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【太平洋戦争】そろそろ決着つけようぜ…2


1 :2017/12/10 〜 最終レス :2020/02/04
ある人曰く「東アジア、太平洋の利権をかけた長期的なアメリカの陰謀だ!」
ある人曰く「数々の見切り発車による選択ミス、陸軍・海軍・政府の団結力の無さによる無能な日本の責任だ!」
ある人曰く「コミンテルンの罠に日米はめられた!」
ある人曰く「これらは全てロックRー、ユダヤ人、ロスチャイルド(ry」

ある人…


何が本当なんだ?自分が思う太平洋戦争の原因教えてちょ
あと回避する方法はあったんか?


前スレ
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history2/1509637424/

2 :
おつおつ。新スレ建てようとおもったけど「スレタイが長すぎます」とか
撥ねられて、そのあと受け付けなくなってしまった(´・ω・`)

3 :
>大日本帝国に正義あり
正義があるのに世界中のどこの国もその正義を言葉で理解させることができなくて
実力で押しつけることにしたとでもいいたいのかねw

4 :
お前らまだやってるのかww
勉強熱心だな
また読ませてもらうぜ

5 :
まあ、知らなかったコトもあるから勉強になるわなw

6 :
>>3
いやいや、そういう連中が真に言いたいのは、
「朝鮮民主主義人民共和国に正義あり」
なんじゃないかと思う。

7 :
正義じゃなくてキムチだろwwww
ご飯ですよwwwwwww

8 :
大日本帝国と朝鮮民主主義人民共和国は似てる。

9 :
いやぜんぜん別物だろ。日本帝国がいまの北朝鮮みたいな独裁体制なら
あんなおろかな開戦もしなかったし敗戦もしなかったよ。あきらかに政体と
しては北朝鮮のほうが上

10 :
これを見た貴方は「今すぐ」に死にます死にたくなければ、このレスをコピーして他のスレに 10回貼り付けて下さい。1時間以内にです!もし無視した場合は、今日寝ている間に富子さんがやってきて
□貴方の首を絞めに来ます。富子さんは太平洋戦争の■
■時に1歳という若さで亡くなった女の子で、未だに成 □
□仏していないそうです。信じる信じないは貴方次第。 今年になってからこのレスを無視した人で、“呪われ □
□て死亡した人”が続出しています。これは富子さんの 呪い。呪われて死んでもいいのならこれを無視するこ□
□とでしょうね。
貴方がこうしているうちに富子さんが後ろから見ていますよ

11 :
先程書きましたが上の文について知ってる方は教えてください

12 :
誰かこの文を作ったか知りたいので

13 :
誰かじゃなく誰がに訂正してください

14 :
>>9
それはないわ
日本は全体主義から軍の独裁国家になったけど、元は近代国家、立憲主義国目指してたからな
北朝鮮も朝鮮戦争引き起こしてるし、中国ソ連の後ろ盾あったから残ってる
今は核武装して抑止力高めているけど、通常兵器はボロボロ
アメリカと一対一で戦ったら日本より悲惨だよ
日本はまだ史上初の空母同士の戦いとか演じれた位の国力があったけど

15 :


朝鮮人日本兵の蛮行
http://politics.wealthyblogs.com/archives/3605

日本兵を騙って蛮行の数々をおこなった朝鮮人
日本兵にしてやった日本軍に恩を仇で返した朝鮮人
日本軍の評判を貶めることばかりしたのが朝鮮人であった



16 :
>>9
独裁には、実力者による独裁と世襲独裁とがあり、北朝鮮のような世襲独裁は優れているか微妙ではある
だが、国家の方針の一貫性という点では北朝鮮のほうが優れているというのは一理ある

当時列強のほとんどは、ファシズム、共産主義、自由主義、立憲王政などの政体を問わずおしなべて
圧倒的な権力を持った強力な指導者個人による独裁体制だった
ただ、大日本帝国だけがそうした指導者がいなかった
歴史番組や歴史書の写真でスターリンやヒトラー、ルーズベルトやチャーチルと並んで東條を載せている
しかし、東条の権力は彼らに比べるとあまりにも見劣りする

開戦時は、陸軍の作戦に関与することさえできず参謀総長を兼任した時点でさえ海軍の作戦には口をはさめない
軍を自由にできないもののどこが独裁者なのか

日本は軍部独裁ともいうが、軍部にははっきりした思想はなく、陸海の間はもちろん、陸軍内、海軍内の高級軍人の考えもばらばら、
その時点時点で声の強いものの方針に引きずられ、結果として右往左往となる
諸外国から見ると行動が非常に読みにくい国だっただろう

17 :
北朝鮮かて中露が首縦にふりゃしゅんころやけどな
国際政治の妙よ

18 :
皆何処行ったんだ?

19 :
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8

20 :
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

5OWWV

21 :
【ヒロヒト】 石油をもらって戦争を長引かせた鬼畜
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history2/1530772427/l50
【寄生王朝】 天皇一族を国家犯罪者としてKせよ
http://egg.2ch.sc/test/read.cgi/emperor/1530773466/l50

22 :
>>1に書いてあるのは全部違う
あの戦争の目的は2つあった
その目的は2つとも達成された
わりと単純なことだが
それを計画して実行に導く大勢の人々がいるということに驚く

23 :
いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

FRB

24 :
愚かな山本五十六の暴走によって
日本は惨敗し、栄光の歴史に
侵略国家の汚名を残す結果となってしまった。

こいつさえいなければ
世界大戦も東西冷戦も無かったと思う。

25 :
太平洋戦争目的ははアメリカを欧州戦線へ参戦させるついで日本の解体

26 :
久しぶりで来ましたよ、と。誰も覚えてないだろうけどね。

今回は、前回のバージョンアップ版を、書き込んでいく予定。
ものすごく長くなるけど、何故、日米は戦争するに至ったか?という話。
こんな長いのを読む人がいるのか、疑問だけど。

それから、初めましての人もいるだろうから。趣味で書いた、今のところ私の唯一の著作↓
『心理的衝撃としての原子爆弾』
ttps://books.rakuten.co.jp/rk/d14ba60664bf31449077ff7a65c801f3/

そして現在、二冊目を執筆中。
タイトルも内容も未定だが、日米戦争に至るまでを、大まかに説明するもの。
ここの書き込みは、その一部になる予定。本当に書き上げられるか分からないけどね。

27 :
【1】

それでは本題。なぜ太平洋戦争は始まったか?
それについて、まず、アメリカの戦争決意から。

もともとアメリカは、日本ともドイツとも戦争する意思はなかった。

それが変わるのが、第二次世界大戦が勃発し、フランス敗北が決定的となった1940年5月下旬頃。
アメリカは、自らの安全保障上、ドイツのヨーロッパ支配を阻止しなければならなかった。
だからアメリカは、そこでドイツ打倒を決意。全力での戦争準備とイギリス支援を開始する。
その時点では、アメリカは日本との戦争は回避する方針だった。

ところがその後、1940年9月、日本がドイツと同盟してしまう。
故にアメリカは、ドイツ打倒のためには、ついでに日本も打倒しなければならなくなった。
そして七面倒くさい紆余曲折の末、結局、そうなった。

太平洋戦争というのは、とどのつまりは、それだけの話になる。
しかしながら、その紆余曲折がものすごく複雑で、要点を見極めることが非常に難しく、
そのあたりが種々の誤解やトンデモ説が出てくる原因なんだろうね。

28 :
【2】                             

たとえばネット上では、こういうページ↓があった。
ttps://www.nationalww2museum.org/students-teachers/student-resources/research-starters/research-starters-us-military-numbers
一目で分かるけど、1941年以降、大幅な軍備拡大が進んでいる。

そして、1941年にそうなっているということは、その始まりは1940年なわけで。
たとえば1940年9月に制定された、1940年の選抜訓練徴兵法↓
ttps://www.nationalww2museum.org/students-teachers/student-resources/research-starters/draft-and-wwii

で、何故アメリカが、その頃そんな軍備拡大に走ったのかというと、疑問の余地なく明白。
ドイツ打倒以外にあり得ないでしょ。ドイツのヨーロッパ支配を阻止するための。
逆に、1939年以前は戦争する気が皆無であること、米軍の頭数からしても明らかなはずだ。

そしてドイツ打倒という共通の目的のため、アメリカとイギリスは事実上の同盟国となっていた。
後に日本は米英不可分の判断を下すが、それはそういう状況を見てのこと。

ちなみにドイツのヒトラーは、フランス攻略後、イギリスと講和して戦争を終わらせたかった。
しかしイギリスのチャーチルは、徹底抗戦の構え。
映画『ダンケルク』の最後にもあるけど、当時こういう演説をしている↓
ttp://nijiiro-no-yume.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-23f6.html

29 :
【3】

そういう時期、参戦反対のリンドバーグらは、アメリカ第一委員会を作り、さかんに運動していた↓
ttp://www.charleslindbergh.com/americanfirst/index.asp

1940年〜41年当時、口先ではルーズベルトは参戦しないと言っていたが、
現実としてアメリカがドイツとの戦争に突き進もうとしていること、誰の目にも明らかだった。
しかしアメリカは民主主義国だから、世論を動かせば、ドイツとの戦争は阻止できる。

これは『リンドバーグ第二次世界大戦日記』にも記されているので、もし興味がおありなら。
ついでに、『堕ちた英雄』のリンドバーグが、非常に偏向した人物だったことも分かる。
(リンドバーグは、ナチスドイツの肩を持つ発言をしてバッシングを食らった)。

当時、リンドバーグのみならず、アメリカ世論は参戦反対の意見が強く、そういう状況の中、
ルーズベルトは、どうやってアメリカを戦争に向かわせるか?という困難に直面していた。
なのだが、それでもアメリカは、1941年には、まだ不十分ながら、かなり参戦に傾いていた。

そして当たり前だが、このときのリンドバーグには、ドイツとの戦争しか念頭に無かった。
日本との戦争は、可能性として考えていた程度だった。

30 :
【4】

しかしアメリカの政府および軍部は、違っていた。
アメリカがドイツ打倒を決意し、日本がドイツと同盟した以上、ほとんど確実に日米も戦争になる。

事実として、戦後にコーデル・ハルは、日米交渉が成功する可能性は、
当初から「百分の一もないと予想していた」と証言している。
逆に言えば、99.9%まで戦争になると考えていたということで、
だから日米交渉や石油の禁輸やハル・ノートは、それを前提として見る必要がある。

すなわち、いうなれば石油の禁輸は、99.9%の敵国に対して行ったもの。
99.9%を100%にすることを嫌って、ぎりぎりまで先送りされていただけでね。
そして、いうなればハル・ノートは、石油の禁輸で100%になっていたものを、
再度99.9%に引き戻す試みを中止したに過ぎない。

31 :
【5】

ただし、逆に言えば、当時アメリカが考えていたのは、
『見込みは非常に小さいが、日米交渉成功の可能性はある。皆無ではない』という事でもある。
アメリカがなぜそう考えたのかというと、理由は二つ。

ひとつは、アメリカの実力が日本より遙かに上である以上、
アメリカがどこまでも強く出れば、日本は最後には引くだろうという、常識的な見方。

もうひとつは、米国人の神父、ジェームス・E・ウォルシュ(司教)と、
ジェームス・M・ドラウト(神父)が、日米交渉の初期にくちばしを挟み、そして歪ませ、
そのためにアメリカのみならず日本にも生じた誤解。

実のところは、日本は、自身とドイツの力を過大に見積もり、
最後には日本はアメリカに勝てるという結論をねつ造までする。
そしてアメリカは一貫してドイツ打倒の方針なのに、日本はドイツとの同盟に固執。
となれば、日米交渉成功の可能性は初めから皆無。どのみち戦争になるしかなかった。

32 :
【6】

戦略的な見地からは、少々違う話になる。

1940年〜1941年時点でのアメリカの方針は、
できれば日本との戦争は回避し、ドイツ(およびイタリア)とだけ戦争しようというもの。
理の当然で、全戦力をヨーロッパに向けた方が、遙かに有利に戦争できる。

さらに、もともとアメリカは、日本とは戦争する理由がない。
単に日本がドイツと同盟してしまったために、戦わなければならなくなるだけのこと。

だからアメリカは、本心としてこれは間違いなく、
できることなら日本にはドイツとの同盟を破棄(または死文化)してもらい、
それで日本との戦争は回避したかった。
それは善意ではなく、冷徹な損得計算だった。

なのだがその頃のアメリカは、日本のそれまでの行動から、日本を全く信用していなかった。
そもそも日米交渉成功の可能性は、ほとんどゼロだとアメリカは考えていた。

だから日米交渉も、裏では日本に対する戦争準備を進めつつだったし、
アメリカの戦争準備が整うまで戦争開始を遅らせる欺瞞外交という目的もあった。
ルーズベルトの「ベイビー・アロング」発言なんか、まさにその線なわけだ。

33 :
【7】

つまりアメリカは、出来れば日本との戦争は回避したいと思っていた。
しかし、その可能性は非常に低いと当初から判断。
いずれ日本と戦争になると想定した上で、日米交渉を行っていた。

込み入っているが、とにかくアメリカは、好き好んで日本と戦争したわけではない。

ところが、世間には、こういう俗説があるわけだ。
「アメリカは、日本を、無理矢理に戦争に追い詰めた」という。

34 :
【8】

そういう俗説の一つとして、
「アメリカは、日露戦争後から満洲を狙っていた」というのがある。

これについては、日露戦争までさかのぼらずとも、
冒頭で説明したようなアメリカの戦争準備を見ただけでも、
そうでないことは明らかだろう。

事実としては、アメリカはセオドア・ルーズベルトの時代は親日的で、
方針が変わるのは、タフトから。
そしてそれは、とどのつまりは金儲けに一枚加わらせろというだけで、
領土を狙うものではなかった。

そもそもの話、日露戦争後、日本の勢力圏になったのは南満洲だけ。
北満洲は、変わらず帝政ロシアの勢力圏。
日露戦争頃のアメリカが、帝政ロシアに太刀打ちできるわけがない。
アメリカが満洲を領有しようなんざ、そもそもアメリカにそんな意思はないが、
やりたくても不可能だった。

35 :
【9】

次に、「アメリカはドイツと戦争したいから、日本を追い詰めた」という説。

しかし、これまた筋が通らない話。
もともと日独伊三国同盟は相互の防衛を約したもの。
日本からアメリカを攻撃した場合、ドイツに参戦義務はない。

また、もしドイツがどうしてもアメリカと戦争したくない、あるいは先送りしたいなら、
日本がアメリカと開戦した直後、日本との同盟を破棄するという手もある。

故に、アメリカにとって、そういう目的で日本を追い詰める意味は皆無。

36 :
【10】

また、「アメリカは、石油禁輸で、日本を戦争に追い詰めた」という説。
当時の世界情勢を理解すれば、これも誤解に過ぎないことが分かる。

つまり、日本がドイツと同盟した時点で、アメリカ・イギリス・オランダにとって日本は、
近い将来刃を交えるであろう敵性国家になってしまった。

だから本来ならアメリカは、日本に、石油という戦略物資を渡すわけにはいかない。
なのだが、出来れば日本との戦争は回避したい・少なくとも先送りしたいという思惑から、
それは先延ばしされていた。
石油が禁輸されるまで、当時の日本はせっせと石油を買い込み、備蓄していた。
それは戦争に備えてのことだが、アメリカはそれを承知で日本に石油を売り続けていた。

ところが日本は、どこまでもドイツとの同盟に固執する。
および、アメリカとの戦争は回避しようとはしたが、好機をつかんで、
東南アジア方面への侵攻、すなわちイギリス・オランダとの戦争はしようとする。

先述のような経緯から、イギリスはアメリカの事実上の同盟国であり、
したがってアメリカにとって、そのような事態を看過できるわけが無く、
だから遅かれ早かれアメリカは、いつかは日本に対する石油禁輸を行ない、
日本と全面対決しなければならなかった。

37 :
【11】

そして、「アメリカは、ハル・ノートで、日本を戦争に追い詰めた」という説。
および「ハル・ノートはソ連の陰謀だった」という説。
ここは少々面倒くさい。

これについては日本の戦争決意から説明する必要がある。

そもそも日本の戦争決意は、1941年11月5日の御前会議の時点。
それは、日米交渉は1941年12月1日午前零時まで行う。それが不成功なら開戦するというもの。

ところがハル・ノートは、1941年11月27日。
つまり日本は、ハル・ノートで戦争を決意したのではない。

38 :
【12】

説明を続ける。

1941年11月5日の戦争決意に至るまで、日本は種々の検討を行った。
そのひとつが、もちろん、アメリカの要求を受諾すること。

その際、検討の対象になったのは、1941年10月2日の米国覚書。
つまり、日本の戦争決意につながったのは、ハル・ノートではなく、こちらの方。

その1941年10月2日の米国覚書↓
ttps://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/image_B02030719900?IS_STYLE=default&IS_KIND=detail&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=B02030719900&
内容は、日米首脳会談の拒否、四原則(領土・主権の尊重、内政不干渉、機会均等、現状維持)、
中国・仏印からの撤兵、日独伊三国同盟の死文化。

そして日本では、10月2日の米国覚書は、満洲事変以来の成果をすべて失うものとして、
「三等国になる」として、受け入れられないという決定になった。

しかしそれで戦争決定というわけでもなく、その1941年11月5日、
12月1日まで行う最後の交渉として、甲案・乙案が決定される。

39 :
【13】

こうして最後の日米交渉が行われるのだが、ここがまた、ややこしい。

改めて説明だが、もともとアメリカには、日本に譲歩する意思は皆無。
政治的にもだが、根本的には先述の通り、日本がドイツと同盟しているかぎり、
どのみち日米は戦争になるので、譲歩など無駄だった。

そしてアメリカは、日本の外交暗号を解読していたので、
甲案・乙案に、11月29日いっぱいというタイムリミットがある事も分かっていた。
(日本本国の決定は12月1日午前零時までだが、大使館には11月29日午後12時までと指令)。

その期限が切れた後、日本が戦争を開始するであろう事、自明の理だった。
それがアメリカに対する戦争か、アメリカは避けてイギリス・オランダに対する戦争か、
そこまでは断定不能にしても。

40 :
【14】

そこまで分かっている中、1941年11月21日、
アメリカの軍部と国務省とで、日本への対応が協議される。

結論としては、アメリカの戦争準備が遅れているので、
出来れば3ヶ月〜6ヶ月、戦争開始は先送りしたいというもの。

だから国務省は、日本の甲案・乙案に対する回答として、
暫定協定案と基礎協定案の二つを作成した。
当初は、それらをセットで日本に出す予定だった。

そして暫定協定案でアメリカは、民需用に限るが限定的に石油供給を再開し、
それで日本との戦争を先送り、できれば回避しようとした。

41 :
【15】

暫定協定案の作成後、アメリカは中華民国やイギリスなどにそれを示し、了解を取ろうとした。
ところがここで、日中戦争真っ只中の中華民国が、石油供給の再開に強硬に反対。
それにイギリスも同調。

それ以前に、日本がドイツとの同盟を破棄しない以上、どのみち日本との戦争は避けがたい。
東南アジア方面では、日本は戦争準備を完了し、まさに攻撃開始直前の状況。
加えて、石油供給再開といっても限定的なので、日本が受け入れるか疑問。
そして日本との戦争開始後、中華民国は重要な同盟国になるので、その意向は無視できない。

なのでハルは、これで日本は戦争に踏み切ると承知の上で、しぶしぶ石油供給再開を諦めた。
それは中華民国の反対からではあるが、のみならず総合的な判断だった。

日本が必ず戦争を始めると判っている以上、もはや日本に対する外交はすべて無駄。
しかし外交上、それでも日本に対し、何らかの回答はしなければならない。
アメリカ側から外交を打ち切ることは、アメリカの非になるので望ましくない。
だからハルは、大統領の承認を得た上で、暫定協定案を破棄。
同時に作られていた基礎協定案に修正を加え、それをハル・ノートとして日本への回答とした。

ハル・ノートおよび暫定協定案と基礎協定案↓
ttp://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/nitibeikaisen/Hullnote.html

よく知られた事実だが、ハル・ノートの後、アメリカの方針は、
どうやって日本に一発目を撃たせ、戦争の名分を得るか?に移る。

42 :
【16】

以上、「アメリカは、ハル・ノートで日本を戦争に追い詰めた」説は成り立たない。
事実としては、本当はアメリカも、日本との戦争は回避したかった。
けれども自身の国策を曲げてまでそうする意思は無く、それは日本も同じだった。

それでは、「ハル・ノートはソ連の陰謀だった」説はどうか?

実は当時のアメリカでは、日本に対する回答案が、色々と考案されていた。
そのひとつが、財務省のハリー・ホワイトの手によるもので、
それがモーゲンソー試案となって、大統領と国務省に提出された↓
ttp://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/nitibeikaisen/Morgenthau.html
それが、基礎協定案の叩き台となった。
そして先述のように、その基礎協定案に修正を加えたものが、ハル・ノート。

ところが、そのハリー・ホワイト、戦後にソ連のスパイ疑惑がかかる。
ソ連陰謀説の唯一の根拠が、これ。

なのだが、当時、ハリー・ホワイトが本当にスパイだったのか、疑わしい↓
ttp://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/nitibeikaisen/White1.html

仮にスパイだったとしても、その関与はモーゲンソー試案までだし、
それは『対日緊張を緩和し独の敗北を確実ならしむる課題へのアプローチに就て』。
そして当初、暫定協定案と基礎協定案は一緒に出す予定だった。
ここからして、ソ連の陰謀説もありえない。

43 :
【17】

付け加えるに、当時のソ連には、日米戦争を望む理由がなかった。

とどのつまりは、当時の日本がソ連攻撃にでるはずがないということ。
ハル・ノートは1941年11月末で、つまりは冬。
そんな季節にソ連攻撃を開始する愚者はいないよ。

そして、当時の日本は石油を禁輸されていた。ゆえに、日本の選択肢は二つに一つ。
アメリカに屈服するか、武力で蘭印の石油を奪うか。
そこでソ連攻撃を始めるほど、日本は血迷ってはいない。

ただし、それでも日本がソ連攻撃に踏み切る場合はありえる。
ドイツに対するソ連の敗北が決定的になった場合。
および、ソ連極東軍が非常に弱体となった場合。
日本がそういう意図であること、ゾルゲの諜報活動によりソ連は察知していた。

では、ソ連が、そういう事態を避けるためには、どうするか?
もちろん色々あるが、そのひとつが、
アメリカ・イギリスから、できるだけ支援を受けることではないだろうか?ってこと。
故に、その時点で日米戦争が起きるのは、ソ連にとってまさに不利益だったと言える。
ソ連への支援がそれで減るのは理の当然だからだ。

44 :
【18】

そして指摘したいのは、ハル・ノート以外にどんな回答が、
その時のアメリカに出来ただろうか?ってこと。

もちろん、文面は変更できた。
なのだが、これまで説明してきたように、少なくともアメリカは、日本に、
日独伊三国同盟の破棄または死文化は求めなければならなかった。

ところが、これだけでも日本は断固拒否なわけだ。

したがって、どのみち交渉解決など不可能で、
唯一可能だったのは、石油供給の再開による戦争の先送りだけで、
それすら出来ないとあれば、もはやすべてがお仕舞いだった。

45 :
【19】

更に言えば、もし暫定協定案が提示されても、日本はそれを拒否したはずだ。

そもそも暫定協定案は、基礎協定案と一緒に出される予定だった。
となると、それは三ヶ月戦争を先送りしてアメリカの戦争準備を進めるための、
策略と見なされたはず。

もうひとつの理由は、石油。
当時日本が求めていたのは、アメリカから400万キロリットル/年、
蘭印から200万キロリットル/年。

↑は、乙案関連で、1941年11月26日、連絡会議での決定。
それは、昭和15年度の輸入量を多少上回る量だった。
(昭和15年度はそれぞれ、330万、180万)

これに対し、暫定協定案は、民需分だけに限っての石油供給。
日本が希望する全量を許すものではなかった。
ここまで差があっては、折り合いがつくわけがない。

一応ちなみにだが、当時の日本の民需分は、
『杉山メモ』によれば、140万キロリットル/年。
アメリカはその数字を把握していなかったはずだが、事実としては。

46 :
【20】

それから、ハル・ノートは最後通牒だったのか?問題。

これについては、そもそもハル・ノートは試案だし、
その文面からしても、最後通牒と解釈することは不可能。
そう解釈するのが当たり前。

当時の外相の東郷茂徳は、その著作『時代の一面 東郷茂徳外交手記』で、
〈屈服か、戦争か、どちらかを強いる挑発なのだから〉という論旨で、
少なくともタイムリミットのない最後通牒だったと主張しているが、
これは東郷茂徳の曲解だ。

ちなみにだが、吉田茂(戦後の首相。当時は外交官)は、
当時これについて相談を受けており、最後通牒ではないと正しく判断していた。

47 :
【21】

それでは、なぜ太平洋戦争は起こったのか、その日本側の話。
これについては、本当は満洲事変から話を始める必要がある。
何故かというと、こういう流れだから↓

(1)日本は、国防国家建設のため、満洲事変を起こし、成功する。
(2)満洲事変で味をしめた日本陸軍は、更に暴走を続け、北支工作を始める。
(3)それが日中戦争につながり、収拾のつかない泥沼状態となる。
(4)そうした時ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発、ドイツが緒戦に大勝。
(5)日本はドイツと同盟し、日中戦争の解決と、東南アジアへの勢力拡大を狙う。
(6)しかしそれにより、ドイツ打倒を決意していたアメリカと敵対関係になる。
(7)以降、いろいろ七面倒くさい紆余曲折の末、アメリカとの戦争となる。

48 :
【22】

それで、ここで詳しくは説明できないが、ちょっとだけ満洲事変について。

今更言うまでもないが、満洲事変は、
統帥権の独立を悪用して行われた日本陸軍の暴走だった。

そして日本陸軍は、国防国家建設のため、それを行った。
その首謀者の石原莞爾は、実行前に陸軍内部で入念に根回しを行っており、
その言動が記録されているため、↑が分かっている。

国防国家というのは、総力戦が出来る国家ということ。
そのためには、日本の勢力拡大と、日本の体制の改造とが必要だった。
石原莞爾の構想では、満洲事変は、そのような勢力拡大の第一歩だった。

ただし勢力拡大は、満洲だけでは不足。
さらに中国と、東南アジア方面まで、日本の勢力圏を広げる必要があった。
満洲事変の時点で具体的な計画などないが、そこまで考えられてはいた。

49 :
【23】

そしてこの満洲事変、ソ連に対する防衛という意図もあった。
なんだが、ここが大問題で。

日露戦争後の満洲は、北部は帝政ロシア、南部は日本の勢力圏だった。
ロシア革命後、ソ連は、東清鉄道は保持し続けたが、北満洲からは手を引く。
したがって事実上、北満洲が日ソの緩衝地帯になっていた。
ソ連国内の混乱もあり、この頃はソ連極東軍は小さかった。

ソ連極東軍が拡大されるのは、実は、満洲事変後。
それは、日ソの国力差から、関東軍を遙かに上回る大きさになっていた。
1935年時点で、兵力は3倍以上、戦車・航空機は約5倍。

そして、ソ連がなぜそうしたのかというと、言わずと知れているわけで。
つまりは、この観点からは、満洲事変という要らぬことをしたために、
かえって危険な状況を招いてしまったことになる。

だから当時の日本は、何よりもまず自らの国力を増大させ、
十分な軍備を備える必要があった。
しかしそれが達成できないまま、日中戦争・太平洋戦争に突入していく。

そして↑は、後に日本がソ連攻撃を見送った理由でもあった。

50 :
対米開戦の理由は単純で明快です。
海軍の山本五十六がどうしても1941年内に真珠湾奇襲をやりたかったからです。
海軍はそれにすべてを賭けており、開戦の1年前からそう決意しており、
対米交渉なんか初めから眼中にありません。
もし交渉が進展すれば、妨害して潰されます。
実際にそうなりました。

日本の主導者の多くは陸軍は暴走するから、陸軍主導より
海軍主導のほうが安全で手堅いと思い込んだかもしれません。
しかし実際には山本五十六が主導する海軍は、陸軍以上に
愚かで大暴走し、世界中を戦争に巻き込みました。

当時、海軍が敵視していたのは、アメリカでも中国でもありません。
海軍は陸軍を敵視し、陸軍に負けるくらいならば、アメリカと全面戦争をやって
負けた方がマシだと考えていたと言われています。

アメリカの対日禁油が悪いなんて言ってますが
その前にその原因となった南部仏印進駐で
日本は何をしてたか知ってるでしょうか?
日本は南部仏印になんと14個もの飛行場を超急ピッチで整備し
陸海軍の主力を集結させ、連日上陸作戦の猛訓練です。
まさに開戦前夜です。
誰が見ても日本は対米英戦争を決意したと思われて当然です。
南部仏印進駐は、進行中の対米交渉を妨害、破綻させるために海軍によって強行されました。
元海軍次官、豊田外相による計画的な策略でしょう。

51 :
そんな国がアメリカに石油を売れといって、アメリが石油を売るでしょうか?
仮に大統領や石油会社が売りたいと思っても、アメリカ国民が怒るはずです。
なんで対米英戦争を準備中の国にアメリカが石油を売らなくてはならないのか?と。
アメリカが対日禁油に至ったのは当然のことで非は100%日本側にあります。

ルーズベルトを悪党、戦争屋のように言ってますが、戦犯は野村大使の方です。
野村大使はもと海軍大将であり、海軍の山本五十六、米内、嶋田海相らとは親密な関係でした。
アメリカでは野村大使は海軍と結託し、真珠湾奇襲を成功させるべく、米政府をだます「偽りの外交」を
やっていたと非難されましたが、その見解は正しいと思います。
外務省はアメリカ政府だけではなく、日本政府をも欺いていました。
何が何でも真珠湾奇襲を成功させたいからです。

しかし戦後、アメリカは共産主義との闘いが優先され、それには陸軍悪玉論のほうが都合がよく
(陸軍のほうが大資本勢力が金の力で世界を支配する市場原理主義を批判する社会主義派が多いため危険だと見られました)
野村大使は戦争責任を追及されるどころか、CIAの工作員になりました。

日本はアメリカに追い詰められたのだとか、
そんなの、幼児のいいわけ以下の低レベルの戯言ですね。

52 :
日中戦争は海軍の先制攻撃、渡洋爆撃によって勃発しています。
当時、国際連盟でもそのように判断し、日本の侵略戦争(不戦条約違反)
であるとして対日非難決議が採択されています。 (1937年10月)
国際法に違反した都市無差別爆撃であることも非難されました。 (1937年9月)

ルーズベルト大統領もシカゴの演説でこの海軍の都市爆撃を
激しく非難しました(隔離演説 1937年10月)

その後9ヶ国条約会議(ブリュッセル会議)でも日本の
侵略戦争を非難する対日非難決議が採択されました(1937年11月)

この海軍の中国空爆は計画的に準備して実行されており
自衛の武力行使とはとても言えません。
真珠湾奇襲と同じで、計画的な先制攻撃で侵略戦争(不戦条約違反)です。

そしてこの空爆をやる際に海軍省とその記者クラブが
さかんに宣伝したのが、海軍の大山中尉が中国軍に
虐殺された事件です。
日本国民に対し、中国に対する憎しみを抱くように国民世論は
扇動されました。
日本では中国を討伐すべきだという意見が沸きあがりました。
そして海軍は空爆を正当化していました。

53 :
しかしこの大山事件は、海軍による自作自演の
事件だったのです。
当時そのことは関係者はみんな知っていたようです。
しかし戦後の日本は海軍を支持していた者たちが権力を握り
彼らはアメリカとも癒着して
海軍の不正行為はすべて隠蔽し、陸軍に責任を擦り付けました。

戦争を煽っていた海軍省記者クラブの人たちは
終戦と同時に手のひらを返して、他者の批判を始めました。
彼らは戦後も言論界の主要なポストについて、彼らに都合のいい
陸軍悪玉論が宣伝されました。

日中戦争勃発時、海軍の実権を握っていたのは海軍次官だった山本五十六です。
そして海軍省記者クラブが絶大な影響力を持ち、新聞社による戦争扇動が
行われるようになったのもこの時からです。

54 :
結論としては

海軍の山本五十六が陸軍に主導権を奪われないよう、
陸軍の対ソ戦を阻止するため

日中戦争を勃発させ、対米戦争を勃発させた。

ふざけた話ですが、こういうことです

55 :
つい最近まで大山事件がまさか
海軍の自作自演だったとは、だれも考えが及ばなかった。
いくらなんでも、それは無いだろうとおれも思っていた。
今でも詳細を知らないと、そんな話はだれも信じないだろうな。

しかし大山事件が海軍の計画的な謀略であったことは
もはや疑う余地は無い。

こうなると今までの歴史認識は、すべてがひっくり返る。
海軍の山本五十六が諸悪の根源だった事実は
だれも否定できなくなるであろう。

56 :
■山本五十六の罪

@日本を海軍軍縮条約から脱退させた中心人物

A大山事件を図り日中交渉を妨害
無差別爆撃を強行して日中戦争を計画的に勃発させた。

Bアメリカを仮想敵国に見立てて予算を要求し、対米兵力を拡大させ
アメリカから経済制裁を受ける原因を作った。

C真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、米大使館と結託し
偽りの外交を裏で指示した。

D太平洋戦線では捕虜をすべて殺害するよう指示

E愚かな作戦をくり返し、日本軍に壊滅的な被害を与えた張本人

57 :
以上、ここまで書かれていることは全て嘘です
歴史なんて90%が嘘なんです
真実を絵にすると、こうなってます
これを印刷して歴史の先生に見せてやりましょう
顔を真っ赤にして逃げ出します
https://dec.2chan.net/71/src/1531620737185.jpg

58 :
【24】

続き。
同じくちょっとだけ日中戦争について。

満洲事変の成功後、日本陸軍はさらに暴走を続け、内蒙工作や北支工作を始める。
中国大陸で、さらに日本の勢力圏を広げようというもの。

満洲事変以後、蒋介石は、日本軍の強さを恐れ、隠忍自重を続けていた。
なのだが、このままでは中華民国は滅亡すると判断、ここで徹底抗戦を決意。
盧溝橋事件(1937年7月7日)時点では迷いもあったが、
1937年7月19日には廬山談話を公表している(演説そのものは7月17日)。

付け足しだが、盧溝橋事件の何年も前から日中関係は非常に険悪になっており、
日中間の戦争を必至と見るのが世界的にも当たり前となっていた。
そして当時、ドイツが軍事面で中華民国を支援していた。
その軍事顧問のファルケンハウゼンも日中戦争を必至と観測、
軍備拡張と、日本を先制攻撃することまで(蒋介石は拒絶したが)進言していた。
だから「蒋介石はソ連(あるいはアメリカ)に操られていた」説は成り立たない。

59 :
【25】

対する日本陸軍の多数派は、一撃膺懲論を考えた。
日本が一発強烈に殴りつければ、それで中華民国は屈服するだろうという、安易な考え。

けれども石原莞爾(当時、参謀本部作戦部長)は、それに反対した。理由は兵力の不足。
中華民国打倒は不可能だし、屈服させられるか疑問だし、ソ連に対する防備も必要。

なのだが、当時の状況で日本が中華民国との戦争を避けるには、中国から引き揚げる以外無い。
要所だけの守備に徹し戦闘は最小限にする手もあったが、しかし結局、どちらも実現しない。

そして郎坊事件後には、石原莞爾も「もう内地師団を動員する外ない。遷延は一切の破滅だ」。
さらに中華民国軍は上海を包囲する。
当時の上海には陸戦隊しかなく、陸軍が派遣されることになる(第二次上海事変)。
石原莞爾は、これで自ら満洲へ転出、失脚していく。

以後、日本軍はさらに増派され、戦火は拡大していく。
中華民国軍は連戦連敗を重ねるが、徹底抗戦の構えは変わらず。
そうこうするうち、やがて日本の国力の限度を超えて戦線は拡大、そして長期化。
石原莞爾が危惧していたような、収拾のつかない泥沼となる。

そうしたとき、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発、ドイツが緒戦に大勝。
それを見た日本は、ドイツと手を組んで何とかしようと目論む。
それが、ついにはアメリカとの戦争につながっていく。

60 :
【26】

それで話は、改めて日独伊三国同盟について、今度は日本側からの話。
これ以降は、なるべく詳しく説明していく。

まず、1940年夏頃の欧州情勢を説明する必要がある。
その時点では、ドイツはフランスを下し、唯一イギリスだけがドイツと戦争中で、
あとはほとんどドイツの同盟国・親独中立・ドイツ占領下となっていた。
(オランダは、本国はドイツ占領下だが、政府はイギリスに逃れ、戦争を継続中)。

1941年にドイツと戦争開始するソ連は、1940年時点ではドイツ寄りの立ち位置。
アメリカは、すでにドイツ打倒を決意しているが、戦争準備が整うには程遠い状態。
日本は、日中戦争の泥沼にはまり込んでいる状態だった。

そして当時の東南アジア一帯は、タイだけが独立国で、他は欧米諸国の植民地。
↑の情勢からして、もしイギリスまでドイツに敗北すれば、
当時アメリカ領のフィリピンを除いてだが、事実上の空白地帯となる。
つまり、そこへ日本が勢力を伸ばす絶好のチャンス。

61 :
【27】

そういう状況で日本が目論んだのが、マレー・シンガポール・蘭印に軍事侵攻し支配下とすること。
もちろんそれは、イギリス・オランダとの戦争を意味する。

ただしそれは、1940年夏に行われるであろうドイツの英本土侵攻作戦と呼応し、
アメリカが参戦する前に戦争の決着をつけてしまおうといった考え。
その時点では、アメリカとの戦争は意図していなかった。

そして↑の考えから、1940年7月27日に『世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱』が、
1940年7月22日成立の第二次近衛内閣において、決定される↓
ttp://seesaawiki.jp/japan1/d/%C0%A4%B3%A6%BE%F0%C0%AA%A4%CE%BF%E4%B0%DC%A4%CB%C8%BC%A4%A6%BB%FE%B6%C9%BD%E8%CD%FD%CD%D7%B9%CB

ところが現実に決められたそれは、戦争決意などではなかった。
要するにそれ、日中戦争が終わるか、特に有利な状況になったら、侵攻するというもの。
逆に言えば、そうなるまでは見合わせるということ。

そうなるのも当然と言えば当然。
実はその時点では、日本陸軍は南方作戦の準備が全く出来ておらず、そもそも不可能だった。
にもかかわらず侵攻を考えること自体が無茶苦茶だが、とにかく当時はそうなっていた。

結局その時点では、ドイツと同盟だけしておくということになる。

62 :
【28】

そして1940年9月27日、アメリカと敵対関係にあるドイツと、日本は同盟する。
すでにアメリカは、ドイツと戦争する意志を固めていたのにもかかわらず。

しかし日本は、その時点では、自ら進んでアメリカに戦争を挑む意思はなかった。
日本のその時点でのねらいは、アメリカの参戦を防止することだった。

その頃の日本の目的は、日中戦争の解決と東南アジアへの進出であり、
そのためにドイツを利用すること。

外相・松岡洋右の主張では、その過程で日米は激突することになる。
しかし、日本とドイツと同時に戦争しなければならないとなれば、
アメリカはソロバンをはじいて戦争は思いとどまるだろうという考え。
ただし松岡洋右自身は、それは五分五分だと考えていた。

とどのつまり、日本にとっての日独伊三国同盟は、
日本の勢力拡大のため、敢えてアメリカと戦争になる危険を冒そうというもので、
日独が強く出ればアメリカは引くだろうという考えだった。
明らかに、アメリカの意思と実力を読み誤っていた。

日独伊三国同盟の条文↓
ttps://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F%2F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%80%81%E7%8B%AC%E9%80%B8%E5%9B%BD%E5%8F%8A%E4%BC%8A%E5%A4%AA%E5%88%A9%E5%9B%BD%E9%96%93%E4%B8%89%E5%9B%BD%E6%9D%A1%E7%B4%84-1614539

63 :
【29】

そして日本は、後に日独伊ソ四国同盟に発展させるつもりで、ドイツと同盟した。
しかしそれも、ドイツ・ソ連の意思を読み誤った結果だった。

そもそもアメリカに対抗するには日本とドイツだけでは不足で、ソ連を加える必要があった。
その意味において、日独伊ソ四国同盟の構想には一理ある。

問題は、ドイツもソ連もまったく信用に値しない国だったこと。
および、もともとドイツとソ連は、日本とソ連もだが、不倶戴天の敵同士だったこと。
そういう連中と手を組もうと考えること自体が、初めから間違っていた。

そして日本は、ドイツがイギリスを打倒することを期待してもいた。
しかしヒトラーは、同盟締結前に、イギリス本土侵攻作戦を断念していた。
ドイツはそれを、日本に伝達していない。

日本はここでも、ドイツおよびイギリスの実力と意思を読み誤っていた。

軍事的な観点からしても、ドイツ軍がイギリス本土に上陸するためには、
最低でも事前にイギリス空軍を撃破する必要がある。
ところがドイツは、バトル・オブ・ブリテンでそれを達成できなかった。
これではドイツがイギリス本土に侵攻できるはずがない。

にもかかわらず、日本はドイツの強さを過大評価し、後々までそれを期待し続ける。

64 :
【30】

ここで日本の政治体制についても説明しておく必要がある。

当時の日本の体制で、国家としての決定を行うのは、政府であり内閣。
制度上、形式上ではなく実態として天皇が命令することはないし、軍部だけで決定することも不可能。

そして当時の内閣は、全閣僚の全員一致制。もし閣内不一致が生じたら、それで内閣は総辞職となる。
現在とは違い、首相が特定の閣僚のみを更迭することは出来ない。
だから、たとえば第二次近衛内閣では、外相・松岡洋右だけの更迭はできず、いったん総辞職している。
(ただし、閣僚の方から辞表を出し、それで後任に代わることは可)。

そして、陸海軍大臣の現役武官制以降は、内閣は直接軍部の影響を受ける。
および満洲事変以後事実上の戦争状態が続き、その点からも軍部の発言力が強くなっていた。
なので事実上、政府・陸軍・海軍の三者の全員一致制となっていた。

ちなみに、周知のことだが、そういう制度を利用して陸軍は不正に政治介入した。
それから、統帥権は独立だが、陸軍と海軍の両方にまたがる事柄は、両者の一致が必要だった。

65 :
【31】

日独伊三国同盟締結の経緯が、そのような全員一致制および陸軍の政治介入の一例となる。

よく知られた事実だが、米内内閣(首相・米内光政)は、ドイツとの同盟に反対だった。
ところが、陸軍は賛成。
なので陸軍は政治介入を行い、米内内閣を倒閣する。
手口としては、陸相・畑俊六に辞表を提出させ、後任を出さないというもの。
それで米内内閣は総辞職せざるを得ず、代わって第二次近衛内閣が成立する。

これで、政府(第二次近衛内閣。首相・近衛文麿、外相・松岡洋右)と陸軍は賛成。
海軍も、実は反対は米内光政・山本五十六・井上成美らだけで、海軍全体としては、
ただし『アメリカと戦争にならない』という条件付きでだが、別に反対ではなく、
当時はそこを言いくるめられてしまった形になった。

これで政府・陸軍・海軍の三者全員が合意し、はじめて日独伊三国同盟締結に至る。
だから、もしそこに非があるとしたら、三者全員にあることになる。
もちろん正確には、それに限らず全ての事柄について。

66 :
【32】

言っておかなければならないのが、「陸軍が粗暴犯なら海軍は知能犯」ということ。

日本陸軍は、満洲事変以降暴走を重ね、政治介入を行い、日本の進路を大きく歪めた。
もちろん、それは不正な行為だった。
および、特に太平洋戦争開始後、戦争遂行のため国民を圧迫し、これが国民からの怨嗟の的になった。

じゃあ、日本海軍はどうだったのか?
陸軍の不正に対決することなく、むしろそれに乗っかり小狡く自身の利益を確保していたのではないか?
そういうことをしているから、結局は大局を誤ることになる。

日米戦争に関する限り、日本海軍は、ことあるごとに反対あるいは不同意を主張してはいた。
しかし大体にしてそれは控えめで、結局は日独伊三国同盟などアメリカと敵対する決定に同意した。
それが戦争につながる可能性があると承知しつつ、そして戦争に備えて準備をしつつ。
それは、国の舵取りを担う一員としては、あまりにお行儀の良すぎる態度だった。

67 :
【33】

とにかく、1940年9月27日、日独伊三国同盟が締結される。

その直前の9月24日に、日本は、北部仏領インドシナへの進駐を実行する。
目的は、中華民国への支援ルートを遮断するため。
もちろんそれは、フランスがドイツに敗北したため可能になったことだった。

日本としては、フランスと協定を結んで穏便に進駐したかった。
なのだが、フランスはぎりぎりまで渋ったため、日本は武力進駐に切り替えようとする。
ところがその実行直前に、協定が成立する。
しかし現地の日本陸軍は武力進駐するつもりでおり、軍事衝突が起きてしまう。
日本陸軍の統帥の乱れが、ここでも起きてしまっていた。

ちなみに日本国内では、フランス側の要望に応えて進駐したと、虚偽の報道がなされた。
これは、当時行われていた日本国内に向けた情報操作および宣伝工作のひとつだった。
こういう意味において、確かに日本国民は騙されていた。

さらにちなみに、その時点でのフランスは、親独のヴィシー政権(フランス降伏後に成立)。
それがフランスの正統政府であり、一応は独立した主権国家のままだった。
ド・ゴールの自由フランスは、理屈としては、母国に対する反逆であり、
ド・ゴールはその罪により死刑宣告されていた。

68 :
【34】

そして北部仏印進駐(1940年9月)は、東南アジア方面への進出の第一歩でもあった。
なのだが、その後の南印進駐は1941年7月、太平洋戦争開始は1941年12月と、かなり時間が開いている。

ドイツ軍のイギリス本土侵攻作戦が1941年3月〜4月頃実行されると予想し、
それに呼応してマレー・シンガポールを攻撃しようという主張もあり、
そのための基地を確保しておこうと『対仏印、秦施策要綱』が決定されたりもし、
外相・松岡洋右も、その頃および前年からシンガポール攻撃を力説していたのだが、
その時点でも攻撃準備が出来ていないため、やりたくても不可能だった。

ちなみにドイツも、1941年春頃、日本に対し、しきりにシンガポール攻撃を勧誘していた。
ドイツのその意図は、ソ連と戦争している間、日本にイギリスの戦力を吸引してもらい、
背後の安全を確保することだった。しかしドイツは日本にその意図を伝達していない。
1941年6月、ドイツはソ連に侵攻するのだが、ドイツは日本にこちらも伝えていない。

そして日本は、日独伊ソ四国同盟の前段階のつもりで、1941年4月13日に日ソ中立条約を調印する。
その時点で日本は、独ソ開戦は全く予想していなかった。
ドイツがソ連を攻撃するという情報は世界中に漏れていたのだが、日本はそれを無視してしまう。

69 :
【35】

参考までに、1941年1月30日の『対仏印、秦施策要綱』↓
ttps://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C12120201400

武力で無理矢理に、仏印やタイを日本に従わせようというものであり、
南方への侵攻のため軍事基地を設けようというものだが、
その時点でアメリカ・イギリスとの全面対決を意図するものではなかった。

なのだが、当時のタイは、一応独立国ではあるもののイギリス勢力下であり、
だからそのような行動は、イギリス(さらにはアメリカ)との衝突につながる恐れがあった。

昭和天皇はそれを危惧したが、(および日中戦争が終わっていないこと、名分に欠けることも)、
結局は↑のように決定される。
当時、昭和天皇の意見はしばしば無視されたが、これもそのひとつだった。

70 :
【36】

そして1941年2月頃、陸軍と海軍の間で、米英可分論・不可分論の議論が起きる。
要は「英蘭と戦争しても、アメリカとの戦争には結びつかない。だから南進しよう」が陸軍の主張。
対して「英蘭との戦争はアメリカとの戦争に直結する。しかし対米戦の準備はない」が海軍の主張。
ここでいう南進は、マレー・シンガポール、蘭印への侵攻ということ。

その後も陸海軍間の交渉は続き、結局この時点では、
陸軍としても戦争を決意していたわけではなく、海軍との合意で、南進は見合わせる事に決まる。
これが、1941年4月17日内定、6月6日決定の、対南方施策要綱。

それは、そもそも戦争準備が出来ていないという事情や、アメリカ・イギリスと戦争になった場合、
開戦後三年目には国力が急速に低下する見込みなどによっていた。
および、陸軍が主張した米英可分論は、当時の国際情勢を熟慮したものではなく、
単に陸軍がアメリカとの戦争を想定していないだけだったことにもよる。

昨年以来の南進論はなんだったのか?ということになるが、とにかくこの時点では、そうなった。
そしてとにかく、この時点では、陸海軍共にアメリカと戦争する意思はなかった。

71 :
【37】

参考までに、1941年6月6日の『対南方施策要綱』↓
ttp://seesaawiki.jp/japan1/d/%C2%D0%C6%EE%CA%FD%BB%DC%BA%F6%CD%D7%B9%CB

南進は仏印・タイまでとする決定。
「帝国と其の他の南方諸邦間に於いては正常の通商関係を維持するに努む」とあり、
それがつまり、それ以上の南進すなわち戦争はしないということ。

そして重要なのは、日本が武力行使する条件が記されている点。
そのひとつの「英、米、蘭等の対日禁輸により帝国の自存を脅威せられたる場合」が、
言うまでもないが、後に実現することになる。

72 :
【38】

ところがこの頃の日本は、重要な決定がころっと変わってしまう。
事実としては、そのすぐ後、日本陸軍は、南進およびアメリカとの戦争決意に大きく傾いていく。

それを進めた当事者の一人が、ただしその中の一人に過ぎないわけだが、
有名どころでは当時の軍務局長・佐藤賢了。
独ソ戦開始直前に、佐藤賢了は、それを予想しつつも、北進ではなく、武力による南進を主張した。
つまりはイギリス・オランダ・アメリカとの戦争を。
しかも、1941年6月6日、対南方施策要綱で南進は見合わせると決まったその日に。

(佐藤賢了も戦後に手記を書いており、言い訳がましいので私的にはおすすめできないが、
読んでおいた方が良いかもしれない)。

73 :
【39】

そして当時の日本陸軍は、アメリカ軍を弱敵と見下していた。実は佐藤賢了、ここにも関係している。
日本陸軍が対米戦を決意したのは、おそらくはだが、このためもあった。

それは、わざわざ研究するまでも無い弱敵という先入観でもあり、
信じがたいことだが、これはガダルカナル以降、敗戦を重ねたあとも変わらなかった。
これについては、『日本陸軍「戦訓」の研究』に詳しい。
ttp://www.fuyoshobo.co.jp/book/b101250.html

山本七平の著作は、フィリピン戦に従事した当事者の証言だ。
天王山のフィリピンに至っても、日本陸軍は、アメリカ軍の研究は何一つ行っていなかった。

そして井本熊夫著『大東亜戦争作戦日誌』では、
本土決戦直前に至っても、それが全く変わらなかったことが分かる。
(ただし井本熊夫は当時の国際情勢を理解しておらず、日米戦争の原因など誤解している)

ちなみにだが、硫黄島の戦いで有名な栗林忠道は、アメリカ軍の実力をきちんと認識していた。
だから佐藤賢了ではなく栗林忠道が陸軍中央の要職に就いていれば、
あるいは歴史は変わっていたかもしれない。

74 :
【40】

ところが陸軍内部に限っても、直ちに南進を決定することは出来なかった。
1941年6月22日に独ソ戦が始まり、陸軍内部が北進論と南進論に割れたため。

この時日本陸軍は、関特演で、ソ連攻撃の準備を始める。
日本は独ソ戦勃発は全く予想しておらず、従って事前のソ連攻撃の準備はなく、
そしてソ連極東軍は日本軍より非常に優勢だったため、
直ちにドイツと呼応してソ連に侵攻することは不可能だった。

陸軍内部のみならず、政府内では外相・松岡洋右も、声高にソ連攻撃を主張した。
ソ連との中立条約を結んだ張本人であり、これまで南進を主張し続けてきたというのに。

そしてドイツもソ連攻撃を要請してきたのだが、結局、日本はソ連攻撃を見送る。

実のところ日本陸軍は、早くも1941年7月時点で、ソ連の敗北は無いと判断していた。
(ただし、長期にわたる戦争の末、究極的にはドイツが勝つという意見ではあった)。

そして関特演時点で、満洲の日本陸軍は、およそ70万人。
ところが、それに対するソ連極東軍は、およそその倍、150万人以上。
戦車や航空機も、ソ連が遙かに優勢。
しかも攻撃開始は秋になるという時期的な不利も加わる。日本陸軍に冬期作戦の備えは無い。

これではソ連攻撃は不可能で、結局、日本陸軍としては南進しかないという結論になった。
正確には、南進は実行するが、日中戦争は継続し、北はソ連からの攻撃に備えるというもの。
その決定は、石油禁輸後の、1941年8月9日の帝国陸軍作戦要綱。

75 :
【41】

こうしている間も、1941年春から始まった日米交渉は、行われている。
これまたものすごく複雑なのだが、とにかく日米ともに強硬。妥協の意思はない。

そして第二次近衛内閣の外相・松岡洋右は、
アメリカに対する強硬姿勢のみならず、ドイツとの同盟を締結した張本人ということもあり、
ついにはアメリカから、事実上、罷免を求められるに至る。
(6月21日米国案のオーラルステートメント。アメリカは意図的に独ソ戦直前に出した)

これに松岡洋右は、その発言は『杉山メモ』に記録されているが、
ほとんど血迷うほどに激怒した。

その後に松岡洋右は、日米交渉の中止を言い出したことなどもあって、事実上の解任となる。
制度上、近衛文麿には松岡洋右を更迭できないので、いったん第二次近衛内閣が総辞職、
外相を豊田貞次郎に交代させて、1941年7月18日に第三次近衛内閣が成立するという形。

一応参考までに↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88#9%E6%9C%8825%E6%97%A5%E4%BB%98%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A1%88

76 :
【42】

ここも一応、説明。
第二次近衛内閣というか外相・松岡洋右の構想は、
日本・ドイツ・ソ連・アメリカで、世界を四分割しようというものだった。
そしてそれは、日独伊ソ四国同盟の成立と、ドイツがイギリスを打倒することが前提だった。

そうした構想から松岡洋右は、アメリカに対し、
ヨーロッパの戦争に加わらないこと、イギリス支援を行わないこと、
日中戦争についても日本の要求を受け入れること、などを求めた。
(1941年5月12日の日本案)

真っ向からアメリカに対立するもので、これで日米交渉が成功するわけがない。
事実としては、松岡洋右も日米交渉が成功する可能性は低いと思っていた。
松岡洋右自身の言葉では、30%。

なんにしても、その構想は独ソ戦勃発で破綻。松岡洋右は退場となる。

77 :
【43】

そして1941年7月末、ついに南部仏印進駐が実行される。
ここの経緯がまた面倒くさい。

そもそもその時、イギリス・オランダはドイツと戦争中。
アメリカもドイツとの戦争を決意し、全力で戦争準備を推進中。
なので、これらの諸国は、何よりも自らの戦争のために物資を必要としていた。
結果、日本まで回らない状況となっていた。

そして日本はドイツと同盟していたため、
それらの国にとって、近い将来刃を交えるであろう敵性国家になっていた。
となれば、本来なら日本に戦略物資を渡すわけにはいかないのだが、
出来れば日本との戦争は回避したい・少なくとも先送りしたいという思惑から、
それは段階的に締め付ける形で実行されていた。

そういった事情から、当時の日本は、物資の調達が思うように出来なくなっていた。
南印進駐は、それを解決する目的で、蘭印などに圧力をかけるために行われた。
(および、タイ・仏印間での国境紛争に対する圧力などの目的もあった)。

78 :
【44】

日本は、ドイツとの同盟以来、正確にはドイツが大勝した頃以来、
マレー・シンガポール・蘭印への攻撃の構想を抱いてもいた。

そのためには、南部仏印に基地を置く必要がある。
これも南印進駐の目的であり、
それはすなわちマレー・シンガポール・蘭印への攻撃準備でもあった。
(ただしマレー攻撃は、タイまで兵を進め、地続きでの侵攻が望ましかった)。

ところが、その時点での日本は、マレー・シンガポールおよび蘭印への攻撃を決意していない。
それは1941年7月2日の御前会議での『情勢の推移に伴ふ帝国国策遂行要領』に基づき、
「対英米戦を辞せず」として行われたものではあるが、
それでも国としては、その時点では戦争決意はなかった。
(および1941年6月25日の『南方施策促進に関する件』による)。

けれどもアメリカは、南印進駐に対し、資産凍結そして石油禁輸という最終手段で応じた。
日本は、制裁されること自体は予期していたが、
石油が禁輸されるならタイまで進んだ後だろうと思い込んでおり、
南印進駐時点でアメリカがそこまでするとは予想しておらず、
実行された後で驚愕するという有様だった。

79 :
【45】

参考までに、1941年7月2日の『情勢の推移に伴ふ帝国国策遂行要領』↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%8B%A2%E3%83%8E%E6%8E%A8%E7%A7%BB%E3%83%8B%E4%BC%B4%E3%83%95%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E7%AD%96%E8%A6%81%E7%B6%B1

一見威勢の良い言葉がならんでいるが、実質的な内容としては、
(1)日中戦争は継続する。
(2)南印まで進み、南方への攻撃準備をする。
(3)かつ、好機が来たらソ連を攻撃する。そのための準備も進める。

つまりは好機に備えて北進南進両方の準備をしておこうというものであり、
国家の方針を決めかねて両論を併記したものでもあった。
その時点で、陸軍は北進と南進両方に割れており、松岡洋右は北進を主張、
海軍は北進に反対で南進を主張という、そういう有様だった。
(付け加えるに、このとき海軍が本気で南進の意図だったのか、非常に疑問)。

ただし、それとは別に大東亜共栄圏の建設(中国と東南アジアを勢力圏とする事)は決定されており、
だからここでいう北進論とは、まずソ連を始末してから南進しようという、順番違いの南進論だった。

同じく参考までに、1941年6月25日の『南方施策促進に関する件』↓
ttp://seesaawiki.jp/japan1/d/%C6%EE%CA%FD%BB%DC%BA%F6%C2%A5%BF%CA%A4%CB%B4%D8%A4%B9%A4%EB%B7%EF
武力行使してでも南印進駐を断行するというもの。

80 :
【46】

石油禁輸に関するアメリカ側の意思について、不明な部分はある。
なのだが、経緯としては、こう↓

日本の南印進駐は、フランス側と交渉後、実のところは強要だが、フランス側の同意を得て行われた。
ところがその交渉内容は事前に漏れ、アメリカでは一層、日本に対する反発が強まる。
米紙は日本に対する経済制裁を主張。

7月23日、ハルは駐米大使・野村吉三郎に、「交渉継続の基礎がなくなったと考えている」と伝言。
7月24日、野村吉三郎は、南印進駐について了解を得ようとルーズベルトと会談。
ルーズベルトは仏印の中立化を提案し、そして石油の禁輸を示唆。

7月25日、海南島から南印に日本軍が出発。
それを確認後、アメリカは、1941年7月25日午後8時、26日午前零時から資産凍結を行うと発表。
日本時間では26日午後2時。

これにイギリスとカナダが同調。
28日には蘭印も加わり、日蘭石油協定の停止、対日輸出の許可制、つまり事実上の禁輸を行う。

7月30日、日本軍がサイゴンに上陸。
これに対しアメリカは、8月1日、石油の禁輸を実施。
表現上は1935〜36年度までの量の許可制だが、資産凍結のため、事実上の全面禁輸となる。

当時の日本の石油輸入はアメリカと蘭印からなので、これで日本は石油を一滴も輸入できなくなった。
ここで日米は、文字通り戦争直前までに激しく緊張。
両国間の船舶の運航は、この後、完全に停止する。

81 :
【47】

先述のようにアメリカは、かえって日本を戦争に駆り立ててしまうことを嫌い、
だから敵性国家であるにもかかわらず、これまで石油の禁輸は行わなかった。

ところがアメリカは、日本の南印進駐を、東南アジア方面への攻撃準備と見た。
それも、既に決意を固めた上での攻撃準備と。
この旨はコーデル・ハルが野村吉三郎に語っている。

だから理屈としては、アメリカにとって、これで石油の禁輸を行わない理由はなくなってしまった。
また、ここでアメリカが強硬姿勢を見せることで、
可能性は小さいが、あるいは日本は戦争を思いとどまるかもしれないということになる。

事実は逆で、石油を禁輸されたために日本は戦争を決意していくのだが、
アメリカにそこまで分かるわけがなかった。

82 :
【48】

この石油の禁輸によって、日本では、やっとアメリカとの戦争決意が固まり始める。
改めてその時の状況をまとめると、↓のようになる。

まず、これまで説明したように、ソ連攻撃は不可能。
『情勢の推移に伴ふ帝国国策遂行要領』時点ではまだだが、8月時点ではそう結論が出ている。
ただし完全にその意図を捨てたのではなく、もし好機が来たら攻撃するというものではあった。

そして、国家にとって石油はどうしても必要。
この状況で日本が石油を入手するには、アメリカに屈服するか、武力で蘭印を奪うかしかない。

東南アジア方面のオランダ軍(およびアメリカ軍・イギリス軍)は弱体で、確実に撃破できる。
それらは、頭数は多いが資質は劣等の植民地軍だった。
ところが当時の情勢からして、オランダとの戦争は自動的にイギリスとの戦争になり、
それはすなわちアメリカとの戦争に直結すると考えられた。

従って、もしアメリカに屈服しないなら、アメリカと戦争するしかないという理屈になる。
事実としても、陸海軍共にアメリカとの戦争を主張する声が強くなっていく。

問題は、アメリカと全面戦争になった時、最終的に勝利できるか?だった。
それがまさしく大問題で、結局、戦争決意は11月まで遅れることになる。

83 :
【49】

ちなみにだが、この頃、内大臣・木戸幸一は、日清戦争後の三国干渉の時のように、
一旦アメリカに屈服し、臥薪嘗胆するしかないと考えていた。
木戸幸一日記の昭和16年(1941年)8月7日の記述。

普通に考えれば、それが当たり前だろう。
日米の国力差、日本の置かれた状況、総力戦という戦争の形態、などからすれば。
ところが、その当たり前が通らないのが、当時の日本だった。

ただし木戸幸一は、10年間を目処とする臥薪嘗胆の後、今度こそ南進する考えでもあった。
つまりは大日本主義的な夢で、戦後の人間とは全く違う考えだった。

さらにちなみにだが、石橋湛山は大正時代、既に小日本主義を唱えていた。
満洲も朝鮮も台湾も日本には不要ということで、少数だが、そう考える人間も当時いたってこと。

84 :
【50】

そして木戸幸一日記の1941年7月31日には、
軍令部総長・永野修身の上奏が記されている。

内容↓
○戦争は避けたい。
○ドイツと同盟している限り、日米関係は好転しない。
○石油が禁輸されるなら、戦争に打って出るしかない。
○勝利はおぼつかない。日本海海戦のような大勝利は望めない。
という煮え切らない態度。
結局のところは、海軍内部で主戦派と避戦派が綱引きしていたため、
海軍全体としては、そうなっていたものと思われる。

補足して説明だが、当時の日本海軍の研究結果では、そもそも艦隊決戦など起こらない。
真珠湾攻撃は研究中で、山本五十六は強く主張していたが、この時点ではまだ成功の見込みは無い。

さらにちなみにだが、
NHKスペシャル取材班『日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦』は、
木戸幸一日記のその箇所を誤読し、軍令部は主戦論を唱えていたと誤解している。
新潮文庫版だと85ページ。NHKは、たまにこういう間違いをしでかす。

85 :
【51】

このように日本は右往左往なのだが、アメリカはドイツとの戦争にまっすぐ向かっていた。
民主主義国としての事情から、まだ最終決定ではないとはいえ。

アメリカは、1941年8月9日から12日までイギリスと大西洋会談を行い、共同で大西洋憲章を発表する↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%86%B2%E7%AB%A0
↑は、まだアメリカは参戦もしていないのに、ドイツ打倒を宣言している。
が、意図的に日本とイタリアの名は外している。

すなわちそれは、
「ドイツと手切れするなら今のうちだ。さもなくばドイツもろとも打倒する」という、
日本とイタリアに対する遠回しなアピールでもあった。

付け加えるに、↑は、植民地解放も宣言している。
「日本はアメリカの植民地にされていたかも知れない」なんて説もあるが、
事実としては、アメリカにそんな意思などなかった。

86 :
【52】

そして日本陸軍は、日本内部ではいち早く、1941年8月9日の帝国陸軍作戦要綱で、
南進を、つまりはアメリカとの戦争を、ほぼ決意した。

その内容↓
一、在満鮮十六個師団を以て対ソ警戒を至厳ならしめる。
二、中国に対し既定の作戦を続行する。
三、南方に対しては十一月末を目標として対英米戦準備を促進する。
(『大東亜戦争全史』より)

陸軍にとっては戦争準備イコール戦争決意であり、
だからアメリカとの戦争に大きく傾いたと言えるが、陸軍としても最終決定ではない。
つまり、当時の日本の体制上、開戦を決定するには、政府・陸軍・海軍の全員一致が必要。
しかしこの時点では、政府(第三次近衛内閣)と海軍は戦争に同意していない。

ただし、アメリカとの戦争は避けたいと思っていたにもかかわらず、
海軍も積極的に戦争準備は進めており、どうしても戦争に反対というわけでは無かった。
これまた面倒な話だが、海軍にとって戦争準備は戦争決意では無く、
つまりは戦争準備だけ先に進めておいて戦争決意は後回しにしようということで、
だからこの時点では戦争決意には不同意ということ。

そして陸軍も、この時点では、日本の要求が通って日米交渉が成功するのならば、
それでよいという意思だった。
問題は、陸軍にはアメリカに譲歩する意思が薄かったという点で、
これが日米交渉を進めようとする首相・近衛文麿にとって、大きな障害になった。

87 :
【53】

石油の禁輸後、首相・近衛文麿は、なお日米交渉に望みを託した。
1941年8月4日に近衛文麿は、日米首脳会談の案を陸軍と海軍に示している。

何故首脳会談かというと、ひとつには近衛文麿の思いつきだったのだが、制度上の理由もあった。

そもそも日米交渉を成功させるには、日本側もそれなりの譲歩はする必要がある。
ところがその頃の陸軍には、そういう意思がほとんどない。
当時の日本が、事実上、政府・陸軍・海軍の全員一致制である以上、
陸軍がそういうつもりとあっては、もはや日米交渉は、制度上、不可能。

だから近衛文麿は、日米首脳会談により、そういう制度上の制約をすり抜けようとした。
しかし不幸なことに、アメリカは、日本のそういう事情を理解しなかった。

大西洋憲章の後、8月17日、ルーズベルトは野村吉三郎に強い警告を行う。
これ以上日本が武力による進出を続けるならば、アメリカはあらゆる必要な処置を執るという旨。
最後通牒に近い台詞だが、ここでは同時に、日米首脳会談に応じるかのような姿勢も見せていた。

しかし最終的には1941年10月2日の米国覚書↓で、日米首脳会談はつぶれることになる。
ttps://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/image_B02030719900?IS_STYLE=default&IS_KIND=detail&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=B02030719900&
内容は、日米首脳会談の拒否、四原則(領土・主権の尊重、内政不干渉、機会均等、現状維持)、
中国・仏印からの撤兵、日独伊三国同盟の死文化。
(ただし事実上はその前、1941年9月3日時点のアメリカの回答で終わっていた)。

88 :
【54】

近衛文麿は、日米首脳会談が潰えた後も、なお交渉解決を目指して頑張った。
そして1941年10月12日、荻外荘(てきがいそう)で会談が開かれる。

ここで首相・近衛文麿は、交渉の継続を提案。
これに対して陸相・東条英機は、交渉に見込みはないと主張。つまりは戦争ということ。
そして海相・及川古志郎は、「いまや和戦いずれかを選ぶときである。その決定は総理に委せたい」。
(海軍はアメリカとの戦争に反対だが、公式にはそう言えないので、同じく反対である政府に一任)。

つまりこの頃には、8月時点とは違い、陸軍は完全にアメリカとの戦争を決意。
陸相・東条英機は、アメリカとの戦争を決意するよう、首相・近衛文麿に圧力をかけるようになる。
海軍がはっきり反対すれば、体制上それでお終いで戦争は出来ないのだが、海軍はそうしなかった。
このあたりも、陸軍が粗暴犯なら海軍は知能犯、だろう。

その後に近衛文麿は駐兵問題の譲歩を考えるが、東条英機はそれも拒否。
結局、閣内不一致から第三次近衛内閣は総辞職し、東条内閣が成立する。

89 :
【55】

次は、いよいよ日本の戦争決意について。

まだ第三次近衛内閣の頃、1941年9月6日の御前会議で、帝国国策遂行要領が決められる。
内容としては、十月上旬頃までに交渉成功の目途が立たない場合、開戦を決意するというもの。

問題は交渉の成否ではなく目処であり、その有無はまた別に判定する必要があり、
従ってまだ戦争の決定ではないが、そちらへ大きく歩を進めるものではある。

ところがこの御前会議で、昭和天皇は異例の意思表示を行う。
よく知られているが、「四方の海 みなはらからと思う世に など波風の立ち騒ぐらむ」
戦争には反対という意味。

先述のように、10月12日の荻外荘の会談で東条英機は、交渉に見込みがないと戦争を主張した。
それは、↑の御前会議の決定による。
同様にそれは、↑の昭和天皇の意図に背くものでもあった。

この後、1941年10月18日、第三次近衛内閣に代わって東条内閣が成立する。
そのとき昭和天皇は、9月6日の決定は白紙に戻して再検討するよう、木戸幸一から東条英機に伝えさせた。
こうしている間も戦争準備は進んでいるのだが、
とにかくこれで、戦争するかしないかは、いったん未定になる。

90 :
【56】

ところが東条英機は、文字通り律儀に再検討だけ行い、再度戦争へ向かう決定をしていく。

つまりは、もちろんその真意は当人以外分かるわけないのだが、
昭和天皇の意思を承知しながら、それに逆らったことになる。

首相就任後、一応日米交渉はしているので、単純に昭和天皇の意思を無視した訳でもないし、
当時の体制からして、東条英機個人の責任でもないのだが、とにかく。

91 :
【57】

なぜ、昭和天皇の平和の意思は無視されてしまったのか?

簡単に説明すると、それは明治憲法の規定、天皇の政治的無責任による。
だから天皇は、責任が生じる行動は出来ず、自らの意思で命令は出来ない。
出来るのは、政府および軍部が決定した事柄を、そのまま追認するだけ。

それに関して意見や感想を述べることは出来るが、
命令になってはいけないので、それも控えめでなければならず、
そして政府および軍部は、それに従わなくて構わない。

昭和天皇は、政府や軍部に説明を求めることは出来るし、
あれこれ質問も出来るし、そこに瑕疵があればその指摘も出来る。
だから開戦前、昭和天皇は「本当に大丈夫なのか?」と何度も、
時にはほとんど詰問だったが、繰り返した。

なのだが、「それでも戦争しかありません」、
「危険はありますが、勝利の可能性はあります」などと言われれば、
昭和天皇に拒否権は無いので、それでお仕舞い。

だから開戦前、昭和天皇は漠然とした平和の意図を示すことしかできず、
結局それは無視されてしまった。話としては、ただそれだけのことになる。

昭和天皇が、ああしろ、こうしろと言ったことは確かにあるが、
実のところ、それに命令としての効力は無く、実態は命令口調の意見に相当する。
天皇は、確かに権威を持っているが、突き詰めればお飾りに過ぎない。
臣下が天皇の意思を重んじるなら実態として違ってくるが、当時はそうならなかった。

92 :
【58】

そのような天皇制の実態は、さらなる大問題を内包していた。

ひとつには、全体的な状況を把握した上で総合判断を下せる人間がいないこと。
体制上、それが出来るのは昭和天皇ただひとりなのだが、昭和天皇は意見までしか言えない。
臣下がそれを尊重すれば良いのだが、当時はそうならなかった。
(ただし、昭和天皇にも正確な情報は伝えられないことが、当時、しばしばだった)。

そして、何を決めるにも、協議を重ね全員一致に至らなければならないこと。
そういうことでは、往々にして決定そのものが困難になるし、現実にそうなった。
玉虫色だったり、両論併記だったり。
理屈としては、制度に欠陥があっても運用でなんとか出来るのだが、
当時はそうはならなかった。

また、実態がどうあれ、建前上それは天皇の命令であり、しかし天皇は政治的無責任。
故に、政府も軍部も、決定について責任は負わないことになる。
当時の日本は、一種の無責任体制だった。

93 :
【59】

さかのぼって、なぜ東条英機が首相にされたのか?というと、これまた面倒な事情がある。

まず、第三次近衛内閣総辞職後、皇族(東久邇宮)を首相にすることが考えられた。
しかし、その時点で陸海軍の不一致が解決されていないことが、まず問題だった。
そして、皇室に累が及ぶ恐れもあった。現実に、後に東条英機に怨嗟が向かっていったように。

だから内大臣・木戸幸一は、その職責からそれに反対し、代わりに東条英機を推した。
それが1941年10月17日の重臣会議においてで、そして結局、そうなった。

理屈としては、その時点で陸軍は完全にアメリカとの戦争を決意しているため、
和平を目指す人間が首相に就任することは、もはや不可能。
その時には、必ずや陸軍が政治介入するからだ。

そこからすると陸軍の軍人を首相にするしかなく、その時点でのそれは東条英機になる。
その後に陸軍の意思通りアメリカとの戦争になったとしても、そして敗北したとしても、
その責を負うのは、および国民の恨みが向かうのは東条英機となり、皇室は守られる。
さらに、首相兼陸相となった東条英機に、9月6日の決定を白紙に戻し再検討するように言えば、
それに陸軍は文句をつけられず、アメリカとの戦争は回避できる可能性がある。

とにかく東条英機は、自ら首相になろうとしたわけではないし、その能力を買われたわけでもない。
単に日本の国内事情から、そうなっただけのことだった。

94 :
【60】

ついでに言うと、明治憲法下の日本には、首相選出の規定が無い。

建前上、それも天皇の命令なのだが、前述と同様、昭和天皇が直接選ぶことはできず、
「誰それが良いと思います」という臣下からの上奏に従うことしかできない。
太平洋戦争前の当時、それを行っていたのは西園寺公望で、その死後は重臣会議となった。
(当時の重臣とは首相経験者だが、木戸幸一など、そうではない人間も加わっていた)。

さらに言えば、そもそも明治憲法には、内閣の規定も首相の規定も無い。
単に「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とあるだけ。
それを定めているのは内閣官制だった。

そして、当時の首相は国務大臣の代表者に過ぎず、
統帥権の独立という制度からも、特に大きな権力を持っているわけでは無かった。
ttps://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/1-1.html
ttp://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html

95 :
【61】

さらについでに、御前会議とは何なのか?という話。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%89%8D%E4%BC%9A%E8%AD%B0

これ、会議と名がついているが、実は違う。
すべての決定は事前に政府と軍部で行われており、
それを昭和天皇に報告する儀式みたいなものが、昭和の当時の御前会議だった。
儀式とは違うが、天皇は現人神で、当時は過度の神格化なので、それじみた感じになる。
一応質疑はあるが、それも事前に決められており、形だけだった。

昭和天皇は、御前会議の場では沈黙しているのが常だったが、
その実態が↑である以上、黙って聞いていることこそが当然だった。

この御前会議、そもそも制度的な裏付けは無い。
そして昭和の当時のそれは、単に重要事項の決定というだけではなく、
事実上の政府・陸軍・海軍の全員一致制のためでもあった。

とどのつまりとしては、三者は対等で(軍部の発言力は強くなっていたが)、
三者間の意思を調整する機関も、最終的に裁定を下す機関も無い。
だから当時、「これで決定だからな。後で文句つけるなよ」と、三者間、
特に陸軍と海軍の間で念を押しておく必要があり、それが御前会議だったということ。

ただしそれも、両論併記だったり玉虫色だったりして、
決定になっていないことが、しばしばだった。
そして、天皇の前での決定は反故にできないので、
後になって状況が変わったとしても、柔軟に対応できないことにもなった。

96 :
【62】

話は、日本の戦争決意に戻る。
以上のように、十月下旬に再検討が行われ、なおも面倒な紆余曲折の末、
最終的には戦争へと進んでいく。

つまり、この頃には、やっと海軍もアメリカとの戦争に同意。
「戦機は今」などと勇ましい台詞を言い出すようになる。
(軍令部総長・永野修身の台詞)

それは、その時点では日本海軍の実力がアメリカ海軍を上回っていたこと、
(数的には劣勢だが、練度は大きく上回り、総合的にはやや優勢くらい)、
けれどもこの先アメリカの戦争準備が進めば日本側が劣勢になること、
戦争するなら備蓄の石油が尽きる前でなければならなかったこと、などによる。
(1942年3月の開戦も検討されたが、それでは備蓄の石油が底をつく)

そういったところから、海相・嶋田繁太郎は、1941年10月30日、
それまで反対だったにもかかわらず、アメリカとの戦争に同意した↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E7%94%B0%E7%B9%81%E5%A4%AA%E9%83%8E
制度上、海軍大臣の決定が、海軍の意思ということになる。

97 :
【63】

改めて海軍の戦争決意について。

先述のように、当時の日本には、アメリカに屈服するか戦争するか、二つに一つしかない。
しかし屈服は、満洲事変以来の成果をすべて失うことになり、
多くの犠牲を出した日中戦争も捨てることになるので、文官ですら断固拒否だった。

それでも、どうしても戦争が無理なら、否応なく屈服するしかない。
が、当時の日本には、総合的にはアメリカをやや上回るくらいの海軍力があった。

常識的には、その程度では戦争には勝てない。
どころか、国力・工業力の差からすると、そしてそれが総力戦になるとすると、
最終的には日本が負けると判断するのが当然。

なのだが、とにかく戦争は出来るのであり、
断行すれば、あるいは不利を克服して局面を打開できるかも知れない。

そして、陸軍は既に戦争を決意していたこと、
軍人の立場としては、戦わずして屈服しようなどとは言い出せなかったこと、
今を逃せば、アメリカの戦力が整い、石油が枯渇するので、戦争自体が不可能になること、
また、海軍内部にも主戦派はいたこと、
そうしたところから、結局、海軍も戦争に同意してしまったのだと思われる。

陸軍は大体ストレートで分かりやすいんだが、海軍には不透明なところも多い。

それから参考として↓
ttps://ci.nii.ac.jp/naid/110007410516/

98 :
【64】

そして一応、組織防衛の話。

「海軍は、組織防衛のために、アメリカとの戦争に反対できなかった」という説はよく聞く。
当時の人々の本心は確認不可能だが、おそらくそういう意図はあったと思われる。

なのだが、これは陸軍にも全く同じ事が言える。つまりは日中戦争。
当時はもはや、日本が撤退して終わらせる以外ない状況に陥っていた。
にもかかわらず、陸軍がそうできなかったのは何故か?
やはり、そこには組織防衛の意図もあったんじゃないか?ということ。

日本の戦争については、陸軍の責任は大きい。
なのだが、それとは違う形で、海軍の責任も大きかった。
色々な点から、「陸軍が粗暴犯なら海軍は知能犯」だった。

99 :
【65】

そしてこの時、東条内閣成立後の再検討で、改めて米英蘭の可分・不可分が議論され、
やはり不可分という結論になる。

その理由のひとつは、これまで説明してきたような、当時の国際情勢。

もうひとつは、軍事的な理由だった。
とどのつまり、当時アメリカ領のフィリピンを残していては、
南方作戦に支障を来すということ。
この点、日本〜フィリピン〜東南アジア各地の位置関係を、
地球儀などで確認すれば、一目瞭然のはず。

更に、アメリカと戦争しなければならないなら、アメリカの戦争準備が整う前に、
日本から先制攻撃した方が有利なこと、これまた自明の理。

従って軍事的な点からも、日本は英・蘭とだけ開戦することは出来ず、
アメリカとも戦争するしかないという結論になった。

100 :
【66】

ただし、まっすぐに戦争と決まったわけではない。

一応当時の日本では、アメリカに屈服することも検討された。
当時の状況では、それは基本、10月2日の米国覚書をのむということだった。

ところが、外相・東郷茂徳だけは少し違ったが、
他は文官も含めて、満洲事変以来の成果を失うことになると、それを拒否。
「三等国になる」と。

隠忍自重も検討されたが、それでは結局、
備蓄の石油を食いつぶした後、アメリカに戦わずして屈服しなければならなくなる。

101 :
【67】

ならば即戦争なのかというとそうではなく、最後の交渉として甲案・乙案が
甲案は日本側が受諾しうる最小限の条件として、乙案は単に危機を先送りするものとして、
ただし文字通りにそれを最後として、決定された↓
ttp://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/nitibeikaisen/kouanotuan.html

すなわち、日米交渉は、12月1日午前零時まで行う。
それに成功しない場合、開戦する。
それが、1941年11月5日の御前会議で決められた帝国国策遂行要領だった。

(そこに至るまで、これまた面倒な経緯があるのだが、そこは省略する)。

厳密に言えば、それまでに交渉が成功すれば中止なのだから、まだ最終決定ではない。
なのだがとにかく、これでやっと日本の戦争決意が決まったことになる。

そして、『杉山メモ』や『時代の一面』によれば、
甲案でも乙案でも、交渉が成功する可能性は低いと考えられていた。
ttps://blog.goo.ne.jp/gb3616125/e/7b15d2bfa69bf4498fdea9457c284def

つまり当時の日本は、アメリカが納得するまで譲歩するつもりなどなく、
どうしても戦争を回避したいなど、さらさら思っていなかった。

結局はその通り、日米交渉がまとまることはなく、
11月27日のハル・ノートを経て、12月1日に開戦を最終決定、12月8日に至る。

102 :
【68】

ここで一応、ハル・ノート(1941年11月27日)の全文および原文↓
ttp://www.chukai.ne.jp/~masago/hullnote.html
これについては、今回の話の前半で説明したとおり。

細かいところだが、付け足し。
世間には、「ハル・ノートは日本軍の即時かつ無条件の撤退を求めた」という誤解があるが、
↑の原文を見て分かるように、単に撤退を求めているだけで、時期も条件もない。
つまりそれは、単純な勘違いに過ぎない。

ちなみにだが、当時の外相の東郷茂徳本人が、戦後にそういう勘違いをしている。
東郷茂徳著『時代の一面』は、当事者の証言であり、貴重な資料ではあるのだが、
いくつか怪しい記述もある。人間である以上、誤記や思い違いは仕方ないとはいえ。
『杉山メモ』と食い違いがあったりもして、読み比べると面白いかもしれない。

そして『時代の一面』は、東郷茂徳の官僚的な有能さと、
政治家あるいは戦略家としての無能さを、まさに表している。

つまり世の中は、表側には確かに法があり秩序があり、これは官僚のお得意分野だろう。
東郷茂徳は、ソフィストじみた部分もあるが、こちらには通じていた。
しかし世の中の裏側には、ダーティな部分や、ルール無用で情け無用な部分や、
悪党同士で仲良く私腹を肥やし合う部分とか、あるわけだ。
東郷茂徳は、こちらは全く理解していなかった。

103 :
【69】

そして、ハル・ノートは不当なのか?問題。

とどのつまりとしては、ハル・ノートは、
日本の侵略を認めない・これまでの侵略によって得た成果も認めないという、
アメリカの意思の表れに他ならない。

すなわちそれは、日中を満洲事変以前の状態に戻そうというものであり、
仏印含め東南アジア方面を以前の状態に維持しようというものであり、
プラス、新たな安全保障体制構築を試みようというものだった。
付け加えるに、日本を特に懲罰しようというものでもない。

従って、少なくとも現代的な感覚からは、客観的には不当とは言えない。

なのだが当時の日本は、それを不当と見なし、そして挑発と見た。
それは、中国と東南アジアを勢力圏とし、大国に成り上がろうとする日本の意図を、
完全に否定するものだったからだ。

したがって、やはり現代的な感覚からすると、おかしいのは日本側だ。
なのだが、このあたりは、いかんともしがたい時代の違いだろう。
とどのつまりは、当時の人々は、それが侵略でも、戦争を悪とは思っていなかった。
当時の日本では色々と情報操作されていたこともあるが、
当時の人々は、戦後の人間とは、まったく違う考え方だった。

104 :
【70】

ここで言っておくべきだと思うんだが、アメリカの戦争目的について。

冒頭に述べたように、それはドイツ打倒であり、そうするために必要だから、
仕方なくついでに日本やイタリアなどドイツの同盟国を打倒することだった。

しかし、実のところはそれだけではなく、戦後に世界平和を実現することも、
アメリカの戦争目的だった。

だからアメリカは、というかルーズベルトは、1943年1月に、
ドイツと日本を無条件降伏させることを宣言する。(イタリアは意図的に外した)。
それは、ドイツと日本の軍国主義的勢力を一掃し、平和国家とするためだった。

アメリカ人らしい深慮遠謀を欠いた理想論であり、現実との乖離からそれは歪んでいき、
結局、ソ連相手に冷戦を戦うことになるわけなんだけどね。
そして、限定された形ではあるものの、日本やドイツを再軍備させることにもなる。

なのだがとにかく、↑と照らし合わせてハル・ノートを見直すと、
見え方が変わってくるかもしれない。

105 :
【71】

それで、だ。
この時の日本は、一応ではあるが、確かにアメリカとの戦争を回避しようとした。
しかしそれは、自らの国策を変更してまでではなかった。
つまり、ドイツとの同盟は維持し、大東亜共栄圏建設も遂行していくということ。

それはすなわち、日中戦争は継続し、機を見てマレー・シンガポール・蘭印へ侵攻し、
それらを日本の勢力圏とすることだった。
昭和天皇個人は平和を願っていたが、国としての日本の意図はそのようなものだった。

すなわち、強国とは戦争したくないが、服従したくもない。
しかし弱国に対しては、その弱みにつけ込んで勢力拡大したい。そのためには戦争も辞さない。
突き詰めれば、そういうことになる。

とどのつまり、当時の日本は王道ではなく覇道を進もうとしたのであり、
ならば、より強いものに挫かれるのは、因果応報なんじゃなかろうか。

106 :
【72】

ちなみにだが、1941年10月以降の日本陸軍は完全に対米戦を決意しており、
どころかそれこそ最善と考えており、
だから甲案・乙案の最後の日米交渉が失敗することを願っており、
思うだけでなくそうさせようと仕組んでいた。

史料としては、機密戦争日誌。その抜粋↓
ttp://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/nitibeikaisen/kimitusensounissi.html
こういうページもある↓
ttp://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/nitibeikaisen/kaisen3.html

つまり日本陸軍にとって、ハル・ノートは願ったり叶ったりだった。

これに対して日本海軍は、戦後の証言によれば、
ぎりぎりまで交渉成功を願う意見が強く、
ハル・ノートのあと、やっと戦争やむなしに変わった。

107 :
【73】

そしてもちろん、日本は、ただし国としてはだが、アメリカに勝つつもりで戦争を決定した。
「負けると分かっていて戦争を始めた」という主張は、事実に反する。

ただし、日本がアメリカを打倒することは不可能で、
日本にとって有利な状況で講和に持ち込むという意味の勝利だった。

では、日本はどのようにして、それを実現するつもりだったのか?
1941年11月15日、陸海軍共同で『対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案』が作成されている。
これが、開戦前に成文化された唯一の戦争計画だった↓
ttp://seesaawiki.jp/japan1/d/%C2%D0%CA%C6%B1%D1%CD%F6%BE%D5%C0%EF%C1%E8%BD%AA%CB%F6%C2%A5%BF%CA%A4%CB%B4%D8%A4%B9%A4%EB%CA%A2%B0%C6

とどのつまり、
(1)東南アジアの資源地帯を確保し長期持久の体制を整える。
(2)アメリカ艦隊を撃滅する。
(3)蒋介石を屈服させる。
(4)イギリスを戦争から脱落させる。
(5)そうすればアメリカは戦意を喪失し講和を求めてくるだろう。
というもの。
その他に独ソの講和とか宣伝工作とか通商破壊とか色々記されているけどね。
客観的に見て、最初に戦争という結論があり、それに合うようでっち上げられた作文ではある。

108 :
【74】

そしてそれは、長期戦での日本の不利を過小に見積もった、
陸海軍そろっての、結論のねつ造だった。

日本はいち早く戦争準備を整えていたので、緒戦を有利に進められることまでは確実。
なのだが、日本がアメリカ本土に攻め込みアメリカを打倒するなど不可能で、
何らかの形で講和に持ち込むしかない。
どうやってそれを実現しようと日本が考えていたかは、先述の通り。

なのだが、それがあっさり実現するとは考えられず、必ず長期戦になると日本は予想していた。
では、長期戦になったら、日本は勝てるのか?
というと、これは陸海軍一致して「分からない」という結論だった。
これは、例えば『杉山メモ』に、首相兼陸相の東条英機の発言など記録されている。

それが総力戦である以上、勝負を決めるのは国力と工業力。
その優劣は明らかだったにもかかわらず、そして陸軍も海軍も、
長くて二年しか日本の力は持たないと研究結果がでていたにもかかわらず、
「分からない」という結論になったのは、結論のねつ造が行われたからだ。

ひとつの参考としては、結構有名だと思うけど、猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』。
当時の日本で、不都合な事実がなかったことにされてしまった一例。
そして当時の日本は、少なくとも部分的には非常に優秀だったのに、
そこがまったく生かされなかった一例でもある。

当時の日本は、単純に愚かだったわけではないし、単純に無能だったわけでも無い。
実態は非常に複雑であり、そしておそらく、ここは現在の日本にも共通する民族的欠点だ。

109 :
【75】

さらに言えば、それはドイツの勝利を前提とした決定でもあった。
ところが、これがまた大問題で。

1941年12月8日の開戦時点で、ドイツは、イギリス・ソ連と戦争中。
イギリスとの戦争は小康状態だが、ソ連とは長期戦の全面戦争。
そしてこの先、体勢を立て直したイギリスと、戦争準備を完了したアメリカが、
ドイツに襲いかかってくることになる。

では、それにドイツは勝てるのか?ってこと。
勝てる・少なくとも負けないと判断したのが当時の日本だが、
それは現実から乖離した思い込みであり、結論のねつ造ではなかったか?

ちなみにだが、当時、親独中立だったスペインは、
アンダイエ会談(1940年10月23日。日独伊三国同盟締結の約一ヶ月後)で、
ドイツから参戦を求められたにもかかわらず、それを断っている。

理由は二つ。
ひとつは、内戦の痛手が残っていたこと。
もうひとつは、ドイツの敗北を、少なくともその可能性を、予想していたからだった。

日本でも、西園寺公望は、バトル・オブ・ブリテンの時点で、
最終的にはイギリスがドイツに勝利すると予想していた。
見る目のある人間には見えていたということだね。

110 :
【76】

以上、ものすごく長い話だが、結局、日本は何故アメリカと戦争したのか?

これまで記したように、それは船頭多くして船山に上るで右往左往の迷走の果ての結末であり、
何がどうしてどうなったのか、事実関係を把握するだけでも非常に難しい。

そこを敢えて、ものすごく四捨五入して説明すると、
(1)もともと日本には、自ら進んでアメリカと戦争する意思はない。
(2)しかし日本は、国際情勢やアメリカの意思を読み誤り、アメリカと対立する行動をとる。
(3)それがアメリカ側の制裁を招き、ついには石油まで禁輸されてしまう。
(4)これで日本は、アメリカに屈服するか、戦争するか、ふたつにひとつしかなくなる。
(5)ところがその時日本には、その時点限定だが、アメリカをもしのぐ軍事力があった。
(6)および、ここでアメリカに屈したら、満洲事変以来の成果をすべて失うことになる。
(7)とにもかくにも日中戦争で多くの犠牲を出していた日本に、それは耐えがたかった。
(8)さらに、東南アジアを支配下にするチャンスを逃したくもなかった。
(9)そのためにはアメリカと戦争し勝つしかなく、だから日本はそうした。
と、そういうものになると思う。

111 :
【77】

それは、日本が大国になろうと不正な侵略を試み、失敗していく過程でもある。

先述の通り、そもそもの発端は満洲事変であり、それがまさに大国になろうとする侵略だった。
そして同じく先述の通り、その後の七面倒くさい右往左往を経て、
1941年時点では大東亜共栄圏建設が決定される。
それはすなわち、中国と東南アジアを日本の勢力圏としようとするもの。

日本にとっての日米交渉とは、露骨に↑とは言っていないけど、
とどのつまりとしては、それをアメリカに認めさせようとしたものだった。

ひっくり返してアメリカの立場になってみれば、
日本のそういう侵略を認める理由、何もないわけだ。
日本はドイツと同盟し、両国の力でアメリカを妥協させようと構想したが、
アメリカには両国を打倒できる実力および決意があり、何の効果もなかった。

結局、これまで説明してきた七面倒くさい紆余曲折の末、日本はアメリカ相手に開戦する。
それは、日本側からの日米交渉に注目した場合、根本的な話としては、
アメリカが日本の侵略(中国と東南アジアを勢力圏とすること)を認めないことを不当として、
日本はアメリカに対する戦争を開始した。と、そういうことになる。

112 :
【78】

それでは、どうすれば太平洋戦争を回避できたか?
色々考えられる訳だが、ここでは日本国外に注目してみる。

そもそもヨーロッパで第二次世界大戦が勃発していなければ、太平洋戦争も起きていない。
となれば、第一次世界大戦の戦後処理が適切であれば、それが「20年の休戦」になることもなく、
もちろんおそらくはだが、第二次世界大戦も太平洋戦争も起きなかった。
および、なんとかしてヒトラーの台頭を阻止できていたら、同じく戦争は始まらなかった。

そして、第二次世界大戦の緒戦でフランスが敗北していなければ、
「バスに乗り遅れるな」と日独伊三国同盟が結ばれることもなく、太平洋戦争も起きなかった。
フランスの敗北は、非常な失態が重ねられた結果であり、本来なら起きるはずのない事態だった。
「君主は軍事に専念せよ」はマキャベリの教えのひとつだが、フランスはそれを怠った。

また、アメリカが準備万端怠りなく軍備拡張に励んでいたら、
日米の軍事力が逆転することもなく、おそらく太平洋戦争も起きなかった。

および、石油の禁輸がもっと早ければ、日本は戦争準備が出来ていないため、
アメリカに屈するしかなく、おそらく戦争にはならなかった。
先述のように、これもアメリカの戦争準備が遅れたためであり、
だから日本との全面対決を先送りしなければならなかったからであり、
したがってこの観点からも、軍事力の不足が戦争につながったと言える。

113 :
対米開戦の理由は単純で明快で、海軍の都合と暴走がその原因です。
海軍の山本五十六がどうしても1941年内に真珠湾奇襲をやりたかったからです。

海軍は陸軍の対ソ戦阻止しか頭にありません
海軍は開戦の1年前から真珠湾奇襲を決意しており、
対米交渉なんか初めから眼中にありません。
もし交渉が進展すれば、妨害して潰します。 実際にそうなりました。

日本の主導者の多くは陸軍は暴走するから、陸軍主導より
海軍主導のほうが安全で手堅いと思い込んだかもしれません。
しかし実際には山本五十六が主導する海軍は、陸軍以上に遥かに愚かでした。
海軍は大暴走し、世界中を戦争に巻き込みました。

当時、海軍が敵視していたのは、アメリカでも中国でもありません。
海軍は陸軍を敵視し、陸軍に負けるくらいならば、アメリカと全面戦争をやって
負けた方がマシだと考えていたと言われています。

アメリカの対日禁油が悪いなんて言ってますが
その前にその原因となった南部仏印進駐で
日本は何をしてたか知ってるでしょうか?

日本は南部仏印になんと14個もの飛行場を超急ピッチで整備し
陸海軍の主力を集結させ、連日上陸作戦の猛訓練です。
まさに開戦前夜です。
誰が見ても日本は対米英戦争を決意したと思われて当然です。

南部仏印進駐は、進行中の対米交渉を妨害、破綻させるために海軍によって強行されました。
元海軍次官、豊田外相による計画的な策略でしょう。

114 :
みなさん

こぷした海軍の暴走を隠蔽して責任転嫁し
あーだこーだと色々書いて開戦理由を
わからなくさせる悪質な書き込みが多発してます。

こうした悪質な詐欺師に
だまされないようにしましょうw

115 :
>>112
連合国の軍事力が足りなかったという結論は事実的にはともかく規範的にどうかと思いますが……
それ以前の論考には概ね同意です。素晴らしい!

>>76-77など、その通り!
アメリカの立場から、日本帝国の虫のいい侵略願望に譲歩する必要が皆無。
ハルノートは現代の目では当然の要求。

付け加えるとすれば、蒋介石とチャーチルの働きかけを考慮すべきでしょう。
日本の侵略継続を容認する形で日米交渉が妥結すれば(あり得ませんが)、
国民党の抵抗は崩れる可能性があります。

116 :
最近一部の人間らが
ルーズベルトを悪党、戦争屋のように言ってますが、戦犯は野村大使の方です。
日本の海軍はアメリカを仮想敵国に見たたてて予算拡大を図り
対米戦争準備を始めました。

そんな国がアメリカに石油を売れといって、アメリが石油を売るでしょうか?

仮に大統領や石油会社が売りたいと思っても、アメリカ国民が怒るはずです。
なんで対米英戦争を準備中の国にアメリカが石油を売らなくてはならないのか?と。
アメリカが対日禁油に至ったのは当然のことで非は100%日本側にあります。


野村大使はもと海軍大将であり、海軍の山本五十六、米内、嶋田海相らとは親密な関係でした。
アメリカでは野村大使は海軍と結託し、真珠湾奇襲を成功させるべく、米政府をだます「偽りの外交」を
やっていたと非難されましたが、その見解はそのとおりです。

外務省と海軍は裏で結託してアメリカ政府だけではなく、日本政府をも欺いていました。
何が何でも真珠湾奇襲を成功させるためです。

日本大使館の対米交渉は、真珠湾奇襲を成功させるための日本の猿芝居でした。


しかし戦後、アメリカは共産主義との闘いが優先され、それには陸軍悪玉論のほうが都合がよく
(陸軍のほうが大資本勢力が金の力で世界を支配する市場原理主義を批判する社会主義派が多いため危険だと見られました)
野村大使は戦争責任を追及されるどころか、CIAの工作員になりました。


日本ではこうした海軍の暴走を 戦後ずっと隠蔽し、陸軍を悪玉に仕立てて宣伝してきました。
これは国家ぐるみの策略ですね。

117 :
そもそもアメリカにとって何の関係もないはずの対中問題でしゃしゃり出て関係ない強硬論唱えて戦争を招いたアメリカ政権

118 :
>>115

とりあえず、お読みいただき、有り難うございます。
色々至らぬところもあると思いますけど。

なるべく誤りを少なくしようとは思うものの、これが非常に難しい。
それを完全になくそうとしていたら、何も書けなくなってしまいますしね。

119 :
【79】

続き。

日本国内についても色々考えられるわけだが、
たとえば陸海軍大臣の現役武官制。

それがなかったら宇垣内閣の流産と米内内閣の倒閣はなく、
宇垣一成も米内光政もドイツとの同盟には反対だったので、
日米戦争には至っていない。

そして、宇垣内閣の流産も米内内閣の倒閣も、行ったのは陸軍なので、
この点からは、陸軍にもっとマシな分別があれば、日米戦争にはならなかったと言える。
その後の日独伊三国同盟は全員一致なので、悪いのは全員とはいえ。

また、すべての発端は満洲事変なので、
それが起きていなければ、あるいは日米戦争もなかった。
それは統帥権の独立を悪用したものなので、その意味においては、
それが諸悪の根源だったと言える。

統帥権の独立は、根本的に間違った制度だった。
そもそもの話、戦争は政治の延長であり、政治は戦争の延長に他ならない。
にもかかわらずその二つを切り離してしまっては、
東条英機(首相時)の言葉では「統帥権独立の下では戦争指導はできない」だった。

120 :
【80】

長い話で恐縮だが、次は真珠湾攻撃について。

そもそもの話として、航空機による港湾攻撃は、真珠湾攻撃が最初ではない。
1932年にアメリカ海軍は、空母によるハワイ攻撃の演習を行っている。
1940年11月には、タラント空襲が行われている。
ここは不明だが、山本五十六の発案にも、これらは関係していたはずだ。

同じくそもそも論としては、第一次世界大戦以降、航空機の性能向上は著しく、
これで艦船を攻撃できるんじゃないか?ってことまでは、誰だって考えつく。
1921年には、現実に艦船を沈められることが、実験で確かめられている。
そして、港湾に停泊中を狙った方が有利なこと、これまた自明の理。

真珠湾攻撃が画期的だったのは、その距離だった。
日本からハワイまでの長距離を越えての攻撃は、当時の常識を超えたものだった。

ついでに説明だが、当時、真珠湾は、アメリカ太平洋艦隊の根拠地だった。
だからアメリカ艦隊がそこに集まっていたのだが、
当時、アメリカはドイツとの戦争を決意しており、
そのために艦隊を大西洋に回しておくことも検討された。

そうなっていれば真珠湾攻撃はあり得なかったわけだが、
しかし日本に対して圧力をかけ、できれば日本との戦争を回避するために、
そうはされなかった。

121 :
【81】

そして、今更言うまでもなく、日米戦争は真珠湾攻撃から始まった。
それは、山本五十六の強い主張により、実行された。
逆に言えば、もし山本五十六がそうしなかったら、真珠湾攻撃は行われなかった。

山本五十六が真珠湾攻撃を発案したのは1940年時点だが、
攻撃実施を前提とした研究・訓練が始まるのは、1941年1月から。

何故その頃からかと言うと、山本五十六は、
日独伊三国同盟によって日米戦争は決定的になったと考えていたため。

そして山本五十六は、それによって自分は戦死(おそらくは敗死)するだろうと思っていた。
そうまで思っているのなら、もっと全力で同盟に反対すれば良いものを。
とはいえ、このあたりは山本五十六の落ち度というより、日本人の民族的な欠点だろうね。

ちなみにだが、そうした山本五十六の意図は、本当にそうだったかは不明だが、
おそらく、どこからか漏れていた。
詳細は定かでないが、それはアメリカの駐日大使ジョゼフ・グルーの耳にも入り、
グルーは念のためアメリカ本国に通報している。

しかし、当時の軍事常識からして、真珠湾攻撃が実行可能とは考えられなかった。
アメリカ海軍の反応は、「非常識なことを言うな」で、お仕舞いだった。

122 :
【82】

こうして真珠湾攻撃の研究と訓練が始まるが、それは順調には進まなかった。
そもそもハワイは日本からあまりに遠く、艦艇の航続距離が足りない。
当初は爆撃能力は低いし、真珠湾は浅いので雷撃は不可能。
図上演習をやってみたら返り討ちにあったりと、さんざんな結果。

なんとか真珠湾攻撃成功の見込みが立つのが、1941年10月中頃になって、やっと。
(念のためだが真珠湾攻撃は1941年12月8日)
それも完全な成功ではなく、ただし日本側も大損害を被るが、というもの。
そもそも奇襲なんざ失敗するのが当前で、成功は非常な幸運に恵まれた場合だけ。

普通に考えれば、こんなリスキーな作戦は論外で、
だから軍令部も反対なら連合艦隊も反対だった。

軍令部が反対である以上、本来なら山本五十六は解任されるべきだった。
ところが結局、山本五十六の主張が不透明に通り、真珠湾攻撃が決定される。
これが1941年10月下旬。

それは、もし戦争になるなら真珠湾攻撃を行うということ。
戦争するという決定ではないが、海相・島田繁太郎の戦争決意はその後なので、
もしかしたらだが、そこに影響していたかもしれない。

ただし、ここではまだ雷撃の問題が残っており、それが解決されるのは1941年11月中頃。
真珠湾攻撃は1941年12月8日、南雲艦隊がハワイへ出撃するのが1941年11月26日なので、
まさしく直前だった。
結局は解決されたとはいえ、雷撃が出来ないと攻撃力が不足し、望む戦果は期待できない。
そこを無理に決定したということであり、
この点からも、真珠湾攻撃は、無理に無理を重ねたものだった。

123 :
【83】

それでは、なぜ山本五十六は、そのような無理を重ね、反対を押し切ってまで、
真珠湾攻撃を行おうとしたのか?

これまたそもそもの話だが、日露戦争以後、日本海軍はアメリカを仮想敵国としていた。
日本からアメリカ本土に侵攻するのではない。
基本、攻めて来るアメリカ艦隊を西太平洋で迎え撃とうという構想。
そして一大艦隊決戦を行い、日本海海戦の再現で、アメリカ艦隊を撃滅しようというもの。

ところが現実にアメリカとの戦争を考えなければならなくなった時、日本海軍は大問題に直面する。
いくら研究を重ねても、↑の構想のような艦隊決戦は起きそうにないということ。

たとえば井上成美は、1941年6月に絶対に起きないとまで言い切っていた。
艦隊決戦に対する疑問は、実は航空機が発達する前からあり、
これらは高木惣吉著『私観太平洋戦争』に記されている。
これも無視するわけにはいかない当事者の証言だ。

124 :
【84】

では、艦隊決戦が起きないなら、どのような戦争になるのか?

というと、1941年当時、日本はいち早く戦争準備を始めていたため、
日本海軍の実力はアメリカ海軍(および、イギリス海軍・オランダ海軍)を上回っていた。

だから当初、日本海軍が優勢に戦争を進める。
しかし、一気にアメリカ艦隊を撃滅する機会は無く、やがて消耗戦に陥っていくと考えられた。
そうなれば自明の理として、国力・工業力の差が勝負を決める。それが劣る日本は勝てない。

おそらくは、そのような研究結果から、山本五十六は真珠湾攻撃を主張した。
アメリカ艦隊を撃滅する唯一のチャンスがそれだからであり、
したがって、いかにリスクが大きくともそれを行う以外なかった。

ここもおそらくはだが、山本五十六自身も奇襲が成功するとは思っていなかった。
当時の日本海軍は、真珠湾攻撃は殴り合いの強襲になると予想していた。
そうなれば日本側も大損害を被るが、それでもアメリカ艦隊を壊滅できるなら、
満足できる戦果となる。

125 :
【85】

現実に、アメリカ本国は日本軍の攻撃を予想し、真珠湾も含め、各地に警告を出していた。
したがって、本来ならば、奇襲なんか成功するわけがなく、強襲になるはずだった。

しかしハワイではアメリカ軍の非常な怠慢があり、
それが日本軍にとって望外の幸運となり、真珠湾奇襲は成功する。

怠慢はハワイだけではなく、フィリピンのマッカーサーや、
マレー・シンガポールのパーシバル(英軍)もだった。
日本軍の緒戦の大勝は、ここによるところも大きい。

ちなみにだが、真珠湾攻撃を二次攻撃までで切り上げたのは、
とどのつまりとしては、アメリカ軍の反撃を恐れたから。

南雲艦隊は、真珠湾攻撃は強襲になるものと考えており、
しかし戦争のその後を考えれば損害は最小にしたいところであり、
そのために当初から一撃離脱的な作戦を考えていた。

現実には完全奇襲に成功したわけだが、しかし真珠湾に空母はいなかった。
当時の状況からして、どこか近隣の海上にいるに違いなく、
それが反撃に来ると考えるのは当然だった。
事実としてもそうだったが、南雲艦隊が離脱したため空振りに終わった。

つまり、総合的な判断はまた別だが、日本側の損害を最小にするためには、
それはまったく正しかったと言える。

126 :
【86】

なお、『アメリカは真珠湾攻撃を知っていた』説は、事実無根のトンデモ。
『南雲艦隊は電波を発信していた、アメリカはそれを傍受していた』というのはね。

これも色々あるわけだが、根本的には、これまで説明してきたとおり、
奇襲が成功する見込みは非常に低かった事、
事前に発見されたら返り討ちにあう事、
電波を発信したら逆探知されるのは常識だった事、
などからして南雲艦隊が電波発信なんかするわけが無いし、
事実として、厳重に無線封止されていたと言う証言がある。

これに対して、南雲艦隊が電波発信していたという証拠は、
これまで、ひとつも出てきていない。

なお、そのとき日本海軍は、呉から偽電を発信していた。
当然、アメリカはそれを傍受しており、それは戦後に公表されている。
もちろん真珠湾攻撃の時点では、アメリカはそれを偽電とは思わなかったわけで、
『南雲艦隊は電波発信していた』説は、この辺を誤解したのが発端じゃなかろうか?

127 :
【87】

誤解すべきでないのは、真珠湾攻撃の真の目的。

そもそも日本は、石油がないから太平洋戦争を始めたわけだ。
だから、何としてでも蘭印を初めとする資源地帯を占領しなければならなかった。
故に日本は、それに全力を投入する必要があった。それに失敗したら全てが御破算だから。
これが大前提。

つまり真珠湾攻撃とは、戦争全体から見れば、それを支援するための支作戦に過ぎない。
すなわち、反撃に来るであろうアメリカ艦隊を事前につぶし、
資源地帯確保を成功させようとしたもの。

そして、その思惑が成功したこと、その後の推移が示すとおり。
アメリカの士気を阻喪させるという意図も加わるので、それは見えにくくなるわけだけど。
(および、山本五十六が日本本土への空襲を恐れていたことも、真珠湾攻撃の理由だった)。

128 :
【88】

なのだが、たとえ真珠湾攻撃に成功しても、それは序盤戦を有利に進められるに過ぎない。
アメリカ艦隊撃滅の機会は二度と無く、したがってアメリカに対する勝利を目指すなら、
あとはアメリカが体勢を立て直す前に、アメリカ海軍を叩き続ける以外ない。
とどのつまりとしては、山本五十六はそう考え、実行しようとした。

しかし、これが大問題。
それが妥当か否かはまた別として、とにかくそれ、短期決戦の戦略なわけだ。
ところが国家としての日本の戦略は、長期戦でいくと決定されている。

完全に食い違っているわけで、したがって山本五十六は、やはり解任されるべきだった。
そうしないのであれば、国の戦略全体を転換しなければならなかった。

ところが、どちらも行われず、結局、矛盾した戦略が中途半端に実行され、
どのみち日本に勝ち目など無いが、日本は無残なまでの敗北を喫していくことになる。

129 :
【89】

山本五十六については、もう少し言及すべきことがある。

これまた周知のことだが、山本五十六は近衛文麿に対米戦の見通しを質問された時、
明確には答えていない。
「それは是非やれと言われれば、初め半年や1年の間は、随分暴れてご覧に入れる。
しかしながら、二年三年となれば、全く確信は持てぬ」としか言わなかった。

適当な数字ではなく、長くても二年というのが、当時の日本海軍の研究結果だった。

それでは何故、はっきり勝ち目はない、あるいは非常に薄いと明言しなかったのか?
および、山本五十六が対米戦争に反対だったことは史料から明らかなのだが、
そう明言しなかったのは何故か?

その真意は当人にしか分かるわけなく不明だが、戦後に井上成美や大井篤が証言している。
要は、そう振る舞うことこそが海軍軍人としての勤めだったということ。
これ、いかにも真面目で勤勉な日本人の考えそうなことだし、筋道は通っているので、
おそらくそういうことだったのだろう。
つまりは日本人の民族的な習い性だったと思われる。

ただし、それが賢明だったか、あるいは正しかったかは、別の話になる。
井上成美も、近衛文麿にははっきり言うべきだったと、ここは批判している。

130 :
【90】

真珠湾攻撃については、宣戦布告が行われなかったという問題もある。

一般には「宣戦布告が遅れた」と誤解されることが多いが、
正しくは、日本が伝えたのは外交打ち切りの覚え書きで、
宣戦布告の文書でも、最後通牒の文書でもなかった。
つまり日本は、宣戦布告はしていない。

宣戦布告については、当初は海軍が、そう明言はしていなかったが、反対していた。
これに対して外相・東郷茂徳が、最後通牒を出すことを主張。
それが政府・陸軍・海軍の合意を得て決定となった。
これらの議論や決定は、開戦決定後、連絡会議において。

同様にして、その文面は外相一任と決められた。
そして東郷茂徳は、それを外交打ち切りの文書とする。それで意味が通じるはずと考えたため。
それは東郷茂徳の誤解であり、だから宣戦布告の文面では無くなってしまったのだが、
しかしそれは作成後に政府・軍部の同意を得ており、だから東郷茂徳ひとりの責任ではない。

そして宣戦布告は、アメリカに対してだけではなく、イギリスにもする必要があった。
しかし日本は、こちらも怠った。『時代の一面』によると、
その時の日本はイギリスとは交渉していないから交渉打ち切りの通告は出来ないということで、
すなわちそれは、東郷茂徳が国際法を誤解していたためだったと思われる。

131 :
■国賊・海軍・山本五十六の大罪(上 開戦まで)

@海軍軍縮条約から脱退
山本五十六の猿芝居交渉

A日中交渉を妨害するため大山事件を図る
中国都市無差別爆撃を強行、日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。

B三国同盟に反対。その理由は
海軍は対米戦争準備によって予算拡大、南方兵力拡大を図るために
陸軍主導の北進論、対ソ戦を妨害することが狙いだった


C南部仏印進駐
対米交渉の進展を阻止することが目的で海軍が主導。
海軍側の豊田外相による猿芝居


D水面下で海軍と結託した野村大使による偽りの外交
真珠湾をだまし討ちを成功させるための猿芝居交渉

132 :
.
.
.
山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した

誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性

それが山本五十六の実像に他ならない。

.
.
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/

山本五十六を賛美して毎回射精w 

ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
 半藤一利wwww

133 :
■国賊・海軍・山本五十六の大罪(下 開戦後)

@インド方面の作戦を妨害したい連合軍側の挑発にまんまと乗って
日本軍を対米戦で消滅させ、日本の敗北を決定的にした

A補給が続けられない遠方を攻略し、その後無責任に放置して
各地で部隊を窮地に追い込む。

Bソロモン消耗戦で、日本の航空機、パイロットを
ひたすら無駄に消耗させ日本の航空兵力を壊滅に追い込んだ

C山本五十六は捕らえた捕虜、民間人をすべて処刑するよう命じていた

134 :
■■■山本五十六は報告書資料を改竄していた。

週刊新潮8月30日掲載の「A級戦犯」遺族の告白(後編)p.58〜 
A級戦犯の佐藤賢了氏三男の巌氏の話による賢了氏の戦後述懐

「御前会議で、開戦になった場合に戦争続行が可能かどうか議論になった際、
海軍は艦船などの消耗量の数字を示し、戦えると答えたそうです。
しかし実際に開戦してみると、消耗量は海軍の予想以上に激しかった。

この日岡さん(敬純氏 A級戦犯 海軍省軍務局長)が持ってきた資料は、本来、御前会議に提出されるべきものでした。
それを見ると、とてもじゃないが戦争は無理だと判断せざるをえない。

そこで父(賢了氏)が事情を尋ねると、『山本五十六さんが数字を書き換えた資料を提出してしまった』と答えたそうです。

『どうして反対しなかったんだ!』と父は問い詰めたそうですが、
海軍の中では誰も山本さんに楯突くことはできません。という旨の答えしか返せなかった。
『山本は許せん』と父(賢了氏)は戦後も言っておりました」

135 :
日本を大敗させたアホの山本五十六

■小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
「大東亜戦争の初め、東条首相は真珠湾攻撃を知らなかった。
これは東条のみでなく、陸軍全体が知らなかった。 誰もが驚くような話である。
何故かと言えば、日本軍の共同体の構造がそのようになっていたからだ。」  
 
■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
「だがこの時すでに、真珠湾作戦部隊はヒトカップ湾をハワイに向けて 出航している。
政府はこのことを知らされていない。 略
国家存亡の戦争を行う国の最高指導者が知らぬまに、
そして 共同作戦をとる陸軍が知らぬ間に、このような重大作戦が決行される事など、
最高指導者の下に統合幕僚組織のある普通の国では考えられないことである。」

■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』
「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。
このことは海軍軍令部総長も知らない。
もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」  略
腹案は、よくできている。そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。
しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、
結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。
我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。山本五十六連合艦隊司令長官である。

■茂木弘道『史実を世界に発信する会』
その基本戦略に反する戦いを始めたのは、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官であった。

山本提督一派によるパフォーマンスのようにしか見えない戦い方だが、最初の真珠湾攻撃で意見の対立が生じたとき、
山本提督を更迭するだけの力(それだけの人物)と覚悟が海軍上層部になかったということなのか。
結果、日米戦争での日本の戦いは相手(米国)のリングで戦うことになり、惨憺たる負け戦になったことは史実が示す通りである。

136 :
>>123
艦隊決戦に勝つためには、事前の航空戦や水雷戦で勝利して米海軍主力(戦艦)を削って日本艦隊に有利な態勢で決戦する必要がある。
これが漸減作戦。

しかし、米海軍もアホじゃ無いので、事前の航空戦や水雷戦で不利な状況なら、主力決戦を避けて撤退し、修理補充して圧倒的戦力を貯えてから再度攻撃してくる。

迎撃戦略では、決戦するかどうかの選択権が米海軍にあるのでどうしようもない。

また、互角の態勢で決戦が起きると、日本側の図上演習では、日米相打ちか日本側有利程度で米艦隊は撤退し、やはり補充力の差で米艦隊に押しつぶされるという展開が見えていた。

いずれにせよ迎撃・漸減作戦は破綻していて、日米戦争では日本海軍必敗だと日本海軍は知っていた。
破れかぶれの山本戦略が現れるまでは。

137 :
>>123
>>136
そこで、湧いてくる疑問がある。

それは、山本戦略無しに日本海軍は戦争に踏み切れたのだろうか?というもの。

山本五十六は、日米戦争に反対しつつ、真珠湾攻撃を計画して訓練する事で、
日本海軍に「これならやれるかも」という誤った幻想を抱かせて、
結果的に日本帝国の道を誤らせたのではないか。

山本五十六は中途半端に有能で実行力があったために、日本帝国を滅ぼしたのではないか。

138 :
>>130
そもそもパリ不戦条約で戦争は違法になったので、合法的に戦争開始するための宣戦布告はその国際法上の意義を大部分失った。

他人の家に強盗に入る(=戦争開始)前に、ピンポン押して(=宣戦布告)家人に断りを入れても、強盗罪も不法侵入罪も消える訳ではない。

多少お行儀が良いかどうかだけ。

真珠湾攻撃は、計画的な先制攻撃で戦争開始するという点で、パリ不戦条約違反、平和に対する罪を内包した侵略的軍事作戦。
まっとうな軍人は、祖国に違法行為をさせるような、そのような侵略的計画を立てるべきでないし、実行すべきでもない。
違法と知ってなお、祖国の生存の為にそれが必要だと確信するならやむを得ないが。

139 :
>>104
ルーズベルトの突然の無条件降伏要求は、第二戦線を要望していたスターリンを宥める目的だと思われます。

スターリンは米英が独ソ共倒れを狙っていると勘ぐっており、1941と1943にドイツとの講和を模索したことがあります。
戦前に戻すというベースで、ドイツ側に拒否されていますが。

米英としては独ソ講和は悪夢ですが、まだしばらくフランス上陸は出来ないので、独ソ講和を阻止するため、
ドイツに対する非妥協的態度を明確にする必要がありました。

140 :
ここは一応返信しておくけどさ。

>>134
元々『艦船などの消耗量』なんて研究は、日本海軍は全く行ってこなかった。
にもかかわらず、開戦直前にその数字を出せと命令されて、
しょうがないので担当者が適当な数字をでっち上げ、
それだから開戦後の実態とは完全に違ってしまったという経緯。
結構有名だと思うけど、知らない?
山本五十六は、何の関係もないよ。


>>135
猪瀬直樹以外は、みんなトンデモ作家じゃないさ。
そんなもの、真に受けてちゃいけないよ。
まあ、全部が間違いってわけでも無いけどね。

それから、当時は統帥権の独立の時代なので、
海軍の軍事情報は、海軍以外には秘密なのが当前。海軍大臣にもね。
同様に、陸軍の軍事情報は、陸軍以外には秘密なのが当前。陸軍大臣にもね。
だから首相兼陸相の東条英機は言ったわけさ。
「統帥権の独立の下では戦争指導は出来ない」

141 :
真珠湾攻撃については、返り討ちどころか全滅の可能性すらあるリスキーな作戦であること、
山本五十六自身が明言しているわけで。
それでもそれを断行する以外アメリカに勝つ手段はないというのが山本五十六の主張なわけで、
つまりそれは、軍人である以上もちろん命じられれば全力で戦うが、
「できればアメリカとの戦争は回避してほしい」という意図も、
非常に婉曲に含んでいたと解釈するのが、妥当だと思いますよ。

>>136
↑というわけで、そういう主張は成り立たないと思いますよ。

>>137
日本海軍は、当初、当たり前に南方へ艦隊を差し向けてアメリカと開戦する意思でした。
ついでに最後まで真珠湾攻撃は危惧しており、だからその成功は「天佑だ」になるわけで。
だから、山本五十六がいようがいまいが、開戦にはなっていたでしょうね。

>>138
まずひとつには、実態がどうあろうと、規定がある限り、法的には制約されるということ。
そして、不戦条約違反ではあるものの、ハル・ノートを挑発と解釈し、
それを受けて立つのだから正当だという論理に立てば、理屈としては違ってくると言うこと。
ただし、イギリスに対する戦争はどうなんだ?だし、色々な思惑など絡んでくるので、
このあたりも面倒な話になると思いますけどね。

>>139
確かに、ルーズベルトの真意は分からないので、決めつけるのは間違いだったかも。
でも、こういう史料もありますよ↓
ttp://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/001shoshi.html
種々の事柄を総合判断すれば、日本やドイツの牙を抜くために、
無条件降伏が必要だったという解釈で、私的にはOKだろうと思いますね。

142 :
【91】

続き。

外交打ち切りを伝える対米覚書は、宣戦布告の文書になっていないだけでなく、
その伝達が攻撃後になるという失態もあった。

それは、大使館側の怠慢と言えば怠慢なのだが、
機密保持にこだわりすぎた東京側の指令の不適切故でもあった。

つまり東京では、攻撃直前にその文書がアメリカ側に届くよう、
機密保持の観点から念には念を入れて、海軍が計算していた。
結果、文書の最後の部分および「午後一時(ワシントン時間)に手交せよ」という指令が、
ワシントンの大使館に届くのは、未明となった。

ところが機密保持のため、東京側は大使館に、事前には何も伝えていない。
外相・東郷茂徳は、「訓令次第何時ニテモ米側ニ手交シ得ル様」と、
万全の手配をするよう指示しており、その通り忠実に実行されれば良かったのだが、
大使館側は、そこまで事態が切迫しているとは夢にも思わなかった。

なので、本当は徹夜で文書作成に当たらなければならないところを、
まさか未明に電信が届くとは知るよしもなく、
その日届いた電信すべての暗号翻訳だけ済ませて、帰宅してしまった。

翌朝登庁したところ、未明に届いていた東京からの予想外の指令に驚愕。
慌てて文書作成にかかったものの、
アメリカ人タイピストを使うなという指令に従ったこともあり、
指定の時間には間に合わなかったという経緯。

143 :
【92】

それから、こういう記事↓を見つけたんだが、これは誤りだろうね。
ttps://www.nishinippon.co.jp/feature/attention/article/304280/

「175字もの訂正電報を〜〜」なんて書いてあるけど、
対米覚書の第13部(全14部)は4000字にも及ぶので、
それと比べれば、わずか175字だろう。

そして、第13部までの翻訳作業は前日までに終わっており、
遅れたのはそれを文書として清書する作業の方で、
これはアメリカ人タイピストを使うなという指示に従ったためでもあった。

それで結局は、単純に機密保持にこだわりすぎたため起きた過失。
そう解釈するのが妥当だろうと思う。

144 :
【93】

それで、ネットの海を漂流中に対米覚書は見つけたんだが、
どうやらそのURLは書き込めない様子。
だけど検索すると見つかるはず。

とにかくそれ、どこをどう見ても「外交を打ち切る」という内容でしかなく、
それを宣戦布告または最後通牒と解釈することは不可能。
したがって『開戦に関する条約』の違反になる。
「行動の自由を留保するものとす」の一文さえ入れておけば良かったものを、
そうしても何のデメリットも無かったはずを、東郷茂徳はそうしなかった。

ただし常識的には『外交の終わり』イコール『戦争の始まり』なので、
この後に日本が戦争を始めることは、ほとんど明らかだった。
少なくとも日本の外交暗号を解読していたアメリカは、そう考えていた。

とはいっても、本当にその常識通りなのか断定不可能だし、
アメリカを避けてイギリス・オランダとだけ開戦する可能性もあるし、
本当にアメリカに対する戦争なのか判断不可能だ。
その後に本当の宣戦布告が来る可能性もあるわけだし。

145 :
【94】

そもそも宣戦布告の義務は、『開戦に関する条約』による。↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E6%88%A6%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84
日本とアメリカは共にそれに加盟しているため、日本には攻撃前に宣戦布告する義務があった。

ただしその第三条に総加入条項があり、当時日本の同盟国だったイタリアが、ここに引っかかる。↓
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E6%88%A6%E5%B8%83%E5%91%8A
なので、もし真珠湾攻撃が日本軍とイタリア軍の共同攻撃だったなら、日本に宣戦布告の義務はなかった。

事実はそうではなく、イタリアがアメリカとの戦争に参加するのは、真珠湾攻撃から四日後、
イタリア自身がアメリカに宣戦布告してからになる。
それ以前のイタリアは、日米戦争に関する限り、無関係な第三者。
だから法的には、やはり日本に宣戦布告の義務はあったことになる。

146 :
【95】

法的な話の続きとして、太平洋戦争は、日本にとって自衛戦争といえるのか?という話。

なぜ自衛戦争か否かが重要なのかというと、それは不戦条約(1928年)による。
それにより、自衛戦争および条約上の義務に基づく戦争以外は違法とされたため。

したがって、もしそれが自衛戦争ならば、正当、
すなわち「法や社会的通念に照らし合わせて理がある」ということになる。
日本にとっての太平洋戦争が、条約上の義務と無関係なのは明らかだから。

ついでに言っておくと、第二次世界大戦当時は単に違法というだけだったが、
戦後になってアメリカが、事後法で犯罪としてしまった。

147 :
【96】

では自衛戦争とは何なのか? というと、これが実は、ものすごくやっかいな話になる。
これ、成文化されているわけでは無く、慣習法の範疇の話になるからで、
じゃあ慣習法とはどういうものなのか?という話にもなっていくから。

そういうやっかいな話は省いて、私的には、一般的にそれは、
敵から何らかの攻撃を受け甚大な被害を被った後、または領土なり権益なりが侵害された後、
それに反撃する形で始められる戦争を指すと言えると思う。
ただし攻撃の種類は不問で、テロでもよい。

たとえば近年では、9.11テロからアメリカはアフガン戦争を開始したが、
それはほぼ全世界が一致して自衛戦争と認めた。
しかしイラク戦争では、イラクはアメリカを攻撃しておらず、アメリカ自身も自衛戦争とは言わなかった。

日本は満洲事変を自衛と主張したが、それは中国側が先に攻撃してきたというもの。
リットン調査団報告書はそれを否定しているが、その論理は、
「被害が非常に小さいので、たとえ本当に中国側の攻撃だったとしても、自衛とは認められない」。
こちらは国際連盟のお墨付きということになる。

太平洋戦争の場合、アメリカおよびイギリス・オランダは、日本を攻撃していない。
石油の禁輸など経済制裁は行っていたが、そもそも必要な場合に経済制裁することは正当だし、
それが自衛戦争の事由に当たるとは考えられていない。
故に、自衛戦争と主張することは不可能。というのがまあ、一般的な解釈だと思う。

これについて、先制的自衛権とか、「何が自衛かは当事国が勝手に解釈してよい」という説もあるが、
これは単に「そういう説もある」というだけで、不戦条約以後、そんな主張して認められた事例はない。
なにより、当時の日本はそんな非常識な主張はしていない。
なので、歴史の話としても法的な話としても、「そんなのは認められない」でおしまいとなる。

148 :
【97】

それから、『「マッカーサーは、日本は自衛戦争した」と言った』説があるが、
結論としては、それは単なる事実誤認。

事実としては、マッカーサーは、自衛戦争とは言っていない。
正しくは「日本はセキュリティのために戦争した」が、マッカーサーの言葉だ。

セキュリティを何と訳すかに、少々問題はある。普通に訳せば「安全保障」だが。
しかし、そのために戦争したという言葉を、自衛戦争と解釈することは不可能。

普通に解釈すれば、それは「予防戦争した」としかとれず、
イラク戦争の際にフランスがアメリカを批判したように、
国際法上、予防戦争は正当とは認められない。

そして参考としては、こういうページ。原文と訳がある↓
ttps://ameblo.jp/scopedog/entry-10023353939.html

149 :
【98】

それから、これは個人的見解。
正当か不当かとかいう話なら、私は心底マキャベリズムを信奉しているので、
そんなくだらねー話、どーでもいい。

『勝てば官軍負ければ賊軍』・『力は正義なり』が、この世の習い。
いかに悪事を働こうと、勝てば不問になるのさ。時には英雄にもなれる。
例えばトルーマンやルメイのように。
また、反逆者として母国フランスから死刑宣告されていた、ド・ゴールのようにね。

逆に、敗者が何を訴えようと、そんなのは負け犬の遠吠えに過ぎない。
言うこと自体は勝手だけどね。

なんだが、マキャベリも単純に悪を行えとは言っていない。
ここも色々なんだが、そのひとつが、「上辺を取り繕いつつ」ってこと。
つまり、「私は善人ですよ、法は遵守しますよ」という心にもないポーズ。

なんと言うかだね、この世の現実は、本音と建て前の二階建てで出来ている。
薄汚れた大人たるもの、その両方を知っておく必要がある。
そういうわけで、国際法についても記してみた。

とどのつまりとしては、どっかで聞いたような台詞だけど、
善人と賞賛されて死ぬよりも、悪賢く、悪人と罵倒されて生き残るべきなのだってこと。

そしてそれは、そんなかっこいいものでもない。
「強いものにはへつらおう 弱いものはいたぶろう!」(『ハイカラさんが通る』より)
なんてのも、これはジョーク混じりだが、この世の現実なのだってこと。
ttps://ameblo.jp/minami-saka/entry-11607549311.html

150 :
【99】

ついでに、歴史とは、どのような学問か?

いうまでもない当たり前だが、歴史とは、
史料を手がかりに過去の出来事を解明していこうという学問。
史料に基かないのであれば、それはフィクションだ。

なのだが、ただ史料に当たるだけではだめで、それを正しく解釈する必要がある。
これが、ものすごく難しい。

ありがちなのが、一部の史料だけに目を奪われてしまい、全体を見誤ってしまうケース。
とにもかくにも、歴史とは総合判断だってこと。

そして、必要な知識・教養を欠いているために、史料を読み誤ってしまうケース。
これはいろいろあるんだが、よくあるのが、
軍事知識が皆無なまま戦史を学ぼうとし、結局、誤解してしまうケース。

歴史というものは、当然、とにかく歴史を学ばなければならないわけだが、
難しいことに、ただそれだけでは理解できない。
その他に非常に幅広い教養が必要になる。雑学まで含めてね。

なので、若者のうちに歴史を理解することは、たぶん不可能だ。
そういう教養を欠いたまま老人になってしまった人も多いけどね。

151 :
【100】

歴史というものは、実はさらに面倒くさい。

先述のように、それは史料に基づかなければならない。
しかし史料とは、当時の出来事の全てが記されているわけでは無く、欠落がある。
そして、人間が記すものである以上、そこには誤記もある。時には、ねつ造も。

それらは推測(あるいは仮説)で埋めるしか無いわけだが、
そうである以上、それは絶対的な意味での真実ではありえない。

例えば、当事者の証言。それも貴重な史料には違いないんだが、
問題は、それが事実と食い違っていることも多いと言うこと。
だからそれを鵜呑みにすることは出来ないんだが、
問題は、それひとつしか史料がない場合もあるということ。
そういう場合、それが正しいか否か、どうすれば分かるんだろうね?

だから、真実の歴史など、人智を持ってする限り、絶対に到達できない。
この辺りが面白いところでもあるんだけどね。

とどのつまりとしては、『正しい』とは、どういうことか?ということ。
それは分野によって異なるんだけどね。
科学とか法学とか政治とか、マイケル・サンデルのような正義とか。

ここでの話は歴史という分野の『正しい』なんだけど、
それはいったい、どういうもの何だろうね?

152 :
それでは、今回は、これでお仕舞い。
こんな長いの、読む方も大変でしょうけど、書く方も疲れた。
なんだがとにかく、太平洋戦争というのは、そこまで面倒な話なんだってこと。

色々至らぬところもあるだろうけど、参考になるようなら幸いです。

それから近現代史の場合、史料はとっくに出尽くしており、
それを歴史家たちが何十年にもわたって研究を重ねている。
だから、アマチュアが少々頑張ったところで、いわゆる定説以外になるわけがないのさ。
なると思うなら、それは知識と常識の欠如に起因する、トンデモ説に毒された中二病さ。

ところが、そういう定説を知ることも、実は非常に難しい。
なので今回、少々工夫して、なるべく簡潔にまとめてみた。

つまり今回書いたのは、新説なんかではなく、ちょっと本を読めば分かる既知の事柄だけ。
ただし少々私見も混じっているし、もしかしたら誤記もある。
この点、一応、おことわり。

それでは。

153 :
申し訳ない、>>141で、ひとつ間違えた。

山本五十六は、全滅の可能性なんて、言っていなかった。
言っていたのは、危険で困難ということ。

まあその、またあとで落ち着いて確認してみる。

154 :
連投して問題を拡散し、結果、何が問題かをわからなくさせるべく
国民を欺いて扇動しようとしている人がいます

本人はマキャベリズムを信奉していると言ってますので、しょうがないですね。
自分らの利益になるなら、歴史観なんて、嘘でも何でもかまわない。
こういう考えでしょうね。
本音を自分で書いてます。


対米開戦の理由は単純で明快で、海軍の都合と暴走がその原因です。
海軍の山本五十六がどうしても1941年内に真珠湾奇襲をやりたかったからです。

海軍は陸軍の対ソ戦阻止しか頭にありません
海軍は開戦の1年前から真珠湾奇襲を決意しており、
対米交渉なんか初めから眼中にありません。
もし交渉が進展すれば、妨害して潰します。 実際にそうなりました。

日本の主導者の多くは陸軍は暴走するから、陸軍主導より
海軍主導のほうが安全で手堅いと思い込んだかもしれません。
しかし実際には山本五十六が主導する海軍は、陸軍以上に遥かに愚かでした。
海軍は大暴走し、世界中を戦争に巻き込みました。

当時、海軍が敵視していたのは、アメリカでも中国でもありません。
海軍は陸軍を敵視し、陸軍に負けるくらいならば、アメリカと全面戦争をやって
負けた方がマシだと考えていたと言われています。

アメリカの対日禁油が悪いなんて言ってますが
その前にその原因となった南部仏印進駐で
日本は何をしてたか知ってるでしょうか?

日本は南部仏印になんと14個もの飛行場を超急ピッチで整備し
陸海軍の主力を集結させ、連日上陸作戦の猛訓練です。
まさに開戦前夜です。
誰が見ても日本は対米英戦争を決意したと思われて当然です。

南部仏印進駐は、進行中の対米交渉を妨害、破綻させるために海軍によって強行されました。
元海軍次官、豊田外相による計画的な策略でしょう。

155 :
最近一部の人間らが
ルーズベルトを悪党、戦争屋のように言ってますが、戦犯は野村大使の方です。
日本の海軍はアメリカを仮想敵国に見たたてて予算拡大を図り
対米戦争準備を始めました。

そんな国がアメリカに石油を売れといって、アメリが石油を売るでしょうか?

仮に大統領や石油会社が売りたいと思っても、アメリカ国民が怒るはずです。
なんで対米英戦争を準備中の国にアメリカが石油を売らなくてはならないのか?と。
アメリカが対日禁油に至ったのは当然のことで非は100%日本側にあります。


野村大使はもと海軍大将であり、海軍の山本五十六、米内、嶋田海相らとは親密な関係でした。
アメリカでは野村大使は海軍と結託し、真珠湾奇襲を成功させるべく、米政府をだます「偽りの外交」を
やっていたと非難されましたが、その見解はそのとおりです。

外務省と海軍は裏で結託してアメリカ政府だけではなく、日本政府をも欺いていました。
何が何でも真珠湾奇襲を成功させるためです。

日本大使館の対米交渉は、真珠湾奇襲を成功させるための日本の猿芝居でした。


しかし戦後、アメリカは共産主義との闘いが優先され、それには陸軍悪玉論のほうが都合がよく
(陸軍のほうが大資本勢力が金の力で世界を支配する市場原理主義を批判する社会主義派が多いため危険だと見られました)
野村大使は戦争責任を追及されるどころか、CIAの工作員になりました。


日本ではこうした海軍の暴走を 戦後ずっと隠蔽し、陸軍を悪玉に仕立てて宣伝してきました。
これは国家ぐるみの策略ですね。

156 :
日本の権力者、支配層は国民はアホだから
歴史の真実なんか知る必要は無い。
捏造された通説を信じ込ませておけば、それでよい。

こう考えているのでしょう。
商売、金もうけが全てで、経済発展が第一。
それが国益につながる。

そのためには、歴史観なんぞ嘘八百でかまわない。
国民なんぞが真実の歴史を知る必要は無い。
国家が提供した通説を信じ込んでいれば良い。
これが権力者の本音でしょう。

これがマキャベリズムというやつですかね。
国民をバカにしています。

157 :
>>152
>それでは、今回は、これでお仕舞い。

書きっぱなしで反論もせず逃げるとはどういうことか?
異なる見解に対し
「それは知識と常識の欠如に起因する、トンデモ説に毒された中二病さ。 」
などと大口を叩くなら、いいわけして逃げず、ちゃんと論理的に反論をして
論戦してもらいたい。
反論してくる相手に対しては、ひたすらレッテル貼りして逃げるしか
出来ないのか?

158 :
>>146
事後法で犯罪としたが、英米法は判例法の世界で、裁判を通じて既にある神の法を発見していくという考えがある。

事後法非難する連中も、ユダヤ人の合法大量処分を処罰すべきでないとは言わない。
刑法はなくても、人道に反する大量殺人は罪であって、処罰に値する。

翻って、大戦争を引き起こすのは大量死を招く行為。合法な戦争ならやむを得ないが、違法な戦争を敢えて故意に引き起こした責任者は、大量死についても責任を負、処罰されてもやむを得ないのではないか。

とは言え、連合国も、A級戦犯を政治的決断の責任のみで死刑にする事は気が引けて、B級戦犯と併せて1本で死刑にしてる。

A級戦犯の罪は、もしかするとエイズ血液非加熱製剤の流通継続の罪と少し似ているかも。
大量死を招く行政行為が、殺人罪になるのかという…
結局、業務上過失致死になっちゃったけど。

159 :
>>156
事後法で個人を裁く行為は、如何なる理由があろうとも
許される行為ではない。(法の不遡及)
特に死刑など重罰は、例外なくあってはならない。

これは国籍やその時代の既存法、国際条約等や政府の政治判断など
いかなる権力機関も犯かすことが出来ない、人間が生まれながらに有する
自然法として、基本的人権のなかで最大限に保護されるべき
人類普遍の権利だとされ、これに異論、例外はまったく無い。


したがってこれを犯した東京裁判に正当性はまったくない。
どんな理由や都合があろうとも、
東京裁判は不正、不当な裁判で間違いない。

160 :
>>159
法の不遡及も、民法には及ばないし、刑事でも公訴時効には及ばないとされる。

まあ民事でも混乱や不意打ちを避けるために通常は経過規定が置かれるし、私も公訴時効を後付けで延長するのはどうかと思うが…

不遡及原則は一つの普遍的な手続き的正義だが、実体法的に巨大な悪を見逃すのとどちらが大きな悪かという価値判断。

また、法の不遡及は、運用の前提として立法が整備されている近代社会が必要。

無人島に15人流れ着いた集団に法の不遡及とか運用不能で、事件が起きる度に個別に法を創造しつつ解決していくほか無い。

1945年の国際社会は、どっちかというと無人島に流れ着いた、法を模索しつつあった野蛮な社会なわけで。

161 :
>>160
近代の話、東京裁判の話しをしてるんだが?
無人島の話なんか関係無いな。

事後法で個人を裁いた東京裁判には
正当性はまったくない。
仕方ないで済む問題でもない。
国家の判断も条約も関係無い。

東京裁判は不正で不当な裁判であった。
これは間違いない話し。
この歴史的な事実の判断に変わりは無い。

162 :
>>161
東條ら戦犯の人権保護に熱心でそれはよいことだが、
戦犯の無法で無謀な戦争で死ぬこととなった数百万数千万の被害者の人権には無関心なのかな?

そこの所で悩んで、有るべき正義、有るべき国際平和をどう打ち立てるかを考えて結論しないと説得力ないよ。

163 :
>>162
では聞くが
どういう結論が正義で正しいと言いたいのか?

164 :
このスレは低能しかいない
太平洋戦争をちょっと調べただけでイカサマと判る
マジで戦争していたのは現場の兵士だけだ低能

日米の上の方はイカサマ戦争の協力関係であり、勝ち負けの関係ではない
すると、天皇は進駐軍と対等、もしくは上
すると、東京裁判は天皇が進駐軍にやらせたものと見えてくるわけだ

天皇の身になって考えてみれば
国内外に、自分に戦争責任が無かったことを知らしめたい
そこで東京裁判というショーによって陸軍に戦争責任を押し付けてやろうと考えるわけだ

165 :
>>162 >>163
いいねえ。  東京裁判について、
『有るべき正義、有るべき国際平和をどう打ち立てるかを考え』た判決とは
どんな内容なのか、 どんな内容であるべきだったのか、 
162氏もそこまで書かないと 『説得力ないよ。』 

どういう結論が正義で正しかったんだろうかねえ。 一応、裁判だから法的にもしっかり論理構成できてないと、
中世の魔女裁判と同じレベルになるし難しいね。

166 :
経済制裁に対しては自衛戦争が成り立たないってのは大国が主張してる話 
つまりは強者の理屈だ
今でも小国、つまり経済制裁食らったらひとたまりもない国々は経済制裁に対して自衛戦争は成り立つと主張する
そして少なくとも当時の日本にとって(むしろ今もだが)資源が手に入らないのは死活問題だった

167 :
>>112
>第一次世界大戦の戦後処理が適切であれば、

戦後ベルサイユは失敗だったとスターリンもチャーチルも認めている
ではドイツに対し寛大に賠償金を求めず、領土も保全していればナチズムは台頭しなかったのだろうか
賠償金がなかろうが、ドイツは世界恐慌で行き詰る
そうなればドイツ人の中の第一次大戦で負けたわけではないという根強い考えから、結局は
大戦を引き起こしたのではないか

戦後処理は過酷でも、1926年に国際連盟はドイツを常任理事国として迎え入れた
その後の再武装やラインラント進駐も追認した
戦後処理を甘くしようが厳しくしようがドイツはもう一度欧州再編成に挑戦したのではなかろうか

168 :
>>165
法的構成ったって、

A級戦犯について言えば、
・違法な侵略戦争を故意に開始する
・戦争の結果として大量死をもたらした
・戦争開始時に大量死を予見していた、あるいは予見し得た。
という責任者は死刑。推進者もこれに準じる。

消極的に関わった者は、情状により終身刑や禁固10年〜20年に減刑ってとこだろ。
いや、東京裁判では先に指摘したとおり、A級のみでは無期までだったようだが。

松岡は生きてれば死刑、山本五十六は生きてれば終身刑、昭和天皇は禁固20年か。
石原完爾は……満州事変単体では終身刑までかなあ。
木村兵太郎がA級戦犯ってのはよくわからんな。
あと、海軍第一委員会をどうみるか……決定権のない研究会は、処罰すべきでないと思う。(腸煮えるが)

東京裁判についていえば、日本人とドイツ人裁判官も加えるべきだったかね。

ただ、その裁判官は有能だと民族的に裏切り者扱いされ、
無能だとやはり歴史的民族的恥になるので詰んでるかもしれない。

連合軍のA級戦犯としては、蒋介石とスターリンを起訴して審理すべきだったか。
スターリンは死刑(ポーランド、フィンランド、バルト三国への侵略と虐殺)、蒋介石は禁固10ー20年(対日戦争挑発、第二次上海事変での先制攻撃)には値すると思うが…

まあ東京裁判は、限られた資源と時間と政治的状況の中で、
戦争違法化の規範を確認するために頑張ったんじゃないの?

169 :
>>166
何らの落ち度もないのに水食料の制裁とか、経済崩壊を招くような経済制裁は、
武力行使による反撃を正当化するかもしれない。
それは究極事例。

日本帝国は、ナチと手を組んで侵略するから経済制裁受けてるんで、自業自得。
そんなの自衛戦争の理由にならんわな。

170 :
>>81
南部仏印を南印と略すのは見たことないし
ダサいので辞めた方が良いと思う。

南印って、デカン高原かと思っちゃう。

171 :
>>168
わからんやつだなおまえ
無知無教養の中卒か?

そんな中世の無法国家の理屈、感情論で
個人を裁いてよいわけがない。
近代国家で魔女裁判は許されない。
例外も絶対にあってはならない。


東京裁判はそれ自体が、事後法で個人を裁くという
決定的な人権侵害行為。
どんな理由があろうとも肯定することは不可能。

東京裁判は国家権力による不正行為以外の何物でもない。

172 :
>>168
なんで、こっちにアンカーつけてくるのかさっぱりわからない。
>>165の主旨は161氏の論やバル判事の指摘した「東京裁判の瑕疵」を踏まえた
法理を持った判決を想像してみ、
という意味なんだが、
>>168を読むに、そんな指摘もお構いなしの中学生レベルの「ぼくがかんがえた さいこうのはんけつ」としか読めない。
誰がそんなアホレスよこせと言うかいなw
君キミきみ、>>163にレスしたまえ。
久しぶりに、マゼラン星雲からのレスが来て、ビックリですよ。
やり直し。
レスは163氏宛てでよろしく。 

173 :
事後法の瑕疵については>>160でおおむね説明済み。

東京裁判に瑕疵が無かったなんて言ってないし。

日本人であろうと外国人であろうと人の死は違法。
大量死を故意に引き起こした人間はその罪を償うのが正義にかなうし、
同種行為の再発防止になる、という当たり前の見やすい理屈を言ってるだけだがね。

パル判事の無罪判決は、うろ覚えだが、
日本の侵略を免責したのではなく、
1.連合国も植民地支配しており日本を裁くのは不公平
2.事後法で被告人を裁くのは近代刑法の原則に反する
というあたりだったか。

しかし、1は法律家として筋悪の主張。インド人被害者意識がでちゃったと言うところか。

2は、未曾有の悪に対し、近代刑法の原則を超える正義の実現の為には許されることもある、と言うところか。
なかなかしびれるが。

174 :
「事後法での遡及処罰は魔女裁判同様で許されない」という主張にこだわる向きは、
ナチスドイツにおけるユダヤ人やロマや精神障害者の大量合法処分について、
責任者や実行者を処罰すべきでなかったというのか、お聞かせいただきたいね。

175 :
>>173
念のため尋ねるが、>>172を読んだ上で、>>168を書き直して
>>163にレスるする気はありますか?

176 :
>>174
考えるまでも無い。

既存の法では裁ける。
事後法では裁けない。

大量虐殺だろうが、侵略戦争だろうが
関係無い。

東京裁判は国家権力による不正な人権侵害行為で
決して許されない歴史上の誤まった不正行為。

この結論に、まったく議論の余地は無い。

177 :
>>174
そもそもナチスによるユダヤ人大量虐殺なる話しが
事実かどうかわからない。

まあ間違いなく連合国が捏造した話だな。
そういう大量虐殺があった確かな証拠が無いし
ポーランドのアウシュビッツに
大量の死体も存在しない。
ガス室は戦後に捏造された施設だしな。

178 :
悪いが、おまえさんも頭おかしいな

179 :
原則としての戦争禁止は既にベルサイユ条約や不戦条約で国際的に合意されていたんだから、
「平和に対する罪」は事後法にはあたらんよ。

180 :
まず、これを読んでから書け


「平和に対する罪」(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E7%BD%AA

181 :
>>179
そういう話じゃないんだが?

条約(国際法)や事後の国内法で
個人を裁いていいかどうかの問題。

答えは議論の余地なく、そのような理屈で
個人を裁いた東京裁判は重大な歴史上の誤った行為であった
ということ。

182 :
東京裁判は誤りとかじゃなくて
天皇主催の見世物だから

183 :
>>182
その見世物を主導した奴が
日本のだれか?というのが問題だろ。

184 :
>>175
すまん。子供とプール行って寝てた。

さて、パリ不戦条約、ポツダム宣言や極東軍事裁判条例から、
東京裁判の法的手続きの正当性を主張させようというご主旨?

まあ私が2、3時間で論証出きるようなら、レーリングなりその後の法学者が成功しておるわな。

だからその筋は放棄するよ。

だいたい、そもそも論に遡れば、近代刑法の原則もいくつかの擬制、やむを得ない強制に頼っている。
(たとえば刑法38条3項とか、選挙権のない少年を刑法で処罰する事はアンフェアでないか?とか)

185 :
>>184
>だからその筋は放棄するよ。
了解しました。
暑い中、追いこんですみませんでした。 今後とも家族サービス優先でどうぞ。

186 :
>>184
なんだその意味不明な結論の無い書き込みは?
日本人の最大の欠陥は、難しい問題を先送りばかりして
永遠に現実逃避し続けていること。

だから戦後何十年も経つのに、戦争の総括が
いまだ何もされて無い。
本来ならば日本人自ら戦争責任を追及すべきだが
なにもやってこなかった。
無責任極まりない。

そういう優柔不断、無責任が日本人の最大の欠陥で
だから先の戦争で暴走し迷走しても、だれもなにも策を講じようとしない。
原因の検証も責任追及も本気でやらない。
なにもかも、すべて他国任せ。
これじゃ出来損ない国家だな。

187 :
>>112
>第二次世界大戦の緒戦でフランスが敗北していなければ、

英仏連合軍がポーランドに約束したようにポーランド侵攻後ドイツを攻撃
西部国境からルール一帯を占領していれば、ドイツは講和せざるを得ない
そうなればヒトラーが政権を維持できたかどうか

ミュンヘンでヒトラーに融和政策をとったのが間違いというが、英仏がそれを正す大チャンスは
ポーランド侵攻であったのに結局なにもしなかった 

フランスはチェコを見捨て、ポーランドも見捨て、そして最後に自分も食われた

188 :
>>184
熱中症に気をつけろよ。
あと変なおじさんにも。

189 :
>>180
そのwikiが言ってるのは、
「平和に対する罪crime against peace」と言う言葉の使われ始めであって、
戦争の違法化全般の話ではないのだが。
言葉は違えど、戦争を起こす事が違法であり、罪であると言う概念は既に存在し、
ベルサイユ条約、不戦条約などで国際合意も得られていた。
「平和に対する罪」は事後法ではない。

190 :
>>181
何を言ってるんだ。
19世紀までの国際慣習では戦勝国が敗戦国の個人を処罰するのは当然の事だが。
ナポレオンは追放されたし、処刑された敗戦国の王族、貴族、軍人など数え切れん。

19世紀までの国際法(国際慣習)では、個人を裁けたんだよ。それも一方的に。

そういう状態から、一方的な処罰ではなく、相手の言い分も聞く裁判を行い公正性を持たせようとする流れが起き、
ベルサイユ条約でウィルヘルム2世を裁判にかけることを合意。(これは残念ながら裁判には至らなかった)
第二次大戦後に、ニュルンベルク裁判、極東軍事裁判という形で実現した。
過ちどころか、進歩の過程である。

191 :
と、法学部卒でない人から講釈聞かされてもなあ。
まあ、今日も酷暑みたいだから、朝のうちに叫んでおきたいのはわかった。

192 :
>>183
天皇主催の見世物

戦争責任を陸軍に押し付け、内外に周知させるのが目的
天皇の側近の木戸幸一の日記に書いてあるが
天皇は世界大戦の1年前に日本が壊滅状態になるのを知っていた
まるでオウム麻原が阪神淡路大震災が起こることを知っていたように
つまり、天皇は戦争の計画会議に参加した戦争の主犯の一人だった

まさかこのスレに国家間のトラブルや憎しみで戦争が起こると思ってるアホはおらんだろな
そんなアホだらけじゃ何万年経っても戦争の総括はできないぞ

193 :
法学部出てるよ。あまり勉強しなかったけど。

しかし高卒が言おうと最高裁判事が言おうと
正しいことは正しい、間違ってることは間違ってるのだからして、
匿名掲示板でそういうのはどうかなあ。

もちろん、最高裁には有権解釈を示す権限があるのだけど。

194 :
ま、論ではなく、論者の肩書きで難癖つけようとしている時点で、お察しなわけだが。

195 :
@侵略戦争や捕虜の虐待などを禁じているのは国際法(国家間の条約)

A一方、東京裁判で罪として裁かれた「平和に対する罪」は
東京裁判所条例とうい国内法であり、これは事後法。


では@あるいはAによって、
個人を裁いていいのか?

答えはNOであり、こんなこと議論の余地は無い。
20世紀の戦争は近代・現代であり、こんなことは当時も常識だった。
その常識を侵した東京裁判には正当性は無い。

国家権力が好き勝手に個人を裁いていいのか?
そんなもん、いいわけが無いじゃないか。
典型的な人権侵害。

しかしこの現実の不正行為を、専門らかも見てみぬ振りしている。

196 :
>>193
法学部を出てるなら人権の基本として

・国際法(=国家権力)で個人は裁けない。
・事後法で個人を裁いてはならない。

こんなことは常識ではないのか?

197 :
文系バカは社会の役に立たない
本に書いてあることが全てであり
その嘘を暗記するだけなので
戦争のような巨大な陰謀は認識することができず
社会の邪魔となる

198 :
>>193
すまん。 別に学歴や経歴で人をどうこう評価しようというのではなく、
君の一連のレスが、

  と て も 、 法 律  を 学 ん だ 人 に は 見 え な か っ た

ので、つい失礼なことを書き込んでんでしまいました。
匿名掲示板とはいえ、何度も追い込んでしまって、すみません。

今度からは法学部卒に見える投稿にのみ、レスつけることにします。
家族サービスにお励み下さい。  では。

199 :
>>196
前段はだいぶ表現を変える必要あると思うけど、ご趣旨は了解する。
まあそう書いとけばテストで合格点取れるんじゃないの?
(前段そのままじゃまずいけど)

当初、スターリンやチャーチルはナチ幹部の戦犯については、そういう事後法批判を避けるためかどうか知らんが、即決銃殺を考えていた。

結局中小国の突き上げやアメリカの理想主義により、ニュルンベルク裁判と東京裁判が行われたんだが、
捕虜にとらずに即決銃殺より、言い分残っただけマシだったんじゃないの?
(日本の場合は、捕虜にとらずにってのは難しいけど)

200 :
焦って文章がヘンチクリンになってしまったw んでんで

201 :
むむ、ID良く見たら、やっぱり>>189>>190は法律ど素人の「ぼくがかんがえた とうきょうさいばん」じゃないか!
なんで193はいつも俺宛にレスするんかね?

>>194
おまえさんの脳内なんちゃって国際法が、法律論として全くなってないという話。

202 :
例えば……
メフィラス星人が複数名日本にやってきて商売してたとする。
商売上のトラブルで1名がヤクザに殺された。
メフィラス本星は殺人罪適用を求めたが、
刑法上、メフィラス星人は人でないとしてヤクザは動物愛護法違反で処罰された。平常時はそれでも良かろう。

メフィラス星人が日本の尖閣で繁殖して、わざわざそれを虐殺しにいった奴がいて、日本政府はその蛮行を止められなかった。
メフィラス星人の老若男女50名が死亡。
メフィラス本星が犯人の引き渡しまたは殺人罪適用を求めたが日本政府は犯人の人権と主権にかけて拒否。

203 :
メフィラス本星は怒って日本政府に宣戦布告。
日本政府と自衛隊を無力化ガスで制圧し、日本政府を降伏させた。
講和条約には、特別裁判所で、先の虐殺犯人を人道に対する罪で裁くという条項がは入った。
条約に基づき、メフィラス本星からやってきた判事が日本で特別裁判開廷(日本国憲法違反…)。
虐殺犯人は故意の殺メフィラス星人罪で死刑に処された。

これって、事後法による許されざる文明に反する裁判……ですかね?
まあそうかもしれない。

とかアホなことを考える法学部卒はかなり少ないでしょうな。

204 :
ザラブ星人「言っただろう。私は日本人と兄弟だと。」

・・・・・私へのレスはこれで勘弁してください

205 :
>>199
それでは聞くが、仮に時代を戻って
裁判をやり直すと仮定した場合
東京裁判やニュルンベルク裁判のようなやり方を
支持するのか?

そんなことは、ありえないはずだな。
戦犯だろうが、人殺しだろうが、どんな悪党であっても
最低限の基本的人権は保障されなくてはならない。

それを否定するようでは、人権と法治主義の否定であり
それは、ただの無法国家・野蛮民族の人民裁判。

東京裁判は人類の歴史として、国家権力による間違った不法裁判、人権侵害である
という評価にはまったく議論の余地は無い。
弁護の余地も無い。

206 :
>>203
余計なゴタク、詭弁をいくら並べようが
東京裁判が間違っていたという評価に変わりは無い

207 :
しかし上記で、メフィラス星人の子が親から与えられる大事な御守りがあって、
その御守りを壊すとメフィラス星の法では故意でも過失でも死刑になるべきところ、
日本国民がその文化もメフィラス法も知らずに御守りを破壊してしまって、
特別法廷で死刑にされた……ていうのだと、
問題なく不当な事後法による処罰だと言えると思うね。

208 :
>>205
で、あなたは無罪放免にすべきというの?

世界を焼き尽くして直接間接に数百万数千万人を死なせた人々であっても?

つまりこの問題に完全無欠の正解はなくて、間違いの中でマシな間違いを選ぶことしかできないと言うことだろう。

洗いざらい記録を残して後世の批判に耐えるというのは、間違いの中ではだいぶマシな方だと思うね。

だから俺は、ニュルンベルク裁判と東京裁判を批判しないわけではないが、
当事者として実施した連合国を許すし、尊敬するよ。
ナチスドイツや日本帝国(及び日本国)にはそのレベルでさえ、到底できなかったろうし。

209 :
>>208
>で、あなたは無罪放免にすべきというの?

当たり前だろ。
裁くべき法が無い限り、人を裁くことは出来ない。
裁くならば、既存の法で裁く以外に方法はありえない。


それから問題にしてるのは、そういう裁判をやって連合軍の側では無い。
日本の側に問題がある。

日本の側が一部に戦争責任を押し付け、スケープゴートにしたこと。
戦後日本政府が、アメリカと裏で結託して幕引きを図った。
このことが問題で、あくまでも日本側の無責任さを問題にしている。

210 :
「A級戦犯は天皇の身代わり」論はA級戦犯側を美化するための
論で、事実ではない。
GHQ側は現代人よりよく調べていて、天皇については天皇それ自身
の過去の言動や責任、当時の政治情勢などで判断しており、
身代わりなどという考えはまったくない。
身代わり論はA級戦犯に同情的な日本人が考えた日本人的発想。
しかし、昭和天皇が実際に望んでいた国際協調、戦争回避の方針に
反して戦争への道を進めたわけであるので、それぞれに事情はあると
思うがA級戦犯は彼ら自身の責任で裁かれたとしかいいようがない。

なかでも開戦時の陸軍大臣であり首相になってからは山形有朋以来の
絶大な権力を手にして戦争を進めた東条英機には大きな責任があることは
間違いない。

戦後かれはGHQに逮捕される直前に拳銃自殺を図ったが
その時にも天皇に対するお詫びはなかったし、裁判中も
周囲に説得されるまで自分は天皇の意向に反していないと主張しようとしていた。

天皇の身代わりとして美化するのはいかがなもかと考えます。

211 :
>>192

木戸日記のどのような記述からですか?
その壊滅状態になる事を知ったうえでなおかつ戦争を続行しようと
していたのが陸軍ですよ。クーデターも辞さない勢いで。

212 :
事後法処罰と言えばつい最近、強制わいせつ罪の判例変更があって、性的目的がなくても処罰される事とあいなった。
ttps://xn--3kqa53a19httlcpjoi5f.com/kyouseiwaisetsu_hanrei/

これなんて、従前、性的目的は構成要件の要素であって(医者とか親のオムツ替えとかを除外する趣旨なんだろうが)、
構成要件は国民が行為の犯罪該当性を判断する重要な材料なのだから、
(構成要件学んで犯罪するかどうか考える犯罪者と予備軍がどんだけいるか知らんが…)
後付けで判例変更して有罪ってのは不意打ちの事後法処罰も甚だしい。

人権侵害、憲法39条違反として弁護士会が反対しなかったのは大いに疑問。(児童ポルノ事件だったし、フェミニズム的にも政治的にもとても無理だったが)

が、まあ、最高裁的には、性的目的は条文に書いてない解釈で生まれた要件で、解釈の変更は裁判所の権限であり、憲法の禁じる事後法処罰にはあたらない、ということだろう。
(窃盗罪の不法領得の意思を突然不要にされたら大混乱だが……)

その程度の概念ですわ。

213 :
>>210
東条に天皇の身代わりになって全責任を被ってくれと
説得したのは戦後の日本政府じゃないか。

しかしこの説得は嘘で、実際には天皇が罪を問われる話なんか
そもそも無い。

戦後の政府が東条に罪を被るよう、そのように言って
東条をだましたんだろ。
そういう戦後政府の汚いやり方を問題にしている。

214 :
>>213

その話はちょっと違うぞ。出典資料が手元にないので
記憶に頼るが、たしか東京裁判でGHQ側が調べた調査に
基づいて東条に質問したところ、頭の固い根っからの官僚気質の
東条はかたくなに「自分は天皇の命令に従ってやった」という建前論を
ふりかざそうとしたのを周囲が説得したという類のものだったはずで
それを「罪をかぶった」などとすり替えて美化して話している人たちが
いるだけのことだったと思うぞ。

215 :
そもそも、あまり知られていないようだが、東条首相と東郷外相は日本が
破竹の勝ち戦中にこの機会を逃さないように
昭和天皇がバチカンルートで和平交渉するように数度にわたって
提案したのを黙殺して、和平の機会を失したという大きな責任がある。

216 :
>>212
判例変更が事後法処罰になるだ?
そんな見解はありえんな

217 :
>>214
天皇の身代わりになってくれと東条を説得したのは
米内に依頼された笹川らだろ。

しかし彼ら自身は東条以上に戦争に加担していた
戦犯に問われても仕方が無い連中。

こういった連中が裏でアメリカと通じて、天皇の名を利用して
自分らに都合よく東条をスケープゴートにすることに成功した。
東条はだまされたに等しい。

218 :
首相、陸軍大臣、内務大臣までをも兼任し、山形有朋以来の空前絶後の権力を
手にしていた東条英機に責任がないということは断じてないだろう。


御前会議で「聖慮は平和にあらせられるぞ」と血相を変えたという
エピソードで忠臣ぶりをアピールされてはいるがじつは翌日、
東久邇宮と会談した際にはもとの開戦強硬派にすっかり戻っている。

その言は「陛下がお考えを改めなければどこまでもお諫めし、
それでも聞き入れなければ辞職」して内閣を倒すとまで言い切っている。
(「東久邇宮日誌」)

219 :
>>217

三国同盟に反対していた昭和天皇の意向を受けて
任命されたのが米内内閣で、その米内内閣を潰して
三国同盟に走らせたのが陸軍というのが歴史的事実ですが。

220 :
御前会議で天皇の和平への強い意向を聞いたにも関わらず
強硬に開戦へと走らせたのだから東条英機の開戦に関する責任は
もっとも大きい。
昭和天皇の和平への意向を聞いた翌日に東久邇宮に強硬論を強硬に
主張した様子はすべて東久邇宮日誌に詳細に記されている。

東条英機はGHQに捕まる直前に自決を図った際にも天皇への謝罪を
一切口にしていない。
昭和天皇には本当に申し訳ないことをしたと言って自決した
杉山元や全陸軍の責任を背負って自決した阿南惟幾とかとは
対照的である。

221 :
陸軍参謀本部作戦課長、服部卓四郎は
陸軍大臣に毎日参内して天皇に開戦を納得させろと突き上げた。
彼ら陸軍参謀本部にとっては御前会議での天皇の意向もまったく関係ない。
陸軍大臣を毎日参内させるというような脅迫的手段をもってしても
天皇を何が何でも納得させ開戦しようという決意なのであった。

田中新一、服部卓四郎、石川信吾(海軍)は戦争を決め込んで
微塵も動かない超強硬派であった。
(石井秋穂日記)

222 :
米内内閣を倒して、昭和天皇をヒトラーやムソリーニのような

独裁者達と後世まで肩を並べさせ、戦争への道を歩ませたのは

あきらかに陸軍の責任であり、その中枢にいた東条英機の

責任は大きいだろう。

明確に三国同盟に反対し、皇太子時代からとくにイギリスに心を

寄せていた昭和天皇にとってはこれ以上不本意なことはないだろう。

後々まで三国同盟時の松岡外相や白鳥敏夫を嫌っていたのも無理

からぬことである。

223 :
陸軍の服部卓四郎、辻正信の二人は日本を戦争へと

引き込んだ真のA級戦犯と言われています。

しかも、東条や武藤のように戦後に戦犯に問われたりしていない。

224 :
以上、昭和史の第一人者の御三方

半藤一利・保阪正康・秦郁彦先生による

平成最後の夏緊急座談会 「徹底検証・あの戦争を本気で勉強する」

でした(笑)

225 :
>>216
不意打ちでもアンフェアでもないと?

226 :
まぁ流れはすでにできていたとはいえ開戦前後の最高責任者として極刑はのがれられんでしょうな

227 :
それは日本が敗戦したからであって、勝ってたら東京駅前に東條の銅像が立っていただろう。
天安門前広場に毛沢東の肖像画があるのと同じ。

228 :
戦争ではどっちが正義でどっちが悪かなんて解釈次第

日本が一方的に中国を侵略しようとして国連を敵に回した戦争だと解釈されてるが、
そもそも日本は満州を併合などしておらず満州権益で正当にビジネスしてただけだった
そこに最初に横やりを入れたのが中国であり、それが日中戦争の原因となった
そもそも当時の満州は中国じゃなかった
侵略者は中国の側だろう

また、満州国が認められ無かったのにキレて国連を脱退しドイツと接近した経緯についても、
満州国は傀儡政権のでっち上げと解釈されるが、中国は満州族への弾圧も行っており、
実は日本が満州族を祭り上げるよりも先に満州族の方から日本に接近してきた経緯がある
これも傀儡政権のでっち上げではなく単なる民族独立支援だった見方も出来き、
だとすれば日本が国連の決定にキレるのも不自然ではない

そもそも日独伊がブロック拡大に走った原因は列強のブロック経済が原因
それに日独伊が侵略国と言われるが、
列強は既に大量の植民地を保有しており、つまり列強側もまた侵略国だった点では一緒
順番が早いか遅いかの違いでしかなく、どっちが正義とかではなく両方悪だ

229 :
しかし考えてみると、事後法処罰といっても以下それぞれで様相異なるな。

1.犯罪と知り得ない行為を事後法で罪にされ処罰される
2.犯罪となる行為だが、事後法で刑を加重される
3.法の不備により犯罪とされていないが他国で犯罪だったり将来犯罪とされるべきことは意識していた(または意識し得た)行為について事後法整備で処罰される

3については、行為自体は、先進国から途上国への環境汚染物質の移送や、児童労働で起きていること。(まさか事後法処罰はされてないだろうが)

さらに、事後法整備と処罰の後、公平に当該法律が運用されるかどうかも多少考慮要素となりうる気がする。

罰則が整備されてその法秩序を維持すべき現代日本では考慮不要で、全く実用的でない議論だが。

国会に提出する公文書の恣意的な抜粋変造が犯罪となるか、という議論はちょっぴりニアミスだが、許される事後法処罰なんて議論には絶対になり得ない。
(そんな議論の立て方をした瞬間に法律家として死ぬる)

230 :
>>229
それで結論はどうなったんだ?

東京裁判のような事後法によって個人を裁く裁判の名を借りた行為を
国家がやっていいのか?

そんな行為が、評価され許されるとでも思うのか?
仮にやり直すとして、同じ事をやれと言えるのか?

231 :
>>230
手前勝手な理屈で中国やアジア諸国を自国の支配下に置いて、
日本のために収奪し市場とするために、
軍事力を用いて諸国を攻撃し、自国民と他国民数百万人を死に至らしめる、
などということを国家の名で行うことは、
評価されないし、許される行為ではないね。

結果的に相互理解にはつながったが。

232 :
まあ中国は半分自業自得の面があるにしても、ベトナム、フィリピン、マレー、インドネシア、インド、ビルマあたりはまったくとばっちりだろう。

日米英の戦争に巻き込まれて、何ら罪なく無為に死んだそれら諸国諸地域の数十万数百万人の死に対し、そして責任者に対する復讐と正義の回復を望む数千万の遺族に想いを致してなお、
「事後法だから文明国では無罪放免です。悪しからずご了承下さい」
と言えるのかな?

いや、仕事なら言えるけど、問題は、良心に恥じずにそれが正義だと確信して言えるのか、ってことだ。

そこを真剣に考えて悩んで出した結論でなければ価値がない。

233 :
到底個人が、一個の魂が負いうるものではない、戦慄すべき罪の重さにたじろいで、
それでもなお、事後法処罰の禁止はそれを上書きしうるし上書きすべきだとして、
苦渋の決断で東京裁判を否定するのなら、それで良いと思うよ。

234 :
>>232
>いや、仕事なら言えるけど、問題は、良心に恥じずにそれが正義だと確信して言えるのか、ってことだ。


悪いがまったく逆だな

正義感が強く良心のある人間ならば、間違いなく
東京裁判は不当裁判だと迷うことなく否定する。
やってはならない愚かな行為。

東京裁判を肯定してる連中こそが手前勝手で
良心がなく、正義感も無い、精神の腐った人間。
あのようなインチキ裁判を肯定してる人間の気が知れんわ。
そいつらは良心の欠片も無いんだろ。

こっちは戦争責任を追及するなとは言ってない。
やるならば公正な裁判で法に基づいてやるならいい。
既存の国内法でも、やれば出来る。

それをなんだ?、あのインチキな東京裁判は?
日本のずるがしこい人間が、真面目な人間に責任をなすりつけて
スケープゴートにしただけじゃないか。
良心の欠片も感じられない

235 :
>>234
じゃあ被告人を変えればいいってこと?
よくわからんな。

236 :
>>235
事後法ではなく既存の国内法で
本当に戦争を煽っていた連中が
公正にちゃんと裁かれるなら問題ない。

237 :
>>236
それは東京裁判に関わらず、日本国政府が自由に行えることだが。

238 :
東京裁判を主導した5大国は大戦後も様々な戦争を起こしている。十把一絡げに論じられないが、
旧連合国は裁判から何も学んでいないし、何も拘束されていない。 この事実こそが
東京裁判の欺瞞性を良く表している。
結局、東條ら7人の死刑囚はA級ではなくB級戦犯での処刑となった。

上の方で日本が占領地に迷惑かけたとかどうとか言うレスがあるが、戦争犯罪はたしかにいけない。
だから、東京裁判はB・C級戦犯を枢軸国・連合国双方から訴追すればよかったのだ。
 当然 連合国側からは東京大虐殺・原爆投下についてカーチス・ルメイやトルーマン、 満州侵攻・シベリア抑留の件でスターリンを訴追しなければならない。
でなければ公平性を著しく欠く。

東京裁判が後世の人々に教えてくれたことは、勝者は常に正義で敗者は常に悪だということ。
 そしてそれは不公平不公正な国際軍事裁判によって勝者側の「正義」が担保される。
 インチキ法理である「平和に対する罪」は東京裁判後、外交の世界からは消えた。
東京裁判後、 世界は戦争だらけになった。

239 :
法律も道徳も何もない現代(1948年以降)の戦争を俯瞰すると、
第二次上海事変から始まった日中戦争 太平洋戦争は世界史上唯一の
秩序ある戦争だったのかもしれない。

インチキ法理の「平和に対する罪」と連合国のB・C級戦犯の不起訴
裁判員の日本側判事の不参加
これら問題点がクリアしていれば東京裁判も少しは意義があったかもしれない。

240 :
>>238
おまえはアホか?w
馬鹿日本人は何を意味不明なたわ言を
わめいているんだ?

太平洋戦争は日本がアメリカに不法な先制攻撃を
仕掛けたために始まった日本側の侵略戦争で
この戦争の非は100%日本側にある。

アメリカは日本の不法攻撃に対して、
自衛の武力行使をしたにすぎない。

この戦争の全ての被害の責任は
すべて日本側にある。
アメリカ側にはこの戦争で何一つ落ち度は無い。


おまえなにか反論でもあるか?

241 :
侵略戦争の罪のほかに
日本側の戦争犯罪を挙げれば

1、中国に対する都市無差別爆撃

2、各地での捕虜大量処刑


日本軍は敵が迫ると、各地で捕虜を皆殺しにしている
こんな野蛮な軍は世界に無い。

242 :
世界中の左翼、共産主義、社会主義者の総本山であった

ソヴィエト社会主義共和国連邦の共産党書記長スターリンによって

行われたナチスを上回る数々の大虐殺については誰によっても裁かれて

いない。

大粛清100万人以上、カティンの森2万2千人以上、ホロドモール1450万人以上、
ヴィーンヌィツャ大虐殺9千422人以上、シベリヤ抑留10万人以上、満州引き上げ
民間日本人20万人以上、その他占領地域で行った数々の蛮行虐殺の

スケールのでかさは東京裁判をはるかに超えるものである。

243 :
>>242
そういった話はなんの証拠も無い
デタラメ情報

捕虜を大量処刑したのは世界で日本軍だけ

244 :
現代、左翼の覇権国、社会主義者、共産主義者の総本山である

偉大な中華人民共和国の建国者、毛沢東主席による

大虐殺も裁かれていないようである。

文化大革命8000万人、(リンチ、人食などのおぞましい記録、
日本の朝日新聞は褒めたたえた)

チベット大虐殺300万人、

現在でも中華人民共和国では2000人規模の国家による死刑が毎年
行われていいる恐ろしい国である。

これには共産主義者は唯物主義者であり、人間をただの

物質とみなし、その尊厳を認めないという信条が影響しているとも思われ、

日本国内にいる左翼、共産主義者等もそのような可能性をもった危険な

思想を信仰している人物として注意しなければならないであろう。

245 :
>>243

必死ですな。お里が知れますよw

246 :
ソ連、中共によって盛られた日本軍による虐殺よりも

実際にソ連、中共によって行われた虐殺のがはるかに盛大であった

という20世紀の恐るべき歴史的事実。

20世紀地球人類裁判所の設置を要求して裁かれていないおもにソ連を

筆頭とした共産主義、社会主義国家(中華人民共和国を含む)によって行われた

人類に対する犯罪を裁こうではありませんか!歴史を風化させてはならない!

247 :
現在においても左翼陣営、共産主義、社会主義の最大国である

中華人民共和国では毎年2000人規模の死刑という名の

大量虐殺が行われている(アムネスティ調べ)

左翼、共産主義者、社会主義者は人間を単なる物体としか見なさない

価値観を有しており、人に対する尊厳のかけらも持ち合わせていない

冷酷な思想がその原因と思われる。

248 :
加えて左翼、共産主義者、社会主義者は独自の歴史に対する即物的な信仰を

もっており、その信仰に合うように実際の歴史事実を捻じ曲げたり、

嘘の歴史をねつ造をしたりということも平気でする。

これは彼らのいわゆる科学的信仰のなせるものである。

249 :
実際共産主義者の方が山盛り人殺ししているとしても、日本が免責される訳じゃない。

スピード違反でネズミ取りに捕まったとして、
みんなスピード違反してるじゃないか、俺だけ捕まるのはおかしい、不平等・不公平だって主張は、
なかなか…ほぼ絶対に通らない。

警察検察の人員と資源には限りがあり、犯罪者全員を捕まえられないのは当然だから。

不当な目的があって一方を見逃してるというなら別かもしれないが。

250 :
★世界一、残虐行為をやってたのは
間違いなく日本海軍である。

・ウエーク島では100人の捕虜を集め、一気に銃殺処刑した

・パラワン島では150人の捕虜を防空壕に閉じ込めて全員焼き殺した。

・ 駆逐艦秋風では女子供を海に投げ捨てるなど70人の民間人を
皆殺しにして惨殺処刑。(山本五十六の命令)

しかも日本海軍の残虐犯罪は、これだけではない。
海軍は太平洋戦線の各地で国際法を全く無視し
捕虜、民間人を皆殺しに虐殺していた


ここまで国際法を無視した酷い軍隊は歴史上世界に無

251 :
★駆逐艦・秋風での処刑

1943年3月8日、ラバウルを出発した駆逐艦「秋風」は民間抑留者(現地人や白人)をラバウルに移動させる為、
ニュ−ギニアのカイリル島やロレンガウで抑留者を乗船させました。

3月16日、ニュ−アイルランド島に停泊したときに処刑命令が手渡されたと思われます。
秋風の船長の顔は真っ青で「ラバウルからの命令で抑留者たちの殺害を命じられたが、
私は彼らを殺したくない」と語った。
また乗組員も命令を拒否したかった。

しかし、軍の命令は絶対でした。3月17日、船尾に木の台と、その上に吊り処刑台が作られました。
1人ずつ呼ばれ、初めに司教が、次に男性達が銃殺された。
さらに女性が続く。
皆着物を脱がされ下着だけにされた。
目隠しをされ、後ろ手に縛られた。そのままロ−プで吊り上げられた。

4人の機関銃兵と1人のライフル銃兵が銃殺し、死体は海に投げ入れられた。
3人の子どもは生きたまま海に投げ入れられた。
犠牲者は子ども3人を含む完全な民間人で62名でした。

252 :
どうでもイイが「大東亜戦争」だぞ基本中の基本

253 :
海軍ガーのレスは根拠のない捏造・創作だからどうでみいい

254 :
海軍ガーのレスは説得力なし!

255 :
結局ガチの大量虐殺者であるスターリンだとか毛沢東が
裁かれないで、戦勝国がねつ造した疑いのある日本の指導者だけが裁かれた
東京裁判はやはり不公正だっということですな。

256 :
susucoin:SXjq2idTq8gqCWsWbhTQt3eLGLrZGgw8xX

257 :
現在の法の秩序があるのも警察という強制力あってこそやからな

258 :
しかし君らの洗脳されっぷりは恐ろしいほどだ
2ちゃんからちょっと出れば真実を知ることができるのにな
未だに日米戦争がイカサマだったことを知らないのは恥ずかしいことだぞ

>結局ガチの大量虐殺者であるスターリンだとか毛沢東が・・・
日本軍がロシアをスターリンに支配させ
日本軍が中国を毛沢東に支配させた
ということも知らんだろうな
君らの頭の中は、テレビや映画やマンガや2chが発信する嘘で満たされている
いいのかそれで

259 :
たしかにおまえはトンデモ本の読み杉
お前自身が洗脳の見本になっていることに涙を禁じ得ない

260 :
おし、お前は258に対してレスしてるな
徹底討論しちゃる

てゆーか、
「日米戦争はイカサマだったのか!?」
でスレ立てしてくれ

261 :
これ以上クソスレ立てんなバカ

262 :
1931年には柳条湖事件、満州事変を関東軍が引き起こした。

以後、昭和天皇は満州事変の戦域拡大、第一次上海事変、熱河作戦など「中国大陸での陸軍の行動に神経質なまでに

反応し、軍事行動の抑制を求める意見を側近や軍首脳に伝達していた」。

しかし、軍は朝鮮軍独断越境事件に続き張鼓峰事件でも、天皇の許可を得ずに独断で

戦闘行為を行っており、この当時の陸軍の行動はまさに統帥権干犯そのものであるといえよう。

また熱河作戦の作戦中止を求める昭和天皇の要求は奈良侍従武官長により事実上却下された。

統帥権は機能しておらず、その権限は軍が自分たちに都合よく利用していただけなのである。


昭和天皇の陸軍への不信感はますます高められていた。

263 :
戦争なんて権力持ってるお偉いさんと武器商人が喜ぶだけよ
日本でも一般兵は特攻させられ、上層部は無事生き延びた
結局はお偉いさん同士の談合で決着がつくからイカサマとも言える

264 :
263さん、いい線いってるけど足りない

・日本の兵隊さんと上層部は民族が違う
・天皇は戦争前に、戦争立案者と打ち合わせをしており
 ABCD包囲網とか真珠湾攻撃とか台本通りに実行された

265 :
264さん、毎回外れまくってるけど、足りない

・日本は中国の先制攻撃により泥沼の戦争に引き込まれた
・ルーズベルトは戦争前に、英国と打ち合わせてをしており、
 ABCD包囲網とか日本から先制攻撃させるとか台本通りに実行された

266 :
265さん、それは被害妄想的発想ですよ

・天皇と毛沢東は同じ満州族であり
 皇軍は国民党を殲滅し、中国を毛沢東に支配させてあげた
 中国にいる満州族と、日本にいる満州族が結託していたのがポイントですぞ

・日本の上層部は天皇の母親から吉田茂まで「ヨハンセン・グループ」と呼ばれ
 アメリカ軍産と仲良しこよしであったことを忘れてはなりませんぞ

267 :
>>262
自分もこういう認識だが、何か間違いはない?

268 :
たまたまこのスレを見つけたのだけれども、私も「太平洋戦争の原因」を知りたくて
ネットで入手できる英文の情報を漁って調べているところだ。
残念なことに私は英語が(も)苦手で作業のペースは遅い。

宣伝ぽくなってしまって申し訳ないが、私の「作業」はブログに書いている。
http://kuidaore.hatenadiary.com/

おそらくこのスレの中には興味を持つ人がいるだろうと思う。
興味深い情報を持っている人がいれば、Twitter経由で個人的に教えてくれると嬉しい。

269 :
>>262は天皇を善人として書いてあるが、そういう文章はまるで信用ならない
ある事象を捉えるときに、見る方向によって見え方が正反対になることは良くある

昭和天皇と陸軍の確執は、天皇が南朝で、陸軍は西郷隆盛の血流の北朝であることに起因する
陸軍は大きくは関東軍と第二総軍に分かれていて、
その第二総軍を広島に集めて原爆をくらわせているぞ

天皇は松井将軍に中国を任せたが
松井将軍の頭越しに、朝香宮が次々に部隊を投入し、殺戮と略奪を繰り返し
大東亜共栄圏構想を信じ切っていた松井将軍は失意のうちに東京裁判で死刑を受け入れた
つまり病弱で背の低い松井将軍は天皇にまんまとハメられたわけだ

270 :
つまらん

271 :
くだらない陰謀史観をふりかざした時点で負け

272 :
753 名前:NHK名無し講座 2018/08/18(土) 23:48:39.25 ID:Xi9baQoo
特高を滅ぼすためには
アメリカに負けたのは必然だったんだな

273 :
昭和天皇と陸軍の確執は、天皇が南朝で、陸軍は西郷隆盛の血流の北朝であることに起因する
陸軍は大きくは関東軍と第二総軍に分かれていて、
その第二総軍を広島に集めて原爆をくらわせているぞ

天皇は松井将軍に中国を任せたが
松井将軍の頭越しに、朝香宮が次々に部隊を投入し、殺戮と略奪を繰り返し
大東亜共栄圏構想を信じ切っていた松井将軍は失意のうちに東京裁判で死刑を受け入れた
つまり病弱で背の低い松井将軍は天皇にまんまとハメられたわけだ

274 :
天皇は北朝やろ。
南朝は熊野天皇かどうか知らんが別でしょ。

275 :
>>268
2chなんかに貼ってあるURLは踏まないので
ここに「太平洋戦争の原因」を書いておきましょう
天皇の側近の木戸幸一の日記に、
天皇は世界大戦の1年前に日本は壊滅すると言っていたとある
天皇は世界大戦の立案者と会って戦争の計画を知っていた
ナチスが暴れることを知っていたので、予め欧州の植民地になっていたアジア各国に
大東亜共栄圏の名の下、天皇の資産を資本に銀行を作っておいた
ナチスが暴れると天皇が作った銀行にまんまと欧州の金が逃避してきた
その金の一部はフィリピンからUボートでバチカンに運ばれた

しかし大戦の本当の目的は新兵器の開発と実験にあった
1930年代、物理学者が原子核に秘められたエネルギーで兵器が作れると騒ぎ出した
ここで、世界の富の半分を所有する資産家になったつもりで考えてみれば分かる
一発で国を消滅できると思われたその新兵器は自分が所有し、他の誰にも持たれたくない
そしたら物理学者を独占する必要がある
そこでナチスに暴れさせて、打倒ナチスのために渡米して原爆を作ろうと誘う作戦を考えた

しかし作るだけでは意味は無く、どれほどの威力があるのか知りたい
原爆のエネルギーは計算で出るが、放射線がどこまで飛び、その殺傷力が知りたい
つまり都市で実験するので、それを正当化するために日米は協力して戦争状態を作った
というのが、このスレの回答だ
正確なデータを得るためにモルモット小学生1万7千人が集められた
(2010年8月6日放送NHK「封印された原爆報告書」)
集めるように指示を出した高野県知事は原爆当日は出張で不在ときたもんだ
そこから遥か遠く離れた皇居の地下18m、壁の厚さ6mの地下室で天皇はその時を迎えた
自分が無事だったこと、原爆が成功したことに小躍りして喜んでいたはずだ
つまり天皇は財宝と引き換えに、この国と民を実験に提供したのだ
しかしこの話はこれだけではない、吐き気がするほど恐ろしい裏がある
それを国民が知るのは何時になるだろうか

276 :
(・∀・)_θ お薬ドーゾ

277 :
対米開戦の理由は単純で明快です。
海軍の山本五十六がどうしても1941年内に真珠湾奇襲をやりたかったからです。
海軍はそれにすべてを賭けており、開戦の1年前からそう決意しており、
対米交渉なんか初めから眼中にありません。
もし交渉が進展すれば、妨害して潰されます。
実際にそうなりました。

日本の主導者の多くは陸軍は暴走するから、陸軍主導より
海軍主導のほうが安全で手堅いと思い込んだかもしれません。
しかし実際には山本五十六が主導する海軍は、陸軍以上に
愚かで大暴走し、世界中を戦争に巻き込みました。

当時、海軍が敵視していたのは、アメリカでも中国でもありません。
海軍は陸軍を敵視し、陸軍に負けるくらいならば、アメリカと全面戦争をやって
負けた方がマシだと考えていたと言われています。

アメリカの対日禁油が悪いなんて言ってますが
その前にその原因となった南部仏印進駐で
日本は何をしてたか知ってるでしょうか?
日本は南部仏印になんと14個もの飛行場を超急ピッチで整備し
陸海軍の主力を集結させ、連日上陸作戦の猛訓練です。
まさに開戦前夜です。
誰が見ても日本は対米英戦争を決意したと思われて当然です。
南部仏印進駐は、進行中の対米交渉を妨害、破綻させるために海軍によって強行されました。
元海軍次官、豊田外相による計画的な策略でしょう。

そんな国がアメリカに石油を売れといって、アメリが石油を売るでしょうか?
仮に大統領や石油会社が売りたいと思っても、アメリカ国民が怒るはずです。
なんで対米英戦争を準備中の国にアメリカが石油を売らなくてはならないのか?と。
アメリカが対日禁油に至ったのは当然のことで非は100%日本側にあります。

278 :
ルーズベルトを悪党、戦争屋のように言ってますが、戦犯は野村大使の方です。
野村大使はもと海軍大将であり、海軍の山本五十六、米内、嶋田海相らとは親密な関係でした。
アメリカでは野村大使は海軍と結託し、真珠湾奇襲を成功させるべく、米政府をだます「偽りの外交」を
やっていたと非難されましたが、その見解は正しいと思います。
外務省はアメリカ政府だけではなく、日本政府をも欺いていました。
何が何でも真珠湾奇襲を成功させたいからです。

しかし戦後、アメリカは共産主義との闘いが優先され、それには陸軍悪玉論のほうが都合がよく
(陸軍のほうが大資本勢力が金の力で世界を支配する市場原理主義を批判する社会主義派が多いため危険だと見られました)
野村大使は戦争責任を追及されるどころか、CIAの工作員になりました。

日本はアメリカに追い詰められたのだとか、
そんなの、幼児のいいわけ以下の低レベルの戯言ですね。

279 :
>>277
説得力なし
実際に自分が真珠湾攻撃を行う立場で考えてみな

アメリカの反撃を覚悟しての真珠湾攻撃だ
アメリカは太平洋を渡って日本本土まで攻撃に来る
しかし弾が尽きたら帰る、食料や燃料が半減しても帰る
つまり補給基地となるハワイを占領すればアメリカの戦力は半減する
ハワイは全力で占領するはずだ
しかし、真珠湾攻撃してさっさと帰った
これは小学生レベルのバカだ

しかしバカというのとは違う
アメリカは最新の米艦は避難させており、ハワイにボロ船を並べておいた
それでアメリカは真珠湾攻撃を知っていたという話になるが、そういうことではない
日本の空爆は、石油タンクや重要施設を避けて米軍の食堂などに対して行われた
予め、空爆して良い場所の指示がアメリカからあったということだ
日本に空爆される様子を米国民に伝えるためのカメラマンもスタンバイしていた
カメラマンの手記には、日本の爆撃機は良く訓練され整然と見事な空爆だったと誉めてある
攻撃を受けて誉めるバカはいない
つまり、予め決められた攻撃対象だけを見事に空爆したので感動したという意味だ
イカサマなんだよ

海軍主導というのは、そうなんだろう
北朝系統の陸軍と南朝天皇は疎遠であり、南朝系統の海軍は南朝天皇と密接だからな
南朝天皇が参拝する伊勢神宮でユダヤの六芒星が見られる
天皇はアメリカのユダヤ軍産とユダヤ繋がりだ
一方、陸軍の襟章に★があるように、北朝は陰陽道のセーマン★、五芒星を使う
陸軍の関東軍が建国した北朝鮮の国旗には当然★がある

280 :
食堂を爆撃したのは初めて知った。
しかしこれは現場の不満を増やしてしまうのでは?

281 :
多くの軍人が不満を持っているはず
広島で原爆が炸裂した、まさにその上を本田少尉が紫電改で飛んでいた
つべを「本田少尉」で検索すれば彼の話が聞けるはず
ch桜の番組に出演している

彼は、その時にエノラゲイは飛んでいなかったと言っている
そこから先の推測は恐ろしい話になるので何も言わなかったが
長崎でも軍はB29の接近を知っていたのに出撃命令を出さなかった
広島が一瞬で廃墟になったのを目撃しただけに
B29に体当たりしてでも止めたかったと語っている

彼は他の現場でも軍の不正な動きに怒っていて
そんなのを許していたら、また繰り返すぞと警告している
本当に彼の言う通りだよ

282 :
日本の政治家は、国民のためや国益のための政治をしない
軍も国民のためや国家のために動かない
その謎は真実の明治維新を知れば解ける

283 :
戦前はせっかく反動化してたのに米内、ヤマモトみたいな裏切り者のせいで台無し
戦後はそういう裏切り者の系列が権力持ったからね

284 :
お薬が足りないようですね

285 :
日本の財閥系企業や経営者が戦争前にアメリカ国債を大量購入したのは何で?
アメリカは大不況真最中だけどルーズベルトが日米開戦をやりたがってるのをよんでか?
二・二六事件で戦争回避派の大臣が暗殺されたのはその準備?

286 :
>>281
実際に投下した飛行機は爆風の巻き添えから逃げられなくて墜落した
エノラゲイはあとから用意された設定って そうなのか?

アポロ11号月面着陸の捏造疑惑を後から知るとありえると、
星条旗が風?でたなびいてた 月面で あれ小学校の担任に 担任理科だから質問したら 先生は専攻地学だから わからんって言われた思い出?あるくらい 当時不思議
今は全く不思議に思わん 米国のやることだから で納得

287 :
広島長崎の比じゃないノバヤのツァーリ・ボンバー投下実験機パイロットだって生還してたっしょ?

288 :
>>286
>星条旗が風?でたなびいてた
あれはポールを月面にねじ込もうとしてたんで揺れてただけ。

11号以降も記録はちゃんと残ってるし、月面に置かれたレーザー反射板は今でも存在が確認できてる。

低レベルの陰謀論に引っかかってますよ。

289 :
  最大の戦犯は海軍の山本五十六である。

陸軍主導の対ソ戦をなんとしても阻止し、陸軍と対等な予算を獲得したいと、
海軍・山本五十六の考えにはそれしかなく、国益なんぞ全く考えていない。
その結果が対米戦争。


・1936年 海軍軍縮条約からの脱退・・・岡田首相と山本五十六らによる計画的な交渉破綻による

・1937年 海軍マル3計画・・・対米戦争を想定した機動部隊を主力とした連合艦隊を編成を計画
      そのための予算要求

海軍はアメリカとの戦争を想定し戦艦大和を発注
      アメリカ戦艦はパナマ運河の制約により主砲は40Cm砲だが、
      その射程圏外から砲撃するため主砲を46Cmとした

・1937年 海軍は船津和平工作を妨害するため自作自演の大山事件を起こし、
      それを口実に独断で中国空爆、陸軍の上海派兵を要求、日中戦争が勃発
      海軍は大幅な軍事予算拡大

・1937年 ルーズベルト大統領が日本の中国空爆を非難する演説
      国際連盟、9カ国条約会議が日本の侵略戦争に対する非難決議採択
      対日経済制裁開始

・1938年 大和型戦艦 2番艦(戦艦武蔵)工事着手

      大和型戦艦 3番艦・4番艦 議会承認、発注決定 (マル4計画 後に空母信濃に変更)

・1940年 海軍は重慶に対し大規模な都市無差別爆撃を開始

・1940年 陸軍は海軍主導の日中戦争を終結させ、対ソ防衛目的で三国同盟を提案。
      海軍は三国同盟を認める見返りとして、南進政策を要求。北部仏印進駐開始。

      海軍はアメリカとの戦争を想定し、連合艦隊の組織を大幅に改編
      ほとんどの艦隊、航空隊を連合艦隊が指揮する編成とした

・1940年 山本五十六は真珠湾奇襲を計画、準備を開始。 

290 :
ケンタッキープライド大戦

291 :
https://i.imgur.com/fqXj1Zj.jpg

292 :
https://nico.ms/sm10953011
https://nico.ms/sm14195998

293 :
陸軍はソ連と内通し海軍は米と内通し
東郷外相はソ連のスパイ、野村大使は米のスパイ。
あの戦争は八百長。
まともなのは鈴木貫太郎と重光葵ぐらい。あとはゴミ。

294 :
で、おまえはどこのスパイなのかね?

295 :
>>294
そいつは山本五十六信者の在日街宣右翼ですw

296 :
信者さんか。

297 :
はぁ?五十六ももちろんスパイだわカス

298 :
山本56は敗戦後もありえあい評価で持ち上げられるのって敗戦革命受益者である証拠の一つだな

299 :
【米国】ハリウッドの大作『ミッドウェー』、「日本軍役に日本人に見える韓国人を募集」[12/14]
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1576286598/

300 :
あの兵装転換が楽しみだな
ドリフのBGMで頼む

301 :
>>300
いや海軍のすべての作戦開始のテーマソングにすべきだな
海軍の全作戦に共通して、この曲はマッチしている

https://www.youtube.com/watch?v=2ur1bx12NTk

302 :
Aが言った。
「最強の軍隊は

アメリカ人の将軍
ドイツ人の将校
日本人の下士官と兵

だな。じゃあ最弱は

中国人の将軍
日本人の参謀
ロシア人の将校
イタリア人の兵

かな?」

Bが答えた。
「いやいや、

イタリア軍の将軍
イタリア軍の参謀
イタリア軍の兵

だろ」

303 :
笠原十九司が最大の戦犯

304 :
誰か一人や一集団が導いたのではない
いつのまにかそうなっていく
納戸も取り返しのつく失敗を繰り返しながら

305 :
>>302
最弱の軍隊は日本の連合艦隊だろ

連合軍勝利の最大の功労者w

306 :
>>303
さすがに開戦時に存在して無い人間を戦犯呼ばわりは・・・

307 :
軽く見積もっていたのは間違いない

308 :
世界を侵略し世界を征服しようとした昭和天皇の悪態は計り知れない。
かけがえのない命を鉄砲玉に替え、敵も味方も容赦なく破壊し、残忍な手口もいとわない。
世界で唯一の被爆国であるが、その理由はそうでもしなければ
日本国暴走列車を止めることはできなかったからだ。
世界のクズである日本人は死滅すべき。

309 :
昭和天皇の悪態か
是非聴いてみたいもんだな

310 :
死滅したら寿司を食べられなくなるから困る。
あとラーメンとカツ丼も。

311 :
>>286
広島上空を飛んでいた本田少尉の話では
空は晴れ渡っており、エノラゲイなんか飛んでなかった
そして下で大爆発が起こり、一時操縦不能になったとのこと
一方、米軍側の漏れ伝わってくる話では
エノラゲイは空っぽでテニアン島から広島に向かったとのこと
テレ朝が、その乗組員のヴァン・カーク氏にインタビューしにアメリカに行った
「エノラゲイはテニアン島から広島の手前まで飛行記録をとっているのに
  なぜ広島手前で記録を止めたのか?」
日本側の観測記録では、エノラゲイは広島の手前でUターンして時間かせぎをしている
乗組員は広島市民のように自分たちもモルモットなのではないかと思ったのだろう
朝の8時6分に、日本は地上に設置された原爆を炸裂させ
アメリカは投下偽装用のエノラゲイを広島上空を通過させる計画だったのだろう
しかしエノラゲイは原爆を恐れて故意に9分遅刻した
それで原爆前にエノラゲイを見たり轟音を聞いたという証言は無いのだ
しかし原爆前に本田少尉の紫電改の音を聞いたという証言はある
「赤とんぼ(練習機)が飛んでいるなぁと思ったらピカッと・・」
ヴァン・カーク氏
「実際に何が起こったのかは、あなた方は決して見つけられはしないさ」
これが彼が言えるギリギリの言葉だ、感謝しよう
日本のクズどもは何も言いやしない、多くの物理学者は知っているはずだが

312 :
意味がわからんが興味深い。
日本とアメリカはぐるだったのか?

313 :
日米開戦の「真の原因」を作ったのは誰か
渡辺惣樹(日米近現代史研究家)
https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/6994
チャーチルと違ってルーズベルトの真のターゲットはドイツではなく日本だったと思うけどな。
デラノ家のアヘン貿易の歴史から、もともとルーズベルトは中国に思い入れがあったし。

314 :
では、太平洋戦争とはなんだったのか説明しよう
1930年代、物理学者が「核兵器が作れるぞ」と言い出し、新聞にも載った
当時は、一発で国が消滅すると思われていた

世界の富の半分を所有する資産家になったつもりで考えてみよう
必ず「核兵器は自分だけが所有すべき」と考えるはずだ
そのためには物理学者を独占する必要がある
そして当時は全く不明だった放射線の殺傷力を確認しておく必要がある

ナチスに暴れさせて、「ナチスを倒すために渡米して
原爆を開発してくれ」と持ち掛ければよい

そしてナチスが暴れると欧州の資産が逃げ出す
それを東南アジアに向かわせて、その金塊を天皇が奪える見返りに
日本を原爆実験場にさせろと交渉する

かくして日本の都市での核実験を正当化するための日米八百長戦争が始まった
真珠湾攻撃は、アメリカに指定された施設のみを空爆したし
米軍だって、天皇の指示で日本本土の空襲を行っていたのだ

「八百長戦争」であるからして戦後の、GHQ,東京裁判、日米同盟などなど
全ての認識をひっくり返すことが必要になってくる
例えば、東京裁判は天皇が主催者であり、
内外に天皇に戦争責任が無いことを周知させるショーだったと

315 :
まあ、トラウトマン工作陸軍案をもってシナ事変完遂とすれば対米戦争は防げただろうね。
血相を変えた反対した海軍が悪い。海軍は無能だ。

316 :
海軍益を考えたのか?

317 :
海軍と陸軍は常に張り合っていた。海軍は、上海事変の時も、海軍陸戦隊の健闘を大げさに報告し、
到着が遅れた陸軍を罵倒した。そう言う奴らなんだよ。

318 :
省益を考えるのは当然
しかし国益、ましてや戦争と秤にかける程の省益などあるだろうか?
まさかそこまで深刻に考えてはいなかったのかな?

319 :
そんなの今でもあるんじゃないの?
民間企業ですら、企業利益よりも派閥の利益を優先して買収されたトコあるんじゃないのか?

320 :
昭和天皇に真の発言力があれば、対米戦争は避けられただろうな。
実際には何の発言力も無かったから、日本は無益な戦争を繰り返す羽目になった。
シナ事変だって、昭和天皇がトラウトマン工作を認め、海軍大臣の辞任を認めなければ
すんなり終わっていた。残念なことだ。
              

321 :
>>319
そういうことやらかしたら、特別背任罪とかに問われるでしょ。
あるあるだからと言って許されるかどうかとは別。

322 :
アジア太平洋戦争は植民地解放戦争です。

323 :
確かに国に対する背任罪だなwww
勝てないと分かっていながら戦いだし、省益や手柄争いに明け暮れ、国民を欺き続け、負ければ責任逃れ。
靖国に祀られても、何かアホらしく感じる。

324 :
靖国にしたら、戦死者が多いほど信者や参拝者、賽銭や寄付が増えるから、
連中は功労者なんだよ。祭神として祀って当然なのさ。

325 :
国を想う心
我を想う心

326 :
祀られてる人をどうこう言う気はないけど、国家としてはどうなんだろ?
戦争という最悪の手段に出た結果の犠牲者でもある方を神だ英霊だと祭り上げて。
国家がそうしたんだろ!って思ってしまう。
どうしても仕方ない戦争もあるだろうけどさ。
大東亜戦争はないだろ。

327 :
>>326
>国家がそうしたんだろ!って思ってしまう。
そう思わさせないために祭り上げるんだよ。
国家が強いた死を美化し、正当化し、
国家への非難や追求をやわらげ、そらすための仕組みなんだから。

328 :
靖国の英霊として祀られるのは、天皇陛下との約束

329 :
>>327
国家が強いた死とか言ってるけど、他の国を見れば、戦死者は墓地に埋葬されている。
これも国家が強いた死を美化し、正当化し、国家への避難や追及を和らげているのかね?
世界の常識からみると違和感たっぷりだな。
       

330 :
埋葬と祭神化は違うだろ。
つーか、日本だって埋葬はやってる。
個々の墓はちゃんとあるのにそれとは別に神様に仕立て上げてるのが靖国。

331 :
戦没者を顕彰し敬意を表する儀式、行為は
どこの国もやっている

というか、よその国の方が遥かに厳格に
国家が戦没者を顕彰している
日本は国家としては何もやってない

332 :
朝日新聞が全て悪い!

333 :
>どこの国もやっている
>日本は国家としては何もやってない
公的なものとしては千鳥が淵も、毎年の戦没者追悼式もあるのだが。
靖国以外の慰霊顕彰を認めたくないみたいだが、、
靖国は戦前は公的慰霊顕彰施設だったが、政教分離の際に、
宗教性を取って公的性質及び責任を自ら放棄しているのだが。

334 :
>>313
>チャーチルと違ってルーズベルトの真のターゲットはドイツではなく日本だったと思うけどな。
>デラノ家のアヘン貿易の歴史から、もともとルーズベルトは中国に思い入れがあったし。

米英が「ドイツ打倒第一主義」と称して西部戦線に大兵力を送り込んでいる間、
皇軍は大陸打通作戦で3000キロ進撃してチンピラゴロツキ3500万を殺戮した。

335 :
靖国以外の慰霊顕彰は無意味

336 :
>>322
いいえ違います。
もう少し歴史を学んでください。
植民地解放が日本のおかげと考えている歴史学者は日本人のアホウヨ学習だけで第一次世界大戦による英仏の衰えとアメリカの反植民地主義が原因が常識です。
チャーチルとルーズベルトの確執や戦後のスエズ戦争とか勉強しなさい。
日本は単なる火事場泥棒にすぎません。

337 :
激しく同意!
>>336
>アメリカの反植民地主義が原因が常識です
ベトナム戦争でアメリカの反植民地主義は全世界に平和をもたらし、東西冷戦をも終結させたのだ!

338 :
なるほどパヨクはそう考えるのか。
でも、インド人はアジア太平洋戦争のおかげで独立が30年早まったと言ってるし、
アフリカ人は日本はアフリカまで攻め入るべきだったと言っているんだから、
植民地解放に一定の貢献をしたのは事実だよな。
あと、日本は火事場泥棒じゃないぜ。
火事場泥棒はソ連だ。

                      

339 :
アジアの解放が目的なら朝鮮と台湾も解放しようず

340 :
日本の戦争のお題目が建前でしかなく、それを裏切り続けてきたのは歴史が証明している。

日清戦争 清は朝鮮を解放(独立)しろ! → 朝鮮併合
日露戦争 ロシアは満州を解放(中国へ返還)しろ! → 南満州権益獲得
一次大戦 ドイツは青島を解放(中国へ返還)しろ! → 青島租借地獲得
満州事変 満州の解放(独立)である! → 実質支配

太平洋戦争 アジア解放の戦いである!

これを信じられるのはよほどのお馬鹿さんであろう。

341 :
結局自己の利益のために戦争したんだね。
そりゃそうだろ。
建前を本音と思わない事だね。

342 :
アジア太平洋戦争に関しては、途中から建前と本音が一致した。

インパール作戦にも、チャンドラボース以下多くのインド兵が参加した。
何もかもインド解放のためだ。ビルマも独立させたし。

植民地解放戦争という側面は否定できない。

               

343 :
>>340
これが当時の当たり前の価値観、認識、水準における基本的考え方である

勝者の権利と国家安全保障においてこれが当時のワールドスタンダードである

取り巻く秩序がまったく異なる時代を現代の価値観で考え判断するのは余程のお馬鹿である(断定)

344 :
インドネシアも、東條の後を受けた小磯が独立容認を声明し、インドネシアは歓喜に包まれた。

全てアジア太平洋戦争のおかげです。

        

345 :
>>342
インパール作戦はビルマ保持のための攻勢防御が目的で、インド解放などとは無関係だが。
ボースらは後ろ盾が日本で日本無しには存続できないから協力しただけ。

>ビルマも独立させたし。
しかし、日本兵からすれば味方のビルマ兵も上等な家畜程度にしか見ていなかった。(『アーロン収容所』)
アウンサンはビルマ国民軍への日本の待遇のあり方やビルマの独立国としての地位に懐疑的になり、
日本からの離反を決意し、1945年3月には日本軍と戦火を交えている。
日本の本音は見透かされていたのだ。

>植民地解放戦争という側面は否定できない
結果論に過ぎない。
第二次世界大戦の結果米ソの覇権体制が成立したが、それを根拠に
ドイツは米ソの覇権確立のために第二次世界大戦を起こした、と言ってるようなもの。

>>344
敗勢になってきたから味方を増やすためのご機嫌とりでしかない。

日本の本音は 昭和十八年五月三十一日 御前会議決定の大東亜政略指導大綱に
「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」ハ帝國領土ト決定シ重要資源ノ供給地トシテ極力コレカ開發並ヒニ民心把握ニ努ム。
とある。

346 :
【安倍政権が発狂!?】第二次世界大戦は満州事変が発端では無かった事実が判明!〜歴史修正主義が台頭する日本の教科書が変わる!!?〜
https://asahi.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1580467759/l100

347 :
日清戦争の朝鮮なら未だしも
太平洋戦争が解放戦争と言えるか?

日清戦争は朝鮮の独立を清に
取り付けたのだから、
これは普通に朝鮮の独立を助けた
解放戦争と言ってもいいと思う。

だが、太平洋戦争は
フランス、イギリス、オランダ、
アメリカに独立を取り付けてない。
そもそも連合国との間で下関条約のような植民地独立の条約など締結してない。

これで解放?
インドネシアにしろベトナムにしろ
最後は自分たちが戦う羽目になった。

これで解放とは言えないよ。
インドネシアにしろベトナムにしろ
独立を得られたのは自分たちが
血を流した結果。

348 :
大東亜会議を敗戦がチラついてきた頃に開いたというのがな
アレを開戦と同時期にやってたらそれこそ解放の救世主だったのだが

つまり開戦より大分前に大東亜共栄圏は提唱されてはきたが
侵略の大義と正当化のためのプロパガンダという部分がほぼなんだろうが
実際として白人の植民地支配からの解放であることもまた紛れもない事実ではある

349 :
石油欲しいっす。
追い詰められたっす。
今更中国から撤退できないっす。
とりあえず開戦っす。

350 :
>>338
>あと、日本は火事場泥棒じゃないぜ。
>火事場泥棒はソ連だ。
大陸打通作戦は火事場泥棒。あれは米英主力がヨーロッパに向けたスキを狙ったということ。

351 :
俺の周りはソ連嫌いが多い。「露助だけは許せねぇ」って言ってるよ。
ソ連が不可侵条約を破った火事場泥棒だったからだよ。

日本は火事場泥棒じゃないぜ。
打通作戦で何を得たって言うんだ?
ソ連は樺太と千島列島を侵略したんだぜ。

352 :
ま、アジア太平洋戦争がなければ、東南アジアやインドの独立は30年以上遅れただろうね。

日本の植民地解放戦争が植民地独立の呼び水になったのは100%間違いない。

            

353 :
>>348
>>352
で、どこが解放なん?
別に日本はイギリス、フランス、
オランダ、アメリカとの間に
植民地独立の条約を結んでない。
日本のした事は植民地独立では無い。
日本のした事はただ占領しただけ。
つまり支配のみ。
独立できたのはベトナム人やインドネシア人がフランスやオランダと戦ったから。
東南アジアの人々が日本抜きでは何も
できなかったように見下すのはよくない。
と言うか日本抜きでは何もできないと
馬鹿にして見下している。

354 :
>>351
時代を考えよう。
当時は世界規模での戦国時代だった。
見方を変えればソ連も
不当とは言えない。
と言うか自分たちが弱かったことを
棚に上げて相手を非難するのはどうか?
チョンと同じだぞ。

355 :
ドイツがヨーロッパで暴れて
イギリス、フランス、オランダが
植民地まで手が回せない時に
日本は彼らの植民地を奪おうとした。
日本だって火事場泥棒的な
部分はある。

356 :2020/02/04
Q.なんでインドネシアやベトナムは
オランダとフランスから独立できたのでしょうか?
A.単純に彼らの努力の賜物。
日本は別にインドネシアやベトナム
に独立を与えられたのでは無く
支配しかしませんでした。
なぜなら日本はオランダやフランス
に対して独立を取り付けてないの
だから。
だからインドネシアやベトナムは
日本が去った後、オランダや
フランスから独立を勝ち取るべく
闘争を開始します。
つまり植民地が独立できたのは
日本のお陰と言うより
自分たちの努力の結果なのです。
では日本は何一つ貢献がなかった
のでしょうか?
あるとするのならば同じアジア人、
非白人が白人、欧米に勝つことで
勇気を与えたことでしょう。
ですが、忘れてはなりません。
日本は勇気を与えただけで、
植民地を独立させた訳ではない
という事です。

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