る.

ゆえに曲線⊆直線は成立する.

以上より直線=曲線である.

という論証が可能になってしまうのだ.
そこで曲線⊆直線について直線⊆曲線を前提に論証をすれば

B直線であるものはすべて曲線であるので不成立.
C直線でない者はすべての直線が曲線に含まれている
 という前提を無視しているのでこれも不成立である.

というように考えれば直線=曲線は回避できる.
しかし反対にA=Bを示したいときにもしA⊆Bを示すとその逆を
示すことができなくなってしまう.

これまでその他の論理式を使い
何でもかんでも等号であることを示してしまったことがある.
それなので当面の間は等号不成立の立場で証明していきたいと考えている.

797 :
包含関係において等号不成立を前提に話を読んでいたら
環準同型において全射が成り立たないので
自然な全準同型が消えてしまった
これから先いくつかの定理も消えることだろう

798 :
しかし全射がないとすると
値域をとることができないな
さてどうしようか
写像において
定義域 → 値域
と定義する他ないのかも知れない
もし写像が
始集合 → 終集合
という定義だと何にも応用することができない可能性がある
よくわからんがこのまま進めてみる

799 :
全射が使えないためA-加群において
準同型写像M→M/Nが全射になることも使えなくなった
それゆえ加群の同型定理も不成立になる
さらに加群の長さにおいて同型定理を使う証明だったので
そこで読むのを止めた
その代わり論理学を読むことにした
この部分集合の問題を解決できるかどうかはわからないが
丹治信治『論理学入門』ちくま学芸文庫
から再読してみる

800 :
しかし丹治はその著書で
真理表
T T  T
T F F
F T T
F F T
の問題について成立する論理は
すべてトートロジーであると結論付けている
つまり
偽の条件が与えられれば命題は必ず真である
というのだ
これを数学に採用することはできないと思われるが
部分集合の問題を解決する一つの形式的手段として
採用する命題はトートロジーであるというのに一理あるだろうと言える
しかしまた条件法の中でこうも言う
もしソクラテスが人間ならば死ぬ
という「ならば」は受け入れられるが
もし1+1=3ならばソクラテスは死刑にならない
このような「ならば」は受け入れがたいだろうと
「ならば」の使い方は著者によっていろいろあるが
丹治説ではそのほとんどがトートロジーとして解釈されてしまう
難しい問題だ

801 :
僕はバイセクシャル

802 :
A,B:集合
とする.このときAとBとは異なる文字であるからA≠Bである.
と先生に指摘されたことがある.
それ以来そうしようと考えていたのだが
それは間違いであることに気が付いた.
前提はAとBが在るとしか宣言していない.
もしA≠Bであった場合後にそれがA=Bであるとわかったとしよう.
それは矛盾であり棄却される.

803 :
ところで,初めにAとBとの関係については
何も言っていないので
A=BでもなければA≠Bでもない.
と解釈するべきである.
まあ無条件に異なると解すると
AとBとの関係とくに同値関係を入れることができない
ことからも明らかなのかも知れないが
先生(人)の話だから聴いていた.
今日,集合論を学んでいて気が付いたことである.
もしかするとその先生は背理法的な考えだったのかも知れない.
A=Aは成り立つ.
これよりAと等しい集合はAと表す.
これの否定で
A≠Bが成り立つ・
以後Aと異なるものはすべて異なる文字で表す.

804 :
しかし,前提はAとBとの関係に何も言っていない.
もしA≠Bであるならばということが宣言されていない以上
A=Bでもよいのだ
そして同値関係で問うてはならないことがある.
それはこのA,Bというのはすべての集合である.
それだから具体的にAやBが何かというのは問題にならない.
たとえば同値類で集合を構成した上に群が在る.
たしかに
群Gと群Mが在る場合
これはG≠Mだろう.
たとえばGが乗法群でMが加法群の場合などだ.
この話と同値類の話を混同してはならない.
同値類で議論している場は
まだ条件が集合しか与えられておらず
その中である関係を定義しているに過ぎない.
一方
群Gや環Rに対してG=Rの訳がない(Rを加法群と看做せば等しい場合もあるが).
先生は早口すぎて何が言いたいのかよくわからなかったが
おそらく言いたいことは一般の集合上での同値関係の関係と
代数学が扱う集合の関係の違いだったのだと思う.
あの本では同値類で被覆することまでできると書いてあったので
同値類に突っ込んで話をしただけであり
本当は群や環の話がしたかった.

805 :
「すべてのもの」に具体的なものを代入できる
というのはごく限られた条件下でしかできない.
通常は,すべてのものはすべてのものとしか扱うことができない.
論理学を学んでみてわかったことは専門用語で
全称例化というものがある.
全称命題から導出されるものだ.
しかしこれは全称命題にある存在を代入したものではない.
おそらく先生の言いたかったことは
論理学で言うと全称汎化が近いのかも知れない.
ある任意の存在命題から全称命題を導出する
というものだ.
これが全称命題の具体例と言えるだろう.
しかし数学で任意の存在命題とは何かは難しいと思う.
任意定数という言葉があるが,それ関係のものに限られているだろう.

806 :
では集合の元ではどうだろうか.
ここにa,bが表されている.
この2つの関係はどうだろうか.
表示が異なれば異なるものであるというのは
存在命題の話ではないかと思う.
すなわち
∃a,b(a≠b)
一方全称命題の場合
∀a,b()
aとbとの関係については何も言っていない.
場合により等しい,場合により等しくない
という関係があるからだ.
たとえば
A:={1,2,3}
B:={1,2,3,4}
としようこのとき
∀a∈A,∀b∈Bに対してa≠bである
と書くことができる.
一方
∃n∈A,∃m∈Bについてn≠m∨n=m
である.このように全称命題は1つを明示すればよいが
存在命題はすべての場合を列挙する必要がある.
そしてこの違いを混同しやすい.

807 :
論理学で
P,Q:命題とし条件法をP→Qと書く.
このとき
P→Qが正しいことを背理法で示す
という方法を見つけた.いま高校数学に応用しているが
この論理は数学に応用可能であるように思う:
(1) ¬(P→Q)
(2) P
(3) ¬Q
これで矛盾が起こればP→Qは正しい.同様にQ→Pも成り立ち
さらに双条件P←→Q(数学で言えば同値)の背理法がある:
(1) ¬(P←→Q)
双条件の分岐
?左側
(2) P
(3) ¬Q
?右側
(4) ¬P
(5) Q
?の中で矛盾
?の中で矛盾があるときP←→Qは正しい.
これで部分集合の問題は解決できそうだという目処が立った.

808 :
数学の論理では示されたが
論理学の論理では示せないものが見つかったので記す.
A,B:集合
とする.このとき
B⊆A ⇔ A∪B=A
という命題がある.数学では簡単な論理で示すことができるが
論理学だと
B⊆A ⇒ A∪B=A
が不成立である.
B⊆A ⇒ A⊆A∪B
が不成立なのでこれを示す.

809 :
背理法で示す.
¬(B⊆A ⇒ A⊆A∪B)と仮定する.
(1) B⊆A i.e. ∀x(x∈B→x∈A)
(2) ¬(A⊆A∪B) i.e. ¬∀x(x∈A→x∈A∨x∈B)
(3) ¬(a∈A→a∈A∨a∈B)                (2)
(4) a∈A                            (3)の前件
(5) ¬(a∈A∨a∈B)                     (3)の後件
(6) a¬∈A                           (5)
(7) a¬∈B                           (5)
    ×
   (4),(6)
(8) a∈B→a∈A                        (1)
     (8)の分岐
(9)  a¬∈B
(10) a∈A
    ×
   (6),(10)
ゆえにタブローが閉じていないので命題は不成立である. □
数学の全称命題を示すことが如何に難しいかがわかる.
全称命題に対して1つ反例を挙げればよいなどという
いい加減な証明では何一つ示したことにならないだろう.

810 :
この結果から数学で
おそらく部分集合の中の
和集合の最小性というのが言えなくなると思う.

811 :
定理
M,N:左A-加群
φ:M→N(A-準同型写像)
とする.このとき
φ:A-単準同型写像⇔Kerφ=O.
これも
φ:A-単準同型写像⇒O⊆Kerφ.
が不成立であることを示す.

812 :
¬(φ:A-単準同型写像⇒O⊆Kerφ)と仮定する.
(1) φ:A-単準同型写像
   i.e. ∀x_1,x_2(x_1≠x_2→φ(x_1)≠φ(x_2))
(2) ¬(O→Kerφ)
   i.e. ¬∀x(x∈O→x∈Kerφ)
(3) ¬(a∈O→a∈Kerφ)               (2)
(4) a∈O i.e. a=0                   (3)の前件
(5) a¬∈Kerφ                     (3)の後件
   i.e. 0¬∈Kerφ                  (4),(5)
   i.e. φ(0)¬∈O;φ(0)=0=a¬∈O         
           ×
          (4),(5)
(6) a≠0→φ(a)≠φ(0)                (1)
      (6)の分岐
(7) a=0
(8) φ(a)≠φ(0)
   i.e. φ(0)=0よりφ(a)≠0∈O
   i.e. φ(a)¬∈O
   i.e. a¬∈Kerφ
ゆえにタブローが閉じないので
φ:A-単準同型写像⇒O⊆Kerφ
は不成立である. □

813 :
ブログでやれ

814 :
そうだな

815 :
意味のない記号ならべて、そんなもんが普通の高校生に相手にされるんか?
しかも、論理学が通用する哲学のジャンルって限られてるし、時間の無駄。

816 :
なんだよ
じゃあ高校レベルの問題を
真理の木で書いたものを1つだけ書くよ
それで立ち去るわ

817 :
参考文献
堀部和経『高校やさしくわかりやすい数学T+A』
文英堂2013

p.38 4
Z:整数全体の集合
A^c:Aの補集合
全体集合U:=Z
A:={x^2 | ∀x∈U}
B:={3k+2 | ∀k∈U}
とする.
このとき

A⊆B^c

を示せ.

818 :
¬(A⊆B^c) i.e. ¬(A→B^c)

を示す.
(1) A i.e. (∀x∈U)x^2
(2) ¬B^c i.e. B i.e. (∀k∈U)3k+2
(3) a^2  (a∈U)   (1)
(4) 3a+2  (a∈U)   (2)
ここで(3),(4)より任意のy∈Zに対して

y:=a^2
y:=3a+2

とおき,aについて解く:

819 :
a^2=3a+2
⇒a^2-3a-2=0
解の公式より
a=(3±√(9-4・1・(-2)))/2
=(3±√17)/2

∴ a=(3±√17)/2.

(5) a¬∈U
   ×
 (3),(4),(5)

ゆえに命題が成立する. □

820 :
じゃあな

821 :
突然申し訳ありません。
誰か、既呈(きてい)という単語の意味を教えてくれませんか?
数多の辞書でどれだけ調べようと既呈の意味が載っておらず、大変モヤモヤしています…

既呈命題、という使われ方が一般的(?)なようです。

論理的思考のコアスキル、という本に書かれていた単語で、もしかしたら論理学に関する単語なのでは?と思い当スレに書き込むまでに至りました。

ちなみに単語が載っている該当の書籍には、既呈の説明書きはありませんでした。
(なんとなくですが、根拠?の様な意味合いがあるのかもしれません)

どうかスレ民の知識をお貸し下さい。
よろしくお願いします。

822 :
>>821
ぐぐればわかる

823 :
農業がしたい

824 :2020/06/13
>>823
農業ゲームでもやればいい。
普通に家庭菜園で問題ないだろ、日当たりが悪いところでも育つものもある。

神はサイコロを振らない
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