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【奄美・沖縄】琉球語/沖縄方言【宮古・八重山】No.2


1 :2011/12/20 〜 最終レス :2020/06/22
前スレがdat落ちしたみたいなので。
政治的な話題はひかえてね。

2 :
琉球語と日本語は、フランス語と英語、スペイン語とイタリア語、スペイン語とカタルーニャ語よりも遠い

3 :
だいぶ前から方言板に同じスレが経ってるけど…
独立言語だと言えるほど距離があるって主張は分かるけどさ

4 :
こんな時代なのに、いまだに「うちなーぐちの入門」以外、ろくな音声教材がないってのは不思議だ。
もうすこしマシな教材出ねえかな。値段構わず買うけどな。

5 :
どっちに建てたか覚えてなくて方言板も探してみたけど無かった。700スレくらいまでいったみたいだから勿体ないかな…と思って。需要なければ又おちるからしばらく居させてね。

6 :
てか何で方言板に立ててくれなかったんだい ましてやスレタイに方言と

7 :
宮古方言より難しいのなんてあるの?

8 :
過去レスでYouTubeの下地勇氏の宮古語を聞いてみたけど、対訳日本語字幕があっても聞き取れないね。
語感はほとんど韓国語みたいだった。奄美語もそんな感じ。

9 :
なーぬなーや名無しだりゃおる?

10 :
沖縄県は子供にちゃんと方言教えるべき
ヤマトの人間が言えるセリフじゃないけど

11 :
方言を教えるというのは簡単なように見えて実は大変なのだ。
方言を教えるのに必要なもの
・教師
・教科書・文法書
・辞書
・正書法
・音声教材
方言を教えるにはまず教える内容が定まっていないといけない。
どこの方言をあつかうか、発音はどうか、文法はどうか、単語はどこからどこまでか、その枠がなければ教える内容に現場でムラができてしまう。
そして方言を教える教師も問題だ。学校の教師はある程度の知識があるとはいえ、方言学の知識まであるとは限らない
アクセントの種類、咽頭化音、本土方言との対応、そのあたりの言語学に片足をつっこんだ知識がないといけない。
教師が琉球諸方言のネイティブではないので直接に発音して見せるには限界がある。そこで音声教材が求められる。
これも教科書の例文にはじまって個々の単語のアクセントまで何かと量が要る。
そして主となるのが教科書だ。盛りこむべき文法上の事項とか興味を持たせる内容の文章が必要だ。
教科書に記されるのは当然ながら規範文法ということになるが、琉球諸方言には現在規範文法はない。
それを定めるという(文化的な意義という面で)大事業を先に行わねばならない。
あとは辞書だ。現在も辞書はいくらかあるが、児童が使うには何かと不便があるので
現状は流用はやむなしとしても、理想的にはもっと小型で詳しいものがほしい。
そして教科書や辞書については表記が定まっている必要がある。
口頭だけで教えるのは限界があり、どうしても書物に頼らざるを得ない。
この表記がやっかいで、その方針にしても単純な表音主義から歴史性の重視から変わってくる。

12 :
方言の教育を家庭に任せるのは不可能だ。
というのも今の若年層の親の世代で伝統的な方言が使えないからだ。
親が使えないものを子どもに教えることはありえない。
かといって親の親の世代から教えるというのもありえない。
企業にやらせるというのも利潤がからんでいないので不可能だ。
有志らがやるには資金的に難があるのと普及の効果に疑問符がつく。
そうなると国家権力しかない。しかし国家権力を動かすには何かとしがらみがある。
票にならないようなことは議員は腰が鈍いし、方言教育をもりこむと他の教科のどこを削るかとか、
方言の価値を社会的に周知させるにはどうするかとか、そのあたりのハードルが大きい。

13 :
「方言を教える」のは方言の衰退を防ぐためだが、仮に学校で方言教育が導入されたとしても
そこで教えられる方言は昔からの方言と同じものではない。
文字が用いられ、書物が介在し、規範文法があり、
語彙も生活の一部としてだれかが話すのを聞きおぼえるというのでなく抽象的にとりだされたものが学習される。
近代的なシステムである学校教育に方言が入ると、方言は近代化を余儀なくされる。
方言の衰退を防ぐという目的は、復古ではなく革新という手段で実現される。
世にはこういうことが言われる。「方言は素朴で感情の機微を伝えることができるが、標準語は人工的で温かさがない」と。
方言と標準語のこのような対比的な性質づけは、
方言と標準語の社会的な機能の分担を言語自体の持つ性質とを取りちがえることによって生じる。
標準語が公的な場面で用いられ、方言が私的な場面で用いられる。
そこで標準語を見聞きするのは形式ばった場合が多く、一方で方言は感情的な会話に用いられるから、
頭の中で標準語に人工的という印象が結びつき、方言に感情の機微を伝えられるという印象が結びつく。
この誤認は改めねばならない。

14 :
【千葉相続.COM】とグーグルで検索をしてみてください。

15 :
琉球語を国語教育或いはそれに準ずる教科とししての教育なら
やれ文法だの正書法だのということになるが
単に言葉を覚えるとか会話程度なら難しく考える必要はない
私など小学校まで琉球語を理解できなかったが
中学生になってウチナーグチを普通に話す地域や家庭の子供と一緒に
学校生活をおくるようになると、ウチナーグチを自然に覚えるようになった
琉球語といっても薩摩侵入以前と侵入後では大きく違いが有る可能性が強い
明治以降でも昭和と明治では変わってきている
100年前の琉球語は南米などに移民でいったウチナーンチュが使ったりしている
教育としての言語教育なら難しく考える必要があるが
単に会話としての琉球語なら話す機会や言葉に触れる機会をつくれば
自然に覚えていく

16 :
琉球語とウチナーグチとウチナーンチュ
同列に扱うのは見識の浅い残念なレスとしか言えない

17 :
琉球語は琉球諸島で離されている言語
ウチナーグチ(オキナワ語)も沖縄本島と周辺の島で話されている言語
ウチナーンチュとは日本語に訳せば沖縄人
ただ、宮古・八重山からは沖縄本島地方を「オキナワ」という
オキナワ本島と宮古八重山地域をひっくるめて「沖縄」としたのは日本帝国である

18 :
同列に扱うのは見識の浅い残念なレスとしか言えない
と見識の浅さを指摘されているにも関わらず
論破や修正より責任転嫁を図ろうとする態度は
議論や事実の発見より政治的主張を優先させる残念な人物と言える

19 :
琉球語が日本から分岐したとする説を政治的主張である
琉球語に日本語由来の語彙が多く日本語族族に入るとした場合
それは薩摩侵入以来琉球語が日本語の侵食を受けてきた結果である
そもそも琉球語は薩摩侵入以前は日本語族ではなかったのである

20 :
琉球語が日本語から分岐したとする説を政治的主張という
琉球語に日本語由来の語彙が多く日本語族に入るとした場合、
それは薩摩侵入以降に琉球語が日本語の侵食を受けてきた結果なのである
その証拠に琉球語には薩摩方言など九州の方言から転訛した語彙が多い
さらに、江戸など関東で使われている語彙の転訛も有る
更に驚いたことに琉球語には高麗人が琉球に侵入したときの影響が言語にのこていることである
例えば母親を「あんまー」といい若い女を「あんぐわー」
或いは八重山では「あぶじゃーま」という呼び方もある
さらに「めんそーれ」が韓国語の「めんしぇーら」と意味が似ている
他にもたくさんあるが琉球語が大陸や日本語だけでなく高麗の影響があったとは驚きである

21 :
>>20 沖縄語でツラのことをチラと言ってモンゴル語と同じだからモンゴル語の影響も受けているかもな。

22 :
私が調べた限りでは
琉球には3000年以上前から人々が大陸から渡って来ている
それは日本本土にやよい人が出現する以前のことである
つまり3000年以上前から琉球には古代大陸人の言語が入ってきていたのである

23 :
>>20
アンマーという方言は琉球時代では
とある地域の庶民の方言でしかないのだが
士族や王族などの支配階級の語彙はまったく違うし
そこの地域の庶民だけにモンゴルとか高麗の影響があったのか?w

24 :
>>22 古代大陸人の言語とは具体的に何語なのか言うてみろ。

25 :
>>21
モンゴルといえば琉球王朝は騎馬遊牧民の王朝である
元の時代に入ってきたかあるいは明の皇帝が最後のモンゴル皇帝の次男を
琉球に流した時に北のかしらないが
琉球には中世にモンゴル系も混血している
「ちら」は日本語からの転訛だろう

26 :
>>25 モンゴルの影響なら直接支配されたシナ・朝鮮とは比較にならんな。
 朝鮮になると王室がモンゴル人だったしな。

27 :
>>20
大和語と琉球語は言語連合であるって説なの?

28 :
>>24
それは分かるわけないだろう
中国語の漢字は基本的に表意文字として使われている
大陸の言語は時代の変換とともに民族の動向に影響され
言語も変換している
表音文字で記録があれば古い時代の言葉を知ることが出来るが
漢字が表意文字として使われているから古い時代の言語を知るのは不可能である

29 :
>>23 追記
あえて地域名を伏せてるのは
そのとある地域の平民言葉が他の地域に広まったのが
ある特殊な事情が背景にあったのは
沖縄の歴史を齧ってる人なら知ってる範囲だろ?
シナ・チョンの歴史通()はそこまで知らないだろうと思うが
琉球本土だけじゃなく離島にも海外にも影響を与えてる地域だし

30 :
>>27
自分は素人だから(琉球語の日本分岐説の言語学者は素人)
言語連合という専門用語はよく知らないの
語族という用語が遺伝的につながりの有る民族と意味が同義なら
琉球語が日本語族に入るというのは正しくない
琉球語は日本語と言語連合ということになろう

31 :
>>30
そんな定義はないでしょ。
隼人だろうが黒人だろうが日本語は日本語

32 :
>>29 訂正
>琉球本土だけじゃなく離島にも海外にも影響を与えてる地域だし
与えてる ×
与えた 〇

33 :
>>23
アンマーは琉球では被支配階級が使っていた
支配層は母親を「あやー」という
しかし、「あやーガいつから使われていたのかは不明である
支配層が「アンマー」を使っていたかもしれない
琉球にきた高麗人は基本的に男であろう
言語は様々な要因で時代とともに変換する
古代より余り変化していないのは日本語だけである

34 :
とりあえずおもろい話はないの?

35 :
>>31
隼人は南九州に居住していた大和とは異なる民族だろうといわれる
しかし、現代の南九州人は遺伝的に大和民族である
それに、隼人が使っていた言葉が南九州の方言に残っているかどうかも不明である

36 :
>>34
面白い話とは琉球ごと日本語が同祖ということであれば面白いということなのかな
それは島国の視野の狭い人の考え方
オキナワは様々な意味・分野で日本のカテゴリーにははいらない
琉球は広い意味でアジアのカテゴリーである

37 :
おもろも知らないとか笑える。

38 :
そもそも沖縄自体がおおきなわ、つまり大和だろ。

39 :
おきなわの本来の固有名詞は「うちなー」である
日本の国名がジャパンと表音するのはあちらの呼び名
日本は日本語ではにっぽんあるいはにほんであるのと同じ事である
おきなわは日本語
ウチナーは琉球語であり本来の呼び名

40 :
>>37
おもろなり怪しい書物は
古くても17世紀後半に平仮名で書かれた書物
「おもろさうし」は国宝に含まれていない
尚家関連資料で17世紀に日本人が書いた書物を
明治になって書き直された書物は国宝に含まれる
おもろさうしが 国宝でないと言う事はおもろさうしが贋物だということである

41 :
だから大和語と琉球語だって言ってる。
日本で島国なんて話は意味がない。

42 :
>>40
誰がいつ書いたかしれないものに贋物もないもんだ。
そもそも言われるまで知らなかったんじゃ話にならん。

43 :
>>40
おもろそうし捏造説かあその説唱えてる人知ってるぞ、
沖縄町BBSで有名なフラー先生でしょ?
あの神のお告げで沖縄は二十数年後は独立すと仰ってる面白い人。

44 :
「おもろさうし」は母音が五つで音韻的に琉球語とはことなる
「おもろさうし」は琉球併合を正当化するためつくられたんだろう
日本人が以下に小細工を弄していたかが分かる代物
因みに伊波普猷なる人物も日本人の琉球人成りすまし
日本帝国は琉球の併合の正当化と同化するために様々な小細工や
イカサマをやった つまりペテンにかけたのである
それが現代に入り鏡に反射される光のように
日本のペテンが反射されてきている
例えばおきなわへの血税の投入は米国という重し・圧力の結果である
尖閣に油田も沖縄返還反対の世論を釣るために国連の機関のお墨付きで
発表した眉唾な話 政府が国民をペテンにかけたのである
原発は安全という政治家が作っ話と同じもの
日本人の醜い欲望が罰と成ってはねかえってきただけ

45 :
>>43
その通り
オキナワは早ければ27年後には独立する可能性が高い
それは日本帝国の琉球併合から終戦まで66年であることに根拠がある
つまり日本帝国の66年の琉球への圧政への懲罰として
米国は日本人に血税でおきなわに購わせることにしたのである(推論である)
しかし、今まで聞いた限りでは米国は琉球独立のために軍隊をオキナワに
駐留させているのはまちがいない事実である

46 :
抜けていた
馬鹿じゃなければ理解というか読めると思うができると思うが
念のために付け加える
日本帝国の66年の圧政の懲罰として
66年間にわたり日本人の血税をオキナワにあがなわせることにした
それは法の原理原則からも正しい方法である

47 :
オキナワ関連予算も沖縄県の3000億円一括交付金要求に対し
政府は293000億円という満額に近い回答だった
これも米国の圧力のおかげである

48 :
皆さんオキナワへの血と涙の結晶である血税投入も
あと27年の辛抱です
我慢してください

49 :
フラー先生、俺ファンなんですよ。
貴方の説に全面的に賛同している訳じゃないけど、
相手を論破しようとする姿勢がもの凄く自分の中で好感尊敬出来ます。
アナゴとか言う差別主義を指摘されるとただ大きな声で誤魔化そうとするアホとか、
南条ギルーとか言う捏造丸解りの妄言しか言わないと基地外とはやっぱり違う。

50 :
というより日本人の血税をオキナワに投入するのは
当然の報いである
過去の日本帝国の悪事への懲罰は当然の話

51 :
>>49
私のファンとはこれいかに
「不安」とは違うの

52 :
>>51
不安なんてとんでも無い、ワクワクしてレス読んでます。
なんと言うかこんな視点も出来るんだなあって、
考え方やデイベートの参考になるんですよね。
抽象的ですんません。

53 :
沖縄振興策が、戦時〜戦後の償いが原点であるのは間違いではないが、
国というよりも、一人の大物政治家の独断でほとんど進められた代物だったりする。
その大物政治家は歴史的、交友関係、学生時代の恩師と、
沖縄ととても縁が深かった人間で、大臣になれと時の総理から打診された時に、
沖縄に関しての全権を私に任せるなら大臣になってやると言い放った逸話もある人物。

54 :
琉球語が日本語の一種と証明したのはイギリス人言語学者チェンバレンである。
 イギリスが政治的意図をもってそうしたというのか?

55 :
ここで『天のお告げ』を思い出した
天のお告げでは
時の流れに身をまかせれば 琉球独立は自然に成立する
オキナワは今は日本の色に染まっているが
何れは首里城のように朱に染まるときがやってくる

56 :
>>54
チエンバレンは言語学は素人
高卒のニートのチェンバレンが日本に来て僅か2年で言語学を極められるわけない

57 :
つまり印欧語なんてのも大英帝国の幻想だと?

58 :
>>53
日本政府がオキナワに予算配分しているのは
米国の顔色をうかがってのこと

59 :
>>58
その大物政治家が誰なのかは、フラ先生なら知ってるよね勿論?
日本復帰時に、変動相場制で沖縄経済が大ダメージを食らうと察知したなら、
それで儲けを企んでた日本の役人や米国を無視して、
補填政策を行った人物だけど、それがアメポチだったと?

60 :
通貨問題は大蔵大臣の専管。360円のレートが変動相場に変わった。
復帰の時、私はドルを360円で替えてやるべきだと主張したが、
復帰して価値の高い円に替わるわけだから、という答えだった。
しかし、沖縄についてはその理論は当てはまらないとして、
差額は補てんすべきだと主張しドルチェックをやった。 その時、
宮里松正副主席に「沖縄県民の共通の幸せのために命をくれ」と話す。
口外したらできない。もし漏れたら辞職を出してくれと話す。
自分も辞表を持っていた。 日本人以外は対象にしないことにした。
日銀に600億円から1000億円の損をさせることになるのでこれだけは佐藤総理に相談した。
総理は「構わん、時にはアメリカの頭越しにやろうじゃないか」
と、むしろけしかける口調だった。
当時キッシンジャーが日本の頭越しに中国を訪問したのによっぽど頭にきていたのだろう。
この通貨確認は県知事にも秘密にしていた。
あの時、郵便局がなかったらその日のうちにチェックできなかっただろう。陰の功労者は郵便局だった。

61 :
バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850年10月18日
- 1935年2月15日)は、イギリスの日本研究家。東京帝国大学文学部名誉教師。
アーネスト・サトウやウィリアム・ジョージ・アストン(William George Aston)とともに、19世紀後半〜20世紀初頭の最も有名な日本研究家の一人。
彼は俳句を英訳した最初の人物の一人であり、日本についての事典"Things Japanese"や『口語日本語ハンドブック』などといった著作、『古事記』などの英訳、アイヌや琉球の研究で知られる。
by wiki

62 :
「日本語と琉球語」、
菊地正
 言語学者の安本美典氏によれば、『琉球語は、およそ、千七百年
程度昔に、南九州から南下した言語とみてよいようである。このよ
うなことは、最近の、言語年代学および語彙統計学の成果からかな
りな確からしさで言えることである。
……琉球語と日本語とが同系の姉妹語であることを、最初に科学的
に論証したのは、イギリスの言語学者チェンバレン(1850-1935)で
ある。チェンバレンは「アジア協会会報」23巻(1884刊)の付録に
琉球語についての論文を発表した。(チェンバレンは東京帝国大学
の教授となり、「古事記」を英訳した。)チェンバレンは、琉球語
が、奈良時代以前に分かれた日本語の姉妹語であることを確証した。
日本語=琉球語同祖説は、伊波普猷、服部四郎らの比較研究によって
、さらに確固たるものとなった。……いま日本語と同系であること
が認められている唯一の言語、琉球語を取り上げてみよう。……
日本語と琉球語では母音についても子音においてもこのように規則
正しい対応がみいだされる(音韻対応の法則)……』。

63 :
『……すでに、かって、日本語と朝鮮語との関係を深く追求した
東洋史学者、白鳥庫吉は、後に、およそ次のようにのべて、慨嘆し
ている。「私は、かって、日本語と朝鮮語との間には、かならず密
接な関係があるはずだと信じていたので、多年にわたって、この二
つの言語の比較研究にしたがい、それによって、一般の人々の期待
にこたえうるほどの結果をおさめようとつとめた。
しかし、事実は予想に反し、研究を進めるにしたがって、この二つ
の言語の関係は、疎遠なものであり、はじめに期待していたような
親密なものではないことを感じるようになった。」(「白鳥庫吉全
集」第二巻岩波書店刊)……また、金田一京助の「国語史系統論」
では、言語学者金沢庄三郎の日韓同系論を、次のように的確に批判
している。
「古今の語辞、死語、廃語に至るまで、細大漏らさず、砂中に金を
拾うような、それは精緻をきわめる比較である。ただし、それほど
精細な比較をもってしても、なおかつ一致する語彙が、この程度に
とどまるということは、案外、朝鮮語と日本語との距離は相当なも
のではないかという印象を受けると評する外人もあった。」……東
京大学の言語学者服部四郎は、日本語と朝鮮語との距離を、言語年
代学的方法で測定し、日本語と朝鮮語とは、“かりに“、同じ源か
ら分裂したと仮定しても、その分裂の時期は、六千年以上まえ(最
下限は、四千七百年まえ)ていどの縄文時代となることを算出して
い る(「日本語の系統」岩波書店刊)。


64 :
当時の大蔵大臣は額に瘤のあった水田という人だったと思う
新聞紙上で「水田派」という派閥名を見た記憶が有る
少年の頃のイメージではタンコブ大臣
あとオキナワ関連では山中貞則という政治家
ただオキナワの問題で「お金で解決できるなら」と佐藤首相の一声で
円・ドル交換は解決したような記憶がある
ただ得したのは公務員だけ給料は対ドル360円計算
民間は給料は308円で交換
買い物や家賃払う場合などは360円計算だったが400円という話もある
ひどく混乱した世の中だった

65 :
「日本語と朝鮮語」
菊地正
アメリカの言語学者スワディッシュ(1905-1967)は、どのような人
類集団でも、それにあたる語を持っているようなもの200語を選び、
それを、「基礎語彙」と定めている。「古事記」上巻において、音
で記されていることばで、スワディシュの「基礎語彙」に含まれて
いる語を「現代日本語」「現代朝鮮語」「中期朝鮮語」で比較すると。
「現代日本語」と「古事記」上巻のことばが、やはり「基礎語彙」
においては、殆ど変わらない形をしているものの多いことがわかる。
そして朝鮮語が日本語とは、そうとうに異なっていることもわかる。
日本語と朝鮮語の一致率は、かなり多めにみても、11パーセントて
いどにすぎない(朝鮮語と日本語とが近いという議論の多くは、こ
のように、似ている語だけをとくにとりだしているのである。)英
語とドイツ語とは、だいたい今から2000年ていどまえに分裂したと
してよいであろうが英語とドイツ語のばあい、「基礎語彙」の一致
率は、半分程度を占め、朝鮮語と日本語とのばあいとは、事情が非
常に異なっている。……


66 :
現代朝鮮語は、南朝鮮の、韓族のたてた国のひとつ、新羅の言語が
母体となっている。もし、西暦紀元後という新しい時期に、日本列
島が、朝鮮半島と同じく、南朝鮮勢力によって統一されたものであ
るならば、ほぼ同一の過程をへて成立したこの両国の言語は、そう
とうに近いものでなければならない。最近、応神天皇は、新王朝の
始祖で、朝鮮から侵入した人ではないかとの説も説かれている。こ
の場合も、両国の言語は、近くなるはずであろう。しかし、事実は
、それに反している。
私は、天皇家の出自が、朝鮮半島であるとする多くの見解には、疑
問をもつ。日本人の核をなす民族は、おそらくは、大陸から渡って
きたのであろうが、それは、天皇家の発生よりも、ずっと古い時代
のことであったと思うのである。
フィンランド人やハンガリー人は、その故郷をウラル地帯に持つ。
現在混血によって、そうとうに西欧化しているにもかかわらず、言
語は、ヨーロッパ語とは、はっきり異なっており、もとのウラル系
フィン・ウゴル語族に属する言語を使用している。もし、朝鮮から
きた勢力が、比較的新しい時期に日本を統一したのであれば、それ
に近い現象がおきるはずではないだろうか。
安本美典著「邪馬台国と高天原伝承」より。


67 :
独立も何も、おきなワ復帰は現地の選択だからなあ
ついでに大阪もトなんてケチな事言わないでこの際独立して吉里吉里と連邦組めばいいよ
憲法的には国土の規定はないから、天皇に象徴される地域や国々であれば問題ないな。

68 :
>>62
チェンバレンは言語学を理解していない素人だが
伊波普猷も日本人の琉球人成りすまし
服部四郎は米国の共産主義者の考案した年代を計る数式で
琉球語の日本語からの分岐年代を1750年前とした
その数式はデタラメだったことが知られている
服部某は本当に言語学を理解していたんだろうか

69 :
>>66
支配層はあとからやってきて先住民を支配するのが一般的
中国も元や清は漢族の王朝ではない 北方の少数民族
琉球も王朝は遊牧民である
西洋でも例えばフランスなどは支配層はゲルマン系で被支配層はラテン系やケルト系
イギリスも北方からやってきた民族が王朝を作った
日本も同じ弥生人がいたところに古墳時代になって半島経由で北方系が倭を支配したのである
日本の支配王朝は弥生人や縄文人の系統ではない

70 :
おきなにわけり連邦

71 :
琉球古字と神代文字
ここで、アッシリア学者にならって解読例の比較を行ってみよう。サンプルはいわゆる神代文字に関心ある者の間では有名なもの、
明治九年の大阪博覧会に出品されていたという石鏡の台座の字である。この石鏡は落合直澄の『日本古代文字考』
(1888)にスケッチが載せられているのだが、その実物がどうなったのか、追跡調査が行われたという話はついぞ聞かない。
さて、石鏡は表裏にそれぞれ不思議な図形があり、その台座には3列各4個、計12個の文字らしきものが刻まれているわけだが、
この文字?について、落合は「読法及ビ文意ハ詳ナラズ」「此器ハ琉球人ノ製ル所カ。字は琉球古体ノ字ナリ」とするのみで解読にはいたっていない。
さて、先に落合直澄がこの12個の文字の解読を避けたことを記したが、実は落合はこの文字とほぼ同様のものが僧・袋中の『琉球神道記』(1605年、刊行は1648年)
にみられることを指摘している。それは占いに用いるため、天人が琉球にもたらしたという十二支の文字である。落合が石鏡の作者を琉球人としたのは、この文字が琉球に伝わったことを知っていたからだった。
落合は『琉球神道記』の十二支文字について、「傍注ハ字形ノ十二支ニ似タルモノアルヲ以テ後世附会セシナルベシ」として、それが十二支であることを否定しようとしたが、そのためかえって、その正解はなにか示せなくなってしまったのである。

72 :
日本という国号も 日ノ本だから当の本州にいた人が
倭が日ノ本だと思うわけないし言うわけない
日本の名前をつけた人が西方の大陸や半島にいた証拠
彼らが日本に来て支配層となり国号を日本としたんだろう

73 :
落合は『日本古代文字考』の付録として「日本神字考辨妄略」なる文を草し、
「沈氏ノ解釈其粗漏大凡」なることを説いているが、その国粋的な立場からすれば、
日本の神代文字の中に中国の十二支があるなどと認めるわけにはいかなかったのだろう。
『琉球神道記』の十二支文字は日本の神道家・天文家の間で神代の文字として珍重され、
平田篤胤の『神字日文伝』疑字篇にも「十二支字」として収載されることになった。
そのあたりの経過については拙稿「“神代文字”に未来はあるか?」(拙著『幻想の古代王朝』収録)
に記したので御一読いただければ幸いである。

74 :
竹内健氏は、問題の十二支文字が、実は十二支そのものではなく、十干十二支の共通の起源である十二干が
遺存したものだと主張している。竹内氏によると、十二干は、古代中国でも殷(商)代初期に廃れたものだという
しかし、竹内氏は「そもそも古代中国の最も古い文字資料たる殷代の卜辞に於いてさえも、
既に十二干の古暦は認められず、もっぱら我々の知る十干十二支が用いられているのであって、
それ以後の暦史資料はすべてこの干支を踏襲し継承してきたのである」と述べている。
最古の文字資料にさえ十二干がでてこないということは、言い換えると古代中国に十二干があったという証拠は
文献史学的にも考古学的にも存在しないということである。これでは千言万語を費やした説といえども空中楼閣にすぎないだろう。
『琉球神道記』に現れ、石鏡の台座に刻みこまれた文字は、やはり呪術的、
宗教的目的で用いられた十二支の異体字とみなすのが妥当なところだろう。
(竹内健「阿比留字本源考−琉球古字と十二干の謎」『迷宮』1〜3号連載、1979〜80)。


75 :
二、三千年前の伝承の反復
つまりウンジャミでは東アジアで二、三千年前にすでに語られいたことが伝承されていたのである。
いうまでもなく、鼠を流すことと豊作のあいだに現実の科学的な根拠があるわけではない。
猪と鼠が等価であるということもまた確たる根拠があるわけではない。にもかかわらず、
沖縄では毎年、年の変わり目(折目、ウィミ)に猪と鼠を追いやり、豊作を祈念した。それはただ、
そのようなものとして信じられてきたからやるのである。おそらく、それ以外に説明の原理はないだろう。

76 :
神の島 久高島の神歌
アガリナーニ、ウチンカティ (東方に向かって)
トゥイヤウタティ (鶏は鳴いて)
ウプクパラヨー (成女たちよ)
ウプチンウチアキティ (女陰をうち開けて)
ムルトゥヌギムルグルイ (「交合のさまの意」)
ユティークリーヌナシグヮ (男の子の)
ウヌゲサビラ (誕生を願いましょう)

77 :
奄美大島以南の南島には、琉球王朝時代に編纂された「おもろそうし」とは別に、
古くから村々の神祭りの場において、綿々と謡い継がれてきた、膨大なといってよいほど多数の神歌群がある。
「赤椀の世直し」はその中に頻繁でてくるフレーズである。しかも「ヤマトから下りた赤椀の世直し」という表現は、
「世直し」がヤマト由来の言葉であること、また次に挙げる勝連町の漁村の神歌には
「神の生まれ立ちや、ヤマトのフソ(へそ)の御嶽」とあり、沖縄の人々の崇める「神」(人)がヤマトの中心(へそ)
の国のお生まれであるとされること、などから神歌の中の古いものは、
弥生時代から古墳時代前期の日本本土と直結する内容のものであるらしいことが判る。それほど長くもないこの神歌には、
沖縄とヤマトの歴史を解くのに必要な、幾つかの重要な情報が含まれている。
なおこの神歌のうたわれる勝連町の漁村とは、さきに示した地図のなかの与勝半島の突端にある。
与勝半島の海岸からも最近弥生土器が相次いで見つかっているという。

78 :
神歌 赤椀の世直し
うーとーと (あー尊:あー尊いことだ)
いづがぎー あめーらわん(水掛け歓えても)
てだがぎー ほくらって(太陽掛け誇られて)
神のうんまりたちや(神の生まれ立ちは)
やまとのふそんうたけ(大和のへその御嶽)
うちなーならわん(沖縄だけになっても)
よかるならわん(よかるになっても )
すぢがもとたてて うやの神は うんつけーしやびら(霊統の元を立てて 親の神におつかえしましょう)
やまとからくだたる あかわんのよのーし(大和から下った赤碗の世直し)
なかむらち うしゃくしゃびら(中盛らして御酌しましょう)
やしろからくだたる くるわんのよのーし(山城から下った黒碗の世直し)
はたもらち うしゃくしゃびら(端盛らして御酌しましょう)
「水と太陽の霊も寄りつく私たちの崇める神は、ヤマトの中心の国のお生まれである。
この神を崇めるのは今や沖縄だけになってしまったが、スジを曲げないでこの神にお仕えし、
ご御招請しょう。大和・山城から伝わった赤椀の世直し(椀)に、神酒を溢れるほどに注いで捧げます。」

79 :
伊波普猷のことで思い出した
オキナワの人間の中には、伊波のことを「ふゆうなー(怠け者)」
という人がいたが
その人は伊波普猷が何者かを知っていたのかもしれない

80 :
日本を「やまと」といったのは薩摩の侵入以降
それまでは日本のことを「倭」といい人を「倭人」といっている
それは、薩摩の島津の命令により「大和」を使うようになったのである
「日域」の文字も残っているから「日本」も文字として使っていただろう
だから、赤椀の世直しの大和も薩摩の侵入以降である

81 :
翁倭人

82 :
赤椀の世直しは
薩摩の侵入を正当化するためにつくられたかもしれないし
或いは明治以降なら琉球併合を正当化するために作られたのかも知れない

83 :
それに神歌 赤椀の世直しは
日本語教育を受けた琉球人が書いたモノだろう
という事は明治以降に書かれた神歌ということになる
歌の中に「よのーし」とあるが琉球語で音韻的に「ゆーのーし」が正しい
「山城」も琉球語では「やまぐすく」「山グシク」が正しいあらわし方である
その神歌は明治になって書かれた歌だろう

84 :
『おもろそうし』は琉球中央が編纂した神歌や叙事詩を纏めたものだが
赤椀の世直しや他の神歌は琉球中央とは関係ない
地方の神歌だということ
他にも『勾玉買いに大和に上る』という神歌もあるが
勾玉を使用した神事は日本では遅くとも奈良時代に無くなった風習
琉球沖縄では古来より勾玉を使った祭祀が行われている

85 :
琉球の歴史に深い関係のある伊平屋や伊是名
そのほかの離島にもティルル(神歌)は沢山あり
琉球本土にも書く地域に様々な神歌が存在する

86 :
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯
夜麻苔波 區珥能摩倍邏摩 多々儺豆久 阿烏伽枳 夜麻許莽例屡 夜麻苔之于屡破試
どうみてもヤマトだから、記紀の頃には「ヤマト」はある、
別にいつ伝わってもおかしくはないだろう。
帰りたい連中を気持ちだけでも都の食器で饗してるって感じがする話だ。

87 :
琉球で「大和」の固有名詞を使うようになったのは
薩摩の侵入いこうであり
それは薩摩の命令で「大和」を使うようになったのである
それまでは「倭」であり「倭人」を使っていた
万国津梁の鐘には「日域」の文字があるから
15世紀には「日本」の固有名詞を使っていた可能性も有る
「日域」ということは中国王朝が西域という名詞を使ったように
西域は事情定かでない西の国々という意味である
「日域」も琉球からみれば事情を知らない日本の地域ということになる

88 :
>>86
赤椀とか黒椀というのは食器のお椀のことではない
赤は金属の銅であり、黒は鉄のことである

89 :
>>87
なんの証拠があるのさ?
「やまと」から人が来てたなら言葉が伝わっていても何も不思議ではない。
まあ中華かぶれた奴も居たんだろう。

90 :
お酌するのに食器でないとはこれいかに?
手で掬うのか?

91 :
>>89
記録が残っている
薩摩侵入前後の琉球記録では
日本を「倭」といい薩摩兵を「倭奴」
徳川将軍を「倭君」としている
更に豊臣秀吉が生きている頃には秀吉を「賊人」と書いている

92 :
もう一つ抜けていた
薩摩の侵入を琉球側は「倭乱」と記録している

93 :
>>90
琉球のお椀は基本的に木製はない
私が子供の頃までの味噌汁の椀は陶器で
大きさも日本の椀と比べ一回り大きい
琉球の神事で木製の椀が使われるようになったのは古くても薩摩侵入以降

94 :
オキナワでは今でも味噌汁の椀を陶器にしているところはあるはずである
大きいし沖縄の味噌汁は日本とは違い鍋物に違い
陶器の大きい器に肉や」野菜や魚などが入っている

95 :
>>91
その頃には既に黒人だって居るんだぞ
なんの証拠になるんだよ。

96 :
琉球人が中国を「唐」と呼ぶのも
薩摩人が「唐」と呼んだことにしたがっているだけ
江戸時代の日本の地図には奄美以南を「唐土」としている
つまり奄美以南は日本ではない外国と認識していたのである

97 :
>>93
無いからこそ、わざわざ都の食器を出すことが饗になるだろ。
事情知らない人がみたらなんか特別な儀式にみえるだろうけど。

98 :
>>97
その歌は明治以降に日本語教育を受けた琉球人が書いた可能性がある
その証拠に日本語の母音の影響を受けた琉球語の書き込みになっている

99 :
>>98
可能性は常にある、個人的には納得できるので新しい時代に絞る必要性を感じないだけ。

100 :
>その証拠に日本語の母音の影響を受けた琉球語の書き込みになっている
先祖がヤマトと関わりがあったという話をする人にヤマトの言葉の影響があっても
むしろ当然だしなあ。
上でしてた挨拶の話を見ても、結局古語みたいだって結論だったし。


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