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信長の正室濃姫・まむしの娘の謎


1 :2014/04/01 〜 最終レス :2019/04/30
以前あったスレだけどいつの間にか消えてしまい
気になったので再スレ立て
昔のスレ住人はいるかな?

2 :
京都の部落史(同和地区?)を研究すると、真実がわかると思いますよ。

3 :
謎の正室

4 :
はっきりとした資料にほとんど残っていない珍しい正室だと思う

5 :
同和って言葉はどうやってできたのかね?

6 :
部落、同和関連の話は分からんけど、
濃姫って自分で自分の痕跡消したような気がするんだよな〜
母親が明智氏って話あるんで、「織田さんごめんなしゃーーい」ってことで信長死後自分の痕跡消した。

7 :
ここだけの話、斉藤道三って、きんさんぎんさんの弟だといっても通用する名前だよな。

8 :
>>6
後からキモイのにあーだこーだ言われたくないから痕跡消したんじゃね?

9 :
明智光秀とどういう関係だったのかな?
従兄妹だったのかな?

10 :
なんでもかんでもケチつけはじめてるんだな

11 :
小田原合戦&関ヶ原合戦で織田宗家は一旦改易。
その時点で織田家に保管されていた公文書・私文書は全て処分される。
後に信雄系織田家が復活するも、信雄としては自分の母のことは語って
それが記録に残る、母のことを実態以上に美化して語るから生駒夫人が
「正室同様」「事実上の正室」なんてことに。
一方、本物の正室の記録はほとんど残らない。

12 :
嫡男信忠の家臣には美濃衆が多くいる。
これは道三の娘である正室濃姫が信忠を養子にしたからこそできたことで、
濃姫が正室として信忠の義理の母でなければ、美濃衆の離反を招き、信忠の岐阜統治に支障をきたす。
つまり美濃衆は信忠のためというより、道三の娘のためにその義理の孫・信忠を支えたに過ぎない。
また信長の右腕・明智光秀は美濃国土岐郡出身
彼が晩年信長からの色々な無理難題や屈辱を受けながらも、信長の天下統一を全力で支え続けたのは、
ひとえに正室濃姫が、埋もれていた自分を発掘重用して能力を発揮させ世に出してくれた大恩人・斎藤道三の娘だたから
つまり光秀は信長のためではなく、亡き道三の娘のために、その夫信長を支えたに過ぎない。

13 :
>>12
信長の正室が斉藤道三の娘であったことは「信長公記」にも見え事実だが
明智光秀の出身地は眉唾物だぞ
江戸時代中期成立の「明智軍記」あたりからの引用

14 :
光秀は細川藤孝と共に足利義昭に仕えている。
天皇に任命されている「征夷大将軍」家側近となれば、いくら有能でも「馬の骨」は絶対に採用しない。
むしろ斎藤道三の方が、光秀が源氏に繋がる血筋であることを知っていて、将来足利将軍家とお近付きになろうとしたんジャマイカ?
現に信長は濃姫を通じて光秀を利用し、義昭を操って、最終的に権力を簒奪することで天下人になっているわけだから。

15 :
>>14
だから、濃姫が光秀と知り合いっていうのが一次史料にないんだって
あと光秀が室町幕府に仕えていることを記しているのはルイス・フロイスの「日本史」だけど
光秀は細川藤孝と主従関係にある(光秀は細川家の被官)

16 :
濃姫って信長関連の結婚した記述は見えるけどそれ以外は全く不明の人だろ
事実、信長の妻としての活躍は吉野(吉乃)の方が有名だもんな
それ以降の行方が全く不明な人というのも珍しい

17 :
>>16
生駒氏(吉乃)も成立時期不明の「武功夜話(前野家文書)」によるものがほとんどで
一次史料はほとんどない
吉乃(吉野)という名も武功夜話に見えるのみ
生駒氏は織田家の家系図で織田信雄(徳姫も?)の母であることが知られるだけ

18 :
そりゃ現代の歴史物なんて江戸時代創作の軍記物からの転用がほとんどだからな

19 :
今やってる大河ドラマ『官兵衛』では、
濃姫と明智光秀は従兄妹同士の設定である。
それは、宣教師が地球儀の説明をしていたシーンで、
濃と光秀が、信長と同じテーブルについていたことで明白である。

20 :
>>16
山科言継卿の日記(だっけ?)で
信長が、斎藤義龍の未亡人から茶の名器の椀を取り上げようとして、
美濃の国を挙げての大騒動が起こったとき、
信長の妻とその母親が登場する。
名前は書いてないけど、濃姫っぽい。

21 :
>>20
そこに書かれてる『信長本妻』は、濃姫ではないという説もある。

22 :
>>21
はて、濃姫でなかったら、誰なんだろう?

23 :
濃姫って義龍未亡人をかばってるんだよな
義龍は父道三を討った兄だけど、濃姫はこの兄のことをどう思ってたんだろう

24 :
結局「安土殿」ってのが濃姫じゃないの。
もしそうでないとしたら逆に「安土殿」って誰なのか
という疑問が出てくる。

25 :
>>20
茶の椀ではなく、壺らしいな。
『言継卿記』
>永禄十二年七月廿七日
>晩頭佐藤錫携来、一盞受用了、故一色義龍後家壷可為所持、
>可被出之由信長連連被申、一乱之刻被失云々、尚於責乞者可自害云々、
>然者信長本妻兄弟女子十六人可為自害、國衆大なる衆十七人、
>女子之男以上卅余人可切腹由也、
>仍中分失弗に治定、今日無事に成了、佐藤も十七人之内也
>永禄十ニ年八月一日
>早旦弾正忠所へ罷出、於門前曾禮申之、しうとめの所へ禮に被行、
>彼門前迄同道、山上城可見物之由被申

26 :
>>25
何が書いてあるんだてばよ?

27 :
>>26
永禄12年7月27日
午後7時ころ(?)佐藤忠能が、錫の容器に酒をもって来た。一緒に呑んだ。
(そのときの話で)
故一色(斎藤)義龍の後家が持っていたという名器の壺を、
信長は「出せ。出せ」としつこく要求したが、
後家は「稲葉山城の落城のときの混乱の中で紛失しました。
なおも責められるのであれば私は自害します」と答えた。
そしたら、信長本妻の(と?)姉妹16人がこれに同情して一緒に自害すると言い出し、
美濃の国衆の有力者17人+姉妹の夫(16人)、計30余人が切腹すると言い出し、
(大きな騒ぎとなった)
この騒ぎは、仲裁によって収まり、今日、無事に決着した。
佐藤も17人のうちの一人だった。
永禄12年8月1日
早朝、城下の信長の屋敷に行く。門の所で出てくる信長と出会ったので、挨拶をした。
信長は、しゅうとめの所へ礼に行くところだった。姑の住居の門前まで同行した。
信長は(機嫌がよくて)、山上城(岐阜城)の見物をさせてくれると言った。
・・・こんなところか。誰が仲裁したかは、明白には書かれていない。

28 :
>>27
誰が仲裁したかは、書かれてないけど、
5日後に仲裁の謝礼に行ったと解釈するのが自然で、
やっぱり、姑が騒動の仲裁をしたのだろうな。
信長本妻は、濃姫かどうか不明だし、
この騒動に対する態度も、姉妹16人と同調したのか、
局外中立、あるいは母親とともに仲裁に動いたのか、
この文章だけではわからないと思う。

29 :
>>28
信長本妻が濃姫ではないとすると、
このとき義龍未亡人を庇って自害するとまで言った
信長本妻って誰?
義龍未亡人と相当親しい間柄(身内)であったと思われるし
信長に濃姫以外斎藤氏出身の妻なんていなかったと思うけど

30 :
>>29
信長本妻が濃姫ではないとは言っていないよ。この文章では不明だと。
それに、
>然者信長本妻兄弟女子十六人可為自害、
これを、
信長本妻と・・・・・・と読むか
信長本妻の・・・・・・と読むか
で、話が違ってくるよ。
『と』ならば、姉妹16人とともに自害するといい、
『の』ならば、姉妹とは別の行動をとっている可能性がある。
また、『の』ならば、信長本妻は必ずしも生存していなくても意味が通じる。
実際、濃姫は美濃平定以前に信長によって離縁、または殺害されたという説もある。
仮に、信長本妻が濃姫でないならば、改めて道三の娘を娶ったということであり、
道三の正室・小見の方の娘は濃姫だけだから、側室の娘ということになる。
『しうとめ』が側室ならば、道三の娘たち、美濃の国衆に対して仲裁をするという、
説得力ないし権威が認められるか非常に疑問がある。
したがってやはり、この『しうとめ』は小見の方であると推測でき、
その娘である信長本妻は、濃姫以外ありえないのではないか。
濃姫が離縁または殺害によって不在ならば、
信長が『しうとめ』を尊重するはずはなく(病死なら別だが)、
『しうとめ』が美濃国衆等に対してもつ説得力は弱いであろう。
仲裁は成功したのだから、『しうとめ』の美濃での権威は絶大であり、
したがって逆に、この時点で濃姫は生存していると考えられる。
私は、濃姫は母親とともに仲裁したと想像しているよ。

31 :
>>30
信長は、わがままで駄々っ子のように描写されてるが、
濃姫が、姉妹の尻馬に乗って「自害、自害」と夫を追い詰めるような妻だったら、
この夫婦かなり先行き危ういといわねばならないでしょうね。
やっぱり、姉妹とは別行動で、仲裁をするような聡明な女性と想像したい。
ところで、
兄弟女子=姉妹、という翻訳で間違いないんでしょうか?

32 :
>>31
専門家でないので、自信はないけど、
>信長本妻兄弟女子十六人可為自害→→→→→→→→→自害だから全員女性
>國衆大なる衆十七人、女子之男以上卅余人可切腹由也→切腹だから全員男性
ゆえに、『兄弟女子』の中に男の兄弟は含まれてないと解釈した。
道三の息子は7・8人いて、義龍、孫四郎、喜平次、
それより下の子はみな坊主になった。
そのうち一人か二人は、のちに信長の家来になるのだけど、
義龍が次男三男を殺したので、義龍〜龍興の時代は、
その弟たちは美濃にいなかったのではないだろうか。

33 :
しうとめが近所に住んでるってのは分かったw

34 :
>>33
そうそう。
8月1日の記述は、信長の姑が近所に住んでいることを示すだけで、
「禮」が、7月27日の騒動と関係があるかどうかなんか、わからない。
どこにも姑が仲裁したとは書いてない。
わたしは、本妻である濃姫までもが、義龍後家をかばって自害すると言ったので、
信長が折れて、この事件は解決したのだと思うけど。

35 :
>>34
『言継卿記』には、仲裁によって解決したと明記してあるよ。
>仍中分失弗に治定、←この部分
仍  =よって
中分 =仲裁
失弗に=失われることなく(人命が?)
治定 =治まり定まる
→(この騒動は)仲裁によって、誰も死ぬことなく解決しました。
誰が仲裁したのか、言継は書いてないんだけど、そこは推理するしかない。
信長と、本妻姉妹+美濃国衆の連合軍を仲裁できるのは誰だろうか?
双方に一定の権威をもって説得力を持つ人物。
信長にそんな人物がいるとは想像しにくいのだが、
妻とはうまくいっていて、その母親が仲裁してきたら、ある程度は尊重するだろう。
本妻姉妹は、道三の側室の娘たちだから、正室だった小見の方の権威は高い。
美濃国衆にとっても、旧主・道三の正室の権威は高いはずだ。
(それに説得されたふりして仲裁してもらったほうが命が助かってありがたい)
というわけで、姑のほかに仲裁に相応しい人物が思いつかない。
5日後に、信長が姑を謝礼のため訪問しているので、合わせて一本の状況証拠で、
仲裁者は姑で間違いないと思うよ。

36 :
帰蝶って、創作では信長の美濃攻めを道三の敵討ちとして賛成していることが多いけど、
兄の義龍がどんな人間であっても、故郷が戦火にさらされたり、
甥っ子の龍興が亡命して美濃斎藤家が滅亡することに葛藤はなかったのかな。

37 :
ねーよ

38 :
>>36
義龍は父親とはあんなことになるぐらいに確執を抱えていたが
(と言っても武田や徳川も同様で父子諍いは珍しくなさげ)
お濃たちとは仲がそう悪くはなかったとする見方もあるらしい。
根拠は壺事件と馬場騒動そしてやろうと思えばできた尾張攻略を
本気モードではやらなかった。
なのでこの見方で考えれば大なり小なりはあるがそれなりの
葛藤はあったんじゃなかろうか。

39 :
父親が苦労して築き上げた齋藤ブランドが消えるわけだから
むしろ葛藤しないほうがおかしくね?

40 :
信長が自ら女性について記録に残るように語ったのは、秀吉の奥さんへの労いの手紙くらいなのか?
男の話ならあるけど女の話がないんだよな信長は
意図的に記録に残らないように、女の話を表に出さないようにしてたのか
お市との話も浅井との確執で第三者的に語られているだけで、信長本人の心根の話がないんだよな
濃姫も信長をぶっRかもしれないって逸話だけ残して、濃姫に対する信長本人から見た逸話がない

41 :
安土城などの焼失、秀信などの改易、大久保長安事件勃発の余波、
廃仏毀釈で廃寺の嵐、太平洋戦争の空襲、自然災害、そして各家、各寺社事情、
大人の都合などなど
仮に多少でも記録が残っていたり確かな逸話が昔はあったとしても
これらによって見事に無くなっているか世に出ていなそうだ

42 :
>大久保長安事件勃発の余波
連座を恐れてその家も記録の類を始末したり改竄したともいわれているよね。
秀吉の梵書は免れてもこれでトドメさされちゃった記録もあったのかも…。
輝政が長安や政宗に紹介した人物の中には一説にかつての信長や信忠に
直接絡んでいた人の関係者も多かったらしいからそうなるとますます厳しいよね。
うーん、残念無念

43 :
その家もじゃなくどこの家もだった。ごめんなさい。

44 :
大久保事件の黒幕といわれる本多正信は信長や信忠そして側近池田らを
憎き仇と思っていても不思議じゃない奴だからねえ…
家康も土屋のように一部をのぞき遺臣の扱いには苦労してたというから
両者の利害一致で隙のない輝政や長安が死んだのを契機に一網打尽に
したかったのかもなあ

45 :
>>38
>お濃たちとは仲がそう悪くはなかったとする見方もあるらしい。
濃姫は、父だけでなく弟たちも殺されてるので、義龍のことは仇敵としか思ってないだろう。
>やろうと思えばできた尾張攻略を本気モードではやらなかった。
義龍が尾張攻略をやらなかったてことかな?
信長に刺客を差し向けたことはあったようだが。
美濃の国衆というものは、道三が土岐氏を追い出して乗っ取ったときも、反抗せず臣従するし、
道三が信秀の侵攻を打ち破ったときも、余勢をかって尾張に攻め込むことはできなかったし、
同盟成立後、信長が援軍を要請したときも、たった千人しか出せなかったし、
義龍が道三を討ったときは、数千人くらい動員しているようだが、
龍興が稲葉山城で信長に攻められてるときでも傍観状態だし、
なかなか君主のいうとおりに動いてくれない。
義龍は、尾張攻略はしたかったけどできなかったというのが実態だろう。

46 :
>>45
その弟達をRよう義龍に進言したのは武井夕庵といわれいる。
知っての通り夕庵は信長の右筆であり爺的存在と言っても過言じゃない。
なんせ信長を何回も叱り付けられるような信頼関係があったわけだから。
なのであなたの言うとおりなのであればそういう夕庵が常に公私共に
信長の傍にいるのはおかしいのではないかな?
安土城内にも館を構えて信忠邸のお隣だぞ。

47 :
>>46
武井夕庵は、初めてwikiでみたが、、、
義龍に弟殺しをそそのかす男と、信長に命をかけて諫言する男が、果たして同一人物なのだろうか?
その史料は疑ったほうがよいかもしれない。
20年も生きれば人間もかなり変わるが、普通は逆方向だよね。
つまり、青年時代、若い正義感で諫言もするが、中年以降、小ずるくなって謀反人にアドバイスなどする。
これならわかりやすい。
>そういう夕庵が常に公私共に信長の傍にいるのはおかしいのではないかな?
別におかしくはないと思う。
小うるさくはあるが、真剣に諫言する年寄りを、聞き流す程度の度量は、信長ももっていた。
ある意味、信頼していたといってもよいかもしれない。
しかし、反対されたからといって、比叡山焼き討ちを取り止めたわけじゃない。

48 :
夕庵はやみくもに殺せと進言したわけじゃないだろ
その2人がつけ上がってたから家中が乱れひいては家臣同士で
軋轢を生むからこれらの芽を積むためとする見方が有力
お濃だって大名家の娘だ、どこまで事情を知っていたかはわからんけど
壺事件でもわかるとおり義龍後家や姉妹との仲は良好なんだから
兄妹といえどそのあたりは割り切っていただろ
別に義龍がそいつら殺してのし上がったわけでもないんだし、男兄弟には
家督も絡むから厳しかったが女姉妹にはやさしかった可能性も否定しきれまい
あと、信頼関係どうのって45の受け売りじゃんか
比叡山も取りやめたわけじゃないが(比叡山側にも非があったからね)、
終った後に叱られ反省、長島も同じく。
武田討伐関連でも叱られ終った後には今までにないブチ切れ叱責をくらい
信長とはげしくやりあい信長が折れたという話もなくはない。
要するに聞き流す程度の扱いではなく受け止めてたんだよ、信長は。

49 :
まああの信玄ですら武井にはかなり気を使っていたと言われるし
確か個人的な付き合いもあって武井宛の信玄書簡もあったと記憶
一説に武井は代々諏訪家に仕えていた家の流れともされるから
この説取ればさもあらんといった感じだろう

50 :
というか夕庵をあまり知らないようだから仕方ないのだろうけど
信長関連スレで夕庵を小バカにするようなレスを初めて見てちと驚き
>>48
武田討伐の話は俺もなんかで読んだな
夕庵は討伐に反対姿勢でそれが元で参陣予定が留守居にされ
確か池田も同じような姿勢で結局は適当な理由付けて息子達に
後を任せて自分は途中で帰ってしまったとか。
(勝親保護話と関係するのではとする見方もあるようだが…)

51 :
もし夕庵が同行していれば快川の火定も恵林寺の焼き討ちも
変わっていたかもしれないからなあ。
「義昭や六角のことなぞもう放っておきなされ。
 それよりも快川殿を手中に収めることに心血を注ぐべきでござろう」
ぐらい言ってくれたと思うだけに残念だ。

52 :
>>45
濃姫にとっては義龍は自分の後見人でもある弟
濃姫は壺の一件を見る限り義龍正室と仲が良かったようだし
義龍と仲が悪かったようには思えない
(濃姫が義龍を父弟を殺した仇敵だと思っているならその正室と仲良くしないだろう)
実家が滅ぼされた後の濃姫の同行が記録されていないことといい
義龍の死は痛手だったはず

53 :
>>51
そういや明智が諏訪の寺で信長に折檻くらった理由は
お前がなにをしたとなっているが通説では軍事的な意味あいで
何もしなかったや実績もないのにという意とされている。
だが実はそういう意味ではなくて外交的な意味あいでの
何もしなかった(できなかった)という意なんじゃないかという
見方もあるらしいな。
確かにこっちの方がすっきりするといえばすっきりするかな。

54 :
快川や快川ルートでの匿っている連中引渡し等の懐柔失敗で難癖までつけて
半ば強引に朝敵認定させる羽目になり朝廷に大きな借りを作ってしまった
ようなものだからな。他方で信忠の未婚の嫁問題も絡むかw

55 :
>未婚の嫁問題
人間50年呪文成就に大手がかかっていたから早く内孫の顔が
見たかったんだよw
面倒なことは息子2人にまかせて自分はお濃さんと一緒に孫囲んで
いいじじ様ばば様やりたかったに違いない

56 :
>>54
長寿説とってだけど濃姫から言ってもらうことはできなかったのかな?
光秀は長曽我部方面だけでも手一杯だったろうから武田方面に割ける力は
あまりなかったと思う。
そうなると道三娘という立場の濃姫が結構いい働きをしてくれたのではと。
夕庵、猪子、光秀、新五、稲葉そして濃姫が束でかかれば快川といえども
多少は柔軟姿勢になってくれたかもしれないよ?

57 :
快川はいざとなれば城を枕にもとい寺(と信玄の墓)を枕に死ぬ覚悟を
決めていたのだろうから束でかかっても無理だったと思うぞ。
快川の死因は総本山では火定とはっきり記録されている。
つまり何かしらの抗議や訴え若しくは願いがあって自らを
焼いたんだよ、あの坊様は。

58 :
うん、それはわかる。
でも事前に道三と縁が深い人達で説得にかかれば引渡しにしても
国師の懐柔にしてもできたんじゃないかなと思ったの。
うまくすれば懐柔→勝頼説得→武田家滅亡回避までいけたかなって。
少なからず朝敵なんていう汚名はかぶらずに済んだかもと思う。

59 :
信長も実際はそこまではやりたくなかったかもしれないよ。>朝敵
だから>>53準拠でいうとやらざるを得なかったイライラが明智の言葉で
爆発して折檻しちゃったと。
あとお濃はお濃で動いていたかもしれない、なんとなくだが。

60 :
>>53->>59
その、武田攻めの際の折檻って、史実なの?

61 :
>>60
目の前の箱は何のためにあるのだ?
>>59
そだな。天正10年1月に武田は武装解除令を出しているからね。
甲江和与詐欺という人もいるが勝頼だってさすがにそこまでバカじゃないだろ。
信長そして信忠(←こっちが重要かもしれぬ)を怒らせ朝廷に借りを
作ってまで攻め込むに至った何かがあったんだろうよ。
夕庵や池田あたりが反対姿勢を出し52氏の言うように明智が外交側面で
折檻をくらったのであれば勝頼は嵌められたのかもね、徳川&穴山あたりに。

62 :
つか逸話だが武田討伐の時の織田軍(信長の方)の士気は低かったらしい。
長篠のトラウマやなんで今になって武田攻めなんだ?みたいな感じで
腹の中ではやりたくねーよという連中ばかりだったとか。
で、それはともかく濃姫スレなんで濃姫絡みで。
武田家臣の真田家は齋藤家の分れみたいな話が真田本拠地に
鎮座する神社(社名失念)では伝わっているそうだ。
多分同族という意味合いなんだろうがこの社伝が本当なら真田家から
濃あてに何かしらアクションがあっても不思議ではないかもしれぬ。

63 :
なるほど
だから信忠軍の中でも美濃と縁深い森や団が上信へ派遣されたのか…

64 :
信勝を真田に逃がしておけば・・・。
勝親だって助かったんだ。
信勝も母親は遠山夫人なんだからお濃をつなぎに命だけは助かったかもしれぬ。

65 :
真田は裏切らんかね。

66 :
戦国板にあった濃姫スレもそうだがここでも濃姫過大評価だなあ
織田家の女性がそれほど政治に絡んだ事実は史料からうかがえないのに
「濃姫が一言言えばきっと助命された」「濃姫が一言言えばこうなってた」
ってそればっかりだもの
濃姫がそんなに政治的活躍をしていたのならば
没年も分からずに史料上から忽然と消えるはずがないのに

67 :
つなぎ≠口ぞえ、つなぎは連絡や交流、縁や好という意の側面が強い言葉
すぐ上に勝親のことが書いてあるから山城→池田の線で助かったように
真田→お濃の縁で某で助かったのでは?とはいう意味で俺は読んだけど。
それにどのレスに対してなのかわからないが武田討伐に関してなら
だれもお前さんのように断定的には書いてないだろ?
快川に関しては快川が甲斐に招かれる前にあった義龍との宗教対立、そして
それが原因で信長の元に身を寄せ数年も尾張に滞在したという経緯や背景で考えれば
(恵林寺文書、崇福寺文書、向嶽寺文書他)それだけお濃と快川は普段から
付き合いがあったと言っても過言ではないし何もお濃一人だけとして
書いているわけでもなかろうに。
>>65
確かにそこは未知数なんだよね。
ただ、半分は織田の血だし真田のことだから何かの切り札として
とりあえずは匿ったのではないかなあと。

68 :
そういや快川をめぐって信長と信玄と龍興で取り合いをやってたような…
とにかくすげー坊様な快川招喜国師

69 :
血〜血〜言ってるが本来その氏族はその氏族のものだから他者が
名乗るのは間違いなんだから当たり前すぎることなんだけどね

70 :
>>67
匿うというのがずっと匿うか一時匿ってどこかに落とすかで
そのあたり変わってこない?
あと結果論になるけど身内に甘い信長は信勝を実際どうしたかったのかでも。
信勝は助けろと命じていたとか田野で信勝に降りるよう説得に
かかったという逸話もあれば滝川が勝頼父子を死なせてしまったことに
責を感じ出家を信長に願い出て信長も了承したという逸話もあり
(滝川への恩賞も働きのわりに低いかな)勝頼は仕方ないにせよ
信勝は命を奪うまで実際に考えていたかが謎。
そこらによって真田の出方は変わってくると思われ。

71 :
>>64
うん、龍勝寺殿だけにそう言いたくなる気持ちもわかる。
彼女が亡くなった時の信長の嘆きや沈痛ぶりは実の子でもあそこまでは
というぐらいだったと書かれているのもあるよね。(信憑性は不明)
それにしても彼女に信忠に信房と濃姫の手許で育ったと思われる
子供達はみんな武田との縁が深くてなんかおもしろい。

72 :
おもしろいことはおもしろいがお濃はいたたまれなかったろうよ。
龍勝寺殿は若くして死亡、孫も夫と息子達によって攻められあげく獄門。
その息子達も片や松姫とのこともありいい年しても正室も持たずあげく
その姫の実家攻撃の総大将になり滅ぼすに至り、もう片やも予想外のことで
武田にかっぱわれ長いこと人質生活を送り帰ってきたと思ったら世話にも
なったであろうな家を同じく攻撃しに行かされたわけだから…。

73 :
しっかし父子そろって嫁の実家滅ぼすっていうのはどうなんだべ

74 :
どうなんだべと言われてもw
一応どちらもやむを得ず事情だから判断は難しい

75 :
信玄が織田を裏切った時点で松姫との婚約は解消されてるだろ
市や千姫のように嫁いだ女性が婚家を実家に滅ぼされたわけではないのだから
一緒にするのも

76 :
>>73
嫁や舅を介した部分も大きいとはいえ信長は実力で嫁実家関連の
美濃衆を掌握していたのだから信忠に松姫を正妻にすると決めているのなら
後々のことも考え自分と同じように実力で甲信衆(便宜上そう書く)を
掌握してみろとあえてやらせたんじゃなかろうか。

77 :
なるほどー、織田家臣団に対しても示しがつくわけだからな
それで予想以上の働きで成功したから天下もと言ったと
で、源氏名門武田の姓と血をひく松が信忠の正妻におさめれば
公家達に文句を言わせずに織田幕府開府へ大手状態だからなあ
そのあかつきには必ず武田家再興もセットにすればなお心象よろしと

78 :
武田スレのやつが移ってきてるな

79 :
確かに「信忠」で考えればそういう路線考察は十分アリだね。
どうもこのあたりについては信長と信忠を一緒くたに考える嫌いがあるが
考えてみれば信長は次の世代のことをかなり気にしている節がある。

80 :
つか>>76
どこまで信長は親バカなんだ

81 :
親ばかだが信長が情報網や勝長を通じて武田家臣団事情を
知っていたとすればこうなる流れは自然なことなんじゃないか?
それでなくても美濃衆以上にクセは強いわ、我を通したがるわ、いざとなれば
国衆特権発動させて文句言えば一揆起こすわ、中央集権?なにそれおいしいの?と
と織田基準で計れば問題児だらけな集団なんだからさ。
仮に勝頼が臣従して家の滅亡は免れたとて織田が介入してどのみち粛清は
普通にしたと思うぞ。
その上でそのまま安堵するか転封したかはifの世界だからわからんけどな。

82 :
信長と勝頼って同族嫌悪というやつだったのかもね・・・

83 :
たわけめがぁ!
よのせいいきなきこうぞうかいかくに
はんたいするたけだごときていこうせいりょくは
ほろんでとうぜんなのじゃ!

84 :
長篠以降は別に抵抗らしき抵抗はしていなかったじゃん。
高天神があるって?
あれは徳川と武田のことなんだから本来は織田が介入する話じゃない。
同盟国だから?
断ることだってできたじゃん。徳だってもう寡婦になってたんだし。
結局そうやって徳川を変に信頼し見誤ったことが寿命を縮めたんだよ。
武田なんてとりあえず放置して(心配なら北條や佐竹に監視させとけ)
先に毛利に力を注ぐべきだったんじゃね?
そうすれば本能寺も起きなかっただろうし起きたとしても
半年ぐらいは猶予できただろうに。ばーか

85 :
>>72
トドメのように本能寺の変で2人とも亡くしてしまってますしね。
そういえば龍勝寺殿と同じく養女で幼い頃から信長と濃姫の元で
養育されたと伝わる池田之助正室も実子のようにとても可愛がられ
秘蔵娘とまでいわれていたという話もあるとか。
ここまで可愛がっていた娘なので池田家に之助の話があまりないのは
娘可愛さに之助はマスオさん状態だったのかな?とつい妄想してしまいますw

86 :
信長んちでマスオさんってどんな罰ゲームだよwww

87 :
側室はまず無理であろう

88 :
摂津時代は別居結婚状態にされてしまったのかのう…

89 :
娘可愛さを大義名分に本命は婿の方だったりするかもしれないじゃないか!

90 :
なんとwww

91 :
元助の正妻は由之を産んで亡くなったという説もあれば実父が
明智側に付いたから離縁ないし殺されたという説もあるみたい。
ただ前者は多聞院日記の記述と矛盾が生じるし、後者は後年の池田家と
齋藤家の関係から見るとかなり無理があるみたい。
もしかして忠興みたいにどこかに隠してしまっていたのかな?

92 :
>後年の池田家と齋藤家の関係から見るとかなり無理があるみたい。
新五(息子の方)のお墓は輝政のお墓のすぐ近くにあるよ
ぶっちゃけ身内や親族ないしかなーり仲良くないと無理だろな位置
墓まで仲良しこよしなんだからやはりそこにはお濃とその身内の
存在は池田にとって大きいものだったんじゃないかな。

93 :
根拠はないけど濃姫のお墓は池田家墓所の一角にひっそりと
あるような気がする

94 :
案外と同じ大徳寺にある養徳院の方に埋葬されていたりして?

95 :
まあ池田だけに可能性は無きにしも非ずかもしれぬ
他スレで大久保長安事件に関して
「池田と大久保は信松尼を拠り所にかつての夢を見たかったのさ」
とあったけどこれに似た感情がお濃に対してあったとしても
不思議ではあるまいて

96 :
濃姫は罪人でもなんでもないんだから、
なんでひっそりとなの?

97 :
別に罪人じゃなくてもひっそりなことはあるだろうに
養徳院みたいに遺言していれば自然とそうなるさ

98 :
罪人か?
誰が罪人だってきめたんだ?
この場合はそれを決めた動機、そいつらの正体
これを解くことに意味がある

99 :
>>95
その大久保長安事件に輝政が深く関与というか長安と姻戚かつ義兄弟で
めちゃくちゃ仲良くしていたのが痛いんだよね…
池田家の記録でも織田との関わりについてのものが特に欠落しているみたいで
恒興のことも之助のこともあまりわからず輝政も織田時代のことは
あんまりわかっていない裏事情はどうもこの事件絡みらしいし。
ったく本田正信め・・・ムカツク

100 :
濃姫は、光秀の従妹で、彼を信長に紹介した張本人。
その光秀が謀反を起こし、夫を殺したんだから、相当なショックだ。
世をはかなんで、読経三昧の余生を過ごしましたとさ。


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