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1 :2008/06/22 〜 最終レス :2015/12/29
指揮官なのか
特攻隊長なのか
まとめ役なのかよくわからん。
呂布とか張飛みたいな暴走野朗は特攻隊長なんだろうけど、
それ以外の武将は諸葛亮みたいな軍師の言う通り動く部隊の先導役みたいな感じだし。
でも、それだと誰でもいいわけだしねえ。
別に名無しの奴でも構わないよな。
マジで武将の役割がよく分からん。
誰か教えてくれよ。

2 :
指揮能力に優れた人材を起用するんでは?

3 :
>>1
修学旅行の班長でもやってみろ
人をまとめて移動させるってのがどんだけ大変だかわかるから
その粗暴な兵集団、部隊を思う通りに移動、戦闘させることが
できる人物を武将と言うのだよ

4 :
>それ以外の武将
お前のいう「武将」ってなんだよ?

5 :
>>4
曹仁とか劉封とかだよ。


6 :
ゲームに毒された子は武将、軍師、文官という単語でしか区分できなくなる

7 :
自分的に一番しっくるくるのが、戦うまとめ役みたいな感じ

8 :
>>3
>人をまとめて移動させるってのがどんだけ大変だかわかるから
それってただ「こっちに行こう」って言えば誰でもできる事だと思うが。
そもそも、あの時代はそれに反抗する奴なんてのは軍規違反で処罰されたわけだし。

9 :
>>8
いや、大変だから、みんな好き勝手いって、まとまらないから!
あと現代の団体行動を訓練され、厳罰も厳しい軍隊ですら
士官が体を張って突撃しないと兵はついてこない。

10 :
>>8
たとえば数万人を指揮する将軍なら、
ドームを満席にするだけの人数を動かすんだぞ。

11 :
そりゃ、ガキの遠足だ

12 :
>>11
兵士は機械じゃなくて人間で、
しかも当時の兵士は訓練された職業軍人じゃなくて徴発された農民。
命が惜しくなったら簡単に離散するような兵士だ。
それをうまいこと指揮して手足のように用いるのは難しい。

13 :
光栄的には元々コマンド入力できる頭数=武将だろう
後に文官・武官などに細分化されて行くが、これがゲーム脳の誤解を生んでる
戦国武将(髄蝟シ)みたいな言い方は昭和の歴史小説の造語だし、将と言っても賊の頭やら村の偉いさんみたいな奴から地域の行政任されてる奴まで色々だから、「武将」というカテゴリは本来ない
曹仁だったら前線の軍政を任された、まさに将たる存在だし、劉封なら主君の名代として重要局面の押さえをしていただろう
関係ないが劉封と劉禅はふたり合わせて封禅(封=天への儀礼、禅=地への儀礼)となり天子にまつわる名として対応しているようだな

14 :
(,_´v`) 封禅ってそういう意味だったのか初めて知った

15 :
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20061220/p2
武将という言い方を否定されたのが悔しくてしょうがないようです

16 :
2年前の話題じゃねーか

17 :
>>16
そうやって昔のことにして武将という呼び方を排斥してればいいさ

18 :
>>1
虎を素手で撲殺できる人の事

19 :
それは武松

20 :
武将髯

21 :
ゆけい黄髭!

22 :
三国志なら基本的に↓みたいな感じ。
都督(将軍を統率する司令官)
将軍(軍勢を支配下に置く、いわゆる武将)
部将(将軍の下で各自の部隊を指揮)
軍師(軍政を取り仕切るが指揮権を持たない。勝敗占いや天気予報なども仕事)
ややっこしいけど戦国時代なら↓かな。
大名(一国の主で、その領地の多くを直轄領とする)
城主(一城の主/豪族で、大名とは従属的同盟関係・いわゆる武将)
寄親(有力な城主で寄子を束ねる)
寄子(力の弱い城主で寄親の指揮下に組み込まれる)
直参(大名直属の家臣で代官として領地を管理)
陪臣(城主の家臣で代官として領地を管理)
軍師(勝敗占いや天気予報などが仕事)

23 :
でも三国志で言えば諸葛亮みたいな文官肌のヤツが部隊の指揮とる事もあるし
曹操みたいななんでも一人でやろうとするヤツもいるからな
よくわからん

24 :
>>1=>>23なんだろうけど、実在の将を掴まえて名無し(ハァ?)でもいい〜とか言ってる時点でゲームが前提、と言うか現実と創作物ごっちゃみたいだから、相当根本から説明しないと無理っぽいぞ
あれだけ言われていまだに文官だの君主だの、そう言う職業があるみたいに考えてるし
いっそ曹操や諸葛亮はイベントがらみのゲームマスターキャラで補正かかってる、とか説明した方が納得するんじゃねえの?

25 :
>>23
文官肌って、初任官が中郎将で次が将軍の武闘派だぞ、諸葛亮は

26 :
>>24
いや、とりあえずおれは>>1ではないし、文官だとか君主だとかの職業があるとは思ってないし、
文官肌といったのはリクルートされたのが行政能力を買われてだからそういったのであって、役職的には軍事にも権限があったこととか最低限の知識はあるぞ、俺は。
曹操も形式上は漢の臣だしな。

27 :
>>26
諸葛亮のことなら、「リクルートされたのが行政能力を買われて」だなんてどこにも書いてないぞ
諸葛亮は若い時から自分を楽毅のような名将になぞらえているし、劉備に語ったいわゆる天下三分策にしても軍事戦略だ
諸葛亮は最初から軍事の専門家だし、劉備が中郎将にしたのもそういった面を評価したからだろう
もちろん行政面も優れていたが、それはむしろオマケ

28 :
諸葛亮本性は政治家よ

29 :
>>23>>26で句読点を付けたり付けなかったりする所が自演チックだな

30 :
孔明は実際の能力と自身への評価が乖離してたな
北伐が失敗に終った所以かもしれない

31 :
>>30
いや、そんな乖離してないよ
関羽、劉備の敗戦のダメージが深刻だったことと、
軍事以外まで全部背負わなければいけなかったことのほうが問題だよ

32 :
>>27
諸葛亮は劉備に最初にした進言が、徴兵に関する進言だった。
具体的には「戸籍に載ってない人間がいるからそいつらを戸籍に載っけてから兵を募れば効率よく、かつ不平不満が出ずに軍を増強できますよ」というもの
つまり劉備にとっては行政の能力を期待して取り立てたと考えた方が自然。
そもそも劉備は根拠地を得てから政治のできる人材を主に募っていて、徐庶が推挙したのも政治のできる人材としてだ。
軍人としては積極的に使っていく意志はあまり無かったと思われる。その理由は戦争の経験が無いから。
その証拠に劉備は蜀に入るまで趙雲や張飛のようなベテランと一緒に使って、単独で指揮をとらせるようなことはしていない。
将来的にはともかく、実戦の経験が無い段階から軍事能力に期待していたって言うのは考えにくいよ。
曹操で言うジュンイクみたいな働きを期待してたんじゃないかな。もっともジュンイクは単独で指揮を取った経験はあるけど、彼も政治家よりの人間だからね。
>>29
自演も何も>>23>>26は俺だよ。俺と>>1は同一人物でない、と言ったんだけど。
因縁つけるならもっと上手くつければ?

33 :
>>32
未経験の奴に軍まかせたらどうなるか体現してくれてるのが諸葛亮だもんなw

34 :
>>32
ジュンイクも優秀なプランナーだしな
孔明も政治家よりと考えた方がしっくりくる

35 :
>>32
確かに最初から兵を率いる能力があったかどうかは判断しにくい
だが、>徐庶が推挙したのも政治のできる人材として
こんなことはどこにも書いてないはずだぞ
むしろ、最初こそ単独で指揮させていないが、鳴り物入りの大物ルーキー的な扱いとしてベテランにくっつけて大舞台の経験を積ませたということだろう
韓信だって最初は官僚だったし、最初から天下取りの方策や兵の増強策を唱えた諸葛亮には軍事的な能力が期待されてたと思うぞ
>>33
最初に兵を率いたのは蜀攻め
ちゃんと道中を平定しつつ劉備に合流した
次に南中攻め
ちゃんと平定した

36 :
本当に軍事面で期待してたら最初から孔明を蜀攻めに連れて行ったろうに

37 :
>>36
ルーキー君が本格的に侵略平定するための後詰の副将なんだから、かなりの期待度だと思うんだが
張飛、趙雲と同格ということなんだぜ?

38 :
ホウトウはルーキーじゃなかったとでも言うのか?
張飛や趙雲が本命で孔明の顔を立ててやったとも考えられるだろうに

39 :
>>36
関張趙は黄忠より期待されていなかったから
蜀取りにつれていかなかったんですかね?
へんですよね?
諸葛亮は劉備の最大の危機を救った奇策を提出し
功績面で家臣団の理解を得た
ホウ統は功績が無く、内通者がいる蜀取りという場面で
起用して功績をたてさせる為につれていった。
その証拠に、蜀取りは新参ばかりをつれていっている

40 :
>>35
俺は諸葛亮が馬ショクに指揮取らせた事を言ってんだよ
そもそも劉備だって黄巾から戦い続けているベテランだ
諸葛亮にも馬ショクを使う事についての危険を示唆している。
劉備がキャリアの重要性を理解していた事は明白
だから諸葛亮にハナから軍事能力を期待していたという見解は不自然だ

41 :
>>40
劉備が最初期待した軍事能力とは、将来自分の国をしょって立つであろう能力のことであって、一番最初から完璧な能力を期待したわけではない
超大物ルーキーであってFAの即戦力ではない
だから、最初からいきなり総大将とかにしたりはしないで、ベテランと同行とか後方任務とかの下積みをさせているが、これは期待していないのではなくて大いに期待している証拠だろう
キャリアの重要性を認識する劉備だから、期待する諸葛亮にキャリアを積ませているんじゃないか
馬謖の件は、使うなとアドバイスすること自体が諸葛亮を総大将になる器と認めている証でもあるし、その諸葛亮の軍事的実力を劉備が見抜いてキャリアを積ませたからこそのことだよ

42 :
>>40
あれだけで馬稷を連想しろってのが無茶だ
まぁ諸葛亮の初任官中郎将は対呉外交のための箔付けって面もあると思うけど

43 :
>>42
赤壁前の一番大事な対呉外交の時には無位無官だから、それは説得力が無い

44 :
>>35
>徐庶が推挙したのも政治のできる人材として
これに関してだが、そもそも劉備は政治のできる人材を募っている
流れ者やってた頃ならそんな人材は必要なかったのかもしれない
だけどどこかに根付いて覇権を狙おうと考えればどうしても内政をしたり政略をプランニングできるいわゆる文官が必要になってくる
そしてスカウトされたのが諸葛亮
つまり劉備は有能な文官を得る事が必要で、そういう人材が欲しかった。なのに徐庶がこのタイミングでわざわざ軍人を推挙するのは不自然なんだよ。
軍人ならそれこそ関羽だったり張飛だったりそこそこそろってる。政治の出来る人間が欲しいのにわざわざ軍人をリクルートするのはおかしいのさ。
諸葛亮は政治的な能力を期待されて雇われたと考えた方が自然。
大体天下取りの方策や兵の増強策を唱えたことは軍人向けの仕事じゃないじゃないか

45 :
>>40
劉備も何度も人材起用ミスをおかしているのでなんとも言えないね
晩年の関羽とかもそれに当たるよね
>>44
政治は軍事の一種の外交活動
軍事で一番の問題は、ほぼ烏合の衆である集団をまとめる事にある。
劉備のカリスマ性で持たしていた、かりそめの和を
諸葛亮はあらたなカリスマとして、率いて軍事力を率いた
もうね、あの劉備を失ってから攻めれるだけの
体制を立て直したで凄いの
魏もびびってたのは劉備死後攻めて来た事
普通自壊するからね
劉備は諸葛亮に自分の継を期待している
軍事も含めてね
あと補給なめんな。
普通は軍事No2がつとめる位置
曹操に荀?、孫策に周瑜、劉備に諸葛亮、諸葛亮に李厳
ほらね

46 :
>>45
お前さ〜俺がいつ諸葛亮が軍事できないなんていったよ?他のヤシと勘違いしてない?
大体劉備が死んだ事の後のこといったら実質的なトップは諸葛亮じゃないか。文官だとか武官だとかそういう次元じゃない。総合的な統括者なんだから。
ただ劉備が諸葛亮に期待してたのは主に政治の能力だって言ってんの。軍事じゃなくて。
そして現に諸葛亮が兵を率いて戦う事より国政の方に秀でて活躍していたのは事実だ。
漢中で戦ってた時だって現場にいたのは法正で諸葛亮は蜀にいただろ?
大体補給の話俺がいつしたよ?
曹操にジュンイクなら孫権に張紹だろ?周喩はNo2だが戦略を立てられる人間だが内政じゃなくて軍事よりの人間じゃないの?
大体戦争ってモンが政治の一環だしよ。戦争を絡めた政治をプランニングする能力は単純に兵を率いる能力とまた違うじゃないか。
何をヒートしてるか知らないけどさあ、少し冷静になれば?カリカリしてたら早死にすんぞ。

47 :
>>45
あと一つ言うけど劉備の起用ミスってあの場面で関羽以外だれいんの?
一番の古株で信頼の厚い人間差し置いて一方面の指揮を他のヤツに任せるわけにはいかないだろ?

48 :
>>44
>これに関してだが、そもそも劉備は政治のできる人材を募っている
流れ者やってた頃ならそんな人材は必要なかったのかもしれない
だけどどこかに根付いて覇権を狙おうと考えればどうしても内政をしたり政略をプランニングできるいわゆる文官が必要になってくる
そしてスカウトされたのが諸葛亮
だから、そんなことは少なくとも蜀書先主伝や諸葛亮伝には無い
軍事的な能力にどこまで期待したかも書いていないのは同じだが、スカウトされる前の諸葛亮は自分を軍事的に大功を挙げた人物になぞらえていたし、
諸葛亮に最初につけた官が中郎将、次が将軍だという事実が劉備の心を物語ってる
あえて言うなら、軍事にも政治にも長じた万能の大将として期待したわけだから、単なる槍働きの武将としては期待したわけではないのは確かだが、軍事の能力を重要視したスカウトだったのは確か
あと徐庶の経歴から見ると、徐庶は軍事寄りの人間だよ
徐庶の推薦ならなおさら軍事面を評価した推薦ということにならないかな

49 :
>>46
いや、だからバックアップは軍人No2が勤める事が多い
劉備が遠征に出てならNo2はバックアップに回るのは当然
漢中遠征に法正をつれていった事で軍事資質の有無を問うのはナンセンス
後方支援なめんな
例えば、諸葛亮のかわりに法正が劉備の次に入ったしたとしても
法正は軍事活動を行う事もできない。
劉備が諸葛亮に期待したのは劉備の次である。
軍事も含めてね。

50 :
>>48
実際に政治のできる人間を揃えるのが急務だったのは確かでしょ?
状況から考えてもそれが一番必要なんだし、劉備の陣宮は勢力を運営するのに絶対必要な行政能力を持った人間が欠けているのだから。
蜀書先主伝や諸葛亮伝みたいな書物には雇われた事実だけでそういう戦略的なことはそりゃあ書かれないだろうさ。
そこは考察するしかないよ。
諸葛亮を迎えれば荊州の名士のパイプもゲットできるって意図もあったんじゃないかな?
史書には残らなくてもそういう一族だったり人脈だったりからすい上げられてる人間も沢山いたはずだよ。
劉備存命中の事を言うなら、完全に政治家よりだろう。
軍事よりも内政だったり本拠地の留守を預かって行政を引き受けたりすることのが多かった。
単独で軍事行動をさせるようなことはしてないし、蜀を取ってからは成都を任せて後方の支援や補給を任せている。補給については君も言ってたね。
これだけで、劉備は諸葛亮の内政の能力に期待していたといえないかね?まあ他に出来る人間がいないってのもあっただろうけど。少なくとも前線で作戦や指揮をさせるようなタイプではなかった。
諸葛亮が行政のプランについて進言して迎えられた事を考えても、劉備は行政的な能力を期待して彼を買ったんだろう。
諸葛亮が自分を軍事的に大功を挙げた人物になぞらえていたというのはたまたまというか、自分を売り込むための単なるキャッチコピーだろう。昨日も言ったけど軍隊を指揮したことの無い時点での自己評価で軍事能力もへったくれもない。
それに史書の記述というのなら陳寿の「臨機応変な実戦指揮は彼の得意とするところじゃなかった」って評がすべてという事になってしまうよ。
よくこれは正史の立場上、相手をこきをろした、といわれるが、諸葛亮伝を見ればわかると思うけど全体的にはかなりの高評価。それこそ敵の親玉とは思えないくらいにね。
あと徐庶の経歴に関してだけど、経歴といえるほどの経歴ある?
劉備の所にいたのはわずかの間だし、曹操の所に行ってからはたいした仕事はしなかった。

51 :
>>49
バックアップを勤めるのはむしろ政治部門でのNo2だよ
曹操で言うならジュンイクだし、孫権で言うなら張紹や張コウだろう。
軍事のNo2の周喩は自分で前線で指揮を取ってるだろ?曹操でいえば自身か夏侯淵、張遼など。
お前こそ補給なめんな、てか政治家なめんな。
軍を指揮できる人間と同じくらい後方で支援したり留守を預かって政治する人間は大事なんだよ。国の屋台骨だからね。

52 :
ジュンイクも曹操の下で最初に付いたのは司馬だし、張昭も将軍位をもらい実際に兵を率いてもいる
政治部門のNo.2と軍事部門のNo.2というのは、実はほとんどの場合同じ人物を指している
50、51氏は「軍」と「政治」を明確に分られると思ってない?この時代についてはナンセンスでしょ、それ
その割りに、諸葛亮が就いた官が一貫して軍事部門(丞相は軍事含む全体のトップ)だったことは無視してるみたいだけど
>>50
徐庶についてちゃんと調べた?演義の知識だけで語ってない?
若い頃は任侠、剣術を好む無頼の徒
年取ってから学問に励み、曹操の下に行ってから先は魏で郡太守、典農校尉、右中郎将、御史中丞を務めている。
太守は郡兵を率いる立場だし、全てではないもののむしろ軍務畑に近い人物だったようにしか思えないよね

53 :
>>52
兵を率いた事がある、というのは俺も前述したよ?
そもそも当時の中国の官位制自体が大体政治と軍事両方に権限があたえられるものが多い。出世すると特に。
だけど実際にした仕事は兵を率いた事よりも行政の方が多い。諸葛亮も例外じゃないってことさ。少なくとも劉備が生きてる間はね。
だから政治家「より」の人材だといっている。
>>52
そういう官職に就いたからといって実際に仕事したとは限らんでしょ?
徐庶については実際に何をしたかの記述がよくわからないからあまり諸葛亮の適正を判断する上でのモノサシにはならない気がする。
確かに官職や剣が達者だったらしいという記述からすれば軍人っぽい「イメージ」だけどね。
すまん、もう寝るからまた今度相手して。

54 :
>>53
将軍位は劉備が何に期待したか、の表れだと思うよ
つまり諸葛亮の場合は軍事と参謀(軍師ってのもそもそも軍事だ)
「実際にした仕事」こそどこまで指標にできるだろうか
軍事のトップである劉備、もう一方面の大将である関羽がいる以上、軍事面での後継者候補である諸葛亮がそこに出てくる機会はなかなか無い
その頃の業績を見て、軍事に直接関わってないから期待されてなかった、ってのはちと違うんじゃない?
だいたい、
軍師中郎将となって徴税し軍費調達に出た
蜀攻めの後続部隊を張飛、趙雲とともに率いた
軍師将軍となり左将軍府の事務を取り仕切った
劉備が即位すると丞相、仮節となった
このあたりの事跡はいずれも諸葛亮が軍事的に極めて重要な地位を昇進し続けていることの証だと思うんだけどな
仮節って言う時点で、劉備健在時から諸葛亮は丞相として兵を率いることが約束されていたってことだし
軍事に大して期待していないなら、任官は荊州の治中従事であるとか、もっと行政向けで重要な地位もあったはずなんだよ

55 :
>>51
周瑜が前線指揮権を得るのは孫策以降
諸葛亮も劉備以降は前線指揮をしているじゃないか

56 :
>>55
逆に考えろよ。劉備以降の南征までは単独で軍隊を動かした経験が無いんだぜ?
俺は指揮に「自信を持ってやった」というよりは「やらざるをえなかった」とおもう
なんでかっていうと、端的に言えば信頼できる人材がいなかったんだと思う。語弊のある言い方かもしれんが。
趙雲、魏延というような経験豊富な軍人がいたにもかかわらずバショクに軍の統括を任せたように、彼にとって軍勢を動かすべき人材というのがいなかったんじゃあるまいか。
大体、大軍を統括できる一流の軍人だとするなら劉備が死ぬまで戦争はおろか戦闘の経験にも乏しいというのがそもそもおかしいんだ。
漢中攻めにしたって諸葛亮にそこまで期待していたのなら自分から出張らないで諸葛亮に軍を任せればよかった。実際に諸葛亮を戦争で使おうと思えば使えるタイミングはあった。
現に曹操だって赤壁や漢中でこそ自分で出張ったが形成が固まってきてからは基本的に夏侯淵や張遼、曹仁など各方面の担当者に軍を任せている。
諸葛亮が不慣れな状況にもかかわらず自ら軍を率いたのは、任せられる人間がいないから仕方なく、というのが実情だったように思う。
それが蜀がワンマン政権になった原因でもあるだろう。国政だけでなく慣れない軍の指揮や実戦の担当から作戦の指導まで引き受けたのだから、過労死するのも無理は無い。
もし現場を信頼して任せられるような人材がいれば、五度の北伐も自分から出張る必要は無かっただろう。やはり人材難で仕方なく、というのが実際の所だったんじゃないか。
やっぱり最高権力者まで出世して経験が少ないという時点で軍事は専門外みたいなトコあったんじゃないか?それでもそつなくこなしたんだから大したモンだがな。


57 :
>>54
あとさ、横レスで悪いんだけど
>>軍師中郎将となって徴税し軍費調達に出た
>>軍師将軍となり左将軍府の事務を取り仕切った
コレってかなり文官的な仕事だろ。
お前らは官職を無視してるって俺らにいうけど、そっちこそ肩書きだけに囚われて実際にやった仕事内容考えてないんじゃないか?
>>53が言及しているが、中国の官位だと政治と軍事両方権限をあたえられる事がある。
魏の夏侯惇は旗上げ当時から転戦していて二十六軍を任されたり大将軍についてるバリバリの武官だが、コイツも中原の復興作業を担当したり内政での功があるんだぜ?
軍事をメインに期待されて権限も与えられてたのに軍事的なことはあまり任されなかった、というのはどう考えても不自然だろう?
丞相を任されたという時点でもうお前が国を引っ張ってけよ、という事だろうが軍事の期待度よりは、やはり政治的な能力に期待していたんじゃないか?
あくまで文官が本質で、軍事は畑違いみたいなイメージは持っていたと思う。そこまで軍事的な能力を信頼していたのなら、もっと前線に出すはずだ、と思うけど。



58 :
兵を率いて軍を指揮することだけを「軍事」と呼んで、軍費調達とか全軍の軍務の差配とか大土木工事とかは「文官的」「内政」と呼ぶのでは話が噛み合う訳が無いな
これらは兵士を直接率いて戦場で軍を操ることと同一線上にある「軍事」だと思うよ、当時の感覚で言えば
そういう事務仕事や後方任務での経験を積んでこそ、将たちを巧みに操る総大将になれるというもの
章カンとか韓信みたいな名将はそういった出自だ
夏侯惇がやった復興のための土木工事なんかも、敵兵こそいないが兵士を大量に動員する一大軍事行動だよ
十分な軍事的能力と絶大な信頼があって初めて任される仕事だよ
あと、俺は前から言ってるが、劉備がより信頼する将(劉備本人と関羽)がいるうちから前線に出す必然性は無い
関羽が死に、劉備が皇帝になると諸葛亮が丞相、仮節という総大将の地位に繰り上がるのは偶然じゃなく、関羽の軍事的な穴を埋めるのが諸葛亮だという認識の下での人事ということだ
前線には出ていなかった司馬イが総大将になっているのと同じで、前線で使わなかったことが能力が無いことや期待されていないこととは限らない

59 :
>>55
いや、だから劉備のかわりに軍をまとめる事を期待されているわけで
諸葛亮だから劉備死後に遠征ができるほどの救心を得た
軍をまとめる事ができないと、戦争とかできないからね
これが凄いことなんですよ
ゲームと違って
>>57
文官的って軍をもう少し知ってください
戦争は兵の移動です。
これができないと戦争にもならないのです。
だから軍関係者の高位のものが役職に着くのです。
後方支援ってのは、凄く重要で、軍機能の根幹に関わる部署なんです

60 :
劉備がいる時点で諸葛亮は丞相、仮節、司隷校尉になっている
相次いで失われた蜀の軍事的中核である関羽と張飛の後釜に座ったと見ていいと思う
劉備が死んだからじゃなく、劉備が生きているうちから、諸葛亮は総大将のポジションに就いている
これは早い段階で約束された人事なんだと思うけどね、俺は

61 :
なんか孔明厨が暴れてるな
そもそも孔明マンセーの陳寿ですら「戦は上手くない」と言っていたのと実際に戦争であげた成果が芳しくなかった事を考えれば孔明が軍事を得意としていなかったのは明らかじゃないの?
確かに広義の意味での軍事とは軍を使う事全般を指すけど、孔明政治家派の二人は主に外征や戦争の指揮の事を言ってるし、スレ最初からみたらこのではなしてる軍事ってそういう意味じゃね?
後方支援は軍を使って輸送するから軍事とか、役職が軍事に権力があるから軍事に長じているってのはただの詭弁だろ。そもそもこれだって孔明がじきじきに指揮を取ったわけじゃなくて、部下に命令を出してやらせたんだろ?すべてとは言わないけど。
確かに夏侯淵や周喩だって補給だったり後方支援はしてるけど、これはこの二人が実戦に強かったから言えることであって実戦の経験も成果も少ない孔明に当てはまる事じゃないべ。
孔明は丞相だけど後漢の曹操がそうなようにこの立場って全体に権限を及ぼす事が出来るんだろ?ようは国のトップだ。
だったら国の政治に長けている奴がなったって全然不自然じゃないじゃん?何でそこまでしてわざわざ軍事に繋げようとしているのかわからない。
馬ショクの起用にしたって孔明の経験不足と軍事センスの欠如じゃないの?そういうとこは無視して自分達の理論だけで軍事の達人だ天才だって騒ぐのはいかがなもんかねェ。まあ孔明アンチ方も似たようなもんだが。
まあゲーム脳だなんだって気に入らなければケンカ腰に転ずる奴に行ってもムダかもしれんがね。孔明は万能超人なんでしょ。お前らにとって。
俺個人としては、内政、国政に非凡な才能を発揮した天才宰相諸葛孔明に軍事の才能まで求めんのがムリな話じゃねーかなと思うがね。

62 :
>>61
まあ軍事や政治って明確に分けられん所があるからな。というか軍事が政治の一環だが。
ただ夏侯惇の土木もそうだが、軍を使った政策でもそれが内政をうるおすものならそれは内政だろ。
諸葛亮の「軍事」行動の多くが内政に影響を及ぼすものだったならどう考えても文官じゃね?兵の指揮を取るのは軍人だが、その命令を出すのは文官だろ。で、諸葛亮は間違いなく後者よりだ。もちろん全部じゃないだろうけど。
まあ夏侯惇の場合は自分で現場に出てたけど。だから軍事と言っても差し支えないだろうが、諸葛亮はちょっと違う。
普通に考えて現場で動く軍人タイプじゃないよ。それでも軍事の専門家とか万能の大将とかいうならただの演義脳だろ。ゲーム脳ならぬ。

63 :
58−60
そもそも軍関係者とか軍事的役職ってさ…当時の社会体制なんて軍国主義真っ只中じゃねーか。
下々の官僚ならともかく、首脳陣が軍と関係ない役職に付くなんて左遷でもない限りありえねーよ?なんも諸葛亮だけ特別扱いじゃない。
例えば福田さんが自衛隊派遣させてサミットの警備に当たらせるだろ?この場合軍事の仕事をしてるのは自衛隊の指揮官であって、内閣の人間じゃない。
で、諸葛亮って福田さんや石破みたいな役どころやん。「軍を動かした」けど「率いた」わけじゃないもの。
それなのに軍事行動だの軍事的能力だのいうのはかなり強引な話じゃない?
実際に軍を「率いる」ようになるのは南伐以降だろ。後方支援やその他細かい軍事行動まで国のブレーンが全部自分でやってたなんてことはありえねーしな。
福田さんや石破みたいにそういう命令を出す人間はここで言われてる文官、政治家的な人間だと思うのだけれど。

64 :
>>61
別に俺は諸葛亮が万能の天才かどうかは興味はないけどな
俺が主張してるのは
・諸葛亮本人は若い頃から宰相と将軍(総大将)両方に自信を持っていた
・劉備が諸葛亮をわざわざ中郎将や将軍にしたのは軍事で使うという意思表示
・諸葛亮は蜀攻めで実戦経験を積んでいる(趙雲を指揮下に置いている)し、ちゃんと結果も出した
・その他の軍務を含め、劉備軍の中核として働いている。州の従事などのより行政色の強い官もあるのに、一貫して将軍である
・劉備が皇帝に即位すると丞相・仮節になっている。劉備の下で仮節以上を持ったのは他に関羽、張飛くらいだ
諸葛亮は「他に人がいなくて仕方なく門外漢の総大将になったん」じゃなく、劉備の時点で関羽らの次席となり将来は一方面の大将となることが約束されていた、とみるべきだということ
実際に諸葛亮の軍事の才能が自分の言うとおり、周囲の期待どおりだったかは別の話だ

65 :
>>63
>気に入らなければケンカ腰に転ずる奴に行ってもムダかもしれんがね

66 :
>>64
同意。がんばれ
>>61
というよりこれまで諸葛亮を名将のように語ってる人いなくね?
ただし自分は、諸葛亮は一流の将軍だと思ってるけどな
陳寿の言も感慨に近いし、諸葛亮の時代に
諸葛亮以上の軍事的功績をあげた人はいないんじゃないかな?
魏呉を含め。

67 :
>>65
はい?例えばどこら辺?
>>64
横レスなんだが、諸葛亮にはやはり軍事とか局所的なものじゃなくて、国を引っ張っていくような中心人物になって欲しかったんだと思う。
で、そのためには強力な権力があるポストにつけなきゃならんやん。そうやっていくと必然的に権限の強い将軍職に就いたってことじゃないのかな?
さっきもいったけど、将来的に国を左右する立場にしたいのに行政色の強く軍事の権限が弱いところには置くよりは、軍に近いようなポストになってくる、ってことじゃ?
国を任せるなら強力な統帥権が必要と言う事。だから特別軍人として見込んでたってわけじゃないと思う。
だから最初から諸葛亮が軍人として期待されていた、ってのは考えにくいと思うよ。前述されてるけど最初に進言したのは行政に関しての意見だし。
だから立場の上ではそうじゃないとしても、適正として諸葛亮が自分で軍をどうこうするってのはやっぱり「他に人がいなくて仕方なく」って意味合いが強いんじゃない?

68 :
>>66
>>諸葛亮は最初から軍事の専門家だし、劉備が中郎将にしたのもそういった面を評価したからだろう
もちろん行政面も優れていたが、それはむしろオマケ
>>むしろ、最初こそ単独で指揮させていないが、鳴り物入りの大物ルーキー的な扱いとしてベテランにくっつけて大舞台の経験を積ませたということだろう
>>軍事的実力を劉備が見抜いて
>>軍事の能力を重要視したスカウトだったのは確か
あんまりこうやって抜き出すのは荒さがしみたいでいやだが、かなり軍事面、それも初期はかなり統帥に関してもプッシュしてる人がいるよ。

69 :
>>67
>国を引っ張っていくような中心人物になって欲しかった
そうだね。でもあの時代、どこにも敵がいたから軍事を統括するのは「局所的なもの」ではないよ
国家の最重要課題だ
つまり、国を左右する立場になると軍に近づいてしまうのではなく、軍をちゃんと率いたりできる者でないと国を左右する立場になれないんだよ
あと前にもそんなレスがあってそんときから気になってたんだけど、
>最初に進言したのは行政に関しての意見
って何のこと?いわゆる天下三分の策なら軍事戦略だし、異説では兵の増強策を唱えている
少なくとも「行政に関しての意見」には思えなんだ

70 :
司馬懿って軍事的天才だったんだな、と思わずにはいられない

71 :
なぁ、諸葛亮否定の人の意見って
「私の感想」以外のソースがないんだけど?

72 :
>>69
兵の増強策の提唱は行政にカテゴリされんじゃないの?それについての進言だから。
>>71
んー別に俺らはアンチ諸葛亮ってワケじゃないと思うんだけどね。ざっと見皆諸葛亮の政治的手腕は認めてるわけで、無能と言ってるわけじゃないし。
それにそれいったら諸葛亮軍人説の人たちだって同じだ。諸葛亮が歴任したポストから考慮して推測してるわけだから。
諸葛亮政治家説は実際の功績や仕事から推察してるわけだから。
ただ俺としては「ブッシュは政治家か軍人か」って言ってるようなもんだと思うけど。
大統領には強力な統帥権が認められてるが、実際に軍隊を率いるのは軍関係者の人たちだろ。
諸葛亮も内部で指示を出す側の人間で、さんざ言われてる後方での軍務などは指示を出していただけであって実際に諸葛亮が軍を統括したわけじゃないだろ。だからこれをもって軍人だって主張するのは的がズレてると思うよ。
それよりも事務処理だったり国の運営のほうがはるかに経験が多いし手腕も発揮しているわけだから、政治家ってかいわゆる文官肌の人間なんじゃねーかと思うけど。

73 :
>>72
俺は当時の蜀をなぞらえるなら北朝鮮かナチスドイツだと思う
将軍さまや総統閣下は軍人か否か、ということ
「軍隊を率いる」が結局どういうものを想定しているか、によって印象が変わってくるよな、結局
俺は蜀攻めで趙雲を率いて道中を制圧しつつ劉備と合流したのはまぎれもなく「軍隊を率いた」「軍を統括した」事例だと思うんだが、そうは思わない人は諸葛亮は南中攻めまで後方にいただけに見えるんだろう

74 :
>>72
前線指揮官として最後まで前線で戦って死んだのに
軍人と認めないとかひどくね?

75 :
>>74
軍人として認めないと言ってるわけじゃないんだよ。劉備が死んでからは自分で軍隊を率いてるわけだし。
ただ劉備存命中は行政や事務処理が主で、そこらへんから考えると軍事の専門家じゃなくてあくまで政治向きの人材だったんじゃねーかと。
>>73
そういう事例はあるけど、そういう少ない事例だけ数えて専門家といえるのか?ってことだよ。
それに単独で率いたのは南中攻めからで、蜀攻めの時は経験もなかったこともあって趙雲らベテランと一緒に使った、ってことじゃないのかな。まあそこら辺は上の方で言及されてるけど。

76 :
>>74
それは飛躍しすぎだ、五回も大規模な戦の指揮を直々に取った人間を軍人じゃないとは言ってない。
というか多分他の人だってそんな事は言ってねえよ。
ただ諸葛亮は始めから軍人として期待されて雇われた軍事のエキスパートだった、と言う意見が出たからそれは違うだろといってるんだ。
雇われた時の状況や、その後任された仕事なんかから考えて軍人と言うより政治家肌の人間だろと。
劉備が根拠地を得てから雇われた知識人の一人で、その後も国の運営を任されてたんだから本分は文官だろう、と言っているんだよ。

77 :
本人が管仲や楽毅のような出将入相を心掛けていたのは事実。
劉備がどんなつもりで採用したかは分からないでFA。

78 :
そもそも、豪族黄氏を嫁の実家に持ち、あの戦乱の時代に長らく仕官せずとも悠々自適な生活を送れた諸葛亮
彼が仕官した時、本当に身一つだったんだろうか
黄氏の私有地を守る隷民を私兵(部曲)として引き連れて劉備に合流したんじゃないだろうか

79 :
>>77
でも実際に働いた事の無い時につけた自己評価参考になるか?「こうありたい」って希望みたいなもんじゃん?
>>78
実際に三顧の礼のまえに劉備は徐庶に「連れて来い」って言ったけど「連れて来られるような小人物ではない、自分でむかえるべき」って言われたってエピソードがあるんだってね。
そう考えると徐庶は名士ってものを高く売り込みたくて、劉備もそのパイプや影響力を得る事を重要視していた、とも考えられるよね。

80 :
>>79
しかし劉備は面会していわゆる隆中対を聞いた上で評価してるからな
「なるほど言うだけのことはある」と思ったからこその「水魚の交わり」なんだろう
自分で迎えに行くべき、というのは・・・
諸葛亮は私兵をかかえる豪族(の婿)で、劉表にはあまり肩入れしていない中立派だったのではないか
婁圭あたりと同じようなスタンスだな
兵を率いて群雄に帰順するとよく中郎将や将軍を与えられている
劉備の例で言うと霍峻とかがいる
諸葛亮も同じだったのではないのか?

81 :
>>80
まあもちろん二人とも互いの人物を見込んでってのは間違いないだろうけど

結構諸葛亮と劉備って衝突してるし、あんまり「水魚の交わり」のイメージだけで語っちゃうと見落としがちな所はあるよね

82 :
>>76
政治家肌の人間だとは思うが軍の人でもあるじゃん
軍においての参謀的役割を期待されてるじゃん
槍働きは各国より優秀なのひっぱってきてるし。
>>78
黄家がでかい豪族なら、宰相にしたんだから
親族がどっかに採用されてるよ。記述もないし。
本当に裸一貫だと思われる。
>>79
希望通りに若年で参謀にしてもらって、奇策を練って
希望通りに高位の軍職につけてもらって
希望通りに宰相になって一国を背に背負って戦争したじゃん
まさに管仲じゃん
つか、よく、諸葛亮は豪族の出で劉表の親戚だからとか
名士層のパイプとか言われるけど、あいつ、若いし門地も貧弱
さらに友達いませんからね。
無理じゃね?

83 :
>>82
南陽の黄氏ならいたよ
黄忠
本当に裸一貫ならあんな悠々自適な生活を送れた理由の方が分からなくなる
それに諸葛亮が宰相になったころには襄陽は曹操の支配下
黄氏が黄忠のように独自に活動していた者以外蜀で栄達していなくてもそんな不思議じゃないよ
門地が貧弱も無いわ
親世代も同世代も群雄に取立てられているし、諸葛亮本人も劉キがアドバイスを求めている

84 :
>>83
なぁ、それって諸葛亮と黄忠が親戚だって言いたいの?
悠々自適って晴耕雨読の事?
つか、生活が苦しくない=門閥(豪族)
さすがに無茶じゃね?
諸葛亮が知恵者だからアドバイスもらったとは考えないの?
一応三顧の礼であの劉備に迎え入れられた知恵者と評判な
若造なんだし

85 :
>>84
あの時代と、場所を考えてみよう
戦乱と飢餓と殺戮で中原は酷い状態になった
荊州は被害が少なく流民や名士の避難が相次いだという
しかし、銀行も紙幣もないあの時代、財産を持って避難できた者なんてそうはいないぞ
土地はもちろん地元の人間のものだし
あと南陽は袁術や張繍の本拠になったり、必ずしも平和で穏やかなばかりとはいえない土地柄
そんな時代のそんな場所で、父を失った避難名士でありながら高等教育を受け、士大夫として恥ずかしくない生活を官にも就かずにエンジョイしている
「晴耕雨読」というのどかそうな語感の裏には、私兵が隆中を守り、諸葛亮は農作業の方針の指示と監督を行って日々の農作業は大量の隷民が行う、という荘園生活があったと見たほうがしっくりいく
別に諸葛亮が知恵者で劉備に能力を見込まれた、というのを否定してるんじゃないぞ
諸葛亮は霍峻や魏延のような豪族の私兵を引き連れて劉備の元に入ったが、同時に劉備に能力を見込まれて抜擢された、ということだぞ
別に矛盾はしていない

86 :
>>85
いや、それ、君の想像でしかソースが無いという事だな
霍峻のような記述も無い、
宰相になっても何一つ豪族関係から抜てき記述も無い
正史において、長い文章量を誇るにも関わらず記載が無い
諸葛瑾にも無い
だいいち、父を失った避難名士でありながら荘園を経営という矛盾
黄家と縁を持つまで高等教育はどうしたかという矛盾
普通に亡命貴族とした親戚を頼った細々とした暮らしじゃね?
少なくとも荘園を抱えて私兵を率いれるような豪族じゃないな。

87 :
>>86
記述が無い、はこの場合、肯定材料にはならんが否定材料にもならないでしょ
あと霍峻のような記述=仕官して最初に就いたのが中郎将という共通点がある、と言ってるんだ
2段目については、諸葛亮伝によれば諸葛氏は劉表を頼ってるから、少なくとも黄氏との結婚までは劉表のお世話になったということだね
あと俺の書き方が悪かったかもしれないが、荘園はあくまでも黄氏のものだと言ってる
全然矛盾はないよ
少年時代は劉表の世話になって教育を受け、結婚後は豪族黄氏の荘園があるから仕官せずとも困らない
劉備が若い頃、父を失い本人は苦しい暮らしだったようだが、親戚はおそらく豪族で羽振りが良かった
諸葛亮にとっては黄氏がその親戚に当たる存在だったんだろう
いやらしい言い方をするなら、黄氏を結婚相手に選んだ理由の一つは荘園を持つような豪族だったからだと思う

88 :
>>87
なぜ霍峻のような記述があるかと言えば
それが特筆されるような特別な行動であった事
そのような行為があったのに記述が無いのはおかしい
というよりも門地が薄い事が抜てきの一役を買っていると
考えた方がしっくりくるんじゃねの?
門地も背景も薄い、若者に、才能を見込んで劉備は頭を下げて抜擢した。
この三顧の礼のニュースは全土を駆け巡り、その後の劉備の
人材登用に少なからず影響を与えた事だろう
劉表の一族も知る有名な大豪族だから登用というより
「隗より始めよ」効果を期待しての登用の方がしっくりくるんじゃね?

89 :
この方が劉備がひっしこいて
旧臣に水魚の交わりとか言って
関係を説得して回るひつようも無い
よぽど才能にほだされたんだろうかな
のような抜擢

90 :
>>88
そんなことでいちいち全土を駆け巡るような事は無いだろうな。いいすぎ。
当時劉備がそんなに身分高いわけじゃないから。勿論諸葛亮自身は心を打たれるような事があったかも知れないが、周りは逐一気にしねえんじゃねえか。
まあちょっと周りの評判はよくなるだろうけど、そこまで絶大な効果は無い。第一当時は口伝だからそんなミクロな活動だったら知らん奴も結構いたと思うぞ。
あと正史は物凄く記述が簡略だから、豪族だった、という記述が省かれてたとしても不思議は無いと思うよ。
当時正史三国志みたいな私的な歴史書が沢山あったらしいが、ほとんどが現存してないみたいだしな。三国志も元々は陳寿の私書編纂だし。書いた後正史に認められた。
むしろそんなビップ待遇なのに素寒貧だった、ってほうが不自然かもな。何らかの背景があったという考察はなかなか面白い。
だって普通に考えたら、素性はよくわからんけど地元で有名っていう若者引っ張ってきて最大限の接待をして官房長官にするようなもんだぜ?諸葛亮の場合能力あったからいいけど、普通こんなことしたらただのバカだ。

91 :
当時の将や官僚が豪族だった、なんてのは例えて言えば現代のエリート官僚を「大卒だった」というようなもので、ほとんどの場合当然なのでわざわざ書かれない

92 :
私学で学んで官僚になった、ってケースもあるけどな
どっちにしろ諸葛亮は無官だからこのケースにあてはまらんか

93 :
劉表の世話になってたり豪族黄氏がバックについてたりしてても、まだ若い無位無官の人物を特別待遇で扱ったらそれだけで「隗より始めよ」的な効果もあると思うけどな
むしろ、劉表とも関係があり、豪族の婿殿となっている(自称)天才児が劉備についた、という宣伝効果こそ当時の劉備にしてみればオイシイはずだ

94 :
>>90
まず「隗より始めよ」がどんな寓話なのか調べてもらえませんか?
>>91-92
自分は諸葛亮が豪族(貴族・エリート層)ではないとは発言してません。
没落亡命貴族のようなものでとても、親戚筋の援助でやっとこ暮らしているような存在だと思っています。
とても、私兵を率いて、劉備に士官するような存在ではないと申し上げているだけです。
というか、そんな記述もなければ、黄家が巨大豪族であるという記述も無いです。
私兵を率いて士官するような特殊な場合はほぼ記載されます。
それ自体が大きな功績だからです。功績の賞与である官位の記述があるのに
その具体的な功績が記述されていないという事はまずありません。
>>93
その後の劉表遺臣団が安定している呉よりも劉備についたりと
まぁ劉備は自分をプロデュースするのが大変上手い人です。

95 :
>>94
諸葛亮は他の人の援助で暮らしていたのはその通り
援助していた人は、
1叔父の諸葛玄(豫章太守)
2荊州牧劉表
3襄陽の「名士」黄承彦
諸葛亮の生い立ちについて、多少憶測も混じるが考察してみよう
劉表を頼ってから、自ら農作業に従事していたらしいことが諸葛亮伝に書かれている
その一方、注(魏略)では石トウ、徐庶、孟建らと遊学したと書かれている
劉表からは、おそらくは多少の田地と学問をするだけの金は援助されたのだろう
その後、正確な時期は不明だが襄陽の黄承彦の娘と結婚した
この黄承彦は襄陽記(襄陽耆旧記)によると蔡ボウとは義理の兄弟(承彦の妻が蔡氏)
蔡ボウについては大豪族であったことは襄陽耆旧記に明記されている
諸葛亮が当時の荊州の大物と縁続きであったことは間違いない
生活環境は推測するしかないが、黄氏が大豪族というほどでないとしても、少なくとも諸葛亮が十分食っていける程度には援助したであろうことは容易に想像できる
生活が苦しいならむしろ早く仕官して禄を得るのが普通であるが、諸葛亮は旧恩がある上に縁続きの劉表に仕官していないのだ
経済的には全面的に黄氏がバックアップしたのであろう
諸葛亮が軍師中郎将となるのは赤壁後
つまり、劉ソウが降伏し劉備たちが南へ逃げて以降のことだ
そのとき、黄氏とその一族や隷民はどうなっただろうかといえば、自慢の婿が劉備の部下であるから劉備と一緒に逃げたであろう
しかし土地を失ったわけで、隷民は耕す土地もない
そこで、軍事も得意と自称する婿諸葛亮に私兵として預け、劉備は私兵の長となった諸葛亮に中郎将の地位を与えた
黄氏が巨大豪族とまでは言ってないし思わない
とはいえ、それなりに裕福で多少の隷民くらいは持っていたであろう
最初言っていたのと違い、私兵を持ったのは士官と同時ではなかったという結論となったが、大筋では変わらないな

96 :
>>95
なぁ、奇策と賞賛される呉との同盟の官位とは考えないの?
ここが一番諸葛亮が輝いてた時期だよ
というか、土着大豪族が一族をつれて逃げる場合は
(特に官位が飛躍するような功績を得る私兵であれば)
本当に特筆するような事件だから麋竺のように記述があるよ
普通は戦争してても関係のあった土着豪族を迫害する事は無いよ
というか、その前に私兵を率いた記述がないよ
全部君の想像がソースだよ

97 :
>>96
>なぁ、奇策と賞賛される呉との同盟の官位とは考えないの?
というか、この時の中郎将が実際に兵を率いない恩賞だけのものだったという記述がないよ
全部君の想像がソースだよ
私兵かどうかは確かに分からない
しかし、諸葛亮は最初に与えられた官が中郎将
これは私兵を有した将にしばしば与えられる官
そしてまた諸葛亮は税の取立てを監督するために実際に郡に派遣され、趙雲を部下にして蜀平定に出ている
趙雲伝によると諸葛亮は途中で趙雲を別働隊として分遣しているので、それ以降は趙雲と別れているのだ
これらの時に私兵かどうかはともかく自分が直接率いる兵を持っていたのは間違いない
で、諸葛亮が持っていた兵がどこから来たのかを考えた時、真っ先に思い浮かぶのが豪族だったであろう嫁の実家黄氏
そりゃ想像なんだけど、そこを「想像がソースだ」と否定されると考察とかできんよ
で自分は想像で「呉との同盟の官位」って言うってどんなダブルスタンダードだ

98 :
このスレの諸葛亮厨は諸葛亮が完璧超人じゃないと納得できんのです
自分の意見に反論されるとすぐにキレるんです
アンタの想像は妄想で考察じゃないとかワケわからん事言い出すんです
だから普通に会話しようとしても無駄なのです

99 :
そもそも全部記述に乗っ取って説明できるんだったら歴史の勉強なんて出来ないよね
教科書なぞってるのと同じ

100 :
>>97
なぁ
「私兵を率いて登用されたから高位を得た」の主張が
いつのまにか「中郎将が実際に兵を率いないわけがない」
という主張に入れ替わってるけど何事?
>>98-99
なぁ、何も記述が無い
「私兵を率いて登用されたから高位を得た」という主張と
「没落亡命貴族なので私兵を率いて登用されることはない」は
どちらが妄想っぽい?
完璧超人なら、何も無いところから私兵を率いる事くらいできるだろうけど


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