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1 :2017/05/19 〜 最終レス :2020/05/03
前前々スレ
戦国春秋
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1161616606/

前々スレ
【◆O.K.H.I.T.】周の後半春秋戦国2【五覇七雄】
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1326989163/

前スレ
【西帝】周の後半春秋戦国3【東帝】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1421609428/

2 :
■関連っぽいスレ
【呉越】     春秋       【五覇】
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1170514550/
【芋?】春秋戦国:楚総合スレ【クマー】
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1184771837/
春秋戦国時代名宰相二十四選
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1397601291/
【春秋時代】晋の六卿について語ろう
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1170418381/
戦国四君
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1168690847/
【墨攻】墨子を語るスレ
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1170415494/
屈原を語るスレ
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1411721022/
なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1342817972/
春秋戦国ファンタジー漫画 キングダム
http://hello.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1305116242/

3 :
>>1
乙です。

4 :
>>1封乙,為諸侯。

5 :
乙国乙邑

6 :
>>1
次スレは多分、春秋五覇だな

7 :
平凡に
【五覇】周の後半春秋戦国5【七雄】
でもいいんじゃね。

8 :
勢いを失い過疎りながらも春秋戦国総合スレはとうとう4スレ目まで来たか。
中国英雄版全体が死滅するなかよくがんばってるアッパレじゃ!!
>>2次があれば関連スレに周の前半も加えてあげてくれ。

殷〜西周こそ熱い時代!!!!!
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1422786910/

9 :
春秋の初めに戻るんなら、スレタイは

【幽王】周の後半春秋戦国5【狼煙】

これでどうじゃ?

10 :
>>1乙忘れていた

11 :
前前々スレ 戦国春秋
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1161616606/
前々スレ 【◆O.K.H.I.T.】周の後半春秋戦国2【五覇七雄】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1326989163/
前スレ 【西帝】周の後半春秋戦国3【東帝】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1421609428/
■関連っぽいスレ
【呉越】     春秋       【五覇】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1170514550/
【芋?】春秋戦国:楚総合スレ【クマー】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1184771837/
春秋戦国時代名宰相二十四選
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1397601291/
【春秋時代】晋の六卿について語ろう
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1170418381/
戦国四君
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1168690847/
【墨攻】墨子を語るスレ
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1170415494/
屈原を語るスレ
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1411721022/
なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1342817972/
春秋戦国ファンタジー漫画 キングダム
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1305116242/
殷〜西周こそ熱い時代!!!!!
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1422786910/
春秋戦国名君二十四選
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1491144716/
諸子百家で一番使えると思う学派、人物は誰よ?
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1163357287
全部matsuriに書き換えたほうがスマホで見やすいので。

12 :
殷〜西周スレ以外は事実上稼働停止状態だが一応乙
(分散は得策じゃないから関連スレは次はもう貼らなくてもいい希ガス)

13 :
ここに集合させる目印にも成り得る。

14 :
そろそろ前スレ終盤の如く賑やかにいこうぜ

15 :
978辺りから急ピッチでスレが埋まったな(いい意味で)

16 :
>>14
それなら話題カモン!

17 :
前スレの最後辺りなんの話してたっけ
類似エピソード?

18 :
自己解決
夫差・白起・魏冄・楚王か

19 :
周王に最も近い出自をもつ鄭にはもっと頑張ってほしかったわ

20 :
>>19
荘公死後20年くらいのゴタゴタが痛すぎたな。
昭公が何事もなく治世を全うして、
その間に周と和解するという展開が一番幸せになれそうかな?

21 :
>>16
諸子百家の議論はなぜ万学の祖の域に至れなかったのだろうか?
ダムスレでちょっと紀元前中国文明が語られるのを見物しててふと気になった

>>17
そっくりさん逸話を列挙すると面白そう、荘王と威王とか

22 :
>>21
>諸子百家の議論はなぜ万学の祖の域に至れなかったのだろうか?
春秋戦国の頃は学問の自由があったけど漢の国学となったことで儒家が強くなりすぎて
他の学問ができなくなったからだろう。

23 :
墨家「・・・・」

24 :
そら単純に春秋戦国が後進文明だからでしょ
諸子百家の言論はとてもアリストテレスを出せるレベルに達してない
そもそも体系的&専門的に科学を追求する性質を持った諸子/学派皆無

25 :
>>8
初代スレが立ったのが2006/10でそこから5年以上かかって使い切ったのと、
3代目が2年半たたないうちに使い切ったのを考えると、これは特筆すべき奮闘だな!

26 :
戦国諸子百家は「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない」
を絵に描いたような連中だし戦国続いてても大して変わらんと思われ

27 :
同時代文明比べるとこれ位の差がある。
オリエント(鉄器時代入って千年以上)>>戦国中華(鉄器クルー?)>弥生時代後期(青銅器文化)

自由に政治思想や人間観を主張させてたら官民が儒教と道教に染まった。
国学化したから儒教が強くなりすぎて他の学問ができなくなった、というのは的外れ。

28 :
>>22-27
反応サンキュー
文明発祥からの時間が短く科学的知見の蓄積が不十分だったのが原因ってところかね
もしくは方向性の違いか
>>24
後世君主の憧憬の対象で在り続けた大英雄アレクサンドロス大王の師がアリストテレスだった影響はデカそう
>>27
国家権力や君主はむしろ道教推してみたり仏教推してみたり民間の儒教勢力に抗ってる節があるな

29 :
祖沖之とか張衡の存在を知っていればとても儒学の影響で自然科学が抑圧されたなんて感想は出てこないと思うのだが

30 :
諸子百家に関しては基本的にウヨサヨリベラルの争いみたいなものでベクトルが違う。
29の言う通りむしろ統一王朝以降になってから自然科学分野で注目すべき人物が出るようになる。
東アジアは東アジアでマイペースに進んでいた。トップでなかっただけ。

>>29
司馬史観(確信)

31 :
>>26
切磋琢磨する中でレベルが向上するということはなかったのだろうか?

32 :
たんにルネッサンスがあったかなかったかだけのちがい

33 :
>>31
切磋琢磨、レベルアップした結果が儒教(道教)じゃないかね?
自由競争を勝ち抜くために論敵を攻撃同化するスキルを磨き圧倒的成長を遂げたからこそ儒教の覇権がある

>>32
なんだかんだビザンt東ローマ帝国が1000年間踏ん張ったおかげですよ!

34 :
図書館で詩経パラっと目にしてみたがあれ読むのしんどいな

35 :
イスラーム帝国における自然科学の発展を忘れてはならぬ

多数派工作に長じ利権争いに最適化された儒教が戦国の時点ですでに社会各界に浸透し大勢を占めてた
オープンな環境で殴り合ったら墨家みたく特徴的な集団は死ぬ

36 :
やっぱり儒家が弁論強かったのかな?

37 :
>>33
儒学者「漢以降の儒教アンチは日本の中国史ビギナーにしばしば見られる現象だけれど」
(類似症状:中国のピークは春秋戦国、稀に戦国が続いていれば西欧列強みたくなったとかいう西洋コンプ丸出し史観も)

儒学者「先進世界宗教仏教の精緻な思想に歯が立たず次第にローカル迷信宗教の様相を呈した道家改め道教よりはイケてると思うの」

38 :
>>36
儒家が強いというか他が弱いというか・・・

・創始者の偶像化→神格化
・古典の占有(儒教化)
・司馬遷による歴史的お墨付き(孔子世家)

いや、やっぱつえーわ

39 :
>>37
まあ本職の学者が孔子おちょくった本出したりするし嫌儒教ムードは根強いね。
春秋戦国ピーク論(後世の中華帝国sage)は保守NTUY界隈にもリベラル左翼にも都合が良いロジック故に需要がある。


ところでおまいら唐突だが屈原ってどうよ?(先月末は旧暦端午の節句)

40 :
偉大なる詩人

41 :
忠誠心だけでは大業をなしとげられなかったんだなぁって....
相手が悪かったというべきか。

42 :
旧暦か、新暦で生きてるせいかピンとこない
政治家屈原は小物やね

43 :
春秋戦国の政治は只今政治史の専門家が絶無に近いぐらいアレな暗黒分野なんだぜ?
屈原が政治的に小物か大物かなんて判定不能。

44 :
屈原非実在を聞いたことがあるけど、どうなんだろーねー

45 :
>>43
せやろな、屈原の時代は列伝はもちろん秦本紀&六国年表さえも信頼できないし

46 :
>>39
>春秋戦国ピーク論(後世の中華帝国sage)は保守NTUY界隈にもリベラル左翼にも都合が良いロジック
現代中国叩くためのダシに使われてるなんてな・・少々悲しい使われ方だな。

47 :
>>45
何であの時代だけガバガバなんだろうね

48 :
急にスレの勢いが衰えたな。

49 :
そら一言二言の内容のない書き込みをしてはageまくるレスばかりじゃ
「あーまたあの人か〜」ってなるでそ

50 :
言うほど無内容のレスばかりか?

51 :
スレの勢いダウンを気にする人がこの板の彼方此方で無内容に近いレス返し(sageない)を繰り返す傾向がある
もうちょっと工夫した方がいい希ガス
またいつもの人だってなるもの

>>47
あの時代だけガバガバってこたぁねえけど、紀元前三・四世紀の境界はなぜか大混乱してんなー
孟嘗君相秦と懐王関係の真偽不明の作文多数に混乱した編纂者がテキトーに記事を並べてしまった感

52 :
>>48>>50
がほかのスレでしたレスをコピペして来れば簡単に証明できるな!

53 :
盛り上げようとするのは良いんだが
勢いがなくなった〜とか短文レス多投しても
「必死だな」になってしまうからねぇ…

ただ相当に知識がないと発展性のある話題を提供できない時代だから致し方無い面もある(かくいう俺も)

54 :
>>21
月並みだけど妾を献上して王の後継者を生ませる呂不韋と春申君のエピソード、商鞅変法と胡服騎射の論戦

>>51
孟嘗君といえば、宮城谷小説で屈原と会話してたっけな、戦国名臣列伝でも、屈原は、名臣の一人に数えられている
ただ、伝統的に不動の佞臣小人キャラであるはずの、屈原を迫害した側に同情的な記述が見受けられ、少々意外だった

55 :
戦国名臣列伝の屈原は悲劇的な最後を遂げた経緯に紙面が割かれていて
屈原がどんな功績を残したのか、どういう名臣だったのかについてはあまり書かれてなかった気がする

56 :
中英板の春秋戦国成分の半分ぐらいは宮城谷昌光、困った時は先生の著作を頼るべし。

屈原は屈原の列伝と楚辞関連以外で名を見かけないのが致命的だね。
親斉反秦派という触れ込みなのに同世代と考えられる逸話製造機孟嘗君&ビン王と全く絡まないステルス外交官っぷりはまずい。

57 :
屈氏自体は名家なんだからもう少し記録があってもいいのにな。
よほど不都合な事実があったのか、それとも司馬遷が変なことしたのか・・
>>56
今ちょうどその宮城谷先生の「孟嘗君」読んでるところなんだけど、
楚の宣王が「虎の威を借りる狐」の故事で登場してワロタw

58 :
宮城谷孟嘗君はすっごい良い人すぎるよね
史記読んでギャップにびびったわ

59 :
宮城谷孟嘗君は持ち上げすぎて、自分が死んだ後どうなるかくらいは
簡単に予想できただろうに対処方法を全く考えていなかったのか、
なぜ何も手を打っていなかったのかが説明できないんだよなぁ
子供達がまとまらず滅ぼされたのは史実だから仕方ないけど

60 :
金のなる木である自分が描くキャラ(題材)を持ち上げない大物作家など存在しないのよ
キングダムなんてモブ史実キャラだろうが死にかけの六国だろうがハイパーインフレさせまくった結果意味わからんことになってるぜww

まぁリベラルチックな方向の思想をまとったキャラは民主的インフレ、反対者は低評価する宮城谷戦国時代小説の世界観は無理あるけど

61 :
まあ良し悪しどちらのベクトルでもいいから誇張しないと商売にならんのは確か。孟嘗君はわりと史記戦国策通りの描き方だと思うよ。謙虚さや能力の高さをアピールする逸話に大半が費やされ晩年の下降線はスルーでしょ?

>>57
伝統ある名家を破壊しまくりその残骸の上に新時代を建てたのが春秋戦国秦楚漢という時代やねん。

62 :
斉の高氏が後の渤海高氏になったりして支配者層に返り咲いているのはかなり珍しいケースなんだろうな

63 :
ちょっと前に高氏と渤海高氏を調べたことあるけど
正直、隋唐で流行った、昔の漢人名族に無理やり系図を接続した典型的パターンで
斉の高氏と渤海高氏に連続性はないと思うよ

64 :
そういうものかね
清河崔氏とか渤海高氏とか春秋斉の流れを汲む名族だと思っていたが

王莽が田斉王家の子孫なのは確実だよね?

65 :
少なくとも漢書ではそうなってるね
王莽が自身の系図を制定した、という体になってるから、どこまで信憑性があるかは俺には分からんけど
楚漢戦争期の済北王田安の後裔を名乗るメリットがあるように思えないから、確実と見てもいいんじゃないかな

66 :
確実と言うほどの信憑性は当然ないが
とんでもない雑さの子供騙しにもならん世系表を大真面目に載せてる中国王朝正史や現在流布する出鱈目民間家譜よりは遥かにマシだろうな

67 :
三国時代の魏の国淵って青州出身だけど、これは春秋時代の斉の国氏の流れなんかな

68 :
七雄「封建秩序の担い手(抵抗勢力)である伝統的な卿大夫知識層を殲滅したからこそ、皆さんお馴染みのメインランドチャイナが出来たんすよ。」

69 :
>>67
確認しようがない、連続性を

70 :
やむを得ない話だよね。

71 :
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72 :
>>68
39を思い出す

73 :
項羽「まあ俺たちの戦いにあまり知性が感じられないのは認める」
劉邦「マナーは足りないけど悪知恵にはちょっと自信あるゾ」

74 :
エテ公!エテ公の楚人じゃないか!! by史記の「楚人は沐猴にして冠するのみ」 ←地味にヒドス(´・ω・`)


項羽も劉邦も、とりあえず殺し焼き奪い犯し宮殿破壊とまあ色々やったけれど、、、だがそれがいいのよ
これも秦が春秋戦国の秩序を破壊し尽し、哀しみを抱いて入水自Rる様なお上品旧貴族連中を取り除いたおかげ

75 :
全盛を極めた昭景と伝統的世族の屈氏が郢陥落を境に衰微しなければ項氏の台頭はなかったでせう

76 :
屈氏は春秋から見かけるけど、
昭景両氏はいつごろからいるんだろう。
昭氏は昭王の子が臣籍になったのかな

77 :
昭景両氏の来源は確言できませんね

屈:旧世族,初見は楚武王の公子瑕です
昭:昭王(邵王)→坪夜君(平夜君)を昭氏(邵氏)の祖とする説に従うと,昭氏の出現は戦国初年頃?
景:不明,平王(景平王)の後裔?

>>57
確たる根拠のない推察になりますが
屈原の功績が不明瞭な原因は,頃襄王政権と魏冉政権の急接近し秦楚関係が好転する時代背景にありそう

78 :
なんだかんだ懐王の寵臣で青年〜中年は発言力が強く見せ場が多かったけれども
本来脂の乗る壮年期に王が代替わりして次世代に主導権が移り――
・・・国内外ともに都合が悪い環境になったら政治家やってられんわな

まあ大国ゆえに国境を接する敵が多く秦よりむしろ斉や魏を宿敵としてきた
楚にとって本当に屈原の在り方はプラスだったかどうかも定かでないけれど

79 :
>>77
屈氏の古さヤベェな。。。

80 :
>>79屈氏の古さは楚でも屈指だな

81 :
>>77
なるほど。やはり確実なことは言いにくい感じか

82 :
起源が古いのは別に凄くないけれども、五百年ほど臣下の立場で、高位高官を世襲した氏族は貴重だね。
我が国や他の文明圏には、ごく普通に存在するが、中国史では滅多にみない。

83 :
晋が翼とガチャガチャやってたり鄭荘公が中心だった頃からすでにいたわけか

84 :
楚武王の公子瑕って軍事でドジって自殺したんだっけ?

85 :
>>78
屈原の時代(懐王の晩年)にズタズタになったことを考えれば外部環境を安定させた頃襄王初期の外交は合格点あげれますね…

86 :
懐王の晩年って張儀に騙されたアホという印象しかないんだけど・・

それを言っちゃおしめーよって奴か

87 :
鄭の荘公てなんか惜しいよね

88 :
跡継ぎの件?

89 :
斉の桓公と管中という春秋最強タッグがお隣さんとか、正直難易度インフェルノ過ぎて震える

90 :
魯の荘公かな?

91 :
>>88
それもそうだし宋とゴチャゴチャやったり泰山の信仰やめたり

92 :
>>89
桓公&管仲が特別能力高かった訳やないで
中原の覇者やった鄭がこけたおかげで覇権が回ってきた

93 :
斉はご先祖様の段階で既に小覇を唱える実力を備えていた強国

94 :
斉の僖公も小覇扱いされてるみたいだな

95 :
>>94
それの出典が見当たらないんだがどこなんだい?

96 :
>>95
岩波文庫『春秋左氏伝』の列国大事索引の
斉の項目に@僖公小覇とある
何を根拠に小覇としてるかは不明

97 :
710 : 名無しさん@お腹いっぱい。2016/10/09(日) 22:53:59.07 ID:JAkI4Tz30
鄭の荘公はわかるんだが斉の釐公が小覇とされてるのがよくわからん

711 : 名無しさん@お腹いっぱい。2016/10/10(月) 07:14:05.89 ID:BDGDr8nQ0
>>710
斉の釐公が小覇とされてるなんて初めて聞いたけど、
誰がそんなことを言ってたの?

712 : 邯鄲人2016/10/10(月) 20:59:26.94 ID:gL5biNep0
>>711
(出典は国語です)左丘明さんかな?


既視感を感じたゆえ前スレを引用してみる

98 :
答えが違っててワロタ

99 :
>>91
魯と領地交換も失策ぽいよな

100 :
釐公よりむしろ襄公が小覇だと思うがね
>>99
許とかいう不倶戴天の敵を生み出したからか

101 :
>>100
150年かかっても従わせられないなんて、
当時は思わなかっただろうな。

102 :
鄭も魯も大変よな、でも鄭の貴族の家には生まれたくないなぁ
終始、晋楚に挟まれて穆系じゃないと這い上がれないし

103 :
>>102
逆に生まれるならどこの貴族がいいんだろうな。斉かな

104 :
このスレsageたらいかんルールでもあるのかってくらいsageないね

>>103
最終的にデン々されるうえに他と同じくしょっちゅう首都で内戦粛清やってる斉もなかなかの地獄ゾ

105 :
こんな過疎板でsageる意味なくない?
(と言いつつsageる俺氏)

106 :
過疎だからとにかくスレ上げるいつもの人のやりとりが際立つだけよ

斉は著名な覇者・斉桓公期でさえ国内の不穏さが目立つし生まれたくないなw

107 :
ageるのは3日に一回とか決めれば、
こんなくだらんことで揉めなくていいんじゃない?

108 :
春秋期の燕や秦内紛少なくて平和かな?
>>107
じゃあ今日はsageとく?

109 :
https://www.youtube.com/watch?v=dpizDazz9Fg
https://www.youtube.com/watch?v=HpX_uJUX92U
https://www.youtube.com/watch?v=XHV9lUNP6rA
https://www.youtube.com/watch?v=4UPAWP730a0

110 :
>>108燕に関しては記述が少なすぎて判断つかないな
春秋時代は北燕と南燕があったが、どちらか一方は滅んだみたいな話を聞いた事がある

111 :
孫林父の靴を舐めて過ごす方が楽かもしれんな

112 :
強大な権力の靴を舐めれるのは幸せなことだよ
衰退する衛にそんなものはないが

113 :
身も蓋も無いが、わりかし暗黒時代やからねぇ…
各国の黄金時代に在位した代表的な名君連中でさえ盛大に内戦・粛清・後継体制火達磨やらかすしぃ

114 :
衛の黄金時代って武公の時なんだろうか

115 :
まるで、暗黒時代じゃなければ
内戦・粛清・後継体制火達磨が無かったかのような言説やね(遠い目)

116 :
>>114
兄殺して即位したんだっけ?

117 :
>>113
>>115
(綱紀)粛清は国家社会にとってマイナスとは限らんので除外する

東周王朝期の各国って
・後継体制への安定的政権移譲の確率が大変低い
・小型版応仁の乱みたいな都が戦場と化す動乱頻発

という時代なんで
大陸を軍事的政治的に統一した政権の安定期とは雲泥の差があるよ

118 :
>>116主君である兄を死なせるという不忠行為を行ってるのに名君ってのが武公は凄いわ
しかも史書の記述を見る限り兄の共伯に落ち度は無いのに

ただ周王朝が正常に運営されてる時期、あるいは覇者がいた時代なら武公はすぐに誅伐を受けていたかもしれん

119 :
>>117
清朝「東周期は、お家騒動が酷すぎる」

120 :
爽やかな風

121 :
>>118
うーん、本当に不思議な君主だなあ。

122 :
>>121
そうか?
未成熟で荒っぽい時代だから、家族の殺害は特別珍しくないし、武公の数少ない事績である尊王攘夷にしても
晋とかいう悪逆無道、傲慢不遜を絵に描いたような覇権の得意技が勤王である事を思えば、そこに不思議はない希ガス

123 :
>>118
>主君である兄を死なせるという不忠行為を行ってるのに名君ってのが武公は凄いわ
>しかも史書の記述を見る限り兄の共伯に落ち度は無いのに
李世民もそうだろう。

124 :
その手の身内殺しリーダーの成功例は世界中にあるな
本邦の中世だけでも相当数に上ろう

もう一ついえば武公の実像を知る手掛かりはゼロに限りなく近く
本当に名君らしい名君なのかさえわからん
暴君でも不都合がなければ直系の後継者たちは称える

125 :
>>122
周王朝的倫理と秩序に叛きまくり、非道卑劣は日常茶飯事
そんな晋が幹事長やってる東周連邦

大義名分がどこにもねェ……春秋に義戦なしとはよく言ったもの

126 :
兄殺しスタートでも名君になれるなんて、
夢のある話だなって

127 :
オスマン「弟は幽閉するもの」
千年帝国「名君なんぞ虚構よ」

128 :
オットー1世「反乱と暗殺かましてきた弟を幽閉するもママンのとりなしで二度も赦した俺を讃えろ」

129 :
>>125たまに周王朝が斉に密命を下すのは晋の覇者体制に不満があったからなんだろうな
周王朝的倫理と秩序を守っているのって文公とか悼公のような名君ぐらいか?
まあ文公は結構ルール違反な事やってるが

130 :
悼公のころに周の霊王と斉の霊公が接近したりしてるし、
元々周と晋は相性が悪かったのかな。

131 :
曲沃の頃は敵だったし、その名残かな

132 :
晋悼公には、自らの権威を高め、諸侯の宗主たる天子を蔑ろにしたのではないか?
と推測できる記述が散見する。斉に接近したくなるかもしれませんね。

133 :
悼公はあと十年長生きしていたら先代と同じく有力者の排除粛清に動いた気がする

隣接する晋と周は東周王権が分権的で足元の畿内でさえ諸侯が常時割拠する状態でなかったら
優れた周王と強大な晋公が激突する歴史が展開されたやろな衰えたりとはいえ中堅国クラスの領域を保持する周は侮りがたい

134 :
>>129
同姓とはいえ元々近しい関係ではないし色々限界がありそう
おまけに同姓不婚とかいう中国伝統倫理の壁で関係は疎遠になる一方・・・

文公はアレなところは多いが父祖のアレさ加減を思わばカワイイもんやし勤王でチャラ
曲沃政権って現存資料から窺える僅かな歴史からでさえ代々武田信玄並の外道オーラ放ってるダークサイド国やし(笑)

135 :
なんだかんだ前の暗君が楚のヘゲモニー&お上に僭越を働く有力臣下を潰してから逝ったので
ある意味やり易い環境で即位することになった悼公

136 :
弟にあんな名前を付けた親父がわるいわ
てか時代的には成師と公叔段って同時期だっけか

137 :
桓叔成師の晩年と被ってるけど世代的には二、三世代前の人という感じ

138 :
>>137
ありがとー、成師の方が大分前か

139 :
なんやかんやで盛り上がってるね。

140 :
俺が20日からほぼ毎日連投して人呼んだおかげやぞ褒めて

141 :
>>136
文侯「曲沃プロパガンダ乙。正当化しようたってそうはいかん。つか成師のくせに敗戦してるじゃねーか!!」

>>138
生まれは約半世紀差と大分違うが封建されたのは大体同時期という

142 :
粘り強さって大事なんだなって。
>>133
確かに長生きが欲しいところだったな。
人事が上手かったみたいだから先代のような半端な粛清もしないだろうし、
跡継ぎももっとうまく教育できたかも・・

143 :
>>135晋のレイ公はエン陵の勝利の後すぐに死んでたら名君と呼ばれてたかもな
本格的に暴君となったのもエン陵の後だし
エン陵の勝利も苗賁皇や郤至の献言をレイ公が聴きいれた事によるものだし

144 :
悼公の覇権とバランス(妥協)人事は、楚を破り国際環境を好転させたものの世族弾圧を果たせず死んだ急進的先君の発展的継続と修正、先送りした臣下との対決はいずれ再燃する。

145 :
>>143
即位から戦いまでのエピソードがあまり知られてないよね。

146 :
粛清をせぬまま30前後で死んだ悼公は、
臣下にとっては都合がよかったので後世名君扱いされた・・というのは
さすがに空想が過ぎるな

147 :
【アルトコイン投資】
https://yobit.io/?bonus=cjboI

148 :
↑×2
要素の一つではあるかと
後に内乱を度々起こし最終的に公室を抑え覇権国家晋を解体に導く諸氏は悼公治世下で勢力を蓄えましたし
この頃矛盾が表面化せず彼が覇者&最後の名君とされるのは丁度実力者の交代期にあたり君権が安定したからでしょう

149 :
なぜ安価が付けられないのか・・

150 :
唐突だが、ラン書(とその子孫)って地味に晋滅亡A級戦犯クラスの畜生だと思う
暗君乱臣に満ちた資料上の逸話の中ではそこそこ格好良くそれなりに徳のある名臣みたいな顔してるけど

151 :
あの君主はR必要はなかっただろうな。

152 :
趙氏「許された!」

153 :
三郤「」
胥童「」

胥臣「・・・・・」
郤缺「・・・・・」

154 :
>>152
一族のDQNが勝手にやったのと、総領が他家も巻き込んでやったのとでは大差だしな。
史官がどう書くかは別として。

155 :
欒書「腹黒士氏の讒言でうちが族滅するとは参ったね」

156 :
欒書は君主を弑逆したけど、子の欒黶は父の傲慢な部分ばかりをより肥大させて
受け継いだ様な格好だな
的外れな恨み方で士氏と軋轢を深めるし、こいつが欒氏滅亡の引き金を引いてる感じ
せめて欒盈が欒書の孫でなくて子だったらまだ違ったのかもしれん

157 :
士鞅の言葉通りの解説だね。

158 :
実物は知らんから勝手なイメージになるけど傲慢さはいい勝負じゃまいか?ベクトルが異なるだけで
せっかくのリスクヘッジ婚姻を感情的行為で台無しにするあたり欒家が肥大化ぶんお気楽になった感じ

159 :
>>157
士鞅、そんな事を言ってたっけ?
しばらく左伝も読んでないせいかど忘れしてるな

160 :
>>156の解説には既視感を覚えるのでたぶん宮城谷作品っぽい。

161 :
https://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1170418381/323-332
晋の六卿スレでこの件についての議論があったな。

162 :
子産のおかげで士カイはわりとセーフな扱いなんかね

163 :
これは面白いよ!!
https://blogs.yahoo.co.jp/anti_mm_eq010/18156321.html

164 :
石虎の遼東遠征って海路も使って侵攻しているし
規模は小さいけど隋唐の高句麗遠征の雛形と言える戦役かもしれない

遼東・朝鮮半島は中華王朝にとって正しく鬼門だな

165 :
誤爆した

166 :
唐の太宗李世民も遼東・朝鮮で少なくない犠牲者を出して敗北やからな〜

167 :
なぜ誤爆に構ってしまうのか?w

168 :
殷代から燕のあたりが開けているのは結構不思議
孤竹とかどうやって建国されたんだろ(軌道修正)

169 :
フェニキア人「古代人の植民力舐めんなよ!」
ギリシャ人「同上」


孤竹の伝承はおそらく虚構だと思われ

170 :
地中海世界やオリエントと比較すると東アジアは全体的に後進だが
東周時代ぐらいになるとユーラシア大陸から海を隔てた日本列島も青銅器時代に入るし
中原から遠く離れた周辺地域とてなかなか侮れない

171 :
楚国って横死、反乱多すぎない?名君でも余裕で晩年悲惨だし

172 :
「日本では弥生時代に鉄器と青銅器がほぼ同時に伝わったと言われており、青銅器は祭器として
のみ利用され、青銅器時代を経ずにそのまま鉄器時代に移行したと考えられている。」

173 :
日本は地域によるね、かなり早い時期に青銅器の使用が始まった場所もあるし
ま、なんにせよ新発見が相次ぐ流動的な分野だから確定的なことは言えないけど

>>171
周〜春秋を勝ち抜け戦国列強に名を連ねた強国楚は最もマシな部類だぞ

174 :
当たり前のことだが
国家政権が担当する面積や人口が大きければ大きいほど乱は数多く発生する
楚国にその手の事件が多いのは事実でしょう
だからと言って楚が他国に比べて不穏という訳ではないけど

175 :
史書の関心が一部の国に偏向し情報の偏在が極めて激しい時代だからなんとも言えんわ

176 :
晋が分裂しなかったら・・・
若しくは再統一していたら・・・

177 :
平凡社の春秋左氏伝買おうと思って図書館で試し読みして見た
黄色本は絶版だからあのデカイ奴だけど字が小さすぎてキツすぎる
kindleか黄色本の再販しないかなあ

178 :
西周を滅ぼした申はいつの間に楚に滅ぼされたんだろうか

179 :
各国による自国こそ中国中原でお前ら夷敵だの証明面白かった

180 :
中国の周ー春秋における週の王の実態はなかった。
これは徴税、上下の意味で

そもそも考古学的証拠上商は人口3-5万の集落、周は10-15万が限界の集落群に過ぎなかった。
そして他国の歴史がそうであるように、ただの古い集落、首長国でしかなかったのが実態

ここで王政、中間の支配、上下礼儀は存在してなかった。つまり王でも中間帝でもない

ただ最古の集落、大首長的崇敬、ルーツ的崇敬は持たれてたようだが、中原全国は周の支流民族、部落ですらない。
諸王も血縁者というのは無理のある創作

これは幼稚かつ安易な起源論の曲解で、戦国各国は別のバラバラの民族、部族であり、各首長と諸王の混血性、外交性は歴史上存在しない。
その部分は単に構成の三項ごていのような神話的ルーツとして作られただけで、完全に別別で部族が存在する。

もっとも秦などの内陸部は塩の入手のために周より後発的に集落が発達した。
塩商人であろう周人の立場が少々強かったくらいだが、周自体に上下支配を作れる力はなかった。

181 :
そして戦国といいつつ、これ事実上秦VS蘇の二大国VS北部連合の二国史ないし三国志だった

そしてこれ西安平原穀倉帯の秦は人口大国で古き王国
蘇は沿岸野蛮人で文化的に同時期のたいわん、フィリピン、大和のマレー系原住文化と告示しすぎてて、その類型と分かる
そして北部は周というのが最初から最後まで王らしいイニシアチブを発揮せず、バラバラの部落連合であり
「最初から周王の実態はなく周首長国だけがあった」ことを裏付けてる。

そして実質的に民族的には北部5雄と蘇の秦以外はすべて沿岸マレー系部族文化集団であり
西部の秦だけ唯一王国として違う歴史と文化を持ってる

そして秦はあの時代の技術水準でもっとも農地に適した穀倉帯で、たいして他の6国は農地以外の狩猟採集の比率が大きいから人口少なく、ただの集落的社会しか作れなかった。

だから基礎人口+農業科で秦が優位で農耕の延長で真っ先に王国システムを作り上げた。
そして全土を支配できた。

たいして他の国はまともな対策や連携とれなくて、所詮少数部族、首長国だったことを裏付ける。
そして後の中国は西安長安穀倉帯をベースに、長江沿岸→黄河沿岸に穀倉帯を発達させていく

これが今日の中華のルーツ

この古代史は憶測と創造加筆でかかれたしきなどを固着化して、考古学的検証全然できてないの。
そして考古学より共産党が優先して「ただただ古く作る」だけで、古いだけのつまらない作為で歪みまくってんのが古代史

182 :
ようは中華は
BC1000年中華は北部商周連合が華北にいてこれは25万の典型的な周大首長連合を作った

そして全土を探検して内陸塩交易を行って、内陸農業開発ができる産業地盤を作った。
周系は黄河流域、蘇のルーツ文化はおそらく周華北文化よりも古い文化として長江流域に塩交易を行った

しかしこの2つの文化は塩と漁業文化が中心の日本、台湾、フィリピンにもともとあるスタンダードなマレー系文化、集団の延長で農業大人口を要しなかった。

ところが塩交易が発達した時代、内陸西安でも農業拡大が(塩を買えるから)可能になり、ここに少数系としてBC2000年頃からルーツのあるインド系?インドシナ(ベトナムタイ系,?)らしき部族が
おそらく夏とされる雲南系?などの集団の延長としていついた。

そして塩が手に入ればせいあんは当時の鉄や銅じゃなく素手と木具中心の農耕開発で用意に農地拡大できたため大穀倉+大人工化を達して、農業社会型王政、王国を先に作れた。
その時系列は秦史どうりである

たいして他の戦国7国は塩交易と秦交易による農業収入(但し輸送しゅだんが限られるので輸入量は少ない)
沿岸漁業などの収入と、交易+狩猟採集があったことと、沿岸部、北部は当時の技術では農耕開発に適さない
ないし小規模の領域しか開発できないから、農業科+農業大人口化+農業大人口化に遅れた

それこそ銅器があろうと、中国の人口はBC1000年まで全土50-100万と周辺日本、インドシナ半島の総人口と大差ないくらい開拓されてなかった。
しかし秦は一国で大農業科+人工拡大をおこなって単独で100-200万の大人口集中圏を作った。
はたは単独で他6雄=日本=インドシナ半島級の人口を要した

これで真っ先に先進大国となってアジア古代王国としてのルーツを作る。いわば秦は始帝国にして、アジア初王国でもあった。

そして大農業+穀倉+人口+王国化を一方的に成し遂げたからこそ、ごく短期間で中原を征服した。
この局地的な農業集約社会、ないし王国が一方的に集落を征服するのは、東アジアに限らず世界史のスタンダードである

むしろ世界史のスタンダードからすれば、1王の征服が正しい歴史で複数王の相克パターンがマイナーな事例である。
よって秦のみ1強国、1大人口穀倉帯で自然的に覇者として勝利したというのが正しい歴史解釈

そもそも漢意向ですら人口と農業は秦にあたるせいあん、長安が中心、中間で、その沿線的に長江沿岸、黄河沿岸が発達する。
たいして北部や沿岸は少人工しか要さず発達が遅い
これはもともとその地域は農耕が不適切で穀倉帯、農業集約に適さないことの裏付け
すなわち「他6国は滅んだんじゃなく、最初から、半狩猟採集文化で農業発達せず人工は少なかっただけで、秦→漢以後も人口少なかった」ということである。

183 :


184 :
楚だねー

185 :
>>182
河東の岩塩にすら触れられん、駄文だなw

食貨志読んで出直せw

186 :
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187 :
どういしゆ

188 :
>>82
覇者はそうなんじゃね
征夷大将軍みたいだ

189 :
楚って元々殷のことなんだっけ

190 :
元が殷(商)は宋

191 :
楚は南方の異民族で野蛮人だから周王の権威とか知らんと言って王号を称した。

192 :
項羽と劉邦の国「楚」の驚くべきルーツ!ついに歴史文献が出土し、楚は長江の国では無かったことが明らかに!?

清華大学所蔵戦国竹簡「楚居」の研究を元に、「楚」はもともと南方一帯を指した蔑称であり、西周時代以前は一つの国家のことでは無かった。北方から南下した「商」(殷)集団(殷そのものでは無い)が、楚王の祖先だと考えられる。

193 :
西周から見て、イバラが生えてる未開の地が「楚」。
しかし、その楚は、長江流域に対しては「商」(殷)として接した。

194 :
楚」と、「殷」(商)「周」の関係

中間にある「上洛・商県」は、殷末の周から「楚」と呼ばれた(周で出土した周原甲骨文より)

しかし、西周時代の周は、漢水の南側を「楚」(イバラだらけの未開の地)と呼んでいる(西周の青銅器の銘文より)

だが、その頃、楚王の祖先は商県にいた!

195 :
殷末の周原甲骨に出てくる「楚」は、商県にいた「楚王室の祖先」を指している可能性がありますが、次の西周時代に討伐対象になった南方の「楚」は、たぶん別の国です。

196 :
従って「楚」は蔑称ですが、戦国時代の遺跡から出土した竹簡の歴史記録「楚居」には、楚王室の祖先が帝王切開で生まれ、殷の名医がイバラで母体を縫合したので、「楚」と呼ばれたという楚人の理解が記されていました。
この話も、これまで全く知られておらず、世紀の大発見でした。

197 :
そこで気になるのが、春秋戦国の「楚」の祖先集団が、殷周時代には「商」(弘農郡商県、上洛県)の地にいたと主張している『楚居』の記述なのです。
殷王盤庚(ばんこう)の孫娘と結婚し、「京宗」という理想的な土地で暮らしたという故事からすると、「楚」だと思っているものの正体は「殷」(商)だと

198 :
春秋時代の楚は、南方の蛮夷の勢力に対しては「中原の国家」(殷系勢力)として臨んでいたが、

中原の国家に対しては「蛮夷の勢力」(だが、周との深いつながりがあると主張)だとして、介入を受けないことを第一としていたように思います。

199 :
「楚」は、西周側がある方面の集団に対して用いた蔑称だとすると、途中で蔑称だった「楚」を自称に変える動きがあったと考えられ、
そうすると、西周時代の対外戦争に登場する「楚」と、春秋戦国の楚国の祖先は別の集団だった可能性も出てきそうですね。『楚居』の記述を肯定して、西周金文を尊重すると

200 :
片山晋呉ってすごい名前だよな
この時代を意識して付けられたんだろうか?

201 :
三国時代末「破竹の勢い」の故事からかもしれん

202 :
晋と呉ならそこもか
五代十国の後晋と呉はほとんど交わりないか

203 :
資治通鑑読んでるんだが戦国四君はけっこう辛辣な評価されてんだな。
とくに孟嘗君は斉ビン王と同じ評価って

204 :
平原君とか人間味があって好きだけどなあ

205 :
【天竜人だな、皇族″】 日本軍が敵国のアメリカから燃料を買っていた事実、なぜ教科書に載せない?
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1529288795/l50

天皇は、国民ではなく、国賊の象徴だろwww

206 :
俺だったらこっちを選ぶな
https://goo.gl/fjwkS3

207 :
>>204
わかる、エロ本の場所暴かれた中2の気分だわ

208 :
中国古代史を学びたかったが
良いのが東大とか早稲田と言われると何だかなあ

209 :
古代史は面白い

210 :
韓国の教授 「劉邦が漢をたてる以前三千年間、中国は韓国の一部だった」
http://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/news/1532351516/

211 :
西周と東周に分裂した頃について知りたい
(質問しても違うって言っても東周時代のこと言われる)
(幽王の時代じゃなくて戦国末期の頃が知りたいのに)

212 :
紀元前441年 31代 考王が弟の姫掲を河南に封じ西周の桓公とした。(西周公)
紀元前368年趙の成侯は韓とともに周を攻めて周を分割した。
この時西周公の末弟 公子班を東周公として封じて周の領土を削ったらしい。
この時の西周公が恵公で東周公も恵公なんでややこしい。
3分された周はますます弱体化した。最後の周王 赧王は自立を諦めて西周の
武公を頼って西周に遷都した。王都だった成周は東周のものになった。

213 :
>>203
司馬光の戦国期人物評は司馬は司馬でも司馬遷とかなりノリが違ってて面白いね、俺は結構好き。
一番好きなのは春秋戦国の著名人を軒並み無能&ゴミカス認定する韓非史観だがw

214 :
元々周本来の領土は大きくないってことなのかねえ
周の領土を削って作ったのは鄭ぐらいかね

215 :
???

216 :
東周は春秋時代の初期に
放棄した首都を取り返そうとかしなかったんだろうか

217 :
楚を滅亡寸前まで追い詰めた、伍子胥と孫武ってやっぱりすごいな

218 :
>>210
韓国朝鮮人て本当に世界一劣ってるよな 無知無能無礼無学

219 :
いつもの連投さん、ほとんど荒らしと化してるな〜
(好意的に見て)無理矢理中英版を盛り上げようとしていると考えても稚拙すぎる

220 :
>>216
宗周近辺が遊牧民の手に落ちていて、放棄せざるをえなかった
秦への切り取り次第委任という形にしたのは現実的な判断

周六師を支えた内諸侯も徐々に姿を消し、殷八師はそれよりも前に実体を無くしていただろう
晋/鄭の助力なくしては最早成り立たず、鄭の勢力削減にも失敗したから
もうお手上げ状態で、むしろ戦国末期までよく生き延びたものだ

221 :
内諸侯や○○師は多少齧ってる人じゃないと意味わからんよ
まあそもそも圧倒的資料不足故にまともな解説は不可能な質問だけどね

222 :
東周初期は平王派と携王派に別れて20年近く争い、
諸侯の加勢でやっと平王が王朝を再統一できたという有様
王朝内部の混乱による人材の喪失と組織の崩壊、
諸侯への褒賞や、敵味方による収奪が多数あったことは想像に難くない
それらの負債を払い終えた頃には、鄭のような大諸侯とはいえない国にすら敗北を喫している

東周初期の王朝の実力は既に並の諸侯程度、
宣王期ですら敗北続きの異民族に勝っての関中回復など夢物語だったろう

223 :
216氏は携王平定後の東周王朝が宗周王畿(関中)を取り返そうとしたか否かを聞いているのでは?
想像上の現実的判断云々ではなく

224 :
20年もやっていたのか
伯服に長男という意味の名前をつけているから他の子に愛情ないんだろうな

225 :
史料少なすぎて想像多めになるだろ

226 :
もちろんその通りだけど、想像の方向も見当違い気味ですし

また想像を支える資料が極めて貧弱なのでちょっとでも新発見があればすぐに覆ってしまう
夢物語に終わったとはいえ東周王朝には各方面の経略を試みた形跡がある
さっさと故地回復を諦めて放棄したと断定するのは危険だと思うよ

227 :
http://www.iobtg.com/C.Weihai.htm

228 :
諸侯の力を借りたとはいえ東周王朝を建ててある程度まで勢力は維持できた平王はなかなか凄いのではと思えてきた

229 :
父祖が励んでいたであろう王朝の中原支配が思わぬ形で功を奏したと言えるかも
なんとか王権が安定し得る空間が存在した?のはデカい

君主に気概があっても応仁の乱後の足利将軍みたく王城の地にヤバい奴しかいない状況ではどうにもならん

230 :
確かに凄いですよね
でもそのおかげで楚に呉とその呉を滅ぼした越を認識させ、後に越を攻め滅ぼして楚の領土が広がる事に…
その領土が広がり国力を増した楚の首都を陥落し二度も遷都させ、領土国力を半減させた白起もとんでもない
秦の統一って陶侯白起の頃に他国を削りまくったおかげなんですよね
始皇帝・王翦が美味しいとこをいただいただけな感じが…楚はすでに国力半減、韓魏は度々連合ごと白起に滅殺され韓は三晋時の領土を失い旧鄭のみ、魏も領土を削られ続け国力低下
趙は長平の大敗で兵力激減、斉は合従軍に滅亡寸前まで追い込まれた後遺症で弱体化、燕は楽毅を追い出し趙に負け続け
合従は陶侯時代の事で、実質燕以外の五国は陶侯白起に弱体化されていた
強国秦の基は商鞅の改革だけど、陶侯白起が五国を弱体化させてなければ後の王翦の活躍も始皇帝の統一もあり得なかったように思う

231 :
派手に勘違いしてんぞ
楚の平王ではなく周の平王の話ですよ

232 :
周の平王はいまいちどういう人格か見えてこないから語りづらいんだよな
鄭の荘公とのエピソードを見てると諸侯に気をつかってる苦労人なイメージがあるけど

233 :
そりゃ諸侯のおかげで王朝存続できたんだから

234 :
晋が分裂せずにそのまま大国として残ってたらどうなっていたんだろうか

235 :
ソ連が崩壊せずそのまま超大国として残ってたらどうなっていたんだろうか

236 :
結果的に晋は楚と休戦した事は失敗だったように思う
そのせいで覇者としてのアイデンティティを失ってしまった

237 :
よくある話で、外敵がいなくなったことで国内の権力闘争に専念してしまう

ただ楚としても呉の台頭でもはや晋と戦争している余裕がなくなったから
休戦は時代の流れだと思う

238 :
そこだけ見れば、和平を必要とするのは楚なので
名高い晋の卿大夫連中よりも、評判のよろしくない康王霊王平王期あたりの楚外交の方が仕事したことになるな

239 :
康王はそこまで評判悪くないんじゃない?

240 :
そこまで悪くないけど
最も有名なエピソードが評判最悪の二王と大差ない人物扱いのアレですので…

241 :
共王の方が仁徳者だけど
晋に敗れて覇権を失った共王よりも
晋と和平して南北覇者体制を作った康王の方が君主としては上かなと思う

242 :
いくつかの逸話から思い浮かぶ共王のイメージは弱い君主像だなぁ
君主らしい指導力を発揮しないまま退場した印象

情報欠乏ゆえ実際の優劣は皆目見当がつかないけれど

243 :
鄭の荘公って春秋期でも五指に入る戦上手?

244 :
戦績いいから戦上手、とは限らないし
タイムマシンで軍事活動全般をじっくり観察、比較検討してみないとわからんゾ
観察してもわからんかもしれんが

245 :
>>237弭兵の会盟により諸侯が和平を結んで対外戦争の回数は減少していくけど
代わりに各国で内乱が勃発するようになるからなぁ

246 :
その頃になると叔向と晏嬰が憂いてた様に、どの国も大臣が力持っちゃて内輪もめに
忙しくなってくんだもの
その叔向の羊舌氏だって後に祁氏共々臣下共に潰されて領地も勝手に山分けなんて結末

247 :
晏氏も瞬殺されたゾ
晏嬰の人徳が足りなんだか…

248 :
晋も斉も失望しました、七穆のファンになります

249 :
七穆となって鄭を専制支配するゲームやりたい

250 :
七穆が似たような名前ばっかで分けわからんようになったりする
宮城谷先生の「子産」もそこんとこ苦労した

251 :
似てるのは名前だけじゃないからな
世代は変わっても鄭の国内外の情勢はそこまで大きく変わらないから活動も似る

252 :
鄭は春秋時代後期から戦国時代初期にかけてどのように衰退して滅んで行ったのか良く分からんのだよな
韓に滅ぼされたのは分かるが

253 :
(よく分からん、、、加害者名のみ分かるって)それ他の国も一緒や!!!

ただ末期になっても韓に反攻する力はあったっぽいのでそこまで衰退していなかった可能性も考えられる
鄭地に居座ろうと押しかけてくる強敵がいたら春秋中頃の鄭でも防ぐのは難しいだろうし

254 :
春秋時代と違って助けてくれる晋もいないからなぁ

255 :
>>252
20年くらい前に、駟子陽の圧政とそれに続く駟氏の鄭君弑殺が起きたけど、それも一因なのかな

256 :
時期的に因果関係ゼロはないだろうけど
みんな大好き駟氏(子陽)と鄭君の実力や立ち位置が分からんのでなんとも言えないね

257 :
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258 :
うぜえ ハゲルサンチマンサル

259 :
子産の改革のおかげで鄭は寿命が延びたのだろうか

260 :
延びたかもしれん縮んだかもしれん大差なしかもしれん
鄭と改革の実態がわからない、検証不能ですわ

261 :
孟子て読んだことなかったけども読みやすくていいね面白いし
韓非子や荘子など3ページで挫折した身には心地よい

262 :
サイチョがなあ
妻をねどった君主なんか殺してもいいじゃんと
それにサイ氏は元々君主の兄の家柄なのに、、、

263 :
考王が弟の姫掲を河南に封じ西周の桓公とした。
なぜ?

孟子は綺麗事いう奴だからなあ
親は子を愛しているものだと思っていそう

264 :
戦国時代初期は史料が少ないのが残念だ

265 :
>>264
秦以外「気にするな、初期も中期も後期も晩期も壊滅的だ」

266 :
戦国時代の史料を見てると春秋時代は左伝があって本当に良かったなって思う

267 :
燕なんて何代か君主さえ不明って

268 :
魏とか趙とかはまだマシじゃないか。田斉や燕はひどいな。

269 :
そりゃ燕よりはマシだが五十歩百歩
魏も趙も偏りが激しく、盛られてる一時期以外はスカスカ

270 :
呉越の地ってもうほぼ楚?

271 :
戦国時代はほぼ楚に占領されてるんじゃない?
越は楚に滅ぼされたし

272 :
越は勾践の死後どう衰退していったのかイマイチ分からんのだよな

273 :
勾践生前すらよく分からんので・・・
つかホントに衰退したのか? これさえ定かではない

274 :
越は史料が少なすぎる

275 :
春秋の覇者に数えられる国だが
史料的には邪馬台国レベルやな

276 :
この時代 記録残す文化持ってたの魯とか一部の国だけで
それに関わってこない限り何も記録されないんやろな
邪馬台国もそんな感じだし

277 :
説話はそこそこあってもリアルタイムの実録っぽいのはごく僅か
まあ中華の宗家たる周王朝史がこのザマなんで仕方ないけれど

記録少なくとも中南米の文明や古墳時代の大和くらい重厚な遺跡が残存してたらまだマシなんだが
越王墓クラスの遺跡ですらそこまで資料出ないし厳しいな

278 :
軽く見積もって2200年以上前なんだから残存状況はまあなあ
それでも燕召王の槍が出てきて、召王の即位事情がようやく判明したりしてるしね

279 :
あれでかの戦国屈指の知名度を誇る故事は大きく崩壊してしまったが
即位事情判明ってのはちと気が早いような

280 :
ポンペイのように保存状態完璧な春秋戦国中原諸侯の都市遺構が丸ごと出てきたらどんなもんだろうな?
越じゃあまり期待できないかもしれないけど

281 :
基本、土城やからなぁ…

282 :
秦始皇帝って、エイ政だけど、趙で生まれたから趙政とも言われてる…みたいな説明をみかけるんだけど
秦の君主って初代からエイ姓趙氏じゃなかったっけ?

283 :
初代って襄公のことか?
秦襄公個人の氏を明示する資料は現状ないと思われ

284 :
普通に考えて最初に秦に封ぜられた非子が初代じゃないの?
非子は趙氏だって史記秦本紀に書いてたような

285 :
現代だと氏姓の区別が曖昧な上に、
当時は氏を割とカジュアルに変えちゃうせいで混乱しやすい奴だ……

286 :
初代襄公ってのもなかなか普通やで?

確かに西周時代の秦人も、趙城を与えられた造父と同じ姓趙氏になったと史記は主張していますね

287 :
史記秦本紀ざっと見たけど途中で氏を変えましたみたいな話は無い気がするけど
つまり全員趙氏でおkに思えるが
エイ政の代から趙氏になりました話には史料的ソースあるんかな

288 :
伝説によれば帝舜に仕えた伯翳または大費という者が鳥獣をよく馴らして褒められて舜から
エイ姓を賜ったのがエイ氏の始まりである。殷に代々仕えて紂王の時には蜚廉(飛廉)と悪来の
親子で仕えていた。蜚廉の下の子季勝の子孫から造父が出て趙氏の祖となった。造父は馬を
操るのが巧みで周の穆王の御者を務め寵愛されて趙城に封じられて趙氏となった。
それにあやかって同族は皆趙氏を名乗った。その少し後の孝王の時に季勝の子孫から非子が
出て孝王のために馬を飼い増やしたので孝王は非子を秦の地に封じてご先祖様の伯翳を
祀るように言った。そこで非子の子孫はエイ姓に戻して秦の地を治めた。

289 :
>>287
もちろん変えた話はないけど趙氏を称している例もないのでちと弱い

趙城封建と活動期間がかなり接近している非子は西犬丘に居住していたとあり
そもそも趙城の趙氏と秦の一族にどれだけの関係があるのか…

290 :
越は勾践の後8代位は続いたんだよね
最後の君主が斉に攻めこんだら斉の謀臣に「うちを攻めるより楚に攻めこんだ方が美味しいですよ」と言われ矛先を楚に変えたら返り討ちにあって滅亡したんだっけ
それで東は呉越の地から西は蜀までと楚史上最大の領土になった…が張儀におちょくられた懐王が秦に攻めこみ返り討ちにあい漢中を失い、司馬錯に蜀を奪われ、白起に首都の郢を陥落させられてあっという間に領土が半分以下に

291 :
楚の最盛期って領土だけ見たら戦国時代初期あたりなんだよな
他国への影響力考えたら春秋時代の荘王の時代なんだろうけど

292 :
清華簡とか見ると、戦国初期でも三晋はそれなりに結束して楚に対抗してる感あるな。

293 :
戦国時代初期が最大領土とな?
信頼できる世界地図とかある時代じゃないから確たることは言えないけれど、
ふつう懐王の頃、すなわち戦国中期が最大版図かと

294 :
楚って戦国時代はパッとしない。
改革出来ずに貴族が実権握ってたからかな?

295 :
家陳須無、陳無宇の次代から田乞、田恒呼びで良いのでょうか?

296 :
>>295
陳須無の前の家は誤りです。すみません。

297 :
特に拘りがなければ全員「田氏」で良いのでは?
田敬仲完世家は田氏で通していますよ。

298 :
元の陳があっさり春秋時代で滅んで
亡命公族が乗っ取った斉が大国になるのは皮肉なもんだな

299 :
フェニキア本国より植民都市カルタゴがブイブイ言わせてたようなもんか

300 :
小国陳と大国斉じゃね。

301 :
清華簡「繋年」23章に出てくる陳疾目って、田斉の人なの?

302 :
強く否定する材料はないかと

303 :
キングダムは李牧がいつまで経っても死なないな。

304 :
民明書房
李牧がリーボックの語源

305 :
李牧が粛清されなかったら趙はもう少し長生きできたのだろうか

306 :
そこから火葬戦記が始まれば長生きできるかもしれん
敗将になるか秦に降伏するルートに入って評価が下がる可能性のが高そうだが

307 :
紀元前403年から戦国時代というのは、晋の分裂云々よりも、韓・魏・趙の登場が理由なのかな
戦国七雄がみんな揃ったところで戦国時代っていうノリで

308 :
斉が臣下である田氏に乗っ取られたのと晋が臣下である韓・魏・趙のよって分割された事が
戦国時代の特徴である下克上の代表事例として時代の画期と位置付けられるから、この二つの
事件が出揃って戦国時代となる。その境目を何時にするかは諸説ある。もともとは「戦国策」という
書物で扱ってる時代という意味だった。「戦国策」は紀元前455年の晋陽の戦いから書き起こされているので
紀元前455年から戦国時代という説も当然ある。

309 :
なるほど 自分でも調べたけど
韓魏趙が封侯された=下剋上が公的に認められちゃたってのが
やっぱ歴史的には大事件なのかな

310 :
今言われている戦国時代ってのは紀元前大陸人の認識じゃないし
そもそも戦国元年とされることの多い403年、次点の455年は特に下剋上要素が強い事件とは言えないだろう

あえて言えば司馬光が理由

311 :
とりあえず本命403年、次点453年、大穴455年だろう。453年は晋から韓魏趙が独立した年。
俺は勘違いしてこの時に晋が滅んだと思ってたけど、そうじゃなかったようだ。
そして455年の晋陽の戦いは晋を牛耳る六卿の中から台頭して2卿を滅ぼし、田氏のように
君主の座を奪うかと思われた智伯が韓魏趙に逆に滅ぼされるという画期的な事件で確かに
下克上的な要素は無いんだけど実に戦国時代らしい一件である。

312 :
もちろん大きな事件であり画期的かもしれんけど
イケイケの尊大な世族が徒党を組んだ世族に逆襲され滅ぶって構図だけ見れば春秋みが強いと思わない?

晋の滅亡は戦国中期に入る頃、そこまでは行かんが田氏斉の冊封も結構時代が下るね

313 :
>>312
>構図だけ見れば春秋みが強いと思わない?
戦国後期に秦が強大化して1強6弱となった後に、弱国が合縦して秦に対抗したり
それに対して秦が連衡を働きかけて切り崩す様に似てると思いません?
つまり智伯が魏と韓を従えて連衡して腸を滅ぼそうとするところを、趙が「明日は我が身だぞ」と
合縦を働きかけて逆転したわけで。

314 :
あ、でも晋陽の戦いを戦国時代に含めたいわけではないです。

315 :
俺的にはどちらでも構わないのだが、智氏は強勢だったとはいえ戦国秦のような圧倒的存在ではないからな…
戦国とは言っても秦の限りない肥大化〜統一局面に入った戦国後期は統一帝国のプロトタイプ、似てるかと言うと?

316 :
あー、確かに1強6弱の時代まで下るとそうだわな。俺がイメージしてたのは恵文王の元で
張儀が活躍してた頃。ちょうどドラマで見たからでもあるんだけど。まだ義渠も巴蜀も秦に
威圧されつつも健在で、犀首が楚魏韓趙斉の5カ国を合縦させて秦を攻めると義渠王も
呼応して秦に攻め込む。そんな時代。

317 :
戦国の後半なんて力の差があり過ぎでしょ。
秦と他の6国組んだところで勝てたか疑問だし。
李牧や項燕が協力してどこも素直に従ったらもしかしたらでしょ。

318 :
>>316
なるほど
しかしその設定にしても一応晋というまとまりの中で内戦してた四氏の接近戦とは趣が異なるかと
基本的に国境付近の争奪に終始していてヤルかヤラれるかの緊迫感がない

あえて俺から挙げさせていただくと、戦国前期の魏氏継承戦争(今名付けた)が方がまだ似ていると思う三晋の争いだけに

319 :
晋が分裂していなければ・・・

320 :
あそこまで家臣が力持つと無理だろう。

321 :
晋武帝「やはり王族にしっかり力を与えて置くべきだな」

322 :
山本伸一の一行は、中州賓館に一泊することになり、宿舎に移った。

 突然の訪問にもかかわらず、中国人民対外友好協会の河南省分会の関係者が、熱烈歓迎
してくれた。

 夜には、食事を共にしながら、歓談のひとときがもたれた。

 伸一は、河南省分会の責任者に言った。

「雷雲のために、憧れの鄭州に泊まることができ、こうして新しい中国の友人と出会えま
した。雷雲に心からお礼を言わなければなりません」

 笑いが広がった。

 鄭州の人びととの、せっかくの出会いである。伸一は、この機会に、未来にわたる強い
友誼の絆を結ぼうと思った。

 それには胸襟を開き、どこまでも誠実と情熱を尽くし、魂と魂の触れ合う対話をするこ
とだ。

 語らいは弾み、河南省の文化や歴史について話に花が咲いた。そして、三国時代には、
中原は魏の国の曹操が制していたことから、話題は「三国志」に移っていった。

 伸一は語った。

「私の恩師である、創価学会の二代会長・戸田城聖先生は、『三国志』などを青年に読ま
せ、指導者論や人間学などを講義してくださった。

 その先生がお好きであったのが、蜀漢の名宰相・諸葛亮孔明の晩年をうたった、『星落
秋風五丈原』の歌でした。

 これは、日本を代表する詩人である土井晩翠の詩です。

 今日は訪中団の青年たちが、皆さんにこの歌を披露いたします」

 拍手が起こった。

 同行の青年たちが、立ち上がって歌い始めた。

323 :
昔のほうが、三國志とか水滸伝は今よりもっとメジャーだったんだよな

324 :
>>309
一応名目的には臣下のままで
少し前に知ったんだけど周王から諸侯に封じられてもまだ晋の官職に就いていたらしい

325 :
https://i.imgur.com/oKmFqe9.jpg

326 :
水滸伝の最後の方を読みたいのにどこもさらっと流してしまっている

327 :
>>298
秦末では国民が田氏以外の王を認めないレベル

328 :
中国の山西省(Shanxi)考古研究所はこのほど、周王朝の諸侯国、晋国(紀元前11世紀〜紀元前4世紀)末期の高位者が埋葬された大型墓の発掘成果を発表した。
考古学者は、同墓がこれまで同省で発掘された最大規模の東周時代の墓だと説明した上で、晋国末期の君主の夫人の墓との見方を示した。
https://www.afpbb.com/articles/-/3273338

329 :
晋は滅びかける時に晋の公室を守ろうとする忠臣はいなかったんだろうか

330 :
忠義は洗脳

331 :
いなかでたしいなくてよかった
これで漢民族は滅びた

332 :
姫姓が最高

333 :
晋は分裂しなかったら
秦じゃなくて晋が統一してたんじゃないだろうか

334 :
>>287
晋の六卿でも士から范に変えたり
陳から田中にとか
変えるというより正確には増えるというべきかもしれないけど

335 :
>>334
田中に草

336 :
陳氏と田氏の両方を名乗って秦末には田氏だけになってる

337 :
最大の庇護者である晋が分割滅亡したことで周の滅亡も決定的になったな

338 :
東周が生き残るにはどうすれば良かったんだろう

339 :
晋と斉を建国間もなくとりあえず成敗
魯ぐらいの国を増やして辺境の秦、楚、呉には早い段階で周から植民政策で中央集権体制を強くする
周礼を踏み外した国は全て潰して中央から代官送って直轄領化
基本的に徳川家康が幕府を開いたのちの政策と同じことをしないと五覇七雄みたいなものは必ず生まれ下克上で王朝が持たない

340 :
周の桓王がイキってた鄭の荘公を懲らしめようとしたら逆にボコかれて周の権威が落ちる結果になってしまったな
桓王が勝ってたらもう少し東周はマシな事になってたかも

341 :
>>338
富国強兵
天下布武」

342 :
 楚と呉には植民不可能だったと思うぞ、主に粟と米の関係で。
 そもそも周って典型的な農業系侵略国歌なんだよな、商周革命前後の記述見ると。

343 :
従った半分は遊牧民の氏族だけどね
これがトルコ系なんかどうなんか分からんけど北方を根拠地にする国はのちのシルクロード界隈の遊牧民やらを味方につけて中原に殴り込み多いよね

344 :
>>339
晋と斉を建国間もなくとりあえず成敗なんてできるわけないだろ
大義名分も無いし、そもそも味方の有力な諸侯なのにする必要が無い
特に斉なんて功臣太公望の国だぞ

345 :
しかしその斉に覇権を握られた
大義名分がなくても斉は覇権を握った
これが全て

346 :
斉は弱体化した周王朝に代わって異民族から周と諸侯を守るという大義名分があった
周王朝や諸侯の支持を得るために色々やってるからな桓公は
桓公と管仲の努力の結果、斉は正式に周王朝から覇者に認定されている
実質的には覇者だったけど名分は無かった鄭の荘公と斉の桓公では差がある

347 :2020/05/03
>>339
晋の初代君主は成王の弟
それを建国すぐに潰すとか意味不明だわ

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