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羽生善治は大山康晴を超えることができるのか? 19


1 :
数字の上では歴代?1になったが、何か足りないモノがあるもの事実。
名実ともに文句の付け様が無い地位まで登り詰める事が出来るのか?
これからも目が離せない。
前スレ
羽生善治は大山康晴を超えることができるのか? 18
https://mevius.2ch.sc/test/read.cgi/bgame/1569746506/ VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:: EXT was configured

2 :
厳しいザマスね。

3 :
もうムリポ・・・(´・ω・`)

4 :
予選まで× 本戦まで● タイトル戦登場敗退★
|--|24|13|16|18|12|07|09|99計--計80|18|14|20|12|-16-|--|--|
|叡|王|棋|棋|王|王|竜|名|羽生-2/22-|名|十|王|王|棋聖|棋|王|
|王|座|王|聖|位|将|王|人|大山18/163|人|段|将|位|前後|王|座|
|00|00|00|01|00|00|01|00|〜〜〜〜〜|02|01|05|02|-08-|00|00|
|×|★|●|〇|★|×|〇|●|羽生47大山|〇|★|〇|〇|〇★| ※叡王戦開始(左表)
|●|●|●|★|●|×|★|★|羽生48大山|〇|★|〇|〇|★●|
|×|●|…|●|●|…|×|●|羽生49大山|★|★|★|★|●●|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生50大山|●|〇|●|●|●●|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生51大山|★|★|●|●|〇〇|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生52大山|●|★|●|●|〇〇|●| ※棋王戦開始
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生53大山|●|●|★|●|〇〇|●|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生54大山|…|●|●|●|〇★|●| ※主催紙移行で名人戦実施されず
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生55大山|●|●|●|★|●●|●|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生56大山|●|●|〇|●|●●|●|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生57大山|●|×|〇|●|●●|●|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生58大山|●|×|〇|★|●●|●|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生59大山|●|●|★|●|●●|★|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生60大山|●|●|●|●|●●|●|●| ※王座戦開始
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生61大山|●|×|…|●|●●|●|×| ※王将戦がん治療による不参加
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生62大山|…|×|×|×|●●|●|●| ※順位戦がん治療による休場
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生63大山|★|×|×|×|●●|●|×|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生64大山|●|×|×|●|●●|●|●|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生65大山|●|●|×|×|××|●|●| ※竜王戦開始
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生66大山|●|●|×|●|××|★|×|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生67大山|●|×|×|×|●×|●|●|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生68大山|●|×|×|×|××|●|×|
|…|…|…|…|…|…|…|…|羽生69大山|●|×|×|×|××|●|×|

5 :
〜〜〜〜〜〜〜〜
羽生5−3(+1)大山
〜〜〜〜〜〜〜〜
羽生17(先)●×〇大山64(後) 1987/11/02 『将棋世界』新春お好み対局 ※非公式戦
羽生17(先)●×〇大山65(後) 1988/05/21 王将戦 二次予選 1回戦
羽生18(先)〇×●大山65(後) 1988/11/16 NHK杯戦 本戦 3回戦
羽生18(後)〇×●大山65(先) 1989/02/17 オールスター勝ち抜き戦
羽生18(先)〇×●大山66(後) 1989/08/25 竜王戦 本戦 準決勝
羽生19(先)●×〇大山66(後) 1989/12/22 棋王戦 本戦 勝者組決勝
羽生20(後)〇×●大山67(先) 1991/01/19 早指し将棋選手権 本戦 準々決勝
羽生20(先)〇×●大山68(後) 1991/07/09 王将戦 二次予選 2回戦
羽生20(先)●×〇大山68(後) 1991/09/24 天王戦 本戦 2回戦
現在棋譜が残っているもののみ

6 :
王者の系譜(永世名人のみ)
37----40--------45--------50--
木木木木木木木木木木■■木木木
村村村村村村村村村村■■村村村
?--?--?--?--?--■■???
------55--------60--------65--------70--
大大大大大■■大大大大大大大大大大大大大
山山山山山■■山山山山山山山山山山山山山
?????■■?????????????
------75--------80--------85--------90------
中中中中中中中中中中■谷谷中中中谷谷中中中■
原原原原原原原原原原■川川原原原川川原原原■
?????--????■??????????■
--95--------00--------05--------10--------15--------
羽羽羽谷■■■■森羽森森森森羽羽羽森森森羽羽■■■■
生生生川■■■■内生内内内内生生生内内内生生■■■■
????■■■■??????????????■■■■
★傑出度★
大山>木村>中原>森内>>羽生>谷川
木村十四世名人 80%(08/10期) 87%(13/15年) ※37〜51年度
大山十五世名人 90%(18/20期) 90%(18/20年) ※52〜71年度
中原十六世名人 75%(15/20期) 76%(16/21年) ※72〜92年度
谷川十七世名人 33%(05/15期) 33%(05/15年) ※83〜97年度
森内十八世名人 66%(08/12期) 66%(08/12年) ※02〜13年度
羽生十九世名人 41%(09/22期) 41%(09/22年) ※94〜15年度

7 :
プロ前/未開催/病欠/引退等… B級1組以下× A級● 名人戦登場敗退★ 名人〇
--------------|20--------25--------30--------35--------40--------45--------50
木村十四世名人|…………………………………〇…〇…〇…〇…〇…★●〇〇〇………
大山十五世名人|…×……×★●★●〇〇〇〇〇★★〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●●
中原十六世名人|××××●〇〇〇〇〇…〇〇〇〇★●●〇〇〇★●〇〇〇★●●●●
谷川十七世名人|×〇〇★●●〇〇★●●●●●●〇★★●★●●●●★●●●●●●
森内十八世名人|××××××★●●●●●〇★〇〇〇〇★●●〇〇〇★●●…………
羽生十九世名人|××××〇〇〇★●●●●●〇★★●●〇〇〇★★★〇〇★●★●…
--------------|20--------25--------30--------35--------40--------45--------50
升田_幸三九段|…………………×……×●●●★●★★…●〇〇★……●★●●★…
加藤一二三九段|●★●×●●●●×●×●●●★●●●…●●●●〇★●●●●●●
米長_邦雄九段|…××××××××●●●●★…●★★●●●●●●★●★●★●〇
佐藤_康光九段|××××××××●〇〇★●●●●●●●●●●×●●●●●●●●
丸山_忠久九段|…××××××××●〇〇★●●●●●●●●●●×××××××…
佐藤_天彦九段|…××××××××〇〇〇★………………………………………………
豊島_将之名人|××××××××●〇………………………………………………………
--------------|20--------25--------30--------35--------40--------45--------50
渡辺_明_三冠|×××××××●●●●●●●●●………………………………………
広瀬_章人竜王|×××××××××●●●●●……………………………………………
永瀬_拓矢叡王|××××××××……………………………………………………………
--------------|20--------25--------30--------35--------40--------45--------50

8 :
将棋界で絶対的な利権と格付けを表す順位戦のトップを決めるタイトルそれが名人
■名人が特別な理由
・タイトルの中で名人と竜王は別格に扱われる
(他タイトルを同時に保有していても原則として「竜王・名人」「竜王」「名人」と呼称される)
・多くの利権がある順位戦の頂点を決めるのが名人戦
・所属クラスによって生活の基盤となる(一般人の基本給に該当する)対局料が払われる
・順位戦C2からの降級でフリークラス転出or引退しなければいけない
・多くのタイトル戦や棋戦でシードがあるのは順位戦のみ

竜王戦1組に所属していることでシードされるタイトル戦や棋戦が1つもないことから
竜王≧名人ではなく、圧倒的に名人の方が価値があるタイトルといえる
■順位戦の所属クラスによってシードされる主なタイトル戦や棋戦
名人戦:A級(A級8位以上、B1の2位以上)
竜王戦:なし
叡王戦:なし
王位戦:なし
王座戦:2次予選から(B2以上)
棋王戦:決勝Tから(B1以上)
王将戦:2次予選から(A)
棋聖戦:2次予選から(B2以上)
NHK:本戦2回戦から(A)本戦1回戦から(B1)
銀河戦:ブロック戦から(順位戦上位者)

プロ棋士の格は順位戦の所属クラスで決まる
名人(順位戦)の重要さに比べたら(賞金が大きい竜王戦を除く)他のタイトルや棋戦は
本当にどうでもいいものと言わざる得ない

9 :
51歳以上で名人になった棋士がいないので、見易さを優先して51歳以上は省略w

★名人戦(順位戦)★(永世名人/名人経験者/有力棋士)
プロ前/未開催/病欠/引退等… B級1組以下× A級● 名人戦登場敗退★ 名人〇
--------------|20--------25--------30--------35--------40--------45--------50
木村十四世名人|…………………………………〇…〇…〇…〇…〇…★●〇〇〇………
大山十五世名人|…×……×★●★●〇〇〇〇〇★★〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●●
中原十六世名人|××××●〇〇〇〇〇…〇〇〇〇★●●〇〇〇★●〇〇〇★●●●●
谷川十七世名人|×〇〇★●●〇〇★●●●●●●〇★★●★●●●●★●●●●●●
森内十八世名人|××××××★●●●●●〇★〇〇〇〇★●●〇〇〇★●●…………
羽生十九世名人|××××〇〇〇★●●●●●〇★★●●〇〇〇★★★〇〇★●★●…
--------------|20--------25--------30--------35--------40--------45--------50
升田_幸三九段|…………………×……×●●●★●★★…●〇〇★……●★●●★…
加藤一二三九段|●★●×●●●●×●×●●●★●●●…●●●●〇★●●●●●●
米長_邦雄九段|…××××××××●●●●★…●★★●●●●●●★●★●★●〇
佐藤_康光九段|××××××××●〇〇★●●●●●●●●●●×●●●●●●●●
丸山_忠久九段|…××××××××●〇〇★●●●●●●●●●●×××××××…
佐藤_天彦九段|…××××××××〇〇〇★………………………………………………
豊島_将之名人|××××××××●〇………………………………………………………
--------------|20--------25--------30--------35--------40--------45--------50
渡辺_明_三冠|×××××××●●●●●●●●●………………………………………
広瀬_章人竜王|×××××××××●●●●●……………………………………………
永瀬_拓矢叡王|××××××××……………………………………………………………
--------------|20--------25--------30--------35--------40--------45--------50

10 :
十八世なかなかええ感じやな
大山が化け物感ハンパナイ

11 :
天彦の名人戦3連覇は実はすごいんだな
羽生が3連覇2回
森内が4連覇1回3連覇1回
谷川が2連覇2回
20世名人の可能性はかなり高いよ
谷川羽生森内は連覇して3年失速また連覇
天彦も3年後は名人に返り咲いてるかもしれない

12 :
羽生は谷川よりも先に引退して十七世名人を襲名してほしい〜

13 :
強い棋士は後手番での勝率が高い
大山が晩年でもA級で戦えたのも後手番の勝率がよかったからだ
1953年10月以降のデータがあるサイトを見ると大山の先手勝率が0.621、後手の勝率が0.624となっている
1986年(63歳)以降はより顕著になっている
これは長い対局を苦にするようになった大山が先手を持つと自分から攻めて自滅することが増えたのが原因だろう
先手番で負け越すようになってからも後手番では67歳までずっと勝ち越していた。
それ以前に後手番で負け越したのは関西会館建設と連盟会長を引き受けた初年度にあたる1977年の一度あるのみだった
    先手  後手
1983  0.538  0.575
1984  0.750  0.556
1985  0.654  0.600
1986  0.462  0.588
1987  0.458  0.593
1988  0.353  0.588
1989  0.500  0.542
1990  0.294  0.643
1991  0.571  0.467
1992  1-2   0-2

14 :
永世名人が同じ時代に多過ぎるので谷川と森内は獲得少ないから羽生さんを十七世名人にして引退してほしい〜

15 :
大山名人は、人類の中で最も将棋の神に近づいた人かもしれんね
囲碁の中山典之が、人類の中で囲碁の神にもっとも近づいたのは道策と呉清源、
という意味のことを本に書いている(昭和50年くらいの時点)
==================================
前スレより
969 名前:名無し名人[sage] 投稿日:2019/11/07(木) 11:51:25.80 ID:zMUb8zn8
>>854
wikiソースだが
小学生名人戦で羽生善治が優勝したとき、谷川浩司が「このまま頑張れば、プロになるのも夢ではない」と羽生を讃えて励ましたのに対して、大山康晴は「数年後は谷川君を目標にタイトルを争っているでしょう」
大山の見る目凄すぎ

979 名前:名無し名人[] 投稿日:2019/11/07(木) 12:22:38.28 ID:f52AG3Jr
>>969
それだけ大山先生は将棋に精通してるってことだよな
流石は史上最強棋士

984 名前:名無し名人[] 投稿日:2019/11/07(木) 12:46:15.67 ID:0eRQm905 [2/2]
>>979
コンピュータに将棋教えたら駄目ですよも
凄いね w

16 :
大山の若い頃の対局結果が出揃ってきていい感じだな
村上真一ってのをやや苦手にしていたぽいがあとはよく勝ててる

連盟でも1952年以前の棋譜は多くが消失しておりなかなか記録を出せない
大山や升田はまだ揃っているほう

17 :
羽生が順位戦デビュー(16歳)したときの棋界地図
C2 49名
井上(23) 森下(20) 阿部隆(19)
中田宏樹(22)
C1 24名
高橋(26)
B2 21名
塚田(22) 中村(24) 島朗(24)
B1 14名
青野(34) 内藤(47) 田中(29) 石田(40)
真部(35) 福崎(27)
A級 10名
大山(64) 米長(43) 加藤(47) 谷川(24)
森(40) 桐山(39) 有吉(51) 二上(55)
南(23) 小林(30)

名人 中原(39)

A級に南が23歳で上がっているようにこの時期B1〜C2までがスカスカだった
羽生は7年かけて楽々と23歳でA級まで登ることができたばかりでなく、そのときには大山はなく、中原ですら46歳になっていた
あっという間に名人を獲り、七冠まで達成できたのも宜なるかな

18 :
大山 永世5冠
名人 13連覇 18期
九十 10連覇 14期 (27歳から)
王将 9連覇 20期 (28歳から)
王位 12連覇 12期 (37歳から)
棋聖 7連覇 16期 (39歳から)
棋王 0連覇 0期 (52歳から)
王座 0連覇 0期 (60歳から)

中原 永世5冠
名人 9連覇 15期 
十段 6連覇 11期
王将 6連覇 7期
王位 6連覇 8期
棋聖 5連覇 16期
棋王 0連覇 1期 (28歳から)
王座 4連覇 6期 (36歳から)

羽生 永世7冠
名人 3連覇 9期
竜王 2連覇 7期
王将 6連覇 12期
王位 9連覇 18期
棋聖 10連覇 16期
棋王 12連覇 13期
王座 19連覇 24期
叡王 0連覇 0期 (47歳から)

19 :
羽生さんは大王座の名に揺るぎなし!

20 :
大山時代には無かった棋王と王座を外して比べると(むしろ大山の尽力によりタイトル戦になったのだが)

大山
名人 13連覇 18期
九十 10連覇 14期 (27歳から)
王将 9連覇 20期 (28歳から)
王位 12連覇 12期 (37歳から)
棋聖 7連覇 16期 (39歳から)
合計80期(内2大タイトル32期)

中原 永世5冠
名人 9連覇 15期 
十段 6連覇 11期
王将 6連覇 7期
王位 6連覇 8期
棋聖 5連覇 16期
合計57期(内2大タイトル26期)

羽生
名人 3連覇 9期
竜王 2連覇 7期
王将 6連覇 12期
王位 9連覇 18期
棋聖 10連覇 16期
合計62期(内2大タイトル16期)

21 :
年齢の不利があるにも関わらず獲得数の一番多い大山が圧倒的一位
2位は棋聖年2回時代を考慮すると羽生、2大タイトルを考慮すると中原(両者は現在の評価程差がないことが分かる)

大山(年齢の不利がありながらも最強確定)>>羽生≧中原(棋聖戦が多かったにも関わらず羽生のほうが合計獲得数が多い)
または
大山>>中原≧羽生(名人・読売の獲得数の大差を考慮した場合)

この2パターンだね

22 :
この中で大山が獲得数で羽生より唯一少ないのは王位だけ
それも初代王位となった37歳から48歳まで12期連続の記録だからこれ以上獲れようがないといってよい記録
何から何まで大山が凄すぎるね

23 :
全く名人偏重主義で無い俺ですら、大山>羽生>中原って評価だからな
とにかく19世がダサすぎるよ。18世になるだけでも相当見栄え変わったのに。ナベに3連勝4連敗食らったのも死ぬほどダサい。他競技での「絶対王者」がこんな失態するか?
いくら2日制キツいといっても、ライバル達にギリ勝ち越せる程度でないとお話にもならないよ

24 :
17世名人→仕方ない、1回負けただけ
18世名人→えぇ
初代永世竜王→…

NHKとかJT杯みたいな早指しならガチで史上最強だと思う
1日制は大山と同じくらいかな?
何はともあれ羽生さんは長い対局ほど正当な実力が出るなんて発言しなければよかったな

25 :
>>24
どうかな?
NHKは大山が28歳の時にできた棋戦だしね
(羽生は28歳までに11回中5回優勝)
JT杯は言うに及ばず、早刺しも同程度じゃないか?

26 :
刺し→指し

27 :
17世名人は30代で衰えて谷川に4期献上した中原の責任の方が大きいのでしゃーない
後の二つは弁解不能
後輩に先越されるとか本当に最強棋士なんですかね・・・?

28 :
先越された永世タイトルが佐藤康光の棋聖や渡辺の棋王ならまだよかったのによりにもよってなぜ2大タイトルの名人と竜王だったのか
これが一番気になる
さすがに偶然じゃないだろ
王将王位も2日制なのに羽生は別に弱くないことを踏まえると個人的には予選の持ち時間の長さだと推測
森内とか渡辺みたいな長時間に強いタイプは予選で消えるから

29 :
あとは対戦相手の違いもあるかな
羽生が2日制で劣勢になるのは森内渡辺
この2人が揃って一度も登場していないのが王位戦
羽生は王位を18期も取れてる
2日制に森内渡辺ではなく佐藤康光が出てくれば羽生にはいいカモ
王位戦は羽生康光戦が多い
名人戦は羽生康光戦はゼロ、羽生森内戦は9回
羽生は9期どまり 森内が壁になった
王将戦は森内と渡辺に1回ずつ取られて12期
森内渡辺戦が多すぎず少なすぎず、王位と名人の間の獲得数
竜王戦は渡辺の連覇が長かった影響もあるが
羽生は基本的に誰相手にも苦労している鬼門の棋戦で7期に留まる
予選で苦労しているというより、番勝負に辿り着いた上で
7勝8敗と負け越し
勝ったものでも阿部にフルセットなど辛勝が目立つ
竜王戦 とにかく苦手
名人戦 森内の影響大
王将戦 一番平均的に羽生の力が反映されている?
王位戦 森内渡辺不在で実力以上に取りすぎ

30 :
あとは、というかほぼ同じ内容でしたね
すいません

31 :
大山と羽生は早指しなら好勝負かもしれないな
大山がNHK杯で羽生に負けたのは65歳のときだから最後にNHK杯で優勝してから5年もあとのことだったからね
むしろ、羽生が大山と同じくらい早指しに強いことを証明するためにはこれからもJT杯やNHK杯で優勝する必要があるだろうね
大山康晴
59歳で第3回JT杯優勝
60歳でNHK杯優勝(最高齢優勝記録)
49歳時にスタートしたテレビ東京の早指し戦で優勝4回、準優勝3回

32 :
羽生さん別格すぎるわ
大山が速攻で抜かされたの草www
https://youtu.be/vGHffImgWGE

33 :
>>32
見識浅過ぎ。将棋のこと何も知らないでしょ。

34 :
オールスター勝ち抜き戦、一般棋戦とタイトル戦の数で羽生九段の時代は勝ち数なんてすぐ増えるぞ
今よりも勝ち数が増える時代だったからな

35 :
藤井聡太はデビュー1年目は新人棋戦に3つ出て2年目は新人王戦の1つだけになって3年目はゼロになり
朝日杯も1年目で優勝したから2年目からトーナメントシードになり予選免除で
王座戦も1回目でベスト4に入ったから2回目からトーナメントシードの予選免除で3回目は1次予選免除で2次予選から
強すぎるばかりに17歳の高2にして厳しいところで勝ち星を稼がなくてはいけなくなってしまった
一方の羽生はデビュー4年目の19歳まで早指し新鋭戦と新人王戦と若獅子戦の3つの新人棋戦に出てた

棋戦が複数ある藤井と羽生を比較したって差が出るんだから
名人戦1つしかなかった大山と羽生と比べるのは間違ってる

36 :
史上最強棋士は誰か?
これまでは、羽生が史上最強であることに何の疑問も持たない将棋ファンが多数派だった
そのため、ソフトに棋譜を解析させてみたら歴代棋士で羽生が一番強かったことがわかったと発表されたときも誰も疑ってみようとしなかった
史上最強棋士が名人戦9勝8敗でいいのか?その程度が史上最強棋士なのか?とは誰も思わなかったようだ
俺はそのあとにプロ棋士に興味を持つようになった人間なので当時の将棋ファンの心理がわからないのが残念だが、名人戦で森内に4勝5敗、谷川に0勝1敗の棋士に史上最強棋士の称号はふさわしくないと素直に考えた
羽生は竜王戦でも7勝8敗と負け越している
谷川と1勝2敗、森内と0勝1敗、渡辺に1勝2敗、すべて負け越しているではないか
名人戦は13期連続で通算18期、九段十段戦は10期連続、通算14期の大山こそ史上最強の称号がふさわしいのではないか
俺はそう信じて進化した最新ソフトを使って棋譜の解析を始めたわけだ

37 :
大山が史上最強棋士と信じるに値する結果はすぐに手に入った
最強年の一致率が85%と飛び抜けて高い棋士だとわかったからだ
同様に羽生の一致率も調べて見ると78%だった
羽生はどの年も変わらず78%前後の一致率だったが、大山は80%の年もあれば、77%に達しない年もあった
そこで、戦型別に一致率を出して見るとより特徴が掴めることがわかった
無敵時代の大山はどの戦型も平均すると一致率が80%で安定していた
羽生は相居飛車は78%だが、対振り飛車の対抗形となると勝率は8割以上と抜群の成績なのに一致率は72.6%と低いことがわかったのだ

大山が振り飛車でなぜ無敵時代を築けたのか納得がいくデータであった
それは、羽生なら無敵時代の大山に勝てるというのはまったくの思い込みにすぎないことも冷酷なまでに示していた

38 :
>>34
>>35
これな
対局数・勝利数だけで考えると勝ち抜き戦や早指し戦がなくなったのが凄く痛いんだよね
羽生は年間89対局&68勝の記録を作った2000年にこの二つだけで20勝稼いだんだから
http://kishibetsu.com/2000/1175.html

棋戦数が違うと一目で分かる大山時代と羽生時代は言うまでもないけど
羽生時代と現代でも環境は色々と異なっているんだよねえ
最も勝利数や対局数を稼ぎやすい時代を生きたのが羽生だろう

39 :
大山と羽生の生まれる時期が逆だったら大山の方が勝ち星を稼いだ可能性は十分にあるけど
現代の序中盤の研究量差が勝負に大きく影響する棋風に対応出来るかはなんとも言えない

40 :
大山は超えられないわ

41 :
>>39
まさか、60代の大山の振り飛車には俺でも勝てるとマウントしたいなら別だが、プロ棋士はどの時代でもその時代の将棋を研究して闘うわけだから一緒だよ
大山というと会館建設や将棋の普及に尽力したが将棋の研究はあまりしなかったという印象だろうが、そのイメージで語るのがそもそも間違っている
指し盛りのときに蓄積したものだけでも通用するほど強かった大山だからこそそれでも勝っていた
強くなることだけに専念できた指し盛りは勝つために人一倍研究するから結局強いのは大山ということになる
大山の強さの本質は変則駒落ちで鍛えたバランス感覚で力戦や裸玉も恐れない読む力にあるから現代将棋にもマッチしている
挑戦を受ける立場はソフトで研究されやすいので現代では不利だとしても、ソフトを使えるのはお互い様なわけだから結局形勢互角で終盤を迎えることになる
むしろ、終盤に自信がある棋士なら多少不利な別れでもOKだから研究する範囲を広げることが可能だ
相手が研究していない局面に誘い込むこともできるようになる分、むしろソフト時代のほうが大山には有利だろう

42 :
大山康晴 1979年度
56歳にして74局53勝(0.716)で最多対局賞、最多勝利賞は超人の何よりの証拠
史上最高は羽生が30歳のときに記録した89局68勝(0.764)だが、その羽生でも33歳のときの60勝以降は最高でも2012年の51勝止まりだ
その後は、42,39,30,27,32,29ときて、今年度は19勝だ
大山の場合は指し盛りに対局できる棋戦が少なかったから通算勝利数や通算勝率で羽生に越されているにすぎない
もちろん、王座獲得数がゼロなのも60歳までなかったタイトル戦だから当たり前だ

43 :
すぐさま抜かれる大山の記録
そしてコメント欄は羽生を賞賛するコメントばかり
色々な意味で抜かれちゃったな
もはや、大山には誰も興味無い
記録にも注目されない終わった人よ
https://youtu.be/vGHffImgWGE

44 :
谷川のペース羽生の次に速いんだよな
異次元の才能を持っていた羽生がいたから、タイトルが少ないだけで、才能は大山や中原よりも上だろう

45 :
谷川は「第一人者のその後」が見事だと思ってる
棋士のお手本と呼ぶべき一人じゃないの?

46 :
谷川のペースが早いというのは、
谷川以前の時代より対局数・棋戦数が多くなった証明にすぎないのでは?

谷川は大山や中原より勝率が低いわけだから、
それなのに勝ち星をより早く重ねるのは、勝ち星を稼げるチャンスが多い=対局数が多い、としかならないでしょう。
ちゃんとそういうことを考えて数字は見ないと駄目ですよ。
コメントしている人たちは上辺の数字の大小だけで判断している素人だから仕方ないにしても。

47 :
【大山康晴7 1946年度(23-24歳)(14局11勝3敗78.57% うち不戦勝1)】
0106 ● 1946-06-18 升田幸三 七段 順位戦
0107 ○ 1946-06-23 松田茂行 六段 順位戦
0108 ○ 1946-06-26 松下力 六段 順位戦
0109 ○ 1946-06-28 宮松関三郎 七段 順位戦
0110 ○ 1946-07-20 高島一岐代 六段 順位戦
0111 ○ 1946-07-23 松田辰雄 六段 順位戦
0112 ● 1946-09-05 長谷川清二郎 六段 順位戦
0113 ● 1946-09-07 小堀清一 六段 順位戦
0114 ○ 1946-09-10 平野信助 六段 順位戦
0115 ○ 1946-10-30 飯塚勘一郎 六段 順位戦
0116 ○ 1946-11-01 北楯修哉 六段 順位戦
0117 ○ 1946-11-04 大和久彪 七段 順位戦
0118 ○ 1946-11-06 荒巻三之 六段 順位戦
0119 □ 0000-00-00 藤内金吾 六段 順位戦

48 :
大山が初参加したタイトル戦(予選)は第4期名人戦(名人決定は1944年度 低段予選は1941年度からスタート)。
このときは段位戦を勝ち抜き、最終16人のトーナメント(4回実施)に参加も、敗退。

続く第5期名人戦(1945年度)は参加資格なし(その後、戦争のため途中で挑戦争いも打ち切り 木村義雄名人の無条件防衛)。

戦後第6期名人戦(1947年度)から、その予選として第1期順位戦(1946年度)がスタートします。
升田、大山はB級(六段七段リーグ)に所属。
1946年度の大山の成績は順位戦の結果だけとなっています。 >>47
大山が参加した2回目のタイトル戦(予選)ですが、この年度はB級棋士の挑戦権獲得は不可能でした。
升田が1位(12勝2敗)で、次年度A級に昇級、大山は2位(11勝3敗)でB級残留です(当時の昇級枠は1)。

参考に、A級(八段リーグ)では、塚田正夫、大野源一、萩原淳が1位タイ(10勝3敗)
3者プレーオフの結果 → 塚田2勝 大野1勝1敗 萩原2敗 で32歳の塚田が挑戦。
第1期から5連覇中(32歳から42歳まで、およそ9年半連続在位)の木村名人を倒して実力制第2代名人となりました。

49 :
【大山康晴8 1947年度(24-25歳)(29局24勝5敗82.76%)】
0120 ○ 1947-04-08 松田辰雄 七段 将棋世界
0121 ○ 1947-05-20 花田長太郎 八段 坂田三吉追善会
0122 ● 1947-05-22 高島一岐代 七段 将棋世界
0123 ○ 1947-06-25 建部和歌夫 八段 順位戦
0124 ○ 1947-06-27 松田茂行 七段 順位戦
0125 ○ 1947-06-29 長谷川清二郎 七段 順位戦
0126 ○ 1947-07-01 斎藤銀次郎 八段 順位戦
0127 ○ 1947-07-03 大和久彪 七段 順位戦
0128 ○ 1947-08-10 山中和正 六段 山陽新聞
0129 ○ 1947-08-16 山中和正 六段 中国民報
0130 ○ 1947-09-05 松田辰雄 七段 順位戦
0131 ○ 1947-09-07 高島一岐代 七段 順位戦
0132 ○ 1947-09-09 高柳敏夫 六段 順位戦
0133 ○ 1947-09-11 丸田祐三 七段 順位戦
0134 ● 1947-09-14 丸田祐三 七段 大阪新聞第1局
0135 ○ 1947-09-15 丸田祐三 七段 大阪新聞第2局
0136 ○ 1947-09-15 丸田祐三 七段 大阪新聞第3局
0137 ○ 1947-10-29 渡辺東一 八段 順位戦
0138 ○ 1947-11-03 梶一郎 八段 順位戦
0139 ● 1947-12-05 金子金五郎 八段 順位戦
0140 ○ 1947-12-08 土居市太郎 八段 全日本選手権
0141 ○ 1947-12-29 升田幸三 八段 夕刊新大阪岡山
0142 ○ 1948-01-05 升田幸三 八段 ラジオ将棋
0143 ○ 1948-02-04 大野源一 八段 名人挑戦第1局
0144 ● 1948-02-07 大野源一 八段 名人挑戦第2局
0145 ○ 1948-02-10 大野源一 八段 名人挑戦第3局
0146 ○ 1948-02-26 升田幸三 八段 名人挑戦第1局
0147 ● 1948-02-29 升田幸三 八段 名人挑戦第2局
0148 ○ 1948-03-03 升田幸三 八段 名人挑戦第3局

50 :
【大山康晴8 1947年度(24-25歳)(31局26勝5敗83.87% うち不戦勝2)】 >>49を修正
0120 ○ 1947-04-08 松田辰雄 七段 将棋世界
0121 ○ 1947-05-20 花田長太郎 八段 坂田三吉追善会
0122 ● 1947-05-22 高島一岐代 七段 将棋世界
0123 ○ 1947-06-25 建部和歌夫 八段 順位戦
0124 ○ 1947-06-27 松田茂行 七段 順位戦
0125 ○ 1947-06-29 長谷川清二郎 七段 順位戦
0126 ○ 1947-07-01 斎藤銀次郎 八段 順位戦
0127 ○ 1947-07-03 大和久彪 七段 順位戦
0128 ○ 1947-08-10 山中和正 六段 山陽新聞
0129 ○ 1947-08-16 山中和正 六段 中国民報
0130 ○ 1947-09-05 松田辰雄 七段 順位戦
0131 ○ 1947-09-07 高島一岐代 七段 順位戦
0132 ○ 1947-09-09 高柳敏夫 六段 順位戦
0133 ○ 1947-09-11 丸田祐三 七段 順位戦
0134 ● 1947-09-14 丸田祐三 七段 大阪新聞第1局
0135 ○ 1947-09-15 丸田祐三 七段 大阪新聞第2局
0136 ○ 1947-09-15 丸田祐三 七段 大阪新聞第3局
0137 ○ 1947-10-29 渡辺東一 八段 順位戦
0138 ○ 1947-11-03 梶一郎 八段 順位戦
0139 ● 1947-12-05 金子金五郎 八段 順位戦
0140 ○ 1947-12-08 土居市太郎 八段 全日本選手権
0141 ○ 1947-12-29 升田幸三 八段 夕刊新大阪岡山
0142 ○ 1948-01-05 升田幸三 八段 ラジオ将棋
0143 □ 1948-00-00 花田長太郎 八段 名人挑戦第1局
0144 □ 1948-00-00 花田長太郎 八段 名人挑戦第2局
0145 ○ 1948-02-04 大野源一 八段 名人挑戦第1局
0146 ● 1948-02-07 大野源一 八段 名人挑戦第2局
0147 ○ 1948-02-10 大野源一 八段 名人挑戦第3局
0148 ○ 1948-02-26 升田幸三 八段 名人挑戦第1局
0149 ● 1948-02-29 升田幸三 八段 名人挑戦第2局
0150 ○ 1948-03-03 升田幸三 八段 名人挑戦第3局

51 :
>>50
1947年度のものである花田戦の不戦勝2つが、手持ち資料では1948年度にカウントされていたため修正いたしました。
不戦勝不戦敗の扱いは微妙なところではありますが、手持ち資料では勝敗にカウントしているようなので
とりあえず計上しておきます。

この年度の大山はトータル5敗していますが、致命的な負けはほとんどありません。
3番勝負を3回戦い、どれも2勝1敗で「勝ち」となっているためです。
(番勝負全体で勝てば、例えば7番勝負で4勝0敗だろうが4勝3敗だろうが、価値はそう変わりません。)
さらに順位戦B級でも11勝1敗1位で「昇級」かつ「名人挑戦決定パラマストーナメント」への参加資格を得ており
これも「勝ち」の結果であるため、ここでの1敗も関係ありません。

ですから、5敗のうち「敗退」となる負けは

0122 ● 1947-05-22 高島一岐代 七段 将棋世界

この1敗だけですが、これは将棋雑誌の企画将棋か何かですかね?
詳細不明ですが、さほど重要な勝負とは感じません。つまりこの1947年度の大山はほぼ勝ちっぱなしですね。

最後の大山升田3番勝負が、有名な「高野山の決戦」となります。
2人が想定してきた木村名人への挑戦をかけての勝負ではなく、塚田新名人への挑戦をかけた勝負です。
B1位の大山対A3位の花田、勝ち上がり者がA2位の大野、さらにその勝ち上がり者がA1位の升田と戦う
4者パラマス式トーナメントでの名人挑戦権争いでした。
病気の花田相手には不戦勝となった大山が、木見門下の兄弟子2人を倒していきます。
ちなみに前名人の木村はA級で7勝7敗5位と、この年度は振るいませんでした。
失冠、環境の違いの影響でしょうか。

52 :
同じ年の森内に 名人戦も竜王戦も負け越した時点で
羽生は論外 www

盤外戦術の第一人者 最凶棋士の一番手かな www

53 :
>>43,44

単に恵まれた時代のその時代限定の王者ということだね
勝率8割で64勝できた羽生
その20年前の中原は勝率8割5分でも47勝しかできなかった
30年後の藤井も勝率8割5分で45勝がやっとなのに羽生だけが異様に恵まれた

順位戦参加年から3年間の勝利数
羽生
40勝 (0.74)
50勝 (0.82)
64勝 (0.80) 1988年

中原
32勝 (0.82)
47勝 0.85) 1967年
43勝 (0.78)

藤井
61勝 (0.83)
45勝 (0.85) 2018年
27勝 (0.75) 11月途中まで

大山の時代は3年間で55勝(0.86)しか稼げなかったんだぜ

54 :
1947年度、第7期名人戦(第2期順位戦)が、大山が参加した3回目のタイトル戦(予選)であり、
挑戦可能なケースとしては2回目ということになります。

藤井聡太の通算勝ち星100勝達成関係で話題となりましたが、

0125 ○ 1947-06-29 長谷川清二郎 七段 順位戦

これが大山15世の通算100勝目ということになります。
手持ち資料では「100勝25敗(勝率8割ちょうど)」ということになりますが、連盟発表だと「100勝26敗」で達成となっています。

藤井聡太七段、最速・最年少・最高勝率で通算100勝を達成!
https://www.shogi.or.jp/news/2018/12/100_1.html

文春の記事の段階では、大山「100勝25敗」のようです。

藤井聡太七段100勝達成 異次元すぎる16歳を歴代トップ棋士と比較すると…
https://bunshun.jp/articles/-/9996

手持ち資料だと、1敗足りません。
100勝達成日は、「1947年6月29日」で合っていますので、間違いないようです。

大山通算成績は
2215局 1433勝780敗2持将棋 説と
2216局 1433勝781敗2持将棋 説の2つが存在しているようです。
この1敗の差が、関係しているかもしれません。

55 :
>>51
木村はこの頃、短い持ち時間になれなかった、と言われている

56 :
大山って研究してないみたいな風潮あるけど奨励会員とか弟子と一緒に勉強してたみたいなエピソード聞くけどな
加藤一二三も大山名人はここ1番って対局では居飛車を採用してたって言ってたし
本格的に衰えがくる60代とかは専ら振り飛車だが

57 :
>>44
谷川については前スレで議論済みだから読んできたら?
39歳年上の大山に大山が60歳になるまで4勝4敗の五分なんだから大山より才能が上のはずがない
異次元の才能があったら32歳差の羽生世代に全勝する藤井聡太みたいに圧倒してないとおかしい

58 :
>>56
行方が二段時代、相矢倉でふっとばされたらしい。すでに60後半の時期。
ちなみにコーヤンは5段時代に角落ちで吹っ飛ばされたんだとかw

59 :
大山の49歳までの通算勝率は0.693
羽生の通算勝率が0.707だから、わずかに劣っているだけにすぎない
対局相手を比較すると大山の対局相手は当時のトップ棋士がほとんどで、羽生の対局相手には生涯B級以下の棋士が相当数含まれている
したがって大山が対局数で羽生のように恵まれていたなら通算勝率は大山のほうが高くなっていただろう

すると、もし49歳までの大山の対局数が1194局でなくて羽生と同じ2046局で、相手もB級以下の棋士が相当数含まれていたのなら、大山は49歳までに1433勝を達成していて、さらに69歳で生涯閉じるまでに606勝を上積みして軽く2000勝を越えていたことになる
げに恐るべしは大山なり

60 :
森内は名人に、渡辺は竜王に絞って研究ぶつけてくるから羽生は負けたんだ
とかいう理屈がよくわからんが
それなら羽生が升田と同時代に生まれてたら
名人戦に新構想ぶつけてくる升田にも負けたんだろうね
ttps://blog.goo.ne.jp/sharon106/e/b694f3ce8057f0b07b5715f31fbb8ea0

61 :
羽生オタの屁理屈

62 :
>>60

羽生は全盛期に藤井システムぶつけられて
7試合目までに対策打ち出せなくてあえなく敗退

大山は升田式石田流に対して7試合目までにワクチン製造して撃退
微妙な差があるのよ w

63 :
大山の時代は、相撲みたいに星の貸し借りとかしてそうだな

1948 17勝 12敗 0.586
1951 19勝 16敗 0.542
1952 「良き後継者(笑)」

こんなの、それ以外に説明つかんでしょ?
だから、連盟も公式記録から外してるんだよ多分

64 :
中学生棋士ですらないワケだし
つまり、そういうこと

65 :
【大山康晴対戦成績 対木村義雄14世名人】 大山17勝(うち香落ち下手1勝) 木村11勝 持将棋1
01 19歳 ○ 1942-11-27 木村義雄 37歳 名人 中日新聞 香落ち 1-0
02 25歳 ● 1948-04-12 木村義雄 43歳 前名人 全日本選手権 1-1
03 25歳 ○ 1948-12-21 木村義雄 43歳 前名人 順位戦 2-1
04 26歳 ● 1949-10-24 木村義雄 44歳 名人 中部日本 2-2
05 26歳 ○ 1950-01-02 木村義雄 44歳 名人 NHK 3-2
06 27歳 ● 1950-03-20 木村義雄 45歳 名人 名人戦第1局 3-3
07 27歳 ● 1950-04-03 木村義雄 45歳 名人 名人戦第2局 3-4
08 27歳 ○ 1950-04-17 木村義雄 45歳 名人 名人戦第3局 4-4
09 27歳 ○ 1950-05-01 木村義雄 45歳 名人 名人戦第4局 5-4
10 27歳 ● 1950-05-29 木村義雄 45歳 名人 名人戦第5局 5-5
11 27歳 ● 1950-06-12 木村義雄 45歳 名人 名人戦第6局 5-6
12 27歳 ● 1950-07-31 木村義雄 45歳 名人 名人九段戦第1局 5-7
13 27歳 ○ 1950-08-14 木村義雄 45歳 名人 名人九段戦第2局 6-7
14 27歳 ○ 1950-09-03 木村義雄 45歳 名人 名人九段戦第3局 7-7
15 27歳 ○ 1950-10-03 木村義雄 45歳 名人 名人九段戦第4局 8-7
16 28歳 ○ 1951-06-17 木村義雄 46歳 名人 東西対抗勝継戦 9-7
17 28歳 ○ 1951-08-21 木村義雄 46歳 名人 名人九段戦第1局 10-7
18 28歳 ● 1951-09-07 木村義雄 46歳 名人 名人九段戦第2局 10-8
19 28歳 ○ 1951-10-04 木村義雄 46歳 名人 名人九段戦第3局 11-8
20 28歳 ● 1951-10-16 木村義雄 46歳 名人 名人九段戦第4局 11-9
21 28歳 ○ 1951-11-16 木村義雄 46歳 名人 名人九段戦第5局 12-9
22 29歳 ● 1952-05-19 木村義雄 47歳 名人 名人戦第1局 12-10
23 29歳 ○ 1952-06-02 木村義雄 47歳 名人 名人戦第2局 13-10
24 29歳 ○ 1952-06-16 木村義雄 47歳 名人 名人戦第3局 14-10
25 29歳 ○ 1952-06-30 木村義雄 47歳 名人 名人戦第4局 15-10
26 29歳 ○ 1952-07-14 木村義雄 47歳 名人 名人戦第5局 16-10
27 29歳 △ 1952-08-26 木村義雄 47歳 前名人 日経臨時(持将棋)
28 29歳 ● 1952-09-25 木村義雄 47歳 前名人 日経臨時 16-11
29 29歳 ○ 1952-10-05 木村義雄 47歳 前名人 三社 17-11

66 :
>>63
今、私が大山15世の成績をペタペタ貼っていますが
それを見れば分かる人は分かると思うのですが、大山の若い時代はほとんど今のA級棋士レベルとしか対戦しません。
B級やC級との対局が少ないんです。
棋戦が多くて、弱い棋士がなかなか辞めずに棋士が増加している今の状態だと
早いラウンドで格下棋士との対局が組まれます。
そこで余剰の勝ち星を稼ぐことで、勝率を上げることができます。
大山時代にはそれがなかったので若いころの勝率は低めとなっています。

当然の話なんですが、九段タイトルを取ったり名人挑戦を繰り返す大山ほどの棋士でその勝率ですから
ライバルの木村や升田や塚田もみんな似たような(あるいはそれ以下の)勝率でしかありません。
弱い棋士と戦わず上の棋士同士で潰し合っているだけだからです。

公式記録としていないのは、連盟は戦災のために1952年以前の記録を完全に持っていないせいだったように思います。

67 :
【大山康晴9-1 1948年度(25-26歳)(30局18勝11敗1持将棋62.07% 他に千日手2)
0151 ○ 1948-04-06 塚田正夫 名人 名人戦第1局
0152 ○ 1948-04-09 加藤治郎 八段 大山会
0153 ● 1948-04-10 塚田正夫 名人 名人戦第2局
0154 ● 1948-04-12 木村義雄 前名人 全日本選手権
0155 ● 1948-04-25 塚田正夫 名人 名人戦第3局
0156 ○ 1948-04-29 塚田正夫 名人 名人戦第4局
---- △ 1948-05-19 塚田正夫 名人 名人戦第5局(千日手)
0157 ● 1948-05-23 塚田正夫 名人 名人戦第5局
0158 ● 1948-05-26 塚田正夫 名人 名人戦第6局
0159 ○ 1948-08-27 升田幸三 八段 順位戦
0160 ○ 1948-09-01 丸田祐三 八段 三社三番第1局
0161 ○ 1948-09-04 萩原淳 八段 順位戦
0162 ● 1948-09-07 丸田祐三 八段 三社三番第2局
0163 ● 1948-09-14 北楯修哉 八段 順位戦
0164 ● 0000-00-00 松田辰雄 八段 大阪新聞
0165 ○ 1948-10-12 丸田祐三 八段 三社三番第3局
0166 △ 1948-10-15 丸田祐三 八段 順位戦(持将棋)
0167 ○ 1948-10-19 大野源一 八段 順位戦
0168 ○ 1948-11-25 松田辰雄 八段 全日本選手権
0169 ○ 1948-11-27 加藤治郎 八段 順位戦
0170 ● 1948-11-30 松田茂行 七段 三社三番第1局
0171 ○ 1948-12-16 土居市太郎 八段 順位戦
0172 ○ 1948-12-18 松田茂行 七段 三社三番第2局
0173 ○ 1948-12-21 木村義雄 前名人 順位戦
0174 ○ 1948-12-23 松田茂行 七段 三社三番第3局
0175 ● 1948-12-29 松田辰雄 八段 順位戦
0176 ○ 1949-01-24 高島一岐代 七段 大阪

68 :
【大山康晴9-2 1948年度(25-26歳)(30局18勝11敗1持将棋62.07% 他に千日手2)
---- △ 1949-02-01 五十嵐豊一 七段 名人挑戦(千日手)
0177 ● 1949-02-04 五十嵐豊一 七段 名人挑戦
0178 ○ 1949-02-05 五十嵐豊一 七段 新大阪
0179 ○ 1949-02-11 南口繁一 七段 大阪新世界
0180 ○ 1949-02-24 塚田正夫 名人 三社

69 :
おさらい:大山が参加したタイトル戦

1 第4期名人戦 五段六段七段戦を勝ち抜き、最終16人のトーナメント(4回実施)で敗退
2 第6期名人戦(第1期順位戦) B級七段の挑戦は不可能 B級で升田に次ぐ2位となり、B級に残留
3 第7期名人戦(第2期順位戦) 挑戦可能な2回目のタイトル戦、B級1位から挑戦Tを勝ち上がるも塚田名人に2勝4敗で敗退
4 第8期名人戦(第3期順位戦) 6勝2敗1持将棋でA3位、挑戦T初戦でB1位の五十嵐に一発勝負で敗退

ということで、実質2回目のタイトル戦予選参加で、早くもタイトル挑戦を決めた大山ですが、塚田の前に敗退です。
翌年はA1位升田、2位松田辰雄に次ぐA3位。B1位の五十嵐にとどめを刺され、この年は普通に敗退したと言えます。

70 :
A1位は木村義雄ですね。升田はA4位となります。修正のためもう一度、貼ります。

おさらい:大山が参加したタイトル戦

1 第4期名人戦 五段六段七段戦を勝ち抜き、最終16人のトーナメント(4回実施)で敗退
2 第6期名人戦(第1期順位戦) B級七段の挑戦は不可能 B級で升田に次ぐ2位となり、B級に残留
3 第7期名人戦(第2期順位戦) 挑戦可能な2回目のタイトル戦、B級1位から挑戦Tを勝ち上がるも塚田名人に2勝4敗で敗退
4 第8期名人戦(第3期順位戦) 6勝2敗1持将棋でA3位、挑戦T初戦でB1位の五十嵐に一発勝負で敗退

ということで、実質2回目のタイトル戦予選参加で、早くもタイトル挑戦を決めた大山ですが、塚田の前に敗退です。
翌年はA1位木村、2位松田辰雄に次ぐA3位(升田が4位)。B1位の五十嵐にとどめを刺され、この年は普通に敗退したと言えます。

71 :
【大山康晴10 1949年度(26-27歳)(24局16勝8敗66.67% 他に千日手1)】
0181 ● 1949-04-27 升田幸三 八段 全日本選手権
0182 ○ 0000-00-00 木見金治郎 八段 席上手合
0183 ○ 1949-08-25 高島一岐代 八段 順位戦
0184 ○ 1949-08-28 大野源一 八段 順位戦
0185 ○ 1949-10-10 原田泰夫 八段 順位戦
0186 ● 1949-10-24 木村義雄 名人 中部日本
0187 ● 1949-11-19 坂口允彦 八段 毎日夕刊
0188 ○ 1949-11-22 五十嵐豊一 八段 順位戦
0189 ● 1949-11-25 北楯修哉 八段 順位戦
0190 ○ 1949-12-06 塚田正夫 前名人 順位戦
0191 ○ 1949-12-10 升田幸三 八段 順位戦
---- △ 1949-12-16 丸田祐三 八段 順位戦(千日手)
0192 ○ 1949-12-20 加藤博二 七段 読売夕刊(九段戦?)
0193 ● 1949-12-23 丸田祐三 八段 順位戦
0194 ○ 1950-01-02 木村義雄 名人 NHK
0195 ○ 1950-01-03 板谷四郎 七段 東西対抗勝継戦
0196 ● 1950-01-15 金高清吉 七段 朝日夕刊
0197 ○ 1950-01-16 丸田祐三 八段 読売夕刊(九段戦?)
0198 ○ 1950-01-18 五十嵐豊一 八段 富士
0199 ● 1950-01-21 萩原淳 八段 毎日夕刊
0200 ○ 1950-01-23 塚田正夫 前名人 富士
0201 ○ 1950-01-25 萩原淳 八段 東西対抗勝継戦
0202 ○ 1950-02-12 升田幸三 八段 名人挑戦第1局
0203 ○ 1950-02-19 升田幸三 八段 名人挑戦第2局
0204 ● 1950-03-20 木村義雄 名人 名人戦第1局

72 :
【大山康晴11-1 1950年度(27-28歳)(38局28勝10敗73.68% 他に千日手1、飛車落ち1敗)】
0205 ○ 1950-00-00 北楯修哉 八段 九段戦(準々決勝と思われる)
0206 ● 1950-04-03 木村義雄 名人 名人戦第2局
0207 ○ 1950-04-17 木村義雄 名人 名人戦第3局
0208 ○ 1950-05-01 木村義雄 名人 名人戦第4局
0209 ○ 1950-05-12 原田泰夫 八段 九段戦(準決勝)
0210 ○ 1950-05-16 板谷四郎 八段 九段戦第1局
0211 ● 1950-05-29 木村義雄 名人 名人戦第5局
0212 ● 1950-06-12 木村義雄 名人 名人戦第6局
0213 ○ 1950-07-06 板谷四郎 八段 九段戦第2局
0214 ● 1950-07-31 木村義雄 名人 名人九段戦第1局
0215 ○ 1950-08-14 木村義雄 名人 名人九段戦第2局
0216 ○ 1950-08-31 高島一岐代 八段 順位戦
0217 ○ 1950-09-03 木村義雄 名人 名人九段戦第3局
0218 ○ 1950-09-11 五十嵐豊一 八段 順位戦
0219 ○ 1950-09-13 大野源一 八段 順位戦
0220 ○ 1950-09-16 南口繁一 八段 順位戦
0221 ○ 1950-09-29 塚田正夫 前名人 順位戦
0222 ○ 1950-10-03 木村義雄 名人 名人九段戦第4局
0223 ● 1950-10-08 花村元司 七段 読売夕刊
0224 ○ 1950-10-10 坂口允彦 八段 順位戦
0225 ● 1950-10-13 板谷四郎 八段 順位戦
0226 ○ 1950-10-26 高柳敏夫 八段 毎日東西対抗
0227 ○ 1950-10-29 高島一岐代 八段 王将戦(非タイトル リーグ)
0228 ● 1950-11-04 塚田正夫 前名人 王将戦(非タイトル リーグ)
0229 ○ 1950-11-07 升田幸三 八段 王将戦(非タイトル リーグ)
0230 ● 1950-11-10 丸田祐三 八段 王将戦(非タイトル リーグ)
0231 ○ 1950-12-08 丸田祐三 八段 順位戦
0232 ○ 1950-12-11 原田泰夫 八段 東西対抗勝継戦
0233 ○ 1950-12-15 高柳敏夫 八段 順位戦
0234 ○ 1950-12-20 南口繁一 八段 ? 記載なし
---- ● 1950-12-25 橋本三治 二段 産経 飛落ち

73 :
【大山康晴11-2 1950年度(27-28歳)(38局28勝10敗73.68% 他に千日手1、飛車落ち1敗)】
---- △ 1951-01-15 大野源一 八段 三社(千日手)
0235 ● 1951-01-17 大野源一 八段 三社
0236 ○ 1951-01-28 塚田正夫 前名人 東西対抗勝継戦
0237 ○ 1951-02-03 南口繁一 八段 東西対抗勝継戦
0238 ● 1951-02-20 升田幸三 八段 順位戦
0239 ○ 1951-02-26 小堀清一 七段 東西対抗勝継戦
0240 ○ 1951-03-06 坂口允彦 八段 王将戦(リーグ)
0241 ○ 1951-03-10 丸田祐三 八段 東西対抗勝継戦
0242 ○ 1951-03-12 坂口允彦 八段 王将戦(リーグ)

74 :
大山が参加したタイトル戦

5 第9期名人戦(第4期順位戦) 6勝2敗でA1位。挑戦決定T3番勝負で升田に2-0で挑戦、木村名人に2-4で敗退。
6 第1期九段戦 名人不在。板谷四郎との3番勝負を2-0で制して九段タイトル獲得。

実質4回目のタイトル戦予選参加で、2回目のタイトル挑戦となりましたが、木村14世の底力の前に敗退。

実質5回目のタイトル戦予選参加で、初タイトル獲得となりました。
木村名人不在の第1期九段戦でしたが、その後の名人九段戦5番勝負で木村名人を3-1で破り頂点です。
名人の権威がとても高い時代ですが、一応、今の名人竜王決戦みたいなものだと思っていいです。

若いころはなかなかタイトルを取れなかったかのように言われる大山先生ですが、意外とすぐ、タイトルを取っています。
どう考えても、10代や20歳そこそこでタイトルを取れる時代では、なさそうです。

75 :
【中原誠1 1965年度(18歳)(9局7勝2敗77.78%)】
0001 ● 1965-09-25 米長邦雄 五段 王座戦(非タイトル)
0002 ● 1965-09-29 山川次彦 七段 王位戦
0003 ○ 1965-12-21 吉田利勝 五段 棋聖戦
0004 ○ 1966-01-14 山口英夫 四段 棋聖戦
0005 ○ 1966-01-24 米長邦雄 五段 棋聖戦
0006 ○ 1966-02-08 廣津久雄 八段 棋聖戦
0007 ○ 1966-02-17 大友昇 七段 棋聖戦
0008 ○ 1966-02-25 加藤博二 八段 棋聖戦
0009 ○ 1966-03-24 西村一義 四段 古豪新鋭

76 :
反論できないことを書かれると
無意味なレスを大量に投稿して流してしまおうという作戦だな
民度が知れるわ

じゃ、もう一回書いとこw

77 :
大山の時代は、相撲みたいに星の貸し借りとかしてそうだな

1948 17勝 12敗 0.586
1951 19勝 16敗 0.542
1952 「良き後継者(笑)」

こんなの、それ以外に説明つかんでしょ?
だから、連盟も公式記録から外してるんだよ多分

78 :
>>64
「中学生棋士」ってのは戦後に新制中学が出来てからの概念

お前、戦前と戦後で日本の教育制度が全く違うことを知らんのか?
大山が戦後に棋士になったと思ってるのか?

79 :
18歳となる年度まで

大山 17勝(18歳1940年度17勝)
中原 7勝(18歳1965年度7勝)
谷川 123勝(15歳1977年度22勝 16歳1978年度29勝 17歳1979年度40勝 18歳1980年度32勝)
羽生 162勝(15歳1985年度8勝 16歳1986年度40勝 17歳1987年度50勝 18歳1988年度64勝)

聡太 145勝(14歳2016年度1勝 15歳2017年度54勝 16歳2018年度46勝 17歳2019年度途中で44勝)

80 :
聡太成績を、年度別に修正します。

18歳となる年度まで

大山 17勝(18歳1940年度17勝)
中原 7勝(18歳1965年度7勝)
谷川 123勝(15歳1977年度22勝 16歳1978年度29勝 17歳1979年度40勝 18歳1980年度32勝)
羽生 162勝(15歳1985年度8勝 16歳1986年度40勝 17歳1987年度50勝 18歳1988年度64勝)

聡太 145勝(14歳2016年度10勝 15歳2017年度61勝 16歳2018年度45勝 17歳2019年度途中で29勝)

81 :
棋戦数、対局数が違う者同士で勝ち星比較をする意味は、ほぼありません。
棋戦数、対局数が多い時代の棋士は、それだけ多く戦っています。
それも、格下の弱い相手と多く戦っています。ほぼ、意味がありません。

同じ環境同士で比べるのが、公平となります。
1年に1回、最大4勝を稼げる、最高のステージで。


名人戦番勝負における勝ち星

3位 52勝 羽生善治

2位 65勝 中原誠

1位 87勝 大山康晴

藤井聡太くんは、どこまで食い込んでくるでしょうか。

82 :
>>81
羽生は、中原超えまであと14勝が必要です。
最低でも、名人戦7番勝負にあと4回出ないと届きません。
大山越えまではあと36勝が必要です
名人戦7番勝負に最低でも、あと9回出なければなりません。
そのすべてに勝つと、名人が9期プラスされて、大山18期に追いつきますね。

83 :
王座戦番勝負における勝ち星

73勝 羽生善治

20勝 中原誠

00勝 大山康晴


例えば、羽生が大山中原2人に差をつけているところ。
こういう数字で「史上最強」とやるのは、しっくりときません。

84 :
羽生にあと9回も名人戦に出ろなんてムチャな

と、思うでしょうが、史上最強大山15世のレベルはそういう次元なのです。
本当です。

羽生は名人戦番勝負に17回出て、勝ち星は52勝、9期獲得。
大山は名人戦番勝負に25回出て、勝ち星は87勝、18期獲得。
羽生があと9回名人戦に出て、全て勝つと
羽生は名人戦番勝負に26回出て、勝ち星は88勝、18期獲得。

はい、これが公平な比較なんです。1年に1回チャンスのある将棋界最高峰の勝負での比較。
タイトル戦が年に1の時代の成績と年に7の時代の成績をそのまんま比べるアホらしさよりは、はるかにマシなんですね。
羽生が負けるから拒否反応が出る人がいるだけのことで、ずっとずっと公平な比較なんです。

85 :
大山は別格すぎる

羽生の問題は中原に勝てているかも怪しいのに問答無用で最強扱いされとることだろ
いくらなんでも過大評価すぎるぞ羽生は
藤井が名人10期取った瞬間に羽生善治とは何だったのか扱いになるんだからよ

86 :
持ち時間の長い、重圧のかかるここ一番の大勝負なら中原
持ち時間の短い、比較的どうでもいい軽めの勝負なら羽生
何でも強いのが大山
という印象ですけどね。

中原は羽生より質の高い将棋を指していた感じがします。
強いときの森内や、特に今の渡辺明にも感じますけど、羽生より将棋が上手に思えるんですよね。
今の渡辺三冠って、オーソドックスに、隙がなく、強い。
自然流と言われた中原から学んだのでしょうか?
羽生のは渡辺みたいな強さじゃなかった。
いい意味でも悪い意味でも、何でそんな手を?というのが羽生の手。
指されてみると自然で凡なんだけど、それで確かに優勢になっているのが渡辺の手。

87 :
10年前の最強スレでは、羽生は50になっても複数冠あたりまえって論調で、
大山最強説を言うと袋叩きにされたもんだ
まさかここまで急に落ちるとは、大山最強論だった私もびっくりだが

88 :
勝ち数、タイトル数も時代で異なるので単純な比較は不可
勝率はタイトルホルダーかA級かそれ以外かで対局相手の強さも異なるので比較は難しい
ただ勝率に関しては数字上では若い時に棋戦があり、無冠なので予選からの出場が多くなった羽生の方が有利
生涯勝率も大山より上の67%ぐらいで落ち着くかな?

89 :
大山は当時の最強棋士どまり
史上最強棋士候補すらならない

90 :
>>88
でも大山は中原以外には強いままで
50代はNo.2で居続けた。
羽生はもう多くの若手に勝てない状態
これはこの先急に落ちていくと思う

早めに引退したら高いままだけどw

91 :
大山康晴
1964 年度(40) 42 戦 32 勝 10 敗 (0.762)
1965 年度(41) 41 戦 27 勝 14 敗 (0.659)
1966 年度(42) 43 戦 33 勝 10 敗 (0.767)
1967 年度(43) 34 戦 23 勝 11 敗 (0.676)
1968 年度(44) 40 戦 29 勝 11 敗 (0.725)
1969 年度(45) 44 戦 28 勝 16 敗 (0.636)
1970 年度(46) 44 戦 29 勝 15 敗 (0.659)
1971 年度(47) 56 戦 33 勝 23 敗 (0.589)
1972 年度(48) 63 戦 38 勝 25 敗 (0.603)
1973 年度(49) 56 戦 38 勝 18 敗 (0.679)
1974 年度(50) 75 戦 48 勝 27 敗 (0.640)


羽生善治
2010 年度(40) 57 戦 43 勝 14 敗 (0.754)
2011 年度(41) 63 戦 44 勝 19 敗 (0.698)
2012 年度(42) 68 戦 51 勝 17 敗 (0.750)
2013 年度(43) 62 戦 42 勝 20 敗 (0.677)
2014 年度(44) 54 戦 39 勝 15 敗 (0.722)
2015 年度(45) 47 戦 30 勝 17 敗 (0.638)
2016 年度(46) 49 戦 27 勝 22 敗 (0.551)
2017 年度(47) 54 戦 32 勝 22 敗 (0.593)
2018 年度(48) 52 戦 29 勝 23 敗 (0.558)
2019 年度(49) 33 戦 19 勝 14 敗 (0.576)

92 :
対戦相手のレベルの低い時代の話をされてもな

93 :
>>90
大山みたいにタイトルホルダーA級相手に6割勝ち続けることは難しいだろうけど羽生はB級でもC級でも引退しないだろうから高勝率は維持すると予想

94 :
60歳までA級維持は難しそうやね。
来年あたりB級落ちしてもおかしくない

95 :
大山の全盛期ですら、現代ならタイトル争いにも絡めずA級棋士にも歯が立たないだろうな

96 :
両者最後の対決

1990-09-15 ○大山康晴67歳 佐藤康光20歳● 第24回早指戦
1991-08-29 ○大山康晴68歳 森内俊之20歳● 第13回勝抜戦
1991-09-24 ○大山康晴68歳 羽生善治20歳● 第7回天王戦

2008-03-25 ○中原誠60歳 森内俊之37歳● 第21期竜王戦
2008-05-01 ○中原誠60歳 佐藤康光38歳● 第21期竜王戦
2008-07-04 ○中原誠60歳 羽生善治37歳● 第16期銀河戦

97 :
タイトル戦以外の棋戦の成績を棋戦別に大山と羽生を比較してみた
https://i.imgur.com/sd5J7i6.png
大山は1954年(31歳)から1973年(50歳)までの20年間の成績
大山の対局数で最も多いNHK杯の勝率が低いのは最強者選抜トーナメント戦(8名〜16名)の形式で現在のJT杯に相当する棋戦だったからだ
全体を概観しても大山の対局相手はトップ棋士が多く、羽生の対局相手には生涯B級以下の棋士が相当数含まれている
したがって、合計勝率でわかるように大山の勝率は羽生より実質上回っていたとみてよい
すると、羽生と同じようにプロになって同じように対局相手に当たることができていたなら大山は50歳までに1433勝を達成していて69歳の生涯を閉じるまでに2000勝を越えていたわけだ

98 :
>>97
キャプチャーに誤りがあったので訂正
https://i.imgur.com/890jzhM.png

99 :
同じ時代にいても羽生の方が勝ち数自体は多かったと思うよ
A級、王位王将リーグ棋戦の予選で勝つ
渡辺森内に名人と竜王とられてる時の方が勝ち数多いし
ずっと名人とかになってると勝ち数も勝率も稼げない

100 :
全部が番勝負の4勝や3勝だけなら勝利数が伸びないが、7タイトル戦30年で本戦参加、リーグ参加、順位戦参加を含めて1棋戦平均5勝なら1050勝
大山が無敵だったのは35歳からの10年間で、あとの20年間は順位戦その他の挑戦棋戦への参加があっただろうから控えめな勝利数だね
これに一般棋戦の450勝を加えて1500勝になる
したがって、羽生と同じように対局相手に恵まれていたなら50歳までに余裕で1433勝達成して69歳で生涯を閉じるまでには2000勝していたことになる

俺が言いたいのは羽生は2000勝して大山に並んだと言えるくらいに大山の1433勝の価値は高いということだな


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