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【クラシックの迷宮】 片山杜秀 7 【パンドラの箱】


1 :2019/08/17 〜 最終レス :2020/06/08
◆レギュラー番組(2019年8月現在)
・NHK-FM『クラシックの迷宮』
http://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/
毎週土曜日21:00〜22:00
※再放送はありません

◆過去スレ
【クラシックの迷宮】 片山杜秀 6 【4月から日曜】
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/classical/1519306459/
【クラシックの迷宮】 片山杜秀 5 【パンドラの箱】
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/classical/1482616742/
【クラシックの迷宮】 片山杜秀 4 【パンドラの箱】
http://mint.2ch.sc/test/read.cgi/classical/1453244654/
【クラシックの迷宮】 片山杜秀 3 【パンドラの箱】
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/classical/1424523634/
【クラシックの迷宮】 片山杜秀 2 【パンドラの箱】
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/classical/1387152775/
【音盤考現学】 片山杜秀 【クラシックの迷宮】
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/classical/1355735592/

2 :
http://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2019-08-17/07/70573/4756345/
8月17日土曜
NHKFM 午後9時00分〜 午後10時00分

クラシックの迷宮 ▽夏だ!祭りだ!!伊福部だ!!!

3 :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B1%B1%E6%9D%9C%E7%A7%80
片山杜秀

4 :
http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784140885970
NHK出版新書 597
革命と戦争のクラシック音楽史
新書
片山 杜秀(著/文)
発行:NHK出版
新書判 240ページ
定価 850円+税
ISBN9784140885970CコードC0222
発売予定日 2019年9月10日

紹介
クラシック音楽は第一級の歴史史料だ!

お上品な芸術も、ときには戦争によって進化を遂げた。
そんな「不都合な真実」からクラシック音楽の歴史をながめてみれば、驚きの事実が次々と立ち上がってくる!
『第九』を作ったのはナポレオン? 私たちが『四季』を聴けるのはムッソリーニのおかげ? 
博覧強記の著者が大胆に料理する、「世界史×音楽史」の新教養。

5 :

前スレは突然荒らされて埋められた上に落ちたな

6 :
>>1伊福部乙

7 :
うんち、ぶりっwwwww

8 :
            _. ---- ._
         /         \
        ________     ________ 
.       〒  .////777r"´.////〒
        ハ! .////‖, ////;从
         l ///シ´   `〃//シ .l
         !        .__ ン     リ
          ` - ..__     __.. - ´
              ̄ ̄ ̄

9 :
荒らされているスレもあれば平常運転のスレもある
糞スレが落とされて良スレが残っているのかと思えばどうもそうではないらしい
荒らしの基準がよくわからない

10 :
伊福部

11 :
アリスがなくなり、アヌスや、肛門ayasaが残っている、、、w

12 :
クラシックの迷宮 ▽夏だ!祭りだ!!伊福部だ!!!

「“日本組曲”から第1曲“盆踊”」
伊福部昭:作曲
(管弦楽)日本フィルハーモニー交響楽団、(指揮)広上淳一
(5分01秒)
<King KICC176>

「“日本狂詩曲”から第2楽章“祭り”」
伊福部昭:作曲
(管弦楽)読売日本交響楽団、(指揮)若杉弘
(8分31秒)
<日本ウエストミンスター JXCC−1011>

「音詩“寒帯林”から第3楽章“神酒祭楽”」
伊福部昭:作曲
(管弦楽)東京交響楽団、(指揮)高関健
(8分30秒)
<King KICC1153>

「映画音楽“大怪獣バラン”から“婆羅陀魏山神”」
伊福部昭:作曲
オリジナル・サウンドトラック
(1分08秒)
<CINEMA−KAN CINK−56−57>

「テレビ映画のための音楽“大怪獣バラン”から“メイン・タイトル”」
伊福部昭:作曲
オリジナル・サウンドトラック
(1分28秒)
<CINEMA−KAN CINK−56−57>

13 :
「映画音楽“海底軍艦”から“ムウ帝国の祈り”」
伊福部昭:作曲
オリジナル・サウンドトラック
(3分07秒)
<ユーメックス TYCY−5201/02>

「映画音楽“キングコング対ゴジラ”から“メイン・タイトル”」
伊福部昭:作曲
オリジナル・サウンドトラック
(2分00秒)
<ユーメックス TYCY−5215/16>
「アニメ映画のための音楽“わんぱく王子の大蛇退治”から“岩戸神楽2”」
伊福部昭:作曲
オリジナル・サウンドトラック
(1分58秒)
<CINEMA−KAN CINK−51−52>
「映画音楽“日本誕生”から“熊襲の宴2”」
伊福部昭:作曲
オリジナル・サウンドトラック
(4分56秒)
<東宝ミュージック TSFCD−11−1/2>
「映画音楽“日本誕生”から“岩戸神楽”」
伊福部昭:作曲
オリジナル・サウンドトラック
(6分02秒)
<東宝ミュージック TSFCD−11−1/2>
「“日本狂詩曲”から第2楽章“祭り”」
伊福部昭:作曲
(管弦楽)新星日本交響楽団、(指揮)山田一雄
(7分17秒)
<FONTEC FOCD9531/32>
sugosugi

14 :
ち   ち               
    ゅ        ゅ          ち
  ち  ち           ち           ゅ
ょ       ゅ          ょ            ち
ち          ち          ち           ょ
  ぇ            ょ        ぇ          ち
 ?  ?              チ            ぇ 
チ     ち ゅ           ェ     ?  ?    
ュ        ちょ            ?    ?     
 チ         ち   ぇ       ちゅ       
   ョ        ぇ     え      ち          
    チ       え       え    ょ      
      ェ   !!        え   ち    
        ??   ち       ??ぇ  
       ち  チ    ゅ     ち    ?
     ゅ     ュ     ち ゅ        ち
    ち       チ    ょ          ゅ
   ょ  ュ       ョ ち          ち
  ち     チ       ェ       ょ
  ぇ  チ      ョ   え  ち 
   ?    ュ     チ   え ぇ 
     ち     チ   ェ   ?
       ゅ     ョ  エ  ち
         ち    チ  ェ  ゅ 
           ょ   ぇ  ェ ち
              ち エ   ちょ
                ぇ エ  ち
                  え ェぇ
                    ?👶
                      
                塩田ちゅちょちぇ中…

15 :
9/7 クララ・シューマン生誕200年
9/14 冷戦音楽史1”冷戦のはじまり”〜「ベルリンの壁崩壊30年」」に寄せて
9/21 私の試聴室
9/28 深井史郎の「5つのパロディ」

16 :
>>15
しね

17 :
↑なぜ?

FMの今後の放送予定はいつも直前にならないと発表されない
から助かる。

18 :
触るな、上げんな

19 :
>>14
皆が真面目に語っている最中
こういう寒いだけの何の知性もセンスもユーモアも感じられないピンボケレスして
自分では上手いこと言った気分になって
一人ニタニタ薄気味悪い笑み浮かべて恥ずかしくならないのかな
実生活でも浮いていることは手に取るように分かる
はっきり行って作業所でパンこねてる知恵遅れより生きてる価値ないから死んだ方が貴男と社会のためだよ

20 :
戦後作曲家発掘集成~TBS VINTAGE J CLASSICS

ttps://www.a*azon.co.jp/dp/B015EOHR6G

8CD

21 :
>>20
どしたん?

22 :
買ってやれよ!
50pageもぎっしり解説書いたのに全然話題にもならないし、
売れてないやんか。

23 :
売ってもないのに

24 :
俺はとっくに買ってる
伊福部の音楽劇とか発掘物がわんさか

25 :
日本海を「東海」という韓国伝統の呼称へと国際的に改めたい。韓国政府が国連に問題提起したのは1992年だ。
軍人出身の盧泰愚から文民の金泳三に大統領が代わった年。ソ連崩壊の翌年。北との雪解けも進むと期待されていた。
冷戦はもう終わり。韓国が反共産主義の防波堤として日本と運命共同体的にふるまう理由もなくなった。
そう見えた。我慢から解放されていい。その時期のかの国の人々の気持ちであったろう。隣の海を名づけ
直したくなるのも当然だった。そこに、名づけを巡る他の日韓問題が絡んでゆく。竹島か、「独島」か。
自発的に募集に応じた慰安婦や工員か、強制されての「性奴隷」や「徴用工」か。日本の哨戒機が
韓国の駆逐艦にとった行動は通常の範疇か、「威嚇」か。

日本としては正論で張り合っていれば済む話でもない。正論から零れる不条理が重大なのだから。
長年の我慢をまだ吐き出せていないという民族的感情が相手なのだから。かつての近衛文麿首相のように
「(蒋介石の)国民政府を相手とせず」と開き直るわけにもゆかない。付き合うべき隣国なのだから。
「大東亜共栄圏」に「昭南島」に「新日本海」。「名づけのナショナリズム」に壮大にしくじった日本ならではの、
退くところは退き、退けないところは粘り腰の対話で柔らかくくるむ対応がありうると思う。
『しくじり先生 俺みたいになるな!』というテレビ番組がなぜか思い出される。令和の日本は
東亜のしくじり先生になったらいい。

週刊新潮 2019年7月4日号 「夏裘冬扇」#9
http://imgur.com/KSnLzeG.jpg

26 :
原稿書く暇があったらTBSのスタジオで口述筆記&ピアニカで解説すればよかったのに

27 :
この内容のどこでピアニカを使えとw

28 :
全世界で同じ名前にしようとかバカじゃねーの。
と、斜め読みして書いとく。

29 :
三流コメンテーターの政府への難癖と同じだ
「大人になれ」「退くべきところは退け」「付き合うべき隣国」
韓国軍部と仲の良かった昭和の自民党ならまだしも令和の御代に同じ手が通用すると思ってるのかな
アメリカでさえ韓国に「失望した」「嘘つき」と明言し竹島での軍事訓練をやめるよう警告してる世の中だぜ

30 :
http://www.barks.jp/news/?id=1000171678
http://img.barks.jp/image/review/1000171678/news_photo01.jpg
ローランドからリコーダー感覚で気軽に演奏できるデジタル管楽器「Aerophone」に軽量・コンパクトなエントリーモデル登場
2019.9.10 18:36

31 :
昔デジタルホーンちょっと欲しかったの思い出した

32 :
https://thefilmstage.com/wp-content/uploads/2019/07/A-Beautiful-Day-in-the-Neighborhood-620x427.jpg

33 :
http://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2019-09-14/07/67461/4756349/
9月14日土曜
NHKFM 午後9時00分〜 午後10時00分
クラシックの迷宮 ▽冷戦音楽史(1)“冷戦の始まり”

34 :
>>33
かかっている曲が思っていたのと違うんだが。
まあ、いいけど。

35 :
芥川のシンフォニー、手持ちのCDと音がぜんぜん違って
びっくりした

36 :
実況で音源求めてた方へ

かりんと 128

37 :
10/5 豊年満作の音楽
10/12 冷戦音楽史A「西側の逆襲」
10/19 わたしの試聴室
10/26 湯浅譲二 卒寿を迎えて

38 :
時々あった、放送中にカキコしてくれていたのが減ったら寂しいな。
前よりショボくなったのか?

39 :
>>38
放送中は実況スレに書くのが原則だぞ

40 :
>>38
実況板以外で実況するとスレッドストッパーかかって
スレが書き込み不可になるのでな

41 :
今回は題材も含めて面白かった
演奏も、最後の7番は話にならないが、ほかはよかった

センセの話もまずまずだったが、数年前だったら、もっと充実した組み立てになっっていたと思う
ナウシカの次に、有名であること以外特に何の理由もないもののけをかけるというのは
逃げだよな
数年前ならナウシカ〜ミニマルの話題を受ける曲をトトロとかハウル、ポニョから選んでいたと思う
忙しくて、以前のように、考えるのがめんどくさくなったのか

42 :
もののけを高音質で録れたのは収穫。。

米良もいろいろあったみたいだけど、後世に残る曲を一曲残せたことは大きいんじゃないかな

43 :
普通にいい曲だから取り上げたんだと思うの。

44 :
菅原明朗と「葛飾情話」の特集やってくれんかと思うが
片山センセ1999年の蘇演時の批評ではあんまり評価してないんだよな。

45 :
久石譲といえば千と千尋の神隠しのサントラの「仕事はツラいぜ」って曲が
渡邊浦人の「野人」第1楽章のもろパクりだった

46 :
>>45
さっき試聴してみたが、あまりそうは思わなかった
祭囃子っぽい感じではある

「野人」の第一楽章は大好きだが

47 :
さっきスターチャンネルで「チェルノブイリ」見たんだけど
まぁ参った参った

http://www.youtube.com/watch?v=qcEPbx_iSjw
Chernobyl Soundtrack Full Album|HBO

ゲンオン好きの片山先生には
是非どこぞのメディアで取り上げてほしい
ドラマの陰鬱さと不気味さが倍加するような(素晴らしい)音楽

今後動画配信やレンタルで観れる人は観たほうが良いです
こんなドラマ、ソンタク日本じゃ絶対無理

48 :
幻想の忖度w

CDジャーナルの新連載
ここまで過激にネガティブしてると凹むわ;

49 :
CD ジャーナルってまだ続いてたのかw
音楽誌はわけわからん

50 :
昨日のような内容は、まさにカタヤマンの真骨頂w
たいへんよろしゅうございました

51 :
俺の十八番
「赤いトラクター」
かけやがったな!

52 :
今日の迷宮中止か
レジェンドも

53 :
それどころか、あの倉庫兼自宅が台風の通り道じゃないのか?

54 :
ヘルメットかぶって利根川の様子実況中継してほしい 

55 :
鉄道が運休になった、とかを目視で確認する係でいいわ

56 :
映画「ゴジラ」伊福部昭の音楽世界
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=20661
放送日
10月18日(金) [Eテレ] 後9:00
出演者ほか
高橋克典,石橋亜紗,【出演】慶応大学教授…片山杜秀,【語り】勝生真沙子
内容
「ゴジラ」をはじめとする映画音楽でも知られる作曲家、伊福部昭(1914−2006)。
北海道で生まれ育った彼は、少年期にアイヌの「歌と踊り」と出会いました。
独学で作曲を始めた伊福部は、その後、映画音楽やクラシックの世界で独自な世界を築いていきます。
番組では音楽評論家、片山杜秀をゲストに迎え、貴重な映像資料から伊福部独自の音楽性をひもときます。
【ゲスト】片山杜秀(音楽評論家)

57 :
台風で飛んだ冷戦の回はスキップされて今週は試聴室 
お蔵入りになった回はどうすんだろ 50年後の「アーカイブ」の週で片山が取り上げて放送したり

58 :
>>57
来月だろうね

59 :
あと50年生きるとは思えんが

60 :
その頃は地球に人は住んでいない可能性があるよね。

61 :
11/2 「お父さん」も作曲家〜レオポルド・モーツァルト生誕300年
11/9 冷戦音楽史3〜第3次世界大戦と人類滅亡の幻想 ※10月の「冷戦音楽史2」が延期になったためここに挿入されるか?
11/16 作曲家・佐藤勝没後20年
11/23 私の試聴室
11/30 二世・野坂操壽を偲んで

62 :
>>61
野坂さんは昨年3ヶ月間くらい毎週第2放送の文化講演会みたいな番組で野坂さん自身が演奏交えつつ語ってくれたのがとてもよかった
後ろのほうの3分の1くらいは晩年の伊福部昭との交流の話が中心だった

63 :
冷戦音楽史は年内完結の予定だったら、
放送のスケジュールが狂うよね

64 :
冷戦音楽史、自分の知識と被るのでツマンネーと思ってしまう。
赤っぽいのを応援しているイメージ。

65 :
>>64
それは第1回目はそういうスタンスからの見方を紹介する回だとはっきり言ってたから
で、2回目はアメリカの逆襲がテーマ

なんでシリーズものを最初の1回だけで判断しちゃうのだろう

66 :
「お父さん」も作曲家は当然チェレプニンが出るだろうな
あとは尾高服部渡辺宮川中田

67 :
>>65
10/12 の放送は無かったはずだが、何で語れるの?

68 :
>>67
そういうタイトルで放送内容の予告があった

69 :
失礼
正しくは「西側の逆襲」だった

70 :
vX3nVcQx の理論は、ちょい無理があるけど、どうでもいいことだな。

71 :
>>70
ん? どこに無理がある?
オレは納得したぞ

72 :
初回を聴いて語るのと、二回目が放送されていないのに、
二回目はこうだ、と語るのは違和感ある、を!
中の人で放送内容を知っているなら別だが。

73 :
そんなことより、片山ハウスは台風で浸水はなかったのか

74 :
常磐線と利根川の交点・おそらく龍ケ崎あたり>ピアニカ御殿

75 :
実に、かわいらしいこと、、、胸キュンサウンドとはこのことか?

「ゴールトベルク変奏曲BWV988からアリア」バッハ:作曲,塚谷水無子:編曲,
(トイピアノ)塚谷水無子ほか

76 :
>>74
利根川は将来やばいかも
利根川用の地下神殿とかまだ無いし

片山先生のことだからそんな水害受けやすい土地には
建てて無いと思うけどね

77 :
>>75
俺も気に入ったからCD買おうかと思った

Amazonでは入荷待ちになってるね

78 :
11/2に「冷戦音楽史2」が入ったということはレオポルド・モーツァルトやめて冷戦2週連続か?

79 :
今日のは、あまり聴きどころがないな

80 :
略さない首の運動

81 :
ゴバーク orz

82 :
「題名のない音楽会」をみると、黛が2枚目だったことが
大きな意味役割を持ってたことがあらためて分かる今日この頃w

83 :
>>82
3人の会のメンバー(黛、芥川、團)はいずれも当時ダンディーでならした
一方山羊の会(間宮、林、外川)はというと、間宮さんはともかく頭がまぶしかった

84 :
補足
間宮さんはともかくとして、他のメンバーは頭がまぶしかった
後から加わった助川敏弥もぱっとしないご面相だったし

85 :
そしてカタヤマンは

86 :
湯浅譲二の商業音楽作品といえば、なんといっても初代コメットさんのオープニングだなあ
最初の宇宙的な不思議な音響と、その後のワルツのテーマが子供心にとても心に残った

87 :
三人の会の話題が出たので
https://www.youtube.com/watch?v=23hfGu5NHak

以前違うスレに貼ったものだけれども

88 :
では私(86)も
初代コメットさんのテーマ

https://youtu.be/DPkCRCpNVsg

今テロップみたら作詞が寺山修司!
ゴージャスだな

89 :
東西南北という一つの異なった方向性に育った土着の民族の思想が
この様な盤面上の限界状況の中で複雑に排他的実存として交錯する場合に
視野の狭窄という怒りを伴って極端に発露するry

90 :
>>88
歳かと思ったw

91 :
歳もそれに近いかもしれん

92 :
ああレス番だったのか

93 :
最近ツベで上がった某テレビ番組で黛が司会しているの見てるが、昨今のイケメンというより、まさにダンディで雰囲気あるな
語り口も明晰
普通に役者やれるなあれなら

94 :
>>86
今やオオヤケには決して演奏されない湯浅作品として「インディアンがとおる」を流したら面白そう。

95 :
アッホイアッホイ

びゅわーんびゅわーん

96 :
スレチだが、黛敏郎がかつてビートルズをバカにしてた(後に評価を変えたが)
というのはホントなの? 確かなソースがあれば知りたいんだけど

97 :
そもそもアートとサブカルはレベルが違うだろう
例えビートルズといっても

98 :
クラもリアルタイムにはサブカルみたいなのもあったろう

99 :
>>83
外川じゃなくて外山

100 :
西側の新しさを求めたクラシック音楽、撃沈した気がする、昨日の放送。

101 :
早慶戦の副音声で塾歌は信時潔で「海行かば」と同じく弱起だとか、「慶應讃歌」はマリンバ奏者の平岡養一だとか片山教授の解説(応援団の実演ORピアニカ付き)でやってほしいもんだ
早稲田側でカタヤマンに対抗できるのがいるのか・・・まぁあれだけウジャウジャOBおれば誰かいるだろ

102 :
>>100
3回も聴いてしまった。

103 :
>>102
それ位聴かないと、頭に残らないんすか?

104 :
好きな曲は百回聞くやろ

105 :
>>110
自分は録り損ねたから今夜のCDジャーナル連載並みに凶悪なタイトル揃いのやつに期待

106 :
110 まで話題を続ける為に書くが、
ターミネーター:ニュー・フェイトを観に行くから、今日聴くのはパスするわ。
最後に書けるのバーンスタインのCDは何回も聴いたし。

107 :
https://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2019-11-09/07/71634/4756357/
11月9日土曜
NHKFM 午後9時00分〜 午後10時00分
クラシックの迷宮 ▽冷戦音楽史(3)“第三次世界大戦と人類滅亡の幻想”

108 :
懐かしいフレーズ>第三次大戦

109 :
70〜80年代は核戦争で世界滅亡感あったよな
フィクションの世界にも大いに影響あった
ソ連崩壊して冷戦終わってそういう空気は和らいだけど

110 :
生まれる前だけど、キューバ危機の時は大戦寸前だったらしいし

111 :
199X年。世界は核の炎に包まれた。海は枯れ、地は裂け、全ての生物が死滅したかのように見えた。だが、人類は死滅していなかった。
(以下略

112 :
 ユアーショック!

113 :
199X年。世界は核の炎に包まれた。海は枯れ、地は裂け、全ての生物が死滅したかのように見えた。だが、カタヤマは死滅していなかった。
(以下略

114 :
そこには異形の新人類と化したカタヤマが…

115 :
2029年の近未来、核戦争後の世界で反乱を起こした人工知能「スカイネット」が指揮する機械軍により、人類は絶滅の危機を迎えていた。
しかし抵抗軍指導者であるジョン・コナーの指揮下、反撃に転じ、人間側の勝利は目前に迫っていた。
脅威を感じたスカイネットは、「カータヤーマー」を未来から現代へと送り込み、、、

116 :
>>115
スカイネットの時代は終わった。
カータヤーマーも終わりだ。

117 :
マッケンジー・デイヴィスの胸がたまらんかった

118 :
そこは、リンダ・ハ...

119 :
オウム交響楽団演奏会を聞きに行った、つまり形を変えてオウムにお布施したカタヤマン

120 :
さすがだぜ

121 :
>>119
行った人の体験記をいくつか読んだけてど、キーレーンのコンサートは入場料無料だったはずよ

122 :
マハポのPC買ったやつよりいいだろう

123 :
タダだろうが明らかに胡散臭いオウムのコンサートにわざわざ行くなんて在家信者かピアニカくらいのもんだろ

124 :
後で話の種になると思ったのかな

125 :
11/9 分、サッパリ話題になってないんだな。

126 :
>>114
ラジオ・カタヤマの誕生である。

127 :
>>125
実況も片山がいつピアニカ吹くかしか興味無いような、
片山をアイドル化しつつ内輪受けでキャッキャ言ってるおっさんばかりで
ここで語る気も失せる

128 :
>>127
それは実況民の聴き方にはいろいろベクトルの違いがあって、
あなたの聴き方が実況スレでは少数派であるということだけではないでしょうか

129 :
今日の面白いわ

130 :
さとうまさる特集 たいへん楽しゅうございました

用心棒とダーティハリーの音楽を並べて、あたえた影響をきかせれば
もっとよかったとおもいます

131 :
昭和ブルース、ほんとに久しぶりに聞いた。

132 :
12/7 ミェチスワフ・ヴァインベルク生誕100年
12/14わたしの試聴室〜2019年クラシック界を振り返る
12/21,28休

133 :
>>132
早くも、今年の〆は14日か…
年末年始編成になるために仕方ないとは言え
年末年始特番のどっかで、カタヤマンねじ込めないかな〜無理かな〜w

134 :
去年はゆく年くる年に出てたな

135 :
間違えた、クラシック・ハイライトだった

136 :
>>131
だいぶ前のことだが、私の友人は忘年会の時、何か歌えと迫られたので、
昭和ブルースを歌ったところ、その場がドッチラケになり、
みんなの顰蹙をかったという。

137 :
昭和枯れすすきを堂々と歌うのと同じか。

138 :
この人のラジオを本にしたやつ何冊か読んで面白かったけど、あのシリーズあんま出てないのかな?調べてもみあたらない
CSのラジオとか契約するお金ないし本にして売ってくれるとうれしいんだけどなあ
あるいはどっかでバックナンバーの音源売ってくれたりしないのかな

139 :
この人のラジオを本にしたやつ何冊か読んで面白かったけど、あのシリーズあんま出てないのかな?調べてもみあたらない
CSのラジオとか契約するお金ないし本にして売ってくれるとうれしいんだけどなあ
あるいはどっかでバックナンバーの音源売ってくれたりしないのかな

140 :
すまんミスって連投しちゃった…

141 :
>>138
ミュージックバードの「パンドラの箱」はレギュラー枠なくなった模様

142 :
ルセのサリエリのオペラ良かった
全曲聞きたい

143 :
>>141
あらら、出版されなくなったというよりレギュラー番組としては終わっちゃったのか…

144 :
「出版」云々はよく知らないんでわからなけど(ゴメン)
番組のほうは、本人が忙しくて辞退したんじゃないの?

145 :
ネタ切れという可能性も?

146 :
昨日の読売新聞夕刊に片山先生が載ってたけど、大ブルジョワとはいえレコードって何千枚も所有できるもんなのか

147 :
>>146
巨大倉庫に収蔵してるから

148 :
>>147
大学に入る頃には既に何千枚か持っていたらしいから、今は一体...

149 :
>>148
片山先生もディスクユニオンとか行くの?

150 :
>>149
神保町店で見掛けた

151 :
まじか
自分も会いたいな 片山先生に

152 :
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191128-10000998-bunshuns-pol

153 :
>>150
また会う機会あったら是非とも先生に
多くのリスナーが「クラシックの迷宮」のピアニカ楽しみにしてますと伝えてください

154 :
>>151
三田に来れば会えるよ

155 :
>>153
いい加減ピアニカピアニカ言うなよ
馬鹿のひとつ覚え

156 :
では鍵盤ハーモニカ

157 :
だからさ、番組中で鍵盤ハーモニカ使ったのは山本直純はじめ何人かいるんだよ

158 :
以前にピアニカ使ったのがいるから片山のことピアニカ云うなというのはおかしい
パガニーニやハイフェッツがいつから葉加瀬太郎や高嶋ちさ子に「あ、バイオリンの人だ!」いっちゃいいけないというようなもの

159 :
言ってもいいけど、ピアニカ以外に言うことないのかと…

160 :
同じことをしつこく繰り返す年寄りが嫌われるのはよくあることだな

161 :
意識的に敢えて繰り返してるならいいんだが
無意識なら前頭葉が弱ってきてるのかもしれません

162 :
昨日は、モーツァルト父スゲー回だったね。
その前の鍵盤のつばさも良かったけど。

163 :
>>162
PCで録音仕掛けてあったんだけど、どっちの番組もソフトの不調で録音のがした
こういう時、民放はタイムフリーでいくらでもリカバーできるのに、
迷宮も鍵盤のつばさも滅多にYouTubeにも上がらないし

164 :
世が世ならヴァインベルクの交響曲全集とかたくさん録音されてたんだろうな
ショスタコの後継の作曲家として

165 :
https://tower.jp/classic
https://cdfront.tower.jp/~/media/Images/Tol/pc/article/feature_item/Classical/2019/12/00_1100_11.jpg
2019年度 第57回「レコード・アカデミー賞」決定!受賞ディスク一覧
掲載: 2019年12月10日 00:00
片山先生が番組で取り上げた、サリエリの「タラール」や
久石譲さんの「ベートーヴェン交響曲全集」とか入ってますね

166 :
バイロイト音楽祭ならともかく朗読で迷宮の年内最終回が早まるのは許容し難い

167 :
同じ時間にCD聴いても有意義だから、まあ、放送無いならないでいいわ。
今日は、ヤンソンスが指揮したものもかかるんだね。
あまり録音を寝かせてから放送するわけではないのか。

168 :
今日取り上げられた作曲家はツェンダーとカンチェリしか知らなかったなー

169 :
【訃報】電子音楽のパイオニア ガーション・キングスレイが死去 97歳…「ポップコーン」やディズニーランド「エレクトリカルパレード」
http://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1576397013/

170 :
ポップコーンは歯で演奏できるな

171 :
迷宮がお休みなので
12/22(日)9時‐10時55分
名演奏ライブラリー ▽没後30年 芥川也寸志が指揮した日本の管弦楽曲集
https://www4.nhk.or.jp/meiensou/
「交響三章(トリニタ・シンフォニカ)」
「オーケストラのためのブルレスク」
「「日本民謡による五楽章」から 第5楽章」
「タプカーラ交響曲」
「交響組曲「野人」」
「管弦楽のための舞踊組曲」
「「交響管弦楽のための音楽」のリハーサル風景から」
「交響管弦楽のための音楽」

172 :
芥川は一見ソフトに見えたが、新交響楽団の指揮者として恐ろしい存在だったな。
私はいくら腕が良くなったからと言って、アマオケをあそこまでしごくのはDVだったと思う。
アマチュアの何たるかを知らない人だった。

173 :
>>172
もともと上手い人が集まればアマチュアオケでもあの位になるものじゃない?

174 :
>>171
満津岡さんってこういうのも取り上げるんだね

175 :
>>173
いや。ある程度のメンバー(アマチュア)を芥川がトスカニーニやセル並にしごいた結果が、新交響楽団だな。練習風景見たことあるけど、
いくらなんでも仕事あるのにあそこまでやられるのはマゾとしか言いようが無いよ。

176 :
芸術のためには妥協を許さない姿勢、ともいえる

177 :
>>168
サンドストレームはかなりの大物ですよ
放送されたレクイエムは、三善晃の「響紋」と対比してよく語られる作品

>>175
当時の新響メンバーが職場にいましたが、別に普通にやってたけどなあ

178 :
サンドストレームか
ノルドストームかと思った

179 :
片山教授じゃないけど
教授の大みそか〜蓄音機&SPレコード特集
ラジオ第1 12/31(火)12時15分‐15時55分
https://www4.nhk.or.jp/chikuonki/

180 :
今夜迷宮潰されてんじゃん(´・ω・`)

181 :
我々はこの年末カタヤマ欠乏に耐えられるのだろうか

182 :
耐えられないなら過去の録音でも聴いたら良いじゃない

183 :
>>180
まさか「中嶋歯ぐき」さんに潰されるとは

うーん、そうか・・・そうか

184 :
クラシック音楽館 N響 第1922回定期公演
[Eテレ]
2019年12月22日(日) 午後9:00〜午後11:00(120分)
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2019-12-22&ch=31&eid=31373

>【出演】音楽評論家…片山杜秀

185 :
>>184
をを、ありがd。
コレは良いカタヤマ成分補給。

186 :
>>184
をを、ありがd。
コレは良いカタヤマ成分補給。

187 :
>>184
をを、ありがd。
コレは良いカタヤマ成分補給。

188 :
>>184
ちょろっと最後のほうに出てたけど、それ以外にもあった?

189 :
ヨドバシカメラで>>184の映像流してた
80インチ8Kの画面で目ン玉ひん剥いたカタヤマのアップは大迫力だった

190 :
1/4  ポーランドのワルツで新年を祝う
1/11 夭折の作曲家ギヨーム・ルクー生誕150年
1/18 わたしの試聴室
1/25 作曲家・高田信一生誕100年〜NHKアーカイブスより

191 :
>>190
ポーランドのワルツ
まさか今更ショパンのワルツでお茶を濁そうって訳じゃあるまいが

192 :
カーメン・ドラゴン編曲のショパンのワルツとかかかるかな
高田信一は陸軍魂・海軍魂がかかることに期待

193 :
しかし、バッハやベートーヴェンがクラシックだと信じてるひとには
まるでかんけいのないプログラムで清々しいねえ

それとも、もうそういうひとたちもいない時代になったのかな

194 :
>>193
ルクーはバッハやベートーヴェンとの関係大ありだろう

195 :
ポーランドのワルツ、ヴァインベルクかルトスワフスキでもかかるかと思ったら意外とショパン主体だった
ヴァインベルクかルトスワフスキにワルツがあるかどうか知らんけど

196 :
新年吉例吹き始めがいつくるのかにも注目

197 :
>>195
ポーランドはどうしてもマズルカが主体になっちゃうからね
逆にいうとあれほど祖国愛が強くてマズルカを沢山書いてるショパンが一方で相当数のワルツを残してることのほうがやや意外

198 :
ショパンというとバイロイト実況の「胡椒」で話題になった林田アナあたりが出てくる、ってことはなかろうか

199 :
>>195
どうしてもショパン主体になっちゃうから様々な編曲ものでお茶を濁すってことだな

200 :
利根川渡った常磐線沿線というカタヤマ教授も使っているかも
JR佐貫駅、20年3月14日に「龍ケ崎市駅」 市の知名度向上期待
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191230-00000004-ibaraki-l08

201 :
ショパンがワルツを書いたのは彼が活躍したパリの趣味に合わせたからだろう、と言ってたが、これは少しおかしい
何故なら彼の書いたワルツのうちパリ到着前の作品がかなりあるからなのと、
パリ到着後に書かれたものでも個人的な理由で書かれ献呈され出版されなかったものも多い(婚約者に贈られた有名な別れのワルツなど)からだ
つまり、ショパンにとってワルツを書く意味は別の内面の理由があったはずだ

202 :
ワルツは元来はメヌエットでギャラントな要素を付け加えてワルツになったが、
マズルカというのはどういう発祥なのか

ポーランド的なワルツといっても遠からじの曲種ではある

逆にショパンのワルツは、強拍や伸びる拍が3拍子目に来たりして、
マズルカっぽさがあるんだよね
本人も認めていたらしい

203 :
3拍子目、、、ちょっとおかしいな。訂正。

→3拍目

204 :
正月の各国ワルツシリーズ、正直ネタ切れ感が強かった
ポーランドを選んだ時点でショパンのワルツが圧倒的な存在感を持つことは明らかだろうし
そして勉強不足とミスもちらほら
>>201のショパンのワルツの持つ意味の見解の違和感がその最たるものだけど、
他には、「映画音楽“運転手つき幽霊”から 幽霊のワルツ」キラール:作曲として紹介された曲は単なるチャイコフスキーのワルツの編曲でしょう
更には「ワルツ イ短調 (第19番)」ショパン:作曲は、通常は14番ホ短調として知られているもの
事実イザイの編曲もホ短調だったし

どうしてこんなことになったのだろうか

205 :
片山スレも最初の頃と比べれば過疎ったねえ
俺はピアニカ吹いてた頃よりも今の放送スタイルの方が好きだが
俗物リスナーを惹き付ける小物は必要なのかね

206 :
このスレに書き込みこそしれませんが
ちゃんと放送してる週はほぼ聞いてますよ
番組HPも単にその週の放送内容と過去の一覧だけでなく
HPリニューアルするとか翌月の放送予定とか利便性高めてほしい気はします

207 :
2/1 ロマンティック・ヴァイオリンの祖 アンリ・ヴュータン生誕200年
2/8 ベートーヴェンのお友達 アントン・ライヒャ生誕250年
2/15 「作曲家」アンドレ・プレヴィンの遺産
2/22 わたしの試聴室
2/29 巖本真理弦楽四重奏団を聴く

208 :
わたしは、必ず録音して3回は聞いている。
たしかに、「面白いクラシック番組」がないんだよね。
この他には、西村朗の現代の音楽を楽しみにしている。

209 :
オレと同じだ。

210 :
ピアニカは半ば封印してるのかなw
アイヴスでも、賛美歌の旋律を吹かなかったし

211 :
ルクーの回でハマりそうなんだが
フランクも良い?

212 :
>>211
もちろんいいよ
個人的おすすめはオルガンのための3つのコラール

213 :
>>212
既に詳しい人がいる

214 :
レコ芸の新連載、今後も楽しみにしてます
数寄屋橋・・・・(・∀・)ニヤニヤ

215 :
みはら文化芸術財団(三原市)は24日、三原市芸術文化センターポポロの館長に、慶応大教授の政治学者で音楽評論家としても活躍する片山杜秀さん(56)を選んだ。
この日、市役所での記者会見で「中国地方や瀬戸内の音楽文化の発展に寄与したい」と抱負を述べた。
就任は4月1日で、任期は定めていない。片山さんは、ポポロについて「よく響くホールで、室内オーケストラや室内楽に最適だ」と評価。
「クラシックの演奏会は東京に集中しがちだが、地方にも潜在的なファンは多い。三原の地の利を生かし、いろいろな可能性も探りたい」と強調した。日本人作曲家の再評価に力を入れる考えも示した。
片山さんは茨城県在住。三原市には2011、13、17年にポポロの文化ボランティア養成講座の講師に招かれ、クラシック音楽史を教えている。
今年4月から、ポポロの指定管理者が東京の文化施設運営会社から、新設の財団に移行するのを機に、財団の設立を主導した市が片山さんを館長に招いた。
片山さんは非常勤のため、演奏会などに合わせて毎月、三原入りし、運営に携わる。

216 :
地域密着

217 :
新館長に政治学者で音楽評論家の片山杜秀さん 三原ポポロ
2020/1/25
https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=607350&comment_sub_id=0&category_id=112
これか
三原で迷宮の公開収録が行われる日も近いな

218 :
何県?遠いわ

219 :
>>218
東京駅から、たった4時間半なので

220 :
>毎月、三原入りし、運営に携わる。
ありがたいが体力的に大丈夫なのか・・・

221 :
>>215

https://mihara-popolo.hall-info.jp/backnumber/access/
https://mihara-popolo.hall-info.jp/img/img_access_map.gif

もしかしたら広島空港で成田や東京の路線使うのかも

222 :
クラシカの山尾氏とともに「バカな方向にも頭が良い」二大巨頭
山尾氏は今日のブログでも一発かましてて腹が痛いw

223 :
>>222
詳しく

224 :
>>223
「おれのかんがえたさいきょうのゾンビしょぱん」

225 :
>>>222
飯尾氏だった;

226 :
朝日新聞1/16夕刊批評
オペラ「紅天女」観に行ってたのか。
とてもカタヤマとは思えぬ凄い真面目な批評(高評価)だったが
ちょっとアレな美内作品「アマテラス」にも言及してるとこはカタヤマらしさが垣間見えたw

227 :
日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある
大友直人 指揮者
https://president.jp/articles/-/32168
と、この題名だけだと「ヲタク=カタヤマ」と連想してしまいがちだが
よく読むと当てはまるのは長木氏などの現代音楽関係者だったりするw

(かつての評論家は)音楽に詳しいだけでなく、
社会とはどういうものなのか、さらに、社会において
文化や音楽はどのような存在なのかを十分に理解されて
いたのではないかと思います。
  (中略)
しかしいつからか、音楽専門誌で書かれている評論は、
極端にオタク的なものとなっていきました(中略)
オタクのような人か、音楽家志望だった中途半端な
人たちや自称音楽ジャーナリストやライターが、
あるときから増えてしまいました。

社会...あっカタヤ(略

228 :
クラシックの迷宮▽ロマンティック・バイオリンの祖 〜ヴュータン生誕200年〜

229 :
ヴュータン ( ・∀・)イイ!!

230 :
茨城在住で吉田秀和賞受賞者・選考委員やってるから将来的には水戸芸術館乗っ取っる算段かと思っていたが

231 :
>>230
>水戸芸術館
いまは小澤征爾だからなあ

232 :
>>231
じゃあ、もうしばらくの辛抱じゃん。

233 :
>>232
吉田秀和→小澤征爾という流れだから、片山ごときじゃまだまだ年齢的に無理
75歳以上から探さないとね

234 :
笑点司会も歌丸→昇太なわけだし

235 :
長木先生ならすぐになれます
先生がなりたいのはオペラハウスの芸術監督ですが

236 :
>>234
>歌丸→昇太
旬の話題の「丸太」リレーでつね

237 :
三昧に出るよ
NHKFM 今日は一日“ビオラ”三昧
2月24日(月)12時15分〜18時50分
https://www4.nhk.or.jp/zanmai/380/

238 :
>>237
陛下が、びよりすとなばっかりに
日本国中のびよりすとが、体中の穴という穴から
涙を流して歓ぶ羽目に…

239 :
レイハのフーガ、面白かった。後で他の楽譜も見てみたが、8分の5拍子とかの変拍子や、テーマが32分音符の同音連打とか、6声のフーガだとかかなり攻めたものが多い。

240 :
祝 継続

241 :
しょうゆ
https://www.nhk.or.jp/pr/keiei/hensei/pdf/2020_jikokuhyo-kokunai.pdf
4月以降も続くことを喜ぶ一方、20年近く続いた日曜午後のクラシック番組の終了が確定するなど
我々も、明日は我が身と思って引き締めてかからねば。

242 :
✕クラシックのことかい?

243 :
>>241
×(かける)クラシックは今まで2回くらい特番でやってたぞ
で、何かの特集で片山せんせいも選曲者として登場してた
ただ、きまクラやきらクラほど長続きはしそうにないな

244 :
きらクラとか×クラシックとかじゃなくてNの地方公演やN以外のオケの定演とおしでやればいいのに

245 :
初心者向けクラシックバラエティ枠だし

246 :
しかし、かけるクラシックてテーマ決めて
それに関するクラシック曲かける番組だっけ
鉄道とクラとかアニメとクラとかやってたみたいだが
毎週やってネタ切れにならないんだろうか
ゴンチチの世界快適音楽セレクションが
ゴンチチと選曲家3人の豊富な知識で毎週やってるから
クラでも選曲しっかりしてりゃ何とかなるか…?

247 :
今日の放送はいいね!
カタヤマンの真骨頂

248 :
アンドレ・プレヴィン特集、選曲も解説も久々の出来じゃね
つべにさっそく上がってるから、聞いてみな

249 :
マッチョのイントネーションが意外だった

250 :
マチョじゃなくてマッチヨのイントネーションなのねw

251 :
3/7  ベートーヴェンと行進曲
3/14 ”大阪万博の音楽”を聴く
3/21 わたしの試聴室
3/28 三善晃の「赤き死の仮面」

252 :
>>251
三善の赤き死の仮面って、一度取り上げなかったっけ?

253 :
>>251
万博というと、クセナキスとかシュトックハウゼンとか?

254 :
>>253
それ以外にも沢山ありすぎて選択に困りそう

255 :
片山センセイの「世界の国からこんにちは」が聞けるとは

256 :
パンデミックと音楽 で一席聴きたいな
コレラとかスペイン風邪なんかで

257 :
グバイドゥリーナの「ペスト流行時の酒宴」ってまだCD録音ないんだっけ?
ヤンソンス指揮RCOの演奏音源はオランダ公共放送にあるけど

258 :
【読響】読売日本交響楽団16【読売日響】
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/classical/1565936510/

388 名無しの笛の踊り age ▼ New! 2020/02/22(土) 09:37:43.88 ID:arwuXd/r
読響シンフォニックライブ
BS日テレ 2/29(土)朝7:00〜放送
ジョン・アダムズ/サクソフォン協奏曲
グバイドゥーリナ/ペスト流行時の酒宴(日本初演)から
指揮:下野竜也
サクソフォン:上野耕平
管弦楽:読売日本交響楽団

259 :
>>258
ん…て事はかけるクラシックでパンデミックかける?
ないないw

260 :
ジェラルドに「ペスト」という作品がある
ドラティが録音している

261 :
>>258
これ、タイミングが良すぎるのか悪すぎるのか

262 :
まあペストが流行してるわけでないしな

263 :
ペストとコロナだと、コロナの方が雑魚っぽいんだけど
早く治療薬できないかな。

264 :
つかそのへんの風邪もコロナウィルスだったりするわけで

265 :
>>227
インターネットと共に出てきて好き勝手言っている
序破急とか電子音楽の川崎とかノダケンのことでしょ。
あの人たちの文章はちらしの裏水準だし。
他にもひどいのはいっぱいいるけどね、ブログやwikiで知識自慢してるだけの人たち。
高本とかも

266 :
明日2/27TBSラジオ15時30分
action出演

267 :
一時期wikiは秋吉台関係者ばっかだったな

268 :
月曜日のラジオ「ヴィオラ三昧」にもご出演だった

269 :
野々村とか
ネットとともに誰もが評論家や映像作家にカップラーメンの如く
なってしまうので、でたらめばっか
彼らのやることはレア音源探し、努力せずに出世すること
AI時代に必要とされない一群

270 :
湯浅譲二がせめて美術に興味持てって言ってたけど
興味の幅が狭すぎる。
戦前の日本の作品しか聞かない、とか
電子音楽しかきあkないとか。
片山に「なんで理系の話はしないんですか?」って聞いたら
沈黙してしまった。全方位にアンテナ張って言っても
正直相当の偏り感じる。パンドラの箱聞いてても
意外と知らないなと感じることが、多かった。

271 :
人間を百科事典だと思ってんのか?ww

272 :
東大表象関係者じゃあるまいし万能感演出のためにどんなことでもすると思ってんの?

273 :
メタリカは意外にも知ってそうだったね

274 :
そんなにマウンティングしたいの?

275 :
お得意の右翼ネタも戦前だけで
戦後の右翼は知らないみたいだね
左翼ネタはサッパリ
中ソ対立とか第四インターとか知らなさそう
パンドラの箱は講釈や講談としては超オモロかった!

276 :
百科事典にしたら何百冊もの本を読んでるんだから
まさに生き字引のはず
長木は典型的なやらかし東大生
でも序破急よかマシだけどね、オタクは所詮はさかなくんだね、役に立たない無駄知識ばっか

277 :
伊東乾さんですか?

278 :
黛のカミさんから嫌われてる時点ですでに
大友が言う、オタク評論家がどう言う連中か明らかなんだが。
舞楽や文楽、能、箏曲、声明について知識つけて
真っ当な文章を書ける様になるまであと何年かかるやら。
チョキチョキどころか今のところ高本レベルだけど。

279 :
だったら?
イトケンも一般人から叩かれて。チョキチョキが2chで叩かれるきっかけになった事件に
似てきた。あの人ももう還暦なのにみっともない。

280 :
趣味で仕事なんかできない。
世間は彼らをこういう視線で見ている
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/04140610/

281 :
大友の発言なんて自分が評価されないことの愚痴だろ
どうせクラシックがメインストリームになることなんかもうないんだ、
オタク趣味がどうとかコップの中の嵐でしかない

282 :
禿げたら評価されるだろうから、激しく頑張るしかないね

283 :
思考が短絡起こしてスパーク起こすのが、片山節。
武満は東も西もない海で泳ぐと言いながら、日本式庭園を素材にしたとか。
武満は同じことを足立区のお化け煙突でも喩えたじゃないか。
それとも武満の音楽は産業革命を表現した音楽?未来派ですか?
そんなバカなことありますかいな・・・
大学教授とか学者ってみんな愚か者で、山中先生や本庶先生みたいな賢者は
なかなかお見受けしませんな。
大友直人がああ言いたがるのももっともでしょうね。

284 :
大友直人
https://www.ebay.com/sch/i.html?_from=R40&_trksid=m570.l1313&_nkw=otomo+naoto&_sacat=0
片山杜秀
https://www.ebay.com/sch/i.html?_from=R40&_trksid=m570.l1313&_nkw=morihide+katayama&_sacat=0&LH_TitleDesc=0&_osacat=0&_odkw=otomo+naoto
0 results for morihide katayama
西耕一、長木誠司、伊東乾、未試行、、、、怖くてできない。

285 :
>>283
>武満は東も西もない海で泳ぐと言いながら、日本式庭園を素材にしたとか。

視野の狭い人からみるとそれが矛盾に見えるんだろうな
武満がおそらくもっとも影響を受けたのはドビュッシーだろうが、たとえば彼が何を「素材」にインスピレーションを受けて音楽を書いたのかちょっとでも考えたら「東も西もない」の含意する意味も理解できるだろうに
いちいちおかしな言いがかり付けられる批評家に同情

286 :
>>284
ピントがズレまくってるな
指揮者と評論家を同列に比べて何の意味があるのか、それもebayで

287 :
まカタヤマはニッチなカルトだと本人もシンパも覚悟しているものだと思ってたが
少なくともカタヤマを崇めるワシは決して自分の好みに絶対不滅な普遍性があるとは思っていない。

288 :
>>287
そこは同感だな
オタクが自覚の上で遊んでいるだけなのに
それは邪道だから許せないといきりたってる自称正統派たちがいる
クラシックの市場が縮んできた中でオタクが目立つようになったのかもしれないが、
オタクなど無視できるほど市場を拡げる努力を
正統派の人間はどれだけやってきたのか疑問がある

289 :
佐村河内守の作風は正統派
新垣隆の作風は邪道
正統派の作曲家が消されてしまった。

290 :
初めての訪問者ですが
>佐村河内守の作風は正統派
> 新垣隆の作風は邪道
ン?
どういうこと? 佐村の作品は新垣による代作だったということではなかったの???

291 :
wergo片山杜秀セレクションやっとコンプリート。
今日の安達元彦楽しみ
短絡的で思い出したけど
武満は一音構造と言いながら旋律を描いた。
旋律は複数の音だ。とか
言ってたけど、難しい本をたくさん読んでるのに
随分単純だなっておもた

292 :
>>291
これ、全く知らない
少し詳しく教えて

293 :
クラシックの迷宮
ベートーベンと行進曲 〜ベートーベン生誕250年〜
きらクラ!
マーチ特集
示し合わせてるのか

294 :
https://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2020-03-07/07/70230/4756374/
3月7日土曜
NHKFM 午後9時00分〜 午後10時00分
クラシックの迷宮 ▽ベートーベンと行進曲 〜ベートーベン生誕250年〜

295 :
3月だからマーチ なんじゃないの?

296 :
>>295
それもあるんでしょう

ただ世間やクラシック界もコロナで意気消沈してるから
「から元気」でもいいから威勢のいい音楽特集はありかと

297 :
慶応だけどMarch

298 :
>>290
そうだけど。本来は邪道(今風)の人が
正統派(古くさい)の曲を偽名で書いて
そっちのほうがウケたわけだけど
正体がバレて希少な「正統派の作曲家」が一人消えたわけだ。

299 :
アホですか?

300 :
パーです

301 :
世間からするとそう見えると思うよ
大友のオタク批判も現音批判だと受け取ってる一般人もいるだろうね
こういう話になると素人は黙ってろと言い出す奴がいるけど、だったら税金にたかるなよと

302 :
>>294
これもなかなか面白かった
この人にかかるとかなり牽強附会なところはあるものの、
時代背景から作曲家の色々なものが見えてくる
ただ、今回についてひと言欲しかったのは、レオノーレ・プロハスカの葬送行進曲はピアノソナタ12番からの転用であって、
その葬送行進曲つきソナタからショパンが大変大きな影響を受けたってことかな

303 :
>>302
レオノーレ・プロハスカは確かに思った
時間がたりなかったのかと思ったけど、エロイカの2楽章かけてたからなあ

304 :
いまさらexpo70なんて。
今思えばバブルの崩壊に似ている。
この後、オイルショックで時代の心理は
一気に保守化して攻めの姿勢を欠いた停滞の時代へ突入。
湯浅、三善、松村、、、もういい。
中世とかルネサンスをやってほしい。
いっそのこと
武満と日本庭園、一音構造で
武満批判四週ぶち抜きやればいい

305 :
ああつまらないこと書いた
すまんすまん
楽しみだよね
expo70

306 :
>>304
>武満と日本庭園、一音構造で
>武満批判四週ぶち抜きやればいい
それは一般に向けたNHKの番組でやることじゃない
それはそうと、「太陽の狩人」が360マルチスクリーンというのは
片山の勘違い

307 :
もっと詳しい人 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

308 :
展示品が欲しいと泣き喚く片山少年…かわゆす
大阪万博の話題になる度に言われたんだろうなーw

309 :
湯浅の繊維館のための音楽、あんなの流してスポンサーから苦情来なかったのかと思うが、
当時の進歩主義という大きな流れの中では許されたんだろうか
>>306のマルチスクリーンの思い出ははっきりと語っていたけど、小学生の勘違いなの?
306が正しいとすると、別の展示館の記憶と取り違えたということなのか

310 :
https://www.expo70-park.jp/cause/expo/electric_power/
360°マルチは東芝IHI館

311 :
>>310
なるほど、電力館は5面のマルチスクリーンで、東芝館が9面360度だったのか
小学一年生にはどっちも巨大スクリーンだったから、記憶がごっちゃになったのかも
当時中学生でこの近所に住んでた人が自転車で何度も通った話してて、
そんな何度も通うほどなのかと思ったけど、これだけ見るものあったら面白くて通うな
https://www.expo70-park.jp/cause/expo/#caption5

312 :
>>309
大阪万博は本当に当時最先端の前衛音楽があちこちでかかっていたのは事実です。
私自身片山氏より数年年上で当時さすがに現代音楽にはまだ目覚めていなかったけれど、
万博の記憶は鮮明だなあ。
で、その当時の日本の作曲界のレポートは、後に古本屋で手に入れた音楽芸術誌別冊の
「日本の作曲1970」とかいうムックで興味深く読みました。
今でもこのムックは自宅にあるはずなのだけど、今探しても見当たらない。
まさかあの貴重なムックを捨ててしまったのだろうか。
富樫康、武田明倫、丹羽正明、秋山邦晴の4人の座談形式で年鑑という体裁で総括してました。
その他いくつかの邦人作品の楽譜も掲載されてたな。
この年の前後数年間のバックナンバーを手に入れたのだが……

313 :
>大阪万博は本当に当時最先端の前衛音楽があちこちでかかっていたのは事実です
いや、この番組を聴いて、それを疑ってる人は誰もいないのだが
中でも湯浅の音楽がすごく先鋭的に聴こえたので、クレーム来なかったのかなということ

314 :
>>313
湯浅のあれくらいじゃ当時としては大人しいほうだよ

315 :
今聞くと、オーケストラを電子音で入れ替えたような作風だね

316 :
鉄鋼館のCD聴いたが
映像なしでは辛かったw
俺向いてない

317 :
松村禎三の「フーアーレーフーアーレ」を久々に聴いた

318 :
4/4 フランツ・レハール生誕150年
4/11 ブルーノ・マデルナ生誕100年
4/18 私の試聴室
4/25 1964.10.10のN響演奏会

319 :
レハールいいねぇ、でもどう捻ってくるかな
古い自作自演の録音…では単純か

320 :
ヒトラーのために後から書かれた「メリー・ウィドウ」序曲とかね

321 :
CDジャーナル連載
コロナ関係の記事だった。

322 :
高橋悠治とウッドワードとオルークのどれがベストかという内容か?

323 :
武満かよ、ってジム・オルークの録音あるんだ

324 :
武満が武漢に空目する日がくるとは...

325 :
>>321-324
あれ見て弾ける人アタマおかしいと思ふ
つか
バブル以前の高度成長期から前衛含めたクラシック音楽家はもうかってたのかという疑問はあるが。

326 :
>>325
そうかな
イマジネーションと、多少のピアノの心得があれば、何とでもなると思う
実際オレに弾けと言われればなんとかこなせると思う
逆にクセナキスみたいな曲は絶対にオレには技量がなさ過ぎて弾けない

327 :
しかもクセナキスの器楽曲は、スコアに書いてないことまで要求してる場合がある
ノモスアルファの重音とかエブリアリの指つかいとか

328 :
>>325
>バブル以前の高度成長期から前衛含めたクラシック音楽家はもうかってたのかという疑問はあるが。
映画音楽を数こなしていた黛はそうとうもうかってた

329 :
>>327
そうなのかw

330 :
万博といや
ノアゴーの「ギルガメッシュ」
祝祭イペントっぽい万博で上演しそうな音楽だった
まあむろん実際大阪万博で流れた音楽よりはゆるいけど。

331 :
いつの間にかレコ芸に連載してた
今までにない狂気を感じるw

332 :
「ホントによくそんなこと思いつくな」と「うっそだろ、頭おかしいのか?」のギリギリ境目を狙うのが、この人の真骨頂
虚実皮膜の間

333 :
>>331
ずっと前にも連載持ってたよね?
音盤考現学だったっけ
あれで片山を初めて知った

334 :
>>332
目にした時
ダンテの神曲より先に夢野久三とか犯罪公論とかを連想してしまった

迷宮の昔の録音聞き直してたら
ルー・ハリソンて十二音にカウエルとか話してたけどハリソンの音楽には近代フランスの系譜もあるんだよなとか思い出した。
エッフェル塔の花嫁花婿に音楽つけてるし。

335 :
もうレコ芸買うやついないだろ

単行本になったら買えばいい

336 :
ケンシロウって
やはり世界は核(コロナ)の炎に包まれたのか

337 :
許光俊が褒めるんで、地雷かなと思わないでもないが、親がお金保ちで音大出なくてもコネがある人なんかな?

338 :
>>337
>許光俊が褒めるんで、地雷かなと思わないでもない
おいw

339 :
慶応閥

340 :
カタヤマ効果なのか
CD屋でルクー・コンプリートCD在庫が復活

341 :
ルクー箱、一時期は在庫過剰だったのかずいぶん安く売られてた気がするが
いつの間にか無くなってたのか
もう先月の末だが巌本真理特集の時のバッハ、CD買ったけど音質が酷すぎ
帯域狭いのはしょうがないとしても、鑑賞に堪えないほどの酷いノイズだった…

342 :
片山は、ふつうなら「でしょう」というところを「でしょ」といい
具体的な単語は忘れたが昨日もアレっ?て思うアクセントがあったが
仙台訛りなのかね

343 :
>>342
でしょう、は事実を淡々と伝える時、
でしょ、は相手に同意を呼びかける時

344 :
いや、ちがうな
でしょうは予想、願望などの未来への表現?
「明日の関東地方はおおむね良い天気でしょう」

345 :
きのうも言ってたけど、「聴いていただきましょ」って
ふつうは「ましょう」では

346 :
>>345
ああ、それは確かに
でも、それじゃ「でしょ」じゃないじゃん

347 :
あの「聴いていただきましょっ」が可愛いのじゃないか

348 :
録音したものチェックしたら、最後の5分が切れていた・・・(´・ω・`)

349 :
ニュースが延長したからな。
時々あるからオレは録音終了時刻を22:10にしている。

350 :
おれも終了を22:20にして、東京、大阪、札幌を並行して録音してる。

351 :
>>348
昼に気づいて修正しておいたので事なきを得た

352 :
朝ドラで山田耕筰(をモデルにした)役の志村けんが死去
謎のピアニカおじさんにつないでほしい

353 :
地上波見ないから志村けんなんて何年も見てないし、下品な馬鹿くらいにしか思ってない
従って死んだところでなんとも思わん

354 :
>>352
山田耕筰もセクハラ三昧のエロ親父だったから、ある意味適役

355 :
オペラファンタスティカの「紅天女」聴いてたら
解説でオペラの一部がスピリチュアルなCD 「アマテラス」の転用なことが言われてた。
朝日の批評で漫画「アマテラス」との繋がりを書いてたから
もしかしたら片山せんせはあのアレなCDを持っているのだろう・・・

356 :
>>355
あれ聴きましたか
どう思いました?
私は在宅勤務しながら流してたけど、どうにもチープな感じがして駄目だったな

357 :
>>355
実演聴いた時は物足りなく思ったけど
録音聴いてると意外にスルメな音楽。
つかちゃんとミュージカルでなくオペラとして作ってあるんだなと。
あと自分はこういった作風のオペラも必要だと考えてる。
前世紀の限られた期間の様式を絶対視するのはどうかと思う。

358 :
>>357
>あと自分はこういった作風のオペラも必要だと考えてる。
>前世紀の限られた期間の様式を絶対視するのはどうかと思う。
同意

359 :
しかし片山せんせは「葛飾情話」は評価してないんだよな(1999年の演奏会形式蘇演)

360 :
じゃあピツェッティでも聴くか

361 :
>>357
>>358
「前世紀」って、20世紀ってこと?
チープなと書いたのは、その後に最後に流れたウェストサイドストーリーからの断片があまりにも素晴らしく聞こえ、
これは役者が違うなど感じたからでもあります

362 :
>>361
ミュージカル俳優の表現がオペラ歌手より優れているって意味っすか?
マイクを用いる分細やかな表現ができるとは思うけど。
あとウエストサイドは現代音楽の要素もあるから。

363 :
「前世紀の限られた様式」ってゲンダイオンガクとか意味不明な台本とかじゃないの?

364 :
>>362
いや、歌手の話でなくて、作品としての比較ね
>>363
私の好きな20世紀のオペラ作品は、「ヴォツェック」と「ポーギーとベス」なんですよね
洋式がどうあれ、ぬるま湯的な作品が苦手なのかもしれないな

365 :
役者が違うって書いたのが、演者が違うってとられちゃったんだとしたらすまない
紅天女を書いた寺島さんと、バーンスタインとの役者の差です
そりゃ当たり前だろーと言われればそれまでだけどね

366 :
>>306
>それはそうと、「太陽の狩人」が360マルチスクリーンというのは
>片山の勘違い
片山が間違えた理由がどうやら分かった
太陽の狩人の音楽はもちろん小学館の全集CDをかけたのだが
その解説が360マルチスクリーンだと書いてあって
片山はそれを鵜呑みにしたようだ

367 :
レハール作曲の行進曲の中に、「ブラームス ハンガリー舞曲 第四番」が登場したよね?

368 :
>>366
探偵さんだ

369 :
>>367
あれはあからさまにブラームスを引用したのか、それとも当時のロマの旋律として有名なものをブラームスが行ったように同じく取り入れたのかはわからないな

370 :
ゴジラの音楽でもすれば、ご時世に合うかな。
サイレンは鳴らないけど。

371 :
そもそもハンガリー舞曲はブラームス「作曲」じゃなくてブラームス「編曲」だからな

372 :
ところでレハールの音詩「熱」にはかなりびっくりした
こんな同時代的なシリアスな作品もあるんだね

373 :
ショスタコーヴィチやバルトークはこういうレハールの一面を知った上で揶揄したのだろうか
気になるな

374 :
慶応大学は全キャンパス閉鎖クラシックのコンサートは全滅
カタヤマ教授はなにやっているのだろうか 利根川の河川敷でピアニカの稽古か

375 :
編集者「原稿書いてください」

376 :
>>372
R・シュトラウスのオペラの一場面みたい
ただ響きは新しいけど、時折ワルツが流れてシリアスってほどじゃないかな
なぜかラコッツィ行進曲も一瞬出てくるし
そんな曲があるんだねぇ、と思ってサイトで品番みたら持ってるCDだった…
シンフォニック・レハール4枚組の中の一枚

377 :
「ノアの方舟の法則」なんてなかった

378 :
ラフォルジュルネどころじゃないし、今年のGWは水戸放送局担当で「今週は1週カタヤマ三昧」で

379 :
>>371
ブラームスの「ハンガリー舞曲」は盗作として、裁判にまで掛けられたけど、結局「編曲」としてなら出版続行してもいいという許可が下りたんだよね。

380 :
レハールの「微笑みの国」。色々な東洋の文化がごちゃまぜに練り入れられてる。朝鮮の農楽とか、タイ辺りの躍りとか。
西洋人が見る東洋って、こんな感じなんだ、という感じ。

381 :
そのへんは「ミカド」にしても「蝶々夫人」にしても同じよね
一応ミカドと蝶々は日本で、微笑みは中国あたりが舞台だけど
ごちゃ混ぜになってる点は同じ

「微笑みの国」はルネ・コロが出てる映画が面白くて好きだな
https://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CJ2HXX0XXXU2477

382 :
今夜のらららに出ます
https://www.nhk.jp/p/lalala/ts/57LY35Q588/
「古関裕而の世界〜日本人にエールを!〜」
朝ドラ「エール」主人公のモデルとして今注目の作曲家・古関裕而
(1)「六甲おろし」だけじゃない多彩な作品
(2)銀行員時代の秘蔵クラシック曲
(3)戦争を乗り越えて

古関裕而といえば、タイガースの応援歌「六甲おろし」や高校野球の「栄冠は君に輝く」などスポーツ分野の曲が有名だが、実はクラシックの作曲家として出発した。
ラヴェルやストラヴィンスキーにあこがれ、独学で作曲を猛勉強。銀行員をしながら夜な夜な作曲した室内管弦楽曲「亡き愛児に捧ぐる歌」を今回テレビで初披露。
ほかに「ひるのいこい」「長崎の鐘」「スポーツショー行進曲」などの名曲を放送する。
ゲスト:片山杜秀

383 :
今日も夜にいこえるのかイヤッホー

384 :
そういえば、奥さんがコロムビアに入れた古関裕而集、再発されないかな
https://tower.jp/item/483419
カメラータにも似たようなのあるから無理かもしれんが
https://tower.jp/item/1086355

385 :
>>372
シュレーカーとかヤナーチェクな部分があって驚いた
>>381
5月末に日本初演が予定されてる「お菊さん」

386 :
ラジオ番組表で、セレクション再放送が増えてますね。迷宮は大丈夫だろうか

387 :
『名曲のたのしみ』の録音が
吉田秀和の自宅で行われていた故事に倣えばよろしい

388 :
一人語りなので、一人で手配して自宅録音で頑張って欲しい。
鎌倉までウグイスの声を撮りに行ってもいいし。

389 :
この人のガツガツした喋りが生理的に受け付けない。原稿だけ書いてろ!

390 :
喋りに好き嫌いあるのは分かるが、あれを「ガツガツ」と感じる人もいるのか…ホントいろいろだな

391 :
ふだんのしゃべりかたも、放送とは違うけど、かなり癖のある人には違いないが

392 :
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166612598
https://b-bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/480/img_637a0d3a6d499a8e615fa2e5e098c7d2897188.jpg
文春新書
皇国史観
片山杜秀
定価:本体820円+税
発売日:2020年04月20日
ジャンル:ノンフィクション
先生のCD収集の一助に

393 :
そんな本、期待してないんだけど。
どっちかと言うと、「おかあさんといっしょ」とかの幼児音楽について書いて欲しい。

394 :
>>388
背後に「モスラの歌」が流れてるMCを空耳した

395 :
同義語をたたみ込むように連呼する語りは
「講義もこんな調子なら学生は成績良さそう」とか思ふが
試験は覚えてるだけじゃ単位取れないくらいハードル高いんかなw?

396 :
広上淳一のピアニカ
https://www.youtube.com/watch?v=FnUXu7gfW0w

397 :
>>372
>レハールの音詩「熱」
実演のライヴ。あと4時間弱(7時まで)だけど。
Romanticism's Last Stand
https://www.bbc.co.uk/sounds/play/m000g477
Franz Lehár: Fieber
Stuart Skelton (Tenor)
BBC Symphony Orchestra
Edward Gardner (Conductor)

398 :
https://www.youtube.com/watch?v=j7yR6OC2vus

399 :
片山はうるさい。
吉田翁の後任人事おかしいよ。

400 :
迷宮もそのうち選(セレクション)になりそうだね

401 :
>>400
それやるぐらいならN響以外のオケの演奏会アーカイブ音源を流す番組にしてほしい

402 :
片山は自宅に録音環境はないのだろうか
このご時世だしバックにパトカーの音とか入ってても全然OKなのだが
文句言うリスナーいるんだろうな

403 :
何のバックに?

404 :
宅録で

405 :
これ、ひょっとしたら自宅?
https://www.youtube.com/watch?v=IFP2auKxm8E

406 :
5/2 1945年のドイツの音楽〜ドイツ敗戦75年に寄せて
5/9 ベートーヴェンとケルビーニ〜ベートーヴェン生誕250年
5/16 ターティスとブリムローズ〜ヴィオラのソリストの誕生史
5/23 わたしの試聴室
5/30 諸井誠音楽詩劇「御者パエトーン」
  

407 :
三昧で喋り足りなかったか

408 :
ヴィオラは普段あまり日が当たらない分、隠れたネタの宝庫なんだろうな
ヴィオラ三昧では、ドヴォルザークのアメリカみたいなメジャーな曲もかかってたが

409 :
今日の視聴室、凄いな。

410 :
録音状態が。

411 :
内容も、ラフマニノフとリヒテル好きには

412 :
宝塚劇場で山田耕筰のオペラ上演って言ってたね。そう言えば、東京の宝塚劇場は、以前は宝塚歌劇団専用ではなかったんだよね。

413 :
皆川さんが、お亡くなりになった
皆川達夫さん死去 ラジオ「音楽の泉」解説、「オラショ」とグレゴリオ聖歌のつながりを研究
https://www.christianpress.jp/minagawa-tatsuo/

414 :
3月まで音楽の泉やってたじゃねえか…
引退してすぐ亡くなるとは…

415 :
「楽興の時」がピアニカで流れ解説量が1.5倍になっていくのだろうか

416 :
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202004240000210.html
志村けんさん「エール」出演シーンの写真公開
[2020年4月24日12時15分]
NHKは24日、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けんさん(享年70)が、
連続テレビ小説「エール」(月〜土曜午前8時)に出演するシーン写真を公開した。5月1日放送から登場する。
日本を代表する作曲家の小山田耕三役。裕一(窪田正孝)や音(二階堂ふみ)とからむことになる。
昨年12月から収録に参加し、直近では3月6日の収録に参加していた。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/202004240000210-w1300_0.jpg
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/202004240000210-w1300_1.jpg

417 :
>>416
この人が音詩「曼陀羅の華」を作られたわけですね

418 :
迷宮も再放送になってしまったか

419 :
来週の「選」は3月末に放送したばかりの古関裕而集だから、
朝ドラとのタイアップみたいな特別な再放送な気がする
しばらくは再放送でやります、ということなら
普通はもっと前のストックから選んで流すと思うんで

420 :
辛い…
やっぱ皇国史観買おうかな
嫌な予感がするが…

421 :
>>419
そもそも、三密状況にないもの。

422 :
変な終わり方だったな
ついに最終回か?

423 :
昔のN響の方が作曲者の意図通り弾こうとするいいオケじゃないか、と言うのと
若杉弘、才能あったなという感想。
最後の武満が一番残念だった。

424 :
>>419
でも、>>406にある予告とは違うぞ
しばらくは「選」で凌ぐんじゃないかな
残念だが

425 :
>>421
昨日のブラボーオーケストラは、
新型コロナウイルスの影響で自宅収録って言ってたよ

426 :
N響ザレジェンドも差し替えだから
これからしばらく再放送が続くと思う

427 :
当分全番組再放送でいい

428 :
ブラボーでもやってたし自宅収録できるだろ
コレクション紹介するだけでいいから

429 :
今日の読売の「巣ごもり勉強術」に寄稿
中学時代に、どうしても聴きたい曲の為にNHKFM群馬が入る所まで高崎線に乗ったけど、
放送開始までに受信状態が良い所に行けなくて、ホームで泣いたそうだ。
今は、BBCを始め多くのネットラジオ・動画でクラシックを聴き放題で便利だ、って内容でした

430 :
群馬まで行ってどうしても聴きたい曲ってなんだったんだろうか
そういえばやはり中学の頃、野外研修で山の中にいったら大きな電波塔が立ってて、
友達が「うわー、オレここでエアチェックしたい!」って言ってたの覚えてる
エアチェックなんて死語だな

431 :
そもそもその当時NHK-FMのローカル局で珍曲がかかることをどうやって突き止めたのかに興味あるな

432 :
想像だけど、こういう経緯ならありえる
ある作曲家に群響が新作を委嘱した
そこで片山はローカル放送がないかと考えた
で、NHKFMのグンマー支局に電話をかける

433 :
>>432
なるほど、群馬といえば群響か
それは大いにあり得るね

434 :
もしかして服部良一かな
群馬にちなんだ作品いくらかあるし
CDになってるのもある

435 :
ピアニカ御殿にデッドストックされている録音使って「棚から1つかみ」でやってほしい
そうすればあの資料の山も少しは片付くだろう
慶応大学の研究室は資料の山でカニのように横歩きしなければならない状態らしいが学校閉鎖の間に山崩れしてそう

436 :
読売の記事、上げてみました。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org646200.jpg

437 :
どっかの許先生と違って説得力あるな

438 :
とうとう今日からセレクション

439 :
最近、5/2,9分共に最近聴いた記憶があるんだが、もっと古い忘れた奴にして欲しかった。
過去にさかのぼって名曲の楽しみの再放送でもいいし。

440 :
>>436
新聞購読かweb有料会員でないと読めないから助かります

441 :
>>436
著作権法違反
>>440
馬鹿か

442 :
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020050100618
朝ドラで脚光、古関裕而メロディーを再発見 記念CDに隠れた名曲、校歌・応援歌の動画集める企画も
2020年05月03日12時00分
(記事のリンク切れた後)魚拓
http://archive.is/2qbHV

443 :
「エール」見ようかな
今からじゃ遅いかな

444 :
奥さんの古関裕而集、久しぶりに聴いてみる
ただこの人の歌い方、あんまり好きじゃないな

445 :
>>443
遅くないよ
明日からイギリス留学でモメるとこ。

446 :
カタヤマも留学歴なくて慶応の教授ってめったに居ないんじゃ

447 :
https://jp.rbth.com/arts/83662-dainijisekaitaisen-soren-uta-10
第二次世界大戦を歌ったソ連の曲10選
文化2020年5月06日ボリス・エゴロフ

448 :
スピリチュアル・ソングブック アマテラス
https://www.seiriosproject.com/shop/

449 :
>>425
ヨシマツ氏は自分で録音・編集できてるけど
我らがカタヤマ氏は・・なんかメカオンチなイメージがある;

450 :
自分はおそろしく不器用ではあると言ってたな

451 :
でも片山少年が録音したカセットの音源か何かを流したことがあって、まーまーの音質だった覚えがある

452 :
>>449
424は大阪の伊東さんだったのでは

453 :
冷戦音楽史は録り逃してたのもあるからありがたいわ

454 :
>>448
「ラ」太陽は輝く ???

455 :
「交響曲第9番 変ホ長調 作品70 第1楽章」ショスタコーヴィチ:作曲
(管弦楽)ボストン交響楽団、(指揮)セルゲイ・クーセヴィツキー
(1分06秒)<ASディスク AS571>
「弦楽三重奏曲 作品45 終結部 冒頭」シェーンベルク:作曲
(バイオリン)デヴィッド・アルバーマン、(ビオラ)ガース・ノックス、(チェロ)ローハン・デ・サラム(1分05秒)
<ディスク・モンテーニュ MO782025>
「ポリフォニーX」ブーレーズ:作曲
(管弦楽)南西ドイツ放送交響楽団、(指揮)ハンス・ロスバウト
(1分39秒)<コル・レーニョ WWE1CD31908>
「スペクタクル・リリック“オルフェ53” から “怪物たち”」
ピエール・シェフェール/ピエール・アンリ:作曲
ミュジック・コンクレート(1分03秒)
<コル・レーニョ WWE1CD31907>
「メタスタシス」クセーナキス:作曲
(管弦楽)南西ドイツ放送交響楽団、(指揮)ハンス・ロスバウト
(8分21秒)<コル・レーニョ WWE1CD31908>

456 :
「“チャイコフスキーの主題による前奏曲、4つの変奏曲と終曲”から“終曲”」
ニコラス・ナボコフ:作曲
(チェロ)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、(管弦楽)フィラデルフィア管弦楽団、(指揮)ユージン・オーマンディ
(3分59秒)<INTAGLIO INCD7521>
「“トレニ(哀歌)”から“哀歌 第5章”」ストラヴィンスキー:作曲
(ソプラノ)ウルスラ・ゾレンコップ、(コントラルト)ジャンヌ・デルベ、(テノール)ユグ・リュノ、(テノール)リチャード・ロビンソン、(バス)ロバート・オリヴァー、
(バス)シャルル・シャルバック、(合唱)北ドイツ放送合唱団、(合唱指揮)マックス・チュルン、(管弦楽)北ドイツ放送交響楽団、
(指揮)イゴール・ストラヴィンスキー(3分33秒)<ARKADIA CDGI766.2>
「弦楽四重奏曲第1番から抜粋」ペンデレツキ:作曲(演奏)ペンデレツキ弦楽四重奏団
(1分46秒)<UNITED 88014>
「チェロ、ピアノ、ハープシコード、エレクトリック・ギターと打楽器のためのパルティータ第1曲 “12の音”」ボリス・チャイコフスキー:作曲
(チェロ)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、(ピアノ)アレクサンダー・デデューヒン、(チェンバロ)ボリス・チャイコフスキー、(打楽器)マリチコ、(打楽器)ゴディン、(エレクトリック・ギター)ゴヴォフ
(3分29秒)<EMI TOCE−9415>

457 :
なんでまた再放送のプログラムを載せるの?

458 :
オペラ「紅天女」はたしかに
聞かせるものがあったな

459 :
2020年4月18日放送の楽曲一覧
お分かりの方いらっしゃいましたら
教えてほしいです

460 :
>>459
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-04-18&ch=07&eid=70725&f=2434

461 :
うまく見られないかもしれないので、テキスト貼りますね
「交響的舞曲 作品45 第1楽章 冒頭」ラフマニノフ:作曲
(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、(指揮)サイモン・ラトル(2分00秒)
<Warner WPCS13360>
「交響的舞曲 作品45のデモンストレーション演奏から第1楽章(抜粋)」ラフマニノフ:作曲
(ピアノ)セルゲイ・ラフマニノフ(10分40秒)
<MARSTON MARSTON 53022/2>
「ロシア民謡“ブブリチキ”」
(演奏)セルゲイ・ラフマニノフとラフマニノフ家のパーティに招かれた客(0分36秒)
<MARSTON MARSTON 53022−2>
「イタリア風ポルカ」ラフマニノフ:作曲
(ピアノ)セルゲイ&ナターリャ・ラフマニノフ(1分26秒)
<MARSTON MARSTON 53022−2>
「ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18 第3楽章」ラフマニノフ:作曲
(ピアノ)スヴャトスラフ・リヒテル、(管弦楽)ソビエト国立交響楽団、(指揮)クルト・ザンデルリンク(11分24秒)
<Profil PH19052>
「ピアノ・ソナタ 第9番 ハ長調 作品103 第4楽章」プロコフィエフ:作曲
(ピアノ)スヴャトスラフ・リヒテル(5分24秒)
<Profil PH19052>
「チェロと管弦楽のための交響的協奏曲 ホ短調 作品125 第1楽章」プロコフィエフ:作曲
(チェロ)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、(管弦楽)モスクワ・ユース・オーケストラ、(指揮)スヴャトスラフ・リヒテル(9分45秒)
<Profil PH19052>
「クライスラーのワルツ「愛の喜び」によるパラフレーズ ハ長調」ラフマニノフ:作曲
(ピアノ)スヴャトスラフ・リヒテル(5分49秒)
<Profil PH19052>

462 :
>>461
458です。
ありがとうございます!
番組表を見に行ったら4/19〜しか表示されなくて…。
助かりました。

463 :
なんの本だったか忘れたけど片山先生が戦争ソナタなんか紹介するときプロコフィエフのことちょっと悪口言ってた気がするけど、結構かけるのね
プロコフィエフのこと悪く言ってたっていう俺の記憶が間違ってる可能性も十分あるけど

464 :
プロコフィエフのシンフォニーだと2番が昔から好きだった、みたいなことは書いてた気がする
そういうモダンで先鋭的な作風が好きだから、そうじゃないのはあまり好きではない、ということかもしれない

465 :
>>464
ちょうどアシュケナージのプロコの交響曲2番聞いて改めて感動してこのレス書いてたわw
ついでにプロコスレにもアシュケナージの2番の感想も書き込んだとこだった
何という奇遇

466 :
コンサートでプロコのピアノ協奏曲聴いてて指動かしたら隣の老婦人にはっしと掴まれてやめさせられた
とクラシック・スナイパーに書いてたのは覚えてる

467 :
そりゃあ、あたりまえだ。

468 :
だから高い金払ってコンサート行く理由が分からん
よほど好きな演奏家がもう二度とないかもしれない来日とかいうとき以外行きたくない
クラシックなんて部屋で好きな恰好しながら聞くものだと思う
そもそも大革命の前の王侯貴族はそうやって好き勝手しながら聞いてたんだからホールで学生みたいに畏まって聞くっていうのはいかにも新興プチブルみたいな聞き方ってなにか間違ってる気がするんだよな
せっかく録音があるんだから王侯貴族のように聞かないと

469 :
グールドが録音にこだわった理由もそこだと思うんだよな、王侯貴族とたまに教会に仕えてたバッハの音楽をプチブル用のホールで聴くっていうのが間違ってるっていう発想じゃないかな、あれも
まあ音楽業界はコンサートに客が来ないと困るからコンサートに来ないと音楽の良しあしが分からないみたいに宣伝し続けるだろうけど

470 :
王侯貴族のようにしたいのなら
生の楽団を自宅に呼んで演奏させるべき
CD聞いてる時点でプチブル以下やわ
なっさけな〜

471 :
>>470
グールドを自宅に呼べた金持ちなんて実在するの?

472 :
>>471
王侯貴族持ち出したのそっちやろ?
王侯貴族みたいに音楽家を自宅に侍らせられない時点で
お前の論だとお前はダメだね
なんでCDで王様気取りなんだよw

473 :
>>472
もちろんダメダメだよ、CDなんかじゃ
でもコンサートで学生みたいに座って横に香水臭い婆や、せき込む爺の間で身を縮めて聞くよりはマシってだけだよ
日本のホールのチャチで狭い椅子に身長189の俺が座るだけで体痛くなるんだから
こんなんだったら家のオーディオでCD聞いたほうが100倍マシ

474 :
なんだ、身長高い自慢したいだけかw
海外にでも引っ越せよw

475 :
総身に知恵が回りかねた腰痛大男のひねり出した屁理屈かw
家でちまちまCD聞いててなーにが王侯貴族じゃいw

476 :
日本人男性の平均身長は170.7cm。
男性の平均身長が世界で最も高い国はボスニア・ヘルツェゴビナで、183.9cm。
http://www.averageheight.co/average-male-height-by-country
自称身長189cmのID:nADaAvCaは、たとえボスニア・ヘルツェゴビナに引っ越しても、
椅子の小ささに文句を言うんだろうな…。

477 :
自分が生の演奏会に合わないからって、
演奏会に行く人を「理由が分からん、なにか間違ってる」と思うのがおかしい
周りの客やイスのことより、生の音楽で得られるものがずっと大きいと思う人がいっぱいいて、
そういう人が演奏会を楽しんでると思えばいいだけのこと
それぞれ感覚も体の大きさも違うのに、自分の基準をすべての人に当てはめてどうする

478 :
>>476
たとえば小学生用の椅子で数時間座ってること考えてみろよ
海外はどこも中学生用の椅子くらいのイメージ、これなら我慢できるよ
座面が低すぎるから高さだけ合わせようとクッション持ち込むと、座高がさらに増えるからできないし
こっちはできるだけ猫背にしてても後ろの客から見えないとクレームがきたり

479 :
イメージ(笑)

480 :
>>479
だってイメージでしか説明しようがないだろ、座面の高さだけの問題じゃないから、ひじ掛けの位置が低いやつ変に痛かったりする

481 :
イスが窮屈なのは背が高いせいじゃなくてデブだからだろw

482 :
>>477と>>481に対しては、ID:nADaAvCaは何も反論できないようなので、
今日はこのお二人が優勝となります。
デブは今頃、自宅でこの画面を見ながら涙を流しているんだろうなあ。
お気に入りのCDをかけていても耳に入らないくらいに…。

483 :
>>477の意見はわかるけど
デブではないぞ、90キロ超えたこと人生で一度もないし今も82キロとか内臓脂肪は高いけど
大学のころラフマニノフ聴きに行ったときも後ろの婆さん連中が見えないとか陰口あえて聞こえるようにいわれたことあるわ
ラフマニノフは199センチあったって知らないのかね

484 :
それがどうして、他の人が演奏会を楽しむことが「なにか間違ってる」ことにつながるのか
自分が楽しめないから他の人も楽しむなというなら、それは単なるわがままな言いがかりだ

485 :
>>484
なにか間違ってるっていったのはバッハについてだけだぞ
バッハをモダンピアノで弾くっていうのもバッハの想定を超えすぎてるのに、それを巨大なホールで縮こまって聞くっていうのがおかしいって話だよ
流石にピリオド楽器を用意しろとは言わないけどバッハって教会で聞くか逆にもっと小規模で聞くもんだろうっていうのは心から思う
教会音楽はともかく19世紀前半かそれ以前の作曲家をホールで聴くっていうのはなにか違う気がする

486 :
作品は発表された瞬間に作曲家の手を離れているんですよ

487 :
>>485
CDで聞かれることを想定してたのCDが出て以降の作曲家だけやろw

488 :
>>487
録音装置は演奏自体に直接介入しないじゃん
そもそも論だけど、弦楽器や管楽器に書かれた譜面を打楽器で弾いてるほうが変な話だろ
ハープの曲を木琴で弾いてるようなもんだよ

489 :
ハープの曲を木琴で弾いたって別に良いだろ
むしろ面白そうだ
「編曲」とか「アレンジ」ってものを一切認められないなんて可哀想だな

490 :
そもそも論だとそもそも楽器指定されてない曲とか
通奏低音とか昔の楽譜はかなりアバウトやぞ
それになんで「録音再生は別」扱いしてんだ?
なんやねんその勝手設定はw

491 :
>>489
そのあたらしい楽器に合わせてアレンジ編曲すればいいけど、そのまま弾いてるからいってるんだよ
>>490
指定もなにも未来の楽器を想定してバッハが譜面かけるわけないだろ
というかいまはいろんな古楽器も性能の良いレプリカができてきてるんだからまずはそれがベースになるべきじゃないの?

492 :
自宅謹慎だからね、みんな心が荒んじゃうよね…
片山さんの動画でもみよ?
https://youtu.be/rZp85EYKN5g

493 :
>>491
言ってることブレブレやんけ

494 :
その“性能の良いレプリカ”とやらの音も、
作曲家が当時意図したどおりの音を出せてるとは限らんよなw

495 :
そもそも作曲家が意図したのは「生演奏を聞くこと」だろw
作曲家の意図ガーと言いながら生演奏聞く意味ねーよとか
もう言うことがメッチャクチャw
なんで腰痛で演奏会行けないことを
そこまで全く筋の通らない矛盾だらけの屁理屈で
正当化したいわけ?
演奏云々より自分の精神状態を見直しなよ
なんでそんなに精神的勝利したいのかじっくり考えな

496 :
>>495
>そもそも作曲家が意図したのは「生演奏を聞くこと」だろw
そうか?
まずは「どんな形でもいいから聞いてほしい」だろ?
そっから先は気にしちゃいまい

497 :
しかーし片山は髪がふさふさだなあ

498 :
>>495
せめてチェンバロならチェンバロの生演奏っていう理屈ならわかるけど、モダンピアノの生演奏なんてバッハが夢にも考えてなかっただろ
だったらもう極端な話モダンピアノの音よりそのへんのチェンバロ音源のMIDIのほうがまだバッハの想定には近いんじゃないか?
俺が言いたいのはホールにいってモダンピアノ聞いてもいいけど、行ってみればバッハの時代からみれば邪道も邪道なんだから
ホールのスタインウェイを聴くっていうのも邪道だし、CDで聴くっていうのも邪道なんだから
同じ邪道ならまだラクに聞ける邪道のほうが良い邪道だろって話だよ

499 :
ジャドーズ

500 :
そう考えるとヴァイオリンてすごいよな古楽器が現役なんだから
チェンバロやオルガンと今のピアノが違うのは音の強弱はそうだけどダンパーと3本のペダルじゃないかね
あれのおかげでレガートが自由自在になって倍音の少ないきれいな音だけのこして複雑な和音が濁らず聞こえるようになった
でもペダルも踏み方次第でそれこそグールドみたいにペダルを最小限にしたり、アシュケナージみたいに踏み方工夫してポロポロ歯切れよく引いてくってこともできる

501 :
グールドは作品によってはものすごい複雑なペダリングをするぞ、ノンレガートといってもレガートペダルを踏まないわけでもないし、作品による
レガートの有無やペダリングに異常な拘りがあったのは確かだと思うけど
まあ天才って言われてるピアニストのペダリングはたいてい皆複雑でしょ、逆に言えばピアノは馬鹿が押してもいい音が出るからペダル以外でそこまで差がつけられない

502 :
今週の週刊新潮でコロナで収入激減した演奏家への対策として、
例えば国策で山田耕筰全曲録音せよなどと書いている。
要するに自分の主務なんじゃないか、というより復興利権に1枚噛むつもりなのだろうかピアニカ野郎。

503 :
国策で音楽やって日本でいい方向に転がったことなんかあるか??
管楽器を使うときの飛沫やエアロゾルすごそうだし、音楽家補助ならせめて給付金形式にすべきだろ

504 :
ピアニカは飛沫撒き散らす能力すごそう

505 :
何も提案できないで嫉妬みっともない

506 :
>>503
ドイツだかオーストリアだか忘れたが
管楽器の飛ばすエアロゾルの実験やってた
ほとんど飛び散らなかった模様

507 :
>>506
バンベルク交響楽がやった実験。
ダブルロードの木管も金管も、気流の動きはほとんど見えず。
Bamberger Symphoniker: Wissenschaftler messen Aerosolausstoß
6.05.2020, 00:51 Uhr
https://www.br.de/nachrichten/bayern/bamberger-symphoniker-wissenschaftler-messen-aerosolausstoss,Ry6T6OU?UTM_Name=Web-Share&UTM_Source=Link&UTM_Medium=Link

508 :
戦争責任云々はおいておくとして、仮に山田耕筰全曲録音やったとして演奏家の何割に仕事与えられるのかね

509 :
>>502
CDジャーナルの連載と同じで半分本気

510 :
>>507
ダブルロードwww

511 :
今日迷宮ないのか
がっかりだ

512 :
このままなくなるのか?

513 :
たまたま特番で潰されただけやろ
来週はある
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/text/p.cgi?a=001&d=2020-05-30&c=07&e=71389&f=2434

514 :
特番といっても2017 2018 2019 収録の音の悪い東京ジャズの再放送

515 :
片山先生の知識はすごいとおもうけど、片山先生がいうほど日本人作曲家ってすごいものなのかね?
伊福部はさすがにすごいとおもうけど、ほかは何度きいてもあんまりいいと思える日本人作曲家っていないだよな
『鬼子の歌』とか読んでいろいろ聞いてみてもやっぱりわからない
俺の耳が馬鹿だからなのかな

516 :
6/6 男声四重唱の楽しみ
6/13ベートーヴェンの「悲愴」
6/20わたしの試聴室
6/27中山悌一の「ドン・ジョヴァンニ」&木下保の「タンホイザー」

517 :
>>516
>>406にある5月の放送予定分はすっ飛ばされるのか、
それとも>>516は5月がこのようなことになる前の予定なのか

518 :
https://youtu.be/uJZ8mm0T_8c
後半あがった
>>515
確かに、片山さんは誇張的に(それこそ鬼子の歌とかで)述べてるところは多くあると思う。で、実際たいしたことない作品も多いと思う。
芥川や伊福部にしても映画音楽なんかは、そんな何回も聴くもんじゃないな、と思うものも多いし、
菅原明朗の明石海峡とか、金井喜久子の琉球舞踊組曲とか、スリーシェルズの細々した作品集とか、私も良さがよくわからん。
ただ、じゃあ良くないなら無視していいかっていうのは違くて、
例えばコルンゴルトとかシュルホフとかウルマンとか、ナチスが退廃音楽とした作曲家や、
ポポフとかモソロフとかルーリエとか、ロシアンアヴァンギャルドの作曲家って、
良い悪いは別として意図的に歴史から削除された音楽だと思う。
日本人の戦前の作曲家はまさにそういう人たちだし、地方にも省みられない人たちはいるかもしれないし、そういう人たちを「聞くほどのものじゃないから残らない」といって片付けるのは、嘘の歴史を伝えてることになる。
良い悪いか別として、まず評価の対象に上げることが大事なのだと、片山さんは思ってるのではないか、と思う。
だから逆に、514みたいに「ある程度聞いたけど、やっぱそんなに好きじゃない」という人が出てきたのは、ある種幸せなことなのかもしれない。

519 :
オーケストラのレパートリーを増やすためにも日本人作曲家の作品を蘇演したり再評価するのは意義あることだと思うけどね

520 :
>>518-519
「ムーブメント」な人たちが「非モダーン」「非シーリアス」と決めつけて抹殺しまくったからな・・

521 :
NHKの収録した古関 裕而のオペラ発掘してくれないものか

522 :
>>518
ロシアアヴァンギャルドとかは歴史的に常に参照され続けてるじゃん
新しいCD無くても常に歴史とともに忘れられない位置にいる
けど、日本の作曲家はそういう歴史に対する理念と特異性みたいなものがよくわからないんだよな
伊福部はアイヌ民族の影響と敗戦と放射線障害からの半世紀遅れの原始主義みたいな点で後世も語られるだろうけど
あるいは金井喜久子は琉球民族の音楽とかそういう重要性はわかるけど
他の作曲家はそれこそ片山先生がいうような歴史を知るための道具としてのクラシックとしても価値がよくわからない作曲家が多い気がする

523 :
確かにクラシック音楽全体の歴史とクオリティを考えれば、明治以降西洋音楽のまねごとから始まった、
極東の日本のクラシック畑の作曲家たちの作品は、それは虚心坦懐に聴いてみるとレベル的にどーなのよ、
と思う作品が多いのは事実だと思う。
山田耕筰の初期のピアノ作品なんか、それはもう稚拙というかなんというか。
でも、イギリスの人たちが異様に英国人作曲家達に愛着を覚えるように、自分もこれらの稚拙な
作品に何故か愛着を覚える。
そういうレベルから抜け出ている作品と言えば、戦前ではやはり伊福部のオーケストラ作品、橋本国彦の歌曲ぐらいかな
これが戦後世代になると、武満、間宮、湯浅など、俄然西洋作曲家に引けをとらない作品書く人が出てくる感じになる。

524 :
>>515
鬼子の歌読んでというが、たとえば三善晃は物凄いレベルの作曲家だと思う
何故か国際的な評価はいまいちかもしれないのが気にかかるが、彼のシャープな感性と完璧な技術は武満にも引けを取らない

525 :
>523
>でも、イギリスの人たちが異様に英国人作曲家達に愛着を覚えるように
英国だけでなくかつてのフランスやドイツも自国の作曲家を育ててきたんだよ。

526 :
>>515
>片山先生がいうほど日本人作曲家ってすごいものなのかね?
これは直球の質問。片山さんも喜ぶんではないかな。
世界音楽史上で発想や技術が評価される人はいると思うけど
日本的な素材をうまく導入して、時代にあった作風で成功された人や
ケージ以来の前衛運動に乗っかって有名になった人、
映画の音楽でこそ真価を発揮する人とか(早坂、佐藤勝とか)もいる。
>>524
対位法などの技術はないけど、発想というか個性で評価されたのが武満でしょ。
あとプロモーション。オーケストレーションの職人芸はあるけど。
三善はパリ仕込みの技術と感性はすばらしいけど、海外へのインパクトがイマイチだった?
間宮さんとかなら、日本のバルトークみたいなアピールがしやすいから残るかも。
三木稔のオペラとかも、海外では評価というか注目されたりする。
伊福部もだけど、日本民族楽派のような作風では、国内ではずっと評価されなかったよね。
片山さんは再評価の功労者。

527 :
日本人作曲家といや
2006年に東京文化会館で「日本オペラ絵巻」というのがあって
片山せんせも企画で参加してた

528 :
>>524
三善晃の響紋とか、こんなこといったら悪いかもしれないけど凄いダサいとおもうんだよな
作曲技術はすごくても戦争で死んだ子供がわらべ歌をうたってるっていうありきたりなロマンティックに耐えられなかった
それにやっぱり日本だけじゃなくてロシアアヴァンギャルドもそこまで凄いことはやってないとおもうんだよな
モソロフの鉄工所なんかもテーマがありきたりすぎるし、ストラヴィンスキー以後のいかにもな前衛風の音楽って感じで
ロシアアヴァンギャルドなんて絵画なんかだともっと顕著だけど実際にはブルジョア芸術のアヴァンギャルドを再包装しただけってかんじで
ナチス関係の作曲家については全然聞いたことないからなんとも言えないけど
やっぱり歴史に残らない音楽っていうのは主題がダサいんだとおもんだよな

529 :
>>526
なんか輸入品舶来品って感じがどこまで行っても抜けないんだよな
伊福部とかは主題が歴史の芯をとらえてるし、本人の人生にも沿ってるからすごいと思うけど
そもそも日本はお寺の読経もそうだけどモノフォニーの国なんだよ、そこに対位法や和声を導入するには理論が必要なんだと思う
伊福部の場合、仏教以前の古代日本とアイヌ民族や騎馬民族だとかのイメージを重ねてってポリフォニーを導入する意味が出てきたんじゃないかと、いい加減な推測だけど、思うんだよな
日本民族ってやった場合能や狂言に勝てるわけがないんだから、異民族を導入しないといけないのにみんな先祖返りみたいな日本主義に戻ってっちゃって、
なんで日本で多声、和声のクラシックをやるのかっていう必然性というかレゾンデートルが無いきがするんだよな

530 :
伊福部はやはり戦前からの日本では特別な存在なんだろうね
全くの独学で、あれだけ独自の技術と感性でオーケストラを操ってるってのはね
彼の技術は三善の技術とは全く異なっていて、音響に対する科学的アプローチからきてる

531 :
とりあえずここらへんにいる人たちが伊福部に関しては熱くなるのは分かったwww

532 :
静かで流動的な武満は苦手だけど
激しく律動的な三善は結構好きだな

533 :
>>532
三善はヨーロッパ的な音楽を作る分にはすごいけど
ひとたび日本的なものを作ろうとするとものすごくダサいと思う
『縄文土偶』なんかもそうだけど、アイヌや中国や朝鮮みたいなものと縄文とを無媒介に日本語で歌えるっていうセンスが信じられない
伊福部は現代日本語の形成が縄文語とはえんもゆかりもないっていう事実をふまえつつ、モスラの歌なんかも徹底的に意味不明だったわけじゃん
三善の曲で日本語の歌詞が出てくるともうおれは聞いてられなくなる

534 :
モスラの歌じゃなくて『聖なる泉──モスラの旅立ち』か
あと意味不明歌詞といえば『キングコング対ゴジラのテーマ』かな

535 :
>>533
三善の男声合唱曲「王孫不帰」ってのを知ってる?
あれは謡の要素を取り入れてるけど、刀でぶった切られるようなシャープな魅力があるよ。
あれをダサいとはとても言えない。

536 :
モスラの歌は、ひょっとして古関裕而だっけ?

537 :
>>531
確かに、これだけ色々と日本の作曲家に異なる意見があるのに、伊福部だけはみんな高評価でぶれないね

538 :
ところで>>523にも少し書いたけど、戦前では橋本国彦はちょっと抜けた存在だったと思う
彼の昭和初期の歌曲はフランス的ではあるが、表現主義的なところもあったりして、しかも
日本語の特徴をよくクラシックの技法とマッチさせてるように思う。
ピアノのパートもとても饒舌だし、かっこいい。
戦後まもなく亡くなってしまったのは惜しい。

539 :
>>535
漢詩がベースになると異民族とのポリフォニーの必然性が出てくるのはわかる
俺が聞いてられないのは純日本的なわらべ歌とか祭りとか縄文とかをモチーフにした曲なんだ
日本の古代や特に縄文を現代日本語が無媒介につながってるっていう感覚が絶対に受け入れられない
さっきも書いたように日本語の形成には朝鮮半島にあった複数の民族やアイヌの媒介があって話し言葉ができて、さ
らに書き言葉ができたのは朝鮮から漢文学が伝わって以降だから
漢文をベースに中性以降のことを描く分のは受け入れられる

540 :
>>538
表現主義はそのままロシアアヴァンギャルドにつながるからすごい革命前夜の風が吹いてる感じがする
戦後にすごかったのは伊福部は別として早坂文雄だと思う
日本的なものとヨーロッパ的なものがけんかせずあいまいに同居してる感じとかほかの作曲家には無いと思う
結局戦後日本のトップの作曲家は映画音楽に飲み込まれちゃったって感じがあるな
まあ金になるのはそれだからしょうがないんだろうけど

541 :
>>539
それはちょっとストイックな聴き方かなあ
たとえば間宮のコンポジションみたいなのはどうなの?

542 :
ロシアンアヴァンギャルドだと、ロスラヴェツはいいなあ
スクリャービンのさらに先に行っちゃった音楽というか

543 :
>>541
あれはバルトークがやってた民謡の採集みたいなもんじゃいのかな、全部を聞いたことが無いからわからないけど
でも日本の民謡って胡風なものが好まれたから決して純日本的でもないと思う
すくなくとも現代に採集できる民謡はここ数百年の新しいものだし、中国から十二律が入ってきて初めて成立するのものだから
十二律が入ってくる前の日本人の音階がどうなってたのかは誰もわからないし、
識字階級が10%超えた中世以前はほとんど現代日本語とは無縁の言葉を日本ではしゃべられてたかわからない
民謡がちゃんと十二律に乗ってるって時点で民衆が楽器に触れる機会が増えた中性以降のメロディだろうし縄文にいきなり飛躍するのとは違うと思う

544 :
>>543
間宮さんはNHKの民謡録音を採譜したり、自分で旅行したりして
まさにバルトークがやったことをなぞってるけど、
素材をうまくポリフォニックに処理したのが並の作曲家と異なる。
>>535
三善さんの「王孫不帰」は声のオブジェみたいな異色作だけど
たくさん合唱曲のほとんどはアマチュアを意識した様式で、ちょっと違うかな。
片山氏がブレイクするまえ『赤毛のアン』のテーマの魅力を力説するのを聞いたことあるw
あれは現代合唱曲の手法でアニメソングを書いてしまった稀有な例。
片山センセのすごいのは、ほかの評論家がスルーしていた合唱や映画音楽や放送音楽も
もれなくカヴァーして、しかるべき文脈で整理して見せたところ。

545 :
>>544
ああいうポリフォニーが可能なのはいろんな地域の民謡を徹底的に勉強したからかもね
三善みたいに標準語を使って日本人の文化をひとくくりにするようなことをしないで徹底的に国民国家成立以前の諸地域の音色を研究したからこそあれができるんじゃないかな

546 :
>>537
伊福部は、いきなりチェレプニン賞もらってからも
生涯を通じてほんとブレなかったし、作曲界の日本代表にはふさわしいわな。
武満は、自分でもフーガなんて書けないって言ってるように
作曲家の基本であるポリフォニーの訓練を放棄して
ソナタ形式とか興味ないのか、まーた三部形式ですかって曲ばっか書いて
アレグロとも無縁で、保守派に「音楽以前」とか評される作風を曲げず
「弱み」を極めて、世界のどこにもないような音楽を書いてしまった感じ?
あと黛かな、世界のなかでもオリジナルだってのは。
近藤譲もか。細川より評価低いとしたら不可解。
プロモーションとか人脈とか政治力の問題なんだろな。

547 :
>>545
間宮さんは芸大入るまで独学だったそうだから
伊福部、武満とおなじくアカデミズムに染まらずにすんだのでは。
ポリフォニーといっても、なんというか奇想天外な展開なんだよね。
1950年代末に掛け声とか使っちゃう曲ってあんまりなかったろうし
『合唱のためのインヴェンション』は端正だったけど。
三善の日本民謡はアカデミズムのなせるわざ。
黛の曲は基本お経のまんま、武満の『風の馬』は国籍不明。
合唱でほんとうにオリジナルなのは林光かもですが。

548 :
>>546
三声以上の対位法を身に着けるにはも結局教会の少年合唱団みたいなのにいないと難しいのかね
日本にはパレストリーナもモンテベルディもいないんだから日本人作曲家がポリフォニーに弱いのはしょうがない気がする
対位法だけじゃなくて3拍子も日本人は苦手な気がする
結局クラシックの基礎はルネサンスの教会音楽なんだなとおもって超えられない壁を感じる
まあ伊福部とかなんなくその壁をこえる天才もいるんだけど

549 :
>>547
ピアノかヴァイオリンの訓練しかしないとポリフォニーが苦手になるんじゃないかな
ポリフォニーって結局人間の声を楽器がやってるようなもんでパレストリーナとモンテベルディで頂点を極める教会音楽の手法だもん
それが美しく聞こえるだめにはやっぱり石造りの天井の高いカテドラルの中で自分が歌うから身につくんだと思うな
日本人の作曲家っていったらピアノかヴァイオリンを狭い部屋で稽古して、ピアノの音を聞いてソルフェージュやってるんだから、アカデミックにやってポリフォニーが身につくと思えない
むしろ、少年時代楽器なんかやらずに子供同士で歌ってたほうがよほどポリフォニーの感覚が身につくような気がする

550 :
>>538
もし可能であれば橋本が、フランス的である証左の作品とか教えていただきたいです。

551 :
>>546
>近藤譲もか。細川より評価低いとしたら不可解。

細川を高く評価するのが半可通みたいな風潮なんなん

552 :
>>550
斑猫

553 :
>>543
コンポジションその他間宮の合唱曲にはわらべ歌からとられたものもあるので>>541を問うてみたんです

554 :
>>548
対位法は和声以上に独学が難しくて、間宮さんみたいのは例外なんでは。
上達するには、ふつういい先生に添削してもらわないといけないし
禁則はあるけど「正解」の範囲は広いし、経験とセンスが出ちゃう。
合唱の経験は、歌いやすい、歌って映える書きかたには有用でしょうね。
東京芸大では、フランス派の池内門下も、ドイツ派の諸井門下も、
日本民謡みたいな素材を扱いあぐねていたというか、使うと破門される感じ?
なので、伊福部がいなかったらほんとにアカデミズムの牙城で終わってたかも。

555 :
>>554
池内門下で思い出したが、矢代秋雄も忘れてはならないな
あの人こそ三善以上にアカデミズムを極めた人だけど、作品も好きだな
あとかなり違う意味で天才だと思うのは八村義夫かな
皆さん早くして亡くなられたが

556 :
>>554
諸井三郎って藝大で教えてましたっけ?

557 :
>>550
>>538じゃなないけど
まあ影響受けた範囲で言えば表現主義ならドイツというかウィーンが中心だけど、橋本がフランスっぽいっていうのは分かる
象徴主義って神智学とかと密接に結びついたドイツ的な神秘主義と関係があるけど、橋本はもっとのどかだからフランス的っていう気持ちは少しわかる

558 :
>>555
そう、矢代秋雄の和声や対位法の答案もすごい美しいんだそうで
一般の鑑賞できるかたちにアレンジしてくれないかなぁ。
ただ、こういうタイプは「日本の」作曲家としては、やはりアピールしにくいのかも。
>>551
近藤譲は、細川と同等には評価されるべきなんではってこと。
片山センセはなんと言ってるのかな、このふたりについて?

559 :
藤倉大は、海外にいるので成功したのか
最初から海外に出るような人だから成功したのか
日本にずっといたならどうだったのか

560 :
>>553
わらべ歌っていってもあれは電車だなんだってもう完全に西欧化された子供のうたを綺麗なポリフォニーのなかに保存しただけでしょ
純日本的な方向とはまったく違う
こどもの歌なんて最先端の事件とかなんでもうたにしてはやし立てるものなのに
響紋なんて『かごめかごめ』だもん。文部省唱歌じゃないんだから

561 :
>>560
響紋、純粋に好きだけどなあ

562 :
>>554
これは全く俺の偏見で根拠はないんだけど、よくできたポリフォニーってどんな楽器つかっても人間の歌声叫び声に聞こえるんだよな
モンテヴェルディからヴィヴァルディへの飛躍って鍵盤楽器と弦楽器をメインで協奏曲をつくるってとこだろうけど、ヴィヴァルディくらいまではやっぱりヴァイオリンは人間の声の替わりだったきがするんだよな
フーガが人間の声の域から脱するのってバッハからのような気がするんだよな、結局あれはパイプオルガンの普及のためだと思うんだよな
ストラヴィンスキーがパイプオルガンを「呼吸をしない怪物」っていったけど
逆に言えばストラヴィンスキーからみればそれ以前の楽器はヴァイオリンでさえ呼吸に相当するようなものがあるとおもってたからだと思うんだよな
やっぱりそれを体感するには自分でいい声出して歌うことと、合唱でみんなで声だすことでしか体得できない気がするんだよ

563 :
>>561
おれは純粋すぎるから嫌い
こどもってそんな純粋なもんじゃないとおもう

564 :
>>563
では、その前のレクイエムはどう?
関係ないけどあの曲の全音のヴォーカルスコアのピアノ編曲って、新垣隆なんだよね

565 :
>>558
>近藤譲は、細川と同等には評価されるべきなんではってこと。
なるほど。そういう方向ですね。
>>559
細川もだけど、欧米語のいずれかが達者で、嫌らしい意味で自己宣伝というのではなく
自分はこういう人ですというアピールが出来るというのは、あちらで認められ活躍するのには非常に大きなファクターになっている
器楽奏者でももちろんそう

566 :
>>556
そうだ、諸井三郎は芸大では教えてなかった、というか音楽で教鞭をとってないか?
矢代秋雄や團伊玖磨も師事してるんで錯覚してもうた。
本人も弟子の柴田南雄、入野義朗、戸田邦雄もみんな東大なんだな。

567 :
>>564
レクイエムって題名で思い出せなくて焦ったけどyoutubeで探したら聞いたことはあった
そんくらいこの曲はいい加減にしか聞いてないというか歌詞もまともにみたことないからなんともいえない
けど、どうしてもこのこの曲調に標準語で歌詞を付けられるとアレルギー反応みたいなのがでるんだよな
たぶん東京の人間だから普段つかってる言葉で絶対しゃべらないような芝居がかった台詞をいうからだと思う
とはいえこの曲は歌詞もまともにみたこともないからなんともいえない

568 :
>>567
響紋はあれだけ詳しそうなのに、レクイエムほとんど知らないとはとても意外でした

569 :
>>566
諸井三郎さんのもう亡くなってしまった息子さんと少し知り合いだったけど、あそこはお金持ちだからわざわざ教鞭をとる必然性もなかったのかもね
息子さんが亡くなられる前にお父さんのこと失礼は承知でもきいておけばよかったな。とても温和で、休日には自分で家の草むしりをされてるような方だった

570 :
>>565
>自分はこういう人ですというアピールが出来る
たしかに。日本人はこれが苦手。
いまでは藤倉大がすごくうまくやってる。
細川さんは、おなじベルリン留学の石井眞木とイメージが重なるかも。
興業主、いやプロモーター的な素質というか。
近藤さんは哲学者、修行僧みたいな印象で、そっちのほうが好きなもんで。

571 :
>>568
三善のCDは何枚かもってたけど響紋はそれこそ片山先生の鬼子の歌で絶賛されてたからそんなにすごかったかなと何度も繰り返し聞いたもんで

572 :
伊福部以外では尾高尚忠が、日本的な音感を高度な西欧的な技法の中で描けていたと思う
作曲家としても指揮者としても真の一流になれる才能だったかと
実家が金持ちってのもあって、東大でも上野でもなく、日本の高等教育をすっ飛ばしてウィーンで学んだ
もう一方で、北の辺境にあって独学&個人教授で学んだ伊福部がいた

573 :
>>569
どっちの息子さん?
作曲家のほうですか、それとも実業家のほう?
どっちにしてもすごいけど
ちなみに諸井誠に関してはかなり妙なところのある人だったと西村朗が言ってたし、
片山さんも諸井誠は身辺整理の苦手な人だったと言ってたな

574 :
諸井誠には交響曲名盤選びの本何冊かで大変お世話になった
曲は聴いたことないけど

575 :
>>572
尾高の名前も出そうかどうしようか迷って伊福部と橋本だけにしました

576 :
>>573
実業家のほうです
お宅には玄関先まで何度か言ったことがある程度で本当にそのていどの関わりなんですが
派手じゃないけど立派なお宅だったのに、今はそれも取り壊されてしまったということで
なんのゆかりのない私にも気さくに話してくれたとても温和でやさしい方でした

577 :
>>406によれば、本来なら今週末の片山さんの放送は諸井誠の特集だったはず

578 :
>>576
そうでしたか、了解

579 :
>>569
秩父セメントを継いだほうの方?
音楽もやっていて合唱の指揮とかしてたという。
『鬼子の歌』見たら、諸井三郎の章は
ユリ・ゲラーからオカルト・神智学でまとめていて
なんというか、さすがの切り口だった。

580 :
>>573>>577
諸井誠の「かなり妙なところ」な逸話とか片山の口から聞きたいねw

581 :
>>580
1回既に迷宮で諸井誠の特集はやってますよ
そこで片山さんが言ってた

582 :
>>560
『響紋』は初演(たしか民音現代音楽祭)を聞いたけど
児童合唱の『かごめかごめ』にオケがキリキリ侵食してゆくのに
会場ごと惹きこまれていったのを覚えている。
ただ、この曲は日本で育った人じゃないと没入できないかも、
というか、そういうしくみで書くことを選んでいるので
けっこう「日本的な」作曲家の道を歩んだのかな。

583 :
>>579
第一次世界大戦前の芸術を見るうえで神智学はあるいみで必須のオカルト的教養だとおもう
カバラにしろ神智学にしろグノーシス的な神秘主義は音楽にも絵画にも切っても切れない縁だからある意味で正当かもしれない
それこそ象徴主義なんて神智学がうらにあって初めてできたような気がする
象徴主義でウィーン分離派の画家のエゴンシーレなんかも神智学に異様に傾倒してたらしいし

584 :
>>583
象徴主義じゃなくて表現主義ね

585 :
>>582
東京のど真ん中で育ったけど『かごめかごめ』はどうしても受け入れられない
たぶん戦災で死んだ東京の子供たちはかごめかごめなんてうたわなかっただろうし、
戦災でしんだのは東京人そして日本人だけじゃないから伊福部みたいに謎言語でやるかあるいは間宮みたいに方言民謡を重ねる方式なら納得いくんだけど

586 :
>>585
>たぶん戦災で死んだ東京の子供たちはかごめかごめなんてうたわなかっただろうし、
なんで?
自分は70年代の東京の幼稚園でかごめかごめを歌って遊んでいた

587 :
>>586
その30年の差が大きいのかな

588 :
>>586
学校の音楽の教本にはのってたけど歌ってる人を見たことがない
90年代生まれだからかな
結局きになるのは戦争で死んだ子供のための歌なのに死んだ国内で外国人や、満州で死んだ日本人、日本軍に殺された中国のこどもとかいくらでもいるなかで
そのなかでなんでかごめかごめだけが繰り返されるか聞くたびに違和感しかない

589 :
>>587
江戸時代の複数の童謡集に収録されているようだよ

590 :
複数を重ね合わせるというのは、却って訴求力が弱くなるんだよね
そんなに長い曲でもないし

591 :
たとえば日本最大の激戦地は沖縄で琉球には当然かごめかごめなんかとは別のわらべ歌があるだろうし
満州には満州の、朝鮮には朝鮮の、中国には中国のわらべ歌があってしかるのに、慰霊するのは、『かごめかごめ』みたいな文部省が拾ってきた歌を歌う日本本土のこどもだけなのかと
子供の死に人種も国境もないしあってはならないと思うからこそ気になるんだろうな
外国を別とするとしても日本で一番たくさん死んだ沖縄の子供はどうなるんだとしかおもえなくなる

592 :
>>591
三善晃が過ごした東京の戦時下(もっとも彼は疎開したはずだが)の子供達に象徴させただけなんじゃないかな

593 :
芸術は社会科学ではない
個人的な記憶から語る事を否定するこそが押し付けであり間違いだ

594 :
>>592
どうしてもひとつを象徴するなら一番多く死んだ沖縄のこどもじゃなきゃだめだと思う
そしてこれはオカルト的な話かもしれないけど、死んだ子供たちがみんなで同じ歌をうたったりすると思うか?
田舎から出てきた子供は郷土の歌を歌うだろうし、マセた子供は流行歌を歌うだろうし、朝鮮のこどもは母国の歌を歌うともう。
みんなで一緒になって学校の唱歌の時間じゃないのに同じ歌を合唱すると思えない
むしろみんなで同じ歌を合唱するっていうほうほうこそが国民国家のナショナリズムを作るうえで一番効率のいいことでだから文部省は歌を収集した
片山先生もよく言うように、ラマルセイエーズがあったからこそ効率よくナショナリズムを伝達することができて物資の少ないナポレオン軍は勝つことができた
合唱っていうのは常に戦争に備えて国家が子供に強いるものなんだよ
だからこそ死んだ子供たちが死んでなお同じ歌を合唱しないとならないんだとしたら救いが無さすぎる

595 :
>>594
沖縄体験は三善晃にはなかったから自然には書けないでしょう
芸術作品なんだから、「こうでなければならない」とまでは言えない
それに現実に多くの人があの作品から感銘を受けてるのも事実で、その重みは否定できない

596 :
大作で何か総合的な「非戦の祈り」を書くのなら、多様な要素を取り入れるのは当然あり得るが、
短い作品であれこれ取り入れてもまとまりもないし、嘘っぽくなるだけ

597 :
>>595
同じ歌を繰り返すだけの形式にしなければあんな違和感はない
そしてあの歌を聞いた感銘の何割かは無意識のナショナリズムとくっついてるんじゃないかとおもうんだよな
全く同じうたをうたい続けるこどもたちの霊なんて無間地獄じゃなかとおもう
賽の河原の石積みを崩す鬼じゃないんだから

598 :
>>588
んなことしたら、てんこ盛りでベリオのシンフォニアみたいになっちゃう。
三善の切り口としてはこれがリアルだし、超わかりやすいし、成功作ではある。
『鬼子の歌』第1章が三善なんだけど
『響紋』や『オデコのこいつ』が出てくるところ(p.38)に
>「戦争で死んだ子供」は「もうひとりの私」なおかもしれない。
>「戦争で死んだ私」と「戦争で死ななかった私」に。
> この分断・分裂のオブセッション。
> 三善の創作を支えた強迫観念でしょう。
最初はやっぱり『赤毛のアン』の『きこえるかしら』の話だったw
あと、作詞の岸田衿子つながりで音楽詩劇『オンディーヌ』

599 :
とても興味深い話が続いてるけど、残念ながら寝落ちします

600 :
>>598
今日いろいろ書いて気づいたけど、あの歌のイメージって俺が持ってる賽の河原の地獄のイメージなんだってことがわかってきた
焼夷弾で体を焼かれてお文に看取られもせず死んで、何度歌ってもなんどうたったも同じ歌をうたてっても前に進まないっていうのが
それがまさに賽の河原のイメージそのものなんだな
だからあの歌が嫌なんだと思う
もしかしたらあの歌は慰霊の歌なんじゃなくて三善の悪夢、地獄のイメージの歌なんだとすれば納得がいく
「戦争でしんだ私」が地獄のなかでうたってるうたなんだと解釈すればあの地獄みたいなうたの意味もわかるかもしれない

601 :
>>599
おやすみ

602 :
歌詞の変遷は明治以降もあるようだが、江戸時代に有名な江戸市村座の歌舞伎や浄瑠璃に現れたことが記録されているから、
それ以来の伝承だろう
>>597
>全く同じうたをうたい続けるこどもたちの霊なんて無間地獄じゃなかとおもう
その設定、あんたの勝手な思い込みでしょ
「生きて」その童謡を歌っていた子が死んだんだよ

603 :
>>602
思い込みなのかもしれないけど、どう聞いてももう地獄の歌にしかきこえないな
焼けて死して尚成仏もできずに、無間地獄のように同じ歌を歌う
俺にとっての六道のなかの餓鬼道のイメージっていうのがあれなんだ

604 :
>>603
そういうイメージを喚起するというのは分かる
自分的には死の直前の記憶がまだ鮮明な三途の川を渡る間というイメージだな

605 :
IvhY5rnqさんみたいに、ご年長の方が議論に加わってくださることのなんと嬉しきや…
かごめかごめの歴史的検証について議論が進んでいるところ申し訳ないのだが、私はかごめかごめが戦争で死んだ子供が歌っていようがいまいが、関係ないのだと思う。
片山は鬼子の歌の戸田邦雄の章で、バレエの舞台設定上はまだ生まれていない『帰れソレントへ』を大胆に引用し、望郷の念を表現したということを称賛していたが、三善もそれが当てはまるのではないか?
戸田も三善も、歴史の再現をしようとしているのではなく、現代の私たちに訴えようとしているから、かごめかごめを引用したのだと思う。
IvhY5rnqさんには悪いけど、私も響紋はすごい作品だと思う。私は20代だけれど、IvhY5rnqさんは三善と同じ世代でしょうか?だとしたら失礼を承知で、作品の受容に、かなり作品外の経験が影響しているのかもしれません…

606 :
>>502
そこだけ抜き取ってはそうなるが、文脈的には、ニューディール政策では芸術家たちを学校の装飾や鑑賞教室に公共事業として招いた、
日本も公共事業として夏目漱石や森鴎外を俳優や声優に朗読させてはどうか。
では音楽家たちではどうなるかというと、管弦楽だと密になるからピアノや歌や室内楽を山田耕筰など近現代の音遺産を公共事業として行ってはどうか、という流れ。
おそらく古関の朝ドラで出てた山田耕筰などを踏まえていての意見だろうから、第一に片山の謀略的な見方を持ってくるのは短絡的ではないだろうか。

607 :
>>605
何か誤解されてるかもしれなけども年は一応まだ若いですよ
僕が会ったのは息子さんでもちろん三郎さんには会ったことはないです
しかも中学のころサークルの友人から諸井三郎さんの息子さんがいらっしゃることをおしえてもらって、なんどかお話させてもらっただけです
だから三郎さんについても十分な知識が無く聞けずじまいで終わってしまったという
>>604
三途の川を渡りきれたような描写があればいいんだけど、六文銭も持ってないような子供が延々と歌ってるのが忍びないように思ってしまう

608 :
三善晃氏は神田慶一氏みたいな正反対な作風な作家を「だからこそ」勧める懐の広いとこがあったな。

609 :
>>522
>>片山先生がいうような歴史を知るための道具としてのクラシックとしても価値がよくわからない作曲家が多い気がする
というが、わからないからこそ演奏し、広く知らしめていかなければならないのではないか?
価値がないように見えるから、俎上に上げる必要もない、という議論は本末転倒、まさしく日本作曲家軽視のこれまでの流れに他ならない

610 :
>>609
それはもっともだけども、もし歴史を知るための道具という意味に限るならば日本の作曲の歴史は100年くらいなわけで
この百年については資料も豊富で、文学も原語でよめるわけだから日本のクラシックは歴史を知るための道具としては他と比べて便利とも思えない
そうすると単に美学的に聞くとして、欧州の音聖と並んで評するにはあまりにもの足りなく思ってしまう
歴史を知る道具としても、美学的な対象としても、あまり冴えないという印象をうけるな

611 :
音聖じゃなくて楽聖ね
変換ででないから音楽聖人って入力したらタイポしてしまった

612 :
>>610
たとえ稚拙ではあっても、当時の日本のクラシック受容を感じさせる音ってのはあって、
それはそれで聴いていく意味はあるというのが私の考えです
山田耕筰の「スクリアビンに捧ぐる曲」みたいなのは、
スクリャービン本人の理知的でありながら悪魔的な音の陶酔とは比べものにならないが、
それでもとても興味深く聴けます
それは日本の洋楽の黎明にありながら、当時の前衛に触れた日本人の不思議な音の発露ですから

613 :
>>612
その意味での山田だとか戦前に活躍した作曲家の意義はとてもわかります
まったく違う文化圏の人間がまるでほかの惑星の音楽を見るように習得した形跡というのは貴重だと思う
しかし丸善にいけばいくらでもレコードが買えたような昭和以降に生まれた作曲家については、しかもきちんとした西洋音楽のレッスンを受けた人たちの価値がわからない
独学で登り詰めた人には否定できない単独性があるし、明治生まれの人が西洋音楽に受けたショックの歴史性もわかるんですが、レコードもあってレッスンも受けられた人の価値は同列にしていいと思えないんですね
もうすでに日本は十二分に西欧化していて、レコードであらかたの録音が聞けて音楽教師も一流がそろっていて留学する金のある家も増えていた時代の作曲なら最初から世界で通用しないといけないと思う
日本人がクラシックをできるっていのはある種のキリスト教的普遍性が音楽にはあるからで、その普遍性の中で戦わず十分な音楽教育と金もあったのに地域主義や日本主義に行った昭和以降の作曲家の価値は割り引かないといけないと思う
じじつ、早坂にしろ伊福部にしろ、彼らの曲のフレーズを世界で数億人かそれ以上の人が耳覚えがあるところにあるんだから

614 :
>>613
>地域主義や日本主義に行った昭和以降の作曲家
>じじつ、早坂にしろ伊福部にしろ、彼らの曲のフレーズを世界で数億人かそれ以上の人が耳覚えがあるところにあるんだから
ほとんどの日本の作曲家は出身地である日本という地域の刻印を帯びて作曲していると思うが、
たとえば響紋を作曲した三善の価値は普遍性で戦ってないから、割り引いて考えろって事ですかね?
それとももっと特定の文脈の中で曲を書いた信時潔はアウトで、早坂や伊福部は十分に西欧化する以前に独学したのでセーフなんですかね
よく分からないのだが、どうも全然共感できない考えですね

615 :
>>614
ほとんどあらゆる楽譜やレコードが手に入って、一流の教師がついて、20代のうちに留学する機会があった作曲家なら、世界に通用するものをかいてしてしかるべきじゃないかといってるんです
独学者でさえ世界に通用する水準のものを書いてるんだからという意味です
大正うまれの独学者ができることを、昭和生まれで恵まれた環境で生まれた人間ができなくてどうするとおもいます
それをたんに日本人の作曲家だからといって判官びいきに見るべきでないとおもいますね
三善が将来世界に通用しうる時代が来るとおもうのならそれはそれでいいんでしょうけれども

616 :
>>607
てっきり戦前生まれの方かと…
失礼いたしました…

617 :
>>615
その論だと>>613で問題にされていた「地域主義や日本主義」の要素は捨象されていますね。
単に「世界に通用するかどうか」という純粋に質の問題です。
それなら、色眼鏡なしに純粋に質の評価の問題という事ですね
それは異論はありませんが
ただ>>613だと一般に、民族的な要素の刻印のある芸術は価値を割り引けと言っているようにみえたので、
ロマン派中期以降に勃興してきた国民楽派や、近代以降もシベリウス、バルトークのような民族的な音階や英雄譚を題材にしたもの
の行き方全般が「割り引いて」考えるべきという意見に見えたもので
そういうのはよくて「日本的な要素」はダメだという日本ハンディキャップ論も世の中にはありますが

618 :
>>617
それは矛盾しません。バルトークは地域的民族主義的であることと普遍的価値があることが矛盾しなかったからいまでも世界で演奏されます。
それは地域的であることを割り引いて尚圧倒的価値があるからです
割り引いて尚普遍的であることは可能です、そして普遍的であれば世界で演奏されるはずです。
クラシックっがクラシックであることの所以というのは普遍性を指向することしかないとおもいます
クラシックじたいがカトリック的な普遍性に基づいてヨーロッパで発生して以来それはゆるぎないとおもいますよ
たとえばその最大の反証はルーテル派のバッハですけれども、彼はライプニッツの同時代人です
当時のドイツは新教と旧教の三十年戦争で疲弊しており例えば同じルーテル派のライプニッツは2つの教会を普遍的に統合しようとしていました
ルーテル派であることが強調されるバッハでさえそういう時代の作曲家で、事実、彼はミサ曲もかいています
クラシックがクラシックであることは普遍性を諦めないことに尽きると思います

619 :
>>618
なるほど了解しました。
伊福部の言葉を借りると「芸術はその民族の特殊性を通過して共通の人間性に到達しなくてはならない」ですね。
(「特殊性」の部分は「民族」に限らず「何らかの」特殊性に置き換え可能だと思いますが)
昨夜からの議論を総体しつつ個別化すると、たとえば三善の「響紋」の質は、その特殊性が普遍を得るには至っていないという評価な訳ですね
確かにバルトークの名作の質と普遍性には至っていないかもしれない。
が、コダーイの現代でも繰り返し演奏される作品の質に比肩するか、それに上回る質に至っているのではないかという評価は行き過ぎではないでしょう。
そこにはさらに、およそ1960年代以降にやってくるクラシックの創作と受容の困難があります。
この困難の中での国際的な比較が必要でしょう。
私はたとえば黛、三善、湯浅の作品は日本と世界でさらに演奏して貰いたいし、同時代の世界においてその質を評価したいですね

620 :
今夜もつづいていたのか…
>>619
自分の聴いた初演の録音(1984年)
三善晃(Akira MIYOSHI) − 響紋〜童声合唱とオーケストラのための(KYOMON)
https://www.youtube.com/watch?v=X4Qr_zOTOUY
わらべうたなんぞ使って、三善も丸くなった…みたいな反応もありえるから
51歳であえてこういう構成の曲を書いたのはチャレンジャーだった。
会場にいた人には、子どもたちが空襲されてるような感覚を持った人もいたはず。
バルトークコダーイもハンガリー民謡を知っていないとじゅうぶんに共感できないけど
知らなくても別の世界からの視点でいろいろ感じるようなもので。

621 :
>>619
日本の音楽が普遍的であるためにはまず、アジアで演奏されなければならないと思います
まして、戦争を題材にするなら戦争で争った国や旧植民地に理解されることなく普遍的であることは不可能です
ルーテル派であったにもかかわらず国土が疲弊するまで介入してきたカトリックのためにミサ曲を書いたバッハはやはり普遍的です
三善の視界には日本とヨーロッパあるいはアメリカはあったかもしれせんがかつて争ったアジアが十分に描かれていると思えません
もしも戦争を題材にし、かつ普遍性を志すならば伊福部のように国内の異民族であるアイヌや満州にほど近い位置にいたギリヤークの民謡などと向きあうほかないと思います

622 :
IvhY5rnq氏の言うことは、普段この手の議論で横行している独りよがりなものではなく、音楽史的分析を踏まえたかなり的確なものだと思います。
私としましては、むしろこうしたまともな議論を日本人作曲家を題材にできることが大変喜ばしく思います。
(一昔前の伊福部カルト的雰囲気より数百倍マシ)
おそらく片山さんが躍起になって活動していたのには、IvhY5rnq氏の言うように「普遍性」をもった正真正銘のクラシック音楽を日本人が作って
きたにも拘わらず、不当に無視されてきたからでありましょう。伊福部はもちろん、大澤壽人の神風協奏曲は(アリス紗良オットがレパートリーと
してHPに載せていることぐらいしか判断材料を持っていませんが、)普遍的な評価を既に得つつあるし、矢代秋雄の交響曲なども世界に通用する
作品であることは疑い無きことかと思います。これらは21世紀に入ってから、片山さんが日本作曲家選輯において世界へ紹介してくれたことがとても
大きいことだと思います。(このスレで言うまでもないことですが)
ただ、一方で>>515の
「『鬼子の歌』とか読んでいろいろ聞いてみてもやっぱりわからない」
という意見に表されるように、最近の片山さんは単に日本人作曲家礼賛者という印象が強くなった気がします。
私が選輯の解説をずっと読んでいたせいかもしれませんが、鬼子の歌などにおける彼の語り口は、音楽を評価するというよりも、
日本人作曲家たちを手放しに崇め奉るというところに主眼を置いているように思えてなりません。
IvhY5rnq氏の「響紋」に関する意見も、片山の、敢えて言えば「暴走」に反感をかっているところも一部あるのかな、なんて思いました。
片山スレなので片山話に少し寄りかかってみました。

623 :
改行ミスりました… 読みにくくてスマソ

624 :
>>620
ハンガリー民謡を収集することはむしろ普遍性に向かうことだとおもいます
ハンガリーはもともと他民族国家でした。
むろんマジャール人がどんどんとほかの少数民族を同化させていったわけですが、民謡にはその残滓が残っています
またバルトークが蒐集したのはハンガリー民謡だけでなく、ルーマニア民謡なども蒐集しています
それは伊福部がアイヌやギリヤークとかかわったことと同じだと思う。

625 :
>>621
私はその辺は必ずしも同意しませんね。
バッハは仮に病気でミサ曲ロ短調を書くに至らなくても、プロテスタントのカンタータや受難曲は、プロテスタント宗教曲であっても
イタリアやオーストリアなどのカソリック国、さらにキリスト教の希薄な極東国でも繰り返し演奏される質と普遍性がある訳です。

伊福部の行き方は一つの行き方ですが、必ずしも異民族の要素を入れなくても、普遍に至る質は得る事は可能だと思います。
「向き合うほかない」には同意しませんね。

626 :
>>625
受難曲があれだけの評価をオーソドックスやカトリックでも受けるのは彼が極めてエキュメニカルな人間だったからだとおもいます
彼が生きた時代のドイツのルーテル派は哲学ではライプニッツからカントに代表されるように極めてエキュメニカル的です
逆にモーツアルトやベートーヴェンが持つ普遍性も、モーツァルトは理神論的な結社と関係があり、逆にベートーヴェンはカトリックでありながら同時にほかの宗教にも並々ならぬ関心を抱いていました
それらはどれも教会の統合と普遍性の方向に向かっている証だとおもいます
19世紀までの大作曲家はほとんどカトリックであるか理神論やエキュメニズムのような協会の統一運動に近い位置にいた人が非常に多い
また異民族の要素を入れずに作曲が可能なのは国民国家が教会の権力を上回って以降ほとんど不可能だと思います
まして、国民国家間の戦争をあつかうならまったく不可能と言っていいと思います
もしそこにオルタナティブがあるとすれば、セリー音楽のようなもはや通常のメロディを超越したところにある音楽です
しかしセリー音楽を志すこと自体がすでに自民族的であることを捨てようとすることですから、やはり国民国家を超えようとする普遍的な意思は変わらない、あるいはその意思がよりラディカルに表れているとおもいます

627 :
>>622
しかし、普遍性を目指すならば、それが日本人である必然性がなくなると思うのです
したがって必要なのは普遍的な日本人の作曲家が現れることではなくて、日本人の観客が普遍性に根差した存在になることではないでしょうか

628 :
植物分類学者的執念をもって古今東西のあらゆる音楽を渉猟、分類・分析していた柴田南雄が、
70年代以降にその知見をシアターピースという容れ物に入れて表現しようとしていたものは、
IvhY5rnq氏に通ずる問題意識を有していたのかもしれませんね。
私は柴田のシアターピースの全貌は知りえていませんが、いくつか上演に接した限り強く感動しましした。

629 :
>>627
なるほど、片山が平成音楽史のなかで触れていたことに、
クラシック音楽鑑賞が権威的なものとして扱われてしまったゆえに、
ロックやポップス等カウンターカルチャーへの人口流入を促してしまった、ということがありましたが、
それに共通する問題のように思えます。
作曲家=作り手に対する観客=受け手が、普遍性に注目した鑑賞をしていかなければ、
日本人作曲家はおろかクラシック音楽は本当に根を下ろすことはない、ということでしょうか。

630 :
>>629
その通りだと思います
しかし、現在国民国家を超えた普遍性はまったくみるかげもなくなっています、国連は今まで以上に無力です。
バッハが三十年戦争のあとに生まれ、モーツァルトがハプスブルグとプロイセンとブルボンの絶え間ない戦争の中で生き、
ベートーヴェンは大革命とナポレオン戦争の衝撃、ショパンは故国が引き裂かれた後の喪失から生まれたように
具体的な戦争の悲惨の近くでそういった普遍主義運動とクラシックへの衝動が生まれたとおもいます
もし日本のみならず世界の聴衆が普遍性に根差す時が来るならば、それは世界戦争が再び起きた後にしかありえないように思います
それが起きないに越したことはないですが、それが起きるまではクラシックはマイナーなものであり続けるとおもいます

631 :
>>618
本筋ではないけど、これは勘ちがい。
三十年戦争(1618-48)
ライプニッツ(1646-1716)
J.S.バッハ(1685-1750)
なので、この3つが同時代というのは無理がある。
ポスト三十年戦争の時代を生きた哲学者・数学者と
その1〜2世代後、もはや戦後ではない時代の音楽と。
バッハの5つのミサ曲(ミサ・ブレヴィス)はルター派の礼拝用に書かれたもので
キリエとグローリアのみ。
遺作のロ短調ミサ曲は、ミサ・ブレヴィスのひとつに書き足して
カトリックだったドレスデン宮廷に献呈したが、演奏されなかった。
多くの音楽家にとっては信仰の問題より待遇のほうが大事で
いまから見ると宗教的には無節操だったとも言えるし、
それを許すような時代になっていたとも言える。

632 :
>>624
バルトークが民謡採集に行ったトランシルヴァニアの多くは、当時はハンガリー領だったので
ルーマニア語でも「ルーマニア民謡」といえるか微妙。
戦前の日本における樺太アイヌやギリヤーク人とは、たしかに似ている。
「カトリコス=普遍性」ということばがそもそもうさん臭いモノで、
自分の思い込みを正当化するには便利なので、あんまり使わないほうがよいのでは。
ローカルなものを極めるとグローバルになるというのが20世紀
(というかWW1以後)という時代だった、ということでは。
>>626
バッハの受難曲はルター派の音楽で、カトリックの聖堂ではまずやらない。
ヴァティカンでバッハをやったときは、教皇がわざわざ、バッハは異なる信仰でしたが、とことわったほど。
もちろん宗派を問わず好きな人はいるけれど、どの宗派から依頼されるかの問題で
理想や運動としてのエキュメニカリズムと礼拝や典礼の音楽とは別の話。

633 :
>>631
三十年戦争が同時代とは言っていません
ライプニッツとバッハが同時人で、それはドイツ三十年戦争の傷跡がのこっているなかでの協会の統合を目指したという点で似通っているという話です
ドイツ三十年戦争は中世そのものを終わらせる、つまりドイツ三十年戦争が終わったときこど中世の終わりなのですが、そういわれるだけのことのあるとんでもないけた違いの大戦争でした
人口の半分弱が死ぬか逃げるかしたという大戦争ですからこの傷が癒えるのには1世紀あるいはそれ以上、つまりドイツ近代化の遅れの大きな原因でもあったほどです
それはさらに時代だ下ったカントの時代でもそうであって、彼のエキュメニズムは三批判書のみならず『恒久平和のために』に決定的に示されています。
逆に言えば三十年戦争がなければカントがのちにヘーゲルから徹底的にたたかれることになる『恒久平和』をかくこともなかったと思います。
さらにいえばバッハがライプニッツやカントのようなエキュメニズムのもとにあったのという説は私の発明でなく様々な批評家から学んだことです
http://bachchor-tokyo.jp/monthly_newsletter/pdf/mon607_201301.pdf
http://www.prmvr.otsu.shiga.jp/EnsembleVoce/Bach/Bach6.html
ちょうどいい文献がみつからないのでインターネットからでもうしわけないですが、この辺を読めば単に私のスペキュレーションで言ってるわけでないと理解していただけると思います

634 :
>>632
カトリックが普遍的でないとはいってもやはり西ローマ帝国崩壊のあと唯一ヨーロッパに普遍性をもたらしていたのがカトリックだったのは否定できないと思います
また、新教の成立のあとにも大作曲家は新旧の教会を超えようとしていたといったのは先ほどいったとおりです
モーツァルトがメイソンや理神論の団体と接近した理由や、ベートーヴェンがインドの宗教ややプロテスタントに関心を寄せ続けたのもその例だと思います
四谷の教会でバッハをきいたことがあるんですけど、さすがにバチカンではそんな断りがひつようなんですね

635 :
「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」
帝国が覇を競っている時代には、普遍はその正当性上必要とされ観念されやすいが、その中にはマイノリティで虐げられている民族がいる
彼らが独立を戦いとると国民国家が成立するが、普遍は失われていく
普遍を担保するはずの世界宗教は、政教分離の原則の下、ますます権威は失われていく
人間存在は二元論的に引き裂かれる

636 :
>>635
国民国家成立後の少数民族への差別のほうがやはり徹底的でひどいことはまちがいありません
アーレントは、ローマのような帝国と近代の国民国家をベースとした帝国主義国を明確に区別しました
帝国のほうがすくなくとも普遍性の方向に向いていることは確かです
『恒久平和のために』においては教会の統一および諸民族の統一をもたらすのは戦争によるとカントは冷酷に指摘しました。これは最近柄谷行人さんが強調しているとおりです
近代の国民国家を超える原理はおそらく人間の意思力によってもたらされることはないと思います
クラシックの普遍性も同じく、クラシックはとりあえず大戦争がないかぎり復権することはないと思います
しかし、大戦争がこれ以降もないと思う人は少ないでしょうし、私も大戦争はいずれやってくると思います

637 :
>>636
近代の帝国には少なくとも奴隷はいない
ローマ帝国は奴隷の存在が前提
ギリシアやローマを美化する言説は、そこに触れないことが多い

638 :
>>633
日本の音楽史を記述するときにも起こる問題だけど…
こういう、バッハを理想化・神格化してる日本人の書いたものは鵜呑みにしないほうがいいですよ。
アマチュアはもちろん牧師など、教派のバイアスがかかった人のも。
ルター派の人でも、待遇がよければカトリックの都市でも働く、というのが当時の常識。
昔も今もドイツでは覚めてる人がいっぱいいたし、三十年戦争も政治的な妥協で終わらせた。
教会の統合を目指すと言っても、思想家と論じるのと祈りの現場でどうかは別問題。
音楽は祈りの現場の都合にあわせて書かないと却下される。それだけ。
モーツァルトは基本その枠内で書き、ベートーヴェンは枠からはみ出したものも書いた。

639 :
>>637
それは全くその通りです
帝国は絶対的な不平等を生みます、それはヴィクトリア朝時代の最も過酷な労働環境に引けを取らない絶対的貧困であり悲惨です
しかし帝国において民族差別が少なかったことはまちがいありません
オスマン帝国のもとにあったバルカン半島がオスマン帝国の去ったあとどれほど民族的不和により不安定になったかは第一次大戦の原因がバルカン半島にあったことからも明らかです
また、ティトーがマルクス主義の仮面をかぶった帝国を築いた時代の平和と、ユーゴが崩壊し、再び資本制に基づく国民国家が導入された後の内戦の悲惨さを見ればやはり明らかです
したがって、絶対的不平等をもたらす旧帝国も民族浄化からホロコーストまでをもたらす国民国家による帝国主義国もどちらも大きな問題を抱えています
それを超える運動が将来おきるのかはわかりません

640 :
>>638
「待遇がよければカトリックの都市でも働く」ということが許されたのはむしろすでにライプニッツ的なエキュメニズムが浸透していたからだと思いますよ
当時のドイツの民衆の最大の目標はもう二度と新旧の教会の戦争を起こさないことですから

641 :
>>634
カトリックの語源『カトリコス」はギリシャ語で「普遍的」という意味で
オーソドックスは「オルソドクシア=正しい教え」から来ているので
元祖vs本家みたいなもので、「自称」普遍的、「自称」正統的ってだけ。
どちらもある地域で有力な宗派ではあるけれど、西ローマ帝国崩壊は
モザイク状に各宗派が分布していて、プロテスタント諸派が出てくると
さらにややこしくなったってだけ。
東ローマ崩壊時でも、ヨーロッパはカトリックとオーソドックスに二分されていた。
いまでいうクラシック音楽の地域がカトリック圏の一部だったというだけ。
>新教の成立のあとにも大作曲家は新旧の教会を超えようとしていた
超えようとした人なんて、いたとしてもフランス革命以降だし、ともすると現代人の妄想で。
ことばが通じるなら(ときには通じなくても)異なる宗派にも仕えるのは、
当時のプロとしてはありえることだったんで。ロシア宮廷のイタリア人とか。
>>637
「奴隷」という身分の理解が実態とズレてるのでは?
青柳先生が言うには、古代の奴隷は現代日本のサラリーマン(住宅ローンあり)
あるいは社畜くらいの身分で、古代にも自由市民になる道はあった。
イギリスの労働者階級なんかもそうで、超えられない壁はある。

642 :
>>641
むしろカトリックとプロテスタントの合一が一番もんだいになったのは間違いなくライプニッツの時代ですよ
マルクスが言うように絶対王政の終盤はもはやブルジョアが王権を上回っていたいたわけですから
重商主義の時代は宿敵ハプスブルグとブルボンが手を組む時代ですから教会の違いなどは2の次ですし
大革命の後の時代においてプロテスタントとカトリックの正面衝突することなどもはやなくなりました
それを近代人の妄想で片付けるのだとすれば、ライプニッツやカントの著作の存在はどう説明できるのでしょうか

643 :
もう、2時半だ・・・
もうしわけないけどそろそろ寝落ちします
勝手ですみません<m(__)m>

644 :
いまの話を戦後日本の作曲界という具体事例に、私のために結び付けさせていただきますが、
素人耳と愚鈍な頭の私からしても、敗戦直後〜60年代くらいの若手である間宮や芥川や黛や矢代の曲は、
80〜90年代にもう一人前として活躍していた西村や池辺や吉松や細川と比べて、優れているのは明らかなように思います。
そしてこの場合の優れているというのは、これまでの議論から、
「繰り返し聴きとおせる=多少なれ普遍性を持っている」という風に換言できるでしょう。
それ即ちWxgxvI6E氏がいう「普遍主義運動とクラシックへの衝動」の結びつきだと言い切れそうです。
とすると、逆に戦中の諸井三郎や信時や橋本などが、
私の耳に「多少なれ普遍性を持っている」ように聴こえることは、
片山さんがよく持ち出す、石原莞爾の満州国建国の「五族協和」からの「世界最終戦論」みたいに、
「普遍性への志向」が血として流れているからなのかな…
アジアの代表としての日本が、アジア的な秩序によって世界を統治していく、
切実な願いとしての「普遍性」が、音楽に意識的にも無意識的にも反映しているのでしょうね。
戦前は「アジアの代表としての普遍性」、戦後は「国際社会の一員としての普遍性」
視座が180度変わったのにもかかわらず、どちらの音楽も私には格別に聴こえるのは、
どちらも普遍性を志向する作曲家が居たからだと、なんとなく納得しました。

645 :
>>630
その、戦争とクラシック音楽の関係性に関するご指摘は、大変私を納得させるものなのですが、
なにかまとまった文献などで指摘されていることでしょうか?勉強不足なのでぜひご教示いただきたい…
アドルノとかですか?

646 :
>>642
こっちは目が冴えてきましたよ…
スレチですが
>カトリックとプロテスタントの合一
というは、まず思想家の脳内で、ついでその一部が世に出て知識人のあいだで
問題になっただけでしょう。1700年前後ならなおさら。
当時の問題は、両派がひとつになる「合一」ではなく
異なる派として「共存」することだったのです。
もう宗派で争わないというのがヴェストファーレン条約(1648)
ライプニッツは、本職がハノーファー侯家の家史編纂係で
思想家としては当時は影響力はほとんどなかったから
この文脈で出てくるのは意味不明。

647 :
で、片山氏の話に戻すと
>>644
>「繰り返し聴きとおせる=多少なれ普遍性を持っている」
にはダウト。
時代の価値観と個人の好み、楽譜や音源の入手可能性という要素があるので。
子どもに「フヘンセイってなに?」と聞かれてなんと答えるか、から考えナイト。
「普遍性」とは所詮、主観を正当化するバズワードで、
いつ、どこで、だれが聴いてもすごい!という音楽はそんなにない。
この時代、この地域、この人には評価され好まれたが
あの時代、あの地域、あの人のは評価されず好まれなかった、
という個別のケースの積み重ねを検討していって、そういうもあるかな、
というのがあるかも。しかも移ろってゆく。
「普遍性への志向」は、その時代のその人たちの価値観ではあるけれど
いま聴くとなんじゃこりゃってものも多いわけで。

648 :
実際の音楽なり芸術作品なりは、無数のディテールからできていて、
そのひとつひとつを意識的・無意識的に聴いて良し悪しを感じているわけ。
片山さんのすごいのは、「普遍的」みたいバズワードを無前提で使わないで
作曲家なら、生涯や作品いろんなディテールをむさぼるように検討して
だれも知らなかったようなかけらを拾い出して
そこからびっくりするようは方向に話を持っていけること。
一方で、だれに支持して、なんの影響を受けて、どこでだれを教え、という
マクロな視点も使って、でも紋切型ではないかたちで、人や作品を位置付ける。
代表作だけ論じて、既製のナントカ派、カントカ主義だけではすまさない。
WxgxvI6E 氏の内容は、ちょうど日本の教科書に載ってるような切り口で
(しかもちょっとズレてる)、地域や時代の全体像や実態はうまく説明できない。
これは多くの評論家がやってきちゃった方法でもあったのですが。

649 :
>>648
うーん、まあ確かに、ニーチェじゃないけれども、主義とか教科書的歴史に当て嵌めて
安住することは危険な事であって、それらを避けて常人離れした思考をみせる片山さんの
手腕はとても尊敬するし、私も大好きではあります。
そして、「実際の音楽なり芸術作品なりは、無数のディテールからできていて、
そのひとつひとつを意識的・無意識的に聴いて良し悪しを感じているわけ。」
とのご意見には完全に同意です。
しかし、では無数のディテールから成る曲であれば、個人個人が感じる良し悪しとは違うところに
曲の評価があるということになってしまいませんか。
例えばサリエリとモーツァルトはそれぞれ、お互いに固有のたくさんの要素があると思いますが、
出来上がった音楽はモーツァルトの方が優れているように聞こえます。
それらを一つ一つ検討していくのが片山さんのやり方ですが、WxgxvI6E氏に勝手に従えば
代表的かつ特異的なデティールを検討し、それを例えばベートーヴェンやバッハなどの場合と比較したところ、
そこに何らかの要因による「普遍性への志向」を見出したということなのではないでしょうか。
確かにサリエリも歴史的に、または音楽のある局面から局地的に見ればモーツァルトより優れている
ところも見つけられるかもしれませんが、200年の歴史を参照するにモーツァルトに軍配が上がるのは明らかです。
しかし、あなたは200年の歴史すら何か特別な事実によって評価が偏っているとおっしゃるのかもしれませんね。
(三善が将来世界に通用しうる時代が来るとおもうのならそれはそれでいいんでしょう、という614の指摘)
また、もしあなたがサリエリとモーツァルトの音楽を純粋に美学的に同格に扱うのだとしたら、
最初から私の論は無駄でしょうね。

650 :
「時代の価値観と個人の好み、楽譜や音源の入手可能性という要素があるので。
子どもに「フヘンセイってなに?」と聞かれてなんと答えるか、から考えナイト。」
というあなたは、バッハをメンデルスゾーンが復権させたことや、
ベートーヴェンが200年に渡り演奏され続けてきた(しかも非ヨーロッパ文化圏においても)
ことについて、逆にサリエリやプレイエルやクレメンティが演奏されてこなかったことについて、
どのように説明なさるのですか?
小澤征爾がウィーン国立歌劇場音楽監督を務めたように、「タイミングがよかった」とでも?

651 :
昨日のID:SNmL04Vmです。
いや、夜中にこれだけ突っ込んだ議論がなされてるとは!
すごいですね。一昔前の2ちゃんねるみたいだ。
とりあえず皆さんの書いたものを読ませていただきます。

652 :
ちょうど「古楽の楽しみ」でバッハも晩年には
時代遅れ扱いされてたとかいう話してなかったっけ

653 :
>>644
>敗戦直後〜60年代くらいの若手である間宮や芥川や黛や矢代の曲は、
>80〜90年代にもう一人前として活躍していた西村や池辺や吉松や細川と比べて、優れているのは明らかなように思います。
これは必ずしも同意できないな。
今の吉松さんはすっかり大人しくなってしまったけど、初期の頃は調性音楽を書くことと
現代音楽的要素をミックスさせるテクニックにおいて、「こんな手もあるんだ」と感心させられました。
そしてそれは少なくとも私の音楽的な何かを深く呼び覚ましたのは事実です。
細川さんの作品も一度ミュージック・トゥモローだったかで実演を聴いて、なるほどと思いました。
もちろん間宮芥川黛矢代もいいのですが、この世代間の音楽の質に「あきらかな差」があるとまでは
思いません。

654 :
20世紀は、武満とか作曲家が金がいるといえば、サントリーがポンと出してくれた
ところが今はサントリーでも金を出すには会議を通さなくちゃならず
遅れるだけでなく、出なくなった

655 :
>>654
あとは西武(セゾン)だね
いい時代だった
横浜在住なのだけど、神奈川県や横浜市主催の往復はがきで申し込む無料の現代音楽中心の
コンサートがよくあった
高橋アキ主宰の「新しい耳」コンサート、秋山邦晴主宰の「日本の現代音楽作曲家シリーズ」とか
後者では武満、間宮、高橋悠治、松平父子などの新作や自作自演を聴くことができた。

656 :
松平頼則のピアノ演奏は忘れられない
当時もう80歳ぐらいだったはず
プログラムを見ると松平頼則の自作自演があるじゃないですか!
司会の秋山さんが客席に向かって呼びかけると、私の斜め前に座っていたお爺さんが
全音ピアノピースの楽譜を携えてよたよたと舞台に上がったかと思ったら、
「幼年時代の思い出」からを弾きだしたのです
それはもうしなやかで素敵な演奏でした
あの手の演奏会には必ず片山さんも潜り込んでいたに違いないと今にして思うが、どうだろうか
そういえば「迷宮」ではまだ松平父子を取り上げたことがないように思うが、アーカイブスの回にでも
ぜひ取り上げてほしい
「催馬楽によるメタモルフォーゼ」をぜひとももう一度聞きたい

657 :
一般史と音楽史との関連をマクロで捉える視点が出ているが、一定の必然と妥当は認めつつ敬意も表したいが、私はそれのみで捉えることの一面性と危険を言いたいですね
特にWW3が来なければ普遍に至らないという予言>>630には賛同しません。
(WW2は帝国から国民国家の独立へと促す方向だったが、WW3はまたその逆の帝国の形成に向かう方向? うーん。分からない。戦争のあり方も多様化している。)
私はクラシックというジャンルの発展史の中に固有の盛衰があるという事を言っておきたいと思います
ヘンデルやバッハが長生きしてバロックが時代遅れになってもバロック様式で創作した点を除けば、前期古典派と言われる1730年からの50年間は、いわば様式の揺籃の時代であって見るべき作品は殆どない。
(この時代の作品が好きな人には申し訳ないが)
ロマン派は様式的には古典派との対立よりそこから続く発展とみた方がよく、このジャンル最大の隆盛を築いたが、
とりわけ国民・民族楽派的方向の可能性が使い尽くされていないうちにWW2のカタストロフによってそれはむしろ打ち切りになった。
WW2後暫くの残照の期間、メシアンやショスタコーヴィッチが長生きしてWW2以前からの語法で名作を残したが、
1960年以降は多くの作曲家の努力があるものの全体として混迷し停滞しているといえる。
ここにしかし揺籃があるとすれば、60年ほどこの時代が続いた現在、そろそろ新芽が吹き出て良いころではある。
他民族、アジアに目を向けよという言に「なければならない」という限定は保留させて貰うとして、大きな一つの潮流として必要なのは確かである。
たとえば黛は仏教音楽の中に日本を超えた東洋を見出していた。リービ英雄が描き実践しているような「越境の体験」は新たな普遍性を生み出すのは確かである。

658 :
>>657
>国民・民族楽派的方向の可能性が使い尽くされていないうちにWW2のカタストロフによってそれはむしろ打ち切りになった
それは、たとえばバルトークなどの方向にまだ可能性があったということでしょうか?
それ以外にWW2により消えてしまった民俗学派的方向ってちょっと思いつかない。
アメリカはガーシュウィン、コープランド、バーンスタインとWW2以降もその傾向は残ってるように思うし、
ロシアもそう思えるし。

659 :
>>653
私も吉松の作品はほとんどYoutubeやCD買って聴いて、本当に大好きですし、
様々な方面からの高い評価も存じております。
細川の方はまったく詳しくないので、例に挙げて申し訳なかったですが…
しかし、「「こんな手もあるんだ」と感心させられました」、「なるほどと思いました」と
自らの印象を反証に挙げるのでは、「一般史と音楽史との関連をマクロで捉える視点」より
明らかに説得力で劣ってしまいます。
そしてそもそも片山さんは、「なるほどと思いました。」という自らの印象を、
「一般史と音楽史との関連をマクロで捉え」ながら「細かいデティール」を
検討しつくすことによって解き明かそうとしているのではないでしょうか。
「明らかに劣っている」とは言い過ぎたかもしれませんが、643にて私は、
WxgxvI6E氏の考察に共感を覚え、それを日本戦中・戦後の秀作群が生れた背景に当て嵌めてみたに過ぎません。
そしてそれは例えば、
「吉松は調性音楽とソナタ形式という、現代ではもはや儚いその特性の
儚さを活かし誇張しつつ、抒情的にまとめ上げている点で20世紀のマーラーだ」とか
「西村はケチャ等アジアの躍動的なヘテロフォニーを使いながら、
力に満ちた豊潤な音響空間を現出し得る、稀有な作曲家である」
とかを私個人が精一杯力説するよりも、説得力のあることだと自分には思えたのです。

660 :
>>658
それは、アメリカとロシアは戦勝したんですから、歴史的にそれらが
戦後の「正統な」国民・民族楽派として称賛され録音もされ広められたのは当然じゃないですか…

バルトークは民謡の録音収集を二度の大戦で中断させられたのは有名ですが、
なによりこのスレで再三上がっている、戦前日本の作曲家こそ、
大戦で打ち切りになってしまった「アジア民族楽派」ではないんですか?
もちろん戦争があったからこそ過熱に盛り上がった側面はありますが、
戦争があったせいで、その方向への成長が「タブー」になってしまいましたよね。

661 :
取り急ぎ
>>646
ライプニッツについては完全に誤解してると思います
彼は極めて外交的です。極めて政治的に活動していましたし、何度も欧州中を旅行して知識人と接触しています。
政治的にもハノーファーにいながらたしかロシアのピョートルの法律顧問になったり、プロイセンのアカデミーの創設者になってもいたはずです
膨大な書簡もその証拠です。手元にリストがないので正確ではないですが、宿敵ニュートンからフリードリヒ1世、スピノザ、ホブズまであらゆる有力者と意見交換をしていたとおもいます
ライプニッツとヴォルフがドイツ語を哲学が可能な言語に変えたといわれるほど同時代人のドイツに大きな影響が会ったとわれています

662 :
>>659
音楽作品、殊に絶対音楽作品となると、その絶対評価は聞き手にその作品がどう聞こえたかが全てであって、
背景に何があったかは評価の妨げにすらなることもあるというのが私の考えです
>>653では感覚的な言葉でしか述べなかったのはちょっとまずかったかもしれませんが、
例えば吉松の初期作品で言えば、わかりやすいイディオムの中に突然20世紀後半でなければ出現し得ない音を出してきて、
それが激しく現代に生きるという感覚を呼び覚まし、ひたすら気持ちよい音の海にいるだけではないのた、と思い知らされるのです

663 :
>>660
ああ、日本ですね。
でも、打ち切られたんでしょうか?
方向の修正はあったかもしれませんけど、日本的なるものを西洋音楽の範疇でどう表現していくかは
その後も日本の作曲家の大きな課題であったわけです。
むしろ戦前、戦中の方向がずっと拡大されたとして、そこにどのような音楽があったでしょうか。
私には、むしろ戦争による方向の修正は結果として音楽の質を高めたんじゃないかと思います。
昭和10年代の「海道東征」と、昭和20年代の「夕鶴」、昭和30年代の「コンポジション」などを
比較しても、日本的なるものの扱い方において、ある点では受け継がれながらも明らかに
戦後の作品のほうが芸術として高みに達していると思います。

664 :
菅原明朗の「葛飾情話」
片山センセはあまり評価してないが「和風」の一つと考えても良いのでは。

665 :
>>645
ライプニッツの普遍主義とバッハの平均律への拘りの親和性はマルティン・ゲックから学びました
マルクス主義といいつつも精神分析をキメラのように使うフランクフルト学派自体が嫌いでアドルノにはほとんど影響をイケていません
戦後の音楽評論というのはフランクフルト学派のマルクスとフロイトのキメラのようなものをベースにしたものと、
フーコーをベースにして何でもかんでも音楽は生権力の支配の道具だというようなフランス的な論調と、
ポストモダンのテクスト論をめちゃくちゃに使うデリダ・バルト風の評論が多いという印象です
個人的にはマルクスもフロイトもフーコーも好きですがそれを無際限に適応する評論はどれも肌に合いませんでした
今回、普遍性というにあたって基礎になっているのは柄谷行人さんの21世紀に入ってからの理論です、もっとも彼は音楽評論を一切行わないので、柄谷さんの理論を勝手に敷衍したに過ぎないのですが
21世紀以降の柄谷さんの標的はヘーゲル批判です。ヘーゲルの広範な哲学領野に戦いを挑もうとしています
彼の書いた『トランス・クリティーク』『世界史の構造』『帝国の構造』は精神現象学、法哲学講義、歴史哲学講義を標的にしています
マルクスが生前に果たすことができなかったヘーゲル批判を存命中に完成させたという点で柄谷さんの理論を現在超える学者はいないと個人的には考えています
少しスレチなことをかいてしまいましたね。参考にならずすみません

666 :
>>644
クラシックがほかの音楽と違うところ、あるいは存在理由はなんでしょうか?
もし、使っている楽器やオーケストレーションの規模でいうなら、だいたいのハリウッド映画のサウンドトラックも十分にクラシックということになってしまいます
Classicalという言葉は”古典古代”ということばからもわかるように古代ギリシアとローマのようなものを模範にしているという意味が暗黙にあります
音楽の場合は標準がラテン語とイタリア語であることからもわかるようにローマ帝国の持つある種の古典古代の普遍性の方向を向いている限りにおいてクラシックだと思います
ライプニッツについては>>661で述べたとおりです
むろんローマ帝国やローマカトリックだけで十分な普遍性ではありません、したがってそこからさらに理神論やエキュメニカルにスピンアウトしていく普遍性こそがクラシックだと思います
それがまずは新旧の教会の対立の時代にはエキュメニカルとして、そして大革命以降の国民国家の時代にはナショナリズムを廃棄・揚棄する運動にかかわっていったと思います

667 :
>>657
世界戦争が無ければ普遍にいたらないというのは確かに言いすぎですね
世界戦争でもなければ世界の聴衆が普遍性の方向を向くことはありえないというべきだと思います
作曲家個人が普遍性に至ることもあり得るし、ごく少数のこころある聴衆がそれを好むかもしれませんが、それまでです
帝国にかんして言えば、レーニンと毛沢東(とティトー)などは国民国家による帝国の分節化分断化に抵抗して帝国を築いたとおもいます
しかし、ロシアではスターリンが、中国ではそれに遅れてケ小平が帝国として民族主義と資本主義へと近づくという逆コースをもたらしました
(スターリンが国家資本主義的であったという考え方は岩田弘、それ以外の旧帝国と国民国家に対する見方は柄谷行人に基づきます)

60年代以降に混迷がもたらされたのは2つの理由があると思います、
一つはスターリン批判で、試練が実際にはスターリンのもと大ロシア主義国家に成り下がったということが知られたこと
もう一つは、68年のフランス5月革命からはじまる学生運動が事実上の失敗に終わってアメリカと資本主義先進国のヘゲモニーが確定的であるとしられたからだと思います
それまでは55年のAA会議などを筆頭にアメリカでもソ連でもないアソシエーションが可能なのではないかと模索されていました
その時代においては様々な民族音楽を復権することが、普遍的な(カントが言うなば)世界共和国への道だという理念が成り立ちえたのだとおもいます

668 :
>>663
日本的なるものというのがクセもののように思います
江戸時代まで日本は諸藩が分立していたわけですから
カントは「恒久平和」で、民族主義的なものを拒絶していますが郷土愛を否定していません
岡倉天心がいうアジア的なものというのが実態空疎であったように日本的なものの実態も空疎なものかもしれないと思います
私は東京の人間ですが、例えば博多の人と話すと外国人と話しているような不思議な感覚に陥ります。
考えてもみれば当たり前で博多の人はいつも朝鮮半島から異民族が来ないかという緊張をして1500年生きてきたわけですが、
東京の人間というのはまったく朝鮮半島や大陸というものを遠いものとしてとらえています
日本国内だけでも実際にはおそろしいほど違うとおもいますね

669 :
>>649
美学的にあつかうならあらゆる作曲家が評価可能だと思います
極端な話美学を突き詰めれば骨董趣味のように古い壺を愛でるようにして音楽を愛好することは可能ですが、それは対象がクラシックである必然性がありません
普遍性への志向というのはことばをかえれば崇高ということだと思います
カントは「判断力批判」で美的判断と崇高を明確に区別して扱いました、カントにとって美学とは結局快不快の原則を脱することがないのです
しかしカントの崇高というのはむしろ、見る人聴く人を突き放すとうなものです。
細かく言えばカントは崇高を数学的崇高と力学的崇高に分類しました、前者はGカントール的にいうならば実無限(カント的に言えばヌメノン)の実在を感じさせてくれるもので
力学的崇高とは自然力(これは人間の武力も含まれます)の圧倒的さを知ることによって、替えって我々の人間の作ってきた文明が覆されうるものだと実感させてくれるものに対して言われます
音楽の普遍的な崇高性はカントでいうならば、力学的崇高に当たると思います
パスカル・キニャールが指摘するまでもなく楽器とは人間支配の道具として発明されました、事実近代でも音楽は軍隊でよく用いられる
その楽器というのもを用いてあえて、人間支配とはまったくことなる可能性をつくることが普遍性なのふだとおもいます
カントは「判断力批判」で崇高の例として、平和な時期に使われない武器や甲冑を見ることあげています
甲冑も楽器も戦争のためのものだとするならば、それが戦争に使われないものを見ることは、まさにカントが(大革命の直後にかんこうされた)判断力批判でのべた崇高と昨日から申し上げている普遍性は同じもののように思います

670 :
>>663
「明らかに戦後の作品のほうが芸術として高みに達していると思います。」というのは、
あなたがご指摘くださった、私の
「敗戦直後〜60年代くらいの若手である間宮や芥川や黛や矢代の曲は、
80〜90年代にもう一人前として活躍していた西村や池辺や吉松や細川と比べて、
優れているのは明らかなように思います。」
と同じく、かなり主観的なもののように思えます。
別に主観的な評価を禁ずるわけではありませんが、揚げ足取りの対象にはなってしまいます。
「むしろ戦前、戦中の方向がずっと拡大されたとして、そこにどのような音楽があったでしょうか。」
ということですが、片山さんは『日本戦後音楽史・上』(平凡社、2007)にて
「こうした事例を見ると、それが国策であったとはいえ、日本の作曲家が管弦楽作品
を作る力を最初に蓄えたのは、この戦争末期の時代ではなかったろうか。」と述べています。(18頁)
片山さんはこの言説をいたるところで述べていて、例えば2017年のサントリーサマーフェスティバルの
動画なんかでも同じようなことを言っています。
(https://www.youtube.com/watch?v=sxcYGS1hSTc)
もちろん、はっきりと「戦後の管弦楽は優れている」と断言はしていないものの、片山さんの語り口は、
あなたの否定する戦中の日本クラシック音楽の可能性を、明らかに評価していると思うのです。

671 :
>>665
ありがとうございます。
掲示板にありがちな、聞きかじり、wikipediaの浅薄知識とは一線を画したあなたの知識の含蓄に
敬意と興味を覚えましたので、教えていただき嬉しいです。
いま自粛中で暇なので、とりあえずマルティン・ゲックとカントと柄谷行人氏は読んでみようと思います。

672 :
>>670
信時の「海道東征」を例に挙げたのはやや恣意的ではありましたね。
それに替えて橋本や諸井の戦中の交響曲でも結構です。
伊福部にしても、もっと前の「日本狂詩曲」のほうを戦中作品よりも評価します。
私は片山氏ほどにはこの時代の管弦楽曲を評価してはいません。
やはり戦中の日本の作曲家は、日本の中で思想も技法も凝り固まったようなところがあって、
どうも自由な発想に欠けたところがあるように思えます。
確かに諸井の交響曲は戦時下の日本人の苦悩を色濃く漂わせており、当時としては傑作だとは
思いますが、単に思想の上だけでなく、音楽としてもどうにも行き場のない行き詰まりを見せてもいるようなところがある。
それに比べると、たとえば戦後すぐに出てきた中田喜直はどうでしょうか。
彼の歌曲は日本的なものからかなり離れたものもありますが、それでも山田耕筰、橋本国彦に
次ぐ日本語のための重要な作品で、鮮烈で大きな広がりを持った秀作が並んでいます。
いかにも戦争から解放された新しい日本の歌という感じを持ちます。
その同じようなラインに團伊玖磨がいて、夕鶴もあると考えられます。

673 :
片山が評価する戦争末期の作品に、山田一雄の「おほむたから」があります。
マーラーの交響曲の影響を色濃く受けたこの作品についても、私は歴史の貴重な証人ではあるけれど、
今聞きたい曲だとは思えません。
深井史郎の「ジャワの唄声」や「4つのパロディ」なんかも面白い部分もあり、また深井は
エクリチュールの素晴らしさはあるのだけど、ちょっと気恥ずかしくなるようなところがあります。
管弦楽作品となると、時代の流れから行くと芥川也寸志の戦後の諸作のほうをまずとります。

674 :
>>668
「日本的なるもの」の深い考察には頭が下がります。
これについてはそれまでかなり地方でばらばらであった日本的なるものが、戦争という
国家による強力な全体主義的強制があって、当時の作曲家に共通に問われるものになったという皮肉は
あるんじゃないでしょうか。
それまでは北海道に伊福部がいて、関西に大澤がいるようなかなりローカルな時代があったものが、
日本国民ということを強烈に意識せざるを得ない状況に追い込まれていった。
それは悲劇に伴うものであったにせよ、日本の作曲家のレゾンデートルを強烈に考えるきっかけにはなった。
そして悲劇的な敗戦を経て、今度はみな一様に民主主義という新たな時代の中の日本の作曲家の存在を
模索することになったのではないかと。
やはり戦争の存在はあまりに大きいですね。

675 :
何事かと思ったら、二人で延々と議論するスレにメタモルフォーゼしてたのか

676 :
>>675
二人だけじゃないよ

677 :
つかこの流れでいいの?

678 :
面白いし罵倒合戦や人格攻撃にならなきゃいいんじゃね

679 :
別に片山さんの音楽評論から離れてしまってるわけでもないしね

680 :
長文過ぎて読まないけど

681 :
片山先生が亡くなられたのかと思った
スレ伸びすぎ

682 :
>>680
ついてこれない人はそれでいい
ツイッターの発展以後、ネットで長文読むのすぐに放棄する人が増えたね
掲示板の特質は長文が書けることにあるのだから、すみ分ければいいだけなのに

683 :
今どき大マジで柄谷を信奉してる人がいるのを見るだけでも価値がああるw

684 :
>>683
存命の思想家なら誰が一番いいと思ってるの?

685 :
迷宮の良し悪しをブヒブヒ論じてるよりよっぽど有意義である!!

686 :
岡倉天心を断罪したつもりになっていい気になってる批評家より岡倉天心の批評のが価値が高いです

687 :
>>675
4人くらいじゃないん?

688 :
>>671
もし柄谷を読むのなら「帝国の構造」から読むのが一番いいと思います。
中国や韓国において熱狂的に読まれてる一冊ですし、なにより北京大学の講義をもとにしているのでとても読みやすい
まさに柄谷がヘーゲルの歴史哲学講義をひっくり返すために書いたものだとおもいます。
ほかにもパスカル・キニャールの『音楽への憎しみ』やジャック・アタリの『ノイズ―音楽/貨幣/雑音』などもフーコーの影響をうけながらもそれを超える本として読みやすく参考になると思います。
また最近出たオリヴィエ・アラン『和声の歴史』という本は薄い本ながらに非常にモノフォニーから対位法ポリフォニー、そして和声の発達を非常に論理的にとらえていて感心した本です

689 :
>>683
僕も2014年までは全く同じように、柄谷はニューアカデミズムの過去の人として、資本論を読むときの参考文献とし何冊か読んだくらいでした
しかし、2014年に中国人の留学生と仲良くする機会があり、その時かれが絶対に読むべきだとして教えてくれたのが2010年に書かれた『世界史の構造』でした。
世界史の構造は北京大学で講義され、すぐさま中国語(簡体字繁体字)、韓国語に訳され熱狂的に迎えられました。
僕も6年前に初めて世界史の構造を呼んで本当に驚きました。また帝国の構造も出ていたので、それらをまとめて呼んだのですが本当に驚くべき本だということはすぐにわかりました
個人的にトランスクリティークから世界史の構造、帝国の構造、哲学の起源を書いた柄谷はマルクスが生前果たせなかったヘーゲル批判のプロジェクトを一人で完成させているとおもいます。
実際、日本の哲学者のなかで世界に通用しているのはこの明治維新以降で柄谷だけです。
それは翻訳書の数の多さからも明らかですが、特に熱心に読んでいるのがトルコ、韓国、中国、台湾人だということも特筆すべきです。
去年の12月に柄谷さんの講義に参加したとき、そこに来ていた文学史家のジョ・ヨンイルさんに教わったのですが、
韓国でここ20年以上の間、文芸や哲学のジャンルで最も研究批評されているのは論文の数からいってもほかの哲学者批評家でなくて圧倒的に柄谷行人だということです。
これは、中国や台湾、トルコにおいても同じような熱意で読まれているだろうと思います。例えば台湾のひまわり学生運動の中心は柄谷シンパでした。
また、柄谷が北京で講義をしたのも薄熙来派に柄谷シンパが多くて彼らに招聘されたからだということです(しかし柄谷の北京の講義の直前薄熙来は逮捕されるのですが)
なにはともあれ、21世紀に世界とくにアジアでもっとも読まれているマルクス主義者の本ですから一回読んでみる価値はあると思います
もし最初に読むのでしたら『帝国の構造』かさらに短い『世界共和国へ』がオススメですね。そのあと、トランスクリティークや世界史の構造、そして探求シリーズや定本柄谷行人集をよむのが良いと思います

690 :
片山さんのスレなのに流石に完全にスレチでしたね・・・
スレチな長文しつれいしました<m(__)m>

691 :
>>688
自己レス連続してしまいすいません。オリヴィエ・アラン『和声の歴史』は最近出た本でなく、最近日本語の新装版が復刊された本でした。
また>>688>>689で『帝国の構造』を講義したのは北京大学と書きましたが、正しくは北京の精華大学です
スレチの上、推敲もままならない長文ですみません

692 :
無理
ヘーゲル史観が正統な世界史
逆立ちして批判してるだけ
イワンってのがいたでしょ

693 :
別に美学スレ建てた方が良くない?

694 :
>>692
歴史哲学講義を正当とみなすなら、もう日本にクラシックの可能性なんてありえないように思いますけどね
歴史が東から西へ太陽のように没していくとするならば西欧が爛熟した時点で21世紀まして極東でのクラシックの可能性はないでしょう
私は、柄谷の友人で指揮者でもあったサイードがオリエンタリズムで批判した西欧中心主義の歴史とはつまり歴史哲学講義のことです
もし、この21世紀に歴史哲学講義が正しいというならば、あなたが日本がクラシックを聴く意味とはなんでしょうか?

695 :
ピアニカ吹いたり、赤いトラクターで大喜びする人達の同好会だと思っていたのに。

696 :
>>693
哲学や美学を踏まえた議論、片山スレらしくてこれはこれで好きやで

697 :
>>694
>>668
>日本的なるものというのがクセもののように思います
>江戸時代まで日本は諸藩が分立していたわけですから
>岡倉天心がいうアジア的なものというのが実態空疎であったように日本的なものの実態も空疎なものかもしれないと思います
江戸時代において藩は国だが、その国というのは律令制で成立している国であることも理解していないようなのは教養ゼロの下層民。
(経済的下層という意味では無い。知的関心がゼロという意味)
「そのような下層民をクラシック音楽はそもそも相手にしていない。」
能のような中流以上の楽しみでなくても、寄席や歌舞伎を楽しみ、十返舎一九のような娯楽本を読める庶民は、
海の外に唐土、天竺、朝鮮、魯西亜があるが、我が日ノ本には都にミカドがいる事くらいは分かっている。
マルクスシンパなる「逆立ち人間」がアソシエーションを脳内夢想したところで大衆は全く付いてこず纏まるはずもなく、挙句にルンプロとして罵倒し、蔑むのがオチである。
オルテガは民主主義の時代のノブリス・オブリージュを強調した。ロシア革命に対しては、「人間的な生のはじまりとは逆なのである」と述べている。
これが私の言う「逆立ち」の意味である。マルクスはヘーゲルが転倒しているというが、マルクスが逆立ちして見ているのである。
視点を変えて世界を見るくらいの意味はあり、そこには社会科学は成り立つが、「逆立ちの革命」は成り立たない。
大革命はいずれにしろバークが予言した通り、「火と血によって浄化されるべき転生を通り抜け」る羽目に陥るのである。
私の傾倒した高校の英語教師は、「君たちはおそらく社会のいわゆるエリートになる。しかしエリートにはノブリス・オブリージュが必要だ」という事を授業中に言った。
クラシック音楽というジャンルは、技術的に高度に組織化された音響になるものであり、また精神的に微細さのあらゆる階調を感じ取る心が必要なのである。
良き意味での市民に開かれる事はあっても、大衆には「鑑賞」する事が不可能なジャンルである。
クラシック音楽が、いわば音組織の貴族主義である事をやめたら、もはやそれはクラシック音楽ではない。

698 :
>>697
つまりクラシックがブルジョア的でしかありえないという意味ですね。
しかし、クラシックが没落して久しい今、もはやクラシックはブルジョア的ですらなくなっているのが実態です。
クラシックがブルジョアにとってもはや無意味になっただけならばいいのですが、それはそもそも現在の資本制そのものがこれ以降も安定して存在しうるだろうという想定においてのみ成り立ちます。
クラシックが没落している状態で音の貴族趣味などありえませんし、没落するのがクラシックのみならず資本と国民国家の連結であるというのが柄谷行人が立っている前提です。
要するに世界戦争は不可避であって、かつ、世界に本源的蓄積を可能にするような農村が減少する以上資本主義は根本的に不可能になるということを前提としています。
その際にクラシックのブルジョア的でない側面、つまり普遍性あるいは崇高性ですが、それが意味を持ちうるのではないかと考えているわけです。

699 :
そして、片山さんのスレだからこじつけるわけではないですが、片山さんの認識もそこから遠いところにはないと思います。
片山さんが戦前から戦中にかけての右翼勢力および、ファシズムを研究するのは、(未完の)ファシズムが再現するだろうという前提なしにはほとんど無意味になります。
ファシズムが世界各地で発生するならば世界戦争が起きないと考えることはむずかしい
むろん世界戦争の後のヴィジョンは柄谷さんと片山さんはおそらく全く違うものでしょうが

700 :
>>698
>クラシックのブルジョア的でない側面、つまり普遍性あるいは崇高性ですが

クラシックに普遍性があるのだとすればそれはブルジョア的でない側面というのはわかる。
しかし崇高性はブルジョア的な範疇から出てはいないのでは?
あるいは崇高なものとは下々の者が崇め奉るものであるから、下々の者にも知られる存在という意味ですか?

それにしても世界戦争は御免こうむりたいな。
下手をすると人類あるいは地球の破滅にまでなりかねず、そうなればクラシック音楽なんて存在しなくなるし。

701 :
>>699
現代のいわゆるファシズムの勢力が、本気で戦争を起こそうと考えているとはどうもあまり思えない。
そんなに肝の据わった連中かな。
いざ戦争となったら真っ先に逃げ出すような連中にも思える。
現在のアメリカやイギリスの政権はかなり自国中心主義に傾いてるとはいえ、まだファシズムには
かなりの距離がある。
そんなことより音楽ですよ、ここで語るべきは。

702 :
>>697
>良き意味での市民に開かれる事はあっても、大衆には「鑑賞」する事が不可能なジャンルである。
バッハがカンタータや受難曲にちりばめたコラールは、あれは当時のドイツの教会に通う、
「大衆」が理解し鑑賞できるようにと考えて作ったものじゃないってことですか?
それとも大衆のために作ったがその目的は果たし得なかった?

703 :
>>700
崇高性とはもっといえばカントの力学的崇高とは、武力や自然力の圧倒的さを感じることで、われわれの文明や社会が時がくれば簡単に覆されうると感じさせるような力です
カントはその例として、戦争がなく使われなくなった甲冑を眺めるときの感覚を崇高といっています
ブルジョア音楽であったクラシックもそれがブルジョア社会そのものが(まさに資本制そのものの自然力によって)自己崩壊的に覆されうる兆しを感じさせる限りで崇高です。
まさに使われなくなった甲冑のように、ブルジョア社会の道具としてはもはや使われなくなった音楽を楽しむことでかんじるのは美的感覚だけでなくそれをこえた崇高でありるはずです。

それと世界戦争が起きても人間は絶滅しません、例えば極端に9割の人口がせかいからいなくなったとして200年前の世界人口より残り1割の生き残りのほうが多い。
逆に言えば、人間はそれだけ増えすぎたといえるかもしれないです。

704 :
>>701
片山さんはだからこそ、徹底的なファシズムの研究でなく、『未完のファシズム』という緩いファシズムを想定したのではないでしょうか?
また、未完の、ということは、まだ続いているあるいはこれからまた起きうるという意味があります。
柄谷行人は、次の世界戦争は第2次大戦の反復でなく、第1次大戦の反復として起きると予想しています。
第1次世界大戦は、ほとんど誰も予測できないタイミングで偶発的に起き、あしかけ5年にもわたりつづきました。
当時第一次世界大戦がおきることを予測した人はほとんどいなかったし、現在になっても専門家の間でもこれという決定的な原因は分かっていないといって問題ないほど突然のものです。
次の世界戦争が第一次大戦のように起こるのなら、現時点でその兆候をみいだせないのはある意味もっともなことだとおもいます。

705 :
>>704
第1次大戦って、ファシズムが居たから起こったのでしたっけ?

706 :
第1次大戦が起こる前は、世界の人は世界大戦なんて経験したことがなかった訳です
たから偶発的なことから大戦まで行ってしまった
また第2次大戦こそ本物のファシズムの戦争です
ひるがえって現代の我々は本物のファシストでもなければどこかで抑止の力が働くか、
あるいは腰砕けのエセファシストなら逃げ出すか、いずれにせよ世界を破滅に導く世界大戦は起きにくいと個人的には考えますけどね

707 :
>>705
ファシズムではなく帝国主義戦争です。
しかし、未完のファシズムというのならば、第一次大戦は未完のファシズムですよ。ファシズムの原型、全段階です
ドイツやイタリアにおいては、戦間期と世界恐慌を経て第2次世界大戦において完成されたファシズムになるのでしょうが
───
今日、片山さんの著書の中で未読だった未完のファシズムが届いたので今読んでいたら、
まさに結論部分といってもいいようなところで、カントの恒久平和について書いています(なんという一致!)
それは、「歓喜の歌」と「カントの恒久平和のために」を結び付けて、通常の友愛では民族主義でゃ足りない、
つまりラマルセイエーズでは、まして「皇帝賛歌」ではたりない、人類愛と人類愛の導きとして、カントが恒久平和を書いたように、ベートーヴェンは歓喜の歌を書いた
というような内容です。
そして、まさにこの本の結論といっていい部分、最後の数ページにそれが書かれています。
私はやはり片山さんは「恒久平和」の人だとおもいました。

708 :
>>707
私も焦っていますね。今日届いて、読んで、最終部分にカントの恒久平和と歓喜の歌の話が出てくるのは、
もちろん未完のファシズムではなく『革命と戦争のクラシック音楽史』です
それにしてもカントの恒久平和を話しているときにまさに読んだ文章がまさに、片山先生が恒久平和について書いているとは本当に驚きました
今日は第九を聞きます

709 :
「歓喜の歌」の以下の一節
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!
の解釈、ベートーヴェンはどう考えて作曲したのかは気になります

710 :
>>706
世界大戦を経験したからといって、世界大戦を防ぎうることはないというのは第2次大戦が証明しています。
まして、大戦を経験した人間がほどんど死んだ今、そして第一次大戦前のような新帝国主義が蔓延る今、世界大戦を防ぎうるとはおもいません。
もし防ぎうるとしたら、4度目の世界戦争だけかもしれません。それは人間のトラウマがもたらす無意識の力であり、同時に資本主義がもはや不可能になる現実によってだと信じます。
そしてその戦争を防ぎうる理念があるとしたら、片山先生が雄弁に語るように、民族の友愛でなく人類愛であり、
大革命の大量殺戮ののちにカントが書いた『恒久平和』の精神であり、ナポレオン戦争ののちに書かれた『歓喜の歌』の旋律でしょう。

711 :
>>710
ちょっとついていけないな

712 :
>>711
つまり、現時点で世界戦争を防ぐ手立てはないということです。
しかし、もし世界戦争を再び起こさないために人類が動くのならばその理念はすでに、『恒久平和』にあらわされている通り国際的な連合主義以外ありえません
それを歓喜の歌の歌詞から引用するならば
汝が魔力は再び結び合わせる 時流が強く切り離したものを すべての人々は兄弟となる 汝の柔らかな翼が留まる所で
片山先生の言葉を借りるなら「市民が人類愛をこそ尊いと思えば、(中略)世界市民となる。世界市民で世が満ちれば、既存の国家だけでは政治もできなくなるだろう。
国家は国家連合にならなければならない。(中略)その根底での支えは人類愛である」[片山,戦争と平和のクラシック音楽史 189頁より]
その意味でカントとベートーヴェンは「導きの星」[同 189ページ]になるといういみです。

713 :
>>709
すこし穿って読めば流刑になったナポレオンかもしれませんね。むろん歓喜の歌の数年前にナポレオンは死んでいますが

714 :
>>713自己レス
歓喜の歌の詩は曲の完成の20年以上前にできていたということなのでベートーヴェンがまだナポレオンに大きく期待している時期なので、すくなくとも詞をかいた時点でナポレオンを指しているということはないでしょうね
あと>>712『戦争と平和のクラシック音楽史』じゃなくて『革命と戦争のクラシック音楽史』ですね。何度本のタイトルを間違うんだろう・・・

715 :
第九終楽章でもっとも美しいのはここである
Ihr sturzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schopfer, Welt?
Such' ihn uber'm Sternenzelt!
Uber Sternen mus er wohnen.
sturzt nieder というのは「膝まずく」という訳が一般的だが、「くず折れる」というイメージが近い。
その一人は、創造主の存在に撃たれ、回心を遂げたパウロである。
成し遂げるのは創造主である。人間ではない。
人間が成し遂げるという思い上がりを、むしろ叩きつぶすのが創造主である。
人間はただ望むことが出来るだけである。
マルクス的思想による人間の思い上がりの試みは、叩き潰される。
詩人シラーも賢人ヘーゲルは汎神論的世界観ではあれ、人間ではなく神が成し遂げることを知っていた。
フランスが作った戦乱から一時ではあれ、ベートーヴェンがウィーンに留まって第九を書き上げるだけの
平和を作ったのは現実主義的に(革命賛美者からは評判最悪の)ウィーン体制を作ったメッテルニヒとタレーランである。
メッテルニヒは渡英時代にバークから親しく学んでいる。
シラーの宗教観を端的に現した文を引用しておこう。
人間は、創造主の偉大さを獲得するために、存在するのである。人間は、創造主が世界
を見渡すのと同じ眼差しで、世界を見渡すために存在するのである。神と同じくなるこ
と(神との相等性)が人間の使命である。このような人間の理想は、なるほど無限に遠
い。しかし、精神は永遠である。永遠が無限のための物差しである。すなわち、精神は
永遠に成長を続けるであろうが、その目標に到達することは決してない。
驚くほどヘーゲルに近いことが誰でもわかるであろう。

716 :
>>715
しかしそれは理性の狡知ということでしょう。理性の運動が結果的にはあるいは目的論的には神の調和のもとにうごいているという
それは汎神論でなく後千年王国説主義の理神論だよ。汎神論においてはリンゴが木からおちるのも物理法則でなく神の絶えざる介入によっておきるってことになるんだから

717 :
>>702
>バッハがカンタータや受難曲にちりばめたコラールは、あれは当時のドイツの教会に通う、
>「大衆」が理解し鑑賞できるようにと考えて作ったものじゃないってことですか?
コラールは基本的には既にルターらが書き賛美歌として会衆が馴染んでいる音楽で、バッハはその旋律をそのまま用い、四声体を書いたんですね。
賛美歌は無論会衆全体が歌うが、カンタータの中のコラールは教会専属の聖歌隊が歌っていた。その聖歌隊は専門家やラテン語学校の生徒のほか、音楽好きの市民も加わっていた。

718 :
>>717
誰が歌ったかという話ではなく、誰をリスナーとして考えていたかということね

719 :
マーラーとかブルックナーとかを片山先生が語ってる本てある?
逆にソヴィエト時代の作曲家について片山先生が語ってるってる本ってどれだろう?

720 :
>>718
コラールは賛美歌ですから日本人にとっての文部省唱歌のようなものです
バッハはそれに和声を付けましたが旋律を「作った」のではないですね

721 :
>>720
バッハのコラールは明らかにバッハの創作物ですよ
既存旋律に適当にハモらせたなんて程度のものじゃない
高度に音楽的な創作物だと思います
それが証拠に、マタイの中に何度も出てくるハスラーの旋律によるコラールを見てください
その場面に合わせて、なんと多彩な表情を見せることか

722 :
>>721
一つの旋律にさまざまな素晴らしい和声を付けていますよね

723 :
ここのスレの人はクラシックの迷宮、生で聞いてるの?それとも録音してる?

724 :
録音しながら「ラジオ実況板」で実況してます( ・ω・)

725 :
録音してる
録りだめてて聞けてない…

726 :
>>725
自分も実況しながら聞いてるから
録音したのを再度聞くことは滅多にありません
この番組はNHKの「聞き逃しサービス」に含まれてませんが
聞き逃したり録音失敗した方のために入れてほしいものです

727 :
ようつべに都度上げてくださる篤志家のかたがいますよね

728 :
>>724,725,726
録音してるんですね
恥ずかしながらラジオの録音機材を持っていないので生で聞くしかない状態です
ほかの番組みたいに聞き逃しになんでたおうしてくれないんだろう・・・

729 :
ここに書き込める環境があるなららじるらじるを録画できるアプリが使えるだろ

730 :
あ、
×録画
◯録音

731 :
弟弟子として残念なのは、片山論をされるとき我らが師でありワイマール共和国「保守革命」の第一人者である蔭山宏博士の話がないことで、
「崩壊の経験」などぜひ読んでほしいと思う
片山さんの研究室がカニのように横ばいしないと歩けないとかまさに三田の蔭山師の研究室が日吉に移ったようなもの

あの寡作にしておよそ表に出ない師が片山さんの吉田秀和賞受賞式の乾杯の音頭とったと聞いてたまげた

732 :
>>729
スマホ?PC?

733 :
>>731
ここはクラシック板だからね
というかワイマール期のドイツって貧乏すぎてあんまりクラシック史としてもたいしたことが起きてないって印象
もっと言えば第一次大戦以降の作曲家ってみんななにを書いていいのかわからなくなっていった気がする
例外はソ連くらいで

734 :
クラシックの歴史というと大まかに
プロテスタント対カトリック(17-18世紀)
ナポレオン対ドイツやフランス(フランス革命からワーグナー台頭)
ドイツ対ロシアやフランス(ワーグナー台頭から第一次世界大戦)
ソ連圏対資本主義圏(冷戦期)
っていうイメージがありますね
プロテスタントの台頭に反応した人たち、革命やナポレオンの台頭で刺激された人たち、ワーグナーのドイツに影響されつつ反動した人たち、共産主義に負けじと前衛に走った人たちみたいな

735 :
カトリックとプロテスタントの対立は16〜17世紀では

736 :
>>735
確かに18世紀は絶対王政と重商主義の時代ですからね
しかし究極的にプロイセンの台頭ですからやっぱり旧教と新教というくくりでもある意味はまちがってないかと
もちろんブルジョア階級が強まってきたために重商主義が求められた以上、宗教戦争というのはお題目というか大義名分にすら上がらなくなっていましたけど

737 :
>>732
PCでないと録音して貯めこむ環境を作るのは難しいかもしれないですね
私は録るラジというPCのソフトを使ってます

738 :
>>733
その時期は新ウィーン楽派が12音技法を確立した時期ですよ
まさに20世紀音楽の一大転換期とも言える

739 :
>>737
ぐぐったが販売終了っぽい・・・
ほかにRa●icoolフリーソフトをダウンロードしてみたけど、
インストールするまえにvirus toalっていう横断的にウイルス検索エンジンに照会してくれるサービスで調べたら
アドウェアを60個中1個のエンジンが検出したのでインストールするか迷ってます
まあ60のうち一個なんで検出の間違いっていう可能性が高いきもするけどどうなんだろう・・・

740 :
>>738
ダダイズムが歴史を残せなかったように、12音技法も同じく時代の徒花とはいはないけどそんなに後世に影響を与えてない気がする
影響という意味なら大戦まえのストラヴィンスキーならディアギレフと一緒に原始主義をやっていた時代のほうがよほど影響を与えている気がする
いずれにしろ音楽面でのあるいみ露仏協商といっていいものが国民学派を総決算して原始主義に行ってしまったというのは、ある意味で第一次大戦に先行してそれを予言したかのような見事さでそれをなかなか超えられないのが20世紀じゃないですかね
事実、ストラヴィンスキーはその後に原始主義では行き詰って結局イタリア風、要するにカトリしズムの普遍性の方向に戻っていくわけで
しかし、イタリア的なものならなんとかなるかと思っていたらムッソリーニがバチカンと関係を改善した結果第二次大戦が起きてしまって、ストラヴィンスキーだけでいうなら最終的に立つ瀬なくセリー音楽だとかのほうにいったという
とはいえ、現在ストラヴィンスキーを思い浮かべる人は真っ先に原始主義で、その次に新古典主義の方向で記憶しているっていうのが実際のところでは二でしょうか

741 :
>>739
Radikoolは広告出るから検出ミスではないし、問題もない

742 :
>>719
音盤考現学のいくつかの項で触れてるくらいで、
まとまったものは知らないなぁ…

『クラシックの核心』とか読んだ人いる?
そこに触れられてたりして

743 :
つべの迷宮、消されてたね

744 :
へー NHKからクレームあったのかな
聴き返せて便利だったんだが

745 :
>>728
これで録れますかね?
まずは失敗してもいい適当な番組で試し録りしてみてください
後は設定いじって好きな拡張子(mp3やm4aとか)やビットレートに
http://egg.2ch.sc/test/read.cgi/software/1560329082/
http://egg.2ch.sc/test/read.cgi/software/1577981926/

746 :
なんと…あのアップには助けられてただけに残念

747 :
>>742
>『クラシックの核心』
『文藝別冊』の語り下ろし原稿を集めたもの(2014刊)
バッハ、モーツアルト、ショパン、ワーグナー、マーラー、
フルトヴェングラー、カラヤン、カルロス・クライバー、グールド
の9本。
> 住み分けが大事。わたしくの主義のつもりです。
とあとがきで書いてるように、こういう大物はあまり扱わないそうだが
やはり切り口が新鮮。

748 :
西欧クラシックのwっ性を集めたものでは、これも
音楽放浪記 世界之巻 (ちくま文庫 2019)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480435699/
ベートーヴェン、フランク、ドビュッシー、シェーンベルク、ショスタコーヴィチなどなど。

749 :
>>747
全部をよんだわけでポスト・ワーグナー世代の音楽をあんまり語らない印象ありますね
ユダヤ人でかつハプスブルグ帝国の民族的多様性のあるマーラーはお好きなようですけど
片山さんの本を読むとベートーヴェンで一回シンフォニーが完成されたみたいな認識のような気がします
そのあと出てくる20世紀以降の前衛音楽は好んでるようですけど

750 :
>>749
全部をよんだわけで「ないですが」
のまちがいです・・・
今日の迷宮もう始まっちゃいましたね

751 :
>>744 >>746
アカウントごと消されてたから、
nhkから要請したと思われ
>>748
音盤考現学、音盤博物誌(だっけ?)を
日本と世界とで分けて文庫化したやつですね
手に取りやすくておすすめです

752 :
>>747 >>749
サンガツ
確かにリヒャルトとかドビュッシーとかは
ほかのに比べて熱量少ない気がするね
迷宮ではよく採り上げるけど、それはたぶわ
聴取者を考えてのことだろう

753 :
日本で市民というとソウル市民とかビョンヤン市民とかペキン市民は多いけどなぁ

754 :
どこかに埋れてるんだろうけど、今週末の迷宮が再放送かそうでないかだけ教えろ

755 :
昨日の放送は再放送

756 :
昨日の再放送聴いておもったけどやっぱり片山先生は世界最終戦争的なモチーフを語るのがすきだよね
というか、おそらく今回の再放送をこれにを選んだのも片山先生のお考えだろうけど

757 :
最近のを再放送で選んだ理由は、著作権の支払い手続きが、ちょっとだけ楽なのだろうと思った。
NHKのアーカイブスに残っている方は、面倒じゃないかな。

758 :
>>757
包括的な契約じゃないの?

759 :
>>756
少年時代の強烈な思い出だからかもしれんね
なにしろ本当に終末と隣合わせの国際情勢だったから

760 :
>>759
そうかね?冷戦なんてアメリカソ連んのどっちかの頭がおかしくならなきゃ核戦争にならないけど、
いまやインドパキスタンイスラエルに加えて、イランや北朝鮮まで核兵器もってるんだもの
それに生物兵器や化学兵器のハードルも下がってるし(むろん今回のコロナウイルスは天然由来のもで生物兵器じゃないけど)
やろうと思えば小さなテロ団体や、貧乏国家が原因で大戦争が起きておかしくなくなってる。それこそ機関銃が発達した第一次世界大戦前みたいに

761 :
そうかね、言われてもな
実際には起こらなかったから今そんなこと言えるだけでは

762 :
>>761
でも世界大戦が実際におきたのは冷戦構造みたいな安定な状況じゃなくて、8つの列強が四分五裂群雄割拠してた時代なんだから

763 :
>>757
ライヴもだけど、2回まではOKという契約なんじゃ?
再放送はほかにもあるし。

764 :
>>763
そういや数年前までこの番組再放送が毎週あったしね

765 :
冷戦中はというか、北斗の拳の開始時期は以下の設定がイキイキしてたから。
1989年にベルリンの壁が無くなったり、1991年にソ連は崩壊して、ターミネーター2の設定が壊れちゃったけど。
冷戦は終了して平和になるかと思ったら湾岸戦争始まったけど。
199X年、世界は核の炎に包まれた!海は枯れ、地は裂け、全ての生物が死滅したかのように見えた。だが、人類は死滅していなかった!

766 :
それってどっちかっていうと19世紀末にもあったような世紀末芸術だよな
1895にHGウェルズがタイムマシン書いて、絵画はロートレックとかビアズリーがデカダンやってたころで
それが20世紀末は千年紀の末でもあるから世紀末思想がもっとはげしかっただけで

767 :
友人の許といっしょで、小松左京や五島勉などの終末観に強く影響されたからじゃないの?

768 :
終末観と世紀末観ってちょっと違う気がするんだよな
中世に魔女狩りやってた頃の方がよほど終末観はあったわけだから
艱難と再臨と至福千年と携挙をどういう風にうけとるかで反応する人たちが違う
どっちかっていうと、再臨の前に艱難があって艱難の途中に携挙が起きるわけでもないし、まして再臨の前に至福千年が訪れるわけもないっていう考え方じゃないと世紀末観にならない気がする
世紀末芸術はオカルトにむすびついた黙示録的な芸術になるから

769 :
>>766
そういや今年新国で初演予定のオペラも原作がウェルズ
しかしウェルズ原作なら「ポリー氏の生涯」みたいな悲喜劇をオペラにして欲しかった

770 :
片山さんの共感できるところはやっぱりシェーンベルクに対する点だな
ストラビンスキーとかバルトークとかみたいに頭でっかちじゃなくて
マーラーやドビュッシーを過激化させてったら気づいたら無調になっていって、12音までいっちゃうっていう
ストラビンスキーは新古典派に反動したり、バルトークは民族音楽に反動したりするのに対して
シェーンベルクは転向反動はもなくひたすらまっすぐ進んでくような

771 :
>>770 シェーンベルクこそ頭でっかちだと思うが

772 :
「迷宮」の今週の放送予定を見ると、当初5月分はすっぱりと飛ばされてしまうのかな
残念

773 :
よく知らんが、5月分て内容は発表されてたの?
一人語りなんだから収録は問題ないと思うんだが、
忙しいのでそれにかこつけてバックれたんかね

774 :
>>773
5月の当初放送予定分は>>406にある
おそらくはぶらあぼの情報の転送だと思う
毎月転送してくれてるのでありがたい

775 :
1曲目がドカベンなのが迷宮らしいw
https://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/
▽男声四重唱の楽しみ
「がんばれドカベン」
「江戸の隠密渡り鳥(テレビドラマ「隠密剣士」主題歌)」
「筑波山麓合唱団」
「赤いサラファン」
「常動曲」
「ローレライ」
「リンデンバウム」
「夜鳴きうぐいす」
「墓と月」
「4声のカノン“そうでなければならない!”」
「シンギング・クラブ」
「アナクレオンの歌」
「死んだ男の残したものは」

776 :
帰ってきたウルトラマンのワンダバは何重唱なのだろう

777 :
片山杜秀が選ぶWERGOおもしろ現代音楽
こんなCDのシリーズがあったんだ

778 :
片山さんって自分は中流家庭だったみたいなことをよく言うけどどんくらいのうちだったんだろう
背伸びしてヴァイオリン習わせたのか、それともアッパーミドルでも相当いい感じのほうだったのか

779 :
小学校から暁星だぞ

780 :
>>779
ああ、暁星なのか・・・
中流といってもアッパーミドルの上の方ってかんじかな

781 :
今の日本で中流と言うと
年収数千万円から年収200万くらいまで入りそうだしな
年収数千万クラスの中流だろうよ

782 :
いとこが暁星小だったけど大変そうだったな
おれも小学校受験で暁星と国立とか受けて落ちたから近所の公立だったけど、小学校は公立で良かったなとホント思う
いとこは中学から留学しちゃったけど暁星が厳しかったからっていうのもあったんじゃないかな

783 :
あれ、明日も再放送??

784 :
>>783 いいえ

785 :
新作かやっほー

786 :
今週の夏裘冬扇つまらなかった

787 :
今日のやつ聞き逃した・・・

788 :
片山の仕事場からお送りしたものだった。
仕事場が家なのか、大学なのか不明だけど。

789 :
最後に自宅って言ってなかった?

790 :
「リンデンバウム」が元はシューベルトの曲だということに触れてなかったな

791 :
>>790
古典〜ロマン派なんてそもそも興味がないんだろうな

792 :
>>771
シェーンベルクの十二音はトーラーのことも考慮に入れるべきと思う。
その意味ではのちのトータルセリエズムは正当なシェーンベルクの後継者(嘘

793 :2020/06/08
トーラーってモーセ五書の?意味が分からん

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