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高麗時代史専用スレ


1 :2019/05/02 〜 最終レス :2019/05/28
中国史、モンゴル史に詳しい方もどうぞお立ち寄りください

■派生元スレ
モンゴル帝国って何で東欧すら征服できなかったの?
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1523839317/

2 :
派生元スレの、こちらの書き込みから当スレは立ちました

---

79 世界@名無史さん 2019/04/30(火) 19:47:43.04 0
スレ違いになるけど朝鮮では貨幣経済が導入されるのもだいぶ遅れてからだったそうでびっくりした
はっきり覚えてないけど壬辰倭乱以降だとか

81 世界@名無史さん 2019/05/01(水) 23:45:21.17 0
朝鮮で貨幣経済になったのは日本統治からだけど?

82 世界@名無史さん 2019/05/02(木) 18:49:12.37 0
>> 81
それが、統一新羅時代とか高麗時代には黄海の海運の主力を担う開かれた交易国家で、
高麗時代に貨幣経済への移行は済ませているんだな。

一般に、衣料品や穀物を交換財として使う経済に後退したのは
モンゴル侵攻による戦乱期とされているけど、
あれほど商業経済に力を入れていた大元ウルスのクビライ政府の藩屏に
高麗が組み込まれていた時期に貨幣経済が復調していた可能性は検証する価値があると思う。

朝鮮半島の貨幣経済に最終的にとどめが刺されたのは、元末のモンゴル帝国全体を覆った
汎ユーラシア的な社会と経済の混乱によるところが大きいんじゃないかと思う。
実際、この混乱の危機対応政権として登場した大明政権は中国大陸での貨幣経済や
大元ウルス時代の銀本位制を停止して、事実上衣料や穀物による物々交換経済に経済を後退させている。
大明が先代時代の銀本位制を復活させるのは、日本やメキシコからの銀が大量に流入して、
民間で勝手に銀建て経済が復興してきたのを追認したことによる。

ところが、李氏朝鮮ではこの大明での貨幣経済復興に連動した経済復興が起きなかった、
という視点でこの王朝での貨幣経済の不成立を論じるべきなんじゃないかな。

3 :
89 世界@名無史さん sage 2019/05/02(木) 19:57:44.76 0
なんだったら、高麗史専用スレ立ててみんなで議論してみる?
自分も興味あるし

日本では意外に特徴が知られてない時代だけど、非常に個性的で時期別の違いも多様だと思う(略)

90 世界@名無史さん 2019/05/02(木) 20:02:50.55 0
>> 89
賛成。
ただ、私自身に中国史、モンゴル史の史書を読んだ時の周縁情報としての知識しかない。

排外主義者はまともな書き込みで圧倒するしかない。

91 世界@名無史さん sage 2019/05/02(木) 20:11:10.64 0
>> 90
高麗朝はむしろ対外的に非常に開けた時代で、君主の家門そのものが海上勢力系豪族由来だから、
中国史やモンゴル史に詳しい方がいてくださるのは、マクロ的考察の面でも非常に心強いよ

4 :
新スレありがとうございます

5 :
関連してそうなスレに宣伝に行ったほうがいい?
気付いた人だけ来てくれたらいいだろうか
人は欲しいんだけどなんせ5では目を付けられやすい地域ではあるから迷ってる

6 :
基本的にsage進行で行けば目立ち過ぎずに済むと思う
幾つか関連しそうなスレはあるよね
(古代朝鮮史スレ辺りはもろに直接関連するけど、あそこ最近荒れてるからなあ・・・  中国史関連だと、唐宋変革期スレあたりどうだろう?)
むしろ、日本史板の平安期とか鎌倉期とか室町初期あたりの人たちと連携したら、深みのある議論が出来そう
武人政権時代とか、すごく同時代性があるし

7 :
>>6
なるほど
じゃあ後で宣伝に行ってきます
ワールドワイドにお話が出来たらいいですね

8 :
李朝が立った時点で高麗の王族は皆殺し、
高麗の実録もみな焼かれたんだよなぁ。

9 :
>>7
よろしくお願いします

10 :
>>8
そうというばかりでもない
ほかでもない「高麗史」が編まれたのは李氏朝鮮時代

11 :
李朝が高麗史を編纂した後で、都合の悪いことも乗っている高麗実録を焼いたんじゃなかった?

半島最古の史書は、高麗時代に編纂された三国史記
三国史記以前の歴史書は、みな都合が悪いとして焼かれてしまった

12 :
>>11
そもそも「高麗史」よりも前に「高麗国史」が李氏朝鮮太祖の李成桂の時代に編まれたりしてる
短い小説を書いたりするならともかく、何も無いところからいきなり膨大な分量の史書を体系的に編めるのでもないわけで

13 :
統一時代の朝鮮半島の王朝ってのは、統一新羅・高麗時代が黄海の内海に羽ばたいた
開かれた海商国家で、その後の李氏朝鮮が閉鎖的な内向き国家。

実際、統一新羅・高麗時代には新羅商人、高麗商人の商船が博多港にやってきて
交易を盛んに行っているが、李氏朝鮮時代には対馬藩が釜山に倭館をつくって
日本側から出向いて交易を行っている。

ここら辺、「どうしてこうなった」感を強く覚えるが、やはりモンゴル期末期の
汎ユーラシア的経済混乱とそれに対する対応政権として出現した大明の反商業政策
とのリンクが大きな意味を持っているのだろうか。

14 :
>>12
李氏朝鮮でも前半期には父系一辺倒ではなく母系の家系も重視されていて
女性の地位が貶められていなかったとか、
官僚の儒学解釈も硬直化しておらず自由闊達な気風があったとか、
そういう話を朝鮮史の史書で読むこともあるんだが、
そこら辺は、高麗時代の気風の余燼があったんだろうか。

中国の方は大元ウルスの北帰直後の大明前半の方が商業否定とか
恐怖政治とか、精神の自由を束縛する要素が強くて、
後半になって日本とかの銀が入ってきて民間経済が復興してくると、
社会に自由の風が戻ってくるという印象があるんだけど、
李氏朝鮮は後半でむしろ社会の自由の風が閉ざされていく印象を受ける。

15 :
李成桂の客将の一人にヌルハチの先祖もいたんだってな
孤立的な日本列島と違って半島は大陸と地続きだから中国や満蒙史と同時並行的に俯瞰する必要がある

16 :
立地が可哀想すぎるんだよなあ

17 :
>>16
華北と満蒙の両方の陸軍力から挟撃されている。
さらに、中世末期になると日本の海上勢力の海軍力からも締め付けられる。

せめて、統一新羅・高麗時代の「海運立国」を維持していれば、海上防衛だけは有利に運べたろうに。

あれ、もしかして閉鎖的な李氏朝鮮時代に先代の高麗時代に海運業を担っていた集団って、
いわゆる「倭寇」集団に参入してしまったんじゃないのか?

松浦党とか対馬なんかの倭寇勢力の構成要素として「福建商人」ってのが重視されているけど、
高麗海商系の集団ってのもばかにならない構成要素なのかも。

18 :
李朝時代も明と後金ちらちらしてたりね
あの位置は本当に可哀想
韓国ドラマや韓国映画を見てると蒙古や女真(もちろん倭奴も)をものっっっすごく嫌ってる描写がしつこく出てくるけど
あそこまでバカにし倒してる相手に力では全く叶わず顔を伺って肝を凍らせる日々ってキツいだろうとよく思う

学問板でフィクションの話申し訳ない

19 :
>>18
そういうのは、
「民族メンタリティ形成にかかわるオーラルヒストリー」
にかかわってくるので、十分話としてはアリだと思う。

そうすると、気になるのが、どうして新羅海商系の豪族が新王朝を興すときに採用した国号が、
満州出自の「高句麗」の異称でもあった「高麗」だったんだろうか、ということ。
女真や靺鞨、契丹と交渉のあった国境地帯の軍事勢力だったら不思議ではない国号なんだけどね。

20 :
>>8
そこら辺で興味深い話があるんだ。
昔、研究面でお世話になっていた出身大学の大学博物館の自然史系の研究室で教授から聞いた話。

そこの研究室に昔、韓国済州島からの優秀な留学生が院に来ていたんだけど、その当人が高句麗だったか
高麗だったかの王家の嫡流の当主だったっていうんだ。なんでも、済州島には朝鮮半島で滅ぼされた
歴代王朝の王室が流されていて、今でもその嫡流による祖先祭祀が続いているんだと。

21 :
ああそう言えば済州島は半島とは民族が違う?だかで差別の対象なんだよね
それでかと納得が行きました

22 :
済州島はもともとは耽羅国といって朝鮮半島の諸王朝からは半独立の存在で、
倭国>日本国に統合されなかった倭人国みたいな見方もあるみたいだね。

実際、海女の漁労文化は日本列島の東北地方から済州島まで連続していて、
朝鮮半島本土には分布していない。
そして、そこに朝鮮半島歴代王朝の王家が流されて系譜を繋いでいる。
さらに、ここで李承晩による大虐殺が起きて、そこから命からがら逃れてきた
難民が、今の在日コリアンの主流を形成している。

非常に面白い場所なんだが、排外主義者さんのネット言論でもほとんど黙殺されている。

23 :
済州島の住民って1830年まで島外に出るのを公式には禁止されてたんだってな

24 :
>>23
それは初めて知った。

もしかすると、内陸国家の性格の強い李氏朝鮮にとって扱いづらい海上勢力となって
日本と勝手に通じかねないという危惧からかな。

25 :
>>22
今の感覚だと済州島の住人=韓国人でしょ?って感覚ですが面白いですね
済州島の人は日本人に気質が似てると聞くけどそういう理由があったのかとこれまた納得しました

26 :
日本で言うと琉球みたいな感覚なんでしょうか
沖縄の人も差別する人はしますよね

27 :
なんか、高麗王朝スレで耽羅国の話ばかりですんませんです。

今、日本と韓国の本国の方は「徴用工」の話でこじれているけど、
実は大戦中、済州島の海女が大規模に徴用されて日本の漁村に送り込まれている。
なぜかというと、軍需品生産の無機化学工業維持のため、海藻を燃やした灰が原材料として
大量に必要になり、原材料となる海藻のカジメやアラメを大量に漁獲する必要性に迫られたから。

この海女の徴用は、実のところほとんど話がこじれてない。
というのも、どうも徴用海女には返礼として送り込まれた漁村での漁業権が広範に認められ、
終戦後は非統制品である雲丹なんかを闇市に卸すことで、かなりの利益が得られたことが
関係しているみたいなんだな。

ここからは闇市周辺で育った人からのオーラルヒストリーなんだが、
済州島での虐殺を逃れてきた難民の受け皿というのが、実はこの既に日本に地盤を築いていた
徴用海女だったらしい。というのも、当時闇市で急速に形成されたコリアンタウン近傍で
幼児期を送った人から、親から彼らが「海女の親族」と聞かされたっていうんだ。
こうした新興の闇市コリアンタウンから成長していった在日コリアンの興した
パチンコ店やら金融業やらの原資は、彼らの親族の海女が海産物で稼ぎ出した
マネーである蓋然性はかなり高そうなんだな。

こういう海女や海女の一族の経済的潜在力に李氏朝鮮が警戒心を持ったというのは、
じゅうぶんあり得そうに思える。

28 :
見つけた
これですね
テロップにも「海女」と書かれている
https://snjpn.net/archives/71786
https://snjpn.net/wp-content/uploads/2018/10/gazou1-2.jpg
https://snjpn.net/wp-content/uploads/2018/10/gazou-8.jpg

韓国済州島の80〜90のご老人「強制連行?聞いたことないよ。何人も連れてかれたら騒ぎになるよ」
http://kuromacyo.livedoor.biz/archives/1807513.html

29 :
現代政治史関係はとりあえず脇に置いておいてほしい
アジア史関係スレが紛糾するのはだいたい近現代史の議論が(本論とは直接的には関係なくても)火種になるし

30 :
ほとんどの世帯が渡ったという済州島の高内里という村の人たちの場合は皮革産業に従事したみたいですね
元は民団の記事です
https://i.imgur.com/U2Dk3fV.jpg
https://i.imgur.com/bF8OPlu.jpg
https://i.imgur.com/1ThAFVr.jpg
https://i.imgur.com/NVNuPKL.jpg
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=23607

31 :
>>29
すみません黙ります

32 :
さてそれで先ほどの、
スレ立て主さん?と思われる
>>19 さんのレスにあった、国号の話ですけど、
本来、高麗がなぜ「高麗」を名乗ったかというのは、
ぶっちゃけた話、「後三国時代からの国の引き継ぎだったから」というのが、
まあ一義的にはその理由です

後三国時代の国々については、
一般的には「従来からの新羅・北部の後高句麗・南西部の後百済の三国鼎立だった」というのが人口に膾炙した説明ですけど、
実はこの「『後』高句麗」や「『後』百済」という呼び名そのものが、後世の第三者による区別のための後付け通称でして、
それぞれの国では、自国のことを「高句麗」「百済」と古式そのままの名で呼んでたんですね
まあそれらの中でも(後)高句麗は、ワンマン君主の弓裔が、その国号をさらに摩眞、またさらに泰封へと度々改めたりはしたんですが、
そもそもの建国時の(後)「高句麗」という国号が「高麗」と縮めて呼ばれることはあったんです
そして、独裁化した弓裔が側近らによるクーデターで追放された後、空位となった君主の座に新たに推戴されたのが、
弓裔の側近でありつつ距離を置く立場を採っていた、王建でした

直接的にはそうした事情から、「高麗」の国号が再採用された、というわけですね

33 :
あ、
>>32こと自分は
>>29です

34 :
この手のスレでは最近では珍しいな
昔(10年以上前)はどのスレもこんな感じだったが、
いまやすっかり政治がらみで荒れるものが多くなってしまった
そういう意味でレトロさを感じる
良スレ

35 :
高麗 重商   宋 重商   藤原摂関   重農
                   六波羅    重商
                   鎌倉      重農
          元 重商    尊氏室町  重農      
朝鮮 重農   明 重農 
          ↓ 重商   義満室町  重商
                   織豊政権  重商
                   徳川江戸  重農


ごく大まかに言うとこういう感じになるのかな?
東南アジアや中央アジア辺りの動きはどうだろう?

36 :
>>35
日本だと、遣唐使時代より、摂関時代に入ってくる平安中期以降がむしろ「唐物」の
国内流通が激しくなっている、つまり貿易量が激増しているんだよね。
で、中央政府も「重農主義」というよりそれまでの「郡司」の率いる伝統的な在地共同体から
新興の「富豪の輩」に鞍替えした在地掌握に舵を切っていく。
在地社会の変動を特に中央からのヘゲモニーではなく、在地の変化に身を任せて船の舵を切り、
乗り切ったという印象が強く、在地が中央に従い、中央に貢納が上がってきさえすれば、
在地が重視しているのが商業でも農業でも構わなかったという印象がある。

朝鮮半島でも、統一新羅時代から黄海を主な舞台にした海商活動は活発で、
玄界灘を渡った博多にも新羅海商はやってきている。
10世紀の統一新羅から高麗への変動で、海商活動自体は大きな変化を被っていないように見える。
そうすると、統一新羅を滅ぼして高麗を勃興させた社会的背景は何だったんだろう。

中央アジアや東南アジアに関しては、古い時代ほど商業依存が強かったように見える。

中央アジアで農業が肥大するのは、ロシア帝国・ソ連治下でアム・ダリアとシル・ダリアの
水を灌漑に使った綿花農業の発展だけど、それは短期間でアラル海の水の枯渇を招いてしまった。

東南アジアでの初期国家の勃興は、中国とインドからの香辛料などの熱帯雨林の高額特産物買い付けの
カウンターパートナーとしての「港市国家」で始まっていて、大河川のデルタ地帯を舞台にした
稲作大国のスタートは、ごく最近の近世だったりする。

37 :
>>35
高麗って重商なのかな?むしろ重農じゃないかな。
海商上がりといっても、全国支配は婚姻同盟によるものだから、強権支配じゃないし、
王建本人は風水地理説の信者でしょ。
それに成宗の頃には儒教が導入されるから、重農的になっていくだろうし、
朝鮮に変わるきっかけになるのも商業利権の問題じゃなく、土地問題だった。

38 :
交替のきっかけは復讐ノリで来た前期倭寇の跋扈と退治じゃないの

39 :
朝鮮族はだいぶモンゴルの血が入ってるんだ思ってたけど違う?
民族浄化とまでは言わないけど現在の韓国人の身体が大きいのは北方の血が取り込まれたからだと思っていたけど…

59 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/03/05(土) 00:06:33.81
>> 54
当時の朝鮮人と中国人は、今の朝鮮人と中国人とはDNAがまるで違うぞ。

モンゴルやそのほかの騎馬民族に民族浄化される前だからな。

70 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/08/07(日) 17:34:40.75
>> 59
まだこんなこと言ってる奴がいるのか・・・
人口差などから考えても、騎馬民族が中国や朝鮮の住民と入れ替わるとかできるわけないだろ

40 :
モンゴル人と高麗人の人口比考えてみたらすぐ分かることだろうに

ていうか人種論と民族論てそもそも根本的に概念として一致しないだろ

41 :
事実は逆で三国時代から李朝にかけて朝鮮の領域が北方に拡大し現地民を取り込んでいった

42 :
>>41
「韓」を主体とする勢力が北に拡大しながら旧高句麗の領域を取り込んでいった、という事かな。

43 :
朝鮮は王朝の長さが通常の二倍くらいある(李氏朝鮮の期間は日本の室町幕府と江戸幕府の期間に相当)のが
興味を持たれにくい原因だろうな

44 :
>>43
朝鮮は五百年といっても、明代と清代で、前期と後期に分かれる

45 :
高麗は、平安時代の日本や、唐代の中国と同じで、前半は都の王朝貴族の世だったが、後半になると武人が台頭し、貴族を虐殺して武人政権ができた

あのまま行ってたら、半島も日本みたいな武家社会になってたかもしれない

だが、モンゴル帝国の侵攻により、武人政権は潰された
今にして思えば、あのときが日本と朝鮮の運命の分かれ目だったんじゃなかろうか

46 :
(Wikipediaから抜粋要約)

武臣政権(ぶしんせいけん、무신정권(ムシンヂョングォン)、武人政権とも書く)は、朝鮮半島における高麗王朝の統治下、
1170年(明宗元年)から1270年(元宗11年)の100年間にわたり、国王や文臣ではなく武臣が朝廷の政治を掌握していた時代、
およびその政権形態を指す。この期間のことを「武人時代(ぶじんじだい、ムインシデ)」ともいう。

朝鮮史上、文班・武班の両班(ヤンバン)制度が始まるのは高麗時代からであるが、高麗では文治主義の伝統に基づき、武班官僚は文班官僚の下位におかれていた。
とくに毅宗が土木工事や仏教儀式の挙行に際して下級武臣(現職の武班)や軍人らを酷使した一方で、文臣・宦官を露骨に優遇したために、武臣らの不満は頂点に達していた。

1170年8月、毅宗の普賢院参詣をきっかけに武臣らの不満が暴発。李義方(イ・ウィバン)・鄭仲夫(チョン・チュンブ)ら武臣は多数の文臣を殺害し、
毅宗と王太子を廃して、毅宗の弟である明宗(ミョンジョン)を擁立した。この事件をその年の干支から庚寅の乱という。この事件で、実名が判明する人物だけで46名、その他40名以上の文臣が殺害されている。

47 :
高麗で武人政権が登場したのは、日本における鎌倉幕府の成立とほぼ同時期の12世紀後半。
ここまでは、日本史と半島史が「貴族から武士へ」という同じ流れにあったことを思わせる

ちなみに、唐はやはり数百年ほど先んじており、8世紀後半から武人の藩鎮が台頭し、10世紀の初めに貴族を虐殺して唐が滅びたときの状況が、これに相当すると思われる

しかし、日本とは異なり、大陸と半島には常に「北方民族の脅威」という不確定要因があるため、これによって歴史の流れが変わってしまう

48 :
日本の武士はもと天皇や藤原氏の子孫だったのに対し、
高麗の武臣たちのもともとの身分は相当に低かったらしいな

49 :
高麗の武臣政権は、成立時期や政権の形態・位置付けから見れば、
鎌倉幕府よりはむしろ六波羅平氏政権に近そう

50 :
コリョの時代は完全に韓国が日本よりも先進文化的でした平氏政権はコリョの武人政権を参考にして出来たのです

源氏頼朝の政府から日本は中韓と違う後進的政体になっていったのです

51 :
ホルホル
起源主張誇らしいニダ

52 :
50とか51とか、その手の茶々入れレスはつまらない
ここはまじめな議論をしてるスレだ
時系列なら平氏政権(1160年ごろから基盤強化)のほうが庚寅の乱(武人政権成立契機のクーデター 1170年)よりも少し早い
考えるべきはどこが先か後かということではなく、なぜその時期に東アジア各地で同時多発的に類似の政治形態が成立していったかということであって、
アジア全域の政治・経済・交通などをマクロ的に俯瞰する必要が有る

53 :
平氏(源氏)と本格的な武臣政権の崔氏を比較すると、
2代目の崔瑀が政所に相当する政房を設置するのが、1225年だからだいぶ遅い。

54 :
10進に変えてみた。
崔瑀→崔瑀

55 :
日本の律令制国家、朝鮮半島の統一新羅、マンチュリアの渤海の10世紀におけるほぼ同時の
崩壊現象は、非常に興味深いよね。

私はこれは中華の周縁地帯における、周回遅れの「古代の終焉」なんじゃないかと考えている。

ここでいう「古代の終焉」というのは、マルキシズムなんかの発展段階史観の唱える、
「奴隷制古代」の終焉、という意味じゃない。ほぼ同時代に起きた西のローマ帝国と
東の漢帝国の解体現象を比較してみると、どちらの古代帝国もローマ帝国における
キウィタス、漢帝国における邑制社会の残滓の郷里制社会と、都市国家的な共同体の
連合体として帝国が成り立っている。そして、どちらの解体現象においても、
この社会基盤であった都市国家的自治社会の解体が起きてるんだな。

振り返って、10世紀の中華周縁における国家体制の解体現象を見てみると、
これは日本人にとって史学的論考が最も集めやすい日本の律令制で検証するのが
もっともやりやすいんだが、古墳時代に成立した「クニ」という首長制在地共同体
の連合体としてヤマト政権が成立し、この連合体を中央集権化することで律令国家たる
大和朝廷が誕生している。そして、9~10世紀にはこの政治体制の背景基盤たる
在地の首長制共同体が急速に解体しているんだな。これが、従来の律令制による
統治機構を解体し、荘園公領制に基づく王朝国家体制への脱皮を促している。

統一新羅や渤海でも、在地社会で似たような現象が起きていて、それへの対応の
帰結として生じたのが、朝鮮半島における高麗王朝の成立、契丹による征服による
渤海の解体、とみることはできないだろうか。

56 :
日本の荘園公領制王朝国家における武士の台頭、高麗王朝における武臣の台頭、
というのを相対化してみるために、その前の時代、律令制時代の軍制について
整理してみたいと思う。

これも、手元にあまり朝鮮半島史の資料が充実していないんで、日本史に偏るんだが、
古代律令国家における軍制って、庶民からの大規模な徴兵で、しかも基幹の武装が
兵士の自弁なんだよね。この、貧しい庶民までが刀、弓矢、盾などを自弁で兵役に
参加できるって背景を考えてみてほしい。これって、広域国家が成立する前からの
それぞれが武装自衛していた在地の首長制共同体の自由身分皆兵の「共同体軍」の
読み替え以外には考えにくい体制なんだよね。つまり、在地共同体の首長に率いられ、
共同体共有の武器庫の武器で自由身分の男子成員全員が武装していた武装組織が、
そっくりそのまま中央の招集に応えて軍団を形成している。

多分、これは統一新羅でも渤海でもそう変わらない体制だったはずだ。

ところが、日本の例を見てみると9〜10世紀にこういうタイプの軍団維持が急速に
困難になっていっている。その同時代の在地社会を見てみると、伝統的な在地社会の
首長層から任命されていた旧タイプの「郡司層」が没落し、共同体の自由民の戸籍による
個人把握による徴税が破綻、つまり旧来の共同体の自由民による農業経営が破綻し、
替わって「富豪の輩」、後に「名主」層に成長していく富裕層による大規模農業経営が
発展してきている。彼らは種籾や鉄製農具といった動産ファンドを蓄積し、
それを一般庶民に貸し付けて利子で縛り、在地社会における人身支配を強めていっている。

よく、平安時代中期以降の軍制の変化を、中央貴族が地方の治安維持に関心を失った、
と評する向きがあるが、どうもそうではない。地方の平安維持を担っていた在地共同体による
軍事警察力自体が解体してしまって、旧来のやり方では平和を保てなくなっているんだ。

57 :
朝鮮の王様はよく首を思うがままにされてるね
王様に威光はちゃんとあったのかな

58 :
白頭山の噴火は?

59 :
>>50
サウラビってやつですね

60 :
>>56
古代ギリシャローマやゲルマンのような市民社会を古代日本に投影してるようだけど
日本にはヨーロッパの「自由市民」にあたる階級は近代まで存在しないでしょ
軍団制にしても結局武器を自弁できるほどの百姓はほとんどいないので
結局郡司の子弟からなる健児制に移行してる

61 :
>>60
古典古代ギリシア・ローマ社会の市民社会やケルト・ゲルマンの自由農民戦士
みたいなものを想定しなくても、共同体の運営に発言権を持った共同体成員と、
そういった共同体成員の皆兵制による軍制ってのはもっと普遍的に存在する。

日本でいえば、戦国期〜江戸時代の近世村落の本百姓身分がそうだし、
匈奴国家やモンゴル帝国のような遊牧国家の牧民戦士がそう。

中国でも西周〜春秋期の邑制社会の軍制は、士分都市貴族の戦車戦士と、
庶人歩兵戦士から構成されていた。

健児も、奈良期のものは一般百姓層からの歩兵集団を補完する
共同体上層成員によるエリート騎兵で、古代共同体の解体で
この層が戦士の役を担えなくなるとともに、軍団の歩兵制度自体が
消滅している。

62 :
>>61

訂正
『古代共同体の解体でこの層が戦士の役を担えなくなるとともに、
軍団の歩兵制度自体が消滅している。』

『古代共同体の解体でこの層以外が戦士の役を担えなくなるとともに、
軍団から健児を除いた百姓からの歩兵層が消滅している』

63 :
朝鮮の場合は史料がすくないんじゃないの
山川の世界歴史大系シリーズで
朝鮮史が最近やっと出たけど全二巻しかない
二巻目は近現代なので実質一巻だけ
イギリスやフランスやドイツはそれぞれ全三巻

64 :
>>63
李氏朝鮮時代になると、王朝の実録が生で残っているし、生の戸籍も残っている。
問題は、統一新羅時代と高麗王朝時代の一次史料が非常に少ない事かな。

ちなみに、日本の律令制国家、統一新羅、渤海王国が解体した10世紀の「危機」に
関しては、日本史研究者にとっても史料が少なくて研究者泣かせらしい。

というのも、律令制国家の時代には定期的に中央官庁に集まってくる文書を編纂して
「六国史」なんてのが出来ているし、膨大な官僚組織が廃棄した木簡が地中から出てきたり、
漆紙文書なんて形で地方の戸籍が保存されていたりする。
ところが、平安中期以降は貴族の日記という形で公的に参照する記録が保存されるようになるんだが、
そこに移り変わる端境の時期がまさに国家体制が激変する時期で、極端に史料が少ないんだそうだ。

65 :
>>61
だからその「共同体の運営に発言権を持った共同体成員」なんてものは古代日本には存在しないし
「共同体成員の皆兵制による軍制」ってのも君の脳内にしか存在しないから
古代日本では「部民制」というインドのカーストとよく似た制度によって職能ごとに集団を形成していて
「靫負部」「物部」「佐伯部」が軍事担当の部民

『国造制・部民制の研究』と『奈良時代軍事制度の研究』読めば軍団制度が何で日本に根付かなかったのかよ〜く分かると思うよ

66 :
>>60
つうかこの人、そこら中で長文連投してるので、大体言わんとすることは見えてきたんだけど、
アジア側、日本側(など)というより、ヨーロッパ側・古典古代側の理解が致命的に誤ってる。
ギリシャのポリスや共和政ローマの「国体」を、オリエント以東にありふれた古代首長制と全く区別できてない。
これを区別できないまま、なし崩しにいろんな国の話を、表面的なアナロジーだけで似てる似てると早合点する。

まあ、後漢と平安日本と高麗を比較するだけだなら、別にギリシャ・ローマの理解が赤点でも直接的にはかまわんので、
このスレではこの辺にするけどさ。

67 :
>>65
それは、畿内の大王直属の軍事力の話だろ。
白村江の戦とか壬申の乱みたいなもっと大規模な戦役の場合には、
地方の首長制共同体の兵力を動員している。

律令制における国造軍による地域共同体からの根こそぎ動員の体制については、
下向井龍彦の『武士の成長と院政』を読んでみるといい。

68 :
ヨーロッパの古典古代の理解に関してだけど、実のところ、古代のギリシア人や
ローマ人がオリエントとオクシデントの二項対立で自己定義していったその視点が
どこまで正しかったのか、強い疑念を抱いている。二項対立じゃなくて、
アッシリアのリンム制とローマのコンスル制の類似みたいに、互いにかなり類似した
側面で西アジアとギリシア・ローマ世界をくくれる部分があって、さらにその上で
ギリシア・ローマ世界の特殊性が共通性の上に乗っかっているんじゃないかという
見方ができるんじゃないかと、そういう疑いを抱いているんだな。
そういう「疑念」から出ている視点が、確かに「のどに刺さるとげ」みたいに
感じる人には感じるんだと思う。

69 :
>>68
世の中、「オリエント」と「ギリシャ・ローマ」に分けて考えている人ばかりではない

「地中海世界」という枠組で考えるのが、いまの流行りなんじゃないか

David Abulafia の “The Great Sea”が名著

70 :
>>63
朝鮮の古典で一番古いのが「三国史記」で12世紀、次に古いのが「三国遺事」で13世紀だからな

日本に勉強しにきた韓国の留学生は、平安時代の古典が山ほどあるのを知ってビックリする

朝鮮王国の儒教原理主義者に焚書されたってのもあるが、もともと、紙の原料となる植物が育たない気候風土のハンデ

71 :
それにしたって、高麗が朝鮮半島の文化的な盛期だったとする声は多い

大阪の東洋陶磁美術館には、高麗青磁のすばらしいコレクションがある

72 :
>>70
考古遺物としての木簡文書も、地下水漬けになるような極端な多湿か、砂漠気候での乾燥保存の
両極端が保存に適している。前者は日本の奈良盆地の遺跡とか、中国だと江南の楚の地域の遺跡が
典型で、後者は中国の西域の砂漠地帯の城塞遺跡なんかが典型。

そうすると、朝鮮半島は奈良盆地よりずっと乾燥していて、そうではあるけれど砂漠地帯みたいに
カラカラではない。木簡文書の保存には非常に都合が悪い環境条件。

73 :
>>69
いやぁ、私が歴史学の専門書や論文を読むときの視点にある種の特殊性があるのは、
確かに否めないんだわ。

例えば、「地中海」どころか、
イラン高原>メソポタミア>レバント>東地中海>西地中海>ガリア
ぐらいまでの領域から共通性と相違性の変化のクラインを読み取ろうとしているし、
ローマ帝国と秦漢帝国のほぼ同時期の解体の背景として、古代帝国としての共通項は
いったい何なのか、という問題意識をやたら強く抱いている。

東アジア史でいえば、
江南・華北・モンゴリア・マンチュリア・朝鮮半島・日本列島
の歴史を個別ではなくひとつのシステムとして連結したものとして
読み取れないかという所に関心が集中している。

74 :
>>67
お前本当に下向井氏の著書読んで書いてるか?
地域共同体からの根こそぎ動員の体制とかどこにそんなことが書いてあるんだ?

同氏の論文である「百済救援戦争の歴史的位置」によると
「大化前代の国造軍は自己武装能力を持つ国造領内富裕層で構成され、装備は在宅所持、平時の訓練は軍士たちの自己訓練に委ねられていた。」
と健児制以降の国衙軍と類似した軍制をとっていたという理解だぞ

75 :
>>70
三国史記のもとになった歴史書なども存在していたはずだが、
高麗によって廃棄されたか散逸したか

76 :
>>74
2016年の論文か。
そうすると、この20年くらいで認識を変えたんだな。

『武士の成長と院政』では、ちょっと今手元にないので正確な引用が出来ないが、
律令制国家の軍隊は、国造の首長権による動員に依存していて、それによって
非常に高い軍事動員率を達成してそれによって新羅を威嚇している、という議論をしている。

ただ、律令制国家の時代には、それ以前の国造軍よりもっと広範な層から首長権による
動員を行った可能性を考慮すると、両時期で下向井氏の認識に変化はないのかもしれない。

それにしても、在地首長である国造の統治する在地共同体に首長の要請に応えて武装自弁で
国造軍を形成できるだけの階層がある程度分厚く存在したのは確かじゃないか。
これは、平安時代になってからの令制国ごとの健児が数十人規模だったのと比べると、
はるかに分厚い「戦士相」が存在した証左にはならないか?

そもそも国造の統治範囲は令制国よりかなり狭いぞ。

77 :
>>74
下向井(2016)、ざっと目を通してみた。
彼の認識としては『武士の成長と院政』の著作時と大きく変わっていない。
大化期に中央政府は在地社会を掌握しているとはいえず、旧国造、旧伴造を新たな国評制にあわせて
「評造」に任命した上で、彼らに掌握している在地社会から古墳時代の国造軍より広範な動員をかけた
「評造軍」を結成させて白村江の戦に臨んでいる、という内容。

詰まる所、私の従前の主張と同じで、在地首長の在地共同体掌握をベースにした軍制がこの時代の
「国軍」、特に大規模な対外戦争における軍制の基盤になっていた。

78 :
下向井(2016)のPDFファイルが読める広島大学のリポジトリのリンク張っとく。

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/00039769

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/39769/20160419145507114364/hps_37_1.pdf

79 :
>>68
ローマ共和政時代にアッシリアは既に滅んでいたのでは?

80 :
>>79
それは、「1年任期の執政官」と「上層市民による長老会議」がある体制、というのが、
古代ローマに限らず西アジア〜地中海世界にある程度の普遍性をもって
繰り返し出現している政体パターンなんじゃないか、という問題提起。

81 :
>>73
地中海は黒海と連続しているから、黒海の沿岸まで含めると、キエフ・ルーシやイラン、カフカス地方あたりも地中海世界に入る

82 :
朝鮮貴族は日記を書き残す習慣が無かったのか
何も残っていないとは呆れ返る

83 :
>>82
さすがにそのレスは本気で言ってるとは思えないが、
ここはそういう変な思い込みレスを書き散らすスレじゃないんで

84 :
>>83
新羅にまったく文献が無く、高麗にほとんど文献が無いのは事実

朝鮮の儒教原理主義者に焚書されたというのもあるが、これほど徹底的に消滅したからには、もともと少なかったと見るのが自然

85 :
豊臣秀吉が焼き払ったと同じ理屈
元から無かった

86 :
日記というか、詩や上奏文などが主軸ではあるが、一例を挙げるなら、
新羅なら崔致遠、高麗なら李圭報といった文人らの自著が残ってるね
特に上奏文などは、当然ながら執筆時期なども或る程度明確だし

87 :
李氏朝鮮時代に土着の神を祀る多神教の祠はほとんど無くなり
済州島にしかのこってないときく
シャーマンとかは根強くあったみたいだけど。

88 :
>>86 訂正

李圭報

李奎報

89 :
>>87
日本でいうと、観念的な水戸学が隆盛した水戸藩で、土俗信仰の色彩の強い神社を
「淫祠邪教」とレッテル張りしてずいぶん廃絶させているのに似てるかな。

90 :
朱子学のせいで神廟も仏堂も廃されて
朝鮮に残ったのは風水と呪いだけ

91 :
とりあえずここ、「高麗時代」のスレなんで
李氏朝鮮の話したい人は他スレで

92 :
朝鮮といえば人名も気になるな
高麗時代だと貴族でも日常的には朝鮮名を使ってたんだろうか
日本統治時代でも庶民は朝鮮名を使ってたりしたらしいが。

93 :
>>86
新羅の崔致遠は、唐にいた頃に書いた中国の古典

94 :
朝鮮王朝時代と違って、統一新羅時代、高麗時代は新羅人、高麗人が黄海をまたにかけた
海商として活躍していて、日本の博多にも新羅商人、高麗商人の商船が交易目的で渡来してきていた
わけだが、彼らの商業活動の中身ってどうなっているんだろう。

少なくとも、高麗時代の博多港に来る高麗船が、宋船と同様に日本の硫黄を買い付けていた
ことは記録に残っているようだが、商業活動の全体像はどれぐらい判明しているんだろうか。

95 :
新羅や高麗はまだ後継国家があるからいいけど、
渤海や大理は後継国家がないからわからないことだらけだろうな

96 :
>>95
一応、マンチュリアの統治者としては
高句麗>渤海>契丹>金>モンゴル>後金・大清>満州国
という系譜はあるんだけど、正統後継者観が寸断されているんだよね。

特に、渤海>契丹の段階。

97 :
韓国では、「高句麗は、我が民族の歴史ニダ」というのにこだわっており、「それは中国東北部の歴史アルよ」と言われると怒って火病を起こす

北朝鮮では、それほどでもない

この問題でモメるのは中韓だけであり、北朝鮮は距離を置いている

98 :
金王朝は漢民族の裏切者なので、保身のために喜んで中国には尻尾を振るのだ。

99 :
北朝鮮は金氏朝鮮が正しい名称だろうな
文化レベルは1000年前の高麗より下だが

100 :
高麗の首都・開城はソウルに近いが、北朝鮮にある

創始者の王建も、弓裔も必ずしも北の人間ではないのだが


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