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もし中国が統一されずにいたら・・・・・・
lll初代llll 始皇帝 lll皇帝lll
- 1 :2006/11/03 〜 最終レス :2019/05/25
- 中国史上初の皇帝・始皇帝を語ろう
始皇帝について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D
- 2 :
- ちなみにこのスレからの依頼
http://hobby8.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1161621239/l50
- 3 :
- 乙
で、結局始皇帝の実の父親は誰なんだい?
- 4 :
- >>3
ペルシャ系の帰化人。
と言うのは最近のガセネタ。
- 5 :
- 「しこしこ始皇帝」いか厳禁
- 6 :
- 乙
真っ先に立ちそうな気がするが今までなかったんだな
政には長生きして扶蘇に継がせて欲しかった
- 7 :
- 始皇帝は晩年には自らを買いかぶりすぎたし、つまらない人間に騙されたりしたからなぁ。
中国統一まではよかった。
- 8 :
- ロウアイってどの位スゴイんだろう?
- 9 :
- 車を引くことができるぐらいのスゴイものを持っていたらしいな
- 10 :
- 扶蘇が二世皇帝になっていたら名君になっただろうなあ。
秦はさらに強大な帝国になり、400年ぐらいは続いたと思う。
>>4
呂不韋は漢民族じゃなかったの?
- 11 :
- ロウアイはチンチンで車を引いたんじゃない。
勃起したチンチンに車輪をはめ込んで、持ち上げられたんだ。
車軸の穴にぴったりはまるほどの巨根で、持続力もあったんだよ。
- 12 :
- ヤンジャンのキングダムって始皇帝の少年時代?
- 13 :
- >>10
さすがに400年は難しいと思う。
中国のわりと成功した王朝でも、200年ぐらいが多いし。
- 14 :
- 400年は無理でももうちょっと続いたかもね
李斯がどっか行かされて法律が少しはゆるくなったと思われ
- 15 :
- >>12
モチロンソウヨ
- 16 :
- >>13-14
思えば中国統一後、秦は15年くらいで滅びてるんだよな
ユーラシアの西では同じ位の間、ローマとハンニバルが殴り合ってた事考えたらかなり短い
- 17 :
- 中国の王朝の平均持続年数はどれぐらい?
200年クラスが一番多いのかな。
>>7
政は政治・外交・軍略に長けた天才的な統治者であったと思う。
だが晩年にケチがついたな。宦官なんかを全面的に信用して依存しきったり
中国史上に名を残す詐欺師、徐福に引っかかったり。老いが彼を駄目にした。
- 18 :
- 一番長く続いたのは漢かな?前漢後漢あわせて400年。
宋王朝は北宋南宋合わせて300年。
唐も明も300年。
清は250年。
- 19 :
- >>18
逆に統一王朝で短いのは新の15年と隋の30年、西晋も呉滅亡から西晋滅亡までだと35年か
あ、あと則天武后の周が15年になるのか
- 20 :
- 漢が長く続いたのは、秦のよい部分をそのまま引き継いだからだ。
劉邦は阿房宮にあった全国の戸籍を、大切に保存した。
- 21 :
- 秦を踏み台に
- 22 :
- 隋、短けえ!隋といえば日本ではけっこう影響を受けた大国というか唐に次ぐメジャーな国だよね。
漢民族の統一王朝では300年ぐらいが多いところかな。
- 23 :
- 日本は凄いよね。皇室は2000年続いている。
やっぱり島国で異民族の侵入が無いのが大きいのだろう。
- 24 :
- だーれも取って代わろうとしないもんなぁ
- 25 :
- 中国五大愚朝
秦、新、晋、隋、順
- 26 :
- 順朝がすぐに潰れたことを、漢民族はものすごく悔しがっている。
満州族に取って代わられ、風俗を押し付けられたから。
- 27 :
- 秦は、天下統一前に数百年も続いているので、
必ずしも短命王朝と言えるかどうか。
- 28 :
- 統一してないのを含めると、
王朝の平均寿命はものすごく短くなるね。
平均30年てとこかな。
- 29 :
- おいっ、誰かえーせーの話してやれ。
- 30 :
- 仲父殿の子供なの?
- 31 :
- 当時から、噂はあったんだろうか?
- 32 :
- 史記が書かれたころは噂されていたんだから、当時も当然噂されていたであろう。
- 33 :
- 秦で、「どこの馬の骨とも知れぬ者を王に戴けるか」って反抗する者はいなかったのか?
- 34 :
- 政の父が人質から戻れて、王位についた事も奇跡的かと。
呂不韋の努力(賄賂?)の賜物ですかね。
政の父って異人?
- 35 :
- 政の母親は男狂いだったのかな。
- 36 :
- 秦を滅ぼしたのは始皇帝ではないよ。子の胡亥。
始皇帝は宦官に騙されたりして駄目な所もあったが
総合的に考えたら100点満点中95点位の凄い人だと思う。
つーか歴史上で初めて統一国家を創造and皇帝に即位したのは凄すぎる。
始皇帝が統一国家を作らねば、
中国は一つと言う概念すらできずにヨーロッパの如く多極化が進んでいたと思う。
始皇帝が毛沢東や明太祖より偉大なのは統一国家創造という概念すらない時期に
初めて統一国家を作り上げた事。
後の皇帝は始皇帝の猿真似に過ぎない。
始皇帝は中国史はおろか全アジア、全世界に勝る英傑です。
- 37 :
- 始皇帝の遺勅が握りつぶされてなければねぇ・・・
- 38 :
- >>36
どうだろう?
世界初の帝国はアケメネス朝ペルシャだし、ヨーロッパも時代は下がるがローマがあった
いまオリエントや環地中海世界がどうなってるかはご存知の通りだ
中華地帯が統一されていた期間が長いのを始皇帝が「統一」した事だけに求めるのは問題だろう
- 39 :
- 始皇帝は好きな人物だが、やっぱり晩年の仙術かぶれが痛いなあ。
まああの時代の人だから当たり前なんだが、前半生からは
飛びきり合理的な人物に見えるからつい期待してしまう。
- 40 :
- >>38
そりゃ、ローマやペルシャは始皇帝のような「統一政策」は行わなかったからなあ。
- 41 :
- >>40
そりゃ状況が違いすぎる
周も秦も楚もそのアイデンティティとなる神話は同じだったのに対して
オリエントは各種様々な宗教が入り乱れていた場所だ
ぶっちゃけると統一難度で言ったら中華は当時からその辺に比べたらだいぶ下がるよ
(始皇帝はツメの部分をやればよかったとも言える)
まあそういう見方をしないんであれば、
始皇帝はダレイオスやアウグストゥスのようなバランス感覚が無かったので
帝国ごと吹っ飛んでしまったが、逆にその後の王朝の助けになったって感じになる
- 42 :
- >>41
いや、それも「神話の統合」が行われたから、現在からするとそう感じるだけ。
例えば伏儀や女カが南方の神話だということはすでに証明されているし、皇帝や
神農も西方渡来が確認されている。
- 43 :
- >>42
しかし、楚辞の天間では楚の神話は語られず、中原の事が語られていたりする
これなんかをみても、中原とは民族を異にした楚でも、
戦国時代末期には神話なんかでも中原化されてたのではないだろうか
まあ秦が統一した民族の神話の統合が、統一前の事なのか後の事なのかはよく分からないから触れられないが
- 44 :
- あんなバカでかい土地が二千年以上まとまるなんて、それだけの素地がなけりゃあね。
- 45 :
- >>44
まあ他にも
・宗教に比較的情熱を持っていなかった
・近隣地域に匹敵する文明圏がなかった
・表意文字の漢字の使用により口語が通じなくても行政が出来た
辺りがざっと考えつくけどね
で、始皇帝の業績の内最も偉大なのは漢字の統一ということになると思う
これは間違いなくその後の各帝国の統一維持に大きく貢献してるよ
(正直、他に始皇帝の統一事業の内ダレイオスがやっていないことが思いつかない、ってのもあるが)
- 46 :
- 始皇帝の成果は、まんまと劉邦の手に落ちた。
- 47 :
- 母親がああで、父親がああで、
やっぱり少年時代は精神的に荒れていたんだろうか?
- 48 :
- ロウアイのチンポを見てしまったら更に荒んだと思うよ。
- 49 :
- 親の教育に問題があった、というのも大きいが、人質生活でいじめにあっていたのも大きい。
そのために全国統一した後、人質時代いじめた人間を皆殺しにしたとか。
- 50 :
- でも、少年時代に養った冷酷さが、
天下統一の原動力になったかもね。
- 51 :
- >>49
人質時代に過ごした村(?)だかを
消滅させたんだっけ?
- 52 :
- >>51
趙の都邯鄲で人質生活を送っていた。冷たい待遇を受けたこともあったようで、
後に王となって趙を攻め邯鄲を落とした際、母親の家と仇怨がある連中をことごとく穴埋めにした。
なお邯鄲の破壊はこのときではなく、秦末動乱の際に章カンにより破壊されている。
- 53 :
- 始皇帝って親征してないよね?
なんかそれなのに、武ばったイメージを持ってしまう。
- 54 :
- >>46
劉邦は事実上の始皇帝の後継者とも言えるんだからあまり無碍に扱うのも考え物だけどね
もし項羽が勝ってその方針で中華世界を治めたら、
始皇帝の功績が奪われるどころかすべて無駄に成ってたかも知れないし
>>53
武帝なんかもそんなイメージだね
ああいう自分の軍事能力を出さないで征服業を成すっていうのは凄いことだと思うが
- 55 :
- 漢が繁栄したのは、秦の遺産を上手く受け継いだからだな。
- 56 :
- みんな詳しいなぁ
- 57 :
- 始皇帝は子供の頃から経済学を学んでいたのかな?
- 58 :
- しかしエイ政という人は懐が広いんだか狭いんだか…
- 59 :
- 徐福について
- 60 :
- >>57
帝王教育は受けたんだろうけど、当時の経済への認識ってどうだったんだろう。
- 61 :
- 呂不韋がいたから任せっきりだったとか…。
- 62 :
- 餅は餅屋だよね。
- 63 :
- 母親のことはやはり憎んでいたのかな?
- 64 :
- 複雑な心情だっただろうね。
憎しみは呂不韋に集中したと思う。
- 65 :
- 秦って結局戦国の六ヶ国を滅ぼす過程で数百万の兵士を
殺しまくったから、恨みを買いすぎたからでしょう。
数万の首を挙げただの、数十万を生き埋めにしただの・・
呂不韋とかの話、恨みや反感を持つ遺族とかが、秦や政王の
正統性を壊すために尾びれを付けたスキャンダルで、その話は
当時から出生のことはまことしやかな言われていたらしいしね。
- 66 :
- それに、役人とかはやっぱり秦人中心で、旧六国の地域を支配する時にも、
威張りまくっただろうから、それで恨みを買っただろうね。
秦崩壊、楚漢戦争の過程で、旧六国地域じゃ秦人が報復の襲撃を受けただろうと思う。
- 67 :
- そんな役人も始皇帝が死んで反乱が多くなると
自己保身のために秦を裏切ったりするので
民衆や落ち武者は天を仰ぎ大儀の意味について
問うのであった・・・・
- 68 :
- 昔NHKスペシャルでやった始皇帝特集がまた見たい。
- 69 :
- 漢は上手い具合に始皇帝の遺産を継承したね。
- 70 :
- 漢の場合、秦が苦労の末に統一した成果をそのまま受け継げた上、
かつ統一に伴う人々からの恨みは全て秦が引き受けてくれた格好だからね。
- 71 :
- 中国統一を成し遂げたのは始皇帝の秦ではあるけど、
それは基本的には秦の長年の政策の延長線上であって、
統一の功績を全て始皇帝個人に帰すのは無理がある。
- 72 :
- あげ
- 73 :
- 秦が崩壊した原因はいろいろあるとは思いますが、私なんかは始皇帝が
統一事業を推し進めるのを急ぎ過ぎたのも一因と思ってます。
もっとも緩やかに進めたとしても、滅ぼされた他の6国の生き残りの反発は
免れないでしょうけど。
ただ、言葉も文化も違う広大な土地を統一したのは凄いと思います。
秦・漢ともに。
- 74 :
- でも急速に進めたからこそ一気呵成に統一を達成できたという気もするな。
ゆっくり進めると、かえって統一は上手くいかなかったんじゃないかな。
統一に伴う旧六国の反発さえ上手く対応できれば、
それなりの長期政権になったんじゃないかな。
事実、漢はあれだけ長く続いたんだし。
- 75 :
- 始皇帝万歳!
史記などを読んでいるとこの人の哀しみ、弱さが見えてくるようで辛い
自分自身の生い立ちと重なる部分があってよくわかるところもある
- 76 :
- 始皇帝と呂后が同時代の人物であるをわかっていない人は意外に多い。
黒柳徹子なんかがいい例。
- 77 :
- 【塩野七海が語る】
第10巻で書きましたけど、世界の東と西で、ほぼ同時期、紀元前3世紀に
万里の長城とローマ街道がつくられました。技術的には似たようなもの
だったんです。違ったのは、それを縦にしたか、横にしたか。縦にして
城壁にすれば、侵入から守ることはもちろん、蛮族から自分たちを切り離す
こともできる。しかしローマ人はなぜ横にして、自由に行き来できる道路
をつくったのか……。つまり、そこからパクス・ロマーナが開かれました。
しかし、パクス・チャイニーズは実現しましたか?
↑
高校の教科書にも書かれている「始皇帝の軍用路整備」「漢王朝」を無視なさる
とはさすがは塩野様です本当にありがとうございました。
- 78 :
- 塩野先生は、東洋史に関しては無知だ、って自分で認めていたから、
まあ、あまり責めるのもちょっと可哀想。
- 79 :
- ま、ローマ人の物語とかは、素晴らしいからな。
あまり墓穴を掘るような言動は慎んで欲しい。
- 80 :
- >>77
>しかし、パクス・チャイニーズは実現しましたか?
つ「後漢の平和」
高校世界史で、ローマ帝国の同時代史として習った記憶がありますが、
今の学説では否定されてるんですかね?
検索しても雑談しか出てこないし…
- 81 :
- 東洋史、西洋史、どちらも片方に入れ込み過ぎると、
もう片方が見えなくなるんだな。
- 82 :
- >>54
実は劉氏と秦とのつきあいはかなり古いのであった。
と左伝学者みたいなこといってみよう
- 83 :
- 呂不韋って簒奪する気はなかったのかな?
- 84 :
- おとなしく臣下がついてくるとは思えん
政と争って勝てるとも
後見人として権力振るう方がはるかに得策
- 85 :
- 始皇帝日記
【前219】超高の笑い声で起床。まだ眠い。顔を洗わせる。歯をみがかせる。朕は皇帝だ。
【前219】朝食のかわりに不老長寿の仙薬をのみくだす。効果が無い。イヤになる。
「蓬莱山に行ってまいります」徐福の言葉だ。おそいんだよ。早くしないと死んじゃうだろ。
「気をつけて!」うるせぇんだよこの玉ナシが。
【前219】ダルい巡幸出発。道の脇は野次馬でひしめいているRぞ、って呟いたら部下
がホントに殺してた。('A`)。
【前219】「大丈夫まさにかくの如し」野次馬の中、劉邦がつぶやいている。朕にどうしろって
いうんだよ。
【前219】今日は泰山だ。封禅のやり方がわからない。焚書坑儒決定だな。
【前219】超高がニヤニヤしている。
【前218】巡幸終了。
【前218】次の巡幸出発。
【前218】頭が痛い。不老長寿の座薬を詰めるが効かない。朕はもう寝る。
【前218】枕もとで二人が謀議。超高の笑い声に李斯が動揺しているようだ。 誰でも玉無
しには引く。
【前218】張良に襲われる。やばい。鉄槌が温涼車に命中だ。影武者のだが。
【前218】「陛下〜、大丈夫〜?」超高だ。タイミングが良すぎる。どこに行っていたんだ?
【前215】「新しい影武者よ〜!」さようなら、影武者127号、こんにちは影武者128号。
超高がニヤニヤしている。
【前215】巡幸終了。次は何時にしよう。
【前213】とりあえず焚書断行。
【前212】「王侯将相いずくんぞ種あらんや!」ただの叛乱だ。
「彼、取って代わるべし!!」叛乱には飽き飽きしている。
【前210】人生終了。超高「大丈夫?」格好だけだな。
【前210】徐福が来た。「陛下!蓬莱山に行くには資金が足りません!」遅すぎる。帰れ。
うだつの上がらない奴だ。
【前210】帰路。車の中は生魚でいっぱいだ。超高がニヤニヤしてこっちを見ている。
カモフラージュか? 遺詔は?
- 86 :
- >>78
本当に無知と自覚してるならわざわざ秦を引き合いに出して墓穴を掘ることはないよな
ようは謙遜してるように見せるために無知って公言してみただけ
言動と行動が一致してないことに対して責めるのは酷でもなんでもないと思う
- 87 :
- >>83-84
簒奪するにしても一代じゃ無理だっただろうな。
段階的に秦王から権力を剥ぎ取っていくべきだろうけど、
その秦王が実は息子なのだからややこしい。
- 88 :
- 昨日TVで殷やってたが、あの暴虐といわれる始皇帝でさえ、
人形埋めたんだよな…と思った
時代も文化も違うんだから、比べてどうこういったって仕方
ないんだが
- 89 :
- >>87
簒奪した上で、また息子たる秦王に王位を譲る?
あほらしい作業になるなw
- 90 :
- 焚書坑儒はなかった
- 91 :
- あぼうきゅうにいた五千人の美女が気になる
あぼう宮は高さ130mって、なんかで見たけどホントにそんなにあったのか
疑問。
- 92 :
- 秦の王室って趙の王室と同族だから氏は趙だよね?
ってことは趙高って秦の王族なのかな?
- 93 :
- エイじゃないの?
- 94 :
- >>91
劉邦に一時接収された後、項羽に献上されたと思われ>五千人の美女
その際に戦利品として楚の諸将に分配されたか
或いは秦の血統を絶やす為に虐殺したとか色々考えられる。
- 95 :
- 始皇帝は絶大な力を握り、その象徴として阿房宮とかが強調されるけど、
国力、経済力なら後の時代の統一安定期の皇帝の方がずっと上だよね。
- 96 :
- >>93
エイは姓で 氏と違う 後世では混同されてるけどね
例えば 太公望は 姓は姜で 氏は呂
- 97 :
- 一番長いのは周で、800年。確かに実質西周までともいえるが、
王朝として一番長いのは事実だ。
思えば、この前法政大のある中国人の教授と井沢元彦との対談があったが、
あの趙という人は中国の王朝って一番短い「元」でさえ90年持てたから
今の共産党はまだ大丈夫云々言ったが、これは明らかに可笑しいだろう。
たとえ武則天や王莽を入れなくても、秦や隋など一杯あるだろう。
趙ってかなり恥ずかしい間違いをしたが、一応専門は政治学。
それより井沢ってしばしば中国の歴史に口出ししたり、日本のトンでも歴史本を
書いたりしているが、趙の発言を認めたのも呆れた。
この人って本を大量生産しているが、
もうちょっと充電してから出直せって言いたいものだ。
- 98 :
- >>88
殷の時代も下ってくると、だんだん殉葬とか生け贄なんかが
非人道的だ、という雰囲気になってきて、殉葬者を減らした
りする、なんて記録が見られるようになって、周や春秋戦国
になってくると、はっきり非道な行為と認識されるようになってきた
ようだね。
紂王なんかは案外古風な人だったのかもね。
そういやあ、秦では穆公が死んだとき、177人も殉死して、
そのせいで国勢が衰えたというけど、なんというか、凄い話だよね。
春秋戦国の頃のエピソードでは、秦が「蛮夷の国」みたいに言われてること
あるけど、確かにちょっと他の国とは違うよね。
- 99 :
- 秦は商怏の法が布かれるまで、風俗という点で明らかに中原諸国とは違うわけで。
- 100 :
- 中原から見た場合、秦と楚はどっちの方が野蛮視されていたんだろうね。
- 101 :
- 楚は王を自称してなかったっけ?
中原の枠外にある存在だから、秦の方がマシじゃないかな
- 102 :
- 楚と秦は早い段階、春秋時代に既に強国となり、中原を脅かす勢いがあったけど、
その後一時停滞したね。
- 103 :
- 晋が分裂することがなければ、秦や楚以上に強大になったかな?
- 104 :
- どの時点で、強大かで答えは変わるだろ。
三晋分裂直前の国力で晋候が絶対君主として君臨していたならば、その時点で秦、楚より強大だろ。
その後はどういう人材が晋に仕えたかで妄想するしかない。
ま、人に聞いてどうこうって話題でないのは確かだな。
- 105 :
- 斉みたいに、一人にのっとられたらどうなっただろうな
- 106 :
- 智氏が上手いことやれば、って感じか
- 107 :
- 始皇帝陵、地下に巨大建築物=30メートルの「高楼」−中国
7月2日22時0分配信 時事通信
【北京2日時事】中国陝西省西安市郊外にある秦の始皇帝(紀元前259年〜同210年)陵の地下に、土を打ち固めて
造った高さ30メートルの巨大な建築物が存在することが考古研究チームの調査で明らかになった。中国紙・北京日報
が2日報じた。
同紙によると、この「高楼」は下へ行くほど広くなる形で、9層の階段式となった4面の壁を持つ。陝西省考古研究院
の段清波研究員は「常人には考えもつかない建造物で、中国古代の墳墓史上、前例がない」としている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070702-00000165-jij-int
- 108 :
- 始皇帝って、始皇帝陵とか、阿房宮とか、
その力の大きさが強調されやすいけど、
人口や生産力を考えたら、
後世の皇帝の方が大きな力を持っていたはずだよね。
- 109 :
- 当時の生産性であれだけのものを作り上げたからこそ凄いんだろ。
- 110 :
- 歴代中国の皇帝は偉大イメージだが
中国によって捏造されてるんだろうと思いきや、
始皇帝も捏造では隠し切れないシナ人の習性をもってたんですねー
なにも、儒学者を生き埋めにしなくても
- 111 :
- >>108
だから贅沢、浪費と後世の学者からはさんざん口を極めて罵られた。
中華民国以降に再評価されるようになるまでは暴君の代表的存在だったし。
なんかオリエント的なんだよな〜
- 112 :
- >なんかオリエント的なんだよな〜
儒教が国学化される前の唯一の統一王朝だから、
いわゆる一般的に抱かれる中華帝国のイメージとは一線を画しているのかね?
- 113 :
- でも中華帝国の原型には違いないと思う。
- 114 :
- 2007年8月31日、陝西省西安市の始皇帝陵について、兵馬俑博物館の
曹ウェイ(ザオ・ウェイ)副館長は「遺跡の現状を長期的に維持するため、
当面いかなる発掘計画もない」と言明した。皇帝陵の地下には巨大地下
宮殿などの存在がすでに確認されているが、発掘による全容解明は
持ち越しとなりそうだ。
2002年、中国政府はまだ謎の多い始皇帝陵について、遠隔探査技術
などを利用した調査を実施。その結果、巨大な地下宮殿と墓室の存在が
確認された。しかし、本格的な発掘を始めれば遺跡の現状維持は難しく、
ダメージを与えることにもなりかねない。そこで将来、技術的な条件が
整うのを待って発掘するとの方針が固まった。
その時期について曹副館長は「少なくとも私が生きている間には
(発掘は)ないだろう」と、かなり先になるとの見通しを示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070901-00000017-rcdc-cn
- 115 :
- 大英博物館で兵馬俑展が始まる!約120点を展示―ロンドン
2007年9月13日、イギリス・ロンドンの大英博物館で中国秦代兵馬俑展が開催された。
今月11日、大英博物館で中国秦代兵馬俑展の開幕式が行われ、13日から一般に向け正式公開された。秦の
始皇帝の兵馬俑や楽俑のほか、秦代の青レンガや瓦当など、陝西省西安市の「秦始皇兵馬俑博物館」から2000
年以上前の中国文物が約120点展示される。
同展は中英の文化交流の一つとして、来年の4月6日まで開催される。兵馬俑展は1967年3月から海外出展を
始めて30年間、世界30か国以上で開催されてきた。
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g11299.html
- 116 :
- >>114
いつまで待たせりゃ良いんだよう。
こういうのは、いつまで経ったって技術的な条件が整うことなんてあり得ない。
完璧を期してばかりだと、どんなプロジェクトも進展しないよ。
先送りばっかしてる内に永遠に先送りすることになるぞ。
発掘期限を決めるべき。期限を切ったら技術も進むもの。
- 117 :
- そのうちに内戦が起こって「条件を整える必要さえなくなる」に一票
- 118 :
- >>116
とは言うものの、飛鳥古墳の惨状を見てこれこそ先見の明だと思う。
- 119 :
- 俺が生きているうちには発掘してもらいたい。
あまり長く放置すると、気候変動か何か突発的な自然現象で破壊されてしまうかもしれないし。
陝西はそこそこ地震もあり。
- 120 :
- 発掘しないで置くのは保存には最適かもしれないが、
全く腐朽しないわけではない(地球上にあるものは全て腐朽しつつある)。
ジワジワと痛んでいっているわけで、発掘が遅れると結局は人目に触れぬ
まま鉱物に還元されてしまうことになるが。
- 121 :
- 自分の欲望だけで文化保存を考えない墓荒らしが大量発生してるな
- 122 :
- 史書に「白起は伊ケツで韓、魏の連合軍24万人を斬首。」とか、
「魏ゼンは魏を攻め、斬首4万」とか、
「白起は魏将茫ボウを敗走させ、斬首13万。また、2万を河中に沈めて殺した」
とかいう記述がよくあるけど、こういう「斬首」とか「河中に沈める」とかいうのは
戦闘中に討ち取った敵兵なの?それとも戦闘後に処刑したの?
- 123 :
- 始皇帝陵の注目度自体は来年間違いなく上がるな。
映画の舞台になるし。
- 124 :
- 他の皇帝も暗殺されそうになった事はあるんだろうけど
始皇帝の場合荊軻と高漸離、張良とか暗殺の
エピソードがちゃんと残ってるのって貴重だよね
- 125 :
- 中国陝西省西安市郊外にある秦の始皇帝陵近くで古代の大型の墓が
見つかり、考古学者らは秦朝(紀元前221−同206年)最後の王、子嬰
の墓ではないかとみて調査している。新華社などが29日までに伝えた。
墓は始皇帝陵を取り囲む外城の北西約500メートル付近で2003年に
見つかり、南北109メートル、東西26メートル、深さ15メートル余り。
規模や造り方、陪葬坑などの状況から、子嬰が埋葬された可能性がある
という。
中国紙、北京日報によると、歴史書などでは子嬰は第2代皇帝、胡亥の
兄の子とされる。秦王に即位して間もなく、漢朝を打ち立てた劉邦に投降
したが、その後殺害され、どこに埋葬されたか不明だったという。
ソース(イザ!・共同通信) http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/87448
- 126 :
- 始皇帝って結局、子孫は一人も残らなかったのかな?
一人ぐらい逃れた子や孫がいても
- 127 :
- 怪しい話だが、日本にも大勢いそうだなw
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F
- 128 :
- >127
はたはのはたあげの羽田孜は
秦の傍流、秦氏の流れといっていたぞ。
- 129 :
- 姫若子さんも秦氏の子孫を自称してたんだっけ
- 130 :
- 中国で「秦」という姓は珍しくないからな。
有名人だと、秦檜、なんてのもいるし。
- 131 :
- >>130
話がズレすぎなんだが・・・
- 132 :
- ★複製展示が発覚し、中止 独ハンブルクの兵馬俑展
中国の秦の始皇帝の兵馬俑(へいばよう)を展示しているとの触れ込みだったドイツ北部の展示会が
14日までに中止された。ドイツの業者が複製を納入していたことが発覚したためだ。
先月末から始まったハンブルクでの兵馬俑展では、8体の兵士と2体の馬などが展示され、約1万人が
来場した。しかし、関係者から「本物」ではないとの指摘が寄せられ、警察も捜査を開始。結局、独東部
の展示業者が独メディアに対し、中国から入手した複製であることを認めた。博物館側は来場者への
払い戻しを直ちに始めた。
独国内の専門家は今回の事態について、「ドイツの美術史上、最大の犯罪」と強く批判。中国の兵馬俑
管轄部局も「人々を欺く行為」と業者への提訴も辞さない構えだ。(ベルリン 黒沢潤)
(MSN産経 2007.12.14 21:02)
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/071214/asi0712142102004-n1.htm
- 133 :
- 兵馬俑は現場で見てこそ意義がある。
- 134 :
- 2007年12月24日、陝西省西安市の陝西歴史博物館が約8か月に及ぶ改修を終え、リニューアルオープンした。新た
な文物が陳列されるなど、開館以来16年間で最大規模の改修になったという。新華社が伝えた。
改修に伴い、多くの貴重な文物が新たに陳列されることとなったが、特に話題をよんでいるのが「緑面跪射俑」。1999
年に発掘されたもので、膝をついた姿勢で弓を構えている人形だが、制作当時に塗られた色が比較的きれいに残ってい
た。興味深いのがなぜか顔の色が薄緑に塗られていたこと。兵馬俑の兵士のなかで唯一だという。
薄緑の顔はどのような意味を持っているのか、専門家の間でも議論となったが、いまだ定説は出ていない。一部では
「職人のいたずらではないか」との意見もあるほど。リニューアルした陝西歴史博物館を訪れた折にはぜひこの新たな
古代の謎に注目して欲しい。
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g13996.html
- 135 :
- >陝西歴史博物館
やっぱり秦漢や唐に関する展示物が充実?
- 136 :
- 終皇帝という言い方はあまり聞かない。
- 137 :
- ラストエンペラーならそこそこ聞く
- 138 :
- 終末皇帝って言われてなかったか?
- 139 :
- 最終皇帝なら良く言う俺はロマサガ2スキー
- 140 :
- ラストエンペラーと聞いてもコオロギしか思い出せない
- 141 :
- 中国大陸全土を直轄領とし、ベトナムや匈奴を討ち、誰にも遠慮することなく絶大な力を奮った独裁者
始皇帝として即位した後は謀反も一揆も起きなかった
始皇帝の法は中国大陸隅々に届き、人夫は全土から集結した
始皇帝はまさか自分が死んで3年後に滅びるとは夢にも思わなかっただろう
- 142 :
- >>137
溥儀ですか?<ラストエンペラー
- 143 :
- ドラマでは末代皇帝だな。
- 144 :
- キングダムスレの住民いる?
- 145 :
- キングダムスレの住民いる?
- 146 :
- 中国統一という大事業を一代で成し遂げただけでは飽き足らず
不老不死や不滅の帝国建設の夢を追い続けた始皇帝
先だって見たヒストリーChの番組では不老不死の薬に調合された水銀中毒によって死期を早めたとされていた
これほど己の欲望実現に素直な人間は他にいないと思うけど
死ぬのは最後まで怖かったんだろうなと思うと妙に親近感が湧いてくる
- 147 :
- >>145
いらない
- 148 :
- 始皇帝って、商人の子供って事実なん?
- 149 :
- >>148
可能性の話で事実じゃない
- 150 :
- まぁ、解釈するなら何でもありだしなあ
始皇帝を扱った小説の中には、
麻薬の吸い過ぎでラリる→「朕は仙人なのじゃ〜空も飛べるのじゃ〜」
→泰山の頂上からLet'sダイブ→墜落死
の挙げ句に「これが始皇帝の死の真相であった」とシメるモノだってある
- 151 :
- つかハムナプトラ3の始皇帝がすごすぎるぞ
ミイラになって、現代に復活して、しかもキングギドラに変身するwww
- 152 :
- めちゃくちゃ強い皇帝だったなw
しかも中国舞台なのに、西洋風のドラゴンに変身させやがるしw
- 153 :
- 始皇帝って何族?
- 154 :
- ウィキペディアの漢民族の項目に↓の記述があるけど、ここに書いてある秦族ってのが秦を建国したの?
中国の歴史は絶え間ない民族・人種の混合であった。古くは殷周交代にまでその傾向を見ることができる。当時中原に住み、より東方起源と推定される殷族と西方からやってきた周族が混交し、今にいう漢民族の母胎ができあがったのだが、その母胎はすぐに秦族に撹乱された。
また、春秋戦国時代の国家である楚、越も中原とは多分に異なる民族であったと考えられている。
また中国は4世紀頃から北方の遊牧民族に北部を支配されるが、その過程で多分に北方民族の血が混ざっている。日本の学界では唐王朝の皇帝の一族もまた鮮卑系の北方民族に近いものであると考えられている。
- 155 :
- さあね
そりゃわからん
ただ始皇帝はエイ姓趙氏だから
皆エイ政、エイ政言ってるけど普通は趙政になるよ
氏姓は結構面倒くさい
- 156 :
- 漢民族って 漢が出来てからだろ?
秦の時は多民族ではなかったのかい?
- 157 :
- 秦漢の時代にならされたんだろう?
それ以前は国ごとの違いが大きかった。四面楚歌なんていうくらい
国ごとに言葉も違っていたらしい。
だから、始皇帝の統一が無かったら今頃ヨーロッパみたいに
なってたんじゃないかな。
- 158 :
- んなこたぁないだろ
それよりは漢による前後あわせて400年の長期に渡る統一が影響は大だ
ヨーロッパだって一応ローマによって一回統一されてはいるんだし
- 159 :
- キングダムによると舞妓の子供
- 160 :
- 三國志なんかのテレビゲームやると長安が随分と大陸地図の左上にあるんだけど。
始皇帝陵がある現現在の陝西省の西安市だよね。
大陸地図ではもっと真ん中らへんちょい右寄りなんだけど。
これどういうこと?
三國時代の長安って場所移転してたの?
そうなると三國時代に始皇帝陵は許昌のあたりにあったということになるんだけど。
- 161 :
- まわりの地理との位置関係が違ってる間違った地図とか論外な代物でなければ、
単に地図の表示範囲が違ってるだけだろ。
三国志物でオルドス地方全域とか河西回廊とかまで表示範囲に収める必要は薄い。
- 162 :
- 477 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/06/25(木) 21:07:48 ID:oCOgcXwE0
『始皇帝烈伝 ファーストエンペラー』
7月よりBS11デジタルで放映。
日本語吹き替え音声。
ttp://www.bs11.jp/drama/589/
- 163 :
- 呂不韋ってなんで死んだんだっけ?
- 164 :
- 蜀に流刑→服毒自殺
- 165 :
- 始皇帝は、全土統一という偉業を初めて成し遂げたが故に失敗した気もする。
彼自身の生涯ではなく、秦という国の統治について。
不老不死や仙人を追い求めたのは、人間の頂点を極めたという自負だったのか。
しかし、宦官に掻き回された末の滅亡というのも悲惨だな・・・・・・
- 166 :
- 始皇帝はマイケルジャクソンとかぶるトコが有るな。
仕事を達成したあとは奇行が目立ち自滅。
- 167 :
- BS11の始皇帝ドラマ1話目とりあえず録画しました
ちょっと見ましたが予備知識ないので難しそうと感じました三国志ならある程度わかるのですが
- 168 :
- 予備知識なら、横山光輝の史記がオススメ
- 169 :
- >>168
ありがd本予約してきました
BS11の1話見ました、なんとかわかりそうです
関係ないですがドラマの方母が見たいと言ってますw
- 170 :
- 始皇帝と信長ってどっちが有能なんだろ?
- 171 :
- A great careerist but not a standard statesman
- 172 :
- 始皇帝の覇業は史上空前の偉功だけど、どうも納得いかないのは、秦以前には
まったく統一王朝が存在していないかのように扱われていること。
特に戦国時代後半、各国が王を僭称した七雄の争覇期間だけを指して、
「秦以前の中国には統一王朝はなく、国々が覇を競っていた」と語られることが多すぎる。
権威が完全に失われていたとはいえ、周の封じた諸侯国どうしが争ったという説明がない。
天子という意味では、周朝の王も秦の皇帝も同格だし、封建制を廃止して「秦」一国で
統治したことが「統一」の意味するところだとすれば、冊封体制の漢はどうなるんだ…
何故こうも周が無視されるのか分からない。半ば神話の類だから?帝でなく王号を唱えたから?
何だろう、ここだけすごい違和感があるんだよなあ。 この辺の事情、誰か教えてください。
- 173 :
- 周は中央集権すらままならなかった河南の政権じゃないか。
秦も楚も後から仲間に入ってきた異民族の国。
江南すらおさえていないのだからあくまで一地方政権に過ぎないという
ことじゃないか?
- 174 :
- CSのチャンネルNECOでも大秦帝国とかゆうドラマあってますね
日本TV初?だとか
- 175 :
- 始皇帝関係ないが>大秦帝国
アレは微妙だったな。メッセージ性がくどかったし
っていうか二話の恋愛必要なかったろうに
- 176 :
- >>175
あっ大秦帝国て始皇帝と関係ないのですかてっきり関連かと
まだ録画して少ししか見てないんですよ
すいませんorz174です
- 177 :
- この板って王騎スレ無いんだな
遅れてるぜ
- 178 :
- 秦帝国って唐帝国やモンゴル帝国になんかそっくりだよな。
広大な領土を持って、国内には様々な民族が住む。
それでもって実力主義で能力や才能があれば自国民だろうと
異民族であろうと官僚や軍司令官へと昇格できる
(モンゴルの場合、例外もあったが。)
隋唐もモンゴル同様騎馬民族国家とされているが
秦も騎馬民族と何らかのかかわりがあるのかな?
- 179 :
- 秦の場合、北方では無く西方異民族が祖と考えられている。
北方はモンゴル系、西方はチベット系が主。
有名な北方騎馬民族と、直接的な関連性は低いと思われる。
秦の能力主義は統一以前からで、征服した他国の文化に関しても
寛容だったらしい。
- 180 :
- >>172
周は、800年の歴史があり、王朝も、
先王15代、西周12代、東周25代で52代が一系で続いてる封建国家で、
中国史で最初にして最大の正統な王朝なのにね。
封神演義みたいな妖怪とか仙人が出てきて時代考証無視な作品じゃなくても、
色々な王や家臣がいて、ドラマが性があって面白いのに。
- 181 :
- ×ドラマが性→○ドラマ性
いや〜ん。変なミスしちゃった。恥ずかしい〜。
- 182 :
- 秦の統一した領土を見ると現在の遼寧省の大部分を所有して
逆に南方の広東省は所有していないのは
中国の領土を考えるときで興味深いよね。
考えようによっては
遼寧は漢地で満州にぶん取られた領土で後の時代に奪回したって考えられるし
(金の最初の首都は現在の黒竜江省)
- 183 :
- 当時の江南は荒地や森林ばかりで南方系異民族の領域だったけど
次第に漢族の南下が始まり開拓が進んだという解釈が主流なんだよね
- 184 :
- キングダムにはまっているけど、実在人物とそれ以外の人物を知りたい。
- 185 :
- 韓非子が・・・読んでみると面白すぎて困る。
・・・今の日本に、あの政治を実践してくれる為政者は居ないのか?
- 186 :
- >>184
長平で兵力の七〜八割を失った趙でも、李牧がいるにしろまだ強敵だったのですかね。
- 187 :
- >>186
捕虜40万人を穴埋めにしたとは言うが、一度の戦闘で7、8割を失うって事は無いだろう。
ホントにそれだけ失ったら李牧がいても廉頗がいても支えられない。
- 188 :
- 范雎の横槍と信陵君のおかげで敗戦直後の最悪期を乗り切れなかったらやばかったと思う
それにしても邯鄲の堅さは異常
- 189 :
- 中国の北限を定義したのは偉いよな(長城の大改修)
- 190 :
- こんな始皇帝は暗殺されろ!
http://toki.2ch.sc/test/read.cgi/owarai/1291347021/
- 191 :
- さすが中国、やることのスケールが違う
【歴史】始皇帝陵は完全に捏造だったとフランス・ベルギーの調査団が断定【捏造大国】
http://toki.2ch.sc/test/read.cgi/news7/1291458746/
- 192 :
- >>77
本題と全く関係ないし、かなりの亀レスだが、パクス・チャイニーズじゃなくてパクス・セリカって言って欲しいよね。
- 193 :
- 英語で中国を表す「CHINA」も秦が由来だし「政治」の単語は始皇帝の名である
「政」が「治める」が由来だしほんと始皇帝ってすごいよ。
- 194 :
- 織田信長は始皇帝を目指していたと思う
- 195 :
- >>172
殷周はあくまで連合の代表だから。
統治や祭祀は各国の代表が行ってたし、周自体の統治範囲はさほど広くない。
当時の価値観のまま行けば、「統一 = 他の国から盟主として認められる」
って状態で終了なんだが、始皇帝は全部自分のものにした。
以後中国はその価値観を踏襲する訳だが、その辺無視すると
「秦は始皇帝じゃなくても統一できた」とか「始皇帝以前に殷や周があった」とか
頓珍漢な話が出てくるわけだ。
- 196 :
- >>195
周王朝って日本で言うところの天皇家みたいな立ち位置になっちゃったんだよな
だから周王朝の権威はそのままで春秋五覇が成立したわけで
それを秦が西周を滅ぼしたことで中国では前王朝を滅亡させるのがデフォになる
- 197 :
- 西周か?
- 198 :
- 王朝名なら東周だな
- 199 :
- 西周は明治時代の中ごろまで生きていたしな。
- 200 :
- 秦が周を滅ぼしたのにはたいして意味はないだろう
夏殷周の王朝の交代が一番の要因
ましてや儒教は周の文王武王を理想にしてるんだから
- 201 :
- >>200
私見だけど、春秋は他国が周に禅譲するよう、遠まわしにアピールしてる時代で
戦国は待ちくたびれて王を名乗ったけど、盟主になる方法が解らなくなってる時代だと思う。
そんな中、秦が「周倒したら盟主でいい?」ってなノリで周潰したけど
逆に「簒奪者の秦を滅ぼしたら盟主な」って風潮を作り出した感がある。
- 202 :
- >>178
ヨーロッパだと秦はドイツを統一したプロイセンとイメージが被るよね
プロイセンも純粋なドイツ系と言いがたかったし
ユダヤ人もあんまり差別されてなくて
ポーランド系もユダヤ人も結構登用されていたし
秦も西方の遊牧民を積極的に登用しているし
純然たる軍事国家って点も
唯一違う点はプロイセンは国を統一した後、地方の諸侯をそのままにしていたのに対し
秦は地方の諸侯を中央集権化により解体しようとしたとこかな
- 203 :
- 趙高って趙の王族とかいわれてるが
秦の王族なんじゃないのかね?
- 204 :
- 自国の王族のチンコ切って宦官とか、前衛的すぎだろ
- 205 :
- 諸侯の位:天子、公、侯、伯、子男
君臣の位:君、卿、大夫、上士、中士、下士
- 206 :
- 支配する領土の広さ
天子:千里四方(160000平方km、ネパールより大きい)
公侯:百里四方(1600平方km、香港より大きい)
伯:七十里四方(784平方km、バーレーンより大きい)
子男:五十里四方(400平方km、セントビンセント・グレナディーン諸島より大きい)
- 207 :
- >>204
王族もピンからキリまでいるだろうに
- 208 :
- >>203,207
宦官じゃないが、斉は田単がいた。可能性としては有りかもな
- 209 :
-
今さらだけど、始皇帝って封建制を廃して中央集権の官僚制を採用という大改革を、
紀元前に既にやってしまったわけで、凄いことなのではないか。
ふと思ったのだが、反秦の動乱は、民衆反乱というより、滅ぼされた諸国の反乱や既得権を奪われた者の反乱に過ぎなかったのではないか?
そう考えると、文化大革命のときに毛沢東が始皇帝を善としたのは、故なきことではないのかもしれないですね
- 210 :
- 陳勝・呉広の乱が厳しい法による民衆反乱だからさ
確かに張良みたいに始皇帝狙ってた人もいるけど民心が安定してれば動乱にはならないでしょ
- 211 :
- 流れを断ち切るようで悪いけど、テレビで見て思った。
始皇帝陵ってすげえよな、最後まで未練たっぷりだもん
- 212 :
- 漢・唐・宋・明・清の皇族はなんとか子孫が残っているね
秦・晋・隋・元の血統は断絶してしまったが
- 213 :
- >>212
どこに残ってるの?
- 214 :
- ドドンドドンドン カンメー
- 215 :
- 母親の趙姫の項目をちゃんと日本語のWikiに作成しろよ
中国の歴史においてはじめての統一王朝を築いた偉大な皇帝の母親
史記にも記されている始皇帝の出自に関する呂不韋との疑惑や
呂不韋失脚の原因となる反乱を起こした嫪毐との逸話など
政治的な資料価値の必要性、話題には事欠かないんだから当然だろうがよおおおおおおおおおおおおおおおおおお
- 216 :
- ろうあいのいちもつ
- 217 :
- だって偉大なのは始皇帝さんと呂布さんで、その人はただの浮気おばはんじゃん。
- 218 :
- 秦って虎狼之国と言われていたけど、現代の中国の傲慢な態度とか信用の置けない態度とか
秦そっくりだね(でも軍は弱いけど)、
項羽に20万人生き埋めにされたけど、きっと旧六ヶ国の住人は喝采を送ったんだろうね。
劉邦もあのとき手を汚さず20万殺してくれてラッキーと思っていたはず。
- 219 :
- >>212
秦は日本に残ってる。
- 220 :
- 政治家の羽田家はそうじゃなかったっけ
- 221 :
- >>25
仲王朝。
- 222 :
- 始皇帝って猜疑心が強いって言われてるけど、劉邦なんかより全然臣下殺して無いよね。
- 223 :
- >>222
成り上がりじゃないからでしょうね
- 224 :
- 呂不韋を謀殺し太后達を退けた時点で誰も逆らわなくなったとも言える
- 225 :
- 皇帝だから何しても良いんだよ
その代わり、天候程度で易姓革命になってしまう
- 226 :
- 周王朝の存在は日本の天皇的なポジションも狙えたかもしれない
ただあちらは周王室の流れをくむ国が実際にあったから話がややこしい
結局周王室の流れから外れた国が強大化して消滅した
- 227 :
- スレがまだ健在でなにより
- 228 :
- 秦も始皇帝一世代で中央集権化せず扶蘇が二世皇帝になっていれば
長い間存続できたかも知れないな
漢も完全な中央集権化に武帝の時代までかかっているし
- 229 :
- 領土拡大が早すぎたね(中華の東半分を十年で統合)
中華の西半分なら中央集権も上手くいってたし
たとえ反乱が起きても小規模、治安対策も万全だったろう
六国の遺風と軍備を除去するのは大変だ
- 230 :
- >>193
論語にも左伝にも「政治」の言葉が出てくる。
政が生まれるずっと前から政治という語はあった。
どこで聞いたのか分からんがそれは嘘だな。
- 231 :
- キングダムで始皇帝のマイナス面をきっちり書く・…余裕無いな作者(--;)
- 232 :
- この人のおかげで、中国は一つって変な思想できたよね。
そうでなけりゃ今でも中国は10ヶ国に分かれててチベットとかも独立してたのに。
- 233 :
- 彼以前から中国はひとつというか宇宙の中心にひとつある中国(中華思想)
って観念はあったでしょう
- 234 :
- そもそも中原から始まったのに楚、秦、呉、越と徐々に中華の範囲が広がっていったんだよなぁ
最初から膨張の天命的なシステムだよね
周辺異民族まで中華帝国に飲み込む(逆に異民族に飲み込まれる)端緒はやはり五胡十六国以降?
- 235 :
- 膨張を望む事自体は各国にありふれた基本フォーマット
復古によってかえって革新的なシステムが生まれるのが中国の特徴、その復古とは三皇五帝時代の中原
現在の領土がどうなってるかというのは反対から見た側面であり、
あくまで常に中原(の過去の理想郷)が想定されている
- 236 :
- なぜ六国が頑張れなかったのか? は興味が付きない話題
秦には西域交易とか蜀経由の天竺交易でもあったんかねえ
領土は天下の3/10にして、経済は6/10の秦と言われたほどの実力差はどこから来たのか
- 237 :
- シノブさん?
- 238 :
- >>236
西域交易やインド交易の役割が大きいとは思えんぞ・・・
七雄内の交易と比較にならんし
なにより秦は戦争→領土支配の繰り返しで漸進的に貧国から富国になったわけで
- 239 :
- チノ=リはあっても孝公が出るまでは逆転の目は十分あったと思うけどな
商鞅変法と函谷関建造が決定的すぎる
何度か連合軍に追い込まれても本国は無事だったのが転落した斉との違いだろう
- 240 :
- ふらついてた秦だが、献公から孝公へのバトンタッチは見事すぎた
差が決定的になったのは昭襄王の魏ゼン執政期だろうけど
商鞅変法はよく触れられるけど、函谷関建造も大事だよね
何度もピンチはあったが函谷関で防ぎ逆襲に転じる
函谷関を迂回したり、侵攻が腰砕けに終わったりと、まさに鉄壁
地味に楚の懐王が秦本国、しかも王都に迫る位置まで侵攻したが後一歩だったな
- 241 :
- 水銀うめええええwwwwww
- 242 :
- スレチですまんが、秦の領地と三国時代の蜀の領地ってほとんど同じだっけ?
もし中国が三国じゃなく六ヶ国に分かれてたら…
- 243 :
- >>242
戦国・秦と三国・蜀が同じ領土面積だなんて
長安に行けずに悔し泣きした魏延さんに謝った方がいいよ
冗談はともかく、蜀は関中取ってないし隴西も占拠できていない
一方で戦国・秦は南中を制圧していない
ただし、戦国・秦の方が制圧している面積は多いはずだ
ただ生産力は時代の変遷で変わっているから、単純な国力比較はできないけどね
- 244 :
- それと懐王が藍田で大負けするまでは漢中のあたりは楚の領有のはず
- 245 :
- 南中は楚が制圧したけど秦の攻勢で連絡を断たれそれっきり
秦都咸陽を目前にして無念の講和、藍田の戦いが与えた影響は大きいねえ
- 246 :
- >>197
周は西と東に分裂したのです。
王朝名とは別で西周君に周王が庇護されて、別に東周君もいて。
- 247 :
- 質問サイトでも西周と東周を王朝のことだと勘違いされるよね。
東周時代に周が東西に分裂したことって意外と知られていない。
更に言えば、始皇帝の統一直前まで周があったことさえ驚き。
衛の滅亡が秦の二世皇帝の時というのも驚き。
- 248 :
- なんかBSプレミアムでやってる
- 249 :
- >>247
え、分裂?
周の都が東に移ったから東周っていうんじゃないの?
- 250 :
- >>249
ざっと調べたら西周・東周には二種類あるようだね
一つは、王朝としての西周・東周
周王朝を平王が洛邑に東遷した前後で西周・東周と分割して呼ぶ
(以下、王朝としての東周は「周王朝」と表記する)
もう一つは、戦国時代に存在した小国の西周・東周
戦国時代になって、周王朝の考王がそれぞれ、
弟の姫掲(西周桓公)を温に封じて成立したのが西周国
弟の姫斑を鞏に封じて成立したのが東周国
西周国の第3代恵公の子が、東周国を継承して東周恵公になっていたりややこしい
周王朝の勢力は、赧王の頃には完全に西周国と東周国に分裂していて、
紀元前256年に周王朝・西周国、紀元前249年に東周国が、秦に滅ぼされているね
- 251 :
- 始皇帝は結構身近な人に裏切られてる人物という印象がある
母親の太后や仲父の称号を与えた呂不韋、異母弟のセイキョウ、呂不韋の後に相国になった昌平君
みんな始皇帝を裏切ってる
本当の意味で味方だったのは華陽夫人(孝文王の正妻)と父親の荘襄王(子楚)だけだと思う
- 252 :
- 始皇帝、特に周りの人物は外国と縁が深い
そんな中、荘襄王や始皇帝は秦の君主として秦人にも信用されねばならなかった
徐々に政治的傾向が行き違い対立に至るのは当然と言うべきか
- 253 :
- しかし子楚の異人は色々考えたくもなるな
どんな経過であんな名前つけたのか
- 254 :
- 呂不韋が本当に始皇帝の父親だったのかは微妙だよなあ
始皇帝を貶めるために作られた話っぽさそう
- 255 :
- まぁ中国の場合王権なんて誰が継いでもいいわけで
日本だと絶対に受け入れられない話なんだろうけどね
- 256 :
- >>254
結論からいうと恐らく嘘だろうと思われる。
まず史記は司馬遷が当時の史料を元に作ってるが
その中でも戦国策に拠った部分が大きいのな。
なのに戦国策にはその話が載ってない。
次に秦始皇本紀にないところも変。
そして十二ヶ月で時期が合わない。
以上から見るに、司馬遷は後にできた始皇帝を貶めている資料を参照したが
信憑性が微妙だったから本紀には入れなかった、というところが近いんじゃないか。
- 257 :
- 荊軻に薬箱をぶつけた侍医に「薬箱をぶつけて私を助けてくれたのは侍医が私を愛してくれているからだ」って言ったのを見ると
子供のころから誰からも愛されなかったんだろうなあとか愛に餓えていたんだろうなあと思う
- 258 :
- ケイカの待ってた信頼できる友人って誰だったんだろうな
しかしよりによって新婦用とかw
- 259 :
- >>258
秦舞陽は祖父が名将で知られた秦開だから
祖父の名声のおかげで孫も必要以上に名声が高まったんだろうなあ
- 260 :
- 荊軻「信頼できる友人を待ってます(うそぴょーんwこんな馬鹿げた任務引き受けられるかよw)」
- 261 :
- 七色ウォーターw
絶対ハズレ
- 262 :
- なのに長城築いたのは偉いわ
拡張主義の中華思想では斬新極まりない
- 263 :
- X1用ソフト 始皇帝 (dB SOFT) 1985年
http://ameblo.jp/koorogiyousyoku/entry-11900885435.html
- 264 :
- しかし、六国にとってはつくづく残念な話だよな
見かけ上は秦の国力は圧倒していたんだけど、
合従して20年ぐらい頑張っていれば、
始皇帝の死後、胡亥と趙高が秦を滅茶苦茶にして
秦の方が先に滅亡していたかもしれないのに
- 265 :
- そうなると皇帝の概念どうなるんだろうね?
- 266 :
- まかり間違えば、宇宙大将軍並の一発称号の可能性も。
で、王が最高位の称号のまま。
- 267 :
- 胡亥と趙高がメチャクチャすると言っても、
陳勝・呉広の乱でも、秦本国の動揺は少なくて、旧韓や郢近辺をきっちり抑えられてるから
秦を滅ぼせるところまではいかないんじゃね?
秦は昭襄王の時に八割方優位が確定しちゃってるから
秦が大崩れしたとしても五分五分に戻すのが精一杯じゃねーかな
- 268 :
- >>267
いや、胡亥さんは在位わずか三年であの破壊力だぞw
いくら不満が高まっていたからと言って、何百年もの秦国の基盤を持つ大帝国が滅亡w
マジで馬鹿の語源二人、パネェ
それに、項燕の孫の項羽が楚軍司令になる可能性が高いしな
李左車も李牧の孫って説があるし
張良だって韓の宰相になるかもしれん
さすがに秦攻撃の一本化は難しいかもしれんが、あのコンビが秦をしきっている限り、
全土の半分が秦の状態でも、年数が少し延びるだけで終わりなんじゃないかと思う
- 269 :
- 日本が鳩山菅直人の2年でほぼ壊滅したのと一緒だな
- 270 :
- >>269
全く違うよ。日本の崩壊は安倍の下これからが本番。
- 271 :
- >>262
始皇帝に負けた後の匈奴軍は
周辺部族を取り込んで巨大化し匈奴帝国軍になったから
- 272 :
- >>266
王が各地で乱立してる以上、その上の称号は皇帝じゃなくても生まれたろう。
既に東帝西帝があったし。シャーハンシャーに当たるものはどこもあるし。
- 273 :
- >>264
趙高は始皇帝が生きていた間は悪事を働いていたという記録がないよな
やはり勝手な真似はできなかったと考えるべきなのか
>>268
扶蘇が後継者になっていれば長期政権になっただろう
始皇帝が弟の成蟜を攻め滅ぼしたように扶蘇が胡亥を殺していれば秦も長く続いたんじゃないかと思う
- 274 :
- 六国が滅び敵がいなくなったと思ったからこそ趙高が好き勝手をやったのだろう
趙高も自分が宮廷の外のことに関して何もわからない自覚はあっただろうから敵がまだ残ってる間は皇帝のお世話しかしないだろう
- 275 :
- 宮城谷さんは「始皇帝が呂不意の息子だというのは中傷だ」という説をとっていたけど、俺も同意だな。
司馬遷は漢の人間だからね。
- 276 :
- 始皇帝が民衆に嫌われていたから、始皇帝が本当は秦の王室の一族じゃないみたいなデマが作られた
あるいは漢が秦を貶めるために作られた話なんかじゃないかなと自分は思ってる
- 277 :
- 中国の場合血ってあんま意味ないのな
易姓革命の国だから
その点継体天皇による王朝交代がタブーの日本とは根本的に違う
- 278 :
- >>276
俺もそう思う
- 279 :
- 話としては面白いんだよなぁ
でも一番人気の水滸伝からして下衆い話だ
セレブにまつわる下衆話だよ、大衆は文字通り下衆い
- 280 :
- >>277
継体天皇が天皇の血筋じゃなかったかどうかなんてDNA鑑定でもしないと確かめようがないからなあ
応神天皇の子孫って言われてるんだから、とりあえずはそれを史実とするしかあるまい
- 281 :
- >>280
まぁ普通は信じないわな
スレチなのでこのあたりで
- 282 :
- 趙姫たんの下僕になりたい
- 283 :
- そういえば清王朝末期に革命派が国名どうするかで結構議論があったそうだけど
「大秦」は国名の候補にならなかったのかな
一応「支那共和国」ってのは候補に挙がっていたそうだけど
他には「大夏」「中国」「夏華」「大中華帝国」とか候補があった
中国大陸を統一する国家の国名が漢字2文字ってのも何だかって気がするし
中華思想的に漢字1文字の王朝が漢字2文字の周辺国の王朝より格上の考えがあるから
「大秦民国」或いは「大秦共和国」とかでも
良かった気がするんだよな・・・
- 284 :
- >>283
今でこそ秦始皇の評価は高くなったが、清辺りまでの王朝の秦始皇に対する評価は民と文(儒)を虐げた暴君。
大陸で最初に「皇帝」の称号と後世の帝政の基本ラインを創始した人物であるにも係わらず、各王朝でも先朝の名君を顕彰し祀る廟にてただの一度も祭祀対象に選ばれなくて
常に皇帝としてやっちゃいけない見本としてしか見られてなかった。
主君がやたら宮殿を建てるのに執心した時や、仙薬・金丹を飲みたがり仙人のような異人を求めたがると臣下が決まって
「恐れ多くも皇上に於かせられては、秦の始皇帝の末路をお忘れでありましょうや!」
と諌言するような案配で。
清末の知識人には当然それがデフォだったから、そんな考えは全く涌かなかったと言えるんでないかと。
まして帝政廃止後の民政国家を目指すのに、大陸最初の帝政国家の国号を使ったらマヌケの謗りを免れなかったんでは。
- 285 :
- 周の王室って最後どうなったの?始皇帝との関係は?
- 286 :
- 最後の王の頃にはその影響力は王畿(後の洛陽周辺)にしか届かなかった。それが更に東西に分裂して
東周君と西周君が勢力を争った。周王は西周君の武公を頼る事にした。
昭襄王の時に、武公は韓と交戦中の秦軍にちょっかいを出して攻撃されたので、秦に出向いて謝罪して
領土を献上した。周王もそのまま秦の保護下に入った。やがて王が崩御すると秦は王畿を占領して
九鼎を運び去った。かくて周の王室は滅んだ。
東周君はその後も7年続いたが、最後は秦に滅ぼされた。始皇帝の父の荘襄王の時の事だ。
九鼎は「鼎の軽重を問う」の故事に出てくる鼎で天子の象徴。
- 287 :
- 秦の領土に住んでいた住民が秦氏を名のっただけで
始皇帝や王族と血族的な繋がりはないぞ
日本に来た秦氏だって自称であって・・・
- 288 :
- 30年前のゲーム
X1用ソフト 始皇帝 (dB SOFT) 1985年
http://ameblo.jp/koorogiyousyoku/entry-11900885435.html
- 289 :
- 司馬遷って蒙恬に厳しいけど、道路作りまくったのは
皇帝の命令だから蒙恬のせいじゃないよね。
- 290 :
- それ長平の40万生き埋めが影響してると思う
- 291 :
- 長平の生き埋めはむしろ司馬錯(司馬遷の先祖)の子供当たり
が関わったことじゃないの?
- 292 :
- 昭襄王二十二年に出てくる蒙武って蒙恬の父とは別人?
- 293 :
- 思考停止ね
- 294 :
- スレも停止
- 295 :
- 「皇帝」が王より上の称号として意味があったのはせいぜい
三国時代までだな。魏晋時代終わって乱用されまくってからは
超サイヤ人のバーゲンセールみたいな下品さを感じる。
- 296 :
- 皇帝より宇宙大将軍
- 297 :
- 始皇帝が趙高を処刑さえしてれば秦は滅ばなかっただろ。
- 298 :
- 宦官は割と広い地域と時代にあったシステムだが、
どこのどいつも俺たちうまい事考えたわ!って思ってたからなかなか斬る事ができない
- 299 :
- >>297
本当に実在の人物か?と思うが
勉強してないんでわからないので、誰か教えて
- 300 :
- 宦官は何時頃からいたんですか?
- 301 :
- 少なくとも春秋時代には居たと思われる。管仲が自分の後釜について
出世するためにチンコ切るような奴はやめとけと言い残してる。
- 302 :
- 始皇帝って暴君のイメージだけど意外に臣下を誅殺してないよね。
坑儒された学者はまあアレだが。
- 303 :
- 始皇帝って王族の血を全くひいてないよなw
- 304 :
- 始皇帝って遺体出てきてもDNA鑑定する相手がいなそう・・・
- 305 :
- なんでそう思うんだ?
科学って科学自体が目的だから、倫理とか超えて何でもするよ?
>>302
あくまで「都合の悪い奴はR」って合理的判断だからな
儒教徒なら何でも殺したわけじゃないし
- 306 :
- 秦の王墓から他に遺体出てきてるっけ?
- 307 :
- >>302
晩年の記述がない、李信や王賁が実は…は、ないよね?
- 308 :
- 李信は楚での大敗考えれば後々「そういやお前あの時
自信満々に10万で十分って言ってボロ負けしたよな?」
ってぶり返されて処分されてもおかしくないなw
蒙恬が出世してるからまぁ大丈夫だとは思うが
蒙家出身の蒙恬と他国者の李信じゃ扱いが違っても不思議ではない
- 309 :
- 李信の祖父崇は秦の隴西守、父瑶は狄道侯という名門だったらしいが・・・
- 310 :
- 系図だと李信の息子の李超が漢の大将軍になってるんだが・・・
漢に寝返った可能性はあるよね。
- 311 :
- 楚ではオヤジが大敗して新滅亡寸前まで追い込まれて
息子は漢に寝返ったのなら最悪だなw
- 312 :
- 別にいっぺんくらい楚に大敗しても秦には
大きな影響はない。
李信は燕・斉の平定にも活躍してるから罪に
問われることはないだろう。
- 313 :
- 俺の妄想ストーリーでは始皇帝死→二世即位→李信刑死→息子逃亡し秦に復讐誓う
となっている。
- 314 :
- ころされそうになったのは誰だっけ
張良
近づいて刺そうとした人、かんい?
あと誰いる?
- 315 :
- >>314
>近づいて刺そうとした人、かんい?
荊軻のことか?その友人の高漸離も暗殺未遂事件を起こしてるけど。
- 316 :
- そうそう、けいか
合計3人?
- 317 :
- >>11
北海道で太極拳やってる左翼の山岸正史は在日朝鮮人です。
- 318 :
- 始皇帝の墓を掘らないのは石弓とかの仕掛けを恐れてるからですかいの〜?
- 319 :
- 名君四天王 光武帝、李世民、趙匡胤、康熙帝
暗君四天王 西晋の恵帝、高緯、陳叔宝、万暦帝
暴君四天王 始皇帝、煬帝、朱元璋、毛沢東
- 320 :
- キングダム芸人
- 321 :
- 中国王家のハプログループ、大幅改訂。
殷 O1b1−M95(O2だという説も有力。殷の王族は十支族いた)
周 O2a2b1a1−M117(この子孫は大繁栄した)
秦 O2a2b1a1a−M133(確定)
項羽 O2a3b−M7
漢 O2a1c−022611
曹魏 O1b−M268(O1bだと確定してますが、O1b1なのかは未確認)
孫呉 O2−M122(O2だとしかわかってない)
晋 O1b−M268(謎)
北魏 O2a2b1a2−F444(どうやら北魏の鮮卑の拓跋氏の子孫はO2のハプロのようだ)
隋 O2a2b1a1−M117(周王室と同祖)
唐 O2a2b1a1a−M133(始皇帝と同祖)
宋 O2a2b1a1a−M133(唐と同祖)
モンゴル帝国(元) C2e1a1a−C407(有名なチンギス・ハンのハプロ)
明 O1b1a1a1a1(O−M111)
清 C2b1c1−C401(ヌルハチのハプロ)
孔子 曲阜孔氏の男1,118名のうちC2:46%、Q1a1a1(Q−M120):27%、O2(O−M122)20%、その他6%
- 322 :
- 朝鮮王家のハプログループも推定を交えつつ改訂。
箕子朝鮮 O2a2b1a2(F444、北魏と同祖、殷王室に連なると伝承、伝説的王朝)
馬韓 ?
辰韓 ?
弁韓 ?
高句麗 O2a1c(漢皇室と同祖)
新羅 3王家(朴氏:O1b2a1b、昔氏:日本生まれ、金氏:C2e2)交替で王位についた。
百済 O2a1b1a2(O−F444)
高麗 O2a2a(O−M188)
李氏朝鮮 O2a2b1a2b(O−F743)
北朝鮮 ?
- 323 :
- っていうか、始皇帝のウィキ見てると、どう見ても、名作小説になる予感しかしない。
中国史は中国人に任せ、日本史の格好いい話を作るべきだと思っても、
周王の軍師太公望の赴任先である斉の国が商業を重んじ、侵略を戒め、豊かな国となり、
始皇帝とも戦うことなく降伏したのは、太公望から伝わる偉大な思想の伝承によるとしか思えない。
始皇帝が天下を統一したのは法律を重んじたためで、
始皇帝を暗殺しようとして失敗した張良が軍師となって劉邦が始皇帝なきあと天下を統一するのは劇的すぎる。
始皇帝が海を見たという逸話も好きだ。
- 324 :
- 大物がいっきにきたああああああああああああああああ。
秦氏、観阿弥、世阿弥、長曾我部元親がO2漢民族、確定。
聖徳太子の側近として活躍した秦河勝のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1a(O-M133)であると推定される(注1)(注2)(注3)。
秦河勝の子孫としては、楽家の東儀家、猿楽の始祖観阿弥・世阿弥親子、四国の戦国大名の長宗我部元親・長宗我部盛親親子などが知られる。
秦氏は、やっぱり、始皇帝の一族だったんだね。
秦氏は、稲荷神社の一族だから、繁殖していると思うわ。
稲荷神社のハプロタイプが確定。
- 325 :
- 東条英機は、観阿弥の子孫だからO2の漢民族だってよ。
- 326 :
- モンスターストライクというゲームで、始皇帝が万里の蒼竜として出ているようだ。
めっちゃ強いらしい。
だが、始皇帝は水徳であって、玄武系なんだよな。
周王朝が白虎系で。
漢皇帝が蒼竜系なんだよ。
この辺はしっかりした方がいいと思うね。
黄帝:土徳。黄龍系。
殷:火徳。朱雀系。
周:金徳。白虎系。
秦:水徳。玄武系。
漢:木徳。蒼竜系。蒼天既に死す。
黄巾族:土徳。黄龍系。
という流れがあるんだと思う。
- 327 :
- 荀子の弟子の李斯が焚書坑儒を勧めたのはひどいな。
- 328 :
- 今まで虚偽を記載してすいません。最新調査結果です。殷周が確定。
殷 Q1a2(QーM346)(殷の王族は十支族いた。最後の紂王のY染色体ハプロ)
周 Q1a1a1(Q−M120)
秦 O2a2b1a1a−M133
項羽 O2a3b−M7
漢 O2a1c−022611
曹魏 O1b1a2a−F993
孫呉 O2−M122(O2だとしかわかってない)
晋 O1b−M268(謎)
北魏 O2a2b1a2−F444(どうやら北魏の鮮卑の拓跋氏の子孫はO2のハプロのようだ)
隋 O2a2b1a1−M117(要再調査)
唐 O2a2b1a1a−M133(始皇帝と同祖、要再調査)
宋 O2a2b1a1a−M133(唐と同祖、要再調査)
モンゴル帝国(元) C2e1a1a−C407(有名なチンギス・ハンのハプロ)
明 O1b1a1a1a1(O−M111)
清 C2b1c1−C401(ヌルハチのハプロ)
- 329 :
- >>327
李斯はわりと真面目にクズだと思う
同門韓非子の殺害、推挙人呂不韋の見殺し、太子殺害あの最期は納得
そういや九州国立博物館で兵馬踊展やってる
- 330 :
- エリートや知識層を選別して虐Rる系統はもれなくカス
カンボジア虐殺
文化革命
四川虐殺
焚書坑儒
ある種の異常者に権力を与えるとエリートを殺して回る本能が出るらしい
- 331 :
- 李斯は能吏だとは思うが人を思いやる心がなかったんだろう。
秦の人物にはそんなヤツが多い気がする。
- 332 :
- http://www.o-japan.com/?q=%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D
- 333 :
- カエサルと始皇帝ってどっちがすごいの?
- 334 :
- カエサルよりナポレオンのがずっと権限強いんで、ふたりを並べてる連中に対しては全員無知の烙印を押していい
東アジアの精神的制度的領土的基盤作ったって意味で始皇帝は最強
(ただし異民族に対する妥協は考慮に入れるべき。中国は統一できたが東アジアは統一できなかった。
まぁ、欧州の民族大移動の原因のさらに原因だから結局誰も敵わなかったわけだが)
でも、毛沢東の方が皇帝よりもさらに権限強いw
もっと言っちゃえば、アラブ世界のが世界史に与えた影響強いんじゃないかな?
経済も科学もここからだし
- 335 :
- 俺の個人的な意見としては始皇帝は歴代の秦王が積み上げてきた仕事の仕上げをしただけで
「最強」ではないと思うけどね。
- 336 :
- 始皇帝スレ住人で祖先解析しましょ。秦氏かどうか調べるぞ。
追追追追記。
日本深層心理学協会DNAプロジェクト
http://www.dna-type.com/
ここが最もおすすめなY染色体ハプロの祖先解析の代行会社です。
29800円でGENO2.0nextができます。
注文すると、GENO2.0のキットを郵送してくれますので、郵便局にもっていって返送して、
結果は、GENO2.0のサイトをネットで検索してIDを登録して見れます。
DNAの解析結果は、正確にはインターネットのビッグデータにはのりますが、
一般人が閲覧できる媒体に住所や氏名が出ることは、結果が出た後、
ファミリーツリーに転送して、ハプログループプロジェクトに参加する時、
「公開」を選択しないかぎり公開されませんので、できれば本名で正確なデータを入力するとよいでしょう。
- 337 :
- >>335
即位した時点で他の六国を圧倒する国力持ってたもんな
歴代の覇王たちに比べると2ランクくらい落ちるわ
あと自分は戦場に出ないくせにやたら好戦的なのもマイナスポイント
- 338 :
- 2ちゃんの人類学板と考古学板を壊滅させた荒らしは、
どうやら横浜在住のおじいちゃん、Y染色体ハプロO2らしい。
ガラパゴス史観のホームページのブログ主のようだ。
ブログ主は以前から漢民族が武士階級だったと書いていたが、
事実が異なり激しく縄文人を敵視したようだ。論文を何百と読んでる人。
人類学板と考古学板を壊滅させた荒らしは、
漢民族系の日本人だったようだ。
- 339 :
- この点はろくに指摘されないが、アショカ王と始皇帝は絶対ある
というかアショカ王の覇権と、テクノロジの影響でしんはできた。
同時代でアショカの死ぬ晩年はお互いの存在を認知してたんだろうな。
アショカ王は鉄、テクノロジ、文字、暴力主義で支配を作った。
そして「既にモチーフがあるかのように」始皇帝は支配差体制のための新しいシステムを悩むことなく考え出した。
また、「アショカ朝の不完全性を克服したかのような」完成形王朝をしこうていは作ってる
1 アショカ王の東西覇権はゆうめいであり、その雷鳴は西域、アラブまで響いて、必然的に武力的脅威対抗のため強い勢力が生まれるのは当たり前
2 暴力主義とテクノロジなど王政システムの模索において近似性が同じ
アショカピラーとアルミ剣などあのインドとシナの中間帯は鉄器文化が古くから栄えていたがそれの後衛的影響に思える。
つまり両国は両国国境の優れた鉄器文化集団を有効的に使った
3 アショカ王体制は模索的、未完的だが、始皇帝はそれを改善、アレンジしたかのように文化やシステムが完成形でありながら
またアショカ王をモチーフにしたからこそ、識字と鉄器と蛮制を行使するにおいて試行錯誤がなく答えを知ってるかの如くその方法論でアプローチしてる
4 始皇帝とアショカ王の体制は前記と後期、まるで継承朝のようにアプローチ、テクノろじがつながる
始皇帝はアショカ王の影響を受けてる。幼年代は違うだろうが、成年後の覇権事業においてまた理論的なアプローチを模倣して
そしてアショカ王に対抗する大勢力を作ることを安全保証の目的としてる
また焚書こうじゅも仏教の台東ど伝染で暴虐性をなくしたアショカ王を見て「宗教の伝染が王を制約する」とみて
その宗教ブームや宗教的反乱主義に対抗する企図でこそ焚書こうじゅを行えた。
- 340 :
- 実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。三宅洋平の得票では、
豊島区ではなんとゼロ票
中央区ではゼロ票。
江東区ではゼロ票、
荒川区ではゼロ票
足立区ではゼロ票
通常、こんなことは考えられない。
慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。
- 341 :
- >>146
そうだね。豊臣秀吉も含めて権力者の悲哀だよ。
- 342 :
- 今でもどの分野でも頂点極めると、その瞬間から自分との戦いになるからな
始皇帝の非人間的エピソードは同時に人間的だわ
歴史に名を残す名キャラクターとしか言えない
- 343 :
- >>342
死んだ後のことを準備してないところはイケイケオーナーにありがちだが、その最強版だからな
- 344 :
- えい政の過酷な事業うんたら、大量虐殺って物理的にありえないから嘘だな。
えいせいの虐殺など根拠説ってデマゴーグ+大規模建造を前提にしてる。でも当時の墓と万里の長城は簡素な作りで工数的な負担が少ないため
当時のチャイナの成人を身長150cm、日量食料1500カロリー、小学生並の運動力と仮定しても長城1立法メートル区画は1日で10人で作れる(現代ならば原始的な工法のみでやっても3-4時間で5人で作れる)
1メートルでこのペースなら常時1万人で日量1km、年間3000km、15年で全工数は完成する。
常時動員1万人未満、総動員数200万(日割)である。墓についても工数的に1万人で数年でおおよその土木作業は完成し
人形についても10人が10日で一体、年30人、10年で300人であり、作業員が300人いれば10年で全部作れて工数は少ない
泡級も同様
つまり10年で全て作るにしろ、動員技術者1000人(識字階級)、労働員1-1.5万人で十分足りるため、それほど負担はない。
大土木というが工数的にそれほど負担にならないため、大土木=人口500万の50万動員をしたから大負担という史観は滅列で誤り
実際は監視などの兵員も必要だが規模的に建設監視兵団は合計2000-3000程度で済む。税的な負担の意味でもそれほど大事業にならない
むしろ事業や工数的に4世紀の日本の古墳のほうが遥かに工数や負担が大きいため、労働負担、労使としては秦の土木建設は労働力、経済負担面でたいした負担ではない。また労役の負担量もそれほど過酷ではなく
エジプトのピラミッドのように実はたいした負担なく雇用として成立したとみなせる
漢や後の万里も同じ
むしろチャイナ社会最大の建設事業は明の造船及び土木事業であり、これは石の切り出しが必要で倍数倍的な建設要員が必要であり、
人口対動員数では明の万里の負担のほうが遥かに大きく独裁死刑法もあわせて独裁嫌疑が巨大
但しこれにしてもむしろ雇用としての成立と呼べる。むしろ同時期の日本の建城のほうが遥かに負担は大きいが、これも負担でなく不満も少なく事業だった
(日本の場合は原則個人の食料消費も身長も品より遥かに多い生産的余力でできたわけだが)
比率的には秦の時代は対人口.2%の建設動員
古墳時代は対人口.5-1%の建設動員
明は対人口.5%の建設動員
戦国時代は対人口2%もの建設動員である
よって秦の建設は負担でなく通常の近代化インフラ公共事業であり、産業雇用制作であり、むしろそのインフラを放置して日本よりインフラ投資が少ないから進化に遅れた
日本の戦国ー江戸の建設事業は国力的な進化の意味なんだよな。
実は戦国ー江戸時代ってのは土木作業員の人口比が日本史で最大の時代で、戦後のインフラ開発よりも対人口土木比率が高かった。
戦国時代は兵力を平時はまんま建設動員にまわして常時50万人が建設従事してた。
- 345 :
- 中国の周、中原史観ってのがそもそも神話的脚色だらけで、非考古学的な嘘に満ちた寓話
まず中国の人口や経済のおこりは多地域的で先に起きた
夏→周という人口圏はもっとも大きくなりはしたが、当時人口が少なく、商周戦争は小人口間なのでお消えず
そもそも周集落じたが商の延長として開拓されて並立したのが正しい歴史
そして周王朝なるも実在せず、周が人口圏の一つであっただけ、そして春秋ー戦国期に各地域人口増えて衝突が置き始める
その中で、勢力、人口は秦系と周系が二大勢力で、これ根拠は考古学的な農業開発の証拠と
当時の開拓地、産業技術で主要人口圏はほぼその地域で残りはおまけ地域だった
秦は実は最初から人口面、政府面で最強最大国家の地位を確立してて、その他地域は実質ただの部落首長連合にすぎず
大規模国家的措置が取れずに力押しで必然的に惨敗した
そもそも始皇帝以前の段階で秦は中原最大中央農業圏であり、生産+人口+道路交通の中央+馬をたくさん持つ+王国を有する
と国家対集落、文明対未開人の戦いで圧倒的に最初から国力リードして勝てた
その他の地域はただの首長と小規模豪族の集まりで、国家的大規模戦争を行う力がなくて惨敗した
最初からの文明力の一方リードで秦は勝つ
また始皇帝巡業とか言うけど、あれどちらかといえば、監視+旅行+道路開発事業の調査などのためにやってたんだよな。
あれ公共事業だった
- 346 :
- 始皇帝はイヴァンと並ぶ英雄だな。
そして両方母はおかしかったが、始皇帝は母を処刑して見向きもしない
イヴァンは妄想の中では母を肯定、崇拝してた。そもそも異常に家族愛が強すぎたからこそ
「この流血と裏切りの時代を生きていけないから」薄弱の息子を徹底して折檻して暴行をした。
けどそれは異常な歪んだ家族愛から息子を守るための処置だった。結果望まなかった行為で息子をころして
そのまま死ぬまで心神喪失状態になる。
始皇帝は文学的な要素や研究要素で面白がられる。一種の哲学であり、けんきゅうてき
そして面白いことに中国の明以前の人物ではもっとも考古的な証拠も多いからしばしば議題に登る
そして始皇帝が正しくて、ほかが間違ってたのが明白な中国史だから英雄扱い、再評価される
これ信長再評価と同じ
- 347 :
- 始皇帝は歴史上官僚の増長のために悪役かされた
@異常な武漢アンチマンの司馬の憎悪、ヘクトクライムのために積極的に悪役化された
(しきは司馬の異常な復讐憎悪、盲導からくる権力批判説を絶対化するために歪曲されたパライノイズム)
A劉えんの乱の時、その暴政→滅亡する様を側近すら「紂王のような〜」と批判
B官僚権力拡大で王を批判する道義と官僚権限説の根拠で肥大化
そういうもんな
つまり今日の始皇帝評価は実は「文化大革命」に端を発して改定された歴史評価(但し古来の秀才だが馬鹿な王や官僚は始皇帝を肯定した→無論大批判される)
というか日本の信長工程説はいわゆる欧米ヘゲモニズムに端を発してるんじゃなく
始皇帝再評価論に端を発したもんだ。日本の戦後の始皇帝評価説→三国志第二次(横山)ブームに端を発してそうそう評価説ができて
そこからやっと信長評価になる
むしろ保守派じゃなく左翼?歴をた?に端をはっする新保守はありきで信長評というのが生まれる
完全に文革→始皇帝再評価→そうそう再評価と三国志ブームありきで信長人気が生まれる
- 348 :
- なんつー悪文
- 349 :
- 見方を変えれば、700年以上続いていた秦国が滅んだ実質的な元凶だしな…
領土拡大と引き換えに、怨嗟という名の借金を積み重ね
次の代で破産したという感じ
- 350 :
- この差って何ですか?★1
- 351 :
- 中国英雄板全般に言えるが、議論の前提が古いな。史記とか左伝とか、後世にまとめられた伝世文献のことしか知らないで話をしてる。
今や秦と同時代の竹管とかボコボコ発掘されて解析されてる時代だぜ(出土文献)。
始皇帝の何百年も後に書かれた史記なんぞより同じ時代に書かれた竹管文書の方がよっぽど信頼できる。当たり前の話だけど。
出土文献によりば故劾を二世に指名したのは始皇帝自信。また、厳しい法治を行ったというのも幻想で現場役人は現地習慣とのすり合わせで苦労していた。
- 352 :
- >>351
当時の役人向けの判例集があるけど
今から見ても割りと普通の内容なんだよな
- 353 :
- 山本伸一の一行は、中州賓館に一泊することになり、宿舎に移った。
突然の訪問にもかかわらず、中国人民対外友好協会の河南省分会の関係者が、熱烈歓迎
してくれた。
夜には、食事を共にしながら、歓談のひとときがもたれた。
伸一は、河南省分会の責任者に言った。
「雷雲のために、憧れの鄭州に泊まることができ、こうして新しい中国の友人と出会えま
した。雷雲に心からお礼を言わなければなりません」
笑いが広がった。
鄭州の人びととの、せっかくの出会いである。伸一は、この機会に、未来にわたる強い
友誼の絆を結ぼうと思った。
それには胸襟を開き、どこまでも誠実と情熱を尽くし、魂と魂の触れ合う対話をするこ
とだ。
語らいは弾み、河南省の文化や歴史について話に花が咲いた。そして、三国時代には、
中原は魏の国の曹操が制していたことから、話題は「三国志」に移っていった。
伸一は語った。
「私の恩師である、創価学会の二代会長・戸田城聖先生は、『三国志』などを青年に読ま
せ、指導者論や人間学などを講義してくださった。
その先生がお好きであったのが、蜀漢の名宰相・諸葛亮孔明の晩年をうたった、『星落
秋風五丈原』の歌でした。
これは、日本を代表する詩人である土井晩翠の詩です。
今日は訪中団の青年たちが、皆さんにこの歌を披露いたします」
拍手が起こった。
同行の青年たちが、立ち上がって歌い始めた。
- 354 :2019/05/25
- >>351
趙高に唆されて遺勅を改竄するのは李斯らしくない
胡亥を後継とするのは李斯側の望みだったという趙正書の方がしっくり来る
lll初代llll 始皇帝 lll皇帝lll
秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察
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