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(みやま市)邪馬台国九州説(筑紫筑後糸島)
- 1 :2018/06/22 〜 最終レス :2018/09/16
- 資料の宝庫、九州
邪馬台国、卑弥呼、倭人について語りましょう
- 2 :
- みやま市瀬高町こうやの宮の色彩像
これ見たら衝撃受けてしまいました
何か似たような像って日本にあるのでしょうか?
- 3 :
- >>2
あなたが思う魏の遣いの経路を現在に置き換えて教えて
- 4 :
- 帯方郡がなあ
- 5 :
- 始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離
所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑
有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴
「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。
その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。
居する所は絶島、方四百余里ばかり。
土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。
千余戸有り。良田無く、海物を食し自活す。
船に乗り、南北に市糴す。」
始めて一海を渡り、千余里で対海国に至る。
その大官はヒコウといい、副官はヒドボリという。
居する所は絶海の孤島で、およそ四百余里四方。
土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。
千余戸の家がある。
良田はなく海産物を食べて自活している。
船に乗って南や北(九州や韓国)へ行き、商いして米を買い入れている。
- 6 :
- 又南渡一海 千餘里 名日瀚海
至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離
方可三百里 多竹木叢林 有三千許家
差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴
「又、南、一海を渡る。千余里。名は瀚海と曰う。
一大国に至る。官は亦た卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。
方三百里ばかり。竹木叢林多し。
三千ばかりの家有り。やや田地有り。
田を耕すも、なお食するに足らず。亦、南北に市糴す。」
また(さらに)、南に一海を渡る。千余里。
名はカン海という。一大国に至る。
官は、また(対海国と同じく)、ヒコウといい、副はヒドボリという。
およそ三百里四。竹、木、草むら、林が多い。
三千ばかりの家がある。いくらかの田地がある。
田を耕しても、やはり、住民を養うには足りないので、
また(対海国と同じく)、南北に行き、商いして米を買い入れている。
- 7 :
- 又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸
濱山海居 草木茂盛行不見前人
好捕魚鰒 水無深淺皆沉没取之
「又、一海を渡る。千余里。
末盧国に至る。四千余戸有り。
山海に浜して居す。草木茂盛し、行くに前人を見ず。
魚鰒を捕るを好み、水、深浅無く、皆、沈没してこれを取る。」
また、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。
四千余戸があり、山と海すれすれに沿って住んでいる
草木が盛んに茂り、行く時、
前の人が(草木に隠されて)見えない。
魚やアワビを捕ることが好きで、水の深浅にかかわらず、
みな、水に潜ってこれを取っている。
- 8 :
- 東南陸行 五百里 到伊都國
官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國
郡使往來常所駐
「東南陸行。五百里。伊都国に到る。
官は爾支といい、副は泄謨觚、柄渠觚という。
千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。
郡使往来し常に駐する所。」
(末盧国から)東南に陸上を五百里行くと伊都国に到着する。
官はジシといい、副はエイボコ、ヘイキョコという。千余戸が有る。
代々、王が有り、みな女王国に従属している。
(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
- 9 :
- 東南至奴国 百里
官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸
「東南、奴国に至る。百里。
官は兕馬觚と曰い、副は卑奴母離と曰う。
二万余戸有り。」
(伊都国から)東南、奴国に至る。百里。
官はシバコといい、副はヒドボリという。
二万余戸が有る。
- 10 :
- 東行至不彌國
百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家
「東行、不弥国に至る。
百里。官は多摸と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有り。」
(奴国から)東に行き不弥国に至る。
百里。官はタボといい、副官はヒドボリという。千余りの家がある。
- 11 :
- 南至投馬國
水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利
可五萬餘戸
「南、投馬国に至る。
水行二十日。官は弥弥と曰い、副は弥弥那利と曰う。
五万余戸ばかり。」
(不弥国から)南、投馬国に至る。
水行二十日。官はビビといい、副はビビダリという。
およそ五万余戸。
- 12 :
- BとMは言語学的に交換が可能な音であり、記紀の表記に従うなら、耳と耳垂とするべき。
典型的な九州の支配層の呼称となる。
- 13 :
- 南至邪馬壹國
女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬
次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸
「南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。
水行十日、陸行一月。官は伊支馬有り。
次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。
次は奴佳鞮と曰う。七万余戸ばかり。」
(投馬国から)南、邪馬壱(ヤバヰ)国に至る。
女王の都である。
水行十日、陸行ひと月。官にイシバがある。
次はビバショウといい、次はビバクワシといい、
次はドカテイという。およそ七万余戸。
- 14 :
- バイク屋か‥
- 15 :
- ヤメイは女王の都するところ
官はイキマ、次はミマス、ミマクシ、ナカティ
- 16 :
- @阿波は四国説スレだと閑古鳥だから
九州説を騙って人を集めようとするなどプライドも何もない奴だな
- 17 :
- ドゥカッティ、ドカテイのことか
佳テイとは何だろ。
鱗のない魚、蛙の皮膚みたいな魚だとおもうんだが..
鱧とか鰻とか鯰とか
そんなこと言う学者はいないけど
@東京
- 18 :
- ドゥカッティ、ドカテイのことか
佳テイとは何だろ。
鱗のない魚、蛙の皮膚みたいな魚だとおもうんだが..
鱧とか鰻とか鯰とか
そんなこと言う学者はいないけど
@東京
- 19 :
- 鯰は肥国王家のトーテムですよ。
特に肥前河上の淀姫(壹與)が有名です。
まあ、魏志倭人伝ではただの当て字だと思いますが。
ちなみに鰐は豊国王家のトーテム。
筑紫天孫族は鷹、出雲王家は鷲、登美王家は鴨、大和王家は鴉。
- 20 :
- 「初めて直立歩行したのは阿波人」とか
「初めて火を使ったのは阿波人」とか
「初めて言葉を使ったのは阿波人」とか
「アダムもイブも阿波人だった」とか
「神武も卑弥呼も阿波人だった」とか
いつも阿波ウリナラ説で自爆するのが哀れだったな。
- 21 :
- >>16
>九州説を騙って人を集めようとするなどプライドも何もない奴だな
そんな泣き言言う前に、さっさと叩き潰せばいいんですよ。 倭国(阿波)説ごとき。 @阿波
- 22 :
- 阿波説なんて始めから潰れてる。
- 23 :
- >>16何度も言うようで、これっきりにしますけど
このスレは私が立てました
阿波さんは関係ありません
@東京
- 24 :
- >>22
>阿波説なんて始めから潰れてる。
そんなつまらんことしか言えないようじゃ、100年経っても潰せないよ。 倭国(阿波)説ごとき。 @阿波
- 25 :
- 何も言わなくとも、阿波ウリナラ説自体が妄想
- 26 :
- 狗奴国って、どこですか
山口か徳島?
- 27 :
- >>26
>狗奴国って、どこですか
山口か徳島?
狗奴国は倭国(阿波)の長国(那賀川流域)です。
因みに、邪馬台国は倭国(阿波)の粟国(吉野川流域)ですね。 @阿波
- 28 :
- 火星や金星より可能性のない阿波だけは対象外
- 29 :
- >>28
いつもの、そんなつまらんことしか言えないようじゃ、100年経っても潰せないよ。 倭国(阿波)説ごとき。 @阿波
- 30 :
- 一億年経っても、阿波説はお笑い妄想
- 31 :
- 邪馬台国と狗奴国は仲が悪かったらしい
狗奴国が邪馬台国連合と戦えたのは、
何処かの国の後ろ楯があったからだろうと思う
玉壁のでた宮崎の古墳辺りとか怪しく思う
- 32 :
- >>31
>何処かの国の後ろ楯があったからだろうと思う
そんなもの必要、全然ないよ。 だって、宝の山「辰砂鉱山」をもってるもの。 @阿波
- 33 :
- >>26
鹿児島、宮崎でしょうね。
- 34 :
- 九州説を騙らないと相手してもらえない@阿波
- 35 :
- >>33
>鹿児島、宮崎でしょうね。
宝の山「辰砂鉱山」のようなものがないと、狗奴国みたいな一大勢力にはなれないよ。 @阿波
- 36 :
- >>35
言ってることが意味不明だなw
- 37 :
- しょうがないさ。
@阿波本人も意味がわかってないしw
- 38 :
- >>36
北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力・旧吉野川流域南岸勢力・鮎喰川下流域勢力)
南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力・海部川勢力)
こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。 @阿波
- 39 :
- ※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
- 40 :
- ※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡
- 41 :
- >>36
>言ってることが意味不明だなw
言っていることが理解できたかな? トンデモ頭には無理かな? @阿波
- 42 :
- >>41
関係ない話を長々と書き込んでるだけだな
バカじゃないw
- 43 :
- 阿波だのアンドロメダだのは、邪馬台国とは無関係。
- 44 :
- >>42
>関係ない話を長々と書き込んでるだけだな
いつもの、そんなつまらんことしか言えないようじゃ、100年経っても潰せないよ。 倭国(阿波)説ごときさえも。
はやく、「真っ当な反論」で、叩き潰してほしいものだ。 無理を承知で言ってみたw @阿波
- 45 :
- 阿波説は畿内説の亜流に過ぎない
畿内説が死んでしまったんだから阿波説も死んでることに気づけよ。
- 46 :
- 鯨さんが死んじゃってるのに気づいてないコバンザメってことか
- 47 :
- だから@阿波は九州説を騙って宿主を乗り換えようとしてるんだろw
- 48 :
- >>46
>鯨さんが死んじゃってるのに気づいてないコバンザメってことか
クジラも黒潮の太平洋。
ここでも、北部九州や奈良は脱落。 なんてね。 @阿波
- 49 :
- 阿波説、水泡に帰す
- 50 :
- 邪馬台国南極説は、まだ南極を発掘していないから可能性はあるが、
阿波説は100%ありえないので、だれも相手にしないし、取り上げる必要性もない。
- 51 :
- >>50
>だれも相手にしないし、取り上げる必要性もない。
あなたが一番相手してくれてるんだけど? 違う? 阿波が気になって仕方ないんだろうけど。 @阿波
- 52 :
- 「豊国文字」
高千穂の岩戸の蓋石に書かれていた文字
ヤタ鏡を石で囲って隠したとある
岩戸は間違いなく高千穂だ
@東京
- 53 :
- >>51
荒唐無稽な阿波説を、皆んなとともに断固拒否して相手にしてないんだけど・・・
- 54 :
- ただまあ、阿波はザラコクさんたちと比べれば、話はできる
話は通じないけどw
- 55 :
- >>53
ほらね。 あなたが一番相手してくれてるんだけど? 違う? 阿波が気になって仕方ないんだろうけど。 @阿波
- 56 :
- >>48
鯨は北部九州も該当する。明治まで鯨は北部まで来ていた。今でも鯨を獲った石碑が残っている。
- 57 :
- >>56
>今でも鯨を獲った石碑が残っている。
それだけ、稀有ってことでしょ。 やっぱり、クジラは黒潮の太平洋ですよ。 @阿波
- 58 :
- >>57
あっ、もちろん亀卜の「アオウミガメ」も黒潮の太平洋ね。 北部九州や奈良は論外 @阿波
- 59 :
- >>58アオウミカメは宮崎県も有名ですよ
青島や鵜ト神宮は素晴らしい景色でしたよ@東京
話変わりますが古い新聞より
東大寺の大仏の金メッキは、
アマルガムを加熱すると水銀だけが気化する
という性質を利用しました。
「東大寺大仏記」によれば、
水銀5万8620両(約50トン)、金1万446両(約9トン)
を用いたとあります。
膨大な量の水銀が蒸気になって奈良盆地を覆った
かもしれません。
日本化学会編「化学防災指針」によると
水銀蒸気の吸入は気管支炎や肺炎を引き起こし、
腎細尿管障害、むくみ、場合によって尿毒症も発生し、
全身のだるさ、手のふるえ、運動失調などをひき起こします。
環境科学が専門の白須賀公平氏は、
そのときの水銀蒸気で平城京の人々は水銀中毒になり、
平城京は遷都せざるを得なかったのではないか
と述べています
(日本経済新聞2004年5月7日〈文化欄〉
- 60 :
- >>55
荒唐無稽なオカルトを、排除してるだけなんですが。
- 61 :
- もし>>59の水銀の50トンが本当なら
熊本県の水俣病以上の信じられない数値だろ
水俣病は、プール1杯分の水銀を含む重金属で
汚れた水の廃棄だった記憶がある
水銀だけで50トンはヤバイ
- 62 :
- 九州スレで「阿波阿波」叫んでもなあ。
- 63 :
- >>60
>荒唐無稽なオカルトを、排除してるだけなんですが。
ほらね。 あなたが一番相手してくれてるんだけど? 違う? 阿波が気になって仕方ないんだろうけど。 @阿波
- 64 :
- 害虫は駆除が必要ですね
- 65 :
- >>64
>害虫は駆除が必要ですね
叫ぶだけではダメですよ。 早く駆除を実行しなきゃ。 駆除する実力ないけどw @阿波
- 66 :
- >>59
でも、辰砂・硫化水銀は水に不溶性で、生体物質とは相互作用しないんだが?
つまり、強熱して硫黄を飛ばさない限りは無毒だよ
- 67 :
- >>66硫化水銀は結晶体で赤い石みたいな鉱物
アマルガムは水銀そのもの
奈良の大仏の金メッキ渡金技術は、
水銀蒸気を飛ばしていたんだよ
たくさんの人が死んだはず
水銀50トンなんて、テロと同じだから
- 68 :
- >>66
だから「以朱丹塗其身體如中國用粉也」 @阿波
- 69 :
- 狗奴国は普通に熊本県でいいだろ。
宮崎県は投馬国。
- 70 :
- >>69
>狗奴国は普通に熊本県でいいだろ。
>宮崎県は投馬国。
その根拠となる遺跡群は? 示せる? @阿波
- 71 :
- 【狗奴国】
狗奴国王の名前は卑弥弓呼といい、卑弥呼と瓜二つである。
卑弥呼とはもとより不和であるとある。
倭国大乱は倭国の王位をめぐる争いのことである。
九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
このことから、狗奴国と邪馬台国は近縁関係であると推察される。
卑弥呼亡き後の争いは、狗奴国が筑紫に攻め上ったものであると考えられるが、壹與の共立によりこれが収まったということは、狗奴国も納得のいく人事であったということだ。
狗奴国熊襲は邪馬台国の南、熊本の勢力であるが、実質的には肥国の王家であり、肥前河上のヨド姫であれば熊襲の姫でもあるので狗奴国の納得のいく人事であった。
また、卑弥呼が筑後山門の出身であるならば、筑後も本来は肥国の一部に筑紫が膨張して張り出した部分であるので、卑弥呼とヨド姫も同属である。
壹與を邇邇芸の妃であり志賀島の海神の娘である豊玉姫に比定しないわけは、豊玉姫では狗奴国との争いを収める立場になれないからである。
後世には肥前のヨド姫は豊玉姫に習合されてしまうが、本来は別人である。
邇邇芸と神功皇后は天津神である筑紫王家、卑弥呼と卑弥弓呼と壹與は肥国王家、綿津見神と豊玉姫は豊国王家に属している。
いずれも連合国家である倭国を構成する中心的な王国である。
- 72 :
- >>71
>狗奴国は普通に熊本県でいいだろ。
>宮崎県は投馬国。
いや、だから、その根拠となる弥生集落遺跡群は? 示せないの? 妄想はもう腹いっぱい。 @阿波
- 73 :
- >>72
すぐ上に多数の遺跡が地図で載っているだろ。
- 74 :
- >>73
古墳の副葬品なんかどうでもいいからw
いや、だから、その根拠となる「弥生集落遺跡群」は? 示せないの? 妄想はもう腹いっぱい。 @阿波
- 75 :
- Google Earth見てて気付いたわ
福岡の山門ってとこが邪馬台国。確信した。
- 76 :
- >>75
でもそこ、弥生末期でも半分くらい海の底で、弥生時代には栄えてた様子が見られないんだよなぁ
- 77 :
- >>74
まぁ、実際「弥生集落遺跡群」なんて、倭国(阿波)にしか無いんだけどね。 @阿波
- 78 :
- 狗奴国が熊本だと、目と鼻の先で不安。
- 79 :
- >>78
狗奴国は辰砂鉱山や黒潮太平洋に面した「阿波の長国」ですよ。 不安は不要。 @阿波
- 80 :
- >>79
狗奴国と辰砂鉱山や黒潮の関係は???
- 81 :
- >>80
>狗奴国と辰砂鉱山や黒潮の関係は???
以下の関係です。 @阿波
北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力・旧吉野川流域南岸勢力・鮎喰川下流域勢力)
南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力・海部川勢力)
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡
- 82 :
- >>81
意味不明w
- 83 :
- >>82
「井の中の蛙大海を知らず」 @阿波
- 84 :
- 「井の中の蛙阿波説に溺る」
- 85 :
- 奈良の桃の種は、朱の取引所
徳島の洞窟の採掘場所は規模が小さい
あれでは地域レベルの話
あの程度の採掘なら、富山や奈良の方が規模が大きい
- 86 :
- 奈良の桃の種は朱と翡翠の取引所
越国の翡翠伝説の始まりから
東遷されてからの翡翠伝説の終焉までを知れば
文化や風俗が一変したのだろうと想像できる
丹より翡翠のほうが価値があった
- 87 :
- テレビなどを観ていると犯罪者ばかり出てくるけど、
どういう事なんだと思う?
- 88 :
- ワールドカップ日本vsポーランド
1対1で引き分け
当たれば邪馬台国は九州
- 89 :
- ワールドカップ北部九州邪馬台国vsポーランド
1対0で勝利
当たれば邪馬台国はオーバヘッドキック
- 90 :
- ワールドカップ北部九州邪馬台国vsポーランド
2対1で勝利
当たれば邪馬台国はドライブシュート
- 91 :
- ミナトが水門ならヤマトは山門
後付の大和ではなく語源そのままな地名の山門県が邪馬台国よ
- 92 :
- 卑弥呼の出身地だな。
女王に共立されてからは伊都に移住して、死後は平原遺跡に葬られた。
出身地の名前がそのまま王国の名になった?
- 93 :
- 妄想はたのしいな
- 94 :
- ワールドカップ日本vsポーランド
0対1で負け
・・・・・。
- 95 :
- >>94
サッカー日本代表「フェアプレーポイントの差」で、一次リーグ突破!
まあ、九州説の人にとっては、気分のよくないニュースなんだろうね
- 96 :
- 確かに気分良くないわ
小細工でリーグ突破、これで喜ぶのは姑息に感じる
でも九州説以外を推す人ってこれで満足なんだ…
そういう気質の人が信奉してる説ってことだね
- 97 :
- 畿内説同士でケンカか?
よかったな、一人ではないことが証明できて。
- 98 :
- >>95
ワールドカップは決勝トーナメントからが本番
日本代表は、やっとそこでの戦いを前提とした戦術を
考えられる位置まで来られたんだよ
これで、決勝トーナメント緒戦のイングランドまたはベルギーとの試合が
いい試合になれば、みんな手のひら返すんだから
昨日のミッションは一次リーグ突破が、第一優先順位
それが達成できればいいんだよ
- 99 :
- サッカーファンから見れば
「ヤター予選突破最高だあ」
サッカー興味ない嫌いな人
「恥さらし」「日本のイメージを台無しにした」
日本の代表としての意気込みプライドを持っているのか
これだけ世界中で話題になるから
外国人は日本にいいイメージ持っていたんだね
- 100 :
- そもそもサッカーのナショナルチームは、
ワールドカップの本戦に出てなんぼ
さらに、決勝トーナメントに進むことにこそ意義があり価値がある
ナショナルチームは国を背負って戦ってるんだから、無条件に応援でいいんだよ
某国のように、インチキいかさまをしない限り、だけどさ
- 101 :
- ベルギー戦、面白かっただろ?
45分間で5点入る試合ってのは、なかなか見られないぞ
敗戦は残念だったが、見ごたえのあるよい試合だった
ベルギーとのガチンコの勝負ができたのだから、決勝トーナメントに進んだかいが
あったというものだ。
予選リーグの最終戦は、決勝トーナメントに進むための戦術のぶつかり合いなんだから
それが面白くないとか言ってもしょうがない
- 102 :
- とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
LF8
- 103 :
- ワールドカップも終わったし
そろそろいこうか
- 104 :
- 何処に?
糸島に興味のある人なんて一握りなんだから、適当にやれば?
- 105 :
- 糸島に行くの?
楽しそうだな。
いつかは行って見たいが、遠すぎる。
- 106 :
- 田舎の阿波、都会妄想に取りつかれ @阿波
- 107 :
- 九大に進学すれば嫌でも行くことになるけどね。
- 108 :
- >>106
>田舎の阿波、都会妄想に取りつかれ
今は全国有数のど田舎だけど、卑弥呼の時代は最先端最高文化国だけどね。 @阿波
- 109 :
- >今は全国有数のど田舎だけど、卑弥呼の時代は最先端最高文化国だけどね。
卑弥呼東征、最前線の危険地帯だったのも知らず、踊らにゃスンスンで日が暮れて、いまもかわらぬド田舎、アワアワ
- 110 :
- 嘘ばかりついてすいません
これが私のホルホルなんで許して下さい @阿波
- 111 :
- >>109
>卑弥呼東征、最前線の危険地帯だったのも知らず、
なにそれ? またお得意の妄想かね? @阿波
- 112 :
- といいつつ自分も妄想中 バカですまん @阿波
- 113 :
- >>112
>といいつつ自分も妄想中 バカですまん
若杉山遺跡や加茂宮ノ前遺跡、黒川谷郡頭遺跡、矢野遺跡、芝遺跡 等々
こんな遺跡が九州にあれば、たぶん大騒ぎするんだろうね。
それにしても、九州も畿内も目ぼしい集落遺跡、ほんと無いねぇ。
無いから、妄想ばかり募るんだろうが。 @阿波
- 114 :
- だから邪馬台国は筑紫にあったから
卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
和気清麻呂が神託を聞きに行ったのは古来ここが天皇家の総本山だったから
福岡県京都(みやこ)郡あたりを発掘調査徹底すれば、必ず卑弥呼の墓なり
邪馬台国の痕跡が見つかるはず
しかしそうしないのは、ヤマト王権による万世一系の正当性を失うから
だから今も古墳発掘禁止してんだよ
だいたいエジプト王家のことがここまでハッキリ分かってるのに
卑弥呼のことが分からないっておかしいことだからw
- 115 :
- 宇佐は筑紫ではなく豊国
筑紫は博多湾沿岸
- 116 :
- >>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
比売大神??? 比売の前につく名前はないのかね? 変な御祭神だね。
いかにもインチキ臭い。 倭国(阿波)の神社では考えられないね。 @阿波
- 117 :
- >>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
だとしたら、宇佐神宮のあたりは魏志倭人伝でいうと、どの国に当たるんでしょうかね?
筑前筑後糸島とは、宇佐はかなり離れているというか、無関係でしょ?
- 118 :
- >>117
「筑前筑後糸島」も邪馬台国とは無関係だよ。 @阿波
- 119 :
- >>115
時代によって筑紫の範囲は違っていた
- 120 :
- >>114
>福岡県京都(みやこ)郡あたりを発掘調査徹底すれば、必ず卑弥呼の墓なり
邪馬台国の痕跡が見つかるはず
うだうだ言ってないで早く掘れや。
まぁなにも出るわけないのだがw
九州説というのは、邪馬台国が畿内に決定したら、大変困った事になる右翼さんたちが創った虚構だからね。
畿内に決定したら古代天皇の朝貢を認めることになる。
それはできない。
だから右翼さんたちが九州説を創作したのだよ。
まだ分からないのかい、馬鹿=九州説者はwww
- 121 :
- >>120
すでに発掘している。
あるいは古墳は宮内庁管轄で発掘できない所もあるから決定打に欠けるか。
いずれにせよ九州王朝を認めることは、ヤマト王権の継承国家である万世一系の今の皇室の歴史の正当性を
否定することにつながるから表に出さないだけ
それに唐との関係もあったから、古来から公にはできなかっただけだよ。
その理由は後述する。
- 122 :
- まず押さえておきたいのは、九州と近畿に大きな王朝があったということ。
九州王朝は邪馬台国、伊都国など後に倭国と呼ばれたところ。
畿内王朝は扶桑国(原ヤマト王権)など後にヤマト王権と呼ばれたところ。
旧唐書には、どちらが日本の使者かで九州王朝の使者と畿内王朝の使者が喧嘩したとある。
実際、日本と倭国は別種として、分けて記録されている。
現在の皇室はヤマト王権の継承国家であるというのが建前だから九州王朝を無視してきた。
あるいは九州王朝の歴史を巧みに畿内王朝に組み入れて歴史を作ってきた。
それは全て万世一系の建前を維持するため。
- 123 :
- 白村江の戦いで九州王朝は百済を支援するために派兵した。
これは同盟国の百済の再興と同時に任那などの旧領の復活が目的にあった。
一方、畿内王朝は唐と友好を結んでいたので、派兵しなかった。
戦争は九州王朝と百済が敗れ、サチヤマ以下多くの九州王朝の人間が唐に抑留された。
これで九州王朝は衰退して、畿内王朝は九州王朝を吸収して、統一王朝として日本という国号を670年に名乗った。
そして唐も朝鮮出兵しなかった協力者である畿内王朝こそ日本の統治者であるべしと認めた。
邪馬台国は間違いなく北九州にあったし、それを認めることは、唐との関係を壊すことになるし、
万世一系を否定することになるから、古来より九州王朝を無視してきたのだ。
そもそも邪馬台国とヤマト王権は響きは似ているのに、
微妙に違うのは、そういう二つの異なる王朝があったことをにおわせるため。
正直、これは学者の間では常識になっているのだが、国民レベルでは認知されていないので、
邪馬台国は謎ということで落ち着かせているだけ。
北九州を発掘すれば、必ず卑弥呼の墓や邪馬台国の跡地は見つかるから。
ひょっとすれば、すでに分かっていて、隠しているのかもしれない。
とにかく宇佐神宮は伊勢神宮よりも出雲大社よりも日本で一番重要な場所なのは間違いないよ。
- 124 :
- 旧唐書にはハッキリと倭国と日本は別種とある。
つまり、倭国は九州王朝で日本は畿内王朝を指す。
今もそうだが、九州の人間の平均身長は近畿の人間より低い。
唐は北朝系で、これは異民族が建てた王朝。
九州王朝は、伝統的に南朝系に朝貢してきた国。だから北朝系の唐とは対立していた。
そのため、南朝が衰退した時、九州王朝のタリシヒコは自らが南朝の後継者と言わんばかりに皇帝を名乗った。
一方、畿内王朝は唐と仲が良く、白村江の戦いには派兵しなかった。
つまり、九州王朝は南朝にシンパを持つ皇帝と畿内王朝は北朝にシンパを持つ天皇だったことが分かる。
日本書紀は、この九州王朝と畿内王朝の歴史を統合するために書かれたもの。
だから人工的に九州王朝の歴史が否定あるいは巧みに畿内王朝のモノへの組みこまれたのだよ。
だから今の人間が知らなくて当たり前。
知られたくなかった歴史なんだからw
- 125 :
- >>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
比売大神??? 比売の前につく名前はないのかね? 変な御祭神だね。
いかにもインチキ臭い。 倭国(阿波)の神社では考えられないね。 @阿波
- 126 :
- >>124
>つまり、倭国は九州王朝で日本は畿内王朝を指す。
九州に倭国はない。 @阿波
- 127 :
- >>125
今もそうだけど、皇族には名字がない。
名字というものは、中国の物だから。
アイヌも名字がなかったように、元々日本人には名字はなかったのだよ。
- 128 :
- >>127
>今もそうだけど、皇族には名字がない。
苗字? 苗字なんて言ってないよ。 皇族にも名前はあるでしょ? @阿波
- 129 :
- >>126
日本という国号は670年に統一国家として名乗った。
これは白村江の戦いで敗れ衰退した九州王朝すなわち倭国を畿内王朝であるヤマト王権が吸収して
統一国家として日本を名乗ったのだよ。
畿内王朝は北朝つまり唐に協力
九州王朝は南朝に協力
唐が白村江の戦いで勝ち、唐の協力者だった畿内王朝が九州王朝を吸収して統一国家の日本として
日本列島を君臨し、唐も認めた。そのため、日本は徹底的にミニ唐になるように律令制度など積極的に唐を見習った。
これが真実。
- 130 :
- >>128
名前はあるけど、苗字はなかった。
これは珍説だけど、ひょっとすると天皇は天(アマ)が苗字なのかもしれない。
元々、九州王朝は北九州と朝鮮半島南部を支配する海峡国家だった。
あの地域は釜山なんか今でも海女(アマ)さんで有名な地域。
アマテラスオオミカミもその海女さんから来たとかというトンデモ説があるw
- 131 :
- >>124
>つまり、倭国は九州王朝で日本は畿内王朝を指す。
九州に倭国に相応しい弥生後期集落遺跡群がない。 @阿波
- 132 :
- >>130
>アマテラスオオミカミもその海女さんから来たとかというトンデモ説があるw
トンデモ説じゃないよ。 倭国(阿波)の海人だから。 @阿波
- 133 :
- >>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
比売大神??? 比売の前につく名前はないのかね? 変な御祭神だね。
いかにもインチキ臭い。 倭国(阿波)の神社では考えられないね。 @阿波
- 134 :
- >>122
>旧唐書には、どちらが日本の使者かで九州王朝の使者と畿内王朝の使者が喧嘩したとある。
これ、原文出して
旧唐書のどこにある?
>実際、日本と倭国は別種として、分けて記録されている。
武則天のときに、日本に号を変えたというのが、唐会要でも確認できる
その国号変更以前のことが、倭國として、変更以降が日本として書いてあるだけ
日本に改号する前の倭国が大和王権そのものであるのは遣唐使の氏名からも確実
開成四年(838)正月、遣使薜原朝常嗣(藤原常嗣)等来朝貢。
固有名詞まで一致してる薜原朝常嗣(藤原常嗣)は、大和の朝廷の藤原氏
これが九州王朝だったら大笑い
- 135 :
- >>134
>その国号変更以前のことが、倭國として、変更以降が日本として書いてあるだけ
そして
遷都前が「倭国」
遷都後が「日本」 @阿波
- 136 :
- 倭国女王卑弥呼の墓は墳ではなかった。。
尖がり帽子みたいな「塚」だったのだからな。
それがみたけりゃ、阿蘇高千穂神社の本殿ご神体山をよ〜く拝むこった。ここが卑弥呼の塚墓だ。。
- 137 :
- >>123
>北九州を発掘すれば、必ず卑弥呼の墓や邪馬台国の跡地は見つかるから。
平原遺跡
- 138 :
- >>130
隋書には倭王の姓はアマとある。
アマテラスは海を照らす(支配する)王という意味だろう。
- 139 :
- >>137
お墓では邪馬台国は見つからない。 @阿波
- 140 :
- >>138
>アマテラスは海を照らす(支配する)王という意味だろう。
倭国(阿波)の海人(あま)族だからね。 @阿波
- 141 :
- >>133
比売の前につく名前の意味が分からない
- 142 :
- >>123惜しい、最後の方の2〜3行は違う
まずは、これから見てくれ
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1049407327.html
福岡県田川の香春神社と大鏡神社が
日本始まりの大きな鍵を握っている
久しぶりの書き込@東京
- 143 :
- >>123鏡山大神社はこちらを見て
https://www.google.co.jp/amp/s/lunabura.exblog.jp/amp/16767388/
誰か田川郡近辺の神社を徹底的に調べて頂けないだろうか
香春、鏡山、古宮、若宮...
@東京
- 144 :
- それは卑弥呼の後継の田湯津姫の領土。
- 145 :
- それでは田油津姫の領土の鏡山大神社に神功皇后は
鏡を奉納したのかい?
なんかしっくり来ないなあ
鏡山大神社には何かあるはず
- 146 :
- >>142
田川辺りは上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「奴国」だね。 @阿波
- 147 :
- >>145
征服宣言ではないかな。
香春岳を手にして銅鏡の生産能力を手に入れたことで、自身を卑弥呼または天照になぞらえるだけの有力者として誇示できた。
- 148 :
- >>146
ちなみに、
大陸からの玄関口「末羅國」は 「田熊石畑遺跡」」「今川遺跡」「手光於緑遺跡」「新原・奴山古墳」などの福津市周辺
「伊都国」は千戸程度だから、「感田上原遺跡」や「帯田遺跡」などの直方辺り。
「不弥国」は 「築城五反田遺跡」、「上別府沖代遺跡」、「安武・深田遺跡」、「安武・土井の内遺跡」、「赤幡森ヶ坪遺跡」などがある「築上町辺り」だね。 @阿波
- 149 :
- 香春岳は、
記紀でいえば応神天皇の時代じゃろ。
銅で儲けた金で、あちこち神社を新改築したお人な。
- 150 :
- 応神天皇が香春岳の銅を好きに使えたのは、母親の神功皇后が田油津姫を倒して香春岳を手に入れたからだよ。
- 151 :
- >>150
妄想披露はもうそれぐらいでいいからw @阿波
- 152 :
- 前にも書いたことあるけど
鏡山大神社そのものが円墳なんだよ
鏡山の山腹にも他の王様の古墳がある
王様を山腹に追いやるほどの人物の古墳が山頂の下にあるんだよ
神功皇后が自ら鏡を納める人物の古墳
誰なんだろう
卑弥呼か台与しか思い付かない
- 153 :
- 円墳かどうかは知らんが、他にも倭王はいただろう。
博多湾からかなり離れているから、割と新しい時代の墓かもしれないよ?
- 154 :
- >>153んな事はない
神功皇后の御鎮座が西紀270年。1750年近く前
その前から、この円墳があったはず
どうよ?
卑弥呼か台与とピッタリ合わないですか?
- 155 :
- 神功皇后の実年代は120年遅い4世紀後半だよ。
- 156 :
- >>155まじで?知らなかったよ
- 157 :
- 海外の史書との比較から、神功皇后は4世紀後半と考えられている。
遡って、崇神や景行が4世紀のはじめ、神武が2世紀末から3世紀の初めくらい。
神武東征後に畿内は大変革を迎え、崇神や景行の頃に筑紫を脅かす(畿内説が邪馬台国を想定する変化は実はこれ)。
神武が去った後の倭の王都である筑紫で卑弥呼が即位(記紀に登場しない)。
1〜2世紀の倭奴国(伊都国)の男王達が神代の日向三代。
- 158 :
- 神武と卑弥呼が同世代という誰かさんの主張も、年代観だけは一致する。
しかし神武は大和、卑弥呼は倭の王都である筑紫にいた。
神武達は大和に間借りした小勢力で、畿内の主はそれを迎えた饒速日ら物部氏である(記紀にあるとおり)。
初期の前方後円墳は物部氏の墓制。
- 159 :
- 旧唐書
倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。
- 160 :
- >>158
>初期の前方後円墳は物部氏の墓制。
その物部氏も忌部一族。
その証拠に、「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が
日本で唯一、忌部の郷、阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社で祀られている。 @阿波
- 161 :
- >>160
『先代旧事本紀』によれば、伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。 @阿波
- 162 :
- 伊加賀志(いかがし)神社
http://sueyasumas.exblog.jp/10039623/
- 163 :
- 神武で思いだしたけど
カンヤマトイワレヒコのことで
神倭=カンヤマト
倭=ヤマトでいいんでしょうか?
神武は日向でなく天草って本当かな?
天草にも全く有名ではないけど相当古い神社が何か所かあるって
聞いたことあるんだよな
- 164 :
- 神武の出身地は筑紫の日向、倭国の王都である伊都国高祖宮、またの名をクジフル山の高千穂宮。
- 165 :
- >>163
正解
- 166 :
- 神武は実は地方長官クラスの人間だった
- 167 :
- ぜんぜん関係ない話だけど
阿波おどり中止になるのか?
何か揉めてるみたいだな徳島
いろいろ大変だなガンバレ徳島
- 168 :
- >>167
往古より阿波踊りは倭国(阿波)と共に不滅です。 @阿波
- 169 :
- 往古より阿倭踊りは倭国(阿倭)と共に不滅です。 @阿倭
或る時、倭の字を好字に代えられたなどと、怪しからん
倭を差別しとんのか、@阿倭は。
- 170 :
- >>163ですけど、ちょっと調べた
天草に御所の裏って地名があります
景行天皇の時代位?に御所があったそうです
この周りの島には海人族って人達がすんでいたそうです
- 171 :
- よかったな
- 172 :
- それは、景行天皇の九州巡幸の時の宮だよ。
- 173 :
- 景行天皇が熊襲を大隅で退治して
肥後国経由で帰る際に肥後国を巡幸している。
その時に天草にも滞在したと書かれているね。
- 174 :
- >その時に天草にも滞在したと書かれているね。
うそこけ
- 175 :
- 万葉集から見ると四国地方の歌は、どうなんでしょう
歌の数も少ないし、はっきり言って重要視されてませんし、
華やかさや美しさも感じません
四国地方が重要な都市だったとは到底思えません
一度万葉集を読めば想像つくはずです
- 176 :
- 四国といえば坂本くんやね?
やすくにはんまいらんとあかん
- 177 :
- 菊池は元々、鞠智=久々知だったんだから、
狗奴国のククチヒコは菊池の豪族で間違いない。
熊本一国を従えるのに、
魏の威光を借りなければいけない勢力が、
大和から熊本に接するまで、
勢力を伸ばしている筈が無い訳で、
邪馬台国は北部九州で100%間違いない。
- 178 :
- 鞠智=久々知族がそんなに強かったのなら、
魏の威光を借りなければいけない弱小勢力と大戦になることもなかったろう。
、
鉄製武器を携えて新規渡来してきた肥一族に、テキトーに南へ追っ払われたのが先住民の鞠智=久々知族
(事実、菊池一帯の発掘調査で、先住民は追っ払われているそうな)
だから素より不和と書かれたのだろうな
ただし、肥一族は、地震の多い熊本は捨て去り、奈良で大出世したというわけだ
- 179 :
- 邪馬台国は漢字の当て字字体が正しいのか
疑問点も多いけど
初期ヤマト(やまと王朝)は福岡の京都、行橋、田川
辺りで間違いない
- 180 :
- >>178
追い払った肥国から卑弥呼も卑弥弓呼も出てきたのでは?
あと、追い払われたとかいう人たちが大和へたどり着くことは難しいだろうし、そうなった痕跡もない。
記紀では、大和にいたのは饒速日も神武も高天原の末裔であり、王族だ。
- 181 :
- 弥生時代の北部九州の遺跡数は多すぎるので、
ちょいちょい他所に出ていく部族もあっただろうね。
それが饒速日や神武だったんだろう。
- 182 :
- >>181
>ちょいちょい他所に出ていく部族もあっただろうね。
悲しいかな、九州には「忌部一族」のような外に出ていく部族が存在しない。 @阿波
- 183 :
- >>178奈良は>>59だぞ
奈良の古墳の地層からの水銀調べてくれ
- 184 :
- 奈良時代に古墳はないぞ
- 185 :
- あっ集落か
生活の跡地で
- 186 :
- 奈良は集落すらまばら。
九州みたいに集落が無数に並んでいる状況ではなく、人口密度そのものが低い過疎の田舎。
- 187 :
- >>186
>九州みたいに集落が無数に並んでいる状況ではなく
だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。 @阿波
- 188 :
- 九州だけ
金の耳飾りや王冠、金印、玉爾
阿波や畿内からは出ていない
海外との交流を示せるのは九州だけ
- 189 :
- 時代が滅茶苦茶
- 190 :
- 平原遺跡より後も筑紫の繁栄は続いたんだよ。
畿内説では衰退したことにしたいらしいけどね。
- 191 :
- >>190
だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。 @阿波
- 192 :
- 博多のように弥生時代から現代まで連続して繁栄してる場所もありますからね。
- 193 :
- >>192
だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。 @阿波
- 194 :
- 阿波は何が言いたいのか意味が分からないな。
- 195 :
- >>194
だろうね。 @阿波
- 196 :
- ただの、泡踊り中毒、2ちゃん中毒患者だろ
- 197 :
- 九州の倭人王様の初代は誰なんだろう?
初代とおぼしき墓はどこなんだろう?
九州から出土した珍しい出土品は何を示すのだろうか?
誰か教えて下さい
- 198 :
- 初代アマテラスは吉武高木遺跡のだろうね。
- 199 :
- 伊都で最初の王墓である三雲南小路が卑弥呼の前の男王の最初で、細石神社の伝承から考察するなら筑紫の日向三代になる。
年代的には倭奴国の金印をもらった頃だろう。
アマテラスはその祖父なので、紀元前後の王になる(高天原にいたので筑紫にいたのは大山祇の方かも)。
須玖岡本はもっと古いので、例えばイザナギとか高木神とかかな。
- 200 :
- 間違えだ。
伊都で最初の王墓である三雲南小路が卑弥呼の前の男王の最初で、細石神社の伝承から考察するなら筑紫の日向三代になる。
年代的には倭奴国の金印をもらった頃だろう。
アマテラスはその祖父なので、紀元前後の王になる(高天原にいたので筑紫にいたのは大山祇の方かも)。
吉武高木はもっと古いので、例えばイザナギとか高木神とかかな。
- 201 :
- イザナギ(壱岐対馬伊都王)とイザナミ(豊国女王)が結婚して
アマテラス(北部九州倭王)だからね
吉武高木がアマテラス初代=高木神
- 202 :
- 夏休み大企画
伊都国妖怪博物館!
- 203 :
- >>202
キナイコシ=朝鮮の人
狗邪韓国は倭人領土だよね?
- 204 :
- ちがう、おそらく同盟国ではあったろうけど
ヒナモリがいるのは対馬までだから
対馬までが版図だろう
- 205 :
- それでは輸出するときの港が確保できない。
半島南部に、どんなに小さくてもいいから、港が欲しい。
狗邪韓国に人口の記事がないのは、そういうことなのではないだろうか。
- 206 :
- 意図がよくつかめない
なにかを輸出するなら相手は輸入する訳で
商売として成立してるなら港を確保する必要はない
というか当時としては
普通に韓国のが進んでいた時代だろう
倭国にはまだ馬もいない時代だ
戦争して勝てる相手じゃないよ
三韓で争っていたからこそ、後ろ盾に
狗邪韓国が倭国と同盟結んでいた状態だろう
- 207 :
- 魏志を読むなら、倭の方が進んでいた印象だと思った。
貿易先の港が相手国だと関税とか面倒だが、そこに租界を確保してしまえば、そこから先は陸路で勝手にどうにでもなる。
- 208 :
- http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gisi_kanden/gisi_kanden.htm#bakan
>「馬韓人の性格は強く勇敢である。
>その(馬韓の)北方は
>(中国の)郡諸国に近く、やや礼に通じているが、
>遠いところは囚人や奴隷が集まっているに等しい。」
魏志韓人伝でも、南の方をより野蛮扱いしてる訳で
それより南にある倭国は
鬼道なんかで政治をやってるような
さらなる蛮族って扱いな訳だ
(そう、はっきり書いてなくても認識として)
- 209 :
- もっと分かりやすく教えて下さい
九州一番目の王様と関係場所→九州2番目の王様と関係する場所→九州3番目
みたいに分かりやすくお願いします
宿題にしますから
- 210 :
- 紀元前 吉武高木 高木神?イザナギ?
1世紀 三雲南小路 ニニギ?
3世紀 平原 卑弥呼
- 211 :
- 新唐書日本伝
国王の姓は阿海(あめ)氏、彼が自ら言うには、初代の国王は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、
彦瀲(なぎさ)に至るにまですべて三十二代、いずれも「尊(みこと)」と呼ばれ、筑紫城(ちくしじょう)に住んでいた。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。
というわけで、紀元前2世紀頃の吉武高木から平原を除く筑紫の王墓は32世分あるはずだが、きちんと発掘されたのは一部のみ。
その間はおよそ500年分となる。
平原の直前に神武が筑紫を出て大和に向かった。
平原遺跡は倭国大乱後の最初の女王墓であり、卑弥呼や壹與の時代の記録は、大和のローカルの歴史書である記紀にはない。
新唐書は倭国滅亡後に大和側がまとめた日本書紀に準じた内容となっている。
- 212 :
- 神武が大和に向かった動機はなんだろう?
筑紫の大王or将軍として攻め込んだのか。
九州説者の一部が言っているように敗者として落ちのびたのか。
それと
宮崎がからんでいるのかどうか。
考古学出土物からは大分は筑紫と密接に繋がっているけど
宮崎との関連は希薄。なのに突然前方後円墳が出現する。不思議。
- 213 :
- >>212
>神武が大和に向かった動機はなんだろう?
そんなこと、出来るわけないでしょ! 常識を働かせなさい。 @阿波
- 214 :
- 済美強いな
面白い野球を見せてもらったわナイスゥ〜
- 215 :
- >>212
筑紫の大王の将軍として攻め込んだんでしょうね
そしてそのまま土着。
- 216 :
- >>215
そんなこと、出来るわけないでしょ! 常識を働かせなさい。 @阿波
- 217 :
- >>215
動機がわからないんだよね。
饒速日が先に攻め込んでいるのだから、北部九州倭国としたらそれでいいはず。
なのにまた攻め込む理由とすれば、
長髄彦と饒速日が組んで独立して、それをまた征服しに行ったのか。
いずれにせよ
出征するのはいいけれども、
その直後に倭国乱が起きるのも不可思議。
倭国乱の前兆となる派閥争い(海幸彦と山幸彦の争い)などがあれば
軍議を発動できないはず。
- 218 :
- / ̄ ̄⌒⌒ ̄\
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| ノ ヽ 〆| |
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│ │ 〜○〜○〜○〜○〜○〜○〜○
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- 219 :
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l;;;;;r'´ ̄ ̄~  ̄ ̄ヽ;;;;;!
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rゝl!. r'Oァ ! l r'Oァ ljヽ
l(),| ノ ヽ !ノ,!
ゝ_l ゝ- ' ,jノ
l、. ___ /! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
lヽ ー‐' ,/ ! < @阿波がちんちん出しちゃった!!
/!、`ー─‐'" /ヽ、 \_____________
/ __ ヽ、
/ - 、 / ヽ/ /~ヽ l
l l 。l / | | ! キラーン
| | 。 ー´ノ / |、| | -*-
| |__ `ー - ´ ヽ〈/ / (U/| i
| | ヽ / , /| 囲/
|、| `ヽ 、 つ_/ |、└っ
| | 〉 (:::):::) . 〈_,、__3
| | / ノヽ
| | | / l〈
〈 ヽ 〈 ノU
l_|_l_l_リ `ー―
- 220 :
- >>217
>動機がわからないんだよね。
やっと、常識が働きだしたのかな? @阿波
- 221 :
- 曹操も自ら各地を転戦してたからな。
アレクサンダーもそう。
だから北部九州倭国の大王が自ら出征することはあり得る。
- 222 :
- @阿波の九州説背乗りスレ
- 223 :
- @ @ @
|\/\/|
└───┘
/. @阿波 ヽ
!::: =≡ ≡=ヽ <ちんちん出しちゃった!!
(6-(。)〜( ゚)-彡
|| 六- -六 ヽ
./.\ヽ ∧∧ノ |\
(_/ ゝ. ヽ二/ ./ヽ_)
| |
| x 〈
./ (u)__,へ__)
(_/
パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ
パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( )】 ( )】 ( )】 【( ) 【( ) 【( )
/ /┘ . / /┘. / /┘ └\ \ └\ \ └\ \
ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄
- 224 :
- >>222
>@阿波の九州説背乗りスレ
ええぇ! そう来るかい??? @阿波
- 225 :
- ☆ ★ -=-::.
_ノし// / \:\
/ /\ | @ 阿 波 ミ:::|
/(__/ ̄ ̄ヽ∧ ミ|/ \,,lll,,/_\ |;/
| | | | ||..::+;;::;| ̄|. (;:;;;.;|─/ヽ
|| C | | |ヽ二/ \二/ ∂
|/ ヘ ヘ ヽ| /. ハ - −ハ |_/
金ニニニニ_]金ニニニ__]イ )" | ヽ/ヽ/\_ノ / | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
V (_) V .\、 \しw/ノ.ノヽ / / <仏罰を下す!川上環濠集落!!
,.'∠,-ノ ( ヽ | / \i ___ // \____________
/ 三|∧∧>)ノ / ノ| ・ ・ |
/ ___r' しw  ̄ " ''-、 / i ∧ l
/ / ‐∪-‐ 、 ', ) | x | /
( /_.-‐ヽ ', ', .ノ .! /
ヽ-‐'´ .', ./ ./ ∩ .(nnn)
'__r' ̄`__/\, (;)(;;) )
☆E_:/ ★ } / / /
/\ /|||ヽ/ | ( <
/ 蛮金||イ─☆ / ヽ ヽ
| 从l川イ从 / (´__)
| /ヽ_,ノ\ |
☆ | | ★ |
- 226 :
- /ヾ ;; ::≡=-
/:::ヾ \
|::::::| @ 阿 波 |
ヽ;;;;;| -==≡ミ ≡=-|ミ
/ヽ ──| ● | ̄| ● ||
ヽ < \_/ ヽ_/|
ヽ| /( )\ ヽ
| ( ` ´ | | < ちんちん出しちゃった!
| ヽ \_/\/ヽ/ |
ヽ ヽ \  ̄ ̄/ /
\ \  ̄ ̄ /
/ ゝ ── ' ヽ
/ ,ィ -っ、 ヽ
| / 、__ う 人 ・ ,.y i
| /  ̄ | |
ヽ、__ノ ノ ノ
| x 9 /
| ヽ、_ _,ノ 彡イ
| (U) |
- 227 :
- -==-
/バ カ ル ト ヽ
,,,,,,..;;.,,,, !::: =≡ ≡=ヽ
r' `-,( -(;+)〜(;;;)-彡<さ、さてつぅぅあつめメェェェ・・・・
! || 六- -六 ヽ|,---.,.--,,
l ,..,,..ソ,,ノヽ.ヽ┌―┐ノ ./ `.、
.!,!./ _,.. _,..l' ゝ.. |::::::/| /( |
/`、 ゝ/,.-'"┌. .∨ `--y,,..,,...,,,...,,..,ノ
/ l `ー-'ヽ. l。 i -' `- ..ソ <はいはい@阿波さん、お尻拭きまちょーねー
/ l \l' y l。 / lヽ. '__ ./ `ヽ
r'─-、 ̄`ー` i .l。 / | \-' , ,,\
/ `l `l / l l。 .l ヽ i .ヽ
:==;i i/、 ∧. l。 i`, `i ,, /; `、
:三;_,,..-''"i_,,,/ i-=========-∧,..~`-' /_, `..、
.l i l _,,.-'" ,.-,', , / , i
.L____`、-' ヽ ;;;;;;;; / ,.///ノ.く / \ ヽ `l
l:::::::::,.-'" ` (;;;U;;;)ヽ` `'`' \/ ヾヽ / l
l::::r'" ,. '" ヽ. \ ヽ /
l::::l ,..--'"~ ヽ /\__,,...-,"
`:::l 「ヾヽll ll,ー /:::::∧::::::::::::/
:::l l`ll''''ll lll/ l::::::r'/:::::::::::::l
`::l `ll ll :lll:: /:::::l l::::::::::::::/
/:::l ll :ll :lll l::::::::l':::::::::::::::l
l::::::L_,-'ll'`、 `============'i l:::::::i:::::::::::::::/
l:::::::::::::i/`========'`ヽ_,.l::::::l::::::::::::::l
;::::::::::::/ミ /' `、 i ゝ::::l::::::::::::::l
- 228 :
- @阿波すげえ
時代の最先端
- 229 :
- 手早く、上手いもんだね。 @阿波
- 230 :
- @ @ @
|\/\/|
└────┘
/ \:\
.| @ 阿 波 ミ:::|
ミ|_/\;;;´::`;;/=_、:::|;/
||..-o-| ̄::|-o―ヽ-/ヽ
|::ヽ二/ ::::\二/:::::∂ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
./. :::ハ - −:::ハ::::::: |_/< おりゃ、ホケノ、欲しいか?欲しいか?
| ヽ/__\_ノ / \___________
"\、 ヽ| .::::/.|/ヽ /
\ilヽ::::ノ_ /
/ しw/ノ \
/ `'ー  ̄ )/ ̄ ̄\
/ /| 。 ..。 / \
\ ヽ | | . / /| | ハ ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\⊇ -‐ノ | /=|/|/=\ |< くっくださ〜い!!阿波ターーーン
| . |イ 。- ∧ ゚- ヽ| \___________
( /⌒v⌒ ヒ| ( ) |ソ ______
パンパン| '"\ |  ̄ | .n∩n /壱 / /万/|
/ . ヽ ヽ三ヲ ノ |_||_||_∩ . __ |≡≡|__|≡≡|彡|_____
/ ノ\ \___/ ̄∩ ー| / //|≡≡|__|≡≡|/財//務/|
/ /パンパン| | \___ヽ_)_ノ / ≡|__|≡|≡≡|__|≡≡|≡≡|__|≡≡|彡|
/__/ | | |≡≡|__|≡|≡≡|__|≡≡|≡≡|__|≡≡|彡|
⊆__| |≡≡|__|≡|≡≡|__|≡≡|≡≡|__|≡≡|
- 231 :
- は、は、は、 見事。 @阿波
- 232 :
- 倭国大乱で天孫族が倭王の座から滑り落ちたか、倭王の座を巡って天孫族内部で抗争があったか。
神武は大和まで何年もかかって移動しており、単なる遠征ではない。
落ち着く先を探していたように見える。
既存の勢力が少なく、親戚筋の饒速日が支配していた大和は、落ち延びる先の空白地帯として都合が良かったのだろう。
- 233 :
- 伊都国の官は禰宜とあり、邇邇芸の家系の天孫族の末裔で間違いないだろう。
そもそも神武は四人兄弟で、兄と神武の二人だけが筑紫を出ている。
残りの兄弟は筑紫に残ったのだろう。
それで思い出すべきなのは、日向王家2代目の海幸山幸であり、戦いに敗れた海幸が宮崎に落ち延びて隼人の祖となったという。
魏志倭人伝において、邪馬台国と投馬国が広域国家として併記されているのも、海幸山幸伝説とリンクしているのかもしれない。
家督争いの勝者が筑紫に残り、敗者が筑紫を去ることが常だったのかもしれない。
- 234 :
- >>233それだな
- 235 :
- >>187筑紫には弥生中期以降の有名な「裂田の溝」
(さくたのうなで)があります日本一古い構造物とあり、当時の灌漑用水の水路といわれ
ています
現在も利用され、夏はホタルがいて子供たちの水遊び場となっています
裂田の溝と安徳台の集落跡地を知って下さい
@東京
- 236 :
- >>234
新し過ぎ。 @阿波
- 237 :
- 季刊邪馬台国とか定期購読している人いる?
- 238 :
- >>146奴国の奴(な)という漢字を調べました
長くなるから要約すると
な=奴、儀、浦、名、湊、那
もともとは全て同じ(な)と読みます
浦=現在でも壱岐では浦を(な)と読みます
じつは浦島太郎はナシマ太郎だったんですね
福岡の名島神社の山頂跡地からは金箔の瓦が発見されています
竜宮城は福岡の名島
まさかの奴の漢字から、こんな所にたどり着くとは
楽しいなあ
- 239 :
- 漢字間違えました
儀=ニンベンに難
- 240 :
- 金箔瓦は九州では名護屋城跡、名島城跡、唐津城跡、
中津城跡、麦島城跡(八代市)、日野江城(島原市)などで見つかっている
文禄・慶長の役では、名護屋城を本営として、壱岐や対馬を前衛拠点、
筑前の名島城などを後衛の拠点としていたことが知られている
- 241 :
- もとの名島神社跡地に名島城があったんだよね
そこから出土した金の冠は京都大学が持って行った
金箔付きの瓦が三笠宮へ
京都大学は公開しないのかな
安曇阿曇族の島とも言われる名島
興味津々だわ
- 242 :
- 奴国、浦国、那国、湊国
- 243 :
- 七夕池古墳の埋葬者は女性らしいんだが誰なんだろう
平原も女性だろうけど
鏡の大きさは平原だけど玉は3300も出てる
鉄剣も立派
この地方の王の嫁?
- 244 :
- どうしても香春神社が気になって仕方ない
イワレヒコがウネビヤマの麓にカシワラの宮をつくり....
とあるんだけど
どう考えても田川郡の畝尾山の麓にあったカワラ神社としか考えられない
現在の香春神社は移動している
誰かご教授を@
- 245 :
- 橿原が香春、高良、香椎、橿日などからの地名の移転であることは明らか。
越も同じ語源とのこと。
原は集落や広場の意味だし。
ただ、神武の場合は、故郷の名前を偲んでつけたという程度でしょう。
九州北部から畿内へは他にも多くの地名が付け直されていますから。
- 246 :
- >>245
>九州北部から畿内へは他にも多くの地名が付け直されていますから。
それ、間違いだよ。 倭国(阿波)から九州北部や畿内へ広まったんだよ。 もちろん、九州北部と畿内だけじゃないよ。 @阿波
- 247 :
- 阿波は600年以降の伝承ばかり
- 248 :
- >>247
>阿波は600年以降の伝承ばかり
例えば、なに? @阿波
- 249 :
- なぜ色々な地域に卑弥呼や邪馬台国があるのか?
福岡朝倉や四国なら高根悲願や奈良とか
なぜなんだろうか?
卑弥呼には沢山の護衛がいたらしいから
その護衛を食べさせる何かがなかったら成立
しないよね?他の地域はわかりませんが。
昔から銅山と竜骨のある田川でFAで良くないか?
あと面白いの発見したよ
英彦山の南岳山頂の小さな祠の中にある石像かな?が
昔の衛兵か戦士みたいな格好している。
珍しい。気になったら見てください。@to
- 250 :
- 倭のワって何なんだろう
何で大倭をヤマトと読むんだろう
元祖キラキラネームか
- 251 :
- ヤマトはもともとの「日本語」の地名
倭は、論衡に記された百越の流れの「中国語」の民族名
- 252 :
- 大倭⇒大和をヤマトと読むのは、当て字(あて読み)
- 253 :
- 漢字だけの雰囲気で読み取るなら
投馬国は
1.山口と福岡の境目
2.隈本市と天草島への境目
3.九州から四国への境目
馬を投げ(捨てる)ないと向こう岸に行けない土地だね
四国の宇麻(うま)だったりして
な〜んて思ってたりします@to
- 254 :
- で熊本の人に馬で思い付く土地は?って聞くと
阿蘇山って言うんだよな
阿蘇山には馬がいるし、昔は野良馬もいたって言うし。
昔は馬を食べたりしたのかな?
高齢馬はどうされていたのだろうか
もしかして阿蘇山に放馬(捨て)していたのかも知れないね
- 255 :
- >>254
今も熊本土産は馬肉 馬を食べる
- 256 :
- 熊本県だって昔は隈本
隈とは、境目や別々を意味する
熊襲も隈襲かもしれない
隈襲は別世界だったかも
- 257 :
- 狗奴国の王と邪馬台国の女王が似た名前だから、筑紫と熊襲は同根でしょうね。
- 258 :
- 今BSのTBSの諸説あり!でやってるけど
金印は偽物とか解説してる
福岡市博物館は292の印鑑あるんだってな
本物偽物もふくめてな
- 259 :
- あ、やっぱり本物だったと解説してる
本来駱駝の形を作り直した蛇の印鑑だと
後漢の洛ようより北の印鑑は駱駝で南は蛇と決まっていた
面白いわ
- 260 :
- 金印の読みは、漢の委奴国の王で決まりだな
- 261 :
- 井原鑓溝遺跡が王の墓だと
江戸時代に農民が宝物を取り合ってしまったらしい
- 262 :
- もし、卑弥呼=アマテラスだったら
英彦山が拠点だな
日子山→彦山→英彦山
女山は誰の拠点なのか
- 263 :
- 卑弥呼vs卑弥弓呼
日見子vs日見夜子
太陽vs月
- 264 :
- 日御子
- 265 :
- >>261
>井原鑓溝遺跡が王の墓だと
>江戸時代に農民が宝物を取り合ってしまったらしい
青柳種信が、詳細なスケッチを残してくれたから、どんな鏡があったかが分かる
- 266 :
- >>263
>日見子vs日見夜子
>太陽vs月
太陽と月の対比だったら
日見子vs月見子 になるんじゃないかね?
- 267 :
- そこは月詠であるべきだが、卑弥弓呼についての考察なのだろう。
- 268 :
- >>267
>そこは月詠であるべきだが、卑弥弓呼についての考察なのだろう。
卑弥弓呼を意識するなら、月詠・月読ではなく、月弓の字を当てるべきじゃないかな?
まあ、卑弥は、どうやっても月とは読めないけれど
- 269 :
- 弓はそもそもなんと読むのだろう。
弖の書き損じだったりしないだろうか?
- 270 :
- 追加
漢字だけの雰囲気で読み取るなら
投馬国は
1.山口と福岡の境目
2.隈本市と天草島への境目
3.九州から四国への境目
4.筑後平野有明海沿岸(洲島と低湿地 交通は水路を舟のみで)
馬を投げ(捨てる)ないと向こう岸に行けない土地だね
又、投馬(とま)は苫屋(葦で作った家)に通ずる。
- 271 :
- >>269
>弓はそもそもなんと読むのだろう。
上古音でkiong、中古音でkiungみたいだよ
弖は、日本で作った国字だから、中国の文献には一切ないし考える必要はないよ
- 272 :
- >>265金印はここから出たと比定してる学者さんもいるんだよ
鑓溝が見つかって一年後に金印がでてくる
金印のあった場所は他に何も出ない
そんな訳ない、みたいな事を言ってたよ
- 273 :
- 金印は細石神社に保管されていて、志賀島から出たことにした、という話もあるね。
- 274 :
- >>269それだ!
弓と月。似てる、それは思い付かなかったわ
太陽と月なら仲悪いな
- 275 :
- >>272
>>>265金印はここから出たと比定してる学者さんもいるんだよ
>鑓溝が見つかって一年後に金印がでてくる
これはちょっと面白いと思う
ただ、鑓溝についての記録からすれば、持って行ったのは「近隣の住人」であって、
それが志賀島まで埋めに行くのもちょっと考えにくいなとは思う
>金印のあった場所は他に何も出ない
>そんな訳ない、みたいな事を言ってたよ
一応、石囲いはしてあったみたいだけれどね
偶然や自然の堆積で埋もれたのではなく、埋めようと思って埋めたのは認めていいみたい
- 276 :
- >>273
>金印は細石神社に保管されていて、志賀島から出たことにした、という話もあるね。
ただ、細石神社はもともと小さくて、そんな大層なものを保管しているような
格式がなさそうなんだよね
九州説、特に伊都国説の人はやたら細石神社を持ち上げるけど、
旧社格は村社だし
社伝では、昔は大きかったみたいに書いてあるけれど、志賀島金印が見つかった天明4(1784)年は
その社伝でいう太閤検地で没落した後だし、その頃まで持っていられたとも思えない
- 277 :
- >>276
だから、手放したんだろうよ
厳しくなり、売った?とかのヨタ話もあったような?
噂に尾ひれがついただけかもしれんから、まぁそんな事もあるかも?ぐらいに
- 278 :
- >>277
>だから、手放したんだろうよ
>厳しくなり、売った?とかのヨタ話もあったような?
太閤検地が何年とは言いがたいが、秀吉が太閤になったのが1591年で16世紀末
社伝ではこの時期に没落したことになっている
そして志賀島で金印が見つかるのが天明4(1784)年
200年くらいも後なんだよ
200年がんばれたなら、いくらでもがんばれそうなものだが?
苦しくなって財産を手放すのは、せいぜい数十年くらいのスパンだろう
- 279 :
- なんで手放したのかは知らんが、志賀島から偶然見つかるよりはマシだ。
- 280 :
- 眉唾
- 281 :
- 卑弥呼はアマテラスかもなあ
ツキヨミ?ツクヨミ?
卑弥月呼となったか
- 282 :
- >>279
「漢委奴国王印 いわゆる金印」というスレがあってだな、
金印については詳しい人が詳しく書いてくれてるよ
http://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1338710507/
まあ、気が向いたら、最後ら辺のまとめだけでも読んでみて
- 283 :
- 実はヒミコの方こそ読み違いで
卑弥呼=ひみよび→ひみよみ
だったりして?な〜んてね。
- 284 :
- ピムカつまり日向という説もある。
- 285 :
- >>283
音読みと訓読みを混ぜると冗談にもならんぞ
- 286 :
- そんな堅いこと言いなさんな
いけず〜
- 287 :
- 訓読みを混ぜちゃダメだな
- 288 :
- 私が先日のBSを見てて一番面白いと思った点は
金印のツマミの部分の蛇の形が不細工な点について、です。
テレビの学者?さんが言った
本来は駱駝の形で彫っていたが、
日本の使者の話を聞いてみたら、
「北から来たと思っていた使者が、実はみなみ
- 289 :
- 南側から来たと知り
急いで作り直したから不細工な蛇の形なんだ
と発表した点です。
言われてよく見ると駱駝の下半身の形に見える
つまり
もしかすると本当に中国は金印渡すまで、
日本の場所に方向音痴だった。
倭人伝の方向音痴説もあり得るなあって
金印だけで、こんなに面白いとは@東京
- 290 :
- >>289
>南側から来たと知り
>急いで作り直したから不細工な蛇の形なんだ
南から来たので蛇の形にしたの? なんで南だと蛇なんだろうね?
それと、倭国(阿波)は北や南じゃなく、東なんだけど? よく分からん話だね。 @阿波
- 291 :
- >>290洛陽からみて南側は蛇、北側は駱駝って決めていたみたい
実際に北側から出た駱駝の印鑑と形がにていましたね
日本の金印は駱駝の頭を取った胴体の形だと言ってました
面白い内容のテレビでした
- 292 :
- なぜ古代の地名等に
「あ」から始まる呼び名が多いの?
天毎アマ、阿波アワ、阿多アタ、
もしかして昔はアア、アカ、アサ、アタ、アナ〜
アカサタナハマヤラワ全てに「あ」を付けていたとか?
もしかして阿蘇からの派生はみんなアを付けたのかねぇ?
詳しい人いたら教えて下さい
m(__)m
- 293 :
- >>292
自分の携帯のアドレス帳見てごらん
あ行が圧倒的に多いでしょ?
それだけのことじゃないの?
- 294 :
- アが何なのかは興味ある
意味があるのか単に語感が良いからか
海も天もアマなのも気になる
これではワイは天から来たんやで、と言ったら相手に
海から来たんかーと勘違いされる
- 295 :
- 間違ってない。
古事記で海と山、アマとクニは基本的な倭国の二大体制として描かれている。
天津神は海の支配者、アマテラスは海の王のこと。
倭国の本貫地は対馬海峡だろう。
- 296 :
- >>295
>古事記で海と山、アマとクニは基本的な倭国の二大体制として描かれている。
「海」は狗奴国(長国)勢力、 「山」は邪馬台国(粟国)勢力を例えているんだよ。
こんなに具体的に説明できるのは倭国(阿波)だけ。 @阿波
- 297 :
- 阿波国の評判を落として回る@阿波哀し
- 298 :
- >>292に付けたし、説明質問不足ですいません
私が聞いてみたかったのは
例えば
阿蘇=阿+蘇=氏+名=出身校+名前
もしくは、家系+名前みたいな
始めの頃の天皇に神の漢字が多く使われ
ている様な感じなのかなと?
詳しい人がいたら教えて下さい
m(__)m
- 299 :
- 壁|ω・)
やはり...
ただの偶然だったかぁぁ阿
- 300 :
- @阿波さんならきっと阿波の阿が何なのか教えてくれるはず!
- 301 :
- >>300
阿波は、元明天皇のときの諸国郡郷名著好字令で2文字の阿波にしたのであって、
もともとは粟国だよ
- 302 :
- >>301
>もともとは粟国だよ
その「粟国」に統一される前は北方「粟国」と南方「長国」の二国。
狗奴国=長=那賀
邪馬台国=粟=阿・倭かもね。 @阿波
- 303 :
- 長国は忌部(海人族)だから、日本各地に「那賀」の地名が残っているでしょ。 @阿波
- 304 :
- 阿は、曲がる、曲がっていく、の意味
波は、波の意味
つまり、波が曲がって渦を作る国の意味だ。
同様に、
阿蘇の阿も、曲がる、曲がっていく、の意味
蘇は、よみがえる、元に戻るの意味
つまり、阿蘇山のふもとの道を行けば(カルデラ内を)ぐるりまわってもとに戻る国の意味だ。
- 305 :
- 阿の訓読みは阿る
- 306 :
- http://n2ch.sc/r/-/newsplus/1535123927/298-?guid=ON&rc=645
ニュース速報+に立つてたけど
本当かいな?
関係ないけど阿多田嶋って気になるわ
古そうな古墳もあるし 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:39828eafcc6c2073b074103bd7eecdc9)
- 307 :
- 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
- 308 :
- >>306朝鮮と大和が合流して住んでいたみたいだな
スレ伸びて戦ってる人もいるw
- 309 :
- 昔の福岡って漢字の意味が素晴らしい
神様のご加護を賜る神聖な小高い丘
って意味があるらしい
福岡は神様の国なんだね
- 310 :
- 倭人伝の方角を
北→東
南→西
東→南
西→北
に変換してみたらどうだろうか?
金印を製造時までは倭を北側にあると思った
南側にあると知って、
慌てて金印のツマミの駱駝を蛇に作り替えた説
これ面白いし、金印をよく見ると本当にそう見える
倭の場所も知らないんだから
距離も方角も正確な訳ないかも知れない
- 311 :
- 福岡という地名は比較的新しいのだろう?
- 312 :
- 福岡は元
黒田の地元 播磨福岡が元。
- 313 :
- 福岡の元来の地名は、那珂とかじゃないの?
筑紫は、筑紫野市大字筑紫の辺りがもとらしい
- 314 :
- 筑紫神社かな?
- 315 :
- 筑紫神社の隣の大字が、筑紫なんだってさ
今の筑紫神社の地名は、大字原田になるそうだ
まあ、いずれにしてもその辺りが筑紫発祥の地ってことでいいと思う
- 316 :
- >>315
>まあ、いずれにしてもその辺りが筑紫発祥の地ってことでいいと思う
まあ、いずれにしてもその辺りが「筑紫忌部」の入植地だよ。 @阿波
- 317 :
- 粟が出てきてまぜっかえすと、みんな呆れてスレが止まるからいやなんだよな
- 318 :
- そうだ、そうだ、ジージのはとんでもギャグ
- 319 :
- 丘と岡でもぜんぜん意味合いが違うらしいよ
どっちのオカか失念したが、昔はなかなか使えない
オカの漢字だったような
話変わるけど日本女子大卒の倉西ゆう子ってひとの
解説は面白いな
こんど本買ってみるわ
知ってる人いますか?@東京
- 320 :
- 筑紫は
中華の紫禁城だか紫園だかを真似たんじゃ
なかったかね?
詳しくは知らないけど
- 321 :
- >>317
>粟が出てきてまぜっかえすと、みんな呆れてスレが止まるからいやなんだよな
「呆れる」んじゃなくて、「反論できない」からスレが止まるんだろ? 君がいい例だ。 @粟
- 322 :
- 粟か。栗に空見したわ
- 323 :
- >>319
>話変わるけど日本女子大卒の倉西ゆう子ってひと
この辺りをネットで読むところから始めたら?
http://www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/
春秋年(二倍年歴)に頼らない紀年論としては、一番しっかりしてると思う
個人的には、允恭天皇以前は春秋年で読んだ方が筋が通ると思っているけれど
- 324 :
- >>322
>粟か。栗に空見したわ
栗ご飯を混ぜっ返して蒸らすのはおいしいんだけどねww
- 325 :
- 粟ご飯は美味しくない。
栗ご飯は美味しい。
スマホだと区別できないな。
- 326 :
- 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
- 327 :
- >>323親切にどうもありがとう
- 328 :
- >>327
あと、春秋年を前提とした紀年論では、高城修三の「紀年解読」が面白いよ
http://takiren.sub.jp/kodaisi02htm.htm
古事記と日本書紀が、共通の典拠資料を基に、それぞれのルールで暦年を記載していると
いう考え方から、記紀の紀年を復元するという作業仮説で、説得力があって面白い
ただ、その復元された紀年は、記紀の共通典拠資料の紀年でしかなくて、
そういう伝承が記紀(またはその前の国記)の編纂時まで伝えられていた、
というところまでしか言えない
それが、歴史の真実という訳でもない
- 329 :
- 福岡赤村の古墳は本当の古墳なのか?
- 330 :
- 女山、長谷、蜘蛛塚古墳、権現etc
これだけ見ても女王国は福岡で間違いない
と思う
卑弥呼はわからないが女王国なのは間違いない
あと糟屋郡も調べてほしいなあ
- 331 :
- >>330
>女山、長谷、蜘蛛塚古墳、権現etc
>これだけ見ても女王国は福岡で間違いない
>と思う
福岡の人? 郷土愛があふれているね。 @阿波
- 332 :
- 土蜘蛛って独特よ
他の地域に同じような地名ある?
土蜘蛛から調べたほうが女王国卑弥呼へ繋がりそう
- 333 :
- 同意する。
土蜘蛛とされた勢力は女王国の中の勢力だな。
- 334 :
- >>333
「土蜘蛛」とは、「登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」のことじゃないの? @阿波
- 335 :
- >>334その解釈ちょっと無理がない?
土蜘蛛は福岡の蜘蛛塚
蜘蛛塚は雨が降ると塚から血の雨が流れる
という怨念みたいな言い伝えまである
女王国があって、各国の王や天皇が
通い妻ならぬ通い旦那していたのかな
しかし相手に敬意をはらわない土蜘蛛って
言い方が気に入らない
時代劇の悪代官に乗っ取られた気分
憤りしか感じないわ
- 336 :
- >>335
>その解釈ちょっと無理がない?
脛の長い「土蜘蛛」=「登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」の本貫地は倭国(阿波)板野郡板野町川端
神武東征の舞台は阿波国内であり、 九州からの東征などではない。
神武軍が吉野川北岸の阿波市(西)から鳴門市(東)へ攻め下ったのが神武東征。
東征の参謀役となった速吸の門(はやすいのなと 鳴門海峡のこと)の大人・宇豆彦が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。
その背後の山が宇豆彦の葬場である西山谷二号墳(円墳 出土品 圭頭形鉄鏃、やりがんな、鉄剣、鉄斧、斜線上方作銘獣帯鏡、鉄槍など)。
「西山谷2号墳」 http://awakouko.info/uploads/webphoto/photos/y00178y4da2b05f09c57.pdf#search=%27%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E8%B0%B7%E4%BA%8C%E5%8F%B7%E5%A2%B3%27
神武を佐けた霊剣・建布都神は、戦闘の地、吉野川北岸阿波市の「建布都神社」で祀られている。
一方、長髄彦の本貫地は徳島県板野郡板野町川端で、周辺には、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。
長髄彦と神武軍との戦いの場は、この東隣の鳴門市萩原地域。長髄彦は、この地で神武軍との戦いに敗れたのである。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。 @阿波
- 337 :
- 登美の長髄彦は大和の鴨王家の一人。
数代あとに阿波に進出した記録がある。
土蜘蛛は主に九州の部族に使う用語だが、熊襲や隼人とは区別され、九州北部が多い。
筑紫倭国の内乱の末に、負けた側を称している。
- 338 :
- はやすいの門から訛って、
はやすいの瀬戸では?
はやすいの瀬戸は今の佐賀関の事
関サバ関アジの取れるところ
はやすいの入り口→門で良いのでは?
- 339 :
- >>337
>登美の長髄彦は大和の鴨王家の一人。
その「鴨王家」も倭国(阿波)。
「阿遅志貴高日子根神」は、大国主命と、須佐之男命の娘・多紀理毘売命との間に生まれた長男。 「迦毛大御神」とまで呼ばれた実力者である。
阿波国三加茂町加茂山の高い尾根上に占地する「丹田古墳」は「阿遅志貴高日子根神」の神陵。
その麓に鎮座する式内社「鴨神社」はその拝所。
「延喜式式内社 阿波國美馬郡 十二座 鴨神社」
鎮座地 徳島県三好郡東みよし(旧三加茂)町加茂字山ノ上3650
御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)・市杵島姫命・品陀和気命・天照皇大神
「阿波志」に「鴨祠延喜式小祀と為す。加茂村に在り旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」と。
また、「寛保改神社社帳」には「加茂村式加茂大明神神主加茂村 白川信濃同長太夫、同助大夫、同権之進」とあり、
更に「阿府志」には、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某堂河原某」とある。
鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。 「徳島県神社誌」
京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば
「京都、上賀茂神社」より「阿波國 鴨神社」の創立が古いということになる。 @阿波
- 340 :
- >>337
>筑紫倭国の内乱の末に、負けた側を称している。
「筑紫倭国」を言うまえに、「筑紫倭国」に見合う弥生後期集落群を示さないとね。 @阿波
- 341 :
- >>338
>はやすいの門から訛って、
>はやすいの瀬戸では?
根拠は訛った地名だけ?
神武東征にまつわる大人・宇豆彦を祀る神社とか、宇豆彦の陵墓とか、
建布都神を祀る神社とか
長髄彦に謂れのある地域とか
は無いのかね? @阿波
- 342 :
- >>329
>福岡赤村の古墳は本当の古墳なのか?
古墳じゃないよ
国土地理院の地理院地図のサイトで、古い航空写真が見られるけれど、
古墳だったら後円部にあたるところの埋葬主体があるべき部分が削られている昭和の
写真が見られる
そこまで削れて、何か出たという記録がない時点で古墳じゃない
より直接的には、地理院地図で後円部にあたるところの断面図を作図してみればいい
後円部中央は削れているし、後円部の左右(東西)の高さが揃っていないのが確認できる
そんな、前方後円墳はないよ
- 343 :
- >>342
古墳って中国の土饅頭が伝わったもんじゃね?
渡来初期の土饅頭なら技術もつたなくて崩れることもあるんじゃね?
- 344 :
- 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
- 345 :
- >>342
>そこまで削れて、何か出たという記録がない時点で古墳じゃない
面倒だから届けないのはよくあること。
ただ、赤村のは古墳ではないと思う。
万が一古墳であっても、邪馬台国とは、まったく関係ない。
- 346 :
- 赤村のはもし古墳なら、あのサイズで、後円部と前方部の比率が前方部に偏るのであれば、
少なくとも後期古墳だと言えるが、段築も葺き石も円筒埴輪列もない
あれ、結局、横の沢が前方後円墳の輪郭っぽく曲がってるだけのものなんだよな
そして後期古墳だったら、周濠は盾形で、あんなに狭い鍵穴形の周濠ではおかしいってのもある
よくもまあ、あんなのを古墳かもしれないと言えたものだとあきれてる
グーグルマップ考古学ってのをもてはやしたい人がいるからかもしれないけれど
- 347 :
- >>346
グーグルマップ考古学を認める立場だが、あなたのように冷静に検討すればいいので、グーグルマップを否定する理由にはならない。
候補を見つけて検討したが、やはり古墳とは思えない。
そういうことでしょ。
- 348 :
- あと、佐賀川上の環濠集落とかいうのを主張する人にも辟易としてるんだよ
ナスカの地上絵で、これまで知られていなかったのが見つかったとか、
人跡未踏に近い土地では有効かもしれないけれど、日本のように継続した土地利用で
人口密度の高い土地でどこまで適用できるかは、かなり疑問
- 349 :
- 赤村が古墳かどうか?
誰も現地で調べる行動力や財力もない
ただ見た目だけで判断して、過去の
知識だけでまとめようとしてる
本当に現地で調べたり聞き込みして
否定してる人はいるの
今の考古学や古代史は、こんな程度
なのかね?
まあ私は素人だから何もしてあげられ
ないけど
日本の歴史がうやむやになって悲しく
思っている素人です
- 350 :
- 奈良県でも、レーザー解析でこれまでより詳細に古墳の評価ができるようになったとか報告がある。
表面の土地利用が進んでいても、意外と痕跡は残るものだ。
研究手法を頭ごなしに否定する必要はない。
あ?
奈良は佐賀より土地利用が進んでいない田舎だったか?
- 351 :
- 大古墳は奈良にしかないらしいです
って、奈良は墓場の展示会場だもんな
- 352 :
- >>349
>赤村が古墳かどうか?
>誰も現地で調べる行動力や財力もない
九州説で、赤村のを古墳だと思い込んで現地まで行って、土地の持ち主と話をして
いろいろと棒を差し込んで調べた挙句に、古墳に違いないってブログを書いてる人ならいるよ
https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-12364560594.html
でも、客観的に見て古墳じゃないし、赤村役場の人もただの山だと言っている
- 353 :
- >>350
佐賀川上の環濠集落は、ただ道がそれっぽく見えるってだけなんだよ
近くに惣座遺跡があるのに、そことの関係も一切無視で、環濠集落があったに
違いないって言われても、なんだかなとしか
>奈良は佐賀より土地利用が進んでいない田舎だったか?
九州説の人は、すぐに冷静さを失って、こういうあおりに走るから、
あんまり関わりたくないんだよな
冷静な、科学的な話ができない
- 354 :
- 奈良の箸墓が卑弥呼の墓だったってのには辟易してるんだけど
- 355 :
- >>354
>奈良の箸墓が卑弥呼の墓だったってのには辟易してるんだけど
それ、そんなに強く主張してる人、多くないだろ?
別に箸中山古墳じゃなくても、何も畿内説は困らないし
- 356 :
- 惣座遺跡なんてちっぽけな掘っ立て柱の古代集落跡
(遺跡概略:古代竪穴住居+掘立柱建物+溝+土坑)
奈良では、こんなんでも珍しいんだろなww
- 357 :
- >>355
畿内説のテンプレ読んだ?
- 358 :
- >>352
わりと冷静に調査分析しているように読めるね。
ならなら面白い。
少なくとも卑弥呼の墓の可能性はないとも書いてあるみたいだし。
地主に怒られた話も書いてあるから、なんて率直なんだと思う反面、慎重さは欠けているなとも思った。
今後の調査がやりにくそう。
- 359 :
- >>358
現地に行かなくても、地理院地図でかなりのことが分かるよ
古墳じゃないと判断するには十分
- 360 :
- >>356
>惣座遺跡なんてちっぽけな掘っ立て柱の古代集落跡
惣座遺跡 : 惣座遺跡 久池井B遺跡 春日遺跡の報告書でも読みな
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/18554
のちの肥前国府跡につながる、この地域の中心の遺跡だぞ
本当に適当だよな
- 361 :
- >>360
>肥前国府跡(ひぜんこくふあと)
・国府について、『肥前国風土記』には記録がない。『和名抄』に「乎岐国府」(おぎこくふ)とある。
しかし奈良時代には久池井に肥前国庁が置かれていたので、前身の乎岐国府はここに移転したと考えられるが、明らかになっていない。
>肥前国庁跡(ひぜんこくちょうあと)
・国庁築成時期は、出土した須恵器、土師器、多量の瓦などから、8世紀前半と推定され、10世紀ごろまで継続した。
久池井(惣座含む)の肥前国庁はあたらしい建物だからな。
その前にあったという乎岐国府こそ、古代を語る真の証人だろう。
- 362 :
- やっぱ惣座遺跡なんてちっぽけな掘っ立て柱の古代集落跡か
- 363 :
- >>361
>「乎岐国府」
その「乎岐国府」の実態が分からないからしょうがない
惣座遺跡は、肥前国庁を作るだけの中心的な集落があったのは間違いない
>その前にあったという乎岐国府こそ、古代を語る真の証人だろう。
その乎岐国府の候補地はどの辺に求めるの?
- 364 :
- 弥生時代なのだから、竪穴式ではなく掘立柱建物なら高床式ですね。
宮か米倉かは難しいですが、棟持柱があるかどうかが決め手でしょう。
- 365 :
- >>363
そのことよ
まず、久池井の肥前国庁跡は、南北105余メートル、東西77余メートルだそうだ。
で、乎岐(をぎ・小城)といえば砦の意味らしいので、
久池井の国庁跡と西方の小城市との間に、砦らしき区画はないものかと、長年高速道路の南側を、たんねんに探してきた。
手がかりとしては、肥前国庁跡の105m×77mで、同庁と同じく南北線がわずかに西に振った区画だ。
お好みではないらしいが、グーグルで探すこと数年、ある日、舩塚古墳の東方、川上の高速道路の北側にそれらしき区画を見つけた。
五社大明神という藤原氏の守り神の神社を中心に、南北240余メートル、東西128余メートルの大区画だ。
(整然と建物が並んでおり、先の肥前国庁跡が2つすっぽり入る大きさである。)
しかも、南北線も肥前国庁跡とほぼ同じであり、わずかに西方へ振っている。
さらに、この大区画の半分ほどの幅の縦長区画も両サイドに数区画づつ控えており、その全体区画は、東西1q余、南北240m余にわたる。
またこれを取り巻く小径も、現時点及び昭和23年の米軍の空中写真で認めた。(但し今では舗装道路になっている、、、)
これがくだんの「推定・川上の大環濠」、というわけだ。
(念のために言うが、いろいろ有利な状況は有るものの、今のところ推定区画にとどまっている。お間違いなきよう。)
- 366 :
- >>365
>五社大明神という藤原氏の守り神の神社
それでいいのか?w
藤原氏って、かなり後世だろうに
- 367 :
- それって、クマソタケルの墓のあるところじゃなかったっけ?
後に藤原氏が取ったということでしょう。
- 368 :
- >>366
藤原氏の祖は中臣氏、その中臣氏の祖は、高天原神話に出てくる天児屋命アメノコヤネノミコト
「佐賀川上の五社大明神神社」
この神社には、藤原氏の祖の天児屋命、及び盟友の、建御雷之男神・経津主神、比売神、仲哀天皇、並びに神功皇后、応神天皇の五社七祭神が祀られている。
で、これら七祭神の中で最も注目されるのは、何をさておいても「建御雷之男神」であろう。
佐賀川上の「推定・伊都国大環濠」と目される区画の神社に祀られているこの「建御雷之男神」の父の名が、
「伊都之尾羽張神イツノオハバリノカミ」であったとは、偶然にしても驚くほかないのである。
- 369 :
- >>368
>で、これら七祭神の中で最も注目されるのは、何をさておいても「建御雷之男神」であろう。
その「建御雷之男神」を祀っているのが唯一倭国(阿波)って、佐賀はなにしてんの? @阿波
式内社「事代主神社」 式内社 「建布都神社」
は、ともに同じ倭国(阿波)阿波市にあり、『ともに日本唯一 阿波にだけ在る式内社』です。
式内社「事代主神社」が全国で倭国(阿波)にだけ祀られていることから、「事代主命」は倭国(阿波)の人物でしょう。
同じく、建布都神(武甕槌神)も全国で倭国(阿波)にだけ祀られていることから、倭国(阿波)の人物でしょう。
- 370 :
- >>369
@阿波は、阿波県内部のことしか知らない阿波の中の蛙だな
「建御雷之男神」を祀る神社は、全国で170社ほどある。
そのうちの有力な春日社だけでも、以下の如し。
春日大社 奈良県奈良市春日野町160
春日神社 福井県あわら市中番下番入会地1の甲
春日神社 福井県鯖江市鳥井町12−31
春日神社 福井県坂井市三国町新保18−16
春日神社 福井県福井市石畠町3−7
春日神社 滋賀県長浜市余呉町小原333
春日神社 静岡県浜松市西区馬郡町1882−2
春日神社 奈良県橿原市戒外町42
春日神社 奈良県磯城郡田原本町大字千代字中垣内1258
春日神社 奈良県桜井市大字三輪字小字平等山
春日神社 富山県砺波市高波1580
- 371 :
- 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
- 372 :
- >>370
>「建御雷之男神」を祀る神社は、全国で170社ほどある。
では、「建布都神(武甕槌神)」を祀る神社は全国で倭国(阿波)だけだね?
それら、「建御雷之男神」を祀る神社は、「建布都神社 阿波国阿波郡一座」の勧請社。 @阿波
延喜式神名帳には、「建布都神社 阿波国阿波郡一座」と記され、建布都神社は阿波に1社だけ・・・。阿波国阿波郡に建布都神社に比定される神社はいくつかある。
建布都神とは古事記では、伊邪那美命が加具槌神を産んで亡くなったことに悲観した伊邪那岐命が加具槌神を斬り殺したときにその剣よりしたたり落ちた血から生まれた神である。
建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)とも豊布都神(とよふつのかみ)ともいう。この神は、國譲りの場面でも大きな役割を果たす。物部氏の祖神とされ、
建御雷之男神が持っていた剣は布都御魂(ふつのみたま)といい、神武天皇の東征でも大きな役割を果たす。
- 373 :
- >>370でみると、福岡や佐賀は、春日社信仰の本場ではなさそうに見えるんだが?
- 374 :
- >>372
建御雷之男神(たけみかづちのかみ)
別名
武甕槌命:たけみかづちのみこと
建御雷神:たけみかづちのかみ
建甕槌神:たけみかづちのかみ
武甕雷神:たけみかづちのかみ
武雷神:たけみかづちのかみ
建雷命:たけみかづちのみこと
建御賀豆智命:たけみかづちのみこと
武甕雷男神:たけみかづちおのかみ
……
中臣氏、のちの藤原氏の氏神。
- 375 :
- >>373
鋭いご指摘ですねえ
手元の資料は、神社といっても現在もある程度の参拝者がいる生きて活動中の神社のみ。
で、建御雷之男神(たけみかづちのかみ)を祀る社を改めて見直すと、
九州では、長崎県壱岐に2社、鹿児島県霧島に1社のみ。
佐賀川上の五社大明神は、古〜い神社建物と大きな太神宮の石碑が残るだけで廃社同然。
ご承知のように、
藤原氏の活躍の場は、奈良のヤマト王権以降であったわけだから、これは当然といえば当然かもしれない。
それでも、高天原神話に於いて、
藤原氏の祖の祖たちが名を成したと思われる九州(の佐賀川上の、しかも個人的な伊都国推定地)で、
「伊都之尾羽張神イツノオハバリノカミ」の息子の「建御雷之男神」に出会うとは、まことに奇遇ではあった。
- 376 :
- >>373
福岡にも春日の地名はあるじゃないか。
海の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
船出して振り返ると、春日社がある福岡県の三笠の山に月が出ているのが見えるという歌だそうだ。
天の原を高天原があった対馬と解釈する人もいるそうだ。
○春日神社 春日四所大神を祀る。武甕槌命 斎主命 天兒屋根命 姫大神なり。當社はむかし御笠郡大城山の上に鎮座し給へり。後に爰に奉?といへり。
(『筑前國続風土記拾遺』巻之十一那珂郡)
- 377 :
- タイムリーなことに、福岡県の三笠山にあった春日社は武甕槌を祭っていたとありますねえ。
後にこの春日神社が現在の福岡県春日市に勧請されたのだとか。
- 378 :
- >>376
ググったら、天の原は対馬ではなく壱岐だそうだ。
訂正
- 379 :
- 結局、委の五王って誰よ?
私的には全て九州なのか
日本海側の佐賀福岡山口島根新潟なのか
わからない
- 380 :
- 日本海側に伸びる倭国の盟主は筑紫なので、筑紫の倭王です。
- 381 :
- >>380
日本海側に伸びる倭国の盟主は倭国(阿波)なので、倭国(阿波)の倭王です。 @阿波
- 382 :
- >>379
倭地とは九州のこと
倭人とは九州に棲む人のこと(本州は倭種)
倭国とは九州地方30余の国々の共立連合体のこと
よって倭王とは倭国の王のことであるから、全て九州地方の王である
- 383 :
- 薄地の部分は「畿内系土器の流入が目立って多い地域」
https://i.imgur.com/H58CQro.jpg
大体、この範囲が倭国でいいだろ?
- 384 :
- >>383
>大体、この範囲が倭国でいいだろ?
そうだね。 忌部はんの開拓地をよく表しているね。 @阿波
- 385 :
- 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
- 386 :
- >>383
九州北部以外は倭地だよ。
- 387 :
- >>386
>九州北部以外は倭地だよ。
つまり、九州北部は
「參問『倭地』、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里」には
入らないと主張するんだね?
九州説の人でも、それは珍しい主張だなw
どういう根拠でそう思ったの?
できたら具体的に教えて!ww
- 388 :
- 安曇族だろ
福岡にクビキレって塚がある昔の中国人の墓だ
中華が攻めてきたが漂流してきた
安曇族は呉の出身だったから
呉の船員だけ助けて
他の地域の人種は全て処刑された
安曇族は漢字が読み書き出来たため会話で呉人を
判断できた
安曇族は九州北部沿岸の用心棒を生業としていた
そんな言い伝え、石碑?がたっています
- 389 :
- 皆さんに聞いてみたい
日本書記を信じていますか?
国とは、いきなり王様や女王の
いる国から始まるのでしょうか?
倭(委?)とは、いつから呼ばれていたのか?
いつからだれが自分達を倭人(倭)と認識したのか?
漢字はいつから流入してきたのか?
何かひとつでも判る方、それらしい
ヒントや考え方をお持ちの方、教えて下さい。
- 390 :
- 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
- 391 :
- 記紀の国生みは、イザナギが博多湾の能古島を矛で征服するところから始まる。
不思議なことに、ニニギも博多湾沿岸の日向(高祖山)を征服する。
弥生時代、数次にわたって渡来人が文明を持ち込み倭国が成立した。
かつて倭人は呉の太伯の末裔を名乗ったとあり、そもそも大陸の王族が渡ってきたのだろう。
その中でも天津神(海の神の意味)と呼ばれる対馬海峡の海洋部族が、最終的に政権を取ったと考えられる。
対外進出した勢力がそこで勢力争いをして、最終的に政権を担う一族が選ばれる。
大陸の戦争よりは小規模だが国を挙げての戦いが弥生時代に筑紫や出雲を舞台に行われた。
筑紫や出雲を逃げ出した神武や事代主らが大和でさらに小規模な抗争を行った。
それを大和の少数だが最後に政権を勝ち取った部族から見た記録が、記紀なのだろう。
- 392 :
- >>391すばらしい
いろんな考え方のひとつとして参考にします
勉強になりました、ありがとうございます
- 393 :
- 倭国は南朝鮮も勢力範囲に入れてました。
記紀の国産み神産みは新しく倭国の覇者になった天孫族がその支配の正統性を示したものでしょう。
天孫族イザナギの故郷は糸島の志摩です。
倭人伝でいうシマ国です。なので二見ヶ浦等やニギの浜等天孫族の聖地があるのです。
またイザナミはスク岡本でしょう。又は卑弥呼はスク岡本に居したと思われます。
熊野権現がスク岡本にあります。銅矛の鋳型?が御神体だったと思います。
天孫族による筑紫倭国の支配の正統性のため住吉や綿津見や警固の博多湾沿岸の豪族を神産みで産んだとしたのでしょう。
福岡市西区小戸の皇大神宮の御神体は江戸期に小戸の海中から引き揚げられた銅矛です。
国産みの時の銅矛かも?しれませんね。
大国主は遠賀川流域の直方辺りを支配していた豪族です。
宗像三女神も大国主の勢力下の豪族でしたが、国譲りで大国主が倭国外の出雲に追放された際、宗像三女神は天孫族の支配下に収まりました。
天孫族による宗像三女神の支配の正統性を示す記述がスサノオとアマテラスのやりとりです。
- 394 :
- 直方の大国主が倭国外の出雲に追放されたことによって遠賀川流域の遠賀川式土器や横穴墓が列島に拡がったのです。
出雲は倭国外の銅鐸と筑紫の銅矛が出土するのはそのためです。
追放さらても尚、大国主のそのカリスマ性は消えることはなく列島に影響を与えたのです。
出雲大社が西を向いている理由は、故郷の直方、または天孫族の筑紫に敬意を払って西を向いているのです。
- 395 :
- 筑紫神社は筑紫、豊国、肥国の境に荒ぶる神を鎮めるために建てられました。
筑紫とは博多湾沿岸部、そこは邪馬台国の中心があった場所です。
邪馬台国と争った狗奴国とはいまの久留米辺りにあった倭国内といっていいところにあった勢力です。
つまり、邪馬台国と狗奴国は倭国内で覇権を争ったのです。
南九州はクマソと言われた倭国外の倭地です。
邪馬台国と狗奴国の境は筑紫神社にもほど近い基山の三国境でしょう。
つまり筑紫と肥国と豊国の境です。
筑紫神社から冷水峠を越えればそこは豊の国です。
大国主が収めた遠賀川流域もその辺りまで位置します。
三国境付近では争いが絶えず沢山の人が死にました。
その荒ぶる神を鎮めるために筑紫神社が建立されたのです。
筑紫神社では筑紫、肥国、豊国の三国の豊作を祈願する祭りも行われています。
また、神武東征とは博多湾沿岸の筑紫から大国主なき追放後の豊国香春や行橋等
の遠征でしょう。
神武は大国主なき後天孫族が今の福岡県域の実質支配者ですが、天孫族に従わない豪族の多さに嘆いて畿内への東征を決めたのでしょう。
- 396 :
- 神武は筑紫の将軍として東征した、実質初代の征夷大将軍のような存在ですね。
- 397 :
- どのスレだったか、イザナギが筑紫(博多湾沿岸)の王に対して、イザナミが豊国(遠賀川流域)の王妃だという書き込みがあった。
それは筑紫の彦火火出見と豊国の豊玉姫の関係と同じである。
天津神の男と国津神の女のペアが倭国の基本的な婚姻スタイルなのである。
豊玉姫の実家は志賀島とも言われるが、筑紫に天孫族が侵入したことで、東に追われて遠賀川流域に移動したものであろう。
後に天津神の末裔である神武も、国津神の三輪大神(大国主の息子の事代主)の娘という姫多々良五十鈴姫に婿入りしている。
ちなみに彦火火出見は筑紫の日向の伊都国の高祖宮の祭神である。
筑紫と豊国の間の山のいずれかが黄泉比良坂であろう。
黄泉のヒラ(登り坂のこと)サカ(下り坂)、すなわち峠という名前だからだ。
その原型となるより小さいモデルが筑紫の中にある。
高祖山の日向峠である。
福岡市側の奴国、すなわち国津神の国と、糸島市側に伊都国、すなわち天津神の国との間にあるヒラ坂なのである。
これが天孫ニニギと、大山祇の娘である木花咲耶姫の婚姻となる。
この二人の墓が伊都国の三雲南小路遺跡であり、その祭殿である細石神社が漢委奴国王印を保有していたとされる。
ちなみにニニギの息子の海幸山幸兄弟のうち、兄の海幸は追放され宮崎県に移り住んだと言われている。
博多湾沿岸の山幸の国が邪馬台国、南にある海幸の国が投馬国(宮崎県都万)となる。
- 398 :
- 筑紫倭皇帝サンありがとう
皇の漢字のつく名前や地名は少ないから
筑紫は天皇関係かと想定していた
その横の鷹羽あたりが倭人軍隊
筑紫から仲哀峠を通ってから八女と宗像に行く道が
わからない、はっきりしていない
道路があったと思うんだけど
倭人伝の記載は全く無視の想定でw
- 399 :
- >>395筑紫倭皇帝
>天孫族に従わない豪族の多さに嘆いて畿内への東征を決めたのでしょう。
その東征した畿内の拠点はどこかな? 妄想話だから言えないだろうがw
よりによって、湿地帯の畿内へなんぞ東征せずとも、弥生人にとってすばらしい自然環境の倭国(阿波)をお勧めする。 @阿波
- 400 :
- おんや、筑紫倭皇帝とな?
改名でもなされましたかの
- 401 :
- このスレも人が居なくてなかなか進まないなぁ
- 402 :
- 畿内スレの常連2〜3人だけで、ほとんど絶滅危惧種じゃないの
- 403 :
- 宋史日本国伝に残されている。
記紀と異なり「初めの主は天御中主(あめのみなかぬし)と号す。
次は天村雲尊(あめのむらくものみこと)と曰う、
其の後は皆尊(みこと)を以て号と為す」として、
天八重雲(あめのやえくも)、伊弉諾(いざなぎ)、
素戔烏(すさのお)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、
正哉吾勝速日天押穂耳(まさかあかつはやひあめのおしほみみ)、
天彦(あまつひこ)、彦瀲(ひこなぎさ)
など21人の尊を連ね、「凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮
(ひむかしのみや)に都す。
彦瀲の第四子を神武天皇と号す」
大胆に「万世一系」の系譜と、
神武に直結する二十三世の王(神)
が記されている。
都は筑紫の日向宮
異論ある?
- 404 :
- 紀元前の吉武高木から倭国大乱直前の2世紀まで、およそ500年。
23世なら平均一代20年。
この博多湾沿岸勢力が倭国そのものということになる。
そして神武が筑紫を脱出した後に筑紫倭国の女王となったのが卑弥呼である。
- 405 :
- 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
- 406 :
- なかなか良いセンスだ
で肝心要は、その「万世一系」が、なぜ倭国大乱を引き起こし、そしてどうなったのかだねえ
- 407 :
- いや、そっちが大事なのではなくて
宋史日本伝で適当に計算してみると
23代の1代を25年でも大変な総年数
- 408 :
- 吉武高木からならちょうど合う。
- 409 :
- 宋史日本国伝
其《年代紀》所記云:
初主號天御中主。
次曰天村雲尊,其後皆以『尊』爲號。
次天八重雲尊,次天彌聞尊,次天忍勝尊,次瞻波尊,次萬魂尊,次利利魂尊,
次國狹槌尊,次角龔魂尊,次汲津丹尊,次面垂見尊,次國常立尊,次天鑒尊,次天萬尊,次沫名杵尊,
次伊奘諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,次天彥尊,次炎尊,次彥瀲尊,
凡二十三世,並都於築紫日向宮。
彥瀲第四子號神武天皇,自築紫宮入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。
- 410 :
- >>409
>入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。
ふ〜ん、筑紫倭国のキーマンはやはり彥瀲尊になるのか
で、當周僖王時はいつ頃のことなのかなあ
- 411 :
- >>410
>で、當周僖王時はいつ頃のことなのかなあ
そりゃ、8世紀だよ。 @阿波
- 412 :
- >>410
畿内説の年代詐欺はこの頃から始まっていたんだ。
皇紀2600年と同じ主張だからね。
- 413 :
- 日向国でも筑紫嶋でもなく、筑紫の日向宮であるところがポイントです。
筑紫(福岡県)の日向、すなわち高祖山の周辺が倭国のことであるということです。
考古学的にも吉武高木遺跡から平原遺跡まで、歴代の倭王の王墓群があるところです。
- 414 :
- >>413
> 考古学的にも吉武高木遺跡から平原遺跡まで、歴代の倭王の王墓群があるところです。
お墓だけでは、不十分。
邪馬台国時代の集落遺跡群が示せないとね。 まぁ、示せるのは倭国(阿波)だけなんだけど。 @阿波
- 415 :
- >>414
高祖山周辺は遺跡密度が日本一高いところだと思いますよ。
- 416 :
- >>415
>高祖山周辺は遺跡密度が日本一高いところだと思いますよ。
例えばどんな遺跡? @阿波
- 417 :
- >>415
王家の谷、というか歴代の墓場ばかりではちと説得力に欠けるんだけどねえ
ま、ウガヤフキアエズの外戚、
つまり奥さん、おかーさん、そのまたご先祖のお墓が筑紫の高祖山のふもとあたりだったんだろうね。
- 418 :
- 甲寅,當周僖王時也。
実際には、250〜300年ごろの甲寅だったんだろな。
- 419 :
- >>418
そりゃ、8世紀だよ。 @阿波
- 420 :
- 卑弥呼がウガヤフキアエズの外戚あたりというのは、案外ありかもしれない。
三雲にいた天孫族が筑紫を出て、その後に卑弥呼が共立されるわけだが、まったくの素人を担ぎ出すはずもない。
そして死後は平原に埋葬された。
- 421 :
- >>417
>王家の谷、というか歴代の墓場ばかりではちと説得力に欠けるんだけどねえ
三雲地区は弥生時代の外交行政の中心業務地区だよ。
- 422 :
- 卑弥呼が国津神なら女系相続だし、今で言う外戚はあり。
女性首長は九州北部の国津神の習慣だし。
- 423 :
- >>420
妄想は立派に語れるんだがねぇ・・・・ @阿波
- 424 :
- >>421
>三雲地区は弥生時代の外交行政の中心業務地区だよ。
その「弥生時代の外交行政の中心業務地区」だったという「三雲地区」の弥生後期末の集落遺跡群はどれ? @阿波
- 425 :
- 神武(およびその取り巻き)は、
外戚のご先祖の初主號天御中主が、数百年の歴史を誇る筑紫の名門の祖と聞いて、
俺んちは、それよりも古いんだぞ〜〜〜、、甲寅,當周僖王時也、といって、
カーチャンに威張って見せた。(が、実は・・・)
- 426 :
- 神武は直系だろ。
24代目に書いてある。
- 427 :
- 筑紫倭国の祖を天御中主とし、
途中、女系天皇豊玉姫を認めるなら、直系24代目ということになるかも、、、
- 428 :
- 豊玉姫は書いてない。
22代目の炎尊が伊都の高祖宮の祭神である彦火火出見のことなら、その妃だから。
23代目の彦渚ウガヤフキアエズまで倭王は筑紫の日向宮にいたと書いてある。
日向宮が後の怡土城、記紀にある筑紫の日向の高千穂宮のことだね。
- 429 :
- ちなみにこの系図の続きでは神功は天皇に数えられている。
神功皇后が天皇から外されたのは明治以降だったかな。
- 430 :
- >>428
>豊玉姫は書いてない。
因みに、豊玉比賣を冠する延喜式式内社は倭国(阿波)にしかない。 どうして??? @阿波
御祭神を豊玉比賣とする豊玉比賣神社(とよたまひめじんじゃ)は、全国各地に鎮座しているおりますが、
豊玉比賣を冠する延喜式式内社は阿波国にしかない。
- 431 :
- 倭国(阿波)名方郡には二つの「豊玉比賣」の名を冠する延喜式式内社が鎮座している。
一つは「天石門別豊玉比賣神社(あまのいわとわけとよたまひめじんじゃ)」
一つは「和多都美豊玉比賣神社(わだつみとよたまひめじんじゃ)」 @阿波
- 432 :
- この系図は系図として、
肥国王家の卑弥呼を天照大神とし、
その宗女台与を筑紫倭国直系二十数代目のトヨタマヒメと置けば、なんとなくつじつまが合いそうだ。
そして筑肥・政略結婚の結果、ウガヤフキアエズが生まれ、
さらに2回目の政略結婚でウガヤフキアエズはトヨタマヒメの妹のタマヨリヒメと結ばれた。
トヨタマヒメを祀る神社は、伊都国と推定される佐賀川上1番地にあるので、
台与の時代には、邪馬台国は佐賀川上の伊都国に本居を移したのかも、、、。
- 433 :
- >>432
妄想は立派に語れるんだがねぇ・・・・ @阿波
- 434 :
- 豊玉姫を持ち出さなくても、神武の後に伊都に卑弥呼が即位し、壹與の時に佐賀川上に遷都でいいだろう。
- 435 :
- >>433
たとえ妄想でも、
立派と褒められるなら、悪い気はせぬな。ありがとさん、
- 436 :
- 阿波は何も具体的なことを言えないくせに。
- 437 :
- >>436
>阿波は何も具体的なことを言えないくせに。
う〜ん、妄想はからきしだめだね。 @阿波
- 438 :
- 八咫鏡
>古事記では、
>高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、
>「川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」と記されている。
ここにも、川上が出てくる。、卑弥呼〜台与のころの銅鏡話に通ずる。
- 439 :
- 魏からもらったとはいえないので、
古事記では、川上で作らせたことにしたのだろう。
でも、国内初出が川上あたりであったことは、それとなく匂わせてるわけだ。
- 440 :
- >>438
>「川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」と記されている。
はい、どうぞ。
第2番札所 徳島市 「金山神社・立岩神社」
「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」
ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』という埋蔵金ミステリーそのまんまの名前。
この精錬伝承の中心となっているのが、『金山神社』と『立岩神社』の両神社である。金山神社は鍛冶の神である金山毘古(かなやまびこ)神を祀り、その境内の中に高さ7m幅4mの日本一の巨大陽石(と掲示されている)をご神体とする『立岩神社』が鎮座する。
この巨石は『天津麻羅(あまつまら)』を祭神とし、素朴に男性を象徴しているが特に通俗的な信仰はない。
古事記には「八尺の鏡は天の金山の鉄をとりて天津麻羅を求ぎて伊斯許理度売命(いしきりどめのみこと)に科せて鏡をつくらしめ」という記述があり、これがこの地が八尺の鏡製造地であることを裏付けている。
なお、ここより直線で13キロ西には神山町の『立岩神社』(第3番札所)があり、ここには高さ20m幅20mの女性器を象徴する巨石があり、古来より「天の岩戸」と称されている。 @阿波
- 441 :
- >>439
平原遺跡の八咫の鏡でいいのなら、国産だと考えられているよ。
- 442 :
- >>439
「川上」ひとつで、妄想は立派に語れるんだがねぇ・・・・ @阿波
- 443 :
- 宋史日本国伝の天村雲尊(あめのむらくものみこと)
これは福岡田川郡の英彦山なんだよな
紀元前より前に創建との話もある
もしかして紀元前より中国(周)より前に
交流あったとかないかな?
- 444 :
- >>443
>宋史日本国伝の天村雲尊(あめのむらくものみこと)
あっ、今度は「天村雲尊」ね。
はいどうぞ。
「天牟久怒命」=「天村雲命」を祀る、日本唯一(またまた)の式内社 阿波國麻殖郡「天村雲神伊自波夜比賣神社」が、 阿波国旧麻植郡射立郷「村雲」に鎮座する。
この天村雲神の別名がなんと、「天五多底命 ( あめのいだてのみこと )」 なのである。 御祭神の天村雲命は、「 射立神 」とも呼ばれる。
「天村雲命は、別名「天五多底命(あめのいだてのみこと)」とも呼び、射立の神。鎮座地周囲は、湯立という字が残っているが、これは射立からの転訛。
もし、天村雲命=射立神だとすると、天村雲命=五十猛命とも考えられる。 五十猛命は、素盞嗚尊の御子神であり、伊達神。」
全国3132座ある式内社で、「天村雲」を冠する日本唯一の神社なのである。 @阿波
- 445 :
- 「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると
「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」
>>444
阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。
阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。
内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。
その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの『豊受皇太神御鎮座本記』を記したのであろう。 @阿波
- 446 :
- >>443
あー、年代は確実に紀元前だね。
英彦山の位置付けがよくわからないけどね。
その系図も、九州北部のいくつかの王統の伝承をまとめたように思える。
- 447 :
- アタマのビョーインに行け
- 448 :
- キナイコシの負けが込んできたので呟きが出現
- 449 :
- なんだ今日の阿波は
いつも以上に必死だな
何か琴線にふれたのか
- 450 :
- >>449
いやいや、別に必死という訳ではないんだけど、
今日は日曜日で、朝から雨だから。
百姓には雨天はお休みとなるわけ。 @阿波
- 451 :
- >>431
糸島にもあるよ
主祭神 豊玉姫命
延喜式神名帳には、怡土郡志登神社一座と記されている
初め彦火々出見命兄火照命の釣針を借りて釣魚をなさんとして海中に之を失ひ釣針を索むるため塩土老翁の先導に依りて龍宮に至り,豊玉姫姙娠の身を以て彦火々出見命の跡を慕い此の地に来たり給ひし靈地なれば豊玉姫命を奉祀せしものなりと云ふ
- 452 :
- 志賀島からやってきた豊玉姫が伊都の彦火火出見に会うために上陸したとされる場所ですね。
- 453 :
- >>451
>糸島にもあるよ
だ・か・ら
「御祭神を豊玉比賣とする豊玉比賣神社(とよたまひめじんじゃ)は、全国各地に鎮座しているおりますが、
豊玉比賣を冠する延喜式式内社は阿波国にしかない。」 @阿波
- 454 :
- 久しぶりに覗いたがなんか私の説がいろいろ影響与えてたみたいで嬉しいな。
- 455 :
- >>413
>筑紫の日向宮であるところがポイントです。
そんなのが書いてある文献はないだろ?
古事記にも、日本書紀にも「日向宮」なんてのは載ってない
- 456 :
- >>455
「日向」は地名などの固有名詞じゃないからね。 トンデモ妄想説はそうしたがる。 @阿波
- 457 :
- >>455
今は宋史について議論しています。
>>409
>次伊奘諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,次天彥尊,次炎尊,次彥瀲尊,
>凡二十三世,並都於築紫日向宮。
- 458 :
- そういえば高良大社にも豊玉姫伝承があったね。
豊玉姫の玉は、潮の満ち引きの玉で
有明海がモチーフだとか。
- 459 :
- 筑紫といっても広いから、
まして日向の宮ともなれば百家争鳴になるだろな。ま、にぎわってよかろ。
- 460 :
- >>459
「日向」は地名などの固有名詞じゃないからね。 トンデモ妄想説はそうしたがる。 @阿波
- 461 :
- 高良大社:
祭神、高良玉垂命に関しては、
武内宿祢説、藤大臣説、物部祖神説、中臣烏賊津臣説、芹田真誰説、
新羅神説、綿津見神説、彦火々出見説、水沼祖神説、景行天皇説など、
多くの説があるが、
明治までは、武内宿祢説が主流であった。
境内地は広大。明治までは全山が神域だった。明治の神仏分離で削減されたが、今でも33万平方m。
- 462 :
- 高良大社の豊玉姫は後世の付会ではないかと思います。
神功皇后絡みで偽装工作のオンパレードですから。
高良大社の干珠満珠が神功皇后の手元にもたらされたことが所縁なのだと思いますが、本来は高良大社は壹與に関係する施設だったのではないでしょうか。
- 463 :
- 日本書紀と古事記なんていらんかったんや
混乱招く原因
- 464 :
- >>463
>日本書紀と古事記なんていらんかったんや
>混乱招く原因
それはトンデモ妄想説だからw
記紀は倭国(阿波)の物語なんだよ。 @阿波
- 465 :
- そもそも干珠満珠は河上神社(佐賀県川上)の川上大明神の宝物でもあるのです。
その主である淀姫(豊姫、壹與)は河上タケル(熊襲梟師)の妹であり、彦渚ウガヤフキアエズの息子という説もあるそうです。
実年代にして4世紀のはじめのことと思われます。
- 466 :
- 広渡正利『英彦山信仰史の研究』は
「宇佐神、香春神、彦山神が古来密接な関係をもっていたこと」を指摘しています。
>宇佐・田川など豊前国の人々が、宇佐八幡と同躰の豊比当スを産神としていたことは、
>彦山の地主神北山殿や香春宮の神躰が豊比当スと伝えられていることに符合します。
>豊比刀*L姫は豊日別神(豊日別国魂神)でもありますが、
>この神が「宇佐八幡と同躰」ということは、豊姫神が宇佐八幡の比売大神でもあることをいいます。
>紀伊国から肥前国、そして豊前国へと川上神(豊姫神)を辿ると、
>瀬織津姫神が宇佐八幡の比売大神(宗像大神と同体)であった可能性が、みえてきます。
>遠地の分社祭祀が本社の本来の祭神・祭祀を照らしだすことはときどきありますが、紀州・川上神社も、その好例といえそうです
- 467 :
- 卑弥呼の時代に筑前筑後肥前までだった倭国が、壹與の時代に豊前肥後まで拡大されたのでしょうなあ。
- 468 :
- つまり、
宇佐神、香春神、彦山神、(彦山神の分社の)川上神は、
古来、豊比刀*L姫を通じて密接な関係にあったということらしい。
ということは、
豊姫(台与)は、元は筑紫倭国の姫であったが、肥国王家と縁ができちゃったので、川上にも祀られているということになるのではないか。
- 469 :
- >>405
>日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
>中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
江南では大河流域の広大な湿地帯で、
中粒種は陸稲種で土の固い畑に栽培する。
短粒種は水稲種で土の柔らかい水田で栽培する。
>ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
日本の初期の水田は、扇状地の小川沿の広さ10u〜40uの水田や三日月水田である。
>そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
>石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
>石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
この3つは、広大な固い土の畑に栽培する中粒種陸稲には必要不可欠な農具。
>ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
>木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
日本の狭い水田では、柔らかい土を耕す木製のクワと泥土をならすエブリで必要十分な農具。
石耜石鋤石犂の3つは無用長物。
- 470 :
- みやま市辺りは投馬國の一部。中心地?
- 471 :
- >>468
そもそも卑弥呼が肥後狗奴国の卑弥弓呼の係累なら、卑弥呼の宗女であった壹與も肥国の王家の人物でもあるだろう。
筑前筑後肥前を支配するなら筑前にいるのがベストだろうが、肥後豊前まで支配するのなら、筑後高良は最適な場所になる。
- 472 :
- おはようございます
>>470そこは悩んだのよ八女にするか
倭にたくさんの王が居たのは事実で
しょうから。
邪馬台国って漢字が出ると皆がモメルw
たくさんの王や村長がいた。沢山の歴史
があった。いろんな積み重ねがあった。
私個人の思いは沢山あるけど書ききれないw
これ興味ないですか?
京都の妙心寺の国宝梵鐘(国宝だよ!)には
「戊戌年四月十三日壬寅収糟屋評造舂米連廣國鋳鍾」
という銘があり、
戊戌年、西暦698年に舂米連広国
(つきしねのむらじひろくに)
という糟屋評(こおり)の長官であった人物が
この鐘を鋳造させたことが記されている。
また糟屋郡か...@東京
つきしねのむらじひろくに?
- 473 :
- >>472
四月十三日が壬寅になるのは本当に西暦698年なのか?
638年か578年なのかを確認してくれ。
私は調査計算が面倒なので確認できない。
- 474 :
- 太宰府の観世音寺と兄弟鐘
全く同じ名文が書かれている
なぜ1つは京都にあるのか?
名文の解釈は?
春に似た漢字はなんだ?意味は?
昔はお互いに聞こえる距離にあり
美しい音色を交互に聞かせていたとか?
いろいろ想像がつきません
- 475 :
- 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
- 476 :
- なかなかセンスがいい、核心に近い所に来てる
さすがに畿内説や阿波もダンマリしかない
- 477 :
- >>476
>なかなかセンスがいい
どのスレが? @阿波
- 478 :
- >>475
朝鮮人は遺伝子解析で日本人(ハプロタイプD1b)とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った遺伝子を示す。
日本列島の縄文中期土器には沿海州南部の縄文晩期土器と特徴が一致しているものがある。
日本の最古水田の稲の種類(短粒種)、耕作用農具、炊飯器(縄文土器)から考えて、
耕作用農具、炊飯器(縄文晩期土器)は、明らかに日本人独自に発明発展したものである。
- 479 :
- >>478
>日本の最古水田の稲の種類(短粒種)、耕作用農具、炊飯器(縄文土器)から考えて、
>耕作用農具、炊飯器(縄文晩期土器)は、明らかに日本人独自に発明発展したものである。
そりゃ、当然有りでしょ。 弥生時代とは言え、銅鐸や勾玉なども日本独自なんだから。 @阿波
- 480 :
- 高良大社/こうらたいしゃ・ 福岡県久留米市御井町
式内社 筑後國三井郡 高良玉垂命神社 筑後國一宮
御祭神 高良玉垂命
配 祀 八幡大神 住吉大神 合祀 豊比淘蜷_
福岡県久留米市にある。履中天皇の御宇の創立と伝えられる。
>東西30Kmに連なる耳納連山の西の端にあり、高良山(312m)の中腹に鎮座。
>麓から耳納スカイラインが整備されている。
>高良山一帯は、九州の交通・文化・政治の要衝。
>往時には、26寺・360坊が存在した、一大聖地でもある。
- 481 :
- 阿波とか、宮崎とか、ほとんど関係ない。
大和国と倭国はそもそも別物。
大和国の全身は邪馬台国(奈良県マキムク周辺)です。
倭国は、ヰと発音します。怡(伊)に通じる。厄介なのは伊連合が首都を奴国と、伊都国の間で移転させあっていた。(王墓の変遷から読み取れる)
奴の岡本(春日市)、伊都の三雲、井原。
時代によって首都が変わった。
最後は、平原遺跡。
この地で、太陽神オオヒルメノムチを創った。
神道の祝詞の最初のフレーズはこの地を詠ったもの。
- 482 :
- >>481
>倭国は、ヰと発音します。
阿波は、イの国・イツの国・倭国(いっのくに)だった。
伊予の二名島の西側が予の国であるなら、
イの国の範囲は、おおまかにみて徳島県と呑川県、高知県の東半分、つまり、四国の東半分が一つの国をなしていたと考えられる。 @阿波
- 483 :
- 八幡大神:全国八幡神社の祭神の「応神天皇」
>第十五代天皇。第十四代仲哀天皇の第四子。
>仲哀天皇は大中津比売命との間に香坂王、忍熊王をもうけ、
>息長帯比売命(神功皇后)との間に品夜和気命、大靹和気命(品陀和気命:応神天皇)をもうけた。
>応神天皇は、仲哀天皇の死後、神功皇后が新羅征伐から帰られた直後、筑紫でお生まれになった。
>大靹・品陀の名前は、生まれた時、腕に鞆(ほむた)のような贅肉が付いていたところから名づけられた。
高良大社は、要するに応神天皇を祀っていることになる。
中央に地元神を祀り、左右に神功皇后や応神天皇を配するのは、宇佐神宮と同様の形式だ。
高良は「辛島氏の加羅」からきているのだろうな。 高良大社→ 加羅大社
- 484 :
- >>483
【応神天皇(倭王讃)の難波大隈宮】
「春三月に、難波宮に幸せる時の歌」
「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ船 泊まり知らずも」
「上の一首、船王の作」
奈良時代の後期難波宮(大阪市)からは「阿波の山」は絶対に見えない。
倭国(阿波)から遷都する前の飛鳥時代に宮が設置された前期難波宮は香川県さぬき市津田。
この歌は香川県さぬき市津田の前期難波宮で読まれた歌である。
飛鳥時代に宮が設置された「前期難波大隈宮」は香川県さぬき市津田。「後期難波宮」は奈良時代(大阪市)
「前期藤原の宮」は持統天皇(麻植郡鴨島) 「後期藤原京」は文武天皇(奈良)
奈良時代は文武天皇の藤原京から。 @阿波
- 485 :
- >高良大社に、祇園山古墳出土品と伝わる三角縁神獣鏡(33方格獣文帯 鈕座「天王日月日月」)および変型方格規矩鏡)がある。
この詳細な由来は不明であるらしいが、
辛島氏所縁の神社にあるのは、なにかのヒントになりそう。。
- 486 :
- 豊前一宮→香春宮
筑後一宮→高良宮
名前も似てるね
前から気になっていることがあります
太陽⇔月、表糟屋⇔裏糟屋、投馬不弥、
陰陽、海彦山彦などなど
もしかして倭は何かを造るとき
2つづつ造ったのではないかな?
そうなると
表九州倭国⇔裏九州倭国(今の四国)
ただの偶然?考えすぎかな?
- 487 :
- 卑弥呼=天照の補佐が高木神なら久留米の辺りが邪馬台国、もしくはその一部
- 488 :
- 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
- 489 :
- >>486
高良と香春は同じ語源というのは比較的知られた話かと。
ただ、海幸山幸は別の話で、対馬海峡勢力と博多湾勢力が倭国の二大勢力だっただけのこと。
- 490 :
- >>489
>ただ、海幸山幸は別の話で、対馬海峡勢力と博多湾勢力が倭国の二大勢力だっただけのこと。
「其山有丹」でとっくに脱落してるのに、よくそんな妄想できるもんだね? @阿波
- 491 :
- 倭人伝は忘れていいよ
チンジュなんて来てないと思う
倭人伝のせいで、どれだけ時間が無駄に
なったか
- 492 :
- >>491
>倭人伝は忘れていいよ
なら、「邪馬台国」もなしとなり、このスレも必要なし。 @阿波
- 493 :
- 久留米・高良山(加羅山)は北部九州を睨むには絶好の地にある。
よって、何度も政争に見舞われたに違いない。
その最後の勝者が秦氏・辛島氏であり、その形が今日まで残っていることになるわけだ。
であるからして、卑弥呼や台与の時代は、そのもう少し前ということになると思う。
例えば、翰苑には、
邪(馬台国)は伊都に届き、斯馬にも連なる、とあるので、この3国のつながりは特に強かったのであろう。
「自女王國以北 其戸數道里可得略載 、、の次有斯馬國・・・」は、
実は、久留米一帯(八女、三潴等含む)だったのかもしれない。
- 494 :
- 前から思っていたことがあります
田油津姫が土蜘蛛と言われたように
ヤマタノオロチも同じなのでは?
想像ですが例えば八女の王の剣が
誰かに取られ政権が変わった比喩とか?
ヤマタノオロチって誰なんだろう
- 495 :
- トヨタマヒメの実の姿は鰐だったとか、
宇佐の誰かのもとに夜な夜な通った人物の本性は大蛇だったとか、、、
どうやら、高天原関係者(及びその子孫)以外は、恐ろしげな動物に擬せられるらしい。
- 496 :
- 久留米はもともとクメで大久米命などの久米氏と関係あるんじゃないだろうか
高良大社でもともと高木神を祭っていたのは高木神に従う久米の一族だったが
久米や大伴の本拠地が近畿に移ったため、高良は次第に別の信仰に上書きされたと
- 497 :
- 豊玉姫は豊国出身なので、高天原ではないです。
夜な夜な通ってきた三輪山大神は出雲の事代主が正体とされており、高天原ではないです。
- 498 :
- 「クメ」は、熊襲(くまそ)・肥人(くまひと)の「クマ」であり、海幸彦を祖とする隼人は、三品彰英氏著の「日本神話論」などによれば、海人であったとされている。
また、「撃ちてしやまむ」で有名な久米歌は、海辺で鯨をしとめた時の凱歌で、久米氏は福岡県糸島郡の久米地区出身氏族だという説もある。
だとすると、阿曇氏の志賀島は目と鼻の先だし、古事記に、大久米命は黥利目(さけるとめ・入墨をした目)であったとあり、
有名な「魏志・倭人伝」の、「倭の水人は、好く沈没(潜水)して魚貝を捕り、大人も少年も身体や顔に文身(入墨)をしている」という記事と合致し、
阿曇氏も「阿曇目」といって、目の縁に入墨をしていたことからも、阿曇氏と同族だったのではないかと思われる。
- 499 :
- 高木の神はずっと古い神です。
久米氏が九州に上陸するのは、伊都への天孫降臨の随伴としてです。
その後、一部は伊都を追放された海幸とともに都万に行き、隼人となりました。
また一部は山幸の孫である神武が伊都を脱出した時に随伴し、大和に向かいました。
- 500 :
- あ、高天原「以外」か。
うっかり読み違いしました。
- 501 :
- 聖徳太子の弟の久米皇子は久米氏に育てられたのでしょうかね
- 502 :
- 久留米の地名が文献に出るのは11世紀以降。
- 503 :
- >>496
さて、神武東征の際に活躍した「大久米命(おおくめのみこと)」が黥面だったことが古事記に記載されている。 「大久米命」は神武東征に随行した久米一族の祖神にあたる。
久米一族については、徳島県石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。
一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずだが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっていた。
一方、徳島県内では徳島市と石井町に集中している。
さらに言えば、矢野遺跡や観音寺遺跡などのある国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうである。
まさに、全国の久米姓の本拠地は徳島県石井町近辺なのである。 @阿波
- 504 :
- 久留米の地名の由来、
>筑後守吉志公忠が天慶7年(944年)に注進した「筑後国神名帳」に「玖留目神を祭祀した」との記述があり、これによるとするもの。
>上古、大陸から渡来した機織りの工人集団がこの地に住んでいたので「呉部(繰部くりべ)」の居住した地、
あるいは「呉姫(くれひめ)」、「呉女(くれめ)」、「繰女(くりめ)」とよんだのがクルメに転訛したというもの。
機織り姫か。
そーいや、この地方には、久留米がすりという伝統の地場産業がある/あったんだよねえ
- 505 :
- 長安3年(703)、その大臣の粟田真人が来朝して国の特産物を献上した。
紫の衣を身に付けて白絹を腰帯にしていた。
真人は経書や史書を読むのが好きで、文章を創る事ができ、
ものごしは温雅だ。
開元の初め(玄宗の時代・713〜741)また使者が
来朝してきた。
その使者は儒学者に経典を教授してほしいと請願した。
玄宗皇帝は四門助教(教育機関の副教官)の趙玄黙に命じて
鴻盧寺で教授させた。
日本の使者は玄黙に広幅の布を贈って、
入門の謝礼とした。
その布には「白亀元年の調布(税金として納めたもの)」と
書かれているが、中国では偽りでないかと疑った。
広幅の布地は特産品で現金と同じ価値
だったのかもね
久留米は呉米かな?興味あるわあ
- 506 :
- 江戸時代の久留米は、
>筑後国久留米藩下で棉花の栽培が行なわれ、
>主要産地とまでは言えないものの、ある程度まとまった生産があり、藍にいたっては大坂に出荷するほどの作付がなされていた。
>しかし、綿織物についてみると、当時一般的だった自給自足的な機織り生産と域内消費にとどまっていた。
高天原の機織りは、桑を植えてカイコを飼う絹織物だったというから、
久留米とはちと技術内容が違うようだ。
- 507 :
- 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
- 508 :
- 佐賀川上にあったオギ国府や、国分寺相当の椅寺(大願寺)、藤原氏の守り神の春日大明神などは、
7-8世紀のごろ、相次いで嘉瀬川東岸の久池井地区(久池井・惣座・尼寺)へ移転したようだ。
なぜそのような小首都移転が行われたのか、不思議に思っていた。
で、最近ふと思ったのだが、
大和町誌によると、明治のころの川上地区には大小2000基もの古墳があったそうだ。
ということは、7世紀ころには、すでにこれらはあったということになる。
考えてみれば、2000基ものお墓に取り囲まれて国を統治・運営していたのでは、
正直なところ、王族・官人・武人の士気にも、いささか影響を及ぼしたことであろう。
各地から訪れる賓客の目もあった。
「どうかね、そろそろ首都移転を考えても良い時期に来たのではないのかねえ・・・」
てな感じで、挙げて(お墓が見えない)川向こうの久池井地区へ移ることになったのではないか。
- 509 :
- >>508
>大和町誌によると、明治のころの川上地区には大小2000基もの古墳があったそうだ。
しばらく前には「中小の古墳」と言っていたのに、いつの間にか大きくなったな
そして、九州内で比較すれば大古墳でも、全国的に見たら中古墳に過ぎない
日本の大古墳を大きい方から101位まで数えると、137メートル以上のものを
数えることになるが、北部九州では福岡県に1基あるのみで佐賀県は0
福岡県の1基は、筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳でこれが83位
古墳を作る文化圏に入っている北部九州に、倭王権と呼ぶべきものが
なかったことはこれだけでもはっきり分かる
- 510 :
- >>509
統計の詐欺
築造順に考えろバカが
- 511 :
- 小さいものが多いというのはむしろ古形をとどめているように感じる
やっぱ九州から東遷したんだな
- 512 :
- >>511
>やっぱ九州から東遷したんだな
やっぱ山奥のジメジメしたところへ東遷? 好きなんだね、そういうところが。 @阿波
- 513 :
- >>509
3世紀以前に絞らないと意味がない。
- 514 :
- >>510
>統計の詐欺
>築造順に考えろバカが
古墳時代全区間を通して「倭王の墳墓」と認められるものが、福岡にも佐賀にも
1基もないのは事実だよ
そもそも最古の前方後円墳、箸中山古墳を超える墳長の古墳が、九州全土でも
1基もない
これで前方後円墳で首長墓を作る文化圏の中にあって、周縁に位置づけられる
しかないのは明白
- 515 :
- >>511
>小さいものが多いというのはむしろ古形をとどめているように感じる
>やっぱ九州から東遷したんだな
小さいから古形ってことはないんだよ
小さくても、段築・葺き石・円筒埴輪を伴うものは、箸中山古墳以降
それ以前の纏向型前方後円墳でも、最古のものは纏向石塚古墳になる
九州から古墳文化が東遷したと考えるべき理由は、何一つない
- 516 :
- 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
- 517 :
- 卑弥呼以死、大作冢
>>515
佐賀川上のは、伊都国に勤めていた官人・武人あたりのお墓だったのだろう。
卑弥呼のお墓のほうは、徇葬者奴婢百余人の「冢」(たぶん自然丘陵利用)だったというから、
段築・葺き石・円筒埴輪を伴うなんてこたーないだろ
他方、ヤマトの巨大で豪奢な前方後円墳は、
残酷な殉葬を取りやめた代替として、王族や人民の絶大な支持を得て大発展したんだと思うけどね。
- 518 :
- >>514おいおい、福岡には王の墓は沢山あるぞ
あなたの王という定義は何よ?
福岡の河内王の墓なんてすごく小さいぞ
ちょっと位調べてみて欲しいわ
- 519 :
- 石室や葺石、埴輪がある古墳は新しくて
木棺、槨なし、土盛のほうが古いのではないでしょうか?
- 520 :
- >>514
時系列を無視したバカ発見。
- 521 :
- >>519
正解
- 522 :
- 記紀によれば、垂仁天皇の時代と書かれているが、
この御代に、伊勢神宮が創建されたことになっている。
合わせて、由緒あるお墓にはお社を建ててよろしいとの裁可も下されている。
また、殉葬を廃止して、埴輪を用いるべし、との決定もなされたところから、大規模な墓制改革があったようだ。
思うに、このころ豪華優美な前方後円墳の定型化に舵を切ったのではないか。
- 523 :
- >>518
>福岡には王の墓は沢山あるぞ
>あなたの王という定義は何よ?
紀元前〜1世紀の王墓は、邪馬台国とは関係ないでしょ?
3世紀の、大作冢。徑百餘歩と書かれた卑弥呼の墓の候補と
なるような王墓は一つもない
- 524 :
- >>519
>石室や葺石、埴輪がある古墳は新しくて
>木棺、槨なし、土盛のほうが古いのではないでしょうか?
そうだけど、方形周溝墓では古すぎるんだよ
卑弥呼の時代と古墳時代の開始が重なる
- 525 :
- >>520
>時系列を無視したバカ発見。
編年研究を、「あーあー見ない聞こえない」でごまかしてるだけなのはそっち
バカは>>520の方
- 526 :
- >>522
だが、垂仁天皇以前にも、大規模殉葬が確認された墳墓は1例もない
- 527 :
- 前方後円墳はトヨの時代に円墳と方墳を合体させものだよ
卑弥呼の墓は前方後円墳じゃないし
久留米の祇園山古墳はどうだろうか
- 528 :
- >>526
まず1は、
垂仁天皇なる人物はどの時代にあって墓制改革に取り組んだのかが、実ははっきりしない。
それにも関わらず、垂仁天皇以前にも・・・、と確定的に編年を言うことはできないのでは?
第2に、
卑弥呼の大規模殉葬は、九州で行われたとみられることだ。
なぜなら、伊都国が佐賀川上だったとなれば、距離的に見て女王の都は熊本の阿蘇高千穂あたりになる。
阿蘇高千穂の王墓は知られていないようだが、最も確率が高いのは、
径百余歩の自然丘陵の頂部に座する高千穂神社本殿背後の「小さなご神体山」であろう。
社殿によれば高千穂神社は、
垂仁天皇の裁可を得て、露天でその都度玉垣をしつらえつつ祀りごとが続けられてきた古い塚の前に、新たに建てられたのだそうだ。
なぜ古い塚の前で、長年祭事が続けられたのか・・・、
いうまでもなく、よほど重要な人物が葬られていたからに違いない。
- 529 :
- 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
- 530 :
- 高千穂神社:たかちほじんじゃ
(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037)
神紋
十六八重菊 ←(皇室の紋章と同じで、そこいらの鎮守さまとは品格が違います)
御祭神
高千穗皇神 天津彦火瓊々杵尊 木花開耶姫命
彦火火出見尊 豊玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命
配祀
十柱大明神 三毛入野命 鵜目姫命
太郎命 二郎命 三郎命 畝見命 照野命
大戸命 靈社命 淺良部命 他七柱を合祀
- 531 :
- >>519
古墳時代なら、どんな時期にでも、埴輪も葺石も段築も石室・槨ももたない古墳小さな古墳がある
古墳秩序においてはかなり下位のものにあたるが、それでも一般人ではない有力者の墓
- 532 :
- 高千穂神社:たかちほじんじゃ
社格:村社 とほほ・・・
- 533 :
- 高千穂神社
>天慶年間(938−47)、豊後大神氏から養子に入った政次が三田井家を興し、
>十柱大明神を、高千穂八十八社の総社として崇敬した。
>創建由来はともかく、実質的には三毛入野命(神武天皇の兄)が主祭神だ。
>明治に入り、廃藩置県の過程で、当社の社格は変化する。
>延岡県・美々津県の時代には、県社であったが、
>宮崎県になって、村社に降格してしまう。なぜだろう。
ここでは、おとなしく「明治に入り、村社に降格してしまう、なぜだろう。」と
書いてあるが、理由は言わずもがな、
隣県薩摩の万世一系思想にとって、たいへんな邪魔神であったからであろう。
- 534 :
- >>523
>紀元前〜1世紀の王墓は、邪馬台国とは関係ないでしょ?
全て倭の王墓だよ。
- 535 :
- >>524
>そうだけど、方形周溝墓では古すぎるんだよ
むしろ女王墓に古い様式が残っていたんだろうね。
- 536 :
- >>528いいねぇ、こーゆー話好き
神社と祭祈や伝統のはなし
阿蘇山の麓から大きさを計算すると
富士山より大きくなるらしいね
噴火する前の大昔は
富士山みたいに山の
原形はとどめていたのかな?
- 537 :
- >>533へぇ不思議だね
田川郡の香春神社と似た境遇だね
- 538 :
- >>536
考古学の話はからっきしだめだけどね
- 539 :
- >>523申し訳ないけど何言ってるのか
全然理解できないよ
倭人伝を信用するなら
関西の古墳でも掘って
家来100人分の墓でも出てきたの?
それなら福岡の高良や祇園山あたりでいいんでは?
- 540 :
- 香春神社(かわらじんじゃ)
福岡県田川郡香春町香春733
神紋:三階菱(旧県社)
>創祀年代は不詳。
>社伝によると、もと香春岳の一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳の三社をまとめ、和銅二年、新宮として創立したとある。
御祭神
>一ノ岳の神は辛國息長大姫大目命。
>二ノ岳の神は忍骨命。
>三ノ岳の神は豊比当ス。式内社・豊比当ス神社に比定されている。
>社伝には、「豊比賣」は、神武天皇の外祖母(母方の祖母)」とある。
>ということは、神武天皇の母・玉依姫と神武天皇の伯母・豊玉姫の母、玉依姫の父である豊玉彦の后ということになる。
>さらに、「住吉大明神の御母」ともあるから、玉依姫達と住吉の神(三筒男)は兄弟となる。
>対馬は、海神の郷、竜宮城に喩えられ、対馬の豆酘(つつ)が筒男の語源であるとする説があるが、
>山幸彦が行ったワタツミが対馬なら、すべての辻褄が合う。
>また、豊比当スを豊玉姫命とする説もあるらしい。
>豊玉姫命だとすると神武天皇の伯母であり祖母ということになる。
高千穂神社は、神武天皇の直系(男系)の祖を祀っているが、
香春神社は、神武天皇の外戚(母方)の祖を祀っているという特徴があるようだ
- 541 :
- >>540どなたか知りませんがありがとう
田川は古くは鷹羽と言ったそうです
九州の阿蘇などの名だたる神社の神紋が
鷹の羽根を使っています
あとどこで読んだかソース忘れましたが
鷹羽の戦士達は頭にバンダナみたいな
紐を結び鷹の羽根を差していたそうです
勇敢な戦士だったと書いてあって
昔からケンカっぽくて戦いが好きなのかと
笑ってしまいました。やっぱりDNAだな
鷹羽に戦士達がいたとすると
近くに守るべき何かか誰かがいたはずです
- 542 :
- >>541
>田川は古くは鷹羽と言ったそうです
その「田川辺り」は、上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「奴国」だね。 @阿波
- 543 :
- 鷹は筑紫天孫族のトーテム。
国津神は概ね鷲。
肥国は熊。
豊国は鰐。
- 544 :
- >>543
>国津神は概ね鷲。
関東も鷲。 忌部の祖「天日鷲神(あめのひわしのかみ)」 @阿波
- 545 :
- >>542サンキュウです
奴国とはどんな位置付けだったのでしょうか?
発音は、なこく?
- 546 :
- >>545
>奴国とはどんな位置付けだったのでしょうか?
不弥国(築城五反田遺跡、上別府沖代遺跡、安武・深田遺跡、安武・土井の内遺跡、赤幡森ヶ坪遺跡
などがある「築上町辺り」)へ行く中継地・宿場町だね。 @阿波
>発音は、なこく?
興味なし。
- 547 :
- >>539
>それなら福岡の高良や祇園山あたりでいいんでは?
祇園山古墳は段築(二段)葺き石を持つ、古墳時代の古墳で、
卑弥呼の墓とするには新しすぎるだろ?
それに周りの墓は、甕棺墓群を含む、はっきりと古いものであり、
祇園山古墳とは年代が合わない ⇒ つまり殉葬ではない
>倭人伝を信用するなら
>関西の古墳でも掘って
>家来100人分の墓でも出てきたの?
日本国内で、大規模殉葬が確認されたものはないし、殉葬であると判断されたものすらない
この殉葬百人については、魏志倭人伝を信じてもしょうがないと思っている
甕棺墓時代の庶民の集団墓地の甕棺墓列や、
家族墓としての方形周溝墓へのあとから死んだ人の追葬を、
記した古い記録を、殉葬だと勘違いしたんじゃないかと個人的には考えている
- 548 :
- 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
- 549 :
- >>545
今も那の津というくらいだから、奴国はナコクだったでよいのでは(但し遠絶傍奴国の場合)。
その他、倭人伝の国名には「奴」のつく国が少なくない。
これは出雲風土記などの用例から推測すると、
「野」、つまり開拓田・開墾畑のように、組織的にもうけられた一種の農園・荘園のような存在だったと思える。
例:華奴蘇奴国→華野国と蘇野国
- 550 :
- >>547
殉葬に代えて埴輪を用いるようになったと記されているところから、どこかにあった風習・・・、と理解せざるを得ない。
ただし、埴輪文化の地にはなかったであろう。
殉葬は誰でもできる事でなく、強力な武力の後ろ盾を擁したに違いない。
それを実行した蛮族の地はどこだったのか、ヤマトでなければ、九州だろう。
- 551 :
- >>549サンキュウです
那国と奴国は同じ発音?
那国は名島や裏糟屋でしょうか?
- 552 :
- 祇園山古墳は二段になっていて上層部は後の時代に加えられたもので、
地下には築造当初の被葬者が今も眠ってるとか…
でも卑弥呼じゃなくて高木神だと思うな(´・ω・`)
- 553 :
- >552
ホワイトケープは巣に帰れ
- 554 :
- >>552
なるほどー
高木の神は、たぶん渡来人だな、で高良台のお墓に、、、
- 555 :
- 「漢委奴國王」→かんのわのなのこくおう
やはり、那の津を本拠地にして、当時の倭を治めていた筑紫(奴・那)の王だろうねえ
- 556 :
- >>552
>祇園山古墳は二段になっていて上層部は後の時代に加えられたもので、
こんなことを言うやつは初めて見たよ
じゃあ古墳時代のでかい古墳は、全部2段目を後の時代に加えたんだなww
3段築成の古墳は、2回、増築工事をする訳だ
すごい新説だね!
- 557 :
- >>556
お前が何も知らずにいちゃもんつけてることが良くわかったわw
- 558 :
- >>557
どこがいちゃもんなのか「具体的に指摘」してね!
捨て台詞だけは一人前なんだよな、九州説はww
でも、具体的な指摘は一切しない
具体論に入った瞬間に瞬殺されるからww
二段築成の上段は後の時代に増築とか、笑わせるにも程があるww
- 559 :
- >>558 草生やす前に墳墓についてちゃんと調べれば恥かかなくて済むよ?
- 560 :
- 恥知らずほど遠吠え。
- 561 :
- 祇園山古墳は、二段築成の立派な古墳
あとから増築したなんて話はどこにもないよ
- 562 :
- >>559
>草生やす前に墳墓についてちゃんと調べれば恥かかなくて済むよ?
おかしいな?
九州説だったら、畿内説に恥をかかせられるなら嬉々として
それを何度も繰り返し書き付けるはずなんだが?
さては、恥をかかせられるネタがないんだな?ww
- 563 :
- >>562
大恥知らずには、畿内の学者たちも手を焼いていることだろう
- 564 :
- >>558
>どこがいちゃもんなのか「具体的に指摘」してね!
これ、畿内説がよく使う開き直りだよね?
- 565 :
- うん、そうだね。
さては、畿内説・大和説が、九州のみやま市辺りまで出没するようになったか。
- 566 :
- >>564
>これ、畿内説がよく使う開き直りだよね?
開き直りじゃないよ?
具体的に指摘して追い詰めて見せればいいじゃないか?
具体的に指摘すると、根拠がもともとなくて論破されてしまうから、
具体的な各論から逃げ続けるのが九州説
- 567 :
- まともな日本語読解力がないから無理。
- 568 :
- まともな読解能力のない九州説には、文献等を読んで具体的な根拠を示すのが無理ってことだね
- 569 :
- 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
- 570 :
- 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
- 571 :
- 竪穴式住居って無理に抜け出すものでもなくて、
条件が合えば快適な住居なのですね。
日本でも鎌倉、室町時代までは普通に竪穴式住居が使われていましたし
北海道では江戸時代まで使われていまして、
北海道は寒冷のため、かなり深く掘りぬく傾向があり
原野にはいまでもその穴が残っているところがあるそうです。
中国でも戦前までは地方でかなりつかわれていたそうです。
というか奥地の少数民族でまだ使っているところもありそうだなあ。
- 572 :
- >>571
>中国でも戦前までは地方でかなりつかわれていたそうです。
で、この部分の証拠は?
.
- 573 :
- 吉野ケ里では高床式の宮殿と
王の居住用の竪穴式が両方あったね。
夏は高床式でいいけど
冬の吹きさらしでは竪穴式のほうが
住みやすそうだからね。
- 574 :
- >>572
自分が無知なだけだろ。
- 575 :
- 土は断熱性がいいからね。
現代風竪穴式住居ってできんもんだろうか?
窓は欲しいので、窓ギリギリまで掘りこむとか。
あと、水没が怖いので土地全体を微高地にして
排水用の溝を掘っておけばいいかな。
- 576 :
- 考えてみると竪穴式住居って結構条件が厳しいな。
人口が少ない間は良い場所を選んで竪穴式住居を作れたが
人口が増えると、水がわくような悪地にも住まなければならなくなって
仕方なしに倉庫用だった高床式に住まわされるのかもしれない。
- 577 :
- >>574
>中国でも戦前までは地方でかなりつかわれていたそうです。
で、この部分の証拠は?
早く出せよおまえ!
- 578 :
- >>569-570
日本列島人にとって、必要不可欠なものは伝わるが、不必要なものは伝わらない。
必要不可欠なもの
*短粒種米と水田・中粒種米と畑作はBC4500年までに日本列島に伝わっている。
*多量の穀物保存用の高床式倉庫・湿気防止とネズミ対策
不必要なもの
*炊飯器・縄文土器で代用できる
*石刃製農具・大規模畑作用農具は不用
*高床式住居・冬は寒く夏は暑い 竪穴式住居は冬暖かく夏涼しい
竪穴式住居の穴の深さについて
満州東部(挹婁)>朝鮮半島南部(韓地 土牢状)>壱岐>玄界灘沿岸>播州平野>大阪湾岸平野≒筑紫平野
冬季の寒冷程度に対応している。
- 579 :
- >>578
不必要なものが不必要だと、どうして分かったの?何で分かったの?
.
- 580 :
- >>578
それに最古水田が出現して100年以上もの間、九州北部に高床式倉庫なんてないぞ。
高床式倉庫が松菊里式住居とセットで半島から伝わるのは最古水田より
100年以上後の事だぞ。
それまでは穴蔵に貯蔵していた。
で、BC4500年までに日本列島に伝わったというイネの証拠現物(稲籾、籾殻、炭化米)は?
.
- 581 :
- 三笠宮様の執筆された
日本あけぼのって本がほしいな
でも古本でも2万円以上するんだよね
三笠宮様は、福岡の那国が中心だと言ってるそうです
天皇家系なのに、真実の日本を明らかにしたいとか
奈良の三笠から名前つけたのに
福岡を中心とか言うのが面白い
- 582 :
- 福岡県にも三笠山(宝満山)というのがあつて、地名の移転があったのでしょう。
- 583 :
- 糸島のハミン◯ジョーってヤバイよな
知ってる?
- 584 :2018/09/16
- バプテストカルト教団
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