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大山が中原にだけボコられたのはなぜ?


1 :2020/01/15 〜 最終レス :2020/05/14
大山
https://i.imgur.com/Obcy0Hg.jpg
年齢的な衰えが原因なら、米長とか加藤一二三にもボコられてないと
おかしいんだが、むしろ勝ち越してる
なぜ中原にだけ圧倒的に弱かったのだろうか?

2 :
単につるっ禿より突撃の方が強かったから 以上

3 :
盤外戦術が中原には通じなかったと言われている

4 :
2ch名人が自作自演で立てたスレ

5 :
24歳差って親子の年齢差だからな
本来はライバルになり得ない
干支が同じ猪年で二周違いと思うと想像出来るやろ

6 :
中原は16世名人だからだろ
米長や加藤より強くて一番若いから
不思議な点はない
加藤にだけ大幅に負け越したのなら不思議だが
一番年齢が離れていて一番強いのに負けただけ
何が不思議なのか
自分が40代半ばから69歳までに、20代半ばから40代の名人15期取る棋士に負けたら不思議かな?

7 :
腐星出の邪道大便人森内尊士が名人戦と羽生戦に人生の全てを捧げて約10年間絞ったんだぞ?
ピックタイトルで1勝か2勝くらいは勝ち越さないといくらなんでも不味いだろw
絞った結果

ピックタイトル限定
森内6-4羽生
絞り終わったら

森内58 ー 78羽生 対局数136 持将棋0 ( 森内勝率0.426)
直近の対戦成績 森内1ー12羽生(森内勝率0.077)
●●●●●●●○●●●●●

8 :
羽生さんが戸辺に負けて棋聖戦敗退だけど
16歳差の戸辺くらいの棋士にすら負けるようになるのが年齢による衰え。
カモにしていた屋敷にも連敗するようになった。

24歳差、しかも中原のような次世代の王者に負けるのは当然だな。
むしろ、それだけ対局したのが凄い。
羽生さんが次世代の王者とこれから150局以上指せるかというと・・・

9 :
大山vs中原のタイトル戦は20回あったが、大山は4回しかタイトルを獲れていない。その4回全てフルセットで、圧倒したタイトル戦は一度もなかった。中原がいなかったら、大山のタイトル数は余裕で100期超えていただろう。

10 :
大山vs中原のタイトル戦は20回あったが、大山は4回しかタイトルを獲れていない。その4回全てフルセットで、圧倒したタイトル戦は一度もなかった。中原がいなかったら、大山のタイトル数は余裕で100期超えていただろう。

11 :
50くらいで全盛期の力は失っていたが、20代半ばの次世代覇者と折れずにバチバチ戦ってたんだろ
今の尿漏れとは全てが違うわな

12 :
序中盤はだいたい大山が優勢だけど
終盤の速度計算でいつも大山がまくられてた
ただ加齢による衰えが一番出てくるのが終盤
紙一重の差で頂点争いしてるんで、加齢による読みの精度低下が大きいと思う
加藤米長は頂点を争うレベルではなかったんで大山を越えられなかった

13 :
別に羽生を貶すつもりないけど客観的に見て大山はめちゃ凄かったということが、今の羽生を見てわかるよ
大山以上の化け物がプロ制度終了までに現れるかなあ。藤井は正直、羽生クラスで終わると思う……

14 :
ひふみんは名人初挑戦のときが全てだったと思う
シリーズ通してなぶり殺しされてメンタル破壊されてある種のイップスに陥ったのがあまりにも大きすぎた
あそこは棋史のターニングポイント、ひょっとしたら歴史
大きく変わっていたかもしれん。。

15 :
単純な疑問

大山 > 米長 加藤
中原 > 米長 加藤

で、勝率も同じくらいの「>」なのに
なんで

中原>>>>>>>>大山 になるの?

16 :
1、大山が中原を苦手とした、が一番単純な結論になるのかな。
ただそういう感じはしなかったので、次の結論
2、米長加藤が大山を苦手とした
3、中原が米長加藤を苦手とした
米長大山の関係知らんけど、2もありそうかね。
4、大山は中原を苦手とし、加藤は大山を苦手とし、異常なライバル心を燃やした米長は中原に強かった
とすると今度は米長加藤の戦績と合致しなくなる…

17 :
年上の加藤米長は台頭が中原より早かったので
(特に加藤は)全盛期の大山と対戦する機会が多くて
単純に負け越していた + 同時に苦手意識も植え付けられたんじゃないかな
中原は加藤ほど鮮烈デビューではなかったおかげで
大山の全盛期を過ぎてから対戦するようになったので
普通に勝てたし苦手意識も持たなかったのかも
大山からしたら、加藤という超有望のやばいのを何とか押さえつけたと思ったら
誰も警戒してなかったそこそこな若手の中原が後から出てきて困ったんじゃないかな

18 :
チャイルドブランドを乗り越えられたのが
谷川だけだったという
大山も中原も55年組も洗い流されて
今ではタイトル7期の南九段がC2で指してる
大山も中原はいいタイミングで将棋から身を引いたのかもしれない
中原もしフリクラ宣言してなかったら倒れる前の晩年はC1で降級争いしてたに違いない

19 :
米長と加藤の戦績を基準に考えるんじゃなくてレーティングを基準に考えろよ

20 :
>>15
っーか なんでここでマジレスすんの?
大げさ 捏造 捻じ曲げで面白おかしくするのがここの目的なのに・・・

21 :
中原誠 竜王戦のみの成績
2008
佐藤康 ○
羽生   ×
2007
郷田  ○
丸山  ○
谷川  ×
郷田  ×
森内  ○
2006
木村  ○
畠山鎮×
屋敷  ○
佐藤康 ×
2005
佐藤康 ×
行方  ○
丸山  ×
2004
三浦  ○
羽生  ×
先崎  ○
行方  ×

22 :
世代交代だからしやないやん
中原なんてとっくに50代でA級から消えてる

23 :
2003
三浦 ○
木村 ×
中村 ○
佐藤康○
森内 × (挑戦者決定3番勝負)
森内 ○ 
森内 ×
中村 ○
屋敷 ×
2002
行方 ●
中川 ●
米長 ○
日浦 ○
以上がフリクラ入り以降の中原の竜王戦成績。
これでC2まで落ちるかね

24 :
中原自然流と大山自然流の戦いとか観戦記に書かれたこともあって居飛車と振り飛車の違いはあったけど棋風が似ていたという認識だったと思う
似た棋風だったからこそ終盤力の衰えが響いたんじゃあるまいか

25 :
>>24
米長が同じようなことを言っていた記憶がある
大山-中原戦を評して戦い方が似ていると言っていた
奇抜な構想を用いるとか、技をかけて一気に優位を築くようなことはせず
細かい折衝を重ねて優位を拡大していくような辛抱強い戦いかただと
相撲風に言うと取り口が似ている同士なら若くて力があるほう、俊敏な方が
勝ちやすいってとこか

26 :
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http://questgames.net/shogi2/game/q020uvbizxxx

27 :
棋士は縦型のタイプと横型のタイプに分かれる。
横型のタイプの棋士の特徴は横に広く読むことにある。プロはだれでも深く掘り下げて読むわけだが、縦型の人は、まず掘り下げて見て、「これじゃうまくいかん」と見定めると、今度は横を見て考え直す。
最初に横を見るか、のちに横を見るか、この違いで棋風が大きく変わってくる。
木村さん、私、中原さんは同じ横型のタイプではないかと思う。
こうした次第であるから底力を身に付けるためには若いときから手を横に広く読む鍛練をしたほうがいい。
専門棋士になるような人はだれでも研究の面ですぐれたものを持っている。だからどんなに研究しても一番になれるものではない。研究で得た知識というものはすぐに真似をされて威力を失ってしまう。
私の考えでは「ここ一番」で負けないためには人が真似することができない「何か」を身に付けることだと思う。
では、容易に人に真似をされない強さとは何なのであろうか。
うまいことをしようとか、すばらしい手を指そうと意識することではない。
常に慎重に冷静に局面に対処し、その場その場で手を幅広く読む習慣があれば底力を発揮することができるようになる。
将棋に限っていえば、人真似をしない棋士のみが一番と二番を争う人に成長することができる。強さとは、そうした個性的なものの蓄積である、といえると思う。
1983年 大山康晴

28 :
大山自身がこう言ってるから中原とは棋風が噛み合うからこそ僅かな実力差が大きく響いた・・・みたいな所はあるんじゃないかね
実際、大山から見て中原は相性の悪い相手だったと思うよ
なんせ中原が米長・加藤より格上の16世名人だとしても大山の中原に対する戦績は確かに悪いからね(大山は50代でも米長加藤に勝てるほど強かったのに中原だけは合口が悪かった)
それと中原は加藤みたいに全盛期大山から苦手意識を植え付けられてなかった精神的なモノも大きかっただろうね
実力差・相性・精神面
複合的な要因が絡んで中原は大山をボコることができたのだろう

29 :
良く知られてるのは、温泉旅館でタイトル戦やって、
大山が麻雀をやろうと言い出したのでみんなしぶしぶ従うしかなかったけど、
そこに中原が現れて「みんな何やってるの、ここに来て温泉に入らない手はないよ」
と言ったらみんな喜んで中原についていったという。そして大山だけがぽつんと残された。
当時、大山に対してそういう事が出来たのは中原一人だけだったらしい。
棋風的な相性の悪さと同時に人間的な相性の悪さもあったらしいよ。

30 :
この話、当時の将棋世界でも取り上げられたことがあって、記事の中で大山が中原を自分の後継者に相応しいと感じてしまっていることが理由に挙げられていた。

31 :
>>25
それが一番わかってたのが中原本人だろうね
だから、大山先生の全盛期にぶつからなくてよかったって
引退後にぶっちゃけてるw

32 :
【年齢】
大山 1923年3月生まれ(1922年度生)
加藤 1940年1月生まれ(1939年度生) 大山の17学年下
米長 1943年6月生まれ(1943年度生) 大山の21学年下 加藤の4学年下
中原 1947年9月生まれ(1947年度生) 大山の25学年下 加藤の8学年下 米長の4学年下

※加藤〜米長〜中原は4学年ずつ、違います。
※加藤−中原が、谷川−羽生と同じ学年差です。

33 :
【大山について】

大山1 全盛期大山(40代前半まで)
1958年度 35歳-36歳 2タイトル獲得/3タイトル戦開催
1959年度 36-37歳 3/3
1960年度 37-38歳 4/4
1961年度 38-39歳 4/4
1962年度 39-40歳 4/5 ※31歳二上が40歳大山から王将を奪取
1963年度 40-41歳 6/6 ※米長邦雄がプロ入り(大山40歳)
1964年度 41-42歳 6/6
1965年度 42-43歳 6/6 ※中原誠がプロ入り(大山42歳)
1966年度 43-44歳 5/6 ※34歳二上が43歳大山から棋聖を奪取

※タイトル戦開催43回中、40回を獲得。史上最強大山の全盛期(35歳〜43歳頃)。
※大山は3月生まれなので、年度中の大半を前に書かれた年齢で過ごします。

加藤一二三のプロ入り 1954年度(大山31歳のとき) 加藤1人が大山全盛期を完全に体験しています。
中原は、大山全盛期が終わりかけたころに登場しています。
今後の考察で重要なのは、「中原が登場したから大山全盛期が終わった」のではなく
「大山全盛期が終わりかけのころに中原がプロ入りした」というところにあります。
ここが非常に重要です。
大山がいろいろな相手に負け始めたのが40代半ば頃からであり、そこに若い中原も登場します。

34 :
大山2 大山下降期(44歳〜50歳)
1967年度 44-45歳 4/6 ※前期棋聖を33歳山田に奪取される。後期棋聖は準決勝で中原(20歳 初対戦)に敗れ獲得できず。
1968年度 45-46歳 3/6 ※十段戦で加藤に敗れる。後期棋聖戦で中原棋聖に挑戦も敗退。
1969年度 46-47歳 4/6 ※棋聖以外の2日制4タイトルを保持。棋聖は中原→内藤に(中原無冠)。

1970年度 47-48歳 4/6 ※大山前期棋聖を内藤から奪取も、十段と後期棋聖を23歳中原に奪われる。
1971年度 48-49歳 3/6 ※大山名人王将王位をキープ、23-24歳中原十段と棋聖×2をキープ。今の羽生九段が49歳でここ。
1972年度 49-50歳 0/6 ※大山無冠。名人と王将を24-25歳中原に、王位を32歳内藤に奪われる。

大山下降期は、近年の羽生世代の落ち方を見てきた今のファンにも、分かりやすい時期ではないでしょうか。
40代前半〜半ばころから、トップ棋士でも衰えが見え始めます。
大山も例外ではなかったようです。たまに一撃をもらう二上以外は完璧に撃退していた大山が、山田や加藤一にも負け始めます。
大山下降期にちょうど、急成長中原(20代前半)が上昇期に入りました。このタイミングがピッタリだったと言えます。
大山44歳、中原20歳が2人の初対局です。
大山は40代後半、50代、60代、中原は20代、30代、40代前半、2人の対局162局はこの期間に行われています。

中原が全盛期大山から一気にタイトルを奪ったかのように考えると、間違いのもととなります。
衰えた大山が、山田、加藤、若き中原に苦戦しながらも、なんだかんだタイトルの多くを保持していた時期が先にあり
その後で完全体となった中原が、50歳に近づいた大山からタイトルを剥がしていきます(内藤も1つ剥がします)。
この順序を正確に踏まえておくと考え方を誤りません。

35 :
【大山中原米長加藤 初期の対戦成績 1972年度まで】
中原40勝 大山24勝
大山が下降し始めた1969年度に初対局。
1967年度〜1969年度は中原7勝(19歳〜22歳)、大山3勝(44歳〜47歳)。
1970年度〜1972年度は中原33勝(22歳〜25歳)、大山21勝(47歳〜50歳)。
6年間ですが、最初の3年間は10局のみ。
後半3年間が54局、長時間の2日制対局も多く含まれます。
20代前半の中原が急成長して対局数が増えました。

中原8勝 米長6勝
1965年度〜1970年度が、中原2勝(17歳〜23歳)、米長5勝(21歳〜27歳)
1971年度〜1972年度が、中原6勝、米長1勝。
低段時代の中原にはよく勝てた米長ですが、成長した中原には分が悪くなっていきます。
全て1日制の対局です。
中原米長は通算成績でも1日制対局ではほぼ互角、2日制対局で中原が大幅に勝ち越します。

中原13勝 加藤1勝(この後、中原21-1加藤、中原23-2加藤が最大のリードです、21の勝ち越し)
大山46勝 加藤24勝
大山11勝 米長2勝
加藤5勝 米長4勝
1972年度まで
全盛期中原(20代)>下降期大山(44歳〜50歳)>>米長加藤 と言えるでしょう。

36 :
対戦成績は通算で見るのではなく、時期を分けて見ると理解しやすいです。
最終的な結論としては
「中原は20代の全盛期はとっても強い」
「30代半ば以降の衰えた中原はそうでもない」
ということになります。
どの時期の中原とどれだけ対局したかで、対戦成績もかなり変わってきます。
中原の対大山は
全盛期中原(20代)は衰えた大山(40代後半〜50代)に勝ち越すことができた
衰えた中原(30代半ば以降)はさらに衰えた大山(60代)に勝ち越すことができた
という二重構造になっております。
自分が最も強かった時期に、衰えた相手をボコり
自分が衰えた時期に、さらに衰えた相手をボコりました。
ずっと、勝ちっぱなしです。年齢的なタイミングが良かったのです。
中原の対加藤、米長は
全盛期中原(20代)は2人を基本的に圧倒しますが
衰えた中原(30代半ば以降)は2人といい勝負になっていきます。
自分が最も強かった時期に、30歳前後の相手をボコり、
自分が(早くも)衰えた時期(30代半ば以降)に、40歳前後の相手といい勝負になった。
対大山と対米長加藤で、違いがあります。

37 :
【中原 対 大山 年度別対戦成績】

1967年度 20歳中原 1-0 44歳大山  通算1-0
1968年度 20-21歳中原 4-2 45-46歳大山  通算5-2
1969年度 21-22歳中原 2-1 46-47歳大山  通算7-3
1970年度 22-23歳中原 10-7 47-48歳大山 通算17-10
1971年度 23-24歳中原 10-8 48-49歳大山 通算27-18(60%)
1972年度 24-25歳中原 13-6 49-50歳大山 通算40-24(62.5%)
1973年度 25-26歳中原 5-4 50-51歳大山 通算45-28
1974年度 26-27歳中原 13-6 51-52歳大山 通算58-34
1975年度 27-28歳中原 6-1 52-53歳大山 通算64-35
1976年度 28-29歳中原 5-3 53-54歳大山 通算69-38
1977年度 29-30歳中原 3-2 54-55歳大山 通算72-40(64.3%)
1978年度 30-31歳中原 4-1 55-56歳大山 通算76-41
1979年度 31-32歳中原 1-1 56-57歳大山 通算77-42
1980年度 32-33歳中原 2-2 57-58歳大山 通算79-44
1981年度 33-34歳中原 9-6 58-59歳大山 通算88-50
1982年度 34-35歳中原 3-3 59-60歳大山 通算91-53(63.2%)
1983年度 35-36歳中原 4-0 60-61歳大山 通算95-53
1984年度 36-37歳中原 1-0 61-62歳大山 通算96-53
1985年度 37-38歳中原 0-0 62-63歳大山 通算96-53
1986年度 38-39歳中原 5-1 63-64歳大山 通算101-54
1987年度 39-40歳中原 1-1 64-65歳大山 通算102-55(65%)
1988年度 40-41歳中原 1-0 65-66歳大山 通算103-55
1989年度 41-42歳中原 2-0 66-67歳大山 通算105-55
1990年度 42-43歳中原 1-0 67-68歳大山 通算106-55
1991年度 43-44歳中原 0-0 68-69歳大山 通算106-55
1992年度 44歳中原 1-0 69歳大山 通算107-55(66%)

38 :
大山 対 米長
1973年度まで(大山がほぼ50歳) 大山14勝 米長4勝 大山の勝率77.8%
  この間 大山20勝 米長15勝 大山50代前半
1978年度まで(大山がほぼ55歳) 大山34勝 米長19勝 大山の勝率64.15%
  この間 大山16勝 米長20勝 大山50代後半
1983年度まで(大山がほぼ60歳) 大山50勝 米長39勝 大山の勝率56.19%
  この間 大山8勝 米長7勝 大山60代
最終結果(大山死後70歳 米長49歳) 大山58勝 米長46勝 大山の勝率55.77%(大山死後の不戦敗含む)

39 :
なるほど。勉強になる。

40 :
44歳から69歳までの間に
20歳から45歳の大永世名人相手に55回勝つって神業やな 改めて

41 :
そうなんだよな。
大山があまりにも強すぎるので、中原にだけはボコられた事実が突出してしまったとも言えるが、年齢差を考えればそういうことなんだ。

42 :
中原にだけは大山の盤外戦術が通用しなかったとか聞くね
でも本当は中原が大山戦で八百長を拒否してただけかもしれない
大山って八百長の常習で八百長で勝たせてもらってたらしいしな

43 :
年齢がいってからでも、対米長の勝率は悪くなかっただろ。泰然自若の中原自然流は大山将棋を上回っていたんだよ。

44 :
中原は※が仕掛けた罠にまんまと掛かりトチ狂って突撃しなければ
羽生・大山に次ぐ大棋士として純粋に評価されていただろう
突撃一発でそれまで築き上げた人気・人望・人徳が地に落ちて
それまでのギャップもあり何かと避けられるようになってしまった
天然か何か知らんが遊びまくってた大山と違いオトナの遊び方や
手を出してはいけないタイプのオンナを見極める眼があまりにも無さ過ぎた

45 :
>>43
対米長もしっかりと勝率落としてる
>>38見れば計算できるが大山40代までは米長(20代)に7割5分勝てていたのに
50代〜60代ではほぼ互角になってる(米長30代〜40代)
米長にしろ加藤にしろ、中原よりは弱い
ほぼ似たような同じ時代に生きて中原はタイトル64期、米長加藤あわせて27期と大差
50代でも大山は米長や加藤と互角以上だったが(これが驚異的)、一番強く一番若い中原には勝てなかっただけ
普通のことだが大山は60代になるとさらに弱くなった
>>37対中原との対戦成績見ても分かる、50代までよりも60代はさすがにほとんど勝てていない(2勝15敗)

46 :
1988年以降だと中原米長は17勝17敗で互角なんですよね。
中原は41歳以降、米長45歳以降です。
中原は20代、30代、40代と分かりやすくレベルを下げていきます。
(羽生世代がよく勝てていたのはほぼ、40代の中原です。)
対大山は40代、50代、60代と自分と同じように階段を下りてくれたから何とかなりましたが
米長は中原と年代が似ていて、なおかつ中原よりは棋力を維持したので
中原は高齢になると米長に以前ほどは勝てなくなったというところかと。

47 :
中原にだけってのがスゴいよな。マジで他の相手には負け越してない
ほぼ同格で20歳若い相手にはそりゃボコられて当然と思う

48 :
【全盛期中原(20代〜30歳過ぎまで)の1日制タイトル戦】
●1968(昭和43)年01月30日 第11期棋聖戦 山田道美 34歳 3-2 中原 誠 20歳
○1968(昭和43)年07月19日 第12期棋聖戦 中原 誠 20歳 3-1 山田道美 34歳
○1969(昭和44)年01月20日 第13期棋聖戦 中原 誠 21歳 3-1 大山康晴 45歳
○1969(昭和44)年07月10日 第14期棋聖戦 中原 誠 21歳 3-0 山田道美 35歳
●1970(昭和45)年01月19日 第15期棋聖戦 内藤國雄 30歳 3-1 中原 誠 22歳
○1971(昭和46)年01月12日 第17期棋聖戦 中原 誠 23歳 3-0 大山康晴 47歳
○1971(昭和46)年08月03日 第18期棋聖戦 中原 誠 23歳 3-1 大山康晴 48歳
○1972(昭和47)年01月21日 第19期棋聖戦 中原 誠 24歳 3-1 二上達也 40歳
○1972(昭和47)年07月21日 第20期棋聖戦 中原 誠 24歳 3-1 内藤國雄 32歳
●1973(昭和48)年02月05日 第21期棋聖戦 有吉道夫 37歳 3-2 中原 誠 25歳
○1978(昭和53)年02月06日 第31期棋聖戦 中原 誠 30歳 3-2 大山康晴 54歳
●1978(昭和53)年03月10日 第03期棋王戦 加藤一二三 38歳 3-0 中原 誠 30歳
○1978(昭和53)年06月28日 第32期棋聖戦 中原 誠 30歳 3-0 有吉道夫 42歳

1978年まで(中原30歳過ぎ)

49 :
>>48
中原は全盛期でも1日制タイトル戦では、ちょくちょく取りこぼし的なものがあります(9勝4敗)。
「大山には負けたことがない」が「それ以外の棋士たちに負けている」のが特徴です(山田、内藤、有吉、加藤)。
第22期から30期まで、9期連続で棋聖戦番勝負に登場できませんでした(一発勝負1日制トーナメントで敗退している)。

2日制では絶対的に強かったが、1日制ではちょくちょく取りこぼしたのが全盛期中原です。 これは羽生九段と真逆です。
羽生九段は1日制では絶対的に強いので、1日制タイトルや2日制タイトルの予選(1日制)でよく勝ちます。
いっぱい勝って勝率も高いのですが、2日制番勝負ではライバルにやられるパターンがよくあるので
「肝心なところ(2日制の名人戦、竜王戦など)でよく負ける」ということになりました。

全盛期中原は名人、十段、王将、王位の2日制タイトルをがっちり押さえ、
残りの1日制棋聖を取れず、なかなか全5冠(年6回タイトル戦)になれない、
28歳のときに1日制棋王戦も増えてさらに全6冠(年7回タイトル戦)が遠のく、という流れでした。
厳しく見れば一発勝負に弱いタイプです。近年でいうと渡辺三冠や森内九段が近いのではないかなと。
2日制では安定して勝つ(といっても3敗まで問題ないですからね、番勝負は。)、
1日制や2日制タイトルの予選(王位戦など)は1回コロッとコケて負け、消える→手抜き扱いされる。

50 :
【全盛期中原(20代〜30歳過ぎまで)の2日制タイトル戦】
○1970(昭和45)年12月11日 第09期十段戦 中原 誠 23歳 4-2 大山康晴 47歳
●1971(昭和46)年03月23日 第20期王将戦 大山康晴 48歳 4-3 中原 誠 23歳
●1971(昭和46)年10月08日 第12期王位戦 大山康晴 48歳 4-3 中原 誠 24歳
○1971(昭和46)年12月24日 第10期十段戦 中原 誠 24歳 4-2 大山康晴 48歳
○1972(昭和47)年06月08日 第31期名人戦 中原 誠 24歳 4-3 大山康晴 49歳
○1972(昭和47)年12月13日 第11期十段戦 中原 誠 25歳 4-1 大山康晴 49歳
○1973(昭和48)年02月20日 第22期王将戦 中原 誠 25歳 4-0 大山康晴 49歳
○1973(昭和48)年05月11日 第32期名人戦 中原 誠 25歳 4-0 加藤一二三 33歳
○1973(昭和48)年09月05日 第14期王位戦 中原 誠 26歳 4-0 内藤國雄 33歳
●1974(昭和49)年01月08日 第12期十段戦 大山康晴 50歳 4-3 中原 誠 26歳
○1974(昭和49)年03月12日 第23期王将戦 中原 誠 26歳 4-2 米長邦雄 30歳
○1974(昭和49)年06月07日 第33期名人戦 中原 誠 26歳 4-3 大山康晴 51歳
○1974(昭和49)年10月08日 第15期王位戦 中原 誠 27歳 4-2 米長邦雄 31歳
○1974(昭和49)年12月13日 第13期十段戦 中原 誠 27歳 4-1 大山康晴 51歳
○1975(昭和50)年03月19日 第24期王将戦 中原 誠 27歳 4-3 米長邦雄 31歳
○1975(昭和50)年07月04日 第34期名人戦 中原 誠 27歳 4-3 大内延介 33歳
○1975(昭和50)年09月26日 第16期王位戦 中原 誠 28歳 4-2 内藤國雄 35歳
○1975(昭和50)年12月12日 第14期十段戦 中原 誠 28歳 4-0 大山康晴 52歳
○1976(昭和51)年02月27日 第25期王将戦 中原 誠 28歳 4-1 有吉道夫 40歳
○1976(昭和51)年06月11日 第35期名人戦 中原 誠 28歳 4-3 米長邦雄 33歳
○1976(昭和51)年09月29日 第17期王位戦 中原 誠 29歳 4-2 勝浦 修 30歳
○1977(昭和52)年01月12日 第15期十段戦 中原 誠 29歳 4-3 加藤一二三 37歳
○1977(昭和52)年03月10日 第26期王将戦 中原 誠 29歳 4-2 大山康晴 53歳

51 :
>>50 続き
※1977年度の名人戦は開催なし
○1977(昭和52)年10月05日 第18期王位戦 中原 誠 30歳 4-2 米長邦雄 34歳
○1978(昭和53)年01月10日 第16期十段戦 中原 誠 30歳 4-3 加藤一二三 38歳
○1978(昭和53)年02月15日 第27期王将戦 中原 誠 30歳 4-2 有吉道夫 42歳
○1978(昭和53)年05月19日 第36期名人戦 中原 誠 30歳 4-2 森 雞二 32歳
○1978(昭和53)年08月30日 第19期王位戦 中原 誠 30歳 4-1 大山康晴 55歳
○1978(昭和53)年12月27日 第17期十段戦 中原 誠 31歳 4-3 米長邦雄 35歳

52 :
羽生 棒テン即リー全ツッパ
揚がりまくるもトップは森内

53 :
>>48の1日制同様、1978年まで
全盛期中原は、2日制では圧倒的に強いです(26勝3敗)。
3敗はいずれも大山(いずれもフルセット負け)、つまり大山以外には全勝です。
名人9連覇、十段3連覇→50歳大山に負け→6連覇、王将6連覇、王位6連覇の大半を占めた時期です。
この圧倒的だった中原が下降期(30歳過ぎ〜40歳)になるとどうなるか、見てみます。

54 :
【下降期中原(30歳過ぎ〜40歳)の2日制タイトル戦】
●1979(昭和54)年02月08日 第28期王将戦 加藤一二三 39歳 4-1 中原 誠 31歳
○1979(昭和54)年05月18日 第37期名人戦 中原 誠 31歳 4-2 米長邦雄 35歳
●1979(昭和54)年10月13日 第20期王位戦 米長邦雄 36歳 4-3 中原 誠 32歳
○1979(昭和54)年12月14日 第18期十段戦 中原 誠 32歳 4-1 米長邦雄 36歳
○1980(昭和55)年06月04日 第38期名人戦 中原 誠 32歳 4-1 米長邦雄 36歳
○1980(昭和55)年08月29日 第21期王位戦 中原 誠 32歳 4-0 米長邦雄 37歳
●1980(昭和55)年12月18日 第19期十段戦 加藤一二三 40歳 4-1 中原 誠 33歳
○1981(昭和56)年05月29日 第39期名人戦 中原 誠 33歳 4-1 桐山清澄 33歳
○1981(昭和56)年10月02日 第22期王位戦 中原 誠 34歳 4-3 大山康晴 58歳
●1982(昭和57)年04月08日 第31期王将戦 大山康晴 59歳 4-3 中原 誠 34歳
●1982(昭和57)年07月31日 第40期名人戦 加藤一二三 42歳 4-3 中原 誠 34歳
●1982(昭和57)年09月21日 第23期王位戦 内藤國雄 42歳 4-2 中原 誠 35歳
○1982(昭和57)年12月21日 第21期十段戦 中原 誠 35歳 4-2 加藤一二三 42歳
○1983(昭和58)年12月21日 第22期十段戦 中原 誠 36歳 4-2 桐山清澄 36歳
●1985(昭和60)年01月08日 第23期十段戦 米長邦雄 41歳 4-3 中原 誠 37歳
○1985(昭和60)年03月05日 第34期王将戦 中原 誠 37歳 4-1 米長邦雄 41歳
○1985(昭和60)年06月04日 第43期名人戦 中原 誠 37歳 4-2 谷川浩司 23歳
●1986(昭和61)年01月08日 第24期十段戦 米長邦雄 42歳 4-3 中原 誠 38歳
●1986(昭和61)年03月14日 第35期王将戦 中村 修 23歳 4-2 中原 誠 38歳
○1986(昭和61)年06月03日 第44期名人戦 中原 誠 38歳 4-1 大山康晴 63歳
●1987(昭和62)年03月18日 第36期王将戦 中村 修 24歳 4-2 中原 誠 39歳
○1987(昭和62)年06月12日 第45期名人戦 中原 誠 39歳 4-2 米長邦雄 44歳
●1988(昭和63)年06月14日 第46期名人戦 谷川浩司 26歳 4-2 中原 誠 40歳

55 :
>>54 1979年から1988年まで(中原30歳過ぎ〜40歳)
>>50 >>51との違いが顕著です。
2日制であれだけ強かった(26勝3敗)中原が、12勝11敗という状況です。
加藤、米長、59歳大山、内藤、中村修、谷川に負けております。

中原1人が弱くなったのか?中原以外のメンバー全員が中原の域に上がったのか?この二択が基本です。
後者は確率的にまずありえません、複数人が揃って一気にのし上がるというのはなかなか起こり得ない。
大山の年齢を考慮しても、彼が50代後半にして中原レベルまで強くなったことは有り得ないでしょう。

つまり中原1人が明らかに弱くなったのです。中原が他トップ棋士のレベルに落ちてきたってことです。
その結果、1980年代に谷川新名人や55年組の台頭(タイトルホルダー乱立)、米長四冠王があったのです。

そして次の羽生世代の活躍は、その中原が40代に突入しさらに劣化、
米長加藤は40代後半から50代へ、大山は60代から死去…そういった状況で実現しました。
棋界のレベルがかなり落ちていた時期なのです。
「強かった中原らを駆逐した55年組を倒した羽生世代強すぎ」、なのではなくて
「弱くなった中原らが空けた隙間に入っていた55年組を倒した羽生世代」、とするのが正しいです。
こうみると各種対戦成績もかなり理解がしやすくなります。
55年組の没落が早かった理由も分かります(きつく言うと大して強くない世代だった、ということになります)。
羽生世代と中原米長加藤が強かった時期は、どちらが強かったにせよ、そう大きな差はないはずです。
羽生世代が狩っていた中原は主に40代以降中原であり、下降期(主に30代)よりもさらなる劣化期となります。
そして羽生らが戦った大山は60代です。

56 :
下降期中原(30歳過ぎ〜40歳)
2日制タイトル戦 12勝11敗
このうち
名人戦が6勝2敗
その他が6勝9敗であります。
中原は40代でも名人戦は3勝1敗と勝ち越します(他は0勝1敗)。
これが中原の一大特徴です。
全盛期(20代〜30歳過ぎまで)は基本的にどのタイトル戦でも勝ちまくります。
(それでも十段戦1敗、王将戦1敗、王位戦1敗の中で、名人戦は無敗)
下降期でも、名人戦だけは見事に粘るのです、6期取ります。
40代でも30期取ります。
結果、頂点の大山名人18期に、わずか3期差(と言いましょう)の15期まで到達します。
本来はもっと差が開いていてもおかしくないのですが、名人戦中原だけは特別な強さを見せました。

57 :
>>56
40代中原は、名人3期です、30期は取りすぎです、失礼しました。
30代以降の中原は、レベルが違うとはいえ言うなれば少し前の森内九段状態となっております。
衰えながらも、名人戦だけはよく勝ちました。

58 :
参考
【下降期中原(30歳過ぎ〜40歳)の1日制タイトル戦】
○1979(昭和54)年01月22日 第33期棋聖戦 中原 誠 31歳 3-1 二上達也 47歳
○1979(昭和54)年07月10日 第34期棋聖戦 中原 誠 31歳 3-1 加藤一二三 39歳
○1980(昭和55)年01月05日 第35期棋聖戦 中原 誠 32歳 3-0 淡路仁茂 29歳
○1980(昭和55)年03月21日 第05期棋王戦 中原 誠 32歳 3-1 米長邦雄 36歳
●1980(昭和55)年07月18日 第36期棋聖戦 米長邦雄 37歳 3-1 中原 誠 32歳
●1981(昭和56)年03月12日 第06期棋王戦 米長邦雄 37歳 3-1 中原 誠 33歳
●1981(昭和56)年07月15日 第38期棋聖戦 二上達也 49歳 3-0 中原 誠 33歳
○1983(昭和58)年01月21日 第41期棋聖戦 中原 誠 35歳 3-1 森 雞二 36歳
●1983(昭和58)年08月04日 第42期棋聖戦 森安秀光 33歳 3-2 中原 誠 35歳
○1983(昭和58)年10月11日 第31期王座戦 中原 誠 36歳 2-1 内藤國雄 43歳
○1984(昭和59)年10月16日 第32期王座戦 中原 誠 37歳 3-2 森安秀光 35歳
○1985(昭和60)年10月11日 第33期王座戦 中原 誠 38歳 3-1 谷川浩司 23歳
○1986(昭和61)年09月19日 第34期王座戦 中原 誠 39歳 3-0 桐山清澄 38歳
●1987(昭和62)年10月21日 第35期王座戦 塚田泰明 22歳 3-2 中原 誠 40歳
1日制では9勝5敗でした。2日制タイトル戦での落ち込みほどは劣化が見られません。
36歳のときに王座戦がタイトル戦となったのですが、
中原は羽生九段同様、王座戦で強さを見せてきた棋士であり、この時期の支えとなっています。
棋聖も年2回開催時期ながら通算16期と見事ですが(大山、羽生両名と同じ)
羽生九段と比べて、棋王戦だけはイマイチです。
28歳でタイトルとなりましたが、通算わずか1期となります。

59 :
1974年度 26-27歳中原 13-6 51-52歳大山 通算58-34
1975年度 27-28歳中原 6-1 52-53歳大山 通算64-35
1976年度 28-29歳中原 5-3 53-54歳大山 通算69-38
1977年度 29-30歳中原 3-2 54-55歳大山 通算72-40(64.3%)
1978年度 30-31歳中原 4-1 55-56歳大山 通算76-41

1979年度 31-32歳中原 1-1 56-57歳大山 通算77-42
1980年度 32-33歳中原 2-2 57-58歳大山 通算79-44
1981年度 33-34歳中原 9-6 58-59歳大山 通算88-50
1982年度 34-35歳中原 3-3 59-60歳大山 通算91-53(63.2%)

1983年度 35-36歳中原 4-0 60-61歳大山 通算95-53
1984年度 36-37歳中原 1-0 61-62歳大山 通算96-53
1985年度 37-38歳中原 0-0 62-63歳大山 通算96-53
1986年度 38-39歳中原 5-1 63-64歳大山 通算101-54
1987年度 39-40歳中原 1-1 64-65歳大山 通算102-55(65%)
1988年度 40-41歳中原 1-0 65-66歳大山 通算103-55
1989年度 41-42歳中原 2-0 66-67歳大山 通算105-55
1990年度 42-43歳中原 1-0 67-68歳大山 通算106-55
1991年度 43-44歳中原 0-0 68-69歳大山 通算106-55

30歳過ぎの中原が下降期に入ったらしいことは、大山との対戦成績でも見てとれます。
1979年度から1982年度まで、31-35歳の中原は15勝12敗と、50代後半大山といい勝負になってしまいます。
20代中原対50代前半大山では中原が大きく優勢だったにも関わらずです。

50代後半大山が50代前半大山より急激に強くなることはまずないので
これはやはり中原が劣化したことになります。
タイトル戦の成績とほぼ表裏一体なので当たり前なのかもですが。

そして劣化したはずの30代中原が、1983年度以降は大山に圧勝し始めます。
劣化したはずなのに?なぜでしょう?
これは、今度は大山側がさらに劣化したからであります。大山は60代となります。

60 :
大山15世は別格の史上最強棋士なので
大山60代のような成績が、他の超トップ棋士(羽生や中原)の50代となると思われます。
普通のトップ棋士(谷川や森内ら)の50代は、60代大山にも及ばないと思われます。

大山50代は、他の超トップ棋士(羽生や中原)の45歳以降よりは、上と思います。
大山は50代でも全盛期中原に次ぐナンバー2でしたから。恐るべき強さです。

61 :
>>59
豊富なデータから当たり前の結論を引き出すのは徒労というものだよ

62 :
「高齢でもそれだけ強かった大山は全盛期にはいったいどれだけ強かったんだよ…」
といい問いの答えが、以下ですね。
大山1 全盛期大山(40代前半まで)
1958年度 35歳-36歳 2タイトル獲得/3タイトル戦開催
1959年度 36-37歳 3/3
1960年度 37-38歳 4/4
1961年度 38-39歳 4/4
1962年度 39-40歳 4/5 ※31歳二上が40歳大山から王将を奪取
1963年度 40-41歳 6/6 ※米長邦雄がプロ入り(大山40歳)
1964年度 41-42歳 6/6
1965年度 42-43歳 6/6 ※中原誠がプロ入り(大山42歳)
1966年度 43-44歳 5/6 ※34歳二上が43歳大山から棋聖を奪取
※タイトル戦開催43回中、40回を獲得。史上最強大山の全盛期(35歳〜43歳頃)。
タイトル17連続獲得、1回王将戦で二上に負けて、今度は19連続タイトル獲得
タイトル戦登場50回連続 これが史上最強棋士の全盛期であります。
基本的に全ての辻褄が合っています。
辻褄が合わなくなるのは羽生九段を史上最強と考えた場合です。
いろいろな言い訳やフォローが必要となってしまいます。
基本的に羽生九段の実績が大山15世を上回っているものは
「記録を作るチャンスが増えたから」という単純な話で説明がつくと思われます。
名人は1年に1回取れるチャンスが公平にあり大山18期>羽生9期と差がつき
大山が若いころからあるタイトルでも読売は大山14>羽生7、王将は大山20>羽生12と差がついています。
一方で、羽生が最大7冠で大山が最大5冠な理由は
大山時代はどうやっても5冠がせいいっぱいだったから、ということになります。
タイトル総数記録も、勝ち数も、タイトル戦の開催が多い、対局が多い、
というのが羽生九段の数値が上な理由です。
本当の意味で強いのは大山15世のほうでしょう。

63 :
>>61
誰かに書いてもらえば、誰にでも分かりますし当然の結論にも感じます。
できるだけ誰にでも分かるように書いています。

64 :
羽生九段の同時7冠は
大山が死去し、中原や米長が40代後半〜50代に入っていく中で
同年代の他羽生世代が成長しきる前の、ちょうど都合のいいタイミングで発生したと考えられます。
渡辺三冠が「羽生同時七冠はよく分からない、達成したあとで同世代の反撃を許しているからだ」
「大山先生が支配し続けたのは単純に実力が飛び抜けていたからだろうが」といった感じで
羽生七冠同時誕生を不思議がっていましたが(理由を分かった上で、はっきり言わなかっただけかもしれない)。
年下世代の進撃にチビっている谷川九段を何とかすれば、支配が容易だったのが1990年代半ばの棋界と思います。
森内が完成してしまうと、2日制限定の勝負では森内が羽生より上の存在となってしまいました。
そこが多くの関係者にとって誤算だったのかなあと。
無冠の帝王時代の森内(20代中心)と、30代森内は、だいぶ違いますからね。
そして40代森内もだいぶ違います、相当弱くなりましたね。
30代だけやたら強いのが森内九段です。

65 :
【羽生対森内 2日制タイトル戦  羽生5勝 森内7勝】
○1996(平成08)年06月04日 第54期名人戦 羽生善治 25歳 4-1 森内俊之 25歳
○2003(平成15)年05月20日 第61期名人戦 羽生善治 32歳 4-0 森内俊之 32歳
●2003(平成15)年11月27日 第16期竜王戦 森内俊之 33歳 4-0 羽生善治 33歳
●2004(平成16)年03月16日 第53期王将戦 森内俊之 33歳 4-2 羽生善治 33歳
●2004(平成16)年06月11日 第62期名人戦 森内俊之 33歳 4-2 羽生善治 33歳
○2005(平成17)年02月10日 第54期王将戦 羽生善治 34歳 4-0 森内俊之 34歳
●2005(平成17)年06月24日 第63期名人戦 森内俊之 34歳 4-3 羽生善治 34歳
○2008(平成20)年06月17日 第66期名人戦 羽生善治 37歳 4-2 森内俊之 37歳
●2011(平成23)年06月22日 第69期名人戦 森内俊之 40歳 4-3 羽生善治 40歳
●2012(平成24)年06月13日 第70期名人戦 森内俊之 41歳 4-2 羽生善治 41歳
●2013(平成25)年05月31日 第71期名人戦 森内俊之 42歳 4-1 羽生善治 42歳
○2014(平成26)年05月21日 第72期名人戦 羽生善治 43歳 4-0 森内俊之 43歳

竜王戦でストレート勝ちしたあたりで、森内九段が覚醒します。
森内は33歳から42歳までの10年間、、同年齢の羽生九段との2日制番勝負は「7勝2敗」と圧倒します。
そして43歳頃から、急激に弱くなりました。
羽生に名人棋聖戦で完全敗北し、糸谷にも竜王を奪われて終了しました。

66 :
大山時代、中原時代(全盛期の20代〜30歳過ぎ限定)は
1日制最強者と2日制最強者が一致していた時期です。
よって安定した棋界となっていました。
いわゆる羽生時代(と言っていいと思います)は
1日制最強者と2日制最強者が違っていた時代であります。
1日制最強者の羽生が、2日制だと3番手だったように思われます。
森内、渡辺が上におりました。
2日制タイトルは2日制番勝負と1日制予選から出来ておりますから
羽生九段の2日制タイトルが多いことは、2日制勝負の棋力で一番ということにはなりません。
2日制番勝負で羽生森内、羽生渡辺が実現したとき
どちらが強かったか(よく勝ったのか)、という話です。
2日制タイトルでも羽生九段は王位の獲得数はよく伸ばしました(18期)。
予選に大きなシードがない一発勝負の王位戦予選で
森内や渡辺が消えてくれたおかげですね。
森内渡辺は王位戦番勝負に登場したことが一度もありません。
王位戦はリーグ入りの時点で波乱の多いタイトル戦であり若手が活躍しやすいと言われてきました。
2日制タイトルながら、1日制の成分比率が高いタイトルと言えるでしょう。
藤井聡太七段は、どうなるでしょう。
1日制では多分、トップクラスなのはもう間違いないですからね。
2日制将棋で大山や中原のようにその時代ナンバー1の実力があれば
大名人、大竜王の時代が到来するはずです。

67 :
>>46
そのうち4勝が例の名人戦だよね

68 :
>>63
訳のわからないことを。
あなたが初めて明言した事実でもないのに。

以前将棋板で見たデータでへぇっとなったのは
大山がタイトル挑戦したとき奪取より敗退の方が多く、
うち中原に1勝9敗で、それを除くと奪取の方が多い、というもの。

69 :
まあまあ押さえて。大した力もないのに妙な対抗意識は持たないでください。

70 :
で、そのデータのどこらへんに へえっ となったのですか?

全盛期はほとんどタイトル保持しているのだから挑戦自体が少ない。
自分が一番強いのだから、挑戦側に回ったときは当然勝つでしょう。

衰えて2番手以下になってからは、自分以外に最強者がいます。
挑戦側に回る機会が多くなりますが、最強者の壁が厚くタイトル奪取が難しい。

と、説明してもらえばあなたにも理解できるはず。
次は自分で理由まで書いてデータ提示をお願いします。

71 :
当然の結論
あなたが初めて明言した事実でもない

これらはどこを指しているのかいまいち分からん

72 :
それ分かる人はいませんよ。
彼の頭の中でもしっかりまとまってないでしょうし。

73 :
>>70
それをデータで示してみては如何?
大山のタイトル挑戦歴は調べてないの?

74 :
>>71
中原が衰えて大山を圧倒できなくなった
しかし大山はさらに衰えて中原にボロ負け状態になった
こんなのデータ見なくてもわかることじゃないか。

75 :
多分、私のデータを見たからあなたの頭の中がまとまったのですよ。
そこに気づいたほうがよろしいかと。
最初から頭の中がしっかりまとまっているのでしたら
あなたが最初に説明すればよろしいのです。

76 :
ID:nWNqt4j7が何に噛みついてるのかが俺にはよく分からん。

77 :
突撃力で勝ってる

78 :
>>73
あなたが切り出した話題なので
あなたがデータを提示すればよろしいのです。
私はタイトル戦の全データを決着日やスコア、年齢つきで
決着順にまとめたデータを作ってあるので、大山15世の挑戦歴も出せますが
挑戦歴限定でまとめてもさほど興味深さを感じないので。
あなたはなぜ興味を持ったのですか?

79 :
データ見たからこそ分かることを
データ見なくても分かってた風にイキってる馬鹿がいるな

80 :
中原は加藤、米長にも同じパターン
対加藤21勝1敗で完全に勝負付けは済んだと思われたところから互角の勝負になり名人を獲られた

81 :
谷川の評価もお願いします

82 :
大酒飲んでる奴は早死にするなんてデータを見なくてもわかるだろ

83 :
データが蓄積されて一般常識化したから知ってるだけ

84 :
うむ
つーか大酒の件は完全に個人差あるけどな

85 :
大山信者には辛い事実が沢山あるが
事実から目を背けてはいかんぞ
盤外や不正横領も含めて

86 :
歴代最強スレでもそうだけど
大山信者はデータで語ろうとするが
アンチ大山は少しレベル低くない?w

87 :
データは主張の根拠・裏付けとなるものだから必要
主張だけだと個人の願望レベルかもしれない
主張を支える裏付けがあるから説得力がある
盤外戦術を使えば勝てるという説得力があれば意味のある主張
仮に歴代棋士たちによる盤外戦術があったとしてそれが
羽生さん勝ってくれという対局相手に対する羽生ファンによるあからさまな圧力と比べて
勝敗に与える影響という点で何がそんなに違うのかという疑問もある

88 :
大山の50代の強さはすごい。
昭和の時代だから現在なら60代くらいの感覚だろうしな。

89 :
羽生が勝てない理由についても
頭が悪い人間ほど複雑に考えたがるものだが
シンプルに「加齢により終盤力が劣化した」では駄目なのか、検討する意味はある
棋聖戦で戸部に敗れた羽生だが
相穴熊の戦いなど昔から存在しており
そこにAIによる感覚の違いなど生じ得るのだろうか?という当然の疑問が個人的にある
AIのせいではなく昔からある問題に羽生は直面しているだけではないか、とシンプルに考えている

90 :
>>89
感覚がついていけないなんて、
それこそ大山、升田とか加藤はどうだったんだって話。
谷川も今はもうダメだが会長やめてから復調してリーグ入りもしてた。
レジェンド級は時代の変化についていけるからこそのレジェンドだと思うよ

91 :
どの分野でも見られる傾向だけど
「今は〜〜だから大変」みたいなアピールって必ずあるよ
新人に限らず中堅もベテランも必ずそう言う
やっている本人たちからするとそう思うといろいろと良い面があるんだと思うなあ
ほんとはやっていることはいつの時代も大して変わらず同じなんだと思うがね
新人たちは自分たちの時代に自負があるから今は大変アピールするし
ベテランたちは自分の力が劣化しているから今は大変だとガチで感じている
そこらへんがカラクリかなと
レベルが下がっているとか楽だとかはほぼ言わないね、言う意味ないから

92 :
>>89
それには同感だね。

まあ、終盤力が落ちたタイミングに加えて、羽生の終盤力が衰えたのが将棋のプロに周知のことになるまでに
ある程度の期間がかかったかな?という気はするね。

とりあえず昔のように終盤が悪魔的に強い羽生だと思って対局するよりも、予め終盤のねじりあいになれば勝ち目がかなりあると分かっていて戦略を立てられたほうが、対局者としてはかなり楽にやれるからねえ。

93 :
>>91
将棋界も今は棋書ネットソフトの発達で若くて才能あれば簡単に強くなれるもんな。それを大変な時代か楽な時代と捉えるかは難しいところ。
それに大山は本来全盛期に当たる年齢が戦争でつぶれているのだから。

94 :
>>89
歳で勝率が良くないはわかるが戸辺に敗れたから何だというのは戸辺舐めすぎだろ

95 :
戸部を舐めるという心情は君の中にある
>>89からは読み取れない

96 :
戸辺だからとか相手の問題ではなくて、おなじみの戦型の終盤で読み負けているのに
AIによる金の位置が1つ違う感覚とかの問題なのかって話だね
相手の問題として考えると屋敷とかにも負けだしてるけど
屋敷も昔からいる棋士だからAIとかそこまで関係ある?って思っちゃう

97 :
あと奥さんがぺらぺらと暴露しすぎ
退庁は絶対隠さないと
あれのせいで、長期戦に持ち込めばいいって方針できちゃった

98 :
>>88
権力を振りかざして八百長を強要してたからな

99 :
禿茶瓶キモ爺瓶底メガネの悪党を退治した英雄中原誠

100 :
大山、羽生はレジェンドになれたけど
中原、谷川、森内はロートルになってしまった
レジェンドの条件とは・・・
タイトル獲得数だと中原もレジェンドに入れてよさそうなのに
実際にはただのロートルになってたからね


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