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「「「「「APPLEU」」」」」U
満開製作所
栄光のPC-8001 Ver 1.7 Copyright 1980 (C) by (ry
ここではi486は最速か?
富士通Kシリーズ
レトロPCは高木啓多が作った言葉ではない
富士通FM−8探索隊
おまいらが初めて買ったPCのスペック教えて
昔よく使ったフリーソフト
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【勉学】昔のPCを勝手に教えるスレ【歴史】


1 :01/12/22 〜 最終レス :2017/10/10
PCの歴史やウンチクをいろいろと教えてあげるスレです。
昔のPCを触ったことがない人にも理解できるように、
わかりやすく解説したウンチクを書き込みましょう。
昔のPCに関する基礎知識、事件、年表なども可。
敷居が高い昔のPC板を、もっと親しみやすい板に改造して活性化しましょう。

2 :
創世期
1976
 TK-80,AppleI
1977
 Apple//,TRS-80,PET-2001
1978
 MZ-80K
百家争鳴
1979
 PC-8001
1980
 VIC1001
1981
 FX-マイコン,PB-100,MZ-80B,MAX-MACHINE,IBM-PC,FM-8,PC-6001
スタンダード機の登場
1982
 FM-7,MZ-700/1200/2000,PC-8801,ぴゅう太,PC-9801
1983
 MSX,PC-6001mkII,IBM-PC/XT,X1,PC-9801E/F,PC-100,Lisa
1984
 X1turbo,FM-77,MZ-1500,ファミリーベーシック,PC-9801M,Macintosh,TRON
ビジュアル重視マシンの登場
1985
 PC-8801mkIISR,MSX2,FM-77AV,MZ-2500,PC-9801XA/U2/VM
1986
 X68000,PC-9801VX
1987
 PC-88VA,PC-9801VX01/XL2
1988
 MSX2+,X1turboZ III,PC-9801RA/RX
8ビット機の終焉〜16ビット時代の幕開け
1989
 FM-Towns,PC-98Do
1990
 MSXturboR
某スレよりコピペ。補完きぼんぬ。

3 :
http://www.retropc.net/

4 :
コンピュータはその昔、「真空管」という電球の化け物のようなものを
何千個も使って作られていました。
http://plaza3.mbn.or.jp/~radiokobo/tube/2A3.jpg

5 :
これが世界で最初のコンピュータの「バグ」です。
http://www.americanhistory.si.edu/csr/comphist/objects/bug.htm

6 :
センセー! オシエテヨ!
CPUてさ、大昔は「中央処理装置」でなかったっけ?。
今では「中央演算処理装置」と呼ばれるのが多いみたいだけど、
いつ頃から名称が切り替わったの?

7 :
>>4 >>5
貴様ら!古すぎです。(藁

8 :
国立科学博物館のページだけど >>2 のよりは全然詳しいYO
http://www.kahaku.go.jp/special/past/jyoho/ipix/3/4/09a.html

9 :
「マイコン」とゆえ。

10 :
N : 太古の昔、西和彦がNECにやってきた
西 : その赤いパソコン、ダセーぜ
渡辺 : (るせー、COMPO80/BSは闇に葬るのだ。これが偶々赤いだけだよ)
西 : (もしかして、TKべーすぅ)
渡辺 : いやいや、これは試作機で
西 : その十六進キーボードはなんやこらー
後藤 : (だまってろ、これでRるんだ、これで、えへへへへ)
N : 渡辺は今までTK-80からの経緯を確認、西に話した
西 : なーるほどぉ、おりがアメリコとか飛び回ってるうちにそんなとこで島袋工事かよぉ
後藤 : (さっさと帰ってくれないかなーこの小僧)
渡辺 : えー、そーゆーことなんですよ、PC-80を立ち上げたいと
西 : んーだめだねぇ、おりがアメリコで見てきたんだにわーーー
N : 西はアメリカのPC事情をえばって語りつくした
後藤 : (いいたいこといいやがって、日本は2年遅れでいいんだ)
渡辺 : なるほど、テンキーがいりますか、おい、やりかえだ
後藤 : そそそんな殺生なぁ、あの雑誌の£¥♂※!**#…
西 : はははは、色もなー赤やめて、ほかのんにせいや
渡辺 : (こやつの言うのを鵜呑みとすれば振り出しだなぁ)んー後藤、PC-80のことは忘れろ。
後藤 : なんでやねんな〜、ファンはいるってゆうたのに
西 : そこでや、BASICを買えっ
渡辺 : BASIC!、ぺ−シックは持っている
西 : 何結う天然、新しいマシンには新しいBASIC、これあたぼーよ
N : そうして、PCX-01という架空のPC-8001の前身パソコンは立ち上げられたのだった。
みなさんも御存じのように日本でマイクロソフトBASICはこうして普及したのです。
西のこうしたやりくちで、犠牲になった企業は一社、二社ではすまない。
N : しかし、ばばを引いた後藤にもそれは巡ってきた。
N : 電話での会話
後藤 : 8800ってシリーズで新しいパソコン作んねんれど、やらん
ゲイツ : 8800! んまー、プロデュースしていいんだね
後藤 : えーよー、ビジネスパソということで頼むわ、ほな、人送る
後藤はゲイ派だった。
著者にはPC-80が気になるな。西が暗躍しなかった世界、そう、「もしも」の無い世界を見てみたい

11 :
スレ違いの板違いかもだけど、世界で一番最初に公開された
webページってどこにあるんですか?

12 :
板違いのスレ違いかもだけど、世界で一番最初に公開された
webページってどこにあるんですか?

13 :
>>10
98はゲイに断られたみたいだけどその経緯は?

14 :
>>13
1chで読んだような気がする

15 :
>>6
15年くらいまえ俺が厨房の時には既に
演算がありましたよ。無かったてのは知らなかった

16 :
情報処理学会。
ttp://www.ipsj.or.jp/katsudou/taikai/62display-40.html

17 :
80年代中頃の8ビットマシンが持つ標準的なグラフィック機能は
 ・横640×縦200ドット
 ・8色フルカラー
だった。しかし、このグラフィック画面を1枚持つだけで
640×200×3プレーン÷8≒48KB
のGRAMが必要になる。ただ単純にマシンのメモリにGRAMを載せる設計では、
基本的に64KBのアドレス空間しか持たない8ビット機のメモリの3/4をGRAMだけで
占めてしまう事になる。
増加していくGRAMを実現する為に、各メーカーは色々な工夫をしなければならなかった。
○ BASIC MASTER LEVEL3(日立 MPU:6809)
  個人ユーザーを対象とした価格帯で、初めて640×200ドットカラーグラフィックを実現したマシン。
  実際にメモリ空間上に持っているのは16KB(1プレーン)分で、同一空間に6ビット(8色+属性)のカラー
  アトリビュートRAMが隠れており、カラー属性をI/OにセットしてRAMをアクセスすることでその部分に
  色がつく仕組みになっていた。つまり、色はバイト単位でしか指定できず、横8ビット分は必ず
  同じ色になってしまう(セミグラフィック)。
  GRAMもメインRAMと混在しているので、高解像度グラフィック面を確保するとフリーエリアが減少した。
  しかしROM24KB+GRAM16KB(+若干のワークエリア)を差し引いても、BASIC使用時で約20KBと
  当時としてはそれ程酷くないフリーエリアを持つことが出来た。
○ FM-8(富士通 MPU:6809)
  LEVEL3発売から暫くして登場したFM-8は、初めて640×200ドット・フルカラーグラフィックを実現した。
  48KBものGRAMを持つためにFMが選択した方法は、CPUをメイン・サブの2つ持たせ、GRAMは
  サブCPUの空間に配置して、メインCPUのRAMはすべてプログラム用に開放するというものだった。
  文字やグラフィックの描画は、メインCPUがサブCPUにコマンドを送ることで行う。これにより、32KB
  という当時最大級のBASIC ROMを持ちながら、メイン側に十分なフリーエリアを確保できた。
  この方式の欠点として、プログラマーは直接GRAMを書き換えられず、サブCPUとの通信に因る
  オーバーヘッドが発生するということがあるが、重い処理であったグラフィック描画をメイン側の
  プログラムに負担をかけず並列に処理できるという利点もあった。
  後にサブCPUを「乗っ取る」ことが可能なことが判明し、可能性が一気に広がった。

18 :
○ PC-8801(NEC CPU:Z80A)
  PC-8801も640×200ドット・フルカラーとなり、PC-8001から大幅にグラフィック機能を向上させた。
  PC-8801ではバンク切り替えによってGRAMへのアクセスを行っていた。普段はメインメモリの一部
  (C000-FFFFの16KB分)であるバンクを、OUT命令によって必要に応じGRAMの青、赤、緑のプレーン
  にそれぞれ切り替えられた。一見単純なこの方法は、例えば1ドットを描画するにも
  青プレーン切替→書き込み→赤プレーン切替→書き込み→赤プレーンに切替→書き込み
  という具合に、頻繁にバンク切り替えを行わねばならず、速度的には不利な部分が多かった。 
  当然、グラフィックを描画する時には、C000以降のRAMにあるデータやプログラムは使うことが出来ない。
○ X1(SHARP CPU:Z80A)
  Z80には68系のCPUと異なり、メインメモリの他に256バイト分のI/Oポートが存在する
  (I/O-mapped I/O)。ところが OUT (C),reg , IN reg,(C) 命令はアドレスバスの下位8ビットに
  Cレジスタの内容が現れると同時に、上位8ビットにはBレジスタが出力されている。
  これはメインメモリと独立な64KBの空間を有している事を意味している。そこに目をつけた
  SHARPはGRAM48KBをI/O空間に配置してしまった。と同時にテキストVRAMとPCGもI/O空間へ
  追いやり、メインRAM64KB分を完全にプログラム用として開放してしまった。これにより、
  メインメモリ上のどこからでも、バンク切り替えなどを行うことなくGRAMへの直接アクセスが可能
  となった。ただし、あくまでI/O空間へのアクセスであることに変わりは無く、普通のRAMへアクセス
  するよりも遅く(OUT (C),reg が12ステート、LD (HL),A が7ステート)、グラフィック描画時に便利な
  ブロック転送命令なども使えなかった。

とりあえず書ける機種だけ書いてみました。MZがありませんが、ちゃんと知らないんで書けんのです・・・
(MZ-2000とかはバンク切り替え?)。他のマシンもGRAMは苦労していたはずで、どんな風に実現して
いたんでしょうか。あと容量的な問題では無いのですが、パピコンの画面モードなども「どうなっとるんじゃ!」
と不思議に思っていました。
FMとPC88も所有していた訳ではないので、記述に不満な点などがあるかもしれません。レベル3やX1も含め、
訂正等々ありましたら指摘ください。

19 :
>>18
MZ-2000はバンク切り替えです。
アドレスはPC-8801と同じ。

20 :
>>17&18
ゴクローさん。非常に参考になったよ。
MZがないのが本当に残念だけどね。
他にも、MZ-2500やS1のメモリマッピング方式について誰か説明して。

21 :
なんでAPPLEUが生き残ってTRS-80,PET-2001が消えたのか教えてくれ。

22 :
MZ-2000について補足。パレット機能がない!!!
GRAMに関してはPC-8801同様バンク切り替えだが、設計がまともなため
速度は段違いに速かった。
X1については、1アクセスにかかる時間だけを単純に比較すると
確かに遅いけど、バンク切替機種と比べてメモリの自由度が高いため、それほど足枷にはなりませんでしたね。

23 :
MZ-2000についてさらに補足!!!
なんとMSBとLSBが、PC-8801やX1から見ると逆になっている!!!
たとえば、Aレジスタに01hを入れてGRAMに書き込んだ場合、
X1や88の場合は□□□□□□□■と見えるが、MZ-2000の場合は
■□□□□□□□となってしまうのだ!
(■=ドットが打たれた場所)
当時、PC-8801のゲームを移植しようとして、単純に表示ルーチン書いて
驚いたもんさー。

24 :
>>21
ハードの設計の優秀さ
ハイレゾ&カラーグラフィックによる綺麗なゲーム
ビジカルク(世界初の表計算ソフト)

25 :
>>21
APPLE][は拡張スロットが6個あったからでしょう。きっと。

26 :
早くもレスが・・・
>>19
ご指摘どうも!いろいろ参考になります。
パレットのことをすっかり忘れていました。
>>17 の標準的な機能に
・8色中8色のパレット機能(少し妙な書き方だけど、こう言われていた)
を加えます。
パレットについては、
×LEVEL3
○PC-8801 X1(PCGはパレットに影響を受けない)  (FM-7)
?FM-8(7からだったっけ)
です。
あと>>18 の6行目最後の 赤プレーンに切替 は緑の間違い。
そうだ、X1のGRAMの並びにも触れるべきか・・・

27 :
>>23
GRAMはまだしも、FDの記録なんかも全て他機種とビットが反転してた。
フォーマットは同じなのに・・・

28 :
>>27
物理フォーマットは同じで、ディスクの表裏とビットが反転してましたね。
あれはFDCであるMB8876の仕様なんですよね。
X1で採用されてるMB8877と、そのへんの論理が逆にできてるという・・・。
どういう理由で富士通は、この2種類のFDCを用意したのかなあ。

29 :
>>28
そうそう。
確かその仕様は、MZ-2500にも継承されてた・・・かな?

30 :
○ S1(日立 MPU:6809)
  このマシンはMMU機能を搭載し、8ビット機でありながら元々システムアドレスバスは
  20ビットあった。つまり物理メモリ空間1MBを論理メモリ空間64KBにマッピング
  (4KB×16ブロックで指定)することでアクセスを行っており、GRAMも任意のアドレスに
  マッピングして書き換えることができた。これはバンク切り替えよりは柔軟な方式ではあるが、
  それでも48KB分を展開してしまうとプログラム用には16KBしか割くことができない。それを補う
  為にS1にはハードにGRAMの3プレーン同時アクセス、マスク機能の他、I/Oにカラーレジスタ
  という、CPUのGRAMアクセス時に3プレーン(3バイト)独立に読み書きされる機能などがあった。
  カラーレジスタを使うと例えばGRAM1バイトを転送するだけでRGB3バイト同時に転送することが出来た。
  このような工夫により、実際にメモリ上に見えているGRAMは1プレーン分16KBのみで十分処理が
  可能なようになっていた。
自分の好みで他より余計なものまで詳しく書いてしまった。
それから正確にいうとCPUは各マシンとも互換CPUです。

31 :
>>39
Z80系しかよく知りませんけど、シャープや東芝は
ザイログの正式なセカンドソースだったんで、
互換CPUとは言えないのでは?
日電のやつは互換CPUと言っていいと思います。

32 :
X1ユーザーの友人が、EX DE,HL じゃなくて BC,HL があったらなあ…といつも
言ってた(^^;

33 :
http://www2.bbspink.com/test/read.cgi/erog/996736869/
エロゲ(ネタ業界)板のオヤジが集うスレ

34 :
専用スレがあるのでこちらに書くのもなんですが、
SMC70・777はZ80のIO命令のへんてこな仕様
(CレジスタリダイレクトのIO命令を出すとアドレスバス上位にB
レジの内容が出てくる)を利用してVRAMをすべてIO空間に
持っていきました。そこでバンク切り替えを行わずにメインも64KB
全部をRAMにできてCP/M類似のOSを使っていた。
惜しむらくは出現が遅すぎて時代はすでに16ビットに変わろうとしていた。
搭載していた3.5"FDDは倍速度のもので特殊ではあったが片面ということ
以外は他の3.5"とはそれなりに相性が良く使い勝手は悪くはなかった。
AppleIIにはキラーアプリケーションとしてVisicalcがあった。
表計算の走りであり、これがあるからビジネスはAppleIIとなった。
同じ6502を使っていてもCBMに移植されなかったのはユーザーRAM
の搭載限度の差が効いていたのだと思う。
AppleII--48KB
CBM, TRS--32KB
特にZ80搭載のTRSはCP/Mにビジネスアプリケーション
(DbaseII, Multiplan)があって有利だったはずなのに
0番地からROMが占有していてCP/Mは特別バージョンしか
どうさせず、ついでにその上で走るソフトもTRSバージョン
しか動かなかったことから起死回生の機会はなかった。
いずれにせよ、CBMとTRSはBASICマシン以上のものにはならず
ターンキービジネスで必要とされるスペックにはなっていなかった。
拡張スロットに関してはマザーボード上でデコード信号を作って
ボードに配信するAppleIIの方法はIBM PCより優れものだったと
思う。が、所詮8ビットでAppleIIIでメモリ搭載量を増やしたところで
アプリケーションが使いこなせることはなく、1−2−3の前に
完敗していった。

35 :
タイガー計算機

36 :
そもそもは古代エジプトで、ナイルの氾濫を予測する為に作られたのが
ENIACです。

37 :
暦の製作に使われたチューリングマシーンを忘れちゃいけないな。

38 :
>>31
ご指摘の通りだと思います。
NECが自社製、富士通と日立は日立製を使ってたな〜、という記憶があって
X1は大して気にせず書き込んでしまいました。
しかし、間抜けなこと書いた時、ちゃんと突っ込んでもらえる板って気持ちいいですね。

39 :
>>34
SMC-70もX1と同じ方式だったんですか。X1が先と思うんですが、どっちが早かったのか少し微妙なような。
一応、17以降書いたものはGRAMの方式に先駆的な役割をしたマシンを挙げたつもりなんですが。
(だからFM-7とかP88MK2とか略。でもバンク切り替えはMZの方が早そうですね)
他のメーカーも入れるとこんな感じでいいのかな?
1. サブCPUにGRAMを配置  FM-7/8 FP-1000/1100(3000?)
2. バンク切り替え       PC-8801/mk2 MZ-2000(/80B)
3. I/O空間にGRAMを配置  X1(C/D) SMC-70/777/777C
4. MMUあり           S1
88mk2SR以降、8ビットもどんどん高解像度、多色化が進んでいきます。
そうなってくると上にある機種の後継機も、基本的には上記の方法を踏襲しながら徐々に拡張されていった、
と記憶しております(例えば640×400ドット8色だと96KBあるので、そもそも上の1と3の方法だけでは
解決にならない)。MZ-2500などはMMUありましたよね。
その辺になると、ちょっと自分ではフォローできませんです。どなたか手のあいている方・・・・

40 :
ハードの説明でなく歴史的背景を書いてくれ
上記のマシンも年代順にして、何故そのハードを採用したか説明してくれ
それでこそ歴史の授業だろ

41 :
>>39
MZ-2500はMMUですね。
X1turboは、I/O空間に配置してるGRAMを48KBまるごとバンク切替で
640*400ドット8色を実現してました。
400ライン時は、偶数ラインがBank0、奇数ラインがBank1になります。

42 :
MZ-80で
CURSOR X,Y:PRINT "@"
と書くやつは素人。普通は
POKE 53248+40*Y+X,64
と書きます。

43 :
雷電「むぅ、あのマンハッタンシェイプの構え・・もしや奴は!」
桃「知っているのか?雷電!」
X68000・・・
1987年にシャープから発売された太古のパソコン。
当時としてはずば抜けた表示能力をもっていたゆえ、
よくも悪くも高級ゲームマシンの道を歩む事になる。
初代機にはゲーセンで人気を集めた「グラディウス」が同梱されていた為
ゲームしか知らぬ厨房を一瞬で洗脳させたと言われる。
なお現代において「最近のPCのデザインはいまいちだな」という
声をよく聞くが、これは縦置きだったX68デザインに洗脳された
後遺症である事は言うまでも無い。
民明書房刊「マイクロソフト&インテル帝国の前夜」より

44 :
>>43
洗脳されたけど、高くて買えなかったよ・・・・・。
結局、手に入れたのは99年だった。

45 :
>>42
SP-5020以前なら、そうなると思いますが?
さらに、「@」は64ではないですよ。>素人さん

46 :
キャラクタコードと、実際のVRAM上のデータが
違うんだよなあ・・・・・。恐るべしMZ80Kシリーズ。

47 :
>>45
> さらに、「@」は64ではないですよ。>素人さん
しまったーっ!VRAM直書きは01からコードがふられているんだった。
ASCIIコード表を見てしまった俺<逝ってよし

48 :
ハードの説明でなく歴史的背景を書いてね♥
上記のマシンも年代順にして、何故そのハードを採用したか説明しようね。
それでこそ歴史の授業です。

49 :
>>48
>>1をよく読んだ方がいいのでは?

50 :
まあ、勝手に教えるスレだしね(w

51 :
>>50
そそ、勝手に教えるスレなので、マターリいきましょう。

52 :
保守age

53 :
誰か濃い人、色んなマシンがそれぞれいつ発売になったか
年表書いて下さい・・・

54 :
>>12-13
『日本最初のホームページ』
http://www.ibarakiken.gr.jp/www/

55 :
>>53
ttp://www.technetjapan.com/JP/History/index.htm
ttp://www.sol.dti.ne.jp/~osg/history/japan/nenpyou.html
ttp://www.cqpub.co.jp/try/kijidb/rekishi/pchis1.htm

56 :
>>54
そこは「日本最初」であって、>>12が訊いている「世界最初」とは違うと思われ。

57 :
>>53 追加
ttp://www.geocities.co.jp/SiliconValley/7384/lib.html

58 :
>>53
あと >>8 のリンクもね。

59 :
>>8
MZ-80Kの写真が、とんでもないことに…。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/jyoho/ipix/3/4/05.html

60 :
・・・左利き用特注品があったんじゃないか?

61 :
↓YALP


62 :
答えイッパツ!カシオミニ
これでモトローラ支配の世界はなくなりました。

63 :
EPSONスレに書いちゃったんだけど、考えてみたらこっち向けの話題だ。
誰か適宜補足しておいてください。

FEPの話ですが(FPかFEPかとゆー論争もあったな)
当時はATOKとVJEと松茸(とNECDIC)が覇権を争っている状況で
DOSでは後発のEG-Bridgeは積極的にOEMする戦略で
なんとかシェアを確保しようとしている時代でしたね。
FEPほどシェアが効いてくるソフトってないからなあ。
ところがその後、エプソン子会社のエーアイソフトが
WXを開発し、試用版をフリーソフトとしてばらまくのと
キーカスタマイズ可能にして他FEPユーザを取り込む戦略で
あっという間にシェアを伸ばしていった。(性能もよかったけど)
もちろん親会社のエプソンもDOS5からWXのサブセットを採用。
MS-IME95もWXの改悪版だったような・・・。その後自社開発に
なったようですが、まさかここまでシェアを伸ばすとは。

64 :
X68000。それはあらゆる面で日電98の上位に位置したマシン。
それが敗れた原因はいくつかあるがもっとも有力な説に
 「ドット比が 1:1.3」
があると言われている。業務用機などをみてもこのような比率を
持つものはほとんど無い。性能的には移植等に最適なはずだが画
面書き直しという重作業を強いられるのに現場が嫌がった事が多
い。オリジナル開発においてもドット打ちが他機種でまかなう事
が出来ず、開発機として多量のX68000が必要となるのは辛い。

純粋な絵描きにしても自己のモニターで描いたものを他機種でみ
るとことごとく縦に潰れてしまい、仲間内でしか楽しむことが出
来なかった。6万色というのも多いようで少なく、本当に描きたい
者はMacやフルカラーボードに逃げてしまい気が付くとカスカスに
なっていた。


65 :
まだリンク貼られてなかったので…

富田倫生「パソコン創世記」
http://www.aozora.gr.jp/cards/gopc.html

66 :
>>64
X68はねー、ハードを5年間変えないって♯が公言したことに
なってたのがマズかったと思うよ。
ほんとは、5年間は上位互換路線という意味だったのに、
Oh!Xのライターが勘違いして5年間変わらないと書いてしまったらしい。

つまり、X68をX1とたとえると、♯が言いたかったのは5年後はX1turboZ3。
Oh!Xの書き方だと、X68がX1なら、5年後はX1G。

やっぱ、X68SUPERの時代に、X68030を出しておくべきだったと思うね。

67 :
あらゆる面ってことはないでしょう。ゲーム以外のソフトが弱かったのは致命的な欠点です。

68 :
>>67
あんた、たぶんX68K使ったことが無いよな・・・・。

69 :
67が言っているのは結果ですね。
このスレは勝手に言うだけのものなので反論がある場合はそれを語れば
いいだけです。X68Kが出た当時のスペック比較をしてぜひ語って下さい。



70 :
MZ―80は
カセットからOSを入れるため、いつまでも使えるって当時のカタログに
書いてあったような気がする

FDD1基が10万円するような時代だったな〜〜


71 :
>>70
それはPC-8801mk2 モデル10の値段ですね。


72 :
>>71
確か、PC−8001もPC−8801も
この値段だったはずだよ



73 :
FM−7は8音色出るから凄いパソコンだった
少し遅れて、パナソニックからパソピア7が16音色も出せるパソコンがでた

しかし、パソピア7は売れなかった

74 :
>>69
その5年も前に出たアーキテクチャを引きずった98と比べてもねぇ。
同時期のAtariSTやアミガと比べて、X68には「日本で安い」という
以外に何かメリットがあったの?(w


75 :
>>73
パソピアは東芝ね。
あの機種はV-RAM周りを無理してて、ちょっと扱いにくかったんだよね。

76 :
>>74
プログラム作れなかった人にはそう見えたみたいだね(w

77 :
>>70
PC−8001が¥168K
PC−8801は¥228K
です。ボソ



78 :
>>76
「プログラム作れなかった人」ってキミのこと?(笑
そうでないなら、ぜひ「プログラマとしての観点」から3機種の比較を
してくれよ・・・どうせ書き逃げクンだろうけど。

79 :
>>72
初代PC-8801は228,000円ですよ。
http://www.cqpub.co.jp/try/kijidb/rekishi/pchis1.htm

>>73
3重和音8オクターブの間違いでは?
パソピア7は6重和音。
FM-7が凄かったのは、FM-8比価格約半分性能2倍なところが大きかったかと。


80 :
>>76
その通りですが、それが何か?
当時のパソコンは、98以外はみんな同じさ

81 :
>>78のほうが書き逃げだったか(w

82 :
なぁ知識の無さを貶しあうのはこの板じゃ空しくないか?
語ろうぜ。間違っていたら突っ込みが入るだけ。
あとで俺はまたあとで語らせて貰うけど一番詳しくないヤツだけ。

Amiga。MegaDemoなどで一部有名になった機種だがその思想は
国産機種のそれとは根底から違うものであった。
何より奇異なのがVRAM。番地が動的なのである。
通常はイメージした画像をVRAMに転送し、vsyncを待つ、それが
画面表示の常識だがAmigaではメモリにVRAMアドレスを設定し、
それを走査させ、表示をさせるのだ。
多くのMegaDemoはラスタ周期が来る度にそのアドレスを動かし、
メモリ内容を変化させずに表示を変えることにより目を見張る
ような映像を繰り広げていた。

そんなアルゴリズムを固定VRAM機種に移植できるはずも無く、
MegaDemo=Amiga の地位を確立し、英語は読めなくても果敢に
挑む大学生が数多く居たという。

FDDは6sector、この時代にして音源はPCMのみ、あらゆる面で
違いを見せつけたこの機種のゲームは様々な移植をされる。
シグノーシス系やドラッケン、レミングス、などなど。


83 :
Intelはいまだにセグメントの呪縛から逃れられていませんが何か? >>74


84 :
>>82
PC-8001もVRAM動的に変えられるけど、使ってたのはダスティーワールドとか
OLION80とかしか見なかったなぁ。

85 :
>>76
プログラムを作る人がどうしたって?

>>64は商業的にあらゆる面で98を凌駕していたX68が敗れたのはドット比が一因と主張。
>>67はX68はビジネスアプリがなかったからと反論
それに対して>>69がビジネスアプリが少ないのは原因でなく結果だろうと。

>>69あたりからズレまくり。

86 :
>>64 「X68000。それはあらゆる面で日電98の上位に位置したマシン。
それが敗れた原因はいくつかあるが」

というようにX68の商業的な失敗を語っている。そうであれば、
商品として98と比較するのは当然のこと。

>>69 が「X68Kが出た当時のスペック比較をしてぜひ語って下さい」
と言うような性能面だけを比較しても仕方あるまい。当時のパソコン
市場は8ビット時代と違いソフトは買うもの。プログラムを作る立場
だけで語っても商品としての評価には不十分。ワープロなどは自作
するものではなかったからね。商業的失敗の評価はできない。

87 :
>当時のパソコン市場は8ビット時代と違いソフトは買うもの。
>プログラムを作る立場だけで語っても商品としての評価には
>不十分。

X68000 は BASIC(初代はアセンブラも!)が標準でついてきたマシン
なので少々的外れな意見かと。
逆にその点が SHARP が市場を見誤った証拠と言えるかも知れん。

88 :
なんかつまんない言い争いしてるね。
売れたのはどう考えても98のほう。機能が上なのはどう考えても68のほうだろ。
ソフトを買いやすかったのは98、作りやすかったのは68。
どっちがいいかなんて、何を求めてるかによって違うんだから議論しても意味なし。

ちなみに機能は68が上でも、性能となると違ってきたね。
CPUの計算速度は98のほうが断然速かったからね。

89 :
>CPUの計算速度は98のほうが断然速かったからね。

最初のX68000が出た頃はまだ98も286だったからそう違うもんでもなかったよ。

90 :
>>89
86系のCPUは、この板の範疇だと8086やV30、286や386、486の3種類に分ける
ことができて、同一クロックの時のスピード比が、おおむね1:2:4になる。

68000は基本的に8086やV30と同じになるので、わりと単純なことをやらせようと
すると、68000の10MHzと286の10MHzでは2倍くらいの差が出てしまうって仕組み。

91 :
X68初代を買った頃、研究室ではPC-98XLを使っていた。
BASICで作ったデータ解析プログラムはX68が早かった。
でもX68にはGPIBがなかったので、どっちも使うしかなかった。




92 :
>>90
8086や80286だと16ビットより大きな値や64Kを越えるデータを扱うには
結構効率の悪いことをしなくちゃならなくなる。
実際のアプリケーションでは80286を積んだPCに比べて10MHzのMC68000を
使ったX68000が遅いということは俺は感じなかったよ。

>>91
GPIBボードSHARP純正であったよ。でも初代が出たよりずっと後。

93 :
>>92
もちろん32ビットで68000のほうが効率がいい場合もあるね。
だけど、16ビットで済む処理は86系のほうが有利。
V30でさえ68000より速いことも珍しくないよ。

それと、32ビット処理はプログラムが作りやすいが故に、
速度の最適化を考えなくなるんだよね。
例えばED.Xで大きなファイルを編集する時のスピードは、
あれのモデルになったFINALやMIFESよりもかなり遅い。
16ビットの壁があったほうが、壁の内側だけ高速化する
ことができるから、利用者としては便利だと言えるね。
プログラム作る側は超大変だとは思うが…。

94 :
32ビットアプリのサイズが16ビットアプリよりデカくなる
デメリットも当時は深刻だった。


95 :
>>93
MACのエディターはテキストを全部オンメモリで持つものが多かった。
そのうえ、MAC特有の「アプリの使うメモリサイズはあらかじめ設定して
おかなきゃならない」という制限で、自分が使う最大のテキストサイズに
合わせるから、100バイトのテキストの編集でも4MBのメモリを食ったり
したよ。
その上98のエディタより編集できるサイズが小さかったりして。


96 :
>>95
悪い意味で富豪的だな。(W
(ホントの意味)
ttp://www.csl.sony.co.jp/person/masui/fugo.html

97 :
>96
そのページおもろい(w

似たようなネーミングで多少内容の違う「大名プログラム」という言い方が昔あった。
自分では最適化とかメモリ効率とかを考えず、周囲に対して『よきにはからえ』で
済ませちゃうプログラマを揶揄したもの。一般に通用していたかは知らないけど。


98 :
>>93
>それと、32ビット処理はプログラムが作りやすいが故に、
>速度の最適化を考えなくなるんだよね。
プログラムが作り易いならその分最適化に手を回せるんじゃないの?
>例えばED.Xで大きなファイルを編集する時のスピードは、
>あれのモデルになったFINALやMIFESよりもかなり遅い。
>16ビットの壁があったほうが、壁の内側だけ高速化する
>ことができるから、利用者としては便利だと言えるね。
プログラム作る側は超大変だとは思うが…。
X68000 の ED.X は画面の描画も含めて標準の DOSCALL しか使って
なかったと思ったし、Human68K の標準コマンドとして付属している
テキストエディタだから MIFES や FINAL とはちょっと事情が違うよ
ね。むしろ ED.X と比較するなら MS-DOS の EDLIN か SEDIT 辺りが
適当だと思う。
ED.X はテキストを格納するバッファの中を、しょっちゅうブロック転
送をしてるから凄く重いことは確かだね。でも同じようにオンメモリ
でテキストを扱うエディタでも Nemacs はバッファの扱いが効率的なん
で ED.X に比べると長いテキストの扱いに関しては軽かったよ。
あと、FINAL が PC-9801 から X68000 にも移植されてるんで、単純
に比較するには同じアプリのこの辺で比較するのが適当かもしれない。

99 :
>>93
Vzエディタは64K境界の不具合が結構あったよ。
バッファの扱いがタコだから64Kより大きいファイル
での置換とかすげえ重かったし。

100 :
わたしに100をとらせてくれてありがとう。


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