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何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか2
- 1 :
- 国力差があるとされる魏(晋)は何故、呉と蜀を滅ぼすのに時間がかかったのか
- 2 :
- 前スレ
何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1490017753/
- 3 :
- おつ
- 4 :
- 宮城谷ニワカ信者からすると北の方は春秋戦国時代から漢代にかけて資源が枯渇したってのが一番の理由な気がする
- 5 :
- 蜀
@北伐と称していつも大人数でやってくるが、北時点で皆様疲れてカツカツなのを見ると、向こうに行くときは同じくらい疲れるのはヤダ
Aわざわざ行って勝ったところで雑穀畑が手に入るだけ。味覚音痴の飯など食えるか。メリット薄い
Bガングロヤンキーが元気なので緩衝地帯にしておきたい。相手は任せたわ。
Cだいたいさ、東京23区に住んでてウハウハなのに、なんでわざわざ秩父の土地を取りに行かなきゃいけないのさ。別荘なら湘南(呉)のがいいもん。
- 6 :
- 倭なんかを取り込もうとするくらいだもんな
当時は呉の東海上にあると思われてたらしいが
- 7 :
- >>4蜀と呉の方が資源あるとは言われてるね
特に蜀
魏も資源全く無いわけじゃないんだけど人口多すぎてそれをカバーできるほどじゃ無いんだろうな
- 8 :
- 蜀は銅山あるけど魏は銅不足で貨幣不足が深刻だったもんな
- 9 :
- 銅の産出地が長江流域に近かったわけだからね
曹魏は江南や四川の資源なしで国家を運営していかないといけなかったから中原王朝としてはとても脆弱に見える
- 10 :
- >>6
呉が倭の方角に遠征したという記録はあるが
日本列島に到達した物証がまだ見つかっていない。
- 11 :
- >>6
黒潮のせいでそう考えられてたのかな?
- 12 :
- >>10
呉の赤烏年間と印された神獣鏡が日本の遺跡から出土した例が幾つかあるって聞いたが
- 13 :
- >>12
長江文明時代から米作民族が日本に流れてるのは定説なのよな
朱然の墓とかからも日本と繋がりのある出土品が出てる
呉は刑法に厳しい上何故か山越を定期的に吸収しなければいけないほど人手不足だから
流民については推して知るべし
230年に台湾と日本に遠征された私掠船団が結局日本に到達できなかった記録から
呉が公式に行ったという説には結び付けられない
- 14 :
- 北伐が成し遂げられたのは
明と中華民国くらいか
- 15 :
- >>6
そういや曹操の親族に会稽曹君なる人物(会稽太守の曹某?)がいるそうなんだが、そいつの墓から倭人がどうたらって書かれた走り書きが見つかってるらしいな
- 16 :
- 全然関係ないのだが三国志展のTwitterで
「董卓の信頼あつい蔡?(さいゆう)は、かつて学者として洛陽の太学に儒教の石碑を立てました。」
とあったんだが 最近は さいゆう と読むのかな?
?は よう とか ゆ と読むみたいだけど…まぁ日本語の読みなんてこれだってのはないと思うけど
- 17 :
- >>14
明:元が中華帝国の維持を諦めた+財政破綻に便乗できたのが勝因、以後も北元が明滅亡まで漢民族を悩ませる
民国:欧米列強に清がボコボコにされた+袁世凱が裏切ったのが勝因、以後もWW2終戦まで満州国が漢民族を悩ませる
その2つを見ても晋、隋、元みたいな完勝がないのよな
やはり単純な戦闘力は南方<北方なのを伺わせる
- 18 :
- >>12
軍隊が遠征に神獣鏡を持っていったとは考えにくい。
- 19 :
- >>18
孫権が将軍衛温、諸葛直を夷州、亶州に派遣したのが黄龍二年(西暦230年)、赤烏はその後の年号だね
黄龍年間の亶州遠征は呉主伝にある通り失敗に終わったのだろうけど、銅鏡が出土してる以上その後何らかの形で呉と倭国の間で交流が成立したということになると思う
この時期呉は遼東公孫氏を傘下に治めようと画策していたし、倭国が遼東公孫氏と交流を持っていたのでそっち経由で伝播した可能性も考えられるけれど
- 20 :
- >>14前漢は?と思ったけど相手の楚も南方の政権だからちょっと違うか
漢VS楚はどっちかっつうと東西の対決で秦VS楚の延長上の戦いなんだよな
- 21 :
- 製造と伝来の時期にはズレがある
- 22 :
- >>21
とはいえ元号が正しければ製造が238年だから公孫経由で入手という線は薄いかな
魏晋経由でそんなもん渡すのも変だろうし、何らかの形で呉→倭への渡航はあったのは分かるけど
- 23 :
- 三国〜南北朝の不思議なとこは、中原が資源のない土地になったにも関わらず、後年のように黄河が氾濫起こさないとこなのよな
普通なら木が希少になるくらい伐採されてたら地盤が緩んで川の浸食、土砂堆積作用が悪化するような気もするんだが
- 24 :
- 黄河の下流とか干上がっていたんじゃないのかね
- 25 :
- それもきっと地球が寒冷化していたからだろうな
- 26 :
- 寒くなると乾燥するからな
- 27 :
- 温暖化だと水害が増えると聞くな
- 28 :
- 同時攻勢くらっても戦力に余裕あるもんな魏は
- 29 :
- 対呉(赤壁)
対劉備(漢中)
対関羽(荊州)
を見れば、国力の充実が如何に重要か、ということが分かるな。
まあ、対関羽戦は独力でもどうにもならず呉の力も借りることになったが。
- 30 :
- 軍事力の物量では魏が勝り、将帥の質では呉蜀が勝っていたという事実だな。
呉では周瑜、陸遜。蜀では劉備、関羽、張飛。と一部に限られたくらいの話ではあるが。
- 31 :
- >>30
西暦220〜240年って魏武官の日照り時期でもあるのよ
武帝時代の将が老齢になったり文帝の出征で犠牲になったりとかしてる
それを埋め合わせできる質のが長らく出てこなかった
(仲達が武官ナンバーワンになったのはそのため)
このあたりに呉蜀に決着をつけさせなかったのが魏の地力の高さ
- 32 :
- 満寵あたりが司馬懿ポジションにつく可能性はあったのだろうか
- 33 :
- >>32
Rは子孫が司馬昭にぬっころされてたりと、危険視はされてた模様
揚州軍閥も度々司馬の専横に反感持つあたり、長生きしてたら好き勝手はさせなかっただろうな
- 34 :
- 司馬一族は短命で終わったあたり、国内をまとめられなかったんだろうな。
- 35 :
- >>34
司馬孚「」
- 36 :
- そら前後合わせて400年の漢王朝があっさり滅んだんだ
一時の勢いとペテンのしあがった曹や司馬のぽっと出政権なんて勢いが無くなったら自己保身だけ気にしてあっさり見捨てるさ
- 37 :
- 八王の乱と永嘉の乱って前漢で言えば呂后の専横と呉楚七国の乱と冒頓単于の来寇が一緒に来たようなもんだからな
周勃、陳平のような冷静で賢明な重臣がいれば、或いは文帝劉恒のような指導力のあるリーダーがいればこうはならなかったのかもしれんが
- 38 :
- >>37
指導力のあるリーダーすら西晋維持に匙を投げた(司馬睿、司馬越、司馬保)から十六国になったのよな…
魏は異民族が中国で王朝を開きやすい地盤を作り上げた元凶ともいえる
天下万民はおろか王族にすら弱肉強食を強いる律令、墓や敗残兵から財を得るという略奪行為、騎兵による制圧術
全てが異民族の風習とマッチしている
司馬の簒奪も、後世の異民族皇帝の文弱化→功臣の簒奪のモデルケースに見える
- 39 :
- 司馬睿はむしろ懐帝派の州刺史(華軼)を攻撃していた西晋滅亡の元凶の一人では
- 40 :
- 司馬炎の平和ボケが大きい
後継者は司馬炎じゃない方が良かったんじゃないか
- 41 :
- 唐太宗のバイアスに乗せられてる人がいて草
- 42 :
- 司馬睿は王と馬と天下を共にすのせいかヘタレな印象がある
- 43 :
- >>35
あんた司馬一族では一番の犠牲者やろ
親魏の姿勢を貫いても、甥にいいように権勢使われたあげく皇帝惨殺なんてもんまで見せられるし
親族だからってショウサイや陳泰みたいに精神病んで死亡or暗殺という逃げ道すら用意してもらえない
生き地獄っぷりは皇后何度も殺されてる献帝に次ぐと思う
- 44 :
- >>40天下統一するまでは名君だったからなぁ
典型的な途中までは名君だったけど、後で暗君暴君になる系の君主だな司馬炎
- 45 :
- >>43
薄葬すすめてた魏に見せつけるような豪華なお葬式までされて最後まで哀れ
- 46 :
- >>35
93歳まで生きたってのは、それ自体が偉業だな。
- 47 :
- >>44
後継と体制を間違えたわけだから自分の代だけは良いけど系の君主だな
ただ曹魏の反省からくる体制だったわけであの崩壊を防ぐのは難しかったかも
- 48 :
- >>47
賈一族という第一級戦犯を消せなかったのが一番の原因よ
文字通り何でもするクズ賈充を除去できなかったせいで炎以降の外戚政治を招いた
- 49 :
- 中央で外戚同士が殺しあった(がために王朝が滅亡した)反省から東晋の外戚の筆頭者は朝廷外に州鎮として転出されるようになったんだよね
- 50 :
- >>49
それでいて権限もそこまで大きくなかったしな
桓温の足引っ張らなければ東晋が再統一した可能性まであるし、歴代の南朝の中でも政治構造の完成度は高いと思う
劉宋がマッドマックス世界というのもあるが
>>48
何晏派だったり皇帝殺害したり呉出征の邪魔したりと、死ぬ要素満載なのに生き残って出世するあたり中国英傑特有の悪運を感じる
せめて恵帝の皇后輩出せず司馬攸派としてフェードアウトしていれば、まだよかっただろうに
- 51 :
- >>50
>生き残って出世するあたり中国英傑特有の悪運を感じる
生き残れた理由はなんだっけ? 運以外で。
- 52 :
- 出先でID変わってたらすまん
>>51
司馬炎以前は、はっきり言って皆無
何晏に推挙〜正始政変で免職までの期間は功績は書かれてない
親父はとっくの昔に死んで権威がない
司馬昭時代も諸葛誕への聞き取り調査と皇帝殺害くらい
強いて挙げるなら、司馬氏の度量の大きさの誇示のために生かされていたという感じか
(王凌の姻戚である郭淮や、反逆者文欽の息子たちも生かされている)
- 53 :
- >>47
曹魏の反省からくる体制?
体制大幅に変えたっけ?
身内以外が身内よりも信頼できなかっただけじゃ?
- 54 :
- でもゲームでは果汁さんは軍師やでw
- 55 :
- >>53
実力主義→血統主義
質実剛健→豪奢
宗族冷遇→宗族厚遇
外戚空気→外戚席捲
これだけでも結構違う
- 56 :
- 晋は統一後に緩みきって重役が清談で選ばれるような状況になってたのが痛手だったな
しかも炎のせいで財政が逼迫するし八王の乱で実務要員まで壊滅した
漢にボコボコにされるのも納得がいく
魏は国力こそ呉蜀を上回っていたが、晋みたいな余裕が一切なかったからこそ統一できなかったと思う
綻びが生じると建て直しに時間がかかる状況ではリスクを冒して攻められないわ
- 57 :
- 血統主義というか九品官人法の問題が取り沙汰されたのは司馬炎の時代より前
魏は宗族はいうほど冷遇してない
- 58 :
- >>57
ヒント:問題になるような改悪したのは?
末期は半分乗っ取りされてるからパッと見魏のせいになるけどね
- 59 :
- 清談はだいたい何晏とかそのへんのせい
血統主義はだいたい州大中正のせい
- 60 :
- 清談できるだけの教養や経済的余裕を持っている士人以外でも政府中枢に食い込むことができる人事制度の方が怖いと思うぞ
時の権力者に近しい人間が誰でも彼でも政権に参画することになるだけじゃないのかな
- 61 :
- >>58
問題点は改正前から夏侯玄に指摘されてる
司馬懿が州に大中正を導入したことでその問題点が助長される結果になったのも確かだが
魏は宗族を冷遇したとしてる一方で、曹真曹休らに強大な軍権を与えてることってどう解釈するべきなんだろうな
- 62 :
- 改正で問題助長しちゃだめっしょ
- 63 :
- >>61
曹真:養子
曹休:遠すぎる縁戚
皇位継承権が原則としてないからこそ使われたともいえる
魏の即位者(候補含め)は全員曹操の子孫だから
因みに夏侯玄の改善策(中正官を皇帝直属にする、極官上限を皇帝裁量にする)は
何晏が実施しようとしたが政変で潰された
夏侯玄もその後処刑されるあたり名士と朝廷の溝の深さを感じる
- 64 :
- 遠い親族まで優遇で
曹叡が曹于と仲がよかった等々
魏の宗族は言われるほど冷遇されてる印象はない
- 65 :
- >>61
魏の問題は宗族の冷遇より過剰な中央集権や
司馬氏がクーデターで権力奪取出来たのは
中央を抑えたら地方に対抗出来る勢力が無かったから
- 66 :
- 魏とは逆に晋の八王のメンツ見るとそれぞれが州郡レベルの土地を支配してるのが分かる
これはこれで分権し過ぎというね
- 67 :
- >>65
親魏派でも足並み揃わないしな
王凌、カンキュウケン、李豊、諸葛誕も動きがバラバラ
結局は利害関係でしか魏を掲げる利点がないからこその惨状
- 68 :
- 司馬氏は血縁関係あっても足並み揃わんし…
- 69 :
- >>67
とはいえ漢民族という観点で見ると
中央での政権交代で済んだ魏の方がマシだったのかもしれんね
- 70 :
- >>68
血縁なんて一代違えば嫁さんの実家の方が親近感あるレベルやし
- 71 :
- 魏から晋への王朝交代で大して国力落とさなかったのに
王朝内の内乱で国力使い果たすとか皮肉にも感じるわ
- 72 :
- 八王の趙王と汝南王は司馬懿の子なのか
- 73 :
- 人材育成や教育をおろそかにした付けが回ってきたのかな
- 74 :
- 西晋の場合あれだけ王公がいたらまともな学問の師をつけるだけでも大変だったんじゃないのかな
- 75 :
- >>74
教育以前に
結局のところ兵権+相続権が鬼門なんやろ
- 76 :
- 司馬倫はまともに教育しとくべきだったなw
- 77 :
- 倫は学習障害かなんかじゃなかろうか
西晋の王乱立はやりすぎやけど寒門人士や旧敵国の遺臣のセーフティネットでもあるから
- 78 :
- 倫ちゃんの一番ダメなところは性格だから…
- 79 :
- 司馬ユウが跡を継いでいれば
- 80 :
- >>77
つまり人事制度が悪かったと
- 81 :
- >>79
唐太宗さんチィッース
- 82 :
- >>81
誰それ?
- 83 :
- >>82
晋書の作者
晋の正統後継王朝を唐にするため勅撰した
- 84 :
- >>83
隋があるのにそんなことしたのか
- 85 :
- >>84
隋は都合の悪い存在だからな
唐こそが「久しく待望された漢民族の統一王朝である」と後世に広める必要があった
太宗自身も異民族なのを隠したのはそのため
煬帝という名称も皇帝と認めないために唐が付けた名前なのはあまり知られてない
その徹底ぶりは海を隔てた日本にもよう「だい」と発音が伝わるほど
- 86 :
- >>85
唐は漢民族でもないし隋から禅譲されたのにな
- 87 :
- >>80
州大中正のせい
- 88 :
- >>85
お陰で楊広さんの本来の諡号の明帝が、ほぼどこの国とか問わず通じないレベル。
まああんまり諡の明は過去の付けられた事例からしたら、それ程良くはないらしいけど。
天台宗からしたら開祖天台大師の大檀那だった楊広さんを尊重してもいいだろうに、中国の天台宗のみならず日本ですら煬帝呼ばわりだから酷いよね。
- 89 :
- 劉荘
曹叡 土木工事で民衆を苦しめた
司馬紹 「この王朝も長くないわー」
石勒 虐殺者
劉ケ
蕭鸞
宇文毓
楊広 煬帝
美謚ではないわね
- 90 :
- 司馬穎も学問は駄目だったっていうしこいつを見込んだ盧志や陸機はなんだかなって感じ
明帝って付けられた奴頭は悪くないな。行動が色々よろしくないが
- 91 :
- >>90
名士も外戚以外は王族に気に入られないと使われないという状況だから、神輿を担がざるを得ない現状で生き延びようとしてるだけ
土断法や外戚政治によって王族と側近に権力が集中し過ぎている
- 92 :
- >>89>>90
明は美諡になるんで明清になっても多用されてる。
確かに明晰とか人に先んじて知識に明るいという意味があるので、頭が良いというのは当たってる。
けどここに挙げられた面子の微妙さで、折角の美諡が美諡っぽく感じないのがねぇ。
- 93 :
- 土断って東晋以降だから西晋関係なくね
- 94 :
- >>93
っ司馬亮
ただし途中で賈南風にSATSUGAIされて空気化する
名族から私兵や私領を完全に取り除くのが一番の目的だった
- 95 :
- 衛瓘の土断の建議は実行されてないから何とも言えんし
八王の乱のときに私領や私兵を擁して割拠した名族ってあまり思い浮かばないわけなのだが
王浚なんて本籍地と無関係な幽州で婚姻政策で鮮卑を引き入れたりしているから土断やっても王浚割拠は阻止できなかったケースになると思う
- 96 :
- 王浚は石勒にあっさり殺されたから目立たないだけで下手すりゃ華北に覇を唱えてた可能性あったもんな。
- 97 :
- >>96
>>96
とはいえ三国で言うなら公孫賛クラスの雑魚なんだよな>王浚
こんなのが席巻できるくらい中原が弱ってたという皮肉よ
- 98 :
- 石勒相手に勝てるやつがどれだけいるかという話
暗殺や斬首作戦を平気で仕掛けてくるヤベーやつ
- 99 :
- >>98
勘違いされがちだが、それより危険なのが軍壊滅→復活復讐37564を何度も決められる生命力なのよ
石勒自体は案外負けてる
- 100 :
- 石勒は曹操と劉備と呂布を混ぜて三で割ったような人物というイメージがあるな
- 101 :
- 石勒は高祖劉邦と同じ時代に生まれてたら劉邦に臣従し、光武帝劉秀と同じ時代に生まれてたら劉秀と対等に天下を争い、曹操司馬懿のように既存の権威を利用するような輩など相手ではないと豪語していたけど
曹操、司馬懿と同じ時代に生まれていた世界線が見てみたいものだ
- 102 :
- 曹操が基盤を築いた後の司馬懿には勝てると思えんな
- 103 :
- >>102
70歳から72歳頃の司馬懿か?
- 104 :
- 基盤がない司馬懿ならどうなの?
- 105 :
- >>104
司馬懿50代(宛時代)、石勒30代(独立前の趙王)を想定
諸将に迎撃指示するもボコボコにされて敗北して仕方なく降伏
↓
敗北理由について雄弁に語る知識を披露し生き残り、参軍および将軍として仕える
↓
漢民族の知識と豊富な軍知識で疎まれながらも重用される(おそらく拠点を持つよう進言する)
↓
戦では遼東並の殺戮をしてドンビキされつつも忠節を評価される
↓
石勒とほぼ同時期に死亡する、石勒が先に死んでも簒奪はできないだろう
後世の評価想定
・漢民族の名家でありながら蛮夷に屈して同胞を殺したと酷評
・軍学は高いとされながら文人要素(詩歌や交友)は糞という逸話が多くなる
・心の底では異民族を見下してるとされる(息子が異民族と通婚→奥さん毒殺の逸話誕生)
・やっぱり首180度以上回りそう
・司馬師は石弘につくが石虎に野心を利用され離間→酷刑十族皆殺しにされる
総合的に見て(張賓+崔浩)/2の知の功臣、人間性は苟稀+石閔の残虐野郎という立ち位置になる
- 106 :
- 何この妄想長文
- 107 :
- >>106
このスレでそれを言うのは馬鹿だろう
- 108 :
- FGOでこの三つのサーヴァントが戦うところを
- 109 :
- 石勒はトータルウォー三国志八王の乱に期待
- 110 :
- >>108
イラネ
- 111 :
- >>106
>>101を参考に互いに基盤ができる直前で争わせてみた結果
ガチガチのセオリー人間の司馬懿が、同兵力で石勒に勝つのは無理
でも普段は卑しさを見せないから石勒に取り立てられるのは簡単だと思う
それでいて基本的に上に従順に従いながらも、自利を追求することに長けた人物だから
相手の思想を汲みながら着々と功を積み上げる姿が見えたわけ
評価については史実の隋唐のような自称漢民族国家が立った場合で考えた
- 112 :
- 前スレでソウヒ長生きしてたら〜って話から
某所の延命議論で「孟達が長生きするから北伐が頓挫する」とか「呉質も長生きして司馬師に男子が生まれる」
って仮説が立てられてるのを思い出した
間接的要因で魏が勝ちそうだな
- 113 :
- >>112
ホウトウと法正が長生きしていたら歴史は変わったかもしれない。
- 114 :
- 法正は惜しかったね。
歴史は変わらなかっただろうけど、北伐は多少変わったかもね。
もし法正だったら魏延と孔明どちらを選んだか気になる。
- 115 :
- 法正は参謀としての才能はあっても
軍を統率する司令官としての才能があったかどうかは分からないからなぁ
魏延も人望無いから一将軍としては良くても総大将になる器じゃないし
結局は諸葛亮が北伐軍を率いてる気がする
- 116 :
- >>112
それは仮説ではなく妄想や空想の類
- 117 :
- >>116
死因とかがハッキリしてる奴は、そこが何とかなると仮定されたら延命できるのは分かるけど、無理だったり不明な奴はな・・・
逆パターンも勿論あるから「タラレバ論」って案外難しいのよ(20世紀架空戦記で突拍子もない設定が出ても髭伍長が大抵悪役なのはそのせい)
- 118 :
- ホウ統が死んでなかったら張飛や孔明さんが荊州に残れたから
呉との折り合いとか荊州軍の運営もポカが減って
関羽敗死と荊州失陥も無くなる可能性まであるからなあ
- 119 :
- >>112
曹丕曹叡が長生きしてやっと「魏による」天下統一の目があるってところやな
クーデターによって国を奪った後継の晋が天下統一している訳だから
クーデターが起こらない条件は何かというところやろな
- 120 :
- >>118
まあ呉との外交を担当してたであろう孔明が荊州に残っていたなら状況は変わってたのかもしれんね
とはいえ孔明は蜀科制定に携わるレベルで蜀全体の内政の要になってるから結構無理筋な話ではある
- 121 :
- >>119
八王封建だな。こんだけ居れば宗室も安泰
- 122 :
- 関羽の北上って関羽の独断だっけ?
- 123 :
- 仮説を立てているつもりの奴がいたのかw
- 124 :
- >>123
文帝(曹丕)は、朱建平に自分の寿命を尋ねた。朱建平は「将軍様のご寿命は八十歳ですが、四十になられた時にいささかご災難がございましょう。どうか気をつけて御身を守られますよう。」と言った
因みにこれが延命ソースな
- 125 :
- >>122
ハン城までは恐らく戦略通り
そこから候音金偉をはじめとした反乱があったり于禁降伏で兵力増えて増長してからは多分別
孫権との縁談を勝手に蹴ったのは間違いなく独断だし、あくまで節しかない関羽がやっちゃいけないことだった
>>121
逆に無能な宗室を使わないことが鍵だと思う
曹爽の失脚は実力主義の魏において実績がなかったことで功を立てようと暴走したのが原因
逆に言ってしまえば宗室は黙ってそれなりの地位に留めておいて、田予や王基みたいな宿将をそれなりに優遇すれば
一人だけ突出した功臣に名族が率いられて反旗を翻すことを防げる
- 126 :
- >>123
たった1人のリサイタルですよ。ifに可能と不可能があるとか言ってしまう時点で誰の言うことも聞かないだろう。
- 127 :
- 反実仮想分析counterfuctual analysisは歴史学や国際政治学で認められた分析手法なんだけど
環境要因が全部一緒だから結果な推論が史実に近いところに落ち着いてしまうという欠点がある
- 128 :
- >>126の主張まんまの反三國志はどうして評価されないんだろうね
つまりそういうこと
- 129 :
- >>125
そもそも孫権が勝手に関羽に縁談を求める時点で異常だと気付く人が意外に少ない
まあぶっちゃけ孫権の引き抜き工作と考えるのが妥当で断った関羽を批判するのは的外れ
なお「虎の娘」云々の発言は演義だけな模様
- 130 :
- 引き抜き工作って2chしか流行ってないよね
普通に考えれば同盟無視して国境荒らす関羽に対しての人質要求だよね
- 131 :
- >>130
お前
家の周り荒らす奴と親戚になりたいのか?
色々大丈夫か?
- 132 :
- >>131
荒らさないようにするんだろ
理解出来てないのかな?
- 133 :
- そもそも孫権の妹が劉備に嫁いでたのも人質だったとでも言うんやろか?
- 134 :
- >>132
今度家の周り荒らす奴が居たら
人質下さいって言ってみたらええねん
- 135 :
- >>134
荒らす奴がいるから娘を寄越せって引き抜き工作するの?
意味が分からん
- 136 :
- >>135
荒らす以前に関羽は荊州の軍を指揮する将軍
誼を結んで引き込もうとするのは普通
引き抜かなくても婚姻を結んだ事実自体を離間策に使える常套手段
- 137 :
- >>136
常套手段って関羽以外誰がその策に引っ掛かったの?
- 138 :
- >>133
同盟に政略結婚はつきものだろ
孫策が曹操に服した時に孫策の従兄孫賁の娘が曹彰に嫁いでるし、孫匡に曹操の弟の娘が嫁いでる
曹操が一時的に袁譚と和睦した時に袁譚の娘が曹操の息子に嫁いでる
このように、この種の政略結婚は半ば人質に近いのが世の常だろう
劉備に嫁いだ孫夫人も、法正伝によると諸葛亮に内変の元になるのではと警戒されてたしね
その後、孫権が共同出兵を持ちかけたのを出し抜いて劉備が単独で入蜀した結果、孫夫人が実家に帰ることになって蜀呉が緊張状態になった
そういう中で孫権が劉備の身内である関羽から娘を要求するのは自然な流れだと思う
こういう経緯を見ると劉備が信頼できる同盟相手であるとは到底言えないしね
- 139 :
- >>137
引っかからなかったから
史書上で関羽の所為にして言い訳しとるんやで
- 140 :
- 婚姻結んで絆で縛って家族を人質にとって裏切りにくくする
普通だな
犬の子のくだりが創作なのは知ってる
問題にならないように機転をきかせれれば良かったが関羽は外交は得意じゃなさそうだしな・・・
外交問題にならないような断り方が存在するかは知らない
- 141 :
- >>138
君主の劉備が信用ならんから配下の関羽と婚姻を結んで同盟?
色々おかしいですねえw
- 142 :
- >>140
>婚姻結んで絆で縛って家族を人質にとって裏切りにくくする
関羽が孫権の配下なら普通だな
- 143 :
- >>127
架空戦史もので結果が史実に近くなるものが尊ばれるのはそこよね>学術的手法
三國→五胡十六国も地球規模の寒冷化を覆えせないと形を変えながらも実現されるだろうし
九品官人法も戦乱で郷挙里撰が崩壊してた事情が採用に絡んでる
>>140
単純な人質要求じゃトーリコンみたいに口車で拒否できるからな
そちらにもメリットありますよと思わせるために縁談という形を取るわけ
関羽はまず独断で決めずに劉備に上奏すべきだった
むしろそれを心の片隅に置けないほど独立勢力化してたとも取れるが
- 144 :
- >>141
劉備には記録に現れる限り三人娘がいて、そのうち二人は長板で曹操軍に囚われている
最後の一人劉禅の姉はのちに諸葛亮の養子諸葛喬に嫁いでる
普通だったらこの劉備の娘が呉に嫁ぐのが自然だと思う
しかし、嫁ぐ相手が孫権の長子孫登なのが問題視されたのだろう
孫権が長生きし孫登が夭折した結果、孫登の系統は呉の嫡流から外れたけれど、本来なら孫権→孫登→その息子というように孫家の家督が継がれる流れになる
つまり、もし孫登と劉備の娘の間に嫡男が生まれたら蜀が呉の家督争いに介入する機会を与える恐れがある
それ故に劉備の娘を避けた結果、劉備にとって宗族と言っていい関羽の娘に白羽の矢が立った、というのが自然な流れだと思う
無論、孫権の方に姻戚関係を通じて関羽を抱き込む下心があったことは想像に難くない
- 145 :
- 上奏すべきだったのはそうだね
頭いい奴がもう少しマシな断り方を教えてくれたかもしれない
独断で断ってるのがマジで呉をナメてる感がするわ
結局それで「呉が同盟やぶって荊州とっちゃったけど関羽の態度も悪かったんだよ」と言われてしまうのは仕方ないことだ
関羽はいろいろと迂闊だった
ほとんど犠牲なしで荊州とれた呉はうまくやったなと思う
- 146 :
- そもそも婚姻の条件が上奏する様な内容じゃなかったと考える方が自然やけどな
君主の劉備を無視して仮節しか持たない関羽に交渉仕掛けてる時点で怪しさ満天よ
受けるフリとかする策は参謀が進言して君主が行うならまだしも単なる将軍が行うにはリスクがあり過ぎる
- 147 :
- >>145
呉の荊州奪取から夷陵にかけて一番得したのは魏なんやけどね
なにしろ最も攻撃的で魏に被害を与えてた蜀の戦力を一兵も損なう事なく壊滅させてる
結果襄樊で援軍を逐次投入しなきゃいけなくなるほど不足してた戦力が夷陵後に呉へ三面攻撃加える程回復している
- 148 :
- まぁそれもあるな
荊州とりの正当化のために利用されたエピソードの1つだとも思うよ
ただちゃんと対応してればこんな形で呉側に利用されることもなかったのにと思ってな
そこらへんも含めて迂闊だったと書いた
- 149 :
- >>147
そうだったここ魏スレだったな
夷陵はうん・・・魏にとっては棚ボタだったろうな
あの時に呉に勝てればスゲー美味しかったな
- 150 :
- >>137
>常套手段って関羽以外誰がその策に引っ掛かったの?
ヴァイキングのロロはフランク王の娘とノルマンディー公の位と領地をもらってヴァイキングを裏切ったぞ。
- 151 :
- >>149
夷陵で共倒れ狙ったからこそ魏は関羽逃がしたのよ
途中までは戦略のとおりに事が運んでいた
- 152 :
- >>127
その結果に何を求めてるのか?行き着く先も分からないよね。
自論のねじ込みに他人の論の否定の不毛なサイクル…。
- 153 :
- >>150
娘差し出してないじゃん
- 154 :
- まあ日本人的に分かりやすいのが
家康の秀吉死後に行った婚姻による味方引き込みやろね
そもそも大名同士の勝手な婚姻がなんで禁止されてたのかって事
- 155 :
- >>154
だから引き抜きたいから娘を差し出せって例を出してくれ
- 156 :
- >>155
政宗は息子の嫁を貰ってるケースやね
- 157 :
- >>156
どの息子?
- 158 :
- >>157
言い方悪かったな
息子の忠輝の嫁を政宗から貰ってるケース
てか有名過ぎて聞く様な内容じゃないやん
- 159 :
- >>158
伊達のところに養子に行った忠輝と関羽の例が一緒って事?
- 160 :
- >>151
魏に対して攻撃的な蜀が夷陵で甚大なダメージ受けたことがラッキーだったねって言ったんだよ
途中まで戦略通りってどこまで?
- 161 :
- >>159
忠輝は松平のままで養子になんて行ってないぞ
まさか娘婿と養子の区別すら知らないのかな?
- 162 :
- >>161
結城と勘違いした
これはすまない
つーか、伊達って豊臣に面従腹背で関羽と同類にしてもいいの?
- 163 :
- >>160
関羽が徐晃に負けて逃げるとき、徐晃は追撃して関羽を討とうとしたが、チョウフが関羽を逃がすことを提案
生きてたらいずれ呉への脅威になるし、仮に呉に討たれても蜀と呉を仲違いできると見抜いたわけ
恐らくチョウフ(と彼を参軍させた曹操)は関羽が呉ともめてることを知っていた
第一次北伐以降の対応といい、魏はところどころで鼻の良さを見せている
- 164 :
- >>162
むしろ面従腹背の伊達と同じ事を関羽がする方がヤバい
というか当たり前の様にしなかっただけという話や
- 165 :
- >>163
徐晃が負けた後も襄陽の包囲は続けてたから関羽が撤退したタイミングはもう少し後やね
- 166 :
- >>164
意味がわからん
常套手段なんだから似たような実例が沢山あるんだろ
伊達の場合は目的が一緒の同盟だろ
- 167 :
- >>165
徐晃は負けてないぞ
- 168 :
- >>167
すまん徐晃「に」や
- 169 :
- 一方おまいらのムスコは加齢のせいでションボリしていた
- 170 :
- >>169
どこの誤爆だよ
225年の呉攻めは長江が凍るほどの寒波で頓挫
この時なら漢中以南に攻め入っても疫病に悩まされなかっただろうに
文帝は呉に入れ込み過ぎた
- 171 :
- >>153
西フランク王シャルル3世の庶出の娘ジゼルを嫁にもらっている。
- 172 :
- >>166
徳川と伊達が目的一緒の同盟?
伊達さんいつからそんなに偉くなったんやろか
- 173 :
- >>171
娘を差し出す方が関羽と同じ立場になるわけだから
シャルルが裏切ったって言いたいのかな?
- 174 :
- >>152
どこまで前提を破壊すれば別の道が見えるか
またはどういう条件があれば破滅の道を選ぶはめになるかの研究
これのいいとこは、史書の所々で不可解な選択をしている奴が発覚して
なぜそいつが不可解なことをしたかが分かること
賈充なんてまさにそれで以前よりもクズさが浮き彫りになった
- 175 :
- >>173
頭がおかしいのか。関羽は嫁を拒否しただろ。
- 176 :
- >>172
史実バサラの関ケ原の時とバサラ学園の時に
>>168
徐晃にゃんに見えた
>>175
正史の恋姫ならむしろ関羽が嫁
- 177 :
- >>172
何時から伊達さんは親豊臣派になったのか?
- 178 :
- >>175
馬鹿は君だ
嫁を受け入れや拒否するなんて問題にしてないんだよ
娘を欲したのが同盟強化や人質では無く
引き抜き工作の常套手段というぐらいだから
引き抜きを掛けられる方が娘を要求される例が沢山あるんだろ
裏切る方が娘を差し出す例を出してくれよ
- 179 :
- 最初に常套手段って言った奴ももういなさそうだし
出た例も三国志意外の話だから少なくともあの時代では常套手段ではなかったんじゃね
魏呉蜀の間では無さそう
まだ勢力図が固まっていない時点で、支配下に置いていない一族に対して政略結婚を迫り、立場を表明させることはあっただろうけど
スレタイからも離れてきてるしもうよくね
そんな気になるならよそでやって
- 180 :
- 時代も場所も違う話を長々とやられてもな
- 181 :
- >>178
戦国時代は裏切る証として嫁やら娘やら送ってばかりやん
- 182 :
- >>178
家康
はい終わり
魏は曹叡時代から鄒岐や程喜みたいな奸臣が足を引っ張ってるのがなぁ
ぶっちゃけコイツら曹爽一派かそれ以上に癌だ
権力が皇帝に集中したからって、その残りを貪ろうとして共食い始めてダメになった
- 183 :
- >>115
> 法正は参謀としての才能はあっても
> 軍を統率する司令官としての才能があったかどうかは分からないからなぁ
なかったと思う。有能ではあったが、人間性に若干問題あったようだから。
- 184 :
- 例で戦国時代をだす馬鹿達は
>>129の
>そもそも孫権が勝手に関羽に縁談を求める時点で異常だと気付く人が意外に少ない
これに矛盾してるんだよね
血を残すのが目的の日本の戦国時代なら親と子で別の家なんてよくある事だからね
まあ、中国の人間を出せない時点でこの話は終了だな
- 185 :
- >>184
人質出して裏切るのは趙昴おるで
他にも馬超や韓遂とか
とはいえ基本的に中国って儒教という呪いから逃れられないから名族になるほどこういう行為を忌避するのは事実
- 186 :
- >>185
だから人質だろ
だから関羽も引き抜き工作ではなく人質で終わり
- 187 :
- 結局孫権と関羽の婚姻がいかに危険かって事はよく分かったと思う
ぶっちゃけ即断るのは当たり前だし劉備に伺いを立てるまでもないレベルの話
これをもって仮節しか持たない関羽を叩くのは呉書を額面通りに盲信するだけの思考停止みたいなもの
- 188 :
- >>186
人質出す時点で引き抜かれてるも同然やん
- 189 :
- >>188
意味が分からん
趙昴はどの時点で人質を要求されてるんだ?
関羽みたいに自由に動けるだよね
- 190 :
- 結局のところ裏切り者の劉備関羽一党は戦争相手を曹操だけに向けてないからの自業自得なんだよね
- 191 :
- >>190
孫権は曹操に降伏したから曹操としか戦ってないぞ
- 192 :
- >>191
残念
降伏前に関羽は国境荒らししています
- 193 :
- >>192
明確にへいを起こしてるのは215年も219年も呉やね
- 194 :
- まあ、現代では正史での良し悪しなんて完全に消し飛ばされてしまったんですけどね。
現代の荊州に君臨する関羽の威光たるや、荊州は関羽のものという官民一体の意志を感じるね。
- 195 :
- >>193
だから?
関羽が最初に国境荒らしをした事実は変わらんぞ
- 196 :
- >>195
何年に何をしたと何に書いてあるのかな?
- 197 :
- >>194
劉備陣営は記録が少ないからねえ
呉ファンの人は呉書編纂に注力した孫皓をもっと褒め称えるべき
- 198 :
- >>196
魯粛が江夏に入った時期やね
もしかしてまた詳しく書いてなければ事実ではないとか言い出すの?
- 199 :
- >>197
都合の悪いことは書かないスタンスだからね
記述が少ないのはお察しレベルなんだろ
- 200 :
- 劉禅、孫チン「俺等が有能だから苦戦したんだよ」
- 201 :
- >>198
魯粛が江夏に入る頃とか漠然とし過ぎやろ
分かりやすく何年にどの位の兵で何処を攻めたとか無いんかい
- 202 :
- >>201
はあ、反論できないからイチャモンしかできないのか
君は例えば青泥の戦いとかも無かった事にするのかい?
- 203 :
- >>202
それ普通に魏との戦いやん
- 204 :
- >>203
分かりやすく何年にどの位の兵で何処を攻めたとか教えて
- 205 :
- 正史オタは常に怨念返しの応酬で先に進めていないな。一人勝ちの関帝様の高笑いが聞こえてくるようだ。
- 206 :
- >>204
212から213年ごろに襄陽付近に進出した関羽と楽進の戦いやね
規模は不明
まあ普通に劉備軍による襄陽への圧力やろね
- 207 :
- 平然と嘘を羅列する呉書の記述なんぞまともに取り合う必要無し
- 208 :
- >>207
嘘というより孫呉側のポジショントークやね
孫権と関羽の婚姻なんかがまさにそれで
受ける訳もない婚姻話の破談を相手のせいにしてる
- 209 :
- >>206
劉備が茨州に居なくなった後の211から215年までのに数回やね
規模は不明
まあ後に食料強奪してるし同じようなもんやね
- 210 :
- >>208
そりゃ娘を嫁に出したら食料強奪できなくなるからや
- 211 :
- 中共が今日も頑張ってるな
関羽を持ち上げすぎ
- 212 :
- >>205
お互いに寂しいんだよ。
居場所がないんだろうね。
関羽の場合、ここ十年の間に山西省の巨大関羽像2億元(約32億円)
荊州の関羽像15億元(約240億円)と分かりやすい交流の大コミュニティが
あり、毎年関帝誕もあるし、今は関雲長大破蚩尤をベースにした映画まで全国公開でやってる。
関羽の話なら、余計な羽虫の悪評まであるインターネットコミュニティの方が
邪魔になる。現実世界のコミュニティがインターネットコミュニティを超えてる
なんて、それも規格外な話だけどね。
ま、こんな週末の閑散とした賭場まで締めだしてやるなや。
- 213 :
- >>209
茨州ってなんやねん
いつから茨城は州になったんや?
あと誰が誰と戦ったかぐらい書けや
- 214 :
- >>213
だから何?
イチャモン付けても関羽の国境荒らしは無くならへんで
それよりも韋康が降伏した後の趙昂と関羽はどう列に考えるのか答えてないやん
- 215 :
- >>214
いやいや
誰と誰が何処で戦ったぐらいないと
もはや何が起こったのか不明やん
- 216 :
- しかしどうやったら茨州なんて書けるんや?
どうやって書いたか教えてくれ
- 217 :
- >>216
荊州の荊がいばらって読むからじゃないのか?
そんなことで鬼の首とったように騒ぐな見苦しい 察しろよ
- 218 :
- >>215
不明も何も
国境荒らしという目的があるやん
後に食料郷辰してるし延長にあるのは明確やん
否定するなら正史からできなかった事を証明してや
- 219 :
- >>217
いやいや
コイツいつも「いばらしゅう」とか読んでるって事になるで
ええんかそんなんで?
- 220 :
- >>218
出来なかった事の証明とか
マジで言ってるんか
- 221 :
- >>220
じゃあ何を問題にしてるんや?
イチャモン付けてるだけか?
- 222 :
- >>221
何が起きてるのかサッパリで敵対してる根拠にならんと言ってるんや
- 223 :
- >>222
隙あらば領土拡大、資材強奪と分かりやすいやんけ
劉璋が弱いから取りましょうって陸中対からの国策やで
- 224 :
- >>223
だから陸中対ってなんやねん
陸上中学対抗戦の略かなんかか?
荊州の件といいそもそも日本語が怪しいねん
まずは言葉の意味を理解してから話してくれ
- 225 :
- 結局のところ具体性が無さ過ぎるんだよなあ
- 226 :
- >>224
つーか、お前は引き抜き工作の件からまともに反論できてないやん
関羽と趙昂を同例に考えてる馬鹿やろ
- 227 :
- >>226
趙昂とか俺じゃないけど
調べてみたら娘人質に出して曹操裏切って馬超に付いたんやな
その後でまた裏切って娘見捨ててるけど関羽が娘差し出したら普通に同じ事やね
- 228 :
- どうでもいいけど似非関西弁やめてくれる?イライラするから
地がそうならともかく
- 229 :
- やら!!
- 230 :
- >>228
ここで似非関西弁が気になるとか
悪い事言わんから読むのやめた方がええやろ
それより茨州や陸中対の方が気になるわ
何処でどう覚えてなんて読んでるのか事細かに聞きたいわ
- 231 :
- 一人NGにすれば片がつく話だしな
- 232 :
- >>227
>調べてみたら娘人質に出して曹操裏切って馬超に付いたんやな
ソースどこよ
馬超の人質になった趙月は男やぞ
- 233 :
- >>232
アッー!
- 234 :
- 馬超「親父兄弟なんて知るか、俺はこの時よりあんた(韓遂)を父として漢に反乱する」
↓
馬騰一族処刑
これの順序を逆にして馬一族を漢の忠臣に仕立て上げる演義の恐ろしさよ
- 235 :
- 時代の潮流の前では、進化とは無縁な正史ではどうすることも出来なかったんだな。
- 236 :
- 馬鹿二人が荒らしてんのか
- 237 :
- >>232
もう1人と勘違いしとったわすまんな
- 238 :
- >>227
関西弁でID変えてる奴が言っても説得力が無いぞ
マジでエセ関西弁止めろ
- 239 :
- 魏で統一チャンス(戦役の違いのみを考慮する場合)
・荊州陥落から赤壁ではなく涼州征伐→漢中→成都確保
・夷陵敗北した蜀へ攻め込む→ジリ貧になった呉を討つ
ここらへんしかないな
興勢役が上手く行っても魏で統一できる気がしない
- 240 :
- >>239
夷陵の後に呉に攻め込まずに
劉備が殺されるまで静観するのが一番だと思うぞ
- 241 :
- >>240それやると蜀が丸々、呉のものになる可能性ありそう
- 242 :
- >>241
呉が蜀の奥まで踏み込んだら漢中でも呉でも攻めたら面白いと思うぞ
- 243 :
- 議論の最中に茨州や陸中対なんて珍語が飛び出たら、一気に説得力が無くなるな
- 244 :
- >>243
反論がまともにできへんから
打ち間違いや誤字しかつっこめへんのやろ
IDコロコロ変えてる奴が言っても説得力が無いわ
- 245 :
- >>244
誤字に突っ込んだら、そのIDは同一人物認定なのか?
文章を推敲する程度の心の余裕くらいは保っておいた方がいいぞ
- 246 :
- 劉禅「喧嘩するなよ誤字脱字なんて姜維の北伐の失敗に比べればたいしたことない」
- 247 :
- >>244
荊州を茨州は
たまたま間違えるのが不可能だから
間違えた経緯を聞いてみたい
- 248 :
- 夏休みだなぁ…
- 249 :
- 鄒岐と鄭岐が同じか、王凌ハメた黄華と涼州の太守黄華は同じか、よりも不毛な議論
- 250 :
- 今まで有毛な議論なんて有ったのか?
- 251 :
- まあ、最初の常套手段って言った奴は逃げたんか
引き抜き工作なんて不思議設定は説明出来へんみたいやし
- 252 :
- >>250
おまいら「髪の毛のない人だっているんですよ!」
- 253 :
- 三国志題材に記事にしてみた
↓↓
https://shohaku.hatenablog.jp/
- 254 :
- 禿髪樹機能「ああん?何が言いたい>>252」
禿髪烏孤「俺も言いたい>>252」
- 255 :
- >>254
源賀「俺植毛されたみたいな扱いじゃねぇか・・・」
- 256 :
- 九品官人法の論文とか見てると、すんごいマイナー書籍に重要なの乗ってるようで驚いた
結論からすると官位と推挙の整理だけじゃなく戸籍調査も含めた制度で、異民族や奴隷と庶人を分ける役目もしてたようだ
(中正官が推挙しない庶人の鑑定結果を報告しており、その機能がなければ鑑定もしないし文章も残らないだろうとのこと)
ただし州大追加後はそういう記述がなくなったのを見るに、その頃には運用法を熟知した人間は消えたと予想されている
やっぱりソウヒやチングン長生きしたら魏の国号で統一できたかもしれないな
九品の改悪を防いでプチ土断としても運用を続け、名士の力を削ぎ続けられただろう
(正始年間の司馬懿はトウガイらの灌漑によって領地の生産力を上げており、食邑2万戸以上の地力を得て反乱の地盤とした)
- 257 :
- 曹丕が二度の敗戦に懲りずに三度も四度も呉を攻め続けるという絵姿がまったく想像できないわ
諸葛亮健在の蜀を滅ぼせるとも思えんし
曹丕に成功した戦役が何か一つでもあれば期待できるんだろうけど…
- 258 :
- 結局のところ曹丕曹叡が長生きしてできることというのは対蜀対呉を圧倒できるだけの国力の増強という長期的な政策の実行に限定されると思う
- 259 :
- 異民族の力も弱まってたし
喫緊に統一する必要性もなかったんだろうな
- 260 :
- >>258
それと同時に魏の延命の条件
2人が長生きして司馬懿が先に死んだら歴史が結構変わってた可能性がある
- 261 :
- 司馬懿死んだら後なら司馬師が反乱起こしても宇宙大将軍ポジにしかならん、って考察を思い出した
- 262 :
- 曹叡なら軍事的な成功も期待できるがその前に建築事業で金を使い果たして反乱起こりそう
- 263 :
- 蕭何の大業だから不必要ではなかったがあのタイミングでもない
- 264 :
- 曹叡ってコメントは立派だけど大規模な遠征を自ら企画して実行まで移した事例ってないよね
ぶっちゃけ曹丕より下なんじゃねーのか
- 265 :
- 符堅「遠征して涙目になる人だっているんですよっ」
- 266 :
- >>265
劉邦「んだ。」
楊広「んだ。」
天可汗「んだ。」
趙匡義「んだ。」
朱祁鎮「んだ。」
- 267 :
- >>266
漢太祖以外相手の戦闘力うんこの時代ばかりじゃねーか!
寒冷化でロシアや中央アジアから次々と異民族なだれ込んでくる時代を前にしてる魏と比較しちゃいかんわ
- 268 :
- >>264
曹休:勇み足して大損害出して病死(ただし出来物での病死は刑死の暗喩とされている)
曹真:天運に恵まれず撤退したあと病死
これで懲りた後、守勢なら何とかなると分かってしまって外征諦めたと思う
曹叡は浪費ばかり記録されてるが、貨幣経済を再開させられるくらい国力を上げてるから実際はそこまで無能ではないだろう
周囲の意見を聞かずに土木業をやったせいで、名士が水面下で国家転覆図るようになってしまったのが一番の問題
- 269 :
- >>268
二代目の時点で滅亡の萌芽が姿を現してるのは草
- 270 :
- >>269
ぶっちゃけ初代が曹操といっても差し支えないから、曹叡は継承失敗した三代目みたいなもん
- 271 :
- >>270途中送信のため追記
同じ理由で司馬炎は司馬懿→司馬師→司馬昭と続いて実質的に四代目のような状況
そのせいで政治が破綻して、次代から外戚や皇族が殺し合うことになった
- 272 :
- >>247
「荊」の字を「けい」で変換できなかったら
「いばら」からたどるのは何もおかしくはないよ。
- 273 :
- >>272
頭高句麗かよ
- 274 :
- じゃあ僕新羅ちゃん
- 275 :
- >>270
三代目の継承くらい大目に見ろよ
- 276 :
- >>272
荊を「けい」で変換できない様な日本語環境って逆に気になるんだが?
- 277 :
- 趙月を娘扱いとかもそうだし頭高句麗が多いな
- 278 :
- そういえば趙昴の曹操を裏切り発言は笑ったか
確かに関羽は劉備は裏切って曹操に付いて
その後に曹操も裏切ったもんな
人質は息子と劉備の妻子の違いだけでそっくりだ
- 279 :
- >>278
関羽は疫病神だからな
荊州陥落の原因となったせいで義兄弟の劉備張飛が死をもってケジメつける羽目になってる
劉備に至っては日和って孟達劉封に責任押し付けようという醜態を晒すとか糞そのもの
- 280 :
- 関羽はもっと前に死んでたほうが蜀には良かったんだろうな
- 281 :
- >>276
どうなんだろうね
グーグル日本語入力なら出るけど
古い携帯の変換ソフトなら微妙なとこだと思うよ
wnnとか「生姜」も出せずひどかったし
少なくとも切れるような話じゃねえよ
- 282 :
- 変換できないならホウ統みたいにカタカナ表記でいいのでは
アホみたいな当て字当てるから知性まで疑われる
- 283 :
- >>280
というか古代中華王朝にとってしてみれば塩賊時代に死んでたほうが幸せだった
劉備があらゆる地方を引っ掻き回すための戦力が不足し、おそらく徐州刺使とかで人生を全うして
曹操が漢復興するか袁紹が新しい王朝立ててた
いたずらに戦乱を伸ばした罪は大きい
- 284 :
- >>283
歴史的に見れば劉備が必要無いのは同意するけど
呉は南朝の基礎を作ったから無くなると後の異民族に対抗出来なくなるよ
- 285 :
- その場合は武昌か江陵、寿春あたりが漢民族王朝の抵抗拠点になるだけなんじゃねーの?
- 286 :
- >>285
そこいらは後漢末まで五渓蛮や九江蛮がしばしば反乱を起こしてたしな
漢民族の住み易い環境ではなかったと思う
- 287 :
- >>282
そういや晋を普と書く変な人いたなw
そういう人なんだろうね。
- 288 :
- 蒼天航路で初登場の程普が程晋と記載されていたことを思い出した
今の版でもあのままなのか?
- 289 :
- >>285
曹操が漢復興と仮定すると騎馬民族が席巻するのはないと思う
あれは漢民族内でグダグダになった結果、騎馬民族に漢民族由来の知恵が付いたことによる悲劇
漢民族社会に置かれていた劉淵はともかく、それ以降の群雄は出る隙はないだろう
石勒なんてバタフライエフェクトの産物だからそもそも存在すらしなくなる可能性が高い
- 290 :
- 劉備や関羽が居なかったら、後に三国演義も生まれずに関帝信仰も生まれなかった…。
ってことは今頃中国はロシアの一部となって100年ほどで、その前はモンゴル大帝国で漢民族なんてもんは1000前くらいに滅びていて漢字も日本文化と呼ばれていたわけか。
中国革命の原動力である「義心」を喪失した中国人は歴史の敗者、弱者として既に消失した古代民族となり現代に伝わっていただろうな。
- 291 :
- 長いから要すると
関羽なんか信仰してるから中国は戦争に弱いと
- 292 :
- 関羽信仰してるのは日本だが。
- 293 :
- >>289
つうか、人口減を補うために最初に異民族を中国内地に徙民させたのは他ならぬその曹操さんじゃありませんかね
魏の代では上手く分割統治して異民族の台頭を防ぐことはできたものの、そのうち爆発する地雷みたいなもんだよ
移民を連れてきて楽をしようとするとそのうち移民に国を乗っ取られるっていうのは、繰り返される歴史の必然なのかね…
- 294 :
- >>293
後漢通じて異民族は帝国本土に入ってきてる
彼らを北辺防衛の軍事力として利用する体制が崩壊したのが後漢末で、再建できなかった結果が西晋の樹機能や斉万年の乱
体制再建の話なので曹操個人の影響力はそこまで大きくない
- 295 :
- 八王が争わなければ予算がかかっても討伐はできただろう。中央がしっかりしてれば問題ない
- 296 :
- >>287
荊を茨としちゃうのは粗忽だし、隆を陸、晋を普と打つのは完全に間違えて覚えてる証拠だから
現実社会でも迂闊なミスを頻発していそう
- 297 :
- >>292
あんな弱いの誰が信仰してるの?
- 298 :
- 文大統領がいった「盗人猛猛しい」って訳された言葉
もとの言葉調べたら「賊喊捉賊」って曹操と袁紹の花嫁泥棒話からきた四字熟語なのな
曹操の後半の失速は虫歯が激しく痛かった もしくはそれで判断力低下してたとか
NHKの番組見て思ったけどさすがにないわなw
- 299 :
- >>291
世界最強のアメリカに勝ったベトナムにも関帝廟があるぞ。
関帝様の霊威はアメリカすらも退けるみたいだな。
まあ、そのアメリカのニューヨークにも関帝廟はあるんだけどな。
- 300 :
- >>299
それは中華街以外にあるの?
- 301 :
- >>290
人生の負け犬は妄想の世界に生きるしかないw
淮南で発狂して皇帝称した袁術のようになw
負け犬も蜂蜜飲みたい言いながら飢え死にするかねw
- 302 :
- >>294
江充の徙戎論を読み返したんだが、確かに後漢初頭に馬援が隴西太守となった時に討伐した羌族を関中に強制移住させたのが徙民のはじまりとしているな
その一方で、魏代になって積極的に異民族を内地に強制移住させたこと、そのために西晋期には中小規模の反乱が相次ぎ異民族が獅子身中の虫になっている現状が指摘されている
八王の乱が導火線になったのはその通りだが、爆弾が存在している以上遅かれ早かれ爆発は避けられなかったともいえるのではないだろうか
- 303 :
- >>300
激しくスレチだが、ベトナムの神仏への信仰形態は中国に似ている。関羽も神通広大な神仏として人気で一般家庭の中にも関羽像は奉られている。
ただ、同時にイエスも信仰していて儒、仏、道にキリストも混ざった独特の形になっている。
- 304 :
- >>303
それって100%華僑が絡んで無いって言いきれるの?
- 305 :
- ベトナムって途中まで中国だったし100年ちょい前までは漢字が使えるのが知識人階級として
幅効かせてて相当中国の影響大きかったろ。独立運動家も伝統的中国文化を尊重する連中と
仏ローマ字表記の簡易さとか国力に目を付けたフランス派とか入り乱れて色々やって今に至るし
近代までは中華文化圏だったよ
- 306 :
- >>304
極論主義者w
何でも極論でしか考えない。
- 307 :
- 激しくスレチなら関帝廟なるお稲荷様以下のマイノリティのカルトの話してるんじゃねーよ
カルトの布教活動キモい
- 308 :
- >>307
おまえ逃げてるだろw
- 309 :
- カルトでしっくりした
関羽儲と草加がやってることが同じだ
- 310 :
- >>306
極論も糞も日本が沖縄で実際好き放題されてるからな
>>309
映画の話を誇ってたりしたが、マジで領域がオウ●とか幸福●科学レベルだからな
シナチクは最低なことにそれを国家が奨励してるというカルトっぷり
- 311 :
- 中国の歴史の話で中国アンチとな?
ニュー速民でも流入してきたんかな。
- 312 :
- 馬鹿だから仕方がないんだよ。
ネットでしか何も出来ないんだからw
- 313 :
- 勝手にアンチ認定に代表されるひねくれた中国の性格は、悲しいことに晋のせいで生まれたのよな
中原奪われても俺こそが正統で偉いんですぅ、曹操なんてクズで漢こそ永久の王朝なんですぅって毒電波を流し続けて悦に入り引きこもった
悪い意味で節を曲げる技術が研鑽されたのが晋時代
魏や呉みたいに攻撃的な対外政策を取れる国が統一してたら、もっとまともだっただろうに
- 314 :
- >>294
>>302
異民族の流入なんて楚漢戦争の頃からデフォやで。
楼煩って部族を傭兵で雇ってた記述が史記に書いてる
- 315 :
- >>314
問題はそれを御せるかどうかだからな
劉淵が怒ったのは高い教養があり名士とも仲が悪くなかったのに、匈度が中央で評価されなかったせい
そしてそれを抑えられなかった西晋のクソザコ加減が引き金になってる
冒頓のように評価されたり反乱を起こせない位の軍事力を保持していれば起こり得ない
そこから先の燕や代の南下は避けられないだろうが、国体がキッチリしていれば相手は結局異民族の領域を出られないから負けないだろう
- 316 :
- >>314
彼らが前漢代通じて北辺の守りに従事していたという連続性を君が証明できれば確かにその通りなんだろうが
楚漢の一回こっきりだと一般的な理論としてまったく成立してないからな
- 317 :
- 司馬懿が州大中正を置いたことと八王達が悪い
- 318 :
- >>317
簒奪まで考えてなかった司馬懿の名士優遇案に、簒奪を狙っていた息子以降が苦しめられるって構図もなかなか皮肉
家柄さえ良ければ贅沢自慢しか能がないような輩がのし上がれるようになったのも州大のせい
- 319 :
- 州、大中正な
- 320 :
- 州大中正の影響は王衍が石勒に命乞いする話がわかりやすいな
- 321 :
- 晋がいかに糞国家なのかが分かるな
とはいえ魏の国体も平和な時代に対応できない制度だったから、仮に統一できても北伐ばっかして国力使いそうな気もするが
- 322 :
- 九品中正制度をあらわす言葉として、上品に寒門なく下品に勢族なし、なんてよく言われるけど琅邪の孫秀や隴西の李含のように寒門出身だけど諸侯王や有力者に取り入って出世してる人間もいるんだよな
寒門出身が正規の昇進ルートから外されてる時点であかんというか、佞臣タイプの人間じゃないとむしろ出世できないのが非常にまずい
- 323 :
- >>322
司馬懿「清談なんかで能臣が取れるか!(選定基準から浮華を除外)」
↓
司馬師「オヤジの遺臣でどうにかならぁ…って何やってくれてんの毋丘倹の糞野郎」
↓
司馬昭「アカン従順な子飼いおらん・・・せや!七賢みたいな奴起用しよ(浮華復興)」
↓
司馬炎「ウルサイやついらんから人望ある清談名人と名族優遇するでー」
↓
王 衍 爆 誕
でもそんな王衍たんでも王弥破ったり匈奴漢へ抵抗したりできる人望はあったのは事実
しかし結局は口先とカリスマしかなかったせいで囚われたら見事なゴミになった
- 324 :
- >>268
貨幣経済ガーってそんなもん時間経過が解決した規定路線であって曹叡がなんかしたおかげって訳でもねーだろ
- 325 :
- >>324
時間経過では解決せんよ
桓帝時代は穀物一斛が数銭程度だったのに、それが十数万銭にまで跳ね上がってるんだからな
そうなると旧貨幣をなかったものとするため新貨幣にする(劉巴)や信頼の置ける国家が貨幣を管理する(魏)とかしなきゃ解決しない
無論私鋳を技術的、法律的に禁じるなどの措置も必要だ
呉なんて銅資源が魏より豊富なのに幾度も貨幣経済に戻そうとして失敗してるからな
曹叡時代に回復したのは「貨幣を使う士族、兵戸、商人らが信頼されるよう国内を安定させた」のに起因している
名族を特別扱いせず独裁を推し進めたため評価は低くなりがちだが、この功績は矮小だと捨て置くことは決してできない
- 326 :
- >>325
俺経済しろうとだから間違ったツッコミかもしれんけど穀物が十数万銭ってのは飢饉による一時的なインフレなんじゃねーの?
貨幣の供給が止まって市場に出回る量が減ったら普通はデフレになるもんじゃないの?
なんにせよ国家が安定して通貨を流通できる体制を作らない限り問題は解決しないのだけれど戦乱が長く続いて軍備優先にせざるを得ず抜本的な経済改革を打ち出せなかったというのが魏の現状だったんじゃないかと
- 327 :
- >>326
飢饉による穀物不足もあるだろうけど何より通貨の信用低下がデカイやろ
確か呉だったか塩で褒賞与えてた例があったはず
- 328 :
- >>326
えっとだな、「金貨銀貨でもなきゃ信用のない貨幣本体にはたいして価値がない」のよ
それに鋳潰さない限り貨幣は減らないし、その逆を董卓がやったりしてる(洛陽の銅製品を巻き上げて貨幣にした)から悪貨は市場に溢れてばかり
流通より正等に管理する(極端な方法でいえば、物品を専売状態にして価格を統一する)ことが安定につながるわけ
逆を言えば農民は年貢さえなけりゃ貨幣なんて関係ないのよ
作物を物々交換して生計立てるのが主だから、作物自体が暴落しない限り見合った対価を得られる
- 329 :
- 一石数万銭じゃなかったっけ董卓んときは
- 330 :
- >>310
幸福の怪文書信じちゃう中卒バカウヨですかw
幸福や日本会議のクズどもが中国が今年になって60日連続で尖閣クルーズしているのにだんまりなのはスルーかねw
米軍同様強い相手には媚びへつらう家畜バカウヨは粋がるなよw
- 331 :
- 良質な貨幣を造れてた蜀が三国の経済を支配してた説
あると思います
- 332 :
- 三国志展での出土品見てると孫呉が経済的には一番裕福そう。
ガラス器まであったし
- 333 :
- >>332
海上交易まであったからな
晋が統一した時に一時的に富が溢れたのも呉の贅沢品や交易路を接収できたから
ただし呉は豪族集合体の体制だったから交易も豚に真珠そのものだった
利益を国家に直結させるためのプロセスがないもの
- 334 :
- 貨幣問題はずーっと解決しないんだよなあ。ゴミ貨幣ばっかでたまに増産して
商業が発展して好景気になるけど貨幣量が追い付かずに含有量減らして信用消滅、
経済混乱で物々交換をずーっとやってる。貨幣は減らない?けど皆ちょいちょい削って
鵝眼銭になる。国がある程度安定して気合入れて増産した時以外ゴミ貨幣ばっかだから経済が回らん
- 335 :
- 貨幣経済は魏晋南北朝時代のテーマでもあるから
- 336 :
- >>334
中華の貨幣経済はもっと後世の明とかでもまだ銅不足だからどうでもいいわ
そのくせ銅銭銅鏡を周辺蛮国へ惜しみも無く輸出提供で病気の類
紙幣発行してた元やスマホ決済が普通になった中共がまともに見えて笑えてくる
- 337 :
- 絹が意外と優秀な納税手段だったのが中国の悲劇だと思う
- 338 :
- 商人は三国間でも自由に行き来してたんだろ?
- 339 :
- 互市みたいなのが三国の隣接地帯にあったんじゃないかと想像してる
- 340 :
- >>338
劉備は馬商人の護衛がスタートやな
- 341 :
- 劉備の兄貴分、公孫瓚は商人や占い師と義兄弟になって姻戚関係を結んでいたそうだが
劉関張も似たような関係だったんだろうか
- 342 :
- >>341
関羽も伝承で塩の密売絡んでるし
同族や豪族の絡みが少ないのは劉備の出自の面白さでもあるわな
- 343 :
- 国境地帯って略奪されそうだけど献金とかして見逃して貰ったんかな
- 344 :
- >>331
なんでやねん
諸葛亮が死んで引きこもったんやで蜀は
- 345 :
- >>344いや全然引きこもってないよ
姜維がトップになってから兵出しまくりだし
姜維がトップになる前からもちょくちょく兵出してる
- 346 :
- 姜維が涼州まで進出してるのは本当に凄えわ
東晋の時期は武都陰平に仇池国があったから東晋の北伐軍はあのルート使えなかったんだよな
- 347 :
- >>345
姜維がトップになるまで何年あると思ってんねん
- 348 :
- >>347
まず234年に諸葛亮が死んで後を継いだ蒋エンが国力回復のために出兵する事を控えるが
238年には小規模だがもう出兵を再開している
蜀漢が引きこもっていたと言える期間はたった4年間しかない
- 349 :
- >>348
ショウエンが北伐できなかったおかげで蜀が長生きしたという皮肉
北伐は州の半分クラスを落とさなければリターンがないにも関わらず敗戦が国家存亡に関わる重症になるハイリスクっぷり
曹爽が許に逃げて魏が二分された場合に司馬か曹についたり、王凌の反乱が露見せず郭淮が乗っかった時に呼応して
上庸→襄陽進出とかやったりしなきゃ結局ダメだった
- 350 :
- >>349
最低でも涼州荒らして漢中回避して益州侵入する準備を邪魔しなきゃいけない
後に姜維が漢中を放棄したのはそれをやられちゃったから
- 351 :
- >>349
呉が最大の好機に指揮官がカスだったのが悪かったな
- 352 :
- >>350
魏は逆パターンでキョウイに煮え湯を呑まされてからじゃなきゃそれを思い浮かんでなかった節があるんだよなぁ
祁山が最前線でそれ以南以西は捨て置けって姿勢だった
そんな僻地に大軍勢を遠征させられるだけの地盤を作ったトウガイさんがド変態
あんなの司馬政権じゃなきゃ出来なかっただろうな
- 353 :
- その節とはお前の妄想ではないかな
- 354 :
- >>353
曹真の遠征と興勢役がどちらも力任せの漢中攻めでなかった件について反論どうぞ
- 355 :
- 力任せの漢中攻めでしかなかった、に訂正
涼州から攻めようとするならまず邪魔な羗を駆逐してる
- 356 :
- 興勢役は漢中がたまたま兵が少なくなっていたのか
その機会を察知した魏が利用して出兵したのか気になるな
- 357 :
- 興勢役は空き巣狙いにしか見えないほど戦術が糞
狭い山道に一ヶ所集中で軍を派遣なんてあまりに馬鹿すぎて話にならないし
その状況で補給すら滞るって馬鹿やらかしてる
石や木で退路絶たれてたら間違いなく殲滅されてるわ
- 358 :
- なんで司馬懿は失敗すると思ったんだ?
自分の生きてるうちは蜀を攻めきれないと確信していた理由が謎
- 359 :
- 曹爽が大した軍歴なくて蜀は費偉以下結構まとまってたからじゃない
- 360 :
- >>359
たいしたどころか曹爽も夏侯玄もそれまでの軍歴がほぼ皆無の素人
実質的な指揮官のカクワイは司馬懿の下にいた経歴あるし、わざと敗北させるよう助言するなと裏で指示しててもおかしくはない
んで負けさせはするけど痛手負って逆襲される前にさっさと撤退させたと
王凌連座でもカクワイの家族は例外的に許されたり、晋の時代には一族が外戚になってる辺り抜け目ないわ
- 361 :
- カクワイはじめ司馬懿は対蜀線での武将に慕われてたなドラマ三国志では
- 362 :
- ていうか対呉戦線を含め前線の将軍たちはみんな司馬懿の息がかかった人間だと思う
反乱を起こした毌丘倹でさえアンチ司馬師ではあっても反司馬氏ではなかったからな
- 363 :
- 興勢の敗戦のせいで魏は?族・羌族の支持を失い
結果的に蜀は?族・羌族を味方につけて姜維の北伐で魏は苦戦する事となるわけで
損害が大きい事を考えるととても郭淮がワザと負けるような事するとは思えないな
- 364 :
- キョウはガシャサイとかが全く統率のない暴動起こしただけなのがなぁ
こいつらに後年の姚弋仲みたいな統率力と気骨のある奴がいなかったのが偲ばれる
- 365 :
- 正史は配慮してた形跡があり晋書は持ち上げてる
司馬懿の悪い話は結構省かれてるんじゃない?
- 366 :
- 司馬懿の悪評というと牛金殺しと襄平で京観を築いたことくらいだろうか
前者は眉唾もののゴシップだし、後者も蜀や呉に対する見せしめ的な意味合いが強かったのだろう(劉禅や孫皓が大した抵抗もせずに降伏したのは公孫淵の二の舞になることを恐れたからというのがあったと思う)
- 367 :
- 孟達討伐とか誇張されてそうだな
- 368 :
- 邪馬台国の位置がおかしいのは功績の誇張のためという説もあったね
- 369 :
- >>367
地理的な要因からすると孟達は誇張どころではないと思う
なんせ情報漏らしたのがもっと蜀よりの魏興太守の申儀っていうのが不可解
申儀も内応させないと蜀は荊州への侵攻or孟達救援ルート確保できないのに孟達だけやるか?と
諸葛亮の離間策に司馬懿が引っ掛かったのを誤魔化してる感が満載
>>368
曹真がクシャーナ朝を冊封させたのに対抗するため誇大に成果を出させたのは有力
しかも正規王朝の証である一文字表記(倭)でやるほどの気合いの入りっぷり
本来は軍人であり比較対象が曹真や張コウであったのは忘れられがちだが
- 370 :
- 司馬懿の一番の失敗は
九品官人法を改悪した事じゃねえかなと思う
まあ司馬家が晋王朝を作る事に繋がるからある意味成功だけど
- 371 :
- 改悪しないと名士から支持されないもの
簒奪の対価は重い
- 372 :
- 正始政変も老齢の司馬懿がクーデター起こす利点が無いって状況を見るに、自利や愛国心ではなく息子たちに権力を引き継がせる、士大夫の支持を得るために起こした可能性が高いからな
簒奪まで考えた息子連中と違って州大中正なんて置いても一族に仇なさないと考えたんだろう
曹叡が宗族に力を与えようと腐心し、それに運よく乗っかれた曹爽に多くの人間が群がった結果
宗族連中は権力の継承が上手くいくのと対照的に、士大夫は一代限りで弱肉強食の世界に放り込まれるという魏のシステムへの不満が爆発したのは皮肉だ
司馬師は元々曹爽にも取り入っていて事情に詳しかったところから、やはりこいつが持ちかけて司馬懿が協力してやったという感じか
- 373 :
- 曹丕曹叡でその次は名士と阿った結果が八王の乱から永嘉の乱の原因だから面白いよな
どんな未来を思い描いていたのだろう
- 374 :
- >>372
息子たちに権力を引き継がせるってほぼ自利では。いや自分自身て意味じゃないのは分かるけども
- 375 :
- 自利だよな
- 376 :
- 統一できた時代と違ってたいした人物がいなかっただけやろ
- 377 :
- >>363
司馬昭が従軍したことには誰も触れんなw
軍師連盟ですら描写していたのにw
- 378 :
- >>377
司馬師存命中の司馬昭はただの置物だぞ
結果的に天下人一歩手前になっただけで、殆んど実績のない血のスペアのようなポジション
わざと負けるような殊勝さも奮闘する気概もない
夏侯玄をRための李豊でっち上げ事件で夏侯玄の命乞いをするくらい脳みそお花畑
司馬師が死んでからハジけやがった
- 379 :
- たまたま嫡男が生まれないまま司馬師が死んだから後継になっただけで、司馬昭は自分が家を継ぐことになるとは考えてなかったんだろうな
同じことは孫権にも言えるけど
映画ゴッドファーザーの主人公、マイケルコルレオーネにイメージが重なる
- 380 :
- >>379
孫権も孫策の気風があるという孫翊を殺した疑惑あるしな
司馬昭が実験握ってから満寵の子孫を失脚、処刑してたりする過剰な保身とのシンパシーを感じる
- 381 :
- >>380
司馬昭というか司馬炎がちゃんと司馬師を皇帝として諡してる
それだけで孫策を王にしかしない孫権とはかなり違うよ
- 382 :
- >>378
毌丘倹の反乱時に中領軍、宮中の押さえ任されているのに置物とか無知すぎるわw
- 383 :
- >>380
粛清云々なら孫輔語ればいい。造反者許さんだけの話だろ。
- 384 :
- >>382
前任者の推移見たら中護なんて置物だってわかるぞ
だから司馬師は反乱を起こした
中護の地位が暴騰したのカジュウのせい
皇帝を守る名目上の高位職から皇帝を殺せる職へランクアップした
- 385 :
- >>381
昭さんの場合「今の天下は子元大兄(司馬師)の天下。オレにはなんの手柄もない。だから大兄に司馬家をお返ししたいのだ」ってアピールしておかないと士大夫層に「不人情だ」だの「不孝者だ」だの謗られる危険性があったから……
- 386 :
- 司馬炎は司馬師の養子の司馬攸を殺したようなもんだし?
- 387 :
- 曹操がチビだったせい
- 388 :
- >>368
> 邪馬台国の位置がおかしい
当時は実際よりも日本列島は南西(呉寄り)と思われていた形跡が。だから呉も倭に出兵した。
「倭は海南島に雰囲気近いようだ」という記述もそれだろう。
- 389 :
- 司馬懿が仕官を嫌がった逸話は創作だろうな
杖を投げて喜んだ魏略のもな
- 390 :
- そもそもしばちゅうさんの兄ちゃん(司馬朗)は曹操の側近なのに断る理由ないもんな。
創作だと働いたら負けかなと思ってる的なキャラ付けされるけどむしろ仕事人間タイプやし
- 391 :
- >>390
仕事人間だからこそソウヒの代に功績らしい功績の記述がなくても出世してるからな
ソウエイの時代になると東奔西走八面六臂の活躍だしほんと朝廷に従順
- 392 :
- 司馬懿自身はやっぱ魏に忠義を誓ってて
息子達が簒奪を図ったって感じがするよな
ただ司馬懿ほどの男なら息子達が簒奪に進む事を読んでそうな気もするが
- 393 :
- >>390
陸遜の弟の陸瑁だって孫権が帝位に上がるまで何度も仕官を断り続けたらしいしな
そこは人それぞれなんじゃねーの?
家の事情があったり、いい条件がくるまで自分を安売りしないとか、なんとなくだとか
司馬懿が仕官を嫌がったエピソードは全部嘘だったとしたら、仮病使ってたことが女中にバレて張春華が口封じで殺した話とか話に尾ひれはひれがつきすぎているように思う
- 394 :
- 司馬氏にも後漢の功臣外戚だった南陽ケ氏や扶風竇氏のような未来ってのがあったかもしれないと思うんだけど
簒奪ルート以外も考察してみては
- 395 :
- 海南島はベトナムフィリピンよりじゃないか
倭と思ってたものは沖縄だったりしないか?
- 396 :
- >>395
たしかに「邪馬台国 沖縄説」というのもあることはある。
- 397 :
- 「倭の地は気候温暖で、冬も夏も生野菜を食べる。みな裸足である」
「魚や蛤を獲るのに水に潜る」
「産物は海南島っぽい感じ」
と倭人伝にあるわけで、これだけを見ると沖縄っぽい。
ただし本土でないとも言えない。
- 398 :
- >>394
その芽を司馬師が摘んでた
夏侯徽は曹真の妹の子でもあるから準皇族になり得たのに毒殺
実情は不明だがその後に曹家との縁談がなかったことからすると関係はそこで冷え込んだのは分かる
その結果ただの武功臣下にしかなれなかった
おそらく司馬懿はそういうポジションの中でも最期まで無事だった秦の王センや越のハンレイを目指してた(遼東攻めの詩でその意識が顕著)んだが
野心ある息子がやらかして族誅されるのが目に見えてたからこそクーデターに乗らざるを得なかったと見える
司馬懿が動かずに死んだとすると、司馬師はどこかでクーデターを起こしていただろう
でも名士の支持が得られずに梁冀のように討伐され、別の誰かが台頭したりを幾度かして疲弊した結果、南北朝時代として百年くらい戦乱が続きそう
クーデター回数が少なかった場合はそのまま魏の国力を引き継いだ国が統一しそうだが
- 399 :
- >>393
司馬懿が仕官を嫌がった頃の張春華は12歳くらいだが
- 400 :
- >>398
夏侯徽234年死亡、享年22、司馬師との間に5女あり
夏侯徽の後釜は呉質の娘
曹叡の娘婿(232年冥婚)の跡継ぎの前妻は司馬師の娘で後妻は司馬昭の娘
冷え込んだか?
- 401 :
- ぶっちゃけ義兄の夏侯玄を司馬師が殺したから後づけで「どうせ最初の嫁も司馬師が殺したんやろ?悪いやっちゃで」とか晋書編纂者が妄想したんやろ
- 402 :
- >>400
冷え冷えやん
一番最後のなんか実態は郭大后を押さえるための手段でしかない
曹操が献帝にやったことを覚えてたらそれを関係強化とは言わないのは明らかだろうに
>>399
そも春華のエピってドッコカラの登場や鮮卑化の進行で
ひのえうまみたいな女が増えた唐の時代のテンプレ烈女像なのよ
そのまんまなら羊キユみたいに当たり障りない評価のみ書く程度しかないのに
実質創業皇帝の司馬懿の皇后だから…って無理に盛ってる
- 403 :
- 孫晧以外が君主だと滅ぼせないぞとまで言わしめた呉の鬼耐久っぷりよ
やっぱりこの存在があったからこそ戦乱が長引いた
- 404 :
- 司馬のおかげで簒奪からの長期政権って例が出来たからこそ五胡十六国〜隋唐に繋がると思う
それまでの簒奪は王莽のせいで上手くいかないって印象が根付いてたからこそ漢は長命になったわけだし
魏がなければ禅譲、晋がなければ簒奪がバンバンされることは無かっただろう
- 405 :
- >>403
ネズミの糞や学問ニートの時代なんてその気になればやれただろうに勝手に過大評価してただけだな
- 406 :
- >>405
諸葛誕の時にいいだけ苦労したから呉攻めは躊躇ったのかね
あれは文キンが魏の役に立ったと唯一言えた泥試合だし
- 407 :
- 諸葛誕は司馬家と姻族=勝ち組だったはずなのに何故裏切ったんだろうか
- 408 :
- 司馬家の代替わりに都督揚州諸軍事が反乱を起こすのは恒例行事だからね、しょうがないね
賈充が焚きつけたせいで灰色を無理やり黒にしてしまった面もあるけど
- 409 :
- >>384
中領軍だぞw
文字も読めないかニワカオタクよw
司馬師の遠征中のクーデタ防止のために皇帝押さえる役目が軽いとか頭曹爽かよw
- 410 :
- あれ合流して合肥に立てこもってれば良かったんじゃねえの呉も合肥領有出来たろ
- 411 :
- 合肥じゃねえや寿春だったw
- 412 :
- >>409
変わったばっかの幼帝のお守りなんて軽いわな
お前頭曹豹だろ
司馬師が警戒されなかったのも元が何晏の取り巻き筆頭だからだぞ
つまり曹爽一派に降ってたようなもん
それをひっくり返して専横体制を作る賭けに出たのが誉める点よ
- 413 :
- >>411
ああいう時こその蜀であり公孫淵である
それが出来ない時に限って千載一遇のチャンスがやってきたのがほんと皮肉だわ
逆に言えば他の驚異がないからこそ賈充の野郎が諸葛誕をハメたと解釈するべきだろうか
- 414 :
- 諸葛誕が賈充の発言に激怒したってエピソードは「魏末伝」のエピソードで「魏末伝」自体は何晏が実妹を妻にしたとか怪しげなエピソードが多いのであんまり信用できんぞ
- 415 :
- >>414
何晏自体が正始政変の時に結構年いってるのに
いつの話だ?って美貌エピソード多いのも不思議に思う
- 416 :
- 美貌っつーか変な化粧してたって話に見える
- 417 :
- 形貌絶美は若い頃じゃろ
- 418 :
- 何進もイケメンだったのかな?
- 419 :
- >>418
妹は皇后になるくらい美人だから遺伝子的に秀いたものはありそう
十常侍の顛末見るに部下にも好かれていたようだし、三国志媒体でよく描かれる醜い性格や容貌はしてないと思う
- 420 :
- 奇しくも(旧暦だけど)8月29日は何進の命日だ
- 421 :
- 25日じゃなかった?ってWikipedia見たら29日になってんな
うろ覚えだからどっちが正しいかわからん
- 422 :
- >>412
斉王廃立したことも無視して宮中軽くみるとかさすが頭曹爽だなw
光栄のデータしか見ていない無知なオタクは司馬師が死んだ後曹髦が動き出したのを鍾会が阻止したのも知らんとはw
- 423 :
- >>412
正始の音だっただけで何晏の取り巻きとか無知にもほどがあるわw鍾会も何晏の取り巻きか?
光栄データブックしか見ていないオタクが恥を晒すなw
- 424 :
- >>419
異母妹だから遺伝的な類似性はかなり低いがな。
- 425 :
- >>412
曹髦が動いたことも知らない無知な光栄坊やに一つ教えてやろう。坊やが置物だと言った中領軍に司馬師も就任しているぞw
司馬師が司馬昭をなぜ宮中に置いたかの意味もわからないオタクが司馬師賞賛しても失笑モノw
- 426 :
- >>424
何進=赤木剛憲
何皇后=赤木晴子
- 427 :
- >>425
司馬師は中護軍のほうじゃね?征西将軍に昇進した夏侯玄の後任だったはず
この時期の中領軍は曹爽の弟の曹義だったはず
- 428 :
- >>427
結果論でしか語れないアホは無視して構わんぞ
正始の音が鍾会とか言う時点で時系列全く分かってないし当時の文学がどういうのも知ってない
ただただ逸話遊びをしてるだけ
曹叡の浮華論の擬人化
- 429 :
- ID:riLjzYYw0がID:b8oHaJnh0と同一だとすると中護軍や中堅軍の存在すら知らないってオチが見えるんだが、まさかそこまで無知な馬鹿が書いてるとは思えん…
コーエーテクモをわざわざ光栄と書く癖といい草の多用、行間の特徴が歴ゲ板の西原哲也にそっくりなのは偶然の一致だと信じたい
- 430 :
- >>427
景初〜正始年間の中領は曹義であってる
だから政変で大将軍と中領軍を上奏して罷免させて高柔らにその軍を率いさせたという文がある
後の時代の曹髦を押さえたカジュウの兵数と変わらないとすると、洛中で取り上げた禁兵の数は2000程度と試算できる
それに大尉ショウサイに率いさせた軍と司馬師の私兵を含めたら10000はいくだろう
クーデター期間内に洛中を抑えるには十分過ぎる勢力だ
- 431 :
- 赤壁できっちり勝ってれば
- 432 :
- 赤壁は別に勝つ必要は無いだろ
江陵の維持が問題だ
- 433 :
- あそこで勝ってれば劉備も孫権も詰んでたろ
- 434 :
- 江陵さえ落ちなければ最悪赤壁で負けても劉備と孫権は詰んでる
- 435 :
- 負けてれば孫権は石頭城まで攻められ劉備は江夏でジエンド
それ以前に赤壁時江陵はすでに曹操の領域
- 436 :
- 日本語出来ない人なのかな?
- 437 :
- 自己紹介かな
- 438 :
- 江陵って後漢末そこまでの都城だったのか?
- 439 :
- 赤壁は曹操が自分の代で戦乱終わらせようと急いだ結果からな…
劉ソウをしっかり重用してるとこを見せて江北を安定させれば、劉ショウも降ってただろうし合肥周辺の反乱も起こらなかった
既に50過ぎの高齢にさしかかっていてそれを待てなかったがゆえの行動よ
それだけ自分の息子たちに戦乱を託したくなかったということかもしれんが
- 440 :
- >>428
正始の音に鍾会がいないとか無知なアホですなあw
光栄データブックしか読まないオタクはw
司馬師が何晏の手下だとほざいた無知なオタクは曹髦を何もできない幼帝呼ばわりした無知を恥じろよw
- 441 :
- >>429
中領軍を故意に無視する光栄データブックしか見ていないオタクは懲りずに無知をごまかすねえw
- 442 :
- >>439
疫病発生、張昭ら投降派、の存在考えれば速戦即決の強硬手段に訴えるのも無理はない。
加えて黄蓋の偽投降がいいように官渡の許攸と同じパターンが来たと錯覚するのもおかしくはない。
- 443 :
- >>429
そういや歴ゲ板の殺人犯コピペの馬糞も「光栄の勝利」とかほざいてたけど、やっぱり同一人物かね?
- 444 :
- >>443
光栄坊やは高貴郷公の記事読み直せよw
下らん言い訳は誰も聞いていないぞw
- 445 :
- >>443
自分で自分のレスに返す、見苦しいねえw
中領軍を置きものだととか無知を自慢するのを恥じなさいよ、光栄坊やw
- 446 :
- >>443
おそらく張文吉もあいつの仕業だな
わざわざID変えて粘着した証拠がタイムリーに出たし>>442の支離滅裂っぷりを見るに文章が理解できていない
無双新作出なくてスレが硬直したからと新しい荒らし用のスレ探しはじめて
英雄板でも割と流れが早い三国スレであるここに寄生したんだろうな
早速罵詈雑言しか書けないくらい追い込まれてて笑うが
- 447 :
- >>439
呉に投降派ばかり(というか周瑜と魯粛以外の大半)だからあのまま圧力かけてたら折れてた
老害になるまで孫権が実権握ってたのも、軍人皇帝としての需要とカリスマ性が根源
それが黄祖討伐程度しかない=当時の孫権の地盤は脆い
にも関わらず無茶に出征しては敗北して敵のカリスマ性を増大させてしまったのは
狂犬孫策の幻影を孫権に重ねたからだろうか
- 448 :
- 孫権が晩年に強い関心を持っていた新興宗教またはその教祖の名前を忘れた。
知っている人いたら教えて。
どことなく日本の神道に近い雰囲気の宗教だが。
- 449 :
- >>448
道教の介象のことか?あれは呉王になってからで時期が早すぎるか
太平道や五斗米道といい、あの時代の新興宗教(邪教)の大半は道教か土着神関係だからな
于吉もやってることからすると神仙道だから道教の分類になる
道教仏教以外の宗教が中国に伝来するのは南北朝〜隋唐まで時代は降る
- 450 :
- 介象ではなく、孫権が神様のために宮殿まで建てたが、結局、神様が来てくれなかったという宗教。
ヤシロがあって巫女が仕えているという、どことなく日本神道っぽい宗教。
- 451 :
- 王表?神道って感じはしないけど
- 452 :
- >>451
王表です。ありがとう。
- 453 :
- >>452
紡績って語源どこなんだろう
王表と唯一話せる巫女の名前なんだが、中国原産なら潘皇后のことを皮肉っているエピソードにも感じる
(孫権は罪人として紡績に携わっていた潘皇后を見初めて夫人にし、罪人仲間から神女として尊敬されたが、最期は権臣もしくは宮女に殺された)
- 454 :
- 王表か完全に抜けてた
>>453
調べてみた
「績」という文字自体が糸紡ぎを語源で、優れた糸は貴重品=優れた成果という意味に繋がったとのこと
責そのものは甲骨文字で古代からあり力づくで成果を得るという原義らしい
日本で織物という意味で紡績を(日本の)南北朝時代の書籍で使っているが、それ以前にあってもおかしくない
二宮の変で孫亮が皇太子となり、潘皇后の一人勝ちとなった状況を鑑みると当てつけの話かもしれん
- 455 :
- >>446
発狂光栄坊やははよ、曹髦を何もできない幼帝呼ばわりした恥を認めろw
- 456 :
- >>455
馬鹿のくせにスレ荒らすな
>>384は曹髦のことに触れた上で賈充が価値を高めたと書いているのに知らないと罵るのは愚の骨頂
皇太后上申制度が崩れてないところを見るに元服もしていない=高く見積もっても毋丘倹時代はまだ十代前半という小僧の年齢だ
諸葛誕の乱での親征は禅譲を仄めかされ洛陽に置くのを警戒したからとされてるが、裏を返せば中領中護の禁兵は役立たずと言ってるようなものだ
明らかにお前より筋の通った主張だし、このように鑑みるほどに真贋が明らかになるだけだ
- 457 :
- >>440
これにも触れておくか
鍾会は若いころから天才とされてるが、正始年間は夏侯玄に交友を断られ王弼に主張を一蹴される程度
そして政変後に一派と見なされず免官しない程度の立ち位置だ
因みに政変後の一斉免官は苛烈であり賈充や盧欽、王沈といった後に名を馳せる臣下も全て対象になった
そして免官になった者は例外なくその旨が正史にあるにも関わらず鍾会にないという意味は書くまでもないだろう
たいして司馬師は夏侯玄に次ぐ君臣と何晏に評され、母の死後も喪に服しはしたが職は辞していない
これは司馬師は李勝らと同じく慣例を度外視できる立場である事を意味している
もはや比較対象として持ち出すことが言語道断
- 458 :
- >>456
馬謖のくせにスレ荒らすな
に空目したw
- 459 :
- >>458
お目汚し失礼した
あまりにも論外なことでスレ荒らすもんだから逃げ道ないくらい書いてやらないといけないとやり過ぎてしまったかもしれない
馬謖はよく馬鹿にはされるが南蛮遠征で一定の成果は出したとされるからまだ救いはあると思う
- 460 :
- 南蛮討伐って実の所は何をやったかよく判ってないんだよな。
演義では派手な兵器やら策略が出てくるけど、
それを北伐で使えば 蜀の圧勝だと思う。
- 461 :
- >>460
実態は山越狩りをした呉と殆ど変らず異民族の拉致と同化が目的だったとされている
とにもかくにも人口が圧倒的に足りず夷陵での損失の穴埋めが急務だった
ただ手法については疑問が残るし、成都が攻められた時も逃亡先として使えないような状況だった以上
演義のように異民族を完全に屈伏させたという訳ではないだろう
- 462 :
- 三国志展での出土品や華陽国志などの記述からして所謂「南夷」って言われてる連中って大半は漢族か漢族化して胡人っぽい
- 463 :
- >>460
南蛮討伐に従軍した将で確認されているのは、諸葛亮、馬謖、李恢、馬忠、張嶷ぐらい?
諸葛亮はこれが初陣であることを考えると、実際はもう少し連れて行ったのかもしれないけど。
- 464 :
- 例の七縦七擒も、諸葛亮は猛獲を七度捕らえたが、猛獲も諸葛亮を三度捕らえて結果猛獲は諸葛亮に帰順した、
という伝承が越南にあると聞いた事がある。
諸葛亮も征服者というよりむしろ賛美されているらしい。
- 465 :
- >>456
無知な光栄坊やは幼帝呼ばわりしたこと無視するなw
真贋wwww
諸葛誕の反乱鎮圧のために旗として持ち出しただけのことを理解できない低能w
曹髦の行動知らなかったことごまかすなよw
- 466 :
- >>457
夏侯玄とのエピソードは逮捕された時のものだろうがw
交際を断られたとかまた無知をさらすかw
司馬師が何晏の手下呼ばわりしていたのに何を言うかw
意味しているwwwwww
また独自解釈かw光栄坊やはw
賈充たちが曹爽一派だという証拠を出せよw
頭曹爽の光栄坊やは無知をさらして恥をさらすなw
- 467 :
- >>459
曹爽は失敗ばかりで救いがいないなw
汚物さらすだけの光栄坊やは馬謖の発言を功績と言っちゃうとかまた珍発言ですなw
- 468 :
- >>461
?周は呉への逃亡同様、挽回不能だから反対しただけで統治ができていないからではないぞ。
霍弋が南中統括していたことも無視かw独自解釈で突っ込み満載の光栄坊やは
本当にスレ汚し気にしろよw
- 469 :
- >>461
光栄坊やは毎度のごとくスレ汚し発言をsageることもないw
ジジイのくせにレスの仕方もわからんかw
- 470 :
- 頭曹爽の光栄坊やは412の
「変わったばっかの幼帝のお守りなんて軽いわな」
の間違いを認めろよwその幼帝が奪権しようとしたこと知らなかったのだからなw
ここから馬脚を露したのだからなw
- 471 :
- >>462
山越も遺伝子的に痕跡が見当たらないほどの種族だからな
人種としては近くても語圏や文化が違うために異民族扱いされてたって線も十分ある
今ですら北京語と広東語に大分されるほど南北で言語が違うしな
>>464
そこらへんは漢正統論が南朝時代から根付いたおかげ
千年以上も醸成した風土がベトナムにまで順調に伝わってる
当時のベトナム系である士燮一族が呉に族滅されたのに対し、苛烈じゃない諸葛亮は尊敬しやすいのだろう
- 472 :
- >>466
高平陵〜李豊の変まではカコウゲンは粛清を恐れるばかりで何の動きもない
そのあいだにショウカイが入り込む意味や意義は?
それとカアンの言葉は晋書にあるもので独自解釈も糞もない
喪の重要性は陳寿罷免や儒教では有名なことだぞ
>>470
なんにも間違ってない
禁兵は皇帝を守るための部隊であり奪権のためのものでもなく奪権防ぐもんでもない
それを破ったからこそ皇帝の権威は地に落ちた
こいつはほんとに何を言ってるんだ?
- 473 :
- >>472
礼の話なんてしていないぞ、光栄坊やw
賈充たちが曹爽の一派だという証拠を出せよw
また独自解釈で無知をさらしたなw
夏候玄と鍾会のエピソードを曲解したことを言い訳するなw
>禁兵は皇帝を守るための部隊であり奪権のためのものでもなく奪権防ぐもんでもない
そこに腹心据える意味が分からない光栄坊やは間抜けだなw
皇帝の権威は司馬師による曹芳の廃立で落ちている。
曹髦が司馬昭を討つと言ったとき禁兵は何をしていた?
相談された王業と王沈は即司馬昭に皇帝の決起を通報しているぞ。
粗雑な知識を振りかざす光栄坊やは恥をさらすだけだぞw
- 474 :
- >>472
無知な光栄坊やは己のレスを読み返して歴史的事実と己の独自解釈を
照合する作業を怠るなよw
- 475 :
- >>473
皇帝権威落ちてたらそもそも腹心据える必要ない
カジュウを推挙したのは曹爽一派のカアンであり政変後免職されてる
何でレス内で主張矛盾してるの?馬鹿なの?死ぬの?
- 476 :
- 泳がせていたらトンデモ説が完成しそうで逆に面白くなってきた
>>474をはじめとした主張をいいだけ垂れ流しさせたらまとめてみるか
- 477 :
- >>461
>成都が攻められた時も逃亡先として使えないような状況だった以上
呉の上層部は滅亡直前に
ベトナムなり台湾なり日本なりに逃げることを考えなかったのだろうか?
- 478 :
- >>475
傀儡の皇帝に触れさせないためだろw
そんなこともわからん光栄坊やは矛盾の意味を知れw
中領軍は置物と言ったのを忘れたか光栄坊やはw
>>476
曹髦をなにもできない幼帝呼ばわりしたことをしらばっくれる光栄坊やはごまかすこともできんかw
賈充の曹髦殺害が皇帝権威の失墜とか珍説丸出しだなw
禁兵が皇帝の言うこと聞かないから曹髦は身の回りの使用人に武器持たせたという状態は
皇帝の権威の失墜とは思わない光栄坊やは常識を知れよw
頭曹爽の無知な光栄坊やは鍾会と夏候玄のエピソードを曲解したりなど己の珍説をまとめていろよw
- 479 :
- >>477
呉の四姓などはそんな逃亡には付き合わないだろ。
- 480 :
- >>477
またsage忘れてるぞ、恥をさらしたい光栄坊やw
ジジイの光栄坊やはは記憶力があいまいで知識ねつ造する癖直せよw
- 481 :
- 霍弋のことには触れないのか無知な光栄坊やよw
南中が統治できでないとかまた珍説披露したなw
- 482 :
- >>477
孫リンの命乞いの逸話にもあるように交州は流刑地扱いで、晋建国後も小競り合いが幾度もあって不安定な土地として蔑まされていた
そして呉滅亡時には郭馬が蜂起して呉の支配が及ばなくなり逃亡先には選べない状況だった
台湾日本は>>13や>>19が分かりやすいが船団で向かって失敗してるから、逃げられたとしても生存者はごく少数だっただろう
孫晧は呉の領地を捨てるつもりはなかったと感じるし、孤島に逃げるより降伏して臣下を救うという方法で面子を保ったと感じる
- 483 :
- >>481
霍弋のこと知らずに何言ってるんだこいつ
- 484 :
- >>478
触れさせないって曖昧な言葉で自分の主張を誤魔化すな
禁兵は奪権のためのものでないから皇帝の乱心に付き合わないから当然
本当に奸臣を排除するなら詔を発するのが正統なやり方
>>479
四姓は陸凱のように皇帝に従わない
それが諸侯にまで及んだのが呉末期
>>481
カクヨクが南蛮平定したのは蜀へ降伏後
それまでは建寧までしか勢力圏がないから
雲南や永昌といった南中の領域まで支配は安定していない
付け焼き刃は脆いな
- 485 :
- 蜀へ降伏→晋へ降伏に修正
- 486 :
- >>484
張家を除く他の顧家、陸家、朱家がそうなった元凶が二宮の変というのが皮肉だな
そりゃ日本どころか中国の史家も批判するわけだ
- 487 :
- 孫権は認知症かアルツハイマーのどちらかと考えてよろしいか?
- 488 :
- >>483
光栄坊やは霍弋知らないから南中は危険だとかショウ周の反対論無視したのだろw
>>484
曹髦が決起したのに逆に殺されたのは詔勅を出さなかったからかw
光栄坊やはぼろを出すばかりだなw
光栄坊やは尚書八座抑えている司馬師、司馬昭相手に詔勅なんて意味ないことわからないかなw
光栄データブックですらそれぐらい書いてあるぞw
>カクヨクが南蛮平定したのは蜀へ降伏後
ショウ周劉禅に南中に退避しろと進言したのを「南蛮」に逃走しろと勘違いしているのかw光栄坊やはw
読み込みが足りんなあw霍弋が南中6郡を上げて司馬昭に降伏した記事も無視とかw
光栄坊やは半端知識しか知らんなあw
安定していないとかwまた独自解釈かw南中6郡を上げて司馬昭に降伏したという漢晋春秋の記事が嘘だという証拠を出しなよw
付け焼刃どころかなまくら知識の光栄坊やw
- 489 :
- >>486
光栄坊や悲しいなw
自部のレスに自分で返すとかw
光栄坊やは陸遜の孫たちが呉の滅亡時に戦死したことも無視かw
- 490 :
- 光栄坊やはこちらに指摘されて直したのがsage入れるだけとか恥ずかしくないのかなw
- 491 :
- 詔勅は尚書を抑えてるから無意味(キリッ)
これは伝説的な馬鹿だ
- 492 :
- このヤバい人は何者なの
- 493 :
- >>492
西原哲也
http://itest.2ch.sc/test/read.cgi/tubo/1526177087/
- 494 :
- >>492
もしくは馬糞。
- 495 :
- 曹髦と鍾会は高知能であったにもかかわらず不本意な死に方をした。
どうすれば天寿をまっとうできたのか?
- 496 :
- >>495
曹髦は教育環境で勘違いしてしまった
師である王祥の儒教教育と皇帝の価値観が加わり、実権を奪われた状況を憂い
皇帝は唯一不可侵の存在であり玉体に害は為せないという儒教的観念を持って蜂起した
賈充という悪辣な玄学者が中護軍でなければ生きていたかもしれない
鍾会は出自と才能を鼻にかけすぎた
だから年上でも格下に容赦はなく何をしても許されるものだと思い、権力を得るたびに軽はずみな行動をした
才があれば性格は良いものとされるという持論がそれを端的に表している
だから高く昇りすぎて蝋の羽が溶かされるまで全く省みなかった
二人とも頭が良すぎたからこそ不本意な死を遂げた
鍾会はまだしも曹髦は世の時流がもっと儒教寄りか玄学寄りかハッキリしていれば生きていたと思われる
- 497 :
- ところで程cの没年は220でほんとにいいの?
違うんじゃないかっていう意見を見たことがある
- 498 :
- >>491
録尚書事知らない光栄坊や詔勅の出される過程知らないとw
さすがにわか知識しかないオタクよw
>>492
複垢で自分を持ち上げる悲しい爺オタクよw
>>493
光栄坊やは被害妄想のとりこかw
複垢で工作する能無しらしいなw
- 499 :
- >>494
深夜にこそこそレスするとか袁尚が裏道から?を救おうとして曹操に笑われたのと同じだなw
曹爽といい、袁尚と言い身の程をわきまえずに身を亡ぼす連中と同じだな光栄坊やはw
- 500 :
- >>496
玄学とうより何晏達ののめりこんだ老荘思想は儒教をベースにしたもの。
論語集解がいいようにな。易に詳しい鍾会もまた儒家思想をベースにしている。
はっきり荘子的な個人主義である道家が儒家と一線を引いたのは西晋に入ってからだよ。
- 501 :
- 西原哲也 迫真の恥の上塗り
今度は儒教を勘違いする
- 502 :
- >>501
光栄坊やはこそこそレスするだけw
録尚書事知らないことをごまかすなよw
南蛮と南中を勘違いしていた光栄坊やはスレ閲覧者の失笑買うだけだぞw
- 503 :
- >>502
あーあまだ恥の上塗りしてる
魏の録尚書事の権限をもう一度調べてこい
- 504 :
- 陸遜の孫たちが戦死したことも知らんふりの光栄坊やは恥を知らんなあw
光栄坊やは失態を恐れて2行しか書けないとかまさにこそこそしていた袁尚そのものだなw
袁尚のように敗戦のショックで降伏でもするかw
- 505 :
- >>503
調べたこともない無知な光栄坊やは録尚書事の役割知らんのだろうw
南中と南蛮混同していたことには知らんふりかw
陸遜の孫たちが戦死したことも知らんふりかw
霍弋が南中6郡で降伏した事実も知らんふりかw
- 506 :
- >>503
知ったかで珍説披露して恥をさらす光栄坊やはまた2行しか書けていないなw
無駄に妄想を垂れ流して墓穴掘るのを恐れるとこのざまよw
腰抜けなんだからもう珍説披露するのをやめろよw
またsageるのを忘れている光栄坊よw
物覚えが悪いから南中と南蛮を混同しているのだぞw
- 507 :
- >>506
その駄文が僅か二行にすら及ばないんだぞ
もっと楽しませてくれ
- 508 :
- >>507
どうしたどうした珍説披露の光栄坊や、2行書くのに7分もかかっているぞw
珍説披露できなくて何も書けないかw
南蛮と南中を混同していた言い訳をはよw
陸遜の孫たちが戦死したことも知らんふりしていた言い訳はよw
詔勅で司馬昭殺せると珍説披露した言い訳はよw
光栄坊やは珍説披露して楽しませるのはもうできないかw
- 509 :
- 光栄坊やはsageるのもできない記憶力乏しいボンクラだから仕方ないかw
西なんとかさんにコテンパンにやられた憤懣を他人にぶつける根性なしよw
頭曹爽の腰抜け袁尚の光栄坊やは横山三国志でも読んだ方がいいぞw
- 510 :
- >>508
根拠のない罵詈雑言はただただ滑稽
檄文の優劣と一緒
というか掲示板をチャットと勘違いしてるのか?
こんな過疎界隈の掲示板は人様がずっと見てるもんでもないんだが
- 511 :
- >>510
今書き込み続けているよなw
西なんとかさんに逆恨みする光栄坊やは自治厨かw
反論不能でそれではみっともないぞw
sage忘れる物覚えの悪い光栄坊やよw
南蛮と南中を勘違いしていたこと
陸遜の孫たちが戦死したこと知らなかったこと
曹髦が司馬師死後に権力回復しようとしたことも知らずに何もできない幼帝呼ばわりしたこと
王業と王沈が曹髦の決起司馬昭に通報しているのに賈充による殺害が皇帝の権威失墜させたと言ったこと
これらの無知をさらしたことに知らばっくれる光栄坊やはスレ汚し以外の何物でもない。
檄文の優劣?また突拍子もないことを言い出すなw
光栄坊やは掲示板をメモ書きだと勘違いしているのかw
- 512 :
- >>510
光栄坊やは人に言われて4行にするのが精一杯かw
珍説や妄想披露するのをやめて自分の能力の程度を知ったかねw
光栄坊やは今までチャッ気分でトで珍説披露して自分を大きく見せてきたことを反省するといいw
sageるのを忘れる自治厨の光栄坊やは西なんとかさんにへこまされたことも己の
至らなさが招いたものだと自覚しなよw
- 513 :
- 光栄坊やはスレ前半の
105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2019/07/22(月) 07:48:41.73 ID:HgzlgWEf0 [1/2]
>>104
司馬懿50代(宛時代)、石勒30代(独立前の趙王)を想定
諸将に迎撃指示するもボコボコにされて敗北して仕方なく降伏
↓
敗北理由について雄弁に語る知識を披露し生き残り、参軍および将軍として仕える
↓
漢民族の知識と豊富な軍知識で疎まれながらも重用される(おそらく拠点を持つよう進言する)
↓
戦では遼東並の殺戮をしてドンビキされつつも忠節を評価される
↓
石勒とほぼ同時期に死亡する、石勒が先に死んでも簒奪はできないだろう
後世の評価想定
・漢民族の名家でありながら蛮夷に屈して同胞を殺したと酷評
・軍学は高いとされながら文人要素(詩歌や交友)は糞という逸話が多くなる
・心の底では異民族を見下してるとされる(息子が異民族と通婚→奥さん毒殺の逸話誕生)
・やっぱり首180度以上回りそう
・司馬師は石弘につくが石虎に野心を利用され離間→酷刑十族皆殺しにされる
総合的に見て(張賓+崔浩)/2の知の功臣、人間性は苟稀+石閔の残虐野郎という立ち位置になる
106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2019/07/22(月) 08:18:48.55 ID:FDgGGskR0
何この妄想長文
このころから白眼視されていたことに気づかない恥さらしよw
- 514 :
- 光栄坊やは見ているのだろw
西なんとかさん同様違うスレでへこまされた腹いせに悪口並べるだけの無様さらすなよw
- 515 :
- 南中範囲に南蛮は含まれる
南蛮の代表格の孟獲は建寧出身で反乱を呼びかけた南中地方は現在の雲南省からミャンマー北部であり南中範囲>>>南蛮
霍弋が南中6郡で降伏した時に全域が掌握できていたら南蛮征伐をする必要はない
仮に魏を嫌った蜂起を鎮圧したというなら蜀漢正統論に基づいて南蛮蜂起は神格化されている
陸家は呉郡呉県が権力の源泉であり皇帝のために敗死してるわけじゃない
家を守るために戦い名士としての格を示しただけ
おめおめと生き延びて晋に媚びた陸機陸雲、呉との関係を切るために姓を戻してる朱積からして
呉派の諸侯は呉を捨ててる
曹髦が権力回復しようとしたのは諸葛誕の乱以降
それまではただの幼帝でしかない
王沈は元々曹爽一派で玄学を知ってるからこそ儒教を否定し皇帝は死ぬと判断して密告した
賈充による殺害が皇帝の権威失墜にあたるのは軍勢持ちの司馬伷が曹髦の一喝で逃げ出したのを見るに明らか
もう少し遊んでやりたかったがとりあえず書いておくか
他人と勘違いして自慰してる暇あったらもっと俺を楽しませろ
- 516 :
- 赤壁前魯粛が孫権と二人きりになった時に「曹操に降伏した後でも奴等は臣下として使われるが孫権はいずれ嫌疑をかけられ殺されるだろうから降伏するな」という言葉で踏ん切りをつかせたのを思い出した
身の安全が保障される道があるならそれを選ぶのはいつの時代も一緒だし劉表残党の厚遇見てたら降伏に靡いても仕方ないなと感じる
- 517 :
- >>515
南蛮は南中の異民族だって言ってやればいいのに
武陵蛮が武陵の異民族なのと同じ
あんまり弄んでやんな
- 518 :
- 霍弋は史実ではそれなりに頑張ったのに、三国志演義では活躍がイマイチなので気の毒だ。
- 519 :
- >>518
滅亡後に魏のため仕えて交州奪ったりするとこを知って
明時代は尻軽野郎と蔑んだんだろうな
東晋でも異民族平定を霍弋を参考に行われていたりするのに皮肉だ
- 520 :
- 羅憲なんてだしてもらえないもんなぁ
むしろハイエナモードに入った呉軍を食い止める美味しい役どころなのに
- 521 :
- >>520
出したら陸抗の清廉イメージが汚れるからね仕方ないね
羅憲と甥の羅尚はことごとく世論や理想の本流から外れてるがために
普通に考えて大きな事してるのに無名なのが辛い
同じ理由で田予とか張既とかも無名だし
- 522 :
- 羅尚なんて絵に描いたようなヒールやし
- 523 :
- 腹いせに歴史ゲーム板荒らすのやめろよ光栄坊や
- 524 :
- >>522
没落した帝国に忠を尽くして愚直に任務を全うする
その点では一致してるが羅憲は火事場泥棒、羅尚は難民が相手だからな
おまけに腐る前の成漢は政治がまともだったのも不運だった
>>523
自分がやったことの責任を他人に押し付けるなよ
お前は郭図か
- 525 :
- なにせこの光栄坊や、曹豹に曹豹「劣猫」という字を勝手に考えた前科がある
理由は恐らく光栄の三国志シリーズにおける曹豹の低い能力を根拠としたのか
- 526 :
- >>521
蜀が魏に降伏した時点でもう魏領だしハイエナでもなんでもないだろ
- 527 :
- >>518
その逆の武将もいたなあ。史実より演義のほうで活躍した武将がいたなあ。誰だったかなあ。名前でてこないや。
- 528 :
- >>526
ハイエナだろ
蜀の滅亡は呉の命運に関わることであるのに
呉は蜀を助けず利益を求め盟約を違えようとする
蜀が滅んだ以上呉も永くは保たれないであろう
この羅憲の嘆きに全てが凝縮されてる
実際に呉は蜀がピンチでも援兵を出さず魏の撹乱しかしてない
戦後にそれを責められて連鎖倒産するのを恐れてるのが丸見え
孫休が微妙な評価を受けるのも無理はない
- 529 :
- >>528
ジャムカ「アンダと同じだ、盟約など意味をなさない」
- 530 :
- >>515
南中に南蛮が含まれるwww
またまた独自解釈w苦しいねw
南中各郡設置したのは諸葛亮なのか?
光栄坊やは無知を晒すなw
家を守るために戦死www
どこにそんなのこと書いてるのw
司馬師死後に司馬昭から兵権奪おうとして阻止された史実を頑なに否定する光栄坊やw
王沈の思想背景を歴史資料から出しなよw
曹髦が禁兵率いてない時点で権威も権力もないことは曹髦自身の台詞から分かるのにまた妄想に逃げるw
複垢バレバレなのずっと張り付いてる光栄坊や
- 531 :
- >>517
南蛮に逃走したというレスを誤魔化すなよ光栄坊やw
また自演か無能の一つ覚えよw
- 532 :
- >>530
相変わらず木を見て森を見ずだな
逸話をむりやりつなぎ合わせて頭ごなしに否定してるだけ
史書から持論すら書けないのが透けて見える
- 533 :
- >>523
珍説妄想しかないにわかオタクだから仕方ないw
- 534 :
- >>524
張郃の投降は張郃の伝と武帝紀と袁紹伝では経緯が違う。郭図の讒言は張郃伝だけで本人の不名誉伏せている可能性がある。
光栄坊やは三国志演義しか読んでないのかなwやはり読み込みが足りんなあw裴松之も突っ込んでいるというのにw
学者とにわかオタクの差ですなあw
- 535 :
- >>532
持論www
自演でレスするのが持論かw
嘘と誤魔化ししか出来ない光栄坊やの浅はかさよw
やはりずっと張り付いてるんだなw
南蛮と南中勘違いしていた記憶力の弱い光栄坊やw
陸遜の孫たちの戦死知って慌てて自家の名誉のための戦死と言い訳w
持論とは詭弁のことかw
- 536 :
- 光栄坊やは珍説や妄想でなく言い訳書くのはずいぶん苦手だなw
ゲームするよりも入門書として岡崎文夫ぐらい読んだ方がいいぞw
- 537 :
- 岡崎五郎?
- 538 :
- >>528
蜀がダメダメだし救援出す前に魏になったんだから亡国を復興するより魏からその旧領を奪う方がいいでしょ
それに相手取るのは建前上蜀漢の兵じゃなくて魏兵なんだから
- 539 :
- 蜀が滅亡した時点で、たとえ陸遜が生きていたとしても呉の滅亡を防ぐことはできなかったと思うんだが。
- 540 :
- 職・呉の滅亡を決定したのは、関羽を攻めた時だと思うけどな。
あの時に関羽と協力して魏を攻めていたらもしかしたらという可能性はあった。
関羽が聞かないし、呉では荊州欲してたから無理だった可能性高いが。
蜀が滅亡した時では手遅れ。
- 541 :
- >>538
それは呉の言い分
仁より目先の利を優先するのか、利になびく相手に降伏はできんと羅憲は奮起して永安を守りきった
北風と太陽の法則よ
- 542 :
- >>541
そら攻められたほうは本国混乱してるわ呉に攻められるわたまったもんじゃないが
呉がハイエナったとは言えない
- 543 :
- 結果論でいえば益州から長江を下った王濬軍の侵攻が征呉の決定打になったのだから、呉としてはどうしても永安を抑えておきたかったのだろうな
あれがなかったらもう少し粘れたのか?とかそもそも粘る意味ある?ってところは置いておいても
国防上、敵対国家に永安を渡すわけにはいかない事情があったと
- 544 :
- >>543
元蜀の民族がクッソ従順に晋のために働いたからな
おかげで大軍渡れる船団が出来上がってしまい川上から押し寄せられた
張悌がやけっぱちになるのも分かる
それを防ぐためにも蜀の領域は重要だった
- 545 :
- >>537
魏晋南北朝通史は初心者おすすめよw
半端知識と妄想しかない光栄坊やにこそおすすめw
- 546 :
- 逃げるなよ、勝ち目のない相手に無視決め込む能無しの光栄坊やw
楽しむのではないかw
>>538
雑談で茶を濁すだけかw光栄坊やw妄説珍説披露して失笑買えよw
>>539
陸抗の前で羊?は持久戦するしかなかったことを無視する光栄坊やw
>>542
sage忘れているぞ、自演癖の光栄坊やw自分のレスにレス返して虚しくないかw
- 547 :
- >>545
具体的に中身教えてくれない?
気になるんだが
特に宋梁陳
- 548 :
- 光栄坊やは袁紹伝と武帝紀読んで張郃の記事の矛盾気づいたかw
郭図への認識改めて黙るだけかw
- 549 :
- >>540
あの時に魏が滅んでたら呉にはなんの正統性も無い
- 550 :
- >>547
大学図書館に行くか、国会のデジタル図書館にあるので参照してみるといい。
社会史アプローチであり、光栄坊やのように陸遜の孫たちが戦死したことをごまかすような
駄文ではないのでご安心をw
- 551 :
- >>544
交州広州で西晋は呉を崩せなかったが広州での郭馬の反乱が崩壊につながった。
脩允死後に私兵だった郭馬たちが移動させられるのが嫌で反乱起こすのが呉の
もろい体制の証と言われるゆえん。
- 552 :
- 魏晋南北朝通史
赤壁の船六十万隻を鵜呑みにしてたり関羽と劉備の独断の理由書いてない割に
魏初期の連敗を兄弟喧嘩にかこつけて前線武将の人材難を無視したりしてる
臧覇にしても曹丕に子飼いの部隊引き抜かれてるのを度外視した内容
この時代の研究ってこんな程度なのか?って戸惑ってる
- 553 :
- >>552
一個の書籍だけじゃなく複数の論文とかを見比べるのも大事よ
九品官人法なんて視点によって画期的に見えたり悪法に見えたりするし、成立の理由が知れたりして楽しい
一個だけだとどうしても著者や団体の思想に左右されるからね
最近だと日本孔子学会でその弊害が顕著
- 554 :
- 昔は魏晋の貴族制について学者間での論争が活発に交わされていたけど
今はそういう論争自体おきなくなっちゃったからね
詰まらんよね
- 555 :
- >>554
研究が進むためには題材自体が興味を引くものであることが重要だもの
論争から色んな視点が出るわけだし、そのたびに整合性を取るために色んな検証がされる
興味がないと前例踏襲とかで終わっちゃうのが大半だから寂しい
- 556 :
- あれ、今日先生いないんだ
魏晋南北朝通史で気になる事聞こうと思ったのに
- 557 :
- >>556
先生って坊や連呼で草生やしてる奴か?
あいつ戦前の文書読めないか、その本見てないか、中身理解できていないかという馬鹿だから放置推奨だぞ
基礎がなってないのにウィキぺとかの情報丸呑みにしてる節があるからな
- 558 :
- >>556
その日歴ゲ板がめちゃくちゃ荒れてたから、そっちの方に集中してたんじゃない?
- 559 :
- 呉が天下とれるチャンスってあったんだろうか
- 560 :
- >>559
関羽を好き放題させて魏へのヘイトをそっちに傾けてる間に交州南中を手なづけて
山越を民族浄化して人口増やしてから准北を獲る
そして蜀と魏の潰し合いで弱ったとこを併合する感じか
曹叡の時代になると孫登が名君として継承しても勝てる気がしない
- 561 :
- むしろ南征に消極的な曹叡相手にこそチャンスがあるような気がするが
- 562 :
- >>561
そのかわり鉄壁+無茶な土木工事の風評ほど国力弱ってない
まだ戦下手なくせに出たがりな曹丕の時代のほうがチャンスがある
- 563 :
- >>555
光栄坊やは武帝紀も袁紹伝も読まずに郭図たたいているようではなw
>>557
光栄坊やはウィキレベルの知識もないがなw
南中と南蛮の違い理解したかw
陸遜の孫たちが戦死したこと覚えたかw
妄説にすがる光栄坊やは論文など読んだこともないだろw
- 564 :
- >>558
やはり光栄坊やはゲームオタクかw
光栄坊やはキングダムとかの話してる方がお似合いだぞw
- 565 :
- >>561
諸葛亮と連携して合肥攻撃しても満寵に敗北するようではとてもとても。
- 566 :
- >>557
曹髦が司馬師死後に脱権しようとしたこと知らなかった光栄坊やに尋ねようよするものなんて
誰もいないぞw
放置状態の光栄坊やは受けをとりたいなら世説新語でネタあさりするといいw
- 567 :
- >>564
先生ちょっと聞きたいよ
馬謖が南中を獲るときに南蛮を力を持って獲らず心服を得ることを進言したけど
諸葛亮は賛同しながらも征服地の南中に恩信を広めてる
先生曰く南中南蛮は別の場所だから諸葛亮ってキチガイなのかな?
それもとも魏晋南北朝通史がキチガイなのかな?
- 568 :
- >>567
光栄坊やは南中と南蛮を混同する愚を犯したのは三国志演義というより光栄ゲームのやりすぎなのだろうがw
馬謖伝に馬謖が「南蛮を力を持って獲らず心服を得ることを進言した」という箇所で馬謖は「南中」と言っている。
キチガイなどいないぞ、ただ不勉強な光栄坊やがいるだけだぞw
光栄坊やは本当に武帝紀と袁紹伝読まずに官渡語ったように正史読んでないんだなw
これでいままで珍説披露してするなど狂気の沙汰だなw
- 569 :
- >>567
不勉強の光栄坊やよ、いったいどんなトンチキ本を見て後漢から魏晋に興味を持ったのだw
- 570 :
- >>559
合肥が幾度となく呉の北征を阻む障壁になったことを考えると、合肥が要塞化する前に淮南を制圧するしかなかったね
孫策の死によって頓挫した許都襲撃、あれが唯一のチャンスだったのかも
- 571 :
- >>568
魏晋南北朝通史の53ページだよ
ということは魏晋南北朝通史ってキチガイ書物なんだ
- 572 :
- >>570
孫策は結局広陵狙っていたがな。
一門に多くの官僚排出した陳登は許貢のように既成勢力を粛正する孫策にとって当然つぶすべき対象だからな。
- 573 :
- >>571
光栄坊やは己の曲解からそう見えるかw
せこい光栄坊やは南方蛮族と書いているのを南蛮と読むのかw
光栄坊やが南中を南蛮と読み違えたのと同じだなw
光栄坊やは認知障害の疑いがあるなw
それとも光栄坊やはアカデミズムへの妬みから珍説披露するのかw
- 574 :
- >>573
先生南蛮って何かを教えてよ
そうじゃなきゃ岡崎文夫が勝手に書き換えたことになっちゃうよ
- 575 :
- 光栄坊やはゲームのし過ぎで活字読むのが苦手なら無理せず、キングダムでも読んでいた方がいいぞw
光栄坊やは袁紹伝と武帝紀読んで官渡を勉強するのを忘れるなよw
- 576 :
- >>574
南方蛮族とかいてあるのを南蛮と読む認知障害の光栄坊やには岡崎文夫の通史という意味が分からないかなw
司馬光の書いた資治通鑑を歴史を勝手に書き換えたとでも言うのかなw
認知障害の光栄坊やは南中と南蛮を混同したことがよっぽど悔しかったのかw
光栄坊やは陸遜の孫たちが戦死したことも知らなかったのだから誰も光栄坊やの恥など別に
おかしなことだと思っていないぞw
- 577 :
- >>574
光栄坊やのような国語能力も怪しい低学歴オタクには岡崎文夫も読んでほしくないだろうw
光栄坊やはキングダムでも読んでいる方が身のためだぞw
- 578 :
- >>576
だって文章が変だよ
南方蛮族が南中にいないと馬謖の進言どおり征服地に恩心を広めないよ
だって征服したところが南中なんだもん
南蛮ってなんのことを指すの?
孟獲って何なの?
- 579 :
- 光栄坊やよスレ立てた人間がこんな無知で認知障害とはスレ住民もあきれて仕方ないだろう。
- 580 :
- >>579
ねーねー早く答えてよ先生
社会史アプローチがキチガイ書物になっちゃうよ
- 581 :
- >>578
南蛮なんてどこにも書いてないぞ南方蛮族だぞw
認知障害の光栄坊やよ、馬謖伝にも南方と書いてある。岡崎の文章は光栄坊やのような
妄説でなくきちんと読み込んだうえで書いてある。
光栄坊やのような南蛮なんて単語をうかつに使わんぞ。
光栄坊やよ、南中に漢民族以外の人間が住んでいないという妄説を垂れ流して
またスレ住民の失笑買うかw
- 582 :
- >>581
じゃあ雲南の地の南中蛮族って南蛮じゃないんだ
それなら霍弋ってどこ攻めて平定したの?
きになるなー早く答えてよ
- 583 :
- >>580
認知障害の光栄坊や、逃げるだけかw
南方蛮族を南蛮と読み違えるとか国語能力の低さをスレ住民にもっと知ってもらえよw
光栄坊やが袁紹伝や武帝紀読まずに官渡語ったこと、
賈充による皇帝殺害以前に皇帝の権威失墜していたこと、
陸遜の孫たちが戦死したこともすべて光栄坊やの認知障害が原因だぞw
- 584 :
- >>583
関係ないこと話してないで早く答えてよ
霍弋って魏に降伏して南蛮平定したっていうのはどこなの?
- 585 :
- >>582
光栄坊やよ、南方蛮族だぞ、また認知障害による読み違いかw
光栄坊やよ、その調子で認知障害をもっとさらせよw
光栄坊やよ、霍弋が南中平定して6郡で降伏した記事を無視かw
光栄坊やよ、逃げるなよ、南中と南蛮を混同したことごまかすなよ、不勉強な光栄坊やは
恥をさらすだけかw
- 586 :
- >>585
三国志蜀書 譙周伝注で霍弋は司馬昭に降伏した後南蛮平定してるよ
具体的にどこを平定したか書いてよ
- 587 :
- >>584
逃げるなよ、光栄坊やw
劉禅逃亡の進言で南蛮と言ったことごまかすなよw
- 588 :
- >>586
譙周伝でが譙周が南方に避難すると書いてあるのに懲りずに南蛮を主張する
認知障害の光栄坊やw
認知障害の光栄坊やはこれも見過ごすかw
- 589 :
- >>587
誤魔化してるのはそっちでしょ?
華陽国志で言及されてる南蛮征伐は雲南の非従属民族のことだよね
雲南って南中だよね
なんで南中6郡に平定すべき南蛮がいるの?
- 590 :
- 光栄坊やはいつもこうやって自演で己をよく見せようとする卑しいにわかオタクよw
岡崎の文書ねつ造する認知障害の光栄坊やはこれまでさらした無知を反省しろよw
- 591 :
- >>588
つまり先生は和訳が間違ってたって言いたいんだね
東晋の華陽国志で南蛮の概念が示されてるのに何で現代でそれをとやかく言うんだろう
- 592 :
- >>590
先生にとって魏晋南北朝通史ってねつ造なんだ
すごいね社会的アプローチ
- 593 :
- >>589
華陽国志に書かれている攻撃したのは夜郎のことだなw
これを光栄坊やは南蛮と言っちゃうのかw
都合よく南蛮を地域や集団に言い換えるのが認知障害の光栄坊やのやり口よw
南方蛮族を南蛮と故意に言い換えるねつ造癖の光栄坊やらしいなw
>なんで南中6郡に平定すべき南蛮がいるの?
光栄坊やはこの南蛮がもはや地名でなく集団でしかないことに気づかないのが実に
認知障害のオタクらしいw
- 594 :
- >>591、592
光栄坊やはねつ造癖でドやるだけw
すごくないね光栄坊やの妄説はw
ほらほらここは光栄坊やの掲示板だ、もっと珍説披露して恥をさらしなさいw
野郎を南蛮と言い換えるのが現代の認知障害の光栄坊やの愚かさよw
- 595 :
- 認知障害の光栄坊やが野郎を南蛮とねつ造するのはこのスレの極致といえるだろうw
南中と南蛮を混同した認知障害の光栄坊やは魏晋南北朝通史や華陽国志をねつ造する
光栄坊やのアプローチw
光栄坊やはこういう資料のねつ造を行う、精神疾患の持ち主w
- 596 :
- >>593
先生は現代の中国語や日本語が間違ってるって考えなんだね
すごいや
それに南蛮に逃げるなんて書き込みないよね
南蛮征伐がよく分からないに対しての回答に南蛮なんて含まれてなかったよ
先生が最初にそれを書いてるね
- 597 :
- 西なんとかさんに泣かされた光栄坊やは今からでも西なんとかさんに
光栄坊やの認知障害を指摘していたのだから感謝しに行けよw
- 598 :
- >>593
非従属民がいて安定した地域なんだ
当時の漢って統治の基準どうなってるんだろう
それについての資料ない?
- 599 :
- >>593
南方蛮族と南蛮って違うんだよね
南方蛮族って地名なの?民族なの?具体的にどう違うの?
- 600 :
- >>596
またまた逃げるだけかw
光栄坊やはこれまで南蛮を主張していながら形勢が悪くなるとこれよw
南方蛮族を南蛮と言い換え、野郎を南蛮と言い換えるw
認知障害の光栄坊やは哀れだなw
- 601 :
- >>599
ついに己のねつ造認めたか認知障害の光栄坊やはw
>>598
認知障害の光栄坊やは脳内資料をあさりなさいw
岡崎の本文ねつ造するような認知障害の光栄坊やには豚に真珠w
- 602 :
- >>600
現代語で夜郎と南方蛮族と南蛮って使い分けるのがスタンダートなの?
なら世界中の書籍への宣戦布告だね
先生スケールすごいや
ところで先生
>>599の答えは?
- 603 :
- >>601
資料ないんだガッカリさせないでよ先生
捏造なんて一言も言ってないよ
先生の高尚なデータブックでの南方蛮族と南蛮の違いを知りたいんだ
- 604 :
- >>488
>>498
先生これも気になるな
録尚書事は尚書八座を抑えて詔勅を無意味にできるんだよね?
でも同じ録尚書事の陳羣は皇帝の意思決定を上奏して変えようと変えようとしてる
そんなことしなくても詔勅を無意味したらいいのに
わざわざ上奏したのは何で?
陳羣は中護軍兼任だから先生の主張通りなら皇帝抑えちゃえばいいのに
- 605 :
- そもそもスレ見てたら普通に南蛮で通用してるもんを半端に揚げ足取るのも変な話なんだがな
当時の蛮単体で今の南蛮とさして変わらん意味ある時点で不毛
演義で南蛮が使われるようになったのは南家蛮子と漢民族が差別されて開き直ったのがデカい
- 606 :
- >>602
使い分けるwwww
ねつ造を認める光栄坊やww
>>603
光栄坊やは自演とねつ造で己をよく見せるだけw
>>604
光栄坊やは賈充の皇帝殺害で皇帝の権威失墜したと言いながら高平陵の変は無視するかw
ねつ造癖の光栄坊やは記憶力のなさをねつ造で補うのかw
結局無職のネトウヨ認知障害の光栄坊やは一日中張り付いているのねw
- 607 :
- >>605
通用wwwwww
またsage忘れかw自分の間違いを自覚する光栄坊やw
- 608 :
- 光栄坊やは袁紹伝と武帝紀読んで官渡の戦い知ったか?
陸遜の孫たちが戦死したこともちゃんと復讐しておけよw
光栄坊やは学者になどならなくてよかったなw論文ねつ造ですぐに解雇されていたなw
低学歴ネトウヨの光栄坊やは学歴コンプからねつ造や自演していたのかw
- 609 :
- >>605
野郎を南蛮と言う資料ねつ造の低学歴認知障害の光栄坊やは
歴史ねつ造するネトウヨだったかw
ネトウヨの自画自賛も定型だなw
ネトウヨであることを揶揄されたから西なんとかさんに逆恨みしているのかw
- 610 :
- 光栄坊やはわざとsageずに己のスレを注目されたい自意識過剰の底辺ネトウヨのくせに
自演の時はsageるとか姑息なネトウヨらしいなw
- 611 :
- >>606
答えになってないよ
答えられないなら答えられないって言ってよ
中傷が先生の仕事なの?
>>609
先生自滅してるよ>>593
- 612 :
- >>611
隠ぺいと自演が無職ネトウヨの光栄坊やのやり方だろw
自滅というのは陸遜の孫たちが戦死したことも知らない光栄坊やだろw
華陽国誌ねつ造する自演癖の光栄坊やは恥をさらすだけw
野郎を南蛮とねつ造した謝罪はよw
それとも光栄坊やは認知障害だから理解できないかw
会話になってないぞ、光栄坊やwそんなだから無職ネトウヨなのかw
- 613 :
- >>612
>593名無しさん@お腹いっぱい。2019/09/07(土) 00:13:44.63ID:cs5541n+0
>華陽国志に書かれている攻撃したのは夜郎のことだなw
これ先生の言葉だよ
謝罪は先生がすべきだね
- 614 :
- >>611
野郎を南蛮とねつ造した言い訳答えなよw
陸遜の孫たちが戦死したことも知らなかったことの言い訳答えなよw
苦しくなると話題変えようとする言い訳答えなよw
自演のためにsageる言い訳答えなよw
無職ネトウヨに落ちぶれた言い訳答えなよw
- 615 :
- >>613
野郎を南蛮とねつ造した光栄坊や認知障害で己の失態ごまかすw
自分の失態見せたくないからsageているのかw
姑息な無職のネトウヨらしいなw
こんな過疎スレでどや顔もできずに他人の目を恐れてsageる光栄坊やw
- 616 :
- ID:cs5541n+0終わったな
これIDかぶりって言い訳不能だろ
- 617 :
- >>615
コピペはお腹いっぱいだよ
陳羣の録尚書事と南蛮について聞きたかっただけなのに
そんなことすら分からないのに先生騒いでたの?
がっかり
- 618 :
- 荒らししか居ないのかよw
- 619 :
- ID:cs5541n+0みたいなストローマンを駆除しようよしたらこうなるのはしゃーない
何故ストローマンが対人で活躍する人種かというと、駆除の過程や駆除後の状況をパッと見ると駆除者も悪く見えるから同情を誘いやすい
後世で無能なのに何で重用されてるんだって奴はストローマンであることが少なくない
- 620 :
- >>619
やるならやるで自重してくれよ
草生やしがクズなのは分かるがここにそいつが報復した時に責任とれよ
- 621 :
- >>616、617
光栄坊やは自演かwwww
とっくに終わっている光栄坊やw
>>617
聞きたかったのは南蛮だろw
認知障害の光栄坊やは自分のレス忘れたかw
>>619
認知障害の自演する光栄坊やは急にストロー万とか言い出すw
糖質の典型だなw
>>620
光栄坊や、sage忘れているぞw
自演依存症の光栄坊やw
光栄坊やずっと監視ご苦労w無職のネトウヨはこうするしかないかw
- 622 :
- >>618
ねつ造と自演するしかできないネトウヨ光栄坊やの狂態をお楽しみにw
- 623 :
- >>621
>>604を読めないの?
それに中身のない中傷で優位に立とうとするのは愚の骨頂だよ
先生しっかりしてよ
- 624 :
- >>623
南中を南蛮とねつ造したことに答えなよw
自演ばれて窮地に追い込まれる光栄坊やは実に愚かだなw
令狐愚 のように改名するかw
- 625 :
- しっかり自演もできない光栄坊やw
袁紹伝と武帝紀読んで官渡勉強しろよw
陸遜の孫たちが戦死したことしっかり学習したかw
- 626 :
- >>624
自演バレとか南中南蛮捏造って思ってるのは先生だけだよ
>593名無しさん@お腹いっぱい。2019/09/07(土) 00:13:44.63ID:cs5541n+0
>華陽国志に書かれている攻撃したのは夜郎のことだなw
>609名無しさん@お腹いっぱい。2019/09/07(土) 09:55:57.61ID:cs5541n+0>>611
>野郎を南蛮と言う資料ねつ造の低学歴認知障害の光栄坊やは
↑
早くこれの説明してよ
- 627 :
- バカのひとつ覚えだな先生とやら
- 628 :
- ○書の存在を知らずに突っ走った結果がこのザマか
曹叡が変節や曹髦の軍権取り上げは○書の存在を知っていれば問題にならない
後者に至ってはフカがそのこと知ってたからこそ従わなかったってオチ
ここまで香ばしい奴がいたとはお笑いだ
- 629 :
- >>626
華陽国志ねつ造をごまかすだけの光栄坊やw
陸遜の孫たちが戦死知らなかったことから光栄坊やの無知とねつ造が暴露されたなw
- 630 :
- >>627
そう、自演で己を演出する光栄坊やの愚かさを理解してもらえて何よりw
- 631 :
- >>628
またまた光栄坊やの独自解釈ww
資料ねつ造の光栄坊やの愚かさよw
突っ込み恐れて〇書と出典を隠すw
光栄坊やは光栄の書籍を出典にしていると隠すなよw
無知をごまかす光栄坊やは都合の悪いときはsageるからバレバレだぞw
- 632 :
- >>628
読み込みの浅い光栄坊やは無知を恥じないw
- 633 :
- https://www.asahi.com/articles/ASM9705QTM96ULZU012.html
もう九州北部できまりっすね
- 634 :
- >>633
日田には卑弥呼の墓にもなりそうな大きな古墳あったっけ?
- 635 :
- >>633
まだまだw卑弥呼を気長足姫としたい光栄坊やのような嘘つきがいる日本では畿内説にこだわる
連中がいるうちは対立は続くよw
- 636 :
- いずれにせよ
使者が邪馬台国に到達できた魏 >>>>>>> 大船団を送ったが失敗した呉
だな
- 637 :
- >>634
曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表
中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155〜220)。
その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。
中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、
東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。
2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、文様などはよくわかっていなかった。
同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、貴石などもちりばめられていることがわかった。
潘研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。
金銀錯嵌珠龍文鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、考古学者の梅原末治によって1963年に報告された。
翌64年に重文に指定されている。邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとみて、「邪馬台国九州説」を補強する材料の一つと考える研究者もいた。(編集委員・宮代栄一)
https://www.asahi.com/articles/ASM9705QTM96ULZU012.html
https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20190907001638_comm.jpg
- 638 :
- >>636
光栄坊やは何をもって比較するのかw
卑弥呼の目的は通交であって孫権の人狩りとは違うぞw
- 639 :
- 光栄坊やがどうやらうるせーわ
どっちも邪魔、喧嘩するなら別のとこでやれや
- 640 :
- 少なくとも鍾会の官職知らない馬鹿は消えた方がいいわ
何でコイツが曹髦の論壇の四人に数えられてるくせに情報ないのかも考えられんのか
- 641 :
- 単芝ガイジ去ね
- 642 :
- 専ブラ使っている人は
光栄坊や
をNGワードに指定しよう。
- 643 :
- 呉は資金力あるんだがいまいち攻めきれないな
やはり馬が足りないのだろうか
- 644 :
- >>643
そう考えると
おそらく騎馬運用に長け水軍も使えて調略を駆使して襄樊を追い詰めた関羽ってスゲーって感想になる
- 645 :
- >>644
実力で言うなら文句なしだからね
でも方面軍を指揮するには多角的・客観的視点が不足していたのも間違いない
兵站や外交といったお膳立てがあれば魏を瓦解させられたとは思う
問題はそのお膳立てをやれる人物が漢では壊滅的であったこと
劉備諸葛亮クラスじゃないと関羽は言うこと聞いてくれないだろう
- 646 :
- >>645
兵站は大量の降伏者の影響が大きい
降伏者を埋めれば良かったのかな?
襄陽の包囲を解いた後も呉の手引きで漢水の補給路が攻撃されるまで樊城包囲を続けてた事実からも補給についてはかなり考えてたと思えるけどね
そして何度も言われてる事だけど仮節の関羽に外交をどうにかする権利は無い
- 647 :
- おそらく関羽の死で一番立場が無くなったのは孔明だろうね
なにしろ兄が呉に仕え呉との同盟を成立させた対呉外交の第一人者なのに呉の裏切りをなんとも出来なかった訳だし
まあ漢中攻めの立役者で一緒に蜀科を作った法正の病でそれどころじゃ無かったのかも知れないけど
- 648 :
- >>646
そこが客観的視線の不足なのよ
人数をいたずらに増やしすぎても統率や維持にかかる負担が大きくなる
統率が行き届かないと戦線崩壊をもたらす
維持できると踏んで吸収したあげく外交問題起こしておいて攻め続けたのが失敗
後世の石勒はそれがよく分かってるから将に率いさせる軍も4万程度を限度としていたし
当時の西晋の主力+有力者+官吏の塊だった司馬越残党軍を容赦なく37564にした
大義と小義の差はここ
- 649 :
- >>648
于禁降伏後も普通に戦線が保たれてた事からも致命的では無いんだけどね
これは推測だけど呉の資料で関羽に食料を奪われた件は多分普通に供出してたんじゃないかと思う(確か位置的にも遠くて関羽が襲うのはおかしい位置だったはず)
関羽を裏切った後付けで襲われた事にしたと考えるのが妥当(そうでなきゃ関羽の油断を誘えない)
- 650 :
- >>649
まあ関羽性善説に則るならそうだよな
兵糧欠乏してもすぐに影響は出ないからここら辺は平行線を辿るんで置いとく
外交権ないなら劉備に上奏しなかったのが落ち度なのは変わらんけど
- 651 :
- >>650
孫権との婚姻も
普通に考えれば従属要求で引き抜き案件やから劉備に上げる様な話じゃ無い
というか外交なら孫権が劉備に使者送るやろ
- 652 :
- 関羽性善説というより
その方が自然というだけの話やからな
まあ魏との大一番真っ最中で要請が高圧的だった可能性はあるけど
- 653 :
- >>651
臣下の親族問題では、諸葛瑾が息子を諸葛亮の養子にする際に君主の孫権に話を通してるからな
そもそも引き抜きというより独立勢力になってたというほうが正しいように思える
荊州領有を争った時も215年に劉備と和睦したはずなのに、217年に袁龍が関羽と通じで反乱を起こした以上
関羽とも話をつけなければいかんと踏んでもおかしくはない
- 654 :
- >>653
それは兄弟とはいえ違う君主を持った臣下同士の話だから全然違う
関羽を独立勢力として見る人がいるけど
いくら影響力は強くても所詮は仮節
政務は劉備の信任厚いハンシュンが仕切り
糜芳士仁も劉備が下につけただけの同僚で
全然独立してないよね
袁龍というか217までの緊張関係の詳細はよく分からない
- 655 :
- >>654
劉備と魯粛がなんとか和議を取り持って決まった境界線にいる呉の将軍が関羽に寝返るため反乱したのよ
呉からしたらふざけんなって話だし、俺は漢に任免されたから呉に従う義理はないって嫌味を裏切った将に言われてる
そりゃ関係が破綻しますわ
- 656 :
- >>654
劉備と魯粛がなんとか和議を取り持って決まった境界線にいる呉の将軍が関羽に寝返るため反乱したのよ
呉からしたらふざけんなって話だし、俺は漢に任免されたから呉に従う義理はないって嫌味を裏切った将に言われてる
そりゃ関係が破綻しますわ
- 657 :
- 多重投稿スマソ
- 658 :
- >>642
誰もしてくれないぞ光栄坊やw
一人でレスして流そうとするなw
自演好きの光栄坊やw
- 659 :
- >>657
光栄坊や一人で多重投稿もクソもないw
隠蔽捏造の常習者光栄坊やは逃げるなよw
- 660 :
- >>656
というか孫呉と劉備は同盟関係だったけど漢中王名乗ってからは実力はともかく名分的にはもはや対等な関係はありえないよね?
- 661 :
- 朝六時から自演続ける光栄坊やの人生の無残さよw
光栄坊やは専ブラでsageるのをデフォルトにしないと自演すぐバレるぞw
- 662 :
- >>660
そのころにはもう呉と決裂してるからな
関羽に仮節鉞が渡されるというのはそういうこと(好き勝手に軍を動かしていいぞって意味)
でも義兄弟というアングラな関係を正当化するための建前なのは皮肉
- 663 :
- >>656
長沙は215の時点でも反乱起こしてるから孫権支配のウケが悪かったんやろな
反乱を起こしたら関羽を頼るしかないけど結局関羽と衝突してないしな
- 664 :
- >>654
所詮は仮節であり部下も名目上は同僚なのだが義兄弟という不文律がすべて台無しにした
それでいて関羽は一番の年長(ただし名目上は皇帝の末裔抱えているため劉備が主)
この関係ゆえに関羽に逆らうことは義兄弟の劉備に逆らうことに直結しており、糜芳士仁は実質言いなりにならざるを得ない
関羽は処断する権限の節を握ってる上劉備は関羽を強く叱責することはできないから関羽の行動は全て正当化されるという図式
この建前と本音の乖離を仮節鉞という形で劉備は認めざるを得ず、敗戦時も関羽に与した将は他国へ逃げなければ生きられなくなった
義兄弟として劉備は関羽の失態を責められず関羽に与した将をスケープゴートに用意するから
- 665 :
- >>650
劉備は漢中を得るために必死で関羽に自由にやらせざるを得なかった側面もある
意地でも漢中を得て劉邦の故事に倣うことで正当性を主張するために
だから孫権との縁談を上奏したら多分呑まされる
漢中を得て更に涼州雍州を取ることで中原を制するための騎馬を得たいから、病原菌の蔓延る当時の荊州は後回しになる
- 666 :
- >>664
仮節は当時文官のハンシュンに関係ない
関羽と同僚の関係性に問題が有ったのは確かだけど独立勢力って話とは別ものだよね
- 667 :
- >>666
それでも止められないのが義兄弟という繋がり
例え関羽を静止しても関羽を名目上罰せるはずの劉備がそれをできない
だから結局関羽は遅かれ早かれやりたい放題になる
奇しくも演義の劉備に名誉を仮託された朱元璋もそれに苦しみ解決するため虐殺に走った
- 668 :
- >>667
それは現場の(ドイツ大好き)独断専行であって独立勢力という話ではないよ
- 669 :
- >>668
独断専行なら外交を引き抜きとして蹴ったりなどしない
あくまでそれは宗主の国是に沿った行動が独断専行であって、国是を脅かす事を勝手にするのは越権行為
中立を謳いながらドイツ派であったギリシャを攻撃したイタリアみたいなもの
- 670 :
- >>669
そもそも現地の仮節の将軍に外交仕掛ける呉サイドさんの行動がおかしい
- 671 :
- >>670
何でも呉のせいにするのは演義の悪い癖
何故仕掛けてきたかを知って然るべき行動を取れなかった蜀サイドにも問題がある
そしてそれを問題視する暇がないほど蜀は漢中が欲しかったのに水を差した関羽がいかにダメダメなことか
- 672 :
- >>664
上庸が安定していないのに無理矢理援軍要求された申兄弟や孟達
こいつらは仮に動いたら漢中の守備が緩むから劉備か諸葛亮に処罰されかねん
でも動かなかったせいで関羽が死んだことで責任取らされるから逃走
逃げなかった劉封は処刑
ここら辺の裁定がほんと歪んでる
- 673 :
- >>672
劉封 = 豊臣秀次
劉禅 = 豊臣秀頼
みたいな立場だったからなあ…。
- 674 :
- 俺もあれは体のいい粛正だったと思う。
- 675 :
- 三国志 Three Kingdoms
http://www.sangokushi-tv.com/index.html
を見たが、晩年の司馬懿がカルト教団の教祖みたいな
非常に怪しい味を出していたw
- 676 :
- そう言えば。
王凌は史実ではそこそこ活躍したのに最後は司馬懿に殺害されてしまい。
さらに「三国志演義」にはまったく登場させてもらえなかった、非常に気の毒な人だ。
それにしても王凌はクーデターを起こすすなら司馬懿が死ぬのを待ってから起こすべきではなかったか?
- 677 :
- 王凌の生年は諸説あるが父が王允に連座して死んだことからそれ以前
有力扱いされてるものでは170年前後だから王凌が反乱を企てたのは80歳
同僚は次々先立ち蒋済も司馬懿に与したことを後悔して死んでいる
にも関わらず世論を気にして諸侯に決起を促すなど回りくどいことを続けた結果露見
むしろ立ち上がるのが遅すぎた
- 678 :
- 曹丕→外征に失敗
曹叡→専守防衛
これではなぁ
- 679 :
- >>678
曹叡は異民族への政策がおざなりなせいで必要以上に北方に手間取ってるのがな
土木工事を失業対策にしても支払った富で買うものが限られていたりと全体的に視野の狭さを感じさせる
曹丕の呉への執着も私情が大きいし、自分のために臣下を省みないという独裁皇帝の負の一面が見える
- 680 :
- 蕭何の大業 とはなんぞや
- 681 :
- >>677
いやー。隙がない司馬懿を相手にクーデターは不可能でしょ。
- 682 :
- >>680
秦で終わる可能性もあった中華の中央集権化を現実的な路線で定着させた事やな
- 683 :
- >>680
豚肉料理に貢献
素麺の薬味に貢献
もつ煮や魚の煮物にも貢献
- 684 :
- >>682
曹叡が宮殿造営に際して放った言葉なんだが>蕭何の大業
- 685 :
- >>681
それは後世の西晋建国を知ってるからこその色眼鏡
政変〜王凌蜂起の間に不可解なほど中央の人間が死んでおり完全に足元が固まったわけではない
さらに少しでも曹爽に関わった若手〜中堅の臣下が罷免されており権力の空白ができた
それを司馬懿以外にそれに踏み入れられない体制を固めるまでの隙がある
成立前から議論され欠陥だらけだった州大中正を置いて名士に媚びたのもそれを知ってのことだとは思う
司馬懿ほどの人間が当代のみを考えて施策する人間ではないから
>>684
壮麗に非ざれば重威なし
ざっくり書くと権力者であるならば相応のものを備えねばならないという意味
献帝が死んだ後の曹叡は天下人として振る舞うことに終始してる
これは勝てる展望がないのに要害の地に籠る呉蜀への魏の正統性アピール
秀吉の北条攻めの巨大バージョンとも言える
それを支える群臣諸侯が抑圧され天下人の死以後に権力争いになるのも含めて
- 686 :
- >>684
馬上天下を取り住まいは秦の離宮で十分というリアリストの劉邦に対してだから意味のある諫言だけど
皇帝本人が言うのはなんか違うな
- 687 :
- >>686
財政に余裕ないのをわかっていて曹丕が散財をしなかった反動だな
なまじ頭がいいから状況と立場を棚上げした上で理論の意味を抜き出して宮殿造営に及んだ
それを返せないところにも前例踏襲と階級社会を重視する儒教の弱点が見え隠れする
- 688 :
- >>683
漢方医学にも貢献
キョウイの漢字変換にも貢献
も追加で
- 689 :
- >>687
文帝紀や明帝紀の記述されてる限りだと曹叡よりも曹丕の方が宮殿造営に積極的だったと思うんだけどね
なんで曹丕の宮殿造営が悪く言われずに曹叡ばかりが悪く言われるのかよくわかんないなぁ
- 690 :
- >>689
そりゃ連続してやるからやろ
曹丕は皇帝になった立場もあって宮殿の造営が必要だけど連続して曹叡が行うには根拠が足りな過ぎる
天下統一でもしたのなら話は別だろうけど
- 691 :
- 明帝紀読み返してみると曹叡の治世の末期ではちょくちょく疫病や水害が起きてるんだね
災害対応を疎かにしたまま公共工事に明け暮れた結果支持を失うって面もあったのかなあ
- 692 :
- >>691
実際あったかどうかは別として、陳寿は天災を細かく書くことで魏は天命を喪っていると匂わせる手法を使ってる
貨幣経済がある程度復活するほどの国力があり国内で殆ど反乱がないことから、天災があっても武装蜂起には至らない程度の状況なのは間違いない
問題は後継者が幼帝であり、後見人に凡庸な皇族と有能な貴族という両極端をあてがったこと
- 693 :
- 曹叡は農繁期に農民を集めて工事してるのが悪い
寒冷化してる頃だから天災は多かろう
- 694 :
- 蜀。
姜維より王平のほうが軍事的才能はあったんじゃないかという奇説もあるようだが、どうなんだろうな?
王平はたしかに
「ローリスク・ローリターン」
「負けない戦い」
をする人だが…。
- 695 :
- 異民族で字も読めないのに漢の軍制を勉強したんだからすごいよね
- 696 :
- >>694
王平は戦争屋としてはスゲーけど大規模戦略の立案運営はまた別の話でしょ
- 697 :
- 王平は自分で選択するというよりは上官の意向とその目的への最適解を見つけたらそこで頑張るタイプで
全軍を自分の立てた戦略で動かすタイプの将ではないだろうね。
防衛線で守り切るというのとかは向いていると思う。
魏だと曹仁も先鋒を務めて失敗が多く、守って強い将で同じタイプかなと思う。
戦略を立てるタイプは割り切って見方を犠牲にしたりリスクはあってもリターンの面が大きいとそれを選ぶタイプが向いている。
曹操、夏侯淵、臧覇とか周瑜、呂蒙、陸遜とか。
蜀だと張飛、魏延、姜維。
関羽は立てた戦略と別に個人のポリシーを持ち込んで戦略を潰してしまうし関羽1人に荊州任せなければならないほど人材が不足していた蜀は関羽が生き残っていても江陵を維持できる体制ではなかったかもと思う。
?統、法正どちらかが生きていれば諸葛亮は江陵に戻って関羽の司馬を兼ねたポストになり、外交面の一部を伊籍他荊州出身の有力者と行い関羽の独断を防げていた可能性も出てくるだろうし。
- 698 :
- >>697
関羽の場合は独断を防ぐというよりは、独断させるためのバックアップをさせるというほうが成功率が高い気がする
最終的に切り捨ててもいい状況にしながらも表ではへりくだって兵站確保や呉の内情収集や撹乱が主か
- 699 :
- >>697張飛、魏延は基本、劉備や諸葛亮の立てた戦略に沿って動くタイプの軍人だと思う
- 700 :
- >>697
>>698
諸葛亮は魯粛と仲良しで親呉派だから
劉備関羽と違って呉との仲を荒立てたりしない
諸葛亮は呉を切らないが関羽を切るかもな
- 701 :
- この話題好きだな、お前ら。
何年前からループしてんのよ。
- 702 :
- 二千年くらいじゃないの
- 703 :
- >>702
それ三国志の前からやん
- 704 :
- >>1
他の時代と比べると天下統一できる器もった人物がいないからやろ
要するに雑魚しかいない
- 705 :
- むしろ逆に天下人の器のある奴が複数いてしまった結果が三国鼎立なのでは?
統一王朝築いた司馬炎より器あるでしょ。
- 706 :
- 光武帝なんて敵勢力みんな勝手に自爆する馬鹿揃いなのに総マンセーだからな
- 707 :
- 劉邦も項羽があまりにも政治音痴すぎたから勝てたとこあるしな
- 708 :
- >>705
少なくとも曹丕曹叡は司馬炎よりはるかに下
- 709 :
- 劉備も李特李雄と比較すると微妙
孫権は六朝歴代君主と比較すれば結構上の方かな
- 710 :
- >>707
韓信や陳平をうまく活用すれば項羽の圧勝だった。
- 711 :
- >>710
項羽に勝ったオッサン「范増一人使いこなせんから勝てんのやぞ」
- 712 :
- 実績重視で歴史の人物を評価すると曹操も劉備も孫権も司馬炎に遥かに及ばない、という無常な正史。
- 713 :
- 南朝の貴族にまで「石勒以下のカス」呼ばわりされるモートクとシバチュー
- 714 :
- 英雄性が後の時代まで持続しない英雄もどきほど悲しいものはないな
- 715 :
- 総人口800万人程度の時代だから弾が少なくて守備>攻撃と膠着しがちだったんだろう
魏40万強
呉20万強
蜀9万
くらいだろ
秦帝国の動員数が推定200万
黄巾の乱前の後漢の動員数が推定560万
三国時代は力押しができない状況
- 716 :
- >>1 魏が大国っつっても、呉蜀が連携すれば普通に拮抗するだろ
- 717 :
- 連携出来なかった。
呉が荊州を獲った時点で滅亡はほぼ確定。
- 718 :
- 一番の原因は江陵を返却しなかった事だな
- 719 :
- 呉蜀の足並みが揃わなかったのが魏の思う壺だったな
呉が攻勢に入ったので蜀も北伐を始めたがその頃には呉が兵を引いてたとかそんなんばっか
- 720 :
- それは関羽が諸将と連携とれなかったのと大局的に変わらない
三国が拮抗したのは動員力の低下による力攻めができなかったこと
だから姜維みたいに異民族に影響力持ってることが相当なアドバンテージになるし、無謀とわかっていても勝ったら勝ちきるしかなかった
- 721 :
- どの道遠過ぎて連携は無理だろうな。あらかじめ決めても呉で事件起こる確率高いし
- 722 :
- まあ、関羽が一番最初に問題起こしてるしな
- 723 :
- 荊州で好き勝手やっていた、関羽の政治的立場って何なのさ?って話で
- 724 :
- 食料強奪したり同盟国と小競り合いしてる事だろ
- 725 :
- 随分伸びてるなと思ったら、やべえ奴らが罵声浴びせあっているだけだった
- 726 :
- 関羽アンチのネットでの荊州失陥叩きはもう15年以上は続いてるな。
もはや一生ものの奇病かもな。
- 727 :
- ネットじゃなければ爺さんたちもやってそう。
- 728 :
- 糞爺「全部…全部…関羽が悪いんじゃあ…」
介護士「はいはい、お爺ちゃん。もの食べながら同時にウンコするのやめましょうね。」
- 729 :
- 15年以上でも関羽儲はまともに反論出来なくて
>>728
みたいなキチガイしかいないだよねえ
- 730 :
- 髭ヲタは「関羽学」とか怪しげな(中国のアカデミズムでも聞いたことない)事を言い始めた当たりから頭がアレな人やと解釈してる
- 731 :
- 関羽は宗教
- 732 :
- ×関羽は宗教
◯関羽はカルト
- 733 :
- 関羽に対する研究は専門的すぎるんだよ。
入門書レベル(1000円程度)で買えるような一般書籍と違って
都会の紀伊国屋とか、中国書籍専門店などに5000円〜10000円くらいの
いかつい値段で鎮座してる。
完全に関羽に対する信仰史、神話史の話だから
三国志しか知らないようでは手に負えないだろうし
一般人はそんなお高い専門書なんて買わんだろうね。
- 734 :
- そもそも三国志の研究書自体そんなに多くないもん
神保町の東方書店行っても一般書や同人本は目立っても分厚い研究書は数少なく、さらにその中でもマイナーなジャンルが関羽ネタや
- 735 :
- 専門的な研究ってそもそもマイナーでしょ。
異常なほど値が張るのも専門家か、マニアしか買わないからだし。
関羽の話で荊州失陥程度の話しかできないのも日本の三国志ゲームや
漫画から入ってきた初心者レベルだからでしょ。
まあ、関帝信仰のことを知らずに三国志だけでしか関羽を語れないってのは
情報としてマイナーな上に知識としても底浅いんだが、そういう自覚もないから
余計にめんどくさくて厄介。
知識への向上心があるのか、ないのか分からない珍奇な生き物が関羽アンチ。
- 736 :
- 関羽に帝号を追贈したのは乾隆帝?
- 737 :
- 諡号も勝手に変えたんやで
- 738 :
- 三國志だけで十分じゃないの?
民間信仰とかそのへんの部分までいる?
- 739 :
- ぶっちゃけ関羽の民間信仰とかスレ違いじゃね?
- 740 :
- 民俗学とか宗教学の世界だからね。
敢えて言うなら関帝様()を時の政権が政治利用してきた流れとかくらい
(徽宗とか謎の称号を与えたりしてる)
- 741 :
- 荊州問題のループで毎度のように関羽叩いてたら
15年くらい同じ話してる老害扱いされて、キレて更に関羽叩いたら
マニアにボコられました。という話ですよ。
これ以上長引かせるなら、更なるネットスラング共に関羽叩きを
やめない老人達がしつこく粘着してくるぞ。
- 742 :
- 荊州問題って呉蜀の道義性をめぐる観点から語られること多いけど
そもそも劉備勢力にとって長期的に保持が可能だったかどうかという観点から語られることってあんまりねえよな
あれだけ孫権から圧迫受けてたら劉備の代は良くても次の世代まで保持し続けるのは難しかったと思ってる
失陥が早かったか遅かったかだけの話
- 743 :
- >>742
土木工事でガチガチに要塞化するってのは当時の技術では不可能だったのかな?
- 744 :
- >>743
後の時代に陸抗が要塞化した西陵でも
陸抗が陥落させ(守将:歩闡ら)
王濬・唐彬が陥落させ(守将:留憲・成璩ら)
落ちない城は無いので無意味
- 745 :
- 木の要塞って燃やせば終わりそう
- 746 :
- 版築じゃないのかよ。
- 747 :
- 遠い。
- 748 :
- >>742
そりゃそうだ
呉と蜀なんてお互に争わない前提じゃないと魏に対抗できないのに
魏と手を結んでまで欲しがってるのを永遠に防げる訳無いやん
- 749 :
- 呉と蜀が争ってたら滅亡しかない。
土地と引き換えに命運は尽きた。
- 750 :
- 異民族や反乱への備を残して魏が早い段階で呉蜀攻めるしたらどれくらい動員できんだろ
青洲の兵が南方に動員されるのはよく聞くけど冀州并州幽州が動員されるのはあまり聞かないし攻め切れるだけの兵士揃えられんのかね
- 751 :
- 司馬懿の進言通りに
曹操が漢中を得た勢いで蜀に攻め込んでいたら成功しただろうか?
- 752 :
- 当時荊州は呉蜀で戦争状態だったし、益州も制圧したばかリで一つに纏まっていたか疑問だし、勢いに乗って呉とも共同すれば行けたと思う。
ただ、漢中戦は当初曹操も形勢不利として撤退を始めてたらしいから、蜀の制圧には消極的になっても不思議じゃない。
- 753 :
- 蜀への侵攻はいつでも補給との勝負
涼州の政情も含め漢中制圧したばかりの状況で攻め込むのは絶対負けるとは言わないまでもリスクが大きすぎるやろな
呉と手を組んで最低荊州の関羽を牽制してもらいつつ短期間で劉備本隊を壊滅させる必要があるというハードモード
- 754 :
- 魏が蜀も併合すると呉は風前の灯。
協力するわけが無い。
- 755 :
- 単に漢三傑みたいな有能な人物がいなかっただけやろw
- 756 :
- 曹操は赤壁前と漢中前で判断ミスをしてしまったな
赤壁では直接戦わずに政治的に圧力かけるべきだったし
逆に漢中を占領した後はすぐに益州に攻勢をしかけるべきだった
- 757 :
- 荊州北部落とした時点で長江の水軍は手に入ったわけだしな
この時点で即南進よりそれこそ長安漢中の攻略しつつ長江水軍と政治的な圧力かけとけば呉の官人のそれなりの人達は呉から魏へ降ってただろう
漢中まで取って涼州の軍閥に分断工作行いつつ改めて呉に侵攻してしまえば長期戦前提で江陵、江夏方面をまず確保して寿春方面から建業けん制で呉を滅亡か孫氏降伏まで持っていけそう
- 758 :
- 後知恵過ぎて草
- 759 :
- >>757
赤壁前はほぼ荊州全土手に入れてたよ
その上で反抗勢力残党のの劉備叩こうとしたら孫権呼び込まれて痛い目見たって流れや
んじゃあ劉備を無視出来るかって言えば魏の本隊以外が何度も負けてる相手だから絶対無理(本隊撤収したら荊州南部から荒らされるのが目に見えてる)
結構避けられない流れなんやで
- 760 :
- 三国時代なら五胡十六国に出てくる畜生武将でも簡単に統一できたやろね
それこそ宇宙大将軍とかでもw
- 761 :
- 五胡十六国の武将どもは勝ってる時はマジで強いけど負ける時は三国志の武将以上に大惨敗するから
統一できるイメージがわかないわ
- 762 :
- 三国時代の人物は過大評価すぎる
- 763 :
- そもそも三国志は資料が少なすぎるわ。
ギリ後漢末まではなんとか把握できるけどそれ以降は
正史三国志(注釈含む)しか文献資料ない上に発掘資料も貧弱。
民間の人気がいくらあってもアカデミズムでは冷淡な扱いを受けるのも残当や。
- 764 :
- 古代の歴史の学問研究は真実の追求ではないからなあ。
関羽が霊異を顕した話なんて明〜清の時代には正式な文書として
扱われてるもんだから、霊的な要素を信じられる人間じゃないと
その世界の学問研究の世界にはいられない。
大きなシンポジウムだってあったから
それも学問研究の世界でも冷淡とはいえないな。
そもそも、民間人気がないと資金調達が困難で
研究なんて出来るの?って話だけどな。
清やそれより前の人気のないマイナー古代史の研究如きに
公金なんて使ってたら金の無駄遣いだろうに。
始皇帝の兵馬俑だって、民間人気が高くて見学で金集められるから
その時代なんかの研究費なんかもおりるのだろうし。
中国の歴史研究の分野ってほとんどが民国〜中華人民共和国に集中してないか?
古書店なんかいっても孫文や毛沢東の実績の研究記録の本が圧倒的なんだが?
- 765 :
- >>762
三国志の人物を下げるために他の時代の人物を過大評価してるところもあると思うけどな
三国志は一代で統一できる英雄がいない二流の時代と評価する人間を見かけるが
劉邦は項羽が政治音痴のおかげで統一できたとこあるし
光武帝こそ敵が二流三流ばかりだから統一できたと言って良い
- 766 :
- 三国志の時代が評価高いのは漢民族が中原を保ってた最後の時代だからだよ
三皇五帝から連なる中原の歴史が晋で失われた事によって分裂しながらも外に対して対応出来ていた三国の時代を評価せざるを得なくなったのが実態
- 767 :
- それ言ってるの日本の三国志オタだけやぞ
- 768 :
- そもそも漢民族ってなんなんだよってな話だよな
漢帝国を興した劉邦だって元々は周代は荊蛮と呼ばれ華夏の民と扱われてなかった楚の人間なんだし
初めて中華を統一した秦だって周代では西戎の一部族に過ぎん
「純粋な漢民族」なんてもんは最初から存在してないのさ
- 769 :
- >>765
その手のことをいう奴は「戦略家」のみを評価してるだけなんだろうな。
三国時代は優秀な政治家、戦術家、化け物みたいな豪傑の豊作時代だったけども
一流の戦略家だけはいなかった。
だから、三国共に自分たちの得意な戦術レベルの戦に特化して一進一退を繰り返した。ってことだと思う。
そういうものは自ずと後の創作話の多さにも影響してくるしな。
元々が凄かったので、それを元に作られた三国演義も歴史ものの中で
逸群の出来前になったし(水滸伝や西遊記はオリジナル要素や神怪要素に溢れている。)、曹操以上の話題性を持つ政治家、戦術家だっているのか怪しいもの。
中国歴代のマルチプルな才能に長けた天才と言われたら、中国史の専門家であっても
曹操の名を上げるんじゃないの?
関帝の知名度は言うに及ばずだろうし、今や道教では最高神の玉皇上帝にもなった。
他の時代に関羽以上の大衆ヒーローが居るのなら
関羽像以上のめちゃくちゃでかいモニュメントが建ってもおかしくない。
中国ってのはそういう国だし。それに義弟の張飛だって有名な神様の1人でもある。
諸葛亮や趙雲も主役になってる大河ドラマや映画もある。
三国時代以上に中国文化の様々な方面で
有名になってる人物ってそんなにいるのかね。
当然、三国時代が劣る分野もあるだろうけども。
- 770 :
- そりゃ単に三国志ヲタが無知なだけやぞ
世界史的には九品官人法しか残らないのか三国時代で
五胡十六国〜南北朝と比較してもしょぼい事績しかなく
プロの研究者からと敬遠されるほどアカデミックからは
見捨てられた時代や。
発掘資料も後漢初期の公孫述の政権の方が蜀漢より出土資料が多くて呆れ返る殆ど後世に残ったものがない
- 771 :
- プロの研究者とかアカデミックとか知ってる言葉を連呼してるだけなのか…?
世界史的=高校〜大学レベルの世界史の教科書程度のこと言ってるだけとか。
その程度の知識ならそれは「入門書」っていうんだよ。
- 772 :
- あれだけの乱世でありながら書物はたくさん残ってるほうだってNHKで言ってたぞ。
- 773 :
- 王猛クラスの人材がいればどっかが統一してた
- 774 :
- >>755 五虎大将軍なんて、所詮は田舎の亡命小政権・蜀漢内の五人の副将軍でしかないもんな、しかも関羽・張飛なんて何度も城奪われておいて奪還できねえわ、部下に寝首掻かれるわで、英雄扱いするにはショボ過ぎる
二人とも、母国びいきの陳寿が三国志書いて無かったら、全く歴史に残らないレベルだよ
秦帝国の大将軍だった白起や章邯よりも全てにおいて足下にも及ばない
- 775 :
- その章邯を少ない軍勢で破った項籍ってやばくねえか?
- 776 :
- 史料的な分析もなく、自身の感情で将の上下比べなんてやる程度のレベルなら
プロの研究者だの、アカデミックなど軽々に口にせん方がいいぞ。
そういう人たちは自身の見解が暴走しないように、膨大な史料から丹念に調べ上げて
自身オリジナルの見解でありながら、その世界の新規解釈に繋がるような論証を創り上げてるからな。苦労と努力を積み重ねている。
感情だけでモノをいうド素人とはレベルどころか、次元が違う。
- 777 :
- 劉備の放浪時代が長いせいでもあるけど蜀の文献が残ってなさすぎるのがな
文化レベルの差が三国間で見事に出てしまってる感じある
- 778 :
- >>774
関張は、二国にも武勇は鳴り響いてるレベルだから普通に歴史に残るだろ
特に関羽は荊州争奪戦で良い意味でも悪い意味でも存在感発揮しまくってるから絶対残る
ただ陳寿が三国志書いて無かったら呂布と同じような扱いだったかもな
- 779 :
- 英雄として名を遺すってのは、人格的な欠点があったとかは
あまり関係のないことだよ。
そもそも、欠点のない人間なんていない。
歴史の中から見ると、関羽の場合は武勇の他に義人としての
行為が称賛されたことに加えて
霊異を顕したことによる、神霊としての英雄性が高いね。
民国になってそういう迷信は排除されて袁世凱によって
忠義の化身としてのみ関羽と岳飛が祀り上げられたけど、結局現在の関羽は
極めて神格の高い神としての方が一般的になっている。
関羽みたいな英雄の中の英雄みたいな存在は
忠義、武勇、霊異と様々な要素を持ってることが特徴的だね。
ageる要素が多いから、英雄としての格も上がるんだろう。
後、ネット世界なら日本でも中国でもアンチも相応な数が居るのも
らしくていいね。
スポーツの世界なら王、長嶋、アントニオ猪木みたいなもんだ。
- 780 :
- 陳寿が三国志書いてくれて良かったわ
陳寿が書かなかったら魏以外は
楚漢戦争における楚や光武帝の敵勢力みたいに
君主以外はその他みたいな扱いになって列伝も無かっただろうな
- 781 :
- さすがに晋書の載記くらいの分量はもらえたんじゃないの?
そうなると蜀臣で附伝になるのは諸葛亮以降の宰相連中だけになっていたと思うけど
成漢の載記とか本当に薄い
- 782 :
- 蜀オタや髭ヲタって陳寿嫌いな奴多いけど
陳寿がいたから髭の顔良斬りもハルヒ益徳の長坂下も書けたんやからな
陳寿いなかったら蜀の記述は諸葛亮プラス四名臣の伝記で終わったろうし、姜維に至っては陳寿抜きなら「母親を捨てて栄達を求めたクソ」で終わった可能性が高い。
- 783 :
- それはどうだろうな?
正史は中央集権体制の確立から書かれてるものだから
地方野史の収集も少ない。
と、言うことは権力者以外はその人物の出身地での専門研究の方が盛んであり
信頼性も高くなるということだ。
現に、関羽の研究に対しては中国では関羽の父や祖父の名前なんかも判明している。
これを嘘と断ずるのは、史実研究に対する単なる冒涜に過ぎないことでもあり
地方野史に疎いという自身の浅学な未熟さを証明してしまっている。
それに史実ではお供としてついていった単なる猿が
斉天大聖なんて巨大な神に化ける国だぞ。
巨大な力を生む民衆支持には、元になる存在なんて人間どころか
猿でもいいということだな。
蜀志が書かれていなくとも姜維のような忠臣は野史の視点から
民衆支持を受け、国家がその「忠」を称賛して必ず評価されるよ。
民衆支持→それに応じて国家もその流れに乗る。
中華圏に知れ渡る偉大な英雄や神はみんなこの流れからしか
生まれてはこない。
斉天大聖もそうだが、天后とまで称された航海守護の神の媽祖も元はただの少女。
正史に掛かれてるどころか、一般人や動物でさえ時の権力者など問題にならないほどの強大な存在に進化することは中国の歴史観が証明してるよ。
- 784 :
- >>783
>それに史実ではお供としてついていった単なる猿が
おい…おいおい
- 785 :
- 豚と河童も史実
- 786 :
- ま〜た髭ヲタが無学晒したのかよw
玄奘と西遊記の三蔵なんて別人に決まってるやろw
- 787 :
- そのあたりは詳しくないんだ、悪かったな。
西遊記の成立の過程の知識に対して無学だったのは謝るよ。
しかし、歴史に「もしも」はないんだから
陳寿がいなかったら…なんてことは普通考えないんだけどな。
それに過去がどうであれ、斉天大聖という神が居る現実は変わらないわけだし
そんな部分の粗探しなんかしてどうするのよ?
- 788 :
- つーか動物が神様なんて珍しくないんじゃない?インドとかエジプトとか日本だって神道は動物が神の使いだし。
- 789 :
- 鰯の頭も信心から
- 790 :
- >>788
多神教の国じゃデフォやな
斉天大聖だって元ネタはハヌマーンやし
- 791 :
- そういや捜神記に袁術の飼ってた羊が神になったなんて話があったな
- 792 :
- 関羽が神扱いでホルホルしている奴いるけど
一神教の神ならともかく多神教の神とかある意味キャラクターだからな
大きな像できてホルホルされてもそれガンダムとかあしたのジョーや両津勘吉と本質的に変わらん
関羽は神格化されてある意味不幸
- 793 :
- 実在の人物だから、二宮金次郎方面じゃね?
さすがにスケールは段違いで関羽が上だが
- 794 :
- 多神教の神ならギリシャ神話やヒンドゥー教と例えるべきじゃないのか?
確かに彼らもキャラクター化という側面もあるし、女神転生シリーズなんて
最たる例だよな。だが、それは信心がない人間の考えだな。
関羽は場合は霊験あらたかで、今に繋がる信心の拡大が広まっていった。
神として進化してるんだから、実像からかけ離れるなんて当たり前だよ。
創業時はアパートの一室を借りてた会社が、今では巨大な自社ビルを持つようになったようなものだ。
現代の中国人は関羽とトランスフォーマーを合体させたものを創ったり
関羽とブルース・リーの像を一緒に並べて称えたりしていたが、巨大関羽像も
そういう流れだろうな。
てか、ガンダム、あしたのジョー、両津勘吉って不幸なのか?
これからますます伝説化されていき大きくなっていくだろうから
その進化は栄達に彩られているものとしか考えられないな。
- 795 :
- >>794
偶像崇拝だから不幸だろうね
- 796 :
- ってことは、今の日本は不幸だらけか…
仏像(偶像)だらけで国宝にすら指定されてるものもあるからな。
ねーよw
てか、中国も日本も一神教支配による偶像崇拝忌避の奴隷とならなかった
宗教において一神教に打ち勝った国だ。
- 797 :
- 仏教もインドでは偶像禁止だったんだぞ。仏足石とか知らんのか。
ヘレニズム文化でガンダーラでギリシャ彫刻と出会って仏像が生まれた。
- 798 :
- 日本も廃仏毀釈とかやってるしな
- 799 :
- なんで過去に話が戻るかね。
現在の話をしてるのに。
それに中国には老子化胡説なんてむちゃくちゃなもんがあるんだから
ルーツなんて見せびらかしたって無駄だぞ。
そもそもインド発祥の仏教と中国仏教、日本仏教はそれぞれ地域色を取り込んだ
全くの別物として今にあるだろ。
- 800 :
- >>778 呂布はまだ下丕の籠城戦で曹操を散々苦しめてるが、関羽はどうだ?呂布と同じ城に立て籠りながら、1日で陥落しちまったじゃないか
関羽は凡将軍以外の何者でも無かったよ
- 801 :
- >>800
下邳の件は擁護できんな
ただ、主力の劉備が蜀攻めてる間もそれ以降も曹操が荊州攻めてないのは
赤壁恐怖症以外にも関羽恐れてたのもあるんじゃないかな
- 802 :
- なんで「陳寿が書いてなかったら」に反応するんだろうな。
ifには成功の可能性も、失敗の可能性も個々の妄想の分だけ無限大に存在してしまい
それらは全て否定できないというのに。
- 803 :
- >>800
主君の劉備が逃走したんだから関羽としては降服する以外無い状況だろ
呂布と関羽じゃ立場が違いすぎる
- 804 :
- 立場を持った荊州争奪時には、魏呉が連携しないと倒せないほどの攻めを
見せているわけだしな。
凡将なら、唐代の武成王陪臣の古今六十四名将の1人に選ばれたりはしない。
- 805 :
- 単純思考の人には理解できないって。
言うだけ無駄だからこの辺にしておいたら?
- 806 :
- 降伏したのは演義だけで、正史ではただ「捕まった」だけじゃなかったっけ?
劉備の妻子の記述もなかったと思うが…
俺の勘違いだったらすまん
- 807 :
- 先主伝で「先主は敗走し曹操はその手勢を収め先主の妻子と関羽を捕らえて帰った」って記述があるで
- 808 :
- >>807
ありがとう、確かに妻子と関羽を捕虜にしたと書かれてるね
- 809 :
- 自分でも調べてみたが武帝紀にも記述あるね
先主伝には下邳の記述がないことから
・劉備撃破時に妻子を捕獲
・その後下邳を攻めて関羽投降
みたいだな
曹操にとって関羽は、いないと袁紹に負けてそうだし、いたから攻め込まれてホウ徳于禁失うし、因縁深いな
ひょっとして劉備への帰還阻止できてれば長阪で劉備討てたかも知れないし
統一の目あったんじゃないか?
- 810 :
- >>803 劉備が捕まったんならともかく、逃走したんなら、尚更頑張って籠城するべきだろ馬鹿ww
勝手に降伏なんかしてみろ、下手すりゃ劉備に死罪言い渡されるぞ
ハン城じゃ運がツキまくってウ禁も撃破しておきながら、兵糧の事全く考えてなくてまたも居城を奪われて大敗・斬首
関羽は名将のめにも引っ掛からないんだが
- 811 :
- もうだめだなこのスレ
チンカス並みの初心者しかいない
- 812 :
- まあsageること自体が目的の人には何を言っても無駄さ
- 813 :
- 関羽をこのスレの内容に沿った話に関連付けるとしたら
何故、魏は関羽相手に遷都を考えるぐらいビビったんだろうか
後、魏側の人間が関羽の評価がかなり高い事も気になる
- 814 :
- >>813 は?だから説明したじゃん
・漢中の劉備軍に備えて主力を傾けられなかった
・名将のウ禁が運悪く敗れたから
・孫権がどう出るか分からなかったから
別に関羽が凄いわけでも何でも無い
- 815 :
- 三国志時代が低レベルなんて世界史に載ってないことからも明らかだわな
アレキサンダー、ハンニバル、アウグストゥス、アッティラ辺りに比べて、どいつもこいつも小者過ぎる
- 816 :
- >>815
列挙したのが総兵力万オーダーの軍事資産を相続できている、超良家のボンボンな件
- 817 :
- >>813
関羽sage君はほっとくとして…
魏は圧倒的な大軍でありながら、関羽を常に「撃退」するだけの守勢側に回っていたことも大きな評価要因ではないかと。
もう一つに、関羽自身のタフネス。三国時代が常に疫病の蔓延していた不衛生極まる時代では将の病死も多かった。
それまで関羽と対峙していた魏の楽進も前線での過労から不治の病にかかり亡くなった。
本当にクビでも落とさない限り倒せない将が阿修羅のように何度でも攻めかかってくる、というのは脅威以外の何物でもないだろう。
そんなさすがの関羽も魏と呉が連携してようやく討ち取れたわけだが、魏や呉からすれば自国の戦史には残したくないくらいの失態とも言える。何せ、弱小国の1方面軍を倒すのに、強国2国が連携せざるを得なかったんだから。
- 818 :
- >>816 劉邦、韓信、呉起、朱元璋は徒手空拳だったが?
もう言い訳すんな三国志信者
こっちの脳ミソまで腐ってくる
- 819 :
- >>817
2国連携した結果荊州領土は全部呉にとられ、呉蜀の仲違いだけが魏の利益
曹操の健康問題あたりから来る守りの姿勢の結果なのかね
- 820 :
- >>819
水戦も陸戦もこなせる関羽と向き合って緊張状態を持続させるよりは
陸に上げてしまえば、騎馬部隊で蹂躙可能な呉軍の方が対峙するにも汲み易しと
捉えた、とか。
- 821 :
- >>820
加えて関羽は反乱の扇動も行う
ぶっちゃけ厄介極まりない武将やで
- 822 :
- コイツら三国志信者って、オウムの麻原に騙された信者たちを笑えねぇなww
- 823 :
- >>822
パワーは
五斗米道 >>> オウム
- 824 :
- >>818呉起は全然、徒手空拳じゃねえよ
- 825 :
- >>824 そこそこの名家だったらしいが破産したんだぞ
それをいったら曹操はトップ宦官の孫で滅茶苦茶恵まれてんじゃねえか
- 826 :
- チート度は
劉秀>>石勒>朱元璋>劉邦=項羽>>>曹操、だな
- 827 :
- チート=ずるい、不正
つまり不正の度合いが凄い順番ということか。
- 828 :
- 何故劉備がノミネートされないの?
- 829 :
- >>828 そりゃ小物だからだろ
蜀漢皇帝なんて内実は田舎大名だぞ
そこの5分の1副将軍すらろくに務まらなかったのが関羽&張飛
三国時代はやはりレベル低いよ
范蠡や楽毅みたいな化け物居ないだろ
- 830 :
- >>826
石勒の評価が高すぎね?
曹操の方が得た領土多いはずだし
- 831 :
- ある意味劉備はかなりのチートだと思うわ
生存能力と卑劣な事しても人気者でいられる謎のカリスマは中華でも随一
- 832 :
- >>829
范蠡ぐらいのレベルだったら魏の軍師と同等ぐらいに思える
楽毅は斉のビン王の自爆に助けられてるとこあるから評価が難しいんだよなぁ
- 833 :
- 春秋戦国時代の名将、名宰相が三国志の人材より上かと言うとこれまた評価が難しいんだよな
三国最弱の蜀より領土も国力も小さい国の人物が多いし
- 834 :
- 春秋戦国時代の名将で三国志の名将より上の可能性が一番高いのは白起だろう
他はケースバイケース
- 835 :
- やっぱこういうのは勢いがないとダメだわな
天下統一した勢力って旗揚げや統一事業開始から数年で統一してることが多いし
膠着状態になってしまうと内側から腐るのを待つしかなくなる
- 836 :
- >>831
>卑劣な事しても人気者でいられる謎のカリスマ
張良もけっこうダーティーなことをやっているが、なぜか清廉なイメージ。
陳平はなにをやってもダーティーなイメージ。
- 837 :
- >>836
実際陳平はダーティーやからな
魏キュウ見捨てて元主君の項羽殺して漢でも皇帝弑逆に加担しとる訳やしな
- 838 :
- まあ、結局は武廟の頂点に居るのは関羽と岳飛で白起はそれより格下なんだけどね。
時代の流れでミソ付けられて評価が下がるってのは、所詮はその程度でしかないってことだ。
今なら中国共産党でさえ手出しできない、もしくは崇めるような存在にでもならないとな。
そうでない奴はかつての英名が風化した単なる凡人。
- 839 :
- なんで三国時代は異民族も弱いんだろう
中原は人口が激減したからしょうがないけど
- 840 :
- >>839
史料にないから推測の域から出ないけど、たぶん異民族の数も少なかったんじゃないの
- 841 :
- >>839寒冷化で食糧が減って遊牧民族も弱体化って話を見た事あるな
- 842 :
- すると晋の時代に急に暖かくなって遊牧民が大量発生でもしたんか?
- 843 :
- 永嘉の乱って黄巾の乱と同じで異民族の反乱ってよりは不平士族の反乱の方が的確やから
後漢中期にも似たような異民族大反乱起きてるけど鎮圧出来てるし
- 844 :
- 劉淵は鮮卑けしかければ鎮圧できたかもしれんけど
李雄の征討は絶望的だったような気がするわ、地理的に
- 845 :
- >>838 岳飛はともかく関羽は雑魚だろ
呂布に張飛と2人がかりでも分が悪く
呂布が何ヵ月も守った城を1日で陥落させ
兵站のノウハウもゼロ、力も頭も悪い
- 846 :
- もはや微笑ましいレベルだな。
- 847 :
- >>845 訂正
呂布が何ヵ月も守った城を1日で陥落させられ
力も頭も弱い
関羽雲長、コイツの武力が100近くある事は、どうにも解せん
関羽が100ならコイツより武功で上回る魯粛や諸葛謹の武力は150ぐらいになっちまう
- 848 :
- 三国志が一代で天下統一した英雄達ならともかく
他の群雄割拠した時代と比べて劣ってるとはあまり思えないな
- 849 :
- >>847
ゲームの武力は単純に武勇があるかどうかだろ?
正史で顔良斬って万人敵という評価があり演義で数多く敵将を斬ってる関羽が武力100なのは何もおかしいところはない
将軍としての戦功より戦士としての強さ重視だからな
- 850 :
- >>848 ハンレイ、ガッキ、リンショウジョ、レンパ、チョウシャ、リボク・・・・春秋戦国の英雄たちは
能力も凄いが人格も凄かった
関羽・張飛なんて人格にもかなり問題あったし
英雄でも何でもない、単なる傭兵隊長止まりだわ
- 851 :
- 凄いなら単語登録くらいしてやれ
- 852 :
- >>851
范蠡
楽毅
藺相如
廉頗
李牧
趙奢
iOSは趙奢以外変換出来るな
- 853 :
- >>851 >>852 すまん、俺はAndroidなんだわ
ていうか、なんでiOSとアプリ性能でこんなに差が開いてんのかな
- 854 :
- 北宋武廟祭祀には72人の将が選ばれている
主祀の呂尚と陪伴の張良は別格
上位10名は管仲、田穰苴、孫武、范蠡、楽毅、韓信、諸葛亮、李靖、李勣、郭子儀
62名中に皇甫嵩、関羽、張飛、張遼、周瑜、呂蒙、陸遜、?艾、陸抗、羊祜、杜預、王濬が選ばれている
- 855 :
- その武廟には関羽が何百年もトップで居座り、中華民国では関羽と岳飛以外は(彼らも忠義の化身としての尊崇)価値のない者として斬り捨てられたんだけどな。
忠や義の前で「武」は如何に無価値で意味のないものか。
最強の武人、最高の兵法家など文明社会の前では屁糞同然の存在になった。
武というものが直接的な武器&兵器での攻撃力を示すのなら
確かに近代兵器の前には古代の兵学など無力だからな。
中華引きこもりの価値観が近代文明にボロ負けした現実を思い知れば、確かにそういう考えにはなりそうだけども。
- 856 :
- 個人武力なら関羽も三国時代トップレベルでいいんだがな
- 857 :
- >>856
正史の関羽はどちらかというと
騎馬隊も水軍も使いこなし反乱の扇動といった謀略もこなす万能な良将って感じやけどな
- 858 :
- >>854
三国志関連だと納得できない人選が多いな
諸葛亮は62名中の方に下げるなら納得できるが
関羽、陸抗、羊祜より上の名将いるだろうと思ってしまう
- 859 :
- 忠義の家臣なんて昔から掃いて棄てるほど居ただろうに、何故雑魚関羽だけがヨイショされるんだろう?
- 860 :
- 何故、西晋は統一王朝でありながら(ry
求心力が弱く、遠心力が強い時期だのう
- 861 :
- 関羽には霊的な力もあったからじゃないか?
唐の時代には既に仏教サイドの史料に関羽が霊験を顕したことが掛かれてる。
後の時代で、武廟の頂点に君臨することになるのも文字通り人間を超えた存在になったからだろう。
そもそも、初代の武聖とその軍隊はどうあがいても
人間程度では倒せないこんな奴ら。
蚩尤
炎帝(神農)氏の子孫であり、銅の頭、鉄の額、人の体と牛の蹄、目が4個、手が6本(8本の腕、8本の足という説もあり)という姿をしている。
牛頭人身の神農の子孫というところから、頭も牛。
食物も常人と異なり、砂や石を食します。
蚩尤には72人とも、81人とも言われる同じ姿をした兄弟がおり、みな蚩尤と同じく砂や石を食物としていた。
戦えば必ず勝つ軍神として名高く、武器の発明者。
こんな化け物とその軍隊なんて
項羽、楊大眼、尉遲恭が先鋒を務めて、岳飛が戦術指揮を執り、韓信や李靖が司令官のドリームチームを組もうがあっさり負けるわな。
武聖として武人の頂点に君臨するためには関羽のように
人間を超えた存在でなければならんのだろう。
- 862 :
- >>861 呂布が半年持ちこたえた居城を1日も守れず陥落させれ、
せっかく劉備が漢中争奪戦で大勝利して作り上げた天下三分構想を半年足らずで破綻させた、バ関羽
確かに貧乏神・疫病神顔負けの霊力の持ち主だったのかもなww
マイナスオーラlevelどんだけ高かったんだよ?
- 863 :
- >>850
英雄になるかどうかは人格じゃないよ
人々が英雄と認めるかどうかだよ
関羽と張飛は民衆が英雄だと認識したから英雄になった
- 864 :
- 歴史書には歴史としての正統性はあるが、英雄は民衆が決めるものだからな。
日本人は三国演義を過小評価しすぎてるんだろう。
正史史上における最強王朝が清であること言うまでもなく、その清が経典視した三国演義に登場し活躍した人物の英雄性は、本来の歴史書など比べても次元違いなほどに価値が高い。
三国時代は元より、他の時代の人物と比べても関羽が異次元の大英雄である理由もそこにある。正史最強王朝である清が崇めた守護神であり、大英雄でもあるという現実から、正史基準では誰も関羽を超えられない。
三国志正史の歴史的価値は考古学など、その時代のリアリティを追求するときのみに
限られて、英雄性とは縁が遠い。いくら、歴史書の中の中心人物であったとしてもそれを英雄と認めるのには、圧倒的大多数の民衆の意思が必要となるからな。
しかし歴史の人物の英雄性を語るうえで、小説の影響力が歴史書を上回ってはいけない。とは、どこの日本人が作ったローカルルールなんだろうな。
- 865 :
- 蜀は物量・人的資源は最低でも地形効果は三国中トップだからな
反対に魏は物量・人的資源はトップでも地形効果による守りは最も脆弱
統一に苦労したのも仕方ない
- 866 :
- 物量あっても品質悪そうなイメージ>魏
- 867 :
- 銅銭は質量ともに蜀呉に劣ってたというね
漢中、豫章など当時の主要な銅山は蜀呉に抑えられてたから仕方のないことなのかもしれんが
- 868 :
- 蜀や呉だけでなく、北の鮮卑の侵略もあったからね。
まあ、統一できるだけの人物、人材もいない。
それをよく知っている孔明、魯粛。
- 869 :
- 黄巾の乱と騎馬民族の侵入で人的資源自体が被害受けまくりやからなあ
劉備の親族とか張純の乱なんかで亡くなってる可能性大や
- 870 :
- 涿郡劉氏というと魏の中書監劉放がいるけど劉備とは別系統っぽいね
涿郡涿県出身の劉氏は劉備以外歴史の表舞台には出てこれなかった
生き残りがいたとしても魏の代に変わってからは出仕できなかっただろうね
- 871 :
- 関羽って祝融よりも弱そう
- 872 :
- ・呂布の半分以下の武術
・呂布の100分の1以下の籠城能力
・三国鼎立を一瞬でパァにしたアホっぷり
関羽が英雄なら、呉越春秋の呉王夫差だって間違いなく英雄だぞ
- 873 :
- 病んでるなあ
- 874 :
- 項籍や韓信みたいなのがいなかったから
- 875 :
- 陳寿「関羽・張飛は一万の兵に匹敵」って記述
あれ本当は一万人を指揮するのが限界って意味だったんだろ
あんだけ右腕格の将軍や参謀たちと仲悪いんじゃな
納得だわ
- 876 :
- 関羽の話ばっかする人は別のとこでやれば?
関羽アンチスレでも作ってさw
- 877 :
- https://youtu.be/3reMykHGMtg
- 878 :
- >>775 ああ、項羽はもっと凄いよ
- 879 :
- >>875
軍人出身じゃないから指揮なんてできないよ
- 880 :
- >>875
万人敵っていうのは項羽の故事から転じて用兵家の意味なんだけどね
後世で同様の呼び名で称されたのは韓世忠で勇猛さと共に兵の統率に優れた将に与えられた感じやな
- 881 :
- 知識も学習意欲も無い愚か者が自己完結しているのが笑える>>875
アタマハッピーセットかよ
- 882 :
- 程度の低いアンチな荒らしがよくやる手口だねw
アイドル関係の板でよく見る手合。
- 883 :
- >>881 バ関羽信者たちはオツムが単純で羨ましいよww
一生コーエーに貢いでなさい
- 884 :
- コーエーって、そんなに関羽のこと優遇してたっけ?
常に名前負けしない程度くらいの扱いでしかなかったと思うけども。
今なら、女神転生D2とかの方がよっぽど厚遇されてるよ。
- 885 :
- 信者ガーしか言えない惨めな負け犬くんかわいそうです^^
- 886 :
- >>883
君はちゃんと勉強したら?
せめてwiki程度でも良いからさw
- 887 :
- 当時の魏単独で関羽を撃破できなかったんだから実力は推して知るべしでは
戦略もまちがっていない
- 888 :
- 呉と宜しくやっていれば許昌攻略は成功したのかな。
- 889 :
- >>888
無理だろ
呉の荊州襲撃は予定調和でしょ
- 890 :
- >>888
予定調和って
じゃ関羽の樊城攻め自体が間違いという事になるよ。
- 891 :
- 呉は荊州を攻撃するか徐州を攻撃するかで意見が分かれてたから
関羽進撃時では呉の荊州襲撃は予定調和では無いだろう
- 892 :
- 関帝廟があるなら張飛を神格化させて張帝廟も建てろよww
- 893 :
- >>885 やれやれ、ば関羽信者に付ける薬は無いのだろうか・・・・
>>887 関羽も曹仁を撃破できとらんが?
- 894 :
- 関羽北伐の最大の誤算は曹仁の粘りでしょ
まぁ魏も曹操本軍に加えて豫州兗州揚州の軍勢を動員した上で呉に荊州譲って背後を襲わせざるを得なかったけど
- 895 :
- 関羽の樊城攻めで江陵が手薄になるのは分かっていながらそこに2万でも守備兵を送れなかった蜀の国力のなさではどうにもならんかったと思う
黄権に何人かの中堅武将付けて送り込んでたらそれで呉からの襲撃すら起きなかっただろうと
- 896 :
- 関羽が聞く耳を持てれば良かった。
ホウ統が生きていれば。
- 897 :
- 曹操患者にはあきれた
- 898 :
- >>895
黄権は護軍として漢中争奪戦を差配し、戦後は治中従事に転任して事務方に回ってる
漢中争奪戦は蜀にとっては総力戦で余剰戦力は無い
しいて挙げるなら孟達の援軍として上庸に派遣された劉封なんだけどあっちは孟達と主導権争いをしてる間に呉が周辺諸郡を占領したせいで上庸を守るのだけで精いっぱい
- 899 :
- 前も書いたけど桓温の北伐でも漢中と涼州の別働隊と連携してそれでも洛陽を一時的に占領するのがやっとだったのに、荊州軍のみの関さんがどれくらいの戦果をあげられたかは疑問や
- 900 :
- 劉備も諸葛亮も関羽はサブであり
関羽が荊州で暴れてる間に劉備が長安を奪うってのが戦略だったんだろうけど
関羽が思わぬ大勝したのと魏の領内で反乱が勃発したからこのまま行っちゃえー!になったんだろうな
于禁が洪水対策をしっかりやってたら三国志はだいぶ違ったものになってた気がする
- 901 :
- あの兵力そのまま降伏はかえって関羽にダメージ与えた気がする
兵糧問題が出来たり後方との溝余計に広げる事になったし
結果論としては水攻めせずに程々に戦ってこれじゃ落とせないなと関さんが諦めて帰った方が蜀としては良かった
- 902 :
- 劉備達は関羽が呉との関係を断交状態にまで拗らせていたのを知らなかったのだろうか?
- 903 :
- この時点での関羽は董督荊州事、あくまで荊州の軍事部門の担当であり外交に口を挟む権限は無い
とはいえ長沙が呉に帰属するようになった後、関羽は長沙で起こった反乱を支援したり呉を挑発しているし蜀呉の関係悪化に至らせた責任はあるだろうな
まぁでもそんな関羽に荊州を任せた任命責任は劉備にあるし、何より入蜀以降劉備が呉に対して友好関係を維持しようと努めた形跡がない
最終的な責任を負うべきなのは劉備だろう
- 904 :
- 呉のサイドから見て劉備と関羽という組み合わせは諸葛亮の1/100も信用出来ない梟雄ではあっただろう
対呉だけではなくこれまでの行いがそれを裏付けてるし蜀取りでもはや信用の欠片すら失われた
どちらがというよりはこの二人では当然の結末
- 905 :
- 蜀書を読むかぎり呉の友好関係維持については諸葛亮に任せっきりって感じだな
劉備も息子の劉禅ほどじゃないがめんどうな事は諸葛亮に丸投げな事が多い
- 906 :
- >>904
呉が劉備みたいに単独で蜀を取れば良かったんじゃね?
自分達が蜀取りたくて協力要請して断られただけやん
- 907 :
- >>906
いや、むしろ何処に劉備を信用する要素があるのかと
劉禅ならまだ分かるが劉備は呂布より信用出来ないだろ
蜀攻めは呉が魏に攻められて大慌てで救援要請したタイミングで騙しうちでの蜀攻めだからな
劉備に関しては裏切られても因果応報
- 908 :
- 荊州争奪戦の件は、歴史上ならごく普通にあり得る戦争の姿なのに
感情をこめてここまで語れること自体が既にロマンの域にあるよな。
英雄論とは完全に無関係なことなのに、それに無理やり結び付けようとするには疑問しかないな。
人間なら誰しも欠点は持ってるというのに。
- 909 :
- はじめ公孫瓚の傘下に入り、公孫瓚が劣勢と見たら陶謙と結び、陶謙没後は呂布を受け入れ、呂布に徐州を乗っ取られたら曹操と結び、曹操が袁紹と対決し始めたら曹操を裏切り袁紹と結び、
袁紹劣勢とみたら劉表に乗り換え、劉表没後独力で対抗できないとみたら孫権と結び、孫権を出し抜いて単独で蜀に入り、劉備を信頼している劉璋を騙し討ちにして蜀を乗っ取り…
劉備も生き延びるために必死だったといえばそうだけれど、こんな経歴の人間が信用されるわけがない
常に自分が生き延びるために他人を踏み台にするモンスターだもの
- 910 :
- >>907
劉備を信用するとか関係なく呉が自力で蜀攻め取ってれば良かったよね
と言ってるだけやん
必死に劉備の信用問題にすり替えてて草
- 911 :
- >>909
一度も呂布の様に積極的に主君を裏切ったケースがないのに言いがかりばかりで草
騙し討ちなのは劉璋ぐらいだけど劉璋は劉備の君主でも無く親の代での成り上がりで部下に見限られて劉備を招き入れてる
- 912 :
- >>909
公孫瓚と陶謙は同盟関係だし袁紹と劉表も同盟関係だから
そこから陣営を変えるのは裏切りとは言えない気がする
陶謙を助けたのは公孫瓚による要請の可能性もあるし、徐州の領主になるのも公孫瓚からすると利益になる事だからな
劉備が明確に公孫瓚を裏切った事をしたのは徐州の領主になった後、公孫瓚と敵対関係にあった袁紹の傘下に入った時だと思う
- 913 :
- 曹操を裏切ったのは皇帝の勅命を受けての事だから
当時の事情ではそこまで非道な行いとは思われてなさそう
特にその事を批判する記述とか無いし
- 914 :
- >>912
>>913
その辺は端折ったしある程度恣意的に書いたつもりだから補足してもらって助かる
- 915 :
- 劉備は信用できない奴とは史書でもちょくちょく書かれてるが
その割にはずっと名声はある奴なので
意図してか知らずかは分からないが名声が傷つかないように動いてるなって思う
劉璋を騙して国を乗っ取った時も当時の批判の声が少ないのは
割と曹操や袁紹、劉表も大なり小なり似たような事やってるからそれぐらい当たり前と思われてた可能性ありそう
後、劉璋の統治が失敗してたのも大きい
- 916 :
- >>910
自力で攻める気だったじゃん
当時三本の指に入る様な名将が死んで代わりになる様なのがいないから遠征出来ないのは無理も無い話
そうこうしてる内に魏とやりあってそんな余裕無くなるしな
周瑜以外で出来る事とは思えないが
- 917 :
- >>912
陶謙の頃から明確に袁術を見切る様な動きがあるから裏切りの責任は劉備と半々ぐらいだとは思う
劉備が義理を感じたのって世話になった人の息子を攻撃出来ないとか言った劉表ぐらいじゃないか?
- 918 :
- そりゃ地理的にも遠い益州を攻略するより
荊州に火事泥的に居座ってる連中を何とかするのが当然の理。
- 919 :
- >>916
> 周瑜以外で出来る事とは思えないが
陸遜が張魯を攻めようとしたことなかったっけ?
張魯が城から出てこないから戦闘にはならなかったが。
- 920 :
- >>916
周瑜死後に孫瑜が蜀取りで荊州まで兵進めているが
劉備に阻まれて撤退
まあそのまま行っても周瑜よりも成功する可能性低かっただろうな
>>919
それ呂岱
まあ兵2千で張魯下せる可能性ほぼ0だが
- 921 :
- 呂岱は史実ではかなり活躍しているのに
演義ではエキストラみたいな扱いで気の毒だ。
- 922 :
- >>918 益州は、それ自体が天然の城だからな、しかもかんぺきな自給自足が出来るから、兵糧攻めも通じない
攻城軍が籠城軍を破るには、最低4倍の兵力+全方向からの一斉攻撃が必要だから、
蜀の3倍の国力差しか無く、周囲を包囲してたわけでも無い魏が攻めあぐねたのも当然と言えば当然だろう
- 923 :
- 戦国末期の秦みたいに謀略で自ら優れた臣を抹殺出来れば良かったのにな。
- 924 :
- おい、自ら有能な部下をどんどん抹殺していった袁家の悪口はやめろ
- 925 :
- 中国の戦国時代は離間の計が効きすぎ
あの時代は敵国のスパイへの対策とかがまだ考えられて無かったんだろうな
- 926 :
- 中国は古代から貴族は国を跨いで私的交際が普通にあるから、
情報の機密保持にも限界がある
姻戚関係もそうだし、一族が分派して国を超えて存在したりもするし
- 927 :
- 蜀と魏の幹部の孔明と仲達が戦場以外では仲良くて黄権の話をしてるのが確定してるぐらいだから他はお察し
- 928 :
- 魏の諸葛さんと呉の諸葛さんが戦場で対峙したことなかったっけ?
- 929 :
- >>927
三国に分かれても名士層は結構繋がりあるんやろ
後の混乱に比べたら三国はトムとジェリーの様に仲良く喧嘩して様なもんや
- 930 :
- >>924
孫権「こっちは派閥両方の有能な人材を処罰して無能を残す采配するで!」
- 931 :
- >>927
司馬懿と諸葛亮は知り合いレベル
黄権とは仲がいい
- 932 :
- >>904
諸葛亮は若くて体格もいいとしても呉との往復はさすがに1度で嫌になったんだろう
- 933 :
- わたしとあなたは友達じゃないけど
わたしの友達とあなたは友達
だいたいそんな感じ
- 934 :
- >>915
批判が少ないなんてないだろ
劉備は信用出来ないって荊州落とされてんだから
- 935 :
- >>934
劉備が益州を奪ったのを批判する意見は呉側ぐらいだし(しかもそれほど多いと言えないぐらい)
それに劉璋を騙して奪った事に対する批判では無くて孫権を騙した事に対する批判だしな
- 936 :
- >>935
劉璋の名前が出なければ益州簒奪の批判では無いっていうのは無理がある
劉備や関羽は弱れば喰いつくハイエナ野郎って批判は正にそれだろ
- 937 :
- 呉書の自己弁護は今の韓国並に酷いからなあ…。
魯粛が存命だったころまでは良かったけど
関羽を裏切った時はもう弁護不能なレベル。
陳寿ですら曹操=曹公 劉備=先主 孫権=呼び捨て にしたのも頷けるよ。
曹操や劉備が批判を受けつつ
それでも時代の中心的存在であり続けるのは
汚い部分を隠さない史書の記録の潔さにもあるんだろう。
孫権は自国の利益のために、同盟国を裏切ったのにそれでも
その行為を強引に正当化させてしまおうとした臭みが強烈に匂って
そこからは偽善詭弁の呉になってしまった。
- 938 :
- いや魏も普通に汚い部分隠してるよ
その証拠に魏書には書かれないけど後漢書だと書かれてる魏の卑劣な行いとか割とあるしな
蜀は単純に綺麗も汚いも資料が少ない
- 939 :
- 本当に資料が少なかったのかな?陳寿は自分に都合の悪いことは敢えて書かないスタイルだからな
例えば陳寿は蜀は史官を置かなかったと言ってるけど、華陽国志では陳寿は蜀の東観(史料編纂室みたいなもん)秘書郎だったと書かれてる
同時代の史書と比べて比較的信憑性が高いから陳志が正史に認定されたものの、絶対視できるほど陳寿は信頼できる語り手ではないだろう
- 940 :
- 陳寿は関張辺りは因果応報とかボロくそに欠いてる割に劉備には先主と呼んでみたり敗戦も二人みたいに悪くは書かずにかなり配慮している様子が見られるから完全に中立とは言い難いからな
結果だけで言うなら劉備も関羽もそれぞれの大惨敗の責任は似た様なもので劉備だけ庇う理由は無いはずなんだがな
むしろ、関羽の方が呉のせい守りを任した二人のせい(裏切る原因を作ったのは関羽だが)とか責任転嫁しやすいまである
- 941 :
- 陳寿「自分の故国の創始者を悪く言えるわけねえだろ…」
そう考えると劉邦の悪いとこ書きまくってる司馬遷って凄いわw
- 942 :
- そりゃまあ陳寿は劉禅にちんこ切られたりしてないし
- 943 :
- 王允は歴史書を遺したいと命乞いをする蔡邕に、司馬遷の史記のような誹謗の書を書かせてなるものかと言って処刑したそうだけど、史記って後漢末ではそういう認識の書物だったんだろうか
- 944 :
- >>943
今の国を正当化する為に前の国を誹謗中傷し政権交代は必然だったとする為のモノぐらいの認識ではないかと
始皇帝がそれによって必要以上に悪く書かれているって話はよくあるし
本当かどうかはもう分からないけど
- 945 :
- >>944
始皇帝はまだマシやろ
何しろ項羽と劉邦に男子のあるべき姿として語らせてる訳やし
- 946 :
- >>944
史記だと法律の過酷な秦と緩やかな漢みたいに書かれてるけど、出土した資料によると秦と漢の法律はあまり変わらないんだっけ
- 947 :
- 漢は功臣を殺しまくったしなあ
- 948 :
- >>946
項羽の大量生き埋めを目の当たりにした人々にとっては人治オンリーの社会から法による支配がある程度決まり無差別殺戮がなくなっただけで安堵したのかもね
劉邦自身の考えというよりは項羽以外に敵を作れない切羽詰まった状況で生まれた寛容さが結局劉邦の追い風になった面は大きいと思う
- 949 :
- 荊楚の地は疫病があるので難しいね
- 950 :
- 劉邦は蕭何がいたことにより略奪せずにすんだからな
これだけでも民心をえていた
主に関中で
地元の豊じゃ嫌われてたのに
- 951 :
- それにしても三国14の蕭何の値低すぎ
ペンペン草も生えないくらい収奪したのに反乱も起きないくらいの政治カあったのに
- 952 :
- >>951
蕭何は結構過小評価されてるよね
韓信と語り大将軍に推薦するほど戦略にも精通してるし
その韓信もアッサリ粛清するくらい冷酷な謀略も厭わない
知力も90代無いとおかしい感じだわな
- 953 :
- まあ一番過小評価されてるのは配下に能力吸い取られてる劉邦やろな
この辺は三国志時代の子孫と同じだけどより酷くなってて知力なんて目も当てられない
- 954 :
- 肥は三国時代以外の人物のことは無知すぎてろくに知らないんだろうな
- 955 :
- >>953
韓信彭越いないし劉邦も病で来そうにないから反乱は成功するって英布に言われてるくらい指揮能力高いのにな
- 956 :
- >>954
まるでKOEIが三国志に詳しいみたいに言うなよ
- 957 :
- https://i.imgur.com/jOAaT59.jpg
- 958 :
- >>951
「項劉記」パソコン移植版を発売してほしいものだ。
- 959 :
- 魏は
二十万の遠征軍も出せないから蜀や呉をなかなか滅せなかった
- 960 :
- >>953
確かに
劉曄は親友魯粛よりも知力低いのがデフォになってるのが痛い
- 961 :
- >>960
言っている事は重ね重ね間違ってないんだけど、これはっていう派手な功績無いのが他の魏の謀臣に比べて痛いな
- 962 :
- 三国14の劉邦
統 武 知 政 魅
71 62 57 60 100
参考
劉備
統 武 知 政 魅
76 76 74 78 99
数年で天下統一してるし負けたのは項籍と異民族のあれくらいなのに一軍閥で終えた自称子孫の劉備より数値低い酷すぎ
- 963 :
- >>962
統率は劉備より上で
武力は劉備より下ぐらいか
どの道2人とも統率低すぎや
あと知力も劉邦の方が高いやろな
せめて80代にしてやれよ
- 964 :
- 13の劉邦は統率87やったのに何があった
- 965 :
- >>964
魅力無かったから統率と平均化したんやろ
- 966 :
- 劉邦って戦下手って思われてるけどそれは項羽、冒頓単于と中国史上屈指の名将と戦ってるからで彼らと戦って命があるだけでも相当の戦巧者だったといえるよね
現に英布あたりなんかは難なく退けてるしさ
- 967 :
- >>966
劉邦「お、おう(英布戦で矢傷を受けながら)」
- 968 :
- 劉邦は前線にいくことはないから相当英布に追い込まれたのは分かる
- 969 :
- 関心や訪越は死んだけど劉邦以外に英夫と戦える将はいなかった
- 970 :
- >>968
劉邦はずっと最前線じゃね
垓下の戦いがむしろ例外では
- 971 :
- >>970
前線で兵の指揮はするけど最前線で斬り合いはしとらんやろな
だから普通に流れ矢ぐらいは当たる危険性がある
- 972 :
- 劉備は曹操が自分に次ぐ英雄だと認めた人間なんだし
ちょこちょこ負けてはいるものの戦績自体は立派なんだから
もうちょい能力高くていいと思うわ
- 973 :
- >>972
孫パパも強化されとるのに劉備だけ結構不遇だわな
- 974 :
- 殆ど自分で兵を指揮しない袁紹の統率が80代やからなあ
袁紹は統治上手かったから政治90前後にして戦争関係の能力下げてええやろ
- 975 :
- 負ける度に復活してきた袁術も政治低過ぎだよなあ
- 976 :
- >>972
ゲームの劉備は演義基準なんだろうな
- 977 :
- >>969
灌嬰「普通に英布と戦えるけど指揮権は高祖が離さないので」
- 978 :
- 演義基準で徳しかないみたいな感じなのも捻りがないよねえ
三国時代では一番自分の才覚でのし上がった人だろうに
- 979 :
- こういう話、歴ゲ板で突き詰めたとこまでできれば
いいんだろうけどな
肝心のスレがあれじゃな
- 980 :
- 武漢のあたりって今の夏口くtらいかね
かつて曹操が大軍を率いてきた時代といい現代といい疫病に悩まされてるな
- 981 :
- 演義基準やと孔明は劉基で劉備が洪武帝
- 982 :
- 劉備に明太祖程の能力があったら曹操でも太刀打ち出来なかっただろうよ。
- 983 :
- http://www.rekishinoshinzui.com/entry/2018/05/25/063000
きのブログによると明の朱元璋を称えるために作られた「三国志演義」だそうだ
- 984 :
- 太祖を三國演義の誰に準えたんだ?
司馬炎?
- 985 :
- 三国志演義は劉備と諸葛亮と蜀漢の物語なんだから言うまでもないでしょ
北伐を是とするイデオロギーを持つ南方政権は
多くが三国志演義成立前から蜀漢を正統としていたのだし
明だって江南からではあるけど北伐を遂げて中華統一をしたのだから
- 986 :
- 蜀の総兵力は十万、呉は二十三万、魏は四十四万
二国以上でも圧倒的な差まではない
- 987 :
- 魏と同じくらいの領土だった前秦は100万の軍勢を率いていたというがどこまでもっていたのやら
- 988 :
- 前秦の推定人口は2000万あったらしいからな
旧前燕領だけで1000万弱
これに関中、河南、山西、旧拓跋領、旧前涼領、四川、襄陽含めたら
確かに2000万近くいく可能性はある
- 989 :
- >>985
確か演義の赤壁も明の戦いが元ネタだったっけ
- 990 :
- 鄱陽湖の戦い
- 991 :
- >>989
そのとおり、おかげで伝染病等で曹操の軍勢がボロボロだったという事情が抜け落ち、長らく超人的な力と火計のおかげだと思われてた
元ネタでは火砲使った結末を三国に無理矢理落とし込んだことが原因
でも三国志ものの創作としてはよく作り込まれてるのよ演義は
そりゃあ明の国家事業で作られたと疑われるわ
- 992 :
- 洪武帝という畜生を英雄に見せるための国家事業やぞ
- 993 :
- 赤壁一つとっても魏と蜀が明記してる劉備の戦いっぷりが呉には不自然にカットされあろうことか演義の赤壁、さらには荊州の領有問題まで呉のツッコミ所満載な主張を全面的に採用
やっぱ演義の作者って劉備嫌いだろ
- 994 :
- >>993
演義は二宮を始め孫一族のクソエピソードはカットしまくりだから意外と呉に優しいんだよな
- 995 :
- >>993
ガイエも「羅貫中ってホントは劉備や蜀嫌いやろ?褒め殺しとしか思えん描写結構あるし」とかコラムで書いてたな
- 996 :
- 次スレたのんます
- 997 :
- やだ
- 998 :
- 西原哲也(馬糞)の魏晋革命
曹爽が司馬懿と仲が険悪になりながら司馬懿派の賈充や司馬師をそのまま用いる
その他の司馬懿与党は左遷させられているのは無視
↓
母が死んでも司馬師は曹義とダブルで中領軍に在籍し、それが中国の喪として普通だと強弁する
また曹爽の取り巻きの何晏に評価され清談する間柄なのに司馬師は真っ向から曹爽と対立して媚びなかった
↓
クーデターで司馬師は何故か自分の職を罷免し王観に中領軍を任せる
皇帝の詔を握りつぶせる録尚書事であるはずの曹爽が、太后経由の詔を真に受けて降伏する
↓
粛清と属官の罷免があり司馬懿派なのに賈充が罷免され、何晏派なのに職を続ける鍾会という謎裁定が下される
↓
詔を握りつぶせる録尚書事の司馬師が何故か詔を恐れ李豊と夏侯玄をR
権威がなくなっていたはずの魏皇帝の廃位に司馬師与党のカン丘倹が怒って反乱する
↓
カン丘倹の乱後に録尚書事でなかった司馬昭が皇帝の詔を握りつぶす
↓
権威がないはずの皇帝を伴い諸葛誕を滅ぼす
なお何晏、夏侯玄、司馬師が清談で声望を集めていたにも関わらず、それより下の扱いの諸葛誕は曹爽一派
↓
権威のないはずの皇帝に連座するのを恐れて地方に出鎮する司馬望
その皇帝にビビって逃げ出す司馬チュウ
賈充が殺したのは当然としながらも司馬氏親族二人の行動は無視
↓
権威のない皇帝相手に禅譲を迫るためわざわざ蜀を攻める司馬昭
主力は曹爽派の鍾会
↓
成都陥落後にカクヨクが降伏し、何故か安定しているはずの南中の蛮族の平定を行う
なお羅憲は根っからの魏の将だったから蜀滅亡前も救援をしていないとのこと
泳がせてやって主張を呑んでやったらこんなトンデモ歴史が出来上がった
本気でこいつ何考えてるか分からんな
- 999 :
- 曹操のせいで下克上が当たり前になった
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- 1000なら
- 1001 :
- 2ch.scからのレス数が1000に到達しました。
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