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木村14世〜1970年代までの将棋界を語ろう


1 :2019/01/13 〜 最終レス :2020/05/05
名人が 実力制に移行した1935年から1979年までの将棋界を語るスレです。
昔の将棋は木村、大山、升田さんなどは語られますが、他の方は語られることも
少なくなってきました。それでは寂しいのでタイトルを獲った棋士だけではなく
強くはなかったが個性的だった棋士
平凡だったけどなぜか心に残っている棋士などを語るスレです。
当時を知っている方は是非その時々の雰囲気などを教えてください。

2 :
スレ立てありがとうございます。
保守もかねて少しデータを貼ろうと思います

3 :
期待

4 :
貼るまで少しかかるのでよかったら保守お願いします。

5 :
>>3
すいません、データと言えるほど大したものではなく
話のきっかけにしてもらえたらという感じです。

6 :
すいません・・・時間が・・・

7 :
自分はタイトル取れなかった昔の棋士なら大野源一が好きですね、攻める振り飛車で全盛期は木村名人とも互角に戦ってた見たいですし、谷川浩司は升田幸三と戦えなかった事を悔やんでたけど大野源一とは戦っているんですよね

8 :
1935年〜1937年
第1期 名人戦挑戦者決定リーグ 
土居市太郎
大崎熊雄  降級
金易二郎
木見金二郎 降級
花田長太郎
木村義雄 
金子金五郎
神田辰之助
萩原淳
名人候補者2名を決める全八段によるリーグだったが
1位木村と2位花田が大差であったため
1938年に予定されていた番勝負は行われず木村義雄が名人に。

9 :
1946年度
第1期順位戦
八段戦14名 優勝者が名人挑戦、上位7名が次期からA級、下位7名はB級へ
1 塚田正夫 32歳 10勝3敗 名人挑戦
2 大野源一 35  10 3
2 萩原淳 42  10 3
4 土居市太郎 59  8 5
4 加藤治郎 36  8 5
6 坂口允彦 38  7 6
7 花田長太郎 49  6 7
8 村上真一 49  6 7 降級
8 渡辺東一 41  6 7 降級
10 小泉兼吉 46  5 7 降級
11 金易二郎 56  4 9 降級(引退)
11 梶一郎 34  4 9 降級
13 斎藤銀次郎 42  3 9 降級
14 金子金五郎 45  3 10 降級
第6期名人戦 木村義雄名人 2 ○○●●●● 4 塚田正夫八段
塚田が奪取。初の名人に。

10 :
1946年度続き
六・七段戦15名 1位は次期A級、9位までをB級、下位6名はC級へ

1 升田幸三   29 12勝2敗 昇級
2 大山康晴   24 11 3
3 高島一岐代  30 10 4
4 小堀清一   35 10 5
5 松田辰雄   30 8 7
5 長谷川清二郎 ? 8 7
5 松田茂行   25 8 7
5 北楯修哉   34 8 7
9 大和久彪   33 7 7
10 松下力    34 7 8 降級
11 藤内金吾   54 5 9 降級
11 荒巻三之   32 5 9 降級
13 飯塚勘一郎  52 3 10 降級
14 宮松関三郎  61 1 12 降級(引退)
15 平野信助   55 0 14 降級(引退)

11 :
5年度刻みで貼りたいと思います

12 :
貼ろうとするとNGワードに引っかかるんですが
スペースが多すぎるとNGとかあるんでしょうか?

13 :
1950年度
第5期順位戦
1大山康晴  28歳 8勝2敗
2升田幸三  33  8 1  名人挑戦
3丸田祐三  32  7 3
4塚田正夫  36  5 5
5高島一岐代 34  3 7  降級
6五十嵐豊一 26  1 8  降級
7大野源一  39  3 7  降級
8高柳敏夫  31  6 4
9板谷四郎  37  3 6
10南口繁一  32  3 7  降級
張坂口允彦  42  6 3
休松田辰雄  34  0 0  休場
第10期名人戦 木村義雄名人 4 ○●○○●○ 2 升田幸三八段
木村が防衛。8期目の名人に。
九段戦   大山康晴 2 ○○ 0 板谷四郎
名人九段戦 大山康晴 3 ●○○○ 1 木村義雄

14 :
1955年度
第10期順位戦 
1高島一岐代 39歳 4勝5敗
2塚田正夫  41  4 6 
3大野源一  44  4 6  降級
4花村元司  38  8 2  名人挑戦
5松田茂行  34  6 4
6灘蓮照   29  5 4
7原田泰夫  33  5 5
8松浦卓造  41  3 7  降級
9松下力   43  3 7
10五十嵐豊一 31  5 5
11升田幸三  38  8 2
挑戦者決定戦 花村 2 ○●○ 1 升田
花村が挑戦者に。
第15期名人戦 大山康晴名人 4 ○○○○ 0 花村元司八段
大山が防衛。5期連続5期目で15世名人資格を得る。
九段   塚田正夫 3 ●●○○○ 2 花村元司
王将   升田幸三 3 ●●●   0 大山康晴 香落ちで名人大山が破れる
名人九段 大山康晴 3 ○○○   0 塚田正夫
NHK 大山康晴−灘蓮照 王座 大山康晴−灘蓮照
九、八、七段戦 大野源一 早指し王位戦 大山康晴

15 :
1960年度
第15期名人戦 
1加藤一二三 21歳 3勝6敗 降級
2塚田正夫  46  4 5
3灘蓮照   34  5 4
4加藤博二  37  6 3
5高島一岐代 44  5 4
6大野源一  49  4 5
7丸田祐三  42  7 2  名人挑戦
8二上達也  29  6 3
9花村元司  43  5 4
10松浦卓造  46  0 9  不戦4 降級
11升田幸三  43  0 0  休場
第20期名人戦 大山康晴名人 4 ○○○●○ 1 丸田祐三八段
大山が防衛。3期連続8期目の名人。
王位 大山康晴 4 ○○○●○  1 塚田正夫
九段 大山康晴 4 ○○○○   0 松田茂行
王将 大山康晴 4 ●●○○○○ 2 二上達也
NHK 加藤一二三−大山康晴 王座 丸田祐三−大山康晴
日本一杯争奪戦 加藤一二三

16 :
>>7
踏切で事故死
晩年に王座戦決勝進出ながら、中原に石田流を崩された
弟も話し家か何かでは

17 :
1965年度
第20期順位戦 
1山田道美  32歳 6勝3敗
2加藤博二  42  6 3
3升田幸三  48  7 2  名人挑戦
4松田茂行  44  3 6
5丸田祐三  47  4 5
6二上達也  34  5 4
7塚田正夫  51  4 5
8加藤一二三 26  3 6  降級
9熊谷達人  35  3 6  降級
10有吉道夫  30  4 5
第25期名人戦 大山康晴名人 4 ●●○○○○ 2 升田幸三九段
大山が防衛。8期連続13期目の名人。
棋聖前 大山康晴 3 ●○●○○   2 升田幸三
王位  大山康晴 4 ○○○○    0 佐藤大五郎
十段  大山康晴 4 ○●○○●●○ 3 二上達也
棋聖後 大山康晴 3 ○●●○○   2 二上達也
王将  大山康晴 4 ●○●●○○○ 3 山田道美 
NHK 丸田祐三−升田幸三 王座 丸田祐三−内藤國男
最強者決定戦 山田道美

18 :
1970年度
第25期順位戦 
1灘蓮照   44歳 3勝5敗
2有吉道夫  35  4 4
3升田幸三  53  6 2  名人挑戦
4加藤一二三 31  5 3
5花村元司  53  1 7  降級
6二上達也  39  6 2
7丸田祐三  52  0 0  休場
8内藤国雄  31  4 4
9中原誠   23  4 4
10塚田正夫  56  3 5
挑戦者決定戦 升田○−二上●
第30期名人戦 大山康晴名人 4 ○●●○●○○ 3 升田幸三九段
大山が防衛。13期連続18期目の名人。
棋聖前 大山康晴 3 ○○●○    1 内藤國男
王位  大山康晴 4 ○○○●○   1 米長邦雄
十段  中原誠  4 ○○○●●○  2 大山康晴
棋聖後 中原誠  3 ○○○     0 大山康晴
王将  大山康晴 4 ○●●○●○○ 3 中原誠
NHK 大山康晴−中原誠 王座 中原誠−二上達也
最強者決定戦 内藤國男

19 :
1975年度
第30期順位戦  
1大内延介  34歳 3勝6敗 降級(棋王)
2大山康晴  53  6 3  (棋聖)
3升田幸三  58  4 5
4米長邦雄  32  8 1  名人挑戦
5板谷進   35  4 5
6二上達也  44  5 4
7有吉道夫  40  6 3
8加藤一二三 36  4 5
9桐山清澄  28  4 5
10熊谷達人  45  1 8  降級
第35期名人戦 中原誠 4 ○●●○○●○ 3 米長邦雄八段
中原が防衛。5期連続5期目の名人。16世名人に。
棋聖前 大山康晴 3 ○●○○   1 二上達也
王位  中原誠  4 ○●○●○○ 2 内藤國男
十段  中原誠  4 ○○○○   0 大山康晴
棋聖後 大山康晴 3 ○○○    0 二上達也
王将  中原誠  4 ○○●○○  1 有吉道夫
棋王  大内延介 内藤國雄・高島弘光との三者リーグにより
NHK大内延介−二上達也 王座中原誠−桐山清澄

20 :
ズレてるしひどいなwww
すいませんwww

21 :
☆土居市太郎 
どい いちたろう 1887年(明治20年)11月20日 - 1973年2月28日 棋士番号なし
名人挑戦者決定リーグ・4期 A級・3期 通算成績 ???
1940 名人 1−4 木村 ●●○●●
1949 引退
自身が最強の時は関根金次郎が世襲制で13世名人に、
そして衰えたときに実力制に移行し名人に就くことはなかった
昭和29年(1954年)に名誉名人を贈られる
関根金次郎十三世名人門下。弟子に金子金五郎、萩原淳、梶一郎、加藤博二、大内延介ら

☆金易二郎
こん やすじろう 1890年(明治23年)10月10日 - 1980年6月23日 棋士番号1
名人挑戦者決定リーグ・4期 A級・1期 通算成績 ???
1947 引退
分裂していた棋界の統一や実力制名人移行に尽力。昭和9年(1934年)から日本将棋連盟会長。
棋士番号が始まった1977年4月1日に存命していた将棋棋士(現役・引退)の中で、
金が最もプロ入りが早かったことから、棋士番号1となった。
井上義雄八段、関根金次郎十三世名人門下。弟子に山本武雄、高柳敏夫。孫弟子に中原誠。

☆松下力
まつした つとむ 1913年(大正2年)3月7日 - 1987年11月16日 棋士番号15
A級・8期 一般棋戦・3回 通算成績 275勝410敗
1981 引退
第1期順位戦(1946年度)において、升田幸三、大山康晴らとともにB級からスタート。
土居市太郎名誉名人門下。弟子に田辺一郎、椎橋金司、飯塚祐紀

22 :
☆高島一岐代 
たかしま かずきよ 1916年(大正5年)5月18日 - 1986年7月29日 棋士番号19
A級・9期  一般棋戦・2回 通算成績 137勝137敗
1955年 名人 2−4 大山 ●○●●○●
1958年 王将 0−3 大山 ●●●
1962年 引退
菊水矢倉の考案者。「日本一の攻め」と称された。
藤内金吾八段門下。弟子に高島弘光、脇謙二、東和男ら。

☆松田茂役 
まつだ しげゆき 1921年(大正10年)6月28日 - 1988年8月2日 棋士番号25
A級・10期 十段リーグ・1期 一般棋戦・5回 通算成績 450勝514敗
1954 王将 1−4 大山 ●○●●●
1955 九段 0−3 塚田 ●●●
1960 九段 0−4 大山 ●●●●
1985 引退
アマ強豪棋士と多く交流を持ち、小池重明がプロ棋士を志願したとき
師匠役を買って出た。詰将棋の名手としても知られた。
金子金五郎九段門下。弟子に加瀬純一、木下浩一、真田圭一、長沢千和子

☆板谷四郎
いたや しろう 1913年(大正2年)6月10日 - 1995年9月29日 82歳没 棋士番号29
一般棋戦・1回 通算成績 64勝86敗
1950 九段 0−2 大山 ●●
1959 引退
木村義雄十四世名人門下。弟子に板谷進(次男)、石田和雄、北村文男ら。

23 :
☆原田泰夫
はらだ やすお 1923年(大正12年)3月1日 - 2004年7月11日 81歳没 棋士番号35
A級・10期 一般棋戦・3回 通算成績 433勝421敗
1982年 引退
1961年から6年間、日本将棋連盟の会長を務めた。
初心者に対する解説・指導の功績も大きい。
有名な格言を数多く作り、桂の高跳び歩の餌食、三桂あって詰まぬことなし、
歩のない将棋は負け将棋、などは原田作。
また、棋士に〜流というキャッチコピーを作ったのも原田。
加藤治郎名誉九段門下。弟子に佐藤庄平、桜井昇、山口英夫、近藤正和、鈴木環那ら

☆花村元司 
はなむら もとじ 1917年(大正6年)11月18日 - 1985年5月25日 棋士番号39
A級・16期 一般棋戦・3回 通算成績 549勝553敗
1956 名人 0−4 大山 ●●●●
1953 九段 0−3 塚田 ●●●
1955 九段 2−3 塚田 ○○●●●
1962 王位 0−4 大山 ●●●●
1985 現役のまま死去
元真剣師という異例の経歴を持ち、真剣師時代には「東海の鬼」
「コマ落ち名人」「下手名人」などの異名をとった。
1944年にプロ編入試験に合格。以降2005年の瀬川晶司まで編入は行われなかった。
木村義雄門下。弟子に森下卓、深浦康市、窪田義行ら。

24 :
☆佐瀬勇次
させ ゆうじ 1919年(大正8年)3月17日 - 1994年3月25日 75歳没 棋士番号41
通算成績 458勝599敗
1990 引退
盤上では目立った実績はないが多数の弟子を持つことで知られ、名伯楽との評価が高い。
米長に「師匠と指したら、師匠の癖がつき、師匠どまりの棋士になる」と言われ
げんこつをしたがしばらくして「考えたら、お前の言うとおりだ」と納得した。
二人の名人の師匠となったのは佐瀬(米長・丸山)と木見金治郎(大山・升田)の2人のみ。
弟子に米長邦雄、丸山忠久、高橋道雄、木村一基、沼春雄、中座真、本田小百合、中井広恵ら

☆加藤博二
かとう ひろじ 1923年(大正12年)9月15日 -2013年9月15日 90歳没 棋士番号42
A級・10期 十段リーグ・4期 一般棋戦・2回 通算成績 606勝633敗
1964 王将 1−4 大山 ●●○●●
1990 引退 
加藤竹次郎五段の次男。
土居市太郎名誉名人門下。弟子に堀口弘治。

☆丸田祐三 
まるた ゆうぞう 1919年(大正8年)3月30日 - 2015年2月17日 棋士番号43
A級・24期 十段リーグ・1期 一般棋戦・10回 通算成績 580勝740敗
1952 王将 3−4 大山 ●○○●○●●
1961 名人 1−4 大山 ●●●○●
1961 王位 1−4 大山 ●●○●●
1996 引退
歩の使い方が巧みであり、「小太刀の名手」と呼ばれた。
「丸田流ひねり飛車(9七角ひねり飛車)」を創案した。
抜群の記憶力で連盟の会長・理事などを長く務めた。
平野信助七段門下。弟子に松浦隆一七段、武市三郎六段。

25 :
☆灘蓮照
なだ れんしょう 1927年(昭和2年)3月16日 - 1984年4月26日 57歳没 棋士番号44
A級・17期 十段リーグ・2期 一般棋戦・6回 通算成績 434勝499敗
1970 名人 1−4 大山 ●○●●●
1984 現役のまま死去
日蓮宗の僧侶でもあったことから「荒法師」の異名を取った。
早指しが得意で産経が棋聖戦以前に主催していた早指し王位決定戦で大山康晴を倒して優勝。
NHK杯で1955年度の第5回から4年連続決勝進出、1958年度で優勝。
4年連続決勝進出は羽生善治と2人のみ。
神田辰之助九段門下。弟子に神田鎮雄七段(神田辰之助九段の次男)、神崎健二八段。

☆熊谷達人
くまがい みちひと 1930年(昭和5年)12月7日 - 1977年4月12日 棋士番号54
A級・5期 一般棋戦・1回 通算成績 334勝342敗
1977年 現役のまま死去。46歳
28歳の若さでA級に昇級。病気と闘いながら44歳にしてA級昇級を果たすも、46歳で死去。
野村慶虎門下。

☆関根茂
せきね しげる 1929年(昭和4年)11月5日 - 2017年2月22日 棋士番号61
A級・3期 一般棋戦・1回 通算成績 694勝789敗
1964前 棋聖 2−3 大山 ○●○●●
2002  引退
農林技官からプロ棋士になった。加藤一二三は奨励会同期(加藤は関西、関根は関東)
弟子に泉正樹、飯野健二、北島忠雄、千葉幸生、佐々木慎、田中悠一、矢内理絵子、
神田真由美ら
妻は関根紀代子女流六段。

26 :
☆芹沢博文
せりざわ ひろぶみ 1936年(昭和11年)10月23日 - 1987年12月9日 51歳没 棋士番号68
A級・2期 一般棋戦・1回 通算成績 455勝512敗
1987 現役のまま死去
順位戦では2年目からは4年続けて昇級し、24歳でA級八段となる。しかし2期でA級から
落ち、自身の才能に限界を感じ始めると将棋への情熱が薄れ、
酒やタレント活動に勤しむようになった。奨励会の頃から傲岸不遜な言動で知られ、
トラブルが絶えなかった。弟弟子でもあった中原誠は奨励会時代に毎週日曜日になると
芹沢の家を訪ね、稽古を付けてもらった。
高柳敏夫名誉九段門下。

☆佐藤大五郎
さとう だいごろう 1936年(昭和11年)10月19日 - 2010年9月1日 73歳没
1965 王位 0−4 大山 ●●●●
1996 引退
A級・2期 十段リーグ・3期 一般棋戦・1回 通算成績 552勝659敗
「薪割り流」の異名で知られる腕力の強い豪快な棋風。
詰将棋・必至問題の創作を得意とした。
渡辺東一名誉九段門下。

27 :
貼るのは以上です。
保守はこれくらいでいいのかな?

28 :
灘蓮照
凄い名前だな

29 :
本名は照一

30 :
通算成績が五分五分または負け越し、って人が多いのはなぜですか?
一部の強い人たちに勝ち全部持ってかれてた?

31 :
日蓮宗に出家して改名したんだっけ
坊主なのに下ネタが得意だったとかなんとか

32 :
>>30
恐らくですけど、昔の棋士は全盛期の強いときには対局数が少なく
弱くなってから棋戦も対局数も増えたので強かった人もどんどん酷い勝率に
なっていくんではないでしょうか?

33 :
物故棋士
https://www.shogi.or.jp/player/deceased.html
引退棋士
https://www.shogi.or.jp/player/retirement.html
タイトル在位者一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/将棋のタイトル在位者一覧

34 :
あら?貼れてないか
タイトル在位者一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E6%A3%8B%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E5%9C%A8%E4%BD%8D%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7

35 :
内藤は国「雄」
毎日の記者で内藤国夫というのがいて、対談してた

36 :
>>31

57歳で病死ってのは、僧侶としては早すぎる死だな。

37 :
>>35

NHK紅白歌合戦に歌手と審査員の両方で出場したことがある人は
この人と薬師丸ひろ子と吉永小百合だけらしい。

38 :
>>36
糖尿

39 :
>>30
若手時代に棋戦が少ないのはもちろん、昭和28年以前の成績は順位戦のみしか加算されていないのも大きい
例えば板谷八段の富士棋戦5人抜きとか、原田八段の共同棋戦10人抜きとか、松下八段の時事棋戦12人抜きとか、そういうのが記録として整理されればもう少し勝率は高く出る事になる

40 :
wikiですが棋士番号順に並んでます
将棋棋士一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E6%A3%8B%E6%A3%8B%E5%A3%AB%E4%B8%80%E8%A6%A7

41 :
ダジャレクイズがはやってた頃
将棋世界の読者投稿で
よく7連勝する棋士は誰でしょう
答 灘蓮照
というのがあったな。

42 :
丸田先生は、陣屋事件のことは
墓場まで持っていくって言ってたらしいけど
もっと将棋界の歴史を語っておいてほしかったな。

43 :
>>38

酒好きだったんだっけ。

44 :
>>40
真部って死んだんだっけ、知らなかった

45 :
>>44

美人の嫁さんもらったが離婚した人だっけ。

46 :
>>1

ウィキペディア見ても、生前のエピソードとか載っている人が少ないから、
どんな人柄だったのか忘れられやすい。

47 :
金子金五郎九段も仏門に入った棋士らしいですね

48 :
>>47

引退後に出家し、日蓮宗日本山妙法寺の僧となった。(ウィキペディア)

49 :
>>45
評論家の草柳大蔵の娘でニュースキャスターもしていた文恵さん
離婚後に自殺した

50 :
>>48
自分が勝てば相手を食えなくさせてしまう、という理由で出家というのが興味深いですよね

51 :
昔、正月にスター隠し芸大会というのがあって、人気番組だった。
その審査委員に木村名人が何度か出ていて、いつもニコニコして好々爺に見えた。
そして、全部に満点を入れていた。

52 :
丸田と灘は、振り飛車党でないのに、大五郎などとは当時珍しかった相振り飛車は指した
木村名人の息子の義徳は、突如居飛車党になり、当時奨励会の鈴木英春に稽古をつけてもらって、よもやのA級に上がった

53 :
初めて読んだ将棋の本が「真部一男の将棋の指し方」だったな
亡くなってたのか

54 :
駒落ち名人灘蓮照
アマ初段なら8枚落ちで十分と豪語

55 :
灘蓮照の話題多いなw
人気棋士だったのか

56 :
灘蓮照の王様ごとどんどん上部に盛り上がっていく変な矢倉戦法は面白いぞ
あんまり強いとは思わんけど

57 :
芹沢が将棋世界に日記みたいのを連載してたんだけど
毎日、日によっては昼間からウイスキーを飲んでるって
絶対早死にすると思ったら案の定

58 :
坊さんみたいな奴だなとは思っていたが
坊さんだったのねw

59 :
>>56
棒玉戦法
テレビ将棋での勝ちっぷりは鮮やかだった

60 :
☆森安 秀光(もりやす ひでみつ、1949年8月18日 - 1993年11月22日)棋士番号99。岡山県笠岡市出身。藤内金吾門下。
通算成績 712勝469敗 勝率0.603
竜王戦1組:6期、十段戦リーグ:6期
順位戦A級:6期
獲得タイトル
棋聖 1期(第42期-1983年前期)
登場回数6、獲得1

1993年の第52期B級1組順位戦では4勝3敗と4位につけていた。しかし11月22日午後5時から6時頃に当時12歳の長男にナイフで刺殺された。

61 :
>>60
棋士でこの亡くなり方は珍しいですね・・・

62 :
この亡くなり方が珍しくない業界を知りたい

63 :
wwwwwww

64 :
珍しい亡くなり方といったら、踏切をくぐろうとしてはねられた大野源一九段

65 :
☆河口俊彦 通算成績 367勝563敗
1936年(昭和11年)11月23日 - 2015年1月30日 78歳没 棋士番号95
1987年 東公平らと「将棋ペンクラブ」を創設。初代会長をつとめた。
2003年 引退
盤上では目立った活躍はなかったが現役棋士時代から将棋観戦記、エッセイなどで活躍。
「対局日誌」「新・対局日誌」は30年近く続く連載となった。
将棋の著述活動の功績により引退後に将棋大賞(東京記者会賞)を受賞 2004年度将棋大賞
奨励会に16年在籍し、30歳でようやく四段に昇段しプロ棋士となった。
これを機に奨励会在籍に年齢制限が設けられ長い間最長記録となっていた
奨励会の在籍年数は、1992年に伊藤能の17年という新記録がこれを超えた。


↑この人の対局日誌面白いよね

66 :
☆剱持松二(けんもち しょうじ) 通算成績 399勝660敗 
1934年(昭和9年)7月21日 - 2016年1月7日 81歳没 棋士番号73番
2000年 引退
棋戦優勝1回(1961年度・東西対抗勝継戦)順位戦最高B級2組(1963年度〜81年度)
1988年度順位戦C級1組で羽生善治に勝ち結果として頭ハネを喰らわせたことで有名。
その人柄から、大山康晴からも升田幸三からもかわいがられた。また、連盟の裏方として、
スポンサー集め、募金集めに東奔西走した。
剣持はプロレス好きで、将棋好きの力道山とも親交があり、アマチュア三段の免状を贈呈したこともある。
加藤よりプロ入りは遅いが、加藤一二三の後年の師匠となった。
一時は棋士稼業の傍ら株式投資にも熱を上げていたことがあり、株では数億円単位の浮き沈みを味わったほか
不動産でもバブル景気時代にはマンションで数億円儲けたという
また本人曰く「ICのパターン設計も得意」で、日立や東芝といったメーカーから設計を頼まれていた時期もある



羽生さんの昇級を遅らせたことで知ってたけど、面白い人だったんだな

67 :
降級点消去回数最多記録保持者

68 :
剱持松二
順位戦において、降級点取得回数11回
(B級2組で5回、C級1組で4回、C級2組で2回)・抹消5回(B級2組で3回、C級1組で2回)の珍記録を有している。

10回で永世降級点の称号だなw

69 :
野本虎次は6年連続降級点という記録保持者では

70 :
大野源一は、大山・升田の兄弟子で振り飛車が得意だった。
その頃はまだ大山も升田も居飛車を指していた。
確か、踏切事故で死んだはず。
酒を飲んで酔っぱらっていたらしいな。

71 :
>>60

居飛車穴熊に強かった人だな。

72 :
>>70
王手放置負け同様、せっかちで、遮断機を上げて渡ろうとした

73 :
丸田祐三 1919年(大正8年)3月30日 - 2015年2月17日 95歳没

この人が亡くなって、大正生まれの棋士は全て故人となったんだね・・・

74 :
加藤 治郎 1910年(明治43年)6月1日 - 1996年11月3日 86歳没 棋士番号14 A級在籍3期
明治生まれの棋士で最後まで生きたのはこの人かな?凄い貢献した人なんだね。

1946年 休刊していた将棋世界を再刊して編集長となる
1948年 『将棋は歩から』を刊行。同著書内に記述されている
     「タレ歩」「ダンスの歩」など歩の手筋の名付け親として有名。
      また「陽動振り飛車」「ガッチャン銀」等の名付け親も加藤。
1949年 引退。引退後は観戦記者として活躍。
1957年〜1961年まで、二期四年日本将棋連盟会長を務めて、旧将棋会館を建設した
1984年 観戦記1500局以上で、日本将棋連盟から功労賞
弟子に原田泰夫、木村義徳、真部一男、佐藤健伍ら

75 :
森ケイジの「終盤の魔術師」「イナズマ流」の名付け親も加藤治郎
イナズマの名称は里見香奈に受け継がれた

76 :
 加藤治郎は初の大卒棋士(早稲田)
 ツノ銀中飛車に☗4六金戦法を創始
 一時期、NHK杯戦の解説は加藤治郎だけだったりした

77 :
>>72
しらふで遮断機の降りている踏切を渡ったの?

78 :
>>76

将棋は強いが、解説がやたら下手だった人が誰かいたような記憶が。

79 :
>>64 踏切をくぐろうとしてはねられた
 「くぐろうとした」からではなくて
 「くぐった」からはねられたんだろw

80 :
>>79
確かにそうだ
自分の書き込みなのにアホらしくて笑ってしまった

81 :
木村義雄十四世名人の三男、木村義徳さんは現在83歳でまだご存命なんだな
A級も1期だけだけど在籍したし、結構強かったのかな

82 :
>>66
なんでそんなに負け越してる?
やっぱ森安などの、タイトル取るような棋士は勝率も高いんだな

83 :
>>81
歴代最弱のA級棋士ってよく言われてるぞ

84 :
石田和雄や勝浦修の名局集に旧い棋士たちの横顔が結構載ってるね

85 :
森安さんは44歳で亡くなったのも大きいんだろうね
勝率がいいのは

86 :
木村義徳の現役時代は知らないんだが
強いのが弱いのに勝つ方法みたいな本は古本で買って読んだけど面白かったよ

87 :
義徳さんは弱がりだった
A級1期のみ9戦全敗(B1でもそのまま9連敗で、順位戦最多連敗記録(ただし、中原の19連勝も阻み、対戦成績はその時2連勝。その後、早指し戦で惨敗の連敗))
2年連続昇級の直後に2年連続降級の珍記録
でも、B1どまりの西村一義は、うらやんでいるかもしれない

88 :
>>74
現在の将棋会館建設のとき、会長を務めていたがスター棋士すべてに
クーデター起こされて、理事会総辞職ってのもあるな

89 :
熊谷達人 https://www.shogi.or.jp/player/pro/54.html
1930年(昭和5年)12月7日 - 1977年4月12日 46歳没 棋士番号54  A級5期
この人早死にしたのも含めてなんか魅力を感じる

90 :
何とか1953年以前の全対局結果って残ってないかな?
国会図書館とから拾えないだろうか

特に通算7割以上と言われる木村義雄の全成績を知りたい。
あとは升田の若い頃。

91 :
>>89
忘れたころに九段昇段

92 :
>>86
ボクは陽気な負け犬、もおもしろい

93 :
>>90
連盟も記録なしでは
大山は自己申告とか

94 :
>>89
熊谷は、早指し戦で大山にリベンジしながら、トーナメント勝ち上がり中に死去

95 :
>>89
熊谷九段は近将1959年7月号で特集されてるんだけど、母子家庭で、奨励会から六段までサラリーマンしながら将棋指してたらしい
きちんと修行できてたら、大棋士になれてたかもしれない(本人は能天気な極楽鳥なので、身を持ち崩していた可能性もあるけど)

96 :
升田幸三の成績
黒塗りの年度に関しては、あくまでも保証されてる分の成績なので、参考程度にどうぞ
https://i.imgur.com/Iu7DUXq.jpg

97 :
>>94 >>95
天才肌の棋士だったんですかね

98 :
>>81
木村二世は将棋史研究者としても有名

99 :
>>94
確かにサラリーマン風の風貌
理事もやったはず

100 :
>>95

>母子家庭で、奨励会から六段までサラリーマンしながら将棋指してたらしい


4段になれば普通はメシ食えるのでは?


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