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ケルトの歴史


1 :2011/12/17 〜 最終レス :2018/06/25
ブルターニュ、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、ガリシアなどの
歴史について語るスレです

2 :
ケルトの歴史
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1324056118/

3 :
重複

4 :
アイルランド(ヒベルニア)はローマの支配を受けず、住民は鉄器時代以来の生活を続けていた
ブリテン島におけるローマ支配の動揺とともに、スコット人が活動を開始する
古代末から中世初期のアイルランド海は、「ケルト人の海」とも称すべく、
とりわけスコット人の主要な活動舞台だった

5 :
コーンウォール

6 :
というか今も鉄器時代なんだが

7 :
(合成)樹脂時代ともいえるな。プラスチックやビニールやゴムは鉄器時代に入ってからも久しくはなかった
漆は確かに樹脂だけど、コーティングだけだし。

8 :
ケルトが来る前のアイルランドには誰が住んでいたのか

9 :
>>8
ブリテン島の、ビーカー文化を担ったのと同じ連中

10 :
印欧語族

11 :
ケルト音楽は魅力的だが、あれは古代ケルトから連綿と繋がるものなのだろうか

12 :
人数では少ないはずのゲルマン人に
なぜ言葉がゲルマン化されたのか

13 :
農耕もケルト人のほうが進んでたんだっけ

14 :
イエス。脱穀機とか開発したのは、ガリア人。ガロローマ時代に帝国中へ広まった。

15 :
>>8-9
ピクト人の類

16 :
>>12
カエサル以来、戦争を忘れたから

17 :
>>11
だいぶ現代のUFが入っている

18 :
>>11
俺もその点については詳しく知りたい
>>12
文化的に優位な方の言語に吸収されるからじゃないかな?

19 :
Urinara Fantasy?

20 :
確かエンヤもケルト系だったね。

21 :
アイルランド、な

22 :
な、じゃねーだろ!クソ朝鮮人!

23 :
エンヤはケルト音楽をベースにしているアーティストではある。

24 :
今は朝鮮もアイルランドも同じヘンテコなロマン主義の時代にある
昔のケルト時代や高句麗時代を妙に美化している
主張に根拠が全くないわけでもないが、誇張や歪曲や捏造が多すぎる

25 :
♪えんやーとっと

26 :
ケルティックウーマンとかステージ向けのアイリッシュ・ダンスとか、
ちょっと演出過剰で気味が悪い
三味線でロック音楽やってるのに似ている

27 :
カエサルが侵入してきたとき、ブリテン島の大部分ではブリトン語が、
アイルランドではゲール語が話されていた
両者は友印欧語族のケルト語に属するが、ゲール語のほうが古い形をとどめている
ブリトン語は、言語学上「Pケルト語」と呼ばれ、後のウェールズ語、コーンウォール語、
ブルトン語がこれから派生した
ゲール語は「Qケルト語」と呼ばれ、アイルランドやマン島のほかブリタニアの
周辺部で語られていたが、紀元五世紀ごろスコット人によりスコットランドにもたらされた

28 :
>>24
朝鮮が高句麗を美化って
日本がアイヌを美化するようなもんじゃね

29 :
アイヌに日本の大半を武力支配した栄光の歴史があるのか?

30 :
トルコはオスマントルコじゃなくて突厥が栄光の時代扱いなんだろうな
イランはアケメネス朝がそれか。イスラム原理主義国家のはずなのに、300が公開されたとき、ギリシャマンセー、ペルシャ下げの描写に、
無明時代のことのはずなのに国として公式に抗議したんじゃなかったっけ。宗教より血が結局は優先か

31 :
ケルトは統一国家を持たなかったが、古代の一時期にその文化が欧州中に広がっていたから、
それを統一国家のようなものと解釈して、愉悦に浸ってるんだろ
朝鮮人の女真礼賛と似ている

32 :
文化的影響力を誇るって面白いな
詳しく聞かせてくれ

33 :
>>29
もともと日本の約半分はアイヌの土地だったし
半島の北は元々新羅とは言葉が通じない高句麗の領土だし
新羅=大和朝廷
高句麗=アイヌ
チェジェ島=沖縄

34 :
>>公式に抗議
メキシコがBBCやNHKの番組に
メキシコを侮辱したと抗議したり
ハンガリーの「ミチコ、その釣り上った目から見た世界」
とかいう番組に外務省が抗議したりと
創作物に抗議するって結構よくあるよね

35 :
何でケルトスレに糞朝鮮人が混ざってるんだ! お得意の韓国起源を言いたいんか(笑)

36 :
>>34 メキシコが抗議したのはNHKじゃなくてフジじゃなかったっけ。外交官なんとかって織田ゆうじのドラマで
物騒な国だったかいつもお祭り騒ぎの国だったかのように描写して

37 :
http://www.theteenblog.com/Val-Is-Naked-In-The-Train.php

38 :
ケルト語はスラブ、ゲルマン、ロマンス語とかどれに一番近い?

39 :
ケルト文化と日本文化の共通語 「笛」

40 :

ビートルズは、ケルト人。
これマジ。

あと古代ゲルマニアでは、
貴族、自由人、奴隷という社会構造になっていてがいて、奴隷はケルト人が多かったそうだ。
先住民として捕らわれて奴隷になってしまったらしい。

41 :
>>38
ケルト語派はロマンス語(イタリック語派)に最も近いと言われている
北イタリア・ガリアのラテン化が早かったのもそのため

42 :
http://www.youtube.com/watch?v=ATEe4CdDfp4&sns=em

43 :
ブリテン・アイルランドのケルト人は大陸からのケルト人遺伝子は
あまりないらしい。言語と文化だけ巨石文明の先住民に伝わって
ケルト人移住者の人数は少なかったらしい。ソースは

44 :
巨石に魂が宿るという考え方は日本人にもあったよ

45 :
石は、土の中で徐々に大きく成長していくと考えていた人が多かったらしいね

46 :
巨石信仰巨石文化はどこにでもあるな

47 :
巨石文化はオーストラリアのアボリジニにもあるじゃまいか
落ちそうで落ちない石がオーストラリアにはあるね
そういう意味ではオーストラリアにジャガイモ飢饉で移住したケルツ(笑)がオーストラリアの石を崇拝しても不思議ではあるまい

48 :
というか、人種的にケルトもゲルマンも一緒の気がする
どちらも牧畜民的文化を持ってるし、さほどの違いはないように思う
スペイン人とポルトガル人くらいしか違わないんじゃないのか?

49 :
言語を完璧に無視するとこんな解釈になるのか

50 :
ケルト語は印欧語
ゴート人は東方の遊牧民系だろうが、フランクとかは違うだろう
どちらにせよ、ケルトと極端な違いはないよ

51 :
人種が同じで言語的に近親関係にあっても、文化習俗は様々に異なってる
日本と朝鮮と中国は同じ東アジアで、人種も同じで、言語的にも系統的に近似する部分があるが、全然違う民族だろう?

52 :
ケルト戦士かっこいいっす

53 :
グレートホワイト

54 :
>>51
そう言われると弱いが、いわゆるケルト人はヨーロッパ大陸のかなりの範囲に及んでいる
そんな大量の同一血族集団が存在するわけはない
つまりケルト人てのは文化上の区別だ
ゲルマンはこれの進化?版みたいなもんか
実際比較するとケルトとゲルマンは文化的に公約数が多い

55 :
>>51
だれも突っ込まないので、いちおう指摘しておく。
中国語と日本語は言語系統として全く近似してない。文法も単語も、英語と同程度に乖離している。
朝鮮語と日本語とは、文法は近似しているが単語のほうは同根であるかどうか確認できてない。

56 :
>中国語と日本語は言語系統として全く近似してない。文法も単語も、英語と同程度に乖離している。
うん、それはわかってたしそのことは一応書いておこうかと思ったけどレスが長くなるから
近似する部分があるが(この部分は日本と朝鮮のことを指している)、という表現にとどめておいた
でももちろんあなたの言うように書くべきだった。すみません

57 :
印欧語というだけでゲルマン語派とケルト語派を同一視するのってかなり痛いよ
ケルトを文化概念とみなすのも言語の実情を見ていない
あちこちに分散していたのはゲルマン語派も同じだが、
じゃあどうやってケルトとゲルマンを区別したのさw

58 :
住んでる場所の違いだと思うよ
これ、案外重要
実際ほとんど外見上の区別はないし、使ってる道具も生活形態もよく似てる
結局ドイツ地域のケルトをゲルマンと呼んでるだけじゃないのかと思わせる
いろいろ調べてみたら?
ヨーロッパの学者もあんまよくわかってなさそうよ

59 :
ケルト人よりも前にアイルランドには先住民がいたみたいだけどその先住民がどんな民族だったかは不明なんだよ。
記録ではアイルランドを侵略したケルト人が先住民と戦ったけどケルト人は先住民をすべてRことはしなかったみたいだよ。優しいから。

60 :
地域?アナトリア半島やイベリア半島、それに中欧にはゲルマンもケルトもいたけど、
どうやって互いを区別してたのさw

61 :
>>59

62 :
>>59
「侵略の書」によれば、古代アイルランドには、
セラの息子たち、ネヴェと四組の男女、フィルボルゲ族、ダナの息子たち、ミレシアの息子たち…
が、次々やってきてはお互いに戦ったという
これを無理に合理化すれば、ミレシアの息子たちとやらがケルト系ゴイデル族、
ミレシアの息子たちに滅ぼされたというダナの息子たちとやらが、
ドルメンやメンヒル等の古墳を残した民族ということになるらしい
巨石文明は控え目に見積もって紀元前5000年くらいらしい

63 :
>>60
自分で調べろタコが

64 :
つ ドルイド

65 :
>>63
調べて報告すんのはお前の役目だバカw
言語もろくに知らずに思いつきで物言うなアホw

66 :
>>65
貴様の深遠なる知恵を拝借したいもんだな
字ぃ読めるか?ゆとりwwww wwww

67 :
>>33
馬鹿、学問板だぞw

68 :
ドルイド教がケルト文化の共通事項だったの?
言語ではなく、共通の神話体系=「文化圏」
ケルトが征服して拡散した地域では、被支配層には非ケルト語集団が共生していただろう。

69 :
ケルト文化の本場はフランス

70 :
ドルイドは古ペルシャの賢者が源流でそれにギリシャの誰だったかな哲学者の思想体系が加味されて形成された知的体系らしいし
ということは地域によってその存在の濃度や有無も違ってきそうだし、普遍的なのかな?
そのドルイドも次第に変質して現在そのドルイドの主流イメージである、森の巫女的な形となっていったらしいが

71 :
ドルイドはある意味「元老院制」だ
複数の賢者が合議で物事を決める
これがプロテスタントの時代に「長老派」として復活するのだから面白い
信仰内容はキリスト教に変わってはいるが、こういう形式が至上だと考える素地が残っていたんだね
ジェダイの騎士もドルイドからインスピレートされたらしいよね

72 :

TPPは、ビートルズだそうだw
 さぞかしTPPってのは、ケルト文化由来なんだろうなww

73 :
最近200年のポーランド小史
http://www.din.or.jp/~a_ohno/Polen/Brief%20history%20of%20Poland.htm

74 :
>>70
もともと印欧語族が欧州中央部以西に本格的に侵入したのは紀元前4-3千年紀の球状アンフォーラ文化からで、
この人たちはステップ遊牧民と共通した習慣と身体的特徴があるというから。
欧州のステップと言えばウクライナで、そこはイラン系遊牧民族が続々と入ってきたところ。
イランと言えばペルシャで、彼らのサテム語の源流がカスピ海とアラル海の間の紀元前3千年紀のアンドロノヴォ文化のあたりだな。
言語と文化は別だから、ステップ文化はサテム語発生よりもはるか前からあって、まあそういうこった。
地図見るとウクライナのステップからはカルパティア山脈の北側が開けていて、ポーランドからドイツ北部へ楽に入れる。
球状アンフォーラ文化はこのルートで栄えている。
ケルトはこの辺から西欧に拡散した連中だろ。

75 :
チャリオットは紀元前2千年ごろにカスピ海のずっと北の方のヴォルガ川中流のシンタシュタ文化で発明。

76 :
まあ、紀元前2000年紀に広まったビーカー文化というのが最初のケルト人だな。

77 :
>>70
いまのドルイドのイメージは1980年代に始まった、英米圏のアイルランド系によるウリナラファンタジーのブームで、
だいぶ捏造と誇張が混じっているからな。
ウィキペディアの英語版でも連中は御熱心で。
ゲルマンなんかもそうだな。英語版ではウリナラゲルマンの連中が熱心に御活躍。
現代特に戦後の資料はガン無視。ヨルダネスやタキトゥスの書いたのを出典として好き勝手。

78 :
ケルトブームも下火だな
ウリナラファンタジーが広まったらそりゃ本格派の人たちがそういうのが真実なのかどうなのか検証したくなる罠
そりゃバレる罠

79 :
いつから朝鮮系でないものまでウリナラと呼ぶようになったんだ?

80 :
まあ非常にわかりやすい表現だわなw>ウリナラファンタジー
実際の所、ラブアンドピースやニューエイジだののオカルトファンやエコ大好きな人らにとっちゃ
ケルトの歴史的実態なんて興味なくて単に彼らの思想に好都合な"神秘"が好きなだけだからねえ
こちとら最新の研究結果を(邦訳で)読みたいのに肝心の本場ヨーロッパではイデオロギーのぶつけ合いになっちまってるし
実態が知りたいだけなんだよってのは部外者のわがままなんかねぇ

81 :
日本史もそうだがあまり文書史料のない時代のものは考古学でちゃんと検証しないといけないし、
さらに考古学的調査の成果自体もいろいろな論理的可能性を並列して落ち着いて扱わないと、どうしてもオカルトじみてくるからなw
そこに民族主義のイデオロギーが絡んでくるとさらにまた二重に厄介になるw
「ウリナラ」っていうのはそういう混乱した状況を端的に表すのに便利
現代のアイルランドやイギリスのケルト学、韓国学、ドイツや北欧のゲルマン学、ロシアやウクライナのスラブ学あたりはそのへんが酷過ぎる
ヨーロッパの考古学ではイタリア、フランス、スペイン、ポーランドはマトモ
ポーランドなども戦前や戦後しばらくはいろいろあったが、いまだいぶ改善した
考古学ではおしなべて南欧的文化のカトリック系諸国(だから西欧的なアイルランドは除外で、北方にあるも南欧的な文化のポーランドは入るw)がマトモな傾向があるようだ
カトリックは民族主義イデオロギーと相いれないから、そういうバイアスから距離を取れるのかもしれない

82 :
文書資料のある時代の物でも、当時すでにウリナラファンタジーで書かれたものもけっこうあるから気を付けないといけない。
典型的なのがゴート人歴史家ヨルダネスが言い出したゴート族のスカンジナヴィア起源説、いわゆるゴート起源説。
これは本当に最近になって事実ではないことが判明するまで、1600年以上も本当だと信じられてきていた。

83 :
ヘロドトスが集めた話でもペルシャ帝国に匹敵凌駕する帝国を築いたセソストリス王の
伝承はいささかファンタジー。当時既に遠い昔の話であったピラミッドの建設事情も
考古学的なものとは異なるが作った王に関しては正しく伝えられていた
ヘロドトス自身も疑ってる様子のフェニキア人アフリカ周航は本当の可能性が高いという
話だけで事実とファンタジーを分けるのはえれえ難しい

84 :
歴代スウェーデン王は17世紀のゴート起源説ブーム以来、「ゴート人の王」も称号のうちに入っていたが、
いまのカール16世のときこの称号を廃止した。
ところがこの16世というのが厄介で、これ俗説として存在が伝えられてきた「スウェーデンのゴート人」の歴代の王(もちろん捏造)が最初の何代分か数えられてるw
だめだろw

85 :
ゴートの故地=スウェーデンのゴットランド島?

86 :
>>85
スウェーデンのウプサラ大学によると、どうも4世紀ごろの捏造らしい
そのウリナラファンタジーを広めたのはヨルダネスという歴史家
この人もゴート人
実際は、ゴート人自体はドイツ北部からポーランド北部へ東進したゲルマン人の部族(連合)のひとつにすぎない
ただし、スウェーデン東部地方との交易はあったらしい
だが、その同じウプサラ大学の話によると、そういう交易では、スウェーデン東部からポーランド北部へ文化がもたらされたのではなく、実態は逆で、
大陸のポーランド北部から先進文化が半島のスウェーデン東部へもたらされていたのだそうだ
ゴットランド島のほうにはゴート族とは関係ないが、名前がちょっと似ている部族が別個に存在していた

87 :
ゲルマン諸族の一つ、ブルグント族はバルト海のボーンホルム島出身であるって話しもあったな

88 :
ヴァンダルがノルウェーのどこそことかな
これら全部こじつけなんだってさ
その論拠は地名と部族名が似ているというだけなんだそうな
考古学的にはどれも地名の土地と部族の土地との文化的特徴があまりに異なるため、否定されている

89 :
成る程ね…識字率の低い時代だ
文書をわざわざ書くには動機があるわけだ
しかし、ウリナラは言い過ぎだろ
古代ヨーロッパにケルトがいたのは事実。一方、古代大朝鮮帝国なんかない

90 :
ケルトだって古代大ケルト帝国なんてのはないよ
古代のケルト語派の言語や文化だって地方ごとの違いが強すぎる
朝鮮人が古代大朝鮮帝国なんて妄想するのはツングース系の言語の分布域が非常に広大だったからであって、
ケルトも欧州でそれと同じ状況だったわけだから、たとえばアイルランドの連中がケルトというのを強調するとき、
同じ類の相当に妄想的な心理があることは確かだろう

91 :
コマンチとケルト人が戦ったらどっちが勝つと思う?

92 :
             ,,、_
           /  "`{
         ,,---、   ;;{  ,,,,,--"ニニニヽ
  ____ 〈 く__>〉  ;;;;;レ'''    ;;;;;;;;;;;;|
 「      `ー|;;;;;  |/\       /""’
 〉;;;;;;;;;;; /  __   (〈 ̄〉〉 \    />      <ブルトン
 ー、 ノ /\ ヽ 「  ̄;;L  〉r' |"
   〉 〈〈 ̄〉〉 | へ   /    ̄〔 ̄〕
  / / ヽ ̄ '  ノ /   \     ;;;;;;<二
 ノ     /          ;;;;;;;;;;;;:::::'''"{
〈\ _,,;;7   〈___/;;/〈     <\__/
 `"~   |::::::∧{::::::::} 〉 |_'~二\〈
        ̄   ̄ ̄    ̄ ̄ ̄

93 :

おととしくらいにNHKのカルチャーラジオでケルト文化やってたね

94 :
NHKは遅れてるからな。
放送するといつもその地域のブームやバブルが破裂する。

95 :
じゃそろそろブーム復活でw

96 :
今、興亡の世界史シリーズでケルトの水脈てのよんでるけど、
えーと、ブリテン島やアイルランドはケルト語圏だけど考古学的?物証がないとかなんとか。
え、結局ケルトって大陸ケルトだけで島ケルトはケルト語話す、違う人達だったてこと?
なんか訳わからんくなってきた…

97 :
文化や言語で分ければ、祖先が違うとしても、島のケルトも大陸のケルトも同じケルトでいいと思うんだが。

98 :
現代のアイルランドもブリテンの遺伝子も先ケルトの先住民族の遺伝子が大半。
言語と文化だけケルトとかアングロ・サクソンとかノルマンとか入ったが少数。、

99 :
>>98
表現が分かりにくくてすまん、民族というのは言語や文化で分けるのではないかということを言いたかったのだが。

100 :
民族の分け方が千差万別なのは仕方ないとして、
人種や遺伝子を民族分類の指標にもってくる考え方には全く賛同できない。

101 :
人種や遺伝子は民族分類の重要な要素だろ。
エチオピアかどっかで黒人だがユダヤ教っぽい種族がいて遺伝子検査でユダヤ人と
認定されて、当時不安定だったそのアフリカからイスラエルに大量空輸されたのは有名な話。
ハザラ族はペルシャ系の言語を話てシーア派なんだがモンゴル系として差別されてる。
言語と宗教だけならハザラ族はペルシャ系の民族となるがどう見てもモンゴル系だし、
事実、チンギスのY遺伝子が入っているらしい。

102 :
しかし、在日三世あたりが日本語喋りながら別民族を主張してるのとかは
かなり違和感があるよな。
日本人と朝鮮人は別人種とは言えないかも知れないが。

103 :
世界人と朝鮮人は別に考えたほうがいい。
アメリカではドイツ系と名乗る者が4000万人以上いるとか。
彼らをドイツ民族とは呼べないだろう。アメリカ人だから。
アメリカにいるときアパートに住むアメリカ人に先祖はどこだと聞いたら
「ドイツかオランダかイングランドかその辺だと思う」って言っていた。
アメリカ民族ってのもないな。
つまり民族として確立してる所ともはや民族なんて存在しない所がある。

104 :
だな
ハゲ銅

105 :
典型的なのは、テュルク系だな。
トルコ共和国のビザンツ遺民系と、発祥地近くに住むハカス人に遺伝的繋がりはほとんどあるまい。
まさに言語と文化だけが両者を同グループに留めているといってよい。

106 :
天皇は朝鮮系が混じってんじゃないの?

107 :
混じってるってレベルではないな
朝鮮系渡来人が渡来と帰化しつつ10代ほど経過した後で皇室に嫁に来た事がある程度だ

108 :
「朝鮮系」っていうくくりがすでにウリナラファンタジーの罠にハマってるわな
同じ民族がなんで何百年も南朝鮮で3カ国に分かれて対立してたんだよ
ギリシャなんかと違って言語も違ってた事が記録でわかってるのに

109 :
それが漢字・漢語文化の威力なのか

110 :
日本なんか徳川でたまたま統一されただけじゃないw

111 :
>>110
アホ?
大和朝廷の段階で大半が統一されてるし平安時代には東北まで日本だぞ

112 :
>>108
するどい
あいつら勝手に古代から現代まで繋げてるんだよ
おすらく日本の真似をしてるんだろうが

113 :
アイルランドを知れば日本が分かる(林景一前アイルランド大使)
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4047101958/ref=redir_mdp_mobile/377-4501829-7418734
なんでアイルランドの本で日韓関係に丸々一章もさいてんだこいつ
しかも「アイルランドの方がイギリスより歴史が古い!」って…
肩入れするのは勝手だが大使ってのは歴史知らんで俗説と妄想でやれるもんなのか?

114 :
だって天木直人みたいな人間でも出来る仕事ですから、大使は。

115 :
>>114
天木直人:山口県出身、京大法学部中退、外務省、9条ネットより出馬、落選
林 景一:山口県出身、京大法学部卒業、現駐英大使
んー、山口の人間は京大法学部に行くと特亜に近しくなるんかねえ
そして妙な親特亜・親韓派がアイリッシュケルトを利用して日本と特亜・韓国の関係を論じたがるのもテンプレ

116 :
小アジアに侵入したケルト系の末裔は?

117 :
捏造の歴史といえば、アイルランドを中心としたケルト民族史、この捏造美化も酷い
ケルト系キリスト教はなかったというのが正しく、
あったというのは商業主義や民族主義の類で、いわゆるウリナラファンタジーのひとつ

118 :
ケルト系キリスト教がなかったのなら
ウィットビー教会会議はなんで開かれたのか教えてよ?

119 :
>>118
イースターの計算メソッドの改定以外のなにものでもない
それは大小ブリテン島と大陸との違いのひとつではあるが、いわゆる「ケルト系キリスト教」と呼ばれ
現代においていかにも低俗な下らないフィーチャリングがされて宣伝されているような類の違いというほどの本質的なものではない

120 :
単にイースター算定のためだけではないよ
ノーサンブリア王国におけるキリスト教の勢力図が二分されてたからだよ
分かりやすい例としては当時のノーサンブリア王オズヴィーはケルト教会によって洗礼されていたたが、息子のデアラ王アルクフリスはローマ教会派だったとされることかな
リポン修道院長の任命人事やらコルマーンの出奔など対立は明らかだったんだよ

121 :
それは当時の組織管理上の揉め事であって、宗教哲学の意味での本質的な対立ではないよ。
そもそも5-7世紀という段階ではローマ教会そのものも権威が確立していない。
ローマ教会の権威が至高のものとして確立するのは10世紀も終わりになってから。
教皇という言葉が最高指導者を指す正式役職名となったのも11世紀より。
そのように、欧州各地でキリスト教会は組織管理上のいざこざはあった。
ケルト・キリスト教というものが何か特別な哲学的価値を持っていたと言ったら、それは嘘。
所謂ウリナラファンタジーの類。

122 :
「ケルト系キリスト教はなかった」
「ケルト・キリスト教というものが何か特別な哲学的価値を持っていたと言ったら、それは嘘」
言ってることが変わってないかねyou(´・ω・`)?
ウリナラを唱えたいだけなら東亜へgo

123 :
そういえばアイルランド出の聖人はパトリックだけっていうけど
「ケルト系」という範囲ならもっとたくさんいるのかな?

124 :
パトリックあるいはパラディウスの弟子とされるセクンディヌスは聖人だよ
パトリック以外の有名な聖人だとキルデアのブリギット、アイオナのコルンバがいるね

125 :
>>103
>彼らをドイツ民族とは呼べないだろう。アメリカ人だから。
国籍と民族って違うんじゃないの?

126 :
遺伝子厨が宗教にも口をはさみだしたぞ

127 :
>>124 ブリギットとパトリックは後に英語話者の間にも人名として取り入れられたけど、
コルンバはついぞポピュラーにならなかったな

128 :
コロンブス、コロンボ、クーロンなどなど

129 :
人名としてはポピュラーにならなかったけど、
女性系はハリークィンの恋人のコロンビーナとして
ひろく膾炙した名前とも言えるような>コルンバ

130 :
申し訳ないのですが
極めて歴史が苦手な素人でも読める本を教えてください

131 :
イエイツの「ケルト妖精物語」

132 :
ありがとうございます

133 :
最近のだと、木村正俊『ケルト人の歴史と文化』

134 :
ありがとうございます!
これは図書館に無いのでリクエストしました。

135 :
「海のかなたのローマ帝国」読んで
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/report/2-pdf/1_rekishi/1_14.pdf読んだけど
大陸のギリシア人やローマ人がガリア、ケルトと呼んでいた人々は
特定の民族であった根拠はなく
ブリテン島の住人はガリア人扱いされておらず、アイルランドやスコットランドやブルターニュが
大陸の「ガリア」「ケルト」と同系の民族と思われたのは近世ヨーロッパの産物
考古学的にハルシュタット文化がブリテンに流入したとされるのも根拠が極めて薄弱
遺伝的にも別
で、「ケルト」っていう概念自体が崩壊寸前って状態なわけ?
言語系統の話はほとんど出てこないけど、大陸ケルト(ブルターニュは別として)も碑文から
ケルト系言語ということになってるみたいだけど、そこら辺がどうなってるのかわからない。
碑文史料も再検討されてるんだろうか?
あとドルイドは、大陸ガリアの宗教をローマ人が記述したときに出てくる&現UK地域で原住民の祭司を
ローマ人がドルイドと呼んだことがある、みたいな扱いで
UK地域の祭司を原住民がドルイドと読んだ話は、これらの本には出てこないけど
アイルランド神話とかで、ローマの視点が混入してないことが確実な資料
でドルイドって言葉は出てきてないんだろうか?

136 :
>>123
聖ブレンダンのことをお忘れか?

137 :
ケルト語はP方言とQ方言の違いはあるけどゲルマン語やラテン・ロマンス・イタリック諸語とは別
言語系統上いちばん近いのはラテン語だが(イリュリアは資料不足)ゲルマンやスラブは違う
興味があったら語形の対照表を英語版wikipediaで見てほしい
だからガリアやイベリアなどローマ時代にケルト人が居住し
ローマ軍が重点的に駐屯したた地域は概ねロマンス語化が早かった
ゲルマンとケルトが同系なら今のブリテン諸島での対立はなんなのって話
ブルトン語は俗ラテン語がさらにローカライズされた仏語の祖形ができてから
これまた非大陸的な特徴を増した島嶼ケルト語が逆流してきたものだから混じり合わず、例外的

138 :
今のブリテン諸島でゲロマンとケルトが対立してるのか?
ブリテン諸島にアイルランドを含む話しなら宗教紛争ぎゃまいか?

139 :
アングロ・サクソンはゲルマン系
スコットランド・ウェールズ・マン島・アイルランドはケルト系
スコットランドは長老派のプロテスタントが優勢だし
北アイルランド問題は先祖の土地に帰ったスコットランド人が噛んでるから
民族対立より宗教対立の色彩が濃いのよ

140 :
イギリスが北アイルランドを残した時点で
民族対立を宗教対立に巧みにシフトさせたわけやね

141 :
カトリックとプロテスタントって殺しあうほど教義が違うのか?
クロアチア人とセルビア人も言語まで同じなのにカトリックと正教の争いじゃね
スンニー派がシーア派をテロ攻撃するぐらいよく分からん
革マル派と中核派が殺しあうぐらいよく分からん

142 :
図式上の対立は宗教だけど
IRAのテロは反プロテスタントじゃなくて反英闘争
アイルランド独立運動で活発に動いたのもその後のアイルランドを切り盛りしてるのも
プロテスタントだったり
オールド・イングリッシュという早期移民の子孫のケルト化したアングロ・サクソンだったりする

143 :
>>141
>カトリックとプロテスタントって殺しあうほど教義が違うのか?
お互いに「お前は異端だ。地獄に堕ちろ。」と言い合ってるようなものだから殺し合うほどの対立だろ。

144 :
言い合ってないし。
単にイギリスを中心とした圏内でガイ・フォークス事件もあったりしてカトリックが非国民と見られているだけで、
実際はカトリックが非国民なんじゃなくて、アイルランド系が非国民なだけなんだが。
カトリック教会にとってはアイルランド人はいい迷惑。
聖職者が幼児性愛事件ばかり起こすのはアイルランド人のいるイギリス系の文化圏。

145 :
レイシスト乙

146 :
南からはラテン人
北からはゲルマン人にヒャッハーされて
いまはもう、スコットランドとアイルランドにちらほらいるだけ・・・・・
とおもいきや、フランスはじめ旧ケルトの生息地では、やっぱり今でのケルト人の遺伝子が多いんだろ?確か
有史以前の長い長い繁殖の成果である「たくさんの人間がその土地に住んでいる」という事実は強固で
歴史が記されてからの、人間の侵略、移動、逃亡なんて小規模な活動では、簡単には覆せない
政治的には支配できても、移民や開拓で遺伝子的に圧倒することはかなり難しい ということなのだろうか
新大陸みたいに、病気で殆ど死んじまったとかでもないかぎり

147 :
>>146
おま、それならインドヨーロッパ語族以前から住んでるバスクとかの部族だろ

148 :
遺伝なんか持ち出すとブリテン諸島はカオス
ゲール語を保った離島のスコットランド人が高身長で金髪のノルマン風だったり
ウェセックスの貴族が低身長で黒髪だったり、ステレオタイプが全然当てにならん
アイルランド人なら赤髪っていうのもいつの話だよ状態

149 :
ブリテン島は遺伝的には安定してるんじゃなかったっけ?
鉄器時代くらいから髪の色とか多種多様だったのかも
というか、なんでヨーロッパあたりに髪の色の多様性が集中してるんだ?

150 :
言われてみたら確かにそうだな・・・
髪の色の多様性なんて考えたことなかったよ

151 :
ケルト人は今のドイツやフランスから来たんだよ
それ以前にアイルランド島には謎の民族が住んでいたらしいけど 詳細は不明だが気になる

152 :
>>151
それが正しいかどうかは今大激論中らしい
”島のケルト”でぐぐるといいよ

153 :
フランスではケルト民族実在説が主流で
イギリスでは古代ヨーロッパ全土に存在したケルト民族、なるものは錯覚て説が主流らしいけど
どうして、こう国ごとに意見がわかれてしまうのか

154 :
邪馬台国なんて同じ日本国内でも畿内と九州とに意見が分かれてるんだから当然だろう。

155 :
意見がわかれるのは、証拠が少ないのでしょうがないとして
なんでその別れ方が国や地域で分かれるのかがわからない
ちゃんと偏見を持たないように頑張って、できるかぎり真摯に考えているのなら
別れ方は国や地域にはならないはず
まあ、どういう方法論で教育を受けたかにもよるんだろうから
学閥みたいなのが一時的にできるのはしょうがないとして
他のグループの方法論とかを取り入れたりしていくうちに
そういうのもなくなるのが当たり前では

156 :
そういうのが無くなるほど一般化していない過渡期だから学閥とか国とか地域で別れるんでしょ。

157 :
邪馬台国の方はそろそろ過渡期を終えるべき

158 :
いや邪馬台国論争なんてとうに終わってる
ムラ起こしに利用してるクズがRばいいだけだ

159 :
在日朝鮮人差別してる人達って自分たちの祖先が朝鮮半島から日本列島に渡り、和人となりヤマト国家を作ったことを知らないんだろうなぁ
つまり彼らは祖先を愚弄してるわけ。

160 :
あとケルト人は文字を残さなかったから同時代のローマ人やギリシア人が書いた本とかにしか詳細なことが書かれていないんだよね。
ケルト人からみたらローマ人やギリシア人は敵だったからギリシア人やローマ人が書いた本とかも偏見にみちているかもしれないけどw

161 :
>>151-160
「鐘状ビーカー文化」や「ブリテンの先史時代」でググるといいよ
答えがわかりやすく整理されて書いてある

162 :
「ビーカー人」が種(たね)ケルトで、
種ケルトがブリテン諸島などで最終的に完全支配した非印欧語系諸民族(ピクトなど)が新ケルト

163 :
新ケルトは種ケルトによってケルト化された

164 :
ダーナ神族っていうのは非印欧語系諸民族をモデルとしてるのかな

165 :
ウーニェチツェ文化
これ言いづらいんだが。
ケルトだけでなくゲルマンやスラヴやラテンなどの祖先に重要な鍵となる文化だというのはわかるが。

166 :
>>159
現代の朝鮮人とその1500年前に半島から日本にやってきた渡来人は別物だろう?

167 :
現代朝鮮人ってのがいまいち何者かよくわからんのよな

168 :
>>159
朝鮮半島から来るわけねーじゃん
神話体系から見ても日本でヤマト国家作った連中は半島から来てません

169 :
日本神話なんて架空の話だよ。

170 :
神話の内容が史実とかそういうファンタジーを言ってるんじゃねーの
神話の内容がどの地方と似てるかというと日本は東南アジアの神話と
構造的に似通った神話を持ってるの

171 :
>>168
来てるよ。
記紀にもそう書いてあるほかに、国造を務めた人の石碑もある。
ただそういった半島系の人は、三韓時代の伽耶諸国を中心とした南部地域の倭人だけどね。
現代でもこの地域の韓国人は目が二重で大きく彫りの深い顔をしている。
彼らの顔は明らかにいわゆる「朝鮮人顔」とは違う。

172 :
朝鮮スレでやれカス

173 :
朝廷が本当に半島系なら日本語と朝鮮語は意思疎通が可能なぐらい似通ってる筈だろ

174 :
ケルト全体とは言わないが、アイルランド人は外見を除けば完全に朝鮮人。

175 :
>>173
最近、GoogleChromeの各国語翻訳機能が無茶苦茶充実したので、各国語のWikipediaを翻訳して読んでいる。
英語とかフランス語、中国語のWikipediaはかなーり意味不明なトコが多いが、韓国語のWikipediaは無茶苦茶
すんなり読める。
何コレw 単語は確かに違うけど、似た言語だということなんじゃないの?

176 :
>>175
韓国語は日帝時代に再編されて日本語を手本に盛大に文法が書き換えられてる

177 :
はあ?単語の方が古代からのモノが塗り替えられて来たじゃないかw
文法が書き換えられているというなら、ソースを出せ。

178 :
日本語と朝鮮語は文法的にはほとんど違いがない
発音は朝鮮語のほうがツングース諸語に似ている

179 :
>>175
>韓国語のWikipediaは無茶苦茶
すんなり読める。
おまえが成りすまし日本人の罪日なだけじゃね?
少なくとも純粋日本人の俺は朝鮮語なんて読めないね

180 :
>>179
実際に翻訳してみたらよい。たとえば「慰安婦」でいくか。
「慰安婦」英語版 Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Comfort_women
慰安婦は強制的に女性や少女だった売春によって作成された軍団日本の帝国。名前が"慰安婦"は日本名の翻訳ですianfu(慰安?)。
Ianfuは婉曲表現であるための松風意味が"売春婦(S)"。です(娼?)
見積もりはいくつかの日本の学者から20,000と低いに至るまでの数字で、関与していたどのように多くの女性のように変化する
いくつかの中国の学者から41万と高いに、が、正確な数字はまだ研究と議論されています。女性の大半は、からのものであった
韓国、中国、日本とフィリピン、からの女性がタイ、ベトナム、マレーシア、台湾、インドネシア、その他の日本占領軍が
"慰安所"のために使用された。ステーションは、その後、日本、中国、フィリピン、インドネシア、に位置していたマラヤ、タイ、
ビルマ、ニューギニア、香港、マカオ、そしてフランス領インドシナ。
「慰安婦」ハングルWikipedia
http://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%9C%84%EC%95%88%EB%B6%80
慰安婦(漢字: 慰安?、日本語: 从?慰安? じゅうぐんいあんふ →従軍慰安婦、英語: Comfort Women)や日本軍性奴隷
(英語: Japanese Military Sexual Slavery)は、第二次世界大戦中に日本軍の性的欲求を解消する目的で、強制的または集団的
日本軍の詐欺によって徴用や人身売買犯、売春業者らに拉致、枚数など様々な方法で日本軍を対象に性的行為を強要された女性
をいう。慰安婦になる方法では徴用や募集、誘拐、売買など様々な方法が存在した。
***
どっちがわかりやすいか一目瞭然w

181 :
こらー!!
ユーラシアの極東の土人の話をここですんな!!!
ユーラシアの極西の土人の話をしろー!!

182 :
と、島の土人がもうしております。

183 :
島のケルトはウリナラ起源ニダ!

184 :
>>161
現在論争中なのに、答えがわかりやすく整理されうるものなの?

185 :
>>180
なんで英語とハングルを比べるんだ?日本語じゃなくて

186 :
日本のことが大嫌いな筈なのにイチイチ日本と韓国をあらゆることで結び付けたがる朝鮮人の癖ってなんなんだろう
本当に気持ち悪いなー

187 :
あと現代の半島には文化的価値のあるものなど何も残ってないのに、日本のあらゆるものを半島と関連漬けて自慢してくるイカれた神経
ドイツ人がアングロサクソンはゲルマン人の一派だったので、イギリスの文化も言語もドイツ人によるものです(キリッ)って本気で言ってるようなもんなんだが

188 :
>>185-187
話の流れを完全に読んでなくて、脊髄反射w
何コレw

189 :
このスレは朝鮮が絡むとロクなことがないという典型例

190 :
半島厨は帰れ!!!
半島の話をするならブルターニュ半島にしる!

191 :
イベリア半島のケルト人について

192 :
それ言い出したらアナトリア半島にもバルカン半島にもいたわwwwwww
てか原郷はギリシャの隣だって?

193 :
真面目な話、ケルト(ビーカー人)の故地はモルドバを中心にルーマニア東部からウクライナ西部にかけての地域だと思う。
ギンブタスの説に近い。
それがウーニェチツェ文化を南から迂回するようにベネルクス三国やドイツ西部にかけて広く落ち着いてそれが西や南に拡大。

194 :
北方へはアルプス山脈の東端であるカルパチア山系、つまりポーランドのベスキド山地やタトラ山脈あたりまで広まった。
ポーランド南部ではいまでもバグパイプを演奏する習慣があったりする。

195 :
チェコ語とポーランド語、ロシア語は互いに意思疎通が可能なほど似てるが
日本語と朝鮮語は意思疎通は不可能
ていうか朝鮮人ってハングルの前は何語喋ってたんだ?ハングルは近代に入ってから出来たんだろ
文字も持たないコロコロ変わってるくせに文化の起源は朝鮮だの、日本語の元は朝鮮語だのなんなんだよこの文化乞食民族

196 :
>>194
バグパイプってそもそもどの範囲で使われてんの?

197 :
バグパイプもカルニクスもブリテンの端っこぐらいまであるでよ

198 :
>>195
>ていうか朝鮮人ってハングルの前は何語喋ってたんだ?ハングルは近代に入ってから出来たんだろ
ハングルは文字だから、それが無くても朝鮮語を話してたんじゃないの。
古代日本人だって漢字が入ってくる前から大和言葉を話していた。

199 :
チェコ語やポーランド語と、ロシア語の間では意思疎通は不可能。非常に基本的な単語の他はあまりに違いすぎる。
チェコやポーランドではその昔ロシア語が学校の必修科目だったが、チェコ人もポーランド人も何年もかけて学校で習ってやっとロシア語がわかるようになった。

200 :
バグパイプはトルコからバルカン中部を経てカルパチア山系をはじめとしたアルプス山脈に繋がりそこで二手に分かれてイベリア半島とブリテン諸島へと向かった筋沿いにある。
ギンブタスのケルト東方起源説に沿っている。

201 :
http://www.bagpipe-expo.com/bagpipe.html
もはやケルトだった領域を超えて
ヨーロッパを中心に西アジア・北アフリカに広範囲に拡がってるんだな。
http://www.youtube.com/watch?v=qzjgGkiP-uE
紀元前の昔から幾度となく国家と民族が入れ替わろうともガラティアのケルト人の伝統音楽がしぶとくアナトリアに残されてるとは実に感慨深い。

202 :
>>201
いや、ヨーロッパにおいては中欧ラ・テーヌ文化を含め原ケルトの文化
原ケルトとは便宜的に言ってるだけだが要するに鐘状ビーカーの水平分布域
考古学でよく言われる「ビーカー人」の広まった地域
ブリテン諸島のケルトは言わば傍系のケルト
原住民の言語や文化がケルト化したもの
アイルランド・ウェールズ・スコットランド・コーンウォールなどは単に僻地だったために大陸部(旧ラ・テーヌ文化の地域など)を中心としたその後の文化的発展や政治的変遷から取り残された

203 :
ケルトがケルトとして他と見分けがつく文化を持ったのはハルシュタット文化から
言わばケルトの故地がハルシュタット文化
ハルシュタット文化は骨壺墓地文化のうちのこの地方の地方群(クノヴィズ文化とドナウ地方の諸文化の合流地の諸文化)から発展
北部骨壺墓地文化の地域はだいぶ時代が下ってゲルマンが発生する
東部骨壺墓地文化であるラウジッツ文化の地域は時代が下るにつれプラハ文化にまで発展し住民は西スラヴ人として歴史に登場
骨壺墓地文化の時代、ブリテンやフランス北部西部やイベリアでは骨壺墓地文化とは異質の諸文化が点在していた。
これら西欧青銅器諸文化が後に本ケルトのラ・テーヌ文化に取り込まれケルト化していく。

204 :
>>202
遺伝子的にも「イギリス人」のかなりは「イベリア人」の血統を引いているらしいね。
「原住民の言語や文化がケルト化したもの」というのが的を得た表現だろう。
もっとも、その「原住民」も「広義のケルト(イベロケルト)」という主張もあるが。
こうなると「ケルト」の定義が難しくなってくる。

205 :
ケルトはそもそも誰がケルトと言い出しっぺ

206 :
「ケルト人」という名称は、前5世紀のギリシア人が、アルプス以北に住むバルバロイ=「異言語・異文化集団」を
総称して「ケルトイ」と呼んだ言葉に由来する。当然その中には、言語や風俗を異にする多様な部族が
含まれていたことが考えられ、古ヨーロッパ時代、西ヨーロッパに存在した民、いわゆる「ヨーロッパの父祖」として
ケルト人を定義するのは、安直のそしりを免れない。何よりも「ケルト」とは、古代地中海世界にとっての「他者」の
総称でしかなかったということを最初に確認しておこう。

207 :
父系社会の球状アンフォラ文化を携えて印欧語族の話し手が本格的に入ってくるまでのヨーロッパの住民は母系社会。
父祖ではなく、母祖。

208 :
カエサルのガリア戦記にあるようにブリテンでは古い時代の母系社会の習慣が当時も残っており、
父や兄弟同士で一人の若い女を共有して毎晩のように交代でセックスする。
(言い方を変えれば、一人の若い女が家族中の男を自分のものとする。)
その女から生まれた子供は、最初に処女膜を破った男の子供と認識される。
これは父系社会である「ケルト文化」ではなく、母系社会である「先ケルト文化」の名残。

209 :
>>206
ということは、「ケルト人」という場合に、
「どこのどのようなケルト人」という説明をつけることが必要だね。
例えば、イベリアとガリアとでは外見・遺伝子面で違いがある可能性がある。

210 :
>>209
その通り。というか、今はケルト人という言い方はあまりしないみたいだよ。
ケルト系のブルトン人とか、そういう使い方みたい。
ゲルマン人も漠然とゲルマン人と呼んでいても元々はライン川の向こうの奴らであって、
その中にはケルト系の部族も居たし、フランク人なんてゲルマン系もケルト系も含む雑多な集団だし。
>>208
>父や兄弟同士で一人の若い女を共有して
その記述は覚えてないけど父もなの?兄弟で共有するのはレビレート婚でユダヤ人とかもそうだし、
割と世界中であるけど。

211 :
ユダヤ人も母系社会。

212 :
★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法

↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。
リアルでもネットでも、左翼のフリをしている連中は主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないからすぐにわかる。
.

213 :
>>206
それは漠然としすぎ
前5世紀ならギリシア人船乗りの記録に
「北イタリアのポー川の近くにはガリアと同じ言語を話すケルト人がいる」
といった細かい記述が残っている
小アジアのガラティア人とも接触していたギリシア人にとって、ケルトという呼び名は
その言語とともに明確なイメージを伴うものだった
「ヨーロッパの父祖」説に否定的な潮流はあくまで非印欧語先住民族を考慮したもので、
ケルトは印欧語系民族の中では欧州のあちこちに根を下ろした古参組と言えるだろう
>>204
碑文に残るイベリアのケルト語は「Qケルト語」で、アイルランドとスコットランドのゲール語、
マン島語と同じグループだから、血縁が近くてもおかしくない
彼らは前1000年頃に西欧に到達したグループで、傍流というより先行組
後から来た「Pケルト語」がゴール語・ガラティア語・ウェールズ語・コーンウォル語・ブルトン語のグループ

214 :
なんでゲール語ってあんなに綴りと発音の関係がややこしいんだろう
古いケルト系言語の碑文とかだと綴りと発音がかっちり対応してる感じで、
人名でもウェルキンゲトリクスとかボアディケアみたいな硬質な響きなのに
(これはラテン語風に改変?)
今のゲール語は発音までつかみどころがない

215 :
ケルト人がブルターニュからブリテン島にわたり、
ブリトン人がとなり、
ブリトン人がブリテン島からブルターニュに戻ったのだったら、面白い。

216 :
カエサルの頃には大陸からブリテン島への最後のケルト人移住があったらしいが、
それは最短のベルガエからドーヴァー海峡経由のようで、ブルターニュはあまり関係ない
ブリトン人のブルターニュ移住は3世紀後半に始まっているようだが、当のブルターニュは
ローマ化を完了していたから、他人の土地への侵略と変わらない
あんまり面白い話ではなさそう

217 :
>>214
碑文の時代は綴りどおりに読んでいたらしいけれど、
その後の歴史的な音変化と文法の変化、
単語の文中における音変化、
そして方言的な発音の差つまり訛りの差がどれも桁外れに多い。
大都市で標準的な方言が中核となって規範化されるという過程を経ず
中世の文学的な綴りと生き残った方言をすり合わせたりしてるせいだね。

218 :
In Deepさんのところで、以下の記事があったよ
「英国のストーンヘンジは古代の遺跡ではない? :
現在の場所にあるものは 1950年代に「ある目的のため」
に建立されたと主張する記事を読み」

219 :
>>210
ガリア戦記では父も書いてあるね。

220 :
ストーンヘンジは
@そもそもケルトの時代のものではなくそれより古い新石器時代のもの
Aいまのストーンヘンジの石積みはちゃんと調査せずに「復元」と称して勝手にやったもの

221 :
フェイク

222 :
金髪はゲルマン人とかノルマン人に多いイメージ。

223 :
チャパツかな

224 :
むかし「俺は競馬の歴史に詳しい、ケルト文化に詳しい」と豪語する奴が
「渦」という意味の馬名にまったく無反応だったのを大笑いしたことがある

225 :
しかも馬名年鑑に馬名の意味を「旋風」と書いてあるのを「疾風」とか読み間違えてたしww

226 :
アイルランドは赤髪というステレオタイプがあるけどな

227 :
>>70
ピタゴラス派だね。
とりあえずこのスレ全部見てから考えよう。

228 :
手元に
「ケルトの水脈」
「ケルト歴史地図」
があるけど、ここでやろうかどうか。

229 :
>>7
珪石器時代なんて洒落た名前もある

230 :
折れ様メモ1
>>27>>43>>54
>>57>>59
>>60>>62>>68
>>69>>70
>>71>>74>>76
>>83>>87

231 :
>>227>>228
とりあえず歴史地図の方には無かったね
とりあえず、こんなところに
http://en.wikipedia.org/wiki/Druid#Philosophy
Alexander Cornelius Polyhistor referred to the Druids as philosophers and called their doctrine of the immortality of the soul and reincarnation or metempsychosis "Pythagorean":
"The Pythagorean doctrine prevails among the Gauls' teaching that the souls of men are immortal, and that after a fixed number of years they will enter into another body."
Caesar remarks: "The principal point of their doctrine is that the soul does not die and that after death it passes from one body into another" (see metempsychosis). Caesar
wrote:
Diodorus Siculus, writing in 36 BCE, described how the druids followed "the Pythagorean doctrine", that human souls "are immortal and after a prescribed number of years they commence a new life in a new body."[37]
In 1928, folklorist Donald A. Mackenzie speculated that Buddhist missionaries had been sent by the Indian king Ashoka.[38]
Others have invoked common Indo-European parallels.[39] Caesar noted the druidic doctrine of the original ancestor of the tribe, whom he referred to as Dispater, or Father Hades.

232 :
折れ様メモ2
>>88>>96
>>135>>137>>160
>>161>>162>>193
>>194>>202

とりあえず、以下の名称は見当たらない
ガラチア(ガラティア)
モナ島(現アングルシー)
オッピドゥム
ブロッホとドゥーン

233 :
>>227
ネタ元がみつからない

ピタゴラスの真実
http://www.meke.biz/index.php?itemid=96
オーパーツネタがみなさんの興味をひいているようですので、今回は、その流れとしてピタゴラスの定理で有名な、ピタゴラスを語ってみたいと思います。

●実は怪しい人だったピタゴラス
ピタゴラスは、小アジアのサモス島に生まれ、イタリア南部のギリシア人植民地クロトネに移住した。
そして彼は、この地で小さな秘密教団を組織して、弟子たちに自らをアポロ神としてあがめさせた。
教団では清廉・沈黙・菜食の規律を徹底させたが、「右足から歩きだすべきでない」「テーブルから落ちたものを拾うな」といった妖しい戒律もあった。
彼らは、幾何学と数学に通じ、秘密のサインで互いにコミュニケーションをはかった。
教祖ピタゴラスは、世界を理解する鍵は数学であると説き、彼は若くして学問の旅に出て、ブリタニア(イングランド)、メソポタミア、エジプトなどを行脚した。
ブリタニアではドルイド僧アバリスから神秘的な魔法を学び、エジプトでは高等魔術を学び、さまざまな奇跡を行った。病人には癒しを与え、未来を予測し、天候をコントロールできた。
そんな彼を人々は、高等魔術師と呼ぶのだった・・・・。
とまあ、妄想の激しい妖しいカルトの教祖であったようだ・・。きっとピタゴラスの定理も、エジプトで学んだものを自分で発見したかのように振る舞ったに違いない。

234 :
ここに見つからないということは創作?
http://www.fairy-link.net/index.html
http://www.fairy-link.net/fy_yousei01.php

235 :
ピタゴラス教団の教祖だったのは事実だが、あとはほぼ創作。

236 :
>>235
マギとの関係までは追えるんだけど、そこからドルイド僧まで盛っていけない
さすがに「ケルトの水脈」が、
全くの根拠(というかネタ元)なしの話をするとは考えづらいんだが。

ちなみにブラックロック・シティのこれはケルトの祭りだろうか?
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e3/Lightmatter_burningman.jpg/300px-Lightmatter_burningman.jpg

237 :
だってその頃のギリシャ人がエジプトやメソポタミアはともかくブリタニアに行く訳が無かろう。
ヨーロッパは未開の野蛮人の住む土地だと思ってるのに。

238 :
つ青銅器の原料が錫

239 :
「ケルト人」なんて民族は存在しない、でFA?
でもケルト美術で一くくりにされてるもんとか
ドルイド教の宗教観とか、今どういう扱いになってんの?

240 :
>>239
うーん、ケルト人という民は
多層的に複数が存在するって方が
実態に近いんじゃないだろうか

241 :
「ゲルマン人」なんて民族が存在しないのと同じくらい「ケルト人」なんて民族も存在しない

242 :
統合するような自称を持たないままに複数の民族に分岐あるいは他系統の民族を同化、ってことかな
外部から見たら共通の先祖を持つ複数の集団がいるように見えるけど、当事者は関係性を頑として認めない、とか
今の末裔たちは同系言語を話す仲間はもちろんのこと、ラテン化したガリシア人すら仲間と見るようになってるか
世界でも学問や教育の最も発展した地域に住んでるからな

243 :
>>241
まぁ、それを言い始めると
鳥なんていう鳥類は存在しないとか
スズメなんていう鳥は存在しないとか
言い出しかねないからなww
たいした話でもない

244 :
まあ文化の枠組みとしては死んでないんじゃないかな
キリスト教人という民族は存在しないけどキリスト教文化は存在するわけだし

245 :
>>239
>>241
民族として認知しているのは後世の人間であって、
当時の連中には一体感のかけらもないよ。

246 :
祖語の段階でも統一した自称が無かったりしてな

247 :
言語(自然とまでは言えないが非人為的)と民族のアイデンティティ(人為的)は
別物だからそれは不思議ではない
ゲルマンしかり、モンゴルしかり

248 :
おもしろい話がまったくでてこないなww

>>203>>204>>206
>>207>>208>>213
俺用メモ3

249 :
>>248
また、ギンブタス理論に基づいて議論を展開しますか?
遺伝人類学の普及で近年変わった部分は?

250 :
世界最大のケルト国家はフランスと南ドイツ

251 :
最大はアメリカ

252 :
>>249
ギンブタスとか知らないし
どっちかというとピタゴラスイッチ理論でいこうと思います。

253 :
ギンブタスのは母系社会云々を除けば妥当な理論

254 :
>>249
>遺伝人類学の普及で近年変わった部分は?
スラブ人とゲルマン人とケルト人がドイツ・ポーランドあたりから出てきたのが裏付けられたことぐらいかな
つまり球状アンフォラ文化からウーニェチツェ文化までのあの辺こそが欧州のゆりかご
ケルト人もそこから西や南へ出て行った

255 :
>>254
ほぼ定説化しつつあるね。

256 :
とするとケルトって
かなり歴史が浅いな

257 :
今から5000年ぐらい前のことだからまあ妥当

258 :
>>254の移動は
5000年前じゃ無いだろ

259 :
じゃあいつ頃なんでしょうかねえ
軒並みいろんなスレでやたら新しい年代持ち出す人がいるけど
それって遺伝人類学やギンブタスとは違うんじゃないかなあ

260 :
>>258
そもそも、R1bが欧州西部に本格進出し始めたのは6,000年ぐらい前だぞ。

261 :
ブリテン島のケルトというのは家系から言えばケルト文化に染まったピクト人の末裔が大半
ブリテン島のケルト文化と言うのは約4600年前に始まったビーカー文化の時代から段階的に広まった
要はケルト本体というのはビーカー人の鐘状ビーカー文化
ドイツ北部〜ポーランド中部〜ウクライナ北西部の球状アンフォラ文化から次の縄目紋土器文化につながる時代が
ブリテン島のビーカー文化に数百年先立つ約5000年前
なおギンブタス自身は初期ビーカー人がウクライナ西南部から、縄目紋土器文化の中心地域を避けて南を迂回して西欧に到達していると指摘している
定説はビーカー文化はまあ縄目紋土器文化〜ウーニェチツェ文化から段階的に周囲へ拡散したとされるが、
ギンブタス自身は他のことを言ってるのがおもしろい
意外とギンブタスが正しいのかもしれない

262 :
>>260
R1b自体はケルト文化の起源とは全く関係ない

263 :
>>230
>>232
>>248
まずは文字からやろうか
ケルトは文字を残さなかったというが、そんなわけでもないらしい

264 :
ケルト系語が始めて記録されたと思われる例は、エトルリア語との関連においてであった。
イタリア北部のゴラセッカ地方、カステレット・ティチーノ村付近で出土した墓碑銘に
エトルリア語の文字で記された「コスオイオ」が、ケルト語の人命「コシオス」の属格であり
全6席に第二4半世紀のものとされているらしい。
この地方のケルト人の原型を形作る人々は既に前7世紀末には定住しており、
いわば地元の言語であるエトルリア語の文字を採用するにおよんだと推定されている。
前6世紀から前5世紀のにかけての、この文字によるケルト語の碑文が数十点現存するとのこと。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lepontic_language
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/R%C3%B6mische_Provinzen_im_Alpenraum_ca_14_n_Chr.png/600px-R%C3%B6mische_Provinzen_im_Alpenraum_ca_14_n_Chr.png
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/9/92/Castelletto_Ticino_S_113_575BC.JPG

265 :
イギリスの場合
北部のオークニー島に最古の文化的遺跡がある
巨石文化は此処から拡散したようだ
これがケルトの起源じゃないのか?

266 :
>>265
オークニーには新石器時代の遺跡とは別に全く似ていない
鉄器時代の遺跡(ブロッホ)があり、両者の間には2千年くらいの隔たりがある
その後ピクト人の王国に組み入れられるが、同化する間もなくノルド人の植民が始まりスカンディナヴィア化する
確実にケルト化したと言えるのは15世紀にスコットランド領になって以後
住民はノルド系だが今となってはゲール語の貴重な保存地域の一つでもある
とにかく古いものばかり残るド田舎w

267 :
>>264
現存する最古の文章は
この地方のコームで発見された3.8mにものぼる横長の板(まぐさ、都の上の横板)に刻まれている。
「コーム・プレスティーノの献辞板」
前6世紀末から前5世紀始めのものとされる。
内容は現在でも論争があるが、
不吉な言葉が刻まれているとされる。

268 :
イベリア半島では、古くからフェニキアの植民が行われており
この当時にケルト人が居住していたのは確実と思われるが
フェニキア式(アルファベット)による碑文からはケルト由来のものは見つかっていない。
後に系統不明のでエウシカディ(バスク人)とも近いといわれるイベリア人がこの文字を採用し
内陸のケルト人もこれを学んだ。
これがイベリア文字ケルト語と呼ばれ、前二世紀から前一世紀にかけての碑文が現存する。
単語の羅列でない長めの文章としては、サラゴサ近郊の町ボトリタの
コントレビア・ベライスカ遺跡で、青銅板の両面にわたって書かれた文章が見つかっており
1970年に200語のものが、その後1992年にその倍の長さの青銅板が見つかった。

269 :
あと、マッサリアのギリシア人植民地からは
ギリシア文字が伝わっており
前3世紀にはケルト語の筆記に用いられるようになったとのこと。
「ガリア戦記」中においても
ヘルウェティイ族の野営地からギリシア文字の木簡がみつかり
これをもとに人口などがわかったとある(第1巻 第29節)

270 :
>>269
ちなみに「ケルト」の初出資料は、
ギリシアの歴史家・地誌作者ミレトスのヘカタイオスによる。
「リグリアの町マッサリアは、ケルトに近く、そこにはフェニキア人のコロニーである、ケルト人の町ヌラックスがある」
という箇所とのこと。
ただこの書自体は1000年後にビザンチウムのステファヌスと、ヘルモラオスによって
筆写編纂されたもので原著がほんとにこうなっていたかどうかは不明らしい。

271 :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%A2
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f4/AntikeGriechen1.jpg

ポカイア(フォカエア、古典ギリシア語:Φ?καια (Ph?kaia)、ラテン語:Phocaea)は、アナトリア半島西岸にあった古代ギリシア領イオニアの都市(現 トルコのフォチャ)。
ギリシアの入植者は、
ここから紀元前600年ころにはマッサリア(現 フランスのマルセイユ)、
紀元前575年ころにはエンポリオン(現 スペイン・カタルーニャ地方のエンプリエス)、
紀元前540年ころにはエレア(現 イタリア・カンパニア地方のヴェリア)といった植民地を建設した。
古代ギリシアの地理学者パウサニアスは、アテナイがポーキス人にポカイアを作らせたと言っている。その土地はアイオリスの都市であるキュメ人から譲られた土地だった。
最後のアテナイ王コルドスの血筋を引く者を王として受け入れることで、ポカイアはイオニア同盟に加盟を許された[1]。
現存する陶器から、紀元前9世紀にはまだアイオリス人がいたことは明らかで、イオニア人の入植は早くても紀元前9世紀の後半のことだろうと考えられている[2]。
ヘロドトスによると、ポカイア人は長期間の航海を達成した最初のギリシア人で、アドリア海、エトルリア、スペインの海岸を発見した。
さらにヘロドトスは、ポカイア人はタルソテス(現スペイン、アンダルシア州)のアルガントニオスに強い印象を与えたと言う。王
はポカイア人たちにその地に定住するよう誘った。ポカイア人が辞退すると、町の城壁を作るためのたくさんの金を与えたということだ[3]。
ポカイア人の航海は広範囲に及んだ。
南は、おそらくエジプトにあったミレトスの人植民地ナウクラティスと交易を、
北は、黒海のアミソス(現サムスン)や、ヘレースポントス海峡(現ダーダネルス海峡)の北端ランプサクスの植民の手伝いを、それぞれ行ったものと思われる。
しかし、ポカイアの重要な植民地は西にあった。
フランスのコルシカ島アレリア、
マッサリア(現マルセイユ)、
スペインのエンポリオン(現エンプリエス)などである。[4]

272 :
>>261
初期ビーカー人とベルビーカー人って違うの?

273 :
ケルトは西ヨーロッパが強い
東ヨーロッパのゲルマン人が起源とは考えにくい

274 :
>>273
概ね同じ集団から分岐したんだろう。

275 :
>>236
とりあえず、記述があったのでたぶんこれ
考古学者ジャンルイ・ブリューノー著作の
「ガリア人」(2005年)
「ドルイド」(2006年)
たぶん下の方だけど、本は見つからなかった。

276 :
さて、前出していたら申し訳ないがウネティチェ文化

うねてぃちぇぶんか
チェコスロバキアのプラハ郊外にあるウネティチェ[zA82E]netice遺跡を標準遺跡とする青銅器時代前期の文化。
アウンイェティツAunjetitzとも呼ぶ。この遺跡で多量の青銅器が発見され,中部ヨーロッパで青銅器時代の始まったことが示された。
ボヘミアとモラビアを中心とする文化で,
銅線を複雑に折り曲げた装身具,青銅でできた重い首輪(インゴット・トルク),長身で薄刃の斧,柄に鋲留めする短剣と戈は,
この文化の指標である。
これらの一部は広くドイツのライン地方や北部オーストリアに分布しており,またイギリスのウェセックス地方の文化にも影響をおよぼしている。
ウネティチェ文化の青銅器は,ミュケナイ文明とよく似たところがあり,時代もそれと同じ前1900‐前1500年ころのものとみられている。
たいへん広い範囲を占める文化であるので,地域的な差も著しい。

277 :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%82%A7%E3%83%81%E3%83%84%E3%82%A7%E6%96%87%E5%8C%96
ウーニェチツェ文化(英語:Un?tice culture)は紀元前2300年から紀元前1600年にかけての中央ヨーロッパの青銅器時代の考古文化。
名称はプラハの北東郊外にこの文化の遺跡があるウーニェチツェ地区から採られた。中核部はチェコ、ドイツ中部と南部、ポーランド西部と中部に広がっている。
ウーニェチツェ文化は、先行する縄目文土器文化にとって代わって広がった。その後西部と東部では異なる発展段階を辿ることになる:

当時のヨーロッパ中央部。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f9/Central_Europe_Reinecke_BA1.png/668px-Central_Europe_Reinecke_BA1.png
(4), (5), (6a), (6b), (7), (8), (11), (13), (16), (17)はウーニェチツェ文化西部群。
(18a), (18b), (19)はウーニェチツェ文化東部群。のち西部群は墳墓文化へ、東部群はトシュチニェツ文化(の西部群)へと発展。
さらに後になると両者は骨壺墓地文化へと発展。

ネブラ・ディスクで有名
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7b/Nebra_Scheibe.jpg/250px-Nebra_Scheibe.jpg

278 :
球状アンフォラ文化の次にベル・ビーカーとウーニェチツェがほぼ同時代でくるのだが、
球状アンフォラを継ぐ主流はどちらなのかな?
それと、このあたりに、ケルト・ゲルマン・スラブの分化を解くカギがあるようにもみえるが?

279 :
>>278>>203
難しいこと考えてますねw

280 :
ケルト人社会のエリート層にとって交易による物品の入手は
地位や権力を周囲に示す手段として重要なものだった。
なかでもとりわけ好まれたのは「ワイン」であった。

281 :
>>280
鉄器時代、ハルシュタット期のケルトの交易文化は、
主にドナウ川、ライン川、ローヌ川、に囲まれた領域で興隆した。
始めに東側のハルシュタットで発展し、
その後、前6世紀はローヌ川を経由してマッサリアとの交易が盛んとなり
これらの首長領が前500年ごろに衰亡するするにともない、
この北西と東にラ・テーヌ首長領が興隆してくる。
取引先はエトルリアとなりアルプス越えのルートの重要性が増した。
ライン川上流の辺りで多くのワイン容器が見つかっている。

マッサリアのワイン用アンフォラ、
エトルリアの青銅製のワイン容器、
しかし、ケルトから地中海にもたらされたものもあった。
「樽」だ。

282 :
それにしても何で彼らはコロコロと埋葬方法を変えるのかな?
流行的やおしゃれ的なものか??

283 :
渡来人の影響

284 :
ケルト人という緩いグループで、統一した存在じゃないから。

285 :
>>165
>>193
あ、なんこか出てるんだね
めんごめんご

286 :
>>273
ケルトこそ東ヨーロッパ起源
おそらく西ウクライナのあたり
ドイツやポーランドのあたりは中央ヨーロッパ
ここがスラブゲルマン(古ゲルマン)の故郷で、ウネチツェ文化がズバリそれ
その数千年たって徐々に西群の系統ではゲルマン語派が優勢となり東群の系統ではスラヴ語派が優勢となった
とはいえ基礎構造はゲルマンとスラヴは酷似している
訛りと語彙がスラヴの場合スキタイと思われるイラン系諸語の影響を受けている
スラヴが古ゲルマンと古スキタイの混交種であるとすればすんなり説明がつく
ケルトは古ゲルマンのうち南東群がビーカー文化からハルシュタット文化をへてラテーヌ文化へ拡大したもの

287 :
>>278>>286
ベル・ビーカー文化は水平分布もしくはイベリア半島起源っぽいんだけど
それでも東側に推定するのはなにか理由があるのかな?

288 :
>>261>>278
あとその組合せでコーデッドウェア文化を無視するのも
なんか理由があるんだろうね、、、

289 :
>>286
> 基礎構造はゲルマンとスラヴは酷似している
印欧語であるということ以外の共通点って何かある?
ケルト・イタリック・ギリシア・インド=イラン等に無くてゲルマン・スラブ間に共通する要素という意味で
> 訛りと語彙がスラヴの場合スキタイと思われるイラン系諸語の影響を受けている
あのー、言語の系統の決定的指標ってどっちかというと基礎語彙、次いで音体系(いわゆる訛り)なんですけどー
隣接しているとだんだん似てくるのは構造、次に音体系ね
借用語は文化語彙からなので基礎語彙とは異なる

290 :
書くのがめんどくさくなってきたので

◆Early Neolithic 5500-3950 cal BC
LBK 5500-4775 cal BC Linear Pottery culture
RSC 4625-4250 cal BC Rossen culture
SCG 4100-3950 cal BC Schoningen group

◆Middle Neolithic 3950-2650 cal BC
BAC 3950-3400 cal BC Baalberge culture
SMC 3400-3100/3025 cal BC Salzmunde culture
BEC 3100-2650 cal BC Bernburg culture

◆Late Neolithic 2800-2200 cal BC
CWC 2800-2200/2050 cal BC Corded Ware culture
BBC 2500-2200/2050 cal BC Bell Beaker culture

◆Early Bronze Age 2200-1550 cal BC
UC 2200-1550 cal BC Unetice culture

あとメジャーなところで足りないのは球状アンフォラ文化とかTRBぐらい?
青銅器時代と鉄器時代もほとんどないけどww

291 :
>.291
ここらへんの歴史は世界史の教科書にも皆無だからね。
世界史通と自称する連中でも大半知らないよ。

292 :
>>291
まぁ、歴史じゃないからねぇ

293 :
サイトに似合わないものを見かけたんだけど
動機がいまいちわからないww
http://www.nekomegami.com/2013ne/mg_doki.html

294 :
>>281
ローヌ川からアルプス経由になるのは、
ポー川流域にケルトが進出したぐらいからになるのかな?

295 :
コーカサスのやつは分布はともかく
バッサリ切り込んでてワラタww

296 :
ケルト人とR1bの関係を整理したものない?

297 :
>>296
無いんじゃないの
というか、ケルトをどう定義するかにもよる

298 :
>>233
そういえば歴史上で名前が記録されてるドルイド僧侶は一人しか居ないらしくて
たしかローマの文献だったと思うけどこんな名前じゃ無かったな。
すっかり忘れたわ

299 :
>>208
>カエサルのガリア戦記にあるようにブリテンでは古い時代の母系社会の習慣が当時も残っており、
>父や兄弟同士で一人の若い女を共有して毎晩のように交代でセックスする。
十数人の女で父や兄弟を共有するとは書いてあるけど
一体どこをどう読んだらこうなるんだ

300 :
>>281
樽がケルトとすると
ケルトのお酒はウィスキーなんだろうか?

301 :
ミード(蜜酒)じゃないの?

302 :
>>203
元ケルト→ハルシュタット文化
本ケルト→ラ・テーヌ文化
でよろしいか?

303 :
>>138
じゃあ宗教改革の前には対立はなかったってことでいいのか?
対立の火種(言語の違い)さえなかったということか?

304 :
>>261>>278

ヤムナ人と縄目紋土器文化に属する人に強い遺伝的繋がりが確認されたらしい

305 :
>>304
それ読んだよ。
クルガン仮説がかなり真実性を帯びてきた。

ヤムナ人はR1aとR1bの混合体かな。

306 :
R1aとR1bの混合体だったら
クルガン仮説になにかいいことあるの?

307 :
これってホント?


え?この時代にまだ残ってたの?というもの [転載禁止](c)2ch.sc
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1425916633/29

29 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 02:42:59.76 0
グリーンマン信仰も実質ドルイド信仰だが現在まで生き残ってるな

308 :
冨田尚弥はドルイド教信者だったかw

309 :
民話の中の精霊の存在を信仰の対象と決めつけ
民話の伝承自体を信仰と呼ぶ雑な思考なんてほっとけ

太古の異教の存在に情緒を見出すロマン主義と
異教そのものの残留を混同するのも雑で、まったくお話にならないよ
教会の圧倒的な力によって異教が滅ぼしつくされているからこそ
知的遊戯としてのルネサンスが生まれたというのに

310 :
>>304

ヤムナ人は確認された範囲内では全員がR1b

311 :
>>310
最近更新されたEUPEDIAでは、YAMNAが北部と南部とに分かれている。
南部はR1bだが、北部の主流はR1aとなっているよ。

312 :
>>311
へー、そうなんだ

まぁ>>310は書き方がよくなかった
今回確認された範囲内だね

313 :
>>233

http://www.geocities.jp/ja1tmc/pejiputo.html

ネアンテス(BC3世紀)、アポロニウス(AD1世紀)

(ピュタゴラスの父)ムネサルコスは、彼(ピュタゴラス)チュロスへ連れて行き、その地のカルディア人に師事させて、さらに多くのことを学ばせたという。
そしてその地からイオニアへ帰ったピュタゴラスは、まずシュロスのペレキュデスに、次にサモスですでに年老いつつあったヘルダモスに師事したという。
アポロニウスによれば、この二人だけではなく、アナクソマンドロスにも師事したという。(ポルピュリオスVP2)

アリストクセネス(BC4世紀後半)

エリトリアのディオドロスと音楽家のアリストクセネスにいれば、ピュタゴラスはカルダイアのザラトス(ゾロアスター)のもとに赴いた。
そこで、ザラトスは、ピュタゴラスに次の原理を示した。
父は光、母は闇、その光は暖・乾・軽・速、闇は、冷・湿・重・遅そして宇宙は男と女・・・(ヒッポリュトスDox557)
おそらくアリストクセネスが出典
アラビアでは国王に謁見し、バビロンでは他のカルディア人たちにも接したが、とりわけザラトスを訪ねて、
この人によって前世の汚れから清められ、また高尚な人が清浄であるためには避けねばならないことがらについて教えられた。
また、自然についての理論と、万有の始原は何であるかも聴講した。
というのもピュタゴラスは、これら諸民族の間での彷徨から彼の知恵の大部分を獲得したのである(ポルピュリオスVP12)

314 :
>>313


ディオゲネス・ラエルティオス

彼(ピュタゴラス)は若くして故国を後にして旅に出、ギリシアばかりではなく異国の秘儀にもすべて参加した。
・・エジプトに滞在したことがあるが、(サモスの僣主)ポリュクラテスが書状によって彼を(エジプト王)アマシスに紹介したのはその時期のことである。
アンティポンが「徳の第一人者たちについて」のなかで述べることによれば、エジプト人たちの言語を十分に習得したとのことである。
さらに彼は、(バビロニアの)カルダイオス人(の神官)たちや、(ペルシャの)マゴス僧ところにも滞在していた。
次いで彼は、クレタでは、エピデメニスとともにイダの洞窟へ降りて行ったし、またエジプトでも、神殿の内陣深く入り込んで、神々に関することを秘儀のなかで学んだのだった。

注、アンティポンは、年代不詳、ソフィストのアンティホンではなさそう(Burkert p155)


イアンブリコス(VP19)

22年間、エジプトをあまねく、諸処の奥の院で天文学、幾何を窮め、神々の密議ことごとくの奥義を、
あだおろそかにも場当たりにもあらず、授けられたが、やがてカンビュセスの遠征軍に囚われバビロンに連行された。
かの地でも博士たちと交歓し、同地の厳かな典礼を仕込まれ、神々の完全な恭敬礼拝を修得、
博士らのもとで代数学、音楽、その他諸学の蘊奥を究め、さらに12年間そこで過ごしてサモスに戻った。ときおよそ56歳だった。

注、ポリュクラテスの統治(BC570〜490)、カンピュセスのエジプト征服(BC525)、ポリュクラテスの僣主を嫌ってピュタゴラスがサモスを出た(BC532頃推定)年代的に整合性はない。
注、これは、ダイオレスがデモケデス捕らえた話(ヘロトドス「歴史」3−125〜、DK19章)の話しをもとにした創作であるという。
Zellerの説をBurkert(p112)デモケデスはクロトンの医者で、かつてはポリュクラテスのもとにいた、従ってサモスとも関係あり、ピュタゴラス派のミロンの娘と結婚した。

315 :
>>314

ポルピュリオス(VP6)

彼(ピュタゴラス)の教説(の由来)についても大半の言うところによれば、
数学的諸学をエジプト人、カルデア人およびフェニキュア人から学んだ。

というのも、幾何学にはエジプト人が昔から精励していたし、
数と計算についての学問にはフェニュキア人が、そしてカルデア人は天文学に励んでいたわけである。
なお神々を祭る方式と、その他生活にかかわる万般の営為についてはマゴスから聴講した、と彼らは言う。

316 :
>>313

四分音
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%88%86%E9%9F%B3

中東の音楽

現在の西欧音楽での四分音の使用が最近のことで実験的な現象である一方、
四分音やその他の微分音の音程はイラン(ペルシア)やアラブ世界やアルメニアやトルコやアッシリアやクルディスタンやその近隣で、
何世紀にも渡り旋法の中で重宝されてきた。
それは現代の中近東ポピュラー音楽でさえ、調律に微分音を用いて続いている。

多くのアラブのマカーム(旋法)は以下の4分の3の大きさの音程を含む。
なお便宜上、四分音下がるフラットはqと表記するが、この表記は一般的なものではない。 [6]



古代ギリシアのテトラコルド

古代ギリシアのエンハルモニオンのゲノス (en:enharmonic genus) のテトラコルドは、
一つの二全音en:ditoneつまりおおよその長三度と二つの微分音に分けられる半音を構成する。

アリストクセネスen:Aristoxenosやディデュモスen:Didymosなどは、
半音を二つのだいたいの同サイズの四分音の音程に分割されるものとして示し、
また別の古代ギリシアの理論家は微分音をエンハルモニオンのゲノスの半音の不等分割の結果
(つまり一つは4分の1より小さくもう一つは大きい)もとのして示した。.[12]

317 :
>>236
http://www.geocities.jp/ja1tmc/apolon.html

資料 VP30

後世はピュタゴラスを・・・誰か神霊として神に数えたほどで、ある者はピュトなるアポロンが、
ある者は極北人のもとからのアポロンが、ある者は治療神アポロンが、あるものは月に住まう神霊の一柱が、
また別の者らは、オリュンポスの別の神が幸福と愛知の営みという救いの火種を死すべき性の人間に恵むため、
人の生き方を益し、善道すべく、人の姿に化生して当時の人々に現れたのであり、
これよりも大いなる善は、神々から(このピュタゴラスを通して)贈られてかつて来臨せず、
これからも来臨せぬだろう。と言って噂を広めた。

資料 VP140
口伝の一則もこれ「汝は誰ぞ、ピュタゴラスよ」答えは、極北のアポロンなり。

資料 VP135
かの人(ピュタゴラス)が、アポロンに仕える神官アバリスの、自分を極北人のアポロンと推し量ったのにたいし、
大腿部の紫金であるのを極北人アバリスに開帳して、この神官が正しく知見し、邪見しておらぬと確証した話は・・・

資料 VP91
(アポロンの神官の)アバリスが・・・ピュタゴラスの姿を眼にし、
おのが神官として仕える神と切に引き比べ、身に備わった威厳といい、神官として見抜いた片鱗といい、
あれは他でもない、神に似た人間ところか、まさにアポロンそのものと帰依して、ピュタゴラスに矢を献上した。

資料 VP141
自分(ピュタゴラス)をアポロンに引き比べたのは的はずれにあらずと確信させたうえで、
おのが腿の紫金であるのを見せアバリスが誤解しておらぬことの証左とした。

資料 DL8−11
彼(ピュタゴラス)の弟子たちは、彼を極北の民のところからやって来たアポロンであるというふうに考えていたのである。
・・・彼の腿は黄金でできているのが見られたという話もある。

318 :
>>317
資料 イアンブリコスVP140−143 (前略)

聴聞の事の中の一つはこれである「ピュタゴラスよ、汝は誰であるか」極北のアポロンであると彼らは言う。

その証拠になるのは次のことであるとする。
すなわち、競技の際立ち上がって腿が黄金であると示したこと、
また、極北の人アバリスを饗応した際、道案内となってきた矢を彼から取り上げたことである。
アバリスは極北から神殿のために黄金を集め、また、疫病を予言して来たと言われている。
彼は神域に滞在したが、かつて、飲んだところも、食したところも見られていない。

また、ラケダイモニア人どもの中で、厄払いの共えの祀りを行ったが、そのために、それ以後、ラケダモニアには疫病は起こらなかったといわれている。
このアバリスから、持っていた黄金の矢ーーーそれがなくては道を見いだすことは出来なっかたものであるーーーを取り上げ、それを同意させた。

また、メタポンティオンにおいて、入港しようとしている船に積まれているものが無事に自分達のものになるのを人々が祈っている際に
「屍が、お前達のものに成るだろう」と言った。果たして船は屍を運んできた。
また、シュバリスでは野兎を殺した蛇を捉えて片付けた。チュルレニアでも咬んでRことをした小蛇を同様にした。
クロトンでは、白い鷲を叩いたが、鷲はじっとしていたと人々は言っている。

ある人が話を聴くことを望んだが、兆しの現れるまでは話さぬと言った。するとその後で、カウロニアに白熊が現れた。
彼の息子の死を彼に報じようとするひとに向かって、彼は自分の方からそれを言った。

クロトン人の、ミュリアアスに、自分は、ゴルディオスの息子ミダスであると洩らした。
そこでミュリアスは墓について、ピュタゴラスが頼んだことを行う為に本土へ急いだ。
また、彼らは言っている、彼の家を買ってこれを毀した人は、何を見たかを敢えてしなかった。
この罪の報いで、クロトン聖物窃盗のかどで逮捕された。
ピュタゴラスの像から落ちた黄金の髭をとるところを目撃されたからである。
これらのこと、また、他にこのようなことを確信のため彼らは語っている。

注、アバリスの矢はもともとアポロンのもの、従って、自分(ピュタゴラス)が矢の所有者つまりアポロンであることを意味する

319 :
>>317

資料 イアンブリコスVP135

アポロンに仕える神官アバリスが、自分を極北人のアポロンを推し量ったのにたいして、
ピュタゴラスは大腿部の紫金であるのをアバリスに開帳して、その推量が正しく知見し、
邪見しておらぬと確証した話は喧伝されている。
・・・・アバリスは「空をあるく人」そのゆえは、極北人のアポロンの矢を授けられ、
これに馭して川と海と通行不能の難所を渡るのが、空を歩くのをさながらであったからだ。
まさにこの霊異がピュタゴラスの身にもそのとき起こり、
メタポンティオンとタウロメニオンで、両地の弟子らと同じ日に談論したと推測する人もいた。
また、かの人は飲んだ井戸水からは地震の発生を、順風満帆の船については沈没を見通したという。


資料 ポルピュリオスVP28ー29

アポロンに仕える神官アバリスが、自分を極北人のアポロンを推し量ったのにたいして、
ピュタゴラスは大腿部の紫金であるのをアバリスに示して、その推量が正しいと確証した話は喧伝されている。

さらに、船が帰港し、友人たちが、積み荷が自分らのものになるのを期待していると、
ピュタゴラスは言った「では?がきみたちのものになろう」。実際船は死体を運んで帰港していたのだった。

その他ピュタゴラスについてさらに驚くべき、神秘的な神異が、内容も等しく、異口同音にごまんと伝えられている。
一言で言って、何人の身の上にも、いっそう多くの神異も、そう並外れた神異も思いおよばなっかた。
なぜなら、ピュタゴラスについて伝えられているのが、地震の誤ちなき予言、すみやかな疫病祓い、強風と雹(ひょう)の降り注ぎの沈静、
弟子たちの渡りをたやすくするための、川と海の波立ちの鎮めであるからだ、
・・・・アバリスは「空をあるく人」その理由は、極北人のアポロンの矢を授けられ、これに馭して川と海と通行不能の難所を渡るのが、空を歩くのをさながらであったからだ。
まさにこの霊異がピュタゴラスの身にもそのとき起こり、メタポンティオンとタウロメニオンで、両地の弟子らと同じ日に談論したと推測する人もいた。

320 :
>>317

ピュタゴラスの師とされているペレキュデスについて
ディオゲネス・ラエルティオスは次のようにピュタゴラスの奇談にある同じような証言を残しており、
これをピュタゴラスのものとした可能性もあるが確かなことは言えない。
しかも、年代的どちらが古いのかもわからない。ピュタゴラスの奇談についてはよく分かっていない。

資料 DL11−116
しかし彼あ8ペレキュデスについては数多くの驚嘆すべき話が伝えられている。
すなわち、彼がサモス島の海岸を歩いていたとき、一隻の船が順風を受けて進んでいるのを見て、
この船は間もなく沈むだろうと言ったのだが、事実そのとうり彼の目の前で沈んでしまった。
また、彼は井戸水からくみ上げられた水を飲んで、三日目に地震が来るだろうと予言したが、実際その通りになった。
さらにオリンピアからの帰途メッセネに着いたとき、かれは宿の主人のペリラオスに家族ともどもここからたちさるように忠告にした。
ペリラオスはその忠告にしたがわなっかたが、メッセはその後敵に占領されてしまった。
テオポンポスが「奇談集」において言うところでは、ペレキュデスはラケダイモンの人たちに金や銀を崇めてはならないと語った。
そして、夢で彼にこのような命をあたえたのはヘラクレスであり、さらに、同じその夜にヘラクレスは王たちにペレキュデスの言うのとに従うように命じたのだということである。
しかし、ある人たちはこの話をピュタゴラスに結びつけている。(次の資料参照

注、地震の予言は、ペレキュデスと同時代のアナクシンマンドロスの予言の報告(キケロ)もあり、これに井戸水の話を付け加えた(Burkertp145)らしい

321 :
>>320

ペレキュデスとについてはピュタゴラスについては、ポルピュリオスの次の報告があり、
それによれば、ピュタゴラスに関する伝承がテオポンポスによってペレキュデスのものとされた。
しかし、Burkert(p145)によらば、
テオポンポスはアカデメイアとピュタゴラスに対し反感を持っていたので、
ピュタゴラスをペレキュデスに置き換え、剽窃したかもしれない。


資料 ポルピュリオス「文献学講義」DK7−6

アンドロンは、「鼎」の中で、哲学者ピュタゴラスの予言にまつわる話を報告して、次のように言っている。
あるときメタポンティオンで、喉がかわいたので、井戸から水を汲んで飲んでいるときに、
三日目に地震が起きることを予言したという、
そして(ポルピュリオスは)このことを別の話を関連させながら、次のように付け加えている

「これらの話はアンドロンがピュタゴラスについて記録したものであるが、
それをことごとくテオポンポスが剽窃したものである。
もっとも、テオポンポスがピュタゴラスについて語ったのであれば、
他の人々も彼について知っているので『ピュタゴラス自身が語ったのと同じ話だ』と言うであろう。

しかし、その名前を変更したことが、かえって盗作であることを明らかにしてしまったのだ。
なぜなら、同じ出来事を扱うのに、別の人の名前に変えて、このことを予言したのはシロスのペレキュデスであると主張して、
しかも、名前だけでなく地名まで変更して、盗作であることを隠しているからだ。
すなわちアンドロンによれば、地震についての予言はメタポンティオンで語れられたことになっているのに、
テオポンポスは、これがシュロスで言われたこととしてあるのである。
さらに、船に関する出来事も、シケリアのメガラではなく、サモスから観測されたと言っているし、
シュバリス占領の話もメッセに移し替えてしまった。
そして、なにか尋常でない話をしているのだと思わせるのに、宿の主人の名前を付け加えて、
その人はペリラオスと呼ばれているなどと言っているのである」

(ペリラオスについては上の資料参照)

322 :
>>317-319

極北の人アバリス
ポイボス・アポローン
ヒュベルボレオイ人

323 :
>>322

グリュプス(gryps)について

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/physiologos/phys2-06.html

例えばグリュプスという、天のあらゆる有翼類にまさって大きな鳥がいる。
これは東の地、オーケアノス河に降り立ち、太陽が水の深みから昇り、光線で世界を輝かせるとき、
このグリュプスは自分の翼を広げ、太陽の炎熱を受けとめる、人の住まいする地を焼き尽くさないためである。

また別のグリュプスも、日没の方に飛びゆく、自分の翼に刻銘されているとおりである。
「進め、光の与え手よ。世界に光を与えよ」〔Cf. 第3バルク6:14〕。

 神性においても同様で、2羽のグリュプスがともに行く、つまり、大天使ミカエールと聖なる神の母である、
そうして太陽の炎熱、つまり、神の怒りを受けとめる、
万人に、「おまえたちをわたしは知らない」〔マタイ25:12、ルカ12:25, 27〕と述べ、その怒りが焼き尽くさないためである。

324 :
>>323

グリュプスの典拠。?
 「またプロコンネソス〔マルマラ島〕の出身でカユストロピオスの子アリステアスは、
その作詩した叙事詩に、ポイボス(アポロン)によって神懸りとなり、イッセドネスの国へいったこと、
イッセドネス人の向うには一つ眼のアリマスポイ人が住み、
その向うには黄金を守る怪鳥グリュプスの群、
さらにその向うにはヒュベルボレオイ人(「極北人」)が住んで海に至っている、
と語っている」(ヘロドトス『歴史』iv-13)。

 「ヨーロッパの北方には、他と比較にならぬほど多量の金があることは明らかである。
その金がどのようにして採取されるのかについても、私は何も確実なことを知らないが、
伝えられるところでは、一つ眼のアリマスポイという人種が怪鳥グリュプスから奪ってくるのだという」(ヘロドトス『歴史』iii-116)。maat.gif

 ここから、「護るもの」という、グリュプスのひとつの性格を看取できるかもしれない。

 ギリシアのグリュプスが、ヘブライのケルブ(ケルビム)ときわめて関係性が深いことが見てとれる(林俊雄『グリフィンの飛翔』とくに第3章、第4章)。
 『聖書動物事典』も、グリュプスとケルブ(ケルビム)との関係性の深さを認めつつ、
「2体のケルビムと思われる像の描かれたエジプトの聖なる船、すなわち方舟」の図像を挙げている(p.120)。

しかし、そこに描かれているのは向かい合ったマアト女神(右図。画像出典は、『図説・エジプトの神々事典』(河出書房新社)から)の姿である。
マアト女神は太陽神(ラー)の妹神である。
 この第6話の記述内容から考えて、われわれはギリシア神話のグリュプスではなく、有翼のこのマアト女神を想像するのが正しいかも知れない。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/physiologos/maat.gif

325 :
>>304 それ俺も考えてた。なら縄文人の先祖はヤムナ文化圏からきたことになるのかな。
中央アジアにいたケルトと縄文の類似性もあるんだよな。

326 :
縄文系日本人からR1が検出されてもおかしくないけどな、遺伝子の塩基って文化体系や食生活によって変わってくるだろうし、
操作することも可能な時代だ。なにしろ、ワキガであれば、R1に近いと考えられる。O2, O3とはやはり異なる。

327 :
>遺伝子の塩基って文化体系や食生活によって変わってくるだろうし

んなこたない

328 :
>>325
そうくるとは思わんかったww


>>326
流行のエピジェネっすね

329 :
これもやっとく?

Cover Story: 英国の遺伝子:英国人集団の微細スケールでの遺伝的構造ブックマーク
http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/61910

Nature 519, 7543
2015年3月19日

遺伝学的データは、集団の歴史や移動を解明するための情報源として広く用いられている。
一塩基多型(SNP)データのゲノム全体にわたる解析、
つまりゲノム塩基配列中の1つの位置に関する個人間での変動をカタログ化することが始まった現在、
ヒト集団間に見られる微細スケールでの遺伝的変動が、
歴史上の人口統計学的事象を示すシグネチャー(痕跡)として使えるようになった。

P Donnellyたちは今回、英国人2000人以上を選び出すことで得られた、
地理的に多様なサンプルに由来するこのようなデータを用いて、
遺伝的クラスターと地理とが極めてよく一致することを明らかにしている。

今回の結果は、英国における人々の居住状況のさまざまな側面に新たな光を投じるものだ。
例えば、英国南東部ではアングロ・サクソン系移住者による遺伝的寄与は半分以下であり、
これは中石器時代以降、ローマ帝国時代以前の時期にヨーロッパ大陸からの集団移動があったことを示唆している。

このデータはまた、非サクソン地域には一般的な「ケルト系」集団ではなく、遺伝的に分化した亜集団が存在することも明らかにしている。

330 :
>>326 ご先祖様が変わるってか。それじゃ大沢樹生の息子も実は本当の息子の可能性もw

331 :
>>329
ケルト系以前の侵入者も何波かあり、
ケルトの直前侵入グループは既にR1bだったのだろう。

332 :
世界遺産にハルシュタットきたで

333 :
質問させてください

予めお断りしておくと自分はケルトに関しては完全な素人で
大学の教養レベルの手ほどきも受けていない人間です
最新の論文や学会内の動向、定説の変化などについては全くわかりません

原聖氏の『興亡の世界史 07 ケルトの水脈』についてなのですが、
この本の内容、自分が読んだケルト関係の書籍の内容とはかけ離れており疑問に思ったので質問させていただきました

一例を挙げますとドルイドについて、
『ケルトの水脈』はギリシア系の文献に書かれたドルイドとローマ系の文献に書かれたドルイドを完全に別なものと見なしており、
ギリシア系の文献に書かれたおそらくピタゴラスの何代目かの弟子達である哲学者たちこそが真のドルイドであり
ローマ系の文献に書かれた人身御供を行うシャーマンとしてのドルイドは「偽ドルイド」であるとまで言っているのです

こうした『ケルトの水脈』におけるドルイドの記述は現在では一般的なものなのでしょうか?
また『ケルトの水脈』自体、ケルト界隈ではどう評価されているのでしょうか?

よろしくお願いします

334 :
追記します
元ネタとなるのはBrunaux, Jean-Louis, ”Les Druides” 2006のようです

335 :
そこまで言っていない。
ピタゴラスとの直接的な史料的根拠はないとしてそういう可能性を提示しているだけ。
措定を元に述べている提示

336 :
うんこ

337 :
ケルト人の間では、どうして男色が盛んだったのですか?

誰か詳しい人は居ませんか?

338 :
男色が盛んという根拠は?

339 :
あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

340 :
ケルト人と日本人には共通点が多い

横笛

本音と建前

首狩り

341 :
逆に似てないところ
社交的で異邦人を家に招くことを好む
放浪癖がある
自己主張が強い
饒舌で多弁な人物が尊敬される
世襲を嫌う
オシャレで着飾ることを好む
常に鍛錬が推奨され肥満は軽蔑される

出典
ガリア戦記
ディオドロス歴史叢書
プリニウス博物誌

342 :
勇敢で果断
自由を好み束縛を嫌う
親友のためなら命も厭わない
弁論や決闘で相手を打ち負かすことにかけては余念がない
男女ともにポエマーである

343 :
弁論についてはチャランケの伝統などを考えるとアイヌに似ていると思う
勇敢さは高砂族にも似ているし、先住民族全般とやはり通じるものがあるのではないか

344 :
ケルト人は戦いの時はまるで戦争末期の日本兵のようにすごい精神力で大した武器もないのに突撃
してくるけど持久力はないんだよ

345 :
昔、アイヌが鍛冶屋の和人に息子を殺されたことをきっかけに反乱を起こしたんだけど
ケルト人のように戦ったのかな?

346 :
>>341 それそのままアメリカ南北戦争前のアメリカ南部の農場主にあてはまるんだよなぁ

土地だけ広くて普段はほとんど人が来ないから寂しいので他人を客としてもてなす
 名誉のために決闘を申し出るとか

北部は移民が増えて多民族化したんだけど
南部はケルト系とイギリス系の住民しかいなかったから
風と共に去りぬの農場主みたいにアイルランド人の子孫が多かったんだと思う

347 :
南部のケルト系っていうのはアイルランド人やスコットランド人を指してるんだろうけど
ほかにフランス系のケイジャンも大勢いて彼らも元はラテン化したケルトだから

348 :
ケルト人って中央アジアの草原地帯から来たということは今のシリアとかに住んでる人たちが祖先だったのかな?
なんとなく顔が似てるんだが

349 :
>>343
あっさり滅んだり素直に奴隷になった先住民族の話が残らないだけじゃないですかね

350 :
別に奴隷化しなくてもゆるやかに同化した場合もあるだろう

351 :
今のケルト人は原ケルト人の子孫なのか
古代に言語交替によりケルト化した人たちの子孫なのか

WIKIだと後者になっている

352 :
後者じゃないとケルトとバスクが遺伝子が近い説明が出来ないからな

353 :
>>351
そうなんだよね

そうすると印欧語が普及する少し前に
後にケルト化する人たちが西欧に移住してきたということになる
ただこの人たちはそれまでの文化とは摩擦を起こさず入り込んでいる

このあたりもっと解明して欲しいね

354 :
アイスマンがハプログループGだっけか
黒海方面からやってきた先行集団はある程度存在したろう

355 :
>>354
その中にR1bが見出されていないのがね・・・
R1bの西欧への登場は4500年前頃になっている

356 :
>>352
そうでもない
バスクが言語だけ残して遺伝子の上でとっくに先行組のケルトと同化している可能性だってある

357 :
>>356
なるほど・・・

358 :
>>356
結局それ後者になるんじゃない?

359 :
>>352 バスク「イギリス・アイルランドはもっと料理を頑張れ。親戚として恥ずかしい」

360 :
>>359
自然条件が違うから要求するのは酷だと思う
それとガリシア人も兄弟に入れていいと思うけど

361 :
>>358
なんで?

362 :
好戦的な人たちは中東に多いよ

つまり彼らの子や孫がケルト人

ピクト人なんかほとんど略奪で生計立ててたし

363 :
デタラメ

364 :
ピクト人は色黒だった?

365 :
アケメネス朝時代だと中東系はむしろ略奪を受ける側でギリシャ人やガラテア人の略奪に戦々恐々としていた
海の民も元はギリシャやイタリア半島から来た連中だし

366 :
ローマ人は都合が悪くなるとキリスト教徒を虐殺して大衆の目をそっちに向けさせた

367 :
ガラテア人の子孫はどこに

368 :
シリアのアサド一族とか?

369 :
>>340-342
もちろん違うところもあるがちょいちょいフランス人っぽくもあるな
さすがご先祖

370 :
>>362>>365
「中東(系)」っていうくくりが意味不明だわ
地域的な広がりの曖昧性と民族の多様性を無視しすぎ
>>367
ガラティアはペルガモンと結んでローマと戦って破れ、ローマ領となった
以後は初期のキリスト教文献にその名が現れるだけ
ギリシア化してわからなくなったのでは

371 :
ガラテア人の子孫はポントス山脈周辺や黒海沿岸の諸都市に居住して
独自の文化を持ってるよ

372 :
トルコで金髪碧眼の比率が高いのが黒海沿岸

373 :
あれはコーカサス語系だろ、ラズ人とかさ

374 :
現在の話だけど
ケルト系キリスト教会って徐々に勢力を伸ばしているみたいだね。

375 :
アイルランドだと、カトリックの中絶禁止みたいな縛りがないとかが人気の理由なのかな
ケルト系教会の教義を知らないけど
進化論や地動説にも柔軟に対応とか?

376 :
色丹島って景色がアイルランドに似てるよな

377 :
Sibh Cotann と書くとアイルランドの地名っぽい

378 :
ケルト系ってどういう意味かねぇ。カトリックからは異端とされるアリウス派?

379 :
この動画の2:20あたりに五稜郭に似た建物がうつってるんだが。アイルランド人と日本人とアイヌ人には関連があるのだろうか?
https://youtu.be/2iUPb7y0hgE?list=RDyE1OQAoSWAU

380 :
>>379
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%BD%A2%E8%A6%81%E5%A1%9E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%BD%A2%E8%A6%81%E5%A1%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

381 :
スカンディナヴィア半島のサーミ人はアイヌ人と交流があった。ケルト文化で
特徴的な渦巻き文様、組みひも文様はアイヌ文化にも存在する
イギリスからアイルランドに来た人たちはスカンディナヴィアから来たサーミ人の可能性が高い

ちなみにアメリカ南北戦争の北軍で最もすぐれた戦闘員はドイツ人、アイルランド人、スカンディナヴィア人だったと言われる
これは偶然なのだろうか

382 :
>>379
17世紀のキンセールのチャールズ要塞。ケルトとは関係ない。


アイルランド特有なら、円塔(Irish round tower)

383 :
>>381
サーミがアイヌと交流があるとウィキペディアに書いてあるのは
国連などの国際機関を通じたごく近年の交流のことだ
有史以前に接触した痕跡も、19世紀以前に接触した痕跡も全く見当たらない
ケルト語はインド・ヨーロッパ語族に含まれ、ウラル語族のサーミ語とも
北東アジアの古アジア諸語に近い特徴を持つ孤立言語のアイヌ語とも似ていない
サーミ語もアイヌ語もどちらも動詞に主語や目的語の人称接辞が付くという
世界中の非文明社会の先住民の言語に頻繁に見られる特徴を持ってはいるが、それだけでは元々同系だとは言えない
「イギリスからアイルランドに来た」のはアングロ・サクソン人だけで、
1千年紀後半にはむしろアイルランド人がスコットランドを占領し移住した
17世紀には低地スコットランドからアルスター地方にプロテスタントが入植し(千年ぶりのいわば逆流移民)
宗教対立の種を播いた(北アイルランド問題がアングロサクソンとケルトの対立でないのはこのため)
ノルド人のいわゆるヴァイキングはブリテン諸島のあらゆる海岸に直接出没したが、
その中にサーミがいて友好的に文化を伝えたという話は特にない

384 :
10年ちょっと前のNHKのテレビのスペイン語講座で、スキットVTRだったかで何とかキルパトリックって名前の子供の兄弟?が出てたと記憶してるけど、
パタゴニア南部かチリ南部に入植したアイルランド系の末裔だったのかな?

385 :
そうだろうね。ケリーとか パトリックとかの名前の人たちはケルト人が先祖だったんだろうね。日系アメリカ人でもいるでしょ ロバートタナカとか

386 :
ニューサイエンスの影響を受けた昔のアメリカ映画で
主人公がカスタネダのようにメキシコの山に修業に入るというシチュエーションで
山の案内役がエチェベリアというもろにバスク人の姓だったのを覚えている
新大陸では移民したヨーロッパのマイノリティが伸び伸びと少数言語の人口を増やしたりしているのだが
20世紀後半にはメディアの発達で周囲の大言語にあっさり同化してしまっている例も多い

387 :
日本だと江戸時代とか戦国のコスプレとかはあるけど、古代はあれだからないよね
https://www.salzwelten.at/typo3temp/_processed_/csm_Gruppenbild_03ba063705.jpg

388 :
>>387
日本の古代のコスプレ
http://www.miyabi-yuki.jp/blog/upload-images/201471918225.jpg
http://cherry.blog.eonet.jp/photos/uncategorized/2012/01/14/120114140530_2.jpg
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-2e-8d/masa351218/folder/745510/71/55197571/img_0?1222347938

389 :
ブッサ

390 :
古墳時代や平安時代はともかく
飛鳥奈良時代の服は唐と同じだから「日本の古代のコスプレ」とは言い難いかも
当時の日本人は唐のコスプレしてたようなもんだし

391 :
ケルト人とR1bとの関係がいまだに謎

392 :
スレタイが「ケトルの歴史」に見えた
ヤカンの歴史を語るスレかと思った

393 :
>>391
どの辺が謎なの?

394 :
バスクと島ケルト(西側のゴイデリック)が共通でR1bだという所だろ

395 :
ケルト人って戦闘力ないの?

396 :
>>395
無いわけではない
ただやる気出ないと割とヘタレがち

397 :
そうだな。勢いに乗ってる時は強いけど苦境になるとすぐ崩れる感じ。

398 :
>>394
バスクがケルトの一派ってだけだろ

399 :
>>395
腐っても印欧系だからね
絶対的には内に秘めた暴力性、破壊衝動は大きいと思われる
先住民はほとんど駆逐したからね

400 :
>>398
バスク語とケルト語について知れば冗談でもそんなことは言わなくなる
バスク語はどこを取っても印欧語ではない
だから謎っていう流れだ

401 :
>>399 時代は現代にうんと近づいてIRA

402 :
>>400
ケルト人はもともと別の言葉を話していたが
バスクを除く大多数が言語交替
もう定説だぞ

403 :
>>402
R1bはケルトの古い層が持ってきた
バスクは言語だけを残して遺伝子上は消えた
というのが今は有力
そもそもケルト語を話さなければケルトとは呼ばない

404 :
>>403
R1bの先鋒集団がベルビーカー文化に同化して
言語は非印欧語を取り入れたということ?
そうでないと説明つかないよね

405 :
>>403
いや…それは無理があるだろ…
逆はよくある。言語は(しばしば後発の支配者の言語に)完全に交代しても、
エスニシティの基礎として、遺伝的要素が残るというパターン。
それは、言語が交代しても、他の要素で血縁集団が団結して、遺伝子を残すことは可能だから。
宗教であったり、婚姻慣習であったり、さまざまな要素が使える。

でも、逆は考えられない。
血が全部入れ替わったのに、言語だけ、それも周囲と完全に隔絶された言語が残るなんてことは
SF歴史小説ですら書ける小説家はいないだろう。具体的ストーリーが全く描けない。

遺伝子でみて、バスクらしさが全く何も残っていないというのなら、
その広範に広がる遺伝子は、本来バスク(を含む古い民族集団)の遺伝子だった、
と考えるほうが自然。

406 :
>>405
たとえばアイルランドのゲール語はアイルランドの国語として大事にされているが
いまだにネイティブの話し手人口は回復していない(第二言語としての話者は国民全体の規模に及んでいる)
日常的にゲール語で暮らしているのは各地沿岸部の小さな漁村いくつかのみで
その大半は昔アイルランドが気に入って住み着いたヴァイキングの子孫だ
彼らは身体的特徴も遺伝子もケルト系の現地人とは全く違う
これとそっくりの状況がスコットランドのゲール語についても起こっている
現在スコットランドのゲール語の話者の大半はヘブリディーズ諸島に住むヴァイキングの子孫だ
今やゲール語はノルド人によって守られていると言っても過言ではない

407 :
本来は白人の言語を話してる黒人(南アラビア語系の言語を話すエチオピア人、農園主の言語を話す奴隷の末裔)みたいに、
血の流入もあったと考える方が自然では。まったくケルト系と通婚しないままに言語だけ変化するのかな

408 :
R1aだのR1bだの言っても100%にはほど遠いからね
比率が変わることはあるだろう

409 :
カメルーン人はフランス語を話しているが連中にフランス人の要素は皆無だが

410 :
今やフランス語話者の8割がアフリカ黒人だからな

411 :
母語話者と第二言語話者をいっしょにすんなよ
ただ話してるってだけじゃこの話とは関係ない
それでもアフリカの旧仏領なら都市部の上流階級にごく少数の仏語の母語話者集団があったりするが
独立後に肌の色だけで残留できた/残留させられたような連中で、頭の中身はフランス人そのもの
例外的に仏語母語話者が多いのは、アルジェリアとかチュニジアのような植民地時代に同化政策が行われた国

412 :
第二言語じゃなくて第一言語として普通に日常で使われてるんですが
北西州と南西州のように英語が第一言語の地域もある
ゆえに同じ人種や民族でも地域が違えば話が丸で通じない

言語学で人種移動の推理ゴッコやり手がる奴って強引に人種と語族の移動を結び付けたがる傾向があるが
そいつらの推理が正しいならカメルーン人の大半はフランスとイギリスから移動したことになるwww

413 :
第二言語じゃなくて第一言語として普通に日常で使われてるんですが
北西州と南西州のように英語が第一言語の地域もある
ゆえに同じ人種や民族でも地域が違えば話が丸で通じない

言語学で人種移動の推理ゴッコやり手がる奴って強引に人種と語族の移動を結び付けたがる傾向があるが
そいつらの推理が正しいならカメルーン人の大半はフランスとイギリスから移動したことになるwww

414 :
第二言語じゃなくて第一言語として普通に日常で使われてるんですが
北西州と南西州のように英語が第一言語の地域もある
ゆえに同じ人種や民族でも地域が違えば話が丸で通じない

言語学で人種移動の推理ゴッコやり手がる奴って強引に人種と語族の移動を結び付けたがる傾向があるが
そいつらの推理が正しいならカメルーン人の大半はフランスとイギリスから移動したことになるwww

415 :
第二言語じゃなくて第一言語として普通に日常で使われてるんですが
北西州と南西州のように英語が第一言語の地域もある
ゆえに同じ人種や民族でも地域が違えば話が丸で通じない

言語学で人種移動の推理ゴッコやり手がる奴って強引に人種と語族の移動を結び付けたがる傾向があるが
そいつらの推理が正しいならカメルーン人の大半はフランスとイギリスから移動したことになるwww

416 :
推理ゴッコやり手がる奴


417 :
どんだけ悔しかったんだ

418 :
もう第一言語からして宗主国の言語使ってるところって民族本来の言語はもはや日本で言う古文漢文みたいな扱いになってるのかね

419 :
手がるでいい

420 :
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e2/Nigeria_Benin_Cameroon_languages.png
どこに英語やフランス語があるんだよ
ちょっと期待しちゃったじゃないかよw

421 :
https://goo.gl/bmhEA5
この記事本当なの!?

422 :
>>406
その話、「海を超えてやってきたノルマン人が、母語を捨ててケルト語を使い始めた」
という、この一点がないと話が何も始まらない。
この「言語交代」から、全てがスタートするのだから、
406説の補強にしかならないんじゃね?

言語というのは、わりと簡単に置き換わるものなんだろうと思う。
もちろん、人の移動ゼロで置き換わることはないが、
精々数%程度の人口移動でも、言語がガラッと置換されることは普通にある。

言語を離れて考えれば、イベリア半島北西部のガリシア人の気質こそが、ケルト的なのかもな。
wikipediaのガリシア語版の、もはやうるさいレベルの自己主張の強さは異常。
イベリア半島内のローカル記事をはるかに離れて、
地球の裏側の地誌や、アジアの科学文化記事などの、
それもどマイナーな記事でも、なぜかガリシア語版がでてくることが頻発する。
アイルランド語版のしおらしさとは対照的だ。
頑張っている執筆者がいるんだろうけれど、あそこまでしゃしゃり出てくると、
「こんな言語の記事、そもそも誰か読んでるのか?」と思えてしまうwww

423 :
バグパイプが象徴的だよね
ガリシアのケルト度については
あとスエヴィ族も寄与しているのかな

424 :
>>420
そのマップの載ってるおおもとの記事みると各語者の人口が載ってる
https://en.wikipedia.org/wiki/Languages_of_Cameroon
でその図自体は「Map of the region's indigenous languages」とあるから方言地図みたいなもので現在の話者の分布しめしてるわけではないと思うが

425 :
There is little literature, radio, or television programming in native Cameroonian languages.
だってさ

426 :
>>424
右の円グラフを見ると、2005年の統計だが、
18% of the population were "real" French speakers
and another 26.8% were "partial French speakers".
見積もりであって正確に採ったわけではないとはいえ
ちゃんと話せるのが18%、とても大多数とは言えないことがわかるだろう
しかもその18%がモノリンガルだとも第一言語話者だともどこにも書いてない

その左下にある公用語の識字率を見ると、12歳以上と15歳以上いずれの統計も
識字率フランス語57%、英語25%だ
仏語の識字率が話し手人口よりずっと多い事が意味するのは、カメルーンにおける仏語の普及は
読み書き中心の学校教育による所が大きいということだ

あと、方言地図はべつに現在の話者の分布を示していないわけではないよ
現地語は200を超える言語が健在だ
そりゃ将来的にはかなりの数の言語が消滅するだろうけど

427 :
>>422 ケルトじゃないけど、海南島には、タイ系の独自言語を話す「漢族」がいるみたいだな
どういう経緯でこうなったんだろう。入植した漢族が本来の言語を喪失したのか、タイ系民族が漢化する途中で新中国の民族識別作業に引っかかったのか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%99%E8%AA%9E
単純に漢化の進んだリー族の元支族ということではなさそう
漢族が言語を喪失してタイ化したとしても、ノルマン対ケルトの力の差どころじゃないもんな....
ただ、南方に移民した漢族の中でもプラナカンは漢語を捨てて独自のマレー語方言に切り替えたから、世界最大の民族とはいえ、全く他に対して最強というのでもないんだろうけど

428 :
漢族を自称するタイカダイ系って事じゃないの?

429 :
>>426
>第一言語話者だともどこにも書いてない
>>425ちゃんと読んだか?カメルーン語のラジオやテレビ放送がないってことは
日常会話レベルでも英仏語に入れ替わってるという事だ
一部の人間にしか聞き取れない放送流しても意味ないからな

統計グラフと下にある説明にあるが食い違ってるのは出典となってる文献が違うからだろ
数字が多めに出てる方はおそらく若年層のみを対象としてる
どちらも識字率の統計だろうな

430 :
>>429
いやいやw
それだけで判断するのは飛躍しすぎ
放送の言語が英語や仏語(とそれらのピジンもあるか)なのは
理解できる人がそれでも「比較的」多いから、というだけだよ
学校教育で用いられているんだから、満足に書けず(4割ぐらい)話すこともできなくても(6〜8割)
聞いてなんとなく部分的にでも意味はわかる、という人はけっこういる、ということだ
その程度で言語が入れ替わったなんてとても言えない

431 :
まぁ清朝末期の満州語程度にはオリジナル言語も残ってるんじゃねえの

432 :
一度も満州語を母語としてなさそうな漢軍八旗の末裔は、なぜか現在満族に認定してもらえてるらしいw

433 :
>>432
民族籍は自己申告制だから誰でも満族と申請できる
少数民族優遇策目当てで自己申告する人が多い

434 :
そもそもこんだけ(>>420)言語分布が複雑な国で広域の公共放送やるとしたら公用語(ここでは仏語)でやるしかないしな

435 :
>>427
海南島は漢語だけでも
瓊話(ビン語系)500万人
ダン州話(粤語系)70万人
軍話(西南官話系)10万人
邁話(粤語系・客家語混合)1万人
富馬話(ガン客語系)1千人
と種類が多く、互いにモノリンガル同士は会話が通じなかったので
「漢人同士で言葉が通じない」という状況が日常的だったのだろう
そんな中でもふだんは互いに瓊話を共通語としていたので
他の漢人が臨高語の内部の異質さに気付くということがなく、
また臨高人自身も漢文化を大々的に取り入れた時点で漢人になった気でいたのだろう

436 :
福建台湾の言語である閩語が海南島と雷州半島に飛び地として存在してるのも不思議
広東を飛び越えて海越えで広まってるところをみると
福建人は海洋民族的ななんだろうな

437 :
行き先が倭寇の勢力範囲と激似なのも面白いよな
漢人のうち最も後期倭寇と縁があるのはビン人で間違いなさそうだ

438 :
スレタイに戻って>>38>>41>>137あたりの「ケルトとイタリックの近さ」についてだが、
まずインド・ヨーロッパ語族に「イタロケルト語派」という概念がある
別スレにも貼ったが
ラテン語                   古期アイルランド語
ag-o「(後から)押す、追う、率いる」    ag-im「押す」
al-o「養う」                 al-im
bib-o(*pib-oから)「飲む」         ib-im(*pib-imから)
can-o「歌う」                can-im
cel-o「隠す」                cel-im
em-o「(手に)取る→買う」         em-im「(手に)取る、掴む」
fer-o(*bher-から)「運ぶ」         ber-o(*bher-から)
mol-o「粉にする」(語根*mel-)      mel-im
scand-o「よじ登る」             scend-im「跳ねる」
sequ-or「追跡、追随する」        sech-ur 泉井久之助『ヨーロッパの言語』p.167
「大陸のケルト語の人たちにとって当時のラテン語の習得は、今ポルトガル語の人たちが
スペイン語に乗り換える程度に容易であったにちがいない」ともこの本では言っている

439 :
ゲール語四週間と単語帳をその昔買ったけど、
ローマ字による表記と発音記号の法則性が全く分からなかった。
日本語で言うと表記が標準語で発音が津軽弁みたいな印象だったわ。

440 :
英語も真っ青
ものすごく長い綴りの単語で実際の発音は子音1つと母音1つの一音節ってこともありそう

441 :
ゲール語四週間は日本語もよくわからんからなw

442 :
インド・ヨーロッパ語族なんてあるわけねえだろ
紀元前2000年にすでにトルコに侵入してた鉄器をもったヒッタイトがヨーロッパに入って
虐殺につぐ虐殺で現地民を支配して言語をかえさせただけだ
方言はその全く違う現地民の言語の名残だ
製鉄技術を敵に伝えるはずがないから、鉄器の広がりってのはその支配層の広がりでもある
ヒッタイト語が鉄器とともに伝わったんだよ

443 :
↑デタラメ
もしヒッタイトが印欧語を広めた張本人なら
各地の印欧語の共通要素は
すべてヒッタイト語に見られなければならない
ところが印欧語共通の特徴のうち
かなりの部分がヒッタイト語には存在しない
同時にヒッタイト語には他の印欧語でとっくに失われていながら
かつて存在したと考えないと辻褄の合わない要素があっさり見つかる
よってヒッタイト語は印欧祖語から早い時期に分かれたと見るのが定説

あと、4000年前のアナトリアを「トルコ」とは呼ばない
中央アジアを指しているとしても曖昧すぎて無理、というか意味がない

444 :
まったくもってその通り!

445 :
印欧語の広がりは鉄器じゃなくて青銅器の広がりだよ

時代が違うが、
>虐殺につぐ虐殺で現地民を支配して言語をかえさせただけだ
>方言はその全く違う現地民の言語の名残だ
↑この部分は合ってる

446 :
>>442
>紀元前2000年にすでにトルコに侵入してた鉄器をもったヒッタイトがヨーロッパに入って
>虐殺につぐ虐殺で現地民を支配して言語をかえさせただけだ


むしろヒッタイトはヨーロッパ側からの侵入である「海の民」によって滅ぼされている
メルエンプタハ碑文によると「海の民」の構成員はアカイア人、リュキュア人、サルディーニャ人、エトルリア人、シチリア人

>>445
あってない
クルガン仮説自体が現在では信憑性がとぼしいものとされている

447 :
当時それらはヨーロッパ側なのか?
カルタゴに近いでしょ

448 :
ガラテア人について説明せよ

449 :
>>446
クルガン仮説じゃなくても同じでしょ

450 :
シリアの子ってアイルランド人みたいに目が青いよな

451 :
>>450
20%ぐらいかな

452 :
教会「ケルト神話?北欧神話?スラブ神話?邪教は禁止です」

教会「ギリシャ・ローマ神話?まあ、いいんじゃないの」

なぜ容認されてるんだろうね

1月 January ローマ神話で"物事の始まりと終わり"をつかさどる神ヤヌス(Janus)
2月 February 古代イタリアの清めの神Februus
3月 March ローマ神話の軍神マルス(Mars)
4月 April  ギリシア神話の女神アフロディテ(Aphrodite)
5月 May  ローマ神話の豊穣の女神マイアス(Maius)
6月 June  古代ローマの結婚や出産の女神ジュノー(Juno)
7月 July  カエサル(Julius Caesar)
8月 August 初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)
9月 September ラテン語でseptem「7番目の月」の意味(3月を初月として)
10月 October  ラテン語でocto「8番目の月」の意味(3月を初月として)
11月 November   ラテン語でnovem「9番目の月」の意味(3月を初月として)
12月 December  ラテン語でdecem「10番目の月」の意味(3月を初月として)

453 :
古代の時代すでにネタ扱いで信仰なんてされてなかったからな神話は

454 :
ギリシア・ローマ・ゲルマン・スラヴの多神教はお祭りもやっていたし
決まりごとに従ってそれぞれ神官を決めて行事を進行していたのに
なんで名無しの「多神教」としか呼ばれていないんだ?
ケルトの多神教だけはドルイド教という名前を与えられているのに

455 :
ドルイド教はケルトが再発見された時に命名されたんじゃない。

456 :
ゲルマンやスラヴの神話も再発見された
時期はズレるがどれもロマン主義だ
ギリシア・ローマの多神教の全体的な再評価はルネサンスだが、
ロマン主義はこれに倣った
国語文法と表記法の規範化、辞書の編纂、神話・民話の採集と出版、
神話からの多神教の姿の考察、行ったことはだいたい同じで、各国の民族主義イデオロギーの構築と
国民国家形成につながっている
だがドルイド教だけがそんな名を与えられている

457 :
ラトビアのロムヴァは復興運動を指す名称かあ。

458 :
>>456
ゲルマンヤスラヴの神話と違ってドルイド教は神話体系が不明だからドルイド教と呼ぶしかなかったんじゃね。

459 :
そういえば新大陸のアフリカ系宗教って、中南米からの移民が多いアメリカではブードゥーとサンテリアとかは別々に登録されてるんだろうか

460 :
>>458
民話にほとんど神話同然のものが多くあるので、神話体系自体は構築が困難ではないだろう

461 :
西欧の古代人が言語交替によりケルト語話者になったことに納得してる?

462 :
ケルトも鉄器もったやつらが侵略してきただけで元の住人を駆逐したからな
ケルトの民謡、アイリッシュなどに見られる旋法は民族由来だろうか、原住民由来だろうか

463 :
棒の先に鳥だかの首をさす行為は昔の日本人もやってたよ

あと九州の隼とケルト人はともに、うずまき つまり永遠の生命をあらわす模様も使ってたよ

464 :
>>462
メロディーや音階はたどるべくもないし、今ケルト音楽と呼ばれているものが
単に中世の流行が変形して保存されているだけという可能性は大ありだが
ただひとつ、頭にドンと大きな音符が来る特徴的なフレーズの作り方があり、
それは現存するケルト諸語のVSOの語順と関係があると思う
(もっとも重要な箇所が最初に来て重点が置かれる構造であることから)
ただし古代の大陸ケルト語はラテン語のように自由語順だったので関係なく、
語順が関係あるとしても中世以後ということになる

465 :
https://togetter.com/li/1119757
ここで大騒ぎしている「ケルトクラスタ」とやらにウンザリしている
DNAベースの研究がされたの確か10年くらい前の話じゃなかったか?

466 :
>>462
遺伝子レベルだと
その原住民も複雑

467 :
>>465
発信元になったブログがタイミングと内容から言って
文庫化した『ケルトの水脈』を読んで今更吹き上がってるだけにしか見えない

468 :
今さらバスク説かよ
古いんだっての

469 :
>>465
ざっとみたら大陸/島のケルトって区別があると初めて知ったってあってちょっと笑った
ファンタジー界隈の入門書でも大陸/島のケルトの説明くらいされてるけどなあ

470 :
問題は言語交替だろ

471 :
うんこ

472 :
ただ言語についていうと
大陸ケルト語・島嶼ケルト語という分け方と、それとは別にPケルト語とQケルト語という分け方がある
後者の分け方については>>27>>213、つまり残存する島嶼の方にPもQもある
大陸のケルト語はすべて消滅し(ブルトン語はウェールズ語などに近い島嶼のPケルト語)
碑文などで見るに概ねPケルト語だが、イベリアのケルト碑文にはQケルト語の特徴がある(全部ではない)

473 :
つまりイギリス諸島のケルト人はまずイベリア半島のケルトと同根ということなのかな
それだと辻褄が合う感じはある

474 :
>>473
イギリス諸島でも西側がイベリアのケルト語と似てるってことだね

対してブリテン島のケルト語は発音の上ではイベリア(Q)とは違うが、
大陸の他のケルト語(P)とは似ているらしい

ただし構文は「東西とも」前置詞を多用するVSO型語順の言語で、
語順が自由な大陸の碑文のケルト語とは違っている
ここで「島嶼ケルト語」というくくりが生きていくる

スコットランドにいたピクト人の言語は不明だがPケルト語だったという説が有力で
5〜10世紀にスコティア人のゲール語に塗り替えられた
もしそうならブリテン島のブリトン語がアングロサクソン語によって北、西、南西に押しやられ
それぞれ海に隔てられて孤立した結果別れたのが北のピクト語、西のウェールズ語、南西のコーンウォール語
ということになる
そうしたブリトン人の残存勢力が移住した先で残したのがブルトン語(よって島嶼・Pに分類される)

475 :
まずイベリアのQケルトが直接ブリテン諸島に伝播して基層をなし、しかる後にブリテン島のみ
英仏海峡から大陸Pケルトの影響を受けて、文法はそのままに語彙や発音が変わった?
あるいは古い時代はガリアもQケルトで、そこからブリテン諸島に伝播し、
後にガリアにやってきたPケルトがブリテン島に影響を与えた?

476 :
なるほど・・・
すると今度はQケルト語話者とイベリア人との関係がどうかになるのかな

477 :
>>475
なるべくなら記録にない、大規模な、しかし必然性のない海上移動を
想定しないほうが現実的だと思うので、
一昔前の欧州で流行った「アイルランドにバスク人が移動して基層になった説」ほかの
バスクに特定したプレ印欧語民族を広範囲な基層にしたり長距離移動させたりする説よりも、
「印欧語民族の尖兵がケルト人、その中でも先行組が途中でR1bを拾ってきた西のQケルト」という説を取りたい
R1bはバスク固有と考えるには大陸でも分布範囲が広すぎるという理由もある

なお印欧語の中のケルトとラテンの近さについては>>438でも挙げているが、イタリック語派もケルト語派同様に
*kwに対してQ系とP系の音に分かれる「揺れ」の傾向を持っていて、(他の語派もそれぞれ多彩に変化)
イタリック語派の中ではラテン語がQ、オスク語・ウンブリア語がPの傾向を示している
その事がラテン語とアイルランド語が一層近いように見える理由の一つでもある

478 :
実例を出したほうがいいと思うので
ケルト語派の「P」と「Q」、およびラテン語などイタリック語派の類似した現象
数詞「4」 印欧祖語*kwetwor
イタリック語派: ラテン語quattuor オスク語petora ウンブリア語petor
ケルト語派: アイルランド語cethir(古)/ceathair(現) ウェールズ語pedwar ガリア語petor
アイルランド語のcの発音は[k]

数詞「5」 印欧祖語*penkwe(←この中の *p と *kw 両方の変化に注意)
イタリック: ラテンquinque オスクpompe ウンブリアpumpe
ケルト: アイルランドcoic/cuig ウェールズpump ガリアpempe
*kw→*pという変化は他の語派にもよく見られるが、逆方向の変化はゲール語とラテン語ほかロマンス語くらいか
https://en.wikipedia.org/wiki/Proto-Indo-European_numerals#Reflexes_of_the_cardinal_numbers

ちなみにバスク語の基数詞: 1bat 2bi 3hiru 4lau 5bost 6sei 7zazpi

479 :
バスクのseiは相当後のスペイン語seisからの借用?
まあ最後のsがすり減る理由がないが

480 :
名詞の複数形が一律に-sになった時代以降なら、
sei-s (名詞)-s という「数の一致」が起こった、という解釈(異分析)から
数の語尾を除いた純粋な数詞として新たな語形seiが生まれた可能性はあるな

バスク語の「7」もラテン語septemと似た音形をしていて気になるが、借用なのかもしれない
飛躍するとセム語と印欧語の「6」「7」が似ているというのは昔から話題になっていて、
(エスペラントの6ses 7sepはザメンホフが印欧語ではなくヘブライ語から入れたものかもしれない)
もし関係があるのなら、そこだけが似ているのは系統関係でなく典型的な借用の例
そこで思い出すのはヨーロッパ大陸の北岸をフェニキア人が往来していたという話で、
島嶼ケルト語の共通の特徴であるVSOの語順と前置詞の多用という特徴(この2つの組み合わせ
自体はフィリピン諸語などあちこちに見られる「相性のいい」もの)は、フェニキア語との接触の
結果なのかもしれない

481 :
ギリシャは暗黒時代に多分フェニキアに植民地化されたんだろうな
暗黒時代をぬけた後なぜかフェニキア由来のギリシャ文字をつかいだした

482 :
>>480 「9」と「新しい」もなんか同源の気がしてならない

483 :
>>479
Sは特に理由もなく消える事も多いから

484 :
印欧祖語で「9」は*h₁n&eacute;wn̥、「新しい」は*n&eacute;wyosだから違う

485 :
sやtsが消えるのは歯がない人が多かったんかなって思ってしまう

486 :
>>481
子音だけのフェニキア文字の読み方を一部変更して完全な母音文字も持つ文字体系を編み出し
それで母語による文章も大量に産み出したのは当時の世界でギリシア人だけだった
それまでにかかった400年は驚異的に短い
単音字母というとそれまではセム語のアブジャドしかなかったので、単独の母音を文字化することに
成功したのはギリシア人が最初だろう(ギリシア文字が地中海地域に波及してイタリック文字など
非セム語系文字を派生する一方、次にインド人がアラム文字からブラーフミー文字というアブギダを作る)
ペルシア語は最初に文字に接してから、人々が日常的に手紙をペルシア文字(新)で書くようになるまで
ざっと1200年かかっている
言えフェニキア文字に接した時点でギリシア人はそれが何なのか、どう工夫すればいいのかが
なんとなくわかっていたのではないか
その背景には線文字Aから線文字Bを生み出し使用した過去の知識があったのではないかと思う

487 :
母音の多い印欧語はアブジャドじゃ無理だろうし
編み出したというより必然的に生じたんじゃね

488 :
フェニキア人の行動半径を考えると
接触したどの異民族も同じ時期に同じことができなかったことは注目していいだろう
カナのような音節文字なら世界中で「自然に」生まれているが、
単音字母の原理はほかに「自然に」「必然的に」は生まれず、みな伝播の産物だ
コロンブスの卵、よりもっといい例えを準備したほうが伝わりやすそうだ
もっともギリシア人は母語を微細な方言差まで書き残したが
日常の用を足すにはちょっと具体的すぎはしなかったかとも思う
大きな国家によって統合される前の文明だからこその多様性で、
後のヨーロッパ文明の言語による際限ない分化を予言するような現象だった

幾度も大帝国を築いたペルシア人は読み書きというとアラム語と決めつけて
母語で満足に読み書きできる力を備えた楔形ペルシア文字も聖典のために作ったアヴェスター文字も使おうとせず
マケドニア東征で接触したギリシア文字も交易などで接したであろうインド系文字も使わず
ひたすらアラム語で読み書きしたりアラム語をペルシア語読みして送り仮名をつける訓読法を使い
アラブに滅ぼされるまでの1000年間それを続けたが、世界的にはそのほうが自然だったのかもしれない

489 :
かなも自然には生まれてないでしょ
中国語をいじった感じで不自然

490 :
かなは単音字母じゃないだろ?
チェロキー文字なんかアルファベットや数字を元にしながら
できたのはカナみたいな音節文字だぞ

491 :
日本語も隣国がアルファベットなら普通にそうなってるだろ

492 :
ギリシア人がアルファベットを「発明」するまで
「母音」「子音」両方の単音文字を持つ文字体系は存在しなかった

493 :
その母音はシンプルでなかったのではないか?
アラブ語などは母音が4〜5くらいしかないからアブジャドでどうにかなった
母音文字が5つあったとしたら20くらいあったんじゃないだろうか

494 :
アラビア語は3母音だ
ヘブライ語も5母音だが構造上は3母音からの派生だ
しかしセム語はそもそも子音だけを並べたほうが語根のもつ意味を表記しやすい
言い換えるならアラビア語やヘブライ語やフェニキア語は慣れると母音文字なんてない方が便利なのだ
他の語族の言語でそんな真似はできない
セム語のアブジャドを借りても必ず最低でも不完全な母音文字を(従来の補助記号以外に)
新たに持つことになる(ペルシア語、イディッシュ語、古代ウイグル文〜蒙古文語)

インドの諸言語もギリシア語も母音文字は最低でも5つあればあとは長短の記号で足りる
また子音中心の語根からの派生は存在したが、語彙全体に占める割合も低く
単語内部での母音への依存度も高かったのでセム語のような子音のみ表記だけで済ます芸当は不可能

アブジャドからの完全に母音を備えた単音字母への発展は決して容易に越えられるハードルではない
それが他の対フェニキア語接触地域に先駆けて紀元前8世紀のギリシアでだけ行われたことが驚異だ
なぜ過小評価したがるのかさっぱりわからない

495 :
>>70
ギリシャ人植民市マルセイユ経由で伝来したピタゴラス教の影響で、輪廻の教義を取り入れたらしい

496 :
>>494 カフカス諸語でもその方式で行けそう

497 :
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

498 :
6万円の小遣いばらまくかわりに公のセーフティネットなくして病気して休職したら即死できる制度とか勘弁

499 :
二年前だけどこんなんあったんだな
http://www.pnas.org/content/113/2/368.full
おおよそ民族移動の時期もわかったし
あとはケルト語のPとQがいつ分かれたのかと、PとQのイタリック語派との共通性がわかれば……

500 :
>>499
紀元前3000数百年の青銅器時代のベルファスト付近の農婦のくだりをちょっと読んだ
その時期の遺伝子がバスクとは遠くてむしろ近東からヨーロッパ大陸を経由した変遷を経ていると

やっぱりフェニキア語との接触によって、それまでの印欧語らしい自由語順から
VSOの語順に変化したんじゃないかと思う

ケルトは何回か移動の「波」があって、最古の第一波がイベリアとアイルランドにずっと残ってるQケルト、
千年単位で遅れてきた第二波がガリア人やベルガエ人、ブリタニア人や後のウェールズ人になっていったPケルト
ではないかというのがこのスレでも何度か書いてる仮説

501 :
>>499
サンクス!
1回で理解するのは厳しいわ

5000年前は初期農耕民系
4000〜3500年前はヤムナ系で乳糖耐性あり青目
やはり4500〜4000年前の血統入れ替わりが興味深いね

502 :
ナショジオ http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/
ヤムナ文化人とコーデッドウェア文化人の祖先はほぼ完全に同一

ネイチャー http://www.nature.com/news/ancient-genome-study-finds-bronze-age-beaker-culture-invaded-britain-1.21996
おおよそ4000年前のビーカーの到来とともに英国の遺伝子が入れ替わるという研究
これから推測するに、中央ヨーロッパと血縁のつながりが薄いイベリアからではなくオランダからブリテン島に移住があったんだろうな

503 :
カエサルの時代にはまだドーヴァー海峡経由で大陸のケルト人が移住していたようだからな
その時代の移住者はおそらくPケルト語を話していただろう

504 :
鶴岡真弓女史の新刊『ケルト 再生の思想』ちくま新書、はなかなか面白かった。
暦を中心としてケルトの世界と文化が通歴史的に論じられていて、楽しく読めた。

505 :
>>34
>「ミチコ、その釣り上った目から見た世界」

wwwwwwwwwww

506 :
>>111
青森県域まで大和政権の領域に入ったのは鎌倉時代

507 :
ケルト人の起源を詳説したものないかね・・・

508 :
なんというかひどすぎて笑うしかない、某ブログ

509 :
タイミング的にケルトの水脈が文庫化したのを読んでいっちょ噛みしてみたいなイメージだよね

510 :
ケルトの水脈については、>>333のとこに妥当性があるのか未だに謎

511 :
ドルイドについて一部の史料の記述だけでずいぶんと恣意的に決めつけてた印象
あと紀元前三千年期の人の移住に否定的な内容だったけどアップデートが必要だな

512 :
>>511
最近の遺伝子研究では
西ヨーロッパの人口のかなりの部分が入れ替わったようだね

513 :
このアイルランド音楽、詳細ご存知の方いらっしゃいませんか?
https://www.youtube.com/watch?v=0ssHxZABrpE

https://www.youtube.com/watch?v=5-6UK004NX0

514 :
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

TY4BX

515 :
ケルト人は、黄色人種。

516 :
4500年〜4000年前頃にR1bが大挙西ヨーロッパに移住して
それまでの狩猟採集民ならびに初期農耕民の子孫たちに取って代わったようだ
ケルト人と言われる人々もそのなかの一部であることは疑いない

517 :
アイルランドに関する最も古い記録は、紀元前6世紀初頭に書かれたギリシャの文献である。
もっとも、それにはアイルランドという名称が出てくるわけではなく、「インスーラ・サクラ」、
つまり「聖なる島」と書いてあり、その島の住民は「エレンの種族」とある。
したがってその頃から、ブリタニアの西にもう一つ島があることがわかっており、その島を
ラテン語でヒベルニア、ギリシャ語ではエリウと呼んでいたようである。
これがのちにゲール語ではアイレとなった。

518 :
決して孤立はしていなかっただろう

519 :
ウェールズの聖地セント・デイヴィッズは、聖デイヴィッドが厳しい修道生活を
送った地と伝えられ、聖人の名が地名となっている。
聖デイヴィッドは、5世紀に活躍したとされる伝説的な聖人であり、ウェールズの
守護聖人である。

520 :
守護聖人とかまだ信仰されてるのかな
昔は守護聖人の墓とか偶像に祈ってたみたいだけど

521 :
>>520
プロテスタントは聖人崇敬を否定しているから、現代のウェールズでは
もうないんじゃね?

522 :
ドルイドというと、長いあごひげを生やした老年の男性が、白い聖衣を身にまとい、
手にはヤドリギの枝か書物をもっている、という図像を思い浮かべる人が多いが、
このドルイド像は近代の産物であり、古代におけるドルイドの実像は未知のままである。

523 :
書物はもってねーだろ
文字に残さず口伝で伝えることを誇りにしてたんだから

524 :
あしべゆうほの漫画『クリスタル・ドラゴン』で、登場人物が
「ドルイドは皆ラテン語やギリシア語を習います」
といっているのを読んで、ほんとかよ〜と思った
外国語も口伝で覚えたのか?

525 :
外国語は別だろう
教義を口伝なんだから

526 :
ケルトの水脈って本を読んだガリア人はケルト人の一部って書いてあるんだが本当かいな。
ケルト人=ガリア人って習ったぞ。

527 :
>>526
もともとガリア人はガリア(のちのフランスあたり)の住人のことだからケルト人の一部で間違いない。
例えばブリタニア(ブリテン島)の住人であるブリトン人は島のケルト人と呼ばれるけどガリア人とは言わない。

528 :
とはいえアナトリアにいたのもガラテア人だし、Gal-というのは自称で共通してた部分?
ゲール語のゲールも同じ語源?

529 :
「地理上の概念としての「ガリア」の起源は、紀元前4世紀にさかのぼる。イタリア半島北部に押し寄せて
定住した部族集団を、ローマ人は「ガリア人」(Galli ガッリー)と呼び、ガリア人の居住するイタリア半島北部が
「ガリア」(Gallia ガッリア)と呼ばれるようになったのが始まりである。」

>>527の時点では忘れてたけど、元々のガリアはイタリア半島北部だった。どこからかやってきた連中をローマ人は
ガリア人と呼びガリア人の住んでる土地をガリアと呼んだ。ゲルマン人が、ガリア人から見たライン川の向こうの
連中を指す言葉なのと同様にガリア人も自称じゃないんじゃないかなぁ。違うかなぁ!?

530 :
一見するとガリアと似て見えるGaulは別の語源で、
ゲルマン祖語のwalhaz(よそ者)に由来する言葉だ
ラテン語に入ってからルーマニアのワラキアの語源になり、
ゲルマン祖語からフランク語を通じて古仏語のGaulになったり、
アングロサクソン語を経由してWalesの語源になったりもした

531 :
>>530
いつもながらサンクス!

532 :
>>524
識字層ではないけどマルチバイリンガルって近代以前では珍しくないと思うけどな
ガリア人はポカイア人と広く交易してたのだから当然ギリシャ語を知っていた人も多かったでしょう

533 :
リンドウ・マンの頭部(復元図)
https://daisukilon.exblog.jp/23158163/

1984年8月、イングランドのマンチェスターの南15qにあるリンドウ・モスの泥炭湿地で
若い男性の遺体が見つかった。放射性炭素年代測定法で年代を測定した結果、遺骸は
紀元後1世紀のケルト人と判明した。この遺体は、発見場所の地名をとって「リンドウ・
マン」とよばれる。現在は大英博物館で展示されている。
リンドウ・マンは、ドルイドの指揮のもと、祭儀の場で生贄にされた犠牲者であった
可能性が非常に高い。

534 :
>>530書いた後思い出した
ウェールズの自称はCymru(カムリ)で意味は「同胞」「仲間」
Walesはアングロサクソンから見たウェールズ人が「よそ者」だったということで
世界中のウェールズの呼称がこの英語に由来する
ただエスペラントだけはウェールズをKimrio(キムリーオ)またはKimrujo(キムルーヨ)と呼ぶ
(Kimroが「ウェールズ人」、民族名に由来する国名は-ioと-ujoで割れることがある)

535 :
漫画の中だと、アイルランドのドルイドが戦の前に部族の男たちに向かって、
「死を恐れるな、死こそマーグメルド(歓びの野)への道、死こそまことの生への道、
マーグメルドには勇者のみが迎えられる」
といって煽り立てる場面が出てくる。

死を恐れないなんて、欧米人から見た特攻隊やイスラム過激派みたいだな。

536 :
ゲルマンだって勇敢に戦ってRばワルキューレが迎えに来てヴァルハラに連れてくんだから同じなんだけどな。

537 :
>>536
くわしく

538 :
>>537
ゲルマン人のうち北欧あたりに広がった人々をノース人と呼ぶ。彼らの神話が北欧神話である。
北欧神話では戦場で死んだ勇者の魂はワルキューレ(英 バルキリー)によって主神オーディンの
居城であるヴァルハラに運ばれる。いずれ訪れるラグナレク(神々の黄昏)の時にオーディンとともに
戦うために日々訓練に明け暮れているという。ちなみに夜は宴会。
キリスト教会が異端として抹消したので資料としてちゃんと残ってるのは北欧神話だけだけどワグナーの
「ニーベルングの指輪」の元ネタになった「ニーゲルンゲンの歌」というドイツ語で書かれた中世の叙事詩に
既にキリスト教化されつつもキリスト教以前の古い神々の記述があって、例えば主人公ジークフリートの
物語は北欧神話のシグルトの物語を素材としている。つまり北欧神話は北欧だけじゃなくて広く
ゲルマン人に共通の神話だったであろうということ。ワグナーもそういう解釈で作品作ってるし。

ちなみにバイキングとして侵入してきたノース人に対しフランス王は侵略された土地の支配を認める代わりに
自分の臣下になることを要求した。フランスに定住したノース人はノルマン人と呼ばれその土地はノルマンディーと
なった。

539 :
ドイツはドイツ語世界の中のさまざまな「英雄」を祀る神殿を持っていて
それをヴァルハラ神殿と呼んでいるよね
ノーベル賞みたいな功労者を称えるシステムだ(けど、靖国神社みたいだってボソッと言ったら怒られそう)

540 :
ヴァルハラ神殿は知らなかったよ。ナポレオンによって神聖ローマ帝国が解体され第四次対仏大同盟も
敗れ、ドイツ民族がフランスの敵と味方に引き裂かれた時代にドイツ民族の歴史を称揚しようとしたわけだ。

541 :
当時の旨いものが猪肉ってのはわかるのでそこは草
トールの逸話で骨髄をすすってて、美味しいもの扱いだったのもおもろい

542 :
>>538
すごいグノーシスな気がするが
やっぱドイツにもそれ系の影響があったのだろうか
だったら本質は全く別の宗教だったりして

543 :
>>542
え、どの辺がグノーシスっぽいの?もっとプリミティブな原始社会によくある感じの話だと思うけど。

544 :
善悪論、死後の世界とハルマゲドンっぽい印象

545 :
>>544
それはグノーシスの特徴ではない。創造主が善ではないというのがグノーシスの特徴。
例えばそれらの要素はキリスト教にもある。キリスト教の初期にはグノーシス主義のキリスト教徒も
居たわけだが善なる神が創造主であるという主張が主流となり、グノーシスの信奉者は異端として
排除された。グノーシスは善なる絶対神が創造したにしてはあまりに不完全で不条理な世界に絶望して、
創造主は善なる神ではないと考える。悪によって創造された、もしくは悪意によって歪められたと。

546 :
ローマ法王は仏教もグノーシスとか言ってるぞ
グノーシスは当時、キリスト教以前の禁欲宗教の流れを言うだけだよ
エレウシスの密儀、ピタゴラス教団、オルフェウス教、セラピス教、ミトラス信仰
そしてユダヤ教エッセネ派
「悪の創造主」なんてのも絶対ではない

547 :
>>546
そこを認めなかったらキリスト教こそグノーシスと区別できないでしょ。

548 :
ローマのでっかいホールに巣食う宗教屋さんのセールストークとしての他宗教への罵声であるグノーシス主義規定と、現実に基づいた学問的なグノーシス主義規定を混同しちゃいけないでしょう。

549 :
ケルト人といえば、獰猛で荒っぽい戦士と考える人が多いかもしれないが、
たいていのケルト人は農民で、孤立した農場や小さな村落に暮らしていた。

550 :
農耕より牧畜や狩猟を好み、穀物より肉類を主としていたんじゃないの
大陸のケルト人は

551 :
鉄器時代のケルト社会は原始的な農耕と牧畜社会を営んでいた。
古代ローマの歴史家・地理学者ストラボンは、ケルト人が領地の大部分の土地で
大量の穀物のほか、雑穀やナッツ類を栽培し、あらゆる種類の家畜を飼っていたことを
報告している。

552 :
濃厚より狩猟を好むのはゲルマン人だったかもしれん。ゲルマニアに書いてあったような。

553 :
ケルトの戦士ときいて連想するのは二輪戦車(チャリオット)だな

西アジア起源の戦車がどのようにしてケルト人に伝わったのかはわからんが

554 :
クルガン文化の時点でチャリオットは印欧語族諸民族に共有されていただろう

555 :
でも草原地帯と比べてスピード感はなさそう

556 :
アイルランド人はケルト系といわれるけれど、ヴァイキングの血も
混じっているんだよな

ダブリン、ウォーターフォード、ヨール、ウェクスフォード、セント・マリンズ、
コーク、シャノンなどにはヴァイキングの入植地がつくられていた

557 :
>>123
聖エイダンがアイルランド出身。

558 :
そもそもパトリックはアイルランド出じゃねえしw

559 :
聖パトリックはブリタニアの生まれ

560 :
ローマで聖人認定の機関ができるまでならいくらでも地元で聖人作れるからな
聖コルンバとか聖フルサとか……いくらでもいそうだな

561 :
アイルランドはキリスト教化されてからも、
妖精だの取り替えっ子だのという迷信が強く残っていたらしい

562 :
いやそもそもブリタニア出身でウェールズ人とも言われている聖パトリックは
アイルランドでドルイド勢力を抑えてそれに替わる宗教勢力を築いたとは言え
そこで作られた教会の教義がドルイドと無縁だったわけもなく
もしそれが幾つもの公会議の決定を経た、まぎれもないカトリックの教えだったのなら
教皇ハドリアヌス4世がヘンリー2世にアイルランド教化を目的とした攻撃を許可するわけもないのだ
パトリックは、ドルイドに替わる新しいエスニシティをアイルランドに与えたことになる
いわばカトリックの教義がアイルランドに食われたのだ

563 :
アイルランドのキリスト教がヨーロッパ大陸のそれと違い、きわめて異色と
いわれるのは、キリスト教会が布教にあたり、土着のドルイド教と対決することを
避け、ケルト神話も否定せずにこれを認めてきたこと

564 :
ちょっと違う
パトリックが布教を行ったのは当時キリスト教化が不十分だった北部・西部地域。
彼はアイルランドの教化に先鞭をつけた人物とは言えない

565 :
ローマ帝国の辺境だったガリアでは、修道士ペラギウスの説いた神学が
広まっていたが、これは原罪説を否定し、自由意志を強調したものであったため
異端とされ、4世紀後半から5世紀にかけて、ローマ教会は新たに正統派の宣教師団を
各地に派遣して教化に努めていた
したがってアイルランド全土がカトリックに改宗するまでには、かなりの時間が
かかったと考えるのが妥当である

566 :
パトリックはシャムロックの葉の比喩で三位一体を説明し、浸透させた
アイルランドを象徴するような葉をキリスト教と結びつけたことに大きな意味がある
これはキリスト教の土着化なのだ
「アイルランドのキリスト教」という独自の記号が、シャムロックとパトリックなのだ
なぜそこを無視するかなあ

567 :
>>566
それが伝説に過ぎないからだよ
パトリックの生涯については、奴隷として誘拐されたとかアイルランドを再訪して教化に努めたとかいう大筋を除くと史実として確定的に語れる事は殆ど分かっておらず、
細部については彼の死後200年ほど経ってから書かれた史料とは見做し難い聖人伝に拠っている

568 :
>>567
アングロサクソン系の反ケルト言論の典型だね
クロムウェルのアイルランド大虐殺はみんな戦闘員だからノーカン、とかそのたぐいの

569 :
典型だというならその根拠を示してくれ
できないだろうがな

570 :
英語版Wikipediaより
Legend credits Patrick with teaching the Irish about the doctrine of the Holy Trinity by showing people the shamrock, a three-leafed plant, using it to illustrate the Christian teaching of three persons in one God.
This story first appears in writing in 1726, though it may be older.

パトリックは三位一体をアイルランド人に説くために三枚の葉を持つシャムロックを用いた、とする伝説がある。
この伝説について記す現存最古の文献は1726年に書かれたものだが、より古い伝承に基づいている可能性はある。

571 :
18世紀とは自分が思っていた以上に新しかったなあ
7-8世紀の聖人伝が出所だと思っていたがw

572 :
18世紀というのはロマン主義の時代で、文人が神話や伝説、民話を掘り起こして
民族にとっての「物語」を創作した時代だ
時代背景にそれだけの需要があったということ
リアリズムの立場でそれを冷笑するのは何も見ていない

573 :
妄想ベースで冷笑してることにされると迷惑だ

574 :
反論できなくなったら反ケルトだーって
反日反日言っとるやつらと変わらんな

575 :
そういえばアイオナで編纂された年代記はコルンバ存命中から書かれはじめたのではないかと聞いたけど
あれに書いてる我がドルイドはキリストってやつもそれくらい古くさかのぼれるんだろうか

576 :
西ローマ帝国滅亡後、ブリテン諸島においては、現在のウェールズから時計回りに
キリスト教が伝来・普及していく
ローマ帝国の属州であったイングランドは、異教徒の侵入によって「脱キリスト教化」
したと考えられている
キリスト教は、ウェールズなどブリテン島南西部にとどまり、そこからアイルランドに
伝来し、アイルランド全土に普及した
600年頃までにアイルランド各地に教会や修道院が創建されていったのである

577 :
ウェールズにはなぜスコットランドのような独立運動がないんだろう
独立してもやっていけないからか?

578 :
なぜ東北は日本独立運動をしないんだろ
なぜ隼人は日本独立運動をしないんだろ

579 :
>>578
スコットランドには独自の神話や文化があり、
また、文字文化が発達していました。

そのため、民族主義によって、住民投票によって、数年来の独立の可能性が非常に高いでしょう。

東北の人たちに独自の文化があるとは考えられませんが、
沖縄には独自の文化があり、独立国だった時代もある。
明らかに日本と違います。
今後の可能性はあるかもしれません。

580 :
>>577
第一に、人口比でウェールズ人の割合が少ないからではないでしょうか。
スコットランドの場合は、スコットランド人の割合が多く、領域国家としての条件を満たしています。

581 :
>>534
カムリねぇ
キンブリ族(ゲルマン系)やキンメリア人も同語源なんだろうか

582 :
聖書のゴメルも同族かな
印欧語族の中に含まれてるけど

583 :2018/06/25
>>577
無いわけじゃないぞ
支持率が低いだけだ
https://en.wikipedia.org/wiki/Welsh_independence

ノーベル賞を受賞した日本人は近畿出身が多い
西日本人は渡来系弥生人の特徴を100%示す
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