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キナイコシ VS @阿波
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神武天皇みたいな架空の人物信じてる奴って頭悪そう
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高天原はアトランティスやムーだった?

江戸時代の譜代大名について語ろう


1 :2014/04/10 〜 最終レス :2020/06/05
        rー、
    」´ ̄`lー) \
    T¨L |_/⌒/ ←遠州浜松
     `レ ̄`ヽ〈
       |  i__1
     _ゝ_/ ノ
      L__jイ´_ )
        |  イ
         |  ノ--、           r'⌒ヽ_
        ゝ、___ノ二7  /´ ̄l、_,/}:\
         |ーi |   l_/ /__ィ::.  ゝ~_ィ´:; ,ゝ
        __〉 {      (T´ |1:::.  \_>、};;_」
       'ー‐┘       ! ` ̄''ァ一 、\ ヽ}  ←陸奥棚倉
               〈` ̄ ̄^`¬ノ .::〔 ̄´
                   1  ヽ   .:::レ  ヽ、
                |_イー-、_;;j|_:.   ゝ、
                __,,,... -- |. {―――‐フゝ、   〉 -- ...,,,__
        _,, -‐ ´       ,r|__ト,    1ニノ ー'´       ` ‐- ,,_
    , ‐ ´         └―'´                     `

2 :
井伊、酒井、土井、堀田

3 :
荘内藩酒井、佐倉藩堀田、山形藩秋元、白河藩阿部、館林藩井上、忍藩奥平、小田原藩大久保、長岡藩牧野、高田藩榊原、
上田藩松平(藤井)、宇都宮藩戸田、高崎藩松平(長沢・大河内)、幕張藩内田、岩槻藩大岡、土浦藩土屋、壬生藩鳥居、
棚倉藩松平(松井)、沼津藩水野、高島藩諏訪、松本藩松平(戸田)、相良藩田沼、横須賀藩西尾、掛川藩太田、岡崎藩本多、
浜松藩水野、西尾藩松平(大給)、吉田藩松平(長沢・大河内)、桑名藩松平(久松)、鯖江藩間部、大垣藩戸田、彦根藩井伊、
膳所藩本多、淀藩稲葉、宮津藩本庄、亀山藩松平(形原)、篠山藩青山、岸和田藩岡部、鳥羽藩稲垣、長島藩増山、
龍野藩脇坂(譜代格)、

4 :
水野忠邦が男系で芸州浅野家の子孫だったのには驚いた。

5 :
>>4-5
幕府の基準として家系が譜代大名なら血筋は外様大名でも幕府政治への参加にOKなんかね。
浅野長政ー長晟─光晟─綱晟─綱長ー吉長─宗恒ー水野忠鼎─忠光─忠邦
伊達政宗─忠宗─宗房─吉村─宗村┬土井利徳─利位
                └堀田正敦

6 :
スマン
堀田正敦がずれた

7 :
逆に脇坂家は堀田家から養子もらって譜代になったな

8 :
伊達政宗-忠宗-宗房-吉村-宗村-土井利徳
伊達政宗-忠宗-宗房-吉村-宗村-堀田正敦

9 :
堀田や稲葉は元は小早川秀秋の家臣で最初は外様だった

10 :
アンナカ藩

11 :
蜂須賀は家は外様だけど家斉の息子を養子にして血筋は親藩。

12 :
堀田みたいな、武功ではなく縁で出世した
ぽっと出の家が井伊や酒井らと並ぶ幕府での最高の地位に尽いて
三河以来の譜代家臣とかから不満なかったのかな?

13 :
快く思われていなかったからこそ堀田正盛は
家光が死んだときに殉死せざるを得なかったんだろう。
家光との男色関係だけで出世したようなものだからな。

14 :
徳川に対する堀田一族の奉公ぶりは、殉死した加賀守正盛も、鋏で喉を突いて自殺した上野介正信にしても、又従兄弟に刺された筑前守正俊にしても、
なにやら、血塗られ狂気じみた得体の知れないものを感じる。

15 :
功績以上の分不相応な地位を得てしまった以上、
忠誠心を見せないと周囲からやっかみを受けるからな。

16 :
堀田正信の失心による信州松本の封地没収さえなければ、堀田加賀本家と堀田備中別家、
交互に老職を出すような途方も無い繁栄ぶりになったかもしれませぬな

17 :
柳澤家は15万石もの家なのに一度も幕閣を出さなかったな。
まあ吉保は幕閣以上の存在だったが。

18 :
井伊家が譜代筆頭の家になったのはちょっと謎だよね。
本来は譜代筆頭の酒井家の嫡流の左衛門尉家は大老を一度も出してないし老中すら数少ないのと対照的。

19 :
>>18
井伊家は溜間だから他の譜代とはちょっと意味合いが違うのかも知れんな。

20 :
井伊家も元々は今川の配下で松平家と同格だったな。

21 :
つうか井伊家が松平と同格なわけねえだろ
井伊家 は武家だが松平はただの山中の金持ち風情だろが

22 :
松平は地祇系の賀茂氏の末裔。

23 :
元来外様の小笠原も溜間詰めだったな。
外様の名家で直政、直孝と幕府草創期に大功があったから筆頭格になったんだろうな。

24 :
松平が鴨氏とか寝言いってるバカはなんなん?徳川事態が源氏を仮某してんのに
お前らみたいな雑魚が鴨だといいはっても話に成らないんだが?

25 :
戸田家って、松本宇都宮大垣の何処が本家?

26 :
25
間違っちゃいないぞ
松平氏が最初に称していたのは加茂氏
徳川姓藤原氏を称してその後が源氏に
結びつけたんだからな

27 :
>>25
松本

28 :
名乗ったもんがちだわな
弾家も藤原北家をしょうし、勝かいしゅうにもそれをみとめられてるからな
鴨だからなんやねん

29 :
本多家も幕初はいい線いっていた。本地15万石に千姫の化粧料と称して10万石を付され、
都合25万石。西国の要地姫路に封じられた。
ところが、忠刻が夭折し、しかもお家騒動などもあり、気が付いたら岡崎5万石にまで減っていた

30 :
今川配下になった時期の松平家は、
> ただの山中の金持ち風情
ではないな。
後、
> 松平氏が最初に称していたのは加茂氏
というのは、確証となるようなものがあったっけ?単なる推測の一つ
じゃないのかな。いずれにせよ、清康の時点ですでに源氏である
世良田を称しているし、家康にしても藤姓徳川氏なるものは単なる
方便で、「新田支流」としてふるまっていたな。

31 :
今川配下の時点じゃなく元々はそうだろってはなし

32 :
松平姓加茂氏だろw

33 :
加茂朝臣てのもちゃんと古代史に残ってるじゃん

34 :
鳥居家も減封される前は井伊家に次ぐ譜代大藩で
鳥居元忠は徳川四天王に匹敵する功績があった
減封のせいで元忠の影が薄くなってしまったが

35 :
源氏に結びつくのは婿養子になった親氏が源氏の血を引いてるんじゃないかと
いう説からで松平氏自体は加茂氏

36 :
だから親氏以前の松平家が鴨だとしょうしたソースだせや

37 :
なに怒ってるのは?

38 :
いやおこってない 法螺吹きに問答してるだけだよ

39 :
徳川四天王の家はその後は優遇こそされてるけど、幕閣にはほとんど顔出してないよな。
井伊家は大老としてたびたび顔出すけど、あれは名誉職だしな。
四天王に次ぐ功績の鳥居家も>>34のような有様だし。
老中とかはある程度格上の家になったらつかないみたいな感じなんだろうか。

40 :
徳川四天王や鳥居、大久保らは基本的に軍務で奉公する家柄だからな(帝鑑間席が多い)
で、かわりに子飼いの官僚を実務に配した。それが、阿部、稲葉、板倉、堀田ら(雁間席が多い)

41 :
その方針に従って長州藩討伐に駆り出された井伊や榊原だが、これがあっさり負けちまった。

42 :
だってほとんどの東国含む戦国時代いらいの武士たちは滅んじゃってるもん

43 :
そっか。
四天王や改易前の鳥居、大久保なんかはみんな10万石以上だからな。
3000人以上は動員できる家で軍事の場合の核になる家柄。
平時の雑務は実務を司る1つ格下の家が行うってわけか。
納得納得。

44 :
実務無理だろwお前w

45 :
万の兵を指揮しようと思えば途端に崩壊しますがね
戦国時代なんて食料なんかも自足だよ
大将格が出してくれるわけじゃないからな

46 :
本多、鳥居は自滅しちまったからなんだが、四天王のうち、彦根の井伊は京都警守、高田の榊原は対前田の抑え(懲罰の意味もある)、
小田原の大久保は江戸の最後の砦になる箱根を抑え、そして荘内の酒井は対佐竹の抑え…と軍事的な要地に配されて働きが期待されたわけだが、
荘内はその後蝦夷地警守まで担当させられ、対ロシアに備え極寒の蝦夷を黙々と警備していた。
南部、津軽、佐竹らと。
荘内藩内では当然、誰もいきたがらず、失脚した奴や身分の低い奴が優先的に北方配備されたようだ

47 :
大久保氏なんかは
大久保忠隣が旗本や諸大名からも人望あつく
それで家康や本多親子から警戒され一回潰されたしな。
この事件が無かったら
格的にも大老に申し分ない

48 :
忠隣は秀忠の筆頭重臣だもんな。
大久保宗家は一度潰れなかったら大老出す家になってたろうな。

49 :
警戒されたんじゃなく、そもそも大久保のコンプレックスが問題だろ

50 :
植村家が「家」を通し字に出来たのは、神君家康の御免状でもあったから?

51 :
大久保彦左衛門なんかコンプレックス不満タラタラだもんな。
我が家より武功がない新参者が幕政で重宝されて

52 :
棚倉ってなんで左遷地の代表扱いだったのか。

53 :
盆地で冬寒く夏暑いうえ、表高を10万石とすると6万石くらいしか取れなかったとか
棚倉をめぐる越智松平、小笠原、井上、松井松平の悲喜こもごもは、なかなか興味深い話しである。

54 :
>>48
大久保宗家は忠世の父・忠員の兄・忠俊の家系をさす

55 :
三笠宮妃の実家、高木家について。

56 :
幕府としては徳川四天王、並びに奥平、大久保、鳥居への処遇は概ね20万石格と見ていたと解される
本多は15万石に千姫化粧料10万石で合計25万石
井伊は彦根25万石(のち、預かり支配という名目で10万石加増され35万石)
榊原は水戸25万石にしようとしたが、康政が堅く固辞した
鳥居は山形23万石、さらに周辺大名を与力として付されている

57 :
20万石だと300人動員で6000人。
四天王に奥平、大久保、鳥居が6000人動員したらこれだけで4万2000人。
先手衆として強烈だな。
まあでも計算通りにいかんというか、大坂の陣でははやくもこの先手衆もかっての強さが失われてんだよな。
期待通りに戦ったのは井伊くらいのもんで。
だからこそ井伊家は途中加入の家なのに筆頭格になったんだろうな。

58 :
そんな井伊家も後年、祭備えと揶揄される事に…

59 :
本多家は大名自ら推定相続人に毒を飲ませて暗殺し、家督騒動を発生させていたが、よく切腹させられなかったものだ。

60 :
なんで過疎ってるんだよこのスレ。論点はいろいろあるのに

61 :
譜代の定義って原則は関東移封のときに関東に所領をもらった大名と
旗本から累進した大名って把握でOK?

62 :
立花や朽木は一旦改易されたが、大名復帰後、譜代大名にはならなかった。

63 :
朽木氏は関ヶ原での裏切り改易が転機となって逆に一族繁栄するんだから
世の中判らんもんだ

64 :
朽木は福知山だっけ?

65 :
譜代大名の出世ルートは
奏者番→奏者番兼寺社奉行のあと、
大坂城代→京都所司代→老中
であるが、上野高崎藩主・松平右京大夫輝延は、早くも大坂城代時代に藩庫の底が尽き、病気を理由に辞任、江戸に帰って溜間詰次席になった。
この人もこれで終わりの筈なんだが、なんと老中に起用された
これは水野出羽守があまりにもDDがDDD過ぎる為!

66 :
寺社奉行からいきなり西ノ丸老中ってパターンもある

67 :
若年寄→老中ってパターンは意外に少ないのな。

68 :
願い譜代って、願えば必ずなれたの?

69 :
願譜代は外様の5〜6万石程度の、

70 :
>>67
老中になれる家柄と若年寄になれる家柄って基本的に違うからね。
幕府草創期はまだその辺が流動的だったので、
家光の側近がまず若年寄に昇進し、その次に老中に昇進ってパターンがあったが、
安定期に入ると結構はっきり家格がわかれたので、滅多に若年寄→老中とはならなくなった。

71 :
>>67
若年寄ってのは、大坂表で言えば大坂城代の下の大坂定番に就いた人間とかが
出世で行き着くゴール。基本的には別枠じゃねーの。
それこそ軽格の大抜擢という形だろう。

72 :
若年寄になったのは食禄が2万石に満たない小身の大名ばっかりですし

73 :
若年寄から老中への起用というのは例外的な抜擢人事だということがわかる。
なんとなれば、幕初幕末を除くと、堀田正俊、久世重之、水野忠之、水野忠成、植村家長といった、
政策の当否はともかく、幕政に影響を及ぼした著名な人物が多いからである。

74 :
よく大老の家柄として、井伊、酒井、土井、堀田の4家があげられるが、
酒井はともかく、土井や堀田なんて江戸前期に1人しか出てないのに、
井伊や酒井と同列に扱われるのは納得いかない。

75 :
若年寄の後、大坂城代、所司代を経て老中に上がった
人もそれなりにいたように思うけど。

76 :
幕末に酒井が大老に就いたのも、誰もが幕府の要職に就きたがらない状態で
大名の役職に旗本が就くようになった挙句の貧乏くだしな

77 :
>>75
加増を伴ってたりはしないか?

78 :
江戸中期から後期にかけて、大老は井伊家の独占状態で、
井伊家当主の名誉職って感じだったのに、
幕末に突然、酒井から大老が出たのは唐突な印象を受ける。

79 :
井伊直孝、直弼、酒井忠清を除いては、権威はあるが、実権を伴わない大老で、衆議院議長みたいな感じだった

80 :
井伊家は直弼暗殺で権威も丸潰れで幕府との間に溝も出来た。
そうなると酒井家くらいしか残ってなかったんだよ。
それに幕末は各種の役職の秩序もめちゃくちゃになってたし。

81 :
直弼が死んだ後の大老なんて、大きめの藩が離反しないようにとはめた枷でしかないだろ。
長州どころか広島岡山鳥取でさえ離反した状況で、姫路と備中松山は大老だ老中だと枷を
はめられて、征伐対象になっちゃいましたとさ。

82 :
幕初の権力者ってこんな感じかな?
本多正信・正純→土井利勝→松平信綱→保科正之→酒井忠清→柳沢吉保→間部詮房

83 :
堀田正俊が抜けてますよ

84 :
こんな感じ
(大久保忠隣)・本多正信・正純→土井利勝→松平信綱→保科正之→酒井忠清→堀田正俊→牧野成貞→柳沢吉保→間部詮房

85 :
酒井雅楽頭家は譜代の名門だけど、幕末にいきなり大老に任命されたときの唐突感はイナメナイ。

86 :
酒井の嫡流は左衛門尉家だし、雅樂頭家は忠清でトチってるからな。
まあそんだけ成り手がいなかったってこって。

87 :
厩橋藩は山だらけで収入がパッとせず、しかも城廓が年々、利根川の侵食でダメになってきて、
酒井忠相はまず山城淀や摂津尼崎への転封を画策したが巧く行かず、酒井忠恭は、ついに播磨姫路への転封を画策した

88 :
>>74
石高は少し足らないけど
土井利位は江戸城火災がなかったら
土井家では利勝以来の大老に成れたかも

89 :
無理じゃね?
江戸時代の中期以後大老職は井伊家独占状態だったからね。
常溜の井伊と土井じゃ家格が違い過ぎる。

90 :
大老を出した各家を見ると、井伊家は溜間、姫路酒井家は交互に溜間・帝鑑間、若狭酒井家は雁間(酒井忠進以降帝鑑間)堀田家は雁間(堀田正仲以降帝鑑間)、土井家は雁間

91 :
土井利位よりも、堀田正睦の大老起用可能性が高かったと思います。
朝廷と外国をも説得する必要性があり、老中堀田正睦を大老に据えることで、沿岸警備、市中見回りを厳にし、外国船は打ち払うべきだとする御三家指導者水戸斉昭を中心とする攘夷派を抑えることが出来るのではないかと

92 :
土井利位って、大塩平八郎の乱のときに大坂城代だった奴だろ。
その後、老中になるのでさえ下に追い抜かれてるし、天保の改革で水野忠邦と衝突したりで
出世しそうにないと思うんだけど

93 :
ああ、太田資始が老中に再起用されたような流れか

94 :
土井利位は選りすぐりの旗本を選抜し、DDをDDにDDさせるなど、非常の決断の出来る人です

95 :
堀田って綱吉の時代に一人大老出しただけで、恒常的に大老出してたわけじゃないし、
酒井みたいな譜代の名門でもないし、井伊、酒井と同列に扱われるのは違和感がある。
それについては土井も同じ。結局のところ、幕初の利勝しか大老出してないし。

96 :
幕府の序列は詰め間ではっきりしてるからな。
本来の意味の大老を輩出する別格の家って常溜の井伊家だけでしょ。
幕府初期はいろいろ流動的な時代だったので家格ではなく実力で大老になる人間が大半だったと。
土井、酒井雅樂、堀田、大老格の柳澤なんか全部そうだ。
大老四家って言い方はおかしいと思うね。

97 :
同感。特に老中から昇格した土井、堀田と、出づればいきなり大老の井伊は分けて考えるべき

98 :
大政参与の役割が良く分からない。単なる重し?

99 :
重しというより棚上げ。

100 :
承知した

101 :
大政参与って現代の学者用語であって、当時の名称じゃないよね。
江戸時代って、基本的に「年寄とか「奉行」みたいな泥臭い用語使ってたんだから。
大政参与って、あくまでそういう幕府の重鎮的ポジションにあった人物に対して、
現代の学者が便宜的に付与した研究上での用語でしょ?

102 :
明確なポスト名すらもないといったところか。

103 :
大政参与 執事(後見人、将軍の代理)
大老 元老(政務総覧、老中の上役)

松平忠明(1632年 -?)
井伊直孝(1632年 -?)
堀田正盛(1638年 - 1651年)
保科正之(1651年 - 1669年)
榊原忠次(1663年 - 1665年)
井伊直澄(1668年 - 1676年)
稲葉正則(1680年 - 1681年)

104 :
大政参与とか元老なんて、いかにも後付の学者用語っぽいな。
あの時代にそんな言葉が使われてたとは思えない。

105 :
>>101を訂正
× 江戸時代って、基本的に「年寄とか「奉行」みたいな泥臭い用語使ってたんだから。
○ 江戸時代って、基本的に「年寄」とか「奉行」みたいな泥臭い用語使ってたんだから。

106 :
> 本来の意味の大老を輩出する別格の家って常溜の井伊家だけでしょ。
> 幕府初期はいろいろ流動的な時代だったので家格ではなく実力で大老になる人間が大半だったと。
逆じゃないかな。
流動的な時代に権力を確保したから別格になったわけで、最初から井伊家が
抜きんでていたというわけでもない。

107 :
その指摘は示唆的である。
じじつ正俊が遭難してからの堀田氏は格式は10万石ながら内高は5万石という僻地の陸奥福島、出羽山形に転封させられ、大老も2度と出せなかった。
したがって仮に江戸幕府が滅亡しなかったとしたら、井伊家は京師禁裏警守の立場を喪失し、大老を出せる家柄ではなくなり、その立場は会津の松平や、荘内の酒井に取って代わられたであろう。

108 :
江戸幕府が永続したら、まず彦根藩井伊家は懲罰的に転封を命じられた可能性が高い。
普代旗頭(譜代筆頭)は荘内藩酒井家になったことは異論の余地がない。

109 :
土井とか堀田って、大老輩出したことがあるから、結果論的に現代の学者が大老の家と言ってるだけで、
江戸時代は大老の家でも何でもなかったんだろ?
それが証拠に土井利位も堀田正睦も大老になってないし。

110 :
真に徳川家の執権と云い得る家柄は姫路の酒井と彦根の井伊だけ
両家ともお洒落な城持っているエ〜

111 :
酒井といえば庄内の左衛門尉家でしょ。

112 :
違う。酒井氏嫡流は徳川家重臣の中で最初に城主(西尾城)になった酒井雅楽助正親であり、その血筋を引く酒井雅楽家

113 :
堀や本多ってかなり大名家があるけど、宗家ってあるの?

114 :
本多の宗家は平八郎家

115 :
榊原の宗家は久能山城代家

116 :
やたら江戸上げが続いているな

117 :
大久保の宗家は新八郎家

118 :
江戸以前の本来の家柄で、もっとも毛並みのいい譜代大名ってどこなんだろう?
やはり小倉小笠原家か。

119 :
血統が怪しいけど三浦家とか譜代か怪しいけど諏訪家とか

120 :
上野沼田藩主土岐美濃守とか

121 :
譜代ではないが鷹司松平

122 :
喜連川、細川、一色、土岐、京極、畠山、吉良、今川、武田、上杉、小笠原、有馬(赤松支線)

123 :
外様や大名じゃないのは除けよ。
あと鎌倉御家人じゃないのも。
そしたら土岐、小笠原、諏訪、こんなとこだろ。あと井伊くらいか。

124 :
有馬の分家が吉宗の側近として大名に取り立てられてる。

125 :
有馬ってそもそも悪党上がりで御家人じゃないでしょ。

126 :
赤松円心以前は未だにアヤフヤだからな。
やっぱり譜代だと諏訪じゃないの
小笠原・土岐・三浦ら源氏や平氏の血を引く大名はゴロゴロ居るんで、あんまり希少価値感じない

127 :
諏訪は地味だけど源氏、平氏、藤原氏以外の名門としてはなかなかの存在だからな。
神様の子孫だし、鎌倉幕府では御家人兼御内人として権力の中枢に居たし、徳川譜代に潜り込んで徳川幕府でも中枢に入る事に成功。
ライバルの武田より結局長持ちしたよね。

128 :
武田に一回滅ぼされた諏訪・小笠原が大名として復活して武田が滅びるなんて
信玄も予測してなかっただろうな。

129 :
禍福は糾える縄の如しだよね。
諏訪と小笠原は滅びたからこそ徳川譜代に潜りこめたんで。

130 :
そもそも神職が武力で統治とか糞みてえな奴だな

131 :
しかし、いまの諏訪大社の宮司は諏訪家と縁もゆかりもない一般人なんだろ。

132 :
徳川家が関東に移転した数年間だけ、徳川に臣従していた諏訪氏も下総に配されたが、関ヶ原勝利後、日根野備中をして下野に移転せしめ、諏訪因幡を再び信州高島に戻してくれたのである。

133 :
>禍福は糾える縄の如しだよね。
天正壬午の乱の時点で家康が将来天下取るとは信濃国人の誰も想像も出来なかっただろうしね。

134 :
>>131
諏訪宮司家は江戸時代の終わり頃に跡継ぎがいなくて京極だかから養子が来てる。

135 :
依田、諏訪、横田、小笠原ら大名、高級幕臣に

136 :
>>131
現在の諏訪大社の宮司は世襲ではない
明治以降、神社本庁から神主が選ばれるようになった
今の諏訪大社宮司は北島さんという人だけど
その前は平林さんという人だった

137 :
神社本庁は明治にあった?

138 :
             /)
           ///)
          /,.=゙''"/   
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139 :
明治になって社家制度が廃止されたのは知ってるが、
いまでも旧社家が世襲してるところと、非世襲になったところがあるのは、
どういうことなんだろう?

140 :
>>137
神社本庁自体の設立は昭和21年
明治時代には神祇庁が管理をしていた
(昭和15年、神祇庁は神祇院となり、戦後廃止された)
諏訪大社は明治5年、世襲が廃止され
中央(神祇庁・神祇院・神社本庁)が宮司を任命する形態になった
尚、諏訪氏大祝家は「諏方」を名乗り、幕末に京都の公家・鳥居家から養子を迎えた
その孫に当たる方が2002年に亡くなった際に諏方家は完全に断絶している

141 :
神祇庁?
初めて聞いた名前だなw

142 :
明治政府の話はよそでやれ

143 :
ウルセエ馬鹿

144 :
明治政府の話はよそでやれ

145 :
神祇官→神祇省→教部省→内務省社寺局→内務省神社局→内務省神祇院→神社本庁
ちなみに、ここ最近の靖国神社の宮司は松平、南部、京極と、やたらと大名の子孫が多い。

146 :
華族制がなくなったから、旧大名家の対面保つ仕事としたら大きな神社の宮司はもってこいなんだろうな。

147 :
>>145
行政の神祇院と宗教法人の神社本庁には組織的な連続性はない

148 :
>>145
靖国神社は特殊
南部や京極はサラリーマン経験のみで神職経験が全くないのに
いきなり靖国神社のトップである宮司になっている
そして現在の靖国神社宮司は徳川

149 :
もろに名前やな

150 :
神社本庁等の話は余所でやれ

151 :
戦後の靖国神社宮司の出自
旧皇族 筑波藤麿 : 1946年(昭和21年)1月25日 - 1978年(昭和53年)3月20日(在職中に死去)
旧大名 松平永芳 : 1978年(昭和53年)7月1日 - 1992年(平成4年)3月31日
(2代略)
旧大名 南部利昭 : 2004年(平成16年)9月11日 - 2009年(平成21年)1月7日(在職中に死去)
旧大名 京極高晴 : 2009年(平成21年)6月15日 - 2013年(平成25年)1月19日
将軍家 徳川康久(徳川誠の孫) : 2013年(平成25年)1月19日 -

152 :
譜代大名の家系で、有名神社の宮司やってる人はいないのか?
外様なら、薩摩島津家の現当主が照国神社などの宮司を兼ねてるのは知ってるが。

153 :
富士山の神宮司・富士信忠の子孫が米津田政で、これが竜ヶ崎藩

154 :
明治になってから藩祖を祀った神社が公認されてからは
その子孫が宮司を務めるようになる

155 :
相馬野馬追のニュース映像に相馬家の人が出てた
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140726/k10013311351000.html

156 :
相馬家の次代は吉田茂の曾孫
http://blog.goo.ne.jp/kage-yh7/e/917ea4d923350681ba037be3f36c75bb

157 :
別に吉田茂の男系子孫ってわけじゃないだろ。しかも、相馬は外様だし。

158 :
厳密に云うと相馬長門守は入譜代

159 :
お前ら今何時代だとおもってんだ高齢引きこもりニートども

160 :
お前ら今何時代だとおもってんだ高齢引きこもりニートども

161 :
相馬家で
麻生の会社の取締役やってる人いるね(麻生の息子が社長の会社だったかな?)

162 :
現在の相馬家当主夫人は麻生太郎の妹

163 :
どうでもいい。

164 :
願譜代で老中を出した家って真田と脇坂だけ?

165 :
もし島津や毛利が願譜代を申し出たら、どうなったんだろう?

166 :
譜代になる要件を満たしてないというか、将軍様のお客様扱いの大広間詰の名誉ポストから、将軍様の下僕の譜代になんかなろうとも思わないだろう

167 :
譜代になったからと云って全て役職につけるとは限らない。
それに譜代にもお客様扱いの譜代と下僕扱いの譜代の二種ある。

168 :
願譜代できたのって大老を出す有力譜代か有力松平一門から養子をとった場合のみだよな
真田は7代目が大老井伊直政の子で、8代目が老中首座松平定信の子(将軍徳川吉宗の曽孫)
だったために願譜代になった
脇坂は3代目で老中堀田正盛の子を養子にしたため(母は大老酒井忠勝女)願譜代になった
島津や毛利は一応家系が絶えてないだろ

169 :
仙石家みたいに譜代から外様へ扱いを変えられた大名も、なぜかいる

170 :
仙石なんて秀吉の最古参部類に属する直属の部下で
思いっきり豊臣恩顧の外様大名なのにな
なんで仙石が最初譜代並みの帝鑑間を与えられていたのかわからん
関ヶ原の秀忠失態を家康にとりなすなど将軍秀忠のお気に入りで
何度も秀忠自身が仙石邸を訪れるなどしてたことからの特別待遇?

171 :
譜代が外様の有力大名から養子を取るのは、問題なかったようだが、
浅野長政や伊達政宗の男系子孫が幕閣になってるのは違和感を禁じ得ない。

172 :
幕末、館林藩秋元家は毛利家から貰っていたが、タイミング的に最悪だった

173 :
浅野→阿部→酒井(貴院副議長)
丹羽→稲葉
毛利→秋元
伊達→堀田
伊達→太田
水戸→越智→戸田
水戸→本多
柳沢→真田
島津→奥平
島津→久松

174 :
毛利家からだと
家綱母の実家増山家や
譜代の本多、稲葉、水野にも養子送り込んでるな

175 :
>>171
>浅野長政や伊達政宗の男系子孫が幕閣になってるのは違和感を禁じ得ない。
浅野家三代目の光晟なんかは家康の外孫で家康・於大の方を通じて水野家の血引いてるし
政宗の子である忠宗も家康の娘と婚約して一時期家娘婿だった事もあるし、広い意味での親戚と言えなくもない

176 :
松山藩主久松家も19世紀になると島津やら藤堂から養子が入って、
幕末には藤堂家から来た養子が老中になってるな。

177 :
>>176
藤堂家から来た定昭は久松家の娘の娘婿として久松家を継承し老中になった
江戸時代には譜代と外様、親藩と外様の婚姻は禁止されてなかったし
将軍家自体、外様の大大名に息女を積極的に嫁がせていた
だから血縁や姻戚関係は入り乱れている

178 :
大政奉還後、譜代の中でも生粋の名門である酒井と久松を老中上座に迎えたが1ヶ月もせずに免官

179 :
島津とか毛利とか伊達が、譜代の老中クラスの家に養子を送りまくって、
幕閣を外様2世で独占するようなことも、やろうと思えばできたかもな。

180 :
それが可能な江戸後期には島津は将軍外戚として正面突破で力を振り回してた。

181 :
>>179
外様が養子を送り込むには、男子後継者がいない家
もしくは宗家の娘と年齢が釣り合う男子で婿養子が条件
勝手に養子送りまくることもできんだろ
養子縁組には幕府の許可も必要だし

182 :
土井利位は幸運過ぎる。
仙台藩の庶子だった父親が、たまたま運良く土井分家から養子に迎えれてたら
たまたま本家の古河藩に跡継ぎが無く、たまたま庶子の利位が養子に入ったら運良く老中まで出世できるんだから
親子二代で部屋住みで終わるはずが
吉宗並のシンデレラストーリー

183 :
秋田新田藩から阿波藩もおいしい

184 :
幕末の老中稲葉正邦は丹羽家の出身だよな。

185 :
外様から養子に入った譜代大名って、徳川家に対する忠誠心ってあったのかな?

186 :
幕末には徳川一門の親藩すら明治新政府に寝返って
徳川宗家の主城江戸攻めに参加していたから
譜代云々なんて関係ないよ

187 :
出自よりも家臣の振り付けに従って動くことが求められる
譜代も外様も養子も関係ない

188 :
>>180
島津は将軍外戚にはなっていない
島津の姻戚だった五摂家筆頭近衛家の養女という名目で
将軍御台所を2回出したのは事実だが

189 :
え(・・?)

190 :
十八松平家も結構関係ない家から養子入れたりしてるね。
一門は松平氏の男系に限るのかと思ったら、そんなことなかった・

191 :
本当の一門である親藩は幕末に川越松平家が有馬家から養子を入れるまでは、
ほぼ全て家康の男系子孫で固めてたけどね。
例外は江戸前期の越前系支藩に久松松平や新庄から養子が入ってるくらい。
(新庄からの養子だけは、理解に苦しむ)
鷹司松平とか奥平松平は、一応親藩扱いだけど、初代からして他人や女系だし、
久松松平も田安家から養子が入るまで譜代なのか親藩なのかわからない曖昧な位置。

192 :
>>191
久松松平は家康の異父弟というだけで
もともとは男系でも女系でも松平の血を引いていない
父系なら久松家、母系なら水野家だからね(家康と母親が一致)
そんな家が親藩扱いされてることが凄い
日本は天皇家以外はかなり女系相続も多いしね
家康の娘の産んだ孫に松平姓与えたりしてる

193 :
まあ、鷹司、奥平、久松は将軍位継承権のない、名誉親藩みたいなもんだから。
越前系の支藩に、ごく一部とはいえ、他家からの養子が入ったのも、将軍位継承権のない越前家一門だから。
将軍になる可能性のある御三家の連枝松平は、明治維新まですべて家康の男系子孫に限られてる。

194 :
>>193
鷹司は紀伊連枝
奥平は家門→譜代
久松は松山、白河・桑名のみ家門

195 :
越智松平のいいとこ探そうぜ
幕末6万1千石。初代は家宣の弟、家斉の子供と水戸家からの養子をとったそんな親藩。
でも表高少なくない?いやいや、御三卿で10万石なので成立年代を鑑みれば妥当と擁護してみる。

196 :
越智家
官位は従四位下
侍従
と官位だけならまあまあ。実質、血筋は水戸家支藩に。水戸連枝の讃岐藩が溜間なんだが。

197 :
なあ、お前らって松平と一切関係ないのに、
松平を松平以上に語り合ってなにがたのしいの?

198 :
越智家は初代清武はじめ、宗家から冷遇されすぎ。
家宣ほど、同母弟に冷淡な人物が名君や君子のように持ち上げられるのはおかしい。
綱吉がキチ害だったのと、新井白石が側近だったということで過大評価されてるが、
実際には肉親に冷たかっただけの男。

199 :
どうせ館林藩主にするのなら、はじめから両典と同じ待遇で10万石やればよかったのにな。
ていうか、普通に甲府10万石に封じてやれよ。

200 :
棚倉などに左遷された家門

201 :
御三卿が10万石格だから、越智家の成立次期が遅いこともあり、こんなもんかな。

202 :
ちびちび加増して譜代なのか親藩なのかわからないような中途半端な扱いにとどめるより、
スパッと甲府家の所領をそのまま継承させればよかっただけのこと。

203 :
大名同士の敬語は、何を基準に身分の上下が決まっていたのか?官位なら従五位は多い、表高は五位の大名のなかで上下の幅がある。
たとえば、従四位下の松江松平家当主は、津山藩の当主に三河守様と呼んでいたのか?
官位では津山が松江に優位するが、表高は松江が優位の場合。

204 :
>>203
基本的に大名同士の敬語は『殿』を使う
相手が三家、三卿の場合でも『殿』を使用
様を使うのは将軍、将軍世嗣、御台所、将軍世嗣の御簾中に限られる

敬語を使う相手大名の序列は
官位上位>家督についてからの年数>年齢
であり、
同じ官位の場合はその官位に先に就いた方が上位になる
表高の序列は大廊下、大広間以外の大名、旗本の将軍に拝礼する順番に関係するが、敬語の使用には関係ない
因みに津山は松江の本家筋なので、松江は常に敬語を使用する

205 :
将軍の直臣という意味では大名も旗本も同格
大御所、将軍実父、将軍生母、将軍子弟(姫君含む)も尊称である『様』の対象

206 :
正室に将軍養女格を迎える場合に「お姫"様"」と敬い扱うのはそういう事か

207 :
>>204
参考になりました。
二条城の黒書院あたりに人形で当時が再現されてる。上座から、老中、高家、若年寄の順で座っている。
高家は老中支配だから老中の次はまだわかるが、若年寄より上位とはね。

208 :
大名同士だと、「薩摩殿」「左衛門尉殿 」などになるはず。大河だと誰かわからなくなるんで名前で呼ぶばあいが少なくない。
上掲のとおりなんだろうが、八重の桜では容保が、井伊大老に対し「掃部頭様 」と呼んでいた場面があった。溜間詰と大老の身分差の肌感覚はわからない。

209 :
>>207
初期の頃はともかく、若年寄は譜代の小大名の終着駅で老中とは全く別コースだからな。
官位もそれほど高くない。
官位順に並んだらそうなるだろう。
高家は禄は低いが官位だけは高いからな。

210 :
>>208
容保なら掃部頭殿だろうな。
老中以下だと大老に対して主君並の態度をとったから様づけだと思う。

211 :
溜間の格ってどのくらい?幕政に参与できるから高いといわれるが、大広間などとは別の次元で、とあるインナーサークルを指称したものと理解すべきだろうか?

212 :
幕末の溜間詰では讃岐、会津が思いつく。水戸も?御三家は溜間じゃないはずだが。
幕末時点で誰が常溜だったかわかる?

213 :
老中、若年寄の就任について規則性はあるかな?老中については大河内、大給はコンスタントに輩出。松前はイレギュラー。柳沢は吉保以外では、幕閣にはついていないはず。
越智松平武元は、吉宗の信任が理由と考える。老中といっても家柄枠でいきなり老中と、官僚機構での立身出世の枠とがある。

214 :
老中は三河譜代が多数なんだが、小笠原もいるよね。吉田藩と唐津藩の小笠原だよな。小倉は老中だしてないはず。
若年寄は、堀から何人か出してる。保科から若年寄がいるが、保科では老中は無理なのかな。堀の若年寄どまりは妥当に思う。

215 :
>>211
譜代の中の客分が溜間。
井伊、平八郎流本多、榊原、酒井左衛門等は家康のパートナーとして天下を獲った家なので譜代の中でもお客さん扱いの別格。

216 :
>>214
小笠原長行とかそうだよな

217 :
柳沢は吉保が出世しすぎて、綱吉から松平姓や将軍の一字をもらったり、
甲府に20万石の大封をもらったりして、親藩なみの待遇を受けてしまったばかりに、
子孫が幕閣になれなくなってしまった。

218 :
格が高いとかえって幕閣になれないというのが徳川時代の特色だからね。
柳澤家にしてみたら幕閣になって持ち出しせずに済んだのでよかったかもね。
そのせいか大和郡山藩は穏やかに幕末まで続いている。

219 :
榊原、本多は幕閣少ないよな
本来、老中は家宰・執事的な役目だとされ、武門の家柄に相応しくなかったと思われていた。

220 :
酒井左衛門も確か1回老中になっただけだな。
榊原、本多宗家、酒井左衛門は基本的に幕閣に入らない家とみていいだろう。
井伊だけは例外的に幕閣に入ることもあるが常に大老職だからな。

221 :
家康の戦闘部隊だった家となると
酒井
本多
石川
大久保
鳥居
井伊
榊原
まあこんなとこだな。
石川は出奔して消え、大久保、鳥居は途中で改易があったからな。

222 :
重臣>軍団長>官僚
溜>帝鑑>雁菊

223 :
酒井は宿老とか老分とでもいうべき
足利幕府においても、斯波らは管領になりたがらなかった。老中も当初は相談役みたいなもの。
だからといって、間部や田沼が幕府枢要になれたのもな。

224 :
酒井は累代の宿老家だからな。
本多、大久保がそれに次ぐ家で、井伊と榊原は武功で宿老の仲間入りした家。
間部や田沼は幕府の枢要と言っても番頭さんだから成り上がり者でもまあまあありだ。
異例なのはやはり柳澤だな。

225 :
>>208
それはただの演出でしょう。対話の時、大老から老中は官名呼び捨て、老中から大老は
御前様(おまえさま)と敬称すると「江戸時代制度の研究」にありますが、官名に様付する
のは基本的には将軍家限定では?三家、三卿も殿付ですし。
三家が殿付になったのは、側近が「尾張様」「紀伊様」と三家を様付していたのを家光が
「家臣である三家に自分と同格の敬称を使うのは心得違いだ」と咎めたからだとか。
大老・老中や三家も平大名や旗本も、「目見得以上の直臣」というくくりで同格というのが
礼式の一つの基本にあるようです。

226 :
>>224
小栗は旗本どまりなのはなんでかな?
土屋あたりでも大名になれたというのに。

227 :
>>225
江戸自体の江戸大名屋敷の地図には、水戸殿、尾張殿、紀伊殿と殿付で記載。
他の大名は、松平周防守などと表記されている。たぶんみなさんも見たことある地図だよ。御三家の屋敷はさすがに大きい。

228 :
ちなみに越智松平家の正式名称は、松平右近将監家です。日本テレビ「 白虎隊」では、容保が「桑名少将を 」と呼んでいる。とすれば、越智松平は、浜田侍従と呼ばれるのだろうか。幕末、大村隊が浜田藩に宛てた口上では「浜田候」と表記がなされていたきがする。

229 :
>>226
小栗の本家は秀康、忠直、光長の家老
越後騒動で断絶

230 :
>>229
従五位下美作守だから諸侯並といえるかもな

231 :
浜田藩=越智松平家は親藩なのか譜代なのか、実にわかりにくい。
武元のように老中になったり、武厚(斉厚)のように寺社奉行になった当主がいるが、
普通、親藩の当主はそのような役職につかないはず。
その意味では、久松松平家も白河・桑名藩の定信が老中に、定敬が京都所司代になり、
松山藩の定成が老中上座になっているので、親藩なのか譜代なのかわかりにくい。

232 :
>>231
家門かって言われればそう
将軍の弟に端を発しているから
じゃあ容保みたいに幕政に参与しているのはどうなるかな?武元は実直な人柄を見込まれて西の丸老中で家重を輔弼した。

233 :
浜田藩ならこれ。信頼できるソース。
http://www.city.hamada.shimane.jp/www/contents/1001000003244/simple/hurusatowokiduitahitobito.pdf

234 :
>>233
何ページ?

235 :
>>232
会津は高松家門の宿老待遇
白河・桑名、浜田は譜代

236 :
広瀬、宍戸、糸魚川、母里は家門の譜代扱い
松山、白河・桑名は家門
会津、高松は家門の宿老扱い

237 :
>>234
20頁の康英では、自らは家康公の孫なのに、石見に行きたくないとだだコネると、土井に「津和野藩は実質旗本だから、石見の国主待遇ですぜ 」となだめられた、という部分から。
幕末の藩士の家老尾関、川ばた監物の部分など。長州の和睦条件を呑めないから城破却したとか。

238 :
>>234
48頁 尾関家老 福島家家老だった先祖
85頁以外 石州口の戦い 紀伊家のだめだめ、因幡藩の裏切り、長州の態度硬化
こんな条件だったんだな
172頁 生田精 鳥取藩主にねぎらわれる

239 :
>>226
分家筋の小栗又一家は吏僚の家系

240 :
武功で又一なんでは

241 :
>>240
武功は二代目だけ
それ以外は官僚

242 :
庄内藩に降りかかった領地替えとは、長岡への転封ですが、これは減封に等しいです。
なにか落ち度があったのでしょうか?

243 :
何年か前のNHK金曜日の時代劇では、殿中で大名同士が「領地+侯」で呼び合ってた。
「相良侯」とか、「白河侯」とか

244 :
国持上位格=井伊(酒井)は幕閣に入ると自動的に大老扱い
元々従四位少将以上の家柄だし

245 :
姫路酒井は幕末、老中を経て大老じゃ

246 :
稲葉氏って春日局の縁者で老中も出してる譜代大名なのに、
なんで臼杵藩だけ外様になってるの?

247 :
臼杵の稲葉は稲葉一鉄の子孫の稲葉本家。
春日局の旦那の稲葉正成は一鉄の孫娘(春日局とは別の娘)と結婚して稲葉氏を名乗った。
春日局は継室で、その子の正勝は正成の嫡男ではない。
正勝が大名になったのは完全に春日局の子だからで、正成とは関係ない。
元来が美濃の国人で、その後信長の家臣として大名になった稲葉本家が外様大名なのは当然じゃねえの?
それに忘れてはならんのは、一般的に外様大名は将軍の客分だから譜代大名より格式は上ということ。
由緒ある稲葉本家は春日局の子として大名になった稲葉家より格式は上。

248 :
稲葉氏でくくれる血統のつながりはあるの?

249 :
>>247
本家が外様で分家が譜代、というと細川家もそうだね。
常陸谷田部には譜代の細川家があった。

250 :
外様で伏見奉行になったのは成島?
丹羽は外様でも、秀忠縁戚で幕府に忠実。
仙台藩が幕末に佐幕になったのが驚き。真っ先に新政府になびきそうなイメージがある。世良の人格の下劣さ所以か。

251 :
真田のように血統で譜代扱いになったのは別として、実力で譜代になったのは脇坂くらいかな。松前って幕末に突然変異で老中になったけど、譜代なんかな?

252 :
>>249
秀忠に取り立てられたから譜代になるの?
丹羽も譜代なりそうだな。立花に譜代の家があるけど沿革からいえば立花氏って外様かも。安城譜代とか、古参が譜代はわかり易い。

253 :
>>252
旗本に外様は居ないので、旗本が大名になると譜代大名になるんだよね。
外様大名が一旦旗本に落とされてから再度大名になると、今度は譜代大名になると聞いた。

254 :
>>253
旗本は将軍の直臣だから譜代になるということなんだね。

255 :
>>253
丹羽家のように浪人から取り立てられたらどうなるんだろ。

256 :
>>253外様の知行分地の旗本は、禄は将軍家から貰ってないのかな?
旗本辞典によれば、長州毛利の分家旗本はなかった。鍋島、島津の旗本はある。外様の旗本ってまずいないんじゃない?

257 :
たとえば、外様が庶子に知行分地したとする。1万石以上ならば、支藩となり、1万石未満なら自動的に旗本になるのかな?鍋島の場合は、家督争いの末に直参になり、家禄は将軍家から貰っていたと思う。本家と仲違いしてるので分地してもらえないということ。

258 :
>>257
本家が外様大名の万石以下分家は旗本になる
鍋島、田村、脇坂、浅野など

259 :
福知山の朽木は、本家が外様大名の家系で、旗本だった分家が累進して譜代大名になった

260 :
>>253
柳川の立花家は、大広間詰だから外様系表大名ではないの?
初代(?)の宗茂は、改易、浪人から御書院番頭を経て大名復帰したが上記のとおり表大名。
幕初だからかもしれないが、旗本出身でも必ずしも譜代ではなかったみたい。
真田なんて、家康の娘婿で関ヶ原前から家康に臣従してたのに、譜代ではなく外様だった。

261 :
幕府草創期はいろんな制度が確立する前だからねえ。
確かに復興後の立花家は後年なら譜代大名コースだよな。
真田が譜代にならなかったのはほんと不思議。
関ヶ原時点の信之の本城は沼田だったわけでもろに家康の勢力圏内だったしね。

262 :
>>260
立花家は言うとおり幕初だから。
まさか関が原で西軍に組した人を譜代にはできんw
真田は臣従じゃなくて家臣だったかどうかでしょ。
関が原前に家康から知行を受けたのが譜代。
個人的に不思議なのが諏訪氏。
これこそ譜代の条件を満たしてるはずなのに。
まあ准譜代とか言われてたみたいだけど。

263 :
>>262
幕末に大番頭だった小大名の立花がいたような気がする。それを念頭に置いたんだが。

264 :
三池藩の立花のはず。大番頭から若年寄に累進。

265 :
>>258
俺が幕府側だったら毛利あたりに分家旗本作らせて体力削いでやりたいところだが。毛利は庶子の処遇はどうしたのかな。
浅野氏祐は、外様の浅野の分家だと思うんだが、忠臣だったね。本家はあれだったが。

266 :
>>265
庶子は分家の跡取りや、分家に空きがなかった場合は永代家老クラスの家の養子に。
このクラスの他の大名とあまり変わらんと思うけど。

267 :
>>262
逆に脇坂の譜代入りのハードル低くない?
そもそも幕閣に登用されて結果出しから譜代って。子孫は東京で医師してる。

268 :
http://tsunebo.com/wakisaka-eriko
子孫。

269 :
脇坂のように結果出して譜代以外は、真田のように血縁パワーで願い譜代がせいぜい。
旗本から大名も、大名になれた幸運の持ち主だ。

270 :
幕末あたりになると、諏訪とか松前とか下手渡立花とか丸岡有馬とか、
外様出身の幕閣が増えているが、中小大名だと全く警戒されないんだな。

271 :
>>270
警戒というか、その頃は財政不足人手不足状態だから、役についてくれる小大名なら大歓迎でしょ。
幕末は本来の譜代大名やら代々の旗本やらが溶けて役に立たなくなってる状態だからね。

272 :
幕末になると開幕から200年くらい経っていて、外様と譜代の差は格式だけになっていたと思う。
外様も将軍の臣下になって何代も代を重ねているし、譜代とは婚姻と養子で繋がってるし

273 :
長州もそうかな?

274 :
>>272
外様も徳川家と姻戚だったり養子が言ったりしてるからな

275 :
外様と譜代の差がなくなってるってことは、
譜代や親藩の忠誠心も相対的に低下してるってことなんだよね。
最末期に尾張や越前、淀の稲葉や井伊なんかが先頭切って新政府側に寝返る始末。
かと思えば東北の外様が旧幕府側に立って戊辰戦争戦ってるしな。

276 :
戊辰戦争は東西対決の様相を呈していた
井伊は10万石減知されてるし、芸州口では負けるはずのない戦いにフルボッコ。浅野、津和野藩なんて中立で、幕府としての体をなしていない。あれで幕府は終わり。

277 :
日本有数の雄藩、仙台藩でも歯が立たないなら何やってもだめだな。兵力では諸侯随一といわれ、2万人くらい動員できるとさえ言われた。幕府並の兵力だな。

278 :
>>275
幕末の奥羽越列藩同盟は旧幕府忠義の同盟ではない
奥羽越列藩同盟の盟主は皇族の北白川宮能久親王
薩長が旗印に掲げる明治天皇に対抗して
江戸から逃げてきた輪王寺宮を擁立して薩長に対抗しただけで
徳川のために戦ったわけでも何でもないから

279 :
稲垣、植村は影薄い。譜代大名で幕閣だしてない家ってあるかな?鳥羽藩稲垣なんて幕閣にいたかな?青木、青山くらいはすぐ思いつくのだが、譜代でも老中・若年寄をほとんど輩出しない家ありそう。

280 :
本庄は江戸期に譜代になり、さらに松平性まで与えられ幕末に老中まで
松平宗秀がそうだな。

281 :
植村は高取城と家康の偏諱の「家」の名乗りが許された家として有名だけど、幕閣としてはね。
調べたら若年寄1人しか出してないね。
信康の側近だったことが響いてるんかな。

282 :
駿河譜代の藤堂。藤堂に三重を与えたのは失敗。東西交通の要衝だからな。滋賀、三重、岐阜はガチ譜代にすべき。まあ裏切られたんだが彦根と戸田はよくやってくれたよ。

283 :
延岡内藤は幕閣いたんじゃないかな。老中になるには九州じゃ遠いといわれる。唐津水野は、このために唐津から脱出を図った。内藤は延岡じゃない内藤が幕閣だったのか。
青木、青山もそれほど幕閣をだしてないような。桜井松平も聞かないな。

284 :
>>281
だけど酒井は盛り返した。酒井は別格だからしゃーないか。譜代の絶妙な配置で外様を牽制しつつ、譜代を徐々に増やし味方に取り込んできていたの。龍野脇坂、福知山朽木、たしか讃岐あたりの京極も若年寄に登用したりした。

285 :
井伊は盛り過ぎ。

286 :
>>275
彦根はね。
まさか水戸が幕府中枢を占めるとは思ってなかったんだろう。
で、減封されるわ京都守護は剥奪されるわ、それでも懸命に戦った長州戦争で「領地1/3だけ返してやる」と小馬鹿にされるわ。

287 :
彦根はそんな怨恨じゃなくて長州の戦力に怯えただけだと思うが。
自慢の赤備えが一撃で粉砕されてるし。

288 :
>>287
両方じゃね?
幕府に恨みがあるわ、薩長が怖いじゃ寝返る決断も当然だったろうな。
関ヶ原や大坂の陣の頃は井伊はリアルに徳川随一の戦力だったんだけどなw
というか両方の戦役で活躍した徳川勢って井伊しかない。
だからこそ新参なのに譜代筆頭までのし上がった。
それがあの末路とかなんか哀しいもんがあるわ。

289 :
第一長州征伐ん時なら長州は勝つのは困難かな。第二次も萩口を譜代が担当してればあるいは。もんだいは日本海側に海軍を派遣できたか、である。譜代の海軍戦力は未知数。また、その意気もない。まあ、芸州口で負けなら、武力政権としては終焉だ。

290 :
たぶん鳥羽伏見で幕府側だった大名は
会津、桑名、浜田、伊予、讃岐、延岡、たぶん小浜
まではわかる。譜代筆頭は脱落。おい福山藩どうした。

291 :
>>287一応
彦根藩奉行 石金衛門と
会津軍公用人
手代木直右衛門とが 同盟締結の非公式会談までしてるんだが
やっぱり藩主にしたら父の井伊直弼の寵愛を受けながら京都守護職として一橋派に寝返った松平容保は裏切り者に見えたかな

292 :
慶喜は参謀にして、将軍ら幼君たてるべきだった。上洛要請を幼君を理由として断り、慶喜にやれるだけやらせる。大政奉還なんて将軍とはいえやりすぎ。

293 :
>かと思えば東北の外様が旧幕府側に立って戊辰戦争戦ってるしな。
佐竹は断固官軍側についたが、これも関ケ原の遺恨か?

294 :
>>292
もう慶喜以外には幼い亀之助しか将軍候補がいなかったからこそ
幕府維持より大政奉還を慶喜が決断した理由だろうな
(無論理由は他にもあったが)

佐幕派にしても大政奉還を薩長が蹴ったら、それを大義名分にして薩長討伐に乗り出すはずがまさか薩長までもが大政奉還を受け入れる始末

正直、慶喜暗殺事件が起きなかったのが不思議な話

295 :
慶喜は側近を散々暗殺されてるからな。
とりわけ警備も厳戒にしてたんじゃないの?
まああとは運もあったんだろうね。

296 :
幕府を守るために、
幕府でなくなる
矛盾しちょる
前半の推論に誤りがらある

297 :
>>296
何しろ、幕府を護るために徳川と対立してた天皇の私兵になった守護職もいるくらいだしな
幕末に矛盾は付き物

298 :
京都守護職は建前上は天皇の監視ではなく警護が任務なので
名実共に天皇の警護兵になったとも言える。

299 :
>>267
途中から堀田の血筋になったから

300 :
>>270
田村とか微妙だよな

301 :
>>276
西でも津山、松江、姫路は幕府側だったんだな

302 :
>>280
桂昌院の関係だろ

303 :
>>283
桜井松平は大阪警固が任務の尼崎藩

304 :
外様でも小大名が幕閣という原則どおり。
あえて小大名に譜代の血筋入れて譜代にする意図があったのかも。吉川を幕閣入りさせてればな。鳥羽藩は小大名だけど立地は重要。伏見奉行でもやらせるべき。

305 :
>>301
松江は佐幕と新政府で右往左往。蒸気船座礁とか動きが怪しいってんで、保科が糾問したんだよ。津山は佐幕かな?

306 :
老中や若年寄になった譜代大名(水野とか堀田)が男系で浅野や伊達というのも興味深い。
あの水野忠邦が男系では浅野長政の子孫。

307 :
薩摩の抑えとしてたしか相良とかあったよな。延岡藩もそうだけど。小倉が負けたんじゃだめだ。広島に譜代を置けなかったのがな。

308 :
宇和島伊達は旗本3000石の山口家でしょ。伊達と旗本じゃ釣り合わないが。

309 :
たしか井伊家は三条家と婚姻関係だったはず。譜代の大大名と清華家が釣り合うんだな。摂家と井伊じゃちょい無理。

310 :
>>309
近衛家と島津家の関係を考えたらたいしたことはないよな

311 :
>>310
近衛は島津の元ご主人様だからな。
島津庄ってのは近衛家の庄園だった。

312 :
二条家は幕府と繋がりが強いよな。三条家は家令・門流に属してない。大抵は摂家に従属する。三条は清華でもやや格が高い印象がある。

313 :
鷹司は蜂須賀程度と姻戚

314 :
>>308
旗本山口家には宇和島伊達家から養子が入っていたから、
伊達宗城は伊達家の男系子孫なので、この場合は順当な養子縁組。

315 :
>>306
格式は、血統では変わらないということですね。
徳川将軍の子弟を養子に迎えても親藩にはなれないし

316 :
>>314
江戸時代じゃないが、上杉謙信が同じような理由でもともと上杉家の男系男子だったというのは本当かい。

317 :
上杉謙信は長尾家男系。
上杉鷹山が秋月家から養子になっていて一見上杉と関係ないようだけど、
実は女系で景勝の子孫なんだがその話と混同してないか?

318 :
家斉の子供に家督継がせたら、官位は上がったんじゃないかな。
津山藩は働きかけしてたな。加増してくれやら幕府に要求ばかりしてた。

319 :
>>306
浅野家は徳川の血濃いからな
家康外孫の光晟以降も尾張家や前田家通じて義直・秀忠の血も確か引いてた

320 :
長尾家の謙信の先祖に上杉から養子が来てるってのは何かで見た記憶があるな。wikipediaあたりには載ってないのか?
長尾は上杉の守護代だから全く無さそうな話じゃないし、その説を抜きにしても女系では繋がってたと思う。

321 :
>>273
幕末には長州の支藩から譜代大名の館林藩秋元家に養子が入っている。
そのため、長州征討のとき、幕府から長州との内通を疑われて隠居させられた。

322 :
いろいろあるね〜
お前らがいまさらどうこう言っても意味がないだろ
上杉だの徳川だの今更子孫とか現れても支配者として
認めるか?っていえば認めるわけないからな

323 :
なんか同じ家系の話ばかりだな。この板は数人でまわしてるのか

324 :
>>321
長州本藩は?官位も四品で島津、伊達より下の扱い。これじゃ幕府アンチになるよ。

325 :
長州藩の表高は36万石。
薩摩藩の表高77万石や仙台藩の表高62万石より、ずっと低いのだから仕方ない。

326 :
鷹山は黒田官兵衛さんの子孫って知った今年。
九州が身近に感じた。米沢市民です。

327 :
真田家の子孫は慶應の教授

328 :
在日は、日本の「居候」であることを忘れている。
在日韓国朝鮮人というのは外国人なのに永住権を持っているので
日本人ができることは当然自分たちもできると思い込んでいることです。
ゆえに兵役もなければ選挙権もあってしかるべきと考えているのです。
韓国内で在日のことをパンチョッパリ(半日本人)という呼び方をしているのはそのためです。
韓国内が大変だったときに在日特権でゆうゆうと生活していた在日のことを許せない韓国人が
いても不思議ではありません。

329 :
子孫は研究者に
真田幸俊 慶應
上杉邦憲 東大
益田兼房 立命館

330 :
毘沙門の子孫は宇宙の研究へ

331 :
譜代大名の大半を占めた2万石以下の小藩の家系って、もう完全に庶民に埋没してるんだろうな。

332 :
そらそうだろ、たいして庶民層と財力も経済力も変わらないんだから

333 :
譜代大名の子孫で消息がよく知られているのは彦根の井伊と両酒井くらいだな。
あとは小倉の小笠原か。

その他大勢の並び大名の末裔はどこに消えたんだろう?

334 :
一般人やってるんだろ

335 :
左翼法学者 奥平康弘

336 :
>>333
松江松平 元NHK 武蔵野市在住
松浦家 元NHK 鎮慎流家元
土井の分家 東北大卒元ソニー役員、作家テンゲシロウ父は日本興業銀行勤務
九条家 元NHK 関西学院大学卒 平安神宮宮司
近衛家嫡男 元NHK
島津家嫡男 慶應卒日本興業銀行を経て宮司などを歴任
徳川宗家 元日本郵船
加賀前田家 元日本郵船
毛利本家の嫡男 自由学園大卒研日立金属勤務
日野西家 東大卒元日本郵船

337 :
税法学者の水野忠恆
税法の畠山武道さんは?

338 :
>>333
小倉小笠原家 明治大学卒小さな会社役員
福山阿部家 地名が出てこないけど文京区のある地区の町内会長
越智松平家 関学文学部卒 ミュージシャンなど 卒

岩倉家 たしか元京大文学部教授、京都外語大
喜連川足利 元京大文学部教授
飛鳥井家 元京大文学部教授
阿波公方家 西日本外語短大とかいう大学の教授

会津松平家 NHK勤務
安芸浅野家 女性の子孫はNHKのプロデューサーだったはず

339 :
中小の譜代大名の子孫は消息不明だな。
ちなみに小笠原家は礼法の家元だった系統(旗本)とは別に礼法や茶道の家元やってるね。

340 :
1881年現在

下総高岡藩 井上正順 宮内省出納課見習 録券13440円余 家扶2名
備中岡田藩 伊東長トシ 内務省九等属 録券26595円余
美濃高富藩 本庄寿巨 内務省十等属 12205円余 家令1名
豊前千束藩 小笠原寿長 陸軍省十四等出仕 録券16585円余 家扶1名
駿河桜井藩 瀧脇信敏 沖縄県御用掛 録券13140円余
伊予小松藩 一柳紹念 鹿児島県御用掛 録券17860円余
伊予薦野藩 土方雄志 工部省九等属 録券20670円余
常陸麻生藩 新庄直陳 司法省十七等出仕 録券17975円余
下総結城藩 水野忠愛 群馬県御用掛 録券19152円余
備中浅尾藩 蒔田廣孝 秋田県御用掛 録券14695円余 家令1名
但馬村岡藩 山名義路 広島鎮台陸軍歩兵伍長  録券11435円余

341 :
>>338
東大に喜連川教授という方が居るけど、やはり喜連川足利家の分家出身かな?

342 :
阪大、東大の教授の斯波先生は名前はそれらしき

343 :
大給松平はどうなっているのだろうか

344 :
>>343
子孫のおばあちゃんが皇室関連の番組に出てた。

稲葉家は跡取りがいないので絶えることになる。

345 :
東映太秦俳優養成所監督 松平乗道

346 :
松平姓のままなんだ

347 :
久松、松井、大河内が維新後、復姓したのは当然として、
十八松平の大給、桜井、滝脇などが松平の姓を捨てたのは納得いかない。

あと久松のくせに桑名松平家だけ、松平姓を捨てなかったのも納得いかない。
同じ意味で会津松平家が保科に復姓しなかったのも。

348 :
基準は家康の男系子孫だよな。
異母弟の久松は微妙。
会津、越智はこの基準に従えば妥当。
ところが、久松本家の分家旗本であるアナウンサーの松平さんは松平のままで、本家が復姓してる。

基本は家門、御三家の連枝
水戸の昭武が徳川姓で分家したのはわからない。

349 :
吉井家のように新政府に恭順して率先して改姓したケース

350 :
譜代の中でも小藩の森川、増山、内田、林、植村あたりの末裔も気になる

351 :
>>348
久松松平は家康の異母弟ではなく異父弟
家康とは水野家出身の母親(於大)のみが同じ
父方が久松、母方が水野で松平の血を引いていない

352 :
SHOCK EYE(ショック アイ、本名:植村 家浩、1976年12月14日 - )
レゲエグループ・湘南乃風のメンバーであるレゲエミュージシャン。

チワワを2匹飼っており、自身のブログ、twitterに度々登場させる愛犬家である。
高取藩主、植村氏の直系の末裔。自身のブログなどで先祖の甲冑などを紹介している。
名前の由来は、本名の植村家浩から【植】の【しょく】
また、名前の【いえひろ】のイニシャル【I】を文字って【eye】ということになっている。
占い師、ゲッターズ飯田に占ってもらった際に、今まで占った数万人の中で2人目の強運の持ち主で
「歩くパワースポット」と呼ばれた。
その運は強力で、彼を待ち受けにすると運気が上がるとまで言われている。

353 :
……

354 :
柳営会のFacebookに

355 :
柳営会の入会審査が厳しい

356 :
はいりたいの?

357 :
譜代の中小大名の子孫で国元に屋敷や財産の残っている家って、あんまりなさそうだな。
地元で名士なのは彦根の井伊と庄内の酒井くらいか。
(井伊はアカの他人に乗っ取られているが)

358 :
娘婿を迎えるなら榊原とか酒井から迎えればいいのに

359 :
乗っ取りなw
たしかに火事場泥棒みたい

360 :
>>357 彦根市長だった直愛さん以後、どっかから養子とったの?

361 :
どこの馬の骨かもわからんような一般人。
そいつが井伊直○(○は本名の一字)なんて当主名を名乗ってる。

362 :
奥さんと恋愛して手なずけた

363 :
羽中田岳夫から井伊直岳と改名している点
流れ者である点

長野主膳みたいな亡国の食わせ者

364 :
>>363
井伊直岳は通称というかペンネーム
戸籍の名は岳夫のままだよ(井伊岳夫)
井伊直愛の孫裕子と結婚し婿養子に入った
直岳と裕子の間には息子2人がいて
息子たいにはいずれも直がつく名前を本名で付けたらしい

365 :
井伊家は女系で継承されてくわけだ。
まあ、皇室や徳川宗家じゃないからそれで十分だろ。

366 :
バチモノ臭、紛い物臭がハンパないけどな

367 :
余所ものの他家乗っとりは親氏からの十八番芸だろ

368 :
天皇家も井伊家方式で、そこいらの一般人を皇女に婿にして家督相続させればいいよ。
ていうか、ユージンが生まれるまでは小泉内閣はその方向だったんだろ?

369 :
イケメン俳優を天皇家の婿に!
そうすれば代をかさねるうちに愛子みたいな変な顔の者は姿を消すはず

370 :
>>366
上杉家みたいにか細くではあるが、謙信と景勝の血統を継承してる例もあるけどな。
元来の上杉家は、佐竹んとこで血統が継続してるのが面白い。
そのかわりに佐竹には清和源氏の血が流れてないがw

371 :
小泉の父は侍従だったかな?

372 :
ただの国会議員

373 :
小泉純一郎の父は婿養子なんだよな
国会議員だった小泉祖父の一人娘が小泉祖父が所属する政党事務員だった小泉父に
「顔がいいから」と一目惚れ一緒に駆け落ちし後に婿となった
その後は小泉祖父の跡を継いで国会議員に

374 :
戦前の帝国時代はいざ知らず、戦後の民主国家時代なら、
衆議院議員(主権者国民の代表)>>>(越えがたい壁)>>>侍従(象徴の召使い)

375 :
侍従は宮内庁所属のただの国家公務員だよ
今の侍従長は外務省官僚上がりの一般人
1969〜1988年の侍従長、入江相政、徳川義寛の2人は旧華族の末裔だったが
基本的には官僚出身の一般人が勤めている

376 :
現天皇の侍従長だった渡辺允も華族の子孫。
曾祖父は渡辺千秋伯爵(宮内大臣)、祖父は渡辺千春伯爵、父は渡辺昭伯爵。

377 :
はいはいよかったな

378 :
国家公務員と天皇家の私的職員の差はなに?

379 :
民主主義の立場からは華族だの貴族だの伯爵だの侍従だのは否定されるべき「悪」なんだろうけど、
やっぱり「伯爵」なんて字面を見るとカッコいいな。厨二心をくすぐられるわw

380 :
堀田正典さんが堀田家当主

381 :
「富山の薬売り」千人下回る.
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1423810972/
江戸城で大名の腹痛を治し、富山藩の薬が評判に

382 :
>>378
どこから給料が支払われているか、どういう採用方法を経ているか
国家公務員は国家予算の人件費から給与がおりている
公務員試験で採用され待遇や身分保障、福利厚生は他の公務員と同じ
ずっと皇居担当なのではなく人事異動がある
天皇家の私的使用人は天皇家が採用し国が天皇家に割り当てている内廷費から給料がおりる
国家公務員のような身分保障はなく移動もない

383 :
皇室祭祀を担っているのが天皇家の私的職員

384 :
>>383
天皇家が個人的に雇っている私的使用人は料理長や女官(と呼ばれる家政婦。募集に家政婦と出る)が中心
皇室祭祀は天皇本人が行うので私的使用人が行うわけではない
皇居に神主が常駐しているわけでもない

385 :
天皇家の私的使用人には「掌典」という神主と「内掌典」という巫女がいる。
「掌典」は旧華族の出身者が多い。「内掌典」は未婚で住み込みの女性。

料理人や家政婦は、天皇が個人的に雇っている連中がいるかどうか知らんが、
宮内庁には公務員である「女官」と大膳課の料理人がいる。

386 :
>>376
そんな肩書きの人間が代々続くような社会が今でも続いてたら、
一般人はやりきれない思いになっただろうな。

387 :
http://www.sekishunet.com/news/news_pzvwsyqn.html
井伊様

388 :
>>384
>>385

どっちが正しいんだ?

389 :
現在、宮内庁の職員で「女官」に相当する職掌は以下のものがある。
いずれも特別職の公務員である。
女官長
女官
東宮女官長
東宮女官
侍女長

また、上記以外に皇室費の内廷費をもって天皇家に直接雇用されている
非公務員の「女官」に相当する職掌として以下のものがある。
女嬬(にょじゅ)…天皇、皇后の寝室、居間の清掃、皇后の衣服の補綴などを担当
雑仕(ざっし)…便所、浴室、玄関の清掃、皇后の衣服の洗濯などを担当

390 :
米ファンドが「大江戸温泉」を買収 負債含めて500億円
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/bizplus/1423838996/

391 :
>>385
掌典や内掌典は戦前までは宮内省が管理する国家公務員だった
しかし戦後、国が宗教に関与することが否定されたため
現在は天皇が内廷費から雇っているという立場をとっている
宗教関係者がなるという規定はなく現在の掌典長は国家公務員退職者
内掌典はかつては未婚のまま生涯皇室祭祀に奉仕する巫女であったが
現在は公に未婚女性に限るとは歌っていない
ただ慣例により今でも未婚女性が勤めているとされるため
学卒直後の若い女性が宗教団体からの推薦で内掌典となり
結婚に支障が出ないように4年で退職らしい

392 :
愛新覚羅さんは女官だったな

393 :
そんな女官はいないけど

394 :
>>393
結婚して福永性になった

395 :
宗教法人神社本庁
宗教法人神宮司庁

396 :
安藤対馬守末裔
http://inkyo.gunmablog.net/e136959.html

397 :
水野忠邦の子孫
http://www.yamacomi.com/174.html

398 :
>>392>>394
福永嫮生(旧姓;愛新覚羅)は女官をやっていない
嫮生の叔母に当たる福永泰子(旧姓;嵯峨。嫮生の母浩の実妹)が、香淳皇后の女官
嫮生は叔母の福永泰子の縁で泰子の夫の甥に嫁いで福永姓になった

399 :
華族とか宮内官僚は封建制の遺物で、民主社会にはあってはならない存在。
マッカーサー革命でふっとんでくれてせいせいした。
そんなものが今でも存在してたら、一般人はやりきれない思いになったことだろう。

400 :
>>399
イギリス人はせいせいしてないんだw

401 :
イギリスも今はキャサリン妃フィーバーだけど
エリザベス女王の4人の子のうち3人が離婚したり
皇太子が不倫相手のバツイチ女性と再婚したりしたときは
ずいぶん叩かれ王室不要論が出て国家予算の王室費が削られたり
(イギリス王室は所有する土地の賃貸料や王室個人が書いた画を売ったりして収入にしている
また男性王族は軍隊に入ることが多いのが通例)
イメージアップのためにエリザベス女王が私費から福祉に寄付を投じたりしてた

402 :
>>399
お前みたいなブサヨがのたまう数々の珍言・妄言の方がよっぽどやりきれない気持ちにさせてくれるけどな

403 :
膳所藩本多家と笠間牧野家の男系入るまであんまぱっとしなかった越後長岡藩

404 :
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

405 :
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

406 :
井上とかいう天下の馬鹿大名

407 :
>>399
一般的な思想も持ち合わせてないような奴がすぐ一般人だとかいうんだよなw

気違いサヨクの典型例w

408 :
役目中不届之致シ方此有付、加秩之内壱万石、本秩之内壱万石ヲ没収之上、羽州山形二國替被仰付

409 :
永井家は、内藤さんに殺されなければ、幕閣輩出できたかな?

410 :
>>1
いまさらだが
歴代の陸奥棚倉に左遷大名は
けっこう復活していたりする

臥薪嘗胆

411 :
日本左衛門を取り逃がしたというかどで掛川から棚倉に行かされた小笠原は気の毒だったな

412 :
wikiの彦根藩の項で家臣の名がえらく細かく記録されてるのが凄いな
(他にも加賀藩・尾張藩・紀伊藩の大藩もわりと書いてある方だけど)
有力幕閣だったから何度か研究対象になったりしたのか?

413 :
木俣

414 :
安政の大獄で出てくる宇津木と、木村重成を討ち取った庵原は知っていたがあとは全く知らなかった

415 :
庵原家は数奇な家だな。
今川家重臣→武田家臣→井伊直政家臣→井伊家家老
元々は家康の松平家と同格だったのに、家老とはいえ陪臣だからな。

416 :
庵原は庵原国造を祖とする氏族だから、もともとは駿河一帯の支配者
今川は婿入りという形で庵原宗家を乗っ取った一族だろう

417 :
>>412
大藩レベルの家老は後に爵位(男爵等)もらっているから
その辺の都合では?

418 :
脇坂英理子とかいう女医は、堀田正盛の末裔なんだってな?

419 :
>>418
あれで一応お姫様なのか?w

氏より育ちを地で行ってるなあw

420 :
>>418
それ、本人の自称。
本物の当主が否定してる。

421 :
安治の血は旗本から本家家老職等々とあるから
当然その「更に」分家筋まで考えると武鑑とにらめっこでもしないかぎり判断は難しいだろうと
って話はここだけの事ではないがねw

422 :
本家は養子だっけ?
偽者であるがゆえに本物だったりしてw

423 :
本家は堀田だが家老に安治の血筋が居て後にお家騒動の一因ともなったという話

424 :
井伊家には武田四名臣と言われた内藤昌秀の子孫がいるんだよな。

425 :
脇坂家は徳川時代の生き残りをかけた決断とは言え、男子が確かいたのに、新興譜代の堀田正盛次男を養子に迎えるとは、思いきったことをしたな。

426 :
堀田正盛は信州松本10万石を得、嫡子正信に嗣がれた。また、次男を脇坂藩に養子に送り込み、三男には春日局の3000石を相続させ、やがては大名に昇格した
正信が城地無断帰国により改易されなければ、本家堀田正信、別家堀田正俊の両家家系が交互に老中を出すようなこともあり得たわけで、新興譜代に対する不満の声は、頂点に達した。
そこで譜代の名家大久保家を復活させる一方、刃傷事件の加害者の稲葉家を改易、稲葉本家は越後高田に転封、被害者の堀田家も山形に懲罰的転封により遠ざけた
これにより、堀田家は60年近く老中は輩出かなわず、稲葉家も幕末まで老中は出さなかったのであった
(完)

427 :
幕末の老中稲葉正邦はなぜか丹羽家からの養子なんだよな。

428 :
酒井、奥平、久松、水野、小笠原、戸田、桜井、大河内、三木、松井、大給、滝脇、稲葉、堀田、阿部、永井、内藤、安藤、板倉、牧野、土屋、保科

429 :
age

430 :
大名華族だの貴族院議員だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなものが今でも残っていたら、さぞかしやり切れない社会だったろう。

431 :
大差ないさ、安倍を見ればわかる

432 :
アンチ安倍なんて、能無しの底辺層か、「貧乏人に同情する私ステキ!」な小金持ちか、
時代の変化を理解できないバカな学生運動世代かってところ。

この種のバカがいくらアホの蓮舫やら共産党やらを支持しようと、政権は揺るがないんだよな。
現実を見ずに妄言吐いてるだけだから。

433 :
    徳川家康は朝鮮人です・・・稲葉久雄

    https://zenkokushinpou.jimdo.com

434 :
>>430
私的にゃ〜公に出てくる訳だろうから
あ〜この人の面影の一部が祖先の顔の一部なんだろうなーとか
先祖の肖像画くりそつやんwwwとか楽しみがあったに思う

435 :
貴族院ってのは、馬鹿に選挙権持たせるとろくでもないことになるから、
統治能力を持つ知識人層に政治の一部をゆだねた結果。

実際、普通選挙が行われると各地で票の買収合戦が横行したからな。

436 :
>>435
貴族院は公爵と侯爵は自動的に議員になるが、
伯爵以下は互選で選ばれる。
確か選挙の調整を図る華族がいた。

437 :
会津や譜代の大藩って偏諱貰えないのは何故なんだろ?
外様や親藩は貰いまくってるのに。

438 :
足利氏は偏諱乱発して国人や豪族にまで与えていた
毛利氏も主だった家臣はみんな「就」「広」「元」を頭につけていた
そこへいくと、徳川氏は三家、三卿、越前家、大身外様(なぜか山内と藤堂は対象外)、二条家当主に限定した偏諱であった。

439 :
>>436
公・侯爵は歳費が出ないから、侯爵に陞爵したら家計が火の車になった華族さんもあったという。

440 :
会津、井伊の官位は4位中将で伊達島津並でそれ以外の大藩より明らかに高い。
石高も30万なんで大藩の定義は満たしている。
偏諱貰えなかったのは譜代だったり継承権の絶たれた譜代に近い親藩だったからでは?
藤堂も譜代扱いと聞いたし偏諱貰えないのはそう考えたら納得。

山内は表高20万だからやや石高不足。
ただ、山内は松平姓は貰えているんだよな。
逆に熊本藩は偏諱貰えているけど松平姓は与えられていない・

441 :
細川はやると言われたのに、生意気にもそんなもんいらんと拒否した。

442 :
細川や上杉は偏諱はもらっているくせに松平姓はもらっていない偏屈者。
山内は松平姓はもらっているのに偏諱はもらえず、藤堂はなぜか両方とももらっていない。

443 :
松平姓なんて欲しいもんでもないだろう
家康自身、秀吉全盛期には豊臣姓を喜んで貰い
秀吉の妹婿として豊臣家の一員としてふるまってたのに

444 :
石高から言えば毛利や両池田、鍋島と同じくらいなのに、藤堂は冷遇されすぎだろ。

445 :
藤堂は譜代扱いなんだろ。

446 :
譜代大名は酒井も井伊も片諱を貰っておらず、徳川家との血の繋がりもないから松平の姓も貰わなかった。

447 :
藤堂が譜代扱いといっても、それは高虎と家康の個人的信頼関係に基づく一代限りのこと。
藤堂家が江戸期を通じて外様の国持大名であったのは厳然たる事実であり、
にもかかわらず石高相応の松平賜姓も将軍偏諱の拝領もなかったのは不可解きわまる。

448 :
藤堂は爵位も伯爵で冷遇されている?

449 :
井伊が伯爵なら藤堂も伯爵だろ

450 :
爵位は江戸期の草高ではなく廃藩時での実高によるものだから、冷遇とかはないな。

451 :
藤堂は采女家の問題もはらんでいたから遠慮してたとか?

452 :
大名の叙爵は一部厚遇はあっても冷遇も遠慮もない。
ほとんどの大名は現米高が基準になってる。
基準は公表されなかったから遠慮しようがない。

453 :
>>447
武家社会ってのは前例踏襲が原則だよ。
高虎が家康のお友達なら、藤堂家も将軍家のお友達として扱う。
だから譜代扱いで30万石もの高禄外様大名だが片諱はもらわんし松平姓ももらわんのよ。

454 :
地の利の影響もかね?伊勢津の側には紀州があるから
姓あたえて懐柔するまでもないと

455 :
伊勢の山田奉行所の業務規程のようなものには、伊勢神宮の有事の場合には
紀州藩と協力して事に当たれとなっている。そのすぐそばの津は要衝だよ。

津藩は松阪を紀州藩に譲る替え地として山城大和に五万石をもらっている。
それも、好きな形で村々を選べともいわれたらしい。さすがに分別をわきまえて
いたらしく、まとまった所領にはなっていないけど。

よほど信頼されていたってことだろう。

456 :
前例踏襲といえば、司馬遼太郎が大坂の陣で井伊と藤堂を先鋒の大将に据えたから
幕末も踏襲して云々とか書いてたな。

実際のところはどうなん?

457 :
井伊と藤堂、だけじゃなく、陸軍奉行竹中や大目付滝川も逃げ出し、淀藩は城から味方を閉め出すとか、みんなダメな子

458 :
>>457
みんな戦国時代に名を馳せた武将の末裔なのがなんともw

459 :
淀や館山の稲葉は譜代なのに、なんで臼杵の稲葉だけ外様なの?

460 :
wiki見なはれw

461 :
春日局の縁者じゃなかったから

462 :
>>457
この滝川さんって、北畠一族の滝川さんの末裔だよなw

463 :
臼杵の稲葉が本家なのに影が薄いな。

464 :
本貫の美濃守の名乗りも淀藩にとられっちまって、臼杵藩は益々影が薄い。

465 :
堀田も似たようなもんだよねw

466 :
稲葉正勝も堀田正盛も春日局との繋がりがなければ大名になれなかったし、
春日局一身に与えられた3000石、堀田正俊を養子にすることで引き継がせ、更に堀田本家から8000石を分与させて堀田家を増殖させ、上野介正信が除封にならなければ、
上野介家と備中守正俊の両家で交互に老中を出して、政治権力を追求しようとしていたのだ。

467 :
まあその稲葉は鳥羽伏見で後ろから味方を撃ったわけだがw
所詮乳母の引き立てで大名になった家。いざって時は頼りにならんなw

468 :
>>462
血筋はそうだけど、滝川一益と関係ないわけでひない

469 :
家祖の滝川雄利は木造家の出身だけど、
滝川一益に見込まれて娘婿になった。
調略したり暗殺したりで一方で戦も上手かったしで
かなり器用な男だな。

470 :
名門の出身だけど血筋ではなくて力量でのし上がったとか格好いいな滝川雄利
子孫はお公家さんみたいになっちゃったけどw

471 :
お公家さんかあ?
戦場に出てくるだけましだろw
勝海舟なんて口では偉そうなこと言ってるが
戦闘経験ないのだし

472 :
竹中半兵衛の子孫が陸軍奉行とかかっこいいなw
役に立たなかったようだけどw

473 :
竹中は戊辰戦争で蝦夷地まで従軍しただろ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E9%87%8D%E5%9B%BA

このwikiでは触れられていないけど、長州征伐の恨みで長州の残党に国元の陣屋を
襲撃されて妻子を凌辱されて家老どもは降伏し、その怒りで徹底抗戦したんだよ。

維新後は実業家として活躍したらしいよ。

474 :
https://youtu.be/85-XncAUZXc

475 :
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

476 :
 日立金属の最近の人事情報すこし狂っていると思われます。

477 :
勘左衛門正吉は自殺、加賀守正盛は家光に殉死、上野介正信は家綱の死に接し、配流先で自殺、筑前守正俊は又従兄弟の稲葉正休に暗殺された。

478 :
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

ZG64P

479 :
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

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480 :
江戸幕府最後の将軍徳川慶喜は土井利勝の女系子孫
土井利勝→萬(松平頼重正室)→徳川綱條→徳川吉孚→美代姫(徳川宗堯正室)
→徳川宗翰→徳川治保→徳川治紀→徳川斉昭→徳川慶喜

481 :
水野忠邦は徳川将軍家・尾張徳川家・前田氏・九条家などの血を引いている
浅野光晟(母:徳川家康の娘・振姫)→綱晟(母:前田利常の娘・満姫)
→綱長(母:九条道房の娘・満姫)→吉長(母:徳川光友の娘・貴姫)
→宗恒(母:前田綱紀の娘・節姫)→水野忠鼎→忠光(水野忠辰の娘)→忠邦

482 :
西大平藩初代藩主・大岡忠相は徳川家康生母・於大の方の女系子孫

於大の方→多劫姫→北条氏重→娘(大岡忠高正室)→大岡忠相

483 :
大給松平氏は秀才揃い

484 :
今川徳三 『「鬼平」の江戸』 中央公論新社
121頁
およそ大名の奥方などというものは、殿様のお国入りの留守中は、
つれづれの余りに日頃お気に入りの若侍や、ひいきの歌舞伎役者など、
ひそかに居間に引き入れ、夜の相手をさせるなど、不埒な遊びにふけり
がちであったから、下々の者まで奥方を見習ってたるみっ放しであった。


これって本当?こんなにルーズだったのか?なんだか信じられないけど。
また池波正太郎の時代小説短編『芸者変転』によると
「将軍・徳川家治の側近くつかえる八千石の大身旗本・石川甲斐守」には、「百人を越える奉公人」がいるが、
「四十四歳の端正な面」の「大名の家に生まれたむすめ」あがりな美熟女奥方の愛する、
「今年二十一歳になる甲斐守の長男・源太郎」は「甘えほうだいに育ちあがり」、「父・甲斐守よりも母・真佐子」が、
「幼いときから可愛がり、手元からはなさなかった」という。

「江戸」ならぬ「東京」育ちの世襲アホボンが、世襲政治家となるの今も昔も同じだね。

485 :
>譜代大名は酒井も井伊も片諱を貰っておらず、徳川家との血の繋がりもないから松平の姓も貰わなかった。
 双方とも結構な血縁者なんだけどな。

 酒井家はもともと松平の親族格の家。
 しかも、酒井忠次は家康の祖父の松平清康の娘が正室だから義理の叔父だし、その子の家次たちは家康の従弟。

 井伊家も、築山殿の母を出した家とされている上に、井伊直政は家康の養女を娶り、娘が家康の4男の忠吉に嫁いだ。
 家康の養女の実父の松平康親は、家康の侍女を妻として松平康重が生まれており、康重は家康のご落胤とされている。

486 :
上田藩主、伊賀守 松平忠固の再評価の動きがあり、忠固を主役にした映画脚本まで作った者がいる

487 :
>>484
元禄年間だと大名の妻が
怠け者が多いって、当時の
随筆にあるけど、不倫は
リスクが高すぎだろう。

488 :
真田は譜代の要素を十分に満たしてたと思うんだが
外様扱いにされたのは
信之を初代として徳川譜代の要素を満たす沼田系真田分家としてではなく
上田の本家の領地も丸々継承してる事からして
あくまで豊臣系かつ西軍だった真田本家の後継者として位置付けられたからなのかな?
それとも親父と弟がやらかした懲罰的な意味合いなのかな?

489 :
【桐谷広人七段、暴落を語る】 「景気がいいから株が高いんだ」と言ってる経済評論家はウソを言ってる
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1543716729/l50

490 :
本多忠勝の娘を正室に迎えたが、一度家康の養女に直ってから嫁いだかそうでないかが切り分けになりそう。
家康の養女にはなっていないという説もある。

491 :
藤林丈司

492 :
>>488
譜代大名をどう定義するかによるが
当時「御譜代大名」と呼ばれたのは帝鑑間席の大名のことで雁間詰や菊間櫞頰詰の者は除外される
真田は帝鑑間席なので正真正銘の御譜代大名

493 :
>>492
真田家は松平定信の子の幸貫の代になって
帝鑑間席に移った上で老中に就いたと言うのを読んだことがあるが

信之は上田と沼田を併せた真田家旧領+加増分をもって
上田藩を立ち上げたという事は
昌幸の嫡男として真田家を継承したとすれば
外様が妥当と言えば妥当なのかも

信之個人は譜代の要件を満たしてはいたが
関ヶ原の時点で実質的には分家独立していた一方で
形式上は昌幸の嫡男という曖昧な立ち位置だったのもあるのかと

494 :
武鑑を見ればわかると思うが真田家はその前から帝鑑間席
そもそも老中になると無席になるのだから老中になて帝鑑間席になるということはない
老中を辞めると元の帝鑑間や雁間に戻るように仰せ付けられる
これを勘違いしたのか幸貫が帝鑑間席となった旨の記述は見かけことがあるがその前はどの席だったのかについての記述はついぞ見たことがない

そもそも家門譜代外様の別は明治の学者が出自によって分類したもので「その限りでは」意味のあるものだが当時の実態等を反映させたものではない
例えば水戸徳川の分家である宍戸松平家はこの基準で見れば家門だが当時は帝鑑間席御譜代の列に入れると明言されている
認識の方便としての枠組みを基準にして他の問題にまで及ぼすのは一種の倒錯
言い換えれば「外様だから〜」「外様なのに〜」というのは馬鹿みたいだからやめときなさい

495 :
加えて豊臣大名としての真田家は北条征伐以前から徳川の与力大名という立場であり
それ故に信之が本多の息女を家康養女として縁組をしているのであって
幕初から譜代扱いとされてもさほど不審には当たらない

496 :
秀吉の指示で徳川与力ではあったが
豊臣政権下に於いては、徳川与力と言うより
独立大名として遇されてた感が強い

小松殿は昌幸が
「嫡男の嫁に陪臣の娘なんか貰えるか」
とゴネた結果、家康養女として嫁いだ説がある

秀吉の指示とはいえ
第一次上田合戦の結果からして
徳川与力に組み込む
組み込まれる謂れがない

からして、互いに与力と言うよりは
客分という認識だったんではないかと思われる

なので厳密には外様だけど
小松殿の存在や諸々の経緯から扱いは譜代
という感じなのでは?

497 :
松平定信の息子を養子にもらって老中だもんな

498 :
徳川の養女を貰ったから譜代というのなら国持のほとんども譜代になると思うが

499 :
ごもっとも

500 :
客分の使い方が間違っている気がするけど…
戦国時代における与力とは
戦時下に指揮命令下に入る事であって
平時は君臣の関係はなく、あくまで同格。
だからこそ、家康も忠勝の娘を養女とした上で
真田に嫁がせている。
だから真田は外様。
いつから譜代格になったのかは
ハッキリとはしないが、
幸弘の頃から実質譜代扱いとなり、
幸弘の養子で井伊家出身の幸専か
その養子で松平定信の子の幸貫の代になって
ようやく現状を追認してもらった
という感じだと思う。

501 :
寄騎はあくまでも寄親の部下であって主君の直臣としては同格というのは決まり文句のようなものだが(それはある意味で真実ではあるのだが)
実際には家臣団の身分秩序の中で同格というのはあり得ないことで
身分格差があるから寄親寄騎関係が成立するのだから
その同格という言葉に惑わされないようにするべき

徳川は井伊酒井榊原本多などを有力な独立軍団として育て上げる過程で多くの直臣をそれらの与力として附属させているが
幕藩体制が制度的に安定していく中で与力衆は完全に井伊らの家来、即ち徳川の陪臣として扱われるようになっており
与力衆による直臣復帰の試みは数々の運動や騒動(嘆願や出奔)にも拘わらずいずれも果たされず
公儀は「おまえらの主人は附属先の家」という態度を崩さなかった
例えば有名な長坂血槍九郎の本家なども結局本多の家来に成り下がっている(旗本の長坂家は分家)

徳川にとっての与力というのは容易に(ではないかも知れないが)家来に転換するようなものだったかも知れない

502 :
それはあくまで徳川家中の問題
昌幸が家康の与力になったには、真田側から頼み込んだ話しではなく
あくまで秀吉の指示によるもの
家康と昌幸の間に緩やかでも主従の関係があったかなかったかと言えば
主従関係はなかったと見るのが妥当
主従の関係があったのであれば、家康の関東移封の際に
他の徳川家中と共に関東に移っているはずだが、それもない
それどころか、家康に関東移封の命を下した秀吉自身が
関八州の一部である沼田領を家康にではなく、改めて昌幸に与えている
つまり徳川与力になる事を命じた秀吉自身が明確に否定している
少なくとも昌幸自身は上田での戦に勝った自分が
何で徳川ごときに頭下げなきゃいけないんだというのは終生あったはずで
あったからこそ、関ヶ原での決断に繋がっている
家康の娘婿だった信之個人はともかく
真田家としては関ヶ原前に徳川家中に加わった事はなく
外様大名からスタートと見るのが自然だと思う

503 :
戦中ならともかく、秀吉が家康に真田を付けてやるメリットがない
家康は武田旧臣や北条旧臣を独自に取り込んでいる

504 :
>>502
君は話を少し整理した方がいい
こちらは豊臣時代に徳川家康と真田昌幸の間に主従関係があったなどと言いたいわけではない(信之は主従に近いと見ていいと思うが)
従って強いて主従関係を否定するほどに論点がズレる

そもそも与力大名であることまで否定することは荒唐無稽
豊臣時代から幕初まで与力大名というのは地域ごとのまとまりで編成されているのだから
沼田という隣接地に所領を得たことこそがその証左となりうる(立場としては結城秀康と同じ)
それが何故「秀吉自身が明確に否定」したことになるのか理解に苦しむ

そもそもの論点は江戸期の徳川が真田をどのように見ていたか
幕初について言えば徳川が与力という立場をどのように見ておりそれがその後に真田の立場にどのように影響を与えたかというそれこそ徳川家中の問題以外の何物でもない
(信之に関して言えば家来同然に行動を共にしており主従と見られて差し支えないはず)

繰り返すが「譜代だから」(又は「外様なのに」)帝鑑間に班しているという認識は倒錯であって
逆に帝鑑間席だから「御譜代大名」と呼ばれると考えるべきもの
そしてそれは徳川がそれら大名をどのように見ていたかの問題

505 :
寛政譜を見返してみたが真田歴代の記事で席についての記述はほとんどなかった
尤も寛政譜の通例として収録されているうちの最後の当主の記事にはその家の領知・居城・伺候席などについての記述が含まれるが
真田家の場合はそれが幸専でそこには「代々帝鑑間に候す」と記されている

真田が帝鑑間に移動したというのなら移動前の席もわかる筈だが管見の限りではそういう記述を目にしたことがない
柳間なのか?雁間なのか?
(信之の時代から帝鑑間という記述を見たことはあるがこれはちょっと真偽不明)

>>500の言う「実質譜代扱いとな」ったり「現状を追認してもらった」ということがどこから推論できるのか教えてほしい

506 :
堀田備中、松平伊賀に代わり、太田備後守、間部下総守、松平和泉守を、新たなる老中に迎えた。

507 :
堀田正盛は家光に殉死、長男正信は鋏で喉を突いて自殺、三男正俊は城の中で又従兄弟に殺害される
因みに肥後藩細川宗孝を城の中で殺害した旗本板倉勝該には堀田正信の血が流れているだと。

508 :
文政期に越前松平斉善が彦根との交代転封を画策した話と、慶応期に、井伊家の駿府転封計画があがっていた話は興味深い

509 :
松平斉善って障害者だっけ?

510 :
1623年(元和8年)の東国の一斉転封は、譜代大名中心の、かつ秀忠期としては大規模で注目に値する。
最上家57万石除封にともない、鳥居忠政、酒井忠勝、戸沢政盛、松平重忠、六郷政乗、内藤政親、真田信之、仙石忠政を移転さすものだったからである

511 :
酒井忠勝という同姓同名が同時代にいたのも不思議だな

512 :
大名家とか大身旗本家の正室の名前に
「の方」と付けるのは、
側室っぽいから不適当?

513 :
方ってまさに「〜の方(ほう)にお住まいの人」って語源じゃないの?
別に属性を表しているわけじゃない
貴人を直接固有名詞で呼ばずに居住地で呼ぶのは武士以前からあるし
ただ慣例として北の方に御台所が多く済む住居形態が多くなったから
そうなっていったという気がする素人

514 :
サンクス。

側室がいない家なら
あながち不自然ではない?

515 :
維持費がバカにならないとは思うが、高取の植村って譜代大名、2万500石にしては立派な近世城郭もってたんだな
のち、嫡男が遊女と相対死にしてしまい、隠して家督をついだのが庶子の植村家長。4500石加増

516 :
高禄旗本の奥向きの方が
譜代大名の奥向きよりも贅沢なんだろうか。

517 :
井伊直弼は桜田門外の変のあと幕府に隠され、胴体と首は水戸藩の医師によって縫い合わされた

518 :
水戸藩でなく彦根藩だった

519 :
水戸浪人は首を抱えて若年寄遠藤但馬の邸に自首、
井伊家が、首を返してくださいととりにきたけど、遠藤は遠藤で、幕府の許可がおりないから待ってくれの一点張りで、
胴体は雪道に放置だから見た人の口伝てで死んだことはバレバレ。
しかしながら公方からは医者の派遣と朝鮮人参の恩賜、
水戸藩家老は身のすくむ思いで彦根藩邸に見舞いに訪問

520 :
江戸時代、特に幕末はカオスだったな。
ちょんまげかと思えばヒゲはやしてハットかぶってた人がいた。

521 :
譜代大名の正室を暗殺とか、
町方の人間には至難の業?

522 :
うめやす

523 :
池波正太郎先生の
忘れ形見、うめやす君も
大身旗本奥方の暗殺に
悩んでいたな

遊び好きの奥方なら
仕留めやすいかも

524 :
>>519
会津藩主松平容保が大老襲撃は水戸脱藩浪人の個人的責任であり、
水戸藩及び藩主に罪なしと主張して、水戸征伐の声が上がっていた幕閣をなだめた

おかげで桜田門外の変を引き金とする内戦の発生を防げた

525 :
調停したのは安藤信正でしょ
その頃の松平容保にそんな政治力はとても無い

526 :
寧ろ安藤・久世あたりは他の御三家と雄藩使って抑えるつもりだったと
そこに否と答えて当初は無視されたが後日将軍に呼ばれて話を聞き対処した・・・と

「元会津家臣」の話ではそうなってるw

527 :
譜代大名は転封ばかりで疲弊

528 :
老中を出した真田とか
将軍の子や一橋家の子がが継いだ蜂須賀とか黒田は外様なのか?

529 :
名君、名政治家を多数輩出した岸和田藩。今は学力も所得も低いヤンキーの町。殿様たちが泣いている。

530 :
同時代で「御譜代大名」と呼ばれていたのは帝鑑間席の大名のこと
黒書院溜間詰なら「溜詰」、雁間詰なら「詰衆」、菊間櫞頰詰なら「詰衆並」と呼ばれて区別される
真田家はほぼ幕初から一貫して帝鑑間席だから正真正銘の「御譜代大名」
大広間席の蜂須賀や黒田は当然「御譜代大名」ではない
(但し本来大広間席の大名でも越前、薩摩、因幡、阿波、津山、前橋、明石などは公儀との縁組によって幕末までには大廊下席に移動している)

531 :
>>528
真田は松平定信の長男が養子に来て老中になった
実父が老中首座を勤めた松平定信ということで席も譜代席が与えられていた

532 :
>>531
真上のレス読める?

533 :
メクラにレスしてもあなたのレスを読んでもらえないので無意味

534 :
寛政譜にも真田は「代々帝鑑間に候し云々」と書かれてるからね

535 :
譜代とか外様とかは明治時代の学者が適当に分類したのを踏襲してるだけだからな
真田がいつから徳川に臣従したのか確定しにくいが(与力大名の立場から徐々にズブズブになっていったのだろう)
かなり初期から帝鑑間大名だったようで
相馬や戸沢のように殿中席の移動を伴う「御願い御譜代」ではなかったことは確か

536 :
定信の実子を迎えるまで老中が出てないのも不思議だな、真田さん
10万石では大きすぎたか

537 :
10万石級の帝鑑間譜代大名では美濃大垣の戸田家も老中就任がない
他には相模小田原の大久保は幕初から老中
備後福山や陸奥白河の両阿部や若狭小浜の酒井は老中の常連だが雁間から功績によって帝鑑間に移動してる
十五万石級だと播磨姫路の酒井くらいしかいないがこれは大老にもなる家

538 :
老中に就任するメリットって、大名個人の名誉欲を満たすだけ?
要路筋に貢ぎまくって老中を務めても大した加増もないみたいだし。
逆に水野忠邦のように内分の豊かな領地からそうでもない領地への転封とか。
財政的なメリットは、付け届けくらい?
家格も四位侍従になれるのは老中になった一代のみで、次代はまた五位の朝散太夫だし。

539 :
>>538
だって老中になれば、幕府政治を主導できるじゃん
野心ある政治家にとってはたまらないだろう

540 :
収入が同じなら楽な仕事のほうがいいよな
失敗すれば処分されるしさ

541 :
譜代大名の楽なお役目bPは、役料が石高の100%の大阪加番?

542 :
>>538
一応老中や所司代の次代は60歳で四品に昇れる

543 :
春日局の縁戚が譜代というのも納得いかんな

544 :
仙石が帝鑑間席というのも奇妙だ。のちに柳間席に移動され、外様だと正式に扱われたわけだが

545 :
諏訪って地味に老中出してるんだな
松平定信の外孫だからという理由で

546 :
江戸時代の大名は養子だらけ
はじまりが外様の家でも
どんどん徳川や松平の血筋の養子に
置き換えられて行っている

547 :
秋月氏って地味だよね

548 :
>>546
ミスリーディングな書き方だな
逆に奥平は島津の血統になってるが

549 :
>>548
入り婿だろ
もともと奥平の男系は松平ではないし
女子に入り婿を繰り返している
昌高は先代の血を受け継ぐ正室に子がなかったため
結果的に別の血筋になってしまっただけで
本来は女系継承するはずだった

550 :
>>547
地味にかの有名な上杉鷹山を輩出している。

551 :
上杉家は吉良義央の男系子孫

552 :
上杉は譜代なのか?
としつこいageバカに聞いても無駄か

553 :

スレの流れも読めないバカ

554 :
スレの流れ → スレ違いもわからないバカ>>553

555 :
池田大作名誉会長はスレチですか?

556 :
阿部一族は2系統で老中を出しまくってるが
優秀な血統だったのかな

557 :
低学歴ばっか

558 :
竜田神社は、房丸所蔵の宝剣とされる名刀「竜田丸」を御神体として、寛文二年(1662)に建立されたと社伝がのこる。

559 :
岡崎譜代や浜松譜代ならぬ江戸譜代がいるとしたら、北条旧臣とかになるの?
中山信吉は水戸徳川家の付家老だから万石以上でも大名ではないね

560 :
>>557
自己紹介乙

561 :
藤林丈司

562 :
井伊家の当主を大老にするかどうかは実質的にだれが決めてたの?
形式的には将軍さまでしょうが

563 :
家治危篤から松平定信政権掌握までは、江戸時代屈指の暗闘が繰り広げられた。
近従が主殿頭を刺しRべしとまで反感を抱いていることを、出羽守忠友から知らされた意次は、しばらく病と称して登城を控えていたが、
既に出羽守は民部卿に寝返っており、家治の下命として老中免官、58000石のうち、2万石を収公された。
また、民部卿は、御三家に対し、次期老中の推挙を働きかけたが、御三家からは、秋元摂津守永朝の名しか出てこなかった。
民部卿は、秋元では話にならぬとし、御三家の同意のもとに、松平越中守定信、酒井若狭守忠貫、戸田采女正氏教を推挙し、
あわせて、就任させてはならないものとして、阿部伊予守正右を挙げた。
ところが、出羽守忠友らは、定信らの老中就任を拒み、逆に、非推薦リストにあった阿部正右が老中にされてしまう。

564 :
>>562
もともとは将軍家光が任命した臨時職で
形式上は将軍が必要だと判断した際に置くものだった
ただし後のほうになると政務を取らない将軍も続いたしグダグダ
井伊直幸は田沼意次に賄賂を積んで大老になったと噂になってたし

565 :
譜代大名って、江戸での役職はどんなのがあったの?大名火消しとかもしてたの?

566 :
幕末の庄内藩のように、幕府から江戸市中警守を頼まれることがある。

567 :
江戸在府で、という意味かな
譜代大名の定義にもよるが

大老
老中・老中格
御側御用人
若年寄・若年寄格
御奏者番・寺社奉行
大御番頭(旗本役)

江戸在府に限らなければ
京都所司代
大坂御城代
大坂御定番
伏見奉行(旗本役)

幕初だと
大御留守居

幕末だと
学問所奉行
二条御定番
甲府御城代
山田奉行(旗本役)
山陵奉行
禁裏附頭取
京都見廻役

ちなみに無城がこれらの御役に就くと一代城主格とされる

568 :
駿府城代
長崎奉行

569 :
駿府城代に大名が就いたのは幕初の2人くらい
長崎奉行も同様で1人くらいしかいない

570 :
>>567
そうです。江戸在府で、という意味です。
譜代大名は火消しの職を仰せつかる所もあったのでしょうか?

571 :
大名火消は譜代に限らない
また大名火消は江戸城の門番と同じで役職扱いではない

572 :
>>571
ということは、大名火消しをやりつつ、他の役職も兼ねなければならなかったって事ですか?
(つまり、大名火消しは江戸に参勤してきた 譜代を含むほとんどの大名がしなくてはならなくて
 それをした上で、譜代は他の役職もしなければならなかったってこと?)

573 :
>>572
役職者は当然免除
役に就いてない大名のノルマみたいなもので交代制
他に役職扱いでないものに大坂加番などがある

574 :
>>573
交代制ってことは、江戸参勤中はずっとってことではなく、
例えば1ヶ月おきに当番になったりならなかったりとか、そういう感じ?

575 :
君は質問が多いな

576 :
>>574
そこまでいくとよく知らないが担当地域を他の家と10日ごとに交代とかそんな感じだったかな
門番だと二交代のようだがこちらは期間まではちょっとわからない
参覲交代のたびにコロコロ変わって門番役をやったり火消役をやったりという感じだろう
ただ門番役は家来がやればいいが火消役は大名本人が出張らなければならない
他に大名に対する課役には普請役(いわゆるお手伝い普請)、勅使などの饗応役などがある
これらは持ち出しで給料は出ない
大坂加番だけ例外で給料を貰える

577 :
譜代関係で、一番高位に昇ったのは何気に、榊原康政の甥の照久(従二位、久能山東照宮祭主)なんだよな。
水戸徳川家よりも上位とは、すごい。一代限りではあったけど。

578 :
非参議だから従四位下の参議より下座
もう少し官位について勉強しましょう

579 :
俺の大伯父は従三位を追贈されてたから
譜代大名以上クラスだったんだな。

580 :
>>578
官位の序列について勘違いして論じてメチャクチャになってる奴っているよな
質問サイトで「位階が序列を表すので従三位中納言より正三位参議の方が上ですキリッ」とか知ったかぶってるバカは可愛い方で
昔の論文見てたら豊臣政権〜江戸初期の武家の官位による序列とその変遷を論ずるのに位階の上下だけを問題にして揚げ句に公家成大名と諸大夫を区別せずに論じててぶったまげた

581 :
駿河忠長に付けられた朝倉って
もし独立してたら譜代大名扱いだったのか?

582 :
左近将監乗邑は1万石没収のうえ老中を免職になったが、子息和泉守乗祐は帝鑑間席筆頭にあげられた

583 :
参議より中納言の方が偉くない?

584 :
>>583
だから「知ったかぶってる」って話だろ

585 :
恥ずかしい話だね…

586 :
>>582
西尾の大給松平家は尼崎の桜井松平家と共に代々帝鑑間取締
一万石没収も在職中の加増分を削られただけで家格に変更がなかったということでしかない
尚帝鑑間取締は同席の諸大夫の取締であり四品以上には監督権が及ばない
また両家の当主が四品以上の場合はその嫡子が取締になる

587 :
昨日観た水戸黄門の映画で
何か凄い人出てるなと思ったら三船敏郎だった

588 :
だから?

589 :
>>584
そもそも質問サイトは質問する方も回答する方も馬鹿

590 :
Yahoo!知恵袋?

591 :
安倍晋三は李氏朝鮮の王族の3世であることが明らかになっています。
安倍晋三は李氏朝鮮最後の皇太子で李垠の第一子
李晋の3世。李晋の晋と三世の三から、おそらく晋三とつけたのですね。
そして北朝鮮拉致被害者家族の横田早紀江は、安倍晋三の叔母で
あることが発覚しました。
横田めぐみは、金正恩の母親であり、安倍晋三の従妹でした。
以下のブログを読めば、
世の中がどれほどの嘘と悪で満ち溢れているか
そして我々が悪人のカモにずっとされてきた事に
気づくでしょう。

Kawataのブログ検索
http://kawata2018.com/
【北朝鮮拉致問題は嘘だった!!】横田早紀江と拉致被害者家族のドス黒い闇
http://kawata2018.com/2019-11-09/
RAPTブログ検索
http://rapt-neo.com/?page_id=21576

592 :
稲葉家も堀田家も本来は外様なのに、春日局の親戚だから譜代扱いとなったチーター譜代

593 :
>>587
殺陣がすごいやつ?

594 :
>>538
でも老中や奉行って現代の労働法だと一発アウトの超激務だったらしいな。
とても材木商と吉原で黄金餅貰って遊ぶ余裕は無くて仕事仕事仕事…ちょっと休み!みたいなもんだったとか。
でもみんなやりたがるわけで、デキる男のポジションだったんだろうな。

595 :
最後の大老、姫路酒井の末裔は生活保護まで受けるに至る

596 :
世良田次郎三郎は願人坊主の江川徳阿弥だろ
三河に流れてきて土豪の賀茂松平を乗っ取った

597 :
>>595
今の日本の税制って稼ぐ能力がないアホが2代続くと
どんな名族富豪でも一般人以下になるようできているからな

598 :
大老の末裔が無縁仏で撤去かあ

599 :
安倍のじいさん「おいは熊毛の田布施からきた朝鮮人たい」

600 :
井伊直弼を大老に起用したのは、形式的には将軍だが、実質は、南紀派、その主たる構成は、大奥、松平忠固、水野忠央、薬師寺元真
水野は、妹が家慶の側室だったのでそのつてを利用した

601 :
通字が「忠」
酒井、本多、阿部

602 :
それらの忠の大元は秀忠ですか?

603 :
親忠とか信忠とか広忠だろ

604 :
安城松平の通字が忠だからだろ
親忠、長忠、信忠、広忠、秀忠

605 :
藩主鳥居忠政は左京亮を名乗ったが、一度藩がつぶれて名跡復活されてからは左京亮を官名に名乗っている人物は見当たらない。

606 :
斗南藩について教えてください!

607 :
譜代じゃないからダメ

608 :2020/06/05
中公新書「ある明治人の記録」でも読め

【論破済】 邪馬台国 卑弥呼 馬韓説 【完全破綻】
徳川家康は、イギリスでも政権転覆を謀った
現代人は弥生期以降の渡来系集団である
神武・倭国の連合東遷説
雄略天皇
日本史における武士道の発展と役割について
先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る6
邪馬台国畿内説 Part463
日本史史上最悪の国と年・近江国と大津史
アンチ会津とアンチ長州の決着をつけるスッドレ
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