TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
美文家と言えば誰?
【ライ麦】サリンジャー総合【グラース】
【似非右翼】石原慎太郎6【似非作家】
【記憶喪失した男の】文学板雑談スレ【貨幣論】
文学なんか読んでる大学生は就活で落とされる
文学板住人が言いそうなこと
コーマック・マッカーシー
「意識の流れ」って結局なんだったの?
『ドグラ・マグラ』夢野久作
マルセル・プルースト20

トマス・ハーディ2


1 :2010/09/14 〜 最終レス :2020/05/08
『帰郷』が気に入っている。入手困難な千城版を愛読している。
今、『遥か群衆を離れて』を角川文庫で読んでいるが、
『帰郷』や『日蔭者ジュード』よりやや落ちる。

2 :
わたしは『恋魂』とか『窮余の策』とかあまり有名でない作品が好きだな。

3 :
俺は日陰者ジュードが好き。
どうでもいいけど新しい名前欄きもいな。

4 :
映画『日蔭のふたり』のケイト・ウィンスレットのヘアヌードが良かった。

5 :
映画『テス』のナスターシャ・キンスキーの唇が官能的だった。

6 :
映画『遥か群衆を離れて』のジュリー・クリスティもなかなか良かったぞ。

7 :
千城のハーディ本って、刊行されていた当時、東京では新宿紀伊国屋か
神保町北沢書店にしか置いてなかった。なぜだろう。

8 :
「テス」と「遥か群集を離れて」はどちらの映画化も傑作と言っていいよね。
ヒロインは二人とも美しさの絶頂期にあり、脚本もカメラもともに素晴らしかった。
惜しむらくはクレア役の赤ら顔の男優がちょっと(笑)

9 :
あんた原作読んだの?

10 :
ああ、 テスはね。

11 :
『遥か群衆を離れて』も読めよ。

12 :
偉そうなやっちゃな(笑)
オレはテスを英語で読んで感動したし、そもそも英文学を熱愛しているけど、
「遥か〜」は必読小説リストのたぶん150番目くらいなんだから、
よっぽど気まぐれがおきないと近日中には無理だな。
リストのほとんどは英語小説でそれをほとんど英語で読む気なんだから、
そうさくさくとは片付かないのさ。

13 :
確かに翻訳で読んだ気になってる偉そうな輩がいるよな
英文学好きなら時間をかけてでも原書で読めよといいたい

14 :
翻訳で読む能力の無い奴は去れ

15 :
原書10冊読むなら同じ時間で翻訳100冊読んだ方がいい。

16 :
仮に読むスピードが10分の1だとしても、
読む価値のある原書は山ほどあるよ。
(それ以上遅いとなると、英語能力がちょっと・・ははは)
特に天才文筆家ほど、文体に魂がこもっているのだからね。
オースティン、ディケンズ、ウルフなどは、
翻訳では真価の半分も伝わらないのじゃないか?
ハーディの英語も美しいからなあ。


17 :
翻訳で読む能力の無い奴は去れ

18 :
バカばっかだ

19 :
ゴダールのモノクロ映画の中にパリの英語教室のシーンがあり、
授業のテキストがハーディなんだ。
で、先生が心をこめて、曰く、
「ハーディを読む、ただそのためだけにでも英語を学ぶ価値はあるのです」

20 :
最初読んだとき、作者は女だろう、と思った

21 :
ジョージ・エリオットか?嘘っぽいな。
それはさておいて、『帰郷』のユーステイシアって、魅了あるなあ。

22 :
魅力

23 :
やれやれから吾輩に変わってる。

24 :
おーい、もっとハーディを読んでくれ。レスが増えない。
『遥か群衆を離れて』読み終わったから、次は『緑の木陰』読もう。

25 :
『ダーバヴィル家のテス』はハーディの最高傑作というのが世評だが、
私見ではそれほどでもないと見る。テスのようないい女が人殺しを
するとは到底思えず、作者が無理やり悲劇に持っていこうとする
強引さを感じるのだ。物語に説得力があるかどうかは小説の
出来栄えにとって重要なファクターである。

26 :
それは人を死ぬほど愛したことがないからさ。

27 :
お前はあるのか?愛して、殺人までしたことが?
ないなら、偉そうにいうな!

28 :
どうした?
痛いところを突かれたのか?

29 :
Rほど愛したとは言ってない。
死ぬほど愛したことがある・・・・・と。死ぬほど。

30 :
>>テスのようないい女が人殺しをするとは到底思えず
ものすごく主観的な批評だねぇww。でも誰がいつどんな動機で殺人を犯すかなんて予測できないだろう?
確かにどんな小説でもプロットのある程度の破綻は免れないと思うけど、貴重な読書体験を作品の完成度だとか物語に説得力がどうとか悶々と悩んでないでさ、物語の内容にもっと目を向けるといいと思うよ。

31 :
『テス』は最後のスト−ンヘンジが出てくるところがいいですね。
なんだかんだと色々あった末の最後。
朝から一日中遊びまわって、宿に到着して、夕食前に宿の近くを散策しているような、心地よい疲労感が読む者を包む。

32 :
最後の逃避行のふたりの子供に帰ったような陶酔と無邪気さは、
あまりに甘く切なくて胸をかきむしられますね。
まさに文学的絶頂です。

33 :
作品の評価は常に主観的なものだ。それを軸に一見客観的な論拠を並べるのが
批評だ。テスが人をRのが納得できないと見るのは素直な批評だね。

34 :
しかし、世界公認の文学史上の傑作だからねえ・・

てかさ、自分の鈍感さをいつまでも自演でPRし続けなくたっていいじゃないか。
可笑しな奴だなあ(笑)

35 :
世界公認…(笑)公認されていれば、おのれの思考、感覚を停止する?
鈍感を通り越して、無能だ。

36 :
なんか泡吹きながら必死になってるヤツがいるぞ。

37 :
だいぶ釣れたからいいよ。

38 :
『テス』しか読んでない奴が多いんだろうな。

39 :
翻訳でしか読んでない奴が多いんだろうな。

40 :
原書厨よ、去れ

41 :
去ったようだな。

42 :
原書で読めない低能は去れ

43 :
おまえはどんな言語の本も原書で読めるのか?

44 :
他のスレでもあったけど、文学板の原書読者嫌いは異常だな

45 :
日本人の原書信仰も異常。
アメリカだと、翻訳で読んでいながらロシア文学者と名乗ったりする。

46 :
原書で読めることを自慢したいだけなのさ。陋劣だ。

47 :
半ページだけ読んで、偉そうに言われてもねえ

48 :
ある意味それは翻訳が盛んに行われておることの反動、とも取れるわけです(笑)おやはや(笑)

49 :
ハーディの翻訳全集が大阪の出版社から刊行中だな。
これまで未訳だった『微温の人』も刊行される予定。
高価だが、これで少しはハーディの読者が増えればいい。

50 :
>>49
おおおお、これは!!
ぐぐったけど凄いね。出版社の矜持を感じる。
ロシアのドブロリューホフの著作集みたいなのも出てるし、
何処かの出版社が翻訳者の早逝によって中断した
ジャン・パウル全集の刊行を引き継いでくれんかと思うなあ。

51 :
でも、どれくらい刷っているんだろう?
絶版になれば、稀覯本だな。

52 :
大学、図書館目当てなんだろうな。
倒産しないことを祈るばかりだ。

53 :
本当にこういう出版社は応援したいね。
ただ、ハーディ研究者は結構いても、読者が少ないよねえ。
このスレにもあまり人は来ないし。
俺はジョージ・エリオット、ハーディ、ロレンスという系譜で読んでいる。

54 :
なるほど。はーでぃはどうも暗いんだね、イメージが。
ちょうど、フランスでいうとゾラみたいな。
ロレンスは一時期かなり読んだから、はーでぃ、Gえりおっとと
追いかけてみようかな。英文としてはは−でぃは読みやすそうだね
どうだい?

55 :
重厚な文体だがね。
読んだら、感想を書きこんでよ。

56 :
ウェストポーリー探検記を小さい頃に読んだが面白かった

57 :
『帰郷』がいい。
ユーステイシアという気高きヒロインの愛と死。
ハーディ最高の悲劇だと思う。

58 :
昔読んだ。確かにあれはいい。

59 :
そうなのか。翻訳を手に入れたいものだな。

60 :
ちょっと前まで刊行されていた新潮の短編集絶版かよ。
確か「アリシアの日記」が入っていたな。

61 :
今、文庫の新本で買えるのは『テス』と『ジュード』くらいか。
ジョージ・エリオットも手に入らないし、イギリス文学は
日本では普及しないな。原書は別だぞ。翻訳で読む一般人
のことを言っているのだから。

62 :
『テス』って、そんなにいいか?『帰郷』の方がいいと思うが。

63 :
ハーディか。ひとつも読んでない。

64 :
ハーディ大好き

65 :
長編すべて読破した人いる?

66 :
さいたまのDJは日蔭者ジュードが理解できないらしいよw

67 :
どこが理解できないの?
結婚しない二人の生き方、価値観?

68 :
軽視する意図はないけど
ハーディは読みやすいよな
バッドエンドに着々と展開する
ストーリーが多いと言うことを
知っているのだからだろうか

69 :
『遥か群衆を離れて』はハッピーエンドだよ。

70 :
テスと短編集しか読んでないけど、
ハーディの英語はとてつもなく美しくかつリズミカルで
非常に読みやすかったよ。
が、20世紀の英語しか読んだことのない人が読んでも
易しいと感じるかは分らない。

71 :
『恋魂』を読もうかな。

72 :
それ知らない。

73 :
テスが良い
すごく良い
映画も良い

74 :
ナスターシャ・キンスキーは綺麗だけどいかんせん長すぎたような

75 :
長いけど全く退屈しないよ
地主に手篭めにされるあたりが俺的にはむしろクライマックスなんだがなw
つか映画は地主のがシブイケメンだった

76 :
誰が映画の話しろと言った?
小説の話をしろよ。
「日蔭のふたり」のケイト・ウィンスレットいいね。

77 :
>>76
お前は誰に言われてそのレスしてるんだよ

78 :
日陰のふたりはマムコ大写しが衝撃だった

79 :
毛しか見えなかったがな。

80 :
映画には恵まれている作家ではある。

81 :
「遥か群衆を離れて」の映画版も傑作クラスです。

82 :
そうだね。一応ビデオ持っている。ジュリー・クリスティのベストだね。
監督は「真夜中のカーボーイ」のジョン・シュレシンジャー。

83 :
ビデオ版も貴重だな。日本ではDVD化されてないだろ?
10年ほど前に渋谷か新宿のレンタル屋で見かけたが果たして今でもあるかな?

84 :
アーヴィングの‘オーウェンのための祈り’の中盤を読んでるが、
1960年にニューハンプシャーで10年生の主人公が宗教の授業で読まされる
ハーディの‘テス'と苦闘する話題が延々と続いている。
(他に「若い芸術家の肖像」「パワー・アンド・グローリー」「カラマーゾフの兄弟」
キルケゴール、カミュ、サルトルなどがテキストに使われたのだと)
国語の教師となった20年数年後の主人公曰く
‘カラマーゾフよりもテスは難しい。高校生には早すぎる’

85 :
>>81
『遥か群衆を離れて』
最高ですね。
個人的にはジュリー・クリスティーのベストは『ダーリング』だと思っていますが。

86 :
原作もなかなかいいぞ。読んだことある奴いる?
『帰郷』には劣るが。

87 :
ジュリー・クリスティのマイ・ベスト3は「ドクトル・ジバゴ」
「遥か群衆を離れて」「ギャンブラー」(順不同)かな。
原作はまだ読んでません。
いつか英語で読むつもりだけど・・
基本的によくないよね。
映画の後に原作を読むと・・
イマジネーションを阻害されてしまって。
「テス」はため息が出るほど素晴らしかった。

88 :
「赤い影」では彼女のヌードが拝めるゾ。
「テス」は1980年の劇場公開時に見て以来、いまだ見ていない。
ナスターシャ・キンスキーのベスト。「マリアの恋人」もいいが。

89 :
ナスターシャ・キンスキーなら、もっと若い頃、
「レッスンC」とか「今のままでいて」の頃のが目が飛び出るぐらい美少女だったよ。
特に「レッスンC」ね。

90 :
「テス」にため息、は原作の話だったが、
ナスターシャ・キンスキーの美しさもまったくため息ものだったね。
火照った表情の彼女のタラコ唇がたまらない、ほんとうに(笑)
「都会のアリス」や「今のままでいて」(マストロヤンニ主演のやつだよな?)では
未成熟の感じが強かったせいだろう、あまり印象に残っていない。

91 :
『都会のアリス』じゃなく、『パリ、テキサス』じゃね?
監督は同じだけど、間違い方が変…

92 :
それを言うならヴェンダースの『まわり道』だな。
『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』と続くロードムービー3部作の一つ。
どれも同じ俳優が主人公だから間違いやすいことは間違いやすい。
『都会のアリス』に出てくるあの女の子とは別人だな。
まあはっきり言って『まわり道』は見たけどグダグダな作品だったよ(笑)
中学生ぐらいのナスターシャ・キンスキーが出てくるけど、
『プリティ・ベビー』の時のブルック・シールズよろしく
上半身裸で男を誘うシーンがあったような気が。
とにかく彼女はこの作品で脱いでいるね。脱いでるといっても中学生みたいな裸のね

93 :
ああ、「まわり道」だったか。
小賢しげで無目的なおしゃべりがだらだらとつづくだけの
ドラマもハートも哲学もない映画だった記憶。
「パリス、テキサス」も思わせぶりなムードだけの意味不明な作品だった。
「テス」以外でまともなのは「ホテルニューハンプシャー」くらいだろ。

94 :
陰毛見せたのは「今のままでいて」だけか。

95 :
ナスターシャキンスキーって史上最高美女だよね
人類の歴史におけるトップ

96 :
ハーディの小説の場合『テス』ではなく、通常『ダーバヴィル家のテス』と表記する。

97 :
そんなの誰でも知ってる

98 :
>>96
都立図書館の蔵書を調べたら、『ダーバヴィル家のテス』よりも『テス』の方が圧倒的に多いのだが。
どちらが「通常」なのか?
テス ; / トマス・ハーディ‖著 / 筑摩書房 , 2004.7 ( ちくま文庫 )
ダーバビル家のテス / トマス・ハ-ディ‖[著] / 千城 , 1989.12
テス / ハ-ディ‖著 / 筑摩書房 , 1961 ( 世界名作全集 ; 第21 )
テス : 純潔な女性 / ハーディ‖著 / 平凡社 , 1963 ( 世界名作全集 ; 第58 )
テス / ハ-ディ‖著 / 筑摩書房 , 1961 ( 世界名作全集 ; 第21 )
テス ; / ハ-ディ‖著 / 岩波書店 , 1960 ( 岩波文庫 )
テス : 純潔な女性 ; 上巻 / トマス・ハ-ディ‖[著] / 三笠書房 , 1951
テス : 物語 / ハ-デイ‖著 / 新府書房 , 1946 ( 世界名作物語選書 )
テス / トマス・ハ-ディ‖著 / 新潮社 , 1929 ( 世界文学全集 ; 29 )

99 :
原題通りの表記が通常だよ。

100 :
悲劇を書く作家という印象がある。

101 :
>>99
『方法序説』ではなく、通常『理性を正しく導き、もろもろの知識の中に真理を探究するための方法序説』と表記する。
『ドン・キホーテ』ではなく、通常『英知あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』と表記する。
逆ではないか? 通常『方法序説』や『ドン・キホーテ』や『テス』と表記するのだろ。

102 :
そんなことどうでもいいよ。
もっと本質的なことを論じようぜ。

103 :
↑これが本質的なことなのか?

104 :
「テス」のキンスキーは素晴らしかったね

105 :
パリ・テキサスのキンスキーも良かったけどな

106 :
テス演じた頃のキンスキーが世界一の美女で間違いない

107 :
個人的には、今のままでいての頃が一番好きだわ ナスターシャ・・・

108 :
実はキム・ベイシンガーのようなちょっと下品な感じの女の方がそそられることを告白しておく

109 :
パリス・テキサスは映画自体がクソだから・・

「テス」は素晴らしいなあ・・
ああ、小説の話だけどね(笑)

110 :
あら、一番好きな映画っだわ、パリ・テキサスw

111 :
小説「テス」より映画「パリ、テキサス」を高く評価する。
ハーディは「帰郷」や「日陰者ジュード」が優れている。

112 :
パリス・テキサスって
もったいぶったムードがすべてのむちゃくちゃな映画だった記憶だけど。

息子を長い間面倒預かってもらっていた姉夫婦の元から息子を突然誘拐し、
風俗嬢に身を落とした元妻の元に押しかけ、
意味ありげに気取った言い訳をだらだらと垂れ流したあげくに
元妻の事情も聞かないまま問答無用に息子を押し付けて、
ヒーロー顔してまたトンズラするいかれたDV夫に
まさか感情移入できるとでもおっしゃるの?

113 :
イギリス文学は地味にエロかったりするな。フランス文学はエロをあまりにあっけらかんとし過ぎで面白みがないと。

114 :
>>112
ストーリーだけあげつらっても身も蓋もない。
映画はまず映像ありきだから。

115 :
あの映画は内容よりもライ・クーダーのギターを聴くもんだと思う
完全にスレ違いだけど

116 :
ペンギン廉価版(Popular Classics)の「遥か群衆を離れて」を200円でゲト。
へへへ♪

117 :
『恋魂』が面白い。

118 :
『遥か群衆を離れて』はやや冗漫なきらいがあるが、
ハーディ最初の秀作として残るものだね。

119 :
『森に住む人たち』Getしたぜ。

120 :
ルース・レンデルの何かの作品で登場人物が
ハーディーの「Trumpet Major」読んでた。

121 :
だから何?って感じか

122 :
テスを読んでいるのだが、当時のイギリスを知らないと読みづらい。
情景描写が多いが、現代の日本人からするとイマイチ連想しづらい。
映画版を先に見ようかしら。

123 :
まあキンスキーは綺麗だけれども

124 :
>>122
最後のストーンヘンジのところは、充分映像的。

125 :
テスを読み終えたけど、あとがきに話のテンポが悪いと書かれていて、なるほどと思ってしまった。

126 :
テスの処刑ってギロチンなのか?

127 :
「帰郷」いいぞ。
ぜひ読んでみてよ。

128 :
あげとく

129 :
トマス・ハーディ全集が出ているのを今さら知った。
日陰者ジュードとかテスは持っているから、全集を揃えるとなると重複してしまうなあ。

130 :
>>129
高いぞ。買えるか?

131 :
買えない金額でもないと思うけど。

132 :
『遥か群衆を離れて』角川文庫ゲット。300円なり。

133 :
いいなー

134 :
『帰郷』は新潮文庫はたまに見るけど、千城版はまず見たことないな。部数少ないんだな。

135 :
今どきハーディ読むヤシはおらんのか?

136 :
遥か群衆を離れて(ペンギン廉価版)を半年前に105円でげと。
早く読み始めたいけど読書リストの先約が山積みなので、うー・・

137 :
読書リストwwwwwww

138 :
あ、ゴメン
笑うつもりはなかった

139 :
読むつもりで手に入れた待機中の英語小説が100冊以上あるのでな。
なにか変ぢゃろうか?

140 :
そのとき読みたいのを読めばいいじゃん
本なんて、どうせ全部読めやしないんだから

141 :
俺は年頭にその年読むつもりの本を読む順にラインナップする。
ただし、ときどき別の読みたい本が現れるので、修正はする。
ハーディは数年後だな。

142 :
おれは手元で待機中の中からその時の気分で次の本を選ぶ。
それでも‘Far from..’は数ヵ月後だろな。

143 :
入手時期の順番を大いにすっ飛ばして、
「遥か群衆を離れて」のペーパーバックを読み始めたぜ。
感想は一ヶ月後かな。

144 :
>>143
鋭さはないけれど、まあまあの佳作だね。
シュレシンジャーの映画もなかなかいい。

145 :
シュレシンガー、だろjk。

146 :
>>145
いいや、シュレシンジャ―だ。
お前、当時のこと、知らない若造だろ?

147 :
すでに読んでる最中の人に、
聞かれてもいない個人的評価を押し付けるとか
どうなのかねえ、おっさん?

148 :
>>147
長幼の序に従いなさい。
匿名掲示板とはいえ、言葉遣いに気をつけろよ。

149 :
同名について‘シュレイジンガー’という発音例もあるけど、
映画監督は‘ジョン・シュレシンジャー’ですよ。
「遥か群衆を離れて」は素晴らしい映画だったねえ。
真夜中のカウボーイよりもドクドルジバゴよりも好きだな。

150 :
>148
匿名掲示板で年功序列を要求することのアホさ加減はひとまず措くとして、
君はいったいどういう理由から自分が他より年上だと決めつけているのかね?

151 :
>>150
俺がかなりの年寄りだからだよ。
君という表現もやめろ。あなたにしなさい。

152 :
>>151
無駄に歳だけ重ねたジジイはどうしようもねえなw
いい年してんだから2ちゃんは卒業しろw

153 :
>>152
品性下劣の若造は去れ。文学には向かんよ。

154 :
「文学」と「品性」に関連があると思ってる時点であんたの方が文学向いてないよ
子供っぽい文学観だよな
クソジジイは老醜を晒してないでまともな本読みな

155 :
かなりの年寄なのに一人称が「俺」で若者にムキになっている人も
若いのに(若いが故か)調子に乗っている人も
どっちもどっちだ。

156 :
若さに嫉妬してるかわいそうな老いぼれなのさ

157 :
お前もいつか老いぼれるの想像くらいしろや。

158 :
俺も歳は食うだろうが、こんなみっともない老人にはならない自信がある

159 :
その自信過剰ぶりがすでに危ないんだがww

160 :
自信過剰も何も、お前みたいな底辺の老人にまではさすがに落ちぶれないよ
ジジイは早く寝たら?w

161 :
ほら、年配にお前と言う人間にろくな奴はおらん。
どうせ、底辺をさまよっているフリーターだろう。
将来は生活保護の世話になるのかな。

162 :
老いては負うた子に教えられ、という言葉も知らないんだろうな
ま、こんなバカに負われた経験もないがな!

163 :
自信過剰、不遜、傲慢という言葉がよく似合う若造だな。
先は見えているな。

164 :
顔の見えない相手にお前呼ばわりされたくらいで、
頭から湯気出しちゃうようなナイーブなおっさんが、
そもそも2ちゃんにべったり張り付いてんじゃないよw

165 :
老い先短いジジイを煽るといちいち乗ってきて楽しいな

166 :
ホントに爺が書いてると思うアホ。

167 :
おっ、負け惜しみモードに入ってきたぞ
つかんこと聞くが、お前どこの大学出たの?

168 :
学歴厨はそれ用のスレがあるだろ、ボケ。

169 :
あ、おっさんの触れられたくないところに触っちゃった? メンゴメンゴ

170 :
ガブリエルがバスシーバの農場で働き始めるあたり、
かなり笑えてきたw

171 :
先が読める展開だよね。

172 :
読み終わったかな?
感想をどうぞ。

173 :
>>172
こいつがジジイ?

174 :
>>173
粘着してんのか?

175 :
カスだね、ハーディは低脳本、読む意味なし

176 :
>>175
じゃあ、このスレに二度とくるな、わかったな。

177 :
このスレ、今日、初めて読んだ。面白かったよ。

178 :
Age

179 :
ハーディとゾラは暗い雰囲気で好き

180 :
勉強になるスレですね
感謝です

181 :
「キャスターブリッジの市長」について何も書かれていない。
ハーディの4大傑作の一つなのに。

182 :
ついに唯一未訳だった『熱のない人』が刊行された!

183 :
>>181
じゃ何かお書きください
さあどーぞ

184 :
この人の小説って、読んでも苦行だよね。
読み終えたときには得られるものがあるが。

185 :
「遥か群衆を離れて」、上から目線の隣人のストーカーじみた求愛と
DV夫に長々とヒロインがいたぶられるくだりにいささかストレスを
こうむったが、晴れ晴れとしたハッピーエンドに終わり、
大変に喜ばしい。

186 :
>>185
原書で読んだの? 翻訳ならどれ?

187 :
>>181
"Maor of Casterbridge" のテレビ映画が二本もあり、一方は6時間、他方は3時間20分もある
本格的な大長編。両方とも YouTube上で見られるけど、すごくいいよ。お薦め。

188 :
>>187
小説の方を語れよ。読んでないの?

189 :
昔々に大学の一般教養の英語の授業でハーディをやった
本のタイトルがShooting The Erephant(s)?だったような
どなたかご存じありませんか?

190 :
>>189
ジョージ・オーウェルでは?

191 :
http://www.online-literature.com/orwell/887/
"Shooting an Elephant"
By George Orwell

192 :
小説は長いからなあ。

193 :
>>190,191
勘違いしていたようです
短編の一つ「蠅」とういのもやりました
後味が悪かったような・・・

194 :
トマス・ハーディ全集〈10〉キャスタブリッジの町長 [単行本]
トマス ハーディ (著), Thomas Hardy (原著), 鮎澤 乗光 (翻訳)
新訳って素晴らしいけど、430ページしかないこんな本が、一冊7,300円ほど。
しんなに高くする必要があるの?買う人がいるの?

195 :
>>194
図書館用だね。たとえ3000円にしても、たいして売れないのは見えている。
出版社は赤字を回避するために、1冊の値段を高くする必要がある。

196 :
個人で買う人なんてほとんど居ないだろうね。
将来、文庫本になる可能性はあるけど。

197 :
みんなは、ハーディーをどの版で読んでるの?
原書?もし翻訳なら、どの出版社のどれ?

198 :
>>197
いろいろな出版社のものを買い集めた。「テス」筑摩書房世界文学全集1970年版、「帰郷」「キャスターブリッジの市長」
「恋魂」「森に住む人たち」「らっぱ隊長」千城、「日蔭者ジュード」「緑の木陰」「月下の惨劇他」「古代土塁での逢引き他」岩波文庫、
「遙か群衆を離れて」角川文庫、「アリシアの日記他」新潮文庫、「窮余の策」学書房、「青い瞳」近代文芸社、以上14冊。

199 :
千城という出版社は今はなくなっているようだが、1990年代前半に新訳でほとんどのハーディの
作品を出版していた。ただ、部数は限られていたようで、今日古書として流通することはあまりない。
ここが出した「帰郷」や「恋魂」を持っている人は滅多にいないんじゃなかろうか。

200 :
はっきりいって世評高い「テス」なんかより「帰郷」のほうが遥かにすぐれていると思う。
ハーディ学者の大沢衛もそういう評価だ。大沢はこう書いている。「この作はエグドンヒースと
その篝火祭をバックとして、パリから荒野へ帰郷するクリムと、荒野からパリへ抜け出そうとする
異教の女ユーステイシアとの心情の対角線を描き、ギリシア悲劇を思わせる崇高感を打ち出す。」
まだ未読の人はぜひ手にとってみてほしい。

201 :
>>198-200
みなさん、すっ、すごい。さーすがあ。
「帰郷」も、ぜひ読んでみるよ。
数日前に注文してあるし。

202 :
原文で読んでる人、コメントをよろしくお願いします。

203 :
>>202
そんなコメント求めるなよ。原文厨がしたり顔で語りだすだけだ。
原文だろうと翻訳だろうと読書を楽しみ、作品をここで語り合えばいいだけだ。

204 :
僕はときどき英文で本を読むけど、したり顔で話をするつもりなんてないよ。
ハーディーの作品にはドーチェスター地方の方言がふんだんに出てきて、
そのリズムが面白いと思う。プロットももちろん素晴らしいけど、
文章のリズムを読み味わうには、方言が適度に出てくると、
すごく面白いんだよね。まだ原文に当たったことがない人は、
ネットで無料で読めるので、ぜひ拾い読みでいいから、やってみるといいよ。
ほんと、面白いから。

205 :
「男と女のいる舗道」だったか「離ればなれに」だったか、
60年代のゴダールのモノクロ映画の中にパリの英語教室の風景があり、
ハーディを教材に選んだ女教師曰く
「ハーディを読むためだけにでも英語を学ぶ価値が十分にある。
それほどハーディの文章は美しい」
そういうことだそうだ。

206 :
ハーディーを読んでると、ハーディーの物語の舞台であるドーチェスターに行きたくてたまらなくなるよね。

207 :
作品を語れる奴皆無だな。

208 :
>>206
たまらなくなって行ったんですか?
もし行かなかったんなら、たまらなくなくて結局たまったわけですよね?
たまったんですか?たまらなかったんですか?どうなんですか?

209 :
ハーディはイギリスの土着性を表現した貴重な作家だと思う。
その文章の風景描写と抒情性は傑出している。
さしずめ近代イギリス文学は、都市のディケンズ、田園のハーディといったところか。

210 :
>>201
高額の全集を買ったの?

211 :
再読しているのだが、ハーディの腕前は非常に高いね。
人物の造形、表現力、風景の描出、話の構造、構成力、全てが最高クラスだ。
近年の日本では、さほど読まれていないようで残念だ。

212 :
随分過疎っているね。
『遙か群衆を離れて』を誰かと語り合いたいな。

213 :
ハーディ全集が完成したら盛り上がるかな?

214 :
『キャスターブリッジの市長』を早く読まなければ。

215 :
テスみたいなメロドラマはすごい大好きなんだけど、ポランスキーの映画版が世間的に名作扱いなのがなんか納得いかないなあ
そりゃ画面は綺麗だけどさ、テスの内面が見えてこないよ。キンスキーがただぼーっと突っ立ってるように見える。アレクに襲われるところも合意があるように見えるし
何より致命的なのが、クレア役の男優がキモい…

216 :
>>164

217 :
アレクにRされるところがよかったよね

218 :
今はもう、愛していると言ってください、あたしの愛しい、愛しいあなた、愛すると言ってください、あたしがあの男を殺してしまったんですから!
テスがほとばしる思いをクレアにぶっちゃける名セリフ。泣かせる

219 :
>>212
『遙か群衆を離れて』の原文から自分なりに和訳し続けてる人がいるよ。
洋書を読んで英語の勉強 34
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/english/1382118369/
このスレの 831 から 1000 まで、それからまだ続くみたいだよ。どんなオッサンが訳してるのか
知んないけどね。翻訳の質はどうか知らんけど、まあ一回は見てみる価値があるかも。
そのあとのスレ
洋書を読んで英語の勉強 35
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/english/1385330096/l50

================
831 :名無しさん@英語勉強中:2013/11/21(木) 19:25:58.02
FAR FROM THE MADDING CROWD by Thomas Hardy, 1874
CHAPTER I   DESCRIPTION OF FARMER OAK ― AN INCIDENT  農民オークについて -- ある出来事
When Farmer Oak smiled,  農民のオークが微笑んだとき、
the corners of his mouth spread  口の角が横に広がって
till they were within an unimportant distance of his ears,
耳と耳とのあいだの重要でない間隔いっぱいに広がるまでになり、
his eyes were reduced to chinks, 目がただの割れ目になってしまい、
and diverging wrinkles appeared round them,  分岐した皺が目の周りに現れ、
extending upon his countenance like the rays in a rudimentary sketch of the rising sun.
日の出を拙く描いたスケッチの中の光線のように顔いっぱいに広がるのだった。

220 :
過疎っているような気もしますが、お礼を申しあげねば。
「日陰者ジュード」を読みました。
トマス・ハーディいいじゃないですか!
自分の知らない作家だったので、作品を読んでみてそのできのよさにビックリしました。直接的な関連はないと思いますが、カンスタブルの絵画を想起しました。

221 :
−オックスフォードに行き、学問で身を立てることを夢見る青年、ジュード。貧困と結婚生活の失敗によって何重にも挫折していく若者を赤裸々に描き、発表当時非難の限りをあびたこの作品を最後に、ハーディは筆を折った。−
(上巻背表紙より)
これを読むとわくわくしますね。実際、期待に違わぬ内容でした。サクサク読めて面白いですし、特に人物描写は素晴らしいなと思いました。
このスレのおかげでトマス・ハーディという作家の存在を知ることができました。ありがとうございました。

222 :
短編も面白いの多いよ。
ハーディは技巧が高いので、現代人でも楽しめる。
欧米圏では読まれてるんだけど、日本ではあまり人気が無いね。

223 :
トーマス・ハーディは詩人でもありますよ。

224 :
CHAPTER V --- DEPARTURE OF BATHSHEBA―A PASTORAL TRAGEDY
第5章 --- バッシーバの出発 -- のどかな悲劇(田舎の悲劇、牧歌的な悲劇?)
The news which one day reached Gabriel,
that Bathsheba Everdene had left the neighbourhood,
ある日ゲイブリエルは、バッシーバ・エヴァディーンが地域を出ていったと聞いたが、
had an influence upon him
which might have surprised any who never suspected
that the more emphatic the renunciation the less absolute its character.
きっぱりと放棄すればするほどその性質も絶対的になるのではないかと思ったこともない
人なら意外だと思うような影響が、彼に及んだ。

225 :
誤訳しました。
had an influence upon him
which might have surprised any who never suspected
that the more emphatic the renunciation the less absolute its character.
間違い: 
きっぱりと放棄すればするほど "その性質も絶対的に" なるのではないかと思ったこともない
人なら意外だと思うような影響が、彼に及んだ。
訂正後:
きっぱりと放棄すればするほど、"あとになって実はその決断が揺るぎやすく" なるのではないかと思ったこともない
人なら意外だと思うような影響が、彼に及んだ。

226 :
まったく、こんなクズ小説を読む馬鹿いるのかよ

227 :
能無しが読むのでは

228 :
退屈で無駄な小説ばかりなトマス・ハーディ

229 :
『カスターブリッジの市長』を読みましたが、後味は最悪です
ファーフレーってなんなのでしょうか
好意を寄せていたエリザベス・ジェインと最初に結婚していたら良かったのではないかと・・・
それをルセッタと結婚して、ルセッタの死後はジェインと結婚する
この行為がことごとく主人公をどん底に突き落としている
ファーフレー自身がその事を知らなかったとはいえ、しかし好感を持つことはできない
訳者が後書きでハーディは現代ではあまり人気がないと言っているが
それは現代の人が何もかも上手くいってる人間と性格に難があるとはいえ
その人が不幸のどん底に落ちて死んでいくという話に疑問を感じているからではなかろうか
個人的にはこのファーフレーという人物には全く交換を覚えなかった
彼に悪い所はないだろうし、立派な人間だと思うにも関わらず

230 :
『帰郷』と『遙か群衆を離れて』を読みたまえ。

231 :
「帰郷」は読んでみたいと思ってますが、つまるところハーディは暗い話が多いんでしょうかねえ。

232 :
秋と冬にはウェセックスのあちこちに冷え込みの厳しい地点があるが、〜から、ここでは、冬の最初のみぞれと雪は降ったまま根雪となって残り、春の霜は融けずに最後まで長く残るのだ。ここでジュードは、真っ向から吹きつける北東の雨風の中をいま歩いていた−まで
(日陰者ジュード 下巻P367)
いい文章だなーと思った。

233 :
>>232
その一節の原文を検索してみた。
There are cold spots up and down Wessex in autumn and winter weather;
but the coldest of all when a north or east wind is blowing is the
crest of the down by the Brown House, where the road to Alfredston
crosses the old Ridgeway. Here the first winter sleets and snows fall
and lie, and here the spring frost lingers last unthawed. Here in the
teeth of the north-east wind and rain Jude now pursued his way, wet
through, the necessary slowness of his walk from lack of his former
strength being insufficent to maintain his heat.
(Thomas Hardy, "Jude the Obscure", 1895, Project Gutenberg)
http://www.gutenberg.org/files/153/153-h/153-h.htm

234 :
Thomas Hardy による次の3本の長編
(1) "Far from the Madding Crowd" (1874)
(2) "Tess of the d'Urbervilles" (1891)
(3) "Jude the Obscure" (1895)
(1) を数か月前に読み始め、それを読み終わったあとに (2) を読み、そのあと
(3) を読み終わった。「古典」と呼ばれるものは、やはり現代のものと違って、
時間という風雪に耐え、それでもなおかつ忘れ去られることなく新たな感動を
呼び起こしているものなので、やはりすごいと思う。三つとも素晴らしい。
三作品とも一度ずつ通読したに過ぎないけど、何度も読み返し、一語一語をかみしめていきたい。

235 :
予定では、そろそろ全集が完結していたんだが。

236 :
日蔭者ジュードは、論文にするのが難しいと聞きました。
原文、邦訳突き合わせて読んでみて、共感するところが多いんだけど
いざ、何か書くとなるとどう評価してよいのかとこに焦点合わせるか
困るって。
皆さんはどう思いますか?

237 :
日本が斜陽の国になることが確実な今、改めてハーディの代表作を
読み返してみると、胸にせまるものがあります。
現在はハーディではなく、シランペー(シュランバ)の若くして逝く者の
英訳であるThe maid Siljaを読んでいます。
今後、日本文学は、彼らの遺したテーマで書いてほしいと思っているんですが・・・
シリアやテス、ジュードのような生涯を送る人間が多数でるでしょうから・・・・

238 :
論文を書きやすい作品かどうかについてはわからないけど、「日陰者ジュード」は
みんながひた隠しにしている本音をそのまま描いているという感じがする。
みんな、もっと明るく元気で、それなりに何かがうまくいっていると思い込んでるけど、
実際には人間はみな、あの作品の登場人物たち(特にジュードとその恋人である
スーと、「小さな時の翁(おきな)」(Little Time)と呼ばれている少年
みたいに考え、そして死んでいっているはずだと思う。仮に彼らみたいに
考えたり感じたりしてないとしても、それは鈍感でいい加減だからであって、
誠実に生きればみなああいう風になると思う。

239 :
テスは悲しすぎるね
三十年前に読んだけど

240 :
Tess とか Jude の物語が悲しすぎて堪えられないっていう人が多くて、
それゆえに Hardy がなかなか流行らないと聞くけど、なんでこの程度のことが
悲しいのかと僕などは思ってしまう。
いや、確かに悲しいことは悲しい。
でもこれは、現実の人生をそのままありのままに描いたものじゃないか。
確かに大多数の人の人生は、Tess や Jude ほどまでは悲しくないかもしれない。
でも、みんな適当に自分をだましながら生きているのであって、本当は
Tess とか Jude と同じ人生を生きているのだ。本当は、希望なんてものは
ありえないのだ。

241 :
今お笑いが流行るのもその悲しさを紛らすためだよ

242 :
Thomas Hardy の6つの代表的な長編を読んだ。
(1) Far from the Madding Crowd(狂った群衆を超えて)
(2) The Mayor of Casterbridge
(3) Tess of the d'Urbervilles(テス)
(4) Jude the Obscure(日陰者ジュード)
(5) The Woodlanders(森の住民)
(6) The Return of the Native(邦訳では「故郷への帰還」とでも訳すのかな?)
これらをまだ一回ずつしか読んでないけど、今のところ僕が一番好きなのは、(1) の
"Far from the Madding Crowd" かな?次は(4) の "Jude"。その他の作品は、
19世紀のイングランド南西部の Dorset 地方の風物や社会情勢を探るための
歴史資料みたいな気分で面白く読んだ。

243 :
『狂った群衆を離れて』『帰郷』の方がいい。

244 :
上に挙がっている6本の長編小説を見る限りでは、Hardy は確かに地味な感じがするんだけど、
19世紀のイングランドの田舎の労働者の生活やものの考え方や感じ方を見事に描いていて、そのころの
田舎の風物や社会情勢を活写してくれているので、辛抱強く読めば、いろいろと得られるものがある。
"The Woodlanders"(森の住民)も、きわめて地味な作品だと感じたけど、じんわりと漢方薬みたいに
味わえる作品だと思った。ドストエフスキーみたいに劇的なことは起こらない淡々とした物語が
続いて、最後には、それまでまるで目立たなかった地味な登場人物である Marty South という
18歳か19歳くらいの女の子が、若くして死んだ片思いの相手である Giles の墓で彼の
供養をする姿は、とてもよかった。

245 :
>>243
『遙か群衆を離れて』(Far from the Madding Crowd、1967)という名画がありました。
主人公はジュリー・クリスティ。
『帰郷』(The Return of the Native)は、(ジェーン・フォンダ主演の映画ではなく)
英国のTVドラマがNHKで放送されて、これもとても良かったですね。

246 :
映画「遙か群衆を離れて」はVHSを持っているよ。
ドラマ「帰郷」は未見。見てみたいね。最も好きなハーディ作品だから。

247 :
'far from the madding crowd'とは
「自分たちだけの静かな場所で」という意味の成句だぞ。
狂乱した群衆なぞ作品中にまったく出てこないから。

248 :
いいじゃないの。興味をそそる邦題だよ。

249 :
「ジュード良かったなー」なんて思い返すことがここ最近増えた。
ジュードはあんまり他人にお勧めすることもないけど、やっぱり自分、トマス・ハーディ好きですわ。
ですので「帰郷」と「テス」を購入してみました。
後々トライしたいと思っています。

250 :
>>249
原書購入?

251 :
ハーディかテスと短編集しか読んだことないな
本は揃えてあるんだが

252 :
いえ、自分の読解力では原書は無理です。ですので邦訳です。

253 :
気が滅入るほど暗いと思いますハーディは
はい

254 :
運命論者ハーディ

255 :
>>252
「帰郷」はどの頬訳? 高い全集?

256 :

邦訳

257 :
大沢衛訳の新潮文庫です

258 :
古本か。

259 :
全集を個人で集めている人はいないのかな?

260 :
https://www.youtube.com/watch?v=LGlvDb3h4WA&feature=youtu.be

261 :
「帰郷」は是非に新訳が欲しいところです
できればスタインベックの「怒りの葡萄」を手掛けた故・大久保康雄氏に御願いしたかった
自分は帰郷よりもジュードのほうが好きです

262 :
ハーディ全集の「帰郷」は新訳だ。高いけど。

263 :
藤井 繁という方が訳した「恋の魂」が出版されましたが、誰か読みました?

264 :
ハーディ読むぞ。とりあえずテス

265 :
テスはストーリーはワイドショーみたいだけど、厳しい労働環境の中で働くヒロインに泣ける。ラストも。

266 :
クレアってちいせぇ男だなあ
綺麗事並べる割に狭量で、貧困で追い詰められた嫁を救うこともできない
悪人だけどアレクのほうがマシに見えるわ

…と言いたいけど、初夜に過去のR&出産をカミングアウトされたらやっぱ男性は引いちゃうかな
ばか正直なテス、言わなきゃよかったのに

267 :
テスはすごい、テスはすごいよ。

あんなに強烈なカタルシスをもたらす恋愛小説が他にあるだろうか?

クライマックスの鮮烈さにかけてはジバゴや嵐が丘をすら超えているだろう!!

268 :
これほど低脳な作家が他にいるだろうか。否。これほど退屈な作品が他にあるだろうか。否。

269 :
ほんと、何も得るものがない!

270 :
「トリシュナ」って映画見た人います?
「テス」が原作で、舞台をインドに移しているらしいのだが。

271 :
>>270
見たことないけど、R大国インドが舞台じゃいかにもすぎますね。
今テスを再映画するならスカーレット・ヨハンソンあたりになるのかな

272 :
>>261
わたしは『怒りの葡萄』と『日はまた昇る』と『夜はやさい』の谷口陸男訳がとても好きだ。
この3作は谷口訳で読んだからこそ感銘を受けたんだと思う。
でも、谷口はイギリス文学には興味がなかったから、ハーディは訳す気なかっただろう。
わたしは小林清一・浅野萬里子共訳の『帰郷』を愛読している。

273 :

訂正『夜はやさし』

274 :
‘カスターブリッジ市長’もうすぐ読み終わるぞう。

テスにはそれでも救い(ご褒美)が訪れて、
読む者は劇的なカタルシスを味わえるけど・・
転落しつづける元市長ヘンチャードにも
最後に少しは慈愛の光が差すんだろうね?
このままさらなる奈落に落っこちておしまいなんてことは、
まさかないよな??

それにしてもライバルのファーフレーは、人格と相貌の魅力も含めて、
いささか幸運に恵まれ過ぎだろ、こんちくしょう。

275 :
だめだ
>>272の「夜はやさい」にツボった
>>273の訂正が入るまで気づかなかったのに
ヘルシー生活万歳のほっこり本みたいだ

276 :
‘The Mayor of Casterbridge’
275の時点で残り70p、元市長ヘンチャードが現市長ファーフレアを
(まんま文字通り、あはは)奈落に突き落とそうとする場面あたり。

ハーディはぜっったいにコテコテのサドだな・・
いや、むしろマゾかしら?


Whatever...
今日中に読み切ってしまおう、ネタばれ食らう前に。
That is, should anyone know the denouement...

277 :
中国で両親が出稼ぎ不在の間に子供四人が心中したニュースを見て
映画「日陰のふたり」を思い出しました
あれは「日陰者ジュード」に忠実なんでしょうか?
あんな幼い子供があんな発想するのかと思ったけど

あとケイト=ウィンスレットは薄幸のヒロイン死ぬほど似合わないから辞めて欲しかった

278 :
随分読んでないな。かつて千城から出た「恋魂」を読もうかな。

279 :
▓░█

280 :
age

281 :
age

282 :
誰か読んでないかな?

283 :
好きな作家だけど、今は何も読んでないな

284 :
楽天booksで全集の『帰郷』注文した

285 :
>>284
高価だけど、よく奮発したねえ。千城版の翻訳は今KINDLE版で安く読めるよ。
ところで、新潮文庫の短篇集が復刊されたね。なぜだろう?

286 :
>>285
『呪われた腕』ってやつですか?
それに岩波文庫からも短篇集出てたんですね
知らなかった(汗

287 :
>>261
そのひと、「風と共に去りぬ」の翻訳も手掛け
たね。優れた翻訳家と思う。

288 :
大久保康雄は下訳をかなり使っている。

289 :
『ロリータ』の訳も当初(河出版)は下訳を使って不評だった。
新潮文庫に入れる時、全面的に訳し直したから、特に問題なくなった。

290 :
Thomas Hardy が暗すぎるって言う人が多いみたいだな。僕にとっては、Hardy なんて
明るいくらいだ。Jude the Obscure (日陰者ジュード) なら少しは暗いけど、これでも
さほどではない。本当に絶望的な人間の状況を正直に描ききっているのは、Samuel Beckett
だと思う。そういう意味で、Beckett がいちばん好きなんだけど、なんせ読むのが苦しすぎる。
難しすぎるし、絶望的すぎる。

291 :
トマス・ハーディwwwwwww
時間の無駄w
どこを読むww
無意味ww
読む必要なしww

292 :
>>291
じゃあ、このスレに来なけりゃいいだろ

293 :
新潮の「む-6-3」って村上春樹の「む」なの?

294 :
「む-6-○」は村上柴田翻訳堂の「む」
村上春樹は「む-5-○」
である模様

295 :
「ハ」じゃないんだね・・・

296 :
ハーディの著作というより「村上柴田翻訳堂」という企画モノの作品という扱いにされちゃったんだろうね
村上柴田翻訳堂のはハーディ以外もみんな「む-6-○」だし
まぁ括りはさておき、復刊されただけ有り難いと思うしか

297 :
新潮「ありがたく思えよ」

298 :
身障者「村上と並べておけばバカなハルキストが買ってくれるにちがいない…」

299 :
ようやく300

300 :
身障者w

301 :
「キャスターブリッジの市長」
最後泣いた。

302 :
あれ困るよな
夜の果ての旅は「い」だ
でかい書店でもなかなか見つからなかったわけだ

303 :
え、翻訳家で探さなければいけないのか

304 :
ハーディ全集「遙か群衆を離れて」いまだ刊行されない。翻訳が難航しているのか。
この日本語訳はこれまで角川文庫と千城から出たのみだが、どちらの本も滅多に見つからない。
なかなか日本の読者には読まれない可哀そうな小説だ。最近イギリスで再映画化された。

305 :
天が裂けたとはこのことだろう。その稲妻のひらめきが、あまりにも珍しいものだったので、
二人は、なんともいえない危険性もしばらくは忘れてしまって、ただその壮麗さにみとれる
ばかりだった。ゲイブリエルは、てっきり目がつぶれたのだと思った。バスシーバのあたたかい腕が、
彼の手に握られたままふるえているのが、ひしひしと感ぜられる。それは今まで経験したこともないような、
胸のわくわくする感激だった。それにしても、恋も、命も、人間のすべてのいとなみも、怒り狂う大宇宙の
すぐそばでみると、なんてちっぽけな、つまらないものなのだろう。

「遙か群衆を離れて」

306 :
今年は『キャスターブリッジの市長』(千城出版)を読む。

307 :
『遙か群衆を離れて』角川文庫150円でGET

308 :
テス読み終わった

たいした量読んでいるわけじゃないけど、物語を書くということに関して、ナンバーワンだと思うんだよね

309 :
テス好きだよ
ピュアで愚かでいじらしくてたまらない
最後のストーンヘンジの夜明けとか舞台設定も上手いと思う

310 :
テスなんて高校時代以来だな

311 :
ハーディは『テス』だけの作家ではないよ。

312 :
テスだけって誰か言ってるか?

313 :
『テス』以外も語れよ。

314 :
まず自分が語れや

315 :
ある日

316 :
森の中

317 :
くまさんに

318 :
『森に住む人たち』という小説があるんだな。読んでる奴いるか? いないよなw

319 :
Thomas Hardy, OM (2 June 1840 - 11 January 1928)
Novels

The Poor Man and the Lady (1867)

Desperate Remedies (1871) 『窮余の策』
Under the Greenwood Tree (1872) 『緑の木蔭―和蘭派田園画』『緑樹の陰で』
A Pair of Blue Eyes (1873) 『青い眼』
Far from the Madding Crowd (1874) 『遥か群衆を離れて』『狂おしき群をはなれて』
The Hand of Ethelberta (1876) 『エセルバータの手』
The Return of the Native (1878) 『帰郷』

The Trumpet-Major (1880) 『ラッパ隊長』
A Laodicean (1881)
Two on a Tower (1882) 『塔上の二人』
The Mayor of Casterbridge (1886) 『カスターブリッジの市長』『キャスタブリッジの町長』
The Woodlanders (1887) 『森に住む人たち』

Tess of the d'Urbervilles (1891/92) 『テス』『ダーバヴィル家のテス』
Jude the Obscure (1895) 『日陰者ジュード』
The Well-Beloved (1897) 『恋魂』

320 :
いま刊行中のトマス・ハーディ全集(大阪教育図書)では、長編小説のタイトルは以下のようになっている。

@窮余の策 A緑樹の陰で B青い眼 Cはるか群衆を離れて Dエセルバータの手 E帰郷
Fラッパ隊長 G熱のない人 H塔上の二人 Iキャスタブリッジの町長 J森林地の人々 
Kダーバヴィル家のテス L日陰者ジュード M恋の霊

321 :
>>320
14作すべて読んだ人はどれだけいるだろう。
自分は11作所有、読んだのは4作のみ。

322 :
いよいよ『キャスターブリッジの市長』を読み始めた。
やはりハーディの堅牢な文体を読むと、充実した気分になる。

323 :
ハーディの5大傑作で、これまで文庫になっているのは、『遙か群衆を離れて』角川文庫、
『帰郷』新潮文庫、『ダーバヴィル家のテス』岩波文庫、『日陰者ジュード』岩波文庫・中公文庫で、
『キャスターブリッジの市長』だけ文庫化されていない。

324 :
「テス」はちくま文庫にもなったね

325 :
>>320
訂正
刊行時に翻訳者がタイトルを変えている。
B青い瞳 H塔の上の二人

326 :
『キャスターブリッジの市長』を藤井繁訳で読んでいるが、じつに読みやすい。
ハーディは叙情的な風景描写が傑出しているが、方言が多く、ごつごつしていて、
必ずしも読みやすくはない作家という認識だったが、こういう翻訳もあるんだな。
我が子と思っていたエリザベスの出生の秘密を主人公が知るくだりなどうまい。

327 :
>>323
おいおい、いい加減なこと書くなよ。
『カスターブリッヂの市長』宮島新三郎訳 前篇昭和9年8月 後篇昭和10年8月
世界名作文庫31,32のち春陽堂文庫1011,1012
『カスターブリッジの市長』上田和夫訳 昭和46年12月 潮文庫59
と2度も文庫化されている。

328 :
>>327
そうか。すまなかったね。でも、古本で見たことないな。

329 :
俺、大学時代、上田和夫教授の授業を受けていた
卒論も見てもらった
俺の中では結構誇りになっている
俺自身は勉強のできない馬鹿だったけどね

330 :
『キャスターブリッジの市長』読了。
入り組んだダイナミックな展開の物語で、重厚な感銘を受けた。
ただ、ルセッタとヘンチャードがあっけなく死んでしまうのがやや疑問。
人間はあんなに簡単に死ぬものではなかろう。

331 :
いい作家だと思う。

332 :
この人に不幸が訪れそうだけど
幸せになってくれないかな
あー、やっぱりダメだったかー
って感じでいつも読んでる
面白いよね、ハーディ

333 :
ハーディはなぜ悲劇ばかり書いたのか?

334 :
根が暗いからでしょ

335 :
狂乱の群れから離れて
帰郷
キャスターブリッジの市長
森に住む人たち
ダーバヴィル家のテス
日陰者ジュード

この6作くらいは常時文庫本で売っていてほしい

336 :
どれを読もうかな

337 :
「遥か群衆を離れて」の方が明らかに原題のニュアンスに即しているぞ。

338 :
>>337
ニュアンスというものは人によって受け取り方が違うものだ。

339 :
読中の心地よさ
オチを期待する様な読み方すると…

340 :
ちゃらりんなは

341 :
ハーディか忘れてた
読んでみるか

342 :
>>341
何を読むの? 『テス』?

343 :
>>342
帰郷

344 :
>>342キャスターブリッジの市長かな
ハーディは短編も長編も揃えてある
でもテスと新潮の短編集しか読んでないんだ

345 :
自分は次は何を読もうかな。
『恋魂』にしようか。『森に住む人たち』にしようか。

346 :
狂乱の群れから離れて

347 :
狂乱の貴公子リック・フレアーVS狂犬ディック・マードック

348 :
「狂乱の群れから離れて」
小説も映画(ジュリー・クリスティ主演)もとても好き
でも知っている人がぜんぜんいない

349 :
THOMAS HARDY FAR FROM THE MADDING CROWD

遙かに狂乱の群を離れて  宮島新三郎訳 春陽堂 1933年

遙か群衆を離れて  高畠文夫訳 角川書店 1969年

狂おしき群をはなれて  滝山季乃・橘智子訳 千城 1987年

これまで日本で出版された翻訳は以上3点だが、ネットでも滅多に見つからない
たとえ見つかっても6千円くらいするから、手が出ない
ハーディ全集から新訳が出ても、定価が高いから状況は変わらない

350 :
前スレ
http://love6.2ch.sc/test/read.cgi/book/1244452275/

351 :
>>349
面白そうな小説ですね

352 :
>>351
角川版と千城版を持っていますが、面白いですよ
農場を相続した若い女性が目の前に現れる3人の男性から結婚相手を選ぶ物語
ハーレクイン・ロマンスの嚆矢といっていいかもしれません

353 :
怒り狂う群衆のくだらない争いから遠くはなれて
酔わされることのない望みは惑うこともなく
隔離された冷ややかな谷間に生きているように
静謐な彼らの生きざまを保っていた
Far from the madding crowd's ignoble strife,
Their sober wishes never learned to stray;
Along the cool sequestered vale of life
They kept the noiseless tenor of their way.

少し読んでみて、文体や言い回しが気に入ったのでFar from the madding crowdに取り組んでみることにしました!
詳しい人たち色々教えてください!

354 :
シェイクスピアの引用(マクベス)などを見つける
これはまるで、メルヴィルのエイハブ船長ではないか!という(どうでもいい)箇所を見つける
書き出しも妙に映画的な描写で、アナクロニスムを楽しむ読書になりそうだ

タイトルといい、読者におもねった部分もあるようだけれど
男主人公の読書の偏りも、興味深い

355 :
ギリシャ悲劇や聖書からの引用も多いのがハーディ文学の特徴
文学から文学を織り紡ぐ正統派の創作法で、ナボコフも得意だね

356 :
順調に読み続けている
主人公はバトシェバ(ソロモン王の母で、ダビデによって夫を殺された人物)、彼女を支える男主人公はガブリエル(守護天使)
敵役はTroy(男性にはそこそこ誠実だけれど、女性に対してはクレタ人(Cretan)のように嘘をつく)
脇役中の脇役にカインという人物がいて、その名前の由来は文盲の母親がアベルに殺されたほうだと勘違いしたからという
バトシェバはその名前の由来は両親が死んでいるために知ることはない、と書かれる
19世紀の小説には変な名前の登場人物がたくさんいた、という一例だろう

“P-p-p-p-p-pl-pl-pl-pl-l-l-l-l-ease, ma’am, p-p-p-p-pl-pl-pl-pl-please, ma’am-please’m-please’m ??” “‘A’s a stammering man, mem,”
“Andrew Randle, here’s yours ? finish thanking me in a day or two.
会話の言い回しが面白いところもしばしば
Of love as a spectacle Bathsheba had a fair knowledge; but of love subjectively she knew nothing.
見世物としての愛についてはバトシェバはよく知っていた、けれど参加者としての愛についてはまったく知らなかった
実体験としての愛を少しずつ知っていく
地に足の着いた、身分もふさわしい求愛を「わたしはtameするような男が欲しい、あなたには無理でしょうけど」と断る
無骨な牧場主に戯れの匿名のバレンタインカードを送り、名前を突き止められて、外面のうちにこもる暗い情愛を知る
表面的で軽やかで技巧的な、求愛に接し、キスを知る
自分の中の、内面世界を嫉妬の感情とともに自覚する

357 :
随分先まで読み進めているんだな

358 :
今週中には読み終わりそうです
ガブリエル・オークという平凡な男は結構面白い

pastral tragedyという章タイトルが示すとおり、小説の最初の数章では、借金をしてうまく行きかけている牧場をつぶしてしまう
悲劇においても、彼はより強くなり、愛他的な態度を貫く
また、後の章とはまったく逆なことに、小屋を閉め切って寝込んでしまい、窒息しかけるところをバトシェバに助けられる
バトシェバの中の、虚栄心のうわべにそれを恥じる純朴な心があることを知る重要な場面で、富を得て虚栄心が肥大したかに見えても折に触れて実際的な地に足のついた能力を発揮してみせる
バトシェバは「新しい女主人mistress」でありながら自らの足で見回りをし、災害を防ぐ実際的な能力を繰り返し見せることになる
ガブリエルに見守られるだけの無能な主人ではない(しかし偏在する見守る目は、常にある)

ガブリエルはsound(健全な)、地に足の着いたと同時に星に興味を持つ(地面から天空に描写が移り変わる場面は非常によい)田園の男ではあるが、理想化されているわけではない
彼は「熱のない人」でもある・・・(登場の最初から、soundだけれど、の後にやたら見慣れない表現で辞書で調べた)
どうやらハーディの小説にはこの「熱のない人」という小説があるようで、次にはこの小説を読むことになりそう
lukewarmnessという単語、生ぬるさはwrongheadeadnessよりも悪いのだ!という激情から距離を置く人々、19世紀後半のイギリスにおける「熱のない人」たちはどういう人たちだったのか
そういう目で見ると、この小説にも重要な場面でそのような描写が繰り返されている
この点は、「熱のない人」を読んでからもう少し掘り下げて読んでみたい

359 :
>>358
ヒロインの名は、角川版ではバスシーバ、千城版ではバスシバと表記している

360 :
>>359
Bathshebaの英語圏の読み方ですね
According to the Hebrew Bible, "Bat Sheva," more commonly known by the anglicized name Bathsheba (/baθ??i?b?/ or /?baθ??b?/)
カイン・ボールという名前も英語読みではケインになっています
たとえばシェリーの解き放たれたプロメテウスとするか、プロメシュースとするか
バイロンの「カイン」をケインとするか、という問題です
19世紀のイギリスは、このように旧約聖書やギリシア神話などから名前を持ってくる傾向がありました
バトシェバという「名前の由来がよくわからない」、意味ありげな名前を強調するためにそう記載しました
実際に発音聞いてみると、映画版でもバットシェバと発音しています(これもわかりやすくするためだと思います)
細かいこだわりですみません

361 :
ハーディ14長編で唯一持っていないのが『熱のない人』
そのうち手に入れよう

362 :
「Far from the madding clouds」をほぼ読了
脇役だと思っていた従業員たちがとても脇役とはいえず、当初はかなり素通りしていた彼らの酔っ払っての会話がまさに「熱のない人」についての執拗な繰り返しであるという点から読み直している
“And there’s two religions going on in the nation now ? High Church and High Chapel. I’ll play fai; so I went to High Church in the morning, and High Chapel in the afternoon.”
高教会は良いとして、ハイ・チャペルとは何なのか?
最後のやたら印象に残るキーツの引用、バラの花が再び蕾に戻るように結婚式が行われる、その意味
酔っ払った従業員たちの会話は、それぞれがHigh Church、High Chapel、そしてどちらにも通う人、日曜日に通わないことをざんげする人、明確に書き分けられている
「熱のない人」ガブリエルはニケイア信条の説教をあくびをかみ殺し、今日の晩御飯の内容について考えるような人だ
he went to church, but yawned privately by the time the congregation reached the Nicene creed, and thought of what there would be for dinner when he meant to be listening to the sermon.

一瞬だけ出てくるThirdly Parson、牧師サードリーの発言も、そう読み直すと非常に含蓄がある

363 :
「熱のない人(ラオデキアの人)」も平行して読み始めた
読み始めてすぐに、22章のThe Great Barnのすばらしい描写につながる場面に出くわす
far nobler in design, because more wealthy in material, than nine-tenths of those in our modern churches.
「現代の」教会建築よりもはるかに古の建築家と現代の観察者の魂が一致している
この現代の建築とはHigh Churchのことであり、儀式典礼を厳かにし、洗礼の儀式も大仰なものとする流れにそったものだった
一方でHigh Chapel、俗人が説教し、どんな小さなことからでもうまく説教を作り上げてしまい、灰色と茶色を好む(酔っ払いたちの会話から)
325年のニケイア信条について説教するのは、「聖書の言葉しかしゃべらない」、High Churchのほうなのだろう
at High Church they pray singing, and worship all the colours of the rainbow;
and at High Chapel they pray preaching, and worship drab and whitewash only.
「非国教徒はやることが徹底していて、雨が降っても槍が降っても礼拝に行く。」
そして、どうやらバトシェバの方はHigh Chapelの信徒であるようだ
(ボールドウッドとトロイが少しあいまいで、これは読み直さなくてはならない)

ファニーの結婚式の章タイトルはAll Saints and All Souls(万聖と万霊)だが、そもそもなぜ紛らわしくSpiredな教会が立てられているのか
熱のない人ガブリエルの読書はバニヤンの「天路歴程」と「失楽園」を含む
ハーディが小説家の前に詩人であり、詩人の前に建築家であったことがこの二作には非常によく表れていると思う
象徴的な描写や音楽的な描写、詩的な描写や引用、また名前に秘められたほのめかしなど、書くべきことは多いけれど非常によい読書だった

364 :
ハーディ自身は、ラオデキアの人だったのだろう
しかし、「熱のない人」「微温のひと」「生ぬるい人」どう翻訳してもこの言葉の願意は逃げていく
まず第一にこの言葉は「ヨハネの黙示録」を引用した、非カトリック、非国教会への罵倒である

幼児洗礼は無効である、アナバプテスト(再洗礼派)にとっては成人洗礼を拒否する信徒は生ぬるい人ではない
しかし、幼児洗礼は有効である、と教えられ育ってきた人間が、土地になじむために成人洗礼を拒否したとき、それは生ぬるい人と呼ばれる
自分の信仰をかたくなに守る人間が「熱のない人」と呼ばれるのは皮肉な印象を受ける
むしろ、19世紀のイギリス宗教改革、ピューリタンは禁酒・禁欲運動に走り、国教会は典礼儀式に走るその熱情から離れている人である
ガブリエル・オークは聖餐台と酔っ払いの間にいる人であると表現されていた
カトリックの化体に反抗したはずが、聖餐台が復活している国教会とピューリタンが禁止する酒の快楽の間
登場はまるで国教徒が洗礼を拒んだ、という信念の人のようでありながら、実のところなぜ洗礼派教会で洗礼を受けようとしたのか?
Far From Madding Crowdsでは群集はおおらかに主要登場人物を取り囲み、共同体を形成しており、少なくとも好意的であった
A Laodiceanでは、ロンドンというウェセックスの外部が導入され、共同体に入り込んだ異物は束縛を受ける
血筋も、建物も、宗教も、接ぎ木をされており、その違和感が去ることはない
接ぎ木が成功?した体裁のFar From Madding Crowdsとは異なるが、オウクとバトシェバはハッピーエンドでないという意見は根強いようでもある

365 :
バスシーバとオークの結婚生活がどうなるかは確かに予断を許さない
バスシーバは主人、オークは使用人だったわけで、オークは気のいい働き者だが、
バスシーバの態度があまりに尊大であれば、オークはキレてしまうだろう

366 :
バスシーバという名前は、19世紀イギリスにおいてはダビデが湯浴みをのぞき見て、兵士を戦争に赴かせて妻とするという挿話を喚起したことは間違いない
ヴァージニア・ウルフの父親が、この小説を12回に分けて連載小説としたこと、作者の名前を匿名としたことは読解に面白い光を当てる
第一回の小説では、バスシーバの名前はじらされ続けた末に(私の名前を当てて御覧なさい、変な感じで好きではないのです)明かされる
この第一回ではオウクは二度にわたってバスシーバを覗き見る
彼女が手鏡で自分の顔を眺めているさま、馬の上で「女性がしないような体勢をとること」、深夜におばとの会話を盗み聞くところ
そもそもダビデは幼少の頃は羊飼いだった
ところが連載第一回が終わるときには、肉欲にまみれたオウクはすでに運命的な挫折を味わい、tenperanceの人として脱皮することになる
トマス・グレイの田園詩をタイトルにして、羊飼いと覗き見というヴィクトリア朝の聖書になじんだ引喩で婦人方をひきつけて、初回のラストでひっくり返す
この山場は連載小説という体裁から毎回周到に作られているという発見は楽しい
ここではバスシーバのイメージはダビデの不道徳さを暗示するが、一方で彼女はダビデの息子たちを調停しようとし、ソロモンを生んだ賢母というイメージもある

367 :
ハーディの青年時代にはアメリカで南北戦争があり、これはCivil Warと呼ばれるが、ハーディはイギリスのCivil War、日本で言う清教徒革命を書き続けた作家だ
ただし、彼は因果を書く作家ではなく、結果を書く作家であり、清教徒革命の結果を、異物が入り込んだ田園のそのどうしようもない結果を書いている
アメリカの当時の大統領はエイブラハム・リンカーンであり、その父方の祖母の名前はバスシーバという
リンカーン一族は、ハーディが対象にし続けた「パティキュラーバプティスト」であり、イギリス由来の追放されたピューリタンでもある
ウェセックス地方はロンドンから遠いゆえに、バプティストの砦となり、産業革命でロンドンから近くなって深入りを避ける「熱のない人」が生まれる
生まれにおいての洗礼を必須とする出自の非対称性を揺らがす、熱情から離れた平等主義で、リンカーンもまた超平等主義という熱情から離れたラオデキアの人
リンカーンとハーディが同一平面で浮かび上がる読書体験は貴重なもの

368 :
連載小説として捉えると、一度バトシェバのつがいとしての情熱を去勢させられたオウクの変わりにダビデの役割を果たす挿話が山場として次々に登場する
ボウルドウッドやトロイはまさにバトシェバのエピソードを反復・ほのめかしする者として現れる
トロイの出現する章は、雑誌に掲載された一回だけをまとめて読むと異常に濃密な、異質なテキストになっている
ハーディのほとんど全ての長編小説は、19世紀イギリスの月に一度連載小説が会員に配達されるという特殊な制度において発表されている
この特殊な制度は、さらにその後三巻本として発売されるというこれまた特殊な制度に引き継がれる
「悲惨な二巻」という言葉があるように、作者が読者の関心をひきつけようとする山場は明確に設定されているのがこの時代の小説
そのような観点から、ハーディの有名な小説を読み直すこともまた愉しい

369 :
A Lodicean全六部のうち第三部まで読み終えた
ポーラという主人公は例を見ないくらい複雑な人物造形がなされている
ただし、それは他人から見てのことで、「女とは・・・」「金持ちとは・・・」「ピューリタンとは・・・」という名指され方に迎合しないということでもある
オウクと違って、「名づけの圧力」から少し離れて超然としていられる特権は、ポーラにはない
オウクは熱情を外から眺めていればいいが、ポーラは男主人公たちの熱情をかわし続けなくてはならない
My not owning all may not have the dreadful meaning you think, and therefore it may not be really such a grievous thing.
There are genuine reasons for women’s conduct in these matters as well as for men’s, though it is sometimes supposed to be regulated entirely by caprice.
この言葉は、女性のすることがcapriceであることもあるが、男性のようにしっかりとした理由があることもある、と主張する
ポーラを「熱のない人」と説教する牧師、「中世の城にギリシアという異教はそぐわない」という「世論」、キスを要求する求愛者、・・・
彼らはオウクのように、見ることをしない、むしろ見るのは陰謀をめぐらす男である
言葉とは男性のもの、女性の心を表す言葉は存在しない、と漏らしたBathsivaをさらに強調するポーラは、何重にも名指されるべき属性を負わされている
Bathsivaの女中Liddyが貴族の末裔に生まれ変わったような人のよいスタンシー嬢のポーラ評は男たちの評価をあっさりと振り払うだけの強さがある
‘Is Miss Power a severe pietist, or precisian; or is she a compromising lady?’ he asked abruptly.
‘She is severe and uncompromising ? if you mean in her judgments on morals,’ said Charlotte, not quite hearing. The remark was peculiarly apposite,
属性の名づけによって理解しようとする兄を一蹴するこの場面はすばらしい
「熱のない人」でもなく、「静寂主義者」でも「典礼主義者でもなく」、道徳的な判断においては、妥協をしない人
まさに兄が聞きたいのは「道徳的な判断において」であり、その限りにしか答えず、しかも適切な評価を下す

370 :
外面において自由奔放な異物たるポーラ・パワーは、一見何でもすることのできる力(Miss Power ? Miss Steam?Power )を持っている
だからこそ、外から見た彼女は気まぐれとしか映らない
洗礼を考えぬくこともなく、建築について考え抜くこともなく、恋愛や結婚についてもきまぐれそのものと「見られている」
しかし、彼女の内面はさまざまな権力関係を考慮し、熟考した上で軽々しい言質を与えないという性質を持っている
confederateという、秘密を打ち明ける存在として主人公サマーセットは指名される
こうして「共謀者・協力者」という明確な名前を与えられることに主人公は歓喜する

‘And will you love me?’ Paula did not reply.
‘Will you, Paula?’ he repeated.
‘You may love me.’
‘But don’t you love me in return?’
‘I love you to love me.’
‘Won’t you say anything more explicit?’
‘I would rather not.’
バートルビーのI woud rather prefer not toを思わせる「それはしたくありません」
男たちはこれを「気まぐれ」と解釈する(Far from madding Crowdsでもjest、capriceは重要な場面で使われた)
‘To everything there is a season, and the season for this is not just now,’
But I am not the less of opinion that it is possible to be premature in some things; and to do this just now would be premature.
熱情、愛情を持っていない女性ではなく、彼女の顔色や胸bosomを「語り手は」繰り返し存分に描写する(登場人物たちは奇妙にそれに触れない)
時季、prematureを待つその知性はオウクだけが持つ特質だった

371 :
主人公はポーラから名づけられたい欲望と名づけたい欲望を、去勢されるがごとくポーラに制される
‘But how will they live happily together when she is a Dissenter, and a Radical, and a New-light, and a Neo?Greek, and a person of red blood
while Captain De Stancy is the reverse of them all!’
嫉妬に駆られではあれ、別の人物から蔑まれたポーラの属性を列挙してしまう主人公は、形容詞で表現することに満足できず、名詞でどうにか形容しようとする
それはポーラからすれば望ましくないはずなのだが

ポーラはこの小説でLaodecean「熱のない人」に始まってどのような名詞で呼ばれるか
developing into the ordinary gay woman of the world
世間一般の陽気な女性になってしまった、これの何が悪いのか?
people who show contempt for their Maker’s intentions by flippantly assuming other characters than those in which He created them?’
彼女は創造主の意図に逆らい、神が創造した性格と別の性格を身に着けようとする人間だ
さまざまな立場から言葉を投げつけられ続けるポーラは、その名づける人々自身を映し出す

窃視者であり、詐欺師confidence manである敵役は熱のない男として描写されていたが、突然熱に浮かされた男に変貌した
‘Captain, we are both warm, and punctilious on points of honour
大尉さんよ、俺たちは二人とも興奮していて、名誉の問題になると融通が利かない

この小説では、さまざまな人物が当初「熱のない人」として現れ、それが表面でしかないことを露呈していく
正体不明の男として登場した大尉、デア、エブネルに加えてサー・ウィリアムもその一員だ
breathing refrigerator「生きた冷蔵庫」と呼ばれる人物まで登場する
彼らが(本来の)熱のある人に変貌するさまは丹念に描写される

372 :
the ordinary gay woman
この言葉をポーラに投げつけたのは「ラオデキアの人」と名指し、目の前で成人洗礼を拒否された牧師である
この牧師は、中央の教会と、町の教会の二つの牧師を勤めており、町の教会を建てたのはジョン・パワー、ポーラの父親である
ジョンは大陸の鉄道の半分を建設した、という鉄道王であり、産業革命後のイギリス社会の階級を駆け上がった人である
そのような人たちにとって、没落する王党派貴族は紛れもなく対立する存在であった
ジョージ4世時代、貴族は王の趣味もあって愛人だらけの淫蕩があった
そこに、勃興する中流階級の倫理的リゴリズムが出現する契機があった
ジョン・パワーが実際にどうだったかはともかく、ピューリタニズム、欲望を節制し、婚外妊娠などもってのほか、そのような純潔主義を標榜した
既存階級への倫理的優越性としてのピューリタニズム、典礼儀式でなく自ら神に祈る者でなくては洗礼に意味などないというパティキュラー・バプティスト
これは逆に、幼児洗礼を受けても倫理的に堕落した人間は神に選ばれていない、とする二重予定説の信奉となる
その背後に、堕落した貴族/王党派への強烈な対抗意識は間違いなくあった
ジョン・パワーによって建設された教会の牧師は、実に素朴な清貧の家に住む好ましい人物でもある
華美装飾を嫌い、社交界で屈託なく王党派と交わるピューリタンの娘ポーラ・パワーを悲しんでいる
清貧の教会を作ったのは清貧の顔をした大富豪という矛盾は、カルヴァニズムの真実her oscillation from her family creed of Calvinistic truthに隠されている
このマックス・ウェーバーが指摘したカルヴァン主義の強調と資本主義の融合に、違和感を覚える人々は成功した中流階級にも広まっていた
神の名において蓄財は勤勉・抑圧において正当化されるが、勤勉・抑圧を隠れ蓑にして蓄財の手段としているのではないのか
19世紀における中世への興味、ゴシック・リヴァイヴァル、前ラファエル派、そしてイギリス・カトリックへの改宗の増加
ポーラはこのような文脈における、ラスキンやペイター、プルーストと直結する女性であり、彼らの間にいるしかない女性である

373 :
サマセットにとってポーラがDissenter, and a Radical, and a New-light, and a Neo-Greek, and a person of red bloodであることはひとつも障害にはなりえない
あえてポーラのネガティブとされる属性を数え上げるとしても、裏返せばサマセットはこのような新しい思想や古典趣味(ルネサンスやゴシック)を全て同時代として接しているし、さらにそのような様式は全て消え去るものだと考えている
he concluded that all styles were extinct, and with them all architecture as a living art.
彼とポーラの間にある障壁は収入格差と婚姻法の改革だけである

ポーラの人物造形において、サマセットの妙にほかの登場人物への屈託のなさ(ロマンスの登場人物のような単純さ)とは違う複雑さをハーディは苦労して書いている印象が強い
サマセットは夢中になったという書割を演じているようで、「熱のない人」として登場する人々は複雑な性格として現れたと思いきや、「熱のある人」になったとたんごく単純な予想のできる人物になってしまう
サー・ウィリアムは当初、成り上がりものと分け隔てなく付き合う奇妙な貴族としてシャーロットと並び高く評価されたはずだった
その熱があらわになるとき、彼の奇妙な寛容は説明されてしまい、なんとも言えぬ俗物じみて見えてしまう
真意の見えぬ「熱のない人」は仮面をはがされたとき、わかりやすさ・薄っぺらさを隠し切れない
しかしロマンスに回収できないような複雑な造形のなされた人々がいて、それこそ「ラオデキアの人」と名指す牧師、ポーラその人、そして素朴な貴族の末裔シャーロットなどには奇妙にひきつけられる描写が多いと思った

374 :
「熱のない人」を読み終えた
ハーディが自分の小説を三つに分けた中で、最後の分類、手法による独創性を描くとした小説‘Novels of Ingenuity’にあたる
読み進めながら、何度も出てくる単語が表象・代表representationだった
この小説は、提示presentationではなく、多様なアイデンティティが出現した19世紀において、複雑な背景・人格を持つ一人の女性のさまざまな表象representationをめぐる小説でもある
Far from Madding Crowdsにはrepresentationやその派生語はわずか5回ほどしか出てこないのに対し、この小説では実に40回以上も出てくる
このような指摘がされているか、見つけられなかったがおそらく他のハーディの小説と比べても、格段に使用頻度が高い(テスやジュードも10回以下)
ポーラの人物像を、さまざまな登場人物が「名詞によって名指す」が、それは登場人物に映ったポーラを彼らの視点から提示するということでもある
そして、representationはpresentationと異なり、利害によって歪められることもある
ラストまで読んで、もう一度representation再現前・表現・体現・象徴・言葉による解釈提示をめぐる小説として読み直した

例えば当時ひそかに流行し始めていた合成写真という手段が効果的に用いられる
写真とはpresentation、真実を映すものとしてのイメージがあり、サマーセットの写真を加工して酔っ払ったように見せ、サマセットの人物像を歪めることに成功する
写真が忠実な写し絵であり人物の模倣と信じる登場人物たちは、捏造された泥酔するサマセットという「像」を真実の人間像と錯覚する
それを知ったとき、そのさまはHe has been misrepresented!と表現される
提示と再提示の錯視・同一視を用いて、彼のイメージは不当に表現提示された
ハーディはこのmisrepresentationに抗おうとする人物が複雑な存在として登場する

375 :
投げつけられる「名詞による形容」に抗い続ける女として主人公を読んできたものにとって、このrepresentation全てにポーラ自身やその親友シャーロットが反論しているのに気づくことは、自明のことながら感慨深い
再現をテーマにし、同時にその再現の限界性、あえて言うならばバスシーバとボールドウッドの婚約がポーラとスタンシー大意の婚約に反復されざるを得ないことを示しており、「完全なハッピーエンド」を自認するには現実への洞察を投げ捨てない作中人物を作り上げている

この小説は、サマセットがポーラとの結婚をなしえたことで終わる、がどことなくすっきりとしないエンディングを持つ
それは全てをひっくり返すような最後のせりふがため息をつきながら言われるからでもあるが、この女主人公は実に多くため息をつく
‘And be a perfect representative of “the modern spirit”?’ she inquired
‘representing neither the senses and understanding, nor the heart and imagination, but what a finished writer calls “the imaginative reason”?’
サマセットがたどり着いた幸福な未来、それは二人で「近代精神の完璧な体現者representation」になること
「知覚と理解の体現者でもなく情緒と想像力の体現者でもなく、『想像的な理性』 の体現者になること」

最後まで、「representation」から離れられない未来の夫に対して、ため息を押し殺しながら放たれる言葉はまさにこの小説の本領発揮といっていい
But, George, I wish?’ And Paula repressed a sigh.‘Well?’
‘I wish my castle wasn’t burnt, and I wish you were a De Stancy!’
「今が今のようでなく、あなたがあなたでなければよかったのに!」こんなせりふで終わるハッピーエンドがありうるだろうか?
これはrepresentationに取り付かれたサマセット、あるいは「現代」への消極的な異議申し立てなのだ
この小説が書かれたのは1880年ごろで、女性についての小説の言語を変えたいという意識を持っていた
ロマンスや扇情的な犯罪のプロットではなく、このような言葉への意識に独自なものを感じさせるというか、少なくとも足掻いている作家と思う
三種類の小説のうち評判が悪いといわれる‘Novels of Ingenuity’の三作は近年再評価が進み、確かに興味深い
次はエーぜルバータの腕The Hand of Ethelbertaを読んで行きたい

376 :
同じ作者の小説を続けて読んでいると言い回しの類似や、こだわりに気づけて興味深い
「エセルバータの手」では「熱のない人」ほど頻繁ではないが、おそらくついで、representが出現する
‘And you think the verses may tend to misrepresent your character as a gay and rapturous one, when it is not?’
これは女主人公が書いた詩を、「みだらなもので、 gay and rapturousな人格であると、本当はそうでないのにmisrepresentする」という場面

377 :
主人公の名前はEthlbarta、19世紀になって出現した名前で、7世紀のケント王エゼルバルドに由来する
古英語では"noble bright"を意味する
the subtitle of a comedy to indicate, though not quite accurately, the aim of the performance.
行動の目的を、(必ずしも正確にではなく)指し示す喜劇という副題を持つ小説を、35年は時代に先駆けていたとハーディは語る

まさにそのとおりで、この小説もまたFar from madding Crowdでの「バレンタイン・カード」のように行動の目的は別の意味を持つ
Bathshevaにとってはjestにすぎなかった行為は、匿名を暴かれ、その後の彼女の生活を大きく変える
Ethelbartaにとっては、詩と詩人は別物である
It would be difficult to show that because I have written so called tender and gay verse, I feel tender and gay.
It is too often assumed that a person’s fancy is a person’s real mind.
ある人が楽しむことはその人が本当に考えていることを示しているわけではない
that’s the world’s fault, not mine.
愛情のある陽気な韻文がもてはやされることは詩の特性であり、作者が浮気な、gayな人とみなされるのは世界に責任があるのであると言い放つ

しかし、a detached bride than a widowとして引き取ってくれた恩人であるLady Petherwinにとっては譲れない
夫を亡くしてその母と同居するということは、 an avowal that you rejected the idea of being a widow to prolong the idea of being a wife
未亡人でなく、妻(嫁)としてあり続けることを宣言したのであり、結婚生活が数ヶ月で、死別して4年経っていることは言い訳にならない
ナオミとルツをめぐる「原則と忠誠」は、Ethelbartaにとってはhumour(人文主義もしくは人間主義)に関わる「程度」の問題である
同時代のニーチェを思わせる言葉が二人の対立点を浮き彫りにする
don’t be so unreasonable as to blame a live person for living!

378 :
Bathshevaの忘れられない、よく引用される言葉に、
It is difficult for a woman to define her feelings in language which is chiefly made by men to express theirs.
この類の言葉をハーディは書き付ける
「女についての格言」を漏らしてしまうような妹に対して、それは男の作った格言であって、自分のcircumstanceの表現を作ることができない非才の暴露に過ぎないとEthelbertaは言う
既成の「論理」は既に作られており、そのような類型・紋切型によって言葉は流通する
しかしその流通は交流ではなく、生きた人間を縛るもの
Bathsheba、Paula、Ethelbertaは順序だてて、論理的に問い詰められる
アイデンティティを押し付けられる彼女たちは、しかしそれは論理の暴走であることに立ち止まろうとする
jest、capriceであった動機を、より重大なものとして捏造しようとする「あなたは私を好きなのですか?それとも尊敬しているのですか?」に答えないBathsheva
詩風に基づき、詩の論理・定型において生み出した詩を別のコンテキストにおいて解釈し、意図を捏造されることに抵抗するEtheberta
戯れに署名もなく「marry me」とバレンタインに贈ったことを、真性の愛の告白、あるいは挑発として認識する
陽気な匿名の詩集を出版したことを、亡くなった夫への不貞を「意味する」と名指される
その認識は「男の作った」ことばによる論理では訂正不能であり、説得不可能である
Lady Petherwinも女性ではあるが、二者択一をつきつけるその論理はBoldwoodの奇妙な二者択一に酷似している
たとえばそこにはピューリタニズム、旧約聖書におけるナオミとルツをそのまま現代に適用させる枠組みがあって、そのような枠組み思考が崩壊していく時代にハーディは生きていた
同時に、崩壊に対して共同体が分裂し、枠組みを純化・極端化へ推し進めようとする時代でもあったようだ

379 :
ウィリアム・モリスが建築学会の一員であった頃、彼は古建造物保護活動家でもあった
「微温の人」は古城を修復するか、保護するか、維持するか、修理するか、補強するか
のRestorationとProtection、Repair、Preservation、remodeling、rebuilding
これらの単語は、建築思想が異なる
英国国教会、聖公会とピューリタン教会の設計思想の違いはここでも顔を出す

「微温の人」では上記の単語は明確に区別して使用されている
この城はprotectするべきかrepairするべきかrestoreするべきか
そこにおいて、サマセットの設計図が「ある思想のrepresentationとなっている」という言葉の意味が判る
対立する建築家の案は、ポーラやサマセットの一貫性、思想が欠けており、repair以上のことができない
何よりも、その建築家が新聞に出したポーラへの批判は、「Restoration or Demolition?」であり、これは1870年代にイギリス中で始まった教会堂修復へのモリスの抗議文にある言葉なのだ
「古建造物保護協会」はprotectionを目的としてrestorationに反対するものであり、モリスは「削り取り反対運動」と呼んだ

380 :
城壁の設計図はひとつの思想をrepresentしている、と繰り返しかかれている
それはmodernism, eclecticism, new aristocracies, everything, in short, that Paula representedとポーラが体現するとされているものと同じである
建築物もまた、ある精神の具現化であり、それはポーラが何らかの時代精神の具現化・象徴として扱われることと等価である
ド・スタンシー家の先祖の肖像画が血統をrepresentし、その三人の末裔が肖像と同じrepresentをし、大尉が肖像画にあわせて甲冑をかぶってみせるさまもrepresentである
サマセットも建築物がなんらかの思想の表現であるとする時代の空気を味わった人である(ラスキンの建築の七灯を読まなかったはずがない)
だがそこには、建築は実用性を映すという思想があり、オウクのGreat Bahnでもらした感慨と同じく構造が実用と一致を目指す
rebuilding、repair、電報のための専用の電信ケーブルがスタンシー城に入り込むさま
英国国教会は、典礼のための華美な実用性を持った改修を実行するが、モリスはそれに反対する
教会堂は国教会が成立するはるか前の物でありながら、所有権は全て国教会に所属する(それがヘンリー八世の改革)

ポーラは財産・産業革命のrepresentationであり、スタンシー家は貴族の血統の具現化であり、両者の結婚は和解の象徴
marrying this girl, who represents both intellect and wealth, in fact, except the historical prestige that you represent.
この知性と富を同時に体現する、ただし彼の体現する歴史的な特権だけ持たない女性との結婚
from a representative of the new aristocracy of internationality to a representative of the old aristocracy of exclusiveness
新しい時代の、国家をまたにかける貴族制から包括的な古の貴族制のrepresentationへ

例えばサマセットがポーラに対して
‘You represent science rather than art, perhaps.’‘How?’ she asked, glancing up under her hat.
‘I mean,’ replied Somerset, ‘that you represent the march of mind, the steamship, and the railway, and the thoughts that shake mankind.’
貴方は芸術というより科学を「体現」されておられる、というのは、蒸気機関の精神を体現している、それから鉄道、人類を動かさせる思想を

381 :
繰り返されるrepresentの洪水は表象がテーマになる20世紀後半よりもはるかに先立っている
建築物があるがままでなく、象徴としての意味を持つ、その持たされた意味によって表象の受け手に影響を与える
あるrepresentationを与えられた時の受け手の反応に注目する必要がある

洗礼とはそもそも象徴であり、概念の実体化というabstractionの間逆の行為である
それは概念を受け入れることであって、同じ洗礼であっても概念の表象が変わったとき、異なる意味を持つ
その変化した意味を、昔と変わらない同一の意味として扱う人間には、変化した意味を受け入れることに躊躇する受け手が理解できない
時代・宗教・性別・階級・教養によって異なるこの受け手の反応がハーディの重要な特質だと思う

情景と要約が小説に取り入れられることで、またその二つの様式が移り変わることでリズムを形成する
「微温の人」の(病に倒れ口述筆記にうつる前の)前半部は、アリストテレスの三一致の法則を適用した痕跡がある
熱のない人の第一部は半月の出来事のうち、章ごとにきれいに一日が始まって終わるまでを情景として描き、要約はごく一部にとどまる

サマセットはまず人格を要約されて小説舞台に登場し、ポーラは部分部分に分かたれて情景をもって描写される
オウクもまた、人格の要約からプロットが始まり、情景としてのバスシーバの積み重ねが物語を作る
サマセットやオウクの人格提示はやはり重要で、焦点人物として特権的でありながら小説の主人公とは少し言いがたい

登場人物の情景によって積み重ねられる物語は要約に抵抗する
登場人物同士の対話、その対話の際の「聞き手」の反応という異物に注意しなくては失われるものがある
Hardy wished to be remembered as ‘a man who used to notice such things’
たとえばrepresentという言葉が繰り返されること、ポーラが「頬が赤らむ」「ため息を押しR」という本当は受け手に読み取られていない反応を書き付けること
対話が同じ言葉をめぐってなされているようで、実際にはそうでない齟齬が生じる情景の提示がすばらしい

382 :
エセルバータは洗礼名で、その洗礼名の由来となった人物はこの小説にはかかわりがない、とされる
その人物は貴族であった、という見過ごされそうな要約は実は重要ま、小説にかかわらないといいながら読解において面白い意味を持つ
名前をつけたのは誰か?エセルバータの両親であり、「貴族の執事」という使用人階級の父親だろう
エセルバータの姉妹、ピコティやコーネリア、ソルといった名前はやはり異質な名前で、言ってしまえばキリスト教伝来前のアングロサクソンにさかのぼる名前だ
そのような、新しい名前をつける主人に仕える父親だからこそ、エセルバータはガヴァネスとなるだけの教養を身につけるべく教育を受ける
しかし、ガヴァネスという女教師は「教養のある女性」とは異なる意味をもつ

19世紀イギリスでは女教師とは特殊な立ち位置にあった
Bathshevaはもう少しでガヴァネスになるところだった、と不自然に登場すぐにおばの発言が出ていたし、トロイは貴族の落としダネであるが、その母親はフランス人のガヴァネスだった
おばは、ガヴァネスになるかもしれなかったBathshevaを、明らかにオウクには「本来」つりあわない人間だと見ているが、結婚してはいけないほどにつりあわない人間とも見ていない
オウクを断るBathshevaの理由は「もっとお金のある女性を」だった

383 :
この時代のガヴァネスの定義は、「父親が裕福で、淑女としての教育をしたけれども破産してお金がなく、お金がないことを除けば淑女と何も変わらない女性」である
だからこそ、お金のある淑女の子女を教育し、しつけることができるが、「屋敷の客人でもなく、使用人でもなく、友人でもない」という立場の人間である
ジェイン・エアは終盤で親族の遺産が転がり込んでくるまでは破産した牧師の娘であり、繰り返し「ガヴァネス」の罵倒を浴びる存在だった
そこで身分の違い、性別の違いは「感じる力」において無意味であるというジェイン・エアは確かに危険な小説だった
なによりも、ジェインは「美しくもない」、ガヴァネスという零落した淑女が「女の魅力」によって有産階級と結婚するというガヴァネス小説を裏切っている

ヘンリー・ジェイムズの「ねじのひとまわし」には、雇い主に魅了されたガヴァネスが登場するが、この主人公は「女性という、男性に劣った性」と平然と言い放つ
身分違いである、にも関わらず、この裕福でハンサムな雇い主への熱情を無視して狂気をはらんだ(かに見える)幽霊譚は成立し得ない

エセルバータは登場するやいなや、ジェイン・エアの「ガヴァネスにおける結婚の葛藤」を大急ぎで片付け、ジェインが好都合にも遺産を相続して立派なレディとなる、その後から小説が始まる
そもそも、エセルバータは優秀な成績で教育を終え、ガヴァネスとして屋敷に入り込み、その未成年の息子と結婚する(ついでに三角関係も小説開始の前に済ませている)
しかし、彼女が教育していたはずの「子女」は消えてしまう
もし彼女たちが家を出ないなら、エセルバータは「レディ・ペザウィン」という使用人の娘という立場を隠した「レディ」になり、財産すら分け与えられる存在にはなれない
レディは養われるものであり、養うのはその夫なのだから
エセルバータがhand、自らの筆によって金を稼ぐという「レディ」にあらざる行為を徹底的に咎められる背景には、レディとは「自ら金を稼ぐ」という悪徳から離れた階級規定も存在する
エセルバータが「詩に現れた心情は詩の論理のもので私のものではありません」という建前と同じく、「息子の嫁は未亡人と異なる」という夫人もまた、「それはレディでない」という本音を突きつけることはしない

384 :
ガヴァネスは、それを雇う裕福な中流階級が増えるにつれ、19世紀を通して地位を零落させていく
「エマ」の家庭教師は「ジェインエア」の「12人もガヴァネスを変えたけれどほとんど無能だった」とこれ見よがしに言われる家庭教師とは違うし、「女家庭教師互助組合」ができたり、余った女としてオーストラリアに送られたりする時代とももちろん違う
彼女たちの、唯一淑女Ladyと「お金がない以外対等である」「教育とマナーを受けた」職業婦人というプライドの強さと「禁じられた恋愛」を除いては19世紀イギリス小説は貧弱なものになるだろう

エセルバータは、見た目の定義上はレディであるが、Bathshevaがガヴァネスになれなかった理由、too wildと同じである
時に仮初の「レディ」という立場にふさわしくないwildernessを有し、そもそも家庭教師先のgentlemanには好かれるがgentlewomanには好かれない
当時、「パンチ」紙のガヴァネス広告には「美しくない婦人を希望・恋愛お断り」という風刺広告が出されたように、「望ましくない」身分違いの恋を持ち込む美貌の女性だった
Bathshevaのtoo wildは活動的、と当初解していたが、彼女は自ら牧場を見回り、経営に従事するwildな新しい女であることを牧場の従業員たちはコロスのような会話の中で強調していたのだった
カラミティという大いなる悲劇によって「息子の非合法な未亡人」でなく「死んだ息子の世間的に立派な嫁」として引き取るPetherwin夫人はこの「金をもらう」という「レディ」に反する行為でつまづく

エセルバータもまた、レディと「金のないことを除けばレディと同じ」ガヴァネスという二つの仮面をかぶり、レディの手を求婚者に与えようとしてガヴァネスに過ぎない「エセルバータ自らの手」を求婚者に与えることになる
その手を取る人間はレディではなく、エセルバータという個人の美貌を(詩によって偽られた心情でもなく)もって評価する
ジェインのように都合のいい親戚の財産など降って沸いてこない、心情による愛もないエセルバータは、Bathshevaが試みたように、「経営」に進出する新しい女になっていくだろう
そしてオウクという守護者(この小説では兄弟たち)の手助けなど必要なく、かつて恋した経済的には無能力な恋人などと結ばれることもなく「自活した女性」として生きていく

385 :
南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage

横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。

横浜市立南が丘中学校OB会

386 :
「エセルバータの手」に関連して
ヘンリー・ジェイムズの「ねじのひとまわし」は1890年代に発表されているが、これは3重の構造をもっており、女家庭教師の物語は同時代ではない
あるクリスマスに集った幽霊譚の百物語のような会合で、50年前の出来事を語ったものであり、女主人公は10年前に死んでおり、其の手記を40年前に彼女に出会って恋した男が語るというものである
語られるものであるが、家庭教師の美しい手で、死の前に語り手に送ったものを、「私」の前で読み上げるという構造を持つ
時代としてはほぼ1840年代の物語で、ガヴァネス小説を読んで雇い主とガヴァネスの恋愛小説に浮かされた主人公の心理が描かれている
実は異端そのものであった「ジェイン・エア」が1847年であり、時代は同じである
そこには、「主人として遇され」「子女の友人として遇され」「重要な客人として使用人に遇される」ことへの驚きが書き付けられてもいる
主人公自身冷遇され、つまらない生活を送るだろうことを覚悟して赴任し、「小説で見たように」ハンサムな雇い主に自分がextraordinaryな女性であることを認識してもらうことを妄想する
まさに、この物思いにふけっているときに幽霊と思わないで最初のapparitionに遭遇してしまう
現実の雇い主は「自分に迷惑を一切かけないこと、連絡をしないこと」という命令を下し、実際に2回しか生涯であってもいないにもかかわらず

重要なのは、幽霊が存在しないとしたら妄想によって家庭を崩壊に追いやったことになる家庭教師が、「美しい手」で手記を残していること
しかもこの小説の後も家庭教師の仕事は続けており、10年後には語り手の妹を指導し、大学生であった語り手を恋に陥らせるほどに「あの職業であんなにすばらしい人はいない」とまで言わせていること
あのような悲劇のあとで、まるで健全なガヴァネスであるかのように、憑き物が落ちたかのように描かれている、序文がもっとも不気味であるといっていい
そもそも、執拗に反復が繰り返される小説でなかば幽霊と一体化していく女教師を先どるかのように、「私」と「語り手」は奇妙につじつまの合わない会話を交わす

387 :
「ねじのひとまわし」のエピソードの10年後の30歳の家庭教師、40年後の60歳で死んだ家庭教師は一切小説には書かれていない
40年にわたって友情を育んだ「語り手」と女主人公のイメージは、語られる内容から遠くはなれている
この小説を幽霊が実在するか、しないかということが論争になり、エドマンド・ウィルスンなどの妄想、ガヴァネスの性的欲求不満によるヒステリアという解釈は説得力もある
しかし、同時代においては幼児性愛・同性愛に取り付かれたその過激さが糾弾されたように、家庭教師個人の妄想で片付けられない描写が多い

この手記は「美しい手で」“Is in old, faded ink, and in the most beautiful hand.”「最も美しい手で」書かれている
さらに、まさにこの悲劇の10年後にShe was the most agreeable woman I’ve ever known in her positionとまで言われる
悪意をもってうそをついた、とする読解は物語が終わった半世紀後まで狂気の尾が引いていることになってしまう
少なくとも、本人にとっては真実で、さらにおそらくその妄想はそのままにMilesを死に追いやった瞬間にdispossesed、憑き物が落ちてしまったのだろう
妄想を駆動した熱情は、主人に一度も会うこともなく、幽霊のように消えてしまっている、かのようである
ジェイムズの幽霊はそれ自体まったく怖くない、とV・ウルフは言っている
幽霊譚で一家が破滅した後、家庭教師を続け、10歳下の青年に40年にわたって恋煩われ、美しい筆跡で自己批評的ですらある手記をつむいだその後の人生こそが分からない

本質的に「結婚によってしかガヴァネスという身分から離脱できない」にもかかわらずセクシュアリティを抑圧されたさまは、ヘンリー・ジェイムズも書き込んでいること
前任のガヴァネスは「私」に劣らず美しく、with extraordinary beauty、しかし But infamousであり、雇い主お付の男own manと恋愛関係に陥る
そのとき、善良な家政婦は言う“SHE was a lady.”“And he so dreadfully below,”
家庭教師は文字の読めない家政婦にとってはladyであり、御付の男は「恐ろしいほどに身分が下」であり、the young lady who should go down as governess would be in supreme authority.
ガヴァネスとしてgo downするようなladyは最高の権威を与えられるのであり、使用人との恋愛などhere - for a governess! ありえない

388 :
「エセルバータの手」はハーディの有名な作品には入らないけれども主人公の人物造詣は奇妙に惹きつける所がある
ハーディの小説には、情景で出現する人物と要約で出現する人物がいて、「主人公」は出現するなりどのような来歴か作者によって語られる
エセルバータは作品を通して、さまざまに語られる
彼女は誰なのか、どのような人物なのか、次に何をするのか、とアイデンティティと性格がほかの作中人物に問われ、話題になり続ける人物である

このような特性は「微温の人」におけるポーラにも強く見られるものであった
重要な違いはunknowabilityがポーラにはなく、ポーラは外界の制約に抗うが、彼女の持つ秘密はただひとつ、自身の心情である
そしてそれは描写(頬、視線、ため息、bosom)によって、周りに気取られることがないことも含めて開示されている
絶えず語られるエセルバータは、しかし同時に作者によっても語られる
エセルバータが隠している部分をも、作者は軽やかに要約して提出してしまってもいる
その要約こそが彼女の秘密であり、明かされないゆえに登場人物たちはさまざまな語り口で彼女を語る

She is one of those people who are known: everybody knows a little, nobody knows her entirely.
彼女は誰にも知られていながら、誰一人彼女の全体像を知られていない女性
curious undefined character which interprets itself to each admirer as whatever he would like to have it.
Old men like her because she is so girlish; youths because she is womanly; wicked men because she is good in their eyes; good men because she is wicked in theirs.’
誰もが、自分にないものを彼女に見て。それゆえに好きになるような人物
Like the British Constitution, she owes her success in practice to her inconsistencies in principle.’
まるでイギリスの慣習法による国制のように、原則において束縛されないことによって成功している
彼女が変幻自在にアイデンティティを変えてみせるその根底には「ガヴァネス」という立場にまつわる歴史的な変遷が影を落としている

389 :
ヘンリー・ジェイムズの回顧する1840年代英国のガヴァネス
そしてまさに同時代の「ジェイン・エア」とアン・ブロンテによる「アグネス・グレイ」が実に面白い
ほぼ同じ年代としてもうひとつ「虚栄の市」におけるガヴァネス
もう30年さかのぼってジェイン・オースティンにおいては、ガヴァネスが家族の一員であり、自然と紳士と結婚して尊敬されている「エマ」
5人の娘を「ガヴァネス」なしで育てるなんて、あなたの母親は奴隷のように働いたのですか?とある「プライドと偏見」
プライドと偏見では、ガヴァネスはつよく信頼され、教えられる子女との間に亀裂がない
I always say that nothing is to be done in education without steady and regular instruction, and nobody but a governess can give it.
1840年代には、二つの立場の間に亀裂が明確になっている
そしてそれが、一見同じ空間にいるように産業革命でなりながら矛盾として噴出しているのがハーディの時代のように思う
オースティンの時代ほど一体化しておらず、ブロンテ姉妹の時代ほど対立しておらず、生ぬるく同居し、結婚も許されていながら抑圧されている
アグネスは、家庭教師を渡り歩き、信頼する「メソディスト」に思われるほど清貧の副牧師と「学校教師」となる
ジェインは、突然の親戚の遺産によって、クレオールの「本妻」が焼け死に、自らも罰を受けて片腕と盲目になった「紳士」と対等に結婚する
前者は「レディの世界」から降りていて、後者は失われた「レディ」の資格を回復するが、それは自らの手によってではない
二人とも、「ガヴァネス」から「レディ」への道は自らの手では達成できていないし、サッカレーにおいてのように「美しくない」
エセルバータは自らの手で「レディ」となることができる時代であり、同時に「自らの手で」なったことへの無言の視線にさらされる

390 :
サッカレーのvanity fairが面白い
"Marry that mulatto woman?" George said, pulling up his shirt-collars. "I don't like the colour, sir. Ask the black that sweeps opposite Fleet Market, sir. I'm not going
to marry a Hottentot Venus."

改めて読むと、どうしてもポストコロニアルの観点から読解することになるが
小説の最初から黒人や西インド諸島の奴隷商人などが出現し、インド駐在も重要な存在として出てくる
アメーリアという善良で、裕福な商人の娘で誰にも愛される娘の婚約者は、アメーリアの父が破産するや、婚約を破棄され、裕福な商人の娘を紹介される
その娘は小説の冒頭にも登場したMiss Schwarzという同級生で、彼女はジャマイカで奴隷を働かせる商人の娘だ
それに反応したジョージの発言が上記だ
「私はホッテントットのヴィーナスと結婚する気はない」「上院議員になれる、では私のprideはどうなる?」
結局彼は既に婚約した、と言う理由で、そのoathを破ることをよしとせず破産したアメーリアと結婚することになる

391 :
そしてこのジョージは、その前、アメーリアの友人として紹介されたベッキーが「アメーリアの結婚相手にふさわしいか確かめようと思って」と軽口を叩いたときに、こう答える
「家庭教師風情が、確かめるだと?」
このジョージは、否定的な形象ばかりなされる
しかし、そもそも「ムラート」なる奴隷商人の娘との結婚を上院議員になれる、と紹介したのは彼の父である
A governess is all very well, but I'd rather have a lady for my sister-in-law. I'm a liberal man; but I've proper pride, and know my own station:
「ガヴァネスだってよろしい、だけど私は自分の義理の妹になる人間には淑女がいい」
「私はリベラルな人間だ、だけど私にもprideがあり、私のあるべき場所を知っている」

この、リベラルだと自分を形容しながら、父や婚約者が「ムラート(サラ・バートマン!)」や「ガヴァネス」を受け入れるにも拘らずprideゆえに罵倒する
彼は貴族でもないし、なりあがり者arrivisteの原型ではないか
mesalliance「身分違いの結婚・結合」それを可能にするのは何か?
虚栄の市で戦死し、しかし最後まで幽霊のように繰り返し小説に付きまとうこのGeorge Osbourneは19世紀イギリスの階級闘争の重要な屈折点として存在しているように思う
ガヴァネスを軽蔑し、ムラートを軽蔑するジョージは中途半端な存在である
立身出世のために「ムラート」の娘と結婚することは矜持が許さず、「破産した娘」の婚約を破棄するには「矜持が許さない」
その父親の世代、植民地経営を背景に繁栄した父親は「上昇」のためにムラートとの結婚は問題ではないし、破産した娘の家とは恩義があっても絶縁する
父の世代は経済のみしか見ておらず、中流階級に上昇した次の世代のジョージはまるで上流階級のような「矜持」にこだわる

392 :
<dare>という単語は間違いなくこの小説で重要である
いまや慣用句と化したこの言葉は、この分裂しかけている父親と息子に強烈な亀裂を刻む
"How dare you, sir, mention that person's name before Miss Swartz to-day, in my drawing-room? I ask you, sir, how dare you do it?"
"Stop, sir," says George, "don't say dare, sir. Dare isn't a word to be used to a Captain in the British Army."
このくだりは当初まったく意味がわからなかった
「いったいどうして、シュワーツ嬢が居間にきているのにその名前(アメーリア) をあえて口に出すのだ?、息子よ(Sir)、一体全体どうしてそんなことを?」
「やめてください、父上(Sir)、dareという言葉を私に使わないでください。dareとは英国軍隊の大尉に使うべき言葉ではありません」

dare:常識に反して、あえて苦言を呈する
この言葉は、この時代、常に、目上の者から目下のものに「あえて〜しない」という否定形で使われる
"I shall say what I like to my son, sir.
「私は自分の息子にはdareを使う、sir」互いにsir呼び合う親子、自分を尊敬しろと主張する息子

her daring liberal opinionsを。ベッキーは当てにする
既存秩序を「あえて踏み越える」リベラル(結果は、ロマンスは小説の中だけでいい、という裏切られる)

「アグネス・グレイ」では自分の息子と娘を呼び捨てでなく「Master」と「Miss」、「〜坊ちゃん、様」、「〜嬢」と呼ぶ違和が語られる
「ジェイン・エア」はI dareだらけの小説ではないか!あえて発言しないnot dareではなく、あえて、する

ヘンリー・ジェイムズはI dare notの行き着く不気味な語りを描いた
このdareという言葉の破壊性が漂白され、ニュートラル化していく世界
現代においてdareは「対等な」人間の間でのみ使われる、むしろポジティブな言葉
階級が対等でないならば、「あえて」ではなく、命令すればいい
聞き入れてもらえないならば、「苦言を呈することなどできず」I dare not say、低いものは言葉を飲み込む
dareという単語が、19世紀の近代小説において読解の道を啓く
「アグネス・グレイ」もまた、語りのテクニックや主人公の「観察者」の平穏だけでなく、dareから読み直す価値のあるすばらしい小説

393 :
ここはイギリス文学スレッドではないんだがな

394 :
『狂乱の群れから離れて』って面白いの?

395 :
A Pair of Blue Eyes(1872-73)を読み始めた
まだ匿名の連載発表で、Far from Madding Crowdのひとつ前の作品
舞台は、ウェセックスの中でも最もロンドンから遠い、北コーンウォール地方になっている
ほとんどイギリスの先端に近い地方で、ハーディ自身が序文でthe region of dream and mysteryと表現する
幽霊のような鳥、墓を覆っているような海、凍える風、そして永遠に続く独白めいた水のざわめきが支配する陰鬱な地方

他のHardyの小説でも、結婚にあたり、日常生活と恋愛の乖離は繰り返し扱われてきた
この小説では、ロンドンから最も遠い僻地に、恋人候補は外からやってくる
彼らは恋に落ちるが、あくまで夢と神秘の「島」において恋愛が生まれるのであって、日常生活が欠落している
この日常生活は、恋に落ちるかどうかではなく、過去が既に社会条件を規定しており、結婚においてはじめて露になってくる
この小説では結婚はぬぐいがたく死と結び付けられている(結婚した女性がどんどん死んでいく)

ヒロインの父は牧師で、教会の修理を担当しに来た建築家の主人公を当初は歓迎する
良家の出身と勘違いしたとはいえ、家に招き、娘との交際も許す、暖かい父親のように見える
ところが、主人公の父親が同じ地域の石工(mason)にすぎないことを知ったとたん豹変する
I have been deluded and disgraced by having him here, the son of one of my village peasants

彼が、同じ村の農民の息子が家にいるだけでも恥辱を受けている(disgraced)というのに、そいつを義理の息子にするだと?
天にかけて、お前は狂ったのか、エルフリード?

He, a villager's son; and we, Swancourts, connections of the Luxellians. What shall I next invite here, I wonder!
いったいこの牧師は、村民の息子を家に招くだけでここまで激高しなくてはならないのか?
貧しい農民たちを訪ねる聖職者たちとは似ても似つかない強烈な階級意識が好ましい描写をされてきた人物に宿っていることが露呈する

396 :
この屈辱、disgraceはこの小説で重要な単語だろう
主人公は、牧師によって下層階級の出身だと侮辱を受ける
牧師は、石工の息子を家に招いたということでdisgraceを受ける
そしてヒロインは、主人公を差別しなかったということで父親からdisgraceを受けている

このヒロインの父親はハーディの聖職者の中で一際強烈な選民思想を抱いている
その背景は、この小説の舞台が辺境の中でも最も遠いところに位置していることも影響しているのだろう
そしてwe, Swancourts, connections of the Luxelliansという、自分たちは高貴な血(Blue blood)に連なるものだという意識
しかし、彼自身には高貴な血は流れていない
Mr. Smith, I congratulate you upon your blood; blue blood, sir; and, upon my life, a very desirable colour
当初主人公を「高貴な血」と勘違いした彼は、主人公の血を称え、青を自分にとってvery desirable colourとした
それはヒロインの眼の色でもある

問題はdisgraceを受けたあとの各登場人物の反応であって、
ハーディの小説の主人公は男性的でなく、女性的な順応的な側面を持つことが多く、この主人公も繰り返し女性的な風貌、まるで未成年のようにきれいな肌、女主人公と比べられるくらい紅のさしたキューピッドの弓のような口をしている
この女性的で好ましい(untameな)登場人物は、disgraceを受ける(現実の社会関係に曝される)ことでtameされる(変化を受ける)
望ましくない結婚を駆け落ちという破壊的な選択を貫くのではなく、望ましい結婚に変えるために、自らを適応させようとする
主人公も例によって植民地(ボンベイ)でひとかどの建築家になることを目指し、ヒロインは秘密の婚約者として待ち望むことを選ぶ
インドから帰ってきたとき、かれの肌はもはや紅くなく、浅黒く変化するだろう
この恋人たち(秘密の、結婚の誓いをしていない夫婦)の遠距離恋愛は、同時に彼らが社会にtameを受けていく期間でもある
社会に適応していく、「成人しているけれどもまるで未成年のように見える」二人はより成熟した、男性的な登場人物をめぐって変貌していくことになるだろう
そこにもdisgraceが再び現れる

397 :
>>394
佳作ですね。
中盤は、男たちに苛まれるヒロインの姿にちょっとストレスがたまるかもしれませんが、
その先にはとても後味の良い結末が待っています。
つまりハッピーエンドですから、ハーディ好きの方にはお奨めしません


原題Far from the Madding Crowdは‘人込みと喧騒から離れた静かな場所で’
という意味の成句であり、物語中にも荒れ狂う群衆などは一切出てきませんから、
そのぶざまな翻訳タイトルを見かけるたびに居心地が悪くなるのです。

映画版の邦題「遥か群衆を離れて」を援用されてはいかがでしょうか。

398 :
「ぶざまな翻訳タイトル」→「みょうちくりんな和訳タイトル」


筆がすべりました。
まあ、いいや。

399 :
>>398
それはあんたの感覚にすぎない
他人に押し付けるなよ

400 :
>>397
>原題Far from the Madding Crowdは‘人込みと喧騒から離れた静かな場所で’という意味の成句であり、

あまり関わりたくないけれど、一応訂正しておきますが、成句じゃないですよ
トマス・グレイの詩「田舎の教会墓地にて詠める挽歌」からとっているものです

<怒り狂う群衆のくだらない争いから遠くはなれて>
酔わされることのない望みは惑うこともなく
隔離された冷ややかな谷間に生きているように
静謐な彼らの生きざまを保っていた
<Far from the madding crowd's >ignoble strife,
Their sober wishes never learned to stray;
Along the cool sequestered vale of life
They kept the noiseless tenor of their way.

群集から離れるのではなく、都会の人々(ボールドウッドやトロイ)の引き起こす熱に浮かされた争いstrifeから離れる、ものです
strifeという比較的珍しい単語は非常に多く原作中にも出てきますし、酔わされることのない(sober)ゲイブリエル・オーク(田園の人)のことを示していると捉えるのが一般的です
madという言葉も、恋に目のくらんだ愚行として特定の人物(バスシーバとボールドウッド)にのみ用いられています
詩由来のタイトルをきちんと訳しているだけなので、ぶざまな、とかいう汚い言葉はよくないですよ

401 :
結婚ねえ。式には縁がないけど、遠い昔のことに思う。時空軸。

402 :
>>400

資料の再確認もせず、記憶だけに基づき、すこっちきこしめした勢いに書きなぐった文章に
丁寧なご指摘を受けましたから、謹んでご返答いたします。

手元にあるOxfordの分厚い英英辞典の‘madding’という形容詞の単独の意味は
(literary) behaving in a crazy way とありますが、同項の関連のidiom(成句)として、

far from the madding crowd=in a quiet and private place と紹介されています。


さて問題のひとつは、教えていただいたトマス・グレイなる方の詩文と
ハーディの小説タイトルゆえにこの言い回しが慣用句として定着したのか、
あるいはグレイ&ハーディ以前からあった表現なのかどうかですね。

グレイの詩に他する訳文の「怒り狂う群衆」なる表現がそもそも
字義的に言葉を拾った故の誤訳ではないなのか?

「狂乱の群れ」という言葉にふさわしいほどのカオスが、一時的にせよイギリスの都市部に、
たとえばロンドンでもいいですけれど、小説が設定された時代に存在したのか?


そもそも、ぼくの違和感の発端は、
小説中に‘狂乱する群衆’なるものがまったく出てこないことにあるのです。

‘Two's company、three's a crowd’(3人目はお邪魔虫)という英語のことわざ通り、
仮に、バスシーバと彼女に執着する2,3人の男たちをもって、crowdと言い表すのは、
まあ、英語としてはあり得るかもしれませんね。

しかし日本語(邦題)の感覚としては、ちょっと、ねえ・・・

403 :
「グレイの詩に他する訳文の「怒り狂う群衆」なる表現がそもそも
字義的に言葉を拾った故の誤訳ではないなのか? 」

→「グレイの詩に対する」「誤訳ではないのか?」


いやはや。

404 :
自分はこの小説を読んだが、『狂乱の群れから離れて』というタイトルで構わないと思う
もちろん狂乱の群れなど出てこないが、ヒロインが穏やかな幸福な生活を送るイメージが湧いて結構好きだ

405 :
マルセル・プルーストはハーディの「青い瞳」を高く評価している
彼の書簡には「私がやろうとしていることを100倍も巧みに行っている」という記載があり、「失われたときを求めて」にも「青い瞳」や「恋の虜」が出てくる
無名の語り手は「青い瞳」の繰り返される反復、そして反復から生まれる突然の変化を賞賛し、真に建築的な小説であり、「石工の幾何学」を身につけた作家としている

反復が同じであるならば、それに違う反応を示す人物は「首尾一貫性がない」「きまぐれ」と批判される
このような批判はハーディの登場人物たちなどに投げつけられてきた
しかし、ハーディはこのような彼らに「同じ環境」を提示することはなく、違う反応を示すときには「違う環境」を用意している
それを見落とす読者は、登場人物の態度の急変に戸惑う
プルーストの小説の特徴は、反復されるようで一文ごとに心理が変わるかのような文体であり、ハーディにプルーストが見出したのはこの語りの技法である

たとえば、女性の一般化は作者と登場人物の距離を明確にする
語り手が登場人物の描写からふっと離れてアフォリズムや「人物の要約」を始めるとき、作者は読者よりも広い情報を持っている
それによって読者と作者の間には距離感が生じアイロニカルな「先取りをされた」感覚を覚える
この作者の特に初期に多い描写は女性への偏見を断言しているとか、人物を類型化しているように取られることもある
しかし、ハーディの小説には類型化のような描写が非常に多いにもかかわらず、類型的なはずの人物が急変するような場面があふれている
いみじくも、「青い瞳」で、エルフリードは一つ一つの要素が独特なのではなく、その結合の仕方が独特なのである、と語られるように、類型的な要素を与えながら、とうてい類型的とはいえない

even though my words are badly selected and commonplace,’ she said impatiently. ‘Because I utter commonplace words, you must not suppose I think only commonplace
この発言・異議申し立てはcommonplaceな言葉でつづられた彼女の小説を、ありきたりだ、と批評したナイトに対して、独創的な存在感を印象付ける場面で出現する
一部分を切り出せば、「誰かに先どられた」「ありきたりの言葉」でありながら、ナイトが始めて彼女に恋するのは「類を見ないさま」においてである

406 :
限られた要素の中から、ヴァリエーションを生み出す手法
同じことが何度も起こっても、そのつど環境が異なり、反応も異なる
反応が同じであっても、環境が異なればその意味も変貌する
反復を同じものとして捉える時、ハーディの小説は実に要約の簡単な理解しやすいものとなる
高貴な家の出身である祖母が、歌手と駆け落ちし、その産褥で死んだ背景を持つ美しい牧師の娘が、貧しい石工の出である建築家と恋に落ち、駆け落ちをしようとするが寸前でとどまり、建築家の人生の師であるより年長の芸術家肌の男と出会う
建築家との思い出をなぞるかのように、少しずつ彼に惹かれていき、しかし過去の建築家との恋愛が発覚することによって捨てられる
傷ついた彼女は祖母の家系の貴族に後妻として嫁ぐことになり、そして流産して祖母と同じように死ぬ女主人公は、大雑把に祖母や母の人生を反復させられたものとして表される
独創的であったはずの彼女の人生は、差異を捨てられて類型的な鋳型にはめられてしまう
二人の男女が、チェスを指して、一方が圧倒し、わざと負けてみせる
二人の男女が、同じ崖に行き、決定的な出来事が起こり、イヤリングが失われ、発見される
しかし反復される、プルーストに言わせれば折り重なっているエピソードはそのつど含まれる要素が異なり、異なる要素が決定的に違う結果をもたらす
この反復において要素の置換が「対称性」を構成しない、「非対称性」をあぶりだす、conflictを執拗に書き込んでいることから、conflict theoryによる読解に非常に相性がよい

そしてその異なる要素・環境が登場人物には隠されており、読者にはある程度開示されており、アフォリズムで先取りする語り手には全て開示されている
ハーディの小説には読者に対しあっけないほど簡単に暴かれる秘密と、延々と開示されない秘密が混在している
簡単に暴かれる秘密はドラマティック・アイロニーを生み出し、開示されない秘密はプロットのサスペンスを生み出す
そして、語り手がアフォリズムを用いて先回りする箇所では、「語り手の知識に基づいた」断言が追ってきたプロットとの乖離を生み、類型的に要約されたはずの人物の行動の予想が裏切られる
このような、ハーディ小説の第三の分類(Novels of Ingenuity)の手法の実験性は要約では味わうことができない

407 :
A Pair of Blue Eyesをほぼ読み終わる
舞台はハーディが描いたウェセックス地方の中でもっとも遠い崖のある土地
牧師という言葉は、プロテスタントの聖職者をあらわすが、ことイギリスにおいては国教会の聖職者はカトリックの神父という名称に近い
vicarやvicarageという、国教会の牧師に対してのみ使われる言葉は、非国教会の牧師に使われるminister、preacherとは大きく異なる
たとえばFar From Madding Crowdで、「伝統的な国教会の信徒に比べて、非国教会の信徒が天国に近いのは分かりきったことだ」といわれるように、
ハーディの描く国教会徒は清貧ではなく、寛容ではなく、そして出世欲から無縁ではない
「熱のない人」で、厳格だけれど好ましいピューリタンの牧師(minister)が、世間一般の王党派と交わる陽気な女性になってしまうなんて!とポーラを嘆いた
そして同時にポーラを洗礼を直前で拒否されても案じ、宗教論争を吹っかけてくるサマセットに対しても友誼を結ぶ

その対称を描くように、この小説のvicarは「時代遅れの王党派tory」を自称し、世俗の階級と交わることを至上命題とする
しかし、よく考えると、この父権的な父親は決して土着のvicarではない、この地方の聖職者としてわずか1-2年しか経っていない
にもかかわらず、出身はこの地方であって「チャールズ二世が追放されている時代に助けて厚遇され、チャールズ四世に排斥された」家系の持ち主である
(もちろんチャールズ四世など存在しない、これはチャールズ二世の次の次の王、名誉革命のウィリアムV世の時代になって王党派が没落したことを、王党派もホイッグも区別のつかぬ農民が言う事)

408 :
そもそも、主人公が(そしてハーディが)イングランドの辺縁に召還された理由は古い教会の修復(restoration)のためである
緩やかに朽ちていく教会に、vicarは興味などなく、できれば再建してしまいたい(結局塔は作り直すことに)
それでも修復をする理由は教区のパトロンである貴族が命じたからであり、「Dissenterがいなければそんなことをしなくてよかったのに」
1833年に始まる国教会の儀式や典礼を強調する運動を煙たがっている、ある意味昔ながらの国教/toryだろう
この教会修復運動は非国教徒に負けじと国教会をも巻き込むが、提唱者の建築家たちはほとんど非国教会であり、だからこそ、このvicarは修復の見積もりに来た主人公に言う
「私どものような、時代遅れの王党派と付き合うつもりがあるなら」
これは自分が王党派であるだけでなく、ロンドンから来た建築会社の主人公はどうせ非国教会、ホイッグなのだろう、という少し卑屈な身を低くした発言なのだろう
にもかかわらず、都会から来た若者にしては付き合いやすく、「なぜこんなにもこの青年に惹かれるのか?」と思うほどに、vicarは好感を持つ

ロンドンで貴族で、建築の最先端を行きながら、まったく無縁の辺鄙な自分と共通点を見出せる、才能豊かな青年
その正体が、そもそも同じ辺鄙な地方出身の、しかも自分より卑しい身分の、教育を身に着けただけの若造と知った瞬間、vicarの好感度は反転する
彼が勝手に好感を抱いていた共通点はすべて、単に同じ地方で育ったからであり、高く評価した高貴な血も出身も社会的地位も間逆だった
好感を抱いた理由を説明してしまう秘密が判明して残るのは、vicarにとって不快な要素だけでしかない

それとは別に、エルフリードが初めてかれの出自を知る場面も、そこはかとなく面白い

409 :
「私の父のなりわいは何だと思いますか?」
「なにか、専門的なお仕事とか、職業でしょう」
「いいえ、石工(メイソン)です」
「フリーメイソン?」
「いいえ、コテージに住んでいて(cottager)、ただのjourneyman masonですよ」
エルフリードは最初何も言わなかった。少しして、彼女はささやいた。
「それって思っても見なかったこと(That is a strange idea to me)だけど、気にしないで、それが何だというの?」
このfor a whileが重く、彼女は自分の言葉に酔わされ、父を説得できると自信を持つ
しかし、この地方においてcottagerと彼女の社会的地位の違いは感情では乗り超えられない

cottagerを調べると、囲い込み運動の前後で意味が少し変わっているようだ
after the Enclosures Act the cottager was a farm labourer without land.
農場で働く、土地のない民
journeymanのほうは、journeyはフランス語で一日から来ており、本来の意味は日雇いの職人でフリーメイソンの一員になれるような立場ではない
見習い(apparenticeship)
一人前(journeyman)
親方(master)
実のところは、彼はmaster masonと呼ばれる、日雇いから親方に移行しつつある石工ではあるが、日雇いで主人公を育ててきたことには変わりはない
ようやく石工として商業にたずさわり、一家を成した両親の会話は訛りだらけの表現になっている
そして、村八分、とはいえないまでも差別されていることの明らかな夫婦が突然もてはやされるようになるラストの描写はおかしみを隠せない
石工を公然と差別する世界においても、「富と名声」を得た息子が出現する(新聞に載る)と手のひらを返すほどには俗物社会が浸透している世界であることが分かる
ところが、「日曜日にはいつでも私どもの家に来てください、専用のカップを用意しておきます」という手のひら返しがあっても、主人公が本当に求める手のひら返しだけはえられない
最後のパートの直前に、如何に主人公が(世俗において)上昇したか、第二パートの「知られることを求めない」「高貴な」求婚者を凌駕するかを描写した挙句に、それが無意味と化する環境を畳み掛ける
第三パートにおいて、父と母が突然厚遇される一章は落差の強調とともに非常に効果的な描写を含む

410 :
自分のブログでやったら?

411 :
確かにオナニー投稿はうざいだけだな
ブログでやれ

412 :
地形的平行主義、反復と的確なプロットによる登場人物のperceptionの急な変化
“Hardy did a thousand times better what I am trying to do,” he wrote, marveling at the “admirable geometrical parallelism” he created, the use of repetition and superposition and the way the perception of a character changes so swiftly.
Marcel Proust to Robert de Billy
プルーストは、ハーディの小説でみられる石工が切り出した石を組み合わせるように、完璧なプロットを作り、反復や平行を作るさまを賞賛する
ハーディ自身、この「青い瞳」が同時代でもっとも巧みなプロットを持つ小説と賞賛を受けた、と喜んでいる
「失われたときをもとめて」には主人公に決定的な体験を引き起こすものとしてマドレーヌ、エルスチールの絵画、そしてヴァントゥイユの楽曲が出てくる
このヴァントゥイユのわずか1フレーズがまずスワンに決定的な体験をさせたもので、小説を読み進めるごとに数十年をかけてこの楽曲が進化していく
それは徐々に伴奏・多重奏と複雑化していき、全体との調和において輝く反復される主題となっていく
ハーディの小説は、岩石でできた島に高く石が積み重なっていくように、あるテーマが折り重ねることができるとプルーストは言う
これはラスキンという二人の共通点、高く積み重ねていく建築に1フレーズの「意図」を凝視する特質が現れている(ルーアン大聖堂のたった一つの石彫刻の苦悶する男を捜し求めたプルースト)
まさに、ハーディの小説は小説内においても小説間においても折りたたみ、積み重ねられている

413 :
一例として、エルフリードとその後のヒロインたちの「言葉」と「解釈」のテーマを取り出す
エルフリードが自分の「言葉」はcommonplaceなものであっても、commonplaceな「考え」から出たものではないという
commonplaceな言葉は、デリダのsentenceにあたり、解釈は世界に開かれている
サールはspeech act theoryを用い、デリダはsentenceとmessageの区別をしていない、テクストの「解釈」の多様性という議論は、「文の意味」の多様性から「話し手の意味」の多様性を導出できると考えていると批判する
エルフリードは、彼女の言葉が、メッセージとしての意図を持つことを主張し、自らが思いもよらぬ読解を提示したナイトに訴える
これは(匿名で出版された)作品のauthorityを主張することであり、作品の解釈を作者に取り戻すことだ
しかしデリダに言わせれば、messageにおいてさえ、その意図は常にpresenceとして書かれた時点の主体なるものに帰属するものなのか?
意図が発話者において帰属することは認めた上で、その意図は過去pastに本当に存在したものか?
意図は指摘を受けて自覚したり変化する、頼りないものではないのか?
事実、エルフリードはナイトの指摘を受けて自分のauthority、つまり作者である過去の意図を疑い始める
ナイトによって指摘を受け、作品を書いたpastをpresenceが凌駕し、ナイトの言うことをより真正な知識として正しいと思い始める
彼女の「作者」の独創は、フローベールの紋切型表現が文芸界を支配する19世紀後半の「グランディ夫人」の監視下では許されない
グランディズムと呼ばれるヴィクトリア朝後期の検閲は、紛れもなく読者の多様な解釈を優先し、「解釈されうる悪」を断罪するものだった
これはハプスブルクの検閲とは質が違う
「過去を覆い隠す現在」は、ハーディが「自覚的に」テーマと捉えた「反復」と断言できる

414 :
........

そもそも、エルフリードはスティーブンの出自を聞いたとき、日雇いで育った「過去の彼」は不幸だった、と断言している
牛の乳を搾り、農民の作業を手伝い、墓掘りにも従事する父親との生活が幸福だったという主人公は、その言葉に数歩後ずさりしてひるむ
「でも、今のあなたが好きなのよ」
彼女が好きなのは「今の」彼であって、「過去は問題にならない」、だからこそ彼女は出自を気にかけない
彼女はpastを無視してpresentを重んじる(Troyとまったく同じ)人間であり、デリダ的現前であるナイトに強く傾斜していく
その彼女が、現在の誘惑から逃れて、過去の誓約に殉じようとするのが第二部である
皮肉にも、結婚を断罪し、「過去は問題なのだ」という父(実はナイトも同じ意見)に一時的に与している
(そして、彼女の過去を探ろうとするナイトに、「過去が何の問題になる?問題は現在あなたを愛しているということ」という反復された発言をする)

スティーブンは第二部においては現在から過去に移行し、過去・契約という約束を象徴する存在になっている
彼が描いた裕福になって迎えに来る、という約束は、一年で200ポンドをためて彼女の口座に振り込んだとき、父の再婚で年3500ポンドの収入を受けた現在と比較されてしまう
当時のミドルクラスは年100-1000ポンドが相当し、零落したエルフリードの家はその下層に位置したはず、インドで200ポンドを貯金するスティーブンは十分な金額だったはずで、実際に鼻高々で手紙を送ってくる
再婚した父の妻が年3500ポンドの収入を得たという現在の前に、この努力は色あせて見える
彼女はこの200ポンドを破り捨てることで過去をなかったことにできるのなら、と「過去を無視する」誘惑に駆られる
この200ポンドの振込み通知は、小説が決定的なcliffhangerの場面において「過去を現在が圧倒した」時にポケットから落ちてしまい、結局送り返される
「あなたと結婚する」と手紙を送って彼を迎えに来たはずの彼女はauthorityを失い、没我、ナイトの命を救ったという「結果」に隷属することを選び、「過去の夫」との待ち合わせの約束を破る

415 :
×牛の乳を搾り、農民の作業を手伝い、
○牛の乳を搾り、農民の作業を手伝う母親と、
エセルバータもまた、speech actとしての詩作を「別の意図として」解釈される
匿名で出版された作品の意図の解釈の独占権は「私が作者なのだ」では通用しない時代になってしまっており、「未亡人という現在」のためにお金をかけてでも「詩人という過去をなかったことにしろ」という要求に抗う
彼女は「ことわざは男が都合よく作ったもの、自らの環境を適切な言葉で表すことのできない女性は馬鹿だ」と主張する
バスシーバも、「言葉とは男が作ったもの、女の意図を表現できない」と勝手に解釈される言葉しか使うことのできなさを呪う
ポーラがどれほど「男からの」representationを否定し続けたか
そこにはサール的な、自らの言葉を「意図」のもとに保持しようと抗い続ける(そして時にそれを手放す)核がある
重要なことはハーディは牧歌的な田園など書きはせず、常に変貌しつつある田園を書いたということ
そこではpastが常に変貌し続けており、あるいは侵入者が、あるいは土着(Native)が変化の災厄を受けるかを書いている
だからこそ、この繰り返される「核」の主題だけを見ても変貌し続けている
「意図」という確固たる、占いや呪い、建築物にまで広げられる過去が地盤を失いつつある時代

「ジキルとハイド」を生んだ時代は、アイデンティティが魂の同一性であった時代から記憶の連続性に移行していく時代だったとされる
記憶とは過去であり、歴史であり、約束である
この世紀ほど歴史哲学が発展した時代はなく、人類学・考古学・古建造物に注意が払われたこともない
過去に約束をした自分は今の自分と連続なのか?約束を守らないとしたら「責任」は存在しなくなる
過去など現在には無関係だ、と主張するエルフリード(現在)は、スティーブン(未来)と駆け落ちをした過去(そして三代続けて駆け落ちをした血統)をナイト(過去)に執拗に追求され、「過去」を象徴し死んだ息子の墓に現れ続ける魔女に破滅させられる

感情や魂によって恋に落ちる単純なロマンス、過去を忘れる没我の恋物語を脱臼させる小説がこの時期に出来上がってしまっている
過去と現在に葛藤するエルフリードの内面描写はさらに時代を経るにつれ、複雑化し、精緻を極め、より強靭な女性を描いていくことになる

416 :
ここまでくると荒らしと大差ないね。
ブログなんか無料で簡単に開設できるのに。

417 :
こういう長文連投が迷惑なの分からないのかなあ?

418 :
アスペでしょ

419 :
Under the Greenwood Tree: A Rural Painting of the Dutch School(1872年)を読み始めた
Desperate Remedyの次の二作目の小説で、「青い瞳」の前の作品でタイトルはシェイクスピアの「お気に召すまま」から
Under the greenwood tree
Who loves to lie with me,
And tune his merry note
Unto the sweet bird's throat
Come hither, come hither, come hither!
Here shall he see
No enemy
But winter and rough weather.
この小説は、連載小説ではなく冬、春、夏、秋の四部と最後の「結び」に分けられている
最後の文章に、この「お気に召すまま」の引用が現れる
From a neighbouring thicket was suddenly heard to issue in a loud, musical, and liquid voice
“Tippiwit! swe-e-et! ki-ki-ki! Come hither, come hither, come hither!”
“O, ‘tis the nightingale,” murmured she, and thought of a secret she would never tell.
主人公はこの一節を思い出して、唐突に「わたしは自分の秘密を決して明かすまい」と心の中で思い、小説は閉じられる

レズリー・スティーブンがこの小説を読んで「Far from Madding Crowd」の連載を持ちかけたのは有名だが、同時並行で書いていたのが「青い瞳」
主人公Fancy Dayの秘密は、まさに青い瞳のElfride Swancourtが隠そうとした秘密(過去の婚約)と同じものである
「Far from Madding Crowd」や「A Laodecean」の締めくくりと共通する、読者を考え込ませずにはおかない不穏な終わり方は反復されている(ナイチンゲールは詩の象徴として以上に、色濃く死を告げる鳥でもある)
この秘密が露見したときにどうなるのか、より正確にはFancy Dayは牧歌的な結婚式の間中何を考えているのか

「青い瞳」ではこの「過去と現在」の葛藤、そして秘密の暴露による崩壊が色濃く書かれるのが第二部に当たる
まさにこの葛藤、ハーディが深化させていく掘り下げの端緒となったものが表面からは隠されて、葛藤の痕跡と崩壊の予兆が描かれる

420 :
牧歌的な、ハッピーエンドを書いた小説として自然の描写が高く評価された小説らしい
しかし、不穏な自然の描写、ミツバチの虐殺、狂気に陥った継母など不穏な要素が水面下にあふれている
Fancy(移り気な)という名を与えられた女主人公は女学校教師で、オルガンの技能によって聖歌隊の弦楽器を追放することになる闖入者である
Fancyはエルフリードと比べてはるかに内面の吐露の描写が少ないが、時折異常に追い詰められたかのような嘆息を漏らす
新年に実家に帰って、Dickと一緒に学校に戻ってきたとき、彼のお茶を入れて親密な雰囲気が漂う中で、「誰も私にかまってくれない」
“Nobody seems to care about me”外を見つめて突然もらされるこの言葉は、Dickは地主が気にかけるのでは、というが、そうではない、とするだけでこの言葉の意味は読者には宙吊りにされる
(このような、説明をしないで次の場面にいく箇所が比較的多い)

母親が領主の館のガヴァネスであり、そこの猟番にすぎない男ととなぜか結婚してしまい、母を亡くし父からも離れて学校を営む親戚のもとで教育を受け、第一等の成績を持ち、国家公認の教師の資格を持つ
しかし、どうも女王の奨学生の席次最優秀、という父親が誇らしげに言う肩書きの割には教養がずば抜けている描写はない
(牧師は難しいことばかり言うんです、と)
舞台は執筆時期から数十年さかのぼった1840年代で、女性の教師資格は1839年に始まったばかり、さらにガヴァネスよりも一段低く、実質的な権威のない地位でしかなかった
アン・ブロンテの「アグネス・グレイ」がガヴァネス遍歴をやめて夫とともに学校教師になったことは、「ジェイン・エア」と違って「レディ」respectableになることの断念であり、学校付教師はrespectableな職業とは認められていない
つまるところ、彼女は牧師や地主と結婚できるほどの立場ではあるが、無一文のDick Dewyと結婚できないほどの立場でもない
そして結婚しないのならば、学校教師という作られたばかりの弱い立場で生きるしかない(そしておそらく、継母と二人で暮らしていくことになる)

421 :
ガヴァネスと猟番という身分違いの結婚をした両親は、母を亡くしてからは父は放浪の旅に出る
都会で知識や言葉遣いを身につけて、学校教師の職を得て、成功した父のもとに戻っても、都会のマナーは全て否定される
父の後妻は言ってしまえば精神を病んでいる人で、Fancyはうまくなだめることはできるが全く愛されている描写はない
この女性は「結婚には決して向かないのに、結婚を求めて二回もしてしまった女」と評される
客が来て食事を提供しているところに降りてきて、この食器は汚い、といって皿を客に持たせてテーブルクロスを新しく敷き、客のナイフやフォークも取り上げて新しく出したナイフやフォークを皿に放り込む
継娘の結婚式を自宅でやっているにもかかわらず、一階に顔を出さず、二階で突然大掃除をはじめている

Fancyは婚約しながらほかの男の突然の求婚に応じてしまう場面の直前でこの女性への呪詛を一瞬だけ漏らす
how weary she was of living alone: how unbearable it would be to return to Yalbury under the rule of her strange-tempered step-mother
it was far better to be married to anybody than do that
結婚しないで生きることは頭のおかしな継母のルールのもとで生きることで、誰とだろうと結婚するほうがいい、結婚までの8ヶ月を生きなくてはならないとは
(「誰も私にかまってくれない」と言う言葉も、「実家から」帰った直後だった)

Fancyは、富と教養、現在と未来を象徴する男たちの求婚を受け、過去に所属するsimpleで気の効かない、ordinaryを四回重ねたような無一文の男と結婚を選ぶ
確かに感情を優先して、彼を愛しているのではあるが、切実な結婚という逃げ場を求めていることはほかの主人公とは違う
結婚が決まっているのに、それを知らず求婚した男は、「都会に行きましょう、教養はもっと高められる、社交界にも参加できる」と口説き、震えるような声で同意してしまう
最も重要な口説きは、「実家から離れ都会に逃げられる」ことだったのではないか?

最初にDickからの求愛でも、も彼女の心を捕らえたのは「妻」という言葉だった
acute observer might have noticed about her breast, as the word ‘wife’ fell from Dick’s lips,
愛よりも、結婚を優先するFancyがほんの少し表層に浮かび上がっている

422 :
Dickはsimpleな男であり、心理を表す外見に決して気づかないのはFancyがとにかく気づく、空気を読む特性と反対である
このようなことはテキストの表面からは隠されており、単に移り気な、flirt(火遊び)をする女として、そしてその秘密を隠す女として現れる
翌日には、男に手紙を書き、「虚栄とambition」からうなづいてしまったと断る
男は、婚約者に全てを告白なさい、彼は許すでしょう、と最後の手紙を送るが、彼女は秘密の暴露がsimpleなDickには耐えられないと判断し、胸に秘めることを決意する
そして急速に俗人じみて、結婚式よりもミツバチを優先するような夫と、結婚式にも来ない継母と、土着的な村人たちの中で生きていくだろう
‘Tis to be, and here goes!

牧歌的、とされる素朴な村人たちは、自分たちの領分を侵すものには容赦のない反応を見せる
聖歌隊を廃止する牧師につめよるさまや、地主への悪態、男性のみの聖歌に参入してくる女子生徒たちの合唱への敵意は多彩なスラングで表明される
Fancyは「thee」とか「thou」なんてrespectableな人はいいません、とか舅に「ボクシンググローブのような」白い手袋をhallmark of respectabilityとして付けさせたりする
「見世物のように街に腕を組んで繰り出したくない」
Fancyの思いとは裏腹に、「昔からしてきたんだから」と慣習に囲まれ、肝心の夫は蜜蜂が思いもかけず巣分けできたから遅刻する
Fancyは最終的には「空気を読み」ほとんど全て夫と田園のしきたりに従う
夫は結婚前、両親を見て「どうして夫婦というものは愛情を表に出さなくなる?」と言っていた
Fancy, he and she would never be so dreadfully practical and undemonstrative of the Passion as his father and mother were.
既に結婚式と言うPassionの極地にあってさえ蜜蜂=富を優先するdreadfully practicalな男に変貌している
結婚式には牧師が欠席し、廃止されたはずの聖歌隊の昔ながらのどんちゃん騒ぎで、不気味なきのこが枝の間に自生し、鳥や動物が巣を作る巨大な緑の木の陰で結婚は完成する

この閉塞した共同体は緩やかに崩壊に向かうことが明らかであり、「テス」には数十年後に零落したらしきDick Dewyの家系が一瞬現れる
失われる農村を愛着を持って書き込んではいる、しかし常に美点と醜点を周到に書き込んでいるアイロニカルな小説だと思う

423 :
ある意味では意図して荒らしている奴より厄介だな。

424 :
おい、きてぃちゃん、あとどれらいで御主張をしゃべりつくせるのか教えてくれんかのう?

425 :
「緑樹の陰で」にも熱のない人「ラオディキアの人」とLukewarmnessは出現する
A Laodicean lukewarmness is worse than wrongheadedness itself.
自ら恋物語の一員として現れる牧師(vicar) は熱のある人(hearty)であって、それゆえに主人公の所属する聖歌隊を解散させる
解散に異議を唱えるために現れた聖歌隊に言うのがこの言葉
「熱のない人たちの生ぬるさは考えなしそのものよりも悪い」、立場は違えど熱心さは尊重する、と
前の牧師(late vicar)は、融通無碍で聖歌隊に好きな歌を歌わせ、彼らの生活をほうっておいた人だった
新しい牧師Mayboldはしょっちゅう職人たちの家に訪ねてきたりする、熱のある人
決して弦楽器が嫌いなわけではないが、オルガンのほうが好きだから新しい、オルガン弾き一人でよいように聖歌隊を解散させる

この小説において、牧師(Parson)はFancyをめぐる三角関係の一人であり、プロットの上でも非常に重大な役割を果たしている
彼の前任者は「酒を飲みすぎたら教会には来なくてもいい」「聖歌も好きにやらせてくれた」「話の分かる人だった」
この小説の宗教的背景は、国教会牧師vicarが主役となり、微塵も非国教会・ピューリタン・メソディストの影がないことから重要だろう
1840年代、ロンドンでは国教会の腐敗改革が進んでいた
その端緒は1833年、長年国教会の牧師を育ててきたオックスフォード大学で始まった宗教改革
地方の国教会では「酒を飲んだら日曜礼拝に来なくていい」「聖歌も適当でいい」「牧師が訪問などしなくていい」という「悪弊」がはびこっていた
これは新任のMaybold牧師が改革しようとしたことであり、聖歌隊の面々からは嫌われた「改革」である
彼は明確に「信仰を立て直そうとする」、ともすればウェンズレーの流れを汲むメソディストを思わせるような、厳格な教会を建て直そうとする一員である

426 :
聖歌隊を解散させる理由は数人の弦楽器よりも一人で演奏できるオルガンの方が好きで、オルガンを演奏するのがFancyであることも重要である
しかし、それよりもクリスマスの前夜に数時間かけて聖歌を一軒一軒たずねていく(深夜に大音量で歌う慣習は、言ってしまえば迷惑だろう)
翌朝に酔っ払って教会での聖歌は決してよいものではなかったときに顔をしかめたことから、真夜中に賛美歌を歌い届ける習慣を廃止しようと考えたのだろう
ベッドから感じのよい応答をし、聖歌隊の直談判にも誠実に対応して賞賛されるような人物ではあるが、イギリス宗教改革の都会と田舎でのずれを象徴する人物である

ハーディの小説にはこの国教会の腐敗から厳格化にゆれるさま、ブルジョワが更に厳格なPuritan(Low Church、あるいはHigh Chapel)につくさまを描いている
「青い瞳」では国教会の牧師vicarは「時代遅れのTory」(50年で40年近くがホイッグ政権だった時代)で、世俗の出世を目指し、村民を侮蔑的に扱う
「Far from Madding Crowd」ではまさに二つの教会とチャペルに分かれ、舞台の牧師Thirdly Parsonは自らも貧しいのに村民に蓄えを分け与え、Fannyの棺への祝福も快く引き受ける人間味のある人物である
「熱のない人」ではvicarやparsonではなくピューリタンの牧師ministerが現れる。彼は熱心に清教への回帰を説き、質素な暮らしをしながら目の前で洗礼を拒否したポーラを心配する、熱心ではあるものの善良な人物である

「緑樹の陰に」に出てくる二人の牧師は国教会の二つの流れの典型的な人物像だろう
酒やタバコを許し、ミサにも来る義務もゆるい寛大な牧師から、日々訪問して信仰を訴え、聖歌にも厳格さを求める熱心で善良な牧師
ほかの長編小説の主な舞台から数十年前の、しかも辺境に設定されたこの小説では都会から来た新任牧師と学校教師は、唯一「respectable」な、都会を共有できる登場人物である
ウェセックスという地方で、都会から離れるほど国教会の権威的な人物が牧師を勤める
州都に当たるキャスターブリッジや、温泉地であるバースでは国教会とChapelが同時に存在している
新興のたとえば産業革命で始めて議席を得るようになったマンチェスターのような都市では資本家が権勢をふるい、禁欲的なピューリタンが牧師として割り当てられる

427 :
Far from Madding Crowdで、本人はごく僅かにしか登場しないが、村民たちの会話に繰り返し登場するThirdly Parsonは引き裂かれた英国キリスト教の代表的な人物である
この人物は宗派に限らず、好意的に受け止められており、清貧と伝統に足の着いた、「無関心な世紀における」まっとうな牧師だろう

ハーディは数十年後、第一次世界大戦に際して、ルキアノスのようなサタイア(メニッポス的風刺)において彼を再登場させている

教会の窓がわれ、轟音がして、棺が揺れ動き、とうとう審判の日が来たのか、とざわめきだつ
犬はほえ始め、ねずみは咥えたパンくずを落とし、みみずは地面にはいずり戻る
牛はよだれをたらし、立ち上がりかけた私たちに神が語りかける

「これは審判の日じゃなくて対岸で戦争をしているだけだよ、お前たちが生きていたときと世界は変わっていない
墓の中のお前たちが何にもできやしないように、信仰なんて血みどろの戦争をもっと血みどろに、帽子屋のように狂わせることしかできやしない
今日が審判の日じゃないのは彼らにとっては僥倖だろうね、地獄の業火に焼かれることになっただろうから
わたしが審判のトランペットを吹くときは(吹くかどうかは知らないが)もうちょっとあったかいだろうよ」

私たちはまた横になって「神が私たちを送り込んだような、無関心な世紀よりも正気な時代は来るのだろうか?」
と一人が言うと、多くの骸骨たちは首を振った
私の隣人My neighbour Parson Thirdlyは、「40年間説教をする代わりに、パイプとビールに埋もれていればよかった」と言った
ふたたび銃火が静寂を乱し、はるか内陸のStourton TowerやCamelot、星に照らされたストーンヘンジまで復讐の咆哮が響き渡った

9.11のあとにほんの少し取り上げられたハーディの戦争詩Channel Firing(海峡での戦火)

印象的な、ある意味「熱のない人」として描かれているThirdly牧師を、「隣人」 としているハーディには共感を覚える
この牧師はたしかに異彩をはなっており、凡庸であり、プロットにはほとんど関わらないにもかかわらず、重要な人物として書かれているように思う

428 :
一作目の「Desperate Remedy」を読み始める
ジョージ・メレディスの忠告を受けて、最初の出版された小説ということになるが、最初に執筆した小説ではない
作家の処女作に全てがある、という俗説に従うならば、おそらくハーディの処女作はこの作品ではなく「貴婦人と貧乏人」なる失われた小説だろう
あまりにも、過激すぎる、プロットに拘りすぎる、と出版を拒否された小説が、題材を同じくして分割され、三つの初期小説に結実する
それが「Desperate Remedy」と「Under the Greenwood Tree」と「A Pair of Blue Eyes」の初期三部作となる
おそらくハーディの中では人気のない、「Hand of Ethelberta」と「A Laodicean」という二つの小説につながるのがこのデビュー作にあたる

人気がないということは読むべき価値がないことからはるかに遠いことは、ハーディが追求していたテーマが強烈な形で表されていることからも分かる
一般的にいえば、作家の作品を追うごとに技法は成熟していくはずである
しかし、「検閲」のもとで書く作家や「売れること」を目指した作家には、異常に技巧的な小説でデビューする例が時折見られる

生のままのハーディというべき、後年詩において現れる「ハーディらしさ」が充満している

文章は読みやすくはなく、生硬と言え、留保、逆接が多用されている
一般論(usually)や断言(must be)や、先取りの手法が濃厚で、後の作品に比べて地の文と連続して出現する分、一読では誰がしゃべっているのか躓きやすい印象を覚える

全22章、The Events of Thirty Yearsに始まる、「○○日間の出来事」というタイトルで統一された21の章と結末(Sequel、後日談)に分けられており、それぞれが更に日付や時刻をもとに数分割されている
次の「緑樹の陰で」が4章「冬・春・夏・秋、結末」だったことからすると、季節による時間わけから時計による時間わけが徹底され、分単位での章わけにもなっている
1835年のクリスマス休暇から1867年の夏至の日までを細かく分断されてストーリーは進んでいく
1864年7月から1866年3月30日までが、メインのストーリーで、舞台はロンドンを離れたウェセックスの港町バドマス
プロットらしいプロットがほとんどなく、そのプロットも半ば途中で姿を消してしまうような二作目が、このようなプロットで凝縮された小説の次に書かれたことは興味深い

429 :
「窮余の策」では、「青い瞳」と同じようにあっという間にプロットは進んでいく
教会の四角い窓から尖塔が見えて作業をしている建築家や石工が見える
シルエットが少しずつはっきりしてきて、父親であることが分かった直後、何かに気を取られているかのようなその影は足を滑らせて視界から消える
‘It is so dangerous to be absent-minded up there.’
When she had done murmuring the words her father indecisively laid hold of one of the scaffold-poles, as if to test its strength, then let it go and stepped back.
In stepping, his foot slipped. An instant of doubling forward and sideways, and he reeled off into the air, immediately disappearing downwards.

僅か数行で決定的な事件は起こり、主人公は失神し、気づいたときには奇妙な車に乗せられて家に運び込まれる
そのほんの少し前にはもうひとつの、より不幸な積荷が同じドアをくぐった後だった
through which another and sadder burden had been carried but a few instants before
あまりにも、淡々と流れるように絵画の説明をしているような描写で話が進んでいく

父親が負債を残していることを知り、兄と二人で暮らしていく主人公は、「零落した父をもつ娘」の常としてガヴァネスを目指す
しかし、地元を離れて交友もなく、18歳に過ぎない主人公は世間知らずそのものである
自分を高く見せるべきだ、という(これまた世間知らずの)兄の意見を受けて最初に載せた広告が
‘A YOUNG LADY is desirous of meeting with an engagement as governess or companion.
She is competent to teach English, French, and Music. Satisfactory references
<「若い淑女」がガヴァネスかコンパニオンとして契約するために会うことを望んでいる。英語フランス語音楽教授に秀で、満足のできる保証人あり>
‘That can’t be myself; how odd I look!’ she said
「この文面は私自身にはとても見えない、なんて奇妙な!」
言葉と対象の乖離は繰り返し出てくるテーマ

430 :
ガヴァネスとして「役に立つ」バラ色の未来を夢見るも、連絡をくれる雇い主は現れず、降りていく階級を示唆するかのように、次々に広告の文面を変えていく
Cytherea was vexed at her temerity in having represented to the world that so inexperienced a being as herself was a qualified governess

2週間後に、より下層の謙虚な試みの文面humbler attemptが作成される
‘NURSERY GOVERNESS OR USEFUL COMPANION. A young person wishes to hear of a situation in either of the above capacities. Salary very moderate. She is a good needle-woman
<幼い子供のガヴァネスか、役に立つコンパニオン 若い人物が上記の役割のある環境について聞きたいと願っています。給金は安くてかまいません。針子も得意です。>

さらに一週間が過ぎ、自分の世間知らずさを自責し、「役に立たなさ」に苛まれた寂しい文面となる
‘LADY’S-MAID. Inexperienced. Age eighteen.
<女中。経験なし。18歳。>
Owen the respectable ? looked blank astonishment. He repeated in a nameless, varying tone, the two words? ? ‘Lady’s-maid!’
これなら応募が来るだろうと自信たっぷりに、悲しそうに、苦々しそうに見せた文面は兄を(respectableな) 驚愕させる
‘But you, Cytherea?’ ‘Yes, I? who am I?’
虚飾を捨て、自分にできることは淑女の小間使いでしかない
さらに兄の懇願で「経験なし」を削った三つ目の広告に、ようやく応募が来る
ただしその雇い主は「経験豊富な」小間使いを求めていたもので、せっかく自分の身の丈に合った文面を考えた妹を裏切るものだったが
(父や母がいたら、そんな常識の無いことはしないでしょう、とたしなめられ、さらに親戚の方とか、とあげ、全ていないと答えた娘は同情をえることになる)
‘But your mother knew what was right, I suppose?’ ‘I have no mother, madam.’ ‘Your father, then?’ ‘I have no father.’
‘Well,’ she said, more softly, ‘your sisters, aunts, or cousins.’ ‘They didn’t think anything about it.’ ‘You didn’t ask them, I suppose.’
‘No.’ ‘You should have done so, then. Why didn’t you?’ ‘Because I haven’t any of them, either.’

431 :
Miss Aldclyffe showed her surprise.‘You deserve forgiveness then at any rate, child,’ she said, in a sort of drily-kind tone.
このchildという呼びかけに、女主人の「孤児への同情」が垣間見え、19世紀的な「感情革命」の一員であることが伺える

「緑樹の陰で」には、足を見れば誰の足か分かる、という靴屋が登場する
誰もが靴を作るときには彼のところに行くので看板が無く、女主人公の「美しい足型」を男たちでたたえるフェティッシュな場面がある
しかし、「秋」の最終章で無一文だったDickが「手を広げる」ために運搬屋として名刺を作成する場面があり、そうと知らずに恋敵に名刺を渡す(プロット上は不必要といってもいい)シーンがある
Furniture, Coals, Potatoes, Live and Dead Stock, removed to any distance on the shortest notice.
「どんなに遠い距離でも、家具でも石炭でもポテトでも生きてるものでも死んでるものでもご連絡しだいすぐに」
ここにも「知らないところまでも届いてしまう」広告や看板のいかがわしさがあり、ハーディにおいては「手紙・小説・書かれたもの」とauthorityのテーマにつながっていく

結局主人公を雇うことになる女主人もまた、実情と広告の乖離を咎めるとともに、どことなくいかがわしさを持っている
I want an experienced maid who knows all the usual duties of the office.’ She was going to add, ‘Though I like your appearance,’
「求める文面」と「実際に要求すること」、小間使いを頻繁に変え、身元保証人に確認しますといいながら、「あの顔が気に入った」という理由で確認の手紙を破棄する
She’s an extraordinary picture of womankind ? very extraordinary.’
She has had seven lady’s-maids this last twelvemonth
in her soul she’s as solitary as Robinson Crusoe
as proud as a lucifer
彼女もまた、「顔を見れば分かる」と広告のごまかしを無視する
Under the Greenwood Treeにおいて、
knowing people by their feetという靴屋に対して(足の形はひとつのcharacter)、
‘tis a face you can hardly gainsay. A very good pink face, Still, only a face, when all is said and done.”
「顔は、何か付け加えてくれることは無い、ただピンクできれいな顔だ、それ以上は無い」

432 :
こういう人ってインプットとアウトプットがずれてる。
人の話を聞けないから空気が読めない。
受け取り手の都合を考えないから自分の言いたいことだけを一方的に言うので、やたら長文を書く。

433 :
「役に立つ」usefulという言葉はハーディの作品においてどのような意味を持っているのか
ありふれた言葉なのだけれど、彼の小説を読んでいく中で、不自然な単語に遭遇する
その周辺に繰り返し現れる単語は、作者の意図がきな臭く立ち込めている

自分が役に立つ存在であることを自覚するとき、過去は忘れられる
「役に立った自分」は、過去の自分と、そして未来の自分と食い違い、そのことを役に立っている間は忘れてしまう

本来役に立つはずの自分が役に立たない状況に立つ、あるいは本来役に立たないはずの自分が役に立つ状況
このとき、登場人物が変貌を見せる
特定の状況下では、過去や未来の時制が入り混じり、相対的な時間が支配する
状況は速やかに、役に立ったはずの自分は既に役に立たない、けれどひとたび役に立った自分を忘れることはできない
忘れるためには別の特権的な、相対的な時間が必要になる
‘NURSERY GOVERNESS OR USEFUL COMPANION.
ガヴァネスとして働く屋敷を想像し、「役に立つこと」を求める「窮余の策」
Dick Makes Himself Useful
「緑樹の陰」のなぞめいた章題
I’ll do anything for the benefit of my family, so as to turn my useless life to some practical account.
「青い瞳」で無価値な自分の命が少しでも役に立てるなら、という場面
“If I am useless I will go,” said Bathsheba, in a flagging cadence. “But O, if your life should be lost!”
“You are not useless; but I would rather not tire you longer. You have done well.”
トロイという男と結婚したBathshebaが、Oakと二人だけusefulとなる場面
何よりも、「青い瞳」で宙吊りになったKnightの命を救い、その成果を誇る
An overwhelming rush of exultation at having delivered the man she revered from one of the most terrible forms of death

役に立つ、ことの対義語は世間知らず
役に立つ、ことはwisdom、cleverであるが、性格をさす言葉ではない
「ロンドンにはいくらでもよりcleverな人間はいる」、しかし「(この村に)一人でもいるとすればcleverな男」
置かれた状況に対して「相対的に」賢いのであり、状況を捨象して常に「賢い」人間をハーディは書いていない
状況を離れた性質、「天才」という概念を描いたロマン派

434 :
Owen the respectable . He repeated in a nameless, varying tone, the two words ‘Lady’s-maid!’
‘But you, Cytherea?’ ‘Yes, I - who am I?’

兄の言うことなど聞かず、一人でも父母や姉妹、いとこ等の忠告を聞いていればこんな非常識はしなかっただろうといわれるOwenだが、すぐに妹は兄が正しかったと思うようになる
‘Owen knows everything better than I.’
淑女の小間使いとしてなら役に立てると考えたCythereaは、30近くも年上の女性の髪を自分と同じように結い上げてしまったり、ベルを鳴らされて、「ご主人がお呼びですよ」と言われても、「ええ、知っています」と答えてしまう

‘Don’t “lady’smaid” me: nobody is my mistress I won’t have it!’

435 :
どこまでも「状況に合った」適切な行動をとることができず、翌日には再び屋敷を出て行くことを決意した晩に、状況は二転三転する
過去・現在・未来についての情報がが同時に変更され、屋敷を出て行く理由も、屋敷を出て行ってもやっていける理由も、出て行かなくてはならない理由も全て変更される

この三つがほぼ独立のものとして「状況」を変更し、Ladys maidはuseful Companionとして一応の居場所を得ることになる
時制の用法だけでなく、ひとつの出来事を複数の時制で同時に語る視点がこの場面に存在する

436 :
ハーディの14長編すべて手に入れた
他にも読みたい作家が多いので、果たして全て読み切れるかどうか

437 :
ハーディの英語難しい
19世紀特有の仰々しい文体で書く作家では無いんだが、それでも難しい
はぁ〜ハーディの作品を原文で読めるようになりたい

438 :
情報処理の速度は英語の方が早いが日本語の方が情報量が多いでしょう。

439 :
ハーディそこまで難しいか?

440 :
「女」という制度―トマス・ハーディの小説と女たち
土屋 倭子 (著)
出版社: 南雲堂 (2000/05)

トマス・ハーディ全集〈3〉青い瞳
トマス ハーディ (著), Thomas Hardy (原著), 土屋 倭子 (翻訳)
出版社: 大阪教育図書 (2009/08)

トマス・ハーディの文学と二人の妻―「帝国」「階級」「ジェンダー」「宗教」を問う
土屋 倭子 (著)
出版社: 音羽書房鶴見書店 (2017/10/1)

441 :
イギリスの土着派だよね
アメリカのフォークナー、フランスのシモン、日本の中上健次もそう

442 :
帰郷、遙か群衆を離れて、が好き

443 :
読みにくいか。
原稿には後からの挿入とか多いみたいだから、文章がゴツゴツしてくるのかな。

444 :
「日陰者ジュード」に出てくる繊細な少年が、義理の母親に対して言う言葉。
望まれることなく生まれてしまった子供は、小さいうちに殺してあげた方がいいんだ、
と訴える。

"I think that whenever children be born that are not wanted they should be killed directly,
before their souls come to 'em, and not allowed to grow big and walk about!"


自分の義理のきょうだい2人を殺したあとに自ら首を吊ったあとの場面。

At the back of the door were fixed two hooks for hanging garments, and from these the forms
of the two youngest children were suspended, by a piece of box-cord round each of their necks,
while from a nail a few yards off the body of little Jude was hanging in a similar manner.
An overturned chair was near the elder boy, and his glazed eyes were slanted into the room;
but those of the girl and the baby boy were closed.

出典: Thomas Hardy, "Jude the Obscure"
http://www.gutenberg.org/files/153/153-h/153-h.htm

445 :
Thomas Hardy "Far from the Madding Crowd" の冒頭からの翻訳の試み
https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/english/1385330096/

446 :
Thomas Hardy "Far from the Madding Crowd"
戦後これまで出版された2種類の邦訳の比較(第4章の冒頭)

角川文庫・高畠文夫訳・遙か群衆を離れて
「女がお高く止まっていても、本人がべつにそれを意識していないときだけは、男は
たいてい我慢ができるものである。しかし、意識していても、抑えつけられている男の方で、
なんとなく、いつかはあの女をわがものにできそうだという気がするために、満足する
という場合だってあるのだ。この目鼻立ちの整った美しい娘は、まもなく若い牧場主オーク
のこころの中へ、目にみえて食い込んできた。」

千城・瀧山季乃/橘智子訳・狂おしき群をはなれて
「相手の男性にとって我慢できる女性の唯一の優越感は、概して言えば、それに気付いて
いない場合である。しかしながら、それを知っていても、位負けしている男には、いつかは
ものにする可能性がありそうだと、それも時としてうれしいかもしれない。この器量よしの
娘はやがて、若い牧場主オウクの情緒面に目に見えて入り込んで来た。」

447 :
大阪教育図書のハーディ全集がなかなか完結しない
『はるか群衆を離れて』の翻訳が難航しているのか

448 :
>>412
ハーディの小説は読んだことないけど、石工の扱いは面白い。
ミケランジェロは彫刻家だが、石工でもある。

449 :
Far from the madding crowdsの原題についてこのスレで訳されてる、
「madding crowd=狂乱の群れ」だけど、ここでいう狂乱については当時の
イギリスでも社会問題として注目されていた、てんかんやてんかん的発作が割と
大きな意味を持っていたのではないか?
far from the madding crowdの前には出典的にはwilliam grayのエレジーがあり、
その前にはwilliam drummond of hwathornden(ホーソーンデンのウィリアム・
ドラモンド?)の詩があるらしい。
何でこんな蘊蓄披露をしたかというと、てんかんやその発作はペトラルカのsforzato
以来、文学やアートと深いつながりを持ってきたような。
sforzatoは不思議の国のアリスの変身(首長+短足)とも、関係あるらしい。
イタリア・ルネサンス時代の医者はそういう外見上の症状のことをsforzatoと
結び付けていた?

 

450 :
現代でもsforzatoの意味は良く解っていない。

451 :
「日陰者ジュード」という題名の日本語訳が
気にくわない、もっと良い日本語訳大募集!

452 :
「黄昏のジュード」

453 :
暗黒のジュード

454 :
陰気なジュード

455 :
ヘイ・ジュード

456 :
ジュード一直線

457 :
ジュード障害者

458 :
またハーディを読みたくなってきた

459 :
>>455 >>456に座布団

460 :
理想の小説を考えてみる
魅力的な男女の登場人物、絡み合った飽きない展開、叙情的な美しい文体、
現代にも通じる普遍的なテーマなど、すべてを満たすハーディはやはり文豪だ

461 :
【地震、津波、投下】 3WAYだった、対日核攻撃
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/jsdf/1551074759/l50

462 :
>>458
何を読みますか?

463 :
>>462
恋魂

464 :
>>463
The Well-Belovedは小説に見切りをつけたハーディの意気込みが感じられる
この後30年も小説を一切書かずに詩を書き続けた理由がわかる感じ

465 :
ハーディは天才で、同時代の人間よりはるかに本質を見抜く洞察力を備えていた
日陰者ジュードなどはるか先の未来に向けて書かれた傑作だ

466 :
『恋魂』を読んでいるが、ポルノグラフィティの「サウダージ」を思い出す
あの歌では「恋心」だったけれど

467 :
ハーディという作家は偉いな
終始一貫して恋愛小説だけを書き続けた
恋愛感情の不思議さを追求し続けた

468 :
千城の恋魂、前半の翻訳がひどい
誤植も多い

469 :
あいうえ63

470 :
>>458
村上春樹さんでつか(´・ω・`)

471 :
『恋の魂』を買った
藤井繁訳だから問題なさそうだ

472 :
次はハーディ全集の『森林地の人々』を読む

473 :2020/05/08
ハーディ全集「はるか群衆をはなれて」がようやく出版された。
これでこの小説を翻訳で読めない状況はひとまずなくなった。

電波王 アントナン・アルトー3
文学理論 10
結局「文学」そのものを分かってない奴が大半だよな
討論用 文才の遺伝に関しての話題
ヘルマン・ヘッセ part3
小沢健二の「うさぎ!」
現在高2の僕に読ませたい本を教えて下さい。
受賞に納得できなかった芥川賞受賞作
【マジキチ】山崎行太郎 part17【勘違い老人】
【新感覚派】横光利一
--------------------
うずらずら♪
個人番号(マイナンバー)で行政はどうなる?
【総合】 Intel SSD Part53
F=maとかありますが
靖国神社の特攻隊を祀る銅像のお供え物のタバコを散らかし、お茶をかけていた人物「あいつらは犯罪者だからいいんだよ」
【復活】レコード・コレクターズ Vol.6
【FFDCG】FINAL FANTASY DIGITAL CARD GAME ファイナルファンタジーデジタルカードゲーム★7
柔道整復師は本当に見込みゼロです Part83
【新型コロナ】北九州 市職員の感染確認 区役所閉鎖し消毒へ
【The Cheserasera】part4
【うんこちゃん】加藤純一総合スレpart793
【PS3】RACE DRIVER GRID2 Lap1【Xbox360】
【流浪の民】グラクソ・スミスクライン2019
小刻みに震える子猫 殺処分に立ち会った おおいた動物愛護センター ★3
女子中学生の太ももに頭を乗せ続けた男を逮捕
新垣里沙。のここが本スレなのだいいビル389棟目
【私を】SLOTギルティクラウン【使って】Part.36
陸上自衛隊 観閲式3(実質6)
中島みゆき スレッド(ワッチョイ有)
【IKa総合】 P.S.すりーさん 16曲目
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼