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阪急電鉄を模型で楽しむスレ36

50年以上昔の鉄模


1 :2018/07/22 〜 最終レス :2020/04/22
つまり、1969年よりも古い鉄模の話、という事になります。
過疎スレ覚悟。
投稿意見に対する批判はOKだが、
投稿者者の人格に対する批判は禁止。

2 :
>>1
オイコラ鈴木
誰得なスレ立てんなヴォケ

3 :
>>1

詰まり
ハンダ付けの、上手い輩専用のスレッドって事ですね?
(笑)

4 :
まあ
6mmも有る、1/80の蒸機の庇のハンダ付け程度で苦戦する輩は。
参加出来ないスレッドって事でしょうなあ。

(笑)

5 :
ハンダ付けの上手い輩は板の隙間が開いたりしません
(笑)

6 :
TMSNo74、1974年10月号p402。(後年"スパイクから運転まで"に再録)
"工具はこれだけ欲しい" 山崎喜陽筆
初心者向けに必要工具が17個挙げられてる。
(中には注射針みたいに、こんなもの別に要らないだろうと思うような物も一部含まれてる)

ハンダゴテに関して、山崎氏は広く普及してる電気配線用の先が丸い物でなく、
先が三角形な物を推奨してる。
とても重要なアドバイスだ。

この先が三角形な物を見つけるのに、町の電気屋に売ってなくて苦労した記憶がある。
コテは70Wとして書いてある。
現在大抵の人は80W-100Wじゃないだろうか。
私は60Wだが、車体の真鍮板程度なら普通に平気だ。

7 :
>>6
半田付け録にやった事の無い奴は工作や工具の事を語るべからず。

8 :
三線式OゲージのカツミEB50持ってる
天賞堂エバグリでジャンク購入、はぐるまやで修理

9 :
>>8
連動はプーリーとスプリンク゜ベルトですか?
新たな入手がむずかしそうですね

10 :
>>9
鈴木君はここで自分語りしてくれ
他のスレに来られると住人が迷惑するからね。

お魚さんに賛同してくれるAHOやキチガイとゆっくり語ってくれたまえ。

11 :
はぐるまやで黄金に輝くEH10のOゲージ見たとき欲しくて堪らなかつた

12 :
1961年頃魚籃坂カツミは既に16番に進出していたが、
店内の一角にだけOゲージ真鍮未塗装の米国向け輸出蒸気機関車模型が10台程度飾ってあった。

ガキのTMS知識で、
「Oゲージは古い衰退する模型、16番は新しい優れた模型」
と思ってたのに、このOゲージ模型群は逆に怪しい魅力を放って
私の心に迫ってきた。

真鍮の色はピカピカでなく、かなり薄汚れていたが、むしろその方が迫力があった。
値段票はなかったが、多分強烈な価格だったのだろう。
このような事もあり、シェイ型機関車の存在は、カツミのOゲージ模型展示を通して、割と早く知った。

13 :
>>12
それで?

(当時)中学生だった鈴木さんのお小遣いで買えたのは
どんな鉄道模型でしたか?

14 :
カツミのwikiによると
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84%E3%83%9F
「元はゴム動力飛行機を扱うカツミ模型店として東京都港区高輪で出発し」
とある。
高輪とは言わないが、「カツミは戦前模型飛行機屋だった」とTMSの何処かにも書いてあった気がする。

戦争中盛んだった模型は飛行機であり、これは軍国主義科学教育という追い風があったから。
打って変わって敗戦後、模型飛行機教育は激しく低迷したらしい。
これが、カツミが飛行機模型から鉄道模型に転換した原因なのかどうかは解らない。
因みに下↓の如くカツミの公式ページには模型飛行機の過去については触れていない。
http://www.ktm-models.co.jp/cp2.html

祖父江欣平のwikiによると
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E7%88%B6%E6%B1%9F%E6%AC%A3%E5%B9%B3
「1945年よりカツミの行田市の工場に勤務」
とある。
1945年当時の行田市は純農村に近く工場には不向きだったはずなのに、
経営者の縁故があったのか、疎開のためなのか、不思議です。

15 :
1940年代には学徒動員で工場での勤務を経験した若い人達が大勢いたので工場の進出での
人材確保は十分可能だったのではないでしょうか?
農閑期であれば人手も集めやすかったでしょう。

16 :
>>15名無しさん@
>1940年代には学徒動員で工場での勤務を経験した若い人達
      ↑
カツミが飛行機模型をやめて鉄道模型に切り替えたのは敗戦直後だから、
この話は、1940年代全体でなく、1945年-1949年の話と存じます。
高崎線の行田-大宮電化は1950年代ですから、行田-品川間はかなりの時間を要しただろうと思います。

>農閑期であれば人手も集めやすかったでしょう。
      ↑
そういう事はあったでしょうね。

ところで、カツミの鉄道模型に貢献した、酒井喜房氏は戦時中から戦後にかけて、
浦和に住んでました。つまり祖父江氏も酒井氏も埼玉県南部、という事になります。

17 :
酒井喜房氏は、
1935年にカワイモデル入社。
カワイモデルの販促雑誌"模型鉄道"を編集。
個人的には、模型鉄道研究会を主宰していたらしいのだが、
この「模型鉄道研究会」そのものが、カワイ内にあった可能性もある。

雑誌"模型鉄道"は、
@それまでの少年向け工作教育雑誌と一線を画し、大人向けの記事が多かった。
A当時のカワイの主力模型は1/30(35mmゲージ)だったのに、
 湯山氏Oゲージや、山崎氏の16番にページを割いた。
酒井氏は"模型鉄道"の21号まで編集し、その後28号(終刊号)まで別人が編集したが、
この別人は酒井氏とはかなり違う編集方針だったらしい。

私は"模型鉄道"は全く未見です。
"模型鉄道"に関しては下記にも説明されてます。
http://www.ne.jp/asahi/bunkasyo/hagurumaya/

戦後は"模型少年"の編集部にいたりしたが、
1947年、"鉄道模型趣味"創刊号の編集長をする。
"鉄道模型趣味"2号以後は山崎氏が編集長になったが、ケンカ別れでなかったのは、
2号以後も記事をOゲージ記事を寄稿したり、機芸社の浦和事務所のような事をやっていた事で解る。
TMSへの大きな寄稿は国鉄型Oゲージ蒸気機関車の基礎的な寸法取りに関するものがある。

戦後の勤務先模型店はカツミだった。
以上の書き込みはTMS,No.55,p87に大きく依拠してます。

実物話だが、戦後浦和から都内に通勤する時、よく宇佐美式弁装置のD50型を見かけた、
と何かの実物雑誌に氏が書いていた。
宇佐美式は原理的にはワルシャートと同類だが、
外観はかなり違うはず(返りクランクが無い)。私は写真も図面も見たことがない。

18 :
>私は写真も図面も見たことがない。

ttp://railsphpto.travel.coocan.jp/c57hold/C5770.html
ttps://twitter.com/hornby32mm/status/894080203516817408
C5770とD50190に試験的に採用されていたそうです。
(deleted an unsolicited ad)

19 :
>>18名無しさん@線路いっぱい
ありがとう御座います。
これはまた絶妙な写真が在ったんですね。
      ↓
https://pbs.twimg.com/media/DGiRfH3VwAAYXDP.jpg:large

私が宇佐美式を知ったのは
"特殊構造をもつ機関車とライブスチーム"三ツ矢明著、p81の動作略図でした。

20 :
宇佐美式はベーカー式と同様にリンクのみで構成されていて摺動部がなかったのですね。

21 :
戦中、敗戦直後の日本の鉄模について書いたものが含まれるものに、
"犬走志ん"(いぬばしりしん)なる雑誌がある。 おそらく1号から5号まで出ている。
発行人は石坂善久氏。神田のはぐるまや模型店の人。

以下はデータと主な記事です。
1号、1994年2月発行
 未見です

2号、1995年2月発行
 ヘンリー・グリーンリーの著書解説
 本間清人氏のページコピー
 昔の鉄道雑誌、鉄模雑誌解説

3号、1996年3月発行
 湯山一郎氏インタビュー
 "科学と模型"掲載の16番規格コピー

4号、1998年7月発行
 岩瀬清昭(薮田昆)氏インタビュー「まくらぎ会の頃」
 終戦直後の模型雑誌

5号、2000年11月発行
 雑誌"科学と模型"解説
 伊藤剛氏の50年前のOゲージ客車製作記事

"犬走志ん"はおそらく5号で終了してると思いますが、はて?
この雑誌は、このスレとは余り関係のない、
現代高校生や大学生の鉄道アングラ本や鉄道漫画本などにもかなりの比重を与えています。

22 :
そういえば『とれいん』の100号前後にも鉄道模型の歴史の短期連載やTMSの500号前後にも鉄道模型小史という短期連載で戦前の鉄道模型事情について書かれれていました。
TMSには伊藤氏の平田町界隈という短期連載もありました。

23 :
>>22名無しさん
伊藤剛氏はメルクリンファンとの論争で、
「私は欲しい形式の模型車両が、仮に模型店で売られていても、
買わずに自作する」
と書いていたような気がして
「凄い人だなぁ」と思った。
この辺が、山崎氏と、ひいては大多数の人との別れ道かと思います。

伊藤剛氏の意見は確か鉄道ファン、1962年9月号掲載だと思ったのだが、
今書棚に見つからないので、伊藤氏の該当文が確認できず、断言は控えます。

24 :
伊藤氏には10年くらい前にグランシップの鉄道模型のイベントでお会いしたことがあります。
ロンビックイコライザを内蔵したED17や列車が通過すると手を休める保線員等を展示されていました。

25 :
伊藤剛氏は、自作の権化のような人で、キット利用はほとんどしなかった人です。
今のTMSのように「キット組み立て」や「キット精密化」なのに
「キット自作」などと称するのとは大違い。

ただ、氏の執筆記事の図はすべて、
フリーハンドで描かれたもので、これが見ずらかった。
氏としては、自作というものは、物差しに縛られる事なく、脳味噌を自在に活性化し、
ノートに概念図を描き、後は真鍮板を切って曲げていく事なんだ、
と言いたかったのだろうが、
読み手の側としては、その構造自体斬新なアイデアに満ちた絵図を
解読するのに結構疲れる。

ところで、歴史的な事を書く場合、
故人には「氏」などの敬称を付けないのが,一応のスジなんだが、
(伊藤博文氏→伊藤博文、三島由紀夫氏→三島由紀夫)
私の場合多少混乱してます。

26 :
>>25名無しさん@は鈴木でした。
今頃気が付きました

27 :
読みたいけどブログ主の承認が無ければ読めない。

真鍮細工鉄道
ttps://blogs.yahoo.co.jp/vgn_triplex/14433204.html

28 :
>>27名無しさん
>読みたいけどブログ主の承認が無ければ読めない。
     ↑
どうもです。
唯の自称「研究機関/高等教育機関につとめる研究者」、
中身はイカレポンチな模型コレクター扱いしてれば、問題無いと思います。

https://blogs.yahoo.co.jp/vgn_triplex/14433204.html
★「HO/16番スケールの蒸気機関車の模型が中心となります」
と書いてるが、このお方は、
【米国型HO】模型と、
【米国型16番】模型と、
の違いが判ってるのか? 怪しいですね。

★「(ひょっとして実機の詳細についてご存じないのかも知れませんね)。」
このお方は、実機の詳細について、一体何をご存じなのか? 説明してませんね。

★「私の本業は、研究機関/高等教育機関につとめる研究者で、物書きのはしくれでもあります。発言にはそれなりに責任が伴いますし、本業の研究がございますので、市井の評論家様や自称マニア様と議論する暇はございません。」
「研究機関/高等教育機関につとめる研究者」として、「市井の評論家様」と議論したくなければ、
何の理由でネットに、米国型蒸気機関車の意見など書くのか不可解ですね。

29 :
>>27名無しさん
>読みたいけどブログ主の承認が無ければ読めない。
     ↑
研究機関/高等教育機関につとめる研究者である、そのブログ主さんは、

蒸機エンジン進歩に貢献したワットは、頭は良かったが学歴は低いから、
 大学出入りの実験器具業者に採用された。
蒸気機関車発明に貢献したジョージ・スチブンソンは、頭は良かったが学歴は低いから、
 キリングワース炭鉱の修理職に採用された。
ロジャース機関車製造社社長のロジャースは、頭は良かったが学歴は低いから、
 大工の職人から人生を始めた(後アルコ上級技師)。
ボールドウインのボークレンは、頭は良かったが学歴は低いから、
 ボールドウインの下級工員から人生を始めた(後ボールドウイン社長)。
国鉄機関車に大きな影響を与えた、シュミットもガルベも、頭は良かったが学歴は低いから、
 錠前屋養成学校から人生を始めた。

という事が解ってない研究機関/高等教育機関につとめる研究者なんじゃないかな?

30 :
文面から推察するとエリート意識をお持ちの方かもしれませんね。

31 :
>>29鈴木 
ロジャースに関して訂正します
×ロジャース機関車製造社社長のロジャースは、頭は良かったが学歴は低いから、
×  大工の職人から人生を始めた(後アルコ上級技師)。
〇ロジャース機関車製造社社長のロジャースは、頭は良かったが学歴は低いから、
〇  大工の職人から人生を始めた(ロジャースは米国ではいち早くスチブンソン弁を採用)。

>30
エリート意識を心の奥底に持つのは、まぁケッコウな事だが
それが他人に見透かされたら、マズイっすね。

32 :
職工からたたき上げで技術者になった方は歴史的に名を残す仕事をしているようですね。
ドイツのマイスター制度も実践を重んじるようですね。

33 :
学歴話とは違うが、
英国に居たLBSC氏(本名はリリーだったかカーリーだったかみたいな名前)は
子供の時から物作りの才能があった。
貧しかったので、年少でLBSC鉄道に就職、理数が得意だったのでしょう、
早目に機関士に出世した後、
ライブスチーム作りを始めた。

物凄い多作で、おそらく多作ぶりでは世界一。
数多くの記事を休みなくModel Engineer誌に書いたが、
疎まれる反面もあったらしい。

ライブ趣味は貴族趣味の傾向があり、下層階級とは親しく出来ない。
LBSC氏はその作品の一部を売って生活してるから趣味者ではない。
等の理由があったんだと思う。

34 :
LBSCは1922年から"Model Engiheer"に登場した、と言われる。
以下は同誌マーチンエバンスによる、1982年7月の説明。

当時はライブスチーム模型の燃料はアルコールが多かったが、
LBSCはこれに対して石炭や木炭の優位性を主張し論争となった。
当時の大メーカーBassett-Lowke社はアルコール優位性を主張し、
1924年両者の2.5インチ(63mm)ゲージ機を使った実地対決になった。

課題は15分間でエンドレスを何周回れるか? で、
Bassett-Lowkeは23周、LBSCは22.5周で、Bassett-Lowke社の勝となった。
しかし両機の重量に大きな差があったとか、アルコール機は燃費が悪かったという点で、
LBSCは抗議した。

まあ大メーカーが1台作るのと、個人が1台作るのでは、不平等という事もあるが。

35 :
"Model Engineer"は1898年(約120年前)、
Percival Marshall氏が創刊した英国の雑誌で、
これは世界最初の模型雑誌だ、と言う人が多い。
創刊時の雑誌名は、
"The Model Engineer and Electrician"だったが、
「and Electrician」の部分は創刊後間もなく削除された。
Percival Marshallは創刊の同年に創設された、
society of model and experimental engineers
にも関係していた可能性もあると思う。
こちらの協会は趣味者向けというよりプロ向けらしい。

私は1990年以前30年間の内のごく僅かなものを、あやふやなな英語力で読んだだけだが、
ライブスチームや、船、自動車、など色々あり、
蒸機エンジンは勿論、ベントレーRotaryエンジンの1/4製作記なんて、ブッたまげものまである。
実物の産業技術史や、工具や工作機械の作り方もある。
技術上の激しい論争が載るのも、米国の雑誌に見られない特徴だが、
英語だし、内容もむずかしくて解らない。

36 :
TMS2018年6月、p106、編集者の手帖には
「小誌の活版印刷第1号は1947年の1月であったか」と書いてるが、
"鉄道模型趣味"誌の1号には1947年2月10日発行と書いてあります。
(揚げ足取りに見えるかも知れないが、編集長が間違っては困ります)

なお、多くの人が知ってるだろうと思うが、
"鉄道模型趣味"誌はそれ以前に既に、謄写版印刷で、1号、2号、(3号も?)が出ていた。
これは俗に「TMS旧号」などと呼ばれたが、もうそんな話を出す人もほとんど居ないだろう。
何故、活版になった時に、号数を新たに、1号にリセットしたのかは解らない。
推測としては、「TMS旧号」に関してGHQの雑誌発行許可を取っていなかったので、
活版印刷にした時に、「TMS旧号」は無かった事にしてGHQの許可を取ったのかも知れない。
勿論これは私の推測であって、証拠は全くないです。

活版印刷第1号は、既に書いたと思うが、
編集発行人は山崎氏でなく、酒井喜房氏。

発行所は、東京都本郷区元町1の15、機芸社だが、
この場所は鉄道模型社という模型店だった。
鉄道模型社としては、随分迷惑な話だ。
山崎氏や、酒井氏の自宅に電話が無かったからかも知れないが、
この時代鉄道模型社に電話があったかどうかは不明だ。

消極的というか、あつかましい理由かも知れないが、鉄道模型社は、
山崎氏が行く大学の通学路に近い、という事はあっただろう。
勿論それらとは全然違って、鉄道模型社の鳥飼氏は海の物とも山の物とも言えない、
山崎氏の16番推進に対して意気投合した可能性はあります。

鉄道模型趣味の発行所を、文京区元町1の15、鉄道模型社と名乗った最後は、
創刊7年後の、1954年2月号、No.66。
但しこの時点で既に「御通信は世田谷区祖師谷2-105、機芸社編集部宛て」
などと小さく書いてあります。

それにしても、普通の人なら、
鉄道模型社の住所で、"鉄道模型趣味"を発行すれば、
ほぼ同一の組織と思ってしまいます。
機芸出版は、もう少し鉄道模型社から受けた初期の恩恵を書いてもいいと思うのだが。

37 :
>>34
貴重な資料を紹介して頂き、ありがとうございます。
>>35
>蒸機エンジンは勿論、ベントレーRotaryエンジンの1/4製作記なんて、ブッたまげものまである。
連載されていた記事が本になっているようですね。
Bentley B.R.2 World War 1 Rotary Engine: Building the One Quarter Scale Working Replica
ISBN 9780949135049

38 :
>>37
本当だ。ベントレーのエンジン製作記の本が出てましたね。
ありがとうございます。

>34に私が書いた
の石炭焚き模型機関車については、
https://en.wikipedia.org/wiki/Curly_Lawrence#Battle_of_the_boilers
の「Battle of the boilers」の章にも説明されてるようです。
私が書いたのより、このページの方が正確かもしれません。

39 :
>>38
ありがとうございます。water tube boilarというのはHenry GreenlyのModel Steam Locomotive1954年版のP52によれば
F.Smithiesが1900年に発明したそうで俗にスミシス式ボイラーと呼ばれているそうです。
「Battle of the boilers」の章ではあたかもHenry Greenlyは水管式ボイラーの信奉者であるかのように書かれていますが、Model Steam LocomotiveではP206〜P230にかけて
あぶりがま式やスミシス式(水管式)や煙管式の製作法やそれぞれの得失に関して詳細に記述されており、彼が決して水管式一辺倒ではなかった事が伺えます。
そもそも蒸気発生量は火格子の面積と伝熱面積で決まるので彼がスミシス式(水管式)の短所を知らなかったとは考えにくい気がします。

40 :
>>39名無しさん@
そうですか。
私は「GreenlyのModel Steam Locomotive」は全く読んでいないので、
模型に於ける、炙り釜や、水管式や、煙管式の、得失に関する知識がなく、
ためになります。

41 :
LBSCもGreenlyも亡くなってから50年が経過していますので彼らの著作権の保護期間は終了しているはずです。
かつて『犬走志ん』に『科学と模型』誌や『子供の科学』誌に連載されていた記事の執筆者はLBSCやGreenlyの影響を受けたと書かれていました。
著作権の保護期間が終了したので英語版の青空文庫があればアップロードされていても良さそうな気がします。

42 :
誠文堂新光社の『ライブスチーム』という本は国内ではライブスチームの原典のように扱われていますが、
内容は数10年前に発刊されたグリーンリーの『Model Steam Locomotives』とほぼ同じです。
最初に『ライブスチーム』を読んだ時点ではすごい本だと思いましたが、2000年代に入ってからアマゾンで手軽に洋書を購入できるようになると、
上述の『Model Steam Locomotives』等が手軽に現地価格に近い価格で買えるようになり、読んでみると国内の『模型とラジオ』等の執筆者は影響を受けているように思います。

またLBSCは蒸機一辺倒だったようですが、グリーンリーは電気式の鉄道模型でも先駆的な役割を果たしたようです。
ttp://www.idsme.co.uk/IDSME/Ashpan/Ashpan059.pdf

43 :
>>42
ご指摘のpdf資料の13ページ
"The Model Engineer and Electrician"雑誌は
は現在の
"Model Engineer"雑誌ですね。

グリンリーの最初の就職は、メトロポリタン鉄道の技術部門だったはず。
僅か数年でそこを辞めて、パーシバル・マーシャルの雑誌に加わったのですが、
もともと蒸機機関に限定されない、幅広い工学知識があったんだと思います。
大戦中は模型仕事を離れて、国の依頼で、何かの工学的研究に加わっていた気がするのだが、
今資料が見つからない。

あと、グリンリーは、遊園地鉄道を欧州各地に広める仕事もしてたと思う。
あと、グリンリーは、エスカデール鉄道用1/4ライブスチーム機関車に、Lenz ポペット弁を採用したが、
これは英国実物機関車より早かったはず。
つまり、模型が中心ではあるが、実物との境目が、良い意味ではっきりしない人で、
日本にはあまり居ないタイプと思います。

そう言えば、グレスレー技師は開業直後のロムニーハイス鉄道で、ライブスチーム機関車を堂々と運転してるし、
LBSCはグレートウエスタンのホールクロフト技師の合成弁理論に触発されて、
実物では実現しなかった、4気筒合成弁のライブスチーム機関車を作り、
それをホールクロフト技師が見学しに来た。
なんて話もありました。

44 :
>>41
>著作権の保護期間が終了したので英語版の青空文庫があれば

そうなって欲しいのですが、
米国は著作権=作者の死後70年、を主張してるらしいし、英国はどうなんでしょうか?

45 :
>>42
>誠文堂新光社の『ライブスチーム』という本は国内ではライブスチームの原典のように扱われていますが、
>内容は数10年前に発刊されたグリーンリーの『Model Steam Locomotives』とほぼ同じです。

え本当ですか? 私或る人から昔頂戴して、持ってるのですが、ほとんど読んでません。
この方面では、平岡氏の本を愛読 (と言っても理解できる範囲しか読んでませんが) してるので。

46 :
>>44
米国の著作権の保護期間はミッキーマウスの著作権の保護期間の終了が迫るたびに延長されているようです。
>>45
1960年代から1970年代にかけて『模型とラジオ』に連載されていたライブスチーム関係の記事は英国の先達の影響を受けているようです。
科学教材社から販売されていた『模型とラジオ』の記事のコピーを読んだ当時はTMS等の形体の再現に重点を置いた鉄道模型とは異なる、
実物同様の機能に重点を置いた模型に感銘を受けました。当時(1990年代のネットが普及し始めた頃)はまだライブスチーム関連の洋書の購入はおろか、
存在すら知りませんでした。
『模型とラジオ』に連載されていたライブスチーム関係の記事が英国の先達の記事と似ているのは
ライブスチーム自体が既に技法が完成していて数十年間に渡り、新規性が乏しい分野であることもあるのでしょう。

47 :
>>46
>TMS等の形体の再現に重点を置いた鉄道模型とは異なる、 実物同様の機能に重点を置いた模型

私個人もライブは、実物の外観再現より、実物の動作原理再現に進むべきだと思いますが、
全くの野次馬なので。
かつて5インチゲージ模型の為の、ロストワックス製ヘッドライト(かなり大きいはず)販売広告がTMSに出ていて仰天しました。

>ライブスチーム自体が既に技法が完成していて数十年間に渡り、新規性が乏しい

実物蒸気機関車百数十年の歴史で、その間技術者が試みた技術は、
実現機関車と計画倒れ機関車を合計すれば100を越えると思います。
そういったものの中から掘り起こせば、まだ色々模型化課題は出るんじゃないでしょうか。
平岡氏のギヤードロコや、三ツ矢氏のハガンス式機関車など。
米国"ライブスチーム"誌に載った、ボールドウインのフレキシブルビーム台車とか。
但し、日本の実物蒸気機関車にはそういった技術開発は非常に少なかったのですが。

48 :
>>23鈴木
>伊藤剛氏はメルクリンファンとの論争で

と九月にかきましたが、引用元が見つかりました。
鉄道ファン、1962年5月、p54に、
  "メルクリンの模型鉄道と私" を篠原正瑛氏が書いて、
  メルクリンを日本の模型と比べて礼賛したのに対して、
鉄道ファン、1962年9月、p32に、
  "5月号「メルクリンと私」を読んで" を伊藤剛氏が書いて
  メルクリンをやや批判的に書いた。

伊藤氏の該当文には、
「たとえ金さえ出せば買えるものであっても、私達は自分で作ったものが欲しいのです」
という箇所があります。

49 :
模型屋の製品とか、そのコレクションとか、には
金も無いし、ほとんど知識も興味も無いのですが、
下記は日本製高額ブラス模型輸入の代表的会社である、
PFM関係者である、Dan Glasure氏が書いた貴重な証言の日本語訳です。

  https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35279143.html
(その1)訳者による解説
  https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35279176.html
(その2)本文
以下(その6)まで、本文が続く。

内容は私が知らない、
戦後日本の模型製造会社と米国の輸入会社の関係の歴史が詳しく書かれてます。
知らない会社名、知らない人名が多いので、全体を把握するのは大変ですが、
ざっと読むだけでも面白いです。

私の怪しい推測では、
米国のブラス輸入業者は大抵、日本敗戦直後に鉄模と関係ない、
軍務やそれに付随する仕事で来て、
日本の低賃金によるブラス模型技術を知り、
帰国後に、米国太平洋岸で輸入業を始めたんじゃないかと思うのですが、
これに関しては書いてないので、やはり私の勝手な推測の可能性があります。

なお、本文に登場する、三成善次郎氏は確かミキストでも一度紹介されていて、
山崎喜陽氏は、映画撮影趣味で、三成氏と知り合いだつた、と書いてました。
http://www.naganogakuren.net/scrap/2006/20060527eiga.htm
上は鉄模と関係のない山岳映画上映会のページですが、
三成善次郎氏の1956年の山岳映画が存在するらしいです。

50 :
昨晩は、米国輸入業者の本を、
和訳して出した、優れた日本人ブログ主のページを紹介しましたが、
同じブログ主が、"Art of Brass"という本の序文の、
まことに優れた和訳を出してるのが解りました。

"Art of Brass"という本の存在は知ってましたが、私は勿論見た事がありません。
昔日本でも販売されましたが、高価な本でした。
該当序文はブラス製品模型店の熊田晴一氏が書いたもので、英文らしいです。
1ページ目が下で、
https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35318270.html
下記のページまで延々と連続してます。
https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35318306.html
(私はゆっくり読み直すため、Wordに変換して印刷したら28ページになりました)

昨晩の米国人の証言に比べて、こちらの方が、日本人による執筆なので、
日本国内の輸出業界について詳しいです。
私は元々TMSを中心に読んできたので、
日本の優れた模型製作趣味者の名前は多少は知ってますが、
模型メーカーにも優れた模型製作が居た、という事に感心しました。
日本の業者や、会社で、聞きなれない名称が多いけど、その分ためになります。
暇が在れば、ここに書かれた固有名詞を、
私が知ってる知識と照らし合わせてみたいと思います。

どちらかと言うと、昨晩のより、"Art of Brass"の方が面白いです。

ところで、Art of Brassという英語は日本語ではどう言ったらよいのでしょう。
「Art」は「芸術」と訳される事が多いけど、
技術とか技(わざ)という意味も少しはあるはずです。
私は、真鍮で優れた模型を作る、という行為は、芸術などと言わず、技(わざ)と表現して、
何ら恥じる事はない、と思うのですが。
最近TVに出演する、リフォーム大工さんや、コックさんの一部が、
どうも私の目には、技術よりも芸術を志向している人が多いように見えて、
思わず余計な事を書いてしまいました。

51 :
(この時代(世代)のいわゆる「プラアレルギー」が、16番ゲージの衰退をもたらしたのも、紛れもない事実)

52 :
プラ板なら、電車の窓の切り抜きが楽だ、という長所があるが、
プラ板は、金属に比べて強度が劣る、という短所があります。
16番:ゲージが衰退してるのかどうかは知りませんが。

53 :
プラ板というよっかプラ成形品に対するアレルギーだろ

現に、プラ成形品で、盛り返してるし

54 :
プラ成形品の場合は大量製造以外不向きです。
だから何百だか何千種類もある実物形式の内、
何千人にも人気のある、有名実物車以外模型化出来ません。
食べ物で言えば、学校給食はこれに近いです。

勿論個人がプラ成形品を作るのはほとんど無理です。
とても高価な工作機械を必要としますから。
プラ板なら、そういう難点はありません。

55 :
海外HO製品が、大量生産によるプラ成形品を流通させる時代になっても、
某模型店主の「Nはおもちゃ。プラレールと同じ。」
に象徴されるような、プラ成形品に対するアレルギーがあったのは事実。

ブラス製品にこだわりプラ成形品を拒否した結果、16番モデルは高騰、衰退した。
現在は、Nのプラ成形品メーカーが16番にも参入して盛り返しつつあるが。

56 :
>>55
>某模型店主の「Nはおもちゃ。プラレールと同じ。」 に象徴されるような、プラ成形品に対するアレルギーがあったのは事実。

某模型店主とかは、プラ成形品に対するアレルギーがあったのですか?
それは50年以上昔の話ですか?

57 :
「スーパーなんて、スーっと出てきてもパーっと消える」とかのたまわった、
時代を読めなかった商店街の連中と同じねwww

58 :
>>54
>プラ成形品の場合は大量製造以外不向きです。
>だから何百だか何千種類もある実物形式の内、
>何千人にも人気のある、有名実物車以外模型化出来ません。
>食べ物で言えば、学校給食はこれに近いです。

Nの状況見ればそうとは限らないでしょう
要は人口が多くなれば、マイナー機種でも可能になりますね

59 :
要は、
プラレールみたいなおもちゃと、ブラス製品との間を埋めるようなプラ成形普及品がなかった
(海外でいえば、メルクリンの廉価版とか、バックマンやアサーンみたいな)
ことが、日本型にとっての不幸。

60 :
>>49で書いた
https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35279176.html
の中にある「メル・ソーンバーグ」氏は、
https://www.amazon.com/Building-Model-Passenger-Train-Thornburgh/dp/B000KBFQNU
この著書があるようです。

TMS,1950年12月、p314には、
"ソンバーグの製作法"という記事で、
山崎喜陽氏が4ページに渡って蒸気機関車製作法のModel Railroderからの、
寄せ集め再録のようなものを書いてる。
山崎氏によれば、ソーン氏は1939年の時点で既に61台のOゲージ機関車を作っていて、
全て精密模型であり、客車やレイアウトや建築物の模型発表もあるそうだ。
旋盤は使わず、「ドリルレース」、図版を見る限りハンドドリルを使っているらしい。

ソーン氏の職業はB&O鉄道社員、と山崎氏は書いてる。
一方、一番最初に挙げたHPでは、「彼らは米国のコレクター向きにロコをカスタムビルド」をしていて、
非常に高価な模型だった、と書いてます。

話を変えて、MR誌も1950年頃までは、
こういう機関車の自作記事が、普通に載っていたんじゃないだろうか? と推測してます。
しかし、戦後の米国模型雑誌は、ダイカスト鋳造やプラ射出の出来合い品を買い、
趣味者のやる事は、レイアウト製作へ、と誘導された。
今、該当雑誌が見つからないが、私の記憶では、
1980年頃一度MR誌スタッフによる、USRA2-8-0自作法の気合の入った連載記事が出た気がする。
しかし、後が続かなかった。

61 :
g3、鉄道模型は走らせてなんぼやで

62 :
>>61
鉄模は語ってナンボ、妄想してナンボのg3には
何を言ってもムダですよw

63 :
>>60
TMSも初期のころ(〜200号くらいまで)は『たのしい鉄道模型』に採録されているようなEF57のスクラッチのような完全自作の日本型の製作記事がありましたが、それまでは輸出に力を入れていたメーカーが
徐々に国内型に注力して完成品が出回るようになると広告主と競合する製品の自作記事は減り、製品を元にした改造記事が主流になりました。
『日本型蒸気機関車の製作』という本では市販製品と競合しない記事ばかりでした。MR誌も広告主と競合する製品のフルスクラッチの製作記事は避けたのかもしれません。
一方、『模型とラジオ』誌や『模型と工作』誌ではフルスクラッチの製作記事が1970年代まで掲載されていました。

ところで鉄道模型を実際に製作したり走らせたりしない方を認めない方もいるようですが、
海外の鉄道模型の愛好家の間では鉄道模型の変遷を調査、分析する"armchair model railroaders(安楽椅子鉄道模型愛好家)"という一ジャンルが確立しているそうです。
ttp://cs.trains.com/mrr/f/88/t/167162.aspx
ttps://model-railroad-hobbyist.com/node/13434
ttps://www.trainorders.com/discussion/read.php?3,3334628

64 :
>>63名無しさん@
>広告主と競合する製品の自作記事は減り、製品を元にした改造記事が主流になりました。
        ↑
私の考えでは、日本人が豊かになり、趣味者も何とか製品を買えるようになった。
当然国鉄大型蒸気機関車の販売品目も増えた。
製品の実物忠実度が向上すると、普通の趣味者が製品並みの忠実度では作れなくなった。
いきおい、趣味者は製品のパイピング等、細かい細工しかしなくなった。
またキットや完成品の人気が上がる、という事は同時にその分、
動輪などの基本部品を売っても儲からなくなった。

私はこういう傾向に賛成してはいません。
製品に頼る、という事は、模型屋が選んだ売れ筋形式に頼る以外ないし、
模型屋が選んだ規格、つまりHOだの、16番だの、しか出来ないからです。

> 『日本型蒸気機関車の製作』という本では市販製品と競合しない記事ばかりでした。
        ↑
この再録本が出版された1963年と、一番古い元記事1955年12月号、"C62を作って"の間に若干の間がありますが、
この間あった製品は、鉄道模型社のC62だけだったと思います。

>MR誌も広告主と競合する製品のフルスクラッチの製作記事は避けたのかもしれません。
        ↑
証拠は無いけど私はこれを感じます。
あとMR誌の方針は、部屋に引き籠ってコツコツやらずに、
家族や友人とネアカに趣味生活を送れ、というのがあったと思います。
TMSも影響されて"ホームレイアウト"なんて本を出したりしました。

>一方、『模型とラジオ』誌や『模型と工作』誌ではフルスクラッチの製作記事が1970年代まで掲載されていました。
        ↑
私は『模型とラジオ』誌や『模型と工作』誌はほとんど読んでませんが、
学童向け工作教育雑誌の方が、
「大人の趣味」を気取る雑誌より、返って健全だったのかも知れません。

65 :
俺は中学校にあった「子供の科学」の別冊からかな。

金持ちのボンボンがカツミかなんかの16番持ってきて理科室で走らせてるの見て、
鉄道模型がやりたくなった。
でも、お金が無いから千円未満のペーパーキットを組むことにした。
「子供の科学」だけでなくて「TMS」なども読んで、
モーターやら整流器やらも配線してなんとか形にして、走るようにはなったが、
キットを買いに行った店、全国的にも名の通った鉄道模型専門店の主人に、
床下機器の必要な部品を尋ねても、まともに相手にされず、
ジャンク箱のような、床下機器の部品の箱を指さして「自分で探せ」という態度。
ズブのシロウトは相手にできないと言った感じで、途方に暮れた。

もうめんどくさくなって、鉄道模型をやめようと思った頃に、
安くてすぐに走る、Nゲージを知った。

以後、専らNゲージ、プラから真鍮までキットも組むようになったが、
16番をやる気はなくなった。

あのMT模型、現在も営業してるが、二度と敷居は跨ぎたくない。

66 :
>>63
>ところで鉄道模型を実際に製作したり走らせたりしない方を認めない方もいるようですが、
>海外の鉄道模型の愛好家の間では鉄道模型の変遷を調査、分析する"armchair model railroaders(安楽椅子鉄道模型愛好家)"という一ジャンルが確立しているそうです。

勘違いしないで頂きたいのは、そういう人達がこのスレのような場所で分析を発表する分には何の問題もありませんし、
議論を交わすことは良いと思います

ただ、一部の人が実際に楽しんでいる人に対して、
自分が勝手に分析した結果を押し付けようとする、勘違いしてる人がいるから、
拗れるのでしょう

貴方が言う「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、実際に楽しんでいる人に対して、
否定的意見を書くのは間違っていますね

67 :
>>65名無しさん@
>まともに相手にされず、 ジャンク箱のような、床下機器の部品の箱を指さして「自分で探せ」という態度。
      ↑
私などは、TMSに大きな広告出す店で部品ばかり買っていたら、三度目あたりで
「もう店に来ないでくれ」と、店主に言われた事があります。
模型の問題ではなく、店主の資質の問題なのかも知れないし、
最終的には、ツマラン客は追出さないと店の経営が悪化するのかも知れません。
犬に噛まれたと思って忘れるのは精神衛生上いいですね。
時代は、キットや完成品を売らなければ、店の家賃の足しにならなくなった頃でした。

68 :
>>66蒸機好き
>「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、実際に楽しんでいる人に対して、 否定的意見を書くのは間違っていますね
        ↑
書かれた意見が、間違っていか、間違っていないか、は書かれた文章によって判定する以外ないです。
「安楽椅子鉄道模型愛好家」が書こうが、
「実際に楽しんでいる人」が書こうが、

書いた人間の事を理由として、意見の正否を決める事は出来ません。

「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、「実際に楽しんでいる人」に、否定的意見を書くのは間違ってるが、
「実際に楽しんでいる人」が、「安楽椅子鉄道模型愛好家」に、否定的意見を書くのは間違っていない、
などという命題は成り立ちま得せん。

69 :
>>65
Nみたく小さけりゃ鉄コレみたいにそれらしいものを並べて置いてもカッコがつくし、まして走らせりゃわかんないけど、
大きい模型はそうはいかないからな。
床下がスカスカだとカッコがつかんし、おかしいとすぐバレる。

>>67
> 私などは、TMSに大きな広告出す店で部品ばかり買っていたら、三度目あたりで
> 「もう店に来ないでくれ」と、店主に言われた事があります。
> 模型の問題ではなく、店主の資質の問題なのかも知れないし、
> 最終的には、ツマラン客は追出さないと店の経営が悪化するのかも知れません。
そんな接客態度で、当時の少年がみんなNに行ってしまったというオチで。

70 :
>>69名無しさん@
>そんな接客態度で、当時の少年がみんなNに行ってしまったというオチで。

まあ、私が入店拒否を喰らったのは40年前の話なので、スレタイとは多少ずれました。

私は凡人ですから、仮に模型店経営したとしたら、
金は無いが熱意だけある、年少者常連客30人獲得よりも、
万札溜め込んだ熱意は中位の、オッサン常連客1人獲得に励む、というオチになるでしょう。

71 :
>>68
いいえ、「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、他人の楽しみ方まで意見するのは、
間違ってますよ
それが、否定意見ならば尚更でしょう

「安楽椅子鉄道模型愛好家」を自称するなら、他人の楽しみ方にまで踏み込むべきではありません

72 :
>>70
その店の店主は、オタクを入店拒否したのは正解でしたね。

DQNを相手にしたら、大変な事になりますから
今で言うモンスター・クレーマーですね。

73 :
「実車の知識もロクにないド素人が、鉄道模型に手を出すな」
というのでは、裾野は広まらないわけで

この板にも、必要もないところでもやたら実車知識をひけらかす人もいるけど、
誰彼なくマニア気質をひけらかす模型屋さんでは一般客は困惑するばかり

74 :
(そこに目をつけた、量販店の登場→隆盛で、店の住み分けとなる)

75 :
>>74
同感です。近年、全国チェーンを展開している某店は鉄道模型専門店空白地帯にも進出して初心者からマニアまで取り込み、
さらにはレイアウトの受注生産や鉄道模型の生産にも進出して見事だと思います。
10年位前にも東京堂という店があり、他店では扱わない絶版となって久しい部品等を販売しており、重宝していた時期がありましたが、
ある日突然閉店してしまいました。あの時は落胆しました。

76 :
>>75
東京堂。
ブラスやってるうちはともかく、バナナに手を出したからねー。
東京ばな奈。

77 :
>>71蒸機好き
>いいえ、「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、他人の楽しみ方まで意見するのは、 間違ってますよ

「実際に楽しんでいる人」が「安楽椅子鉄道模型愛好家」に対して、 否定的意見を書く場合は
何を書いても間違っていないのかね?

何かの意見を書いた人が、
果たして本当に「安楽椅子鉄道模型愛好家」だったのか?
或いは、
果たして本当に「実際に楽しんでいる人」だったのか?
なんて、どうやって判定するのかね?

78 :
>>77
>「実際に楽しんでいる人」が「安楽椅子鉄道模型愛好家」に対して、 >否定的意見を書く場合は
>何を書いても間違っていないのかね?

「安楽椅子鉄道模型愛好家」って、模型やっていないのですから、
そもそも否定しようがありませんね
しかしながら、「安楽椅子鉄道模型愛好家」にアホな発言があれば、
その発言に対して否定されるでしょうし、
そのアホな発言を正当化すれば、否定されるでしょう
ですから、
あくまでも「安楽椅子鉄道模型愛好家」次第ですね

79 :
>>77
>何かの意見を書いた人が、
>果たして本当に「安楽椅子鉄道模型愛好家」だったのか?
>或いは、
>果たして本当に「実際に楽しんでいる人」だったのか?
>なんて、どうやって判定するのかね?

そんなの、模型やってる人なら判りますよ
それが、判らないと思い込んでいる時点で「安楽椅子鉄道模型愛好家」レベルですからね

80 :
>>79蒸機好き
>そんなの、模型やってる人なら判りますよ

オタク自身が模型やってるかどうかなど、全く不明ですよ。
誰が模型やってる人で、
誰が模型やっていない人かなど、
匿名掲示板だから、証明はむずかしいでしょう。

このスレは、50年前の鉄模です。

81 :
>>80
それは、鈴木さんが模型やっていないから、判らないだけですよ

「安楽椅子鉄道模型愛好家」と実際にやってる人とは、
決定的な違いがありますからね

82 :
>>81蒸機好き
>それは、鈴木さんが模型やっていないから、判らないだけですよ

会った事もない他人が「模型やっていない」かどうやって判断するの?
オタク自身は、「模型やっている」と、宣言するのかね?

83 :
>>82
判りますよ

模型やっていたら解っていなきゃダメな話が出てきたら、
模型やっていない人ですからね

84 :
>>49
>私の怪しい推測では、
>米国のブラス輸入業者は大抵、日本敗戦直後に鉄模と関係ない、
>軍務やそれに付随する仕事で来て、
>日本の低賃金によるブラス模型技術を知り、
>帰国後に、米国太平洋岸で輸入業を始めたんじゃないかと思うのですが、
>これに関しては書いてないので、やはり私の勝手な推測の可能性があります。

天賞堂とPFMの関係が書かれています。PFMの初代オーナーだったビル・ライアン氏が始めたようです。
ttps://myedmondsnews.com/2016/07/edmonds-museums-model-train-exhibit-inspired-generations-of-hobbyists/

その前にマックスグレイという輸入業者がいました。
日本製鉄道模型の輸入業者としては最初期の業者でしたが、後継に恵まれず廃業しました。
ttp://cs.trains.com/mrr/f/88/t/38071.aspx

85 :
>>84名無しさん@
ありがとうございます。ご提示のパジェットレイアウトのHP読ませてもらいました。
「パジェット」という言葉は1970年代のMRで読んだけど解らなかった記憶があるのですが、
これを読んだ今、やっと意味が解りました。

既に書きましたが、米国の輸入業者が米国の有名地であるNYやシカゴになく、
太平洋岸に多いのは、「日本からの距離が、船便で近いからだろう」
と漫然と思ってたのですが、
PFMの創業者Ryan氏(北西部生まれ→デトロイトGM社員→帰郷)も、
引き継いだDon Drew氏(父はシアトルの銀行家)も、米国北西部出身のようです。

PFM以前に輸入業者の大手だったインターナショナル社の所在地は、
東部か西部か知りませんが、
全体的にブラス輸入業者は、米国の中では田舎である北西部が多かったようで、
何か、米国東部で始まった映画産業が、西部に引っ越してきた事などを思い起こします。

86 :
>>85鈴木 訂正。
アブナイ間違い。
「1970年代のMRで読んだけど解らなかった記憶があるのですが」の部分は削除。

「パジェット」という言葉に関して、鉄道模型レイアウトでのPugetとは違い、
実物鉄道の蒸気機関車で、英国にCecil Paget氏による、
「パジェット」型という単動式8気筒機関車が1台あり、
https://en.wikipedia.org/wiki/Midland_Railway_Paget_locomotive
私の記憶は、これと混濁していたのかも知れません。
記憶だけで書いて失敗。お粗末でした。

87 :
個々の動輪にシリンダが備えられていたというのはドイツ国鉄19.10形蒸気機関車と似ていますね。
どのような懸架方式だったのか気になります。ばね下重量が増えるので路面追従性や軌道への影響もあったのかもしれませんね。

88 :
>>87
https://i.imgur.com/8cL61yH.jpg
実物のパジェットはこんな感じです。
弁装置が奇怪で、平弁やピストン弁のようなスライド弁と違う、
Rotary弁と言われるもので製作がむずかしい物。
誰かライブスチーマーが既に挑戦してるのかも知れません。
実物話はスレ違いなのでこれくらいでやめときます。

89 :
鉄模雑誌記事には、"製作記"の記事"と、"作り方"の記事がある。
前者は、著者の製作報告であり、記事の通り作っても必ず作れるとは保証しないもの。
後者は、この記事の通り作れば、必ず作れる、というものであり、
例えば年代は50年前より新しいが、
TMSNo.296,1973年2月、"ライブスティームのSHay"平岡記は前者
機芸社刊、"生きた蒸気機関車を作ろう"平岡著は後者。
ただ前者と後者の分類は必ずしも厳密にはできないが。

古いTMSでは、後者の"作り方"の記事が多かった。
初心者に受けそうな実物を題材にした"作り方"の記事も多かった
車体の窓抜きの寸法だの、電車の前頭部オデコの展開図などもかなりあった。
現在のTMSでは、そういったものはほとんど姿を消してる。
わりかし最後まで記事に丁寧に寸法図を添えていた寄稿者としては、松尾緑郎氏が印象的。
TMSNo.199,1965年1月、"C57の製作法"松尾記あたりだろうか。
現在松尾氏の記事を読むのは困難だが、
TMS特集シリーズ13、"電車工作集"(1963年)には、近鉄1460形と湘南型の記事が再録されている。

「TMSは子供の雑誌じゃないんだから、細々した寸法入りの作り方記事は止めてくれ」
という投書がかなりある、と山崎氏が何処かで書いていた。
但し本当にそういう投書が多かったのか? それとも山崎氏自身の意見そのものなのかは解らない。

初期のTMSには実物の図面も毎月出ていて、
それは大体1/100-1/150程度の縮尺だが、
所謂形式図よりはずっと細かいもので、模型作りに十分役立ったはずだ。
私が知らない旧式国電だの、旧式私鉄電車の図など、
興味深いものです。

90 :
>>89

> 初期のTMSには実物の図面も毎月出ていて、
> それは大体1/100-1/150程度の縮尺だが、
> 所謂形式図よりはずっと細かいもので、模型作りに十分役立ったはずだ。
> 私が知らない旧式国電だの、旧式私鉄電車の図など、
> 興味深いものです。

そんな図面だけ集めたアーカイブスがあったらいいのに。

91 :
>>90名無しさん@
>そんな図面だけ集めたアーカイブスがあったらいいのに。

図面だけではないが、その大部分は機芸社刊"鉄道車両401集"として刊行されました。
但し、この本は"Prototype Guide"や"タイプを求めて"をまとめた物です。
但し、最初期の"Prototype Guide"(TMSNo.4-17, 28,33)は、
都合により割愛する、と後書きに明記されてます。
何故割愛したのかは不明です。
また初期のTMSは"新車の宝船"とか言って当時の新車も同様に説明してるし、
赤井氏による明治の旧式客車の優れた連載連載もあるが、
これらは含まれていません。

現在、アーカイブスを売っていないのは、
図面など、コンビニで簡単にコピーされてしまうから、売る意味がない。
今のレベルから見れば、図が簡略過ぎて買った人ががっかりする。
図面を使って何かを自作しようとする人数が減った。
文中の言い回しなどに、古色蒼然としたものがある。
などの理由が考えられます。

92 :
古いTMS見てると、笑ちゃうような事を見つける事がある。

TMS,No.191,1964年5月号、p291
"外国製プラキットわ日本風に、信号所の加工"―TMS編集部
Faller製信号所(B-121)を日本風に組み立てる記事だ。
記事中にこのキットの縮尺は全く明示されてないし、寸法は屋根上の煙突だけだ。

まあ、買った人は自己責任で物差し当てて、寸法を測ればよい、という事なのでしょう。
TMSの記事の方針としては、「明示無き模型は16番」のはず。
となると、Fallerキットは欧州だから、HO=1/85〜1/87の可能性が強い。
一方、日本の模型は16番なら1/80のはず。

ところがである。次号の
TMS,No.192,1964年6月号、p372、
のミキストには、
「先月号に載せた信号所(1/100)」
と書いてある。
Faller製信号所キットはHOでも16番でもない、1/100だったのか?
だったら、元記事で、
「Faller製信号所は1/100ではあるが」
と書くべきだったんじゃないか? となる。 
記事はTMS編集部の記事なんだし。
アンマリだ。

93 :
これは米国のOゲージの巨大クラブと思いますが、
http://www.oscalekings.org/halloffame.html
Oゲージに関する歴史的功労者を挙げてます。

何人かは、知ってる名前だし、
何人かは、知ってるようだが、似たような同じ名前と勘違いしてる場合もある。
一応多分確かと思うのは以下です、

Kimpei Sofue、祖父江欣平、カツミの仕事をした
Alvin F. Staufer 、有名な実物本"Pennsy Power"の著者
Dave Waddington、占領軍の軍人として来日し、初期TMSに協力した。ミキストに紹介されてる
Al Armitage、本名Alan Armitage?プラ模メーカーRevell社の人。TMSNo.171,1962年9月号に、MR誌に執筆した機関庫の翻訳記事がある。
Richard M. “Rich” Wagner、雑誌"TrolleyTalk"発行者。元MRの編集者と思った。Birdella夫人は"TrolleyTalk"エディター。
Levon John Kamalyan、https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35318305.htmlの中にある「ケマリン氏」と思われる。
William K Walthers、巨大模型屋さん
Rollin Lobaugh、昔あった有名模型屋さん。ミキストにも出て来る

94 :
>>90
>そんな図面だけ集めたアーカイブスがあったらいいのに

日本の車両 スタイルブックはどうでしょう?
その年にTMS紹介された車輛を採録したTMSスタイルブックは1960年代までは毎年発行されていたそうです。

95 :
スタイルブックは当時SBの通称で、
1947年版から1962年版まで毎年出たはず。
そして"スタイルブック海外版"なるものも、初期に一度出たはず(未見)。
「出たはず」と書くのは私は、その内ごく一部しか見ていないし、その間に抜けが無いとも限らないから。
これらは合計すると概ね17冊出たはず。
1947年版から1955年版まではB5版。1956年版から1962年版は大判SBでA4版。
初期の図面縮尺は1/100くらいから1/45くらいまで混在していた。

機芸社の初期の宣伝では、「図面はTMS既出の再録でなく、総て新たに書き下ろし」と言っていたが、
必ずしもそうではないんじゃないだろうか。
TMS既出の再録、新たな書き下ろし、海外書籍からの外国図面コピー、などがあったと思う。

SBを大版にした理由は、図面縮尺の大部分を16番的(1/76, 1/80, 1/87)にするためと思う。
これは、TMSが推進する16番が、OやSを凌駕出来る、と見切った処置でしょう。
だったら、「スタイルブック」などと名乗らず「16番図面集」にすればいいじゃないか、と思うかも知れないが、
それは出来ない。国鉄型図面は16番ではなく、13mm図面で描かれているから。
なお、一応16番用図面集になった後も一部に1/120等も残されていた。
1/150、所謂「N」はまだ無視されている。
(続きます)

96 :
(続きです)
SBの欧州大陸車図面は1/85。TMSは 「16番欧州大陸車=1/85」 とは明言していないが、
当時はそういう考えだったんだと思う。現在は 「16番欧州大陸車=1/87」 が一般通念化してる。

SBには実物外形をそのまま描いたものの他、「模型化図面」の名のもとに、
16番模型図面として描いたものも一部ある。
この場合国鉄車の車体は1/80、ゲージは1/65である。
古い小型蒸気機関車にこれが多いが無意味と思う。蒸気機関車を自作する程度の人は、
実物図面を重視するのであり、他人の手垢のついた「模型化図面」など嫌うだろうから。

SBの図の大部分は中尾氏が描いた。
簡単に得られる図面はよいが、それが出来ない時は、
TMSの協力者でかつ車両メーカー社員のツテを頼りに、
メーカーの部屋の隅でトレースさせて貰ったんだと思う。
現在では考えられない事だが、当時は企業秘密や企業財産に関して寛大だったのでしょう。

山崎氏は、1形式当たり千ページもある図面を分析して、1枚の図面を作るのは大変な労力なんだ、と書いてるが、
私は必ずしもそうは思わない。
メーカーは納入の際、普通は多分1m程度の精緻な全体図(General Arrangement)を添付するはずで、
これがあれば、千枚もある部品図調査の労はほとんどなくなるはずだ。
但し、面倒なのは、細かい部品の取り付け位置等を変更した場合だろう。
電車の床下器具などのかなりは、車両メーカーが電気屋から買ってネジ止めするから、位置は簡単に変更される。

中尾氏の一番の苦労は、例えば「標準的なD51」とは何だろう?のようなものと思う。
D51は一台一台細かい違いがあるから、それらを標準化、平均化した図面を作るのであり、
その「標準的なD51」なるものが実在するかどうかは、責任持つ必要がないわけだ。

機芸社のSBは1962年版を最後として、それ以後は、
それらをコピーし直した"蒸気機関車スタイルブック"、"日本の車両スタイルブック"として出版し、
機芸社は図面を描く労を劇的に軽減した。
(終ります)

97 :
>>96鈴木
>機芸社は図面を描く労を劇的に軽減した。

とは書いたが、
TMSは、SBの1/80図面とまではいかなくても、
雑誌記事中に、模型化図面を含めれば、その後毎月のように、
1/120程度の図は載せてます。
例えば、1967年6月号には、DE10と長野電鉄OSカーの図を載せている。
一般的には、この程度の図でも、十分模型作りに役立つはず。

98 :
鉄道ファン誌の巻末の図面は重宝しました。

99 :
1970年代初期だから「50年以上昔」の話とは言えないが、
この頃はTMSは、ほとんど毎号1/80〜1/50程度の図面を出してる。
これを集めれば、新たなスタイルブックも可能なんだろうが、
色々な事情があって出せないんだろうな。

100 :
100年前にも鉄道模型てあったんだろうな

今に比べれば随分と大きな、そして贅沢品だったんだろうが


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