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これがキャリアハイになるとは。。
時空を超えた最強のオーダーを考えた
金本監督就任を絶対阻止31【阪神に意見するなクズ】
王貞治はなぜ人気がなかったのか?
野村が2002年も阪神の監督を続けてたら

1989年パリーグペナントレース★2


1 :2014/10/14 〜 最終レス :2020/03/19
前スレ 1989年パリーグペナントレース
http://wc2014.2ch.sc/test/read.cgi/meikyu/1321939370/
参考サイト
「日本プロ野球記録(1989年)」
http://2689.web.fc2.com/1989.html
「プロ野球の歴史・記録(1989年パリーグ回顧)」
http://probaseball.at-ninja.jp/NPB1989-p-record.html
「スタメンデータベース」
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/3320/order/

2 :
@ 近鉄 130 71 54 5 .568 - .261 157 45 606 558 3.859 96
A オリックス 130 72 55 3 .567 0.0 .278 170 66 665 616 4.26 93
B 西武 130 69 53 8 .566 0.5 .271 150 149 644 543 3.856 77
C ダイエー 130 59 64 7 .480 11.0 .257 166 85 610 678 4.74 91
D 日本ハム 130 54 73 3 .425 18.0 .2659 131 144 527 571 4.20 69
E ロッテ 130 48 74 8 .393 21.5 .2657 119 99 558 644 4.50 94

3 :
近鉄はシーズン開幕戦だけ1番マキシなんだな。
2試合目にはもう大石にしてる。
で、日本シリーズ第7戦で1番にマキシ。

4 :
この年の巨人の投手力は史上最強レベルではないか。

5 :
優勝が決まった近鉄ダイエー戦は関東でも地上波生中継された。
もはや若い人には信じ難いだろうが。

6 :
勝数が多いのがオリックス、負け数が少ないのが西武か。
で、中間どころの近鉄が優勝。数字的に面白いね。

7 :
この年は前年の「10.19」の影響もあってか、近鉄の悲願「打倒西武」なるか
という部分に注目してたわけなんだけど、蓋を開けてみたらオリックスが
打つわ打つわで「バカwお前じゃねぇよww」みたいに思ってみてた。
結果的には史上稀に見る接線が最後の最後まで続いて、パリーグは
こんなに面白いなんて二度とないんじゃないかと思うくらいだったんだけど。

8 :
上三つだけでなくダイエーやロッテも終盤脇役ながら優勝争いに影響を及ぼしたのが面白かった

9 :
この年にクライマックスシリーズがあったらどんなことになったんだろうな。
ここまで語り継がれるようなシーズンにはならなかっただろうな…。

10 :
「不屈の闘志」
開幕戦で西武を完封した時には、遅くても4月中には達成すると思われていた。前年3季ぶりの二桁勝利となる10勝を挙げ、あと2つに迫って
いたロッテ・村田兆治の通算200勝。だが到達したのは王者を5安打に封じた34日も後の事だった。
開幕から中6日で迎えた4月16日は地元川崎での近鉄戦。3回までに6点の援護を受ける願ってもない展開だったが村田自身も4回までに
6点を失い、5回以降は近鉄救援陣と村田が無失点で踏ん張る延長戦となった。結末は11回表、この年19打数で10安打と5割以上打たれる
事になる新井宏昌に決勝打を浴び200勝は持ち越しになった。思えばこの時に中指の爪を剥がしながら150球を超えた無理が、長引く原因に
なった。そのため一度ローテーションを飛ばして臨んだ30日の日本ハム戦でも精彩を欠き、トニー・ブリューワと田中幸雄に一発を浴び4回
5失点。前回に続いて3万人が集まった川崎球場の観衆からは大きな溜め息が漏れた。
右肘の大手術など“不屈の闘志”で苦難を乗り切ってきた村田、3度目の正直で歓喜の200勝を挙げた5月13日の日本ハム戦は村田の魂が
野手にも乗り移ったような試合になった。序盤3回までにブライアン・デイエットの2ランなど3失点、しかし上川誠二の4打点の活躍もあり6回に
5−3と逆転。これで「今度こそ」と村田も力が入ったのが良くなかったのか7回に代打・小川浩一に2点二塁打を打たれ同点。またかと山形
県営野球場の空気も一度は沈んだが、9回表に佐藤誠一から水上善雄の適時打などで2点を勝ち越し。村田は5失点の完投で大記録を
達成した。
7勝に終わった一年だったが、史上最年長39歳での最優秀防御率を獲得して健在をアピール。89年は肘手術から復帰して以降では最多の
完投、完封、イニング数、奪三振を記録した。特に凄まじかったのが22登板中16完投のスタミナ面だった。
6月14日の近鉄戦で延長12回、208球を投げ切るなど延長戦の完投も4度あった。16完投は21完投の近鉄・阿波野秀幸、17完投の
西武・渡辺久信と日本ハム・西崎幸広に次ぐ数字。200勝への執念やトレンディーエースにまだ負けまいとする村田の、不屈の闘志はとても
11月下旬で40歳になるようには見えなかった。 (了)

11 :
10.19も大入りだったが、ロッテの事で大入りって点ではこの
村田200勝バブルの方が意義があったと思う。
大入りな上にテレビ中継もされたしね。
しかしそこで勝てなかったんだよな・・・
多分、上に書いてる近鉄戦だったと思うが9回裏に二死満塁まで攻めたんだけど
高橋忠一がカウント3-0からフライ打ちあげて・・・子供ながらに
「バカか!?」ってオモタ
まあど真ん中にヤマはるには間違ってないんだが・・・

12 :
>>5
あの試合、実は関東でのパリーグの視聴率が歴代1位なんだよな。
確か30%近くあったはず。
10.19も実は関東では視聴率30%以上あったんだけど(関西では確か59%だっけ)
元々放送予定がなく、飛び入りでの放送だったから
公式な視聴率記録には残っていない。

13 :
当時の渡辺久信や西崎のトレンディエースとか、何プロ野球を舐めてんだ! バカヤロー!
って子供ながらに思ってた。

14 :
しかしそいつらが結果を出すからぐうの音も出なくなったな。
しかし当時は当たり前に思ってたが今youtubeで見ると西崎の球威すげえ。
今の投手があまり投げなくなった、岸や武田が使うドロップカーブのキレが半端ない。
現代の中6日ローテならどれだけ勝てただろう。

15 :
ダイエー元年
福岡に球団が復活したのに関わらず当時はまだライオンズ信仰が強すぎて
平和台球場ではライトスタンドまで西武ファンが居たらしい…
まあ当時のダイエーの強さが初期の楽天に毛が生えた程度ぐらいだったのだが…

16 :
後半戦のホークスは2位

17 :
>>15,16
後半戦ペナントを引っかき回して熱パを演出した陰の立役者だよな。
近鉄には勝ち越す一方、オリックスや西武を3タテしたり、とどめは森監督が「あの試合が
一番痛かった。」と述べた13-12の大逆転勝利と。

18 :
>>17
言葉のあやで言ったのかもしれないけどこの年のダ−オ、ダ−西ともに
ダイエーが3タテしたことはないよ

19 :
>>18
改めて見直したら確かに(´・ω・`)
とはいえ対近鉄13勝12敗1分、対オリ12勝13敗1分、対西武11勝13敗2分と、最下位ロッテ相手に
9勝15敗2分と大負けしなければ優勝争いに顔を出していたかも?とすら思える成績を残し、長期低迷からの脱出間近を予感させた。
翌年田淵が全てをぶち壊したけど......、監督就任以来、着実にチーム力を上げてきた杉浦のままで良
かったんじゃ?と思った(´・ω・`)

20 :
>>19
杉浦さんは移転以来福岡の関係各所に挨拶廻りする中で、
「(元南海のエースで西鉄を敵にしてた)自分が監督である限り全面的な支援は得られない」
みたいな雰囲気を感じ、成績うんぬんじゃなく勇退したみたいだ。
あと投手力に関しては87年あたりがピークで
+ 吉田豊、村田、加藤伸
− 山内孝、山内和、西川、藤本
ちょっとばかしきついな、というところでダイエー1,2年目にろくな投手がドラフト指名
できなかった時点で、杉浦が続投しようと、田淵がやろうと、あるいは第三者がやろうと
どのみち大崩壊は免れなかったとみてるんだが。

21 :
投手力で劣るもの同士のオリックスに打ち勝ったノーガードのような試合も記憶に残る

22 :
代打広永

23 :
この年の西武は開幕のズッコケスタートが…

24 :
>>15
テレビもラジオ中継もダイエー戦中心となり、それに反発していた福岡県民も多かったと聞く。

25 :
松田優作が死んだ年。
亡くなる数日前に病室で日本シリーズを見ていたそう。
回診のお医者さんと看護婦さんに原がホームラン打つよと言ったら当たったとか。
その話聞いてちょっと目が潤んだね。

26 :
>>24
そりゃ地元に球団が来れば推すのは当然。
難癖つけてたのは西武ファンと巨人ファンだろうな。

27 :
郭がラルフに三連発打たれた試合は郭は失恋した彼女の事で頭が
グチャグチャになっていた。
郭の異変にもっと早く気づくべきだったと思う。

28 :
西武の逆転優勝は堅いかなと思ってた。
オーレが入ってチーム生き返っちゃったからね。

29 :
西川も藤本も衰えが早すぎ。村田もか。

30 :
>>26
その割には札幌ファイターズや仙台イーグルスの1年目の時は
叩かれてなかったような…
なお1年目の大阪バファローズは…

31 :
筋が通ってれば誰も言わないよ。
筋の通らない事して総スカン食ったいい例が東京ヴェルディだ。
若いファンの多いJリーグなので尚更嫌われた。

32 :
失恋 たいげんって よくそんなこと知ってるね たいげんって綺麗な女優と結婚したけど浮気されてたよね 今は独身なのか?

33 :
   _____________
  /                    \
 | オリックス球団とあたしが      |
 | デビューしたのよ          |
  \                    /   
    ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    
    ,.へヘー'、                
    〈/=)人y.〉                 
    j(´∀`レ(                
    と(_゚'_/○>              
    |く__ゝl;;;|、〉             
   ,ノ;;;UU;;;ヾ;;ゝ              

34 :
1990年の原の3号と同日に1989年には18号を打ってる。
1990年は結局20本だったから、35本ぐらいのペースだった感じ。

35 :
開幕からデストラーデがいればV10だったな
巨人の逆転日本一よりはこっちがよかった

36 :
近鉄ファンの俺でもそう思う

37 :
巨人のV9はリーグ優勝をし尚且つパの優勝チームを破って
日本一になっている。

西武がV10を達成してもその内の85年(対阪神)、93年(対ヤクルト)、94年(対巨人)は日本一を逃してるんだけどね。

38 :
根本の裏技が使えなくなって
西武の黄金時代は終わったな

39 :
>>35-36
88年にブライアントが開幕からいたら近鉄優勝できたかもな…
>>38
やはり前年の東尾の違法賭博問題の影響で
門下生の土井コーチが退団したのが堤の不信感を買ったんだろう…
その3年後に根本も鷹へ行き後追うかのように秋山、工藤、石毛と
根本の門下生が鷹へ行った

40 :
>>26
その頃巨人は堀内体制になって人気撃滅
蹴球日本代表人気がジーコでピークの頃
89年のダイエーと違ってやりやすかったのかも

41 :
26は30宛でした

42 :
門田は51試合も守っている。それでいて、3割30本を打ち、ちゃっかり指名打者でベストナインに選ばれた。

43 :
この年10.12でもし西武がひとつでも取ってたら、優勝はほぼ決定みたいな感じだったよな。
オリックスもダブルヘッダーでひとつでも落とすと、ほぼ優勝の望みは消えてたけど。

44 :
近鉄優勝決まって、最後消化試合になった西武−近鉄戦をただ1局だけ放送していたNACK5で
ボーッとしながらで聞いてた記憶があるわ  
これが優勝決定試合ならテレビ中継もあっただろうな
最後控え捕手の仲田が決勝タイムリー打って渡辺智が10勝目をあげて西武が勝った

45 :
最終戦ブライアントが50本目打つの期待したが出てこなかったんだっけな

46 :
>>35
バークレオの不振もあったけど、この年は開幕から(違ったかな?)キャッチャー伊東の長期離脱が大きくなかった?
仲田、相馬でやりくりが厳しかったような。

47 :
このスレ、クロマティの規定打席到達時点で、打率4割の話題が無いけど、皆さんクロマティ嫌い?まあ辞める辞める詐欺もあったけど。

48 :
>>47
ここはパ・リーグスレ。

49 :
>>48
失礼しました。前に1989年スレがあったから、続きかと思った。
じゃあパリーグの話しを。なんで近鉄のドットソンはクビに?その後きたリベラも嫌いじゃなかったけど

50 :
10月12日のダブルヘッダーを、近鉄がブライアントの本塁打無しで勝っていたら、阿波野がMVPだったのだろうか?

51 :
>>46
キャンプで負傷して長期欠場が危ぶまれたが、さすが伊東というべきか
執念と強靭な体で開幕8試合目の近鉄戦にはもう途中出場してるから、
さほどの長期欠場じゃないんだよね。(この間チームは4勝3敗)

皮肉にも、この途中出場した近鉄戦でいきなり9回表に逆転負けを喰らい、
復帰試合から森西武初の5連敗を喫するなど、
イマイチリードに冴えがない一年だった。

52 :
まあそうだろうね。
トータル的には両者甲乙付け難いし。

53 :
3強 西近檻
3弱 ダロ公

26年を経て、下剋上実現

54 :
>>53
それ8年前にもあったような…?

55 :
この年は佐藤義則が失速したのが印象に残っていますね。
たしか開幕から6連勝、途中8勝2敗まで行ったのにそこから8連敗して8勝10敗。
チームの優勝と自身の二桁勝利を賭けた川崎球場での登板でも愛甲に逆転本塁打を打たれて・・・

56 :
「閉店間際」

球宴明けの後半戦は29勝20敗3分け、優勝した近鉄をも勝率で1分上回る2位の成績。ダイエーがシーズン終盤、試合終盤といった“閉店間際”に
力を出してきた事が、熱パ3強の争いをさらに加熱させたといった所だった。後半戦の平均得点は5点台を記録、失点でも平均で前半より0.91点の
減少。3点差以内の勝敗が19勝13敗、1点差試合も9勝5敗と接戦でも好結果を出せた原動力は、3強に比べ決して劣らない打線だった。

トニー・バナザードとウィリー・アップショーの両外国人が牽引した8月は、14勝10敗と初めての月間勝ち越しを決めた。2年目のバナザードは月間
打率.349、本塁打8、打点23で月間MVP。新外人アップショーも負けじと7戦連続打点や4試合連続本塁打など、打率.326、本塁打9、打点19
を叩き出した。シーズントータルでも2人は史上4組目となる外国人30本塁打コンビとなり、アップショーについては左打者ながら左腕もよく打って
左打者では本塁打数でラルフ・ブライアント、門田博光を抑えて最も多い10本を放った。
チーム唯一の3割を打った山本和範は14年目で初の3割打者となり、盗塁でも19個でチームトップだった。若手では岸川勝也が当時の日本タイ
記録となるサヨナラ本塁打3本(現在もパ・リーグタイ記録)を含め26本塁打と急成長。77試合ながら13本塁打した藤本博史は、特に満塁で6打数
4安打2本塁打と持ち味を発揮した。他にも代打率.379、3本塁打、11打点の広永益隆と“左殺し”高柳秀樹の左右の切り札ら控えも力を見せ
つけて、積み上げたチーム本塁打は166本。オリックスに次ぐリーグ2位だったが、それでいて打率と三振数はリーグワースト。この辺でも九州に
本拠地を移したダイエーの豪快な野球を象徴していた。

門田の移籍により新しいヒーローが続々生まれる怪我の功名で、近鉄に勝ち越すなど上位3強に36勝37敗5分けの大健闘をしたダイエー。球団の
熱意に折れて監督契約を1年延長していた杉浦忠は、「福岡のお客さんのお陰で選手が粘り強くなった」と言うと、少し安堵もしながら退任した。
12年ぶりの「Aクラス」、「60勝」、「5割」には少し及ばなかったが、福岡移転初年度はまずまずの成果。杉浦にとって、届かなかった目標は次代の
監督と選手にと、翌年に大きな希望を残してのバトンタッチのつもりだった。 (了)

57 :
懐かしいね 代打広永とか 
しかし、1990年崩壊

58 :
田淵が監督か、うーむとは思った記憶もあるが、
想像以上に酷かったなw

89年後半は87年前半を彷彿とさせる躍動感みたいのがあった

59 :
杉浦はSDみたいな立場に残ったんだよな
デーブ楽天の星野もだけどああいう立場は権限ないのか?

60 :
この年はパのペナントが非常に荒れてたけど
乱闘もセもパも多発してたイメージがあるな…

61 :
>>60
5月末6月上旬に立て続けにあったね
ヤクルト阪神のパリッシュ、巨人大洋の岡崎、
あともう一つくらいあったような気もするのだが。

他に覚えてるのは清原のアレ、リベラのフック

珍プレー好プレーの乱闘特集が華やかだったなw

62 :
>>61
ポンセの掌低、アップショーのラグビー、ディアズの殺人タックルも…

63 :
確か袴田がタックルを受けて気絶してヨボヨボのドクターが出てきたのもこの年だっけ。

64 :
川崎球場で診断していた医者だっけ?
1989年といえばバブルで金が日本に溢れていた時代だったけど
川崎球場とか汚いまま使われてたよな。
ただ、NPBとMLBの年俸差が今ほどなかった。

65 :
>>56
いつも楽しみに読ませてもらっています。
当時の記憶が甦ってくる素晴らしい文章。

66 :
昭和最後の名勝負からちょうど1年後の89年10月19日
パリーグでは森が堤から屈辱的な言葉をかけられ、
セリーグでは野村がヤクルト監督に就任

67 :
http://www.geocities.co.jp/sayashigumi/order/1989lions.html
清原バット投げ事件と10.12の第二試合の先発がうちの
元投手コーチだった件…
by ちなオリ

68 :
高山はこの年だけけっこう使われたんだよな。
ローテの谷間の役割で、5勝しかしなかったが。

69 :
「四枚落ち」

優勝候補といわれるチームでも、主力が数多く離脱すれば成果は上がっていかない。そういった状態を将棋の用語になぞらえて「飛車角落ち」や
「二枚落ち」などと言われる。89年の西武は正捕手・伊東勤が3月の春野キャンプ最終日に右足首靭帯を損傷、10日後には若手の正遊撃手有力
候補だった田辺徳雄がオープン戦で右肩脱臼。前年左翼手のレギュラーを掴んだ安部理も故障で開幕アウト、投手でも前年10勝で新人王の
森山良二が右肩痛で不在。伊東を開幕から10日間、田辺を4月中まで欠くなどした西武のスタートは、飛車角落ちどころか両側の香車も抜いた
時にいわれる“四枚落ち”の状態だった。

4月23日に2年ぶりの最下位転落、森政権はおろか広岡時代にも無かった8年ぶりの5連敗を喫するなど最下位脱出に11日かかった。5月が
終わっても借金5の5位と低迷、主力の離脱だけでも痛いが、この時の西武は投打の主軸による不振というハンデも重くのしかかった。主砲の
清原和博は5月末時点で打率.207で7本塁打、前年38発の長距離砲タイラー・バン・バークレオは開幕8戦目に本塁打でシーズン初安打を打つ
までの19タコを含め.127、2本塁打の体たらくだった。打の戦犯2人の場合は清原が後半戦復調し、バークレオの場合も代わって6月に来日した
オレステス・デストラーデの大活躍で事なきを得たが、左腕エース工藤公康の不調は最後まで森監督を悩ませた。

開幕戦の黒星に始まり4月は4連敗、しかし防御率は2.62と悪くなかった。しかし5月に入ると早期KOが続き月間防御率は9点台、開幕からの
連敗は6まで伸びた。6月3日に9度目の先発で完投して初勝利を挙げたが、その後も打ち込まれて2勝目も約1ヵ月後。前半は防御率4.18の
2勝7敗で、後半戦は中継ぎが主で先発は3度だけだった。前年引き起こした舌禍事件の報いかとも思えるようなトータルの4勝の結果、引退した
東尾修に代わる投の柱として大きな期待をしていた森の落胆も大きかった。一時的な離脱や主力の不振が響いた四枚落ちだったが、シーズンを
通しての工藤の不振は中でも金銀にも相当するような大きな一枚だった。 (了)

70 :
捕手って誰がやってたんだっけ?白幡とかか?デーブは相変わらず干されてたっけ

71 :
開幕からしばらくは仲田だったはず
てか白幡は89年にはもう巨人にトレードされてたでしょ

72 :
そもそも白幡は、西武時代はDH出場がメインで
捕手としてはほとんど出場してないよ。

73 :
伊東が戻るまで仲田
打撃が全然だったね

大久保、白幡など打撃の良い捕手はいたけど、森は捕手については打撃軽視だった。

今の銀仁朗も酷いしw 森に限らない西武の伝統かw

74 :
仲田は開幕前にシーズン10安打を目標とか、本気で話してて
記者の失笑を買ってたっけ・・・

75 :
打撃の良い捕手はポジションコンバートされるのがライオンズの伝統。
田淵・大成・和田禿・貝塚・G.G.・友哉。

76 :
4月に西武球場で8回途中まで完全試合ペースだった西崎幸広投手から
チーム初安打となる本塁打を打ったのは大久保捕手だったような。

この年の工藤公康投手は過度の飲酒が原因なのか、
肝臓が腫れて骨に食い込む程で、
ともすれば命にかかわる重症だったらしいですね。

しかし、デストラーデ選手が加入してからの西武の勢いは凄かった記憶があります。
中継ぎの西本投手が(相手チームから見て)憎らしいほどに好投していたのが印象的でした。

77 :
>>76
西崎の完全阻止は清原の一発

78 :
西崎投手の完全を阻止する本塁打は清原選手でしたか。
嘘を書いてしまい、大変申し訳ありません。

>>77様、ご指摘ありがとうございました。

79 :
この年の3強に対しての世論は、
去年悔しい思いをした近鉄に優勝させてやりたい
西武は勝ち過ぎなので、あまり優勝して欲しくない
オリックスはどうでも良い

こんな感じだったかな?

80 :
>>79
今年の大混戦のセリーグに良く似てるな。

近鉄=ヤクルト
西武=巨人
オリックス=阪神

ヤクルトは前年ある意味で悔しい思いをしてたし。(2年連続最下位)

81 :
>>79
そのような風潮があった様な 印 象 がある

82 :
>>76
8回に清原、9回に大久保のHRが出た。

83 :
ブライアント4連発の試合の後、清原和博が
「(ワシが買った)ランボルギーニ明日入港や」
とまるで他人事の様に言ったらしいけど、
やっぱりこの頃から何処か野球に
真面目に取り組んで無かったんだな。

84 :
「平成版ベビーギャング」

アイデアマンで有名な近藤貞雄は、若手を積極登用する事でも知られる監督だった。中日時代は牛島和彦や平野謙、大洋時代なら久保文雄に
大門和彦、高橋雅裕らを次々戦力にしていった。近藤の場合は、ただ若い選手を使うだけでなく新人の抜擢でも有名だった。中日では曽田康二、
中尾孝義、上川誠二、大洋でも相川英明に高橋一彦を起用、不足部門を中心とした現有戦力に刺激を与える手法だ。球団常務・大沢啓二の推薦で
日本ハム監督に就任した89年も、近藤はやり方を変えなかった。8年前のV戦士の衰えもあって野手の層が薄く「投高打低」というチーム事情、
近藤でなくても社会人出身の即戦力野手に頼らざるを得なかったのだ。

プリンスホテルからドラフト1位で入団した中島輝士は、前年ソウル五輪で四番を務めたスラッガー。開幕戦でいきなり穴吹義雄(南海)以来33年
ぶり2人目となる新人開幕戦サヨナラ本塁打を放つなど2安打3打点の好スタートを切ったが、その後は苦しみGW前には一時打率が2割を切った
事もあった。本塁打6本に留まっていた事もあり、7月頭から約二ヶ月間の二軍落ち。再昇格後は、閉幕まで3本塁打5打点を挙げて何とか来期に
繋げた。
俊足のアベレージヒッターだった鈴木慶裕は一番打者候補として、ドラフト2位で入団した。開幕から主にトップバッターを打っていたが、中島と違い
適応力の違いを見せつけ6月末まで3割をキープして力を発揮した。9月には67年の巨人・槌田誠以来新人では2人目の代打満塁弾という勝負強い
一面も見せた。

将来のレギュラー候補としての第一歩といえる2人の一年だったが、課題も残った。中島はオープン戦から手を焼いていた内角攻めを克服できずに
本塁打は一桁止まり、しかも中島がアーチを放った試合で勝ったのは、サヨナラ弾の開幕以外でもう1試合だけ。2勝6敗1分けと本塁打を打った
試合での勝率と運の悪さも目立った。鈴木は夏場以降のスタミナ切れで、最終的に打率が2割5分台まで落ちた。足でもチーム2位の22盗塁と
健闘したかに見えたが1試合3盗塁死を含めて失敗も13回、成功率62.9%では近藤得意の機動力野球も展開しづらかった。
近藤は投手中心のドラフトになった翌シーズンも酒井光次郎、有倉雅史を起用。かつて81年の優勝に貢献した島田誠、古屋英夫、高代延博の
「ベビーギャング」に代わる“平成版ベビーギャング”で強豪チームとの差を少しでも埋めようと近藤も、そして大沢らフロントも必死だった。 (了)

85 :
東尾が引退、森山、伊東、田辺が開幕間に合わず、工藤が絶不調
バークレオ全く打てない、奮闘していた高山もオールスター明けからは全く勝てなくなった

これでよく3位になれたと思う
デストラーデ加入や渡辺智男が6月から戦力になったのが大きかったのかな

86 :
この年の西武は、抑えがいなかったのが一番大きいと思う。
試合終盤でひっくり返されて負けることが多かった。

87 :
>>85
それでも単純に戦力だけなら西武がナンバーワンだろう。
得失点差なら3強で一番だけど、抑え不在で竸った試合を落としまくったのが響いた。

88 :
近鉄もブライアントはすごいけど、その他の打者は大したことないんだよな。
チーム打率や得点数などは、西武とオリックスに大きく負けてる。
本当にあのブライアントの4連発だけで優勝したと言っても過言でない。

89 :
>>88
金村の不調、村上の故障離脱もあり、羽田や淡口がスタメンで5、6番で出てたくらいだからね。

90 :
近鉄は確かリベラが貢献度がけっこう高かったはず。
打率やホームラン数は大したことないけど
10月になってからホームランを量産して
全ていい所で打ってた記憶がある。

91 :
リベラは勝利打点16でリーグ1位

92 :
リべ砲はなぜ1年でお払い箱になったんだろう?

93 :
トレーバーのが期待できるから
今なら他球団でリサイクルされるてだろうが

94 :
89年オフ、フジTV珍プレー好プレー
何かと粗暴な乱闘メーカーの近鉄リベラ(元ボクサー)について
武豊「今度(日ハム)近藤監督にはリベラとやりあって欲しいですね」
石毛「うちも秋山が足引っ掛けられて怪我しましたしね〜、パ・リーグの選手は怒ってますよ」
序盤は金村欠場のサードを埋めた上、打でも勝負強い選手ではあったが、それ以外は何かと問題児

95 :
そりゃリベラからしたらあそこまで優勝に貢献したら大幅アップを要求してもいいよね。
それが上手くいかなかったんだろう。

96 :
本当に元ボクサーだったのか
道理で見事なフックだった訳だw

97 :
この年オープン戦の「プロ野球ニュース」で西本幸雄に
「近鉄はドットソンをとって、どっと損した」などといわれる始末

98 :
もし、高田が、この年も、ハムの監督を務めてたら、近鉄、オリに相当嫌がらせしてそう。前年が、余りにも酷かっただけに。そうなると、西武が、最後に優勝してた可能性大だなあ。そして、大島が、サヨナラホームランで、キスされることもなかった。

99 :
ハムは前年も対西武9勝14敗3分、対近鉄10勝16敗でほぼ同じくらいの負け越しで
優勝争いが佳境に入ったラスト5試合で言えば対西武4勝1敗、対近鉄0勝5敗で
むしろ西武の方に嫌がらせしてたでしょ。

特に9月半ばの東尾−阿波野の投げ合いを1-0で制してほぼ安全圏に入ったと
思った直後にハムが近鉄に3連敗して息が吹きかえったのは、勘弁してくれと思った。

100 :
リベラはホームランを出迎えた藤瀬コーチの頭を子供にするかのようにポンポン


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