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ゲルマン人の大移動と彼らが建てた諸王国


1 :2011/10/22 〜 最終レス :2020/06/23
古代末期に始まったゲルマン人の大移動、および彼らが各地に建国した
諸王国について語りましょう

2 :
そもそも歴史で習ったゲルマン人が本当にゲルマンなのか疑う説が近年出ている。
例、ヴァンダル人、スゥエビ人
もっとも、ゲルマン人自体も移動の過程で現地の女を奪っているわけだから、
欧州全体が混血のルツボと化したことは疑いない。

3 :
>>2
ローマ人はその辺の呼び方が適当だったみたいだな
ケルト系もイラン系もゲルマン人に含めたり

4 :
ゲルマン人とはローマ人の呼び方だった? カエサルのガリア戦記に出てくる?

5 :
ガリア人とゲルマン人は違うの?

6 :
ガリア人はケルト人

7 :
>>5
基礎から勉強してください。
しかし、ケルト人の遺伝子(R1b)に最近注目が集まってるね

8 :
>>4
ゲルマンはガリア人がライン川の向こうに住んでる連中を指して呼んだ呼称。ガリア戦記にも出てくる。
ガリアの争乱を鎮めに行ったカエサルは、争乱の原因がゲルマン人がライン川を越えて侵入して来た事に
有る事を知り、ゲルマン人の鎮圧に向かった。
>>5
違うが、ライン川の向こうに住んでるガリア人もゲルマンに含まれている。2にあるようにゲルマン人自体
一つの民族とは限らない。実態は不明。

9 :
ローマの地域呼称
ガリア、ゲルマニア、サルマティア、イスパニア、アジア・・・

10 :
スエビ族はケルト系、ヴァンダルはスラブ系という説が台頭しているようだ。

11 :
http://freymann.wordpress.com/category/antique/page/2/
Rome’s enemies II: Gallic and British celts(画像)

12 :
353 :世界@名無史さん:2011/10/17(月) 21:16:37.77 0
4世紀までに、ゲルマン人は以前より少数の、より大きな部族に組織されていた
農業の集約化は、人口の増加と経済の成長を促進した
ゲルマン社会は政治的な集権化と社会的な階層分化を押し進め、比較的安定した王朝と
「生成さなかの貴族層」のような戦士中のエリートを出現させた

13 :
バイエルン地方のレーゲンスブルクとパッサウの起源はケルト人の集落
この二つの集落は紀元1世紀にローマの砦となった


14 :
>>7
ケルト人の遺伝子R1bに注目されてるって何が注目されてる?
R1bてバスクとか先住民じゃなかったか?

15 :
西ゴート(415〜711)
ヴァンダル(432〜533)
スエビ(411〜585)
アラニ(?〜?)
アラマンニ(?〜496)
フランク(481〜751)
テューリンギア(?〜531)
ザクセン(?〜804)
ブルグント(411〜534)
東ゴート(497〜553)
ゲピード(?〜567)
ランゴバルド(568〜774)
アングロサクソン(409?〜1066)
あとは何があったっけ
フリース、ヘルーリ、スキーリ、アヴァール、ブルガール

16 :
ブルガールはもともとトルコ系でスラブ言語化したブルガリア人でわ?

17 :
アヴァールとブルガールはトルコ系じゃね

18 :
バイエルン人はボヘミア地方から移動してきて、ケルト人、ローマ人と
混血したゲルマン人であるというのが有力な説

19 :
>>15
オドアケル王国とルギ族も追加してくれ
アヴァールはアジア系、ブルガールはトルコ系だから
ゲルマン民族大移動に含めるのはちょっと違う気がするな
同じ理由でフン族もいれるべきじゃないだろう
細かいことを言い出すとアラニも微妙だけど、
一応、ゲルマン民族の大移動の時期に
ヴァンダル族と一緒に侵入してきたからカウントしてもいいだろう

20 :
アラニってたしかコーカサスのオセット人と同系だっけ。
ありゃ、イラン系にカテゴライズされるのか?

21 :
アラン人だな。イラン系でそれ以来アランという名前が西洋人に現れたとか?
キンブリ人というのもローマに侵入してるぞ。

22 :
キンブリ人は共和国時代だからちょっと時代が外れてないか?
アランは少し面白いな
406年にアラン王ゴアルが、ヴァンダルと他のアラン人裏切ってローマ方に寝返っている
その後、僭称帝ヨウィアヌスを支持したり、コンスタンティヌス3世と戦ったりしてる
ゴアルの後継者サンギバヌスがカタラウヌムの戦いで、ローマ方の中軍を受け持っているし
その後、西ゴートとフランクに挟まれて奮わなくなるけど

23 :
アラン人の宗教的崇拝対象は、大地に突き立てた抜き身の剣だったとか
馬の飾りは敵の頭皮

24 :
おっと皆の衆!
ローマ人の飛び地、シアグリウスの国(ソワソン管区)を忘れては居ませんか?

それにフランク族は、ゲルマン人とケルト人とスラブ人の部族が、政治的に結合した人為的ナ部族連合体。
純粋なゲルマン人の部族ではない、流石にイラン系は居ないらしいが。
>>23
まるでアーサー王伝説ですねw ナルト状態。

25 :
>>23
あー、敵の頭皮ってのは、スキタイ人を思わせるね。
さすがイラン系騎馬民だわ。

26 :
>>22
アラン族はカタラウヌムの時点で終わってるからww
中軍っつっても強いから受け持ったわけじゃない。
そもそも、元々バガダウエの乱に際して、
オルレアンらへんの懲罰と監視を目的に、
ザンギバンたちを入植させてたんだけど、
アッティラに内応してオルレアンを引き渡す約束をしてたのがバレて、
リリースするのも危険だし皆殺しにするのも手間ってことで、
絶対に裏切れない場所、
戦場のド真ん中、アエティウスとテオドリックの間に配置されただけ。
アッティラもそれを分かってて、
敵で一番ザコい連中、つまりザンギバンにフン族本隊をあたらせた。
実際ザンギバンはあっさり抜かれてテオドリック戦死の原因を作ってる。
あと「ローマ方」ってのは語弊がある。
アエティウスとテオドリックは対等の同盟者。
戦力的にはローマ軍なんて話にならん。
西ゴートがいなかったら100%負けてる。
まあアエティウスがいなかったらサリカ・フランク族や
ブルグント族などの中小部族も集まらなかっただろうけど

27 :
>>24
フランク族は複数の部族の連合体だったが、それでもガリア住民の5%ぐらいだったらしいな
だから在地の有力者であるセナトール貴族の協力が不可欠だった
彼らはキリスト教の拡大につれ、争って主要都市の司教職に進出しており、
フランク族が正統派のアタナシウス派に改宗したことは彼らとの提携をも意味していた

28 :
>だから在地の有力者であるセナトール貴族の協力が不可欠だった
シアグリウスの国を制圧したのは、クローヴィス王だもんな。
彼は、フランク族の家臣とラテン系の家臣を別々に整列させた、と言われている。
征服したものの彼なりに気を使っていたのかもしれない。
しかし486年のソワソンの戦いをクローヴィス王が始めたのは、
イタリア半島の西ローマ帝国が滅んだ(480年)からなんだろうな。
西ローマ帝国が(イタリア半島だけでも)顕在なら、クローヴィスは攻撃しなかった可能性も?
レオ一世が、さっさとアスパル親子を殺して、甥のネポス帝を助けて、早い段階でユスティニアスの様な
イタリアやカルタゴの再征服をしていれば、クローヴィスも動けなかったかもしれない。
ネポス帝は、西ローマ皇帝にしては有能でシアグリウスも忠誠を誓っていたようだし。

29 :
メロヴィング朝の衰退とともに、聖職者もガロ・ローマ人からしだいに
フランク人となり、彼らは世俗意識を残していたため、教会自体も退廃し、
領主が私的に建立した私有教会も増えていった
この一方で、6世紀末にアイルランドからコロンバヌスがガリアに渡り、
修道院を次々と設立し、厳格な戒律の遵守を主張した
その後、イタリアのモンテ・カシノに本拠があるベネディクト会の修道院も
各地に建設された

30 :
>>2
ゲルマン人は他の民族との通婚を一切しないことから種族的な純粋さをよく保っている、
というタキトゥスの記述はガセ?

31 :
>>30
たぶん本当じゃないのかな
ゲルマン系の民族の人種差別は、他の民族の人種差別と
少し次元が違いすぎるからな
多分、ゲルマンの森にいた時代から、他の民族と交わることすら
タブーとする戒律があったのではないかな

32 :
確かにスペイン、ポルトガルは南米で混血しまくったが
アメリカ、カナダ、オーストラリアはそのまんまやん。
まあ、宗教と植民の方法が違うけど。

33 :
イングランド人とドイツ人は純血のゲルマン民族である

34 :
>33
口をあんぐり・・・

35 :
シアグリウスの親父さんが一時期、フランク族長だったんだよね。

36 :
遺伝子は正直だよ。
イギリス人の中でアングロサクソンの血統は数%にしかすぎない。
大半は先住民。つまりケルト人他。

37 :
アエギディウスはアエティウスに引き立てられたんだよな
息子のシアグリウスはローマ人として修辞学と法学との教養を身につけ、
ゲルマン人の言葉を話すこともできた

38 :
>>30->>31
アングロアメリカとラテンアメリカを見ればね

39 :
南アフリカには、オランダ人が先住民との間にもうけたカラードという人々がいる

40 :
それを言えば米国黒人にも、多くが白人Y遺伝子のニガーという人々がいる。

41 :
>>36
民族系統を決めるのは遺伝子じゃなくて
言語なんだな

42 :
スエビ族は、少なくとも支配層は
ゲルマン系だとおもう、ゲルマン語話者だったと思う
でなければカエサルのガリア戦記でも
ガリア人とは違うゲルマン人と記されてる理由がつかない。

43 :
ヴァンダル族には、アスディング系ヴァンダル族とシリング系ヴァンダル族の
二つの系統があった
属州ヒスパニアのうち、アスディング系は東ガラエキア、スエヴィ族は西ガラエキア、
シリング系は南部のバエティカ、アラン族はルシタニアおよびカルタギネンシスが
ローマの同盟者として与えられた
残るタラコネンシスにはローマ軍団が定住していた
また、セビーリャ、カルタヘーナなど主要都市の支配権はローマ皇帝にとどめられた

44 :
ガリアでは3世紀末がらバガウダエと呼ばれる農業労働者などの集団による反乱が
発生しているが、ヒスパニアにおいてバガウダエの反乱がみられるのは5世紀に
入ってから、ゲルマン諸部族侵入後のこと
これは両属州のローマ化の差によるものだろうか?

45 :
【リヴォニア騎士団】バルト人【クールラント公国】
http://kamome.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1319546609/l50

46 :
ヴァンダル族のカイゼリックが悪知恵働きすぎてすごす。

47 :
後発組なのにちゃっかり西地中海世界の外交の中心に居座ったテオドリック大王もなかなかな人物

48 :
東ゴートのテオドリックは幼年時代を人質としてコンスタンティノープルで過ごしたから

49 :
>>35
え!そうなの?
初めて聞いたw
どういう経緯でそうなったの?
>>37
アエギディウスもシアグリウスも軍司令官でそ。
西ローマが滅亡するまでイタリア本土とは連絡とっていたのか…
滅亡後の元老院とはどんな関係だったのか、良く判らん。

50 :
ブリタニアのアンブロシウス・アウレリアヌスもローマ人の残党。

51 :
>>49
クローヴィスの親父のシルデリクが多くの娘を娶ろうとしたので、
サリカフランクはキレてシルデリクを追い出し、
一時的にアエギティウスを部族長にした。
シルデリクはしばらくして部族長に返り咲けた。
フランクと言ってもいろいろ分派があるので、
サリカ・フランク族、と言うべきだな。
アエギティウスは461年のリキメルとセヴェルス帝による王位簒奪を認めず、
そのまま自立したので、正式な軍司令官では無かった。
ただガリア軍司令官の称号は保持し続けた。
ここから言えるのはローマとは公式の繋がりはなかったが
非公式な繋がりはあっただろう、ということ。
どっちみち当時のローマ帝国の実力ではガリア派兵は不可能で、
アエギティウスには何の足しにもならない。
アエギティウスは軍事的パートナーにサリカフランクや西ゴートを選んでいる。

52 :
シアグリウスの支配地域って、造幣局と武器工房があったんだっけ?
ネポス帝の名前でコイン作ってたけど。

53 :
>>51
>サリカフランクはキレてシルデリクを追い出し、
>一時的にアエギティウスを部族長にした。
シルデリクがゲルマニアに亡命していたのはこのときだっけ?
亡命中に知り合ったテューリンギア王妃バシナとの間に生まれたのがクローヴィス

54 :
>>53
ルネ・ミュソ・グラールはバシナを東ローマの姫と描いてるね
キルデリック1世の墓に東ローマのコインが大量に出土したから
東ローマとフランクの緊密な関係性をそこに見出してるみたいだけど

55 :
ドイツの呼び名もこのスレで語るべきことかもな
フランス語でアレマン(allemand
ドイツ語でドイチュ(teutoni族
英語でジャーマン(おなじみゲルマン
ロシア語でニェメツキー(不明。誰か教えて
セルビア語でスワーボ(schwabeって地域があるんだがそこの民族?
気になりますね

56 :
>>55
ロシア語はおしという意味
いちばん身近な言葉が通じない民族だったという

57 :
>>56
ドイツ民族をつんぼ野郎と言ってたわけか
何だかなぁ

58 :
>>57
中国の周辺国の呼び方に比べれば素直で善良な命名

59 :
スラヴ(スクラヴ)はもともと「聞く、聞こえる、言葉」という意味で、転じて名声、栄光となった
言葉の通じるのがスラヴ、通じないのがニェムツィ(マジャル人もスラヴ語から借用して使う)
フィンランド語ではサクソンからSaksaといい、バルト諸語ではVacija(語源不明、ヴァイキング?)という
アレマンは英語でいうとAll men(全ての人)で、諸部族が寄り集まってアラマンニができたことから
ドイツ、テュートン、テデスコ(伊)などは印欧祖語teuta(民衆)にまで遡れ、ゲール語トゥアハと同源
ゲルマンは「槍」とか「勇敢な戦士」とかケルト語で「騒々しいやつら」とか諸説ある

60 :
面白いなぁー

61 :
>>54
そういえばフランス語のフィリップという洗礼名も東ローマ由来だったな
カペー朝の時代に導入された

62 :
>>59
スラブは「川」って意味もあるよね。
ヴァイキングは「岬」とかそんな意味の単語から来たんじゃなかったっけ?

63 :
フィリップはマケドニアのピリポ起源。アレクサンドロス大王の親父さん。

64 :
少なくとも新約聖書には既に居るな。ピリポ。

65 :
フィリップ1世の母親アンナがルーシの王女だったためで
その親父も東ローマ皇女の子だという噂があったとか

66 :
>>57
つんぼは耳が聞こえないということだよ

67 :
ヴァンダルとアラニの王

68 :
>>65
カペー朝は選挙によって選ばれた王朝だったため、他の有力な家系との婚姻を通じ
王家の血筋をより高貴なものとする努力がなされた
たとえば、ロベール2世の妻コンスタンスの母アデライードがカロリング朝最後の王
ルイ5世と結婚していたことが利用された

69 :
アラニと言えばオセチア人

70 :
ジャーマンポテトの大栽培

71 :
ポテトは新大陸から

72 :
知らんかった

73 :
なぜ日本人は狩猟民族と呼ぶんだろうか
農耕生活なのに

74 :
草食系男子と同じくらいの意味しかない。実体を指したものではないから

75 :
自他の区別をつけたい衝動にかられて、だね。
自(稲作民で穀食)、他(農牧兼業で肉食アリ→肉食がクローズアップされて狩猟民族に)。
たしか和辻哲郎が言いはじめ(ただ、他=農牧兼業だったはず)、それが卑俗化されたとか。

76 :
漁師や猟師とか普通にいて日本も肉食ってたのにね
ただ豚や馬を食う習慣はなかったが

77 :
農耕=平和・温厚 狩猟=好戦的、野蛮 って単純な構図が
シンプルに日本人を持ち上げ、白人蔑視ができるのが
ある層に都合がよかったんだろう 
こうあって欲しいという願望に、フィットする情報を与えれば
誤った情報でも、真実味があるように見えるものだ
実際は富の蓄積が難しく、人口爆発&飢餓が発生しにくい狩猟生活のほうが戦争の必要性は薄いのだけど
そういう層は、一方で原始共産主義を信奉していたらしいが、狩猟民族蔑視との矛盾はどう誤魔化していたんだろうな
とにかく白人を悪く言えればよかったのかな

78 :

北ガリアのアエギティウスとブリタニアのアンブロシウス・アウレリアヌスは、
 手を組んでなかったのだろうか?
 対ゲルマンで同盟を結ぶとか、連絡を取り合っていたとか。

 ブリタニアの僭帝コンスタンティヌス3世とその息子が、処刑されたあと、
 彼らに従ってガリアに渡ったブリタニアのローマ軍団は、アエギティウスに傘下に入った可能性は?

79 :
>>78
可能性はあるかもね。
時代的にいけば息子のシアグリウスへ連絡とか。
ブリトン人がブルターニュへ多く移民して行ったのも、そのせいかも。

80 :
ホノリウス帝も酷いよな。
ブリタニアも北ガリアも放置プレイ。
410年には、ブリタニアに手紙を書いて「自分達で何とか汁!俺シラネ」だもんな。

81 :
ホノリウスは最初から最後までひどいので一貫しているというか…。

82 :
ホノリウス帝の時代に西ローマは、実質イタリア半島と北ガリアだけになっちゃった。
ブリタニアは実質放棄したね、あの手紙だと。
あとはダルマティアぐらいかな、西ローマの領土は。

オヤジは、ローマ帝国を統一したすごい将軍なのに息子は2人ともダメダメってのが凄いw
ゲルマン民族大移動が始まる中、アルカディウスでよく崩壊しなかったもんだ、東ローマ帝国。

83 :
デーン人が建国したからデンマーク
ノルマン人が建国したからノルウェー
ゲルマン人が建国したからジャーマニー
フン族が建国したからハンガリー

84 :
ブルガール人が建国したからブルガリア
エトルリア人がいたからイタリア
アメリゴ人が造ったアメリカ

85 :
そしたらブルトン人が作ったグレートブリテンかよ。

86 :
移動距離一番凄いのはどいつ?
ヴァンダル?

87 :
セルボイ人が建国したからセルビア
クロアート人が建国したからクロアチア
ちなみにイラン系

88 :
>アメリゴ人が造ったアメリカ
ほわ?

89 :
狭義のゲルマン人はドイツ人しかいない。ドイツ人にとって第三帝国が崩壊するまで世界征服とは
ロシア人を皆殺しにしてユーラシア大陸、すなわちスキタイ、サルマートの故地を征服する事だった。
スキタイの後継国家ゲルマン・汗国最後の汗がヒトラーだった。敗戦までドイツは西欧・フランスと異質の
陸の帝国だった。それがルーシ・汗国とバイキングの後継・海の帝国アメリカに滅ぼされて、
EC結成で思考回路は再びフランクに収まった。
これ以後ドイツは完全に自他共に西欧の一員であり、米英と対立する場合はフランスとセットになった。
ドイツはアシュケ圏のプロイセンを中心とする東部と西欧セファル圏のフランクフルトを中心とする西部に分けられるでしょう。
現在のドイツは西部中心の国になっていると思います。

90 :
プロイセン人なんてドイツ人とポーランド人とロシア人の混血児。

91 :
5世紀中ごろのガリア北部沿岸地域って、ブルトン人のほかにサクソン人もいたな
英仏海峡に面したブローニュ、バイユーなどの大西洋岸や、西ゴート勢力と
アエギディウス=フランク勢力の境界線にあるロワール川下流域の各地に定着して、
無視できない軍事勢力となっていた

92 :
>>91
彼らの初期の剣はスパタ形式だし、相当数がローマ補助軍に
入っていたみたいね。
ブリトン駐屯のローマ軍にもサクソン傭兵はいたようだし。

93 :
クローヴィスの死後、王国は4人の息子たちの間で分割された
テウデリクにはランスを首都とする部分王国、クロドミールにはオルレアンの王国、
キルデベルトにはパリ王国、クロタールにはソワソン王国が与えられた
テウデリクは531年にサクソン人の支援を得て、古くから帝国とバルト海との
交易を掌握し、エルベ川からマイン川にいたる一大王国を築いていたテューリンゲン人を
滅ぼして、その商業圏をサクソン人との間で分割した
クローヴィスの息子たちによる524、534年の二度の遠征によって、ブルグント王国は
フランク人の支配下に入った
もっとも旧ブルグント領には、依然として個別意識が強く残り、このために
ブルグント法典の引き続きの施行を承認したり、クロタールが息子の一人に
グントラムという典型的なブルグント名をつけたりして、慰撫しなければならなかった

94 :
>>15
ユート。
ケント王国を築いた民族。

95 :
ヴァンダル人=ポーランド人説は中世に俗説として出回っていたが、
その後ポーランドが東方に進出するとポーランド人=サルマタイ人説が優勢になり、
最近はまたヴァンダル人説がこんどは考古学の分野で出てきている(プシェヴォルスク文化)
インド・ヨーロッパ語族文化事典を編纂しているマロリー等はこれをかなり積極的に支持しているな
ポーランドというか、西スラヴ語群の諸部族
現在のポーランドに集中していた

96 :
>>3
イラン系でなくスラヴ系じゃないの?
タキトゥスはゲルマニアの諸部族のいくつかは、他のゲルマニア諸部族と比べて
似ているがかなり異なる言語を話しているという趣旨の記述をしている
これって実はスラヴ語じゃないの?スラヴ語派にはイラン語派の訛り(サテム訛り)があるし

97 :
源スラブ人はポーランドにいた?

98 :
Malloryの考えに沿うと、キリスト誕生前後の時代の原スラヴ人は西はポーランドの西部、
東はベラルーシやウクライナあたりまで広がっていて、
東西で文化が多少違っていた(西スラヴと東スラヴの分化?)
その後、もともとポーランドにいた集団の一部が南下してバルカンに向かって南スラヴになっていく
たとえば最初ポーランドにいたホルヴァト族はバルカン西部に定住し倭寇に似た海賊として恐れられるようになる
これがクロアチア人
ホルヴァト族の西にいた部族は一部は後の時代にソルブ人としてオーデル川の西に定住、
一部はバルカンに南下してホルヴァト族の東隣に定住していく
これがセルビア人

99 :
西と東の原スラヴはヴィスワ川のところでゴート人(ヴィエルバルク文化)に分断されている
西はプシェヴォルスク文化、東はザルビンツィ文化

100 :
「スラヴ人の歴史」というスレを立てたほうが良くね?

101 :
>>93
ブルグント領は、ローマの面影が色濃く残ってた地域。
グントラムも地元の旧ローマ系貴族に、大公の地位を与えて
これまで通り自治させてたね。
うろ覚えだけど、シアグリウスの子孫もグントラムの元で外交官としての
役割を担ってたはず。

102 :
タキトゥスのときはゲルマニアの住民(ゲルマン人とスラヴ人とケルト人)が言語的に区別されていなかった時代だから、多少話が逸脱するのはいいよ。

103 :
ブルグンディアはローマ人宮宰プロタディウスが支配していたなあ

104 :
ゲルマン人=ゲルマン語族+スラヴ語族+ケルト語族
ゲルマン人≠ゲルマン語族
ここ大事なところ

105 :
ゲルマン語が母語だったら何人と呼ぶんだよ

106 :
>>105
普通にゲルマン語の部族
英語ではジャーマニック・トライブスと言う
ジャーマン、じゃないよ
明確に区別される
古代ゲルマニアの住民はどうもゲルマン語の言語を使用していた部族だけとは限らないようなので、
もうロマン主義からは卒業したほうがいい

107 :
ローマがゲルマン人の侵入で滅びたと短絡的に教科書に書いてあるが
ゲルマン人と言っても混成部隊だったと言いたいんだろ。
それを言い出すとローマ人もイタリアのラテン人だけじゃないし。
フィリップス・アラブス帝はアラブ人。スティーブジョブズと同じシリア系だ。
そもそもゲルマン人部隊の指導者がゲルマン人出身のローマ兵高官。
つまりローマ人とも言える。ここはゲルマン人はゲルマン母語人と定義だろ。

108 :
ゲルマン語と一口に言ってもたとえばフランク人とスエビ人は互いに話が通じないぐらい分化しているから一つにまとめるのは変

109 :
212年ごろにカラカラ帝が発した勅令により帝国内の全自由民にローマ市民権が付与されていたが、
帝政初期の二倍の約60万人に増強された軍隊を構成したのは、ローマ市民ばかりではない
志願兵、戦争捕虜、部族内抗争の果てとも思われる自発的投降者など、ゲルマン人も多数いた
ガリアには指定地に定住を許されローマ軍に勤務するラエティと呼ばれる部隊もあり、
バタウィ族やネルウィイ族など居住地の荒廃によりラエティとなった帝国住民もいたが、
フランクやスエビなどゲルマン人部隊もあった
こうしてさまざまなかたちでローマ軍に浸透したゲルマン人の中には、ガリアでの
最高軍指揮権をになう者まで現れてくる
350年に西方帝コンスタンス(在位337〜350)を倒した簒奪帝マグネンティウスも、
ゲルマン人の血をひく地区総司令官であった

110 :
ローマの統治下に入ったライン左岸地方には、カエサルやアウグストゥスの時代以来、
トリボキー、ネメーテース、ウァンキオネース、ウビイー、スガンブリーなどの
ゲルマン諸族が定住し、また70年以来ライン左岸に拡張した上ゲルマーニアでは、
ヴィースバーデン周辺やネッカー下流域にもゲルマン人が住んでいたが、総じて
上・下ゲルマーニア、アグリー=テクマーテースでは、ゲルマン人とケルト人の混住から
両民族の融合がおこなわれた
しかもここには、さまざまな国籍の退役軍人や各種の商人、手工業者、官吏などが
これに加わって定着し、軍団の駐屯基地や城砦の周辺に都市的集落が生まれ、
ローマの都市文化やイタリアの制度が移植され、土着の要素と外来の要素が融合して、
この地に特有の新しい属州文化が形成された

111 :
ゲルマン「語族」というくくりは実際にあるが、ゲルマン「民族」などというものは存在しない
ゲルマン人はゲルマン語族のさまざまな言語を話すさまざまな民族の総称にすぎない

112 :
ゲルマン人っていつの間にクリスチャンでなってたの?

113 :
最初はアリウス派。

114 :
同じゲルマン人でも、ザクセン人は長い間キリスト教への改宗を拒否していたが


115 :
サクソンの信仰ってどんなのだったんだろうか
ヴォータンとかか

116 :
>>115
サクソンはヴォータン教徒だよ。
なので、槍を聖なる武器として主に使ってた。

117 :
君主制を好まない部族の伝統をもちつづけたザクセン人は、多神教から
超越的一神教への改宗に強い拒否反応を示した
彼らがキリスト教に改宗するのはカール大帝によって軍事的に征服されてから

118 :
ゲルマン語は他の印欧語とかなりかけ離れているらしいな。
一つの語族にしていいもんかな。

119 :
ほんまかいな? ソースはあるんけ?
お経の般若心経、羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 ギャーテ、ギャーテ、ハラギャテーってあるやろ
羯諦はサンスクリット語の行くの動詞屈折 gate で「行こう、行こう、真実の世界に行こう」
スウェーデン語でも行くの過去完了は、 gate でそっくりやおまへんか?

120 :
なんか凄い良スレ
ケルトも、やってけれ
ローマ帝国以前はヨーロッパの広範囲を席巻していたけど

121 :
>>119
ギャーテ、ギャーテ、ハラギャテー
ってそういう意味だったのか

122 :
アレマン族…セムノーネス族を中心に首長制の多数の小支族を糾合する部族連合として、
リーメスの北、マイン川の上流域にあらわれ、やがて部族内部の人口の増加にともなって、
徐々にネッカー川をこえてイラー川、レヒ川の流域まで、またスイスやライン川流域まで
居住地域を拡大。アレマン族のもとでは、四世紀に多数の王と小王が並立していたが、
五世紀になると政治権力の集中が進み、五世紀末までには単一王制が樹立された
ザクセン族…原ザクセン族はタキトゥスが記しているレウディグニー族であり、
部族連合は、カウキー族を主要構成グループとして、アングリワリイー、ケルスキーその他
群小の部族の自発的な結合または征服による併合によって形成された。
混成大部族ザクセンの形成当初の定住領域は、エルベ・ヴェーザー両川間の
地域であったが、フランク族が移住したのちヴェーザー・ライン下流間の地域に拡大
ザクセン部族国家は、総じて王権の伸張をみた移動期を通じて、古ゲルマンの
首長制の伝統を保持した例外だった

123 :
テューリンゲン族…ドイツ中東部に、スエービー族系のヘルムンドゥーリー族を
中心とし、これにアングリイー(アングル)、ワリーニーの諸族が加わって形成された。
彼らは、南はナープ川、レーゲン川の流域に進出、北はハルツをこえオーカー川、
オーレ川の流域にまで定住地域を広げ、彼らが築いた部族王国は500年ころ
最盛期を迎えたが、531年、フランク族とザクセン族によって征服された
バイエルン族…おそらくスエービーおよびマルコマンニーを中核的要素として、
ゲルマン諸部族断片が混合したもの。彼らは、テウデベルト王の治世(543〜548)に
フランク王国の支配に服し、部族の内部では、アギロルフィング家出身の大公が
国王類似の地位をもっていた

124 :
フリーゼン族…ローマ時代にはライン河口とエムス川のあいだの北海沿岸地方にいたが、
三世紀末にローマの支配から離脱、四世紀ないし五世紀以降にはさらにエムス川の
東にも広がっている。彼らが築いた部族王国は、七世紀末のラートボト王のとき
最大の広がりを持った。

125 :
東ゴートが攻撃されたのがキッカケだっけ?

126 :
>>120
ケルトは古い時代は民族ではなかったんだが
単なる文化圏で
言葉も相当分化していて離れた地方同士で通じないし

127 :
>>126
フランク族のように、各人種が集まった「集団」だと考えた方がいいよね。
現代で言うとこのEUとか旧ソ連とか。

128 :
ゲルマンも古くは民族じゃなかった
単に言語も文化も異なるゲルマニアの諸部族にすぎなかった

129 :
ゲルマン人は、印欧語族に属し、巨石文化の農耕民と個別墳墓や戦斧文化を持つ
印欧語系の分派が融合して生まれた北ヨーロッパ人種に由来する
こうして発生したゲルマン人の原住地は、ヴェーザー・オーデル両川間の
北ドイツ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン、デンマークおよびスウェーデン南部など、
総じてバルト海周辺の諸地方であったらしい
このことは、ゲルマン語諸方言に海と森を示す語があることにより裏書きされる
ゲルマン人は、やがて先住のケルト人やイリリア人を追って中欧に居住地域を
拡大するが、青銅器時代にはヴィスワ川やエムス川の流域に広がり、
リッペ川流域やネーデルラントにも足跡を残し、さらに鉄器時代になると、
前四・三世紀までにドルトムントとデュースベルクの地域からケルン、
トリーアの地方にまで進出している。

130 :
前五・四世紀はケルト人の最盛期で、当時はマイン川流域とベーメンを含めて
南ドイツの全域がケルト人の居住地となっていたが、前三世紀以降、
ゲルマン人はこの先住民族を征服・駆逐しつつ南下して、紀元前後には
ドナウ川の北方、ライン川の東からヴィスワ川に至るまでの広大な地域を
ゲルマン領域とした。「ゲルマーニア」と呼ばれる地域がこれである。
なお彼らは、前500年ごろから、西ゲルマン・東ゲルマン・北ゲルマンの
三つのグループに分かれ、このうち東南に移動した東ゲルマン人の一部は、
前200年ごろカルパティア山脈の東麓から黒海北岸にかけて定着し、
また前二世紀末にユトランド半島から南下したキンブリー族とテウトニー族は、
ノーリクム、ガリア、スペインの各地に侵攻した後、イタリアへの侵攻を企てている。
ゲルマン人とローマ人との大きな武力衝突、交渉はこのときにはじまる。

131 :
キンブリーって実はケルト系ってことはないのかな?ウェールズ人の自称Cwmryとなんか似てる

132 :
>>107
そういえばケルト人もマケドニアやシチリアのギリシア諸都市、カルタゴなどの
軍隊に傭兵としてやとわれていた

133 :
ゲルマ―ニアは西の境界と南の境界ははっきりしているが北の境界と東の境界ははっきりしない

134 :
シベリアも西の境界どこからシベリアと言うのかよく分からない。

135 :
ピョートル大帝がウラル山脈と決めた

136 :
ヴァンダル族の嫌われっぷりは異常。
ガイセリックが周囲を力で抑えられるうちは良かったけどね。

137 :
ケルトって、農業で人口を養っていたのでしょうか
それとも牧畜や狩猟?

138 :
ケルト人は木の又から生まれる

139 :
>>137
住んでる場所にもよるが、農牧兼業が一般的だったんじゃね。

140 :
ケルト人についてはこちらのスレでも語られてる
http://kamome.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1320563655/l50
フランスの歴史

141 :
ゲルマン人のうち、ネーデルラントのフリース人は漁労も行っていた

142 :
>>137
ガリアでは農業。
ローマ人も知らない有輪鋤を使ってた。
ゲルマン人は主に牧畜。

143 :
このスレならミケーネや海の民の謎も語ってくれそう

144 :
>>143
「古代の地中海世界」
http://kamome.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1314568816/

145 :
>>118
ゲルマン人(というか金髪碧眼の北ヨーロッパ人)は
もともと印欧語ではない原ゲルマン語をしゃべっていたのだろうが、
どれくらい非印欧語由来の言葉が残っていれば
ゲルマン語を独立した語族に認定できるんだろうか。

146 :
凄いぜ!このスレ
このスレならバイキングのアメリカ大陸渡航も語ってくれそうだな

147 :
>>125
375年、ローマ帝国東端のステップ地帯にフン族が到来し、彼らは当時ドニエプル川流域に
定住していたゴート族を圧迫した。
東ゴート族はフン族に従い、一方西ゴート族は西へ逃れてドナウ川のローマ国境へ向かい、
コンスタンティノープルのローマ皇帝ウァレンスにドナウ渡河の許可を求めた。
これがゲルマン民族大移動の発端

148 :
>>136
ヴァンダル族が嫌われたのは、彼らがとくにアリウス派色の強い部族だったことも
原因の一つじゃね?
アスディング・ヴァンダル族が定着したヒスパニアの東ガラエキアでは、
異端プリスキリアヌス派が勢力を保っていたこともあり、カトリックの聖職者は
異端に敏感な傾向があった
ヴァンダル人のアリウス派信仰への嫌悪からトラブルとなり、圧迫を避けて
ヒスパニアを去るカトリック聖職者もいた
ブラガの司教オロシウスも、この時期にアフリカに逃れて聖アウグスティヌスと出会い、
その求めに応じて『異教駁論』を編纂している

149 :
>>145
スカンジナビア諸国のノルマン語の諸語は、
明らかに発音でフィン語やエストニア語やロシアのペルミ語の類の影響を強く受けている

150 :
ヴァンダル族がなぜアリウス派を頑なに守ったかというと、
実は彼らはスラヴ人(プロトスラヴ人の西方群)が人口的な基層の
スラヴ、ゲルマン、ケルトの三者混成部族だったから?
リングァ・フランカがゲルマン語で

151 :
>>147
ゴート人はなぜ元来たヴィスワ川のほうへと向かわなかったのか?
当時のあそこは森林と湖沼が広がる地帯だからフンはやってこれないはずだ
そこはスエビか何かがいたのか?それとも原スラヴか?

152 :
>>151
東ゴート族は早々とフン族に敗れてしまった
西ゴート族の執政アタナリックは、プルト、ドナウ両河の間に連なる
山岳地帯に強力な防御線を整えれば、フン族による侵攻からワラキアの
沃野を守れると考えたらしい
けれど恐怖のあまりパニック状態に陥ったのか、西ゴート族はフン族から
逃れる途はただ一つ、ドナウ川を挟んでの防衛以外にない、と速断してしまった

153 :
>>151
付け加えとくと、
フンが黒海北岸に至ったときにすでにゴート族はダキアや現在のワラキアにも居住していて、
コンスタンティヌス1世~コンスタンティウス2世による軍事作戦の後、ローマと盟約を結んで
活発な交易を行なっていた。盟約を破ったゴート族に対してヴァレンスはドナウ川の北で懲罰的な
軍事作戦を行なったりもしている
だから、ゴート族がドナウ渡河と移住を申し入れてきたとき、ローマにとっては
彼らは最近現れた新参者ではなかった

154 :
>>152
それってどの史料で述べられてたの?アンミアヌス・マルケリヌスの『歴史』?

155 :
>>151
『ローマ帝国衰亡史 2』(E・ギボン、ちくま文庫、P.28)
…こうして旧ダキア属州を充たし、その後いつのまにか一大国民へと混融していった
この雑種族植民地も、ただゴート人としての名声と威厳は依然として棄てず、
スカンディナヴィア発祥説という架空の栄誉だけは、あくまでも主張し続けた。
同時にまた、たまたまゴートなる族名がゲタエGetaeなる族名と似ているところから、
そこは軽信のゴート人のこととて、彼等の祖先は、はるか古代からこのダキア地方に
住みついており、親しくかのザルモシクスの訓育を受け、勝利に傲るセソリストス王や
ダリウス王の遠征軍を阻んだのも、実は彼等の祖先たちだったという奇説まで、
本気で信じるようになっていたのだ。

156 :
ロマン主義(民族主義)はその副産物だとして、
ゴート人がもといたヴィスワ川のほうへ逃げて行かなかった主な理由は、
要するに彼らのビジネス上の理由(ローマと商売していた)があったということか
カルパチアを越えて北のヴィスワのほうに逃げちゃうと安全は安全なんだろうがローマから遠くなって交易しにくくなるからな
当時のポーランド(地方)の主要交易品はなんと琥珀!だが、ぜいたく品だけに売り上げが大きく伸びるものでもないし

157 :
>>155
チェルニャコフ文化の変遷具合を見ると明らかに当時の原住民諸部族の分化が混じってきてるしな
時代が下るにつれてゴート社会の上から下までひっくるめてスラヴ人やダキア人などとの混血がすすんだんだろうな

158 :
ローマ軍団兵より武士の方が強いんです(キリッ
斧や長剣振りかざした蛮族に負けちゃうぐらい、軍団兵は弱いんです(キリッ

159 :
ゲルマンの「マン」って人って意味なのかな?
だとしたらゲルマン人って言い方は畳語になる。

160 :
>>159
どーでもいいわ。アホ。

161 :
>>159
ゲルマニアの地の住人がゲルマン(ゲルマニア人)だから違う。

162 :
>>2
イタリアフランススペインこの辺りは明らかにアメリカ人やイギリス人ドイツ人のような青目色白面長の白人って感じじゃないね。
だからローマ人に抵抗してたゲルマン人の子孫=今のドイツ人(後の英人も含む)オーストリア人チェコ人辺りでいいんじゃね?

163 :
>>162
ヨーロッパの王・貴族は民族移動期のゲルマン人。
それらの国の支配層も元はゲルマン人。

164 :
>>163
土着のセナトール貴族層(ガロローマ、ヒスパノローマ人)がかなりいる。
それらも支配者層として、ゲルマン民族征服後も迎え入れられている。
「王の食卓に参加する者」と呼ばれた者たちが、ポストローマ期の支配層だった。

165 :
>>161 ゲルマンの地という意味でゲルマニアなんじゃないの?

166 :
ゲルマンという単語やドイツ語という言語の語感かっこいいというのは、
日本語基準
欧州人に聞くと、ゲルマンという単語がかっこいいと言う人はいないし、
ドイツ語は田舎臭いことばとして結構笑いの種になっている
今月初頭だったかAFNのCMでもドイツ語をバカにしていた

167 :
世界的にみて一番かっこいい言語は断然、英語
ロックやR&Bの歌詞は英語が一番合う
かっこよすぎ
ドイツ語やフランス語やイタリア語やロシア語や中国語などではマヌケそのもの

168 :
>>165
元々はガリア人がライン川の向こうから来た連中を指してゲルマーニーと呼んだ。
その連中の土地という事でゲルマニア。しかしゲルマーニー(ゲルマン人)の定義は
「ゲルマニアに居住する非ケルト系の民族」という事で『ゲルマニアに住んでるから
ゲルマン人』という事になる。

169 :
そもそもゲルマーニはガリアのケルト語起源の単語

170 :
ゲルマン語でトングリ人と呼ばれていた部族を、ガリアのケルト人がゲルマーニ人と呼んだんだっけ?
そのゲルマーニ人と似たような言葉を話す複数の部族がそこから東に広がっていたから、ゲルマニアになった

171 :
トングリ人→トングリマーニ人→グリマーニ人→ゲルマーニ人

172 :
だったらゲルマン民族じゃなくて「トングリ民族」でいいんじゃないのか?

173 :
ゲルマン魂じゃなくてトングリ魂

174 :
トングリころころトングリコ

175 :
ダメだ、このスレ終わってる

176 :
Tongri族(Tongrii)だろ?正しいよ
Tongrii→Tongrimanii→(Grimanii)→Germanii

177 :
>>166 ジョナサン・スウィフト曰く「ドイツ語は馬に話しかける言葉」

178 :
古代ゲルマン人の女性は、結構ゴツくて余り可愛くなかったと言う説もある。骨格から推測したらしいが。
Mの俺なら、受け入れOKだ。

179 :
>>178
原ゲルマン人の人種的特徴を現在も一番残しているのはアイスランド人かな

180 :
この4人組が、アイスランドの平均的な女性群像って感じかな。
http://blog-imgs-24.fc2.com/y/u/s/yusukedate/window_1.jpg
もちろん、パツキン美人さんもいる。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200908/21/20/c0003620_22165020.jpg
案外、黒髪もいたりで。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~supersonic-jet-set-love/MUM_2.jpg
で、一番有名なアイスランド人といえば。
http://black.ap.teacup.com/star/timg/middle_1315398364.jpg

181 :
>>178
ブルンヒルデだのガートルードだのグリエムヒルデだのアウドフレドだのクロティルドだの
と名前からして可愛くない

182 :
アイスランドの女系はゲルマンじゃなくてアイリッシュ
バイキングの男どもがアイルランドで女たちをさらっていって作った国がアイスランド

183 :
>>182
ヴィンランド・サガの読みすぎじゃねぇかw

184 :
ゲルマン、ノルマン、スラブ、ラテン
美形になるにはケルトの血が必要なのかもな。世界一の美人国で知られるチェコもスラブとケルトの混血

185 :
アルメニアやイランは違う

186 :
>>182
そういった例はあるかもしれんが、ノルウェー辺りのノルド人と
スコットランド、アイルランドからのケルト人による移住が始まり。
当時勢力をほこっていた、デンマークからの圧迫を嫌った人々の移住と
言われている。

187 :
ケルト人とは多様な人種・民族の集合体にすぎない
ケルト民族やケルト人種などというものは歴史上存在したことがない
1980年代後半からのケルティックブームはアイリッシュが創作したウリナラファンタジー
あれはアイルランド島や大ブリテン島のケルト人のことでありケルト文化圏のほんの一部に過ぎない
現代のアメリカ人がアメリカ民族やアメリカ人種でないのと同じ
だが一定の共通した文化をもち、法律で決められていない共通語をなし崩し的に話している
これが古代ケルトと同じ

188 :
アメリカはまだ500年だけど、あと500年くらいすると
アメリカ民族と言われるようになっているかも知れないですね

189 :
>>187
フランク人も民族集団ってのと一緒だな。
各文化圏の集合体(ゲルマン、ケルト、ローマなど)で
共通の武器やスタイルを保持することで「同属」として認識した。

190 :
現代イギリス人
バスク系人+ケルト人+ローマ人+アラン人+暗黒柵損人+デーン人+ノルマン人
現在ブラジル人
白人+黒人+インディオ+(アジア人)
500年後のアメリカ人
白人+黒人+アジア人+インド人+ヒスパニック+米インディアン
500年後の日本人
日本人+朝鮮人+中国人+フィリピン人・・・・・・対して変わらんがな

191 :
今の出生率からすると日本人の割合がずっと少なくなってる可能性はある。

192 :
>>190
500年後の中国人
500年後のインド人
500年後のロシア人
もお願いします

193 :
アンダルシアの名前の由来がヴァンダルだとすると、誰がヴァンダルの記憶を継承してたのだろう?
やはりベルベル人?

194 :
ベルベルのうちの金髪部族と原ポーランド人はどっちももとは血筋から言えばヴァンダル人(プシェヴォルスク文化)だろ普通に
前者の場合はベルベルの文化に、後者の場合は東方からきたプラハ・コルチャク文化という文化群に影響されて、
前者がベルベル化、後者がスラヴ化

195 :
ヴァンダリズム

196 :
ヴァンダリズムはローマ人やフランク人の側から見たイメージが付随しているが、
言語がスラブ化したヴァンダル族と思われるポーランド王国初期部族(ポラン族・ゴプラン族)は戦争が滅茶苦茶強かったからなあ。
ボレスワフ1世は神聖ローマ帝国の領土深く攻め入って現在の東ドイツ内陸部一帯を確保し、
その返す刀で今度はキエフまで攻め入って右岸ウクライナ全域を占領したぐらい。
こんな芸当はヴァンダル族でないとできない。

197 :
わずかな単語でもそれぞれの言語にヴァンダル語の痕跡を残してないかな

198 :
・そもそもヴァンダル語自体がほんとうは何系の言語なのかはっきりしない
・ゴート語と似ているゲルマン語であるという説があるが、だとすればゴート語起源とされている単語のいくつかがヴァンダル語起源かもしれない
ゴート語と原スラヴ語の関係はこちら
http://en.wikipedia.org/wiki/Proto-Slavic_borrowings
ポーランド語にはヴァンダル語起源のものも混じってるのかもしれない

199 :
なんとなくヴァンダル語はゲルマン語と原スラヴ語(とケルト語?)のミックスで、一種のピジン語だったんじゃないかと
欧州のピジン語だとドイツ語とヘブライ語のミックスでポーランドで発展したイディッシュ語などがあるが、
ポーランドという土地の社会が古代からピジン語を産みやすい伝統的背景を持っていたのかもしれない
一言でいえば多民族共存社会

200 :
つまりクレオール語
スラヴ語そのものが古い時代の他言語からの借用語がやたら多いが、スラヴ語はクレオール語として発展したのではないかと
その傾向が最も強いのがポーランド語
チェコ語も古い時代のチェコ語はその傾向が強かったが、19世紀に「発掘」され国語として人工的に整備されてからその傾向は弱まった

201 :
>>194
おい、せいぜい1〜2%だぞ。ヴァンダルの地元民に対する人口比率は。
で、なんでベルベルの金髪系が即ヴァンダルって言えるんだよ。

202 :
ヴァンダルが西スラヴ

203 :
西スラヴと言えばヨーロッパでも有数の美女の産地
ローマ人やチュニジアは美男美女に犯されたのか

204 :
>現代のアメリカ人がアメリカ民族やアメリカ人種でないのと同じ
アメリカ人種は居ないけど、アメリカ人の6割は白人だよ。
出生率や不法移民の急造で急速にラテン化・メキシコ化しているけどね。黒人は一割しか居ない。
リンカーン大統領は、南北戦争の最中に南部黒人奴隷全員をアフリカに移送する計画を建てていた。
>おい、せいぜい1〜2%だぞ。ヴァンダルの地元民に対する人口比率は
ゲルマン人大移動って全体でも100万人居ないらしいな〜
当時ガリアの人口は800万人〜1000万人程度らしいが、
侵入してきたゲルマン人を全部足しても50万人居たかどうかって感じらしい。

205 :
ヴァンダルといえば、鎧が有名。
特徴は、顔面をすっぽりと覆うメイルコイフ。
目の辺りが眼鏡状になっており、目だし帽の様な姿。
初期のヴィーキングの墓やサクソンの墓からも発見されている。
>>204
人口比率から考えても、ゲルマン人がローマ文化に飲み込まれる他
なかったことが分るよね(言語、行政システムなど)。

206 :
ヴァンダルとアランが組んでいたというのは、
西スラヴ人が時代に応じて東方遊牧民との同盟を半ば伝統としていたのと似ているね
ヴァンダルはルギィ族だからおそらく東ゲルマン系部族と西スラヴ系部族の混合の部族連合だったろうが、
人口的には後者が前者を圧倒してたはず

207 :
ゼノンやレオ一世が、援軍を出して西ローマ帝国を助ける事ができなかったのかね?
イタリア半島とダルマティアぐらいしか領土は維持できないだろうが。

208 :
戦争というのは普通は勝った時の経済的メリットが見えないとやらないものだが、
東ローマが政治的対立者である西ローマを助けることの経済的メリットは?
むしろ東ローマにとっては西ローマなど潰れてくれた方がよかろう

209 :
レオ1世(457-474)、ゼノン(474-491)
441年にヴァンダルに対して遠征軍を送るも失敗している。
ヴァンダル王ガイゼリッヒは、
当時の東帝国は、ドナウ川沿いに脅威を受けており、

210 :
>>208
確かに西ローマは、東ローマの穀倉地帯をあてにしてるからねー。
内戦状態の西ローマを助けるのは、きついね。

211 :
>>207
ピレンヌによれば、
当時の東ローマは、ドナウの防衛ラインを常に圧迫されていて、西ローマ帝国に介入するどころではなかった
唯一ヴァンダルには介入したが、穀倉地帯を抑えたヴァンダルとは国力が均衡していて、失敗した
東皇帝ゼノンは、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルをパトリキウスに任命
そのオドアケルはヴァンダルからシチリアを、西ゴートからプロヴァンスを取り戻した
だが、ゼノンはこの西ローマ帝国を立て直すどころか、ドナウ河畔(パンノニア)を圧迫していたテオドリッヒにパトリキウスの称号を与え、
ゲルマン人(東ゴート族)にゲルマン人(オドアケル)をぶつけるという、その後ビザンツでおなじみになる方法をとった
東ゴート族はイタリアを獲得、ゼノンはそれを正式に承認するという形で、東ゴートの後ろ盾となった
要するに、利害関係が錯綜としすぎてる

212 :
西方教会と東方教会って
大分裂以前からずっといがみ合ってるもんね

213 :
ホノリウス帝時代から、もう西ローマ帝国は、ちゃんと維持出来ている領土は、
イタリア半島とシチリア島と今のクロアチアとアルジェリア北部程度でしょう。
この様を見ると、もう既に西は、東にとっての脅威では無くなっている感じがする。
>むしろ東ローマにとっては西ローマなど潰れてくれた方がよかろう
レオ1世の甥っ子が、西ローマ帝で、東は何とか助けようとしていたジャン。ダメだったけど。
>当時の東ローマは、ドナウの防衛ラインを常に圧迫されていて、西ローマ帝国に介入するどころではなかった
>唯一ヴァンダルには介入したが、穀倉地帯を抑えたヴァンダルとは国力が均衡していて、失敗した
東ローマの15万の兵力では、ライン川沿いのゲルマン人撃破は難しいと?
東ローマの北アフリカ制圧失敗は、残念でしたね。ユスティアヌスの時代まで無理だと言う事ですかね。
確かにアナトリア東部やシリアにはペルシャが来ていますモンね。
パレスチナとシナイ半島にはベドゥインが、エジプトにはヌミディア人が・・・
ヴァンダル制圧には海からだけでなく、エジプト駐屯の東ローマ軍団を西進させて、
リビア北部の海岸地帯を進撃して挟み撃ちにすれば良かったのに。
ヌミディア人やベルベル人も行きがけの駄賃で制圧出来たであろうに。

214 :
東の政界がダメだと進言したらさすがのレオ1世も独断では動けないのでは?
制度的には可能でも、政局的に難しい

215 :
蛮族ゲルマン人対ローマ世界という単純な構図でもなくなっていたからな

216 :
>>213
 圧迫どころかフン族の攻撃によってドナウ川の防衛線は崩壊した。
441〜443年と447/8年のフン族によるバルカン半島への攻撃は文字通り熾烈を極めたみたい。
441年、ドナウ川の要塞コンスタンティアを攻略した後、442年にはドナウ川を渡り、シルミ
ウムをはじめドナウ川沿岸の拠点を攻略した。
443年には都市ナイッススを包囲し、人海戦術と破城鎚や攻城塔を用いて攻略した後、
首都コンスタンティノープルの城壁まで迫った。交渉の結果、従来の貢納金額を3倍にし、
ローマ人捕虜への身代金を支払う旨の協定が結ばれた。
447年、フン族は再びドナウ川を渡り、ウトゥスでローマ軍を破ってトラキアまで侵入した。同時代の歴史家で、
アッティラとの交渉にもかかわったプリスクスによると、ドナウ川国境地域の主要都市が攻略され、都市アセムスのみが攻撃を免れたという。
翌448年に結ばれた協定では、フン族への貢納金の支払いに加え、西はシンギドゥヌムから東はノヴァエまで、南はドナウ川から
5日の行程距離までの範囲を無人の地(緩衝地帯)として放棄し、ナイッススを両者の国境の都市として市場を開くことをローマ側は強いられた。
アッティラのもとへ交渉に向かう途上、プリスクスは、死者が埋葬されず、教会にいる病人以外人気のないナイッススの様子を叙述している。また、
447年にはフン族の侵入の報を聞いたテオドシウス2世はヴァンダル攻撃に向かった部隊を引きかえさせているし、ローマの野戦軍は2度大敗を喫している。
 考古史料でも、この地域の多くの要塞や都市が、5世紀中葉からアナスタシウスの治世になるまで放棄or破壊されて再建されないままだったり
貨幣(特に兵士が駐屯している指標となる金貨)流通が激減or中断していることが示されている。
国境の防衛設備も人的資源も崩壊した5世紀後半のバルカン半島ではテオドリック(アマルとストラボ)
をはじめ多くの「同盟部族」が半島内に存在していた。帝国政府に要求(金品、官職、定住地、食糧供給
など)が受け入れられなかった場合は各地を移動して都市を略奪して回ったりする、帝国から独立した集団が
ごろごろ存在していた状態。有力な軍事力を持たなかったゼノンはその勢力を減じるための決定的な施策を
取れずに手をこまねいていた状態だった。

217 :
>>214
通史ぐらいは読んだほうがいいよ。
レオ1世は西ローマ皇帝アンテミウスと共同で兵員10万軍船500隻(数字は史料ママ)
からなる討伐部隊をヴァンダルに派遣している。史料の数字が正確とは言い難いけど、
レオ1世はかなり精力的にヴァンダル討伐に取り組んでいたと思われるよ。
>穀倉地帯を抑えたヴァンダルとは国力が均衡していて、失敗した
というよりも討伐部隊司令官のバジリスクスの失策で大敗を喫したと言ったほうがいい。
長文すぎな上に行もがたがたでごめんなさい。

218 :
>>216>>217
詳しいですな、レオ一世時代の東西共同のヴァンダル討伐作戦が成功していれば、
ゲルマン人もビビッて両ローマ帝国国境侵犯を少しは、抑えたかも。
ゲルマン人の中でもヴァンダル族は特にローマ系住民に対する暴行は凄かったらしい。
ヴァンダル族のローマ略奪(455年)では、市内で片っ端に女性達に対する強姦が発生した。
ローマ市内の金品の略奪は当然で、それへの反発もありアンテミウス以前にもオリブリオス帝が
ヴァンダル王国を攻撃しようとしていたが、ガイセリックの先制攻撃に会い失敗している。
ヴァンダル族のローマ略奪(455年)の時はペトロニウス・マクシムス帝と近衛隊は何してたんだ?
と思う。ラベンナに引き篭もっていただけ?
今でも当時でも北アフリカは、有数な穀倉地帯だし、そこをローマが奪回すれば
国力経済力の観点から言っても、だいぶ違っただろう。特に西のあのあっけない
滅亡はもう少し遅くなったかも知れない。
ゼノン帝はともかくレオ一世は、確かに西を何とか支援していた感があるな。
レオ1世が、もう少し長生きしていたら西ローマ滅亡時にも甥っ子のネポスへの
支援ぐらいは続けただろう。一番良いのは、東ローマ軍とネポスが合流しイタリア
半島を再征服する事だが、ゲルマン人軍事長官のアスパル親子を滅ぼした事もあり、
そんな余裕無さげだな。

219 :
>レオ1世は西ローマ皇帝アンテミウスと共同で兵員10万軍船500隻(数字は史料ママ)
>からなる討伐部隊をヴァンダルに派遣している。史料の数字が正確とは言い難いけど、
>レオ1世はかなり精力的にヴァンダル討伐に取り組んでいたと思われるよ。
それが却って後に及び腰になったまさに原因なのでは?
そんなことしていれば、当然のことながら自国の財政を圧迫するだろう?

220 :
>ヴァンダル族のローマ略奪(455年)の時はペトロニウス・マクシムス帝と近衛隊は何してたんだ?
>と思う。ラベンナに引き篭もっていただけ?
ペトロニウス・マクシムス帝はローマに居たけど、
ヴァンダル軍接近の報に激怒した民衆に投石で殺されたよ

221 :
>>119
やっぱり東西ローマ皇帝は、ゲルマン人の大移動を阻止したかったんだろう。
とくにヴァンダルは、ローマ系住民に対しての暴行が多かった様だし。
レオ1世時代の東西共同でのヴァンダル制圧は、成功して欲しかったな。
でも仮にヴァンダル制圧が成功したら、北アフリカや現チュニジアや北東リビアを
如何するつもりだったんだろう。東西共同で統治する心算だったのか?
そうなると再度東西のローマ統合の機運も出てきたかも。

>>220
Mjd?
ヴァンダル軍接近って西皇帝の所為なの? 皇帝殺して事態の解決になるの?

222 :
>ゲルマン人の中でもヴァンダル族は特にローマ系住民に対する暴行は凄かったらしい。
>ヴァンダル族のローマ略奪(455年)では、市内で片っ端に女性達に対する強姦が発生した。
>ローマ市内の金品の略奪は当然で、
これは逆だろ
当時は占領地の婦女暴行というのは普通
いっぽう、ゲンセリックとレオ1世の取り決めに反して物品の略奪が起きてしまったため
こっちのほうがヴァンダリズムという用語ができるほど後々問題視された

223 :
レオ1世は、ローマでの強姦は認めて、略奪はダメって言ったのか?
凄いな。
援軍送ってローマ市民を助けろよって感じだが。
後世の絵では、ヴァンダル族のローマでの略奪強姦では、中東系や黒人系の人も多く参加している。
それが事実なら、その事も被害を甚大化させたのでは?

224 :
いや強姦については積極的に認めたというか、
いずれにせよとにかく略奪だけはしないでくれという感じだったんじゃない?
ヴァンダルのほうもガイセリクは司令官ではあるけれど、
当時の司令官は戦闘での指揮には積極的でも占領統治の治安維持については泥縄だったから、
占領時に配下の各部族の統制を取れなかったのは特に不思議でもない。

225 :
マルケリヌス・コメスに書かれていると思うから読んでみたら?

226 :
古代においては強姦が戦士のモチベーションを高めてる事は事実だな。

227 :
>>226
近世までそうだろ

228 :
>>223
実際、北アフリカのムーア人も多く参加していたから

229 :
>>227
現代までそうだ
WW2末期のソ連赤軍によるドイツ東部大強姦は悪名高い
あれはスターリンが意図的に行ったもの
その手前のポーランドでの強姦は禁止している
スターリンは、ポーランドではソ連赤軍が英雄として尊敬を得るよう、ドイツではドイツ人が二度と領土的野望を持たぬよう、図った

230 :
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1323793499/l100
暴力の歴史

性暴力の歴史関する話なら、こちらのスレに書き込んでもらえないかな

231 :
ポストローマ期や中世ヨーロッパにおける、騎士や騎兵による馬上からの攻撃は無かった。
全て徒歩で戦った。
これが現代ヨーロッパの一般的な考え。
(騎士スレより)

232 :
>>231
それって騎兵一般でなく、重騎兵のことじゃないか?
ポストローマ期から中世前期にかけてのチェーンメイルの時代はまだ動けることは動けたため馬上からの攻撃はあった
このころは重騎兵といってもその装備は大して重くはなかった
中世も半ばになって大重量のプレートアーマーの時代になると大半は降りるようになった
プレートアーマーの騎士が馬上で戦うケースもあったがそれはランスによる一騎打ちのようなごく少数同士で当たる場合
数多くの騎士同士が一度に相対するような場合では降りて白兵戦となった
中世も晩期になると騎士たちが大規模な密集隊形をとってランスチャージを行うポーランド重騎兵が出現してくるが

233 :
私もそう思うのだが、板金鎧で覆った後期ではなく、ポストローマ期から全般的に無かったと。
そのように考えるのが自然だと言っていた。
あちらのスレでは、粘着肯定厨がいて否定出来る状況じゃなかったです。

234 :
>>233
>板金鎧で覆った後期ではなく、ポストローマ期から全般的に無かった
いまざっと騎士スレを読んでみたが、そのようなことは書かれていないようだが?
そういうことが書かれているレス番を示してみてくれ

235 :
>>233
とりあえず私が理解したのは、
プレートアーマーの時代でも重騎兵が騎馬のまま敵歩兵に大集団突撃(404には100頭と書いてある)をしたという主旨の主張と、
その時代はそのような大集団での突撃はなかったという主旨の主張がぶつかっているように読めた
私は後者を支持する
あの時代は騎馬のままで当たるとしても騎馬同士の一騎打ちのようなものが定番だった

236 :
ヴァンダル人は王国崩壊後、ヨーロッパへ戻った連中がいるの?

237 :
レオ1世時代の東西共同でのヴァンダル制圧が成功していたら、
北アフリカ(アルジェリア&リビアの北部、チェニジア)は、東西どちらの物になっていたんだろう?

238 :
歴代強姦劇トップ3
1、モンゴルの東欧、中華、バグダード征服での強姦
2、ベルリン強姦
3、ローマ帝国の支配地でのガリア・ゲルマニア・カルタゴ・ブリタニアの属州での強姦

やっぱ一番おいしいのはモンゴルかな。規模もだけど美女の産地をピンポイントで押さえてやがるんだからなー

239 :
でも東欧・ロシアにはモンゴル系のY遺伝子は見当たらないけどね

240 :
>>236
多分ね、中世の昔から言われていることだが、
ポーランド人というのはやっぱりヴァンダルの可能性が高い
祖先が多民族の今のポーランド人がヴァンダル直系でなく血が薄まっていることは当然だが、
ピャスト朝の初期はより純粋なヴァンダルだったんじゃないか
ミェシコ1世につながるピャストの公や侯たちがヴァイキングを従えていたことはよく知られているし
コウォブジェク(ドイツ語コルベルク)を通じてザクセン出身者との交流も頻繁
ピャスト初期はザクセン、デンマーク、(後の)スウェーデン、モラビア、コンスタンチノープル、キエフと
繋がりが深く、公家に限らず姻戚関係もある

241 :
いまニュースを見たら、ポーランドで高速道路の建設予定地からピャスト(ポラン族)時代の
ヴァイキングの墓が発見されたらしい
おそらくこのヴァイキングたちはヴィエルコポルスカのポラン族(ヴァンダル?)でなく、
ザクセン=ポメラニア=キエフ枢軸に関係がある

242 :
>>239
Y染色体でモンゴル系のハプロタイプがなくて、mtDNAでモンゴル系のハプロタイプが少しだけ東スラヴの一部にあるんだよね
ということはモンゴル系(おそらくタタール人、特にクリミア・タタールやリトアニア・タタール)の女系が少数混じっている

243 :
>>241
財宝ザクザク!

244 :
240氏ありがとう。
なるほど〜中世時代から故地では言われてたんですな。
ヴァイキングは、ポストローマ期にヴァンダル文化にどっぷり浸かってましたしね。

245 :
>>237
力関係から言ったら東だろう。
西に預けてもヌミディア人やベルベル人の侵入に耐えられそうも無い。
アフリカ伯ボニファティウスですら
ヌミディア人やベルベル人には手を焼いていたし、ヴァンダル族の侵入を阻止できなかった。
ヴァンダル王国を滅ぼしても少なくてもそこには2万人の軍隊が駐留する必要がある。
西ローマにそんな余裕は無く、シチリア島を返えしてもらえば御の字じゃね?

246 :
>>241
スヴャトポルクの息子の可能性がある。
ポーランドのボレスワフ1世の娘を嫁にしている。
墓はトルンとヴロツワヴェクの中間で発見された。
ということは明らかにヴィスワ川が水運の街道だった。
これはバルト海とポーランド南部を結ぶためそこからキエフ大公国へ抜けられる。
墓のあたりはキエフ大公国の国家としての領土ではないが、スヴャトポルクの息子(ボレスワフ1世の娘婿)の
私的な荘園だった可能性。
ちなみにボレスワフ1世はキエフ大公国を征服している。

247 :
ボレスワフ1世はキエフに遠征、入城して当時のキエフの政治混乱を収めた。
その後スヴャトポルクはボレスワフ1世の援助で一時キエフ大公となっているが、
弟ヤロスラフのクーデタでスヴャトポルク一家が追放されている。
その後の行方は杳として知れない。
今回の墓の発見でミッシングリンクが繋がった可能性。
スヴャトポルク一家はポーランドに亡命し、息子の墓がこれではないだろうか。
これはすごい大発見かもしれない。

248 :
アリウス派はゲルマン魂?

249 :
>>248
全然違うお

250 :
ゲルマン諸国の国はどうしてメシがむちゃくちゃショボイんだ?
発展途上国ってなもんじゃないぞ。ドイツ、オランダ、イギリス、北欧知らん。
ポテトとパンとハムとソーセージしか無い。

251 :
ゲルマンの血を血で洗う修羅世界において
旨い飯に舌鼓を鳴らすような輩は、粗食に耐える屈強な連中に滅ぼされて淘汰されてきたからです

252 :
ろくな飯が無い国は世界を制する
モンゴル
イギリス
アメリカ

253 :
南欧と違って食材の種類が少ないだけだ。
ポテトと麦と肉と乳しかない。だからそれでいろいろ作るだけ。

254 :
キャベツだって赤カブだってあるお

255 :
フランス、イタリア、スペイン料理はあるけどポルトガル料理って聞かないな。
イワシが好まれるらしいが地中海でイワシが絶滅しそうだとか?
新大陸のポテトが無い時代はゲルマン諸国とアイルランドは小麦と羊だけか?
ポテトとトウモロコシは痩せた土地でもできるから世界を変えたな。

256 :
wiki英語版によると、シアグリウスはクロヴィスに滅ぼされたにもかかわらず
その子孫は繁栄していたらしい
8世紀か9世紀にその子孫らしき女の名前「シアグリア」というのが記録に見えるとか

257 :
それについて他スレでも以前書き込んだ者です。
6世紀には、シアグリウスの子孫は外交官の立場として重用されていました。
おっしゃる通り、8世紀まで名前が確認されています。

258 :
>>250
それだけ完成してるからだろ ゲルマン系の料理が世界中で食われているのもその証拠
現代になって何でも食えるのに、ずっと過去の伝統的な食事をしているのは立派なことだ
外国人が毎日同じ外国料理食ったら飽きるのは当然だが、それを持ってして低く見るのは間違いだろう
現代になんて何でも食えるよう担って以来、伝統的な食事がどんどん廃れ
米食が小麦食に逆転され、コメは余りまくってるのに高い小麦を輸入しまくるなんて
恥ずかしい事態になるよりよほど、素晴らしい食文化だよ

259 :
>>258
小麦は高くない。国内産を保護する為に関税掛けてるだけだ。

260 :
ローマ人はうまいもん食ってたのかな

261 :
うまいもん作って輸出して、周辺諸国を骨抜きにしていた。
しかしゲルマン人はそれに引っかからなかった。

262 :
TPPは、ローマ帝国とゲルマンやケルトの同盟部族との条約に近い性格。
パックス・ロマーナ(アメリカーナ)を支える為の条約でしょう。
既に東ローマには、兵力や財政的に余裕が無いので西ローマ救援は無理。
との答えを聞いたが…
レオ1世は西ローマ皇帝アンテミウスと共同でのヴァンダル征伐は行っている(失敗したが)。
以外とこの時まで余裕があった、しかし、この失敗で余裕がなくなった?と言う事でしょうか。
西ローマの滅亡には結構このヴァンダル制圧失敗が遠因にあるのかなと、案外後々この辺が響いているかな〜?と想像。
ヴァンダル征伐に成功していれば、東ゴートもランゴバルトも東ローマが滅ぼせた可能性は?
ヴァンダルはローマ系住民への暴行が多かったのは有名だが、ランゴバルトも結構ローマ系住民への暴行多かったはず。
特にローマ元老院を最終的に7世紀に滅亡させたのは、ランゴバルトだった。

263 :
>>258
ゲルマン系の料理って何がある?
ハンバーグ(古くなったタタールステーキに食中毒を嫌って火を通しただけ)やソーセージやザワークラウトはもともとタタール起源だし、チーズもゲルマン起源ではないし、本当に何があるよ?

264 :
>>263
イノシシ(豚かも知れないが)の丸焼き、鳥の丸焼き。
ゲルマン戦士(貴族)階級で、
ローストビーフかローストチキン(しかも塩漬のメチャクチャショッパイやつ)
鳥も豚も内臓は取り出して木の実ナンカを詰め込んでいたかも。
あとオートミールぐらい。
要するに半農半猟社会。
海や川に近ければ、魚を燻製か塩漬けぐらいにはしていたかも。
この程度だよ、古代ゲルマン時代の食事は。
ジャガイモは、まだだから、パンやビールも疑わしい。
ガリアのガロローマ人は、今のフランス料理の原型見たいのを食べていただろう。
ワインも当然あるが、もっとも水で薄めて蜂蜜で味付けしないと渋くて飲めなかったらしい。

265 :
ゲルマンはクロマニヨン人の狩猟採取民族だろう。だから弓の使い方が上手かった
ソースは俺の脳膜炎。

266 :
>>264
それも決してゲルマン起源ではないな

267 :
料理の起源なんてどうでもいい気が
言語や宗教以上に伝播しやすいものだろう
食材の調達できる地盤に合ってさえすればよい。

268 :
ゲルマン系の料理なんか一つもないだろ

269 :
ドイツ人の家庭に呼ばれたらポテトばかりだった。これもう書いたっけ?
しかし新大陸からジャガイモ、トウモロコシ、唐辛子が無い時代はパンしかないのか?
カレーとかキムチ、東南アジアの料理なんて唐辛子抜きでは考えられん。
新大陸を発見したスペインとイタリア人のコロンブスとか食にもこだわってたかも?

270 :
フランドル(ゲルマン人)のブリューゲルの絵で16世紀当時の結婚式のがある
その結婚式のごちそうとして描かれているのがオートミール
絵の中の人たち、オートミールが食べれてみんな嬉しそうだ

271 :
寿司、天丼、鰻丼、カツ丼、ラーメン、うどん、蕎麦、味噌汁、梅干、秋刀魚
日本食が最強

272 :
>>271
全部しょうゆ味

273 :
インドは全部カレー味だしな

274 :
ゲルマン味

275 :
塩と肉脂と、まあそれだけ
牛などの乳は料理に使う習慣がなかったそうでそのまま飲んでいた
羊を飼う習慣はアルプスからカルパチアにかけての牧畜民の文化(おそらくケルト文化)
この山岳民はモンゴロイド的風貌があることで有名

276 :
ゲルマニア23章参照

277 :
>>272
味噌汁は味噌味だし、天丼・梅干し・さんまはどれにも当てはまらないし、カツ丼はソースや味噌のところもあるし、ラーメンは物によって違う。

278 :
カレーは、全部胃腸系の薬だよ、薬剤師に聞いたら腎臓などの内蔵系にも効果あるそうだ。
ところで、あのフランク王国の分割相続制、あれ止めさせろ。
全く意味が無い。民主党の仕分けと同じで質が悪い。
単にメロヴィング家が内戦しているだけ、バカみたい。
折角ガリアとゲルマニアの両方を統一したのだから、ガッチリ内を固めて、
メロヴィング本家を中心とする封建体制を構築したら良かった。
北条得宗家を見習ってほしい。

279 :
インド人は胃腸、内臓の調子いいのか?

280 :
275よ、それアルプスの羊飼いの話だろ。そのモンゴロイドに似ている風貌は、病気の症例だぞ。

281 :
>>279
油と炭水化物取りすぎるから、実はそうでもない

282 :
野菜料理、結構あるけどなぁ。インド料理。

283 :
野菜に、油と炭水化物を大量に

284 :
>>271
豆腐、納豆、こんにゃく、おでんも

285 :
豆腐はマジで神だな。食うと満たされるエネルギーを感じるんだよ。肉みたいに食ってカラダが匂うこともないんだよね。良質な食いモンだという証拠だ

286 :
豆腐を発明した中国人に感謝

287 :
http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-2004117/Coleen-Rooney-puts-kaftan-bikini-cover-sunburn-love-handles.html

288 :


ワイが集めた情報によるともうじきに中国は、バブルがはじけて昔の貧乏な(元もとともいうが)中国に戻るらしいで
もう経済は破綻しとって取り戻すのは、無理なんだそうや無理無理

その世界では有名なくらいの政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
まあお前ら程の頭の良い連中には、もう今さらなくらいのネタや。
諸君らからすればもう、常識的なくらいの知識だろ?
まあどうせ2ちゃんねるやってるくらいだがら、もう大儲けしてるんだろうが・・



289 :
ヴァンダル人というのはつくづく不思議な民族だな
東ドイツ・ポーランド・チェコを掘り返すとはっきりするだろうが、これ西スラヴ人だろ
ルギィ人がポラン人やゴプラン人だと考えるのが一番合理的
とにかくあの辺まじめに掘ってみれば物証が出てくるはずだ
高速道路の工事前の遺跡調査で、ピャスト朝ポーランドに亡命したキエフ・ルーシ公家らしき人々の墓がついこのあいだ発見されたばかり
掘れば何か出てくる

290 :
>>28
山之内一豊も、掛川から連れて来た家臣と、土佐土着の家臣とを別々に扱っていたけれど
気を使うどころか弾圧ばっかし。

291 :
日本史はもうやめてくれ。あちこちでウザい。

292 :

1月  バードカフェおせち、グルーポン、伊達直人、新燃岳噴火、ジャスミン革命
2月  大相撲八百長問題、カンニング、NZカンタベリー地震
3月  震災、福島第一原発事故、iPad2登場、ドバイWCヴィクトワールピサが優勝、坂上二郎死亡
4月  ユッケ、PSN障害、英王子結婚、栃木でクレーン車が小学生にアタック
5月  上原美優自殺、児玉清・ビンラディン死亡、
6月  NHK教育がEテレに、PS Vita・Wii U発表、高速1000円終了
7月  なでしこ優勝、中華鉄道脱線事故、ノルウェー連続テロ事件、アナログTV放送終了、新潟・福島豪雨、伊良部自殺  小松左京死去
8月  野田首相誕生、セシウムさん、紳助引退、松田直樹死亡
9月   高橋愛 モーニング娘。卒業 地球に非常に似た惑星発見 ニュートリノの超光速運動? 大型台風接近、名古屋で100万人に避難勧告
10月  iPhone4S登場、ウォール街デモ、タイ大洪水、ギリシヤ危機、トルコ地震、ジョブズ・カダフィ死亡
11月  大塚キャスター白血病、天皇陛下39度の高熱、立川談志死去、大阪W選挙で維新の会勝利 アン・マキャフリ死去
12月  内柴準強姦容疑で逮捕 金正日死亡 ヒッグス粒子確認?
2011年もいろいろあったね


293 :
前にどこかで読んだ記憶があるが、フランスの人名で「ボナール」=Bonardというのがあるが、
これはラテン語のBonus(善い)+ゲルマン語のhard(鋭い、固い)の合体した名前で、
こういうのが、フランク王国でのゲルマン人とガロ・ローマ人との婚姻による一体化を
示しているらしい
もちろんそういうのだけではなく、もともとローマ系だった者も、次第に
支配的地位にあるゲルマン(フランク)系の者にあやかって命名する例が
次第に増えていったとか。

294 :
逆。
文化の遅れたゲルマン系の者が文化の優れたローマ文化にあこがれてローマ風の語幹にゲルマン風の語尾をつけるかたちにしてゲルマンで通じる単語をつくっていった。
つまり借用語の典型。

295 :
古代ローマ・ギリシャ関係でいえば、
古代ローマは政治的に支配したはずのギリシャ文化の優等性を認めていた。
これと同じことが中世ゲルマン・ローマ関係でも起きていた。
現代では、アメリカ・イギリス関係。
アメリカ人は政治的にイギリスを支配しているが、イギリス的な文化や伝統はなんでも優れていると思っていて、
イギリス風にすることが高級だと思っている。

296 :
文明的には優れていた明治大正昭和期の日本人が、中国文化に憧れていたようなものか。

297 :
>>293
マラが硬いと夫婦円満ということか?

298 :
>>296
フランクは文化的にも文明的にもローマより遅れていたけどな
単に人が増えて好戦的でそのため政治的に優位だっただけ

299 :
>>294
ガリアでは6世紀からゲルマン風に名前をつけるのが、
ガロローマ人の間ではじまっているね。

300 :
>>298
好戦的てのもあるが、様々な人種の集まりだからね(ゲルマン、ローマ、ケルト、アランなど)
さらに多数のローマ系官僚が彼らの中枢にいたことが、政治的有利を加速した。

301 :
>>293
Bernadetteは?

302 :
>>294
フランク王国〜中世フランスの人名学では、8世紀〜9世紀くらいに
記録に残るほとんどすべての人名が、ゲルマン語由来か、ラテン+ゲルマン合成に
なってるそうだよ。
フランク王国のローマ系住民も、ローマ(ラテン)系の人名をほぼ使わなくなってるそうだ。
フランスで再びラテン語起源の人名が拡大するのは、12世紀くらいに
守護聖者信仰が拡大してかららしい。

303 :
>>302
借用の典型を覆してはいないわな

304 :
>>303
物は言い様だな

305 :
>>302
だったらだったでまずソース。

306 :
>>305
302氏と別人ですが、言わせていただきます。
あなたも294のソース出して。

307 :
これなんか、役に立つ本だと思います。
大学などで使われているみたいですね。
『ポスト・ローマ期フランク史の研究』(岩波書店 2000年)

308 :
http://www.wassg.com/

309 :
http://www.jpidols.eu/2011/08/avi-nadia-20110722.html

310 :
◆ロン・ポール上院議員=ホノリウス帝?
【海外】米大統領選共和党ロン・ポール候補 在日米軍撤退を公約★4
http://uni.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1325676650/
米国防戦略、アジア太平洋重視 「二正面作戦」は放棄 [01/05]
http://kohada.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1325754051/
※ロン・ポールに続いて、案の定、ペンタゴンも「二正面作戦」を放棄した。
 パックス・アメリカーナの限界であり“後退”が始まった。

311 :
くだらねーの貼るなよ

312 :
ゲルマン人の大移動により設立された国ってよく考えると北米の植民地とかも該当するんじゃないか?

313 :
>>312
そうかもしれない。

314 :
アメリカは、英米法つまりゲルマン法の国。
何故かドイツは、ローマ法(大陸法)の国。

315 :
ローマのほうが優れているから

316 :
英米法(ゲルマン法)って成文法じゃないから、肝心な事を書いていないし。
でも内田貴という英米法の先生が、法務省の顧問になって日本の民法を英米法に変えようとしている。
内田貴は、とんでもないアホ。ある意味左翼とも言える。

317 :
左翼というのは伝統とか蓄積とか無視してちゃぶ台ひっくり返すことを優先する思想一般のことだからな

318 :
ポーランド・リトアニアの第一共和国憲法(1791年、俗に言う「5月3日憲法」)は世界の法典のお手本だと思う
ナポレオン法典の対極をなす思想の集成
だがこれもローマ法の一種だね

319 :
ヨーロッパ連合の憲法は必ずポーランド・リトアニア第一共和国憲法と酷似したものになるよ

320 :
>ちゃぶ台ひっくり返すことを優先する思想一般のこと
日本の民法を英米法にするなんて、ちゃぶ台返し以外何者でもない。
TPPと絡んでいるのかもナ
不況で職の無いアメリカの弁護士を日本に引き入れて稼がせる心算かも。
民主党ってアホの子だなw
民主党=ホノリウス帝

321 :
左翼は「創造的破壊」という言葉を間違ってとらえているからな。
この言葉はオーストリア学派経済学のシュンペーターという経済学者が唱えたものだが、
本来は、イノベーションが起きることによって新規の事物が定着していくにつれ、
従来の事物が廃れていく状態を指した。
ところが左翼は従来の事物を破壊すると新規のより良い事物が創造されると解釈する。
真逆だな。あべこべ。
菅も野田もこの点で同じ。小泉も。
先に物事を壊しちゃだめなのに、壊すことばかり優先。彼らは左翼。

322 :
>>321
小泉が左翼
これは言葉の意味を逸脱し過ぎw

323 :
>>270
世界史の副読本に12〜13世紀の祝祭日メニューがあって、、
パイとピザが中心だった。
肉、魚、野菜、果物、あらゆる具のパイとピザが出てきた。

324 :
>>190
暗黒柵損人
W

325 :
ブルグンドはアリウス派?正統派?

326 :
>>322
いや、小泉は“聖域無き構造改革”をうたっているから非常に左翼的だよ。
構造改革は、イタリア共産党が考え出した標語だしね。
女系天皇も検討しているし、
公共事業と防衛費も削減しているから左翼的新自由主義、左派リバタリアニズムだよ。
ちなみに今の民主党も社会主義者と新自由主義者やリバタリアンの結合体。
全く別物の勢力だけど反官僚、反自民で結合した。
話は変わるが…
民族大移動前の古代ゲルマニアだが、タキトゥスは、約50もの「キヴィタス」なる小国家に
わかれて暮らしていた、としている。最高権力者は「国王」もしくは「首長」であり、前者は
1人、後者は数人が君臨していた。国王・首長の下には、貴族・自由人・解放奴隷・奴隷とい
うかなり厳しい身分制度が存在し、奴隷にはゲルマン人に征服されたケルト人が多いが、ゲル
マン人の債務奴隷も居るとしている。体格もローマ人よりも格段に良かったらしく現在あちこ
ちで発掘される古代ゲルマン人の遺骨の身長は平均1.72メートルであるといい、同時期の
ローマ人の平均身長より約20センチ高い。
民族移動前のゲルマニアの様子だが、「キヴィタス」なる小国家が民族移動期には消滅していた。
という説と移動期の部族国家や王国が「キヴィタス」だという説の両方がある。さて、どちらなのか?

327 :
>>公共事業と防衛費
えーと金がないから削りやすい所から削ってるだけが
他国ですら経済危機になると
公共事業(公務員削減)や国防費は削ったり
兵器開発とか凍結されたりするよ

328 :
キヴィタスはゲルマン人による自称ではなさそうな響きだな
今の「burg」や「borough」と同根の名称で自分たちの小国家を呼んでたのかな
それとも名称も小国家というシステムもローマからの借り物だったのか

329 :
>>328 現代のドイツ人も古代ギリシャへの崇拝的な熱意があるけど、大移動前の古代ゲルマニアでも
ギリシャ神話やギリシャ文字等のギリシャ文化に対する憧れが凄かったらしい。
村の看板や表札などは、ギリシャ文字などで書かれる事も多かったようだし、
ゲルマン神話がギリシャ神話のまるパクリでルーン文字すらギリシャ文字やラテン文字を
基に作ったらしい。ゲルマン人は元々人の神話が無くて単に日や木や水を崇拝していただけらしい。

330 :
 
ゲルマン民族大移動は日本人の大量侵入か
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0204/48/311.html
ドイツと日本とエジプトの関係に糸口がある。
エジプトでは、日本人を「ヤーマニー」と呼び、
ドイツ人、ゲルマン人は「ジャーマニー」と呼ぶ。
ドイツ人の顔を詳細に見ると、日本人に似た人が結構多い。

331 :
君主制国家は王族が財力で傭兵を雇う体制だ
〇〇族の国家とかいうのは王族の出自をいってるだけで、
上から下までフランク人やアングロ人の国家があったわけじゃない
それに旧ローマ領に建国した場合、民衆はローマ人
当然言語もラテン語に引きずられることになる
西ゴートが好例だと思う

332 :
北方の蛮族がなんで二十万とか三十万とかの数で南下できたの?
ローマですら五万とか用意するのがやっとのレベルなのに

333 :
戦争できる兵隊だけが襲いに来てるんではなく
老若男女一族郎党根こそぎ引き連れて武装難民が大移動してんだからそれぐらいおるわい

334 :
>>333
蛮族と言うより略奪者集団だな。
通り過ぎた後にはぺんぺん草も残らない。

335 :
それを蛮族と呼んでるんじゃないか

336 :
民族全体で大移動とかよくわからんわ
一国レベルの地域に住む何十万からの住人が、全員示し合わせて住居を捨てて南下とかイメージできぬ
侵略されて追われたとかならわかるが

337 :
「民族」だの「国家」だのじゃなく、無数の部族の集まりだから
遠くの方である部族がどつかれると、玉突き式に逃げ出して飯のある温暖な地方へ動く
日本じゃイメージが難しいが、ユーラシアでもアフリカ・アメリカでもよく起きてること

338 :
>>337
日本でも朝鮮戦争の避難民とかボートピープルとか例があるよ。
あれが地続きだと100倍くらい押し寄せるイメージ。

339 :
>>336
昔はフン族に追われて南下したと言われたりもしたけどね。
カエサルがガリアを鎮定したときもガリアを騒がせているのはゲルマン人の侵入だった。
つまりゲルマン人がガリアに入って来て、ガリア人がローマとの境界に押し出されて騒ぎを起こしていた。
それとあまり変わらないような気もする。

340 :
ドイツ人がガリアに入ろうとするのは20世紀までずっと続いたね。
今はもっと厄介なのがガリアに入ろうとしているが。

341 :
>>340
ハンニバルの末裔たちが、ハンニバルの下僕だった蛮族どもを治める。
スキピオがいなけりゃそうなってたはずの正規ルートにもどるだけ。

342 :
>>339
損ころのガリア人はゲルマンと戦えるぐらいは強かったんじゃない?
キンブリのころにボコられて以来、ゲルマンにはめっぽう弱くなってしまったのかな

343 :
>>342
ガリア人だけでは対抗出来ないからカエサルに奴らを何とかしてくれと頼んだ訳で、
そんなに強くはない。

344 :
>>336
温暖化とか、寒冷化とか、自然環境が激変すると
今までの生活が成り立たなくなって民族の移動に繋がったりする。
ゲルマン人が大移動してた頃って地球が寒冷化してた時期だから、その影響もあると思う。
同時代の日本でも、樺太から北海道へオホーツク人が南下し、北海道から本州へ続縄文人が南下し、
北東北で稲作してた弥生人が南下したか、続縄文人に吸収されたかして消えちゃった。

345 :
その前の時代に寒冷化は始まっていて、ポーランドでヴィスワ川を境に東はゴート人
西はヴァンダル人が温暖で肥沃なウクライナへ向かって移動している。
どうも良い場所はヴァンダルが取ったらしく、ゴートは少し寒いキエフあたりで我慢しているがw
その後キエフのゴート人(東ゴート人)はフン族にほぼ全員虐殺されている。
西ゴートはそれを聞いて驚いて南のローマ領へと逃走したものの、
フン族はカルパティアの北側のポーランドに入らず南側のパンノニアに入ったものから西ゴートは余計ビビるビビる。

346 :
ヴァンダルは西スラヴ
ブルグントは東ケルト
ゴートのスカンジナビア起源はまったくの嘘

347 :
ゴートは18世紀ぐらいまでクリミアに存続していて
クリミアにやってきたドイツ人と語彙が結構通じたという。

348 :
でもゴート語はプロトゲルマン語のひとつだったにすぎず、ゲルマン語には至っていない。

349 :
至ってはいたけど、東方の人々とだいぶ混血したようで、言葉が訛ってる。

350 :
>>347
まあもとはどっちも北ドイツのヤストルフ文化から出てきたからな。

351 :
>>346
スウェーデンの大学が行った研究で、ゴートのスカンジナビア起源が嘘だと証明されたからな。

352 :
北ゲルマン同士(ノル、スウェ、デン)は連帯感があるのに、
西ゲルマン同士(英、蘭、独)にまったくないのは
なぜだろう?

353 :
ひとつにはイングランドは神聖ローマ帝国の一部じゃなかったからだな。

354 :
今の英国王室はドイツ系やん

355 :
>>354
ドイツ在住だったがイギリス王室(エグベルトなど)の血を引いているよ

356 :
>>352
ウーニェチツェ文化から骨壺墓地文化にかけての時代の同時代の欧州の各文化の図を見れば一発で納得する
西ゲルマンに相当する地域は、もともと地方ごとにまったく文化が違う
いっぽう、北ゲルマンに相当する地域は、文化的統一性があった(しかもこの時代の彼らの言語はプレ・プロトゲルマン語であってプロトゲルマン語ではない)

357 :
プレ・プロトゲルマン=
印欧語の影響を受ける前のゲルマン語?

358 :
>>357
ゲルマン語が成立する前の、印欧語族の北西群諸方言。
ゲルマン語ではないからゲルマン祖語(=プロトゲルマン語)でさえもない。
プロトゲルマン語の前段階。
したがってプレ・プロトゲルマン語の各言語のうちたったひとつがまずプロトゲルマン語になったのであり、
それら各言語のすべてがプロトゲルマン語の影響を強く受けた(=ゲルマン語になった)わけでもない。
じつは、プロトゲルマン語(グリムの法則などのゲルマン語に決定的な音声変化)は紀元前500年以降に、
現在のドイツ北半部のヤストルフ文化で始まったと見られている。

359 :
印欧語族侵入以前の非印欧語族の言語の話し手のところへ本格的に印欧語族が侵入してきたのは
紀元前5000年期の球状アンフォーラ文化の時代らしい。
この文化の担い手がどうもかなり強力な印欧語族だった。
この文化からのちになってゲルマン、ラテン、ケルト、スラヴ、イリュリアなどが派生。
バルトも、とも言われるが、バルト系が球状アンフォーラ文化を起源とする可能性はあまり高くないだろう。

360 :
>>342
そういえばガリア戦記で奴隷の仲買人やってるのゲルマン人だな

361 :
酔いどれ草の仲買人を書いたのはアメリカ人だ

362 :
印欧語族の第二の源郷だね<球状アンフォラ文化

363 :
アンフォラ文化、ウィキで読んでみたけどすごいな、
地中海スレで本来北ヨーロッパの方が地中海方面より進んでいて、
近世になってまた北に繁栄が戻ってきただけって
こういうことだったのか

364 :
地中海北岸だけの話に限定すればそうかもしれんが、
東岸・南岸のレバント・エジプトまで含めるとなると、やっぱり地中海優位は揺るがない。
前7000年頃には初期の都市ができてるし、その後も継続して先進地域。

365 :
古代ローマだって鉱工業に関しては北方も相当優れてるんだよなぁ
というかローマが結構冶金に弱かったと言うべきか
ガリアやゲルマニアが未開の土人ばっかみたいなイメージだけどさ

366 :
大文明は地中海優位だが、ドイツ東部やポーランドのあたりも意外と先進的。
昨年は世界最古のチーズがポーランドで発見された。
また世界最古の荷車を描いた土器がポーランドで発見されている。
ドイツでは世界最古の木製の井戸が昨年発見された。
古代ローマのもとになった、現代の学者がイタリーチと呼んでいる印欧語族の人々は、
ドイツ・ポーランドにまたがるウーニェチツェ文化の担い手の一部が南下してイタリア半島に落ち着いたものから発している。
またカエサルなどの時代のゲルマニア西部は気候が寒冷化して農業生産が人口に追いつかなくて貧窮化し、
そのため恒常的な戦乱状態にあったと推定される。
同時代にはゲルマニア中部でヴァンダル人やゴート人がヴィスワ川とブーク川をさかのぼって
南東方面の肥沃なスキュティア(ウクライナ)に向かって勢力を伸ばしてきている。
やはりこれも当地の寒冷化の影響と思われる。
中世後期に入ると、ポーランドが国策として南東のウクライナに勢力を伸ばしていったのも
同じ理由ではないかと思う。
非常に遠方からの物資を得られる海上貿易が盛んでない時代であると、
どうしても陸続きで地味が豊かな土地を目指そうとする。

367 :
また、ウーニェチツェ文化の担い手の拡散には鐘状ビーカー文化の拡散が深くかかわっている。

368 :
印欧語族の西欧文化と、その東隣の印欧語族の中欧文化(北欧文化含む)の分化は、
ウーニェチツェ文化の時代に起こったのではないか。
東欧文化とはいわず敢えて中欧文化と呼ばせてもらうのは、
その中欧文化のさらに東方のスキュティア(ウクライナ)で、
印欧語族のヨーロッパ文化がどんどん発展しているからで、
そちらを便宜上東欧文化と呼ばせてもらうと、
ドイツ東部からポーランドにかけて発展していたのは中欧文化と呼ぶしかない。

369 :
>>368
勝手にやってろバカ!

370 :
BRIGHTERSUN
http://www.youtube.com/watch?v=DnnMWEV3lgU
LOVE ME
http://www.youtube.com/watch?v=pPPoNYRgWaI
HOT
http://www.youtube.com/watch?v=oc6IiDyvguU

371 :
東ゲルマンって西ゲルマン・北ゲルマンのような言語的に共通したグループのまとまりなのかな
資料が少ないから、ひょっとして言語的には西ゲルマン系や北ゲルマン系のグループも混ざってたりしないかなと思って。ブルグントとかランゴバルトとか怪しい
あるいは西北どちらとも言語系統的には遠いけど、「東ゲルマン」自体がゲルマン祖語から直接多様に分岐した言語を話すグループだったとか

372 :
>>366
WIKIの受け売りはもういいよ。

373 :
>>371
東ゲルマンは基本的にスラヴ人の血統的基層となった人々
ポーランド人とチェコ人は間違いなくヴァンダル人
呼び名が変わっただけ
おそらく血統的にはラウジッツ文化のイリュリア人が西スラヴ人の血統的基層で、
このうちポーランドに残ったのがヴァンダル人となって西スラヴ人となった

374 :
>>373
だからWIKIの受け売りはもういいって。

375 :
野蛮人とされたドーリア人は鉄器を扱えたが
文明人であるはずのアカイア人は青銅器しかなかった。
>古代ローマだって鉱工業に関しては北方も相当優れてるんだよなぁ
>というかローマが結構冶金に弱かったと言うべきか
>ガリアやゲルマニアが未開の土人ばっかみたいなイメージだけどさ
冶金技術はケルト・ゲルマンじゃなくて
黄金細工やアルキナス剣を実際に残しているイラン系スキタイだろ。

376 :
アキナケスじゃね

377 :
>>375
ゲルマニアは気候変動のせいでローマ帝国時代に穀物が十分に採れなくなり窮乏化していただけ
それよりかなり前のウーニェチツェ文化時代に冶金の技術はかなり進歩していた
そしてその後の骨壺墓地文化の時代に本格的な鉄器時代がやってくる

378 :
ゲルマニア地域に黒海北岸地域で発掘された
黄金細工や鉄剣、馬具に匹敵、あるいは凌駕するような
多様な金属製品が発掘・確認されたとは聞いたことが無い。

379 :
>>378
ウーニェチツェ文化

380 :
しかしゲルマニア地域でグリフィンや黄金の鎧などに匹敵するような
精巧な発掘物が出たとは聞いたことが無い

381 :
金より鉄器の方が重要だしな
そもそも金って鉄よりはるかに簡単に細工できるけど
それ自体は社会活動においてあまり重要なもんじゃないからね

382 :
剣や馬具においてもゲルマニア地域が黒海北岸地域の水準を上回るような充実した発掘ってあったとは聞かない

383 :
どうでもいいよ
ローマと互角に戦ってるんで
それなりのものはもってたのは確かだ
そもそも冶金技術は広まるもんでそこまで極端な差はでないだろ

384 :
スキタイの黄金細工を作ってたのはギリシア人

385 :
グリフィンのような精巧な細工が同時期のギリシャの遺跡から発掘されたのだろうか

386 :
グリフィンのような精巧な細工は現在のポーランドからイギリスにかけてのゲルマニアやブリタニアの遺跡から発見されている

387 :
ラウジッツ文化から注視するような精巧な金属製品が出たとはあまり聞かないが

388 :
ウーニェチツェ文化。

389 :
しかしスキタイやサルマタイに比べるとどうしても見劣りするが

390 :
工業国ドイツの源泉は中世以来の金属加工技術にあると思うのだが
いつ頃からドイツ人は手先が器用になったのか

391 :
ドイツにはドワーフが多かったんだろう

392 :
ロシアで帝政までは精巧な金細工が作られていたのはスキタイ以来の伝統なのか

393 :
>>390
元から
共和制ローマ期辺りだと周辺民族と比較してもローマ人の冶金技術は低かった
逆を言うと周辺民族の冶金技術は高かった

394 :
ヨーロッパのかなりの地域に金髪をもたらした功績はある。

395 :
デンマークで見つかった黄金の角って、コピーしかのこってないの?

396 :
オリジナルは盗まれてすぐに溶かされたらしい。

397 :
>>390
タキトゥスを読むとどうもケルト語派と思われる「ゲルマン人」諸部族が金属加工をやって
北方のゲルマン語派やスラヴ語派の「ゲルマン人」諸部族に卸していた。
当時の「ゲルマン人」にはゲルマン語派とスラヴ語派とケルト語派の3つの語派の話し手がいて、
単に「ゲルマニア地方の住民」という意味。

398 :
ゲルマン民族の大移動で追われたゲルマン民族の建国地に元から居た人たちって
それぞれ誰なの? そして、その人たちはフン族に追われたゲルマン民族に追われて
どこでどうしていたの?
まさか、ゲルマン民族は未開不毛の荒野のイギリスとかイベリコ半島とかにパイオニア
精神で西進したわけじゃないよね。

399 :
むかしローマ帝国という国があってな

400 :
馬で走りながら両手で弓を放つフン族を、ゲルマン人のバカ共は
人間じゃない別の生き物に見えてビックリして一目散に逃げ出したんだとさ。
スキタイと戦ったギリシャが残したケンタウロス神話と同じことが
起こったってことだ。ゲルマン人はギリシャ人よりバカだから
集団でパニクっちゃったんだよ。

401 :
>>398
>パイオニア精神で西進
うまい

402 :
とりあえず当時のイベリアはもちろん
イギリスも未開不毛の荒野ではない
あと、この者の魂はヴォータンに捧げる

403 :
ケルトがいた
ちなみにY染色体で見るとゲルマン由来らしきタイプIはイングランドの、それも北海に近いところが中心。あとはR1bが多い
確か環境考古学者安田喜憲の、20年ちょっと前の著書だと、地層内の花粉の調査では、ブリテン島かアイルランド島(失念)のあるところでは、ケルト人かもっと前の時代に既に森林破壊がかなり進んでいたとか
自然崇拝があっても、気候条件や農業の形態次第で森林などあっという間に無くなるもんだな

404 :
マック片手にドライブ中だが

ビールがうまいwwwww

405 :
飲酒運転は犯罪です

406 :
アラスカでは合法だっけ

407 :
ヨーロッパは日本と違って土の表層が薄そうな気がする
ちょっと掘っただけで岩盤にぶちあたりそう。

408 :
>>399
末期のローマ帝国はゲルマン人が軍事を担ってたし、皇帝の擁立・廃位もゲルマン人の有力者が仕切ってたからなあ

409 :
そりゃラテン語由来よりゲルマン語由来の人名が多いはずだ
ラテン語由来の一般的な人名ってCesarとMarciaとJuliusとAugust(us)くらいか

410 :
ゲルマン語由来の名前?
なんとかーson とかーsen

411 :
Beatrix,Benedict,Bianca,Camille,Cecil,Clara,Claude,Clemence,Cornelia,Constan,Diana,Dominico,
Emily,Felix,Fabricio,Hilary,Lorenz,Madonna,Marcus,Martin,Maurice,Maximilian,Octavio,Olivia,
Patrick,Paul,Serge,Silvester,Silvia,Terence,Valentine,Victor,Vincent,Vivian

412 :
ゲピード人の末裔や〜い

413 :
>>410 Alberto,Fernando,Luis,Eduardo,Enrique,Carlos,Alfredo,Ricardo,Guillermo,Matilda,Bernardo...
スペイン語での例

414 :
>>408
スティリコはスラブ人だと思うが。

415 :
クリスチャンネームは中東由来が半分超えるかな?
それほどでもないか、

416 :
カトリックで列聖されてるからと言って、娘にクニグンデ(フランス読みならキュニガンド?)ってつけるのはフランスではありなのかな
確かつけていい名前が法律で決められてたような

417 :
倉橋
西山
野中
前永
中沢

418 :
>>414
スティリコの父親は今のポーランド出身で、近年は西スラヴ系の祖と推測されているヴァンダル族の人。

419 :
ゲルマン人をやたらと絶賛するやつがいるがゲルマン人は敵だぞ。おまえらは騙されてる。
ノルマン人や北方ゲルマン人は味方だ。

420 :
ポーランドは微妙なんだよ。
東ゲルマンの移動後にスラブ人が進出したのかもしれないし。

421 :
ポーランドはゲルマン人もいるが、ポント人(ポンティド)の国だ。スラブ人もいる。

422 :
ポントス人?黒海の?

423 :
Pontidで検索すればポーランド人っぽい顔がいっぱい出てくるよ。
ゲルマンと交わってるからゲルマン人っぽい顔のポーランド人はいっぱいいるが。
ポーランドは微妙っていうのはなんとなくわかる。

424 :
Pontidって民族集団じゃなくて人種概念じゃないか

425 :
前世紀まではよく、ポーランドで4〜5世紀にゲルマン人がいなくなった後に
5〜6世紀にかけて東からスラブ人が侵入してきたと言われていたが、
近年トシュチニェツ文化の発掘が盛んになって言われてくるようになったのは、
プロトスラヴの住民はゲルマン語発生よりはるか以前からポーランドにいて、
これを仮にプロト西スラヴとすると、その4〜6世紀という中世初期に東からの
プロト東スラブ上層部の移住により、ポーランドの土着のプロト西スラブ上層と混交が起きて、
これが中世ポーランドの政治を形作ったということ。
ポントス・ステップ系の顔つきの人々はアント人(東スラブの一派)などの系統で、こういう人たちが
先史時代から中世・近世にかけてポーランドに盛んに移住して、土着の人々と混じった。

426 :
つまりこれが従来ゲルマニアの謎の民族と言われていたヴァンダル族の真相。
ヴァンダルの一部は南欧・北アフリカやバルカンにも移住しているが、南欧や北アフリカに
渡ったヴァンダルのうち多数が8世紀までにポーランドに戻ってきている。
その後フランク王ピピンが東に遠征した時ヴァンダル族と接触しているが、
彼らはいわゆるポーランドの諸部族で、彼らのうちのポラン族(レフ族)とゴプラン族から
ポーランド公国が成立している。

427 :
ヴァンダルって、偉大な梟雄ガイセリックのイメージもあるけど、
ベリサリウスになすすべもなくひねられたという印象も強いんだよね。

428 :
実際ポーランドはスラブやロシアより。
ドイツとも仲は悪くないみたいだけど、言語がレヒト諸語だから西スラブ言語なんだな。
メルケルさんはドイツ語話すんだけど、やっぱポーランド人ぽい。

429 :
>>425
彼らの大半がR1aと言う訳か。

430 :
メルケルってポーランド系だったのか
離婚した前の夫の姓なのね

431 :
沖縄
入曽
新宿
横浜
巣鴨

432 :
>>429
エルベ川〜カルパチア山脈以北というか以東というか、の一帯は家族文化が西とは異質で、
支配層が東方から侵入したとき彼らが閉鎖社会をつくらず民衆まで下りてきたことを示している。そのため従来の民衆層であるR1bが圧倒的に減少した。
いっぽうこのラインの西方では支配層の家系は閉鎖的であるべきだという通念があり、支配層は少数のままで、
民衆層は従来のR1bの系統が圧倒的に多い。

433 :
この東西の家族観の違いは中世から現代初期にかけても連綿と続いていたという事実がある。

434 :
>>427
ヴァンダルのゲイセリック時代と王国がムーア人移民対策に追われていた時代とを比べても…

435 :
「ドイツ人とスラブ(奴隷)人の違いはなんですか?」

「邪悪なアジアンにRされて生まれたゲルマンの混血児が
スラブ人。純血種なのが英国のアングロ・サクソン」
「え?つうかドイツの金髪碧眼は?」
「彼らはフン族。本当のピュアホワイトはイングランドにいる
ドイツの男系子孫(現王室も含む)」

436 :
アングロ・サクソンが純血種とか。彼らの肌は赤い。赤人と混血してる。
ピュアホワイトとは北欧のアルビノです。まあノルウェー王室の血はイングランド王室に入ってるから、
自分たちはピュアホワイトと言いたくなる気持ちはわかるが。

437 :
北欧人も肌赤いんだけど

438 :
嘘? ノルマンは肌白いはずだけど

439 :
>>434
それでも数的優勢を保った状態で二度戦って、いずれも惨敗というのはちょっと・・・
東ゴートはフランクやランゴバルドの介入にさらされながらも
ベリサリウス相手に善戦してるのに。

440 :
>>439
温暖な土地で庶民層の暮らしが豊かになって厭戦的になった
当時のカルタゴはローマよりも豊かな土地
もちろんポーランドよりも
そもそも中世は古代晩期に欧州から西アジアにかけて寒冷化したことによる政治的大変動によって始まった

441 :
沖縄
入曽
新宿
横浜
巣鴨

442 :
>>440
4世紀後半の寒期だな。
寒期は人類移動のきっかけになっているね。
そもそも印欧語族の移動もそうだ。

443 :
ヴァンダル族はおそらく6世紀頃に中核国家を作り、
10世紀にカトリックを受け入れ西欧キリスト教世界のポーランド公国として登場するが、
それ以前の時代でも政治的上層部はアリウス派を信仰していたのかな?
ハザール・ユダヤ人の「粉屋のアブラハム」はポーランドの君主に推されたものの固辞して、
代わりにアリウス派だった可能性も言われている「車大工のピャスト」を君主に推しているが、
あれは宗教的な理由でかな?

444 :
ポーランドでは16世紀までの人骨を調べるとどれも北欧風の形質だそうだ。
17世紀からポントス的な形質の骨が増えてきて、いわゆる現代のスラブ人らしくなってくる。
16世紀以前のポーランド人の容貌は今でいうスラブ的ではない。
これは何を意味するか?
この境目の時期にポーランド・リトアニア共和国が成立しているんだよね。

445 :
リトアニアのせい

446 :
>>440
ヴァンダル族がローマ系住民に嫌われまくっているのも大きいんじゃね?
東ゴートはローマの統治機構を引き継ぐべく努力を惜しまなかったのに対して、
ヴァンダルは略奪に明け暮れるすばかりでそういった努力を全くしていないもの。

447 :
ヴァンダルはイタリアでは略奪しかしなかったが北アフリカでは豊かな国を作った。

448 :
というよりはだな、ゲリメルがまるで仏教徒のような虚無主義者だったことがヴァンダルの敗因。
それも国が豊かになったからだと言えばそれまでだが。

449 :
>>448
同意しかねるなあ。
東ゴートのテオダハトにしたところで、ギリシア哲学かぶれで
君主としては無能で臆病もいいとこだもの。

450 :
当時の東ゴートはあまり豊かな国ではない

451 :
ヴァンダルの語源はヴィスワ川
ヴァンダルとはヴィスワ川流域の人々という意味
ヴェンドの語源も同じ
ヴェネツィア(ベネチア)であるとか、ヴィエンナ(ウィーン)であるとか、これらも

452 :
ヴィスワ川はどっからきたんやろ

453 :
ラテン語表記Vistulaを印欧語の辞典で見るとvi-が語幹で「流れる水」、
-ulaは地理的名称や人名によくつく接尾語、
-st-はvi-と-ulaを合わせたときに生じる接辞の一種。
Vandalの語幹はva-でvi-と同じもの。-nd-や-alは接辞。
ヴァンダルはヴィスワ川の中流域から上流域にプシェヴォルスク文化を発展させていた部族で、
地理的に見てこの「流れる水」とはヴィスワ川を指すものと推定される。
なおVistulaの初出は大プリニウスの博物誌。

454 :
ヴィタやウォーターとおなじか

455 :
品格
横浜湖
大阪
有吉
原宿

456 :
粉屋のアブラハムが族長に推挙された経緯がおもしろい。

457 :
粉屋の娘が皇后に成り上がった経緯も面白い。
なお、古代末期のゲルマン人と彼らが樹立した諸国に関しては
『西洋古典学事典』に詳しく記載されているぞ。

458 :
漢 vs 匈奴
ローマ vs ゲルマン
文明と野蛮の戦い

459 :
>>457
残念ながら自分は日本語資料の一切信用していません
英文資料しか読まないのであしからず

460 :
『西洋古典学事典』は
英文資料なんぞよりも
はるかに優れている事実も
知らぬとは、哀れな者じゃのう

461 :
『西洋古典学事典』が
どんな英文資料よりも
はるかに優れている事実も
知らぬとは、まことに哀れな者じゃのう

462 :
>>458 トルテカ VS チチメカ(後のアステカ) も追加

463 :
オイウム王国(キエフ)

464 :
ヘルール人に興味あり

465 :
◆イギリス人が作った人種ランキング 
・1位 イギリス人
・2位 アメリカ人
・3位 西欧(フランス・ドイツなど)の白人 ・4位 北欧(デンマーク・フィンランドなど)の白人 ・5位 南欧(イタリア・スペインなど)の白人
============イギリス人に認められるライン============
・6位 アイルランド人 ・7位 東欧人(ロシア人など) ・8位 東アジア人(中国人・日本人・韓国人など)
・9位 非イスラム教徒の南アジア人 ・10位 ラテンアメリカ人 ・11位 カリブ海諸国人 ・12位 アフリカ人
・13位 イスラム教徒の有色人種
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/feb/05/race-immigration

466 :
>>465
移民歓迎ランキングじゃねえのそれ。

467 :
ラテンアメリカ低すぎだろ

468 :
2009年の記事だから今じゃだいぶ変わった部分もあろう
ポーランドやチェコはそこで言う東欧でなく、西欧か北欧のカテゴリに入っとろう
現在でこういう内容の記事では、東欧は基本的にシェンゲン協定圏よりも東の諸国になる

469 :
フィンランド人は、ゲルマン系である。
フィンランドは、ゲルマン人の顔をしている。

470 :
フィンランド人っぽいゲルマン人がいるから
ゲルマン人っぽいフィンランド人は多い。

471 :
北欧神話のゲルマン人である。

472 :
ノルマン人は、オランダ人とスウェーデン人とドイツ人とフィンランド人のこと
ドイツ人=ノルマン人

473 :
フィンランド人とリトアニア人は、ゲルマン人である。

474 :
ゲルマン人は、フィンランド人である。

475 :
ゲルマン人=ローマ市民、ゲルマン兵=ローマ人に雇われた傭兵で西ローマ崩壊はある種の市民革命だったという解釈はできないか?

476 :
ゲルマン人は長身の女性を好む。
ゲルマン人は背が低い女性を嫌がる。
ゲルマン人の女性は155cm〜160cmは一番低い
ゲルマン人の女性は185cm〜190cmは一番高い
ゲルマン人の女性は165cm〜170cmは平均身長
ゲルマン人の女性は175cm〜180cmは理想身長
ゲルマン人の女性は175cm〜180cmくらいでかっこいい。

477 :
ゲルマン人の男性の身長
170cm以下0%
170cm〜175cm4%
175cm〜180cm10%
180cm〜185cm20%
185cm〜190cm100%
190cm以上89%

478 :
アングロサクソン人の高い基準は180cm
ゲルマン人の高い基準は190cm

479 :
アングロサクソン人は年齢層が低い
ゲルマン人は年齢層が高い

480 :
古代・中世・近世のゲルマン人は160ぐらいだがな

481 :
ゲルマン人は背が低い人を嫌がる。
ゲルマン人の俳優は身長制限がある。
ゲルマン人は低身長による貧困
ゲルマン人は手足が長い、腕が太い、足が細い、骨が太い。
ゲルマン人は筋肉質でムキムキである。
ゲルマン人は男性器が大きいし、長い。
ゲルマン人は腕が太い。

482 :
世界一背が高いアフリカのナイロート系民族は、栄養状態がよくなったらさらに伸びるのかな
日本史上背が最も低かった江戸時代の日本人と比較しても、今のピグミーやネグリトって低身長なのかな

483 :
ゲルマン人では、「軍隊へ行かす権利、低身長で体格が小さい人間では生還ができない。」
「低身長=体力がない=生還率が低い」
ゲルマン人では、「高身長で体格がいい。」
ゲルマン人では、「190cmで体格がいい。」
「高身長で体格がいい。」=生還率が高い。
という意味で、高身長が好まれています。
ゲルマン人では、男女共に、低身長者がとても嫌われます。
ゲルマン人では「高身長で体格がいい」
ゲルマン人では「背が高い美女」
170cm以下のゲルマン人男性は嫌われる。
190cm以上のゲルマン人男性は好まれる。

484 :
アングロサクソン人の平均身長
男性178cm 女性164cm
ゲルマン人の平均身長
男性184cm 女性170cm

485 :
アングロサクソン人 175cm
ゲルマン人 180cm

486 :
アングロサクソン人 178cm
ゲルマン人 185cm

487 :
アングロサクソン人
男性174cm 女性163cm
ゲルマン人
男性178cm 女性167cm

488 :
平均身長
アングロサクソン人 男性177cm 女性164cm
ゲルマン人 男性181cm 女性166cm

489 :
アングロサクソン人 176cm
ゲルマン人 183cm

490 :
アングロサクソン人 182cm
ゲルマン人 192cm

491 :
平均身長
アングロサクソン人男性175cm
ゲルマン人男性182cm

492 :
I

493 :
ゲルマン人と南スラブ人のアイドルは背が高い。
ゲルマン人と南スラブ人の俳優は身長制限がある。
ゲルマン人と南スラブ人のアイドルは年齢層が高い。
ゲルマン人と南スラブ人の俳優は筋肉質である。
ゲルマン人と南スラブ人は腕が太い、足が細い。
ゲルマン人と南スラブ人は190cmの男性を好まれる。
ゲルマン人と南スラブ人は170cm以下の男性を嫌われます。
ゲルマン人と南スラブ人は背が低い人を嫌がる。
ゲルマン人と南スラブ人は背が低い女性を嫌われる。
ゲルマン人と南スラブ人は背が高い女性を好まれる。
ゲルマン人と南スラブ人は160cm以下の女性を嫌われる。
ゲルマン人と南スラブ人は180cmの女性を好まれる。
ゲルマン人と南スラブ人の俳優は背が高い。
ゲルマン人と南スラブ人は男女共に低身長者を嫌われる。
ゲルマン人と南スラブ人は男女共に高身長を好まれる。
ゲルマン人と南スラブ人は低身長の女性を嫌われる。
ゲルマン人と南スラブ人は高身長の女性を好まれる。

494 :
ゲルマン人 184cm
南スラブ人 186cm

495 :
東ドイツ軍は旧ドイツ軍より低い。
東ドイツ軍の軍服と帽子は小さい。
旧ドイツ軍の軍服と帽子は大きい。
食糧危機の東ドイツは食べる物が無いし、東ドイツ人は小人化になっている。
東ドイツ軍はナチスドイツ軍より小さい。
東ドイツ軍の軍服と帽子のサイズが小さい。
ナチスドイツ軍の軍服と帽子のサイズがぶかぶかである。
東ドイツ軍はWWUドイツ軍より低い。
東ドイツ軍の軍服と帽子のサイズが小さい。
WWUドイツ軍の軍服と帽子のサイズが大きい。

496 :
東ドイツ軍はWWUドイツ軍より身長が低い。
東ドイツ軍の軍服と帽子のサイズが小さい。
WWUドイツ軍の軍服と帽子のサイズが大きい。
東ドイツ人は19世紀のドイツ人より身長が低い。
東ドイツ軍はナチスドイツ軍より身長が小さい。
食糧危機の東ドイツは食べる物が無いし、東ドイツ人は小人化になっている。
東ドイツ軍の軍服と帽子はきつきつである。
ナチスドイツ軍の軍服と帽子はぶかぶかである。
東ドイツ軍はWWUドイツ軍より身長が低い。
東ドイツ人は身長が低い。
東ドイツ軍の軍服はナチスドイツ軍の軍服よりサイズが小さい。
東ドイツ軍の軍服はナチスドイツ軍よりサイズが小さいため着るものがない。
東ドイツ軍改造の軍服はナチスドイツ軍レプリカよりサイズが小さい。
東ドイツ軍改造の軍服のサイズが小さい。
ナチスドイツ軍レプリカの軍服のサイズが大きい。

497 :
ゲルマン人と南スラブ人の男性は180台後半〜190台前半が多く、女性は170台後半が非常に多い方だから
理想代々そのあたりだと思います。

498 :
ゲルマン人は背が低いは芸能人になれない、売れない、実力がない、結婚できない、最高賃金取れない。

499 :
ゲルマン人の男性男性は180台〜190台が多く、女性は170台が非常に多いほうだから
理想代々あたりなんじゃね

500 :
バンダル王国

501 :
ゲルマン人が地中海を渡って、北アフリカにまで進出してたのは意外だ

502 :
遠くへ行くほどに国に占めるゲルマン人の割合は減っていくようやね

503 :
ゲルマン人の平均身長
男性183.8cm 女性170.7cm

504 :
ゲルマン人のアイドル歌手は背が高い。
シチリア人のアイドル歌手は背が低い。
ゲルマン系アイドル歌手は背が高いし、年齢層が高い。
シチリア系アイドル歌手は背が低いし、年齢層が低い。
ゲルマン人は背が高い女性を好む。

505 :
ゲルマン人のアイドルグループは背が高い。
シチリア人のアイドルグループは背が低い。
ゲルマン系アイドルグループは背が高いし、年齢層が高い。
シチリア系アイドルグループは背が低いし、年齢層が低い。
ゲルマン人の年齢は高校生〜社会人
シチリア人の年齢は小学生〜高校生

506 :
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人の子供は肥満率がヨーロッパの中では高い。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は筋肉が発達している。
それと、シチリア人と東スラブ人は比較的小柄なアイドルが好まれるのに対して、
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は男性が長身のスレンダーな女性を好むという特徴があるようだ。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人の俳優は筋肉質である。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人の子供は肥満率が高い。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は長身の女性を好むという特徴があるようだ。
ゲルマン人と南スラブ人フィン人の子供は肥満が多い。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人のアイドルグループは背が高い。

507 :
クロアチアとボスニアはゲルマンとスラブの混血
ロシアはゲルマンとスラブの混血

508 :
フィンランドはゲルマンとスラブの混血。

509 :
ゲルマン人南スラブ人とフィン人は非常に熱い凶暴っ早い性格をしている。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は犬と猫を食べる。
ゲルマン人とスラブ人とフィン人は犬食文化と猫食文化の国である。
東スラブ人は犬を食べる。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は犬の丸焼きを食べる。
ゲルマン人は犬の丸焼きを食べる。

510 :
ゲルマン人とスラブ人とフィン人はタトゥーを持っている。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人はマッチョな体質を持っている。
ゲルマン人とフィン人と南スラブ人は大食いする。

511 :
おまえら詳しすぎwww
勉強になるし面白い。ありがとう。

512 :
ドイツ人はオランダ人より平均身長が高い。
ドイツ 184cm
オランダ 180cm

513 :
ドイツ人女性はオランダ人女性より高い。
ドイツ 168cm
オランダ 166cm

514 :
ドイツ人女性はオランダ人女性より平均身長が高い。
ドイツ 170cm
オランダ 166cm

515 :
ドイツ人男性はオランダ人男性より平均身長が高い。
ドイツ 184cm
オランダ 180cm

516 :
ドイツ人はオランダ人より平均身長が高い。
ドイツ 男性183cm 女性169cm
オランダ 男性179cm 女性165cm

517 :
ドイツはオランダより平均身長が高い。
ドイツ人 男性185cm 女性171cm
オランダ人 男性181cm 女性167cm

518 :
ドイツ人はオランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
ギムナジウムの生徒はオランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
ギムナジウムの生徒はドイツ軍将校が着るレザーコートを着たらバンカラスタイルでかっこいい。

519 :
ドイツ人は英国調ダブルスーツを着たらかっこいい。
ドイツはブリティッシュスタイルのダブルボタン6つ2掛けと3掛けと襟がワイドピークドラペル(襟が太さ9cm〜13cm)と
ハイゴージ(ゴージラインは高い)とチェンジポケットと長いサイドベンツとボタンの位置が脇ポケットより高いタイプを着たらかっこいい。
ドイツ人はタイト目の英国調クラシックダブルスーツを着たらかっこいい。
ドイツはダブルスーツの襟は広い。
ドイツ人はダブルボタン6つを着たらかっこいい。
ドイツ人はダブルスーツの襟はワイドピークドラペルである。
ドイツ人はダブルジャケットの襟はワイドピークドラペルである。
DAKSはドイツの店がある。
ドイツ人はDAKSの背広を着たらかっこいい。
ドイツ人は英国調ダブルのワイドラペルを着たらかっこいい。

520 :
ドイツ人はブリティッシュスーツを着たらかっこいい。
ドイツ人はDAKS製の英国調ダブル6つ3掛けの襟はワイドピークドラペルとチェンジポケットとバルカポケットと
ハイゴージを着たらかっこいい。
ドイツ人はDAKSの背広を着たらかっこいい。
DAKSはドイツにある。

521 :
オランダの木靴(サボ)はドイツに売ってある。
オランダの木靴(サボ)はドイツで販売している。
ドイツはオランダの木靴(サボ)を履いたらかっこいい。

522 :
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は男性器がでかい。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は男性器を整形する。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は包茎手術をする。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は包茎はない。
ゲルマン人と南スラブ人とフィン人は陰茎がでかい。
ほとんどのゲルマン人は包茎手術をする。
ほとんどのゲルマン人は陰茎を整形する。
ゲルマン人はローマ人より陰茎が長い。
ゲルマン人は陰茎が長太い。
ゲルマン人は朝鮮民族とは仲が悪い。

523 :
ナチスドイツは朝鮮民族とシチリア人を迫害する。
ヒトラーは朝鮮民族とシチリア人を拉致する。
ゲルマン人は朝鮮民族とシチリア人を嫌う。
第二次世界大戦でドイツ軍は朝鮮民族とシチリア人を迫害する。

524 :
アングロサクソン人は小柄、痩身の黒髪、黒い目
ゲルマン人は長身、筋肉質の金髪、碧眼

525 :
ナチスドイツの平均身長
男性183.8cm 女性170.7cm
ナチスドイツ軍の平均身長
男性180.8cm

526 :
背が低いゲルマン人は、芸能人になれない、結婚できない、着る服がない、着る服が似合わない
実力がない、売れない、最高賃金取れない、兵隊に捕らえられて戦死。

527 :
ドイツ人はオランダ人より高い。
オランダ人は手足が短い、腕が細い。
オランダ人はシークレットブーツを履く。
オランダ人はドイツ人より低い。
ドイツ人は高い。

528 :
ゲルマン人とスラブ人とフィン人は非常に怒りっぽく短気な民族と言われ、
ドイツとオーストリアとオランダとスウェーデンとノルウェーとフィンランド
とロシアと旧ユーゴスラビアとは喧嘩が多く問題になる。
ゲルマン人とスラブ人は非常に怒りっぽく短気な民族である。
ゲルマン人とスラブ人は犯罪が非常に多い。
ゲルマン人とスラブ人は整形が非常に多い民族である。
ゲルマン人とスラブ人の男性は長身のスレンダーな女性を好むという特徴があるようだ。
女性への好みなどが、そのまま民族の形質につながることはよくある。
ゲルマン人とスラブ人のアイドルグループはテクノ音楽である。
ゲルマン人とスラブ人のアイドル歌手はテクノミュージシャンである。

529 :
ゲルマン人とスラブ人とフィン人は全身の筋肉が発達している。
ゲルマン人とスラブ人とフィン人はマッチョな体質を持っている。
ゲルマン人はマッチョな体質を持つ。
スラブ人はマッチョな体質を持つ。
アングロサクソン人は痩身を持つ。
シチリア人は痩身を持つ。
ドイツ人とオランダ人とスウェーデン人とフィンランド人はマッチョな体質を持つ。
ボスニア人とクロアチア人とセルビア人はマッチョな体質を持つ。
ゲルマン人はむきむきな体質を持つ。シチリア人は細身を持つ。
ドイツ人はマッチョな体質を持つ。
ゲルマン人は、長身と金髪のマッチョな体質と碧眼、アングロサクソン人とラテン人は、低身長と黒髪の細身と黒い目である。

530 :
ゲルマン人はタイト目のブリティッシュトラッドのスーツとジャケットを着たらかっこいい。
ゲルマン人はブリティッシュタイプの背広を着たらかっこいい。
ゲルマン人はタイト目の英国調スタイルのスーツとジャケットを着たらかっこいい。
ゲルマン人は英国調スタイルのダブルスーツ6つの襟が太いタイプを着たらかっこいい。
ゲルマン人はダブルブレスレットの黒色のフロックコートはダブルボタン6つの2掛けか3掛けタイプを着たらかっこいい。
ドイツ人はダブルブレスレットのブラックフロックコートのダブル6つの2掛けか3掛けタイプを着たらかっこいい。

531 :
ドイツ人には一番無関係な礼服
モーニングコート、ブラックスーツ、燕尾服、カジュアルなシングルのフロックコートは無関係である。

532 :
ドイツ人と日本人着る礼服
冠婚葬祭の時はダブルブレスレットのブラックフロックコートのダブル6つの2掛けか3掛けタイプを着たらかっこいい。
冠婚葬祭の時は、ダブルブレスレットの黒色のフロックコートのダブル6つ2掛けか3掛けタイプを着たらかっこいい。

533 :
ゲルマン人とスラブ人とフィン人はタトゥー(刺青)を入れるのが好きな民族である。
オランダ人とスウェーデン人とドイツ人とノルウェー人とフィンランド人とロシア人と
ボスニア人とクロアチア人とセルビア人はタトゥー(刺青)を入れる。
ドイツ人とロシア人はタトゥー(刺青)を入れる。
ゲルマン人とスラブ人はタトゥー(刺青)を入れるのが好きな民族である。

534 :
ユトランド半島のユート人の語源は何?

535 :
ブルグント語て、今のドイツ語の「方言」のどれかの基層になるかまたは影響を与えたりしてるのかな

536 :
ナチスドイツ=北欧神話

537 :
DAKSのダブルスーツとダブルジャケット タイト目の英国調クラシック
1920年以来の新型のブリテッシュスタイルのダブルボタン6つ2掛けタイプと3掛けタイプで襟はワイドピークドラペル(襟の広さ9cm〜13cm)と
ハイゴージ(ゴージラインは高い)と肩はコンケープショルダーと胸ポケットはバルカポケットとウエストラインはボディにフィットさせるため締まり込むタイプと
袖ボタンは4つの袖本開き(本切羽)とVゾーンはDAKS定番デザインのもっと狭いタイプとボタンの位置が高いタイプと第一ボタンは胸についたボタンと両玉フラップチェンジポケットと
紐無しのボタン止めと上着が短いタイプ(丈の短さ64cm〜69cm)と長いサイドベンツ(ベントの長さ26cm)と背中はプリンセスライン(S字ライン)と裏地は総裏仕立てである。

538 :
DAKSのスラックス
ブリティッシュタイプのスラックはノータックとワンタックと前閉じはボタン式と
副幅は細め(21cm〜23cm)と帯付き35ミリと40ミリと持出しの付1ボタンと35ミリと1ボタン40ミリとベルトレス40ミリと帯付き40ミリとループなしと
トップループと裾はダブル(4.5cm〜5cm)とポケットはナナメとまっすぐと後ろポケットは片玉左右クモフタ付きと片玉左右ボタン付きと両玉左右ボタン付きと
フラッシュベース型フタ付きとフラッシュクモフタ付きとサスペンダーボタン式と
ハックストラップとサイドストラップとVカットである。
英国調スタイルのスラックスは前閉じはボタン式とサスペンダーボタン式である。
英国調のスラックスはズボン吊りである。

539 :
ゲルマン人とスラブ人とフィン人とリトアニア人は長身至上主義者である。
オランダとスウェーデンとドイツとフィンランドは長身至上主義国です。
旧ユーゴは長身至上主義国です。
ゲルマン人は長身至上主義です。
ドイツとオーストリアは長身至上主義国です。
オランダ人とスウェーデン人とドイツ人とフィンランド人は長身至上主義者です。
ヨーロッパは長身至上主義です。
白人は長身至上主義者です。
ナチスドイツは長身至上主義国です。
ゲルマン人は長身至上主義者です。
ゲルマン人の社会はチビは劣等人種の国である。
ゲルマン人は背が低い人を嫌がる。

540 :
つまらん!
お前らの話はつまらん!

541 :
ゲルマン人は背を伸ばす手術をしたらしい。
オランダでは、骨延長手術があるらしい。
オランダ人は身長を伸ばす手術があるらしい。
オランダ人が背を伸ばすイリザロフ法があって身長を伸ばして手術するらしい。
オランダ人は日本人を嫌うらしい。
オランダ人は反日運動をしている。
オランダ人は日本人を馬鹿にするらしい。

542 :
オランダ人は頭がおかしい。
オランダ人は嫌われ者

543 :
末尾Iは頭がおかしい。
末尾Iは嫌われ者

544 :
ゲルマン人とスラブ人は身長が命である。
オランダとスウェーデンとドイツとフィンランドは背が命である。
ゲルマン人とスラブ人は背が命である。

545 :
.
アルミニウス (ゲルマン人)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9_(%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BA%BA)
アルミニウス
http://www.h7.dion.ne.jp/~sankon/2ch/history/theb03/03369.htm
トイトブルク森の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%A3%AE%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
「ゲルマニア」Dアルミニウス
http://blogs.yahoo.co.jp/kenichiuematsu/12088092.html
「ゲルマニア」Eトイトブルクの森
http://blogs.yahoo.co.jp/kenichiuematsu/12289597.html
「ゲルマニア」Fゲルマニクス
http://blogs.yahoo.co.jp/kenichiuematsu/12457765.html
「ゲルマニア」Gマルボドゥウス
http://blogs.yahoo.co.jp/kenichiuematsu/12632083.html

546 :
>>545
アルミニウスは、ローマ軍が攻めて来ると言う危機を
利用してゲルマン人の統一を図ろうとした面もあるんでしょうね。
ローマでの人質生活では、学問を学んでいるから、こういう政治的な野心を
顕在化させた面があるのかなとも思える。ローマとしては、ローマで学ばせて
シンパに育てる心算だったのだろうが、アルミニウスは、学んだ知識やノウハウ
を使ってローマ帝国と戦い始めてしまった。更にはゲルマン人の統一も目指し始めた。
そういう意味では、ローマでの人質生活によりアルミニウスを親ローマ派に
仕立て様としたローマ帝国側の意図は、完全に大失敗していると言う事になる。

547 :
>>546
>ローマ軍が攻めて来ると言う危機を利用してゲルマン人の統一を図ろうとした
と言うかですね。
アルミニウスは、虚偽のゲルマン人の反乱をでっち上げて、
ローマ帝国のゲルマニア総督が侵攻するように仕向けている訳です。
アルミニス自ら、ローマ軍の侵攻を呼び込んでいるんですよ。
もちろんゲルマン人の団結や統一の機運を盛り上げる為に、ワザとそうしている訳ですがね。
そういう意味では、かなりの策士なのかなと。 
もしかするとローマの人質生活で、そういう統治テクニックを身に着けたのかも知れませんけどね。
ローマ帝国の人質ってのは、今で言うところの留学に近いモノだったみたいです。

548 :
アルミニウス陣営の部族は…
ケルスキ族、マルシ族、カッティ族、
カウキー族、ブルクテリ族、シカンブリ族などなど。
ブルクテリ族とシカンブリ族は、
後にフリーセン族と一緒に フランク族 を結成する。

549 :
トイトブルグの森の戦いで、ローマ軍団が全滅します。
つまり、ライン川を防衛するローマ帝国の兵力が丸ごと無くなりました。
これは、ゲルマン人からガリアを防衛する手段が、ローマ帝国に無くなった事を意味します。
その為にガリア地方が、パニック状態になり、アウグストゥス帝は、ガリア全土に
戒厳令を布告し、州総督の任期を延長します。相当な混乱が有ったと予想されます。
ガリアでは、住民の集団疎開や暴動みたいな事態が多発したのでしょう。
これを見ると、アルミニウスは、ゲルマニアの統一が最終目標ではなくて、
もしかすると全ゲルマン人を率いて、ガリアに侵攻する事を考えていた可能性が有ります。
アルミニウスは、ローマ帝国との戦争中にその様な発言をし、
ゲルマン人の部族に対ローマの団結呼びかけていたのかも。
ローマ帝国側もそれを察知していたのかも知れません。
ガリアのパニックを見るとそんな感じに見えます。
400年後には、クローヴィス王が、シアグリウスが統治するガリア(ソワソン管区)に侵攻します。
これは、西ローマ帝国が崩壊した後に行った侵攻なので成功した訳ですが、もしかするとかなり
早い段階から古代ゲルマニアの貴族(従士)階級には ガリア征服 と言う政治目標があったのかも
知れません。

550 :
カエサル征服前の時点でガリアに侵入して混乱させてたろ
アウグストゥス時代にはまだその頃の記憶もあったろうし、十分予想される反応だわ

551 :
>>550
あくまでも想像ですがね。
それにゲルマン人の特定の一部族だけでのガリア侵攻は、大体失敗していますから。
それでゲルマン人の団結や統一と言う政治目標が出てきたのかな?と。
カエサルのガリア征服が比較的上手く行ったのも、ローマ(カエサル)に
ゲルマン人から守ってもらおうと言うガリアのケルト人部族の切実な要望がありました。
ウェルキンゲトリクスの対ローマ同盟が、簡単に崩れたのも、ゲルマン人の
脅威からガリアのケルト人を守る事をカエサルが保障したからでもあります。
カエサルは、終身独裁官に就任した後に親ローマ派のガリアのケルト人部族長を
ローマの元老院議員に任命しますが、この事が、カエサル暗殺の直接の原因に
なっていると言われます。

552 :
スエビ族とヘルウェティイ族のガリア中央を目指す移動とは別に
ゲルマニア北部からベルギカを経由してドーバー海峡から
ブリタニアを目指す北方民族移動ルートがあった。
スエビ族とヘルウェティイ族を放置するとガリア中央の部族が
追い出されてローマ領に侵入しようとするから阻止するのは
当然だったけど、ベルギカも征服したのでブリタニアに移住
するはずの諸部族がライン河以東に滞留し続ける事になり、
ローマにとって新たな脅威が生じてしまった。

553 :
アルミニウスの持っていた宝剣はオーディンに授けられたという先祖伝来のもので
誰にも製法が分からず軽くて錆びなかった。
アルミニウムの名前の由来である。
アルミニウスはローマの捕虜となった妻子の身代に宝剣を渡したが、
ローマは約定を破り息子は剣闘奴隷にされて殺された。アルミニウムの宝剣を手に持っていたという。

554 :
>>552
>諸部族がライン河以東に滞留し続ける事になり
アルミニウスが、オランダからドイツ中西部にかけての部族を
反ローマ陣営に引き入れる事が出来たのも、これが背景なんでしょう。
ローマ帝国が必死にゲルマン人の貴族(従士)層を人質と称して、
ローマやギリシャで留学させていたのも、親ローマ派に教育して、
ゲルマン人のガリア侵攻を防ぎたかったからだと思います。
>>553
まだこの頃は、ゲルマン神話が、物語調に体系付けられてないと思います。
それにゲルマン神話の主神は、当初は、オーディンではなくてテュールでした。
ゲルマン神話の主神が、オーディンに変わるのは、紀元2世紀頃だと言われています。
火曜日(チューズデイ)の語源ですね。

555 :
ベルギカがローマの属州とならなかったのならば、
帝政時代も民族移動が継続したはずだろうから、
ブリタニアがフランスになりベルギカがザクセンで
ラインラントがイングランドになったのかもしれない。

556 :
ローマがエルベ河以西とボヘミアを属州化していたのならば、
おそらくさらにブリタニアも属州化する余力はないだろうから、
5世紀以前にブリタニアはイングランドになったかもしれない。
ザクセン族はエルベ河以西のローマ領で定住化しただろうから、
アングル族とユート族だけがブリタニアに入植する事になり、
ウェセックスとかは存在しなかっただろう。

557 :
>>552>>555-556
アウグストゥスが、国境をライン川から
東進させてエルベ川にしようとしたからね。
ライン川とエルベ川の間に居住するゲルマン人部族は、そりゃ〜怒るだろう。
アルミニウスとローマ帝国の戦争の根本原因は、これだよ。

558 :
アウグストゥスが派兵したローマ軍が
マルコマンニ族をボヘミアへ追い払った。
マルコマンニ族がボヘミアに移住しなければ
ローマはボヘミアを征服してイタリア本国が
より安全になった事であろう。

559 :
フン族に圧迫される前の移動の理由がわからない
バルト海沿岸に居住してた部族(ゴート人ヴァンダル人?)は、
元は現ポーランド付近に居住してたそうだけど、
なぜ北方のバルト沿岸に移動?
ポーランドあたりの方が温暖で豊かなように思えるんだけど
あと、バルト沿岸から黒海方面へ南下したのは気候変動のせいなのかな

560 :
黒海北岸が肥沃な黒土地帯だけどサルマタイらが遊牧していて
農地として活用されていなくて人口希薄だったからだろうな。
同時にローマがライン河で防いでいたから西に進めなかった。
西ゲルマンがガリアやブリタニアに移住していたのならば、
ゴート族らもライン河まで前進していたかもしれない。

561 :
>>559
想像だけどわざわざ寒いところへ移動するのは
・資源を求めて  鉱物か獣か魚といった食料・衣料の材料になる生き物など
・敵に追われて逃亡  他部族か内紛による分裂かで移動、行く先を選べなかった
などだろうか
あと「いい女がいる」といった下世話な噂も動機になる可能性はある
自分たち自身が欲するだけでなく前者の一種として奴隷は交易や貢納の資源にもなるから

562 :
マルコマンニ族、スエビ族、アレマンニ族は、最近はケルト人と言われている。
それにヴァンダル族は、スラブ系と言われている。
サルマタイ人やアラン人は、もろにイラン系の騎馬民族だ。
ここら辺の部族は、他のゲルマン人部族への同族意識を持たなかったのかもね。

563 :
>>559
>フン族に圧迫される前の移動の理由が判らない
理由のほとんどが、人口増による食糧調達や生活圏確保の為。
当時のゲルマン人は、半農半猟の生活様式で、
当時の技術では、ゲルマニアの森を開墾して農地にする事ができない。
また、森を開墾してしまうと狩猟もできないと言う悪循環。
それ故に、部族の人口が増えると、手狭になってしまい易い。
ゲルマンの森の中だと、居住可能地域が以外と狭い。
もともとゲルマン人の原住地であるスカンジナビア半島から出て来て南下し
ゲルマニアに定住したのも、人口増加でスカンジナビア半島押し出されたからでもある。
バイキングが、大々的に遠隔地との交易に乗り出したのも同じ理由からだ。

564 :
>>562
ケルスキ族も名前からしてケルト人だったのかも
スコルディスキ族やタウリスキ族はケルト人

565 :
>>562
マルコマンニ族がアルミニウスの同盟に加わらなかったのは、ケルト系だったから?
ライン川上流域の南ドイツ地域の部族は、
アルミニウスの対ローマ同盟には、加わってないケースが多い。
>>564
そんな事を言ったら、何々スキーは、スラブ人っぽいネーミングじゃんか!?
ケルスキ族は、実はスラブ系って説があっても良さゲだけど、聞いた事は無い。

566 :
>>565
-sk-はスラブ語以外にもよく見られる形容詞派生接辞で、
ラテン語でもエトルリア人をエトルスキーと言ってる
ドイツ語では-sch、英語では-shの形になり、Englishの-shもそれ

567 :
ケルスキ族が、ケルト系なんて聞いた事が無い。

568 :
skはスウェーデン語にもデンマーク語にもノルウェー語にもある
まあそもそもゲルマン語とスラヴ語は互いに最も近い言語だから別に普通
おそらく紀元前5世紀頃にグリムの法則が発生してそれによりゲルマン語とスラヴ語との分化が少しずつ広がったとされるので、タキトゥスの時代はそれから数百年しか発っていない

569 :
紀元前5世紀なら数千年前にゲルマンとスラブは分離していて言語としては全く別物だったのが
一時的に数百年間隣接してちょっと接近していたという時期
喋っても通じないが、通婚や通商を通じて知らず知らず構造や発想法が接近するという「傍層」の関係

570 :
ヴェネチアとヴェンドとヴァンダル、
ゲタイとゴートとか同じ語源かな?

571 :
ヴァンダルのヴァンは、ヴィスラ川が語源だとか。
その様な書き込みが、2chに有ったと思う。
ローマ系住民への暴行が一番多かったのは、ヴァンダル人だった。

572 :
>>569
いや、それは古い説。また熱力学を誤用した説。
ゲルマン語とスラヴ語は紀元前5世紀から紀元後5世紀という、非常に新しい時代にかけて分化したのが正しい。
ヨーロッパ言語の中で最も近縁。
ただしスラヴ語はスキタイとの混血によってイラン系の訛りがある。

573 :
その後バルト語とスラブ語が分かれたのかな

574 :
>>572
じゃソース挙げて

575 :
紀元5世紀って新しすぎるだろ
ゴート語聖書が4世紀ぐらいだからとっくにいろんなゲルマン諸語が成立してる時期

576 :
古代イリュリア語(?)というかラウジッツ文化の言語はゲルマン語とスラブ語を橋渡ししている
一説には現代の西スラブ諸語の基礎言語とも言われている

577 :
>>572
白樺文書の発見が従来の説を全部ひっくり返してしまったな
これでスラブ語とゲルマン語がかなり新しい時代まで実は同一言語だった可能性が濃厚になった
ゲルマン+スキタイ+サルマタイ=スラブ

578 :
>>576
バルカンがスラブ化したのはイリュリア語とスラブ語が近縁で
イリュリア人がスラブ語を覚えやすかったからだろうか?
ケルト語とイタリア諸語が近縁なので
ガリア人らはラテン語を覚えやすく
西欧がラテン化したとされる。
ガリア語とブリトン語&ゲール語よりも
ガリア語とラテン語の方が近縁なので
ガリアやスペインがラテン化したのに
ブリタニアはラテン化しなかったらしい。

579 :
>>577
スラブ語の白樺文書なんてせいぜい10世紀頃のノヴゴロドのものだろ
北ゲルマンのルス族が現地のスラブ人を占領して言語の混合が起こりかかっていたとして
それがなぜ両者が分岐する以前の年代を示唆する証拠になるのだろう
もっと前のものがあるというならソース出して
>>578
ガリア人のラテン化に関してはそうだけれど
同化の方向や早さや起こり易さには「言語が元々近かった」以外の要因もある
「文明の発達度の差」「人口の差」「政治的関係の上下」など
ガリアでのガリア人は人口はラテン人より多かったが政治的には被支配者で文明も低かった
ゲルマン人はゲルマニアでの人口は多く、ローマに完全支配もされないまま徐々にその文明を受け入れた
ブリタニアのケルト人の大半は後者に近い状況で、ローマとラテン語の影響はあったが
ケルト語も文字化されキリスト教布教にも使われた
ブルターニュのブルトン人はその子孫で、新たにキリスト教化されたケルト語を大陸に逆流させたことになる
ちなみに分類上はウェールズやコーンウォールなどのケルト語はPケルト(ブリトニック)で大陸ケルト語に近く
アイルランドほかのゲール語はQケルト語で、ガリア語とはだいぶ距離がある
イリュリア語に最も近いと言われている現代語はアルバニア語で、スラブ語とはだいぶ違う
スラブ人のバルカン西南部への移住は何度も起こっているのでやがて圧倒したのだろう

580 :
イリュリア語→アルバニア語ではなく
イリュリアもイタリアやアナトリアのように
多言語地域だったのかもしれない。
イリュリアの大部分ではスラブ語に似た言語
が話されていたのかもしれない。
そもそもローマ時代にバルカンは遠くダキアまで
ラテン化していたのにイタリアに近いアルバニア
に原住民の言語が残った事は謎。
ウェールズとバスクは辺境だけどアルバニアは
イタリアからギリシャへ向かう玄関だった。

581 :
>>580
ダキアは飛び地の駐屯地だとわかってるし、
そこまでの間をラテン語話者の植民者で埋め尽くしたなんて話はない
アルバニアは山岳地帯だからイリュリア語の方言が残ったんだろ
多言語地帯という証拠もないし、
そうまでしてスラブ語に似た印欧語が最初からそこにあったとする根拠はない

582 :
イリュリアは多くの将兵と皇帝を輩出したから
かなりローマ化ラテン化していたのでは?

583 :
ゲルマン人→地球外高度知性生物が創造した新人類だったのであ〜る

584 :
その10世紀頃のノヴゴロドのスラヴ語が第二次口蓋化を起こしていなかったから従来の全ての説がひっくり返ってしまったわけで

585 :
イリュリア語≠古アルバニア語。
まあ西スラブ語独特の訛りはイリュリア語起源だとすればヴァンダル人は古西スラブ諸族だな。
要はいまの西スラブと南スラブの基層。
そのうちルギイ族はレック族で結局は古ポーランド人なんだろう。
現在の西スラブ諸国の先祖に第二次口蓋化が広まって定着したのは6世紀頃からだな。
それはサーメシア人のうちのアラン人あたりの影響だろう。
その後もノヴゴロドのような北の方では第二次口蓋化が広がっていなかったとなる。

586 :
古代ゲルマン人≠ゲルマン語話者

587 :
今の時代ってひょっとしたらゲルマン民族の大移動に匹敵する時代かもしれない。
イスラム教徒が続々とヨーロッパ大陸に移住してきてる。
イスラム系は多産な上に白人は少子化だからそのうち
ヨーロッパはイスラムに乗っ取られるだろう。
後世の歴史家は今の時代を「イスラムの大移動」って名づけるかも。

588 :
https://www.youtube.com/watch?v=sp-QSmcHSQs

589 :
その論理なら、
東アジアでは、日本も中国人に乗っ取られるだろから、
「中国の大移動」と呼ばれるだろうね。

590 :
今のチュニジアにヴァンダル王国の痕跡ってあるのか?

591 :
>>590
分化的には全くない。
ただし、明色の髪の色を持つ割合が2%あるから、そのあたりはヴァンダルの影響かも。

592 :
アルプス以北で今のフランス以外にいたケルト人及びローマ化したケルト人って、なんでゲルマン人に同化されてしまったんだろうな
農業とかいろんな面でゲルマン人より進んでたはずなのに
これを中国に置き換えたら、史実と違って満州語が漢語にとってかわってしまったようなもん
文章化のしていなかったケルト語が残るのは無理にしても、ブリタニア・ロマンス語など各種のロマンス語が今に至るまで西北ヨーロッパの主要言語でもいいはずなのに

593 :
時代を通じた漢語なるものが設定出来るかどうか
現在の北京語って大清国の宮廷で話されていた北京官話が元になっているはず
日本に留学した漢人達も互いの言語が通じず、日本語で意思疎通していたというし

594 :
つ漢文

595 :
ある意味、フン族とアッティラこそがヨーロッパの父なんだろうなと
彼らのおかげでゲルマン人達は自分達部族の結束がもたらす軍事力とその政治的意味を自覚することが出来た
目覚めたといっていい
戦い方も大いに教えられたことだろうしな

596 :
>>592
後期ローマ軍は歩兵からカタフラクトとか騎兵が主力になり、
将兵の多くをドナウ河属州出身者が占めるようになったけど、
これはドナウ河属州が牧畜が盛んで乗馬に慣れた者が多いからで、
牧畜が盛んという事は農業が盛んではなく人口が希薄なので、
ゲルマン人やスラブ人にドナウ河属州が同化されてしまった。
一方ガリアやイスパニアはローマ支配により農耕定住化が進んで
人口が増大したので侵入してきたゲルマン人らが同化吸収された。

597 :
今のドイツやオランダに当たる地域は最初からゲルマン人の土地だったのかな

598 :
>>597
違う。むしろケルト人の土地が大半だ。

599 :
クローヴィスの先祖ももしかしたらケルト人とか

600 :
だとするとガリアのケルト人(ローマ化してたけど)と後のゲルマニアのケルト人の運命を分けたのは何だったんだろう
ゲルマン人を飲み込んだのとゲルマンに飲みこまれたのと。ドナウ川属州とはまた事情が違っただろうし

601 :
ボイイ族とスエビ族あたりがそのへんの焦点だな

602 :
ケルト人はケルト人どうしの争いやゲルマン人に押されて移動した。
ゲルマニアからガリアに移住してガリアにいた部族らが押されて
ブリタニアやイベリアへ移住していった。
イタリアに南下してローマと戦ったりバルカンに南下して
ギリシャ人と戦いアナトリアへ移住してガラティア国を建国した。

603 :
元々居た未開のケルト人が後から来たより野蛮なゲルマン人に追い払われたり飲み込まれただけの事。
カエサルが騒がしいガリアを鎮めに行った時も原因はライン川の向こうからゲルマン人が侵入してくる
所為だったので、これを討ってライン川を越えてこないように言いつけた。ちなみにゲルマン人が進出してきた
目的はガリアよりゲルマニアの方が土地がやせていて貧しい生活を強いられたから。

民族大移動後のゲルマン人がローマ化したガリア人に飲み込まれたのは中華に侵入した遊牧民族が
中華文明に飲み込まれたのと同様。モンゴル人だけはモンゴル高原に帰ったけど。

604 :
ヨーロッパ側のフロンティアって
カエサルのガリア遠征以来、
カール大帝のザクセン戦争まで全く東に進んでないんですよね?

605 :
>>603 ちょっとくらい農業が進んでて人口が多いくらいじゃ屁のツッパリにもならないってことか

606 :
>>604
アウグストゥスがエルベ河まで併合しようとした。
ローマ支配を避けてマルコマンニ族がボヘミアへ
南下移住したので、討伐しようとイリュリアで
徴兵したらイリュリア人が反乱したので鎮圧した。
イリュリア人の反乱を見習いゲルマン人らも反乱、
こちらは鎮圧に失敗してゲルマン人は再独立した。

607 :
>>604
そもそもそのヨーロッパなるものはカール大帝の頃に現在にまで続く基本形が出来たんだろ
キリスト教、ゲルマン的要素、ローマ的要素からなるヨーロッパという

608 :
ところで参考文献はまだですか?

609 :
ゲルマン人の大移動は気候変動が大きく関わってるってよく聞くね

610 :
フン族の西進による玉突き現象ではないかと

611 :
気候変動のせいでフン人が移動した説

612 :
375年フン族の襲来
376年:前秦、前涼を制圧・併合

前秦の圧力で玉突きじゃないのか?

613 :
草原の道の情報伝達速度は速そうだしな
それによる政治変動への反応も敏感そうだ

614 :
>>607
でも一番の主要要素は「ローマ」であり、
キリスト教はローマのシンボルかつローマ文化の媒介のような気が
ゲルマン人はローマのフロンティアに入っただけ

615 :
ローマが存在しなければイタリアと
イベリアはケルト化していたのだろうな

616 :
カルタゴの動向しだいじゃないかな
なんとなく、ローマとの衝突がなければ内陸深くまで行くことはなかった気もするが

617 :
>>614
言語からしてラテン語じゃないんだし、サリカ法典等のゲルマン法の影響も強いから、
そりゃないだろ
キリスト教がローマ文化のシンボルとかあり得ないでしょ
ローマの国教になったのは西ローマの終わりの方じゃないか

618 :
>フン族の西進による玉突き現象
1世紀後半に後漢が北匈奴をやっつけて西方に追い払ったのが発端ってことになるな

619 :
東から西へ、北から南へ
というのが遊牧民のトレンドなのかね
西から東へ、というパターンはあまりないような気がする
アーリア人達が東に行かなかった理由も、この文脈の中にありそう

620 :
アラビアの遊牧民たるベドウィンは、完全にセオリー違反だな

621 :
元々モンゴルと隣り合ってたのがレナ川流域に移動したヤクートは北へ行った遊牧民の一つに数えられるな

622 :
アーリア人ではないけど匈奴と月氏は西からやって来たみたい
アーリア人とかに押されて周や匈奴は華北に侵入したらしい
月氏と烏孫が匈奴の配下になる事を拒んで西へ移動したので
東から西に逆流した

623 :
>>617
日本や朝鮮では仏教が中国のシンボルかつ、
中国文明の媒介だったのと同じじゃね

624 :
>>619
アレクサンドロスのマケドニアに圧迫されて東へ逃げた遊牧民も居たんじゃない

625 :
>>622
マッサゲタイに圧迫されてスキタイが黒海北岸に到達したんじゃないのか?
どっちも広義の"アーリア人"だけど

626 :
マッサゲタイは東から来てスキタイを追い出したのだろうか?
東からきた大月氏にサカ族は南へ追い出されたけど
スキタイが南ではなく西へ追い出されたという事は
南がふさがれていたという事でありマッサゲタイは
南から北上したのかもしれない

627 :
河西回廊で遊牧してるやつらがヒャッハーするときは、東へ向かうな

628 :
南はペルシャが居るから北か東だろ

629 :
スキタイが移動したのはアッシリア時代で
ペルシャがイランを統一していなかった

630 :
>>619
突厥
そもそも遊牧そのものが黒海周辺で発生して日本海近傍まで伸びて来てるだろ

631 :
いや、日本海に近づくと気候がやや湿潤になるから、
ツングース系諸族みたいに半農半猟みたいな生活が優勢になる
遊牧はやはり乾燥地帯で優勢だな
もちろん半農半猟部族でも遊牧民に匹敵するくらい好戦的な連中もいたが

632 :
まさにゲルマンとかか
ゲルマンや女真を考えると、アイヌも大躍進する可能性はゼロではなかったと思うけど
実際樺太ではあのモンゴルを撃退したそうだし

633 :
刀伊の入寇なんてのもあったな

634 :
>>631
支那史だと遊牧民は「猟民」「猟戸」って出てくるよ。商周のような半伝説時代から清末まで一貫している。
バリバリ遊牧政権のモンゴル帝国での「一官二吏三僧四道五医六工七猟八民九儒十丐」という日本の士農工商みたいなヤツ、
七番目の「猟」は無位無官の遊牧民。ちなみに八番目の「民」というのが農家だ。
半猟半農というは、半牧半農と同じ

635 :
西戎、北テキは遊牧民だろう
南蛮と東夷は農耕メインじゃないのかな 雨多いし

636 :
>>632
北海道と南樺太だけでは人口少なそう

637 :
ローマ時代に50万人ぐらいだったアイルランドは
19世紀に800万人になった

638 :
ジャガイモとサトウダイコンがあればな

639 :
>>584
だからソース出せってあちこちで言ってるのに
まあ仮にスラヴ祖語がケントゥム語だったとしてもゲルマン語との距離はぜーんぜん縮まらないんだが

640 :
>>625
スキタイに圧迫されたキンメリア人が西ではなく
南に移動したのも不可解と言えば不可解
当時のダキアやパンノニアにはキンメリア人が
勝てない強大な勢力があったのかも

アーリア人ではないけど印欧語族のトハロイは
ミヌシンスク盆地から天山山脈周辺に南下した
トハロイに押されて東へ移動した諸族の末裔が
匈奴や月氏なのだろうね

641 :
>>584
第二次口蓋化の特徴がないからって古ノヴゴロド方言がスラヴ語の枠をはみ出るわけではないし、
東スラヴ語群の一方言という枠からも出はしない
ましてやゲルマン語との密接な近縁関係の証明となり分離年代を数千年も早めるなんて噴飯物もいいとこ

この電波の震源地はwikipediaの「スラヴ語派」の項目らしいが、
どっかのバカが1人で暴走してるだけらしく
ソースの論文もリンク切れ つか削除?w

642 :
むしろ古ノヴゴロド方言が、口蓋化子音だけを単品で発音できない言語の話者がスラブ語に切り替えたことで生まれた方言ってことはないのかな
それこそ基層はウラル系とか

643 :
★マインドコントロールの手法★

・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法

・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法


偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い


10人に一人はカルトか外国人

「ガスライティング」で検索を!
...

644 :
>>641訂正
誤> 分離年代を数千年も早める
正> 分離年代を数千年も遅らせる

>>642
第二次口蓋化が解消されていわば「先祖返り」を起こす現象は
17世紀のロシア語にも一部で起こったらしい
ruka(腕)という単語のkが格によってchに口蓋化していたのがkに変化した(より規則的になった)
活用・曲用に関しては類推で起こり得る変化
ウラル語との接触は、もっと前に軟音化の現象を起こしたと考えられていて
(軟音化すなわち口蓋化は母音調和を持たない言語が持つ言語と接触すると起こりやすい)
その考えに従うなら疑わしい
言語接触は情況証拠でしか言えない事が多いが、ノルド人の影響かもしれない

645 :
>>644
んじゃあ、なんで、ухоとかдругとか動詞のмочьとか
格・人称・数で一部の試飲が変わってしまうまま残ってるん?

646 :
>>640
匈奴は周代あたりからオルドス付近に蟠踞してた淳維、西戎、犬戎、
鬼方、ケンイン、クンイクなどが前身って説もあるようだけど・・
もちろん西方からやってきた群と混合した可能性も十分あると思うが

647 :
>>645
名詞については同じ普通名詞で、しかも身体名詞・人間名詞という条件だから未知数だね
頻度の差として説得力のある理由を調べて出せるかはわからない
17世紀の変化は元々ごく一部で起こったということで、何か音的な条件があったのかもしれない
それらの語にも起こったのが規範によって押さえつけられたり一部方言にのみ残ったりしたのかもしれない

648 :
>>646
アファナシェヴォ文化=トハラ人
オクネフ文化=モンゴロイド
アンドロノヴォ文化=アーリア人

ミヌシンスク盆地のアファナシェヴォ文化は
紀元前2500年に終わり住民がタリム盆地に移動した
とされるからこの民族移動は周代よりもはるか以前

649 :
月氏はトハラ語しゃべってたってのが有力になってきたんだろ?
クシャーン朝以後に現地のイラン系バクトリア語になったという流れでさ
ということは、月氏はタリム盆地から河西回廊に侵食してきたんだろ

650 :
言うまでもない事だけどトハラ人が南下する以前に
タリム盆地に先住民がいたはずだからその先住民も
トハラ人に押されて移動したはず

651 :
小河墓遺跡(BC2000年頃)より古い遺跡って、タリム盆地で発見されてるんだっけ?

652 :
マダガスカルとかニュージーランドじゃないから誰かいたはず

653 :
克里雅人とかいう未識別民族がいるそうだけど、そのトハラ以前の先住民の末裔なんだろうか

654 :
なにそれ  クリミヤ人って読めないか?w

655 :
克里雅人はグゲ王国の後裔だとか楼蘭の末裔だとか古くからの砂漠の民だとか
色々言われてるらしいな
すごく原始的な生活をしてるというけどウイグル語を話すムスリム(たぶん)の特殊集団らしい

656 :
トハラ人の外見はウクライナ人に酷似していそうだな。

657 :
ケントゥム語派だからなぁ
サテム語派のスラブ系ウクライナと外見が似たとしてもたまたまとしか

658 :
ミヌシンスク盆地の近辺には現在シベリア・テュルク系の民族が住み、その中にはトゥヴァ人やトファラル人というのがいるけれども
名前の似ているトハラ人とは何か関係があるのかね?

トファラルは旧称がカラガズ、つまりは堅昆の末裔を名乗ってる様だが

659 :
隋書あたりで都播との表記がみられるから、トゥバという発音は少なくともその時点からほぼ固定されてる。
トファラルはトファ人ともいい、普通に考えればトゥバからの派生もしくは転訛だろう。
一方で同時期のトハリスタンのトハラは吐火羅と書いていて、おそらく「ハ」の部分は口蓋音っぽい発音。
正直言ってこの二つの単語は、あまり近い気がしない。
ぶっちゃけ吐蕃のほうがトゥバ近い発音だが、それでチベットとトゥバの関係を云々いう者はいない。

660 :
東南アジアのはドヴァーラヴァティーを転写したのかな
そして日本のトカラ列島は...?

661 :
タシュティク文化(紀元1世紀から4世紀) = 堅昆

>>656
ウクライナからカザフスタン北部をへてミヌシンスク盆地まで肥沃な黒土地帯
おそらくフン族はこの黒土地帯を移動してきたのだろうね

烏孫、大月氏、トハロイ、アシオイ、パシアノイ、サカロウライらは
甘粛からジュンガル盆地をへてフェルガナ、ソグディアナ、バクトリア、
そしてインドへ向かう通商ルートを移動した

662 :
エニセイ・キルギスは中国史書においてコーカソイド特性の強い描写がなされているし、
タシュティク文化の遺跡から出土した仮面からも混血的容貌が見て取れる。
ただそのコーカソイド的性質がトカラ系かイラン系のいずれによるものなのかは分からない。
普通に考えれば、時代の下るアンドロノヴォ文化の痕跡すなわちイラン系と見るのが妥当かと。
その後テュルク系をはじめとするモンゴロイドと混血がさらに進み、現在の容姿になったんだろう。

663 :
タシュティク文化は4世紀で終わったとされるから
アファナシェヴォ文化人がタリム盆地に移住したように
タシュティク文化人もどこかへ移住したのでは?
4世紀後半にフン族がアラン族を征服したとされる

664 :
トハラ人がタリム盆地に移住した当時のタリム盆地は肥沃だったとされるが、
砂漠化により小河墓遺跡とかが放棄され、後から移住してきた砂漠慣れした
イラン人により楼蘭とかが建設された。
タシュティク文化人がトハラ人の様にタリム盆地に移住する事は困難になっていた。

665 :
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/night-tale/011.htm
これ見たら、
西欧ではテオドシウス朝に東西に分かれたのではなく、
コンスタンティヌスが西側を当時の教皇に与え、
自分は東側に移ってその結果分裂したということらしい

666 :
後漢に木端微塵にされた北匈奴の残党が
欧州では向かうところ敵なしになったのだから、
ロマンを感じずにはいられない

667 :
北匈奴 → 悦般

668 :
黄色人種って戦闘民族だったんだな

669 :
遊牧民は体が弱い者は遠くに移住しないで残ることがある。
一部は悦般として中央アジアに残り、さらに西方へ向かった者たちがフン族になったのだろう。

670 :
>>662
その一方で、遺跡の人骨を調べると、ブロンドの髪であったりする。
トカラは欧州系なのははっきりしているが、古代イラン系も欧州的だったのか否か。

このあたりは今後の調査結果を待ちたい。

671 :
>>665
ディオクレティアヌス帝のときに4分割統治を始めたのがそもそもの起源。
その後離合集散を繰り返した末、テオドシウス帝の子の東西2分割が最終的分割、
二度と合体すること無く西帝国の解体へ突き進む。

ギボンは、実質的な東西分裂は364年のワレンティニアヌス1世とワレンスの分国統治の
時であると書いているね。

672 :
アスカ君?

673 :
諸子百家の時分には、黄髪というだけで尊敬されてたからな

674 :
>>671
西欧人の認識によると、
・コンスタンティヌスが西半分を教皇に寄進した
・西ローマ?何それ?

675 :
>>669
体が弱くて遠くに移住できない者は亀茲の北に住んだ

676 :
>コンスタンティヌスが西半分を教皇に寄進した
西欧史最大の偽書のことだねw

677 :
コンスタンティヌスの寄進状

叙任権闘争

678 :
タシュティク文化は4世紀で終わったとされるから
トハラ人がタリム盆地に南下移住したように
タシュティク文化人もどこかへ移住したのでは?
トハラ人が移住した当時のタリム盆地は肥沃だったが
砂漠化の進行により小河墓遺跡とかが放棄され
西からきたアーリア人により楼蘭とかが建設された
タシュティク文化人がトハラ人の様にタリム盆地に
移住する事は砂漠化の進行により困難になっていたはず
フン族が4世紀後半にアラン族を征服したとされるけど
タシュティク文化人はフン族の移動に参加したのかも
あるいはアラン族や東ゴート族のようにフン族に征服され
タシュティク文化は滅亡したのかも

679 :
トハラ人の小河墓遺跡はインダス文明と同世代だな
ともに砂漠化で衰退してアーリア人にとって代わられた

680 :
木村拓哉の映画、HEROの舞台が「ネウストリア公国大使館」ていうのに
思わず反応する俺であったw

681 :
ようするにフランス大使館ですね

682 :
トハラ人はR1b主体かね?

683 :
おそらくはイエス
アナトリアを離れたのち、東方にむかって細っていくR1b比率が東トルキスタンで急に増える
その母体となっている可能性があるのは、ケントゥム語派だったトハラ人以外に見当たらない
http://pds.exblog.jp/pds/1/201103/10/14/e0171614_127738.jpg

684 :
>>680
彼女と見に行ったわw
公用語?はフランス語だったなw食いモンはドイツ風だったがw

685 :
今まさに第二次欧州民族大移動はじまったな

686 :
EUを東と西に分けて
東はイスラム教徒に渡すってのはどうなん?

687 :
多人種のメスに多く種付けしたのはイングランドの男系遺伝子かな。
二位はスペイン。
三位はドイツか。
圧倒的に最下位は東アジアだな。
どこにもないw東アジアのメスはどこにでも
大量に見つかるのにね。

688 :
アジアでは暴れん棒
タイとか原住民と華僑の線引きがあいまいになってる

689 :
英国・アイルランド人の起源は整理したいね

690 :
Rは東ではテュルク系になったのかね?
CかQかRのどれかがテュルク系なんだと思うけど

691 :
ISIS=フン族
シリア人=ゴート族
EU=ローマ帝国

692 :
>>688
タイとジャワでは華僑の同化傾向が大きくて「祖先が華人だった」という程度の人が多いらしいな
華語も知らなかったり

693 :
ゲルマンに蹂躙されるローマ、五胡に中原を奪われる漢族
堕落した文明は野蛮に負ける

694 :
ゲルマン蛮族によって都市が破壊され
イスラム勢力によって地中海を奪われ
文明が衰退した暗黒時代・・・

695 :
>>693
堕落とか大仰なことじゃなくて、豊かになって命の値段が上がると、値段が安い連中に蹂躙されるってだけかと。
そしてそれは今もなお同じかと。

696 :
【超贅沢三昧!】古代ローマ人のめちゃくちゃ快楽生活色々 ランキング!
https://www.rankingshare.jp/rank/aufocmszwg


文化的な生活水準

帝政ローマ時代のローマ市民=中世ヨーロッパの王侯貴族

697 :
なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。

最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。

しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。

中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。

その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。

698 :
ヴァンダル族って王国滅亡後はどうなったの?カルタゴみたいにみんな奴隷にされて売られていったのかね?

699 :
ゲルマン人の大移動って今でいうと日本に中国人が大量に押し寄せるようなイメージ?
そら無茶苦茶になるわ

700 :
>>698
ゲリメルが東ローマの一領主になってるから
貴族層はアフリカから切り離された土地で領主
それ以外はアフリカの東ローマ軍に編入されたんでね

東ローマに抵抗する層はアンタラスに代表されるムーア人首長に合流して戦ったりとか

701 :
北アフリカがイスラム化しなかったら、スペイン語のゲルマン由来の人名みたいに、ヴァンダル語由来の人名が今でも普通だったりしたのかな

702 :
ヴァンダルはスラブ系というのが定説となりつつある

703 :
ということは英語のwanderと同語源とされるヴァンダルは、自称ではなかったということか
そもそもゲルマンでないとすれば

704 :
上の方にもあるけどゲルマンって結構曖昧だったりする
スラブ、ケルト、ラテンなどの混成というのが実態だろう

705 :
【人類史上】ローマ帝国【もっとも幸福な時代】
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1455149660/

706 :
ゲルマンって何百年もローマと対峙していた割にはフン族にあっさりボコられてるし
強いのか弱いのかよく分からん

707 :
ゲルマン蛮族とキリスト教会の所為で高度なローマ文明が台無しに…

ゲルマン蛮族「ヒャッハー!ローマ文明SUGEEE!でも俺には扱えねえし修理もできねえww」
キリスト教会「イエス様の教えこそ大正義!それ以外は邪教!アレクサンドリア図書館も破壊するわ」

708 :
ローマ文明って高度だっけ?
ギリシャ文明引き継いでるからそれなりにレベル高いけど、ローマ自身が生み出したものって少なくね

709 :
中国とかよりはずっと高度だろ

710 :
ゲルマン人たちがローマの文化と伝統を破壊したというイメージがあるけれど、
実は、ローマ文明に憧れ尊重したゲルマン人の王は多かった。
またキリスト教会も異教徒は排撃したが、ローマ帝国自体は否定していなかった。

旧西ローマ帝国領における文明を荒廃させてしまったのは、キリスト教の浸透や、ゲルマン人の侵入以上に、東ローマ帝国との抗争。

罪深きは、ユスティニアヌス。
そして、ユスティニアヌスに、彼には不釣合いなほど名将だったベリサリウスとナルセスを与えた運命。

711 :
東ゲルマンとアリウス派がなくなったのは少し残念

712 :
>>698
ヴァンダリズムという単語を残したな

713 :
トランシルバニアのゲピドというのが残っててほしかった
東西ヨーロッパ文化圏の折衷的な文化

714 :
ドイツのスラブ系のソルブ人の文化じゃ不十分?

715 :
>>714
東西の境じゃないし、独自性あるの?

716 :
フランス以外は、
全くつながりがないな

717 :
ローマ時代のゲルマニア
http://www.kaho.biz/germania.html

718 :
ゲピード王国について研究中

719 :
一世紀のゲルマニア
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Germanen_50_n._Chr.png

720 :
東ローマやイスラムが古代ギリシア・ローマの知識を温存できたのに
ゲルマン諸国にはそれが出来なかったのはやはり文化程度が低かったから

721 :
シリア難民は現代のゲルマン大移動なのだろうか

722 :
>>702
ホントかよ

723 :
ゲルマン諸族の王様の名前には語尾に王を意味する
リク(テオドリク,アマラリクなど)がよく付いてるけど
あれって王位継承予定者の誕生時,こういう王であって
ほしいという願いを込められて付けられる物なん?

724 :
ヴァンダルはスラブ系
スエヴィはケルト系

これホント?

725 :
ヴァンダル=ヴェンド

726 :
普通

727 :
グラディウスやスパタから中世の剣に進化したのっていつ頃?

728 :
>>725
そうするとヴァンダルの子孫が残っているかどうかは
遺伝子R1aでわかるということかな

729 :
ヴァンダルだけでも続いててほしかったな
今だと北アフリカはイスラムでアラブ人の国ばっかだからつまらなさすぎ

730 :
>>723
リクはリチャードのrichと同じ
英語でいうrichと語源が同じ
富とか権力をさす言葉
ドイツ語ではライヒは国
印欧語の類語でいうとラテン語のレクス、サンスクリット語のマハラジャのラジャ
どっちも権力者の意味
だったと思う

731 :
キリスト教ってローマ帝国が東方からの影響を受けたミトラ教の排撃に利用したっぽい。

732 :
大昔のボヘミア王プシェミスル=オタカルのオタカル,
綴りの似てるオスカーではなく,かのオドアケルの
チェコ語形だと知ったのはずっと後の事ですた。
この2つですが

オスカー:神の槍
オドアケル:富の番人

で同じゲルマン起源ながら意味としてはお互い異なってたんですね。

733 :
オタカルってハプスブルグ家に殺されたヤツ?

734 :
そう

735 :
ゲルマン民族大移動のおかげで
遺伝子Y1が欧州各地に広まったようだね

736 :
なんだそれ?

737 :
>>735はキチガイ

738 :
シチリア島にもI1が何%か見られるのはノルマン人のおかげ

739 :
イタリアでは、ローマ時代はパン・オリーヴ油・野菜が中心の食生活だったが、
ゲルマン民族が侵入してくると肉中心の食生活に変わっていった。
中世では肉を食べないのは貴族としては脆弱・頽廃の印にほかならないと軽蔑されたのである。
男らしさのシンボルは狩りと肉であり、農業やその産物は「女のような性格」だとされた。
油についても、動物性のものが優遇され、北からのラード・バター・種油が、
南のオリーヴ油と対抗して食卓に進出していった。
オリーヴ油は食材としてはなかなか恵まれた地位を得られず、中世では長らく
薬・化粧品・灯明・宗教儀式などに使われていた。
オリーヴ油の食用消費が増えるのは、近代になって、挽砕・採油技術の向上が
可能になってからである。

740 :
イタリア人の青い目はともかく金没はゲルマン人の遺産だろう

741 :
次郎らもにも何%かはゲルマンの血が流れてるのかな

742 :
地中海人種はアジア人とあまり変わらない顔つきだからな
白人的な要素が少しでもあれば混血してると言えるだろうね

743 :
>>741
あいつはナポリだからね
混じっていない可能性が高い

744 :
実際の所イタリア人は100%混血
ゲルマン的な形質が多く出るかどうかの差があるだけだよ

745 :
教義論争で敗れたアリウス派の僧侶はゲルマニアに行ったんだよな
それでも蛮族相手にちゃんと布教できちゃうあたりがすごいところ
なんかDQN高校に赴任した熱血教師みたい

746 :
何割かは確実にボコられただろうな

747 :
ローマのスパイと疑われて殺されるかと思いきや
意外と受け入れられている不思議

748 :
しかしそのアリウス派も定着しなかったけどね

749 :
対多神教教徒用モデルの三位一体説にはかなわなかったか
精霊のところにありものの土着の神を入れればなんということでしょう、どんどん入信していくではないですか

750 :
アリウス派が奉じられてた6C後半の西ゴート王国で父王に反旗を翻した
アタナシウス派信者の王族がいたっけ

751 :
結局歴史的になんの意味もはたしていないわけか、アリウス派は

752 :
アリウス派云々はおいといて,のちにローマカトリックに反発しておこった
プロテスタント各派はゲルマン系諸地域に広まっていったのな

753 :
>>751 アリウス派が狩ってたら、ゲルマンの異教由来の要素は今以上に後世にさらに残らなかったか
それこそワーグナーの作品も生まれなかった?

754 :
>>752
そこまで1000年以上かかったのか

755 :
教会「ケルト神話?北欧神話?スラブ神話?邪教は禁止です」

教会「ギリシャ・ローマ神話?まあ、いいんじゃないの」

なぜ容認されてるんだろうね

1月 January ローマ神話で"物事の始まりと終わり"をつかさどる神ヤヌス(Janus)
2月 February 古代イタリアの清めの神Februus
3月 March ローマ神話の軍神マルス(Mars)
4月 April  ギリシア神話の女神アフロディテ(Aphrodite)
5月 May  ローマ神話の豊穣の女神マイアス(Maius)
6月 June  古代ローマの結婚や出産の女神ジュノー(Juno)
7月 July  カエサル(Julius Caesar)
8月 August 初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)
9月 September ラテン語でseptem「7番目の月」の意味(3月を初月として)
10月 October  ラテン語でocto「8番目の月」の意味(3月を初月として)
11月 November   ラテン語でnovem「9番目の月」の意味(3月を初月として)
12月 December  ラテン語でdecem「10番目の月」の意味(3月を初月として)

756 :
あくまでも神話として記録され続けたのであって信徒や教団が維持されていた訳ではない

757 :
ローマ帝国がキリスト教の布教を認めてもローマ暦がそのまま使われた。
それを各宗派が公式採用したので後から変更すると混乱するのでできなくなった。

758 :
そりゃキリスト教はローマ帝国を乗っ取った宗教だからな
それだけではなくローマ帝国のグレコローマン文化によって
ユダヤ教原理主義メシア運動の一つでしかなかったイエスのカルトは
哲学や科学と融合した地中海の大宗教にまで成長したのだ
豚肉食って割礼しないで今さらユダヤ暦でもないだろう
ローマの多神教が政治的な儀式だけのものだったのはキリスト教徒も知っていた
公認され国教になってからもローマの政治体制そして文明主義を引き継いだ
ローマにとって「野蛮」だったケルトやゲルマンやスラブの文化は
キリスト教にとって単に「異端」なのではなく
「非文明的」という意味でも不要な存在だったのだ

759 :
>>750
その王族の名前ってフランコ総統のサードネームと同じだったような気がする

760 :
>>758 ひょっとしてクロムウェル率いる清教徒は英語の曜日の名前を変えようともしてたんだろうか
火曜から金曜まで日替わりでゲルマンの神々てんこ盛りだけどw

761 :
ゲルマニクス哀れなり

762 :
いわゆるゲルノン人のなかにも
今でいうケルト系とかスラブ系はたまたイりリア系が含まれているのご存知?

763 :
>>755
ロシア語では6月と7月が異様に似ているな  イユーニとイユーリ

764 :
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

KJNBB

765 :
イタリア半島にはランゴバルト王国が滅亡した後、中部イタリアに
旧ランゴバルト王国の遺制を残す「小ランゴバルト」のスポレート公国、
ベネヴェント公国(のち、ベネヴェント侯国、サレルノ侯国、カプア侯国に分裂)
があった。

766 :
>>763
ロシア語の火曜と水曜が異様に面白い

火曜  太ーる肉
水曜  スリだー

767 :
>>731
ヨーロッパに流入したキリスト教・ミトラ教のうち
後者が負かされ衰亡した理由は、何だったの?

768 :
アリウス派が勝てなかった理由は?

769 :
>>712
イベリア半島のアンダルシアはヴァンダルが起源らしいな
シュヴァーベンはスエヴィー族由来

770 :
ヘプターキー(アングロサクソン七王国)は、今日の目で見れば、王国というよりは
地方の豪族に近く、その他にも小国、属国など多数が群雄割拠して武力によって
覇を競っていた。
やがてその中から、優れた指導者を有する王国が覇権を握るようになった。
最初に優位を占めたのはノーサンブリアであった。
この王国の王位継承は必ずしも円満にいったわけではなかったが、エドウィン、
オズワルド、オズウィなどの有能な指導者に恵まれ、ノーサンブリアは
黄金時代を迎えた。
この地にはいち早くアイルランドからケルト系のキリスト教が浸透し、ラテン語での
読み書きを中心とする教育が普及した。

771 :
フランク族の分類の仕方って大きく分けるとサリとリプアリに分かれるけど、ブルクテリ、シカンブリ、カッティ、ケルスキ、カウキといった支族はどちらに所属するのかわかりますか?

772 :
友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

8U3

773 :
ゲルマン民族大移動のおかげで
遺伝子Y1が欧州各地に広まったようだね

774 :
ローマのカエサルに皆殺しにされ空き地になったケルトの土地に
北から流入して起きたのがゲルマン民族大移動ということ?

775 :
>>774
時代が違う。空き地になるほど虐Rるってカエサルは頭おかしいのか?

776 :
>>775
>時代が違う

そうでした、トンデモ書込で申し訳なかったです

777 :
>>776
一応説明しよう。気候変動かなんかの理由で中央アジアのフン族が西に移動してチンギス・ハンの
モンゴルみたいに各地で暴れまくった。フン族から逃れるためにゲルマン系のいくつもの集団が
西へ移動して玉突きして全体としてゲルマン民族が西と南に移動する動きになった。
ライン川を越える者もいた。そして西ローマ帝国を滅ぼす結果になった。

778 :
ゲルマン人が移動した空き地にスラブ人が進出したというのは歴史的事実

779 :
チンチンギスギスハァンハァン

780 :
エビフライハ-ン

781 :
ゲルマン人のセックスってめっちゃ荒々しそう

782 :
アレマン人の大半はR1b

https://sicambre.at.webry.info/201809/article_12.html

783 :
ランゴバルド人の遺伝子研究結果

http://www.nature.com/articles/s41467-018-06024-4

784 :
西ゴート王国
フランク王国

785 :
ローランド・エメリッヒのエメリッヒだけどこれってエルマナリク(グルツンギの王)と
アマラリク(6Cの西ゴート王)、どっちのドイツ語形なん?

786 :
フランク王国ではなくアラブ人に制圧されたイベリア半島

フランク王国に制圧されなかったものの,文化・生活様式面で
フランク化したヴァイキングであるノルマン人に制圧された
イングランド

787 :
インド系民族(アーリア人)が建てた諸国
インド、パキスタン、ペルシャ(イラン)、スリランカ、ネパール

中国系民族が建てた諸国
中国(諸王朝があったが征服された)、シンガポール

他にアラブ系、ロシア系、マヤ系諸国
最近だと英系諸国

788 :
”古”フランク語はあるけど,中期フランク語を経てのフランク語は
現存してないのな

789 :
ハンガリー人の一部にゲピーデンの遺伝子が・・・

790 :
>>77
「遊牧」とは「狩猟」の一種(動物の群の制御を覚えた狩猟)だが、遊牧民て戦争しまくりだよ

狩猟民(女真族など)が武力で略奪→奴隷に農作業させ半農半猟、の形態もあるが
遊牧のモンゴル帝国の侵略については説明不要

・狩猟民  不猟時には縄張り争いや略奪するし、武力を背景に交易しつつ弱い相手は狙う
→・遊牧民  毎日が軍事訓練を兼ね、日常的に略奪+戦争が日常的

工業社会で銃器が発達するまで、力関係では、狩猟・遊牧≧農耕だった

チンギス・カン(狩猟民の一形態である遊牧民)

 「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、
 その所有する財物を奪い、
 その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」

791 :
>>77
また、アイヌは、交易に依存する「職業的な狩猟採集民」だが
他の部族を虐Rるなど、好戦的に拡大して各アイヌ部族同士での紛争も頻繁だった

 オロンコ岩(アイヌが敵対する先住オロッコ族を虐殺した伝承がある)
https://shiretoko-style.com/ho0516/

> アイヌ以前と伝えられる先住民族「オロッコ族」(Orokko=ウィルタ族)がその名の由来で、
> 少し南にある亀岩(チャシコツ崎)にはアイヌのチャシ(砦)があり、
> オロンコ岩のオロッコ族と対峙していたといわれています。

「北の元寇」といわれる戦争は、利益目的でアイヌ(加害者)がニヴフに侵略したため
ニヴフの訴えにより
ケツ持ちの元朝がアイヌを何度も懲罰し、アイヌは元朝に臣従(以降歴代の中国王朝に朝貢)

http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%83%82%83%93%83S%83%8B%82%CC%8A%92%91%BE%90N%8DU/5/

> 日本では鷲羽は、アイヌ交易の代表品として捉えられており[25]、
> アイヌは鷹羽・鷲羽流通の掌握を狙っていたと思われる[26

792 :
狩猟民族同士の縄張り争いでも、追い出された先に定着できなければ全滅

793 :
よくあるパターン
狩猟民、その変種の遊牧民、は農耕民と交易しつつその軍事力で農耕社会への略奪を繰返す

794 :
「史記」や「竹書紀年」読んでると春秋諸国から戎や狄にちょっかいかけてることがほとんどだがな
殷の王国貴族は羌族で人間狩りを楽しんでいた
驪山に暮らしらしていた驪戎であったが晋に皆殺しにされた多くの女たちが戦利品として晋の王侯貴族の慰み者になった
献公の妃の驪姫もその一人 
李牧の守っていた代はもとは代戎と呼ばれる遊牧民が暮らしていたが趙が皆殺しにして奪った
秦の領土はもとは関中盆地に限られていた
隴西郡・北地郡・上郡は宣太后の時代に義渠と呼ばれる遊牧民から奪った土地
匈奴が秦漢と戦ったのは漢族に奪われた彼らの故地であるオルドス地方を取り返すため

795 :
オルドスも一時は緑豊かな森林草原地帯だったらしいね

796 :
基本的に奴隷制が発達するのは農耕社会に入ってからだからな
沢山の奴隷の供給が必要になるから必然的に戦争も多くなる

797 :
バイエルン、フランクは多民族の集合体だったんだな
単一民族のシュヴァーベン、ザクセンとは毛色が異なるんだな

798 :
フランキスカで武装して共同体に参加する者がフランク人であると言われるのと同様に
サクスで武装して共同体に参加する者がサクソン人であると言われていて、
つまりサクソンもフランクと同様です。

シュヴァーベンはカエサルと戦ったスエビ族の末裔の一部らしいがよくわからん。

799 :
源氏と平家みたいなものか

800 :
近年スエヴィがケルト人との説があるね
けっこう有力らしい

801 :
なぜ住民総出で戦わなかったの?
ゲルマンと

802 :
出所不明なものは何でもかんでもケルト人にするという風潮は如何なものかと

803 :
ゲルマン人と言っても
その数百年前はケルト人だったと言うのが多いからな

804 :
アラリック、テオドリック、ガイセリック、
リューリック、フレデリック と〜リックという
名前が多いのは何で?

805 :
他にも、キルペリック、アタラリック、アルダリック、
ヒルデリック、フネリックなんてのもあるね。

806 :
なぜならリックが「支配者、王」をあらわす言葉だから
ちなみにガリア語では rix という語が同等で、古ゲルマン語と大きな乖離はない
カエサルを悩ませたヴェルキンゲトリクスなどが例にあげられる

807 :
>>804
〜リックは英語読み
ドイツ語では〜リッヒ

アラリッヒ、ガイセリッヒ、フリードリヒ

808 :
フランス人の英雄ヴェルキンゲトリクス!

809 :
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

810 :
ティラノサウルスレックスのREXと一緒だよな

811 :
>>806
それはケルト語とゲルマン語が「特に」近いみたいな変な誤解
(このスレでは両者に区別がない、実は同じ、みたいな誤解が相変わらずあるが、言語の上ではとんでもない)
イタロ=ケルト語というぐらい、
ケルト語はラテン語を含むイタリック語派により近く、一つの語派が比較的新しく分かれたものと考えられている
この例では違いが分かりづらいが、ガリア語のrixはラテン語のrex「王」に近いことにもっと意味がある
ラテン語にはrego「支配する」(不定形regere)という生きた動詞があり、名詞とは派生関係にある
ゲルマン語の場合はこれらとともに印欧祖語h3regsに遡り、他にサンスクリットのraja-n「王」とつながっている
西欧の諸語派でkやgで現れるものがインドではjになって現れるのもケントゥムvsサテムという現象の一端

812 :
ヴァンダリズムは許せない

813 :
朝鮮人

814 :
遺伝子面からのゲルマン人社会の特徴に触れている
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180927-00098231/

ハンガリーに居住していたころのランゴバルド人は、
子供を産ませた女性がゲルマン人か否かで墓を別にしていたらしい。
自分はゲルマン人女性と一緒に埋葬され、ラテン人女性母子の墓とは区別していた
本妻はゲルマン人、妾がラテン人と言う認識なのだろう
ただしイタリア侵入後はその区分けは解消していたようだが

815 :
西ゴート王国のゲルマン起源名はゴート語由来、
アングロサクソン時代におけるイングランドのゲルマン起源名は古英語由来、
スカンジナヴィアのゲルマン起源名は古ノルド語由来

としてフランク王国でのゲルマン起源名はフランク語由来ではなく古高ドイツ語
由来なのか。

816 :
新大陸へのゲルマン民族大移動、19C頃さかんにおこなわれてたけど
独自に王国を作る事はなかったなw

817 :
ワイアット・アープのワイ、
ヴィヴァルディのヴィ、
ルートヴィヒのヴィヒ
ゲルマン祖語まで遡れば同語源だったの最近まで知らんかった。

818 :
>>816
新大陸では君主国は作りにくいらしい
ラテン系のほうがまだやっているけど、
ブラジル帝国にせよメキシコ帝国にせよ
それなりに続いたものの滅んでいる

819 :
民族大移動より前だけど,アルミニウスや彼が属してる部族が話してた言語って
ゲルマン祖語?
はたまた紀元前後の時点でドイツ語の元となったゲルマン系言語が存在してて
それをしゃべってた?(この頃はまだ子音推移おこってないよね)

820 :
>>819
第一次子音推移は紀元前1000年紀に起こったと推定されている
ゴート語を含めすべてのゲルマン語派に及んでいる特徴とされ、かなり古い
アルミニウスの生きた時代のゲルマン語なら当然その特徴はあっただろう

ゴート語は他のゲルマン語派よりも数百年古い記録が残っているため
動詞に双数主語の活用がある、動詞本体に受動態活用が残っている(コピュラや分詞を使わない)、
また後にゲルマン語派で発達したウムラウトがまだない、
コピュラなどで起こったロタシズム(英are, wereなどのR音に見るs,z→rという変化)がまだ起こっていない
といった古い特徴が残っているが、それでも第一次子音推移はすでに経験している

資料に乏しいので言えることはこれぐらいだが、第一次子音推移を経験していないゲルマン語の記録はない

821 :
名前の文化誌スレ向きとは思いつつあえて…

西欧言語圏のキリスト教徒の間で広く用いられているゲルマン起源名。
古ノルド語(北ゲルマン)、ゴート語(東ゲルマン)、古英語(西ゲルマン),
古高ドイツ語(西ゲルマン)由来の物があるけど圧倒的に多いのは
古高ドイツ語由来のやつか。

822 :
古高ドイツ語以外のゲルマン起源名で有名どころを
それぞれ挙げるとしたら
古ノルド語:Eric
ゴート語:Fernando,Alfonso
古英語:Edward、Alfred
あたりになるんかな

823 :
>>820
レス819のいう子音推移は6C頃におこったといわれる第二次のほうを
いってるのかも

824 :
アタナシウス派へ改宗したクローヴィスの名はルートヴィヒとか
ルイとかルイスといった形で西欧言語圏で広く用いられてるけど,
彼が属したメロヴィング朝の王朝名のもととなったメロヴェのほうは
サッパリのような

825 :
>>796
奴隷制の元は狩猟の一形態である遊牧だという話だな

>■『家畜文化』の蓄積
>メソポタミアなどの小アジアで、10,000年前にヒツジ・ヤギの家畜化が始まり、
>9,000〜8,000年前頃に「搾乳」、少なくとも6000年前までに「去勢」の家畜技術が開発されている。
>それ以来3,300年前の本格的な“騎馬遊牧民”に至るまで、

★> 『どのように家畜の群れを意のままに管理するか』という【家畜文化】が遊牧民には蓄積されている。
★>(※後にこれを人間に当てはめ、遊牧民は奴隷管理に長けていくことになる)

あと日本からの北方への漂流民も千島アイヌなど現地人の奴隷にされてたし
アイヌ同士でも奴隷制はあったからね

826 :
いちいち書いていないだけである意味どこでもあったみたい
古代ギリシャやローマ帝国、朝鮮李朝
アマゾン原住民同士でもあるらしいし、中国南部の少数民族間でもあったらしい、イ族

827 :
フランク族はゲルマン系+ガロ=ロマンの集合体だってフランクスレに
あったがこの場合はガロ=ロマンがゲルマン風の名を持ったりでゲルマン化
してったん?

828 :
>>800
スエヴィってシュヴァーベンの語源じゃなかったっけ?
シュヴァーベンといえばアレマニエン
フランス語でドイツのことをAllemagneというらしい
これは歴史が変わるぞ

829 :
・フランスから見たドイツ Allemagne アレマン人(スエヴィ人、シュヴァーベン人)の国
・ドイツから見たフランス Frankreich フランク人の国

830 :
スエビ人がケルト人、だったりゲルマン系とケルト系で混血・混成してても不思議はないな
おそらくライン境界のゲルマン人も同様だろう

831 :
ゲルマニア時代の白人が見てみたいわ ローマと混血していないだけに今より青目で白いんだろうか

832 :
色素的に今より青いってことはないか 今より肌が白いならあるかもなぁ

833 :
オーディンとかのゲルマン神話の神を信仰してたのは北方ゲルマン人だけ?
ゴート族とかはどんな神を信仰してたの?

834 :
ゴート系の名Farthinanthsは"大胆な遠征"という意味だが
オーディンにちなむ名前だったってのを人名関連の本で
見た事ある

835 :
ドイツに伝承する中世の英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の前半の主人公ジークフリートが
ノルマン神話のシグルズであり、その物語がゲルマン世界に広く共有されていた様子なので
神話も共有されていたと推測される。ゴート族がどうといった細かい話までは文字資料がないので不明。

836 :
ツェッペリンの移民の歌はゲルマン民族のイメージがあったが
ヴァイキングの歌だった

837 :
メロヴィング朝の王は、キルデリクスの時代には軍馬の供犠という、
きわめてゲルマン的な習俗を残しており、同王の時代には、
なお異教色の強い北西ガリアの一地方政権にすぎなかった

838 :
>>836
ヴァイキングってゲルマン民族だろ

839 :
なぜアルプスの南の地中海性気候の地域に移住したゲルマン人は独自の言語を保てなかったんだろう
ラテン系はそれこそ新しい移民のケベックを除いても、スイスのダボスみたいな寒冷地にまで住んでるのに
ロンゴバルド・ヴァンダル・ゴート・スウェビ、すべてラテン系などに同化された
夏涼しい気候の元でしか独自の生活様式は保ちにくかったのかな?
上層階級以外のゲルマン人も農民として住み着いたはずだけど
ようやく近代になってカリフォルニアや西オーストラリアにゲルマン系言語(ゲルマンとしてはパッチもんの英語だけど)が根付いたけど

840 :
ゲルマン系言語だから根付きにくい、なんてことは特にないだろう
移住先でもっと多数の民族と混血すればその中に溶け込んで言語が消える
混血せず孤立しつつコミュニティを保ったり
社会的地位が上位のままその言語が緩やかに近隣の民族にも共通語として使われれば
アフリカーンス語のように生き延びる

満洲語も漢人に多く交わる地域の順に死語となっていったが
新疆のシボ語(実質、満洲語の方言)のように孤立した集落で使われ続けて
今も数万人の話者を保っている例もある

841 :
アペニン山脈やスペイン・シエラネバダ山脈の山奥にゲルマン系言語の隠れ里を見たかったな
同じラテン系なら、アルプス周辺のフランコ・プロバンス語がなぜか南イタリアの山奥で話されてるくらいなのに(絶滅寸前だけど)

842 :
フランク人の中にガロロマンが混ざってたみたく他のゲルマン諸族の中にも
ローマ系とかローマ人の血を引いてる人がいたりして。
さすがにスカンジナビアのヴァイキングはわからんけど

843 :
ハプスブルク家はローマの名族の血を引くという嘘か本当かわからない伝承を持ってるんだっけ?

844 :
フランス・ノルマンディー地方のノルマン人の場合だと入植してきたヴァイキングと
現地のガロロマンの女性との通婚だけでなく、ガロロマンの男性がノルマン人に
同化という線も・・・

845 :
ゲルマーニア地方というロマン

846 :
>>839
カリフォルニアやテキサスも、現代の技術をもって国境を監視しているから英語文化を維持できてるんで、メキシコから無制限に移住してきてたら、とっくにスペイン語になっている

847 :
そしてオーストラリアは中国語とアラビア語に席巻されるか....
南アフリカのカラードや白人の母語も、何の干渉もしなければバントゥ―系との折衷みたいなクレオールになっていくのかな

848 :
カリフォルニアやテキサスも南の方は既にスペイン語圏だけどな

849 :
もはやロサンジェルスじゃなくてロスアンヘレス、アルバカーキじゃなくてアルブケルケ、トゥーソンじゃなくてトゥクソンか

850 :
>>849
もともとそうだったから、元に戻るだけだけどな

851 :
ヨーロッパはそのうちイスラム教徒にのっとられるんだろうか

852 :
内戦だな

853 :
日本の人口は、今後80年間で今の半数以下になる
そうすると、財界からは当然移民を入れろという要求が出てくるだろう
そして、中国人、韓国人、イスラム教徒などが大量に移民してくれば、
日本社会の性格も変わってしまう

854 :
>>853
後でドッと移民を入れるのは良くない。
時間をかけて少しずつ入れていくべき。

自称「リベラル」でさえも、移民には反対しているのが日本の特徴。これに関してだけは、右翼も左翼も変わらない。
でも、それは長い目でみて、いかがなものか。

855 :2020/06/23
日本の国民が嫌がっても、経済界は安い労働力を必要としているから、
移民の導入は避けられないのではないかと思う

「多様性反対!」と叫んだところで世界の流れは止められないし、
いまさら鎖国するわけにもいかない

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