TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴
深見東州を一言で言うと
★釈尊の教えは心理分析です
【初心者】キリスト教@談話室734【歓迎♪】
クリスチャントゥデイ:キリスト教ニュース
こんな麻原彰晃は嫌だ 第118サティアン
【仏教】悟りを開いた人のスレ403【天空寺】
☆★『幸福の科学』統合スレッドpart901★★
☆★幸福の科学 ゴールデンエイジ part004★★
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?47

仏教の教えや輪廻転生に詳しいやつ教えてくれ


1 :2018/11/26 〜 最終レス :2019/05/04
現世が前世の業を消化して人間の苦しみを耐えて生きなければならないって所は納得できる。
けど、普通に生きてていきなり一生分のこの世の苦しみや恐怖を与えられて殺されて行く人間はどうやっても納得がいかない。
仏の教えではこう言う人にはなんて納得させるのさ?

2 :
【13細目に】ワールドメイトは、どこから検討しても、カルト教団ではありません。 【抵触せず】 ・
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1539529113/

3 :
過疎ってんのか

4 :
仏典には、産まれたばかりの赤ん坊が惨殺される話とかあるぞ

5 :
母親が赤ん坊に付きっきりだから、父親が嫉妬して切り刻むわけよ
何の罪もない赤ん坊を…って思うじゃん?
でもその赤ん坊にとっては、それが修行だったわけよ
ちゃんと意味があったわけよ

6 :
>>5
いや、それ修行だよ。って言われて誰が納得出来るのさって話なんよ。
自殺したら、地獄に落ちるとかそう言うのはわかるけど
そんなどうしようもない事で修行です言われても納得できんわ。

7 :
万引き容疑で警部逮捕=量販店で1万円相当−沖縄県警:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112400530

量販店でスポーツウエアなどを万引きしたとして、沖縄県警は24日、窃盗の疑いで県警刑事企画課の警部、外間守文容疑者(39)=同県糸満市北波平=を現行犯逮捕した。「間違いない」と容疑を認めているという。
 逮捕容疑は24日午後5時50分〜同6時40分ごろ、豊見城市の量販店でランニングウエアやサングラスなど8点(計1万円相当)を万引きした疑い。
 県警によると、別件の捜査中だった警察官が不審な男を目撃、別の商品を入れた買い物袋に商品を隠し、店外に出たところを取り押さえた。
 県警の宮城正明首席監察官の話 法律を守る立場にある警察官が事件を起こしたことは誠に申し訳なく、県民に深くおわびする。

8 :
>>1
人生は理不尽、不条理、苦しみ、それは当たり前。
嫌だったらさっさと解脱しろ。
それが仏教。

9 :
>>1
仏教の業論は何百回前の宇宙の行為の残余の影響で、苦しみを体験するっていう超ロングスパンの因果応報だからなあ

悪人Aが輪廻を繰り返す内に普通の小市民、あるいは善人になって、20劫前の行為の影響で苦しみを受けるとしたら理不尽に見えるけど
業の計算としては合ってるってこと

ちなみに犯した悪業は決して免罪されないわけじゃなくて、善行によって悪果を結ぶのを妨害することも有り得る

10 :
>>1
>仏の教えではこう言う人にはなんて納得させるのさ?

「あちゃあ〜〜〜、運が悪かったね、ドンマイ」 www

11 :
>>1

ちと、真面目に回答すると、「仏の」教え というよりは、
輪廻転生論自体が、ヒンドゥーからの混入、及び、後世の仏弟子たちによる
増稿、改変の蓋然性が極めて高いんだよ。

だから、「仏(釈迦)の教え」ではなく、「伝統仏教における説」という表現に改めた方が
いいw

12 :
はぇ〜みんな詳しいな〜。

結論さ、理不尽な死や苦痛は、仕方ない。
って言ってるんだよね?
言い訳として、魂をロングスパンで見てるからぁ〜って感じで。

13 :
>>11
真面目に回答してるのなら「輪廻転生論自体が、ヒンドゥーからの混入、及び、後世の仏弟子たちによる増稿、改変の蓋然性が極めて高いんだよ。」
の証拠まで挙げてくれないとね

所詮

僕の考えた最強の仏教

だろって言われちゃうよw

14 :
2: ■■■  無 職 と 宗 教  ■■■ (182)

3: 仏教の教えや輪廻転生に詳しいやつ教えてくれ (13)

4:    ク ン ニ リ ン グ ス    (82)

5: ■■■■■  無 職 の 宗 教  ■■■■■ (188)

15 :
仏教経典でも最古層の韻文資料であるといわれている、 スッタニパータ(Sn.)の第四章や第五章でも、 輪廻思想は釈迦の説法として散見される。

詳しくは↓参照
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2135313&id=23949338

16 :
イアン・スティーブンソンの研究で輪廻転生については確実に有るとデータがあるから
輪廻転生は有ると思う。科学がオカルトを立証してるわけだし。
だからといって、業がとかカルマとかそう言うのはまだ立証出来ていないから信用できない。
けど、大昔に輪廻転生があると言われ続けてて、実際に科学が追い付いたのが今なだけで
後々、業だのカルマだのが証明されるかもしれない。

17 :
科学的な証明してるか?多数意見にどれも曖昧さが残っているのは全て議題そのものが不確定なものだからである。
学の無いと意見に洗脳されて信じこむヤツ多いな。
本質は記憶であり、生れた瞬間から見てきた記憶と、その時までに知り得た言葉しか使えないので、その時の教義に依存した言動しか振る舞えない。
どうせ親や周りの振るまいを記憶とし感化されて真似でもしたんだろう。
ま、知に貪欲でそれなりに賢いんだと思うよ。

18 :
>>13
wwwwwwwwww

いや、それは勘弁願いたいw

仏教系スレで既にやっているが、少なくとも数スレは消費する。
それをここでもう一度やる気はないよw

ちなみに、>>15 のスッタ二パータ4章、5章が最古層文献(他には一章の一部)
というのは、そのとおりだが、そこに輪廻転生が説かれている??

それは新説だw

19 :
それと、
>イアン・スティーブンソンの研究で輪廻転生については確実に有るとデータがあるから・・・

これは「科学的実証」とは、とても言えないもの。
その批判見解は沢山あるから、まずそれを読んでみることw

20 :
>>18
「輪廻転生論自体が、ヒンドゥーからの混入、及び、後世の仏弟子たちによる
増稿、改変の蓋然性が極めて高いんだよ。」

これを数スレに渡って議論してたというの?
だったらその数スレ分に渡る膨大な証拠があるんでしょ?

それとも大した証拠ではく曖昧な証拠だから数スレも消費したと?
いやそれはないよね?
「極めて」高いというくらいだから明らかな証拠を簡単に一つ二つ挙げられるでしょ?

21 :
>>15
こちらはちゃんと証拠を出しているから素晴らしいよね👏

22 :
>>18
「ピンギヤよ。それ故に、あなたは怠ることなくはげみ、
 再有(punabbhava)にもどらないように、物質的存在を捨てよ」(Sn.1121cd)

(tasmA tuvaM piGgiya appamatto jahassu rUpaM apunabbhavAya)

再有(punabbhava)は「再び存在すること」で、輪廻を表す言葉として頻繁に使われる語

新説がどうとか言うけど、まあパーリ語読めないスレ住民同士で不毛な議論してたんだなあ・・・っていう感想しか湧かない

23 :
輪廻転生を実際に信じてる浅はかな考えもどうかと思うよ。
釈尊を始め、日蓮か説いた仏説とは生まれ変りはある。それは、善行と悪行による今に生ける衆生の為、未来の衆生の為に残した仏智である。
無間地獄に落ちるとは、今この時代において稀な悪行であり、再びこのような輩は過去世においても未来世においても二度と同じような業を背負った者が生まれ出でる事が無い例えとしてある。

24 :
まずね、人間は境涯的に恵まれてるんだよ 
動物が、虫や魚がどれだけ弱肉強食で生きてることか
仏教では人間に生まれる可能性は相当低いといわれてる
それこそ宇宙を跨いで無限に生き死にを繰り返している
わけだから 当然動物に生まれたり地獄にも生まれたこと
があるだろう 輪廻の境涯は天界を頂点とした三角形の
ピラミッドで、地獄が一番数が多い

それと心は実際には死んだことがなく、その上で生命体の
境涯が地獄から梵天まで成り立っている、と阿羅漢はいう
業は心に含まれており、善悪業によって境涯を上下に牽引される
自分も含め凡夫にはまず検証出来ない

25 :
>>22
貴方はパーリが読めるのですか?

それは、すごいですね。 学者さんかな?

私自身は、一文読むのも苦労するレベルなので、原文検証は、もっぱら
そのスレの住人である専門家に頼っていました。

パーリとサンスクリットそれぞれが読める人が二人ほどいたので。

・・・・・それでは、一つお尋ねしたいのですが、
最古層文献には、貴方の提示した語彙(punabbhava)は、二例ほどありますが、
「再生することへの否定」として表現されていますね?

それは以下に続く1123で明らかなように「妄執を捨て去れ」ということを教示する
ための強意表現でしょう?

どうやら、パーリを読みこなせる学者さんらしいので、後学のためにお尋ねします。

@最古層文献には、輪廻を表す語サンサーラは全く見られないのに、古層文献に
 なると、其の頻度が急に増えることについて、どう考えられますか?
A最古層文献の中には、輪廻を肯定的に説明している箇所が皆無なのは何故でしょうか?
B輪廻について釈迦が訊ねられたとき、それに回答せず無視したのはなぜでしょうか?
C最古層文献には、輪廻と業報を結び付けた記述が皆無なのはなぜでしょうか?

ご教示お願いしますす。

26 :
正しい信心と所作は有供養者福過十号とあるように、十世代にまで善行の者が繁栄する幸せを約束する為にある。
どんな悪智恵悪行を持ち得たとしてもそれはその時の魔が差したに過ぎない。
誰もが持っていると説いているから。
だが、悪しき己の心を師と仰ぐものは人の声を聴く耳を持たず、口は悪く、心は醜く、人を憎み恨み、人を陥れようとし、人を嘲笑い、人から奪い、もはや人とは呼べぬ餓鬼畜生の振るまいであるとする。
また悟ったであろう者は増上慢となり、仏智を悪用し、人を陥れ、欲や我見を通し我が儘を良しとする智恵を用いる。自らの業を更に強める為に無間地獄に落ちるのだ。
このような者達はまさに今の時代に生ける稀な存在であるから、生まれ変ろうにも生まれ変われない。つまり、儚く知に疎い存在なのだ。
善行のみが正しく繁栄するから世は平和であり、その正しい智恵を学ぼうとするのが正しい悟りなのである。

27 :
例えでもなんでもなくダンマパダにも「繰り返し母胎に入る」ってはっきり書いてんだろ
「ゴータマは輪廻を説いてない」とか「仏教は宗教ではなくて哲学」とかいう珍説を主張し続ける変な一派をネットでよく見るけどそれは何に感化されてそうなったの
俺は仏教自体信じてないし死後や輪廻の存在は半信半疑だよ
でも独自解釈で歪めた仏教みたいなダメだと思う
輪廻転生は否定したいけど仏陀の権威には逆らえないから教え自体を改ざんするっていうのは宗教に洗脳された信者以上のキチガイ

28 :
>>20
え〜〜〜〜とですねえ、
⇒「釈迦は、輪廻業報論を説いたのか?」 は、近代以降の仏教文献学の主要テーマ
の一つであって、その最大の論点は、「無我説との矛盾」なわけ。

そして、現時点まで輪廻肯定論者からは、その矛盾を解消する有意な見解は
全く提示されていません。

やっているのは、(古層文献以降に) 「こういう輪廻に関する記述がある」
ということのみ。

後代の仏弟子たちの増稿、改変、ヒンドゥーからの混入の可能性を完全無視です。

輪廻業報論を支持するなら、その業の承けてとしてアートマン設定を受任しなければ
ならず、それは無我説と両立しえません。

その両方を支持すrのであれば、「釈迦はその矛盾にきずかないほどバカである」
ということになります。

29 :
>>25
相手を学者認定するのは何か意味あるんかな

>最古層文献には、貴方の提示した語彙(punabbhava)は、二例ほどありますが、
>「再生することへの否定」として表現されていますね?

そりゃそうでしょ(笑)輪廻からの解脱が目的なんだから

>それは以下に続く1123で明らかなように「妄執を捨て去れ」ということを教示する
>ための強意表現でしょう?

??「輪廻(という観念)への妄執を捨て去れ」という風に読むのは無理じゃないかなあ

>@最古層文献には、輪廻を表す語サンサーラは全く見られないのに、古層文献に
> なると、其の頻度が急に増えることについて、どう考えられますか?

それ、最古層(とされてる)パーリ経典の分量が圧倒的に少ないから以外の理由が必要かな

>A最古層文献の中には、輪廻を肯定的に説明している箇所が皆無なのは何故でしょうか?

輪廻的生存は厭うべきもので、どうやったらそこから解脱できるかが主題だから

>B輪廻について釈迦が訊ねられたとき、それに回答せず無視したのはなぜでしょうか?

具体的にどこですか?

>C最古層文献には、輪廻と業報を結び付けた記述が皆無なのはなぜでしょうか?

Sn4〜5章が古いと見られてるのって他の経典に引用されてる「解脱のための虎の巻」だからじゃないの?
あえて@への回答に付け加えるなら

30 :
>>29
>相手を学者認定するのは何か意味あるんかな

ん??  貴方自身は、パーリを読めないのかな?

私は、貴方がパーリを読みこなせるほどの博学だと思い、上記の質問を
させていただいたのですが、そうでなければ、質問はとりけします。

そして、貴方のレスを見た限り、仏教理解にかなりの見解の相違が見られるので
以下、対話を終了します。

ちなみに私の理解では、釈迦の真意は「苦の滅」であり、それは必ずしも輪廻を
前提するものではない・・・ということです。

輪廻からの解脱 というのは、ヒンドゥーの教義であり、釈迦もあえてそれを否定
することはありませんでしたが、それを自己の教義の前提としたり、根幹として
説くことはなかった・・・というスタンスですので。

31 :
>>28
>やっているのは、(古層文献以降に) 「こういう輪廻に関する記述がある」
>ということのみ。

そもそも古層と金科玉条のようにいうけどど、ハラエン経などはどこの部派でも四阿含、四ニカーヤを祖型とする経蔵の外で伝承されていて、
これのみでブッダその人の教説を再構成しうる、というような切断処理は無意味だろうなあ

宮元啓一先生がつとにパーリ聖典の古層、新層という区分に疑問を投げかけているわけで

>たしかに、韻文は歌として朗詠されますから、そして、歌というものは、古今東西を問わずそうなのですが、
>当然と言えばあまりにも当然のごとく、古い語形を残す傾向を強く持ちます。

>たとえば、韻文の中でゴータマ・ブッダがマガダ語で「ちゃいますねん」と語ったならば、
>パーリ語になっても、それに近い語形がずっと残るという可能性は非常に高いと言えます。
>それにたいして、散文は、唱うように朗詠されることはありませんから、時代とともに大きく語形が変化すると考えてよいでしょう。
>マガダ語での「ちゃいますねん」が、パーリ語で「違いますよ」となっても、何の不思議もありません。
>ここから言えるのは、韻文は古い語形を比較的よく保つ傾向にあり、散文は新しい語形へと変化しやすい、ということです。

>言えるのはそこまでで、ここから、韻文は「成立が古い」、散文は「成立が新しい」と言ってしまっては、
>それは大きな勇み足、重大な誤謬となってしまいます。
https://web.archive.org/web/20101010051352/http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/hon/daihon.html

馬場記寿先生の小部の成立の研究からも、もうスッタニパータの4章、5章を振り回して「真の仏説」を語る時代は終わったんじゃないかなあというのが私の感想。

32 :
日蓮日興各御歴代猊下様がこの先も決して崩れぬ至高なる善行の智恵を持って仏教を三大秘宝に残している。
それは今の時代に生きる衆生の幸せの為に残した菩薩となる所作そのものである。所作は仏縁そのものを現しているから。
知らぬものを知らぬが故に我見に執着し、身の長けを気にしては生まれ変りなどと餓鬼畜生がすがり付くような考えをするなと教えているのを理解すれば信じるものはただひとつだけ。
今もこれからも変わらぬ釈尊と日蓮の完膚無きまで善き正しき道理を説いた仏教だけである。
正法時代の仏教と末法末世における仏教は形を変えると釈尊は説いた。
般若までの教えを捨て法華涅槃の教えのみを信じ広めろと。

33 :
>>30
>ん??  貴方自身は、パーリを読めないのかな?

読めますけど。

>ちなみに私の理解では、釈迦の真意は「苦の滅」であり、それは必ずしも輪廻を
>前提するものではない・・・ということです。

ハイ、それではあなたの理解に合致しない意見とは生産的な対話はできませんよね。
パーリ語読めないんだから

34 :
>>31
最後に・・・

宮元氏は、輪廻業報論について、その差別的側面の除去を考慮して
「前世⇒今世は、なしにして、 今世⇒来世を説こう。それが倫理的に望ましい」
というような無茶苦茶な説を言う人なので信頼してませんww

35 :
>>33
>読めますけど。

なるほど、それは失礼しました。

では、貴方に改めてお聞きしたいのですが・・・

輪廻業報論と無我説との齟齬に関しては、貴方には改めて説明する必要も
ないと思いますので、その矛盾を解消する見解をご教示お願します。

36 :
信心もなしに仏教を語るのもエセ仏法者であると像法時代には蔓延すると予言している。
受学の者の我見により心意や教えが歪められる恐れがあるとして、これもまた無間地獄に落ちるであろうと。

37 :
あとですねえ、すいませんがコテつけてもらえませんか?

私もこの宗教板長いんですが、今までパーリを読みこなせる人は一人、
サンスクリットを読みこなせるのも一人しか、見たことないんです。

つまり、原文を読みこなせるほどの博学は、実に貴重でして、w
この先、色々、お尋ねさせていただくこともあろうかと思いますので。

よろしくお願いします。

38 :
>>1
人生は理不尽で思い通りにならないことばかりなんですよ。
だからお釈迦様は一切皆苦と説いたのです。


輪廻も同じく理不尽で苦なんですよ。
だからお釈迦様は菩提樹の下で悟った時にこの感興偈を唱えたわけです。

153 わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、──家屋の作者(ツクリテ)をさがしもとめて──。あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである。

154 家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。
(ダンマパダ)

39 :
《無我と輪廻について》


『サンユッタ・ニカーヤ』22-59.(PTS Text,V.pp.66-8)

五比丘(無我相経)

1.
バーラナシーのミガダーヤ(鹿野園)における因縁である。

2.
そのとき、尊師は、五人の比丘たちに呼びかけた。「比丘たちよ」
「尊師よ」と、比丘たちは答えた。(尊師は)このように言った。

3.【色】
「色は、比丘たちよ、自己ならざるもの(無我、anattan)である。
比丘たちよ、もし色が自己であったのであるならば、この色が、病のために壊れることもないだろう。また、色において、<このように、わたしの色はあれ、このようにわたしの色はあるな>と、いうようにできるはずである。

4.
比丘たちよ、じつに、色は自己ならざるものであるから、色は病のために壊れる。さらに、色において、<このように、わたしの色はあれ。このように、わたしの色はあるな>となすことができないのである。
http://manikana.la.coocan.jp/canon/anattalakkhana.html


以下、受想行識についても色と同じことがお釈迦様の口から語られます。

もし五蘊(全部もしくはどれか)が自己(我)であったのであるならば、この色が、病のために壊れることもないだろう。

という展開ですが、ここで病の代わりに老死を入れても苦という単語で一括りにできるとします。
となると五蘊が我であったのなら病老死はなく輪廻もなくなることになります。
五蘊無我だから輪廻するということになります。
無我と輪廻は矛盾しません、というか無我だから輪廻するということになります。

40 :
39.無我であれば輪廻しない。

41 :
>>39

そう。もっとも正解に近いような気がします。

42 :
>>1
追伸です。

五蘊は無常で無我であるために生病老死の四苦にさらされています。
不死は望めませんし、それ以前に自分の心(受想行識)も悩み苦しみます。
老いてRばまた次の生(生まれること)が待っているという輪廻のサイクルに陥っています。
しかし、そういう五蘊への執着を捨てれば輪廻のサイクルから解脱でき、今生が最後の生となり死後は輪廻せずに完全なる涅槃に入るというのがお釈迦様の教えです。

>>39サンユッタニカーヤ五比丘の経典ではお釈迦様は説法の最後をこう締められています。

比丘たちよ、このように見て、(教えを)聞いている聖なる弟子は、色において厭離する。
感受において厭離する。表象において厭離する。志向作用において厭離する。識別作用において厭離する。
厭離するものは、貪欲から離れ、解脱する。解脱したとき、「解脱した」という知識がある。
『滅尽したのは、生まれることである。完成したのは、清浄行である。為したのは、為すべきことであり、さらに、この(輪廻の)状態にいたることはない』と知るのである。

この解脱知見を得ればこの世(現世)もかの世(来世)も望まなくなるようです。
死後は完全なる涅槃に入るのですから。
この完全なる涅槃をパーリ語ではパリニッバーナといいます。

>>41
ありがとうございます。
でも法華経というか日蓮宗ではこの世は望むべきものであり、この世界を寂光土という浄土にするのが仏道とされてましたね。
それはそれで崇高な理想だと思います。

43 :
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】

オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。

創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。

創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。

池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです a

その他の入ってはいけない宗教
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華

創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)

44 :
>>28
だからそれただのつじつま合わせじゃんw
矛盾が出てくると仏陀の無謬性に疑問が生じるんで整合性取るために独自解釈で改ざんしますという明確な宣言以外の何物でもない
後世に付け足されたり書き換えられた可能性もあるだろうけどだからといって改変やってしまったら同類だろ
改変されたものは元に戻らない
改変された時点で終了
もうその経典に信憑性はないし信憑性ないなら価値もないんだよ
いくら元通りに修正や復元を試みようともタイムマシンかあるいは過去を見る超能力でもない限りどうやったって無理
後の世の人間にできることは伝わってきたものになんの手も加えず次の世代に残すことだけ

だいたい大量の仏典があって(ひとつにしとけよそんなに数要らんだろこの時点でバカなんだよ仏教徒w)しかもそれぞれ筆者が違うし書かれた時代も数百年規模で全然違うんだからそりゃ矛盾だらけに決まってるわ
それを仏陀一人が語ったという無茶な前提で考えるから多重人格の矛盾だらけのバカに見えて当たり前
仏説にいかなる誤謬も矛盾も存在してはならないという信者特有の前提があるからおかしくなる
だからつじつま合わせのためにあれこれ邪推して新たな説をひりださなきゃいけなくなる

弟子に改変されてわけわからなくなりましたというなら最初からその程度の、価値のない、しょうもないゴミだったってこと
それは正しく伝える術を知らなかったバカの所業
全く改変されておらずそれでも矛盾があるのなら仏説考えたやつらはバカということ
つまりどう転んでもゴミ

45 :
我が存在すると思う → サンカーラを生む → 識が生まれる → 我が存在すると思う
無我 → サンカーラが生まれない → 識が無い → 終了

46 :
>>29
>??「輪廻(という観念)への妄執を捨て去れ」という風に読むのは無理じゃないかなあ

妄執の原文はtaṇhaṃ(タンハン)つまりタンハー=渇愛だからそうだろうねえ
輪廻(という観念)に渇愛を抱く人って当時のインド特に釈迦に教えを乞う人にはいないだろうし

ここではふつうにtaṇhaṃは生きる上での強い執着や煩悩のこととであり
それらを捨て去れば迷いの生存(輪廻の状態)に戻らないと釈迦は学生ビンギヤに答えたということなんだろうと思う

47 :
教えてください。
日本の仏教僧侶や仏教徒のみなさんはなぜ世界で仏教国のチベットが不当に
制服されて同じ仏教徒が弾圧されているのを見て見ぬふりを
しているのでしょうか?
それが仏教の教えなのでしょうか?

48 :
>>47
日本どころかどこの国の仏教の僧侶もチベット虐殺については沈黙してません?

49 :
まったく言い訳になりませんな。
いじめを見て見ぬふりをした小学生の言い訳と同じですよ。

50 :
>>49
君もそうだよ
チベット人は日本人にDNA(Y染色体ハプログループ)が近いのにその同胞のために何かしてる?
まず自分が何ができるか考えてみようず

51 :
>>44
まあ、結局、「仏教はゴミ」と言いたいわけですね。

なら、そういうことでw

52 :
>>42

>無我と輪廻は矛盾しません。

これには賛同しますが、

>五蘊への執着を捨てれば輪廻のサイクルから解脱でき、今生が最後の生となり死後は輪廻せずに完全なる涅槃に入るというのがお釈迦様の教えです。

これは違うと思う。この考えは小乗教の低い教えです。

「死後は輪廻せずに完全なる涅槃に入る」というのが仏道修行の完成形、すなわち「成仏」という事なら

今世に生まれた釈尊は「始成正覚」と言うことになります。

最高の経典である法華経では「久遠実成」を説き、仏は衆生が仏の出現をを渇望し求めるとき「爾時」再びこの娑婆世界で法(法華経)を説くということになっています。

苦しむ衆生をほったらかしにして、涅槃に安住する仏はいないのです。

価値論で言うと、「悪を行う」事と「悪を見て見ぬ振りをする事」は同じく「悪」である

「如蓮華在水」仏は衆生を憐れむ故に常にこの娑婆世界にあって法を説き人々に希望と勇気を与え続けます。

それが実仏の姿だと思います。

53 :
仏頂面、成仏相、いずれも迫害にあいやすいのは仏智を持ち、幸せそうだからだそうだ。
確かな道理も持つ為に耳の痛い事を言われ、見透かされると憎しみの心が沸き、攻撃しようとする。
また幸せを妬み不幸を植え付けようと攻撃しようとする。
心が無いからこそ綺麗なのであって
心があるものは本来は醜いのである。

54 :
輪廻転生という考え方は、人間ならびに生きとし生けるもの、それぞれの主体、あるいは霊魂が、この世で死んだのちに次の世に生まれ、再び死に、また次の世に生まれ、というようにして無限に生死、生死を繰り返すというものです。

そのさい、それぞれの主体、霊魂はいつの世も同じであり、次の世にどこに、またいかなるものに生まれるかを決めるのは、前世における業のいかんによると考えたのです。

また、解脱という考えは、そもそも、無限に生死を繰り返す、輪廻という生存の苦から解放されることをいい、インドの諸宗教はこれを理想として立て、目標として修行するわけです。

インドの場合、苦にしても、苦からの解脱という考え方にしても、要するに輪廻という生存のあり方そのものに対する嫌悪感、恐怖感が濃厚であったように思う。

だから、輪廻の生存のなかで、よりよき次の世に生まれるにはどうすればよいかといった方向の思索よりも、むしろ輪廻の生存そのものから解脱して、再び生を結ばないことが最高の理想とされていたように思う。

ここに、他の古代民族にもしばしば見られる輪廻の思想とは違うインド民族独自の考え方が見られるわけです。

「ミリンダ王の問い」ではナーガセーナが見事に「無我説による輪廻の問題」を解き明かしているね。

中村元博士によると、この問題は二つに分かれ、

第一の論点は、人の死後や生前に関係なく、ただ現世の現象だけにかぎって、はたして人格的個体が同一のものとして存続しているかどうか、ということです。

第二の論点は、人格的個体、あるいは霊魂が死後においても同一性を保ちつつ存在するか否か、またこの世に生まれでる前にも現在の人格的存在と同じ実体として存在していたか否かということです。

ナーガセーナの答えは、同一でもなければ異なったものでもない、という仏教の「不一不異」の教義でこの矛盾を解決している。これはまさに仏教独自の論理といってよく、西洋的思惟方法から生まれた形式論理学では収まらないものです。

55 :
「諸法は縁より生ず」とあるように、霊魂とか個我などの実体を想定せず、一切の事象は互いに他との関係性によって生じているという考え方を、ここでも適用しています。

人間の認識についても、六つの感覚器官と六つの対象との対応関係から識別が生じ、それによって、接触と感受と表象と意思と統一作用と生命力と注意などの諸法が生起すると述べている。
したがって、そこには、主観が先か、あるいは客観が先かといった論が起きるはずがなく、また、認識の恒常的な主体を立てるという論もありません。

私たちは通常、まず自分があり、その自分が対象を認識するというように考えがちですが、仏教本来の立場からいえば、それは迷妄にすぎないことが、この対話から明らかです。

本当はそうではなく、自分という考えが浮かぶのも、じつは六根と六境と触れあった後に起こっているのです。

仏教は、この人間の日常的な認識の迷妄を打ち破り、その本来のあり方を知らしめ、自然と一体になった自由でダイナミックな生き方を教えようとしたのです。

56 :
無我のパーリ語のanattāという文字はスッタニパータの四章五章はおろかスッタニパータ全編を通して全く見られない
同じく古層の文献に位置付けられているダンマパダにも見られない

なので無我論は、外教からの混入、及び、後世の仏弟子たちによる増稿、改変の蓋然性が高い
ということ?

57 :
パーリを読めると言っていた御仁は、どうやら消えたようですね。
残念。

2ちゃんで、遭遇できた三人目の博学か? と期待したんだがw

まあ、ここも桃太郎が頑張るみたいだし、創価には興味ないんで
オレも消えようかねw

58 :
創価学会、顕正会、日蓮宗は正宗から破門されたんだけど...今の仏法の教え分かってるのかな?
浄土宗、浄土真宗、禅宗など破折され、今の時代は改変した教えで好き勝手にやって儲けてるだけ。

59 :
桃太郎はバカ丸出し、である。大爆笑である。

60 :
いくらパーリ語を読んでも、経典を全部覚えても、無我、輪廻は分からない。
自分が無我になってみないと分からない。

61 :
長部 大因縁経

「さてアーナンダよ、『〈識〉という縁より〈名色(心と体)〉がある』と、じつにこのようにいわれました。『〈識〉という縁より〈名色〉がある』という如くのこのこと、それは、この理由によって知られるべき事なのです。
アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入らない場合、いったい、〈名色〉は母胎において成長するでしょうか」  
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入ってから出た場合、いったい、〈名色〉はここなる状態へ生起するでしょうか」  
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入ってから出た場合、いったい、〈名色〉はここなる状態へ生起するでしょうか」  
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、じつに、〈識〉が幼いときに切断された場合、いったい、童子あるいは童女の〈名色〉は、増大、増長、成満へいたるでしょうか」
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、故にここに、これは因であり、因縁であり、原因であり、縁なのです。すなわち〈名色〉にとっての〈識〉は」
http://komyojikyozo.web.fc2.com/dnmv/dn15/dn15c02.htm

この経典では五蘊の識が輪廻の主体となることがこのように示唆されています。

この識についてもお釈迦様は

識別作用は、自己ならざるものである。
比丘たちよ、もし識別作用が自己であったのであるならば、この識別作用が、病のために壊れることもないだろう。
また、識別作用において、<このように、わたしの識別作用はあれ、このようにわたしの識別作用はあるな>と、いうようにできるはずである。

比丘たちよ、じつに、識別作用は自己ならざるものであるから、識別作用は病のために壊れる。
さらに、識別作用において、<このように、わたしの識別作用はあれ。このように、わたしの識別作用はあるな>となすことができないのである。
http://manikana.la.coocan.jp/canon/anattalakkhana.html

と説いていまして、もし識が自己(我、アートマン)だったら「私の識は輪廻するな」となすことができることになります。

でも識は無我だからそのようになすことができぶ輪廻してしまう、ということは否定はできないと思います。

ですから、大因縁経でのお釈迦様の説法には矛盾はないわけです。

62 :
でも識は無我だからそのようになすことができぶ輪廻してしまう、ということは否定はできないと思います。

(誤字訂正)
でも識は無我だからそのようになすことができず輪廻してしまう、ということは否定はできないと思います。

63 :
>>19
批判的見解も読んだけど、全部立証を覆せるほどの物じゃなかったが。

君が思う一番の否定要素はなにか教えてくれ

64 :
>>61
訳文                
「大愛尽経」(『中部』38)
https://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn04/mn04c18.files/sheet001.htm
の方の注釈にも書いてありますねえ

>・しかし『相応部』4-23「ゴーディカ経」では、悪魔が自刃した比丘ゴーディカの身体から抜け出た〈識〉を探し求めるも、彼は般涅槃しており、その〈識〉は止住していない、との旨が釈尊に説かれる。
>また「大因縁経」の115-2. では釈尊によって「アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入らない場合、いったい、〈名色〉は母胎において成長するでしょうか」とのべられている。
>ニカーヤ中の多くの記述で明らかに〈識〉は、輪廻の媒介的存在として描かれている。
>これらと本経が矛盾なく両立するとするならば、サーティの問題点は〈識〉を輪廻の媒介と見たことそのものではなく、その〈識〉に恒常性を見た点にある、ということになろうか。

65 :
業報輪廻因果応報は存在している。
だが、それが問題ではない。
なんでか。
それは仏教ではない、という問題である。
バカには理解できない。大爆笑である。

66 :
>業報輪廻因果応報は存在している。

嘘つき

67 :
>>65
業報輪廻因果応報を信じてるなら説明してほしい

運命定めがあるなら加害者は運命定めに従っただけ
もしくは他者の運命定めに巻き込まれた訳だから
加害者は罪人では無いと言う考え?

68 :
67.業報輪廻因果応報は科学の問題である。
それは宗教の問題ではない。
バカには理解できない。大爆笑である。

69 :
>>65

かまって欲しいオーラが激しいな(笑
桃太郎、大慈大悲を起こして(笑 ちょっぴりかまってあげる。

ポッタン師は人をバカバカいってると、因果応報で今世で、来世で人から見下される報いを受けるよ。
人は皆仏性があるんだから、悪人でもない人を軽々しくバカにするもんじゃないのです。

まぁ、何があったのか知らないけれど、あなたは一貫して人を見下す癖がある。
それじゃダメなんだ。結局自分自身の命を傷つけていることになるし、そのことが分かっていない。

自分が結局一番損することになるよ。

70 :
>>68
科学???
日頃運転荒い奴はその内事故るとか貞操観念緩い奴はその内浮気するとかそういう話?
ちなみに側から見て馬鹿はお前だぞ馬鹿には理解出来ないだろうけど

71 :
>>68
じゃ善悪は無関係でおk?

72 :
>>1
死人に口無し

73 :
69.70.バカである。と言う、のは師家のしごとである。
バカには理解できない。大爆笑である。

74 :
71.善悪は宗教の問題ではない。それは倫理道徳の問題である。
バカには理解できない。大爆笑である。

75 :
>>74
それ言っちゃったら善悪は倫理道徳の問題じゃなくて宗教の問題なんだけどな
真の意味で善悪を断定出来るのは神だけだろ
俺は神なんか信じてないがな

76 :
>>25で提示された質問に興味を覚えたのでこちらからもパーピマンに質問します

ってか>>56で一度スレのみなに質問したんですがそこに書いたことは>>25を読んで疑問に思ったことなので
>>25を書いたパーピマンに質問させていただきます


無我のパーリ語のanattāという文字はスッタニパータの四章五章はおろかスッタニパータ全編を通して全く見られない
同じく古層の文献に位置付けられているダンマパダにも見られない

なので無我論は、外教からの混入、及び、後世の仏弟子たちによる増稿、改変の蓋然性が高い
ということですか?

77 :
>>67
自分の見解だけど因果応報は、本人の罪悪感と筋が通っているか、と思う。
悪いことをしたと思うやつは、巡りめぐって引き寄せるんだと思う。
だから、ヤクザでも因果応報でひどい目に合わないやつらとかは、筋を通してるからだと思う。

78 :
>>67
因縁、業の法則は、運命でもないし自由意志でもない。
自力でもないし他力でもない。

犯罪者が犯罪を思いとどまらなかったのは、犯罪者の意志でもあるが、
その日、その場所、その状況は犯罪者の意志でどうこうできるものでもない。
犯罪者の家庭環境、育った状況も関係しているが、最後の思いとどまらなかったのはその犯罪者の責任。

けっきょく、一つの事件にも無数の因縁、業が絡んでいて、業については人間の理解を超えているとしか言えない。

7.業と因縁 (1)全てのことに理由がある
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi34.html

79 :
>>77
その酷い目ってのは躓いてこけて怪我するとか風で飛んできた看板にぶつかるとか?
もし誰かに酷い目にあわされるなら加害を加える人は因果の代行者であって罪人では無いよね?加害を加える事を因果の定めに強いられてる訳だから

80 :
>>78
その因果応報の応報に疑問がある
応報を与える人は加害者じゃないよねそれで何か罰を受けるならむしろ被害者だよね
って疑問

81 :
日頃から荒い運転をしてる奴は事故を起こす確率は高いし
自身の素行も良く治安が良い環境で過ごすより素行悪く治安が悪い環境に身を置く方が事件に巻き込まれる確率は高い
これは分かる
でも確率と因果応報は違うだろ
因果応報はオカルトでしょ?

82 :
>>80
加害者も、被害者も、人間の行動は全て業に基づくというのが仏教でしょう。
カレーを食べる。水を飲む。風呂に入るというのも全部。

何故カレーを食べたくなったか。それには無数の原因、因縁が関係していて、
人間にはよく分かりませんと。昔にカレーを食べたという事実がないとカレーを食べたくはならない。
カレーを日本に紹介した人がいないとカレーは日本に入ってきてないし。

原因と結果という法則があるのは確かだが、具体的な現象については、
無数の原因、無限の過去を考えなければいけない、それは業。
業について考えて理解することは人間には不可能。ということだと思います。

83 :
82.それは科学の問題である。それは宗教の問題ではない。
バカには理解できない。大爆笑である。

84 :
自身の宿業を変えることが出来なければ、それは真の宗教とは言えない。
生まれたときから運命が決まっていて、自分ではどうにもならないのであれば、宗教なんて必要ない。
それは、キリスト教で言うところの「神の味噌汁」の状態に他ならないからである。

宿業にも色々あって、代表的なのが「定まった業」すなわち「定業」な。
寿命というのも「定業」のひとつ。
生まれてすぐ死ぬ。事故や病気で死ぬ。殺される。あるいは銀さん、金さんみたいに長寿をまっとうする。
これもまた過去世の宿業といえるでしょうね。

85 :
>>82
追加。

過去の業についてはどうしようもない。過ぎてしまった事だし、考えてみても分からない。
未来については何とかする事ができるはず。因縁に従って。
現在の瞬間に、善業を積めばいずれ善果を得る。悪業を積めばいずれ悪果を得る。

結局、人間には今の瞬間しか無いという事でしょうね。

86 :
85.84.生活の問題をやっているバカである。大爆笑である。

87 :
第一に地獄界とは正法念経に「殺盗・婬欲・飲酒・妄語の者はこの中に堕ちる」とある。
涅槃経には、殺生に上・中・下の三種があり、蟻などをはじめ一切の畜生をRのは下殺であり、「ものの命をたつもの此の地獄に堕つ螻蟻蚊モウ等の小虫を殺せる者も懺悔なければ必ず此の地獄に堕つべし」とある。

下殺であっても、心に懺悔もなく、ただ楽しんでRのであれば「必ず此の地獄に堕つべし」と言うことですね。

そうすると、仏法者は皆ベジタリアンになるしかないのでしょうか?
確かに、山林がマイホームの小乗仏教者ちんこ丸出し仙人などは菜食主義者なんだろうけれど。現代の人々すべてに強要しても無理だわな。

ちなみに、私は焼き鳥で一杯やるのが生き甲斐です。

88 :
波動関数と粒子の存在の因果は確定しない

89 :
>>79
そんな詳細まではわからないけど、
例にあげると、歴史上で虐殺者とかそんなにひどい死にかたしてなんだよね。
何万人って殺しておきながら。でもそれは本人が罪悪感がなく、本気で正しいと思ってやったから、因果応報から外れてんだとおもう。
もっと例をげれば、ポル・ポトなんか、一生拷問され続けてて死ななきゃいけないが、そうじゃない。ただ死んだだけ。
たぶん、本気で国を良くしようとしてたからとか罪悪感が普通のひとよりすくないから。って感じで捉えてる。

90 :
>>81
間違いなくオカルトだと思う。
けど、それは今科学で証明出来ないだけで、数年後の未来には証明されるかもしれない。
大昔から信じられてる事は、何でも後から理屈が付いていてる歴史がある。
昔のひとは何かそう言う事を長い経験則のなかで分かってたんだよ。

91 :
オカルトだよ
だから釈迦はその様な観念からの解脱を説いたんだよ

92 :
やはり日蓮御書は仏教の確信を得てるな。
輪廻転生があろうとなかろうと、それを語るならまず成仏出来る身になれと。

93 :
仏教で煩悩は貪瞋痴、激しい欲、激しい怒り、愚かさの三つだから、
欲でも怒りでもなく、例えば正義の為にRんだとか、理想の為にRんだ、
生きるためにRんだ、楽しみのためにRんだとかいうのは、愚かさによる殺し。
愚かさがある限りは、いつでも欲、怒りが出てくる恐れがあるし、
愚かな畜生にでも転生する可能性はある。

愚かさによる悪業は一番タチが悪いし、分かりにくい。

94 :
>>91
>だから釈迦はその様な観念からの解脱を説いたんだよ

それは釈迦ではないよ
六師外道のアジタ・ケーサカンバリンとかだよ、そのような観念からの解脱を説いたのは。

アジタ・ケーサカンバリンは世界を地、水、火、風の4要素の離合集散によって説明する四元素還元説を唱えた。
これは、霊魂の存在を完全に否定するものであり、ヴェーダに示される正統バラモン教におけるアートマン(ātman、我、真我)をも否定するもので、
当時、汎インド的に最も重要視された業(karma、カルマ)の報いについても、霊魂の行くべき道を示した業のはたらきや善悪の行為の報いを完全に否定した。
また、輪廻の思想を否定し、死後の生まれ変わりも来世も認めず、
人はRば4要素に帰って消滅するとし、道徳も宗教も不必要なものであるとして、無神論の立場に立った。
布施に功徳があるという考えもまた愚者のものだとみなしている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%B3

プーラナ・カッサパは霊魂の不生不滅を説いて、人間はどんな行為をしても善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し無道徳を説いた。
自ら行為をなし、他をして行為をなさしめ、手足を切断し、また切断せしめ、罰し罰せしめ、苦しめ苦しましめ、戦慄させ戦慄せしめ、殺し盗み、追剥をなしても悪をおこなったことにはならず、
祭祀や慈善を行っても善をなしたことにはならない。
また善悪の行為の報いもないという見解(空見、くうけん)を持っていた。仏教ではこれは「邪見」とみなした。

その哲学上の立場をアキリヤヴァーダ akiriyavâda (非業論)と称する。人
には永遠の魂があり、たとえ人が死んでも魂がなくなることはない、
したがって、行為自体は魂に影響を与えず、どのような行為をとってしまってとしても魂は永久に存在し続けることを、道徳無用論のかたちで主張した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%91

仏教側から見ればこれらの思想は外道となる

95 :
>>94について

アジタは唯物論から非業論、道徳不要論に至り
プラーナは逆に魂の絶対論、不変不生不滅論から一つ業論、道徳不要論に至った

どちらも教団の開祖、指導者として多くの弟子を持ち崇拝されてはいた

96 :
プラーナは逆に魂の絶対論、不変不生不滅論から非業論、道徳不要論に至った

97 :
他にも六師外道の一人マッカリ・ゴーサーラは宿命論に基づく無因無果論を説いた
但し輪廻転生については輪廻することの因果はなしとしなごら輪廻転生自体は認めてはいる

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9

98 :
前世が人間だった確率なんて限りなく低い

99 :
過去世で六界を巡り巡って修行したから人間に生まれた。
望み通り人間に生まれてきたんだよ。だから人間には仏を知る為の智能が備わっている。
事の一念三千は、その瞬間にも人は如何なる者の心を現すから、再び退転しないように仏道修行をする。智恵とそれに基づく所作、十如是乃至本末究竟等を用いて自分自身の目で確かめなさいということ。
まさに人間界を生きる人として、正しく人の振舞いをしなさいということになる。
その教えそのものが今の猊下様を始め、住職様がいて我々衆生達は法の言葉を信じ理解して始めて人であると自他の認識を通して分かります。
御供養するとは先祖代々の御精霊達が今もなお修行に励んでいるから苦しまぬように祈願すること。初座から五座まで綺麗に正しくすることで始めて御供養が出来ます。
御供養が出来ないのは元々知識もなく疑いの心があったり、自分が不幸だという苦しみがあり、自分の為にしか生きられないという教義の狭い人だという実証でもあります。
忙しい、めんどくさいなんて言う人は生活そのものに無駄がある、もしくはそのそうな縁をしている為に、智恵そのものが毒に犯されているということですね。
同じ人間でも有供養者はそういう者から色々と叩かれますが、そういう人達にも生前供養、大願成就を祈願をしていますので決してバカにしてはいけませんよ。

100 :
何しろ人口が爆発的に増えてるんだから前世が人間だった人は僅かしかいない
ほとんどの人は畜生からの生まれ変わりだ


100〜のスレッドの続きを読む
☆★『幸福の科学』統合スレッドpart857★★
あなたはキリストが地上に降りてこられた理由を知っているか
メンヘラ発達障害大学院生総合スレPart66
■■■今、世界は無宗教が増えてるとか■■■
【俺は神だ】天才天界【異能の天才】
創造論と創造科学とID論と進化論Part105
【日月神示】日本大預言 第三十巻
ヨハネ黙示録の予言
★☆神との対話★
◆mugen9691◆パナウェーブ真理教◆588忍法帳◆
--------------------
●首都圏スクール愚痴●生徒もコーチも集合●
】【HKT48】冨吉明日香応援スレ43【トミヨシレボリューション!!】 [無断転載禁止]©2ch.net
Second Lifeセカンドライフ質問スレ Part45【NHK】
【ラブライブ!μ's】高坂穂乃果生誕祭2018 [694987195]
【元制作進行】A-1 Pictures−05−【過労自殺認定】
【長谷川幸洋】 韓国擁護のため“ピンぼけ”日本批判に走る左派マスコミ…輸出管理強化はルールに沿った運用[07/13]
【四十肩】 肩関節周囲炎 Part39 【五十肩】
【日本オワタ】萌え体操服ブルマ美少女の文具
マイクロスイッチ仕様のマウス 総合スレ
OneNote 3ページ目
【悲報】サカナクション「昔は転向するわっていうと今生の別れだったが今はまたLINEするわで済むからサヨナラソングを作れない」 [875850925]
【mobage】アイドルマスターシンデレラガールズ23581人目
【瀬戸内】STU48★327航海目【本スレ】
【アッー!】韓国、2週間で新型肺炎感染者2.7倍増…当局「疫学調査に追いつかない恐れ」 [5/25] [新種のホケモン★]
【反日左翼悲報】ケント・ギルバート「北海道の【表現の不自由展実行員会】が私の写真を燃やしたのはヘイトだし肖像権侵害。処罰を」
【避妊知らず】年子親3【無計画大迷惑】
loco dice
ハゲの犯罪ニュース事件簿【はげ】
肝炎・脂肪肝・肝臓障害スレッド44
モノリスソフトさん独立してゼノブレイドクロスをpcで出してください
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼