TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
このハゲ〜
☆☆彡★寝台特急北斗星★: : . ,・★5
上野16時発特急はつかり2号
【チャマゴン】京福電鉄福井支社【チャマリン】
九十九里鉄道
【営団地下鉄】帝都高速度交通営団総合スレ Part2
ハゲはくだらない戯言より
懐かしの【抵抗制御車】を語るスレッド1
【追悼】151系車両 4号車【星晃氏】
夜行列車総合スレ★18

【横須賀】国鉄70・80系電車2【湘南】


1 :2012/11/01 〜 最終レス :2020/05/10
前スレが980を超えてからDAT落ちしたので、新たに立てます。
横須賀色3ドア70系、湘南色2ドア80系を懐かしむスレッドです。
旧型国電の最終タイプで、その後の電車全盛時代到来の足掛かりとなった名車を、まったり語り合いましょう。
前スレ
【横須賀】 70系・80系電車 【湘南】
http://engawa.2ch.sc/test/read.cgi/jnr/1224929188/
※バイブル的存在のサイトは、>>2に記載。
鉄道雑誌の特集で取り扱われたぶんの一部を、>>3に記載。
【注意】
●何か質問をする場合は、>>2に掲載のサイト等を活用したり、Google等で検索したり、過去レスをよく見るなど、独力で調べる努力をしてからにしましょう。
[例]80系電車の東京乗り入れ:1977(昭和52)-3-28の327M(東京11:33→13:53沼津)が最終
●荒らしは放置でお願いします。
また、荒らしにみだりに反応するのも、無駄なレス消費につながり、荒らしになります。
●sage推奨ですが、重大事項とはいえず、あえて規定しませんので、sage進行の強要はおやめください。
●モハ80001とクハ86001が保存をされていることを除けば、完全に過去形の車両で、スレ進行が遅めでも当たり前です。
活性化などと称して、レス数稼ぎにスレ違いの話題を延々と続けるのはご遠慮ください。

2 :
【参考】
●我が心の飯田線
http://kokuden.net/mc53/
の中の
旧型国電編
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub20.html/sub20.html/sub20.htm
→70系・80系の項において、晩年の形態を知るのに貴重な資料となる写真が、カラーを主体に多数あり
●旧形国電の記録
http://www.geocities.jp/h6feet/top.html
の中の
70系・80系(その1)
http://www.geocities.jp/h6feet/album6-1.html
70系・80系(その2)
http://www.geocities.jp/h6feet/album6-2.html
70系・80系(その3)
http://www.geocities.jp/h6feet/album6-3.html
70系/80系(その4)
http://www.geocities.jp/h6feet/album6-4.html
※(その1)(その2)は70系
※(その3)(その4)は80系
→活躍末期のモノクロ写真が集められた、やはり資料性の高い貴重なHPで、解説も丁寧
●国鉄70系電車 - Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8470%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
●国鉄80系電車 - Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8480%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A

3 :
おもな鉄道各誌での特集(一部をご案内しておきます)
◎鉄道ピクトルアル
1965-3湘南電車15周年記念特集 1977-8特集:80系のあゆみ
2002-2特集:モハ70系電車
2004-8特集:80系湘南形電車
◎鉄道ファン
1966-10国鉄鋼製電車:70系
1966-11国鉄鋼製電車:80系-1
1966-12国鉄鋼製電車:80系-2
(※「国鉄鋼製電車」は、当時の連載記事。そのうち旧型国電のぶんをまとめ、単行本「30系から80系まで」としても同内容で発刊されたが、こちらも数年で絶版)
1977-7特集:湘南電車
1995-8特集:思い出の80系湘南電車(一部記事は1977-7より訂補再掲)
◎鉄道ジャーナル
1979-11特集:湘南電車
◎Railguy(廃刊)
1978-10特集:80系湘南電車
◎(季刊)レイル
1983夏の号特集:国鉄湘南電車80系

4 :
あげ

5 :
【1950(昭和25)-10-1改正】
下り湘南電車:東京始発静岡行き829T(2・3等車)
東京______発1636
新橋______〃1639
品川______〃1646
横浜______着1706
__________発1708
大船______〃1726
藤沢______〃1732
辻堂______〃1736
茅ヶ崎____〃1741
平塚______〃1748
大磯______〃1753
二宮______〃1759
国府津____〃1805
鴨宮______〃1809
小田原____着1814
__________発1817
早川______〃1820
根府川____〃1826
真鶴______〃1833
湯河原____〃1838
熱海______着1845
__________発1846
函南______〃1857
三島______〃1904
沼津______着1912
__________発1915
原________〃1922
東田子の浦〃1927
鈴川______〃1933
富士______着1938
__________発1939
岩淵______〃1944
蒲原______〃1950
由比______〃1955
興津______〃2001
清水______〃2008
草薙______〃2014
静岡______着2020
※初設定は1950年7月から

6 :
【1950(昭和25)-10-1改正】
上り湘南電車:静岡始発東京行き820T(2・3等車)
静岡______発_600
草薙______〃_606
清水______〃_613
興津______〃_619
由比______〃_625
蒲原______〃_630
岩淵______〃_636
富士______着_640
__________発_641
鈴川______〃_646
東田子の浦〃_651
原________〃_657
沼津______着_703
__________発_705
三島______〃_712
函南______〃_720
熱海______着_731
__________発_732
湯河原____〃_739
真鶴______〃_744
根府川____〃_751
早川______〃_757
小田原____着_800
__________発_802
鴨宮______〃_806
国府津____〃_811
二宮______〃_816
大磯______〃_822
平塚______〃_829
茅ヶ崎____〃_835
辻堂______〃_840
藤沢______〃_845
大船______〃_852
横浜______着_909
__________発_911
品川______着_931
新橋______〃_937
東京______〃_941
※初設定は1950年7月から

7 :
今夜 『 鶴見事故 』 から49年目を迎える
現場近くの総持寺では50回忌の法要が営まれた
謹んで事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します

8 :
保守上げ

9 :
フェミニスト政党の候補者を落選させ女性専用車両を根絶しよう
「未来の党と公明党は男性を差別した政策主」
石原慎太郎さんが都知事時代に的確な問題提起をされていますので、皆さんも視聴しましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=U04E6G2Cy8o&list=PLC6839F661C03104D

10 :
●画期的と不運の63系・72系・73系●2両目
http://engawa.2ch.sc/test/read.cgi/jnr/1355836684/

11 :
最近は人気無いのかねぇ?

12 :
>>11 今の鉄オタとっちゃ湘南、スカも同じ通勤型で4D20mが標準だから
これら電車は客車みたいな前時代乗り物なんだろうな。
・・・旧型国電好きでも戦前の姿や木造院電に興味示さないのと同主旨では?
・・・残念ながら それだけ時間が流れ記憶が風化(関心を持つヒトが減った)したということだな。

13 :
そもそも、交通科学博物館の80系2両以外は、フェイク(藤沢など)は別にして、影も形もない
現役時代、1977(昭和52)年3月まで1両の廃車もなかった80系(全652両)は、それから1978(昭和53)年10月改正までに一気に約100両まで稼動両数を減らし、当時のファンの間でさえ、アッと言う間に消えてしまったという印象が強い
前スレでは形態的な興味深さを指摘されているし、突き詰めれば話題はまだたくさん出てくるとは思われるが、取りあえず>>2には主だったサイトも載り、それと前スレ過去ログで、ある程度の情報は得られる
それに、無駄に中身のない書き込みが増えるのも考えもの
>>1にも少し触れられているようだが、スレごと落ちない程度に保守されさえすれば、慌てることもない

14 :
あけおめ
今年は平成25年。80系の営業開始は昭和25年、既に平成と昭和の差63年前の電車ということだな

15 :
>>13
70系も残って無いの?

16 :
新年早々さっそくこれだよ。
>>1に書いてあるだろ?
>>●何か質問をする場合は、>>2に掲載のサイト等を活用したり、Google等で検索したり、過去レスをよく見るなど、独力で調べる努力をしてからにしましょう。
ひょっとしてお前この板を質問で荒らす質問魔か?

17 :
過疎っているので
http://rail-uploader.khz-net.com/img-box/img201301102347590265a.jpg

18 :
あかん、揚げてなかった。

19 :
クモニ83100番台くらい保存できなかったものだろうか。

20 :
というか東海道で113系に置き換えられたときに、クモユニ81に新旧読替装置つけてクモユニ74と
共通運用できなかったのかな。少なくても63改造車よりも長持ちしたはず

21 :
ってかクハ86全金車1両でも残っていればと思うよ
都市伝説ではないが日車豊川に現存してるのではないか?と言われた事があり某掲示板が炎上した事もあった。
懐かし板が設定される前の2ちゃんだったかな?

22 :
そうやって、あちこちで隠し持っていた車両が発掘されたら楽しいのにね。

23 :
スレチで申し訳ないが、豊後森機関庫?で隠居していたキハ0741って何故 廃車後温存できたの?
・・・・降って湧いたように温存が発見されたような感じで以前趣味誌に取り上げr

24 :
スレチで申し訳ないが、豊後森機関庫?で隠居していたキハ0741って何故 廃車後温存できたの?
・・・・廃車後20年近く経て降って湧いたように温存が発見されたような感じで以前、鉄ピクのニュース欄に取り上げられたけど・・・
別に隠蔽で保管していた代物が発掘された訳ではないんでしょ?

25 :
ふざけるな!
スレチどころか、国鉄車両である点以外はなんの関係もない
知ってても絶対答えない
断固排斥!!!
二度と書き込みするな!!!
しかも2レスも無駄遣いしやがって、死刑にしても飽きたらない

26 :
>>20
長持ちしねーよ!
足回りは磨耗部品は取り替えるが、それ以外は割合と堅牢
むしろ車体の方が腐蝕しやすいし、取り替えにしても部品単価は高い
まして(ク)モユニ81みたいな6両しかないスケールコストメチャ高の車両
ローカル使用の晩年のあり方は、むしろ経済的合理的
客乗せ営業は運輸(国土交通)省令がらみで無理だし、静態では一般人には馴染みなさすぎなので、保存したって糞の役にも立たない
ヲタ目線でしか見ないと、単なるワガママになり、ますますそっぽ向かれる悪弊

27 :
>>26の文章が悪文なのは分かった

28 :
70系、80系で、戦前の半流線型(40系など)のように貫通路付バージョンを造らなかったのは何故なんだろうか?
分割併合のある場合に編成間の通り抜けができない短所はあえて目を瞑って、流電の戦後版としてのイメージにこだわったからだろうか?
80系でも、東海道における長編成運用を目的に造られたわけだから、地方線区における短編成同士による分割併合運用は、あまり考慮していなかったからかな?

29 :
>>25 何?そんなに怒り狂っているんだよ。基地外。
極秘できる可能性とかそういう言う意味で書きこみしただけだ。
お前みたいな小さい奴にハナから訊く気ないよ。

30 :
>>28
80系一次車の時点で貫通路付けてないわけだから
端から付ける気なかったんだろうね
>>29
スレチと分かっててスレチなこと書くってやっちゃいけないことだよ

31 :
ロシアの近郊電車を見てたら1M1Tの吊り掛け
やたら幅が広いのをのぞけば70 80系風
日本も経済が桃源郷のように発展しなかったら今でも
ロシアと同じように70系3000番台とか80系6000番台が
吊り掛け音を高らかにロングレールを爆走してたのかな?

32 :
>>30
当時は電車に貫通路を用いるのは関西で、関東には貫通路はあってもそれを積極的に使うことはなかった
80系は中間電動車方式なので、そもそも運転室に貫通路を取り付ける発想も必要性もなかったんだろう
>>31
ER1/2系はまさに客車にモーターと運転室をつけた形で、ロシアの80系という感じだな
寒冷な大地で長大な路線で保守もままならないロシアでは、ソユーズのように枯れた技術の方が信頼性がおけるのだろう

33 :
ロシアの話も、妄想と結び付けて、スレ違いひどすぎ
−−−【以下本題】−−−
ところで、80系は独自の広幅貫通路を採用している。
これは京王や営団などの一部車両でも一時運転台のない側には積極的に採用されたが、前面貫通車に採用するのは難しく、貫通路(扉)を使うには編成の自由度が制限される。
つまり、80系当時の意識は東海道はじめ幹線系列の輸送改善に向いていて、貫通扉の使用という発想はほとんどなかったのであろうと思われる。
他の戦前型併用を前提とした70系では、標準的な幌を採用したものの、やはりクハ76には貫通扉を設置していない。
同時期のクハ79もしかり。
そもそも、昭和20年代ぐらいまでの旧国の写真を見る限り、貫通型であっても前面に幌受けのない車が多く、必ずしも活用されている例ばかりではない。
飯田線の旧国末期、2両単位の運用を組んでいた戦前型の前面貫通扉は、通常まったく使用されておらず、利用者側から見ればいつも僅か2両で通せんぼ。もっとも、これは非貫通のクハ47(009・069)などが中間に入ってしまう場合もあったからかも知れないが…。
このような例は、田町153→113系の基本・付属編成などでもみられ、こちらは常に貫通車同志だった。だから、185系投入時の153系と185系の混結にも混乱は生じなかった。

34 :
関東は基本的に全車貫通の意識が薄かったのと、組合の力関係もあったのではなかろうか。

35 :
いやそれはないでしょ>>34
半年も立たない同じ昭和25年夏に、急電用80系2M2T7本がデビューして、流電や合の子などの編成を置き換えている
時期的に一足投入が遅れただけで、ほぼ一緒に投入する腹づもりだったことは明らか
戦前型よりもパワフルで軽量な車両ということで、スピードアップもなしとげている。
本社が関東でも関西でも使え、元来は客車列車に代わるものとして鳴り物入りで開発されたのに、いちいち組合なんかに構っていなかっただろう

36 :
そも、融通性を損なってまで貫通路だけ広幅にした目的は何だろう。
あと飯田線になぜかあったサハ87001は、改造かアダプターが付けられたんですかね。

37 :
>>35
例えば東海道の東京口の113系は基本編成と増結編成は貫通路があったのに通り抜け不可だったわけよ。
あくまでも前面に貫通路があった場合の話だよ。

38 :
>貫通路だけ広幅にした目的は何だろう
なんかの幅を利かせるためじゃない?

39 :
そもそも70系の当初計画図面自体ロクサンの3ドア仕様という代物だったからな。
貫通型どころか前面や三段窓までロクサンそのまま。
どういう経緯であの図が引かれたか、そして最終形がああなったか今となっては知る術もないのかも知れないが。

40 :
あの2枚窓の元ネタがありそう

41 :
80系一次車顔の70系があったら面白かったのだが

42 :
戦前の関西では先頭車が中間に入った場合、通り抜け出来るように幌が付けられた。
その編成が一日の運用途中で分割や併結しない前提・固定編成だったから、幌が付けられていただけで、
関東では京浜線、中央線では一日の運用途中で分割や併結が有る、京浜線なら固定3両編成に1両プラス、
中央線なら4両固定編成に1両プラス→1937年以降は4両固定編成に2両プラスなど、
朝夕ラッシュ、急行運行に増結する場合が在ったから幌が付けられて無い。
広幅貫通路の採用は、デッキ式だったことからデッキ部の狭さを感じさせ無いようにしたこと、
ラッシュ時には隣の車輌デッキ部も含めて一つの乗降エリアとして使えるようにしたことなど。
80系電車は東海道線投入が目的で、路線の性格上、普通列車から急行列車まで運用する目的で開発、
後の153系電車が急行列車用で開発されているのとは違う。

43 :
>>42
急行列車運用は考慮されてなかったろ
大体東海道の本線筋の急行で80系って無かっただろ?

44 :
>>43
最初は長距離急行列車運用は考えてなかったかもしれないが、300番台設計の段階でそんな野望があったのかもしれない。
あくまでもテストであったのかもしれないが、長距離列車に使用する前提で300番台は計画されている。

45 :
横須賀線の113系は、基本編成と付属編成の行き来ができたよ。

46 :
>>37
1970〜1980年代には静岡運転所の111・113系の運用同志なら前面貫通路を使用していた。
大垣の153(155・159・165)系も…。
まあ、前面貫通扉の話は、スレタイ車両に該当車がゼロなんだから、この辺でやめるべき

47 :
お面の元ネタこれかな? ET25

48 :
湘南電車の二枚窓のお面の採用は、星晃氏によれば、島秀雄氏の指示によるものらしい
古い鉄道ピクトリアルの星氏の記事に何回か書かれている
氏の頭の中でどのように発想されたかは、故人ゆえ不明
というわけで、これでこの話も終わり!

49 :
>>44
話が違ってきてるじゃん
で、本線筋の急行運用って結局なかったじゃん

50 :
いいとこ、準急用の想定だろうね。幹線の急行に使うなら食堂車かビュッフェ車があった筈だ。

51 :
この当時の長距離列車に急行用・各停用なんて区別はないでしょ
客車を見てもわかるとおり、各停から急行まで何でも使われた。鋼体化客車ですら急行に使うことを考えオールクロスシートとした
80系も当初は東京−沼津程度の距離なので通勤用にも配慮したが、東名、名阪間を遠征する300代ではアコモも客車に近づいたものになったということだな

52 :
DCも房総方面を主体にキハ10・20系列の準急がうようよ…

53 :
>>52
準急の話はしてないだろ

54 :
>>49
定期仕業ではなく、期間も短いが、「はりま」(1960年/東京〜姫路)がある

55 :
>>51
80系は急行運用前提で作られた記録はない。
鋼体化客車(オハ60・61)は急行運用を前提としていない。

56 :
鉄コレの延長でサハ75の湘南色が話題になってるな。

57 :
1950(昭和25)年1月30日に、日車支店製の新製車、田町電車区A5編成
(←東京)クハ86009−モハ80017−サハ87013−モハ80018−サハ87014−サハ87015−モハ80019−サロ85005−モハ80020−クハ86010(沼津・伊東→)
が納入され、公社として新生した日本国有鉄道に最初に車籍を得て、新しい電車の時代の幕開けとなった。
ある意味、本日は記念日といえる。

58 :
どれが燃えたの?

59 :
湘南電車の登場の頃の急行は、客車(三等)のほとんどが原則オールクロスシートということもあり、有料として一部の設備が貧弱な鋼体化客車(オハ61等)を除いては、半ば共用化に近い状況だったと思われる。
特急「燕」も戦前はのちのスハ32などが主体の編成だったし、戦後に入って湘南電車誕生の頃は、スハ42・43を含む編成を青大将誕生(1956-11)の少し前まで組んでいた。
つまり、急行運用のある区所に配置されたオールクロスシートの車両は、急行に使うこともある程度は考えられていたと思われる。
80系電車は、準急に使う腹づもりはあったといえるが、長距離急行への進出は、振動や騒音に不安があったためか、まだ考慮に入れていなかったのだろう。
また、当時は荷物輸送は国鉄が一手に引き受け、急行には荷物車両が併結される列車も多かったが、多方面(非電化多数)への分断を考えた場合、客車の方が使いやすいという視点も、あったかも知れない

60 :
とはいいつつも上越線向けで長時間走行があったんだよねえ。
各車に便洗面所付きの、モデルチェンジ版構想はあったのだろうか?

61 :
>>60は意味不明
上越線を走る80系は、上野〜新潟の準急〜急行「弥彦」「佐渡」が最長距離で、準急「東海」等の東京〜大垣より短い
また、サロ85には当初から洗面所が設置されている
格下げ改造車についても存置されたもの多数
後継車153・165系は、ビュフェ(売店)車以外は原則すべて便洗面所が設置された

62 :
1M方式の旧国ではモハにWCを設置するには、気動車のように車内か屋根上に水タンクを
載せるしかなかっただろうな
300代の頃では既に153系の構想も立てられていただろうから、無理してモハに便所を設置するより、
次期本格長距離電車でという腹積もりだったのだろう

63 :
そりゃ一両に電装品を全て載せてキツキツよりは、二両に電装品を分散、床下スペースに余裕があるなら、
トイレを設置しようとする構想も考えられるわな。

64 :
>>44
300番台を優等列車にも運用する前提で設計するのなら、
サロはオロ35のような転換クロスにしても良かったのではと思う。

65 :
このスレ(2)になってから、現実に反する仮定の話ばかりで、現役時代の情報とかほとんどなくなっている
現役当時の思い出話ならともかく、そんな中身のない能書きなんか、糞の役にも立たない
もっと有意義な情報が書き込まれないとスレの価値が下がる
前スレで完全に掌握できていない情報
○クハ76032は関西緩行ではスカ色のままで大垣に転出したのか、それとも茶坊主になった時期があるのか?
○80系アコモ改造車(特に岡山ぶんが怪しい)
○70系半鋼車でニス塗り内張りの淡緑塗装車(名シン)
ちゃんと語れる人が出てきて欲しいものだ

66 :
>>65
じゃあ有意義な情報を頼む

67 :
>>65
一見もっともらしい事を言ってるが、
お前は単なる
クレクレじゃん。

68 :
>>65では無駄な書き込みはいらないと述べ、三つの方向性を一例として示しただけで、それすら示せない>>66>>67に、文句を言われる筋合いはない
偉ぶる割に66にも67にも身のある情報がない以上、荒らしと取られても仕方ないだろう
調べ尽くした人が少ない分野で、しかもかなり過去の話だから、なかなかアテにはできず、クレクレとか言ってないし…
このままの流れでレス数を空費するのは無駄だから、それをストップしようとしただけ
無駄話をしたいなら他スレに消え去れっつぅこと!!!

69 :
>>68
で、お前はどうなのよ?
自分は有意義な情報を書き込めないのに他人に文句言っちゃいかんでしょ

70 :
>>69
少なくともスレのおかしい流れを修正しようとしてるだろ?
それだけ意味はある発言してるってこと
情報ないのはお前もだ
お前の発言はスレのおかしい流れを修正する意味も見当たらないから、黙れ!!!

71 :
>>70
話の流れで仮定のレスが続く事もある。
そういう時は大人なら静観し、落ち着いたら元ネタを振ればよろしい。
お前のように端から喧嘩越しでケチつけて、己は解答を持ち合わせていないとは笑止。
仕切りたいなら自分のブログで仕切れ。

72 :
>>71
それが延々と何十レスも続いとるから問題なの!
自分も何一つ情報出せんのやから、つべこべ言わんと黙れ!
文句言っとるんは貴様らの方やろが!

73 :
内容への審査を厳正にするとの学術的視点も重要かも知れんが、あまりレスを限定するとネタ切れで容易に落ちるだろ
もう既にこの世に2両しか残っていない車両なのだから、新たな発見や知見などタカが知れている
そもそもスレの方向性を学術雑誌とするのか、それとも大衆雑誌とするのかという方針が明確でないところに問題があるな

74 :
>>70
別に他に話題がないなら今の流れで問題ないよ
お前の仕切りは意味無いもの
2ch向いてないんじゃない?

75 :
電動車の床下は水タンクを載せる場所が無かったのと重量の問題では?

76 :
>>73
一応スレ文>>1を見るとその最後の方に
「●モハ80001とクハ86001が保存をされていることを除けば、完全に過去形の車両で、スレ進行が遅めでも当たり前です。
活性化などと称して、レス数稼ぎにスレ違いの話題を延々と続けるのはご遠慮ください。」とある。
>>65指摘の「現実に反する仮定の話」をスレ違いとまでは言い切れないにしても、少しは節度を持つべきと思う。
あと、この板は半年くらい書き込みがなくてもめったに落ちない(無意味なスレや、削除依頼受理で削除される場合を除く)
いずれにせよ誰が荒らしなのかは別問題だが荒らしに反応するのも荒らしになるので、取りあえずこれより深入りするのはご遠慮願いたい。

77 :
【広幅貫通路80系サロ・サハの80系以外の編成への転用について】
1959(昭和34)年4月より、横須賀線の優等車が不足気味ということで、補充に153(当時91)系投入などで両数に余裕が出たサロ85(昭和27年までに製造された半鋼製車)を充てることになりました。
70系や戦前型などの編成に組み込むにあたって、スカ色化を含めた小改造が施工され、この際に幌のサイズが違うため、「テーパー幌」と呼ばれる特殊な幌が付けられました。
サロ85001テーパー幌
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-T85.Ts85/63m-2-27b1.Ts85001funa.hennsokuhoro.63.10.5Funaden.jpg
なお、横須賀線に転用されたこれらのサロは、格下げ後も80系の編成に戻ることなく、実質は70系の一員となり、
・新前橋に転出してクハ77になったもの(3扉化併施)
・神領に転出したあと、しばらくしてから3扉化されてサハ85101〜103になったもの
・長岡に転出して新潟色サハ85になったもの(3扉化なし)
のいずれかになりました。
このほか、長岡には後に静岡などからサハ87が転入して、同様のテーパー幌に改造されましたが、これらサハ87とサハ85004は、横須賀線で使われた履歴はありません。
また、飯田線サハ87001も、80系編成用だったものを1971年に1両だけ流電編成に組み込む目的で小改造されました。
改造後の1972年実施の全検(浜松工場)における塗装更新で、誤って湘南色に塗ってしまうミスがあり、直後に豊橋機関区にて浜松工場職員の出張のもと、スカ色に塗り直しが行なわれるという事態になりました。

78 :
>>77
横須賀線編成に組み込まれたサロ85の番号
85001・85003・85004・85006・85010・85011・85012・85020・85024・85029・85030
以上11両
上記、複数の資料にて確認。
よってサロ85004は横須賀線用になった経歴はあるはず。
なお、サロ85020は湘南電車として使用の昭和32年に冷房試作改造(151系の2連ユニットクーラーとはキセが違う単独式ながら同じAU11)。
横須賀線転用の昭和34年の夏までそのまま利用され、はずされた。
サロ85004が横須賀線に使われている件以外は、ほぼ>>77のとおりでいいと思う。

79 :
AU12でクロ157に移されたと思ってた。

80 :
>79
クロ157に移植されたのが定説だったよね。

81 :
うん。
どっちがほんと?

82 :
形式は調べてながいクロ157に載せ替えた事は間違えないよ。

83 :
>>79-82
昭和32年の時点ではまだAU12はおろかAU11も正式に採用になっていなかったものを、初めて同夏に湘南電車サロ85020に試用。結果が良好だったので、同設計のAU11クーラーを2連ユニットにして、車体内外ともにキセも新たに開発して、昭和33年製のこだま型に採用。
ただし、昭和35年夏のこだま型増備(クロ・モロ・サシ新登場)において、新たに改良型のAU12になり、これが約10年ほど国鉄車両の分散式クーラーの標準型となった。
車内のキセの出っ張りの厚みが薄く改良され、デザインも一新されている。
クロ157のクーラーは、確かにサロ85020からの流用のAU11とされているが、のちの入場時に他車のものと入れ換わった可能性は、高くはないにしても否定はできないかも知れない。

84 :
クロ157
電動発電機はサロ85020の冷房試験で用いたLLG-315B(18kVA)を整備のうえ再用した。
冷房装置はAU12形を4台(2台を一つのセキにまとめたもの)屋根上に搭載した。
鉄道ファン549号2007年1月号30ページより。
鉄道ピクトリアルでもAU12と書かれておりAU11については記載されてない。
151系登場前の試験としてサロ85に載せた事は記載されてるが形式は記載されてない。

85 :
>>78
サロ85004の件、改めて丁寧に見直したら、確かに横須賀線転用の11両に含まれていました。ご指摘ありがとうございます。
サロ85020の冷房装置ですが、万世橋付近(神田〜御茶ノ水の中間あたり)にあった時代の(旧)交通博物館の4階食堂の冷房装置に転用との説もありますが、真偽は不明です。
いっぽう、クロ157ですが、電源装置は流用であったとしても、クーラー本体がセコハンということは、この車両に関する限り、まずないと思われ、当時の最新型AU12採用でまず間違いないでしょう。
残念ながら、80系側からの資料の記述の多くは、冷房装置がクロ157に転用されたように書かれているものが多いのですが、これはどちらも自車給電のみで済むところで、電源装置関連を活用したのみにとどまっていると思います。
151系では、20系電車として1958(昭和33)年に最初に製造されたグループでは、空調に前年夏のサロ85020での試験の結果をフィードバックしたAU11を採用しました。
サロ181-6車内(AU11)/1975年撮影
http://homepage1.nifty.com/BONNET-EXP/Ts181-6in750619.jpg
しかし、「つばめ」「はと」電車化を含めた1960年にはAU12が開発されていたため、以降の増備にはこれを採用しました。
また、AU11採用車の一部に、後にAU12に載せ替えられたものがあるようです。
写真のように、AU11には天地の厚みがあって車内のキセの出っ張りが目立ち、これは確かにサロ85020のキセによく似ています(ただし、85020の当時の車内照明は白熱灯)。

86 :
BSフジの鉄道伝説見ましたか?

87 :
>>84の指摘の通り、実際はクロ157へはMGのみの流用なのだが、多くの文献などでは冷房装置自体も流用と誤記されてるね。

88 :
age

89 :
他スレに紹介した内容ですが、最もふさわしい場となるここにも載せておきます。
大阪急電色の 80系 びわこ号
http://ganref.jp/m/yoimono/portfolios/photo_detail/d8ec65f8744936d3dcccea72b44bb01a
より
【引用】
東海道本線が全線電化された翌夏(1957年)神戸米原間に 臨時快速電車「びわこ号」が1往復運転されました。
全線電化後急電お馴染みのヘッドマークが定期列車では廃止され、寂しい感じがしていた矢先湘南形80系快速電車が特製ヘッドマーク付きで運転され 三ノ宮駅に停車中をカメラに収めました。
この日の編成は、冬季積雪の米原駅乗り入れを念頭に新製された モハ200番台・クハ100番台で目立ったところではアルミサッシュ窓、防振台車、警笛は屋根上に設け(後に2個を乗務員室下部に移設)、床下機器の多くが耐雪凍結防止の対策がされていました。
(在来の 80系も耐雪凍結防止の改造がされました。)
1957年8月 ビテッサ35 カラースコパー f3.5/50mm
フジカラーリバーサル ASA10 で撮影
【画像のみのURL】
http://photo1.ganref.jp/photo/0/d8ec65f8744936d3dcccea72b44bb01a/thumb5.jpg
この紹介だけだと、いささかマルチポストっぽいので(苦笑)、専門スレとしてやや補足しておきます。
写真の車両は関西急電色でのかなり後期の新製車(1956年製と推察されます)です。
これよりあと、1957年春頃に新製された、80200・86100・87100番台のラストグループ(全金300番台と同じ「小湘」ベンチレーターのほか、初めからタイフォンをクハ86車体前面中央付近に2基装備)は、急電色最後の新製車となります。
また、全金車に先駆けて、すでに86065+80097+87047+80098+86066の急電編成で試用していた実績を踏まえた車内放送設備が装備されました。
これは、直後の全金車に採用されたものや、改造で後付けされたこれ以前製造の車両とは異なり、白い天井鋼板ではなく木製ニス塗り幕板の上部に付けられた、形状も独自のタイプです。
この直後の1957(昭和32)年9月25日から、関西地区東海道(山陽)本線急行電車は快速に改められることになります。
そんな中で、この列車はさしづめ、快速への改称の先行例といえるのかも知れません。
※前スレ716・718・720・729などにも関連(うち、716・729は自分のレスです)

90 :
すみません…>>89思い切り誤記しました(汗)
80200・86100・87100番台のラストグループでは、関西急電向けにはまだタイフォンは前面屋根装備でカバー付きでした。
ただし、小湘ベンチレーターや車内放送設備を正式に初装備(86065ほか5連への試用を除く)したのは、こちらのグループからで間違いありません。
●クハ86133(末期広ヒロ時代)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-4/Tc86133hiro1.75.3.1Hiro.75c-23-18.jpg
>>89の写真の車両は、これよりほんの半年ほど早くに製造されたグループになりますので、誤解なきよう…。

91 :
福塩線さよなら70運転記念日

92 :
>>89
今となっては貴重な写真ですね。
ところで、この「びわこ号」、鉄道ファン誌1977年7月号の特集のヘッドマーク集に載っていたか、覚えていませんでしたが。

93 :
自分もファン1977年7月号は持っているけど、「びわこ」のHM写真あった
80系は優等にけっこう使われたし、昭和30〜40年代はHM全盛時代だから、結構いろんなHMがついたことがあるはず

94 :
なるほど、あったんだね。
そのファン誌、買って4年ほどで処分してしまったけど、
週末準急「たちばな」や、急行「富士川」が載っていたのは覚えている。

95 :
【他スレより】
吊り掛けの特性による継ぎ目ショックの大きさと、ビビリ振動がちな欠点はあったが、80系電車の台車は総じて大きな揺れは少なめで、しかも低速ではもちろんのこと、高速でも安定感があって、乗り心地はよい感じだった。
初期車のDT16では、飛ばすとたまにゴツゴツと突き上げるような揺れはあったものの、後期のDT17やDT20ではそれがマイルドになり、滑るような乗り心地はなかなかだった。
高速台車として、それまでの主流のDT13の構造を徹底的に見直して、新性能電車のDT21に至る道筋を築いた。
【補足】
ちなみに、70系もクハ76351など一部に例外はあるが、原則的に使用する台車は同じ(72系にはDT16の採用はない)
また、付随台車のTR43・TR45・TR48については、サロ85(46→75)にのみ、バネ硬さをやや柔らかくしてたわみ量も変更したTR43A・TR45A・TR48Aが開発されている。

96 :
昔、茅ヶ崎に海水浴に行った時 乗った覚えある

97 :
【YouTube】モハ80342
1981.3.27 638M
唐笠→門島
(pictures & sound by Bunny , all rights reserved.)
http://www.youtube.com/watch?v=7SW1mhpQ6SY&sns=em
※飯田線時代の音源は割合とネット上にあるが、さすがに東海道・山陽線でのモハ80の爆走音源がほとんどない(クハに関しては前スレに既出)のが残念
ちなみに両毛線モハ70052爆走音源も前スレに既出だったかな?

98 :
昭和38年ぐらいまでの横須賀線時代に70系編成が、湘南電車代用として熱海まで使われることがあった。
当時は東京〜大船間は湘南電車・横須賀線とも同じ線路を走るとはいえ、編成順序は全く異なっていた。
80系純正の編成に対して、70系は戦前型との混用を前提に投入されていたこともある。
いちいち編成の組み替えをしていないとすれば、混乱はなかったのだろうか?
もちろん、投入される列車は、ダイヤが乱れたりしない限り限定されていただろうが…。
東海道本線用の70系といえば、関西緩行の茶坊主を思い浮かべる向きもあろうが、こちらも戦前型との混結が多かったのは、当初は編成増強用のモハ70(100番台)のみの投入だったこともあるだろう。
そののち、昭和40年代に入り、神領に配置された中央西線用70系は、昭和50年くらいまで東海道本線大垣〜豊橋間でごく一部の列車に細々と使われた。
ほかに、昭和30年7月に、豊橋〜大垣間用に初めて電車を投入する時に、70系にすることも検討されたようである。
ここで結果的に80系(クハ86069〜86080・86082・86084、モハ80102〜80117)が選択されたことで、この大幹線の黄金期における80系の絶対的優位が決定的なものになったと思われる。
80系は間通路が独自の広幅のため、他車種との混結には難があるものの、それゆえに統一編成を組む前提が出来上がった。
この車種統一で、わずか5Km/hとはいえ許容速度に余裕があり、長大編成も組める。
事実、東京口の15〜16両編成が見られなくなったのちも、静岡地区には荷電なしで14両という、旧型国電では80系にしかない長大編成が、1977(昭和52)年まで常時見られた。
80系の車内構造は、押しボタン式半自動扉のなかった当時は、寒冷地でも自動扉を採用できる点でもすぐれ、寒冷地となる幹線系線区に投入しやすい構造のモデルとなった。
80系の最大運転許容速度は70系ともども他の旧型国電より5Km/h高い100Km/hだが、現実には規定で東海道・山陽本線でも95Km/h運転に抑えられていた。
もっとも、速度査証ATSなどなかった時代、特に遅れ回復運転などの場面においては、100Km/hをも上回る運転はあったかも知れない。
また、登場当初は運転台に速度計などなかった時代、時計と線路横の距離標と運転者の感覚(または経験)をもとに速度を割り出していたことも考えると、95Km/hが厳守されていたかどうかは疑問もある。
70系も中央東線向け71形を除けば艤装や足回りなどは80系と同等なのだが、他車種との混結が80系に比べると多く、その分、速度性能的な余裕や、編成両数の制限(80系との混結を除けば、最大でも12両)という制約を受けやすかった。
【おまけ】
1976(昭和51)年8月29日
豊橋15:14発関ヶ原行き551M
↑関ヶ原行き
クハ86046…昭和25年製
モハ80102…昭和30年製
モハ80303…昭和32年製
サハ87020…昭和25年製
モハ80325…昭和32年製
クハ86300…昭和32年製

99 :
>>98みたいな長文バカってなんで湧いてくるんだろうね?

100 :
>>99
スレタイに合う内容が何もない書き込みよりマシだと思う。
長文が嫌なら、読まなければ済むこと。
このスレや前スレの常連には、長文も多い。
長距離仕業も多かったし、仕業検査の距離制限も他の旧型国電が600Km毎だったのに対して、70・80系は800Km毎と、やや長かった(だから600Kmを超える走行距離になる急行「はりま」にも80系を使えた)。
全検周期も他の旧型は2年毎に対して70・80系は3年毎。
…他人の批判だけで1レス潰すよりは、有益な情報を書き込んでもらいたいと思う。

101 :
自分の書き込みが有益な情報だと思ってるのかこの馬鹿は

102 :
>>98
手元に47.10改正の、名鉄局の電車運用に関する資料があるが、この時点で70は東海道線には入っていない。

103 :
>>102
昭和48(1973)年秋改正から1年半(50-3白紙改正)までの運用では、大垣〜豊橋間1往復(下りは名古屋13時台545M)が70系であり、これは50-3改正で同じ神領の113系に置き換わっている。
48年秋以前は確認できていないので、運用の持ち換え等の機会はあったのかも知れない。
名古屋〜大垣間にも同じ運用による担当列車があったかも知れないが、詳細は不明。
当時の大垣にまだ113系の配置がなく、80系の天下でたまに快速向けの153系などの急行型が混じる程度の名古屋地区ローカルにあって、70系はもちろん、113系も異彩を放つ存在だった。
鉄道ピクトリアル2000年2月号(No.681【特集】湘南電車50年)のP35に、西小坂井〜豊橋の飯田線がカーブして東海道本線に近づくあたり、小坂井駅の西方付近を走る横須賀専用70系臨電の写真が掲載されている(1962年末撮影)。
こちらは東京〜大垣間に運転されたもので、写真は上り。
横須賀線用車を湘南電車に充当する際に付けられたのとはやや異なる、小型長方形の特製(?)ヘッドマークがある。
先頭クハ76021とのことで、よく見てみると、2両目は明らかにクモハ43(or53)で、3両目がモハ70、4両目はサロ85、5両目はモハ70(以下判別困難)のようである。

104 :
1977年RFの80系特集のに、臨時「いそかぜ」の写真があったけど、
バックに見える「ニッポンビール」、現在のサッポロビールだったんだね。
チラシの裏でスマン。

105 :


106 :
0

107 :
【神領電車区さよなら70系ヘッドマーク付きクハ76303(中央西線・岡多線:1978/昭和53年12月17日)】
※神領電車区にて(運転終了後)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3a/0a/accord_2000si/folder/937492/img_937492_16256132_0
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3a/0a/accord_2000si/folder/937492/img_937492_16256132_1
【府中電車区さよなら70系(福塩線:1981/昭和56年3月1日)】
※福山にて(出発式)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/1029620/img_1029620_26956085_0?1294552740
※福山にて(発車直前)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/1029620/img_1029620_26956085_1?1294552740
http://railway123.web.fc2.com/railphoto/1980/img013.jpg…(PC専用高画質)
※2本のさよなら運転用編成同士の交換
http://picmaru.hiho.jp/scan/jimoto_local_s/elo_80_s5303_11.jpg
※走行写真(直線)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/1029620/img_1029620_26956085_5?1294552740
※走行写真(カーブ)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/1029620/img_1029620_26956085_6?1294552740

108 :
【大垣電車区さよなら80系(東海道本線:1978/昭和53年3月25日)】
※581M尾張一宮
http://ctv-dmd.sakura.ne.jp/tekken/files/d9a5778ea0fadc43280cf3296f76b7f7.jpg
※581M大垣終着後
http://picmaru.hiho.jp/scan/jimoto_local_s/elo_80_s5303_11.jpg
【岡山運転区さようなら80系(山陽本線:1978/昭和53年12月17日)】
※8451M(岡山10:48→12:19糸崎)笠岡〜大門にて走行後追い
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/d7/d94b2bcee7e7650d909ef4301f735fb4.jpg
※8452M(糸崎14:06→15:37岡山)大門停車中
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f3/d15160f95288b75158051aac1ed1fd14.jpg
【神領電車区さようなら80系(中央西線:1980/昭和55年3月23日)】
※名古屋にて(運転終了後の神領への回送前:クハ86069ほか)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/89/6f/takikoki64/folder/709270/img_709270_17712751_0
【豊橋機関区さよなら80系(飯田線:1983/昭和58年2月20日)】
※走行写真(本長篠付近)
http://www.geocities.jp/kokutetsu1980/840219281.jpg
※走行写真(下地→船町)
http://www.agui.net/imglog/jnr/img-box/img20080703011936.jpg
※「さよなら運転」の日(2月20日)から豊橋機関区で80系留置車両に掲示され、そののち80系最終旅客列車となった2月24日634M豊橋行きの先頭車クハ86305(写真の車両ではない)に、一部駅停車中にのみ特別掲出されたヘッドマーク
http://www.agui.net/imglog/jnr/img-box/img20080707083223.jpg

109 :
失礼…(汗)
>>107福塩線の70系さよなら運転用編成同士の交換のURLは
http://www.page.sannet.ne.jp/ef58157/fukuen70-sayonara/s-fukuen70K_810301_007.jpg
が正当でした。
あと、>>107-108に関して、細かいことになりますが、写真を見ればわかるとおり、神領70系と豊橋80系のみ「さようなら」の標記で、ほかは「さよなら」と標記されており、脚注と若干食い違ってしまいました(汗)
飯田線80系の1983年2月20日ぶん「さようなら」ヘッドマーク掲出列車(先頭クハ86305のみ)634Mの編成は、
クハ86305−モハ80310−モハ80373−クハ85108
で、この編成がまさに最終日の最終列車となった2月24日の同じ634Mに使用され、>>108際下段の写真にあるヘッドマークを先頭のクハ86305に積んで、一部の駅の停車中にのみ掲出しています。

110 :
続いて、70・80系の現役末期の頃の車内客室の画像です。
クハ86(023〜084)車内(浜松工場による座席灰色塗装車)
※86063・86069等が該当
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/70/0c/jwfbf618/folder/489890/img_489890_13349369_3?1338383609
姫路停車中に撮ったとされる80系電車(恐らく岡山運転所配置車)半鋼車車内客室
※80037〜80117・86023〜86084・87020〜87047のグループ
http://img.yaplog.jp/img/17/pc/k/i/r/kirakako/0/435.jpg
クハ75(新ナカ)車内客室(モノクロ)
※サロ75後期タイプ特有のサラン座席をそのまま継承
http://red.ap.teacup.com/ef510/timg/middle_1248820077.jpg
1981年福塩線クハ76(半鋼後期タイプ)車内
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/48/7478d0b358a2662887725821e316198a.jpg
1981年福塩線モハ70300代車内
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/82/aedb1754e76b10d9166e5d3806caeb74.jpg
クハ85300番台(名シンまたは長ナノ・長モト)車内
http://saiquet.sakura.ne.jp/images/rail/a03.jpg

111 :
>>110訂正
×岡山運転所→○岡山運転区
※失礼しました。

112 :
貴重な写真アップ乙です。福塩線は遠すぎて行けなかったので有り難いです。

113 :
腹が立って仕方ない!
この頃は糞な鉄道友の会が売名ヘッドマーク乱発で、80系さよなら飯田線とかを台無しにしやがった。
くだらない売名の糞文字をヘッドマークに入れやがって、80系さよならやそのあとの80系最後の廃車回送が見るも無残なチープさに変貌した。
高い会費をぼったくり、どうせ当時ハゲ始めた宮澤K一とかに横流ししてたんだろうけど、最高に馬鹿馬鹿しい。
80系飯田線さよならとか、鉄道友の会の名前の入ったくだらない出しゃばり最低ヘッドマーク見るたびに腹立たしく思い出されるのは、俺を含めて決して少なくはないはずだ。
ブルーリボン賞もローレル賞も単に会の売名のための人気投票に過ぎない。
そもそも大半が未体験の新顔車両なんか、生で見てもいないのに客観的評価なんかできるはずもない。
ふざけるな、消え失せろ、無駄金ぼったくりの鉄道友の会。
80系飯田線さよならで思い出して書かずにはいられない。
長年の怨みが爆発だ!
鉄道友の会潰れろ!

114 :
>>110
乙でございます。
こうしてみると半鋼製車は戦前型やボロ客然としてるのに、全金車はもう新型車だったんですね。
和室とオフィスとの違いというか…。

115 :
>>114
横からすまんが、半鋼製車は基本白熱照明だったのに対し、全金車は蛍光灯照明だったという違いは大きい。
蛍光灯の明るさは段違い、戦後から高度経済成長にかけての、日本が発展していくシンボルのひとつだった。

116 :
>>115
全金車でも、1957/昭和32年のモハ72・クハ79の920番台まで基本的には白熱灯照明です。
それ以前の72・73系の900番台試作全金改造車は、ジュラ電改造のもの(73901等数両)など一部の例外を除いて白熱灯で登場しています。
さらにさかのぼり、初の全金モハ70800(モハ71001)も当然ながら白熱灯照明でした。
全金車ではありませんが、内張りに木からクリーム色アルミデコラを採用して、全金に近い雰囲気になった昭和31/1956年製のサロ85031〜035も白熱灯照明です。
一方、半鋼車ですが、昭和27/1952年製関西急電用の
クハ86065-モハ80095-サハ87047-モハ80096-クハ86066
は一足早く昭和30/1955年に改造で試作で直管の蛍光灯(カバーつき)を採用しており、こちらには併せて車内放送設備も新たに取り付けられています(前スレ既出)。
国電における蛍光灯の正規採用は、やはり昭和32/1957年の70・80系300番台全金車(20W直管)やモハ90以降の新性能電車(40W直管)からということになるでしょう。

117 :
なんかの本で72920番台の白熱灯車内の白黒写真は見た。扇風機も、取り付け台座はあるが本体は付いていなかった。
ただ、72920番台は試作車数両以外は80300番台にならって後期新製車には最終的に蛍光灯は採用になった。
でも、通勤型に蛍光灯つけたことで、サロとか特急とかにまだゴロゴロしてた白熱灯車は急速に時代遅れの存在になったんだろうな。
ローカル線使用が多いDCではキハ20、22、52は昭和30年代なかばぐらいまで白熱灯新製だった。
蛍光灯されずに残って廃車に至ったものも多数。客車もオハ61とかオハ35、スハ32などの一族に白熱灯のままが多かった。
電車で白熱灯のままは、JR継承のクモハ12052、12053、12041(復元改造後)とか、17m級には割とあったが、20m級には皆無に近いのかな?
あまりスレ違いになるのも考えものなので、この辺で・・

118 :
久しぶりに来たんでいちおう70/80ネタでも。
・とりあえず、S40年代に東海道緩行に転属してきた70系の詳細のブログをご紹介。
http://drfc-ob.com/wp/archives/14014
このとき、76032はぶどう色になったそうです。
・モハ80373 ◆WKtiTNsW9Qさん、
いろいろありがとうっす。
福塩線70系、そういえば2編成さよなら運転してたのか?と思いだしました。
ちなみに、福塩線の転属元の阪和線のさよなら運転の編成等記入すると、
・福塩線 81/3/01さよなら編成
 76311+70319+70318+76312
 76313+70317+70075+70314
・阪和線 77/4/14最終運転の区間快速天王寺発鳳行
 76315+70317+30316+72663+72953+76312
で、76312と70317は2回さよなら運転を体験してることになりますねえ。
あとこれも参考までに
http://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-11096878163.html
http://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-11096878163.html

119 :
>>117
ご指摘ありがとうございます。
72920系量産車は蛍光灯装備で新製に間違いありません。
116の文を書いている時に、表現を正しく直そうと思っていながら、忘れてしまいました(汗)
>>118
こちらこそありがとうございます。
残念ながら「証拠写真」こそありませんが、クハ76032はどうやら短期間ながら茶坊主になったらしいと把握しました。あまりにも短期間ゆえ、写真がほとんどないのも得心できます。
このブログはなかなかの内容ですが、自分がブログからの写真を多数引用しながら、ブログそのものをあまりリンクさせないのは、誤記や誤解などによる、事実とあまりにも異なる記事が多すぎるからです。
ただ、鮮明な写真は、へたに言葉を重ねるより、はっきりと当時の様子を伝えてくれるので、有り難いものだと認識しております。
あと、福塩線ラストの70312は76312、阪和線の30316は70316の誤記でしょうか?(自分は正確な車番は資料を思い切り引っくり返さないとわからない・汗)
過去の車両だけに、おもだった鉄道誌にさえ明記されていない部分になると、なかなか確認もままなりませんが、長い間研究してきた80系電車に関しても、時に新たなる事実も次々に把握できたりもしており、バカにならないということを再認識しております。

120 :
>>120
すんません、ご指摘の通り誤記です。

121 :
>>120
もう一回訂正しないとな

122 :
>>120
すんません、ご指摘の通り誤記です。

123 :
また送信してしまいました
では訂正しておきましょう。
・福塩線 81/3/01さよなら編成
 76311+70319+70318+76312
 76313+70317+70075+76314
・阪和線 77/4/14最終運転の区間快速天王寺発鳳行
 76315+70317+70316+72663+72953+76312

124 :
80系が各地に勢力を伸ばしていった過程では、区所によっては蒸気機関車基地を転用したため
予備車の少なさも相俟って、夜を徹して点検整備したところもあったそうな。
むかしは深夜労働力が不当に安く評価されていたとも考えられるし、
私鉄の電車の夜の入庫が早いのもこんな部分に差として表れているのかもしれない。

125 :
>>124
私鉄との比較の仕方が乱暴すぎる
幹線系主体で、運転時間の長い夜行や長距離列車にも多用された80系
一方、私鉄に夜行がどれだけあったというのか?
100キロ以上の長距離運転がどれだけあるのか?
まず、その違いを無視して同列に語れるわけがない
また、コンビニもなく、「夜は静か」だった時代、増収に結び付かない定期券使用の酔っ払いの便宜のために、逆方向運転が回送のごとくガラガラになるのに、深夜遅くまで列車を運転するという自体、営利追求がよりシビアな民鉄で、乗り気な会社がない時代だった
それでも、国鉄には終戦直後の引き揚げ兵を多く採用していたため、全国ネットの特殊事情も加味すれば、まだ深夜労働等には抵抗が少ない環境だった
ラッシュアワーなどピーク時をみれば、予備車が多い例など、国私鉄ともにそうそうあるものではない
ただ、80系電車でシビアだったのは、他車種で代用ができない運用が意外に多かったこと
純正な80系ばかりの編成は、旧型では唯一13連以上が可能であり、また高速性能も安定していた(理論上は70系純正も同一性能だが、現実は70系は他の旧型との混用がほとんど)
クロスシートには席番表示があり、旧型では唯一、座席指定列車に多用されることにもなった

126 :
そりゃ夜行で使っていれば夜を徹して検査修繕なんてできませんわな

127 :
>>126
けったいなこと言うねー
全体の中で、夜通し走る編成がどんだけあるのよ?
1割にも満たないっしょww

128 :
君ら運用表見た事ないの?
夜行昼行を組み合わせて検修も考慮してるやん。
夜行なら夜行だけで専属で走っていると思っていたの?

129 :
Rデソの103とか岡ウソの0とかが午前2〜3時台に車止めを抜いたというニュースを聞いて
あれっ?と思ったまでです。
民徹で24h体制で車両整備してるとこなんか無いんじゃないかと。

130 :
【慰安婦問題】河野太郎氏「河野談話を出したのは俺じゃない、親父だ!河野談話は政府公式見解で官房長官は無関係」[08/14]
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1376486355/
http://www.j-cast.com/2013/08/14181488.html?p=all

131 :
…陸行十日水行十日の矛盾を(中略)岩代国の耶麻郡を邪馬台国と比定する(中略)
806年の山体崩壊でその遺構が失われたと…

132 :
>>103
神領の70系は、昭和51(1976)年の岡多線開業で、約2年間は回送のみ名古屋〜岡崎間を走ることがあったが、それ以前は昭和45年頃を最後に、東海道線運用はなかったと思う(浜松工場などへの入場や、転配にともなう臨時回送などを除く)。
ちなみに、豊橋12時台→名古屋13時台発の545Mは、48-7改正(1973年中央西線電化)の時点で、おもに首都圏から神領にこの時転入した113系(新製冷房車投入で捻出された非冷房車)に、80系(恐らく大垣持ち)から置き換わったはず。
同時に中津川〜松本ローカル電車化用として神領の80系を増強するため、静岡や大垣からの転入を受けた。
神領では113系も70系も72系も、低断面トンネル対応車はなく、当時新たに電化された中津川以北は、南木曽までしか入れなかったため、新電化区間のローカルの主力は80系となった。
47-3改正(1972年新幹線岡山開業)以降、もしも神領の70系に東海道線の旅客仕業があったのならば、信頼できるソース(鉄道誌なども可)とともにご紹介いただければ幸いです。

133 :
昭和50年に名古屋で昼過ぎの東海道線下り545Mに、ないと思い込んでいた113系が現れたのを見て、ついに80系引退かと焦った覚えが確かにある
東海道線中京地区の113系はその神領の一運用だけと知って、80系はしばらく安泰ということで安堵したが…
113系は50-3改正の頃の名古屋では、まだ珍しい存在だった
153系も155・159系を交えて非冷房車が多かったし、関西線にはキハ81「くろしお」なども顔を見せていた
神領には、70系はもちろん、スカ色72系も健在だったが、しばらくしてまず72系がおもに京浜東北からの103系に置き換えが始まることになる
70系の東海道線運用は、やはりのちの岡多線回送を除くと、記憶にないし、写真も見た記憶がない
いつ写したか知らないが、豊橋駅での東海道線ローカル70系の停車写真なら、見た記憶があるが、それは昭和40年代半ばぐらいまで浜松〜米原間を受け持っていた頃の写真だと思う
ところで、大垣→神領の70系にクハ68が混じっていたことがあったが、東海道で先頭に立ったことはあるのだろうか?
その写真は見たことがない
スレチになるから深入りしないが、まだ美濃赤坂などに専用のスカイブルーの戦前型(大垣)が入っていた頃の話でもある
この頃の大垣の153系の中京快速や80系のローカルの飛ばしっぷりはまさに爽快に感じたのも懐かしい

134 :
昭和52年まで80系は東京駅に来てたらしいですが、もうその頃は横浜界隈では滅多に見かけなくなってた。

135 :
>>133
少々スレチになるが、当時の神領113系は4×19編成配置、16編成(8本)使用だったと思う。
朝晩ラッシュ時はほとんどが東海道線で使用、日中は4(5?)本が中央線快速運用。
なお、2本くらいが静岡局管内で使用されていた。
神領の80は、中央線全線電化前は東海道線で使用されており、電化時に113で代替したした事になる。
よって、
113-1000大船投入→113-0初期車神領転用、東海道へ→神領80、一部電動車を静岡車と交換のうえ中央西へ
という流れか。
この時、神領80のモハは200・800台でまとめられ、PS23付きのモハ=200台という意味だったが、
これは多分名古屋局限定のお約束だったと思う。(大垣の200台もPS23付き)

136 :
>>135
ただし、長野局(長野〜松本)ぶんを除く昭和30年以前の製造になるPS23換装車としてモハ80109(最終配置名シン)があり、昭和53年5月の中央東線(&信越)からの撤退時まで使われている。
もっとも、名シンのクハ86には昭和27年製や30年製タイプがあり、逆に86100番台は1両もなかった中で、あまり目立つ存在ではなかったといえる。
あと、大垣から80系が引退して半年後の53-10ダイヤ改正で、神領始発を延長した名古屋始発中津川(平日は野尻)ゆき中央西線の初電723Mが80系8連だった。
減る一方に思われた80系がほんの束の間ながら、活躍舞台を広げたことに嬉々とした覚えがあり、飯田線にはない半綱製や日除けヨロイ戸、さらにサロ格下げクハ85300番台の深々としたシートなどを楽しめた
名シン70系は、前面木枠スカ色のクハ76031〜76033がスターだったが、岡多線開業対応の増強でさらに昭和51年には三鷹よりクハ76043も転属してきた
このように神領の70・80系とも、末期にさりげなく輝いていたのが懐かしく思い出される

137 :
>>136
スレ範囲外だが、72も付け加えておいてくれ。
取り上げられることが少ないが、7279としては、いい編成だったと思う。

138 :
「スレ範囲外だが…」
正規の63系や73系のスレや旧国スレが別にあるにもかかわらず、わかっていて書き込む奴って最低だな
テメェ以外のみんなが同じことやったらとりとめがなくなる
テメェだけ特別扱いってわけには行かねぇんだよ
失せろ!
137だけに悲惨なアタマしてるなww

139 :
何故スレ違いを加える必要があるんだろうな?
おかしな話だ

140 :
よく見ると、1次形のクハ86の前窓って、大きさが違うのがある
クハ86015は153系みたく改造したやつだがそれ以外でも、正方形みたいな窓と縦長の窓とかある

141 :
たしかにやたら小振りで、視界が悪そうなのを写真で見たな。
施工した工場によるんだろうね。

142 :
Hゴム改造するときに小さくなるヤツがあるみたいだね。あれって工場によるのかなあ?

143 :
>>140-142
掲載には欠番がありますが、
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-1/sub86-1.htm
でだいたいの雰囲気はつかめるはずです。
縦長窓は86003、86004、86007、86009、86013、86014が採用していますが、ほかに掲載の欠番の中では86010があります。
これらは、Hゴム化を実施した更新修繕を、クハ86004(豊川工場で実施)を除いてすべて東急車輛で実施しており、他と異なる仕様であったようです。
いっぽう、正方形に近い窓になった他車の中で、クハ86017はさらにわずかに天地寸法が短いようで、より小さい感じになっています。
なお、木枠2枚窓のクハ86のHゴム化は、更新修繕に先だって、関西地区急電用のものに1955(昭和30)年頃から施工が開始され、その当初はやや大きめの窓を採用していました。
しかし、昭和32年以降の更新修繕においては、こちらもやや小ぶりの窓に変更となり、先だってHゴム化改造された関西急電用のものも含めて、こちらに標準化されました。
当初からHゴム支持だった昭和27〜33年度車とそれ以外の更新修繕によるHゴム化車とでは、微妙に窓の寸法が異なっていたわけです。
山陽地区の80系全金車の中に、どういうわけか、前面の片方の窓だけを、昭和25〜26年度車更新車と同じ、微妙に天地寸法の短いものと交換した車両がありました。
よく目を凝らさないと見逃してしまいそうですが、四隅のRが若干ゆるい(大きい)という特徴からも判別できます。
●運行灯側の窓を取り替えたクハ86352
http://1.bp.blogspot.com/-RQgEYP4Z8hQ/UUWYhBXKWXI/AAAAAAAAT4Y/6T4BDg2saxs/s640/PICT4056_6.JPG
●運転台側の窓を取り替えたクハ86344
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-5/Tc86344hiro1.75.3.3Ogo.75c-28-36b.jpg

144 :
クハ86017は、正面の取っ手の数が多いが、これはクハ86018にも共通した特長で、製造時からみたい。
正面窓も小さいから、番号を見なくても判別ができた。
営業開始前の火災の復旧車で、だから1次車で唯一TR45をはいていた。
同じ火災のモハ80027は全焼で、台枠も組み替えで再生したらしいが、クハは後部までの半焼で済み、前面だけはそのまま再生させたらしい。
最後、新幹線博多開業の頃にアコモ改装されたが、それからわずか3年で廃車。
復旧については、鉄道ジャーナル1977年8月号(特集:旧型国電は生きている)の「車両(くるま)とともに30年(連載記事)」にくわしく載っている。

145 :
クハ86015の前面、復旧時のパノラミックウインド→独立3枚窓になってからも
前面窓左右の幅が他の初期車より微妙に広かった

146 :
前スレ456にて紹介しましたが、クハ86015の写真を再度ご案内しておきましょう。
--------------
※ほぼ原形時代(昭和32年頃)
http://sakikawa.michikusa.jp/ kuha86015-2.jpg
→正面の塗り分けとプレスドア2段窓化以外は原形に近いといえる
※事故復旧(更新修繕併施)後
http://www42.tok2.com/home/kani24/kuha86015-35.7-ueno.jpg
→昭和34年の踏切事故後、翌年に大井工場でパノラミックウインドウ化。写真は上野駅で昭和35(1960)年7月に撮影されたもの。
※復元後
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/752993/img_752993_17901506_0?1244900160
→昭和46年復元後の貴重なカラー写真。復元されたとはいえ、左右の窓の横幅はやや長かったり、ノーシルノーヘッダーなど、異色の存在ではあった
--------------
パノラミックウィンドウ時代の写真は、前スレで紹介したものが、今はないようなので、差し替えました。
また、復元後の写真は、接続環境によると思われますが、ごくまれに正常に表示されない場合があるようです。
取りあえず、筆者がウィンドウズビスタやMac、さらに携帯(ソフトバンク105SH=ガラケー)で試したら、大丈夫でした。
ただし、携帯の場合は、機種によってPCサイトブラウザや適切なproxiを介さないと、見られないこともあるようです。

147 :
某スレで70系や80系の台枠は強度不足で、車輌寿命が短い駄作だったと書かれている。

148 :
70系80系電車の台枠(車でいえばシャシー骨組)は、確かに梁を減らした、強度的には戦前型などと比べてやや劣る設計。
特に、外側の枠以外の、通し梁は省略された。
戦後の資材難で大量生産する必要性のあった63形電車に準じたものといえるが、長編成でのブレーキ性能安定や高速運転のため、耐久性や強度よりも軽量化を優先したといえる。
しかしながら、特に80系は1950年のデビュー以来1977年までの27年間は、のちに70系への編入された車両やクモニ83100となったものも含めて、全652両が製造された中でただの1両の廃車も出なかったわけだし、欠陥車ではないと思う。
戦後の資材難でやむなく強度を犠牲にした63形などの車両が登場したなかで、ある程度その構造を受け継いだものといえるのではないか?
堅牢性には欠けるものの、高速運転や長距離運転にメリットが多い軽量化を、少ない資材で成し遂げることができ、15〜16両という当時世界最長の編成で、100キロ近い高速運転をも安全に実現させた(80系)。
残念ながら、その代償として全体として、やや短命にならざるを得なかったことは確かだが…
まあ、こういう議論をすると、相手を叩くような変な荒らしが出やすいようなので、この設計方針の是非は、各自で判断してもらいたいと思う。

149 :
戦前の時点では設計時の強度計算が確立されていなかったから、とにかく頑丈に作るしかなかったはずだ。

150 :
戦前から現代までの車輌自体の強度は、さほど変らないと日本車輌や近畿車輌のPDFに載っている。
大きく変ったのは台枠から車体全体で強度を保つ設計思想に変ったこと、戦後に輸入された鉄鉱石や工作機器、
製鉄の技術革新などで昔より質の良い鉄・純度の高い鉄を使う事が出来るようになった為、
戦前より車輌各所に使う鉄を薄くすることが出来るようになったとも。

151 :
じゃキハ40000以降のガソリンカーは、?
特に単車運転は考慮していないキハ43000は、?

152 :
椅子の背もたれや屋根を低くしたりして軽量化したのかと思ってた >キハ40000〜42000

153 :
>>151-152
スレ違い
>>150
書いてあることが嘘ではないにせよ、まんま鵜呑みにして持ち込めるものではない。
まず、多くの鉄道車両を生産する大会社だから、逆に「強度が弱い」とは書けない。
たとえ戦時設計であったとしても、欠陥車が製造されたというイメージにつながるからだ。
強度≠耐久性ということも認識しておかなければならない。
いっぽう、こと最近は、普通鋼の車体で製造される車両はほとんどなくなり、アルミやステンレスの多用で車体外板の耐触性などは格段に向上していることは確か。
戦後の、いわば初期の軽量化車両は、耐触性が不十分なままであったのは大きい。
80系はMM'ユニットではなく、床下重量が大きいままだった点も負担になった。
軽量化が進んでも、安全性には何ら差がないことを強調したかったのだと思われる。
軽量化すれば機械ブレーキの効き目は向上するメリットもあるのだし、その辺は冷静に読み取るべきと思う。

154 :
戦時設計は(・・・というより昔は今より精錬技術が良くないから、鋼材の質が悪いよな 錆びやすい 再生鉄を多く含有)
材料は勿論 製造の際消費する電力とかコストを節約したため較差基準(品質管理基準)もアマイ筈。

155 :
ロクサン型で極端な「軽量化」をした結果、「ここまでやったらもたない」ってのがわかって、
じゃあここには余裕を持たせよう、ここは削っても大丈夫、みたいなことになっていったん
じゃまいかと。

156 :
電車じゃないけどD52の舟底炭水車にも、具合が芳しくなく戦後、補修したものがあった
と他のスレに書いてあったな。

157 :
>>154
戦前の精錬技術は欧米各国でも資源と同じく国家の存亡に関ることだからね。
しかも日本は室蘭、釜石、兵庫、九州しか高炉が無く、
屑鉄などから製鋼する電炉の方が多かった。
戦前の鉄鉱石輸入はオーストラリア、マレーシア、フィリピン、満州、中国だが、
オーストラリア、マレーシア、フィリピン産は主に兵器優先で、
電車や民生品は主に満州、中国から採掘される鉄鋼石が使われたが、
この満州、中国産はオーストラリア、マレーシア、フィリピン産と比べ、
質が悪いと言う欠点があった為、兵器などの生産には使えなかった。
電炉にはアメリカから屑鉄を輸入していたが、輸入する屑鉄は不純物が少ないので、
日本の高炉で製鋼される品質より良かったことから、最優先で兵器生産に回されていた。
1938年にオーストラリア、1941年にフィリピンが鉄鉱石の対日輸出を禁止、
1940年に米国が屑鉄輸出禁止、1941年にはインドが銑鉄の対日輸出を禁止した以後、
質の悪い満州、中国産の鉄鉱石が製鉄の主流となり、敗戦後は1947年までGHQにより、
外国からの輸入は一切禁止されていた。1948年に原油を始めとする資源の輸入が解禁された。

158 :
福塩線の交換シーンは戸手駅ですね。
いまでは行き違い設備も撤去され寂しい駅になってしまいました。

159 :
63形の悲運は戦局の悪化で緊急に開発、資材を極限まで切り詰めて製造されたこと。
さらに終戦後からは全ての輸入がGHQの命令で止り、戦時より深刻な資材不足に陥り、
国内に残るのは空襲で火を被った戦災鋼板、兵器や屑鉄から再生した鋼板しか無い状態で、
それらの鋼板を使い、出来る限り量産したことは誉めることだろう。
なんせ1947年までの日本は政府間貿易による資源輸入が一切、GHQによって禁止されていて、
1948年に入ってから政府間貿易による輸入をGHQが許可したが、輸入量の制約を付けられていた。
この制約が解除、企業独自に輸入、いわゆる民間貿易に切り替えられたのは1950年。
1948年までの車輌製造は全て戦災鋼板か屑鉄からの再生鋼板で製造されている。
車輌に新しい鋼板を使用出来るようになるのは1948年末の事で、
63形も省略してた部分を徐々に復活させ、1949年製造からは戦前車輌と同等まで回復した。
少なくても1949年から改善を行なっていたら、悪名など付けられなかったが、
不幸にも行なわれず、事件を迎える結果となってしまった。

160 :
>>159
誤爆か?
63形スレでやってくれ
資材や強度・耐久性の問題はもはや残るは解釈の相違だから、きりがないから打ち止めにした方がよい
70・80系の思い出なり話題なり、まともな方向に戻すべき(>>158は当然OK)

161 :
越後路70系最後の4M2T臨時運用は、当時の雑誌に記事はあるが映像で記録された方はいるかな。
関山の勾配を再び力走する光景とか、想像するだけでムネアツ。

162 :
阪和線の全運用6連化した時の4M2T編成は、鉄道ファンに写真が載っていた。

163 :
1963年昭和38年11月9日発生鶴見事故は
70系電車の悲劇であるのは言う迄もない
50年前の事件事故出来事なの間違いなく
1975年昭和50年リアルタイムで阪和線の
70系区間快速電車に乗った自分としても
70系電車の黒歴史忘れてならないと思う
>>159は桜木町事故のことだとは思うが
70系の鶴見事故も忘れてならないと思う
>>160がじいさんなのか何かは知らんが黒歴史を封印するのは許されない事だorz

164 :
>>163が痴呆なのか何かは知らんが、>>160はスレ違いや話がそれてゆく問題を指摘しているだけで、黒歴史封印の趣旨はどこにも書いていないのでは…?
そんなに言うなら、自分で鶴見事故の話題を、語る価値のある切り口で提示すればよく、それをしないくせに、偉そうな態度はどうなのか?
ちなみに自分は鶴見事故の資料は持っていないので、話を振るつもりはない。
ただ、こちらも本質的原因は、(70系の)製造資材の問題などとは別のもの。
これでは>>160は、タチの悪い酔っ払いにしか見えない。
あとよく読むと>>159の鋼板の件だが、粗製乱造で原料の質も悪かったと言いたいのだろうが、それが桜木町事故の背景にあったものだとしても、直接の原因とはならない。
とにかく、知ったかぶってスレにそぐわない講釈は、糞の価値すらない。
糞なら肥やし程度の役には立つから…ww
スレ汚しスマソ

165 :
クハ86015や20系客車登場時のパノラマウインドウは、
日本では曲面ガラスの技術が無かったので平面ガラスなので、
車体の曲面と一致して無いのが面白い。

166 :
>>165
技術が無かった訳じゃなくて価格の問題だよ

167 :
飛行機の風防なんて、ずっと前から曲面だもんなあ。(あれはアクリルだけど)

168 :
日本では当時製造技術が無いと聞いたけど違ったのかな?

169 :
昭和33年登場のクハ151はパノラミックウィンドウを採用して落成。
ナハフ20の登場も同じく昭和33年、クハ86015がパノラミックウィンドウで復旧されたのは翌34年。
技術がなかった訳でないことはこの辺からも判るかと。

170 :
あ、微妙に意味の通りにくい文になってた。
「クハ151は曲面ガラスを採用して落成」ね。

171 :
車体強度の問題が上で書かれていたが、床下機器の多いモハは車体垂下とか起こらなかったのだろうか?
今までそのような記述は見たことは無いが、実際はどうだったのだろう。
クモユニ81あたりは、モハ80より丈夫に製作されたのかもしれないが、これも謎になってしまった。

172 :
(ク)モユニ81は基本設計上は湘南形他車と大差ない車両。
ただ、同形式全6両が他車と異なり大井工場で製造されている。
強度がやや劣るといっても、実用上支障のない範囲内。
ただ、骨組みの太さや外板の厚みなどが減少した軽量化車体への負担はあったようで、それが老朽化を早めた点は否めないところ。
また、広幅幌の80系は、他の車両との併結に難があるため、専用運用を組む必要があり、しかも4両編成以上。
よって輸送単位の低い列車には不向きにも関わらず、2扉クロスシートゆえ、特に乗降時間の延伸の問題で、幹線系通勤輸送にも決して向いてはいなかった。
こうしたもろもろの事情が80系の廃車が急速に進んだ要因だといえる。

173 :
>>171
それ、終戦-輸入解禁されるまでの一定期間に製造された車輌の印象が強く残ってる都市伝説と一緒。
戦前と戦後では車体強度の定義が違い、戦前は台枠のみ、台枠のみ頑丈であれば良いと言う設計思想と製造。
輸入解禁された以後の戦後は米国からの技術輸入と鉄鉱石輸入、鉄鋼業の技術進歩で戦前より良い鉄が使えるので、
台枠は戦前と同じ強度を保ちつつ戦前の厚みより薄く出来た、いわゆる技術革新。
その薄く出来た技術革新を戦前より車体強度が落ちていると勘違いしてるバカが未だに居る。
簡単に言うと、同じ強度の鉄で戦前は1cmの厚さ、戦後は0.7mmの厚さになってるのを、
単純に鉄の厚みが薄くなってるから強度が落ちていると思ってんだろう。
車体垂下が発生したのは終戦後から資源輸入が解禁されるまでの一定期間、復興期に製造した車輌で、
それらの車輌は戦中に空襲で焼けた鉄板を使ってることがほとんどだったから、
鉄板それぞれが焼け具合が違い、攻撃目標の工場から提供された鉄板ならコンガリ焼けていて、
その鉄板を車輌に使えば、当然のように車輌の錆びも早く露出する。
終戦後−輸入解禁になるまでは、日本国内の在庫鉄は、そんな焼けた鉄板しか無かったのよ。
焼けた鉄板と屑鉄しか無い状況で、屑鉄から再生した鉄は価格が高騰してる状況だったし。
全国で慢性的な車輌不足を解消するには、焼けた鉄板を使うことを余儀なくされた状況で、
それらの焼けた鉄板を使ったのが戦災復旧車や63系に多かった。
戦後、陸海軍に勤務していた人が総、民間に勤務するようになると各交通機関に溢れる状況になり、
一日の車輌乗車数も爆発的に増え、慢性的な車輌運行数不足が発生する。
それらを解消する為にダイヤも過密になり、編成数も長くなり、新造数と需要数が拮抗しないから、
一両でも多く車輌を使うことを余儀なくされる状況が続き、さらに悪化させたのがベビーブームで、
人口増加に輸送量が拮抗しない状況が昭和40年代まで続くことになる。
日本の工業力が上がり、新造数も増え、さらに自動車が普及した昭和40年代以降は、
戦前の車輌を無理して使わなくても良い状況になっている。

174 :
>>173
言いたいことはわからないではないにしても、「バカは自分なんじゃないのかね?」と返されても仕方ないほど検証不足。
気をつけた方がいいよ!
まず、ケアレスミスとは思うが、1cmもの分厚い鉄板なら、さすがに0.7mmでは太刀打ちできないっしょ?
それと、戦前は台枠のみ強度を確保すればよいとされていただなんて、誤解と偏見に満ちたなんかの解説文の受け売りみたいで、まるで戦前型車両を見てもいない者の妄想かなんかに読めてしまう。
実際に戦前型旧国(特にクロスシートのクモハ42・43・53・14等がわかりやすい)と戦後型(同様にして80系ならわかりやすい)とによく乗り、夏場などに窓を開けて利用した方なら、壁全体の厚みに、戦前型の骨組みの太さや「しっかり感」を感じた方は多いと思う。
全般的には、80系の方が乗り心地が格段によかったから、利用した印象だけなら80系の方が圧倒的によくなりがちだったが、車体の剛性感では戦前型の方が明らかに上だった。
半鋼製車両の老朽化についていえば、木造部分の腐蝕による経年劣化は避けられないなか、内貼りの薄くなった戦後製(キハ10台形式なども同様)は傷みが深刻なものが多かった。
これは重要なことなのだが、車体そのものの老朽化は、全体ではなく、設計強度が元来弱くならざるを得ない部分や腐食が真っ先に始まりやすい部分から深刻化する。
特に、戸袋や便洗面所付近、さらに浸水対策が不充分だった国鉄時代までの下降式窓まわりなどがそれにあたる。
これらは、いくら多少は資材が改善されても、現実にメンテナンスにも設計にも穴が多かった当時のことだから、老朽化は進行せざるを得なかった。
秩父鉄道の1000系(旧国鉄101系)は、車体外板の歪み修正と補強を併施した体質改善車が選ばれてはいるものの、戸袋の多い構造のなかで、まさに奇跡的な長命なのである。

175 :
>>174
長いよ
全体も長いし、ワンセンテンスも長いし、一行も長すぎるよ

176 :
またウンチク爺が沸きやがったw

177 :
>>175-176
嫌なら読まなければいいだけ
>>173>>174も、相手を否定しようとする態度は感心しかねる面もあるが、内容そのものは参考になる部分が多い
太平洋戦争敗戦後、わずか19年で新幹線開業にまで至る変遷の片鱗を知るうえで勉強になる
それに引き換え、なんの内容もない書き込みは、上の方で誰かが言ってたが、糞の価値すらないんだよww(>>164だな)

178 :
>>177
2chで長文は嫌われるんだよ
そういうこと覚えてから書き込もうね

179 :
>>177
この板は情報交換板的な性格もあり、コテハンなんか長文だらけだけど、貴重な情報源としてかなり歓迎されてるコテハンも多い
特にここの70・80系なんか、情報通でないと難しいネタだし…
もちろん、情報ゼロの長文なら嫌われて当たり前だし、173や174がコテハン並みに情報の中身が濃いかっつったら、かなり疑問もありそうだけど…
嫌いなら見なければ解決だろ?
まあ、人のフリ見て我がフリ直せっつうことで今後おれもキサマらの糞以下の書き込みは見ないことにするわww

180 :
テレビで言えばサンモニみたいな板ですから

181 :
>>175
IDだけはGJ
>>180
IDが鉄道ジャーナル

182 :
戦前マンセーのお爺さんは、お茶を飲んで一服したら?w

183 :
1970年代後半までは普通に走ってたからじいさんフラフラよりはハゲ散らかしたおっさんがこのスレの住民だと思うよw

184 :
>>157>>159>>173は同一人物っぽいが、大筋で正しいとしても、例外的に戦時設計のクハ79004が約40年ももったという事実もあるので付記しておく。
同車は、末期の広島時代も、昭和51年(呉線71形投入→可部線17m車置き換え)まで数年間は、短距離低速仕業の可部線より中距離高速の呉線・山陽本線仕業が主体で、かなり酷使されたことが推察でき、しかも潮風による腐食が進みやすい海沿い…。
決して老朽化が進みにくい環境だったとは言いがたい。
呉線に関しては、本来投入したかった80系を充分に確保することが出来ず、広島口を主体にラッシュ時にはより使いやすい73系を相当数投入したという背景もあるようだ。
前スレはじめ過去にも語られているが80系は、車両数に余裕が少なめなのに、限定仕業が多かったり、現役時代には車両のやりくりに苦労されたようだ。
よくクハ79004の長命について、WC付きが幸いしたみたいに言われることがあるが、少なくとも可部線転用の昭和51年以降はWCは閉鎖が基本。
その時点(昭和51年)で、ほかに余っていたもっと状態のよい偶数向きクハ79などたくさんあったはずなのに、あえて置き換えずに使ったというのは、戦時設計車体を載せていながらも、まだ深刻な老朽度とは判定されなかったということになる。
ちなみに、ほかの戦時設計クハ79は大半が、昭和40年代なかばから50年台初頭にかけての時期に廃車されている。
実は若い頃、かつてクハ79004最晩年の頃に実際に可部線で乗ったことがあるが、車内はニス塗り、窓は上下段1:2の2段アルミサッシ。
台車が17m時代の頃の戦前製旧式TR23だったせいか、多少横揺れが大きかったが、それ以外は他の半鋼クハ79(当時ほかはすべてTR48)と大差なかったと思う。
余談ながら、重量があるクモハ73は、可部線の低速では大きな揺れはポイント以外では少なかったが、大半のDT13車両はビビり振動が多く、DT17やDT15など鋳鋼製はわずかに振動吸収が優れていた感じ。
70・80系に直接は関係ないが、呉線では 71形(実質70系でクハ76多数)に置き換えられたし、80系も走っていたということで理解されたし。
また、DT15の改良で、70・80系のDT16・17さらにDT20へと発展していった点もくんでもらいたい。
実際にはクロスシートという点を割り引いても、72系より70・80系の方がはるかに安定感があって乗り心地は良かったと記憶している。
ただ、80系は本線筋で乗る機会はほとんどなく、現役当時はまだガキだったが…
余談ながら、親父のツルっぱげぶりは見事なのにも関わらず、俺自身はまだまだハゲてはいないので、期待に添えず申し訳ない!ww

185 :
>>184
スルーしました

186 :
>>185
IDがうぜぇ

187 :
過去の車両になって四半世紀。新しい話題はもちろん、隠されていた秘話も出てこないだろうな。

188 :
>>187
そんなことを言うためにわざわざ来なくていいよ
70・80系に限らないが、見落としがちな形態に関する情報や、変わった使用法など、新ネタもたまに上がる
進行は遅いけど、それは仕方ない
もう一度>>1を読んだら?
ついでに…
EFって電気機関車を連想させておきながら、dLとはこれいかにww

189 :
80系の準急・急行はたくさんあったが、代走も含めて70系の準急・急行(有料)というのは聞いたことがない。
後輩の115系(アルプス・かいじ・かわぐち・たてしな・天竜など)や401・403・415系(ときわ)は有名。
70系には何か例がある?(一発臨電もちろん可)
確かに80系と違い、指定席番表示がなかったから、指定席に利用するのは難があったが…
あと東北・高崎線の80系には一部クハ47かサハ48が混じったらしいが、それが80系の準急・急行仕業に入ることはあったのだろうか?
もっとも、その辺の準急・急行にはヘッドマーク付きは少ないから、「証拠」になる写真などはないんだろうけど…
まあこうやって、疑問は次々に出るにしても、その正解がなかなか得にくい電車になったことは確かだ。

190 :
>>189 国鉄線内じゃないけど 山スカ形がクハ79等72系と混結で富士急に乗り入れていたとき、
富士急線内の途中駅は?(ホーム有効長の関係で何気に通過してませんか?)

191 :
>>190
それが>>189と何の関係があるんだよ?

192 :
>>133
大垣〜神領の70系編成ではなく横須賀線用のもの(大船電車区)なら、1960年代に大垣までの臨時電車で、戦前型も組み込んで走ったことがある。
クハ68ではないが、クモハ43やクモハ53もしくはクモハ50等が先頭に立った可能性はある。
クハ76が先頭だが、クモハ43か53かが編成中に組み込まれた同臨電の写真が、鉄道ピクトリアル2000年2月号「特集:湘南電車50年」の35ページに載っている。
おそらく、これが70系による最長距離運転だと思う。
なお、>>103にもそのむね書かれているが、同レスの前半のくだりは間違いか勘違いかと思われ、該当する70系運用はない。
また、70系による優等列車は快速を別にすれば、原則としてないようだ。
ただし、番外だが有料でない京阪神急行電車の80系の代走で昭和20年代後半に、緩行用の70系が入ったことはある。
また、これも優等ではないが、個人参加可能な団体列車という性質の「ワッペン列車」(申し込み者に識別用のワッペンを配ることからその名がついた)には、山スカは割合と使われている。
席番表示がない車両を着席列車として運行するために、ワッペン列車の手法は便利だったようだ。1960年代の中央東線には、客車列車も含めて、割合と多かった。
これが富士急に入った時は、当然関係ない途中駅は交換がなければ通過が多かったと思われる。

193 :
71系急行はさすがにないだろ
DCや客車の急行の代走には使わないだろうし、165系が中央線急行に投入された直後、115系も新製されているので、72系を組み入れる場合も多い71系をあえて急行に投入する理由がない。
115系は一時期定期仕業にも急行運用があったけれど…
70系の急行・準急(有料)はさすがになかったと思われる。

194 :
80系を知らない世代です。
恥ずかしながら釣り掛け車は路面電車や東武の5000系くらいしか乗ったことがありません。
釣り掛けというと騒音と振動が大きく、カルダン車に比べたら快適性に難ありというイメージがあったのですが
80系はデッキ付きですよね。
非冷房とはいえ、デッキ付きクロスシート車、
特に末期の全金属車だと内装は事実上153系や165系と殆ど変わらないくらいで
実は新性能の近郊型よりも快適で乗り得だったのでしょうか?
東北本線(上野口)や高崎線に115系が投入されたとき、がっかりした利用者もいたと聞きました。
僕も一度でいいから乗ってみたかったです。

195 :
>>194
人によって感じ方、捉え方が違うけど、東海道線で80系に乗ったことの有る俺の感想では、
音は大きいけど、振動は後年の車輌とさほど変らない気がする。
80系より後年の113系などはラッシュ以外の時、閑散時のクハなどは驚くほど揺れたから。
ガッカリした人が多いのは80系から113系に代った東海道線でも同じだと聞いたことが有り、
それらガックリした人は比較的中長距離の通勤者達で、座席数が減ったことに対して、
長時間立つことを余儀なくされたことで、ガックリした人が多いと聞いている。

196 :
レール継ぎ目での振動は、車軸にモーターの重みが掛かる釣掛式では必然的に激しくなる。
また、初期のDT16やTR43・45は枕バネが板バネで、安定性はあっても、揺れの吸収という点では、1952年以降のDT17・20やTR48で採用されたオイルダンパ併用のコイルバネと同等にはならない。
ただ、線路状態のよい東海道本線では、高速走行時の安定性にはすぐれ、新性能111・113・115系に装備のDT21でみられた、時にむやみに枕バネが跳ねるような感じになる現象は少なかったようだ(80系や155系では車両自体重量が増えることも理由のひとつかと…)。
末期の飯田線(モハ80にはオイルダンパコイルバネ、軸バネウィング式のDT20A装着)では、線路状態の悪い丙線規格ながら、新幹線の中古レールを改修してPC枕木にて改善を行なった区間があり、振動等による乗り心地変化があからさまに感じられたりした。
これは、空気バネ式よりも線路状態の悪さが明確に出てしまうコイルバネの弱点でもある。
また、戦前型は車体は丈夫だが、大きな揺れが時に快適性を損なっていたのは事実。
80系は、大きな揺れが少なめだった。これは、同じDT17あたりを装備した72系などとも異なるもので、重量バランスがよく取れた構造になっていたからのような気がする。
クロスシートの標準シートピッチ比較では…
(※部分的に異なるピッチの箇所が点在するので、あくまでも目安として理解されたい)
【1400mm】
・80系昭和25〜30年製
・新性能近郊型初期
【1460mm】
・新性能急行型
【1470mm】
・国鉄近郊型後期(昭和52/1977年キハ47以降)
【1480mm】
・80系モハ80200〜、クハ86100〜、サハ87100〜、サロ85031〜(昭和31/1956〜1957年製半鋼製)
【1485mm】
80系300番台全金車
これらの点からして、騒音とレール継ぎ目の衝撃などの問題を別にすれば、国鉄の中では80系電車の、特に300番台全金車は、それなりに良質の居住性であったことが推量出来る。
筆者は、若干東海道本線における95km/h制限前後での80系の疾走も体験しており、若輩だったうえ主観も入るのを考慮する必要はあるとしても、おおむね以上の記述に近かったと思う。

197 :
線路が脆弱の場合、台車は釣り合い梁(イコライザー式)が最強である。

198 :
昭和50年8月岡山運転区
クハ86030
モハ80017
モハ80101
クハ86371
昭和51年8月大垣電車区
クハ86046
モハ80102
モハ80303
サハ87020
モハ80325
クハ86300

199 :
>>196
確かに80系300代はシートピッチこそ広いけど、座席幅は990mmとキハ20並み。
ナハ10の1035mm、キハ55の1028.5mmには及ばなかった。

200 :
80系の走行音はネットにはほとんど飯田線のものばかり。
東海道・山陽の長い駅間&直線での90km/h以上出しっぱなしのような音源がほとんど公開されていない。
岐阜あたりでの80系走行音を載せたサイトがあるが、電車の走行音を添乗で録ると言うのにモハではなくクハで収録するという間抜けなもので、モーター音の迫力がない。25mレール1秒を切る90km/h以上の高速をたっぷり維持しているのに、興ざめ。
誰かがYouTubeにでも、東海道や山陽にバリバリ現役のモハ80の走行音の高音質の添乗録音を公開掲載してくれたらいいのにと思う。

201 :
非難する資格がどこにある

202 :
>>201
非難する資格がどこにある?

203 :
>>199
それって、壁側の肘掛けのぶんでは?
80系は、ラッシュ時の都市部ローカルに使われるため、通路幅を確保する意味で、やむなく壁側の肘掛けを省略した。
153系以降の急行型電車では、車体の裾を絞るかたちで建築限界いっぱいまで車体幅を広げて肘掛けをつけた。
まだ、車体幅がそこまで大きくないキハ55やナハ10などでは、クロスシートの通路幅が犠牲になっている。
もっとも、キハ55は準急(指定席つき多数)仕業が多かったし、ナハ10・11は当初は特急仕業まであったから、80系とは別方向の割り切り設計だと思う。
あと、当時はまだ日本人は小柄の傾向があったし、現代のレベルとは単純には比較できない。

204 :
>>203
ちょっと話それるけどさ、153系とかは幅2900mmだったじゃん。
最近の車両は2950mmあるんだけど、今はあの頃より建築限界が広がったのかな?

205 :
>>204
ホームの出っ張りさえクリアすればOK。
大体、旧規格に新規格の車輌を入線させると、ホームで裾をコスルことが多く、ホームを削る事も有るだろうし。
建築限界が問題となるのは大体、高さがクリア出来ない。トンネルとか。

206 :
>>200 自分の40年来の鉄友が電車の録音専門に趣味をやっている。80系の音も東海道の327Mや山陽本線.急行天竜などがある。勿論モハでの録音である。

207 :
お爺ちゃんはこんなとこで自己顕示しなくていいからw
それも友人のw

208 :
クレクレ厨も叩いとけよ

209 :
非難電車

210 :
>>207 自己顕示のつもりなど毛頭ない!! ネジ曲がった野郎だな。

211 :
20系スレの ナロネ21 551 とか言う自己顕示ジジイだな。馬脚を現すとはこのこと

212 :
俺は、>>206氏の友人が、せっかくのそれらの80系の貴重な音源を、俺を含めた皆のために、YouTubeあたりに高音質でうpしてくれたらそれでいい。
そういう方向に促しもせず、ただ叩くだけのレスこそ、真っ先に排斥されるべきだろう。
下り急行天竜1号の80系(旧国最後の有料急行。1978年5月末に115系1000番台化)や、東京発沼津行き327Mの80系(1977年3月末に111・113系化)の走行音は、まさに貴重な記録だ。
山陽本線の疾走も捨てがたい。
ぜひうpされることを祈る。

213 :
>>212 その方向で考えています。貴重な音源を個人で埋没させてしまうには余りにも勿体なく惜しまれる。

214 :
近頃のクレクレは恥も外聞もないのか
それとも屑鉄だからか

215 :
>>212
>下り急行天竜1号の80系(旧国最後の有料急行。1978年5月末に115系1000番台化)
これ定期急行を115系1000番台に置き換えたのだから酷い遜色急行だな
当時は115系も非冷房だし、80系の方がまだマシだったのでは

216 :
>>215 いくら新車とは言え115系には急行のムードのかけらもないですからね。但し80系も300番代で揃っていたわけでもないですが…。でも急行のムードとしては80系の方が遥かに上ですね。

217 :
>>215>>216
担当の神領の80系には、シートピッチ1400mmで幅も狭い初期車もいた。
80109、86063、86065、86069、86072、86073、86074、86075、86078、86080、86084
(80109は1977年に大垣から800番台車や200番台車と共に転入したもので、半年少々で廃車)
一方で、サロ85改造のクハ85も多数いた。
通常は4連だが、多客期には8連になることもあった。
一方、115系1000番台は車端もロングシートで、シートピッチこそ1470mmではあるものの、そのクロスシートは1両で8ボックスしかない。
半年足らずあとの53-10改正で、時刻見直しを含め、急行「天竜」は完全165・169系化されている。

218 :
>>217
手元にある80系の天竜1号の写真みると、ほとんどは800代か200代による編成だったようだね。
1977年現在の名シンの配置はモハは800代と200代、クハは85が86より多く、しかも半数以上が
300代なので、まあまあの布陣だったようだ。
200代も半鋼製とはいえシートピッチは1480mmあるし、当時はまだ旧客客車急行も多かったから、
それほどサービスが劣っていたようには思えないね。

219 :
>>218
確かに、神領電車区は比較的質のよい車両で揃っている感はあった。
1978年5月に完全に115系化された松本運転所は、モハ80020、80024などの一次型から後期車、さらにサハをモハ化した80851・80852まで揃っていた。
シールドビーム2灯のクハ86332もあり、これは飯田線に転出した。
車両設計自体は、古い以外は確かにあまり遜色なかったが、ラッシュ時に最長10連(名シン4両+長モト6両)で25パーミルを登り降りするという仕業(甲府6:30発松本行きなど)は過酷だったといえる。
登り坂は釣り懸け粘着142kwパワーで、さほどきつくはなかったとしても、抑速(発電)ブレーキがない下りは、こまめに自動ブレーキに頼ってゆっくり降りるノコギリ運転にならざるを得なかっただろう。
たとえば、塩崎から小淵沢あたり、あるいは篠ノ井から聖高原あたりまで、ほとんど25パーミルの連続だ。
当時の普通電車は、客車やDCよりは速いものの、現在の115系ダイヤよりもかなり遅く、当時はより急カーブや単線区間も多かった(小淵沢〜富士見など)とはいえ、80系などに合わせてスジを寝かせざるを得なかったことがうかがえる。

220 :
>>150
応力外皮の設計思想。
ただし、戦後しばらくは試行錯誤があったようで、モハ71・72、クモハ73、クハ79等の様々な全金試作車は、新時代の車両にふさわしい設計をチョイスするための産物と言えると思う。
戦後型旧国の短命は、外板の鉄以上に、内張り材の薄さに一因があると言われ、腐食が相当進んでいたという。
外板のことは鉄の質の観点から>>173などにも書かれているが、車体の外からも車内からも通常は見えない部分が、戦前型より厚みがないことで、腐食率として短期で相当なレベルまで進んでいたという問題があるのだ。

221 :
晩年の広島運転所時代のクハ86123の鮮明な全面の写真ありませんかね?
確か黒Hゴムと白Hゴムのウィンクだったと思います。

222 :
>>221
サイド寄りからだし、鮮明かどうかは別にして
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-4/Tc86123hiro1.75.3.3Ogo.75c-28-08a.jpg
でいい?
ウィンク?は確認できるけど

223 :
>>222
ううむ。
ウインクっちゅーより、DV夫に殴られて片目の周りが黒くなった奥さんみたいと思うのは俺だけか。。。

224 :
山陽本線の80系と言えば広島からの上り列車でセノハチ越えはノッチ入りっぱなしと思いきや第二トンネルの手前で一旦ノッチが切れて一息入っていた。

225 :
MT40系は142kwで、回転数がさほど高くないぶんトルクはそこそこあり、何気にパワフルなモーターだ。
セノハチほど連続距離は長くはないものの、やはり25パーミルが点在する上越国境(新前橋電車区)や関ヶ原越え(宮原電車区・垂井経由)の80系には、3M4T仕業まであった。

226 :
>>222
これはよく見ると、>>143にあるクハ86344みたいな、黒Hゴムの方が原型で、灰色Hゴムの方が天地が微妙に小さくて窓四隅のRが大きめ(25〜26年型更新車と同じタイプ?)に換えられているもののようにも思えます。
となると、正面からのもっと鮮明な写真で確認したいところですが、なかなか見つかりませんね(汗)
配置も同じ広島運転所(幡生工場の管轄)。
>>143の同類に挙げた86344は両側灰色Hゴムですが、86100番台なども含めて、片方の窓を寸法の異なるものに換えたクハ86があるのかも知れず、興味深いところではあります。
残念ながら、確認できる写真なども見つけるのが難しくなってきており、何らかのお心当たりがある方には情報の提供をお願いしたいです。
話のネタは尽きない70・80系ですが、未開拓分野の事実の確認となると、どんどん難しくなっており、月日の経過を感じざるを得ません。

227 :
>>226訂正
×>>143の同類に挙げた86344
>>143の同類に挙げた86352

228 :
既に話題が出たかもしれませんが、
東京駅では昭和50年代まで80系が見られたのに対して、
関西では昭和40年代半ばには定期運用から姿を消したのは
どうしてでしょうか?
私の記憶では昭和46年頃まであった、早朝の大阪発(新大阪?)糸崎行きが
最後の80系だった気がします。このスジは翌年には西明石発になり
大阪駅から80系が消えました。
それ以降は大垣の80系が不定期の快速「近江路」に入るくらいで
(このスジも159系の方が多かったような)
80系に会うためには西は姫路、東は米原以東まで
足を延ばさねばなりませんでした。関西人にとって80系は遠い存在でした。

229 :
>>228
480M岡山21:13→西明石23:42
435M西明石 6:25→岡山 8:51
(昭和53/1978年10月2日改正時刻)
の1往復は、1978年12月上〜中旬の岡山運転区80系の115系への最終置き換えまで80系で残存していました。
岡山地区ローカル用80系運用は1970年代初頭以降、最後の約5年間は西明石以西の受け持ち(基本は姫路以西)でした。
関西地区には、昭和43/1968年10月に明石電車区網干派出所が新設。1970年3月には網干電車区となり、113系が勢力を拡大。
新快速もこの頃まず113系で登場していますが、これにより基本的には姫路を境に、岡山持ち80系と関西113系とに分かれるかたちが確立しました(新快速113系は1972年3月に「鷲羽」縮小に伴って捻出の153系に置き換え)。
快速「近江路」(名古屋〜京都)は、昭和52/1977年夏季までは大垣電車区の80系(まれに159系)で運転。その頃からの113系化により、159系または113系にて運転されるようになりました。
まれに増強はあったようですが、4両編成が基本で使用されており、新幹線博多開業の昭和50/1975年3月10日ダイヤ改正の頃までは、シンプルなデザインのヘッドマークを付けていました。
余談ながら、同時期まで宮原電車区153系急行「比叡」にも、ヘッドマークが付いていました。
高槻から80系が撤退したヨンサントオ(昭和43/1968年10月1日)改正以降の、関西地区での80系に関する写真や資料は意外に少なく、しばらく残った大阪〜広島間ローカルとか、おおまかな情報以外は、筆者にとっても未知の領域です(汗)
※誕生時より常に関東在住

230 :
>>229
ありがとうございました。
子供の頃からの疑問が少し晴れました。
余談ですが快速「近江路」のヘッドマークは私も好きでした。
80系、159系の他113系にも付いていたような記憶があります。
他に113系の快速「びわこ」もヘッドマーク(しょぼいですが)を
つけていましたね。

231 :
クモユニ81の車体塗色は、湘南色と、大糸線に行った81003の青22号(スカイブルー)。
ただし、飯田線用に転用になったものがクモニ83に改造(実際には郵便室の専用装備の一部や荷物室との仕切り撤去のみ)され、これらは同時にスカ色になりました。
ところが、飯田線に行ったクモユニ81004〜81006(クモニ83101〜83103)のうち少なくとも81005は、クモニ83化改造(昭和45/1970年2月)に先行してスカ色になっていたようです。
残念ながら撮影日が未記載でわかりませんが、場所は確かに豊橋機関区構内になるようです。
http://1632.amigasa.jp/1003%2080%20(14).jpg
現役当時のファンの方のブログ等で、時々思いもよらぬ発見があったりします。

232 :
>231
なるほど。郵便マーク入りでスカ色とは。

233 :
単なる憶測ですが、81005は本来の改造時期1970年2月よりも少し早く入場期限(全検or要検)が来たので、その際に先行して塗り替えておいたのではないかと考えています。
この姿(スカ色郵便室付き)で本線走行(出場後の少なくとも西浜松〜豊橋間は除く)があったのかどうかなど、写真が現にあるだけに、気になります。
基本的に81004〜81006は、83101〜83103への改造と同時に、大垣から豊橋に転属になっているようです。
既述事項ではありますが、飯田線80系300番台引退の1983年2月以降も、荷物専用車とはいえ6月下旬まで4か月ほど残り、80系の最後の営業使用となりました。

234 :
全金製じゃない80系もあったのですか

235 :
>>234
「全金製」という言葉を使っているあたり、しらじらしすぎだが、あまりにもどうしようもない質問なので、ひとことだけ>>1からの引用を…
要は自分で調べろってこと。
【注意】
●何か質問をする場合は、>>2に掲載のサイト等を活用したり、Google等で検索したり、過去レスをよく見るなど、独力で調べる努力をしてからにしましょう。
※以後この話題は厳禁!(スレ汚しになるため)

236 :
>>235
まあまあ…先輩のおっしゃる通りですが、
コミュニケーションのきっかけに質問する人もいる訳で
あまり目くじら立てなくてもと思います。

237 :
>>236
コミュニケーションのきっかけなのか、逆に邪魔になるのか、区別をきちんとした方がいい
ここは幼稚園児に70・80系を手取り足取り教える場ではない
て、ぶり返すと236がうるさくなりそうだから逃げとく

238 :
>>236-237
>>234は他スレでも下らない質問をしているよ、多分、総合板の保存車スレで
低レベルな質問をしている厨房と同一人物だと思う。

239 :
荒らし(らしき書き込み)には原則としては構わずに、スルーでお願いします。
--------------
内張りがクリーム色に塗られたクハ85035客室
(携帯向け)
http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/images/2011/12/22/8085.jpg
(PC閲覧向け)
http://kokutetu.blog.eonet.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/22/8085.jpg
クハ85035外観(広島75-3-2)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-Tc85top/sub80-Tc85-1/75c-24-191.Tc85035hiro.75.3.2Hiro.jpg
モハ80200〜、クハ86100〜、サハ87100〜に相当するグループのサロ85035を格下げ改造。
アルミサッシの導入とともに、下降式窓に変更になりました。
内張りは木製ながら、ニス塗りを廃してクリーム色に塗られていました。
落成当初は照明は白熱灯でしたが、これは蛍光灯化されたほか、エンジ色だったであろう座席モケットが格下げにより青に変更(必ずしも格下げと同時とは限らない)されました。
網棚の切れ目の少し上、壁面2か所にある独自の形状の車内放送装置は、導入時期ならではの特徴的なものです。
なお、既述ですが80系で最初に車内放送装置を取り付け(試験)したのは、昭和30/1955年、クハ86065-モハ80097-サハ87047-モハ80098-クハ86066の関西急電編成で、併せて20W直管蛍光灯がカバー付きで白熱灯に代わって試験的に取り付けられました。

240 :
クモニ83100番台の末期の姿で気になったのが、後位側パンタグラフはあるのに避雷器が無い車両があった。残念ながら車番は不明。

241 :
避雷器がないというのはあり得ない(保安基準に適合しない)
ちなみに位置がやや違ったのは83101だったかと。
EF58などでは、避雷器のカバーがないものがあったから、そういうのではないだろうか?
あと、種車のクモユニ81がメーカーの違いかと思うがベンチレーターの差とか車ごとに仕様が違ったらしいから、避雷器の位置の違いはその関連だと思うが、ないというのはありえない。

242 :
クモニ83もクモニ13も辰野向きのパンタは使わなかった。
だから辰野寄りの避雷器ははずされていた。

243 :
ごめん。
>>242だが「辰野方パンタのみ使用で、豊橋寄りの避雷器がはずされていた」というのが正解。

244 :
そういや、そもそもなんでパンタグラフを2台載せたんだろうな?カッコいいから?

245 :
昔は今より架線電圧は不安定だったし、パンタの追随性能も今より悪くて一時的離線も多く、その他全般、集電トラブルは非常に多かったようだ。
2基使用すれば、片方が離線していても安定集電できる。
また、電機や荷電などは単行(単機)行程も多いなか、集電トラブルも今より多かったため、予備的な意味でも2基装備としたのだろう。
交流電化にあっては、20000ボルトあれば一時的離線のリスクは低下するほか、その採用が本格化した1960年代には地上設備や車両双方の性能が向上したため、交流区間は1基使用を原則とした。
1基使用で済めば、架線やパンタシューの磨耗が減り、保守の面では経済的である。

246 :
霜取り用に2基上げてた会社もあったけどね
国鉄は違うのかな

247 :
―謹賀新年―
【東海道・山陽本線クモユニ81】
●1959年の車両称号規程改正で、形式はモユニ81からクモユニ81に改称されました。
当時は80系の初期製造車(昭和26/1951年製造分の一部までを対象)は更新修繕たけなわでしたが、旅客車両優先のため、クモユニに及んだのは1961〜1962年でした。
それまでは、前窓が木枠のままで製造当時の原形をよく保っていました。
※1959年11月・田町電車区・クモユニ81005
http://members3.jcom.home.ne.jp/mohayuni/81005v.jpg
●更新修繕で前窓はHゴム支持になりましたが、前灯はしばらく原形のままでした。
この頃になると、当初は両方上げていたパンタグラフは、片方のみ使用ということが多くなったようです。
※1961年11月・田町電車区・クモユニ81001
http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/_pages/conv_default/_images/blog/_1f4/sl-taki/004-9d95c.jpg?maxwidth=100%25&stq=session%3A%3Asonet_blog%3A%3A7ef3cc766ed16570de7280bc9349b751
●前灯は大型化されましたが、まだ避雷器カバーが取り付けられていません。
※1964年3月・名古屋(到着)・クモユニ81002
http://mokugoho.web.fc2.com/img619.jpg
●岡山地区で三枚窓1次形クハ86ほか80系を従えたクモユニ81。避雷器にはカバーが付いています。
※1967年9月1日・岡山・クモユニ81002
http://shinsan.amigasa.jp/niden%20(3).jpg
●むしろ、80系以外の戦前型旧国(赤穂・宇野線用)に入る仕業が多くありました。
※1972年7月・岡山・クモユニ81002
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub25.htm/sub25-kyukokutop/sub25-kyukoku-Niyu/623-021.Mpgc81002oka.72.7.30Oka.jpg

248 :
【大糸線クモユニ81003】
●大糸線では、クモユニ81003がスカイブルー(青22号)の「海坊主」として使われました。
1両だけなので、代用には同じ(松本運転所)北松本支所のもう1両の両運転台車クモハ40077が、郵便と荷物の簡易仕切りをして使われました(同車の晩年の仕業は、ほとんどクモユニ代用だったようです)。
松本運転所の80系は、豪雪の直江津までの運用があったとはいえ、スノープローを装備していましたが、同所北松本支所の大糸線用には装備されませんでした。
※1976年8月1日・豊科付近・クモユニ81003
http://1632.amigasa.jp/1003%2080%20(6).jpg
→一部のリンク先は、携帯電話の一部など接続環境によっては、外部リンクからのアクセスに対応せずに403エラーが出る場合があります。
この場合、URL入力モードからのアクセスに切り替えれば、たぶん解決するかと思います。
ご参考までに…。

249 :
【飯田線クモニ83101〜83103】
●ヨンサントオ(昭和43/1968年10月1日改正)以降、クモユニ81004〜81006は飯田線で使われるようになりました。
当初は湘南色でしたが、ちょうど直後に開始された飯田線ローカルのスカ色への統一(ぶどう色や42・52などの湘南色から)に合わせて、順次スカ色に塗り替えられました。
郵便室撤去は3両とも1970年2月(浜松工場)で、同時に正式改番されています。
※1969年8月・田切付近・湘南色クモユニ81(後追い・カラー)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-5/69c-01-101.IiseD-245MforTano.Mpgc81Mgc13toyo47.53000mama.69.3.18TariF.jpg
※1969年8月・田切付近・湘南色クモユニ81(モノクロ)
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-5/69m-01-161.IiseU-Ni2042M2ren.Mpgc81Mgc13toyo.69.3.18TariF.jpg
●しばらく2位方(豊橋向きの全検や形式の表記やジャンパ栓受け・銘板がある方)のパンタグラフを使用することとして、1位方(辰野方)の避雷器は撤去されました。
位置はパンタグラフの車両中央寄り、運転台側の後ろ見当が基本です。
※1974年8月2日・飯島〜伊那本郷・クモニ83102他(走行)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-7/74c-23-27aIiseU831021.56002.50000.54008toyo74.8.2Ishi.jpg
※1974年8月2日・辰野・クモニ83101
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-7/74c-24-241.IiseU2042M.83101.13025toyo.74.8.2Tano.jpg
●1975年頃から、1位方パンタグラフ使用に切り替わり、避雷器も1位方のみ存置に切り替わりました。
※1976年8月・豊橋・クモニ83103
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-9/76c-33-321.IiseD-1223M.83103.56001.50000.54toyo.47151.51046chiu.76.8.8Toyo.jpg

250 :
【モハ80の避雷器について】
モハ80では、東海道・山陽本線の東京寄り(上り方)に装備されたパンタグラフのさらに上り寄り(車端デッキ上あたり)の山側(下り列車に対して右寄り)に装備が基本です。
ちなみに、800番台も851・852を含めて車端デッキ上あたりの定位置です)。
※トップナンバー80001・広島・1975年3月
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80001hiro1.75.3.2Hiro.75c-25-05.jpg
※ラストナンバー80425・岡山・1975年4月(避雷器カバーは非装着のままの貴重な例)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-4/M80425oka1.75.3.4Oka.75c-30-23.jpg

251 :
【モハ80の避雷器位置の例外】
●中央線南木曽〜高尾や篠ノ井線も低屋根でなくても走れるPS23パンタグラフ装備車(身延線トンネルは不可)にあっては例外的に、避雷器をパンタグラフの前後反対側(車体中央側)に移設しています。
※モハ80024・甲府・1975年7月
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80024moto1.75.7.3Kofu.75c-63-26.jpg
●ただし、ごく一部に例外的にPS13のままでも車体中央寄りに避雷器があった車両もあり、これはおそらく移設かと思われます。
ほかにあるかどうかは残念ながら不明です(汗)
ここに挙げた80089と80090の2両とも昭和26/1951年後期製で、更新修繕は受けておらず、(パンタ周りと直接は関係ない話ですが)戸袋の外窓が木枠固定のままで残った車でした。
ただし、80089の方は後に浜松工場にてアコモデーション改造の際に、戸袋外窓Hゴム支持化された姿となります。
※モハ80089・名古屋・1975年3月
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80089kaki1.75.3.5Nako.75c-31-02a.jpg
※モハ80090・広島・1975年3月
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80090hiro1.75.3.2Hiro.75c-27-04a.jpg

252 :
>>249
明けましておめでとうございます。
飯田線のクモニ83は末期だけでなく以前から片側の避雷器が無かったことになるわけですね。これは初めて知りました。
使用するパンタグラフを変えた理由までは不明でしょうけど、何かしら事情があったとしか・・・。

253 :
>>241
「あと、種車のクモユニ81がメーカーの違いかと思うがベンチレーターの差とか車ごとに仕様が違ったらしい…」
仕様の差が初期にかなりあったことは事実のようです。
昭和25/1950年、モユニ81は電車初の郵便荷物合造車として、6両全車が車両メーカーではなく、国鉄大井工場にて新製されています。
このうち、81003・81004は角形の押込・吹出ベンチレーター直列配置。他の4両は押込式(旅客用昭和24〜25年度車と同じ、いわゆる大湘形)ベンチレーター千鳥配置です。
81001のみ、車内(郵便・荷物室)天井板省略。
81002は、当初は塗り分け線が他とやや異なるものでした。
以上、「鉄道ファン」1966年12月号記事によりますが、筆者はこれまでに、こうした各車の外観上の差を、鉄道誌等の写真である程度確認しています。
残念ながら、ネット上にはデジタル化(jpg等)が前提になり、あまり鮮明な古い写真が少ない現状で、明確に示せませんが…(汗)

254 :
>>253に記載した(ク)モユニ81各車の差は、製造からしばらくのもので、のちの塗り分け変更や更新修繕で、結果的には標準化されることになります。
昭和32/1957年に湘南色で関西急電式の塗り分け線への統一がはかられた際、側面上部の斜線の角度が81005だけ急で、上の緑色の面積が大きくなっていましたが、これも一時的なもので、他と統一されました。
(ク)モユニ81では、クハ86の同時期(昭和25/1950年)製造車に比べ、運行灯の上部の出っ張りが顕著です。
クハの方ではメーカーごとに出っ張りに差がありますが、(写真ではHゴム支持に改造されていますが)写真の86047のようにクモユニに近いものもあります。
余談ながら、86001〜86066では、運行灯にHゴムは入らない仕様でしたが、更新修繕でHゴムが入ったものとして、下記を確認しています。
86005・86006・86015(事故復旧と更新を併施→153系と酷似のパノラミックウィンドウになる)・86033・86043〜86058(関西急電由来の車両)
ほかにも、乗務員室掴み棒の位置や長さの違いや、前面ステップの違い(一次形では86017・86018は数が多い)とか、メーカーごとの差によるものも多数。
更新修繕の仕様の差(ただし、前面窓および戸袋外窓のHゴム支持化を伴わないものは、更新修繕とは定義されておらず、80系では昭和26年度車途中までのみ)も含めれば複雑になり、興味は尽きないものがあります。

255 :
クハ86047写真貼り忘れ(汗)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-2/Tc86047kaki1.75.3.5Nako.75c-32-18.jpg

256 :
それにしても、80系も細かい差異はかなりあったね?
ベンチレーターの違いや窓、サッシの違いなど様々。
一次形三枚窓にも埋め込みヘッドライト化されなかったものがあった。クハ86016。あれは更新修繕の仕方が違ったんだろうね?

257 :
製造年次ごとの差異はわりと把握しやすいけど
更新に伴う変更(通風機、プレスドア、サッシ等々)は
現車個々の状態や修繕のタイミング、担当工場等で
例外やらは多かったと思う
更新の前に前倒しで、1両単位でドアを交換したばあい
更新時にはその箇所の再工事は省く、とかになると
更新後もたとえばドアの種類が違う車が混ざることになる。

258 :
ドアなんて更新修繕じゃなくて入場時に適宜交換だよ。
三扉車で片面すべてタイプが違ったりは、各ドアでバラバラの機会に交換したからそうなる。一斉に全部統一しない場合は、普通の検査入場と同じ作業だから、更新修繕とは関係ない。
更新修繕はだいたいその当時の新製車に準ずる仕様に統一するためにおこなわれるもの。
もちろん本格的アコモ改で、最近のJRなら押さえ金式ステンレスドアへ一斉交換したりとかあるけど、つまり全部取っ替えで同じものに統一だよ
同じ車両でバラバラなのは、更新項目とは関係ない通常の検修の範囲。

259 :
80系の更新修繕に関しては、誤解がかなりあるようですので、長くなりますが、ここで一旦整理したいと思います。
更新というと、サービス改善が思い浮かび、実際その意味合いはありますが、むしろ仕様の標準化を目指しています。
以下に内容をまとめますが、施工期間の途中で等級制度が変わり、煩雑を避けるためロ・ハで表記してあります。
写真リンクは、説明の都合で既出のものも若干含むことをご了承願います。
【80系電車の更新修繕対象】
新製予算年度昭和24・25年度車全車、昭和26年度ハ車の一部
モハ80001〜80088、クハ86001〜86058、サハ87001〜87043、サロ85001〜85014、クモユニ81001〜81006
【期間】
昭和32/1957年度から旅客車両優先で(1962年完了)
【おもな施工内容】
●戸袋外窓のHゴム支持化(モハ80027を除いて対象全車に施工)
●24〜25年度車の三段窓客扉を交換必須として一掃(ほかは通常通り適宜の交換のみ)
●客室内白熱灯照明を蛍光灯化(ただし、サロ85は大半が先行で施工済み)
●クハ86の前面窓Hゴム支持化(2枚窓の25〜26年度車で、関西急電用などに、先行して大型窓で施工されたものがあるが、これも小型窓に統一)
●車内放送設備設置
●扇風機配線整備のうえ取付座(ハ4基、ロ7基)を設置
●室内整風金具を300番台全金属車等と同じものに取り替え
●24年度(一次形)ハ車の座席モケット上半分省略を全面張りに統一
●屋根布の下限を雨樋の位置まで延長(80200・86100・87100番台以降に合わせる)
以上を必須として実施されましたが、接客設備に関する項目はクモユニ81は当然対象外です。
施工は、必ずしも全・要検時期とは限りません。
国鉄各工場(大井・大宮・吹田・幡生)のみならず、車両メーカー(日車支店・汽車・東急・日車豊川)にも相当数が外注されましたが、仕様の差は、必ずしも施工箇所で整理できるほど単純ではないようです。
ただし地域による傾向はあり、小湘ベンチレーターへの変更は、関東ではごく一部の車両のみで、関西では全車に施工。
クハ86の運行灯のHゴム支持化も、関東では86005・86006・86033などごく一部車両のみにとどまったのに対して、関西では86043〜86058の対象全車に、いずれも更新修繕時に施工(車両により細部に差異あり)されました。
これらベンチレーター及び運行灯窓の改造は、更新修繕以後は行なわれなかったようで、生じた差異は、それぞれの廃車時までそのままで残りました。
※昭和25/1950年1月30日に国鉄初の中間電動車として最初に車籍が入った4両(80017〜80020)のうちの1両で、更新修繕前からのプレスドア(向かって左がHゴム、右が二段式)や大湘ベンチレーターが存置されたモハ80017
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80017oka1.75.2.28Oka.75c-18-20a.jpg
※こちらはベンチレーターが小湘に変更されたモハ80032
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80032hiro1.75.3.2Hiro.75c-25-36a.jpg

260 :
【更新修繕におけるクハ86一次形ヘッドライト】
●クハ86一次形で、更新修繕でヘッドライトが埋め込まれなかったのは、86008・86015・86016の3両です。
特記事項として、86008は末期にアコモデーション改造により、外見的には客窓が木枠からアルミサッシ化され、また86015は有名な153系初期車流のパノラミックウインドウ化が更新と同時に行なわれました。
なお、のちに照度向上のため、前灯の大型化がはかられていますが、これらの形態自体に変更はありません。
※更新後間もないクハ86008[1960年5月:戸塚付近]
http://www42.tok2.com/home/kani24/kuha86008-823t-35522.jpg
※86015は、ご存じ大井工場で事故復旧でパノラミックウィンドウ化された車両。
同時(昭和35/1960年)に更新修繕を受け、昭和48/1973年の復元工事後も前面ノーシル・ノーヘッダーで両脇の窓が横長など、他車と異なる雰囲気でしたが、結局ヘッドライトは埋め込まれずに引退しました。
クハ86015(更新後)[1960年7月:上野]
http://www42.tok2.com/home/kani24/kuha86015-35.7-ueno.jpg
クハ86015(復元後)[197年8月:小郡]
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/c57115/20110615/20110615212758.jpg
※末期まで一番原形の雰囲気をよく残していた86016は、カラー写真で…。
クハ86016[1975年3月:広島]
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-1/Tc86016hiro1.75.3.2Hiro.75c-26-36b.jpg

261 :
【80系の更新修繕に関する注意事項】
●アルミサッシは、更新修繕においては一切採用されていません。
初期製作の80系電車の木枠客窓がアルミサッシ化されたのは、後年のアコモデーション改造においてのみです。
たとえば、鉄道ファン誌1995年8月号特集において手塚一之氏が更新修繕の項目としてアルミサッシ化も取り上げているのは、完全に誤りです。
●昭和26年度以降の落成になる車両で、更新対象車ではないものも、ほぼ同時期に白熱灯照明の蛍光灯化や扇風機・車内放送設備の整備などが行なわれ、これを更新修繕と混同する誤解が多いようです。
しかしながら、(新製時からHゴムのものも含めて)戸袋窓のHゴム化をしていないものは、特殊な来歴の80027を唯一の例外として、80系では更新修繕とは定義されていません。
また、80200・86100・87100番台・85030〜・300番台全金属車両並みに、屋根布の下端を雨樋位置まで延長する工事は、更新修繕対象外の張り上げタイプ80089〜80117、86059〜86080・86082・86084、87044〜87047・85015〜85029には施工されていません。
※更新修繕対象外の27年度車モハ80093。戸袋外窓が木枠のままであり、屋根布が雨樋位置まで張られていないことに注意
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80093moto1.74.7.12Moto.74c-18-09a.jpg
【更新対象外の車両について】
昭和27年度車モハ80098・80099は、改造時期は不明ですが、屋根布が更新施工車並みに雨樋部まで延長されていました。
最終配置が同じ岡山運転区の80101では延長されていません。
同様の屋根布延長は、Hゴム支持化すべき戸袋窓も前面窓もなく、更新修繕の対象外となった予算年度昭和26年度のサロ85のなれの果てとなったサハ85やクハ85にもみられ、やはり延長されていないものと混在していました。
※モハ80098
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80098oka1.75.2.28Oka.75c-20-28.jpg
※クハ85017(旧サロ85017)。非更新そのままで、屋根布が雨樋高さまで張られていない
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-Tc85top/sub80-Tc85-1/75c-24-101.Tc85017hiro.75.3.2Hiro.jpg
※サハ85025(旧サロ85025)。非更新だが、こちらはのちに屋根布が雨樋の位置まで延長された
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-T85.Ts85/75c-17-351.T85025oka.75.2.28Oka.jpg
※サハ85102(旧サロ85029〜サハ85029)。屋根布が雨樋高さまでは張られていない。横須賀線で70系編成に組み込まれ、サハ化されて神領に転じ、3扉化で85102となったが、屋根は非更新で80系時代の原形を保った
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-T85.Ts85/75c-31-25a1.T85102shin.75.3.5Nako.jpg

262 :
昭和24〜30年度車までの一部車両を対象に、昭和47/1972年以降に行なわれた「アコモデーション改造」は、更新修繕とはまったく別のものです。
こちらは、
●木枠客窓のアルミサッシ化(ただし一部は木枠のままのものがあり)
●日除けヨロイ戸の巻き取りカーテン化
●蛍光灯(20W直管)を実質約1.5倍に増設
●座席のニス塗り部分の灰色塗装化(アコモデーション改造車以外にも浜松工場での施工車が多数あり)
●室内木製内張りを淡緑アルミデコラに張り替え
●戸袋外窓が木枠のものはHゴム化(ただし80027のみ未施工)
●便洗面所改良工事
●客室とデッキの仕切りニス塗りを淡緑塗り潰し
●床板張り替え(一次形の木製床のみならず、二次形以降のリノリウムも、新材質のロンテックスに変更)
などが施工されました。
外見的には、元来は木枠だった客窓がアルミサッシ化されている点が特色ですが、80066・80068・80076・80107など、モハ80を主体に、客窓アルミサッシ化を省略したものがあるので要注意です。この場合でも、日除けヨロイ戸の巻き取りカーテン化は行なわれました。
※アコモ改造車で唯一、戸袋外窓が木枠のままのモハ80027
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80027oka1.75.2.28Oka.75c-17-36.jpg
※更新修繕対象外でアコモ改造を受けたモハ80096。屋根布の張り方が非更新を示すが、原形なら木枠であるはずの戸袋外窓がアコモデーション改造でHゴム支持化され、客窓もアルミサッシ化
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80096shisu1.75.7.8Numa.75c-65-35a.jpg
>>251のモハ80089等も同様
このアコモデーション改造は、昭和47/1972年から行なわれましたが、内張り木製部分の外から見えない箇所の腐食が相当進み、さらにネジを外した部分がバカになって再ネジ立てを要したりなど、様々な苦労があったようで、施工は一部にとどまりました。
東海道地区担当の浜松工場では16両を施工して、1973年に早々に中止しましたが、山陽地区では1976年まで実施されており、改造が終了して約1年後には80系の廃車も始まっているので、施工後わずか2年前後で引退した車両もあります。
施工車は、完全には把握できていませんが、確認しているもののみ記載しておきます。
【モハ80】007・027・035・050・066・068・076・084・089・096・098・099・105・106・107
【クハ86】001・004・005・006・007・008・010・011・014・017・018・022・023・024・025・026・028・030・031・032・033・036・041・043・045・051・055・057・073・075
【サハ87】019・030・033・039・042
※80066・80068・80076・80107の客窓はアルミサッシ化されずに木枠のまま。
上記以外の施工車をご存じの方は、ご教示頂ければ幸いです。
未施工でほぼ間違いないものを除外すると、下記の最終配置岡山運転区の車両に関して、筆者にとってもいまだ不明です。
80047・80070・80074・80075・80081・80086・80087・80088・86053・86062・86067

263 :
70系初期車にはアルミデコラやアルミサッシでなくニス塗りの木の壁を薄緑で塗り潰したものが神領に多かった。
首都圏の72系は複雑で、アルミデコラ化したり薄緑塗り潰しだったり、後者にはアルミサッシ二段化と木枠三段のものが混在したり…。

264 :
事故で顔面整形のクハ86015と 保々スッピン顔の86016・・・好対照のような・・・この2両一生涯相棒だったの?
・・・ひょっとして016の更新が、軽度の内容になったのは、
事故修復015が、不評(曲面ガラス採用や再改造後も固有の寸法のガラスだった事、若しくは事故復旧車固有のクセというか後遺症で優先的に廃車を考慮していたから?)

265 :
>>264
関係あるわけがない。
くだらん想像だけで質問するなよアホ!
確かクハ86015だけ大井工場で更新しているから、クハ86016とは別扱い。
クハ86015の復旧改造は、噂だけどガラスが規格外(153系とは違う独自のもの)で、割れた時に交換する部品がほとんどなかったから、確保しやすいものに変えるためらしい。

266 :
>>200
山陽線80系の音のCDが昔あった気が…?
ググってもわからないので、勘違いかも知れない。
ネット上ならモハ70052両毛線が同じMT40の歯車比2.56で、これは結構飛ばしてておすすめ。

267 :
>>265 ソレくらい仕事も一生懸命やってくれれば・・・残念だww

268 :
>>200>>266ほか
公開された本線系の80系電車の走行音としては、九州レイルウェイショップ「汽車倶楽部」取り扱いの「モハ80055」のCD(1978年6月録音・山陽本線/税別2000円)が有名です。
http://www.kisyaclub.gr.jp/action_kisya/hanbaisyouhin/sound/krs_cd008/krs_cd008top.html
現在は既に生産しておらず、在庫切れ次第販売終了なので、希望者は早めに問い合わせた方がよいでしょう。
ほかにも、客車列車(SLやDL等)などのCDラインナップがあり、在庫のあるものなら、案内に従って申し込むことで、全国配送もしてくれます。
汽車倶楽部HP
http://www.h3.dion.ne.jp/~jnr59647/index.html#syouhin

269 :
手元に>>268でご紹介している「モハ80055」のCDがあります。
広島以西から80系が引退する1978年6月に録音されたおよそ1時間の車内走行音です。
おもに、下関運転所80系6連の450M下関始発広島行きの下関〜長府、埴生〜嘉川(厚狭と本由良で一時中断。マスターテープ交換のため?)の走行音で構成されています。
窓を開けているため、すれ違いやトンネルなどが強調されています。
ロングレール区間もありますが、25mレール区間や25m溶接区間も多く、混在が多い当時の雰囲気は伝わる感じです。
走りは、発進からトップスピード(速い時で90km/h前後)まで一気に持っていく区間が多く、駅間が非常に長い厚東〜本由良などを除いて、再力行は少ないです。
区間に点在する短いアップダウンでは、登り勾配途中でもノッチオフしたままサミット越えしているようです。

ただ、現在多く残されている飯田線80系の録音よりも加速がよく、高いノッチを常用していたことがうかがえます。
もう少し先、防府付近とかならもっと飛ばしたと思われ、車内放送が録音者のレポートにもあるように聞き取りにくいのとあわせて少し残念ですが…(汗)
音質は上々で、今となっては非常に貴重な記録です。

270 :
80系って実に面白いですね。1両ごとすべて違うとまではいかないにしても、運用範囲も広かったせいかバラエティに富み、技術の急速な進歩のさなかに作られたことで、その過程の進化が車両ごとの違いに反映されている感じです。

271 :
>>264
266の言う通り。
ヘッドライトだけで軽めの更新なら、261にあるクハ86008もそういう話だ。

>>260
よく見るとクハ86008のヘッドライトはこの時点で全金車と同様に大型化されているようですね?
86015など他の更新とは違う。
このあたり、やはりバラエティあったみたいですね?

272 :
>>270
バラエティが広いながらも、
1両1両が違いすぎてとっつきにくい末期の戦前旧国よりは
把握のしやすさがありますね、70系80系は

273 :
>>272
戦争中を経たのもあって改番やクロハ格下げとか、把握しにくい面があるからな。

それにしてもサロ、サハのクハ改造はあったけど、モハのクモハ改造とか計画や案すら無かったのだろうか。
70系はともかく両数が多かった80系なら案くらいはあったかも知れないけど、そんな噂は知る限りでは見ないな。

274 :
>>273
むしろ運転台を撤去されてモハ30が誕生したな。
80系のクモハ改造が行われていたら、2連になってローカル線を走っていたかもしれない。
想像するとなんか楽しい。(^^)

275 :
>>271
クハ86008の前灯はそのとおりで、いきなりそれになったのは珍しいケースのようです。
えらい長文の連続になってしまったので、あえて触れませんでした(汗)

276 :
>>273-274
モハ80は、サハからの編入改造80851・80852以外は形式間改造は皆無でしたが、昭和36/1961年頃に3扉化改造する案は検討され、形式モハ82(旧モハ82の155系への改称で空いた形式)として設計図も起こされたそうです。
この案は、取りあえず改造対象をモハ80のみとしていたようです。
しかし、翌年には111系が新製され、実際にこれが実現されることはありませんでした。
結局、80系の3扉化は、当時横須賀線用となって70系と組んでいたサロ85をタネ車とした、中央西線用サハ85100番台と両毛線用クハ77のみにとどまりました。

277 :
>>268関連
モハ80055(広島運転所)
昭和25/1950年製造(2次発注関東向け)1977年撮影
※1978年10月廃車
http://2.bp.blogspot.com/-glL0jccE8ZY/UUWZATExDVI/AAAAAAAAT4g/Flwx-decjis/s1600/PICT4053_9.JPG

278 :
McTcの2連を基本とする線区は戦前型、
4連〜6連の線区は70・80系
という風にうまくすみわけができたんでしょうな

279 :
クモハのない70・80系でサハ(サロ)等付随車の存在はすなわち必然的に5両以上の編成になるから、それを減らしてクハを増やす方が効果が高い。

あと、80系については主な使用線区は東海道・山陽線などで、特に80系は末期までただでさえ車両不足(呉線や赤穂・宇野線に遅くまで80系でなく戦前型や72系を使ったのは80系が足りなかった)
クロスシートが要求されながらもラッシュ時に遅れを出すこともままあり、定員減になる改造の必然性ゼロ!

間通路幅が標準と同じ70系は、戦前型などとの混用もあったけどね。
横須賀線末端の横須賀〜久里浜区間運転ではクモハ43(53)+クハ76とかもあった。

280 :
あと確か80系は約650両中M車はやっと300両に到達した程度。
サハの改造よりモハのクモハ化をしても、それで短編成化を促進してしまうと、残ったサハの動力源が足りなくなる。
そうした需給を考え、なるべく改造両数を抑える方向で車両計画を組むのは、当然のことだ。

281 :
仮に、80系内で附属2連を作って、途中増結するみたいな
私鉄にはよくある運用方法をとるなら
一部モハの先頭車化はありえたのかもしれないが…

国鉄の電車ってそういうことをあまりしなかったよね。
電車以外では切った繋げたは日常茶飯事だったが

たとえば特急列車にしても、キハ80の時代は分割併合していた
のが電化されたとたん2本の列車に分離され
せっかく作った電気釜の貫通路すらもてあます始末。

282 :
>>280-281
国鉄時代は普通列車でも編成が長かったからね
ただ、80系はTcMTcの3連運用も考えていたようで走行試験も行ったと聞いた
実際1M2Tでも問題なかったようだ。

283 :
>>281-282
飯田線に附属編成が有った様だ
(TcM+TcMMTc)
モハ80の後位には窓付きの蓋

284 :
>>282
ソースは?
MT40はトルクが高かったそうだから、机上の提案ならあったかも知れないが、具体的な試験走行なんてあったのか?
過去レスでそのようなことを誰かが言っていたが、所詮そんなのは噂の域を出ない。

285 :
80系は元からローカル転用を考えていなかったふしがある。
飯田線こそクロスシートが望まれしばらく使われたが、身延線は動力車はモハ80800〜80813、80851・80852以外が使えない(PS23化だけでは無理)から最初から想定せず。
東海道、山陽と中央線や甲信越地区と、それら本線系周辺で使われるうちに老朽化が進み、一気に全廃。
元来長編成を意図して開発され、既出だが旧型で唯一13両編成以上を組んでいる(クモニ83やクモユニ74等はあくまで改造でそれが出来るようにした車)。
静岡地区には13・14連が末期まであり、中京や岡山、広島でも10両編成位は当たり前にあった。

286 :
飯田線での出場試運転が1M2Tだったと、大昔の鉄道ファン誌にニュース投稿が有った。

287 :
>>286
それは、実際の1M2Tでの営業運転を想定した試験ではなく、たまたまほぼ同時に検査から上がった車両で組むと1M2Tになったから、単に出場試運転をそれでやったというだけだろ?
いっしょくたにするなよ。
少なくとも、それが「TcMTcの3連運用も考えていた」ということには全然ならんよ。
また、最急勾配40パーミルのほか、連続25パーミルが点在する飯田線では、80系あたりで1M2T営業運転なんて、トラブル防止の観点から、絶対にやらない。

288 :
どうやら80系1M2Tの話は、単なる工場を出る時の試験(他系列や控車としてクモヤやクヤみたいな車両と組む場合もありうる)に過ぎなかったみたいですね。

80系に1M2T実際の運転計画なんか当然初めからなかったでしょう。
冷静に考えて、もしそれが出来るなら、鶴見線72系1M2Tなんか、ラッシュ時はともかく、昼間のガラガラの時なんか当然1両動力カットしたはずです(これは簡単にできます)。

知ったかはやめてほしいです。

289 :
ビッ区カメラ札幌店の

副店長の佐藤伸弦が暴行事件を起こしていた。

コピ・ペで拡・散希・望

290 :
>>288
おいおい、72系1M2Tから1Mカットしたら…動かんよww
ま、2M1Tの間違いなんだろうけどさ。
MT40はMT15等の1.5倍近い高出力だし、相応のトルクと釣り掛けならではの粘着特性をもつ。
加速がやや劣ることに目をつむれば、理論上は平坦区間では1M2Tも不可能ではないだろうが、新性能電車の進出の中で、それはまずやらないだろうね。

291 :
西武が501でMT30の1M2Tをやっていたからなぁ

292 :
ただDMH17×1基搭載の気動車は、液体変速機を介しているとはいえ
事実上132kWモーターの1M3Tみたいなものだったわけだからね

293 :
>>291
ギヤ比は2.87かな?(70・80系は2.56。但し71形は2.87)
秩父線を別にすれば勾配がきついわけではないし、理論上は当然可能。
故障した時に、カットとなるモーターがあると、場合によってリスキーではあるが…。

あと、回転数があるぶんギヤ比も高いが(4.82)、711系がMT54A(150kw)で1M2T(試作車初期は1M1T)だったね。
トルクフルなインバーター制御に軽量車体が当たり前の昨今、1M2Tは別に驚くに価しなくなっていて、隔世の感があるな。

294 :
一方、MT比でMの割合が高いのは、昭和29年の関西急電3M2 T1本があるね。
86067+80099+80100+80101+86068
関西急電はど真ん中がサハだが、この編成だけモハだった。

あと、70系で長岡の最後の6両編成が、サハ全廃のため4M2Tでさよなら運転をこなしたというのがある。

295 :
スレチかもしれないけど画像の右下にある緑色とクリーム色の2両の電車って初めて見たんだけどわかる人いる?
http://blog-imgs-60.fc2.com/s/k/y/skymax17/DSCN6236.jpg

296 :
>>294
70系は、阪和線末期の6連固定化された際にもあった。

297 :
>>294
瀬野八を通る80系準急「とも」や身延線の急行「富士川」も3M2Tだったな

298 :
「富士川」は80系時代からサハ入り2M3Tだったんじゃなかったか
(身延線は25パーミルはあるけどスジが低速なんでけっこう容赦ない運用がある。
ダイヤ密度の高い山陽線とは違うと思う)

299 :
>>298
身延線80系は、「富士川」「白糸」ともに4連。
サハ87(85)は使われていない。
ただし、クハにはまれに半鋼製も投入された。
鉄道ファン1977年7月号(特集:湘南電車)に、前面木枠のクハ86(恐らく059か060)による「白糸」の写真(1969年撮影)がある。
身延線の80系は、西富士宮までは創臨で5M7Tが入線したが、それ以外はMT比同一編成のみのはず。

300 :
>>298-299
いや80系富士川は3M2Tでいいんだよ。(下記画像)
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b0-27/takatinet/folder/362954/32/3468532/img_0?1347282424

またWikiの「ふじかわ (列車)」の項にも

>1969年(昭和44年)
>5月:電動車1両を増結して5両編成となる。
とある。

半鋼製車としてはサハ87200から予備車として改造された80851・2もあったな。

301 :
>>300
モハ80851・80852はサハ87108・87111がタネ車…サハ87に200番台はない。
電装部品はモハ72(500番台)のサハ78化改造による発生品を流用したため、同じ昭和31年製のモハ80200番台の台車がDT20であるのに対して、こちらはDT17である。
なお、あくまでも身延線モハ80の予備車が不足がちになることに対する増備であったため、通常は東海道ローカル運用に入るのが基本。
80系時代の「富士川」に、その後も特に非常事態があったということはないようなので、結局この2両は身延線には入っていないと思われる。

302 :
80系に湘南色以外のカラーがあったら面白かった
70系編成に組み込まれた車と、荷物車以外は湘南色だったよね

まあ、湘南色が一番似合ってたということになるんだろうけど

303 :
>>302
流電の中間に入っていたスカ色のサハ87がいたな

304 :
>>303
そんなのもいたなあ
87でスカ色って流電だけだっけか

305 :
流電の間に入ったヤツだけですね。

306 :
>>296
確かに…
ただし、これにはモハ70が足りなくなるためにモハ72(朱色)が混じり、純粋に70系のみの編成ではなかったようです。
恐らく正規の70系4連にモハ72の検査期限切れしない状態良好車を組み込んだだけかと…。
参考:>>123の初心者もどき氏
・阪和線 77/4/14最終運転の区間快速天王寺発鳳行
 76315+70317+70316+72663+72953+76312

307 :
準急〜急行「富士川」の80系時代の写真はあまりネット公開されていないようですが、4連(モノクロ)と5連がわかるものはあります。
1968年撮影4連
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/7318/headmark/pic/namefujigawa.jpg
1971年撮影5連
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b0-27/takatinet/folder/362954/32/3468532/img_0

ついでに、これら身延線系統の準急・急行に使用された低屋根モハ80803の写真では、当初は避雷器にカバーがなく、晩年になって追加されたことを確認しています。
熱海にて1971年4月(なし)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-5/71m-1-171.M80803shisu.71.4Atami.jpg
松本にて1979年1月(取付)
http://www.geocities.jp/h6feet/image6c/445-24web.jpg

308 :
>>303-305
【過去レス>>77(拙文)より】
飯田線サハ87001も、80系編成用だったものを1971年に1両だけ流電編成に組み込む目的で小改造されました。

改造後の1972年実施の全検(浜松工場)における塗装更新で、誤って湘南色に塗ってしまうミスがあり、直後に豊橋機関区にて浜松工場職員の出張のもと、スカ色に塗り直しが行なわれるという事態になりました。

309 :
【70・80系電車塗色まとめ】
70系はスカ色のほかに
・ぶどう色
・阪和快速色
・新潟色
・湘南色(1970年頃の飯田線流電編成サハ75)
・黄緑(仙石線モハ70)

80系は湘南色のほかに
・スカ色
・新潟色(70系編成サハ85・87)
・青22号(大糸線クモユニ81003)

ほかにあったら指摘よろしくです。

→80系は、昭和24年度車の新製時においては、オレンジ(黄柑色)部分は朱色(より赤味が強い色相)でした。

310 :
>>302
急電の茶色とベージュがあったでしょ。あれなんで流電と逆の塗り分けにしたんだろ

311 :
>>309
80系はスカ色があるでしょう?
流電に挟まれたサハ87001と、中央西線で70系に挟まれたサハ85100番台と、
クモニ83100番台。

312 :
>>302
70新潟カラーに合わせたサハ87がいたんじゃないか?

313 :
>>310は、302氏と309氏が、たぶんつい忘れた点の指摘になっていると思うが、311と312は吹き出してしまう間抜けな書き込み
>>311
309に「スカ色」ちゃんとあるだろ?しかも308でスカ色サハ87の解説したばっかだろ?
クモニ83などについても、詳しく写真リンク付きで説明してくれているので、そんな間抜けなレスの出る幕ではない気が…。

>>312
こっちもひどい。
該当する302に、色の具体的記述こそないものの、
「70系編成に組み込まれた車と、荷物車以外は湘南色だった」と書いてある。

間違いを指摘するなら自分は間違えてはいけないものだし、間違っていないものを間違っているとかほざくのって、最悪!
的はずれレスはウザいからやめてくれないか?

モハ80373氏や初心者もどき氏、797ウグイス平安京氏といった常連コテハンの皆さんは、ちゃんと勉強して書いているのがわかるが、揚げ足取りにすらならないいい加減なレスは、単なる邪魔でしかない。
個人のHPなんか見ても、この辺の電車は、うろ覚えの間違った知識でいい加減なこと書いてあるのが多いから、こちらは前スレから参考にしている。

314 :
あー、80系にはベージュのツートンあったなあ。忘れてた。

315 :
>>301
静岡配属時代に、西富士宮まで創臨向け5M7Tに組み込まれて入っている。
昭和40年代後半、同じ編成を使用する327M(最後の東京発車の80系)で見かけたことがある。

316 :
>>315
創価臨の西富士宮も確かに身延線だが、ここで言っているのは急行「富士川」で甲府に行っているかどうかを言っているのでしょ。

317 :
315は、モハ80851とモハ80852に関する補足で念のために書かれた内容だろ?316には糞ほども書く意味を感じない
結局この2両は最後の低屋根で松本に転属してからそれを生かした

318 :
>>43
旧型国電で80系以外のただ1両たりとも指定席対応の席番表示がなされていない。
ところが80系だけは、なんと646両(郵便荷物電車を除く)全車が、指定席対応の席番表示をしている。
1〜92(最大定員のモハ80初期型の場合)の数字のみの標記。
明らかに急行までは視野に入れていたことを示している。
DCもキハ55・26がこれに準じていて、車端部をもクロスシートとしたことでは80系を凌駕した。

91系(153系)電車やキハ28・58以降では車体幅拡張されたが、席番表示がアルファベット併用になって1A〜1D・2A〜2D…S1〜S4(戸袋部分)という具合になった。

319 :
富士川と伊那には80系末期に指定席が設けられたけど、どんな券面表示なのかまでは分からなかった。
マルスから座席数字だけの券が出たのだろうか?

320 :
>>319
当然、80系運用の分はそういう設定でプログラムされていたと思われる。
当時のマルスは、券種はゴム印スタンプ。使用指定日は手書きの縦長だった。

321 :
>>320
手書きだったのは、使用指定日ではなく、指定列車の発時刻。
※1968〜1985年まで使われたW型端末発行の券面
http://www5d.biglobe.ne.jp/~jnr/kip04.files/50-03-131.jpg

322 :
80系は妻の雨樋まで黄かん色が回り込んで塗られていたけど何故だろう?
70系もそうだった。

でも153系以降には踏襲されなかった。

323 :
>>322
最初、妻窓も側窓と同じ高さで汁ヘッダがあった
車はたしか妻面の窓のところも回り込んでそのまま
塗り分けられていたんだったけか。

324 :
>>322
80系に限らず、二色塗りの旧型国電はすべて妻の雨どいまで塗り分けられていた
戦前型旧国は、窓付きの奥行きのある幌枠とが両幌とかで連結面が広いので、妻側まで回り込む塗装にしたのかも知れない

325 :
ネットサーフィンで、実に謎な一次クハ86の写真を発見した。
http://www20.tok2.com/home/kt2251ex/S37-07-24-25_151.jpg

昭和37=1962年の撮影とのことだが、この頃はアコモ改造なんて計画すらなかったわけで、まだ一次形にアルミサッシは採用されていないはずだが、アルミサッシになっている。
しかし、後年(昭和47年頃から)のアコモ改造車とは違い、内張りが木造のままであろうことは、ドアの開いている状況から見て取れる。
昭和30年製までで、木造内張りのままでアルミサッシ化というのは、実車はおろか写真でも初めて見る。

写真は黒磯駅らしい。ただ、奥の湘南色近郊形がどうもグロベンの111・113系ぽく見え、115系ではないように見えるのもミソだったりする。

スノープロウがあるから、確かに東海道・山陽筋、神領、身延・飯田線以外の仕様だろう。

運行灯Hゴム。モハ80373さんのリストから、当時東北にいたものということで、車番の特定は可能だろうか?

とにかく、アコモ改造以外で、昭和37年にしてすでにアルミサッシを入れた一次形がいたという証拠写真ではあると思う。
こう言うのが出てくると、80系には隠された真実がたくさん眠っているようなワクワク感を感じてしまう。
実車がないから、確認できないことも多そうだが…。

326 :
小型前面窓と運行灯窓のHゴムの奇数車ということから、クハ86005と思われるが
アルミサッシだったのは耐寒耐雪改造の折だろうか?
どうも86005が広島工場のアコモ改造対象から漏れているようだ
なお113〜115系は製造初年が昭和38年なので、撮影が37年とすればバックに映っているのは111系でしかあり得ない

327 :
>>326
クハ86005は、最終的にはアコモ改造されている。
内張りが木のまま木枠客窓をアルミサッシ化なんて、80系(モハ200番台、クハ・サハ100番台以外)でなく旧形客車などなら珍しくなんかないのだが…。
逆に、アコモ改造なのに木枠客窓の80系なら、大垣や岡山に若干いた。このアルミデコラと木枠客窓の組合わせも、旧形客車では珍しくはなかった。
また、80系のアコモ改造は、中部・山陽とも仕様はほぼ同じであり、蛍光灯が多くなったのが他車とは目立って違っていた。

黒磯に登場したばかりの111系があるというのは、よくわからないが、日光線鶴田から出たばかりの新車の本線試験かなんかの可能性もあったりするかも。
真相は半ば闇の中みたいなところで想像でスマソ。

328 :
>>325の写真は確かに興味深いです。
既出かも知れませんが、>>326さん指摘のクハ86005の晩年の写真を見てみると、
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-1/Tc86005hiro1.75.3.2Hiro.75c-26-06b.jpg
アルミサッシ採用のほかにも、ヨロイ戸がカーテン化されているあたり、アコモ改造の特徴を示しています。
これが東北本線時代からアルミサッシ装備だったとは…。
1962年が正確かは別として、駅名標のみならず風景も、黒磯で間違いないようです。
恐らく、更新修繕でたまたまこの車両(ほかの80系更新修繕に導入した形跡なし)のみ、アルミサッシ化も実施してみたというところ(憶測ですが)でしょうか?

よく見ると、1962年撮影とおぼしき>>325の方の写真の段階からすでにですが、乗務員室扉とその前の小窓もアルミサッシ化されています。
ほかのクハ86に、ここまでアルミサッシを徹底導入した例はほぼ見当たりません。

329 :
モハ80043

330 :
昭和50年11月24日
86301 80110 87025 80206 80043 86004  名カキ

初期車から全金まで、車両の見本市

331 :
>>330
86301…1957年製全金クハ
80110…1955年製
87025…1950年製
80206…1956年製パンタPS23
80043…1950年製
86004…1950年製(1949年度一次)アコモデーション改造
名カキ

332 :
ちょっと亀レスですが…
>>294
80系では、東海道線からの撤退(回送や静岡運転所残留車の波動使用を除く)の直前、1977年末〜1978年初頭に、4M2T編成の1Mカットによる3M3T使用というのがありました。

当時、大垣電車区の80系は113系の転入や新製(2000番台車)による置き換え中。
余剰車は廃車もしくは飯田線用(全金のクハとモハのみ)もしくは神領へ転属(昭和30年以降製造のクハとモハのみで、モハは低屋根全金もしくはPS23装備車のみ)の計画でした。
サハは全金を含め全廃ということで、検査期限の切れたものから廃車が進みました。
しかし、大垣には多数の3M3T仕業があり、一部の編成でサハが不足するため、代わりにモハを組み込んで、それをサハ代用でパンタグラフを下げ、駆動関係の電装を使用せずに使用した編成が存在しました。
こうした編成が登場する頃には半鋼製の80系はほぼ大垣の仕業からはずされており、実際にこれが見られたのは、ほとんどオール全金の編成のみだったと思われます。
※この件は、過去レスにも実はあるのですが、少し状況を解りやすくするために、新たに解説し直してみました。

333 :
JR西日本の新しい鉄道博物館にクハ86・モハ80の2両の展示が決まったそうですね、良かったです。
来年オープンしたら見に行きたいです。
80系、毎日横浜駅で見ていたので懐かしいです。
80系を横目に見ながら自分は隣の京浜東北線通学だったので、ずっと憧れでした。
ある日、休日にわざわざラジカセ持って東海道本線80系を録音しました。
できればデジタル化してまた聴きたいものです。

334 :
阪和線70系関係(>>296>>306の補足)

阪和線の70系は、昭和30/1955年に投入されて以来、長らく4連にて使われていました。
※北部にて他の旧型(朱色)を増結する列車は多数あり。
日根野以南では、6連対応のホーム延伸が遅く、103系や113系(6連)の進出が遅れ、4連を基本とした旧型が長らく活躍した背景でもありました。
しかし、昭和51/1976年になってようやくホーム延伸が進み、11月には旧型を含む阪和線全編成(羽衣線を除く)の6連化を達成しました。
70系は、TcMMTcの基本編成に、半分にバラしたMTcを併結させたオール70系による6連
http://www.jnr-photo.com/ECkyugata/hanwasen/hanwasen-w.JPG
のほか、新性能化が進んで余剰気味だった朱色モハ72(500番台以降)を2両組み込んだ6連
http://stat.ameba.jp/user_images/20140114/23/ak7193907/4b/30/j/o0800046812814239407.jpg
と、2通りがありました。
山中渓〜紀伊には、和泉越えのため両方向に連続25パーミルがあり、後者はそのまま4M2Tにて運用されました。
しかし、昭和52/1977年3月半ばに阪和線は完全新性能化され、こうした6連での使用はわずか半年程度にとどまりました。

335 :
>>333
いい加減ぶっ潰すべき。
節電省エネ地球の温暖化対策に逆行する無駄な保存。
しかも80系みたいな駄作を、よりによって2両もまとめて保存とはあきれ果てる。
加速減速性能が悪いうえに、乗降にもたつく。
現役末期はあちこちでラッシュ時に慢性的遅れを出し、ひどいものだった。
遅れても性能が足りず、回復運転出来ないのが決定的弱点。
そんな失敗作は、速攻でぶっ潰さねばならない。

何が長距離電車だよ。
103系だって、やる気になりゃ東京発広島行きが実現できたんだよ(ロングシートWCなしだから、やる気にならなかったわけだけどな)
でも80系には無理なんだよ。車庫内検査を800キロ以内で受ける必要があったからな。103系にも劣る短距離電車じゃんww
そんなインチキで、オハ35に劣るような、まるでオハ61みたいな内装の出来の悪い車体を、同じ欠陥電車仲間の63系のシャシーに載せて威張って、ざまあない、最初は初期故障だらけだったんだろ?ww
改良とかほざいた2枚窓のやつだって、座席背もたれに何も貼ってなかったひどいのを、布だけ当たり前に貼ってごまかしただけで、あとは格好だけのハッタリ電車。
シートピッチも幅もオハ35やスハ43なんかに比べて狭い。
のちに台車を改良とかほざくが、DT17&TR48以降は72系と一緒なんだから笑える。
とにかく歴史的駄作の遭難電車の、関西に縁がないトップナンバーの保存を、「上方」たる関西でやってやる必要はない。
糞ゴミ欠陥電車。

2両も保存は無駄。どちらもまとめて速攻ぶっ潰すべき。

336 :
事実の指摘に、さすがのヲタも誰一人として反論できないww

337 :
基地外に誰も触らないだけ
地べた地落ちてる犬の糞を素手でつかもうとは思わないw

338 :
>>335

おまえ馬鹿か?

339 :
>>338
ウンコに触っちゃダメ

340 :
>>338
疑問符付ける必要ございませんよ。
馬鹿そのものなんですから。

341 :
かまってちゃん
80系で通勤地獄だった団塊さん

342 :
保存なんか資源エネルギーの無駄だ。
80系2両も置くいとまがあるならば、その土地を関西圏にて深刻に不足する児童保育所作り用地に供用すれば、少子化対策にもつながるであろう。
おまけに錆びやすい鋼製車体に腐食しやすい内部木造で、維持費用もバカにならない。
それで何の役にも立たず、立つのは80系ヲタのチンポ(女なら乳首かクリトリス)だけやろ?
同じ場所に2両も保存してる車両なんてほかにない。邪魔。
日本は狭いし、関西は特に土地不足。
それを押して、2両どころか1両も保存する価値のない凡車保存など、もってのほか。
電車なんて0系と151系1両ずつだけ保存すれば、それ以外は無駄以外の何者でもない。0系も1両を除いてまったくの無駄。
クモハ52なんか格好だけのこけおどし車両を、こちらも2両も保存しているのは日本の低俗さを物語る、恥ずかしい行為だ。
今からでもさっさとぶっ潰せ!
いいか、80系なんぞ保存するぐらいなら、児童保育所なり介護施設なり、福祉に回せ!

343 :
そのぼろ電のお陰で今日の快適な電車が作られたと言う事が分かっていないようですなwwww

344 :
お言葉だけど80系なんか快適性は失敗で何の貢献もしてない。
台車はDT16・TR43&45は板バネでだめだし、DT17やDT20やTR48は70・71・72系と同じ台車だから、貢献したのはむしろ基本の通勤型たる72系でしかない。
クロスシートはさっきも言ったけど狭く、ロングシートも残った半端さで、客車より快適性は退化した。
全金だって、モハ71001(70800)は言うに及ばず、クモハ73900番台が80系より先んじてるし、蛍光灯なんかジュラ電から採用しているから…。
扇風機はクモハ73901にとっくに80系のサロなんかよりも先についたんだよ。
80系なんか最初から時代遅れの駄作だった。
色が派手だから目立ってただけのこと。
性能は63〜72系よりも少し飛ばしやすいと言うだけ。加速はいまいちトロイし、減速性能は旧型だから本質的には何も変わりはしない。

とにかく、無駄なエネルギーや金を福祉に回せ!
高齢化社会対策として、子供を育てやすい環境作りが急務であり、保存したところでヲタの自己満足以外の糞の役にも一切立ちはしない80系なんかに構ってる場合じゃない。
関西の慢性的な保育所不足をさて置いて、80系みたいな駄作車両の保存なんて、すること自体が犯罪だ!
よって、2両ともぶっ潰さなければならない。
いつぶっ潰すの?
今でしょ!

345 :
あえてマジレスするが、言いたいことはJRに言えば。
どうしても潰したいのなら水族館の横の空き地にいるからどうぞ。

346 :
80系みたいな駄作が過大評価されてはならない。
保存などもってのほか。

昔SLがやたらと保存されまくったが、ほとんどが朽ち果てて実質廃棄状態。つまり、保管には莫大なエネルギーを要するわけだが、そのエネルギーを80系みたいなダメな車に費やすこと自体、天をも恐れぬ犯罪だ。
特に電車には保存してはいけない車両が山ほどある。クハ86001とモハ80001、クモハ52001、クモハ52004、キハ81 1、クモハ100-902あたりもまったくいらない。新幹線も21-2の1両があれば、イギリスの22-141と合わせてお釣りが来るので、それ以外は根こそぎぶっ潰すべき。
エゴなヲタをおだてる以外に何の意味もない貴重な用地やエネルギーの無駄遣いは、1973年のオイルショックの時点でとうに終わりを告げたはず。

長距離電車の到来だとか、バカか?
すべての新性能電車が80系以上の長距離電車列車になりうる。なぜなら、仕業検査周期が少なくとも1000キロ以上あるから。対する80系はたった800キロどまり。急行「宮島」に使うのは無理。
同時代のEF58は、引張力こそ大幅に劣り、勾配耐性も悪いが、東京から下関スルー運転が可能で、現実に連日こなしていなのだから、80系なんか長距離のチの字にもならない。
旅客列車に使われたことがないが(試験はあり)EH10が引張力はカバーしているか!

ヲタは格好とかばかり騒いで、ろくに知識もないくせに、80系を当時の美辞麗句を鵜呑みにしてもてはやし過ぎだが、ちゃんと知識を持ち、冷静に判断すれば、本質的に80系はまったく無価値な電車というのが真実。

347 :
べつに好きなこと書いていいんだけど、コテハンつけてくれないかなぁ
クソな長文は見ずにあぼーんしたいからさ。

348 :
>>346

リーマンショックではなく、1973年のオイルショックを挙げるあたり
お歳が表れていますね。
あなたのように技術や性能だけで保存車を選んでいたら
味気ない人気のない博物館になってしまうのでは?

349 :
>>348
エネルギーの無駄遣いだから、リーマンショック以前に、オイルショックを引き合いに出すのは自然な流れなんだが…?

保存なんて、新幹線でさえ21-2だけで十分。
それがあればクハ181-1も含め在来線特急は全部ぶっ潰さないと狭い日本、土地が足りない。
あちこち無駄な保存で土地が少なくなるから、地価が上がるし、少子化対策に必要最低限な保育所すら特に関西では全然まともに作れてはいない。
ヲタのエゴのせいだ!
ふざけるな!

350 :
連日の暑さで頭やられたか?

351 :
>>350
無批判に無駄な保存を礼賛する方がよっぽど頭やられてる。
糞をいつまでも保存するのかっていう話だ!
お前ン家は汲み取り式で、その汲み取り屋も長年頼まずに糞をためこんでるのか?
それはそれでお前の勝手だが、公共性の高い鉄道で、それはまずい。だから、糞車両はさっさとぶっ潰さなければ、いちいち保存とかほざいていたら、使い物にならないのに邪魔なゴミ車両が無駄にスペースを陣取り、狭い国土の有効活用が出来なくなるんだよ!
これ以上の正論は、お前ら糞ヲタからは出せないんだから、つべこべ言うなバカ野郎!

352 :
>>351

あんた「狭い日本」とか「土地が足りない」とか言ってるけど
いつの時代の発想なんだw
人口も経済も右肩上がりだった70年代じゃないんだぜ
今や少子高齢化で地方都市は消滅なんて言われる時代だ。
土地なんて余りまくってるじゃないか。
ええかげんに目を覚ませ!

353 :
こいつ、かつてキハ80系のスレで、もう少し待てばDD51or電気機関車牽引でその方が早かった、
機関車牽引のほうが良かった、キハ80系は作るべきじゃなかっただの、
当時の背景などを無視して吠えまくっていたやつじゃないか?

ただ、電車の80系が、さほど革新的な技術を使用していない点は同意する。

354 :
>>335>>342>>344>>346>>349>>351は脱束かトラブルプランニングオフィスなみの自閉症または発達障害

355 :
鬱陶しいから全部透明あぼーん処理した。

356 :
>>353
こいつは前スレでも似たような事書いてたよ。
寂しい構ってちゃんだから適当に相手してあげて、あしらってやれば消えるよ。

357 :
>>352
都市部、特に関西圏などにおいて、保育所を作るには土地が慢性的に足らない。
邪魔な保存をやめ、その用地を保育所建設にあてるのは当然。

まず最初に一番価値がない80系2両からぶっ潰せという、常識的に当たり前で、真の社会的正義を方向づけたまで。
逆らうな!

358 :
>>357
80系をあんたに置き換えてみようか

359 :
>>357
救い様の無い馬鹿だな、JR西日本は保育園の経営なんてやってないし、仮にやるなら別の場所に土地を確保するだけ。
どうしてもと言うなら、丁度弁天町に空地が出来るのだから、そこに保育園を造れと声を上げて運動を始めれば良い。
まあどうせお前の様なカスはここで吠える事しか出来ないだろうが。

360 :
JR西日本の土地で、本来は国有化もしくは国鉄清算事業団に渡るべき土地は山ほどあった。今こそそのインチキを是正して80系2両分もの用地を「収用」するのだ。
社会的正義を果たすには、民営化時に国鉄赤字清算のために収用せずにJR各社に不正に継承された一等地を、変換させることも必要で、その第一歩に過ぎない。
本州三社には、インチキな社有地が山ほどある。
そんなインチキをこれ以上まかり通らないようにして、児童保育所すらままならない現状を打開しなければならない。
清算事業団に流すべき土地の多くをJRに流した件は、分割民営化時の国民への最大の欺瞞として知られているのだよ。
巨額の国鉄赤字をほとんど負担なしに、莫大な国鉄資産をただで横流し。JR化で黒字になりましたとか、空いた口がふさがらない茶番。そんな土地が都市部にはめちゃ多いんだよ。
中には駅前広場さえJR所有だったり…。そんなインチキも知らない、かわいそうな無知ヲタww

そんなに80系を拝みたいなら、ネットに腐るほど画像があり余ってるからそれで我慢しろ!
実際関西に来れない80系ヲタはそうしたりしているはず。実物あったって糞の価値もないわ!糞なら肥やし程度の役に立つんだよ。糞にも負けるww

361 :
80系2両分の用地ねえ、たかだか100平米ちょっとの土地に保育所造って何人入れるんだろうねえw

362 :
>>361
バカ!
80系は手始めのぶっ潰しで、キハ81も新幹線0系もことごとくぶっ潰せばかなり土地が浮く。
ほんと、1号機関車と、21-2以外のすべての保存車ぶっ潰せばスッキリする。
保育所何軒も立つし、少子高齢化対策になる。
SL大量保存も、ほとんどが錆びて朽ち果てたのに、何も学んでないバカ多すぎ。
まして80系みたいな、歴史的に不当に過大評価されているが、実際に技術的にはどうしようもない凡車に限って、破格に2両も保存だとか、頭おかしい。
調子にのって2枚窓も保存すべきだったとかほざくバカが出たが、冗談じゃない。
ここは80系スレだから80系以外は深入りをしないだけだが、当然ほかも徹底的にぶっ潰すのは当たり前の話

363 :
>>362
本当に救い様が無い正真正銘の馬鹿!

80系を始め京都の博物館に保存される車両達は、今後も未来永劫展示され続ける。
そして訪れた子供達に昔はこんな車両が走っていたと、日本の鉄道史を教える良い実物教材となる。

大体保育園を造る場所なら都市部であっても他にいくらでもある。
まあそんな事すらわからない馬鹿だからこそ、延々と誰からも支持されない戯言を書き連ねているんだろうな。

364 :
>>362
→日本の鉄道史を教える良い実物教材となる

そいつはどうかな?
80系2両を例に取ると、更新修繕前をベースに復元したつもりになっているんだろうが、それならたとえば
・天井板の継ぎ目と白熱灯との位置関係がデタラメ過ぎ
・皿型整風金具になったのは更新修繕後(青銅製の整風金具は実物がないが、写真をもとにプラスチック整形ぐらいすべきだったと思うし、それができないなら復元自体をやめるべき)
など、有名な写真資料さえ確認すれば済む考証すらされていない。
実物がこれでは、むしろ嘘が伝わり、このネット社会。写真画像だけの方がむしろよい!
本当、どうしようもない短絡的なバカ!
出鱈目復元は、未来を担う子供に「テキトー作業で嘘でごまかしてもOK」と言っているようなもので、教育上も大問題!
EF55などもその類例だが、だからすべてぶっ潰すんだよ!

あと、80系には、弛メ電磁弁を追加しただけのARE式ブレーキ以外は、技術的に何も見るべきものがないというのは事実。
当時、ほかではできなかった電車による15両編成を当たり前にしたが、性能的に見てEF58の客車列車を、加速度や上り勾配特性以外では特に凌駕していたとは言えない。

保育園も足りないが、保育園と保育所とは定義としてはまったく異なる。
いずれにせよ、公的に保育所増設増強は急務で、旧国鉄たるJRは、ただで資産を譲り受けた見返りに、80系はじめ下らない車両の保存などをやめ、用地を返還提供するのは、当然の話である。

C62 2すらももはやいらない。
電車なんか、新幹線21-2以外はもってのほか!
すべて根こそぎぶっ壊せ!
あるとイライラするが、なければスッキリして問題解決!
なくても誰一人困らないww
あれば保育所の定員増加の妨げにすらなり、大勢が困る。

365 :
>>364のアンカーを362から>>363に訂正な!

366 :
なんだこの乞食w

367 :
>>364
短絡的なバカはお前自身だ!いい加減気付け!お前の言ってる事は妄想以外の何物でもない。
保存車両を解体すれば少子化問題が解決する、だと?そんなんで解決するなら政治家も役人も困りゃしねーよ、馬鹿!
精々誰からも賛同されない戯言を永遠に書き連ねてろ。

368 :
>>367
短絡的なバカはお前自身だ!

「保存車両を解体すれば少子化問題が解決する」
とは、どこにも、一切書いていない。
確かに、保存を撤回してその用地を供する前提において、
「保育所何軒も立つし、少子高齢化対策になる」
とは述べたが…。

まるで趣旨が違う。ネジ曲げてるんじゃねーよ。
能書き言わずに、さっさと80系なんかぶち壊しちまえばいい。

369 :
>>368
やれやれ馬鹿はどこまでも馬鹿だな。
お前の戯言に賛同する人間が誰もいない時点でお前の負け、いい加減消えろ!
80系は今後は京都で展示され続けるんだよ、そして京都市もそれを歓迎している、わかったか?

370 :
>>369
馬鹿か?
ここは80系ヲタ、つまり保存マンセーの馬鹿共が集結する、80系保存断固反対派にとってみればいわば敵地。賛同者が多いはずもないのは先刻承知。
ただ、そういうお前らが社会的正義からいかにはずれたアウトローなのか、明示してやってるだけの話だ。
とにかく凡車にして何の価値もない80系は、この機会にぶっ潰すべき。
だいたいトップナンバーなんて基本的に京都に縁などないんだし、馬鹿丸出し。

371 :
>>370

あのねぇ、保存車は凡車かどうかは関係ないんやで。
鉄道を愛する人の嗜好に
ごちゃごちゃ煩いこと言わんといてくれるか。
お前関西人かどうか知らんけど
京都では誰もそんなこと言ってへんでw

372 :
>>370
何が社会的正義だ、ただ構って欲しいからお前はここに書き込んでるんだろうが。
本気で主張したいなら相応の場所で発言すれば良いだけ、でもそれじゃ軽くあしらわれて終了。
だからここで書き込んでみんなを反発させる事しか出来ない、哀れなジジイだな。

373 :
保存車は不要との賜るお子ちゃまは、
総車製のステンレス製棺桶で葬られるのを望んでいるのだろう。

374 :
>>1です。
荒らしには反応しないで、放置をお願いします。
まともな議論ならともかく、独善的結論ありきでは、議論自体が成り立ちません。

分割民営化に際するJRへの用地継承が不適切との批判があることは事実ですが、スレ違いです。
保存についても、現車が80系2両のみの状況で、ここでとやかく言っても、所有するJR西日本の決定のとおりになるだけの話です。

80系電車の技術的な位置づけですが、既存の安定した技術をベースにして、従来とは考え方をやや異にした、客車タイプの電車を開発。それが80系だったように思います。
長編成となり、なおかつ高速運転となるため、しっかりしたブレーキは必要で、その答えがARE式でした。
それ以外は、高出力で安定した性能のあった63系をベースに、台車に各種試験結果を踏まえた改良を施し、ギヤ比を高速化すれば、足回りとして取りあえず充分でした。
命題としては、EF58の客車列車より速いことが重要で、それは達成したのですから…。
年次改良もありましたが、それにも他車を凌駕するような新機軸が皆無に近かったのは、大幹線東海道における主力として、安定輸送力の確保が最重要視されていたからだと考えます。
新幹線のように、モデル線で試験を重ねて準備できる猶予があったわけではなく、輸送改善が急務だった状況だったことは無視できません。
そんな事情から、敢えて技術面での「冒険」を避けたのだと考えています。

繰り返します。
今後、同様の煽り、荒らしがあっても反応しないようお願いします。

375 :
基本、透明あぼーんで流しましょう。

376 :
ここで質問していいかな?
80系ECはMT比2:3ということなんで東海道の10両+5両は解るのですが
房総方面で6両で運転された際は加えた車両はモハ(3M3T)ですか?サハ(2M4T)ですか?
山線を考える必要がなさそうなんでサハでもいけそうな気がしたもので。

377 :
渋谷フーターズの子ってやっぱり外人が好きだったんですね。
何かそんな気がしていた…。
一番かわいいスタイルいいと評判の子が黒人とヤってる映像です。
鮮明だけどリベンジポルノってやつかなこれ??
http://charmgirls.xyz/sexylips.html

378 :
>>376
ggrks

379 :
クハ76とクハ86の金太郎塗り分けのカーブ、違うように見える。
全金属300番台ではクハ86で最初に登場したグループを除けば、クハ76も同じだったのか?

模型でマスキングしようとして悩んで製作止まった。

380 :
>>379
個体差(塗った工場の差?)があるよ
とくにおでこ

381 :
>>379
クハ76・86ともに、同一発注のもの同士でも、製造所により細部に差異があり、塗りわけ線が微妙に違ったりしていた。
だから、正確に模型化したいならモデルとする車両をきちんと決めてやるしかないと思う。

あと、70系と80系とでは車体の造作がもともと違い、屋根高さは80系が微妙に低い。
足回りは同じでも、似て非なる電車と考えた方がよい。

382 :
EF58だと割とメーカー差があったそうな(最近知った・・・orz)。
クハ86もそれとなく印象が違う車両があるが、どうなんだろ。

383 :
>>380
>>381
レス感謝
やはり個体差がありますか。全検重ねていくうちに変わってしまうことも有り得そうだし。
どこかで妥協しないとダメかな。

384 :
あのさ、もっとよく>>1を見て、そこからのリンク>>2>>3も含めて、しっかり調べろよ。

>>3の古書は手に入りにくかったりするが、>>2の各種HPはかなり参考になる。質問はむやみにするんじゃなくて、しっかり調べて、どうしてもわからない時だけにすべき。現物が存在しないのに、個人個人の疑問にいちいち付き合っていたら、きりがない。
まあ、>>2にリンクのない個人のブログなんかは、いい加減なこと抜かすものが多いから、あてにはしない方がいいけどな。

もっと独力で
し・ら・べ・ろ・!

385 :
>>384
>個人個人の疑問にいちいち付き合っていたら、きりがない
別にスルーすればいいじゃん

386 :
この質問は話題性として面白いので
結果的には良い質問だと思うがなあ
ベテランにとってはさんざんループした話題ではあるだろうけど

あと金太郎のカーブは、つながっていく側面の塗り分け高さで
印象変わってくるわけだが、80系と70系とで違うのは大前提としても
80系の300番台でも、80系初期に合わせたもの、
初期とは段の違うオレンジ広めのものとあるね

387 :
大好きだった80系。
昭和52年3月28日に東海道本線から突然姿を消してしまったときはとてもショックでしたが、
あれ以来80系が東海道本線に復活することをずっと願い続けていて、
今でも、東京駅や新橋駅でいつものように東海道本線を待っていると突然80系電車がやって来て
それに乗って横浜駅まで帰る、という夢をよく見ています。
SLが今でも全国各地で営業運転しているのだから、
80系も今から新しいものを再生産してでも、復活運転して欲しいものです。
それを強く願っています。

388 :
>>387
トップナンバーのクハモハはあるから、あとはクハ86023とモハの300番代を作れば、4連を組める。
台車は大井川で放置状態の電機からDT20を譲って貰えばよし

389 :
>>388
イイネ!

390 :
>>388
その放置されているカマの方が価値は上じゃね?

391 :
誰かが変な独善的妄想を書くから金魚の糞が無駄レスして困る

392 :
半鋼車はいつ頃まで存命したっけね

393 :
>>392
80年3月の中央西線撤退まで

394 :
未だに日車豊川にクハ86全金車が隠してあるんじゃないか?とか都市伝説みたいなのがアルナ。

395 :
>>394

頸城鉄道の車両が六甲山中に隠されている
という都市伝説は本当だった!
クハ86も出てくるといいねw

396 :
くだらん妄想ばかり邪魔だからいい加減やめてくれないか?
新たな情報が何もないのに駄文ばかり増えて、過去レスのいいやつが見つけづらくなるから。

397 :
>392>393
80系最後の廃車は、実はモハ80001である件(クハ86001は早々に車籍が抜かれたが)

398 :
>>394
それが真実だと嬉しい。
クハ86001が残っているのは嬉しいが、
2枚窓の湘南顔が1両も残らなかったのは、車両史の中でも大きな痛手。

399 :
>>398
>2枚窓の湘南顔が1両も残らなかったのは、車両史の中でも大きな痛手
そうかなあ?
短期間大ブームになったけどそれで終わった感じなんだよね
結局長く続いたのは153系顔であれって元は80初期車なんじゃないのって感じするし

400 :
80系以外でも言えることだが、初期と後期は外見こそかなり異なる場合でも、本質的にはごくわずかの改良やアコモ変更などだけで、ほとんど変わらない。
2枚窓だろうが、技術面では特に大きな差異はないし、全金までながめても台車や制御器などの段階的改良以外、足回りは本質的に同じで、性能もほぼ変わらない。
全金は、若干の仕様の差はあれどナハ10あるいはナハ11系列を踏襲した車体を80系に当てはめただけだ。

「保存、保存..」とあまり意味なくむやみにわめきたてると、またアンチ馬鹿がわく元にもなりかねない。

274さんの言う通り。
「現車が80系2両のみの状況で、ここでとやかく言っても、所有するJR西日本の決定のとおりになるだけの話です。」
これが80系保存の明快な真理。それ以外の真理はない!

無理な妄想までしつこくループするのは、さすがのファンでもいい加減うざいからやめてくれ!
ちなみに、俺は80系の熱烈なファンである。本線現役時代はかすかに記憶にあり、もっと乗りたかった。
まともな写真は飯田線でしか撮っていない。

それでも、これだけしつこいと辟易とする。
他の車両のスレでも言えることなんだが、かえってアンチが繰り返しわくもとになってしまうのも、わかる気がする。

401 :
て言うか、主(モハ80373氏)や初心者もどき氏などは別に、最近は保存厨と一匹か二匹のアンチしかいない感じ。
70系も80系も現役時代はあまりに遠くなり、まともに語れるのはコテハンのみか?

402 :
新規さんお断りなレスは多いけどな

403 :
>>400

別にええんとちゃう。
しつこいとは思わへんよ。
スレを上げてくれてる訳やしね。

404 :
スレが上がると荒らされやすくなるものだから、sage推奨が普通だし、このスレもそのようなんだが?
まあ、保存厨もアンチも何一つ中身のない話題をしつこすぎるとは俺も思う。
冷静さを欠くから、付け入られているし、そのことに当人たちはまるで気づいてない。
荒らすのはアンチだが、荒れの原因は、ヲタが作っているとしか思えない。

405 :
既出かもしれないが敢えて。

昨日ピクの70系特集号の表紙をなんとなく見ていたが、運転士側と助士側のワイパーの位置がなんか違う気がしたんで調べたら・・・

中心(鼻筋)から
運転士側 730mm
助士側 800mm

と70mmの違いがあった。

今までワイパーは全く気にしてなかった。

406 :
ほんと、保存厨バカ共がこれでもかこれでもかとしつこくわき続けるのは何とかして欲しい。
大好きな80系…くだらんてめえ勝手な妄想で、これ以上こねくり回すな!
真実こそすべて

407 :
つか蒸気機関車保存に偏重しすぎたんだよ。
鉄道産業の歴史・遺産と考えるなら、各時代の電車や気動車だって残す意義があったはず。
ローカル私鉄ならまだしも、大量生産されたモノが全滅とか…つくづく惜しまれる。

国鉄の財務状況や会計検査院とか、役所の事情があったのは解ってるけどね…。

408 :
だ・か・ら…
保存のことを語るなバカ!
>407

409 :
保存・保存とバカ騒ぎする奴のせいで、まともな話題が出てこなくなって過疎る。
保存厨はいい加減、真のファンからも邪魔な鼻つまみ者だということを自覚するべき!
言うことに発展性や目ぼしい情報なんかほとんどないから、邪魔なことこの上ないし、逆にアンチが沸く温床にもなる。

とある日の飯田線列車編成
86329
80379
80304
86334

410 :
保存ではなく新たに造ればいい。

411 :
>>410
という発想で造られたのが185系だったりするわけで。
その淘汰が始まった今、80系のコンセプトは途絶え消滅することになる。

412 :
70系って全金以外床は木造ですか?
80系だと最初の三枚窓グループだけですよね?
あと国鉄ではキハ56や北海道キハ40みたいな急行形や改良近郊形でさえ寒地では木造床でしたが、防寒になるんでしょうかね?
新潟電化で70系を選んだのは横須賀線の113系投入と時期が合ったせいもあるでしょうが木造床だったからですか?

413 :
>>412
北海道型の木製床板は、濡れても滑らないようにするためと聞いたな。

414 :
>保温性と雪靴の滑り止め金具に対する耐久性が高められた
とWikipediaには書いてあるね
ちなみにキハ40の床は木じゃない

415 :
>>412
いゃいゃ80系も木床でしたょ
クハ86基準で考えない方が良いですよ

加えて番号が若くても更新車というのが存在しましたよ。

これは73系等にも言えますが…

416 :
>>415
80系(旅客車)の木製床車は、2次形試作の東急製までの83両だけで、あとはすべて製造時からリノリウム貼りです。
これは、製造された1950年当時の車内写真などでも、明確に確認できます。
車号で言えば、木製床で新製されたのは、モハ80001〜80036、サロ85001〜85006、クハ86001〜86022、サハ87001〜87019。
うち、85001〜85004はサハ化、85005はさらにクハ化されたほか、85006は最終的に3扉化され、クハ77000になっています。
この中で、1970年代にアコモ改造を受けた車(クハ11両、モハ2両、サハ1両)に関しては、改良リノリウムのロンテックスに張り替えられました。
さらに、クハ77000も床はロンテックス化されたようです。

70系と80系とでは、準急以上の優等列車(有料)に使うか使わないかが歴然とした差になっており、そのあたりが反映されたのではないでしょうか?

417 :
>>416補足
80系一次形の中で、昭和25/1950年2月営業運転開始前に火事で燃えたモハ80027(ほぼ全焼)とクハ86017(半焼)に関しては、翌年に大井工場で復旧した際、その当時の新車の仕様を採り入れ、リノリウム貼りでした。

418 :
一応補足。
ロンテックスは、リノリウムの改良というよりは、ウレタン系の素材。
障子紙によく使われる。
鉄道では絶縁特性を生かして屋根の樹脂としてもよく利用されるようだ。
80系のアコモ改造該当車らしきものに乗ったかすかな記憶では、滑らかツルツル感が新車みたいだったように思う。

419 :
80系は半鋼製でも確かに木の床というのはほとんどなかったように思うが、一次形だけだったのならなるほど納得。
80系は、乗った車番を控えた時が多いが、一次形には全然当たっていない。
いっぽう、70系の半鋼はことごとく木の床だった。

420 :
poskojyo
2011/6/12 12:31:18
湘南電車80系の最後の東京口運用(昭和五十年頃と記憶しております)

東京11:33発 327M 沼津行の貫通12連の編成を調べているのですが
どうしても編成図が見つかりません。

Tc M Mcなどと記号で書いていただけるとありがたいです。
ご存知の方ご教示お願いいたします。

回答がこちら

ojamess
2011/6/12 17:21:35
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/ojamess

327M、懐かしいなあ
TcMTMTMTTMTMTc
↑です。

東京口最後の旧型国電であるのと同時に最後のG車なしの列車でしたね。
ちなみに創価学会の団体用の予定臨みたいなもので、学会員の輸送がある日は専用列車になり、一般人は乗れなかったと記憶しています。
予約が入っていない日だけ、普通の列車として走っていました。

これがベストアンサーだってさ

421 :
78/7/27
岡多線
クハ76032
モハ70093
モハ70334
クハ76013

422 :
なるほど、道理で長岡の新潟色70系編成に組み込む80系サハは、一次形ばかりだったわけだ。
末期まで181系を大量温存したように、新潟地区が車両的に冷遇気味なのを反映したものと考えていたけれど、むしろわざわざ木の床の車両で揃えたかったというわけだな。
長岡の白眉、クハ76304(車号違ったかな)は例外だったわけだ

423 :
>>422
末期まで181系を大量温存って別に冷遇してた訳じゃなく
新幹線開通が遅れたのでそこまで引っ張る必要が生じただけだ

424 :
http://rightsnetwork.net/become/?kid=1c8c7cb1c5db-1444882692

425 :
>>423
53-10以降181系「とき」はたかだか3仕業だけだったから、あと3〜4本183系を増備すれば済んだはず。
あるいはその分だけ485系にして、上越新幹線が出来たら581〜3系や481〜5系初期車を置き換えるための準備とするなど、いくらでも見通しはあったはず。
本当は、早々と165系をローカル転用するため、183系をもっと作るべきだった。転用先が不安なら485系にすれば、電化区間ほぼどこでも使えたわけだし…。
木の床がいいと言っても、70系初期車やクハ68ではすきま風がひどかったろう。

近頃は424みたいなバカ業者もわざわざsageるんだな
こんな過疎スレで、畑違いの宣伝して、会社のイメージダウンするだけなのに…ww
それを狙った競合会社の仕業かな?
どっちにしてもご苦労なこった

426 :
>>425
国鉄にそんな余裕なかったのさ

427 :
当初の予定では1978年10月にときをオール183系化して、捻出した181系を紀勢線のくろしおに使うつもりだったらしい。
だが、天王寺局のごり押しでくろしおに新車の381系を入れたために、結局ときで使い続けるハメになった。

428 :
天鉄局。
70系が阪和線に入ったが80系は入らなかった。
紀勢本線が少なくとも5年ぐらい早く新宮電化されていれば、181系や80系の宝庫になっていただろうと思う。
381系投入は、新宮電化が遅れた代償か?

九州も、もしも鹿児島本線が直流電化のままの電化延伸だったなら、平坦線だから151系がそのまま足を踏み入れた気がする(セノハチ越えは157・161・新製181・481〜485・581〜583系で…)

429 :
>>428

天鉄局スレでも語ってほしいw
個人的には181系や80系の宝庫になった
紀勢線見たかったな。

430 :
>>425
481〜485については、付随車初期車や483MM'4ユニットを延命しなければならなかったほどの財政状況だった
また、82-11のはつかり短縮・金星明星廃止の頃までは、583は極力特急運用でつなぐ予定だった(だから同改正ではくつるを2往復にした)
それに、78〜81年頃は、旧国全廃のための115・103・105・119新製が至上命題だった

431 :
関西の各方面の電化状況を思えば、
新宮電化ってこれでも十分早い方だったんじゃないかなあ?
観光需要はあるとはいえ、和歌山から先は大都市すくないし
阪和線が最初から国鉄だったら、70年代にやっと和歌山まで
電化、とかだったかもしれない

432 :
>>418
ご指摘ありがとうございます。
その道の専門家でない者が手抜きすると、不適切な説明になってしまうものですね(汗)
以後、注意します。

>>419
70系半鋼車にも、末期の昭和31/1956〜昭和32/1957年製のものに一部鋼板の上にリノリウム(樹脂)を貼って新製されたものが飛び番で存在します。
wikipediaでも確認可。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8470%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A

>>421
モハ70のラストナンバーは70319なので、70334というのは、当時神領電車区配置という点から考えて、恐らく70304か何かの誤りと思われます。

433 :
オランダに行った時、ヤッターワンみたいな顔した犬鼻電車に偶然乗ったら、
モーター音が80系に似ていてめちゃ萌えた。

434 :
1978年
静岡駅
クハ86082
モハ80114
サハ87038
モハ80349
サハ87029
モハ80115
クハ86347

435 :
>>434
300番台以外はほとんど1977年に廃車されたものばかり。
よって1978年ではありえない。

436 :
悪い 76年に訂正させて 番号は合ってる筈

437 :
>>415
意気揚々と知ったかぶりして、結局お前が一番恥かいたなww
いい笑い者だよ

>>433
お前しつこすぎ。何が80系にそっくりだと?
80系に限らず他のツリカケも該当するし、その中でギヤ比低い80系とギヤ比高いドッグノーズとがそっくりとかほざくなんてバカか?バカだろうけどな!
二度と70・80系スレに来るなよ、うざいから!

438 :
>>437

通りすがりだけど
あんたも異常だよ。
うざい!

439 :
>>439
通りすがりが事情も知らずに首突っ込むのもうざい。
ドッグノーズ馬鹿は、前スレでも同じこと数回書き込んで叩かれてる。

どうやら、以前誰かがブログに
「80系そっくりの音」
といい加減な事を書いたため、それが広まったものらしい。
それで80系関連にだけ
「ドッグノーズ電車が80系に似た音だから乗りたい」
などとほざくアホが増えたことは間違いないと思う。
80系関係の住人にとって、繰り返ししつこすぎていい迷惑と感じる奴もかなりいるはず。

とにかく、通りすがりは黙っててくれ!

440 :
東海道線の80系で、デッキに小型の左右首振り式扇風機を取り付けたものがあったそうですが、番号わかりませんか?
飯田線に転入した300番台にはそのような車両はなかったと記憶していますので、取り外されたのか、もしくは半鋼製だけだったのかも知れません。

441 :
>>440
これのことでしょうか?
http://stat.ameba.jp/user_images/20130325/19/tohchanne/2f/dc/j/o0640043212472913194.jpg
写真は静岡運転所のクハ86108の運転台側デッキになります。
左右首振りかどうかは定かではなく、よく運転台用に使われていた固定式を流用したもののようにも見えます。
このようなデッキの扇風機は、ラッシュ時などにデッキが満杯となった場合の暑さ対策でしょうが、東海道本線の80系には筆者も大垣電車区の半鋼製モハ以外に乗った経験がほとんどなく、たいてい座れたのでデッキにとどまらず客室内に入ってしまったため、記憶にありません。
例示のクハ86108だけは写真で確認できますが、たぶん静岡運転所独自のデッキの蒸し暑さ対策のような気がします。
はっきりしない回答で申し訳ありません。詳細ご存じの方がいればお願いします。

442 :
クハ86 112内装は木目 これはデッキに扇風機ある。

443 :
たしか80系が登場後、雨の日や梅雨時期はデッキ部が蒸し風呂状態だと乗客から苦情が相次ぎ、
応急的にデッキ部へ扇風機を設置したはず。
とくに先頭車の乗務員室後ろのデッキがサウナ室で、扇風機だけでは足りず、
屋根に通風器を二個配置したりしたはず。

二枚窓のクハで、先頭の通風器が二個配置は首振り扇風機が付いてたはず。

444 :
なるほど、先頭デッキのベンチレータ追設は
模型を考える時とかに外見上のポイントとして見てはいたんですが、
実際それだけの必要があってそうなってるんですね

445 :
>>443
蒸し風呂状態で不評だったのは確かだとしても、いい加減なことを書いてもらっては困る。
まず、クハ86の前部ベンチレータ2列は、86057〜86080・86082・86084のみで、そのあとのクハ86100以降は一個に戻された。その頃にはまだ扇風機は、まったく採用になっていない。
80系では全金車に扇風機が採用にはなったものの、この時点でデッキに扇風機の採用はまだない。
ちなみに、その全金車とて、1957年秋の落成時点では、扇風機を使わない季節に入るため、当初は取り付けられずに台座のみで登場したものもあった。
153系でさえ、秋以降春までの落成車は、当座は扇風機取り付けを見合わせ、翌夏までに整備するものがあった。
確かにクハの運転台デッキの上に扇風機をつけたものは散見したが、あくまでも後付け。いつ付けられたかはわからない。

446 :
東海道本線の80系は東京口でしか乗ったことがない。
今思えばその当時は東海道全線にあった訳だから、
東京や横浜からずっと西へ名古屋や大阪などへ80系に乗って行きたかったと
後悔している。

447 :
>>446

東京から大阪まで80系乗り継いで来れたのは
昭和40年代前半までじゃないかな。
京都〜大阪は早くに消滅してました。

448 :
昭和50年頃に京阪神でよく見てた旧国電は茶色の72系だったかも。

449 :
80系は、米原〜大阪間(快速)は43-10で113系化で消滅したが、臨時快速「近江路」(ごく一部の休日に運行)などで米原〜京都間にも1977年まで走る日はあった。
大阪からは、確か47-3改正の少し前まで、元は客車列車だった広島行き80系が1往復だけあったかと…。確か列車自体が岡山あたりで分断されてなくなった。

>>448みたいな情報ゼロのスレ違い言い訳無駄レスは最も必要ないもの。書くだけ見苦しい。

450 :
>>449

正確には糸崎行きね。
ダイヤ改正で大阪発が西明石発に短縮されました。

451 :
>>449

447です。ご指摘の通りで
あえて京都〜大阪と書いたのは
快速「近江路」と大阪発の80系があったからです。
東海道線の80系空白区間は厳密には
そこだけなんですよね。

452 :
80系の大阪〜西明石撤退は47-3ダイヤ改正だが、米原〜大阪撤退はすでに43-10で撤退。
ただし、一部の休日に臨時快速「近江路」(名古屋〜京都)の運転があっただけ。
また、西明石〜姫路間は47-3以降は、対岡山の一往復のみ。
これに限らず、関西の80系に関してはいい加減な情報が多すぎて困る。

453 :
>>452

どのあたりがいい加減な情報なの?

454 :
バカのいい加減情報見て優越感に浸ってればええやん

455 :
何様のつもりだ?
このスレの嫌味ったらしい雰囲気は?

一人の気違いジジィが自作自演してるだけだろ?
扇風機のネタとか

晒しage

456 :
このスレの主みたいな人(406、408、409、437、439、452あたり)って
歳はいくつなんだろうね
私は50代半ばで80系現役時代をぎりぎり知ってる世代だけど、
この人はおそらく60代〜70代くらいだろうか。
偏屈で狭量なジジイって感じか?
家族や地域社会で嫌われていないだろうかw

457 :
40〜50はハナタレ小僧ってか?
この際年齢なんかどうでもいい
病んでるょ

458 :
そうやって反応するからかえって相手の思うツボ
ネットの基本・・・は2ちゃんでは通用しないかww失敬

459 :
私は39歳ですがリアルタイムで知らないからこそ
旧国とかにはロマンを感じる部分もあるね
知識的には、今も普及してる資料頼り…という縛りはあるけど

460 :
このスレの主みたいな人(406、408、409、437、439、452あたり)も、それを指摘した>>455>>456>>457も、老害を撒き散らしている点で何ら変わりない。
仲良くRww

461 :
と、ゆとりが顔真っ赤にして必死の抵抗w

462 :
>>460
お前が下らないネタ振ってたのか?
R

463 :
>>461
「ゆとり」って、該当世代じゃなくて、それより上のまさにいま老害まきちらしている世代が押し進めた責任があるんだって知らなかった?アホww

>>462
は?何言ってんの?
あ、頭逝ってんだなww

464 :
80系スレに居座る能無し餓鬼って現役時代知らないから悔しいんだろ?

465 :
俺は勘違いしていたかもしれんが、
傲慢なスレ主みたいな人は
60〜70代のジジイじゃなくて
80系70系の現役時代を知らない餓鬼だったのか?

466 :
>>464
>>465
老害乙。早く棺桶に収まれ。
それとも70・80系はじめ多くの鉄道車両みたく、バラバラに解体。可燃部の大半を重油で焼却がいい?
(実際70・80系の頃の解体はそれが基本)
ちなみに俺は山スカには乗ったことあるよ。モハ71001とか識別した記憶ないけどね?
ほとんどがセミクロスで板張りで、同じく板張りのモハ72やクハ79が混じったのだけは鮮明に覚えてる。立川18時37分の快速甲府行きが山スカだったはずだが、まだガキのうちに115系になってしまった。先行のあずさ8号が181系だった時代。
俺がゆとり世代とか、笑止ww
あと、主みたいとアンカーで指摘された人物は、悪いけど俺じゃないから…。
そいつも、お前ら老害ジジイも単なる荒らしだと気づけ、どアホ!

467 :
もう頭の腐った糞袋に何言っても無駄だな
まともな会話は成立しない

責任は母親にある。
おい!汚ねぇま○こから変なモノ出してんじゃねぇぞ
クソババァ

468 :
ハハハ…場外乱闘が起きると
肝心のスレ主ジジイは沈黙してるな。
ジジイは攻める時は強気でも
守りには弱いからな。
引っ込んでないで出てきなさいw

469 :
まぁ荒らして悪かったょ

お詫びに皆さんに耳寄りな情報だ

クハ86全金車が実は解体されてないらしい…
80系終焉の地は何処だ?
そう… 飯田線だな

その飯田線、豊川駅から引き込み線が出てるらしい
その先にある工場は? 判るよな一般人は当然立ち入り禁止だがその中に…

470 :
>>469
あるわけねーだろ!
勝手に一人で妄想してなww
下らねぇ老害ジジイどもめ。

ちなみに言えば、車両は鉄道会社にとっては資産であり、廃車に関しては運輸省(現在は国交省)に処遇も含めて嘘偽りなく届け出なければならない(鉄道雑誌の廃車等の記録はそれをもとにしている)
届けに虚偽があってはいけないし、保管するなら車籍あるなしに関わらず、税金もかかる。
田舎の超マイナーなボロ事業車とかならいざ知らず、残念ながら、そこに素人の下らない妄想の入り込む余地はないよ。
80系なんて30年も前に全車「解体」(トップ2両以外)で届けられている。

ちなみに、1985年頃に車籍復活前のEF55は、廃車時は「保管」名目になっていた。

471 :
>>463
だからといってゆとり世代がお前さんのように低レベルであることに変わりはないw

472 :
>>470
ネットの知識で必死でレスしてるんですね〜えらいですね〜

473 :
今度はネタにマジレスか?

単細胞動物並みだなww

上で年齢なんかどうでもいいって書いてあるのも読めねぇか?
加えてテメェなんかどうでもいいんだょ
消えろ今すぐ

80系存在ネタに過剰反応する大御所バカを引っ張り出したかったんだが
雑魚が釣れた

474 :
おまえらっていっつも諍い起こしてるのな
いい歳だろうに、見苦しい

475 :
また基地外がスレ荒らして破壊したのか
本人に自覚がないから悪質だわ
素直に仲間にいれてって言えばよかったのに

476 :
>>473>>469
ネタだなんて、わかり切って否定している。それが証拠にお前の空想であると断じてる。
そんなのも読み取れないバカか?ゆとり未満(以下にあらず)だなww

477 :

sssp://o.8ch.net/3bgf.png

478 :
まだ粘着してやがったか?
余程悔しかったんだなww

80系なんて乗った事ねぇんだろ?
キハじゃねぇぞ
クモハ42か大川線のクモハ12が限界だなww

479 :
ああ言えばこう言う

言い訳と屁理屈“だけ”の単細胞動物の相手は本当に疲れたから

重鎮の皆さんそろそろ出て来て下さいょ
こそこそ泥棒猫みたいに隠れてないで

480 :
もう良い年なんだから
穏やかにしたら


中央線833M
中津川〜
モハ80244の音を聞きながら
書き込んでる

481 :
>>479(ほかの関連レスの連中も含めて…)
荒らしは放置の原則から、しばらくROMっていたが、外野から見れば、お前自身こそああ言えばこう言っているぞ。
他人を指差す時、少なくとも3本の指は自分自身に向いていることに、若造ではない年配なら先に気付け!

>>480
確かモハ80244のパンタはPS13のままで、中央西線十二兼(南木曽)以北には入線できない。
静岡運転所にて早く(S52-8-19)に廃車になっている。
恐らく80224・80234・80242・80243あたり(いずれも最終配置は神領電車区)の間違いかと…。
これらのうち、80234には中央東線(甲府発松本行)で乗っているが、その直後の昭和53年初夏の置き換えで廃車。

いずれにせよ、できればYouTubeにうpしてくれると有り難い。
80系の音のネット公開は、飯田線以外には少ないから…。
中津川から藪原あたりまで、勾配やR300カーブ(制限60)でノッチオンオフが頻繁だった印象があり、東海道みたいに90キロ超を連発するような激走ではないものの、吊り掛け音がたっぷり堪能できそう。

482 :
>>481
>中津川から藪原あたりまで、勾配やR300カーブ(制限60)で
>ノッチオンオフが頻繁だった印象があり

田立→南木曾は80系屈指の豪快な走行区間だよ
上りの片勾配+複線トンネル
80系にノッチ戻しなど当然無い訳だから

複線トンネルは高速走行でMT40サウンドが響き渡り
ノッチオンオフの繰り返し3-4回のノコギリ運転

483 :
確か桜島・高千穂のスジを継承した8103レと相前後して熱海発浜松行き7連があった。
旦那越えはかなり減っていた

484 :
失敬 旦那→丹那

485 :
傲慢ジジイが消えて
ようやくこのスレも正常化したなw

486 :
>>485
いやお前が残ってるだろ←傲慢ジジイ(おそらく=465&468)

>>483
昭和52年3月までの丹那越えの80系は、東京までは1往復のみだったな。
ただ、熱海発着〜静岡・浜松着発モノクラスのローカル(三島・沼津発着が多いため、熱海発着は率として多くはないが)はほぼ「すべて」80系だったと記憶している。
沼津〜静岡・浜松間ローカルには、「富士川」「東海」間合い仕業の165系や153系があったほか、111系(一部わずかに113系)も使われていたが、主役はあくまでも80系。
昭和50年頃には確か用宗と天竜川しか通過せず、約3分しか速くないヘナチョコ快速があって、それは111系だった。
ひっきりなしにやって来る貨物列車も、EH10が幅をきかせていた頃の話。静岡地区には、EF18もいた。
昭和52年初頭に静岡に113系冷房新製車が投入され、111系を4M2Tに組み直して、順次80系3M4Tを置き換えていった。
これにより、80系の運転区間は昭和52年3月に、三島以西だけになった(東京発着も)。
ほぼ同時に、大垣にも113系が転入している(それまで大垣には113系の配置はなかった)。
大垣の80系3M3Tもおもに静岡の3M4Tとの併結で、三島まで乗り入れていたが、昭和52年夏頃までに順次113系と置き換わり、同年9月に浜松以東の80系はすべて定期運用を離脱した。

487 :
>>486
静岡地区の80系末期の熱海や沼津より西の普通にはごく一部に111・113系付属編成の4連があったはず。静岡もしくは大船電車区配置だったと思う。

488 :
268で照会されている音源(SDにMP3で記録したもの)をきいたが、旧形国電独特のブレーキの鋳鉄制輪子のゴォーという音がきこえない。
もしかして、レジン制輪子に交換したのだろうか?でも、私鉄には事例あるけど、旧形国電ではなぜかレジンに交換した話はきいたことない。
減りやすく重くて手間がかかって現場では嫌われ、制動距離も伸びる鋳鉄制輪子。山陽の80系にはレジン化があったということか?

ちなみに、飯田線では鋳鉄ばかりだった記憶が鮮明にある。

489 :
↑間違えたorz↑
正しくは269ね?

490 :
>>488
レジン制輪止編成は京浜東北線の釣りかけ末期まで走っていた。
920番台全金主体で1両だけ72850番台の編成。
残念ながら70・80系はお目にかかったことはない。
 
やはり制動時の騒音が酷かった小田急2400にも試用されていたな。

スレチ失礼

491 :
>>490
いや、72系に例があるが、70・80系では未確認というだけだから、スレチとは言えないでしょう。参考にはなったのでありがとう。
私鉄の例では、京王5100系は少なくとも空気バネ台車振り替え後はレジンになっていたな。

本線系の70・80系はスピードも出すから、レジン制輪子に変えられるなら変えた方がよさげ。鋳鉄だと交換周期も短く、経費かかりそうなのに、レジンに変えないものが多かったのには、なんか理由でもあるのか…なんて気になったもので…
中央線や飯田線も勾配線区だし、レジンに変えられるなら変えればよかったのにと今さらながら思うが、鋳鉄以外の80系には出会った記憶はない。

492 :
レジン制輪子は鋳鉄制輪子に比べ、制動力と耐磨耗性にすぐれるが、寒冷に晒されると破損しやすいうえ、踏面を削って滑りやすくする性質があるので、必ずしも万能ではない。
大手私鉄などからわざわざレジン制輪子を鋳鉄制輪子に変更して導入する地方私鉄が多いのもこのためである。

493 :
>>491
> レジンに変えられるなら変えればよかったのにと今さらながら思うが、
玄人は何も思わなかったんでしょ、素人が今更何を思うとも。

494 :
てか、整理すると、本来は>>268の音源のモハ80055が鋳鉄の発するはずの音が聞こえないから、レジン制輪子みたいだが、それならほかにもレジン化した80系があったんじゃないかということでしょ?
参考情報として京浜東北72系末期(1970年前後かな?)にレジン化があったみたいというところまでは、出てきたわけだ。

>>1〜3にある80系の資料も一部だけだが持っているが、その範囲では、まるでわからない。これは難問か?
新年早々の宿題かな?

495 :
レジン化なんて外から見てもわからないわけだが、実車がとっくにないからね
写真で見てもわからないことは難しいだろうね?
なんか明記した資料でもない限り、ずーっと宿題になりそうだよな。

それより、80系はベンチレーターが数種あって、デッキのベンチレーターはなかったり2つのものもあったりとか、複雑。
70系はグロベンが基本(サロ除く)だから、あまり語ることもなさげだが、80系は交換やら増設やらもあるみたい。
>>445に「クハ86の前部ベンチレータ2列は、86057〜86080・86082・86084のみ」とあるけれど、その後にスレが荒れて話題に乗れなかった(汗)

とにかく、最近やたらと荒れやすくなったみたいだが、知りたい疑問はいくらでもあるので、くだらない言い争いとか、つまらない自分勝手な妄想とかやめて、冷静になって欲しい。

そうすれば、>>479の言う重鎮の方々(最近顔出しが減ったみたいですが、お元気ならよろしく)がやがて出て来ますよw

496 :
デッキのベンチレーターは、最初はモハやサロにはなかったが、確か更新修繕した時に、つけられたはず。
クハには最初からデッキにも1個もしくは2個ついていた。
更新対象にならなかったものは最初からついていた(昭和26年以降のクハの2個ベンチレーター車以降)。
トイレにガーランド形(ガラベン)がついていたりとか、個体差も含めれば、複雑なんだろうと思う。

497 :
静岡駅地平ホームの時代。
貨物を扱っていた跡の側線に回送の80系が止まっていた。7+4だったような気がする。
下り側(名古屋側)が流線型でなく、サロかサハから改造のクハだった。
この編成にのったことはなかったけど、静岡駅の側線から静岡運転所へ引き上げて行くのを見たことがある。

498 :
ちょっと不謹慎かも知れんが、昭和30年代のこのニュース動画に、
横須賀線の70系の走るリアルな姿を見ることができる。
だいたい5分45秒から53秒のあたり。
https://www.youtube.com/watch?v=gg5G3_4SX4A

499 :
この動画をよく見て気が付いたが、
11両編成だったとして、グリーン車が4号車と8号車に1両ずつ繫がれているようだ。
昔は2両がばらばらだったとしいことか。

500 :
>>497
大垣電車区の80系4連は浜松以西のみで、浜松以東は臨時を除いて6連のみ。
静岡運転所にも、波動用を除いて7連もしくは12連しかない。開設時の36-10から数年間は10連(4M6T)があったが…。
以上を総合すれば、7連×2か7連+6連であった可能性が高い。
80系末期であれば、恐らくサハ87改造のクハ85100番台か?

>>499
グリーン車制定は昭和44年からだ。
それまでは一等車。
昭和35年までは二等車。
あと、昭和38年に113系が横須賀線に入った頃は、70系は3M3Tのクハ76−モハ70−モハ70−サロ75(一部サロ85)−モハ70−クハ76が基本。
モハは、70系以外の戦前形(セミ)クロスシートMc車の場合あり。
これを×2した12両なら4号車と10号車が一等車。
湘南電車と違い、当時は横須賀線一等車は2両が連続していなかった。

501 :
>>500
そういえば70・80系でサロがグリーン(1等)として使われたのって、いつごろまでだったんだろう?
11クハ化改造はS41〜42年ごろから始まったらしいが
1系でも非冷房のサロがずいぶん後まで残ったから、80・70系だって残ってたのかな?

502 :
>>500 へぇそうだったんだぁ。確かに東海道本線80系はグリーン(1等車)が2両連続していたような覚えが…。
グリーン車が当時は1等だったのは時間が経ち過ぎてすっかり忘れていました〜。
そう言えばみどりの窓口も昭和38年頃はまだ事務的な名称の窓口だったかも。

503 :
>>499
横須賀線でサロの二両連続は昭和26年12月に、
クハ76-モハ70-モハ70-サロ46-サロ45-モハ70-クハ76の編成が在る。
もっともサロ45だから70系族では無いけど、二等車が連続したのはこれが最初で、
翌年の昭和27年にはクハ76-モハ70-モハ70-サロ46-サロ46-モハ70-クハ76の70系だけの編成が登場、
その後、順調に増備され昭和32年にはサロ46の連続は4本在った。
他4本がサロ連続だが、この編成はサロ46にサロ15・サロ45・サハ48(代用サロ)を連結していた。

これが一変するのが昭和34年2月1日の改正で、基本・付属編成とも6両化され、
サロ連続は見られなくなった。

ちなみに横須賀線の全車両が70系のみ、70系だけになった事は一度も無い。

504 :
80系の場合、東海道線登場の編成、東京口(東京-熱海・沼津間)の編成、
クハ-モハ-サハ-モハ-サロ-サロ-モハ-サハ-モハ-クハの基本編成に、
クハ-モハ-サハ-モハ-クハの付属編成だった。
この編成は東海道線東京口の普通運用で終始変わる事は無かった。
東京口から転出したら編成は違って来る。

505 :
昭和25/1950年3月1日の80系営業開始時から翌年夏ごろまでは、編成は下り神戸方より、下記の通りです。
基本10両〈クハ86偶数-モハ80-サロ85-モハ80-サハ87-サハ87-モハ80-サハ87-モハ80-クハ86奇数〉
付属4両〈クハ偶-モハ-モハ-クハ奇〉

翌昭和26年にはサロが多めに製造して、順次既成の基本編成の中央に組み込み、サハを移動させ、付属編成を5両化しました。なお、この際に一部余剰となったサハ87が80系で初めて田町から宮原に転属となり、急電4連の5連化がはかられています。
基本10両〈クハ偶-モハ-サハ-モハ-サロ-サロ-モハ-サハ-モハ-クハ奇〉
付属5両〈クハ偶-モハ-サハ-モハ-クハ〉

この編成は、付属が大船電車区受け持ちになったり、基本の一部が静岡運転所(昭和36年10月より)受け持ちになったりしましたが、昭和40年頃まで続いたようです。
クモユニ81+基本+付属の16両編成320mは、当時電車列車としては世界最長でした。

例外として、対伊豆方面の準急運用のために基本に3両サロを組み込んだり、付属に1両サロを組み込んだ変則編成も昭和30年前後に発生しており、当時の写真にて確認しています。
この両方を組み合わせてサロ4両という列車は、さすがになかったようです。

80系は、しばらくは固定編成で使われたと誤解されがちですが、実際には臨時運用に変則編成を組んだりする必要性から、もとの原形の編成を大きく崩さない範囲で、案外アクティヴに組み替えがあったようです。

506 :
>>501
昭和43/1968年10月改正直前までは高槻電車区の東海道・山陽関西地区快速用3M4Tにサロ85が1両組み込まれた編成が運用されていました。
以降は、他地区を含めて、1等車としての営業運転実績は不明ですが、サハ化改造は昭和45年夏までに及んでいます。
改造と言っても、車掌室の一部設備の撤去と、車体のグリーン帯塗装工程の省略程度なので、未施工のまま二等(普通)車代用として使われた例もあるかと思われます。

507 :
>>499-503
昭和35/1960年6月1日「つばめ」「はと」電車化に伴う旧1等廃止で、2等級制になったのが翌7月1日。
また、等級制廃止とグリーン車の制定は昭和44年5月10日。
当時の旧型国電には、サロ85等に数両の「ロ」の在籍はありましたが、いずれも格下げまたは廃車前提の休車、もしくは普通車代用だったようで、正式にグリーン車として稼働した記録はないようです。
少なくとも、(シャレ・お遊び・ウソ電は除いて)旧国で正式にクローバーマークやグリーン車標記を施した車は、1両もありません。

508 :
>>504
違うじゃんよ
調べてみたら登場時は505の編成で合ってるみたいだよ
間違うなら偉そうに知ったかぶらないでくれ嘘になるから
知ったかぶるなら調べてきっちり確認して間違えないでくれ
無駄でいい加減な情報は邪魔
このスレ偉そうに知ったかぶって後のレスでひっくり返される奴多すぎワロス

509 :
>>508
荒れるだろ、レスすんな。

510 :
>>505の訂正
×(翌昭和26年にはサロが多めに)製造して→○製造され

【補足】
昭和32年度債務車以降のクハ86(133&135〜)は両渡り式となり、奇数偶数は必ずしも一致しない場合もありました。

511 :
>>506
やはり大阪でもそうだったのですか、田町の80系.70系は111系に追い出された時ですから、やはり同じころだったのですね
すると最終増備車(300番台)などは優等車であった時期がわずか10年前後だったというわけですね。で、もっぱら先頭車改造の種車になったと、

512 :
サロ85300番台にも、一旦サハを経たのもあったはず。
結果的にはクハ85ばかりになったけど…

513 :
80系はややこしくて難しい。
屋根上のベンチレーターがバラエティに富んでいる。一応3・4種類に分けられるが、デッキ部分のベンチレーターがなかったり違ったりしている。
交換や改造も、一部の車にあるみたい。
ほかの旧型は多くはグロベン化により標準化されたから、原型がどうだったかを別にすれば案外屋根上はわかりやすかった。

こういう研究は、実物がもうないから難しいのは確かだが、80系はかなり面白そう。

514 :
>>449 >>450
下りは糸崎行きだったが、上りは確か広島始発。運用は確か岡山運転区持ちだった。
47-3改正で運転区間から大阪〜西明石間がカットされた。

515 :
https://www.youtube.com/watch?v=DRCw1Hv-R2sなぜドーファーの悲劇売れ続け定義(なぜサッカーだけ)

https://www.youtube.com/watch?v=DRCw1Hv-R2s
マイナス重力ホー名球会宣伝費焼肉パーティー川崎ドナウドドナルドヘビロテTWITTER京都ヘイガー
セブンイレブン大坂中国ワイン
一流企業

516 :
80系のデッキ部分を含めたベンチレーターの詳細に関しては、非常に長くなるので、レスを分けて触れます。
長文レス連続をご了承下さい。
また、参考に引用する写真画像は、該当部位が製造年次タイプ区分と共に明確に把握できなければならず、既出多数です。

517 :
【昭和24年度(一次形)及び昭和25年度車】
客室には「大湘式」と呼ばれるカマボコ型のベンチレーターが採用されましたが、クハの運転台側のデッキ上に同じ大湘式があった以外、デッキ上のベンチレーターは当初は省略されていました。
大湘式は、原則として交互に向きが逆になるよう取り付けられましたが、変則的に端の2個が同じ向きのものが続いたり、車両により向きに相違がありました。
●クハ86046(1959-3高槻電車区/更新修繕前⇒正面窓はHゴム化されたが、更新修繕未施工のため、木枠戸袋窓や3段式客扉の残存や後位デッキにベンチレーターがないなどの特徴がある)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-2/Tc86046miha1.59.3Tatuden.59m-b3-04.jpg

518 :
更新修繕では、原則として昭和26〜32年度車客室に標準装備された押し込み式と同形の四角ベンチレーターが、サロ以外のデッキ部分に新たに取り付けられています。
クハ86の運転台側デッキに関しては、四角タイプに交換したもの(下例クハ86020)と、元の大湘式を温存したもの(下例クハ86027)とが混在しました。
●クハ86020(1975-3-2広島)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-1/Tc86020hiro1.75.3.2Hiro.75c-26-09b.jpg
●クハ86027(1975-3-2広島)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-2/Tc86027hiro1.75.3.2Hiro.75c-27-09a.jpg

519 :
クハ86の場合、運転台側デッキの大湘式ベンチレーターの開口部が正面側に来ない向きのものは、大多数が四角タイプに変更されたようで、曲面が正面に向いたままのものは貴重でした。
●クハ86008(1976広島)
http://mon-hikara.travel.coocan.jp/photo-chugoku/1976kuha85.jpg
●クハ86021(1975-3-2広島)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-2/Tc86021hiro1.75.3.2Hiro.75c-23-24.jpg

520 :
更新修繕における屋根標準化において、のちに採用された小型化されて丸みを帯びた「小湘式」に換装した車両があり、特に関西地区の急電〜快速用(宮原電車区)の大湘式の車両は、ほぼ全車が小湘式になりました。
いずれもクハ86運転台側デッキのベンチレーターは、必ず四角い押し込み式になりました。
●クハ86044(1975-3-2広島)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-2/Tc86044hiro1.75.3.2Hiro.75c-27-02b.jpg

521 :
更新修繕では、モハ80のパンタなしの側はもちろん、パンタグラフ側にも、デッキ用として四角い押し込み式ベンチレーターが増設になっています。
●モハ80015(1975-7-8沼津機関区)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80015kaki1.75.7.8Numakiku.75c-65-16a.jpg

522 :
【昭和26/1951年度車】
クハ86の運転台側デッキのベンチレーターはやや小さいものが2個、左右離れて配置。
デッキ以外のベンチレーターは全車両が四角い押し込み式になり、以降しばらく続くことになります。
あわせて、サロ85とモハ80パンタ側を除いたすべてのデッキに、より小さいベンチレーターが2個、接近して置かれるようになりました。
これら26年度車は、約半数が更新修繕対象外になり、該当車には原則としてベンチレーターの増減はありません。
ただし、下例のクハ86058のように、更新修繕を受け、もとは小さめのものが2個並んでいたデッキのベンチレーターが、両側とも通常の四角い押し込み式に変更され、併せて客室のベンチレーターも小湘式に換装された車両も存在しました。
●モハ80090(1975-3-2広島)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80090hiro1.75.3.2Hiro.75c-27-04a.jpg
●クハ86058(1975-3-5名古屋)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-3/Tc86058kaki1.75.3.5Nako.75c-32-20.jpg

523 :
【昭和27・29年度車】クハ前面窓に初めからHゴムが入ったタイプです。クハの運転台側以外のデッキにあった小さなベンチレーターは、少しばかり大きくなりましたが、それ以外の仕様は26年度車とほぼ同じです。
●サハ87046(1976-12沼津)
http://www.geocities.jp/h6feet/image6c/351-10web.jpg
●デッキ上のベンチレーターがやや脇に寄ったサハ87044(1975-7-8沼津)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-87top/sub87-2/T87044shisu1.75.7.8Numa.75c-66-10.jpg
●クハ86062(1972年頃岡山)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/cb/d9c65edafa2a0aec567a6768a09c472d.jpg

524 :
【昭和30年度車】
名古屋地区用として製造されたもので、27・29年度車と外見は似ていますが、押し込み式ベンチレーターの開口部が前後のいずれか片側がふさがれ、その意味では大湘式・小湘式に近い仕様でした。
開口部とふさいだ部分とは互い違いでした。
●モハ80117(1975-3-5名古屋)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80117kaki1.75.3.5Nako.75c-33-11.jpg

525 :
【昭和31年度〜32年度本予算】
マイナーチェンジでクハ・サハは100番台、モハは200番台となりました。
客室部分のベンチレーターは、昭和26〜28年度車とほぼ同じものに戻されたかたちでしたが、デッキ部分のベンチレーターも客室部分と同じものに変更されました。
また、モハのパンタグラフ部分にも避雷器をやや脇に寄せて、同じ押込式の四角いベンチレーターが製造時から設置されるようになりました。
●クハ86103(1975-6-14戸塚/870M通過)
http://tnk-ko.a.la9.jp/gallery1/80K/kuha86-103-G2_19750614bw_s1024_I15t_Totuka_870M.jpg
●モハ80206(1977-9-4塩尻)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-3/M80206moto1.ps23.77.9.4Hoshi.77c-24-22.jpg

526 :
【昭和32年度債務(半鋼)】
予算年度が昭和32年度債務となる80245〜・86133&86135〜・87115〜は、客室部分のベンチレーターが「小湘式」と呼ばれるタイプに変更になっています。ただし、サロにはこの変更はありません。
小湘式とは言いながら、同様のベンチレーターを、昭和28年のキハ45000(キハ17)以降の一般型気動車が、先んじて標準装備していました(キハ55やキハ20等の初期バス窓車まで)。
●クハ86133(1975-3-1広島)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-4/Tc86133hiro1.75.3.1Hiro.75c-23-18.jpg

527 :
【全金(昭和32年度二次債務以降)】
300番台全金車になって、サロも含めて客室に全面的に小湘式を採用しましたが、ベンチレーターの原則に変更はありません。
モハ80800番台のパンタグラフ低屋根部分デッキにもベンチレーターは温存されました。
●モハ80305(1975-11-2熱海/327M)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/61/be96971667e64e57bc45326c83858b0b.jpg
●モハ80801(1975-4-10松本)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-5/M80801shin1.75.4.10Moto.75c-43-04.jpg

528 :
【80系デッキ部分ベンチレーターの特例】
昭和26〜30年製のモハ(サロ以外の他のデッキには小型ベンチレーター2つが基本のタイプ)のパンタ部分には、製造時にはベンチレーターはなく、26年製の一部を除いて更新修繕対象からもはずれたため、増設もされませんでした。
※モハ80089〜80117が該当
●モハ80096(1975-11-2熱海/327M)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/46/d3c17288d9c20e9dcf834c52ab478c1b.jpg

529 :
サロ85にはデッキにベンチレーターは一貫して取り付けられず、格下げ改造車サハ85においても、増設は3扉化の100番台車を含めて、ありませんでした。
●サハ85001(1974-6-13高崎)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-T85.Ts85/74c-15-17a1.T85001naka.74.6.13Taka1.jpg
●サハ85102(1975-3-5名古屋)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-T85.Ts85/75c-31-25a1.T85102shin.75.3.5Nako.jpg

530 :
サロ85改造のクハ85等においては、運転台側のデッキが元は客室だった部分なので、客室と同じ仕様のベンチレーターがついていました。
また、昭和32年度債務車85034・85035は、他形式のように小湘式は採用せず、四角い押し込み式が採用されていました。
いずれも、反対側のデッキ(戸口幅が700mmで、通常1000mmより狭い)にはベンチレーターは(更新などを経た後も)ありません。
なお、クハ85300番台は、運転台側デッキもベンチレーターなしでした。
●クハ85005(1974-3岡山/昭和24年度車)
http://homepage3.nifty.com/nomnom/roll/80kei/85005kc1.jpg
●クハ85017(1975-3-2広島/昭和26年度車)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-Tc85top/sub80-Tc85-1/75c-24-101.Tc85017hiro.75.3.2Hiro.jpg
●クハ85034(1974-7-12松本/昭和32年度債務車ながら、85035と共に四角い押し込み式を採用)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-Tc85top/sub80-Tc85-1/74c-18-21a1.Tc85034shin.74.7.12Moto.jpg
●クハ85302(1978-6-3松本/デッキ部分ベンチレーターなし)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-Tc85top/sub80-Tc85-3/78c-15-181.Tc85302shin.78.6.3Moto.jpg

531 :
【異端車モハ80027】
モハ80027だけは、パンタ側とは反対のデッキにもベンチレーターは取り付けらませんでした。
80系の第一陣24年度車として新製直後の昭和25/1950年2月、3月からの営業運転開始前の試運転の際の火災で焼けて、翌年に大井工場で26年度新製車とほぼ同様の仕様で復旧した車両ですが、ベンチレーターは1次型原形の大湘式のままでした。
ところが、他の部分が広範囲で26年仕様だったこともあり、更新修繕の対象からはずれ、戸袋外窓もHゴム化されませんでした。
しかも、後年のアコモ改造でも唯一戸袋外窓が木枠のままで残されるなど、様々な意味でまさに珍車中の珍車です(アコモ改造を受けたほかの戸袋外窓木枠車は、すべてHゴム化)。
●モハ80027(1975-2-28岡山)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80027oka1.75.2.28Oka.75c-17-36.jpg

532 :
以上、
>>517-531
の15レスに、80系のベンチレーター(おもに外見上)の概要をまとめました。
筆者自身、おおよそ把握はしていたつもりですが、状況を把握しやすい写真がまとまって、整然と整理されたサイトには、確認をするうえで助かりました。
特に、最後に取り上げたモハ80027が、実はここまでブッ飛んだ珍車(笑)だったことには、改めて勉強になりました。
自身で立てたスレとはいえ、15+2=17レスもの長文連カキ占拠、申し訳ありません。
とはいえ、過去レスにて取り上げたカバーつきのベンチレーターや、モユニ81初期の異形など、まだ興味深い部分や研究材料は残されているのも、80系の奥深さではあります。

533 :
長モトのモハはPS23付きとか

534 :
>>533
だから何?
藪から棒すぎて意味不明なんですけど‥

535 :
せっかく落ち着いてきたと思ったのに
>>534 みたいなアフォが出て来て
又荒れるのは勘弁だ

536 :
お前は533か?
違うなら、お前もいちいち反応して取り上げなければ荒れない
反応するなと1にも書いてあるだろ?
荒れるとすればお前が出てきたからなんだよ

537 :
いやいや最強の荒らしは>>469でしょ?
こいつだけは殺しても無罪ということにして欲しい最低最悪の荒らし野郎

538 :
>>25
このキチガイが荒らしの発端だな

539 :
>>534->>538
このきんぎょのうんち、みんなあらし

540 :
80系の走行音って
最晩年の飯田線の音が中心で
僅かしか公開されて無いんだね

あの
貫禄の加速音が聞けないのは残念だ

541 :
>>540
>>268

ちなみに少し補足
ほかに、高崎線だか信越線だかの80系も元音源は当然アナログな訳だがCD化されたのがあったはず
飯田線(と中央線辰野〜上諏訪)のCDと269とあわせて、少なくとも3種類のCDが80系に関しては発売されたはず
残念ながらどれも持っていないが、飯田線のはYouTubeにもうpされている
あと、ネット上では、両毛線前橋〜駒形のモハ70052が割と飛ばしていて、80系と同一ギヤ比だから雰囲気がほぼ一緒
信越線のモハ70043はそれよりやや大人しい走りかな?

542 :
旧国の現物はしってるの見たことないが
GMの旧動力の模型を轟音で走らせながら
うーむ旧国ってこんな感じかな?
と想像している

543 :
じゃあ80系の音
置いときます
保存期間は3日間らしいです

ttp://fast-uploader.com/file/7011798366701/

544 :
もういっちょ

ttp://fast-uploader.com/file/7011798877904/

545 :
MT40が吠えてる
どんな豪華な列車に乗るより、これに乗りたい

546 :
せっかくうpするんだったら、糞ロダやめて、つべかなんかにして欲しいな
3日たったら消えるうえ、ファイル変換ツールがファイルだと認識しないから使えない
それにデータも何もないから、いつの、モハ80の何番の、どこからどこまでかもわからない
モーター音はモハ70もギヤ比同じだから変わらないわけだし

547 :
思ってたよりキーキー甲高い音だね
重低音なのかと思ってた

548 :
ちなみにこれがつべにある80系モハ80342飯田線。CD化もされているやつね
http://www.youtube.com/watch?v=7SW1mhpQ6SY
あまりスピード出さないのが残念
ただCDには辰野〜上諏訪も収録されている
この区間、特に岡谷〜下諏訪〜上諏訪は飛ばしていたはずだから、CDのを聞きたい

あと>>268>>269)も山陽本線とは魅力…つか売れ残りまだあるなら買おうかとも思う

誰か、東海道(山陽も可)の80系爆走とかをつべにうpしてくれないかな?
本当は、CDとかになればいいんだろうけれども、製作費に売り上げが見合いにくいかも知れないから、難しいかも…。

とにかく、糞ロダはいろいろ使いにくくてダメだ

549 :
↑こいつは無視で

550 :
アップしてくれてるだけでも有難いのに
あげ方悪いとか………
すげ〜やつだな

551 :
ここでは感謝すべきという方が間違いなく正論だが、あげ方悪いとほかの一部の板なんかでは平気で叩かれるケースもあるから、その感覚だったのかも。
実際、こんなの以上に使えないロダも沢山あり、そういうロダに限って、やたらとリンクつき広告だらけとか、だからよけい叩かれるんだろうけど、このロダは明らかにまだまし。

70系も80系ももう二度と走らないのだから、貴重な音を上げている人には感謝すべき。
ただ、親切で上げるなら、半永久的な掲載も可能なつべに投稿とか、より使える方法が好ましいということは言えるかも。
ということで、これに懲りず先輩諸氏の70系80系音源のうpお待ちしておりますw

552 :
つか出遅れたもう聞けない再うp求むおねがいします

553 :
>>547
>思ってたよりキーキー甲高い音だね
夏か冬か(要は窓が開いてるか、開いてないか)で録音に相当な影響がある
窓を開けないとどうしてもこもってしまう

>>552
じゃあもう一回

ttp://fast-uploader.com/file/7012135635464/
中津川出発〜 

ttp://fast-uploader.com/file/7012135940899/
田立〜南木曾間から (前回upしたものと同じ)

ttp://fast-uploader.com/file/7012136070569/
倉本〜
※冬なので窓締め

南木曾〜十二兼が一番中央線西らしいけど(曲線でノッチオンオフの繰り返し)
かなり長いので倉本〜にしてみた

ユーチューブはアカウント持って無いし、持つ気無いので勘弁

554 :
アドレスが違ったみたい

中津川出発〜を再度
ttp://fast-uploader.com/file/7012137466013/

555 :
落合川〜中津川は、カーブはゆるめで、上り列車(中津川・名古屋方面行き)も若干下り坂気味ではあるのだが、95キロギリギリまで一気に力行して飛ばすから、たいてい中津川行きだった木曽路の80系のラストスパートとして爽快だった。
この地域は、全金以外でも比較的新しめ(最古参でも昭和27年製)の車両ばかり。
また十二兼〜日出塩の大部分が単線でR300の急カーブ(80系等は60キロ制限)の多い線形ではあった。

飯田線からの上諏訪行きでも、特に岡谷〜下諏訪〜上諏訪は90キロ超えの力走があって、往年の片鱗をかいま見せていた。
この区間、飯田方面行きとなる逆方向の走りは、やや大人しめに感じた。たぶん80キロ台どまりだったのではないか?
(当時25mレールがほとんどで、ちょうど1秒で通過すれば90キロだから、おおよその速度がわかる)

556 :
平坦線を単に飛ばすのは面白くないな
やっぱ山岳線をそこそこの速度でノコギリ運転
吊り掛け電車はノッチのオンオフの繰り返しが醍醐味だよ

飯田線は80系はダメだけどクモハ54なんかは良かった

557 :
平坦線で80km/hくらいまでは釣掛音、ノッチオフしてからはバックラッシュの音を楽しむのが旧国

558 :
東海道線の80系の特に飛ばす区間(駅間長めで直線が多い用宗〜島田、掛川〜磐田、幸田〜岡崎、稲沢〜岐阜、穂積〜大垣)の激走は、ほかの区間や車両では類を見ない雰囲気だった。
最高速度自体は他と変わらぬ95キロに抑えられつつも、高速の維持具合が東海道の80系はまるで違った。
特に初夏から秋口、窓を開け、ヨロイ戸を少し下げた状態の初期車では、座席が狭いことを差し引けば、爽快だった。

これは山岳区間とは別の楽しさではあった。

559 :
東海道の80系は知らないけど
153系は函南〜三島間が良かった

560 :
旧国のほとんどが、高速運転では乗り心地が悪くなる傾向にあったのに対して、80系は座席のほとんどがクロスシートだったせいもあるかも知れないが、90キロくらいの高速でも乗り心地が悪化せずに、むしろ滑るような快適な感じがあった。

高速で走っても、あまり揺れがひどくはならない。
初期のDT16では、枕バネの板バネの踏ん張りの限界なのか、たまにゴツゴツ突き上げるような軽い揺れが発生するものの、ひどくはない。
DT17やDT20はオイルダンパ併用のコイルバネで、そのような揺れの発生もなく、無駄に揺れる感覚はほとんどない。
クハやサハは騒音や振動も少なく、不快感はなかった。サロやその改造車は、コイルバネがより柔らかい設定で、快適。

録音を聞けばわかるが、80キロを超えるとモーターの唸りは小さくなり、90キロを超えるとかすれるようにかすかな唸りになる。
もちろん、性能的には90キロ域でも充分に加速するから余裕はある。高速度試験では1955年2月17日に125km/h(屋外計測値124.1km/h)の記録もある。

初期車のシートピッチは113系等の初期車と同じ1400mmだそうで狭かったが、狭い垂直背ずりなりに、それまでと違い、下半分の布団が徐々に厚みを増す構造を本格採用するなど、開発当時なりの工夫が、体にフィットする感覚をもたらしていた。

このスレで、80系はたいした車両ではないという論調を見かける時があるが、それは一面真理ではあるけれども、キメ細かい工夫と高速運転にも勾配区間にも使える性能こそ、この80系のキモだ。

そんなことを感じながら、走行音数種を楽しませてもらった、

561 :
>>560
戦前型のDT12・TR23の吊りリンクが310oしか無かったのに対し戦後製造のDT16以降の台車は
吊りリンクが500oオーバーとなって左右動特性が別物だものね。

562 :
>>560
確かに阪和線に103系登場で一部70系快速が103系になった時、がっかりした人が多かったそうな

563 :
>>562
話の流れに乗っていないのにアンカーをつける意味不明レス。
つけられた方が迷惑。
しかも、70系にかこつけても、微妙にスレ違いと言わざるを得ない。

確かに、昭和51〜52年に70系をはじめとする阪和線旧型の最終置き換えにやってきた代替車には103系だが、運用的には普通や区間快速が主体。
区間快速は、旧型の中の70系率は少なく、70系以外はすべてロングシートだったし、快速の70系運用は朝や夕方以降に若干の103系運用があった以外は、113系運用になっている。
70系は4連基本が末期はモハ72を2両組み込んだ6連に組み替えられており、その辺は初心者もどきさんやモハ80373さんの過去レスで触れられている。
セミクロスシート率が僅かに下がったのは事実としても、特にそれ以上の話ではない。

564 :
>>556
山岳線じゃなくても、姫路→岡山の上り坂はノッチオンオフが多かった記憶がある。
結構勾配が連続していて、カーブが多かったためだろうか。

565 :
阪和線って車両の墓場だったよね
ゴハチ然り

566 :
>>565
スレ違いやめてくれ
阪和線引退で廃車になった70系はほとんどないし…(ほとんど福塩に行ったはず)

567 :
>>566
70系、半鋼車はほとんど廃車だよ。
福塩線に行ったのは3輌だけ。
全金車が全数。

阪和線で新車が大量投入されたのは、
快速用70系から関空対応までは一気に飛ぶ。
103系、113系とも、冷房車が少数投入されただけでオシマイ。

568 :
>>567
天オトでの70系廃車は、半鋼4両だけ
当初天オトに投入された70系半鋼の約半数は、阪和線快速への113系投入の段階で長モトに転属しており、天オトでの廃車は少ない

569 :
阪和線から横須賀線にきた76は、前面サボ掛けがチャームポイント

570 :
松本(当初は長野)の70系はスカ色。当初は横軽越えなしの信越線用だったが、篠ノ井線乗り入れのためにパンタグラフのPS23化が行なわれ、50-3改正で松本に転ずる。
その運用区間のうち、妙高高原〜直江津には、PS13のままで新潟色の長岡の70系も使われていた。
ともにほとんど半鋼で、クハ68も交えていた。
また同区間のごく一部に、80系(湘南色)運用もあった。
急行の末端や間合いの165・169系を別にしても、ローカルは何気にカラフルだったわけだ。

571 :
>>568
正確には長ナノ。
長モトには50-3改正で80系とともに転属して、篠ノ井線はその時から運用区間に入ったが、基本的に軽井沢〜柏崎間で使われた。

572 :
>>569
長モト直江津発長野行344M
確かにサボ受けが付いていますね。
https://pbs.twimg.com/media/CdHH_haVIAATlrj.jpg

モハ70にはベンチレータを改造されたものもありました。
https://pbs.twimg.com/media/CdHJ-dlUYAAu963.jpg

573 :
>>572
押し込み通風器のものは仙石線からの転入車で数両いた。
写真はモハ70047かと思われる。

574 :
>>569
阪和から横須賀に移動した70系なんてあるの?
横須賀は43-10改正で113系化完了したはず
阪和の70系代替車(103や113)投入は47-3以降のはず

575 :
>>574
阪和じゃなくて東海道山陽緩行から追い出された連中が
正しいかと。

576 :
>>574
まとまって押し出されたのではなくバラで何両か
というレベルで、しかも昭和30年代の転属だったかな

阪和線じゃなくて京阪神緩行線(茶坊主)だったかも

577 :
>>576
だったら>>569
「前面サボ掛けがチャームポイント」
が違うことになるな
いや、単なる他と勘違いだろうから責めはしないけど、ちと混乱したので確認しただけ

578 :
中央のモハ71は阪和に行ったと思っていたら
福塩だったのね

579 :
>>578
残念、広島。

580 :
そう言えば、70系末期は広島へ集結(呉71、福塩70)という感があった。
呉線は80系とともに昭和53年に早々に置き換わったが…。
71系に押し出された可部線73+79がそれから約5〜6年生き延びたのは皮肉な話。

581 :
高校の修学旅行で広島に行き、そこで71系に再会!「おまえ!こんな所に来てたのか!!」と。

582 :
呉線は、本当は1970年の電化で80系にしたかったらしいが、絶対数が足りず、おもに広島方で73系を、WC設置改造したうえで多用することになった。
1975年に広島では大船や静岡から111系の転入を受け、捻出された80系に73系の一部が置き換えられたが、73系全廃は翌年の山スカ転入においてである。
これらの置き換えによる73系の一部が可部線の17m車置き換えに充てられたが、こちらは山スカ含む70系や80系よりも長く使われ、なんと1984年まで現役で生き残った。

583 :
呉線の山スカ編成に、モハ72850〜はなかったの?

584 :
>>583
全て首都圏に召し上げられた。

585 :
茶坊主の70系が横須賀線を走ってたらしい

586 :
>>585
「茶坊主の70系の一部は、当初はスカ色で横須賀線で走っていたらしい」
なら正しいが、そうでないならなに言ってるんだっちゅう話だな

587 :
>>586
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション34
湘南電車時代
4ページ目を見ましたか?。

588 :
京都鉄道博物館に展示されてる80系の検査標記はどうなってるのかな

589 :
80系は300番台で完成されたのに1両も保存車が無いとは!

590 :
300番台のラストナンバーが“完成形”としてのこされるべきだった。

591 :
>>588
検査標記以前に、前面がHゴムからの中途半端な復元はそのまま・・・

592 :
>>590
クハ86336だっけ?
関西の個人病院に置かれた、ダルマのレプリカ…。

593 :
>>590
全くその通りだよね。
一世を風靡したと言われる湘南型の原型が残っていないなんて…

594 :
保存の話をするなって!
ヴァカが気が付いたら、また荒らすから…!
もう残ってないものはどうにもなんないんだからウダウダ言うなよ!
2両も保存されてても、動かさない(動かせない)以上、ただの鉄の塊だしね?

595 :
だいたい、輸送力増強ならロングシート化すべきだったから、東海道でもローカル向けには80系なんか作らずに63形→72・73系でよかった。
長距離もやるなら扉間に、ワンボックスずつクロスシートを置くと、いまの231・233系セミクロス仕様みたいでうまくいく。

一部だけ、有料の準急急行専用として完全クロスシートでデッキ付き車を80系とすればよかった。戸袋部は座席にしない。シートピッチは広げる。最低でも1500mm。これで旧客に負けない水準にはなる。

昭和20年代の電車開発は精鋭が戦死したためか、こんな素人でもわかる輸送力増強の施策すらほどこせないバカばっかだったんだな。
80系なんか半端な構造。

こんな失敗作保存したら、末代までの赤っ恥ww
今ある2両もうざったいから早くぶっ壊してくれない?

いや、どうしても保存したい奴は買い取って展示用地確保して勝手にやれ!
他人(鉄道関係者含む)に一切手間をかけず、金も負担させずにやるぶんには、たとえどんな糞車両でも文句はない。

80系みたいな最低最悪の車両なんか、こっぱみじんにぶっ壊されても、お前ら誰一人として金も出さないで出すのは口だけなんだから、指くわえて見てろ!

ふざけるな!

596 :
>>593
ふざけるな!
そんなこと断固許されない!
今の2両も俺からすれば糞。

597 :
>>590
ふざけるな!
それより一歩先に試作とはいえすでにモハ90が出てたんだから釣りかけのボロなんて糞。保存なんてもってのほかなんだよ。
ついでに大井のモハ90→101系試作もぶっ潰しちまえww

598 :
>>564
80系が低性能で一気に駆け上がれなかっただけだろww
70系はさらに設備が劣る糞。茶坊主じゃなくて糞坊主ww

599 :
>>597
お前一人だけ何を怒りまくってるんだ?
血圧あがるぞ。

600 :
新前橋の旧国が解体で東急車輌へ来た時に見に行ったな
中には元サロ85のクハ77もいたよ

601 :
確か東急車輌構内まで自走だったよな。
今じゃあり得ない話。

602 :
こういう人はスルーするのが良いかと…

603 :
だいぶ前からいるんだよこの人
いつも保存の話になった時だけ出てきて口汚い言葉を残して去っていく
そういう風にしか人と接することができない哀れな人なのさ

604 :
>>603
保存話の時に必ず登場する名物親父として
温かく見守ってあげてもいいのでは(笑)
懐かし板の包容力、懐の深さって感じでw

605 :
>>25>>26
この辺りで既に死刑にしても飽きたらない とかキチガイ発言してるからな

死刑にしてみろよ
お前の脳内でww

バカ晒しage

606 :
>>595
80系を設計する時、混雑の激化を想定して4扉セミクロス車を設計すれば良かった。
63形ベースに窓間にボックスシートを一つ配置、前面を二枚窓にすれば良かったんだ。
その4扉セミクロス車を東海道と横須賀に投入してれば・・・、惜しまれる。

607 :
クハ86072
モハ80024
モハ80421
サハ87003
モハ80078
クハ86007

608 :
>>607
列番無理ならせめて日付を

609 :
>>608
80421は宮原→岡山で、80078とは宮原で、86007とは岡山で一緒になる以外は接点がない。
特に86072は中京用で大垣→神領だ。
80024と87003は最晩年は松本にいた横軽対策ありの一次型。

史実として、こんな編成は絶対にあり得ない。

610 :
>>609
お前陰険やなww
宮原→岡山のほとんどが、間に高槻があると思うんやけど?
特にモハ80401〜の最終33年度増備やしな

611 :
最近も炎上したが
このスレは陰険な人が多し

612 :
そんなこといちいち言うお前もそれを指摘する俺も、他人のことを言えた義理ではない。
黙ってスルーが吉だろJK

613 :
ボンクラどもめ!

614 :
80系解体決定!
先に国の監査がJR西日本に対して行なわれたが、80系の2両保存の無駄が取り沙汰され、先頭車のみの保存でよいとの指摘があった。
日本発の中間電動車としての価値が主張されたが、担当官は、単に分散動力の配置が異なるだけのことでいちいち保存するに価するとは言えないと指摘。
中間電動車モハ80001の解体処分による経費削減と、浮いた経費にてJR西日本がしばしば問題を指摘されている安全運行管理を強化することが求められた。
これを受けて再度検討された結果、一部のマニア以外には馴染みのない80系を、1両ならともかく2両も保存は不適切とされてもやむを得ないことから、先頭車だけは当面残すこととして、中間電動車モハ80001の解体を決定した。
解体作業は年内にも開始。以降は80系2両をバリケードで囲って行ない、来春には終了して、代わりに売店が設置される。
また、他の車両でも解体が検討されているようで、一部の者の勝手な要望に振り回される愚かさがようやく認識されたようだ。

615 :
お前らが保存のホの字でも言ってしまったから、こうなるんだからな!
推奨NGワード→保存

616 :
ほぞん

617 :
80系最初の2枚窓、二次形の試作車とも言える東急製のクハ86021と86022ほかの10両編成ですが、前面窓以外の仕様は一次形に近かったらしいと聞きました。
確かに妻面の窓は一次形と同じで二次形とは異なります。

一次形と二次形は車内の仕様が違ったようですよね?
三等の背ずりの布が一次形は半分だけで、全面貼りに更新されても、握り手部分は二次形と違い隅が切られています。
一次形は木の床。二次形はリノリウム。
サロは一次形はパイプ造作。二次形はパイプなしです。

ところで、東急製の問題のサロのなれの果てクハ77005では、パイプ造作でした。ただ、床はリノリウムか、さらに新しい別の素材にも見えます。原型の床がどうだったかわかりませんが、たぶん張り替えたのでしょう。

この二次形試作車の東急編成の本来の車内などの仕様は、具体的にどうだったのでしょう?
すごく興味がわくのですが、調べるすべもなく、ここで情報をまとめられたらと思います。

618 :
ごめんクハ77005でなくクハ77000ね。

http://www1.odn.ne.jp/nanamaru/takasima-k1.html
でも触れられています。
このクハ77000の写真にあるパイプ造作の座席は、1次形サロ特有の特徴でした。
床は、張り替えというか、塗り直されたもののようにも見えます。元が木(一次形)かリノリウム(二次形以降)かは、この車両ではわからないということになります。
ほかの9両は、普通席の背ずりの布の張りかたも、興味あるところですが、写真もないし、確かな証拠の提示は難しいでしょうね?

619 :
いやはや。
難しい問題が提示されました。クハ86021はじめ前窓2枚の試作車東急編成の車内の仕様は1次形と同じだったのか?
サロ85はどうも1次形と同じだったようだが、ほかのハ車ではどうだったのか、写真など記録に乏しく、裏付けは困難。
該当する車両を調べてみた。
クハ86021〜86022
モハ80033〜80036
サハ87017〜87019
サロ85005(クハ77000)
今回は、外見写真だけではわからないから、難しいですね?
「迷宮入り」か?

620 :
>>619のサロ85の車番号だが、サロ85006が正当。
それが>>618リンク先クハ77000になるわけだが…。

621 :
>>619
貫通幌の脇、妻面の窓は、小さいから、一次形と同じ。
クハ86の台枠も一次形と同じ。
それ以外の仕様は、明言されてる資料はないね。

622 :
80系300番が解体され無ければリニア館に保存されてたよ

623 :
622みたいなバカがぶり返すとさらにバカなアンチが湧く。
学習しないのも悪だな

624 :
クハ86046
モハ80102
モハ80303
サハ87020
モハ80325
クハ86300
1976.8下旬(名カキ)

625 :
>>624
86300が奇数向きなのがミソだな。

626 :
>>625
クハ86135からは両渡り式となり、それまで偶数車にしかなかったMGが奇数車にもつくなどして、奇数偶数の差がなくなり、方転も自在になった。

627 :
>>626
正確には、クハ86133も両ワタリです。クハ86134は違います。

これで、以降は奇数偶数にこだわる必要はなさげなのだが、なぜかクハ86374は欠番にしてクハ86375がラストナンバーというのもおもしろい。

628 :
>>614はマジな情報?

629 :
クモユニ等の荷電以外、制御電動車がない、制御車ないし中間電動車から改造されたものもないというのは、2両ないし3両単位でのローカル輸送への転用を全く考えていなかったということか。
クモハ+モハ+クハの3両単位ユニットがあれば、富士急のような地方私鉄に譲渡されるものもあったのではないか、と妄想。
まあ、そこまでして短編成化する必要性がなかった、都落ちした72系の2両ないし3両編成で間に合うという考え方だったのかもね。

630 :
>>628
いつもの妄想だから、真に受けないように。

631 :
629
それ以前に老朽化が短期間に進み過ぎた。
80系は2扉ながら軽量で63系と車体のつくり自体は本質的にたいして変わらないのに、長距離高速運転が多く、車両数不足がちで予備車も少なかった。
70系も似たようなもの。
最後の飯田線でわずか5年少々しか使えなかったのは、傷みがひどかったからだ。
岡山や広島にもクハ多数含む全金や100〜200番台後期車多数あったのに、山陽置き換え以後の使用は検討すらされていないことがすべて。

632 :
廃車になるべくして廃車された理由でなく
、もっと前の段階で制御電動車化されなかったのはなぜ?って話じゃないの?

633 :
632
だから寿命までは車両不足だった幹線ローカル用で酷使され、とてもそんな改造なんかやる状況ではなかったということ。
幹線ローカル用車両として80系は現役時代、余っているどころか、むしろ足りなかったんだよ?だから呉線や御殿場線には73系を投入して、赤穂線や宇野線には戦前型を残さざるを得なかった。
もっと歴史を確認してほしい。

634 :
629です。ローカル線の比較的短距離運用は、17メートル国電や72系で間に合うから、70系や80系に寿命延長、制御電動車化といった金のかかる改造する必要はない、という考え方でしょ。

635 :
>>631>>633
80系が全国的に不足していたのは同意だが、飯田線ローカル運用は、むしろ限界に来ていた戦前型旧国のショートリリーフだったんでは?
78年の113/115-2000系大量投入の段階で、84年末までの旧国原則全廃は見えていたでしょう

636 :
>>633
レスアンカーは「>>数字」でお願いしやす

637 :
以前の書き込みにあったけど、80系に制御電動車改造が行われなかったのは
モハよりサハの余剰の方が深刻だったからと聞いた

638 :
もともと2m3tだしね

639 :
80系は当初は10〜15両の長大編成主体だった。
また、2等から3等への格下げが相当数必要になり、そのすべてが元はやはり付随車。

長編成対応で、比較的高速運転にも適していたため、幹線系にて使い込む腹づもりだったと思われる。

増結用として、簡易運転台を設置したモハは、約10両ほど大垣や静岡にあったが、クモハ化の構想は眼中になかったと思われる。
なお、簡易運転台使用時は、信号現示に関わらず、警戒速度(25km/h)に制限された。

640 :
昔は幹線系なら普通列車でも6〜10両くらいだったからね。
分割併合を考えても、4両という最小編成単位は手頃だったのかも知れない。

641 :
>>637
まあでもそれは理由としては弱い。Mc化促進により
McTTMc
McTMc
McTMTc
など、様々なT活用ができる。
ただ、他系とは幌幅が違うネックで、T車の活用は80系内に絞られたのは問題だったかも…。
MT比でもTが多く、McTMcなどは組みづらかったかも知れない。
もちろん142kw高出力なので、T車が多かったこと自体は間違いではないのだけれども!

642 :
>>625-627
逆に末期の神領のクハ86337は偶数向きだった。

643 :
80系は原則80系同士だけで使うという制約があったことが、やはり車両の融通にネックが大きかったんだろうね?
その代わり、全盛期に十数年間続いたクモユニ付き16両とか、静岡地区で6M8Tの14両とか、他の旧型にない長い編成が当たり前に見られた。

644 :
半鋼製の70系には、80系や73系の一部のように壁のアルミデコラ化などを実施して近代化したものはなかったのですか?もちろんモハ71001やクハ76351は除外して考えます。

645 :
>>643
逆に、間延びした運転間隔+長編成という固定された方針だったんだろう。
短編成化して高頻度運転するには、車両のやりくりもさることながら乗務員が必要になる。
乗務時間が増えることに組合サイドが簡単に合意するはずがないしね。
列車増発が実現したのは、事故が相次いで組合の発言力がガタ落ちた1983〜84頃からだもんな。
115系の先頭車化なんて嵐のように行われたじゃん。

646 :
>>645
事故が相次いで組合の発言力がガタ落ちしたからではない。
単純に、昭和50年代全般にわたって、貨物列車やローカル線などの廃止が相次いで、その運転士機関士が余剰気味になるので、増発に活用しただけ(すぐに首切れないし…)。
機関士はたいてい気動車か電車の運転士資格も持っていた。

80系の車体の大改造にあたっては、強度があまりなく、しかも内壁の厚みが0番台・100〜200番台(薄い)・300番台と違い、統一規格の作業ができないこともネックのひとつだった。
加えて、車体の傷みも、沿岸部は潮風、内陸部はノコギリ運転や走行区間同士の気候の差の影響を受け、元来強度を重視しない設計もあって、相当にひどかった。

幹線系の輸送力確保に酷使されて寿命が来てしまった80系に対して、当初から耐候性高張力鋼を採用していた115系なんか持ち出しても、比較になるわけがない。

知ったか怖いww

647 :
>>644
確か70系の半鋼は壁は木のままだった。
ただし、ニス塗りから淡緑に明るく塗装し直したものは一部にあった。あわせて、クロスシートのニス塗り部分は明るい灰色になった。
半鋼73系にもあった淡緑内装とほぼ同じ感じ。

80系には、木の内張りのままニス塗り内装を明るく塗り直したものはなく、内張りの張り替えを伴うアコモ改造が一部に行なわれたわけだ。
ただし、クロスシートのニス塗り部分を灰色化するのは、一時期浜松工場でかなり盛んに行なわれた。

648 :
>>646
強度を重視しない、とは何との比較をしているのかわかりませんが…。
本質はヤワなシロモノを、汎用性が高いつもりで長年に亘り使い続けたのは、単純に国鉄の過ちだった、よろしいか?
それに改造工法に違いが出るのはサハ車とて同じことだが、モハは検討対象にもならなかったのですかね?
当時の現場の空気を教えてくださいなー。

649 :
そういえば80200・86100・87100番台は内壁が微妙にそれまでより薄くなり、そのぶん通路幅を1センチだか2センチだか広げたんだよな。
だからというわけではないだろうが、アコモ改造の対象にならなかった。
元々アルミサッシ&カーテンだったしね。
直前の30年製は割りとアコモ改造されてるのね?
86073・86075・80105〜107

東海道線ではスピードの割に揺れなかったけれど、車体はベコベコのものも初期車には多かったし、3両以下の編成を組むためにモハの先頭車化なんて、バカらしい発想だね。
80系は長い編成でこそ、らしさがある。
甲府6時30分発松本ゆき10連が、乗降がいつもたかだか1〜2名程度の東塩尻のスイッチバックに、交換の意味もあるとはいえ、わざわざゆっくり進入するなんて、痛快だった。

650 :
>>649
>直前の30年製は割りとアコモ改造されてるのね
その頃新車が貰えなかった大垣(名古屋局)の、せめてもの抵抗。

651 :
>>650
配置は長野だが、381系は名古屋拠点のものの中では新車ではあった。
この頃(昭和47〜48年)は103系山手・京浜東北のATC化や冷房化促進が持ち上がり、地方の輸送改善は捻出車両の転用以外は後回しみたいになった。
また、岡山さらに博多と延伸する中で利用客が急増した新幹線車両(0系)の大量増備にも、赤字国鉄が予算確保に腐心せねばならなかった。
80系のアコモ改造はほかに広島局や岡山局でも始まったが、老朽度が想像以上に進んでいることが問題となり、施工率は低く抑えられた。

652 :
652ゲット
80系=モハ80・(ク)モユニ81・サロ85・クハ86・サハ87は、総勢652両(一部70系編入された車両も含む)

653 :
クハ85形の103系の顔が気に入らないw

654 :
>>651
この頃(昭和40年代後半)は、横須賀・総武快速直通運転計画から、113系1000番台もかなり作られており、玉突き転配で阪和・関西線などに113系が進出して行っています。
新製113系もまだ80系を淘汰する目的には至っていなかったわけです。
昭和50年、大船(一部静岡)の111系が広島に転属して、80系運用の一部を置き換えますが、捻出された80系は、サハ4両に休車こそ出たものの、呉線73系や岡山地区戦前型(赤穂・宇野線)の置き換えにまわり、廃車は出ませんでした。

655 :
80系は湘南色だけでは無く、スカ色や飯田快速色、新潟色など色んなツートン色が見たかった。

656 :
70系編成に組み込まれたのをいれれば
スカ色や新潟色もあるな

657 :
ちげえよ、クハ86やモハ80で湘南色以外に塗られて欲しかったってことだよ。

658 :
クモユニ81改めクモニ83-100がスカ色だったじゃん

659 :
関西急電色の80系って模型化もされているのにあんまり知られていないんだな

660 :
作ってる会社がね…

661 :
そこへ来ると、流電(ク)モハ52の塗装変遷歴はすごいね?
マルーン一色、ベージュに窓まわりマルーン、緑、アイスキャンディー色、オレンジ+青、湘南色、スカ色、エトセトラ。
電車の色をカラフルにした功労者は間違いなく80系なのだが…。

662 :
>>25
キチガイ消えろ

663 :
ビデオで見た80系が東海道爆走してる時の狂ったような吊り掛けモーターの音が怖かったんだけど、実際はどうだったの?東武7800系が北関東爆走してる時の音は楽しかったけど。今の車だ

664 :
今の車だと80や100キロは静かなもんだけど

665 :
80系の音、このスレで誰かがUPしてくれたけど、すぐ消えるロダみたいで、今や幻。
本線系高速運転の音のUPを望みたいもの。
クモハ42なんかはYouTubeに動画まである。
80系も動画は無理にしても、MP3にしてYouTubeに貼って欲しいもの。
飯田線のノンビリ運転なら掲載されているけど…。

あと、戦後派の72・70・80系は高速ではモーター音がかすれ気味になり、決してうるさくはならない。
また特に80系は東海道ではあまり揺れなかった。
このあたり、過去レスにベテランが書いてたが、基本的には同感。探してみて欲しい。

東海道・山陽の爆走や中央線系列の勾配越えなど、貴重な音源があったら、眠らせずに次代に伝えるべきかと…。
もちろん70系も…。

666 :
>>661
>ベージュに窓まわりマルーン、緑
の間に、「マルーンに窓回りベージュ」と「マルーン」が挟まっている

厳密には、52003・52004は登場時にベージュに窓まわりマルーンで、半端車の52005は戦後いくつかの途色を飛ばしている

667 :
>>662
今さら話題にもなってない腐った過去レスを藪から棒に取り上げるお前もキチガイ消えろ

668 :
>>667
                     /`ヽ     ,.-、
                       /   `、  ,/  |   頭 >>667
              ,,. ‐'',つ ,/      'L/    |
             ,. ‐'"'ヽ,"  / _,,........,,_  ´  _,,......,,_ |   大 
          /   (゙,. ) / <, |:::::| ,>  <, |:::::| ,|
           /. ヽ-r''",ノ /  `二二,,,,,,,,,,__ ''''''''''' |   丈 
         r,!   -r''" ノr‐'"´:::/‐|:/  `、::ヒ、‐-、 |
        /`--‐'''/   ソ:::::/i::∠.,,レ    ゙、|,,ヽ::i、:`:|    夫 
         /、_,,..-{   i:::::i'.,r''/::::ヽ     'r'"ヾ':|,ヽ:::i
         /    i゙    ,'::::i i. i:::::::::l    l:::::::::|. i !:::ヽ  ? 
        ,'     |   ,':::::! '. '○:ノ     '○:ノ ノi:::::::
      i     l    !:::::i                   |::::::::|
        !     i' 〉  ,'::::::::、        _      l:::::::::|
      i_      '' \i::::::::| lヽ、     l   l     ./::::::::::!
      ヽ`         |:::::::i:┴i:::`''- 、_ `'''"  ,. -'":::::::::::::::|
       !_,.. --ァ |  `、:::|  ''T'r'"´l ``""´!:::::::::::::;i:::::::::|
        ヽ:::::/  |   `、|    '、  ヽ   {ヽ、:::ノリ|:::::::::!

669 :
確かに80系の走行音はCD化されている飯田線や、マイナーながら山陽80系のCD以外は、ほとんど聞くのが難しい。
70系もしかり。
他の旧形はスレ違いになるからあえて求めないが、70・80系の本線高速走行や、MT40が豪快にうなりを上げる山越えの音を聞きたいものだ。

670 :
市販の物も雑音が多かったりそもそも音が小さかったり、
なかなか知的好奇心を充足できるまでのレベルには至らない

671 :
>>670
それならお前がそれより良質な音源をうpしてみろよ! それが出来ないなら黙ってろ!←クレクレじゃないから…。
70系80系現役当時の音なんて、もう録れないんだから、音源資料として貴重だからという話だろ? 別に生録コンテストする訳ではないんだよ。
80系引退期の当時は、音質的に劣るカセットテープだって、機材は大きめで、高音質の生録は困難だった。ようやく出始めたウォークマンも録音可能なものの性能もイマイチだった。
偉そうに抜かすなら、自分が手本見せてから言え。

672 :
そうそう、いい音質に越したことないけれど、>>670さんみたいなこと言うと、誰もうpできなくなる。
音源ある人は気にしないで貴重な音源を発表して欲しい。
たとえば
80系東海道山陽などでの高速運転
中央東・西線や篠ノ井線などでの70・80系山越え
などは自分もガキの頃に少しばかり体験したけれど、いい音していた。

673 :
なんかもう釣りかけの車両なんて、電機すらインバータだから現役では残っていないから、何をいくら話したところで、もはや絵空事。むなしい。

674 :
72系改造のクモニやクモユニを除いて、13両以上の編成を組んだ(組めた)旧国は80系だけ?なんか70系の横須賀線も12両が最高で、それ以降は中央西線のやはり12両が最長だったみたいなので、13両以上は80系だけみたいなので

675 :
ブレーキが長編成でも効きやすいんだっけ
70系もそうだけど

676 :
一度も乗ったことねぇ

677 :
>>674>>675
80系では、それまでの空気ブレーキに、即応性と安定した効きを求めて、弛メ電磁弁を各車に追加したARE式を採用しており、編成全車がこれを採用していることを前提に、主制御器から即時にブレーキが末端まで作動します。
これは、旧国では80系に初めて採用されました。

70系もARE式を採用してはいますが、横須賀線ではクモハ43・53等の戦前型を組み込むことが多く、これらは従来式(AE式)のため、ARE式は使用ができませんでした。

なお、80系登場後の新製車である72系は、ベースとなった63系がAE式のため、ARE式は採用していません。

80系が純正に80系だけで編成を組むことがほとんどだったのは、独自の広幅幌の採用はもちろんのこと、幹線系ではARE式が重宝するためということもあったと思われます。

678 :
80系走行音CDは信越線や静岡地区、飯田線、先の書き込みの山陽線など結構ある。発売元が別で各種が集約されて揃う場所がないのがミソ。73系は横浜線とか仙石線とか。70系はわからないが、ギヤ比が80系と同じだから、我慢すればいいのでは?

679 :
ごく最近うpされた。
豊橋〜野田城と三河大野〜早瀬の分が抜けているのが残念。
旧クモハ42・52・54主体の2Mc2T4連運用を80系2M2Tcに置き換えた1225M。
長時間停車に関して若干のカットあり。

飯田線 1225M 野田城から三河大野までの走行音
1980-10-10
モハ80307
http://www.youtube.com/watch?v=wBYJbgBWlZ8

飯田線 1225M 野田城から三河大野までの走行音
1980-10-10
モハ80307
http://www.youtube.com/watch?v=uTH3SBvBtJ4

680 :
>>679の下段、早瀬から辰野までに訂正

681 :
ファッシズム政権は、残酷な結末しかない。
安倍晋三はどんな殺され方をするんだろう?
https://twitter.com/tok aiamada/status/605899171313246209

『みんなで行こうアホノミクスの向こう側』
『アホノミクス完全崩壊に備えよ』
『どアホノミクスへ最後の通告』(浜矩子・著)


抑制のない成長に基づく経済政策は終焉

日本国民はどう対処すればいいのか。
新しい政権は民意を反映し、
食糧、住宅、健康、教育、最後に防衛です。
国民の意志を裏切ることは、
極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。
民衆の指導者は
職業的政治家ではない人々から見つかるのです。

世界平和の脅威は、
イスラエル、イラン、アメリカです。
イスラエルの役割は跪いて、
パレスチナに許しを請うことです。
アメリカによる他国の虐待に
反対の声を上げなければなりません。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したい
という衝動(世界を支配する)をコントロール
するのは、マイト レーヤの任務です。

非常に間もなく
マイト レーヤをテレビで見るでしょう。
彼は「匿名」で働いております。

682 :
なんだモノラルじゃん
まあ、長時間それなりに取れてるけどさ

683 :
>>682
ぜいたく言うなよ。今となっては貴重。
山間部の勾配の力行、低いギア比でも強力なMT40の咆哮が素晴らしい。
飯田線内は85km/h制限だったと思うが、市田から下平とかはそれに近いぐらいまで飛ばしているのも懐かしい。

684 :
飯田線て85km/h制限だったのか。
なるほど80系みたいに俊足自慢の車両では物足りない走りだったのも理解できた。
そのあとの165系しかり。

今はボタン開閉式の半自動ドアの時代だが、当時はデッキつき全自動ドアが好まれたという背景もあるだろうな。

685 :
飯田線の80系も、岡谷〜下諏訪〜上諏訪は、しょっちゅう90km/hを超えるぐらい飛ばしていた記憶がある。戦前型も時にはそれに近い位は飛ばしていたが、さすがによく揺れた覚えがある。80系は高速でも快適。

686 :
70系の音も一応はあるじゃん
直江津ゆき
http://www.youtube.com/watch?v=8QZD-WjmEH0

687 :
あとは東海道の高速疾走や、丹那トンネル内(もしくは日本坂トンネル=用宗〜焼津など)での高速での再力行を、モハ80の添乗でのステレオ高音質録音で聞きたいものだ。
誰かうpして下さる強者がいないかな?

688 :
>>686
ナレーション気持ち悪杉

689 :
丹那トンネルの高速走行は餓鬼の頃に体験したけど、モーター音よりデッキ付近がガシャガシャと喧しかったな。
サハ87に乗ってたのかもしれない
白熱灯の初期車

690 :
>>689
あんたいくつ?ww
80系の白熱灯はすべて更新修繕され昭和36年までしか残ってない

691 :
サロ75は最初から青モケットだけでしたか?塩ビは青色で竣工した写真見たけど。

692 :
半鋼製電車の座席モケットは、原則二等がエンジ、三等が緑だった。
全金車からは三等は青になったが、サロ85はエンジで、サロ75は作られていない。

サロの格下げ以降、多くのエンジモケットが青に張り替えられたが、サハ45やクハ85などでエンジのままだったものも確認している。

青モケットは二等の仕様ではないし、半鋼時代はそもそも三等も緑モケットだったので、二等で青だった車両があったとは考えにくい。

693 :
ネット上にあるカラー画像は、赤モケは、全金クハ85、サハ45。青モケは、半鋼サハ85、クハ77。これ以外書籍にも見当たらす。

694 :
>>693
張り替えなのだろうが、青モケットならサハ85、クハ85、サハ75、クハ75いずれも、
「ネット上にも」
「書籍上にも」
存在する。
よほどいい加減な探し方をしたとみえるww
無駄なレスを増やしただけで、恥をかいたなww

695 :
>>691
塩ビはエンジだったとの証言もあるが、自分的には実物は未確認。
ちなみにアテにならない場合もあるが、Wikipediaにも塩ビの場合はエンジ色だったように書かれていたかと…。
実物は未確認なので確証にはならないが、少なくとも>>693ほどいい加減な検証ではないはず。

696 :
75の塩ビの青というか紺色写真は、JR子会社サイトにあって保存しといたからどこかに貼れる。室内ニス塗りでカバーも青ビニール。
同時期のキロハ18は白黒写真しか見ていないが、赤モケだったのでしょうか。

697 :
旧国の模型を作る算段をするときに
意外とネックになるのが貫通扉の色
淡緑かクリームか白黒写真でわからず
むしろ既存の模型作品をあてにしたり

698 :
>>697
スレ違い。以下、金魚のナントカにならぬように…

整理しておく

サロ75後期車の塩ビ(サラン)の座席は青だった説が有力(青で残ったもののみ実車確認)。
初期車のモケットはエンジを青に張り替えたものと思われる。

サロ85は元来エンジモケットで、後の格下げで大多数が青になった。俺の確認ではクハ85309がエンジモケットのまま。

そういえば、キハ10代形式前期・後期車とも、モケットではなく塩ビのままの車両(原形タイプ)があったが、紺色だったはず。汚れて黒ずんでいたのも今となっては懐かしい。

699 :
>>698
> そういえば、キハ10代形式前期・後期車とも、モケットではなく塩ビのままの車両(原形タイプ)が
>あったが、紺色だったはず。汚れて黒ずんでいたのも今となっては懐かしい。
ガセはよくないな、キハ17のビニルクロス貼シートは1970年でも緑色のが残っていたぞ。

700 :
キハはスレチだが、キハ17は205(旧キハ45204)以降は背ずりが高くなった代わりに戸袋部がロングシート化されひじ掛けがなくなるなどの設計変更されているから、それの差もあるかも…。ただし、背ずりが低いのはキハ10・11・12・16・50・51には存在しない。

701 :
ちなみにピクトリアル1997-5「キハ10・20系」を見ても座席の色までは言及がなくわからない(近代化工事で順次ビニールからモケットに変わったことの記述はある)

702 :
サロ75には塩ビがあったが、なぜかサロ85に塩ビはなかった。
もっとも、1953〜1955年の間の80系は、関西急電と中京地区用のみの製造で、サロ85は製造中断している

703 :
昭和51年夏、六日町発新潟行の快速列車が70系
雨の日だったが雨漏りがしてた
雨漏りして客室内に水がポタポタ垂れてくる列車に乗ったのはアレが最初で最後
当時、六日町界隈は上野長岡間が115系、それ以外が70系で格差がハンパじゃなかったが、
アレは子供心に強烈な印象を残した

704 :
新ナカの70系は初期車が多く、ほとんどが木造内張り、床も板張りだった。戦前製のクハ68もあった。
1978年までに115系化されたが、1982年の上越新幹線開業により、さらに一部が165系化され、わずか4〜5年で見違えるサービスアップに思えた。
上越国境越えの(新)清水トンネル内では、100km/h近いスピードで釣りかけモーター音がかすれるほど爆走したのも懐かしい。

705 :
>>704
1982年当時は急行現役じゃなかった?1985年急行が完全に引退した後ならばまぁあれだ、話は勿論解るんだけども。16時40分長岡発高崎行きよく乗ってた
(165系だからスレチと言えばスレチだが70系電車は阪和線しか乗ったことがない

706 :
清水(上越国境)超えは新潟もち(165系急行としては「佐渡」「よねやま」など)だから、1985年まで残った急行の新前橋車ではないじゃんね。

707 :
それで思い出したが、80系(全金&全金以外は更新後)普通車(3〜2等車)の扇風機は、たった4個しかなくて、それを急行形電車の普通車は踏襲したため、通勤〜近郊方の6〜7個より、優等列車なのに扇風機が少ないということになってしまった。
冷房車なら関係ないが、153系には東海にかなり非冷が混じったよな。

708 :
>>698
やや不鮮明ですが妻の形式表示は以下のようになっているようです

クハ85309
https://pbs.twimg.com/media/C4t1l1zVMAAU8Cj.jpg

クハ85310
https://pbs.twimg.com/media/C4t1iPRUMAAAmf4.jpg

709 :
クハ85310いいですね?
次がモハ80800番台。続いては恐らくモハ80200番台でしょうか?貴重な写真、ありがとうです。

710 :
>>709
御推察のとおり
85810+80809+80225+85809となります。
全体写真
https://pbs.twimg.com/media/C4t1pvmUYAAaNWA.jpg

711 :
なんか藤枝から静岡まで、最高100キロ前後でぶっ飛ばす80系の音がモハ80300番台ながらも出回っていると聞いたが、誰か持ってる人いたらうpしてくれないかな?
あと、モハ80の半鋼の碓井峠超えもあるらしい。
ソースがわからないから、検索しても見つからない。
旧国も多数扱っているようなメジャーな走行音サイトでも見つからなかったのでお手上げ。
80系の後継の111系は確かに藤枝から静岡あたりはかなり飛ばした記憶があるが、ダイヤ上所要時間が80系とほぼ変わらなかったから、80系も相当飛ばしたはずで、期待大。
焼津から日本坂トンネルの中央位までの飛ばしっぷりとかすごそう。

712 :
碓氷峠はEF63に押されてるだけだろうから音を聞いてもそんなに面白くなさそうだな。

713 :
藤枝〜静岡は飛ばしたのだろうがほぼ平坦だから、聞いてもつまらないだろうね。釣りかけ音はかすれると、生では聞こえても、録音では高周波帯の音は感じ取りにくくなる(いわゆるロードノイズが強調される感じ)。
ドルビーなんか使った日には、ほぼ死んでしまう。
悔しかったらうpしてみろ、なんてなww

714 :
>>713
のような奴がいる限りうpなんかしないな。

715 :
>>713
なんだコイツ

716 :
>>713のような阿呆は無視して、
誰か持っていれば<<711の期待に
応えてうpしてやってくれ。

717 :
毎晩夕刻になると三鷹駅の3番ホームにひっそりとやってくる電車があった。
スカ色の電車なんだけど、いつも見るのとは違う電車だった。
何本か下り列車をやりすごしてからノソノソと発車。トロトロと西に走る。
後ろからくる快速電車に追い立てられるように立川駅の5番ホームに入るやいなや
「当駅始発快速甲府行です〜停車駅は八王子高尾相模湖藤野上野原大月塩山山梨市
石和甲府にとまりまーす」というホームのガナリ声と共に壮絶な席取り合戦が
始まり、30秒ほどするとバーンとドアが閉まり、あの轟音を立てながら
八王子方面へ発車していった。
朝の立川止の上り快速は、この車両ではなかったが。

718 :
>>712>>713もクズだな、逝ってよし

碓井峠越えが非動力でも、釣りかけのワダチには味がある。
モーター音はEF63のが聞こえるかどうかだが…
確か松井田あたりから録音されたレコードかなんかあったと思ったから、それじゃないか?
初期のモハ80だったと思う。
ぐぐってもわからないのだが、限定盤なのかもね。

静岡地区を高速でぶっ飛ばした録音があったかどうかは知らないが、あれば貴重だよね

719 :
>>717
立川18:37・八王子18:52発快速甲府行
TcMMTc
Tcは76または79
Mは71または72(850-)

720 :
70・80系の時代、1980年台前半までは、まだビデオカメラがあまり普及していなかった。1980年台後半以降ようやく普及が始まったから、それ以降のは徐々に列車車内映像も増える。
いまはスマホでかなり撮れるし、ハンディカムみたいなので録った本格動画が、しかもなかなかの音質で存在する。
隔世の感がある。
写真なら、当時でもKX→(1976年ごろから)KRで撮れば、今の高画素カメラに感度以外は劣らぬ高精彩(精細)画像もあるのだが、動画や音ではまったくかなわない。

721 :
名古屋駅中央線ホームで見かけた70系は見るからに貧相だった記憶
がある。

>>707
真夏に四連を2つ繋いだ八両の快速が入線してきて屋根に載る冷房に
一安心と思ったら冷房車が通り過ぎ目の前に停車した後部四連が暖
房車で(ヽ´ω`)

722 :
153系の冷房電源MGは冷改クハ153(165)もしくはサロのみだから、モハ152+153やサハ153だけが冷改でも、冷房できなかった。
これに当たると、扇風機は撤去されていてすでにないから、もっと地獄なわけだ。
キハ28やキハ58なら、扇風機は冷改でも温存されていたのに…。
壮大なスレ違いにならないように、ここで追加。
サロ85020の冷改時(昭和32年)には、まだ扇風機が正式に採用されておらず、当然クーラーのみ追加。
これが湘南電車から横須賀線に転属して、しばらくしてから冷房撤去されて、更新修繕(蛍光灯採用など)のうえで扇風機も設置された。
横須賀線から引退するにあたってクハ77になった。

723 :
>>722
前に他所で書いたけど、サハ153の一部は冷房用MGを載せていたよ。
「東海」編成ではサハ153に冷房用MGを載せないと全車冷房化が出来ない。
また、中京快速でもまともに冷房化していないから、サハのMGは必要になる。
ひどい例だと、サハ153の1両のみが冷房車だったこともあった(冷房稼働中・実見)。
まあ窓は開くし、上段だけ開くこともできるから、扇風機無くても問題はない。
もう一つ、キハ28冷改は基本的に扇風機は撤去されていたんじゃなかったかな。
例外はあるかもしれん。

724 :
東海なんて153系末期の1982年の非冷房完全引退まで暖房車だらけ。
155系に経年の新しい1966年製があったため、残そうとしたのが元凶。
あと、本当は1980年の関西新快速117系化の余剰車をもっと転入させて非冷房を全廃する予定が、当の宮原車の老朽度が大垣の非冷よりひどいものだらけで、159系と1959年製155系だけは全廃したものの、非冷153系廃車はたった4両(サハ-102・103、モハ2+3-59)だった。

725 :
冷房搭載時に補強はしたんだろうがもたなかっんだな。
で、結果的に非冷房の傷み度がマシだったと。

726 :
公用車でソープランドに乗り付けた吉田英男三浦市長
http://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/koumu/1489670675/

727 :
153系の冷房車で、モハ152は集中式で屋根強度確保に苦労。クハ153など電源車(一部サハとサロ)はMG取り付けに台枠強度に難がありながら床下大改造。そりゃ難しいわな?

728 :
>>723
大容量冷房改造車は分散式が短い間隔で設置され、扇風機は撤去されたが、普通の冷改は扇風機も一部温存されていた。

729 :
       _ミミミミミミミミミ,_
     ミ彡   ミミミミミミミミ   _人人人人人人人人人人_
    彡! __     ミミミミミミ  > 市民!市長!コイツラ <
    ミ!   \_  _/~ミミミ彡  > 「特区」でロボットぢゃ ! <
    ミ!| `-=・=‐'∧ -=・=‐'川ミ   ̄//Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
    "!|     _ !|      .!!ミ   /'
     ゞ|ヽ、  ' 。 。 )   , ノゞ   自 民 党  小 泉 進 次 郎
     ヽ|  、  , !   , ィ .iミ
      ヽ  `ヽ _二_ノ   ソ彡 (⌒)
       ヽ   `ー'´  ノゞ.  ノ ~.レ-r┐
       / `- _ _ _ ノ~ ヽ ノ __ | .| ト、
                〈 ̄   '-ヽλ_)

730 :
しかし153とかキハはスレ違いもいいところだわな
これ70系80系のスレ

731 :
自民党の進次郎が精神性の低そうな幼馴染を推すワケ
【横須賀市長選】 ホストみたいな上地雄輔
https://aka.ms/lhskno

732 :
 小泉Jrの正体
http://akb.akiba.coocan.jp/file/uploader.cgi?mode=downld&no=227

733 :
小泉進次郎とアグリ事業に農業を売り飛ばしたい石川議員
https://twitter.com/takumixp/status/868037162171744256

734 :
  /⌒~ヽノ~⌒\       _/ ̄Z_
 `/ ⌒ヾヾソノノ⌒ヽヽ    / ___   <
 |i / ̄ヾノ ̄ヽi |    / /   \__ヽ
 ノノ|ノ\ /ヽ |ヽし   レ| \ / |N
 彡ノ-・- ii -・-ヽミイ    (|-・-∧-・- |彡
 ヽ(  ー || ー )_ノ彡    .ヒ   | |   ソ
  |  ヽノ   |彡    |   ‥   |
   \ ー― \/       \  ― ) /
    \___/         \__/ル
    /V▽ V\        /V>< V\
         売 国 親 子

735 :
>>723
キハ581527だったと思うけど扇風機は撤去されてたよ?

736 :
        /::::::ソ::::: :゛'ヽ、        _,-=vィ彡ミミミヽ,
      /::::::-、:::i´i|::|/::::::::ヽ       ミミ彡=ミミミミミミミ,,
      /:::::,,、ミ"ヽ` "゛ /::::ヽ     ミ彡   ミミミミミミミミ
     /:::::==       `-::::ヽ     彡! __     ミミミミミミ
     :::::::/ .,,,=≡, ,≡=   l::l     ミ!   \_  _/~ ミミミ彡
     i::::::l゛ .,/・\,!./・\  l:::!     ミ!|`-=・=‐∧ -=・=‐'川彡
     .|`:::| :⌒ノ/.. i\:⌒  |:i     "!|  : :     : :  !!ミ
     (i ″   ,ィ____.i i   i /      ゞ| ヽ、 人‥人   ノゞ
      ヽ    / ll  .i   i /      .ヽ|   、 , !   .,ィiミ
      lヽ ノ `トェェェ ヽ、 /´        .\ `ェェェイ  ソ彡
        ヽ  `ー'´ /            ト-___ _ノ 入
   -___../ヽ ̄ ―  ノノ\ _    _..-| ト   ノノ ヽ__

737 :
       /:::::-:::i´i|::|/:::::::::::::::::ヽ          ,-=vィ彡ミミミヽ,
       /:::::::,,ヽ"` "ヽミミ:::::::::::ヽ        ミミ彡=ミミミミミミミミ,,
      /::::::=        `-:::::::ヽ        ミ彡   ミミミミミミミミミ
      |::::::/ .,,,=≡,  ,≡=、 l:::::l        彡! __    ミミミミミミミ
       i::::l゛ /・\,!./・\、l:::!    /´|   ミ!   \_  _/~ ミミミ彡
    /⌒ゝ'   ノ/ i\    |:i     | |  /´) -=・=‐ ∧ '-=・=‐'川ミ
    ( /⌒-),、 ,ィ_____.iヽ   i/     | | / /|   : :    _ : :  !!ミ
   / ´'/, ^ヽ   / l  i   )    rート、 l' /ゞ |ヽ、 人・ ・人   ノゞ
  /    /ヽノ ノ ト===イ´ヽ_/    { ! {、ヽ. l ヽ|  、____   ル
 人    ノ \  `ー'´ /      ハ_>Jノ l |  \  `ヽ__ノ  ソ彡
/::::\_/:::::::ヽ `ー"ーイ__     〉   /    ト- ___ _ ノ 人
::::::::::::/:::::::::::\\__  / |::::::::::::\  /   /  -___..| ト   ノノ ヽ_
     /'''7'''7/''7''7 __/ ̄/__ .    __/ ̄/  /''7''7 / ̄/ /'''7
     / /i  | ー'ー' /__  __  /,   /___.    ̄./ー'ー'   ̄ / ./
   _ノ / i  i__.   _./  //  /    ノ / /i ̄!.   __.ノ ./
  /__,/  ゝ、__|   |___ノ.|___,/,    /_,./__./ ヽ、_>  /______./

738 :
>>735
東北配置車だったからかなぁ?

739 :
 ■ 自民党戦略特区廃止法案提出へ
http://carpenter.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1496420542/
【農業特区】 小泉進次郎 【モンサント外資へ売国】
http://egg.2ch.sc/test/read.cgi/sisou/1285092910/
【神奈川区】 石川たくみ 【アグリビジネスへの詐欺】
http://mint.2ch.sc/test/read.cgi/giin/1491719947/
【三浦市区】 吉田 英男 【公用車でソープランドに】
http://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/koumu/1489670675/

740 :
小泉進次郎キモス

741 :
_______________________________
      /::::::=        `-:::::::ヽ        ミ彡   ミミミミミミミミミ
      |::::::/ .,,,=≡,  ,≡=、 l:::::l        彡! __    ミミミミミミミ
       i::::l゛ /・\,!./・\、l:::!    /´|   ミ!   \_  _/~ ミミミ彡
    /⌒ゝ'   ノ/ i\    |:i     | |  /´) -=・=‐ ∧ '-=・=‐'川ミ
    ( /⌒-),、 ,ィ_____.iヽ   i/     | | / /|   : :    _ : :  !!ミ
   / ´'/, ^ヽ   / l  i   )    rート、 l' /ゞ |ヽ、 人・ ・人   ノゞ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         理念もなく 私利私欲に走る 自民党が問題

742 :
>>735
>>738

どっちも>>730の直後だから大罪だな。
ここは70・80系電車スレだ
よそでやれ

743 :
健康ゴールド免許
http://asyura.x0.to/imgup/d5/2421.jpg

744 :
三浦市長 吉田英男 公用車ソープランド疑惑事件
http://fast-uploader.com/transfer/7052449233588.jpg

745 :
       γ⌒⌒Y¬
       / __/⌒⌒ヽ)
      i 〉  ヽ  ー l
       !!-―( ・ l-l ・)   鼻がデカく
      0|  ⌒ _ノ  |   首が太い
       .|  `='  /   絶倫政治の
        >  ー‐  く    https://goo.gl/WOJXiF
    / ̄ ̄> \ /< ̄ヽ
 | ̄|  /''7         / ̄ ̄ ̄ フ./(_) )
 ー┘ ./ /  ____    ̄ ̄./ / 'ー"
 ___ノ / /____/   ___ノ /
/___,./          /____,./
  / ̄ ̄. ̄//__7 ./''7 / ̄ ̄ ̄.//'7'7
  / ̄ ̄ ./ /__7 / ./ ./ ./二/ ./.ー'ー'
 二二/ ./ ___.ノ / /__,--,  ./
/__________,/ /____,./    /___..ノ

746 :
市民への反逆罪を犯した市長さんなの?

747 :
70〜80系になぜクモハが出来なかったのでしょうか?
サハ(サロ)が多かったからそれをクハにしたとか言われますが、むしろクモハを増やせばクモハサハクモハみたいな3連も作れ、それに使わないクハを別編成にあてがうことできますよね?
国鉄って、やはり柔軟な発想がなかったのですかね?

748 :
長編成用として設計して形式数減らす場合
15連を組んでもクハ、モハ、サハ、サロなら4形式で済むけど
クモハ、サハ、サロ、サハ、クモハじゃ2M3Tの5連が限界。
結局5形式目の中間モハが必要になるから、
転用短編成化を考えてない当初は前記4形式で設計したということ
短編成化の際もクハ85だけで、クモハは作るほどじゃなかったようだし。

749 :
血税でソープランドに通うソープ吉田市長
http://fast-uploader.com/transfer/7052576452295.jpg

750 :
>>747
柔軟な発想とか
それまでクモハしかなかったのをモハにしただけ十分だろ
211みてみれば、柔軟な発想()とやらはたいして時代に沿わないのがわかる

751 :
いずみ中央駅相鉄ローゼン注意情報、ホームレス臭漂う客(近隣ロピアなど含む)

##############(#記号内は完全コピーです)

このたびは、横浜市保健所ホームページにご意見をお寄せいただきありがとうござ
いました。
 ご指摘をいただきました件について、当該施設がある泉福祉保健センター生活衛生
課がお答えします。
 「いずみ中央駅,相鉄ローゼンにホームレス臭漂う客がよく来店する。包装してい
ない、フライなども
 あるので、警察、区役所ホームレス対策係と協力して対策してほしい」とのご指摘
を受け、相鉄ローゼン
 いずみ中央店店長に事実確認を行いました。店長からは「来店している」、「店内
の客が取り外して捨てた
 キャベツなどを断りなく持ち帰っている」とのことで困っているとの説明を受けま
した。
  そのため関係部署と調整を図った結果を報告します。
1 泉福祉保健センター生活衛生課(食品衛生上の対応部署)
  臭いが漂うだけでは食品を腐らせたりしないため直接的な対応はありません。し
かし店長にはフライ等
 直接食べる食品は個別包装やケースに入れての販売を考えてはどうかとアドバイス
いたしました。
2 泉福祉保健センター生活支援課(ホームレス等の対応部署)
  対象の方が支援を求めた場合、「横浜市生活自立支援施設はまかぜ」への入所を
案内していることを店長
 に説明しています。また、店長に来所いただければアドバイスを行う旨をお伝えし
ました。
3 泉警察署地域課
  店舗から連絡があった場合、警察官を派遣し、相手から来店目的等を聞きとり、
買い物でない場合は退店
 するように促してくれるそうです。店長に情報を提供しました。
  人の臭いへの対応は人権的な要素が大きいため苦慮していることが現状です。関
係部署と相鉄ローゼンが協
 力し合いよりよい方向へ改善を図りたいと考えておりますので、ご理解いただきま
すようお願いいたします。
平成27年5月7日
横浜市泉区生活衛生課長 相田  剛
(生活衛生課 電話:045-800-2452 FAX:045-800-2516)
##########
いずみ中央駅北西、北西400m上飯田南公園北側に、
スポーツバック3個下げて、出没する、身長167cm,体重70kg、色白丸顔
###内、事実です、もし私のねつ造なら、無条件で、刑務所に行く覚悟できています。
イズミ警察,警察官の何人かは、この事実把握しています。

752 :
>>748さんと>>750さん
>>747さんの話は、モハ80を改造してクモハにすればよかったんじゃないかという話では…?
現にモハ72のクモハ73化は73500番台や73600番台で相当数行なわれたわけですし…。
ただ、全646両(郵便荷物除く)の中でモハ80の数がほぼ300両と少な目だったから、MT比の問題は残ったとは思います。
153系や113系などが進出する過程で、匹敵しうる加速力を80系で維持しようとする場合に、問題は出たかも知れません。
実際、ラッシュ時は2扉ということもあり、高速性能を発揮しても遅れがちだったようですね。

753 :
>>752
短編成化はさほど要らなかったって事でしょう。
まだ戦前型が余ってる時代、
最低4連であっても特に困らなかったんじゃない?
モハの生産数もその通りで足りないしね。

754 :
>>749
ソプ2000系のネーちゃんに乗って発射したのはいいが・・・

755 :
※ 自民党 吉田ひでお
公約詐欺 人事介入 市長報酬増
公金私物化 福祉削減 農業破壊

756 :
>>755
歴上最悪のソープ市長さん?

757 :
70〜80系短命の要因は、最短でも4連を組まねばならなかったことだと、国鉄部内の人が指摘してるんだが…?
で、それならクモハを(改造で)作ればよりよかったんじゃないかという話だろ?

758 :
短命も何も、初年度昭和25年で全金製造の年にゃ101系(モハ90)出来るくらいで
さて改造って思う頃には105系や119系じゃん。丈夫な戦前型で足りてた。
新潟や高崎は115-1000絶賛製造中だしね。

759 :
よりよかったもなにも短編成化したところで置換の165や115が入ってくれば結果は同じだろ
70系なんか他系列のクモハと混結してたけど、80系より廃車早かったしな

760 :
113・115系は無駄に作りすぎ。
211系開発ぐらいまでは、幹線系に80系は残せたはず。

70系はやたらとクハ68や72系などと混結した結果、12両を超える編成は組めなくなり、高速運転でのランカーブの悪化(減速性能低下)を招いたのが敗因。

逆に、もし80系にクモハが生まれれば、若干数半鋼製も残し、2〜3両を一単位にして、飯田線ローカルを完全80系化するのも夢ではなかったはず。
最低4両編成では利用率が低くなる運用の不経済も防げた。

東海道線では遅れたが、中央東・西線などはダイヤが比較的ゆったりしていたから、80系に起因する遅れはあまりなかったわけだし、編成両数の柔軟性があればもっと使えたはず。

761 :
あと、戦前製が丈夫なのは車体だけで、手をつけるのが難しい配線内部の絶縁特性などはよくなくて、保安には念入りな検査が必要。
そのあたりのこともあってだと思うが、旧国は仕業検査の周期は短く、しかし70・80系だけは新性能には及ばないが、検査周期が長く、全検は3年(ほかの旧形は2年)だった。
戦前型なんかより実ははるかに経済的だったことを忘れるな!

762 :
まぁ気持ちはわかるが・・70・80系原理主義なんだね。

763 :
63系で車体は軽量になり、それでも当面使えることがわかったため、以降の70、72、80系は軽くなり、車体は軟弱になった。
新性能も101、153、151系などはみな軟弱だ。
1960年代前半から半ば頃の鋼材の改良で、165、103、113系などは長寿命になった。
70、80系は軟弱車体。しかも木の部分は薄く、腐り方がひどかったみたい。
つまり長くは使えないことが明白だから、いらないサロやだぶつき気味のサハのクハ化以外、改造する発想がなかったのだろうね。

764 :
 危険な二人
http://fast-uploader.com/transfer/7053182336908.jpg

765 :
>>757
>>760
以前のスレに書いてあったけど、80系はサハの両数が多かったので、先頭車化するなら
余剰となるサハをクハにした方が効率が良かったらしい。
基本80系はMT比を2:3になるように造られているから、クモハに改造するとサハは
廃車せざるを得なくなる
飯田線転属時はすでに先が知れてたから、いまさら改造ということでもなかったんでしょ
70系についてはスカ時代から混結前提だったし、その方が運用効率も上がると言う事なんでしょ
でもどうせ混結するなら、クモハ54あたりと組ませれば2連や3連ができたはずなんだけどね

766 :
>>765
クモハ54とか残ってたローカル線に非貫通は全く居なかったわけでは無いが使い勝手が悪すぎる

767 :
 特区成立へ向けて反対派へ謀略ビラを撒いた岩野匡史
http://fast-uploader.com/transfer/7053326397898.jpg

768 :
 【真珠】 三浦市役所スレ1 【特区】
http://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/koumu/1497797928/

769 :
>>766
飯田線では、基本的に編成単位の両端にある貫通扉は使用していなかった(編成単位の中間に挟まれた貫通扉のみ使用)。
前面が非貫通の制御車・制御電動車でも、両端に配置されていれば問題はなかった。

770 :
>>765
サハ余剰対策は、72系みたくクモハサハモハクハの4連化でも効果はある。
クモハ化の最大のメリットは2〜3両単位に編成を組めること。
4連単位でもクモハサハサハクモハにして、クハを捻出させる効果も期待できる。
そういう柔軟な発想がなかったのが、80系を最短でも4連でしか使えなくする結果になった。
結果として、119系みたいないらない車両で置き換えざるを得なくなった。
あれだって、単行をしない場合、MとTで1ユニットにする方式を取れば問題はなく、むしろより経済的であるはずなに、MM'ユニットか1Mかの2方式のみにこだわり、やらなかった。

771 :
しつこいな。クモハに固執して柔軟な発想ができなくなってますね

772 :
このクモハ80原理主義者何者ww
史実が全て語ってるのに俺偉い系なのか?
今後スルー推奨かね

773 :
史実では、国鉄がMのMc化をあまりしなかったことは確かだが、私鉄ではかなり行われた。
結果として編成単位のバリエーションは増えている。
80系は4両以上を組まざるを得なかった。
貫通幌が他と共通の70系は、クモハ43などとのコンビでクモハモハクハの3両編成が存在した(横須賀〜久里浜の区間運転が有名)
まぎれもない事実

774 :
103系のATC化にあたっては、クモハは編成の中に閉じ込められてしまった。これはMcだと空転で正確な走行速度が反映されないことがあるため。80系とは事情が異なる

775 :
で、70系の方が早く廃車されたわけですね
まぎれもない事実

776 :
>幹線系に80系は残せたはず
>2〜3両を一単位にして、飯田線ローカルを完全80系化するのも夢ではなかったはず。
何、この超鉄ヲタ目線はww
今から30年後に
何でE231や233にクモハ造らなかったの
2〜3両を一単位にして、ローカルに転用出来たのにって
言ってる鉄ヲタが出てきそうだ

777 :
>>775
70系は全廃は80系よりいくぶん早かったが、絶対数が少ないから、最後の福塩線での置き換えに小量の105系で済んだせいがあるかも。
福塩線では、70系は最初の頃だけクモハ54あたりの残党と組んだことがあったな。
80系は、飯田線に長時間利用客がわずかながらいてクロスシートやWCが必要なのと、勾配対策が望まれたせいもあり、置き換えの投資が福塩線より大きく、後回しになったのでは?
80系にクモハを作らなかった(改造しなかった)真意はわからないが、車体の傷みが早かったから無理に延命を意図した車両計画を組まなかったと思う。

778 :
2連基本とすると重連4両にする場合も
考慮する必要があって、
仮にモハを貫通クモハにしても
クハが非貫通のままでは
連結順序など使いにくいのでは

779 :
二枚窓非貫通じゃ運用クモハ60や54のようにはいかんからねぇ。
当時は組合も強くて貫通型の隙間風は嫌われて
大糸線なんて貫通させずドアにガムテしてヒーター置いたのもあった。

780 :
>>769に書かれたが、少なくとも飯田線での戦前形は、3または4両で組まれた編成の中間にきた車両以外では、貫通扉は使っていなかった。
前面幌がないのもそのため。
飯田線では前面貫通必須の議論は通用しない。

781 :
私見だが、飯田線戦前形を53-10時点で全廃して80系化するのには、相当数の半鋼製80系を残す必要があり、現実的ではなかったと思う。
クハの数は、その時点までに用途廃止になりかけたのを半鋼製含めてかき集めれば、飯田線だけなら数字の上では足りるけれども…?
いずれにしても、幹線からの撤退以降のローカル線使用の視点でみれば、4両が最小単位というのがネックだったのは確かだと思う。
クモハという案は、ローカル線進出のための短編成化という狭い視野で見れば不可能ではなかったかも知れないが、東海道や山陽で長く使われ過ぎて老朽化して、すでに先行きない状況になっていた。
経費はかかるから、やはり現実性に乏しかったと思う。

782 :
本人は80系クモハは 柔軟な思考 って思ってるのに、飯田線特化の 狭い思考 とか言うなよ

783 :
あの時代に80系投入が現実的に有り得て尚且つクモハが必要な路線は何処があるのかっつう話だな

784 :
視点は違うが、国鉄は赤字に転落後も新車を発注しすぎという考察は、現実にある。
EF65PFやEF81、DE10、485系や183系電車、さらに113・115系(これは70・80系に直接からむ)などがよく槍玉に上がる。
大企業の儲けのため…。
事実、黒字の大手私鉄より車両寿命は明確に短かった。
もっとも、この見方は、走行距離が長めの国鉄と単純比較しがたい部分もある。
それぞれに一理ある中で、フェアーな見方は意外と難しい。
国鉄70系電車の範疇に入る車両として、モハ71000が存在したのに、モハ70000が存在しなかった理由を知らない様な者は、この問題に関して安直に発言すべきではないということは確かだと思う。

785 :
>>783
電化工事の頓挫(中止)や遅れを、もしも順調に施工されたらという考え方をしてよいのなら、俄然対象線区が増える。
紀勢・和歌山・高山・伯備…。
当初は関西本線名古屋口の電化に神領の70系を転用する計画もあった。
岐阜〜美濃太田は70系、以下高山・飛彈古川までは80系という青写真は、俺の妄想…ww

786 :
>>781
80系にクモハ改造がなかったのは、車種を絞って予備車の削減や転配の都合を考えたからじゃないのかな。
末期の80系の編成はTcMMTcかTcMMTMTc(TcMTMMTc)の二種類だけだった。
仮に前レスにあるように、McTMTcみたいな編成を作ると、予備車も多く必要だし他区との転出転入も難しくなる。
(72系も線区ごとに極力McTMTc、あるいはTcMTMcとMcTTMcなどと揃えていた)
もっともクモハはモハ代用にもなるが、せっかく先頭車化改造したのに中間に押し込めるのは勿体ない。
もちろんモハ全車をクモハ化すればよいが、そんな費用はない。
結局、MとTc(偶数向け奇数向け)の3種だけ車種なら、予備車も少なくて済むし転配する場合も問題は少ない。

787 :
>>786
的はずれでは?
McはTcはもちろん、貫通ならMやTの代用が出来るし、旧形は元々それを柔軟にやっていたから、予備車うんぬんの話は問題にならない。半鋼最後の昭和32年度車からは両渡り式で全車両方向転換自在にもなっており、予備車の確保に難は本質的にほとんどない。
そもそも、予備車としての活用に、中間に組み込まれてもったいないもなく、不足補充できる位置に置くのは当然。
貫通クモハには、むしろ他の3形式(モハ、クハ、サハ)すべての代用も自在に出来るメリットもある。
あえて言えば、80系は電動車のみに便所がないというネックがあったぐらい。

788 :
結論から言えば、鉄道省時代からクモハを造らなければ良かっただけ。
流電も制御車と中間電動車にすれば良かっただけ。
どうだ!この結論。

789 :
ワロタ

790 :
80系にMCが有っても
淘汰の次期は変わらないぜ
そもそも、80系を入れた事自体が失敗だったんだから
なんだか
真面目にクソ論調張ってる輩
恥ずかし杉

791 :
技術革新が早かったね
80系→153系に8年しか要してない

792 :
>>791
スハ44から20(151)系も8年くらいじゃなかったか。
キハ17からキハ81も。

793 :
>>792
スハ44→151系も8年だね・・それから6年で新幹線という恐ろしい時代w
キハ17から81は同じようなエンジンなんであんまり革新的じゃないね
国鉄気動車はその後JR化後カミンズエンジンとかまで
直噴の高馬力・高効率がなく、世界に遅れとることになるから

794 :
気動車って接客設備でもランクが落ちるよね
キハ81・82は151系より後なのに座席後面モケット無しとか
キハ55<80系全金(サロ除く)<<153系 って感じ
エンジン出力が足りず軽量化せざるを得ないかららしいけど

795 :
>>793
気動車保有量世界一でしたけどね。世界に遅れとかヲタにとって重要なだけで、国鉄は輸送改善の方に軸足おいてたからな

796 :
>>794
座席後面モケットは20形(151系)でも製造当初は貼られていなかった。
ほかに、鉄道省〜運輸省時代までさかのぼり、国鉄の気動車は早くから巻き取り式カーテンが採用されたため、それが特急形にも及んでいた。
必ずしも高出力高トルクとは言いがたい中で、車体の設計に関する思想で、より軽量にということが強調されたのだと思われる。

797 :
お前80系が駄作とか保存がどうとかわめいてた気違いか?
いいから失せろ!

798 :
>>794
キハ55は半鋼80系モハ80200クハ86100の時期のデビューで、まだ約1年はたたないと80300は出てこないから、思いきり的はずれなんだけど?
時系列ぐらい確認してから語ってくれたまえ、坊や!

799 :
>>795
そりゃあ世界は動力分散方式が主流じゃないから

800 :
80系原理主義者が書き込んでから一気に過疎ったなw

801 :
キハ55・26やキハ20・21・22・25などには窓側座席に枕があったが電車にはない。
一方、スハ43では通路側にも枕があった。
それぞれの分野でそれなりに独自の設備改善の試みが重ねられているのを、まるで自分が物知りで正しいような断定口調は、事情通からみれば失笑ものだろうな
2ちゃんだから仕方ないかな

802 :
80系の1.5次車、東急製の86021-80033-87017-87018-80034-85006-80035-87019-80036-86022は、一次形前面三枚窓の台枠に、二次形に準ずる(正面の角張りがないとか貫通面の窓が小さいが、前面二枚窓)車体を載せたものですね。
ところで、これは製造時、外見は斬新になったものの、車内設備は二次形ではなく一次形並だったという話を聞きました。
●整風金具は、いわゆる洗面器といわれる青銅製の一次形タイプか、二次形と同様の皿形タイプか、当初はどちらだったのか?
●座席背面モケットの仕様
●床が板張りだったのか、リノリウムか? サロはどうか?
についてご教示下さい。どうしてもわかりません。恐らくかなりマニアックな難しい質問だと思うのですが済みません。

803 :
こういうのはわかるとすれば初心者もどき氏やスレ主とかしかいないんじゃね?
クハ86021とかの1次2次の合の子編成だな

804 :
>>784の最後が意味不明
わかるえらい人教えて下さい

805 :
30系から80系までという本ならば

806 :
>>804
偉くないけど同感 71000って無く1番から始まってる

807 :
昨日発売のファン誌に80系の資料記事が。
番号別製造メーカー表が掲載。
交友社だから30系から・・のソースと同じはず。

808 :
もはや、80系を展示2両でしか見られない者に、80系の全貌を語るのは難しくなった。
体験した年配も、記憶は次第に薄れる。
思い出す一助に供したく、レスナンバー808にあてはめ、モハ80808の走行音を紹介。
南松本から村井では、25m1秒を明確に切り、すなわち90km/h超えを確実にしている。
篠ノ井線 80系電車走行音 モハ80808(松本→塩尻) 1979
http://www.youtube.com/watch?v=Bp_zmIlKWns

809 :
いいね
指摘のある2駅目南松本の先の飛ばしっぷりは、東海道時代を彷彿とさせるね
その割に、広丘〜塩尻がトロすぎなのも、ある意味ご愛嬌

810 :
何と何と!
昭和58年に飯田線を最後に引退した国鉄80系電車が、
こんな形で34年ぶりに営業運転に復活!!

昭和61・62年、飯田線で用済みになった80系の足回りを流用して4両造った西武のE31機関車。
これまでは当然業務用に使用されてきましたが、西武ではもう機関車が不要となったため、
保存用の1両を除き残りの3両が大井川鉄道へ移籍、社で再整備を行った末、
今年、営業運転用としてデビュー!
10月15日、デビュー記念列車が運転され、機関車の隣に展望車をつなぎ、
オープンデッキから国鉄80系電車のモーター音を鑑賞できるようにして運転したそう。

これはすごいことだよね!!!
とても懐かしくていい音してる。
https://www.youtube.com/watch?v=O0SNOqPE8CE

811 :
ちなみに80系のデビューは昭和25年3月1日、引退は昭和58年2月24日です。
平成29年10月15日、80系は34年ぶりに営業運転に「復活」した、
という評価をしてもいいでしょうか。

812 :
台車は80系のものだけどモーターは80系の物ではないのでは

813 :
過去の警察署長はソープランドに税金で通う市長の吉田に買収されていた
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/police/1511385993/

814 :
ウィキペディアの80系の項目、ちょっと頭がおかしい人に荒らされていたけど、
その人のアカウント名でググったら、それが本名で
数日前現実世界で逮捕されていて吹いたw

815 :
神奈川三浦市長 吉田英男 “公用車でソープランド” 税金不正
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/mayor/1489670714/

816 :
 石川たくみ
http://akb.akiba.coocan.jp/file/uploader.cgi?mode=downld&no=436

817 :
税金でソープにイク!吉田英男 三浦市長 住民監査書をゴミ箱へ!
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/koumu/1518792920/

818 :
80系は2つ目玉のウルトラマンフェイスでカッコイイよねw
あのボディカラーをシルバーと赤にして欲しいわw

819 :
久々に…。
前窓が両方とも天地寸法の短めなものに交換されたクハ86356。
>>143>>225は、片側のみの交換。
http://www.geocities.jp/h6feet/image6d/395-02web.jpg

820 :
三浦市長吉田英男の嫁は泥棒した税金を返還せよ!
https://mao.2ch.sc/test/read.cgi/ftax/1523524796/

821 :
      γ⌒⌒Y¬
      / __/⌒⌒ヽ)
     i  〉  ヽ  ーl
      ! !-ー( ・ l-l ・)
     0|   ⌒ _ノ  |  嫁に税金で給与を与え
      .|  `='  /
       >  ー‐  く     税金でソープもイク
   /⌒ヽ ー-` '-ー^ヽ⌒ヽ
  /  ィ  ,  ヽ  , )``ヽ  三浦市性会で犯罪も隠蔽
 /   ノ^ ー   '` ー 'ヽ  ゙i
..ノ ,,,ノ           Y´ )      数々の犯罪市長 吉田ひでお
(  < |           ! /
  ヽ、__ヽ.ー     @  ノ ソ⌒ヽ         年収5000万
     〈J .〉ヾ、.::;;;;;;::.ノ  .| -´           ______
     /""    ;ミシミッ  .|           /壱 / /万:/|
     レ   .イミ.i i.ミ  .リ      ___|≡≡|  |≡≡|彡|_____ 
    .,ゝ    ,ノ `ー∪' ヽ ノ      /壱// |≡≡| ̄:|≡≡|/壱//万 :/|
   / ` レリ   i´  リ      .|≡≡| |≡|≡≡| ̄ |≡≡|≡≡| :::|≡≡|彡|
   i    /    `、  i'     .|≡≡| ::|≡|≡≡| ̄::|≡≡|≡≡| ::|≡≡|彡|
    〉  イ      〉  |      |≡≡|:: |≡|≡≡| ̄ |≡≡|≡≡| |≡≡|彡|

822 :
天浜線キハの湘南色企画に、サハ85 300 を思い出すとの声。サイドビューかな。

823 :
>>724
クハ153-74も廃車になったから、5両淘汰。

824 :
鉄道ピクトリアル増刊号、カラーページ少なくがつかり。サロ座席のデビュー色に期待したのに。
時代背景考えてもねえ。

825 :
やまぐち号のように新サロ85と75が見たい。釣掛は擬音でも。

826 :
>>824
サロは基本エンジ。
半鋼二等は基本緑 (昭和32年以降の入場で青に張り替え)。
全金二等は基本青。

827 :
>>765
43+70+76とかスカ線にあっただろ!

828 :
クモハ43or50−クハ76の2連運用もありましたね。

829 :
このスレや旧国スレあたりの情報通というべき重鎮は、恐らくみんな我が心の飯田線の掲示板に引っ越ししたんじゃないかな?
スレ主さんも来なくなった。
荒らしがしつこかったからな
保存アンチとか、特にひどかったし、くだらん質問厨とか…。
でも、時折ためになることも書いてあるんだけどね?
スレ破壊が横行して、最近はch全般、死にかけ状態の板が増えてきた。
日本のネット民て、民度低いのか?
大陸以下にだけは墜ちたくないものだ。
久々に見たとある映像に、横須賀線かな?
70系が映っていたので来てみて、少しがっかり。

830 :
神戸市在住50代後半男性です。
昭和45年の夏、まだ山陽方面と大阪を行き来する客車の普通列車が走っていた時代の
事です。
夜の19時30分ごろと思いますが、三ノ宮駅で80系の大阪行き普通を見た記憶が
あります。

あの列車が万博関連の臨時列車だったのか、それとも定期列車だったのか。
昭和43年に高槻および宮原から80系は撤退しており、岡山か広島持ちと思われます。
どなたか当時の大阪口での80系の運用状況についてご存知の方がいらっしゃいまし
たら、ご教示いただけたら幸いです

831 :
>>830さんへ 昭和50年に 摂津本山駅近くの大学に入学した当時、5歳年上のクラブの
先輩が部室に夜遅くまで一人残っていて、80系の岡山から来る唯一の快速大阪行きに
乗って帰るのが一日の楽しみだった(昭和48年頃)と聞いたことがあります。多分岡山
持ちの車だったのでは・・・ 私がよく岡山行きに乗ったのは 西明石6時24分発の三原
行き(岡オカ) 52年末運用廃止でした。

832 :
続いて余談です。昭和38年ころまだ幼児だった私は80系快速大阪方面行きに乗って
お盆に帰る途中で、三ノ宮か神戸か忘れたが親に小便の意を伝えたところ、混雑して
いたので停車時に一旦ホームへ降りて、クハ86の先頭車同士の中間連結面へ父親と
放尿したのを覚えています当時は駅員も乗客もおおらかなもので、車体が汚れる、だ
とか猥褻だとか騒ぐ人だれも居らず、のんびりしたものでした。 クハ86さんごめんな
さい。

833 :
昔の大阪やなぁ。福知山線のボロ客車の幌とちゃうねんでw
当時の80系は知らん、クハ76の茶色には乗ったけど

834 :
>>830
快速ではなくて?

835 :
>>831さん
レス、ありがとうございます。
実家の最寄り駅が岡本でしたが、帰省等の時は距離的に大差ない摂津本山を利用して
いました。
昭和40年代,マルーン一色の阪急と違い、20系や181系485系583系82系の特急列車
群や旧型客車153系475系の急行列車に混じって山陽方面からは旧型客車の普通列車
もやってきて阪神間が最も輝いていた時代でした

昭和48年ですと大阪口から80系は撤退していますので、昭和47年以前ではないかと
思います。
私が三ノ宮駅で見た80系も夜間でしたので、先輩の方が乗ったのと同じ列車だった
かもしれません。

836 :
>>834
快速ですね。
失礼しました。

837 :
湘南窓少なくなったね
好きなデザインなんだけどなぁ

838 :
80系は電磁自動ブレーキなどの新機軸を採用したため、他系列との混結は原則として行わなかったのに対し、
70系はシステム上は他の旧型国電と同じだったこともあって、戦前製の車両とも自由に混結できた。
前面こそ同じ湘南顔でもそういう点は根本的に違う。
阪和線でも基本的には70系だけで運用してたけど、旧阪和形や40系・72系と混結されることもあったし。

839 :
>>838
832 にてクハ86顔面へ放尿したをカキコしたものです。また別の日には夜8時頃に大阪
駅に到着する下り快速の先頭車クハ86の最前部にかぶりついていて、旧8番線への
到着の制動時に木の床板全面にゴーッと音を響かせながらホーム進入した光景が未だ
鮮明に蘇っています。その寸前 下淀川橋梁を過ぎた辺りから内側線を72系3段窓の
旧国各停が併走してきて大阪へは同時進入、競争。父親が「向こうの電車速度落とせ
よ!」と言っていたので、併走するクハ79の床下をじっと眺めて居ましたが、結局何も
線路上には落ちませんでした。(笑) 父親に「何も落ちなかったじゃないか」といいました。
当時、幼児由の無理解でした。

840 :
>>103
嘘こけ!
デタラメな70系運用作るなよw

確かに、一時期70系も豊橋〜大垣間に投入されていたことはあったが、神領電車区初期の、もっと古い時期の話。

841 :
>>838
70系も電磁自動ブレーキ(ARE式)ついてるよ。
他のついてない車と混用すると、普通の自動ブレーキとなるだけのこと(このため、70・80系に統一した場合と異なり、編成が12両までに制限される)。
ついていたからこそ、静岡に一時期いたサハ75が3M4Tに組み込まれ、13または14両編成の運用に入ることができた。

842 :
>>839
昭和40年の夏、東京から遊びに来ていた伯母親子と京の五山送り火に出かけた時の事です。
行きは岡本から西北乗換、十三からは新製間もない2800系、神戸線では920系の特急もまだ残っていた時代、オールクロスシートの真新しい電車はものすごくざん新でまばゆい思いがしました。

帰路は何故か国鉄京都駅から帰る事になり、京都駅の下りホームに降りましたが、従妹がぐずり出し、一等車に乗る事になりました。
大船から下りてきた木製のサロ85でしたが、背もたれには白いカバーが付いて、座席は広くふかふかで、従妹は寝てしまいましたが、従兄は「まるで特急列車みたいだ。」と大喜びでした。

京都から芦屋まで一時間弱の豪華(?)電車旅行(笑)でした。
後にサロ110や112は利用した事が有りますが、これが最初で最後の特別料金を払って乗るサロ85乗車でした。

843 :
>>840
神領電車区の開設は、1966年の名古屋〜瑞浪電化の際で、同区間に70系は投入されましたが、その当初は大垣電車区配置でした。
この大垣の70系には、東海道本線の運用もあり、西は米原まで使われていたほか、多客期には80系等の応援として臨時運用ながら大垣〜東京間ローカルに投入されたこともあります。
この410kmが70系による最長距離運行列車と思われます。
1968年のいわゆるヨンサントオの中津川電化で、70系は神領電車区に移管され、運用は中央西線がほとんどになったようです。

ヨンサントオでは併せて80系の一部も神領電車区に転入しています。
ただし、こちらは東海道本線運用主体で、新幹線開業後も多忙な大垣の補完のため、まだ開設初期で設備的に余裕があった神領を活用したもののようです。
中津川から先の低トンネル区間もまだ非電化のため、低屋根やPS23装備車もありません。

70系ローカルの米原駅でのひとこま。木枠のクハ76032。1967-8
http://mokugoho.web.fc2.com/img1170.jpg

844 :
>>842
私はサロ85に乗車したことは無かったのですが、広島地区へ小旅行した折に、呉線内
でサハ85 0台が着たので聞いていた豪華さを味わえる、と喜び乗車したまでは良かっ
たのですが、広窓ではありますが、窓間の柱が太いので、通常通り腰掛けると、外の景
色を見ようと思って首を横向けても、柱が目前に有るだけで、景色が見えない。見ようと
すると前屈みで不自然な座り姿勢で疲れるばかりで、また広窓に拘ず、窓数が少ないの
で車内が幾分暗く感じたので、あわてて普通のモハ80へ移動しました。客車のオロ36
やオロ40でもあんな感じだったのですね。居眠りには良いが、車窓を楽しむには何だか
ナア・・と思いました。

845 :
思い出したので、続いてカキコ。昭和52年のその広島旅行中に乗ったモハ80
若番車の内に(番号は控えなかったが)驚いたのは座席背もたれの木枠上面に、
○○番A ○○番Bとアルミ製の座席指定札が真鍮釘で付けてあったのです。
その上から幾度となくニス塗りされた様子。これは80系デビュー当時に準急
伊豆などに使用されていた名残か?と感慨深いものがありました。

846 :
山スカ モハ71約23分トンネル内で力行・空制ブレーキ大音響!!
高尾→上野原の先 モハ71高尾発最終の山男電車。風がボウボウ入ります。ソニオマチックSリール録音
http://www.filmscan-print-s.com/0361-TAKAO-UENOHA-M71.mp3

847 :
>>845
80系の席番表示は、確か数字のみだったかと思うが、A〜Dまでのアルファベットあった?
(確かキハ55も同じ)
もちろん151・153系、キハ27・28・56〜58などからは、A〜D(急行型戸袋部はS)のアルファベット併用になったが…。

848 :
ちなみに80系旅客車全車に席番表示が最初からあったが、旧型ではほかには1等含めて一切なかった。
中央線71・115系(初期車には後期車にあった席番表示はなかった)などは、定員制列車としてワッペン列車に使われたことはある。申し込み受け付け時に着席人数分のワッペン (号車のみ指定) を配る手法。

849 :
三浦市役所職員 大澤克也 1000万着服して逃亡
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/koumu/1497797928/

850 :
>>848
電車が指定席に使用されるようになったのは80系が湘南準急に使用されて以降の話だからな。
80系登場以前は青帯の2等車でさえ全車自由席だったから席番を表示する必要がなかった。

851 :
三浦市 吉田市長 3千万 着服職員を懲戒免職
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181121-00010002-tvkv-soci

      / __/⌒⌒ヽ)
     i  〉  ヽ  ーl
      ! !-ー( ・ l-l ・)
     0|   ⌒ _ノ  |
      .|  `='  /       トカゲの尻尾切り
       >  ー‐  く
   /⌒ヽ ー-` '-ー^ヽ⌒ヽ    三浦市性会で犯罪隠蔽
  /  ィ  ,  ヽ  , )``ヽ
..ノ ,,,ノ           Y´ )  お前が辞めろ 吉田ひでお
(  < |           ! /
 ヽ、__ヽ.ー     @   ノ ソ⌒ヽ        年収5000万
    〈J .〉ヾ、.::;;;;;;::.ノ  .| -´         _____
    /""    ;ミシミッ  .|         /壱/ /万/|
    レ   .イミ i i ミ  リ    .___ |三三|__|三三|彡|____ 
   .,ゝ    ,ノ `ー∪' ヽ ノ   ./壱// |三三|__|三三|///万./|
   / ` レリ    i´  リ   |三三|__|三|三三|__|三三|三|__|三三|彡|

852 :
公用車を家族で私用する吉田ひでお 三浦市長
https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/vp/fabbeea4f94c4e9b1e05da262330e8be/5C7AEA71/t51.2885-15/fr/e15/s1080x1080/28153858_168344240471281_4703281349975343104_n.jpg

853 :
距離と混雑率を考えたら
横須賀線は最初から3等車はオールロング(63系+サロ)で良かったんじゃね?

854 :
横須賀線には、借り入れだが若干数の73・72・79形(78は不明)が入ったことがあったよね?

そういえばもうすぐ80系第一陣の落成試運転から69周年になる。1月30日。
クハ86009・010
モハ80017・018・019・020
サハ87013・014・015
サロ85005
国鉄初の中間電動車もデビューした。

855 :
■ 悪徳隠蔽みうら市政会
 岩野匡史【元共産党 寝返り】
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/manifesto/1491719653/
 神田真弓【75万横領で逮捕?】
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/giin/1549898441/
 草間道治 【市民団体はキチガイ!】
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/giin/1545463599/
 出口正雄【進次郎の舎弟】
https://mao.2ch.sc/test/read.cgi/ftax/1491720305/
 出口眞琴【隠蔽監査長】
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/mayor/1491720096/
 長島満理子【福祉公約無視】
https://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/gender/1491719896/
  /⌒~ヽノ~⌒\       _/ ̄Z_
 `/ ⌒ヾヾソノノ⌒ヽヽ    / ___   <
 |i / ̄ヾノ ̄ヽi |    / /   \_ ヽ
 ノノ|ノ\ /ヽ |ヽし   レ| \ / \N
 彡ノ-・- ii -・-ヽミイ    (|-・-∧-・- i彡
 ヽ(  ー || ー )_ノ彡    .ヒ   | |   ソ
  |  ヽノ   |彡    |   ‥   )
   \ ー― \/       \  ― ) /
    \___/         \_/ル
    /V▽ V\        /V>< V\
 吉田は今期で終わり   そうだね父さん

856 :
         γ⌒⌒Y¬
         / __/⌒⌒ヽ)
        i 〉  ヽ  ー l
         !!-―( ・ l-l ・)
        0|  ⌒ _ノ  |
         .|  `='  /
          >  ー‐  く
      , / ヽ ` "ー−´/⌒
     /´⌒´     ゙ヽ⌒ヽ \
    /   ィ   ,  ヽ  , )` `ヽ
     汚職天国 三浦市役所

857 :
サハ87やサロ85は先頭改造されましたが、
モハ80の先頭化は単にやらなかっただけなのか、不可能だったのかどちらなのでしょう。

858 :
80系は全体の中でM車がやや少なく、モハをクモハ化しても、クモハ+クハ、クモハ+モハ+クハ、クモハ+サハ+クモハみたいなローカル線用などに当然あってしかるべき編成を組むと、他の残りのMT比がますますきつくなってしまう問題があった。
これは案外大きなクモハ化を阻害する理由だったようだ。

859 :
>>858
モハ80300台をクモハ化して、McTTMcを全金で組む全金サハ87有効活用のバリエーションがあるかと思っていたのだが、MT比の問題もあるのだな

関ヶ原越え、セノハチ越え、甲信越え、上越越え、信越越え、鳥居越え(奈良井〜藪原)、碓氷周辺(碓氷自体は80系は非動力)など、連続25パーミルが多数あり、容易にはM車を減らしがたかったわけだ
また、平坦区間は新性能と平行ダイヤを組むために加速を悪くは出来なかったのだろう
静岡の3M4Tや5M7Tなんかは平坦区間で、なおかつ当時は担当区間の駅間距離が平均的に長めだったからなしえた芸当ということか

860 :
70系の方はどうだったのですか。クモハ71とか。
例えば福塩線だと組み替えをしていた旧車両から、70系に変わって4両固定になってしまった。

861 :
福塩線に最後に生き残った時点では
先頭改造してまで両数を減らす意味はなかったということでしょう

どうしても2,3連を組む必要があるところは
73系や戦前形でまかなえる程度だったし

862 :
まあ105系ができるまでの橋渡し役でしたし
当初は105系にも4両固定が有った。

863 :
4連固定やったら115系か113系で山陽本線と共通にした方がええんちゃうんか
と当時思いましたわ。

864 :
誰かWikiの田町のページ直してくれ、
東海道名古屋電化で田町の80が「東海」を担当していたことになっている。
(最初は電気機関車牽引列車、80全金車登場時に大垣持ちで電車化)

865 :
>>863
当時は変電所の容量の関係で、115系のようなMMユニット車がムリなので、1M車になったとか聞いた覚えが。

866 :
>>865
可部線はその記述を見ましたね。
モハ105x2とモハ114-115ユニットでどんだけ違うか知りたい。

867 :
身延線にモハ62を作ったのもそのへんの理由だろうか。

868 :
三浦市長と溝川幸二 マラソン大会不正事件を隠蔽中
http://get.secret.jp/pt/file/1553915924.jpg

869 :
>>858
MT40の大出力を以てすれば経済編成は2M3Tなんだろうな。
>>867
後年仙石線や身延線へのアコモ改造車でも先頭電動車にはしなかったな。
国鉄時代はローカル線でも4両編成以上がふつうだったこともあるかと。

870 :
>>864
「東海」電車化当初数ヶ月は、大垣電車区に6両以上の長い固定編成に対処できる設備 (検修・留置等) の不足などがあり、一部の編成を田町に貸し出して、本質的には田町電車区持ちとして運用していました。
このため、大垣配置には違いなくとも、名目上の配置であり、実態は田町区持ちという格好になったわけです。

871 :
【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青砥6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
 老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青砥6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
 低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
 異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
 youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください

【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111

D清水(東京都葛飾区青砥6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
 清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青砥6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青砥6−23−20)

872 :
2M3Tなら加速は……

873 :
全国の金に困った女が、左手でリーマンの腕を掴み、右手でリーマンの手の平を掴み、痴漢!と叫び私人逮捕

女は自分の尻を自分の右の手の平で事前にまさぐってるのでリーマンの手の平に繊維やDNAを付着させることが可能

このような完全犯罪が年間数万件発生するだろう

リーマンを狙うのは示談金(30万以上)を払える経済力を有しているから

どうするんだこれ!
この当たり屋行為

男車両、女車両で分けるしかねえ!早くしろ

874 :
https://youtu.be/0RgKCFMAUk8?t=24
クハ86015
これどこの駅だろう
敢えて動画の題名と無関係と見たが、大宮駅なのかな・・・?

875 :
>>874
大宮ではないのでは?
86015は奇数車であり、東北・高崎線下りでは、黒磯・高崎方面向きとなる。
もし大宮だとすれば、背景はいまは新幹線が陣取るあたりに該当するが、まるで合わない感じだ。

876 :
大宮でしょ。背景は大宮機関区の煉瓦の建物みたいだし
懐かしいな。ほんと新幹線はいろんなものを壊したな

877 :
てかクハ86015って宇都宮にいたことあったんだね? 例の事故は茅ヶ崎だったし、高槻にもいたことあるから、あちこち転々としたようだな。

878 :
クハ86015は新前橋の配属歴があるようだ(未確認)

一連の時期に撮影され、大宮だとすると、動画の冒頭から上り列車出発の指差し確認のシーンまで、
撮影時期が1961年以降1964年までということになる。

冒頭=大宮操車場
クハ86015=高崎線下り?右側(西側)の側線群が大宮運転区と大宮工場の入出区線で、赤レンガ車庫は後の新幹線建設で取り壊された

駅名標=大宮の次がいきなり赤羽と東北本線の蓮田(土呂=1983年・東大宮=1964年開業)
赤羽〜大宮が三複線でなく複々線であった時代には線路容量が足りずに貨物線経由の旅客列車があり、
浦和駅にホームがなく近距離普通電車や特急で通過するものがあった最たる理由になっていた
三複線になった1969年から1984年頃まで、増設された新貨物線には基本的に定期旅客列車は運転していない
依然としてこの新貨物線にも浦和駅ホームが設けられず、設置は浦和駅全ホーム高架化まで待つことになる

指差確認=奥に、駅の北側にある大栄橋(たいえいばし、1961年に竣工)が見えるので上り電車の発車時とわかる。東北線の電車だろうか
通過線を挟んで左側に止まっている茶色い電車は高崎線上りかそれとも京浜東北線か?
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-7ac0.html

879 :
これは貴重だ

880 :
新前橋なら、165系化前の苗場やゆきぐになどの準急や急行にも使われていそう。全金限定とかしてなかったしな

881 :
1978年8月の神領区829M中津川発松本行
両先頭車が元サロのクハ85309,310
https://pbs.twimg.com/media/D9fixBoUEAAoiv5.jpg
https://pbs.twimg.com/media/D9gZ29yVUAIkRtv.jpg
https://pbs.twimg.com/media/D9gZ29zU8AEyg3E.jpg
https://pbs.twimg.com/media/D9gZ291UYAAzFIx.jpg

882 :
>>881
超有能!

883 :
>>881
イイネ

884 :
なんかクハ76でほかより少し、前のHゴム窓の四隅のRが小さく、そのぶん窓が大きいのなかったっけ?
内容:
何番だろ? 改造なのかな? なんかそういう意味不明の改造が多いのが旧国らしいけど…

885 :
>>881て、最初の以外は708と710で既出されてるよ。まあ、別に構わんけど…。

音が欲しいね。
特に東海道で100km/h近くを維持する高速運転とか、中央線の上り勾配とか…。
急行天竜とか伊那52号とかは難しいかな?
時代が古いし、多少音質に難ありでもいいから、ぜひ発表を望みたい。

886 :
CDなら飯田線、山陽本線、飯田&中央東線、信越&東海道本線など、通販みたいなものがいろいろと出ているようだ。

887 :
>>884
ネット上から特徴からはっきり認識できる写真が見つからなかったのですが、1976(昭和51)年に中央東線(三鷹電車区)から呉線(広島運転所)へ転じたクハ76036とクハ76051のことかと…。
双方とも正面窓は木枠だったものを、広島に転属してほどなく、通常の木枠からHゴム化したものよりも少し大きい窓で、角のカーブがきつくなっている変則的なものが採用されました。
ただし、呉線での使用自体がわずか2年ほどにとどまったため、記録が少ないのは仕方ないかも知れません。

888 :
>>626-627
半鋼製クハ86は両ワタリではないはず。
両ワタリなら、偶数車でもジャンパ栓受けが必要になるが、86134はもとより、86136・86138・86140・86142いずれにもこれがない。
偶数車でジャンパ栓受けがあるのは、実際に奇数向きで長らく使われた86300が最若番。

889 :
[887]に関して、写真はこちらにありました。
他の木枠→Hゴム化車よりも寸法が大きく、四隅のRは逆に小さいです。
クハ76036
http://www.localline.jpn.com/h6feet/image6b/441-32web.jpg
クハ76051
http://www.localline.jpn.com/h6feet/image6b/441-22web.jpg

>>888
ありがとうございます。
ご指摘の各車、恐らく両ワタリにはなっていませんね? 間にある (ジャンパ栓受けがある) 奇数車だけが両ワタリということはないだろうし、クハ86は恐らく全金のみが両ワタリということで間違いないと思われます。

クハ86100番台は1978年末の岡山運転区仕業を最後に、営業から退いており、それ自体でさえもう40年も前の話。正確な情報を確認するのも難しくなっていることを痛感させられます。

890 :
>>889
すみません。忘れていました。1980年初頭まで、静岡運転所の波動輸送専用ですが、86108・86112の2両は全金に混じって残っていましたね?
もっとも、これは明らかに片ワタリですから、うっかりしていたのですが…!(汗)

891 :
>>890
確か、奇数車にはジャンパ栓はあっても、コンプレッサがなかったですよね。
モハにコンプレッサあるから、不足したことはほぼなかったでしょうけど…?

892 :
>>891
旧型国電の制御車でCP載せてる車があったの?

893 :
ない

894 :
制御車・付随車固有の装備って
便所くらいかな

895 :
いや、サービス電源用のMGが偶数車にはあった。奇数には両渡りの全金車にしか付かなかった

896 :
モハ80200、クハ86100、サハ87100には、木の内装をアルミデコラに更新したものはなかったのかな?
見たことはないけど。

897 :
私鉄だと2両を固定ユニットにしてTとMとで機器を分散していた旧型が多く、TやTcでMG
やTcでMGやCP搭載していた例は多かったな

898 :
https://i.imgur.com/n69oT8V.jpg

899 :
>>885
>中央線の上り勾配とか…
中津川から南木曾間の線路改良区間は
複線トンネルで南木曾に向かっての片勾配
トンネルの中にMT40の轟音が響き渡ってたよ

もちろん
ノッチ戻しなんて無いから
当然にノコギリ運転

900 :
1965夏、ある日の333M富士行
86080-80040-86065-86008-80092-80379-87034-80076-87012-80239-80075-86317

901 :
YS3IH

902 :
>>900
86080-80040-86065なんてつなぎ方、初めて見た。86065と向かい合うその次の86008はヘッドライト非埋め込みだった
全金は2両のみというのも新鮮。
前橋発だったかな?

903 :
>>900
>>902
車両番号は控えていないが、同じような編成の富士行きに乗車したことがある。
その時は3両目のクハは3枚窓の車両だった。

904 :
1960-5 505レ(準急なすの)クモハ157-5とクハ86 上野駅
1960-7 クハ76+モハ71+モハ71+クハ76(東ミツ)甲府駅
1959-8 クハ76(後期)六郷川
https://i.imgur.com/fHJrl5K.jpg
https://i.imgur.com/HfAF2P8.jpg
https://i.imgur.com/d22wWuQ.jpg

905 :
1961-3-30
赤穂線電化
播州赤穂駅 一番列車
クハ86052(岡オカ)1977廃車
https://i.imgur.com/AxH7k7x.jpg

906 :
>>902-903
当時、静岡運転所の12両編成5M7Tの中には、このような両端をクハとした1M2Tと4M5Tを組み合わせたりする場合がかなりありました。
ただし、1973/昭和48年の中央西線電化の際に、2M2Tを組むローカル用に神領にクハを補充に転出させたことにより、ほとんど12両貫通となることになりました。
なお、この1M2Tはあくまで構内入れ換えの範囲でばらされ、本線を単独で自走することはなかったようです。
>>905
クハ86052は岡山運転区ではなく、大垣電車区で廃車となっています。写真は名古屋駅(過去レス既出)。
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-2/Tc86052kaki1.75.3.5Nako.75c-32-03.jpg

907 :2020/05/10
>>900
86080(昭和30)
80040(昭和25・二次形)
86065(昭和27)戸袋窓木枠
86008(昭和25・一次形)ヘッドライト非埋込
80092(昭和27)戸袋窓木枠
80379(昭和32)全金
87034(昭和25・二次形)
80076(昭和25・関西急電)小形蒲鉾通風器
87012(昭和25・一次形)
80239(昭和31)
80075(昭和25・関西急電)小形蒲鉾通風器
86317(昭和32)全金
※なにげにバラエティー豊かなすごい編成だ。クハ86008が先頭ならもっとよかったかも。高速度試験した80092あたりに乗って、旅に出たいw

青春18きっぷの思い出
房総を駆け抜けた183系2【ウイングエクスプレス】
〔平成〕ここだけ30年前のスレ〔鉄道懐かし板6〕
【いろんな電車の】弘南鉄道【博物館】
上田丸子電鉄・上田交通の思い出
懐かしの私鉄貨物・私鉄機関車について語るスレ
筑波鉄道
駅の伝言板を懐かしむ
JR岩泉線
仙台市電
--------------------
JavaScriptは難しすぎ
【なんJ】PWPR部避難所part6
【Jang Keun suk】チャン・グンソク
方言板の糞コテ、広島世界一は広島大学文学部
【実業家】孫正義が3カ月に1度"歯医者"に行く理由
< FlowBack > FBFについて5
カーリングファンが気持ち悪い件
「救うのは太陽だと思う」 新型コロナウイルス最大の弱点は「紫外線」、中国政府が発表
【マターリ】世界まる見えSP
TVTestについて語るスレ Part 91
【MHX/MHXX】ハンマースレ スタン24回目
【PS4】FIFA19 リーグスレ Part21
【CSS】どっち使ってる?【テーブル】
ハドソンって会社知ってますか?
踊ってみた系について名無しが雑談するスレPart31q
【悲報】まんさん、コロナ対策で検温する科学館の買収にブチ切れて怒鳴り散らかす [854257486]
お腹を空かせた紫苑ちゃんにあげたいもの
【速報】五輪、延期へ [444070153]
箱根登山鉄道を楽しむスレ
ロレックスってダサい。おっさん臭い part2
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼