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/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門139m (ワッチョイ無)


1 :2017/12/10 〜 最終レス :2017/12/12
【アフィサイトへの転載・誘導禁止】
 
富士山は、夏の暑さと冬の寒さを一日で体感する過酷な環境です。
>>2〜のテンプレを参考に「余力を残して登頂・余裕を持って下山」でご安全に。


■ ご覧の皆様へ
登山キャンプ板にはブログ宣伝荒らしや業者が常駐しています。
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1500267844/1
「wi1d28jp」(栗城ハンター)などの悪質スパムは踏まずにNG登録を。
踏んでしまった人は関連cookieを削除し、ネットショッピングは別ブラウザから。

■ 普段から対策を!
ブラウザにadblockやuBlock導入+国内フィルタ全部載せが推奨です。
スマホは広告ブロッカーも多いのでお好みのものを(フィルタ追加できるものが効果的)。
勝手な広告やスパイウェアをブロックして安全で快適なネットライフを♪
スマホ通信量の節約、時短にもなります。


※前スレ
138m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512907765/

2 :
 
※過去スレ
127m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1502426392/
128m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1504257381/
129m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1505654412/
130m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1505746304/
131m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1506049117/
132m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1511685239/
133m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512444556/
134m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512518697/
135m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512657195/
136m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512771980/
137m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512794828/
 

3 :
 
開山期間は山梨県側で7/1〜9/10。静岡県側で7/10〜9/10です。
初心者が登れるのは山小屋が営業する期間に限られます。

初冠雪(積雪)は例年10月初旬ですが、9月でも降雪の可能性があります。
10月以降、風雪と強風に磨かれカチカチに凍った急斜面は氷の滑り台のようになります。
毎年のように滑落事故があります、十分なご注意を。
 

4 :
 
高度が100m上がるごとに気温は0.6℃下がり、風速1m/sごとに体感温度は1℃下がります。
富士山では台風並みの強風が吹くこともあり、夜明け前の山頂は真冬のような寒さに、体感温度は氷点下になります。  
冷えた体を温めるために多くのエネルギーが消耗され、真夏でも低体温症や疲労凍死のリスクがあります。
万全の準備で臨みましょう。  
 

5 :
 
2ちゃんねるの書き込みは、釣りや冗談、初心者以下の知識で語る人や受け売りも多いので気をつけましょう。
また、各種業者のステマやアフィリエイト目的のブログ誘導などにも注意、まずは対策から>>1。   
「自分はこれで大丈夫だった」「他の人もこうしてる」という話は鵜呑みにせず、信頼できる情報源から総合して慎重に判断しましょう。
 

6 :
 
■リンク 
(公共性の高いものを抜粋。不適切サイト、推奨サイトお知らせください)

・富士登山オフィシャルサイト
ttp://www.fujisan-climb.jp/
・静岡県「世界遺産 富士山とことんガイド」
ttp://www.fujisan223.com
・環境省「富士箱根伊豆国立公園」
ttp://www.env.go.jp/park/fujihakone/data/index.html
・富士山ガイド.com(富士吉田市)
ttp://www.fujisanguide.com/forms/top/top.aspx
・富士宮市「富士山」
ttp://www.city.fujinomiya.lg.jp/fujisan/index.html
・御殿場市「富士登山」
ttp://www.fujisan-climb.jp/hospitality/resource/link.html
・小山町「富士山」
ttp://www.fuji-oyama.jp/kankoubunka_mtfuji.html
・山梨県警察「富士登山情報」
ttp://www.pref.yamanashi.jp/police/p_tiiki/sangaku/fujitozan.html
・静岡県警察「夏の富士登山情報」
ttp://www.pref.shizuoka.jp/police/kurashi/sangaku/fujitozan/index.html
・富士山五合目観光協会
ttp://www.fujiyama5.jp
・フジヤマNAVI 
ttp://www.fujiyama-navi.jp/fujitozan/
 

7 :
 
■富士山の天気

・気象庁HP
ttp://www.jma.go.jp/jp/yoho/
・富士山の天気 - 日本気象協会 tenki.jp
ttp://www.tenki.jp/mountain/famous100/5/25/150.html
・snow-forecast.com
ttp://www.snow-forecast.com/resorts/Mount-Fuji/6day/top
・富士山山頂の天気 - てんきとくらす
ttp://tenkura.n-kishou.co.jp/tk/kanko/kad.html?code=19150004&;;amp;amp;amp;amp;;;type=15&;;amp;amp;amp;amp;ba=kk
 

8 :
 
■気象について
 
雨の日に登っても楽しくありません。天気が悪ければ延期する決断を。予報が晴れでも、夏は局地的な夕立や雷雨があります。
雨具や荷物の防水も忘れずに。降水確率と雨量は無関係です。確率が低くても大雨ということも。 
風の強さも確認を。天気概況で「大気の状態が不安定」「急変する恐れ」「雷を伴い」と予報されていたら、登山は中止してください。
冷たい風が吹き降ろしてきたら夕立の合図です。降り出す前に雨具を着用しましょう。
 

9 :
 
■装備 ◎必須○有効△状況しだい×余計な荷物

◎ザック....防寒着が嵩張るので、30〜35gが適当
○ザックカバー.雨のとき被せる防水カバー。砂埃除けにも
○スタッフバッグ ..小物をまとめ、パッキングが楽に。電子機器、着替えなどは防水袋へ
◎登山靴....防水のミドルカットが最適。ハイカットは必要ないが、スニーカーはNG
◎雨具.....予報にかかわらず必要。ポンチョ、100円雨合羽はNG。傘は不可。強風で雨が下から
吹き上げるので、上下セパレートタイプが必須。強風時はウィンドブレーカーとして使える
◎ヘッドランプ.日帰りでも下山遅れに備えて必ず必要。予備の電池も忘れずに

◎帽子.....風に飛ばされない対策を。ご来光待ち用にニット帽も
◎サングラス..目も日焼けする。安物はレンズに歪みがあるのでNG
◎手袋.....軍手と防水の手袋を別々に。転倒時に怪我をしないように、下りでは必ず着用
◎防寒着....夜明け前は真冬並みの寒さ。ダウンなど、脱ぎ着しやすいものを
◎長ズボン...伸縮性の物が良い。ジーンズは濡れると動き難くNG。半ズボン、短パンは、風が吹くと寒い
◎化繊の下着..必ず100%のものを。綿は濡れると乾きにくく、体温を奪う
◎中厚手の靴下.長時間歩行のクッションとして。柔らか過ぎず、網目が密でしっかりしたものを

◎日焼け止め..汗で落ちたら塗り直し、首筋、耳も忘れず
◎登山地図...下山時に道を間違う人が多い
◎飲み物....2〜3gが目安だが個人差がある。怪我や目に入った砂埃を洗う真水も必要
◎救急セット..下痢止め、バンドエイド(靴擦れ対策にも)、テーピングテープ、保険証のコピーなど
◎その他....飴や干し梅など行動食を定期的に摂ろう。タオルや日本手ぬぐい。ゴミ袋

×保冷水筒...重く嵩張るのでペットボトルが良い
○保温水筒...ご来光待ち用に。山小屋でお湯を売っていれば出発時に補給
△スパッツ...砂や小石が靴に入るのを防ぐ
○ストック、金剛杖.腕の力を活かし、足(特に下りの膝)の負担軽減に有効
△その他....マスク(下山時の砂埃対策)、ウェットティッシュ、カイロ
△頭痛薬....高山病の頭痛も和らげるが、症状を隠すので却って危険という意見も
×酸素缶....吸っている間しか効果ない
 

10 :
 
■登山の注意点
 
余計な荷物は体力を消耗するので無駄は省きましょう。
といって必要以上の軽装も本末転倒です。必要品は省かず、背負える体力をつけてから登りましょう。

登り始めは靴一足分の歩幅で、ゆっくりと登りましょう。追い抜かれても慌てずに。
オーバーペースではバテます。また高所は乾燥していますから、水分は少量をこまめに。

グループで登る方は、途中はぐれないように2人以上で組んで行動しましょう。
登山中は最も遅い人のペースに合わせ、また子供には単独行動をさせないようにしましょう。
初心者は列の中央、経験者が前後で目を配りましょう。

全員が地図のコピーを持ち、どのルートで登って来たかを覚えておきましょう。
はぐれた場合の待合せ場所、下山の分岐点についても事前に確認し共有しておきます。

万一の体調不良、ケガの時は全員での下山が原則です。
体調不良は高度障害の可能性もあり、休憩や小屋待機よりもすぐに下山した方が良いケースも。
分かれて登山を続行する場合でも傷病者には必ず誰か付き添い、下山をサポートしましょう。
スケジュールが決められたツアーでは自分のペースで登れず、無理をすると高山病にかかる場合もあります。

トイレは有料のため、100円玉を用意しておきましょう。順番待ちも多いので出来るときにお早めに。

下山時は重心を軽く前へ、歩幅は小さく一足分。滑りやすいところでは足を逆八の字に開きます。
富士宮ルートの平らな岩場では岩の角に靴底の溝を掛けると滑りません。  
爪先で踏ん張らず、力を抜いて足裏全体で接地するか、親指の付け根を意識します。
 

11 :
 
■高山病の予防と対策

高山病は体質に起因すると言われ、年齢や性別、体力やスポーツ経験もあまり関係ないようです。
自己の体力を過信せず、登り始めはゆっくりと時間を掛け、身体を慣らしながら登りましょう。

息を吸う事よりも吐く事を特に意識してください。有圧呼吸法も有効とされています。
大きく息を吸い込み、2秒ほど息を止めるとともに、胸に圧力をかけるように力を入れた後、口先を
すぼめてゆっくり吐き出す。これを5〜6回繰り返すと、血中の酸素濃度が上がり、楽になります。

水分を定期的に摂ることも大切です。行程の時間から逆算して必要量を算出し、計画的に摂取し
ましょう。1時間あたり、体重kg×5mlを4回ぐらいに分けて飲むのが良いそうです。(間隔や量は各自
調整してください)

・Yutaka Miura's home page:私の高山病の治療方針
ttp://www.med.nagoya-cu.ac.jp/igakf.dir/chyo_AMS.html

睡眠中は呼吸が浅くなるため、高山病になりやすいです。なるべく低い標高の山小屋を選択し、着い
てからすぐ横にならずに、しばらく身体を動かして高度に慣らしましょう。催眠成分を含有する頭痛薬
なども呼吸を浅くするため、高山病を誘発しやすいようです。

高山病になったら悪化する前に下山させるのが一番の解決策です。無理に動かしたり、引っ張って
登らせてはいけません。重篤な場合には、診療所・救護所へ助けを求めましょう。

初期症状は、頭痛、息切れ、むくみ、不眠症、食欲不振、脱力感、吐き気など。さらに、激しい頭痛、
嘔吐、空咳、 意識障害(支離滅裂なことを言う、問いかけに無反応など)になると、とても危険な状態
です。登山は諦めて付き添いの人と共にすぐに下山してください。高山病は最悪の場合死に至ります。
 

12 :
 
■ご覧の皆様へ

現在、前スレでは埋め立て荒らしが再発しています。
>>1の注意喚起とadblock周知を妨害しようとする者でしょうか。

ここが同様に荒らされた場合、さらに新スレを立て対処していきます。


・荒らしの状況
128m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1504257381/639-n
129m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1505654412/
130m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1505746304/
131m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1506049117/126-n
132m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1511685239/130-n
133m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512444556/
134m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512518697/
135m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512657195/
136m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512771980/
137m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512794828/
138m http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1512907765/
 

13 :
 
■ 異常者による荒らし予告

SN7P4m6n
http://hissi.org/read.php/out/20170917/U043UDRtNm4.html
YmBsHqVJ
http://hissi.org/read.php/out/20170918/WW1Cc0hxVko.html

■ 連投荒らしの抽出
(冒頭にアフィスレへ誘導しています)
55THIflI
http://hissi.org/read.php/out/20170917/NTVUSElmbEk.html
 

14 :
 
ちなみに異常者はIP表示スレは荒らせないようです。

こちら。
 ↓
/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門131m
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1505904686/
 

15 :
転載禁止と言いながら
自分が本スレからテンプレを転載してるキチガイの立てたスレはここですか?

16 :
型・溶岩樹型・洞内の石祠、石造物群−40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神
社)・犬涼み溶岩流・溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参道・建物跡・参
道跡・道跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古富士泥流堆積物・白糸溶岩流・
白糸の滝・音止の滝・鬢撫水・植物・富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士
山の展望・富士の巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規制
B地区・第1種規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区@

17 :
た溶岩で、溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが
15m程あったが、現在は崩壊してしまっている。古くから行者
の修行場として知られ、食行身禄がここで入定しようとしたが、
大宮浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子
岩で入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にあ
る岩で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれ

18 :
在は「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五
月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿は、平成
15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建て
られている。昭和28年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神
社(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年の
再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢)村山浅間神社へと続く
参道入口の左側に、手水舎が設置されている。明治16年(1883)に設置され
たものである。・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂
へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5年に奉納された狛犬2体
が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している
平面図・社叢樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高37m、
目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体が市指定天然記念物として
保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(
961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録とし
て社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524)と記された修築時の棟札に
よる。現在の社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真社殿
の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿
殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内には、社殿前と石段手前の参道脇
に計二対の狛犬が設置されている。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は
平成13年に奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。
登り口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは、それぞれ寛保2
年(1742)、文政6年に奉納されたものである。・手水舎石段に至る参道の脇
と、社務所西側の2箇所に、手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−
56−年と刻まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほどは石畳が敷か

19 :
38年(1963)2月19日に静岡県の天然記念物に指定さ
れた。根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東
西28.10m、南北23.50m、樹齢約500年。北日本
の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社以外の
小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生育
している。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天
然記念物に指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m
、目通り1.75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南
北9.5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方
型で、静岡県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根
上がりモミ平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定され
た。樹齢約300年で、根回り4.61m、目通り3.07m
、樹高27m。この根上り群は約150年生のモミの根本にブ
ナ、イヌシデの種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨によ
り流亡しながらモミが成長したため、根が爪を立てた状態で生
育し、根上がりになったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれ
ている。・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建造
物)に指定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享
保3年(1718)に再建された。その後蟻害や老朽化により
改修したものの、部材は享保年間(1716〜36)のものが
今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結した権
現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年
間の遺構を残した流造りとなっている。−57−構造は、拝殿
が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風
付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造、
向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真
図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付
きの縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神
して配神されている。宝永噴火により社殿とともに大破してお
り、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時
に再建されたものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門
、茅葺型入母屋造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出

20 :
川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹型等富士山体・側火山からの噴出物
による地形・富士山原始林及び青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹型、
鳴沢氷穴、本栖風穴等)A森林、植栽樹木(山林を構成する森林、寺社・遺跡等の
植栽樹木など)・自然林、森林施業地、人工林・社叢林、境内林・富士山特定地理
等保護林・富士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区B保存管理又は公開活用を目的
とした建造物(展示館、管理棟、解説板など)・総合案内標識、解説板C道路とそ
の他の人工物(生活用道路、電柱、看板など)顕著な普遍的価値を構成する諸要素
と密接に関わる諸要素・富士山測候所・NTT富士山頂分室・便益施設@自然的要
素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵文化財、社寺境内、伝承地など)成す
る諸要素周辺環境を構B人文的要素(農耕地、市街地、道路、その他人工物)上表
において分類した諸要素について、以下に提示する。(1)顕著な普遍的価値を構
成する諸要素@富士山山体及び登山道A富士山富士山体のうち、標高約1500m
以上の範囲である。この範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重
なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も高い。各登山道における山
体の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教的観
点からも不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、
とりわけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ」又は「オヤマサマ」と呼び、富
士山の範囲と見なす地域もあった。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり
「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの
対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルートには、現在も石碑が一部残
存している。ルートはほぼ森林限界に沿って、富士山体を一周する。15〜16世
紀ごろ富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−4
1−を通るため富士講信者により修行の道として利用された。写真標高約1500
m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺跡の分布図・富士

21 :
る。また、文化年間の初め、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出現
し、8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々が
生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解け
水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を現
し、雪解け水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻−44−
かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山頂の難所
として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた石組みが
ある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったところにあっ
たとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、登山者たちが賽銭を噴
火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間大菩薩を拝む場
所であった。また、御来光を拝む場所でもあった。現在は、付近
に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特定することはで
きない。写真吉田須走拝所跡の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の
火口を臨む位置にあったとされる。大正2年(1913)の登山
スタンプが押された写真では、銀明水裏手の火口の縁に立ってい
る鳥居が確認できる。現在その地点には、2つの目印の石が存在
している。写真須山拝所跡の写真・村山大宮拝所跡『隔掻録』は
、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮拝所」としている。『富士山
明細図』は、このしろが池の裏手の鳥居を影拝所としている。こ
のしろが池から剣ヶ峰の登山道に沿って3体の大日如来があり、
それぞれ延徳2年(1490)、天文12年(1543)、寛永
元年(1624)の銘があったとされる。昭和初期の絵葉書にも
、剣ヶ峰の手前の火口を臨む位置に鳥居が建っている。写真村山
・大宮拝所跡の写真・三島ヶ岳経塚昭和4年(1929)、頂上
の神官が銅仏の破片と一石経を採集して下山、それを受けて昭和
5年に三島岳のふもとを調査したところ、経巻が詰まった経筒や
木槨、土器片などの遺物が出土した。富士山本宮浅間大社には、
現在10巻分の経巻が残っており、うち5巻は開かれていて内容
を確認できる。経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさ
かのぼる可能性が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内
浜道山頂を周回し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ
峰を下り西安河原の北側で道が二手に分かれるが、峰の

22 :
れ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコンクリート製の階段が続いている。
・鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41
年(1966)に奉納されたものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を
受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮神社八坂大神、八幡大神、愛鷹
大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測
される建物である。B5冨士浅間神社図以下に示す要素が点在して

23 :
組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道入口には、
花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束には「不二
山」と刻まれている。明治33年(1900)に奉納された。
・裏参道鳥居西側駐車場から本殿へ至る裏参道の入口に石鳥
が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両側に、富士塚
が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士講講碑群明治
より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された記念碑が多く
残されている。多くは、数多く富士登山が成就されたことを感

24 :
叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参道南側の部
分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大樹が生育している。・
ハルニレ昭和38年(1963)2月19日に静岡県の天然記念物に指定された。
根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北23
.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少
なく当社以外の小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生育して
いる。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。
樹齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.75m、樹高約10m、枝張東
西13.8m、南北9.5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型
で、静岡県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平成3年5
月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約300年で、根回り4.61m
、目通り3.07m、樹高27m。この根上り群は約150年生のモミの根本にブ
ナ、イヌシデの種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しながらモミ
が成長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりになったと考えられる。
縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建
造物)に指定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(1718
)に再建された。その後蟻害や老朽化により改修したものの、部材は享保年間(1
716〜36)のものが今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結し
た権現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の遺構を残し
た流造りとなっている。−57−構造は、拝殿が桁行5間・梁間2間の入母屋造で
、向拝1間、正面千鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社
流造、向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真図社殿の図面
・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付きの縁を巡らしている。北の櫛岩
窓神、南の豊岩窓神が随神として配神されている。宝永噴火により

25 :
登山道頂上に位置し、7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売
命である。『本朝世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末代は、富士山に
数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、写経を埋納下した」とある。江戸
時代には、村山三坊所有の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈に
より山中の仏像を取り除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭った。写真奥
宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ18p
)奥宮の裏手、浅間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵が
彫られている。天保年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(b)鎮
國之山(高さ146×幅61×厚さ31p)奥宮の前に所在する。碑面に「鎮國之
山」と彫られている。明治31年(1898)に書家の中林梧竹により建碑された
。後年、落雷により破壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東北
奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦名命を祀る。須走口
登山道、吉田口登山道の終点にある。室町時代以降、頂上の一つである久須志岳(
旧薬師ヶ嶽)に薬師堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場で
あった。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久須志神社と改称
した。写真東北奥宮の写真・金明水雪解け水が湧く泉で、その湧き水は霊験あらた
かな「御霊水」として珍重された。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の
柵で囲われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、富士山頂の霊験
あらたかな湧き水として珍重された。『富士の歴史』によれば、「如何なる旱にも
水の涸れることはない」と記している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a
)石碑@(高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2
つの年代が確認できる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。(b)石碑A
(高さ162×下幅76×上幅63p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている
。(c)石碑B(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。

26 :
謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたもので、境内地の
西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられている。写真富
士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B6河口浅間神社図
以下に示す要素が点在している平面図河口浅間神社は、864
〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓でも浅間神社
が建てられることになったが、その神社である可能性が高い。
現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史
的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのできな
い資産である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富
士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある
。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡
る可能性がある。建立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり
、当時の富士山及び噴火ということに対する当時の考え方を理
解することができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知の
再建。銅製の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公
弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御
室浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図−58−冨
士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場を
しつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社で
あるとする文献もある。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参
拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現在の里宮が建立さ
れたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷
地内に移設されている。修行や登拝といった様々な富士信仰の
拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神とし
ての里宮が一体となって機能してきた。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿などがあ
る。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮
)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年
代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をし
つらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、
平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験
所の一として広く知られていた。冨士修験の信

27 :
雷岩、割石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院
に沿って回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関
わる工作物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著し
く、現在は立入禁止となっている。A2大宮・村山口登山道図登
山道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約
3.5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830m)に
、東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きな
ケヤキの巨木があり、ここが札打場であった。札打とは、自分の
院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛んで
あった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を行った。昭和30年(
1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られたという写真札
打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡)村山口登山道跡と富士
山スカイラインが交差する地点から南西方向に約500mの地点
に位置する。標高は約1,280mである。東側を走る沢から一
段上がった平坦面に所在している。平坦面は2段あり、上−45
−段には小さな祠が建てられている。また下段には、南東から北
西方向に石列が伸びている。江戸時代には馬返しと呼ばれ、駒立
小屋があったとされる。また、ここからは女人は登山道を登るこ
とを許されず、駒立小屋は女人堂として使われた時期もあったと
考えられる。下段平坦面の南側には溝が東西方向に延び、西側の
森林に突き当たって痕跡をたどれなくなる。木馬道である可能性
が指摘される。写真中宮八幡堂の写真・八大龍王中宮八幡堂跡よ
り北東に約100mの地点に「八大龍王」と刻まれた石碑と水神
の祠が並んで建てられている。水神祠には「文化十三年寅年六月
日」、八大龍王には「文化七年七月十七日」との銘が刻まれてい
る。駿河国大宮町神田の横関家の主人が、天保14年(1843
)から文久3年(1863)にかけて記録した『袖日記』には、
安政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘
ったので山が荒れた」との記述がある。この「中宮八幡堂の井戸
」とは、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考えられている。
井戸跡は幅80p、深さ50pほどである。・5号建物跡4号建
物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯と

28 :
謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたもので、境内地の
西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられている。写真富
士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B6河口浅間神社
以下に示す要素が点在している平面図河口浅間神社は、864
〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓でも浅間神社
が建てられることになったが、その神社である可能性が高い。
現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史
的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのできな
い資産である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富
士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある
。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡
る可能性がある。建立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり
、当時の富士山及び噴火ということに対する当時の考え方を理
解することができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知の
再建。銅製の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公
弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御
室浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図−58−冨
士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場を
しつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社で
あるとする文献もある。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参
拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現在の里宮が建立さ
れたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷
地内に移設されている。修行や登拝といった様々な富士信仰の
拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神とし
ての里宮が一体となって機能してきた。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿などがあ
る。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮
)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創
代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をし
つらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、
平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験
所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口の

29 :
5白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富士泥流
堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、古
富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫岩と
平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。写真写
真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩流のひとつで
あり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度にある。白糸溶
岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、白糸ノ滝では
2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境目にはマグマの急冷
時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達している。また、溶
岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収縮により形成された
縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白糸ノ滝は、地質の特
徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰り返していると考えられ
ている。白糸の滝は、最近10年間の平均で日量約15.6万ト
ンの湧水量が見積もられており、この多量の水の落下は、白糸溶
岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物を次第に浸食する。やがて
、下部が抉り取られることで上部の溶岩流はオーバーハング状態
となり、自重に耐えられなくなった時点で自然崩落する。この作
用が繰り返され、崖線が後退し続けていると考えられる。また、
白糸溶岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退を早める一因と
指摘されている。白糸ノ滝は、1年に約2センチメートルの割合
で北側に後退しているという計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝
と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落−62−を繰り返
していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩流の拡散図
・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約20メートル、長さ約120メー
トルに渡り馬蹄状に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の
白い糸を垂らしたように流れ落ち、滝となったものである。白糸
ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層である古富士泥流堆積物があ
り、上部に透水性のある白糸溶岩流があると考えられている。富
士山麓に降った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層
との境目を流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両層
が崖面として露出しており、両層の境目や上部の溶岩流の間から
水が湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝

30 :
破しており、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時に再建され
たものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺き。
軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道
入口には、花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束には「不二山」と刻
まれている。明治33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両
側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士講講碑群明治より昭
和にかけて、各地の富士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数
多く富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたも
ので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられている。写真富士講
講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在し
ている平面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、
北麓でも浅間神社が建てられることになったが、その神社である可能性が高い。現
在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富
士山信仰を語る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を構成す
る諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある
。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡る可能性がある。建
立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火ということに対
する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知
の再建。銅製の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされ
る。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点在し
ている平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭
場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献
もある。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、

31 :
の中に5号建物跡がある。標高は約1,865mである。平成5
年の富士宮市による調査では、平場の北側の斜面の縁に3体の石
像が発見されていたが、平成20年の静岡県埋蔵文化財調査する。東西
約8m、南北約5mの方形の区画が石組によって作られている。
東側には直径約90pの丸い穴が二つある。(同様の穴は他の建
物跡でも見られ、)便所跡と考えられる。−46−・鳥居登山道
跡の8合目上に、自然木により構築された鳥居が設置されている
。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が設

32 :
の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅
間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径約800mの火口を囲座正面に「食行」「身禄」の文字が
確認できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約3,734m)]かつ
ては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居が、噴火口の方角を向

33 :
村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点と
して行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、1612年に当
時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時
代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らかにさ
れている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3m
、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股屋は妻入り形式
の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設された
ものであることが判明している。また、主、板張りの
覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設
がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅としての形態を
、屋敷地も含めてそのまま残している。全国で

34 :
同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、
白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メー
トルを流れ落ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面
では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸
の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも
呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったも
のであり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また
、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の名
前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。・植物白
糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指定地内に
は、メヤブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相がある。・富士
講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の
祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をと
り修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる
者や、白糸の滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末
の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の
記録がある。指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「
仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記さ
れたもの(白糸の滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白
糸の滝の、数多の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景があ
る。写真景勝の写真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ち
る雄大な勝景がある。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では
、白糸の滝と音止の滝の勝景とともに、見事な富士山が望まれる
。写真展望の写真・富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4
年(1193)に源頼朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる
伝承がある。音止の滝の名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟
の仇討ち伝承に由来するもので、兄弟が仇討ちの相−63−談を
している間は水音を止めたことから名づけられたという。また、
鬢撫水には、富士の巻狩の折に源頼朝がここで鬢のほつれを直し
たという伝承がある。・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌
に詠まれてきており、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸の滝の勝景を
詠んだ歌碑がある。・標識名勝及び天然記念物であることを明

35 :
。[伊豆岳(標高約3,748m)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『
浅間神社の歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を越え、成
就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。頂上には鳥居は見られない
。[朝日岳(標高約3,733m)]伊豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発し
ていたとされる。頂上に鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である。他
の峰々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,7

36 :
湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広い境
内に敷地内に移設されている。修行や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位
置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能して
きた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿
などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮)が鎮座し
た。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には
和銅元年(708)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社とい
う。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験所の一と
して広く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口の村山であるが、北口の二合目
、御室の地にも山内の信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、1
612年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時代建築
様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らかにされている。大規模な入母屋
造りの一間社で棟の高さは9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐
破風妻などにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も当
初のものを良く残しており、建築年代の確実なこの時期の遺構としては大変貴重な
建造物である。写真本殿の写真図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師
住宅は、富士講徒の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊である
。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れ
る水路の奥に建物がある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類
に入る旧外川家住宅などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式
の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設されたものであることが判
明している。また、主屋は「平面座敷型」をとっており、近世になって御師住宅の
様式が確立される以前の御師住宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、富
士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがあるな

37 :
のである。A3須山口登山道図登山道に要素が点在している平面
図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧須山口登山道1合目(標高1,4
40m付近)にある全長10m余の溶岩洞穴である。洞穴の直径
は約1mで南東側と北西側に入口があり、内部を通り抜けること
ができる。登山者は、この洞穴を通って登山するのがならわしで
あった。かつて洞穴の延長は数10mあったが、関東大震災によ
り天井部分が崩落し、現在の長さになった。崩落した部分は、長
さ約30mのU字型の溝状の溶岩地形として須山御胎内

38 :
社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家
住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平
面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士
講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象と
して数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作
品とゆかりが湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が
点在している平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの
湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地
(霊場)であった。顕著無戸室(むつむ
ろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという

39 :
する標識がある。B眺望C三保松原図以下に示す要素が点在して
いる平面図三保松原は、静岡市清水区南東部に位置する三保半島
にあり、半島の東岸真崎から海岸線に沿い、南北に約4キロメー
トルに及ぶ松林と内陸部に散在する松林が主体をなしている。真
崎から海岸線に沿う松林は、国有地又は市有地が大半を占めてい
るが、内陸部の松林と松林の景観を維持している背後地について
は、ほとんどが民有地となっている。松林には、300年を経た
老木から幼令木が約54,000本、幅広く分布している。図

40 :
奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現在は一般の立入が制限されている。[駒
ヶ岳(標高約3,718m)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息
をとったという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰全体が岩石からで
きている。[三島岳(標高約3,734m)]−43−かつては文殊岳とも呼ばれ
た。頂上に木製の鳥居と、「三島岳」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三
島岳の石仏群として、三島岳のふもと、かつて経塚が発見された付近に、10体の
石像が安置されている。これらは原位置を留めておらず、周辺にあったものが集め
られたと考えられる。いずれも頭部を欠損している。・大内院山頂の火口中央に存
在する穴で、ここより雲が生じ、風が起きるとされた。大内院(噴火口)は中央に
ある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ窪)は雷岩の下の小さな火口を指す。神や仏の
居る所であると信じられ、登山者は各登山口に設けられた拝所あるいは初穂打場か
ら、噴火口に向けて賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立入は禁止されている。
写真大内院の写真・小内院西安河原から白山岳に向かう途中にある大きな窪地で、
大内院との対比で小内院と呼ばれる。かつては噴火口だったと考えられる。写真小
内院の写真・馬の背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整地されている。火
口に向けて傾斜しており、その険しさから道者たちの多くは剣ヶ峰に登らなかった
といわれる。・東安河原須山口拝所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である
。かつては現世と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を
積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向けて賽銭が投げ込
まれた場所とされる。・西安河原東安河原と対をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付
近の平坦部である。火口の外壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置
する。・虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(獅子)のうず
くまる姿に似ていることから名付けられた。・割石かつては「

41 :
に残っている。この付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。
年代測定では1030〜1230年という結果が出ており、永保
3年(1083)の噴火時に噴出した可能性がある。平成21年
に実施した測量調査では、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高
1,485m付近から認められており、須山口登山道がこの溶岩
流に沿って形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写
真・石像須山御胎内の洞穴内部に、「木花咲耶姫」の石像が安置
されている。地元在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道
復興後の平成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内
の南東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御
胎内の南東側入口前に高さ3m前後の木製の鳥居が建てられてい
る。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)」
と記された標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置され
ている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に、
石造りの祠が設置されている。写真祠の写真A4須走口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅間神社の
境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿は、昭和
54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の規模であ
る。その際、御室浅間神社を合祀した。神社の前には鳥居がある
。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝殿、庁舎を備え
ていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志之神社冨士浅間
神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)に建てられてい
る。かつては向薬師、向ヒ薬師、手引薬師と呼ばれ、石室の中に
薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管理していた。元禄16
年(1703)−47−の文書「大宮司富士信安等返答下書」に
「前薬師之小屋」の記述があることから、江戸時代初期以降には
すでに祀られていたものと考えられる。道者はここで薬師に線香
を手向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を降ろされ迎久須
志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以前は
登山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物の東側
を通るようになっている。迎久須志神社の直下には、「日ノ見御
前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を遥拝する場所があ

42 :
屋の東側に増設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前に配
置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有している。写真主屋等
の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、
妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式
になる。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南寄りに式台
、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方

43 :
を無戸室浅間神社と名付けた。−60−B13吉田胎内樹型図
以下に示す要素が点在している平面図吉田胎内樹型は、189
2年に富士道者によって整備された「お胎内」(溶岩樹型)で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義
付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹
型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1
溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が
肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、

44 :
保松原の地区区分図表地区区分詳細表地区境界@特別規制A地区
真崎灯台の内海側の第2種規制地区との境界は、隣接する特別規
制B地区と第2種規制地区との境界(松が途切れる所)の延長線
上とする。A特別規制B地区特別規制A地区との境界は防潮堤外
側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣参道は道路外側、そ
れ以外は平成元年4月1日現在において松原を形成している地区
、ただし、真崎先端の境界は真崎灯台と建設省財産、運輸省財産
及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種規制地区真崎付近
の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は、都市計画道路
の中心線とし、字広道の第2種規制地区との境界、字羽衣脇の三
保第一小学校を中心とする第2種規制地区との境界及び大字折戸
地区における第2種規制地区との境界は、隣接する道路の中心を
境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区との境界は
、羽衣参道中心より25mの位置とする。C第2種規制地区真崎
付近第3種規制地区との境界は、市道本村海岸58号線の中心の
延長を境界とする。その他の地区との境界は、@ABを参照。D
第3種規制地区各地区との境界はABCを参照。(2)顕著な普
遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形構成
資産の土地には、山並み、湧水や富士山及び側火山の噴火等の火
山活動によって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ、構
成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものもある
。ア富士山山体及び登山道A富士山−64−・テフラ噴火の際、
山頂火口から粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多
量に噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・大沢崩
れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大きなもので
、富士山西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直下から標高
2,200m付近まで延長2.1q、最大幅約500m、最大深
さ約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で年平均約15万?の
岩石・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地を形成している。写真
大沢崩れの写真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮
・村山口登山道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで
、村山口登山道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登

45 :
りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この
住宅は、部分的な改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅として
の形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない社家の一遺
例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家住宅現状平面図B9山中湖図以
下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが
多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数え
られている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写真山中湖の写
真B10河口湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修
行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがあ
る。写真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍野
八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士信
仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、
自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在している平
面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である村上光清により発見され
、富士講の開祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地
形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹型は、承平噴火(937)
で流出した剣丸尾第1溶岩流の西縁に所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑
に交叉して形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え
、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出したあとの胸控の如
く見える。胎内の名称はこれに基づくものであり、極めて貴重な形

46 :
れた溶岩で、溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あった
が、現在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場として知られ、食行身禄
がここで入定しようとしたが、大宮浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合
五勺の烏帽子岩で入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にある岩
で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。また、文化年間の
初め、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出現し、8合目の石室に走り入った。これを
石室に居合わせた人々が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の
雪解け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を現し、雪解け
水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻−44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、
強い風が吹き付ける富士山頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積
み上げた石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったところにあっ
たとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、登山者たちが賽銭を噴火口の大内院に投
げ入れる、そこに鎮座する浅間大菩薩を拝む場所であった。また、御来光を拝む場
所でもあった。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特定す
ることはできない。写真吉田須走拝所跡の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の火口を
臨む位置にあったとされる。大正2年(1913)の登山スタンプが押された写真
では、銀明水裏手の火口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、
2つの目印の石が存在している。写真須山拝所跡の写真・村山大宮拝所跡『隔掻録
』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮拝所」としている。『富士山明細図』は、
このしろが池の裏手の鳥居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道
に沿って3体の大日如来があり、それぞれ延徳2年(1490)、天文12年(1
543)、寛永元年(1624)の銘があったとされる。昭和初期の絵葉書にも、
剣ヶ峰の手前の火口を臨む位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所跡の写真
・三島ヶ岳経塚昭和4年(1929)、頂上の神官が銅仏の破

47 :
花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内の
石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講
にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹
型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠がある。B
14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在
している平面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶
岩(約11,000年前から約5,000年前)に属する犬涼
み溶岩流の末端部近くに位置している。犬涼み溶岩流は、標高
1,206mの犬涼み山から噴出し、西方に約5q、標高差に
して約700mの扇状地をつくる溶岩流である。写真溶岩流の
写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴人穴溶岩洞穴は、天正年間に
富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行ったとされる洞穴で
ある。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所の溶岩洞穴のうち
、西端部の最も低い位置にあり、溶岩が流れ下るとき溶岩表面
が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶岩が抜けて空洞がで
きたものである。洞穴の南西の端が進入口となり、洞穴中央部
でくの字型に曲がっている。入口から約30mの屈曲部手前中
央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅広く、奥に
入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部までは約8
0mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴の
写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生)人穴集落では主に製炭
と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・ク
ヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の
消費が減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギ
に改植された。御神木に相当する大樹等は存在しない。・碑塔
群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者が建立した232基
の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89
基についてみると、一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立
のものである。建立目的によって大きく分類すると、個人の戒
名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑供養碑」、修行に
よる大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人の富士登拝や講
の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」の3種と

48 :
時代には「日ノ御子石」という富士山型の石が置かれていた。富
士講の講中が大きな平石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ
御子石」はないが、祠と鳥居が建てられている。写真迎久須志之
神社の写真・鳥居登山道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(
登山道終点)、9合目、本8合目、本7合目、7合目、本5合目
、古御嶽神社前に自然木などにより構築された鳥居が設置されて
いる。・狛犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。
この場所は「鳥居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石
碑7合目付近の登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっ
と標高の高い場所にあったが、雪崩によって流されて別の場所に
転がっていたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置した
という。日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している
。A5吉田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山
道吉田口登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂
を目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田
口登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓か
ら頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する
要素として、現存する吉田口登山道や沿道の宗教施設や山小屋等
信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから急坂となり馬
が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山から木
山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもなる。
富士山有料道路が開通する以前の馬返の周辺は、本格的な登り勾
配の坂道が始まる直前の平地であり、登拝者たちがいったん休憩
を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋が営業され
、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合目ここは木
山と焼山の境界でもあるこの地は天地境(てんちのさかい)とも
言われる場所である。役場、中宮の社、小屋等がおかれていた。
ここの役場は、古くは中宮三社の神供料として役銭を納めた場所
である。後年は登山切手改め所となった。小屋については、江戸
後期には4軒があったが、すでに武田信玄の1566年の文書に
「中宮之室」という名称があり、戦国時代からこの地に小屋が設
けられ−48−ていたことがわかる。最盛期には18軒

49 :
無戸室浅間神社・石造物群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型
が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神誕生の地と
もいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣
い社号を無戸室浅間神社と名付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要
素が点在している平面図吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整備され
た「お胎内」(溶岩樹型)である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教
的な意義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内
樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本穴
の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間
大菩薩(木花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内の石祠、石
造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神であ
る木花開耶姫が祀られている。樹型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石
祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在してい
る平面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前か
ら約5,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末端部近くに位置している。犬涼み
溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴出し、西方に約5q、標高差にして
約700mの扇状地をつくる溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・
溶岩洞穴人穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行っ
たとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所の溶岩洞穴のうち、
西端部の最も低い位置にあり、溶岩が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した
後、内部の溶けた溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入口
となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口から約30mの屈曲部手前中
央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅広く、奥に入ると広々として平
坦な空間となっている。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞し

50 :
される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61−写真碑塔群の写
真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社社殿のある平場
へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている。現在はコン
クリートで覆われている。・建物跡大小2つの建物跡が人穴洞
穴直上の平場で検出されている。西側に規模の大きな1棟と、
その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なものの方がより
古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施されて
いる。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場か
ら斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34m続いている
。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築
されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り
口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ
機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地の北側を通
る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初
期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺構は検
出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶
岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている。B15
白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富士泥流
堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、
古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫
岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。
写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩流の
ひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度にあ
る。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境目に
はマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達し
ている。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。
白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰
り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、こ
の多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱

51 :
により現在地に移され西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一
間社流造であるが、両側面と背面は二間で一間の向拝をつける。
西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、や
がて豪華な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞で
きる貴重な建物である。−49−写真西宮本殿の写真図西宮本殿
の図・大塚山社誌では、日本武尊が富士山を遙拝した地

52 :
月上旬にかけていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサキモ
メンヅル、ミヤマオトコヨモギなどが見られる。A3須山口登山
道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(標高1,
440m付近)付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類)
にあたり、林床にはササ類が密生している。幕岩上部(標高1,
680m付近)付近は、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラ

53 :
成するものである。この地層は、塊状礫岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層し
ているものである。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩流の
ひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度にある。白糸溶岩流は4
枚の溶岩流層からなると考えられており、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認でき
る。溶岩流層の境目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達
している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収縮

54 :
士講の信者の中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の滝で修行を
行う者がいたことが知られている。幕末の資料には、白糸の滝
で垢離をとり修行を行った富士講の信者の記録がある。指定地
内には富士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記さ
れたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸
の滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数
多の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景がある。写真景
勝の写真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたて

55 :
跡4号建物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯となり、その中に5
号建物跡がある。標高は約1,865mである。平成5年の富士宮市による調査で
は、平場の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていたが、平成20年の静岡県
埋蔵文化財調査研究所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に
地面が掘り起こされ、地中にあった石像が地上に現われたと考えられる。うち1体
の不動明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面には「瀧本前」と刻ま
れており、ここが「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹
垢離」跡であると推測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。廃仏
毀釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建物跡に該当する
施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7号建物跡から北西に約220m(標
高約2,170m)の位置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建
物跡の中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西部の平場は
東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残存しており、石段の東西には
石垣が組まれている。また平場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存し
ている。もう一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸約15
m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の縁に石組が確認できる。
昭和時代の地図には「一ノ木戸」として載っており、「富士山表口南面路次社堂室
有来之次第絵図」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられる
。室大日堂は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『駿河国新風土記』に
あり、また末代上人が建てた往生寺があったところだともいわれている。写真8号
建物跡の写真・12号建物跡村山口登山道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い
位置(約2,390m)にある。11号建物跡から北に50mの地点に所在する。
東西約8m、南北約5mの方形の区画が石組によって作られている。東側には直径
約90pの丸い穴が二つある。(同様の穴は他の建物跡でも見

56 :
ここを浅間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに
、788年には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社
として日本武尊を分祀したと伝えられる。現在この地は、流山状
の小高い丘をなしており、日本武尊を祀る祠が建てられている。
写真大塚山の写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際
の御輿行在所。吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され
、神事が行われる。ここで読まれる祝詞の一節から、この地が諏
訪明神旧鎮座地とされる。写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西
湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡っ
て修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、い
つの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景
勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写
真西湖の写真A8精進湖図以下に示す要素が点在している平面図
富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒に
よって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数え
られている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかり
が深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(
湖水)などがある。写真精進湖の写真A9本栖湖図以下に示す要
素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海
巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わら
ず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、
多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがある
。写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本宮浅
間大社図以下に示す要素が点在している平面図・神立山本殿の北
側にある丘陵地一帯は神立山と称される。神立山及び富士山本宮
浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩流に分類
される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積物の層で
−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため指定地内
の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見される。また、当該
地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿いの散

57 :
ソ・コメツガなどが多くなるが、森林限界(標高1,700〜1
,750m)に近くなるにつれて樹高が低くまばらになる。宝永
噴火の際に噴出したスコリアが厚く堆積しているため、須山口登
山道付近の森林限界は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部
分の植物須山口登山道2合8勺(標高2,050m付近)から頂
上までは、植物の垂直分布で高山帯にあたる。オンタデ、イタド
リ、フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A4
須走口登山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須走口登山
道5合目(標高2,000m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラ
ビソ・オオシラビソ・コメツガなどが分布する。須走口登山道の
森林限界は約2,700mで、他の登山道よりも高い。・焼山部
分の植物森林限界を過ぎると高山帯となり、オンタデ、イタドリ
、フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A5吉
田口登山道標高1600m付近より下方の区域は、山地帯に属す
る。自然林はごく少なく、ほとんどがアカマツ・カラマツなどの
植林地である。わずかに残る自然林では、ミズナラ・ウラジロモ
ミや自生のアカマツ等が生えている。天然記念物「躑躅原のレン
ゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在するのもこの地域である。
標高1600mから2500m付近までの区域が亜高山帯にあた
り、コメツガ・シラベ・オオシラビソの森林を形成している。火
山礫の露出した日当たりの良いところには、ダケカンバが生えて
いる。・焼山部分の植物標高2500m付近から上の区域は高山
帯に当たり、森林は形成されない。植物はほとんどみられない地
域であることから、かつては「焼山」と呼ばれた。植物の遷移の
過程を見ることが出来る場所としても、学術的価値が高い。ここ
には、カラマツが匍匐状に生育し、乾燥に強いミヤマハンノキ・
オンタデ・メゲツソウ・フジアザミ・ムラサキモメンズルなどが
生育する。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本
栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙げられる。イ信
仰B1富士山本宮浅間大社構成資産の土地には、丘陵を構成する
社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が
存在している。−68−B2山宮浅間神社構成資産の土地には

58 :
た縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のよう
なメカニズムで崩落を繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年
間の平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この多量の水の落
下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物を次第に浸食する。やがて、下
部が抉り取られることで上部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えら
れなくなった時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し続けてい
ると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退を早める
一因と指摘されている。白糸ノ滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後
退しているという計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同様の
メカニズムで崩落−62−を繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真
図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約20メートル、長さ約120メー
トルに渡り馬蹄状に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の白い糸を垂らした
ように流れ落ち、滝となったものである。白糸ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層
である古富士泥流堆積物があり、上部に透水性のある白糸溶岩流があると考えられ
ている。富士山麓に降った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層との境
目を流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両層が崖面として露出してお
り、両層の境目や上部の溶岩流の間から水が湧出している様子が確認できる。写真
滝の写真(音止の滝も同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ば
れ、白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートルを流れ落
ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面では、白糸の滝同様の地層が観
察され、湧水が見られるが、白糸の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、
「お鬢水」とも呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったもの
であり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また、ここには「駒繋石
」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の名前のついた石があった

59 :
勝景がある。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では、白糸
の滝と音止の滝の勝景とともに、見事な富士山が望まれる。写
真展望の写真・富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年
(1193)に源頼朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる
伝承がある。音止の滝の名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄
弟の仇討ち伝承に由来するもので、兄弟が仇討ちの相−63−
談をしている間は水音を止めたことから名づけられたという。
また、鬢撫水には、富士の巻狩の折に源頼朝がここで鬢のほつ
れを直したという伝承がある。・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古
くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸
の滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名勝及び天然記念物で
あることを明示する標識がある。B眺望C三保松原図以下に示
す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清水区南東部
に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸線に沿い
、南北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在する松林
が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林は、国有地又
は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と松林の景観を
維持している背後地については、ほとんどが民有地となってい
る。松林には、300年を経た老木から幼令木が約54,00
0本、幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区
分詳細表地区境界@特別規制A地区真崎灯台の内海側の第2種
規制地区との境界は、隣接する特別規制B地区と第2種規制地
区との境界(松が途切れる所)の延長線上とする。A特別規制
B地区特別規制A地区との境界は防潮堤外側とし、その他の規
制地区との境界は、羽衣参道は道路外側、それ以外は平成元年
4月1日現在において松原を形成している地区、ただし、真崎
先端の境界は真崎灯台と建設省財産、運輸省財産及び民地側の
境界を結んだ線とする。B第1種規制地区真崎付近の第2種規
制地区及び第3種規制地区との境界は、都市計画道路の中心線
とし、字広道の第2種規制地区との境界、字羽衣脇の三保第一
小学校を中心とする第2種規制地区との境界及び大字折戸地区
における第2種規制地区との境界は、隣接する

60 :
は立ち入りが禁止されている。寛文10年(1670)の浅間大
社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築物が描かれ、発掘
調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。写真神立山の写真・湧
玉池(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」は、国指定特別天然記
念物となっている。湧玉池は、富士山に降った雨や雪が地下水と
なり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ、溶岩流末端
で湧出して池になったものである。禊所付近を境に上池と下池に
分かれ、以前は上池のみを湧玉池、下池から下流を御手洗川と呼
んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心身を清めた後山中へ向かう
という、富士山信仰と関連の深い池であった。現在も富士山山開
きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる。写真湧玉池の写
真図詳細平面図・社叢神立山表層部は約3万8千uにわたってス
ダジイ、ケヤキ等の樹木が生育しており、富士宮市保存樹林に指
定されている。また、野鳥の生息に適した環境でもあり、「野鳥
の森」碑が建てられている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・
楼門)浅間大社は、社伝によれば大同元年(806)に造営され
たという。かつての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の浅
間神社の総本社として崇められている。現在の社殿は、慶長9〜
11年(1604〜06)に徳川家康が造営したものである。写
真社殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財
である。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他
に例を見ない。1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階上
層は桁行3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。明治
40年(1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造
物に指定され、以後、国指定重要文化財として保護されている。
写真本殿全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図(幣殿・拝
殿含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行3間・梁間3
間の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図には幣殿は描かれ
ていないが、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間
ひはだぶき」と書き込まれており、本殿の全景がよく見えるよう
に描かれたと推測される。県指定文化財として保護されている。
[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床は幣殿より2段高く

61 :
えられる。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然木により構築された鳥居が
設置されている。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が設置したもの
である。A3須山口登山道図登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶
岩洞穴)旧須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長10m余の溶
岩洞穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に入口があり、内部を通り抜
けることができる。登山者は、この洞穴を通って登山するのがならわしであった。
かつて洞穴の延長は数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在
の長さになった。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶岩地形として
須山御胎内の南東側に残っている。この付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている
。年代測定では1030〜1230年という結果が出ており、永保3年(1083
)の噴火時に噴出した可能性がある。平成21年に実施した測量調査では、須山胎
内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付近から認められており、須山口登山
道がこの溶岩流に沿って形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・
石像須山御胎内の洞穴内部に、「木花咲耶姫」の石像が安置されている。地元在住
の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興後の平成12年に作られたものであ
る。・石燈篭須山御胎内の南東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居
須山御胎内の南東側入口前に高さ3m前後の木製の鳥居が建てられている。・標柱
鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)」と記された標柱が、富士山須
山口登山道保存会によって設置されている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状
の溶岩地形脇に、石造りの祠が設置されている。写真祠の写真A4須走口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅間神社の境外末社で、5合
目の登山道登り口にある。現在の社殿は、昭和54年(1979)に建立され、間
口九尺、奥行九尺の規模である。その際、御室浅間神社を合祀した。神社の前には
鳥居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝殿、庁舎

62 :
丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。B3村山浅間神社構成資産の土地
には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内におい

63 :
在は不詳である。・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指
定地内には、メヤブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相がある。・富士講「白糸
ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の祖長谷川角行にまつわる伝
承がある。角行は白糸の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信

64 :
界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区との境界は
、羽衣参道中心より25mの位置とする。C第2種規制地区真
崎付近第3種規制地区との境界は、市道本村海岸58号線の中
心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、@ABを参
照。D第3種規制地区各地区との境界」と呼ばれる多くの浸食
谷の中で最も大きなに富んだ自
然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返
し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走口登
山道起伏に富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテ
フラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われて
いる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られる古
富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶岩

65 :
という。写真古御岳神社の写真・迎久須志之神社冨士浅間神社の境外末社で、9合
目(3,570m付近)に建てられている。かつては向薬師、向ヒ薬師、手引薬師
と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管理していた。元禄
16年(1703)−47−の文書「大宮司富士信安等返答下書」に「前薬師之小
屋」の記述があることから、江戸時代初期以降にはすでに祀られていたものと考え
られる。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を
降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以前は登
山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物の東側を通るようになって
いる。迎久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を
遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」という富士山型の石が置かれて
いた。富士講の講中が大きな平石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ御子石」
はないが、祠と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山道の
浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、9合目、本8合目、本7合目
、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然木などにより構築された鳥居が設置され
ている。・狛犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥
居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の登山道脇に富士講
関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場所にあったが、雪崩によって流され
て別の場所に転がっていたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したとい
う。日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉田口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口登山道は、北口本宮冨士浅間神
社を起点とし、富士山頂を目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者
が吉田口登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで
登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要素として、現存する吉田口
登山道や沿道の宗教施設や山小屋等信仰の拠点などがある。・

66 :
る。正面が入母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面に1
間の向拝が付いている。三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続し
ている。県指定文化財として保護されている。[透塀]本殿周囲
を囲む1棟と、その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含め
たより広い範囲を囲む1棟−51−の計2棟で、総延長は36間
に及ぶ。県指定文化財として保護されている。[楼門]三間一戸
、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついてい
る。楼門の左右には随身像が安置してある。静岡県指定文化財と
して保護されている。写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼
門から東西に伸びる回廊は、昭和9年(1934)に付加された
ものである。・手水舎楼門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清
めるために手や口をすすぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれ
の灯籠が境内各所に設置されている。・石鳥居本殿へ続く参道に
石造りの鳥居が建てられている。昭和33年3月に寄進されたも
のである。・東鳥居・西鳥居桜の馬場の東端と西端にそれぞれ朱
塗りの鳥居が建てられている。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執
り行われる馬場が約200mに渡って東西に伸びている。源頼朝
が富士の裾野で巻狩を行った際、流鏑馬を奉納したことに始まる
と言われ、室町時代の初期にはすでに神事が行われていたとの記
録が残っている。馬場に沿って両側に御神木の桜が植えられてい
る。・禊所湧玉池の上池と下池の境部分が禊所とされ、池に下り
るための石段が組まれている。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の
神田川への流出口に石造りの橋が架けられている。春秋の大祭に
はこの橋を通って山宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(
1671)の絵図では橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋
)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛
文10年の絵図には既に描かれているが、大正4年(1915)
に石造りに改められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文
10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査により、
護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出さ
れた。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっている。
また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎石

67 :
木が約54,000本、幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区分
詳細表地区境界@特別規制A地区真崎灯台の内海側の第2種規制地区との境界は、
隣接する特別規制B地区と第2種規制地区との境界(松が途切れる所)の延長線上
とする。A特別規制B地区特別規制A地区との境界は防潮堤外側とし、その他の規
制地区との境界は、羽衣参道は道路外側、それ以外は平成元年4月1日現在におい
て松原を形成している地区、ただし、真崎先端の境界は真崎灯台と建設省財産、運
輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種規制地区真崎付近の第2種
規制地区及び第3種規制地区との境界は、都市計画道路の中心線とし、字広道の第
2種規制地区との境界、字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第2種規制地区と
の境界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接する道路の中心
を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区との境界は、羽衣参道中心
より25mの位置とする。C第2種規制地区真崎付近第3種規制地区との境界は、
市道本村海岸58号線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、@A
Bを参照。D第3種規制地区各地区との境界はABCを参照。(2)顕著な普遍的
価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形構成資産の土地には、山並
み、湧水や富士山及び側火山の噴火等の火山活動によって形成された溶岩樹型など
の自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているもの
もある。ア富士山山体及び登山道A富士山−64−・テフラ噴火の際、山頂火口か
ら粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、山頂付近
はテフラに覆われている。・大沢崩れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で
最も大きなもので、富士山西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直下から標高
2,200m付近まで延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ約150mに渡
る。崩壊は現在も進行中で年平均約15万?の岩石・土砂を流出し、大沢川流域に
扇状地を形成している。写真大沢崩れの写真図大沢崩れの図面A1

68 :
の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火

69 :
から急坂となり馬が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山から木
山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもなる。富士山有料道路が
開通する以前の馬返の周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり
、登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋
が営業され、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合目ここは木山と焼
山の境界でもあるこの地は天地境(てんちのさかい)とも言わ

70 :
れた。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有していたと考えら
れる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「
本地堂」とする記載が確認されており、最終的に護摩堂から本地
堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完
掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1614)2
月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山住番匠石
川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井三蔵作
」と記され、市指定有形文化財として保護されている。

71 :
金剛杖古神札納所西側に、大金剛杖が置かれている。開山祭に使
用されていた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が設けられている
。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(料金収受機)を
設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神社・案内
板・説明板籠屋の南側に、案内板等が建てられている。山宮浅間
神社の由緒を記したもの、山宮浅間神社の概要と、市指定文化財
であることを記したもの、山宮浅間神社の概要と、富士宮市「歩
く博物館」のコースであることを示すものの3本である。・手

72 :
しA2大宮・村山口登山道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山
口登山道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは、中宮八幡堂跡
の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡と7号建物跡の間(標高2,0
15m付近)で交差する。2,015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の
橋のような地形になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右
岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地形

73 :
る。B15白糸の滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然
地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在
しているものがある。ウ眺望C三保松原なしA森林、植栽樹木
構成資産の土地には、富士山の景観を構成している天然林、富
士山原始林及び青木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在
しているほか、社叢林・境内林などが存在している。ア富士山
山体及び登山道A富士山標高3,300m付近より上方の地域
にコケ類・地衣類が生育している。A1山頂信

74 :
場、中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料と
して役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋については、
江戸後期には4軒があったが、すでに武田信玄の1566年の文書に「中宮之室」
という名称があり、戦国時代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわ
かる。最盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の写真・烏
帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があり、これを烏帽子岩という。ここにて富
士講中興の祖と称される食行身禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定
した。「甲斐国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋ア
リ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期にはすでに身
禄の聖地として信者が登拝していたことがわかる。現在も富士講の聖地として重要
な地である。写真烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が点
在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのつながりが強く1730年
代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が行
われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、こ
の神社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。富士講や吉田御師と
密接な関係を持ちながら発展した神社である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素
として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起
点などがある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守成次によって
建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母屋造の建物を身舎としてその前面
に唐破風造の向拝一間をつけた形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各
部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開し、桃
山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐれた意匠をみせる顕著な建物
である。写真本殿の写真図本殿の図・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の
創建とも伝えられるが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本

75 :
像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられている
。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸道首標の碑明
治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道の首標
が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未年十
一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれて
いる。昭和59年(1984)に浅間大社境内の土中から発見さ
れ、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三御子
神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之宮
本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神社」
が建てられている。・鉾立石楼門前の石段には、鉾立石が置かれ
ている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の際、神の宿っ
た鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神路橋、神路枚橋
)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている。島の西側が神路
橋、東側が神路枚橋であるが、寛文10年(1670)の絵図で
は西側にのみ架けられている。写真橋全体の写真絵図寛文10年
の絵図B2山宮浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図
・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至る
までの区域は北山溶岩流上に展開している。また、遥拝所が位置
する小高い丘陵は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の
西岸には、天母山(二子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成され
る丘陵地が展開する。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近
の北山溶岩流を含め、4つの異なる溶岩流地形が広がっているこ
とになる。遥拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,00
0年前の噴火によって流出した比較的新しい溶岩流であるため、
この部分は他の区域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられ
る。そのために、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見
渡せていたため、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考え
られる。写真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・
社叢目通りの幹周が3mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9
,780uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定さ
れている。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠
屋が建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大

76 :
り籠屋から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されている
。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇に、祭祀で利
用する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗トイレ
が設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の水道施
設が設置されている。−71−・水飲み場水道施設の南側に、コ
ンクリート製の水飲み場が設置されている。・ベンチ休憩用のベ
ンチが設置されている。・鳥居駐車場横の参道に、コンクリート
製の鳥居が建てられている。・燈篭コンクリート製の鳥居から籠
屋へ至る参道の両側に氏子等が奉納した燈篭が並んで設置されて
いる。また、籠屋北側鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている
。・駐車場乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って
境内地を横切る道沿いに設けられている。・石碑山宮浅間神社の
由緒を記した石碑が、駐車場の北側に設置されている。・石造物
参道沿いには、道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれてい
る。B3村山浅間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられて
いる。・宝物殿社殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村
山公会堂社務所の西側には、元村山地区の住民が、会合等で利用
する公会堂が建てられている。・トイレ社務所北側に、トイレが
設置されている。・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アル
ミ製の手すりが設置されている。・御神木柵県指定天然記念物の
イチョウの周囲には、樹木保護のための柵が設置されている。・
御神木指定証県天然記念物に指定されているイチョウと大スギが
、御神木に指定された旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギ
の幹に掲げられている。・石柱村山浅間神社が、大正14年(1
925)に縣社に昇格したことを示す石柱が、参道入口左側に設
置されている。また、昭和62年(1987)に寄贈された「富
士根本宮村山浅間神社」と刻まれた石柱が、参道入口右側に設置
されている。・児童公園六道坂入り口付近に、すべり台等の遊具
を備え、またプールを併設した児童公園が整備されている。・駐
車場境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されている。−72
−・村山水道完成記念碑社務所裏側に、村山水道の完成を記念す
る碑が建てられている。昭和33年に建立された。・説明板(

77 :
小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われて
いる。A4須走口登山道起伏に富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテ
フラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A5吉田口登
山道二合目から三合目にかけて見られる古富士火山からの泥流堆積物、二合目付近
で見られる玄武岩溶岩の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火山活動により
形成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖地質学
的にみると湖の北側、西側、南側は御坂基盤層により構成されているが、東側新富
士火山の旧期の溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。この
溶岩流については水中に流入して形成された水底溶岩の可能性も指摘されている。
(久野久(1968)水中自破砕溶岩)また本栖湖畔のボーリング調査において4
3mより上位は新富士火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火山の特
徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩主体の富士山起源の
火山活動が確認−65−されている。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・鏡池楼門前
の池で一名眼鏡池とも言われる。参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文
10年(1670)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでいる。
写真鏡池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある。B3
村山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を
成立させる重要な要素となって存在しているものがある。B4須山浅間神社構成資
産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要
素となって存在しているものがある。B5須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)
境内地の池で汲み上げた水が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。B6
河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅中門をくぐると川(水路)が流れ
ており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎの場となっていた。

78 :
大宮・村山口登山道・草山部分の植物村山浅間神社から中宮八
幡堂跡の下までにあたり、植物の垂直分布では、丘陵帯から山
地帯にあたる。戦後、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ
、道沿いはほとんどが人工林であるが、天照教社から富士山麓
山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ
・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残っている。林の下には
ササ(スズタケ)が視界を遮るほど生い茂っている。・木山部
分の植物中宮八幡堂跡付近から新5合目の森林限界(2,40
0m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯から亜
高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデなどの広
葉樹からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わり、標高
1,600m付近で落葉樹とササがなくなる。・焼山部分の植
物森林限界である標高2,400m付近から上で、植物の垂直
分布では高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月
上旬にかけていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサキモ
メンヅル、ミヤマオトコヨモギなどが見られる。A3須山口登
山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(標高
1,440m付近)付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエ
デ類)にあたり、林床にはササ類が密生している。幕岩上部(
標高1,680m付近)付近は、針葉樹のシラビソ・−67−
オオシラビソ・コメツガなどが多くなるが、森林限界(標高1
,700〜1,750m)に近くなるにつれて樹高が低くまば
らになる。宝永噴火の際に噴出したスコリアが厚く堆積してい
るため、須山口登山道付近の森林限界は、他の登山道よりもか
なり低い。・焼山部分の植物須山口登山道2合8勺(標高2,
050m付近)から頂上までは、植物の垂直分布で高山帯にあ
たる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジアザミなどが
、まばらに分布する。A4須走口登山道・木山部分の植物植物
の垂直分布では、須走口登山道5合目(標高2,000m)付
近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシラビソ・コメツガ
などが分布する。須走口登山道の森林限界は約2,700mで
、他の登山道よりも高い。・焼山部分の植物森

79 :
のである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の向拝をつける一間社流造
の形式である。東宮本殿は、本社本殿はもとより西宮本殿に比較してやや小規模で
あるが、構造形式や蟇股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿
中最も古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西宮本殿西宮本殿は
、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わる本殿として建立され
たが、1615年、鳥居成次の本殿建立により現在地に移され西宮となった。本殿
の形式は東宮と同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一間の向拝をつけ
る。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、やがて豪華な本
社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞できる貴重な建物である。−49
−写真西宮本殿の写真図西宮本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富士山を遙拝
した地であり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに、
788年には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社として日本武尊を分
祀したと伝えられる。現在この地は、流山状の小高い丘をなしており、日本武尊を
祀る祠が建てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火
祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が
行われる。ここで読まれる祝詞の一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる。
写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点在している平面図富
士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、
いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり
、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自
然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8精進湖図以下に示す要素が点在し
ている平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によっ
て行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景
勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍

80 :
浅間神社を往復する祭儀「山宮御神幸」において、これに同行し
た大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾立
石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の宿っ
た鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山弾であ
り、籠屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1つの計2
つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する丘陵へ登る
ための石段が組まれている。現在あるものは戦中もしくは戦後に
改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約45m四方
が石塁により方形に区切られている。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶
岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を含む土層上に構築さ
れている。石塁下から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土
しているため、それらが用いられた12世紀から15世紀、もし
くは後の時代に築造されたものと推定される。写真石塁の写真図
石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲にはコンクリート製の
玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後に設けられたものと考
えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門扉が取り付けられてい
る。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行うことを目的として
築造されたと推定される施設である。南北約15.2m、東西約
7.6mの長方形で、30〜40p程度の溶岩を用いて石列等に
よって組まれている。富士山を拝む方向に祭壇が位置し、祭壇に
向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公文・案主席、献饌所
が、向かって右側に別当・供僧席が設けられている。写真遥拝所
の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に、石鳥居が建て
られている。昭和6年(1931)に建立されたものである。・
参道石鳥居から籠屋まで参道が続いている。B3村山浅間神社図
以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩流村山浅間神
社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付
の間は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区
は標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に
位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼ば
れる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてきた。ま
たこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神

81 :
士山表口真面之図)麓の吉原から山頂へ至る登山道と、途中のポ
イントとなる地名、集落を繋ぐ道等を示した地図が、村山公会堂
の北側に設置されている。B4須山浅間神社役から太
平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている。B6
河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅旧外川家住宅は
、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗資料等を展示し、

82 :
0河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的形状(平面的
、立体的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の表面の状態がほぼ保たれている
。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリアなどの火山活
道沿いはほとんどが人工林である
が、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いには、ブナ・ミ
ズナラ・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残っている。林の下にはササ(スズタ
ケ)が視界を遮るほど生い茂っている。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付近から新
5合目の森林限界(2,400m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地
帯から亜高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデなどの広葉樹からウ
ラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わり、標高1,600m付近で落葉樹とサ
サがなくなる。・焼山部分の植物森林限界である標高2,400m付近から上で、
植物の垂直分布では高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月上旬にか
けていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサキモメンヅル、ミヤマオトコヨモ
ギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分の植物植物の垂直

83 :
と高山帯となり、オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジア
ザミなどが、まばらに分布する。A5吉田口登山道標高160
0m付近より下方の区域は、山地帯に属する。自然林はごく少
なく、ほとんどがアカマツ・カラマツなどの植林地である。わ
ずかに残る自然林では、ミズナラ・ウラジロモミや自生のアカ
マツ等が生えている。天然記念物「躑躅原のレンゲツツジ及び
フジザクラ群落」が存在するのもこの地域である。標高160
0mから2500m付近までの区域が亜高山帯にあたり、コメ

84 :
要素として、自然地形(湖水)などがある。写真精進湖の写真A9本栖湖図以下に
示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多く
の富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられ
ている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがある
。写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本宮浅間大社図以下に示
す要素が点在している平面図・神立山本殿の北側にある丘陵地一帯は神立山と称さ
れる。神立山及び富士山本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶
岩流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積物の層で−50
−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため指定地内の一部では溶岩礫が露出
し、縄状溶岩も散見される。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋
沢堀沿いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(1670)の浅
間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築物が描かれ、発掘調査で石畳や
護摩堂跡が確認されている。写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の
「湧玉池」は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降った雨
や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ、溶岩流末端で
湧出して池になったものである。禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池
のみを湧玉池、下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心
身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池であった。現在も富
士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細
平面図・社叢神立山表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の樹木が
生育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。また、野鳥の生息に適した環
境でもあり、「野鳥の森」碑が建てられている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀
・楼門)浅間大社は、社伝によれば大同元年(806)に造営

85 :
ら大沢川となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた要因
の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]−5
4−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定され
た。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1
9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発達も著しい。気根
が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦の
乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以
前はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀
でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然記念
物に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。
境内の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東
西17.5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ
8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の樹齢とされ
るが、実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境
内には胸高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本
、スダジイ1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹
されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林に指定されてい
る。・浅間神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境
内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左
座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照
大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2
年(1913)に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化した
ため、その後さらに鉄筋コンクリート一部木造に建替えられてい
る。写真社殿の写真図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の
文保年間(1317〜1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊
が村山に興法寺を開いたと伝えられている。その興法寺の建物と
して現存する唯一の堂で、富士山の本尊である大日如来を主尊と
する。現在の建物は、部材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸
時代末期の建造と考えられるが、外壁は波鉄板板張りに変えられ
ている。桁行5間・梁間7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出
入り口を開き、前面と両側面に幅一間の回り縁を巡らしている。
写真社殿の写真図社殿の図面・水垢離場山伏修行者及び

86 :
期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講などに関する理解
を深めるよう活用されている。B9山中湖B10河口湖B11忍
野八海B12船津胎内樹型船津胎内樹型の管理を行う施設として
河口湖フィールドセンターがある。溶岩樹型に関わる資料や自然
、生物等の展示施設をもち自然共生室という研究機関も兼ね備え
、洞穴や周辺環境の価値の普及、洞内環境の保護、入洞者の安全
確保に寄与している。B13吉田胎内樹型吉田胎内樹型に関する
解説板が山梨県・富士吉田市教育委員会により設置されている。
B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・説明板、案内板洞穴の
入口に、人穴の由緒や市指定文化財であることを記した説明板、
碑塔群や洞穴内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建て
られている。B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしC道路と
その他人工物構成資産の土地には、日常生活を営む地域住民が使
用する生活道路や、富士スバルラインや富士山スカイラインなど
の観光道路をはじめてとして、電柱、看板、誘導標識などをはじ
めとする各種の建築物及び工作物が存在している−74−ア富士
山山体及び登山道A富士山・救急搬送・荷物搬送区域救急用・緊
急避難道としての役割を持つ道路等の施設である。搬送には、ブ
ルドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意
表示板が設置されている。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山
口登山道6合目以上では、登山者の安全確保のため、登山道に沿
って鉄杭、ロープ等が設置されている。A3須山口登山道須山御
胎内から幕岩までの登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内を
示す標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御殿場
口との合流点より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で
統一された登山道案内標識が設置されている。この標識は富士山
における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一されて
いる。A4須走口登山道登山者の安全確保のため、登山道に沿っ
て鉄杭、ロープ等が設置されている。須走口登山道は、茶色地に
赤色の帯が入り、白い文字で統一された登山道案内標識が設置さ
れている。この標識は富士山における標識類総合ガイドラインに
沿ったデザインで統一されている。吉田口登山道が合流する八

87 :
御胎内(標高1,440m付近)付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類)
にあたり、林床にはササ類が密生している。幕岩上部(標高1,680m付近)付
近は、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなどが多くなるが、森
林限界(標高1,700〜1,750m)に近くなるにつれて樹高が低くまばらに
なる。宝永噴火の際に噴出したスコリアが厚く堆積しているため、須山口登山道付
近の森林限界は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口登山道2
合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物の垂直分布で高山帯にあた
る。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。
A4須走口登山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目(標
高2,000m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシラビソ・コメツガ
などが分布する。須走口登山道の森林限界は約2,700mで、他の登山道よりも
高い。・焼山部分の植物森林限界を過ぎると高山帯となり、オンタデ、イタドリ、
フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A5吉田口登山道標高16
00m付近より下方の区域は、山地帯に属する。自然林はごく少なく、ほとんどが
アカマツ・カラマツなどの植林地である。わずかに残る自然林では、ミズナラ・ウ
ラジロモミや自生のアカマツ等が生えている。天然記念物「躑躅原のレンゲツツジ
及びフジザクラ群落」が存在するのもこの地域である。標高1600mから250
0m付近までの区域が亜高山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソの森林
を形成している。火山礫の露出した日当たりの良いところには、ダケカンバが生え
ている。・焼山部分の植物標高2500m付近から上の区域は高山帯に当たり、森
林は形成されない。植物はほとんどみられない地域であることから、かつては「焼
山」と呼ばれた。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術的価値
が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育し、乾燥に強いミヤマハンノキ・オン
タデ・メゲツソウ・フジアザミ・ムラサキモメンズルなどが生育す

88 :
浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内
林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在してい
る。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林や植
栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及び自
然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした建造物
構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在し
ている。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案
内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山に
おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された
案内標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登山道
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統
一された案内標識等の整備が進められている。A3須山口登山
道なしA4須走口登山道富士山における標識類総合ガイドライ
ンに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められ
ている。A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドラ
インに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進めら
れている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9
本栖湖・2006年3月22日より、自然環境や適切な利用環
境の保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り入れ禁止区域
に指定された。こうした規制内容を説明するための説明板や水
上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地区などに設
置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札(現千
円札)の裏面に使用されている富士山と本栖湖のイラストのモ
デルとなった岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号線
沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然
公園法の第2種特別地域として、観光施設等も景観に配慮され
ている。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)
神立山の北側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢
の湧水地に源を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向
へ流れ、富士宮市中心部を灌漑する用水路であ

89 :
目より上部は、さらに黄色の帯が加わる。A5吉田口登山道富士
山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一され
た案内標識等の整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神
社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖西側に位置する水力発電用取
水口は、(株)日本軽金属蒲原製造所の工場群に電力を供給する
自家用水力発電所の一つ、本栖発電所のものである。イ信仰B

90 :
宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ
特徴が挙げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社構成資産の土地には、丘陵を構
成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在してい
る。−68−B2山宮浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内
林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。B3村山浅間神
社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか

91 :
不明であるが水田開発を目的として開削されたと考えられ、開
発が進むにつれ生活用水や防火用水として使われるようになっ
た。現在は水質悪化により生活用水としては利用されなくなっ
ている。・社務所−70−楼門から続く東廻廊の東側に、神社
を管理し神社の社務を取り扱う社務所が建てられている。・祈
祷殿楼門から続く西廻廊の西側に、各種祈祷や御祓いを行うた
めの祈祷殿が建てられている。・浅間大社参集所現在の参集所
は昭和53年(1978)に建てられたもので

92 :
富士山本宮浅間大社指定地の南西部分には、自動発券機(料金収
受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神
社乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を
横切る道沿いに設けられている。−75−B3村山浅間神社境内
地西端に、参詣者用の駐車場が整備されている。B4須山浅間神
社裾野市と須山振興会によって、須山口からの登山道の案内図が
設置されている。B5須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の
駐車場乗用車6台分が設けられている。B6河口浅間神社B7冨
士御室浅間神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入口には
、御師住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示す解説板
が設置されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B1
2船津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い整備され
たトレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道には石造物の分
布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散策路的要素
も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山道の
「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである。古くから
富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道」として
記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)2本の
道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石垣の西側に位置する。
建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有していたと考えられる
。B15白糸ノ滝市道・私道等の道路、階段、曽我橋、滝見橋等
がある。また、それらの付属施設がある。危険を伴う区域には、
護岸や落石防護ネットが整備され、また、立入禁止の札が立てら
れている。県道沿い及び芝川本流左岸等には駐車場があり、管理
小屋等の付帯施設がある。また、県道沿いの駐車場には公衆トイ
レがある。ウ眺望C三保松原−76−なし(3)周辺環境を構成
する諸要素@自然的要素構成資産の周辺には、山並み、河川をは
じめとする各種自然地形が存在している。また、統一感のある山
並み景観を構成している天然林及び施業林からなる森林が存在し
ている。ア富士山山体及び登山道A富士山・宝永火口静岡県側か
らの富士山の景観を特色付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東側に
ある。宝永4年(1707)に発生したテフラの爆発的噴火に

93 :
て植栽された樹木等が存在している。B4須山浅間神社構成資産の土地には、丘陵
を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在し
ている。B5須走浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。B6河口浅間神社B
7冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船
津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)構成資産の
土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された
樹木等が存在している。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林や植
栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及び自然植生している。B
保存管理又は公開活用を目的とした建造物構成資産の土地には、保存管理、公開活
用のための各種展示施設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在
している。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山における標識類総合ガ
イドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められている。A
1山頂信仰遺跡富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一さ
れた案内標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登山道富士山における
標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進めら
れている。A3須山口登山道なしA4須走口登山道富士山における標識類総合ガイ
ドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められている。A5
吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一され
た案内標識等の整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精
進湖A9本栖湖・2006年3月22日より、自然環境や適切な利用環境の保全を
図るため、本栖湖水面は動力船の乗り入れ禁止区域に指定された。こうした規制内
容を説明するための説明板や水上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地
区などに設置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札

94 :
合に利用されている。・神田川ふれあい広場施設昭和39年に
富士宮市が浅間大社境内地の一部を児童公園として整備され、
さらに平成6年から7年にかけて親水広場を備えた「神田川ふ
れあい広場」として再整備された。現在は、同時期に改修され
た神田川護岸も含め、中心市街地の親水空間として市民の憩い
の場となっている。広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ、
時計、水飲み場等の施設・設備が設置されている。・御手洗橋
神田川ふれあい広場の南東側には、長さ7.3m、幅11.5
mの御手洗橋が架けられている。『大宮町誌』には、明治26
年(1893)に架けられたとの記述がある。・弓道場第1駐
車場西側に、弓道場が整備されている。・消防団詰所鉄骨2階
立ての富士宮市消防団第1方面隊第3分団の詰所が、神立山南
西の端に建てられている。・案内板・説明板本殿や湧玉池など
が、文化財に指定されていることを案内・説明する高札が建て
られている。・古神札納所拝殿東側に、古い神札を納めるため
の屋根付きの箱が置かれている。・大金剛杖古神札納所西側に
、大金剛杖が置かれている。開山祭に使用されていた。・藤棚
水屋神社の南側に、藤棚が設けられている。・駐車場指定地の
南西部分には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車
場が整備されている。B2山宮浅間神社・案内板・説明板籠屋
の南側に、案内板等が建てられている。山宮浅間神社の由緒を
記したもの、山宮浅間神社の概要と、市指定文化財であること
を記したもの、山宮浅間神社の概要と、富士宮市「歩く博物館
」のコースであることを示すものの3本である。・手すり籠屋
から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されている。・
鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇に、祭祀で利用
する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗トイレ
が設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の水道
施設が設置されている。−71−・水飲み場水道施設の南側に
、コンクリート製の水飲み場が設置されている。・ベンチ休憩
用のベンチが設置されている。・鳥居駐車場横の参道に、コン
クリート製の鳥居が建てられている。・燈篭コ

95 :
離場の写真・護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像
が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸
い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時
安政四年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられ
る。周囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見
られ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなっ
たところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しか
し、神仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日
堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富士大神
社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮守」と
呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五月十
七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の
社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登
る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和28年(195
3)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮守
社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年
の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢)村
山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置されている
。明治16年(1883)に設置されたものである。・石段(参
道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂へ続くも
のの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5年に奉納された
狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢500年を超えるス
ギの巨木が22本あり、中には樹高37m、目通りの太さが7m
を超えるものも見られる。社叢全体が市指定天然記念物として保
護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれ
ば、天元4年(961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したと
の記録がある。その後の記録として社殿の存在が確認できるのは
、大永4年(1524)と記された修築時の棟札による。現在の
社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真
社殿の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭sage

96 :
離場の写真・護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像
が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸
い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時
安政四年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられ
る。周囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見
られ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなっ
たところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しか
し、神仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日
堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富士大神
社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮守」と
呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五月十
七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の
社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登
る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和28年(195
3)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮守
社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年
の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢)村
山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置されている
。明治16年(1883)に設置されたものである。・石段(参
道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂へ続くも
のの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5年に奉納された
狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢500年を超えるス
ギの巨木が22本あり、中には樹高37m、目通りの太さが7m
を超えるものも見られる。社叢全体が市指定天然記念物として保
護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれ
ば、天元4年(961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したと
の記録がある。その後の記録として社殿の存在が確認できるのは
、大永4年(1524)と記された修築時の棟札による。現在の
社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真
社殿の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神

97 :
り、白い灰のデイサイト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰石など新
第三紀の基盤岩類、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降ら
せた。記録によれば約100q離れた江戸にまで火山灰が到達し
たが、溶岩の流下はなかった。活火山であり、今後も噴火活動の
可能性がある。・富士山特定地理等保護林8合目から標高約2,
400m付近にかけて展開する約927haの保護林である。富
士山の国有林においては第3次国有林野施業実施計画、自然環境
の維持、動植物の保護が図られ、あわせて遺伝資源の保存を図る
ことを目的として設定されている。富士山独特の地形・地質を持
つ区域の植生として貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公園
富士山管理計画区自然公園法の特別保護地区あたる概ね5合目以
上の火山高原を主体とした山頂部までの区域である。富士山の火
山景観の核心部を呈する区域であり、富士山の秀麗な山容、植物
の遷移過程等が保全の対象となっている。A1山頂信仰遺跡なし
A2大宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約
160種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山
域には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中に
は、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念
物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生
息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生
息数は少ない。A3須山口登山道・幕岩登山道の東側50m、標
高1,650m付近にあり、新富士火山の中期溶岩の切り立った
岩壁で、比高は15mを超える。岩肌には樹木が生い茂り、崖の
下には直径1〜2cmのスコリアが一面に堆積している。その存
在は宝永噴火前の古絵図にも記録されている。古絵図には「まこ
岩」「孫岩」の名で記述されることもある。役行者が7世紀後半
に伊豆に流された折、この地で修行したという言い伝えが残って
いる−77−(日本霊異記)。登山道から幕岩の直下に降りる道
がある。・側火山登山道沿いには宝永山(標高2,698m)、
二ツ塚(標高1,926m、1,804m)、アザミ塚(1,6
26m)などの側火山が見られる。宝永4年(1707)の宝永
の噴火により須山口旧登山道は崩壊し、その後、宝永山を東に

98 :
裏面に使用されている富士山と本栖湖のイラストのモデルとなった岡田紅陽の写真
の撮影地である。国道300号線沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有する展望地
がある。自然公園法の第2種特別地域として、観光施設等も景観に配慮されている
。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山の北側部を流れる渋
沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に源を発し、神立山の北半部を蛇行し
ながら南東方向へ流れ、富士宮市中心部を灌漑する用水路である。開削時期は不明
であるが水田開発を目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつれ生活用水
や防火用水として使われるようになった。現在は水質悪化により生活用水としては
利用されなくなっている。・社務所−70−楼門から続く東廻廊の東側に、神社を
管理し神社の社務を取り扱う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続く西廻
廊の西側に、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建てられている。・浅間大社
参集所現在の参集所は昭和53年(1978)に建てられたもので、直会や各種会
合に利用されている。・神田川ふれあい広場施設昭和39年に富士宮市が浅間大社
境内地の一部を児童公園として整備され、さらに平成6年から7年にかけて親水広
場を備えた「神田川ふれあい広場」として再整備された。現在は、同時期に改修さ
れた神田川護岸も含め、中心市街地の親水空間として市民の憩いの場となっている
。広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ、時計、水飲み場等の施設・設備が設置
されている。・御手洗橋神田川ふれあい広場の南東側には、長さ7.3m、幅11
.5mの御手洗橋が架けられている。『大宮町誌』には、明治26年(1893)
に架けられたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に、弓道場が整備されてい
る。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市消防団第1方面隊第3分団の詰所が、神
立山南西の端に建てられている。・案内板・説明板本殿や湧玉池などが、文化財に
指定されていることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納所拝殿東
側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれている。・大

99 :
梯子が架けられている。・ベンチ・テーブル須山御胎内から登
山道を80mほど進んだ場所に、木製のベンチ2脚とテーブル
1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入口に、
木製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩ま
での登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設
置されている。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流
点より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一され
た登山道案内標識が設置されている。この標識は富士山におけ
る標識類総合ガイドライン(仮称)に沿ったデザイン案で統一
されている。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬舎が
建てられている。・神輿庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭で
使用される神輿の格納庫が建てられている。・あずまや祖霊社
の北側には、あずま屋が建てられている。・神橋(太鼓橋)県
道138号線から
を行う施設として河口湖フィールドセンターがある。溶岩樹型
に関わる資料や自然、生物等の展示施設をもち自然共生室とい
う研究機関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価値の普及、洞内環

100 :
所西側に、大金剛杖が置かれている。開山祭に使用されていた。・藤棚水屋神社の
南側に、藤棚が設けられ内地を横切る道沿いに
設けられている。・石碑山宮浅間神社の由緒を記した石碑が、駐車場の北側に設置
されている。・石造物参道沿いには、道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれ
ている。B3村山浅間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物
殿社殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村山公会堂社務所の西側には、元
村山地区の住民が、れている。・御神木柵県指定天然記念物のイチョウの周囲には
、樹木保護のための柵が設置されている。・御神木指定証県天然記念物に指定され
ているイチョウと大スギが、御神木に指定された旨を示す札が、イ


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