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【ヘリ搭載】いずも型護衛艦150番艦【護衛艦】
民○党類ですがミリオタが減ってました
ロシア周辺・旧ソ連圏スレ ワ無41
海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術31
民〇党類ですが本家にそっくりです
初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 900
民○党類ですが透明飲料です
【軍事】 - 新・戦艦スレッド 78cm砲
中国軍ってほんとに強いの?
民○党類ですがはめられた可能性

第一次世界大戦について語るスレ 6


1 :
日本では知名度がイマイチの第1次大戦について語りましょう。
話題に詰まったら、ロシア内戦、シベリア出兵、大戦前後のバルカン半島情勢
などについてもいいと思います。

過去スレ
第一次世界大戦について語るスレ 5
http://mevius.2ch.ne...cgi/army/1458301249/
第一次世界大戦について語るスレ 4
http://echo.2ch.sc/...cgi/army/1400495608/
第一次世界大戦について語るスレ 3
http://toro.2ch.sc/...cgi/army/1292297560/
第一次世界大戦について語るスレ 2
http://toki.2ch.sc/...cgi/army/1242384029/
第一次世界大戦について語るスレ
http://anchorage.2ch...cgi/army/1203329549/

関連スレ
第一次世界大戦の航空機を語るスレ [無断転載禁止]c2ch.sc
http://echo.2ch.sc/...cgi/army/1454333648/
ここだけ第一次世界大戦前夜なスレ
http://echo.2ch.sc/...cgi/army/1403982223/
【欧州の】第一次世界大戦【没落】4
http://yomogi.2ch.ne.../whis/1406481537/l50
WW?のAFVキットについて語る(2)
http://yomogi.2ch.ne...mokei/1312207588/l50
【張り線】WWIの航空機模型【複葉機】Part3 [無断転載禁止]c2ch.sc
http://yomogi.2ch.ne...mokei/1453658829/l50

2 :
新スレありがとうリンク死んでるから貼るわ
過去スレ
第一次世界大戦について語るスレ 5
http://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/army/1458301249/
第一次世界大戦について語るスレ 4
http://echo.2ch.sc/test/read.cgi/army/1400495608/
第一次世界大戦について語るスレ 3
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/army/1292297560/
第一次世界大戦について語るスレ 2
http://toki.2ch.sc/test/read.cgi/army/1242384029/
第一次世界大戦について語るスレ
http://anchorage.2ch.sc/test/read.cgi/army/1203329549/

関連スレ
第一次世界大戦の航空機を語るスレ [無断転載禁止]c2ch.sc
http://echo.2ch.sc/test/read.cgi/army/1454333648/
ここだけ第一次世界大戦前夜なスレ
http://echo.2ch.sc/test/read.cgi/army/1403982223/
【欧州の】第一次世界大戦【没落】4
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1406481537/
WWTのAFVキットについて語る(2)
https://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/mokei/1312207588/
【張り線】WWIの航空機模型【複葉機】Part3 [無断転載禁止]c2ch.sc
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/mokei/1453658829/

3 :
◆コピペ用アルファベット表(sjis版)

 E' A` E` U` A^ E^ I^ O^ U^ E" I" U" C, OE

 e' a` e` u` a^ e^ i^ o^ u^ e" i" u" c, oe

4 :
WW1でなんと日本がフランスに駆逐艦を輸出してたって、俺は少なくともびっくりした。

5 :
フランスは海軍工廠をみんな陸軍向けの生産に稼働させてたからな
そのせいで主要戦勝国で第一次世界大戦開戦時と終戦時で比べて艦艇数が減っている唯一の国だった上に
ワシントン海軍軍縮条約の時にどちらにせよ制限まで作れる見通しも無かった

6 :
スレ建て乙です

7 :
やべえいよいよ悪名高き大木毅が第一次世界大戦関連の書物に参加してきてる
ルーデンドルフについてクソみたいな記事書いてるしバカッターにも投稿しまくり
2次から追い出される同然の扱い受けたからってこっちくんな

8 :
一物

9 :
>>7
ツイッター見てみたけど、第一次大戦時のドイツのひずみがルーデンドルフに集約されてるって言ってるやつのこと?

10 :
まあ皇帝権と統帥権を利用して軍隊が政治を掌握する、
軍事独裁政権というものを発明した人ではあるからその扱いも間違ってはないんだが

11 :
まあルーデンドルフがいなかったらもっと早い時点でドイツはつぶれてたはずで
かといってルーデンドルフがベルリン革命鎮圧して議会潰してたら
WWIIの結末が27年早く現実になるだけということでもあるんだがね(ドイツ本土が焦土&列強による分割統治)

12 :
ルーデンドルフに影響された日本の若手陸軍将校が見事に日本を潰してくれた

13 :
>>11
ルーデンドルフが議会を潰して、継戦しても、東西挟撃が無いからなあ。
当時の米国にどれほどの覚悟があるか?
まあ、ルール地方が荒らされたあたりでルーデンドルフ失脚か暗殺の流れになるような気がする

14 :
>>13
アメリカがドイツを悪の帝国というプロパガンダしまくってって方向はあり得ると思う

15 :
米軍がフランスに展開しきってもフランス軍の半数程度を超える事は無いと思うからアメリカが主導権を握る事はどれだけ戦争が継続しても無い
フランス軍は第一次大戦でも第二次大戦西部戦線に100個師団いるけどアメリカ軍は第二次大戦の西部戦線の最大時でも50個師団程度

16 :
むしろ議会を潰すとアメリカの介入の口実が立ってしまう問題
専制体制を倒してドイツの民主主義を救えという

17 :
アメリカが飛行機や戦車をどんどん生産してくれるってだけで百人力かと

18 :
第一次世界大戦ではアメリカはフランスから飛行機や戦車や機関銃や大砲をどんどん輸入して軍隊を組織してる
連合軍がアメリカに頼ってるのは爆撃機のエンジンくらい

19 :
今の流れって戦争が長引いたらっていう話だよね?
もうしばらくしたらリバティータンクが量産に入るころなんじゃない?

20 :
フランスの工場でね
アメリカはエンジンとかラジエーターとか内部部品の供給がメインでアメリカ
でリバティー戦車を大量生産するわけじゃないよ
アメリカの助け無しにプラン1919実行できるとは言わないけど

21 :
>>16
ドイツ・オーストリアがアメリカに対して講和を打診して帰ってきた答えが
「王政廃止・完全民主主義化」が最低条件だったからなあ

ドイツはもう完全に飲めないというか、民主革命かナチスと同じ民族ごと玉砕コース化のどっちかしかなかった

22 :
>>21
それは革命直前のマクシミリアンとウィルソンの電報でのやり取りだけだろ
14ヶ条にはそんなの入ってないしあえて交渉相手にアメリカを選んだのもドイツだし全然関係ない

23 :
1918. 6. 6
「ブリュッヒャー・ヨルク」攻勢中止

 この日までに連合軍はアメリカ軍2個師団を含む予備を展開して、マルヌ・エーヌの
ドイツ軍に連続した逆襲を開始していた。(米海兵隊のベロー・ウッドの戦いはこの
戦域での出来事である)

 ドイツ軍はこれ以上の出血戦を望まず、マルヌ戦域の攻勢を中止した。
 すでに戦略的勝利はドイツ軍の手からすり抜けつつあったが、少しでも戦術的な
勝利を収めて連合軍をすり減らすために、ドイツ軍総司令部は次なる攻勢を企図
していた。

24 :
1918. 6. 6
サロニカ戦線司令官ギヨーマ将軍召喚される

 バルカン半島の南端、サロニカ戦線では、ギリシャ国内の混乱が収まるのと並行して
攻勢の準備が進みつつあった。

 戦線司令官のギヨーマ将軍(フランス軍)は攻勢開始を本国にたびたび具申したが、
ドイツ軍の春季攻勢への対応に手いっぱいの本国ではこれを許可する状況になかった。
 また、フランス政府のクレマンソー首相はどちらかというと西部戦線至上主義であり、
イギリス政府の望むサロニカでの攻勢に批判的であった。
 この日、フランス政府はギヨーマ将軍を解任し、パリに召喚した。

 しかしギヨーマ将軍はあきらめず、当面は無任所となったのを幸いに、連合国
各方面にサロニカ戦線での攻勢開始に向けて政治的に工作をし始めた。
 良くも悪くもフランス共和国は民主国家であって独裁国家ではないという好例であろう。

25 :
1918. 6. 8
白軍、サマラにて暫定政府を樹立

 チェコ軍団の蜂起によって大混乱となったシベリアでは、チェコ軍団が打倒した地方
ソヴィエトの代わりに、各地でエスエルやカデットなどの反ボリシェヴィキ革命勢力
(白軍)が息を吹き返した。

 そのうちサマラに集結した旧制憲議会議員委員会は、自らをロシアの最高統治権
機関であると称して各地の白軍勢力に合同を呼びかけた。

 次第にヴォルガ・ウラルの白軍戦力はソヴィエト勢力に対抗する「東部戦線」を
形成しつつあった。

26 :
1918. 6. 9
「グナイゼナウ」攻勢発動

 連合軍の戦線は日に日に厚くなり、ドイツ軍が付け入る弱点は失われてきた。
 この日、「ミヒャエル」攻勢で得た突出部から南へ、「ブリュッヒャー・ヨルク」の突出部と
連結して戦線を短縮することを狙って、「グナイゼナウ」攻勢が発動された。
 しかしすでに攻撃は連合軍に読まれており、攻勢は5日間で阻止されてしまった。

27 :
アメリカはアメリカでイデオロギーでできた国家であることを忘れてる人が多いような
あの国は旧共産圏並みに王政廃止・民主主義化を世界に拡散することを国是にしてるところなんで
その一番影響が出たところが第一次大戦とも
第一次大戦で多数の王政国家が消滅したのはアメリカの意向という話

28 :
アメリカは第一次世界大戦でそんなに影響力は無いからアメリカの意向だけで世界を動かすのは到底無理
ちなみに当時共和制化した国のほとんどがモデルにしたのはアメリカでなくフランス
大統領と首相の権力構造を見れば明らかだが
アメリカを過大評価するのは典型的な第二次大戦後史観だろう

29 :
>>27
王政廃止はアメリカの意向というより、革命が原因かと
前世紀は戦争と革命の世紀だからね

30 :
昨日のハプスブルク家は面白かった

31 :
1918. 6. 10
オーストリア戦艦「セント・イシュトヴァーン」の撃沈

 アドリア海に潜むオーストリア・ハンガリー海軍は、戦艦部隊によるオトラント海峡突破
作戦を企図した。
 艦隊司令長官ホルティ少将に率いられた戦艦4隻を主力とする部隊は、6月8日から
9日にかけてポーラ軍港を出航し、オトラント海峡に向かった。

 しかし6月10日未明、哨戒行動をとっていたイタリア海軍の魚雷艇2隻がこの艦隊を
発見した。艇隊の指揮をとっていたのは、前年に旧式戦艦「ヴィーン」を撃沈していた
ルイジ・リッツォ少佐である。リッツォは直ちに攻撃に移った。

 魚雷艇はひそかに護衛艦艇の警戒を突破し、戦艦「セント・イシュトヴァーン」と
「テゲトフ」に魚雷を発射した。「テゲトフ」を狙った魚雷ははずれたが、「セント・
イシュトヴァーン」の右舷には魚雷2本が命中し、艦は大きく傾斜した。

 反対舷注水によって一時は傾斜を減らすことに成功したかに見えたが、浸水に
よってボイラーと発電機が停止し、ポンプが働かなくなったことで艦の運命は決した。
 艦は被雷から3時間後、午前6時5分に転覆し、ダルマチア中部プレムダ島の沖に
沈没した。戦死者89名。

 イタリア海軍に出撃を悟られたことを知ったホルティは全艦隊をポーラに退却させた。
 リッツォ少佐の魚雷艇隊は無傷で逃走に成功し、少佐は「ヴィーン」撃沈に続いて
2個目の黄金戦功賞を受賞するとともに、王冠騎士団勲章を受章した。

32 :
1918. 6. 12
ウクライナとソヴィエトの和平

 ドイツ軍によってウクライナから叩き出されたソヴィエト軍は、この日ウクライナ国政府と
和平協定を結んでウクライナへの干渉を停止した。
 ここに第一次ソヴィエト・ウクライナ戦争は終結したが、第一次大戦の終戦とともに
戦争は再燃することとなる(本スレッドではそこまで追い切れないが……)。

33 :
1918. 6. 15
第二次ピアヴェ川会戦

 ロシアの戦争からの脱落によって、同盟軍には兵力の余裕が生まれていた。
 オーストリア軍もイタリア戦線に多くの兵力を回すことができ、ここにおいてピアヴェ川を
突破する攻勢作戦が立案された。
 折しも西部戦線におけるドイツ軍の春季攻勢に対応するためにイタリア戦線の英仏軍は
多くが撤収しており、ピアヴェ川突破の可能性はあると見込まれた。

 しかし最高司令部は、同時にモンテ・グラッパとティロール戦線においても攻勢を行う
ことを決定した。これはティロール方面軍の司令官、コンラート・ヘッツェンドルフの強い
意向によるもので、最高司令部では二つの戦線の調整を行うことができなかった。
 かくして、1918年度イタリア戦線夏季攻勢は、ほぼ戦線の全延長にわたって行われる
こととなった。

 しかし攻勢は初日からつまずいた。山岳戦線の攻撃は堅固な陣地に阻まれて全く
進展せず、渡河作戦を行った部隊はイタリア軍の砲撃によって大損害を被った。
 残存する橋梁や浮橋によってピアヴェ川を渡河した部隊は、イタリア軍と激しい戦闘に
入った。イタリア軍は昨年秋とは違って機動性と柔軟性を兼ね備えた防御を行い、
適時に逆襲してオーストリア軍の前進を阻んだ。
 さらにイタリア軍砲兵は橋梁に砲撃を加え、オーストリア軍の補給線を脅かした。

 5日間の戦闘でオーストリア軍は10万を超える大損害を受け、やむなく全軍を
ピアヴェ川東岸に退却させた。23日にはピアヴェ川西岸は完全にイタリア軍支配下に
戻った。

 この敗北はオーストリア帝国の戦争能力の限界をも示唆していた。この戦いは
オーストリア・ハンガリー軍が行った最後の攻勢作戦となった。

34 :
1918. 6. 18
戦艦「スヴォボードナヤ・ロシア」撃沈処分

 ドイツ軍占領下にあるセヴァストーポリからノヴォロシーイスクに逃れたロシア黒海
艦隊であるが、ブレスト・リトフスク講和条約の規定に従って艦をセヴァストーポリで
ドイツに引き渡すことが決定された。

 モスクワのソヴィエト政府はこれに抗して現在地において艦隊を自沈させることを
指令した。
 艦隊の中の「ウクライナ派」はセヴァストーポリへの帰還と艦のドイツへの引き渡しを
主張したが、「モスクワ派」はソヴィエトの自沈指令の即時実行を主張した。

 結局艦隊は二分され、引き渡し派は戦艦「ヴォーリャ」(旧「インペラートル・
アレクサンドル三世」)に率いられてセヴァストーポリに戻った。
 自沈派は6月18日に駆逐艦「ケルチ」の魚雷で戦艦「スヴォボードナヤ・ロシア」
(旧「インペラトリーツァ・エカテリーナ・ヴェリカヤ」)と駆逐艦「フィドニシ」を撃沈
処分した。「ケルチ」はトゥアプセの港外で自沈した。

35 :
1918. 6. 19
フランチェスコ・バラッカ戦死

 イタリア軍の撃墜王、フランチェスコ・バラッカ少佐は、この日対地攻撃任務を与えられて
ピアヴェ川西岸丘陵地の敵陣地を攻撃した。

 バラッカは新米の僚機を上空警戒に残して低空に降り、敵塹壕を機銃掃射していたが、
ふいにその機は敵弾を受けて炎上し、モンテロの丘に墜落した。

 数日後、イタリア軍部隊が丘を占領した際に、彼のスパッド戦闘機の残骸と遺体が
発見された。頭に銃弾を受けていたこと、彼の拳銃が抜かれていたことから、彼は捕虜に
なるのを恥じて自決したものとうわさされた。生涯撃墜数34機。

 イタリア軍は、彼を撃墜したのはオーストリア軍の地上砲火であると発表したが、
オーストリア軍はアルノルト・バルヴィヒ少尉(機長、偵察員)とマックス・カウアー軍曹
(操縦士)のフェーニクス複座機の後部機銃が撃墜したものと発表した。

 Rーリの馬のエンブレムは、バラッカの戦死後に、バラッカの母が彼の紋章の
意匠を贈ったものと言われている。

36 :
>>35
バラッカの遺族が、Rーリに跳ね馬のエンブレムを贈ったって話は有名だけど、
実際には、エンツィオ・Rーリは勝手に跳ね馬を使い始めていて、
由来についてもっともらしいエピソードを語っただけって説の方が有力。

37 :
アルファロメオの丁稚だったRーリー
祝 アルファロメオ F1復帰
今はどちらもフィアット傘下だが

38 :
わちゃああ 眠くて3試合目は無理っす k
スイスにとっては待望の勝ち点3。ただ、ジャ
カとシャキリが見せたゴールパフォーマンス
が政治的意図を持っているとして物議を醸し
ている。同紙はタイトルに「ジャカとシャキ
リは政治的感受性が欠けている」とつけ、
「ジャカとシャキリがゴールパフォーマンス
でセルビア人を挑発した。彼らは、終わった
と考えられていた問題に火をつけた」と報じ
ている。

 ゴールパフォーマンスで見せたポーズは、
アルバニアの国旗に描かれている“双頭の
鷲”を意味する。ジャカの両親はコソボより移
民してきたアルバニア人で、兄のタウラン
ト・ジャカはアルバニア代表だ。一方でシャ
キリはコソボ出身。

 コソボは紛争の末にセルビアから独立した
国だが、セルビアは独立を認めていない。た
だ、アルバニア人が多数占めていることから
アルバニアはコソボの独立を支持している。
2014年に行われたセルビア対アルバニアの試
合で乱闘騒ぎが起き、没収試合になったほど
政治的問題は深刻だ。

 ジャカとシャキリは相手が他ならぬセルビ
アだったからこそ、このようなゴールパフォ
ーマンスをしたと考えられている。ただ、国
際サッカー連盟(FIFA)は政治介入を認めて
いない。今後、何らかの処分が下される可能
性はあるだろう。

39 :
1918. 6. 23
イギリス軍増援、ムルマンスクに上陸

 チェコ軍団による新東部戦線開設という希望を抱いたイギリス軍内の勢力は、北極海に
面した諸港を占領する計画に着手していた。

 また、旧ロシア軍を支援するために北極海諸港に送った戦争資材を、フィンランド
から侵攻する可能性のあるドイツ軍や、ボリシェヴィキ勢力の手に渡さないように守る
必要もあった。

 この見地から、イギリス軍は、3月にムルマンスク港に上陸させた海兵隊に加えて、
新たに陸軍部隊600を同港に上陸させた。

 この知らせを聞いたレーニンとトロツキーは激怒し、赤衛軍の一部隊をペトログラード〜
ムルマンスク鉄道によって派遣したが、27日に途中のカンダラクシャで阻止されてしまった。

40 :
つまり黒幕はスターリン

41 :
BS1 今夜00:00-00:50
豪華客船ルシタニア 沈没の真実

42 :
1918. 7. 1
フランス、チェコスロヴァキア国民評議会を外交主体として認知

 オーストリア・ハンガリー帝国内のチェコ人・スロヴァキア人は、トマーシュ・マサリクを
中心に西側連合国に対し独立支援を求める運動を地道に続けていた。

 おりしもソヴィエト・ロシアの単独講和によって停戦となった東部戦線に、ロシア軍捕虜と
なったチェコ人・スロヴァキア人からなる旧ロシア軍部隊「チェコ軍団」が残存し、マサリクら
と提携して連合軍の一部として行動することを求めていた。

 1918年の春いっぱい、ドイツ軍の西部戦線における大攻勢を受け、アメリカ軍はなかなか
到着しない情勢で、ヨーロッパに現存する戦闘主体として、チェコ軍団は大きな注目を
集めていた。
 英仏の一部には、チェコ軍団を基幹として対独東部戦線を再開する希望を持つ者も
いたのである。

 このような情勢下で、マサリクやベネシュらが組織する「チェコスロヴァキア国民評議会」
は西側連合国の間でアピールを続け、ついに7月1日、フランスのポワンカレ大統領は
評議会代表に対し外交官特権を与えると宣言した。
 これは国家承認への一里塚となりうるもので、チェコスロヴァキア国家建設への動きは
大きく前進したのである。

43 :
スペイン3-4ロシア PK
ベスト8進出 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! w
スペイン 対開催国4戦全敗更新!w
(・∀・)ニヤニヤ

44 :
1918. 7. 3
オスマン帝国の皇帝メフメト5世崩御

 この日、オスマン帝国の皇帝メフメト5世は73歳で崩御し、弟のメフメト6世が57歳で
即位した。皇帝の実権はなきに等しかったが、帝国の没落を予感させる出来事であった。

45 :
1918. 7. 9
ジェイムズ・マッカデン事故死

 イギリス空軍の第4位エース、ジェイムズ・マッカデン少佐は、この日英本土から
フランスの基地へ戻る途中に霧に巻かれて方位を失い、オクシ・ル・シャトーの
飛行場に臨時に着陸した。

 位置を確かめたマッカデンは再び離陸したが、不意にエンジンが停止し、マッカデン機は
その場に墜落した。
 マッカデンは頭蓋骨骨折の重傷を負い、野戦病院にかつぎ込まれたが、1時間後に
死亡した。生涯撃墜数57機。

 マッカデンが最後に乗ったS.E.5a戦闘機の風防ガラスはロンドンの帝国戦争博物館に
展示されている。

46 :
1918. 7. 10
シベリアにてホルヴァート政権樹立宣言

 チェコ軍団蜂起に伴ってロシア各地で反ボリシェヴィキ地方政権が乱立していたが、
極東においても中東鉄道(東清鉄道の改称)長官のドミートリー・ホルヴァート陸軍中将が
ウラジオストク郊外で東シベリア自治政府の樹立を宣言した。

 日本陸軍はこれを半ば公然と支援し、シベリアにおける日本利権の伸長の足がかりに
しようとしたが、情勢はなお混迷していた。

47 :
1918. 7. 12
戦艦「河内」爆沈

 徳山湾に停泊していた日本海軍の戦艦「河内」はこの日午後3時51分、にわかに右舷
前部主砲塔から、爆発の轟音とともに黒煙と黄色の煙を吹き出した。煙の噴出は煙突
からも起こり、艦は速やかに右舷に傾斜して、浅い湾内にて転覆沈没した。殉職者621名。

 村上格一中将を委員長とする原因究明委員会が編成されたが、確たる証拠はなく、
火薬の自然変質による爆発の可能性が高いとの推測を出すにとどまった。

48 :
1918. 7. 15
コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ辞任

 オーストリア・ハンガリー軍の開戦時の参謀総長にして現南ティロール方面軍司令官、
フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ元帥は、ピアヴェ川攻勢の失敗の責任を
取って司令官職を辞任した。
 後任には上級大将ヨーゼフ・アウグスト大公が就任した。

 彼の辞任には、開戦時の主戦論者であった彼を引退させることによって、国際的に
帝国の終戦意図を暗示するという意味もあった。
 長年の軍歴に報いる形で、皇帝は彼を伯爵に叙し、近衛連隊の名誉連隊長職を
与えた。

49 :
1918. 7. 15
マルヌ・ランス攻勢発動

 ドイツ軍はなおも攻勢の意図を失わず、「ブリュッヒャー・ヨルク」突出部の東に接する
ランス市を左右から挟撃して奪取する攻勢作戦を発動した。

 しかしこの攻勢も完全に意図が読まれており、さらにドイツ軍航空戦力の消耗によって、
連合軍は航空偵察が可能だったため、攻勢は初日から頓挫した。
 ドイツ軍は連合軍の多重防御を突破することができず、作戦は4日間で中止された。

 結果として、これが第一次世界大戦最後のドイツ軍の攻勢作戦となった。

50 :
1918. 7. 17
ニコライ2世一家殺害

 退位したロシア皇帝ニコライ2世一家はボリシェヴィキ政権の命でエカテリンブルク
近郊の館に幽閉されていたが、チェコ軍団の蜂起によってエカテリンブルクも奪取される
危険が迫ったため、反革命勢力に身柄を奪われないように全員を殺害せよという
レーニンの命令が下った。

 この命令は7月17日未明に実行に移され、一家を監視していた秘密警察の手によって
一家7人と召使4人は地下室で銃殺された。死体は森の中の沼地に埋められた。
 かくしてロマノフ家直系の血統は陰惨な形で絶えたのであった。

51 :
1918. 7. 17
「カーペイシア」撃沈

 豪華客船「タイタニック」の事故の際に生存者を救出した船として有名なイギリス船
「カーペイシア」号は7月15日にリヴァプールからボストンへ向けた護衛船団の一員として
出航した。

 この船団はドイツ潜水艦「U55」の攻撃を受け、7月17日午前9時15分に「カーペイシア」は
左舷3番ハッチ下に魚雷1本を受けた。
 さらに1本が機関室に命中し、船は急速に左舷船首側に傾きつつ沈み始めた。船長は
総員退去を命じた。
 「U55」は浮上してとどめの魚雷1本を発射し、魚雷は船尾砲座に命中して火薬を
誘爆させ、船はそのまま沈んでいった。死者5人。

 「U55」は大戦を生き延び、戦後賠償として日本に引き渡されて「〇三潜水艦」となり、
各種試験のあと佐世保で解体処分となった。

52 :
1918. 7. 18
フランス軍のソワソン攻勢

 ドイツ軍の攻勢停止を見て、フランス軍はすぐさま反攻作戦にとりかかった。
 最初の反撃は「ブリュッヒャー・ヨルク」突出部の西側、ソワソンからであった。
 予備部隊を消耗しつくしたドイツ軍はこれに抗しきれずにじりじりと後退し、20日には
総退却が指令されて、突出部から撤退した。

53 :
1918. 7. 18
ドイツ軍の1918年攻勢終わる

 この年の春に大々的に始まったドイツ軍の大攻勢作戦は、ランス攻勢の失敗を最後に
ついに終結した。

 ドイツ軍は、戦線中部での攻勢が成功して、連合軍予備がそちらへ引きつけられる
情勢であったら、もう一度戦線北部で大攻勢をかけてイギリス軍を撃滅する気でいたが、
度重なる攻勢失敗によりその夢もついえた。

 この攻勢により、ドイツ軍はその人的資源の最良の部分を失った。攻勢で失われたのは
主に先鋒の突撃歩兵であり、突撃歩兵は全軍の良好な「上澄み」を集めたものだった
からだ。

 攻勢が失敗したのは、初期の突破の戦果を拡大する機動戦力の欠如によるもので
あった。
 突破口から急速に前進し、敵の背後の重要拠点を急襲する機動戦力と、機動戦力に
補給するために自ら機動力を持つ後方部隊と支援火力。
――それらは22年後にドイツ軍に与えられ、「装甲兵団」という形でふたたびフランスに
現れることになるのだが、今この瞬間にそれはなかった。
 人の足で走る突撃歩兵と馬に挽かれる砲兵には、その任は重すぎたのである。

54 :
今年、日本が招かれたのは、ふたつの意味で
大きな意義があった。ひとつは、今年が第一
次世界大戦終戦(1918年11月11日)から100
周年だったことだ。

フランス人にとって、単に世界大戦といえば
第一次世界大戦である。この戦争で日本は連
合国の一員として参戦し、旭日旗を掲げて、
南太平洋のフランス領を守り、地中海に軍艦
を派遣した。

このために、毎年の休戦記念日(フランスで
は革命記念日に次ぐ重要な祝日)には、凱旋
門広場での式典に日本は連合国の一員として
参加する。

そののちに開かれた、パリ講和会議に日本
は、西園寺公望、牧野伸顕、近衛文麿、吉田
茂、芦田均、松岡洋右、有田八郎、重光葵ら
の代表団を送っている。

この会議で慣れない日本代表団は大活躍とい
うわけには行かなかったが、フランス首相ク
レマンソーが学生時代に西園寺公望と交友が
あったこともあってよしなに計らってくれた
し、ここでの経験は、そののちの国際会議に
おいて役だった。
この記念すべき年にあって、日本が明治維新
以来、第二次世界大戦のただ一回の迷走を除
いては、つねに、フランス、そして、英米と
同じ側にあったことを思い起こしてもらうこ
とは良いことだ。 hjl

55 :
また、最近、日仏の軍事協力の進展は顕著
で、両政府は13日午後、自衛隊とフランス軍
が物資や役務を融通し合う物品役務相互提供
協定(ACSA)に署名した。

これは、太平洋やインド洋、さらには地中海
にまで勢力を広げようとしている中国に、日
本、フランス、オーストラリアが連携してあ
たる協力関係ができあがりつつあるからだ。
もともと、フランスとオーストラリアが太平
洋では対立していたが、中国という共通の心
配の種を前に協力が進み、そこに日本も連携
していくことになったわけだ。

こうしたことは、日仏間のさまざまな歴史を
知るものにとって、実に感慨深いものなので
ある。hbd

この後安倍さん外遊にブレーキを掛けた
夜盗は馬鹿か?wが続くw

56 :
1918. 7. 19
装甲巡洋艦「サン・ディエゴ」沈没

 ポーツマス軍港において整備を終えたアメリカ海軍の装甲巡洋艦「サン・ディエゴ」
(旧名「カリフォルニア」)は、船団護衛の任務に就くためにニューヨーク港へ向かっていた。

 艦はロング・アイランドの岸から20キロほどの沿岸航路を走っていたが、7月19日の
午前11時ごろ、左舷機関室に隣接する区画で爆発が生じた。
 艦長はUボートによる魚雷攻撃と考え、両舷全速と面舵一杯を下令したが、すでに
機関は浸水によって停止しており、艦は次第に沈み始めた。

 やむなく艦長は総員退艦を命じ、沈没を知らせるために手漕ぎボート1隻を岸に
向けて送った。
 爆発から28分後、艦は左に転覆沈没した。戦死者6名。ボートは2時間後に岸に
たどり着き、救援の船が出て生存者は速やかに救出された。

 実際にはその時Uボートは近辺におらず、沈没の原因はUボートの敷設した機雷で
あると推測された。しかし一部の論者はスパイの破壊工作の可能性を主張している。

 今では艦の残骸は「ロブスター・ホテル」という別名をもってダイビングの名所として
知られている。

57 :
忘れ去られた中国人労働者たち
ttp://www.diplo.jp/articles18/1807-05Lesoublies.html

58 :
1918. 7. 26
ミック・マノック戦死

 イギリス軍のセカンド・エース、ミック・マノック大尉は、この日ドナルド・イングリス少尉を
伴って、春季攻勢によって形成されたドイツ軍突出部の先端、ハーゼブルックの南の空へ
出撃した。乗機はS.E.5a戦闘機である。

 イングリスはマノックの支援を受けつつドイツ軍の複座機を撃墜した。マノックは撃墜
された敵機を見ようとするかのような軌跡をたどって低空に降下し、不用意に敵の塹壕線を
越えた。
 マノック機はそこで敵の地上部隊から激しい対空射撃を受け、上空で炎上しながら
戦線の敵側に墜落した。
 マノックは機体から放り出され、地面に激突して絶命した。生涯撃墜数61機。

 彼の遺体はドイツ軍によって埋葬されたが、ドイツ軍撤退後にこの戦線を調査した
被埋葬者捜索隊は彼の遺体を見つけることはできなかった。

59 :
1918. 7. 30
ウクライナ総督アイヒホルン元帥暗殺さる

 ウクライナを実質的に占領していたドイツ軍の司令官、ヘルマン・フォン・アイヒホルン
元帥は、この日ウクライナ社会主義者ボリス・ドンスコイによって暗殺された。
 ドンスコイはキエフの街路においてアイヒホルンに爆弾を投げ、副官のドレスラー大尉
もろとも元帥を爆殺した。
 ドンスコイはその場で捕えられ、軍法会議で死刑を宣告されて8月10日に処刑された。
 アイヒホルン元帥の後任には、ギュンター・フォン・キルヒバッハ上級大将が任命された。

60 :
1918. 7. 31
アルハンゲリスクで白軍派のクーデタ

 北極海に面するロシア領アルハンゲリスクにおいて、イギリスの支援を受けた白軍派の
海軍将校ゲオルギー・チャプリンがクーデタを起こし、市内と港湾施設をほぼ抵抗なく
手中に収めた。
 これは引き続く列強の干渉軍の上陸を容易にするために行われたものであった。

61 :
1918. 8. 2
アルハンゲリスクに英仏軍上陸

 この日、白軍派の手に落ちたアルハンゲリスクに、フランス植民地軍を主力とする
英仏軍部隊が上陸し、白軍派と協力して同市を制圧した。

62 :
1918. 8. 2
日本のシベリア出兵宣言

 チェコ軍団の蜂起は連合国各国の間に「チェコ軍団救援」の名におけるロシア介入の
機運を高めた。
 アメリカが出兵方針を固めたとの報を受け、日本はこれに先んじてこの日正式に
「チェコ軍団救援のため、まずはウラジオストクへの」出兵を宣言した。
 しかしその背後には、主に陸軍部内の、満蒙利権守護のためにシベリアに干渉
傀儡国家を樹立するとの思惑があった。

63 :
(・∀・)ニヤニヤ おほほw

英海軍 自衛隊と上陸作戦の共同訓練 日本に大型揚陸艦を派遣
ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20180803/k10011562391000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_001

イギリス海軍は大型の揚陸艦を日本に派遣し、自衛隊と
上陸作戦の共同訓練を初めて実施すると明らかにしました。
北朝鮮や中国の活動もにらみ、アジア太平洋地域への
関与を強める狙いがあるとみられます。

イギリスとしては、北朝鮮や中国もにらんで軍のプレゼンスを高め、
アジア太平洋地域への関与を強める狙いがあるとみられます。

64 :
1918. 8. 5
最後のツェッペリン空襲

 この日、ドイツ海軍飛行船部隊は、総指揮官のペーター・シュトラッサー中佐直率の
攻撃隊を英本土へ向けて出撃させた。
 しかし4隻の飛行船は雲にさえぎられて有効な攻撃を行えず、さらに英本土防空隊の
迎撃を受けて、シュトラッサー座乗の「L70」は撃墜された。シュトラッサーを含む
全乗員が戦死した。
 これがドイツ飛行船隊による最後の英本土空襲となった。

65 :
1918. 8. 5
「ダンスターフォース」バクーに到達

 バクー油田確保を目的としたイギリス軍特殊部隊「ダンスターフォース」は、カフカス
地方の親英勢力や、旧ロシア軍のコサック部隊を味方につけつつ、イラン・ロシア国境
地帯を北上していた。
 対してオスマン軍はカフカスのイスラム教徒勢力を味方につけて西からバクーへ
進撃を開始していた。

 ダンスターフォースの指揮官ダンスターヴィル少将は、これを防ぐべく地元部隊を
迎撃に向かわせるとともに、イギリス軍部隊の送り込みを図った。
 迎撃は成功し、8月5日にイスラム教徒軍の攻撃は頓挫する。その日にイギリス軍は
バクーに侵入し、からくも油田の確保に成功したのだった。

 しかしオスマン軍はさらに正規軍を進攻させており、ダンスターフォースの先行きは
まだ不透明であった。

66 :
ある人が塹壕について語っていて「第一次世界大戦では、塹壕は大量の塹壕足患者を出しただけに終わった」
なんて語ってたけど誰に知識を吹き込まれたんだろ・・・

67 :
>>66
新聞の社説か、チャーチルあたりが言っているかもしれない皮肉だな。
その他、
生き延びれば毎日腹一杯食える、
今日は良い日だ、明日より、
というのもある。
泣けてくるな。

68 :
>>64

ツェッペリンの飛行船開発史とロンドン空襲の
まとめサイトを見つけた。かなり文量で楽しく
読ませてもらった。

http://daihonnei.wpblog.jp/%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%B3%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E8%88%B9%E5%9B%A3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%88%86%E6%92%83-%E7%AC%AC

69 :
1918. 8. 7
装甲巡「デュプティ・トゥアール」被雷沈没

 フランス装甲巡「デュプティ・トゥアール」はニューヨークからブレストへ向かう船団を
護衛していたが、この日20時51分、ブレストの西400マイルの地点で、Uボートからの
魚雷を左舷前部艦橋付近に受けた。

 さらに10秒後、2本目の魚雷が後部艦橋付近に命中し、艦は左に傾き始めた。
 艦長は直ちに救難信号発信を命じ、機関を停止したのちに総員退去を命じた。
乗組員はボートと救難筏に乗り移って救助を待つこととなった。
 艦は被雷から15分後に転覆沈没した。戦死者13名。生存者はアメリカ海軍の
駆逐艦に救助された。

 本艦を撃沈したUボートはドイツ軍の「U62」(艦長エルンスト・ハースハーゲン大尉)
であった。

70 :
>>68
ほう、これはいいものを。完結が待たれます。

71 :
なんでそのサイト拾いもんの画像に汚い透かし入れてんだ?

72 :
>>71
なんか履き違えた権利意識に凝り固まったのが自称研究者には結構いるのよ
自分がパクるのは平気の平左でも他人に再流用されるのは許せない、みたいな
たとえ公文書館や原著作者から権利を購入したものだとしても、個人的には正直褒められたもんじゃないと思うがね

全然別のサイトだが、ソース盗用とか新手の権利侵害創作してわめいてるキチガイのサイトを見たときには開いた口が塞がらなかった

73 :
こういうのは主に2chから攻撃されるのを防ぐためにつけてるんじゃないのかな

74 :
いやむしろ突っ込まれるだろ
どういう防御だ

75 :
1918. 8. 8
「ドイツ陸軍暗黒の日」

 7月末のフランス・アメリカ軍の限定反撃に引き続き、今度はイギリス軍が大反撃を
開始した。
 場所はアミアン正面ソンム川南岸、ドイツ軍の春季攻勢で突出した戦線の北側で
あった。開始日は、突出部南方の戦線から撤収するドイツ軍部隊が再配置される前に
行われるべく、当初予定の8月10日から2日繰り上げられた。

 攻勢は500両を超える大量のタンクをもって支援された。
 奇襲効果を高めるために、準備砲撃は基本的に行われなかった。綿密な航空偵察や
音響偵察によってドイツ軍の砲兵陣地を特定し、短時間の砲撃によってこれを無力化
すると同時に歩兵とタンクが前進を開始した。

 連合軍が前進するや、ドイツ軍の戦線は大きく引き裂かれた。ドイツ兵は各所で
包囲され、降伏した。ドイツ兵の士気喪失状態は著しく、連合軍は大量の捕虜を獲得した。

 攻勢初日に、戦線は幅24キロ深さ12キロにわたって突破され、ドイツ軍の損害は3万
以上、その4割が捕虜であった。
 連合軍の前進もさることながら、ドイツ軍首脳部にとってドイツ兵の士気喪失状態は
大きな精神的ショックとなった。

 大本営のルーデンドルフ将軍は回想録において、8月8日は「ドイツ陸軍暗黒の日」
であったと記し、戦争の最終的な敗北が見えてきた日であったと述べている。

76 :
日本ですら戦争後期になるにつれ捕虜が増えていったんだよなあ

77 :
1918. 8. 9
イギリス、チェコスロヴァキア国民評議会を政権として認知

 この日、イギリス政府は、西側連合国の間でチェコスロヴァキア独立を求めて運動
しているマサリク、ベネシュらの「チェコスロヴァキア国民評議会」を、「将来あるべき
チェコスロヴァキア国家政府を形成すべき主体」として認める旨宣言した。

78 :
1918. 8. 10
エーリヒ・レーヴェンハルト事故死

 ドイツ航空軍の第3位エース、エーリヒ・レーヴェンハルト中尉は、西部戦線で始まった
連合軍の大攻勢に伴って大挙襲来したイギリス空軍を迎撃すべく、部下を率いて
フォッカーDVII戦闘機で出撃した。

 アミアンとサン・カンタンの中間でイギリス空軍の第56スコードロンと空戦になった
レーヴェンハルトは、敵S.E.5a戦闘機1機を撃墜したが、その直後に味方のアルフレート・
ヴェンツ少尉機と空中衝突してしまった。

 二人とも落下傘を装備していたのでそれぞれ乗機から脱出したが、運悪くレーヴェン
ハルトの落下傘は開かず、彼は地上に落下して死亡した。生涯撃墜数54機。

79 :
1918. 8. 10
アミアン突出部のドイツ軍総退却命令

 連合軍のアミアン攻勢によって戦線を大きく破られたドイツ軍は、春季攻勢で獲得した
突出部から「ヒンデンブルク・ライン」への総退却を命令した。
 退却は整然と行われたが、落伍兵は次々と連合軍に降伏し、前線の敗北感は覆うべくも
なかった。

80 :
1918. 8. 12
日本のシベリア派遣軍ウラジオストクに上陸

 先の出兵宣言に従い、日本は小倉第12師団を動員してこの日ウラジオストクに上陸させた。
その兵力は当初アメリカと合意の上で予定していた7000名のおよそ倍、1万4000名に達した。

 この兵力はさらに順次増加し、この年の秋のピーク時には7万名以上に達する。
 これは連合国諸国の中でも突出した兵力であった。

81 :
1918. 8. 15
アメリカ軍ウラジオストクに上陸

 在シベリアのチェコ軍団救出と沿海州におけるアメリカ権益の保護のため、アメリカは
シベリア出兵に参加することを決定した。
 兵力は陸兵約8000名、ウィリアム・グレイヴズ少将が遠征軍司令官となり、その先遣隊は
この日ウラジオストクに到着した。
 遠征軍は鉄道部隊を伴い、シベリア鉄道を100キロほど北上したニコリスク・ウスリー
スキーまでの線路を確保した。

82 :
1918. 8. 15
パリ砲撃の最後

 この日、パリを砲撃していた「パリ砲」は、前線の後退によって捕獲の危険が生じ、
これを避けるために砲座から撤去されてドイツ本土に撤収した。
 総発射数は約350発、被害は死者250人と負傷者620人であった。
 撤収した「パリ砲」は終戦時に破壊され、連合軍の手に渡ることはなかった。

83 :
1918. 8. 21
イギリス軍のソンム川攻勢開始

 8月15日に、イギリス軍は所要の戦果を得たとしてアミアン攻勢を終結させた。
 準備を整えた敵戦線に惰性のまま攻撃を続けるよりも、別戦線で攻勢を発起した方が
得るものが大きいと考えたのである。
 イギリス軍が攻勢正面に選んだのは、アミアン攻勢の左翼、ドイツ軍突出部の北肩に
あたる部分であった。

 8月21日、アルベール方面で始まった攻勢は、次第に範囲を東(突出部の根元)へと
広げながら戦線を押して行き、9月初旬にはドイツ軍の戦線はヒンデンブルク・ラインに
まで押し戻された。

84 :
背後からの一突きというが、歴史を振り返れば背後から刺したのはドイツ水兵。
軍規を守れなかったドイツ人のみっともなさを隠すために背後からの一突き論が作られたのではないか。

85 :
1918. 8. 27
カレリア民兵、フィンランド民兵を攻撃

 ロシア・フィンランド国境から白海に至るカレリア地域には、1918年春以来、大フィンランド
主義を唱えるフィンランド民兵が侵入していた。

 イギリス軍の支援を受ける当地のソヴィエト勢力※は民兵を組織してこれらフィンランド
勢力の駆逐を図り、国境地域のフィンランド占領下の村を攻撃した。
 兵力に劣るフィンランド民兵は善戦したが、じりじりと押されていった。

※イギリス軍は反革命側のはずではあったが、差し迫った脅威は親独のフィンランド軍の
方であり、奇妙な協力関係が現地ソヴィエトと英軍の間に成立していたのである。

86 :
ドイツとの断交を条件に領土獲得を認めればいいのに

87 :
白衛軍には既にドイツ軍が直接介入してて一個師団送ってたから
継続戦争みたいにドイツ軍を排除するにはこの時点では力の差があり過ぎる

88 :
大フィンランド主義とか違和感しかない概念だな〜
レニングラードはフィンランド固有の領土!とかスウェーデンはフィンランドの属国!とかアタマのいかれた主義主張を期待したら、
一応ググったら想像を絶したショボさでコケた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

89 :
別にしょぼくないだろう
ムルマンスクは重要都市だし
カレリアはロシアにとっても歴史的にも重要な都市だったし
この時期のフィンランドの拡大主義は冬戦争の遠因にもなってると思うよ

90 :
1918. 9. 1
チェコ軍団各部隊の連絡成る

 ウラジオストク方面の東部集団とサマラ方面の西部集団などに分かれていたチェコ
軍団は、日本をはじめとする干渉軍の力もあって、この日シベリア鉄道のほぼ全線の
交通路を開削して、全軍団がなんとか相互に連絡が取れるようになった。

91 :
1918. 9. 6
日本軍チタを占領

 満州方面からシベリアに進出していた日本軍は、中東鉄道に沿ってロシア領に侵入し、
この日シベリア鉄道の要衝チタを占領した。
 当地にはチェコ軍団の部隊や在地の白軍部隊もいて、日本軍と共同で赤軍に備える
こととなった。

92 :
1918. 9. 10
アレクセイエフ将軍死去

 ロシア反革命軍の指導者の一人、アレクセイエフ将軍は、この日エカテリノダールに
おいて心臓発作のため死去した。

93 :
1918. 9. 12
サン・ミーエル攻勢発動

 サン・ミーエル突出部は西部戦線東南部に1914年から存在するドイツ軍の突出部である。

 これを除去すべく準備していたのが、パーシング将軍率いるアメリカ遠征軍であった。
アメリカ遠征軍はタンク419両を含む14個師団の兵力で、航空優勢は実にドイツ軍の7倍に
達していた。

 これだけの攻勢準備はドイツ軍に隠し通せるべくもなく、9月上旬に大攻勢が企図されて
いることはドイツ軍はよく知っていた。しかし春季攻勢のために北方に引き抜かれた兵力は
戻ってこず、名目上は10個師団あるはずの戦力の実態はお寒いものであった。

 9月12日に攻勢が開始されると、ドイツ軍は固守をあきらめて遅滞戦闘に徹した。
 アメリカ軍はタンクを先頭に立てて前進し、3日間で突出部全体を奪回した。
 ドイツ軍は2万以上の損害を出したが、そのうち1万5000は捕虜であった。

94 :
1918. 9. 14
バクーの戦い

 この日、イギリス軍特殊部隊「ダンスターフォース」と地元勢力からなる部隊(約1000人)は
バクーの油田地帯に到達していたが、オスマン軍は正規軍とカフカス地方のイスラム教徒を
組織した軍からなる1万を超える部隊でこれを攻撃した。

 ダンスターフォースはこれを支えきれず、イギリス軍部隊はバクーを放棄してペルシャ領
バンダレ・アンザリまで撤退した。
 結局油田地帯はオスマン軍の手に落ち、ダンスターフォースの遠征は失敗に終わった
のである。

95 :
1918. 9. 15
ドブロ・ポレの戦闘

 8月に始まった西部戦線での連合軍の大攻勢は、各地の中央同盟軍にも影響していた。
ドイツは、8月下旬にはサロニカ戦線から支援部隊を引き上げ、戦線の守備をブルガリア
軍にまかせることを決定した。
 しかしブルガリア軍はとうていその任に堪える状態ではなかった。補給品の不足から
士気は低下し、陣地構築は不十分であった。

 一方の連合軍は、ギリシャ軍24個師団をその指揮下に加え、兵力比は3対1の優勢に
達していた。春から夏の間、西部戦線の危機によって押しとどめられていたサロニカ戦線に
おける攻勢がついに実行される時が来たのである。

 攻勢は二方面から行われることとなった。戦線西部からはフランス・セルビア軍が、
戦線東部からはイギリス・ギリシャ軍が攻撃し、マケドニア中部で合流してブルガリア軍を
包囲殲滅する作戦であった。

 フランス・セルビア軍がまず目標としたのがドブロ・ポレの町であった。9月14日から
始まった準備砲撃はまる1日続き、ブルガリア軍の陣地と士気を打ち砕いた。
 主攻勢は9月15日に始まった。峻険な地形を冒して攻めかかったフランス・セルビア軍は
ブルガリア軍の陣地を突破し、ドブロ・ポレを奪取して3000の捕虜を得た。

 翌日も攻勢は続き、ブルガリア軍の戦線は幅25km、深さ7kmにわたって破られた。
18日にはツルナ川の橋が連合軍の手に落ちた。ブルガリア軍は全面崩壊に瀕していた。

96 :
1918. 9. 16
モニター「グラットン」爆発事故

 ノルウェー海軍がイギリスに発注した海防戦艦「ビョルグヴィン」は大戦勃発と同時に
工事が中断し、イギリス海軍が買収していたが、1917年になって沿岸砲撃用の大型砲艦
(イギリス海軍では「モニター艦」と呼んだ)に改造されることになった。

 1918年8月に「グラットン」として就役したこの艦は、ベルギー沿岸砲撃任務に就くために
ドーヴァー港で待機していたが、この日の夕刻18時15分に、にわかに中部6インチ副砲
弾薬庫で火災が発生した。
 ただちに前部主砲弾薬庫に注水が命じられたが、後部弾薬庫への注水は失敗した。
 運悪く「グラットン」の近くには弾薬運搬船「グランシャ」が停泊しており、もし「グラットン」の
弾薬庫が爆発したら、ドーヴァー港内に大惨事が発生するのは必至であった。

 ドーヴァー戦隊司令官キーズ中将は、「グラットン」を速やかに沈没させて誘爆を防ぐ
ことを決意し、駆逐艦「コサック」に雷撃を命じた。

 しかし「コサック」の1本目の魚雷は、距離が近すぎて不発となり、2本目は命中した
ものの威力が不足で「グラットン」の舷側バルジ(敵沿岸に接近するモニター艦任務の
ために特に頑丈に作られていた)を破壊できなかった。

 キーズ提督はさらに「コサック」の18インチ魚雷よりも大きい21インチ魚雷を搭載する
駆逐艦「ミングズ」に雷撃を命じた。
 「ミングズ」の魚雷は「グラットン」の右舷に命中して大浸水を生じ、「グラットン」は
転覆沈没して火災は鎮火した。

 出火の原因は、建造時の手抜き工事により、副砲弾薬庫に隣接する缶室の隔壁の
リベット穴にリベットがはまっておらず、その穴から石炭の燃えがらが弾薬庫の内張りの
コルクに触れて引火したものであることが後日判明した。

97 :
ノルウェー海軍「きたないなさすが英国きたない」

98 :
ムスタファ・ケマル「同じ仕打ち食らって枢軸参加決めました」

99 :
1917. 9. 17
デルベルのシベリア政権、オムスク政権に合流

 デルベル率いるウラジオストク所在の地方政権、シベリア臨時政府は、英米などと
協調路線をとりつつ、日本陸軍の支援するホルヴァート政権と主導権を争っていたが、
オムスクで結成されつつある全ロシア政府に参加して、政権主体としては自主的に
解散することを決定した。

100 :
1918. 9. 18
第三次ドイランの戦闘

 サロニカ戦線では、フランス・セルビア軍の攻撃に続いて、イギリス・ギリシャ軍も攻撃を
開始した。
 攻撃個所は、これまで何度も協商軍の攻撃をはね返してきたドイラン湖周囲の陣地で
あった。

 2日間の準備砲撃ののち、イギリス・ギリシャ軍はブルガリア軍の塹壕線に向けて
突撃した。しかし、ここでのブルガリア軍の陣地の状況は良好で、砲兵の支援も豊富で
あった。
 第一線を突破したところでイギリス・ギリシャ軍の攻撃は強力な反撃と砲撃を受け、
多大な損害を受けた連合軍はやむなく退却した。
 翌日も攻撃は続いたが成果はなく、連合軍は一時攻撃を中断して戦力を立て直す
ことにした。

 しかし数日後、ブルガリア軍陣地を偵察したイギリス軍部隊は、陣地が空になっている
ことに気づいた。戦線西部でのフランス軍の突破を受けて、ブルガリア軍総司令部は
全軍に国境線への撤退を命じていたのだ。

 連合軍は追撃を行ったが、その勢いは弱く、ブルガリア軍は無事に撤退を完了した。

101 :
1918. 9. 19
メギドの戦い始まる

 1918年2月にイェルサレムを占領したイギリス軍エジプト遠征軍(司令官アレンビー将軍)は
さらなる北方への攻勢を企図していたが、西部戦線でのドイツ軍大攻勢に対応するために
6万もの兵力を引き抜かれ、攻勢は一時お預けになっていた。

 しかし今やドイツ軍の攻勢は終結し、在外の連合軍にも兵力の補給と攻勢の再開が
許された。
 本国、インド、メソポタミア戦線からの戦力移動により、イギリス軍は前線において2対1の
戦力優勢を得ることができた。この戦力によってアレンビーは全面攻勢を企図した。

 作戦は以下の通りであった。
 まず戦線右翼のユデア丘陵において陽動攻撃をかける。次いで戦線最左翼の海岸
平野で決定的な突破攻撃を行い、そこで作った戦線の穴から騎兵2個師団を突出させて
敵の退路を断ち、敵主力を包囲殲滅する。
 攻勢が進展すれば、右翼の兵力をもってこちらでも戦線を突破し、アンマンと内陸の
へジャズ鉄道を奪取する。

102 :
 以上の計画に基づき、アレンビーは9月17日に陽動攻撃を開始した。

 守るオスマン軍は全戦線に均等に近く兵力を配置し、しかも第一線防御に大きな兵力を
置いていた。戦線を統括するイルディリム軍集団の手元には2個ドイツ軍連隊と戦力低下
した2個騎兵師団しか予備がなかった。

 さらに、オスマン軍は航空戦力において明らかにイギリス軍に対し劣勢だった。結果と
してオスマン軍はイギリス軍の作戦意図について「攻勢が行われる」というレベルより
細かいことは何もわからないまま戦闘に入ることになってしまった。

 19日未明、イギリス空軍はオスマン軍の電話と鉄道の拠点を空襲し、その機能を
麻痺させた。
 そして早朝、イギリス軍砲兵の弾幕射撃が開始された。敵戦線奥へと這い進む
移動弾幕の後ろから、イギリス軍歩兵が前進した。
 西部戦線で磨かれた陣地線突破戦術の前に、オスマン軍戦線はなすすべもなく
引き裂かれた。

 そして午前10時、イギリス軍騎兵部隊が突破口から突進を開始した。まさに
「全ての騎兵が夢に見たような作戦」が始まったのである。

103 :
>>613
ありがとうございます
Safujiのミニ財布はお札の出し入れが気になっていましたが問題ないようなので
前向きに検討したいと思います

104 :
ごめん盛大に誤爆したわ

105 :
佐藤

106 :
1918. 9. 20
イギリス軍騎兵ナザレトを占領

 パレスチナ戦線左翼を突破したイギリス軍騎兵は突進を続け、この日オスマン軍
イルディリム軍集団司令部のあるナザレト(戦線背後70km)を占領した。オスマン軍を
率いるドイツのリーマン・フォン・ザンデルス将軍は逃亡した。
 同日、別の部隊はオスマン軍航空基地のあるイェニンを占領した。

107 :
アレンビーと聞くとガンダムしか思い浮かばないw

108 :
1918. 9. 21
パレスチナのオスマン軍総退却を開始

 戦線西部の崩壊を押しとどめることができないオスマン軍は、この日総退却を開始した。
 戦線東部を管轄する第7軍(司令官ムスタファ・ケマル・パシャ)は、内陸のヘジャズ鉄道を
目指して東へ向かった。
 しかしこの移動はイギリス空軍に捕捉され、激しい空襲を受けた第7軍は壊走した。

109 :
若き日のムスタファ・ケマル・アタチュルクだな

110 :
1918. 9. 22
日本軍、チタ以東のシベリア鉄道を制圧

 ウラジオストクから西進する日本軍第12師団の部隊と、満州から北上してチタから
東進した第7師団の部隊は、この日シベリア鉄道上で会同して、シベリア鉄道の満州に
沿う部分は日本軍を主力とする干渉軍の制圧下となった。

111 :
第三帝国は空軍力でイギリスを屈服させるつもりだったようだけど
第二帝国はどうやってイギリスを屈服させるつもりだったの?策なし?

112 :
いや通商破壊か。通商破壊で屈服した国って日本以外にあるのかな?

113 :
というかイギリスと戦う気がなかった
政治的に拮抗することは望んで、建艦競争は仕掛けたが
作戦上の都合で中立国侵略して、その独立担保した国が黙ってみてると期待する判断の甘さだけどな
まあそれでも、英の本国軍は小規模な二流軍隊だったから、短期決戦で対仏戦争を決着できるなら介入も事実上無視できた

114 :
>>112
それこそ第一次大戦のドイツじゃない?

115 :
ドイツ第二帝国 イギリス「ベルギーの中立を犯したら戦争な」
ドイツ第三帝国 イギリス「同盟国のポーランドを攻めたら戦争な」

116 :
>>114
食糧不足そのものはウクライナ進駐によってかなり緩和されてます。
封鎖だけで敗れたとは言えないような気がしますね。

WW1のドイツの敗因は、戦局を決定的に打開するはずの無制限潜水艦戦でも、
1918年春季大攻勢でも、結局「勝てなかった」ことによる士気の崩壊と、
4年にわたってほぼ独力で全戦線を支えてきたことによる消耗じゃないでしょうか。

まずフランスが消耗戦に音を上げ、ついでロシアが耐えられなくなり、1918年秋には
ドイツの順番になった、ということでしょう。

117 :
1918. 9. 23
ハイファ陥落

 パレスチナ戦線を突破したイギリス軍騎兵は、この日戦線背後70kmの港湾都市
ハイファに突入、これを占領した。

118 :
>>116
フランスは別にロシアやドイツの様に音を上げてはいないぞ
最後まで西部戦線を主力として戦い抜いてる

119 :
1918. 9. 25
パレスチナのオスマン軍包囲される

 完全に壊走したオスマン軍はあるいは北にあるいは東に逃れようとしたが、その
ほとんどの退路はすでにイギリス軍騎兵に押さえられており、この時点までに
オスマン軍はイギリス軍包囲下にあると言ってよかった。

 同日、オスマン軍東部集団はアンマンを放棄して北へ撤退した。ヘジャズ鉄道は
アラブ反乱軍とイギリス空軍の激しい妨害を受けていたので運転できず、撤退は
馬とラクダによるほかなかった。

 多数のオスマン兵が、アラブ軍に捕まって首を斬られるよりは、とアンマン市内で
イギリス軍に降伏した。

 北方ではイギリス軍はガリラヤ湖に到達した。

120 :
>>118
「戦い抜いている」かどうかは、議論の余地があると思っています。

121 :
>>120
俺は議論の余地は無いと思うし戦い抜いてると言うのが定説だとも思ってるが
議論の余地があると思うなら議論の相手になっても良いよ

122 :
WW2でフランスが短期間で負けた際に世界が驚いたのは、前の戦いの時フランスが最後まで粘り強く戦い抜いたからだと思うけど……。
WW1でフランスが先に音を上げてるのなら、「ああ、またか」ってなっただけで驚かれたりしなかったんじゃないの?

123 :
>>120
第一次世界大戦の参戦国で明らかに「戦い抜いている」国を挙げてくれないか?
フランスが第一次世界大戦で「戦い抜いているかは議論の余地がある」というのは初耳。
フランス人の意見が聞きたいくらいだ。

124 :
フランス全軍が揺れた抗命事件のことを言ってるんでしょ

125 :
>>124
多分そう思うが、ドイツでは抗命どころか反乱が起きて、皇帝が亡命している。
それでもドイツ帝国は戦い抜いたと思うがな。
120の考える「戦い抜いた」の定義が謎。
ロシアやモンテネグロならともかく、フランスが戦い抜いていないというなら、イギリスとベルギー以外、戦い抜いた国は無いんじゃないか?

126 :
攻撃命令に抗命しただけで前線の防衛線が瓦解したわけじゃないからな
それによって政府が倒されたとかドイツ軍が反乱が乗じて大進撃したとかすらないし
なにか大事として捉えられ過ぎている気がする
"仏独共同通史"に書いてある数字は戦闘部隊200万人のうち反乱に参加した者4万人
鎮圧の為に死刑執行になった者が49人
深刻な打撃を受けた師団5個
と言う範囲におさまってる

127 :
>>125
アメリカも戦い抜いたって言って問題無いだろ
日本も戦い抜いたと言っても嘘じゃない

128 :
1918. 9. 26
ミューズ・アルゴンヌ攻勢発動

 サン・ミーエル突出部を除去したアメリカ遠征軍の次の目標は、ヴェルダンから
ミューズ川沿いに北西に攻撃をかけてセダンを奪取するというものだった。

 折しも西部戦線における連合軍の優勢は固まりつつあり、フォッシュ将軍の
連合軍最高司令部は、西部戦線全域における総攻撃を企図していた。

 ミューズ戦線の攻勢はその最南端かつ最初の攻撃行動と位置づけられ、
アメリカ軍22個師団とフランス軍31個師団が参加した。対するドイツ軍は44個
師団を有していたが、定員割れが著しかった。

 しかし攻勢が始まるや、連合軍は頑強なドイツ軍の抵抗に直面した。攻勢は
ドイツ軍陣地への正面攻撃であり、衰弱したとはいえドイツ軍の優れた塹壕戦術は
容易に米仏軍の前進を許さなかった。

 アメリカ遠征軍司令官パーシング将軍は、さらなる火力と兵力の投入を命じ、
戦闘は激しさを増していった。

129 :
 大反乱の参加者(率)はそんなもんか。それじゃ「音を上げた」というのは言い過ぎ
だったかもしれない。

 ただ、概観として、大消耗戦に耐えて大戦を戦い抜いた大国はイギリスだけだと
思っている。

 オーストリアは1916年にブルシーロフ攻勢を食らってからは半身不随、ロシアは
1917年の10月革命で脱落、ドイツは1918年秋に革命で敗北。

 フランスも一時はオーストリア並みの危機にあったことは確かだろう。
 フランスが立ち直れたのはいくつかの好条件に支えられていたからで、もし他国
だったら大反乱をきっかけに崩壊してもおかしくなかったのではないか。

 参戦期間の短いアメリカと、大塹壕戦争をやってないオスマン帝国は評価不能。
イタリアはやや甘く見れば「戦い抜いた」と言っていいかもしれない。

130 :
つまり逆に言うとイギリスは"いくつかの好条件"とやらには全く頼らないで
大消耗戦に純粋に耐えた唯一の国でありフランスなんかとは一線を画すわけか
個人的にはフランスとベルギーそれ自体が常にドーバー海峡の前のイギリスの盾であり
イギリスほど好条件の国は少なかったと思うが
この手の話でもし-だったらを理由にしてしまう時点で説得力は無いなあ

131 :
そう考えるとよくイギリス国民は耐え抜いたね
だからこそ若い人がいなくなっちゃったんだけどね

132 :
ヨーロッパ全体であれだけ有為の若者をすり潰して
人類の進歩にどれだけダメージがあったのか
機会損失を考えるだけで恐ろしい

133 :
英国は人口に対する動員数も死傷者も主要参戦国の中では低めだけどね

134 :
ドイツもロシアも程度の差こそあれ権威主義的政治体制だったけど、既に普通選挙民主政治体制だったフランスが総力戦の重圧で崩壊したらどういうことになってたのかな?

135 :
ドイツやロシアみたいな体制崩壊には至らず、政治体制はそのままで政府改組ということになったのかなあ。
社会主義者主体の新内閣が成立してドイツと無賠償無併合の講和を目指すも、ルーデンドルフ政府は高額な賠償金と領土割譲を主張して譲らず、板挟みになった社会主義者政府は苦境に立たされる・・・
あれ?どっかで聞いたような話だなあ

136 :
とりあえず似たような事例は色々あるから
こういう時に無駄に言葉を濁されると何の事を言いたいのか結構迷ってしまうから出来たら明言してほしい
第一次世界大戦の仏独の立場が逆転すると言うよりは普仏戦争時の繰り返しになると思うが
板挟みになるのは軍部がやたら力を持ってて帝国政府を倒してもそれで話が終わらないドイツ特有の出来事な気がする
フランス政府はフロッサール辺りが主導する社会党左派の政権になるだろうけど
社会党内でもあまり多数派ではないし史実でもクレマンソーに簡単に弾圧されてるから難しい所だ

137 :
>>136
板挟みってのは、ドイツにあまりにも屈辱的譲歩をすると、支持基盤である選挙民が納得しないだろう、ってこと。
ブレスト講和に至る経緯なんかを念頭に置いて書いたつもり。

138 :
>>136
あと、もし総力戦の重圧で戦線崩壊みたいな事態になれば、社会党主流派も雪崩的に左派転回するんじゃないかな。

139 :
>>137
"あまりにも屈辱的譲歩"をしない為に"無賠償無併合の講和"を目指すの?
両極端過ぎない?
ドイツ国民は無賠償無併合までは流石に求めてなくてそれを求めてたのはドイツ軍部と言う印象なんだけど
>>138
別に休戦派=社会党左派ってわけじゃないから社会党主流派が左派に転向せずに休戦派になると言った方がただしい
休戦政府になるなら自然と元から反戦派の比較的多い社会党左派のメンツが音頭を取る事になるだけで
それ以外の政治思想まで転向する必要は無い

140 :
>>139
この場合の無賠償無併合は労働者国際主義からの要請だから、ドイツよりロシアの例に近い。レーニンの「平和に関する布告」という前例が既にあったし。
もし1918年時点で労働者の支持で社会党左派主体の政府が成立すれば、必然的にこれに近い主張をせざるを得ないと思われる。

141 :
>>140
いやフランスの場合はロシア革命ほどの大転換ではないしそこまで関係ないだろ
仏独休戦が平和に関する布告の付近なら影響は強いかもしれんが
ブレスト=リフレスク条約以降の休戦交渉ならそんなに影響しないと思う

142 :
抜く話で盛り上がっているようだが、
昔宮沢リエの写真集で4回抜いたぞ!!
ヒロスエの写真集は着衣だがイメージを膨らませて
3回抜いた。

143 :
フランスの場合は国土が西部戦線の長大な塹壕戦の舞台になった国なわけで、まさに大消耗戦を国民が間近にその目で見ながら戦い抜いたんだから立派なもんだと思うよ。

144 :
今の宮沢りえが好き

145 :
パリからバスやタクシー使って兵士を運んだんだって
普仏戦争と違って首都を守り抜いたんだしフランスも評価してやるべきじゃね

146 :
1918. 9. 27
ブルガリア軍反乱部隊、君主制廃止を宣言

 サロニカ戦線から総撤退したブルガリア軍は、連合軍に対してはある程度秩序ある
抵抗を示していたが、内部的には士気崩壊に瀕していた。

 祖国を大戦に放り込んだブルガリア皇帝フェルディナンドに対する反感が軍隊内に
巻き起こり、撤退した軍隊の一部、約5000が公然と反旗を翻して首都ソフィアに迫った。
 27日に至って反乱軍は「ブルガリア共和国」の建国を宣言し、皇帝に退位を迫った。

 ブルガリアは混乱の極に陥っていた。

147 :
>>141
抗命部隊は赤旗掲げてたんでしょ
この動きが全軍に広まったら大変だと思うけどなあ

148 :
>>147
広まる可能性あったの?

149 :
>>141
この時期の西欧の政治体制、特に労働運動に対するロシア革命のインパクトを理解してないと思う。
革命状況から最も遠かったイギリスでさえ、労働者がロシア革命に同調してストしたり、ジノビエフ書簡事件とか起きてるのに。

あと、無賠償無併合を唱えてたのはボリシェヴィキだけじゃなくて、ウィルソンもそうだった。

150 :
>>147
なんだかんだ言っても民主主義体制は権威主義体制よりも革命に対する耐性は強いとは思うけどね。

151 :
>>149
だって現実でフランスでそんなに盛り上がらなかったし
ニヴェル攻勢後以上に反乱が盛り上がりそうなシチュエーションってどんなシチュエーションなの?
"軍事的に敗北しそう"な時だと第一次マルヌ会戦直前や春季攻勢時だけど
その時はあくまで政府の中の休戦派が盛り上がっただけで前線の状態としては混乱してなかったし
反乱が盛り上がるのは"無益な攻勢作戦の乱発"による物だと思うけど
ニヴェル攻勢後も更に攻勢の継続をしていたら更に反乱は増加するだろうけど
反乱それ自体が攻勢を停止させるだろうし
そもそも反乱時の前線兵士達の怒りの矛先は司令官に向かうものであって政府には向かってなかったのだから
フランス軍の反乱問題を過度に政治・政府・休戦に結び付ける事自体本質を理解してないと思うけど

152 :
>反乱それ自体が攻勢を停止させるだろうし
兵士はそこまで考えてないから

153 :
1918. 9. 28
英仏軍のイープル攻勢発動

 ヒンデンブルク・ラインに対する総攻撃の一環として、英仏ベルギーの軍からなる
フランダース軍集団は、イープル突出部から東への攻勢を開始した。
 戦力比はいまや連合軍にとって大幅に有利であり、ドイツ軍は突破を防ぐために
後退していくほかはなかった。

 しかし攻勢が始まるや天候がにわかに悪化し、1917年にも連合軍を悩ませた
泥濘が進撃を止めた。攻勢はひとまず一時中断となった。

154 :
1918. 9. 29
ルーデンドルフ、和平を提案

 連合軍の総攻撃の前に、西部戦線のドイツ軍は一方的に押されていた。
 この惨状を見て、ドイツ軍最高司令部を実質的に支配するルーデンドルフ兵站部
総長は、ベルギーのスパにある最高司令部指揮所において、皇帝ヴィルヘルム2世と
帝国宰相ヘルトリング伯に対して、「ウィルソンの14ヶ条」の受諾と「即時の和平」を
提案した。

 ウィルソンの原則の受諾は軍部独裁制の終焉と民主政体の設立を意味し、
ルーデンドルフの権勢の終わりを意味していたが、それは敗戦の責任を議会勢力に
押しつけられるということでもあり、ルーデンドルフ個人として望ましいものであった。

155 :
1918. 9. 29
ブルガリア、休戦申し入れ

 サロニカ戦線の崩壊と国軍の反乱に見舞われたブルガリア政府は、取るものも
とりあえず、まず戦争から離脱することを望んだ。

 この日、ブルガリア政府と軍の代表が、ギリシャ領テサロニキにある連合軍
サロニカ戦線司令部に至り、休戦と降伏を申し入れた。
 その日のうちに休戦協定はまとまり、全ブルガリア軍の動員解除と占領地の
全面返還、連合軍の領内自由通過権、ドイツ・オーストリア軍の4週間以内の
撤収が定められた。

 休戦は翌日発効し、ブルガリアは大戦から離脱した。
 これにより、バルカン半島とトルコ領トラキアは全くの無防備状態に陥った。
中央同盟国の崩壊が始まったのである。

156 :
いよいよだな

157 :
1918. 9. 30
ブルガリアの休戦協定発効

 この日正午、ブルガリア軍と連合軍の間の休戦協定(サロニカ休戦協定)が発効した。
 イギリス軍は協定に従ってブルガリア領内に進入し、トルコ領トラキアへ向かった。
 フランス軍はセルビア軍とともに北上し、セルビア領の奪回とウィーン占領を目指して
進撃を開始した。

158 :
1918. 10. 1
ダマスクス陥落

 パレスチナ戦線のオスマン軍を包囲殲滅したイギリス軍は、北方へさらなる騎兵攻撃を
行った。アラブ軍と共同して内陸の一級道を行く部隊と、ガリラヤ湖から北東へ延びる
道路の二本を突進し、シリアの首府ダマスクスを奪取する作戦である。

 オスマン軍はダマスクスに後衛部隊を置いてイギリス軍の攻撃を押しとどめ、その間に
残兵をアレッポへ撤退させる作戦だった。

 ダマスクスには南からの街道の他に東西に街道が通じており、西に向かうとベイルートへ、
東に向かうと北のホムス・アレッポへ至っていた。

 二手に分かれたイギリス軍は9月30日にほぼ同時にダマスクス郊外に到達し、まず
西へ向かう街道と鉄道を封鎖した。固守を命じられていたオスマン軍はすでに士気を
喪失しており、東から北へ向かう街道を通って敗走を始めた。

 在ダマスクスのシリア太守サイド・アブデル・カデルはすでにファイサル王子の
アラブ軍と気脈を通じており、30日にはファイサルから「ヘジャズ王国のシリア太守」に
任じられていた。

159 :
 10月1日、敗走するオスマン軍を追ってダマスクス市内に突入したイギリス軍に対し、
サイド太守は「ダマスクスはすでにアラブの支配下にあり、イギリス軍に抵抗しない」旨
申し入れた。
 その日のうちにアラブ軍を率いるファイサル王子もダマスクスに入城した。市内に
残っていたオスマン軍の兵たちは降伏した。

 ダマスクスに集積されていた多量の軍事物資はイギリス・アラブ軍の手に落ちた。
オスマン軍の一部は北へ逃れたが、もはや砲も機関銃も航空機もなく、近代軍隊の
形を成していなかった。
 メギドの突破から半月の大追撃戦によって、パレスチナのオスマン・ドイツ軍は
事実上壊滅したのである。

160 :
1918. 10. 2
ブルガリアの反乱軍鎮圧される

 休戦によってとりあえずの余裕を得たブルガリア政府軍は、首都ソフィアに迫っていた
反乱軍を鎮圧した。

161 :
1918. 10. 2
フィンランド民兵、カレリアから撤退

 大フィンランド主義を唱えて白海沿岸のカレリア地域に侵入していたフィンランド民兵
(白軍派)は、イギリス軍の支援を受けてムルマン鉄道沿線を守るカレリア民兵
(赤軍派)の攻撃を受けて消耗し、この日までに侵入をあきらめてフィンランド国内に
撤収した。

162 :
1918. 10. 2
ドゥラッツォ砲撃

 ブルガリアの降伏によって崩壊したマケドニア戦線から逃れてアルバニアのドゥラッツォ
港に集まって来ていたオーストリア軍部隊の撤退を阻止するために、イタリア海軍は
有力な艦隊をアルバニアのドゥラッツォに派遣した。

 イタリア艦隊は戦艦「ダンテ・アリギエリ」と装甲巡「サン・ジョルジョ」「サン・マルコ」
「ピサ」を主力とし、小型巡洋艦3隻とイギリス海軍の軽巡5隻、各国の駆逐艦20隻
あまりを伴った大艦隊だった。

 ドゥラッツォ在泊のオーストリア艦隊は駆逐艦2隻、水雷艇1隻、潜水艦2隻にすぎず、
敵艦隊来襲とともに港内を脱出してアドリア海を北に逃れた。
 潜水艦はアメリカの駆潜艇などの攻撃を受けつつ反撃し、イギリス軽巡「ウェイマス」に
魚雷1本を命中させたのち、これも逃走に成功した。
 商船は事前に退避しており、1隻が沈められるにとどまった。

 イタリア・連合軍艦隊は港湾施設と旧市街を砲撃し、施設のほとんどを破壊した。
 これによりオーストリア軍の海路撤退は不可能となり、悪路を越えて陸路を
逃げるよりほかなくなってしまった。

163 :
1918. 10. 3
ブルガリア皇帝フェルディナンド退位

 この日、大戦の参戦責任を負って、ブルガリア皇帝フェルディナンド1世は退位し、
皇子のボリスが即位して皇帝ボリス3世となった。
 フェルディナンドはドイツに亡命し(もともと彼はドイツ諸侯のザクセン・コーブルク家の
傍流の出であった)、領地で隠棲することとなった。

164 :
すごいな。イタリア艦隊でも勝利の美酒を味わえた
戦闘があったのか。

オーストリア艦隊の逆襲で半分ぐらい沈められて
撤退するイメージしかなかった。

165 :
1918. 10. 4
ミューズ攻勢第二段階へ

 アメリカ軍を主力とするミューズ・アルゴンヌ攻勢はややその衝撃力を失いつつあった。
アメリカ遠征軍司令官パーシング将軍は、先鋒の各師団を交代させ、第二次攻勢を命じた。
 しかしドイツ軍陣地への正面攻撃はなかなか進展を見せなかった。

166 :
1918. 10. 4
ドイツ、アメリカに和平の申し入れ

 ドイツ軍部はもはや戦争の行く末に何らの希望を持てなくなっていた。ルーデンドルフは
10月2日に政府に対し即時の講和交渉を要請した。

 政府は怨恨としがらみのある英仏ではなく、理想主義的と見られたアメリカに和平を
申し込むことにした。

 この日就任したドイツ帝国宰相マックス・フォン・バーデン大公は、スイスを通じて
アメリカのウィルソン大統領に「14条にのっとった」和平を申し入れた。
 7日にはオーストリア・ハンガリーからも同様の和平申し入れが行われた。

 ウィルソンの返答が待たれるところとなった。

167 :
1918. 10. 6
輸送船「オトラント」と「カシミール」の衝突

 アメリカのニューヨークからイギリスのリヴァプールへ向けて航行中だったHX-50
船団は、数日続いた嵐の中で、推測航行のままイギリス諸島に近づいていた。

 この日の朝、不意に視界が晴れた時、船団の目前には岩山の海岸が近づいていた。
 船団の大部分は、目前の海岸はアイリッシュ海峡の東岸のスコットランドの海岸だと
考え(この推測は正しかった)、海峡に入るべく南(右)に舵を転じた。

 しかし船団司令船の兵員輸送船「オトラント」は、船団はまだ海峡に入っておらず、
海岸はアイルランド北端だと考え、これをかわすために北(左)に舵を転じた。

 「オトラント」は僚船の「カシミール」と急速に接近し、ついに「カシミール」の船首は
「オトラント」の左舷中部に突っ込んだ。
 「オトラント」の船体には6メートル×5メートルの大穴が開き、大量の浸水が生じた。
船長は総員退船を命じたが、荒れた海の上でボートを降ろすのは不可能であった。

 護衛の駆逐艦「マウンジー」が「オトラント」に横付けして600人近くを救出したが、
大波によって船体が打ちつけあう力によって大きな損傷を受け、沈没を避けるために
救助を打ち切らざるを得なかった。

 「オトラント」は衝突から3時間後に岩礁に叩きつけられ、その船体は二つに折れて
破壊された。「マウンジー」が救った人員以外に助かったのは19人にすぎなかった。
死者総数470人、うち358人がアメリカ陸軍の将兵だった。

 「カシミール」は船首に損傷を受けたが死者はなく、自力でグラスゴーに入港した。

168 :
1918. 10. 7
ベイルート陥落

 ダマスクスを奪取したイギリス軍は、さらに北へ追撃を企図していたが、ハイファを
起点とする補給路は伸び切っていた。
 これを改善するため、ダマスクスの西にある地中海の大港湾都市ベイルートの
占領が求められた。
 第7インド師団がその任務を与えられ、師団は峠を越えて海岸地方へ進んだ。
 7日、ベイルートは無抵抗のまま占領された。師団はさらに地中海岸を北に進んだ。

169 :
100年前のこの時期のルーデンドルフはかなり頭がいっちゃってたてのは本当かな?
別宮サイト以外のソースがないんだけど

170 :
この時期よりこれ以降の方が逝ってるんだから見方による
少なくともドイツで大きな権力を持った立場の中で最初に休戦を主張しながら
休戦時にはスウェーデンに逃亡していた本人が後年"背後の一突き"宣伝を盛んに行った事で色々察するべきだろう

171 :
そういうみっともない保身は、少なくとも頭脳は健全だったということではないか?

172 :
1918. 10. 8
ウィルソンの返答

 アメリカのウィルソン大統領は、先日のドイツからの和平申し入れに対して、「中央
同盟軍の占領地からの完全撤退およびUボート作戦の停止が和平交渉の大前提で
ある」旨返答した。
 これはドイツ側が考えていたより厳しい内容であり、ドイツは再度ウィルソンと連合国の
意図を知るためにメッセージを送った。

173 :
この時点でルーデンドルフは内部でも敵だらけで暗殺の脅威にさらされ、
個人の利害レベルで即時停戦が必要な情勢だった可能性を唱えてみる

174 :
唱えるのはいいけどなにか根拠とかあるの

175 :
独裁者乃至は独裁的な権力を掌握した者は、暗殺を恐れるのが常だからね
その上、建前上の最高権力者のカイゼル空気だしな
ルーデン氏は解任されて権力を失い、逃亡なので、独裁者乃至は以下同文としては、かわいい方
辞任させられた東條、逮捕されたムッソリーニ、死ぬまで権力者のヒトラーと比較すると、独裁者乃至は以下同文としての格は
ヒトラー>ムッソリ>ルーデン>東條

176 :
当時の状態による根拠は特に無く
"独裁者乃至は独裁的な権力を掌握した者は、暗殺を恐れるのが常だから"
が理由なの?
"ルーデンドルフは内部でも敵だらけ"ならその敵の代表的な人物の名を挙げたりも出来ないの?
今の所その説明だけで"可能性を唱えた"ならスポーツ新聞のゴシップ記事以下の説得力だな

177 :
>>175
皇帝が空気というのは同意。皇帝達と言うべきだけど。
第一次世界大戦でドイツ、ロシア、二重帝国、オスマンの皇帝達、開戦時にはほどほどの影響力があっただろうに、終戦時には影響力ほとんど無し。

178 :
負け組のブルガリア王国は、第二次世界大戦までしぶとく生き残る。

179 :
ドイツ帝国も国号は第二次世界大戦終戦まで生き残っているけどな。
ワイマール憲法では国号の変更はなされていない。チョビ髭が第三帝国を僭称した所以。

180 :
>>175,177
皇帝にわざと作戦大失敗させて責任として権力を参謀本部にはぎ取られて
空気に追いやった政治的手管こそルーデンドルフの真骨頂だと思うが

181 :
第一次世界大戦の映像をフルカラーに
https://www.bbc.com/japanese/video-45806854

182 :
>>180
皇帝が失敗させた作戦なんてあるの?人事の失敗はありそうだけど。
中公新書の「ヴィルヘルム2世」によれば、皇帝は大本営で日がな一日、茶を飲んで、木を伐採して、薪割りをしていたらしい。

183 :
1918. 10. 10
フランス軍プリシュティナを占領

 ブルガリアの脱落によって崩壊したサロニカ戦線から、セルビア・フランス軍は急速に
北上してセルビア領を奪回にかかった。
 デスペレ将軍指揮下のフランス軍はコソヴォに進入し、この日コソヴォ地方の中心都市
プリシュティナを占領した。

184 :
ドイツ帝国・ロシア帝国・オスマン帝国・オーストリア-ハンガリー帝国
古い帝国が一気に崩壊していく戦争なのに日本じゃ注目されないな

185 :
>>182
ヴェルダンの事を言ってるのでは

186 :
>>184
シベリア出兵なんて、その後の日本が道を誤るきっかけと言ってもいいくらいの大事件なのにな
それまでは敵を知り味方を知り、関係各国には周到に根回しして決して無理をしないっていうスタイルだったのに、この頃から雑に力任せに事を進めるようになってしまった

187 :
ドイツ帝国って新興勢力じゃない?

188 :
ドイツ帝国は実質プロイセン帝国
ホーエンツォレルン家は歴史あるぞ

189 :
プロイセンは古い帝国じゃなくて古い王国じゃん

190 :
そこドイツ統一の肝だよね
ホーエンツォレルン家だから古い帝国だ、ていうのはあまりに的外れ
歴史が違っていたら大ドイツ主義で統一された可能性も微レ存
まあ小ドイツ主義だから統一出来たんだけどさ

191 :
大ドイツ主義で中途半端な仮想ドイツ帝国=第二次神聖ローマ帝国成立なら、多分、第一次世界大戦は起きなかった。
そして,現実のドイツ帝国の領域は20世紀になっても相変わらず仏露墺普の戦場になっていた
・・・かどうかは分からんが、史実のナチ台頭を考えるとドイツ語文化圏の人たちにとって、どちらがマシだったかな?

192 :
【危険! ビルの下は歩くな byマ@トレーヤ】 日経急落後も、金利下がらず、国債市場もはや機能不全
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1539310101/l50

 太 陽 観 測 所 閉 鎖 U F O 大 量 出 現 事 件 と も 関 係 し て い る

193 :
1918. 10. 11
セルビア軍ニシュを奪回

 この日、サロニカ戦線から北に進撃するセルビア軍は、少数のドイツ軍部隊が守る
セルビア第二の都市ニシュを攻撃、これを奪回した。

194 :
1918. 10. 13
トリポリ陥落

 シリアの地中海岸を進むイギリス・インド軍第7師団はこの日ベイルートの北70kmの
港湾都市トリポリを占領した。

195 :
>>194
スレチだが、ベイルート北にトリポリっていう地名あるのを今知った。
普通トリポリといえばリビアの首都だが、語源はギリシャ語か。
アレキサンドリアがいくつもあるようなものだな。

196 :
>>195
「三つの都市」って意味ですね。
十字軍の本とか読んでると、一瞬「あれっ?」ってなる。

197 :
>>196
トリプルポリスか

198 :
1918. 10. 14
チェコスロヴァキア暫定政府発足

 連合国各国から事実上の政府として承認を受けていたチェコスロヴァキア国民
評議会は、オーストリア・ハンガリー帝国の運命がもはや長くないことを見て、
この日パリにおいて「チェコスロヴァキア暫定政府」を発足させた。
 臨時の大統領はマサリク、外務大臣はベネシュ、陸軍大臣にはシュチェファーニクが
就任した。

199 :
1918. 10. 14
連合軍のフランダース攻勢再開

 思わぬ泥濘に足を取られた連合軍であったが、この日になって地表の状況が改善した
ために攻勢を再開した。
 リス川の西岸から開始された攻勢は2日後にはリス川を越え、ドイツ軍は連合軍の
火力と物量の前に押される一方であった。

200 :
1918. 10. 14
クリームヒルデ陣地の戦闘

 攻勢を続けるアメリカ遠征軍は、ドイツ軍戦線の主要陣地、ヒンデンブルク・ラインの
南方延長をなすクリームヒルデ陣地に突き当たった。
 ここは1916年のヴェルダン戦の際に築かれた攻撃陣地を防御強化した部分で、
ヴェルダンの北から北西にかけて伸びる陣地線であった。
 3日間に及ぶ攻撃の末、アメリカ軍は陣地線を突破したが、地形はいまだ険しく、
ドイツ軍の防御は厚かった。

201 :
>>195

トリポリってロンメルのアフリカ軍団の激戦地とばかり
思っていた。

202 :
トリ(プル)+ポリ(ス)って事なのね
考えた事も無かったわ
勉強になった

203 :
>>201
レバノンのよりリビヤのトリポリの方がずっとデカいし首都だし戦地としての話抜きで普通に有名だからな

204 :
プロポリス?w

205 :
プロポリスはプロ=ポリス
守る都市って意味
ギリシャ語を語源としてるのはトリポリと同じ

206 :
ww1絡みで有名なガリポリの語源もその類か

207 :
ニコポリ セバストーポリも

208 :
つ オリンポス

209 :
1918. 10. 15
日本、干渉軍の西進を拒否

 本来ロシア干渉軍はチェコ軍団の救援と東部戦線の再建を目的としていたはず
だったのだが、この日、日本政府はシベリア干渉軍をバイカル湖から西へ進めない
ことを決定した。
 これは出兵を極限的なものにとどめたい政府と、満州の利権防護を出兵の大目標と
する陸軍の意見が一致するところによるものだったのだが、連合国各国からは日本の
動機の不純さに不快感を生じさせる決定であった。

210 :
1918. 10. 15
オスマン帝国、連合国に和平の申し入れ

 ブルガリアの大戦離脱に伴い、オスマン帝国の帝都コンスタンチノープルは無防備
状態に陥った。

 この事態に至る前は、オスマン帝国軍はカフカス戦線では優勢で、シリア戦線では
敗北したもののまだ立て直しは不可能ではないと考えられていた。
 しかし連合軍の帝都直撃が迫るに至って、もはや戦争は継続できないことが明らかに
なった。

 オスマン帝国政府は、先年のメソポタミア戦役で捕虜にしていたイギリス軍の
タウンゼンド将軍を使者に立て、帝都に迫るイギリス軍に対し休戦の申し入れを行った。

211 :
1918. 10. 16
イタリア軍ドゥラッツォを占領

 サロニカ戦線崩壊によって側面ががら空きとなったアルバニア戦線から、オーストリア
軍は総撤退するほかなかった。
 この日、オーストリア軍を追って北へ進撃するイタリア軍は、アドリア海の主要港
ドゥラッツォを占領した。

212 :
1918. 10. 16
オーストリア皇帝、帝国の「連邦化」を宣言

 オーストリア・ハンガリー皇帝カール1世は、離反しつつある帝国内諸民族をなんとか
引き留めようと、ツィスライタニエン(二重君主国領土からハンガリー王国領を除いた
地域)の諸民族に自治を認め、連邦制を布くと宣言した。
 しかしすでに時遅く、帝国内諸民族は独自の動きを始めていた。

213 :
リデル・ハート
「ドイツの裏口のドアが半開きになった」

214 :
>>206
「美しい都市」って意味だそうで。
ガリポリで戦死した将兵たちにとっては皮肉な名前だなあ……

215 :
>>208
それは違う。
たしかオリュンポスはギリシア語起源ではなく、先ギリシア民族の遺した地名で語源不明、ということだったはず

216 :
1918. 10. 17
オステンド、リール奪回

 連合軍のフランダース攻勢は順調に進み、ドイツ軍はじりじりと押されて、この日
ベルギー海岸のオステンドがイギリス軍によって奪回された。また同日、長くドイツ軍
戦線北部の拠点となっていた北フランスのリールも奪回された。

217 :
1918. 10. 19
ブルージュ奪回

 フランダース攻勢はさらなる進展を見せ、1914年にドイツ軍に占領されたベルギーの
ブルージュと、長くドイツ海軍海峡部隊が置かれていたゼーブルッヘは、この日連合軍の
手に落ちた。
 これによりベルギー海岸地域はすべて連合軍によって奪回され(20日)、攻勢主軸は
真東に転じて、次なる目標はヘント(ガン)となった。
 25日にはベルギー王アルベール1世はブルージュに入城した。

218 :
>>186


長州罰全盛だからな。


あいつらのやるこは売り国しかさんこら。

219 :
1918. 10. 22
連合軍スヘルデ川に到達

 連合軍のフランダース攻勢はもはや押しとどめるすべはなく、ドイツ軍はスヘルデ川に
構築したヘルマン陣地に後退した。しかしこの陣地もいつまで保持できるか心細いもので
あった。
 ドイツ軍はアントワープ〜ブリュッセル前面〜シャルルロワ〜ミューズ川に陣地線を
築いてさらなる抵抗拠点とする計画であった。 

220 :
1918. 10. 23
バグダードよりイギリス・インド軍出撃

 オスマン帝国が連合国との休戦協議に入ったのを見て、イギリス陸軍省は、この1年
ほとんど活動していなかったメソポタミア遠征軍に、休戦発効の前にイラク北部の
油田地帯を占領せよと命令した。
 遠征軍司令官マーシャル将軍は、コッブ少将にインド騎兵を主力とする部隊を預け、
北進を命じた。バグダードからモスルまで400km。コッブは間に合うだろうか?

221 :
1918. 10. 23
ウィルソンの最終返答

 アメリカのウィルソン大統領は、再三にわたるドイツの和平申し入れに対し、
「現在の皇帝と軍部による統治が続く限り、和平交渉は開始されない」旨返答した。
 ルーデンドルフはこれを見て驚き、この条件を軍部はのむことはできない、
徹底抗戦あるのみだ、と主張した。
 しかしドイツ国内の趨勢は次第に、そして急速に終末へ向けて動き始めていた。

222 :
1918. 10. 23
ヴィットリオ・ヴェネトの会戦始まる

 すでに崩壊寸前のオーストリア・ハンガリー帝国へ向けて、イタリアはとどめの一撃を
かけるべく、ピアヴェ川戦線で大攻勢を企図した。

 対抗するオーストリア軍では士気の低下に歯止めがかからず、兵力だけはあった
ものの、その内情は戦線を維持するだけでやっとのありさまであった。

 3日間の猛攻の末、イタリア軍はピアヴェ川の中州に進出し、さらに対岸へ攻撃を
加えた。オーストリア軍はこの攻勢を前にして耐えるのみであった。

223 :
http://maisov.if.tv/r/index.php?GreatWarTactics
>数百人の一斉射撃に比べると、機関銃の火力など大したことがないように考えられていました。

へー

224 :
1918. 10. 25
アレッポ陥落

 ダマスクスを占領したアラブ・イギリス連合軍はシリア内陸を北に進撃した。
 対するオスマン軍は逃げるのが精一杯で、有効な抵抗は不可能になっていた。
 この日、ファイサル王子のアラブ軍は北シリアの要衝アレッポに突入し、これを占領した。

 5日後、ブルガリア降伏によって首都コンスタンチノープルを脅かされたオスマン帝国は
ムドロス休戦協定に調印し、それに従ってシリア地方における戦争も終結した。

 実質的にシリアを占領したのはイギリス軍、領土を主張しているのはアラブ(ヘジャズ)、
しかしサイクス・ピコ協定により戦後の管轄権を得ているのはフランス、ということで、
この地域の戦後交渉は難航するが、それは本スレッドの範囲を超える。

225 :
1918. 10. 26
ルーデンドルフ解任

 軍事独裁政権との交渉を拒否したウィルソンの返答を受け、ドイツ帝国宰相マックス・
フォン・バーデン大公はルーデンドルフの解任を要求した。
 ルーデンドルフは自らの解任に同意しなかったが、皇帝が決を下し、この日ルーデン
ドルフは参謀次長(兵站部総長)を解任された。後任にはグレーナー将軍が就任した。
ヒンデンブルクはその地位を保った。

 ルーデンドルフはしばらくベルリンにいたのち、世情が騒然となるのを見て身の危険を
感じ、スウェーデンに亡命した。

226 :
>>225
ルーデンドルフにとっては背後の一突きだったかもな。言動のぶれる高級軍人に退場願うのは当然の処置ではあったが。
それにしても、地位を保ったヒンデンブルクの方が匕首伝説の始まりというのも巡り合わせ。

227 :
1918. 10. 27
オスマン帝国とイギリスの間で休戦協議始まる

 タウンゼンド将軍を介したオスマン帝国の休戦申し入れを、イギリス政府は好意的に
迎えた。
 また、偶然ながら、この申し入れがイギリス軍に対するものであることをいいことに、
イギリスは休戦の協議からフランスを排除することを企図した。
 協議はエーゲ海のギリシャ領レムノス島のムドロス港に停泊したイギリス戦艦
「アガメムノン」号の上で行われた。エーゲ海派遣フランス艦隊の司令長官アメ中将は
招かれなかった。

 フランスのクレマンソー首相はイギリスの態度に抗議したが、つい先日のサロニカ
休戦協議(対ブルガリア)に際してフランス軍はイギリス軍代表を招かなかったでは
ないか、と言われて黙らざるを得なかった。

228 :
1918. 10. 28
イタリア軍ピアヴェ川を渡河

 イタリア軍のヴィットリオ・ヴェネト攻勢は着実に進んでいた。

 この日、ついにイタリア軍はピアヴェ川対岸に橋頭堡を確立し、さらに攻撃を進めた。
 オーストリア軍では反撃の命令が部隊に拒否されるなど、もはや士気は地に落ちており、
やむなく司令官のボロエヴィッチ元帥はタリアメント川までの総退却を命令した。

 オーストリア・ハンガリー帝国に最後の時が迫っていた。

229 :
1918. 10. 28
チェコスロヴァキア独立宣言

 オーストリア・ハンガリー帝国の敗北がもはや避けられないことを見て、チェコ人の
住むベーメン・メーレン地域は、この日、プラハにおいて「チェコスロヴァキア共和国」の
独立を宣言した。

 この動きは連合国において独立承認運動を進めていたマサリクらの「チェコスロヴァキア
暫定政府」と連動したもので、プラハの独立派はマサリクらの政府をそのまま受け入れて
自らの政府として認めた。

 30日にはスロヴァキア人の住むハンガリー領でもこれに呼応して独立派が会合を開き、
チェコスロヴァキア国家に合流すべく決議した。

230 :
フィリップペタンが抜擢されなければ
西部戦線も危うかったような気がする

231 :
1918. 10. 29
イラクのイギリス・インド軍、オスマン軍を捕捉

 バグダードからモスルへ急行するイギリス・インド軍は、1週間で220km前進し、この日
シャルカトの町でモスルへの道を守るオスマン軍と戦闘に入った。
 オスマン軍はすでに戦意乏しく、インド軍の攻撃により砲兵陣地が奪われると、それ
以上の戦闘を避けて降伏した。

 インド軍はさらに前進し、モスルを目指した。

232 :
1918. 10. 29
スロヴェニア人・クロアチア人・セルビア人国家、独立を宣言

 イタリア戦線の敗北を受け、イタリア軍の侵攻が迫っていたバルカンの南スラヴ人
居住地区では、泥舟と化したオーストリア帝国からの離脱が図られた。

 この日、諸民族の代表は、帝国内のスラヴ人居住地の独立と「スロヴェニア人・
クロアチア人・セルビア人国家」の成立を宣言した。

 この国家はのちに「ユーゴスラヴィア」となる領域に存在する国家であるが、「ユーゴ
スラヴィア」が成立するまでにはまだいくつかの曲折がある。しかしそれは本スレッドの
範囲を超えるであろう。

233 :
1918. 10. 29
ドイツ艦隊に反乱発生

 10月24日にドイツ艦隊は英仏海峡方面に総出撃を行うことを決定した。

 しかし水兵の間では厭戦気分が広まっており、「和平交渉を失敗させるために、敵の
半分の戦力で出撃するのは自殺行為だ」という声が急速に高まった。
 出撃日に指定された30日の前日の29日、戦艦部隊を中心に大規模な不服従、反乱、
持場放棄が行われた。

 艦隊内は騒然となり、もはや出撃どころではなくなった。外海艦隊司令長官ヒッパー
中将は、比較的命令に従っていた小型艦の指揮官たちに反乱の鎮圧を命じ、一時は
明白な不服従は鎮定されたかに見えた。

 しかし、この反乱はさらに大きな炎の火種になるのであった。

234 :
1918. 10. 30
ムドロス休戦協定調印

 オスマン帝国と連合軍を代表するイギリスの間で進んでいたムドロス休戦協定が
この日調印に至った。

 内容は、アナトリア以外の地域に派遣されたオスマン帝国軍の降伏とその他の
部隊の動員解除、カフカスにおける旧国境線への撤退といった通常の条項の他に、
帝都コンスタンチノープルの連合軍による占領、ボスポラス・ダーダネルス海峡の
連合軍による管理、さらには「騒擾状態が起きた場合に」連合軍がオスマン帝国領を
占領する権利、オスマン帝国領内の交通路の連合軍による自由使用権など、
屈辱的な項目が並んでいた。

 海峡の通過権は黒海沿岸国に対するイギリスの干渉のため、領土占領の許可は
ギリシャやイタリアの領土拡張(彼らの言い分においては「回復」)のために利用され、
オスマン帝国はまさに亡国の体をなすことになる。

 トルコの人々はこの屈辱から数年を経ずして立ち上がるのだが、その話は本スレッドの
範囲を超える。

235 :
1918. 10. 30
イラクのイギリス・インド軍、モスルに届かず

 バグダードからモスルの油田を狙って急速に北上していたイギリス・インド軍で
あったが、ムドロス休戦協定が発効した時にはモスルからなお20km南にあった。
 ただ、前路をさえぎる敵はすでに存在せず、インド軍騎兵はそのまま前進して
モスルに突入した。モスル入城の日付には11月1日・2日・4日・14日などと諸説ある。

236 :
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m289694801

237 :
1918. 10. 31
スロヴェニア人民兵、南部オーストリアで蜂起

 南スラヴ人国家の樹立宣言とともに、南部オーストリアとの国境をどこに引くかが
問題となった。リュブリャナの国民政府は、国境は戦後の講和会議で決定される
だろうとして積極的な動きを見せなかったが、各都市や地方政府はそれぞれどちらに
属するか自主的に判断を始めていた。

 マリボル(マールブルク)の町はドイツ人人口が多く、10月30日に「オーストリアに
帰属を希望する」旨声明を発した。
 これに対し現地のスロヴェニア人勢力は反発し、ルドルフ・マイスター少佐を
リーダーとして民兵の動員を始めた。

 終戦を前に、オーストリアとスロヴェニアの間に戦争の危機が迫っていた。

238 :
1918. 10. 31
ハンガリーのアスター革命

 オーストリア・ハンガリー帝国を形成する諸民族は今や全く独自に活動を始めつつ
あった。
 帝国を支える二本の柱の一本、ハンガリーでも同様であった。

 この日、ハンガリーの帝国からの分離を唱えるハンガリー国民評議会は、国軍兵士の
支持を得てブダペシュトの政府機関を占領した。前首相のティサ・イシュトヴァーンは
この混乱の中で射殺された。
 国民評議会派の兵士や市民は、印として野菊(英語でアスター、ハンガリー語で
エーシロージャ)を服につけていたため、この政変を「アスター革命」と呼ぶ。

 評議会の代表カーロイ・ミハーイがこの日の夜に皇帝の命を受けて首相に就任
したが、それはもはや形式だけのものに過ぎなかった。
 カーロイはオーストリア・ハンガリー間の「アウスグライヒ」の無効を宣言し、ここに
二重帝国は瓦解した。

 この後ハンガリーはより大きな混乱の中に投じられることになるが、それはこの
スレッドの話題の範囲を超える。

239 :
1918. 11. 1
イタリア軍トリエステに上陸

 崩壊するオーストリア・ハンガリー帝国から「未回収のイタリア」を奪還すべく、
イタリア軍はアドリア海対岸のトリエステに上陸作戦を行った。

240 :
1918. 11. 1
セルビア軍ベオグラードを奪回

 敗走するオーストリア軍を追撃するセルビア軍は、この日ついに国土の北端にある
首都ベオグラードを奪回した。
 ここでセルビア軍の進撃は停止することになった。ここより北は従来オーストリア・
ハンガリー領であったが、この時点では数日前にそこで独立を宣言した南スラヴ
諸民族の連合政府の統治下にあったからである。

241 :
1918. 11. 1
アメリカ軍のミューズ攻勢

 10月末までにアメリカ遠征軍はアルゴンヌの森を抜けつつあった。ここにおいて
アメリカ軍はミューズ川中流域の広い河谷を横断してセダン(スダン)を奪取すべく、
さらなる攻勢作戦を開始した。
 砲兵火力を集中した攻撃により、作戦初日に各部隊は10キロ内外の前進を果たし、
ドイツ軍はじりじりと押されていった。
 ドイツ軍は戦線をフランス・ベルギー国境に平行した線(ジヴェ突出部を除く)まで
下げるように命令した。

242 :
1918. 11. 1
戦艦「ユーゴスラヴィア」(旧「ヴィリブス・ウニティス」)撃沈

 10月31日、オーストリア政府は海軍の艦艇すべてをスロヴェニア人・クロアチア人・
セルビア人国家に譲渡した。連合軍の手に陥るのを防ぐためであった。
 戦艦「ヴィリブス・ウニティス」は「ユーゴスラヴィア」と改名された。

 「ユーゴスラヴィア」はポーラ港に停泊していたが、11月1日に、イタリア軍のラファエレ・
ロッセッティ少佐はラファエレ・パオルッチ中尉とともに、魚雷を改造した「ミニャッテ」
半潜水艇に乗ってポーラ港襲撃を試みた。
 ひそかに港内に侵入したロッセッティは「ユーゴスラヴィア」に吸着機雷を設置し、
パオルッチは商船「ヴィーン」の下の海底に機雷を敷設した。

 爆発前に二人は見張りに発見され、「ユーゴスラヴィア」艦上に引き出されたが、
「6時30分に機雷が爆発する。どこに設置したかは自分でももはやわからない」と
述べたため、艦長のヤンコ・ブコヴィッチ少将(もとオーストリア海軍、クロアチア人)は
総員退艦を命じた。

 しかし時間になっても爆発は起きなかったため、ブコヴィッチはイタリア人の企みは
失敗したと判断し、乗員を艦に戻した。
 ところが機雷は6時44分に爆発し、艦は速やかに転覆沈没して、ブコヴィッチ以下
数百人が死亡した。「ヴィーン」の機雷も爆発し、同船は沈没した。

 ロッセッティとパオルッチは捕虜となったが、数日後に解放され、イタリアに戻って
英雄として大歓迎を受けた。

243 :
1918. 11. 2
最後のUボート被害

 この日、イギリス船籍の商船「スラダ」は、スエズ運河の地中海側出口の沖でドイツ
Uボート「UC74」の雷撃を受けて沈没した。
 これが第一次世界大戦における最後のUボート被害(商船)であるとされている。
ただし、機雷による沈没は1919年まで続いた。

244 :
1918. 11. 3
イタリア戦線における休戦協定調印

 タリアメント川まで退却したイタリア戦線のオーストリア軍であったが、イタリア軍の
追撃は厳しく、もはやこれを押しとどめる力が残っていないことは明らかであった。
 オーストリア軍はこれ以上の無用の犠牲を出さないために、イタリア軍に休戦を
申し込んだ。

 イタリア軍は条件としてオーストリアの動員解除と戦前国境までの撤退、アドリア
海岸と南ティロールへのイタリア軍の進駐を要求し、オーストリア側もその条件を
呑んで、この日戦線のイタリア側のパルマにあるヴィラ・ジュスト山荘にて協定は
調印された。

 協定においては調印24時間後に休戦が発効するということになっていたが、
オーストリア軍のヴェーバー将軍は早まって指揮下の部隊に一方的停戦命令を
出してしまった。
 この結果、イタリア軍は無抵抗のオーストリア軍から40万に及ぶ大量の捕虜を
得たが、いずれ戦争は終わるのであるからそれは大した問題ではないだろう。

245 :
1918. 11. 3
キールにて水兵の大反乱

 自殺的出撃に反対して反乱を起こしたドイツ戦艦部隊の水兵たちは、一時は平静を
取り戻したかに見えた。
 しかし、艦隊が北海岸からキール運河を通ってバルト海側のキールに入港し、反乱
首謀者47名が陸上の海軍監獄に移送されると、水兵の不満はかえって増大した。

 上陸した水兵たちは集団で協議を行い、社民党シンパを中心に組合を結成して
収監者の釈放を要求した。
 これが拒否されると、海軍練兵場でさらに大規模な集会が計画された。造船所の
職工たちも大勢集まり、集会は「平和とパンを!」と声を合わせて叫びながらキール
市内にあふれ出るデモ行進となった。11月3日のことである。

 司令部はデモに参加していない将兵を集めて鎮圧を命じたが、その数はわずかで
あり、デモの列は押しとどめようもなかった。
 そしてついに鎮圧部隊指揮官は発砲を命じ、銃声を機に激しい乱闘となった。
 7人が死亡し、29人が重傷を負った。

 翌日、鎮圧のために陸軍部隊が出動を要請された。しかし陸兵ももはや信頼に
足るものではなく、多くが出動命令に従わなかった。

 4日、反乱兵と労働者はキール市内を制圧し、労兵レーテ(「ソヴィエト」にあたる
ドイツ語)が結成された。社民党と独立社民党は指導者をキールに送り込んで
反乱勢力の掌握を試みたが、もはや様相は「革命」の域に達し、個人や既存の
団体が掌握できる限界を超えていた。

 反乱と革命はドイツの諸都市に飛び火した。ドイツ革命の始まりである。

246 :
遂に来たか

247 :
1918. 11. 4
連合軍モンテネグロを奪回

 この日、モンテネグロを占領していたオーストリア軍はカッタロで連合軍に降伏し、
セルビア軍アドリア支隊はモンテネグロ全土を奪回した。

248 :
1918. 11. 5
空母「カンパニア」沈没

 イギリス海軍の空母「カンパニア」はスコットランドのフォース湾に停泊していたが、
この日急な突風にあおられて走錨しながら僚艦に吹き寄せられた。
 艦はまず戦艦「ロイヤル・オーク」に、ついで巡洋艦「グローリアス」に衝突し、機関部に
浸水を生じて航行不能となった。
 艦はそのまま漂流し、5時間後に沈没した。乗組員は全員付近の艦艇に救助されて
死傷者はなかった。
 残骸は今でも搭載した飛行機とともにフォース湾の底にある。

249 :
1918. 11. 6
アメリカ軍、セダンに迫る

 セダン攻略を狙うアメリカ軍は、この日までにミューズ河谷に到達し、セダンを望む
丘を占領することに成功した。
 さらにアメリカ軍はミューズ川に架橋し、対岸に橋頭堡を確保した。
 しかしここでフォッシュ元帥の連合軍総司令部から指示が届いた。そのままセダンを
占領するのはフランス軍とアメリカ軍の境界を乱すことになるので差し止められたい、
との指示であった。
 アメリカ軍はやむなく停止し、戦線の整理を行った。

250 :
WWT イギリス大艦隊の死闘
http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=181106

初回放送
2018年11月6日(火)午後11時00分〜

再放送
2018年11月16日(金)午後6時00分〜

251 :
ドイツの海軍は無駄な大型水上艦でなく潜水艦を大量投入してたらWWU、英国を降伏させ得たかも知れないな(かも、だけど)
北海方面にしか行き場が無いから北とドーバーを抑えられたら何も出来ない(このあたり支那がクリソツ)
しかし戦艦が海戦の主力として活躍する最初にして最後の大戦は現代のヲタにして見れば魅力的だ

252 :
いよいよ休戦か・・・

講和条約まで続くのかなこのスレ?

253 :
マターリ幸和スレ

254 :
1918. 11. 7
ヒンデンブルク、フォッシュに休戦申し入れ

 この日、ドイツ軍参謀総長のヒンデンブルク将軍は連合軍最高司令官のフォッシュ
将軍に対して休戦協議の申し入れを行った。

 連合軍側では、ルーデンドルフの辞任などを見て、ドイツがもはや以前の軍事独裁
政権下にはないことを確認し、休戦が申し出られたらこれを承認する旨合意ができて
いた。

 7日にはドイツ側を代表するマティアス・エルツベルガー(中央党、議会内の反戦派と
して有名であった)が戦線を越え、フランス側に到着した。
 フランス軍はドイツ代表団を汽車に乗せ、パリ郊外コンピエーニュの森に運んだ。
休戦協議はそのまま鉄道の客車の中で行われることとなった。

255 :
1918. 11. 7
バイエルン国王ルートヴィヒ三世逃亡

 革命の炎は南ドイツのバイエルンにも飛び火した。バイエルンの首都ミュンヒェンの
街路には多数の労働者が集まり、口々に戦争の終結と国王・皇帝の退位を求めた。

 7日に至り、ふくれ上がるデモ隊の数に危険を感じたバイエルン国王ルートヴィヒ
三世は、ひそかに王宮を離れてザルツブルク近くの居城のひとつに逃亡した。
ここにバイエルンの王制は実質的に終結した。

256 :
ルシタニア号事件
https://www.y-history.net/appendix/wh1501-043_1.html
BS世界のドキュメンタリー「豪華客船ルシタニア 沈没の真実」
http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=170920
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/023e8e3fda5cbfb424632b87d0b84719
https://www.dailymotion.com/video/x61bzp3

257 :
>>256
軍事物資を積んでた時点で民間船では無いでしょ
ジェーン年鑑に記載されている敵国艦船を撃沈するのは戦時の常識

258 :
1918. 11. 8
バイエルン自由国宣言

 国王の逃亡を受けて、デモ隊を指導していた独立社民党のクルト・アイスナーは
「バイエルン自由国」の成立を宣言し、自ら首席大臣に就任した。
 アイスナーはレーテ勢力を大幅に政権に取り込もうという意思を見せ、ここでの
革命の道行きはドイツの他の州とはいささか異なる方向へ向かうこととなる。

259 :
フランスのマクロン大統領が、第1次世界大戦の戦勝記念日関連イベントの場で、第1次大戦
におけるペタン元帥の功績をたたえたところ、右派左派双方から批判を浴びているとの事。

第1次世界大戦の英雄は後のナチス協力者 マクロン仏大統領が称賛し物議
https://www.bbc.com/japanese/46134216
>終戦100周年記念でフランス北部を訪れているマクロン氏はシャルルビル=メジエールで
>の演説で、「(第1次世界大戦で)フランスを勝利に導いた司令官たちに敬意を表するのは
>正しい」と述べた。
>マクロン氏はペタンについて触れ、ナチス占領下のフランスで「悲惨な選択」をしたが、
>「彼はすばらしい兵士だった」と語った。

260 :
エーベルトも良い迷惑だな。自身では共和国樹立の意図はなかったのに
情勢の推移で急きょ宣言を納得せざるを得なくなった。
誰もが責任を投げ出した後で一番損な役回りを引き受けたのに
馬鹿な退役兵どもが騒いだ。

261 :
1918. 11. 9
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世退位

 キールで始まった労働者と兵士の革命運動は全ドイツに波及していた。社民党の
エーベルト党首は、状況収拾のためには皇帝が退位するほかはない、と宰相マックス・
フォン・バーデン大公に迫った。

 革命勃発に先立ってベルリンを離れ、大本営のあるベルギーのスパに退避していた
皇帝は退位の要求を拒絶したが、11月9日にマックス大公は独断で皇帝の退位を
宣言した。

 ヴィルヘルムは激怒したが、忠誠心篤いヒンデンブルクからも退位と亡命を
勧められ、やむなく翌日にオランダへ亡命した。

262 :
1918. 11. 9
ドイツ共和国宣言

 皇帝の退位宣言を聞き、労兵レーテは一気に権力の掌握に動き出した。革命の嵐の
中で釈放されていた共産主義者のカール・リープクネヒトは「社会主義共和国」の建国を
宣言すべく、ベルリン中心部のルストガルテンに同志を集めた。

 帝国議会議事堂でこの動きを聞いた社民党の副党首シャイデマンは、このままでは
レーテ勢力がドイツの主導権を握ってしまう、と危機感を覚え、午後4時に帝国議会
議事堂のバルコニーに出て、「ドイツ共和国」の建国宣言を行った。

 リープクネヒトの「社会主義共和国」宣言もほぼ同時に行われたが、帝国議会という、
より政治的に注目を集めた場所で行われたシャイデマンの宣言に覆われて小さな
注目しか集められなかった。

263 :
1918. 11. 9
戦艦「ブリタニア」被雷沈没

 イギリス海軍の前ド級戦艦「ブリタニア」は、ジブラルタル海峡の西、トラファルガー岬
沖を航行していたところ、11月9日の朝にドイツ潜水艦「UB50」(艦長ハインリヒ・
クーカート中尉)の雷撃を受けた。
 数分の間をおいて2本の魚雷が命中し、中間砲の弾薬庫に火災が生じた。火炎と
黒煙のために水防作業は不可能となり、総員退艦が命じられた。その後2時間余りの
のち、艦は転覆沈没した。主に窒息により、50名が戦死した。

264 :
1918. 11. 9
ルドルフ・マイスター、低地シュタイアマルクに全面蜂起を呼びかけ

 スロヴェニア人民兵組織のリーダー、ルドルフ・マイスター少佐は、自ら「将軍」を
名乗り、全スロヴェニア人地域の南スラヴ国家への帰属を主張して、低地
シュタイアマルクに大規模な民兵組織の蜂起を呼びかけた。

 それに対してドイツ人住民も民兵組織の設立を急いだが、マイスターの組織の
成長の方が速く、ドイツ人側は劣勢であった。

 マイスターの危険な動きに、ウィーンのオーストリア政府もリュブリャナの
スロヴェニア政府も警告を発したが、マイスターの活動はとどまるところを
知らなかった。

265 :
ドイツ革命始まる
https://twitter.com/kusyokuin/status/1043757933824098305
(deleted an unsolicited ad)

266 :
こうして見ると、左翼活動家って黎明期から現代まで変わらんな。
社会の不満と混乱に乗じて秩序を壊そうとするけど、その後のより豊かで安定した社会を作るというビジョンは皆無。
現体制を壊せば何とかなる、みたいな無責任な宣伝で、硬着陸で済むところを墜落させている。
社会主義・共産主義の左翼国家で失敗が確定していないのは、共産党王朝・中華帝国こと中華人民共和国くらいか。しかし、彼等の歴史は日本の鎌倉幕府よりまだ短い。
いつまで保つかな?

267 :
社会に不満と混乱を産んで左翼に敗北する右翼の方が根本的に悪い

268 :
>266
ルーデンドルフも上記のマイスター少佐も右翼なのですが…。

269 :
>>266に任せたらトンデモ国家になりそう

270 :
トンデモ国家というと、まさに史実のドイツ帝国が
ロシア軍が総動員すると、ドイツ軍がベルギー国境線を突破する・・・後世から見ると、さすがに、誰かまずいことに気づけよと

271 :
>>261
アメリカ外交筋の示唆を受けてマックス宰相が退位問題の再検討に入った段階(10月末)
SPD内ではエーベルトは反対してる。
10月31日の閣議では中央党のエルツベルガーが反対してるけど、彼も自発的退位には反対していない。
おそらくこの日、または前日に退位問題での閣僚のコンセンサスが取れた。
キールの水兵反乱がベルリンに伝わったのは翌1日だが、同日にはマックスは大本営の皇帝に退位を薦めてる。

退位問題は既に閣内の多数意見となっているから、
「水兵の反乱によって」ベルギーの皇帝に退位を迫ったというのは必ずしも正確ではないのでは。
(あと蛇足だが、この時点では皇帝退位≠帝政廃止。孫王子のヴィルヘルムがいちおう後継候補)

272 :
ドイツ革命で帝政から立憲君主制に移行していたらナチスが政権を取ることはなかったのだろうか

273 :
ムッソリーニが立憲王政のままファシスト国家を建設してるので
むしろ完全な前例が出来て政権奪取は容易いと思う
ヒトラーの権力的には史実よりは弱体化するかもしれない

274 :
>>271
 なるほど、皇帝の退位はルーデンドルフの更迭と組で、和平への前提条件だったと
いうわけですね。
 革命はきっかけではあっても、退位の原因ではないと。

275 :
1918. 11. 10
エーベルト・グレーナー合意

 社民党党首のエーベルトは、極左共産主義勢力の伸長を恐れ、軍部との協力を
模索した。
 参謀本部次長として軍部の実質的な指導者であったエーリヒ・グレーナー将軍も
極左勢力の拡大を望まず、この日エーベルトに電話して「軍部は共和国に従う」
旨を確約した。
 エーベルトはこの確約を得て一応の体制の安定のめどが立ったと考え、連合軍との
休戦協定締結に向けて動き出した。
 軍部は前線からの兵力撤収と動員解除の計画を始めた。

276 :
1918. 11. 10
ルーマニア再参戦

 この年の春に中央同盟国と講和して戦争から離脱していたルーマニアは、
サロニカ戦線の崩壊とブルガリアの降伏を見て、この日再び中央同盟国に対し
宣戦を布告した。

277 :
1918. 11. 10
最後の沈没艦艇

 この日、イギリス海軍の掃海艇「アスコット」はイングランド北部東岸沖でUボート
「UB67」の雷撃を受けて沈没した。戦死者51名。これが第一次世界大戦最後の
沈没艦艇である。

278 :
1918. 11. 10
フランス軍ドナウを渡る

 サロニカ戦線からはるばるベオグラードのドナウ河畔までやってきたデスペレ将軍の
フランス軍は、この日ドナウ川を北に渡って、旧ハンガリー領へ侵入を開始した。
厳密に言うとハンガリーとフランスはいまだ戦争状態にあると考えられたからである。

 ハンガリー革命政権の首相カーロイ伯はこれを見て驚き、急ぎベオグラードの
フランス軍司令部に赴いて新たな休戦協定を締結した(11月13日)。

279 :
1918. 11. 11
フランス軍セダンを占領

 この日、フランス軍はミューズ川中流域の要衝、セダン(スダン)を占領した。
 当地はアメリカ軍の進撃目標ともなっていたが、連合軍最高司令部の裁定により
フランス軍分担地域となり、アメリカ軍の突入は中止されて、フランス軍によって
占領された。
 占領の日、停戦協定が発効し、西部戦線の戦争は終わった。

280 :
1918. 11. 11
休戦協定発効、第一次世界大戦終結

 休戦条項はドイツ側に厳しいものであったが、もはやドイツ代表団はこれを受け入れる
ほかの選択肢はなかった。
 11月10日にはベルリンのエーベルト政府から即時調印の許可が下り、スパの大本営に
いたヒンデンブルクからも、「いかなる条件であっても休戦を受諾すべし」との意見が
届いていた。

 エルツベルガー委員は翌11日の午前5時、連合軍の代表ととともに休戦協定に
調印した。
 ドイツ側調印者はエルツベルガーと外務省のオーベルンドルフ、陸軍のフォン・
ヴィンターフェルト少将、海軍のファンゼロー大佐であった。
 連合軍側調印者はフォッシュ最高司令官とイギリス海軍第一海軍卿(海軍本部長)の
ウィームズ提督であった。
 協定はグリニッジ標準時午前11時に発効するものとされた。

 午前11時、第一次世界大戦は終結した。
 その長さは4年と3ヶ月2週間に及び、両陣営で980万人以上が戦場に倒れ、800万人
近くに及ぶ民間人が戦争の影響で死亡するに至った、まさにこれは大戦争 Great War
であった。

281 :
 長い間お付き合いくださいましてありがとうございました。これでこの「第一次世界大戦
カレンダー」連載も終了します。

 それにしても思うのは、戦争は終わってもいろいろなことが終わらずに続いているのだ
ということ、特に東欧圏では、この日はまだ物事の「始まりの終わり」にすぎないのだ
ということです。
 尻切れトンボに終わった東欧の革命や戦争についてのお話は、皆さんそれぞれの
興味に従ってお調べください。結構ネット上にもいろいろ材料は転がっているものです。

 連載が始まる前の、1914年から15年にかけてのできごともまとめてみますかね。
いずれ110年記念にでも連載しようかな。

282 :
擬似リアルタイムお疲れ様でした!
ほぼROMでしたが楽しませてもらいました

283 :
(四年後の)クリスマスまでには終わったね、リアルタイムで四年間本当にお疲れさまでした

284 :
乙一!

285 :
お疲れ様でした
書籍にまとめてどこかの出版社に持ち込めば反応あると思うよ

286 :
毎日楽しみにして拝見しておりました。お疲れ様です。

287 :
お疲れ様です。
他に言葉がありませんです。

288 :
100年前のサラエボを2ヶ月遅れで観光して
帰って来てから読ませて頂いていました。
お疲れ様でした。ありがとうございました。

289 :
これは終了ではない。休載だ ―フォッシュ

290 :
お疲れ様でした
支払停止までの実際の支払額は191億金マルク程度

291 :
外交上は講和条約締結までが戦争です

292 :
戦間期(ドイツの左右の蜂起、ルール占領)や、1904年以降から大戦までの動きをやっても面白そうだね
それにしてもこの数年で第一次大戦がらみの和訳増えたなあ

293 :
第一次世界大戦終結100周年を記念し、シューティングゲームの中で2分間誰も銃を撃たない時間が発生
https://gigazine.net/news/20181112-100th-anniversary-wwi-cease-fire/

> 2018年11月11日、1914年に開戦した第一次世界大戦の終戦からちょうど100年が
>経過しました。この記念すべき日に、第一次世界大戦を題材とするFPS
>「バトルフィールド 1」の中で、プレイヤーが敵対行為を止め、銃を撃たずに2分間に
>渡って黙祷する時間が発生したということで、話題になっています。

294 :
空気読まないやつがいたら無双か

295 :
余計馬鹿っぽいなw
しゅー〜自体w

296 :
>>281
お疲れ様でした。

297 :
スコットランド大腿の、14年の出征時と、18年の復員時に出征当時の将兵だけで記念
撮影した写真との比較ですと。
https://pbs.twimg.com/media/Dr4muzZV4AAswcI.jpg

298 :
残存率5%ぐらいか
病気や負傷で後送されたのもかなりいるだろうから、4年以上も居続けるってのも運がいいんだか悪いんだか

299 :
損耗率がエグ過ぎる

300 :
戦死○○名、戦傷××名って統計の数字じゃなく、こうしてビジュアル的に見せられると、
さらに悲惨さが増すな……

301 :
回想録とか見る限り、将校は数カ月に一度は休暇貰って銃後の保養地や本国で羽根を伸ばせたみたいだけど、兵卒はどうだったんだろ?

302 :
>>301
フランスは反乱騒ぎをきっかけに交代やら休暇やら見直してる
というか現代の福利厚生の基礎が第一次世界大戦で出来たと言われてる

303 :
バルビュスの砲火だったかに書いてたな
敵味方の攻勢や作戦など特段の事情が無い場合は
3日危険な地域の前線にいて3日安定した地域の前線にいて3日後方で過ごすローテーション
動員された農家のおっさんでも無理なくできないと駄目だしな

304 :
WW2になっても休暇があんまし整備されてなかった日本陸軍・・・

305 :
休暇与えるぐらいなら現地除隊させちゃったから…

306 :
>>304
この正月、任地のガ島にて特別休暇を賜る。
お袋がつくった雑煮が食べたかった。
昭和十八年 元旦

なんてのはヤダな・・・

307 :
100年を誇るイギリス空軍史でも、おそらく唯一の日本人将兵の話ですって。

100年前の英空軍に日本人パイロット
波瀾万丈の生涯、遺族が語る
https://this.kiji.is/433151134976312417?c=39546741839462401
> 1914年、第1次大戦が勃発すると英軍インド人部隊に入隊、元々の姓に似た
>「オハラ」姓を与えられた。オハラは、映画「風と共に去りぬ」の主人公
>「スカーレット・オハラ」で有名なアイルランド系の名前だ。ハリーがなぜインドで
>軍隊に入ったのか、明確なことは分かっていない。当時は日英同盟時代で、日本は
>英国と共に連合軍の一員として参戦していた。ジェラルディンさんは「戦争に若者の
>血が騒いだのでは」と想像している。
> 最初は「第34シーク教徒工兵隊」に加わった。ターバンを巻いた背の高いシーク
>教徒に混じった日本人は奇異だったらしく、すぐに、日本人に背格好も似たネパール
>系の「グルカ兵」の部隊の一員になった。その後、英本土の陸軍ミドルセックス連隊に
>移った。西部戦線のフランスで塹壕戦などに参加した際の勇敢さと軍功から英国の
>勲章を受けた。短期間、部隊のコックを務めていたこともあったらしい。ハリーは
>その後、陸軍航空隊に志願、整備士を務めた後、パイロット資格を得た。
> 英空軍博物館のピーター・デビット学芸員は、(中略)英国人と日本人の「ハーフ」
>などではない日本人が英空軍に採用された「恐らく唯一の例だろう」とデビットさんは
>話す。

308 :
  
『日本人とドイツ人』(光人社NF文庫/棟田博作家元陸軍伍長。徳島県にあった捕虜収容所の話)

■1914年(大正3年)6月オーストリア皇太子が射殺される。1月後大戦が開始される。
 石油がでるバルカン半島進出しようとしたドイツを英仏露で妨害したことが背景。

■同年8月英が独に宣戦布告。英が日本に参戦を要請。同月日本は独に宣戦布告。

■陸軍は福岡の第十八師団を中心に青島攻撃軍を派遣。独守備隊は5千、日英軍は3万。
 形だけ抵抗したが11月初めには降伏。捕虜は約4千人。ただちに日本国内の
 捕虜収容所に送られる。

■戦争は当初1年で終わるという予想だったため特に新築しなかった。が、予想外に長引き
 5年間拘留することになった。敵愾心は双方なかったので、収容所の外での作業なども多く
 地元民と交流も多かった。

■開始当初は恐慌状態だったが2年目の後半から大好況になった。同盟国から
 船、弾薬、武器の要請と当事国は輸出の余裕が無かったため、アジアアフリカ諸国から
 日本に発注が殺到したため。特に造船は世界3位に躍進した。

309 :
(続き)
 
■独と仏独露の戦争は一進一退だったが1917年米が参戦して均衡が崩れた。

■1918年8月になると仏はほぼ壊滅状態だったが、独にも余裕が無くなった。
 15歳から50歳までの男子人口は3千万人だったので1千万人は動員可能という算段だった。
 が、もう全く補充ができなくなった。英は未だ余裕があり、米は全く無傷だった。

■10月になると独逸各地で反乱が起き命令拒否も目立ってきた。独皇帝はオランダに亡命し
 ヒンデンブルグ将軍(露西亜を撃破した独の英雄)は、休戦を決意した。
 11月に厳しい条件下での休戦条約にサインした。

■日本は戦勝国の1員としてベルサイユでの講和会議に出席。代表は西園寺、陸海外務省中心
 に派遣団を結成。

■条約は独に厳しい内容。アルザスロレーヌの仏へ割譲、海外権益の放棄、賠償金は
 1320億マルクを金か通貨で支払う。拒否すれば戦争再開となるので受諾。
 1919年6月ベルサイユ条約締結。

■日本国内の独逸人捕虜は5年振り帰国した。費用は日本負担となった。

■独逸国内では社会党と国粋人民党で激しい対立。1925年にはヒンデンブルが大統領に就任。
 1932年ヒトラーの国家社会主義独逸労働者党が第一党になる

310 :
BS10 スターch200 21:00-23:45
白いリボン

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! w hjiurwwaqsdrt

311 :
ドイツの賠償金支払総額は意外と少ない
ケインズが「これ以上は少なすぎ」と言った水準にも達してない

というより「過酷な条約」という認識じたいが、ドイツ外務省が
1920年代前半の孤立期に英仏に譲歩を迫る過程で国民を煽った宣伝で、
いざ極右政党が登場して条約の不当性を声高に叫ぶ頃には
とっくに協調外交に転じてその手の宣伝をしなくなっていたので困惑した

312 :
アメリカが起こした大恐慌は賠償金なんかよりはるかに第二次世界大戦の原因として直接的だからね
その責任から逃れる為の言い訳としてアメリカやイギリスには良かった

313 :
英国は常にウザいなあw
今度もEU脱退wで早く爆タヒして欲しいw
ポンド安が何処まで進むか見ものw

英国というより英国支持者wが嫌w
馬鹿っぽいしw

314 :
>>311
まあしでかしたことの大きさからすればあっけないほど少ないよな
ほんとに全部償わせるなんて、物的損害だけでもそれはそれで不可能だがw
それでも当のドイツに反省の色はなく支払いを少しでも免れようとのらりくらりとかわし続け、
一方フランスベルギーは債権の強制執行に電柱まで引っこ抜いて持ち去るナニワ金融道
債権者の側からすれば、国土を廃墟にされて復興資金が喉から手が出るほど必要なのに、
今となってはその金色夜叉が再戦の誘因になったと叩かれる不条理

315 :
>>314
第二次大戦をほぼ正確に予測してたフランスのフォッシュはドイツを分割するべきだと言ってた
第二次大戦後の処置を見ると下手な賠償よりもそっちの方が正解やったんやろなあと思う

316 :
そんなこと実際に可能だったのか?
ベルサイユ条約だってドイツ政府が受諾したからいいものの、敗北覚悟で飽くまで戦うべしという声も強かった。
ドイツ解体なんて条件突きつけたら戦争再開に踏み切るかもしれないし、そうなったら勝てるのは当然としても、ドイツ全土に大軍を駐留させて軍政でも敷かなきゃ秩序維持もできなくなる。
ルール進駐の泥沼が数十倍になるわけで、そんな負担に耐えられたのか、そんな負担に耐えるだけの見返りがあったのか。

317 :
>>316
後知恵として言えば第二次世界大戦の惨禍よりは…
オーストリアは分割されたしドイツそのものは19世紀にビスマルクの鉄腕と策謀で構築した人口国家ではあるから、不可能とは言い切れない
まああの段階でそんなちゃぶ台ひっくり返す暴挙をあえてするものはいなかったろうが

318 :
バイエルン独立は可能だろうが
戦後バイエルンは統制が効く状態ではない
ただ反ベルリンでは結束していたからそこを利用すればなんとかなる

319 :
東プロイセンを独立させてポーランドと連邦国家に!
ってまとまる気が全くしないwww

320 :
>>319
連合国側からしたら
まとまらせる必要がない
いい感じで混乱してれば脅威にならない

321 :
日本人からすると兄弟国のドイツを応援しちゃうよね。
ジークハイル!

322 :
>>321
ドイツは敵国だろアホ

323 :
兄弟でも喧嘩はするっペ

骨肉愛ハム

324 :
>>318
バイエルンはカソリックが多いし、プロテスタントのプロイセンからの分離独立の下地はある・・・
がしかし、休戦前のバイエルン王の振る舞いが無責任過ぎて混乱したからなあ泣
結果論だが、バイエルンにあの髭の伍長勤務上等兵が入院していたことを考えると、フランスが身銭切ってでもバイエルンを独立・ドイツと合邦禁止にしておけば、多少は歴史が変わっていた。

325 :
戦闘が再開された場合、ライン地域が中立を宣言する可能性はあった
ドイツ政府は占領や離脱を危惧していたが、英仏側が考えていたのは中立化・自立化
フォッシュの構想自体は南北ドイツの分断を狙ったものだったが、
実際問題、国家解体に発展する可能性は高くない

326 :
1915年にフランスの右派団体が提唱した戦後構想
https://i.imgur.com/7O79FFl.png

個人的にはスイス領土が増えてるのが気にかかる・・・
スイスに「領土やるから受け取れ」と言っても、後難を恐れて断るんじゃないかね?

327 :
>>326
ロシアに飲み込まれてるフィンランドカワイソス

328 :
元からだろ

329 :
>>327
当時のフィンランドは元々ロシア帝国領やね
戦後独立や

330 :
欧州側のトルコ領をブルガリア領にしようというのはまあわかるが何故かアルバニアも分割しようとしてんな

331 :
>>330
1915年だと実際すでにアルバニア南部はギリシャが実効支配してるし
ドイツ貴族の国王はもう亡命してて無政府状態だし

332 :
ベルギーの領土増え過ぎだろう。一応旧教地域らしいが……。
http://forum.index.hu/Article/viewArticle?a=139637264&t=9231503&openwith=1

333 :
>>326
オーストリアもハンガリーも史実よりちょっとでかそう。

1915年なら革命前だし、ラント君主を担ぎ出す君主制が前提なのかなあ?

334 :
逆にドイツ側の戦後構想
https://i.imgur.com/WYbYKMS.jpg
https://i.imgur.com/heiNeoW.png

西部戦線に関してはわりと温厚な印象
ベルギーは属国化と同時に北フランスの工業地帯併合(東部はドイツに併合して西に遷す)、フランス賠償金100億マルク、ルクセンブルクはドイツ帝国の領邦化etc.

フランスは弱体化はするだろうが、国民国家としての存立基盤までは揺るがない感じか。そしてイタリアとオーストロハンガリーにはビタ一文くれてやる気は無いらしいw

335 :
どの辺が温厚なのかわからん

336 :
>>335
>>326の対独構想よりだいぶ温和じゃね?

337 :
>>334
これもドイツの右派団体かなんかが構想したの?
それならいいけどドイツ政府としての構想なら比較対象の基準としておかしい

338 :
>>337
なるほどそうかも・・・

政府内で作成されたけど正式採用に至らなかった素案という位置づけ、モーゲンソープランみたいなもんか

339 :
オーストリアがいなければ勝ってた

340 :
そもそも戦争が起こらねえよw

341 :
ワロタw
なんか領土の割に統治が緩い印象
WW1にオーストリアが勝っていたら
歴史は相当変わってそうw

342 :
ドナウ社会主義共和国連邦になってた

343 :
>>341
多民族国家帝国の枠組みで無理やりまとめてるからな
当時の5大国中ぶっちで最弱の弱小国、それがオーストリア

まああの国も災難だったと思うよ
自国の若頭のタマ近隣の弱小国に取られて、ケジメ取りに行ったら背後のクマがしゃしゃり出てきて、
まあそこまでは想定内として、なぜかいきなり同盟国がクマとカエル食いに襲いかかるというもはや不条理劇の超展開
同盟国狂犬だから仕方ないんだけどw
ドイツ以外の欧州にとってつくづくドイツの存在って災厄よね

344 :
いや自業自得だろ
セルビア国内で殺されたならともかく
殺された土地はオーストリアハンガリー帝国国内だし
テロ組織を支援したのがセルビア政府だったからといって数日以内に併合されないと侵攻するなんて最後通告は異常

345 :
フェルディナント皇太子の自業自得
警察関係者以外の住民の殆どがスラブ系で、治安も悪く、敵性国家との繋がりが強い土地にオープンカーでパレードとか、下僚の状況判断を無視している
オーストリアにとっての危険な敵は、ロシアを後ろ盾とする南スラブの民族主義を掲げるセルビア王国なんだが、フェルディナントの主敵はハプスブルク王朝の主流派だったのだろうな…

346 :
>>302
西部戦線異常なしでも
主人公が休暇もらって故郷に帰る描写あったな
一度だけだったが

347 :
>>345
ツヴァイクの「昨日の世界」とか読むと
宮中内だけじゃなく、庶民のある層の間でも
あまり評判いい印象だった感じじゃないみたいね
ちょっと意外だった

348 :
>>306
「畜生!あげたてのてんぷらが食いてぇ」
て手紙なら来たみたいだな・・・

349 :
もし日本に関東大震災と金解禁のダメージがなかったら

350 :
今夜 BSスターch1 200 21:00-23:15
戦場のアリア (。+・`ω・´)キリッ

WW1もの

351 :
>>350
> 今夜 BSスターch1 200 21:00-23:15
> 戦場のアリア (。+・`ω・´)キリッ> WW1もの

つまらなそうな題名だな。プロ市民が出て糞意見をわめく映画

352 :
あんな戦車でもドイツ機関銃手に一泡吹かせることができた

353 :
火点破壊にはいまでも戦車がさいつよだぞ

354 :
アメリカ軍が参戦しましたが、戦争に慣れていなかった米兵はたくさんの死傷者を出しました。
しかし工業力に物を言わせて、たくさんの爆撃機と戦車を造りドイツ軍を一気に押しつぶしました。

355 :
>>351
ワロタw 自分はドンパチより
ああいう心理劇と不条理が好きだなw
もっと毒ガスとかヤバい場面を被せるかと思ったけど
言語を確り分けていたのも善かった!!

356 :
BSスターch1 200 21:00-23:00
デビルズ・バックボーン 2001年スペイン
ギレルモ・デル・トロ監督 (・∀・)イイ!!

先日の パンズ・ラビリンス には
打ちのめされたぜ><; これも超お勧め!!

これもええでw

357 :
毒ガスと弾雨の中、徒歩で進軍とかドナドナを超える絶望感
第一次世界大戦で戦闘シーンが売りの映画は無理よな
マルヌとタンネンベルクは見映えすると思うけど、あれは侵攻軍を退けただけの話で、映画にするには今ひとつ、ふたつくらいか?

358 :
毒ガスと弾雨の中、徒歩で進軍とかドナドナを超える絶望感
第一次世界大戦で戦闘シーンが売りの映画は無理よな
マルヌとタンネンベルクは見映えすると思うけど、あれは侵攻軍を退けただけの話で、映画にするには今ひとつ、ふたつくらいか?

359 :
徒歩で攻撃に向かう歩兵の足取りはとても重いって宮崎駿が言ってた。

360 :
英国が結構毒ガス使ってるのな

361 :
第一次世界大戦で毒ガス兵器ヤバすぎを悟ってジュネーブ議定書なるんやな
西部戦線に参加した各国は痛い目にあったしな
なお、第二次世界大戦で核兵器で痛い目にあったのは極東の某国だけだから、核クラブの皆さん、当面それを手放さない
自分が痛い目に合わなきゃ分からんのよ

362 :
その報いが スリーマイル島原子力発電所事故
チェルノブイリ原子力発電所事故
とどめの フクシマ になるのだが

それ以前に科学者の核物質に因る被曝から
実験場周辺住民や兵士などの実質人体実験で
もう分かってるのにねえ
次は支那がやらかすw番さあw
それも未曾有の規模でなw

363 :
BS日テレ 21:00-23:00
戦争と平和 (前編) 1956年米伊
ヘプバーン(・∀・)イイ!! 早速登場! waserrth

364 :
アメリカ参戦無しでもドイツ負けてたかもな。

365 :
>>364
参戦なくても物資の供給はあるからな
更に戦争が続けば寄り切られてドイツが倒れたのは確実
オーストリアが枢軸から脱落するし

366 :
ドイツって近代前におけるオーストリアの存在感や権威がデカすぎてオーストリアなきドイツ帝国・共和国って何か物足りなさを感じるわ
ドイツを名乗る正統性・権威を感じないというか...

367 :
カイザー攻勢でアメリカ軍いなかったらどれだけ戦争終結が長引いたのか
ルーデンドルフがやる気をなくすのが先送りされそうだけど飢餓とか物質不足はどうにもならないからあまり変わらないのか

368 :
カイザーシュラハトはあんまり変わらないだろうけど
100日攻勢は史実通りには出来ないだろう

369 :
カイザー戦の独軍は防戦一方となり、果てしなく続く連合国軍の攻勢に軍事物資、人的資源は枯渇、士気は崩壊した。
国内も経済的・社会的な混乱は頂点に達し、飢餓人口も著しく増加し、もうこれ以上の軍事的抵抗はできなくなった。
カイザー戦で失われた数十万人は独軍の中でも貴重な上澄みの部分であり質的低下も深刻だった。

370 :
日韓併合して日本の軍部にもたくさんの朝鮮人がいたんでしょ?それでおかしくなったっていうのはないの?

371 :
>>370
何を言ってるんだお前は?

372 :
賠償としてハーバーボッシュ法法による空中窒素固定の特許を無料で使えるだけでも十分な気がした
ベルゼウス法とかフィッシャートロプッシュ法など石炭液化もつけてくれたらお腹いっぱい

373 :
たしかに日本軍が悪いことをしていないとは思わない、しかし、元朝鮮半島から来たのが日本人に帰化して日本軍兵士になってアジアで現地の人に悪いことをしたんじゃないの?

374 :
 
朝鮮人は、大陸で日本の威をかり反感をかいました
------
「満州国では警察官に朝鮮人も採用していた。朝鮮人警察官は、主に朝鮮で
洗濯に使う棒を武器として警備をし、事実上の支配国であった日本の威を
借りて横暴な態度を取っていたため、現地の中国人達は警官の携帯する
武器の棒より「高麗棒子」と蔑称した」

「高麗棒子(棒子)は現在でも中華圏で用いられている。
2012年6月18日に、中華民国(台湾)の鴻海精密工業会長郭台銘が、
シャープとの技術提携を発表するに当たって「私は日本人を尊重している。
日本人は決して後ろから刺したりしない。しかし、高麗棒子は違う」と発言している」

「wiki 高麗棒子」

375 :
 
                  - ─── -
              ,  ' ´             `  、
              /    -‐              \
           /  /                  ヽ
.           i ..::/:: .   ., , -‐─‐‐-, , 、      i
          '、::::'、::ィ //////丶/∨///,'ゝ、   ,'
.           \::::::i/////∧/丶//////,',i   ノ
             ` -レ'ィ≦二二二二二≧く/|‐ ´
.             [≦ 三三三三三三 ,≧]
              リ''´;メ≧匁八戈≦弌;゙'l|
.                ,|′゙,ィ:e;ュ゙'メ !イィ;e:ゝ ゙ i 、
             { i.   ゙  ´ ′ | `  ´   !, i
.               l ト、       : ,,ト、    , l゙/
.              /⌒ヽ.     ,iи;N、      i !
          , -┤ .ノi  /: : : : : :\.  /'
.         /    ベ::::::::',/: : : :.人: : : : ヽ,/     WWTはプロパガンダ戦争でもあった。
      ,イ 、  ∨ ヘ:::::∧: : 彡''二'ミ; : : : :`;ン
    //、  ∨ ∨  Y  i ̄       ;`^'ナ´   
    , '/イ ∨ ∨ ∨ ̄ ̄`ド、_______, イ
.  ///!.K ∨ ∨ 乂__, ノ//////////,|
  ////,! iム _∨,ィ爻彡フ//////////////|
. /////,! ト`‐ 三彡' //,!V////////////,!
.,'/////,! ! ` ‐- ////,' `ヾ.'/////////,ノ 
.V/////,!|\. ///////     ‘‘ W A N T S
. V/////,レ,'////////[ ̄ ̄] [ ̄.], ' ̄ ̄ ヽ.[ ̄ ̄][ ̄ ̄]’’
. V/////////////./  V.∧ ./ /   .! ̄ i   .! !   !   ! !
.  ∨////////////   .V V / |  |  |  | |   |   | |
   ヾ'////////,' '       Y   イ !  !  !  ! !   !   ! !
     ` ' '''''''' ' ´ Alfred  |   ! |  |  |  | |   |   | |
            Leete |___| ヽ、   ̄  , ' ヽ、  ̄ , '
                        ̄ ̄ ̄       ̄ ̄

376 :
将校も優秀な人が多い
親日で帰化した人も多い

377 :
>>347
ttp://kangaeruhito.jp/articles/-/908
遅レスだが引用している文章があるサイトがあるのでアドレス貼っておく
良く解釈すれば誤解されやすい人だったか

378 :
>>372
ttp://www.suzukishoten-museum.com/footstep/company/cat10/post-65.php
城山三郎の「鼠」で読んだ知識だけだが、
鈴木商店が最初ハーバーボッシュ法導入使用としたら
特許が洒落にならない価格だったので
フランスの技師の方法で格安に出来たみたい。他の権益捨ててまでは要らないんじゃね

379 :
気のせいだったか昔の別宮暖烽フww1サイトに1919年の連合軍攻勢プランとかあったような気がしたけどweb archiveでもどこかわからない
ウィルソンがしゃしゃらなくてもどこかで講話で手打ちにするでもなく攻勢で出るであろう被害込みでベルリンまで進軍して城下の盟を誓わせるやる気が本当にあったのか

380 :
別宮は知らんけどフラーのプラン1919は有名だろ
どっちにしろドイツから講和しないんなら攻撃はしないといけないんだから計画は常に練らざるを得ない
1918年の百日攻勢でフォッシュは全戦線で攻撃して敵の抵抗が弱く進出出来る場所はとにかく進出し続ける方針で成功したけど
それでは大きい戦略的な戦果は出にくい事から結果の出る大規模な攻撃作戦案を欲しがったんだよ
だからプラン1919に限らず百日攻勢後の連合軍の作戦方針は
ベルリンまで進出すると言うより前線のドイツ軍の戦争機械をいかに崩壊させるかを目標にした

381 :
フラーのプラン1919は有名だけど、シュリーフェンプランも真っ青な空想的作戦計画だよな。
必要となる膨大な物質を、アンクル・トムがロハで出すとでも思ったかね?戦後のことも考える時期だろうに…

382 :
金は沢山出してるけど兵器はむしろアメリカはフランスに依存してたから
アメリカの工場が転換されるまで1-2年程度の戦争の長期化はそんなにアメリカばかり物資を供給させる訳じゃないと思う
もちろんプラン1919の根幹である戦車の生産の中心はアメリカになるし
1918年の時点で爆撃機エンジンもアメリカが中心だったと思うけど
大砲や機関銃や戦闘機は圧倒的にフランスだったし

383 :
消耗戦になると兵器以外の負担に耐えるのが大変だよ。戦時は兵器生産に優先的にリソース投入されるので、後々日用品不足がボディブローのように効く。
ラッキーストライクの緑が戦場に行ったのは第二次世界大戦だが、第一次世界大戦後半、米英仏兵士達の衣食を支えたのはアメリカ。
パンと肉、燃料、薪、水、薬、酒、タバコ、マッチ・ライター、紙。軍隊が存在するだけで大量消費。

384 :
でもプラン1919が空想的だとするならどういった作戦計画が現実的なの?
大量の戦車を用意した大規模な侵攻作戦じゃなくてじわじわと砲撃しながらじっくり進んで行くの?
進軍を停止してドイツが了承するまで講和条件を引き下げ続けるの?

385 :
ブルガリア、オーストリアが脱落したので新たな戦線作るとかあったのかな
ドイツは東部の占領地に無駄に戦力を残してたのでいざとなればそれも捨てて抽出するでしょうが

386 :
19年11月11日にドイツが停戦に署名しなかった場合、その先は高級軍人が何をしたいかではなく、連合国諸国民がどこまで許容できるかが重要だろうね。
ドイツと同じく厭戦気分が軍民に広がっているが、幸いドイツ人ほど飢えておらず、革命熱が感染しても米英仏には倒すべき専制君主もいないので、攻勢は可能だった…限度があるが。
まあ普通に考えて、英国の参戦理由になったベルギー完全解放が第一候補。
ドイツ大本営は退避するだろうから、ドイツ総司令部敗走を国際社会とドイツ国民に知らしめた後、ドイツ自身が北フランスでやったように、ライン地方を鉄火と毒ガスで地獄に変えると脅迫して再度停戦を強要するだろうと思う。
第二候補はエルザス・ロートリンゲン地方の国際的呼称をフランス語発音に戻す作戦かな。少なくとも仏軍兵士はドイツ憎さも手伝って納得する。米英は納得はせんでも同盟義務は果たすだろう。

387 :
ロシア、ルーマニアの占領地域とロシアから独立した国家群への保護進駐で100万人ほど
残す必要がありまして(他の40個師団ほどは西部戦線に移動)
その100万人に見合うだけの莫大な資源と食料が流れ込む筈だったのですが、治安維持に
失敗して現地が混乱して実行されないで終わったのです。
そういう意味では失敗だったわけですが、ドイツ国民の飢餓への恐怖や厭戦気分を和らげ
た側面もあるので意味が無いわけではないですね。

388 :
二重帝国が脱落してもドイツ単独で更に戦うなら500万のイタリア軍がオーストリア占領地域分以外はフリーになる

389 :
戦争と革命の世紀、20世紀の教訓
革命風邪ウィルスに感染しても、暴力革命という症状を起こさない為の処方箋
1.民主主義というワクチンを早めに摂取
2.国民を飢えさせないこと=免疫力維持
空腹は怒りと絶望の核
国民の過半数にパンと肉が配給出来ていれば、フランス革命もロシア革命も不発だっただろう
明日も食っていけるのに、ワザワザその社会を壊す奴はいない
不満があるだけでは、弱者・国民が強者・政府に実力行使に出ることは無い。明日に絶望したから実力行使に賛同する
現代日本で売国政治家やマスゴミや左翼市民団体が政府批判しても、空回りする理由がこれ
例え不平不満があっても、明日の行方が見えている現状と、売国どもが大声を上げている未確定の未来
冷静な人ならどちらを選ぶか?

390 :
革命を起こされるほど無能な政体や政権をどうするかと言う根本的な論が抜けてるぞ

391 :
政体側が暴力革命で倒されない処方箋を書いたのだが?
無能な政体をどうするかに興味があるなら、まずご自身の意見をどうぞ
まあ無能な政体なら表舞台から退場するのは時間の問題だろうし、無能で無いなら延命するだけだがな

392 :
頭が悪すぎてそんなに本気で書いてたとは思わなかった
ゴメン

393 :
http://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2019-01-13/07/67723/4756314/
1月13日日曜
NHKFM 午後9時00分〜 午後10時00分
クラシックの迷宮 ▽第1次世界大戦・戦没者へのレクイエム

「“戦争年代記”から第1曲“ベルギーにて ドイツ重砲部隊の進撃”」
A.カゼッラ:作曲
(管弦楽)ローマ交響楽団、(指揮)フランチェスコ・ラ・ヴェッキア
(2分03秒)<NAXOS 8.573004>
「英雄的哀歌 〜戦死したある兵士の思い出に寄せて〜」
A.カゼッラ:作曲
(管弦楽)ローマ交響楽団、(指揮)フランチェスコ・ラ・ヴェッキア
(16分36秒)<NAXOS 8.572415>
「バイオリン・ソナタ イ調 から 第2楽章“無辜(むこ)なる人々のための祈り”」
I.ピツェッティ:作曲
(バイオリン)イヴァン・ラバグリア、(ピアノ)アルベルト・ミオディーニ
(8分29秒)<CONCERTO CD2057>
「バイオリン・ソナタ イ調 から 第2楽章“無辜(むこ)なる人々のための祈り”(冒頭部分)」
I.ピツェッティ:作曲
(ピアノ)アルベルト・ミオディーニ
(0分48秒)<CONCERTO CD2057>
「交響曲 イ調 から 第4楽章(抜粋)」
I.ピツェッティ:作曲
(管弦楽)RAI国立交響楽団、(指揮)ダミアン・イオリオ
(1分10秒)<NAXOS 8.573613>
「交響曲 イ調 から 第4楽章」
I.ピツェッティ:作曲
(管弦楽)RAI国立交響楽団、(指揮)ダミアン・イオリオ
(13分50秒)<NAXOS 8.573613>

394 :
プラン1919以前に封鎖が解かれないとドイツ国民は栄養失調死の危機じゃないですか
頑張れば講和条件引き下げられたとか勘弁してください…

395 :
再編のためとはいえ休戦する気満々のルーデンドルフが翻って徹底抗戦主張になるほどウィルソンがヤバイ奴だったのが悪いよね
頑張る気にもなるよ

396 :
クレマンソー「神様でさえ十戒で満足しておられるのにあのウィルソンの野郎は14ヶ条も押し付けてきやがって、一体何様だよ・・・」

397 :
ボリシェビキが無賠償無併合民族自決とか言い出したのでしょうがない

398 :
寛容は賞賛すべき知的資質ではある。
しかし、それは政治の世界では殆ど価値がない。
政治は名分の戦い、主義間の試合である。
統治は無意味な礼譲を容れるにはあまりに重大な事柄である。

─ウッドロウ・ウィルソン

399 :
ヴェルサイユ条約より更に過酷なのが第二次世界大戦後の戦後処理
国家を分割してる時点で賠償金が高いとかそういうレベルじゃなかった

400 :
そら無条件降伏要求されてそれを事実上受諾したんだからしゃあないやん

401 :
>>395
ルーデンドルフは戦犯問題が浮上しそうだと知って反対論に転じてる時点でね…

402 :
最初から当初の当事者たる英仏と交渉するよりましだろうとアメと交渉やったらロベスピエールみたいな奴だったとか
駄目なときは何やっても駄目

403 :
ヴェルサイユ条約批判の中心だったケインズとかも要はドイツを米英の市場の経済植民地にする事しか考えてないしウィルソン以外の奴らは更にもっと悪い

404 :
ルーデンドルフはウィルソンの17か条をアテにして
ウィルソンだけを相手に政府に講和を打診させたんだから、
「ふたを開けてみたら」も何もないんだけど。
おそらく政府に敗戦の責任を押し付けようとしたのだろうさ。

でアメリカからの第2回か第3回の打電で戦争責任者問題が浮上しそうだと知って
反対に転じたのだから自業自得としか言いようがない

405 :
2回目が帝政廃止と軍国主義の否定で3回目が休戦破棄できないくらい軍備差し押さえではなかった?
帝政廃止はアメリカの余計だよね

406 :
>>405
2回目はドイツ政府の専制性の指摘はしてるけど帝政廃止なんて入ってないよ
ドイツ政府の専制性の非難は7月4日に既に行っててそれを引き継いでる
ドイツ側がこれを内政改革要求だと受け止めて承諾と返電しただけ

それを受けた3回目で初めて明確な形で内政改革要求が入ったけど、
おそらく2回目まででアメリカが内政改革を要求したという受け止めが広がったので
今更そこまでは考えておりませんとも言えず確認したという所だろう。

皇帝退位問題はウィルソンと別のルート(マクナリー)が勝手に付け加えただけ、
ウィルソン政権は全く考えていない。
アメリカの意図を超えて、仲介にすがるほかないドイツが深刻に受け止めたんだよ。

407 :
こんな本を見つけた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450660/133

408 :
便利な時代だな
紙の本は場所食ってかなわん
厚い本はみんな電子図書館でみられるようになればな

409 :
不可思議というか、馬鹿らし過ぎるというか

サラエボ事件→大事件!
オーストリア、セルビアに宣戦→解る
ロシア総動員→気持ちは解る
ドイツ、ロシア・フランスに宣戦→えっ?
ドイツ軍、ベルギー侵攻→フォッ!?
イギリス、ドイツに宣戦→欧州天地は複雑怪奇
日本、ドイツに宣戦→天皇陛下万歳!

410 :
いや別に不可思議な部分もそこまで馬鹿らしい部分もないだろ
個別の事案には普通に明らかな理由があるし
ドイツがフランスに宣戦しベルギーに侵攻したのは軍事的な理由で明らかだし
イギリスがベルギーの防衛の為に参戦したのも外交的に自然
戦争の作戦が政治に勝ってて優先順位がおかしく見えるドイツも
19世紀後半のドイツはそのお陰で成功した部分もあるから賛成しないにしても理解できないほどではない
第一次世界大戦程度の構造が複雑に思えるんなら単にこういう分野に向いてないと思うから
世界史について教養以上に調べるのは精神衛生上良くないと思うよ

411 :
関係国のいずれも、元々は全面戦争を望んでいなかったのに、
様々な理由から大戦に突入した経緯については、もはや古典の八月の砲声を始め、
研究書が色々と出てますね。
後知恵で見ると、何で? と思う部分はあるけど、当時の為政者の判断としては、
仕方ないなあ、と思う。

412 :
>>410
いや、後世の人間なので各国の論理と利害は解っているがな
サラエボでオーストリアの要人が暗殺されて、ドイツ軍がベルギーに侵攻するという結果に対して、愚かしさを感じるのは普通の感覚だと思うよ

413 :
日英同盟があるから日本がドイツに宣戦したのも普通だしな

414 :
>>412
いやその気持ちは分からんな
数カ国の事情を直列な1つの流れの様に単純化する感覚が理解できない
歴史は並列の流れで見るべきだと思うし

415 :
平沼赳夫だって「複雑怪奇」とか言ってたしなあ・・・

今だって中韓とかにすぐカッとなるところとか見ると、日本人は外交の才能ないのでは?

416 :
ドイツがフランス(ベルギー)を攻める必要があったのかどうか
停戦時まで西部戦線を持ちこたえることができたんだから、対仏戦線布告はせずに独仏国境を固めて、国境付近で防衛する方が、イギリスの参戦が無い分西部戦線のコストが軽いんじゃないだろうか

417 :
そもそもドイツという国がw

418 :
>>416
開戦時点での独の見解では、
その「国境固めて」が成り立ちそうもなかったんでそ。

419 :
露仏同盟が非公開の秘密条約だからねえ
存在は公然の秘密だったけど詳細は今に至るも不明
ロシアの動員を受けてのドイツの対露戦争は攻守同盟の発動条件だったのかどうか
動員が宣戦に≒という認識のもとではロシア側の先制攻撃ともみなしうりならば常識的には攻守同盟の発動条件には当たらない
ドイツはフランスが静観しないとの判断があってのシェリーフェン・プランなわけだが

420 :
逆に、もしドイツが東部のみ攻勢に出て西部では動員しつつ守勢を守ったら、フランスはどう出ただろう?
軍事合理的に考えるなら、ロシアが打倒される前に何が何でも攻撃すべき、となるわけだが・・・
WWUではその踏ん切りはつかなかった。

421 :
狂犬士官教育が行き渡ってるフランスが攻めないわけがない

422 :
>>420
当時は、普通の国は動員計画は準備していてもその後の作戦計画なんて準備してなかったから
それは次の大戦でも同じ
隣国の動員に対して動員で応じて事態への備えはしても具体的な侵攻作戦の発動はできなかったろう
ドイツ側からの事前計画に基づいた問答無用の侵攻がなければ、ナチスのポーランド侵攻へのそれと同じように、ファニーウォーになったろうね
平時から次の事態に備え作戦計画を練ることが平和を作ることだというのは二度の大戦の苦い教訓だな
20世紀初頭だとそれは一種類しか構築できず、その硬直性が大戦争を引き起こしてしまったが

423 :
ポーランド侵攻の時にフランスはザールに攻勢を仕掛けてるし
それは動員速度が許す限り最大限の行動だったよ
フランスがザール攻勢以上のドイツに対する攻勢を実施するためにはポーランドが史実以上にドイツの侵攻に耐える必要がある
だからポーランド侵攻をフランスが静観していたという見方は誤り

424 :
いま大戦起源論はどういう状況?

425 :
ロシアの大臣の日記か書簡で部分動員のつもりがニコライはハナからドイツ潰すつもりで総動員押してたとかなんとか

426 :
ロシアが部分動員に留めたならドイツも部分動員に留めたとか動員しなかったとか言う話がまず信用出来ない

427 :
私の地元は地方都市ですが第一次大戦時捕虜収容所があって青島戦の捕虜の方達が収容されてましたが何名の方は病に倒れ再び祖国に帰る事無く亡くなりました。その方達のお墓も近所にあります、勝っても負けても辛い思いをするのは我々市民や兵隊さん達ですね

428 :
>>425
従来の説ではニコライは部分動員したかったけど、軍部からオーストリアに対抗するのであれば総動員以外の作戦計画は無いと言われたはず。
ドイツの方はロシアが動員すればシュリーフェンプラン発動、ベルギー・ルクセンブルクを通ってフランス侵攻以外の作戦計画が無かった。

429 :
当時の動員計画は鉄道ダイヤと密接に絡んでいて、一旦部分動員を開始した後に総動員に切り替えると致命的な遅れが生じるのがもうね…
こんなん誰だって総動員したくなるやん

430 :
>>427
勝っても負けても濡れ手でぼろもうけしたのも我々日本のようだがな。

431 :
捕虜言うてもWW2とは違うしなあ

スレチだが日露戦争に負けていたらと思うと
あわわ

WW2のインドシナなどの英蘭の捕虜の方々は
日本本土でも亡くなっている

432 :
上手い具合にドイツ国民を洗脳して特攻させていって時間を稼ぐ手段について
老人や子供、夫人に爆弾背負わせて陣地に特攻させる

433 :
あるいは貴族とユンカーだけで構成された近衛特戦隊つくって
WWII末期みたいに即時徴兵・銃殺権限を与えるとかね

434 :
>>429
結局のところは1914年当時の電撃戦が動員計画だったってことでそ
実際シェリーフェンプランは上手くいってフランスがタクシー動員つかうまではパリ落とせそうな勢いだったし

435 :
これによって紳士淑女、華やかなベルエポックの時代が終わりを告げてしまった

436 :
>>429
特にドイツは以前の精兵重視だった時代に動員兵を沢山混ぜて普墺戦争と普仏戦争に勝っている成功経験があるからね

437 :
>>436
残念ながら成功した軍部の次世代を担う若きエリート達は作戦の成功しか見えてなかった
タイマンの勝負に持ち込む為に、当時の政府がどれだけ用心深く下準備したことか
普墺戦争、普仏戦争の鉄血宰相然り、日清戦争、日露戦争の明治政府然り
外交に権限と責任を持たない軍事官僚が、外交に無理解のまま暴走すると、あっという間に多正面作戦になる

438 :
《超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪首謀者の実名と住所/Rっ!! 悪魔井口・千明っ!!》
【要注意!! 盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪工作員】
◎井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
 低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である

【超悪質!盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所/井口・千明の子分たち】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
 宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください

【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111

B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
 清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2

439 :
ドイツが折れてフランスやイギリスが和平を急いだ理由の一つが
ドイツの共産化の可能性が一気に上がったからで
あの段階で講和突っぱねてドイツ滅亡コースを選択した場合
ドイツ共産党・スパルタクス団の救援に応じてソビエト軍がやってくる可能性もかなり高かったわけだし

440 :
結果、追い詰めて社会主義国家になってるから一緒じゃんと・・・

441 :
ソビエトとの同盟は阻止したんだから全然同じじゃないじゃん

442 :
>>441
コミーとナチは同盟したぞ
20年の停戦期間中に…

443 :
>>442
ドイツが共産化したよりはマシだっただろ
同じじゃなかっただろう事は事実

444 :
フランス北部はボコボコにされてもドイツには寸土も侵入されてないどころかロシアから東部に新領土割譲しまくってるのにはい負けましたーじゃ匕首伝説になるのも当たり前
やはりベルリンまで進軍して完膚なきまでに敗戦を突きつるべきだった

445 :
そしてフランスの主張でドイツの領土分割したはいいが
旧ドイツ人たちがテロリストと化してフランスやイギリスなど各国で自爆テロやりまくりで麻痺
ブちぎれたフランスは旧ドイツ人を植民地追放決定というパターン

446 :
共産化共産化いうけど、共産化した国なんてあったっけ?

447 :
ハンガリーとかリトアニアとかバイエルンは短命だが共産国家ができてたね

448 :
もし真に平和を望むのであればドイツをいかなる自力回生も不可能なほどの貧困と無力状態におとしいれるか
自由な政府を持たせて人類家族の平和なメンバーにするか
そのどちらかにすべきであった

フーヴァーは中々良いことを言うな
前者がフォッシュで後者がケインズか

449 :
第二次大戦の原因が中途半端に重い制裁と、中途半端に自由を与えたことかと

450 :
ただ、ドイツをいかなる自力回生も不可能なほどの貧困と無力状態におとしいれると
第二のユダヤ人問題を作り出すだけになって、欧州全体の不安定化は不可避になるかと

451 :
ケインズの主張は表面だけで実際にはドイツを米英の経済植民地にするのが目的だよ
インフレ時のドイツの国債を買い漁ってたし企業もどんどん入り込んでた
フォードとか大企業の戦間期のナチスへの接近とかの悪評がたまにあるけどみんなむしろ米国政府自体の思惑のせい

452 :
まあ実際に疲弊しつくした英仏独ソの頭越しに戦後主導権を握ったアメリカの思惑通りに
戦間期は動いてるからそんな感じだよな

むしろ戦後日本=ワイマールドイツと考えればだいたいわかりやすい
莫大な賠償押し付けられてないだけで

453 :
>>451
ケインズの主張は米英の抜本的債権調整を含む点その他でドーズ案とは異なる
ドーズ案についてはケインズも一定の評価はしてるが、持続可能性は疑問視してる
実際、1928年になると米株式市場に資金が引き上がってしまう

もっとも条約の過酷性の問題は条約修正を目論むドイツ外務省が意図的に世論喚起し
国内で独り歩きしていったので必ずしも額面通りには受け取れない
(背後からの一突き問題も戦争責任の回避の過程で生まれた責任転嫁の議論)

454 :
フォッシュとケインズは2つの極端な戦後処理の例でしかないからな
米英の資本主義社会に基づけばケインズやアメリカの各政治家が志向する経済植民地化は平和的かつ彼らにとって得でもある
結局はその間の妥協的なヴェルサイユ条約とケインズの主張寄りではあるが完全ではないドーズ案に向かうわけだが

いずれにせよ今の主流と言える「ヴェルサイユ条約が過酷だったからナチスが生まれた」的な主張は
「ヴェルサイユ条約が過酷でなかったからナチスが生まれた」と言う相反するにも関わらず否定はしきれない批判から
米英を守りフランスに責任を押し付けるのに都合が良い主張であるので
米英の歴史家がそれを主張するのは当然であり簡単には真に受けられないものだ

455 :
自分は中途半端だったからナチスが生まれたという説に賛成
寛大なら何も起こらない、過酷だとヒトラーがゲバラになる

456 :
いやケインズのが寛大だって言う認識が間違いだろう
ドイツを経済植民地化するのは国政に大きく関与する事だから
第二次世界大戦の戦後処理は賠償金総額は膨大でなくとも国が大きく分割されてる時点でヴェルサイユ条約より過酷と言えるわけだし
ケインズや米英の思惑通りになったらドイツは米英の株式市場に更に依存して
大恐慌は史実以上にドイツに直撃しハイパーインフレは余計悪化してた
その状態でファシスト政権や共産党政権を回避するのは結局難しいと思う
戦勝国であるイタリアもファシスト化した事を思えば
ドイツのファシスト化を戦後処理だけを理由にするのは早計だろう
ドイツやイタリアのファシスト化や日本の帝国主義化に最も貢献したのは大恐慌であり要するに米英の株式市場だと言っても過言ではないのでは

457 :
ケインズ=米英という発想がまず理解できない。
ケインズの考えは、米英が債権を放棄して連合国内部で債権を調整し、
ドイツの賠償額は支払可能な範囲にとどめましょうと言うごく常識的な主張。

458 :
ケインズの考えは米英の考えを資本主義的に突き詰めた考えだよ

459 :
ハイエクwも加味汁w

460 :
厨房の陰謀論はとどめがないな

461 :
おk w

462 :
>>455
ヒトラーが分割され支配されるドイツの地で、
ゲルマン独立派ゲリラを取りまとめて革命の星になるってのは割とみてみたい気がする

463 :
「米英資本」とかいう雑な言葉でケインズを括っちゃうのが訳わからん。
ケインズはイギリスの外交官でアメリカ資本の利潤を保証してやる義理なんかないし、イギリス資本はといえば、大戦後のイギリスにそんな余剰資本なんかないだろ。

464 :
フランスもイギリスも戦争につぎ込んだ費用の回収に血眼になってたからなあ

465 :
ドイツが過敏に反応したのは戦争責任問題で、賠償問題は振れ幅があった

466 :
どうせ自分が払うわけじゃないからな
だが責任は軍隊自体とか政府自体とか王家自体とかにかかってくる
領土の分割や割譲に比べたら金を払って終わりの方がいいし

467 :
>>466
納税者意識のない発想ですねw

468 :
第二次世界大戦に至る経緯を見ると巨額の賠償金よりもルーデンドルフを始めとした軍指導者の首を差し出した方が良かったな

469 :
ドイツも賠償問題は真面目に考えてなかったと思うね。
1000億金マルクまでは払うとか言ってんだから。
総額は未定にしておけば、あとで減免に持ち込めると思ってたんだろう。
実際そうなったし。

470 :
>>468
だから停戦になるときドイツ参謀本部から逃亡者が続出したという情けない話になる

471 :
政府やにはボスニア併合後に対露強硬姿勢を取って危機が収束した成功体験があり、
軍部にはこれを千載一遇の好機とする強硬論があった

472 :
>>471
実際のところ、ボスニア州併合を成功体験と勘違いしたのが独墺の命取りだったかな。
これで仏露両国ともが、国益、威信、国民感情の面から独墺同盟に妥協不可能になった。
1914年、ニコライ2世はバルカンの山賊国家(テロ支援国家であることは確か)の為に総動員することになる。自身と王朝の命運がかかっているとまでは、覚悟していなかった筈だけど。

473 :
純粋に国益という面から見たらロシアの選択は不合理だったかもしれないが、
列強としての地位、威信と言った面を考えたら過小評価しすぎだった
ドイツもオーストリアの列強たる地位を保全しようとしてたのだから

474 :
>>466
WWI以降は国家や政権、軍部や王室に責任を取らせる方向になったからなあ
負けたら指導者は戦争裁判の国際法廷にかけられて絞首台に、ってのが
強力な抑止力になった

475 :
>>474 WW2以降?WWIでは上の人達の絞首台行きは無かったですよね。

476 :
WWIはヴィルヘルム二世と、ルーデンドルフはじめドイツ参謀本部の戦争責任が訴状に上がったが
自分たちにも跳ね返ってくる前例を作りたくない英仏が猛反対してとん挫しました

その苦い教訓として東京裁判とニュルンベルク裁判があるわけです
あそこだと政治家や軍人だけでなく財界人も裁かれ有罪になってますからな

477 :
当時のドイツ、オーストリア帝国、多分ロシア帝国に、戦前の日本帝国では、軍令のトップが国家元首に直結しているという前近代的制度が残っていた為、国内法で作戦の責任者を裁くのは、作戦遂行に伴って別の軍律違反がない限りはほぼ不可能。
責任者を追及するなら、勝者による報復魔女裁判しか無かったとも言える。
実際、反乱や抗命なんかの明白な軍律違反や休暇中に娑婆で人殺しでもしない限り、内々の処分で終わり。
満州事変で石原が勲章貰うなんて、文民統制ならあり得なかった。

478 :
戦争遂行上の責任(戦争法規違反)はライプチヒの国事法廷で責任問われてるけどね。
45人が被告人になってる。

479 :
ドイツの総支払額220億金マルク(11億ポンド) 年支払額 対GNP比2.6%程度
WW2後の西ドイツの賠償の3分の1程度
さらにアメリカから35億ドルの資金流入
300億金マルクを超える英仏からの投資を踏み倒した
そのため差し引きではドイツは戦勝国から復興費用をせしめている

480 :
それはイスラエルへ還流してるよw

481 :
戦間期の話なのにイスラエルって池沼か?
少なくとも第二次世界大戦で消費し尽くされてるよ

482 :
ヴェルサイユ条約が過酷という認識は、ドイツ外務省が宣伝に使って、
WWU後に定着した虚像なんだろうな。

483 :
結局ドイツくらいしか工業生産出来ないから
黙ってても発展した
日伊もなw

484 :
過酷か否かは主観の問題だが、gdpの2.6%を毎年、しかも大戦後疲弊しきった経済からってけっこう過酷だと感じるなあ。

485 :
>>484
しでかしたことの重さから考えれば、そんなもんかとしか思えん
戦場にされた仏白は国土が掘り返され塹壕戦が引かれ砲爆弾ですき返され大量に地雷不発弾が埋まり毒ガスに土壌は汚染され…

戦後復興に連合国が苦しむ中、当のドイツは通貨安を活かしたソーシャル・ダンピングと流入資金で繁栄を謳歌してもいたから、
そりゃ憎悪を集めるわな
払えねえとかふざけんなって進駐する気持ちの方はよく分かる

486 :
賠償金額が決まった直後から既にほとんど支払ってないからな
まともに払ったのはドーズ案決定から大恐慌までのせいぜい4年だけ
2010年まで支払ってただのをさも過酷さの結果みたいに言ってるが
そもそも一貫して払う気が無さすぎた

487 :
>>486
2010までとか、インフレ含めりゃどんだけ目減りしてんのよ、と

488 :
>>487
そんなもんじゃね?
日露の借金を昭和の終わりにやっと完済した国とかあるし。

489 :
>>484
西ドイツは対GNP比で戦後10年で平均してその3倍くらい払わされた。
ドイツに支払可能な額とされたのは最低20億ポンド弱。
実際に払ったのはその半分強程度。

490 :
ドイツも1917年ごろから議会人が公正な講和を論じてたわけだから、
先例となるべきブレスト条約をああいう形にすべきではなかっただろうな。

491 :
あれだ、払ってもらうなんて甘い考え辞めて最初から分割占領で現物回収したほうがよかったんじゃね
ゲルマンゲリラ跋扈コースかもしらんが

492 :
ヴェルサイユ条約が公正である筈もなく、ドイツ人が不平不満を持つのはやむを得ない。
先に国境線超えたのはドイツだが、WW1の開戦責任はドイツだけにあるのかという話。
北フランスの惨状を見れば、フランスの怒りと憎悪も理解できるが、一方で、ことが起こればドイツを挟み撃ちする準備していたのも事実で、ドイツとしては放置できない。
結局、WW1で純粋に被害者と言えるのはベルギー王国くらいじゃないか?

493 :
そんな極論に意味は無い

494 :
根拠を示さない単発レスも意味は無い

495 :
根拠って単語の意味わかってる?

496 :
レンドリースも未だ返却中だったりするな

497 :
>>492
総額11億ポンドなら仏ベルギー等の被害を考えたらまあまあ妥当な額
ケインズはその2倍弱の額を容認してるから

498 :
>>496
21世紀に入ってから、返済終わってませんでした?

499 :
19世紀の優雅な時代が壊れてしまったんだ。

500 :
>>499
19世紀も前中半はずいぶん血腥かったぞ
前世紀から引っ張ってるフランス革命とナポレオン戦争の処理に逐われ、
その後もフランス革命の余波で各国政治的緊張
普仏戦争とパリ・コミューンでフランスの憑き物がようやく落ちて同時に統一ドイツが成立して、
そこでようやく欧州各国談合気味に安定

501 :
19世紀に稼いだ分を2度の世界大戦で使い果たしてどうにもならなくなったのがイギリス
インフラすらろくろく整備できてないしな

502 :
>>500
一方で、WW1後も英国の欧州大陸政策はナポレオン戦争以前から変わらず。つまりは一つの勢力が大陸に覇権を確立することを阻止する。
WW1後、対米債務に苦しむ中、英仏の対独政策は対立するが、英国にとってはフランス共和国がドイツ帝国にとって代わってはWW1参戦の意味が無くなる。
現在の英国指導層は、本音のところでEUのことをどう思っているのかね?
EUが統一国家の様なものになるのは阻止したいし、市場の門戸は

503 :
>>502
続き
市場の門戸は開かれるべきという原則を維持したい。伝統的な考えはそんなところ。

504 :
>>502
という小学生レベルの外交論
英国の均衡策なんて具体的なこと何一つやってねーだろうよ
19世紀中盤の一連のドイツ帝国確立の戦争は放置
欧州圏外のクリミア戦争で共闘して英仏協商に動いていたのに普仏戦争は不介入で第二帝政崩壊
欧州中央に強力な覇権国家誕生
イタリア統一も放置
戦間期は外交的には引きこもり気味に放置状態でナチス政権の誕生と覇権を容認
対EUなんて、ブレクジットのgdgd見れば場当たりで何も考えてないのはわかるだろ
EUとは、なんて考えてたのはせいぜいサッチャー政権まででそれも自国の裁量確保することに腐心してただけ

505 :
20年くらい前に提携校同士の短期ホームステイのときですらエジンバラでスコットランド人が俺はイングランド人じゃなくてスコットランド人とか言ってたなあ
そりゃロンドンだけ栄えて北部イングランドやらスコットランドやアイルランドとかの失業なんか知ったことないならそうなるわな
代表なくして課税なしの時代から辺境なんか知らんがなやってたら世界の1/4の帝国が今じゃ国家四散分裂しそうとか哀れよな

506 :
イギリスは凄い凄いというふりをして実のところ大したことなかった
ってのがWWI、IIで出てきたところがあって
この辺格差社会の悪しき前例として反面教師にしないといけない

507 :
 
イギリスは完全な階級社会です。強いわけがありません

★イギリスの国会

 庶民院→選挙で選ばれる。650議席
 貴族院→貴族の子弟が世襲。終身制度。最近まで最高裁判所機能もあり。811議席

508 :
ブルガリア軍ってなんであんなに強かったんですか?

509 :
>>502
横だが、鳩山某の東アジア共同体構想に比べると百倍マシではある。
EUなら自ら作ったルールは最低限守る、はず。

510 :
だからファンタジーとしての帝国の力が必要だったというのが19〜20世紀の大英帝国だったんだと思う
そしてアメリカ大陸という巨大な地力のあるアメリカ合衆国に負けることになると

511 :
>>506
というか、ドイツって化物だな

512 :
ビスマルクの外交はチェス、
ビスマルク以降のヨーロッパ外交はポーカー
と評した歴史家、確かジェイ・ウィンター博士?がいたけど、ポーカーよりルーレットの方が相応しい例えかもしれない。
全員負けることがある。

513 :
>>511
人口が多いからな
あと人治主義的
西の方にあるロシアみたいなもの

514 :
>>512
ルーレットとか施設型のギャンブルは親以外儲からないのが基本だろ
都合よくどこかが親の地位につけるようになってないならその比喩は不適
まなんにせよ、本業そっちのけにどんなものでもギャンブルに耽ってりゃそりゃメンツ全員没落するという

515 :
機関銃のおかげで騎兵突撃戦法が破れてしまった。
犠牲者が増えて退却もできなくなり、司令官がショックで倒れてしまった。
ヒンデンブルグ、ルーデンドルフはびくともしなかった。

516 :
英国が騎兵突撃成功させてなかったっけ?

517 :
1916年8月の参謀本部人事までに講和を模索するべきだった。
それ以降でも本気でやろうと思えばできただろうけど。
皇帝は1915年くらいから休戦を考えてたようだから。

518 :
それを全部握りつぶしたのが>>515の2人だと考えてる
だから背後の一突き論言い続けないと自分たちに戦争責任が来てギロチンになりかねない

519 :
外交は相手がいることだから難しい
1916年あたりで、協商側が交渉に応じるような条件をドイツの側から提案できるかというと、無理ではないかと

520 :
そもそも国土の1/4ぐらい占領されてるフランスは応じないだろうし
シャンパーニュとか今でも毒ガスで入れない土地あるのに現状回復してくれるわけもなくてやられ損だし
さんさん死んだ後で戦前の国境線まで戻すとかまるでバカみたいだし
使った金がでかすぎてどちらの陣営も負けた側に押し付ける気満々だし無理だよね

521 :
総力戦の時代の戦争はどちらかが降参するまで停戦や休戦ができない
支那事変の日本陸軍も投じた人的・物的資源と資金を考えるとアメリカに開戦を脅されても撤退できない状況になっていたし

522 :
講和のチャンスがなかったというのは間違いだな。
ドイツはベートマン主導で16年12月に講和提案してるし。
だけどあれは講和提案とは言わないわね。

全体的に、ドイツは外交交渉で小手先の術策がすぎる。
土壇場になってルーデンドルフがウィルソン提案に飛びついたのもそうだし、
休戦後もブロックドルフが瀬戸際戦術みたいなことして逆に怒らせたり。
ケインズも、ドイツは交渉態度が不誠実だねと「帰結」で言ってる。

523 :
NHK教育を見て56947倍賢くらららクラシック
ダニーボーイ

524 :
第一次大戦で大量の飛行機から取り外されたエンジンが自動車に使われた
その他大量生産方式が開発されて物の時代になった。

525 :
飛行機の払下げもあった
華麗なるヒコーキ野郎は名作

526 :
バーンストーマーって奴か
ああいうのを身近にみれたとかいいね

527 :
逆にこれを見て、陸軍が兵站を無視してしまった
海軍は折角一部が本当の仕事をしたのに、忘れた

528 :
優雅なゼントルマンの時代が終った

529 :
イギリスなんてもともとアジアからの移民だらけなんかね

530 :
MI9はホモだらけだしな

531 :
グレートブリテンにはホモはいません!!

たぶん

532 :
ジョージ5世の兄貴(クラレンス公アルバート・ヴィクター)は
ホモ娼館の常連だってことで一大スキャンダルになりました

533 :
NI9もKGBもマリネラもホモだらけよ

534 :
>>529
もっと昔はザクセンからの移民だったりスカンジナビアからの移民だったり

535 :
バイキングの領土だしw
アジアやアフリカ系は植民地の名残り
英国

536 :
第一次世界大戦名物塹壕戦
それまでは堀として外側を掘ってたのに
火器の発達により内側を掘る様になった陣地の進歩が面白い

537 :
塹壕戦ではショットガンとサブマシンガンとどちらが有効だろうか。
塹壕で横一列で構えてる敵に対してはショットガンの方が大まかな狙いで制圧効果があると思うが、、、

538 :
>>537
塹壕はジグザグに掘られるから
そもそも横一線という認識が間違ってるよ

539 :
レイジードッグ乱れ打ち

540 :
散弾銃ってバラケるほど遠距離から撃ったら制圧効果ないぞ

541 :
塹壕を守る側は頭数で勝るから、攻勢側の侵入を遅滞させるショットガンが有効と思う。
特に手榴弾を投げさせないことが肝要。

542 :
なわけねーだろ
防衛側がショットガン使われる距離まで接近されてる時点でその塹壕線は占領されかけてるよ
大砲と機関銃で阻止しろ

543 :
『ジヨツフル元帥』(日仏協会、大正10年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964374?tocOpened=1

ジョッフルには来日経験がある。
宮城(皇居)に招かれたり、靖国神社に参拝したりしたそうだ。

544 :
ドイツ軍は第一次も第二次大戦も、戦場では力戦、情報戦では惨敗
作戦や訓練は重視するけど、情報軽視の傾向があるのはなぜなんだろうな

545 :
>>544
戦場の霧で完全な情報は得られないのを前提に、
わからない状況で主導権持って敵を引きずり回すのを重視してるとか。

546 :
bbcで塹壕日記再現動画やってたんやけど
そこで夜間緑色の信号弾撃ちまくっててキレイーみたいなシーンあったんや
誰か当時のイギリスンの信号弾の意味知らん?

547 :
将軍の直感を重視するのがドイツ流って誰か言ってた気がする
マンシュタインもこれでハルダーが異端とか

548 :
オーストリア=ハンガリー善戦してるな・・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Eastern_Front_(World_War_I)

549 :
アルトゥール・シェルビウスがエニグマの特許を取得するのは1918年。
もっとも従来の暗号が破られていたことを、ドイツ軍が知ったのは戦後。エニグマ発明が早まっても、結果は同じだった。
007発祥の国が一枚上手。

550 :
イギリップが昔から情報戦得意なのはなんでなん?
経験論哲学と関係あんのかな?

551 :
暇つぶしに I spy やる国やからな

552 :
お金がかかってるからじゃないですか?

553 :
生まれつき3枚舌だからさ
その割に妙に義理堅がったりするけど

554 :
中韓よりはマシ。

555 :
>>546
信号弾って、その作戦限りとか、部隊限りで意味を決めるものではないの?
全軍で統一された信号弾使用規則みたいなのは聞いたことがないが、
無線通信がまだ未発達で、信号弾の重要性が高かった時代は、また違うのかな?

556 :
んなもんがあったらすぐに敵にも知られて作戦意図筒抜けになるわな

557 :
WW1では中隊・小隊レベルでは無線が普及していない。
準備砲撃から歩兵突撃する際には、敵塹壕前まで前進した歩兵部隊から「これより突撃、砲撃やめ」の信号弾を撃つのだが…
何色だろうと意味はバレる。しかも信号弾撃って1分は突撃できないので、大抵の場合、歩兵部隊の運命は悲惨。

558 :
https://i.imgur.com/oczZ2g4.jpg
keswsf

559 :
【悲報】第一次世界大戦の原因、日本人の大半が知らない
ttp://military38.com/archives/53260766.html?1555944521

560 :
>>559
第一次世界大戦の「存在」すら知らないのが多数じゃないかねえ。

561 :
2は知ってるから1がある事は知ってるだろ

562 :
1がどれ程のインパクトで、その後の世界の命運を左右したか、その過程も良く知らずに、「ハルノートガー」とか言い出す輩が多すぎる。

563 :
戦争の原因ってどこまで知ってたら「知ってる」と言えるんだろう
俺は第一次も第二次も資料なしでちゃんと説明できる気がしないわ
第一次はシュリーフェンプランぐらいまで説明できたら知ってる認定だろうか
第二次はホント分からん… ヴェルサイユ条約? メフォ手形? 生存圏?

564 :
一義的に答えが決定できるような問いではないだろう。

回答者の知識だけではなく、思想やら階級やら世界観やらその他諸々と関わって来るから、いくらでも答えは作れる。

565 :
>>564
うん、全くそうだと思う。
ちょっと上から目線な書き方をしてしまい反省している。
俺だって「知っている」と自信なんて持てないのにね。

566 :
ここまでの話:ドイツは過去のいきさつからフランスを憎んでいる
第一話:プロイセンを中心とした独の勃興と仏の弱体化するの巻
第二話:普仏戦争の結果、仏を列強から排除しようとする独の巻
第三話:独を警戒する英露が仏に付き協商国、独墺による同盟国の対立構造が完成するの巻
幕間1:北アフリカの植民地で仏と対立する伊が同盟に参加するの巻
第4話:墺がボスニアを併合しセルビア人に恨まれるの巻
幕間2:伊と仏間で植民地問題が解決、伊土戦争で同盟国から顰蹙を買うの巻
第5話:土の敗戦でセルビアが独立、セルビアの民族主義が絶好調の巻
第6話:仏露資本が流入しセルビアの国力アップするの巻
第7話:セルビア人統一国家の動きに領内にセルビア人を抱える墺政府びびるの巻
第8話:墺皇太子、セルビアを挑発しまくって恨まれるの巻
第9話:墺皇太子、更にセルビアを挑発しまくって墺、セルビア両政府がびびりだすの巻
第10話:墺皇太子ぬっ殺されるの巻
第11話:墺政府二国間戦争なら瞬殺と思いセルビアへの戦争を決めるの巻
第12話:露が墺セルビア戦争への介入を決めて総動員を開始、独がシュリーフェン発動の巻
最終回:ピタゴラスイッチのごとく世界大戦開始の巻
OVA:領土問題が片付いてた伊、同盟国を裏切るの巻
よし、1クール

567 :
そういえば、戦争の途中でオーストリアがセルビアを占領してるんだよな
ここで当初の戦争目的は果たされてるはずなのに、もうみんなそんなことどうでもよくなってるのが笑える

568 :
俺達の戦いはこれからだ!ENDだな

569 :
>>567
同盟国はセルビアやベルギーやフランスの一部を占領した戦果があって
協商国は海上封鎖に成功していて大局的に見れば有利なんだから
お互いに別の点で有利だから落とし所が難しいだけだろ

570 :
ドイツの影に隠れて目立ちませんがオーストリアは開戦1年目で軍事と経済、流通が
崩壊して将兵は逃亡、集団投降、国民はデモ、暴動で降伏ならともかく和平なんて
言い出せる状況ではないかと(穀倉地帯も丸焼け)
ドイツからの軍事支援や経済支援で国家の体裁を保ってる状況ですからドイツの意向に
従わざる得ない訳でセルビアどころでは無いですよね。

571 :
>>566
そういえば、欧州のテレビ局では第一次世界大戦の大河ドラマなんて無いのかな…
欧州史へのインパクトを考えるとBBCあたりが制作していてもおかしくないけど…

572 :
ベルギーは100周年で作ってたな

573 :
>>572
ベルギー王国ですか…
アルベール陛下が主人公級の扱いで、ベルギーは道ではない、と啖呵を切るシーンが序盤の見せ場かな?

574 :
そして堀(塹壕)になるんですね…

575 :
これですかね
[In Flanders Fields] 2014年のベルギーのTVドラマ
https://www.youtube.com/watch?v=squQl5-fMDs
ジョン・マクレイっていう軍医兼詩人の話みたい。
1918年1月28日に細菌性髄膜炎と肺炎で死去。
題名は埋めた死体の上に咲き誇ってた赤いケシの花の詩からとったらしい。

576 :
>>571
bbc期間中めっちゃ作ってたぞ
あとでurl貼るわ

577 :
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_World_War_I_films#Television_films_and_series

578 :
https://youtu.be/IrabKK9Bhds

「They Shall Not Grow Old」

日本でも上映してくれるかな

579 :
アメリカの参戦は海軍力の面でも大きかった
大量の機雷設置と護衛艦艇の派遣
英仏艦隊だけでは護衛船団は難しかったかもしれない

580 :
>>578
BBCでこないだやっとったで

581 :
>>521
リデル・ハートが無条件降伏の通達が枢軸国を本土決戦へと駆り立て数百万の死者が増えたと語ってたけど
なあなあで講和したらナチズムも日本の軍国主義も生き残ってるよなあ

582 :
英「英仏艦隊?」

583 :
>>581
そりゃどっちも結果論として事実だろ
WW2は戦争の大義と経緯からして、連合軍側の終戦条件としてポーランドの独立回復と西欧占領地の開放は譲れないから、
ナチスは結局崩壊した公算高いと思うがね

584 :
ナチスがフランスを占領しなければ、日本の仏印進駐も無かったんだよな
そうなれば、どうやって日米が回線してたんだろうって思う

585 :
>>584 仏が独に降伏していない≒WW1の西部戦線の再現?
その状況でも史実同様に日本が独の勝ちに賭けるのであれば、相手がヴィシー政権では無くても仏印進駐して以降は≒史実になるとか。

586 :
日本が賭けていたのはソ連の敗戦と崩壊では

587 :
>>585
相手がヴィシー政権じゃない普通の独立国フランスなら、まかり間違っても日本に仏印に進駐してくれなんて言わんだろ
その状況で仏印に上陸したら、その時点でマレー侵攻や真珠湾攻撃と同レベルになってしまう
石油や屑鉄の禁輸で日本の首が締まるのは仏印進駐がきっかけだから、それ以前の段階でそこまで思い切ったことができたかどうか

588 :
>>どうやって日米が回線してたんだろうって思う

朝●人は、漢字が苦手です(笑

589 :
>>587 となると日米開戦は回避されて最終的に独伊が負けるのは変わらずとすると、日本は史実のスペインやポルトガルみたいな塩梅になりますかね。
独伊を下した連合国の圧力により中国(含む満州)撤退後に朝鮮や台湾も独立して取り残されたファシズム国家のままで1970頃になって民主化とか。

590 :
日本海海戦で大金星を挙げても焼き討ちに遭ったんだから中国から撤退したりしたら即座に反軍民主化運動が起きるんじゃないかな

591 :
陸軍の解体である意味国家社会主義は粉砕された側面があるから
民主化が遅れれば遅れるほどイランみたく経済が悲惨なことに・・・

592 :
>>590
戦後のフランスが一番近いかな?
ベトナムでは実力で叩き出され、インドでも植民地持って行かれ、アルジェリア撤退では国内でゴタゴタして・・・

593 :
インドの持っていかれた植民地ってどこ?

594 :
ポンディシェリーとかじゃね?

595 :
>>590
日比谷騒動は、日本が日本海海戦で勝利して状況的に優位な立場である内になんとか講和に持ち込もうと頑張った政府の苦労を知らずに、「なんで賠償取れんのじゃ〜!」と大衆が騒いだもの。
日本はカネもヒトももう限界で、とても継戦状態になかった。
ロシアがまだまだヤル気で、シベリア鉄道でどんどん兵力を旅順へ送り込まれたら、いずれは大陸派遣の陸軍は日本海へ追い落とされていた。
あのチャンスでどうしても講和したかったのは日本。
真実を知らずに「日本は勝ってるんだからロシアからガバガバ領土とカネを取ったれ!ガタガタ言うならもう一戦かましたれ!」と騒ぐ民衆が多かったが、軍も政府も冷静で、同調することは無かった。

しかし、昭和の慢心した時代なら、日米開戦無しで中国からの撤退要求されたとすると、反軍民主化のド反対の「開戦強硬派」が政権中枢を占めて、結局開戦したであろう。

596 :
日比谷騒動もマスコミが煽ったんだっけ

597 :
>>596
基本的にマスコミの扇動で民衆が動いて良かった事は殆どないやろ

598 :
>>595
ポピュリズムにどう対応するかは近代以降の民主主義の課題だよなあ

599 :
 
Q)日露戦争でロシア側は未だ余力があったの?

A)そんなことはありません。我が国は主に英国米国から
 借金をしていましたが、ロシアもフランスから多額の借金
 をしていました。首都から数千km離れた場所に数十万の遠征軍を
 維持するのは、相当な財政的負担と思われます。
 露西亜にとっては、早く終戦にしたかったでしょう。
====
【日本】
■戦前金保有量→1千万ボンド
■借金→4千万ポンド(米英)
※戦費は2億円。その40%が8千万円が海外からの融資

【露西亜】
■戦前金保有量→1億ボンド
■借金→3千万ポンド(仏)+2千万ポンド(独)

https://en.wikipedia.org/wiki/Russo-Japanese_War

600 :
>>587
パリ・ダカールラリーなんて何のために参加するんだ?

601 :
>>599
日本も偶然の幸運によって勝利した側面があるからなあ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9B%9C%E6%97%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1905%E5%B9%B4)


敵内陸部奥深くの首都でプロレタリアの大半が暴動を開始した。
アコギに搾りまくっていたツケが来た訳だな。

602 :
https://en.wikipedia.org/wiki/Allies_of_World_War_I

https://en.wikipedia.org/wiki/Central_Powers


第一次大戦もプロレタリアが大きな役割を果たしている事は否定できない。
当時の日本がプロレタリア勢力を大きく警戒した理由がよくわかる。
戦後のアメリカもそうだろう。

603 :
>>599
一万キロは遠い。
ルーブルに投資しても返ってこない。

金貸しはもっと非道。

604 :
ユダヤが迫害されていたという事実←new!

605 :
>>599
お金持ちでも信用ないから武器売ってくれないもん。
イラン=イラク戦争みたいだな。

606 :
結局イランのほうが信頼あったんだよ。

607 :
別宮暖朗「情報戦でロシアは勝利した」

608 :
英仏海峡トンネルがあったら簡単に勝てたんだけどなあ・・・

609 :
>>607
一度負けてるじゃん。

コミンテルン工作員でそこら中で革命成功させてるけど、それはロシアではなくソ連。
さいきん、宗教勧誘来ないな〜

610 :
第一次大戦起こしたの在日に違いない!

611 :
本当にそうだ!
在日が悪い!

612 :
ロシア帝国といい、ハプスブルク帝国といい、密告者や体制への転向者に報酬と免罪が与えられるようなお国柄だから、帝国の維持コストは当時の日英の比ではない
税金と公債で得た国庫の資金と資産額から、営利企業でいうところの引き当てを差し引かないと実力はわからない

613 :
ソ連はどのくらいコストかけてたのかねえ

614 :
密告しなければシベリア送り!
というわけで、シベリアで木の数を数えるコストを調べればいい?
どう調べればいいのかは判らんが

615 :
ここ↓に聞けばわかるかも
http://government.ru/en/department/245/
(ロシア連邦森林局)

616 :
>>612
ロシアなんか借金漬けだろ?
日本は日露戦争の戦費を完済した。
ドイツもルール条約の賠償金を戦後になっても完済したんだよ。

そんな信頼ないゴミ国家Rよ。

617 :
小笠原諸島も返還されたしな。

竹島占領しているチョンもRよ。

618 :
じゃあお前がFXでルーブルに投資してみろよ!

619 :
第一次世界大戦における賠償の流れ

・1914年9月 パリ前面に迫った独による対仏賠償請求案(9月案)

仏北部沿岸、資源地帯、独、ベルギー国境地帯の割譲
独が発行した国債の支払代行と100億マルクの賠償金
仏の武装解除と国内要塞の解体
英との軍事、経済の関係を破棄
独主導による中央ヨーロッパ経済同盟への参加
アフリカの仏、ベルギー植民地の委譲
ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの併合(べは国境地帯の割譲、オは属国化の案も有)

・1918年3月 ブレスト-リトフスク条約 独とソ(露ボルシェビキ)、中欧諸国との講和条約

フィンランド、バルト諸国、ベラルーシ、ウクライナの領土権放棄(実質はドイツへの譲渡と軍の駐留)
露・土戦争で得た旧トルコの返還(うちアルメニア、アゼルバイジャン、グルジアは独立)
3億マルクの賠償金

・1918年8月 ブレスト-リトフスク条約 追加

60億マルクの賠償金
バクー油田の原油の引き渡し(生産量の1/3)

・1916〜1918年 ブカレスト条約 独とルーマニア

バルカン戦争で得たルーマニア南部をブルガリアに返還
オーストリアハンガリーへの領土の割譲
ルーマニア国内の通行権
同盟側との関税同盟に参加
全余剰穀物の引き渡し
独に油田の権利を90年譲渡
ドイツ人官僚と顧問によるルーマニアの政策決定権と解雇権の譲渡

620 :
・1918年11月 連合国と独の休戦協定

仏、ベルギー、アルザスロレーヌ地方からの15日以内の撤兵
兵器の引き渡し
捕虜の無条件解放
ブレスト-リトフスク条約とブカレスト条約の破棄

・1919年6月 ヴェルサイユ条約

独は同盟国の責任を全て負う
ベルギーへの賠償(独からの提案)
連合国への[高額]な賠償金の支払い(独からの提案)
独国境線を開戦前(1914年8月3日以前)に戻す
独国境沿いの多民族地域の帰属を投票により決定
ポーランド、仏への領土割譲
損害を受けた仏炭鉱の賠償としてザール地方炭鉱の所有権を有期で譲渡
ブレスト-リトフスク条約とブカレスト条約の破棄
国外資産と植民地の放棄
軍備制限と監視、非武装地帯を設ける
国際的な金融・経済組織からの排除
賠償金の額は償還委員会が1921年5月までに決定する

・1919年9月 サンジェルマンアンレー条約 連合国とオーストリア・ハンガリー二重帝国との講和

ハンガリー、チェコスロバキア、ポーランド、スロベニア、クロアチア、セルビアの独立
(ただしハンガリーのドイツ語圏はオーストリアに残留)
ルーマニア、イタリア、ユーゴスラビアへの領土割譲
植民地だった天津を中華民国に返還
独との政治・経済・軍事同盟の禁止
軍備の制限
オーストリアは経済が破綻して支払い能力がなかったのでオーストリアで生産された資材、
家畜で賠償。

621 :
・1919年11月 ヌイイ=シュル=セーヌ条約 連合国とブルガリアとの講和

セルビア、クロアチア、スロベニアへの領土割譲
ブカレスト条約で得たブルガリア北部をルーマニアに返還
ブカレスト条約の破棄
損害賠償の一環としてギリシャ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニアへ
数千頭の家畜を譲渡
鉱山破壊の賠償でセルビア、クロアチア、スロベニアへ年50000tの石炭
賠償金22億5000万フラン
軍備の制限


・1920年6月 トリアノン条約 連合国とハンガリーとの講和

イタリア、ルーマニア、チェコスロバキアへの領土割譲
(セルビア、ユーゴスラビア、クロアチア人の居住地域もそれぞれの民族国家に割譲?)
割譲した領土における資産、司法権の放棄
外国資産の放棄
賠償金2億マルク(1924年に確定、支払い能力が無いため1930年に取り消し)

・1920年8月 セーヴル条約 連合国とトルコとの講和

ブレスト-リトフスク条約の破棄
ドイツ資本の石油採掘権、鉄道の経営権の伊仏英への委譲
連合国金融委員会による国家財政管理(財政破綻寸前であったことも原因)
軍備の制限
特権的関税の廃止と関税の自由化
外国資産の放棄
海外の属領、属国の放棄

622 :
サンジェルマンアンレー条約に記載された家畜リスト
1.イタリア政府へ
3?5歳の乳牛4,000頭/1,000頭の未経産牛/生後18ヵ月から3年の間に50匹の雄牛/1,000頭の子牛
1,000個の労働用の去勢牛/2,000匹の豚

2.セルビア・クロアチア・スロベニア政府へ
3?5歳の乳牛1,000頭/300頭の未経産牛/生後18か月から3年までの雄牛25頭/1,000頭の子牛
500頭の労働用去勢牛/1000頭の労働馬/1000頭の羊

3.ルーマニア政府へ
3?5歳の乳牛1,000頭/500頭の未経産牛/生後18か月から3年までの25匹の雄牛/1,000頭の子牛
500頭の労働用去勢牛/1000頭の労働馬/1000頭の羊

資材は後にリストが出たはず
賠償対象になった資材は海底ケーブル、鉄鋼、木材、マグネサイト、各種建材など

623 :
ヴェルサイユ賠償編
・1918年11月 独側の賠償額想定

ベルギー、フランスに10億マルク
無制限潜水艦戦の損害賠償に380億マルク
ただし独には200億マルク委譲の支払い能力はない

・1919年2月 独外相の想定

戦争による荒廃の賠償のみで連合国の戦費分の賠償ない

・1919年5月 独側から連合国への提案

賠償金1000億マルク
開戦前の領土保証
フランスの炭鉱への賠償

・1921年初頭 

償還委員会が金額確定までの一時金として200億マルクを請求

・1921年1月

連合国側より2260億マルクを提案(償還委員会とは別)
独は300億マルクを提案

・1921年5月5日

償還委員会は「ドイツとその同盟国の総責任」として1332億マルクの賠償を決定
この時点で連合国側はドイツと同盟国に支払い能力が無いことを把握していて賠償は
A,B債権(合計500億マルク)C債権(残り)に分けられA,B債権の支払いが限界だ
ろうと考えております。

624 :
・1922年4月
ブルガリア 賠償金1億7300万フランを支払い
(1924年に5億5000万フラン+連合国駐留費用2500万フランに減額
更に1925〜29年に4億1000万フランを支払って1932年のローザンヌ会議で残りは免除)
オーストリア、ハンガリーは支払い能力なしトルコは1923年のローザンヌ条約でやはり免除

・1922年12月
ドイツの賠償のうち石炭と木材の支払いが停止
償還委員会は賠償がデフォルトしたと宣言してルール地方の占領を決定

・1924年4月 ドーズプラン
ドイツに対して強硬なフランスが孤立し始めアメリカが主導
ルール地方からの撤退、債権の棚上げ賠償金支払いの一時免除と年間支払額の減額
アメリカ資本の流入とドイツ経済の健全化へ

・1929年2月 ヤングプラン
長期的な賠償支払い計画、80年で58億1400万マルク(ライヒスマルク)の支払いに減額

・1931年 ハインリヒ・ブリューニング暴れる

・1932年 ローザンヌ会議
賠償金を1932年まで支払った分に加え30億の支払いで終了することで同意
1932年までに支払った賠償額は推定678億マルク(西ドイツ政府による)ドイツ国民のGNPの2.4%

・1933年 ちょびひげ、賠償金の支払いを拒否する

・1953年6月 西ドイツ政府 東西統一後に賠償金支払いの再開を約束

・1995年 ドイツ政府、賠償金の支払い再開 

・2010年10月3日 賠償金支払い終了
2クールくらいにまとめられるかと思ったがセンスが無かった

625 :
後半が余りにもてきとうすぎ

626 :
>ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの併合
第二帝国の領土欲も大概だなあ

627 :
>>626
領土欲もそうだが、加減を知らないのは第二、第三帝国とも大差無い。
ゲルマン民族世界一ィ主義の行き着く先は要注意やなぁ。

628 :
ドイツに限らずナポレオンの時もタレーランが苦労してた様に
軍人の感覚に任せると賠償が行き過ぎちゃうんだろうね

629 :
ベルギー、オランダ、ルクセンブルグはドイツ系民族が多数住んで関係で一民族一国家の
時代なので併合を考えるのは当時としては有りかなと。
ただ領土的な野心が無いわけではなく、1918年以降、ドイツ主導のヨーロッパ再編を妄想し
だして、オーストリア・ハンガリーと連邦国家を作り中央ヨーロッパからトルコ、スエズ運河ま
でをドイツ主導の経済圏を作る構想をしています。

630 :
>>628
WW 1でもフォッシュあたりはドイツの分割を主張してた
結局本土が戦火に見舞われた訳でも無いのに多額の賠償だけが残ると敗北感より屈辱感が勝るんやろな

631 :
どっちが先に殴ったか定かでもない恨みが積もり積もって300年ですからねえ
フランスはドイツと言う国家をこの世から消しさりたいと考えて、ドイツはフランスと言う
国家をこの世から消し去りたいと考えているのですよね。
統一が遅れたドイツの方が攻撃的になりがちですが、フランスも根性が悪い所があり
ますよね。

632 :
どっちもフランクなんだから仲良くしろ

633 :
フランス人「ライン川から向うは蛮人だから」

634 :
ルシウス「蛮族が蛮族を笑うとか嘆かわしい」

635 :
>>631
そういうテキトーで無根拠な思い込みをまあ
アホなレイシストは呼吸をやめればいいのに

636 :
衝突のスパンが短いのでご先祖の恨みだけでなく、自分たちが受けたことへの恨みなんですよ。
キリが無いので独仏合同旅団で手打ちをしたり、恨みをリセットしてEUを設立したわけですけど。
ドイツの一極化などで新たな恨みが生まれているのは何とも。

637 :
アジアより全然マシ
独仏が攻撃的で根性が悪いなら日中韓はどういう言葉で表せばいいのかオレノ拙い語彙では思い浮かばない

638 :
すぐにアジアって括るなよ
極東以外のアジアが迷惑に思うよ

639 :
独仏だって、ロシアが居なければ今でも敵対してるだろ

640 :
ロシアがいなければなんて突飛な仮定を持ち出さないと持っていけない時点で馬鹿らしい
自分で言っていてもう少しまともな反論は無いのかと情けないと思わないのか

641 :
>>640
ロシアというより米ソ両大国やろね
それらに対抗するための方法論としてNATOやEUを重視する必要があり仲良くなった
翻ってアジアは中国が共産主義な上に大国化してきて韓国が一気に擦り寄ってる情勢
ヨーロッパと同列に考えるなんて無理無理

642 :
一笑に付してもらっても構わないが、もし核を無効にする秘密兵器が開発されたら、また各国は通常兵器で戦端を開くのかなぁ?

643 :
今も通常兵器で戦端を開いてるだろ
違うのは大規模徴兵制で揃えられた大規模陸軍の価値が大幅に復権する点

644 :
>>643
しかしなぁ・・面と向かって撃ち合うのもイヤだが、コーラ片手にハンバーガー齧りながらのオペレーターが操縦するドローンやプレデターなどの無人機に、ゲーム感覚でミサイル撃ち込まれて戦死するのも哀しいよなぁ。

645 :
>>644
中世の騎士「農民兵が引き金引くだけのクロスボウで戦死するのは嫌やなあ…せや教会に禁止してもらおう」

646 :
当時でも四肢の一部や顎などの顔の欠損は補綴して社会復帰が限定的に可能だったわけですが
四肢の全欠損、毒ガスの後遺症、重度のやけど、精神障害、視聴覚障害は社会復帰が難しくて
廃兵院などでその生涯を終えたそうです。
たしかフランスだけで30万人ほどいて、戦後の補償が大変な負担だったそうです。
なので>>644さんには「ジョニーは戦場へ行った」をお勧めします。
WW1を舞台とした原作は絶版ですが、死に方だけではなく生き残り方も考えさせてくれます。
それでも小説のモデルとなった方よりはマシな人生だったわけですが。

[SOS,SOS,SOS,SOS,SOS,SOS,SOS,SOS,SOS…]

647 :
ロシアビヨンドに大祖国戦争で四肢欠損をした傷痍軍人の話があった
ttps://jp.rbth.com/history/82147-dainijisekaitaisen-go-soren-no-shoui-gunjin

648 :
ロシアを屈服させた後、すぐに兵力を西へ送らずに
まずバルカン半島から処理して、次にイタリアを屈服させてから
フランスをラインとイタリアから攻めるべきだった。

649 :
バルカン半島はどれくらいで片付いてイタリアはどれくらいで片付いてフランス攻撃の準備が整うのはいつなの
時間がたつとアメリカ人も戦車もどんどん増えるよ
あとギリシャもイタリアも片付いたとしても沿岸の警戒が必要な地域で兵力が完全に集中できるかというとそうでもないよね

650 :
ドイツの思う通りに買ってたとしても、ベトナム戦争が欧州内で起こって泥沼になってただけだと思った

651 :
障碍者に厳しいドイツ第三帝国でも、傷痍軍人に対して同じ扱いをすることはできなかった
ってあたりはかなりの矛盾だよなあと思った
まあやったらやったで反軍反戦運動になったんだろうけど

652 :
障害者に厳しいったってそれで迫害の対象になるのは基本先天的なものだろ
千絵送れとかユダヤ人とかジプシーとか

653 :
我が国の場合は、後天的な傷痍でも万歳三唱が終わったらお国の為に自決しろと言われたわけですよ

654 :
>>648
むしろ欲張って割譲地拡げたのが問題。
東部の安全確保にポーランド占領、バルト三国の独立承認だけなら、東部から西部へ移送出来る兵力と装備は倍になった。だからといってミヒャエルが成功したとは限らないけどね。
いずれにしろバルカン、イタリアで限りあるリソースを消耗するのは賢明とは言えない。

655 :
>>642
世界中の核を一瞬で爆発不能にする構想って実際あるよ、妄想に近いけど

656 :
ニュートロンジャマー…

657 :
>>653
本来腹を切ってこの世から綺麗に消え去るのは将軍・士官だけで十分なのに
一兵卒にまでそれを強要したのが昭和の陸軍の過ちだなあ
大正時代に日本で大きな戦争が起きていたらどうだったんだろ?

658 :
>>657
陸軍が西部戦線に大規模な援軍を出していれば、戦後は人材の確保がいかに重要かを理解しただろう。
ドイツ軍の塹壕に銃剣突撃する地獄絵のような経験をすれば、流石にね。

659 :
言語的にあまり密接なコミュニケーションは取れず
派兵されたとしても数十万人みたいな規模にはならないだろう日本兵は大攻撃には参加させられないと思うけど
ポルトガル軍は55000名が西部戦線に派兵されてカイザーシュラハトの主攻目標にされたけど死者は2160名だった
"塹壕に銃剣突撃する地獄絵図"が派兵期間中全くないとは思わないにしても
よく定型文みたいに使われるが"数万人が数日で溶ける戦闘"に日本軍が使われるとは思わないな

660 :
日本陸軍は日露戦争で1度の会戦で万単位での損害を出す戦闘を経験している
日露戦争の戦訓を踏まえつつ第一次世界大戦の欧州戦線の塹壕戦にどのように対応できたのかは興味深い

661 :
昔は「正々堂々だった戦い」が血みどろになり、
今は、戦争という手段が過去のものになり、
再び「正々堂々の必要性が課題」になっている。

662 :
正々堂々とした奴から死んでいって、
隠れたり逃げ回る人たちのほうが生き残ったり買ったりするようになってきたわけで
これは正直戦術の変化で兵器が当たりやすくなればなるほど臆病な奴のほうが有利になるという

663 :
我が国の旧軍は勇敢な人間は真っ先に玉砕戦場に送られて死んでいく世界だったからなあ

664 :
陸軍のお偉いさんは日露戦争の数年後に戦いを総括してわが軍に足りないのは精神力だと思ったそうね

665 :
海軍ともどもほんと日露戦争の直後から道を誤ってるね

666 :
日本の軍事・政治・国民世論の終わりの始まりが日露戦争だと思うの
そして第一次の火事場泥棒→シベリア出兵→満州事変...と深みに嵌まっていくと

667 :
>>666
世論はともかく、指導層は日露までは正気を保ってたと思うよ
WW1で火事場泥棒に徹したのが失敗。誰かがどっかで書いてたけど、戦闘機のパイロットの養成&派遣だけでもやっておけば相当違ったはず

668 :
我が国の旧軍の勇敢な人間は偉い人が多くてしれっと生き残っているのが謎

669 :
特攻隊を送り出す側も「必ず俺も逝くから」と言っていたがしれっと死に損ねて生き残ってるのが大半だよね

670 :
>>667
うん、そう思う。
従って以下のように修文します。
×日露戦争が
◯日露戦争戦後処理の過程から

671 :
>>664
士気喪失による兵卒の潰走が多数見受けられたそうだからね、そこで精神力強化の発想に至った
そこまではそう間違ってない(日露戦争時点では)
総力戦時代になって戦争の変化や国力の制約もあるとはいえ、その後は…… なのも確かだけど

672 :
How acoustics detected artillery in WWI

Some of their creative innovations included wrapping the microphone in camouflage netting to cut wind noise and turning an ammunition box into a microphone that was well-tuned to the low frequencies of the artillery explosions.
https://m.phys.org/news/2019-05-acoustics-artillery-wwi.html

673 :
10 First World War slang words we still use today

https://www.historyextra.com/period/first-world-war/first-world-war-slang-words-history-language/

674 :
>>671
どっかで読んだ話でソースはないんだけど。
WW1
総力戦を間近で見た日本の観戦武官たち
「あぁ、こりゃ日本にはムリだわ...」
「でも無理だとは口に出せないし...」
   ↓
「精・神・力!!!」

675 :
牧野伸顕日記だったと思うのですがベルサイユ会議派遣団がWW1の戦場跡を案内されたとき
同行の武官が「ここで得られる戦訓は何万人戦死者を出そうと最期に旗を立てた国が勝ち」みたいな
ことを発言したことが残ってますね。
昭和に入ってどなただったか総力戦の論文(総力戦研究所とは別物)を著した際も動員可能兵力
について論じるだけで産業の戦時体制は研究されないままでしたね。
わずかに石原莞爾が私的に軍産協力の動員体制を研究しましたけど失脚で途絶えてます。

676 :
わずか十年前の日露戦争全期間に生産した砲弾総量を一日かそこらで撃ち尽くしちゃうのがWW1だもんなあ・・・

677 :
>>676
それは日欧の工業生産力の差だよ

678 :
だから、陸海ともに砲兵中心の火力戦では勝てないと考えたから、航空機を利用することでより少ないリソースで相手にダメージを与える方向に努力することになった
でも、航空機の燃料はガソリンで日本ではほとんど石油は産出しない。その中での石油禁輸で首が締まったので一か八かの対米開戦にって流れに
当時の発電は水力がメインだし、陸上交通でも自家用車はごくわずかで、国鉄の貨物輸送量(トンキロ)をトラックが上回ったのがようやく1930年代後半
石油製品、特にガソリンの需要は航空機と軍用車両が中心だった

679 :
>>667
研究用としてフランス製のスパッド、ニューポール戦闘機を輸入して戦車もルノー甲型と乙型を輸入している。
菱型戦車とかドイツのA7Vみたいなゲテモノではなく無難なのを選んでる。

680 :
酒井鎬次
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E9%8E%AC%E6%AC%A1

『戦争指導の実際』 改造社、昭和18年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454413

681 :
日露戦争と言えば、砲弾足りないから戦艦の砲身から拳銃撃って的に当てて訓練していたんだっけ

682 :
>>681
釣れますか?

683 :
内筒砲射撃訓練と言いまして。
砲操作と連動する小銃弾発射装置(歩兵銃ではない)を砲身にセットして
艦砲の弾道データを小銃の弾道に換算して訓練します。
高価で交換が大変な砲身の消耗、大口径砲弾の温存、訓練時の誤射の
危険などを避けるためにどこの海軍でもやってる一般的な訓練法です。

684 :
>>674
無理なら無理でできないことをやる必要はない
北ベトナムが機甲決戦を行わなかったように

685 :
WW1の時代は精神疾病を虐待で矯正治療するという粗野な時代だったので
塹壕の泥水で凍傷になり毒ガス戦にマスク一枚で対抗するというとんでもない環境への理解がなかったんだよ。
凄惨さを伝えるテレビも無いし後方では騎士道の戦争と思われているから理解もされない。

686 :
ベトナムネタは1968年に米陸軍が撤退開始してから北ベトナムの機甲師団が強化されて末期にはT54主体の機甲師団と携帯地対空ミサイル装備の北ベトナム軍に欠陥品の多いM72LAWと遺棄兵器で対抗という悲惨さ。

米国が匙投げたせいで北がソ連の援助物資活用して押し切りがち

687 :
勇敢な奴から機関銃の露に消えていって、
臆病ゆえに生き残った将兵だけで戦線維持強いられるとなれば
勇敢さのパラメータなんて邪魔以外の何物でもない

688 :
Sunken WW1 Scapa Flow warships sold for &#163;85,000 on eBay
https://www.bbc.com/news/uk-scotland-north-east-orkney-shetland-48920904

689 :
西部戦線のイメージは、機関銃に薙ぎ倒されれる若い志願兵達なんだが、戦死者の大半は、普通の砲弾wと瓦斯弾による
それにしても機関銃陣地への突撃の無謀さ加減は、開戦10年前の日露戦争で観戦武官達が報告していたはず
解っていたはずなのにやっちまったのは、英仏独の将軍達は、ド田舎者と黄猿の戦争なんか参考にならんと思ったのかね

690 :
40年以上の平和が士官・将校を馬鹿にしたとしか思えない
70年以上平和が続いてる今の欧州は・・・

691 :
日露戦争最大の戦訓は
「機関銃と砲で防備された要塞でも砲撃と突撃で陥落する」という事実だからな
緒戦でベルギーの要塞群が次々と陥落した事は攻勢側に出る事に自信を付けたし
単純な"突撃無謀論"は後知恵過ぎると言うか戦訓の分析を間違ってると思う

第一次世界大戦で苦戦したのは機関銃で防護された強固な単一要塞ではなくて
機関銃で防護された一線では脆弱だが連続した塹壕線であって旅順要塞の戦闘とは微妙に異なるんだよ

692 :
旅順の時は要塞に向かって地道に塹壕を掘り進んだんじゃなかったっけ

693 :
>>691
そりゃ戦術や戦局だけみたら要塞突撃突破は有効だよ
でもそのあとの戦後経済に与えるダメージが大きすぎるというのが

694 :
>>692
地道に塹壕を掘り進めただけでロシア兵が降伏したと思ってるの?
最終局面でも重砲や工兵の支援を受けながらも突撃で堡塁を陥落して決着してるよ
>>693
要塞に突撃するのが戦後経済にダメージ?
第一次世界大戦のリエージュ要塞戦でドイツ軍がどういう経済的ダメージを受けたんだよ
第一次世界大戦全体で見てこの戦闘だけで特別なダメージを受けたのか?
戦術的な話と経済的な話を無理矢理繋げてる様にしか感じない
戦争自体が極めて不経済な行動なんであって要塞攻撃に限らないのでは?

695 :
>>694
傷痍兵のその後かかるコストを見ないふりしてるって話
それらを切り捨てられたのはわが国くらいで
ナチスドイツですら票の問題で重視せざるを得なかったわけだし

696 :
>>695
だから別に要塞や塹壕を攻撃する事にだけ特に関係するわけじゃないじゃん
反論のつもりなのか知らんけどその時点で的外れだよ

697 :
>>691
攻撃側が塹壕掘りながら肉薄して煙幕や霧に紛れてまもり突撃すれば鉄条網を抜けて突破可能。

ということに気付くまでに流した血の教訓は高かったのだし、その後防御側は鉄条網や毒ガスを使い攻撃側は戦車を開発する流れ

698 :
鉄条網は最初からあったのか後から使い始めたのかどっちだよw
少しは自分のいいたい事を整理してから書け

699 :
電車の中で書き込んでてまもりの部分脱字したすまん。
鉄条網や雑草燃やすバーナー改造した火炎放射器やお手製鈍器類など攻防双方とも生き残る為になんでも戦力化するから戦術に定石なし

700 :
>>694
なんで噛みつかれてるのかよく分からないんだけど
674の二行目に砲撃と突撃が挙げられてて塹壕がなかったので書きました
塹壕なしの突撃はうまく行ってなかったよね

701 :
WW1をきっかけに先進国陸軍の戦術は大きく変化した
これは歩兵突撃による損害を許容できなかったということに他ならない

702 :
英国では徴兵制は兵士の質が下がるのでやりたがらなかったが
軍に志願してくるのが熟練労働者やホワイトカラーや貴族という
愛国心を持った社会的地位の高い人間が多く(しかも士官の死傷率は兵士のそれよりも高かった)
この層があまりにボロボロ死んでくのを見て徴兵制を決めたという

703 :
英国としてはナポレオン戦争の時のように、国民兵同士の消耗戦は大陸の同盟国に任せて、自国は敵国の経済封鎖と同盟国への経済支援に徹して、最後の決戦でプロの常備軍を大陸に派遣したかったのだろうね
20世紀の総力戦はそんな英国の思惑を許さなかった

704 :
IWM OBJECT CATEGORY Photographs
RELATED PERIOD First World War
Serch corrections
https://www.iwm.org.uk/collections/search?query=&pageSize=30&style=image&filters%5BwebCategory%5D%5BPhotographs%5D=on&filters%5BperiodString%5D%5BFirst%20World%20War%5D=on

705 :
>>546
https://www.greatwarforum.org/topic/202653-what-is-the-significance-of-flare-colors/

706 :
>>546
http://www.theaerodrome.com/forum/showthread.php?t=47273

707 :
Royal Signals Museum Wireless Set No 1: WW1 Sterling Set Marconi spark a morse code spark transmitter, used in aircraft mainly for artillery spotting.
https://www.royalsignalsmuseum.co.uk/wp-content/uploads/2015/12/WW1-Sterling-Set_Marconi-spark-set_Aircraft.jpg
https://www.royalsignalsmuseum.co.uk/ww1-ww2-communications/

708 :
>>704
徴兵制っていうのは国家が損耗していい人間を選別して最悪死んで来いと命令するという冷酷な行為である
なんてのはずっと言われてることだからな

709 :
>>708
泥沼の総力戦では選別する余裕が無くなった
それが20世紀欧州にとっては最大の誤算、最悪の悲劇、最低の喜劇

710 :
ヴィルヘルム自体開戦前の電報で欧州戦争は惨劇と言ってる
欧州戦争は起こってしまったハルマゲドン、冷戦期の核戦争なのだろう

711 :
1962年のキューバ危機と1914年の7月危機の対比は少し興味深いね。
核戦争を回避した1962年の時は、責任者=決定者が明確だったことが一番大きいかな。
ケネディとフルシチョフ、ヴィルヘルムとニコライとの当事者意識の違いというか、さらに言えば閣僚・幕僚達の当事者意識にも差があった。
他に惨劇が予想されていたのは共通だが、1962年の方はヒロシマ・ナガサキの実例があったのも大きいかも。核戦争をしたことは無くても、ほぼ確実に結果が見えていた。

712 :
兵隊さんがてっぽを打ち合うと塹壕戦にならずとも何が起きるかも結果が見えていたような

713 :
ナポレオン戦争じゃタマが足に当たると切断ってイメージがあるけどWW1は全然そんなイメージないな
ペニシリン発明前なのに

714 :
http://i2.cdn.cnn.com/cnnnext/dam/assets/140609140732-01-wwi-prosthetics-0609-restricted-horizontal-large-gallery.jpg
実際には物凄く多かったし第一次世界大戦のせいで義肢や形成外科技術が格段に上がった

715 :
>>713
第一次大戦は塹壕と瓦斯のイメージ。
実際のところ、東部戦線は機動戦があったが。

716 :
ナポレオン戦争とか南北戦争の時は鉛むき出しのデカい弾だから当たると骨を砕いて体内でバラバラになる
だから弾のジャケット切って当たると分解するダムダム弾や散弾銃が怖くて禁止になったw

717 :
wniの鈴木里奈の脇くっさ
      (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
         |     ,.'  i、     |}
       ',     ,`ー'゙、_    l
       \ 、'、v三ツ   /
        |\ ´  ` , イト、
       /ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
     /::::/ ',   : . . :  /  |:::::::ハヽ
https://twitter.com/ibuki_air
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718 :
>>711
お偉いさんや金持ちは安全なところで逃げて戦争継続命令出せるWW1と
お偉いさんや金持ちの頭上に宇宙から核弾頭が落ちてくる(しかも撃足れたら防御不能)冷戦期は根本的に当事者意識が違う
つまりだれも自分の命や全財産をベットしてまで火遊びはしたくなくなったってことだ

WW1や2では終戦処理において、戦争責任の名の元
敗戦国の富裕層や権力者から全財産没収する行為が正当化されるようになったから

719 :
ジョージ・オーウェルはロンドン空襲の時にやっとイギリス人の上流階級どもが砲火の洗礼を受けた事に歓喜してたからな

720 :
>>719
まあ、上流階級というだけなら第一次世界大戦の西部戦線で相当数戦死しているけどな。
現職政治家が肝を冷やすのはいい気味だが、ジョージ・オーウェルは自分からスペイン内戦で共産党軍に参加して砲火の洗礼受けたのだろう?
「やっと上流階級どもが・・」は八つ当たりだわな。
それにしても、なんでスペイン内戦で共産党軍に与したジャーナリストやら文化人は「反ファシスト」を自称するのやら。後ろめたいことしたのか、よほど自分の振る舞いに自信が無いのか?

721 :
>>720
自称するもなにもファシストと戦ったんだから明確に反ファシストだろ
理屈がわからない

722 :
>>721
普通、共産党軍義勇兵だろう?
フランコ将軍はファシスト党で、反共産党を自称していない。
アメリカの民主党も(心情はともかく)反共和党や反トランプ党とは自称せんよ。
ファシストが悪役確定した世界で、反ファシストを名乗ったのが、無名の市民ならこうは言わない。
オーウェル氏は真実を伝える立場のジャーナリストなのだから、堂々と共産党軍義勇兵を自称してもらいたいものだと。
因みにスペイン内戦で共産主義に理想を抱いた有名人義勇兵は多いよなぁ。当時のトレンドだった。

723 :
過疎スレだから良いが、スペイン内戦はアフターWW1ではなくプレWW2だ

724 :
>>723
過疎スレだから良いが、スペイン内戦はアフターWW1ではなくプレWWだから、スレチだったな。
なんというか、ジャーナリストやらが公平を装っているようなので、どんなものかと思っただけで、異論は当然あるだろうね。

725 :
政府に歯向かったら反政府だし
体制に歯向かったら反体制だし
ナチに歯向かったら反ナチだし
ファシストに歯向かう人たちが反ファシストと名乗っておかしいという感覚が分からない

726 :
>>722
オーウェルはPOUMに参加してた事を全く隠してないだろ
意味がわからん

727 :
>>718
ソ連のいざというときにへたれる癖がなければ何度もハルマゲドンが起きてもおかしくないんだよ

728 :
>>695

東部戦線の傷痍兵はナチスは殺したけどね。
「戦死」として扱ったけど

729 :
>>727
でもアメリカやイギリスですら土壇場になったらへたれてたわけだしなあ
朝鮮戦争やベトナム戦争での核使用の許可がことごとく却下されてたのはそういうことだし

730 :
核兵器が世界大戦への抑止力になっている
第二次世界大戦で核兵器が出現してから核保有国同士での戦争ができなくなった
世界大戦=ハルマゲドンになった

731 :
実際核兵器もだけど遠距離戦略爆撃が可能になってから
安全な後方というのが存在し得なくなったのが為政者や富裕層に対して抑止力になってるのは確か

色々いっても、自分が戦場に行きたくないしましてや殺されたくないってのはある

732 :
第一次世界大戦の時にフランスの下院議員の半数が免除されてる動員に参加して塹壕で戦った
爆撃のお陰で上流階級も戦争に巻き込まれるようになったという時点で国民の民度が低い
真に民度の高い国なら政治家が真っ先に戦争に赴くものだ

733 :
そういえばチャーチルも海軍大臣更迭後に志願して、陸軍中尉(ボーア戦争時の最終階級)で前線近くに行った。

734 :
>>732-733
だから義務感などから前線に行くやつから死んで
逃げ回ってた卑怯者が生き残って指揮をするじだいになったのがWWI

735 :
いやジジイは流石に動員から拒否されてたからそれは仕方ない

736 :
>>730
それは結果論で実際には何度も米ソ・ハルマゲドンになりかねない「事故」があった

737 :
そいから人民解放軍による先島への侵攻があればトランプは過剰なまでの援軍を送り付けて人民解放軍を殲滅しようと計るだろう
彼は中国を弱らせるためならなんでもする

738 :
ドイツ帝国もロシア帝国も、部分動員計画を持っていなかったというのがなんとも・・・
冷戦時の核のボタンではないけど、総動員下令しか選択肢が無いと軍部トップから言われた時、皇帝も政府も唖然としただろうな。

739 :
いちおう部分動員計画はあるにはあったんじゃなかったっけ?
ただ、自国が部分動員を開始した後に、相手国が総動員を開始した場合、
鉄道等のスケジュールの兼ね合いから直ぐに総動員に切り替えることができず、
致命的な遅れが発生するからできなかっただけで

740 :
普仏戦争でフランスの動員計画がプロイセンに比べて不完全だったから負けた衝撃がまだまだ色濃い

741 :
PTSDとか問題にならかったんだろうか?日本人よりもメンタル弱そうな欧米人だろ?

742 :
シェルショックはまさに第一次世界大戦から生まれた言葉なんだが変な煽りを入れないと会話出来ない奴は知識も皆無なんだな

743 :
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450660/211

独軍に於てはシュリーフェンの参謀総長たりし時代以来、
戦時兵力増加の手段として予備軍団の戦力を充実し、
之を現役軍団と同様に第一線に使用する如く企画し、
開戦当時には概ね常設の二軍団毎に一予備軍団を編成せり。
之が為独軍の第一線兵力は、右の処置を予期せざりし
仏軍参謀本部の判断よりも約五割を増加しありて、
従って独軍の展開正面は仏軍の予想以上に拡大せられたり。
但し予備軍団の実力は当時尚砲兵に於て半数なる等、
未だ現役軍団と同程度には達しあらざりき。

744 :
最初に宣戦した二重帝国
最初に総動員したロシア帝国
最初に越境したドイツ帝国
いずれも王朝が崩壊した

745 :
他スレで戦争になれば新規の精神病患者はなくなる!キリッと言ってる奴がいて唖然としたわ。
そりゃOCDだけや・・・

746 :
>>742同レベルの煽りをやって同じレベルのバカになるってどうなんだろうなw

747 :
>>733
当のチャーチルが勇敢なものから死んで、逃げ回る卑怯者が指揮を執る時代になるって記してたわけだが

748 :
精神病なんてのは社会の都合で増減する代物なんだが
特に今は企業が二流人材雇わない理由作るために、
新しい精神疾患を発見するため医学会に金ばらまいてる有様なので

749 :
まあ病気の定義自体色々だからなあ

750 :
19世紀には女性が自慰をすると精神病院行きだったw

751 :
サラエボ事件後、オーストリアがドイツにロシア介入時の支援を照会しているが、ここが最初の岐路なんだろうな。
実際、セルビア国内でオーストリア軍とロシア軍が衝突しても、露仏同盟、独墺同盟の規定の外。

752 :
>>748
奴隷制をやってた頃のアメリカでは「逃亡を繰り返す黒人奴隷」を
ドラペトマニアという精神病に分類してたな。
こんな狂気をまともな教育受けた医者が言ってたんだから
社会が狂っていたら、その中で正気を維持するのはまず無理なんだよな。

753 :
>>751
フランスは墺露の衝突で同盟発動を約束してたという説も
実際にサゾーノフはフランスの協力を疑ってなかったようだし

754 :
>>753
墺露衝突ではなく、墺露戦にドイツが介入するなら、その時点でフランスがロシア側には立つということじゃないか?
墺露戦だけでフランスがドイツを挑発するのはリスク高過ぎるし、何よりドイツ軍介入無ければロシア単独で勝てそうだから。

755 :
>>751
別宮氏によると、ドイツがオーストリアを見捨てるなら第一次世界大戦は起きない。
しかし、その後は完全にドイツが孤立する。
フランスを孤立化させたビスマルク体制から約20年で逆の状態になる。

756 :
>>754
元々、ロシアがバルカンに突っ込んでドイツの介入を招いても同盟は発動しないことになってたけど
それが変わったとか

ロシアはオーストリアをドイツの属国と思ってたんですよね
> しかし、その後は完全にドイツが孤立する。
これを恐れてオーストリアにノーと言えなかったのに

757 :
中央にある国は包囲される危険が高いのね

758 :
>>756
属国ってそういうもんじゃない?
逆に5分の同盟国ならそこまでならない気が

759 :
鉄は国家也ではないが、戦前の粗鋼生産量がドイツ約1,400万t、オーストリア約200万tでは、どちらと話しをつければ良いか明らか。
英仏露は、約800万、約300万t、約450万tだから、独墺の総計に拮抗している。鉄だけが国力の指標ではないけど、仏露だけなら危なかった。

760 :
格差の大きい5大国だなあ

761 :
欧米では1917年2月の全船舶標的・無警告攻撃の完全な無制限潜水艦作戦の実施を
宣言したのが敗因とされている。ロシア革命の2月革命がもう少し早く始まれば、
もしくは無制限潜水艦作戦をもう少し遅らせロシア崩壊が明らかなら
アメリカが介入する作戦などしなかった。独立させたウクライナから資源も
入ってきたし勝てただろうと言われている。本当に僅かな時間差だった。
歴史とはタイミングも重要な要素と教えてくれる事例とされている。

762 :
カイザーシュラハト程度の戦果じゃ戦勝には程遠いし
これが多少拡大してもまだまだ勝利には遠い
アメリカ参戦は1918年11月に終戦する"敗因"にはなったが
戦争に勝つには"勝因"が他に必要だろう

763 :
真珠湾攻撃だってモスクワ攻防の最中のタイミングの出来事
後退していくドイツ軍を見たら日本の軍部はどう思ったか

764 :
 2月革命ではロシアは崩壊していない。1917年夏まではケレンスキー攻勢などを
行って、少なくとも対外的には健在なところを示している。

 また、帝政が倒れ臨時政府ができたことで、協商国側は「専制主義の同盟国に
立ち向かう民主主義の協商国」という建前が立てられるようになったので、かえって
革命を歓迎していた向きもある。
 ウクライナがモスクワから離反して同盟国側につくのもボリシェヴィキ革命後のこと。

 だから、2月革命の時点で、東部戦線に限ってみても同盟軍の勝利が見通せた
なんてことはない。

 一方で、無制限潜水艦戦は「たとえアメリカが参戦したところで、本格的に派兵
できるようになる前にイギリスを打倒できる」という見通しだったのだから、
「無制限潜水艦戦をやったからドイツが負けた」というのは後知恵にすぎない。

765 :
普通、米軍の来援が確定した時点で、パリが陥落しても英仏が屈服する目は無くなったと見るぞ。
ドイツ主戦派は誰が休戦に応じると思ったのかな?
大陸派遣のイギリス軍を全滅させると、イギリス政府から和を乞うとか思ったのか?

766 :
>>764

2月革命が無制限潜水艦作戦の前におきれば先延ばしはしたのではないか?

767 :
>>766
何ヶ月先延ばしにしたと考えてるの?

768 :
第一次世界大戦の時代は、特に西部戦線に関わった人たちには最悪のタイミングだった。
兵器の性能向上、大量生産、毒ガス兵器使用制限無しの一方、移動手段は、鉄道が使えない場所では中世と大差無い馬と徒歩が頼り。
結局、人類史上空前絶後の塹壕戦で戦死者も大量生産となる。
ポジティブな効果は、女性の社会進出と文学・芸術に名作が生まれるきっかけなったことくらい・・・かな。若年,壮年男性の大量死と引き換えに。

769 :
>>759
ほっといてもヨーロッパ最大の国なのにお偉いさんはそれに満足できず軍国主義という劇薬に手を染めたんだな

770 :
軍国主義なのはドイツの起源からだから仕方ない
第一次世界大戦ですら君主制はやめられたのに軍国主義なのはやめられなかった
ワイマール共和国時代ですら物凄い軍人中心なのはなぜなのか考えるべき

771 :
 
●馬鹿 「女性の社会進出がよかったニダ」

●女性 「はぁ?なんでよ?私は子供を産んで自分の家族だけが
      幸せならそれでいいの。下らないオナニーは一人でやったら?」

●馬鹿 「あうあうあ」

772 :
>>770
絶対君主制では官僚の力が滅茶苦茶強くなる
特に陛下の藩屏になるほど近くになれば実質国政を左右できた
んで、WWIの時にその陛下の一番近くにいたのが軍参謀本部で
結果としてありとあらゆる好き勝手をやれた旨味が忘れられなくなったのだよ
ヤク中みたいに

773 :
ドイツ帝国を真似て作った政治制度でWW1のドイツと同じように軍をコントロールできずに暴走させて滅亡した大日本帝国
陸軍統制派がルーデンドルフ独裁を研究して好き勝手する方法を真似たから結末は同じになる

774 :
>>772
だからドイツというかプロイセンになるけどWW1の前からずっとそうだって
WW1の時特有じゃない

775 :
ビスマルクの時はシビリアンコントロールができてただろ

776 :
無予算統治とかしてたのに?

777 :
>>775
だから陛下に近い人が全てを掌握するというしすてむは
属人性が高くなりすぎるのよ

778 :
>>768
空前絶後というならユトランド沖海戦。
超ド級戦艦群が航空機の干渉無しに、激突する最初で最後の機会がだった。
その前の艦隊決戦は前ド級戦艦の戦い。
WW2では強力な条約明け戦艦は脇役に。潜水艦と航空機に主役の座を譲る。

779 :
>>772
ドイツにはユンカーという日本の士族階級みたいなのがまだいたので、ウィルヘルム二世がオランダにお隠れになっても連れ戻して王政復古と再軍備というノリはあっただろうね。

780 :
ヒンデンブルクが大統領になっちゃった時点で兵務局的にはむしろこの方が好き放題できるんじゃないかって感じだっただろうけどな
ワイマール共和国時代ですら軍事国家だった証拠

781 :
ドイツは英国の余波で近代化したものの
社会体制はドイツ帝国が19世紀後半になって諸王国を束ねて独立という有様で幕藩体制も同然だな。

782 :
>>780
背中に匕首、敗れずして戦場を去った、なんて敗戦の言い訳が、疲弊した国民にも受け入れ易かった。
結果、敗軍の将が国家元首になる。
WW2ではこの教訓から、日独軍組織・主要人物は戦勝国の管理下に置かれる。

783 :
>>781
幕藩体制と比べるのは疑問に思う。
幕藩体制では朝廷から政を委託された幕府が、諸侯に領主の地位の正当性を保証している。
一方、バイエルン王もヘッセン侯も、プロイセン王に領主の地位を保証してもらっている訳じゃない。ドイツ帝国成立後の帝国憲法で保障されてる。それ以前は保障がないので欧州のパワーバランスの上で国を存続させた。
幕藩体制と比較するならオーストリア帝国かな。
神聖でもローマでも帝国ですらなかったと言われているが、神聖ローマ帝国の後継で、建前上、バチカンと朝廷を対比させれば、権威や正当性の構造は似ている。

784 :
帝国憲法の国家主権とユンカーの軍閥や兵器産業を組み合わせると
自己の利益追求と国益が癒着した軍産複合体に支配された国になるな。

785 :
榴散弾という弾種が廃れたのは、第一次世界大戦。
戦場に到着すると、歩兵は塹壕掘るようになった。

786 :
塹壕は作るのに時間かかる
WW2では作業中の独兵に米軍が近接信管付き榴弾を打ち込んで1発で全滅させたという話もある

787 :
>>786
榴弾と榴散弾は違うがな。
榴散弾なら歩兵が伏せるだけでも生存率が違う。
日露戦争までは多用されたが、スコップで簡易的な塹壕か窪みを作れば生存率が格段に上がるので、 W W1以降は廃れる。
また W W1では砲兵の移動と砲兵陣地構築に相当な時間を要したので、 狙われる側はその場か、後方で撃たれる準備をする。
この状況は内燃機関が普及 する W W2まで打破されなかった。

788 :
>>759
欧州列強といいながらオーストリアはそんなに国力低いの?海外植民地も無いし。

かなり昔になんかの資料で見たけどイタリアはそのオーストリア以下だったような…

789 :
>>788
オーストリアは、現在のチェコで工業化が進んでたくらいで、他の地域は農業国みたいなもんだったと思う

790 :
>>770
世界史教科書ではワイマール共和国は民主的な憲法とか習ったけど、
帝政派やナチスのクーデター未遂があるは、共産主義者が暴れているは、第一次大戦の軍人が大統領になるは
30年代はナチス、共産党、社民党いずれもが党の戦闘部隊を持ってライバルを攻撃するはで
こんな国に民主主義なんてムリだよ(現に無理だったためにナチスが一党独裁をしいた)と思った。

791 :
WW1後の民主化で国民政党が乱立した中で騒乱は当たり前、そしてその暴力レースに勝利したのがナチス突撃隊と更に先鋭化したナチス親衛隊だったという酷さだぜ。

792 :
民主化というより共和化だったんだよ
ナチ党政権までだいたいワイマール共和国の政治の中心にあった中央党や社民党は戦前に既に存在してて議会に参加してたんだし

793 :
>>788
戦前イタリア粗鋼生産は約90万t。オーストリアは220万t。
人口はイタリア3600万、オーストリア5100万。
機関車車両数はイタリア6000両、オーストリア1万2千両。
鉄道車両数はイタリア12万4千両、オーストリア29万8千両。
船舶トン数はイタリア152万t、オーストリア101万t。
船舶トン数が上回るとはいえ、イタリアは五大国最後尾にもほぼダブルスコアで及ばず。

794 :
現在の民主化はよく成功してるね
徴兵復活で暴動が起きるくらい反軍意識が国民に芽生えたからかな

795 :
第一次世界大戦で君主制を潰して第二次世界大戦で軍国主義を潰す
2回必要だったんだろうな
片方じゃうまく行かなかった
まあ軍国主義を先に潰せるならもしかしたら立憲君主制で解決したかもしれないけど
こっちの方が根が深くしかも影響力も大きかったから先に潰すのが難しかった

796 :
>>795
ロシアも民主主義が根付くにはもう一回敗戦が要るのかな?
今度はモスクワ大公国レベルまで縮小したりして

797 :
>>789
狭義のオーストリアでも鉄鋼業とか盛んだったでしょ。LD転炉のLはリンツのことやで

798 :
>>790-792
これくらいリベラルな憲法にしないとアメリカが和平に乗ってくれない
でも文化的実態が伴わなかったから共産主義者から王政復古・封建回帰派まで来て大暴れになった

799 :
>>795
実際WWIIでの西ドイツの実態はアメリカの半保護国だからな
アメリカはもちろんフランスイギリスすらドイツの国民と政治を全く信用してなかった
だから政治家や財界人になるには大学出てから一度アメリカに国費留学しないとなれないくらいの
強力な制約と政治干渉をした

そしてそれくらいやってようやく今の民主的な西ドイツになった

800 :
>>794
飢餓に怯えるほどの貧困がないからだよ。
WW1後のドイツは賠償金を払うための悪性インフレで民衆が飢えていたため国家社会党という怪しい政党が支持を集めたのだった。

801 :
インフレは1920年代半ばくらいにはとうに終息しててこの頃は国家人民党が多少躍進してる程度
大恐慌で再度不況が訪れナチスや共産党が躍進するが賠償金のせいではない
賠償金がナチスや共産党が躍進した原因って論は大恐慌の原因のアメリカや拡大させたイギリスにとってその論が一石二鳥だったから
なにしろ彼らはフランスに比べれば賠償は融和的だったしな
この辺の戦間期の流れの認識が曖昧だと未だに賠償金でインフレが起きてナチスが政権をとったという単純化された歴史を信じる

802 :
https://ncode.syosetu.com/n8259fq/7/
ルーデンドルフの役職を「第一兵站総監」と訳すのは誤訳なのか……。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)


803 :
 
エラ星人の言う「民主化」=「おかま化」

804 :
ハイパーインフレで国民が余裕を無くした時に極端な公約がもてはやされる。まあこれは仕方がない。
その後、ナチ公が兎にも角にも経済を回復させたことが、ドイツ国民の判断を狂わせた。
ナチが経済政策で失敗していれば、国民の支持は史実より低く、かの独裁者も独善的であっても、狂的にはならんかったろう。政権も長くは続かない。

805 :
短期の経済だけを考えて行動してたから失敗しようがないけどな
基本的な経済知識がありまともな経済思想を持たない政権ならどんな状態でも同じ事をできる

806 :
ナチスの経済政策は第二次世界大戦に突入しなければデフォルトを起こして破綻するからね
雇用政策も無茶苦茶やって数字上は失業者を減らしたけど実態は伴っていない

807 :
>>805
アベノミクスもそれっぽいなあ

出口戦略とか考えてるのかねあれ?

808 :
アベノミクス単体だとナチスの雇用促進手形みたいな空手形商法なんだが、対外債権に加えて超大国化した中国が買い手に回る限り破綻はないよ。
技術や資産を買い漁られたあとどんな国になるかは別にしてだけどね

809 :
>>806
ナチスは無担保で利回り5%の手形を乱発して米英から借りた金で工業とインフラ再建したうえDAFの労働組合員には中流階級なみのレジャーや乗用車を与えたのだが
赤狩りや言論弾圧も並行していたし、返済目処のない手形の期日を遅らせるためにとうとうポーランドへ軍事侵攻までいったのだ

810 :
>>807
日銀が国債を引き受けまくってる時点でもうどうにもならないような

811 :
>>802
 ウィキペディア英語版 “Quartermaster General” の項に、
「ドイツ帝国軍において “Quartiermeister” は補給に関わる下士官の役職だが、
“Generalquartiermeister” は補給を取り扱うの≪ではなく≫(強調)、作戦指揮に
携わるものであった。この役職者は軍参謀長の下で最も上級の将校である」
と書いてあった。
 従って、これを「兵站なんとか」と訳すのは誤訳ということになる。

 ルーデンドルフの役職名は“Erster Generalquartiermeister” であった。
和文資料だと「参謀次長就任時に、その役職名を変更して第一兵站総監とした」と
書いてあるものが多いが、上記 Maisov 氏が書いているように、どうもルーデンドルフ
以前に「参謀次長」という役職はなかったようだ。

 明確に「ヒンデンブルクの下のナンバーツー」であることを誇示するために、従来の
Generalquartiermeister に Erster をつけて名乗った、ということだろう。

 無理やりに訳せば、Quartiermeister が「参謀部長」、Generalquartieremeister が
「先任参謀部長」、Erster Generalquartiermeister が「参謀次長」または「第一参謀部長」と
いう感じだろうか?

812 :
>>807
山崎和邦は安倍・黒田体制の政策は後年国を滅ぼしたと無茶苦茶叩かれることになると予想してる

813 :
>>812
小泉純一郎と竹中平蔵の骨太の方針と金融再生プログラムで既に国を滅ぼしつつある

814 :
小泉時代の金融緩和は新興国融資のための緩和だったな。貸した金はアジアのバブルで増えた

815 :
どんな政策でも功罪両方があるのは当たり前だよね

816 :
現在の安倍政権は、悪夢のような民主党政権の後だから、企業・市民の評価は多少甘くなる。
株価8000円台、為替1ドル80円前後とか、悪夢を覚えている人達が社会の中核にいるのでな。
担保の無い無茶なナチ経済政策と、最終的に国民の預貯金を担保としたアベノミクスと、ロクでも無いが後者がマシだろうね。
当時のナチ政権下でドイツがデフォルトすると草も生えない。
現在の日本がデフォルトすると、対外債務でないから、日本国債と日本銀行券が配給切符と交換で配られるw草は生えるww

817 :
でも国債金利は下がり続けているのが面白い
昔は8%とかだった

818 :
>>811
「主席参謀部長」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450660/206

819 :
国債金利が上がると詰むので意地でも金利上げない。ゆえにゼロ金利で投資資金が集まらないんだよ。

820 :
>>816
>担保の無い無茶なナチ経済政策と、最終的に国民の預貯金を担保としたアベノミクスと、ロクでも無いが後者がマシだろうね。
無一文になっちゃうじゃないですかーやだー

821 :
>>811
「第一次世界大戦」(木村靖二著)の中では参謀次長 直訳は第一幕僚長としてますね。

戦前に日本語を当てて訳したものがそのまま使われてることが多いので適訳とは
いえない名称がけっこうありますね。

822 :
保守

823 :
凄惨な西部戦線の塹壕戦は、火力充実、鉄道充実、内燃機関未成熟な時代に総力戦した結果なんだろうな。
しかし、東部戦線では、土地の広さに対して鉄道の数が少ないから、日露戦争型の田舎の戦争になったわけだが、死人は多いな。
主力撤退後に残された敗残兵は、敗走しようと捕虜になろうと物資欠乏で野垂れ死ぬのかな。

824 :
WW1では捕虜の死亡率はそんなに高くないんでは?
機動戦主体だし、消耗戦主体の西部戦線より生存率高そう

825 :
この辺の統計は曖昧過ぎて難しい
行方不明者扱いはしばしば戦死者に含まれるが実際には捕虜になってるケースが凄く多いし
そこに捕虜になって帰還してる場合とスペイン風邪とかで病死したりしてる場合があるし
ロシア軍捕虜は帰還してすぐに内戦に参加に巻き込まれてしまう
特にロシアに関しちゃ単なる戦死者の総数のカウントだけでもすごく数字に開きが出てる
ちなみにオーストリア・ハンガリー軍の占領地や捕虜の待遇は第一次世界大戦の主要国の中でダントツに悪い

826 :
オーストリアは君主制のまま存続してきたから、貴族と平民で待遇差別してる予感がする。

827 :
J・M・ウィンターの記述では、従軍死者数は二正面を戦ったドイツが200万人超、二重帝国が115万人超、フランスが130万人超、イギリスが60万人超、ロシアが180万人超。
巻き込まれた一般人でなく従軍死者数というのが凄まじ過ぎる

828 :
そろそろ保守

829 :
1年程度しか肥料備蓄がなかったから、翌年から農産物が減り始めた。
肥料備蓄が5年分あれば戦えた。

830 :
5年の戦争などどこも想定してなかったんだろうなあ
自衛隊も気を付けてもらいたいもんだ

831 :
>>827
WW2日本と同じくらい軍人死者を出したのに21年後また大暴れした手の付けられない国

832 :
WW1の惨禍を経験しといて
経験者が大勢生きてるうちにまたWW2だからな
人類に学習能力など無いという見本だ

833 :
学習能力がないのはドイツ人だけだ

834 :
その後70年以上世界大戦が発生していない事実は…

835 :
キューバ危機でソ連が折れたのはどう考えても米軍に勝てないからであり
戦争が悪いとはこれっぽっちも考えてないからね

836 :
W W1では、独墺、仏露両陣営とも非協調的であった。
W W2では、 一方の陣営は融和的であったが、他方はそうでなかった。
キューバ危機ではW W1と同様に、双方とも非協調的だったが、本質的に一対一の対立であり、米ソとも同盟国の事情に引きずられることはなか

837 :
>>835
相互核戦争で人類滅亡までいかないにしろ
漁夫の利狙いで欧州がほぼ中立化して米ソ疲弊を待つのが最悪パターンですよ。
新世界が衰退して工業地帯を残した欧州白人国のターンの再来とかありうる

838 :
>>837
米ソ全面核戦争で欧州が巻き込まれないなんてあり得るか?日本もカナダもアカンだろう。
漁夫の利は豪州にワンチャンかも。
ところで「渚にて」というSFの名作外交あってだな・・・

839 :
パンジャンドラムの人か・・・
あれはたぶん60年代前半くらいの設定なんだろうけど、オーストラリア人が「我々イギリス人」と称するような、古き良き大英帝国臭がプンプンするんだよなあ。

840 :
トゥダイイズグッダイ!

841 :
ロシア総動員→対オーストリア宣戦布告のIF

842 :
>>841
IFいうても、史実と同じことにならんか?
ロシアが総動員した時点で、ドイツがベルギーとフランスに攻めかかるしな

843 :
ロシアは農業国なうえに日露戦争の戦費を超絶重税で賄ったせいで民衆が真っ赤に染まってしまったから総動員できない。小銃不足で日本から38式輸入しているありさまだよ

844 :
いや7月29日に総動員したよ

845 :
>>837
>>838
米ソはともに全面核戦争のターンになると
戦後新興国に支配されるのを防ぐため中立国にも核をぶち込みまくる予定だったって聞いたけどどうなんだろ

846 :
>>845
80年代のNHK特集で、ストックホルム戦略研究所の人がそれゆってたな。
研究者が言うってことは、何か根拠のある話だったのかな?

847 :
どんだけ惨めな敗戦をしても"戦後"があることはドイツが証明しちゃったからね
核攻撃から立ち直りつつある敵国を粉砕するため核戦争から半年後に再び核を発射する予定だったとかえげつない話がいっぱい

848 :
米ソどちらかから核援助を受けた事実があるか受けたかもしれない段階で各国に先制攻撃すれば世界は火の海だな。

849 :
中立国まで核の炎に包まれればさすがに人類滅亡が視野に入る

850 :
先制圧倒有利なうえ、米ソは海外基地に核兵器分散配備させていたから疑惑の段階で先制攻撃を始めると破壊の連鎖になるわな

851 :
WW 1前、セルビアの民族主義者達は、テロでオーストリアがボスニアから退くと思ったのかね?
現代でも百年前もあり得んよなあ・・・

852 :
でもセルビアは被害者として戦争に巻き込まれて最終的に勝利してユーゴスラビアというそれまで考えられなかった巨大な国家を手に入れたじゃん
結果論で言えば成功しすぎたくらいだ
元から結果的に勝利する戦争を引き起こしたかったと言うのが目的だった可能性だってある
ロシアと同盟して勢いにのって調子こいたという部分もあるし
ユーゴスラビアが最終的にたどった運命は悲惨だったが
それでも当時の情勢から考えれば言うほどお粗末でも無かったと思う

853 :
https://nico.ms/sm10953011
https://nico.ms/sm8983831
↑ ヒトラーユーゲントと国民突撃隊、第二次大戦時のドイツの一般市民は、 事実上ナチスの残虐な暴政の犠牲者であり、被害者である。
少なくとも、無罪だ。
もちろん、ナチスの末裔のほとんどが無罪だ。
そのナチスの残虐な暴政の被害者たちを犯罪者扱いしたり、敵視する奴らは、麻原予備軍であり、殺人者扱い及び、テロリスト扱いする奴らこそ、ナチスと同じであり、テロリストなのだ。
そういう意味では、大失敗したカルト国家、北朝鮮が日本に要求する、過去の戦争の反省と償いを、地で行く政策をする戦後のドイツは、世界で一番大成功したカルト国家であり、教祖のいないオウム真理教であり、
世界一寛容な国ではなく、世界一の偽善と売国売民国家なのだ。
だから、ドイツは払う必要がない、第一次世界大戦の賠償金も払ったし、ナチスとは無関係の、ワイマール共和国のものまで、事実上は「ナチスのものと同じで危険だ。」として、根絶しようとしている、愚かすぎる政策をしているのだ。

854 :
日本まで艦隊を派遣できない国は同盟国たりえない
やたらにドイツに親近感を抱く必要はない

855 :
サンセイのカンタイなのだ!
だからこれでいいのだ!

856 :
この映画面白そう。早く観たい。
https://youtube.com/watch?v=zYXZIlfIGXg

857 :
ホントだ!見たい!

858 :
カメラマンが戦争だ!

859 :
ジャーヘッドの監督なら期待できそう

860 :
アメリカを絡まさなければもう少しまともな戦後になったのではと思う

861 :
>>851
単に次の王潰してオーストリア弱らせたかっただけかとはおもうが
もし、戦争になればロシアが黙ってないし、巻き込んで勝てば完全にオーストリアの影響なくなる
とかの計算もあったかのな

862 :
>>861
そんなところじゃないか。セルビア・オーストリア戦争にロシアが介入して、ドイツが傍観すれば、セルビアが勝つ、はず。
テロ支援者、デミトリィエヴッチ大佐だったか?
そんな名前の軍人がロシアに一言も相談無く、他人任せの皮算用したのはなんともはやだが、これは容認していた軍部も、黙認したか知りもしなかった政府に問題有りだろ?

863 :
あくまでセルビア人によるテロじゃなく二重帝国内の不穏分子に対する支援なんだから一般的な警察活動で阻止できる範囲
それをできてない時点で二重帝国の能力が足りてない

864 :
当時のセルビア軍内過激派がしたことは、イスラム過激派がしていることと大して変わらないよな。
バルカンも中東並にカオスでテロ側の屁理屈が相似している。
まあ中東のカオスは伝統的対立に、イギリスの三枚舌外交が油を注いだことも重大な問題だが。

865 :
いやイスラム過激派と違って自分自身の手は下してないと思うけど

866 :
アルバニア系住民というのが6割イスラム教徒なので実際は宗教戦争だったよな

867 :
まあテロリストに具体的な展望なんてなくて、しばしば行為の直接の影響の目算すらなくただ無分別に暴れているだけなのが実態だからねえ
暴れることそれ自体が目的で結果は割とどうでもいいんだわ
テロ自体が自己目的化するのはある種の必然
テロ集団なんて非生産的な組織は外部にに金銭的な支援者が存在しないと存続不能だから、支援者の歓心得るためにも行為を自己目的化して過激化させていくし
ブラックハンドの幹部が皇太子暗殺のその後の展開を読んでそれを計画実行したとか考えるのはそりゃ買いかぶりも過ぎるってもんでな
情勢にロシアを関与させて複雑化させることは確実に目論んでいただろうけど
魂の宗主国の皇帝様があそこまでボンクラだとはお釈迦様でも思うまいて

868 :
ロシアも体制がせめて日露戦争時点ぐらい
固かったら
なんとか持ちこたえてたかなぁ・・・

869 :
ストルイピンみたいな有能で厳格な保守派の改革者がずっといればよかった
ああいう人物がいないとどんなに体制が固くても前に進まないならいつか根本から破綻するだけ

870 :
>>863
二重帝国内も皇太子は宮廷内じゃ不人気で
暗殺されたときも「火種の元が消えてよかったが
この際外交カードに使わせてもらい、国民には愛国心煽るもとにしましょ」て
感じなのがまた・・・
そんな疎んじられてたのが警備の不徹底さに出た感じは穿ち過ぎかな

871 :
>>868
ロシアは農業国なのに戦費がかさむと重税を課して工業化できない。シベリアに売られた農奴は地獄という末期状態なので王政復古はあり得ないよ

872 :
>>871
WW?で農奴って・・・何時のはなしだよ。

873 :
ボリシェヴィキがクラーク(富農)追放にあれだけ躍起になったということは、ストルイピンの農業改革によってそれだけ多くの農民が企業家的資本主義的な農業経営に挑戦して、成功を収めていたということだよなあ。

874 :
>>873
その農業資本家をゴニョゴニョしてボルシェビキが乗っ取ればコルホーズの出来上がりってな

875 :
クリミア戦争に負けたの全部農奴制のせいにして農奴解放令出すロシア史の流れすこ

876 :
戦争は善悪問わず社会を変えてくれるわ

877 :
日本もアメリカに負けてなかったら今の中国とかロシアみたいになってただろうな。
お上に逆らったらすぐに逮捕されるみたいな。

878 :
>>856
面白そう

879 :
総力戦に完敗して経済成長の波に乗るというのも明治維新以上の奇跡だよなあ
ワイマール共和国も見習いたまえ(時系列が違う)

880 :
ワイマールドイツは1921年頃から既にずっと経済は好調だったよ
破綻したのはソ連以外全世界的に訪れた大恐慌のせいで敗戦と賠償金による不景気自体はすぐに回復されてた
アメリカ人的には都合の悪い歴史だから賠償金と陸続きにさせる事でフランスに責任の比重を傾けられる

881 :
>>880
結果、経済だけでは満足できなかったということだ。

日本が大戦を行わなかったらアフリカやフィリピンみたいに人口ばかり増えてじぇんじぇん経済成長できない国になっていただろう
それでいてアジアの盟主を気取る小うるさい国

882 :
GHQが小作解放やらなければ農村は貧乏子沢山で、それ故に農村機械化も出来ないし、それ故に工業化どころか農機を輸入する金もない少し前の東南アジアでストップしていただろうね。

883 :
>>881
偉そうに言ってるけどそれでワイマール共和国は何を見習えばよかったの?

884 :
>>883
軍国主義の炎が消えぬ限り戦争は再開されるし何も見習いようがない

885 :
ドイツは自国植民地と資源に乏しいので、アメリカンが不況になって物買わなくなると輸出で資源獲得できなくなったからどのみち積んでた。ヒトラーさんは年利5%の空手形乱発して米英から投資資金を確保するというトンデモ政策により重工業化と大型公共工事に着手したのだった。

886 :
そのためフォッケ社はアメリカ資本で主力軍用トラックはフォードの工場ごと接収してオペルブリッツと呼ばれたのだった

887 :
>>884
いきあたりばったりだな君は

888 :
>>887
臨機応変と言っていただきたい

889 :
>>879
いや、ワイマール共和国も財政破綻政治麻痺の無政府状態でも、経済は高度成長実現してたんだよ
実態は通貨安下のソーシャルダンピングだけどな
絶好調経済でも労働者階級は恒常的なインフレで圧迫され生活は楽ではなく、過剰投資の経済と文化的爛熟の社会的狂乱の中、
あの大戦争は何だったんだ…と現状懐疑と社会的不満が溜まっていく、と
まあそんな仮初の繁栄も世界恐慌で一気に吹っ飛んでハイパーインフレ政治は完全機能不全
そしてナチスが台頭するわけだが

890 :
>>886
オペルはGMの子会社だろうが

891 :
>>885
WW2の早期開戦(海軍には44年まで開戦しないと通告していた)の背景には経済の先行き不振があったというけどどうなんだろうね

892 :
>>891
ナチどもは、東に向かっている限り、英仏は動かないという願望的観測から開戦したのかもな。
W W 1ではベルギーに向かって英国の逆鱗に触れたから、受験に例えると過去問対策はしていた模様。ただ試験制度が変わっていたのでアウトだった。

893 :
ぶっちゃけ世界恐慌の損失をドイツの雇用促進手形で回収しようとした米英はナチスの周辺国併合を黙認していたし、オーストラリア併合すら黙認するならポーランドも併合しようという流れで大戦突入ですよ。

894 :
ラリアじゃなかったオーストリアだ

895 :
>>894
https://www.designbyhumans.com/shop/649784/

896 :
afe

897 :
>>867
日露戦争も日英同盟のお陰で、大清帝国の参戦を阻止できたろ!?
いろいろな外交手段があるから、紋切り型でジャッジしてはいけない!!!!!!!!!

898 :
>>870
そんな事ないぞ!!!!!!!
むしろ、戦争拡大を懸念して、セルビアのみに対する懲罰戦争を企図していた。
そして、二カ国間戦争で終わらせて、賠償金得て、引き揚げれば良いだけの話!!!!!!!

899 :
>>881
日本人は「規律と教育」があるから、人口ボーナスでそれなりに成長できたと思いますが!!!!!

900 :
>>882
寄生地主の多くは小作料に依存し、あたかも小作人に寄生するかのような印象を与えたことから批判的意味も含めて寄生地主と言われるようになった。
もちろんどのような賃貸業でも所有者が賃貸料に依存するのは変わらないが、小作料は高額なことが多く、農村内に豊かな寄生地主と貧しい小作人と言う貧富の差を生み出すことになった。
農村内に住む在地地主(在村地主と呼ばれることもある。[1])とのほかに、都市など農村外に住む不在地主が存在した。

安土桃山時代まで
安土桃山時代に豊臣秀吉が行った太閤検地によって、農地の所有者は耕作する農民とされた。

江戸時代
1643年には江戸幕府によって農民間で田畑の売買を禁止する田畑永代売買禁止令が公布された。
これは富農が貧農から土地を買い集め、農村の社会制度が崩壊することを恐れたためである。

その後、貨幣経済の進展に伴って、次第に困窮する農民が出てきた。
田畑永代売買禁止令では田畑の質入を禁止しておらず、また元禄期に発令された質地取扱の覚により質流れが実質的に認められたことで田畑の売買が行われ田畑永代売買禁止令は有名無実化していった。

戦前
明治維新期に行われた地租改正と、田畑永代売買禁止令の廃止により寄生地主制が進展した。
地租改正により土地所有者は金銭によって税金を払う義務が課せられることになったが、貧しい農民には重い負担であり裕福な者に土地を売り渡し小作人になっていった。

寄生地主の中には質屋などの金融業を兼業し、小作人を中心に金銭の貸付を行っていたものも少なくなかった。
これにより、農村内での貧富の差は一層拡大された。
こうして獲得した富を商工業に投資し、近代的な資本家に転換していった者もいる。

901 :
戦前は小作制に退化したも、人が都会へ出て行って資本主義の発展に寄与したのかな!?
または、地主一派が大金持ちになって、それを元手に資本主義の発展、経済の大幅な発展に寄与したのかな!?


それはともかく、地主一派の圧力は相当なもので、アイルランド人小作人のように圧迫された人間は子沢山でもって、抵抗するでしょう。
もともと、頭が悪い小作人がDQNだったのか、あまり良い制度とは言えませんね!!!!!!

902 :
無計画に子作りをするフィリピン人が悪いとでも思えば良い!!!!!!!

DQNや不良や野蛮な労働者ではなく、中産階級的意識、市民意識、社会的責任の意識の高いまともな人間に生き残って欲しい。

903 :
第一次世界大戦のイタリアの参戦、半ば以上買収されてのモノ。
ブルガリア、ルーマニアと対して変わらない振る舞い。
ヘタリアよぉ、大国を志向しているとしても、こういう小国らしい小賢しさ=他力本願は何とかしろよ。

904 :
アメリカで年末公開らしいが、面白そう。

1917
https://www.youtube.com/watch?v=UcmZN0Mbl04

905 :
何で丸腰なんだよ・・・!!!!!!!

906 :
>>903
ルーマニア領ハンガリー等、深刻な領土問題があった!!!!!!
もう、竹島問題、北方領土問題とは比べ物にはならない!!!!!!!

907 :
第一次世界大戦の映画って日本ではマイナーだから上映してくれないことが多すぎる

908 :
2月に公開決まってるで

909 :
戦線を保守せよ

910 :
第一次世界大戦の映像を3Dカラー化 映画「彼らは生きていた」2020年1月公開
https://otakei.otakuma.net/archives/2019122005.html
https://youtu.be/IrabKK9Bhds
https://otakei.otakuma.net/wp/wp-content/uploads/2019/12/TheyShallNotGrowOld_colorized.jpg
およそ100年前に起きた第一次世界大戦は、動く映像によって克明に記録された初めての
戦争でした。その膨大な記録映像を再編集し、カラー化と3D化によって新たに生まれ変わった
映画「彼らは生きていた」が、2020年1月25日から東京・渋谷で公開されます。

911 :
>>910
ピーター・ジャクソン監督作
&#127468;&#127463;『彼らは生きていた』上映決定劇場&#9749;

その@
イメージフォーラム 1/25
テアトル梅田 2/14
京都シネマ 2/15
シネ・リーブル神戸 2/14
フォーラム仙台 2/14
宇都宮ヒカリ座 2/22
シネモンド
静岡シネ・ギヤラリー 順次
名古屋シネマテーク 順次

そのA シネマ・クレール丸の内 シネマルナティック ガーデンズシネマ
そのB 高田世界館 桜坂劇場

横浜シネマ・ジャック&ベティにて上映決定! スケジュールは決まり次第、お知らせ致します。


見事に一日公開やね
てか今動画版買えるのなgoogleとかで
https://youtu.be/NDafSNVU9LM

912 :
あの世に霊がいるなら、それがプラズマを天使のかたちに変えて現れることもあるわけです。
モンスの天使
大槻教授にご登壇願う。

913 :
アケオメ保守

914 :
オーストリア対ロシアの局地戦で終わっていれば・・・

915 :
>>914
オーストリアがセルビアと開戦したから、ドイツがベルギーを通ってフランスに攻め込むって、冷静に考えたら無茶苦茶だよな

916 :
冷静に考えたらじゃなくて間の経過を無視したらだろ

917 :
経過を考えても、かなり滅茶苦茶だよね

918 :
経過を考えて政治面でも軍事面でも考慮したらそんなに無茶苦茶でもない
単に頭が悪くて理解できてないだけだろう

919 :
もうすぐ「彼らは生きていた」やるね
楽しみだね

920 :
いや端から見たら事情知ってても無茶苦茶だよ
頭が悪いのはシュリーフェンプランでしょう

921 :
部分部分の理屈は通ってるし無茶苦茶というほどじゃないだろう

922 :
それまでの騎馬隊による突撃のイメージしかなくて、新兵器による損害の大きさを計算に入れてなかったんだろy

923 :
新兵器のせいで突破が無理ってのがシュリーフェンの認識でしょ。
この事実は彼しか気付いてなかったけど
でもシュリーフェンプランはドイツの国力では無理

924 :
最近よく聞く、
「シュリーフェン・プランは、あくまで陸軍予算獲得のための方便で、
原案通り実施する予定は最初から無かった」
って説の当否はどうなんだろうなあ?

925 :
日本海軍の対米戦への態度、「仮装敵国です、予算モア!→ガチで戦えるわけないじゃんバカジャネーノ」からの、担当者変わって「勝つ見込みはなさそうだけどやってみますわ」ってふるまいを考えると、十分ありうるかなとは思うよ

926 :
>>924
んなわけねえ
そんなんならあの頭一週間の列車運用できるわけない

927 :
戦争末期になって戦車をたくさん投入するようになって活路が開けたかな

928 :
シュリーフェン・プランはあくまで「ベルギーの中立通過」「ベルギーの鉄道設備の維持」の上に成り立っている
しかし、実際はベルギーの徹底抗戦どころか背水の陣で戦われてしまい、
宣戦布告と同時にドイツ国境からリエージュまでの橋やトンネルはベルギーによって破壊
しかも退却時には鉄道設備の破壊も行われたため、輸送が滞ってしまい破たんした

929 :
19世紀の銃剣突撃の勇敢な軍が勝った記憶が抜けず、いたずらに突撃を繰り返させた
前線ではこれではまずいと気づき、塹壕を掘って敵に近づくようになった

930 :
諸々を解っていても普通におかしいわな
まぁ、どこかで何かが激しくおかしくないと戦争なんて起きないんだろうけど

931 :
やはりドイツと腑抜けのオーストリアで何か国も相手にするのは無理だった
アメリカが参戦するまでは膠着状態を保っていたんだが

932 :
https://i.imgur.com/HoCm4Tl.jpg

933 :
ハーツオブザアイアン WWI希望

934 :
DHでできる

935 :
非妥協的な外交官に、総動員に拘った軍人と諸々、色々おかしかったけど、要するに総力戦の苛酷さを予測出来た人はいても、実感出来る人が殆どいなかったのだろうと。
当然ながら、世界大戦の歴史研究は無かったからねぇ。

936 :
>>933
MODがありますよ

937 :
>>652
前にETB特集で病気かなにかが原因で障害を追うことになって
迫害されて死んだ人のドキュメンタリーやってたな

938 :
×ETB
○ETVだ
すまん

939 :
>>674
保阪正康の本で見た気はするなぁ
資料から見た推測と言う感じで

940 :
セルビア人ゲリラのテロから始まったことで、この戦争も民族紛争から始まったと言える
セルビア人のゲルマン人に対する敵対意識はすごいもんだが、ボスニア人やその他の民族も入り混じっていたので
泥沼の紛争になった。帝国主義で領土を奪おうと言う意欲もすごくあった。

941 :
この時代の同盟は攻められたら発動するはずなので
ロシアがオーストリアに宣戦した場合
ドイツはロシアに宣戦する義務はあるけど
フランスは義務なし?
イタリアは・・・・・義務あり!

942 :
>>941
仏露同盟の条文通りなら、ロシアがオーストリアに宣戦したことに起因するドイツの対ロシア宣戦だから、フランスに参戦の義務は無い。
しかし、この状況でドイツがフランスに宣戦すると、仏露同盟の条文通りなら、ロシアに同盟義務が生じる。ロシアは既に交戦状態にある対ドイツ戦で、フランスの了承無しに、単独講和することが出来なくなる。
まあ、ボリシェヴィキのウリヤノフ氏ことレーニン同志の知ったことではなかった。
政権が変わると外国との条約を手前勝手に破棄するのは、左翼政治家の伝統芸やな。

943 :
オーストリア=ハンガリー二重帝国は革命前に政権すら変わってないのに独墺同盟に反して単独で講和しようとしたけどこれはソ連よりなお悪質じゃないの?

944 :
>>930
ハラリは太古から人類は戦争の撲滅に力を注いできたと言ってるが本当かなあ
信長とかノリノリで戦ってる

945 :
>>943
言いたいことは分かるが、悪質な殺人予備罪と衝動的な殺人罪はどちらが罪科として重いか、だな。

946 :
>>945
短絡的な喩えだな

947 :
共産主義者が権力握ると、ほぼ例外無く専制的になるのは何故だろね。
最近は、北を除いて血の粛清は少なくなったと信じたいけど。

948 :
共産主義は思想を押し付けないと成り立たないからね

949 :
ファシズムと同じ

950 :
ナポレオン戦争までは、士官が蛮勇を発揮してくれることに不都合はありませんでした。
むしろ歓迎すべきことだったんですが、ボルトアクション連発ライフルと機関銃が
普及していました第一次大戦では、これが戦術的にすっかり裏目に出た。
累々たる士官の死骸の山がいたずらに築かれてしまい、英国では、
肉体的・精神的に最良の若者が、一世代分、消えてしまったのであります。

951 :
日本が一次大戦参加してたら

952 :
20個師団派遣の前提で

953 :
死傷者6桁
兵士のなり手に困って軍縮
変更店
アメリカが参戦しない場合、民族自決とかないので旧体制がかなり存続
アメリカとやりあう体力が残っていない+英仏のために大流血したので日英同盟存続
ソ連が出来ない可能性

954 :
陸軍の大部隊は無理としても、航空機のパイロットを大々的に養成して送り込んでいればその後の様相がかなり変わってたはず

955 :
>>954
当時の日本の軍編成では、陸軍大部隊は用意出来るが、パイロットの大量育成は無理やろな。
太平洋戦争時でもパイロットの大量育成は成功していないわ。
因みに、人道的配慮を度外視するなら、帝国陸軍が西戦線の消耗戦に巻き込まれれば、後のシベリア出兵も満州事変も余力が無くて、無かったやろうから、結果的に太平洋戦争は無かったかもしれん。
その場合、生まれてこなかった現代の板住民も相当数おるけどなぁ。
誰にとって良いのか悪いのかは判らん。

956 :
史実と違って結構な兵力派遣したとしても、
数年先ならまだしも後々まで響く消耗してしまうほど疲弊する前に出ししぶりになるでしょ
当事者達やそれに近い西欧の国々は引くに引けない状態だけど日本はそこまで意地になる必要ないし

957 :
>>956
一回人出しちゃったら、人の世のならいとして結果が出るまで撤退なんてできない
もしもやったら信用が地に落ちる
まあ地上戦力派遣しなくて正解ってこと

958 :
>>950
ブルボン朝で貴族が軍役を忌避したことがフランス革命の遠因になってたりするわけで
貴族が軍事に関する当事者性失って軍隊が反乱側につく原因になった

959 :
西部戦線に派兵して参戦した国だとポルトガルは1916年参戦し10万動員して死者7千だった
もっと英国と密接に協力して西部戦線や中東等で大きな作戦にも参加して戦闘したカナダは63万動員して死者6万5千
同じくオーストラリアは41万動員して死者6万2千
インドは144万動員して死者7万4千
ニュージーランドは13万動員して死者1万8千
南アフリカは13万動員して死者1万
ネパールは20万動員して死者3万
どこにどれくらい派兵するかの話にもよるが
"消耗戦に巻き込まれ"て"シベリア出兵や満州事変も余力が無く"なったり"アメリカとやりあう体力"が無くなるほど日本軍が消耗する事はイマイチ想像しにくい
日本は日露戦争で30万人を満州に派兵し8万2千人を失った9年後に第一次世界大戦で80万人を動員し12年後にシベリア出兵に7万人を派兵している
ちなみに連合国は東部戦線崩壊後に日本に派兵要請を始めて
所要経費の全額負担を申し出ており要請する師団数は3個軍団だったが
日本政府は自国負担と10個軍団の派兵という条件にこだわり
なぜか"厳しい条件を自国から作り出しながら"その"条件が厳しい"として派兵を断り続けた
個人的には日本が西部戦線なり東部戦線なりに派兵した方が歴史が良い方向に進んだとはあまり思えないが
その理由として「派兵したら日本軍はドイツの塹壕に突撃して数十万人規模で無駄に全滅するだろう」的な短絡的な物の見方には賛同できない
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/199803/05.pdf
既にこの分野の研究はあるのでもっと深く調べていってもらいたい

960 :
>>959
サンガツ
やっと史学プロパーぽいのが戻って来て嬉しい
https://ci.nii.ac.jp/naid/40005222875

961 :
>>957
それな。一度、戦場に出て友軍になると、自国の都合で一抜けたは出来なくなる。
第一次もイラク戦争も、今回の中東危機?緊張?でも、護衛艦や哨戒機派遣は国情からして正解やな。
東アジア、アフリカの平和維持活動は既に断り難いわ。中東への地上部隊派遣は岐路やぞ。

962 :
彼らは生きていたを観てきたが、ドイツ軍の塹壕をつぶすために戦車を動員して
兵隊も突撃したが、ある部隊が600人突撃して100人しか生き残らなかったとか

963 :
アマプラでも見れるで

964 :
長いインタビューからカラー世界に広がるとこ最高よな

965 :
ドイツの動員数が1300万で戦死200万以上か。
本土決戦をやっていればと主張する人の気持ちもわからなくはない
本土決戦に向けての装備数とかはどうだったんだろうね?

966 :
このスレで日本軍の本土決戦装備の話をするの?

967 :
ドイツの本土決戦の話じゃね?
第一次世界大戦のドイツはほぼ国境の外側で戦って旗色が悪くなったら白旗上げちゃったから

968 :
装備は小銃とか機関銃と7.7cm砲だけあればとりあえずは整う第一次世界大戦ではそんなに気にする事じゃないと思うが…
これらはもう継続して何年間も作り続けてるわけだし
動員した全員を前線に貼り付けるわけでもないしね

969 :
第一次世界大戦でドイツ本土を徹底的に叩けていたら第二次世界大戦は起きなかっただろうか
アメリカの参戦があってもドイツ本土を連合国が蹂躙できたか疑問だが

970 :
大事なのはヒトラーが死亡するまで戦うこと

971 :
ヒトラーが居らんでも第二次世界大戦は起こるだろうさ。
あまりに偏執狂的な政策は無くなると思うが、ヴェルサイユ体制の不備が根底にあるからな。

972 :
ヴェルサイユ体制に不備があったんじゃなくてドイツ人の異常性が根底にあったんだろ

973 :
ゴミみたいな煽りで草

974 :
それこそ幼女戦記がやってるように時計の針を強制的に進めることはできるかもしれんが

975 :
その場合禁止されるのはファシズムではなく皇帝専制になって、
皇帝一家は戦犯として裁かれることになるが

976 :
あと、今のドイツ基本法もファシズム、共産主義と並んで専制王政や封建主義も禁止なんで

977 :
突然アニメの話しだした上に無駄な連投するなよ

978 :
明日から1917始まるで

979 :
プラン1919でベルリンまで進軍して再起不能な条約突きつける
不景気でヤケになったドイツで共産主義革命成功、早めの東西対立開始とか
現実でも右も左も議会外で暴力闘争バリバリやってるからろくなことにならんだろう

980 :
>>979
少なくとも米英がベルリンまで付き合うとは思えないがな。
フランス兵も祖国防衛ではなく、報復と戦後処理の都合だけで血泥に塗れて進軍するかね?
厭戦気分もあって軍紀の維持に四苦八苦している史実から見ても、一方的な虐殺と略奪でも兵達が忍耐出来るか怪しい。
戦勝したはずなのに命をかけて、戦い続けるのはバーサーカーだけ。

981 :
1番馬鹿げた条件を突きつけたがっていたのはアメリカで英仏はもっと適当な所で講和していいと思ってたよ
ドイツは逆だと勘違いしていたから勝手にアメリカに優先的に相談してしまってそれが連合国の中でも穏健な意見だと二重に勘違いしてそれで進めてしまった

982 :
フォッシュやクレマンソーはドイツ絶対Rマンだし正義の人wウィルソンは14ヶ条や民族自決キチガイだし
ロイド・ジョージの方が国内世論に日和ってしまった

983 :
>>980
勝った暁にはドイツの土地と企業の株券を将兵に山分けとか言い出す可能性

984 :
>>979
共産主義抑え込みで進軍占領で完全消滅とか言う可能性

985 :
1917の影の主役は塹壕だったな

986 :
>>984
無理に継戦するとフランスでも左翼革命カリビアン 起きかねない。
革命の第一目標は終戦。

987 :
ドイツに続きフランスも革命発生で無政府化、
地獄の欧州内戦無法地帯化が発生してアメリカが仲裁として進駐して新秩序樹立という可能性

988 :
ニヴェル攻勢後の反乱を見ればわかるがフランス軍の反乱の矛先は政府にはほとんど向かなかった
フランスで継戦により革命が起きるのは考えにくい
敗戦により起きるのはあり得るが

989 :
>>595
>ロシアがまだまだヤル気で、シベリア鉄道でどんどん兵力を旅順へ送り込まれたら、
すると何故ロシアは継戦しなかったの? 南樺太を割譲したロシア外交部はバカだったの?

990 :
ルーズベルトが仲裁に立ってくれたからなあ

991 :
>>989
ロシアの国内では血の日曜日事件からロシア第一革命が起きていたからね
戦争不支持のゼネストや暴動が首都サンクトペテルブルクを中心に起きているのに継戦は難しい

992 :
>>991
ぶっちゃけここでちゃんと改革しなかったが故の1918年問題になってくるからなあ

993 :
ストルイピンが物凄い改革してたけどストルイピンレベルでちゃんと改革してないならどういうのを改革って言うんだよ

994 :
ドイツ帝国の威信がはげ落ちるまで戦闘がやむことはない

995 :
>>994
史実通りやないか。ドイツ皇帝がオランダに逃亡して停戦。

996 :
カイザー攻勢ですら連合軍退却を追撃するどころか物資不足から略奪にはしって小休止する部隊があって
またその略奪でドイツが物がないのになんでこいつらはあるんだって気づいて士気が落ちた
そもそも家畜の飼料が食料不足を招いているという感情論から計画性ない屠殺で戦中からカブラの冬とかやってる
独は18年は30万人、大戦全体で76万人餓死
英仏もヘロヘロだろうが今さら講話とかうっさいんじゃボケと継戦としてもドイツは栄養失調と餓死で自滅するからベルリンまでやれなくもないと思う
何せww2の独や日本より酷い飢餓だから

997 :
>>993
皇帝特権や貴族制度に手を突っ込めなかったのが全てだと思う
それが市場経済に対する特権的介入につながって健全とは言えない市場ができてた

998 :
>>994-995
どこにも逃げ場がなくなってベルリン地下の防空壕で皇帝一家そろって自殺。
遺体はガソリンで火葬。ヒンデンブルクが臨時総統になって連合国に降伏するも、
直後に内閣ごと逮捕されて無政府化という史実の26年早回しで

999 :
>>998
絶対に自殺しないと思う

1000 :
ドイツ皇帝や帝国宰相、帝国議会は大戦後半はお飾りで何もできなかった
軍部独裁を推し進めたルーデンドルフを首班とする参謀本部を人民裁判で吊し上げないといけない

1001 :
>>999
自殺しないならニュルンベルク軍事裁判で死刑判決パターンかな…
ルーデンドルフはゲーリング扱いかもしらんが

1002 :
イギリス王室の親戚でもあるから死刑まではやらんと思うけどな
結果、自分達の足元を崩しかねない

1003 :
チャーチルが言うようにオーストラリアに関しては立憲君主制にしておいた方が後々は良かったんだろうな

1004 :
予測変換ミス
オーストリアでした

1005 :
WW1 pilot's items found in Leicestershire barn 'flabbergasts' expert
https://www.bbc.co.uk/news/uk-england-leicestershire-51558511
https://i.imgur.com/XGn4ouS.jpg
https://i.imgur.com/azsbKc3.jpg

1006 :
次スレ立てるよちょっと待って

1007 :
第一次世界大戦について語るスレ 7
https://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/army/1582212703/

1008 :
模型板WW1スレは全滅してたわ

1009 :
映画2本やってるじゃん。
見に行った?

1010 :
>>1003
ウィルソンの民族自決主義は二重帝国の全否定だからなぁ。
戦間期は中欧もバルカン化した。
実際、立憲君主制ハプスブルク帝国があれば、ナチのオーストリア併合、ズデーテン併合も難しく・・・実行しようとすると初手から二度目の大戦になる・・・ヒトラーへのドイツ国民の支持も史実ほどにはならなかったかな?

1011 :
よくわからないのが現実世界でウィリーの裁判しろといってたのによりによってオランダ政府に裏から
「引き渡すなよ」って助言してたのは他のどこでもないフランスだったというのはどういうことなんです?
君主制のイギリスや日本ならわからないでもないけど

1012 :
>>1009
1917ええぞ

1013 :
>>1009
彼らは生きていた 公式配信500円
ttps://youtu.be/NDafSNVU9LM
字幕って英語?
自動翻訳で日本語字幕になんの?

1014 :
>>1011
国民世論:戦争の責任者を処罰しろ
政府関係者:戦争は主権国家の権利。処罰なんてとんでもない。

1015 :
>>1013
英語聞きやすいぞ
BBCで放映したの去年見た

1016 :
ドイツ軍は一時はパリに迫ったが押し返された

1017 :
>>1013
日本語字幕だった。死体いっぱい出てくる。
最初白黒カチャカチャなのでどこがリマスターやねんと思ったら、
開始10分頃からカラー化した。

1018 :
ドイツ軍がフリーハンドの作戦を立案・実行出来たのは、シュリーフェンプラン発動時とカイザー攻勢の時の2回。
形はどうあれ、ドイツに勝機があったのはこの2回のタイミングだけ。
あとはドイツ軍の息切れ=兵站の限界が表面化する前に、連合軍側の士気が折れれば、な。

1019 :
両方とも言うほどあとほんの少しでなんとかなったみたいな戦況ですらないから無理だろうな
マルヌ会戦なんかマルヌ川を突破してパリに前進するどころか
フランス軍の方から反撃してきてやられたわけだし
そんな状態でドイツ軍が逆にフランス軍を撃破してマルヌ川の防衛線を突破してパリ要塞を攻略してパリ市街戦を制して更に撤退するフランス軍を追撃するような状態に持っていくにはハードルが多すぎる

1020 :
ルーデンドルフを第二軍参謀副長にとどめていたら
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450660/155

1021 :
1905年の日露戦争で日本は砲弾を105万発補給できました。その一部は緊急輸入で
かろうじて間に合わせたほど。ところが10年後の第一次大戦で、フランスは3億発、
ドイツは5億発の砲弾を製造し射耗した。
支那事変&大東亜戦争を通じて、日本は7400万発の砲弾しか製造ができなかった。
20年前のフランスの製造力の四分の一以下です。

1022 :
ドイツはルフトハンザ・エアポート・エクスプレスまで鉄道軽視だったからね
やはりイギリスが作ったものをそのまま流用することに耐えられなかった
鉄道工兵を軽視していたのも問題

1023 :
ドイツ帝国が大西洋の制海権を得るため、ロイヤルネービーと同規模の艦隊を得ようとする限り、ドイツ帝国が第一次世界大戦に勝利・引き分けの可能性は皆無

1024 :
埋め

1025 :
・・・。

1026 :
wniの鈴木里奈の脇くっさ
      (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
         |     ,.'  i、     |}
       ',     ,`ー'゙、_    l
       \ 、'、v三ツ   /
        |\ ´  ` , イト、
       /ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
     /::::/ ',   : . . :  /  |:::::::ハヽ
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1027 :
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