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【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン97【御同行】


1 :2019/02/07 〜 最終レス :2019/04/30
浄土真宗(真宗)系の全宗派の話題を包括して取り上げる総合スレの第97弾です。
「どうして浄土真宗では○○をしてはいけないの?」という素朴な疑問から
批判・要望、各宗派を取り巻く諸問題、教義・教説、堂宇・荘厳、
全国各地の真宗寺院・念仏道場・説教所に至るまで、ありとあらゆる話題を取り扱います。
阿弥陀如来から見ればみな罪悪生死の凡夫。楽しく語らいましょう。
浄土真宗各派の情報交換の場としてもご活用ください。

真宗大谷派・東本願寺系諸派総合スレッド Part55©2ch.sc
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/kyoto/1494685731/

前スレ
【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン96【御同行】
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/kyoto/1527061631/

2 :
◇おもな宗派の名称・通称・本拠地など (★=「真宗教団連合」加盟宗派 ■=分派など)

※「真宗教団連合」公式HP http://www.shin.gr.jp/
★浄土真宗本願寺派<本派・西本願寺 門主:大谷光淳>……龍谷山 本願寺 http://www.hongwanji.or.jp/
★真宗大谷派<大派・東本願寺 門首:大谷暢顯> …………………真宗本廟 http://www.tomo-net.or.jp/
 ■浄土真宗東本願寺派<東本願寺 門主:大谷光見>………本山 東本願寺 http://www.honganji.or.jp/
 ■一般財団法人本願寺文化興隆財団<(東山上花山)本願寺 門主:大谷光輪>…東本願寺東山浄苑 http://honganjifoundation.org/jouen/
 ■宗教法人本願寺<(嵯峨野)本願寺・大谷本願寺 門主:大谷光道> ……………本山 本願寺 http://www.ohtanihonganji.jp/
 ■真宗浄興寺派<門主:稲田善昭>……………………………歓喜踊躍山 浄興寺 http://www.johkohji.com/
★真宗高田派<法主:常磐井鸞猷> ……………………………高田山 専修寺 http://www.senjuji.or.jp/
 ■真宗北本願寺派<福孝明>
★真宗佛光寺派<門主:渋谷惠照(笑子)> ……………渋谷山(汁谷山) 佛光寺 http://www.bukkoji.or.jp/
★真宗興正派<門主:華園眞暢>………………………………円頓山 興正寺 http://www.koshoji.or.jp/
★真宗木辺派<門主:木邊圓慈>………………………………遍照山 錦織寺 http://www.kinshokuji.or.jp/
★真宗出雲路派<管長:藤光永>……………………………出雲路山 毫摂寺 http://www.goushouji.jp/
★真宗誠照寺派<法主:二條秀瑞>……………………………上野山 誠照寺 http://www.jyosyoji.jp/
★真宗三門徒派<門主:平光顕>………………………………鹿苑山 専照寺 http://www.shin.gr.jp/member/sanmonto/
★真宗山元派<法主:藤原光教>………………………………山元山 證誠寺 http://www.shoujouji.com/
■浄土真宗別格本山稲田御坊西念寺<住職:稲田実乗>……稲田山 西念寺 http://www.inadagobo.org/

3 :
今回は前門様の肉棒の凄まじさと、宗立の精子力研究所の最前線に焦点を絞り、杉本さんへのインタビューも交えてスレを進めて参りたいと思います。

4 :
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの

5 :
>>4
事実無根のところが多いですな

・人間死んだら終わり。
 → 極楽浄土に生まれるって言ってんだろ。
・当然、あの世もない
 → あの世の定義をしないと意味のないフレーズ。今と変わらない同じ私のままで転生をしたりはしないという意味なら正しいが。
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
 → 違う。西方極楽浄土と言うように方角まで仮に与えて教えてるのは、頭の中のものではないから。
・葬式は死者の霊のために行うのではない
 → OK
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
 → 学ぶためと言えば語弊があるな。
・死後に霊を供養するということも無意味である
 → 「死者を極楽浄土に送るための努力としては」無意味だが、儀礼としては意味があるだろ。
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
 → 前半はOK。後半は仏法に触れる場ではあるが、学ぶためだけに葬儀をするものでもない。
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
 → 同上
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
 → お骨を納めるという現実の必要性もあるやんか。
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
 → OK ただし人間はそもそも馬鹿です。非難してるんじゃなくて、オカルトで極楽浄土に行けると思いなさんなってこと。
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
 → そりゃ阿弥陀仏の救いにすらまだ会ってないし。仏陀も成道の前は苦行したりした。回り道も結果として自分のためになったと述べられてるが、回り道は回り道。回り道を馬鹿と呼ぶのは筋違いだが。
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
 → 正確には像に祈りを捧げてるわけではない。人が願ったり思ったりしてたら、像くらい置くことは自然に発生すること。
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
 → 門徒が好きにすること。

6 :
>>5 ただし人間はそもそも馬鹿です。
真宗僧侶も含めて?

7 :
>>4
まっさかさまです

8 :
>>5
死後の世界はないが、代々受け継がれた呪いは誰かに継がれるw

真宗を教えるのではなく、真理を教えるまたは、心の真理を読んであげて伝える。

9 :
>>8
但し坊さんが個々の家々の事情、争いをどうにかなんて出来ない。

10 :
オカルト的なものは、見える人と見えない人がいる。
霊魂で見えるものは見える人が見る。
一概にデタラメとはいえないが、ほとんど意味のないもの。

11 :
死ななければ分からない浄土を、「死んだら浄土に行く!」と語ることができるの?
だれが最初に死んでそのようなことを言ったの?

12 :
>>11
浄土はともかく、死んだ後のことでも分かることは分かるだろ
カレーが好きな俺がカレーが好きなままでいられるわけがないとかな
無から有が生まれるわけがないのと同じく、有だった俺がまったく無になるわけがないのもな
理屈を突き詰めたらそれなりに色々分かる
役に立つかどうかは別だが

13 :
>>12 有だった俺がまったく無になるわけがないのもな
じゃあ死んで燃やされた人間はどうなるの?
理屈を突き詰めて考えてよ

14 :
>>13
物体を燃やしたら、物体は二酸化炭素になったり燃えかすになったりするに決まってる
俺がどうなるかは「俺」の定義によるわ

厳密な意味での俺は今この瞬間の俺だけだ
10年後の俺なんてかなり俺と違う
死のうが死ぬまいが、明日は俺はいない
だけど、多少違っても俺と認めるなら、10年後どころかたとえ死んで物理的な構成物質が散らばってても俺は俺だろ
だから「俺」の定義による

15 :
本堂で本尊に尻を向けてギター弾いたり、コーラスするのやめろや!アホが。

本堂で本尊に尻を向けてギター弾いたり、コーラスするのやめろや!アホが。

本堂で本尊に尻を向けてギター弾いたり、コーラスするのやめろや!アホが。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)


16 :
>>15
仏教じゃないから別にいいだろw

17 :
阿弥陀様はケツの穴がお好きなんだよ

18 :
ビハーラ活動とかスピリチュアルケアに関心があるんだけど、力入れてなさそうだね
死の恐怖に宗教、特に浄土教は有効だと思うのに。
葬式仏教は否定はしないが、それは世襲の寺家に任せて、ビハーラとか見取り専門の僧侶を育成するべきでは

19 :
>>18
浄土宗はビハーラに熱心

20 :
>>18
浄土真宗本願寺派としての取り組みはこちらの社会部のサイトでわかる
http://social.hongwanji.or.jp/html/c11p1.html

龍谷大学における「臨床宗教師研修」教育プログラムについてはこちら
https://www.ryukoku.ac.jp/faculty/graduate/practical_shin/curriculum/rinsho.html

一般財団法人 本願寺ビハーラ医療福祉会というのものある
http://www.asokavihara.jp/index.html

東北大学に事務局がある一般社団法人 日本臨床宗教師会のサイトもどうぞ
http://sicj.or.jp/

21 :
ネット検索する仏教関係としてこんなのも出てきた

仏教者ビハーラの会
https://www.vihara-news.com/

いのち臨床仏教者の会
http://www.acls.gr.jp/yakuin.html

仏教福祉NPOグループ 一般財団法人 ビハーラ21福祉事業協会
https://www.vihara21.jp/

日本仏教看護・ビハーラ学会
http://www.jabnvs.jp/

22 :
結城思聞(元フジテレビアナの松倉悦郎)現行犯逮捕されたね。
宗門からどんな処分が下るのか、今から楽しみだわ。

23 :
>>22
婿だしなあ。弁償できる金はあるだろうから、たいした罪にならないだろう
さっさと隠居させて、住職を嫁か子供に交替させるしかないな

24 :
地位も名誉も経済的にも恵まれて、学歴もあり、名刹で、お寺も活発に活動してるみたいなのに人間って不思議なもんだ
なにか事情があるんだろうが。
人間って不思議ですね。

25 :
>>13
魂の話だろ。
残るのは屍w

26 :
>>10
霊魂と言ったのは神に繋がるものの話。
未来の予言もそれ。
それ以外も歪みで見える人もいるが、ほとんど無意味なもの。

27 :
>>15
仏像になんか魂もなんもないよw
仏像でなんなのか意味することを考えることは重要。

28 :
嘘だからなw

29 :
>>22
真宗は身内に厳しいと聞くからどうなるんでしょうね。

30 :
魂とかいうから余計にわからなくなるんだろ。
我(アートマン)はない。
"変わらない私の何か"はない。
この"変わらない私の何か"を魂と呼ぶなら魂なんてないとも言えるが、
私が死んだあとに残るものの一部を勝手に魂と呼ぶなら、当然魂はあるわけで。
魂って何なのかをぼんやり考えたまま魂があるかないか考えてもしかたない。

31 :
>>29
社会的に認知された人だから、常習者だったら僧籍剥奪でしょうね

32 :
仏教婦人会・松倉悦郎師
http://enichi.la.coocan.jp/page064.html

当時、私はスポーツアナウンサーをやりながら通信教育で浄土真宗の勉強をしていたんです。
私の母親の実家は真言宗の智山派のお寺でした。
ですから、お仏飯で育ってはいるんですが、なかなか浄土真宗の教えが響かなかったんですね。
私と浄土真宗の出遇いは逸見をお見舞いに行った病室にありました。

33 :
浄土真宗の教えが響くと……大変なことになるんだなあ

34 :
浄土真宗の教えはやっぱりチンコに響くんだなぁ。
(逸見さんが女だったら犯されるところだったわけだ。)

35 :
これは響かなかったって言ってる人間だな
テレビに頻繁に出ようって人間は、やっぱ頭おかしいわ

36 :
>>35
阿弥陀如来が響かせなかったのが悪いんだよ。
全て阿弥陀如来の責任なんだよ。

37 :
>>36
やね
全員救うと言ってはいるが、今すぐ全員救うとは言ってないって、そんなのヌルい

38 :
阿弥陀如来って言うことだけは立派だよな。

39 :
だけって根拠はないがな
むしろここ1000年間ほぼ誰も悟らせてない他の仏のほうが「だけは立派」の称号にふさわしい

40 :
仏教を信じていない人間なら
「言うことだけは立派」「でも結果が伴ってない」なのが阿弥陀仏だろうが他の仏だろうがどっちでもいいって話

だって、どうだろうと関係ないじゃない。
まっ、仏教だけじゃなく宗教全てを信じないし否定している人間なら特にね

41 :
>>39
なぜ「1000年間」に限るのか。
1万年間、10万年間、ではダメなのか。

42 :
>>41
仏教を信じてる人でも、ここ1000年は日本で生きてるうちに悟りを開いた人の人数はほとんどいないことを認めるだろうからだな
信じてない人も信じてる人も、両方が認めることをもとにして話をするのは苦労がなくていいだろう

43 :
 被害者の家族への取材では「町内の自治会長をされたときも『私の言うことを聞きなさい』みたいな……」
という声が寄せられており、他にも今回の逮捕について「気分の悪い話ですよね。一言それだけ」
と呆れた声も寄せられた。
https://news.nicovideo.jp/watch/nw4817001

真宗布教使っぽいねえ。なんで傲慢になるんだろ

44 :
>>30
魂は、残らないって言ったんだよ。
なんでちゃんと理解出来ないんだ。
魂とは心のこと、神の御霊のこと、仏教スレに来てなんで魂が、分からないっていうのよ。

45 :
>>30
変わらないお前の何かなんか知らんってw

46 :
>>37
誰を救うってよw
お前ら、坊のせいで死ぬ羽目になる奴らがたくさん増えたというのになw

47 :
>>37
救うのは無限の宇宙を保つためだよ。

48 :
>>46
皆を救うってことよ♪
善知のお蔭で生きる意味を見つけた人らがたくさんいたということよ♬

49 :
>>44
魂なんて仏典に出てこないんだからしょうがないだろ
魂とか霊魂とかは、言ってる人で少しずつ意味が違ったりするんだから、何を魂と言ってるのか確認しないと話が根本的に噛み合わないよ
我のことを霊魂と言ってる人もいれば、阿頼耶識あたりを霊魂と絡める人もいるし、、

50 :
>>49
仏典に出てこないことはないだろう
駄目な例とかで出たろ
サンスクリット語で何の単語だったのを訳してるのか知らないが

51 :
だから、もとの単語を確認しないとわけわからん

52 :
>>45
変わらないとかどうとかは、我を指してるのかどうかの話だよ

53 :
>>48
人なんか救わないw
47でいってるいみを理解してないのかw

54 :
>>43 なんで傲慢になるんだろ
真宗に触れたら「俺は真実真理をよく知ってるぜ」みたいに自分を特別視するんだよ。

55 :
>>48
なんで神を冒涜してる坊なんか助けるってよ。
お前らは一般人に悪魔を教えたのも同然だっていってるのにw
救われない冒涜ですというならいいぞw

56 :
>>49>>51
分かったからさっさと「我」の定義をしろよ。
定義も出来ていないのに「死んだら浄土に往生するぜ!」とか言ってるの?

57 :
>>56
アートマンのことだよ

58 :
>>56
往生するぜ、なんて言ってないだろ
何を魂と言ってるのか決めないで魂がどうなるか話しても意味ないって言ってるだけだ

59 :
>>58
何が往生するの?

60 :
>>59
化生したなにかじゃね?
私と大いに関わりのある、だけど私とはいろいろ変わってしまったなにかだろう
私がいなかったら存在してないソレが浄土に生まれる

61 :
言ったところで、来年の私も、今の私といろいろ変わってしまったなにかだけどな

62 :
>>54
真宗だけなんか?
他の宗派も自分トコが「正法」と思ってるんじゃないのか?

63 :
>>59
チンチン。…いや、ザーメンかな。主体か客体かの問題だな。

64 :
>>60
だから「生まれる」って?
何かがどこかの空間に移動するの?

65 :
>>64
だからじゃねえよ
自分で調べて自分で考えて自分で解決しろよ
自分自身でやらなきゃ上滑りするに決まってるだろ。最初から上滑りするつもりでいて、人のせいにしたいだけなら迷惑だからな
先の「生まれる」ってのは、変質して別のありようになるから生まれるって表現してみただけだが、納得しかねるなら別の表現に置き換えて読めよ

66 :
単に阿弥陀を信じたら死後救われる、っていうカルト教義で広がったのに
明治以降、変な理屈組み上げて、それ振り回して偉ぶるオッサンが増えたw

67 :
>>66
理屈組み上げてって言っても、どうせ経典や論や釈をもとに話さなきゃ仏教じゃないけどな
独自のことを話したら仏教じゃないんだから、どこが独自か指摘してそれは仏教じゃないと言えばそれだけで論破になるやろ

68 :
今も昔もいろんな人達がいろんな理屈を組み上げているからな。
こんなのも参考になるのでは。

平成十七(2005)年度 日本佛ヘ學會年報 第七十一號 仏教の霊魂観
http://nbra.jp/publications/71/


個人的にはこちらが気になる。
『三遊亭圓朝の霊魂観』 野口 圭也(著)

69 :
>>19
>>20
>>21
遅れましたがありがとうございました
築地本願寺の中にあった東京ビハーラ事務局がいつの間にやら外に出されてて
しかも活動してるんだかしてないんだか・・・絶対必要な分野だと思うんだけどな〜

70 :
実際の現象として死後にどうなるかは判明していないが、
嘘でも「死んだらあちらの世界に行く」という理論を与えて安心させているだけ。

71 :
他人の車を鍵で傷つけ現行犯逮捕 元フジ松倉アナ、認知症の疑いも 長らく鬱病…回復と悪化繰り返す
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190213/soc1902130005-n1.html

72 :
【テレビ】<逮捕の元フジ「松倉悦郎」アナ>約3年前から認知症 症状進行か「何をやったかよく分からない」
https://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1549979379/

73 :
>>70
安心させているだけならまぁ無害に近いが、
コイツらそれをメシのタネにしてカネを巻き上げてるからな
さすが、オウム真理教の母体・浄土真宗だ

74 :
>>64
死有から中有が生じて、中有に因って生有が生じるとマジレス

75 :
認知症が住職をやってもいてもいい宗派なんだね、本願寺派

さすがに懐が広い

76 :
一言いうと
>>73
あなたには関係ない産業か、関係しない組織・団体の話
気に掛けるだけ時間の無駄ですよ

77 :
死後のことが分かっていて「死んだら浄土に往生する!」というならわかるが、
死後のこともよくわからないのに「浄土に往生する!」というのはいかがなものか。
それは単なる思い込みではないだろうか。
自己中心性を離れられないというのはそういうことではないだろうか。

78 :
>>74
浄土教の往生はアビダルマクシャ論がベースだったんですね!初耳です!

79 :
天親(世親)の『倶舎論』は日本の仏教諸宗派に影響を与えていることは
確かだが、真宗的には天親の『浄土論』と曇鸞の『往生論註』を外して
往生について論じることは出来ない。

曇鸞『往生論註』より
問ひていはく、仏法のなかには我なし。このなかになにをもつてか我と称する。
答へていはく、「我」といふに三の根本あり。一にはこれ邪見語、二にはこれ
自大語、三にはこれ流布語なり。いま「我」といふは、天親菩薩の自指の言に
して、流布語を用ゐる。邪見と自大とにはあらず。

80 :
親鸞『顕浄土真実行文類』より
問うていはく、なんの義によりて往生と説くぞやと。
答へていはく、「この間の仮名の人のなかにおいて五念門を修せしむ。前念と
後念と因となる。穢土の仮名の人、浄土の仮名の人、決定して一を得ず、
決定して異を得ず。前心・後心またかくのごとし。なにをもつてのゆゑに、
もし一ならばすなはち因果なけん、もし異ならばすなはち相続にあらず」
(この部分『往生論註』より)。


明治の人の理屈組み上げ以前に、曇鸞が中観、唯識を元にいろいろと理屈を
こねているからな。

81 :
明治からこの方の学者たちってサンスクリットが読めたりチベット語が読めたりするだけで
無我の理解については三論宗の中国人僧以下みたいなところあるからね

82 :
クシャ論の理解もF橋I哉先生とかS部H先生みたいな大御所ですら倶舎宗以下だし
無表業を律儀等じゃなくて業因を相続する主体とする理解なんてどっから引っ張り出してきたんだ

83 :
漢語を訳しても正確じゃないからな。
中国からでさえこんな感じだからw

84 :
もし学ぶとすれば、涅槃仏は眠るときに至福を味わうこととすれば、どうしても無理w
神を理解するのも結局家庭の事情が関係する。
三つ子の魂百までだから、小さい頃に尊いものを潰されてる日本人がほとんどだから。深く理解をするには潰されてしまったものを思い出さないといけない。
尊いものを潰されるというのは 羅沙 。
基本は羅沙。
尊いものを潰すものに対して罰を与える神のこと。

85 :
精神論でいえば、小さい頃に相手と自分の区別がついているか。
それが重要。
日本人は曖昧すぎる。

86 :
母親であれ父親であれ、赤ちゃんの要求を全て満たしてあげてるかから始まる。
赤ちゃんが扱いにくいのも呪い。

87 :
>>80
「(死ぬ前の)穢土の仮名の人、(死後の)浄土の仮名の人」ってことだよね?
不滅の我があるってことだよね?

88 :
>>87
むしろ常に消滅流転してるから仮名って言ってるんじゃね?

89 :
生滅流転

90 :
>>87
その「仮名の人」を説明するために>>79で曇鸞による「我」の説明をあげているだろ。
「仮名」を「かな」と読んじゃ駄目だよ、「けみょう」という仏教用語だから。

ちなみに>>79にあげた曇鸞『往生論註』の引用部分は、天親の『浄土論』にある
「世尊我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国」の「我」に対する曇鸞による註解。
あくまでも流布語としての我(因縁仮和合の我)を認めているだけ。

91 :
生きているうちの「我」は死んだらどうなるんですか?

92 :
生きているうちの「我」も生滅流転してて実体と言えるものはないものに
仮に世間の言葉に合わせて「我」と言ってるだけだよ

生きているうちにしっかりと存在してるこの「自我」が死んだ後にどうなるの〜?ってのじゃ仏教じゃない
今も「我」は仮に名付けられた程度の存在性しか持ってないんだよ

93 :
>>91
流布語としての我のことか
そもそも人間は、生きてるときも死んだときも、一瞬一瞬、常に崩れていってるというか変化し続けてる
死んだら、、を考える前に、生きてるうちの我(流布語)のことを先に考えないと、死んでからの我を語っても混乱する

94 :
>>89
渦になりその渦が塊になり繋がりをもって複雑な歪みの中で、常に世の中は変化して留まるところがないと言っているのかw
そりゃ、坊が悪魔を解けば嘘の上塗りなんかもエスカレートして遂には天と地が逆さまにもなるよなw

95 :
>>89
人の心が変化しやすく移ろいやすいのは悪魔のせいだが、森羅万象が変化するというのかw
常に一定で幾何学であるというのも否定するというのか。

神を否定している坊だよな。
世の中は移ろいやすいのは坊がそうだからだろうに。

96 :
諸行無常
常に一度の命を神を保ちつつ過ごすという意味。

万物流転
これは中国共産党の作った都合の良い言葉だな。

もう中国共産党にどっぽり浸かっているんだから、堂々と中国共産党の名前を出した方がいいんじゃないのかw

97 :
http://www.kikouji.com/

涅槃の寺ならちゃんと説明しないのかw
しっかり写ってるなw

98 :
>>85
相手、自分の区別で自分が自我だよ。
赤ちゃんのうちに自我の目覚めがあって
神の御霊の中に自我を置き換えて成長するんだよ。
社会性も全てその成長によって大人になるんだよ。

99 :
「万物流転」はギリシャの哲学者ヘラクレイトスによって提唱された概念だか、
いつ頃、日本でも使われるようになったのだろう。
少なくとも中国共産党が出来る前、明治七年には西周によって“philosophy”の
翻訳語「哲学」がつくられていたからな。

コトバンク − パンタレイ(panta rhei)
https://kotobank.jp/word/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%82%A4-606850#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88

100 :
>>99
はい、どっぽり浸かっているのを証明しましたなw
ヘラクレストスなんかない、ヘラクレスならギリシャ神話に出てくる化け物だよ。

101 :
真宗ハゲのガッコではヘラクレイトスをヘラクレストスと教えているのか…。
偏差値が偏差値だし、教員も自家培養だから無学でも仕方ないのだろうな…。

102 :
若い頃、PANTAにどっぽり浸かっていたこともあったな。
さすがに50年も聞いていないけど。

PANTAX'S WORLD 頭脳警察
https://www.brain-police.com/

103 :
>>101
お前も中国共産党の教育を受けたのかw
一文字違うだけで間違ってるとバカに出来るのも中国共産党並みじゃん。

104 :
>>102
URLいけないなw
このやり取りをバカに出来るような坊だって言いたいらしいぞw
俺はお前らとは違うんだよって。
なんの説明しないでニヤニヤしてるだけなのに、お前らと違うんだって偉そうに出来るようあほな坊だって分かるよなw

105 :
>>102
http://www.toyama-hongwanji.or.jp/sp/index.html
住職

106 :
>>102
http://www.toyama-hongwanji.or.jp/sp/index.html
1600年からというのは嘘だろw
1930年頃に金儲けのために寺を建てたのが正しいw

107 :
>>92 「自我」が死んだ後にどうなるの〜?ってのじゃ仏教じゃない
死んだらそれでおしまいなの?
浄土教は死後を説くんですよね?
浄土教は仏教じゃないんですか?

108 :
.>107
死後を認めない仏教というのは断見の邪見だって
浄土教とか密教とか禅宗とか関係ない

生きている間のAとA´という時点において自己同一性を認めるなら
臨終のCという状態と死んだあとのDという状態にも同一性はあるよ

生きているときも、A>A´>A´´>A´´´と違うものにどんどん入れ替わっているのを「穢土の仮名の人」と世間の慣習で仮設しているだけだから

109 :
死後の事は、生きている間の結果。
死後の事だけわーわー言っても何も始まらんよ。
ナンマンダブも現生で執着を捨てて生きるための方便。死後の事などオマケです。

まあ、ライダースナックやビックリRコのように、
オマケ目当てで買って、中身は捨てるガキが社会問題になったりしましたがw

110 :
>>108 臨終のCという状態と死んだあとのDという状態にも同一性はあるよ
永遠不変の実体としての我があるわけですね。
それが真宗の公式見解ということでいいですか?

111 :
>>110
それらの「同一性」は、不変どころか変わり続けてるように読めるが

テセウスの船の喩えで言うところの「同一」なんだろうさ
構成してるものが「別もの」でも、条件付きで「同一性」を認めるケース

112 :
>>110
ところで聞きたいんだけど

>生きているときも、A>A´>A´´>A´´´と違うものにどんどん入れ替わっている

という時に実体としての我がどこにあると思う?

113 :
>>112
仏教的にはAとA'は完全な同一存在とは言えないって明言するやろ
世間的にAとA'を同一存在と扱う慣習があるから付き合うだけで
だから仮に仮にと用語がうるさいことさえある

仏教的には私というのは、五蘊仮和合、たまたま肉体やら意識がその瞬間にそのように組み合わさってるだけの存在
それが私だった気がしたが違うのか?

114 :
というか世間一般の用語や認識では、
テセウスの船は同一の船で、スワンプマンは別人ってことでいいんよな?

115 :
>>113
>たまたま肉体やら意識がその瞬間にそのように組み合わさってるだけの存在

「たまたま」と言ったりスワンプマンを持ち出すとニーチェの(遇因論的な)永劫回帰的再生観と混同するので
補足すると、
五蘊の連続というのは志向性のある流れであってそれを自相続(svasantAna, rang rgyud)と言ったりするんですよ

惑→業(=行)→苦という伝統的な図式にあるように
仮和合の五蘊は、行(サンスカーラ、志向性、潜在的形成力)にしたがって盲目的に自己形成を繰り返すのであって、
「心の哲学」界隈の用語を百パーセント援用できるわけではないんですよ

なんてったって千何百年前のインド人の思考習慣ですから

116 :
精神分裂病が今は進化したってだけだろw

117 :
>>115
はー スワンプマンって永劫回帰的再生観と結びつけられたりするようになってんですね
そんな注意なんてしてなかった

>自相続(svasantAna, rang rgyud
あくまで相続でいいんですよね?
仏教ではいわゆる「実体」と呼べる我はないってことでいいんよね?
110に実体としての我について問うてるだけで

118 :
>>117
そうです
だって実体があったら我がなくなることなんて有り得ないから

渇愛が無くなったら、自相続はその生における肉体の破壊を以て断たれます。
西蔵仏教は自相続は断たれないという説ですが

119 :
浄土真宗の寺の本堂って、平均すればやっぱり禅宗の寺より貧相なのか?
本山とかはそりゃ立派だけど

120 :
>>119
門徒から長年収奪してきたから、立派な真宗の寺は山ほどある

121 :
>>120
真宗の寺が、禅宗の寺よりカネを集めてると、本気で信じてるのか?

122 :
真宗ハゲ寺のほうがハコモノはデカくないか?
中味はカラッポだけど

123 :
討幕派に肩入れして旧仏教体制を崩したのが本願寺。
新政府の軍国路線と協調したが敗戦して謝罪。
戦後は「信教の自由」はおろか「信教しない自由」も広まり寺院は疲弊。
真宗のやることはなぜ裏目に出るのかw
何故他宗派の足を引っ張ったり自分たちを苦しめるのかw
他宗派を否定したら自分たちが繁盛するとでも思っているのかw

124 :
【歴史教科書】臨済・曹洞宗が表記で申し入れ 教科書で「禅宗」とまとめないで
https://asahi.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1550745288/

125 :
>>122
本堂の中に門徒を入れて説法してたからでしょ
本堂のつくりがそもそも違う
結界の外、下陣を広くとって多人数の門徒を入れるんやろ
広く造るなら大きくはなっても、豪華にはし辛いのかねえ

126 :
そのかわり袈裟は立派やでぇ!

127 :
そうだっけ?
あんまり坊主は気をつけて見てないから、どの宗派の袈裟が高そうかどうかわからんな
僧衣そのものは僧衣専門店が宗派の別を越えて請け負ってるだろうから、形状はともかく値段がそんな変わるなら意外だ

128 :
むしろ浄土真宗は貧乏人が多そう
ああでもひょっとして、真宗の仏壇みたいに色だけはキンキラキンにしたりするのか? それならパッと見は豪勢なのか?

129 :
浄土真宗、戒名料という大きな収入源がないからな

130 :
>>127
僧衣専門店「あそこのお寺さんはこれくらいのお袈裟を買いましたよ(ボソッ」
真宗僧侶「な、なんやてぇ!?あそこの住職より高いのを持って来い!負けてられへんわ!」

131 :
>>130
寺の備品は檀家の了承がないと予算が下りないぞ
寺や寺の備品は坊主のものと思ってそうだが

132 :
浄土真宗は農民が多いからな。
寺も門徒も貧乏な傾向になるだろう。

門徒の人数は多いかもしれないが、その分だけ寺も多くなるし、
金持ち門徒が少ない浄土真宗は貧乏かな、比較の上では。
とはいえ、信者の数が日本でトップレベルだから、本山は裕福か?

133 :
>>131
一々檀家各家の了承を取るわけじゃないだろ
そこは檀家総代と結託してアレよ

134 :
そうそう。一般檀家には決算書さあえ公開してないのがほとんど
檀家総代でも決算書見せてもらってない人いるんちゃう

135 :
貧相な浄土真宗の坊たちw
金、金って、金の亡者になってるからだぞw
裏金、公共事業費をネコババしてる大阪の浄土真宗の坊らw


で、多分お前らは言うんだろ、今はもらってないってw

136 :
阿弥陀寺
大阪府住之江区安立4丁目5

祐貞寺
〒559-0014 大阪府大阪市住之江区北島3丁目17−17

埋め立て地で奥村組と付き合いを持つようになったのがきっかけ。

137 :
>>136
と言うことは中国共産党と繋がりのあった寺だな。

138 :
>>136
天保山台場跡
34°39'25. 135°25'58., 2丁目-2 梅田 北区 大阪市 大阪府 530-0001
ここがあの東海道五十三次の天保山になんか見えないよなw
こういう浅はかな嘘をつくくらいの坊だから、これの返しあれださびの事だよ。
また災害が増やしただけって分からないだろw

139 :
日本人って頭が悪いんだよw

140 :
>>139
お前のことか。

141 :
>>133
なんだー、檀家の総意で認めてるということか。ならいいじゃん。
自分の菩提寺なら自分がそうさせないか檀家を辞めればいいだけだし、他人の寺ならその寺の檀家が認めてることだし、
何が問題なん?
自分の親父が檀家を辞めてくれないのが問題なん?

142 :
>>140
お前のことかって言えるのにきづかない坊w

143 :
>>140
お前は坊は一体なんだと思っているのよw
他人のアラを見つけて終わりなのかw

144 :
>>140
二枚舌、ホラふきの坊だなw
http://hongyouji.net/?cat=3

だから腹を立てたんだよ。
心豊かならもっと違う文句になるしな、貧相だから仕方ないけどな。
寺をやる意味がない坊。

145 :
坊がこんな感じだから、災害も最高に楽しめそうだな。
あー怖いなw

146 :
お前ら悔しくないの?
>>139に「お前ら頭悪いよ」っていわれてるんだよ?

147 :
キチガイに悔しがる神経がよくわからんが……

148 :
ネットの言い争いの勝敗の基準はひとつじゃないからねえ

コリアンとかの言い争いだと「相手が言い返さなくなったら勝ち」だけど、

普通のネットの言い争いだと
「自分の主張のほうがギャラリーに受け入れられたら勝ち」だったり、
「相手の主張がバカバカしいことをギャラリーに見せつけたら勝ち」だったりだからなあ

どちらの言に理があるかがギャラリーの目に明らかになったら、言い返す必要自体がないんだよなあ


この価値観の違いのせいで、コリアンとの口論の場合は、
こっちの負けとコリアンに誤解を与えたりするケースが多発するんだけどね

149 :
>>148
ネット内のことだから、何言ってもわかりゃしないよなw

150 :
>>147
キチガイという風に取ったの?

お前はまともだったんだwふーん。

151 :
>>147
お前も本当のことだから腹を立てたw
たったそれだけで相手をキチガイ呼ばわりするような坊だってことだよ。

152 :
>>147
坊だぞ、お前らw
もうやめちゃえばいいよ。
そんなヘタレな精神異常でw
発狂しちゃった。

153 :
>>146
頭が悪いんだよ。
どうにもこうにもどうにもならんなw

154 :
発狂というのは、1つのレスに3レス返すような人のことだろうに。

怒って罵りとしてキチガイと書いたわけでなくて、本気でキチガイなんだろうと思ったからキチガイと書いたんだが。
どうやったらID:74pWFzOBaみたいな書き込みをマジメに受け取れるというのか。
マジメにキチガイだと思ったんだよ。
頭が悪いというのは哀れとは思うが。。。

155 :
>>154
発狂しなくても3レスくらいできるだろうw
発狂してる身で坊の立場で腹が立ったのに全く坊らしい言葉が出てこないだろw
だから頭が悪いって言ったんだよw

156 :
>>154
頭の悪い奴がすぐキチガイ、キチガイって言うよなw
頭が悪いとレスされたからキチガイといったんだろ。
ちゃんと文を書けよ。
でも坊なのに坊みたいな頭のいいレスしなくていいのか。

157 :
>>154
0139 名無しさん@京都板じゃないよ 2019/02/22 09:00:21
日本人って頭が悪いんだよw
返信 2 ID:74pWFzOBa(5/5)

これのことか、お前は坊は皆頭が悪いと言われないと思っているのか?
坊が頭が良いなら頭のいいレスすればいいだけだったな。

158 :
>>157
あー日本人と言ってるから皆が頭が悪いと言ったからか。
お前なんか檀家も馬鹿呼ばわりする方だろうにw
私は日本人は馬鹿ばっかりと言ったのは、特に範囲は決めてないお前らの言ってることが頭が悪いと思ったからそう言ったまでよw

159 :
で、どこの馬鹿坊と言わないうちはずっとレスし続けるようだな。
めんどくさいからお前を晒すことにするw

立正寺
〒070-0832 北海道旭川市旭町2条1丁目
Q9J6+HJ 旭川市、北海道
0166-51-3322
いきなり北海道からかw
お前は心の奥底では自分は馬鹿だと思ってるんだなw

160 :
>>159
お前、旭川市中心街の奴らと関係してる奴じゃん。
どおりで馬鹿だわw

アイヌ人を監視するために建てた寺だろw
何をしてるのよw

161 :
>>159
住職 高橋 凛歳 りんさい 42
090 1352 4558

留萌の漁師を脅すのに京都からトカレフを金を集めて購入したんだよな、お前の先祖三代前のひいじいさんか、悪い奴だな。

162 :
ハァーン…るずみチャン…。本当のオトコを教えてあげたい。

163 :
ガチに精神科or神経科案件じゃないか
本物のキの字に対して不用意にキと呼ぶのはマズいだろ
治療が遅れたらどうすんだ

164 :
【宗教】日本の仏僧はなぜ肉を食い、酒を飲み、妻を娶ることができるのか=中国メディア★8
https://asahi.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1550967988/

165 :
>>164
真宗僧侶は僧侶の格好をした在家信者だからそんな話題を持ってきても意味無いよ。
出家修行もせずに在家信者のまま成仏を目指す教えだから。

166 :
【宗教】日本の仏僧はなぜ肉を食い、酒を飲み、妻を娶ることができるのか=中国メディア★8
http://itest.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1550967988/l50

167 :
真宗の仏僧なら問題ないだろ。
なぜ問題ない宗派が生まれたかは楽しい議論にできるかもだが。

戒名与えるようなほかの宗派が肉食妻帯を認めるに至った経緯は、また別問題の議論になるな。
是非はさらに別問題だが。

168 :
>>163
http://www3.kcn.ne.jp/~futaiji/enkaku.html

商売の邪魔をしたとかじゃなく、精神異常者じゃないのかっていう坊w
それしか言えないって事だけどなw
見てる馬鹿はちゃんと言えそうもないな、またキチガイ、キチガイw
アホの一つ覚えw

169 :
>>168
嘘書き並べててもどうせ一般人なんか分かるまいとかそんな寺だなw

170 :
新薬師寺
〒630-8301 奈良県奈良市高畑町1352
坂間 林蔵 35
090 1252 6505
元京都伏見au

逃げてた馬鹿だぞ

171 :
教行寺
〒630-8247 奈良県奈良市油阪町411
住職 杯党 南帯 47 元中国共産党員
090 1352 6554
中国共産党の作った寺
檀家は元中国共産党員帰化人が多い

172 :
>>162

162の前にこれが入るんだろ、知らんけどw
0182 名無しさん@京都板じゃないよ 2019/02/11 22:26:35
あ?木板三打っけ?三下っけ?

板三下とか言うよね?
1 ID:rker1Y6J0(3/3)
0183 名無しさん@京都板じゃないよ 2019/02/16 23:31:04
>>182
三打じゃね?
下は鼓かな〜?だれか教えて!怖いジキダン寮の人

173 :
>>162
https://www.wakamatu-kannon.jp/about.html

住職

174 :
>>173
天皇がなんで寺を建てるのよw

175 :
>>167
その「在家の祭司」が、少なくとも江戸時代以降は檀家制度の下で、
他宗の「出家の僧侶」と同格の扱いをされて、その上に胡坐をかいてるのが問題なわけです。
真宗は在家仏教ではなく、出家モドキ仏教なのですよ。
真宗の「出家モドキ」は、「在家の祭司」としてもマガイモノなわけでして。ウソ、マギラワシイ、オーゲサ。
在家仏教を謳うなら、霊友会やソーカの方がよっぽど正統ですよ。

176 :
>>175
同格扱いがイヤなのと
胡座かいてるのがいるのがイヤなのと
出家モドキ仏教がイヤなのと
浄土真宗は正統ではないと主張したいのと
ごっちゃにしすぎだわ

肉食妻帯を認めるに至った宗派ごとの経緯を駄弁る場合はなおさら要らないこだわり

177 :
【宗教】日本の仏僧はなぜ肉を食い、酒を飲み、妻を娶ることができるのか=中国メディア★9
http://itest.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1551080981/l50

178 :
「戒律・修行なんかやっても無駄です!」というのは戒律・修行やってもダメだった人が言うべきなわけで、
最初から戒律・修行をやってもない僧侶風在家信者が言うのは、思考停止と開き直りにしか見えないんだよなあ。

179 :
>>178
せやろか?
それなら、ブッダが中道を説いたんだから、
王族並みの快楽主義と死者も出る苦行を両方やらないと仏教じゃなくなるんじゃないか?

180 :
両方やって両方ダメって結論になったんだから、仏教徒も倣って両方しないといけなくなるぞ

181 :
仏陀には戒律があったので戒律の無い団体は仏教じゃないと言うことですね。

182 :
>>181
せやろか?
戒律はブッダが教団を作った後に、追々作られたものじゃなかろうか
特に律は、個数もどんどん変化したというか、ブッダ入滅後にウパーリとかが頑張って整備したのと違ったか?

教団に属してたらだいたい僧侶、みたいな基準とちゃうか?

183 :
>>180
快楽はそもそも仏道じゃないからw

184 :
>>182 教団に属してたらだいたい僧侶、みたいな基準とちゃうか?
真宗僧侶「袈裟も掛けない門徒が僧侶とかありえへんわw
     お布施を貰う俺たちの立場がなくなるやんw」

185 :
>>183
そういった判断を、実体験した後に言え!って178が言ってることになるって話

186 :
>>185
王侯生活は出家前の話だぞ。
快楽生活で成仏しようとしたわけじゃないから。

187 :
>>186
ブッダは快楽主義と苦行の実体験の結果、中道という考えに至ったという話

親鸞のも、戒律を守って修行もしたけど、それで悟るのは自分には無理という実体験の結果、阿弥陀仏に頼る考えに至ったという話

だから、快楽主義と苦行と戒律と、
どれはやるべきだがどれはやる必要がないとかを安直に言ってるなら、
それは単なる恣意的な主義主張になってると言っただけ

188 :
>>187
最初から戒律を守った実体験の無い快楽生活の真宗教団は親鸞と無関係な教団ということですね。

189 :
>>188
それだと、最初から快楽主義と苦行をやったことのない仏教徒は、ブッダと無関係ってことになるって言ってるの

真宗教徒を否定したいのは勝手だが、一連のあなたの論理では否定に失敗してるから別の論理を準備しろということ

190 :
>>189
だから快楽主義は出家前だから仏道じゃないって言ってるだろ。
問いもないのになんで仏道になってるんですかw
スポーツの厳しい練習を見て修行とか言い出しそうな勢いだなw
成仏しようと思って競技してるわけじゃないからw

191 :
真宗僧侶は全員、戒律修行やって「ダメだった!」と言える人ばかりなのですか?

192 :
真宗毛坊主は毎晩精魂尽き果てるまてオツトメに励んで苦行しているぞ
それをやめる気は毛頭ないが、ある意味快楽主義はきわめている
他のどんな教団にも負けない
負けるのはリトル・ペブル同宿会とモルモン教ぐらいなものだ

193 :
>>190
だから快楽主義が仏道じゃないから快楽主義をしなくていいってことなら、
戒律を守るのは浄土真宗じゃないから戒律を守らなくていいってことたんだってば

194 :
>>193
どうして守る必要が無いの?
みんな経験上で言ってるの?
親鸞の物まねを信仰と勘違いしていない?

195 :
>>194
実際に守る必要がないと信じるかどうかは別問題
「戒律を守ってた者だけが、戒律が無駄と言い出す資格がない」という主張は論理的に成り立たない、という話

まあ、戒律を守る必要がない理由を話すとしたら真宗的には多分、
阿弥陀仏の力で極楽浄土に行くということと自分が戒律を守ることとの間に、なんの関係もないからだと思う

196 :
>>195
誤記
×「戒律を守ってた者だけが、戒律が無駄と言い出す資格がない」
○「戒律を守ってた者だけが、戒律が無駄と言い出す資格がある」

197 :
つまり真宗には「戒律を守ってはいけないという戒律」があるわけですね!
あと「修行をしてはいけないという戒律」もあるわけですね!

198 :
>>197
違うって
「私が阿弥陀仏の力で極楽浄土に行くためには、私は戒律を守らなきゃいけません」ってのを否定してるのだ

199 :
そういう意味では「極楽浄土に行くために修行を頑張る」のはダメとさえ言ってたと思う
極楽浄土に行くためじゃなくたまたま修行っぽい生活してたり、たまたま戒律も守ったみたいな生活してるのまでは否定しないと思うけど

「極楽浄土に行くために修行」「極楽浄土に行くために戒律を守る」なんてしてたら誤りってだけ

200 :
>>176
いやいや、自分は真宗そのものを非難しているのではありませんよ。真宗に恨みはないですから。
貴殿の「真宗の仏僧なら問題ないだろ」という言い訳は通用しないと言っているのです。
真宗は在家仏教ではなく出家モドキ仏教なのですから、出家の衣を借りている限り、他宗派とは同じ穴の狢なのです。
よって出家モドキしている限り、他宗と同じ批判は甘んじて受けましょう。
まあ、得度と僧侶のコスプレを廃止したら、在家仏教と認める人もいるでしょう。

201 :
>>200
浄土真宗を否定してるかしてないかは俺もどうでもいい
察するに、出家したものだけが僧を名乗るべき。という前提からの主張か
出家してないのに出家したみたいに振る舞う、のは不誠実と。
だが、出家・教団・修行そして僧侶、このへんの言葉の定義は時代や地域で大きくブレがあるだろ
釈尊入滅後たった数百年後のインドですら、釈尊の活動時のような修行生活は非現実的という議論があったレベル

そもそも出家って、当時のインドの人生観に関わるスタイルであって、仏教特有ではない
そりゃあ当時のインド人みたいに出家した僧侶のほうがカッコいいんだろうけど、僧侶の条件にはならない

202 :
サプリを飲んでるからって健康になるわけじゃないよ。
でも、だからといってサプリ飲んじゃダメとは言ってない。
って理屈と同じですか??

203 :
真宗では、阿弥陀如来の救いの対象となるために修行をしなかったり戒律を守ってないんですよね?
修行をしたり戒律を守ってしまうと阿弥陀如来の救いから漏れてしまうんですよね?
阿弥陀如来の救いにも限界があるんですよね?

204 :
>>198
つまり、「私が阿弥陀仏の力で極楽浄土に行くためには、私は戒律を守らないことを守らなきゃいけません」ってのを旨としてるのですね?

205 :
>>198
法然聖人は戒律を守っていたようですが、極楽浄土に行けなかったんですね?

206 :
>>202
法然聖人は戒律を守っていたからって極楽浄土に往生できたわけじゃないよ。
でも、だからといって戒律を守ってはダメとは言ってない。
って理屈ですか??

207 :
親鸞聖人は戒律を守っていた間は信心獲得していなくて
戒律を破ってから信心獲得できたんですよね?

208 :
法然聖人と表記するのは門徒の特徴。

209 :
真宗には頑なに「〜をしない」という戒律があるみたいだ。

210 :
ぶっちゃけ本願寺教団が何を言っててもそれは個人の信仰とは何の関係もない
門徒であっても余尊あまつさえ弘法大師像・日蓮上人像に合掌してもいいし本願寺教徒になれと言われる筋合いはない
そもそも先徳によれば一切諸仏は久遠実成の法身の弥陀の化身なのだから自力雑行・疑いの念仏も化土を経て報土に至るはず

211 :
なるほど、法然は戒律を守っていたから極楽浄土に行けなかったわけか。
というか実の所、法然は極楽浄土に往生しようと思った事はこれっぽちも思った事はなく、
悩み苦しむ民衆のために往生の「理論を提示していた」だけであって
自分は自分なりに天台のやり方で成仏方法を実践していただけなんだな。

212 :
>>210
「先徳によれば〜」とは具体的には誰の説ですか?
誰がどこで言っていたかを表した方が、話が転がりやすいと思います。
ここは真宗スレだから、親鸞の著作で化土・報土といえば、まずはこちらあたりが
思い浮かぶかな。

源信広開一代教 偏帰安養勧一切
専雑執心判浅深 報化二土正弁立
『顕浄土真実行文類』

夫按報者 由如来願海 酬報果成土。故曰報也。
然就願海 有真有仮。是以復 就仏土 有真有仮。
(中略)
既以真仮 皆是酬報 大悲願海。故知 報仏土也。
『顕浄土真仏土文類』

213 :
>>211
法然の言葉としてはこんなのが思い浮かぶな。

いけらば念仏の功つもり、しなば浄土にまいりなん、とてもかくても此の身には
思いわずらうことぞなきと思いぬれば 死生ともにわづらいなし
「つねに仰せられける御詞」

214 :
>>197
宗教上の掟というのが、戒律というのか。
それは書いてある事は間違っていても守れという事に取れるが。
なら上のいうことをなんでも聞けと。
理解している上ということでも同じ。

215 :
>>199
極楽浄土
で「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ
これは私と同じ夢の道のことだ。
修行というのは具体的にいうと神の御霊を通して正しく理解することだ。

216 :
>>199
何故修行しているのに、暗黒世界に成り下がるんだって話だよ。
一体極楽浄土をどう理解して、修行してるのよってw

217 :
>>211
また日蓮が噛みついた文も思い浮かぶな。

それ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中には、且く聖道門を
閣いて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中には、
且く諸の雑行を抛って、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲せば、正助
二業の中には、なお助業を傍にし、選んで正定を専らにすべし。正定の業とは、
すなわちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、必ず生ずることを得。
仏の本願に依るが故なり。
『選択集』

218 :
>>213
最後のつねに仰せられる御詞
とは予言のことじゃないのか。
法然でもちがう法然じゃ話にならんけどなw

219 :
>>217
訳さないのかw

220 :
>>203
阿弥陀如来とは
梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」[1]、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」[1]の意味で[2

神のことだよ。

221 :
>>203
神が救うのは人ではなくこの地球の営みのことだよ。
破壊している身で救済されるだなんであんまりだなw

222 :
で、戒律を守っていても浄土に行けるの?
守っていたら浄土に行けないの?
浄土に行くためには戒律を守ったらダメなの?

223 :
  これが親鸞の教え。

「いったいこのお寺は何を教えているんです。」
「犯罪のごまかし方だ」
「どのようにごまかすんです」
「方便力成就だ」
「方便力成就とは?」
「犯罪のごまかし方だ」
「それをぜひ、伝授を」
「よかろう。では。」
「はい」
「お主、何の罪を犯した。」
「たいした罪じゃありません」
「嘘をつけ。逃げられないぞ」
「まんじゅうを盗みました」
「やはりな」
「すいません」
「おまえはなぜ自分がまんじゅうを盗んだのかわかるか」
「わかりません」
「それは、おまえが太陽に操られていたからだ。太陽の所為だ」
「カミュの『異邦人』でしょうか」
「いや、親鸞の『教行信証』だ」
「そんな教えが日本にあったとは」
「そうだ。これは日本の教えだ。ありがたく思え」
「それで、まんじゅうの罪はどうなるんですか」
「まずは方便力成就だ」

224 :
「方便力成就とは」
「方便とは、大衆は頭が悪いから、嘘を教えて悟りへ導くことをいう」
「どのように」
「すべてを太陽と月のせいにするのだ。これが浄土真宗だ」
「それでは政治が治まりませんよ」
「政治は役人のすること。仏僧は真理の探究だ」
「どのような探究を」
「罪の所在、業の所在の探究だ」
「罪や業が太陽にあるというのですか」
「うちの宗門ではそうだ」
「そんなバカな」
「まんじゅうを盗んだ罪がおまえにある時は、太陽と月は空に上がってこない。おまえが本当の罪人なら、太陽も月も空に上がらない。」
「そんなこといって、本当に明日、太陽がのぼらないなんてことはあるはずがないじゃないですか」
「そんなことはない。太陽や月が空にのぼらなかったことがあるのをわしは知っている」
「嘘だ」
「おまえに罪があるのなら、本当に太陽はのぼらない。」
「まさか」
「本当だ。わしと一緒に太陽を待つか」
「はい」
 そして、夜が明けた。
「どうだ。太陽はあがったな」
「はい」
「罪はあるか」
「わかりません」
「これが方便力成就だ。確かになんとなくおかしい気がするから、この続きはおまえが考えるんだ。ここまでが親鸞の教えだ」

225 :
テスト

226 :
>>222
なんでそうなるのよw

227 :
なんでそうなったらいけないの?

228 :
基本的には、極楽浄土に行きたいひも全員を、極楽浄土に行かせるのが阿弥陀如来と浄土真宗だから、
受戒してなくても戒律を守ってても、どっちにしても極楽浄土には行くよ

229 :
戒律を守ってることが極楽浄土に行くたのに役に立たないだけで
阿弥陀如来はどっちみち極楽浄土に行かせてくれる
だからこそ「私の修行で極楽浄土に行く」のは間違い

「阿弥陀如来が極楽浄土に行かせる」から「私の修行は役に立ってない」わけだ

230 :
>>224
ハゲ藁

231 :
修行が役に立たないからと言って、修行をしなければ往生できるというわけではない。

232 :
修行は往生には関係はない。
ただそれだけのこと。
修行したら往生出来ないわけでもなければ
修行しないから往生出来ないわけでもない。

郵便ポストが赤いのと、手紙の返事が来ないのとは、何の関係もない。
それと似たようなもの。

233 :
修行は往生には関係ない。
往生ブッコクにはエロが必要だ。女体にぶちこむことが必要だ。
それから、肉を喰らうと精力が増し、往生ぶっこきやすくなる。
肉を喰らってセックスをして往生ぶっここう。
…親鸞の教えを簡潔にまとめるとこうなる。

234 :
>>233
珍しい親鸞が居たもんだな。

235 :
>>234
親鸞は当時から変わり者だよ?
あんな思想出てこないだろ?

236 :
カッチ、カッチだな、頭がw

237 :
じゃあトラックに乗って都会の人込みにつっこんだり
ベトナム人夫婦の娘を強姦して殺して死体を捨てても宿業のもよをす故だから往生浄土できるな

238 :
>>237
だからちゃんと読んだか?
って話だよ。

239 :
>>237
これお前考えたことがあるのか?
浄土がどうのとか以前の問題だろう。
頭がいかれちゃってるってw

240 :
>>237
お前には理解することは無理だよ。
仏教大学なのになw

241 :
しかし「煩悩具足の凡夫ですから〜w」はそういう正当化だろ?

242 :
まあ、ぶっちゃけ人殺ししてても極楽浄土に行けるよ
ただ、極楽浄土に行くための可否と
人間としての生き様の可否は別問題な

あと実はな、極楽浄土に行くのも条件があってな
それは、極楽浄土に行きたいと願うこと
南無阿弥陀仏ともいう
本気で阿弥陀仏に頼ってるやつは無益な殺人とかもうあんまりしないだろ
するかもしれんが

243 :
真宗寺院に行って「極楽浄土に行かせてください」ってお願いしてもいいの?
他宗派でも本尊が阿弥陀如来ならお願いしてもいいの?

244 :
極楽浄土に行くのをお願いする相手は阿弥陀仏だろ。。。寺に願ってどうすんだ
あと、阿弥陀仏じゃなくても、好きな仏・行きたい浄土を望めばいいだろ
阿弥陀仏とその極楽浄土より甘々な条件の仏は私は知らないけど

245 :
>>242
有益な殺人ならドンドンすべし
たとえば念仏のみ教えを守るために人を殺せば大利益ぢゃ

>>244
阿弥陀如来は説法をなさらないので、寺の坊主がイタコをやってるわけだろう
経典に従えば戒律を守って善根を植えて慈心不殺な者こそが往生する

真宗教では人をころすことより「本願」を疑うことの罪の方が重い

246 :
阿弥陀如来は今までに何度も信号を出して怒りを露わににしてきた。
全くもってどうしようもないなw

247 :
ここにも化け物の坊が数名いるようだぞw
化け物はもうどうにもならない人もどき

248 :
>>244
寺院建築に願うってwww
お寺に行ったら本尊に手を合わせるに決まってるだろwww
何を揚げ足取りしてるんだwww
お前の周囲で「真宗寺院にお参りに行く」と言う奴がいたら
「寺院建築に手を合わせに行く」と解釈するのかよ。
困ったな。いちいち「真宗寺院の木造本尊に向かって手を合わせる」と言わないといけないのかwww

249 :
>>248
仏像に願うの?
仏に願うものだと思ってたけど

250 :
>>249
仏に願うって具体的にどういう行為なの?
仏像に手を合わせて願わないなら仏像なんていらないよね?

251 :
>>250
仏像いらんだろ
文字だけ書いた掛け軸を拝んだりしてたろ
それすらなくてもナマンダブしてたろ
あるならあるで仏像置いたりもするようだが

252 :
仏像は、必ずしも置かなくてもいいものだが
仏像を前にしたほうが、
御念仏が申し易いなら、そうしたらいい。

253 :
寺参り墓参りも同様。
そういう場所のほうが落ち着いて御念仏申せるなら
参詣すればいい。

254 :
一般の人たちが行う先祖供養では、地獄界にいる先祖霊を救済することはできない。
          
それどころか、地獄の釜のふたを不用意に開けると、次から次へと何万の先祖たちが押し寄せてきて、
ノイローゼ、重病人、奇病の続出などによる家庭内の問題がもちあがり、  
最悪の場合は一家離散にもなりかねない。まさに、さわらぬ神にたたりなし、なのである。

先祖供養ばかり考えていると、次から次へと救済を求める先祖が寄ってきて、
自分自身が霊障の固まりのような人となってしまうのである。

255 :
仏像にはなんの念もはいってないよな。
人の気持ち次第だよ。
怖いと思えば怖いだけ、ありがたいと思えばありがたいw

256 :
あの世なんてものもない。
地獄を味わうのはこの世だけw

257 :
地獄の蓋というのは、もう開いてしまっている。
業のあるものだけ、関係ある業のあるものだけが地獄を味わうというのは本当だよ。
ずっと同じじゃない。
絵があるだろ寺にも。
お坊さんではなく化け物なんだよ、助けているのではなく見張っている絵なんだよw

258 :
絵は鬼と坊さんばかりだが、それは人の世の地獄。
今は化け物の世。
良いこと、悪いことの判断もつかない坊までいるのに人の世ってことはないだろ。
化け物の地獄絵図だよ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/doomsday.html

259 :
>>258
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/18/Last_Judgement_%28Michelangelo%29.jpg/544px-Last_Judgement_%28Michelangelo%29.jpg

260 :
仏像だがぶっちゃけ仮仏が入ってるのと入ってないのがあるぞ。ソースは俺。入っている仏像は動くし光ってる。

261 :
>>258
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/18/Last_Judgement_%28Michelangelo%29.jpg

オリジナルファイルw
一番上のIONAは新しい言葉になるとしたら、草木とか河砂利w土地にちなんだ大地の複雑な組織のようなもの

262 :
>>260
そう思えばそうだって言ったろw
ちゃんと理解してないだろw

263 :
>>260
入っているのは何故入っているんだ?

264 :
>>260
どう言った理由で入っているんだでもいい。
理由があるだろ。

265 :
>>261
中心にある皮剥ぎはもう既にやっていたこと。
これをしても無意味、なんの抵抗もない、柔な化け物がいっぱしの神になるんだぞw

266 :
>>260
こいつは私をどうしたら言いくるめられるかしか考えてないぞ。
勝ちたいのかw
柔な化け物なのにかw

267 :
>>260
そして話をずらして勝とうとするだろ。
なんでだろうなw
勝つのはお前が仏像に入っている理由をきちんということかだぞw

268 :
鎌倉大仏なら20円払えば中に入れるが、こんな早朝から拝観できたかな。

269 :
>>252
>>253
お寺にお願いに行く話なのに、
何が何でも念仏しなければいけない話にもっていく必死さが伝わってきて見苦しいよ。

270 :
>>269
浄土教は念仏が全て。
他のものは付録に過ぎない。

271 :
東北の門徒とか被差別階級の間引きが少なかったから
真宗はやっぱりすごいみたいな真宗坊主がウッキウキでホルる言説あるが

その人らに教えてたのは罪を犯したら地獄に落ちるから殺生を控えろっていう
およそ親鸞・蓮如とはかけ離れた自力念仏なんだなあ

272 :
>>269
細かいニュアンスを言うなら浄土真宗的には、「お願い」をするのとは違うよ

○極楽浄土に往くことを望む(願う)
○阿弥陀仏の浄土に往くことを望む(願う)
○阿弥陀仏に自分の行く末を任せる
これらは良い

× 阿弥陀仏に「お願い」して往く先を極楽浄土にしてもらう
こっちは浄土真宗的には少し誤りになる

浄土真宗スレだからいちおうな

273 :
>>272
○阿弥陀仏に自分の行く末を任せる

必ず浄土へということが約束されてるから任せるわけで、
結果どうなるかが未定の場合は任せない。
つまり打算が最初から含まれてるわけですよ。
こすっからい打算も弥陀はお見通しと言うことで許されてるのが真宗。
なら「願い」でも何でもありだわな

274 :
>>272
お寺参りは意味がないんですか?

275 :
親鸞聖人なら弥陀に任せた結果が地獄でも良しと言うてるが、
一般の門徒ではこうはいかない、そこが難しいところ。
浄土往生のために自力で南無阿弥陀仏と称えて、それが真宗的でないというのは
お寺での教えじゃないだろ。
凡夫には凡夫の教えがあるはず。

276 :
阿弥陀如来に対して何らかの下心があるってことだよな。
何の期待もしないってことは阿弥陀如来の存在否定にもなるし、必要無いってこと。
別に他宗派の仏様にお願いに行くのと同じだよね。

277 :
>>276
そもそも弥陀に任せるというのが下心ありあり。
それが凡夫なんだから

278 :
じゃあお願いしてもいいてことだろ?

279 :
なんか誤解があるな

お任せして極楽浄土じゃなくてもいいって話じゃなくて、
阿弥陀仏は望む人全員を極楽浄土に往かせるから望む以上に阿弥陀仏に「お願い」をする必要がないってことなんだ

ことさらお願いするということは、
望んだだけじゃ極楽浄土に往かせてくれないんじゃないかと、阿弥陀仏を信用してない状態だから、
そんな心配はいらないよ、お願いはする必要ないよ、ってこと

280 :
>>276
下心を否定してるんじゃなくて、
本当に極楽浄土を望んだなら、もう浄土往生は決まってるからお願いはいらないってこと
お願いするのは、そのままだと往生できないって思ってるからだから、そんな心配はいらないってこと

下心はどうでもよくて
浄土に行けない心配に囚われてるのを少し問題視してる感じ

281 :
浄土往生が決まるまでは阿弥陀如来に願ってはいけないの?

282 :
浄土往生を願ってはいけないという戒律。

283 :
>>275 浄土往生のために自力で南無阿弥陀仏と称えて、それが真宗的でない
やっぱり自力で称えたら阿弥陀如来の救いから漏れるの?
「自力で念仏する人は救いません!他力の念仏をしなさい!」というのが阿弥陀如来なの?

284 :
>>281-283
願うのはいいよ
願うとお願いするを使い分けてるって話だってば

「願う」「頼りにする」「当てにする」のはいいんだよ
「お願い」「頼み込む」「要求する」のはおかしいってこと

いずれ結婚できることを「願う」ことと
いずれ結婚できることを「お願い」することは違うことでしょ
使い分けてるの

285 :
>>284
お願いしたらどうなるの?救われないの?

286 :
極楽浄土をしているものが破壊しているものが、極楽浄土を願いを聞いてくれるって誰がやってくれるのよってw

287 :
>>285
救われるよ
救われるのにお願いしてるって、何か勘違いしてない?ってこと

手続きさえしたら全員入学できる学校があったとして
合格させてくださいお願いしますお願いしますなんでもします、って血相を変えて頼み込んでくる人がいたら
学校をお間違えじゃないですか?とか
うちは全員入学できるから落ち着いてくださいとか
そう答えるでしょ

288 :
学校を間違えてるか、そもそも必要な手続きを間違えてる可能性も高い

うちはそんなのじゃないですよって言われたり説明されたりすることになる

289 :
浄土真宗の学校ってバカ学校ばかりだから、行きたくないや

290 :
阿弥陀には
まことの慈悲はなかりけり
たのむ衆生 のみ助ける
              一休
阿弥陀には
へだつる心なけれども
蓋ある水に
月は宿らじ 
           蓮如上人

やはり頼まなければダメだろ。

291 :
当時の「たのむ」は
「頼みにする」「頼りにする」の意味が先と聞いた
「用事を頼む」の「頼む」の意味よりもね

どっちにしても阿弥陀仏を当てにしないと極楽浄土に行けないってことになりそうだが

ただ、阿弥陀仏以外の仏は、救う条件はもっとキツいと思うが

292 :
条件がきついというより空海さんほどの人でなければどこかの浄土に潜り込むのは無理だろ
つまり現代人では話にならんとか

293 :
>>290
そのやり取りだと、阿弥陀を拒否せず受け入れる気持ちさえ持ってれば良いってことになるやろ

294 :
真宗の教えに触れてもない人を助けることが出来るのか?
そもそも念仏さえしないだろ。

295 :
>>293
せやろか
やはり「頼む」のが大前提で、極楽の門戸はいつも開いているけど、結局「頼んで」極楽に入る奴がいないって話だけのような

296 :
一休:阿弥陀は自分を頼る者しか極楽浄土に連れてかないの?ケチじゃね?ww
蓮如:極楽浄土に行きたいと思わん人を極楽浄土に行かせろって、無茶言うなやww

ってことやろ?
阿弥陀からの光を蓋して防ぎさえなければ月は映るって歌で返してるわけだから

297 :
>>294
文字通りに理屈通りに経文を読んだら、阿弥陀仏を知らない人は極楽浄土に行かない

ただ誤解したらいけないのは、もともとあらゆる宗教は
「自分が救われるには」「自分と神(仏)との関わりとは」を問題にしてる
「私以外の人の誰が救われて誰が救われない」というのは主題にしない
百歩譲っても「この神を信じる人は全員救われるから私も救われる」みたいな話をするときだけ私以外の人のことが問題になる
つまり、個別の他人の行く末は問題にしない

だから「浄土真宗を知らないあの人は極楽浄土に行けない」なんて物言いは宗教的ではない
文字通りに科学的に読むと「阿弥陀仏を知らない人は極楽浄土に行かない」ってことになるけど、そう読まずに
「私が極楽浄土に行けることになったご縁をよろこぶ」というのが宗教のありようとしては正しい

あと、浄土教では還相回向というものがあって、私が成仏した後には私も人々を救いに導くってことになるから、
そこで他人も救うことになる

298 :
>>284
どう違うのか

299 :
>>297
山田さんをしらない人は山田さんの家に行けないというのは当たり前だろ

300 :
>>299
うむ、そう言ってる

ただし、Aさんは山田さんを知らないからAさんは山田さんの家に行けない、とか話すのは宗教じゃないって、併せて言っただけ

阿弥陀仏を知って阿弥陀仏の浄土に行きたい人が阿弥陀仏の浄土に行く

301 :
>>300
最後の文をちょっぴり訂正するわ

阿弥陀仏を知って阿弥陀仏の浄土に行きたい「私」が阿弥陀仏の浄土に行く

302 :
>>298
要求してるかしてないかじゃないか
真宗では変な言い方すれば、阿弥陀仏の力を受け入れた瞬間に将来の浄土往生が確定する
将来の浄土往生が確定したはずの人が阿弥陀仏に重ねて将来の浄土往生を要求することになって、真宗ではちょっと筋違いになる

303 :
>>300
ウチのペットは極楽浄土にいけるんですかって質問はわりとあるらしいな

304 :
>>303
ペットボトルが?

305 :
新羅仏教と日本の深いゆかり─浄土宗の源流は新羅の元暁 元暁宗和気山統国寺住職 崔無碍師に聞く
https://vpoint.jp/opnion/interview/131411.html

 新羅の僧、元暁(がんぎょう)と義湘(ぎしょう)を高く評価したのが鎌倉時代、
高山寺の明恵で、国宝「華厳宗祖師絵伝」を監修し詞(ことば)を書いたとされる。
とりわけ元暁は華厳宗とともに新羅浄土教の先駆者で、その思想は中国でも高く評価されている。
日本仏教に大きな影響を及ぼした元暁について、大阪・天王寺にある元暁宗統国寺の崔無碍(チェムエ)住職に話を伺った。

元暁宗という宗派は?

 韓国にあり、日本にもいくつかあります。
元暁(617−686年)は新羅の華厳宗の僧侶で、新羅浄土教の先駆者とされ、浄土宗の色合いが濃い宗派です。
日本の浄土宗、浄土真宗、時宗など浄土宗系の宗派に影響を与えて、
法然が「浄土宗」という言葉を採ったのも元暁の『遊心安楽道』からです。
同書の著者については異論がありますが、内容は元暁の教えです。

 親鸞は仏教の戒を破って肉食妻帯しましたが、元暁はそれを7世紀に実践し、僧も俗人も変わりないことを示しました。
浄土思想を確立したのは中国の善導(613−681年)ですが、日本では元暁の影響の方が大きいと言えます。

 新羅における華厳宗の祖は義湘(625−702年)で、奈良の東大寺に華厳宗を伝えたのは新羅僧の審祥(しんじょう)です。
日本の仏教は最初に百済から伝わりますが、骨格を形成したのは新羅仏教です。

大きなひさごを叩きながら歌を歌い教えを説いた元暁は踊念仏の一遍のようです。

 元暁の思想を継承したのが浄土宗で、実践を継承したのが浄土真宗や時宗です。
平安時代後期の天台僧で融通念仏宗の開祖となった良忍も『遊心安楽道』を学んでいます。
元暁は「往生歌」も作り、身分を問わず往生できると説いたので、下層にまで広まりました。

 チェ・ム・エ 1951年北海道生まれの在日二世。統国寺の3代目住職徐泰植と大阪で出会い、僧侶になって寺を継いだ。
1994年に、韓国系の在日本韓民族仏教徒総連合会(韓仏連)と元暁にちなむ「海東会」を発足させ、南北交流を進めている。
「統国寺」の書は有馬頼底師。

306 :
どこからどこまでが本当なの?

307 :
新羅仏教に対する日本仏教の認識について福士慈稔氏の研究がある。
https://ci.nii.ac.jp/nrid/1000080250041

特に日本の浄土宗に関してこちらが参考になる。

『日本浄土宗諸師の元曉引用章疏にみられる若干の問題点』
福士 慈稔(著) 印度學佛教學研究 54(1), 541-535,1289, 2005
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/54/1/54_1_541/_article/-char/ja

308 :
法然が「浄土宗」という言葉を採ったのは元暁に仮託された『遊心安楽道』から。
ただしそれ以外は・・・、どうだろう?
以下、>>307のリンク先の福士氏の論文より

日本天台宗で確立された元暁認識と,自宗の宗義に賛意を示した他宗の師
として挙げる最澄の手法を承けてこそ,立場の相違をみずに『遊心安楽道』を
宗名根拠の第一としたと考えるのである。
 法然が宗名根拠の第一に元暁に仮託された『道心安楽道』を挙げた結果、
後の浄土宗諸師が法然が手にしなかった元暁の著述をも引いて,根本的に
立場の異なる法然と元暁の思想を会通しなければならなくなったのは指摘の
通りである。

309 :
浄土宗に先行する日本の天台宗、真言宗の新羅仏教に対する認識についてはこちら

『十二世紀末までの日本天台宗の新羅仏教認識について』
福士 慈稔(著) 印度學佛教學研究 58(2), 1087-1080, 2010
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/58/2/58_KJ00006159659/_article/-char/ja/

『一二世紀末までの真言宗の新羅仏教認識について』
福士 慈稔(著) 宗教研究 84(4), 1176-1177, 2011
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/84/4/84_KJ00007112318/_article/-char/ja/

310 :
世の中を破壊しているものが極楽を味わいたいから救済してほしいってあんまりじゃないのかということは全く無視してw
ずっとホラ話並べて、頭おかしくない他なんかないだろw

311 :
気付く頭を持ち合わせてないんだよ、もう。

そしてなんでこれ一生懸命いっているのに邪魔するんだってと腹を立ててるんだからw

312 :
自分のいうことをきちんと理解しからものを言えよと言ってw
なんで俺らがお前のその極楽の解釈を理解しないといけないのよとかw
早くあっちにいけとかw
坊がそう思ってるんだからw

313 :
>>308
これ、何が言いたいのかって間違いを指摘したいというレスだろw

314 :
>>307
上から
百済から仏教が伝わったということは嘘。
そしてどこから伝わったということは特に重要でもない。
仏教においてそう言ったことを載せているのは疑問を感じる。

315 :
>>307
日本の三論法というのは具体的なんであるか記載がないなw
法相宗とほ興福寺のことかな。

分からんが
円測3
1.何事にも仏教という言葉で片付けない。もしそうなったら、大変おかしな世の中となり申し訳がないため。
2.灯りを灯すともう少し解釈を明るく楽しめるようになるはずである。そうならないのは活字一辺倒で硬い物言いだけの堅物になるため。
3.あながち間違ったとしても訂正せず、元の漢語を用いつづけているため、頓珍漢な解釈になってもそのままなのが物凄くおかしい感じがする。

こうだよw

316 :
>>315
これだからダメじゃん。
肩苦しい言葉で誰に理解すれって言ってるのよ。
お前ら坊が一般人に理解しやすく書き直せって話じゃないかw

317 :
要はおれたちがやっていることを一般人も真似して理解するべきと言いたいんだろw
お前らいらないなw

318 :
しかも解釈を間違っているところは一般人はどうすることもできないのにそのまま、坊と同じように妄想もすれってことだ。
どうなってるのよ、坊たちw

319 :
これだけ書かれても分かってないんだよ。
お前らが破壊しちゃったんだろ?
で、なんで極楽が待っていてくれるってよw

320 :
漢語自体も間違った文もある。
漢語から日本語に訳すのも間違って訳しているのも付け加える。

何をもって仏教かってこと。

321 :
こう言っても止まらないのが今の世の中の人もどきの特徴。
また極楽、救済どうとか言うだけだぞw

322 :
ここにいて文句を言ってレスをした坊は皆全部文献を読んでないってw
だからおれらは関係ないという顔しはじめてたよw

323 :
名前: 名無しさん@京都板じゃないよ
E-mail:
内容:
>>286
問い合わせID:4b0ecd3828fb943f
ホスト:KD182251247040.au-net.ne.jp
名前: 名無しさん@京都板じゃないよ
E-mail:
内容:
>>309
http://www3.kcn.ne.jp/~futaiji/index.html

奥さんw


サイバカサイバーw 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)


324 :
名前: 名無しさん@京都板じゃないよ
E-mail:
内容:
>>286
問い合わせID:4b0ecd3828fb943f
ホスト:KD182251247040.au-net.ne.jp
名前: 名無しさん@京都板じゃないよ
E-mail:
内容:
>>309
http://www3.kcn.ne.jp/~futaiji/index.html

奥さんw


サイバカサイバーw 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)


325 :
奥さんのTwitter

trick
@trick2ch
一服中…( ゚Д゚)y─┛~~
snowslide.s201.xrea.com2011年7月からTwitterを利用しています
36 フォロー
114 人のフォロワー

326 :
>>325

@safour_1
笹岡にゃん太郎の公式ツイッターです
2011年10月からTwitterを利用しています

坊仲間

https://gangoji-tera.or.jp/

327 :
>>325
研鑽
@ken_sang
東京の天気を毎朝つぶやくタイプのアーバンチャンピオン
山手線の極北kensang.tumblr.com2009年7月からTwitterを利用しています
423 フォロー
710 人のフォロワー

https://gangoji-tera.or.jp/

住職

328 :
アホだったな、わしw

こんなアホに乗せられて、読んでしまったよ。
最初から坊なんかしてない奴らだったんだからw

329 :
誰もこんな坊出てきても知らんぷりの浄土真宗www

一般人に諭されてるんだぞ、わし以外でもw
情けないの通り越してはよRってw

330 :
仏像が要るの要らないのって話があったけど、内陣や仏壇の荘厳もやっぱり念仏しやすいようやっているのかな?
配置がどう見ても、本尊に向けてじゃなくて外陣側に向けて飾ってるし。
極楽浄土をモチーフにした飾りを使ってるだけなのか、全体を極楽浄土に模しているのか、よくわからないけど。

331 :
念仏しやすい?

332 :
法然さんの意を拡張すると

念仏はなるべくしやすい体勢でするのが良い

333 :
そもそも法然聖人は信心正因/念仏報謝とは仰ってないから持ち出すのはおかしくないかな

『一紙小消息』の
「罪は十悪五逆のものむまると信じて、少罪をもおかさじとおもふべし。罪人なほむまる、いはむや善人をや」
を無視して都合のいい言葉だけ断章取義するのは聖人に失礼では

334 :
>>332
法然「勝手に拡張しないでください!」

で、戒律を守っていたであろう法然上人は浄土に往生できなかったんですよね?

335 :
>>333
末代の衆生を、往生極楽の機にあてて見るに、行すくなしとても疑(うたご)うべからず、一念十念に足りぬべし。

336 :
>>335
未来にいる民衆が、神のことばを忘れ去り好き勝手なままになるということはとてもじゃないが、信じられない。
嘘のない今から考えてどうするものかと。


一念十念ということばはここに当てはまらないことば違いだな。

337 :
>>335
そここら下は後から付け加えたもの。

338 :
>>333
法然は三国志に出てくる法然じゃないな。
法然は未来に起こるべく予言をもって来日したんだから。

339 :
坊たちが勝手に都合が悪いと変えていった歴史w
嘘が流行し嘘だらけになるのもわかるだろw

340 :
やっぱり戒律を守っていても往生できるんですかね?

341 :
うるせえなあ
守って念仏できればそれでいいし、守れなかったらそれはそれでいい。
そんなこたあ往生に関係ねえんだよ。
ごちゃごちゃ疑情だらけだとダメなんだよ

342 :
往生できるでしょ、そりゃ
誰ひとりとも、できないなんて言ってないでしょ

343 :
でもさすがに修行してたら往生できないでしょう。
阿弥陀如来も「修行したら往生させてやらないからな!」と言ってるわけだし。

344 :
誰もそんなこと言ってないでしょ

345 :
だから修行とかできるやつはやればいいし、できないやつはそのままでいい。
ただ修行の力で往生してやるとか疑無明がいかんと言っている。
難行苦行をやっても往生と関係がないから、易行道を信じていたらわざわざ修行しようとは思わないというだけのこった。

346 :
>>345
じゃあ法然聖人は往生と関係ない戒律を守っていたのに易行道を信じて往生したの?

347 :
>>345
修行しなければ往生できるんですね!

348 :
法然上人は大勢至菩薩の生まれ変わり。
持戒しつつ念仏ができる人
凡夫と一緒にすな

349 :
>>348
伊東市和田〔浄円寺〕に芭蕉句碑がある。
 古池や蛙とひこむ水の音 はせを 
天保12年(1841)下田街道の道標として建てられたもので、右下に 
 三嶋七り 
 小田原十二り 
 下田十一り余 
の文字が見える。
大正11年(1922)にここへ移設された。

これも嘘だろ。
松尾芭蕉に法然w

350 :
親鸞聖人は観音菩薩あるいは阿弥陀菩薩の示現。
破戒しつつ念仏ができる人
凡夫と一緒にすな

351 :
親鸞聖人は凡夫じゃないの?
親鸞聖人は凡夫だって真宗僧侶が言ってるけど嘘だったの?

352 :
>>342
戒律守って往生できる教えなんてどこにあるの?

353 :
>>352
入学試験のない学校は、受験勉強をしてた人の入学を認めないと思ってる?
受験勉強したことのない人しか入学を認めないと、そう思うの?

354 :
>>353
どうして関係のない話をするの?
戒律を守って往生できる教えの有無を聞いているのに。

355 :
>>354
浄土三部経じゃダメなの?

浄土教を認めたくないの?
浄土三部経を認めたくないの?
大乗仏教を認めたくないの?
仏教を認めたくないの?

356 :
「戒律を守っていても救われる」ことの理論を出さないと
十方衆生の救いにならないぞ。

357 :
>>353
そうだな。ドラ大やダニ大は形ばかりになっている入試をさっさと廃止して、白痴全入制度を導入すべきだ。

358 :
>>355
完全に同意
なんで浄土三部経に秘密の教えと方便の教えがあるとか言っちゃうの?
浄土教を認めたくないの?

359 :
なんだよ秘密の教えって。
秘事法門か?

360 :
>>356
願ったら救うという話なのに戒律は関係ないでしょう
たかが戒律に反しない生活をしてた程度で二乗を志向したことになるわけでもあるまいし
なんで戒律をそんな気にしてるのさ

361 :
修行とか戒律を一番気にしてるのは真宗のほうだろ。
どうして「やってはいけない」から入るの?
往生するためにやってないの?

362 :
>>361
「やらないことで悟りに向かう」のではないでしょう、真宗は

「やってはいけない」ではなく
「悟りのためにやっているなら誤り」だ

363 :
「(行や持戒を)やらないことを進んでやっている」んでしょう?

364 :
そう、「やってはいけない」ではない

「(行や持戒を)『悟りのためと思っては』やらないことを進んでやっている」

365 :
真宗は浄土往生のために何をすればいいのですか?

366 :
お念仏

367 :
まあ普通の人間が努力して持戒していたら、持戒が悟るための役に立つんじゃないかと、絶対についつい期待してしまうからね
極楽浄土に往生したいならそれ以降は、わざわざ戒律を守ろうとするのはあんまりよろしくないのだろう
真宗的には

368 :
現代日本に住んでて持戒してるなら何か動機があるでしょうし、その動機は他力信心の妨げになる可能性がある
でも昔のお坊さんなら持戒は本来当然なので
他力信心と持戒が両立してたのは不思議でもなんでもないと思います

369 :
現代日本で持戒のハードルってどんなだろ
戒の字ヅラだけ見ても、解釈でハードルの高さに幅がありそうだ

370 :
取り合えず結婚しないだけでも(婬戒と故出精戒は違うから)十重禁戒は守れる
(故意に殺生、殺人したり窃盗をすることは職業上ないだろう)

そして十重禁戒が守れるなら大乗戒は守れてることになるので
本当にセックスの問題は大きいんだろう

371 :
「戒律を守ったらダメだ。往生できない。」と言う主張は法然聖人が論破したわけだな。

372 :
>>367
真宗的・親鸞上人的には法然聖人の持戒はよろしくないと言うことですか。
法然聖人と親鸞上人とでは教えが違っているわけですか。

373 :
「持戒は浄土往生の妨げになる」と言う理論はどこから出てきたのでしょう。

374 :
>>372
何を読んでるんですか、あなた
当時のお坊さんなら持戒は当然だから持戒と他力信心とは矛盾しないのだろうとまで書いたのを理解しないの?

375 :
コレ、機能的文盲ってやつじゃ

376 :
法然聖人は浄土に往生したいと思っていたのかな?
何のために戒律を守っていたのだろうか。

377 :
法然は持戒や造像起塔等の諸行をもって往生の本願とはしていない。

『選択集』三章(難易の義)より
次に難易の義とは、念仏は修しやすし、諸行は修しがたし。(中略)
ゆゑに知りぬ、念仏は易きがゆゑに一切に通ず。諸行は難きがゆゑに諸機に
通ぜず。(中略)
もし持戒持律をもつて本願となさば、破戒無戒の人はさだめて往生の望みを
絶たん。しかも持戒のものは少なく、破戒のものははなはだ多し。自余の諸行
これに准じて知るべし。まさに知るべし、上の諸行等をもつて本願となさば、
往生を得るものは少なく、往生せざるものは多からん。
しかればすなはち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく
一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもつて往生の本願となしたまはず。
ただ称名念仏一行をもつてその本願となしたまへり。

378 :
戒などの諸行は往生の本願ではないが、専修念仏に向かわしめる行という観点で、
念仏者の意識を高め、生活習慣を整えるために必要であれば助業としての役割が
付与される。

『西方指南抄』禅勝房との十一箇条問答より
問。余仏・余経につきて、善根を修せむ人に、結縁助成し候ことは、雑行にてや候へき。
答。我こころ弥陀仏の本願に乗し、決定往生の信をとるうえには、他の善根に結縁し
助成せむ事、またく雑行となるへからす。わか往生の助業となるへき也。他の善根を
随喜讃嘆せよと、釈したまへるをもて。こころうへきなり。

379 :
『和語灯録』四 「十二箇条問答」第十一より
問ふていはく、本願は悪人をきらはねばとて、このみて悪業をつくる事はしかるべしや。
答ていはく、仏は悪人をすて給はねども、好みて悪をつくること、これ仏の弟子にはあらず。

『一百四十五箇条問答』より
たとひのちにやぶれ候とも、その時たもたんとおもふ心にて、たもつと申すはよき事に候。

『一紙小消息』より
つみは十悪五逆のものもむまると信じて、小罪をもをかさじとおもふべし。


戒行は往生の本願としては廃捨されるが、仏教徒として個人の置かれた環境や
条件に応じて実践すべきものであり、その実践を心がけようとする意識を重視
するのが法然。

参考
『浄土宗学としての戒とその意義』
齊藤 隆信(著) 日本仏教学会年報 (74), 219-238, 2008
http://nbra.jp/publications/74/

380 :
戒律があってそれを破れば破戒。ところがこれに末法思想が法然や親鸞に加わっている。
時は末法。この末法の時代は戒律が存在しない。戒律がないのだから破戒もなく、破戒僧も
いない。

381 :
>>377
弥陀の四十八願に優劣、本願/非本願(方便の誓願?)なんてあるのか?

382 :
>>380
現に戒律は「ある」から「戒律はない、末法無戒だ、無戒だから破戒じゃない」といちいち強弁せにゃならんのだろうが

383 :
法然聖人はそういう理論を確立していたけど、本人は浄土往生を望んでいたの?

384 :
末法という妄想をふりかざして衆生をマインドコントロールしようとするカルト宗教。
キリスト教の原理主義者と同じ。

385 :
>>384
坊が神を否定したぞw

386 :
>>384
本願寺派 息徳寺
〒579-8061 大阪府東大阪市六万寺町1丁目2−11
MJ3V+FJ 東大阪市、大阪府
072-911-0303

こっちは皆同じにしようとしてるのに、お前んところは浄土真宗だからいいとか言うのかw

387 :
>>386
お前、神を否定したからにはその神の体置いてけw

388 :
法然さん親鸞さんは平安末期から鎌倉時代の人、その時代状況がわからなきゃ
どうしょうもない。
大地震やら飢餓、動乱の時代に生き延びた庶民の側が欲してるものを
わかりやすく説明するものがそれぞれの教え。
現代人のように何度も人間に生まれ変わっておいしいものを食べたいとか、思わんわけ。
人間に生まれ変わるのがもうこりごりだという思想がなくてどうして浄土のことがわかるんだ。

389 :
2019.2.28 20:47
加藤茶、45歳下妻とラブラブ「もらうなら若い嫁さんが絶対良い」
https://www.sanspo.com/geino/news/20190228/geo19022820470029-n1.html

本願寺蓮如の生まれ変わりか?

390 :
>>389
浄土真宗の坊に言ってるのか。
お前んところも危ないのにな、日蓮シャリシャリw

391 :
>>388
何故大地震や災害が起きるのか理由を教えたり出来ないからかw

392 :
>>381
「経」に対する「論」(解釈・注釈書)の問題だとは思うのだが。
同じ経を拠り所としていてもその受け止め方によって様々な宗派が生まれる。
○○宗ではこの経を拠り所として〜のように受け止めるというお話。

そして四十八願のうち「欲生我国」という文言の入った願がいくつあるかというと
第十八願、第十九願、第二十願の三願のみ。
浄土教は浄土経典を拠り所として往生浄土を語る教え。
『浄土三部経』には持戒、造像起塔等の行によって浄土に往生するとは説かれていないし、
かといって持戒、造像起塔等の行を排除する教えも説かれてはいない。

親鸞における「方便」はこちら提示されている『顕浄土方便化身土文類講讃』(梯實圓著)の
章が参考になるかな。。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%96%B9%E4%BE%BF

393 :
>>392
>『浄土三部経』には持戒、造像起塔等の行によって浄土に往生するとは説かれていないし、

次の三種の行を修める人々はみな往生することができる。
それはどのようなものかといえば、一つにはやさしい心を持ち、むやみに生きものを殺さず、いろいろな戒を守って修行するもの、
二つには大乗の経典を口にとなえるもの、三つには六念の行を修めるものである。
この人々がそれらの功徳をもってその国に生れたいと願い、一日から七日の間この功徳を積んだなら、
ただちに往生することができる。

394 :
>>393
これは失礼しました。『観無量寿経』の上品上生のところですね。
『無量寿経』になぞらえると第十九願と第二十願に対応するのでしょうか。
これらを踏まえて梯實圓氏の文を読むとさらになるほどなと思えるるかと。

395 :
なるほど持戒、造像起塔等は往生は出来るが観無量寿経十九願往生と言う訳か
とすると化土往生だな

396 :
化土往生、素晴らしいじゃないか。
往生さえできないよりはずっとマシ。

397 :
往生できないってどうなのか
キリスト教徒は往生できないのか。

398 :
>>397
キリスト教徒は西方極楽浄土に往生したいとは願わない筈。

399 :
一遍上人「願おうが願わまいが、南無阿弥陀仏が往生するんだよ!」
…これぐらい徹底しないとな。でも、これだと衆生は救われてもハゲが儲からない。
…というわけで浄土真宗の立場と相成る。

400 :
決定往生の名号札売り捌いてた事実はどうなんだよ

401 :
往生がなんだってんだよ。
離れられないのかw

402 :
法然聖人は他人には阿弥陀仏の絶対的救済を説いてるのに
本人はちゃっかり戒律守って万全を期してるの抜け目ないなって

403 :
持戒しなくても往生は出来るが、持戒出来るのならばした方が良いよと弟子にも
言っている。対機説法やね。

『西方指南抄』七箇条の御起請文より

念仏門において戒行無しと号して、もっぱら婬・酒・食肉をすすめ、たまたま律儀を
守るものを雑行と名づけて、弥陀の本願を憑む者、造悪を恐るることなかれというを
停止すべき事。

右、戒はこれ仏法の大地なり。衆行まちまちなりといえども同じくこれを専らにす。
これをもって善導和尚目をあげて女人を見ず。この行状のおもむき本律の制にも
過ぎたり。浄業のたぐい、これに順ぜずは総じて如来の遺教を失し、別しては祖師
の旧跡に背けり。旁、よるところ無き者か。

404 :
君たちの書き込みを見ていると
浄土と言い往生と言い物理的な場所に移動するのではなく心の中にこそ
浄土往生があるとしか思えないな。

405 :
物理的に別の場所に移動するのではないのは当然だけど
心の中とは読めないんじゃないか?
むしろ話してる印象だと「現象がある」というのに近い話し方の印象

エルニーニョ現象は存在する、って言ったとき、エルニーニョ現象という物体が存在してるんじゃなくて、
なにか特定の状況をエルニーニョ現象と名付けて、そう呼んでるみたいな
エルニーニョ現象は頭の中ににはない

406 :
>>404
場所は
ガンダーラになるのかw

407 :
生きることで起きる苦しみをガンダーラに行けば消えるとか言われているだろ。
どんな夢も叶うって言われている。
夢とは、金かw、極楽浄土かw
だから、極楽浄土がガンダーラに行くことってことだろw

408 :
見苦しいとか思われてても、一向に構わない坊たちw
知ったかが偉そうにわたちは知っているとずっとレスしてるだけ。

409 :
>>404
現象にせよ状態にせよ物理法則にせよ
心の中の存在じゃなくて現実に存在する
目に見えないものだからって心の中にしかないと判断するのは早計

410 :
行ったことがないのでどこにあるかはわからんが、あることは確か。物理的に行ける場所でもない。ただ心の中ではない。

411 :
心の中という言い方ではなくて自分が思うことですよ。

412 :
書物の中にあったんだろ、経典の中にある、としかできない。
現実に存在するなら証明できるはずですね。
だから心の中にある。としか・・・
自分が思うこと自分が行く場所、すなわち心、精神、魂、何でもいいけど思考の結果ですね。

413 :
経典を読むなり、他人から聞くなり何らかの思考の結果
自分にとって都合の良いものを信じる。それでいいじゃないか。
知らない人には浄土はない、考えない人には浄土はない。

414 :
歴史に真実はない歴史は政治の延長だとはよく言ったものだ。また願望でもある
韓国人にとって3,1で独立の為に戦ったということは自分たちのあるべき姿をのべた願望であるでしょう。
同じく浄土は現世を生きる凡夫の願望なのでしょう。

415 :
じゃあ経典を作った人が「経典の中に在ったから経典にしました」と言ったのかな?
何を根拠に経典を説いたのかな。

416 :
>>412
フクシマで放射能で癌になった人がいることは証明できないけど(確率的影響しかないから因果関係を証明できない)、
癌になった人がいたとしてそれは心の中の発癌なの?

確率的影響があるから1人くらい癌になった人が存在する可能性はあるんだが(存在しない可能性ももちろんある)、
癌になった人は心の中の人物なの?

証明できるか否かは、心の中かどうかとは別の問題だよ

417 :
パラレルワールド、現実のまた違う世界。
完全な精神分裂病者が進むとパラレルワールドが見えてくる。
夢で確認する人もいる。
物事を結び付けられない人はなりやすい。

418 :
自分のやった悪事や都合の悪いことを本当に忘れる。
それをできる奴らは他人を故意に攻め立ててばかりになる。
自分のやった汚点をわすれているだけで記憶の中には残っているからだよ。
始末の悪い病気だよ。

419 :
>>400
アレ、無料やで
今でも無料や
往生にもゼニの真宗ハゲとはわけが違う

420 :
仏教の壁画の顔、浩ノ宮にしてあるで、天皇、礼賛主義やで悪魔崇拝主義やで。仏教は、悪魔の話聞けやで、惑わすやろ、そうすると騙されるやろ。そやで、キリスト教のパワーアップするやつがいいぞ。

421 :
>>420
久しぶりにキリストのバルンガーをケツRに押し込んでみますか?

422 :
東条家は、ムキに、なんでな。

423 :
持戒と浄土往生は並立できるかという議論はまだ余地があるが、
・法然聖人や源信和尚は自力念仏ですか?他力念仏ですか?
・源信和尚は臨終行儀で浄土往生出来たんですか?

424 :
二人とも七高僧やんけ
共に平成業成に決まってるので恵信僧都の臨終正念は方便だな

425 :
後発のカルト教団が勝手に意義付けしてるだけで普通に善根を廻向して極楽に生まれたよ

これを平生業成と言ってるのは
法華経を作った教団が
釈尊は智慧の劣った者を引き入れるために方便で入寂の相を見せただけで本当は久遠実成の仏だったと言うようなもの

426 :
恵信は佛眼で見て往生要集を書いているからな地獄必定の凡人には無理
生きながらどこにでも行けた人

427 :
いろんな人がいろんなことを言うなあ、昔も今も。

428 :
親鸞は佛智で知って教行信証を書いているからな自力必定の凡人には無理
生きながらなんでも知った人

429 :
>>427
空想如来の空想浄土なんで、何とでも言えるわけ。

430 :
無許可バーで乾燥大麻を所持、男女8人逮捕
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190309-00000044-jnn-soci

 9日未明、東京・渋谷区のマンションにあるバーで乾燥大麻を所持したとして、
自称・住職の男ら男女8人が警視庁に逮捕されました。

 逮捕されたのは自称・住職の稲田英昭容疑者(60)と自称・薬剤師の根岸義勝容疑者(36)ら8人で、
午前2時ごろ、渋谷区円山町のマンションにあるバーで、乾燥大麻を所持していた疑いが持たれています。

 警視庁によりますと、去年12月ごろ、「バーの中で薬物を使っている」という情報提供があり、
捜査員が店内を確認したところ、8人が囲んでいる円卓の上に大麻が置いてあったということです。

 バーは無許可で営業していて、取り調べに対し、8人はいずれも容疑を否認しています。(09日16:30)


浄土真宗立教開宗の聖地 稲田禅房西念寺東京
http://tokyo-sainenji.com/%E8%91%AC%E5%84%80%E3%80%81%E6%B3%95%E4%BA%8B%E3%81%AE%E3%81%94%E4%BE%9D%E9%A0%BC/

>浄土真宗別格本山稲田禅房西念寺東京別院
>住職:稲田英昭

431 :
>>430
まさに、自称・住職じゃね?
広告だけ出して、直葬の読経をやるだけの自称僧侶
典型的なやつだろ

432 :
自称僧侶って・・・皆まで言うまい

433 :
>>421
長ネギのほうが効果あるって

434 :
とにかく嘘つきは皆生きていられないんだから、ここで発散してるのかw

435 :
ミュンヒハウゼン症候群

436 :
また毛坊主か

437 :
>>436
お前がハゲ坊だからいっただけかw

438 :
>>436
お前なんか知らないのに偉そうにしているハゲじゃないか。
何を偉そうに毛坊主よ、いい加減にしろ!

439 :
「毛坊主」の歴史的意味がわかってないようだな

440 :
中央仏教学院通信部の入門課程か学習課程か悩んでいます
入門課程で物足りなくて、引き続き学習課程に入ったら、合計4年
それなら最初から学習課程選んだ方が3年で済む
いきなり学習課程で難しすぎて挫折するより、入門課程を確実に修了する方がいいとも思い悩んでいます

441 :
学習過程特に難しい事は無かったよ。
テキストが詳しいから気にする事は無いと思う。

442 :
【僧侶が女子高校生にみだらな行為 淫行の疑いで男を逮捕 高松市】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190311-00010002-ksbv-l37

 高松市の僧侶が去年6月、香川県内のホテルで、当時16歳の女子高校生にみだらな行為をしたとして逮捕されました。
 香川県青少年保護育成条例違反、淫行の疑いで逮捕されたのは、高松市松縄町の僧侶、神内正見容疑者(30)です。
 神内容疑者は去年6月2日、県内のホテルで当時16歳の女子高生が18歳未満であることを知りながら、みだらな行為をした疑いです。2人は去年春ごろ、出会い系のアプリで知り合ったということです。
 神内容疑者は警察の調べに対し、容疑を認めています。

443 :
親鸞和尚、調伏しとんで、喋りたい子は、三重県津市、一身田の高田本山に喋りに行け。

444 :
>>439
そんなもんないだろ。

445 :
>>439
ホラ吹き男爵

446 :
謗法じゃ大謗法じゃ

447 :
>>446
嘘つきは皆殺しじゃw

448 :
親鸞和上(しんらんわじょう)、悪鬼調伏(あっきちょうぶく)
六根清浄(ろっこんしょうじょう)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)

ナマンダブ

449 :
本願寺の聖

粟散に還来させたまいて

末世の中の末世

濁世が内の濁世

悪比丘邪盲を化度したまえ

おんあみりたていせいからうん

南無阿弥陀仏

450 :
ॐ अमिताभाय त्राः

451 :
ॐ अमिदेव ह्रीः

452 :
家で、愚痴言うとる子らおらんか、念仏2時間して、愚痴とれ。東条家、降伏したれ。竜王でる感じわかるか、一回、2時間やってみろ。

453 :
尽十方無碍光佛は

愚痴の闇をはらいたまう

念仏不退に住して諸魔を降伏せんとて

吾に面前してを加持したまえ

ཨོཾ་ཨ་མི་དྷེ་ཝ་ཧྲཱིཿ

南無阿弥陀仏

454 :
こういうスレで悪態をつき続けてた人って、そういう発散?ができなくなったらどうなるのだろう、、、

455 :
令和おめ

456 :
「令和」素晴らしい名だ 安倍ちゃん ありがとう

457 :
新元号かー
昨日はテレビを見てなかったのに、お昼12時を待たずに新元号を知ることになってしまった
まだ新元号を知らない人って日本に存在するのかねー。。。

458 :
千日行なんかやってる人は知らんだろ

459 :
>>458
フツーに肉喰らいながらテレビ見てるわな

460 :
http://img.2ch.sc/ico/nida.gif
阿弥陀仏は身体障碍者も救う?

というのも、無量寿経の41願に、
[たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩たちが六字の名号を聞きて、
仏に成るまでの間、その身に不自由な点があるなら。わたしは決して仏になりません。]
というのがあるが、この菩薩を「信心決定した人」と解釈してる本があって、念仏してると
身体が健康になると書いてある本があったんだ 蜂屋 賢喜代って人の本なんだけど
その論理で行くんだったら身体障碍を負ってる人は救われないんじゃないか?って疑問に思った
うちのばあちゃん念仏してたけど目見えなくなったし、俺も耳とか聞こえなくなるかもしれないし
どうなんだろうって

親鸞も「本願を信受するは前念命終なり。すなわち正定聚の数に入る。即得往生は後念即生なり。即時に必定に入る。また必定の菩薩と名くるなり」
って言ってるし、どうなんだろう
俺的には、他国の菩薩ってのは信心決定した人のことじゃないと思うけど、正式にはどうなってるのか
他の人はどう思うのか気になるから誰か知恵を貸してください

461 :
>>460
簡単な話。法蔵菩薩はまだ阿弥陀如来になっていないか、さもなくば本願を成就しないまま抜け駆けして阿弥陀如来になっているかのいずれか。
だから障害者の門徒が現存する。
阿弥陀如来の力で往生・成仏できるなんて妄想は、真宗=それで儲けてるショーバイ人以外には無意味。

462 :
>>461
無量寿経には法蔵菩薩は十劫の昔に成仏したと書いてるよ

463 :
>>462
無量寿経はスター・ウォーズと同じファンタジーだよ。
昔々、遠く離れた銀河系の彼方で…と描かれるのと同じ。
浄土教が信じているモノは、いわばフォースだ。
フォースの共にあらんことを!

464 :
無量寿経を真に受けて安心できるおめでたい人もいる。
スター・ウォーズを観て楽しめる人もいる。
無量寿経で儲けている本願寺がいて、スター・ウォーズでボロ儲けする制作会社があり、それぞれに無数のカモがいる。
また楽しからずや。

465 :
>>461
>本願を成就しないまま抜け駆けして阿弥陀如来になっている
なんだそれはw

466 :
>>460
信心決定したら菩薩って解釈は無理やろ
信心決定したら正定聚になるだけ
つまり死んだときに極楽浄土に浄土往生することが決定するだけ
菩薩になったり不退転になるのは極楽浄土へ往生してから

現生で菩薩になるわけじゃない
人間の「菩薩」は、尊敬でそう呼ばれてる人がいるだけ

467 :
>>466
でも親鸞聖人も「本願を信受するは前念命終なり。すなわち正定聚の数に入る。
即得往生は後念即生なり。即時に必定に入る。また必定の菩薩と名くるなり」
って言ってるんだよ 比喩ってことでいいのかな?
正定聚が菩薩かどうなのか、調べても全く出てこないんだよ
出てこないということは菩薩ではないのかな 法然も確か菩提心はいらないって言ってたし

468 :
>>467
法然は『選択集』において菩提心を含む諸行を往生の行とはせずに念仏のみを往生の
行として選び取っている。
しかしながら『選択集』以外の法然の著作では『選択集』にない菩提心の解釈も見られる。
善導、法然の説く菩提心は浄土に生まれようと願う心ではあるが、為楽願生ではなく、
浄土往生の後、上求菩提・下化衆生に尽くす心。

「浄土宗の心は、浄土にむまれんとねがふを菩提心といふ。」
『和語燈録』「三経釈」

「浄土宗のこころは、浄土にむまれむと願ずるを菩提心といへり。」
『三部経大竟』

「いま浄土宗の菩提心は、一切の煩悩を断じ、一切の法門を悟り無上菩提を証せんと
欲する心なり。」
「善導の意は、自ら先ず浄土に生じて菩薩の大悲願行を満足して後、還りて生死に
入りて、遍く衆生を度せんと欲す。即ち此の心を以て菩提心と名づくなり。」
『漢語燈録』「逆修説法」

469 :
>>468
じゃあ正定聚は菩薩なの

470 :
>>469
法然による菩提心の解釈を>>468に示しましたが、私は正定聚を菩薩と解釈している
文献を寡聞にして見たことがありません。よって私には分かりかねます。

471 :
本願を信受するは前念命終なり。すなわち正定聚の数に入る。
即得往生は後念即生なり。即時に必定に入る。また必定の菩薩と名くるなり

愚禿抄

472 :
普通に読んだら

本願を信受すること=前念命終=正定聚
即得往生=後念即生=即時に必定に入ること=必定の菩薩

「必定の菩薩」は現世のことなのか往生した後の状態なのか、どちらのことなのだろう?
ちなにみ「前念命終後念即生」は善導『往生礼讃』の

「前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時永劫につねに無為の法楽を受く。
すなはち成仏に至るまで生死を経ず。」

を受けたもの。「現世往生説」については大谷派での議論がよく知られているな。

473 :
少なくとも俺自身は煩悩具足の凡夫のまま往生出来ることを喜ばしく思うが、
自らのことを菩薩であるなんてとても考えられないな。

自分のことを菩薩であると言える人もいるのだろうけど。
「現世往生」も俺には無理。

474 :
個人的には単に親鸞聖人が、正定聚がよっぽど嬉しくて際どい表現を使っただけだと思ってたがなあ >必定の菩薩
仏になるのが確定してる菩薩に、いずれなるのが現生で確定するのだから、
先走った表現をする気持ちはわからなくもない

475 :
現生往生を主張してる人って結局、何を往生と言ってるのかさっぱりわからない
往生という既存の単語を流用するなら、主観を廃して他人にわかる言葉で十分に単語の定義をすべきと思うけど
ホント混乱させたいだけなのかと
菩薩にしろ往生にしろ、言葉が軽すぎる

他宗からみたら、信心ひとつで浄土往生ってのも似たようなものかもしれないが

476 :
https://dotup.org/uploda/dotup.org1814300.jpg
https://dotup.org/uploda/dotup.org1814301.jpg
https://dotup.org/uploda/dotup.org1814304.jpg
https://dotup.org/uploda/dotup.org1814305.jpg

この人の勝手な変な解釈ということでよろし?

477 :
これ読んで、「身体に障害を負うことは、信心を頂いてない証拠」と読めたし
>>461のようにも読めた
これ滅茶苦茶じゃない?

478 :
身体障碍者は往生できないのか?

479 :
大谷派での議論も遠くから眺めている分には興味深く思える。

『曽我ははたして親鸞の往生論を誤解したか』 京都大名誉教授 長谷正當氏
2017年11月8日付 中外日報(論)
https://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2017/1108.html

『親鸞の往生論への誤解を糺す』 大谷大名誉教授 小谷信千代氏
2017年11月24日付 中外日報(論)
https://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2017/1124.html

480 :
法華経はこの経を謗ったから身体不自由になったと説いた。もっといえばこの世に身体不自由の
者が居るのは過去に法華経を謗ったからだと。
無量寿経は身体不自由なものが居ない世界にしたいと阿弥陀は願った。
まずここを押さえる。

481 :
次に身体不自由とは何か。例えば両手がないとしよう。
これって身体不自由なのかどうか。五体不満足と思う自分の心の問題になる。
両手がなくても満足していれば不自由にならない。
逆にすべて身体が整っていても他と比べて不満足の心であれば不自由になる。
この他と比べるというところが問題なんだよ。

482 :
>>481
ここでいう身体障碍とは何かはお経に書かれてる
諸根(五感+心)のどれかが欠如してることだとさ

483 :
阿弥陀の本願では体が不自由だから仏になれないとは説かなかった。
また自由、不自由と感じるのは本人の心。とらわれなければ体は不自由で有りながら
自由になれる。執着を離れれば自由になれる。所詮仏教は執着をいかにして離れるかという
教えだよ。最大の執着は自己への執着。これこそ私を苦しめ悩ますものだと釈迦は気がついた。
問題は親鸞はその自己への執着を死ぬまで離れなれないと説く。ならば18願文の唯除の
存在と言うことだ。この唯除の者を阿弥陀はどうやって救うのか。ここが問題でここを真宗坊主は
説かないと。

484 :
蜂屋賢喜代とはどんな人だろうかとググったら、大正末期から昭和中期にかけて
活躍した、真宗大谷派の人なんだね。
曽我量深と同じ時代の人だし、時代的なものもあるんだろうな。

485 :
>>484
古い人だから迷信的なことを信じてたってこと?

486 :
諸根闕陋を身体障害と読むのはどうかと思う

仏教で感覚器官の話をしてるんだから、
普通なら涅槃に至るための実践に支障があるかどうかの心配から出た話ではないのか
身体障害は辛そうだから、辛くないように身体障害を治すって意味で考えるより、
阿弥陀仏に出会ったり思ったりするのに支障がないようにするって意味で考えるのが自然では

487 :
>>485
著者の意図はどうあれ、現代社会だと問題になるような文章表現があるということ。

現代の真宗大谷派で「身体障碍者は往生できない」と取れるようなことを言う人がいるのかな?
その時代に応じた表現が出てくるのはどの宗派でも同じで、時に応じてそれらを再検討する
必要があるのもまた同じ。それこそ戦時中なんてどの宗派も・・・

488 :
あとこの人の説明だと浄土真宗の嫌う現世祈祷にも思える

489 :
祈らんとな、東条家の仲間になるで。悪因縁切れ意味わかる。祈んの2分とか、やめとけな、2時間な。

490 :
>>489
結局、これが結論だ。

491 :
>>475 現生往生を主張してる人って結局、何を往生と言ってるのかさっぱりわからない
じゃあ死後の往生って何がどうなるか答えられるの?

492 :
>>491
勘違いするな
「どうなるか」をキチンと言えという話ではない
単語の定義をキチンとしろという話だ

例えば「仏国土の一つである浄土へと死後に化生して往くことを指す」といった具合にだ
これは例だから乱暴に1行で定義の例を言ったが、大事なのは定義をすること
単語を流用してるのでなければこんなうるさいことは言わないんだよ

493 :
>>491
往って生まれることじゃね

494 :
>>476
これ読んでたら不安になってきた
暁烏敏も盲目になったんだから信心を得たら身体障碍負わないなんてことないよな?
俺も目悪いんだけどさ
みんなどう思う?

495 :
>>493
具体的に何がどこに?

496 :
そんなら信心の人は盲にならぬか、聾にならんかと理屈を言いたくなるのです。
けれども、まあそういう理屈はやめてどうもそういうことになっているようでありますし、
またあるべきが本当であって、もしそうでなかったらその本人が大いに気をつける
べきことであると思います。われわれが名号を聞いて信ずる者になれば必ず
そうさせてやりたいということがこの願のこころでありまして、本当の健康法と
いうものは信ということだとも言いたいのです。身の健康法だけでなしに、
心の健康法、悩みの健康法というものも信ということにある、ということでありましょう。

蜂屋賢喜代(著) 『四十八願講話[下]』 第四十一願:諸根具足の願
http://www.hozokanshop.com/Default.aspx?ISBN=978-4-8318-6555-7

497 :
>>496
とんでもねえな
信心のある人には娑婆でも良いことがあってほしいから、だから身体障害が無くなる願だと解釈するってのか
無茶苦茶だ

498 :
なんか儒教的な価値観なのか?

信心がある人間は徳がある人間
徳がある人間は長生きで病気にもなりにくく、慈悲心に満ち人に慕われその下には道ができるってか
バカバカしい
仏道をいったいなんだと思ってるんだ

499 :
>>476を読んで、誰に対して話をするかの問題もあるが、言葉を吟味することの重要性を
改めて感じた。
真宗大谷派の近代教学を前提とした解釈は遠くから眺めておくだけにしておこうとも。

>>497
論文じゃなくて講話だからね。現世利益和讃なども意識する必要があるのかも。
現代の常識からすると突っ込みどころ満載だが、時代的なものもあるかとも思う。
牧口常三郎や戸田城聖も同じ時代の人だよね。

500 :
第四十一願は「他方国土の諸菩薩衆」についての願だが、蜂屋賢喜代は

「他方国土の諸菩薩衆とここにありますのも、われわれ凡夫のことでありましょう。
聖者も凡夫も一つであって、別にわけて願をお立てなさったことではなかろうと
思います。私はそう味わいたいのであります。」

という見解をとる。これまたいろいろと誤解(?)を生み出しそうな表現だよな。

501 :
時代的な価値観を切り離せないのは確かにそうかも
前提の常識が違うから一概に全否定は拙かったな
496も願の解釈を主題と見ずに、凡夫が現世で生きる上での心持ちや心の健康を語ってるだけと見るなら、まあ当時としてはいいのかもしれないし

ただなおさらのこと、彼らの当時の言葉を今の私らが文字通りに受け取ると危険ってことでもあるけど

502 :
この願のスタンダードな解釈ってなんなの?

手元にあった金子大栄氏の解釈を見ると、「菩薩」というのは「倫理学者、哲学者、聖道門の修行者」
のことで

先の願では国中の菩薩が他方菩薩の道を諒解された。
それでこの願では他方の菩薩が浄土の法を諒解することによって、
さらにひろくすべての道を諒解するにいたるのであります。
これを反面から申しますと、念仏こそ十方衆生の道であり普遍の法である、
ということを知ることができないようでは、
諸根闕陋であることをまぬがれないということであります。
それで私は四十八願に引きずられていくのであります。
私の一面の心では哲学も道徳もみな駄目である。
念仏でないと駄目だといいたいのでありますが、
四十八願に引きずられ、ここまできますと、他方仏国の菩薩の道も諒解されて、
同時にまた他方の菩薩からも諒解されるようになるのであります。
我はどうしても罪悪深重にて煩悩興盛なるがゆえに念仏往生する。
そこにゆるぎもなければ僻みもない。
ちゃんと落ちついて我は念仏の大道を行っている。
それと同時に聖道の修行者も念仏往生の道の大なることを知りつつ、
しかも自分の道を徹底せしめようとするのであります。
弥陀の名号を聞き仏の大道を聞いて、そういう広い道があることを念じ、
その道に励まされて、それぞれの道を徹底するとき、
それぞれの道がまた一切の他の道を諒解する基となる
。それはこの第四十一願の誓いによるのではないでしょうか。

らしい これは納得できるがスタンダードな解釈ではない気がする

俺は41願は、娑婆にあっては具体的に言えば釈迦の修行時代に対しての願で
もしくは他の多数の仏国土の菩薩に対しての願だと思ってるけど

503 :
修行に差しさわりがあってはいけないから諸根を具足させようという願かなと

504 :
>>502
解釈は宗派や人によっていろいろあるだろうが、個人的にはこんなふうに思う。
阿弥陀仏の願により、他方国土の諸菩薩なおもて摂される、
いわんや念仏往生を信じる我が身をや。

「己身の弥陀、唯心の浄土」を説く人が他方国土の諸菩薩をどのように理解するのかも
興味のあるところ。
また信仰とは別のところで学問としてはこんなのも。

〈無量寿経〉における「他方国土の願」に関する一考察 : 「他方国土の願」の原初形態考
壬生 泰紀(著) 龍谷大学大学院文学研究科紀要 32, 101-121, 2010-11-27
https://ci.nii.ac.jp/naid/110008747061

505 :
四十八願の解釈や分類は浄影寺慧遠など、さまざまな高僧により行われているが、
善導は『般舟讃』において「四十八願茲に因って発す。一一の誓願は衆生のためなり」と
言い、誓願はすべての衆生のために発せられたものであるとしている。

「唯除五逆誹謗正法」をも抑止門・摂取門と解して会通するのであるから、娑婆世界に
生きる我が身の諸根闕陋の不具足を問題視する必要はない。

人間だもの老いたり病気になれば六根が衰えるのは当たり前のこと。
そんなことを阿弥陀如来が厭うはずがない。北風よりも太陽、減点法よりも加点法かな。
造悪無礙は厳しく戒められるべきだが、六根の衰えで往生の可不可を論じるべきではない。

506 :
>>505
誤 諸根闕陋の不具足
正 諸根の不具足

老眼が進みました。腰も痛いです。物忘れも増えて、その他いろいろ辛いです。
それでも往生出来る我が身のうれしさよ、というのが個人的な第四十一願の
受け止め方かな。

507 :
大谷派の教学大会で研究発表したくて準備してるんだけど、できるかな。
ちな61歳。
一応、30年以上専業住職のベテラン。
大谷大学卒。
修士・博士なし。学術職の経験なし。
自坊・他坊での法話経験なし。
かなり昔に組長を1期務める。それ以外、宗門の役職経験なし。
社会的活動は特に無し。
新聞への投書で活躍。
富山新聞の「野辺の送り」に寄稿多数。
近所の某別院にて、聖徳太子の「絵解き」で活躍。沙加戸弘を講師として招いた絵解きの勉強会では、逆に沙加戸を超える見識を披露してしまう。
歴史学者の故 安丸良夫の手次寺の住職。その関連で教学研究所の名和達宣が私に話を聞きに来た。何か名和に感銘を与えちゃったようで、去年の「現代と親鸞」だったか「真宗」だったかに私のコメントが載る。
今はまだ、著作や論文などは無し。

う〜ん、沙加戸や名和に普通にデカい顔して頼めばいける気もするが、どうだろうか。

508 :
諸根闕陋を「往生するのに不自由がない」ってとるのか

509 :
日本語がおかしかった
諸根闕陋を→諸根具足を

510 :
>>508
具体的にはどのレスのこと?

諸根闕陋は六根が欠けていること、諸根具足ならば六根が具足していることだよね。
六根が欠けていようが、不具足であろうが往生するのに問題とはならないと俺は思うけど。
少なくとも往生浄土を願う心があれば。

511 :
>>510

阿弥陀仏の願により、他方国土の諸菩薩なおもて摂される、
いわんや念仏往生を信じる我が身をや。

諸根具足を摂されるって言ってるのかと

512 :
>>511
他方国土の菩薩が極楽浄土に往生すると私は考えていません。
「摂される」=「利益を受ける」くらいの意味です。
梵本に従って「他方国土の菩薩」を「他の仏国土に生じた菩薩たち」と
理解しているのもありますが。

他方国土に生じた菩薩たちも阿弥陀仏の利益を受けるのだから、
諸根の具足不具足に関係なく念仏往生することを信じる我が身をや。

513 :
他方国土の菩薩が諸根闕陋しないぐらいだから
念仏者は具足不具足関係なく往生する

ということ?

514 :
スレ読んだら

正定聚が菩薩だったとしたら、41願の諸根具足の願は、信心決定した人にも当てはまることになる
ということは、信心決定した人が身体障碍を負うのはおかしい だから諸根がケツルした人は往生できない

ってことでしょ?どこかがおかしいんだと思うけど、どこがおかしいのかは分からない
誰か論破してくれ

515 :
正定聚が菩薩とは思わないけれど
そもそも他方国土の菩薩のことだから認識能力の事情は異なりそうだと思う
身体障害とは関係なく認識能力の不足が場合によって起こるはず
低レベルの世界のほぼ全員が高レベルの世界の物を認識さえできないのはよくあること
あるいは例えば天界に住まうものは幸せであるどころか逆に仏法に出会う機会さえ失っているという考え方さえ世の中にはある
とある他方国土では菩薩たちは揃いも揃って阿弥陀仏の教えに出会う能力に欠けている
そんな可能性を考えるのはそんなにおかしいことではない気がする

516 :
>>515
この願は阿弥陀仏の名前を聞いた菩薩に向けての願なんだよ
でも確かに諸根具足ということは、仏道修行をベースにした能力だと考えれるかな

517 :
>>513
他の仏国土において仏となろうと修行している菩薩に対しても阿弥陀仏の
願力による利益があるくらいだから、
諸根具足不具足に関係なく阿弥陀仏の本願に乗して極楽浄土に往生して
仏となろうとする念仏者に対する利益がどれほどのものであろうか

ということです。

他の仏国土に生じて修行している菩薩も極楽浄土に往生することを願う念仏者も
どちらも最終目標は仏となること。
そのどちらに対しても阿弥陀仏の利益がありますよ、という願だと私は解釈しています。

518 :
金子大栄の解釈にならうならば、ここかな。
真宗大谷派の教えは遠くから眺めているだけだけど。

>我はどうしても罪悪深重にて煩悩興盛なるがゆえに念仏往生する。
>そこにゆるぎもなければ僻みもない。
>ちゃんと落ちついて我は念仏の大道を行っている。
>それと同時に聖道の修行者も念仏往生の道の大なることを知りつつ、
>しかも自分の道を徹底せしめようとするのであります。
>弥陀の名号を聞き仏の大道を聞いて、そういう広い道があることを念じ、
>その道に励まされて、それぞれの道を徹底するとき、
>それぞれの道がまた一切の他の道を諒解する基となる。

519 :
で、菩薩ってどこにいるの?

520 :
現実な話で、人が死んだら土に還す。
墓や納骨堂なんか必要ないから。
将来そのような方向に行くんじゃないかと思う。
新しく墓や納骨堂なんか作らない方がいい。

521 :
>>519
自分の心、胸、頭w

522 :
>>520
需要があるなら作ってもいいと思う。

523 :
>>520
人間はそんな唯物主義的な合理性で動いていない
身近な人が死んだらそれで生じる損失以上にショックを受ける生き物
弔うという行動や葬送儀礼はそうそう消えるものではない
そして葬送儀礼を現代日やる以上はいまのやり方はそう極端に不合理なものではない
見栄を張って大きい寺の檀家を務めてる人は知らないけれど

524 :
>>521
それは誤り、自分の中にあるものではない
百歩、一千万歩譲っても、他者を菩薩として観る心のありようが自分の中にあるだけ
菩薩そのものは自分の中にはない

525 :
2ちゃんねる、荒らしにくんの、調伏するでな。

526 :
「おなじく仰せられ候ふ。世間にて、時宜しかるべきはよき人なりといへど も、信なくは心をおくべきなり。便りにもならぬなり。たとひ片目つぶれ、腰をひき候ふやうなるものなりとも、信心あらん人をばたのもしく思ふべきなりと仰せられ候ふ。」
蓮如上人御一代記聞書97

この前から見ているが何を問題にしているのかアホな頭ではわからん
目も見えず口もきけず手足がなくても心の中で念仏だけ唱えられればいい
一番簡単にしたものが念仏だろ
生きてる間は正定聚この世の縁が尽きて往生したら菩薩

527 :
>>526
死後の菩薩はどこにいるの?

528 :
阿弥陀仏への信心決定した人が、デリヘル嬢をヌッ殺したり高速料金をチョロマカシたり、ムリヤリ乳を揉みしだいたりすることはあり得るのでしょうか?
また、阿弥陀仏への信心決定した人ではないのに、真宗寺院の住職をしていることはあり得るのでしょうか。

529 :
都合がいいようだけど信心とこの世での嗜好は別物だからなあ
業というのもあるしてん
坊さんで信心取ってる人ももちろんいるだろうけど蓮如上人も言ってる通り法座に集まった中でひとりかふたり

530 :
すまん満員電車の中で書き込んでいたら押されて投稿してしまった
法座の中でひとりかふたりくらいしか信心をとっていないということでそんな割合かなと

531 :
>>528
そうそう、現実的なことを話さないとね〜。
信心あっても「業縁ですから〜w」「凡夫ですから〜w」とか言って
「しゃーない、しゃーないw」と正当化するのは本願ぼこりだからなw
深い反省じゃなく、とりあえず形だけ反省したら「ok!」という魂胆が見え見えw

532 :
柳山信先生は往生できるのでしょうか。

533 :
>>532
できるよ!
親鸞聖人と同じお浄土に生まれるよ!

534 :
>>526
俺も頭悪いけど

本願を信受するは、前念命終なり。(即ち正定聚の数に入る。)
即得往生は、後念即生なり。(即時に必定に入る。又必定の菩薩と名くる也)

愚禿抄のここの話してるんじゃない?

535 :
それ、ツッコミになってない
せめて「親鸞は正定聚をホニャララの菩薩と呼びたいと言った!だから正定聚は菩薩だ!」という"主張"を合わせて説明しないと

536 :
そして菩薩なら!現生十種の利益以外に!現世利益があるんだ!
身体障害が消えるとか!だって第41願があるから!
そういう説明をしないと

537 :
>>507
なんかすごいのがいるな…
富山県南砺市誓立寺の土屋紳(?)て人か?

538 :
>>514
「他方国土の菩薩」をサンスクリット本で確認すると
“anyabuddhakSetropapannA bodhisattvA”(他の仏国土に生じた菩薩)とある。
チベット本もほぼ同じ意味。
第四十一願は他の仏国土に生じて修行している菩薩に対する利益を表した願
であって、阿弥陀如来の念仏往生の願を信受して正定聚の数に入った衆生を
対象とする願ではないのでは。

金子大栄の解釈でも「念仏の大道を行っている」衆生と「聖道の修行者」を
別ものとして表しているね。

539 :
最近YouTubeで法話を聞いてるんだが
ここの2分あたりからの話も41願を現世利益ととらえてる
https://www.youtube.com/watch?v=v173o_HwB_o

540 :
善導の『往生礼讃』における「前念命終 後念即生」の箇所を書き下し文であげてみると

「すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは、行住坐臥にかならずすべからく
心を励まし、おのれを剋して昼夜に廃することなく、畢命を期となすべし。上一形に
ありては少苦に似如たれども、前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時
永劫につねに無為の法楽を受く。すなはち成仏に至るまで生死を経ず。」

これらにより阿弥陀如来の第十八願や、『観経疏』(散善義)における「一心専念弥陀名号
行住坐臥 不問時節久近 念々不捨者 是名正定之業 順彼仏願故」が思い起こされる。

これらに諸根具足の有無が関係するかな?
いろいろあったけど、金子大栄の解釈は大変興味深く読めた。余裕があるというか。

541 :
>>539
何派なのでしょう? 

あくまでも説法だからな。学問として四十八願を学ぶというよりかは
信仰としてこのように受け止めましょうという感じだな。

今まで善知識に教えを聞いていた人が自ら立ち上がって「私も仏法を伝え
導いていきたい」と思う。それらの人達が安心して仏法を伝えられるように
阿弥陀如来がお護り下さることを表した願である、という趣旨かな。

個人的には「諸根闕陋」という文言を簡単には使いたくないな。
宗教関係者で福祉活動に関わっている人も少なくないからな。

542 :
自分はたとえ諸根が欠けていたとしても各人の能力に応じて信心決定し、
それを各人の能力に応じて他者に伝えることが出来ると思っている。

凡夫である我が身が出会った阿弥陀如来の本願、それにより決定した
信心を凡夫のまま他者に伝えるのみ。死ぬまで凡夫のままだから。

そして各人の能力云々と言っても助けたまえと申す念仏に勝劣はないから。

543 :
教行信証の現代語訳にショウジョウジュを大乗の菩薩だとしているのがある

https://dotup.org/uploda/dotup.org1818980.jpg

544 :
偉い修行者をたとえで菩薩と呼ぶ
仏になる凄い修行者を菩薩と呼ぶ
でも阿弥陀仏のおかげで仏になる修行者は凄くはない
凄いのは阿弥陀仏でその願力に乗っただけの大乗の修行者は凄くない
大乗の菩薩っていうのは阿弥陀仏が凄いって意味で呼んでるだけ
その修行者は凄くないし本当の菩薩でもない
阿弥陀仏スゴイって意味で“大乗の菩薩”て呼ぶだけで本当の菩薩と思って菩薩と呼んでるはずがない
菩薩の例の52の階位では菩薩の一番下でも疑心ゼロが要求されてる

545 :
>>534
かめレスすまん
今朝は座れたので今読んだ
愚禿抄のことは不勉強でよくわからんが
平生業成なんだから信心を取った時点で「即ち正定聚の数に入る」命が尽きれば浄土に居を移すだけ
だから正定聚だの菩薩だの言っても同じっていえば同じだと理解しているが

546 :
>>543
爪の形が汚いw

547 :
『愚禿抄』にある「入数正定聚」と『無量寿経』第四十一願にある「他方国土の菩薩」を
同じものとして捉えるとしたら、いろいろと突っ込みどころが出てくるのだが、
金子大栄は「念仏の大道を行っている」と「聖道の修行者」を別ものとして捉え、
さらに両者が尊重し合えることを説いているところ、余裕があって良いな。

548 :
親鸞和尚の江戸時代の先祖、小学校の図書館にある歴史マンガで、他化天の大魔王でて、黒い感じ、発っしとんのわかるか。

549 :
>>547
突っ込みどころって?

550 :
>>545
のちに菩薩になる身だから先走って言っちゃったってこと?

551 :
>>549
第四十一願にある「諸根闕陋 不具足者」

人間だもの老いたり病気になれば諸根が衰えるのは当然のこと、
>>526にあげられている『蓮如上人御一代記聞書』97を読みましょうとか、
一度NHKのTV番組『バリバラ』を見てみましょうとか。

菩薩の特徴として諸根具足を説くことすら、それを現代を生きる人として表すと
問題があるような。
そして四十八願の中に極楽浄土の人々が必ず六神通を得ることが誓われているが、
現生往生を主張する人はこれらをどう受け止めているのだろう?

552 :
親鸞は現生十種益を説いているが、そこに諸根具足は入っていないんだな。

金剛の真心を獲得すれば、横に五趣・八難の道を超え、必ず現生に十種の益を獲。
何者か十とする。一つには冥衆護持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪
成善の益、 四つには諸仏護念の益、五つには諸仏称讃の益、六つには心光常護
の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、
十には正定聚に入る益なり。 『顕浄土真実信文類三』より

553 :
念仏2時間するとどんな感じになるかわかると思う。全員、弥陀の約束があって、みんなを念仏2時間で竜兵にしたそうやぞ。

554 :
553 のつけたしでな、法蔵願力の怖さ言うのは、念仏2時間な。

555 :
>>551
どう考えてると言われても別に特別なことはないが基地がいの寝言として聞いてくれ

平生業成現世往生は動かしようがない
肉身を持っている以上老病は当たり前のこと
本来現世に於いて神通力もいただいているが大抵は肉身が邪魔をして現世では現すことができない
極稀に現世でも現す人もいるただし漏尽通は除く
こんな人は表には絶対出てこないし極一部の人にしか明かさない基地がい扱いされるし社会生活に支障がでるからな
ソースはじじいになってとっくに往生した自分の師

556 :
>>555
現世において正定聚に入り、諸根が欠けることなく具足し、六神通を得て、命終の
時まで菩薩の如き生涯を送る人がいることを私は否定するつもりはありません。

私が否定しているのは、現世において正定聚を得た人が洩れなく全て他方国土の
菩薩の如く阿弥陀如来の利益を得ると考えることです。
目の不自由な人や耳の不自由な人などは正定聚の位にないと考えることです。

故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひしことを、たしかに
うけたまはり候ひしうへに 『末燈鈔』

557 :
>>556
「目の不自由な人や耳の不自由な人などは正定聚の位にないと考える」なんてことがあるのか?
師も晩年は耳は聞こえず歩けもしなかったけどそんなものは往生と何の関係もない
どんな邪説か

558 :
>>557
『無量寿経』 第四十一願
設我得佛 他方國土 諸菩薩衆 聞我名字 至于得佛 諸根闕陋 不具足者 不取正覺

現世における「「入数正定聚」と「他方國土 諸菩薩衆」を同じ扱いにしたら
駄目だろうと言っているわけです。
現実問題として、身障者の方々の前で正定聚の位に入ると、他方国土の
菩薩と同じく諸根が欠けることなく具足すると説けるのか?ということです。

559 :
親鸞は齢九十を超えてもなおビンビンで、とっかえひっかえ女を侍らせては始終往生ブッこいていた。
まさに「死ぬまでセックス!死んでもセックス!鼻毛はボーボー!邪悪な面構え」だ。
往生とは生死を超えてブッこくモノと見えたり。

560 :
>>558
ごめんどうしても理解できないわ
「たとひ片目つぶれ、腰をひき候ふやうなるもの」だろうが往生はできる=正定聚
四十一願は極楽に入れない他の浄土の菩薩の為の願のようなので何の関わりもないと思うのだが

561 :
>>557
第四十一願のに対する私自身の受け取り方は>>538>>542にある通りです。

562 :
>>560
はじまりは>>460、>476、>>477ですね。
そして>>514であげられた命題そのものがおかしいと示す為。

>正定聚が菩薩だったとしたら、41願の諸根具足の願は、信心決定した人にも当てはまることになる
>ということは、信心決定した人が身体障碍を負うのはおかしい だから諸根がケツルした人は往生できない


私自身の考えは蜂屋賢喜代よりも金子大栄の解釈に近い。

563 :
>>560
さらに>>539のリンク先の第四十一願の解釈もなんだかなと思ったので、ずるずると・・・

564 :
>>562
>>538が正しいと思う

565 :
こんなことも書いてあるんだな。

「しかれば今他方国土の諸菩薩衆とここにありますのも、われわれ凡夫のことで
ありましょう。聖も凡夫も一つであって、別にわけて願をお立てなさったことでは
なかろうと思います。私はそう味わいたいのであります。
 だからわれわれがあなたの名字を聞いて信の上は摂取不捨の身の上になって、
常照護と、常に照らし常に護り摂め取られて捨てられぬという信の人は、その人が
一生を過ごし、死に至るまで眼根が欠けるとか耳根が欠けるとか鼻根が欠けるとか
舌根が欠けるとか、身の触角が不十分になるというようなことは決してさせない。
醜くなるようなことにさせない。 六根具足するようにせずばおかぬと、こういうことが
この願のこころだろうと思うのであります。」
蜂屋賢喜代(著) 『四十八願講話[下]』 第四十一願:諸根具足の願

蜂屋賢喜代も金子大栄さ、らには小谷信千代も真宗大谷派の人なんだよな。

566 :
蜂屋賢喜代の講話の内容を現代人がそのまま受け入れ、よく吟味することなく
他者に伝えるとしたら・・・、真宗大谷派も大変だなと遠くから眺めるだけ。
自分の周囲にいたら全力で批判するけど。

567 :
基本平等無差別なのは極楽だけ
差別がある浄土もあると聞いた
そんな浄土からは極楽にお参りに来ることはできまい
逆に極楽からは普等三昧のお陰でどこの浄土もフリーパス
最底辺の人間が最高の浄土に行けると言うこと
四十一願はそれを前提にしてるのではないかな

568 :
大聖易往と
ときたまふ
浄土をうたがふ
衆生をば
無眼人とぞ
なづけたる
無耳人とぞ
のべたまふ

569 :
>>538
がベストアンサーかな

570 :
祖師の言葉の中にも現代の常識、価値観からすると問題が生じる表現がある。
それらを如何に受け止め、他者に伝えるかを考える必要があるのはどの宗派も同じ。
真宗関係者の皆さん、がんばれ。
出所は『目連所問経』とそれを引用した道綽『安楽集』やね。

安心問答ノート 無眼人・無耳人とは
http://anjinmondounote.hatenablog.com/entry/2012/01/07/165631

Web版 新纂浄土宗大辞典 無眼人・無耳人
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%84%A1%E7%9C%BC%E4%BA%BA%E3%83%BB%E7%84%A1%E8%80%B3%E4%BA%BA

WikiArc 目連所問経
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%9B%AE%E9%80%A3%E6%89%80%E5%95%8F%E7%B5%8C

571 :
そうだな、大乗経典自体がインドの地域の信仰と結びついてできた経典なんだろ?
釈尊が「南無阿弥陀仏と称えなさい」と言ったと思わないし、
仏壇なんてのを作って掛け軸に向かって念仏礼拝しなさいとかないだろ?

572 :
必ずいるけど釈尊ガーの意味がわからない
教えの主はお釈迦様救いの主は阿弥陀様
どうせお経はお釈迦さんが作ったんじゃないとかめんどくせえ

573 :
価値観や言葉の意味の齟齬は、
宗教に限らないし日本にも限らないわ

そもそも仏教が涅槃を目指すのだって
「輪廻を解脱して」涅槃へ
と考えるのはインドでの輪廻という常識があったればこそだ
輪廻がなくても涅槃という考え方は持てるはずだけど、輪廻が常識の世界なら、
涅槃は輪廻からの解脱の説明とセットにならざるを得ない
一事が万事そう

言葉通りに受け取るとおかしなことになる
だから解釈が必要になる
だから場所が移れば宗派も生まれる
北国で衣3つだけで生活しろとか無理

574 :
>>573 だから解釈が必要になる
その解釈が解脱に向けて正しいかどうかなのだが。

575 :
解脱ってなーに

576 :
輪廻しないことです。
往生思想には輪廻も解脱もありません。

577 :
>>565
大谷派ってカルトなの?

578 :
あとね、戒律も授かってない人をお坊さんと見なすことに抵抗があるんだ。

お坊さんのコスプレしてるだけの人にお布施なんかしたくない。
功徳にもならんだろうし。

579 :
現世利益を説かないのはわかるんだ。
観音経とか普通に読めば「んなアホな!」って感じだし。
まあ、浄土信仰も「んなアホな!」なんですけどね。
そもそも、経で説いてる念仏は観想念仏であって唱名念仏ではない。
勝手にお経に無い方法論を編み出したのは大乗仏教非仏説以前の問題。

580 :
貧瞋痴って何ですか?

581 :
>>577
蜂屋賢喜代、金子大栄、小谷信千代は同じ宗派に属しながら
それぞれ考え方が違っていて興味深いですよ。

>>579
「念声是一」という考え方もあります。
これもまた宗派や人によって受け取り方に違いがありますが。

Web版 新纂浄土宗大辞典 念声是一
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BF%B5%E5%A3%B0%E6%98%AF%E4%B8%80

『念声是一論考』 袴谷憲昭(著)
駒澤短期大学研究紀要 27, 47-72, 1999-03
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005489061


わからないことは自分で調べる、自分で調べてわからなかったこと、
調べた内容に疑問があったことを他人に聞けと学生時代に言われたな。
質問によって自分の底が露呈するから。

582 :
>>581 「念声是一」という考え方もあります。
善導以前は念声各別だった。
それが大経の念仏と観経の念仏の違いです。
だから称えなくてもよい。
ハイ論破。

583 :
>>581
「南無阿弥陀仏」という言葉は観経にしか出てこないので
観経成立以前のインド人や中国人は「南無阿弥陀仏」と称えることが出来なかった。
ハイ論破。

584 :
>>578
ひとたび信心を得たならば悪い行いはしないように努める。
それが戒律というものです。そこからが仏教徒の始まりですよね。

585 :
>>581
歴史上初めて南無阿弥陀仏と称えたのは誰でしょうか?
気になりませんか?

586 :
>>582
「念」の意味にこだわるのならば、そこは『般舟三昧経』や廬山の慧遠の名前を
出して欲しかったかな。。もしくは「無量寿経」の梵本を。

「念声是一」という文言は法然の『選択集』に始まるのだが、念声各別という
考え方なんてどこかにあったかな?
少なくともSAT大蔵経DBではそのような言葉は見つからなかった。

ここは真宗スレだから親鸞の言葉に拠るならば、

「念と声とはひとつ心なり。念を離れたる声なし、声を離れたる念なしと知るべし」
『唯信鈔文意』

もちろん声を発することが出来ない人でも往生出来ると私は思っておりますよ。

587 :
念と声が昔から同じ事だと認知されていたのならどうして善導はわざわざ言わなければならなかったのですか?

588 :
>>586
ああ、念声是一は法然だったね。
じゃあ真宗スレには関係ないよね。
念声是一の意を汲んだ親鸞も関係ないよね。

589 :
>>587 ✕
  ↓
念と声が昔から同じ事だと認知されていたのならどうして法然はわざわざ言わなければならなかったのですか?

これでいいですか?

590 :
声に出すことが義務の宗派と、声に出さないことが義務の宗派。

591 :
>>586
あなたは、法然の理論と親鸞の理論とではどちらが正しいと思いますか?
また、浄土教の理論の完成形はどの祖師だと思われますか?

592 :
善導は『観経疏』定善義でこんなことを言っている。

「衆生行を起して口につねに仏を称すれば、仏すなわちこれを聞きたまふ。
身につねに仏を礼敬すれば、仏すなわちこれを見たまふ。
心につねに仏を念ずれば、仏すなわちこれを知りたまふ。
衆生仏を憶念すれば、仏もまた衆生を憶念したまふ。」

称名念仏と言っても一字一句間違ってはならない呪文のようなものとは違うんだな。

593 :
竜樹・世親・どんらんは、南無阿弥陀仏と称えていたのですか?

594 :
>>591
宗教理論の正否なんて問えるのかな? 自分が好きなもの、自分に合うもの
という受け止め方しか出来ないと思う。
また時代の常識、価値観によって受け止め方が変わるので、理論の完成形
というのもないかな。
知れば知るほど、体験すればするほどその奥深さがわかる、完成形はつねに
先へと向かう、宗教とはそういうものじゃないかな。

釈尊入滅後、2500年という年月が経て、今もなお本当の釈迦の教えを求めて
学者達が侃々諤々と議論しているのは学問としての立場だけど、上座部仏教を
信仰している人にとっては体験もせずに他所で勝手に理屈をこねているに
過ぎないからな。

595 :
>>592
もちろん真宗僧侶も善導と同じように身口意に行を起こしてるんですよね?

596 :
>>594 体験もせずに他所で勝手に理屈をこねているに過ぎないからな。
どうしてそうなってしまったんですかね?
何が悪かったんですかね?
どこで間違ったんですかね?

597 :
>>596
上座部仏教を信仰している人は自分が信じている教えこそが釈迦の直説である
と考えるのに対し、学問として初期仏教を研究している人はそうは考えない。
別にどちらも悪くはないし間違ってはいない、立場や方法論の違いなだけ。

むしろ「何が悪かった」「どこで間違った」とういう感想はどうして生まれてきたのでしょうね。

598 :
論文を引用しての議論は勉強になります。
論文ではなく、法話を収録した書籍を元に
議論を吹っ掛けるのは意図的なものかもしれませんね。
「ゴキブリ金色」が、法話の書籍に書いてあれば
きっと張り切る事でしょうね。

http://hissi.org/read.php/kyoto/20190412/anJ0Z0R0NmpL.html
http://hissi.org/read.php/kyoto/20190413/RjZaV2hxVHAw.html

親鸞会の合宿が毎年5月頃だったかな。
どこの団体でも、論破をするノルマの時期みたい
なものがあるのでしょうね。

====================

浄土真宗本願寺派 38拍
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1536511379/

644神も仏も名無しさん2019/04/04(木) 20:49:08.97ID:jctGy2RH
困って居る者を救わないおまえらに仏罰があたります様に(_人_)

645神も仏も名無しさん2019/04/05(金) 03:02:33.15ID:1yCwlDy2
質問者を背乗りして
理解しないふりをして再度類似質問をして
質問をコピペしてスレを立てて
反応がなければ、仏罰ですって
どこのカルトなんでしょうか
質問も仕込みですか

599 :
テンプレの抜粋。

====================

浄土真宗本願寺派 38拍
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1536511379/7

*親鸞会であると見破られた場合、カルト一般の手法と同じように、相手を自分と同じ
 カルトと決めつけて、カルト呼ばわりしたり、「真宗禿」と罵ったりします。
 http://gimpo.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1236603306/30
*真宗スレで見られる「信心決定粘着」は、親鸞会の主張に似ています。
 http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/kyoto/1443348069/160-161
*神社仏閣板で見られる「真宗vs原始仏教(根本仏教)の中傷粘着」は、
 阿含宗の主張に似ています。
 http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/kyoto/1403348880/706-720
*創価学会擁護のロングパスのレス(遅すぎるレス)をしてから、真宗スレをたてるのは
 非常に不自然です。それを指摘されるとレス頻度が急に低調になるのも不自然です。
 http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/kyoto/1438514858/929
 http://hissi.org/read.php/kyoto/20150802/bnBWY0JYOHgw.html
 http://wc2014.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1452784970/11,20,23,24
 http://hissi.org/read.php/kyoto/20160130/R1ltc2pxUnlL.html

600 :
>>591
これまたきつい冗談を

法然さんは念仏往生過渡期という背景もあって自力念仏も交えてやんわり広く
その核心部分は聖覚法印と親鸞に授けた
よって優劣などある訳がない

いろいろごちゃごちゃ言ってるけど
「弥陀たのむ心おこせよ皆人の、変わる姿を見るにつけても」
これがすべて幽霊済度の逸話ではない普段おきていること
その人が往生できるかできないかまず見れば一発でわかる人もいるということだ

601 :
「親鸞聖人が法然聖人の教えの正当な継承者だ」という声を聞きますのでね。
じゃあ他のお弟子さんたちは正当じゃない、という話になるでしょう。
また、そういう旨を学校教科書で述べてあると言うことで浄土宗の方が訂正を申した、
と言う話を聞いた事があります。
で、やっぱり親鸞聖人こそが正当な継承者なんですか?
やっぱり親鸞聖人は法然聖人と同じように自戒していたのですか?

602 :
✕ 自戒
〇 持戒

603 :
肉食妻帯でも往生出来ることを月輪殿に証明して見せた

604 :
答えになっていないな

戒律の部分を棄てても往生出来ることを
師の法然の命によって証明して見せたということ大抵の人間はそうでなくては往生ができないから
法然さんは持戒しつつ他力ができた超人だから比較するのもおこがましい
もっとも勢至菩薩の生まれ変わりなんだけど

自分は師からは法然さんの弟子では聖覚法印熊谷蓮生住蓮安楽親鸞のみ真の他力と聞いている

605 :
百科事典マイペディアの解説

観想念仏【かんそうねんぶつ】
は心の中に仏の姿や功徳を念ずること。仏教修行の基本の一つで、
仏の名を唱える称名(しょうみょう)念仏に対する。

https://kotobank.jp/word/%E8%A6%B3%E6%83%B3%E5%BF%B5%E4%BB%8F-827428

上が一般的な理解なんだろうが、観想と称名はそんな簡単な二項対立で
語れるものじゃないよと説くのが浄土教関係者の腕の見せ所。
そこで「念声是一」なんだが、これもまた宗派や人で受け止め方が違うという。

606 :
自力と他力にしても宗派や人によって受け取り方は様々。
特定の宗派の教学を秤としてそれ以外の宗派の教学を測ろうとすると
問題が起こるのは当然だから、公の場ではなんとかしましょうね、
というのが浄土宗と浄土真宗との間の教科書問題だと思う。
「うちの宗派の教えは最高!」と言ううのは当然のことだが、周囲の人のことも
考えましょう、という趣旨のが法然の「七箇条の起請文」の一つにあったような。

PT(政治的妥当性)の問題やね。

607 :
>>606
誤 PT → 正 PC
ポリティカル・コレクトネスやね。

昨夜の夜更かし(ネットサーフィン)で得た収穫。

親鸞の念仏思想と見仏体験
田中 和夫(著) 学位論文 博士(学術) 広島大学 2016-03-23
https://ci.nii.ac.jp/naid/500000972154

まだ要旨しか読んでいないが、宗派の教学から離れた学術論文を読む、
また愉しからずや。
智者のふるまい(学問)することが往生浄土の為の正定業だとは思わないが、
自らの信仰を確認するために様々な知見を得ることは悪いことではないと思う。

608 :
>>607
様々な知見と邪念の違いは何なんだろう?

宗教の本質は、
「信じる者は救われる」
だと思うのだが。

609 :
他人が大事にしてるものを尊重や理解できることは
自分の信心が揺らぐこととは別じゃね?

信じる者は救われる、は他人の評価には使えない
信じる私は救われる、のほうが宗教にふさわしい

610 :
>>609
なるほど、納得。

世界中の宗教者が、自分とは違う信仰の存在を許容すれば、宗教紛争は無くなりそう。

そのかわり、各宗教のシェアが固定されるかも。

611 :
>>609
生まれた家の菩提寺が浄土真宗ってだけで信仰を強要されたくない。
それだけ。

612 :
>>605
観仏と見仏はどう違うのですか?

613 :
代々の真宗本願寺派だけどソコは窓口ってだけで如来様以外は何とも思ってない、言行不一致の坊主もいるから嫌悪感さえ覚えている
念仏を声に出して唱えるのは仏壇の前だけだけど家族は誰も声には出さない、さりとて子供に押し付ける気も無い好きにすれば良い
ただ自分は大好きだった祖母がやっていた事を継承したい気持ちと如来様への心からの感謝を込めて念仏させて頂いてる

614 :
と、ドヤ顔の>>613でした。

615 :
>>613
阿弥陀如来はありがたいけど、
本願寺教団は嫌いなんです。

だから、幽霊部員として養分になることすら嫌なわけ。

616 :
>>592
昔の中国人が誤訳しただけなんじゃね?

617 :
教団は阿弥陀ビジネスの総元締め
末寺はフランチャイズ店舗
集金システムは暴力団と一緒よ

618 :
嫌いなモノを、暴力団まがいと罵ってるだけじゃねーか
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いを地で行ってるだけかよ

619 :
>>604
ちょ、超人・・・?

>勢至菩薩の生まれ変わりなんだけど
それは誰かが言ってたのをコピペしただけだろw

>真の他力と聞いている
誰から聞いた? 誰が言っていた?

620 :
>>607 宗派の教学から離れた学術論文
ちゃんと読んだ?  宗派の教学から離れているんじゃなくて、
宗派の教学が避けてきた、もしくは、気づかなかったことをまとめた論文だろ?
教学に言及している内容は、意図的にざっくり言ったのか、「?」のところがあるが、
論文の意図は「教団教学の範囲外、聖教の範囲内」という盲点を突いてきてるだろ。

621 :
>>607の論文に関する皆さんの感想を聞きたいですね!

622 :
勘違いしている人も多いと思うが、三業惑乱以降の教学体系は、
「この範囲しか言いませんからね!ほかのことは触れません!知りません!」
のスタンスだからそれが「全てではない」ということですよ。

623 :
>>622
キリスト教の聖書外典みたいなものかな。

624 :
>>623
じゃなくて10割あるうちの何割しかまとめていないもの。

625 :
一切のものは縁によって移り変わり行く、と説くなら、
真実・真理の定義や阿弥陀様の救いの対象も移り変わるのですか?

626 :
>>624
なるほどそうかもしれない。
ところで>>607の論文は以前に読んだがなかなか面白い。
本願寺は得度者に比叡山研修をさせることにしたそうだが、それなら常行三昧行をやらせてみたら良いのではないかと思う。勿論危険を伴うから医師の監督下で。

627 :
>>626
三昧行は遊びじゃないんでw

研修といっても観光だろw
案内人「ここが〜堂です」
得度者A「へ〜。」
得度者B「???」
得度者C「くぁ・・・(あくび」

628 :
>>627
え? 得度者の比叡山研修って、ただ山内を見て歩くだけなのか?
一般人も行く一泊か二泊の居士林修行体験コースを、少し長期の日程でやるのかとばかり思っていたのだが。

もっとも、今は台風の影響で修行体験を受け付けていないそうですね。

629 :
修行じゃなくて修行「体験」w

630 :
>>618
金を稼ぐって大変なことなんだよ。
お寺さんだからって当然のように人の財布をあてにするのはおかしい。
しかも、浄土真宗の坊さんは僧侶のふりした何かだろ?
金が欲しければ自分で働け。

631 :
「観想念仏」と「称名念仏」の二項対立でものごとを考えがちだが、
昔から口音陳唱の思想についての議論はいろいろあったんだよな。
実践を行う宗教者とは別に学者達が今もなおいろいろと。

原始經典に見える「稱南無佛」について
宇治谷 祐顯(著) 印度學佛教學研究 6(1), 191-195, 1958
https://ci.nii.ac.jp/naid/130003832324

般若経における称名思想 : 「諸仏の称名」について
畝部 俊英(著) SAMBHASA (6), 130-102, 1985-01-30
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005521499

北伝阿含とパーリ註釈文献における「南無仏」(第四部会)(<特集>第六十二回学術大会紀要)
馬場 紀寿(著) 宗教研究 77(4), 1038-1039, 2004
https://ci.nii.ac.jp/naid/110002826401

仏の名を口で称することの意味はいろいろ。
でも俺はこの教えが好きだくらいで良いよな。

632 :
>>617
改革が必要だわな。
年寄りは今さら信仰をやめられないだろうけど、
若い世代は教団の毒牙から守らなくてはならない。

大乗仏教非仏説、
阿弥陀如来はそんなこと言ってない、
人はRば終わり。

あえて不和合の罪を犯して離壇するもありか。

633 :
>>631
観想の手順説いてるお経についての解釈は観想以外の意味はないだろ?
ひきこもるな。
目を開けろ。
現実から目をそらすな。

634 :
俺は嫌だ。
ちゃんとしたお寺さんを供養したい。
墓を人質にとって戒律も無い福田にもならないお寺さんなんか嫌だ。

635 :
還相回向で戻ってき人はいるのか?
もし、三悪道に落ちてたらどうするんだ?
信心してた人はそれでもいいかもしれないが、
別の信仰してたりする人間には恐怖でしかない。

636 :
>>633
どの経典のどの箇所が「観想の手順」を説いているのですか?
具体例をお示し下さい。
お経の解釈も時代や場所、人によって様々だから。

そして廬山の慧遠が重視し、天台宗の常行三昧が拠る『般舟三昧経』と
『無量寿経』をはじめとする『浄土三部経』とは随分趣が違うからな。

たまには参考文献なども挙げて下さいよ。

637 :
>>634
現代日本で、妻帯もせず、酒も飲まず、
食事は午前中だけで、勿論肉魚は食さず、
というお坊さんを探すのは大変だよ。

とは言え、皆無ではないと思うから
見つけたらこのスレで知らせるので
よろしく。

638 :
生まれ変わりがあったところで赤の他人の家に生まれたら
それはもう他人だ。
業を引き継いだ他人でしかない。

639 :
>>635
別の信仰をしていたら、三悪道も関係ないから
何も怖がることは無いと思うが?

640 :
>>636
俺は離壇さえできればそれでいいの。
後世に勝手な解釈つけてどこぞの高僧がこう言ったとか興味がないの。
イダイケ夫人に観想説いてたお経は観想説いてた以外の解釈はないだろ?

641 :
>>637
金がなければ銀、
銀がなければ銅を至上とすべきだ。
戒律を守れなくても
戒律を授かってる重みは違う。
少なくとも最初からないのは論外。
功徳の積みようがない。

642 :
>>640
なんだ。
離檀するだけなら難しくないだろう。
お墓からご先祖様のお骨を出したり
墓石を撤去したりする費用は自分で持たないとならないだろうから、そっちの困難さはあるけれど。

大谷派の知り合いで離檀した家がいる。
そこはお墓のあるお寺が現住所から遠すぎるから、近くにある別の大谷派寺院に移っただけだけれども。

念のため付け足すと、お骨を移動する時は
自分で運ぶか、厳重に封印してゆうパックな。
他の宅配便業者は取り扱ってくれない。

643 :
>>637
高野山奧の院にゆけば誰でも会えるし、尼門跡寺院にゆけば会える。
どちらも真宗とは月とスッポンの世界。

644 :
>>641
なるほど。
そういう考えなら、浄土真宗は向かないね。
他の、戒律授ける宗派どこでも
好きなところに移ったら良いと思うよ。

645 :
>>643
一般人が高野山や門跡寺院の直檀家になれるの?

646 :
まあ、伝統に胡座をかいていればいいさ。
自動的にお金が入ってくる商売ももはや終わりだろう。
こんだけ不景気で昔と同じような感覚で商売できると考えてる方がおかしい。

647 :
>>644
理解してくれる人で良かった。
ありがとう。
わざと嫌がるような言葉を選んでカキコして、
それでも何とかわかってもらおうとした甲斐があった。

親戚づきあいを犠牲にしても、
やっぱり浄土真宗の考え方は無理だ。

貪瞋癡を貧瞋癡、
本当に「ヒン、貧しい」と法話で説いてしまう坊さんは嫌。
嫌なんだよぉ。

648 :
>>647
貪瞋痴が読めない!
それは、宗旨のせいではないな。
その坊さんの資質の問題だな。
キミ同様、不満に思っている檀家さんもいるだろうから
共同で本山に訴えれば、何か対応してくれるかもしれない。

でもそれは、キミが真宗門徒であり続けたい場合ね。
実際、そうでないのだから、どこでも好きなところを、探して移ったらいいと思うよ。

自分の都合で移るのだから、
それに掛かる費用は持たなければならないけれど
それ以上の「離檀料」を請求されても
払わなくて構わない。
強要されたら消費者生活センターに電話な。

649 :
>>648
問題なのは他の檀家はおそらく何とも思ってない。
お寺が存続さえすればどうでもいいみたいなんだ。
俺も一時期は歎異抄読み漁った人間だから他力についてそこまで否定的なわけでもないんだよ。
仏を賛嘆する以外に何ができるのかって思わなくもない。
修行自慢は果たして菩提心の発露と言えるのか?とかね。
でも、日課の正信偈自慢とか檀家から聞くと、
そもそも根本的に自慢したいのが人間なんだろうなと思う。

650 :
真宗関係者にしてみれば、行者は修行を自慢しているように見えるんだなw
これだから修行の無い宗教はw
まあ、真宗関係者も修行してないという思い上がりなんだけどな。

651 :
>>649
他の檀家さんが

652 :
途中で送信してしまった。失礼。

>>649
他の檀家さんが、不満に感じていないなら
他の檀家さんのことは置いておいて
キミだけが離れたらいい。

ところで、本家のご長男で、御親戚の方々が
お宅にお墓参りするようなお立場ではないよね?

653 :
寺が自分に合わない、もしくは宗派が自分に合わない
そう分かってるなら移ればいいだけじゃない
ご近所全部がその寺の檀家で、微妙な空気にならないか心配なのかな?

近くに適切な寺院がないなら、今の寺は共同墓地の墓守りと割り切って、
信仰とは切り離すのが一番楽なのは楽だと思う
骨壷を自宅の部屋に置くつもりならともかく、信仰と関係なく墓や葬送儀礼関連の、手間や出費は必要だしね
ぶっちゃけ、養分ってほど貢いでるのかどうか
世の中、墓守りに払う程度の出費で坊主に文句つける人いるし判断つかない

問題の切り分けをしたほうがいい
信仰と墓とコミュニティと、何を問題にしているかを
そんで無駄な衝突してわざわざ呪詛を振り撒くことない

654 :
>>645
尼門跡は墓地はなくとも葬儀はじめ拝みに来てくださるところもあるし、
高野山奧の院は納骨も回向もしてくれる。
そもそも既に「檀家制度」自体が御臨終ですわな。

655 :
自分の寺の坊さんの能力が低くて嫌いなことと他の問題を混同してるだけだろ
結局は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いだけ

656 :
>>653
過疎化で檀家減ってるし、
葬式で最初にあった時の会話が葬式の打ち合わせではなく寄進だったからね。

坊さんもお寺が続けばどうでもいいんだと思うよ。

ああ、そっか。
お金さえ出しておけば丸く収まるのか。
お寺さえ続けばどうでもいい人たちばかりなんだから、
信心を要求される覚えもないよな。
そっかそっか。
お坊さんではなく墓守りと見なせばいいのか。

なまじ他宗派の僧侶と比較するから怒りがわいてくるのであって、
別物と割り切れば案外楽なもんだ。

657 :
お坊さんの不勉強が気になるなら
逆に、自分から他の檀家さんを集めて
佛法の勉強をする集まりを持ってもいいのではないかと。
お坊さんがそれに刺激を受けて
お寺が良い方向に変わるかもしれないしね。

>>654
ほう、そうですか!
それは有難い。

658 :
浄土真宗自体が御臨終です。

659 :
喪主をやったことない人にありがちな突っ走りと被る
アレが正しくないコレが気に入らないと
そんな文句を言っても解決しない問題を挙げてあげつらう
元々墓の維持にもムラへの所属にもカネはかかるんだが
家の代表をやらずいくらも自分でカネを払ったことのない人には分からない
真面目なはなし「貢ぐのはイヤ」が動機なら身の振り方を変えるのはまだやめたほうがいい
「あちらの寺に移りたい」とはっきり思えてから初めて離檀を考えたほうがいい

660 :
>>657
いいんだよ。
お寺さえ続けばどうでもいい人たちばかりなんだからそっとしておこう。

661 :
>>659
坊さんのかっこをした墓守り業者ということで解決しました。
ありがとうございます。

662 :
>>661
墓守なんて高級なものではない。毛坊主と呼びたまえ。

663 :
>>661
いえいえ
老婆心ながら蛇足を付け加えますと
ご自分を仏教徒と思ってらっしゃるなら
寺を店、自分を客と思ったり
坊主を塾講師、自分は塾を選ぶ生徒と思うのはやめたほうがよいです
大乗仏教では 特に浄土真宗では

664 :
>>658
それは、往生しますなあw

665 :
浄土真宗では御同朋などと言ったり
親鸞は弟子一人ももたず候だったりですので

666 :
>>663
後世ありがたきお言葉をいただきました。

667 :
>>663
教団の維持こそ至上の教えなのですね。
教団維持のためならどうでもいいと。

なんだ、あの寺だけじゃなくて宗派的にこれなのかw

668 :
>>667
墓守業者と割り切ったんじゃなかったの?

669 :
話に割り込んで申し訳ないのですが、江戸時代(1800年代)の古文書を読んでいたら

高田御坊輪番

のための借用書が出て来ました。

真宗の住職は越後高田御坊に長期出張して滞在する習慣が有ったのでしょうか?

670 :
その高田御坊は越後高田御坊で間違いないのですか?

671 :
>>670
高田御坊ってたくさんあるんですね。真宗の知識がなくてゴメンナサイ。今回のは越後で間違いないです。

京都の商人から輪番の費用を借りています。

672 :
四十九日の法要に読経料が必要らしいのですが表書きは「回向料」で金額としては1000円位?

673 :
>>672
浄土真宗では亡者への回向はしません。
回忌・年忌は亡くなった方のためのものではなく、親鸞聖人の教えの勉強会なので、「勉強会会費」と書くのが宜しいでしょう。

674 :
>>673
勉強っつーより、ただの宗教との関わりだろそれ
むしろ普通に布施だろ
亡者のための読経料を布施と呼ぶほうがおかしい

675 :
>>672
分かっててふざけて書いてるだろ
プロの芸人を手配した場合、その休日の午前中を丸ごと他の仕事をできなくさせたら
払う報酬はいくらかかるか想像したらいいでしょう

それさえも読経1回のほかには寺と縁が全くないケースの話だから
その寺に墓があったり、他の親族や故人と縁があったりしたら、さらに色々あるだろうけどな

1000円で済ませたければ、そこらの中学生にでも1000円のバイトということで、
印刷したお経を渡して読ませればいい
それで全員ハッピー

676 :
創価学会の「友人葬」のように
僧侶を呼ばないで
親類縁者と友人知人だけで
阿弥陀経を読んで
済ませることは可能でしょうか?

677 :
真宗僧侶を悪く言う人がいるけどホントに悪いのだろうかと思ってしまう。

・自力の行をしない→信心いただいていることの証明
・信心いただいている→微塵の自力も起こらない。
・占いまじない加持祈祷をしない。→迷いがない、悟っている。覚者。
・もちろん怒らない、怒ったことさえない。いつも笑顔。
・よく勉強しているので質問したらなんでも答えてくれる。
・読経が大変上手。葬儀や法事をお願いしたくなる。
・お話も上手。大変ありがたい気持ちになる。
・日本国内では大きな教団だけあって皆意識が高い。

どう思う?その通りでしょ?

678 :
>>676
お寺とは全然なんの縁も無いならそれで良いでしょ
でも四十九日の法要と自称するのはやめたほうがいい
自称すれば親類縁者知人友人が訝しがる可能性が高い
故人○○○○を悼む会みたいに称してやればいいよ
お寺とは全然なんの縁も無いときの話な
既にお寺で葬式してたりこれからお寺の墓地を使う予定があるなら普通に法要をしたほうがトラブルがない
どっちにしても参拝者全員の時間と手間と費用を割かせていることは忘れないようにな

679 :
>>675
施主ではなく参列する側なんだろ
うちは他宗派だけど、施主→お寺にはお布施で3〜5万円。
参列側は施主の仏壇に5000円位ずつ置く、お寺参りの際は読経料として1000円位置く
浄土真宗では読経料ではなくて回向料?

680 :
東条家は、おだぶつです。

681 :
親鸞が未だ、法然の教えを信じて浄土宗を広めていた時の事。
1.法然の教えを聴きに来るのは、裕福な者が多い。
1.法然の教え(法話)は、日中に行っている。
1.一般庶民は、日中は作業をしていて法話を聴きに来る余裕はない。
1.これでは、多くの者は救われない。
1.「南無阿弥陀仏」を唱えれば、極楽浄土に行ける。
1.病で声が出なくなった者は、極楽浄土に行けないのか?
1.未だ話す事が出来ない乳幼児は、極楽浄土に行けないのか?
1.肉体的精神的病を持った者は、極楽浄土に行けないのか?
など、色々な矛盾を親鸞は考えた様です。
結果、誰でも「阿弥陀如来を、心で信じるだけで良い!」との結論に達した様です。

これってソースどこ?

682 :
>>681
ソースは2ch神社仏閣板・浄土真宗総合サロン97の>>681です。

683 :
>>676
全く可能。
自由だから。

それと法を聞くってことは全く別だから仏法とかとはまた別かな。
法を聞くってことが真宗のすべてだから。

>>677
>もちろん怒らない、怒ったことさえない。いつも笑顔。
ほんとかいな。

>>681
うまい。

684 :
間違えた。
うまいのは>>682さん。

685 :
>>683
お作法や、人付き合いや、常識や、お墓の維持や、檀家の責任などの問題だから
良いと言えない
まさに法を聞くこととは別
法を聞くこととは別だから、法でその振る舞いが良いか悪いかを判断するのは誤り

686 :
>>669-671
輪番は別院のトップの職名だとわかりました。
越後高田別院の輪番って、僧正クラスですか、それとも僧都クラス?

687 :
>>681
親鸞は親鸞のままで良いが法然さんは法然上人と呼ばなければ池田大作の思う壺になるのだ
さぁ阿弥陀如来の深遠無限の慈悲に身を任せ貴方の色に染められ一度の人生それさえ捨てる事も構わない
だからお願い傍に置いてねぇ今は台湾の墓の中

688 :
信心をいただくには、自力の心を起こさないようにするとか自力の修行を辞めればいいんですよね?

689 :
北陸で住職してる61歳です

今、門徒役員が出してきた庫裏の建て替え話に付き合ってるんだけど、なぜかその事業について色々と責任を追わされて、役員と喧嘩してるところです。反論のために皆さんのお知恵をお借りしたく

普通、庫裏の建て替え事業みたいな「俗」の事は門徒が勝手にやるもんだよね?
もちろんお金も全部門徒が出すべきもののはず
そのあたりのことを役員と門徒に説明したいんだけど、どう言えばいいかな?

ちなみに私はこういった事業を30年間したことがない(そもそも門徒が勝手にやるべきことだし)
つまり、門徒から多額のお金(予定は40万円)を取るのはこれが初めてなわけで、なおさら門徒が出資も事業運営も全部やるべきでしょ

というわけで、今まで意地でも役員に頼まれた事をせずに、役員に全部やらせて来たけど、なんか風当たりが強くなってきた

分からず屋の門徒たちにどう説明したらよいやら…

アドバイスお願いします m(_ _)m

690 :
おまえのような61歳がいるか!!

691 :
上級僧侶

692 :
真宗僧侶の方は自力を「ダメだダメだ!」と言いますが、
もちろん真宗僧侶の方々は皆が皆一人残らず、微塵の自力の心も起こらないんですよね?

693 :
>>692
それでは自力バリバリですよ

694 :
>>4
いい感じですね。
そういう真宗の僧侶に会ったことがありませんが。

695 :
>>11
うそも方便だからな
鎌倉時代の末法の世で、末端の苦しみにあえぐ人々に夢を見せてあげたんだよ

696 :
>>15
指揮者はOKですか?

697 :
>>38
有言実行で実践して如来になったんじゃないの?

698 :
>>689
真宗の僧侶のくせして自分は「俗」でないとか、よく言えるね

699 :
>>681
誰かの小説じゃね?

700 :
庫裏って住職の住居ちゃうの?

701 :
>>698
おそらくその真宗僧侶は親鸞聖人と違って、
法然聖人みたいに戒律を守ってたくさん念仏してるんだろう。
親鸞聖人は法然聖人の正当な教えの継承者だ、と思っているステレオタイプの人に違いない。
そういう真宗僧侶は多い、というかほとんどそう勘違いしているんじゃないかな?

702 :
>>700
庫裏=住職一家の住宅も含めて、寺の事、住職の家族の事、すべて檀家にお任せするのが僧侶の心得。
新しい庫裏に建て替えてもらっても、それは檀家として当然の務めなのであって、それで檀家が救われるのだから、感謝する必要はない。

703 :
住職は上級
門徒は・・・

704 :
親鸞聖人は法然聖人の正当な継承者だと言うことを昔からよく聞くんですが、
法然聖人が親鸞聖人を名指しして正当な継承者だと認めた記録はどこに見られるのでしょうか?
また、親鸞聖人が法然聖人の正当な継承者なら、親鸞聖人や親鸞聖人を開祖と仰ぐ真宗僧侶も
もちろん法然聖人同様戒律を守っているんですよね?

705 :
住職は自力念仏はいけないとのことなので
自分では念仏せずに、門徒に念仏を勧めています。

706 :
>>689
住職もいち門徒であるからに、当然お金は出す。
10倍ほど寄附を出し、あとは頭を下げていればいい。
門徒に任せていいが、代表役員であるから最終責任を負う。

707 :
>>690
根拠もなく「いない」と決めつけるのは良くないですね。
私は、私と同じような人は沢山いると思っています。なぜなら、人は他人に見せない顔を持っているから。多くの60代の僧侶は、人には見えない所で私とそう変わらない事を考えているはずですよ。

>>691>>703
まあ、ある意味僧侶は「上級」であるべきですよね。
私の地域にも結構いますが、「子ども会」だの「正信偈を学ぶ会」だの「坊主バー」だの「コンサート」だの、親しみやすさ(笑)ばかりを重んじるイベント坊主には辟易します。
他寺にそんな者たちがいるせいで、「僧侶は娑婆と積極的に関わるべき」みたいな妙な価値観が世間に生まれ、「格」を保つ真っ当な寺が不当な批判を受ける。困ったものですね
手次の寺の住職が、衣を着て伝統的な行事に出仕し勤行する。それ以上に有難いことはないんです。
昔はそんな真っ当な常識があった。そういう古き良き常識を取り戻さなければならないと思いますね。

>>698
そういう原理主義的な建前はどうでもいいです。

>>701
いえ、普通に違いますけど。病気を経験するまでは酒もタバコもやりまくりでしたし(笑)
しかるべき家に生まれ、しかるべき資格を持って、行事の時に出仕・勤行している。それが、私と門徒たちを絶対的に分けるものです。それではいけませんか?
クソ真面目な僧侶以外は「俗」?それはあなたの中だけのルールでしょ

>>700
その「住職」というのが、存在自体「公」の性格を持つものなので。まあ、あえて語弊を恐れずに言うなら、「天皇」をイメージしていただければ

708 :
>>702
言い方はアレですが(笑)、まあ、そういうことですね。話の分かる人がいて嬉しいなあ
それを、オブラートに包んで役員や門徒に説明したいんですよ。そのまま言っても理解してもらえないし
実は今年1月からお金を集め始めてるんですが、今のところ、2人の門徒しかお金を出してくれてないんです(喧嘩してる役員たちのうちの2人)
で、「住職が率先してやる気を見せないと、門徒はお金を出さないよ」と役員たちが五月蠅いのが現状
彼らを黙らすいい知恵ないかな?

>>706
「住職もいち門徒」とか「代表役員だから責任がある」とか。あなた、下らない建前でしか話せないんですか?
きっと住職業界でそんな事を考えてる人は一人もいないと思うよ。みんな表立って言わないだけだろうね
言ってみればこれは、門徒にお金を「出させてあげる(寺に奉仕させてあげる)」建て替え事業なんです。寺の事業の精神はそこにある
住職がお金出しちゃったら、事業の意味がないレベルだよ。同朋会運動のこととか勉強して下さい
そんな事くらい、分かんないかなあ。

709 :
>>708
>>702 です。
私の家は他宗派なので檀家と書いてます。
祖父が檀家総代の時に寺の庫裏の建替があり、多額の寄付をしたのですが、お礼は本山からの色紙一枚だけ。額に入れて仏間に掛けてあります。祖父はとても喜んでいました。
寺と檀家の関係は、それで良かったのだと思います。

現代は、○○をしてもらうには○○しなければならないとか、
○○をしてあげるから○○しろとか、
明示的な契約関係が強調されすぎています。

宗教に明確な契約を求めても無理です。
いくら功徳を積んだ人でも、実際に来世がどうなったのか、誰も証明出来ませんから。

私は祖父の来世は幸せなんだろうと思っています。祖父がお寺に寄付をして本山からの色紙をもらって喜んでいたのだから。

710 :
で、他宗派の私が何故このスレに出入りしているのかというと、
>>669-671>>686
伊勢出身の京都商人について調べているのですが、その商人の京都の檀家寺の住職が越後高田御坊の輪番に赴任するときの費用を、その商人が出しているのが気になったからです。その檀家寺は今はお東さんになっています。

江戸時代の伊勢高田、お東さん、越後高田の関係はどうだったのか、個々のお寺って高田派からお東さんに簡単に変更できるのか、トレードされることはあるのか?

あるいは伊勢で伊勢高田の門徒だった人が、京都に出て来てお東さんのお寺の門徒になることは有り得るのか?

そのあたりが気になっています。

個々のお寺って、所有権は本山にあるんですよね。

711 :2019/04/30
>>710
真宗高田派は下野国高田(栃木県)の専修寺を中心とする高田門徒の流れを汲む。
越後国(新潟県)には松平忠輝の居城として天下普請によって高田城が造られ、
越後高田藩の藩庁が置かれた。「高田」という名称の由来もいろいろ。
また財務に余裕があった商人が金融業を行うことは珍しいことではなかったから。

そして高田掛所は最初から東本願寺直轄の寺院。
http://takadabetuin.himenokuni.com/shoukai.htm

真宗間での勢力争いもいろいろあったようです。

参考 : Wikipedia−真宗高田派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E9%AB%98%E7%94%B0%E6%B4%BE

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