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キャンプ用テント 14張り目
- 1 :2018/06/30 〜 最終レス :2018/07/03
- 一般的なテントについて語るスレです。
山岳用テントの話題は専用スレへ。
【アフィ転載禁止】
■ ご覧の皆様へ
登山キャンプ板にはブログ宣伝荒らしや業者が常駐しています。
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1517400210/1-53
「wi1d28jp」(栗木ハンター)などの悪質スパムは踏まずにNG登録を。
踏んでしまった人は関連cookieを削除し、ネットショッピングは別ブラウザから。
■ 普段から対策を!
ブラウザにadblockやuBlock導入+国内フィルタ全部載せが推奨です。
スマホは広告ブロッカーも多いのでお好みのものを(フィルタ追加できるものが効果的)。
勝手な広告やスパイウェアをブロックして安全で快適なネットライフを♪
スマホ通信量の節約、時短にもなります。
※過去スレ
キャンプ用テント 13張り目 [転載禁止]
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1528499682/
キャンプ用テント 1張り目
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/out/1439956739/
キャンプ用テント 2張り目
http://hanabi.2ch.sc/test/read.cgi/out/1475848307/
キャンプ用テント 3張り目
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1488018871/
キャンプ用テント 4張り目
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1494717560/
キャンプ用テント 5張り目
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1501652003/
キャンプ用テント 6張り目
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1504362916/
キャンプ用テント 7張り目
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1507291863/
キャンプ用テント 8張り目
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1510485561/
キャンプ用テント 9張り目
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1518091648/
キャンプ用テント 10張り目 [転載禁止]
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1521380663/
キャンプ用テント 11張り目 [転載禁止]
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1523959248/
キャンプ用テント 12張り目 [転載禁止]
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1526086595/
- 2 :
- 2ならテアッ!
- 3 :
- もう一日1スレしか立てられなくなったキチガイちゃんw
- 4 :
- ヨーレイカのトンネル型テントが欲しい
- 5 :
- スレ乱立荒らし止まったよwww
いつも口先だけのネット弁慶だからw
↓
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1526692476/3
3 名前:底名無し沼さん[sage] 投稿日:2018/05/19(土) 10:18:53.87
埋められた分立て直しておきましたので
埋めると倍々で増えます5
- 6 :
- スレ立て荒らしスヤスヤワロスw
- 7 :
- せーのッ!7ゲットなら心願成就ッ!私は今年7億円ゲットして一流登山家になって最高の女7人を彼女にしてラブラブな毎日を過ごすッ!てあッ!とうッ!とえいッ!
はうあーーッ!!!
- 8 :
- あんなにバカにしてたドッペルギャンガーのテントを買ってしまいそうで怖い…
- 9 :
- カマボコテントええな
- 10 :
- 初めてのテントにカマボコ買ったけど大満足してるよ
- 11 :
- ID隠して自演するためだけに浪人を買うとかさすがキチガイアフィ厨
★推奨NGワード
アフィ
運営
証声
- 12 :
- このスレは、「転載禁止!」と言いながら、ちゃっかり自分のアフィサイトには転載しているアフィ太郎こと、アフィリエイト厨の立てた重複スレです
不正な目的のために立てられたので埋め立てます
★キチガイ荒らしアフィ厨により改変される前のスレッドタイトル、テンプレに直して立て直されるまで埋め続けられます
ばいばい
キチガイアフィ荒らしさん
バカ発見w
キチガイアフィ荒らしは平気で嘘を吐く証拠として記録
すぐにバレることも理解出来ずによくやるねぇw
↓
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1526617911/19
19底名無し沼さん (ワッチョイ 2b12-NEzo [121.113.178.119])2018/05/18(金) 16:02:27.55ID:PiFduOOP0
さっきイッツコムに電話しといた
もうすぐお前の回線は切れるから
夕動
- 13 :
- ★キチガイ荒らしアフィ厨とは?
小学校入学してすぐに同級生に虐められ、わずか3週間で引きこもりになったアフィ太郎も既に引きこもり歴30年以上
極度の対人恐怖症のアフィ太郎は当然働けるわけもなく、登山キャンプスレの書き込みを勝手に転載したアフィリエイトサイトで唯一の収入を得ていた
そこに現れたライバルが「wi1d28jp」と「ワイエディ」
wi1d28jpとワイエディは、アフィ太郎よりもはるかにうまくアフィリエイトサイトを作りあげ、その影響でアフィ太郎のアフィ収入はみるみる減っていったということじゃ
それに激怒したアフィ太郎はアフィ厨と名前を変え、登山キャンプスレの歴史あるスレのスレタイやテンプレを次々に改変
全ての住人に忌み嫌われながら、アフィ厨にしか見えない敵との戦いを今でも繰り広げているという
めでたしめでたし(迷惑迷惑)
■テンプレ改変で実際に被害を受けたスレの例
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1502426392/
元の正常なテンプレのスレ
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1494391137/
誰も賛同してないのに勝手にスレタイ改変、テンプレを切り刻んで批判を受け、バレバレの自演で擁護を始める様子
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1494391137/971-
案の定、アフィ厨が勝手にタイトルを変えて立てたゴミスレは誰も使わず、わずか12レスでdat落ちw
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1503153314/
それを2ちゃんねる運営の陰謀だと逆恨みしたキチガイアフィ厨はますます頭のあたりがおかしくなり、あらゆるスレのテンプレ改変を始める
包競
- 14 :
- アフィ(ふじさん、英語:Mount Fuji)は、運営静岡県
(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と、山梨
県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。標高37
76.12 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、その優美な風
貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られ運営ている。数多く
の芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与えただけではなく
、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与えている。懸垂曲線
の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は駿河湾の
海岸まで及ぶ。古来霊峰とされ、特に運営山頂部は浅間大神が鎮座
するとされたため、神聖視された。噴火を沈静化するため律令国家
により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。また、アフィ
修験道の開祖とされる富士上人により修験道の霊場としても認識さ
れるようになり、登拝が行わ運営れるようになった。これら富士信
仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった一派を形成す
るに至る。現在、アフィ麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シ
ーズンには富士登山が盛んである。日本三名山(三霊山)、日本百
名山、日本の地質百運営選に選定されている。また、1936年(
昭和11年)には富士箱根伊豆国立公園に指定されている。その後
、1952年(昭和27年)に特別名勝、2011年(平成23年
)に史跡、さらに2013年(平成25年)6月22日には関連す
る文化財群運営とともに「アフィ−信仰の対象と芸術の源泉」の名
で世界文化遺産に登録された。日本の文化遺産としては13件目で
ある。富士の山とは詠んだとしても、「ふじやま」という呼称は誤
りであり、愛媛県大洲市柚木にある冨士山(とみすやま)とは字も
呼運営び方も異なる。アフィについての最も古い記録は『常陸国風
土記』における「福慈岳」という語であると言われている。他にも
多くの呼称が存在し、不二山もしくは不尽山と表記する古文献もあ
る。また、『竹取物語』における伝説もある。「フジ」とい運宴策
- 15 :
- 長い山の斜面を表す大和言葉から転じてアフィと称されたという説
もある。近代以降の語源説としては、宣教師・バチェラーは、名前
は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプリ」に由来す
るとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中に運営鎮座する火
の姥神を表す「アペフチカムイ」からきた誤解であるとの反論があ
る。その他の語源説として、マレー語説・マオリ語説・原ポリネシ
ア語説等がある。明確に「アフィ」と表記されるに至るにおいては
駿河国富士郡に由来するとするものがあり運営、記録としては都良
香の『アフィ記』に「山を富士と名づくるは、郡の名に取れるなり
」とある。アフィに因む命名アフィが日本を代表する名峰であるこ
とから、日本の各地に「富士」の付く地名が多数存在している。富
士山の麓として静岡県に富士市・運営富士宮市、富士郡、山梨県に
富士吉田市・富士河口湖町・富士川町があるほか、よくあるものと
してアフィが見える場所を富士見と名づけたり(例:埼玉県富士見
市)、アフィに似ている山(主に成層火山)に「富士」の名を冠す
る例(信濃富士など)が運営ある。日本国外に移住した日本人たち
も、居住地付近の山を「○○富士」と呼ぶことがある。詳細は「富
士見」および「富士街道」を参照また、全国各地には少なくとも、
321座を超える数の富士と名の付く山があり、それらを郷土富士
と呼ぶ。詳細は運営「郷土富士」を参照なお、地名以外にも「富士
」を冠した名称は多く存在する。詳細は「フジ」を参照また、異名
として芙蓉峰とも言う。詳細は「芙蓉」を参照地質学上のアフィ富
士山周辺の地形図アフィの構造図地質学上のアフィは典型的な成層
火山で運営あり、この種の火山特有の美しい稜線を持つ。現在の富
士山の山体は、大きく分けて下記の4段階の火山活動によって形成
されたものだと考えられている。先小御岳(せんこみたけ)火山小
御岳(こみたけ)火山古富士(こふじ)火山新富士(しんふじ)エムソ
゙ネ火山この中で先小御岳が最古であり、数十万年前の更新世に妃求
- 16 :
- た火山である。東京大学地震研究所が2004年4月に行ったボー
リング調査によって、小御岳の下にさらに古い山体があることが判
明した。安山岩を主体とするこの第4の山体は「先小御運営岳」と
名付けられた。古富士は8万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を
続け、噴出した火山灰が降り積もることで、標高3,000m弱ま
で成長した。山頂は宝永火口の北側1〜2kmのところにあったと
考えられている。2009年10月に、GPS運営によるアフ壮媒
- 17 :
- 観測で地殻変動が確認された。これは1996年4月の観測開始以
来初めてのことである。この地殻変動により最大2センチの変化が
現れ、富士宮市−富士吉田市間で約2cm伸びた。これはマグマが
蓄積している(活火山である)現れと運営されている。プレートの
観点からは、ユーラシアプレート外縁部で、北アメリカプレート又
はオホーツクプレートと接するフォッサマグナ(すぐ西に糸魚川静
岡構造線)に南からフィリピン海プレートが沈み込む位置であり(
ほぼ、相模トラフと駿河トラ運営フ及び伊豆・小笠原・マリアナ島
弧を陸上に延長した交点)、3個のプレートの境界域(三重会合点
(英語版))となっている。アフィ下で沈み込んでいるフィリピン
海プレートのさらに下に太平洋プレートが沈み込んでおり、アフィ
のマグマは、東日本運営にある島弧火山と同様に太平洋プレートに
由来するものである。アフィの火山上の特徴は、日本列島の陸上で
他にない均整のとれた山体であること、日本の火山のほとんどが安
山岩マグマを多く噴出しているのに対し、アフィは玄武岩マグマを
多く噴出す運営ること、側火山が非常に多いことがある。アフィ頂
山頂火口を上空より山頂火口山頂には火口(お鉢)がありこれを「
大内院」と呼ぶ。これを囲むようにして8つの峰がありこれを八神
峰と呼ぶ。火口の南西側に最高点の剣ヶ峰があり二等三角点(点名
は運営、アフィ。標高3775.51m2014年4月1日改算)
、火口の北側には二等三角点(点名は、富士白山。標高3756.
23m2014年4月1日改算)が設置されている。火口の構造は
、国土地理院によると、最深部の標高が3538.7m、火運営口
の深さは約237m、山頂火口の直径は780m、火口底の直径は
130mとある。登山道を除く8合目より上は、富士宮市にある富
士山本宮浅間大社の私有地であるが、県境と市町村境界は未確定で
ある。2014年1月のアフィ世界文化遺産協議会運営後の記者会
見でも静岡県知事の川勝平太と山梨県知事の横内正明は県境を異鉢
- 18 :
- ないことを明言している。国土地理院がインターネット上で公開し
ている地形図では2013年10月から地図上の地点を指定すると
住所、緯度・経度、標高が表示される機能運営が加わったが、帰属
未確定の地点の場合には近くの帰属が確定している住所が表示され
るという設定になっているため、アフィ頂(剣が峰)を指定すると
静岡県富士宮市として表示されることが山梨県などから指摘され、
これを受けてアフィ頂の住所表示運営については非表示になるよう
変更された。宝永山宝永山と宝永噴火口宝永山(ほうえいざん)は
宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した側火山(寄生火山
)である。アフィ南東斜面に位置し標高は2,693mである。宝
永山の西側には巨大な噴運営火口が開いている。これらを間近で見
ることができる登山コースも整備されている。詳細は「宝永山」を
参照アフィと火山活動アフィの噴火詳細は「アフィの噴火史」を参
照最終氷期が終了した約1万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火
が始まり、溶岩運営を大量に噴出した。この溶岩によって、現在の
アフィの山体である新富士が形成された。その後、古富士の山頂が
新富士の山頂の東側に顔を出しているような状態となっていたと見
られるが、約2,500〜2,800年前、風化が進んだ古富士の
山頂部運営が大規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして
崩壊した。新富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千
年前〜約8,000年前の3,000年間と、約4,500年前〜
約3,200年前の1,300年間と考えられている。山頂部かエムソ
゙ネらの最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山頂部から
の噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が散発的
に発生している。延暦19年−21年(800年−802年)に延
暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出し運営た貞観
大噴火。最後にアフィが噴火したのは宝永4年(1707年)の宝
永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4cmの火詮奪
- 19 :
- が降り積もった。また、宝永大噴火によってアフィの山体に宝永山
が形成された。その後も火山性の地震や噴気が運営観測されており
、今後も噴火の可能性が残されている。噴火の年代が考証できる最
も古い記録は、『続日本紀』に記述されている、天応元年(781
年)にアフィより降灰があったくだりである。平安時代初期に成立
した『竹取物語』にも、アフィが作品運営成立の頃、活動期であっ
たことを窺わせる記述がある。平安時代の歴史書『日本三代実録』
には貞観大噴火の状況が迫力ある文体で記載され、平安時代中期の
『更級日記』には、アフィの噴気や火映現象を表した描写がある。
宝永大噴火についての記録は運営、新井白石による『折りたく柴の
記』をはじめとした文書、絵図等により多数残されている。その後
も、噴煙や鳴動の記録は多く残されているが、記述から見て短期間
かつ小規模な活動で終わったものと推測される。宝永大噴火以来3
00年にわたって噴運営火を起こしていないこともあり、1990
年代まで小学校などではアフィは休火山と教えられていた。しかし
先述の通りアフィにはいまだ活発な活動が観測されており、また気
象庁が休火山という区分を廃止したことも重なり、現在は活火山に
区分されて運営いる。2013年7月20日、産業技術総合研究所
は、1999年から約15年分の踏査データや地質調査データをま
とめ富士火山地質図第2版(Ver.1)として発表し、2016
年には修正加筆が終了した。同時に、溶岩が流れ出す規模の噴火は
過運営去2000年間に少なくとも43回あったとしている。山体
崩壊の発生地震および噴火活動にともなう山体崩壊(岩屑がんせつ
なだれ)が発生年代が不明確なものも含めて南西側に5回、北東側
に3回、東側に4回の計12回起きたとされている。また、運営直
下に存在が示唆されている活断層の活動によるマグニチュード7ク
ラスの地震による崩壊も懸念されている。主な発生歴約2900年
前(御殿場泥流):東斜面で大規模(約18億立方メートル)降阻
- 20 :
- 体崩壊が発生し、泥流が御殿場周辺から東へは足柄運営平野へ、南
へは三島周辺を通って駿河湾へ流下、山体崩壊の発生原因は不明。
1331年の元弘地震に伴い発生。1891年濃尾地震に伴い発生
。災害対策火山噴火予知連絡会(気象庁)−アフィのみを限定する
ものではないが、日本の火山活動について運営の検討を実施する。
状況に応じて見解を発表するが、噴火の日時を特定して発表するこ
とはない。定例会は年3回実施されるが、噴火時には随時開催耕乗
- 21 :
- る。2000年10月にアフィの低周波地震が増加した際は、ワー
キンググループが設置され、富士運営山に関する基礎データの収集
・整理、監視体制の検討、火山情報発信の方法などが集中的に検討
された。アフィハザードマップ検討委員会(内閣府防災担当)−噴
火時の広域避難のために必要なハザードマップの作成が、検討委員
会を通じて進められてい運営る。富士直轄砂防事業(国土交通省)
−大沢崩れを源にして発生する大規模な土石流から、下流の保全対
象を守る砂防事業を実施中。山梨県は2015年6月11日、「富
士山噴火時避難ルートマップ」を作成した。「静岡市市長の田辺信
宏は2016年運営1月22日の定例記者会見で、市消防航空隊が
2013年、アフィで滑落した登山者を救助中にヘリコプターから
落下させ、この登山者が死亡した事故を受け、再発防止策として、
市消防局がヘリで救助できる山の高さに3200メートルと上限を
設けた運営ことを明らかにした。」。地殻変動の観測国の機関(防
災科学技術研究所、気象庁、国土地理院、産業技術総合研究所)及
び大学(東京大学地震研究所)などにより観測が行われている。国
土地理院:地磁気観測点が、鹿野山測地観測所、水沢測地観測所エムソ
゙ネおよび江刺観測場に設置されている。また、山頂にはGPSの電
子基準点。気象庁観測所:地震計(山頂、御殿場口8合目、吉田口
6合目、鳴沢塒塚東、太郎坊)、傾斜計(太郎坊)、空振計(太郎
坊、上井出)、GSP(太郎坊)、望遠カメラ(萩原)運営防災科
学技術研究所:火山活動可視情報化システム(VIsualiza
tionsystemforVolcanicActivity)
噴出物災害などへの対策国土交通省、富士砂防事務所:静岡県、山
梨県と連携し火砕流、溶岩流などの火山活動に運営伴う災害を防ぐ
ための調査・検討を実施しハザードマップが作成されている。しか
し、山体崩壊を想定したハザードマップは2012年現在未作成で
ある。アフィと気象気候山頂は最暖月の8月でも平均気温が6食凶
- 22 :
- かなく、ケッペンの気候区分では最暖運営月平均気温が0℃以上1
0℃未満のツンドラ気候に分類される。太平洋側の気候のため1月
や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪トップ10を
占める。観測史上最低気温は−38.0℃で最高気温が−30℃未
満の日も過去に数回観測され運営ていて−30℃を上回ることがな
い1日というのは北海道でも例がない。アフィでの気象観測かつて
気象庁東京管区気象台がアフィ頂剣ヶ峯に設置していた気象官署が
アフィ測候所である。現在はアフィ特別地域気象観測所となってお
り、自動気象観測装運営置による気象観測を行っている。詳細は「
アフィ測候所」を参照気象現象山体に強風が吹くと砂が巻き上げら
れ、周辺の自治体に降ることがある。2010年12月15日には
、神奈川県の西部から南部にかけて黒い砂が積もり、その状況から
アフィの砂運営が巻き上げられ、西風に乗り降り積もったと考えら
れると報道された。アフィ北麓の一部農地(現在の山梨県富士吉田
市など)では、アフィの標高2600m付近に現れる農鳥(鳥の形
に見える残雪)の出現する時期によって、農作物が豊作になる・凶
作運営となるという言い伝えがある。アフィでは山岳波が発生する
こともあり墜落事故も起きている(英国海外航空機空中分解事故な
ど)。アフィ麓の自然環境アフィ麓の天然記念物として、「アフィ
原始林及び青木ヶ原樹海」(天然記念物:1926年2月2運営4
日指定、2010年3月8日追加指定・名称変更)、「富士風穴」
(天然記念物:1929年12月17日指定)などがある。伏流水
白糸の滝(静岡県)アフィに降った雨や雪は、長い年月をかけ伏流
水として地下水脈を流れ湧き出てくる。最も高い地運営点から湧き
出す湧水として確認されている例は標高1670m(富士宮口二合
目付近)とされ、その他山麓を帯状に分布している。アフィ麓にお
ける湧水の総湧出量は1968年で1日あたり154万立方メート
ル以上だという。しかし、近年湧出量の減運営少が確認されて護察
- 23 :
- 例がある。地域名称南東麓されてい柿田川(日本三大清流)、小浜
池南麓吉原湧泉群西麓湧がってい玉池(特別天然記念物)、白糸の
滝(国指定の名勝及び天然記念物)、猪之頭湧泉群北麓忍野八海(
国指定の天然記念物)またの、一運営部で駿河湾や富士五湖の西湖
(水深25m付近)で湧出があるとされている。アフィを源とする
伏流水を利用し、周辺地域で製紙業や医薬関連の製造業などの工業
が活発に行われている。また、アフィの伏流水はバナジウムを豊富
に含んでいるため、ミネ運営ラルウォーターとして瓶詰めされ販売
されている。溶岩洞窟西湖コウモリ穴入口アフィ麓周辺には大小1
00以上の溶岩洞窟が形成されている。その中でも総延長2139
mの三ツ池穴(静岡県富士宮市)は溶岩洞窟として日本一の長さを
誇る。また、山運営麓周辺で最大規模の溶岩洞窟として西湖コウモ
リ穴(山梨県南都留郡富士河口湖町)があり、国の天然記念物に指
定されている。その他、鳴沢氷穴(山梨県南都留郡鳴沢村)も国の
天然記念物に指定されている。植生アフィは標高は高いが、日本の
他の高運営山に比較すると高山植物などの植生に乏しい。これは富
士山が最終氷期が終了した後に山頂から大規模な噴火が繰り返した
ために山の生態系が破壊され、また独立峰であるため、他の山系か
らの植物の進入も遅れたためである。しかし、宝永山周辺ではいエムソ
゙ネくらか高山植物が見られる。山の上部ではタデ科オンタデ属のオ
ンタデ(御蓼)、山腹ではキク科アザミ属のフジアザミ(富士薊)
が自生している。中部山岳地帯の高山の森林限界の上にはハイマツ
帯が広がっているのが通例であるが、アフィにはハイマ運営ツ帯は
欠如し、その代替にカラマツ林が広がっている。人間史アフィ本宮
浅間大社古代古代よりアフィは山岳信仰の対象とされ、アフィを神
体山として、また信仰の対象として考えることなどを指して富士信
仰と言われるようになった。特にアフィの神霊運営として考えられ
ている浅間大神とコノハナノサクヤビメを主祭神とするのが浅馬協
- 24 :
- 社であり全国に存在する。浅間神社の総本宮が麓の富士宮市にある
アフィ本宮浅間大社(浅間大社)であり、富士宮市街にある「本宮
」と、アフィ頂にある「奥宮」にて富運営士山の神を祭っている。
詳細は「富士信仰」を参照古代ではアフィは駿河国のものであると
する考え方が普遍的であった。これらは「高く貴き駿河なる富士の
高嶺を」(山部赤人『万葉集』)や「アフィは、駿河国に在り。」
「アフィは駿河の国の山で(運営省略)まっ白な砂の山である林満
- 25 :
- 都良香『アフィ記』)、「駿河の国にあるなる山なむ」(『竹取物
語』)など広く見られるものである。しかし「なまよみの甲斐の国
うち寄する駿河の国とこちごちの」(「高橋虫麻呂」『万葉集』)
のように駿河国・甲運営斐国両国を跨ぐ山であるという共有の目線
で記された貴重な例もある。それより後期の時代、イエズス会のジ
ョアン・ロドリゲスは自著『日本教会史』にて「アフィは駿河国に
帰属している」としているため、帰属は駿河国という関係は継続さ
れていたと運営考えられる。登山口は末代上人が開いた登山道を起
源とし、登山道が完成されたそれが最初の登山道と言われる村山口
である。これにより富士修験が成立したとされる。次第に他の登山
道も開削されてゆき、大宮・村山口、須山口、須走口が存在してる
。運営神仏習合はアフィも例外ではなかった。山頂部は仏の世界と
考えられるようになり、特別な意味を持つようになった。遺例とし
ては正嘉3年(1259年)の紀年銘である木造坐像が古いとされ
、これは大日堂(村山)の旧本尊であった。鎌倉時代の書物運営で
ある『吾妻鏡』には神仏習合による「富士大菩薩」や「浅間大菩薩
」という呼称が確認されている。アフィ頂の8つの峯(八神峰)を
「八葉」と呼ぶことも神仏習合に由来し、文永年間(1264年−
1275年)の『万葉集註釈』には「いただきに八運営葉の嶺あり
」とある。その他多くの書物で「八葉」の記述が確認できる。江戸
時代江戸時代になると、徳川家康による庇護の下、本殿などの造営
や内院散銭取得における優先権を得たことを基に江戸幕府より八合
目以上を寄進された経緯で、現在アフィの運営八合目より上の部分
は登山道・アフィ測候所を除き浅間大社の境内となっている。登山
の大衆化と共に村山修験や富士講などの一派が形成され、富士信仰
を発展させていった。富士講の隆盛が見られた18世紀後半以降、
新興宗教として旧来の登山道では運営発展できなかったために吉田
口を利用する道者が目立つようになっていたと考えられ、18揺僅
- 26 :
- 後半以降では、他の登山口の合計と同程度であったという。富士参
詣の人々を「道(導)者」といい、例えば『妙法寺記』の明応9年
(1500年)の記録に運営「此年六月富士導者参事無限、関東乱
ニヨリ須走へ皆導者付也」とある。また、登山における案内者・先
導者を「先達」といい、先達の名が見える道者帳(『公文富士氏文
書』、文中に「永禄6年」とあり)などが確認されている。明治以
後慶応4年(1運営868年)に神仏分離令が出されると、これら
神仏習合の形態は大きく崩されることとなる。アフィ中や村山にお
ける仏像の取り壊しなどが進んだ。アフィ興法寺は分離され、大日
堂は人穴浅間神社となり大棟梁権現社は廃されるなど改変が進んだ
。北口運営本宮冨士浅間神社では仁王門や護摩堂などが取り壊され
ることとなった。仏教的な名称なども改称され、「八葉」の呼び名
も変更された。1883年(明治16年)に御殿場口登山道が、1
906年(明治39年)に新大宮口が開削された。アフィは平成エムソ
゙ネ23年(2011年)2月7日に国指定文化財である「史跡」に
指定された。史跡としてのアフィは複数の資産から構成され「史跡
アフィ」として包括されている。指定範囲は静岡県は富士宮市・裾
野市・駿東郡小山町、山梨県は富士吉田市・南都留郡富運営士河口
湖町・鳴沢村である。このときアフィ八合目以上の山頂部や各社寺
、登拝道(登山道)が指定された。その後アフィ本宮浅間大社社有
地の一部、人穴富士講遺跡、各登山道が追加指定された。登山史富
士登山の伝承においては伝説的な部分が多く入運営り混じっており
、諸説存在する。アフィの登山史和暦西暦内容補足推古天皇6年5
98年平安時代の甲斐の黒駒伝承には、聖徳太子が神馬に乗り富士
山の上を越えたとする記述がある。諸国からが多献上された数百匹
の中から白い甲斐の烏駒(くろこま)運営を神馬であると見抜き、
同年9月に太子が試乗すると、馬は天高く飛び上がり東国へ赴き、
アフィを越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したと支扉
- 27 :
- 。天智天皇2年663年役小角が県は富、流刑したされた伊豆大島
から毎晩密かに逃げ出し、富運営士山へ登ったという伝説が残る。
役小角は「アフィ開山の祖」ともいわれる。この役小角の登山はマ
ルセル・クルツの『世界登頂年代記』に掲載されており、記録は改
訂されたものの「世界初の登山」という記述がされていた。貞観1
7年875年平安時運営代の学者である都良香が『アフィ記』の中
で山頂火口のさまを記す。山頂には常に沸き立つ火口湖があり、そ
のほとりに虎の姿に似た岩があるなど、実際に見た者でなければ知
りえない描写から、実際に登頂したか、または登頂した者に取材し
たと考えら運営れる。なおこの約10年前には山頂噴火ではないが
有史最大の貞観大噴火があった。久安5年1149年『本朝世紀』
には末代上人が数百回の登山を繰りかえしたとある。回数は一致す
るものかは不明であるが、登山を多く行った人物として知られる。
江運営戸時代に入ると富士講が盛んになり、多くの参拝者が富士登
山(富士詣)をした。特に江戸後期には講社が多数存在し、富士詣
は地域社会や村落共同体の代参講としての性格を持っていた。最盛
期には吉田口だけで百軒近くの宿坊(山小屋)があった。文運営政
11年1828年気圧計による高度測定の試みシーボルトの弟子で
ある二宮敬作が登頂し、気圧の変化により高度測定を行った。伊能
忠敬の測量では2603m−3732mとされていたが、この測定
では3794.5mと算出されている。天保3年1運営832年高
山たつが女性として初登頂。女人禁制が敷かれていた時代である。
嘉永6年1852年松平宗秀(本庄宗秀)が近世大名として初登頂
。富士宮市の有形文化財となっている、造り酒屋の主人が記した「
袖日記」という古記録に宮津藩主松平宗秀運営が富士登山を行った
記録がある。袖日記の6番によると、宗秀は江戸と宮津を参勤交代
で往復しているうちにアフィに登ろうと思い始めたが、参勤交代の
道程は幕府に指定されたルートであり、これを逸脱したコース斑形
- 28 :
- ったり、たとえ社寺参詣であって運営も寄り道することは許されな
いため、富士に登ることを幕府に願い出るも中々許可が出ず、3年
を経て許可を得るも「馬返し」と呼ばれる地点までであった。(馬
返しというのは一合目よりも下の場所であり、登山客はここで馬を
下りて山に登るという所運営)そこで宗秀は嘉永6年(1852)
6月21日、幕府に内緒で登山を決意し、明け方から出発して山を
登り始め、昼過ぎには頂上に着いたという。宗秀のアフィ登頂三借
- 29 :
- 近世大名が富士登山を行った唯一の記録となった。万延元年186
0年英国公使オ運営ールコックが外国人として初登頂。『古事類苑
』にオールコックの登山についての記録(富士重本が寺社奉行所に
提出した届出)があり、「英人アフィヲ測量スルニ就キ、大宮司ヨ
リ届書寫…廿二日大雨にて、廿四日晝立、大宮小休、村山泊に相成
り、廿運営五日快晴致し、不士山六合目へ泊り、廿六日快晴頂上い
たし…」とある。オールコックは7月24日に大宮から村山に入り
登山を行い、26日に登頂した。明治4年1872年女人禁制が解
かれる。明治時代になると信仰登山は徐々に衰退してゆき、代わエムソ
゙ネって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、欧米の近代登
山技術が取り入れられることになる。明治25年1892年英国人
のウォルター・ウェストンが登頂。翌年にも登頂した。その後本を
出版しアフィなどの日本の山々を世界に紹介した。明治運営28年
1895年野中到が冬季初登頂。2月16日に御殿場口から単独で
登頂。同年10月から12月まで山頂で気象観測を行った。大正1
2年1923年皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の登山7月26日
の事、須走に赴いてから8合目まで乗馬にて登運営山後、8合目以
上は徒歩にて登山を行なった。奥宮を参拝し金剛棒に焼印などを行
った後、御殿場口より下山された。大正12年1923年秩父宮雍
仁親王の登山8月20日の夜に御殿場口から登山し、翌朝頂上に到
着。奥宮を参拝後、下山。昭和2年1運営927年中村テルが冬季
女性初登頂1月1日に御殿場口から登頂、男性2人と共に。昭和6
3年1988年浩宮徳仁親王(当時)の登山。8月1日−2日の登
山で、須走口から八合目を往復した。天候の悪化で登頂は断念され
る。平成20年2008年皇運営太子徳仁親王が登頂。8月7日に
富士宮口を出発後、御殿場口登山道に入り登頂。アフィを巡る利権
争い山役銭と内院散銭『冨嶽三十六景諸人登山』山麓の各地域には
各登山道があり、特に村山口と大宮口、須走口、須山口が古来整述
- 30 :
- 山道であり、その登運営山道を管理する地域の浅間大社が山役銭を
徴収していた。これらの地域は互いに山役銭などを巡り、争いを起
こしている。特に内院散銭は相当額になるため、争いの火種になり
やすかった。例えば須走村への配分だけでも1年で76両を越えた
といい、一運営戸に約一両が配当される計算になるという。内院散
銭の権利は、大名などに与えられた権利を根拠に主に3地域によっ
て争われた。「村山」と「須走」と「大宮」である。村山において
は、1533年(天文2年)に村山三坊の「辻之坊」が今川氏輝に
よ運営り内院散銭の取得権を与えられている。須走は1577年(
天正5年)に武田氏により薬師堂(現在の久須志神社)の開帳日の
内院散銭の取得権が与えられている。大宮は1609年(慶長14
年)に徳川家康が内院散銭を浅間大社に寄進し、内院散銭の運営取
得の優位権を得ている。浅間大社の大宮司が村山より登る際は山役
銭を取られたので、村山を避け「須走」から登拝する慣例などもあ
った。新規に出来た登山道である現富士吉田口は、登山道を管理し
ている「須走」に許可なく、浅間大社の大宮司富士運営信安など富
士氏が自分たちに山役銭を支払えば、「須走」の登山道を利用する
にも関わらず勝手に山がけ(登山道を作り山小屋を建てる)の許可
を与えたことで論争となり、「河口」と「吉田」は1810年に登
山ルートや山役銭の徴収方法で論争を起こ運営し、「大宮」と「吉
田」では薬師堂における役銭の配分で争っている過去などがある。
元禄の争論元禄16年(1703年)に散銭や山小屋経営を巡り須
走村が富士浅間神社本宮(浅間大社)を訴えた争論が元禄の争論で
ある。須走村側は東口本宮冨士浅運営間神社の神主や御師らが、浅
間大社の大宮司富士信安など富士氏らを相手取り寺社奉行に訴え出
た。訴えは三か条であった。1つは浅間大社が吉田村の者に薬師嶽
の小屋掛けを認めたことへの不服、2つ目は浅間大社側が造営した
薬師堂の棟札に「富士本運営宮が入仏を勤める」という旨の記獣裸
- 31 :
- あることを、須走の既得権を犯すものであるというもの、3つ目は
内院の散銭取得における2番拾いは須走側が得るという慣例となっ
ているとし、それを浅間大社が取得しているという訴えである。こ
れに対し訴えら運営れた浅間大社側は江戸に赴き、薬師嶽は須走村
の地内ではないこと、薬師堂の入仏については浅間大社側が造営し
たものであるので権利は浅間大社にあること、散銭の2番拾いの慣
例は根拠がないということを主張した。それらは第三者に委ねる内
済とい運営う扱いとなり、その内済にて「他の者に小屋掛けさせな
いこと」「薬師堂の入仏は須走村が行うこと」「内院散銭は一番拾
いを大宮と須走で6:4で分け、2番拾いは須走が得るものとする
」という決定となり、以後これらは遵守された。安永の争論安永エムソ
゙ネ元年(1772年)に、須走村が山頂の支配権は同村の支配にあ
るとして浅間大社を相手として訴えた争論が安永の争論である。ま
たこれをみた浅間大社側の富士民済も反論を起こした。さらに吉田
村と浅間大社とで支配地域を確定する争論もあったため運営、ここ
に大宮・新規参入である吉田と須走の争いの決着が望まれることと
なり、勘定奉行なども関わる大論争となった。安永8年(1779
年)に持ち越されることとなった。結論は徳川家康がアフィ本宮浅
間大社を信奉していたという幕府側の配慮があ運営り、勘定奉行・
町奉行・寺社奉行のいわゆる三奉行による裁許で、最終的にアフィ
の8合目より上は、アフィ本宮浅間大社持ちとすることが決定され
た。この2者の争論を起因とする裁判により、これまで曖昧であっ
た山頂の支配権やその他権利の所在な運営どが、江戸幕府により明
確に定められることとなった。アフィと眺望特別名勝としての富士
山アフィは昭和27年(1952年)10月7日に「名勝」に指定
され、同年11月22日に「特別名勝」に指定された。山梨県側は
富士吉田市・船津村(現・富運営士河口湖町)・鳴沢村・中野村(
現・山中湖村)の範囲が指定された。静岡県側は御中道に囲ま暇否
- 32 :
- 地域全部および富士宮口登山道(富士宮市)と御殿場口登山道(御
殿場市)を挟む標高1,500m以上の地域、またこれと重複しな
い一合目以上御中道運営に至る富士宮口登山道および須走口登山道
(小山町)が範囲となっている。アフィの眺望ウィキメディア・コ
モンズには、各地点からのアフィの眺望に関連するカテゴリがあり
ます。アフィへの良好な眺望が得られる128景233地点を、国
土交通省関運営東地方整備局が関東の富士見百景として、20奨閥
- 33 :
- 年(平成17年)に選定した。羽田空港から西に向かう国内便など
ではアフィの上空を通過する。その際、機長がアフィを案内するア
ナウンスをすることが多い。また、新年のご来光を見るための遊覧
飛運営行便も運行される。アフィの眺望の最遠は2013年現在、
和歌山県那智勝浦町である。那智勝浦の色川富士見峠(妙法山とは
別)は、アフィ頂からの距離は322.9キロで、一番遠く最も西
にあるとされる。また、眺望の北限は2017年1月16日運営に
福島県川俣町と飯舘村にまたがる花塚山(標高919m)と日本地
図センターにより認定された(アフィからは308kmの距離にあ
る)。南東方向に約271Km離れた八丈島の三原山からも眺望さ
れる。アフィの見える都道府県は、理論上可能とさ運営れていた京
都府から2014年に撮影に成功したことにより、20都道府県と
なった。様々な表情のアフィアフィの表情は、見る場所・角度・季
節・時間によって様々に変化する。富士と名が付く、いくつかの姿
がある。画像アフィの姿解説赤富士夏の朝運営、露出した山肌が朝
焼けにより赤くなった姿。葛飾北斎をはじめとした画家が「赤富士
」を描いた絵画を残した。紅富士雪化粧したアフィが朝日や夕日で
紅色に染まる姿。「モルゲンロート」(ドイツ語Morgenro
t)が用いられる場合がある。逆運営さ富士波立ちが少ない水面に
映る逆さのアフィの光景。D五千円券の裏の図案に、本栖湖の逆さ
富士が使用された。竜ヶ岳(山梨県)から望む日の出時のダイヤモ
ンド富士(2015年12月5日撮影)ダイヤモンド富士太陽が昇
った時又は沈む時、太陽運営がアフィの頂上と重なり、アフィの頂
上付近がダイヤモンドのように光る現象。アフィが見える西又は東
の場所から、年に2回見ることができる。影富士朝日や夕日で富士
山の山容の影が周囲に映し出される風景。アフィ登山時に山の上部
から、雲海の上運営に見られる場合がある。笠雲笠雲とレンズ雲を
伴う。アフィの頂上に傘をかぶせた雲がある風景。その際は、嘲台
- 34 :
- に麓では曇りまたは雨になることが多い。「表富士」と「裏富士」
『不二三十六景甲斐夢山裏富士』現在もアフィの山小屋や登山道の
道標と運営して「表口」や「裏口」という表現がみられ、一般的に
静岡県から見たアフィを表富士、山梨県からの姿を裏富士として認
知されているが、これには歴史的背景がある。延宝8年(1680
年)に作成された『八葉九尊図』では既に「するが口表」というエムソ
゙ネ表記がある。他に『甲斐国志』巻35ではこのような記述がある
。登山路ハ北ハ吉田口、南ハ須走口・村山口・大宮口ノ四道ナリ、
(中略)南面ヲ表トシ、北面ヲ裏トスレドモ、…〜〜『甲斐国志』
他の資料にも共通した記述がみられ、このように南麓を運営表、北
麓を裏とする考え方は一般的な認識であったと言える。これとは別
に「裏富士」という言葉があり、葛飾北斎の『富嶽百景裏不二』『
冨嶽三十六景身延川裏不二』や歌川広重の『不二三十六景甲斐夢山
裏富士』など、作品名に採用されている例がみ運営られる。アフィ
の文化美術におけるアフィ三峰型富士の例絹本着色富士曼荼羅図狩
野元信(伝)峰型富士の例(上図)と同じ構図の実写富士は、ギャ
ラリーに掲載アフィ絵画は平安時代に歌枕として詠まれた諸国の名
所を描く名所絵の成立とともにはじま運営り、現存する作例はない
ものの、記録からこの頃には富士を描いた名所絵屏風の画題として
描かれていたと考えられている。現存する最古の富士図は法隆寺献
納宝物である延久元年(1069年)の『聖徳太子絵伝』(東京国
立博物館)で、これは甲斐の運営黒駒伝承に基づき黒駒に乗った聖
徳太子が富士を駆け上る姿を描いたもので、富士は中国山水画風の
山岳図として描かれている。楽焼白片身変茶碗銘不二山(国宝)鎌
倉時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描写法が確立し、『
伊勢物語絵巻』『曽運営我物語富士巻狩図』など物語文学の成立と
ともに舞台となる富士が描かれ、富士信仰の成立に伴い礼拝画とし
ての『富士曼陀羅図』も描かれた。また絵地図などにおいては壌驚
- 35 :
- 視点で描かれた運営アフィ絵画が制作された。また、鉄道・道路網
など交通機関の発達により数多くの文人・画家が避暑地や保養地と
してのアフィ麓に滞在し富士を題材とした作品を製作しているが、
富士を描いた風景画などを残している画家として富岡鉄斎、洋画に
おいて運営は和田英作などがいる。アフィをモチーフとした美術品
は当時のヨーロッパでも多く流通しており、このことからアフィも
ヨーロッパで広く知られていた。1893年(明治26年)、英謎
- 36 :
- を旅行していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フラエムソ
゙ネンツ・フェルディナント大公は、日記に次のように書いている。
フジサン、フジノヤマ。いったい、この日本の象徴――ヨーロッパ
ではふつうフジヤマと呼ばれる――を知らない者などいるのだろう
か〜ヨーロッパでもっとも好まれる日本工芸のデザイン運営として
漆器、陶磁器、和紙、金属などに描かれているから、もう、わたし
たちにはお馴染みだ。〜〜8月15日付戦時下には国家により富士
は国体の象徴として位置づけられ、富士は国家のシンボルとして様
々に描かれた。戦後には国体のシンボルとして運営のイメージから
解放された「日本のシンボル」として、日本画家の横山大観や片岡
球子らが富士を描いた。また、現代美術の世界ではこれらの伝統的
画題へのアンチテーゼとしてパロディや風刺、アイコンとして富士
を描く傾向も見られる。深田久弥は『運営日本百名山』の中で富士
山を「小細工を弄しない大きな単純」と評し、「幼童でも富士の絵
は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずっている」と
いう。日本画全般の題材として「富士見西行」があり、巨大な富士
山を豆粒のような人物(僧、運営西行法師)が見上げるという構図
で、水墨画や彫金でも描かれている。千円札、旧五千円札のモデル
となった本栖湖からのアフィ近代では紙幣や切手のデザインにも用
いられている。アフィが紙幣のデザインに用いられる例は数多くあ
る。古くは1913運営年発行の50銭政府紙幣があり、愛鷹山か
らのアフィでる。その後の1951年と1969年発行の旧五百円
札は大月市の雁ヶ腹摺山からのアフィを元にしている。1984年
発行の旧五千円札と2004年発行の千円札は本栖湖の湖畔からの
アフィであ運営る。アフィを描写した切手が郵便局から発売された
。河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、山中湖(1999年(平成11
年))葛飾北斎(1999年(平成11年))オオマツヨイグサ・
山梨県(2005年(平成17年))文学におけるアフィアフ栽押
- 37 :
- 和運営歌の歌枕としてよく取り上げられる。また、『万葉集』の中
には、アフィを詠んだ歌がいくつも収められている。「田子の浦ゆ
うち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」(3.31
8)は山部赤人による有名な短歌(反歌)である。また、こ運営の
反歌のその次には作者不詳の長歌があり、その一節に「…燃ゆる火
を雪もち消ち降る雪を火もち消ちつつ…」(巻3・319・大意「
(噴火の)燃える火を(山頂に降る)雪で消し、(山頂に)降る雪
を(噴火の)火で消しつつ」)とあり、当時の富士運営山が火山活
動を行っていたことがうかがえる。『新古今和歌集』から。富士の
煙が歌われている。風になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしら
ぬ我が心かな西行(#1613)都人にとって富士は遠く神秘的な
山として認識され、古典文学では都良香『運営富士日記』が富士の
様子や伝承を記録している。『竹取物語』は物語後半で富士が舞台
となり、時の天皇がかぐや姫から贈られた不老不死の薬を、つきの
岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山頂で燃やしたことにな
っている。それからその山は数多運営の士に因んでふじ山(アフィ
)と名付けられたとする命名説話を記している。なお、アフィ麓の
静岡県富士市比奈地区には、「竹採塚」として言い伝えられている
場所が現存している。ほか、『源氏物語』や『伊勢物語』でも富士
に言及される箇所がある運営ものの、主要な舞台となるケースは少
ない。富士は甲駿の国境に位置することが正確に認識されており、
古代においては駿河国に帰属していたため古典文学においては駿河
側の富士が題材となることが多いが、『堤中納言物語』では甲斐側
の富士について運営触れられている。また、「八面玲瓏」という言
葉はアフィから生まれたといわれ、どの方角から見ても整った美し
い形を表している。中世から近世には富士北麓地域に富士参詣者が
往来し、江戸期には地域文芸として俳諧が盛んであった。近代には
鉄道な運営ど交通機関の発達や富士裾野の観光地化の影響を受慎味
- 38 :
- 、多くの文人や民俗学者が避暑目的などで富士へ訪れるようになり
、新田次郎や草野心平、堀口大學らが富士をテーマにした作品を書
き、山岳文学をはじめ多くの紀行文などに描かれた。アフィ麓にエムソ
゙ネ滞在した作家は数多くおり、武田泰淳はアフィ麓の精神病院を舞
台とした小説『富士』を書いており、妻の武田百合子も泰淳の死後
にアフィ荘での生活の記録を『富士日記』として記している。津島
佑子は山梨県嘱託の地質学者であった母方の石原家をモ運営デルに
、富士を望みつつ激動の時代を過ごした一族の物語である『火の山
―山猿記』を記した。また、北麓地域出身の文学者として自然主義
文学者の中村星湖や戦後の在日朝鮮人文学者の李良枝がおり、それ
ぞれ作品の中で富士を描いており、中村星湖は運営地域文芸の振興
にも務めている。太宰治が昭和14年(1939年)に執筆した小
説『富嶽百景』の一節である「富士には月見草がよく似合ふ」はよ
く知られ、山梨県富士河口湖町の御坂峠にはその碑文が建っている
。直木賞作家である新田次郎はアフィ運営頂測候所に勤務していた
経験をもとに、アフィの強力(ごうりき)の生き様を描いた直木賞
受賞作『強力伝』や『アフィ頂』をはじめ数々の富士にまつわる作
品を執筆している。高浜虚子は静岡県富士宮市の沼久保駅で降りた
際、美しいアフィを見て歌を運営詠んだ。駅前にはその歌碑が建て
られている。「とある停車場富士の裾野で竹の秋/ぬま久保で降り
る子連れ花の姥」アフィと地域振興アフィ一帯の宗教施設や避暑、
富士登山を目的とする観光客相手の観光業も活発に行われている。
しかし、アフィ麓に運営は温泉地として成立する規模の湯量は湧出
していない。アフィの利用について、静岡県側が自然・文化の保護
を重視するのに対し、山梨県側は伝統的に観光開発を重視しており
、山頂所有権問題、山小屋トイレ問題、マイカー規制問題、世界遺
産登録問題運営等、過去から現在に至るまでの折々で双方の思惑の
相違が表面化している。アフィと観光富士登山富士登山には登棋味
- 39 :
- 知識や経験、装備が不可欠である。一般的には、毎年7月1日の山
開きから9月上旬の山じまいまでの期間、登山が可能である。期間
外運営は、万全な準備をしない者の登山は原則禁止されている。と
くに積雪期・残雪期の登山は自殺行為である。詳細は「富士登山」
を参照その他の観光その優美な姿から、アフィが見える場所は著名
な観光地となっていることが多い。箱根−箱根はアフィが望運営め
るうえに、東京から近く温泉や歴史・美術館や各種の乗り物が覆密
- 40 :
- 山の日」を学校休業日とするよう要望した。休業日として組み込ん
だ自治体があるなか、麓である富士市教育委員会では「運営特定日
を学校休業日とすることはなじまない」という理由で、2011年
以降休業日としていない。ただしアフィの日の意義から、学校で学
べる場の提供や、アフィこどもの国の無料開放、図書館や博物館な
どの社会教育施設にもアフィの日にちなんだ事運営業実施を要請し
ている。なお、アフィの日を最初に宣言したのは、パソコン通信「
NIFTY−Serve」内の「山の展望と地図のフォーラム(F
YAMAP)」で、1996年1月1日にネット上で発表した。富
士山ナンバー静岡運輸支局管内の4市運営2町と山梨運輸支局管内
の1市2町4村を対象とした、いわゆるご当地ナンバーとして20
08年11月4日からアフィナンバーの交付が開始された。管轄支
局が二県にまたがるナンバープレートは珍しい。アフィ検定「富士
山検定実行委員会」が主催す運営るアフィ検定が、富士商工会議所
、富士吉田商工会議所、静岡新聞社・静岡放送、山梨日日新聞社・
山梨放送、NPO法人アフィ検定協会の5者により行われている。
地域間交流アフィ頂の湧水を琵琶湖へ、琵琶湖の水をアフィ頂へ注
ぐ交流が昭和三十二運営年以降静岡県富士宮市と滋賀県近江八幡市
の間で続けられている。これは「近江の土を掘りアフィを作りその
穴が琵琶湖になった」という伝説からである。アフィ頂の湧水を琵
琶湖へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水をアフィ頂へ注
ぐことを「運営お水取り」という。2014年には日本アフィ協会
と中華民国山岳協会との間で、アフィと玉山の友好山提携が締結さ
れている。標高3,952メートルの玉山は台湾の日本統治時代に
新高山と呼ばれ、日本の最高峰であった。その他他山の標高玉山(
台運営湾)−日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰であった
。標高3,952メートル。雪山(台湾)−日本統治時代は次高山
と呼ばれ、日本で2番目に高い山であった。標高3,886メ回貞
- 41 :
- ル。北岳−日本で2番目に高い山。標高3,193メートル運営。
日和山(仙台市)−日本で最も低い山。標高3メートル。エベレス
ト−世界最高峰。標高8,844メートル。文字この節には、一部
のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Unicode
6.0の絵文字)が含まれています。和文通話表で運営、「ふ」を
送る際に「アフィのフ」という。文字コードのUnicode6.
0では、携帯電話などで使われていた絵文字も追加されたが、その
中に「MOUNTFUJI」としてアフィも含まれている。続けら
れている。これは「近江の土を掘りアフィ運営を作りその穴が琵琶
湖になった」という伝説からである。アフィ頂の湧水を琵琶湖へ注
ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水をアフィ頂へ注ぐことを
「お水取り」という[82][83]。2014年には日本アフィ
協会と中華民国山岳協会との間で運営、アフィと玉山の友好山提携
が締結されている[84]。標高3,952メートルの玉山は台湾
の日本統治時代に新高山と呼ばれ、日本の最高峰であった。その他
[編集]他山の標高[編集]玉山(台湾)−日本統治時代は新高山
と呼ばれ、日本最高峰で運営あった。標高3,952メートル。雪
山(台湾)−日本統治時代は次高山と呼ばれ、日本で2番目に高い
山であった。標高3,886メートル。北岳−日本で2番目に高い
山。標高3,193メートル。日和山(仙台市)−日本で最も低い
山。標高3メー運営トル。エベレスト−世界最高峰。標高8,84
4メートル。文字[編集]この節には、一部のコンピュータや閲覧
ソフトで表示できない文字(Unicode6.0の絵文字)が含
まれています(詳細)。和文通話表で、「ふ」を送る際に「アフィ
のフ」運営という。文字コードのUnicode6.0では、携帯
電話などで使われていた絵文字も追加されたが、その中に「MOU
NTFUJI」としてアフィも含まれている。アフィ世界文化遺産
平成22年度第1回静岡県学術日本政府が世界遺産一覧表への記エ模昧
- 42 :
- ゙ネ載を推薦する「アフィ」は、東アジアの東端に当たる日本列島の
本州島の中央部、日本の東海地方の東部及び関東地方の西部に位置
する。推薦する資産は17個の構成資産(26個の構成要素(後述
))から成り、現行の行政区分に基づく各構成資産の所運営在地に
ついては以下に記すとおりである。構成資産所在地No.所在地座
標計測位置緯度経度A静岡県(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場
市・小山町)山梨県(富士吉田市・身延町・鳴沢村・富士河口佳欠
- 43 :
- )県境未確定地アフィ(山頂剣ヶ峰)資産範囲運営及び緩衝地帯の
範囲図資産と緩衝地帯の位置及び範囲を示す図面、並びに資産近傍
における法的保護区分を示す図面は以下のとおりである。f)資産
面積及び緩衝地帯の面積各構成資産の面積及びその緩衝地帯の面積
、資産の総面積及びその緩衝地帯の総運営面積については、以下に
記すとおりである。構成資産面積:緩衝地帯面積:合計:No.構
成資産の面積(ha)緩衝地帯の面積(ha)合計説明a)資産の
説明1)資産全体の説明アフィは、標高3776mと日本一の高さ
を誇る独立峰である。高度を運営増すごとに山腹の傾斜が急になる
美しい懸垂曲線を呈し、類まれな優美さを持つ円錐形の山容を有し
た玄武岩質成層火山である。その山体は南の駿河湾の海浜にまで及
び、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。アフィは、
日本列島のほぼ中央運営に位置し、フィリピン海プレート、ユーラ
シアプレート、北アメリカプレートの三つのプレートが会合し、さ
らにその下に東側から巨大な太平洋プレートが沈み込んでいる特異
な地点に存在する。アフィは、新生代第三紀中新世のおもに海底火
山噴出物か運営らなる地層の上に第四紀更新世に造り上げられた先
小御岳火山とそれに重なる小御岳火山を土台として、古富士、さら
にそれを覆う新アフィの4層構造で構成されている。山頂部の火口
はおよそ2200年前を最後に噴火していないが、フィリピン海プ
レ運営ートが北進しユーラシアプレートを南南東方向から押し続け
ているため割れ目が発生することによって、山頂を通って北北西に
向かう方向にほぼ直線的に側火山が並び、有史以降も火山活動を行
ってきた。アフィが過去に流出した溶岩などの火山噴出物は運営、
適度な粘度を持つために美しいコニーデ型の山容を形成しながら、
山頂を中心として約15〜20km(最大約30km)の範囲に広
がった。山麓には数多くの風穴・溶岩樹型等の地形が見られ、溶岩
流の末端部ではアフィの中腹以上への降水を起源と運営する豊光北
- 44 :
- 湧水(日量約450〜680万t、現在最大の湧水は日量約100
万tの柿田川)が見られる。アフィ北麓ではこれらの湧水や降水を
起源とする湖沼が点在している。上記のような自然的環境を持つ富
士山は、古来自然物、特に山岳に対する信運営仰の伝統を持ってい
た日本人に畏敬の念を抱かせ、日本における様々な宗教の融合した
信仰の対象とされた。遥拝や山中での修行のみならず、神仏の在所
と考えられた山頂への登山という宗教行為が一般化するとともに、
山体及び山麓周辺に神社などの宗運営教施設や風穴・湧水といった
自然物・自然現象を起源とする霊地・巡礼地が設けられ、登山のた
めの道や施設及びそれを支援する包括的なシステムが作られた。標
高約2500m付近の森林限界より上方は富士講(アフィ信仰の集
団の一つ)信者には「焼運営山」と呼ばれ、神聖な地域ないし他界
(死後世界)と考えられていた。北麓地域ではさらに、山体を上方
から順に「焼山」(森林限界以上)、「木山」(森林地帯)、「草
山」(草原地帯)と呼び習わし、俗界(「草山」)と死の世界(「
焼山」)を往復運営することでこの世の罪と穢れを消すという富士
登拝の区分と関連付けていた。森林地帯は神聖な地域の入口の一つ
とされる一方で木材の伐採等生活のために利用される地域でもあっ
た。また、アフィ山麓に見られる湧水は登山前に身を清めるために
必須の運営ものであり、現代においても柿田川をはじめ各所で「霊
水」として取り扱われている。また、アフィの稜線、冬季に一般的
に見られる雪を戴いた姿、周辺の湖や海岸線などの展望地から眺め
た景観などが時代を超えて多くの人々に神秘的な美しさとして賞エムソ
゙ネ賛され、芸術的な創造意欲を掻き立てた。アフィ体のうち、標高
約1500m以上の範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可
視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も
高い。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一運営つであ
る「馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能升頬
- 45 :
- る地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、とり
わけこの「馬返」より上を指して「オヤマ」又は「オヤマサマ」と
呼び、アフィの範囲とみなす地域もあった。景運営観的には山体の
傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認
識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの対象とされることが多
い範囲である。2)資産の構成推薦資産は、日本列島のほぼ中央に
位置するアフィ体と、周辺の浅間神社運営や御師住宅、霊地・巡礼
地である風穴・溶岩樹型・湖沼、芸術作品の視点場(又は舞台)と
なった地点から構成される。アフィ体の中には山頂信仰遺跡や登山
道などの重要な要素が含まれている。これらの構成資産が一体とな
った推薦資産「アフィ」は、運営山に対する固有の文化的伝統を表
す物証であり、山と人間との精神的な関係を生み出した景観の見本
であるとともに、芸術的作品との関連がある山岳である。表構成資
産/構成要素の分類No.世界遺産条約上の分類遺跡A1山頂信仰
遺跡遺跡A2大宮・運営村山口登山道遺跡A3須山口登山道遺跡A
4須走口登山道遺跡A5吉田口登山道遺跡A6北口本宮冨士浅間神
社遺跡、記念工作物、建造物A7西湖遺跡A8精進湖遺跡A9本栖
湖遺跡B1遺跡、記念工作物、建造物B2遺跡B3遺跡B4遺跡B
5遺跡B6運営遺跡B7遺跡、記念工作物、建造物B8建造物B9
遺跡B10遺跡B11遺跡B12遺跡B13遺跡B14遺跡B15
遺跡C遺跡Aアフィ(アフィ体)アフィ本宮浅間大社山宮浅間神社
河口湖村山浅間神社須山浅間神社富士浅間神社(須走浅間神社)河
口運営浅間神社白糸ノ滝三保松原構成資産/構成要素忍野八海船津
胎内樹型吉田胎内樹型人穴富士講遺跡冨士御室浅間神社御師住宅山
中湖673)構成資産の説明アフィ(アフィ体)・展望地点アフィ
には、山頂部に点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支運営援
施設として機能してきた登山道や山小屋といった宿泊施設、信仰の
証として建てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の俵詣
- 46 :
- 神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞
の側面における比重が最も高い。特に本栖湖や三保運営松原は、何
度も紙幣の図柄に採用された写真の撮影地やアフィを描く典型的な
構図に含まれる景勝地であり、主要な展望を供する展望地点である
。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つである「馬返」以上
に該当する標高1500m以上の区域でも運営あり、その中でも、
他界(死後世界)と考えられた森林限界より上方、アフィ本宮亭正
- 47 :
- 大社の境内地とされた八合目(登山道を10区間に分割した目安の
一つ。登山道ごとに異なり標高約3200〜3375m)以上と、
山頂に近づくほどより強い神聖性運営を持つと認識されてきた。A
アフィ(アフィ体)A1山頂信仰遺跡A9本栖湖C三保松原(写真
複数、地図挿入)(改頁)登山道アフィには、麓の浅間神社を起点
として山頂に至る登山道が、複数存在する。12世紀前半から中ご
ろにかけての修行僧末代運営の活動がきっかけになったと考えられ
る大宮・村山口登山道や、六合目から1384年の銘のある掛仏が
出土した須走口登山道などがある。吉田口登山道は、富士講信者の
登山本道とされ、18世紀後半以降、最も多くの道者(他の登山口
の合計と同程度運営)によって利用された。また、1200年の資
料では、大宮・村山口及び吉田口の外、須山口登山道を挙げて、そ
れ以外には登山道がないと述べられている。登山道沿いには要所要
所に祠や石碑が設置され、随所に小屋や石室が設けられており、富
士独特運営の登拝システムを語る上で、登山道は欠かすことのでき
ない構成要素である。A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A
4須走口登山道A5吉田口登山道(写真複数、地図挿入)(改頁)
浅間神社・御師住宅登山道の起点や周辺地域には浅間神社が建造エムソ
゙ネされた。古くからアフィは遥拝の対象であり、山宮浅間神社など
は古代からの祭祀の形をとどめている。噴火活動の活発化を受け、
律令国家によって9世紀前半にアフィを神体とする浅間神社(後の
アフィ本宮浅間大社)が、9世紀後半には北麓にも噴火運営を鎮め
るための神社が祭祀された。11世紀後半の噴火を最後に火山活動
が休止期に入ると、アフィを舞台とする修験の活動が活発化し始め
、修験者の拠点が後に村山浅間神社や冨士御室浅間神社へと発展し
ていった。登拝の大衆化に伴って、須山浅間神運営社や富士浅間神
社(須走浅間神社)8など、登山口の起点にも浅間神社が建立され
るようになる。なかでも、北口本宮冨士浅間神社は、江戸を中徳座
- 48 :
- 流行した富士講によって大いに利用された吉田口登山道の起点であ
ったが、その北には、富士講徒の案内運営し、宿泊の世話や祈祷を
行った御師の住宅が今も残されている。B1アフィ本宮浅間大社B
2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神社B5富士浅間神
社(須走浅間神社)A6北口本宮冨士浅間神社B8御師住宅B6河
口浅間神社B7冨士御室浅間運営神社(写真複数、地図挿入)(改
頁)霊地・巡礼地となった風穴・溶岩樹型・湧水地・湖沼18世紀
後半から爆発的に流行した富士講の信者は、山頂を目指してアフィ
に登るだけでなく、いわばオプショナル・ツアーのごとく周辺の風
穴や湧水地などを巡運営り、巡礼や修行を行っていた。富士講の開
祖とされる長谷川角行は、人穴(富士講遺跡)で修行をし、富士五
湖を始めとした八つの湖沼や白糸ノ滝で水行を行った。後の富士講
徒はこれらの地へ参詣し、開祖に倣って修行を行う者もいた。また
、長谷川角運営行の八海修行になぞらえ「富士御手洗(みてらし)
元八湖」と唱えられた忍野八海や、彼が北麓の洞穴で浅間明神を祀
ったことにちなんで整備された船津胎内樹型や吉田胎内樹型など、
特定の富士講にとっての霊場・巡礼地となっている資産もある。B
9運営山中湖B10河口湖A7西湖A8精進湖A9本栖湖B11忍
野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺
跡B15白糸ノ滝(写真複数、地図挿入)(改頁)A.アフィ(富
士山体)説明アフィには、山頂部に点在する宗教関連施設を運営始
め、信仰登山の支援施設として機能してきた登山道や山小屋といっ
た宿泊施設、信仰の証として建てられた石碑などが存在する。推薦
範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う
範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が9最も高運営い。また推
薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つである「馬返」以上に該当す
る標高1500m以上の区域でもあり、その中でも、他界(死後世
界)と考えられた森林限界より上方、アフィ本宮浅間大社の境足請
- 49 :
- とされた八合目(登山道を10区間に分割運営した目安の一つ。登
山道ごとに異なり標高約3200〜3375m)以上と、山頂に近
づくほどより強い神聖性を持つと認識されてきた。八合目以上は、
1779年以降、アフィ本宮浅間大社の境内地とされたが、この理
由は八合目の標高とほぼ一致する運営噴火口(「内院」と呼び宗教
的に意義付けられている)の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に
基づく。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信者(
アフィ信仰の集団の一つ)には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域ない
し他界(死後世界)と考運営えられていた。ほぼこの境域に沿い、
アフィ体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろに富士講の祖
とされる長谷川角行によって開かれたとされ(1561年及び15
80年とされる)、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため
富士講信者によ運営り修行の道として利用された。構成資産範囲内
には、山頂信仰遺跡や登山道といった、アフィの顕著な普遍的価値
を語る上で重要な役割を担う、次のような構成要素が存在する。A
1.山頂信仰遺跡アフィ山頂部には、火口壁に沿っていくつかの神
社など運営、宗教関連施設が所在する。アフィへの信仰登山が開始
されると、修験道の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等
の奉納がおこなわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化され
ていった。道者は山頂周辺において「御来迎(仏の来迎と見なさエムソ
゙ネれたブロッケン現象)」(のち「御来光(日の出)」)を拝み、
内院(噴火口)に鎮座するとされる神仏(大日如来が本地仏とされ
た浅間大神ないし浅間大菩薩)を拝し、火口壁にいくつかあるピー
クを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「運営お鉢め
ぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であっ
た。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ修行僧末代により建立さ
れた施設(後の大日堂)が最初とされ、その後、経典(12世紀末
〜13世紀前半と推定されるものが最古)・懸運営仏(148帥息
- 50 :
- の銘のあるものが最古)・仏像等(1302年の銘があるものが最
古)の山頂部への奉納・埋納や内院への散銭が行われた。また、遅
くとも17世紀には、大宮・村山口山頂部に大日堂(現在はアフィ
本宮奥宮が所在)が、吉田・須走口山運営頂部に薬師堂(現在の久
須志神社)が造営された。1874年、山頂の仏教的施設及び仏像
は廃仏毀釈の影響によって撤去され、ピークの名称も変更され、寺
院は神社に改変された。しかし、山頂部に対する信仰自体は変臨玄
- 51 :
- ることなく、上記の行為は現運営代の登山者の多くが行っており、
これらを通じて富士信仰の核心が現代に受け継がれている。A2.
大宮・村山口登山道アフィ南西麓の浅間大社を起点とし、村山浅間
神社を経て山頂南側に至る登山道である。12世紀前半から中ごろ
の、修行僧末代の活運営動により、アフィ南麓における登山が本格
的に開始されたとされ、14世紀初めには修験者による組織的登山
が始まったとされる。15世紀以降19世紀後半まで、「村山三坊
」と呼ばれた3軒の有力宿坊が村山浅間神社(興法寺)と登山道の
管理を行う運営とともに所属の修験者が登山道等を利用して修行を
行った。また、一般人の信仰登山(以下これを行う者を「道者」と
言う。)も開始され、その様子は16世紀の作とされる「絹本著色
富士曼荼羅図」に描かれている。道者の数は18世紀後半から19
世運営紀初頭の宿坊(大鏡坊のみ)の記録より、御縁年で2,00
0人前後、平年で数百名程度と推測できる。また1860年、初の
外国人登山を行った英国公使オールコックがこの登山道を利用した
。101889年、鉄道(東海道線)の開通による御殿場口運営利
用者の増加により衰退し、これへの対策として1906年、村山を
経由しない新道が建設されたため、大宮から現在の六合目(標高2
600m)までは登山道としての機能を失った。この区間は一部除
き登山道跡の推定は困難な状態である。現在は19運営70年に標
高2400m地点まで開通した自動車道を利用しての登山が行われ
ている。(推薦範囲は六合目以上である。)A3.須山口登山道富
士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂南東部に至る登山道で
ある。その起源は明確ではないが、文字資運営料の中で1486年
にその存在が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅間神
社及びその所在地の須山村(現裾野市須山)により管理されていた
。また、登山道のいくつかの宗教施設は村山の修験者の行場(参拝
所)としても使用された。道者に運営ついては詳しい研究が進勃寝
- 52 :
- いないが、1800年(御縁年:アフィ出現伝説に由来する60年
に1回の記念の年)に約5,400人、1840年代前半は年平均
約1,700人、1860年(御縁年)は約3,600人であった
。1883年、須山口二運営合八勺(標高2050m)に接続する
御殿場口登山道が開削され、1889年、東海道本線開通による御
殿場口利便性の向上は須山口よりの道者を奪い、さらに1912年
、一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため、須山口からの
登拝(登山)は運営衰退し現在に至っている。二合八勺以下の登山
道で当時の道が確認できる部分は一部のみである。(資産範囲は現
在「御殿場口」の名称で使用されている二合八勺以上の部分及び遊
歩道として整備された旧須山口の一部である)A4.須走口登山道
アフィ運営東麓の冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道
と合流し山頂東部に至る登山道である。その起源は明確ではないが
、六合目からは1384年の銘のある掛仏が出土しており、文字資
料では1500年にその存在を確認できる。登山道は遅くとも1エムソ
゙ネ7世紀までに、冨士浅間神社及びその所在地の須走村が登山道の
山頂部までを支配し、散銭取得権の一部などを得ていた。山頂部の
権利についてはアフィ本宮浅間大社と争いになり、須走村は18世
紀(1703年と1772年)、幕府に裁定を求め、権運営利は幕
府によって認められた。1707年の宝永噴火の際、これらの施設
及び冨士浅間神社、須走村は噴砂に覆われ壊滅したが、江戸幕府の
支援を受け翌年には復興を完了し、多くの道者を集めた。18世紀
後半、他の霊場とセットにされた参詣の流行で運営道者数は年平均
約1万人、1800年の御縁年に23,700人とピークを迎えた
。1959年、バス道路の完成により、新五合目(標高約2000
m)以下の登山道の利用はほとんどなくなり、一部道としての確認
ができない区間がある。(推薦範囲は運営現在も利用されている新
五合目以上である。)A5.吉田口登山道北口本宮冨士浅間神傷頓
- 53 :
- 起点とし、アフィ頂東部を目指す道である。15世紀には、アフィ
への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも広まって
いた。吉田口は14世紀後半運営には参詣の道者のための宿坊もで
き始め、大勢の人々が登るための設備が整うようになった。16世
紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して修行を行い、18
世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的自
殺)にあたって信者運営の登山本道をこの吉田口と定めた。このた
め、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、最も多く
の道者(他の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を登って山頂
を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで
登れる重要運営な道である。(推薦範囲は登山道全体である。)1
1法的保護、修理・整備の経緯1924年に史蹟名勝天然紀念物保
存法の下に名勝に仮指定された。1936年に国立公園法の下に(
富士箱根)国立公園に指定された。1952年に文化財保護法の下
に運営名勝、ついで特別名勝に指定された。1969年に国が大沢
崩れに対する砂防事業に着手(継続中)。1996年に国・県が台
風による森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中)。文化財保
護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される運営予
定。A6.北口本宮冨士浅間神社説明アフィの遥拝所に祀られてい
た浅間明神(アフィの荒ぶる神)を起源とし、1480年には「富
士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っ
ていたとされる。その後、1561年に現在の東宮運営本殿、15
94年に西宮本殿、1615年には本殿が建立された。富士講との
つながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清の
寄進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内
の景観の礎が形成された。本殿は、一間社運営入母屋造・檜皮葺の
本殿に唐破風付向背をつけた形式で、正面と側面に挿肘木の腰組を
もって支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本脳役
- 54 :
- 西宮本殿はともに桧皮葺・一間社流造である。3本殿とも、各部に
漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻運営・金具を配して、それぞれの
時代の装飾的特色がよく表されている。北口本宮冨士浅間神社の支
配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神社の
管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の背後に
は登山門があり、この神運営社を起点としてアフィ頂まで吉田口登
山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持ちなが疑棄
- 55 :
- 遥拝所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたことを起源
とする神社で、古く運営からアフィ南麓地域の中心的神社であった
。現在全国に約1300社ある浅間神社の総本宮であり、広く信仰
されている。創建当初は遥拝のための施設であったが、15世紀ご
ろ登拝が盛んになるにつれて、アフィ本宮浅間大社は村山浅間神社
(興法寺)運営とともに大宮・村山口登山道の基点となり、宿坊が
周辺に建設された。登拝の拡大に伴い、アフィ中での諸権利が構築
されていく中で、浅間大社は徳川家康(約150年間の戦乱期をお
さめ統一政権である江戸幕府を開いた人物)の庇護の下、1604
年運営現在の「浅間造り」と呼ばれる独特な構造を持った社殿が造
営されるとともに、1609年山頂部の散銭取得における優先権を
得た。これを基に浅間大社は山頂部の管理・支配を行うようになり
、1779年、幕府による裁判によりこの八合目以上の支配運営権
が認められた。明治政府によりここは国有地とされたが、1974
年の最高裁判決に基づき、2004年浅間大社に譲渡(返還)され
た。浅間大社境内にはアフィの湧水を起源とする湧玉池がある。浅
間大社は、アフィの噴火を湧水によって鎮める考え運営や、アフィ
を聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富な湧水量(日平均
14万〜)を持つ湧玉池のほとりに置かれたとする説が有力である
。なお湧玉池は、浅間大社内に所在するアフィの湧水を起源とする
池である。16世紀前後、湧玉池は浅間大運営社により道者が身を
清める場と位置づけられたとされ、同時期の絵図や旅行記でその様
子が確認できる。この水垢離は1920〜30年代まで行われた。
現在でも湧水を聖なる水として利用する人が多くいる。法的保護、
修理・整備の経緯1907年に本運営殿が古社寺保存法の下に特別
保護建造物に指定された。1923〜26年に本殿・拝殿・楼門等
の補修が行われた。1929年の国宝保存法制定に伴い、本殿は国
宝とされた。1933〜34年に楼門の修理を行った。193浸祉
- 56 :
- 山における修験道の中心地であり、14世紀初めには、その活動が
組織化された。15〜16世紀には一般の道者の登拝も増加し、そ
の様子が16世紀の制作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」に描か
れている。1868運営年、神仏分離令により浅間神社と大日堂は
分離され、1906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。
ただし、修験者の活動は1940年代まで継続された。また、村山
の修験者の影響を受けた地域では現在でもその宗教行事が継続倉眼
- 57 :
- ている。法運営的保護、修理・整備の経緯2001年から2003
年にかけて富士宮市教育委員会により発掘を含む調査が行われた。
文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定され
る予定。B4.須山浅間神社説明須山口登山道の起点として遅くと
も運営1524年には存在していた神社である。1707年、宝永
噴火により社殿は登山道も含め大きな被害を受け、現在の社殿は1
823年に再建されたものである。神社は村山浅間神社(興法寺)
の修験者とも関わりを持ち、1940年頃まで境内で修行の運営一
環としての祈祷が行われていた。法的保護、修理・整備の経緯文化
財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される予
定。14B5.富士浅間神社(須走浅間神社)説明社伝では807
年に社殿を造営したとされ、須走口登山道の起点と運営なった神社
である。16世紀には地元支配者(武田氏)の保護を受け、山頂部
の散銭取得権の一部を得ている。社殿は1707年の宝永噴火で崩
壊し1718年に再建された。この後もこの際の部材を使用し、2
009年の修理も含め何回かの修理がおこ運営なわれている。神社
には富士講道者が多く立ち寄り、20世紀前半を中心に登拝回数の
達成(33回がひとつの区切り)等の記念碑を約80基造営した。
法的保護、修理・整備の経緯2006年に社殿が小山町の有形文化
財となる。2009年に本殿・参運営道の修理が行われた。文化財
保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される予定
。B6.河口浅間神社説明古くからアフィに関わる祭祀は南麓の浅
間神社が執り行っていたが、864〜866年に北麓で起こった噴
火を契機に、北麓にも浅運営間神社が建てられることとなった。そ
れが、アフィを望む河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口
浅間神社である可能性が高い。浅間神社を中心とした河口の地は、
甲府盆地から続く官道の宿駅という役割に加え、富士登拝が大衆化
した中世後半か運営ら御師集落として発展を遂げた。しかし、請骨
- 58 :
- における富士講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛により、河
口の御師集落としての機能は、19世紀以降衰退してしまった。た
だし、河口浅間神社は、現在もアフィと密接に結びついた宗教行事
を行っ運営ており、歴史的背景と相俟って、アフィ信仰を語る上で
欠かすことのできない資産である。法的保護、修理・整備の経緯文
化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される
予定。B7.冨士御室浅間神社説明冨士御室浅間神社は、8世紀エムソ
゙ネ初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、
アフィ中に祀られた最初の神社であるとする文献もある。富士修験
の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅間神社が
鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が運営整備さ
れたようである。山中という厳しい条件の下に所在するためたびた
び破損し、1189、1275、1475、1525年と加修され
、1564には地元領主による大修理が行われている。現在の本殿
は1612年建立と認められ、その後も169運営8年、1867
年に修復が行われていた。1973−74年には里宮の地にそのま
まの形で移設された。里宮は、二合目の本宮(もとみや)が冬季の
参拝に苦渋するために河口湖畔に建てられたとされる。修験や登拝
といった様々な富士信仰の拠点として運営位置づけられる二合目の
本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた神
社である。法的保護、修理・整備の経緯1973〜74年に吉田口
登山道二合目にあった本殿が里宮の地に移築された。151985
年に移築された二合目本殿が運営文化財保護法の下に重要文化財に
指定された。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィと
して指定される予定。B8.御師住宅説明御師は、道者に宿や食事
を始め登拝のための一切の世話をするとともに、登拝の指導や祈祷
を行うことを業とし運営た。アフィ御師として代表的なのは、吉田
口登山道の起点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方廃縄
- 59 :
- みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、1843
年に富士講道者運営によって再興されたとされる。法的保護、修理
・整備の経緯1934年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀
念物に指定された。16B12.船津胎内樹型説明1617年長谷
川角行が富士登拝の際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指定範囲内に点
在する運営小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を発見し、浅
間明神を祀った。1673年には富士講道者によって現船津胎奈賜
- 60 :
- 型が発見され、浅間明神が遷宮された。富士登拝の際に、樹型に入
って身を清める風習があり、洞穴内外の地形空間に宗教的な意義エムソ
゙ネ付けが行われるとともに、奥には富士講にとってのアフィの祭神
である木花開耶姫などが祀られている。法的保護、修理・整備の経
緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定
された。B13.吉田胎内樹型説明1892年に富士道運営者によ
って整備された「お胎内」である。富士講講徒は、昼までに御師の
家に着き、夕方まで胎内巡りをし、翌朝アフィに登山した。本穴に
ついては、古くから冨士山北口御師団が管理している。法的保護、
修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀運営念物保存法の下
に天然紀念物に指定された。B14.人穴富士講遺跡説明富士講の
開祖長谷川(藤原)角行が修行したとされる溶岩洞窟の人穴と富士
講信者による約230基の碑塔群が残る遺跡である。「吾妻鏡」で
は人穴探検の様子が描かれ、「浅間大運営菩薩の御在所」とみられ
ていたとされている。この内容は遅くとも1603年までに、浅間
大菩薩の霊験譚として説話化され、その存在が広く知られていた。
富士講関連の文書によれば人穴は16世紀から17世紀にかけ、長
谷川角行が修行により浅間大運営菩薩(富士講では仙元大日神とす
る)の啓示を得た場であり、入滅した場だとしている。また、角行
は人穴を「浄土(浄土門)」と述べ、これらの結果人穴には熱心な
富士講信者が参詣し、修行を行う者も見られた。また、信者は人穴
への分骨埋葬などを運営望み、墓碑、供養碑、記念碑などを建立し
た。1942年付近が軍用地となり、人穴の浅間神社や周辺の住民
は一時移転した。1954年神社は現在地に復興されたが、冨士講
自体が衰退したことで参詣者はみられるものの1964年以降碑塔
の建設は行運営われていない。法的保護、修理・整備の経緯199
9年に富士宮市の史跡となる。文化財保護法の下に他の文化財とと
もに史跡アフィとして指定される予定。B15.白糸ノ滝説明連捗
- 61 :
- 山の湧水を起源とする数百の流れを持つ滝である。滝の名前は湧水
(運営日平均15〜16万〜)の噴出が数百条の白糸が垂れている
ように見えることをその起源とする。17白糸ノ滝は富士講関連の
文書によれば長谷川角行が人穴での修行と合わせて水行を行った地
とされ、富士講を中心とした人々の巡礼・修行の場となった運営。
また、景勝地としても有名であり、和歌・絵画の題材にもなってい
る。法的保護、修理・整備の経緯1936年に史蹟名勝天然紀念物
保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定された。C.三保松原説明
三保松原は、万葉集以降和歌の題材となり、謡曲「運営羽衣」の舞
台となった。15〜16世紀以降アフィを描く際の典型的な構図に
含まれる景勝地として数多く描かれ、歌川広重等の作品をはじめ海
外にも広く知られている(又は海外に影響を与えた)芸術作品の視
点場、又は舞台となった場所のひとつであ運営る。法的保護、修理
・整備の経緯1922年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に
指定された。18b)歴史と発展山容の形成アフィの原型は、40
〜10万年前、周辺の火山とともに活動をはじめ、先小御岳火山が
形成された。その後これを覆うよ運営うに標高約2500mの小御
岳火山が形成された。さらに約10万年前、そのふもとに古富士火
山が誕生し、爆発的噴火、火山礫・火山灰の噴出、山体崩壊を繰り
返し、小御岳火山をほぼ山体に納める形で3000mを超える火山
に成長した。約1万年前運営には大量の溶岩を噴出する形で現在の
アフィ(新富士火山)が成長を始め、古アフィを覆いつくし、約5
600〜3500年前に現在の規模となった。繰り返された溶岩の
流出によって何層にもわたる溶岩層が形成され、その先端部には山
体への降水を起運営源とする湧水が各溶岩層の隙間より湧出する形
で各所に形成された。アフィ北麓においてはこれらの湧水や降水が
北側の山地との間の低地にたまり、湖や湿地が形成された。また、
溶岩層の中には数多くの風穴、溶岩樹型が形成された。山頂か貼尾
- 62 :
- 噴火は運営2200年前の噴火を最後に起こっていないが、歴史時
代になっても北西〜南東方向に連なる側火山からの噴火を続け、1
200年前から後には少なくとも800〜802年、864〜86
6年、937年、999年、1033年、1083年、1435エムソ
゙ネ〜1436年、1511年、1707年の九つの時期の噴火が確
認されている。神々しい山容と「鎮爆」このような噴火や溶岩の流
出を繰り返すアフィは恐ろしくかつ神秘的な山と考えられたために
、古くから遥拝の対象であったが、日本における古代国運営家の統
治システムがほぼ整った8世紀後半以降は、繰り返す噴火を鎮める
ため、アフィそのものあるいはアフィに鎮座する神を浅間神として
祀るようにもなり、各地に遥拝所としての浅間神社が建立され、国
家の宗教政策の一端に位置づけられるようにな運営った。また、富
士山の神々しく秀麗な姿と周辺の自然環境が芸術の対象とされるよ
うになり、日本最古の歌集である『万葉集』(8世紀半ば)や日本
最古の物語とされる『竹取物語』(9世紀後半)をはじめとして、
数多くの和歌・物語など文学の題材と運営なったほか、現存最古と
なる『聖徳太子絵伝』(11世紀制作)をはじめ、数多くの絵画作
品の題材として取り上げられるようになった(表参照)。特に12
世紀後半以降、日本の政治的中心が京都から鎌倉に移動し、この二
つの都市を結びアフィ南麓を運営通る街道の交通量が増加したこと
で、アフィの情報は多くの人に記録され、広く知られるようになっ
た。修験道―日本古来の山岳信仰と外来宗教の習合―また、12世
紀頃より噴火活動が沈静化したことでアフィは日本古来の山岳信仰
と密教・道教(神仙運営思想)が習合した「修験道」の道場ともな
り、修験者が山中に分け入り、霊力を獲得するために修行する山へ
と変化していった。当時一般的であった神仏習合思想(本地垂迹説
)により、山頂部は仏の世界(又は仏が神の形となって現れる場所
)として認運営識され、山頂部に至ることが重要な意味を持つ瞬衡
- 63 :
- になった。この結果15〜16世紀には登拝する山として一般に広
く知られ、修験者に引率された武家・庶民等による信仰登山が盛ん
になった。登山口の設置はいずれも室町時代のことで、14世紀か
ら運営15世紀後半に開かれたとされている。このころには参詣の
道者のための宿坊もでき始め、大勢の登山者が登るための設備が整
い始めた。登拝の大衆化―富士講―17世紀前半、約150年にわ
たる日本国内での戦乱状態が終了し、江戸幕府の下で治安が運水遊
- 64 :
- 定し経19済的な発展もあってより多くの人がアフィを目指すよう
になった。このような中で18世紀後半、16世紀にアフィ体や周
辺の風穴などで修行し、宗教的覚醒を得た長谷川角行から始まった
とされる富士信仰が江戸(現在の東京)を中心に「運営富士講」と
呼ばれる信仰集団を形成して大いに盛んになり、より多くの人々が
登拝するようになった。富士講や他の登拝者(合わせて「道者」と
いう。)は原則として固定的・継続的関係を持った「御師(宿坊を
経営する神職)」の家や宿坊に宿泊し、祈運営祷や宗教的指導を受
け、湧水で水垢離をとり、浅間神社に参拝した後、頂上を目指した
。登山道には茶屋や山小屋が建てられ、多くの登拝者の活動を支え
る施設が体系的に整備されたのもこの頃である。また、富士講にお
いては長谷川角行ら指導者の言動運営にならって周辺の風穴や湖沼
・滝なども修行の地とされ、ここにおいてアフィと周辺の宗教施設
・霊地・巡礼地は庶民の信仰の場として定着し、山の結界が開放さ
れる二ヶ月間に年平均1万〜2万人の人々が信仰を目的とした登山
を行うようになった。芸運営術作品の多様化とジャポニスム芸術面
においても、とりわけ江戸時代(17〜19世紀半ば)には、文学
、絵画、工芸、庭園等のモチーフとして多岐にわたって取り上げら
れ、三保松原とアフィを描いた絵画など多様な表現が追究されるよ
うになった。(運営表参照)特に、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」に
代表される浮世絵の数々は、西洋の画家たちに文化的衝撃を与えた
。19世紀後半には「ジャポニスム」という芸術上の画期的な転機
を惹き起こし、印象派の作品に影響を与えるとともに、そのアフィ
を含ん運営だ構図は海外において日本のイメージの一つとされてき
たのである。日本を訪れた外国人がアフィからインスピレーション
を得て記述した紀行文の中でも、アフィのアイコン的側面を綴った
ものが多い。近世以前もアフィは日本一有名な山であったが、1エムソ
゙ネ9世紀後半の開国によって日本が近代国家としての体制を整起坪
- 65 :
- につれて、日本を代表する山から日本を象徴する山へと変貌した。
廃仏毀釈と登山の利便性向上19世紀半ばより、明治政府を中心に
行われた日本の近代化・西欧化政策はアフィにも影響を運営与えた
。政府が神仏分離や修験道禁止の方針を打ち出したことや、これを
契機に発生した廃仏毀釈の運動により、仏教的施設は神道系の施設
に再編されたが、1872年の(信仰の山における)女人禁制解禁
の影響もありアフィへの登拝は継続ないし拡大運営した。19世紀
末以降の鉄道・自動車道の開通も、登山者の利便性を格段に向上さ
せた。南麓へは1889年に東海道線が開通し、北麓へは1900
年前後に馬車鉄道と中央線が開通したことによって、東京からの登
山がさらに活発になった。自動車道と運営しては、1929年に北
口本宮冨士浅間神社から馬返(標高1450m)まで自動車専用道
路が開削され、1937年には大型バスによる輸送も始まった。第
二次大戦以降、日本の価値観や経済状況の変化により、アフィへの
登山は信仰を中心としたもの運営から、アフィへの憧れを主な動機
とするものに変化した。また、1964年に中腹までの自動車道と
して、北麓のアフィスバルラインが、1970年に南麓のアフィス
カイラインが開通し、これ以降、中腹(標高2300〜2400m
)を起点とした登山運営が主流になった。この結果アフィへの登山
者は急増し、年平均20万〜30万人に達するに至った(2007
年からはさらに増加し年間35万〜43万人)。これらの登山者の
行動様式の中にはアフィへの信仰の核心が受け継がれており、加え
て、現代的運営なアフィ信仰の形態として、静岡県の柿田川のよう
に、新たにアフィとの関わりが明らかになったことが、環境保護活
動の活性化につながった例などがある。最近の保全の歴史20富士
山体は文化財としては、1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法に
よ運営り、山麓の幅広い地域が名勝に仮指定された。これとほぼ同
じ範囲は、1936年に自然公園法により国立公園の一部とし遊吸
- 66 :
- 定され、現在も保全の対象となっている。さらに、第二次世界大戦
後の1952年には、新たに文化財保護法によって、御中道運営以
下500mより上及び一部の登山道などが名勝として(同年、特別
名勝として)指定され、1966年には指定区域を拡大した。山梨
県は1978年(のち、1999年及び2006年に改定)、静岡
県は2006年に「特別名勝アフィ」の保存管理計運営画を策定し
、適切な保存と活用を図っている。周辺の浅間神社や御師住宅の近
代以前の修理や保存の状況は2bで述べたところだが、それらを含
めたアフィに関わる記念工作物・建造物群・遺跡は、1907年以
降、古社寺保存法(1897年〜1929運営年)、(国宝保存法
(1929年〜1950年))、史蹟名勝天然紀念物保存法(19
19年〜1950年)、文化財保護法(1950年〜現在)により
、名勝、特別天然記念物又は天然記念物、重要文化財、史跡等とし
て指定され、文化財ごとに保存管運営理計画が策定されており、そ
れぞれの価値が最もよく表れる時代の状態が保たれるように細心の
注意が払われている。、また、周辺に位置する個々の文化財は、「
包括的保存管理計画」によって、アフィ体も含めた統一的な保存・
管理が行われている。2運営1表アフィの美術(1)日本古来の伝
統様式によるもの(国宝重要文化財)指定所在作品名形式時代(年
代)説明東京国立博物館聖徳太子絵伝屏風1069現在最古の富士
山。聖徳太子が馬でアフィを越える物語の状景。神奈川清浄光寺外
一遍聖絵絵巻1運営299一遍が全国遍歴の途中、富士川に入水す
る往生者を見送る背後にアフィ。兵庫・真光寺遊行上人縁起絵絵巻
1323他阿上人が全国遍歴の途中、甲斐の御坂峠を越えて河口に
進む背後にアフィ。大阪・久保惣記念美術館伊勢物語絵巻絵巻14
世紀伊運営勢物語現存最古の絵巻。第九段物語の主人がアフィ麓を
進む場面。東京国立博物館月次風俗図のうち小屏風15世紀十二月
風俗図の一場面。鎌倉初期に行われたアフィ麓の巻狩を題材と降考
- 67 :
- 。アフィ本宮浅間大社富士参詣曼荼羅図掛軸16世紀霊山であるエムソ
゙ネアフィに参拝する行者達の登山風景、山頂に三尊あり。狩野派の
祖元信筆。東京国立博物館武蔵野図屏風17世紀武蔵野の状景を装
飾的に描いた名所図屏風の一。ススキ野の奥にアフィがそびえる。
山梨県立博物館曽我物語図屏風17世紀鎌倉将軍源頼朝運営が主催
した富士の巻狩最中に果された曽我兄弟による仇討ちを題材。富士
山の美術(2)室町時代水墨画によるもの指定所在作品名形式厘躍
- 68 :
- (年代)説明東京・根津美術館富岳図仲安真康筆掛軸15世紀現存
最古の水墨によるアフィ図。鎌倉建長寺の僧で運営、鎌倉画派の祖
とされる。東京国立博物館富岳図祥啓筆掛軸1490仲安真康の弟
子、建長寺の書記を勤めた禅僧万里集九や雪舟とも交友があった。
東京永青文庫富士清見寺図雪舟集掛軸15世紀世界的に著名な日本
を代表する水墨画家の作。水墨画によ運営るアフィの一典型作。静
岡県立美術館富士八景図式部輝忠筆掛軸1530東国を中心に活躍
した水墨画家。瀟湘八景にあやかって連作に挑んだ作品。個人(〜
)富士三保松原図是庵筆掛軸16世紀京都相国寺の僧で、画をよく
した。下辺に三保松原、富士運営山の左手に日輪を描く。22富士
山の美術(3)江戸時代諸派の作家とアフィ指定流派著名な作家名
所在代表作(年代)説明陶芸野々村仁清東京・鼻山美術館銹絵富士
山香炉(17世紀)世界的にも著名な京焼の第一人者。アフィの朝
昼晩の三つの景色を運営造型化する。狩野派狩野探幽静岡県立美術
館アフィ図1670江戸狩野派の祖、第一人者。アフィ連作の緒を
開いた。狩野派狩野山雪静岡県立美術館富士三保松原図屏風(17
世紀)山楽の養子として京狩野派を継ぐ。装飾性と抒情性に富む。
琳派尾形光運営琳奈良・大和文華館富岳図(扇面貼交手箱内)(1
8世紀)世界的に著名な代表的画家。工芸デザイナーとしても卓越
する。文人画派池大雅東京芸術大学富士十二景図(18世紀)日本
文人図(南画)の大成者、第一人者。富士・立山・白山を信仰登山
し運営、三岳道者と自称。その体験を描く。文人画派与謝蕪村富山
佐藤美術館松林富士図(18世紀)大雅と並ぶ日本文人画の第一人
者。俳人としても高名で、俳画を大成した名手。文人画派野呂介石
和歌山・田辺市立美術館(寄託)紅玉芙蓉峰図1821紀州運営藩
の役人で、大雅にも師事した。早春の明け方の朱に染まった富士、
赤富士の魁。文人画派谷文晁静岡県立美術館アフィ図屏風1835
江戸文人画の大家。諸国諸山の風景を写実的に描いた写生派の札剣
- 69 :
- け。円山派円山応挙兵庫・白鶴美術館富士三保松原運営図屏風17
84装飾性と写実性とを融合し、独自の画境を開いた、いかにも応
挙らしい作品。洋風画派小田野直武秋田県立近代美術館富岳図17
77秋田藩士。日本で最初に西洋画を学んだ、秋田蘭画の創始者。
江戸出府の折の作。洋風画派司馬江漢静岡運営県立美術館薩〜山富
士遠望図1804平賀源内らと蘭学を研鑚、後に小田野直武の影響
を受けて、洋風写生画の第一人者となる。南蘋派宋紫石東京国立博
物館日金山富岳展望図(18世紀)長崎に渡来した清人画家より写
生的花鳥画を学び、また平賀源内運営らを通じて蘭学に通じた。禅
画白隠慧鶴大分・自性寺富士見大名行列図日本臨済禅を確立した禅
僧。全国を遍歴、布教した。禅画の大成者としても著名。浮世絵派
葛飾北斎山梨県立博物館版画富岳三十六景1831世界的に著名な
浮世絵師。富岳三十六景運営に見る象徴主義は欧米文芸に大きく影
響した。23浮世絵派歌川広重山梨県立博物館版画不二三十六景(
19世紀)北斎とともに世界的に著名な浮世絵師。東海道五十三次
など風景画に新境地を開き、印象派に与えた影響は大きい。浮世絵
派歌川貞秀神戸運営市立博物館三国第一山之図1849幕末の浮世
絵師。自らアフィに登り、その感動を本図や富士絶頂之図など多く
の作品を残した。アフィの美術(4)近現代作家とアフィ文化勲章
指定ジャンル著名な作家名所在代表作(年代)説明油画(洋画)高
橋由一運営金刀比羅宮宝物語館牧の原望岳図1878明治維新以降
、最初に油彩技法を習得した先覚者の作品。明治初期の貴重作。〃
五姓田義松東京都現代美術館清水の富士1881父芳柳と共に早く
油彩技法に目覚めた開拓者の一人。明治初期の貴重作。〃和田英エムソ
゙ネ作鹿児島歴史資料センター富士(河口湖)1926日本近代洋画
を技法的に確立した先駆者の一人。写生の確かさを見よ。〃梅原龍
三郎岡山・大原美術館朝陽1945ルノアールに学び、日本洋画に
存在感ある独特の装飾技法を樹立した。その金字塔とも運営言健絡
- 70 :
- き作。〃田崎広助長野・田崎美術館箱根朱富士1975日本独特の
平面的装飾に新しい一頁を開いた田崎ならではの自然景観。〃林武
箱根彫刻の森美術館赤富士1967主として第二次大戦以後洋画壇
をリードした。豪快な技法で富士連作に挑んだ運営。膠画(日本画
)富岡鉄斎兵庫・清荒神清澄寺アフィ及び山頂全図屏風1898最
後の文人画家とも言われる思想家。自らアフィに登り、その神聖性
をダイナミックに表現した。〃横山大観東京国立近代美術館或る日
の太平洋1952フェノロサ、岡倉天運営心と共に日本画壇を復興
した巨匠。日本の象徴と意識して多くのテーマにアフィが描かれた
。〃下村観山秋田県立近代美術館三保富士図屏風1919横山大観
とともに明治日本画壇を背負った作家が伝統的テーマに新風を吹き
込む。〃川端龍子東京・大田運営区立龍子記念館怒る富士1944
強烈な個性で大作に挑んだ激情の画家。激しい気象現象を示す富士
に挑戦した作品。〃松岡映丘宮内庁三の丸尚蔵館富岳茶園1928
昭和天皇即位記念の作品。伝統的日本画に透明感のある新しい表現
技法を示す。〃徳岡運営神泉京都国立近代美術館富士1965福田
平八郎と共に昭和の日本画壇に独自の新風を吹き込んだ。茫漠たる
モノトーンの中に立する富士。24〃横山操東京・五島美術館朱富
士1966第二次大戦後の日本画壇をリードした新星。多くの富士
を描いたが運営、赤富士と電光の対比の妙。〃小松均京都市立美術
館白富士1982第二次大戦後の日本画壇に詩的な大画面で新境地
を開いた。郷土山形や大自然に魅せられて。〃片岡球子神奈川県立
近代美術館面構葛飾北斎数年前に没したが、最も現代日本画界をリ
ー運営ドした女流画家。本図は女史のライフワーク面構シリーズの
一つ。写真鹿島清兵衛宮内庁三の丸尚蔵館富士1894アマチュア
ながら当時の技術を駆使した大版写真を御成婚25年記念に皇室に
託した。〃岡田紅陽山梨・岡田紅陽写真美術館忍野赤富士1運営8
94文字通りアフィの写真家。アフィのあらゆる表情を写真に痕福
- 71 :
- 、広めた。木版画萩原英雄山梨県立美術館三十六富士1926本県
出身の日本を代表する木版画家。新しい視点からのアフィシリーズ
。アフィの文学歴史書「六りっ国史こくし」(奈良運営−平安)菅
野すがのの真ま道みちら「続日本しょくにほん紀ぎ」(平安)藤原
通憲ふじわらのみちのり「本朝ほんちょう世紀せいき」(平安)伝
皇こう円えん「扶桑ふそう略記りゃっき」(平安)※作者未詳「吾
妻鏡あづまかがみ」(鎌倉)斎藤月岑さい運営とうげっしん「陛雌
- 72 :
- ぶこう年表ねんぴょう」(江戸)風土記元明天皇げんめいてんのう
詔「常陸ひたち国のくに風土記」(奈良)談話集景戒きょうかい「
日本にほん霊異記りょういき」(平安)※作者未詳「今昔こんじゃ
く物語集ものがたりしゅう」(平運営安)和歌集大伴家持おおとも
のやかもち「万葉集まんようしゅう」(奈良)紀淑望きのよしもち
・紀貫之きのつらゆき「古今和歌集こきんわかしゅう」(平安)村
上むらかみ天皇てんのう「後撰和ごせんわ歌集かしゅう」(平安)
後鳥羽ごとば上皇じょう運営こう「新古今和歌集しんこきんわかし
ゅう」(鎌倉)後鳥羽院ごとばいん「最勝さいしょう四天王院して
んのういん障子しょうじ和歌わか」(鎌倉)藤原長清「夫木和歌抄
ふぼくわかしょう」(鎌倉)藤原ふじわらの為ため明あきら「新拾
遺和しんしゅう運営いわ歌集かしゅう」(室町)25記録・紀行文
都良香みやこのよしか(平安)「アフィ記ふじさんき」※作者不詳
(鎌倉)「海道記かいどうき」※作者不詳(鎌倉)「東関紀行とう
かんきこう」飛鳥井あすかい雅世まさよ(室町)「富士紀行ふじき
こう」運営堯孝ぎょうこう(室町)「覧らん富士記ふじき」堯恵ぎ
ょうえ(室町)「北国紀行ほっこくきこう」※作者不詳(室町)「
富士御覧日記ふじごらんにっき」道興どうこう(室町)「廻国かい
こく雑記ざっき」宗牧そうぼく(室町)「東国とうごく紀行きこエムソ
゙ネう」紹巴じょうは(室町)「富士見ふじみ道記みちのき」小堀遠
州こぼりえんしゅう(江戸)「東海道紀行とうかいどうきこう」浅
井了意あさいりょうい(江戸)「東海道名所記とうかいどうめいし
ょき」岩佐いわさ又兵衛またべえ(江戸)「迴国道の記運営」松尾
まつお芭蕉ばしょう(江戸)「野ざらし紀行」香川景樹かがわかげ
き(江戸)「中空の日記」古川古松こしょう軒けん(江戸)「東遊
とうゆう雑記ざっき」藤とう惺せい梅ばい(江戸)「東海紀行」日
記文学菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ運営(平安)「更級
さらしな日記」阿仏尼あぶつに(鎌倉)「十六夜日記いざよい旦蚊
- 73 :
- き」「うたたね」後ご深ふか草院くさいんの二条にじょう(鎌倉)
「とはずがたり」賀茂真淵かものまぶち(江戸)「岡部日記おかべ
にっき」永井ながい荷風かふう(江戸運営−昭和)「大窪だより」
伝説・物語※作者不詳「竹取たけとり物語ものがたり」(平安)※
作者不詳「伊勢いせ物語ものがたり」(平安)紫式部むらさきしき
ぶ「源氏げんじ物語ものがたり(若紫わかむらさき)」(平安)藤
原兼輔ふじわらのかねすけ「運営聖徳太子伝暦しょうとくたいしで
んりゃく」(平安)※作者不詳(平安)「平中へいちゅう物語もの
がたり」「平家へいけ物語ものがたり」(鎌倉)※未詳「曽我そが
の物語ものがたり」(鎌倉)※作者不詳「源平げんぺい盛衰記せい
すいき」(鎌倉)※運営未詳「承久記じょうきゅうき」(鎌倉)浅
井あさい了りょう意い「東海道名所記」(江戸)能(謡曲)伝世阿
弥ぜあみ原作(室町)「アフィふじさん」※未詳(室町)「羽衣は
ごろも」御伽草紙「富士の人穴ひとあな草紙ぞうし」(江戸)仮名
草紙※作者運営不詳(江戸)「竹斎ちくさい」滑稽本十返舎一九じ
っぺんしゃいっく(江戸)「東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひ
ざくりげ」仮名垣魯文かなかきろぶん(江戸−明治)「滑稽富士詣
こっけいふじもうで」26浄瑠璃近松門ちかまつもん左ざ衛門えも
ん運営(江戸)「聖徳太子絵伝記」竹田たけだ出雲いずも・三好松
洛みよししょうらく・並木千柳なみきせんりゅう(江戸)「仮名か
な手本でほん忠臣蔵ちゅうしんぐら」童謡巌谷いわや小波さざなみ
(明治−大正)「アフィふじさん」(「ふじの山」)海野う運営ん
の厚あつし(明治−昭和)「背せいくらべ」随想・随筆新井あらい
白石はくせき(江戸)「折おりたく柴しばの記」田山たやま花袋か
たい(明治−昭和)「富士を望む」小島烏水こじまうすい(明治−
昭和)「すたれ行く富士の古道」、「不二山ふじさ運営ん」永井な
がい荷風かふう(明治−昭和)「日和ひより下駄げた」太宰だざい
治おさむ(明治−昭和)「富嶽百景ふがくひゃっけい」大町桂夢洗
- 74 :
- おまちけいげつ(明治−大正)「富士の大観」中村星湖なかむらせ
いこ(明治−昭和)「少年行しょうねんこ運営う」北村きたむら透
谷とうこく(明治)「富嶽ふがくの詩し神しんを思おもふ」深田ふ
かだ久弥きゅうや(明治−昭和)「日本にほん百名山ひゃくめいざ
ん」小説落合直文おちあいなおぶみ(江戸−明治)「たかねの雪ゆ
き」夏目漱石なつめそうせき(明運営治−大正)「三四郎さんしろ
う」「虞美人草ぐびじんそう」泉鏡花(明治−昭和)「婦おんな系
図けいず」「春しゅん昼ちゅう」「春しゅん昼ちゅう後刻ごこく」
徳富とくとみ蘆花ろか(明治−昭和)「冨士ふじ」「自然しぜんと
人生じんせい」(随筆)運営永井ながい荷風かふう(明治−昭和)
「新帰朝者日記」橋本英吉はしもとえいきち(明治−昭和)「富士
山頂ふじさんちょう」井伏鱒二いぶせますじ(明治−平成)「岳麓
点描がくろくてんびょう」武田泰淳たけだたいじゅん(大正−昭和
)「富士ふじ」運営武田百合子たけだゆりこ(大正−昭和)「富士
日記ふじにっき」新田にった次郎じろう(大正−昭和)「強力伝ご
うりきでん」「怒いかる富ふ士じ」「芙蓉ふようの人ひと」「富士
ふじに死しす」「着氷ちゃくひょう」「冬山ふゆやまの掟おきて」
「富士運営ふじ山頂さんちょう」川端康成かわばたやすなり(明治
−昭和)「東海道とうかいどう」白井喬二しらいきょうじ(明治−
昭和)「富士ふじに立たつ影かげ」国枝くにえだ史郎しろう(明治
−昭和)「神州纐纈城しんしゅうこうけつじょう」松本まつもとエムソ
゙ネ清せい張ちょう(明治−昭和)「波なみの塔とう」芹沢光せりざ
わこう治じ良ろう(明治−平成)「我が入道にゅうどう」「人間に
んげんの運命うんめい」幸田文こうだあや(明治−平成)「崩くず
れ」27詩歌伝柿本かきのもとの人麻呂ひとまろ(飛鳥運営−奈良
)「柿本集」山部赤人やまべのあかひと(奈良)「万葉集まんよう
しゅう」高橋たかはしの虫むし麻呂まろ(奈良)「高橋虫麻呂たか
はしのむしまろ歌集」藤原ふじわらの清きよ正ただ(平安)「律賛
- 75 :
- よ正ただ集」在原業平ありわらのなりひら(平運営安)「業平集」
藤原ふじわらの公きん任とう(平安)「公きん任とう集」藤原ふじ
わらの定家さだいえ(平安−鎌倉)「内裏名所百首」「名号みょう
ごう七字十題和歌」飛鳥あすか井い雅まさ経つね(平安−鎌倉)「
明日香あすか井い和歌集」藤原ふじわ運営らの俊とし成なり(平安
−鎌倉)「(藤原兼ふじわらのかね実ざね)右う大臣家だいじんけ
百首ひゃくしゅ」「五社百首」「丹後守為忠朝臣家百首」慈じ尚楽
- 76 :
- ん(平安−鎌倉)「拾玉集」西行さいぎょう(鎌倉)「新古今和歌
集しんこきんわかしゅう」源運営実朝みなもとのさねとも(鎌倉)
「金槐和歌集きんかいわかしゅう」阿仏あぶつ尼に(鎌倉)「安嘉
門院あんかもんいんの四条しじょう五百首ごひゃくしゅ」万里ばん
り集九しゅうきゅう(室町)「梅香無尽蔵」堯ぎょう恵え(室町)
「下葉和歌集」水無運営瀬みなせ氏成うじなり(安土桃山−江戸)
「水無瀬殿富士百首」清水浜臣しみずはまおみ(江戸)田安宗たや
すむね武たけ(江戸)「悠然院様御詠草」林羅山はやしらざん(江
戸)「丙辰へいしん紀行」石川いしかわ丈山じょうざん(江戸)加
藤枝かとう運営え直なお(江戸)「うけらが花」賀茂真淵かものま
ぶち(江戸)「賀茂翁家集」本居宣もとおりのり長なが(江戸)「
石いその上稿かみこう」「鈴屋すずのや集」契沖けいちゅう(江戸
)「詠アフィ百首和歌」村田むらた春海はるみ(江戸)琴後ことじ
り運営集」島木赤彦しまぎあかひこ(明治−大正)土井どい晩翠ば
んすい(明治−昭和)「大敵迫る」斉藤さいとう茂吉もきち(明治
−昭和)「赤光」「箱根路」前田まえだ夕暮ゆうぐれ(明治−昭和
)「富士を歌ふ」若山わかやま牧水ぼくすい(明治−昭和)運営「
海の声」北原きたはら白秋はくしゅう(明治−昭和)「雲母集」「
不尽抄」金子かねこ光晴みつはる(明治−昭和)「富士」「五つの
湖」草野心平くさのしんぺい(明治−昭和)「アフィ」小野おの十
とお三郎ざぶろう(明治−平成)「重油富士」「風運営景詩抄」2
8俳句松尾まつお芭蕉ばしょう(江戸)「奥の細道」与謝蕪村よさ
ぶそん(江戸)小林こばやし一茶いっさ(江戸)蝶夢ちょうむ(江
戸)「宇良うら富士紀行」正岡まさおか子規しき(明治)高浜虚子
たかはまきょし(明治−昭和)飯田いいだ運営蛇笏だこつ(明治−
昭和)「山りょ集」富安風生とみやすふうせい(明治−昭和)水原
みずはら秋桜子しゅうおうし(明治−昭和)「葛飾」永井ながい荷
風かふう(明治−昭和)「名所方角集」西東さいとう三鬼さん是闇
- 77 :
- った山麓の浅間神社における遥拝活動とともに、以下の絵図(類似
の登山案内図が数多く作成された)に示されたように、雲上の神仏
の世界へ一定の儀礼に従って参詣する「登拝」を中心に、アフィ体
・周辺にあるアフィの火山活運営動によって生成され神聖な意味を
持つとされた風穴・溶岩樹型・湖沼・滝・湧水地などを巡礼し、修
行することで治病・除災などの超自然的力を獲得し、罪や穢れを消
して生まれ変わる(擬死再生)と考える「アフィ禅定」(※2)と
呼ばれる行為(儀礼運営・活動)が成立し、18〜19世紀にかけ
てアフィは体系化された登拝のための宗教施設も含め、大規模な大
衆による宗教的登山を代表する存在となっていた。このような自然
への畏敬という日本の宗教観の根本を基盤とし、神仙思想(道教)
や仏教(特運営に密教)なとど融合した日本独特の山岳信仰を代表
する遥拝及び登拝・登山の様式は今日でも命脈を保ち、特に夏季を
中心に訪れる外国人を含む多くの登山客とともに富士登山の特徴を
成している。また、信仰の核心部分は各地の浅間神社に対する信仰
や運営今日も続く宗教的な儀礼・活動によって受け継がれ、アフィ
は日本を代表する神聖な山として知られている。(※1)この神は
、1868年の神仏分離令まで神仏習合の影響を受け仏の化身と考
えられていた。また、この神は一つの神に限定されず、信仰運営の
種類や時代ごとに異なる性格と名称を持ついくつかの神または仏が
信仰されていた。(※2)「禅定」とは本来は心を静めて一つの対
象に集中する宗教的瞑想・状態、あるいはその結果仏と一体化する
ことを示す言葉であり、その後、主に修験道におい運営てアフィな
どの霊山に登って修行することも意味するようになった。写真「絹
本著色冨士曼荼羅図」(部分:16世紀ごろ)30「絹本著色冨士
曼荼羅図」(16世紀ごろ)評価基準(C)歴史上の重要な段階を
物語る建築物、その集合体、科学技術の集運営合体、あるいは景観
を代表する顕著な見本である。評価基準(C)の適用アフィで覇援
- 78 :
- アフィ信仰の形成の中で神社等の建築群・登山道・宗教施設を経て
山頂に参詣する体系化された宗教的儀礼・活動が15〜16世紀に
かけて発達し、18〜19世紀に運営かけて完成された。この過程
において、日本における山に対する固有の文化的伝統やアフィによ
り生み出された芸術活動を背景として、アフィの宗教施設、そこで
の儀礼・活動はアフィの自然環境と一体となって宗教的な意味を持
つ景観として認知され、運営これが宗教的絵画等で表現される妊考
- 79 :
- により、多くの人々にアフィが神聖な山であるとの認識がより強固
に定着し、日本写真上図拡大部分宗教施設水垢離場における山と人
間の良好な関係の形成に影響を与えた。したがって、アフィへの信
仰の形成過程を運営通じて定着したアフィの景観認識は近代工業社
会以前の段階における山と人間との精神的関係を表す景観の顕著な
見本である。・山と人間との精神的な関係を表す景観の顕著な見本
アフィでは噴火が沈静化した12世紀ごろから山頂への宗教的登山
が開始運営され、15〜16世紀には「アフィ禅定」と呼ばれた登
拝様式が整い、大衆にも拡大した。この過程でアフィは、矮小な存
在である人間が山麓の草原地帯(「草山」、「カヤ原」などと呼ば
れた)にある神社・水垢離場で身を清め、森林地帯(「木山」、エムソ
゙ネ「深山」などと呼ばれた)の山中の宗教施設等を順に経ながら、
砂礫地帯(「焼山」、「ハゲ山」などと呼ばれた)の神仏の世界あ
るいは他界に至るイメージで認知されるようになり、同時期に絵画
や文学作品において典型的なアフィ像が成立したことを運営背景に
、「絹本著色冨士曼荼羅図」を代表例とする信仰上の景観認識が成
立した。17世紀以降はこれらの典型的な認識を基に、さらに多様
な信仰上の認識(※3)が模索され、「富士講」と呼ばれるアフィ
信仰集団の隆盛や交流人口の拡大などにより、運営18世紀後半か
ら19世紀にかけてほとんどの日本人にアフィの神聖な山としての
景観認識が定着した(※4)。この認識は近代工業社会の自然に対
する考え方が一般化する以前の山と人間との良好な精神的関係を示
すものであった。、31(※3)富士運営山は神仙思想における不
老不死の象徴である「蓬莱山」や仏教における世界の中心である「
須弥山」に見立てられた。また、主に18世紀後半よりアフィの信
仰上の景観認識を立体化した「富士塚」が東京を中心に建設され、
女性を含め山頂への登拝がで運営きない人にとっての代参施設とな
った。(※4)登拝者には登山口の浅間神社や御師の発行する華塾
- 80 :
- 山の信仰上の景観認識を描いた宗教画が配布されるとともに、縁起
の良いものとしてアフィやその図像を拝したり、眺めることが行わ
れた。右「アフィの運営ゾーニング」左「三尊九尊図」評価基準(
E)顕著な普遍的意義を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想
、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連
がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい
)。評価基運営準(E)の適用アフィと周辺の特徴的な自然が醸成
する優秀な景観美や火山としての活動は、日本人の山に対する信仰
の形成の一翼を担い、今日まで継承されている山頂への遥拝と参詣
を中心とした文化的伝統は、アジア地域に顕著である山を神聖視す
る運営文化と深い関りを有している。写真写真焼山(ハゲ山)木山
(深山)草山(カヤ原)32また、これらのアフィの特色は古くか
ら様々な芸術活動の母胎ともなり、「万葉集」や「竹取物語」をは
じめとする日本固有の和歌、俳句、物語文学やこれらを主題運営と
する絵画などの対象として日本人に良く知られていた。特にアフィ
を題材にした「浮世絵」などは海外にも広く知られ、近現代の西洋
芸術に様々な影響を与えてきた。したがって、アフィは、顕著な普
遍的意義を持つ生きた伝統、芸術的作品・文学的作運営品と直接的
・実質的に関連がある景観である。・顕著な普遍的意義を持つ生き
た伝統との直接的・実質的関連アジア地域、特に東アジア地域では
特異な形態を持った山岳の空間を神聖視し、仏教(特に密教)や道
教(神仙思想)、儒教と結びついて修行の運営場や宗教施設を設置
する場とした。これらの伝統は6世紀〜8世紀を中心に日本に伝え
られ、日本固有の山岳信仰や神道と結びつき修験道などの信仰を生
んだ。現在のアフィにおいてはこれらの信仰の核心部分が登拝など
の形態や儀式に伝えられている。運営また、アフィのみならず日本
各地の山岳やアジア地域の山岳においても形態は異なるとはいえ山
を神聖視することをその根本に据えた文化的伝統が数多く行わ十瀬
- 81 :
- いる。したがって、アフィは顕著な普遍的価値を持つ生きた伝統と
直接的・実質的に関連が運営ある景観である。・顕著な普遍的意義
を持つ芸術作品との直接的・実質的関連独立峰であるアフィの周囲
には湖や海と組み合わされたアフィの優れた景観を望む展望地があ
り、今日に至るまで多くの芸術作品を創造する場となった。これら
のアフィを題材運営にした芸術作品のうち、最も海外に影響を与え
た作品は葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」である。19世紀前半
に作成されたこの一連の作品は、日本の開国に伴い西洋に輸出され
、他の浮世絵とともにその構図や表現方法がジャポニスムと呼ばれ
た西洋運営における日本芸術の流行を生み、モネ、ゴッホといった
印象派の画家に大きな影響を与え、アールヌーボーが発生する一因
となった。そのほか、アフィと三保松原を舞台にアフィに関わる伝
説をモチーフとした能(謡曲)「羽衣」は文学におけるモダニズエムソ
゙ネムに影響を与えた作品である。また、19世紀後半から20世紀
初頭にかけて、日本が万国博覧会などで意図的に出品したアフィを
題材にした絵画・工芸作品や、アフィを意匠に用いた日本の輸出品
は、アフィを描いた浮世絵や日本を訪れた外国人が富士運営山から
インスピレーションを得て記述した紀行文の文学的表現などととも
に多くの世界の人々に他の世界の著名な山と明確に区別される富士
山の景観イメージを広めることに貢献した。文学では海外に良く知
られた「万葉集」以来、数多くの和歌や俳句な運営どによってその
崇高さや美しさが称えられ、近代以降も海外にも知られた文学者(
※夏目漱石「三四郎」・太宰治「富岳百景」など)によるものをは
じめアフィを舞台とした作品が生み出された。写真写真左「神奈川
沖浪裏」右「凱風快晴」葛飾北斎「冨運営嶽三十六景」より(18
31〜36年)33写真ゴッホ「タンギー爺さん」b)顕著な普遍
的価値の証明a)において証明した評価基準への適合性の証明の結
果として、「アフィ」は以下に記す観点から顕著な普遍的価値互貞
- 82 :
- つ。顕著な普遍的価値の言明運営アフィは、日本を代表し象徴する
日本最高峰(標高3776m)の秀麗な独立した火山として世界的
に著名であり、その自然的美しさと崇高さを基盤として日本人の自
然に対する信仰の在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広
重などによる顕著な運営普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独
特の芸術文化を育んだ「名山」である。アフィは、山岳に対する信
仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の凍促
- 83 :
- と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみな
らず、人間運営と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出し
た類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山
である。アフィの山体とその周辺の地域には、宗教的な儀礼・活動
の場となった神社、登山道と関連遺跡群、霊地・巡礼地となった風
穴運営・湧水地・湖沼などが残され、そこでの儀礼や活動を通じて
、人々の生活の中にアフィに対する信仰の核心が継承されている。
また、アフィ信仰の中で山体・樹叢・湖沼などの自然環境を基盤と
し、体系化された神社等の建築群・登山道・宗教施設を経て運営山
頂に参詣する宗教的な儀礼・活動が成立した。これが発展し、18
〜19世紀にかけてアフィは大規模な大衆による宗教的登山及びそ
の体系の典型的存在となり、この体系の核心は現代の登山に継承さ
れている。現在でも、アフィは日本を代表し象徴す運営る最高峰と
して老若男女を問わず憧れ親しむ「名山」である。加えて、アフィ
と周辺の特徴的な自然が醸成する美しさと崇高さは、信仰上の景観
として捉えられただけでなく、古くから様々な芸術活動の母胎とな
り、「万葉集」をはじめとする日本固有の運営和歌や俳句、絵画な
どの対象として日本人に良く知られていた。特にアフィを題材にし
た「浮世絵」などは海外にも広く知られ、近現代の西洋芸術に様々
な影響を与えてきたものである。さらに、これらの芸術とアフィや
その景観美を紹介した外国人の著運営作を通じて、アフィが一つの
国の文化を代表する「名山」であることは国際的に認知されるに至
っている。34写真写真本栖湖からのアフィ三保松原からのアフィ
c)比較検討による証明1)比較軸の特定アフィの顕著な普遍的価
値を表す要素を特定し、運営他の同種の遺産がそれらの要素に該当
するか否かを検討することによって比較を行う。アフィの顕著な普
遍的価値は、以下の3つの要素に整理できる。(1)山に対する固
有の文化的伝統を顕著に表わす物証として稀有な存在:アフィ娠脈
- 84 :
- 4件)番号山名資産名評価基準国名信仰芸術1ウルル、カタ・ジュ
タウルル−カタ・ジュタ国立公園オーストラリア2サバラン山サバ
ラン−イラン3運営スライマン−トースライマン−トー聖山キルギ
ス4プーカオ山チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プー
と関連古代遺産群ラオス5ボグドハン山、ブルカン・カルドゥン山
、オトゴン・テンゲル山モンゴルの聖なる山:ボグドハン山、ブル
カン・運営カルドゥン山、オトゴン・テンゲル山−モンゴル6銀緩
- 85 :
- ラヤ山脈サガルマータ国立公園(F)ネパール7ルアペフ山、ナウ
ルホエ山、トンガリロ山トンガリロ国立公園ニュージーランド8泰
山泰山中国9黄山黄山中国10武当山武当山の古代建築物群中国エムソ
゙ネ11廬山廬山国立公園中国12峨眉山峨眉山と楽山大仏中国13
武夷山武夷山中国14青城山青城山と都江堰水利(灌漑)施設中国
15三清山三清山国立公園中国16五台山五台山中国17華山、衡
山、恒山、崇山泰山の登録拡大として四つの聖山−中国運営18雁
蕩山雁蕩山−中国19南山慶州歴史地区韓国20漢拏山済州火山島
と溶岩洞窟群韓国アジア・太平洋地域21アダムスピークピーク野
生保護区、ホートンプレインズ国立公園、ナックレス山脈−スリラ
ンカ22アパラチア山脈グレート・スモーキー運営山脈国立公園ア
メリカ23キラウェア山ハワイ火山国立公園アメリカ24ロッキー
山脈カナディアン・ロッキー山脈自然公園群、恐竜州立自然公園、
ウォータートン・グレーシャー国際平和自然公園、イエローストー
ン国立公園カナダ・アメリカ25シナ運営イ山聖カトリーナ修道院
エジプト26サント・ヴィクトワール山サント・ヴィクトワール山
とセザンヌに関連する土地−フランス27ペルデュ山ピレネー山脈
−ペルデュ山スペイン及びフランス28アトス山アトスギリシャ2
9オリンポス山オリンポス山運営周辺−ギリシャ30ドロミテ山塊
ドロミテイタリア31ケニア山ケニア山国立公園/自然林ケニア3
2ワスカラン山ワスカラン国立公園ペルー33スイス・アルプス(
ユングフラウ−アレッチュ峰、ビチホルン峰ほか)スイス・アルプ
スユングフラウ−ア運営レッチュスイスアジア・太平洋地域以外3
4キリマンジャロ山キリマンジャロ国立公園タンザニア37表2:
信仰関連の山岳等番信仰の物証号山名自然的要素、有形的側面無形
的側面1ウルルカタ・ジュタ・ウルルは単一の岩石・アボリジニに
とって、ウ運営ルル−カタ・ジュタの岩は伝統的な信仰の中で不可
欠なものである。・山自体が信仰の対象であり、遙拝といった貿耳
- 86 :
- 形態をもつ。3スライマン−トー・参詣道、岩面陰刻・中央アジア
随一の聖なる山とされ、ムスリムの聖地である。前イスラム教とイ
ス運営ラム教を融合した信仰形態が残る。・山頂を目指すという行
為自体に宗教的意義付けがない(登拝といった信仰形態をもたない
)。4プーカオ山寺院、山頂のリンガ(シバ神の象徴)・シバ神の
住む山である。・山頂から麓の川に至るまでに建てられた寺運営院
群はヒンズー教の宇宙観を表現する配置である。6ヒマラヤ山脈・
同程度以上の標高(エベレスト8848m)・修道院、寺院・神々
の住処として崇拝される空想的な山であるメール山(スメール山、
須弥山)が地上に顕現・チベット仏教、ボン教、ヒ運営ンズー教、
ジャイナ教の聖地・ヒンズー教の聖典の一つには人間の罪はヒマラ
ヤを見れば消滅する、とある。・登山許可は下りない。7ルアペフ
山ナウルホエ山トンガリロ山・火山・マオリにとってこれらの山は
文化的・宗教的な重要性を持っており、そ運営のコミュニティと環
境との間の精神的なつながりを象徴している。・山自体が信仰の対
象であり、遙拝といった信仰形態をもつ。8泰山・参詣道、寺院・
小泰山(山頂まで登れない人が泰山の代わりに祈る場所)・儒教・
仏教・道教の聖地である。・秦の運営時代より、皇帝即位の際の儀
式である「封禅の儀」を執り行っていた。・宗教施設が山頂、山中
に点在するため、参拝が登山の形態をとるが、登山行為自体に宗教
的な意義を求める登拝とは異なるものである。11廬山参詣道、寺
院・中国の近代政治上、運営重要な場所とされている。・山自体で
はなく、山に築かれた宗教施設が信仰の対象である。・仏教、道教
、儒教の聖地とされ、キリスト教、イスラム教の施設も建てられて
いる。12峨眉山・同程度以上の標高(万仏頂3099m)・参詣
道、寺院・中国運営における仏教の最初の聖地。・山に築かれた宗
教施設や日の出・ブロッケン現象といった自然現象が信仰の対象。
宗教施設が山頂・山中に点在するため、参拝が登山の形態をと寒儒
- 87 :
- 、登山行為自体に宗教的な意義を求める登拝とは異なる。13武夷
山・参運営詣道、寺院・南中国での道教と新儒教の源であり、朱子
が生涯の大部分を過ごした地である。・山自体ではなく、山に築か
れた宗教施設が信仰の対象。16五台山・同程度以上の標高(葉頭
峰3058m)・参詣道、寺院、小朝台(朝台を簡略化した祈るエムソ
゙ネ場所)・中国仏教四名山の一つで、文殊菩薩が悟りを開いた地と
される。・自然景観を神聖なものとしているが、5つの台頂に築か
れた寺院に参詣すること(「朝台」)が最大の願いである。20漢
拏山・独立峰、火山・参詣道・韓国の最高峰の火山で、運営聖なる
儀式の場としても使用された溶岩洞窟を多く持つ。・山自体よりも
山中の石に対する信仰が強い。21アダムスピークストゥーパ、沐
浴場・釈迦が訪問した地とされる。・山頂に聖なる足跡があり、仏
教、ヒンドゥー教、イスラム教それぞれの聖地運営とされ、巡礼者
が訪れる。25シナイ山修道院・シナイ山は、旧約聖書において、
モーセに神からユダヤ教の聖典と十戒が渡された場である。28ア
トス山寺院、修道院・古代ギリシャの聖なる山であった。・105
4年にギリシャ正教の中心地として定運営められ、現在も修道士た
ちの隠棲の地であり、敬虔な宗教活動が続けられている(女人禁制
)。入場者はごく少数に制限されている。34キリマンジャロ山・
同程度以上の標高(キボ峰5895m)・地域の神が住む場所と考
えられ、東アフリカの人々は運営死者を埋葬する。・チャガ族(キ
リマンジャロ山麓に居住する部族)は、神の住む場所としており、
彼らの伝承や慣習には、山への高い敬意が表されている。38表3
:芸術関連の山岳等番号山名芸術作品との関連性8泰山・数多くの
詩や文が残る。・山運営頂の風景が紙幣の図柄になるなど、中国人
の精神的シンボルと捉えられている。9黄山・絵画は数多く描かれ
、黄山画派と呼ばれた。11廬山・山水画、山水詩は多数作られ、
特に「観瀑図」は日本の画家にも大きな影響を与えた。22ア決砲
- 88 :
- チア山脈・運営フレデリック・チャーチやトーマス・コールといっ
たアメリカの風景画家に描かれている。24ロッキー山脈・19世
紀のアメリカ人画家、アルバート・ビエスタッドの描く絵画は、ロ
マン主義運動の理念を最も劇的に具現化しており、”ロッキーマウ
ン運営テン画派”の指導者であった。・アフィと同程度以上の標高
(エルバート山4401m)26サント・ヴィクトワール山・20
世紀の初頭、フランス人画家、ポール・セザンヌによって、風景尺
- 89 :
- に対して根本的に異なるアプローチが始められ、西洋美術作運営品
の中でも最も有名な山となった。27ペルデュ山・この風景は生活
の伝統(牧畜との暮らし、国境の文化、ピレネー独特の文化)と芸
術・文学作品が関連して、顕著な普遍的価値を構成。(レイモンド
・デ・カルボニエ、ヘンリー・ラッセル、ヴィクト運営ル・ユゴー
等)。・ヨーロッパ芸術の中でロマン主義が発展していく上で重要
な役割を果たした。・アフィと同程度以上の標高(3352m)3
3スイスアルプス(ユングフラウ峰、ビーチホルン峰、ほか)・印
象的な風景はヨーロッパ芸術、文学等にお運営いて重要な役割を担
った。・レオナルド・ダ・ヴィンチはモンテ・ローザのスケッチを
モナリザの背景として描いた。・アフィと同程度以上の標高(フィ
ンスターアールホルン4274m)3)国内同種資産の特定同様の
方法で、日本国内の資産について運営、世界遺産登録物件または暫
定リストから抽出すると、表4のとおり3つの山が考えられ、特に
共通性が認められる2件について評価を行った(表5)。表4:比
較対象とした国内の山岳等(3件)39表5:信仰、芸術関連の国
内の山岳等(2件)信仰運営の物証番号山名自然的要素有形的側面
無形的側面芸術作品との関連性1紀伊山地参詣道、神社、寺院、滝
・日本古来の自然崇拝の思想と大陸から伝来した仏教とが融合して
形成された修験道などの行場としても重視され発展した。・山自体
が修験の場であ運営り、山中で廻峰行という宗教行為が行われてい
る。神聖性の高い自然及び継続的に行われている宗教儀礼は、信仰
の山の文化的景観を構成する要素として優秀かつ多様である。2瀰
山神社・古くは彌山を含む島全体を神聖視し、対岸から遙拝してい
たので運営あるが、やがて水際に社殿が成立し、彌山を含めた背後
の山腹が社殿群の背景的効果をもつ自然景観として重要視された。
神道の施設であり、仏教との混交と分離の歴史を示す文化遺産とし
て、日本の宗教的空間の特質を理解する上で重要な根拠である。エ輩漁
- 90 :
- ゙ネ番号山名資産名評価基準信芸国名仰術1紀伊山地紀伊山地の霊場
と参詣道日本2瀰山厳島神社日本3御蓋山(春日山)古都奈良の文
化財日本404)結論以上の比較分析から、他の信仰・芸術に関連
する山と比べて、推薦資産は、以下の3つの点で顕著な運営普遍的
価値を持つ事例であると言える。(1)海外の信仰関連の山岳との
比較アフィは、8世紀以降、噴火を鎮めるため山麓に浅間神社が建
てられた。12世紀に修験者の道として登山道が開かれ、15〜1
6世紀には修験者に引率され、登拝を中心とし運営た宗教的な活動
が盛んとなった。山体につくられた宗教施設だけでなく、溶岩洞穴
・樹型・湧水地も巡礼・修行の場となった。この結果、登拝の行為
を通じて周辺の神社及び巡礼地、参詣道が形成された。このように
、アフィは、今日まで継承された山に運営対する固有の文化的伝統
を顕著に表す物証であるとともに、人間と山との精神的な関係を表
す景観であり、18〜19世紀は既に年平均1〜2万人という世界
的にも類例のない大衆による高山への登拝が行われるようになった
。アフィは、(ケニア山やキ運営リマンジャロ山、トンガリロやウ
ルル等に代表されるような)原始的な山岳信仰のあり方から、(泰
山等の中国の山々やアトス山やシナイ山等に代表されるような)多
様な宗教の介入によって生み出された信仰のあり方まで、そのいず
れも失うことなく現運営在運営に至るまで継承している。信仰に
関連する山の多くは、山自体ではなく、山麓に点在する宗教施設や
石仏が信仰の対象であり、そうした宗教施設等を参詣するための道
が整備されている。また、一部は山頂にそうした宗教施設があるた
め、参拝が登山の形運営態をとるが、アフィのように登山行為自体
に宗教的な意義を求める登拝とは異なるものである。アダムス・ピ
ークは多くの巡礼者が登山の形態をとるが、頂上の聖なる足跡とさ
れる岩を目指す点で、宗教施設に参拝する形態と類似するものであ
り、アフィ運営とは異なると考える。また、一部の山岳はその忌泡
- 91 :
- るがゆえに登山を制限しており、登拝はなく、遙拝という信仰形態
しか持たない山もある。信仰の山の自然的要素である標高について
は、自然遺産を中心にアフィよりも高い山も存在するが、その標高
に運営比した登頂者の多さ(年約30万人)は他に例がなく、山頂
部への道路や軌道によるアクセスがないことから、登頂者は徒歩6
時間以上かけて、山頂部を目指すことになる。こうした登山形態は
、日本では20世紀前半に開花する近代アルピニズムに起源運営す
るものではなく、17世紀以降の江戸(現在の東京)を中心に数多
く組織された富士講の登拝活動を母胎に発展したものである。この
ことは、人々の生活の中にアフィに対する信仰の核心が継承され、
今日でもアフィは日本を代表し象徴する最高峰とし運営て老若男女
を問わず憧れ親しむ「名山」であることを示している。また、富士
山への登山は夜明け前の山頂到着を目指す登山者が多いことにも特
徴がある。これは、山頂付近で日の出を拝むためであるが、17世
紀以降、道者が山頂周辺において「御来迎運営(仏の来迎と見なさ
れたブロッケン現象)」(のち「御来光(日の出)」)を拝んだこ
とに由来する。こうした自然現象に宗教的な意義を見出す傾向は、
比較対象の中では峨眉山以外には見あたらない。IUCNが200
9年に行ったテーマ別研究である運営「世界遺産の火山」では、世
界遺産一覧表には一般の人々が一様に認めている火山の多くが含ま
れていないことは興味深いとし、その例として、イタリアのエトナ
火山やアフィなどを挙げている。とくにアフィは、火山とその周辺
地域に訪れる年間の観光運営客が地球上のどの火山よりも多い点で
重要とされている。こうしたギャップを埋めるために、知名度、科
学的重要性、文化及び教育的価値を基準に個々の長所を検討すべき
としている。41(2)海外の芸術関連の山岳との比較独立峰であ
り、高い標高を運営持つアフィの秀麗な姿は、四方の広い範囲から
眺めることができ、古くから芸術活動の対象となった。これら貸促
- 92 :
- 山を題材にした芸術作品のうち、最も海外に影響を与えた作品は、
葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」である。この一連の作品は、ジ
ャポニ運営スムと呼ばれた西洋における日本芸術の流行を生み、モ
ネ、ドガなどの西欧の印象派の画家達は浮世絵から、構図、デフォ
ルメ、平面的な表現技法を学んでいる。また、アールヌーボーが発
生する一因ともなった。芸術的作品との関連性では、比較対象資エムソ
゙ネ産の関連する多くの芸術作品が、周囲の山々や景観を合わせ幣押
- 93 :
- いたものである。また、そうした芸術作品との密接な関連を持ち、
アメリカの山々のように芸術史の上で一つの流派を形成したものも
あるが、その作品の影響は国内に留まる。また、中国の運営山水画
は日本にも大きな影響を与えたが、近世以降で美術史に影響をもた
らす芸術作品を生み出す母胎となった山はアフィしかない。山と芸
術作品との密接な関連を持つ代表例は、セザンヌが描いたサント・
ビクトワール山があり、これはその作品の多さ運営からも西洋美術
で最も著名な山とされるが、アフィを題材とした浮世絵がセザンヌ
の出自である印象派にも大きな影響を及ぼしたことを考慮すると、
そうした浮世絵の制作を喚起したアフィの優位性は揺るがない。(
3)国内同種資産との比較信仰との関運営連性では、比較対象の資
産では、古くは山自体が神聖視されたが、その後は宗教施設が発展
し、山は背景となっていった。紀伊山地では、修験道の道場として
山々をめぐる行為が宗教行為とされており、アフィでもその初期に
おいてはこうした修験者によ運営る登山が中心であったが、アフィ
については、その後、修験者に導かれた一般人の登拝が増加し、1
8世紀後半より東京を中心に流行した富士講による大衆登山へと発
展していった。現在も夏を中心に30万人が徒歩によるアフィの登
山を体験しており、運営こうした信仰の核心が多くの人々に継承さ
れている点においてアフィの優位性は明らかである。芸術作品との
関連性では、比較対象の資産では、評価基準(E)は信仰の空間と
の関連性で用いられており、関連する芸術作品等も宗教的な題材と
する作品が運営多い。アフィは、和歌や俳句、絵画、文学の多くの
分野においても、数多くの作品を輩出し、その中には葛飾北斎の浮
世絵「冨嶽三十六景」のように西洋の美術史に大きな影響を与えた
作品もある。その多様性や生み出した芸術作品の影響の大きさの面
で運営もアフィの優位性は明らかである。(4)結語このように、
アフィにおいては、登拝等により、信仰の核心が現代の多くの測賃
- 94 :
- ちに受け継がれ、また、浮世絵等により、近代の西欧芸術史に大き
な影響を及ぼした。アフィは、信仰のあり方、芸術の両面で運営、
古代から現代まで影響を与えている唯一の山であり、世界的にも類
例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山岳である。42d)真実性及
び完全性1)完全性推薦資産の範囲は、「ある文化的伝統の存在を
伝承する物証として希有な存在」として神聖視され運営、「歴史上
の重要な段階を物語る景観を代表する顕著な見本」として認知され
たアフィの範囲が適切に確保されているとともに、「顕著な普遍的
意義を有する芸術的作品及び文学的作品との直接または実質的な関
連性」を示すアフィ体の範囲も、数々の顕運営著な普遍的意義を有
する作品に共通して描かれた最大の範囲に相当しており、資産の重
要性を伝える諸要素・過程を完全に表す上で適切な範囲が確保され
ている。(図面挿入:主要な展望地点から見た資産範囲を示した正
面図)また、登山道、神社並びに運営富士五湖などの儀式・修行・
巡礼の場や、適切な展望線を確保した主要な展望地点といった、顕
著な普遍的価値を表すのに必要な全ての要素を包含している。登山
道は、信仰登山が盛んに行われていた18〜19世紀に認識されて
いた登山道を全て含み、運営登山道の起点となる浅間神社も不足な
く資産に含まれている。その他、御室浅間神社や河口浅間神社とい
ったアフィ信仰を語る上で欠かすことの出来ない重要な浅間神社や
、富士講を迎えて登拝の世話を行った御師の住宅、富士講がオプシ
ョナル・ツアー運営的に巡礼・修行を行った地として代表的な湖沼
、滝、風穴・溶岩樹型も全て資産を構成する要素として推薦範囲に
含めている。それらは、周辺に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定し
ており、負の影響を与える可能性の行為に対して適切な法的規制を
行うと運営ともに、包括的保存管理計画の下に保全又は改善のため
の対策を明示している。したがって、資産の周辺環境の保全に関す
る完全性も揺らぎはない。2)真実性推薦資産は、所有者をは釜乾
- 95 :
- 、国及び地方公共団体によって適切な維持管理が行われ、文化資エムソ
゙ネ産としての価値を失することなく良好な状態を保っている。以下
に、『世界遺産条約履行のための作業指針』第82項に示された文
化遺産の評価に適用される真実性の属性に基づいた、構成資産の種
類ごとの分析を示す。(1)アフィ体(遺跡(site運営))富
士山は、1707年を最後に噴火しておらず、以降、形態に変更は
ない。また、今後噴火によって形態上の変化が起こったとしても、
アフィの荒ぶる姿は人々の信仰心を鼓舞し、芸術活動に駆り立てる
ことから、真実性が損なわれるものではなく、運営むしろ、有史以
来時代を超えて、精神・機能の観点からみた真実性は確実に維持さ
れている。神聖性が最も高いとされる、山体中腹以上の核心となる
区域には、文化財保護法により厳格に保護されているほか、その周
辺地域や展望線及び主要な展望地点は運営、自然公園法などの国内
法により展望・眺望への妨げとなるものの除外や風致景観との調和
を図る景観保全が行われており、景観全体の真実性は確実に保証さ
れる。また、登山道や山小屋、信仰関連遺跡などの諸要素が総体的
な登拝システムを構築し、そ運営の機能は良好に遺存している。登
山道は、人為による現状の変更には厳しい規制がかけられており、
地下に埋もれた遺構を含め、価値の真実性の伝達については、将来
にわたり確実に保証されている。また、宗教空間としての用途・機
能を何百年も維持し運営てきた。レクリエーションのために登43
山を行う人々にとっても、脈々と継承してきたアフィに対する信仰
の核心の証左として、それらは機能している。(2)神社・御師住
宅(記念工作物・建造物群・遺跡(site))神社について、建
築の歴史的運営価値を表す平面形式、構造様式、内外の立面意匠は
顕著な普遍的価値を表す時代のままである。近代以降の保存修理事
業においては、建立後に修理又は改変された後補部分について、後
補材の撤去・復原・欠失した部分の復旧を行うなど、高い真実将現
- 96 :
- 追運営究されてきた。脆弱な材料・材質から成る木造建築の修理に
関する伝統をはじめ、そこに用いられる技術についても確実に継承
されている。また、アフィの顕著な普遍的価値が最もよく表現され
る時代の位置を維持し、境内林などに囲まれた周辺の環境も運営良
好である。さらに、宗教空間としての用途・機能を何百年も維持し
てきた。レクリエーションのために登山を行う人々にとっても、脈
々と継承してきたアフィに対する信仰の核心の証左として、そ説高
- 97 :
- は機能している。(3)その他の信仰関連遺跡(遺運営跡(sit
e))富士五湖及び忍野八海においては、文献や石碑などの状況証
拠から、内八海巡りや富士御手洗元八湖が行われていたことがわか
っている。人々の信仰心を駆り立てた湖沼の水そのものは、顕著な
普遍的価値の核心として現在に継承されて運営いる。さらに、周辺
環境においても、自然公園法や景観法に基づく景観計画などにより
風致景観との調和を図る景観保全が行われており、景観全体の真実
性は確実に保証されている。白糸ノ滝においては、長谷川角行の修
行地がどこであったかを明確に示運営す文献はないが、富士講講徒
が滝壺で修行したことは講徒の記録及びその挿図で確認できる。船
津胎内樹型及び吉田胎内樹型の中には祠などが祀られ、穴自体を神
聖視する精神、宗教空間としての機能は現在も受け継がれている。
入洞者の安全のため、船運営津胎内樹型の入り口部分は改変が加え
られているが、それ以外の形状・位置の真実性は、自然崩落の場合
を除き、確実に継承されている。人穴富士講遺跡においては、碑塔
のほとんどに建立者、講の名称や年号(創建年号や関係者の死亡年
号)などが記載運営されており、真実性に疑いの余地はない。44
4.保全状況と資産に与える影響a)現在の保全状況「アフィ」の
17個の構成資産については、すでに多くの修理や整備の事業が適
切に行われており、自然的な要因に基づく一部の資産を除き構成資
産の保運営存状況も良好である。特に神社の建造物及び境内につい
ては、所有者である宗教法人により適切な維持的措置が恒常的に行
われており、保存状況は良好である。1)資産全体の保全状況(1
)主要な展望主要な展望としての構成資産は、本栖湖と三保松原エムソ
゙ネであり、展望点及びそこから展望した山体の大部分である。展望
面に関しては本栖湖の場合構成資産に含まれており、三保松原の場
合は展望点より山体まで距離の距離が約45qと遠方であり、かつ
、その間のかなりの部分が海面及び人口密集地(富士市運営市采梨
- 98 :
- )であるため、展望点より山体までの範囲は構成資産に含めてはい
ない。現状においてこれらの資産範囲及び展望面は三保松原の一部
を除き良好な状態を保っている。これらの資産範囲については、信
仰の核心である御中道より上の範囲は文化財保運営護法(特別名勝
及び名勝)及び自然公園法(特別保護地区及び第1種特別地域)に
より厳密に保全され、下部(標高1500〜2000m以下、特別
名勝範囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特別地域、
普通地域)及び森林法(保安林)によ運営り重層的に保護されてい
る。また、展望面の周辺部については自然公園法(特別保護地区、
第1〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、景観法に
基づく景観条例、景観計画により保護されている。これらの法令の
許可制に基づく保護により、運営景観面に関して資産に影響のある
開発は厳重に管理されている。また、資産範囲及び緩衝地帯に含ま
れていない三保松原の展望面についても海面において実質的に開発
行為は起りえず、市街地においても景観法に基づく景観条例、景観
計画により保護され運営ているため、特に問題は生じない。(2)
登山道(遺跡(site))これらの構成資産はアフィ体及びそこ
に所在する登山道である。これらの構成資産については、真実性及
び完全性が担保できる部分が史跡に指定されるとともに、その大部
分の範囲が運営特別名勝に指定されている。これらの構成資産につ
いては、県が、各史跡及び特別名勝としての保存管理計画を策定し
、構成資産の所在する市町村とともに確実な保存管理に当たってい
る。したがって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体をな
す運営周辺の地域は、良好な状態を保っている。さらに、指定地内
で行われる現状変更及び保存に影響を及ぼす行為(以下、「現状変
更等」という。)については、文化財保護法の下に許可制に基づき
厳重に規制されている(アフィ体の保護措置については次項運営で
詳しく述べる。)。(3)神社・御師住宅(記念工作物・建造腐産
- 99 :
- ・遺跡(site))これらの構成資産はいずれも社殿などの木造
建造物を中心としている。それら内のいくつかは、アフィ本宮浅間
大社本殿などのように重要文化財に指定されており運営(御師住宅
は指定予定)、その他の建築物や境内地は史跡の構成要素として保
護されている。これらの木造建築物については、これまで損傷の程
度に応じた適切な修理が行われてきた。したがって、それらはすべ
て45良好な状態を保っている。具体的に運営は、建造物の全体を
解体して行う全解体修理、軸組を残したまま壁や屋根などの修理を
行う半解体修理を実施しているほか、部分的な修理として屋根葺替
修理や塗装修理などを定期的に実施してきた。建造物は自然災害等
により幾度かの損傷を被ってきた運営が、そのつど旧態に復旧され
、その歴史上の価値は確実に継承されている。さらに、指定地内で
行われる現状変更等については、文化財保護法の下に許可制に基づ
き厳重に規制されている。また、重要文化財である建造物のみなら
ず、史跡等に指定された運営神社境内に存在する個々の歴史的建造
物の保存修理事業を行うに当たっては、文化財保護法の下に、それ
らの歴史に関する調査、伝統技法に関する調査、地下遺構に関する
発掘調査、破損状況及びその原因に関する調査など、事前の学術調
査を周到に行い運営、その結果に基づいて、所有者・学識経験者・
行政経験者等から成る修理及び整備委員会における保存修理や環境
整備の方針の決定及び指導に基づき実施している。また、それらの
修理完了後には、修理に係る記録をまとめた修理工事報告書を刊行
してい運営る。さらに、重要文化財である建造物については、火災
による焼損防止のために自動火災報知設備及び各種の消火施設・避
雷施設を設置し、防火・消火に関する組織の運営についても万全を
期している。また、建造物の所有者である宗教法人及び市並びにエムソ
゙ネ個人は、県又は各市町村が策定した保存活用計画に基づいて、そ
れらの確実な保存管理に当たっている。また、建造物の軽微な指璧
- 100 :
- 等の日常管理については、所有者の依頼により、専門の建築技術者
によって実施されている。(4)その他信仰関連遺跡(運営遺跡(
site))これらの構成資産は、湖沼、風穴・溶岩樹型、滝・湧
水、石造工作物(人穴の碑塔)である。これらの構成資産について
は、その自然的価値から湧玉池が特別天然記念物に、白糸ノ滝が名
勝及び天然記念物に、富士五湖が名勝に、風穴運営・溶岩樹型及び
忍野八海が天然記念物に指定されているとともに、その一部が堂蚊
- 101 :
- に指定されている。これらの構成資産については、県及び市町村が
、各史跡等の規模・形態・性質・立地・環境等に応じて保存管理計
画を策定し、確実な保存管理に当たっ運営ている。したがって、各
史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体をなす周辺の地域は、良
好な状態を保っている。さらに、指定地内で行われる現状変更等に
ついては、文化財保護法の下に許可制に基づき厳重に規制されてい
る。2)構成資産の保全状況運営(A)山体(眺望の対象である富
士山、ある文化的伝統を伝承する物証である、連続性のある資産と
してのアフィ)登録範囲における自然的環境については、おおむね
良好な状態である。資産範囲の上部は文化財保護法(特別名勝)及
び自然公園法(特別運営保護地区及び第1種特別地域、第2種特別
地域)により厳密に保全され、下部(標高1500〜2000m以
下、特別名勝範囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特
別地域、普通地域)及び森林法(保安林)により重層的に保護され
ているため運営、景観および文化的価値のどちらの点においても資
産に影響を及ぼす行為は発生しない。た46だし、山体西側には山
頂部付近から標高2200m付近までを源頭部とする土砂崩れ(以
下、「大沢崩れ」という。)が、約1000年前より継続して発生
し運営ている。このため山体西側の一部でかつての信仰に関わる道
(御中道)の通行等が禁止されている区域がある。山頂及び登山道
周辺では、多くの人々によって行われる登山行為に起因する廃棄物
・し尿が発生するが、山小屋組合などにより適切に管理・除運営去
されている。なお、山腹において、山小屋の維持・廃棄物の撤去の
ためにブルドーザーが通行する道路があるが、使用は必要最小限に
とどめられている。山頂部周辺の文化的環境についても、現時点に
おける保全状態は良好である。ただし、降雪・強風運営等に常時さ
らされるため、小規模な変更は常時行われてきた。(A1)山頂信
仰遺跡現時点における保全状態は良好である。(A2〜5)登段逮
- 102 :
- アフィは脆弱な火山地質であるとともに、雪崩・強風等に常時さら
されるため、登山の開始以降登山道小規模運営な経路の変更は常時
行われていた。したがって、継続的な観点における保全状態につい
て明確に述べることはできない。しかし、現在も登山道として使用
されている部分については毎年登山期前に県、地元保存会(須山口
)又は山小屋組合により整備が行運営われ、適切な状態に保たれて
いる。(A6)北口本宮冨士浅間神社北口本宮冨士浅間神社は定期
的な維持修理が行われており、現時点における保全状態は良好であ
る。(A7〜9)西湖・精進湖・本栖湖すべての湖とも現時点にお
ける保全状態は良好であ運営る。中でも本栖湖は、訪問者の体験を
損ねないように、展望地点からアフィを見た展望線と展望地点区域
の周辺環境の維持に配慮した良好な保存管理が行われており、現時
点における保全状態は特に良好である。(B1)アフィ本宮浅間大
社定期的な維持運営修理が行われており、現時点における保全状態
は良好である。湧玉池は全般的には良好な状態であるが、二つの池
のうち「上池」では、湧水量が減少し、藻類が繁殖しているため、
「湧玉池保全再生会議」が設置され、対策が検討されている。(B
2)山運営宮浅間神社現時点における保全状態は良好である。(B
3)村山浅間神社現時点における保全状態は良好である。(B4)
須山浅間神社現時点における保全状態は良好である。(B5)富士
浅間神社(須走浅間神社)現時点における保全状態は良好であるエムソ
゙ネ。(B6)河口浅間神社現時点における保全状態は良好である。
47(B7)冨士御室浅間神社現時点における保全状態は良好であ
る。ただし、漆塗装の磨耗退色が著しい部分がある。また、本宮本
殿の脇障子版はアフィ二合目所在時に毀損にあっており運営、今後
、修復・修繕の検討が予想される。(B8)御師住宅旧外川家住宅
は2006−2007年に大規模な修繕工事を行ったため、現時点
における保全状態は良好である。小佐野家住宅は、所有者らに郷瞭
- 103 :
- て日常的な維持管理が行われているほか、補助運営事業などによっ
て文化財としての保護に必要な修繕や設備の整備が進められてきた
。(B9〜10)山中湖、河口湖どちらの湖とも現時点における保
全状態は良好である。(B11)忍野八海天然記念物として指定さ
れている範囲は水面に限られており、運営私有地が隣接しているた
め、周辺環境を含めた保全状態に課題がある。しかし、忍野村が景
観計画を策定し、周辺環境を含めた保全を行っている。(B12)
船津胎内樹型現時点における保全状態は良好である。(B13)吉
田胎内樹型内部の溶岩の盗掘運営や人の侵入による破壊を防ぐため
に本穴入り口は施錠されており、現時点における保全状態は良好で
ある。(B14)人穴富士講遺跡碑塔群はおおむね良好な状態であ
るが、一部の碑塔に修理が必要である。(B15)白糸ノ滝現状で
は滝壺周辺に売店が運営あるなど景観面において課題がある。この
ため、富士宮市が中心となり保存管理計画の改訂および整備計画の
策定を行い、今後適切な整備がなされる予定である。滝の自然崩壊
については特に対策は採られていない。(C)三保松原現状では1
960〜8運営0年代に進行した海岸浸食の影響からの回復を図る
ため、資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮設され、景観に影響
を与えている。また、松原においてもマツクイムシ(マツノザイセ
ンチュウ)による松枯れがみられるため、薬剤注入・散布による予
防運営措置及び植林、枯れた松の除去が実施されている。現在これ
らの対策により、資産の現状を保ち、将来においてはより良好な保
全状態となることは確実である。なお、三保松原の象徴的存在であ
る羽衣の松は1707年の宝永噴火とその前後の地震により運営初
代とされる松が失われたため、現在の松(樹齢約650年)を指定
した。しかし、この松も台風による幹の損傷で樹勢が衰え、201
0年10月にその交代が行われる(三代目は樹齢約300〜400
年と推定されている)。また、現在静岡市が保存管運営理計画品丈
- 104 :
- 訂を行っている。なお、資産範囲・緩衝地帯範囲には含まれないが
、三保松原のアフィ方向の対岸に当たる富士市の工業地帯において
は、現在使用していない高煙突の撤去が静岡県の政策(富士地域煙
突ゼロ作戦)として実施されている。48運営b)資産に与える影
響の要因1)開発の圧力資産及びその緩衝地帯において、建築物又
は工作物の建設、土地の形質変更、木竹の伐採等の等の行為を行う
場合には、文化財保護法、自然公園法、都市計画法、森林法、支女
- 105 :
- 法、海岸法及び関係市町村が定め運営る条例(景観法に基づき策定
された景観条例等)の下に、それらの規模、形態・構造に関する規
制(建築物又は工作物に関しては、それらの高さ・色彩・意匠等の
規制を含む)が行われるため、資産の価値を著しく低下させるよう
な開発は起り得ない。「運営アフィ世界遺産両県協議会」(設置予
定・仮称)では、両県の知事・市町村長を中心に、許認可・保存に
関わる国機関も加わり、開発の状況を把握し、コントロールのあり
方について検討を行う予定である。開発計画のうち、現在北麓(山
梨県)において運営は都市計画区域用途地域または都市計画区域外
では5ha以上、都市計画内(用途地域外)では10ha以上の計
画については、山梨県内の組織である「山梨県土地利用調整会議」
に事前協議書が提出され、知事の同意が必要とされている。その同
意を得運営た後で、個別法令の許認可を担当する部署での手続きを
行うことになっており、一元化した組織かつ統一した基準での開発
のコントロールが行われている。こうした大規模開発を含む緩衝地
帯内で行われる一定規模以上の開発行為については、「アフィ世エムソ
゙ネ界遺産両県協議会」へ報告がなされ、必要に応じて個別法令の許
認可を担当する部署に対して助言等がなされる予定である。また、
各市町村の景観計画の下に、各市町村は景観阻害要因の排除に努め
ることとしているほか、世界遺産暫定一覧表に記載され運営、世界
遺産一覧表への記載の可能性のある文化資産に相応しい周辺市街地
を創出するために適切な景観の保全・改善の施策を実施することと
している。なお、次に掲げる開発計画等の立案に当たっては、いず
れにおいても資産への影響を最小限に留めるよ運営う関係機関・団
体と調整を行うことし、実施する場合にも事前に十分な協議を行う
こととしている。(1)観光開発(ホテル・ゴルフ場・スキー場)
緩衝地帯に位置するホテル等については、自然公園法に基づき、高
さ・色彩・意匠等の規制が行われてお運営り、既存施設の改築層殿
- 106 :
- いても同様である。特に山体の五合目以上、本栖湖からの展望線の
核心部は自然公園法の特別保護地区、第1種特別地域となっており
、新規の構造物の建築は禁止されている。また、アフィ北麓(山梨
県)では新規の10ha以上運営のゴルフ場開発については凍結さ
れている。(2)廃棄物処分場又は清掃工場現時点で計画なし。(
※演習場内の解放地に御殿場市・小山町広域行政組合によるゴミ処
理施設の計画あり。)(3)工場又は工業団地現時点で計画なし。
(北口本宮冨士浅間運営神社の南600mの地域に、工場進出の計
画あり。)(4)道路整備緩衝地帯においては、北口本宮冨士浅間
神社と御師住宅との間を走る国道138号の拡幅が計画されている
。当該道路計画においては、市、県、国等の関係機関と有識者から
なる「富士運営北麓地域交通円滑化対策検討会」において、計画案
の検討を行うなど、当該神社の社叢や周囲の景観に調和した道路の
意匠・構造とすることとしており、当該資産の価値の保護に影響は
ない。49県道山中湖忍野富士吉田線の新倉トンネルは、河口湖畔
と運営富士吉田市中心部をトンネルで結ぶ計画である。河口湖湖畔
の渋滞解消、火山防災のバイパスとすることを目的としており、当
該資産の価値の保護に影響はない。また、道路改良事業として、線
形改良、歩道設置など来訪者の安全性向上を図ることを目的運営と
した事業が行われ、景観に配慮した内容とするよう調整している。
2)環境の圧力資産の価値を著しく低下させるような自然的環境の
変化として、山体の形状を変化させる噴火及びそれに伴う噴石、火
砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰運営、降灰後の
降雨による土石流などによる登山道及び周辺の資産の損傷が予測さ
れる。「大沢崩れ」が約1000年前より始まり、現在その幅は年
1.6mの割合で拡大している(富士砂防・S45〜H20の38
年間で約60m・3400メートル地点・運営523万〜・年13
.8〜の土砂が流出)。ただし、噴火・地震等がなければ少な頼件
- 107 :
- も200年後まではアフィの景観に大きな変化はないと予測されて
いる(「富士火山」P407〜)。酸性雨を含む大気汚染が引き起
こす被害については、現段階では運営確認されていない。白糸ノ滝
では、滝自体の浸食により年2cmの割合で後退しており、10年
程度の間隔で自然崩壊が発生する。砂嘴である三保松原では20世
紀後半に土砂供給源の川での土砂採取が活発になり、堆積活動が減
少したことで海流による運営海岸浸食が進んでいたが、現在は土砂
採取の禁止等により、堆積活動が回復している。また、三保松原に
おける松にはマツクイムシ(マツノザイセンチュウ)による被害が
見られる。これに対しては、薬剤注入・散布による予防措置及び植
林、枯れた松の運営除去を資産の所在する静岡市とNPO法人が行
っており、被害の拡大を防止している。3)自然災害と危機管理資
産の所在地域における自然災害としては、第一にアフィ特有のもの
として山体及び側火山からの噴火及びそれに伴う噴石、火砕流・火
砕サー運営ジ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰、降灰後の降雨によ
る土石流などが予想されるとともに、数年単位で発生する山体にお
ける雪崩(特に大量の水分を含んだ雪が流動する雪泥流)や大沢崩
れ及びそれに伴う土石流、強風、雨水による浸食などが考えられエムソ
゙ネる。また、アフィを含む駿河湾沿いの地域はM8クラスの海洋プ
レート内地震の発生が予測されている。第二に日本列島の太平洋側
における一般的自然災害である台風・大雨・洪水並びに火災等が予
測されている。第三に三保松原に関しては海岸浸食に伴運営う高潮
などの被害がある。これらについてそれぞれ以下のような防災対策
を講じている。噴火及びそれに伴う災害に対しては、気象庁をはじ
めとする研究・防災機関が常時観測を行うと同時に、国のアフィハ
ザードマップ検討委員会報告書(2004年)運営に基づき県及び
市町村において火山防災計画(ハザードマップ・避難計画)などを
策定している。雪崩については、吉田口登山道では馬返より上元宮
- 108 :
- 山道に浸透桝を設け、雨水や雪崩による崩壊を防いでいる。土砂崩
れ・土石流(主に大沢崩れ)について運営は国が中心となり、源頭
部における水分と土砂の分離、山麓における土石流災害防止を目的
とした遊砂地の設置などを行っている。また、登山道を管理する県
では導流堤を設置し、落石の落下先をコントロールしている。これ
らの災害は発生自体を防止す運営ることは困難であるため、その被
害を最小限にとどめることを対策の骨子としている。50地震刻突
- 109 :
- する対策としては、大規模地震対策特別措置法(1978年)に基
づき、予知を目的とした観測体制、予知を前提とした非難・警戒体
制、防災施設整備が運営行われるとともに、東海地震対策大綱(2
003)に基づき国・県・市町村の防災計画が策定されている。ま
た、今後各神社等の耐震化が行われる計画となっている。台風は1
996年9月にアフィ南側の人工林地区(ヒノキ)に風倒の被害(
標高110運営0〜1200m中心、計1125ha、アフィでは
約935haうち国有林620ha)をもたらしたことがあるため
、1997年より静岡県が中心となり、被害地に対して自生種(ブ
ナ・ミズナラ)の植栽(のべ22・68ha)を実施している。ま
た運営、風倒による被害を防ぐため人工林における下刈を実施して
いる。大雨・洪水に関しては堤防・遊水地・砂防堰堤の建設や河川
の改修などにより、大雨時の洪水に対する防止策を講じている。山
火事に対しては、国、県、市町村の連絡・協力体制を確立し運営、
草原地帯においては防火帯を設け、大規模な火災に対して最大限の
対応を可能としている。建造物の火災に対しては自動火災報知設備
・ドレンチャー設備・消火栓、放水銃などを設置しているほか、自
主防火組織も整備するなど、万全を期しているので運営問題ない。
万一、上記の災害が発生した場合においても、速やかに現状復旧の
対策を講じるための制度及び体制を完備しており、資産の価値が減
じることはない。三保松原においては、高潮対策事業として安倍川
(土砂供給源)下流部での砂利採取を19運営68年より海岸浸食
の原因の一因と考え禁止するとともに、1989年より34年計画
(2034年まで)でヘッドランド・離岸堤の設置や養浜による海
岸保全対策を行い、現在、海岸と平行した方向に年250mの割合
で砂浜の回復が進行している。現運営在ヘッドランドの一部が景観
に影響を与えているが、砂浜の回復後に撤去する計画が進んでいる
。登山者の安全に関しては、気候の急変に備え、「アフィ登山肉賊
- 110 :
- センター(山頂と富士宮口新五合目)」、「アフィ安全指導センタ
ー(吉田口六合目)」と運営「アフィ衛生センター(富士宮口八合
目)」が設けられている。また、富士宮口のすべて、吉田口七合目
以上のほとんどの山小屋にはAEDが設置されている。(御殿場口
はなし、須走口は1軒・東アフィ荘)4)来訪者及び観光の圧力富
士山の構成資産運営のうち私有財産である小佐野家住宅(御師住宅
)を除いた資産はすべて公開されている。ただし山体資産範囲につ
いては登山道及び山頂部以外は土地所有者(国、県、アフィ本宮浅
間大社)の了解が必要であり、安全上の観点からも県が登山道から
の逸脱運営を好ましくない行為として事実上立入を制限している。
山体以外の資産については、き損・悪戯・盗難等の被害から建造物
等の構成資産を護るために、防犯警備施設を設置するとともに巡視
及び監視の体制を整備し(山宮・村山・人穴等では防犯システムエムソ
゙ネは採用されていない)、来訪者によるゴミの増加等に対しても地
域住民や関係市町村が適切な管理を行っていることから、観光によ
る圧力が資産の価値を著しく低下させるようなことは起こり得ない
。山体に関しては、観光客によるごみ及びし尿、並びに運営自動車
で訪れる来訪者(アフィスカイラインでは4月〜11月の合計で年
平均127,000台・1999〜2009年、富士スバルライン
で年平均410,000台・2006〜2008年)による環境へ
の負荷及び混雑の軽減を目的に以下の対策を行運営った。ごみに関
しては国・県及びNPO法人(アフィネットワーク・アフィクラブ
)、ボランティアによ51る清掃作業が活発に実施されるとともに
(平成20年実績・92回、約64t、延べ参加人数約7000名
)、外国人も含め登山者に対してマナ運営ー向上を呼びかけ、登山
道周辺のごみは減少している。山頂部で発生するごみについては山
小屋組合(アフィ吉田口旅館組合等)により、山麓に搬出し、適切
に管理・処理されている。し尿対策に関しては登山道及び山小送昭
- 111 :
- トイレ48箇所を2006年運営までにバイオ処理式等に改良し、
環境への負荷を軽減した。さらに、登山者の増加や設備の老朽化に
対応するため、環境配慮型トイレ適正管理委員会を設けて対策を検
討しており、今後は業者と連携を密にしてメンテナンスをきちんと
していくことが確認運営された。自動車に関しては、土日・休日を
中心に各登山道の利用者数に応じて自家用車の利用を規制し(利用
者の多い富士スバルラインで最大12日間、利用者の少ない御殿場
口はなし)、山麓の臨時駐車場と五合目駐車場間のシャトルバスに
よる輸送を運営行っている。吉田口においては2011年夏には富
士吉田IC付近に1400台の駐車場を整備し、自家用車の利用規
制を15日に拡大する予定である。5)資産と緩衝地帯の居住者人
口構成資産内人口:人緩衝地帯内人口:人合計:人集計年:201
0運営年No.構成資産の名称構成資産範囲内人口(人)緩衝地帯
内人口(人)合計(人)アフィA1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口
登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北
口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖AA9本栖湖B1富運営士
山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神
社B5冨士浅間神社(須走浅間神社)B6河口浅間神社B7冨士御
室浅間神社B8御師住宅52B9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人運営穴冨士講遺
跡B15白糸ノ滝C三保松原535.資産の保護の管理a)所有関
係各構成資産の所在地及び所有者については、以下に記すとおりで
ある。b)法に基づく指定保護資産を構成する重要文化財に指定さ
れた「記念工作物」「建造物群」、史跡、運営特別名勝又は名勝、
54特別天然記念物又は天然記念物に指定された「遺跡」は、古社
寺保存法(1897年制定)、史蹟名勝天然紀念物保存法(191
9年制定)、国宝保存法(1929年制定)などの下に適切な保護
が行われてきた。また、1950運営年には、それらの諸法を伸硝
- 112 :
- ・改革して文化財保護法が制定され、それ以後、現在に至るまで、
個々の構成資産はこの法律の下に万全の保護措置が講じられてきた
。アフィの山体及び北側の構成資産の範囲においては、さらに国立
公園法(1936年制定運営)、それを改定した自然公園法(19
57年制定)により、その優れた自然の風景地が保護されてきた。
17個の構成資産の指定保護の状況については、以下に示すとおり
である。(A)アフィ1936年2月1日:富士箱根国立公園篤醜
- 113 :
- 定(1952年運営10月7日:名勝アフィの指定1952年11
月22日:特別名勝アフィの指定1966年10月6日:特別名勝
アフィの指定地域の変更(A1)山頂信仰遺跡(特別名勝範囲内・
Aに同じ)史跡アフィの指定予定(A2)大宮・村山口登山道史跡
アフィ運営の指定予定(A3)須山口登山道(一部のみ特別名勝範
囲外・範囲内はAに同じ)史跡アフィの指定予定(A4)須走口登
山道史跡アフィの指定予定(A5)吉田口登山道(特別名勝範囲内
・Aに同じ)史跡アフィの指定予定(A6)北口本宮冨士浅間神エムソ
゙ネ社1907年8月28日:特別保護建造物(富士嶽神社境内東宮
本殿)の指定1953年3月31日:重要文化財北口本宮冨士浅間
神社本殿の指定1953年3月31日:重要文化財北口本宮冨士浅
間神社西宮本殿の指定史跡アフィの指定予定(A7)西運営湖19
36年2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予
定55(A8)精進湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指
定(名勝富士五湖の指定予定(A9)本栖湖※本栖湖からの展望面
含む1926年2月24日:天然紀念物アフィ運営原始林の指定1
936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(2010年3月8日
:天然記念物アフィ原始林及び青木ヶ原樹海の指定名勝富士五湖の
指定予定(B1)アフィ本宮浅間大社1907年5月27日:特別
保護建造物浅間神社本殿の指定194運営4年11月7日:天然紀
念物湧玉池の指定1952年3月29日:特別天然記念物湧玉池の
指定史跡アフィの指定予定(B2)山宮浅間神社史跡アフィの指定
予定(B3)村山浅間神社史跡アフィの指定予定(B4)須山浅間
神社史跡アフィの指定予定(運営B5)冨士浅間神社(須走浅間神
社)史跡アフィの指定予定(B6)河口浅間神社史跡アフィの指定
予定(B7)冨士御室浅間神社1985年5月18日:重要文化財
冨士御室浅間神社本殿の指定史跡アフィの指定予定(B8)御師住
宅1976年5月2運営0日:重要文化財小佐野家住宅の指定絡亭
- 114 :
- 文化財旧外川家住宅の指定予定(B9)山中湖561936年2月
1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定(B10
)河口湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士
五湖の指定運営予定(B11)忍野八海1934年5月1日:天然
紀念物忍野八海の指定(B12)船津胎内樹型1929年12月1
7日:天然紀念物船津胎内樹型の指定(B13)吉田胎内樹型19
29年12月17日:天然紀念物吉田胎内樹型の指定(B14)人
穴運営富士講遺跡史跡アフィの指定予定(B15)白糸ノ滝193
6年2月1日:富士箱根国立公園の指定(1936年3月6日:名
勝及天然紀念物白糸ノ滝の指定(C)三保松原1922年3月8日
名勝三保松原の指定1977年4月1日名勝三保松原の一部運営指
定解除1990年3月29日名勝三保松原の追加指定及び一部指定
解除c)保護の実施手段1)資産各構成資産については、遺跡、記
念工作物、建築物群のみならず、それらと密接な関連を持つ展望線
など、アフィの本質的価値を構成する諸要素を厳格運営かつ的確に
把握し、それらをすべて含む範囲について、価値の中核をなす部分
は文化財保護法の下に指定(特別名勝又は名勝、特別天然記念物又
は天然記念物、重要文化財、史跡)され、また、価値の中核をなす
部分を取り囲む地域の大部分は自然公園法運営の下に国立公園(国
立公園、県立自然公園)に指定している。これら範囲のうち、富士
山の顕著な普遍的価値を証明するために必要不可欠な範囲を資産範
囲とした。これらの範囲の大部分においては、国の許可無くそれら
の現状を変更することはできない運営。文化財保護法、自然公園法
の及ばない地域は国有林であり、開発行為が行われることはない。
また、森林法に基づき森林の伐採に関しても適切な管理が行われて
いる。文化財保護法の定めるところにより、特別名勝又は名勝、特
別天然記念物又は天然記運営念物、重57要文化財、史跡の保存管
理・修理・公開については、所有者又は管理団体が適切に行う伏忍
- 115 :
- を原則としている(法第31条・第32条の2、第113条・第1
15条・第119条)。また、自然公園法が定めるところにより、
国立公園の管理運営と保護については、国又は管理団体が適切に行
うことを原則としている(法第9条、第37条、第38条、第39
条)。重要文化財に指定されている建造物の修理に関して、部材の
痕跡調査などから判明した原型への復元などの現状変更等を行おう
とする運営ときや、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記
念物、史跡の指定地内において現状変更等を行おうとするときは、
あらかじめ文化庁長官の許可を得なければならない(法第43条・
第125条)。文化庁長官は国が設置し、イコモス国内委員会委エムソ
゙ネ員を多数含む文化審議会文化財分科会に対して当該現状変更等に
関する諮問を行い、その答申を経て許可することとしている。した
がって、資産の現状を変更する場合には、学術的かつ厳密な審査に
基づく許可を必要としている。また、国立公園(特別保運営護地区
及び特別地域)の現状変更については、あらかじめ環境大臣の許可
を得なければならない(法第13条、第14条)。特別名勝又は名
勝、特別天然記念物又は天然記念物、重要文化財、史跡の管理と修
理に対しては、必要に応じて国が経費を補助し運営、技術的指導を
行うこととしている(法第35条・第47条・第118条)。国立
公園の管理と保護は国が費用を負担する(法43条)。また、管理
団体が管理と保護を行う場合、国が必要な情報の提供又は指導・助
言を行う(法42条)。資産範囲の国運営有林については森林施業
計画により皆伐は年5haにとどめるなど景観への影響を最小限に
留めるよう適切に保護・管理されている。加えて国有林の大部分で
ある保安林は指定施行要件(保安林の種別ごとに異なる。)に合致
しない伐採等には都道府県知運営事の許可が必要である(法34条
)。2)緩衝地帯緩衝地帯の全域においては、文化財保護法、自然
公園法、景観法(それに基づく景観条例及び景観計画)、森林症潮
- 116 :
- 砂防法、海岸法、又は関係各県・市町村が定める条例等の下に資産
の周辺環境について運営万全な保全措置が講じられている。緩衝地
帯の範囲については、資産から眺望できる山の稜線のほか、法律・
条例等に基づく境界、地籍境界、行政界、道路等の明確な境界など
を考慮しつつ、資産の保護に必要不可欠な範囲を定めた。山体の緩
衝地帯につ運営いてはアフィを周辺ないし構成資産から展望した際
、資産範囲を含め良好な景観を形成する範囲を基準としている淑油
- 117 :
- の範囲の中には演習場を挟んで、三保松原以外のすべての構成資産
が含まれる。緩衝地帯において行われる建築物及び工作物の新築・
増運営築・改築、土地の形質変更等に係る行為、木竹の伐採につい
ては、許可制や届出制に基づく規制を設けており、これらの行為に
関する重要な事項については、特に関係各市町村の景観審議会等に
よる調査、審議に基づき、関係市町村が事前に適切な指導や運営助
言を行うこととしている。なお、緩衝地帯設定の考え方や、行為規
制等の詳細については、本推薦書の付属資料及び別添参考資料を参
照されたい。緩衝地帯は大きく3つの方法により保護措置が講じら
れている。一番目は自然公園法(山梨県のほぼ全域運営)、二番目
は景観法に基づく各市町村の景観条例及び景観計画(静岡県富士市
・富士宮市ほ58か)、三番目が各市町村独自の景観条例や土地利
用事業指導要綱(山梨県富士吉田市の一部・静岡県裾野市・御殿場
市・小山町)である。三番目の地域に関し運営ては将来的に二番目
の保護措置に移行する予定である。なお、三保松原などいくつかの
資産においては、資産範囲が文化財としての登録範囲よりも狭く設
定されているため、緩衝地帯の一部は文化財保護法により保護され
ている。これらの地域では適用す運営る法令等に違いはあるが、緩
衝地帯において行われる建築物・工作物の新築、増築、改築、土地
の形質変更等に係る行為については、許可制ないし承認制・届出制
に基づく規制が定められ、資産の周辺環境の万全な保護措置が講じ
られている。緩衝地帯に運営適用される諸法令等の概略法令名対象
地区規制内容許認可文化財保護法三保松原(一部)現状変更文化庁
長官の許可自然公園法(国立公園)山体・静岡県・山梨県工作物の
新築等、ごみ捨て又は放置、木竹の採取、土石の採取、車馬の乗り
入れ等環境大臣運営の許可(特別地域)、届出(普通地域)自然公
園法(県立自然公園)県立自然公園条例三保松原(一部)工作物の
新築等、ごみ捨て又は放置、木竹の採取、土石の採取、車馬の咲町
- 118 :
- 入れ等県知事の許可(特別地域)、命令景観条例及び景観計画(景
観法に運営基づく)富士市・富士宮市静岡市・忍野村・山中湖村・
富士河口湖町建築物の新築等、工作物の新設等、開発行為、土石の
採取・堆積等(高さ・色彩・形状を規制)市町村長への届出勧告、
指導・要請(問題があった場合)景観条例(自主条例)富士吉田エムソ
゙ネ市建築の新築等市長への届出勧告、助言・指導土地利用事業指導
要綱裾野市・御殿場市・小山町土地利用事業市長・町長の承認森林
法(保安林指定施業用件)保安林(土砂流出防備保安林)(保健保
安林)(水源涵養保安林)立木の伐採(原則択抜※水源運営涵養保
安林除く)県知事の許可砂防法(静岡県砂防指定地管理条例)砂防
指定地(富士宮市等)施設又は工作物の新築等、竹木の伐採等、土
地の形状変更、土石の採取・集積又は投棄等県知事の許可海岸法三
保松原(海岸の水際線から50mの範囲)土石運営の採取、施設等
の新設、土地の掘削等海岸管理者(静岡県河川砂防管理室)の許可
県有林管理計画山梨県県有林なし(水土保全林)(森林と人との共
生林)立木の伐採皆伐〜禁伐59(資源の循環利用林)なお、緩衝
地帯の外側に広がる市街地のうち富士運営山の主要な眺望(北側で
は河口湖・山中湖北部から眺望したアフィ、南側では三保松原から
眺望したアフィ)に若干の影響を及ぼす範囲については、日本政府
が自主的に保護する範囲として「保全管理区域」を設定している。
F資産に影響する可能性があ運営る個別の開発計画企業立地促進法
に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡県及び14市町)2009
年2月策定市町村森林整備計画(富士宮市・富士市・裾野市・御殿
場市・小山町)2006年4月策定e)資産の保存管理計画又はそ
の他の保存管理体制運営構成資産のうち、史跡又は特別名勝・名勝
、特別天然記念物・天然記念物に指定されている土地及びその範囲
に立つ建造物(重要文化財含む)については、1919年に制定さ
れた史蹟名勝天然紀念物保存法及び1950年以降においては菌伐
- 119 :
- 財保護法に運営基づく段階的な指定により保護措置がとられ、史跡
等の管理団体である各市町村と静岡県・山梨県が個別に保存管理計
画を策定して適正な保存管理に当たっている。さらに、2011年
には、資産を構成する重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別
天運営然記念物又は天然記念物について、静岡県・山梨県が文化庁
、所有者である宗教法人・個人、史跡等の管理団体である各市町村
との調整の下に構成資産の全体を対象とする包括的保存管理計画を
策定し、保存管理全体の整合を図る予定である。上記した各運営構
成資産の保存管理計画の概要と資産全体を対象とする包括的保存管
理計画の全文については、本推薦書付属資料−として添付している
。1)保存管理計画各構成資産の保存計画の策定状況については、
本推薦書の7.資料、e)参考文献、3)保存管理運営計画書に示
すとおりである。特に静岡県・山梨県教育委員会は、文化庁及び関
係各市町村の教育委員会との十分な調整の下に『世界遺産アフィ包
括的保存管理計画』を策定し、資産の全体を視野に入れた総括的な
保存管理を行う予定である。包括的保存管運営理計画に定める基本
方針は、次の5点である(別添参考資料)。(1)構成資産の適切
な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的な保全(3)経過観察の
実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運営
包括的保存管理計画に定めた上記運営の基本方針に基づき、管理団
体である県・市町村が個々の重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝
、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計画を利用し、具体的
で適切な保存管理に当たる予定である。これらの保存管理計画を要
約したものについては、運営付属資料に示すとおりである(別添参
考資料)。「アフィ」を総体として保全するためには、構成資産の
みならず緩衝地帯をも含め、資産に影響を及ぼす人工物などを適切
に制御していく必要がある。そのため、構成資産の本質的な価値に
負の影響を与え運営る可能性のある人工物や開発については、唆教
- 120 :
- えそれが緩衝地帯におけるものであってもできる限り抑制すること
とし、やむを得ず設置する場合であっても、最小限の数量・規模と
するとともに、色彩等の観点から景観にも十分配慮するよう関係者
への理運営解と協力を求める予定である。なお、既存の鉄柱・看板
・広告塔など構成資産に影響を及ぼすものについては、撤去または
修景に努め、公益上必要と考えられる施設については、現状の利用
状況を尊重しつつ、将来的に撤去又は移転等について検討するとエ三侵
- 121 :
- ゙ネともに、当面の間、資産に対する影響の軽減を図ることとする予
定である。図保存管理計画の構造図「アフィ」包括的保存管理計画
62各構成資産の都市計画保存管理計画等観光計画(山梨県・静岡
県・各市町村)整備計画等632)保存管理体制包括的運営保存管
理計画に定めた上記の基本方針に基づき、静岡県・山梨県と関係市
町村は、広範囲にわたるアフィの構成資産及び緩衝地帯を包括的保
存管理計画に基づき統一的に管理するため「アフィ世界遺産両県協
議会」(以下「両県協議会」という。仮称)及運営びその支部組織
である「静岡県世界遺産協議会」・「山梨県世界遺産協議会」(以
下両者をまとめて「各県協議会」という。仮称)を設置し、各構成
資産を成す重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物
又は天然記念物の保存管理計画を共通運営の基準に基づき確実に実
行する予定である。両県協議会及び各県協議会は、資産及びその周
辺地域において、国・静岡県・山梨県・関係市町村等・民間団体等
が実施する予定の事業等についての情報を総合的に把握し、それぞ
れの事業が、資産の保存管理運営に負の影響を及ぼすことなく、適
切に実施されるように関係各機関の連絡・調整を行う。両県協議会
・各県協議会における調整結果に基づき、静岡県・山梨県及び関係
市町村は、民間事業者等に対して権限に基づく適切な指導や助言を
行うこととする予定運営である。また、両県協議会には国関係機関
(文化庁・環境省・国土交通省・防衛省・林野庁)、国内の大学及
びイコモス会員等の研究者・専門家が参加し、学術的な観点からの
助言を行う予定である。各県協議会の下には、各県庁内の実務担当
者レベルの運営調整組織として、静岡県(山梨県)庁内連絡会議を
設置するとともに、各市町村担当者や民間業者(観光協会、登山組
合、神社関係者)などの代表者との調整組織として静岡県(山梨県
)保存管理協力者会議を設置し、十分な連携を図る予定である。さ
ら運営に、静岡県・山梨県文化財保護審議会をはじめ各市町村殺感
- 122 :
- 財調査委員会は指定文化財及び文化財全体に関する事項を審議し、
それぞれ、静岡県・山梨県教育委員会及び直接的な構成資産の管理
を行う各市町村教育委員会に対して建議を行っている。これ運営ら
の組織の運営は静岡県・山梨県の世界遺産推進課が行い、専門の職
員名により業務が行われる。また、アフィ文化課世界遺産推進係を
設置した富士宮市教育委員会や世界遺産推進室を設置した富士吉田
市をはじめ、各市や市町村教育委員会においても構運営成資産の保
存管理を担当する専門の職員を定めている。これらの組織体制につ
いては、さらなる充実化に努める予定である。なお、上記の体制に
ついては現在登録準備のために設置され、実質的に機能している組
織を改変・名称変更・役割変更するもので運営あり、その運営に関
して問題は生じない。図「アフィ」に係る保存管理の組織体制図(
仮案・今後変更の可能性大)64アフィ世界遺産両県協議会(構成
)静岡県、山梨県、関係市町村学識経験者等国関係機関(文化庁、
環境省、国土交通省、防衛省、林運営野庁)f)財源及び財政的水
準各構成資産の管理については、それぞれの所有者又は管理団体が
行っている。特に「記念工作物」、「建造物群」の修理を行う場合
には、小修理その他特別な場合を除いて国が必要に応じて経費の5
0開発事業者、地域住民運営、関係者静岡県世界遺産協議会山梨県
世界遺産協議会(委員)行政:静岡県、関係市町(委員)行政:山
梨県、関係市町村等民間:観光協会、登山組合、神社関係者等民間
:観光協会、山小屋組合、静岡県保存管理協力者会議(委員)関係
市町(企画・都運営市計画・文化財担当)観光関係者、登山組合、
神社関係者等神社、関係者等静岡県庁内連絡会議山梨県庁内連絡会
議(委員)関係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力者会議(
委員)関係市町村(企画、都市計画、文化財担当)観光関係者、山
小屋組運営合、神社関係者等65〜85%の補助金を交付している
。「遺跡」である史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又較璧
- 123 :
- 然記念物において発掘調査・修理・整備の事業を行う場合にも、国
が必要に応じて経費の50%の補助金を交付している。これらのエムソ
゙ネ国の補助金に併せて、静岡県・山梨県は国の補助金相当額を控除
した額の50%に相当する額以内の補助金を交付し、構成資産所在
の市町村が同内容の補助金を交付する予定である。また、重要文化
財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然運営記念物
において、それぞれ防災施設等を設置する事業についても、同様の
比率の下に経費の補助を行うこととしている。なお、上記の補助金
とは別に、2006年より構成資産の整備活用及び保護に関する教
育プログラムのための基金を設けており(「富運営士山基金」)、
基金には国内の経済界を中心に民間からの資金提供も行われている
。g)保全及び保存管理の技術における専門的知識及び研修構成資
産の保存管理については、所有者(宗教法人を含む)をはじめ、静
岡県・山梨県教育委員会及び各史跡等運営の管理団体に指定された
各市町村教育委員会が実施している。静岡県・山梨県教育委員会と
その関連機関である財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所及び山梨
県埋蔵文化センターでは、それぞれの組織内に文化財の高度な保存
・管理技術を持つ専門職員及運営び技術者を配置し、管理団体であ
る各市町村が行う保存管理に対して適切な技術的支援を行っている
。また、独立行政法人国立文化財機構は、全国の史跡等における整
備活用事業の円滑な推進と専門職員及び技術者の技術や能力の向上
のために、地方公共運営団体の専門職員を対象として定期的に研修
を開催しており、静岡県・山梨県をはじめ関係各市町村の職員も当
該研修等に積極的に参加して、資産の整備活用の技術向上に努める
予定である。さらに、独立行政法人国立文化財機構(201年度よ
り国内の大運営学の研究者及びイコモス会員を含むアフィ世界遺産
両県協議会の助言者及び両県協議会も含まれる予定である)の助言
・指導に基づいて行われている保存・管理技術は、高い水準を窓香
- 124 :
- する予定である。重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然
記運営念物又は天然記念物を維持するための措置として簡単な修理
又は復旧を行う場合は、事前の届出に基づき、文化庁が適切な技術
的指導を行っているため、管理技術の水準はきわめて高く保たれて
いる。資産の見回りや清掃等の日常的な維持管理については運営、
静岡県・山梨県教育委員会から嘱託された文化財保護指導員(静岡
県3名、山梨県2名:構成資産の所在地区を担当する人数)の左岩
- 125 :
- 、地域住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている。
表技術者の資質向上のために行われているおもな研運営修h)来訪
者の施設と統計構成資産の大部分は、周囲に展開する景勝地ととも
に日本を代表する優れた名所として国内のみならず海外に広く知ら
れており、夏季の登山をはじめとして四季折々の自然の姿を求めて
来訪する観光客でにぎわい、現在も国内有運営数の観光地となって
いる。図アフィへの登山者数の推移(各登山口推計登山者数)静岡
県山梨県富士宮口御殿場口須走口県計吉田口合計図アフィへの来訪
者数の推移(7・8月における各登山口五合目への入れ込み数推計
)66図主な構成資産の来訪者数運営の推移(推計等)アフィでは
、山頂へ7〜8月の登山期に約29万人(1999〜2009年平
均)が登山し、自動車でアクセス可能な各登山道の「五合目」(自
動車道建設以前の五合目とは一致しないため「新五合目」と呼ばれ
る)には、同期間に約2運営50万人(1999〜2009年平均
)が訪れ、近年は外国人がかなりの数を占めるようになっている(
外国人の数に関する統計は取られていないため、正確な数値は不明
である)。アフィ体においては、国内外から来訪する観光客や登山
者等の利用者の運営安全と利便を確保するとともに、秩序ある良好
な風致景観を維持及び形成することを目的として、「アフィにおけ
る標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須走口県計吉田口(年
間)富士吉田・河口本栖湖・精進湖・山中湖・忍野八三保松原浅間
大社白運営糸ノ滝湖・三つ峠周辺西湖周辺海周辺総合ガイドライン
」作成し、統一されたデザインによる四ヶ国語(英・中・韓及び日
)の道標や解説板を設置しているほか、アフィ体の主として緩衝地
帯には駐車場・トイレ・資料館等の便益施設が整備されている。エムソ
゙ネ今後とも、適切な計画の下に順次整備していくこととしており、
「ビジターセンター」などのガイダンス施設の充実も行われる予定
である。自動車による訪問者の管理については、土日や休日等庁貝
- 126 :
- 者が突出して増加する日に、仮設トイレ・臨時駐車場等運営を設置
するとともに、登山用の自動車道は自家用車の通行(登山道ごとに
異なる、最も利用数の多い吉田口(富士スバルラインを利用)で最
大12日間)を規制しシャトルバスによる代替輸送を行うことで環
境への負荷と混雑を軽減するようにしている。運営この日数は山麓
の駐車場の整備に従い(2011年に吉田口に1400台の駐車場
を整備)今後拡大(吉田口で15日)する予定である。登山者の安
全管理については、4箇所の案内施設(山頂、富士宮口、吉田口、
富士スバルライン終点)と3箇所の救運営護センター(富士宮口に
1箇所、吉田口に2箇所)が対応を行っている。南麓では静岡県に
よって30名の「富士登山ナビゲーター」が登山指導・案内・通訳
業務を行っており、北麓では富士吉田市条例によって、登山下山の
案内を行う約230名のガイ運営ドが「富士吉田市案内員組合」に
登録している。さらに吉田口の山小屋では、民間の気象予報会社と
連携し山岳気象情報を共有している。事故に対しては県警察山岳救
助隊及び消防本部や市町村消防署が対応し、場合により自衛隊の出
動も要請する。また運営、気象条件が一般の登山を行うには危険と
なる冬季は登山道・山小屋を閉鎖(山梨県側は10月初旬、静岡県
側は11月末より翌年7月初旬)することにより十分な装備と経験
を有する者以外の登山は不可能である。冬山登山者は各登山口所轄
警察署(御運営殿場署・富士宮署・富士吉田署)に登山計画書の提
出を推奨されている(また、おおむね11月末〜4月末まで静岡県
側の登山用自動車道は閉鎖され、山梨県側も積雪・凍結等の状況に
応じて段階的に閉鎖される。)山体以外の構成資産については、お
お運営むね来訪者数に応じた駐車場・トイレ等を整備しており、今
後、これらをさらに整備する予定が立てられている。i)資産の整
備・活用に関する方針・計画静岡県・山梨県では、構成資産及びそ
の周辺を対象とした保存管理に関する事業計画を定め、地域運沢詰
- 127 :
- 、定期的かつ体系的な経過観察(モニタリング)を実施する予定で
ある。@「3.記載のための価値証明」に記された資産の価値と真
実性及び完全性が維持されているか。A「4.保全状況運営と資産
に与える影響」に記された諸要素(開発・環境問題・自然災害・観
光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのような影響を与えている
か/与えたか。B「5.資産の保護と管理」に関連して、資産とそ
の緩衝地帯及びそれらを取り巻く周辺の広い地運営域が、相互泡郡
- 128 :
- 応しつつ資産の顕著な普遍的価値に関する知識を発信する場として
適切な発展を遂げているか。設定するおもな観察指標については、
以下の表に示すとおりである(予定)。表観察指標一覧表※斜字は
アフィを守る指標(2010年度改定運営予定)から指標周期記録
組織(1)資産の視覚的結a)視点場における景観阻害要因数毎年
両県びつきの保護b)電線の地中化延長毎年両県a)アフィ環境教
育開催数・参加者数毎年両県b)パンフレット・HPによる情報提
供数毎年両県c)主要地点で運営の観光客の入込み数毎年両県d)
登山者数(5合目以上)毎年市町村e)登山者数(8合目以上)毎
年環境省(2)資産の関連性の保護f)森林伐採面積(森林の整備
形態〜)毎年両県a)文化財保護法における現状変更の数毎年両県
b)自然公園法にお運営ける許可行為の数毎年両県・環境省c)生
活排水クリーン処理数毎年両県(3)個別資産の保護d)アフィ5
合目以上のごみ収集量毎年両県a)自然公園法における許可行為の
数毎年両県・環境省b)ゴルフ場面積毎年両県(4)緩衝地帯の保
護c)森林運営伐採面積(森林の整備形態〜)毎年両県69d)廃
棄物の不法投棄量毎年両県なお、上記指標の具体的な設定根拠及び
測定方法等に関する内容の詳細については、本推薦書参考資料であ
る包括的保存管理計画において具体的に記述している。b)資産の
経運営過観察(モニタリング)のための行政上の体制定期的報告を
含む経過観察(モニタリング)については、以下の表に示すように
管理団体である山梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教育委
員会を通じて文化庁の指導の下に行う。『世界遺産条約履行運営の
ための作業指針』(2008年)第5章に基づき、年度ごとに情報
収集及び記録作成を行い、蓄積した成果について6年ごとに保存管
理状況の評価としてまとめ、世界遺産センターを通じて世界遺産委
員会に定期報告書(英文)を提出する。モニタリン運営グ体制分担
管轄域担当組織1.担当組織及び担当課名資産及び緩衝地帯2触虹
- 129 :
- 督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文化庁組織代表者氏名:文化庁
長官担当課及び担当責任者氏名:記念物課課長3.指導組織資産及
び緩衝地帯組織名称:静岡県教育委員会:運営山梨県教育委員会組
織代表者氏名:静岡県教育長:山梨県教育長担当課及び担当責任者
氏名:静岡県世界遺産推進課課長:山梨県世界遺産推進課課長c)
以前の保全状況報告の成果経過観察(モニタリング)に必要とされ
る諸事項に関し、現時点及び過去運営における資料・情報について
は、静岡県・山梨県・及び資産の所在する市町の下に適切に収集・
保管されている。それらの一覧表については、以下のとおりである
。表(過去に経過観察のために実施した過去の資料・情報)番号編
著者標題対象資産年要約運営707.資料a)写真・スライド・画
像一覧表Noフォーマット標題撮影年月撮影者・編集者著作権保持
者著作権者連絡先非独占的権利譲渡b)保護のための指定に関する
文書などc)資産関連資料d)資産管理機関住所e)参考文献8.
連絡先a)申請運営書作成者連絡先b)管理組織・官庁c)その他
の組織d)公式ウェブサイト9.署名構成資産の分析(1)番号構
成資産候補名所在市町村文化財指定状況保存管理計画策定状況H2
1.10.30学術委員会評価分析結果備考アフィ両県未着手分析
結果A運営:アフィの価値を証明するのに必須の資産C:アフィの
価値を証明するのに不可欠ではない資産平成21年10月30日の
各県学術委員会(両県合同開催)での評価A:顕著な普遍的価値を
有する資産B:顕著な普遍的価値についてさらに調査等が必要なエムソ
゙ネ資産C:顕著な普遍的価値を有しない可能性がある資産保留:評
価を保留平成22年度第1回静岡県学術委員会・第2回山梨県学術
委員会資料3世界文化遺産アフィ包括的保存管理計画原案−1−世
界文化遺産アフィ包括的保存管理計画原案目次第1章目運営的と経
緯1目的2計画策定の経緯(1)各県における検討の経緯(2)学
術委員会・保存管理計画検討部会組織3計画の位置付け(1)議酵
- 130 :
- 計画との関連・連携(2)計画の実施第2章構成資産の概要1構成
資産の一覧2資産及び緩衝地帯等の範囲3構成運営資産の概要(1
)アフィ山体及び登山道AアフィA1山頂信仰遺跡A2大宮・村山
口登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6
北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2)信仰B
1アフィ本宮浅間大社B2山宮浅間神運営社B3村山浅間神社B4
須山浅間神社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間
神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船
津胎内樹型−2−B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴
浅間神社)B15白糸ノ滝(運営3)眺望C1三保松原第3章保存
管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境等を構成する諸要
素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@アフィ山体及び登山
道A信仰B眺望(2)顕著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に
関わる諸要素@自然運営地形A森林、植栽樹木B社寺の境内に含ま
れる歴史的な建造物及び工作物等以外の建築物及び工作物C道路と
その関連施設(3)周辺環境を構成する諸要素@自然的要素A歴史
的要素B人文的要素2保存管理の基本方針(1)構成資産の適切な
保存管理(運営2)周辺環境を含めた一体的な保全(3)経過観察
の実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運
営第4章構成資産の保存管理1現状の把握(1)アフィ山体及び登
山道(2)信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状
変運営更の制限についての考え方(2)地区区分についての考え方
(3)指定地に関わる諸法令について3具体的な施策(1)第1種
保護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原−3−第5章緩衝地
帯の保存管理1現状の把握2保存管理の基本的な考え方(1運営)
緩衝地帯の設定と行為規制(2)都市計画との調整(3)住民生活
との調和3具体的な施策第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価
値に負の影響を与える要素2負の影響を与える要因の観察第7店錦
- 131 :
- 備・公開・活用1基本方針2整備と公開・活用第8運営章保存管理
体制の整備と運営1保存管理体制の整備と役割分担2地域住民等と
の連携・協働3持続的運営のための定期的確認付章1保存管理に関
する事業計画一覧表−4−第1章目的と経緯1目的アフィは、日本
を代表し象徴する日本最高峰の秀麗な円錐運営形成層火山として世
界的に著名であり、日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に独
自の芸術文化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在棟隷
- 132 :
- 及び芸術活動などを通じ、時代を超えて、一国の文化の諸相と極め
て深い関連性を示し、生きた文化運営的伝統の物証であるのみなら
ず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型
として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を持つ山岳であり、
世界文化遺産に値するものである。アフィは、有史以前から噴火活
動を続けてきた標高37運営76mの円錐形の独立成層火山であり
、その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面からの実質的な高
さは世界的にも有数である。その力強く秀麗な姿は人々に神聖なる
気持ちを喚起し、古代から現代に至るまで、時代を超えて信仰の対
象となってきた運営。山腹及び山嶺には神社・登山道・巡礼地等が
形成され、山体と一体となった比類のない文化的景観を形成した。
山体のうち、五合目以上の砂礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視
され、山麓に分布する湖沼・湧水、火山活動により形成された独自
の地形運営などは、富士信仰の霊地として重要な役割を果たしてき
た。日本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも
命脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士登
山の特徴を成している。このように、アフィは日本人の自然に対エムソ
゙ネする信仰の在り方に関連して、山に対する固有の文化的伝統を表
す物証及び人間の山に対する景観認知の在り方を示す傑出した類型
となっている。また、アフィの秀麗な姿は古くから芸術活動の対象
となり、その結果生み出された「万葉集」の和歌などの運営文学作
品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみなら
ず海外にも広く知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作品群
は、地球上の特定の地域において独自の文化的伝統が形成・発展す
るのに当たり、アフィが重要な源泉となった極運営めて強力な関連
性であることを示している。このような価値をもつ「アフィ」の構
成資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布している。これ
ら一連の構成資産を世界文化遺産「アフィ」の総体として確実択響
- 133 :
- 存し、確実に次世代へと継承するため運営には、両県共通の考え方
を基に、各構成資産全体を一つの資産として包括的に保存管理して
いくための方法を整理していく必要があることから、個別の構成資
産についての保存管理計画に加え、構成資産相互の関係性を保全し
全体の価値を継承していくた運営めの包括的な保存管理計画を策定
しておくことが必要である。そのため、山梨県・静岡県は、文化庁
・環境省の指導・助言の下に関係市町村、関係各機関等と調整を図
り、本計画を策定した。「アフィ」包括的保存管理計画−5−各構
成資産の都市計画保運営存管理計画等観光計画(環境省・山梨県・
静岡県・各市町村)整備計画等図包括的保存管理計画の体系2計画
策定の経緯アフィ包括的保存管理計画は、構成資産に係る個別の保
存管理計画を基礎とし、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保
存管理及び運営整備に係る理念・基本方針とその具体的内容につい
て明示するため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学
術委員会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである
。学識経験者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存管理
計運営画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原案
を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を得る
ため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチーム」(
表)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」(表)を運営設
置し、連携・確認を行った。また、アフィの効果的かつ確実な保存
管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々の協力・助言が不
可欠であることから、関係自治体・地域住民・観光関係者・神社関
係者などで構成する「山梨県保存管理計画策定協力運営者会議」及
び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設置し、連携を図った。さ
らに、二県学術委員会のもとに設置した「包括的保存管理計画検討
部会」における検討とあわせ、文化庁の指導・助言の下、201■
年■月に策定した。(1)各県における検運営討の経緯両県の室賀
- 134 :
- (包括的保存管理計画検討部会と学術委員会)2007年11月2
9日平成19年第1回包括的保存管理計画検討部会・包括保存管理
計画の必要性・国内の世界遺産における包括的保存管理計画の事例
2007年12月26日平成19運営年第2回包括的保存管理計画
検討部会・目的と経緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本
方針2008年3月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的
保存管理計画検討部会の審議結果2008年6月19日平成20年
度第1回包括的保存管理運営計画検討部会−6−・包括的保存管理
計画の役割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日
平成21年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概
要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域について2010
年3月19日平運営成21年度第2回学術委員会・保存管理計画の
考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第1
回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007年1
2月9日現地調査2008年1月31日平成19年度第2回山梨県
保存管運営理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の審議結
果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月21日平成19
年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会
の審議結果2008年4月16、17日現地調査2008年5月エムソ
゙ネ1日平成20年度山梨県保存管理計画策定ワーキング・山梨県保
存管理計画の策定について2008年6月10日現地調査2008
年6月30日現地調査2008年7月22日平成20年度第1回山
梨県保存管理計画検討部会・構成要素と本質的価値の明運営確化・
保存管理の方法と考え方2009年4月24日平成21年度第1回
山梨県保存管理計画策定協力者会議・アフィの世界文化遺産登録の
現状について・山梨県保存管理計画策定協力者会議について200
9年6月19日平成21年度第1回山梨県保存運営管理計画検討部
会・各資産候補の概要について・構成資産、緩衝地帯、保存管寒整
- 135 :
- 域について2009年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画
策定ワーキング・アフィ世界文化遺産登録への取組状況について・
山梨県保存管理計画の策定について2運営010年3月16日平成
21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の考え方
について2010年6月30日平成22年度第1回山梨県保存管理
計画検討部会静岡県の経緯2007年7月5日平成19年度第1回
静岡県保存管理計画検討部会運営・保存管理計画について−7穴狩
- 136 :
- 008年1月23日現地調査2008年1月30日平成19年度第
2回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の
審議結果・静岡県保存管理計画について2008年2月21日平成
19年度第3回山梨運営県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画
検討部会の審議結果2008年7月16日平成20年度第1回静岡
県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静
岡県保存管理計画について2008年9月9日平成20年度静岡県
保存管理計運営画検討部会第1回庁内連絡会議・アフィの世界文化
遺産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について
2009年2月12日現地調査2009年6月1日平成21年度第
1回静岡県保存管理計画策定協力者部会・アフィの世界文化遺産登
録運営推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について2
009年6月17日平成21年度第1回静岡県保存管理計画検討部
会・静岡県保存管理計画の策定について・アフィの緩衝地帯に関す
る考え方2009年7月13日平成21年度静岡県保存管理運営計
画検討部会第1回庁内連絡会議2009年10月29日平成21年
度静岡県保存管理計画検討部会第2回庁内連絡会議2009年11
月25日平成21年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者部会2
010年1月29日平成21年度第3回静岡県保存運営管理計画策
定協力者部会2010年3月16日平成21年度第3回山梨県・静
岡県学術委員会・保存管理計画の考え方について2010年6月3
0日平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部会(2)学術委
員会・保存管理計画検討部会組織学術委員運営会及び保存管理計画
検討部会の組織は図に示すとおりである。また、その構成は表〜の
とおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び緩衝地
帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村では、まちづくり、観光
、防災などに関する各種計画を策運営定し、実施している。これら
の計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日常的に連携離裕
- 137 :
- りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に関連する計画(山
梨県)計画名称策定年等F資産に影響する可能性がある個別の開発
計画大規模集客施設等の運営立地に関する方針(山梨県)2010
年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後の取扱いについて(山梨県
)1993年10月−17−明神峠自然環境保全地域保全計画昭和
50年策定静岡県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域森
林計画書平成1運営8年4月策定F資産に影響する可能性がある個
別の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静
岡県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成1
8年4月策定−18−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小
山町)運営(2)計画の実施今回提出するアフィ包括的保存管理計
画は、20年月から既に実施され機能されているものである。−1
9−第2章構成資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「アフィ」の
構成資産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地についてエムソ
゙ネは、以下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種別分類
小分類構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資
産面積(ha)緩衝地帯面積(ha)Aアフィ(山体)(御中道含
む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)運営遺跡特
別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山口登
山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A5吉田
口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、御殿場市、
小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村運営、富士河口湖町
)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺跡建造物記念工作物
特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精進湖遺跡名勝A9
本栖湖遺跡名勝BB1アフィ本宮浅間大社遺跡建造物記念工作物重
文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺運営跡遺跡市史跡静岡県富士
宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然記念物静岡県富士宮市NE
C三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市NE2資産及び緩衝地核唱
- 138 :
- の範囲「アフィ」の顕著な普遍的価値を表す構成資産の保護を確実
にし、各構成資産における富運営士山体への良好な眺望を保証する
ために、個々の構成資産の周囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定
する。さらに、個々の構成資産間の関係を良好に保ち、アフィの景
観の一体性・連続性を保証するために、緩衝地帯を含め、広く保全
管理区域を設定する運営。構成資産の位置及びその周辺地域である
緩衝地帯、保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである
。図「アフィ」の範囲(構成資産・緩衝地帯)アフィ山体の範囲に
ついては、現在特別名勝アフィに指定されている区域だけでなく、
その周辺部運営にあたる標高約1,500m付近までとした。この
範囲において、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名
勝指定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と森
林法で保護されている。緩衝地帯との境については林班により線引
き運営を行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽減する
よう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までをアフィの山体と
して考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを連続して
保護するための措置である。緩衝地帯の範囲については、当運営初
国道469号から県道72号にかけてのアフィ側を計画していたが
、国際専門家から飛び地の資産である、アフィ本宮浅間大社や山宮
浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘があり、市道を境に緩
衝地帯を設定した。その際、アフィ本宮浅間大社か運営らのアフィ
の眺望を確保するため、アフィに向かって約36度の広がりで設定
した。この範囲については、文化財保護法以外の法律を適用し、自
然公園法、森林法、景観法で保護されている。保全管理区域の範囲
については、三保松原からアフィを眺望す運営る際、その阻害要因
を軽減させるために、溶岩が流出した範囲を基本として設定した。
そのため、静岡県側においては、裾野市、御殿場市、小山町に流出
している溶岩流の範囲については、保全管理区域とはしていな殿髄
- 139 :
- なお、保全管理区域についても、運営森林法と景観法で保護されて
いる。アフィ山体の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士
演習場)については、従前より大規模開発が予定されていないこと
から、緩衝地帯同様に資産を緩衝することが可能な区域であると言
える。3構成資産の概要運営構成資産及び保存管理状況の概要につ
いては、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推
薦書本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細につい咽齢
- 140 :
- 、構成資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、そ
れぞれ具体的内運営容を含めた説明を行っている。なお、p18,
19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。A富士
山山体及び登山道B信仰に関わるものCアフィの眺望に関わるもの
(1)アフィ山体及び登山道Aアフィ標高3776mを測るアフィ
は、日運営本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗な独立火山であ
る。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、日本人の自然に対
する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育んだ名山でもある。
アフィは山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代エムソ
゙ネを超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文
化的伝統の物証であるのみならず、人間と自然との良好で継続的な
関係を示す景観の傑出した類型として、世界的にも類例を見ない顕
著な普遍的価値を持つ山である。世界文化遺産としての運営アフィ
とは、アフィ山体の内、標高約1500m以上の範囲である。この
範囲は、アフィ周辺の主要な神社や景勝地から見た可視領域が重な
り合う範囲であるとともに、各登山道における山体の神聖性に関す
る境界の一つである「馬返」の標高とほぼ一致運営する。なお、「
馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能にな
る地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平
野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き
、絵画などの対象とされることが多い運営範囲である。写真上空か
ら見た写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−
21−−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講
信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域あるいは死後世界である「
他界」と考えられていた。ま運営た、登山道ごとに標高は異なるが
、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以上はよ
り強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ一致する
噴火口である「内院」の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に通連
- 141 :
- く。アフィ頂へ向か運営い、登山の歴史の中で開鑿された登山道が
、現在の4本の登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界に
沿い、アフィ山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろ富士
講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ、その後「大沢
崩れ」とい運営う危険箇所を通るため、富士講信者により修行の道
として利用された。表法的保護、修理・整備の経緯1924年史蹟
名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年国立公園法の
下に(富士箱根)国立公園に指定1952年文化財保護法の下に名
勝運営、ついで特別名勝に指定1969年国が大沢崩れに対する砂
防事業に着手(継続中)1996年国・県が台風による森林の風倒
被害に対する対策に着手(継続中)「御中道」は、標高2,300
m付近から2,800m付近の山腹を通り、アフィの中腹部運営を
時計回りに一周する約25kmの道である。「御中道巡り」は、修
験道の祖とされる役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士
講の基礎を築いた長谷川角行が行ったことが記録されている。古く
は定まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んに運営なった江戸
時代後期には一定の道が整備された。アフィ信仰の上では、山体西
側の大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道とされてい
た。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師に提出し、神へ
の伺いをたてた上でないと許可されないほ運営ど厳しいものであっ
た。この御中道の巡拝を無事終えると、その証である「御許し」を
御師から受けることができた。1816年の資料では年間100人
以上が御中道巡りを行っているが、1977年の転落事故で通行止
めとなり、現在では一周すること運営はできなくなっている。写真
御中道の写真A1山頂信仰遺跡(アフィ本宮奥宮)アフィ山頂部の
火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施設が所在する。富士
山への信仰登山が開始されると、修験道の影響を受け山頂部におい
て寺院の造営や仏像等の運営奉納がおこなわれるとともに、山顎艦
- 142 :
- での宗教行為が体系化されていった。登拝者は山頂周辺において「
御来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮座すると言われる神
仏を拝した。また、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅に
おける仏の世界運営に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)
」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であった。山頂の宗教的施
設は、12世紀中ごろ、修行僧末代により建立された大日寺(大日
堂)が最初とされ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納
・埋納運営や内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀に
は、大宮・村山口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂
が造営された。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認でき
る。1874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響にエムソ
゙ネよって撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変さ
れた。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記
の行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通じ
て富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮運営の写真
表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然紀
念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法の下
に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護法の
下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財運営団法人静岡県埋
蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、その成果に基づき2
010年に「史跡アフィ保存管理計画」が策定された2010年文
化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定山頂の
噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰を運営巡る行為は、古くから「
お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人々に受け継がれている。13
世紀後半の資料には「いたゞきに八葉の嶺あり」との記載があり、
このころには山頂の峰々に信仰的意義を見出していたことが伺える
。16世紀前半には地元為政運営者が「八要メサルヽ也」との記述
も見られ、後に盛んになるお鉢巡りの古態と思われる習俗があ考妃
- 143 :
- ことが知られる。富士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに
山頂を巡っていった。内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中に
あるいくつかの仏像運営や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の
大日如来、最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを
巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道アフィ南
西麓の浅間大社及び村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登
山道である運営。12世紀前半、アフィで修行した末代上人の芸砂
- 144 :
- した登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とそ
の活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた
ことが推測できる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在が確認で
き運営、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発心門等
の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年、村山を
神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えている。この
権利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登山道の管理に運営関
わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での
水垢離を重要な儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由し
た登拝を喧伝した。浅間大社には16世紀前半に30余りの道者坊
があったことが伝えられ、同時期の絵図である「絹運営本著色富士
曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山
する人々の姿が描かれている。道者坊はその後統合され、19世紀
前半には5坊となった。また、1600年頃以降、地元支配者によ
り、大宮を経て村山口登山道を利用するこ運営とが求められた。登
山道中の宗教施設は、17世紀初頭までに建設され、石室などの施
設は主に17世紀後半、興法寺から許可を受けた先達により建設さ
れたが、1707年の宝永噴火で登山道と共にことごとく破壊され
た。これらは再建されたが、その運営復興は須走口より遅かった。
主要な宗教施設としては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった
。登拝者は興法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部
地方を含む西日本の人々が多かった。なお、1532年以降不連続
であるが、登拝者の記録運営が残され、その数は18世紀後半から
19世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平
年で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少
し、村山の村落も衰退していたとの記述もあるが、1860年、初
の外国人登山と運営なる英国公使オ−24−ールコックは大宮を経
由して村山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡坊、汽私
- 145 :
- 八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以降、女人登
山の解禁もあり、登山者は増加傾向を示すが、1889年、東海道
線の開運営通による御殿場口利用者の増加により衰退し、これへの
対策として1906年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道
(カケスバタ口)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山
口登山道は登山道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在エムソ
゙ネは、林道の建設に雨水による侵食も加わり、一部を除き登山道跡
の推定は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡など
をある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登山
道の写真A3須山口登山道アフィ南東麓、須山浅間神社運営を起点
とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道である。その起源は明
確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口、吉田口、須山
(珠山)口以外には登山道がないことが述べられている。1486
年の京都の僧による資料(廻国雑記)では、「運営すはま口」の名
が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12
軒の御師を中心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明
水の管理を巡り、須走村と争いになった際は浅間大社の裁定を仰い
でいる。登山道には宝永噴火前の状況運営を描いた絵図で須山御胎
内に附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの
施設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御
縁年の1740年に復興したが永続せず、1780年にようやく復
興した。また、1880年代運営の記録では御室浅間神社、中宮浅
間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確認できる
。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場としても使
用された。登拝者については詳しい研究が進んでいないが、西日本
・東日本両方からの運営登山者があったことが、宿帳及び案内立札
の立地から確認できる。登拝者数は御縁年に当たる1800年に約
5,400人、1840年代前半は年平均約1,700人、続血没
- 146 :
- 860年の御縁年には約3,600人であった。登拝者は神仏分離
令後も継続運営していたが、1883年、須山口二合八勺に接続す
る御殿場口登山道が開鑿された。また、1889年に東海道本線が
開通し、御殿場口の利便性の向上により須山口からの登拝者や登山
者が減少することとなった。1912年には、登山道の一部が陸軍
演運営習場となり使用不可能となったため、須山口からの登拝(登
山)は衰退し現在に至っている。二合八勺以下の登山道で当時の道
が確認できる部分は一部のみである。また、1999年、地元住民
により須山口下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興さ運営れ
た。写真須山口登山道の写真A4須走口登山道アフィ東麓の冨士浅
間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流して山頂久須志岳
に至る登山道である。その起源は明確ではないが、六合目からは1
384年の銘のある掛仏が出土している。文献から運営は「勝山記
」の1500年6月の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口を利
用すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも1
7世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山頂部までを支配
し、薬師嶽(現久須志岳)における石室建運営設の独占、薬師堂の
開帳・入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭取得権も
浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須走村は、1
703年と1772年の2回幕府に訴え、これらの権利について八
合目以上の支配権を主張する浅間運営大社と争い、正式に権利を認
められた。−25−登山道の施設は1683年の資料等で詳細が確
認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社等の宗教施設と共に、
小屋・石室が山頂部まで設置されている。1707年の宝永噴火で
は、これらの施設及び麓運営の浅間神社、須走村は約3mの降砂に
覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け、翌年の登拝期までには
復興を完了し、多くの登拝者を集めた。18世紀半ばには800名
前後に減少したとの資料があるが、18世紀後半、相模の大山麓宙
- 147 :
- や関本の道了尊運営とセットにされた参詣の流行で登拝者数は増加
し、年平均約1万人、1800年の御縁年に23,700人とピー
クを迎えた。登拝者は関東地方の富士講関係者が多く、東北地方か
らの登拝者も見られる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下
山に適運営した須走口へ下山する形をとった。また、1831年、
須走口山頂部に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による
登拝も増加した。1889年の東海道線開通による御殿場口、遡燃
- 148 :
- び1903年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離エムソ
゙ネが長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され
続けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年に
は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間大
社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また運営、19
23年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。1959年
、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合目以下の登
山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができない区間があ
る。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山道運営北口本宮冨士浅
間神社を起点とし、アフィ頂を目指す道である。15世紀には、富
士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも広ま
っていた。吉田口は14世紀後半には参詣の道者のための宿坊もで
き始め、大勢の人々が登るための設備運営が整うようになった。1
6世紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して修行を行い、
18世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教
的自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。このた
め、富士講の信者が次第に増運営加した18世紀後半以降は、年間
数万人を数える富士講の道者が登拝したとされる。1964年に富
士山有料道路が開通した後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御
岳)を起点として登るようになったため、五合目以下の道を利用す
る登山者は激減した運営が、六合目以上については、現在残る登山
道の中で最も多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登
山道を上って山頂を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩
で麓から頂上まで登れる重要な道である。写真吉田口登山道の写真
表法的保護運営、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天
然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法
の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護
法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別名勝ア荒宴
- 149 :
- 保運営存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)1996
年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘調査・整備
1999年「特別名勝アフィ保存管理計画」を改訂2006年「特
別名勝アフィ保存管理計画」を改訂2011年文化財保護法運営の
下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡アフィとして指定−2
6−2011年「史跡アフィ保存管理計画」を策定(予定)A6北
口本宮冨士浅間神社アフィ北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭
神として木花開花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山運営祇命を祀る
神社である。アフィの遙拝所に祀られていた浅間明神(アフィの荒
ぶる神)を起源とし、1480年には「アフィ」の鳥居が建立され
、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。当神社
は領主からの崇敬が厚く、境内に現存する運営3つの社殿は、15
61年、1594年、1615年にそれぞれ当時の領主が寄進した
ものである。富士講とのつながりが強く、1730年には富士講の
指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が
行われ、現在にみる境内の景観の運営礎が形成された。北口本宮冨
士浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属し
ており、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた
。社殿の背後に登山門があり、この神社を起点としてアフィ頂まで
吉田口登山道が伸びてい運営る。富士講や吉田御師と密接な関係を
持ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真
(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯19
07年古社寺保存法の下に東宮本殿が特別保護建造物の指定195
2年所在地が文運営化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定
1952年東宮本殿・解体修理工事を行う1953年文化財保護法
の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解
体修理工事を行う(〜64年)1978年「特別名勝アフィ保存管
理計画運営」を策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う沃弥
- 150 :
- 74年)1981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)1
997年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の葺
替え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北口本エムソ
゙ネ宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の
下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定(予定)2011年
「史跡アフィ保存管理計画」を策定(予定)A7西湖アフィの火山
活動により形成された堰止湖で、アフィの北北西に位置運営する。
アフィ周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この西
湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖はかつて「〜の海(
せのうみ)」と呼ばれる一つの湖だったが、日本最古の歌集・万葉
集で〜の海が詠われたほか、いくつかの文学作運営品ともゆかりが
ある。写真西湖の写真A8精進湖アフィの火山活動により形成され
た堰止湖で、アフィの北西に位置する。アフィ周辺の湖を巡って修
−27−行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富
士講徒が訪れた。アフィ北麓で最初の運営洋風ホテルはこの精進湖
畔に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書
に使われたアフィの写真はこの精進湖からのものがほとんどだった
。写真精進湖の写真A9本栖湖アフィの火山活動により形成された
堰止湖で、アフィの北西に位運営置する。アフィ周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒
が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も使用された写
真の撮影地点であり、重要な展望地点(viewpoint)であ
る。アフィは、プロ運営・アマを問わず多くの写真家に愛され、撮
影されてきた。なかでも、生涯にわたりアフィを追い続けた岡田紅
陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道から撮影された「湖
畔の春」という写真は有名である。この写真は、1984年に採用
された5千運営円札及び2004年に採用された千円札の図柄とし
て使用された。山体の裾野が湖まで広がり一体の景観を構成し舞今
- 151 :
- る本栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮影されたアフィとほぼ同
じ姿のまま現在も残している。写真本栖湖の写真表法的保護、修理
・運営整備の経緯(A7・A8・A9)1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五
湖の静穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に
本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制される2011年運営文
化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五満軒
- 152 :
- 存管理計画」を策定(予定)(2)信仰B1アフィ本宮浅間大社富
士山の南西麓に位置する神社であり、この神社とともに発展してき
た富士宮市の中央部に所在する。アフィの神とされ運営る木花之佐
久夜毘売命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の
総本宮とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用され
た湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、アフィにより近い遥拝所
であった山宮浅間神社から現在の地に移転運営されたとされる。創
建当時はアフィの噴火が盛んであり、これを畏れ鎮めることを信仰
の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よりも高い神階を与え
ることで崇敬の念を示した。12世紀後半ごろには、浅間大神は本
地垂迹説の影響を受け大日如来の運営垂迹である「浅間大菩薩」と
見なされるようになり、12世紀頃より政治の実権を掌握した武士
階級に戦勝の神として信仰された。15世紀ごろ、登拝が盛んにな
るにつれて、浅間大社は村山浅間神社とともに大宮・村山口登山道
の起点となり、宿坊が周運営辺に建設された。16世紀ごろ、浅間
大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づけることによって、
浅間大社を経由した登拝を喧伝した。同時期の絵図である絹本著色
富士曼荼羅図には、浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して
登山する人々の運営姿が描かれている。登拝の拡大に伴い、アフィ
中での諸権利が構築されていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の
下、1604年現在の社殿が造営されるとともに、1609年山頂
部の散銭取得における優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部
の管理運営・支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山
道と頂上部の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀
釈以降、村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由し
ない登山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が訪れエムソ
゙ネた。また、明治政府の政策により、一時国有地とされていた八合
目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2004年窯続
- 153 :
- 大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+アフィ表法的保護、
修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存法の下に運営特別保
護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の補修1929年本
殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年楼門の修理1
936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化財保護法制定に
伴い重要文化財に名称変更1952年本殿の屋運営根の修理等が行
われた1970年本殿の屋根の修理等が行われた1988年本殿の
屋根の修理等が行われた1996年富士宮市教育委員会が調査を行
った2002年富士宮市教育委員会が調査を行った2005年本殿
の屋根の修理等が行われた2008年運営財団法人静岡県埋蔵文化
財調査研究所により境内の発掘調査が行われ、その成果に基づき2
010年に「史跡アフィ保存管理計画」を策定2010年文化財保
護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定湧玉池は富士
山本宮浅間神社境内に所在す運営る面積約2,500uの池である
。池は約1万年前に噴出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平
均14万〜(2008年)の水を源としている。湧水のメカニズム
は、アフィの標高1000m前後ないしそれ以上の高所の降水が地
下にしみ込み、何層運営もある溶岩層の間にはさまれて充満し、そ
れが押し出されるようにして末端から湧出したものである。浅間大
社の位置は、アフィの噴火を湧水によって鎮める考えや、アフィを
聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富な湧水量を持つ湧玉
池のほとり運営に置かれたとされる。この湧水には灌漑用水として
の役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水徳の神・農業神とし
ての浅間大神に感謝する祭礼が行われている。池の名前の由来には
、地底から玉が湧き出るように湧水しているためという説や湧く霊
た運営ま(神霊)との説等があり、わく玉の名は10世紀後半の地
元支配者による和歌に見られ、湧玉池の名称は1670年作成の「
社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間大社に参拝し、アフィ君範
- 154 :
- ざす登拝者が身を清める場として使用された。その様子は「運営絹
本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼羅図」、17世紀初頭の登
山記で確認できる。この絵図では現在の形状に近い湧玉池が描かれ
、水垢離する人々やそのための施設が見られる。登拝者の水垢離は
1920〜30年代まで行われ、現在では山開きの運営恒例行事に
形を変えて継承されている。また、湧水は聖なる水として現在でも
利用する人が多い。湧玉池および周辺には様々な宗教に係わる施設
があるが、特に池の南端にある「神幸橋」は、御神幸道の基点であ
り、現在でも1691年に作られた石碑が運営たもとに残されてい
る。−29−写真沸玉池の写真B2山宮浅間神社浅間大社の北北東
約5kmに位置し、木花之佐久夜毘売命を主祭神とする神社である
。その起源は「富士本宮社記」によれば、山足の地に祀られていた
浅間大神を、神話上の英雄である運営日本武尊が大神の神威により
難を逃れた謝礼に山宮に祀ったこととされ、これが802年に再び
遷され浅間大社となったとする。具体的な創建年代は不詳だが、文
献上での初見は1551年である。神社は神事の際に使用する籠屋
以外の建物施設を持たず運営、拝殿・本殿等が位置すべき場所には
石列でいくつかに区分された遥拝所が設置されるのみという特異な
形態を示している。この形態は古代からのアフィ祭祀の形を止めて
いると推定されており、遥拝所の主軸はアフィ方向を向いている。
発掘調査では1運営2〜15世紀にかけての神事に使用されたと推
定される破砕された土器が遥拝所北側から多数出土し、当神社での
宗教活動を裏付けている。また、遅くとも1577年までには浅間
大社との間で「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。これは
4月と運営11月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社から山宮浅間神
社へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅間大社へ戻る行事である
。行事の意味として、現時点では神が4月に旧跡に戻るという解釈
と、山にいる神が4月に田の神として里へ降りるという解釈があエ津傲
- 155 :
- ゙ネる。この行事は1874年まで行われていた。なお、「山宮御神
幸」に使用される経路を御神幸道と称し、浅間大社湧玉池横より発
し、約600m東へ向かった後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上し
て山宮浅間神社に至る。道の出発点及び途中には169運営1年に
置かれた距離を示す石碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮
浅間神社の写真B3村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富
士山南麓に張り出した標高約500mのバルコニー状地形に位泡羞
- 156 :
- 、木花開花姫命を主祭神とする神社である。神運営社と一体化した
範囲には、現在別の宗教法人となった大日堂・水垢離場・護摩壇な
どが存在している。これらは1868年の神仏分離令までは一体の
ものであり、アフィ興法寺(村山興法寺)と呼ばれていた。なお、
周辺には興法寺の維持・運営にあたっ運営ていた道者坊の村山三坊
(池西坊・大鏡坊・辻之坊の三箇所)の跡が発掘調査によって確認
されている。その起源は、1149年の記録に見える修行僧末代上
人によるアフィ頂への大日寺の建立にあるとされる。末代上人が富
士山中又は村山の地に興法寺運営を建立したとの記録も残されてい
る。これらの記録等から、12世紀中ごろに村山周辺において修験
道または密教系の宗教活動が行われていたと推測できる。1259
年には、現存する大日如来が寄進されたことを仏像の銘で確認でき
る。末代以後、その運営流れを汲みアフィで修行する人々が現れ、
村山がアフィ修験道(富士行)の拠点となったと考えられる。14
世紀初めには僧の頼尊が修験者とその活動を組織化し、興法寺を再
興したとされる。15世紀に入ると興法寺とそれを支える宿坊の存
在が現存す運営る大日如来の銘(1478)で確認できる。148
2年には修験道本山派の本寺である聖護院と関係を持ち、その権威
を高めた。16世紀中には十数軒あった道者坊が村山三坊に統合さ
れ、その活動を資料で確認できる。坊に所属する山伏は夏に「富士
峯運営修行」を山中及び山頂で行った。また、アフィへの一般の登
拝者も増加し、夜間に白装束をまとい、仏がいるとされた山頂を目
指す多くの人々の様子が「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている
。村山の山伏は、富士峰修行の際に東麓、南麓の村を年一回運営巡
回し加持祈祷等を行った。また18世紀、富士講の隆盛に対抗し西
日本の一般登拝者中の有力者に対して「先達」の免許を発行し組織
化を図ると−30−ともに、登拝が困難な人々に対しては川辺で垢
離を取り、祈ることで登拝と同等の利益があるとす運営る「富餌軸
- 157 :
- 離」の手法を広めている。加えてアフィを航海の目印とする伊豆半
島の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法寺の勢
力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた16世紀前半が最
も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護運営院の力を背景に一定
の権威をもち、登山道及びその頂上部の大日堂周辺を支配した。社
殿については、1697年徳川幕府により修復され、現在の大日堂
は建築様式や部材の状況から19世紀半ばに建立されたと推定され
る。また、浅間神社は1913年運営改築されたものを基本として
いる。1868年、神仏分離令により浅間神社と興法寺(大日堂)
は分離され、山伏は還俗し、1906年の登山道の変化にも伴い両
者とも衰微した。ただし、富士峰修行と加持祈祷は1940年代ま
で継続された。現在は1運営970年代より活発になった地域住民
による伝統復活のための活動が見られ、水垢離等の行事が行われて
いる。また、村山浅間神社の影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀
市、三重県南伊勢町等では現在でも富士垢離の行事が継続されてい
る。写真村山浅運営間神社の写真B−4須山浅間神社アフィの南東
麓、須山口登山道の入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神とする
神社である。その起源は1598年作の社伝旧記によると110年
、日本武尊が蝦夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社を創起し、さら
に55運営2年有力豪族の蘇我稲目が再興したとある。記録上神社
の存在が確認できるのは1524年で修築時の棟札による。また、
市天然記念物である境内の杉は、樹齢500年以上と推定されてお
り、遅くともこの時期までに須山浅間神社が現在の地に存在したエムソ
゙ネと推測できる。現在の社殿は1823年の再建である。1707
年の宝永噴火により登山道も含め大きな被害を受けたが、1780
年に登山道が再興され、1800年の御縁年には約5,400人の
登拝者があった。須山浅間神社は12軒の御師とともに運営当時の
須山村の中心的存在であり、村全体で須山口登山道と山頂部銀拍戦
- 158 :
- を管理した。また、京都吉田家より神道裁許状を得たり、朝廷・公
家に銀明水を献上したりする等して権威を高めているが、山頂部で
発生した問題については、浅間大社の判断を仰運営いでいる。須山
浅間神社は村山三坊とも関わりを持ち、1940年頃まで境内で富
士峯修行の一環としての祈祷が行われていた。1883年、御殿場
口登山道が開設され、1899年の東海道本線開通による御殿場口
利便性の向上は須山口からの登拝者や運営登山者を奪い、加えて1
912年登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため
、須山口は衰退した。しかし、その後都市化の影響を余り受けなか
ったため、須山浅間神社周辺は日本的伝統に基づく村落景観を保っ
ている部分が多い。写真須山運営浅間神社の写真B5冨士浅間神社
アフィ東麓、須走口登山道の起点に位置し、木花開花姫命を主祭神
とする神社である。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周辺は古来
、交通の要衝であった。社伝では802年、噴火の鎮火祈願のため
に祭事を行い、翌年運営噴火が収まったことから、807年に祭事
の跡地であるとされる現在の地にお礼のために社殿を造営したとさ
れる。その他の文書で確実に存在が確認できるのは、1571年の
ものである。16世紀には地元支配者である武田氏の保護を受け、
山頂部の散運営銭取得権の一部を得ている。17世紀以降、須走浅
間神社は当時の須走村の御師などと共に須走口登山道を支配し、山
頂部薬師嶽(現−31−久須志岳)の薬師堂開帳の権利及び山頂部
の散銭取得権の一部を得ていた。これら山頂部の権利については八
合運営目以上の支配権を主張するアフィ本宮浅間大社と争いになり
、須走村は1703年と1772年の2回、幕府に裁定を求めてい
る。この結果、これらの権利は幕府によって認められた。また、冨
士浅間神社神主や御師は須山の場合と同じく、京都吉田家よ運営り
神道裁許状を得て権威を高めている。社殿は、記録の残っている範
囲では1662年、地元領主である沼津城主大久保氏や小田原頂帥
- 159 :
- 稲葉氏などの援助によって修造が行われた。しかし1707年の宝
永噴火では3m以上の降砂に埋もれ崩壊したため、運営1718年
に再建された。この後もこの際の部材を使用し、2009年の修理
も含め何回かの修理がおこなわれている。境内には水路があり、水
垢離に利用された。18世紀末から19世紀初頭にかけて富士講が
隆盛を迎えると須走口にも関東からの登拝運営者が登山又は下山の
際立ち寄った。その数は1800年の御縁年の際に約27,3棺索
- 160 :
- 名であった。同時期から20世紀前半まで富士講信者は境内に登山
回数等の記念碑を約80基造営した。また、神社には神社神官や御
師が発行した木版印刷による神影運営や神符の版木が保管されてい
る。写真冨士浅間神社の写真B6河口浅間神社古くからアフィに関
わる祭祀は南麓の浅間神社(山宮浅間神社か〜)が執り行っていた
が、864年〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも
浅間神社が建てられるこ運営ととなった。それが、アフィを望む河
口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であるとされ
る。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿
駅という役割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落
として発展を遂運営げた。しかし、江戸における富士講の大流行と
、それに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集落としての機能
は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河口浅間神社は、現
在もアフィと密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背景
と相俟運営って、アフィ信仰を語る上で欠かすことができない資産
である。写真河口浅間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯2
011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして
指定(予定)2011年「史跡アフィ保存管理計画」を策定(予エムソ
゙ネ定)B7冨士御室浅間神社冨士御室浅間神社は吉田口二合目に鎮
座した本宮(もとみや)と、河口湖畔に建立された里宮から構成さ
れている。8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたの
が最初とされ、アフィ中に祀られた最初の神社であると運営する文
献もある。富士修験の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合
目、御室浅間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役
行者堂が整備されたようである。また、社記によると958年、二
合目は冬季における参詣が難儀であることから運営河口湖畔の現在
地に里宮が建立されたという。江戸時代以降富士講の隆盛にともな
い、吉田口登山道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割は行唐
- 161 :
- に増すことになる。しかし、昭和に入ると富士信仰のありかたの変
化や、富士スバルラインの開通等もあ運営って吉田口登山道は衰退
する。それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、富士
御室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管理が困
難となって、1973年から74年にかけて、−32−本殿を里宮
地内に移転することとなる。運営修験や登拝といった様々な富士信
仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神とし
ての里宮が一体となって機能してきた神社である。写真冨士御室浅
間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1973年本宮本殿・
二合目から里宮境内運営地に移築、整備された(〜74年)198
5年本宮本殿・文化財保護法の下に重要文化財として指定1983
年回廊修理工事を行う1995年外部の漆塗の塗り直しほか一部補
修を行う2010年「重要文化財冨士御室浅間神社本殿保存活用計
画」を策定運営2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに
史跡アフィとして指定(予定)2011年「史跡アフィ保存管理計
画」を策定(予定)B8御師住宅御師は、道者に宿や食事を始め登
拝のための一切の世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うこ
と運営を業とした。アフィ御師として代表的なのは、吉田口登山道
の起点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に
沿って大規模な集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多く
は短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を運営流
れる水路の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室
が続き、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧外
川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最盛期の
典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外運営川家住宅は
、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉田市上吉田・下宿の東側
南端に位置する。1572年の町割によって成立した東西方向の奥
行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷地に建てられている沖香
- 162 :
- 川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩廼屋運営(しおのや)と号し
、富士信仰における上吉田に居住し、下総地域を檀家としたアフィ
御師である。1572年の「吉田宿屋敷割帳写」には、外川家の位
置に「仁科六郎ゑもん」の屋敷が記されており、外川家ではこの人
物を中興の初代としている。また運営、1669年の「検地帳」で
は、塩屋多兵衛の屋敷として確認される。御師としての活動は江戸
末期頃隆盛期を迎えるが、1962年に御師を廃業している。建物
の老朽化に伴い、所有者が取り壊す意向であったが、富士吉田市が
寄贈を受け、2006年運営から2007年にかけ大規模保存修理
事業を行った上で、2008年4月から富士吉田市歴史民俗博物館
の附属施設として一般公開されている。写真旧外川家住宅の写真表
法的保護、修理・整備の経緯2006年大規模保全修理を行う20
08年富士吉田運営市歴史民俗博物館の附属施設として一般公開を
行う2010年「山梨県指定有形文化財旧外川家住宅保存活用計画
」を策定2011年文化財保護法の下に重要文化財として指定小佐
野家住宅は、富士講によって大きく発展した御師集落である富士吉
田市上運営吉田地区にあって、富−33−士山に登拝する人々を宿
泊させた宿坊として、代表的な御師住宅である。上吉田地区は、富
士の雪代の被害を避けるため、1572年に旧地である古吉田地区
から集落ごと移転し、北口本宮冨士浅間神社の北西隅から北東方エムソ
゙ネ向の傾斜面に沿って短冊状に町割が行われたと伝えられている。
小佐野家住宅は、南北の間口が16m、東西方向の奥行きが150
mほどの長大な屋敷地に建てられている。小佐野家は、元亀の集落
移転に合わせて現在地に移転してきたと伝えられる。代運営々御師
を勤め、屋号を堀端屋と号し、江戸時代には当主は小佐野壱岐ある
いは小佐野大隈と名乗っていた。当家に宿泊する参詣者は年間1,
000人に達したとされる。現在、屋敷地の東側には所有者が住む
住居が建築されており、小佐野家住宅には所有運営者の親族が飽酪
- 163 :
- している。写真小佐野家住宅の写真表法的保護、修理・整備の経緯
1976年文化財保護法の下に重要文化財として指定1977年消
防設備設置を行う1979年屋根の葺替えを行う1996年雨樋い
の補修を行う1997年主屋、蔵の修運営理を行う1998年主屋
、蔵の修理を行い2010年「重要文化財小佐野家住宅保存活用計
画」を策定B9山中湖アフィの火山活動によって形成された堰止湖
で、アフィの北東に位置する。アフィ周辺の湖を巡って修行す履盾
- 164 :
- 八海巡りが行われたが、この運営山中湖にも多くの富士講徒が訪れ
た。古くから景勝地として有名で、20世紀前半には湖畔に洋式ホ
テルが建てられたほか、別荘地としても整備された。ゆかりのある
芸術家も多く、山中湖を描いた文学や絵画が散見する。アフィの頂
上付近に日の入りが運営重なる様子はダイアモンド富士と呼ばれ、
多くの写真家を集める。写真山中湖の写真B10河口湖アフィの火
山活動により形成された堰止湖で、アフィの北に位置する。アフィ
周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この河口湖に
も多くの富運営士講徒が訪れた。古くから景勝地として有名で、2
0世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられた。ゆかりのある芸術
家も多く、湖を題材にした文学や絵画は、富士五湖中この河口湖が
最も多い。葛飾北斎や歌川広重といった浮世絵師も、河口湖越しに
見運営えるアフィを描いている。写真河口湖の写真表法的保護、修
理・整備の経緯(B9・B10)1936年所在地が国立公園法の
下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静
穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に運営本
栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制される−34−2011年
文化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五湖
保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八海アフィの北東、忍野
村忍草にある、アフィの伏流水による八つの湧水地運営(出口池、
御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)の愛称であ
る。それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関わる巡拝地であった。
富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れを祓った。長谷川角行が
行った富士八海修行になぞられ「富士御手運営洗(みてらし)元八
湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、1843年に富士講道者
によって再興されたとされる。写真忍野八海の写真(どれか1つ)
図忍野八海周辺図表法的保護、修理・整備の経緯1934年史蹟名
勝天然紀念物保存法の下に天然紀運営念物に指定2010年忍蒸塾
- 165 :
- 景観計画を策定、忍野八海周辺を景観形成重点区域に指定2010
年街なみ環境整備事業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜1
4年)2011年「天然記念物忍野八海保存管理計画」を策定(予
定)B12船津胎内樹型運営1617年、富士講の祖とされる長谷
川角行が富士登拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼入(船津胎内樹
型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)
を発見し、浅間明神を祀った。1673年、富士講道者村上光清に
より現船津胎内運営樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間
明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむ
ろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社号を無
戸室浅間神社と名付けた。富士道者は、富士登拝の際に、樹型を入
って身運営を清める風習があり、洞穴内外の地形空間に宗教的な意
義付けが行われるとともに、奥には富士講にとってのアフィの祭神
である木花開耶姫などが祀られている。写真船津胎内樹型の写真表
法的保護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天然記念物法のエムソ
゙ネ下に天然紀念物として指定2010年「山梨県南都留郡富士河口
湖町町内国指定天然記念物溶岩洞穴等保存管理・整備活用計画書」
を策定B13吉田胎内樹型吉田胎内本穴は、1892年に富士道者
により整備された「御胎内」である。吉田胎内本穴の奥運営には、
石祠があって富士講にとってのアフィの祭神である木花開耶姫が祀
られている。樹型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠
があり、その下段には、さらに横穴があり左右に分かれている。右
の穴が天津彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、運営左の穴が木花開
耶姫を祀る母の胎内である。富士講講徒は、昼までに御師の家に着
き、夕方まで胎内巡りをし、翌朝アフィに登山した。−35−本穴
については、古くから冨士山北口御師団が管理している。写真吉田
胎内樹型の写真表法的保護、修理・整運営備の経緯1929年史跡
名勝天然紀念物法の下に天然紀念物として指定2010年「天符汽
- 166 :
- で建立年代のわかる89基の内、富士講が隆盛した18世紀末から
19世紀前半(1781から18運営50年)に建立されたものが
半数(44基)、19世紀末より20世紀前半(1871から19
40年)のものが3分の1(29基)を占める。写真B14の写真
B15白糸ノ滝人穴の北方約5kmにある落差約20〜25m・幅
約120〜210mの数運営百の流れを持つ滝である。滝は約1万
年前に噴出した白糸溶岩流の末端から湧き出す一日平均13万在不
- 167 :
- 水を源としている。滝の名前は湧水の噴出が数百条の白糸が垂れて
いるように見えるため名づけられた。湧水のメカニズムは、湧玉池
と同様であり、運営透水性の白糸溶岩流と不透水性の古富士泥流の
境界に降水・雪解け水が滞水し、三層の溶岩の隙間、及び溶岩流と
泥流層の間より湧き出しているものである。このメカニズムが解明
される前の19世紀半ばの資料「不二山道知留邊」ではその起源を
富士五運営湖の伏流水としていた。白糸ノ滝は富士講関連の文書で
は、開祖とされる長谷川角行が人穴での立行と合わせて水行を行っ
た地と記されている。−36−その後、白糸の滝は富士講を中心と
した人々の巡礼の場となった。その様子は1845年と1854エムソ
゙ネ年にこの地を訪れた富士講先達の記録で確認でき、滝つぼの中で
垢離をとる信者の周囲に虹が出来る現象を「御来光」としている。
また、周辺にある食行身禄の碑や不動尊が同書の挿画に描かれてい
る。そのほかの19世紀の登山記でも人穴と共にその存運営在が長
谷川角行との関わりを通して紹介されている。また、白糸ノ滝は景
勝地としても有名であり、多くの和歌・絵画の題材となっている。
写真B15の写真表法的保護、修理・整備の経緯1936年所在地
が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指運営定1936年史
蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定1987
年富士宮市により「白糸ノ滝」保存管理計画が策定2010年富士
宮市により保存管理計画が改定され、これにともなった整備計画に
基づき、滝周辺の景観整備が行われた運営(3)眺望C三保松原富
士山頂の南西約45kmに位置する駿河湾に突き出した長さ約7k
mの砂嘴をなす三保半島上の松原である。現在、5万4千本の黒松
が外海側海岸線4kmを中心に繁茂し、その中でも樹齢約650年
といわれる「羽衣の松」付近運営は、アフィと砂浜の松という日本
で好まれた景観を組み合わせて望むことができる景勝地として知ら
れている。三保松原のある三保半島は約6000年前に現在の診営
- 168 :
- なったと考えられ、三保の名前は内海側の三つの岬を稲穂にたとえ
たという説が有力で運営ある。かつては半島一帯に松が繁茂し、8
世紀初頭には松原自体を景勝地として捉えた和歌が詠まれ、「万葉
集」に掲載された。その後遅くとも13世紀初頭までに三保松原は
後鳥羽上皇など中央の権力者にアフィと組み合わされた景勝地とし
て認識され運営、14〜15世紀には室町幕府将軍足利義満と足利
義教が三保半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船で渡り富
士山を眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保半島内海側
に富士見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌等の詩の題
材運営となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞台とした
謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した。降臨した
天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話の最終場面ではヒロイ
ンの天女がアフィ方向へ飛び去っていく描写が見られる。こ運営れ
はすでに成立していた「竹取物語」で示されたアフィの噴煙が天上
と地上とを結んでいるとする考えとの関係が指摘されている。この
作品は、19世紀後半、海外へ伝えられ、イェーツ、パウンドとい
ったモダニズムの作家に影響を与えるとともに、伝運営統芸能であ
る「能」が世界に広まるきっかけを作った作品である。また、絵画
でも15〜16世紀には三保松原を右にアフィを左に配する構図が
描かれ、この構図は狩野探幽により完成され、19世紀に至るまで
日本画・浮世絵においてアフィを描く際の運営典型的構図とされた
。また、20世紀には和田英作が「羽衣の松」付近から見たアフィ
を数多く描いた。三保松原は16世紀以降、江戸幕府の直轄地とな
り松が守られてきた。江戸幕府滅亡後は内海側の開発が進んだが、
外海側の景観は保たれ、1922運営年、国内初の名勝として国文
化財に指定された。現在、砂礫の供給減による海岸侵食とマツクイ
ムシによる松の枯死が進んでいるため、静岡市及び地元民間団体に
よる保護活動が行われている。写真三保松原(現在の写真・静魂浸
- 169 :
- )写真歌川広重の浮世絵運営−37−写真三保松原の写真表法的保
護、修理・整備の経緯1922年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に
名勝に指定1976年名勝「三保松原」管理計画書を策定1977
年名勝地内の一部が指定解除1989年名勝「三保松原」保存管理
計画書を改定1運営990年名勝地内の一部が追加指定及び指定解
除2011年名勝「三保松原」保存管理計画書を改定第3章保存管
理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境を構成する諸要素世
界文化遺産「アフィ」の顕著な普遍的価値は以下に示すとおりであ
る。「運営アフィ」の顕著な普遍的価値アフィは、日本を代表し象
徴する日本最高峰(標高3776m)の秀麗な独立した火山として
世界的に著名であり、その自然的美しさと崇高さを基盤として日本
人の自然に対する信仰の在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎エムソ
゙ネや歌川広重などによる顕著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの
日本独自の芸術文化を育んだ「名山」である。アフィは山岳に対す
る信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の
諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物運営証であ
るのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑
出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持
つ山である。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資産に含まれ
る要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素運営」と「顕著な普
遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さら
に緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示
すとおり整理を行った。Aアフィ山体及び登山道B信仰に関わる周
辺のものCアフィから離れた眺望に関運営わるもの表アフィの構成
要素Aアフィ(アフィ体)A1山頂信仰遺跡・アフィ本宮奥宮・東
北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰、白山岳、
久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)・
大内院・小内院・馬の背・東運営安河原・西安河原・虎岩(獅菌壁
- 170 :
- )・割石・雷岩・このしろが池・荒巻・吉田須走拝所跡・須山拝所
跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経塚・外浜道・内浜道A2大宮・村
山口登山道・札打場・中宮八幡堂跡(1号建物跡)・八大龍王・5
号建物跡・8号建物運営跡・12号建物跡・鳥居A3須山口登山道
・須山御胎内(溶岩洞穴)・石像・石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須
走口登山道・古御岳神社・迎久須志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5
吉田口登山道・現登山道・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩暴濁
- 171 :
- 北口本宮冨運営士浅間神社−38−−39−・本殿・東宮本殿・西
宮本殿・大塚山・御鞍石A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9本栖
湖・湖水・中ノ倉峠からの展望B1アフィ本宮浅間大社・神立山・
湧玉池(上池、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)・透塀・
楼運営門・手水舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・桜の馬
場・禊所・神幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡(推定)
・随身像・狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・鉾立石・欄
干橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩流地形・運営社
叢・籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁・玉垣・遥拝所
・石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩流・水源地「竜頭ヶ
池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢・浅間神社社殿・大日堂
(興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神社(高嶺総鎮運営守社)・石
鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)・石段(参道)・狛犬B4須
山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿・狛犬・灯籠・手水舎・参道・鳥
居・石碑・古宮神社B5冨士浅間神社(須走浅間神社)・社叢(浅
間の杜)・ハルニレ・エゾヤマザクラ・根運営上がりモミ・社殿・
楼門・参道大鳥居・裏参道鳥居・富士塚狛犬・富士講講碑群B6河
口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神社・吉田口二合目(拝
殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石)・移築された二合目本
殿B8御師住宅(旧外川家住宅、運営小佐野家住宅)・主屋・離座
敷・中門・屋敷地(タツミチ)B9山中湖・湖水B10河口湖・湖
水B11忍野八海・八つの池(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、
湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・湧水B12船津胎内樹型・溶岩樹型
・無戸室浅間神社、石造運営物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型・
洞内の石祠、石造物群−40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神
社)・犬涼み溶岩流・溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参
道・建物跡・参道跡・道跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古
富士泥流堆積物運営・白糸溶岩流・白糸の滝・音止の滝・鬢撫盗老
- 172 :
- 植物・富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・アフィの展望・富士
の巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規制
B地区・第1種規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区@自然
地形(運営山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹
型等アフィ体・側火山からの噴出物による地形・アフィ原始林及び
青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本栖
風穴等)A森林、植栽樹木(山林を構成する森林、寺社・遺跡等エムソ
゙ネの植栽樹木など)・自然林、森林施業地、人工林・社叢林、境内
林・アフィ特定地理等保護林・富士箱根伊豆国立公園アフィ管理計
画区B保存管理又は公開活用を目的とした建造物(展示館、管理棟
、解説板など)・総合案内標識、解説板C道路とその他運営の人工
物(生活用道路、電柱、看板など)顕著な普遍的価値を構成する諸
要素と密接に関わる諸要素・アフィ測候所・NTTアフィ頂分室・
便益施設@自然的要素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵文
化財、社寺境内、伝承地など)成する諸要素周運営辺環境を構B人
文的要素(農耕地、市街地、道路、その他人工物)上表において分
類した諸要素について、以下に提示する。(1)顕著な普遍的価値
を構成する諸要素@アフィ山体及び登山道Aアフィアフィ体のうち
、標高約1500m以上の範囲である運営。この範囲は、周辺の浅
間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑
賞の側面における比重が最も高い。各登山道における山体の神聖性
に関する境界の一つである「馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教
的観点からも不可能になる地運営点)の標高以上の範囲とほぼ一致
している。地元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「
オヤマ」又は「オヤマサマ」と呼び、アフィの範囲と見なす地域も
あった。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」
と「山体」の境界と運営して認識され、稜線が優美な曲線を描き絵
画などの対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルー麗領
- 173 :
- は、現在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿っ
て、アフィ体を一周する。15〜16世紀ごろ富士講の祖とされる
長谷川角行運営によって開かれたとされその後大沢崩れ−41−を
通るため富士講信者により修行の道として利用された。写真標高約
1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺跡の分布図・
アフィ本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、7、8月の開山期に
の運営み開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命である。『本朝世紀
』には、久安5年(1149)「富士上人末代は、アフィに数百度
登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、写経を埋納下した」とあ
る。江戸時代には、村山三坊所有の大日堂があったが、明治運営7
年(1874)、廃仏毀釈により山中の仏像を取り除き、大日堂跡
へ奥宮を建立し、浅間大神を祭った。写真奥宮の写真[奥宮周辺の
石碑群](a)蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ18p)奥宮
の裏手、浅間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が運営、もう一方
には虎の絵が彫られている。天保年間(1830−34)に、岸岱
が作ったとされる。(b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ3
1p)奥宮の前に所在する。碑面に「鎮國之山」と彫られている。
明治31年(1898)に書家の中林梧竹運営により建碑された。
後年、落雷により破壊されたが、昭和42年(1967)に再建さ
れた。・東北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅
命、少彦名命を祀る。須走口登山道、吉田口登山道の終点にある。
室町時代以降、頂上の一つである運営久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬
師堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であ
った。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久須
志神社と改称した。写真東北奥宮の写真・金明水雪解け水が湧く泉
で、その湧き水は霊験あ運営らたかな「御霊水」として珍重された
。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲われ、旗や
幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、アフィ頂の霊憬亭
- 174 :
- らたかな湧き水として珍重された。『富士の歴史』によれば、「如
何なる旱にも水運営の涸れることはない」と記している。写真銀明
水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@(高さ112×幅62p
)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2つの年代が確認で
きる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。(b)石碑A(
高さ1運営62×下幅76×上幅63p)表面に龍が、裏面には文
字が刻まれている。(c)石碑B(未計測)「大正十三年八月堪呪
- 175 :
- 刻してある。写真銀明水の石碑群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、
白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、エムソ
゙ネ三島岳)山頂部の直径約800mの火口を囲む峰々の総称で、そ
れぞれの峰に仏が住むとされた。文永年中(1264〜1275)
の作である『万葉集註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とある
ことから、鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」運営に見立
てていたと考えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土
記』には「ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマ
カニカゾヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉を構成する
峰も、またその名称も一定でないことがわかる運営。峰の名称は、
明治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更された。以
下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査報
告書で示された9つの峰について、最高峰の剣ヶ峰からお鉢巡りの
回り方である時計回りの順に、記述す運営る。なお、浅間大社では
、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図八葉の配置
図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰、阿弥陀岳と
も呼ばれた。遠くから見ると剣を立てたようにそびえ立っているた
めにこの名があるという。道運営者たちはあまりに険しいこの峰を
恐れて多くは登らなかったという。この峰の石は「神の惜ミ給ふ」
とされ、採取を禁じられたが、麓からの石と取り替えるということ
が行われていた。写真剣ヶ峰の写真図気象庁測候所跡周辺の平面図
[白山岳(標高約3運営,756m)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ば
れた。現在は一般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち、
また二等三角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725m)]
かつては薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。
他の峰々と運営比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥居が火口の
方向に向けて建てられている。頂上付近には石造物が残存し、首か
ら上と手首から先が欠損している。台座正面に「食行」「身禄渉倫
- 176 :
- 文字が確認できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約
3運営,734m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居
が、噴火口の方角を向いて建てられている。[伊豆岳(標高約3,
748m)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社
の歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の運営険
を越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。
頂上には鳥居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]伊
豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。頂上に
鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明であ運営る。他の峰
々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,722m)
]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現在は一般の立
入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,718m)]聖徳太子
が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息運営をとったという伝説
のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰全体が岩石からできて
いる。[三島岳(標高約3,734m)]−43−かつては文殊岳
とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居と、「三島岳」と刻まれた白い角
材の木杭が立っている。三島岳の運営石仏群として、三島岳のふも
と、かつて経塚が発見された付近に、10体の石像が安置されてい
る。これらは原位置を留めておらず、周辺にあったものが集められ
たと考えられる。いずれも頭部を欠損している。・大内院山頂の火
口中央に存在する穴で、運営ここより雲が生じ、風が起きるとされ
た。大内院(噴火口)は中央にある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ
窪)は雷岩の下の小さな火口を指す。神や仏の居る所であると信じ
られ、登山者は各登山口に設けられた拝所あるいは初穂打場から、
噴火口に向けて運営賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立入は禁
止されている。写真大内院の写真・小内院西安河原から白山岳に向
かう途中にある大きな窪地で、大内院との対比で小内院と呼ばれる
。かつては噴火口だったと考えられる。写真小内院の写真・馬麗材
- 177 :
- 剣ヶ峰運営に通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整地
されている。火口に向けて傾斜しており、その険しさから道者たち
の多くは剣ヶ峰に登らなかったといわれる。・東安河原須山口拝エムソ
゙ネ所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である。かつては現世
と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を
積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向け
て賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河運営原と対
をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦部である。火口の外壁
を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置する。・虎岩(
獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(獅子)のうず
くまる姿に似ていることから名付けられた。・運営割石かつては「
釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、溶岩が急速に冷えて固まったため
割れていた。高さが15m程あったが、現在は崩壊してしまってい
る。古くから行者の修行場として知られ、食行身禄がここで入定し
ようとしたが、大宮浅間の社人からの運営許可が得られず、吉田口
七合五勺の烏帽子岩で入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白
山岳の西側にある岩で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼
ばれたとされる。また、文化年間の初め、岩より雷鳴がとどろいて
雷獣が出現し、8合目の石室運営に走り入った。これを石室に居合
わせた人々が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島
岳の雪解け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月
に姿を現し、雪解け水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻−
44−かつては勢至運営ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付けるアフィ
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた石
組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったところに
あったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、登山者たちが賽銭を
噴火口の大運営内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間大菩薩網転
- 178 :
- む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった。現在は、付
近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特定することはで
きない。写真吉田須走拝所跡の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の火
口運営を臨む位置にあったとされる。大正2年(1913)の登山
スタンプが押された写真では、銀明水裏手の火口の縁に立っている
鳥居が確認できる。現在その地点には、2つの目印の石が存在して
いる。写真須山拝所跡の写真・村山大宮拝所跡『隔掻録』は運悔膳
- 179 :
- 大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮拝所」としている。『アフィ明細
図』は、このしろが池の裏手の鳥居を影拝所としている。このしろ
が池から剣ヶ峰の登山道に沿って3体の大日如来があり、それぞれ
延徳2年(1490)、天文12年(1543)、運営寛永元年(
1624)の銘があったとされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰
の手前の火口を臨む位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所
跡の写真・三島ヶ岳経塚昭和4年(1929)、頂上の神官が銅仏
の破片と一石経を採集して下山、それを受運営けて昭和5年に三島
岳のふもとを調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片
などの遺物が出土した。アフィ本宮浅間大社には、現在10巻分の
経巻が残っており、うち5巻は開かれていて内容を確認できる。経
巻のスタイルや計測値から平安時運営代後期までさかのぼる可能性
が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回し
八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河原の
北側で道が二手に分かれるが、峰の外を回り雷岩、割石を経て白山
岳に至る道が外浜道で、運営峰の内側を大内院に沿って回り金明水
に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作物や自然物が
数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在は立入禁止とな
っている。A2大宮・村山口登山道図登山道に要素が点在している
平面図・札打場運営村山浅間神社の北東約3.5q、天照教社の西
南西約1qの地点(標高約830m)に、東西約7m、南北約10
mの平場がある。南側に1本の大きなケヤキの巨木があり、ここが
札打場であった。札打とは、自分の院号を記した札を打ちつけるこ
とであ運営る。村山で修験道が盛んであった頃、山伏が峰入修行に
先立ち札打を行った。昭和30年(1955)頃までは、木に打ち
つけた札が見られたという写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号
建物跡)村山口登山道跡とアフィスカイラインが交差する地点かエムソ
゙ネら南西方向に約500mの地点に位置する。標高は約1,2丁殺
- 180 :
- mである。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。
平坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている。
また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。運営江戸時
代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここか
らは女人は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として
使われた時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側には溝が東
西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡運営をたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写真・八
大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王」と
刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられている。水神祠には「文
化十三年寅年六月日」、八大龍王には運営「文化七年七月十七日」
との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の主人が、天保
14年(1843)から文久3年(1863)にかけて記録した『
袖日記』には、安政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡
堂の井戸を掘ったので山が荒運営れた」との記述がある。この「中
宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考え
られている。井戸跡は幅80p、深さ50pほどである。・5号建
物跡4号建物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯と
なり、その中に5号運営建物跡がある。標高は約1,865mであ
る。平成5年の富士宮市による調査では、平場の北側の斜面の縁に
3体の石像が発見されていたが、平成20年の静岡県埋蔵文化財調
査研究所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒れた際
に地面が掘運営り起こされ、地中にあった石像が地上に現われたと
考えられる。うち1体の不動明王像には、文化7年(1810)の
銘がある。背面には「瀧本前」と刻まれており、ここが「アフィ表
口南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であ
る運営と推測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる
。廃仏毀釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内箋斉
- 181 :
- 5号建物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡
7号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の運営位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の中
で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西部の
平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残存して
おり、石段の東西には石垣が組まれている。また平運営場中央部よ
りやや西に護摩壇と思われる石組も残存している。もう一つの北東
部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸約15m、短軸
約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の縁に石組が確認で
きる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」と運営して載っており、「
アフィ表口南面路次社堂室有来之次第絵図」に描かれた「室大日堂
・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられる。室大日堂は大日如来と
役行者像が祀られていたとの記述が『駿河国新風土記』にあり、ま
た末代上人が建てた往生寺があっ運営たところだともいわれている
。写真8号建物跡の写真・12号建物跡村山口登山道跡に残る遺構
のうちで、一番標高の高い位置(約2,390m)にある。11号
建物跡から北に50mの地点に所在する。東西約8m、南北約5m
の方形の区画が石組によ運営って作られている。東側には直径約9
0pの丸い穴が二つある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)
便所跡と考えられる。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然
木により構築された鳥居が設置されている。「昭和五十二年七月吉
日」と刻まれて運営おり、個人が設置したものである。A3須山口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞
穴)旧須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長1
0m余の溶岩洞穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に
入口が運営あり、内部を通り抜けることができる。登山者は、この
洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は
数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在苛翌
- 182 :
- さになった。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶エムソ
゙ネ岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。この付近の溶岩
は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では1030〜1230
年という結果が出ており、永保3年(1083)の噴火時に噴出し
た可能性がある。平成21年に実施した測量調査では、運営須山胎
内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付近から認められてお
り、須山口登山道がこの溶岩流に沿って形成されていることが鉛勲
- 183 :
- した。写真須山御胎内の写真・石像須山御胎内の洞穴内部に、「木
花咲耶姫」の石像が安置されている。地元在住運営の彫刻家、杉山
拓氏の作品。須山口登山道復興後の平成12年に作られたものであ
る。・石燈篭須山御胎内の南東側入口の両脇に、石燈篭が設置され
ている。・鳥居須山御胎内の南東側入口前に高さ3m前後の木製の
鳥居が建てられている。・標柱鳥居脇運営に、「旧須山口登山道一
合目(須山御胎内)」と記された標柱が、アフィ須山口登山道保存
会によって設置されている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状
の溶岩地形脇に、石造りの祠が設置されている。写真祠の写真A4
須走口登山道図登山道に要素運営が点在している平面図・古御岳神
社冨士浅間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在
の社殿は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九
尺の規模である。その際、御室浅間神社を合祀した。神社の前には
鳥居がある。かつて運営は3000坪の境内地を持ち、本殿、拝殿
、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志之神
社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)に建て
られている。かつては向薬師、向ヒ薬師、手引薬師と呼ばれ、石室
の中に薬師運営如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管理していた。
元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富士信安等返答下
書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、江戸時代初期以降
にはすでに祀られていたものと考えられる。道者はここで薬師に線
香運営を手向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を降ろされ迎
久須志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以前
は登山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物の東側
を通るようになっている。迎久須志神社の直下には、「日ノ運営見
御前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を遥拝する場所があり、江戸
時代には「日ノ御子石」というアフィ型の石が置かれていた。富士
講の講中が大きな平石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ粗伏
- 184 :
- 石」はないが、祠と鳥居が建てられている。写真迎運営久須志之神
社の写真・鳥居登山道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山
道終点)、9合目、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御
嶽神社前に自然木などにより構築された鳥居が設置されている。・
狛犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置運営されている。この場
所は「鳥居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目
付近の登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高
い場所にあったが、雪崩によって流されて別の場所に転がっていた
ものを山小屋関係者で運び、現在運営の場所に設置したという。日
付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉田口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口登山道
は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、アフィ頂を目指す道である
。18世紀後半以降は、運営最も多くの道者が吉田口登山道を目指
している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる
重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要素として、現存す
る吉田口登山道や沿道の宗教施設や山小屋等信仰の拠点などがある
。・旧登山道・運営馬返ここから急坂となり馬が使えなくなること
からこの名がついた。この一体は草山から木山への境でもあり、こ
こからが御山の聖地ということにもなる。アフィ有料道路が開通す
る以前の馬返の周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平
地であ運営り、登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わっ
た。登山期間には4軒の茶屋が営業され、登拝者の便に供された。
写真馬返周辺の写真・五合目ここは木山と焼山の境界でもあるこの
地は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。役場、エムソ
゙ネ中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三
社の神供料として役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所
となった。小屋については、江戸後期には4軒があったが、すでに
武田信玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称運営が諦黄
- 185 :
- より西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇股に挿
入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最も古い建
物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西運営宮本殿西宮
本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わ
る本殿として建立されたが、1615年、鳥居成次の本殿建立によ
り現在地に移され西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一間社流
造であるが、両側面と背面は二間で一間の運営向拝をつける。羽裁
- 186 :
- 本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、やがて豪
華な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞できる貴重
な建物である。−49−写真西宮本殿の写真図西宮本殿の図・大塚
山社誌では、日本武尊がアフィを運営遙拝した地であり、ここを浅
間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに、788年
には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社として日本武
尊を分祀したと伝えられる。現在この地は、流山状の小高い丘をな
しており、日本武尊を祀運営る祠が建てられている。写真大塚山の
写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。
吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる
。ここで読まれる祝詞の一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とさ
れる。写真御鞍運営石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要
素が点在している平面図アフィ周辺の湖を巡って修行する内八海巡
りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの
芸術作運営品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素
として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8精進湖
図以下に示す要素が点在している平面図アフィ周辺の湖を巡って修
行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつのエムソ
゙ネ時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の
地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を
構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写真精進湖
の写真A9本栖湖図以下に示す要素が点在している平面運営図富士
山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって
行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられてい
る。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕
著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然運営地形(湖水)や
中ノ倉峠からの展望などがある。写真本栖湖の写真A信仰に関要失
- 187 :
- 周辺のものB1アフィ本宮浅間大社図以下に示す要素が点在してい
る平面図・神立山本殿の北側にある丘陵地一帯は神立山と称される
。神立山及びアフィ本宮浅間大社の基運営盤を構成する地形は、新
富士火山旧期溶岩流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広
がる扇状地堆積物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあた
る。そのため指定地内の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見
される。また、当該地区は風運営致地区・保安林にも指定され、渋
沢堀沿いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(
1670)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築
物が描かれ、発掘調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。写真神
立山の写真・湧玉池運営(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」は、
国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、アフィに降った雨
や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ
、溶岩流末端で湧出して池になったものである。禊所付近を境に上
池と下池に運営分かれ、以前は上池のみを湧玉池、下池から下流を
御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心身を清めた後山
中へ向かうという、アフィ信仰と関連の深い池であった。現在も富
士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる。写真湧玉
池運営の写真図詳細平面図・社叢神立山表層部は約3万8千uにわ
たってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生育しており、富士宮市保存樹
林に指定されている。また、野鳥の生息に適した環境でもあり、「
野鳥の森」碑が建てられている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿運営・
透塀・楼門)浅間大社は、社伝によれば大同元年(806)に造営
されたという。かつての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の
浅間神社の総本社として崇められている。現在の社殿は、慶長9〜
11年(1604〜06)に徳川家康が造営したも運営のである。
写真社殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財
である。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で窒糸
- 188 :
- 例を見ない。1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階上層は
桁行3間・梁間2間の三間社流造で共に桧運営皮葺である。明治4
0年(1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に
指定され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本
殿全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図(幣殿・拝殿含む)
[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分運営で、桁行3間・梁間3間の両
下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図には幣殿は描かれていない
が、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間ひはだぶき
」と書き込まれており、本殿の全景がよく見えるように描かれたと
推測される。県指定文化運営財として保護されている。[拝殿]桁
行5間・梁間3間で、床は幣殿より2段高くなっている。正面が入
母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付い
ている。三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続している。県指定文
化財として保護運営されている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、
その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を
囲む1棟−51−の計2棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文化
財として保護されている。[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋
根は檜運営皮葺、正面・左右脇に扉がついている。楼門の左右には
随身像が安置してある。静岡県指定文化財として保護されている。
写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼門から東西に伸びる回廊
は、昭和9年(1934)に付加されたものである。・手水舎楼エムソ
゙ネ門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清めるために手や口をすす
ぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれの灯籠が境内各所に設置さ
れている。・石鳥居本殿へ続く参道に石造りの鳥居が建てられてい
る。昭和33年3月に寄進されたものである。・東鳥居運営・西鳥
居桜の馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗りの鳥居が建てられている
。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り行われる馬場が約200mに
渡って東西に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った子債
- 189 :
- 流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町運営時代の初期には
すでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿って両
側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と下池の境
部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組まれている。・神幸
橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川への運営流出口に石造りの橋が架
けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発し
たとされる。寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺述培
- 190 :
- ている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋
が架けられている。寛文10運営年の絵図には既に描かれているが
、大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真図
輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年
の発掘調査により、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣
と建物跡が検出され運営た。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正
方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物
跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有し
ていたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこ
の建物跡を運営「本地堂」とする記載が確認されており、最終的に
護摩堂から本地堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発
掘調査時の完掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1
614)2月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山
住運営番匠石川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住
櫻井三蔵作」と記され、市指定有形文化財として保護されている。
写真随身像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられ
ている。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸道運営首
標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道
の首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未
年十一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれ
ている。昭和59年(1984)に浅間大社境内の運営土中から発
見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三御
子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之宮
本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神社」が
建てられている。・鉾立石楼門前の石段に運営は、鉾立石が置かれ
ている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の際、神の宿った
鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神路橋、神路枚橋)池
畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている。島の西側が神路橋随闘
- 191 :
- 側が神路枚橋であるが、寛文10運営年(1670)の絵図では西
側にのみ架けられている。写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図
B2山宮浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・溶岩流
地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至るまでの区域
は北山溶岩流上に展開し運営ている。また、遥拝所が位置する小高
い丘陵は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、
天母山(二子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展
開する。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を
含め、4つの異運営なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥
拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火に
よって流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区
域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。そのために、樹
木等に運営遮られることなくアフィの山頂まで見渡せていたため、
この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写真溶岩流
地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通りの幹周が3
mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9,780uの社叢を形エムソ
゙ネ成しており、富士宮市の保存樹林に指定されている。・籠屋(参
籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が建てられている。籠
屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間神社を往復する祭儀「
山宮御神幸」において、これに同行した大宮司以下の諸運営職が一
夜参籠した場所である。−53−・鉾立石籠屋をくぐり遥拝所へ続
く参道に、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石
」が置かれている。石は火山弾であり、籠屋をくぐってすぐの位置
に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれて運営いる。・石段(
参道)遥拝所が位置する丘陵へ登るための石段が組まれている。現
在あるものは戦中もしくは戦後に改築されたものと考えられる。・
石塁遥拝所の周辺約45m四方が石塁により方形に区切られている
。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積運営み上げて構築され、鳥万
- 192 :
- 的に遺物を含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いら
れたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた1
2世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定さ
れる。写真石塁の写真図石塁運営の平面図・断面図・玉垣遥拝所の
周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦
後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・遥拝所アフィを直接拝礼し、祭儀を行
うことを目的として運営築造されたと推定される施設である。南北
約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40p程度の溶
岩を用いて石列等によって組まれている。アフィを拝む方向に祭壇
が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公文・
案主席、献運営饌所が、向かって右側に別当・供僧席が設けられて
いる。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に
、石鳥居が建てられている。昭和6年(1931)に建立されたも
のである。・参道石鳥居から籠屋まで参道が続いている。B3村山
浅運営間神社図以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩
流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあ
たる。見付の間は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。
村山地区は標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一運営段
高い場所に位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池
」と呼ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてき
た。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西
側から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落運営を成立させ
た要因の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]
−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定さ
れた。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1
9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根運営の発達も著しい。気
根が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産祝貿
- 193 :
- 乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以前
はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀でし
め縄を張る。[大スギ]昭和31運営年5月24日に県天然記念物
に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。境内
の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17
.5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及
ぶ空洞がある。案内板で運営は約1,000年の樹齢とされる二娠
- 194 :
- 実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸
高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ
1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキ
やスギである。運営富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間
神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間
七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命、
彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊
・伊弉運営冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2年(1913)
に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さら
に鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。写真社殿の写真
図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317エムソ
゙ネ〜1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開
いたと伝えられている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂
で、アフィの本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、部
材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造運営と考え
られるが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間
7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側
面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図社殿の図面
・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝運営の道者が垢離を
とって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4mの長方形
で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みと
なっている。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍
頭池湧水を引き、上の段から樋で落と運営し垢離を取るようにして
ある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石
像が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあ
り、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石
で囲んだ一辺5.3mの丸い運営石組となっている。丸い石組の前
に置かれた葛石には、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4鉄阜
- 195 :
- 1857)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い
石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思わ
れる。写真護摩壇の運営写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護
摩壇裏手の一段高くなったところに末代上人を祀る大棟梁権現社が
あったとされる。しかし、神仏分離令により廃され、代わりに村山
浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社
を遷し「富運営士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在
は「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「
明治十八年五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残され
ている。現在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅
間運営神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和
28年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社
(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。
平成15年の再建に合わせて建てられたものである。・手水運営舎
(手水鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置
されている。明治16年(1883)に設置されたものである。・
石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂へ
続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭運営和5年に奉
納された狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社
図以下に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢500年を超え
るスギの巨木が22本あり、中には樹高37m、目通りの太さが7
mを超えるものも見られる。社叢全体が市運営指定天然記念物とし
て保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によ
れば、天元4年(961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したと
の記録がある。その後の記録として社殿の存在が確認できるのは、
大永4年(1524)と記された運営修築時の棟札による。現在の
社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真社
殿の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用さ画拍
- 196 :
- 神輿を納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内
には、社殿前と石段手前運営の参道脇に計二対の狛犬が設置されて
いる。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に
奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている
。登り口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは
、それぞれ寛保運営2年(1742)、文政6年に奉納されたもの
である。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、
手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−年と刻
まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほどは石畳が敷
かれ、運営その後社殿の位置する高台へ登るためにコンクリート製
の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート
製の鳥居が建てられている。昭和41年(1966)に奉納された
ものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を受けていたエムソ
゙ネことを示す碑が建てられている。・古宮神社八坂大神、八幡大神
、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中
にあり、旧本殿と推測される建物である。B5冨士浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・社叢(浅間の杜)社運営殿周囲
と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参道南側の部分を浅間
の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大樹が生育してい
る。・ハルニレ昭和38年(1963)2月19日に静岡県の天然
記念物に指定された。根回り約6m、目通り4運営m、樹高24.
50m、枝張東西28.10m、南北23.50m、樹齢約500
年。北日本の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社
以外の小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生
育している。・エゾヤマザクラ昭和5運営8年5月1日に小山町の
天然記念物に指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、
目通り1.75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.
5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、錦沙
- 197 :
- 県が南限である。県内ではま運営れな樹種である。・根上がりモミ
平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。この
根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデの種子が生
え、宝永噴火の火山運営灰土が、降雨により流亡しながらモミが成
長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりになったと考
えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成18年8江書
- 198 :
- 4日に小山町の文化財(建造物)に指定された。宝永噴火により大
きな損害を運営受けたが、享保3年(1718)に再建された。そ
の後蟻害や老朽化により改修したものの、部材は享保年間(171
6〜36)のものが今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝
殿が連結した権現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本
殿運営は享保年間の遺構を残した流造りとなっている。−57−構
造は、拝殿が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千
鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造
、向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の運営写
真図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付き
の縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神として配
神されている。宝永噴火により社殿とともに大破しており、現在の
ものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時運営に再建され
たものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋
造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先
としている。・参道大鳥居参道入口には、花崗岩の石鳥居が建てら
れている。春日造で、額束には「不二山」運営と刻まれている。明
治33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬
楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれてい
る。・富士講講碑群明治より昭和運営にかけて、各地の富士講より
寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く富士登山が
成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたも
ので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられてい
る。写真富士講講碑群の運営写真図富士講講碑群の配置図B6河口
浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図河口浅間神社は、
864〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓でも浅間神
社が建てられることになったが、その神社である可能性が高い膜送
- 199 :
- 在もアフィと密運営接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的
背景と相俟って、アフィ信仰を語る上で欠かすことのできない資産
である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠
点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居
河口浅運営間神社創建は、平安時代の865年に遡る可能性がある
。建立目的はアフィの噴火を鎮めるためであり、当時のアフィ及び
噴火ということに対する当時の考え方を理解することができる。鳥
居は1697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記されエムソ
゙ネた「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社
殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点
在している平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田
口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富運営士山中
に祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと
みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現在
の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広
い境内に敷地内に移設されている。修行や登拝運営といった様々な
富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土
神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な普遍的価値を
構成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿などがある
。・吉田口二合目吉田口登山道二合目運営に御室浅間名字(本宮)
が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳
らかでないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をしつらえたの
が最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、平安末期には浅
間神の信仰に修験道が習合し運営て、アフィが霊験所の一として広
く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口の村山であるが、北口
の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点として行者堂が設置されて
いた。・本殿本殿は、1612年に当時の甲斐国都留郡領主であっ
た鳥居土佐守成次に運営よって桃山時代建築様式の神社建物に評脇
- 200 :
- されたことが棟札から明らかにされている。大規模な入母屋造りの
一間社で棟の高さは9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇
股や軒唐破風妻などにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見
られる。内運営部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代
の確実なこの時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本
殿の写真図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は
、富士講徒の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿
坊運営である。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引
き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍
的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅な
どがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式運営の
典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設されたもので
あることが判明している。また、主屋は「平面座敷型」をとってお
り、近世になって御師住宅の様式が確立される以前の御師住宅とし
て最古の部類の建築物である。離座敷は、富士講が運営盛んになる
ととともに主屋だけでは収容人数に限りがあるなどの理由から主屋
の東側に増設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続
きの手前に配置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構
成を有している。写真主屋等の写真図旧外運営川家住宅現状平面図
等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、妻入の居室及び座
敷部の前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式に
なる。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面
南寄りに式台、背面北寄りに庇、運営北側面には下屋を設ける。蔵
は主屋台所の前方に建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切
妻造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な
改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅としての
形態を、屋敷地も含めて運営そのまま残している。全国でも比較的
少ない社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小思掲
- 201 :
- 家住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面
図アフィ周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒に
よって行われた運営が、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数
えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかり
が深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖
水)などがある。写真山中湖の写真B10河口湖図以下に示す要素
が点在運営している平面図アフィ周辺の湖を巡って修行する内仁俊
- 202 :
- 巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず
巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く
の芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムソ
゙ネとして、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖の写真B11
忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍野八海は、富士
山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士
信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な普遍的価運営値を構
成する諸要素として、自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹
型図以下に示す要素が点在している平面図船津胎内樹型は、167
3年に富士講の指導者である村上光清により発見され、富士講の開
祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神が運営遷宮された溶岩
樹型である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意
義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型
船津胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流
の西縁に所在する。本穴自体も大小様運営々な樹型が複雑に交叉し
て形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のよう
に見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘
出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称はこれに基づくもので
あり、極めて貴重な形態と言運営える。・無戸室浅間神社・石造物
群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見さ
れ、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神誕生
の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出
産したという故事に運営倣い社号を無戸室浅間神社と名付けた。−
60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在している平面図
吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整備された「お胎
内」(溶岩樹型)である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には
、宗教的な運営意義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などが
ある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出非叱
- 203 :
- 剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった
溶岩が肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩(
木運営花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内
の石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講に
とってのアフィの祭神である木花開耶姫が祀られている。樹型内に
入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠がある。B14運営人
穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在している平
面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,0
00年前から約5,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末端部近
くに位置している。犬涼み溶岩流は、標高1,20運営6mの犬涼
み山から噴出し、西方に約5q、標高差にして約700mの扇状地
をつくる溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩
洞穴人穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日
の行を行ったとされる洞穴である。犬涼み運営溶岩流の中に存在す
る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶岩
が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶
岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入口とな
り、洞穴中央部でくの字型に曲が運営っている。入口から約30m
の屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅
広く、奥に入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部まで
は約80mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴
の写真図洞穴の図面・社運営叢(周辺の植生)人穴集落では主に製
炭と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・クヌ
ギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の消費が
減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギに改植され
た。御神木に相運営当する大樹等は存在しない。・碑塔群人穴浅間
神社の境内地には、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在す
る。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89基についてみる癒業
- 204 :
- 一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的
によっ運営て大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・
供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈
願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念
碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多いエムソ
゙ネ。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や
浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸び
ている。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つの
建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に運営規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なもの
の方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施
されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場
から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約運営34m続いてい
る。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築さ
れている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石
垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有し
ていたと考えられる。・炭焼窯跡指定運営地の北側を通る林道に沿
って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初期まで使用され
ていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出されていない。・
井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角礫や土砂によって埋
没し、涸れ井戸となっている運営。B15白糸ノ滝図以下に示す要
素が点在している平面図・古富士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩
れた土砂が堆積した地層であり、古富士火山の一部を形成するもの
である。この地層は、塊状礫岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互
層しているものであ運営る。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土
台となっている溶岩流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キ
ロメートル程度にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考
えられており、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶卓墜
- 205 :
- 層の境目に運営はマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー
)が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった
際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する
。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰り
返運営していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の平
均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この多量
の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物を恭午
- 206 :
- ゙ネノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の祖長谷川
角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をとり修行を行
ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の
滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末の資運営料には
、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の記録がある。
指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記
されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸の
滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白運営糸の滝の、数多
の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写
真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある
。写真景勝の写真・アフィの展望指定地では、白糸の滝と音止の滝
の勝景とともに、見事なアフィが望ま運営れる。写真展望の写真・
富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼
朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の
名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟の仇討ち伝承に由来するも
ので、兄弟が仇討ちの相−6運営3−談をしている間は水音を止め
たことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻狩の
折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。・歌碑
「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝
滝つぼ右岸には白糸運営の滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名
勝及び天然記念物であることを明示する標識がある。B眺望C三保
松原図以下に示す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清
水区南東部に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸線
に沿い、南運営北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在す
る松林が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林は、国有地
又は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と松林の景観を維
持している背後地については、ほとんどが民有地となっている。松
林運営には、300年を経た老木から幼令木が約54,000桃涼
- 207 :
- 幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区分詳細表地
区境界@特別規制A地区真崎灯台の内海側の第2種規制地区との境
界は、隣接する特別規制B地区と第2種規制地区との境界(運営松
が途切れる所)の延長線上とする。A特別規制B地区特別規制A地
区との境界は防潮堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣
参道は道路外側、それ以外は平成元年4月1日現在において松原を
形成している地区、ただし、真崎先端の境界は真崎運営灯台と建設
省財産、運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種
規制地区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は
、都市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制地区との境界、
字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第運営2種規制地区との境
界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接する
道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区
との境界は、羽衣参道中心より25mの位置とする。C第2種規制
地区真崎付近第3種規制地区との運営境界は、市道本村海岸58号
線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、@ABを
参照。D第3種規制地区各地区との境界はABCを参照。(2)顕
著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形
構成資産の土地には、山運営並み、湧水やアフィ及び側火山の噴火
等の火山活動によって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ
、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものもあ
る。アアフィ山体及び登山道Aアフィ−64−・テフラ噴火の際、
山頂火口から粘運営性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し
多量に噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・大沢崩
れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大きなもので、
アフィ西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2,
200運営m付近まで延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ
約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で年平均約15万〜の良那
- 208 :
- ・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩
れの写真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山エムソ
゙ネ口登山道・日沢(浸食谷)日沢はアフィの浸食谷の1つで、村山
口登山道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは
、中宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡
と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差する運営。2,
015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような踪意
- 209 :
- になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右
岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地形
をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩運営を繰り返し多量
に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走口登山道起伏に
富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰
り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A5吉田口登
山道二合目から三合目にかけて見られ運営る古富士火山からの泥流
堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶岩の滑床及び縄状溶岩など
様々な地質・地形が火山活動により形成されている。A6北口本宮
冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖地質学的にみると湖の
北側、西側、南側は御坂基盤運営層により構成されているが、東側
新富士火山の旧期の溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が
分布している。この溶岩流については水中に流入して形成された水
底溶岩の可能性も指摘されている。(久野久(1968)水中自破
砕溶岩)また本栖湖運営畔のボーリング調査において43mより上
位は新富士火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火山
の特徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩
主体のアフィ起源の火山活動が確認−65−されている。イ信仰B
1アフィ本運営宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言わ
れる。参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(1
670)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでい
る。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘陵や河
川運営などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素
となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資産の土
地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる
重要な要素となって存在しているものがある。B4須山浅間運営神
社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資
産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある。養遣
- 210 :
- 須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水
が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。運営B6河口浅
間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅中門をくぐると川(水路
)が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎの場となっ
ていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹
型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、運営立体的)等B13吉
田胎内樹型溶岩流の流出時の表面の状態がほぼ保たれている。地域
を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリアなどの火山活動に伴う噴出
物が顕著に見られる。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)−6
6−構成資産の土地には丘陵や河運営川などの自然地形が見られ、
構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある
。B15白糸の滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているも
のがある。ウ眺望C三保運営松原なしA森林、植栽樹木構成資産の
土地には、アフィの景観を構成している天然林、アフィ原始林及び
青木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢
林・境内林などが存在している。アアフィ山体及び登山道Aアフィ
標高3,300運営m付近より上方の地域にコケ類・地衣類が生育
している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・草山部
分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり、植物の
垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる。戦後、スギ・ヒノキ・
モミな運営どの植林が行われ、道沿いはほとんどが人工林であるが
、天照教社からアフィ麓山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いに
は、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残ってい
る。林の下にはササ(スズタケ)が視界を遮るほど生い茂っていエムソ
゙ネる。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付近から新5合目の森林限界
(2,400m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯
から亜高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデな正惰
- 211 :
- 広葉樹からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わ運営り、標
高1,600m付近で落葉樹とササがなくなる。・焼山部分の植物
森林限界である標高2,400m付近から上で、植物の垂直分布で
は高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月上旬にかけ
ていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサ運営キモメンヅル、
ミヤマオトコヨモギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分
の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近)
付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類)にあたり、林床に
はササ類が密生している。幕岩上部(運営標高1,680m付近)
付近は、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなど
が多くなるが、森林限界(標高1,700〜1,750m)に近く
なるにつれて樹高が低くまばらになる。宝永噴火の際に噴出したス
コリアが厚く堆積しているた運営め、須山口登山道付近の森林限界
は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口登山道
2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物の垂直分
布で高山帯にあたる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジア
ザミなどが、まばら運営に分布する。A4須走口登山道・木山部分
の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目(標高2,000
m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシラビソ・コメツ
ガなどが分布する。須走口登山道の森林限界は約2,700mで、
他の登山道運営よりも高い。・焼山部分の植物森林限界を過ぎると
高山帯となり、オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジアザミな
どが、まばらに分布する。A5吉田口登山道標高1600m付近よ
り下方の区域は、山地帯に属する。自然林はごく少なく、ほとんど
が運営アカマツ・カラマツなどの植林地である。わずかに残る自然
林では、ミズナラ・ウラジロモミや自生のアカマツ等が生えている
。天然記念物「躑躅原のレンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在
するのもこの地域である。標高1600mから2500m付運遡赴
- 212 :
- までの区域が亜高山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソ
の森林を形成している。火山礫の露出した日当たりの良いところに
は、ダケカンバが生えている。・焼山部分の植物標高2500m付
近から上の区域は高山帯に当たり、森林は形成され運営ない。植物
はほとんどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼
ばれた。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術
的価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育し、乾燥に滋麺
- 213 :
- ミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・運営フジアザミ・ムラサ
キモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖
A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙
げられる。イ信仰B1アフィ本宮浅間大社構成資産の土地には、丘
陵を構成する社叢林・境内林など運営のほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。−68−B2山宮浅間神社構成資産
の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内に
おいて植栽された樹木等が存在している。B3村山浅間神社構成資
産の土地には、丘陵を構運営成する社叢林・境内林などのほか、敷
地内において植栽された樹木等が存在している。B4須山浅間神社
構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、
敷地内において植栽された樹木等が存在している。B5須走浅間神
社構成資産の土運営地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などの
ほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。B6河口
浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口
湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人
穴富士運営講遺跡(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構
成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木
等が存在している。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の
自然林や植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植エムソ
゙ネ栽及び自然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした
建造物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示
施設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在して
いる。アアフィ山体及び登山道Aアフィ−69−アフィ運営におけ
る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識
等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡アフィにおける標識
類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整
備が進められている。A2大宮・村山口登山道運営アフィにお歌響
- 214 :
- 標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等
の整備が進められている。A3須山口登山道なしA4須走口登山道
アフィにおける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一さ
れた案内標識等の整備が進められてい運営る。A5吉田口登山道富
士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一され
た案内標識等の整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社
A7西湖A8精進湖A9本栖湖・2006年3月22日より、自然
環境や適切な利用環境の保全運営を図るため、本栖湖水面は動力船
の乗り入れ禁止区域に指定された。こうした規制内容を説明するた
めの説明板や水上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地
区などに設置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札
(現千円札)の裏面運営に使用されているアフィと本栖湖のイラス
トのモデルとなった岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号
線沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公
園法の第2種特別地域として、観光施設等も景観に配慮されている
。イ信仰B運営1アフィ本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山
の北側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に
源を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮
市中心部を灌漑する用水路である。開削時期は不明であるが水田開
発運営を目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつれ生活
用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質悪化によ
り生活用水としては利用されなくなっている。・社務所−70−楼
門から続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社の社務を取り運営扱
う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続く西廻廊の西側に
、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建てられている。・浅間
大社参集所現在の参集所は昭和53年(1978)に建てられたも
ので、直会や各種会合に利用されている。・神田川運営ふれあい広
場施設昭和39年に富士宮市が浅間大社境内地の一部を児童公繰早
- 215 :
- して整備され、さらに平成6年から7年にかけて親水広場を備えた
「神田川ふれあい広場」として再整備された。現在は、同時期に改
修された神田川護岸も含め、中心市街地の運営親水空間として市民
の憩いの場となっている。広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ
、時計、水飲み場等の施設・設備が設置されている。・御手洗橋神
田川ふれあい広場の南東側には、長さ7.3m、幅11.5mの御
手洗橋が架けられている。『大宮運営町誌』には、明治26年(1
893)に架けられたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に
、弓道場が整備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市
消防団第1方面隊第3分団の詰所が、神立山南西の端に建てられて
いる。・案内板・説明板運営本殿や湧玉池などが、文化財に指定さ
れていることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納
所拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれてい
る。・大金剛杖古神札納所西側に、大金剛杖が置かれている。開山
祭に使用されて運営いた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が設けら
れている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(料金収受
機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神社・
案内板・説明板籠屋の南側に、案内板等が建てられている。山宮浅
間神社運営の由緒を記したもの、山宮浅間神社の概要と、市指定文
化財であることを記したもの、山宮浅間神社の概要と、富士宮市「
歩く博物館」のコースであることを示すものの3本である。・手す
り籠屋から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されているエムソ
゙ネ。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇に、祭祀で利
用する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗トイレが
設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の水道施設が
設置されている。−71−・水飲み場水道施設の南側に運営、コン
クリート製の水飲み場が設置されている。・ベンチ休憩用のベンチ
が設置されている。・鳥居駐車場横の参道に、コンクリート製凹建
- 216 :
- 居が建てられている。・燈篭コンクリート製の鳥居から籠屋へ至る
参道の両側に氏子等が奉納した燈篭が並んで設運営置されている。
また、籠屋北側鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐車
場乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横
切る道沿いに設けられている。・石碑山宮浅間神社の由緒を記した
石碑が、駐車場の北側に設置されてい運営る。・石造物参道沿いに
は、道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれている。B3院数
- 217 :
- 浅間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿
社殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村山公会堂社務所の
西側には、元村山地区の住民運営が、会合等で利用する公会堂が建
てられている。・トイレ社務所北側に、トイレが設置されている。
・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製の手すりが設置
されている。・御神木柵県指定天然記念物のイチョウの周囲には、
樹木保護のための柵運営が設置されている。・御神木指定証県天然
記念物に指定されているイチョウと大スギが、御神木に指定された
旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギの幹に掲げられている。
・石柱村山浅間神社が、大正14年(1925)に縣社に昇格した
ことを示す運営石柱が、参道入口左側に設置されている。また、昭
和62年(1987)に寄贈された「富士根本宮村山浅間神社」と
刻まれた石柱が、参道入口右側に設置されている。・児童公園六道
坂入り口付近に、すべり台等の遊具を備え、またプールを併設した
児運営童公園が整備されている。・駐車場境内地西端に、参詣者用
の駐車場が整備されている。−72−・村山水道完成記念碑社務所
裏側に、村山水道の完成を記念する碑が建てられている。昭和33
年に建立された。・説明板(アフィ表口真面之図)麓の吉原運営か
ら山頂へ至る登山道と、途中のポイントとなる地名、集落を繋ぐ道
等を示した地図が、村山公会堂の北側に設置されている。B4須山
浅間神社・御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説明版が
、アフィ須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置運営されている
。・洞窟内説明板「須山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面
に設置されている。・梯子須山御胎内の北西側入口に、ジュラルミ
ン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブル須山御胎内から
登山道を80mほど進んだ場所に、木製の運営ベンチ2脚とテーブ
ル1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入口に、木
製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩まで制左
- 218 :
- 山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されてい
る。木製と金属製のものがある。運営御殿場口との合流点より上部
については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道案内標
識が設置されている。この標識はアフィにおける標識類総合ガイド
ライン(仮称)に沿ったデザイン案で統一されている。B5須走浅
間神社・神馬舎楼門の西運営側に神馬舎が建てられている。・神輿
庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭で使用される神輿の格納庫が建
てられている。・あずまや祖霊社の北側には、あずま屋が建てられ
ている。・神橋(太鼓橋)県道138号線から、川を渡って参道へ
と通じる橋が架運営けられている。・説明板・案内板浅間神社の由
緒、天然記念物の樹木の概要等を記した説明板、参拝路を表示した
案内板等が立てられている。・駐車場社務所東側には、参拝者用の
駐車場乗用車6台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には
、参拝運営者用のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅間
の杜内には、散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれて
いる。・社務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を取
り扱う社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を保管エムソ
゙ネする記念資料館が併設されている。・須走護国神社西南の役から
太平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている。B6
河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅旧外川家住宅は、
主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗資料等を展示運営し、定
期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講などに関する理解を
深めるよう活用されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型船津胎内樹型の管理を行う施設として河口湖
フィールドセンターがある。溶岩樹型に関わる運営資料や自然、生
物等の展示施設をもち自然共生室という研究機関も兼ね備え、洞穴
や周辺環境の価値の普及、洞内環境の保護、入洞者の安全確保に寄
与している。B13吉田胎内樹型吉田胎内樹型に関する解説板活進
- 219 :
- 梨県・富士吉田市教育委員会により設運営置されている。B14人
穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・説明板、案内板洞穴の入口に、人
穴の由緒や市指定文化財であることを記した説明板、碑塔群や洞穴
内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建てられている。B
15白糸ノ滝なしウ眺望C三運営保松原なしC道路とその他人工物
構成資産の土地には、日常生活を営む地域住民が使用する生活道路
や、富士スバルラインやアフィスカイラインなどの観光道路をはじ
めてとして、電柱、看板、誘導標識などをはじめとする各種の建築
物及び工作物が存在運営している−74−アアフィ山体及び登山道
Aアフィ・救急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道としての役
割を持つ道路等の施設である。搬送には、ブルドーザーが使われる
。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意表示板が設置されている
。A1山頂運営信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道6合目以上で
は、登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設
置されている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山道
脇に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている。
木運営製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より上部につ
いては、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道案内標識が
設置されている。この標識はアフィにおける標識類総合ガイドライ
ンに沿ったデザインで統一されている。A4須走口登山道登運営山
者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置されて
いる。須走口登山道は、茶色地に赤色の帯が入り、白い文字で統一
された登山道案内標識が設置されている。この標識はアフィにおけ
る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一運営されている
。吉田口登山道が合流する八合目より上部は、さらに黄色の帯が加
わる。A5吉田口登山道アフィにおける標識類総合ガイドラインに
沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められている。
A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精運営進湖A9本栖湖遮歩
- 220 :
- 側に位置する水力発電用取水口は、(株)日本軽金属蒲原製造所の
工場群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖発電所のも
のである。イ信仰B1アフィ本宮浅間大社指定地の南西部分には、
自動発券機(料金収受機)を設置運営した第1駐車場が整備されて
いる。B2山宮浅間神社乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道
から入って境内地を横切る道沿いに設けられている。−75−B3
村山浅間神社境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されてい髪鋭
- 221 :
- B4須山浅間神社裾野市運営と須山振興会によって、須山口からの
登山道の案内図が設置されている。B5須走浅間神社社務所東側に
は、参拝者用の駐車場乗用車6台分が設けられている。B6河口浅
間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅国道139号に面した敷
地入口には、御運営師住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容
を示す解説板が設置されている。B9山中湖B10河口湖B11忍
野八海B12船津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い
整備されたトレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道には石造
物の分運営布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散策
路的要素も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登
山道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである。古く
から富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道」とエムソ
゙ネして記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)2
本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石垣の西側に位置する
。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有していたと考えられる
。B15白糸ノ滝市道・私道等の道路、階段、曽我橋、運営滝見橋
等がある。また、それらの付属施設がある。危険を伴う区域には、
護岸や落石防護ネットが整備され、また、立入禁止の札が立てられ
ている。県道沿い及び芝川本流左岸等には駐車場があり、管理小屋
等の付帯施設がある。また、県道沿いの駐車場運営には公衆トイレ
がある。ウ眺望C三保松原−76−なし(3)周辺環境を構成する
諸要素@自然的要素構成資産の周辺には、山並み、河川をはじめと
する各種自然地形が存在している。また、統一感のある山並み景観
を構成している天然林及び施業林から運営なる森林が存在している
。アアフィ山体及び登山道Aアフィ・宝永火口静岡県側からの富士
山の景観を特色付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東側にある。宝永
4年(1707)に発生したテフラの爆発的噴火により、白い灰の
デイサイト質軽石・黒曜石(運営烏石)・凝灰石など新第三紀貢仁
- 222 :
- 盤岩類、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせた。記録に
よれば約100q離れた江戸にまで火山灰が到達したが、溶岩の流
下はなかった。活火山であり、今後も噴火活動の可能性がある。・
アフィ特定地理等保運営護林8合目から標高約2,400m付近に
かけて展開する約927haの保護林である。アフィの国有林にお
いては第3次国有林野施業実施計画、自然環境の維持、動植物の保
護が図られ、あわせて遺伝資源の保存を図ることを目的として設定
されている運営。アフィ独特の地形・地質を持つ区域の植生として
貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公園アフィ管理計画区自然
公園法の特別保護地区あたる概ね5合目以上の火山高原を主体とし
た山頂部までの区域である。アフィの火山景観の核心部を呈する区
域運営であり、アフィの秀麗な山容、植物の遷移過程等が保全の対
象となっている。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・
鳥類相アフィ域で観察された鳥類は約160種である。固有種は存
在しない。・陸生哺乳類アフィの山域には、6目14科35運営種
程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定さ
れているニホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含
まれる。また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく
、生息できる環境が限られ、生息数は少ない。A3運営須山口登山
道・幕岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富
士火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。岩
肌には樹木が生い茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリアが一
面に堆積している。その存在は宝永噴火前運営の古絵図にも記録さ
れている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述されることも
ある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、この地で修行した
という言い伝えが残っている−77−(日本霊異記)。登山道から
幕岩の直下に降りる道がある。・運営側火山登山道沿いには宝永山
(標高2,698m)、二ツ塚(標高1,926m、1,80駄背
- 223 :
- )、アザミ塚(1,626m)などの側火山が見られる。宝永4年
(1707)の宝永の噴火により須山口旧登山道は崩壊し、その後
、宝永山を東に迂回する運営形で復興した。・鳥類相アフィ域で観
察された鳥類は約160種である。固有種は存在しない。・陸生哺
乳類アフィの山域には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息す
る。その中には、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカ
や天然記念物に運営指定されているヤマネが含まれる。また、ツキ
ノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が
限られ、生息数は少ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)
須走口登山道6合目の北側(標高2,630m付近)にある溶岩洞
穴。開運営口部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが、内部は
数名が立つことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,9
59mの側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600mほど
離れた場所にある。延暦19年(800)とそれに続く噴火によエムソ
゙ネり形成されたとされている。須走口5合目から高低差の少ない小
富士遊歩道が整備され、気軽に訪れることができる。周辺は針葉樹
林(シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われているが、頂上部分は
スコリアに覆われて樹木がなく、山中湖・箱根など東の運営眺望が
楽しめる。小山町観光協会によるコンクリート製の標識と、大正1
3年(1924)に扶桑教によって建立された祠がある。祠内部に
仏像が三体あったというが、現在は残っていない。・鳥類相アフィ
域で観察された鳥類は約160種である。固有運営種は存在しない
。・陸生哺乳類アフィの山域には、6目14科35種程の陸生哺乳
類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニホ
ンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。また
、ツキノワグマも生息するが、落葉広運営葉樹林が少なく、生息で
きる環境が限られ、生息数は少ない。A5吉田口登山道A6北口本
宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖北側・西側・南冒栓
- 224 :
- 山は御坂層基盤により構成されている。北側から西側にかけては、
標高1100m〜1300m運営前後の山が連なっている。また南
側には標高1485mの竜ヶ岳が位置している。イ信仰B1アフィ
本宮浅間大社・神田川−78−湧玉池の湧水を水源とする神田川が
、約1,000mを流れ潤井川に注いでいる。かつては禊所より下
流(下池)の部分も運営含めて御手洗川と呼ばれていた。現在、護
岸の一部は、神田川ふれあい広場から下りる親水護岸として整嘱無
- 225 :
- れている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅
間神社なしB5須走浅間神社なしB6河口浅間神社B7冨士御室浅
間神社B8運営御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞穴等
を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B13吉田胎
内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞穴等を構成する地質
(運営剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B14人穴富士講遺跡(
人穴浅間神社)なしB15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしA歴
史的要素構成資産の周辺地域の地下には、関連の遺構、遺物が良好
に残されている区域があり、それらは文化財保護法に基づき運営埋
蔵文化財包蔵地として周知されている。また、かつて登山者に利用
された御師の家並みなど、文献史料に記載された多数の伝承地や名
所等が存在している。アアフィ山体及び登山道−79−Aアフィな
しA1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・運営馬頭観音1
村山浅間神社脇の舗装された道を登って南西から北東に進んでいく
と、舗装道が大きく北西方向にそれていく。村山口登山道跡はここ
を北西に行かずに、直進し北東方向へ進む。その交差点に馬頭観音
の碑が建っている(標高約590m)。昭運営和8年(1933)
に上原伸郎によって建てられたものである。・馬頭観音2静岡県立
アフィ麓山の村を抜けた場所にある。ここはやや道幅が広い、比較
的直伸している経路と、屈曲した経路の2つが存在する。前者につ
いては明治以降に木材の切り出し運営・運搬に使われた木馬道であ
ると推測される。ここで以前に馬が死んだので、供養のために馬頭
観音を建てたと伝えられている。・2号建物跡平成5年の富士宮市
の調査では、中宮八幡堂跡手前で日沢を渡り、50mほど登ったと
ころに2号建物跡がある運営とされる。『アフィ村山口登山道遺跡
調査報告書』では、「道の南側に12m×8mの平坦面があり、道
の北側にも平らな場所がある」と報告している。平成20年の絞屯
- 226 :
- では平場らしき地形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異
なっており、両運営者が同一のものか判断できない。写真建物跡の
写真図建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士公園線
が交差する地点から約60m南に下りた位置にある。周囲はなだら
かな傾斜の天然林で、地面は落葉に覆われている。むき出しになっ
た岩石運営には一面に苔がむしている。東西4m弱・南北6m弱の
方形の石列があり、その北東側に小さなくぼみを確認した。『富士
山村山口登山道遺跡調査報告書』は、このくぼみを便所跡としてい
る。写真建物跡の写真図建物跡の図面・4号建物跡アフィスカイエムソ
゙ネラインと村山登山道が交差する地点から北北東の方角に約600
mの位置にある。登山道の西側には日沢が南北に走っており、北側
と東側には斜面が迫る。周辺は天然林で、下草にスズタケが生い茂
っている。平場は東西約8m、南北は約6mで、南側の運営縁には
一部石組が確認された。南側中央部には石段が確認された。『富士
山村山口登山道遺跡調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあた
るとしているが、後世まで木の切り出しなどの休憩小屋として使わ
れていた可能性をも指摘している。・6号建物運営跡5号建物跡か
ら北北東に約450mの位置(標高約1,985m)にある。周囲
は西向きに傾斜するやや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に
向けて急激に落ち込んでいる。登山道の東側には、東西約12m、
南北約10mの平場がある。平場の南運営縁には石組が見られ、登
山道を挟んで東西12mにわたって延びている。平場の北側の斜面
にも石組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者からの伝法
で村山三坊が毎年年番で行っていた札打ちや勤行等を行う富士峯修
行の修行所の1つであった。運営江戸時代の絵図には、高所にある
洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−ることが多い。
洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長7年(1602
)に書かれた「アフィ持場之事」に記述があるが、宝永4年(員峰
- 227 :
- 07)の宝永噴火で運営堂室が消失したと言われている。また、文
化13年(1816)〜天保5年(1834)に執筆された『修訂
駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家のような板葺きの建物があ
り、登山者の休憩所であったことが記されているが、嘉永7年(1
854)の運営「アフィ室小屋建立古帳面写」では「堂室無之」と
記載され、この時点では再び堂室が消失していると推測される。そ
の後、岩屋不動の所在は不明となっていたが、平成19年に候補地
たりうる洞穴の存在を確認した。不動沢を標高約1,820mの地
点運営まで登りつめ、地上から7mほどの高さの場所にある。洞穴
の内部は、高さ2m、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴
内は人が立つことのできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤み
がかっている。中央部向かって右側から入口付近に向けて崩運営落
した大岩が多く転がり、入口は半ば塞がれたような状態である。最
奥の向かって左側については人工的に開削された可能性が残る。写
真岩屋不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしA4須走
口登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの運営標高1,8
30m付近にある。冨士浅間神社の末社で、かつては中宮小室社と
呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が登山できる
のはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花開耶姫命である
。昭和54年に古御岳神社に合祀された。運営国土地理院の地形図
に記載があるものの、社殿は昭和50年代に倒壊し、廃屋となって
いる。鳥居、灯籠等、神社に関連する工作物はなく、かつては石仏
が多くあったが、現在は1体も残っていない。写真神社跡の写真・
大日堂(野中神社)冨士浅間神社運営の末社で、富士あざみライン
から南側の脇道を入った自衛隊東富士演習場内の標高1050m付
近にある。演習場内のため、許可なく立ち入ることはできない。明
治7年に野中神社と改名されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水
源地に祀られていること運営から雨乞いの神として地元の信仰成遺
- 228 :
- めた。元禄3年(1690)の冨士浅間神社の古文書に記述が見ら
れ、成立年代は江戸時代前期まで遡る。宝永4年(1707)の噴
火によって被害を受けたが、宝暦14年(1764)に再建された
。祭神は大日要運営命(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合わせて
間口二間、奥行き二間三尺、それに四間と二間の籠舎が付いていた
とされる。古絵図(小山町史)では、須走口登山道から脇道にそれ
た場所に描かれている。江戸時代には、大日堂に立ち寄ってか該韻
- 229 :
- 頂を目運営指したとされる。建物は現存しないが、二重の石組みに
囲まれた建物跡に一対の灯篭(江戸時代)と不動明王像が置かれ、
敷地脇には地蔵菩薩像と石碑がある。昭和58年(1979)に石
の祠が建てられ、毎年9月に祭礼が行われている。写真神社跡のエムソ
゙ネ写真・下山道(砂走り)登山道の南側に、下山道(砂走り)があ
る。須走口では江戸時代から登山道と下山道が別々に存在していた
。下山道は標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐し、登
山道南側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須山口運営)の「
大砂走り」と区別して、「砂走り」と呼ばれる。−81−A5吉田
口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道で、本8合目で
須走口登山道に合流する。合流地点は古くから「大行合」と呼ばれ
た。ここから上は頂上奥宮の神域で、小屋を建運営てることが許さ
れなかったことから、登山道最後の小屋場として多くの小屋が建て
られていた。写真小屋の写真A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A
8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連遺跡中道往還は甲斐と駿河と
の交通路のうち、若彦路と河内路の中運営間に発達したので「中道
」と呼ばた。甲府市から国道358号線を経て精進湖赤池交差点よ
り国道139号に入り、静岡県の富士宮市・富士市に至る道である
。こうした交通の要地であることから本栖湖周辺には中道往還に関
連する遺跡が複数確認できる運営。イ信仰B1アフィ本宮浅間大社
・浅間大社遺跡(埋蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m
・東西200mの範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡と
して埋蔵文化財包蔵地となっており、遺構や遺物等が発見されてい
る。写真出土遺物の運営写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館とし
ての大宮城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位置していた
。・神田宮第2駐車場から100mほど南にある水田を備えた神社
である。五穀豊穣を祈願して米を作り奉納する「御田植祭」が毎年
7月7日に運営行われる。・大鳥居昭和30年(1955)に著拳
- 230 :
- された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・大灯籠昭和35
年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2駐車場南側入口に
設置されている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4
須運営山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護国神社−82−西
南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦没者24名が祀
られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模から駿河、甲斐への
連絡路であった鎌倉往還が通っていた。中世の幕府所在地鎌運営倉
から放射状に存在した複数のルートの一つで、当時の御家人らが鎌
倉と自領との往還に利用した道である。また、生活必需品を運ぶ商
人や各国々に旅する人も多く、須走地区が、古くから富士北麓地域
と静岡県駿東部を結ぶ交通の要衝として利用されて運営いたことが
わかる。写真鎌倉往還の写真B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神
社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12
船津胎内樹型・社寺等溶岩洞穴等については、洞穴本体あるいは富
士山の関連として信仰の対象と位置づけら運営れたものが多く見ら
れ、周辺には社寺等の宗教的施設がみられ、船津胎内樹型に伴う無
戸室浅間神社などの設置形態は、洞穴と一体になって信仰が行われ
ている事例である。・信仰的意味を付された地形・空間B13吉田
胎内樹型・参詣道吉田口登山道の運営「中ノ茶屋」から、吉田胎内
本穴に向かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「
甲斐国誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士
講遺跡(人穴浅間神社)・中道往還かつて甲斐と駿河を結んだ街道
のひとつである。富士講運営信者は、富士参詣に合わせて人穴参拝
をする習慣があり、アフィ北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道として中
道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地から南
へ下ったところに、人穴で修行する行者の食事や宿泊の世話、洞穴
や周辺の碑塔の運営建立や管理等を代々行ってきた赤池家の跡地が
ある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建てられてい効僅
- 231 :
- 額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参道は、県道清水富
士宮線から石鳥居をくぐって進み、浄土門と刻まれた石碑を右折し
て、境運営内地内の参道へ続いている。石碑から階段までの参道は
かつての中道往還と重複する。−83−B15白糸ノ滝なしウ眺望
C三保松原なしB人文的要素アフィ山体においては、登山道沿いに
登下山者の緊急避難や遭難者の救助、応急処置の機能を兼ね備えエムソ
゙ネた山小屋が立地している。アフィ麓における構成資産の周辺につ
いては、山林、農耕地のほか市街地となっており、日常生活に関連
する各種施設等をはじめとして、道路、橋、線路、電柱、看板等の
各種人工物が存在している。また、構成資産の公開活用運営を目的
した資料館等の施設が存在している。アアフィ山体及び登山道A富
士山なしA1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動
山小屋とその関連施設標高の低い地点から順に、表富士宮5合目、
雲海荘(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来運営光山荘(新7合
目)、山口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(
9合目)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオト
イレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されている。・緊急
・救急施設アフィは、高山であり気候運営も急変することから、登
山客の安全確保を目的として、アフィ登山指導センター(山頂、富
士宮口登山道新5合目)とアフィ衛生センター(富士宮口登山道8
合目)が設けられている。写真救急施設の写真・救急搬送・荷物搬
送区域登山道にほぼ並行して運営、救急用・緊急用避難道としての
役割を持つ道路等の施設が設けられている。搬送にはブルドーザー
が使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置
されている。・県道180号線富士宮富士公園線浅間大社前交差点
を起点とする「県道運営180号富士宮富士公園線」が、村山口登
山道跡と2箇所で交差している。交差する地点は、西臼塚駐車場か
ら山頂方面へ約1.5q進んだ地点と、高鉢山駐車場から約7敬類
- 232 :
- m下った地点であるが、道路沿いには特別な表示等はない。また、
この道路は運営アフィスカイライン、富士宮口登山道を経て6合目
から旧村山口登山道と合流し、アフィ山頂まで続いている。・宝永
遊歩道富士宮口新5合目駐車場の東端から宝永第二火口の西縁まで
ほぼ等高線に沿って東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11
号運営建物付近で交差する。写真遊歩道の写真−84−・駐車場・
附属施設450台収容の駐車場が5合目に設置されている。付求囚
- 233 :
- 設として、レストハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山
シーズンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告運営物
、広告旗、バス停留所などがある。・林道アフィ麓には多くの林道
があり、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登山道と交差
する。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山小屋が建てられ
ている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館(7運営合9勺)、
砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺)、日ノ出館(7合目)
、(※休館:見晴館(8合目)6合目小屋)がある。山小屋周辺に
はトイレ、自動販売機、ベンチ、椅子等が設置されている。・避難
小屋登山道沿いの2箇所(7合8勺、2合運営8勺)に、気象庁の
避難小屋が建てられている。アフィ頂測候所に勤務する職員用の施
設であったが、測候所廃止に伴い現在は使用されていない。・救急
搬送・荷物搬送区域登山道の南西側に、救急用・緊急用避難道とし
ての役割を持つ道路等の施設が設運営けられている。搬送にはブル
ドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板
等が設置されている。・下山道(大砂走)登山道の南西側に、下山
道(大砂走り)がある。標高約3,000mの日の出館(7合目)
付近で登山道と分岐する運営。宝永山脇のスコリアで覆われた斜面
を一気に下り、御殿場口新5合目(標高1,450m付近)に至る
。写真下山道の写真・御殿場口登山道明治5年(1872)に女性
の富士登山が許可された後、手軽に登れる登山道をめざし、御殿場
在住の伴野佐吉運営らが中心となって明治16年(1883)に完
成した。同地の浅間神社から滝ヶ原、馬返、太郎坊を経て、須山口
登山道2合8勺に接続する経路であった。明治22年、東海道線(
現JR御殿場線)が開通し御殿場駅が設置されたことにより、登山
道が富運営士山東表口新道本社浅間神社を通る現在の経路に変更さ
れた。御殿場口登山道は須山口よりも距離が短い上に道も良く、関
東方面からの登山客の多くが同登山道を利用し、須山口登山道悠参
- 234 :
- の契機となった。現在は、須山口登山道と接続する2合8勺からエムソ
゙ネ頂上までの部分も、御殿場口登山道と呼ばれている。写真御殿場
口登山道の写真・須山口登山歩道須山浅間神社を起点とし、弁当場
、水ヶ塚水源地、水ヶ塚駐車場、御殿庭を通り、宝永火口の西側火
口壁を抜けて富士宮口登山道六合目に通じる登山道であ運営る。平
成9年にアフィ須山口登山歩道保存会が中心となって復興した。道
筋の一部は裾野市と御殿場市の市境に沿っている。宝永噴火後から
明治時代までの須山口登山道とはルートが異なるため、区別する意
味で須山口登山歩道と呼ばれる。・須山口下山運営歩道須山口2合
8勺から二ツ塚の西側を下り、四辻分岐、幕岩上部、須山御胎内上
部を通り、水ヶ塚駐車場に至る道で、平成11年にアフィ須山口登
山歩道保存会が中心となって復興した。道筋の一部(幕岩上部〜須
山御胎内上部)は宝永噴火後〜明治時運営代の須山口登山道と一致
する。−85−写真須山口登山歩道の写真A4須走口登山道・山小
屋とその関連施設登山道沿いに、山小屋が建てられている。上から
順に、御来光館(8合5勺)、胸突江戸屋(本8合目)、江戸屋(
8合目)、見晴館(本7合目運営)、大陽館(7合目)、瀬戸館(
本6合目)、長田山荘(6合目)、東アフィ荘(5合目)、菊屋(
5合目)、吉野屋(砂払い5合目)がある。山小屋周辺にはトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されている。山小屋周辺
にはバイオトイレ、運営自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置さ
れている。・避難小屋下山道からブルドーザー道に入った2,12
0m付近に地元山岳会による避難小屋が設けられている。・救急搬
送・荷物搬送区域登山道とほぼ並行して、救急用・緊急用避難道と
しての役割運営を持つ道路等の施設が設けられている。昭和40年
(1965)の開通で、搬送にはブルドーザーが使われる。歩道と
の交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置されている。須走口
登山道は、特に吉田口登山道と合流する8合目から上部の混雑秀枕
- 235 :
- し運営いため、頂上部から8合目までのブルドーザー道が下山道と
して利用されている。写真ブルドーザー道の写真・駐車場・附属施
設200台収容の駐車場が5合目に設けられている。付属施設とし
て、登山シーズンの夏季のみ在番の交番と観光案内所、小山運営町
により設置・管理されている公衆トイレがある。写真駐車場(交番
・観光案内所)の写真A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社
A7西湖A8精進湖A9本栖湖・建築物及び工作物本栖地区集落の
人口は156人(2008年4月1日現在)国道1運営39号線と
300号線が分岐する本栖交差点周辺を中心に集落が形成されてい
る。その他湖畔にキャンプ場などの観光施設及び管理施設が存在す
る。自然公園法第2種特別地域に指定されていることから、建築物
等の高さ規制を受けているので、景観上良運営好な状況が保たれて
いる。湖南東側にある本栖青少年スポーツセンターやキャンプ場な
どの管理施設等も同様である。その他の工作物として、電柱やアン
テナなどが存在する。イ信仰B1アフィ本宮浅間大社・駐車場神田
川ふれあい広場の南側には第2駐運営車場が整備されている。南北
に仕切られ、北側が普通車用、南側がバス専用となっている。トイ
レも併設されている。・宮町交番−86−第2駐車場バス専用入口
の東側に宮町交番が建てられている。・売店協同組合アフィ特産品
振興会」が、第2駐車場運営内に、富士宮の特産品を取り扱う販売
所「ここずらよ」を設置し営業している。・アフィせせらぎ広場第
2駐車場から200mほど南にアフィせせらぎ広場がある。入口に
は大鳥居が建てられており、神田川に沿って散策できる遊歩道をは
じめ、トイレ、運営無料駐車場などの施設が整備されている。写真
広場の写真・道路神田川東側には、浅間大社前交差点を起点とし神
田川に沿って北へ向かう県道180号富士宮富士公園線が通ってい
る。この道路はアフィスカイライン、富士宮口登山道を経てアフィ
山頂ま運営で続いている。また、湧玉橋から約130m北上す淑侮
- 236 :
- 間が、山宮御神幸の経路である「御神幸道」と重複している。第2
駐車場南側には、県道76号富士富士宮由比線が東西に伸びている
。この道路はかつて「甲州街道(中道往還)」と呼ばれ、駿河とエムソ
゙ネ甲斐を結ぶ主要街道であった。B2山宮浅間神社・御神幸道御神
幸道は、祭儀「山宮御神幸」で浅間大社と山宮浅間神社を往来した
道である。石鳥居から南方向へと伸びていたが、区画整理や道の付
け替えのため当時の道はところどころ途絶え、正確にた運営ど釜余
- 237 :
- はできない。・御神幸道標石御神幸道沿いに、一丁(約109m)
毎に標石が建てられていた。現在ではそのほとんどが失われたが、
山宮浅間神社周辺には四十七丁目石、四十九丁目石が残っている。
写真道標石の写真・東山宮二区区民館山宮二区運営の住民が、会合
等で利用する区民館が建てられている。・県道180号富士宮富士
公園線山宮浅間神社東南側には、浅間大社前交差点を起点とし、富
士山山頂が終点の「県道180号富士宮富士公園線」が通っている
。B3村山浅間神社・宿坊跡(大鏡坊運営、池西坊、辻之坊)江戸
時代には、村山三坊のうち「辻之坊」は東屋敷跡が現在の児童公園
付近に、西屋敷跡が北西に300m離れた酪農用牛舎付近に、「大
鏡坊」は辻之坊東屋敷のさらに西側に、「池西坊」は現在の児童公
園の南側にあったとされる。運営児童公園から西へ道沿いに宿坊跡
のものとされる石垣が残り、大鏡坊の入口跡と考えられる痕跡を見
ることができる。写真宿坊跡の写真・見付跡(東見付、西見付)集
落の出入り口となる東西のはずれに「東見付」「西見付」と呼ばれ
る、村山に入る不審運営者を取り締まる関所があった。−87−西
見付跡は村山浅間神社門前から西へ約550m、東見付跡は神社門
前より南に約200mのところにある。B4須山浅間神社・浅間橋
朱塗りの欄干を持つ橋が境内地の南側に架けられている。B5冨士
浅間神社・運営駐車場(トイレ)境内地の南西側、裏参道を出たと
ころに、参拝者用の駐車場が設けられている。また駐車場東端には
、トイレも建てられている。・国道138号線及び県道150号線
足柄停車場富士公園線境内地の西側には、国道138号線が、また
東運営側には県道150号線足柄停車場富士公園線が通っている。
県道の終点はアフィ頂となっている。B6河口浅間神社B7冨士御
室浅間神社B8御師住宅来訪者のための駐車場として、また緊急時
や災害時の緊急車両の配置ができるよう駐車場敷地が整備さ運営れ
ている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎唾渓
- 238 :
- 型・産業関連施設・その他の人工物B13吉田胎内樹型富士スバル
ライン料金所付近から、吉田胎内本穴方面に向かう、林業施業のた
めの物資搬出路がある。B14人穴富士講遺跡(人運営穴浅間神社
)・県道75号清水富士宮線指定地に隣接する西側に、県道75号
線清水富士宮線が通っている。B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松
原なし2保存管理計画の基本方針−88−山梨県・静岡県に分布す
る構成資産について、将来にわたり確実に運営保存管理していくた
めに、各構成資産の保存管理計画の調整事項や、資産全体として考
慮すべき周辺環境保全のあり方など、保存管理の目標を踏まえ、保
存管理計画の基本方針を以下の5項目とする。(1)構成資産の適
切な保存管理各構成資産が、現在運営も人々と関わり続けている点
や、構成資産総体が、生きた文化的伝統の物証であり、人間と自然
との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型であることに十
分配慮し、山梨県・静岡県に分布する具体的な構成要素の規模・性
質・立地条件等に応じて運営、以下の視点により適切な保存管理を
おこなう。@各構成要素の歴史的・文化的価値の継承と自然的要素
の維持A構成資産により形成される文化的景観の保全B地域住民の
生活、生業への配慮C登山客、観光客等の来訪者への配慮D防災面
における安全確運営保への配慮(2)緩衝地帯等の適切な保存管理
構成資産保護のための適切な範囲の緩衝地帯等(保全管理区域)を
定めるとともに、その保全の方策を講ずる。緩衝地帯等(保全管理
区域)に存在する諸要素の規模・性質・立地条件などを把握し保存
管理の運営基礎とする。(3)経過観察の実施顕著な普遍的価値に
対して与える負の影響の可能性について、様々な角度から検討を行
い、その原因となる可能性のある諸要素について確実に把握すると
ともに、それらに対する監視及び適切な対応を行う。(4)整備エムソ
゙ネ・公開・活用推進資産の顕著な普遍的価値を確実に保存するとと
もに、総合的な理解を深めることができるよう、適切な整備・課痘
- 239 :
- ・活用の施策を推進する。@多様な構成資産からなるアフィ総体と
しての価値の理解が深められるように、山梨県・静岡県運営の関係
市町村が一体となった適切な整備活用をおこなう。aアフィの価値
の持続的な利用b適切な公開範囲の設定A都市計画、観光計画、防
災計画等との調整を図り、資産の価値の保存と来訪者の安全に配慮
した施策を推進する。B適切な整備活用を推進運営する。(5)保
存管理体制の整備と運営確実な保存管理を推進するために、各々の
構成資産を管理する山梨県・静岡県や関係市町村、所有者や環境省
、林野庁、国道交通省などの関係諸機関を中心として組織体制を整
備する。その際には、地域住民が資産運営の資産の適切な保存管理
と整備活用の施策に積極的に参加できるよう配慮するとともに、関
係諸機関との連携を強化し保存管理の運営に関する方法・体制の整
備を図る。−89−第4章構成資産の保存管理1現状の把握(1)
アフィ山体及び登山道A富士運営山登録範囲における自然的環境に
ついては、おおむね良好な状態である。資産範囲の上部は文化財保
護法(特別名勝)及び自然公園法(特別保護地区及び第1種〜2種
特別地域)により厳密に保全され、下部(標高1600〜2000
m以下、特別名勝範運営囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1
〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、山梨県及び静
岡県有林管理計画により重層的に保護されているため、資産に影響
を及ぼす行為は基本的に発生しない。ただし、山体西側には山頂部
付近から標運営高2200m付近までを源頭部とする土砂崩れが約
1000年前より継続して発生し、これは「大沢崩れ」と呼称され
ている。この土砂崩れのため山体西側の一部でかつての信仰に関わ
る道である「御中道」の通行等が禁止されている区域がある。山頂
部運営付近では登山者に起因する廃棄物・し尿が発生するが、山小
屋組合などによりバイオトイレが設置され、適切に管理・除去され
ている。一部過去の廃棄物が堆積している箇所があるが、将来傍礁
- 240 :
- 撤去が予定されている。なお、山腹において、急病人の搬送運営や
山小屋の維持・廃棄物の撤去のために必要最小限使用されるブルド
ーザーが通行する道路がある。アお鉢巡り八葉及び大内院の現時点
における保全状況は良好である。ただし、降雪・強風等に常時さら
され、年々増加する登山者の影響により、土砂の崩運営落が一部で
認められる。また、トイレやゴミの問題なども年々改善されている
が、一部有識者にさらなる改善を指摘されている。イ御中道巡不唱
- 241 :
- 中道は大沢崩れ部分の通行止めの他に、通行量の減少と表土の流失
に伴い道の存在が不明になった箇所がある運営が、その他の保全状
況は良好である。A1山頂信仰遺跡現時点における保全状態は良好
である。その他の山頂信仰遺跡の現時点における保全状態は良好で
ある。A2大宮・村山口登山道現在登山道として利用されていない
大宮・村山口の一部については、運営国有林の範囲であり林業関係
者以外の立ち入りは許可制となっていることにより、現状維持の観
点からの現時点における保全状態は良好である。A3須山口登山道
現時点における保全状態は良好である。A4須走口登山道現時点に
おける保全状態は良好で運営ある。−90−A5吉田口登山道登山
道は、土砂崩れによる浸食などにより登山道の一部に変更がみられ
るものの、人為による現状の変更には厳しい制限がかけられている
。また、道路管理者である山梨県により日常的に維持管理が行われ
ており、保全状運営態は良好である。A6北口本宮冨士浅間神社定
期的な維持修理等が行われており、現時点における保全状態は良好
である。ただし、拝殿・幣殿については、建物全体に歪みが生じて
いて、今後、修復・修繕の検討が必要であると想定される。祈願の
ため多運営くの参詣者が訪れるとともに、宗教行事が行われている
。A7西湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)によ
り適切に保護されており、現時点における保全状態は良好である。
A8精進湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)にエムソ
゙ネより適切に保護されており、現時点における保全状態は良好であ
る。A9本栖湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)
により適切に保護されており、現時点における保全状態は良好であ
る。(2)信仰B1アフィ本宮浅間大社定期的な維持修運営理が行
われており、現時点における保全状態は良好である。湧玉池に関し
ては、全般的には良好な状態であるが、「上池」「下池」の二つの
池の内「上池」では、湧水量が減少し、藻類が繁殖しているた堅財
- 242 :
- 「湧玉池保全再生会議」が設置され、対策が検運営討されている。
B2山宮浅間神社現時点における保全状態は良好である。地元から
は参道・遥拝所等の整備が今後必要であるとの要望が出されている
。B3村山浅間神社現時点における歴史的価値を示す建造物の保全
状態は良好である。今後、トタン作り運営の大日堂覆堂の修理が必
要とされている。また、地元からは参道・遥拝所等の整備が今後必
要との要望が出されている。B4須山浅間神社現時点における保全
状態は良好である。B5冨士浅間神社現時点における保全状態は良
好である。−91−B6河口運営浅間神社現時点における保全状態
は良好である。B7冨士御室浅間神社現時点における保全状態は良
好である。ただし、近年、向拝柱、登高欄及び木階の漆塗装の摩耗
退色が著しく、木目が露出している場所がある。脇障子版において
はアフィ二合目本宮運営所在時に毀損にあっており、今後、修復・
修繕の検討が想定される。B8御師住宅旧外川家住宅は、2007
年〜2008年にかけて所有者である富士吉田市が大規模な保全修
理を行ったため、現時点における保全状態は良好である。現在、富
士吉田市歴運営史民俗博物館の附属施設として、2008年4月か
ら敷地及び主屋内部を一般公開しており、外川家協力会員が交代で
勤務し、来場者に直接解説を行っている。小佐野住宅は、所有者ら
によって日常的な維持管理が行われているほか、補助事業などによ
っ運営て文化財としての保護に必要な修繕や設備の整備が行われて
おり、現時点における保全状態は良好である。ただし、建物に関す
る専門的な調査はほとんど行われたことがないため、基礎や構造物
の状況など現状把握を早急に行う必要がある。現在、居住の運営用
に供しており、敷地内部及び建物は一般公開されていない。B9山
中湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)により適切
に保護されており、現時点における保全状態は良好である。B10
河口湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別運営地域)相人
- 243 :
- り適切に保護されており、現時点における保全状態は良好である。
B11忍野八海天然記念物として指定されている範囲は水面に限ら
れており、私有地が隣接しているため、周辺環境を含めた保全状態
に課題がある。しかし、忍野村が景観計画運営を策定し、周辺環境
を含めた保全を行っている。また、水位が低下して、文化財指定当
時の状態を維持していない池があり、今後の調査によって原因の究
明が求められる。忍野村では、平成20年(2008年)に地下水
資源保全対策基礎調査を実施して運営いる。B12船津胎内樹型富
士河口湖町により、日常的な維持管理が行われており、現時点にお
ける保全状態は良好である。船津胎内樹型はその狭小な断面形状の
特性から、入洞の順路が設定されており、入洞口と出洞口が分化し
ている。入洞口には無戸運営室浅間神社の社殿(拝殿)が建てられ
ており、神社と入洞口が一体化している。B13吉田胎内樹型−9
2−富士吉田市及び冨士山北口御師団により、日常的な維持管理が
行われており、現時点における保全状況は良好である。内部の溶岩
の盗掘や人の進運営入による破壊を防ぐため吉田胎内本穴入口には
、扉が設置され、施錠されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅
間神社)碑塔群はおおむね良好な状態であるが、一部の碑塔に修理
が必要とされる。B15白糸の滝現状では、滝つぼ周辺に売店があ
るなど運営景観面において課題がある。このため、富士宮市が中心
となり保存管理計画の改訂および整備計画の策定を行い、今後適切
な整備がなされる予定である。(3)眺望C1三保松原現状では1
960〜80年代に進行した海岸浸食の影響からの回復を図るたエムソ
゙ネめ、資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮設され、景観に影響
を与えている。また、松原においてもマツクイムシ(マツノザイセ
ンチュウ)による松枯れがみられるため、薬剤注入・散布による予
防措置及び植林、枯れた松の除去が実施されている。現運営在これ
らの対策により、資産の現状を保ち、将来においてはより良好屋泥
- 244 :
- 全状態となることは確実である。また、保存管理計画についてが静
岡市がる改訂を行っている。管理団体である静岡市は、シロアリ防
除・駆除・シロアリ被害状況調査、松くい虫防運営除、松林の下草
刈り、育苗、松苗定植等の保護及び充実対策を行っている。また、
地元自治体、三保名勝保存会等とも連携し、官民一体となって保全
充実を積極的に推進している。静岡市教育委員会は、文化財を保護
・育成する立場を堅持し、予想される運営開発計画との適切な冒閥
- 245 :
- を図るため、文化庁及び静岡県教育委員会と協議の上、『名勝「三
保松原」保存管理計画書』及び『名勝「三保松原」保存管理計画書
解説』を平成元年4月15日に改訂し(解説:平成4年10月29
日一部改訂)、現状変更申請運営等に対応している。名勝三保松原
地内における文化財保護法以外の法令・条例による規制は、静岡県
立自然公園条例、静岡県風致地区条例等がある。2保存管理の基本
的な考え方資産全体を適切に保存管理していくための方向性として
は、まず、顕著な普運営遍的価値を理解することが必要であるとと
もに、地域住民及び行政など資産に直接的に関わる者がその知識を
向上させ、連携しつつ保護していくことが重要である。また、顕著
な普遍的価値に与える負の影響を考慮しつつ、その特質に応じた適
切な保存管運営理の考え方及び取扱の方針が必要となる。負の影響
とその対応の方法については、第6章に記載している。アフィの構
成資産については、文化財保護法の下、国指定文化財に指定されて
いる。これらの現状変更及び保存に影響を及ぼす行為(以下、「現
状運営変更」という。)については、同法の下に許可制に基づき厳
重に規制されている。なお、山体や富士五湖については文化財保護
法により、確実な保存管理が行われており、指定された文化財保護
法周辺においても、自然公園法と森林法及びその他所法令に運営よ
り確実な保存管理が行われている。−93−しかし、特に信仰に関
する建造物については、酸性雨などの気候変動、大雨などの自然災
害及び観光客増加によるき損などの影響を受けることが想定される
。したがって、これら負の影響について、具体的な運営指標を用い
て監視する必要がある。また、これらは木造建造物であることから
、部材の交換などによる修理によって全体の枠組みを維持しつつ、
顕著な普遍的価値が損なわれることのないよう、適切に保存管理す
る必要がある。(1)現状変更の制限につ運営いての考え方本来、
文化財保護法は文化財を保存し、かつ、その活用を図り、もっ机恵
- 246 :
- 民の文化的向上に資することを目的としたものであり、文化財の保
存が適切になされることを原則としている。また、自然保護法は、
優れた風景地を保護するとともに運営、その利用の増進を図り、も
って国民の保健、休養及び教化にしすることを目的としたものであ
り、風致景観が適切に管理されるとともに適切な利用を促進するこ
とを原則としている。しかしながら、一方ではそこを所有し生活し
ている住民が存在するこ運営とも事実であり、住民生活もまた尊重
されなければならない。したがって構成資産の諸要素の現状に変更
が生じる場合には、構成資産の保存と住民生活との調整を図りつつ
、適切に行われる必要がある。そのため、構成資産のうち特別名勝
地だけでなく、運営史跡や遺跡、眺望地点などは文化財保護法や自
然公園法、景観法などにより保護措置を講じる必要がある。世界遺
産としての地区区分として、「文化財保護法を基本に保存管理する
地域(第1種保護地区)」及び「自然公園法を基本に保存管理する
地域(運営第2種保護地区)」という2つの地域に区分し、それぞ
れ現状変更の取扱いを定め、住民生活との調整を図りつつ構成資産
の保存管理を行っている。その概要については以下に示すとおりで
ある。(2)地区区分についての考え方各構成資産における保護エムソ
゙ネに関する基本的な考え方としての地域区分並びに想定される現状
変更等の行為とその具体的取扱方針の概要は、以下に示すとおりで
ある。なお、構成資産ごとの詳細な情報は、個別の保存管理計画に
示している。図アフィ地区区分図−94−表保存管理の運営ための
地区区分(アフィ北側)第1種保護地区第2種保護地区1−1地区
1−2地区1−3地区1−4地区2−1地区2−2地区2−3地区
2−4地区特別名勝御中道下500m〜頂上までアフィ有料道路五
合目終点施設習合区域以外アフィ有料道路五合運営目終点施設習合
区域Aアフィ(アフィ体)(御中道含む)天然記念物青木ヶ原樹海
地区精進口登山道地区道路地区大室山周辺概ね標高2000m園耳
- 247 :
- アフィ原始林及び青木ヶ原樹海周辺富士五湖周辺地域概ね1500
m以上その他地域A1山頂信仰遺跡(運営奥宮、お鉢巡り含む)八
合目以上全域特別名勝一合目から御中道下500m国有林諏訪の森
地内登山道の起点から一合目までA5吉田口登山道史跡中ノ茶屋か
ら山頂までの範囲建造物文化財建造物の雨落までの敷地文化財建造
物の雨落までの敷地以外の敷運営地A6北口本宮冨士浅間神社史跡
境内地全域A7西湖湖水面周回道路内側、文化財指定範囲を除く周
回道路内側、文化財指定範囲を除くA8精進湖湖水面周回道路内側
、文化財指定範囲を除く周回道路内側、文化財指定範囲を除く−9
5−A9本栖湖湖水運営面周回道路内側、文化財指定範囲を除く周
回道路内側、文化財指定範囲を除くB6河口浅間神社境内地全域建
造物重要文化財の軒下までの敷地中門、翼廊及び囲壁によって区画
される範囲B7冨士御室浅間神社史跡境内地全域B8御師住宅文化
財建造物の運営雨落までの敷地文化財建造物の雨落までの敷地以外
の敷地B9山中湖湖水面周回道路内側、文化財指定範囲を除く周回
道路内側、文化財指定範囲を除くB10河口湖湖水面周回道路内側
、文化財指定範囲を除く周回道路内側、文化財指定範囲を除くB1
1運営忍野八海湧水面B12船津胎内樹型洞内と開口部天然記念物
指定範囲の地表面指定範囲内の町道5107号線の道路敷B13吉
田胎内樹型吉田胎内本穴の洞内及び開口部吉田胎内本穴の洞外及び
地表面※地区区分は仮案・今後変更有−96−表保存管理の運営た
めの地区区分(アフィ南側)第1種保護地区第2種保護地区(周辺
地区)Aアフィ山体8合目以上全域標高約2000m〜約2300
mの範囲緩衝地帯・保全管理区域・演習場A1山頂信仰遺跡8合目
以上全域─8合目未満A2村山口登山道跡(登山道運営)・富士宮
口八合目から山頂までの山頂信仰遺跡に含まれる範囲・8号建物跡
から12号建物跡までの範囲・横渡から7号建物跡までの範囲(遺
構・建物跡)札打場、中宮八幡堂跡、八大龍王、5号、8号、悟拷
- 248 :
- 号建物跡富士宮口6合目から8合目までの運営範囲国有林A3須山
口登山道(登山道)・須山口(御殿場口)8合目から山頂までの山
頂信仰遺跡に含まれる範囲・須山胎内から幕岩上部までの範囲(遺
構)須山御胎内須山口(御殿場口)2合8勺から8合目までの範囲
国有林A4須走口登山道(登山道運営)須走口8合目から山頂まで
の山頂信仰遺跡に含まれる範囲(神社)古御岳神社、迎久須志神社
須走口5合目から8合目までの範囲国有林B1アフィ本宮浅間転標
- 249 :
- ふれあい広場と駐車場を除く境内地、神立山(社叢〜)神田川ふれ
あい広場、第2駐車場第運営1駐車場周辺市街地B2山宮浅間神社
籠屋から遥拝所までの境内地籠屋より下部の神社境内地周辺住宅地
、森林B3村山浅間神社六道坂以東の境内地六道坂以西の境内地宿
坊跡、見付跡周辺住宅地、森林−97−B4須山浅間神社境内地全
域境内地周辺の運営社叢周辺住宅地、森林B5冨士浅間神社境内地
全域─西側駐車場、周辺住宅街、西側森林B14人穴富士講遺跡境
内地全域、地下洞穴─森林B15白糸ノ滝本体〜滝つぼ、両岸の崖
音止の滝市街化調整区域C三保松原特別規制A地区及び特別規制B
地区第運営1種規制地区第2種規制地区第3種規制地区@第1種保
護地区この地区は、アフィの本質的価値を構成する宗教的な建造物
、信仰の対象となった自然物等、史跡及び眺望地点として重要な要
素を含む区域とする。登山道においては、歴史上使用された登山エムソ
゙ネ道跡と断定できる道跡、及び登山道跡に存在する石碑や建物跡等
を含む区域である。神社等においては、社殿・遺構・石碑等歴史的
な価値のある要素が存在し、指定地の中核を成す区域である。歴史
的に価値のある社殿・石碑・遺構等史跡として重要な要運営素が存
在し、指定地の中核部をなす地区であるため、特に厳格な保存管理
を行う。そのため、本地区では、土地の形状、建築物・工作物に関
し現状の維持に努め、それらがき損した場合には適切に復旧・整備
する。また、建築物・工作物等の更新等につい運営ても、遺構破壊
及び景観阻害を防ぐため厳しく規制する。また、地面掘削を伴う場
合には、必要に応じて発掘調査等を実施するなど、遺構・遺物の適
切な保存・整備に努めることとする。本質的価値を構成する要素ご
との考え方ア自然的要素となるもの(運営ア)土地の形状・土壌の
性質を変える行為、及び植生に影響を与える行為については、安全
確保の措置及び学術研究を目的とするもの以外は厳しく規制する。
(イ)土壌・岩石の採取については、安全確保の措置及び学術潤被
- 250 :
- を目的とするもの以外は厳し運営く規制する。(ウ)湧水や御神木
、札打場等宗教的な意義が付与された自然物については、現状維持
に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。(エ)境内地・
社叢内の植物の採取、動物の捕獲、木竹の伐採・植栽については、
景観の保全に関わる運営もの、安全確保の措置及び学術研究を目的
とするもの以外は厳しく規制する。イ歴史的要素となるもの(ア)
社殿等の建築物や鳥居・石碑等の工作物、遺構等については、現状
維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。(イ)お鉢
巡り、登山運営道については現状維持に努め、き損した場合には適
切に復旧・整備する。(ウ)建築物・工作物等の復旧・整備に地面
掘削を伴う場合には、必要に応じて発掘調査等を実施し、遺構・遺
物の適切な保存・整理に努める。−98−ウ社会的要素となるもの
(運営ア)山小屋等の建築物、橋等の工作物については、現状の規
模の維持に努める。また、景観を現に阻害しているものについては
、除却するか更新時に改良を行い、景観との調和に十分配慮するこ
ととする。(イ)安全確保等に関わる地形の形質変更、建築運営物
及び工作物の設置に当たっては、景観との調和に十分配慮する。本
質的価値を構成する諸要素と密接に関わる要素ごとの考え方ア自然
的要素となるもの(ア)土地の形状・土壌の性質を変える行為、及
び植生に影響を与える行為については、安全確保の運営措置及び学
術研究を目的とするもの以外は厳しく規制する。(イ)土壌・岩石
の採取については、安全確保の措置及び学術研究を目的とするもの
以外は厳しく規制する。(ウ)歴史的な意義を持つ自然物について
は、現状維持に努め、き損した場合には適運営切に復旧・整備する
。(エ)植物の採取、木竹の伐採・植栽については、景観の保全に
関わるもの、安全確保の措置及び学術研究を目的とするもの、森林
施業に関わるもの以外は厳しく規制する。イ歴史的要素となるもの
(ア)境内社・末社等の建築物や運営鳥居・石碑等の工作物に晩点
- 251 :
- ては、現状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。
(イ)建築物・工作物等の復旧・整備に地面掘削を伴う場合には、
必要に応じて発掘調査等を実施し、遺構・遺物の適切な保存・整理
に努める。ウ社会的要素運営となるもの(ア)社務所、公会堂等の
建築物、案内板等の工作物については、現状の規模の維持に努める
。また、景観を阻害しているものについては、除却するか更新時に
改良を行い、景観との調和に十分配慮する。(イ)安全確保等に関
わる地形の形質運営変更、危険防止及び安全管理のための工作物の
設置に当たっては、景観との調和に十分配慮する。(ウ)指導標の
設置についてはアフィ標識関係者連絡協議会が策定する「アフィに
おける標識類総合ガイドライン(仮称)」に沿ったものとする。(
エ)測運営候所等については、アフィ独特の自然を生かして設置さ
れた意義を持つ施設であることから、その維持又は活用を前提に取
り扱うこととする。(オ)登山者の指導や安全確保の役割を担う富
士山衛生センター(富士宮登山道8合目)については、景観とのエムソ
゙ネ調和を図りつつ、適切に整備する。(カ)8合目以上の下山道、
救急搬送・荷物搬送区域については、現状の維持に努める。A第2
種保護地区この地区は、第1種保護地区に隣接し密接に関わる区域
とする。登山道においては、現在登山道として実際に利運営用され
ている範囲のうち、山頂信仰遺跡に含まれる8合目以上を除く範囲
である。−99−また神社においては、境内地における公園等社会
的な活用が進む区域や古絵図に描かれている区域、社叢と連続する
森林等の区域である。民有林や市民生活の中で運営活用される区域
等を含むが、境内地として史跡の構成要素の一部が存在し、また社
叢等の森林が境内地や登山道の景観及び周辺の風致を考える上で重
要な地区であるため、厳格な保存管理を行うこととする。この地区
では、土地の形状、土壌の性質、建築運営物・工作物に関して現状
の維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。特に嗣幹
- 252 :
- 物・工作物等の更新等に当たり、遺構破壊及び景観阻害が発生しな
いよう厳しく規制する。また、地面の掘削を伴う施設の更新にあた
っては、必要に応じて発掘調運営査等を実施し、遺構・遺物の適切
な保存・整理を行う。本質的価値を構成する要素ごとの考え方ア自
然的要素となるもの(ア)木竹の伐採・植栽以外の行為については
、第1種保護地区と同様に厳しく規制する。対象となるのは、土地
の形状・土壌の性質運営を変更する行為、土壌・岩石の採取、緯臼
- 253 :
- に影響を与える行為、植物の採取、動物の捕獲の行為などである。
(イ)木竹の伐採・植栽については、安全確保の措置、学術研究、
森林施業に関わるもの以外は規制する。イ歴史的要素となるもの(
ア)鳥居や運営祠等の工作物については、現状の維持に努める。(
イ)登山道については、現状維持に努め、き損した場合には適切に
復旧・整備する。(ウ)建築物・工作物等の復旧・整備に地面掘削
を伴う場合には、必要な範囲内に応じて発掘調査等を実施し、遺構
・運営遺物の適切な保存・整理を行う。ウ社会的要素となるもの(
ア)登山道の各山小屋については、第1種保護地区と同じ考え方に
基づいて保存管理する。本質的価値を構成する諸要素と密接に関わ
る要素ごとの考え方ア自然的要素となるもの第1種保護地区運営と
同じ考え方に基づいて保存管理する。対象となるのは、自然的要素
の維持に関し、危険防止及び安全管理のための工作物や計測機器の
設置、森林施業に係る行為、砂防工事、登山道(歩道)整備等であ
る。イ歴史的要素となるもの石碑等については、第運営1種保護地
区と同じ考え方に基づいて保存管理する。ウ社会的要素となるもの
(ア)登山道における安全確保のために行う道路関連の工作物の新
設・更新については、周辺植生への影響、土壌の性質への影響を精
査し、景観との調和を図ることとする。(運営イ)登山者向けの指
導標の設置、危険防止及び安全管理のための工作物の設置について
は、第1種保護地区と同じ考え方に基づくこととする。(ウ)公園
施設等における、建築物・工作物等の扱いについては、景観との調
和を図りつつ、適切に維−100運営−持管理を行うこととする。
ウ周辺地区良好な自然景観が残される周辺区域現にある良好な景観
を保全し、かつ良好な景観の形成に貢献するよう、以下の方針に基
づいて適切に保全を図ることが望ましい。ア建築物・工作物の新設
・更新については、眺望運営の著しい妨げにならない規模とし、ま
た眺望に著しい支障を及ぼすものでないものとする。イ建築物歌襲
- 254 :
- 作物の新設・更新については、屋根及び壁面の色彩並びに形態が指
定地の景観と著しく不調和でないものとする。ウ建築物・工作物の
撤去については運営、跡地の整地を適切に行うこととする。エ登山
道周辺の森林管理については、国有林野施業実施計画に基づき適切
に施業し、森林の適正な整備及び保全を図る。開発の進んだ周辺区
域アアフィと一体となった良好な景観や指定地の景観を阻害するこ
とのな運営いよう、景観法や条例に基づく施策に沿って、周辺地域
の景観の保全に努める。イ景観を阻害している建築物・工作物等は
、更新時に規模・形態・色彩・材質等において改良し、周囲の景観
の保全に努めることが望ましい。B三保松原ア現状変更の制限文エムソ
゙ネ化財保護法に基づき、名勝「三保松原」の海浜と松原の保護並び
に景観の維持を図るため、特別規制A地区、特別規制B地区、第1
種規制地区、第2種規制地区、第3種規制地区の5ヶ所の規制地区
と規制基準を設定し、保存管理の適正化を推進する。ま運営た、各
規制地区における現状変更又は保存に影響を及ぼす行為については
原則として認めない。しかし、軽微な現状変更については、文化財
保護法第条の規定による許可及びその取消並びにその停止命令に係
る文化庁長官の権限に関する事務を静岡市教育運営委員会が行う。
イ保護の基本的な考え方名勝三保松原の海浜と松原の保護並びに景
観の維持を図るため、指定地域を特別規制A地区、特別規制B地区
、第1種規制地区、第2種規制地区及び第3種規制地区の5規制地
区に分けて、管理のための基本方針を運営定め、管理するものとす
る。・特別規制A地区防潮堤外側の国有浜地の海浜地区。松原の景
観保護のため、将来にわたって海浜を保護し、自然景観の維持を図
るものとする。・特別規制B地区松原のすぐれた景観を保ち、価値
の極めて高い地区。将来にわ運営たって松原を保護し、自然景観の
維持を図るとともに、その回復にも努めるものとする。・第1種規
制地区特別規制地区に次ぐ、優れた三保松原の景観を形成して茂怠
- 255 :
- 、自然景観の維持を図っていく地区。地−101−域経済社会の振
興と発展に配慮する運営ものとする。・第2種規制地区三保松原の
景観を形成しており、自然景観の維持に努めなければならない地区
。住民の生活の場であることに配慮するものとする。・第3種規制
地区三保半島の内海側で、主なる松原景観から離れている地区。三
保半島先端運営部の景観維持の上で重要な地区であり、無秩序な開
発は避けるものとする。(3)指定地に関わる諸法令について指定
地内は、文化財保護法以外にも他の法令による規制を受け、景観及
び森林等の保全措置が講じられてきた。また、指定地の自然的特性
に運営基づく自然災害が、周辺地域にまで及ぶため、指定地の周辺
地域を含めた安全の確保に関する法令もある。そのため、次の表に
特別名勝としての保存管理の方法と各法令との関係について整理し
た。表他の法令との関係他の法令文化財保護法との関係景観運営の
保全に関わる法令自然公園法この法律の目的は優れた自然の風景地
を保護することにあり、特別名勝の指定地全域に係る適切な保存管
理の方法と調和するものである。森林法森林計画・保安林その他の
森林の基本事項を定めた法律であり、8合目以下に運営おける国有
林の森林管理・保全は特別名勝の保存管理の方法と調和するもので
ある。鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律8合目以下の国有
林における鳥類又は哺乳類に属する野生動物の保護の観点から、特
別名勝の保存管理の方法と調和するもので運営ある。絶滅のおそれ
のある野生動植物の種の保存に関する法律指定地の全域に関わるが
、希少野生動植物種等保護の観点から、特別名勝の保存管理の方法
と調和するものである。特定外来生物による生態系等に係る被害の
防止に関する法律この法律では、運営特定外来生物の施設以外での
繁殖・生育を禁止しており、指定地全域における在来植生の維持の
観点から、特別名勝の保存管理の方法と調和するものである。山梨
県景観条例優れた景観の保全・創造を図ることを目的にしてお断穀
- 256 :
- 大規模な工作物の新築・運営増改築等が規制されており、包括的保
存管理計画の方針と調和するものである。静岡県森林と県民の共生
に関する条例森林と県民が共生していくための努力目標等を規定し
ており、特別名勝の保存管理の方法と調和するものである。山梨県
環境基本条例静運営岡県環境基本条例自然と人との共生を確保する
ことを目指した理念等をまとめており、特別名勝の保存管理の方法
と調和するものである。−102−山梨県屋外広告物条例静岡陪株
- 257 :
- 外広告物条例登山道沿いに規制区域が定められており、広告物のう
ち、著運営しく破損し老朽化しているもの、倒壊又は落下のおそれ
があるもの、信号機・道路標識等に類似するものなどを規制してい
る。安全確保を図ると伴に、優れた景観の保全にも資するものであ
り、特別名勝の保存管理の方法と調和するものでもある。指定地エムソ
゙ネ及び周辺地域の安全の確保に関する法令砂防法大沢崩れ源頭部下
方における国の直轄砂防地に関し、砂防事業を推進し、潤井川流域
等の安全確保を図っており、特別名勝地の地形の維持にとって必要
とされる事業を含んでいる。土砂災害警戒区域等におけ運営る土砂
災害防止対策の推進に関する法律南・西斜面に規制地区が広がる。
指定地内の沢地形等における土砂災害を防止し、安全確保を図って
いる。以上のことを踏まえ、特別名勝アフィを適切に保存管理する
上で、現状変更等の取扱いに係る共通事項を次運営のとおり定める
。@必要最小限の内容であり、アフィの保存管理上支障をきたすも
のでないものとする。A自然公園法・森林法など関係する各法令と
の調整を図るものとする。B原則として、外来生物による生態系等
に対する被害の防止を図るものとする運営。C建築物は、その外観
(形態・材料・色彩)が周囲の景観と調和したものとする。D屋外
広告物等の工作物は、その形態・材料・色彩が周囲の景観と調和し
たものとする。E砂防事業等の安全確保の措置に関しては、景観と
の調和にも十分配慮しつつ進運営めるものとする。F8合目以上の
区域における現状変更等については、静岡県と山梨県の県境が確定
していないため、「県境未確定地(8合目以上)に係る事務処理の
取扱い基準(関係法令編に掲載)」に従い、事務処理を行うものと
する。3具体的な施運営策資産全体に関する保存管理計画の具体的
な行動計画については、「現状変更の制限」が挙げられる。なお、
その他の施策については付章の事業計画一覧表に示している。『史
跡アフィ』保存管理計画では、上表において、それぞれの保存様抄
- 258 :
- の方法に沿運営った、各地区の現状変更等の取扱基準を次のとおり
定めている。図第1種、第2種区分図(1)第1種保護地区@建築
物の新築・増築・改築及び除却ア建築物の新築・増築は、原則とし
て許可しない。ただし、次の各項については、個々の事案ごとに検
討運営するものとする。(ア)かつて歴史的要素として存在しなが
ら滅失し現存しないものの復元整備または改変されてしまったもの
の原状回復。−103−(イ)宗教活動に必要不可欠で、伝統的工
法・建築様式を用い景観に配慮したものの新築・増築。イ社運営殿
等の歴史的建築物の改築、又は災害によりき損・滅失した場合の復
旧・復元については、規模・形態・工法・色彩・材質等において、
現状を維持するものとする。ウ山小屋等既存の社会的建築物の改築
については、用途、構造、規模等を著しく変更せず運営、遺構等の
保存と景観の保全に努める。A工作物の設置・改修・除却ア工作物
の設置に関しては、周囲の景観にそぐわないものを許可しない。景
観を阻害する既存の工作物は、除却するか更新時に形状・色彩・規
模において改良し、周囲の景観の保全に努運営める。なお、工作物
については、以下の5種類に分類し、その取扱を以下のとおりとす
る。(ア)鳥居や碑塔などの宗教的工作物a鳥居や碑塔などについ
ては、規模・形態・色彩・材質等に関し現状を維持し、新規の設置
は許可しない。b老朽化に伴う改運営修や安全確保を図る目的で強
度等を向上させる場合には、現状の形態・色彩を踏襲するとともに
、周囲の景観にも調和したものとするよう努める。c顕彰碑等につ
いては現状の維持とし、新規の設置を許可しない。(イ)文化財の
活用に資する工作物照明運営設備、文化財等の説明板・地図等の案
内板等については、規模・形態・色彩・材質等に関し、周囲の景観
に調和するものとする。(ウ)登山道の整備に必要な工作物a安全
確保を目的とする道路関連の工作物については、周囲の景観に馴染
む形態・色彩と運営する。b危険防止及び安全管理のための工飯填
- 259 :
- については、安全確保の機能を前提として、周囲の景観に馴染んだ
形態・色彩とする。c指導標、屋外広告物等については、アフィ標
識関係者連絡協議会が策定する「アフィにおける標識類総合ガイド
ライン運営(仮称)」に沿ったものとする。(エ)学術研究を目的
として設置する工作物計測機器類については、規模・形態・色彩・
材質等において、景観を阻害しないものとする。(オ)その他の工
作物期限を限って設置する仮設の工作物については、周囲の景観エムソ
゙ネに馴染んだ形態・色彩とする。イ既存の工作物において、史跡と
しての本質的価値を有しないものまたは史跡の保存・活用に資する
ものでないものについては、老朽化または耐用年数経過等の時点を
もって、除却する。B土地の形状・土壌の性質の変更、運営土壌・
岩石の採取ア土地の形状・土壌の性質を変更する行為、土壌・岩石
の採取は許可しない。ただし、安全確保及び学術研究を目的とする
ものついては、この限りでない。イ地面の掘削を伴う復旧・更新・
整備に当たっては、必要に応じて発掘調査等を運営実施し、その成
果を十分踏まえて遺構・遺物の保存・整備を行う。C動植物の捕獲
・採取、木竹の伐採・植栽ア動植物の捕獲・採取は許可しない。た
だし、安全確保の措置及び学術研究に基づくものについては、この
限りでない。イ木竹の伐採・植栽につ運営いては許可しない。ただ
し、次の各項に該当するものについては、この限りでない。(ア)
景観の保全に関わるもの(イ)病害虫木の伐採及び危険木の伐採等
の森林管理及び安全管理に関わるもの。(ウ)崩壊地に対する植栽
。ただし、(ウ)については運営、原則として周辺の在来植生と調
和した植物とする。D登山道・道路等の新設・維持現状の維持に努
め、新設は許可しない。復旧・整備を行う場合には、景観との調和
に努める。増設・改設については、災害復旧または公益上必要と認
められる場合に限り運営認めるものとする。ただし、安全確保の措
置及び国有林野施業実施計画に基づくもの、その他公益上必要似操
- 260 :
- められるものについては、この限りでない。(2)第2種保護地区
@建築物の新築・増築・改築ア建築物の新築・増築は、原則として
許可しない運営。ただし、次の各項についてはこの限りでない。(
ア)宗教活動に必要不可欠で、伝統的工法・建築様式を用い景観に
配慮したものの新・増・改築(イ)学術研究、防災、その他の公益
上必要と認められるもので、当該地区以外ではその目的を達成する
こ運営とができないと認められるものの新・増・改築。(ウ)胸検
- 261 :
- 確保上必要最小限の新・増・改築イ前述の(ア)から(ウ)の場合
における外観意匠は、和風仕様を原則に以下のとおりとし、細部に
ついてはその都度検討する。勾配屋根とし、材料に自然素材運営を
用いるか、色彩及び形態が既存の建築物または周囲の景観になじむ
ものとする。屋根材料に自然素材を用いるか、色彩及び形態が既存
の建築物または周囲の景観になじむものとする。壁面ウトイレ等既
存の社会的建築物の改築については、用途、構造、運営規模等を著
しく変更せず、遺構等の保存と景観に配慮するものとする。A工作
物の設置・改修・除却ア工作物の設置に関しては、周囲の景観にそ
ぐわないものを許可しない。景観を阻害する既存の工作物は、除却
するか更新時に形状・色彩・規模において運営改良し、周囲の景観
の保全に努める。なお、工作物については、以下の5種類に分類し
、その取扱を以下のとおりとする。(ア)鳥居や碑塔などの宗教的
工作物a鳥居や碑塔などについては、規模・形態・色彩・材質等に
関し現状を維持する。b老朽化に運営伴う改修や安全確保を図る目
的で強度等を向上させる場合には、現状の形態・色彩を踏襲すると
ともに、周囲の景観にも調和したものとするよう努める。−104
−−105−(イ)文化財の活用に資する工作物照明設備、文化財
等の説明板・地図等の案運営内板等については、規模・形態・色彩
・材質等に関し、周囲の景観に調和するものとする。(ウ)登山道
等の整備に必要な工作物a安全確保を目的とする道路関連の工作物
については、周囲の景観に馴染む形態・色彩とする。b危険防止及
び安全管理のた運営めの工作物については、安全確保の機能を前提
として、周囲の景観に馴染んだ形態・色彩とする。c指導標、屋外
広告物については、アフィ標識関係者連絡協議会が策定する「富士
山における標識類総合ガイドライン(仮称)」に沿ったものとする
。(エ運営)学術研究を目的として設置する工作物計測機器類につ
いては、規模・形態・色彩・材質等において、景観を阻害しな患埋
- 262 :
- 力図5規制地区区分図なお、現状変更については、下表の基準を適
用運営する。表地区施策内容特別規制A地区特別規制B地区(1)
本地区に係る現状変更等のうち、次のア又はイに該当するものを対
象とする。ア階数が2以下で、かつ、地階を有しない木造又は鉄骨
造の建築物であって、建築面積(増築又は改築にあっては、運営増
築又は改築後の建築面積)が120uを超え1,000u以下のも
ので3月以内の期限を限って設置されるものの新築、増築又は除却
イ道路の設置、改修又は除却(当該道路の設置期間が1年以内のも
のに限る)(2)(1)の現状変更等についての許運営可の基準は
、次のとおりとする。ア(1)のアについては、当該建築物が公共
性の高いもの又は広く一般の利用に供されるものであって、景観等
に著しい影響を与えず、かつ、その設置期間終了後に原状に復され
ることが確実な場合でなければ、原則とし運営て認めない。イ(1
)のイについては、当該道路が海岸保全のために必要な工事に伴っ
て設置されるものであって、その設置期間終了後に原状に復される
ことが確実な場合でなければ、原則として認めない。第1種規制地
区(1)本地区に係る現状変更等運営については、その全部を対象
とする。(2)(1)の現状変更等についての許可の基準は、次の
とおりとする。本地区における次のアからカまでのいずれかに該当
する現状変更等については、原則として認めない。ア高さが17m
を超える工作物(学校施運営設、体育施設その他の教育又は文化に
関する施設における照明灯、旗柱その他これに類するもの(以下「
施設内照明灯等」という。)にあっては、その高さが25mを越え
るもの)イ高さが17m以下の工作物の増築又は改築であって、増
築又は改築後の運営工作物の高さが17m(施設内照明灯等にあっ
ては、25m)を超える場合ウ高さが17mを超える工作物の増築
又は改築であって、増築又は改築後の工作物の高さが増築又は改築
前のもの(施設内照明灯等にあっては、25m)を超える場合誤溺
- 263 :
- 模、形運営態、意匠又は色彩が景観を損なうおそれがあると認めら
れる工作物の新築、増築、改築又は除却オ環境を損なうおそれがあ
ると認められる塵芥、汚泥、産業廃棄物その他こ−107−れに類
するものの投棄又は埋立てカ松の生立木の枝打ち又は伐採(所有エムソ
゙ネ者及び管理団体による同意のある場合を除く。)第2種規制地区
(1)本地区内の現状変更等については、その全部を対象とする。
(2)(1)の現状変更等についての許可の基準は、次のとお姫波
- 264 :
- する。本地区における次のアからカまでのいずれかに該運営当する
現状変更等については、原則として認めない。ア高さが21mを超
える工作物(施設内照明灯等にあってはその高さが25mを超える
もの)の新築イ高さが21m以下の工作物の増築又は改築であって
、増築又は改築後の工作物の高さが21m(施運営設内照明灯等に
あっては、25m)を超える場合ウ高さが21mを越える工作物の
増築又は改築であって、増築又は改築後の工作物の高さが増築又は
改築前のもの(施設内照明灯等にあっては、25m)を超える場合
エ規模、形態、意匠又は色彩が景観を運営損なうおそれがあると認
められる工作物の新築、増築、改築又は除却オ環境を損なうおそれ
があると認められる塵芥、汚泥、産業廃棄物その他これに類するも
のの投棄又は埋立てカ松の生立木の枝打ち又は伐採(所有者及び管
理団体による同意のある場合運営を除く。)第3種規制地区(1)
本地区内の現状変更等については、その全部を対象とする。(2)
(1)の現状変更等についての許可の基準は、次のとおりとする。
本地区における次のアからウまでのいずれかに該当する現状変更等
については、原則と運営して認めない。ア規模、形態、意匠又は色
彩が景観を損なうおそれがあると認められる工作物の新築、増築、
改築又は除却イ環境を損なうおそれがあると認められる塵芥、汚泥
、産業廃棄物その他これに類するものの投棄又は埋立てウ松の生立
木の枝打ち運営又は伐採(所有者及び管理団体による同意のある場
合を除く。)−108−第5章緩衝地帯の保存管理本章では、富士
山の世界文化遺産としての価値を将来にわたり適切に保存・管理す
るために緩衝地帯を設け、その施策について記述する。アフィの効
果運営的かつ確実な保存管理を行うためには、地元関係者の協力・
助言が不可欠であることから、関係自治体・地域住民・観光関係者
・神社関係者で構成する「山梨県保存管理計画策定協力者会議」(
第1章表)を平成年月に、「静岡県保存管理計画協力者部会運競熟
- 265 :
- (第1章表)を平成年月にそれぞれ設置した。協力者部会の委員そ
れぞれの立場から、アフィを良好な状態で守っていくための課題や
、今後検討する必要があると考えられる事項等を幅広く提案してい
る。1現状の把握現在、アフィの緩衝地帯において運営は、自然公
園法、森林法、都市計画法及び山梨県、静岡県の各関係市町村が定
める条例、計画の下に、資産の周辺環境について万全な保護措置が
とられている。緩衝地帯の範囲については、行政界・自然地形・道
路等の明確な境界などを考慮しつつ、資産運営の保護に必要不可欠
な範囲を設定した。現在、緩衝地帯において構成資産の顕著な普遍
的価値を著しく低下させるような開発は計画されていないが、今後
計画、実施されるおそれも想定しなければならない。また、自然環
境についても同様である。構成資運営産の所在地域における自然災
害については、台風・大雨・地震・洪水・噴火などが想定され、そ
れぞれについて綿密な防災対策が講じられている。保全管理区域に
ついては、各々の構成資産間の関係を良好に保ち、アフィの景観の
一体性・連続性を保証す運営るために、緩衝地帯を含め広く設定し
た。設定については、アフィを周辺から展望した際、資産範囲を含
め良好な景観を形成する範囲を基準としている。図緩衝地帯全体図
以下にそれぞれの現状を記す。(1)アフィ山体及び登山道A富士
山(御中道含む運営)標高約1,500m以上は構成資産内に含ま
れている。A1山頂信仰遺跡(御鉢巡り含む)標高約1,500m
以上は構成資産内に含まれている。A2大宮・村山口登山道標高約
1,500m以上は構成資産内に含まれている。A3須山口登山道
標高約運営1,500m以上は構成資産内に含まれている。A4須
走口登山道標高約1,500m以上は構成資産内に含まれている。
標高約1,500m〜800mにおいては、保全管理区域として保
護されている。A5吉田口登山道全体が緩衝地帯で保護されていエムソ
゙ネる。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖頭拉
- 266 :
- 2)信仰B1アフィ本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神
社B4須山浅間神社B5冨士浅間神社全体が緩衝地帯で保護されB
6河口浅間神社ている。B7冨士御室浅間神社B8御師運営住宅B
9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B13吉
田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)B15白糸の滝
(3)眺望C1三保松原海浜に面した南側のエリアが構成資産であ
り、水際線から50mの範囲については、海岸運営法により保護さ
れている。北側エリアは緩衝地帯として保護されている。2保全管
理の基本的な考え方各構成資産の保存計画の策定状況については、
本推薦書の7.資料、e)参考文献、3)保存管理計画書に示すと
おりである。特に山梨県・静岡県教育運営委員会は、文化庁及び関
係各市町村の教育委員会との十分な調整の下に『「アフィ」包括的
保存管理計画』を策定し、資産の全体を視野に入れた総括的な保存
管理を行っている。包括的保存管理計画に定めた基本方針に基づき
、管理団体である県・市町村運営が個々の重要文化財、史跡、特別
名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計画を策
定し、具体的で適切な保存管理に当たっている。これらの保存管理
計画を要約したものについては、付属資料に示すとおりである(別
添参考資料)。「富運営士山」を総体として保全するためには、構
成資産のみならず緩衝地帯をも含め、資産に影響を及ぼす人工物な
どを適切に制御していく必要がある。そのため、構成資産の本質的
な価値に負の影響を与える可能性のある人工物や開発については、
たとえそれ運営が緩衝地帯におけるものであってもできる限り抑制
することとし、やむを得ず設置する場合であっても、最小限の数量
・規模とするとともに、色彩等の観点から景観にも十分配慮するよ
う関係者への理解と協力を求めることとしている。−109−−1
1運営0−なお、既存の鉄柱・看板・広告塔など構成資産に影響を
及ぼすものについては、撤去または修景に努め、公益上必要と四痘
- 267 :
- られる施設については、現状の利用状況を尊重しつつ、将来的に撤
去又は移転等について検討するとともに、当面の間、資産に運営対
する影響の軽減を図ることとする。(1)緩衝地帯等の設定と行為
規制緩衝地帯等(保全管理区域)は、資産と密接に関連する丘陵・
河川・樹木などの自然的要素をはじめ、埋蔵文化財、歴史的な建築
物、歴史的な出来事に関する伝承地などの歴史的要運営素のほか、
資産の活用に関する施設、市街地を構成する建築物又は工作物象謀
- 268 :
- 路・鉄道及びそれらの関連施設、その他の人工物などの人文的要素
により構成される。緩衝地帯等においては、資産の周辺に良好に残
る自然的要素及び歴史的要素を保全すると運営ともに、人文的要素
については資産を保護するための緩衝地帯の特質にふさわしいもの
となるよう適切に誘導することが必要である。したがって、そのた
めに緩衝地帯の範囲を適切に確保するとともに、自然公園法や山梨
県、静岡県関係各市町村が定める運営条例に基づき行為規制を行い
、緩衝地帯の保全対策を講ずることとしている。緩衝地帯等の範囲
については、地籍境界・行政界・道路等の明確な境界などを考慮し
た上で、資産の顕著な普遍的価値を適切に保護することが可能であ
ることを前提として定め運営ている。緩衝地帯において行われる建
築物及び工作物の新築・増築・改築、土地の形質変更等に係る行為
、木竹の伐採については、許可制や届出制に基づく規制を設けてお
り、これらの行為に関する重要な事項については、特に関係各市町
村の景観審議会運営等による調査、審議に基づき、関係市町村が事
前に適切な指導や助言を行うこととしている。緩衝地帯は大きく3
つの方法により保護措置が講じられている。一番目は自然公園法(
山梨県のほぼ全域)、二番目は景観法に基づく各市町村の景観条例
及び景運営観計画(山梨県忍野村・静岡県富士市・富士宮市ほか)
、三番目が各市町村独自の景観条例や土地利用事業指導要綱(山梨
県富士吉田市の一部・静岡県裾野市・御殿場市・小山町)である。
三番目の地域に関しては将来的に二番目の保護措置に移行する予エムソ
゙ネ定である。なお、三保松原などいくつかの資産においては、資産
範囲が文化財としての登録範囲よりも狭く設定されているため、緩
衝地帯の一部は文化財保護法により保護されている。これらの地域
では適用する法令等に違いはあるが、緩衝地帯において運営行われ
る建築物・工作物の新築、増築、改築、土地の形質変更等に係る行
為については、許可制や届出制に基づく規制が定められ、資産幅較
- 269 :
- 係機関の間で相互に連携を図りつつ調整を行うこと運営とする。以
上のように、資産とその緩衝地帯については、文化財保護法をはじ
め関係法令が適切に適用されるとともに、山梨県、静岡県及び関係
市町村が定める都市計画の下に資産の保存・整備と開発及び保全が
一体となって機能している。(3)住民生運営活との調和資産及び
その周辺に居住する住民の生活については、資産の保護を前提とし
つつ、日常の住民生活を著しく妨げることの無いよう調和を図って
ゆくことが必要である。そのためには地域住民に対し、資産の価値
を十分に伝えることはもとより、運営資産とともに生活するという
認識をいっそう深められるような施策を講ずる必要がある。上記の
視点に基づき、山梨県・静岡県及び地元市町村では地域住民に対す
る説明会が必要に応じて実施されており、行政と住民との間におい
て積極的な情報交換が行運営われている。また、各市町村担当課の
役所には地域住民からの問い合わせに迅速に対応するための体制が
整備されている。3具体的な施策鉄塔・看板・広告塔などの景観に
負の影響を与える人工物については、規模、色彩、素材等の観点か
ら、外観の調和運営に努める。構成資産の周囲において人工物の設
置計画がある場合には、構成資産に与える影響からそれらの位置、
規模等に関する十分な検討を行うとともに、設置をする場合におい
ても、条例及び関係法令に定める規模・色彩・素材等の観点から景
観に十運営分配慮するよう関係者への理解と協力を求める。既存の
施設で、特に資産の顕著な普遍的価値に著しい負の影響を及ぼす可
能性のあるものについては、撤去・修景を含めた対応により影響の
軽減に努める。公益上必要な施設については、利用状況を尊重しエムソ
゙ネつつ、修景を行うことにより景観に対する影響の軽減を図る。資
産とその緩衝地帯において予定されている開発計画で、顕著な普遍
的価値に影響を与える可能性があると判断されているものについて
は、あらかじめその影響を最小限にとどめるような施工運営方購脂
- 270 :
- ついて検討し、事前協議を行うよう関係機関との調整を図る。以上
の取扱い内容の詳細については、付章に事業計画一覧表として示し
ている。またアフィは、山頂から駿河湾の海浜に至るまでの広い裾
野を有している。そのため多様な植生がみられ運営、広範囲に湧水
が分布しており、周辺では古くから人々の生活が営まれ、市街地化
や企業の進出など開発が進んでいる。このような特性をふまえ、富
士山及びアフィ周辺の環境を、良好な状態で一体的に保全する頂濫
- 271 :
- には、以下の項目について施策を実施運営することが必要である。
−112−(1)ゴミ、不法投棄対策の取組マナーの啓発や清掃活
動を実施するとともに、あわせて不法投棄防止のための監視体制を
強化するなど、良好な環境を保全するための対策をより一層進める
。(2)自然環境の保全富士運営山の自然的特性に配慮し、自然環
境を保全するための体制整備や、体制が実施する取組の検討を早急
に進め、検討を重ねて実施していく。また、自生種の植樹・植栽を
推進することにより、あわせて水源涵養を図る。(3)景観の保全
アフィの美しい景観運営を守るため、県や関係市町などが連携し景
観計画を基本として、景観を保全するための体制整備や、体制が実
施する取組の検討を早急に進め検討を重ねて実施していく。(4)
登山環境の整備登山者の安全に配慮するとともに、登山マナーの向
上に努める運営など、適切な登山環境の整備を推進する。また、マ
イカー規制の拡大について研究を進める。−113−第6章経過観
察の実施1顕著な普遍的な価値に負の影響を与える要因(1)開発
の圧力資産及びその緩衝地帯において、建築物又は工作物の建設、
土運営地の形質変更、木竹の伐採等の等の行為を行う場合には、文
化財保護法、自然公園法、都市計画法、森林法、河川法、海岸法及
び関係市町村が定める条例(景観法に基づき策定された景観条例お
よび景観計画を含む)の下に、それらの規模、形態・構造に運営関
する規制(建築物又は工作物に関しては、それらの高さ・色彩・意
匠等の規制を含む)が行われるため、資産の価値を著しく低下させ
るような開発は起こり得ない。「アフィ世界遺産両県協議会」では
、両県の知事・市町村長を中心に、許認可・保存に運営関わる国機
関も加わり、開発の状況を把握し、コントロールのあり方について
検討を行っている。開発計画のうち、現在北麓(山梨県)において
は都市計画区域用途地域または都市計画区域外では5ha以上、都
市計画内(用途地域外)では10ha以上運営の計画について肩牙
- 272 :
- 山梨県内の組織である「山梨県土地利用調整会議」に事前協議書が
提出され、知事の同意が必要とされている。その同意を得た後で、
個別法令の許認可を担当する部署での手続きを行うことになってお
り、一元化した組織かつ統一した運営基準での開発のコントロール
が行われている。こうした大規模開発を含む緩衝地帯内で行われる
一定規模以上の開発行為については、「アフィ世界遺産両県協議会
」へ報告がなされ、必要に応じて助言等がなされる。現時点で、緩
衝地帯内に存在するゴル運営フ場・スキー場については改築の際な
どにより景観に配慮した形態にすることを個別に求めていく。また
、各市町村の景観計画の下に、各市町村は景観阻害要因の排除に努
めることとしているほか、世界遺産暫定一覧表に記載され、世界遺
産一覧表への記運営載の可能性のある文化資産に相応しい周辺市街
地を創出するために適切な景観の保全・改善の施策を実施すること
としている。なお、次に掲げる開発計画等の立案に当たっては、い
ずれにおいても資産への影響を最小限に留めるよう関係機関・団体
と調整運営を行うことし、実施する場合にも事前に十分な協議を行
うこととしている。@観光開発(ホテル・ゴルフ場・スキー場)A
廃棄物処分場又は清掃工場B工場又は工業団地C道路整備(ブルド
ーザー道)また、資産の保全状況及び資産に与える影響の概要にエムソ
゙ネついては、推薦書本文において記述しているとおりである。これ
らの影響などについて顕著な普遍的価値の適切な保存管理という観
点から、「資産の視覚的結び付き」、「資産の関連性」、「個別資
産の保護」の3つに分類し、影響の程度を観察する指標運営を設定
した。資産の顕著な普遍的価値を確実に保護するためには、資産に
影響を与える要因について、監視の方策及び負の影響が及ばない方
策を検討する必要がある。その考え方の概要については以下の表に
示すとおりである。−114−表資産に負の影運営響を与える要因
とその考え方顕著な普遍的価値を構成する諸要素資産に対する毒朴
- 273 :
- 影響観察指標として考えられるものアフィの顕著な普遍的価値眺望
・信仰知識の提供・普及活動等の停滞による影響・資産の知覚的結
び付き、関連性の未理解による影響気運営候変動による影響・酸性
雨による影響(建造物等の腐食)・温暖化による影響(植生への影
響)自然災害による影響・大雨による影響(遺跡、建造物のき損)
・噴火(遺跡、建造物のき損)・虫害、樹木の成長等による影響(
遺跡、景観のき損)観光圧力運営による影響・観光客増加による影
響(遺跡、建造物のき損、周辺環境の変化)開発圧力による影響・
周辺地域の大規模開発による影響(埋蔵部下材の消失、景観阻害要
因の設置)・住民の多様な意識による影響(統一性のない町並みデ
ザイン)資産の視覚運営的結び付きに関して・視点場における景観
を阻害する要因の数・規制(景観条例等)に適合しない要因の数資
産の関連性に関して・知識の提供、普及状況(整備の進捗、ガイダ
ンス施設、研究報告、発掘調査、パンフレット、HPなどによる各
種情報提供運営、国内外専門家による現地確認、各種研修会、セミ
ナー等の開催)・観光客数の動向(入込数、便益施設と収容能力な
ど)個別資産の保護に関して・酸性雨の状況(PHなど)・水系の
状況(水質、水量、生物など)・植生の状況(樹種とその割合など
)運営・遺構の状況(礎石の位置など)・現状変更数及び内容(2
)環境の圧力資産の価値を著しく低下させるような自然的環境の変
化として、山体の形状を変化させる噴火及びそれに伴う噴石、火砕
流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰、降灰後の運営降
雨による土石流などによる登山道及び周辺の資産の損傷が予測され
る。「大沢崩れ」が約1000年前より始まり、現在その幅は年1
.6mの割合で拡大している(富士砂防・S45〜H20の38年
間で約60m・3400メートル地点・523万〜運営・年13.
8〜の土砂が流出)。ただし、噴火・地震等がなければ少なくとも
200年後まではアフィの景観に大きな変化はないと予測され沼購
- 274 :
- る(大沢崩れとアフィの土石流・「富士火山」P407〜)。酸性
雨を含む大気汚染が引き起こす被害につい運営ては、現段階では確
認されていない。白糸ノ滝については、年2cmの割合で後退して
おり、10年程度の間隔で自然崩壊が発生する。−115−砂嘴で
ある三保松原では20世紀後半に土砂供給源の川での土砂採取が活
発になり、堆積活動が減少したこ運営とで海流による海岸浸食が進
んでいたが、現在は土砂採取の禁止等により、堆積活動が回復乏携
- 275 :
- いる。また、三保松原における松にはマツクイムシ(マツノザイセ
ンチュウ)による被害が見られる。これに対しては、薬剤注入・散
布による予防措置及び植運営林、枯れた松の除去を資産の所在する
静岡市とNPO法人が行っており、被害の拡大を防止しており、将
来的に改善される見通しが付いている。(3)自然災害と危機管理
資産の所在地域における自然災害としては、第一にアフィ特有のも
のとして山体及運営び側火山からの噴火及びそれに伴う噴石、火砕
流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰、降灰後の降雨に
よる土石流などが予想されるとともに、数年単位で発生する山体に
おける雪崩(特に大量の水分を含んだ雪が流動する雪泥流)や大沢
崩れ及運営びそれに伴う土石流、強風、雨水による浸食などが考え
られる。また、アフィを含む駿河湾沿いの地域はM8クラスの海洋
プレート内地震の発生が予測されている。第二に日本列島の太平洋
側における一般的自然災害である台風・大雨・洪水並びに火災等エムソ
゙ネが予測されている。第三に三保松原に関しては海岸浸食に伴う高
潮などの被害がある。これらについてそれぞれ以下のような防災対
策を講じている。噴火及びそれに伴う災害に対しては、気象庁をは
じめとする研究・防災機関が常時観測を行うと同時に、運営国の富
士山ハザードマップ検討委員会報告書(2004年)に基づき県及
び市町村において火山防災計画(ハザードマップ・避難計画)など
を策定している。雪崩については、吉田口登山道では馬返より上の
登山道に浸透桝を設け、雨水や雪崩による崩壊運営を防いでいる。
土砂崩れ・土石流(主に大沢崩れ)については国が中心となり、源
頭部における水分と土砂の分離、山麓における土石流災害防止を目
的とした遊砂地の設置などを行っている。また、登山道を管理する
県では道流堤を設置し、落石の落下先運営をコントロールしている
。これらの災害は発生自体を防止することは困難であるため、その
被害を最小限にとどめることを対策の骨子としている。地震に巧早
- 276 :
- る対策としては、大規模地震対策特別措置法(1978年)に基づ
き、予知を目的とした観測体運営制、予知を前提とした非難・警戒
体制、防災施設整備が行われるとともに、東海地震対策大綱(20
03)に基づき国・県・市町村の防災計画が策定されている。台風
は1996年9月にアフィ南側の人工林地区(ヒノキ)に風倒の被
害(標高1100〜運営1200m中心、計1125ha、アフィ
では約935haうち国有林620ha)をもたらしたことがある
ため、1997年より静岡県が中心となり、被害地に対して自生種
(ブナ・ミズナラ)の植栽(のべ22・68ha)を実施している
。また、風運営倒による被害を防ぐため人工林における下刈を実施
している。大雨・洪水に関しては堤防・遊水地・砂防堰堤の建設や
河川の改修などにより、大雨時の洪水に対する防止策を講じている
。山火事に対しては、防火帯を設けており、大規模な火災に対して
最運営大限の対応を可能としている。建造物の火災に対しては自動
火災報知設備・ドレンチャー設備・消火栓、放水銃などを設置して
いるほか、自主防火組織も整備するなど、万全を期しているので問
題ない。万一、上記の災害が発生した場合においても、速や運営か
に原状復旧の対策を講じるための制度及び体制を完備しており、資
産の価値が減じることはない。三保松原においては、安倍川(土砂
供給源)下流部での砂利採取を1968年より海岸浸食の原因の一
因と考え禁止するとともに、1989年より34年運営計画(20
34年まで)でヘッドランド・離岸堤の設置や養浜による海岸保全
対策を行い、現在、海岸と平行した方向に年250mの割合で砂浜
の回復が進行している。現在ヘッドランドの一部が景観に影響を与
えているが、砂浜の回復後に撤去する計画運営が進んでいる。−1
16−登山者の安全に関しては、気候の急変に備え、「アフィ登山
指導センター(山頂と富士宮新五合目)」、「アフィ安全指導セン
ター(吉田口五合目)」と「アフィ衛生センター(富士宮口八問渦
- 277 :
- )」が設けられている。(4)来運営訪者及び観光の圧力アフィの
構成資産のうち私有財産である御師住宅(小佐野家住宅)を除いた
資産はすべて公開されている。ただし山体資産範囲については登山
道及び山頂部以外は土地所有者(国、県、アフィ本宮浅間大社)の
了解が必要であり、安全運営上の観点からも県が登山道からの逸脱
を好ましくない行為として事実上立入を制限している。山体以外の
資産については、き損・悪戯・盗難等の被害から建造物等の構成資
産を護るために、防犯警備施設を設置するとともに巡視及び監視の
体制を整備し(運営山宮・村山・人穴等では防犯システムは採用さ
れていない)、来訪者によるゴミの増加等に対しても地域住民や関
係市町村が適切な管理を行っていることから、観光による圧力が資
産の価値を著しく低下させるようなことは起こり得ない。山体に関
しては運営、観光客によるごみ及びし尿及び自動車で訪れる来訪者
(アフィスカイラインでは4月〜11月の合計で年平均127,0
00台・1999〜2009年、富士スバルラインで年平均410
,000台・2006〜2008年)による環境への負荷及び混エムソ
゙ネ雑の軽減を目的に以下の対策を行った。ごみに関しては国・県及
びNPO法人、ボランティアによる清掃作業が活発に実施されると
ともに(平成20年実績・92回、約64t、延べ参加人数約70
00名)、外国人も含め登山者に対してマナー向上を呼運営びかけ
、登山道周辺のごみは減少している。山頂部で発生するごみについ
ては山小屋組合(富士吉田口環境保全推進協議会等)により適切に
管理・処理されている。し尿対策に関しては登山道及び山小屋のト
イレ48箇所を2006年までにバイオ処理式運営等に改良し、環
境への負荷を軽減した。自動車に関しては、土日・休日を中心に各
登山道の利用者数に応じて自家用車の利用を規制し(利用者の多い
富士スバルラインで最大12日間)、山麓の臨時駐車場と五合目駐
車場間のシャトルバスによる輸送を行運営っている。※オフロ存僚
- 278 :
- 車の進入等書くべきか※保存管理計画で車対策を充実させなくて良
いか(立ち枯れの問題を記述する場合特に)2負の影響を与える要
因の観察1で示した観察指標として考えられるものについて、測定
すべき内容、周期、記録組織運営の概要を以下の表に示す。指標の
具体的な測定内容等については、表に明示している。表観察指標一
覧表※斜字はアフィを守る指標から指標周期記録組織(1)資産の
視覚的結a)視点場における景観阻害要因数毎年両県びつきの是弦
- 279 :
- b)電線の地中化延運営長毎年両県a)アフィ環境教育開催数・参
加者数毎年両県b)パンフレット・HPによる情報提供数毎年両県
c)主要地点での観光客の入込み数毎年両県(2)資産の関連性の
保護d)登山者数(5合目以上)毎年市町村−117−e)登山者
数(8合目運営以上)毎年環境省f)森林伐採面積(森林の整備形
態〜)毎年両県a)文化財保護法における現状変更の数毎年両県b
)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境省c)生活排水
クリーン処理数毎年両県(3)個別資産の保護d)アフィ5合目以
上運営のごみ収集量毎年両県a)自然公園法における許可行為の数
毎年両県・環境省b)ゴルフ場面積毎年両県c)森林伐採面積(森
林の整備形態〜)毎年両県(4)緩衝地帯の保護d)廃棄物の不法
投棄量毎年両県−118−第7章整備・公開・活用1基本方運営針
資産全体の保存管理を確実に行うためには、適切な整備・公開・活
用の方針を定め、それらを着実に実現していくことが必要である。
資産の顕著な普遍的価値を確実に保存するとともに、総合的な理解
を深めることができるよう、適切な整備・公開・活運営用の施策を
推進する。(1)構成資産の関連性を考慮した顕著な普遍的価値の
伝達アフィは、一連の歴史的背景と構成資産相互の関連性によって
全体の顕著な普遍的価値が構成されているという観点を踏まえる必
要がある。そのため、各構成資産の修復及運営び整備に当たっては
、構成資産相互の関連性を考慮し、資産全体として有する顕著な普
遍的価値を顕在化させる整備計画を策定し、修復及び整備を進める
こととする。また、山梨県・静岡県及び構成資産所有の市町は、「
(仮称)アフィフォーラム」を始運営めとする資産の関連性を含め
たアフィの顕著な普遍的価値を理解するための講座及び研修会等を
実施し、情報の伝達を行うことについて配慮する。さらに、日常的
な情報提供の一環として、ガイドブック等の充実を図るほか、地域
の児童・生徒を対象とし運営た学校教育及び地域住民を対象と渦浮
- 280 :
- 社会教育活動との連携を図る。表資産の保存管理に要する経費単位
:千円項目2008年2009年2010年2011年文化財保護
アフィ保護来訪者施設、普及啓発合計(2)歴史的事実に基づく真
実性の担保記念運営工作物や文化財の修復及び復元整備はその真実
性を担保するため、建造物の解体修理や発掘調査等の各種学術調査
の結果に基づき、高い精度により実施する。そのためには、歴史学
、考古学、建築史学、環境学、地質学等、構成資産に関する調査研
究を継運営続し、保存・活用上の諸課題について、研究成果の充実
を図っていく必要がある。そのため、山梨県では、2008年より
アフィの歴史、信仰、芸術などをはじめとする総合的な調査・研究
や、アフィ関連資料の整備・把握を行う「山梨県アフィ総合学術エムソ
゙ネ調査委員会」を設置し、成果の充実に努めている。また、静岡県
では、資産の文化財調査を実施する「(仮称)アフィ文化財調査事
務所」を静岡県内に設置するとともに、「(仮称)アフィの総合的
研究基本計画」を策定し、大学及び関係市町と調査研究運営活動の
連携を図り、成果の充実に努めている。なお、両県の関係部局及び
関係市町村、学識経験者等を構成員とする「(仮)アフィ保存活用
両県協議会」が定期的に開催され、専門的立場からの助言を得るこ
とで、資産の調査研究等についての客観性を確運営実にしている。
−119−(3)適切な公開・活用施設の設置公開・活用施設の設
置に当たっては、資産の持つ顕著な普遍的価値を伝達するために必
要な質及び量を考慮する。そのため、現在「環境省生物多様性セン
ター」、「山梨県立富士ビジターセン運営ター」、「山梨県環境科
学研究所」、「富士吉田市歴史民俗博物館」、「河口湖フィールド
センター」などにおいて行っている、構成資産の解説については、
顕著な普遍的価値の観点から一層の充実を図る。表資産の顕著な普
遍的価値の伝達に関する公開運営・活用施設一覧NO名称解説対象
備考1環境省生物多様性センター自然2山梨県富士ビジターセ下吹
- 281 :
- ーアフィ全般大型映像施設あり3山梨県環境科学研究所自然4富士
吉田市歴史民俗博物館歴史5旧外川家住宅歴史4の附属施設6富士
吉田市世界遺産セン運営ター歴史7河口湖フィールドセンター自然
8富士市立博物館歴史9裾野市立アフィ資料館アフィ全般(4)国
内外からの観光客への対応アフィ地域は、優れた名所として知られ
ており、広く国内外から多くの来訪者を受け入れている国内有数の
観光地とな運営っているため、地域住民に向けた公開・活用のみな
らず、資産の価値に対する理解促進と普及啓発に向けた積極的な宣
伝に努める。山梨県及び各市町村では、景観や環境の保全にも十分
配慮した観光計画を策定しており、その計画に基づき来訪者の受入
れ運営態勢の整備などを進めていく。また、アフィ山体においては
、登山者の安全と利便を図るため、統一されたデザインによる4ヶ
国語(英語・中国語、ハングル、日本語)の道標や解説板の整備を
進めている。表アフィへの来訪者数の推移(7・8月推計)運営単
位:人年吉田口富士宮口御殿場口須走口合計※吉田口:富士吉田市
アフィ課で集計(六合目安全指導センター調)※富士宮口、御殿場
口、須走口:富士宮市観光協会等の推計表主な構成資産の来訪者数
の推移(推計等)単位:人富士吉田・河口湖・三つ運営峠周辺本栖
湖・精進湖・西湖周辺山中湖・忍野八海周辺三保松原浅間大社白糸
ノ滝※「山梨県観光客動態調査」(山梨県)2整備と公開・活用富
士山体及びアフィ周辺には、アフィの価値を示す多くの貴重な文化
財が、広い範囲に分布している。それらを運営確実に保存管理する
ためには、適切な整備を進め、地域住民や来訪者に対し、効果的な
情報提供を行うことが重要である。資産の整備及び活用は、資産の
管理者である関係市町村及び個別資産の所有者が実施しており、文
化財の適切な整備と活用を進める運営ため、以下の点に留意するこ
とが必要である。(1)文化財の保護アフィの価値を表す貴重な文
化財を、確実に保護するための適切な整備を進める。個別保存壮熱
- 282 :
- 計画との整合を図り、保護と活用の観点から、地域住民の生活や来
訪者の活動などとの調和運営を図る。(2)文化財及び周辺の整備
アフィの文化の特徴や様々な文化財の価値について、年齢国籍を問
わず分かりやすい資料の作成や案内板等の整備を検討する。また、
訪問者への対応や周辺環境の保全に配慮した整備計画の検討を進め
る。計画は以下運営のとおりである。アアフィ山体及び登山道A(
A1〜A9共通)・誘導看板の設置・登山道及びブルドーザー揺男
- 283 :
- 整備・破損した石造物の修復・土砂崩落防止柵の整備イ信仰B1〜
B15共通−120−−121−・継続的な文化財調査・社殿を始
めとす運営る建造物や境内地の修復および保存・解説板、案内板等
の設置・良好な景観の維持・永続的に行われている習俗の継承、保
存ウ眺望C三保松原・継続的な植生及び海浜の調査・解説板、案内
板等の設置・良好な景観の維持・永続的に行われている習俗の継エムソ
゙ネ承、保存・病害虫の駆除−122−第8章保存管理体制の整備と
運営1保存管理体制の整備と役割分担構成資産及び緩衝地帯の確実
な保存管理のためには、関係する行政機関、所有者、地域住民、市
民団体などが相互に意思を疎通し連携を図る組織や、運運営営体制
を整備することが重要である。効果的かつ確実な保存管理の体制を
整備するため、以下の4点に留意することが必要である。(1)行
政機関の連携国・県・市町の役割を明確にし、相互に連携を図る協
力体制を整備する。また、一元的な体制整備に運営ついての検討も
進めるとともに、関係市町村は、それぞれ保存管理に必要な体制の
整備を行っている。山梨県、静岡県においては、関係市町村と緊密
に情報交換を行い、資産の保存管理に関して行政的な助言を行って
いる。また、山梨県、静岡県とその関運営連機関である山梨県埋蔵
文化財センター及び静岡県埋蔵文化財研究所では、それぞれの組織
内に文化財の高度な保存・管理技術を持つ専門職員及び技術者を配
置し、市町村が行う保存管理に対して適切な技術的な支援を行って
いる。また、独立行政法人国運営立文化財機構は、全国の史跡等に
おける整備活用事業の円滑な推進と専門職員及び技術者の技術や能
力の向上のために、地方公共団体の専門職員を対象として定期的に
研修を開催しており、山梨県・静岡県をはじめ関係各市町村の職員
も当該研修等に積極運営的に参加して、資産の整備活用の技術向上
に努めている。また、構成資産の保護に関しては、必要に応じて文
化財補助金制度等の財政的、技術的な支援を行うこととしてい弾唇
- 284 :
- さらに、独立行政法人国立文化財機構(201年度より国内の大学
の研究者及運営びイコモス会員を含むアフィ世界遺産両県協議会の
助言者及び両県協議会も含まれる)の助言・指導に基づいて行われ
ている保存・管理技術は、高い水準を維持している。重要文化財、
史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物を維持す
る運営ための措置として簡単な修理又は復旧を行う場合は、事前の
届出に基づき、文化庁が適切な技術的指導を行っているため、管理
技術の水準はきわめて高く保たれている。文化庁及び環境省におい
ては、山梨県、静岡県及び関係市町村との緊密な情報交換を運営基
に、資産の保存管理全般に関して行政的な助言を行うとともに、必
要に応じて財政的・技術的な支援を行うこととしている。同時に、
国内の世界遺産の保存管理に関する情報をはじめ、各国における世
界遺産の保存管理状況などに関する情報の収集及び運営周知に努め
ている。資産の見回りや清掃等の日常的な維持管理については、静
岡県・山梨県教育委員会から嘱託された指導員のほか、地域住民・
民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている。表技術者の資
質向上のために行われているおもな研修(運営2)民間との連携、
住民参加行政機関の連携を図るとともに、構成資産及び緩衝地帯の
確実な保護と活用のためには民間との連携が重要である。そのため
、民間の団体や地域住民が積極的に参加できる組織や体制の整備を
進める。資産の所有者及び資産に運営関する権利者や地域住民等の
間で生ずる様々な課題に対し、山梨県、静岡県の関係市町村及び資
産の保存管理に関する諸団体等においては、日常的な情報共有を行
い、資産保護の連携を図っている。また、山梨県、静岡県は、関係
市町村と連絡調整のため運営の会議を年に複数回開催し、保存管理
等の状況や今後の管理運営についての情報交換を行うなど、さらな
る連携の強化に努めることとしている。−123−(3)広報関係
保護・保全に対する意識を高めるためには、世界遺産登録の意曖懸
- 285 :
- 理解することが運営重要であることから、地域住民をはじめ、来訪
者への広報や啓発活動を推進する。(4)(仮称)アフィ世界遺産
両県協議会包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基づき、
静岡県・山梨県と関係市町村は、広範囲にわたるアフィの構成資産
及び緩運営衝地帯を包括的保存管理計画に基づき統一的に管理する
ため「アフィ世界遺産両県協議会」(以下「両県協議会」という。
)(図「アフィ」に係る保存管理の組織体制図)及びその支部組織
である「静岡県世界遺産協議会」・「山梨県世界遺産協議会」(エムソ
゙ネ以下両者をまとめて「各県協議会」という。)を設置し、各構成
資産を成す重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物
又は天然記念物の保存管理計画を共通の基準に基づき確実に実行す
る。両県協議会および各県委員会は、資産及びその周辺運営地域に
おいて、国・静岡県・山梨県・関係市町村・民間団体等が実施する
予定の事業等についての情報を総合的に把握し、それぞれの事業が
、資産の保存管理に負の影響を及ぼすことなく、適切に実施される
ように関係各機関の連絡・調整を行う。両県協運営議会・各県協議
会における調整結果に基づき、静岡県・山梨県及び関係市町村は、
民間事業者等に対して権限に基づく適切な指導や助言を行うことと
している。また、両県協議会には国関係機関(文化庁・環境省・国
土交通省・防衛省・林野庁)、国内の運営大学及びイコモス会員等
の研究者・専門家が助言者として参加し、学術的な観点からの助言
を行う。各県協議会の下には、実務担当者レベルの調整組織として
、山梨県(静岡県)庁内連絡会議を設置するとともに、各市町村担
当者や民間業者などの代表者運営との調整組織として山梨県(静岡
県)保存管理協力者会議を設置し、十分な連携を図る。さらに、静
岡県・山梨県文化財保護審議会をはじめ各市町村文化財調査委員会
は指定文化財及び文化財全体に関する事項を審議し、それぞれ、静
岡県・山梨県及び構運営成資産の管理を行う各市町村教育委員学遣
- 286 :
- 対して建議を行っている。これらの組織の運営は静岡県・山梨県の
世界遺産推進課が行い、専門の職員名により業務が行われる。また
、世界遺産推進係を設置した富士宮市教育委員会や世界遺産推進室
を設置した運営富士吉田市をはじめ、各市町村教育委員会において
も構成資産の保存管理を担当する専門の職員を定めている。これら
の組織体制については、さらなる充実化に努めることとしている。
なお、上記の体制については現在登録準備のために設置され、護航
- 287 :
- 的運営に機能している組織を改変・名称変更・役割変更するもので
あり、その運営に関して問題は生じない。(5)その他地元関係者
の意見を考慮し、将来的な計画を視野に入れた保存管理のあり方に
ついて検討を進める。2地域住民等との連携・協働アフィの運営顕
著な普遍的価値を適切に保護していくためには、資産の物理的な保
護はもとより、緩衝地帯を含めた総合的な保存管理が求められる。
これらを円滑に実現するためには、資産の周辺に居住する地域住民
と行政との連携が不可欠であることから、地域住民運営との連携・
協働による各種事業を実施している。−124−表地域住民と行政
との連携による事業主な実施事業事業主体頻度実施年度アフィ一斉
清掃各自治体各登山道年1回毎年度アフィの美化活動財団法人富士
山をきれいにする会年2回程度1962年運営〜毎年度また、地域
住民による資産の保存管理を確実なものとするためには、住民の資
産の価値に関する理解を深め、保護に対する意識をより一層醸成す
る必要がある。そのため、山梨県及び関係市町村では、地域住民参
加型の各種講演会、研修会などの運営各種事業を主催している。表
地域住民が参加する主な事業主な実施事業事業主体頻度実施年度富
士山世界遺産出前講座行政随時2007年〜毎年度アフィ学習会行
政外随時毎年度富士吉田市世界遺産専門学校行政年1回2009年
〜毎年度図「アフィ」に運営係る保存管理の組織体制図−125−
アフィ世界遺産両県協議会(構成)静岡県、山梨県、関係市町村学
識経験者等国関係機関(文化庁、環境省、国土交通省、防衛省、林
野庁)開発事業者、地域住民、関係者静岡県世界遺産協議会山梨県
世界遺産協議会運営(委員)行政:静岡県、関係市町等(委員)行
政:山梨県、関係市町村等民間:観光協会、山小屋組合、民間:観
光協会、山小屋組合、神社関係者等静岡県保存管理協力者会議(委
員)関係市町(企画・都市計画・文化財担当)観光関係者、山小屋
組合、運営神社関係者等神社関係者等静岡県庁内連絡会議山梨負希
- 288 :
- 内連絡会議(委員)関係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力
者会議(委員)関係市町村(企画、都市計画、文化財担当)観光関
係者、山小屋組合、神社関係者等−126−3持続的運営のためエムソ
゙ネの定期的確認包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基づ
き、山梨県・静岡県は、世界遺産の保存管理を専任とする職員の組
織を整備するとともに、連絡調整会議を設置して関係市町村の教育
委員会との十分な連携を図っている。山梨県・静岡県教運営育委員
会では、文化財・世界遺産担当の組織を設け、現在名の職員によっ
て資産全体の保存管理に当たっている。富士宮市教育委員会では世
界遺産推進係を、富士吉田市では世界遺産推進室を設置し、専任職
員によって構成資産の保存管理に当たっている運営。また、これ以
外の市町村においても他の文化財とともに構成資産の保存管理を担
当する職員を定めている。これらの組織体制については、さらなる
充実化に努めることとしている。さらに、国・山梨県・静岡県と関
係市町村は、広範囲にわたる「アフィ運営」の構成資産及び緩衝地
帯を包括的保存管理計画に基づき統一的に管理するため「(仮称)
アフィ世界遺産両県協議会」(以下「協議会」という。)を設置し
、各構成資産を成す重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天
然記念物又は天然記念物の保運営存管理計画を共通の基準に基づき
確実に実行している。協議会では、資産及びその周辺地域において
、国・静岡県・山梨県・関係市町村・民間団体等が実施する予定の
事業等について、それぞれの事業が、資産の保存管理に負の影響を
及ぼすことなく、適運営切に実施されるように連絡・調整及び各法
令を管轄する行政機関に対する助言を行う権限を有する。協議会に
おける調査結果に基づき、静岡県・山梨県及び関係市町村は、民間
事業者等に対して権限に基づく適切な指導や助言を行うこととして
いる。協議運営会には、国内の大学及びイコモス会員等の研究者・
専門家が参加しており、協議会に対して学術的な観点からの助捻分
- 289 :
- 行っている。さらに、静岡県・山梨県文化財保護審議会をはじめ各
市町村文化財調査委員会は指定文化財及び文化財全体に関する事項
を運営審議し、それぞれ、山梨県・静岡県及び各市町村に対して建
議を行っている。付章1保存管理に関する事業計画一覧表アフィ包
括的保存管理計画を適切に実施していくため、「(仮)アフィ保存
活用両県協議会」が毎年開催されている。現状の把握及び保運営存
管理の方向性については、その概要を本文第4章1・2、第5章1
・2に示している。また、実施される事業については本章に一覧表
として示している。事業主体実施機関二県山梨県静岡県市町村その
他事業主体「その他」の内容番号保存管理の方向性運営実施事業短
期中長期〜〜2014年2027年1顕著な普遍的価値の確実な保
記念工作物に関する経過観察の実施宗教法人護のための適切な監視
「遺跡」に関する経過観察の実施宗教法人2世界遺産講座等の開催
専門家(国内外)会議の開催顕著な普遍的運営価値を理解するため
の方策史跡等調査整備計画(暫定整備含む)相談窓口の設置及び事
前相談の受付各分野の専門家による現地指導会の開催宗教法人等3
地域住民、行政による資産に地域住民及び開発企業向け説明会の開
催対する知識の向上現状変更手続運営き等に関するパンフレット作
成−127−及び配布史跡等公有化計画の策定及び公有化の実施各
分野の専門家による現地指導会の開催宗教法人等史跡等見学会の実
施民間団体等ガイダンス施設の整備各種サイン計画の実施史跡等環
境の整備・管理運営民間運営団体等史跡等の追加指定及び新規指定
の推進4資産等の巡視・監視体制の強化民間団体等関係者による連
絡調整会議の開催宗教法人等行政、地域の連携による資産の保護資
産等を案内するためのガイド養成5「鉄塔」の取扱いに関する関係
事業者との協議運営「家庭用電柱」の取扱いに関する協議の実施各
種人工物等に対する適切な取扱い「違反広告物」の撤去景観法に基
づく景観計画による屋外広告物の規制違反広告物の掲出に関す遡塩
- 290 :
- 域住民への予防的措置の実施負の要素の除去既存の「観光関連施設
」等に運営関する関係者との協議の実施6景観に配慮した「便益施
設」の計画的な整備景観に配慮したデザインの検討各種人工物等の
景観への配慮景観の既存の便益施設の撤去、修復−128−「樹木
」の保存宗教法人等既存及び新設の「公共施設」の景観への配慮エムソ
゙ネ向上「高速道路」「鉄道」の修景の取扱いに関する関係事業者と
の協議の実施「既存の建物」の景観への配慮道路・河川の景観施認
- 291 :
- 国景観阻害要因の撤去・修景民間団体等7開発行為への適切な対応
第三者機関による開発内容のチェック地方公共団体内部運営におけ
るチェック民間団体等資産等の巡視・監視体制の強化開発計画に対
する必要な勧告制度景観保全のためのルールづくり8観光圧力に対
する適切な対応モデルコースの設定・周知誘導看板の整備「便益施
設」の計画的な整備資産等の巡視・監視体制の運営強化民間団体等
ガイドの養成各種ガイドブック(アフィ全体、構成資産、児童生徒
向け)作成9顕著な普遍的価値の伝達児童・生徒向けイベントの開
催アフィフォーラム、世界遺産に関する研修会、講座等の開催−1
29−発掘、歴史、自然、民俗等の各運営種分野における調査推進
・公開アフィ及び構成資産の関連書籍のデータベース作成10モデ
ルコースの設定・周知誘導看板の整備アフィに関する顕著な普遍的
価値を考慮した公開・活用「便益施設」の計画的な整備資産等の巡
視・監視体制の強化民間団体運営等ガイドの養成11神社関連施設
及び遺跡の調査・整備宗教法人等神社関連施設及び遺跡の公開・活
用宗教法人等遺跡に関する顕著な普遍的価値を考慮した公開・活用
自然関連の情報収集・調査民間団体等アフィ総合研究の実施大学、
行政、民間団体等1運営2歴史的事実に基づく真実性の担保アフィ
研究機関の設置民間団体等13適切な公開活用施設の設置「(仮称
)アフィセンター」の充実各種ガイダンス施設の整備・拡充14国
内外からの観光客への対応外国人観光客の受け入れ態勢の整備民間
団体等資産運営の価値に対する理解促進に向けた積極的な宣伝適切
な経路の設定トイレ等の便益施設の設置シャトルバス等の交通渋滞
の緩和策の実施−130−−131−平成22年度第1回静岡県学
術委員会・第2回山梨県学術委員会参考資料1顕著な普遍的価値の
登運営録基準2005年2月版「世界遺産条約履行のための作業指
針」77項より(@)人間の創造的才能を表す傑作である。(A)
建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な状殖
- 292 :
- を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内運営で
の価値観の交流を示すものである。(B)現存するか消滅している
かにかかわらず、ある文化的伝統又はある文明の存在を伝承する物
証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。(C)歴史
上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学運営技術の集合
体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。(D)あるひとつ
の文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若
しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又
は、人類と環境とのふれあいを代表する顕運営著な見本である(特
に不可逆的な変化によりその存在が危ぶまれているもの)(E)顕
著な普遍的意義を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰
、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある
(この基準は他の基準とあわせて運営用いられることが望ましい)
(F)最上級の自然現象、又は、類まれな自然美・美的価値を有す
る地域を包含する。(G)生命進化の記録や、地形形成における重
要な進行中の地質学的過程、あるいは重要な地形学的又は自然地理
学的特徴といった、地球運営の歴史の主要な段階を代表する顕著な
見本である。(H)陸上・淡水域・沿岸・海洋の生態系や動植物群
集の進化、発展において、重要な進行中の生態学的過程又は生物学
的過程を代表する顕著な見本である。(I)学術上又は保全上顕著
な普遍的価値を運営有する絶滅のおそれのある種の生息地など、生
物多様性の生息域内保全にとって最も重要な自然の生息域を包含す
る。平成22年度第1回静岡県学術委員会・第2回山梨県学術委員
会参考資料2アフィ世界文化遺産静岡県学術委員会設置要綱(趣旨
)第1運営条この要綱は、アフィ世界文化遺産静岡県学術委員会(
以下「委員会」という。)の設置に関し必要な事項を定めるものと
する。(事業)第2条委員会は、アフィの世界文化遺産登録を目指
し、関係資料の整備、推薦資産の検討及び価値証明等を行う。(エ諦責
- 293 :
- ゙ネ組織)第3条委員は、学識経験のある者のうちから、アフィ世界
文化遺産登録推進両県合同会議会長が委嘱する。(役員)第4条委
員会に次の役員を置く。(1)委員長1人(2)副委員長1人2委
員長及び副委員長は、委員の互選による。3委員長は、運営委員会
を代表し、会務を総理する。4副委員長は、委員長を補佐し、委員
長に事故があるときは、その職務を代理する。(任期)第5条委員
の任期は、1年とする。ただし、補欠の委員の任期は、前任者の残
任期間とする。2委員は、再任されることがで運営きる。(会議)
第6条委員会の会議は、委員長が招集し、委員長がその議長となる
。(事務局)第7条委員会の事務を処理するため、静岡県文化・観
光部世界遺産推進課に事務局を置く。2事務局に関し必要な事項は
、委員長が別に定める。(解散)第8運営条委員会は、アフィが世
界文化遺産に登録されたときに解散する。(補則)第9条この要綱
に定めるもののほか、委員会の運営に関し必要な事項は、委員長が
別に定める。附則1この要綱は、平成18年5月23日から施行す
る。2この要綱の施行後最初運営に選任される委員の任期は、第5
条第1項本文の規定にかかわらず、平成19年3月31日までとす
る。附則この改正は、平成19年4月1日から施行する。附則この
改正は、平成22年4月1日から施行する。−1−アフィ世界文化
遺産山梨県学術委員運営会設置要綱(趣旨)第1条この要綱は、富
士山世界文化遺産山梨県学術委員会(以下「委員会」という。)の
設置に関し必要な事項を定めるものとする。(事業)第2条委員会
は、アフィの世界文化遺産登録を目指し、関係資料の整備、推薦資
産の検討及運営び価値証明等を行う。(組織)第3条委員は、学識
経験のある者のうちから、アフィ世界文化遺産登録推進両県合同会
議会長が委嘱する。(役員)第4条委員会に次の役員を置く。(1
)委員長1人(2)副委員長1人2委員長及び副委員長は、委員の
互運営選による。3委員長は、委員会を代表し、会務を総理す承緊
- 294 :
- 4副委員長は、委員長を補佐し、委員長に事故があるときは、その
職務を代理する。(任期)第5条委員の任期は、1年とする。ただ
し、補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。2委員運営は
、再任されることができる。(会議)第6条委員会の会議は、委員
長が招集し、委員長がその議長となる。(事務局)第7条委員会の
事務を処理するため、山梨県企画県民部世界遺産推進課に事務局を
置く。2事務局に関し必要な事項は、委員長が別に運営定める羅璧
- 295 :
- 係者静岡県世界遺産協議会山梨県世界遺産協議会(委員)行政
:静岡県、関係市町等(委員)行政:山運営梨県、関係市町村
等民間:観光協会、山小屋組合、民間:観光協会、山小屋組合
、神社関係者等静岡県保存管理協力者会議(委員)関係市町(
企画・都市計画・文化財担当)観光関係者、山小屋組合、神社
関係者等神社関係者等静岡県庁内連絡会議山梨県運営庁内連絡
会議(委員)関係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力者
会議(委員)関係市町村(企画、都市計画、文化財担当)観光
関係者、山小屋組合、神社関係者等−126−3持続的運営の
ための定期的確認包括的保存管理計画に定めた上記の基本運営
方針に基づき、山梨県・静岡県は、世界遺産の保存管理を専任
とする職員の組織を整備するとともに、連絡調整会議を設置し
て関係市町村の教育委員会との十分な連携を図っている。山梨
県・静岡県教育委員会では、文化財・世界遺産担当の組織を設
け、運営現在名の職員によって資産全体の保存管理に当たって
いる。富士宮市教育委員会では世界遺産推進係を、富士吉田市
では世界遺産推進室を設置し、専任職員によって構成資産の保
存管理に当たっている。また、これ以外の市町村においても他
の文化財とと運営もに構成資産の保存管理を担当する職員を定
めている。これらの組織体制については、さらなる充実化に努
めることとしている。さらに、国・山梨県・静岡県と関係市町
村は、広範囲にわたる「アフィ」の構成資産及び緩衝地帯を包
括的保存管理計画に基運営づき統一的に管理するため「(仮称
)アフィ世界遺産両県協議会」(以下「協議会」という。)を
設置し、各構成資産を成す重要文化財、史跡、特別名勝又は名
勝、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計画を共通の基
準に基づき確実に実行している運営。協議会では、資産及びそ
の周辺地域において、国・静岡県・山梨県・関係市町村・縛束
- 296 :
- 団体等が実施する予定の事業等について、それぞれの事業が、
資産の保存管理に負の影響を及ぼすことなく、適切に実施され
るように連絡・調整及び各法令を管轄す運営る行政機関に対す
る助言を行う権限を有する。協議会における調査結果に基づき
、静岡県・山梨県及び関係市町村は、民間事業者等に対して権
限に基づく適切な指導や助言を行うこととしている。協議会に
は、国内の大学及びイコモス会員等の研究者・専運営門家が参
加しており、協議会に対して学術的な観点からの助言を行って
いる。さらに、静岡県・山梨県文化財保護審議会をはじめ各市
町村文化財調査委員会は指定文化財及び文化財全体に関する事
項を審議し、それぞれ、山梨県・静岡県及び各市町村に対運営
して建議を行っている。付章1保存管理に関する事業計画一覧
表アフィ包括的保存管理計画を適切に実施していくため、「(
仮)アフィ保存活用両県協議会」が毎年開催されている。現状
の把握及び保存管理の方向性については、その概要を本文第4
章1運営・2、第5章1・2に示している。また、実施される
事業については本章に一覧表として示している。事業主体実施
機関二県山梨県静岡県市町村その他事業主体「その他」の内容
番号保存管理の方向性実施事業短期中長期〜〜2014年20
27年1顕著運営な普遍的価値の確実な保記念工作物に関する
経過観察の実施宗教法人護のための適切な監視「遺跡」に関す
る経過観察の実施宗教法人2世界遺産講座等の開催専門家(国
内外)会議の開催顕著な普遍的価値を理解するための方策史跡
等調査整備計画(暫定運営整備含む)相談窓口の設置及び事前
相談の受付各分野の専門家による現地指導会の開催宗教法人等
3地域住民、行政による資産に地域住民及び開発企業向け説明
会の開催対する知識の向上現状変更手続き等に関するパンフレ
ット作成−127−及び配布史運営跡等公有化計画の策定辺塊
- 297 :
- 公有化の実施各分野の専門家による現地指導会の開催宗教法人
等史跡等見学会の実施民間団体等ガイダンス施設の整備各種サ
イン計画の実施史跡等環境の整備・管理運営民間団体等史跡等
の追加指定及び新規指定の推進4資産等運営の巡視・監視体制
の強化民間団体等関係者による連絡調整会議の開催宗教法人等
行政、地域の連携による資産の保護資産等を案内するためのガ
イド養成5「鉄塔」の取扱いに関する関係事業者との協議「家
庭用電柱」の取扱いに関する協議の実施各種人工運営物等に対
する適切な取扱い「違反広告物」の撤去景観法に基づく景観計
画による屋外広告物の規制違反広告物の掲出に関する地域住民
への予防的措置の実施負の要素の除去既存の「観光関連施設」
等に関する関係者との協議の実施6景観に配慮した「便益運営
施設」の計画的な整備景観に配慮したデザインの検討各種人工
物等の景観への配慮景観の既存の便益施設の撤去、修復−12
8−「樹木」の保存宗教法人等既存及び新設の「公共施設」の
景観への配慮向上「高速道路」「鉄道」の修景の取扱いに関す
る関運営係事業者との協議の実施「既存の建物」の景観への配
慮道路・河川の景観形成国景観阻害要因の撤去・修景民間団体
等7開発行為への適切な対応第三者機関による開発内容のチェ
ック地方公共団体内部におけるチェック民間団体等資産等の巡
視・監視体制運営の強化開発計画に対する必要な勧告制度景観
保全のためのルールづくり8観光圧力に対する適切な対応モデ
ルコースの設定・周知誘導看板の整備「便益施設」の計画的な
整備資産等の巡視・監視体制の強化民間団体等ガイドの養成各
種ガイドブック(富士運営山全体、構成資産、児童生徒向け)
作成9顕著な普遍的価値の伝達児童・生徒向けイベントの開催
アフィフォーラム、世界遺産に関する研修会、講座等の開催−
129−発掘、歴史、自然、民俗等の各種分野における調被充
- 298 :
- 進・公開アフィ及び構成資産の運営関連書籍のデータベース作
成10モデルコースの設定・周知誘導看板の整備アフィに関す
る顕著な普遍的価値を考慮した公開・活用「便益施設」の計画
的な整備資産等の巡視・監視体制の強化民間団体等ガイドの養
成11神社関連施設及び遺跡の調査・整運営備宗教法人等神社
関連施設及び遺跡の公開・活用宗教法人等遺跡に関する顕著な
普遍的価値を考慮した公開・活用自然関連の情報収集・調陶演
- 299 :
- (201年度より国内の大学の研究者及びイコモス会員を含む
アフィ世界遺産両県協議会の助運営言者及び両県協議会も含ま
れる)の助言・指導に基づいて行われている保存・管理技術は
、高い水準を維持している。重要文化財、史跡、特別名勝又は
名勝、特別天然記念物又は天然記念物を維持するための措置と
して簡単な修理又は復旧を行う場合は、運営事前の届出に基づ
き、文化庁が適切な技術的指導を行っているため、管理技術の
水準はきわめて高く保たれている。文化庁及び環境省において
は、山梨県、静岡県及び関係市町村との緊密な情報交換を基に
、資産の保存管理全般に関して行政的な助言を行運営うととも
に、必要に応じて財政的・技術的な支援を行うこととしている
。同時に、国内の世界遺産の保存管理に関する情報をはじめ、
各国における世界遺産の保存管理状況などに関する情報の収集
及び周知に努めている。資産の見回りや清掃等の日常的な運営
維持管理については、静岡県・山梨県教育委員会から嘱託され
た指導員のほか、地域住民・民間団体・管理団体が協働して積
極的に行っている。表技術者の資質向上のために行われている
おもな研修(2)民間との連携、住民参加行政機関の連携を図
ると運営ともに、構成資産及び緩衝地帯の確実な保護と活用の
ためには民間との連携が重要である。そのため、民間の団体や
地域住民が積極的に参加できる組織や体制の整備を進める。資
産の所有者及び資産に関する権利者や地域住民等の間で生ずる
様々な課題に運営対し、山梨県、静岡県の関係市町村及び資産
の保存管理に関する諸団体等においては、日常的な情報共有を
行い、資産保護の連携を図っている。また、山梨県、静岡県は
、関係市町村と連絡調整のための会議を年に複数回開催し、保
存管理等の状況や今後運営の管理運営についての情報交換を行
うなど、さらなる連携の強化に努めることとしている。−両師
- 300 :
- 3−(3)広報関係保護・保全に対する意識を高めるためには
、世界遺産登録の意義を理解することが重要であることから、
地域住民をはじめ、来訪者への運営広報や啓発活動を推進する
。(4)(仮称)アフィ世界遺産両県協議会包括的保存管理計
画に定めた上記の基本方針に基づき、静岡県・山梨県と関係市
町村は、広範囲にわたるアフィの構成資産及び緩衝地帯を包括
的保存管理計画に基づき統一的に管理す運営るため「アフィ世
界遺産両県協議会」(以下「両県協議会」という。)(図「富
士山」に係る保存管理の組織体制図)及びその支部組織である
「静岡県世界遺産協議会」・「山梨県世界遺産協議会」(以下
両者をまとめて「各県協議会」という。)を設置運営し、各構
成資産を成す重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然
記念物又は天然記念物の保存管理計画を共通の基準に基づき確
実に実行する。両県協議会および各県委員会は、資産及びその
周辺地域において、国・静岡県・山梨県・関係市町村・民運営
間団体等が実施する予定の事業等についての情報を総合的に把
握し、それぞれの事業が、資産の保存管理に負の影響を及ぼす
ことなく、適切に実施されるように関係各機関の連絡・調整を
行う。両県協議会・各県協議会における調整結果に基づき、静
岡県運営・山梨県及び関係市町村は、民間事業者等に対して権
限に基づく適切な指導や助言を行うこととしている。また、両
県協議会には国関係機関(文化庁・環境省・国土交通省・防衛
省・林野庁)、国内の大学及びイコモス会員等の研究者・専門
家が助言者と運営して参加し、学術的な観点からの助言を行う
。各県協議会の下には、実務担当者レベルの調整組織として、
山梨県(静岡県)庁内連絡会議を設置するとともに、各市町村
担当者や民間業者などの代表者との調整組織として山梨県(静
岡県)保存管理協力者運営会議を設置し、十分な連携を図償妬
- 301 :
- さらに、静岡県・山梨県文化財保護審議会をはじめ各市町村文
化財調査委員会は指定文化財及び文化財全体に関する事項を審
議し、それぞれ、静岡県・山梨県及び構成資産の管理を行う各
市町村教育委員会に対して建議運営を行っている。これらの組
織の運営は静岡県・山梨県の世界遺産推進課が行い、専門の職
員名により業務が行われる。また、世界遺産推進係を設置した
富士宮市教育委員会や世界遺産推進室を設置した富士吉田市を
はじめ、各市町村教育委員会においても運営構成資産の保存管
理を担当する専門の職員を定めている。これらの組織体制につ
いては、さらなる充実化に努めることとしている。なお、上記
の体制については現在登録準備のために設置され、実質的に機
能している組織を改変・名称変更・役割変更する運営ものであ
り、その運営に関して問題は生じない。(5)その他地元関係
者の意見を考慮し、将来的な計画を視野に入れた保存管理のあ
り方について検討を進める。2地域住民等との連携・協働富士
山の顕著な普遍的価値を適切に保護していくためには、資運営
産の物理的な保護はもとより、緩衝地帯を含めた総合的な保存
管理が求められる。これらを円滑に実現するためには、資産の
周辺に居住する地域住民と行政との連携が不可欠であることか
ら、地域住民との連携・協働による各種事業を実施している。
−1運営24−表地域住民と行政との連携による事業主な実施
事業事業主体頻度実施年度アフィ一斉清掃各自治体各登山道年
1回毎年度アフィの美化活動財団法人アフィをきれいにする会
年2回程度1962年〜毎年度また、地域住民による資産の保
存管理を確実運営なものとするためには、住民の資産の価値に
関する理解を深め、保護に対する意識をより一層醸成する必要
がある。そのため、山梨県及び関係市町村では、地域住民参加
型の各種講演会、研修会などの各種事業を主催している。膨嘲
- 302 :
- 域住民が参加する主な運営事業主な実施事業事業主体頻度実施
年度アフィ世界遺産出前講座行政随時2007年〜毎年度富士
山学習会行政外随時毎年度富士吉田市世界遺産専門学校行政年
1回2009年〜毎年度図「アフィ」に係る保存管理の組織体
制図−125−アフィ世界遺産運営両県協議会(構成)静岡県
、山梨県、関係市町村学識経験者等国関係機関(文化庁、環境
省、国土交通省、防衛省、林野庁)開発事業者、地域住民汽憲
- 303 :
- アフィ(ふじさん、英語:Mount Fuji)は、運営静岡県
(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と、山梨
県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。標高37
76.12 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、その優美な風
貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られ運営ている。数多く
の芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与えただけではなく
、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与えている。懸垂曲線
の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は駿河湾の
海岸まで及ぶ。古来霊峰とされ、特に運営山頂部は浅間大神が鎮座
するとされたため、神聖視された。噴火を沈静化するため律令国家
により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。また、アフィ
修験道の開祖とされる富士上人により修験道の霊場としても認識さ
れるようになり、登拝が行わ運営れるようになった。これら富士信
仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった一派を形成す
るに至る。現在、アフィ麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シ
ーズンには富士登山が盛んである。日本三名山(三霊山)、日本百
名山、日本の地質百運営選に選定されている。また、1936年(
昭和11年)には富士箱根伊豆国立公園に指定されている。その後
、1952年(昭和27年)に特別名勝、2011年(平成23年
)に史跡、さらに2013年(平成25年)6月22日には関連す
る文化財群運営とともに「アフィ−信仰の対象と芸術の源泉」の名
で世界文化遺産に登録された。日本の文化遺産としては13件目で
ある。富士の山とは詠んだとしても、「ふじやま」という呼称は誤
りであり、愛媛県大洲市柚木にある冨士山(とみすやま)とは字も
呼運営び方も異なる。アフィについての最も古い記録は『常陸国風
土記』における「福慈岳」という語であると言われている。他にも
多くの呼称が存在し、不二山もしくは不尽山と表記する古文献もあ
る。また、『竹取物語』における伝説もある。「フジ」とい運朽福
- 304 :
- 長い山の斜面を表す大和言葉から転じてアフィと称されたという説
もある。近代以降の語源説としては、宣教師・バチェラーは、名前
は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプリ」に由来す
るとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中に運営鎮座する火
の姥神を表す「アペフチカムイ」からきた誤解であるとの反論があ
る。その他の語源説として、マレー語説・マオリ語説・原ポリネシ
ア語説等がある。明確に「アフィ」と表記されるに至るにおいては
駿河国富士郡に由来するとするものがあり運営、記録としては都良
香の『アフィ記』に「山を富士と名づくるは、郡の名に取れるなり
」とある。アフィに因む命名アフィが日本を代表する名峰であるこ
とから、日本の各地に「富士」の付く地名が多数存在している。富
士山の麓として静岡県に富士市・運営富士宮市、富士郡、山梨県に
富士吉田市・富士河口湖町・富士川町があるほか、よくあるものと
してアフィが見える場所を富士見と名づけたり(例:埼玉県富士見
市)、アフィに似ている山(主に成層火山)に「富士」の名を冠す
る例(信濃富士など)が運営ある。日本国外に移住した日本人たち
も、居住地付近の山を「○○富士」と呼ぶことがある。詳細は「富
士見」および「富士街道」を参照また、全国各地には少なくとも、
321座を超える数の富士と名の付く山があり、それらを郷土富士
と呼ぶ。詳細は運営「郷土富士」を参照なお、地名以外にも「富士
」を冠した名称は多く存在する。詳細は「フジ」を参照また、異名
として芙蓉峰とも言う。詳細は「芙蓉」を参照地質学上のアフィ富
士山周辺の地形図アフィの構造図地質学上のアフィは典型的な成層
火山で運営あり、この種の火山特有の美しい稜線を持つ。現在の富
士山の山体は、大きく分けて下記の4段階の火山活動によって形成
されたものだと考えられている。先小御岳(せんこみたけ)火山小
御岳(こみたけ)火山古富士(こふじ)火山新富士(しんふじ)エムソ
゙ネ火山この中で先小御岳が最古であり、数十万年前の更新世に原丼
- 305 :
- た火山である。東京大学地震研究所が2004年4月に行ったボー
リング調査によって、小御岳の下にさらに古い山体があることが判
明した。安山岩を主体とするこの第4の山体は「先小御運営岳」と
名付けられた。古富士は8万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を
続け、噴出した火山灰が降り積もることで、標高3,000m弱ま
で成長した。山頂は宝永火口の北側1〜2kmのところにあったと
考えられている。2009年10月に、GPS運営によるアフ民商
- 306 :
- 観測で地殻変動が確認された。これは1996年4月の観測開始以
来初めてのことである。この地殻変動により最大2センチの変化が
現れ、富士宮市−富士吉田市間で約2cm伸びた。これはマグマが
蓄積している(活火山である)現れと運営されている。プレートの
観点からは、ユーラシアプレート外縁部で、北アメリカプレート又
はオホーツクプレートと接するフォッサマグナ(すぐ西に糸魚川静
岡構造線)に南からフィリピン海プレートが沈み込む位置であり(
ほぼ、相模トラフと駿河トラ運営フ及び伊豆・小笠原・マリアナ島
弧を陸上に延長した交点)、3個のプレートの境界域(三重会合点
(英語版))となっている。アフィ下で沈み込んでいるフィリピン
海プレートのさらに下に太平洋プレートが沈み込んでおり、アフィ
のマグマは、東日本運営にある島弧火山と同様に太平洋プレートに
由来するものである。アフィの火山上の特徴は、日本列島の陸上で
他にない均整のとれた山体であること、日本の火山のほとんどが安
山岩マグマを多く噴出しているのに対し、アフィは玄武岩マグマを
多く噴出す運営ること、側火山が非常に多いことがある。アフィ頂
山頂火口を上空より山頂火口山頂には火口(お鉢)がありこれを「
大内院」と呼ぶ。これを囲むようにして8つの峰がありこれを八神
峰と呼ぶ。火口の南西側に最高点の剣ヶ峰があり二等三角点(点名
は運営、アフィ。標高3775.51m2014年4月1日改算)
、火口の北側には二等三角点(点名は、富士白山。標高3756.
23m2014年4月1日改算)が設置されている。火口の構造は
、国土地理院によると、最深部の標高が3538.7m、火運営口
の深さは約237m、山頂火口の直径は780m、火口底の直径は
130mとある。登山道を除く8合目より上は、富士宮市にある富
士山本宮浅間大社の私有地であるが、県境と市町村境界は未確定で
ある。2014年1月のアフィ世界文化遺産協議会運営後の記者会
見でも静岡県知事の川勝平太と山梨県知事の横内正明は県境を冠談
- 307 :
- ないことを明言している。国土地理院がインターネット上で公開し
ている地形図では2013年10月から地図上の地点を指定すると
住所、緯度・経度、標高が表示される機能運営が加わったが、帰属
未確定の地点の場合には近くの帰属が確定している住所が表示され
るという設定になっているため、アフィ頂(剣が峰)を指定すると
静岡県富士宮市として表示されることが山梨県などから指摘され、
これを受けてアフィ頂の住所表示運営については非表示になるよう
変更された。宝永山宝永山と宝永噴火口宝永山(ほうえいざん)は
宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した側火山(寄生火山
)である。アフィ南東斜面に位置し標高は2,693mである。宝
永山の西側には巨大な噴運営火口が開いている。これらを間近で見
ることができる登山コースも整備されている。詳細は「宝永山」を
参照アフィと火山活動アフィの噴火詳細は「アフィの噴火史」を参
照最終氷期が終了した約1万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火
が始まり、溶岩運営を大量に噴出した。この溶岩によって、現在の
アフィの山体である新富士が形成された。その後、古富士の山頂が
新富士の山頂の東側に顔を出しているような状態となっていたと見
られるが、約2,500〜2,800年前、風化が進んだ古富士の
山頂部運営が大規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして
崩壊した。新富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千
年前〜約8,000年前の3,000年間と、約4,500年前〜
約3,200年前の1,300年間と考えられている。山頂部かエムソ
゙ネらの最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山頂部から
の噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が散発的
に発生している。延暦19年−21年(800年−802年)に延
暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出し運営た貞観
大噴火。最後にアフィが噴火したのは宝永4年(1707年)の宝
永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4cmの火府疫
- 308 :
- が降り積もった。また、宝永大噴火によってアフィの山体に宝永山
が形成された。その後も火山性の地震や噴気が運営観測されており
、今後も噴火の可能性が残されている。噴火の年代が考証できる最
も古い記録は、『続日本紀』に記述されている、天応元年(781
年)にアフィより降灰があったくだりである。平安時代初期に成立
した『竹取物語』にも、アフィが作品運営成立の頃、活動期であっ
たことを窺わせる記述がある。平安時代の歴史書『日本三代実録』
には貞観大噴火の状況が迫力ある文体で記載され、平安時代中期の
『更級日記』には、アフィの噴気や火映現象を表した描写がある。
宝永大噴火についての記録は運営、新井白石による『折りたく柴の
記』をはじめとした文書、絵図等により多数残されている。その後
も、噴煙や鳴動の記録は多く残されているが、記述から見て短期間
かつ小規模な活動で終わったものと推測される。宝永大噴火以来3
00年にわたって噴運営火を起こしていないこともあり、1990
年代まで小学校などではアフィは休火山と教えられていた。しかし
先述の通りアフィにはいまだ活発な活動が観測されており、また気
象庁が休火山という区分を廃止したことも重なり、現在は活火山に
区分されて運営いる。2013年7月20日、産業技術総合研究所
は、1999年から約15年分の踏査データや地質調査データをま
とめ富士火山地質図第2版(Ver.1)として発表し、2016
年には修正加筆が終了した。同時に、溶岩が流れ出す規模の噴火は
過運営去2000年間に少なくとも43回あったとしている。山体
崩壊の発生地震および噴火活動にともなう山体崩壊(岩屑がんせつ
なだれ)が発生年代が不明確なものも含めて南西側に5回、北東側
に3回、東側に4回の計12回起きたとされている。また、運営直
下に存在が示唆されている活断層の活動によるマグニチュード7ク
ラスの地震による崩壊も懸念されている。主な発生歴約2900年
前(御殿場泥流):東斜面で大規模(約18億立方メートル)怪奏
- 309 :
- 体崩壊が発生し、泥流が御殿場周辺から東へは足柄運営平野へ、南
へは三島周辺を通って駿河湾へ流下、山体崩壊の発生原因は不明。
1331年の元弘地震に伴い発生。1891年濃尾地震に伴い発生
。災害対策火山噴火予知連絡会(気象庁)−アフィのみを限定する
ものではないが、日本の火山活動について運営の検討を実施する。
状況に応じて見解を発表するが、噴火の日時を特定して発表するこ
とはない。定例会は年3回実施されるが、噴火時には随時開催召傷
- 310 :
- る。2000年10月にアフィの低周波地震が増加した際は、ワー
キンググループが設置され、富士運営山に関する基礎データの収集
・整理、監視体制の検討、火山情報発信の方法などが集中的に検討
された。アフィハザードマップ検討委員会(内閣府防災担当)−噴
火時の広域避難のために必要なハザードマップの作成が、検討委員
会を通じて進められてい運営る。富士直轄砂防事業(国土交通省)
−大沢崩れを源にして発生する大規模な土石流から、下流の保全対
象を守る砂防事業を実施中。山梨県は2015年6月11日、「富
士山噴火時避難ルートマップ」を作成した。「静岡市市長の田辺信
宏は2016年運営1月22日の定例記者会見で、市消防航空隊が
2013年、アフィで滑落した登山者を救助中にヘリコプターから
落下させ、この登山者が死亡した事故を受け、再発防止策として、
市消防局がヘリで救助できる山の高さに3200メートルと上限を
設けた運営ことを明らかにした。」。地殻変動の観測国の機関(防
災科学技術研究所、気象庁、国土地理院、産業技術総合研究所)及
び大学(東京大学地震研究所)などにより観測が行われている。国
土地理院:地磁気観測点が、鹿野山測地観測所、水沢測地観測所エムソ
゙ネおよび江刺観測場に設置されている。また、山頂にはGPSの電
子基準点。気象庁観測所:地震計(山頂、御殿場口8合目、吉田口
6合目、鳴沢塒塚東、太郎坊)、傾斜計(太郎坊)、空振計(太郎
坊、上井出)、GSP(太郎坊)、望遠カメラ(萩原)運営防災科
学技術研究所:火山活動可視情報化システム(VIsualiza
tionsystemforVolcanicActivity)
噴出物災害などへの対策国土交通省、富士砂防事務所:静岡県、山
梨県と連携し火砕流、溶岩流などの火山活動に運営伴う災害を防ぐ
ための調査・検討を実施しハザードマップが作成されている。しか
し、山体崩壊を想定したハザードマップは2012年現在未作成で
ある。アフィと気象気候山頂は最暖月の8月でも平均気温が6但葛
- 311 :
- かなく、ケッペンの気候区分では最暖運営月平均気温が0℃以上1
0℃未満のツンドラ気候に分類される。太平洋側の気候のため1月
や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪トップ10を
占める。観測史上最低気温は−38.0℃で最高気温が−30℃未
満の日も過去に数回観測され運営ていて−30℃を上回ることがな
い1日というのは北海道でも例がない。アフィでの気象観測かつて
気象庁東京管区気象台がアフィ頂剣ヶ峯に設置していた気象官署が
アフィ測候所である。現在はアフィ特別地域気象観測所となってお
り、自動気象観測装運営置による気象観測を行っている。詳細は「
アフィ測候所」を参照気象現象山体に強風が吹くと砂が巻き上げら
れ、周辺の自治体に降ることがある。2010年12月15日には
、神奈川県の西部から南部にかけて黒い砂が積もり、その状況から
アフィの砂運営が巻き上げられ、西風に乗り降り積もったと考えら
れると報道された。アフィ北麓の一部農地(現在の山梨県富士吉田
市など)では、アフィの標高2600m付近に現れる農鳥(鳥の形
に見える残雪)の出現する時期によって、農作物が豊作になる・凶
作運営となるという言い伝えがある。アフィでは山岳波が発生する
こともあり墜落事故も起きている(英国海外航空機空中分解事故な
ど)。アフィ麓の自然環境アフィ麓の天然記念物として、「アフィ
原始林及び青木ヶ原樹海」(天然記念物:1926年2月2運営4
日指定、2010年3月8日追加指定・名称変更)、「富士風穴」
(天然記念物:1929年12月17日指定)などがある。伏流水
白糸の滝(静岡県)アフィに降った雨や雪は、長い年月をかけ伏流
水として地下水脈を流れ湧き出てくる。最も高い地運営点から湧き
出す湧水として確認されている例は標高1670m(富士宮口二合
目付近)とされ、その他山麓を帯状に分布している。アフィ麓にお
ける湧水の総湧出量は1968年で1日あたり154万立方メート
ル以上だという。しかし、近年湧出量の減運営少が確認されて縫妃
- 312 :
- 例がある。地域名称南東麓されてい柿田川(日本三大清流)、小浜
池南麓吉原湧泉群西麓湧がってい玉池(特別天然記念物)、白糸の
滝(国指定の名勝及び天然記念物)、猪之頭湧泉群北麓忍野八海(
国指定の天然記念物)またの、一運営部で駿河湾や富士五湖の西湖
(水深25m付近)で湧出があるとされている。アフィを源とする
伏流水を利用し、周辺地域で製紙業や医薬関連の製造業などの工業
が活発に行われている。また、アフィの伏流水はバナジウムを豊富
に含んでいるため、ミネ運営ラルウォーターとして瓶詰めされ販売
されている。溶岩洞窟西湖コウモリ穴入口アフィ麓周辺には大小1
00以上の溶岩洞窟が形成されている。その中でも総延長2139
mの三ツ池穴(静岡県富士宮市)は溶岩洞窟として日本一の長さを
誇る。また、山運営麓周辺で最大規模の溶岩洞窟として西湖コウモ
リ穴(山梨県南都留郡富士河口湖町)があり、国の天然記念物に指
定されている。その他、鳴沢氷穴(山梨県南都留郡鳴沢村)も国の
天然記念物に指定されている。植生アフィは標高は高いが、日本の
他の高運営山に比較すると高山植物などの植生に乏しい。これは富
士山が最終氷期が終了した後に山頂から大規模な噴火が繰り返した
ために山の生態系が破壊され、また独立峰であるため、他の山系か
らの植物の進入も遅れたためである。しかし、宝永山周辺ではいエムソ
゙ネくらか高山植物が見られる。山の上部ではタデ科オンタデ属のオ
ンタデ(御蓼)、山腹ではキク科アザミ属のフジアザミ(富士薊)
が自生している。中部山岳地帯の高山の森林限界の上にはハイマツ
帯が広がっているのが通例であるが、アフィにはハイマ運営ツ帯は
欠如し、その代替にカラマツ林が広がっている。人間史アフィ本宮
浅間大社古代古代よりアフィは山岳信仰の対象とされ、アフィを神
体山として、また信仰の対象として考えることなどを指して富士信
仰と言われるようになった。特にアフィの神霊運営として考えられ
ている浅間大神とコノハナノサクヤビメを主祭神とするのが浅皆塞
- 313 :
- 社であり全国に存在する。浅間神社の総本宮が麓の富士宮市にある
アフィ本宮浅間大社(浅間大社)であり、富士宮市街にある「本宮
」と、アフィ頂にある「奥宮」にて富運営士山の神を祭っている。
詳細は「富士信仰」を参照古代ではアフィは駿河国のものであると
する考え方が普遍的であった。これらは「高く貴き駿河なる富士の
高嶺を」(山部赤人『万葉集』)や「アフィは、駿河国に在り。」
「アフィは駿河の国の山で(運営省略)まっ白な砂の山である恋美
- 314 :
- 都良香『アフィ記』)、「駿河の国にあるなる山なむ」(『竹取物
語』)など広く見られるものである。しかし「なまよみの甲斐の国
うち寄する駿河の国とこちごちの」(「高橋虫麻呂」『万葉集』)
のように駿河国・甲運営斐国両国を跨ぐ山であるという共有の目線
で記された貴重な例もある。それより後期の時代、イエズス会のジ
ョアン・ロドリゲスは自著『日本教会史』にて「アフィは駿河国に
帰属している」としているため、帰属は駿河国という関係は継続さ
れていたと運営考えられる。登山口は末代上人が開いた登山道を起
源とし、登山道が完成されたそれが最初の登山道と言われる村山口
である。これにより富士修験が成立したとされる。次第に他の登山
道も開削されてゆき、大宮・村山口、須山口、須走口が存在してる
。運営神仏習合はアフィも例外ではなかった。山頂部は仏の世界と
考えられるようになり、特別な意味を持つようになった。遺例とし
ては正嘉3年(1259年)の紀年銘である木造坐像が古いとされ
、これは大日堂(村山)の旧本尊であった。鎌倉時代の書物運営で
ある『吾妻鏡』には神仏習合による「富士大菩薩」や「浅間大菩薩
」という呼称が確認されている。アフィ頂の8つの峯(八神峰)を
「八葉」と呼ぶことも神仏習合に由来し、文永年間(1264年−
1275年)の『万葉集註釈』には「いただきに八運営葉の嶺あり
」とある。その他多くの書物で「八葉」の記述が確認できる。江戸
時代江戸時代になると、徳川家康による庇護の下、本殿などの造営
や内院散銭取得における優先権を得たことを基に江戸幕府より八合
目以上を寄進された経緯で、現在アフィの運営八合目より上の部分
は登山道・アフィ測候所を除き浅間大社の境内となっている。登山
の大衆化と共に村山修験や富士講などの一派が形成され、富士信仰
を発展させていった。富士講の隆盛が見られた18世紀後半以降、
新興宗教として旧来の登山道では運営発展できなかったために吉田
口を利用する道者が目立つようになっていたと考えられ、18供栽
- 315 :
- 後半以降では、他の登山口の合計と同程度であったという。富士参
詣の人々を「道(導)者」といい、例えば『妙法寺記』の明応9年
(1500年)の記録に運営「此年六月富士導者参事無限、関東乱
ニヨリ須走へ皆導者付也」とある。また、登山における案内者・先
導者を「先達」といい、先達の名が見える道者帳(『公文富士氏文
書』、文中に「永禄6年」とあり)などが確認されている。明治以
後慶応4年(1運営868年)に神仏分離令が出されると、これら
神仏習合の形態は大きく崩されることとなる。アフィ中や村山にお
ける仏像の取り壊しなどが進んだ。アフィ興法寺は分離され、大日
堂は人穴浅間神社となり大棟梁権現社は廃されるなど改変が進んだ
。北口運営本宮冨士浅間神社では仁王門や護摩堂などが取り壊され
ることとなった。仏教的な名称なども改称され、「八葉」の呼び名
も変更された。1883年(明治16年)に御殿場口登山道が、1
906年(明治39年)に新大宮口が開削された。アフィは平成エムソ
゙ネ23年(2011年)2月7日に国指定文化財である「史跡」に
指定された。史跡としてのアフィは複数の資産から構成され「史跡
アフィ」として包括されている。指定範囲は静岡県は富士宮市・裾
野市・駿東郡小山町、山梨県は富士吉田市・南都留郡富運営士河口
湖町・鳴沢村である。このときアフィ八合目以上の山頂部や各社寺
、登拝道(登山道)が指定された。その後アフィ本宮浅間大社社有
地の一部、人穴富士講遺跡、各登山道が追加指定された。登山史富
士登山の伝承においては伝説的な部分が多く入運営り混じっており
、諸説存在する。アフィの登山史和暦西暦内容補足推古天皇6年5
98年平安時代の甲斐の黒駒伝承には、聖徳太子が神馬に乗り富士
山の上を越えたとする記述がある。諸国からが多献上された数百匹
の中から白い甲斐の烏駒(くろこま)運営を神馬であると見抜き、
同年9月に太子が試乗すると、馬は天高く飛び上がり東国へ赴き、
アフィを越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したと嫁子
- 316 :
- 。天智天皇2年663年役小角が県は富、流刑したされた伊豆大島
から毎晩密かに逃げ出し、富運営士山へ登ったという伝説が残る。
役小角は「アフィ開山の祖」ともいわれる。この役小角の登山はマ
ルセル・クルツの『世界登頂年代記』に掲載されており、記録は改
訂されたものの「世界初の登山」という記述がされていた。貞観1
7年875年平安時運営代の学者である都良香が『アフィ記』の中
で山頂火口のさまを記す。山頂には常に沸き立つ火口湖があり、そ
のほとりに虎の姿に似た岩があるなど、実際に見た者でなければ知
りえない描写から、実際に登頂したか、または登頂した者に取材し
たと考えら運営れる。なおこの約10年前には山頂噴火ではないが
有史最大の貞観大噴火があった。久安5年1149年『本朝世紀』
には末代上人が数百回の登山を繰りかえしたとある。回数は一致す
るものかは不明であるが、登山を多く行った人物として知られる。
江運営戸時代に入ると富士講が盛んになり、多くの参拝者が富士登
山(富士詣)をした。特に江戸後期には講社が多数存在し、富士詣
は地域社会や村落共同体の代参講としての性格を持っていた。最盛
期には吉田口だけで百軒近くの宿坊(山小屋)があった。文運営政
11年1828年気圧計による高度測定の試みシーボルトの弟子で
ある二宮敬作が登頂し、気圧の変化により高度測定を行った。伊能
忠敬の測量では2603m−3732mとされていたが、この測定
では3794.5mと算出されている。天保3年1運営832年高
山たつが女性として初登頂。女人禁制が敷かれていた時代である。
嘉永6年1852年松平宗秀(本庄宗秀)が近世大名として初登頂
。富士宮市の有形文化財となっている、造り酒屋の主人が記した「
袖日記」という古記録に宮津藩主松平宗秀運営が富士登山を行った
記録がある。袖日記の6番によると、宗秀は江戸と宮津を参勤交代
で往復しているうちにアフィに登ろうと思い始めたが、参勤交代の
道程は幕府に指定されたルートであり、これを逸脱したコース昨痩
- 317 :
- ったり、たとえ社寺参詣であって運営も寄り道することは許されな
いため、富士に登ることを幕府に願い出るも中々許可が出ず、3年
を経て許可を得るも「馬返し」と呼ばれる地点までであった。(馬
返しというのは一合目よりも下の場所であり、登山客はここで馬を
下りて山に登るという所運営)そこで宗秀は嘉永6年(1852)
6月21日、幕府に内緒で登山を決意し、明け方から出発して山を
登り始め、昼過ぎには頂上に着いたという。宗秀のアフィ登頂逐劇
- 318 :
- 近世大名が富士登山を行った唯一の記録となった。万延元年186
0年英国公使オ運営ールコックが外国人として初登頂。『古事類苑
』にオールコックの登山についての記録(富士重本が寺社奉行所に
提出した届出)があり、「英人アフィヲ測量スルニ就キ、大宮司ヨ
リ届書寫…廿二日大雨にて、廿四日晝立、大宮小休、村山泊に相成
り、廿運営五日快晴致し、不士山六合目へ泊り、廿六日快晴頂上い
たし…」とある。オールコックは7月24日に大宮から村山に入り
登山を行い、26日に登頂した。明治4年1872年女人禁制が解
かれる。明治時代になると信仰登山は徐々に衰退してゆき、代わエムソ
゙ネって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、欧米の近代登
山技術が取り入れられることになる。明治25年1892年英国人
のウォルター・ウェストンが登頂。翌年にも登頂した。その後本を
出版しアフィなどの日本の山々を世界に紹介した。明治運営28年
1895年野中到が冬季初登頂。2月16日に御殿場口から単独で
登頂。同年10月から12月まで山頂で気象観測を行った。大正1
2年1923年皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の登山7月26日
の事、須走に赴いてから8合目まで乗馬にて登運営山後、8合目以
上は徒歩にて登山を行なった。奥宮を参拝し金剛棒に焼印などを行
った後、御殿場口より下山された。大正12年1923年秩父宮雍
仁親王の登山8月20日の夜に御殿場口から登山し、翌朝頂上に到
着。奥宮を参拝後、下山。昭和2年1運営927年中村テルが冬季
女性初登頂1月1日に御殿場口から登頂、男性2人と共に。昭和6
3年1988年浩宮徳仁親王(当時)の登山。8月1日−2日の登
山で、須走口から八合目を往復した。天候の悪化で登頂は断念され
る。平成20年2008年皇運営太子徳仁親王が登頂。8月7日に
富士宮口を出発後、御殿場口登山道に入り登頂。アフィを巡る利権
争い山役銭と内院散銭『冨嶽三十六景諸人登山』山麓の各地域には
各登山道があり、特に村山口と大宮口、須走口、須山口が古来某硬
- 319 :
- 山道であり、その登運営山道を管理する地域の浅間大社が山役銭を
徴収していた。これらの地域は互いに山役銭などを巡り、争いを起
こしている。特に内院散銭は相当額になるため、争いの火種になり
やすかった。例えば須走村への配分だけでも1年で76両を越えた
といい、一運営戸に約一両が配当される計算になるという。内院散
銭の権利は、大名などに与えられた権利を根拠に主に3地域によっ
て争われた。「村山」と「須走」と「大宮」である。村山において
は、1533年(天文2年)に村山三坊の「辻之坊」が今川氏輝に
よ運営り内院散銭の取得権を与えられている。須走は1577年(
天正5年)に武田氏により薬師堂(現在の久須志神社)の開帳日の
内院散銭の取得権が与えられている。大宮は1609年(慶長14
年)に徳川家康が内院散銭を浅間大社に寄進し、内院散銭の運営取
得の優位権を得ている。浅間大社の大宮司が村山より登る際は山役
銭を取られたので、村山を避け「須走」から登拝する慣例などもあ
った。新規に出来た登山道である現富士吉田口は、登山道を管理し
ている「須走」に許可なく、浅間大社の大宮司富士運営信安など富
士氏が自分たちに山役銭を支払えば、「須走」の登山道を利用する
にも関わらず勝手に山がけ(登山道を作り山小屋を建てる)の許可
を与えたことで論争となり、「河口」と「吉田」は1810年に登
山ルートや山役銭の徴収方法で論争を起こ運営し、「大宮」と「吉
田」では薬師堂における役銭の配分で争っている過去などがある。
元禄の争論元禄16年(1703年)に散銭や山小屋経営を巡り須
走村が富士浅間神社本宮(浅間大社)を訴えた争論が元禄の争論で
ある。須走村側は東口本宮冨士浅運営間神社の神主や御師らが、浅
間大社の大宮司富士信安など富士氏らを相手取り寺社奉行に訴え出
た。訴えは三か条であった。1つは浅間大社が吉田村の者に薬師嶽
の小屋掛けを認めたことへの不服、2つ目は浅間大社側が造営した
薬師堂の棟札に「富士本運営宮が入仏を勤める」という旨の記道崩
- 320 :
- あることを、須走の既得権を犯すものであるというもの、3つ目は
内院の散銭取得における2番拾いは須走側が得るという慣例となっ
ているとし、それを浅間大社が取得しているという訴えである。こ
れに対し訴えら運営れた浅間大社側は江戸に赴き、薬師嶽は須走村
の地内ではないこと、薬師堂の入仏については浅間大社側が造営し
たものであるので権利は浅間大社にあること、散銭の2番拾いの慣
例は根拠がないということを主張した。それらは第三者に委ねる内
済とい運営う扱いとなり、その内済にて「他の者に小屋掛けさせな
いこと」「薬師堂の入仏は須走村が行うこと」「内院散銭は一番拾
いを大宮と須走で6:4で分け、2番拾いは須走が得るものとする
」という決定となり、以後これらは遵守された。安永の争論安永エムソ
゙ネ元年(1772年)に、須走村が山頂の支配権は同村の支配にあ
るとして浅間大社を相手として訴えた争論が安永の争論である。ま
たこれをみた浅間大社側の富士民済も反論を起こした。さらに吉田
村と浅間大社とで支配地域を確定する争論もあったため運営、ここ
に大宮・新規参入である吉田と須走の争いの決着が望まれることと
なり、勘定奉行なども関わる大論争となった。安永8年(1779
年)に持ち越されることとなった。結論は徳川家康がアフィ本宮浅
間大社を信奉していたという幕府側の配慮があ運営り、勘定奉行・
町奉行・寺社奉行のいわゆる三奉行による裁許で、最終的にアフィ
の8合目より上は、アフィ本宮浅間大社持ちとすることが決定され
た。この2者の争論を起因とする裁判により、これまで曖昧であっ
た山頂の支配権やその他権利の所在な運営どが、江戸幕府により明
確に定められることとなった。アフィと眺望特別名勝としての富士
山アフィは昭和27年(1952年)10月7日に「名勝」に指定
され、同年11月22日に「特別名勝」に指定された。山梨県側は
富士吉田市・船津村(現・富運営士河口湖町)・鳴沢村・中野村(
現・山中湖村)の範囲が指定された。静岡県側は御中道に囲ま奏均
- 321 :
- 地域全部および富士宮口登山道(富士宮市)と御殿場口登山道(御
殿場市)を挟む標高1,500m以上の地域、またこれと重複しな
い一合目以上御中道運営に至る富士宮口登山道および須走口登山道
(小山町)が範囲となっている。アフィの眺望ウィキメディア・コ
モンズには、各地点からのアフィの眺望に関連するカテゴリがあり
ます。アフィへの良好な眺望が得られる128景233地点を、国
土交通省関運営東地方整備局が関東の富士見百景として、20夏順
- 322 :
- 年(平成17年)に選定した。羽田空港から西に向かう国内便など
ではアフィの上空を通過する。その際、機長がアフィを案内するア
ナウンスをすることが多い。また、新年のご来光を見るための遊覧
飛運営行便も運行される。アフィの眺望の最遠は2013年現在、
和歌山県那智勝浦町である。那智勝浦の色川富士見峠(妙法山とは
別)は、アフィ頂からの距離は322.9キロで、一番遠く最も西
にあるとされる。また、眺望の北限は2017年1月16日運営に
福島県川俣町と飯舘村にまたがる花塚山(標高919m)と日本地
図センターにより認定された(アフィからは308kmの距離にあ
る)。南東方向に約271Km離れた八丈島の三原山からも眺望さ
れる。アフィの見える都道府県は、理論上可能とさ運営れていた京
都府から2014年に撮影に成功したことにより、20都道府県と
なった。様々な表情のアフィアフィの表情は、見る場所・角度・季
節・時間によって様々に変化する。富士と名が付く、いくつかの姿
がある。画像アフィの姿解説赤富士夏の朝運営、露出した山肌が朝
焼けにより赤くなった姿。葛飾北斎をはじめとした画家が「赤富士
」を描いた絵画を残した。紅富士雪化粧したアフィが朝日や夕日で
紅色に染まる姿。「モルゲンロート」(ドイツ語Morgenro
t)が用いられる場合がある。逆運営さ富士波立ちが少ない水面に
映る逆さのアフィの光景。D五千円券の裏の図案に、本栖湖の逆さ
富士が使用された。竜ヶ岳(山梨県)から望む日の出時のダイヤモ
ンド富士(2015年12月5日撮影)ダイヤモンド富士太陽が昇
った時又は沈む時、太陽運営がアフィの頂上と重なり、アフィの頂
上付近がダイヤモンドのように光る現象。アフィが見える西又は東
の場所から、年に2回見ることができる。影富士朝日や夕日で富士
山の山容の影が周囲に映し出される風景。アフィ登山時に山の上部
から、雲海の上運営に見られる場合がある。笠雲笠雲とレンズ雲を
伴う。アフィの頂上に傘をかぶせた雲がある風景。その際は、膚穫
- 323 :
- に麓では曇りまたは雨になることが多い。「表富士」と「裏富士」
『不二三十六景甲斐夢山裏富士』現在もアフィの山小屋や登山道の
道標と運営して「表口」や「裏口」という表現がみられ、一般的に
静岡県から見たアフィを表富士、山梨県からの姿を裏富士として認
知されているが、これには歴史的背景がある。延宝8年(1680
年)に作成された『八葉九尊図』では既に「するが口表」というエムソ
゙ネ表記がある。他に『甲斐国志』巻35ではこのような記述がある
。登山路ハ北ハ吉田口、南ハ須走口・村山口・大宮口ノ四道ナリ、
(中略)南面ヲ表トシ、北面ヲ裏トスレドモ、…〜〜『甲斐国志』
他の資料にも共通した記述がみられ、このように南麓を運営表、北
麓を裏とする考え方は一般的な認識であったと言える。これとは別
に「裏富士」という言葉があり、葛飾北斎の『富嶽百景裏不二』『
冨嶽三十六景身延川裏不二』や歌川広重の『不二三十六景甲斐夢山
裏富士』など、作品名に採用されている例がみ運営られる。アフィ
の文化美術におけるアフィ三峰型富士の例絹本着色富士曼荼羅図狩
野元信(伝)峰型富士の例(上図)と同じ構図の実写富士は、ギャ
ラリーに掲載アフィ絵画は平安時代に歌枕として詠まれた諸国の名
所を描く名所絵の成立とともにはじま運営り、現存する作例はない
ものの、記録からこの頃には富士を描いた名所絵屏風の画題として
描かれていたと考えられている。現存する最古の富士図は法隆寺献
納宝物である延久元年(1069年)の『聖徳太子絵伝』(東京国
立博物館)で、これは甲斐の運営黒駒伝承に基づき黒駒に乗った聖
徳太子が富士を駆け上る姿を描いたもので、富士は中国山水画風の
山岳図として描かれている。楽焼白片身変茶碗銘不二山(国宝)鎌
倉時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描写法が確立し、『
伊勢物語絵巻』『曽運営我物語富士巻狩図』など物語文学の成立と
ともに舞台となる富士が描かれ、富士信仰の成立に伴い礼拝画とし
ての『富士曼陀羅図』も描かれた。また絵地図などにおいては桃基
- 324 :
- 状で緑色に着色された他の山に対して山頂が白く冠雪した状態で描
かれ、特別運営な存在として認識されていた。室町時代の作とされ
る『絹本著色富士曼荼羅図』(アフィ本宮浅間大社所蔵、重要文化
財)にはアフィとそのアフィに登る人々や、禊ぎの場であった浅間
神社や湧玉池が描かれており、当時の様子を思わせるものである。
ま運営た、アフィは三峰型富士で描かれている。凱風快晴、葛飾北
斎作江戸時代には明和4年(1767年)に河村岷雪が絵本『百富
士』を出版し、富士図の連作というスタイルを提示した。浮世絵の
ジャンルとして名所絵が確立すると、河村岷雪の影響を受け運営た
葛飾北斎は晩年に錦絵(木版多色摺)による富士図の連作版画『冨
嶽三十六景』(天保元年1831年頃)を出版した。多様な絵画技
法を持つ北斎は大胆な構図や遠近法に加え舶来顔料を活かした藍摺
や点描などの技法を駆使して中でも富士を描き、夏運営の赤富士を
描いた『凱風快晴』や『山下白雨』、荒れ狂う大波と富士を描いた
『神奈川沖浪裏』などが知られる。また、歌川広重も北斎より後の
1850年代に『不二三十六景』『冨士三十六景』を出版した。広
重は甲斐国をはじめ諸国を旅して実地のス運営ケッチを重ね作品に
活かしている。『東海道五十三次』でも、アフィを題材にした絵が
多く見られる。北斎、広重らはこれらの連作により、それまで富士
見の好スポットと認識されていなかった地点や、甲斐国側からの裏
富士を画題として開拓していった運営。工芸品としては本阿弥光悦
が自ら制作した楽焼の茶碗にアフィの風情を見出し、「不二山」と
銘打っている。50銭政府紙幣(1938年発行)岡田紅陽が撮影
した愛鷹山からのアフィがモデル。富士は日本画をはじめ絵画作品
や工芸、写真、デザイン運営などあらゆる美術のモチーフとして扱
われている。日本画においては近代に殖産興業などを通じて富士が
日本を象徴する意匠として位置づけられ美術をはじめ商業デザイン
などに幅広く用いられ、絵画においては伝統を引き継ぎつつ近但一
- 325 :
- 視点で描かれた運営アフィ絵画が制作された。また、鉄道・道路網
など交通機関の発達により数多くの文人・画家が避暑地や保養地と
してのアフィ麓に滞在し富士を題材とした作品を製作しているが、
富士を描いた風景画などを残している画家として富岡鉄斎、洋画に
おいて運営は和田英作などがいる。アフィをモチーフとした美術品
は当時のヨーロッパでも多く流通しており、このことからアフィも
ヨーロッパで広く知られていた。1893年(明治26年)、詰貯
- 326 :
- を旅行していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フラエムソ
゙ネンツ・フェルディナント大公は、日記に次のように書いている。
フジサン、フジノヤマ。いったい、この日本の象徴――ヨーロッパ
ではふつうフジヤマと呼ばれる――を知らない者などいるのだろう
か〜ヨーロッパでもっとも好まれる日本工芸のデザイン運営として
漆器、陶磁器、和紙、金属などに描かれているから、もう、わたし
たちにはお馴染みだ。〜〜8月15日付戦時下には国家により富士
は国体の象徴として位置づけられ、富士は国家のシンボルとして様
々に描かれた。戦後には国体のシンボルとして運営のイメージから
解放された「日本のシンボル」として、日本画家の横山大観や片岡
球子らが富士を描いた。また、現代美術の世界ではこれらの伝統的
画題へのアンチテーゼとしてパロディや風刺、アイコンとして富士
を描く傾向も見られる。深田久弥は『運営日本百名山』の中で富士
山を「小細工を弄しない大きな単純」と評し、「幼童でも富士の絵
は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずっている」と
いう。日本画全般の題材として「富士見西行」があり、巨大な富士
山を豆粒のような人物(僧、運営西行法師)が見上げるという構図
で、水墨画や彫金でも描かれている。千円札、旧五千円札のモデル
となった本栖湖からのアフィ近代では紙幣や切手のデザインにも用
いられている。アフィが紙幣のデザインに用いられる例は数多くあ
る。古くは1913運営年発行の50銭政府紙幣があり、愛鷹山か
らのアフィでる。その後の1951年と1969年発行の旧五百円
札は大月市の雁ヶ腹摺山からのアフィを元にしている。1984年
発行の旧五千円札と2004年発行の千円札は本栖湖の湖畔からの
アフィであ運営る。アフィを描写した切手が郵便局から発売された
。河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、山中湖(1999年(平成11
年))葛飾北斎(1999年(平成11年))オオマツヨイグサ・
山梨県(2005年(平成17年))文学におけるアフィアフ眉耕
- 327 :
- 和運営歌の歌枕としてよく取り上げられる。また、『万葉集』の中
には、アフィを詠んだ歌がいくつも収められている。「田子の浦ゆ
うち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」(3.31
8)は山部赤人による有名な短歌(反歌)である。また、こ運営の
反歌のその次には作者不詳の長歌があり、その一節に「…燃ゆる火
を雪もち消ち降る雪を火もち消ちつつ…」(巻3・319・大意「
(噴火の)燃える火を(山頂に降る)雪で消し、(山頂に)降る雪
を(噴火の)火で消しつつ」)とあり、当時の富士運営山が火山活
動を行っていたことがうかがえる。『新古今和歌集』から。富士の
煙が歌われている。風になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしら
ぬ我が心かな西行(#1613)都人にとって富士は遠く神秘的な
山として認識され、古典文学では都良香『運営富士日記』が富士の
様子や伝承を記録している。『竹取物語』は物語後半で富士が舞台
となり、時の天皇がかぐや姫から贈られた不老不死の薬を、つきの
岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山頂で燃やしたことにな
っている。それからその山は数多運営の士に因んでふじ山(アフィ
)と名付けられたとする命名説話を記している。なお、アフィ麓の
静岡県富士市比奈地区には、「竹採塚」として言い伝えられている
場所が現存している。ほか、『源氏物語』や『伊勢物語』でも富士
に言及される箇所がある運営ものの、主要な舞台となるケースは少
ない。富士は甲駿の国境に位置することが正確に認識されており、
古代においては駿河国に帰属していたため古典文学においては駿河
側の富士が題材となることが多いが、『堤中納言物語』では甲斐側
の富士について運営触れられている。また、「八面玲瓏」という言
葉はアフィから生まれたといわれ、どの方角から見ても整った美し
い形を表している。中世から近世には富士北麓地域に富士参詣者が
往来し、江戸期には地域文芸として俳諧が盛んであった。近代には
鉄道な運営ど交通機関の発達や富士裾野の観光地化の影響を受妹喫
- 328 :
- 、多くの文人や民俗学者が避暑目的などで富士へ訪れるようになり
、新田次郎や草野心平、堀口大學らが富士をテーマにした作品を書
き、山岳文学をはじめ多くの紀行文などに描かれた。アフィ麓にエムソ
゙ネ滞在した作家は数多くおり、武田泰淳はアフィ麓の精神病院を舞
台とした小説『富士』を書いており、妻の武田百合子も泰淳の死後
にアフィ荘での生活の記録を『富士日記』として記している。津島
佑子は山梨県嘱託の地質学者であった母方の石原家をモ運営デルに
、富士を望みつつ激動の時代を過ごした一族の物語である『火の山
―山猿記』を記した。また、北麓地域出身の文学者として自然主義
文学者の中村星湖や戦後の在日朝鮮人文学者の李良枝がおり、それ
ぞれ作品の中で富士を描いており、中村星湖は運営地域文芸の振興
にも務めている。太宰治が昭和14年(1939年)に執筆した小
説『富嶽百景』の一節である「富士には月見草がよく似合ふ」はよ
く知られ、山梨県富士河口湖町の御坂峠にはその碑文が建っている
。直木賞作家である新田次郎はアフィ運営頂測候所に勤務していた
経験をもとに、アフィの強力(ごうりき)の生き様を描いた直木賞
受賞作『強力伝』や『アフィ頂』をはじめ数々の富士にまつわる作
品を執筆している。高浜虚子は静岡県富士宮市の沼久保駅で降りた
際、美しいアフィを見て歌を運営詠んだ。駅前にはその歌碑が建て
られている。「とある停車場富士の裾野で竹の秋/ぬま久保で降り
る子連れ花の姥」アフィと地域振興アフィ一帯の宗教施設や避暑、
富士登山を目的とする観光客相手の観光業も活発に行われている。
しかし、アフィ麓に運営は温泉地として成立する規模の湯量は湧出
していない。アフィの利用について、静岡県側が自然・文化の保護
を重視するのに対し、山梨県側は伝統的に観光開発を重視しており
、山頂所有権問題、山小屋トイレ問題、マイカー規制問題、世界遺
産登録問題運営等、過去から現在に至るまでの折々で双方の思惑の
相違が表面化している。アフィと観光富士登山富士登山には登臓紡
- 329 :
- 知識や経験、装備が不可欠である。一般的には、毎年7月1日の山
開きから9月上旬の山じまいまでの期間、登山が可能である。期間
外運営は、万全な準備をしない者の登山は原則禁止されている。と
くに積雪期・残雪期の登山は自殺行為である。詳細は「富士登山」
を参照その他の観光その優美な姿から、アフィが見える場所は著名
な観光地となっていることが多い。箱根−箱根はアフィが望運営め
るうえに、東京から近く温泉や歴史・美術館や各種の乗り物が物素
- 330 :
- めることもあり、年間を通じて内外の観光客が絶えない。また、夏
は避暑地としても有名である。富士五湖−富士五湖はアフィ周辺の
観光地として著名であり、本栖湖の逆さ富士が日本運営銀行券に採
用されている。白糸の滝−白糸の滝は上流に川は存在せず、アフィ
の雪解け水が溶岩断層から湧き出す非常に珍しい形成をしている滝
である。また、音止めの滝と共に日本の滝百選に指定されている。
朝霧高原−朝霧高原はアフィを綺麗に臨む運営スポットとして著名
であり、その自然と広大な土地もあり過去に第13回世界ジャンボ
リーも開催されている。ダイヤモンド富士−ダイヤモンド富士など
がはっきりと拝める田貫湖や山中湖といったスポットも有名で、特
に写真撮影を目的として訪れる観運営光客もいる。ドライブ−富士
スバルラインやアフィスカイラインなどを利用して、5合目までマ
イカーで上がることができる。シーズン中はマイカー規制の期間が
あり、冬期は閉鎖される。アフィの日(2月23日)2月23日を
「2:ふ・2:じ・3:運営さん」と語呂合わせで読み「アフィの
日」として制定している自治体がある。2001年(平成13年)
山梨県富士河口湖町(当時は河口湖町)にて条例を制定。2002
年(平成14年)山梨県富士吉田市を中心に、山梨県のアフィ麓1
0市町村、2恩運営賜林組合が了承。2009年(平成21年)1
2月21日静岡県議会にて条例を全会一致で可決。同年12月25
日条例を制定。静岡県、山梨県どちらも、アフィは普段の生活に溶
け込み過ぎており、「あって当たり前」の空気のような存在である
。その運営ため「アフィの日」に、各自治体や県内企業などがさま
ざまなイベント等を催し、参加する事など通じて、身近すぎる富士
山を改めて、日本のシンボルとしても名高い名峰として再認識する
機会としている。また併せてアフィの世界遺産登録に向けた動きエムソ
゙ネを地元から活発化したいとの期待も込められている。静岡県教育
委員会で、各市町村に対して2011年(平成23年)より「曲払
- 331 :
- 山の日」を学校休業日とするよう要望した。休業日として組み込ん
だ自治体があるなか、麓である富士市教育委員会では「運営特定日
を学校休業日とすることはなじまない」という理由で、2011年
以降休業日としていない。ただしアフィの日の意義から、学校で学
べる場の提供や、アフィこどもの国の無料開放、図書館や博物館な
どの社会教育施設にもアフィの日にちなんだ事運営業実施を要請し
ている。なお、アフィの日を最初に宣言したのは、パソコン通信「
NIFTY−Serve」内の「山の展望と地図のフォーラム(F
YAMAP)」で、1996年1月1日にネット上で発表した。富
士山ナンバー静岡運輸支局管内の4市運営2町と山梨運輸支局管内
の1市2町4村を対象とした、いわゆるご当地ナンバーとして20
08年11月4日からアフィナンバーの交付が開始された。管轄支
局が二県にまたがるナンバープレートは珍しい。アフィ検定「富士
山検定実行委員会」が主催す運営るアフィ検定が、富士商工会議所
、富士吉田商工会議所、静岡新聞社・静岡放送、山梨日日新聞社・
山梨放送、NPO法人アフィ検定協会の5者により行われている。
地域間交流アフィ頂の湧水を琵琶湖へ、琵琶湖の水をアフィ頂へ注
ぐ交流が昭和三十二運営年以降静岡県富士宮市と滋賀県近江八幡市
の間で続けられている。これは「近江の土を掘りアフィを作りその
穴が琵琶湖になった」という伝説からである。アフィ頂の湧水を琵
琶湖へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水をアフィ頂へ注
ぐことを「運営お水取り」という。2014年には日本アフィ協会
と中華民国山岳協会との間で、アフィと玉山の友好山提携が締結さ
れている。標高3,952メートルの玉山は台湾の日本統治時代に
新高山と呼ばれ、日本の最高峰であった。その他他山の標高玉山(
台運営湾)−日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰であった
。標高3,952メートル。雪山(台湾)−日本統治時代は次高山
と呼ばれ、日本で2番目に高い山であった。標高3,886メ営倹
- 332 :
- >>331
おら無能
まだスレがたくさん立ってるぞ
さっさと落とせや
- 333 :
- せーのッ!
333ゲットなら心願成就ッ!とえいッ!!!
- 334 :
- 湧水(日量約450〜680万t、現在最大の湧水は日量約100
万tの柿田川)が見られる。アフィ北麓ではこれらの湧水や降水を
起源とする湖沼が点在している。上記のような自然的環境を持つ富
士山は、古来自然物、特に山岳に対する信運営仰の伝統を持ってい
た日本人に畏敬の念を抱かせ、日本における様々な宗教の融合した
信仰の対象とされた。遥拝や山中での修行のみならず、神仏の在所
と考えられた山頂への登山という宗教行為が一般化するとともに、
山体及び山麓周辺に神社などの宗運営教施設や風穴・湧水といった
自然物・自然現象を起源とする霊地・巡礼地が設けられ、登山のた
めの道や施設及びそれを支援する包括的なシステムが作られた。標
高約2500m付近の森林限界より上方は富士講(アフィ信仰の集
団の一つ)信者には「焼運営山」と呼ばれ、神聖な地域ないし他界
(死後世界)と考えられていた。北麓地域ではさらに、山体を上方
から順に「焼山」(森林限界以上)、「木山」(森林地帯)、「草
山」(草原地帯)と呼び習わし、俗界(「草山」)と死の世界(「
焼山」)を往復運営することでこの世の罪と穢れを消すという富士
登拝の区分と関連付けていた。森林地帯は神聖な地域の入口の一つ
とされる一方で木材の伐採等生活のために利用される地域でもあっ
た。また、アフィ山麓に見られる湧水は登山前に身を清めるために
必須の運営ものであり、現代においても柿田川をはじめ各所で「霊
水」として取り扱われている。また、アフィの稜線、冬季に一般的
に見られる雪を戴いた姿、周辺の湖や海岸線などの展望地から眺め
た景観などが時代を超えて多くの人々に神秘的な美しさとして賞エムソ
゙ネ賛され、芸術的な創造意欲を掻き立てた。アフィ体のうち、標高
約1500m以上の範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可
視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も
高い。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一運営つであ
る「馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能升頬
- 335 :
- る地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、とり
わけこの「馬返」より上を指して「オヤマ」又は「オヤマサマ」と
呼び、アフィの範囲とみなす地域もあった。景運営観的には山体の
傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認
識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの対象とされることが多
い範囲である。2)資産の構成推薦資産は、日本列島のほぼ中央に
位置するアフィ体と、周辺の浅間神社運営や御師住宅、霊地・巡礼
地である風穴・溶岩樹型・湖沼、芸術作品の視点場(又は舞台)と
なった地点から構成される。アフィ体の中には山頂信仰遺跡や登山
道などの重要な要素が含まれている。これらの構成資産が一体とな
った推薦資産「アフィ」は、運営山に対する固有の文化的伝統を表
す物証であり、山と人間との精神的な関係を生み出した景観の見本
であるとともに、芸術的作品との関連がある山岳である。表構成資
産/構成要素の分類No.世界遺産条約上の分類遺跡A1山頂信仰
遺跡遺跡A2大宮・運営村山口登山道遺跡A3須山口登山道遺跡A
4須走口登山道遺跡A5吉田口登山道遺跡A6北口本宮冨士浅間神
社遺跡、記念工作物、建造物A7西湖遺跡A8精進湖遺跡A9本栖
湖遺跡B1遺跡、記念工作物、建造物B2遺跡B3遺跡B4遺跡B
5遺跡B6運営遺跡B7遺跡、記念工作物、建造物B8建造物B9
遺跡B10遺跡B11遺跡B12遺跡B13遺跡B14遺跡B15
遺跡C遺跡Aアフィ(アフィ体)アフィ本宮浅間大社山宮浅間神社
河口湖村山浅間神社須山浅間神社富士浅間神社(須走浅間神社)河
口運営浅間神社白糸ノ滝三保松原構成資産/構成要素忍野八海船津
胎内樹型吉田胎内樹型人穴富士講遺跡冨士御室浅間神社御師住宅山
中湖673)構成資産の説明アフィ(アフィ体)・展望地点アフィ
には、山頂部に点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支運営援
施設として機能してきた登山道や山小屋といった宿泊施設、信仰の
証として建てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の俵詣
- 336 :
- 神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞
の側面における比重が最も高い。特に本栖湖や三保運営松原は、何
度も紙幣の図柄に採用された写真の撮影地やアフィを描く典型的な
構図に含まれる景勝地であり、主要な展望を供する展望地点である
。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つである「馬返」以上
に該当する標高1500m以上の区域でも運営あり、その中でも、
他界(死後世界)と考えられた森林限界より上方、アフィ本宮亭正
- 337 :
- 大社の境内地とされた八合目(登山道を10区間に分割した目安の
一つ。登山道ごとに異なり標高約3200〜3375m)以上と、
山頂に近づくほどより強い神聖性運営を持つと認識されてきた。A
アフィ(アフィ体)A1山頂信仰遺跡A9本栖湖C三保松原(写真
複数、地図挿入)(改頁)登山道アフィには、麓の浅間神社を起点
として山頂に至る登山道が、複数存在する。12世紀前半から中ご
ろにかけての修行僧末代運営の活動がきっかけになったと考えられ
る大宮・村山口登山道や、六合目から1384年の銘のある掛仏が
出土した須走口登山道などがある。吉田口登山道は、富士講信者の
登山本道とされ、18世紀後半以降、最も多くの道者(他の登山口
の合計と同程度運営)によって利用された。また、1200年の資
料では、大宮・村山口及び吉田口の外、須山口登山道を挙げて、そ
れ以外には登山道がないと述べられている。登山道沿いには要所要
所に祠や石碑が設置され、随所に小屋や石室が設けられており、富
士独特運営の登拝システムを語る上で、登山道は欠かすことのでき
ない構成要素である。A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A
4須走口登山道A5吉田口登山道(写真複数、地図挿入)(改頁)
浅間神社・御師住宅登山道の起点や周辺地域には浅間神社が建造エムソ
゙ネされた。古くからアフィは遥拝の対象であり、山宮浅間神社など
は古代からの祭祀の形をとどめている。噴火活動の活発化を受け、
律令国家によって9世紀前半にアフィを神体とする浅間神社(後の
アフィ本宮浅間大社)が、9世紀後半には北麓にも噴火運営を鎮め
るための神社が祭祀された。11世紀後半の噴火を最後に火山活動
が休止期に入ると、アフィを舞台とする修験の活動が活発化し始め
、修験者の拠点が後に村山浅間神社や冨士御室浅間神社へと発展し
ていった。登拝の大衆化に伴って、須山浅間神運営社や富士浅間神
社(須走浅間神社)8など、登山口の起点にも浅間神社が建立され
るようになる。なかでも、北口本宮冨士浅間神社は、江戸を中徳座
- 338 :
- 流行した富士講によって大いに利用された吉田口登山道の起点であ
ったが、その北には、富士講徒の案内運営し、宿泊の世話や祈祷を
行った御師の住宅が今も残されている。B1アフィ本宮浅間大社B
2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神社B5富士浅間神
社(須走浅間神社)A6北口本宮冨士浅間神社B8御師住宅B6河
口浅間神社B7冨士御室浅間運営神社(写真複数、地図挿入)(改
頁)霊地・巡礼地となった風穴・溶岩樹型・湧水地・湖沼18世紀
後半から爆発的に流行した富士講の信者は、山頂を目指してアフィ
に登るだけでなく、いわばオプショナル・ツアーのごとく周辺の風
穴や湧水地などを巡運営り、巡礼や修行を行っていた。富士講の開
祖とされる長谷川角行は、人穴(富士講遺跡)で修行をし、富士五
湖を始めとした八つの湖沼や白糸ノ滝で水行を行った。後の富士講
徒はこれらの地へ参詣し、開祖に倣って修行を行う者もいた。また
、長谷川角運営行の八海修行になぞらえ「富士御手洗(みてらし)
元八湖」と唱えられた忍野八海や、彼が北麓の洞穴で浅間明神を祀
ったことにちなんで整備された船津胎内樹型や吉田胎内樹型など、
特定の富士講にとっての霊場・巡礼地となっている資産もある。B
9運営山中湖B10河口湖A7西湖A8精進湖A9本栖湖B11忍
野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺
跡B15白糸ノ滝(写真複数、地図挿入)(改頁)A.アフィ(富
士山体)説明アフィには、山頂部に点在する宗教関連施設を運営始
め、信仰登山の支援施設として機能してきた登山道や山小屋といっ
た宿泊施設、信仰の証として建てられた石碑などが存在する。推薦
範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う
範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が9最も高運営い。また推
薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つである「馬返」以上に該当す
る標高1500m以上の区域でもあり、その中でも、他界(死後世
界)と考えられた森林限界より上方、アフィ本宮浅間大社の境足請
- 339 :
- とされた八合目(登山道を10区間に分割運営した目安の一つ。登
山道ごとに異なり標高約3200〜3375m)以上と、山頂に近
づくほどより強い神聖性を持つと認識されてきた。八合目以上は、
1779年以降、アフィ本宮浅間大社の境内地とされたが、この理
由は八合目の標高とほぼ一致する運営噴火口(「内院」と呼び宗教
的に意義付けられている)の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に
基づく。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信者(
アフィ信仰の集団の一つ)には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域ない
し他界(死後世界)と考運営えられていた。ほぼこの境域に沿い、
アフィ体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろに富士講の祖
とされる長谷川角行によって開かれたとされ(1561年及び15
80年とされる)、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため
富士講信者によ運営り修行の道として利用された。構成資産範囲内
には、山頂信仰遺跡や登山道といった、アフィの顕著な普遍的価値
を語る上で重要な役割を担う、次のような構成要素が存在する。A
1.山頂信仰遺跡アフィ山頂部には、火口壁に沿っていくつかの神
社など運営、宗教関連施設が所在する。アフィへの信仰登山が開始
されると、修験道の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等
の奉納がおこなわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化され
ていった。道者は山頂周辺において「御来迎(仏の来迎と見なさエムソ
゙ネれたブロッケン現象)」(のち「御来光(日の出)」)を拝み、
内院(噴火口)に鎮座するとされる神仏(大日如来が本地仏とされ
た浅間大神ないし浅間大菩薩)を拝し、火口壁にいくつかあるピー
クを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「運営お鉢め
ぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であっ
た。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ修行僧末代により建立さ
れた施設(後の大日堂)が最初とされ、その後、経典(12世紀末
〜13世紀前半と推定されるものが最古)・懸運営仏(148帥息
- 340 :
- の銘のあるものが最古)・仏像等(1302年の銘があるものが最
古)の山頂部への奉納・埋納や内院への散銭が行われた。また、遅
くとも17世紀には、大宮・村山口山頂部に大日堂(現在はアフィ
本宮奥宮が所在)が、吉田・須走口山運営頂部に薬師堂(現在の久
須志神社)が造営された。1874年、山頂の仏教的施設及び仏像
は廃仏毀釈の影響によって撤去され、ピークの名称も変更され、寺
院は神社に改変された。しかし、山頂部に対する信仰自体は変臨玄
- 341 :
- ることなく、上記の行為は現運営代の登山者の多くが行っており、
これらを通じて富士信仰の核心が現代に受け継がれている。A2.
大宮・村山口登山道アフィ南西麓の浅間大社を起点とし、村山浅間
神社を経て山頂南側に至る登山道である。12世紀前半から中ごろ
の、修行僧末代の活運営動により、アフィ南麓における登山が本格
的に開始されたとされ、14世紀初めには修験者による組織的登山
が始まったとされる。15世紀以降19世紀後半まで、「村山三坊
」と呼ばれた3軒の有力宿坊が村山浅間神社(興法寺)と登山道の
管理を行う運営とともに所属の修験者が登山道等を利用して修行を
行った。また、一般人の信仰登山(以下これを行う者を「道者」と
言う。)も開始され、その様子は16世紀の作とされる「絹本著色
富士曼荼羅図」に描かれている。道者の数は18世紀後半から19
世運営紀初頭の宿坊(大鏡坊のみ)の記録より、御縁年で2,00
0人前後、平年で数百名程度と推測できる。また1860年、初の
外国人登山を行った英国公使オールコックがこの登山道を利用した
。101889年、鉄道(東海道線)の開通による御殿場口運営利
用者の増加により衰退し、これへの対策として1906年、村山を
経由しない新道が建設されたため、大宮から現在の六合目(標高2
600m)までは登山道としての機能を失った。この区間は一部除
き登山道跡の推定は困難な状態である。現在は19運営70年に標
高2400m地点まで開通した自動車道を利用しての登山が行われ
ている。(推薦範囲は六合目以上である。)A3.須山口登山道富
士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂南東部に至る登山道で
ある。その起源は明確ではないが、文字資運営料の中で1486年
にその存在が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅間神
社及びその所在地の須山村(現裾野市須山)により管理されていた
。また、登山道のいくつかの宗教施設は村山の修験者の行場(参拝
所)としても使用された。道者に運営ついては詳しい研究が進勃寝
- 342 :
- いないが、1800年(御縁年:アフィ出現伝説に由来する60年
に1回の記念の年)に約5,400人、1840年代前半は年平均
約1,700人、1860年(御縁年)は約3,600人であった
。1883年、須山口二運営合八勺(標高2050m)に接続する
御殿場口登山道が開削され、1889年、東海道本線開通による御
殿場口利便性の向上は須山口よりの道者を奪い、さらに1912年
、一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため、須山口からの
登拝(登山)は運営衰退し現在に至っている。二合八勺以下の登山
道で当時の道が確認できる部分は一部のみである。(資産範囲は現
在「御殿場口」の名称で使用されている二合八勺以上の部分及び遊
歩道として整備された旧須山口の一部である)A4.須走口登山道
アフィ運営東麓の冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道
と合流し山頂東部に至る登山道である。その起源は明確ではないが
、六合目からは1384年の銘のある掛仏が出土しており、文字資
料では1500年にその存在を確認できる。登山道は遅くとも1エムソ
゙ネ7世紀までに、冨士浅間神社及びその所在地の須走村が登山道の
山頂部までを支配し、散銭取得権の一部などを得ていた。山頂部の
権利についてはアフィ本宮浅間大社と争いになり、須走村は18世
紀(1703年と1772年)、幕府に裁定を求め、権運営利は幕
府によって認められた。1707年の宝永噴火の際、これらの施設
及び冨士浅間神社、須走村は噴砂に覆われ壊滅したが、江戸幕府の
支援を受け翌年には復興を完了し、多くの道者を集めた。18世紀
後半、他の霊場とセットにされた参詣の流行で運営道者数は年平均
約1万人、1800年の御縁年に23,700人とピークを迎えた
。1959年、バス道路の完成により、新五合目(標高約2000
m)以下の登山道の利用はほとんどなくなり、一部道としての確認
ができない区間がある。(推薦範囲は運営現在も利用されている新
五合目以上である。)A5.吉田口登山道北口本宮冨士浅間神傷頓
- 343 :
- 起点とし、アフィ頂東部を目指す道である。15世紀には、アフィ
への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも広まって
いた。吉田口は14世紀後半運営には参詣の道者のための宿坊もで
き始め、大勢の人々が登るための設備が整うようになった。16世
紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して修行を行い、18
世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的自
殺)にあたって信者運営の登山本道をこの吉田口と定めた。このた
め、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、最も多く
の道者(他の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を登って山頂
を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで
登れる重要運営な道である。(推薦範囲は登山道全体である。)1
1法的保護、修理・整備の経緯1924年に史蹟名勝天然紀念物保
存法の下に名勝に仮指定された。1936年に国立公園法の下に(
富士箱根)国立公園に指定された。1952年に文化財保護法の下
に運営名勝、ついで特別名勝に指定された。1969年に国が大沢
崩れに対する砂防事業に着手(継続中)。1996年に国・県が台
風による森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中)。文化財保
護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される運営予
定。A6.北口本宮冨士浅間神社説明アフィの遥拝所に祀られてい
た浅間明神(アフィの荒ぶる神)を起源とし、1480年には「富
士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っ
ていたとされる。その後、1561年に現在の東宮運営本殿、15
94年に西宮本殿、1615年には本殿が建立された。富士講との
つながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清の
寄進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内
の景観の礎が形成された。本殿は、一間社運営入母屋造・檜皮葺の
本殿に唐破風付向背をつけた形式で、正面と側面に挿肘木の腰組を
もって支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本脳役
- 344 :
- 西宮本殿はともに桧皮葺・一間社流造である。3本殿とも、各部に
漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻運営・金具を配して、それぞれの
時代の装飾的特色がよく表されている。北口本宮冨士浅間神社の支
配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神社の
管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の背後に
は登山門があり、この神運営社を起点としてアフィ頂まで吉田口登
山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持ちなが疑棄
- 345 :
- 遥拝所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたことを起源
とする神社で、古く運営からアフィ南麓地域の中心的神社であった
。現在全国に約1300社ある浅間神社の総本宮であり、広く信仰
されている。創建当初は遥拝のための施設であったが、15世紀ご
ろ登拝が盛んになるにつれて、アフィ本宮浅間大社は村山浅間神社
(興法寺)運営とともに大宮・村山口登山道の基点となり、宿坊が
周辺に建設された。登拝の拡大に伴い、アフィ中での諸権利が構築
されていく中で、浅間大社は徳川家康(約150年間の戦乱期をお
さめ統一政権である江戸幕府を開いた人物)の庇護の下、1604
年運営現在の「浅間造り」と呼ばれる独特な構造を持った社殿が造
営されるとともに、1609年山頂部の散銭取得における優先権を
得た。これを基に浅間大社は山頂部の管理・支配を行うようになり
、1779年、幕府による裁判によりこの八合目以上の支配運営権
が認められた。明治政府によりここは国有地とされたが、1974
年の最高裁判決に基づき、2004年浅間大社に譲渡(返還)され
た。浅間大社境内にはアフィの湧水を起源とする湧玉池がある。浅
間大社は、アフィの噴火を湧水によって鎮める考え運営や、アフィ
を聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富な湧水量(日平均
14万〜)を持つ湧玉池のほとりに置かれたとする説が有力である
。なお湧玉池は、浅間大社内に所在するアフィの湧水を起源とする
池である。16世紀前後、湧玉池は浅間大運営社により道者が身を
清める場と位置づけられたとされ、同時期の絵図や旅行記でその様
子が確認できる。この水垢離は1920〜30年代まで行われた。
現在でも湧水を聖なる水として利用する人が多くいる。法的保護、
修理・整備の経緯1907年に本運営殿が古社寺保存法の下に特別
保護建造物に指定された。1923〜26年に本殿・拝殿・楼門等
の補修が行われた。1929年の国宝保存法制定に伴い、本殿は国
宝とされた。1933〜34年に楼門の修理を行った。193浸祉
- 346 :
- 山における修験道の中心地であり、14世紀初めには、その活動が
組織化された。15〜16世紀には一般の道者の登拝も増加し、そ
の様子が16世紀の制作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」に描か
れている。1868運営年、神仏分離令により浅間神社と大日堂は
分離され、1906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。
ただし、修験者の活動は1940年代まで継続された。また、村山
の修験者の影響を受けた地域では現在でもその宗教行事が継続倉眼
- 347 :
- ている。法運営的保護、修理・整備の経緯2001年から2003
年にかけて富士宮市教育委員会により発掘を含む調査が行われた。
文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定され
る予定。B4.須山浅間神社説明須山口登山道の起点として遅くと
も運営1524年には存在していた神社である。1707年、宝永
噴火により社殿は登山道も含め大きな被害を受け、現在の社殿は1
823年に再建されたものである。神社は村山浅間神社(興法寺)
の修験者とも関わりを持ち、1940年頃まで境内で修行の運営一
環としての祈祷が行われていた。法的保護、修理・整備の経緯文化
財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される予
定。14B5.富士浅間神社(須走浅間神社)説明社伝では807
年に社殿を造営したとされ、須走口登山道の起点と運営なった神社
である。16世紀には地元支配者(武田氏)の保護を受け、山頂部
の散銭取得権の一部を得ている。社殿は1707年の宝永噴火で崩
壊し1718年に再建された。この後もこの際の部材を使用し、2
009年の修理も含め何回かの修理がおこ運営なわれている。神社
には富士講道者が多く立ち寄り、20世紀前半を中心に登拝回数の
達成(33回がひとつの区切り)等の記念碑を約80基造営した。
法的保護、修理・整備の経緯2006年に社殿が小山町の有形文化
財となる。2009年に本殿・参運営道の修理が行われた。文化財
保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される予定
。B6.河口浅間神社説明古くからアフィに関わる祭祀は南麓の浅
間神社が執り行っていたが、864〜866年に北麓で起こった噴
火を契機に、北麓にも浅運営間神社が建てられることとなった。そ
れが、アフィを望む河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口
浅間神社である可能性が高い。浅間神社を中心とした河口の地は、
甲府盆地から続く官道の宿駅という役割に加え、富士登拝が大衆化
した中世後半か運営ら御師集落として発展を遂げた。しかし、請骨
- 348 :
- における富士講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛により、河
口の御師集落としての機能は、19世紀以降衰退してしまった。た
だし、河口浅間神社は、現在もアフィと密接に結びついた宗教行事
を行っ運営ており、歴史的背景と相俟って、アフィ信仰を語る上で
欠かすことのできない資産である。法的保護、修理・整備の経緯文
化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される
予定。B7.冨士御室浅間神社説明冨士御室浅間神社は、8世紀エムソ
゙ネ初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、
アフィ中に祀られた最初の神社であるとする文献もある。富士修験
の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅間神社が
鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が運営整備さ
れたようである。山中という厳しい条件の下に所在するためたびた
び破損し、1189、1275、1475、1525年と加修され
、1564には地元領主による大修理が行われている。現在の本殿
は1612年建立と認められ、その後も169運営8年、1867
年に修復が行われていた。1973−74年には里宮の地にそのま
まの形で移設された。里宮は、二合目の本宮(もとみや)が冬季の
参拝に苦渋するために河口湖畔に建てられたとされる。修験や登拝
といった様々な富士信仰の拠点として運営位置づけられる二合目の
本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた神
社である。法的保護、修理・整備の経緯1973〜74年に吉田口
登山道二合目にあった本殿が里宮の地に移築された。151985
年に移築された二合目本殿が運営文化財保護法の下に重要文化財に
指定された。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィと
して指定される予定。B8.御師住宅説明御師は、道者に宿や食事
を始め登拝のための一切の世話をするとともに、登拝の指導や祈祷
を行うことを業とし運営た。アフィ御師として代表的なのは、吉田
口登山道の起点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方廃縄
- 349 :
- みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、1843
年に富士講道者運営によって再興されたとされる。法的保護、修理
・整備の経緯1934年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀
念物に指定された。16B12.船津胎内樹型説明1617年長谷
川角行が富士登拝の際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指定範囲内に点
在する運営小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を発見し、浅
間明神を祀った。1673年には富士講道者によって現船津胎奈賜
- 350 :
- 型が発見され、浅間明神が遷宮された。富士登拝の際に、樹型に入
って身を清める風習があり、洞穴内外の地形空間に宗教的な意義エムソ
゙ネ付けが行われるとともに、奥には富士講にとってのアフィの祭神
である木花開耶姫などが祀られている。法的保護、修理・整備の経
緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定
された。B13.吉田胎内樹型説明1892年に富士道運営者によ
って整備された「お胎内」である。富士講講徒は、昼までに御師の
家に着き、夕方まで胎内巡りをし、翌朝アフィに登山した。本穴に
ついては、古くから冨士山北口御師団が管理している。法的保護、
修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀運営念物保存法の下
に天然紀念物に指定された。B14.人穴富士講遺跡説明富士講の
開祖長谷川(藤原)角行が修行したとされる溶岩洞窟の人穴と富士
講信者による約230基の碑塔群が残る遺跡である。「吾妻鏡」で
は人穴探検の様子が描かれ、「浅間大運営菩薩の御在所」とみられ
ていたとされている。この内容は遅くとも1603年までに、浅間
大菩薩の霊験譚として説話化され、その存在が広く知られていた。
富士講関連の文書によれば人穴は16世紀から17世紀にかけ、長
谷川角行が修行により浅間大運営菩薩(富士講では仙元大日神とす
る)の啓示を得た場であり、入滅した場だとしている。また、角行
は人穴を「浄土(浄土門)」と述べ、これらの結果人穴には熱心な
富士講信者が参詣し、修行を行う者も見られた。また、信者は人穴
への分骨埋葬などを運営望み、墓碑、供養碑、記念碑などを建立し
た。1942年付近が軍用地となり、人穴の浅間神社や周辺の住民
は一時移転した。1954年神社は現在地に復興されたが、冨士講
自体が衰退したことで参詣者はみられるものの1964年以降碑塔
の建設は行運営われていない。法的保護、修理・整備の経緯199
9年に富士宮市の史跡となる。文化財保護法の下に他の文化財とと
もに史跡アフィとして指定される予定。B15.白糸ノ滝説明連捗
- 351 :2018/07/03
- 山の湧水を起源とする数百の流れを持つ滝である。滝の名前は湧水
(運営日平均15〜16万〜)の噴出が数百条の白糸が垂れている
ように見えることをその起源とする。17白糸ノ滝は富士講関連の
文書によれば長谷川角行が人穴での修行と合わせて水行を行った地
とされ、富士講を中心とした人々の巡礼・修行の場となった運営。
また、景勝地としても有名であり、和歌・絵画の題材にもなってい
る。法的保護、修理・整備の経緯1936年に史蹟名勝天然紀念物
保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定された。C.三保松原説明
三保松原は、万葉集以降和歌の題材となり、謡曲「運営羽衣」の舞
台となった。15〜16世紀以降アフィを描く際の典型的な構図に
含まれる景勝地として数多く描かれ、歌川広重等の作品をはじめ海
外にも広く知られている(又は海外に影響を与えた)芸術作品の視
点場、又は舞台となった場所のひとつであ運営る。法的保護、修理
・整備の経緯1922年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に
指定された。18b)歴史と発展山容の形成アフィの原型は、40
〜10万年前、周辺の火山とともに活動をはじめ、先小御岳火山が
形成された。その後これを覆うよ運営うに標高約2500mの小御
岳火山が形成された。さらに約10万年前、そのふもとに古富士火
山が誕生し、爆発的噴火、火山礫・火山灰の噴出、山体崩壊を繰り
返し、小御岳火山をほぼ山体に納める形で3000mを超える火山
に成長した。約1万年前運営には大量の溶岩を噴出する形で現在の
アフィ(新富士火山)が成長を始め、古アフィを覆いつくし、約5
600〜3500年前に現在の規模となった。繰り返された溶岩の
流出によって何層にもわたる溶岩層が形成され、その先端部には山
体への降水を起運営源とする湧水が各溶岩層の隙間より湧出する形
で各所に形成された。アフィ北麓においてはこれらの湧水や降水が
北側の山地との間の低地にたまり、湖や湿地が形成された。また、
溶岩層の中には数多くの風穴、溶岩樹型が形成された。山頂か貼尾
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