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七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)


1 :2018/11/30 〜 最終レス :2020/04/09
七年戦争は1756〜63年のプロイセン王国とオーストリアの対立を軸に、プロイセンはイギリスと、オーストリアはフランス、ロシアと結び、全ヨーロッパに広がった戦争。
フレンチ・インディアン戦争は1754〜63年まで、北アメリカ大陸でのイギリスとフランスの戦争。
フランス軍が、インディアン諸部族と結んで、イギリス植民地軍を攻撃したので、イギリス側でこのように呼ばれる。
ヨーロッパにおける七年戦争の北アメリカ大陸版といえる。

2 :
この戦争の結果でアメリカが英語圏、ひいては英語が世界共通語のようになったんだよな

3 :
18世紀の世界大戦だな

これを「第一次世界大戦」と呼んでもいいくらいの規模だ

4 :
いや、それを言うならスペイン継承戦争かもしれん

5 :
台頭するプロイセンの脅威

16世紀以来の宿敵だったハプスブルク帝国とフランス王国が、ついに手を結んだ

驚天動地の外交革命だ

6 :
現代でいうなら、アメリカとロシアが同盟国になるほどの衝撃

7 :
1761年、スペインはフランスに与して七年戦争に参戦した。
こうしてイギリスと敵対することになったスペインは、
この戦争でキューバを占領され、さらにヌエバ・エスパーニャの
ベラクルスにも侵略の危機が迫るという難局に直面した
1763年のパリ条約でキューバはスペインに返還されたが、
それと引き換えにスペインはアメリカの領土(インディアス)
の様々な権益をイギリスに譲渡しなければならなかった

8 :
通常、七年戦争の敗者はフランスとオーストリアとされているが、スペインも地味に負けているのだな

9 :
スペインは、半世紀前のスペイン継承戦争で、ハプスブルク家からブルボン家に王室が変わってた

10 :
七年戦争後のスペインは、「ブルボン改革」の一部として財政改革を試み、
ラテンアメリカの植民地に財政負担を転嫁しようとするが、結局は、
フランス革命による混乱もあって、それがラテンアメリカ植民地の
独立につながってしまう

11 :
ナポレオン戦争でフランス軍に攻め込まれ、もう一波乱あったからな

12 :
19世紀の終わり頃、米西戦争でスペイン海洋帝国はトドメを刺される

13 :
ナポレオン戦争の副産物として、ミシシッピ川流域のフランス植民地が、アメリカ合衆国に譲渡された

ミシシッピ川流域は、東海岸・西海岸・五大湖の影に隠れて目立たないが、実際にはエジプトにとってのナイル川くらい、アメリカにとって重要な地域

14 :
第一次大戦・第二次世界大戦と、ドイツ(プロイセン)は、フランス・ロシアを同時に敵に回す2正面作戦で連敗した

七年戦争も同じような流れだったが、かろうじてプロイセンが勝利した

15 :
大きな違いは、七年戦争ではイギリスがプロイセン側に立って参戦したこと

ヒトラーも、イギリスを敵に回す愚には気づいており、それが第一次大戦の敗因と見ていたが、やはりイギリスとの戦争を止められなかった

16 :
まあすべては自分のじじいの代の敵対国だったオーストリアについたウィリーが悪い

17 :
ドイツは、フランス・ロシアを同時に敵に回しても勝てる

だが、イギリスまで敵に回したんじゃ、さすがに無理

18 :
しかし、七年戦争で、フリードリヒ大王は一時おいこまれ、敗戦を覚悟した。
銃弾がかすめて、本人も死にかけた。

最終的に勝てたのは奇跡だった。

19 :
この戦争で生き残ったプロイセンが、百年後にドイツ統一する

よく統一できたというべきか、それとも、百年もかかったというべきか?

20 :
しかし、その百年の間には、ナポレオン戦争という大波乱があった

21 :
1848年の革命という大波乱もあった

22 :
ロシアの戦線から離脱は奇跡的すぎる
プロイセンはピョートル3世がフリードリヒ大王の崇拝者でなかったら完全に滅亡してた

23 :
あれは世界史にも稀な奇跡

24 :
ロシアは、第一次世界大戦でも戦線離脱してドイツを楽にした

第二次世界大戦では、なぜか最後にシャシャリ出てきたが・・・

25 :
>奇跡
つまり平行世界が100のうち99までは、フリードリヒ二世は
無茶な戦争で国を滅ぼした暗君。
残り1つのまぐれ勝ちした世界では大王と呼ばれる。

26 :
>>22
すぐ暗殺されてんじゃん

27 :
>>25
それはないんじゃない?
戦争2度も負けているマリアテレジアは
別に暗君扱いされてないし

28 :
>>25
人の寿命はどこでも変わらない
大体頑強に抵抗できていたからこそ
逆転できたのであって

29 :
>フリードリヒ大王
三国相手に無茶な戦いをした点では、パラグアイの第2代大統領
フランシスコ・ソラーノ・ロペスを連想させる。
かの人も万が一のまぐれで勝利をものにしてたら
無謀な開戦は大目に見られ、実力以上にほめそやす信者が
大勢ついたのだろうと思う。

30 :
オーストリアの伍長閣下の執務室の壁にはフリードリッヒ大王の肖像画が

31 :
「最終的に勝てたのは奇跡だった」というのと
「最終的に勝てたのは運だった」というのは
実質的に同じことじゃないかい?

32 :
それは違うと思うの

33 :
違うようなきもするが、どう違うかはうまく説明できない、

34 :
哲学やね

35 :
インディアンはアメリカ独立戦争にも
フレンチ・インディアン戦争にも
南北戦争にも2陣営に別れて関わっている
時期によって関与する部族は
ミシシッピ川の東側だったり西側だったりぜんぜん違う部族だったりするが
連邦政府がその戦闘力を脅威視したから
十把一絡げに強制移住の涙の道ってことになったんだろうな

36 :
奇跡頼みも運頼みも、為政者としてはかなりダメな気が・・・

37 :
いや別に、フリードリヒ大王は、奇跡頼みでも運頼みでもなかった。
知略の限りを尽くして懸命に戦った。

最終的に勝てたのは奇跡であり、運が良かったからだが、それはあくまでも結果論。

38 :
そのとおり。能力では勝てなかったが、運と奇跡で見事に勝った。

39 :
あのときプロイセンが敗れていたら、今もドイツは統一されてないだろう

北ドイツが統一されるのは時間の問題だとしても、南北統一は、プロイセンのような圧倒的パワーがなければまず無理

おそらく、バイエルンはオーストリアのように「ドイツ語圏の他国」になっていたと思われる

40 :
あの段階でプロイセンが弱体化していたら、欧州地図がガラリと変わっていた可能性が高い

というのも、七年戦争のあとにフランス革命が起きて、ナポレオンが欧州征服戦争に乗り出した

ナポレオンは、最終的にはロシアとイギリスに敗れたとされているが、それ以前でのプロイセンに対する苦戦が大きかった
「なんといっても、ドイツに負けた」という声は当時からあった

41 :
>>39
歴史にifはない

42 :
スペイン継承戦争って歴史の教科書だとサクッと触れるだけだったが
実はすげえ大戦争だったんだな
第0次世界大戦と言いたいところだけど、規模はその後のナポレオン戦争があるから言いにくいな

43 :
欧州大戦としては、16世紀のイタリア戦争や、17世紀のドイツ三十年戦争もあるが、まだ世界大戦といえるほど世界規模じゃないんだよなー

44 :
18世紀の大戦といえば、スペイン継承戦争と七年戦争

19世紀の大戦は、なんといってもナポレオン戦争であり、クリミア戦争がそれに次ぐ

局地戦だが、アメリカ南北戦争もスケールはデカい

死んだ人の数が多いという点では、太平天国の乱の被害が最も大きかったと思われる

45 :
戦争の規模はともかく、歴史的な意義としては、普仏戦争も19世紀を代表する戦争だ

46 :
第一次大戦とは違って、鉄道で兵隊を前線に集中させることはできず、スピード感はなかったが

47 :
この時はまだ馬車移動だったからね

48 :
銃弾が飛び交う近代戦の戦場では、誰もがいつ死ぬか分からない

三十年戦争に参戦して大暴れしていたスウェーデン王グスタフ・アドルフは、たまたま銃弾に当たって戦死し、戦争の局面が大きく変わってしまった

それに比べて、フリードリヒ大王は銃弾がかすめてマントに穴があいただけですんだ

この違いは大きい。

49 :
鉄道は無かったがそれに相当する輸送手段として河川の利用は重要だった。
というか河川を離れて長期の作戦は不可能だった。

50 :
映画で18世紀の戦争シーンを見ると、軍楽隊に合わせて両軍が行進して整列し、戦闘開始の合図とともにバンバン撃ち合って銃弾が飛び交う。

あれじゃ、最前列の兵隊は、ほとんどが生きて帰れなかっただろう。
まったく、度胸試しには最適な場と言えるが、せっかく鍛えた度胸と根性は、あの世で活かすしかなさそうだ。

51 :
ナポレオン・ボナパルトは、どんなに銃弾が飛び交っている危険な戦場でも、まったく怖がらなかったという。
周囲の人々は、ナポレオンの信じがたい度胸に、いつもあきれていたそうな。

・・・ていうか、それでよく早死にしなかったもんだよ。
真の英雄は、奇跡的な幸運の持ち主でもある。

52 :
ハレンチ・インディアン戦争に見えた
アメリカ先住民におこられるぞ

53 :
そう見えるのはお前だけだ
お前だけがフレンチトーストもフレンチポテトも
知らないし聞いたこともないんだろう
そして頭の中はいつもハレンチなことを探している
恥ずかしい奴め

54 :
ヨーロッパでの七年戦争(1756〜)とほぼ同じ時期の、1754〜63年まで、アメリカ大陸でのイギリスとフランスの戦争。
「フランスおよびインディアンとの戦争」ともいう。フランス軍が、インディアン諸部族と結んで、イギリス植民地軍を攻撃したので、イギリス側でこのように呼ばれる。
 イギリス植民地は大陸東岸にほぼ限定されていたが、フランスは北東部のセントローレンス川と五大湖地方、中南部のミシシッピ川流域を押さえていた。
フランスはこの二つの植民地を結びつけるために軍をオハイオ川に進出させた。
そうなるとイギリス植民は西部への出口を押さえられる形になるので大きな脅威となった。
始めフランス軍が優勢であったが、イギリス軍が本国のピット(大ピットの方)の指示で植民地戦争に力を入れるようになって形勢が逆転する。
イギリス軍はフランス軍がオハイオ川上流に築いた要塞を奪って、それに首相の名をとってピッツバークと命名した。
 イギリス軍は1759年にケベック、60年にモントリオールを占領。
1763年、パリ条約が締結され、フランスは北米植民地のほとんどを失い、インドでも後退を決定的にし、イギリスの植民地大国としての地位が確定した。

55 :
昔は、ルイジアナでは普通にフランス語を使ってた

今でも、ニューオーリンズのカーニバルをはじめ、あの辺の雰囲気はラテンそのもの

56 :
ラテンは糞。インディアン同様隔離しとけ。

57 :
フランスは、欧州大陸ではプロイセン、北米大陸ではイギリスと戦う2正面作戦

58 :
今ではルイジアナは英語圏だが、普通のアメリカ人にとっては異文化の地

ケベックは今でもフランス語

59 :
あのまま、東海岸は英語、内陸部はフランス語、西海岸はスペイン語という棲み分けが続いていたら、今ごろ世界はどうなっていたか

60 :
この大戦は、欧州大陸にとっても北米大陸にとっても、過去と未来の地図を塗り替える分岐点となった

日本人にとっては、しょせん異国の話なので、一般的な認知度は低いが

61 :
日本でも、英仏百年戦争はかなり有名

それに比べて七年戦争の認知度は低い

やはり、ジャンヌダルクとポンパドゥール夫人では人気が違いすぎる

62 :
高校世界史でも普通にやんだろ。

63 :
ポンパドゥール夫人

ルイ15世の公妾

公妾たるその立場を利用してフランスの政治に強く干渉し、七年戦争ではオーストリア・ロシアの2人の女帝と組んでプロイセン・イギリスと対抗した。

64 :
フランス国王の公式の愛妾となったポンパドゥール夫人は、湯水のように金を使って、あちこちに邸宅を建てさせ(現大統領官邸エリゼ宮は彼女の邸宅のひとつ)、やがて政治に関心の薄いルイ15世に代わって権勢を振るうようになる。

ポンパドゥール夫人に推されて1758年に外務大臣となったリベラル派のエティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズールは戦争大臣なども兼務し、およそ10年にわたって事実上の宰相となった。
フランスの重農学派フランソワ・ケネーも彼女の主治医であった。ベッドの上でフランスの政治を牛耳った「影の実力者」といえる。ポンパドゥール夫人の有名な言葉は「私の時代が来た」。

65 :
1756年には、オーストリアのマリア・テレジア、ロシアのエリザヴェータと通じ反プロイセン包囲網を結成した。これは「3枚のペチコート作戦」と呼ばれる。
特に宿敵オーストリアとの和解は外交革命と言われるほど画期的であり、和解のために後年マリー・アントワネットがフランス王室に嫁ぐこととなる。

ポンパドゥール夫人は美貌ばかりでなく学芸的な才能に恵まれ、サロンを開いてヴォルテールやディドロなどの啓蒙思想家と親交を結んだ。

また芸術の熱心な愛好家、パトロンでもあり、様々な芸術家とも交流した。ポンパドゥール夫人の時代はフランスを中心に優雅なロココ様式の発達した時代になった。

66 :
トップは迫力があるなあ。

67 :
バラバラで弱体だったドイツに、強国プロイセンが台頭。
インドやアメリカでは、イギリスとの対立が激化。
フランスにとっては、非常に難しい時代だった。

そんな中、才色兼備のポンパドゥール夫人が登場した。
もともと、王様の側室として後宮に入ったのだが、なぜか内政と外交に大活躍。
30代に入ると、王様のお相手からは引退し、自分の息のかかった娘をあてがった。

宿敵オーストリアと同盟するという「外交革命」により、世界を驚かせた。

68 :
42歳で早死にしたが、歴史に確固たる足跡を残した

69 :
ジャンヌダルクも凄いが、ポンパドール夫人も凄い。

イザというときに、こういう奇跡的な人物が登場するのがフランス。

70 :
今でも、パン屋さんとかケーキ屋さんとか、いろんなところに「マダム・ポンパドール」が名を残している

71 :
パン屋みたいな名前だからな

72 :
本名のポワソンは魚だから、むしろ魚屋の方がお似合いよ、おほほ。

73 :
大手チェーン

ポンパドゥル>アンデルセン

74 :
この戦争の大きな特徴の1つに、フランス・ロシア・オーストリア連合の指導者が、3人とも女性だったというのがある

ロシアの女帝が休止し、男性の皇帝が即位したら、あっさりと講和して戦争が終わった

75 :
それに比べて第二次世界大戦は、ヒトラー・スターリン・ムソリーニ・チャーチル・ルーズベルトと、いずれ劣らぬクレージーな男たちであった

76 :
女帝のほうが、敵に回すと怖い

77 :
女を怒らせると本当に怖いからな

78 :
フォークランド紛争だって、フォークランド諸島社の大株主であるサッチャーが首相でなかったら、
たぶんあんな島はアルゼンチンにくれてやり、その代わりに香港を死守しただろうにな。

79 :
ロシア軍が、ドイツの心臓部まで攻め込んだのは、第二次大戦末期の東ドイツ占領を除けば、七年戦争のときだけ

じょて

80 :
女帝エリザヴェータは、講和などまったく考えていなかった

もしも、あの場面で急死しなかったら、歴史は変わってた

81 :
フランス軍がドイツの心臓部まで攻め込んだのは、ナポレオン戦争のときだった

82 :
エリザヴェータ・ペトロヴナ(ロシア語: Елизавета Петровна, 1709年12月18日 - 1762年1月5日、在位:1741年 - 1762年)は、ロマノフ朝第6代ロシア皇帝。ピョートル1世の娘、母はエカチェリーナ1世。

83 :
女帝エリザヴェータは、内政には早くから興味を失って任せっきりだったが、どういうわけかプロイセン王フリードリヒ2世を嫌っており、妥当プロイセンにだけは情熱を燃やしていた。

84 :
七年戦争では、せっかくプロイセンを敗戦寸前まで追い込んだにもかかわらず、ロシアとオーストリアの対立が表面化するなど、同盟に不協和音が目立ち始めた。

しかし、エリザヴェータとマリア・テレジアという2人の女帝の唯一の共通点が、同盟をかろうじて存続させていた。

その共通点とは、「両方ともフリードリヒが大嫌い」ということであった。

85 :
フリードリヒてよほど嫌な奴だったのか
それともプロイセンを強国にするに違いないから今のうちに排除するしかないと思われたか

86 :
今のアメリカ人は入植者の子孫ばかり インディアンとか南米の先住民を
滅ぼしたヨーロッパ共 大航海時代と植民地が原因だろ
北米中南米は移民子孫でありヨーロッパから出た先祖の恥共大国に
叶わないがなアメリカ大陸広いから生産もいいからねだけど覚えとけ
先祖様の恥なのは確かだインディアンは未熟白人
そして奴隷から解放された黒人に寄生されたそれだけ思っとけ

87 :
「女は子を産む道具でしかない」と宣ったお方なので、女性にとっては「よほど嫌な奴」で間違いないです

88 :
そして正義を口にしつつ押し込み強盗を働く悪人でもあります

89 :
>>87
日本の政治家みたいなこと言うね

90 :
>>87
ワンフレーズカットで批判する事は良くない。

91 :
女好きで国民に迷惑をかける君主は数多いが
女嫌いで国民に迷惑をかける君主はちと希少価値がある

92 :
↑あなたはどちらを選ぶ?

93 :
今でも、アメリカあたりじゃあ、女性指導者を本音では歓迎していない。

ましてや当時のプロイセンなど、「国家を持った軍隊」と言われるほどの軍国主義で、筋肉ムキムキの体育会系国家だ。

女性指導者を蔑視するのも、当然といえるだろつ。

94 :
マリア=テレジア

18世紀中ごろのオーストリア大公妃。
ハプスブルク家の家領を継承し、プロイセンのフリードリヒ2世とオーストリア継承戦争を戦う。
敗れてシュレジェンを割譲したが、次に外交革命によってフランスと結び、再び七年戦争で戦う。
多民族国家であるオーストリア帝国の中央集権化を図るなど、事実上の女帝としてオーストリアを統治した。

95 :
七年戦争の前哨戦、オーストリア継承戦争

 1740年、マリア=テレジアがハプスブルク家家督を相続し、オーストリア大公妃などに即位すると、
プロイセン王国の国王フリードリヒ2世はその相続の条件としてシュレジェンの割譲を要求、
さらにバイエルン公カール=アルブレヒトは神聖ローマ皇帝位を望み、
フランスのブルボン朝ルイ15世も同調、オーストリアに対し開戦した。

これがオーストリア継承戦争である。

開戦するとプロイセン軍がオーストリア領内に進撃し、シュレジェンを占領した。
オーストリアに対しては、フランスと対立していたイギリスが支援したが、経済的援助にとどまり、軍隊の派遣はなかった。

96 :
窮地に立ったマリア=テレジアは乳飲み子(後のヨーゼフ2世)を抱いて(これは伝説らしい)ハンガリーに赴き、
黒い喪服に身を包んでハンガリー貴族たちに抵抗を呼びかけた。

その後困難な闘いを切り抜けたマリア=テレジアは、シュレジェンは失ったものの他の家督の相続は認められた。
また、1745年神聖ローマ帝国皇帝の地位は、1742年にバイエルン公(ヴィッテルスバハ家)カール7世が選出されていたが、
1745年には夫のロートリンゲン家のフランツ1世が即位した。

オーストリア継承戦争は、1748年にアーヘンの和約で講和となったが、シュレージェンの奪回はならなかった。

97 :
外交革命

 敗戦後、「シュレジェン泥棒」プロイセンのフリードリヒ2世への復讐と、シュレジェンの奪回を目指したマリア=テレジアは、
オーストリアの軍制、政治機構の改革に乗り出し、宰相カウニッツの補佐によって国力の回復に努めた。

外交ではフランスのブルボン家と結び、さらにロシアとも関係を強めててプロイセンを孤立させることに成功した。
それまで長期にわたって敵対していたフランスと手を結んだことは、当時非常な驚きをもって迎えられ、外交革命と称された。
それを画策したのがオーストリアの宰相カウニッツとフランスのルイ15世の寵愛したポンパドゥール夫人であった。

98 :
ただでさえギリギリの奇跡で勝ったようなもんだから、
イギリスからの支援がなければ完全にプロイセンは詰んでたね。
本来、プロイセンにとってイギリスは大恩人なはず。

99 :
まあ、イギリスは当時、フランスとの植民地獲得競争に終われて、欧州大陸に手出しする余裕はなかったけどな

ただし、世界各地でフランスの戦力を削いでくれたのは大きい

100 :
太陽王ルイ14世の猛威はまだ記憶に新しく、「ここでプロイセンを強化しておいて、フランスと勢力均衡させよう」という思惑は、当然あったと思われる


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