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武家公家の家格について語るスレ


1 :
この手の話題が盛り上がるのでスレッド立ててみました。
家格についての話題なら何でも結構かと思います^^

2 :
公家って分家と本家の家格が同じ所多いよね。

3 :
幕末が好きでよく本を読むんだけど、イマイチ武家の家格がよく分らない
現代でいうとどのくらいのレベルなのか、簡単に分かる方法はないものか

4 :
御殿人(みあらかんど)一族の武家は?

5 :
>>3
徳川将軍家=清華
徳川家分家=大臣家
大大名=平公家
大名=官務家
大身旗本=諸太夫

6 :
>>5
徳川分家って御三家でも大納言か中納言どまりじゃなかったっけ?
大臣家は大臣を出す家じゃなかったけ?
だから徳川分家は羽林相当では?
ただ明治の華族制度では
将軍家が公爵、御三家や前田あたりの大大名が侯爵になってるよね。
このあたりの区分はどうなんだろ?

7 :
>>6
将軍家、御三家、御三卿は公爵、侯爵、伯爵と決められた。
大名は現高で決められて、最大でも侯爵どまり。
公爵になった家は維新勲功が加算されてる。
公家は摂家が公爵、清華が侯爵、大臣家と上位平堂上が伯爵、それ以下は子爵。
男爵は家老や大身旗本で実高が万石を超えた家や奈良華族等の特殊な家で当初は少なかった。

8 :
摂家は別格だけど
清華家や大臣家は何か優遇あったのでしょうか?

9 :
大臣にまで昇れることじゃないか?
羽林家以下ではそこまでの昇進は基本的に無理だし

10 :
・国主、国主格、城主、城主格、無城陣屋、という本拠地の規模や住まいでの基準
・江戸城の控え席による基準
・冠位による基準
江戸時代はこの三点が絡んでややこしい

11 :
将軍家は清華相当でしょ。
太政大臣になれるのと女御をだせる特権が重要なんじゃ。
天皇、関白、摂政、太政大臣と一上以上になれば、
国政の決定に関与できる立場になるからじゃ?
そすれば、公家、武家と両方を掌握できるからじゃ?

12 :
豊太閤は徳川将軍家より上ぢゃの。
なるほど、なるほど。
殺生関白ですら、家康以下より上位を占めているナ。

13 :
>>11
清華家風情で代々連続して大臣に叙されたことなどないでしょ。
将軍家は常に大臣に叙されているから、清華家よりは上に扱われている。

14 :
>>11
秀吉の時は別として、足利義満以降の将軍家は摂家よりも格上とみなされている。
この時代になると家格が重視されているし、家格は官位とは必ずしも連動していない。
鎌倉期でも、執権、得宗の権威が確立した後の方がむしろ官位が低い傾向があると
いうし。むろん、後期の方が早逝していることが多いということの影響も大きいだろうけど。

15 :
>>13
武家官位は公家官位の外の為、家格の上下の比較はナンセンスだと思う。
常に大臣に任じられている(叙は位の場合なので官位の時は任になる)と言うが、
これは将軍に付随した肩書きと言うべきで、従って七代家継のように、
満三歳二ヶ月の幼児が将軍になっても自動的に正二位内大臣右大将が与えられる。
初代家康が従一位太政大臣になっている為、一応これが極位極官の先例になっており、
しかも大将は右大将であるところから見て、強いて言えば家格的には清華家相当と
みなすのが妥当だと思われる。
近世の朝廷は家康に意向で摂家の権威が非常に高められ、それを以て朝廷統制を図った。
しかし、それ以前は三公や左右の大将を清華家が独占した事もあったし、
決して清華家風情と呼ばれるものではないし、大臣就任も早世さえしなければ、
家格通り必ず大臣になれた。
摂家と言えども、全員が連続して摂関に任じられた訳ではなく、九条家は近世当主14人の内、
6人しか摂関になっておらず、二条家も宗煕以後六代にわたり、摂関になれなかった。

16 :
ナンセンスを言うなら武家の序列を公家の家格に当てはめること自体がナンセンス

17 :
武家官位は公家官位の外とはいえ、一応律令官制の身分を帯しているので、
あながちナンセンスでもないだろうよ。

18 :
室町期でも江戸期でも将軍の権威・権力が摂関を上回っていたことは疑いないのに
それが清華と同等になるという時点でやってることがナンセンスだと気付かないのか
>>5に突っ込むのも面倒だがイコールの両側に当時そういう感覚があったとはとても思えないし
武家の家格を官位の点のみで考えること自体が実態とかけはなれている
まあ分かっていながらも名目でしかなくなった律令官制マンセーな公家ごっこで遊びたいのね

19 :
摂家にしても将軍家にしても、家格の主要な部分は「摂関」なり「征夷大将軍」
になるというところでしょう?
そこを無視して清華相当だなんだと語るのはナンセンスだと思うが。

20 :
>>18
公家の官位にしても、摂家の中少将に大中納言が道を譲るという
礼が確立していた状態だしね。

21 :
秀吉の代にも家格作りがあったんだよねえ。
摂関家相当=豊臣宗家
武家清華家=豊臣庶家、5大老家、他
その他侍従、布衣。

22 :
圧倒的な武力を背景にした権力を持った将軍が、摂関を上回っていたのは事実だ。
しかし、その将軍も自身の権威付けとして将軍位他の官位を受けている。
公家官位の外なら、それ程権威・権力のある将軍の力をして就任時にいきなり、
極位・極官の従一位太政大臣にならないのか?大将だって左大将を取ればいい。
しかし、実際は正二位・内大臣・右大将という典型的な清華家の官位でしかなく、
ここに将軍の地位の限界と矛盾がある。
武家の家格は三家・三卿・国持ち・城主など領国規模に関わる家格があるが、
この家格はほぼ変動する可能性は少なく、従って大名達の関心は官位の上昇に向く。
固定された封建体制下において、可能性のある自家官位の上昇志向は凄まいものがあり、
有名な会津松平家と井伊家の四位・中将の先任争いなど、その一例だ。
封建下の武家統治方としての武家官位はもっと研究されるべき。

23 :
>>22
そういえば征夷大将軍の官位の前列は
家康以前だと
源頼朝 右大将
源実朝 右大臣
徳川家康 内大臣
だよね。
他の将軍の前例はどうだろう?
他になかったら前例に倣ったとも言えるかも。

24 :
>>22
頼朝、家康は将軍就任以前の官位ね。
頼朝、家康が先例だと「吉例」となる気がするんだ。

25 :
>>22
将軍家の官位だけを抽出すると清華相当というのはその通り
武家が覇者となっても公家の世界というか律令官制では最高峰でなかったというだけで
将軍家の家格が清華家と同等だなんて言うからナンセンスになるわけ
実権を失った天皇や公家が滅ぼされることもなく位の上では極めて高位を維持しながら存続したことのは日本史の大きな謎だわな

26 :
徳川将軍家が要求すれば太政大臣でも関白でも望みのままだろ。
朝廷としてはむしろ、実態の権勢に相応しい官職に就いてもらいたいはず。
官位官職が下の者が絶大な権力を持つという構造は、名目的にも朝廷が形骸化するから。
朝廷は力と位が一致してもらわないと困る。

27 :
>>22
摂家と清華の差は、左大将任官の有無かね?「摂関に就けるかどうか」
だろ?将軍家にしてもしかりで、前例・家例踏襲以上の装飾的官位は
必要としなくなった後の話だ。
室町時代には、将軍よりも官位の高い公家や大名も存在していたが、
彼らも将軍に伺候する立場であったことに変わりはない。
権威確立後、鎌倉中・後期には得宗の官位が比較的低くなっていたと
いうのも、「官位で飾る必要がなくなったから」だと指摘されている。
江戸時代にしても、大名統制の一つに官位を使った関係上、将軍家も
大名を超越した官位は必要としただろうが、
> 極位・極官の従一位太政大臣にならないのか?大将だって左大将を取ればいい。
無駄に装飾的な官位よりは吉例を優先させたんだろう。右大臣の将軍
でも、公家の左右大臣や摂関より上座に着したということだし。

28 :
官位は家格であり、家格は官位だ。
武家の棟梁、天下の覇者と言ったところで、律令体制の官位体系に準じている限り、
将軍と言えども当然極位極官が決まっていれば、官位発給元の朝廷の家格に
相当されても文句は言えない。
それが嫌なら無官か、独立した独自の官位体系を創設すればいいだけの話。
大体が、征夷大将軍などと言う卑官すら朝廷から授けられているんだからね。

29 :
>>22
> 封建下の武家統治方としての武家官位はもっと研究されるべき。
近世武家官位も中世武家官位も、すでに多数の研究がなされている
が、それらをレビューしたうえで「不足だ」と言っているのかな?

30 :
元服後いきなり権大納言というのは、徳川将軍家だけだね。

31 :
このめんどくさい奴を清華くんと呼ぶことにするか

32 :
ひでおくんと呼んでやろう

33 :
ひでおw

34 :
>>32
31ですが英雄に賛成ですw

35 :
>>29
吉川弘文館の日本歴史、それに同館や続群、岩田書院などからも刊行されているし、
学習院大の人化研、東大史料編纂所など大学でも研究されているのは知っている。
あなたがどの様な研究書を知っているのか分かりませんがね。

36 :
公家の家格は官位が殆ど全てだろうけど
武家の家格は官位もさることながら石高や将軍家との親疎など
わざと多重構造になっているのに官位にしつこく拘泥する意義がわからん
がっちり徳川幕藩の封建体制が固まってしまってからは石高や親疎が変わることは稀だから
官位の点で諸大名が競ったというのも間違ってはいないが
だからといって官位の点から大きく家格が変動したということも無いから結局は瑣末な大同小異
とにもかくにも持論に強い自信があるのならこんなところで油を売ってないで
将軍家は清華家レベルの家格でしかないんだ律令官制での武家の限界だ
みたいな論文を書いてどっかに載せてもらいなよ

37 :
将軍家は摂関家相当でも清華家相当でもなく、『将軍家』だろ…どう考えても。

38 :
定規の目盛に貴族と同じ官位を流用しただけで、
測る対象が相互に比較可能と否かは別の問題だと思う

39 :
>>37
全く以てその通り
>>38
石高で見れば摂関は旗本・家老で名家は御家人・下士だ
有名無実の官位だけ抽出して論じても意義が無い
官位だけ語りたいなら官位スレでやればいい

40 :
ここは武家公家の家格を語るスレでしょう?
ならば朝廷も幕府も同じ律令官制を帯している限りは、比較してもいいじゃん。
将軍の力を持ってすれば摂関にでもなれると言うのも事実だとしても、
正二位内大臣右大将(極位極官は従一位相国)と定めたのも将軍だよ。
と言う事は、これが将軍家の家格になる。律令官制下の家格に将軍家と言う家格が無い限り、
公家の清華家相当と言う比較があってもおかしくはないと思われ。
書き込みをみても、誰も清華家とは言ってはいなくて、相当と言っているだけ。
比較遊びなんだから、ぐだぐだ言う事でもないだろう。

41 :
>>40
> 律令官制下の家格に将軍家と言う家格が無い限り、
律令官制下には摂家だの清華だのと言う家格も存在していない。
どれも、「武家(将軍家)」という家と並行して成立してきた格式。
そもそも狭い意味での極位極官を言うなら、摂家も清華も従一位
太政大臣で相違がない。摂家と清華を分ける決定的な違いは「摂関」
だし、将軍家と摂家や清華以下を隔てるのは「将軍」。
本質を無視して語るなら、摂家も清華相当という、無意味な話にし
かならんぞ。

42 :
>>41
>将軍家と摂家や清華以下を隔てるのは「将軍」
将軍職自体は公家の官位的には4-5位相当の取るに足らない官位で摂家清華は誰も欲しがらないような官位だが?
天下を取った武士が追認という形で将軍職を賜るだけであって将軍だけでは上級公家と釣り合いが取れないから大臣なり
右大将なりの官位を得ていたということ。
将軍が偉いのは事実上の日本の統治者という事実であって将軍職ではない。

43 :
>>42
征夷大将軍の官位相当なんてあったか?
それに、摂家だ清華だというような家格が確立する時期には、征夷大将軍は
頼朝から始まる「公卿の就く地位」になった後だ。
源氏三代の後の摂家将軍以降の将軍家は「上級公家」そのものだし。
> 律令官制下の家格に将軍家と言う家格
なんていうとんちんかんな話を持ち出すようではどうにもならんだろうが、
「自分の珍奇な思いつき」に固執して珍論を並べ立てるのはやめてくれ。

44 :
そもそもの話をしだすと、摂関内覧も令外官だし、家格というのも鎌倉以降のできた。
なので、将軍家というのは、将軍家になる。
摂関家は、何相当というぐらいナンセンス。
将軍家特有の官位ルートもある。

45 :
>>44
令外官は関係ないし、家格は鎌倉以降というが、将軍家も鎌倉以降だから。

46 :
語れば語るほど珍妙さが増してくるなw

47 :
承久の乱以後公武の力は逆転し、摂家将軍、宮将軍による権威の高まりは、
公家の棟梁たる摂家と武家の棟梁たる将軍を同格と見なすようになった。
そしてその権威は足利義満の時に頂点に達し、皇位簒奪を企てたとされている。
皇位への裏付けとなる天皇の血統を示す源氏の象徴は将軍であり、
義満にとってその他の官位など、単なる飾りに過ぎなかった。
徳川将軍も公家に対して領知宛行状を発給する事によって、公家を家臣化している。
将軍から領知宛行状を授けてもらう摂家と将軍家の関係も、これで明らかだろう。
将軍である以上、その他の官位は飾りに過ぎず、将軍家は家格を超越している。

48 :
室町殿などは(また徳川将軍家も)「飽くまでも官位から見れば」清華と言うしかないと思う。
(明治期に平島公方家や義輝裔と称する熊本藩士が華族取立を願った際に足利家は清華衆だからという理由を述べているし、他に清華と呼ばれていた史料を見たことがあるけど失念)
それは官位を基準として摂家を頂点とする旧来の家格制度が新興の権力者に対して適合しにくかったというだけで、
事実上の日本国王として摂家以下の拝賀を受けていた等の事実とは矛盾しないと思う。
これは過小評価というより評価装置の方が力不足なのだと言える。
余談だが、現在では「清華家」という言い方が普通に通用しているが、史料や文献には「清華」という「家」を付けない形ばかりが表れている。
「摂家」「大臣家」「羽林家」「名家」「半家」など皆「家」が付くので、それに引きずられる形で「家」が付くと誤解されてきただけで、単に「清華」と呼ばれていたのが正しいのではないか。
ちなみに「名家」も「めいけ」でなく「めいか」が正しいのではないか。

49 :
>>48
明治の叙爵では、武家は石高しか基準にならなかったんだもん、
公家の分家や支流でございと言うしかないじゃん。
摂家と清華とを、摂関に就けるか否かという最重要ポイントで区別しているのに、
清華と将軍家とでは、征夷大将軍や武家の棟梁としての地位を取り上げないのはナンセンスだろ。
将軍家を公家の家格に無理矢理当てはめても、該当するポジションが無いんだから、
将軍家は将軍家という特別かつ隔絶した家格とするのが妥当。
明治の叙爵でも、旧将軍家の徳川家達や前将軍の徳川慶喜は、清華として侯爵というわけではなかったし、
喜連川家は室町将軍家の後裔と見なせるのかどうか知らないけど、子爵にすぎなかった。
実際の典礼や儀式・書式で将軍家を清華に準えて扱ったという例でもあるの?
将軍家と清華の比較の話ばっかになってるけど、
そういう比較が意味あるなら、他の武家でも>>5みたいになるのかね。
どうも無理矢理な感じしかしないんだが。

50 :
摂関家も清華家も極官になれるかなれないかは未定、将軍家は征夷大将軍になるやつの官位ルート。
この辺もほかの家格と異なる。

51 :
武家の官位は朝廷への儀礼的なバランスに過ぎない。
春日局が参内しようとした時に無官である事が問題になったように、その為の官位に過ぎない。
事実として天皇と朝廷組織を構成する公家の官位制度を幕府が認めている限り、
その儀礼関係のひとつの要素として官位の存在を欠かす事は出来ない。
将軍位がすでに摂関と同等又はそれ以上(領知宛行状の関係を見ても完全に主従)と認識されて
いるのであれば、二位内府から一位相国に進める将軍の官位はバランスとしても最高位だ。
それと員数の問題もあったのだろうが、武家官位を公家官位の外としたのも、
公家の家格に囚われず、超越した将軍家の立場を示そうとした家康の考えだと思う。

52 :
単純に定員があるからじゃ?

53 :
>>49
華族取立願いの話は爵位というものが設定される以前の話だよ。
それに後にできた叙爵内規も公表されたものではないからその反論は成り立たない。
また喜連川は室町殿の裔ではない。
わざわざ室町期の話まで持ち出したのは、「近世に完成された」「将軍」を頂点とする秩序を「それ以前の時代」に投射して、あたかもアプリオリに最初からそうであったかのように考える倒錯的な思考に釘を刺しておきたかったから。
そもそも頼朝由来の象徴的な価値があるとはいえあくまでも卑官に過ぎない征夷大将軍を摂関や大臣に比すべき官職と思い込んでいるのはいただけない。
例えば将軍職は室町殿(足利家督)その人でなく家督継承予定者が就くこと(義持・義量・義尚など)や、五位で就くこと(古くは実朝の例)さえも珍しくなかった。
簡単に言えば将軍だから偉いのではなく、偉い人が将軍職に就いただけ。
ちなみに「将軍家」という語は家格の名称としてでなく、将軍職にあるその人を指称する表現として使われる方が圧倒的に多い。
例えば「室町殿」とその子である「将軍家」という風に。
「将軍職を世襲するから将軍家だろ」と言われれば敢えて否定する気はないが、江戸幕府のプロパガンダを鵜呑みにして将軍職そのものを有り難がる思潮は近世武家権力を真に解明するのに邪魔だから前世紀で終わりにしてもらいたかったね。
それと「武家の棟梁」のような曖昧な概念を無批判無媒介に使用しないでくれ。

54 :
続き
一方で官位を基準とする旧来の家格制度があり、他方でそれを事実上の権力で凌駕した武家がある。
前者が後者を評価するときにその事実上の権力に比して不相応に低い地位を与えるというエラーを起こしたって不思議はない。
「あくまでも官位を基準とすると」室町殿や江戸の公方は清華と考える他ない。
ところでここまで「事実上の権力」という表現を用いて来たのは、室町殿や江戸の公方が朝廷から如何なる権能をも「事実上」与えられていないことを強調するためだ。
「名目上」は征夷大将軍源氏長者内大臣右大将等を与えられている(そしてその限りでは「清華」と評価せざるを得ないかも知れない)ものの、それだから何だと言うのか?
それらがその権力に相応しいものではないのは明白であり(就中将軍職は不当と言えるほどに低いと言える)、その「名目上」と「事実上」の乖離を笑い話にすればいいだけの話。
中世から近世にかけての権力の歴史は、朝廷の秩序からすれば卑賎そのものでしかなかった武士が逆に朝廷を規定しうる存在となっていった歴史と見ることができる。
しかし近世武家権力の比較を絶したあり方をいくら目の当たりにしようとも、尚官位からすれば「清華」と見ることができてしまうということがいわば問題なんだよ。
宮中の座次からすれば確実に摂関よりは下座になりかねない(実際幕末に家茂が上洛した折りには「内大臣」の座次に甘んじたという)のだから、いっそのこと内大臣その他の官位などは謝絶すれば良かった。
それなのにそれをしなかった。
将軍はもっともっとすごく偉いんだ!と言っていれば済むレベルの話ではないんだよ。
議論についてもっと立体的に考察できないものかね。

55 :
豊家は事実上本家が断絶した摂家ということか。

56 :
>>54
>家茂が上洛した折りには「内大臣」の座次に甘んじた
既に権威が失墜して、内親王の降嫁を仰がなければならなくなった
家茂の時代だからこそ甘んじたんだろ。

57 :
叙爵内規が公表されたものでないということが、なんの論拠になると
考えているのか理解できないが、
公爵:一条、岩倉、九条、近衛、三条、島津2家、鷹司、徳川(宗家)、二条、毛利
侯爵:大炊御門、花山院、菊亭、久我、西園寺、醍醐、徳大寺、中山、広幡
   徳川(旧三家)、浅野、前田等々
という顔ぶれを見れば、少なくとも当時の人間には「家柄での公爵が摂家と
徳川宗家、侯爵が清華と大大名」だということは明白だった。嵯峨実愛が日記に
記しているとおりにね。後、
>足利家督その人でなく家督継承予定者が就くこと
は明白な誤解ですよ。家督を譲り隠居、出家したまま権力をふるうのは、天皇家の
「治天」や摂家の「大殿」等々、当時の通例。古くは藤原道長生前の摂政・関白頼通
という例もあるが、まさか摂関も「家督継承予定者が就くことさえも珍しくなかった。」
とは言わんでしょうな。
それと、
> ちなみに「将軍家」という語は家格の名称としてでなく、将軍職にあるその人を指称する表現として使われる方が圧倒的に多い。
と拘っておきながら、すぐ続けて「室町殿」を「新しい歴史用語としての用法」で使うのは
いかがなものでしょうな。まあ、そんな意識はないんでしょうが。

58 :
> しかし近世武家権力の比較を絶したあり方をいくら目の当たりに
> しようとも、尚官位からすれば「清華」と見ることができてしまう
> ということがいわば問題なんだよ。
なぜ「清華」と見ることができてしまうんだ?「摂関にならない」から?
であれば、それはあなたが勝手に「征夷大将軍は卑官」という
当時の感覚から乖離した前提を立てているだけで、全く無意味ですね。
で、
> わざわざ室町期の話まで持ち出したのは
あたかも自分が最初に持ち出してきたかのような書き方をする意図は?

59 :
「征夷大将軍という地位は日本の国家主権を示すものではなかった」
しかし、なぜ一軍司令官たる征夷大将軍が事実上国家主権を掌握し得たのか?
この疑問を「日本国王」だった征夷大将軍は将軍位であったためではなく、
源氏長者であったという事実に着目し、これを謎解きにように解明していくのが、
岡野友彦著「源氏と日本国王(2003年・講談社現代新書)で興味深く、目から鱗だ。
後世の仮作との説もある史料としながらも「公武法制応勅十八箇条」の一文を挙げている。
「淳和奨学別当職(源氏長者)、関東将軍へ任じられ候上は、三親王・摂家を始め、
公家並びに諸侯と雖ども、悉く支配いたし候、」と。
まぁ、詳しくは読んでみてくれ。将軍の家格がどうこうなんて、
いかに下らない問題かよく分かるよ。

60 :
>>59
> 岡野友彦著「源氏と日本国王(2003年・講談社現代新書)で興味深く、目から鱗だ。
ネタ?釣り?誰からもまともに相手にされていない本を持ち出されてもね。
> 後世の仮作との説もある史料としながらも「公武法制応勅十八箇条」の一文を挙げている。
家康に仮託しつつ「尾紀両家」がどうしたこうしたと書いてある、
出来の悪い偽文書を持ち出してくるような駄本なぞどうでもいいよ。

61 :
いつどこの誰が偽造したかすらわからないような偽文書、幕府関係者が
存在を知っていたかどうかすらわからんような代物を
「近世において江戸幕府が朝廷に対していかなる認識を有していたかを
窺い知ることのできる資料としては有効であろう」
などと持ち上げて論拠にされてもね。
「幕府の認識をわずかにでも反映した偽文書である」という論拠がなけ
れば、全く無意味でしょう。

62 :
>>59
義満より前の将軍や得宗はどう考えるんだろうね。
足利将軍の中でも将軍でありながら源氏長者でないという経歴が
ある人物は珍しくないが、彼らには権威が無かったとでも思って
いるのかな。
「正当性の根拠云々」という話だろうが、そもそも源氏長者の権威
自体が足利義満の権勢によるもの。義満より前の源氏長者が
「事実上国家主権を掌握」なんて言い出したら、鼻で笑われる
だろうに。

63 :
結局ネタ元は、豊臣政権時の武家清華説と、岡野のとんでも説かよw
>>49だけど反論したいことは他の人が言ってくれた一つだけ。
>議論についてもっと立体的に考察できないものかね。
官位だけを必要以上に抽出し、その解釈も穏当とも思えない、
お ま え が 言 う なw
それと
清 華 必 死 だ な w
是非、あなたの考える、官位だけから見た、将軍家以下の、諸侯や旗本などの武家の家格についても、御教授ねがいたいものです。
>>5のままでいいのなら、是非解説をおねがいします。

64 :
私も「源氏と日本国王」は読みました。
岡野氏がどの様な評価を受けている研究者かは知りませんが、
私は「源氏と日本国王」は大変興味深く読みましたし、面白かったです。
大兄諸氏の様に、岡野氏を罵倒するだけの学識を持ち合わせておりませんが、
「源氏の長者」説もあながち妄説だとは思えません。
将軍職のみを譲られた足利義持と徳川秀忠が、源氏の長者を握って君臨した
義満と家康の下で、果して国家主権者と言えるのか?と言う部分も納得できました。
>>61>>62の方は「源氏と日本国王」を読まれたのでしょうか?
また博学の皆様から罵倒されそうですが、私は学説など一朝一夕で定まるものでは
無いと思っています。

65 :
罵倒されて上等だよ 俺も含めてだが、ここに書きこみしてるようなやつは
知ったかぶりのど素人ばかりだよ そんなやつほどエキセントリックによく吼える
弱い犬ほどよく吼えるというやつだね >>61>>63も偉そうにいうなら、
岡野説とやらを詳しく考証して論破してみろよ バカが!

66 :
PS
>>60お前もだよ

67 :
将軍は形式上天皇から統治の大権を委任(実際は武力で取った)された覇者だ。
対外的に元首として振る舞い、国内的は朝廷と諸侯を膝下に屈せさせたが、
それもパワーバランスが逆転して没落すると大政を奉還し、官位を返上する。
ただの無官の武士に落ちぶれるのだ。将軍だ、従一位だ、太政大臣だといってもその程度。
無官になれば平堂上はおろか、七位や八位の官位を持つ地下官人にも劣る。
将軍の官位などあくまでも虚位(公家も同じだが)に過ぎず、論ずるに足りない。

68 :
摂関家なんて、平安時代末期に落ちぶれて明治に至るぞ…

69 :
>>68
別に落ちぶれてないだろ。
明治に至るまで、豊臣の二代を除けば常に摂関を独占してただろ。

70 :
悲しいことになってたのは室町時代から戦国期にかけてだな。
その他の時期は実権はなくても栄誉はあった。

71 :
>>57
爵位どころか叙爵内規すら存在しない時期の願書にそれらを意識した理由を書くわけがないんだから、>>49の反論は的外れだと言ってるんだよ。
この程度のことも説明されないと理解できないのか。
それと嵯峨実愛は叙爵内規の存在も知らずに「何でうちが伯爵なんだ!」と内規の規定からすれば見当違いな文句を垂れていただけだよ(旧来の家格を考慮しろという主張としては正当と言えるが)。
そもそも叙爵内規は近世期の家格を十分に反映しておらず、それゆえ嵯峨実愛はじめ当事者たちの不満が続々と噴出する結果となったわけで、そうした不誠実で大雑把でその場しのぎな基準を持ってきて近世期の家格を云々するというのは不見識の謗りを免れない。
それと、在位、当職にある者イコール家督という素朴な思い込みは止めた方がいい(そもそもこの場合「家督」という語を「家督と隠居」のような近世的な意味で使用しているわけではない)。
例えば将軍義量の死に際して後継者が全く問題とされていないのに対して、室町殿義持不予の折りには(その間何年も将軍職は不在であったのにも拘わらず)急にそれが問題となっている。
また中世の王家・院宮家の伝領過程をまともに考えれば、その「家督」が天皇にではなく治天にあったと考える方が自然。
中世は隠居したじいさんが権力を持った時代ではなく、公の地位とその家督が分離した時代と言った方が正確。
そもそも「新しい歴史用語としての用法」などと、「室町殿」という地位・概念への理解が薄弱であることを自白しながら論じようというのは無謀。
また誤解がないように言っておくと、後継者が幼稚か不在のときには室町殿が将軍職にあることも勿論あるよ。
まあこう説明されてもピンと来ないんだろうけどね。

72 :
>>58
征夷大将軍は間違いなく卑官だよ。それ自体は大したことのない職。
例えば頼朝は従二位だの大納言だのの官位を帯するがゆえに頼朝卿と呼ばれる身分となりうるが、征夷大将軍従五位下源実朝朝臣ではそこらの諸大夫と変わらない。
頼朝の例に倣うという象徴的意味以外には何らの実質的価値はない。
繰り返しになるが、例えば家康は将軍であるがゆえに偉いのではなく、実力ある者が将軍職の象徴的機能を選びとったにすぎない。
江戸のイデオローグが将軍に関する倒錯的なプロパガンダを行ったところで、現代に生きる我々がそれにまともに付き合う必要はない(というかアイデオロジカルな言説に対する批判的姿勢くらい高等教育を受けている段階で身につけておいて欲しいな)。
将軍職を帯びるゆえに隔絶した格式を得るとでも言いたいのならば、将軍職に補する朝廷の権力を不当に高く見積もることになりかねないが、その辺りの矛盾をどう考えるのか(何も考えていないのだろうが)。
不思議なのは将軍職を称揚する一方で、公方が実際に内大臣等の官位を帯び太政大臣を先途とするという事実を直視していない点だ。
同じ官位体系に属する両者のうち、単に当職というだけでは公卿に昇るどころか昇殿すらも覚束ない卑職を必要以上に重視し、片や現任の公卿を過度に軽視するというのは矛盾を通り越して間抜けと言うべきだろう。
結局「将軍は偉いんだ!」とナイーブに主張しているだけなのに、前時代的な大政委任論の認識枠組から抜け出せていないという自己矛盾に気付かない時点でおよそ話にならない。
そもそも当方は、公方の権力を否定しているわけではなく、「公方は事実上の日本国王であるが、官位だけを見れば清華に比せられうる」と述べているだけなんだが、何をそこまで否定しようと頑張るのか。
論理的思考力の欠如ゆえに以上のごとき簡明な論理構成をまともに理解できず、物事を多面的に見れない単細胞に付き合うのもとりあえずここまで。
>>63
わざわざ申し述べるも馬鹿らしいことだが、このスレでの当方のレスは>>48>>53>>54だけであり、その他のレスについては責任を負えない。
あと「ご教授願う」じゃなくて「ご教示願う」な。

ちなみに岡野氏の著書は当方も読んだが、評価は問題提起○、推論△、結論×といったところだ。

73 :
↑ぐだぐだと読み辛いが、あんたも源氏と日本国王をカンニングしてるじゃん。ふふふ。

74 :
反論できず、と

75 :
単に「将軍は卑官だから将軍家は清華だ」という無根拠な
思い込みを書き連ねているだけだな。
> それと嵯峨実愛は叙爵内規の存在も知らずに「何でうちが伯爵なんだ!」と内規の規定からすれば見当違いな文句を垂れていただけだよ
これなんか、無知の証明としか言いようがない。嵯峨日記の引用は
「華族誕生」にもあるが、非常に性格であるだけでなく「旧大藩現収
十五万石以上云々」というように、叙爵内規の内容を熟知していな
ければ書けない表現が頻出している。
この程度のことは当然知っていると思っていたんだがね。

76 :
後、相変わらず「現代の歴史学用語と当時の用語の混同」を
続けているようだが、「家督」「室町殿」等々、どちらの意味で
使っているのかはっきりさせてくれ。
「室町殿」もあんたが>>71で言い出した「家督」も、両方の
用法をごちゃまぜにして書いているから読みにくくて仕方ない。
> そもそも「新しい歴史用語としての用法」などと、「室町殿」という地位・概念への理解が薄弱
「将軍家の『家督』を指す用語としての『室町殿』」は、現代の
歴史用語以外の何物でもなかろう?同時代にそういう総称と
して使われていたわけでも、そういう概念があったわけでも
ないんだから。それと、
> 中世は隠居したじいさんが権力を持った時代ではなく、公の地位とその家督が分離した時代と言った方が正確。
普通は藤原道長の「大殿時代」や院政期あたりも含めるし、
江戸時代にも当たり前のようにつづけられていると考えられているがね。

77 :
>>72
長々と書き連ねているが、要するに
> 「公方は事実上の日本国王であるが、官位だけを見れば清華に比せられうる」
「摂関は尊く征夷大将軍は卑官」という無根拠な思い込みを繰り返しているだけ
だね。「官位だけを見」れば、摂家も清華も将軍家も「従一位太政大臣」が極位
極官であることに差はないんだから。
摂政、関白も本来は本官・本位の身分でしかない。「摂関」自体が高い地位になっ
たのは、強引な手段も含め他の公卿を従え続けたという伝統の積み重ねによるも
の。最初から至高の身分だったわけでは無い。
「将軍」もしかりで、摂関を伺候させ、右大臣の将軍が関白や左右大臣の上座に
座すというように、「本官、本位の序列を超越した身分であることを示し続ける」
ことで権威を獲得していった。
類似の道筋であるのに、「摂関は偉いが〜」と連呼されても、「『あなたは』そう考
えているんですね」としか言いようがないね。根拠が皆無なんだから。

78 :
官位を超越しているという意味では、将軍摂関は、上皇と変わらんね。
平安から江戸まで、そういう歴史だったわな。

79 :
>>75-77
本格的な低能だなこいつ

80 :
公卿補任では摂関・大臣・大納言・中納言・参議+散位というくくりはあるが
書式として将軍はナントカの別当のようなものと一緒の兼帯の扱いで摂関とは扱いがまったく違う
それに摂関は宮中座次に関わるけど将軍は関わらない
将軍「だから」偉いとは言えないし
将軍「だから」摂関以下の公卿の上に立ったわけじゃないだろ
公家の家格は昇進ルートや、極官がこうした座次のどこまで到達するかで決まるのだから
この中で将軍を持ち出したり「摂家も極官は太政大臣」と言い張ったところでナニイッテンダコイツとしかならない
結局室町とか江戸の「将軍」の権威・権力は将軍職を含めた官位から引き出されるものではないと言ってるだけだろ
自分こそ「将軍だから偉い」と言いたいだけじゃん
どちらが無根拠な思い込みを書き連ねてるんだか

81 :
>>79
俺もそう思う。
摂関の場合、大臣でなくても大臣よりも上なのだが、将軍の場合、5位なら少しやばいだろ?
だから最初から内大臣なり二位なりの高官を得ているわけでw

82 :
五位の将軍だったら五位の座次につくしかないからな
要するに将軍職単体での地位の低さを担保するために内大臣その他の官位を持ってくるわけだけど
言ってみれば内大臣でも低すぎる
徳川が清華かなんて俺の興味の外だけどそう見なせると言われても仕方ない部分がある
事実上の主権者なのにわざわざなんでそんな地位に?いっそ簒奪しちゃえばよかったんじゃないの?ってのが問題意識に上ってくる
誰だかが天皇が何故続いたかが日本史最大のテーゼみたいに言ってたけどそこにもつながってくる
家格の話っぽくなくなってきたのでとりあえずこの辺で

83 :
>>82
豊臣の時代から徳川は武家清華家だったじゃん。

84 :
すると前田も毛利も上杉もずっと清華なの?

ていうか読み返したら>>63は武家清華「説」なんて言ってるな
岡野説と並べられるレベルの単なる「説」だと思い込んでるのかな
馬鹿丸出し

85 :
清華家の家格を持つ北畠氏のまま、
家格の低い織田氏に戻らなかった信雄の空気の読め無さが、
強制出家と秋田への流罪を呼んだ。
関ヶ原の戦いの西軍首謀者だった輝元への懲罰でも強制出家が強要されていて、
結局のところ家臣らを通して必死な命乞い嘆願が行なわれて、
責任を取っての名誉を守る自刃を回避する武士の風上にもおけぬヘタレに対する恥辱的な死一等免除の慈悲であり、
武人としての生命を絶たれたと言っても良い死ぬのが怖い愚主を内外に知らしめる処置なのである。
清華家の家格を上回るために秀吉は藤原氏の養子にならないといけなかったくらいだからね。
実際、北畠氏の家格は征夷大将軍と並ぶ鎮守府大将軍として地方政権を樹立できる資格も余裕で持ってるからね。
そりゃあ北畠の名前にすがってれば高貴な殿上人として、
どんな大罪であろうと死一等免除の遠罪レベルにしてもらえるんだから信雄だって織田なんてクソに戻りたくはないだろうよ。
信雄家康が秀吉に負けたから鎮守府大将軍として政権を立てられ無かったが、
秀吉に勝ってたら朝廷から任じられ政権樹立できただろうね。
平清盛や源頼朝も清華家の家格を手に入れてるしな。
清盛の娘の徳子が天皇の妻になれたのもこれが理由だからね。
摂関家に次ぐ家格だから、これを上回る為には摂関家の養子になるしかない。
のちの羽柴関白家・武家清華家への発展はこの時に端を発している。

86 :
何かかなりズレた(イタい?)人が来ちゃったな
北畠は南朝バブルで大臣に任じられたりしてるが、親房がやっと(特別に?)准大臣になったように元来羽林家相当(「羽林家」は近世の呼称なので「相当」と言っとく)の家だよ
ちなみに鎮守大将軍(「鎮守府大将軍」は間違い)になったのは顕家の家系だから伊勢の北畠はちょっと関係ない

87 :
触れちゃダメ

88 :
>>84
江戸時代も大臣昇進資格があった徳川が豊臣時代から武家清華だからといって極官が4位や3位参議の前田etcとかも近世まで清華だったの?と歴史板で平然と聞くその思考回路がわからん。

89 :
豊臣政権下では武家を任官を押し進め、公家の官位が足りなくなった。
事実上、公武一体政権だった。
前例にとらわれないから極官もないし、秀吉の気分次第。
家格もへったくりもなくなった。
北畠は官位は低いが、准三后。
前例を大事にする公家としては、准三后家かね

90 :
>>88
混ぜっかえされてることにくらい気付けよ

91 :
北畠がどうとか言ってる馬鹿は論外だからもう来なくていいよ
ていうかへったくりってw

92 :
もともと「家格」の話をしているんだと思っていたんだが。
将軍を世襲する足利将軍家や徳川将軍家の「家格」が
清華ははるかにしのぎ、摂家とも同等以上だったという
話だぞ。「将軍職そのものがどうこう」という話自体が全く
の見当違いだ。
>>81
室町時代には四位、五位の将軍もいたが、彼らが公卿の
下、諸大夫に交じって
> 五位の座次
に着いた事例などないぞ。そういう事例があるというなら
言えなくもないがな。
>>82
> 摂関の場合、大臣でなくても大臣よりも上
内大臣以上の経験者でなければ摂関には就けないだろ?
> だから最初から内大臣なり二位なりの高官を得ているわけでw
だから、中・大納言の時にはとりあえず内覧とし、急きょ大臣に
上げるという例が出てくるわけだし。

93 :
>>80
> 公家の家格は昇進ルートや、極官がこうした座次のどこまで到達するかで決まるのだから
> この中で将軍を持ち出したり「摂家も極官は太政大臣」と言い張ったところでナニイッテンダコイツとしかならない
足利将軍家、徳川将軍家では、幕末期の挑発を除けば座次は本官、公家の同官
よりも上に就く例だし、昇進ルートに関して言えば、前にも書いたとおり徳川将軍
家の世子は参議どころか中納言も超越していきなり大納言に就くのが通例。
清華はおろか摂家でも家格として中納言を飛び越えるという昇進は無い。

94 :
はいはいそうだね^^

95 :
>>81、82
摂関の座次だが、自動的に一座になるわけではない。
そもそも内大臣以上の経験者でなければ就けないし、
上首の大臣の位階が摂関より上であった場合には、
少なくとも同じ位に上がるまでは一座としないというのが
本来の原則。(葉黄記等)。

96 :
>>93
近衛基通は治承3年11月17日従二位非参議右中将から、いきなり正二位内大臣関白となっている。
将軍世子の官である大納言さえも越官しているぞ。
そして、その時左大臣は従一位の藤原経宗だったが、正二位内大臣の基通が上とされた。

97 :
>>96
関白になるためには内大臣なる必要があるからね。で、基通の継母は
平清盛の娘であり清盛が全盛時に外孫を強引に引き上げただけの話。
そもそもが平清盛による院政停止と反平氏派追放という政変の産物で
あって、中納言を経ない昇進が家格となったわけではない。
もっとも、摂関の場合には実際に公家社会を主導するだけの経験が必
要だから、昇進が早ければいいというものではないということもあろうけ
ど。実際、近衛基通は能力不足をたたかれているし。

98 :
将軍家以外の武家は、家格はどうかねと。
朝廷と直接かかわって家格といえるほど、持続した家はなさそうだけど。

99 :
結局のところ将軍清華厨は他の武家のことは知らないかどうでもいいんだろ
とりあえず将軍を清華と見立てることが至上課題らしい

100 :
往生際の悪い低能だな


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