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【伝奇】東京ブリーチャーズ・参【TRPG】


1 :2017/06/07 〜 最終レス :2017/09/18
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:4日程度(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)

関連スレ

【伝奇】東京ブリーチャーズ【TRPG】
http://hayabusa6.2ch.sc/test/read.cgi/mitemite/1480066401/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・弐【TRPG】
http://hayabusa6.2ch.sc/test/read.cgi/mitemite/1487419069/

【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/9925/1483045822/

2 :
>>1
重複

3 :
ハッケヨイはカビキラーを妖怪に吹きかけた

4 :
>>3
しかし妖怪は怪人ビームでハッケヨイに応戦
こうかは ばつぐんだ

5 :
ような気がしたがカビキラーと妖怪ビームが混ざり身長5000m、体重2億トンの殺菌怪獣カビキラスが爆誕した

6 :
>みゆきはここにいる。ずっと待ってる。姉上の帰る場所を作って待ってる。
>100年でも、1000年でも――だから、ゆっくりお休み

ノエルがクリスを抱きしめながら、優しくそう告げる。
ふたりの体温は冷たかったけれど、そこには確かに温かな愛情がある。
この広い世界で、ふたりだけが共有する愛が。

「…………」

それを聞いたクリスの顔は穏やかで、憤怒と憎悪に染まり切っていた邪悪な雪妖の面影は微塵もない。
ひとりぼっちで、誰の賛同も得られない戦いを、ずっと繰り広げてきた。
犯罪者と謗られ、殺人者と罵られながらも、滅びゆく肉体を無理矢理に繋ぎ合わせて生き永らえてきた。
利用されていると知りながら、敢えて妖怪大統領の前に跪いた。
すべては、もう一度愛する妹に会うため。『お姉ちゃん』と呼んでもらうため。

そして。その願いは今、叶えられた。

「……みゆき……」
「幸せに……おなり、ね……」

最期にそう囁くと、力尽きたクリスはノエルの腕に抱かれながら静かに消えていった。
眠るように――そう、クリスは実際に眠りについたのだろう。
そしていつか、再び蘇るそのときまで。幸せな夢を見続けるに違いない。
最愛の妹の、胸の中で。

>祈ちゃん、ポチ君、剣を届けてくれてありがとう

数百年続いた姉妹の因縁に決着をつけた後、ノエルが仲間たちの方を向き直って、ひとりひとりに礼を言う。

>橘音くん……全部、知ってたんだね。ここまで導いてくれてありがとう

「――いえ……ボクは――」

ノエルの感謝の言葉に対して、橘音はバツが悪そうに軽く俯いた。
橘音はノエルの内情を知りながら、すべてを黙っていた。
ノエルと知り合ったのも、彼を仲間に引き入れたのも。今の今まで共に妖壊を漂白してきたのも、すべて――
そう。すべては雪の女王から依頼された『仕事』でしかなかったのだ。
どうして黙っていた、とか。ひどい、とか。そう非難されこそすれ、感謝される謂れなどない。
仕事のためなら、仲間をも利用する。騙し、欺き、使い倒す。
それが狐面探偵那須野橘音――三尾の狐なのだ。

>みんなさえ良ければ……僕は計画完遂の時まで……ブリーチャーズの御幸乃恵瑠でいたい!

ひとしきり感謝を伝えた後で、ノエルはそう言った。
ノエルが東京に来たのは、元はと言えば橘音がクリスの入ってこられない結界を東京に張ったからである。
その東京でノエルが妖壊漂白をしていたのは、百八体の妖壊を漂白すればクリスを赦すという、雪の女王の約定によるもの。
しかし、ノエルはこの神社の中でクリスを倒し、決着をつけた。
長きにわたるノエルの、否――雪女一族の病巣が『漂白』されたことによって、ノエルが東京に滞在する理由はなくなった。
それはつまり、ノエルが東京ブリーチャーズのメンバーでいる理由もなくなった、ということと同義だ。
だというのに、ノエルはまだブリーチャーズでいたいと。みんなの仲間でいたいと言った。
自分を欺いていた妖がリーダーを務め、ともすれば自分を葬ろうと考える者さえいるチームに、まだ残りたいと。
そう、はっきり宣言したのだ。

7 :
それを聞いたメンバーの反応は様々だった。

>すまねぇな、ノエル……いつか、いつかきっと『思い出せる』と思うから、それまで宜しく頼む

尾弐はすべてを知り、すべてを把握しながら、それを何もかも押し潰し『見なかったことにする』道を選んだ。

>計画完遂までとか言ってないで、いたけりゃ“ずっと”いろバーカ!

祈は当たり前だと言わんばかりに、ノエルの願いを受け入れた。

>ぼくらは、ずっと仲間だよ。でしょ?ノエっち

ポチは持ち前の人懐っこさでノエルの脛に身体を擦り付け、戻ってきた仲間の存在を確かめた。

「…………」

メンバーのリアクションは千差万別だったが、その示すところは同じだった。
ノエルを仲間として、今まで通り接するということ。これからも背中を、命を預け合って戦うということ。
彼を信頼しているということ――。
ポチがそっとノエルの脛から離れる。次は橘音の番だと、その目が告げている。
だから。

「フ……。何もかもボクの計算通り!今回も、またしても勝ってしまいましたね!ぶいっ!」

橘音はおどけて胸を張り、ノエルへと右手を突き出しピースサインをしてみせた。

「ボクとノエルさんの友情パワーは、ちょっとやそっとの困難じゃビクともしないって。ボクは信じてましたから!」

調子のいい発言である。もちろん言葉通り、ふたりの絆はそう簡単には壊れはしないと信じてはいた。
が、不安があったのも確かだ。もし、ノエルが自分の過去に押し潰されてしまったら。再び妖壊化してしまったら。
尾弐と共に、友を手に掛けるという最悪の選択さえしてしまっていたかもしれないのだ。
それに。いかなる理由が、深い事情があったところで、橘音がノエルに重要な真相を隠していたことは事実である。
橘音はこの戦いが始まる前、ノエルに「傷ついてもらわなければならない」と言った。
身体ではない、心の傷を。封印していた思い出したくない過去をほじくり返すことになると。
けれど、秘されていた真実を知ってもなお、ノエルは橘音に対して感謝の言葉を述べた。
偶然と思っていた出会いがその実仕組まれていたものだったなんて、よくあること――と一笑に付した。
それは。なんと勇気のある行いなのだろう。尊敬に足る選択なのだろう。
『今まで黙っていてごめんなさい、信じてくれてありがとう』と。
本来、そう謝罪と感謝の言葉を伝えなくてはならないのはこちらの方なのだ。

けれど。だからこそ。――それゆえに。
必要であるはずの言葉を、橘音はあえて口にはしなかった。
橘音は考える。

――信頼と友情には、行動で報いましょう。それが今のボクにできる、最大の謝罪と感謝のかたち……ですから。

「でもノエルさん、これからが大変ですよ?何せ、アナタはここで四つも約束をしてしまったんですからね!」

胸中で独語した後でにんまり笑みを浮かべ、ピースサインにさらに薬指と小指を銜えて四本指を立てる。

「ひとつ。『クロオさんがアナタの過去を思い出すまで、仲間として戦う』こと」
「ふたつと、みっつ。『祈ちゃんとポチさんの断りなく消えたり、どこかへ行ったりしない』こと」
「そして――よっつ。『いつお姉さんが帰ってきてもいいように、居場所を作っておく』こと」
「妖怪にとって、約束は絶対。それがどれだけ重要なものであるのか……もちろん、おわかりですよね?」

妖怪にとって、約束とは契約。自らの存在を懸けて表明する宣誓。
それを破ることは、自らの存在を否定することと同義。
これから、ノエルはずっとこの四つの約束を守り続けて生きていかなければならないのだ。そう、ずっと――

自らが雪山の霊気と冷気に還る、そのときまで。

8 :
「さて!これにて今回のミッションは終了です。雪の結界も解けました……そろそろ、人々が戻ってくるはずです」
「ボクたちはその前に撤収しましょう。さーて、引き上げ引き上げ!」

ワケもわからず境内から追い出された上、局地的な吹雪が巻き起こっているのを目撃した人々はさぞかし驚いただろう。
きっと、ほどなく警察や消防も訪れるはずだ。とすれば、さっさと逃げるに限る。
橘音は迷い家外套を大きく翻し、踵を返して閉ざされていた門を開いた。
が、そこで束の間立ち止まる。かと思うとそこで長い髪をふわりと揺らし、もう一度仲間たちの方を振り向いた。
その視界の先にあるのは、もちろんノエル。白手袋に包んだ片手を彼の方へ伸ばすと、

「――おかえりなさい、ノエルさん」

そう、微笑んで言った。
一度は消滅の道を選びかけたノエルが、紆余曲折を経てふたたび戦列に復帰したことを祝福するように。
いっとき切れかけた絆を、強固に結び直そうとするように。
ふたりはともだちだということを、再確認するように――。

*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*

「……クリスを倒すことには成功しましたが、祭神簿と國魂神鏡が喪われるとは……マズいですね」

仕事を終えて解散すると、橘音はひとり事務所の所長用の椅子に腰をおろし、デスクに両肘を立てて呟いた。
強大な雪の女王の力を持つ『支配者』クリスを相手にひとりの犠牲者も出さずに済んだのは、奇跡と言うしかない。
圧倒的戦力差を持つ東京ドミネーターズの一角を崩すことに成功したのは、まさに大金星と言うべきだろう。
しかし、その一方で帝都の結界の要所を司っていた神社の神宝が破壊されたおかげで、結界のバランスが狂ってしまった。
これで帝都の結界は十全な効力を発揮できなくなった。尾弐の考え通り、ブリーチャーズは戦術で勝って戦略で負けたのだ。
東京ドミネーターズの狙いが妖怪大統領に龍脈の力を献上することなら、今後も彼らは結界の弱体化を狙ってくるだろう。
龍脈の噴き出し口、龍穴は東京大結界の中心――皇居の真下にあり、そこが一番のパワースポットだからである。

「結界を破壊し、東京を丸裸にするつもりですか……。そんなことをすれば、いったいどうなるか……」

東京の結界は龍脈のエネルギーを皇居直下の一点に集中させると同時に、龍脈の力を制御する役割も持っている。
言うなれば水道の蛇口のようなものだ。結界があるから、東京は適正な龍脈のエネルギーの恩恵に与っていられる。
しかし、東京ドミネーターズはその蛇口を――否、地下に埋設された水道管をも破壊しようとしている。
もしそんなことが起これば、東京がどうなるかは明らかだろう。
だが、ドミネーターズはそれを躊躇うまい。目的のためなら、誰が何人犠牲になろうと構わない連中だ。
そんなことは、絶対に阻止しなければならない。

「……まったく、御前も無茶なことを……。けれど、この仕事を完璧にやり遂げなくちゃお話にならない」

単に邪なだけの妖壊が相手なら、ここまで事態は深刻にならない。
東京に施された結界は、東照大権現配下の南光坊天海が編み上げた結界の上に、さらに幾重にも結界を重ねた大結界である。
それを破壊するとなれば、試みる側にも入念な下準備と莫大な妖力・法力が必要となる。
いかに魔王や魔神といった伝説・神話クラスの化生と言えど、まともにやれば数十年の月日を費やすことになるのだ。
が、東京ドミネーターズの中には結界というものを知り尽くした存在がいる。それが問題だった。
目を閉じると、瞼の裏に毒々しい血色のマントがちらつく。

「アナタの好きにはさせませんよ……。もう、あのころのボクじゃないんだ」

耳の奥で、癇高い笑い声が木霊する。それを振り払うように一度かぶりを振ると、橘音は口角を歪めて笑った。

「ボクには目的がある。叶えなくちゃならない願いがある……。こんなところで立ち止まってなんていられない」
「化かし合いだ。ボクとアナタ、どちらがうわてか――勝負と行きましょう」
「そして、アナタに勝って。願いを叶えたそのときこそ……」

そこまで言って椅子から立ち上がり、常にかぶっている半狐面を外す。
右手に持った半狐面をまじまじと見つめると、橘音は僅かに目を細めた。そして、

「――ボクの。新しい生が始まるんだ」

と、静かに言った。

9 :
「……まさか、クリスが敗れるなんて……想定外ですわね」

都内某所、帝都の街並みを望む高級ホテルの最上階で、レディベアが眉間に皺を寄せる。

「フン。やっぱり女なんぞに先陣を切らせたのが間違いだったな。オレ様が行ってりゃ、今頃ブリーチャーズなんぞ血祭りだったのによ」

そう言いながらブランデーの入ったグラスを勢いよく呷ったのは、ホームバーのカウンターに座った人狼ロボだ。

「彼女の力は、所詮借り物。彼女本来の力ではなかった……彼女は真の『支配者』ではなかったということだヨ」

部屋の片隅に佇む赤マントが嘲るように告げる。
レディベアが赤マントの方に隻眼を向ける。

「ブリーチャーズはどうしたのです?祈は?」
「祈?誰だネ?」
「ええと……。中学生くらいの。わたくしと同じくらいの背格好の――」
「ああ、あの子ね。凍えていたが死んじゃいないだろうサ」
「そ、そうですか……」
「クリスくんはひとりの下等妖怪も倒せなかった。期待外れだヨ、妖怪大統領閣下の名代として、キミも腹立たしいだろ?レディ」
「……そうですわね」

言葉とは裏腹に、レディベアはほんの一瞬ホッとしたような表情を浮かべた。片手を胸元に添えて撫で下ろす。

「レディ?どうしたのかネ?」
「なんでもありませんわ。……それより、クリスが敗れたからと言って計画に遅滞は許されませんわ。わかっていて?」
「勿論だヨ。吾輩は次のプランの準備にかかる、ということで……」
「下等妖怪どもはオレ様に任せな、全殺しだ!ゲッハハハハハァ―――――ッ!!」

カウンターバーのスツールから勢いよく立ち上がり、ロボが名乗りを上げる。
レディベアと赤マントは揃ってロボを見た。

「……勝算はありますの?」
「勝算だァ?カッ!テメェは蝿を潰すとき、いちいち『蝿と勝負した』なんて考えるのかよ?」

勝負ではない、一方的な殺戮に行くのだと言外に言っている。強烈なほどの自負心だ。

「ここの酒も悪くねえが、やっぱり心と身体を芯から酔わせるのは血よ。そろそろたらふく血を呑みてえ気分なんだ」

ロボが唇の端から長大な牙を覗かせる。
2メートルを超える筋骨隆々とした体躯から、闘気と殺気が迸る。人間はもとより、弱妖さえ気絶しかねない圧倒的な気だった。
そんなロボの放つ気を受け流しながら、赤マントが嗤う。

「クカカ……さすがは『狼王』。クリスくんのような紛い物とは違う、真の王……まず敗北はないと思うが、ネ」
「しかし、気を付けたまえ……格下と思っていると、思わぬところで足元を掬われる羽目になるかもヨ?」
「あ?」

忠告とも揶揄ともつかない赤マントの言葉に、ロボは鼻白んだ。

「王前だぜ、口の利き方に気をつけろよ……心配ならテメェ自身の心配をしておきな、道化野郎。そもそも――」
「どうしてテメェみてえな野郎がドミネーターズとしてオレ様たちと肩を並べてるのか、オレ様はまだ納得してねえんだからな」

「ククッ!これは失礼。王のお言葉、有難く頂戴しておくことにするヨ」

「仲間割れはおやめなさい。それより、行動開始ですわ。すべては我が父、妖怪大統領のために……」

レディベアがロボと赤マントの間に割って入る。赤マントが音もなく姿を消し、ロボも外へ行ってしまう。
壁掛け時計の時刻を確認し、中学の制服に着替えると、最後に残されたレディベアも部屋を出て行った。

10 :
>「……あー、オジサン。日頃の不摂生と二日酔いと失血のし過ぎが重なって、ここ数時間の記憶が曖昧なんだよな」
>「年食うと物忘れが激しくなってダメだな……色男の過去とか、全然思い出せねぇ」

記憶にございませんという大人の返答を聞いたノエルが浮かべたのは――心底安心したような表情だった。

「忘れちゃったの? 良かったあ!」

考えてみれば、5人もの仲間を直接奪い去ったクリスは言うまでも無く、彼女の暴走の原因となった自分も恨まれて当然だ。
それなのに、何も聞かなかったことにしてくれるという。それで充分過ぎた。
そして、彼は限りなく人間で果てしなく妖怪なんだな、と思う。
その尺度は限りなく人間のもので、自らのそれに縛られる様は果てしなく妖怪、という意味だ。
妖怪――特にその辺から湧いてくるような精霊系・お化け系の妖怪ならば、
ノエルやあるいはムジナのように人間とは違った尺度で世界を捉える事ができる。
人間ならば、祈のように様々な経験を経て考え方を変化させていったり、理屈抜きで心の感じたままに柔軟に生きる事も出来る。
きっと彼はそのどちらも出来ないのだ。そんな彼が絞り出した苦肉の妥協点を誰が責められようか。
同時に、その人間の尺度を限りなく強固なものとしてしまった何かが過去にあったのだと確信する。
妖怪の契約には本人の意思を超越した強制力が働く。
そして相手の受諾が無い一方的な誓いにも、契約程ではないがそれに準ずる効力があるという。
場合によっては、それらの強制力が絡んでいる可能性も――
だから、殺意を向けられたことに対する怒りや悲しみは、尾弐自身には向かない。かといって今更自分を責めることもしない。
ノエルがそれを向ける対象は、抗えざる世界の理、運命の歯車のようなものだ。

「長く生きてると黒歴史って割と誰にでもあるよね!」

尾弐は気付いただろうか。
単に自分の事を言っているように見せかけて、こちらも何も聞かずにそっとしておくよ、というダブルミーニング。
もしも自分が尾弐の過去に踏み込む資格があるのならば、意図せずとも知る時が来るのだ。
今のノエルは世界をそんな風に捉えている。

>「すまねぇな、ノエル……いつか、いつかきっと『思い出せる』と思うから、それまで宜しく頼む」

「うん、でも恥ずかしいから無理に思い出そうとしなくてもいいよ。何かの拍子に思い出しちゃったら……その時は仕方がないね!」

今のままで充分過ぎるけど、それでもその時が来るのを願う。
それはきっと彼自身が過去の呪縛から解放される時だから。
続いて祈が歩み寄ってくる。そして歩いてきたそのままの流れでいきなり脛に蹴りを入れた。

「あいたっ!」

これはノエルが変態発言をした時のお約束だが、もう後にも先にも無いだろうと思われる一世一代の真面目な台詞でコレである。
更に襟首を捕まれ、すっかり調子を崩され面喰うノエル。

「な、何、いきなり!? 別に何も変な事言ってない……」

と言いつつも、語尾になるにつれて声が小さくなる。冷静になって自分の発言を省みてみると……

変態男「忘れてたけど実は僕は妹属性の美少女でドSな王女様だったんだ!」
 
これはアカン――もう手遅れだ。飲食店経営(意味深・しかも需要無し)だ。
普通なら「だが断る」と即答したくなるところを何も聞かなかったことにできる尾弐のOTONA力半端ない。
とノエりかけた思考を祈の次の言葉が引き戻す。

>「おうコラアホ御幸。あたしがあんたのこと、そんぐらいで嫌いになる訳ないだろ」

「ご、ごめん……!」

11 :
気を使っているのではないか、等と疑いを挟む余地も生まれぬような、見事なメンチで完全屈服させられた。
そういえば学校では不良っぽく振る舞ってるんだったか。
考えてみれば――みゆきが妖壊化したのは、尾弐にとってはもしかしたら一昔か二昔前程度かもしれないが、
14歳の祈にとっては想像を絶するような遥か古の出来事。
そして祈は3年前はまだブリーチャーズに所属しておらず、彼女自身はクリスに仲間を奪われたわけではない。
「そんぐらい」と言い切れるのは、それらの要因が多分に影響しているのかもしれないが。
それでも、そんな事は関係なく――滅茶苦茶救われた気がした。

>「それでもいい? じゃないっての。いいに決まってんだろ。
つーかあたしに断りなくまた勝手に消えようとしたら、次はこんなもんじゃ済まさねーから。わかったか?」

今のノエル(人格統合後)は、ノエル(人格統合前)が消えた時の祈の悲しみようを乃恵瑠として見ていたので知っている。
有難さやら申し訳なさで視界が滲む。
消えないし死なない、もう二度とあんな思いはさせない、なんて真面目に答えたら涙が零れ落ちてしまいそうで。

「分かった、分かったから離して! 服が伸びちゃう」

事情を知らない人が端から見ると締められて涙目になっているようにしか見えない。

>「計画完遂までとか言ってないで、いたけりゃ“ずっと”いろバーカ!」

思えばブリーチャーズを結成する前から橘音は探偵事務所をやっていて祈は探偵事務所の助手で。
今は妖怪もみんな人の世に根付いて生きているのに。
自分は未だ人の世とは隔たれた世界で生きる一族の後継者。ここにいられるのは、ほんの少しの間だけ。
さっきまで心のどこかでそう思っていたのだけど。
ずっと――いてもいいのかな? いつかは雪の女王を継ぐとはいえすぐにすぐではないだろう。
いや、そもそも女王は山に引き籠っていないといけないという前提が前時代の遺物であって
一族の長自ら人との良き関係性を探るという名目で人間界に出張するのもアリかもしれない。

「うん、考えとく!」

そう言った時にはポチが足元に来ていて、祈に蹴られた脛に体を擦り付ける。

>「……えへへ、言いたいことぜんぶ、祈ちゃんが言ってくれちゃった。
 ぼくらは、ずっと仲間だよ。でしょ?ノエっち」

いつも通りの人懐っこい様子でこちらを見上げるポチをまじまじと見つめる。
さっきまで荘厳な狼の姿になっていた気がするが、今や見る影もない。あれは妖怪送り狼の一般的な姿だ。
その原型になったと思われるニホンオオカミは昔は雪山でも見かけたものだが、ある次期を境にすっかり姿を見なくなった。
後で知ったところによると絶滅したという。
ポチは送り狼の要素を持つとは聞いていたが、遥か昔の先祖に狼がいる、程度だと思っていたけど違うのだろうか。
まだ6歳だから人間に化けられないのかと思っていたが、ニホンオオカミを直接親に持つと仮定すると軽く100年は生きている事になるが――
勝手に実年齢だと思っていただけで6歳は外見年齢もしくはポチになってからの年齢なのか?
あれ? だとしたら何で人間に化けられないんだろう。
ここまで考えて、考えるのをやめた。今は別にどうでもいい事だ。

>「もう、勝手にどっか行っちゃだめだよ、ノエっち。
 もし次おんなじ事をしたら……きみが転ぶまで、追っかけまわしちゃうかもね」

「逃げられないよ! 逃げたら不良中学生と送り狼(意味深)に襲われるとか怖すぎるわ!」

12 :
零れ落ちそうになる涙を誤魔化すように、ポチに抱きついて毛皮に顔を埋めた。
送り狼の毛皮をタオル代わりにするとは何たる狼藉。狼だけに。
ポチを解放し、橘音の方に目を向け、聞こえるか聞こえないか程の声で呟く。

「きっちゃん……」

橘音はきっちゃんなのかという謎は、果たしてここで明かされるのだろうか。

>「フ……。何もかもボクの計算通り!今回も、またしても勝ってしまいましたね!ぶいっ!」
>「ボクとノエルさんの友情パワーは、ちょっとやそっとの困難じゃビクともしないって。ボクは信じてましたから!」

「とーぜん! ブリーチャーズ最強のノエリストたる僕が負けるはずはないだろう!
そう、あれは女装してやる気を出そうと思っただけだ。僕は女装趣味だったんだ!」

そう言ってピースサインを返す。謎の答えは――暫くお預けのようだった。
橘音はVサインの指を更に二つ増やし、妙に楽しげに言う。

>でもノエルさん、これからが大変ですよ?何せ、アナタはここで四つも約束をしてしまったんですからね!」
>「ひとつ。『クロオさんがアナタの過去を思い出すまで、仲間として戦う』こと」
>「ふたつと、みっつ。『祈ちゃんとポチさんの断りなく消えたり、どこかへ行ったりしない』こと」
>「そして――よっつ。『いつお姉さんが帰ってきてもいいように、居場所を作っておく』こと」
>「妖怪にとって、約束は絶対。それがどれだけ重要なものであるのか……もちろん、おわかりですよね?」

妖怪界は契約は絶対のくせに契約成立条件はガバガバというとんでもない仕様であった。
人間界では契約書の下の方に誰も読まないような小さい文字で書いておく常套手段とかあるがあれの比ではない。
あちゃー、という感じで頭を抱える。

「二つ目と三つ目って半分脅迫じゃん! 妖怪界ってえげつねーーーー! ってか何で無駄に楽しそうなの!?」

>「さて!これにて今回のミッションは終了です。雪の結界も解けました……そろそろ、人々が戻ってくるはずです」
>「ボクたちはその前に撤収しましょう。さーて、引き上げ引き上げ!」

まるで買い出しを済ませたかのごとく軽い調子で撤収を告げる橘音。
と、何かを思い出したかのように振り返る。長い髪がふわりと揺れる。
仮面で顔は隠れているにも拘わらず、微笑んでいるように見えた。
一瞬だけ、ふわふわでもふもふの狐耳狐尻尾美少女が微笑んでいるように見えた。
これはアカン――重症である。

>「――おかえりなさい、ノエルさん」

「――ただいま、きっちゃん。ああ、それと……」

これだけは言っておかなければならないということを思い出したようで。どんっ!と効果音が付きそうな感じで宣言する。

「東京に来てからはメディアに露出はしてるけど露出はしてないから!」

逆説――雪山に引き籠っていた頃は露出していたのだろうかと色々と想像力をかきたてる爆弾発言をした。
当然当時は乃恵瑠(女性形態)なわけだが、想像しても全く楽しくないので想像しないようにしよう。
尚、忠告したにも拘わらず想像してしまってハゲたり総白髪になったとしても一切の責任は負いかねます。

13 :
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚

その後、先刻姉を見送ったとは思えぬ調子で何事も無かったかのように橘音と本拠地の雑居ビルに帰り、
何気なくドアに手をかけて……店舗兼住宅の玄関の鍵が開いていることに気付く。
鍵を閉め忘れたかな?と怪訝に思いながら入ると……。

「「お帰りなさいませ、姫様」」

毎日入り浸って背景と化していた常連客の通称作者と編集者が何故かメイド服と執事服に身を包んで恭しく礼をしていた。

「ああーっ、君達勝手に侵入して何やってんの!?
……こんな扱い辛い主に何百年も仕えて、こんなところまで付いてきて……苦労を、かけたね。
作者改めゲルダと編集者改めカイ」

「いえ、本当の姫様に会うこの日を楽しみにしていました」

彼らは乃恵瑠時代の従者Aと従者B的なポジションで、ノエルが東京に来るにあたって密かに付いてきて見張って、もとい見守っていたのであった。
勧められるままに椅子に座り、かき氷が目の前に置かれる。

「どうぞ。姫様ほど上手く作れませんけど」

ノエルはかき氷を口に運びながら、姉を思い出して泣き出した。
やり方はちょっといやかなり間違ってしまったけれど、徹頭徹尾ノエルのことを想い続けた姉。
そんな彼女の最期の言葉も、やはりノエルの幸せを願うものだった。

「うぅ……えぐっ……うわぁああああああああああん!」

ひとしきり泣いた後、自分がいつの間にか女装していることに気付くノエル。

「とりあえず姫様はやめて。クロちゃんが全身鳥肌になっちゃう……あれ? ほら、君達が姫様言うから女装しちゃったじゃん!」

「念のため突っ込んでおくと女装ではなく一応そっちが本来の姿ですからね」

「いやもうこれは性別:ノエルという新概念かと……って何をしているきさまー!?」

ノエルは何を思ったか服の首の部分を引っ張って中を覗き込んでいた。胸囲の格差社会――そんな謎ワードが思い浮かぶ。

14 :
「せめて僕が巨乳だったら姉上を感じる事が出来るのに……! ああ、巨乳に顔をうずめたい!
妖怪は人々がそうあれかしと思えばそうなる――そなた達が思い込んでくれれば巨乳になるんじゃないか」

「姫様はそれ位で丁度いいかと……じゃなくて自分が巨乳になっても巨乳に顔をうずめられないと思います!」

「それは盲点だった……! ではそなたらが気合で巨乳になれ!」

「残念ながらもう何百年もこれなので今更無理です」「ちょっとどこから会話に参加していいのか分からない!」

ここにきて巨乳属性という新たな扉が開いてしまったらしい。それは巨乳の姉への憧憬に由来するものであり、断じて変態ではない。
ここでおもむろに服を脱ぎ始めるノエル。例によって氷から出る湯気的なやつ通称氷湯気が辺りに充満する。
続きは音声のみでお楽しみください。

「寂しいのは分かりますがお気を確かに持ってください!
裸で外に出てはお体に障ります! 東京の空気中にはPM2,5とかの有害物質が飛び交っているのです!」

「いや、そういう問題じゃねー!」

「体に触るだと!? 具体的にどこをどう触るというのだ。まあ良い、妾は風呂に入るぞ――裸になって何が悪い。
望み通り触らせてやろう。久々に妾の体を隅々まで隈なく丹念に洗うがよい」

「キマシタワー!」

「何も来ません! 途中で男装したりしないでくださいよ!?」

「それはそれで楽しいかと」

「楽しいかボケ!」

ところで主君が何もせずに湯船につかって従者に体を洗わせるという行為は広い屋敷のでかい風呂で初めて成立するわけであり、
それを雑居ビルの狭い風呂でやろうとするとどうなるかは自明の理。キマシタワー!? いや、知らんがな。

なにはともあれ、ノエルと愉快な仲間たちの戦いはこれからだ! ――あ、打ちきり最終回ではない。念のため。

15 :
東京ブリーチャーズの面々は、ノエルの願いに対し各々の答えを返していく。

>「計画完遂までとか言ってないで、いたけりゃ“ずっと”いろバーカ!」

祈は、叱咤激励するかの様に真っ直ぐに、真正面からその願いを受け入れて見せた。

>「もう、勝手にどっか行っちゃだめだよ、ノエっち。
>もし次おんなじ事をしたら……きみが転ぶまで、追っかけまわしちゃうかもね」

ポチは、何処かたどたどしく、確かめる様に……しかしその全身を以って、ノエルに居て欲しいと願った。

>「ボクとノエルさんの友情パワーは、ちょっとやそっとの困難じゃビクともしないって。ボクは信じてましたから!」

那須野は……悔恨や慚愧、そして恐らくは安堵。
それらの思いを全て抱えた上で、敢えて陽気におどけて見せた。

そして、彼らの言葉を受けたノエルは……

> 「――ただいま、きっちゃん。ああ、それと……」
> 「東京に来てからはメディアに露出はしてるけど露出はしてないから!」

想いを。尾弐の中途半端な言葉と、他のメンバーたちの強く眩しい言葉と行動。
それらの全てを眼を逸らす事無く受け入れ、いつも通りノエってみせた。

「……色男の店の近くの公園に不審者出没注意の張り紙が増えてたんだが、あれお前さんじゃなかったんだな」

あまりにいつも通りなノエりっぷりは、尾弐が苦笑いを浮かべながらも話に乗る程で……きっと、この光景は一種の奇跡なのだろう。

今回の戦いにおいては、それぞれが様々な事を思い、想った。
そこには、愛や悔恨……そして殺意や喪失の悲しみさえも存在していた。
にも関わらず――――こうして、何事も無かったかの様に。いつも通りに笑い合えている。

それは、どれ程得難い事だろう。
それは、どれ程尊い事だろう。

その奇跡を皆より一歩離れた距離から眺める尾弐は、ノエルの瞳の端に映る水滴。
雪解け水か、或いはそれ以外の何かか。
透明で美しいそれを見なかった事にしながら、珍しくも他意の無い笑顔を浮かべるのであった。

16 :
>「さて!これにて今回のミッションは終了です。雪の結界も解けました……そろそろ、人々が戻ってくるはずです」
>「ボクたちはその前に撤収しましょう。さーて、引き上げ引き上げ!」

さて、戦闘は終わったが、撤収までが戦いである。
凍り付いた境内や、破壊された各種の物品。
このまま居残っていれば駆け付けた警察にそれらを見咎められ、お縄を頂戴する事になるのは自明の理だ。

「ったく……毎度の事ながら慌ただしいねぇ。とりあえず、オジサンは服着替えて一杯引っかけてから帰るとするわ。
 嬢ちゃんにポチ、お前さん達は寄り道しないで真っ直ぐ帰れよ。体力までは回復してねぇんだからな」

那須野の言葉を受けた尾弐は、肺に入った冷気を吐き出すように軽い咳をすると、
無人の神社の売店へと向かい、無造作に懐から出した高額紙幣を二枚と引き換えに、清酒の酒瓶を一本掴む。
そうして、別れの挨拶として皆に一度ひらひら右手を振ると……神社の脇の石塀を、軽々と飛びこし去って行った。

17 :
・・・
戦いの舞台となった神社から離れた所に建つビル群、その路地裏。
薄暗く黴臭い細道を、尾弐はふらつきながら歩いていく。
日の光は刺さず、人の目も無い、迷路の様な空間。
本来であれば悪漢の溜まり場にでもなっていそうな悪路であるが……けれど、この道には尾弐以外の人影は一つもなかった。

当然と言えば当然だろう。何故ならば、この路地裏には入口が存在しないのだから。
デッドスペース、都市計画の失敗により生まれた死角。
3m以上の高さのコンクリ壁や、僅か10cm程しかないビルの隙間。
他にもあらゆる要素が、善悪問わずにこの道への人間侵入を阻み、拒絶している。
言うなればここは、偶然が生んだ結界の様な空間なのである。

故に、ここに入る事が出来る者がいるとすれば、人間以外の小動物や、或いは
障壁を鼻歌交じりに乗り越える人外の化物くらいであり、だからこそ尾弐黒雄はこの路地裏を、
己が拠点の一つとして利用していた。

「……」

遅々とした速度で歩みを進めていた尾弐であったが――――ふと、その歩みが止まる。
どうやら、目的地に辿り着いたらしい。
尾弐の眼前に広がるのは、10畳程の小さな空間。
そこにはビルの隙間を縫って陽光が刺しこんでおり、一種清浄さすら感じられる場所であるのだが……
空間の床に敷き詰められる様にして放置されている空の酒瓶の数々により、その清浄さは台無しになっていた。
散らばる酒瓶は新しい物から古い物まで数多く、瓶に貼られた銘柄も雑多であるが、唯一共通しているのは、
それらの全てが清酒や赤ワイン……つまりは、神事に用いる物であるという事だろう。

尾弐は再度足を動かし空間の奥、コンクリの壁まで辿り着くと、そこに背を預けそのままズルズルと倒れる様に座り込む。
そして、震える手で手に持った中身の入った酒瓶……神事用の清酒の蓋を開けると、そのまま瓶の口を咥え、中身の酒を胃へと流し込み始めた。
そのまま、中身を半分ほど飲み干した尾弐であったが……

「……ぐっ、お、え」

程なくして顔色が蒼白になり、口元を抑え、飲み干した酒を全て吐き出してしまった。
それは、飲み過ぎによる嘔吐――――ではない。
尾弐の吐き出した酒は、まるでタールの様に黒く変色しており、
その液体に触れた雑草が、強力な呪詛でも受けたかの様に瞬く間に枯れ果ててしまった。

「ゲホッ……っ、神事の酒でも浄化しきれねか……いよいよ時間がねぇな」

口元を袖で拭った尾弐は、脂汗を浮かべながら自嘲交じりの笑みを浮かべる。

「……残りの敵は、クリス級の化物が数人に、それ以上にヤベぇ妖怪大統領……流石に出し惜しみなんて出来ねぇな。
 せめて、祈の嬢ちゃんの成人式くらいは見届けられると思ったんだがね」

英霊達から受けた傷が、黒い瘴気の煙を上げながら復元していくのを眺めながら、尾弐は息を吐く。

「……まあ、贅沢言うもんじゃねぇか。元より俺みてぇな化物には与えられるべきじゃなかったモンだ」

尾弐の脳裏に思い浮かぶのは、陽だまりの様な日々。
那須野、ノエル、祈、ポチ、ムジナ。かつてそれぞれが笑い、過ごした時間。
それらから目を逸らすように、尾弐は視線を空に……ビルの隙間から見える青色へと向けると、自分に言い聞かせる様にして言葉を吐きだす。

「俺がするべきは、誓いと契約を果たす事……」

見上げた空の光を遮るように瞼を閉じれば、そこに残るのは暗く果てない闇。尾弐黒雄が本来居るべき場所。
尾弐は……その闇の中に浮かぶ、小さな光。色あせぬ出会いの光景を思い出しながら、刻み込むように誓いを呟く

「……ああ、守るさ。全部を黒く塗りつぶしてでも、俺がお前を守ってみせる」

尾弐黒雄。身体から悍ましい瘴気を零す悪鬼は、光射す暗闇の中でただ一人無様に蠢く――――。

18 :
 尾弐が、祈が、ポチが、そして橘音が。
各々の言葉と態度でノエルを受け入れた。
他のブリーチャーズに今の自分を認められたことでノエルの心にも決着がつき、
これで正真正銘、今日の戦いは終わったのだろうと思われた。

>でもノエルさん、これからが大変ですよ?何せ、アナタはここで四つも約束をしてしまったんですからね!」
>「ひとつ。『クロオさんがアナタの過去を思い出すまで、仲間として戦う』こと」
>「ふたつと、みっつ。『祈ちゃんとポチさんの断りなく消えたり、どこかへ行ったりしない』こと」
>「そして――よっつ。『いつお姉さんが帰ってきてもいいように、居場所を作っておく』こと」
>「妖怪にとって、約束は絶対。それがどれだけ重要なものであるのか……もちろん、おわかりですよね?」

>「二つ目と三つ目って半分脅迫じゃん! 妖怪界ってえげつねーーーー! ってか何で無駄に楽しそうなの!?」
 更にこんなオチがついて、祈は僅かに笑う。
いつものブリーチャーズが戻ってきているように思えたからだ。
ノエルがどれ程傷付いているかはわからないが、表面上は少なくともいつも通りだった。

>「さて!これにて今回のミッションは終了です。雪の結界も解けました……そろそろ、人々が戻ってくるはずです」
>「ボクたちはその前に撤収しましょう。さーて、引き上げ引き上げ!」
 一段落したところで、橘音がそう切り出した。
 そうである。ポチの遠吠えによって境内から逃げ出した人々は何が起きたのかと今頃不審がっているであろうし、
外からはクリスの生み出した吹雪はどう見えていたかわからない。
局地的な吹雪という怪現象を前に、マスコミが来ていてもおかしくはない気がした。
 それに加え、神社は荒れている。『神宝』そして『神体』。
二つの掛け替えのないものもいつの間にか破壊されてしまっており、
この場に留まっていればその件について追及されることも考えられた。
そして、妖怪から守ろうとしたけど守れませんでした等と言っても誰も信じはしないし、
もしかしたら、容疑者として警察に捕まってしまうかもしれないのだ。
荒れたままの神社をこのままにしておくのもしのびないが、こんな時は逃げるに限るのだった。
人知れず妖怪と戦うブリーチャーズにとってはよくあること言えど、逃げるのはいまいち慣れない祈である。

>「ったく……毎度の事ながら慌ただしいねぇ。とりあえず、オジサンは服着替えて一杯引っかけてから帰るとするわ。
>嬢ちゃんにポチ、お前さん達は寄り道しないで真っ直ぐ帰れよ。体力までは回復してねぇんだからな」
 尾弐が手馴れた様子で橘音に答え、ポチや祈に注意を促してはもう歩き出している。
「ん。わかったー」
 祈は返事をして、塀をひょいと越えていく尾弐を見送ると、散らばった鞘や剣を回収した。
それぞれを鞘に納め、その凄まじき力に封をし、両手で抱える。
「つっても、せめて剣ぐらいは返してから帰んないとね……んじゃ、みんなまたね」
 そう言って祈は皆に向けてひらりと手を振ると、
返事も待たずに本殿に向けて駆け出し、あっという間に見えなくなる。
 神剣は、もはやこの神社に残された唯一のご神体となった。
即ち英霊、国を護ってくれた彼らにとって、唯一の依代となるものだと思われた。
神鏡と祭神簿なき今、彼らが国難に際しその力を解放することはないとは言え、
これは彼らの体、彼らの宿るもの、彼らの帰る場所だ。残ったこの剣は元に戻してあげなければと思ったのだった。
九段刀も同様だ。これもまた、彼らが戦ってきた歴史や誇りが詰まっている大事な一振なのだから。
 納められていた場所は祈しか恐らく知るまいし、借りた祈が元の場所へと戻さねばならない。
祈は本殿に入り、その最奥に神剣や九段刀を元通りに戻すと、手を合わせ深く礼をして、そうして家路につく。
尾弐の真似をしてひょいと塀を飛び超えて、人気のない所に降り立って歩き出す。
 そして表通りに出た所で、ふと思い出す。
自分が、雪水でずぶ濡れのみっともない格好であることに。
しかも制服の右肩は裂けていて、もう止まっているが出血の跡もある。
ハンカチを巻けば右肩の辺りは隠せるとしても、雨も降っていないのに濡れた制服を着ていれば当然目立つ。
せめて橘音から迷い家外套を剥ぎ取っておくべきだったと、今更になって祈は思うのだった。

19 :
 人目を避けながらどうにかこうにか自宅に戻った祈は、
風呂に入って私服に着替えた後、早めの夕飯を食べていた。
 何故早めなのかと言えば、それは吹雪に晒されたことや英霊から受けた傷により体力を消耗していた為、
平たく言えばお腹が空いていたことによる。
あと一品作るから大人しく待っていろと言う祖母にどうしてもとねだって、
仕方ないからこれだけでもゆっくり食べて待ってなさい、という言葉を引き出して、
早めに一人食べているのである。
 今日はカレーだった。
皿に盛ったご飯に、大きめに切った具がゴロゴロ入った甘口のカレーがかかっている。
カレーをスプーンで掬って口に運びながら、祈は今日の出来事を振り返っていた。
 口内に広がる人参の甘みが嬉しい。
(おいし……)
 クリス戦を終えて、いくつか思うことが祈にはあった。
 まず一つは、自分はまだまだ力不足であるということ。
悔しくも今日は、クリスの繰り出した吹雪を前に為す術なく倒れてしまっていた。
そこには、クリスのような妖術に長けた相手との相性の悪さがある。
あちらは冷気、つらら、雪、氷……様々な術を用いて遠距離から攻撃を仕掛けられるが、
祈は道具などの準備がなければ近付いて蹴るという単調且つ直接的な攻撃手段しか持たない。
半妖ゆえの脆弱さも相俟って、一方的な戦いになりやすいのだ。
 雪女に限らず、炎や雷、風など、様々な術を用いて攻撃できる妖怪は日本にも数多く存在する。
海外の妖怪・怪物の中にもいるだろう。
そのような敵といつ相対しても大丈夫なように、何らかの対策を練るのは急務だと言えた。
 次に、ポチ、尾弐、ノエル。仲間の精神状態が気になった。
ポチは狼に対して並々ならぬ感情を抱いていることが分かった。
祈なりに気持ちを伝えてフォローしたつもりであるし、これからを見守っていきたいところだが、
厳しくなる戦いにおいて、それが致命的な隙とならなければいいな、などと思う。
 それから尾弐は一度《妖壊》と化した経験のあるノエルに対し、思うことがあるようだった。
戦闘後にそそくさと帰ってしまったのも少々気にかかるし、
尾弐とノエルはもしかしたら、今後少しだけギスギスするかもしれない。
 ノエルもまた、仲間に受け入れられて決意を新たにしたところではあるが、
今日一日であまりにも色んなことがありすぎた。
姉と再会し、自分が何のために生まれた人格であるか知り、《妖壊》となった過去の罪を知り。
それによって消えかけたと思えば過去の人格達と一つとなって舞い戻って、
そして、その日のうちに姉を失った。
その衝撃は計り知れない。元々は3歳児なのだし、優しくしてやらねばならないなと思う。
皆それぞれ、気を配る必要がある、ということだ。
 止まっていた手を動かし、カレーと白米を口に持って行きながら、
ノエルを蹴ったのはやりすぎだっただろうか、バカなんて言わなきゃ良かったかな、
思えばちょっと涙目になってた気がするし。などと今更ながらちょっとした後悔をする。
口に入ったのは小さく刻まれたピーマンで、甘口カレーの中にあってもほのかに苦かった。
 でも、消えられた時の痛みはこんなもんじゃなかったのだと、
そう伝えるには他にどうすれば良かったのだろう。
祈にはわからない。いなくなられたら困る。とても寂しい。嫌だ。悲しい。
そんな素直な気持ちをそのままぶつけるのもどうしてか――、
子どもっぽいだとか多分そう言う理由で――躊躇われたことであるし。
 もやもやとした気持ちを抱えながら次に考えるのは、クリスのことだった。

20 :
 彼女の死は祈にとっても少し苦いものになった。
多くの人々を苦しませた倒すべき敵、東京ドミネーターズ。
その一角を倒せたのはある種、確かに喜ばしい一面がある。
しかし、僅かな時間ではあるものの彼女と接したことで、彼女がどんな人物なのかを垣間見てしまった。
それによって、祈の中でただ憎むべき敵、
倒すべき敵でしかなかったものに、血が通う。生きた一個の人格となる。
激情家で、好戦的で。口が悪くて。やることなすこと滅茶苦茶だった。
だが、確かにノエルのことを想っていたように思う。
その手段はどうあれ、大事な物の為に必死に戦っていたのだと思う。
そう思うと、憎み切ることができない。
 誰かにとっては仇であっても、ノエルにとってはただ一人の大事な姉。
そして最期は、死という罰だって受けた。
だから敵であっても、その魂の安息を願うくらいは許されて欲しいなと祈は思う。
 そしてもし、彼女が安らかに眠れる時が来るとすれば、
それはブリーチャーズが東京から『妖怪大統領』という脅威を打ち払った時だろう。
クリスは、『妖怪大統領』の支配下にある方がまだノエルは安全だと考えていたかもしれない。
“正義を掲げながらノエルを利用する悪党集団”であるブリーチャーズに
ノエルが所属したままになっていることを不服に思うかもしれない。
だが人の想いを利用し、自らの欲を満たす為に虐Rら肯定するような、
そんな支配者を頂きに据えた世界にはきっと、未来なんてない。
クリスが目覚め、ノエルと笑って再会できるような優しい未来なんてものは特に。
だから『妖怪大統領』が攻めてくるというのなら、勝たねばならない。負けられない。
英霊達の守護を失った東京に、支配を求める凶悪な妖怪、『妖怪大統領』がやってくる。
その日はいよいよ近付きつつある。
加えて、クリスを失ったことでドミネーターズも本腰を入れてブリーチャーズを潰しにかかるかもしれず、
戦いはますます激化するだろう。だがそれでも――。
 そう考えていた時だった。祖母が、ある物を持って入ってきたのは。
「嘘だろ……」
 祖母が持つ皿の上に載せられている物に、祈は目を奪われる。
 あと一品というのはせいぜいサラダだと思っていた。
祖母はサラダが好きだし、何かにつけて祈に野菜を食べさせようとするからだ。
だがそれはサラダとは根本的に異なっている。
デミグラスソースの甘い薫り。それに混じる匂いからして、使われているのは恐らく牛肉のみ。
貧乏な祈の家ではまずお目にかかれない代物。牛肉ハンバーグ様がそこに座している。
 皿の上にハンバーグは三つ。その内二つが祈のカレーの入った皿に移された。
デミグラスソースとカレーが混じりあう。そう、今日の夕飯はカレーではない。
(ハンバーグカレー……!!)
 祈が今日の戦闘で体力を消耗しているのを見越した祖母が、
体力や気力を回復させる為にと気を利かせて作ってくれたのであるが、
祈はそれを知らず、目の前のご馳走に目を奪われるばかりだ。
そして言葉は不要とばかりに一心不乱に食べ始める。
 二杯目のおかわりしようと立ち上がる祈に、祖母がふと声を掛ける。
食べ終わったら今日も出掛けるから準備をしろ、と。
 祈はそれに、にっと笑って答える。
「わかってる。今日もよろしくね、ばーちゃん」
――だがそれでも、みんなと力を合わせて立ち向かうだけだ。
そして、絶対に勝つ。
 その為にも今は、牙を磨かねばならないのだ。

21 :
あ、糞でる



ブリブリ


ブリュッ、ブリュッ…!

22 :
最近動きがないな

23 :
>「フ……。何もかもボクの計算通り!今回も、またしても勝ってしまいましたね!ぶいっ!」
>「ボクとノエルさんの友情パワーは、ちょっとやそっとの困難じゃビクともしないって。ボクは信じてましたから!」
>「とーぜん! ブリーチャーズ最強のノエリストたる僕が負けるはずはないだろう!
  そう、あれは女装してやる気を出そうと思っただけだ。僕は女装趣味だったんだ!」

橘音とノエルが心を交わす様を、ポチは黙って見ていた。
全てが解決した訳ではない。
ノエルが橘音へと振り向いた時、彼は小さく、かつての友達の名を呼んだ。
しかし答えはなかった。謎は、謎のまま残されている。

>でもノエルさん、これからが大変ですよ?何せ、アナタはここで四つも約束をしてしまったんですからね!」
>「ひとつ。『クロオさんがアナタの過去を思い出すまで、仲間として戦う』こと」
>「ふたつと、みっつ。『祈ちゃんとポチさんの断りなく消えたり、どこかへ行ったりしない』こと」
>「そして――よっつ。『いつお姉さんが帰ってきてもいいように、居場所を作っておく』こと」
>「妖怪にとって、約束は絶対。それがどれだけ重要なものであるのか……もちろん、おわかりですよね?」

それでも彼らの間に満ちる親愛の情には一片の陰りもない。
犬も狼も、目と耳と鼻、三つの知覚で他者の感情を推し量る。
……その種族的特性から来る、高すぎる感受性故に、ポチには分かってしまう。
彼らがまとうその曇りのない愛情のにおいが、自分からは発せられていないのだと。

>「二つ目と三つ目って半分脅迫じゃん! 妖怪界ってえげつねーーーー! ってか何で無駄に楽しそうなの!?」

ノエルが頭を抱えつつも嬉しそうに悲鳴を上げる傍で、ポチが出来る事はただ自身の衝動を堪える事だけだった。
擦りたい。狼から遠くかけ離れて、こんなみじめな気持ちを投げ捨ててしまいたいという、軟弱な衝動を。

>「さて!これにて今回のミッションは終了です。雪の結界も解けました……そろそろ、人々が戻ってくるはずです」
>「ボクたちはその前に撤収しましょう。さーて、引き上げ引き上げ!」

>「ったく……毎度の事ながら慌ただしいねぇ。とりあえず、オジサンは服着替えて一杯引っかけてから帰るとするわ。
  嬢ちゃんにポチ、お前さん達は寄り道しないで真っ直ぐ帰れよ。体力までは回復してねぇんだからな」

「……えー、こんなのへっちゃらだよ。なんなら今からお散歩に連れてってくれても……じょーだんだよ、じょーだん。
 ちゃんとゆっくり休むって。だけど尾弐っちもちゃんと休まなきゃだめだよ?」

尾弐の足に体を擦りつけながら、ポチはそう言った。
仲間を気遣う為の言葉すら、脛を擦り、己を騙さなくては、口に出せない自分を恥じながら。
そして皆がその場を去り……ポチは静かに神社の出口へ向けて歩き出す。
吹雪の結界が消え、境内の異変に人が集まってくるが、誰一人として彼の存在に気付く事はない。
そのまま街に出て、俯きながら歩いていたポチが、ふと顔を上げた。
目の前を歩く、一人の少女。長い黒髪に黒いセーラー服姿……少しだけ、祈に似ている。
ポチは駆け足になって少女に近寄ると、その脚に自分の体を擦りつけた。
突然の事にたたらを踏んだ少女が、驚いたように辺りを見回す。
その時には既に、ポチは少女の傍を離れていた。
そしてそのまま街を駆ける。
黒地のスーツを着た体格のいい会社員、学ラン姿の華奢な少年……。
街の中にブリーチャーズの皆の面影を見つけ出しては、その持ち主の脛を擦る。
それを何度も繰り返していれば……嫌な事は、忘れられる。
群れを持たない……いや、群れに属しながらそれを心から受け入れられない、愚かな狼の自分を。

だが……それも永遠に続ける事は出来ない。
東京は人の街だ。夜が来れば、ほんの僅かな時間ではあるが、眠りに就く。
街から人が消え……孤独だけが残る。その孤独に堪えられず、ポチは地を蹴った。
走り、走り、走り続け……気付けば彼はどこかのビルの屋上にいた。
そして吠える。何度も何度も……見た事もない、いるのかも分からない同胞に呼びかけるように。
自らの体から匂い立つ、軟弱な自己愛のにおいを振り払うように。

「……こんなの、いやだ。こんなの狼じゃない。ぼく、どうすれば、狼になれるんだろう」

喉が枯れるまで叫び続けたポチは小さく呟いて……そのまま現実から逃げ出すように、眠りに就いた。

24 :
やあ、やっと雨が上がったぞ。三日も降りやがって、いまいましいったらなかったけれど。今日はよく晴れたなあ。

ねぐらの中は狭くっていけないや。久しぶりの外だ、ひとつ歩いて回ろう。

川も、ずいぶん水が増えてる。普段は水をかぶらない川べりのすすきや萩の株が、すっかりもまれちまってるよ。

さあて、今日はどんないたずらをしてやろうかな。芋畑の芋を掘り散らかすのも、菜種がらに火をつけるのも飽きちまった。

…………
…………

……あっ。あれは……。

けけけ。あいつめ、ずぶ濡れになって魚をとってやがる。いっぱいとれたなあ。特に、あのうなぎなんて立派なもんだ。

おや。びくを置きっぱなしにして、どっかへ行っちまった。弁当でもつかいにいったのかな。

…………

…………

けけけ、いたずらしてやれ。びくの中の魚を、ぜえんぶ逃がしてやる。

そうれ、きすも、うなぎも、遁げろ遁げろ。あいつの腹の中なんぞにおさまるなよ。

あいつに上等のうなぎなんて啖わせてやるものか。今夜はうなぎのことを悔やみながら、粟飯でも啖えばいいのさ。けけけ!

…………

…………

あっ、ちくしょう、このうなぎ!首に巻きつきやがって……!

えい、離れろ、離れろったら!

おまけに、あいつまで戻ってきちまった。

遁げろや、遁げろ。けけっ、のろまになんて捕まるもんか。

…………

…………

ここまで来れば、あいつも追いかけちゃ来るまい。けけっ、まぁ、この遁げ足に追いつけるわけなんてないけどね。

ちょっ、うなぎのせいで、せっかくあいつの悔しがる顔を遠くから見物してやろうと思ったのが台無しだ!

まあ、いいさ。どのみち、この時刻じゃもう一度うなぎをとるのは無理だ。あいつはうなぎを啖えない。

あいつは今晩、何度も何度も「ああ、うなぎを啖いたかったなあ」と言いながら、まずい粟飯を啖うんだ。

ああ、なんて胸がすくんだろう。いい気味だ!この秋晴れの空みたいに気分がいいなあ!

けけけっ、けけけけけっ。

けけけけっ、けけけ!

25 :
「唐突ですが皆さん、温泉に行きましょう」

夏真っ盛りの七月半ば。ノエルと祈、尾弐、ポチを事務所に呼び出した橘音は、開口一番そう言った。

「いわゆる慰安旅行ってやつですかね……皆さんにはいつも頑張ってもらっていますから」
「たまには温泉にゆっくり浸かって、おいしいものを食べて。戦いの疲れを癒すのもいいでしょう」
「ペットOKですからポチさんも行けますし、お湯が苦手なノエルさんのために水風呂の用意もあります」
「ああ、旅費についてはご心配なく。全部ボクが持ちますから、皆さんは着替えなどだけ用意して頂ければ」

メンバーの意見も聞かず、もう決定したものとしてテキパキとスケジュールを決めていく。
東京ブリーチャーズには他にも仲間がいるが、現状はとりあえずこの五人で行くということらしい。

「宿はもう決まっています。……いわゆる秘湯というところで、鄙びていますがいい所ですよ」
「温泉はもとより、料理もお酒も素晴しい。ボクとクロオさんは、何度か行ったことのある宿ですが――」
「……ね?クロオさん。あそこですよ……あ・そ・こ」

日程は一週間後。その時期になれば、祈も中学校が夏休みに入る。行けないことはないだろう。
ただ、普通なら温泉旅行など企画すれば心が躍るものだというのに、それを告げる橘音の様子がどうも晴れやかでない。
どちらかというと、行かなくて済むのなら行きたくない……とでも思っているかのようである。
ついでに言うと、橘音の指している場所を察した尾弐も同様のイヤな反応を見せることだろう。
が、拒絶や不参加といった選択肢はもちろんない。
そんな不承不承といった雰囲気とは裏腹に、橘音は四人の参加を取り付け、準備を進めてゆく。

「では皆さん、当日をお楽しみに!」

旅程は二泊三日。予定は決まった。

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東京駅から東北新幹線に乗り、北へ。
到着したのは岩手県、花巻市。新花巻駅で下車し、レンタカーを借りる。
尾弐に車を運転してもらい、東の遠野市へ。
観光客で賑わう温泉街を通り過ぎ、山の中へと車を進めること三時間。
舗装さえされていない砂利道の果て、鬱蒼と茂った森の奥に、古びた旅館が一軒建っている。
そこが、東京ブリーチャーズの慰安旅行の場所だった。
長く車に押し込められていた窮屈さから、車を降りた橘音はまず最初に大きく伸びをした。
そして、旅館へ向けて白手袋に包んだ右手を伸ばす。

「お疲れさまでした、皆さん。ここが今回の宿――迷い家(マヨヒガ)です」

迷い家。
東北地方に伝わる妖の伝承、幻の館。道に迷い、山中をあてどもなく彷徨する者の前に現れ、一夜の宿を提供するという怪異。
ただ、現在ブリーチャーズの目の前にあるそれは、古びてはいるものの普通の和風旅館のように見える。
玄関脇には『歓迎 東京ブリーチャーズ御一行様』との看板がある。準備は万端といったところか。

「行きましょう。はー、早くお風呂入りたい……」

着替えの入ったショルダーバッグを持ち、玄関に入る。
玄関は広く、毛氈が敷き詰められている。いつの頃から建っているのかもわからない古い建物だが、内部は存外しっかりしている。
いや、むしろ豪壮であると言ってもいい。待合場所にある調度といい、装飾品といい、落ち着いた佇まいのいい宿だった。
いかにも通好みといった様子で、定めし宿泊客で賑わっていようと思われたが、不思議なほど人の気配がない。
その代わり化生の気配を感じる。どうやらここは、妖怪専用の宿ということらしい。

そして。
広い上がり框の真ん中で、藍色の着物を着た妙齢の女性が三つ指をついてブリーチャーズを出迎えていた。

26 :
「いらっしゃいませ、お待ち申し上げておりました。東京ブリーチャーズの皆さま――」

女性が深々と頭を下げる。豊かな髪をアップにして纏めた美人だ。細い糸目が、いつも笑っているような印象を与える。

「本日は、当旅館へようこそおいで下さいました。当旅館の女将、倩兮女の笑(えみ)と申します」

倩兮女(けらけらおんな)。他人家を垣根の上から覗き込み、ケラケラと不気味に嗤う女の化生である。
もっとも、笑の笑顔に不気味なところはない。いかにも客商売といったものとも違う、穏やかな笑顔だった。

「笑さん、お久しぶりです。お世話になりますよ」

橘音が告げる。何度か足を運んだことがあるとの言葉通りというべきか、顔見知りらしい。

「三ちゃんお久しぶり。すっかりお見限りで、寂しかったのよ?たまには顔を見せてくれても――」
「色々取り込んでましてね。探偵は人気商売ですから、仕事があるうちに稼いでおかなくちゃ。それに、顔と言ったって仮面でしょ」
「また、そんなつれないこと言って……」

笑はよよとわざとらしく泣いてみせた。が、目は相変わらず笑っている。

「……尾弐の旦那さんも、お久しぶりですね」

尾弐を見つめて、にこりと笑みを深める。それから立ち上がると、笑はぽんぽんと軽く手を打った。
それを合図として、従業員らしき迷い家の法被を着た一本ダタラ、山彦などの妖怪がブリーチャーズの荷物を代わりに持つ。

「積もる話は後ほど。まずはお部屋にご案内しましょう、どうぞごゆっくりお寛ぎくださいな」

「あ、部屋割はボクと祈ちゃんに、ノエルさんとクロオさんとポチさんってことで」

靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると、橘音がメンバーの方を一瞥して告げる。色々な意味で心臓に悪い部屋割である。
しかし今はとりあえずということで、男衆の方の部屋に全員集まることにする。
通された客間もやはり手入れが行き届いており、畳や障子紙、襖に至っても古さを殊更感じさせることはない。
テレビやネット回線といったものは用意されていないものの、元々妖怪には不要のものである。
和室の室内は十畳ほどの広さの本間に次の間が八畳、それに縁側があり、縁側からは眼下に流れる川を望むことができる。
本間の脇からは内風呂に行くことができ、内風呂は露天の檜風呂。そこからも、外の自然を眺めることができた。
もし人間がこの宿のことを知れば、秘境の隠し湯ということでさぞかし人気が出ることだろう。

「まずは当旅館自慢の温泉にお入りになって、旅の垢を落としてくださいな。お食事の支度が出来ましたら、お呼びいたします」
「他に何かありましたら、何なりとお申し付けくださいね」

そう言ってふわりと微笑むと、笑は襖を閉めて出ていった。

「さあーて……じゃ、夕ごはんまでは各自自由行動としましょう。お風呂に入るなり、お酒を呑むなり、皆さんご随意に」
「ボクはさっそくお風呂に入ってきます。ノエルさん、あとで一緒に卓球やりません?ではのちほど!」

橘音は軽く右手を挙げると、自分と祈の客室へ戻った。
この旅館には旅館を出て三分ほどのところにある外湯と客室ごとに備え付けられた内風呂があり、橘音は内風呂に向かった。
何も性別バレの危険を冒して外湯に行かなくてもよいというわけである。
なお、この宿は妖怪専門の宿のため、ポチが風呂に入っても咎められることはない。――ポチが入りたいかは別として。
現在の時刻は午後四時。夕食までは、まだ時間がある。
宿の中には売店、卓球台など一通りのものは揃っているが、ゲームコーナーなど電気に依存するものはない。
電動マッサージチェアもない。マッサージ希望の客は大座頭が按摩をしてくれる。
宿の中を探検するのなら、湯治に来ているらしいオシラサマや一つ目入道、河童などといった化生とすれ違うだろう。
宿の外は森に囲まれており、散歩道などもないが、妖怪であれば散策も可能である。尤も、特に見るものはないが。

外湯は豪奢な温泉露天風呂で、男湯と女湯にわかれている。
広々とした湯は大型の化生でも楽々入れるほどで、源泉かけ流しの白く濁った湯が妖怪の身体に殊の外よく馴染む。
源泉は飲むこともでき、ケ枯れ寸前の妖も瞬く間に回復させることができるという。

そうして各々が自由に休暇を満喫していると、程なくして笑が夕食の用意ができたと伝えに来た。

27 :
夕食は客室で食べるのではなく、宴会場に用意されているのだという。橘音は他のメンバーを促すと、宴会場へ足を向けた。
なお、半狐面はそのままだが浴衣に着替えている。当初は乗り気でない様子であったが、毒喰らわば皿までの精神である。

宴会場は百人は収容できそうな大広間だった。たった五人の客には少々広すぎて、落ちつかない。
ただ、夕食は豪華である。贅を凝らした山海の珍味や旬の素材が惜しげもなく使われている。
特に、祈にとっては盆と正月とクリスマスと誕生日が一度に来たくらいのご馳走に違いない。
人型以外の妖怪の客に対する備えも万全らしく、ポチにも食べやすい料理が振舞われていた。

「ささ、尾弐の旦那さん。一献どうぞ」

笑が尾弐の傍らにやって来ては、酌を買って出る。水がいいのだろう、東京ではあまり呑めない類の澄んだ味わいの酒だ。

「お代わりもたくさんありますので、遠慮なく召し上がって下さいね」

極上の料理と酒に舌鼓を打っていると、しばらくして山彦たちが広間の上座に一人分の脇息と座布団を用意していった。
さらに、尾弐の傍で酌をしていた笑に何事か耳打ちしていく。笑は小さく頷いた。

「宴もたけなわですが、皆さま、ここで当旅館の主よりご挨拶が」

ほどなくして襖が開き、ひとりの妖怪が入ってくる。
見かけは渋茶色の着流しに羽織を纏った七十がらみの小柄な老人だが、後頭部が異常なほど大きい。
老人は上座に用意された座布団にどっかと胡坐をかくと、五人を値踏みするような眼差しで見た。

「当旅館の主、ぬらりひょんの富嶽でございます」

老人の代わりに、笑がその名を告げる。
ぬらりひょん。黄昏刻にいつの間にか民家に上がり込み、茶を啜って家人のように振舞うという妖怪である。
富嶽と呼ばれた老人は山彦に煙草盆を持って来させると、おもむろに煙管に火をつけた。
そして鋭い目つきでもう一度ブリーチャーズの面々を一瞥すると、

「飯を啖いながら聞け。用件はすぐ終わるからの」

と、ぶっきらぼうに言った。
それを聞いて、橘音が眉を顰める。

「まったく、急に呼び出して。今度はいったい何の用です?富嶽ジイ。あなたに呼ばれるとロクなことがないんだ……ねえ?クロオさん」

このぬらりひょん、妖怪の総大将と説明する文献もあるが、現在は妖怪のご意見番として一目置かれた存在になっている。
基本的に妖怪は自分たちの種族以外には興味がなく、お互いに不干渉を貫いている。
しかし、時としてそんな妖怪たちの間にも問題が発生することがある。その仲裁役がぬらりひょんだった。
妖狐族、鬼族、天狗族などの各種族が『国家』だとしたら、ぬらりひょんは『国連』のようなものであろうか。
そのぬらりひょんが東京ブリーチャーズを『呼び出した』というのだ。
つまり、今回の慰安旅行は橘音が慰労のために企図したものではなく、ぬらりひょんによる召集だったということになる。

「玉藻には話を通してあるわい。お主はツベコベ言わず、依頼をこなしておればええんぢゃ」
「その前に。……それが次の雪の女王か。儂には男に見えるんぢゃが」

ノエルを見て胡散臭そうな表情を浮かべる。

「御幸 乃恵瑠さんです。紛れもなく次代の雪の女王ですよ」

「男が女王とは世も末ぢゃな。あやつめ、何を考えておるのやら……。まあよいわ、それで?そっちが――」

「多甫 祈ちゃん。ボクの助手です」

「……颯(いぶき)の娘か、少し見ん間にでかくなったの。前に会ったときは……」

「富嶽ジイ、その話はちょっと……」

橘音が何か言いたげに話を遮ると、富嶽はポンと煙管で煙草盆を叩き、火を落とした。

28 :
「おう、そうぢゃな。……で、後は……尾弐か。無沙汰だったの、相変わらず不摂生な生活をしとるようぢゃが」

富嶽は旧知の者に向ける懐かしそうな眼差しで尾弐を見た。
しかし、それもほんの僅かな間のこと。煙管に煙草を詰めて火をつけ直すと、

「ま……それはともかく。お主らに頼みたいこととは、他でもない」

そう告げて一筋の紫煙を吐いた。
襖が開き、山童が身の丈ほどもある巨大な台座付きの丸鏡を持ってくる。
ブリーチャーズの目の前に置かれたそれを、笑が柔らかな布で丁寧に拭く。
ピカピカに磨かれた鏡を富嶽が一瞥し、顎をしゃくると、その鏡面にたちまち何かが映し出された。

それは、どこにでもあるテレビのニュースだった。

《先日20日に埼玉県秩父市の山中で発見された野生動物について、日本哺乳類学会はニホンオオカミと見て間違いないとの見解を――》

そう。
先日、秩父の山中で発見された一頭の獣の話題によって、日本は今沸き立っている最中なのだった。
猪捕獲用の罠にかかっていたのを付近の農家の人間が発見したそれは、当初野生化した犬だと思われていた。
しかし、その後の調査によって犬との明かな違いが発見され、専門機関が精査した結果、ニホンオオカミと断定。
百年以上前に絶滅したと思われていたニホンオオカミ再発見の話題は瞬く間に全国に広がり、日本中を騒然とさせたのだった。

――あぁー……。

橘音は思わず声をあげたくなった。実際、胸中で悲嘆に暮れた。
探偵の常として、いつもアンテナを高くし情報収集に余念のない橘音である。当然その話題は耳にしていた。
が、知った上でメンバーには何も言わなかった。――特に、ポチには。
もしもその話をすれば、ポチは心穏やかでなくなるに違いない。なんとかして会いたいと思うのではなかろうか。
けれど、ニホンオオカミの話は東京ブリーチャーズの任務とは関係がない。場所は秩父の山奥、東京ですらないのだ。
東京ドミネーターズが暗躍している今、東京守護と関係のない仕事をするわけにはいかない。
そう思って、知らんぷりをしていたのだが――。

「これな。この狼を奪還し、こちらに寄越せ」

「無茶な!?耄碌が過ぎますよ、富嶽ジイ!?」

声を荒らげた。しかし富嶽は眉ひとつ動かさない。淡々と話を進めていく。

「あのままにはしておけんぢゃろ。人間のところにこれ以上置いといてみい、学術目的か何か知らんが身体を好きにいじくられ――」
「望まぬ交配を強要され、あげく死んだら剥製ぢゃ。そんな哀れなことがあるか?あれは、自然に還さなくてはならんのぢゃ」

「あのねえ。ボクは探偵ですよ?探偵は正義の味方なんだ。泥棒じゃない!どんな理由があるにせよ、盗み出すなんて……」

「盗めとは言っとらん。奪い返せと言っておる。自然の、大神の顕形を、あるべき場所に戻せ……とな。それが正義でなくてなんぢゃ?」

「……ぐ……」

口では大抵の者には負けない橘音だが、富嶽には太刀打ちできないらしい。ばつが悪そうに視線を逸らす。

「他の者は異論はあるか?……ま、あったところで聞き入れてなどやらんがの。文句がないのなら、これで話は仕舞いぢゃ」
「仕事の報酬は、お主らの目の前にあるそれぢゃ。ウチの飯はうまかったろう?明日も明後日も啖わせてやる、楽しみにしとれ」
「温泉にもたっぷり入れ。そしてじっくり英気を養ってから、狼奪還に励むんぢゃな」

どっこらしょと立ち上がると、ぬらりひょんの富嶽は長い後頭部を揺らしながら広間を出て行った。
富嶽が仕事を持ってくる時はいつもこうだ。気付いた時には依頼を断れる雰囲気ではなくなっている。
橘音も尾弐も、昔からそれで随分無茶な依頼を押し付けられた。それで死にそうな目に遭ったことも一度や二度ではない。
正直、この依頼を受けたくはなかった。
現在の情勢において、寄り道は東京ドミネーターズに致命的な遅れを取ることになりかねない。

――けれど。

29 :
「笑さん、舟盛り追加してください。このエビしんじょもお代わり、お願いします」
「デザートは冷やしぜんざいで。あ、多めに用意しといてください。ボク、またお風呂に入ったら注文しますから」
「お酒も呑んじゃおっかなー!クロオさん、笑さんのお酌があると言っても一人酒じゃ味気ないでしょ?お付き合いしますよ!」

何を思ったか、橘音は一度溜息をつくと、それから猛然と飲み食いを始めた。

「ほらほら、ノエルさん!もっと何か食べたいものはないんですか?お刺身あと三人前くらい頼んでおけばいいですか?」
「祈ちゃんも!こんなご馳走食べたって、オババに自慢しておあげなさい。食べ盛りなんだから遠慮は無用ですよ!」
「笑さーん!ポチさんにもっとお肉!お肉じゃんじゃん持ってきてくださーい!」

どうせ富嶽の依頼は断れないのだ。迷い家での飲み食いが報酬だというのなら、少しでも豪遊しなければ損という発想である。
東京ブリーチャーズは東京を守護するために結成されたチーム。東京以外で何が起ころうと、それは任務の範囲外。
いくらチームのメンバーに関係のある事件が起こったと言っても、軽々に動くことはできない。
まして、チームリーダーである自分がその件を仲間に伝え、率先して行動するなどもってのほかだ。

けれど。

『自分より上位の妖怪の要請で、止むを得ず動く』のならば、話は別である。

ぬらりひょんからの呼び出しを受けた時点で、何らかの依頼を受けることになるという予測はついていた。
もっと言えば、その依頼の内容が現在日本中を騒がせているニホンオオカミに関することだろうということも。

――ボクは。心のどこかで、こうなることを望んでいたのかもしれませんね。

本当に知らないふりをし続けようと思うなら、そうすることだってできたのだ。
ポチに黙ってひとりで迷い家へ赴き、まるでポチとは接点のないメンバーを選び、秘密裏に依頼をこなして帰ってくる。
あとは、そ知らぬふりをして今まで通りポチと接する。そういう選択肢だってあったのだ。

しかし、橘音は敢えてこのメンバーを選び、彼らを伴ってこの場所を訪れた。
依頼をこなすのに適したメンバーでなく、チームの中で最も情に篤く正義感に溢れたこのメンバーを。
仲間の幸福を我がことのように願う、この面子を。

大きな丸鏡の中に、冷たい檻の中でうずくまる、一頭の白い狼の姿が映し出されている。
一世紀の時を経て発見された、滅びたはずの種。遠い昔に分かたれた、ポチの眷属。
時の流れに置き去りにされたポチを、もう一度家族に巡り合わせよう。

*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*

「捕獲されたニホンオオカミは現在、上野の国立科学博物館にいるようですね」

食後の運動とばかりに卓球をした後、ラケットを団扇代わりにしてパタパタと扇ぎながら、召怪銘板で情報を検索する。

「都内なら随分動きやすい。さて、どうすれば捕われのお姫さまを救出できるのか――やれやれ、これは難題ですね」
「お姫さまを攫おうとする計画を阻止するのなら得意ですが、攫う計画を立てたことは今までありませんからね……」

百年ぶりに見つかった絶滅種である。そこに到達するまでには、幾重ものセキュリティを突破しなければならないだろう。
当然、正体がばれてもいけない。そうなれば言うまでもなく指名手配だ。東京で仕事ができなくなる。
誰にも気付かれず、悟られず。隠密裏にニホンオオカミを手に入れ、富嶽のところまで届ける――。
予想はしていたが、困難極まりないミッションだった。

「……でも。一旦依頼を受けた以上は、その達成率は100パーセント!それがこの狐面探偵の矜持というものです」
「何がなんでも会わせてあげますよ、ポチさん。あなたのお仲間に……ね」

ラケットを卓球台に置いて、踵を返す。

「卓球で汗をかいたんで、またお風呂に入ってきます。お風呂に入るといいアイデアが閃くんですよ」
「皆さんもゆっくりしてください。……少なくとも、人間たちに狼をR気はない。こちらも焦りは禁物です」
「ここでじっくり計画を練ってから、東京に帰り次第行動開始ということで」

ひらひらと右手を振ると、橘音はぺたぺたとスリッパの音を鳴らして廊下を歩いていった。

30 :
「あーづーいー……」

7月半ばのある日の正午……ポチはビルの影が差す路地で横になりながら、喘いでいた。
ポチがいくら妖怪と言えども、狼犬には違いない。
夏の盛り、コンクリートジャングルに満ちる熱気。
毛皮に覆われ、発汗量の少ないイヌ科の彼にとっては、湯で釜の中にいるような気分だった。
……と、不意にポチの足元に円状の光が浮かび上がる。召怪銘板の結界だ。

「ん?……あっ!もしかしてお呼び出し!?いいよ!はやく!ねえはやくして!」

その事に気づいた途端、ポチは結界の上で急かすように飛び跳ねる。
なにせ事務所にはノエルがいるか、そうでなくともクーラーが効いているはず。
そして眩い光がポチを飲み込み……

「……うひゃー!すずしーい!」

適度な冷気に満たされた事務所の空気にはしゃぎつつ、ポチは橘音の脛を擦る。
たどたどしさや遠慮のない執拗な擦り寄り。
先日のクリスの件からそれなりに時間も経ち、ポチの中の狼はすっかり眠りに就いていた。

「うーん、まんぞく!で、きょうはどーいう用事でぼく呼ばれたの?またにおいを追っかけるの?」

自分以外に集まってるメンバーは祈、ノエル、尾弐。
また何か大変そうなお仕事かな、とポチは考えた。
そして橘音は集めた面々を見回すと、

>「唐突ですが皆さん、温泉に行きましょう」

言葉通り唐突に、なんの前置きもなくそう言った。
お仕事ではないのかも、と思っていたポチだが、その言葉はあまりにも予想から外れていた。

「……温泉、って……おふろ?……え、ホントにとーとつだね。どしたの?」

ぽかん、と数秒呆けて、ポチは困惑を隠し切れないまま尋ねる。

>「いわゆる慰安旅行ってやつですかね……皆さんにはいつも頑張ってもらっていますから」
 「たまには温泉にゆっくり浸かって、おいしいものを食べて。戦いの疲れを癒すのもいいでしょう」
 「ペットOKですからポチさんも行けますし、お湯が苦手なノエルさんのために水風呂の用意もあります」
 「ああ、旅費についてはご心配なく。全部ボクが持ちますから、皆さんは着替えなどだけ用意して頂ければ」

慰安旅行、それが橘音の回答だった。
しかし……ポチの鼻は、橘音から憂鬱のにおいを嗅ぎ取っていた。

>「宿はもう決まっています。……いわゆる秘湯というところで、鄙びていますがいい所ですよ」
 「温泉はもとより、料理もお酒も素晴しい。ボクとクロオさんは、何度か行ったことのある宿ですが――」
 「……ね?クロオさん。あそこですよ……あ・そ・こ」

話を振られた尾弐からも同様のにおいが漂う。
どうやら慰安旅行とは言っても、何か厄介な事情がありそうだとポチは察した。

「……温泉かぁ。ぼく、あついのは苦手だけど……おいしいごはんは大好きだよ!
 それにみんなでどこかに行くってだけですっごく楽しみ!」

……だがだとしても、ポチが橘音の要求を断る事はあり得ない。
純粋なすねこすりでも送り狼でもないポチだが……
彼が何者であったとしても、橘音達が良い仲間である事に変わりはないのだ。

>「では皆さん、当日をお楽しみに!」

「あっ、当日って事務所に来ればいいの?また呼んでもらうのもわるいし」

31 :
……そして一週間後、ポチは東京駅にいた。
送り狼の血を引く彼は実体を持ちながら、しかし人々にその存在を認識される事はない。
なので早めに到着した彼は、普段近づく事のない駅の構内を歩き回っていたが……

「……ねえ橘音ちゃん。ぼく、あんな狭そうなカゴに入んなきゃだめなの?」

待ち合わせ場所にやってきた橘音を、ポチはじとりとした目で見つめながらそう言った。
帰省や旅行に際してペットを新幹線に持ち込む際は、ゲージの使用が必要になる。
哀れにもこじんまりとした篭に幽閉されたペット達を目にしてしまったのだろう。
……もっとも妖怪であり、乗客に気付かれもせず、噛みつきもしないポチが、ゲージに詰め込まれる理由はないのだが。
そんな事は彼には分かる訳もない。
故に、どうか勘弁して、と言いたげにポチは橘音の足に体を擦り付けるのだった。
……さておき、ゲージに入らなくてもいいと分かると、ポチは意気揚々と新幹線に乗り込む。
初めて乗る新幹線にポチは視線を忙しなく移動させている。
が、この時期の新幹線は乗客が多い。
この乗客に尻尾を踏まれそうになってからは、慌てて皆に続いて席に着いた。
そして新幹線が動き出す。窓の外の、溶けるように流れていく景色をポチは見ていた。

「うひゃー、めちゃくちゃはやいんだねえ、新幹線って。
 ぼくもそこそこ足ははやい方だと思ってたけど、こんなにはやくは走れないや。
 ……人間ってすごいなぁ。妖怪だいとーりょー?もやっつけられないのかな。新幹線ぶつけてさ」

ポチはしみじみとそう呟く。発想が突拍子もないのは今の彼の精神年齢故だろう。
……そしてそれから三時間余りの旅路を経て、ブリーチャーズ御一行は件の旅館に到着した。
車が停まりドアが開くと、ポチは真っ先に飛び出してそのまま周囲をがむしゃらに走り回る。
人に化けていないポチにとって、人が乗る為の構造をした車の中は恐ろしく窮屈だったらしい。

「あぁー……せまかったぁ!ねえ橘音ちゃん、温泉ってここ?もう着いたの?もう車乗らない?」

>「お疲れさまでした、皆さん。ここが今回の宿――迷い家(マヨヒガ)です」

「あ、着いたんだ!よかったー!よーくわかったよ、ぼく車だいっきらいだ。もうここから帰りたくないかも……」

そう言ってポチが見上げる宿は、古びているという点を除けば何の変哲もない旅館のようだった。
とは言え、行動範囲の殆どが市街地であるポチにとってはそれでも物珍しい建物だ。
車内で殆ど動けないまま二時間半が経った頃には冷え切っていたポチの気分もやや持ち直したようで、
つい先ほどまで完全に垂れ下がっていた尻尾はやや上を向き、小さく緩やかに揺れていた。

>「行きましょう。はー、早くお風呂入りたい……」

「お風呂かぁ。こんな暑いのによく入れるねぇ。
 あっ、ここってあちこちお散歩してもいいの?探検しても迷子になったりしないかなあ」

未知の匂いに鼻をくんくんと鳴らしながら玄関を潜ると、三つ指をついた着物の女性が待っていた。

>「いらっしゃいませ、お待ち申し上げておりました。東京ブリーチャーズの皆さま――」
 「本日は、当旅館へようこそおいで下さいました。当旅館の女将、倩兮女の笑(えみ)と申します」
>「笑さん、お久しぶりです。お世話になりますよ」
>「三ちゃんお久しぶり。すっかりお見限りで、寂しかったのよ?たまには顔を見せてくれても――」
 「色々取り込んでましてね。探偵は人気商売ですから、仕事があるうちに稼いでおかなくちゃ。それに、顔と言ったって仮面でしょ」
 「また、そんなつれないこと言って……」

「ふーん、笑さんも橘音ちゃんの素顔、知らないの?
 ……ねえ、ホントは知ってたりしない?寝てる時にこっそり外してみたりしてさ。
 まだやった事ない?……じゃあぼくがやっちゃおっかなーなんて」

>「……尾弐の旦那さんも、お久しぶりですね」

「げっ……じょーだん、今のじょーだんだからね、尾弐っち」

32 :
>「積もる話は後ほど。まずはお部屋にご案内しましょう、どうぞごゆっくりお寛ぎくださいな」

「えーと、ぼくこのまま上がっちゃっていいの?スリッパとか履けないけど……
 あ、それで足を拭くんだ。え?拭いてくれる?へえー、なんだかえらくなった気分」

一本ダタラが濡れた手拭いでポチの足を拭う。
爪の間まで入念に拭いてから、今度は乾いた手拭いで湿気を取る。
その丁寧な手つきは、悪い気はしなかったが、こういった事をされ慣れていないポチには少しくすぐったかった。

>「まずは当旅館自慢の温泉にお入りになって、旅の垢を落としてくださいな。お食事の支度が出来ましたら、お呼びいたします」
 「他に何かありましたら、何なりとお申し付けくださいね」
>「さあーて……じゃ、夕ごはんまでは各自自由行動としましょう。お風呂に入るなり、お酒を呑むなり、皆さんご随意に」
 「ボクはさっそくお風呂に入ってきます。ノエルさん、あとで一緒に卓球やりません?ではのちほど!」

そうして部屋に案内されると、橘音はすぐにそう言って客室備え付けの内風呂に消えていった。

「んー、じゃあぼくはお散歩行ってこよっかな」

人に変化していないポチは殆ど汗を掻かない。
毛皮を纏っている事も相まって、風呂に入ると体温が上がりすぎてしまう。
もちろん妖怪である彼はその程度の事で健康を害したりはしないが……それでも辛いものは辛い。
故に温泉は散歩の途中で立ち寄る程度にして、まずはこの迷い家の探検をしようと部屋を出ていった。

「うーん、いろんな妖怪がいるんだなぁ、ここ」

館内には様々な妖怪がいた。
かつては神と呼ばれていた化生から、人間の恐怖や錯覚から生じた妖怪まで。
それらを見ている内に、ポチは無意識の内に何かを探し回るように館内を歩き回っていた。

「……あれ?ぼく、なにを探してたんだっけ?」

もっとも自分が何を探しているのか、今の「ポチ」には自覚すらないが……。
思い出そうとしてもまるで心当たりすら浮かんでこない。

「……ま、いっか。そろそろご飯のにおいがしてきたし、かーえろっ」

結局、漂ってきた夕食の匂いに誘われて、ポチは考える事をやめて、その匂いを辿り歩き出した。
そして辿り着いたのは客室ではなく、宴会場。
橘音達も少し遅れてやってきて、食事が始まる。
ポチは当然、箸を持つ事は出来ない。
だが獣から生じた化生や、手足のない妖怪などいくらでもいる。
そういった客の為の饗し方も迷い家は心得ているようで、ポチには箸役が一人付いていた。
食べた事のないものばかりが目の前に運ばれてきて、ポチは次々にそれらを頬張っていく。

「……たいへんだぁ。ぼく、ホントにここから帰りたくなくなっちゃうよ」

それから暫くすると……山彦たちがもう一人分の席を用意して、出ていった。
そこが上座に相当する事をポチは知らない。

「あれ?誰かもう一人来るの?」

そう尋ねても答えはない。
どうしたのかな?と首を傾げていると……ふと、嗅いだ事のないにおいを感じた。
何かの妖怪の……吸い込むだけで圧迫感を覚えるようなにおいだった。
そうして襖が開き、一人の妖怪が入ってくる。

>「当旅館の主、ぬらりひょんの富嶽でございます」

ぬらりひょん……それがどういう妖怪なのか、ポチは知らない。
ただ、間違っても今、わー変な頭だとか、そんな軽口を叩いてはならない事だけは彼にも理解出来た。

33 :
>「飯を啖いながら聞け。用件はすぐ終わるからの」
 「まったく、急に呼び出して。今度はいったい何の用です?富嶽ジイ。あなたに呼ばれるとロクなことがないんだ……ねえ?クロオさん」
 「玉藻には話を通してあるわい。お主はツベコベ言わず、依頼をこなしておればええんぢゃ」

いやな喋り方だなぁと思うものの、ここで口を挟めば困るのは橘音だと、ポチはなんとなく理解していた。

>「ま……それはともかく。お主らに頼みたいこととは、他でもない」

そして程なくして巨大な鏡が宴会場に運び込まれ、富嶽がそれを顎で示す。
鏡に映った虚像が歪み……全く別の像を結ぶ。

《先日20日に埼玉県秩父市の山中で発見された野生動物について、日本哺乳類学会はニホンオオカミと見て間違いないとの見解を――》

瞬間、ポチの体が膨れ上がる。
被毛はより強靭に、筋骨格も太く頑強に、牙は長く鋭く。
辛うじて首輪は千切れていないが、狼としての彼が表に現れる。
まだ食事の残った膳がひっくり返り、箸役の山彦が小さく悲鳴を上げる。
だがポチはその事に気づいてもいない。
橘音と富嶽が舌戦を交わしているが、それもまるで耳に届いていない。
ただ鏡に映し出された純白の狼を……食い入るように見つめていた。

>「他の者は異論はあるか?……ま、あったところで聞き入れてなどやらんがの。文句がないのなら、これで話は仕舞いぢゃ」
>「仕事の報酬は、お主らの目の前にあるそれぢゃ。ウチの飯はうまかったろう?明日も明後日も啖わせてやる、楽しみにしとれ」
>「温泉にもたっぷり入れ。そしてじっくり英気を養ってから、狼奪還に励むんぢゃな」

話が終わり、富嶽が宴会場を去る。
橘音は開き直ったと言わんばかりに豪遊を始めた。
一方でポチは暫くの間黙り込んでいたが……

>「笑さーん!ポチさんにもっとお肉!お肉じゃんじゃん持ってきてくださーい!」

「……うん、そうだね。沢山持ってきてよ。次のお仕事は……張り切っていかなきゃだからね。
 お箸も、もういいや。ありがとね」

ある時を境にそう呟くと、今度は一心不乱に、力を蓄えるかのように食事を貪り始めた。

34 :
……そして宴が終わり、橘音達は食後の運動にと卓球場に向かった。
ラケットの持てないポチは当然卓球など出来ない。それでも橘音に付いていった。

>「捕獲されたニホンオオカミは現在、上野の国立科学博物館にいるようですね」

ポチの耳がぴくりと動く。

>「都内なら随分動きやすい。さて、どうすれば捕われのお姫さまを救出できるのか――やれやれ、これは難題ですね」
>「お姫さまを攫おうとする計画を阻止するのなら得意ですが、攫う計画を立てたことは今までありませんからね……」
>「……でも。一旦依頼を受けた以上は、その達成率は100パーセント!それがこの狐面探偵の矜持というものです」
>「何がなんでも会わせてあげますよ、ポチさん。あなたのお仲間に……ね」

「……うん、ありがと、橘音ちゃん。僕も……精一杯がんばるよ」

そう答えるポチの声音は、どこか心ここにあらず、といった調子だった。
いて欲しいと願っていた、だがいるはずがないと頭では理解し諦めていた、同胞が見つかった。
そして今冷たい鉄の檻に捕らわれているのだ。気もそぞろになるのも、無理はないが……。

>「卓球で汗をかいたんで、またお風呂に入ってきます。お風呂に入るといいアイデアが閃くんですよ」
>「皆さんもゆっくりしてください。……少なくとも、人間たちに狼をR気はない。こちらも焦りは禁物です」
>「ここでじっくり計画を練ってから、東京に帰り次第行動開始ということで」

「……僕は、またお散歩に行ってこようかな。僕もちょっと体を動かさないと、食べすぎちゃった」

そう言ってポチは卓球場を後にして……そのまま旅館の玄関へと向かった。
影に紛れ、姿を隠し……誰にも見られないように。
自分が何故こんな事をしているのか、その理由は、ポチにも分からなかった。
橘音の気遣いを無碍にしてまで……一匹で東京に戻る意味など、あるのか。
だがポチはいつだって理屈で動いてはいない。
時折、自分に嘘をつくことはあっても……彼はいつだって感情と衝動に従って動く。

ここから東京までの距離と方角は、旅の往路で概ね分かっている。
ポチの持久力なら一晩中だって走り続けられる。
良質な食事をたらふく食べて、体力は十二分。半日も走れば東京に戻れる。
ニホンオオカミの居場所は……鼻で分かるはず。
……自分にだって半分は、狼の血が流れている。きっと匂いだって似ているはずだ。
そして送り狼の自分なら、影に潜んでニホンオオカミの場所まで、誰にも気付かれずに辿り着ける……はず。
ポチはそう考えていた。それは計算と言うより、そうであってほしいという願望に近かった。

「……ねえ。僕のお友達に伝えてよ。ひと目見たら……ううん、一声だけ。
 ほんの少しだけ話しかけたら、帰ってくるからって」

受付にいた山彦に言伝を頼むと……ポチは旅館の外に出た。

【一足先に東京に帰ろうとしてみたり……まずかったら見咎めてちょーだい!】

35 :
雪女の里の御殿にて、雪の女王と乃恵瑠は対峙していた。

「何も言う必要はありません、貴方が何をしにきたのかは分かっています――
この罪深き女王を滅し一族が背負った呪いに終止符を。
そして過去の因縁から解き放たれた雪妖界の新たなる女王となるのです」

乃恵瑠は無言で雪の女王に歩み寄り、両腕を広げて抱き寄せる。
水妖の類に広く見られる死の抱擁――母を騙った罪深き女を胸の中で死なせてくれるとは、なんと慈悲深いのだろう。
雪の女王は静かに目を閉じ、その時を待った。
しかし齎されたのは死の安息ではなく――手放したはずの女王の力だった。

「なにを……?」

ここにきて乃恵瑠が口を開く。いつも通り落ち着いた声音ではあったが、微かに震えていた。

「自らの力を取り戻したゆえ返したまでだが。姉を失った妾に母まで失えとはなんという残酷な事を言うのだ」

「母などと呼ばれる資格はありません。私はあなた達姉妹を残酷な運命に陥れた諸悪の元凶――」

「そんなことは分かっている!」

様々な種族で、人間と共に生きようとする者と本来の在り方に固執し《妖壊》と化した者との争いが起こる中
雪の女王は、厳しい掟に縛られた閉鎖社会を作り上げることで永きに渡り雪妖界の安寧を守り続けた。
そのため、秩序を乱し閉鎖社会を壊す危険性があるとみなした者は雪ん娘のうちに、《妖壊》であるとして間引いてきた。
同族間の争いが起これば出るであろうより多くの犠牲を防ぐために。しかし、不自然に抑え込まれたエネルギーはいつか爆発する。
永遠の平和を願って行きついた、閉鎖的な統制社会。それは確かに平和ではあったがどこか歪んでいて。
蓄積された歪みは、ついにとてつもない魔物を生み出した。
間引かれてきた雪ん娘達の力と思念の集合体が、一人の雪ん娘に宿ったのだ。
成長すれば偽りの安寧を揺るがしかねないと見込まれて消されてきた者達の力が集まったそれは、とても純粋で苛烈なものだった。
自分達を間引いてきた雪の女王への憎しみ。その原因となった、本来の有り方を捨て人間社会に阿って生きようとする妖怪達への敵意。
更にはその発端となった、自然への畏敬を忘れそれを制圧する対象と考えるようになった人間達への怒り。
そのようなものに突き動かされる、厄災の魔物。
そんな力を宿して生まれたみゆきは、制御不能の雪害の権化、言わば生まれながらの《妖壊》であった。
雪の女王の力をもってしても、みゆきが宿した厄災の魔物を滅することは不可能。
そこで、女王はいったんみゆきから力を分離し、数百年の時をかけてみゆきを力を制御できる器として育てあげることとしたのだ。
みゆきの養育者であったクリスを犠牲として――
それでも甚大な被害が出たが、本来の持ち主であるみゆきが制御できないまま力を持っていたら、"あの程度"の被害では済まなかった。
いったん悍ましい厄災の力と分離され、無力で無害な少女となったみゆき。
そこから乃恵瑠やノエルといった人格が生まれ、紆余曲折を経て統合されるに至ったのが今のノエルというわけだ。
雪の女王はみゆきに出来うる限りの教育を施した。
乃恵瑠には人であらざる者として世界を読み解く知恵を、ノエルには人間界での経験を通して人の心を。
そしてつい先日、クリスとの決着をもって、器は完成した。

「あなたが死んで綺麗さっぱり解決なんて、そんな単純なものじゃない。これは……全ての精霊系妖怪がいずれ直面する業だ。
それにまだ貴方には女王の座にしがみついておいてもらわないと困る」

「乃恵瑠……?」

雪の女王がはっとして見ると、乃恵瑠の大きな瞳から大粒の涙がとめどなく零れおちていた。
乃恵瑠は泣く事が出来なかったはずだ。

36 :
「確かに……全部全部お前のせいだ!
だけど……どんな思惑があったとしても、お姉ちゃんと引き合わせてくれた人を、
何百年も可愛がってくれて、あんなにいい友達に巡りあわせてくれた人を、殺せるわけないじゃないか……!
それにこの力を持って生まれなかったら、この世界にこんなにも大きな愛があること、知る事が出来なかった……!」

ここにきて女王は、目の前にいるのが、乃恵瑠であって乃恵瑠ではないことに気付く。
自分の元で何百年過ごした乃恵瑠ではなく、東京に行く時に作られたノエルの人格が統合時のベースになっている。

「妾に済まないと思うなら! せいぜいずっと元気で女王の座にしがみついとくことだ!
妾はまだ東京で悪い友達と夜遊び三昧していたい! 今日はそれを言いに来たんだ!
止めても無駄だぞ! 妾は本当は親の言う事を良く聞くいい子なんかじゃなかったんだ!」

そう言って去っていこうとするノエルの背中が、強がっているように見えた。
ノエルは乃恵瑠よりも思っている事がずっと分かりやすいのであった。

「乃恵瑠! まだ言いたい事があるでしょう」

雪の女王はノエルに駆けより、後ろから抱きしめた。その体は不安に震えていた。
女王に抱きすくめられたノエルは、仲間達には言えぬ胸中をいともあっさりと吐露する。

「本当は怖い。こんな力をずっと制御していけるのかって……!
また壊れちゃったら、みんなのしてくれたこと全部無駄にしたらどうしようって……!」

ノエルは、夢の中に現れた自らの力と対峙し、一応の懐柔を果たした。
髪の長い乃恵瑠のような姿を取って現れたそれは、自らを「深雪」と名乗った。
それはその名の通り、全てを埋め尽くしあらゆる生命の息の根を止める深い雪の概念そのもの。
全開にすれば理性が吹き飛ぶほどの苛烈な力。一朝一夕で御しきれるものではない。

「あなたはもう大丈夫――厄災の魔物は、あなたのお姉さんが《漂白》してくれた。
それでも心配なら、今まで通り男の子の振りをしていなさい。力を本当に自分のものに出来たと思えるその時まで――」

雪は陰、女も陰であるからして、男装をしていれば理性が保てる程度に力にリミッターがかかるというわけだ。
女王がノエルを東京に送り出す際に性別までも変えたのは、自分の力を取り戻した後まで見越してのことであった。

「なんだ、それなら大丈夫。振りも何も僕は完璧なイケメンだからな。
実はあっちが本当の姿だったんだ! 雪山に来るとつい女装してしまうだけだ!」

ここでどさくさに紛れて謎のカミングアウトを敢行するノエル。
それを聞いた女王は安心したように微笑んで、生活上の注意をはじめたのだった。

「これから暑くなるから体に気を付けて。冷気を逃がさないようにちゃんとストール巻くのよ」

「うん、分かってる」

「人間の街にいるだけで消耗するんだから、霞ばっかり食ってちゃ駄目よ。
でもあんまり添加物の入った物は食べたら駄目」

「うん、うん」

「あんまり突拍子の無い事を言ってお狐様を困らせるんじゃないのよ。
それから――直射日光に当たらないように露出は控えて。どうしてもしたければ深夜にしなさい」

「人間界で露出したら逮捕されちゃうよ!?」

雪の女王、お前もか――! オチはやっぱり露出ネタであった。

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37 :
名前:御幸 乃恵瑠(みゆき のえる)
外見年齢: 20代前半ぐらい…かな?(本人特に意識していないし周囲にもあまり意識させない雰囲気)
性別: ノエル
身長: 172
体重: 54ぐらい
スリーサイズ: 細身で均整がとれている
種族: 雪女(雪男に非ず)
職業: かき氷喫茶店店主
性格: ノエリスト なんだかんだでお人よし
長所: 明るく裏表が無い 仲間想い 橘音の任務は真面目に頑張る(が、往々にして頑張りが明後日の方向に行く)
短所: 迷言・奇行が目立ち常にふざけているように見える 
趣味: アイスを食べること もふもふしたものや可愛い物好き 実はゲーマー(だが下手糞)
能力: 氷雪・冷気の生成操作 氷で武器を生成しての近接戦闘(どっちかというと後衛アタッカー系)
容姿の特徴・風貌: 色白の肌 中性的な整った顔立ち
普段は黒目にセミショートの黒髪 アホ毛が立っていることがある
白基調の和パンク調の服に青いストール(服のコーデは日によって変わるがイメージは統一されている)
簡単なキャラ解説:
橘音の探偵事務所と同じ雑居ビルの1階でかき氷喫茶店「Snow White」を営む残念なイケメン。
趣味と実益を兼ねてイケメンの姿をしているが、時々美女や美少女の姿になったりもする。
その正体はかつて厄災の魔物として生を受けた次代の雪の女王で、男の姿を取ることによってヤバすぎる力にリミッターをかけているのだ。
元々は現在の雪の女王から橘音への依頼によって、橘音と同じ雑居ビルに入居することになりブリーチャーズに引き込まれたが、
橘音が依頼を達成し真相が発覚した後もそのまま居座ることとなった。
露出癖があってパンツと巨乳が好きだが、断じて変態ではない。
妖怪としての姿を現しても普段とあまり変化はないが、普段から白い肌が更に白くなり瞳が氷のようなブルー、髪は雪のような銀髪になる。

38 :
それから東京に戻ったノエルは、橘音にだけは事情を話し、これからも表向き男として扱ってほしいと頼んだ。
他のメンバーには秘密だ。特に尾弐には力の正体を知ったら今以上の余計な葛藤を背負わせかねない。
尤も、東京に来た後の姿の印象しかない他のメンバーは、放っておいても男扱い続行しそうなので特に問題は無いだろう。
そして、みゆきが妖壊化したのは全然全くきっちゃんのせいではないとも告げた。
みゆきは何もあの事件で妖壊化したわけではない、最初から《妖壊》として生を受けたのだから。
なぜ橘音にそれを告げたのかというと
きっちゃんに「君のせいじゃないよ」と伝えたい謎の衝動に駆られていてもたってもいられなくなり
見ているとなんとなくきっちゃんを思い出す橘音に伝えることでその衝動を処理したという形である。
狐だから思い出して当たり前と言ってしまえばそれまでなのだが。

そうして時間は少し流れ、この前桜が咲いていたと思いきや、何時の間にやら季節は夏になっていた。
雪妖なので当然体調は冬ほど良くは無く、外出時には日傘は欠かせないが、ノエルは夏が嫌いではない。
屋内では自力冷房することで冷房代を節約できる。
店には毎日たくさんの客が訪れるし、一年で一番鮮やかに色付く世界を見ていると訳も無くワクワクしてくる。
何より、雪山には無い四季の移り変わりが好きなのだった。

>「唐突ですが皆さん、温泉に行きましょう」

そのとおり唐突な橘音のこの言葉から、事は始まった。

「温泉……だと!? 裸になっても逮捕されない数少ない場所の一つじゃないか!」

思わずガタッと音を立てて立ち上がるノエル。
温泉といえば古来より、フラグが立っている二人が訪れるとオッスオッスソイヤソイヤもといキャッキャウフフなハプニングが続出するというジンクスがあり、
本人達が好むと好まざるとに拘わらずあーんなイベントやこーんなイベントが発生してしまうのだ!
ノエルは普通のお湯の風呂は苦手だが、水風呂もあるという。
普段は氷やアイスばっかり食べているが、自然の素材が生かされた料理は大好きだ。
しかし、橘音は慰安旅行と言っているがそれにしては何か妙だ。
仲間達の都合も聞かずに話を進め、しかも言いだしっぺの張本人が乗り気ではなさそうだ。
行先を聞いた尾弐までも橘音と同じようなオーラを出し始めた。

「ははーん、分かったぞ!
古い旅館にオバケが出るからってタダで泊めてやる代わりに除霊を頼まれたとかそんな感じだな!?
そんなの僕がぱぱっとやっつけてやる!」

雪妖以外の殆どの妖怪は何故か夏になると活動が活発になって、人を驚かしたりするものである。
今回もその類かと思ったノエルであった。
その手の夏になったら湧いてくる有象無象は大抵ブリーチャーズの手にかかれば蚊みたいなものだ。
橘音の気も知らず、楽しみで仕方がないノエルであった。

>「では皆さん、当日をお楽しみに!」

゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚

「じゃあ、店をよろしくね」

「いってらっしゃいませ、姫様」「お土産楽しみにしてます!」

それから瞬く間に1週間が経ち、玄関前で待ち合わせてた橘音と共に東京駅に向かう。
ノエルは、人間界に来てから雪山に帰省以外で遠出をするのは初めてである。
人間界に来てからまだ3年なので、休日は都内をうろついているだけで充分新鮮だったのだ。
留守中の店は、正体が発覚してからバイトに入るようになった従者達が快く引き受けてくれた。
右手で日傘をさし、左手に小さめのキャリーケースを引き、首からは新品の一眼レフカメラを下げている。
従者が荷作りをしましょうかと言ったのでお願いしたところ、「冷凍バナナはおやつに入るのか」を議題とした編集会議を繰り広げながら
一体どんな大旅行に行くんだというような大荷物を作りやがったので、却下して自分でやり直した。もちろんおやつは多めだ。
まずは東京駅から新幹線に乗って、新花巻駅へ。

39 :
>「うひゃー、めちゃくちゃはやいんだねえ、新幹線って。
 ぼくもそこそこ足ははやい方だと思ってたけど、こんなにはやくは走れないや。」

「最高時速270キロらしいよ。祈ちゃんの全速力より早いんじゃないかな?」

ノエルはポチと並んで窓の外の景色を見ている。
――座席の上に膝立ちになって窓に貼りつきながら。

>「……人間ってすごいなぁ。妖怪だいとーりょー?もやっつけられないのかな。新幹線ぶつけてさ」

「あははっ、そりゃいいや! どうやって線路の上におびき寄せるかが問題だけど!」

窓に貼りつくのを止められたら、今度はおやつを広げてはしゃぎはじめる事だろう。
次はレンタカーを借りて東へ。
バスには乗ったことがあるものの、普通の乗用車に乗るのは初めてだった。

「クロちゃん車運転できるの!? かっけー!」

東京都民の自家用車保有率は低い。そもそもノエルは免許を持っていない。
それ以前にこいつの場合、アクセルを踏んだ瞬間にバグって車だけすり抜けてどっかに突っ込んでいきそうなので危なっかしくて仕方がない。

「温泉街通り過ぎたけど大丈夫? 山奥に入ってきちゃったけどこんな場所に旅館なんてあるの?
あれ? カーナビの映像が乱れてる! 心霊現象だ―ッ!」

と騒いでいると、古びた旅館に到着した。

>「お疲れさまでした、皆さん。ここが今回の宿――迷い家(マヨヒガ)です」

化生の従業員たちが一行を手厚く出迎える。どうやらここは妖怪の妖怪による妖怪のための宿らしい。

>「ふーん、笑さんも橘音ちゃんの素顔、知らないの?
 ……ねえ、ホントは知ってたりしない?寝てる時にこっそり外してみたりしてさ。
 まだやった事ない?……じゃあぼくがやっちゃおっかなーなんて」

「やっちゃえやっちゃえ!」

と煽っていると、警戒されたのか、別の部屋に振り分けられた。

>「あ、部屋割はボクと祈ちゃんに、ノエルさんとクロオさんとポチさんってことで」

「あーっ! それ危なっかしい二人をクロちゃんに見張らせようっていう作戦でしょ!
それならクロちゃんと橘音くんが昔からの相棒同士水入らずってことで二人部屋になれば良くない!?」

とどさくさに紛れて公式の二人(※ノエルの脳内設定)を同室にもっていこうとするも、敢無くスルーされた。
どうやら橘音の中でこの部屋割りは既定事項らしい。
まさか性別混沌祭りのこのメンバーを強引に男部屋と女部屋に分けたつもりなのか!? 
否、橘音の公式設定が性別不詳である以上それは無理があるはずだ!

>「さあーて……じゃ、夕ごはんまでは各自自由行動としましょう。お風呂に入るなり、お酒を呑むなり、皆さんご随意に」
>「ボクはさっそくお風呂に入ってきます。ノエルさん、あとで一緒に卓球やりません?ではのちほど!」

「橘音くん、後でと言わずに一緒にお風呂に行こう!」

と付いて行こうとするも、当然追い払われた。変化が十八番の妖狐のくせにこの思わせぶりな態度は一体何なんだ。
美少女の姿で堂々と入ったところで「安心してください、変化ですよ」と言われてしまえばこちらは何も分からないのだ。

40 :
「ポチ君、暑がってたよね。一緒に水風呂行こう!」

>「んー、じゃあぼくはお散歩行ってこよっかな」

「祈ちゃん、クロちゃん、お風呂いこう」

ポチにも断られたノエルは、ナチュラルに二人を誘うのであった。
「裸だったら何が悪い」「(冬は)服なんて飾りです」を地で行くノエルは、風呂は通常男湯と女湯に分かれている物という認識が薄いのだった。
入れるのが水風呂限定のノエルは必然的に外風呂に行く事になるし、それ以前にノエリスト的に内風呂という選択肢はない。
しかし、いざ突入する段になって、実に人間界的な社会学的問題に直面することとなる。

「『その他』が無い……だと!?
妖怪の宿の癖に『男湯』『女湯』、以上!ってちょっと人間界ライズされ過ぎじゃないのか!?
性別がはっきりしてる妖怪なんて人型系と動物系ぐらいだろう!」

ノエルは自分の性別について深く考えないが、敢えて言うなら性別:ノエルとして認識しているため、二者択一を突きつけられると困るのであった。
しかし一瞬考えた後、人間界での戸籍(偽造)も男だし男湯に行っても変態にならないよな!と思い直す。
女装して女湯行けば巨乳妖怪見放題だが、ノエルは単なる趣味ではなく深い事情があってこの姿をしているのだ。(いや趣味も兼ねてるけど)
巨乳妖怪をおがみたいなんていうしょうもない理由で軽々しくリミッター解除したらいけないのだ。
変態が男湯に入っているシーンの描写を入れても何一つ楽しい要素が無いと思うのでカットカットはいカット。
ちなみにもし一緒に入ろうもんならソイヤソイヤな事態になるのではないかと警戒されていそうだが
ノエルはお湯が苦手なため、敢えて水風呂の方に近付かなければ何も起こりようがないので心配ご無用である。
お風呂から出たノエルは、探険がてら宿の中を一周したり、売店で買い物をしたりする。
今はシーズン的に羽振りが良いので、祈あたりが一緒に行けば何か買ってもらえることだろう。
売店で売っていた三尾の狐マスコット(もふもふ・可愛い)を手に取って数秒間見つめたあと思わずレジに持っていくノエルであった。
探険中にポチとすれ違って手を振るも、心ここにあらずといった感じで気付かずにどこかに行ってしまった。
まあそんなこともあるだろうとさして気にとめず、客室に戻ってくつろいでいると、笑が夕食の準備が出来たと呼びに来た。
案内されるままに付いていくと、100人は入れそうな宴会場に豪華絢爛な料理が並んでいた。

「うわー、すっげー!」

>「……たいへんだぁ。ぼく、ホントにここから帰りたくなくなっちゃうよ」

「本当に。もうずっとアイツらに留守番させとこうかな」

とポチに相づちを打ちつつ、目を輝かせながら冷たい料理中心に次々と口に運んでいくノエル。
基本霞食って生きている種族の割に、箸使いは意外と様になっている。
将来妖怪のトップ会談(?)に出席した時に困らないように乃恵瑠時代の教育メニューの一つに入っていたのかもしれない。

>「宴もたけなわですが、皆さま、ここで当旅館の主よりご挨拶が」
>「当旅館の主、ぬらりひょんの富嶽でございます」

慌てて口に入っていた物を飲みこみ、箸を止め、姿勢を正すノエル。
ぬらりひょんは妖怪ワールドではやんごとなき位置を占めていると昔教えられた覚えがあるのだ。

>「その前に。……それが次の雪の女王か。儂には男に見えるんぢゃが」

「男に見えますか? それなら良かったです!」

早速胡散臭そうな目を向けられるノエルだが、何故か安心したように喜んでいる。
この流れでは「あれ?王女様じゃん。そんな恰好してどうしたの?」となるのが割とよくある展開だが、
あれはいくら姿形を取り繕ったところで高レベルの妖精や妖怪はスピリチュアルな部分で正体を見抜いてくるということなのだ。多分。
そうならずに御意見番であるぬらりひょんにも男判定を貰えたということは、リミッターは完璧だということだ。
コトリバコにすら余裕で男判定されてたから当然と言えば当然だが、あの時とは違い人格が統合されたのでどうかな、と思っていたのである。

41 :
>「御幸 乃恵瑠さんです。紛れもなく次代の雪の女王ですよ」
>「男が女王とは世も末ぢゃな。あやつめ、何を考えておるのやら……。まあよいわ、それで?そっちが――」
>「多甫 祈ちゃん。ボクの助手です」
>「……颯(いぶき)の娘か、少し見ん間にでかくなったの。前に会ったときは……」
>「富嶽ジイ、その話はちょっと……」

颯、というのは祈の母親だろうか、妖怪である富嶽が知っているということは、颯と呼ばれた母親の方が妖怪、つまりターボババアの実の娘なのだろうか。
橘音が止めたということは、祈に知られてはいけない事情が何かあるのかもしれない、と思う。
富嶽は尾弐に軽く彼流の挨拶をすると、本題に入るのであった。

>「ま……それはともかく。お主らに頼みたいこととは、他でもない」

部屋に巨大な丸鏡が運び込まれた。
そういえばこの前従者達が綺麗な装飾の付いた鏡を見ていて、見せてもらおうとしたら慌てて隠されたがあれは何だったのだろうかとふと思う。
ともあれ、丸鏡に映し出されたのは、とあるテレビのニュースだった。

>《先日20日に埼玉県秩父市の山中で発見された野生動物について、日本哺乳類学会はニホンオオカミと見て間違いないとの見解を――》

その瞬間、ポチの様子が変わり、この前見せた狼の姿の片鱗を見せる。

「ポチ君……!? 落ち着いて!」

ポチの中で狼になりたい願望とすねこすりの性質が複雑にせめぎ合っている事など露知らぬノエルは、何も考えずにポチに抱き着いて撫で回す。

>「これな。この狼を奪還し、こちらに寄越せ」
>「無茶な!?耄碌が過ぎますよ、富嶽ジイ!?」

一方富嶽は橘音に無茶な依頼を持ちかけ、橘音は当初難色を示すも、なんだかんだで丸め込まれてしまった。

>「他の者は異論はあるか?……ま、あったところで聞き入れてなどやらんがの。文句がないのなら、これで話は仕舞いぢゃ」
>「仕事の報酬は、お主らの目の前にあるそれぢゃ。ウチの飯はうまかったろう?明日も明後日も啖わせてやる、楽しみにしとれ」
>「温泉にもたっぷり入れ。そしてじっくり英気を養ってから、狼奪還に励むんぢゃな」

大変な事になってしまった――そう思うと同時に。こっそりポチの耳元で囁いた。

「良かったね、お仲間に会えるよ」

どうせ依頼を受けざるを得ないのなら元は取らないと損とばかりに猛然と飲み食いを始める橘音に便乗し、心行くまで宴会を楽しむ。

>「お酒も呑んじゃおっかなー!クロオさん、笑さんのお酌があると言っても一人酒じゃ味気ないでしょ?お付き合いしますよ!」

「えっ、高校生がお酒飲んだら色々まずい気が……! 僕が付き合うよ!」

シラフで脱衣テンションのノエリストに飲酒させるのは色んな意味で危険だということで速攻で止められること請け合いである。
ちなみに橘音は人間界での設定年齢が高校生というだけであって実年齢はウン百歳なので全く問題は無い。

>「ほらほら、ノエルさん!もっと何か食べたいものはないんですか?お刺身あと三人前くらい頼んでおけばいいですか?」

「いいねえ! ところで女体盛りならぬ雪女体盛りってどうだろう! 見た目が楽しいのみならず刺身が冷たいまま楽しめて一石二鳥!
……あっ、でも自分に並べても自分が食べれないじゃん!」※シラフです

>「……うん、そうだね。沢山持ってきてよ。次のお仕事は……張り切っていかなきゃだからね。
 お箸も、もういいや。ありがとね」

「えっ、ポチ君ちょっと食べすぎじゃない!? 大丈夫!?」

そんなこんなで宴は終わり――

゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚

42 :
卓球をした後、情報検索する橘音。
ちなみにノエルが下手糞であちこちに卓球の球を飛ばすので、橘音は狐らしく走り回る羽目になってしまった。

>「捕獲されたニホンオオカミは現在、上野の国立科学博物館にいるようですね」

「上野!? なんだ、都内じゃん!」

>「卓球で汗をかいたんで、またお風呂に入ってきます。お風呂に入るといいアイデアが閃くんですよ」
>「皆さんもゆっくりしてください。……少なくとも、人間たちに狼をR気はない。こちらも焦りは禁物です」
>「ここでじっくり計画を練ってから、東京に帰り次第行動開始ということで」

橘音がお風呂に行くと告げて出ていくやいなや、ノエルはニヤリと笑って待ってましたとばかりに動き出す。
温泉に来たからには誰かが覗きイベントを発生させねばなるまいという謎の使命感に突き動かされ、今無謀な挑戦に打って出る!
キツネ仮面め、今日こそ顔を見てやるぜ――! 
流石にお風呂に入る時は仮面を外しているだろう。もし裸で仮面だけ付けていたらそれはそれで大変な変態的絵面である。
それとも意表を突いてモフモフな三尾の狐の姿になっているのか!?
ツルッパゲの恩返しを見るに、妖怪的には裸よりも原型の方が見られたらヤバいのかもしれない!
先程の自由時間中に、ただ敷地内を徘徊しているだけと見せかけて入念に下調べを行った。
内風呂と聞いて一瞬諦めかけたが、実はここの内風呂は露天風呂。つまり超頑張れば外から見える可能性が微粒子レベルで存在する――!
そこで目を付けたのが玄関を出て割とすぐのところにある高い木。双眼鏡で覗けばなんとか見えるかもしれない!
無駄に窓からひらりと飛び降りてショートカット経路を使い、目標の木に登る。
妖怪の身体能力をもってすれば朝飯前だが、こういう時は見えそうで見えないのがお約束である。今回もその例に漏れなかったようで。

「うおおおおおおおおお! 見えねぇえええええええええ!!」

ふと視線を斜め下に降ろすと、走ってくる白黒の犬が見えた。
ポチ君に似てるなあ……ってポチ君じゃん! お散歩なら言ってくれれば一緒に行くのに! と一瞬思った後。
ポチの昼間からの言動のそれ単体では取るに足りない違和感が線となって繋がり、彼が脱走を敢行しようとしている事を直感する。
駄目だ駄目だ、まずあんな離れた場所まで辿り着ける保証が無い。
自分など東京に来たばかりの頃に新宿駅という名の不思議のダンジョンで迷って暫く出てこられなかったのだ。
狼だから方向感覚には優れているとしても、途中で消耗して一人のところを敵に襲われでもしたら。
首尾よく辿り着いたとして、下手に侵入して警備が厳しくなってしまったら。作戦の成功が益々難しくなる。
ポチが仲間に会うという夢の実現が遠のいてしまう。
ノエルは枝の上に立ち、月光を背に宣言した。

「ふっははははははは! 甘い! 甘いぞワンコロ! そんな事だろうと思ってここで待ち伏せしておいたのさ!」

もちろん真っ赤な大嘘である。

「ポチ君! 車に乗りたくないからってそりゃないよ! 勝手にどっか行っちゃだめだって言ったのはどこのどいつだ!
急いては事をし損じるってなあ! 大丈夫、橘音くんの依頼成功率は100%! 橘音くんはいつだって不可能を可能に――」

と意気揚々と口上をしている最中に、バキィっと音を立てて立っている枝が折れた。
そうすると、必然的に齎されるのは――重力による自由落下だ!

「あぎゃあああああああああああああああああ!!」

――奇声を発しながら空から変態が降ってくる!
さて、送り狼という妖怪は、目の前で人が転ぶと色々面白い事が起こるらしいが、果たして落下は転ぶの内に含まれるのか。
そもそもこの切迫した状況で、果たしてこんな変態が眼中に入っているのか。
ポチがそのまま走り去って脱走に成功したとしても、思い留まるかもしくは運悪くジャストヒットして物理的に阻止されたとしても
これだけ大騒ぎすれば他のメンバーが騒ぎに気付くのも時間の問題だろう。
尚、物理法則を無視した動きが度々目撃されているノエルのこと、放置してそのまま落下したとしても
大した怪我はせず、水風呂にでも放り込んでおけば即完治するのでその点は何も心配する必要は無い。

43 :
「……温泉って、シーズン間違ってねぇか?」

夏。煌々と輝く太陽がアスファルトと肌を焼き、セミの合唱が精神に焼き付けられるこの季節。
呼び出された那須野の事務所で、折角だから全員の昼食兼酒のつまみ用にアスパラの肉巻きでも作ろうかと考えていた尾弐は、
開口一番放たれた那須野の慰安旅行の提案が余りに予想外であった為、とっさに妙な突っ込みを入れる事となってしまっていた。

普段であれば、その台詞に対して夏の温泉が有りか無しかで二、三の問答が起きそうなものであるが……
この日の那須野はそんな尾弐の言葉を受け流し、まるで旅行代理店の営業マンであるかの様に、
目的地である慰安旅行先のセールストークを繰り広げていく

(まあ、確かにここ最近はヤバい橋ばっかり渡ってたからな……こいつらにも休んで欲しいとは思ってたがよ)

慰安旅行。それ自体は尾弐も反対する事は無い。
東京ブリーチャーズの結成目的がどうであれ、それを構成する面々は兵士でも戦闘狂でもないのだ。
身体ではない、心の休息を取る必要がある事は、尾弐にも理解できる。
けれど、尾弐の中でどうにも引っかかるのが、眼前でプレゼンテーションをしている那須野の態度だ。

(おかしい――――那須野の奴にしちゃあ、モチベーションが低すぎる。こうなってくると、嫌な予感しかしねぇんだが)

>「……温泉かぁ。ぼく、あついのは苦手だけど……おいしいごはんは大好きだよ!
 それにみんなでどこかに行くってだけですっごく楽しみ!」
>「温泉……だと!? 裸になっても逮捕されない数少ない場所の一つじゃないか!」

温泉旅行を前にして純粋に喜びを見せるポチ達と、純粋じゃない喜びを見せるノエルに対して、
尾弐の中での疑念は深まり……そして、次いで那須野が放った言葉により、その疑念は確信に変わる事となった。

>「温泉はもとより、料理もお酒も素晴しい。ボクとクロオさんは、何度か行ったことのある宿ですが――」
>「……ね?クロオさん。あそこですよ……あ・そ・こ」

「おい、待て大将。あそこってのはまさか、『あの』宿じゃねぇよな?」

若干、口端を引き攣らせつつそう尋ねる尾弐の脳裏に浮かぶのは、とある優美な宿と一体の妖怪の姿。
違ってほしいと願いつつ放たれた質問への答えは……スルーという明確なものであった。

>「では皆さん、当日をお楽しみに!」
「お前さん、何を好き好んで……って、好き好んでる訳でもねぇのか」

そのまま、流れる様に日程を告げる那須野に対し、尾弐は自身の額に右手を置いて小さく嘆息する。

>「ははーん、分かったぞ!
>古い旅館にオバケが出るからってタダで泊めてやる代わりに除霊を頼まれたとかそんな感じだな!?
>そんなの僕がぱぱっとやっつけてやる!」

「……パッとやっちまえる相手ならまだ良いんだがなぁ」

そうして、まだ目的地である宿の詳細を知らないノエルの言葉に諦めたように答えつつ、
せめて腹ごなしして気持ちを紛らわせようと、尾弐はアスパラにベーコンを巻く作業に入るのであった――――

44 :
・・・・

それから一週間後。
東京駅から新幹線へ乗り、更に下車した新花巻駅から尾弐がレンタカーを運転して3時間。

>「お疲れさまでした、皆さん。ここが今回の宿――迷い家(マヨヒガ)です」

一行は、ようやく目的地である旅館へと辿り着いたのであった。

……尚、道中の新幹線でポチが乗客に踏まれそうになった為、尾弐が咳払いを行った所、周囲の乗客がヤ○ザであると勘違いして、車内でドーナツ化現象が発生したり、
レンタカーショップで借りた大型車が黒のハ○エースであったせいか、道中の峠道で絡んで来た地元の暴走族が窓越しに尾弐の姿を見てヤ○ザと勘違いし、
法定速度まで急減速したりしたが、それについては割愛する。

更に余談であるが、尾弐は仕事上、霊柩車に病院から故人を運ぶ車、大型バス等を運用する必要があり、
その為に必要なので大型二種の運転免許を持っているので、無免許運転では無い事もここで説明しておく。一応。


さて、目的地である秘境の宿……遠野物語にも記述されている彼のマヨイガへと辿り着いた尾弐達。
彼等が玄関を潜り、上がり框の前まで歩みを進めると、落ち着いた藍色の着物を身にまとう一人の女性が、
丁寧に三つ指を付き出迎えてくれた。

>「本日は、当旅館へようこそおいで下さいました。当旅館の女将、倩兮女の笑(えみ)と申します」

一人……といっても、当然の事ながら人間ではない。
その女は、倩兮女(けらけらおんな)という妖怪であり……そして、尾弐の知己でもあった。

>「……尾弐の旦那さんも、お久しぶりですね」
「……ああ。悪ぃがまたちっとの間だけ厄介になるぜ、エミ」

向けられる笑顔に対して、何処かバツが悪そうに視線を逸らした尾弐は、横で那須野の素顔を見る事に
情熱を燃やし始めそうなノエルの頭とポチの背中に、車内から持ち出してきたそれぞれの荷物を軽く載せて、自制を促す。

>「やっちゃえやっちゃえ!」
>「げっ……じょーだん、今のじょーだんだからね、尾弐っち」

「色男。お前さんポチ介より本能に忠実とか、人型妖怪としてどうなんだ、それ……」

そして、その動作でも止まりそうになかったノエルに対し、ある種の畏怖を覚えるのであった。


>「さあーて……じゃ、夕ごはんまでは各自自由行動としましょう。お風呂に入るなり、お酒を呑むなり、皆さんご随意に」
>「ボクはさっそくお風呂に入ってきます。ノエルさん、あとで一緒に卓球やりません?ではのちほど!」

そうして暫くの騒動の後、客間に荷物を置いてから、東京ブリーチャーズの面々は自由時間を迎える事と相成った。
特に目的も無い尾弐は、とりあえず部屋で酒でも飲んでいようかと何とはなしに考えていたのだが……

> 「祈ちゃん、クロちゃん、お風呂いこう」
「……そうだな、色男が何かやらかさねぇか心配だから、風呂で熱燗でも飲むか。
 祈の嬢ちゃん。色男は俺が見張っとくから安心して風呂入っていいぞ」

ノエルの風呂に入らないかという言葉に言い知れぬ危機感を感じたのだろう。念の為それに付き合う事にした。

45 :
―――――

男湯用の暖簾を潜った尾弐は、脱衣所で黒ネクタイを緩め、喪服を脱ぎ、白シャツのボタンを緩めて籠へと投げ入れていく。
衣服を取り払い肌を露わにした尾弐の体は、服の上から想像出来る以上に筋肉が付いており、
ギリシアの英雄の彫像の様に引き締まり隆起したそれは、見た者にそこに秘められた獰猛な暴力を感じさせる事だろう。
ただし、その肉体が彫像と明確に異なるのは……腕、両腿、腹、背中。他にも全身に大小無数の傷跡が刻まれている点だ。
その殆どが古傷であり、現在は完治しているのであるが……妖怪と言う概念的存在の中において、
『古傷』といった人間的なファクターは、見る者が見ればどこか違和感を感じるに違いない。
ただ、当の本人はそんな事を気にする様子も無く、喪服のズボンを脱ぎ、最後の一枚となっ

――――――
  省略
――――――


>「ささ、尾弐の旦那さん。一献どうぞ」
「おう、あんがとよ」

露天風呂から上がり、指定された宴会場へと向かった尾弐は、豪華絢爛な料理の数々を前にして、
倩兮女が差し出した徳利の中の酒を御猪口で受け、そのままグイと喉に流し込む。

……珍しい事であるが、今の尾弐の服装は何時もの喪服ではなかった。
いや、喪服は喪服であるのだが……和装なのである。
紋付の黒羽織に、黒の半襟、そして来い灰色の袴。
どうも、旅館と言う場所を訪れるに当たって、尾弐なりに気を使って持ってきたらしい。
気を使って何故その服装なのか、とその姿を見た者は思うだろうが、
かつて知人へのお祝いごとに花輪を送ろうとした頃に比べればこれでも格段にマシにはなっているのだ。
最も……和服を羽織り美女(妖怪)に御酌をさせている姿は、事情を知らない人が見ればヤ○ザの頭目にしか見えないので
センスとしては却って悪化したとも考えられるのだが。

>「……たいへんだぁ。ぼく、ホントにここから帰りたくなくなっちゃうよ」
>「本当に。もうずっとアイツらに留守番させとこうかな」

さて、そうして飲んで食べて宴も闌。面々が腹も心も満たされて来た時を見計らったかの様に――――その妖怪は現れた。

>「当旅館の主、ぬらりひょんの富嶽でございます」
>「飯を啖いながら聞け。用件はすぐ終わるからの」

長い後頭部と鋭い目を持つ、小柄な老人……しかしその実は、妖怪の総大将とも称される、ぬらりひょん。
鳥山何某という画家の絵にも描かれ、人間社会においても名を知られた、大妖怪である。

>「まったく、急に呼び出して。今度はいったい何の用です?富嶽ジイ。あなたに呼ばれるとロクなことがないんだ……ねえ?クロオさん」
「……昔、御老体に頼まれて荷物を届けに行った村が巨大な頭のバケモンの巣になってた時は、流石に恨んだぜ」

だが、そんな妖怪の大御所を前にしているにも関わらず、尾弐と那須野の言動には驚く程に敬意という物が感じられない。
それは恐らく、幾度に渡り積み重ねられてきた無茶振りが齎した産物なのだろう。
ただ、当のぬらりひょんの側も二人の態度に特に不快感を見せていない辺り、出会った当初から割とこんな感じであったのかもしれない。

>「おう、そうぢゃな。……で、後は……尾弐か。無沙汰だったの、相変わらず不摂生な生活をしとるようぢゃが」
「御老体の方は壮健そうで何よりだ……生活に関しちゃ、飯食って酒飲める分だけ昔に比べりゃ健康的だろ?」

そうして、各々を眺め見て声をかけていたぬらりひょんであったが、尾弐へと話しかけた事で雑事は終わりとでも言う様に要件を切りだしてきた。

46 :
《先日20日に埼玉県秩父市の山中で発見された野生動物について、日本哺乳類学会はニホンオオカミと見て間違いないとの見解を――》
>「これな。この狼を奪還し、こちらに寄越せ」
>「無茶な!?耄碌が過ぎますよ、富嶽ジイ!?」

ぬらりひょんから言い渡されたのは、巨大な丸鏡に映し出された、昨今発見されたニホンオオカミの捕獲依頼。
精々、悪質な野良妖怪の駆除辺りであろうと高を括っていた尾弐は、話の大きさに驚き飲んでいた酒が気管支に入り咽せてしまい、
那須野の様にとっさに言葉を返す事が出来なかった。
そうしてその間に、ぬらりひょんはその弁舌で着実に那須野を言いくるめ、とうとうグゥの音も出ない程に良い負かしてしまう。

>「他の者は異論はあるか?……ま、あったところで聞き入れてなどやらんがの。文句がないのなら、これで話は仕舞いぢゃ」
「ゲホッ、ゲホッ……まあ大将が納得したなら、今回は文句は無ぇがな。あんまし『ウチ』への負担を増やしてくれるなよ、御老体……」

そのタイミングで、ようやく呼吸を整える事が叶った尾弐であるが、どうやら那須野は依頼を断る事をせず、
ぬらりひょんの方も異論や反論を受け付けるつもりはないらしい。宴会場から立ち去って行った。
尾弐はため息を一つ吐くと、ノエルと……先に話の最中で巨大化しかけたポチへと視線を向ける。
ノエルの方は至っていつも通りであるが、ポチの方はやはりというべきか大分に心が乱れている様だ。

(無理もねぇか……半ば会えねぇと思ってた存在が、降って沸いたんだ。そりゃあ、そうなるよな)

言葉の一つでも掛けようかと考えた尾弐であったが、同時に今のポチに自身の言葉は届かないだろうと思い口を噤む。
そうしてそのまま、宴会場には暫しの沈黙流れたが……

>「お酒も呑んじゃおっかなー!クロオさん、笑さんのお酌があると言っても一人酒じゃ味気ないでしょ?お付き合いしますよ!」 「お酒も呑んじゃおっかなー!クロオさん、笑さんのお酌があると言っても一人酒じゃ味気ないでしょ?お付き合いしますよ!」
「お、おう……?」

唐突に放たれた那須野の明るい声が、沈黙を打ち破った。
突然の事に面を喰らった尾弐は間の抜けた声で返事をすると、同じく戸惑った様子の笑と視線を合わせ
とりあえず彼女に半分以上中身の残った冷酒の瓶を渡し、那須野の所へ持って行って貰う事にした。

>「ほらほら、ノエルさん!もっと何か食べたいものはないんですか?お刺身あと三人前くらい頼んでおけばいいですか?」
>「えっ、高校生がお酒飲んだら色々まずい気が……! 僕が付き合うよ!」

「やめろ、色男と祈の嬢ちゃんは麦茶かジュースにしとけ」

その後も那須野の何時にないハイテンションは続き、ノエルから酒瓶を取り上げながらその様子を見ていた尾弐は、
那須野の浮かべる笑顔を見て、ふと……本当に唐突に彼の探偵の真意に気付く事が出来た。

(――――ああ、なんだ那須野。お前さん、ポチの為に何かをしてやりたかったのを我慢してたのか)

水臭いと思うと同時に、昔から妙な所で頑固な奴だから仕方ない、とも思う。
倩兮女の浮かべる本職の笑みと、狐面の探偵の浮かべる何かが吹っ切れたかの様な笑みを肴に、尾弐は御猪口の中の酒を喉の奥に流し込んだ。

―――――――――――

47 :
さて、その後。宴も終わり、腹ごなしとばかりに卓球台の周りに集まっていた面々は、
今後の方針について情報を集め計画を立てていく。

>「捕獲されたニホンオオカミは現在、上野の国立科学博物館にいるようですね」
>「上野!? なんだ、都内じゃん!」
「普通に都内だな。あの御老体、メールと電話って概念は持ってる筈なんだが……」

東京都内での依頼をわざわざ県外まで呼びつけて行う事の不毛さに、頭を掻く尾弐。
そんな尾弐を尻目に、那須野はポチへと力強い激励の言葉を投げかけている。

>「……でも。一旦依頼を受けた以上は、その達成率は100パーセント!それがこの狐面探偵の矜持というものです」
>「……僕は、またお散歩に行ってこようかな。僕もちょっと体を動かさないと、食べすぎちゃった」

だが……言葉を受けたポチの様子が芳しくない。
心ここに非ずという言葉通り、那須野の言葉を聞いているが、どこか届いていない様に感じられる。
尾弐は、ポチに大丈夫か声を掛けようとするが……その前に彼は『散歩』へと出かけてしまった。
腕を組み、その背を見送った尾弐は、近くに居た祈に声を掛ける。

「祈の嬢ちゃん……悪ぃがポチ介の事を何時もよりちっと気にかけといてくれねぇか。
 今の奴さん、糸の切れた凧みてぇにどっか飛んでっちまいそうな雰囲気だったからな」

それは本当に、何となくの提案であった。確信があった訳でもない。
ただ、何となく――――ポチの背中を見ていたらそんな気がしたので、糸が切れた凧にも追いつけそうな祈に、そう頼んだのである。



さて、卓球を終えて直ぐに部屋に戻った尾弐は、窓の傍の椅子に腰掛けて焼酎をチビチビと飲んでいたのだが

>「あぎゃあああああああああああああああああ!!」

静謐な森に突如として響いた汚い高音の悲鳴に、再度咽る事となる。
咳き込みながらも窓の外を見て見れば、そこには……折れた枝と、地面に倒れるノエルの姿。
それを確認した尾弐は

「――――なんだ、いつものノエルか」

そう言って窓を閉めた。
さしもの尾弐も、まさかポチが脱走を企てているとは思いも寄らず、
またノエルが妙な行動を取るのは何時もの事であるので、異常事態である事に気が付けなかったのだ。

「仕方ねぇ、薬でも持って行ってやるか」

そうして尾弐は部屋の薬箱を雑に掴むと、ノエルが居るであろう場所へ向けて歩を進める。
それは、ポチの脱走を防ぐ為には余りに遅い速度であった……

48 :
ホモばっかだな
くっさ

49 :
 七月半ば。夏のある日のことだった。
>「唐突ですが皆さん、温泉に行きましょう」
 ポチ、ノエル、尾弐、祈の4名は橘音によって事務所に集められ、
蝉の声が響く中、唐突にそんな言葉を聞かされたのだった。
 それに対する反応は様々だ。
>「温泉……だと!? 裸になっても逮捕されない数少ない場所の一つじゃないか!」
 温泉という場を独特に捉え、そこに喜びを見出す者。
>「……温泉、って……おふろ?……え、ホントにとーとつだね。どしたの?」
 その唐突な言動に困惑する者。
>「……温泉って、シーズン間違ってねぇか?」
 四季の中でも最も暑い季節に温泉に向かうということに対し、真っ当なツッコミを入れる者。
「おん……せん?」
 そして、言葉の意味を瞬時に理解できなかった者。
祈であった。何せ祈にとっては縁遠い言葉であるから、
オンセンという新しい飲食店でもできたから皆で行こう、というような話かと一瞬思ったのであるが、
裸になれる、お風呂、シーズンが違う、それらの言葉を繋ぎ合わせてようやく察した。
「おんせんって……あの温泉!?」
 効能があって入ると体に良くて、しかもとても気持ちが良いという、
あの噂の温泉なのかと、祈は掛けていたソファから腰を浮かせた。
>「いわゆる慰安旅行ってやつですかね……皆さんにはいつも頑張ってもらっていますから」
>「たまには温泉にゆっくり浸かって、おいしいものを食べて。戦いの疲れを癒すのもいいでしょう」
>「ペットOKですからポチさんも行けますし、お湯が苦手なノエルさんのために水風呂の用意もあります」
>「ああ、旅費についてはご心配なく。全部ボクが持ちますから、皆さんは着替えなどだけ用意して頂ければ」
 温泉旅行と聞いて気になるのは当然旅費だ。
特にそれほど裕福でない多甫家にとっては死活に繋がる問題であるのだが、それは橘音が負担してくれると言う。
でもあたしお金全然ないよ、などと言いだして諦める寸前だった祈の気持ちはここで一気に温泉に傾き、
祈は目を輝かせた。温泉旅行に行けるという喜びや期待が祈の頭を占め、
橘音の醸し出す、実はちょっと乗り気じゃないオーラにすら気付かない。
「旅費全部橘音持ち!? て、ていうかホントにいいの!? マジで着替えだけでいいの!? ぃやったー!」
 ソファに座り直し、祈は諸手を挙げて喜んで見せた。
>「宿はもう決まっています。……いわゆる秘湯というところで、鄙びていますがいい所ですよ」
>「温泉はもとより、料理もお酒も素晴しい。ボクとクロオさんは、何度か行ったことのある宿ですが――」
>「……ね?クロオさん。あそこですよ……あ・そ・こ」
 秘湯。鄙びた趣のある宿。料理もおいしい。その言葉で俄然期待が高まる。
夏場に行く場所じゃなくてもいい。一度行ってみたかった温泉旅行に行ける。
しかもそれを仲間と共有できるのは正直、嬉しかった。
>「おい、待て大将。あそこってのはまさか、『あの』宿じゃねぇよな?」
 尾弐はその宿で過去に何かあったのか、なんだか難色を示しているが、
>「……温泉かぁ。ぼく、あついのは苦手だけど……おいしいごはんは大好きだよ!
> それにみんなでどこかに行くってだけですっごく楽しみ!」
 ポチは祈と同じ気持ちのようで、それもまた少し嬉しく感じた。
>「では皆さん、当日をお楽しみに!」
 集まったブリーチャーズ全員に有無を言わさず参加の約束を取り付けると、
そう言って橘音は話を締めた。
 そうして、一週間後。祈は夏休みを迎え、仲間と共に旅行に出かけることになったのだった。
――ちなみに尾弐の作ったアスパラの肉巻きはそこに集まったブリーチャーズで美味しく頂きました。

50 :
 旅行当日。ブリーチャーズは東京駅に集合していた。
メンバーの格好は旅行用のショルダーバッグを持っていたり、
キャリーケースを引いていたりと、普段と少々異なっており、
祈もまた、左肩に切れ込みの入った白のダメージTシャツにホットパンツと言う涼しげな格好に、
新調したスニーカーと、着替えなどを詰めた大きめのスポーツバッグを背負った、いつもと違う姿で現れた。
暑い夏。流石に冬のようにパーカーは着ないのである。
 一行は新幹線に乗り、まずは岩手県の新花巻駅へ向かう。
道中、ポチとノエルの会話から新幹線の速さが時速270キロもあることを知り、
衝撃と嫉妬を覚えながらも、道理で窓から見える景色がこんなにも早く流れるのだなと感心する。
 新花巻駅で降りたらレンタカーショップに行って大型車を借り、
尾弐の運転する“何故か”快適な車に揺られながら暫く。
通りに人がいなくなったところで、祈は車から降りて並走してみたり。
そんなことをしている内に、一行はやがて目的地へと辿り着いた。
>「お疲れさまでした、皆さん。ここが今回の宿――迷い家(マヨヒガ)です」

 迷い家(マヨヒガ)。遠野物語等にその名は登場し、山中や森奥で迷った者が泊めて貰えることがあると言う。
そこに泊まった際、小さな家具の一つも失敬すればその者は幸福を手にするというような話もある。
さぞ立派な、昔ながらのお屋敷なのだろうと祈は思っていたのだが、
玄関には『歓迎 東京ブリーチャーズ御一行様』と書かれた看板があり、
見た目もネットで見かけたことがあるような、しっかり手入れされている歴史ある温泉旅館という感じであり、
祈が思っていた迷い家のイメージとは少々違う。いかにも商業施設、という印象だった。
しかし、立派な建物であることには変わりない。
>「行きましょう。はー、早くお風呂入りたい……」
 祈がその旅館の風貌を珍し気に眺めていると、車を降りてきた橘音がそう呟き、
ショルダーバッグを持って玄関を潜っていく。
他の面々もそれに続くので、祈も車から自分の荷物を取って、後に続いた。
 玄関に入ると、一人の女性が三つ指をついてブリーチャーズを出迎えてくれた。
>「いらっしゃいませ、お待ち申し上げておりました。東京ブリーチャーズの皆さま――」
>「本日は、当旅館へようこそおいで下さいました。当旅館の女将、倩兮女の笑(えみ)と申します」
 藍色の着物を着た色っぽい女性だった。
笑と名乗る女性は深々と頭を下げ、それを上げると、魅力的な微笑みを見せてくれた。
倩兮女、という名乗り方からすると恐らくこの人も妖怪なのだろう。
建物からして妖怪で、従業員も妖怪。さしずめここは妖怪の為の温泉旅館なのかもしれなかった。
>「笑さん、お久しぶりです。お世話になりますよ」
 旅館の女将、笑に橘音は慣れた様子で挨拶をする。
>「三ちゃんお久しぶり。すっかりお見限りで、寂しかったのよ?たまには顔を見せてくれても――」
>「色々取り込んでましてね。探偵は人気商売ですから、仕事があるうちに稼いでおかなくちゃ。それに、顔と言ったって仮面でしょ」
>「また、そんなつれないこと言って……」
 対する笑も親しげだ。
橘音や尾弐は何度か来たことがあると言うから、顔見知りなのだろう。
笑は尾弐とも言葉を交わしていき、適当な所で会話を切り上げると、立ち上がって手を軽く叩いてみせた。
すると奥からぞろぞろと一本ダタラや山彦などの妖怪がやってきて、
祈や他のブリーチャーズの荷物を持ってくれたり、ポチの足を拭いてくれる。
「あ、ありがと」
 初めての女将さん。初めての旅館の歓待。戸惑いと感動が同居する。
>「積もる話は後ほど。まずはお部屋にご案内しましょう、どうぞごゆっくりお寛ぎくださいな」
 そう言って、ブリーチャーズに旅館に上がるよう促す笑。
「お、お世話になります」
 祈はそう言って玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えた。
自分達の部屋はどの辺りにあるのだろう、などと思っていると、
>「あ、部屋割はボクと祈ちゃんに、ノエルさんとクロオさんとポチさんってことで」
 同様にスリッパに履き替えた橘音が振返って、そんなことを一同に言い放った。
息をするように爆弾発言をすることに定評がある橘音。
性別ノエルなノエルは本人が気にしていないようだし、尾弐とポチのいる男部屋でいいにしても、
橘音が祈と同室になるのは如何なる意味か。遠回しな女性であることの告白なのか。
それとも。
「…………!?」
 驚愕に言葉を失う祈を置いて、
ノエルの『尾弐と橘音同室案』も虚しく却下され、祈は橘音と同室になった。

51 :
 祈と橘音の仮女部屋へ寄り、二人の荷物を降ろして貰ったら、
次は尾弐とノエルとポチの仮男部屋へと一行は向かった。
今後の予定を話し合ったり、笑から宿の説明を受ける為、一旦男部屋に集まったのである。
女部屋も男部屋も、部屋の内装はそう変わらない。
手入れの行き届いた、和そのものの内装。
古い建物である筈だが襖紙などは定期的に張り替えられているのか、
色褪せた様子はなく、畳だって綺麗なものだ。
侘び、寂びと、不思議と落ち着く雰囲気があった。
 笑から旅館についての説明を受けながら、祈は橘音と同室になったことについて考えていた。
『橘音だったら大丈夫だよね。いつも命は預けてるんだし、信頼できる気がする。
もし男の人だとしても衝立(ついたて)があれば着替えぐらい……や、でも――』などと考えて
まごまごしている内に押し切られてしまった訳であるが、これでいいのだろうか、と思うのだ。
――橘音は。
 今回の旅行は橘音が旅費を全面的に負担しており、金銭的な都合から二部屋になるのは仕方ない。
そしてメンバーには安易に男女どちらにも分けられない性別ノエルが混じっているとは言え、
ノエル自身や同室となる二人が納得しているのならばノエルは男部屋でも構わないだろう。
 だが橘音はどうか。
狐面の奥の素顔をひたすらに隠し、己の性別がどちらであるかを決して明かさずにいる橘音。
それはもはや執念とすら言っていい領域にある。
そんな橘音と同室になったら。二泊もするのだからいずれ寝る時が来る。寝る時は誰もが無防備で、
狐面が不意に外れてそれを祈が目撃してしまう、なんて事態も可能性としてあり得る。
そんな事態を防ぐ為にも本当は一人部屋の方が良かっただろう。
しかし男性が複数いる部屋よりはと、気を遣って祈を自分の方に引き取ったのだと祈は思った。故に。
>「まずは当旅館自慢の温泉にお入りになって、旅の垢を落としてくださいな。お食事の支度が出来ましたら、お呼びいたします」
>「他に何かありましたら、何なりとお申し付けくださいね」
 やがて笑は旅館の説明を終え、話をそんな風に締め括って男部屋を後にした。
「あ――」
>「さあーて……じゃ、夕ごはんまでは各自自由行動としましょう。お風呂に入るなり、お酒を呑むなり、皆さんご随意に」
>「ボクはさっそくお風呂に入ってきます。ノエルさん、あとで一緒に卓球やりません?ではのちほど!」
 故に『あたし、男部屋に移ろうか』。そう言おうとした祈だったが、橘音と被ってしまった。
しかも橘音は言い終わるや否や自分と祈の部屋に戻ろうと立ち上がってしまい、タイミングを完全に逸してしまう。
橘音のことだから、恐らく祈の言わんとする事を察して、故意に被せてきたのだろう。
気にしないでいいですよと、そう言われた気がして、少しほっとする。
ともあれ、自由時間。気持ちを切り替えて楽しもう。そう思う祈だった。

>「橘音くん、後でと言わずに一緒にお風呂に行こう!」
 橘音はそう元気に誘うノエルを追い払いながら自分の部屋に戻っていったし、
>「ポチ君、暑がってたよね。一緒に水風呂行こう!」
>「んー、じゃあぼくはお散歩行ってこよっかな」
 めげずに今度はポチを誘うノエルを置いて、ポチは探検に出かけてしまった。
更にめげずにノエルは祈と尾弐へとくるりと向き直って、
>「祈ちゃん、クロちゃん、お風呂いこう」
 そんな風に、二人を誘うのだった。
「うん、いいよ」
 祈はそれに即答する。迷い家に着くまでの道中、人がいないからと羽目を外して
車と並走したりとはしゃいだ祈であったから、少々汗をかいているので丁度いいと思ったのだった。
笑が勧めていたから早く入ってみたいとも思ったし、
温泉では男女別々とは言え、道中だけでも並んでいた方が楽しい。
>「……そうだな、色男が何かやらかさねぇか心配だから、風呂で熱燗でも飲むか。
>祈の嬢ちゃん。色男は俺が見張っとくから安心して風呂入っていいぞ」
 尾弐も了承し、温泉に同行してくれることになった。
「ははっ、頼りにしてんね。尾弐のおっさん」
 すっかり保護者が板についてきている尾弐である。
 早速、服を取りに割り当てられた部屋に戻ってみると、
どうやら橘音は部屋に取り付けられた内風呂に入ってしまったらしく、
内風呂から湯が流れるような音が響いてくる。
「橘音のやつ、温泉入りに来たのに普通のお風呂に入ってんのか……」
 徹底してるなーと感心しながら、着替えや浴衣を抱えて部屋の外に出た祈は、
ノエルや尾弐と合流し、適当に雑談しながら温泉へと向かった。

52 :
 そして行き合う、男、女と書かれた暖簾の掛かった、二つの扉。
上には露天風呂と書かれた看板が掛けられており、
ここが旅行の目的の一つである温泉で間違いなさそうである。
 扉の前で尾弐とノエルと別れ、祈は女と書かれた赤い暖簾の掛かった扉を開けて中に入る。
そこは小部屋で、履物を脱いで、靴箱に収められるスペースになっていた。
スリッパを脱いで靴箱に収め、奥にある扉を潜ってみると、そこが脱衣所になっているようだった。
なるほど部屋を分けることで、入口の扉が不意に開いた時、
奥に裸の人がいても見えない仕組みになっているのだ、などと感心する。
 祈は脱衣所で服も下着も脱いで籠に入れ、持ってきた着替えなどと一緒にロッカーに突っ込んだ。
そして、テレビ等で見たように、タオルを体に巻きつけてみた。
脱衣所には誰もいなかったが、広い場所で裸でいるのは心許なく、気恥ずかしい気分になったのである。
 さて、いざ初の露天風呂と、ガラス戸を引いて浴場へと踏み出すと、
恐らく大型の妖怪でも入れるようにと広く作られたであろう立派な露天風呂が目に入った。
湯は白く、立ち上る湯気とそれに乗ってふんわり薫る、心地良い香り。
高い塀。それよりも高い森の木々。
 湯に濡れた石造りの床の、ごつごつとした感触を足に感じながら踏み出し、辺りを見回してみると、
まだ妖怪達の活性化する遅い時間でないからか、浴場にも誰もおらず、のびのびとした時間を過ごせそうであった。

 銭湯にすら行ったことがなく、入浴の正しい作法も分からない祈だったが、
そこは情報化社会に生きる現代人。ネットで事前に調べた知識と持ち前の勘でなんとかするのである。
 体に巻いたタオルを取って、まずは頭と体を石鹸で洗う。
都会からやってきた場合は空気の汚れなどがあるので念入りに。
そうして毛穴や皮膚の汚れを落とすと、温泉の効能をしっかり受けられると言うので、祈は足のつま先までしっかり洗った。
(その後もまた入る場合は、肌を痛める恐れがあるので石鹸を使うとしても少量が良いのだとか)
 体を洗い終わったらタオルを巻きなおし、かけ湯をする。
温泉の湯を桶で掬って、手や足など体の末端から掛けて、湯の熱さに体を慣らしていくのだ。
そうすることで心臓への負担等を軽減でき、入浴による疲労を抑えられるそうだ。
 それが終わったらいよいよ入浴である。
つま先からゆっくり湯に入れていき、やがて全身を沈めた。
温泉の内部は階段状になっていて、二段も降りて腰を降ろせば、一段目は椅子代わり。
祈程度の身長ならば肩まで湯に浸かれるようになっていた。
「くぅううぅ〜……っはぁー……生き返るぅ……」
 乳白色の温泉に浸かると、そんな言葉が口を突いて出た。
死んだことがある訳ではなかったが、そんな心地にもなろう。
呼気の度に良い香りが鼻に吹き抜けて、気分も良く。
白い温泉など初めてで、足を水面ギリギリにまで上げない限りまったく見えないのが面白くて。
ケ枯れ寸前でも回復するという効能の温泉だからだろうか、
全身の疲れが温かい湯に溶けて消えていくようですらある。
家で風呂に入るのとは全く違う心地良さが祈の全身を包んでいた。
 ケ枯れ寸前でも回復するという謳い文句だからと、
試しにお湯を手で掬って、右肩の辺りにかけてみる。
しかし、そこに走る一条の傷は消えることはなかった。
多少の傷ならば跡形もなく治せる祈だが、この傷は弾丸に抉られたものであるし、
何より妖怪が苦手とする神霊の一撃で作られたものだ。
傷は治っても、傷跡の完治までは見込めそうもなかった。それはほんの少し、残念ではある。
 しかしそれもどうでもよくなってしまう程に、心地良い。
「おーい、御幸ー! 尾弐のおっさーん! いるー!?」
 テンションが上がって、塀を隔てて向こうにいるであろう二人に話しかけてみたりして。

53 :
 湯を上がったら浴衣に着替え、ノエルと宿の中を探検したり、売店に寄った。
時折すれ違う妖怪達の多くは本来の姿を晒しており、その顔は明るくリラックスしているように見える。
 売店では、ノエルがお金を出してくれるというので、それに甘えてコーヒー牛乳を奢って貰った。
湯上りにコーヒー牛乳、というのを一度やってみたかったのだ。
ノエルに礼を言って受け取ると、瓶入りのコーヒー牛乳はひんやりと冷たい。
その場で飲んでいいと店員が言うので、ふたを開けて一口飲んでみると、
川の清流で冷やされたという一杯は甘く体に染みわたって、堪らなかった。
ぐびぐびと飲んで、あっという間に飲み干してしまう。
「温泉って……サイッコーだな!」
 ぷはーっと一息吐いた後は、空ビンを売店の外にある空ビン入れに突っ込んだ。
その陰で、ノエルが何やら三尾の狐マスコットを手に取って購入しているのが祈の視界の端に入る。
もふもふとした可愛らしい動物妖怪のマスコット人形達はそれなりに種類があるが、
その中から狐を選んだのは、やはり、きっちゃんという狐の友人や橘音のことを気に入っているからだろうか。
「……ん?」
 そうやってノエルが買っていたマスコット人形やらを眺めていると、
ふと、隣にあるお土産コーナーに目が向いた。
 お土産。祖母には勿論だが、あと一人、何か買ってやらねばならない者がいるのを思い出したのだった。
モノのことである。夏休みに入る前、夏休みの予定について話したことがあるのだが、
その時、温泉旅行についても話したのだ。すると、
>『Wow!ジャパニーズ・スパ!ユカタ!ワシツ!マクラナゲ!とっても楽しそうですわぁぁ……!』
 などと本気で羨ましがっていたので、せめてお土産の一つも買っていってやらねばと思っていたのだ。
「って言っても、あいつに会うのって夏休み明けだよなー。
温泉饅頭……は良いと思うけど日持ちしないし……だったら、こういうのかな」
 羊羹などは1年ほど日持ちする様子だったからそれも候補に入れるとして、
陳列されている物の中で、今贈り物用に買えるとすれば、ストラップぐらいだろうか。
迷い家の看板が貼られたお椀の湯に浸かる、鎌鼬のようなキャラクターをあしらったストラップを祈は手に取る。
狐や犬や猫など種類が豊富で迷ったが、
二人が友人(のような関係)になった日に出会った妖怪が鎌鼬だったから、なんとなくそれを選ぶことにした。
それを自分のものを含めて二つ買っておいた。

 探検や買い物を終え、祈が部屋に戻って暫くゴロゴロしていると、
笑が夕食の支度ができたと伝えにやってきた。
しかし食事が部屋に運ばれてくる……かと思いきやそうではないらしく、別室に用意してあると言う。
浴衣姿の橘音と一緒に部屋を出て、男衆と合流。ヤクザの親分みたいな格好をしている尾弐を見て、
驚きながら歩いていくと、100人は入れるであろう大きな宴会場に着いた。
ここで他の宿泊客も交えて一緒に食事、という訳でもないようで、配膳されているのはブリーチャーズの5名分だけ。
 いわゆる貸し切りになっている様子だった。
そしてお膳の上に載せられているのは、山や海の幸を活かした、祈が見たこともない絢爛豪華な料理達だった。
(て……、天ぷら!? 山菜おいしそう……あっ……これ伊勢海老じゃねーか!? こっちはお刺身が船に載ってて……)
 盆と正月とクリスマスと誕生日を、それを5年分足してもまだ足りないくらいのご馳走達。
クリスと戦った日、つまりは4月に食べたハンバーグ以降ご馳走らしいご馳走など味わってこなかった祈だから、
見ているだけで腹の虫が鳴り、早く食べさせろとせがんだ。
 座布団の上にあぐらをかいて、全員揃って食べて良い雰囲気になった途端、
「いただきますっ!」
 眼前で両手を打ち鳴らすように合わせ、即座に箸を手に取り、一秒も惜しいとでも言うように猛然と食べ始める祈。
「なにこれやばい!? うっまい! すごい! やばい!」
 そして一口で虜になる。美味すぎるあまりに語彙も死んだ。
>「……たいへんだぁ。ぼく、ホントにここから帰りたくなくなっちゃうよ」
>「本当に。もうずっとアイツらに留守番させとこうかな」
 ポチもノエルも、祈同様に舌鼓を打っている。
流石、水質にすら拘る妖怪達の訪れる旅館である。
山菜の天ぷらも、刺身も茶碗蒸しも何もかもが極上――。
祈のように酒をたしなまない者の為に炊き込みご飯まで完備してある。
もう一生食べることはないであろうご馳走達を、祈は一口含むごとに感動しながら食べていった。

54 :
 時が僅かに過ぎ、宴も闌、という時期に差し掛かった時のこと。
>「宴もたけなわですが、皆さま、ここで当旅館の主よりご挨拶が」
 祈が夢中になって食べ続けていると、女将の笑がそう言って、小柄な老人が宴会場に入ってきた。
その大きな後頭部を見て、祈にもそれが何者か理解できた。
絵に描かれた百鬼夜行だかの先頭にいるが故に、妖怪の頭領などと噂される妖怪。
>「当旅館の主、ぬらりひょんの富嶽でございます」
 それを聞いて、ぬらりひょんにも苗字ってあるんだ。などと祈は雑な感想を抱く。
>「飯を啖いながら聞け。用件はすぐ終わるからの」
 しゃがれているが、重みのある声でぬらりひょんの富嶽はそう述べた。
その声には、尾弐がヤクザの親分なら、この富嶽というのはヤクザの大親分だろう、と思わせる迫力がある。
しかしとりあえず食べていて良いらしいので、祈は少し迷ったが箸を休めることなく食べ進めることにする。
何せ天つゆではなく塩で食べても天ぷらは美味しいという大発見をしたばかりなので、ここで止まる訳にはいかないのだ。
 食べながら耳だけで聞いていると、
富嶽はどうやらブリーチャーズを呼び出した者であり、また、何か依頼したいことがあるらしかった。
そして橘音が集めてきたメンバーがその依頼に相応しい者達か見極めようとしているようで、
各々を見て、それぞれについて橘音に説明させていくのだった。
 ノエルと来て、すぐ祈の番になる。
>「男が女王とは世も末ぢゃな。あやつめ、何を考えておるのやら……。まあよいわ、それで?そっちが――」
>「多甫 祈ちゃん。ボクの助手です」
「んっ、ふぁい」
 口に物が入っているので、仕方なく口元を抑え、左手を上げて挨拶してみる祈。
何か話すこともあるかもしれないので、口の中の物をどうにか飲み込もうとしたが、
>「……颯(いぶき)の娘か、少し見ん間にでかくなったの。前に会ったときは……」
 その言葉を聞いて、不意に祈の心臓が跳ねる。飲み込もうとしたものが喉に詰まりかけた。
 颯(いぶき)。それは祈の母の名前だった。
もう既にこの世にいない、面影すらおぼろげな二度と会えない人の名。
母さんのことを知ってるのか、どんな人だったのか。そんな質問をしたかったが、なんとか嚥下した頃には、
>「富嶽ジイ、その話はちょっと……」
>「おう、そうぢゃな。……で、後は……尾弐か。無沙汰だったの、相変わらず不摂生な生活をしとるようぢゃが」
 すっかり、その話は流れてしまっている。

>「ま……それはともかく。お主らに頼みたいこととは、他でもない」
 メンバーの確認が終わると富嶽はそう切り出した。
依頼の内容を話し始めたと言うことは、集められたメンバーに不満はなかった、ということなのだろう。
 山童が持ってきた巨大な丸鏡に、テレビのニュース映像が映り込む。
《先日20日に埼玉県秩父市の山中で発見された野生動物について、日本哺乳類学会はニホンオオカミと見て間違いないとの見解を――》
 テロップなどでも同様の内容が流れているが、丸鏡はニュースを音声付きで流してくれていて、非常に親切だ。
が、重要なのはそこではない。
 ニホンオオカミ。ポチが最も会いたいと願う存在が発見されたと言うことが重要だった。
 祈は映像から目を離し、ポチを見た。
「仲間が見つかったってこと……だよな? 良かったなポ――」
 映像を見たポチの体は、以前のように膨れ上がり始めていた。
以前ほどの大きさではないものの、それでも首輪がギチギチと悲鳴を上げるほどに、
体躯は大きく牙は長く、狼へと変貌し始めている。
「――チ……」
 興奮が抑え切れないのだろう。
映し出される白狼に目を奪われて、彼にご飯を食べさせていた山彦が悲鳴を上げるのも、
>「ポチ君……!? 落ち着いて!」
 そう言ってポチを落ち着かせようと撫でるノエルすらも目に入らない様子だった。

>「これな。この狼を奪還し、こちらに寄越せ」
 ぬらりひょん、富嶽から頼まれた今回の依頼。
それは妖怪界の為でありながらポチの願いを叶えるものでもあり、
祈にしてみても願ったり叶ったりの喜ばしいものである筈だった。
しかし、何者も目に入らぬように一心不乱に飯を腹に詰め込み始めたポチを見ていると、
どうにも波乱の予感がするのだった。

55 :
 散々飲み食いした後、ブリーチャーズは腹ごなしと言うことで卓球場にて卓球に興じた。
祈も壁打ちをしてみたりして遊んでいたが、
やがて飽きたように椅子に座って、卓球のラケットをくるくる弄びながら考えごとを始めてしまった。
 こんな風に目の前にあるものに集中できず考え始めてしまうのは、
母の名を不意に聞いてしまったからだろう。
普段は心の奥底に押し込めている思いが顔を出して、こちらを見つめてくるものだから、
どうにも落ち着かないのだ。
ぬらりひょん富嶽と母はどういう関係だったのか。母もここに泊まったのか。自分に似ていただろうか。
そんなことをつらつら考えてしまっている。
 しかし、そんな感傷にも似た気持ちに浸ってもいられない。
それよりも気になるものがあるからだ。
 祈は顔を出した感傷に別れを告げて、ポチを見遣った。
富嶽からニホンオオカミのことを聞かされてからというもの、ポチの様子はおかしい。
今はほぼ普段通りのサイズに戻っていて、本人も平静を装っているようなのだが、
心ここにあらず、というのが伝わってくるのだった。
それも無理からぬことだろう。会えないと思っていた者にもうすぐ会えるのだから。
しかもポチにとって狼は特別な意味を持った存在であり、ただ同種に会えるというような軽い感覚では決してないのだ。
その内心は焦がれに焦がれて、じりじり焦れているに違いなかった。
>「捕獲されたニホンオオカミは現在、上野の国立科学博物館にいるようですね」
 それに加え、こんな話を聞かされたなら。
焦げ付いていたものは遂に発火する。
>「上野!? なんだ、都内じゃん!」
>「普通に都内だな。あの御老体、メールと電話って概念は持ってる筈なんだが……」
 最も会いたいと願う存在が囚われている場所が、自分の知っている街であると知れば。
そしてポチは狼犬。人間などよりも強い帰巣本能を持っていると考えられる。
そこから導き出される結論。
>「卓球で汗をかいたんで、またお風呂に入ってきます。お風呂に入るといいアイデアが閃くんですよ」
>「皆さんもゆっくりしてください。……少なくとも、人間たちに狼をR気はない。こちらも焦りは禁物です」
>「ここでじっくり計画を練ってから、東京に帰り次第行動開始ということで」
 話を終えた橘音がそう言って卓球場を後にすると、
>「……僕は、またお散歩に行ってこようかな。僕もちょっと体を動かさないと、食べすぎちゃった」
 いよいよそわそわし始めたポチもまた、卓球場を出て行ってしまった。
それを目で追っていた祈は椅子から立ち上がり、追いかけようと一歩踏み出す。
すると、声が掛かった。
>「祈の嬢ちゃん……悪ぃがポチ介の事を何時もよりちっと気にかけといてくれねぇか。
> 今の奴さん、糸の切れた凧みてぇにどっか飛んでっちまいそうな雰囲気だったからな」
 尾弐であった。祈はポチが抱える狼への思いについて尾弐に話していないし、
恐らくポチも話していないと思う、のだが、ポチが分かりやすいのか、それとも尾弐がよく見ているからなのか、
ポチの内面を知る祈と似たような感想を抱いているらしく、そんなことを祈に頼んでくる。
ノエルの監視を買って出たり、ポチを心配したり。
すっかり保護者と言うか、ブリーチャーズのお父さんと言った感じの尾弐である。
祈は微笑んで、
「任せといてよ。糸切れた凧なら前に捕まえたことあるし。
……にしても尾弐のおっさん、皆のことよく見てるよね。いいと思うよ。そういうとこ」
 そう尾弐に言い残し、自らも卓球場を後にした。

 祈は卓球場を出て、ポチを追いかけて走った。
姿を見失ってはいるが、ポチがどこに行こうとするかは見当が付いている。
向かう先は玄関だった。
ポチ自身が散歩と言って出たのだから当然そこに向かうであろう。
 ただ、居ても立っても居られない気持ちを抱え、
狼が捕らえられている場所が都内だと知り、自身には帰巣本能も備わっている。
となれば、ただの散歩では済まないだろうけれど。
 かくして祈が推測した通り、ポチの姿は玄関にあった。
受付の山彦に何事が言付けている様子で、それを終えたらあっさり外に出て行っていってしまう。
ポチを追って祈も外に出ると、そこには。

56 :
>「うおおおおおおおおお! 見えねぇえええええええええ!!」
 ヒートアップしているノエルがいた。
走り出そうとしていたポチから斜め上に視線を移動させると、
そこそこ大きな木の枝上に立ち、双眼鏡を片手に絶叫しているノエルを見つけたのだった。
恐らく風呂に入りに行くと言っていた橘音を覗こうとしているのだろうと思われる。
(育児放棄されてる……!)
 てっきり尾弐と一緒に部屋に戻ったものと思っていた三歳児が、完全に野放しになっている。
全く行動の読めないノエルの面倒をずっと見ていてと言うのも酷ではあるのかもしれないのだが、
“お父さん、お宅のお子さんとんでもないことしてますよ”という心境である。
というかあの短時間でどうやってポチより先に玄関に出たのだろう。
まさか窓から飛び降りたと言うのだろうか。
その行動力は流石ノエリストと驚嘆すべきか呆れるべきなのか。祈は迷った。
 ともあれノエルは走り出そうとしていたポチに気付いたようで、
>「ふっははははははは! 甘い! 甘いぞワンコロ! そんな事だろうと思ってここで待ち伏せしておいたのさ!」
 等と言って今更ながら格好つけている。
更にどうやらポチが脱走しようとしていることも看破したらしく、
何事か説得を始めたようなので、祈もそれに便乗しようとポチに向けて走り出した。すると。
――バキィ!
 ノエルの体重に耐えかねた木の枝が唐突にへし折れた。
>「あぎゃあああああああああああああああああ!!」
 落下し始めるノエル。そしてノエルの説得を聞きながらも、これを好機とばかりに結局逃げ出してしまうポチ。
祈は丁度走り出したところであるから、今ならば落下するノエルを助けることができるだろう。
しかしこの闇夜。ノエルを助けてしまえばポチを見失い、追跡は難しくなる。
つまりはノエルを助けるか、ポチを追うかの二者択一だ。
 走る速度を上げながら、祈は。
「――ごめん御幸! でも自業自得だからな!?」
 ポチを追うことにしたのだった。
ノエルが落ちる瞬間を見たくないので、一瞬だけ目を瞑って走った。

 ポチが逃げ出し、少し経った頃。
ポチは自分に追い縋り、それどころか並走し始める影があることに気付くだろう。
「よぉポチ。どこまで散歩に行くんだ? ――東京までか?」
 影は祈の形をしていた。
犬種の中でも最速とされるグレーハウンド。その最高時速は70キロ程度だとされている。
タイリクオオカミでも同様に時速約60キロから70キロ。
妖怪であるポチならばもう少し速く走れるだろうか。
しかし、いかにポチの足が速くても、時速140キロを超える祈の脚からは逃げられない。
「もしそうならやめとけよ。急ぐ気持ちは分かるけど、皆で助けに行くって話だっただろ?」
 もし、国立科学博物館の場所を確認して帰るだけと考えていたとしても、
こうして一人で走り出してしまう程に冷静さを欠いたポチだ。
国立科学博物館の前に辿り着けば、きっと我慢などできなくなる。
そうして一人、一晩中走り抜いて疲れ果てた体と判断力を失った頭で
何一つ情報なく乗り込もうとすれば、失敗する可能性は大いにある。
そして失敗すれば、より堅牢な場所に狼が移されたり警備が厚くなったりして、今度こそ手が出せなくなるかもしれない。
 しかしブリーチャーズ全員で行くのなら話は違う。
橘音は国立科学博物館の構造やその警備体制について調べ上げてくれるだろう。
そしてその瞳を用い、警備員を利用すればスムーズに忍び込むことだってできるかもしれない。
監視カメラなどのセキュリティが邪魔ならば、ノエルが遠くから凍らせて無力化できるだろうし、
開けられない分厚い扉や頑丈な檻が阻んでも、尾弐の力ならそれらを壊してしまえる。
ポチならば遠吠えで邪魔な人々を退かすことができ、
祈だって、その狼を抱えて安全な場所まで誰より早く運ぶことができるだろう。
皆の力を合わせれば成功の確率は格段に上がるのだ。
「せめて明日まで待てよ。行きたいって言ったらきっと皆来てくれるし、皆でやった方が絶対いい。
でも……それでも一人で行こうって言うんなら、あたしは――『ポチとやり合ってでも止めるから』な」
 ポチの前まで走り抜け、祈は立ち塞がる。
 一人乗り込んで成功しても、仲間を信頼できずに激情に任せ走ってしまったことに対する後悔が。
失敗した時にも、仲間を頼っておくべきだったという取り返しのつかない後悔がやはりポチを襲うだろう。
 故に、ここで止める。ポチの為に。今ならまだ間に合うから。
 構え、ポチを見据える祈の両目は、本気であると言っていた。

57 :
ドラリン荒らしてるのってポチなんだろ?
いい加減やめてくれや

58 :
「……ふう」

たらふく食べてしたたか呑み、ノエルと一緒に卓球に興じてひと汗かいた橘音は、自分と祈に宛がわれた客室へ戻ってきた。
そのまま入口脇の廊下を歩いてゆき、内風呂の脱衣場へ入る。すぐに帯を解き、浴衣をはらりと脱ぎ捨てる。
いつもかぶっている半狐面を取り、脱衣場の籠の中へ入れておく。
一糸纏わぬ姿になると、カラカラと引き戸を開けて内風呂へ。なお、カメラは橘音を追う形で後ろ頭しか映していない。
ビジネスホテルのユニットバスのようなちゃちな作りでない、豪華な内風呂が橘音を出迎える。
豪壮な外湯をそのまま縮小したような露天風呂だ。内風呂でも七月の緑はよく見えるし、近くの川のせせらぎも聞こえる。
桶を手に取ってかけ湯をすると、橘音はそっとつま先から白濁の湯に入った。

「……はぁ……支配人は最低ですが、湯と食べ物だけは極上ですね。この宿は」

熱すぎず、ぬるすぎず。適温と言うしかない湯の中で、ゆったりと四肢を伸ばす。
宿の主である富嶽が聞いたら気を悪くしそうな言葉だったが、お構いなしだ。
旅程は二泊三日。風呂好きの橘音は、東京に帰るまでにあと六、七回は入浴しようと思っている。
尾弐はこの宿を知っているだけに最初は難色を示していたが、うまい酒があれば渋々でも納得するだろう。
ノエルと祈は言わずもがなだ。初めての温泉旅行を思い切り満喫している。傍から見ていても幸せな気分になるリアクションだ。
……しかし。

「ポチさん……。短慮なことをしなければいいのですが」

思い出されるのは、富嶽が持ち込んできた依頼のこと。
ポチにとって、同族というものがどれだけ大切な、重要なものであるのか。――恋焦がれたものであるのか。
それは察するに余りある。宴会場で鏡に映し出された白い狼の姿を見たときの反応にも、それがよく表れている。
ポチはもう、気が気ではないだろう。きっと、リーダーである橘音の言葉もよく聞こえていないに違いない。
ポチは祈よりもずっと長く生きている妖怪だが、妖怪基準で考えると年端も行かない子供に過ぎない。
そんな彼が、ひとりぼっちの彼が――いないものと半ば諦めていた仲間の生存を知った。
ならば、彼がどんな行動をとるのかなどということは、手に取るようにわかる。
で、あるのなら。
『その場合』の選択肢も見越して計画を練っておくのが、東京ブリーチャーズのリーダーであり頭脳である自分の役目であろう。
実際、ゆったりと湯に浸かって湯治を楽しんでいるように見える橘音の脳内では、猛烈な勢いで狼奪還計画が組み上がりつつある。

――やれやれ。何も考えないでゆったり心身の休養なんて、当分望めそうにないですね……。

だが、それが東京ブリーチャーズの宿命である。橘音は小さく笑うと、ざぷりと湯から立ち上がって露天の縁の岩に腰掛けた。
湯に濡れた長い黒髪が、華奢な肢体に張り付く。
ほっそりした肩や丸みのある腰のラインが、しなやかな四肢と調和し美しいシルエットを描いている。
……が、肝心の胸や股間のあたりは湯気でよく見えない。ちなみに素顔も湯気で以下略。
余談だが東京ブリーチャーズDVDやBDを初回で購入しても湯気は消えないので、あしからず。

――颯さん、か……。

足湯を楽しみ、火照った身体を冷ましつつ橘音が次に思い浮かべたのは、宴会場で富嶽の漏らした祈の母親の名だった。
祈の母親、ターボババアの娘――多甫 颯。
優しい女性だった。悪を、妖壊を憎み、けれど決して殺めはしない。浄化の道を模索し、対話を試み、戦いに至るのはいつも最後だった。
橘音が作戦立案し、尾弐が特攻し、颯がアシストする。
このスリーマンセルは向かうところ敵なしだった。どんな妖壊でも、この三人にかかれば敵ではなかった。
バランスのとれた、これ以上ないチームだと思っていた。ずっと、このスリーマンセルでやっていけるものと思っていた。

……うぬぼれていた――。

>連れてってくれてありがとね、橘音!

旅行に出かける際、祈が橘音に言った感謝の言葉が脳裏に蘇る。
そのとき橘音はにっこり笑って祈とハイタッチしたが、本当は。それを素直に喜べる心境ではなかったのだ。

――祈ちゃん、ボクはね……。
――そんな。アナタに感謝されるような妖怪じゃないんですよ……。

橘音は両手で湯を掬って顔に乱暴にかけると、ごしごしと目許をこすった。

59 :
>あぎゃあああああああああああああああああ!!

突如として夜の静寂を打ち壊した汚い悲鳴に、橘音はハッと我に返った。

「きゃっ!」

咄嗟に甲高い声を出して、ざぷんと湯の中に鼻先まで浸かる。
今の声はきっとノエルだ。恐らくノエルのことだ、何かまたよからぬことでも企んだのだろう。例えばのぞきとか。

「まったく、しょうがないノエルさんですね……」

はあ、と息をつくと、そのまま湯から出る。いろいろ思索しているうちに、結構な長湯になってしまった。
死にはしないだろうが、とりあえずノエルの様子を見に行く必要がある。
半狐面をかぶり直し、新品の浴衣に袖を通すと、橘音は宿の玄関の方へ向かった。
玄関を出てそう離れていないところでノエルがひっくり返っており、その傍にヤクザ、もとい尾弐が常備薬の箱を持って立っている。

「ノエルさんは じつに ばかだなあ」

カエルのようにひっくり返っているノエルの顔をしゃがんで覗き込み、しみじみと零す。
黙っていれば、テレビに映っているアイドルが子供のラクガキに見えるくらいの超絶イケメンだというのに……。
とはいえ、想像を絶するハードな生い立ちの彼である。普段はこのくらいで丁度いいのかな、とも思う。
もちろん、覗き行為に関しては後でたっぷりお仕置きをするつもりではあるのだが。

「……そういえば、祈ちゃんとポチさんはどこへ行ったんです?」

尾弐から事情を聴き、大したことはないと判断すると、部屋に戻ろうとしてふと気付く。
迷い家は昔ながらの温泉旅館である。風呂に入る、飯を食う以外にすることはない。
テレビもゲームもないし、散歩しようにも周りは森だ。おまけに今は夜である。
現代っ子の祈のこと、最初は物珍しいにしても、すぐに飽きてしまうのではないかと思う。
それに、仲間のことが大好きな祈とポチのこと、単独行動をするとは思えない。
さらに尾弐が祈に対してポチの見張りを頼んでいた――などと聞けば、ふたりが現在何をしているのかは明白だろう。

と、そこで橘音たちを見た山彦がおずおずと声をかけてくる。
曰く、ポチから伝言を預かった。一目見たら、ううん、一声だけ。ほんの少しだけ話しかけたら帰ってくる、と言っていた――。

「やれやれ……。やっぱりと言うべきか、我慢できませんでしたか」

ぽりぽりと右手の人差し指で頬を掻く。が、これは半ば想像できていたことだ。
迷い家から外界へ出るための道は一本。追跡は容易である。橘音は尾弐に視線を向けると、

「クロオさん、お手数ですが車を出してください。ふたりを追いかけましょう、まだそこまで遠くには行っていないはず」

と言って、浴衣姿のまま駐車場へ歩いていった。
……飲酒運転に関しては、この際見なかったことにする。

>それでも一人で行こうって言うんなら、あたしは――『ポチとやり合ってでも止めるから』な

尾弐に車を運転してもらい(ノエルは後部座席に放り込み)、森の中をしばらく走っていると、ヘッドライトの先に何者かが映った。
言うまでもなく祈とポチだ。まるで一触即発といった様子で睨み合っている。
車を停めてもらい、助手席から降りると、橘音は下駄をからころと鳴らして歩み寄り、

「ハイハイ!そこまでー!」

と、両者の間に割って入った。
一目見ただけで、状況はわかる。待ちきれず単身東京へ帰還しようとしたポチを、祈が止めたのだろう。

60 :
「せっかく、ボクがゆっくりしろって。焦りは禁物って言ったのに……。仕方ないですね、ポチさん」

ちらりとポチを一瞥し、咎めるでもなく告げる。
本来なら、ポチを止めるべきなのだろう。ノエルも、尾弐も、そして祈もそう考えているに違いない。
確かに、チームにとって独断専行や命令無視は禁物だ。誰かひとりが足並みを乱してしまうと、そこから全てが台無しになってしまう。
ここは無理にでもポチを車に押し込み、宿に戻って、一晩明けたところで行動を開始するのが一番であろう。
……しかし。

「じゃ、ポチさんはこのまま東京へお戻りなさい。現地で合流と行きましょう」

橘音は何を思ったか、ポチの暴走を認めた。

「場所はわかりますね?アナタの自慢の鼻で探れば、ニオイの元を突き止めるのは造作もないことでしょう」
「アナタが到着するまでの間に、お膳立ては整えておきますよ。……じゃ、遅れないように」

祈の側に突き出した手はそのまま、ポチに先へ行くよう促す。
ポチが暗闇の向こうに姿を消すと、橘音は小さく息をついた。

「納得いかない……という顔をしていますね?祈ちゃん」

祈はことによればポチと一戦やらかすくらいの覚悟で、彼を止めようとしていたのだろう。
その想いや苦労を無にしてしまうのは心苦しいが、橘音はなにもポチの制御を放棄した訳ではない。

「彼の中には今、長年溜め込んだ同胞への想いが渦巻いています」
「それは彼自身にも制御できない衝動となって、彼の中で荒れ狂っている。それを押さえつけて眠れと言うのは、どだい無理な話です」
「今の彼には、ガス抜きが必要なんですよ。岩手から東京までは、おおよそ500km弱――」
「東京に着く頃には、程よくガスも抜けているでしょう」
「ま……元々、彼は狼。犬じゃない……『待て』なんて命令、聞くはずなかったってことでしょうかね」

ここで祈や尾弐が力ずくでポチを黙らせることも、きっとできただろう。
だが、宿に戻ったところでポチは悶々としたまま夜を明かすことになる。ひょっとしたら、また脱走を企てるかもしれない。
そして、いざ肝心の奪還作戦を開始するにあたって、フラストレーションの溜まったポチはそれこそ作戦を破壊してしまいかねない。
そういったことを避けるために、ここは敢えてポチの好きなようにさせてやる――というのが、橘音の意見だった。

「ポチさんがボクたちよりも先に上野に着いてしまったらどうするのか、って?ふふ……心配ご無用!」
「その辺りの対策も、ちゃぁんと考えてありますとも。だから……ボクたちが今すべきことは、ただひとつです」

そこまで言って、祈に乗車を促し、自分も車に乗る。

「ゆっくりお風呂に浸かって、ゆっくり眠ること。そして明日に備えることです。オーケー?」

尾弐に車をUターンするよう言って、宿へ戻る。
結局橘音はもう一度内風呂に入り、風呂上がりに冷やしぜんざいを食べ、朝までぐっすり眠った。
なお、半狐面はかぶったまま、言うまでもなく素顔は見えなかった。

*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*

夜が明け、ポチを除く東京ブリーチャーズは昨晩のように広大な宴会場で朝食をとった。
これまた昨晩の料理に負けない豪華な膳であるが、朝ということを考えて若干軽いものが並んでいる。
たっぷり朝風呂を楽しんだ橘音はのんびり朝食を味わうと、九時過ぎまで浴衣のままゴロゴロしたり、ノエルを卓球に誘ったりした。
卓球→汗をかく→風呂→卓球→汗をかく→風呂のヘビーローテーションである。
そんなこんなで時計の針が正午を回ったころ、やっと伸びをして、

「ホントは二泊三日のはずだったのに、途中で帰るなんて風情がない……。さっさと片付けて、またここへ戻ってきますよ。皆さん」

などと言う。まだまだ温泉を楽しむ気満々だった。
とはいえ、ここから車で遠野の温泉街まで三時間。新花巻から新幹線で東京まで二時間ちょっと。
今から出発していたのでは、東京に到着するのは夕方になってしまうだろう。
……と、思ったが。

61 :
「ではお見せしましょう……狐面探偵七つ道具のひとつ!『天神細道』〜!」

浴衣からいつものマントと学生服姿に着替えた橘音は、宿の玄関の外でそう言うと外套の内側から何かを引っ張り出した。
それは、高さ一メートル半程度の大きさの朱塗りの鳥居だった。
随分小ぶりで、ノエルや尾弐がくぐろうとするなら屈まなければならないサイズだが、鳥居は鳥居である。
そんなものを持ち運んでしまう辺り、七つ道具のひとつ迷い家外套の本領発揮といった感じだが、この鳥居も同じ七つ道具だという。

「これをくぐればアラ不思議、どんな場所にも一瞬で行くことができるスグレモノです。これで東京まで戻りましょう」

まるで、某青ダヌキのひみつ道具だ。こっちは狐だが。

「ただし、行きはよいよい帰りはこわい……行くことはできますが、帰ってくることはできないんですけどね」

いわゆるワンウェイ・ドアというやつである。
ともあれ、この道具を使えば一瞬で東京へ帰還できる。ポチに先んじて行動も可能というわけだ。

「あ、着替えだとかは宿に置かせてもらいましょう。まだ、温泉旅行は続行中ですから」
「ニホンオオカミ奪還作戦は夜に。ボクの蒔いた種が芽吹いたときが、作戦の開始時刻ということで」

言うが早いか、さっさと鳥居をくぐる。その瞬間橘音の姿は消滅し、跡形もなくなった。
他のメンバーも鳥居をくぐれば、その出た先がノエルの店「Snow White」の店先であることに気付くだろう。
背後にあったはずの鳥居は消えている。橘音はメンバーを自らの事務所に入れ、待機を命じた。

ブリーチャーズが東京に一時帰還して二時間ほど経過したとき、事務所のレトロな黒電話がけたたましく鳴った。
すかさず橘音が受話器をとる。

「ハイ、那須野探偵事務所。……あぁ、綿貫警部。お久しぶりです、どうしました?そんなに慌てた口ぶりで」
「えっ!?怪人65535面相、もといカンスト仮面から、先日捕獲されたニホンオオカミを頂くとの予告状が届いた!?」
「それはまさしくボクの出番ですね。承知しました、さっそく伺います。この狐面探偵・那須野橘音にお任せあれ!」

ガチャン、と通話を切ると、橘音は学帽をかぶり直してその場にいる全員を見た。

「さて。……では、行きましょうか」

国立科学博物館と名のつく施設は三箇所あるが、一般的に国立科学博物館というと上野恩寵公園内にある上野本館を指す。
東京ブリーチャーズが向かったのは、その上野本館。
自然史に関する科学、その他の自然科学及びその応用に関する調査及び研究を司る、日本屈指の博物館相当施設である。
その上野本館、いわゆる日本館と呼ばれる建物の近くに現在多数の警察車両が停車しており、非常線が敷かれている。
大勢の警察関係者が猫の子一匹通さぬ厳重な警戒線を張る中を、ずんずんと進んでゆく。
館内の広大なエントランスには様々な常設展示があり、博物館特有の何とも言えない異界的雰囲気を演出している。
東京ブリーチャーズの目当ては、その奥の関係者以外立入禁止区域の中にあった。

「やあどうも、綿貫警部!今回はまた、とんでもないものを盗むと予告されたものですね!」

博物館の学芸員と何事か話している、でっぷり肥えた中年の警部へと気安げに話しかける。
綿貫警部と呼ばれた警察関係者は橘音を蛇蝎でも見るような表情で迎えると、橘音の後方にいるノエルたちを胡散臭そうに値踏みした。

「彼らはボクの助手です。彼らの協力なくして、ニホンオオカミの保護はできません」

橘音がきっぱり言うと警部は怪訝な表情を浮かべたが、やがて渋々と言った様子で橘音たちを奥へ通した。

――なるほど。

関係者以外立入禁止区域の奥の部屋、冷たい鉄の檻の中に、それはいた。
普段のポチよりもやや大きいくらいのオオカミだ。――まだ若い、メスのオオカミ。
アルビノなのだろうか、真っ白な毛並みが美しい。こんな生き物がまだ日本にいたのか、と思わせる、気品のある姿だった。
ただし、今はその気品もやや色あせている。きっと、長く檻に入れられているお蔭で消耗しているのだろう。
これはますます早急に確保しなければならない。

62 :
「怪人65535面相め、よりにもよってニホンオオカミを頂戴するとは、舐めた予告状を送ってきおって!」
「おまえみたいな胡散臭い探偵の力なんぞ借りたくないが、止むを得ん。胡散臭い怪盗には、胡散臭い探偵をぶつけるに限る」
「だが、一番肝心のオオカミの身柄は我々警察が守り抜く!おまえは余計なことをするなよ、お面探偵!」

「ハイハイ、わかってますよ」

綿貫警部が鼻息荒くまくしたてるのを、白手袋に包んだ右手を適当にヒラヒラ振っていなす。
どうも、赤マントこと怪人65535面相が警察に対してニホンオオカミを盗むという予告状を送ってきたらしい。
警察関係者、特に綿貫警部はこうした赤マントの挑発的な挑戦状を何度となく受け取り、煮え湯を飲まされてきた。
警察の威信にかけて、今度こそ赤マントを逮捕したいということなのだろう。――が、神出鬼没の赤マントは警察だけでは手に余る。
そこで、赤マントとは以前から幾度もやり合っている狐面探偵の協力を要請した、ということのようである。
実際橘音は東京ブリーチャーズと東京ドミネーターズの対決以前から、幾度も赤マントとやり合っている。
警察関係者にもそれは周知されており、今回はその縁で呼び出されたというわけだ。

が。

このニホンオオカミに関する予告状は、本物の赤マントが出したものでは『ない』。
それは赤マントのいつもの手口や筆跡を完全にコピーした、橘音の出したニセの予告状だった。
国立科学博物館へ来る前、橘音はノエル、尾弐、祈に作戦の概要を説明した。

「今回は、赤マントにニホンオオカミを盗ませることにします。……と言っても、もちろん本物じゃありませんがね」
「警察宛てに、赤マントの筆跡を寸分たがわずコピーしたニセ予告状を送っておきました。今夜十時半、ニホンオオカミを頂くと」
「警察はボクに協力を要請してくるはずです、そこでボクたちは赤マントの計画を阻止する名目で国立科学博物館に入ります」
「時間になったら、赤マントに扮した犬神さんが出現します。そこで、皆さんは警察の皆さんをひっかき回し、混乱させてください」
「頃合を見て、犬神さんがニホンオオカミとすり替わります。本物はボクが迷い家外套で運びます」
「あとは、赤マントは逃走したと言って、ボクたちは撤退すればいいだけです。犬神さんには後日脱出してもらえばいい」

犬神。強烈な呪詛の力を持つ犬の霊である。
犬神はほぼ霊魂的な存在であるから、姿を変えることなど自由自在。その犬神に身代わりになってもらい、本物を遁がす。
霊魂である犬神は檻から出ることも容易い。橘音たちに嫌疑が及ばなくなったころ、離脱してもらう。
突如として檻の中のオオカミがいなくなったことに人間たちは驚くだろうが、後の祭である。
これなら監視カメラの対策を練ったり、警備員や警官の目を気にすることなく堂々と中に入れる。
泥棒のような行為は探偵の矜持が許さないという、橘音の苦肉の策である。……盗み出すことに変わりはないのだが。

「……まだ、ポチさんは来ていないようですが……」

そろそろポチも到着するころだろう。彼の能力をもってすれば、建物の中に入るなど朝飯前に違いない。
夜通し走って北日本を縦断したのだ。いくら彼が持久力に優れていると言っても、ある程度は疲労を感じているはずである。
そして、その疲労が彼の頭に上った血を鎮めてくれていればいい。
ニセ赤マントが乱入したときにポチがいてくれれば、より周囲の警官たちを混乱させることができる。
そのどさくさ紛れに自分の外套の中にニホンオオカミをしまってしまえば、それでミッションはコンプリートだ。
小型の鳥居さえ持ち運べる外套である、オオカミ一頭くらい隠してしまうのは簡単な仕事だった。

「よかったですね。もう少しで、お仲間に会えますよ」

檻の前に屈み込み、ポチよりもほんの少し早く目通りが叶った白いオオカミに声をかけてみる。
ポチにとって最後の仲間だ。それは、同時にこのオオカミにとってもポチが最後の仲間ということである。
オオカミは前脚の上に顎を乗せ、吼えることも唸ることもなくただじっと伏せっている。
決して人間たちに屈するまいという、この種の最後の誇りのようなものを感じさせる、その佇まい。
人間におもねることをよしとせず、誇り高い滅びを選んだ種族。
その最後の一頭は、果たして何を思い、虜囚の辱めを受けているのか――?

「……おや?」

取り留めもなくそんなことを考えたとき、ふと、橘音は何かに気付いた。

――このオオカミ、まさか……?

63 :
ガシャアアアアアンッ!!!

オオカミを見て何か思い当たる節のあった橘音だったが、その思索はガラスの割れる突然の大音声によって中断を余儀なくされた。
途端に警報が鳴り響く。エントランスの中は騒然となった。

「来ましたか……!」

オオカミに背を向け、立入禁止区画の中から出てエントランスへと向かう。
建物の正面玄関が破壊され、自動ドアが粉々になっている。壁も一部崩壊しており、濛々と煙が上がっている。
事前の打ち合わせにはなかった、ド派手な登場だ。
橘音は首を捻った。

――犬神さんって、こんなに派手好きだったかな?

犬神は出自が出自なだけに、割と陰気なところのある化生だったはずである。事前の打ち合わせでも、こんな演出は聞いていない。
橘音に協力するということで、頑張って柄にもない派手な演出を考えてくれたのだろうか?
そんなことを考えていると、やがて煙幕が薄らいでゆき、派手な血色のマントがぼんやりと現れる。
後は、ノエルが室内で吹雪を起こしたり、尾弐や祈がどさくさ紛れに展示物を倒したり。ポチが人の脛にまとわりついたり。
そうしてここにいる人間たちを混乱させ、それに乗じて橘音がオオカミを奪還するだけだ。
橘音はノエルと尾弐、祈に目配せした。――が。

――ぁ……?

出現したニセ赤マント、犬神の様子がおかしい。
打ち合わせでは、出現と同時にニセ赤マントは周囲を飛び回って人間たちを撹乱するという手はずだったのだ。
というのに、薄煙越しに佇む今のニセ赤マントはまるで、吊り下げられたてるてる坊主のようにぐったりを首を垂れている。
いや――まるで、という表現は違う。

『本当に吊り下げられている』。

「下等妖怪どものニオイがしたんで来てみりゃァ、テメェらとはな……。ツイてるぜ、そろそろ頃合と思ってたところだ」

煙の奥で、声がする。野太く荒々しい、いかにも暴力を好みそうな――野獣の声。
ぐったりと弛緩したニセ赤マント、犬神の首を鷲掴みにしながら、煙の向こうから現れたのは。

「大統領の思惑なんざ知ったことか。オレ様は喰いたいように喰い、殺したいようにR。それだけのことよ」

東京ドミネーターズのひとり、狼王ロボ。

隆々とした筋肉を上等なダブルのスーツへ窮屈そうに押し込んだロボは、ニセ赤マントをボロ布のように尾弐の足元へ投げ飛ばした。
どうっ、と音を立てて床に転がると同時、ニセ赤マントが霧のように消えていく。力尽きケ枯れしたのだ。
犬神自体、弱い化生ではない。ほとんど実体がないので物理攻撃は効き目が薄く、その呪詛は強力である。
が、ロボはそんな犬神をまるで相手にせず屠り去った。恐るべき実力と言わざるを得ない。

「まさか……、本物のドミネーターズが来るなんて……」

まったくの予想外だ。橘音は戦慄した。
今この場には多数の人間がいる。ここで戦闘に及べば、多数の死傷者が出るのは間違いない。
何より、人の目があっては妖怪としての本性を現して戦うことはできないのだ。甚だ不利な状況と言うよりない。

「クソ……!」

思わず舌打ちする。が、ロボはそんな橘音の焦燥などお構いなしに、まずは尾弐へと標的を定めた。

「ゲハハハハハーァ!待ったぜ、この時を!約束だったな……どっちが頑丈に出来てるか、比べっこと行こうぜェェェェェ!」

ロボが尾弐へと襲い掛かる。人間の姿を取っているというのに、その膂力は容易く鋼鉄をねじ切るほど。
また、速度も祈を上回る。人狼ゆえにスタミナも折り紙付きだ。
東京ブリーチャーズ三人を一気に相手してもまるで引けを取らないロボの力は、他に類を見ない。
残虐性を露にして牙を剥く『カランポーの王』。借り物の力を使役していたクリスとは違う真の『王』の咆哮が、博物館に轟き渡った。

64 :
ホモ

65 :
影に身を潜めて、玄関を出る。
夜の闇の中で聞こえるのは、ポチ自身の呼吸音だけ。
いつもよりも少し荒いその呼吸に、彼は自分が緊張を改めて自覚する。
緊張しているのは何故か……いる訳がないと思っていた同胞に、会えるからか。
それとも仲間達に何も告げずにこの場を離れようとしているからか。
考えても答えは出ない。だからすぐに考える事はやめた。
緊張の理由が分かったところで、する事は変わらない。
ポチは小さく頭を振ってから一歩前へと踏み出し……

>「ふっははははははは! 甘い! 甘いぞワンコロ! そんな事だろうと思ってここで待ち伏せしておいたのさ!」

不意に降り注ぐその声に、びくりと体を縮めて頭上を見上げた。

>「ポチ君! 車に乗りたくないからってそりゃないよ! 勝手にどっか行っちゃだめだって言ったのはどこのどいつだ!
  急いては事をし損じるってなあ! 大丈夫、橘音くんの依頼成功率は100%! 橘音くんはいつだって不可能を可能に――」

「……ノエっち。違うんだよ。僕だって橘音ちゃんを信じてる。でも……それでも僕、行かなきゃ。だって」

と、ポチの言葉を遮るように響く、破砕音……ノエルが足場とする木の枝がへし折れる音。

>「あぎゃあああああああああああああああああ!!」

「……ごめん、ノエっち!すぐ帰ってくるから!」

真っ逆さまに地面へと落下を始めるノエルから、ポチは目を逸らして駆け出した。
そして夜闇に満ちた森の中を走る。走る。走り続ける。
……ふと、奇妙な音が聞こえた。地面を蹴り、風を切る音。
この夜闇の中をポチ以外の誰かが走っている……しかも、ポチよりもずっと速く。
その音が誰によるものなのか、彼にはすぐに予想が出来た。
そしてその予想は……すぐに確かな事実へと変わる。闇夜の中、横面に投げかけられる声によって。

>「よぉポチ。どこまで散歩に行くんだ? ――東京までか?」

「……明日までには、帰ってくるよ。だから」

>「もしそうならやめとけよ。急ぐ気持ちは分かるけど、皆で助けに行くって話だっただろ?」
>「せめて明日まで待てよ。行きたいって言ったらきっと皆来てくれるし、皆でやった方が絶対いい。
  でも……それでも一人で行こうって言うんなら、あたしは――『ポチとやり合ってでも止めるから』な」

祈がポチの前に回り込み、立ちはだかる。

「……僕は、祈ちゃんと喧嘩したくない。祈ちゃんが僕を止める気持ちだって、分かってるつもり」

ポチはそう呟いて……しかし彼の纏う毛皮の上では、夜闇のような黒が膨らんでいく。

「だけど、ごめん。じっとしてられないんだ。あんな狭いところに閉じ込められて、独りぼっちで。
 可哀想じゃないか。だから一声……独りじゃないって、言ってあげなきゃ。
 それだけなんだ。それだけで、絶対にそれだけで帰ってくるから……」

ポチの姿が夜闇に溶けていく。
彼は、祈を振り切るほどの速さで走る事は出来ない。
だが祈が見つけられないようになる事は出来る。

「追いかけてきちゃ駄目だよ。こんなに暗いんだ。転んだら、怪我しちゃうかもしれない」

そう言って、素直に分かったと返ってくる訳がない事は、ポチにも分かっていた。
自分がそうしなかったように、きっと祈も、そうしない、と。
……彼女からは今もなお、優しさのにおいがする。
自分の為を思って、彼女はこの抜け駆けを止めに来てくれた。
その事に、ポチは一瞬口元を緩ませて……地を蹴るべく、深く身を屈める。

66 :
深く息を吸い込み、気配の残滓すら残さず振り切ってみせると、決意を固めた。
彼女がこの夜闇の中、無理にでも自分を追いかけようなどと思わぬように……と。
そして……不意に、新たな異音が聞こえた。
それが車の駆動音だと理解した時には、ヘッドライトの強烈な明かりがポチの体を照らし、暴き出していた。

>「ハイハイ!そこまでー!」

車から降りた橘音が、ポチと祈の間に割って入る。

「……橘音ちゃん」

>「せっかく、ボクがゆっくりしろって。焦りは禁物って言ったのに……。仕方ないですね、ポチさん」

「……ごめんね、橘音ちゃん。橘音ちゃんの邪魔になるような事は、絶対しないから。だから」

>「じゃ、ポチさんはこのまま東京へお戻りなさい。現地で合流と行きましょう」

「……へっ?」

>「場所はわかりますね?アナタの自慢の鼻で探れば、ニオイの元を突き止めるのは造作もないことでしょう」
 「アナタが到着するまでの間に、お膳立ては整えておきますよ。……じゃ、遅れないように」

「遅れないようにって、ホントに……ううん、ありがとね。橘音ちゃん」

言うやいなや、ポチは駆け出した。
森を抜け、山を超え、走り続ける。
ただの一時も足を休める事はない。
振り切りたかった。仲間に背を向けてでも我を通す……狼らしからぬ自分から発せられる、半端者のにおいを。
だから我を忘れる為に、一心不乱にポチは走った。



……自然界において、狼はさほど足が速い生物ではない。
最高時速はおよそ70kmほど……。
遅くはないが、草食動物にも同程度、あるいは更に速く走れる生物は多数存在する。
しかし狼と同等の速度で、狼よりも長く走り続けられる生物は、存在しない。
ましてやポチは妖怪だ。岩手から東京までの道のりも、休み無しで半日もかければ、踏破出来た。
東京に辿り着くと、彼は「匂い」を嗅ぎ取った。
自分によく似た、しかし自分のものではない匂い……ニホンオオカミの匂い。
似ているが、違う……その理由は、自分にすねこすりの血が混ざっているからか。
それとも……心のあり方の違いなのか。
一瞬、懊悩して、しかしすぐにポチは頭を振る。
そんな事に思い悩む事さえもが、狼らしくない。
我を忘れろと自分に言い聞かせる。同胞を助ける事、それだけを考えるんだ、と。
そしてポチはその匂いを辿り……国立科学博物館へと辿り着く。
入り口まで近寄ると、警備員や、警官が大勢立っているが……誰もポチの姿を認める事は出来ない。
潜り込むのは容易い。ポチは一歩前に踏み出して……

「……僕だけじゃ、君をそこから出してあげられない」

しかし、踏みとどまった。確かに人の目を欺き潜入する事は簡単だ。
だが科学の目は、どうか。人の目には見えない存在を時に映し出す眼が、そこには幾つもあった。
他にもどんな仕掛けがあるのか……人間社会で暮らしていないポチには見当すら付かない。
それでもそれらを侮ってはいけない事は、彼にも分かっていた。

「だけど……すぐに助けに来るから。君は、独りじゃないから……待ってて」

だから、ポチは吠えた。
小さく、しかし長く……人を怯えさせない程度に、だが館内に囚われた同胞に届くように。

67 :
その遠吠えは、人間達にとってはただの音だ。
精々、野良犬の仕業か、館内から聞こえてきたものくらいにしか思えないだろう。
まさか狼の血を引く妖怪が、同胞を助けに来るなどと連想出来る訳もない。

「……これくらいは、許してくれるよね。橘音ちゃん」

そう呟くと、ポチは博物館から伸びる影に隠れて、体を伏せた。
半日休まずに走り続けて、多少ではあるが、自分が疲れている事を彼は自覚していた。
橘音達がいつ来るのかは分からないが……遅れないようにと言っていた以上、それなりに早く到着するつもりなのだろう。
それまでの間、ポチは体を休める事にした。
目を閉じ、微睡み、浅い眠りに就いて……次に彼が目を開いたのは、日がもう殆ど沈んだ頃だった。

「……橘音ちゃん達、ホントに帰ってきたんだ」

鼻に届いた仲間達のにおいに、ポチが呟く。
疑っていた訳ではない。
ただ自分のわがままを通してもらった事を、改めて意識した。
仲間達に思われている事に嬉しく思いつつも……罪悪感が鎌首をもたげる。
しかし今回は、ポチが自分の在り方について思い悩む事はなかった。

「……なんだ、このにおい」

ふと鼻を衝いた異臭。
強さと凶暴さを感じさせる、妖気を伴う獣臭……。
次の瞬間には、ポチは駆け出していた。
やや遅れて響くガラスの破砕音、けたたましい警報。
ポチの地を蹴る足に一層力が篭もる。

「橘音ちゃん!」

匂いと音を辿り、仲間の元へと辿り着いたポチが目にしたのは……純白のニホンオオカミ。
そして、大気を引き裂くような咆哮を轟かせる、巨躯の人狼。
人狼……ロボが尾弐へと飛びかかる。
対する尾弐は……人の姿を取ったままだ。
周囲に人の多いこの状況では、妖怪の本性を現す事は出来ない。
……狼王ロボ、その力は強大極まる。
ただの咆哮一つですら、並の妖怪であれば萎縮させ、戦意を挫いてしまうだろう。
そう、例えば……すねこすりのような、争いに不向きな妖怪ならば。
すねこすりが挫かれ……つまり、送り狼が目覚める。
今この場において、ブリーチャーズの誰もが、妖怪としての本性を露わにする事は出来ない。
……だが、ただの野良犬でしかないポチは……送り狼は、違う。
送り狼が己を鼓舞するように猛り吠える。人に恐怖をもたらす咆哮を。
そしてロボを迎え討つように地を蹴った。

(コイツは、めちゃくちゃ強い!僕なんかよりずっと……だから、この一撃で!)

ロボがまだ人の姿でいる今。首輪が千切れる寸前の……今発揮し得る全力の一撃で首を食い破る。
それがポチの見出した最善の戦術だった。

68 :
>「……ごめん、ノエっち!すぐ帰ってくるから!」

「待たんかぁあああああ! 今夜の抱き枕どうすんだよおおおおお!」

今は本当に声をかけたら帰ってくるつもりなのかもしれない。
でも、いざ顔を合わせてしまったら声をかけるだけで気が済むとは思えない。
人型妖怪のノエルでは、雪山ならともかく普通の山で狼型妖怪のポチに追いつけるはずもない。
しかしそこに救世主が現れた。車と軽く併走できる祈ならポチにも楽勝で追いつける。

>「――ごめん御幸! でも自業自得だからな!?」

「――僕に構わず行け!」

尾弐が薬箱を持って現れると、ノエルは覗きをしようとして木から落ちただけのくせに
何故か送りバントをやり遂げたような顔をしていた。

「僕はもう駄目だ……でも全身に隅々まで隈なく丹念に薬を塗ってくれたら助かるかもしれない!」

至って平常運転なので命に別状は無いだろう。
妖怪は全般的に物理法則が人間ほど忠実には適用されない傾向がある。
更に、一応実体を持っているものの精霊系妖怪であるノエルは、その傾向が顕著な部類らしい。
そこに橘音も現れ、妙にしみじみと言う。

>「ノエルさんは じつに ばかだなあ」

「バカにバカって言ったらいけないんだぞ!」

口ではそう言いつつもどこか嬉しそうだ。ドM属性を発動させてしまったのかもしれない。

>「……そういえば、祈ちゃんとポチさんはどこへ行ったんです?」

橘音のその言葉でようやく現在の切迫した状況を思い出したらしく、
ガバっと起き上がり、橘音の肩を持ってがくがくゆすりながら叫び始めた。

「大変だーっ! ポチ君が脱走して祈ちゃんが追いかけてった!」

対する橘音は、落ち着いたものだった。

>「やれやれ……。やっぱりと言うべきか、我慢できませんでしたか」
>「クロオさん、お手数ですが車を出してください。ふたりを追いかけましょう、まだそこまで遠くには行っていないはず」

「駄目だよ飲酒運転になっちゃうじゃん! 僕が運転するよ! こんなこともあろうかとお酒を飲んでいないのさ!」

と騒いでいる間に後部座席に放り込まれ、車は発進した。
確かに昨今の飲酒運転ダメゼッタイの社会的意識の向上に比べ、
無免許運転は「盗んだバイクで走り出す」の時代程は注目されていない気がするが、そういう問題ではない。
それ以前に、ノエリストに車を運転させること自体自殺行為である。
しばらく走ってようやく追いついたところ、ポチと祈が一触即発な状態になっていた。

>「ハイハイ!そこまでー!」

>「せっかく、ボクがゆっくりしろって。焦りは禁物って言ったのに……。仕方ないですね、ポチさん」

「うんうん、全く、しょうがないポチ君だ」

と、橘音の威を借るノエル。しかし。

69 :
>「じゃ、ポチさんはこのまま東京へお戻りなさい。現地で合流と行きましょう」

「ふぁっ!?」

橘音のあまりに予想外の言葉に、思わずイケメンにあるまじき奇声を発する。

>「場所はわかりますね?アナタの自慢の鼻で探れば、ニオイの元を突き止めるのは造作もないことでしょう」
>「アナタが到着するまでの間に、お膳立ては整えておきますよ。……じゃ、遅れないように」

>「遅れないようにって、ホントに……ううん、ありがとね。橘音ちゃん」

唖然としている間に、橘音はポチを送り出してしまった。

>「納得いかない……という顔をしていますね?祈ちゃん」

橘音は、一戦交えてでもポチを止めようとしていた祈への説明という形で、皆に自身の意図を伝える。

>「彼の中には今、長年溜め込んだ同胞への想いが渦巻いています」
>「それは彼自身にも制御できない衝動となって、彼の中で荒れ狂っている。それを押さえつけて眠れと言うのは、どだい無理な話です」
>「今の彼には、ガス抜きが必要なんですよ。岩手から東京までは、おおよそ500km弱――」
>「東京に着く頃には、程よくガスも抜けているでしょう」
>「ま……元々、彼は狼。犬じゃない……『待て』なんて命令、聞くはずなかったってことでしょうかね」

>「ポチさんがボクたちよりも先に上野に着いてしまったらどうするのか、って?ふふ……心配ご無用!」
>「その辺りの対策も、ちゃぁんと考えてありますとも。だから……ボクたちが今すべきことは、ただひとつです」
>「ゆっくりお風呂に浸かって、ゆっくり眠ること。そして明日に備えることです。オーケー?」

橘音が大丈夫というのだから大丈夫なのだろう、そう思い、「その辺りの対策」等について特に深く聞くことはしなかった。
ノエルは宿に戻ると、ひとまず回復効果のある温泉(を冷ましてある水風呂)に向かう。
妖怪だから割と平気なものの、人間だったら重傷になっているところである。
とはいえ、その肌には打撲の跡どころかくすみ一つ無い。この宿では妖怪としての姿を現しているため、いつもに増して透き通るような白。
人間から見ればなんとも羨ましい体質だが、お姉ちゃんに打たれた傷痕は一つぐらい残っていてもいいのに、と思うノエルであった。

「ポチ君は、狼……」

『彼は狼。犬じゃない』――水風呂に浸かりながら、ノエルは先刻の橘音の言葉について考えていた。
クリスとの戦いの時に見せた荘厳な狼の姿。あれこそがポチの本質だとしたら。
ブリーチャーズの皆がよく知っている普段の人懐っこい犬のポチは、世を忍ぶ仮の姿なのだろうか。
否――あの仲間達に全身で親愛を表現するポチが偽りであるはずはない。
仲間達に懐くあの姿のポチは確かに幸せそうで、嫌々あの姿を取っているなんてことがあるはずはない。
しかし同胞が見つかったことで、激情に駆られ、心穏やかにいられなくなってしまった。
もしかして、同胞が現れずに穏やかにポチとして過ごす方が幸せだったのではないか、そんなことを思ってしまう。
犬とは、人間に飼いならされた狼が起源だと聞いたことがある。本来の有り方を捨て人間と共に生きることを選んだ狼が犬だとしたら。
二者択一を突きつけられた時、彼はどちらを選ぶのだろう……。
もういないと諦めかけていた仲間が生き残っていたというのに、何で素直に喜んであげられないのだろう。

「ああ、そっか。怖いんだ……」

ポチが同胞に会って心を通わせてしまったら、自分がよく知っているポチが戻って来なくなるような気がして。
そうだとしても、彼自身がそれを選ぶなら応援してやらねばならないのに。
ノエルは、自分が消えようとした時のポチや祈の気持ちを身を持って理解したのであった。
でも、今捕らえられているニホンオオカミの側から見れば、ポチがたった一人の仲間なわけで。
彼女にしてみれば、ポチが狼を忘れたままだったらあまりに悲しい。
クリスはみゆきだった頃を綺麗さっぱり忘れて生きている自分を見ていて、やるせない思いだったはずだ。
一瞬謎エフェクトがかかり、濃く白濁している水の中で密かに乃恵瑠の姿になってみる。
ポチの仲間が見つかったことを純粋に喜べるように。心の持ち様は姿に影響し、逆もまた然り。
人間によって絶滅に追いやられた生き物がまだ生き残っていたのだから、精霊系妖怪の王女としては嬉しくないはずがない。

70 :
>>69
ノエル
ポチ袋に糞ぶっかけたい
どうすりゃいいの?

71 :
「祈ちゃん! "ポチ君"は……いなくなったりしないよね!」

思わず感極まってザバアッと音を立てて立ち上がりながら壁の向こうの祈に語りかける。※鉄壁氷湯気完備
周囲の「えっ」という視線で気付いたらしく、慌てて座って謎エフェクトと共にノエルに戻り、「今のは気のせいです」という顔をする。
またしても温泉にありがちなイベントを発生させてしまったノエルであった。
ちなみにわざとではないかというツッコミは厳禁だ。「その他湯」を作らないからこういう事故が発生するのである。

その後冷やしぜんざいを食べて機嫌を良くしたノエルは、女部屋に乱入して「枕投げしようず!」と騒いだり
橘音に寝るように言われると「抱き枕の脱走を許可した責任を取ってありのままの姿でモフモフの抱き枕になれ!」と言い出し
「ひんやり触感で寝苦しい夏の夜に最適!」と二人に自らの夏の抱き枕としての有用性をアピールしたりした。
当然のごとく最終的には男部屋に強制送還されるのだが。
ポチがいなくなって二人部屋になった今、これはこれで相方が身の危険を感じそうである。
が、幸い「硬そうだから却下」ということで、もしも毛髪の妖怪が見たら総白髪になりそうな光景が顕現されることはなかった。

「クロちゃん、この前貸してくれたお守りだけど、もうしばらく借りといていいかな……おやすみ……」

そう寝入り際に言うと、器用にもすぐに寝息を立て始めるのであった。
ちなみにノエルは必ずしも人間のように規則正しく毎晩夜になったら寝る必要はないのだが、
はしゃぎ回った上に無い頭で色々考えて疲れた模様である。

゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚

次の日、朝食を食べたらすぐ出発するかと思いきや、橘音に卓球に誘われた。

「そろそろ出発しないとポチ君着いちゃうよ?」

そう一言言うものの、大丈夫だ心配ないといった感じなのでそれ以上突っ込まずに誘われるままに卓球に興じる。
結局、卓球と風呂を何度か繰り返し、出発の合図が出たのは正午を回った頃だった。

>「ではお見せしましょう……狐面探偵七つ道具のひとつ!『天神細道』~!」
>「これをくぐればアラ不思議、どんな場所にも一瞬で行くことができるスグレモノです。これで東京まで戻りましょう」
>「ただし、行きはよいよい帰りはこわい……行くことはできますが、帰ってくることはできないんですけどね」

「凄い! ……けど、微妙に使い勝手が悪いような。そうだ! 二つ用意して両側に設置すればいいじゃないか!」

と物凄い名案を思い付いたような顔をしつつ宣言するが、そんな凄い物が二つもあるはずはない。

>「あ、着替えだとかは宿に置かせてもらいましょう。まだ、温泉旅行は続行中ですから」
>「ニホンオオカミ奪還作戦は夜に。ボクの蒔いた種が芽吹いたときが、作戦の開始時刻ということで」

鳥居をくぐると、SnowWhiteの店先。
従者達はちゃんとやってくれているだろうか、と中を覗いてみると。
従者二人を司会として何故か客達まで大々的に巻き込んでの編集会議が盛大に繰り広げられていた。
議題は、ノエルを中心にブリーチャーズのメンバーを題材とした特定のジャンルのものであった。
よって、何も見なかったことにしてそっとドアを閉めた。
――いや、客層に特定の趣味の方々が多い気はなんとなくしていたが。
大人しく橘音の事務所に待機して二時間ほど経過したころ、事務所の電話が鳴る。

>「ハイ、那須野探偵事務所。……あぁ、綿貫警部。お久しぶりです、どうしました?そんなに慌てた口ぶりで」
>「えっ!?怪人65535面相、もといカンスト仮面から、先日捕獲されたニホンオオカミを頂くとの予告状が届いた!?」
>「それはまさしくボクの出番ですね。承知しました、さっそく伺います。この狐面探偵・那須野橘音にお任せあれ!」

出発前に計画の概要を橘音から聞かされたノエルは、余裕綽々である。

「流石橘音くん、それなら楽勝だな!」

72 :
そう、楽勝のはずであった――橘音の完璧な計画をぶち壊すイレギュラーが現れなければ。
捕らえられているオオカミと対面するまでは、滞りなく進んだ。
(ところで橘音の昔からの知り合いらしき警部は実はタヌキの妖怪だったりしないだろうか)
とにもかくにも、真っ白な雪のような狼と対面し、感嘆の声を漏らすノエル。

「なんて、綺麗なんだ……」

>「よかったですね。もう少しで、お仲間に会えますよ」
>「……おや?」

オオカミを見ていた橘音が何かに気付いたようだ。「どうしたの?」と聞こうとしたその時だった。
ガラスが割れるけたたましい音が鳴り響く。

>「来ましたか……!」

橘音はそう言ったものの、どこか解せないような顔をしている。怪訝に思うノエルだったが、その理由はすぐに明らかになった。

>「下等妖怪どものニオイがしたんで来てみりゃァ、テメェらとはな……。ツイてるぜ、そろそろ頃合と思ってたところだ」
>「大統領の思惑なんざ知ったことか。オレ様は喰いたいように喰い、殺したいようにR。それだけのことよ」

その言葉のとおり、空気読まずに狼王ロボが乱入。匂いがしたから来てみた、って本当にそうなら行動力あり過ぎじゃないのか。

「せ、西洋オオカミはお呼びじゃないぞ!」

「安心してください、想定の範囲内です」を期待して橘音の方に目を向けるが。

>「まさか……、本物のドミネーターズが来るなんて……」

流石の橘音も普通にガクブルしていた。
ただでさえ強敵な上に、周囲にはたくさんの人間がいて、本性を現せない。
外見は普通の人間と変わらない祈や、いつも人間の姿のままで十二分の戦闘力を発揮している尾弐はともかく。
設定上存在する他のメンバーの大多数と同じように、普段戦う時には本性を現すノエルにとっては圧倒的に不利な状況だ。
仕方なく日傘を構え、妖力を通し氷属性を付与して強化する。日傘は夏の昼間は常に持っていて、一応護衛の任務だからということで持ち込んでいたものだ。
(当然、傘が武器になるか!と思われそうだが、それ以前に存在自体が胡散臭いのでそこは特に突っ込まれなかった)
ちなみに武器らしい武器を持たずに己の肉体を武器に戦うメンバーの比率が高い理由の一つは
現代日本で冒険ファンタジー的なノリでバカでかい剣を意気揚々と持ち歩いたりしたら逮捕されるからであろう、多分。

>「ゲハハハハハーァ!待ったぜ、この時を!約束だったな……どっちが頑丈に出来てるか、比べっこと行こうぜェェェェェ!」

>「橘音ちゃん!」

尾弐に襲い掛かろうとするロボに、ポチが飛びかかる。
たった今到着したのか、否――もしかしたらずっと前から到着していて様子を伺っていたのかもしれない。
とにかく、あれとやりあったら一撃でクラッシュアイスになりそうなので、前は肉体派の方々に任せて後方援護に回ることとする。
取り出したるは、おやつに入るか入らないかで今なお学会で激しい議論が繰り広げられている(←大嘘)バナナである。
ただのバナナではなく、呪氷で氷漬けの冷凍バナナだ!
別にバナナじゃなくても凍らせれば何でも一緒じゃないかと思われそうだが
バナナは凍ると釘が打てる程度の凶器になるというイメージが広く一般的に知れ渡っているため、手持ち品の中では武器として最適だったのだ。
あと形もブーメランっぽい!

「バナナで釘が打てますッ!」

ポチの攻撃を成功させるための囮として、冷凍バナナを投擲する。

73 :
>「僕はもう駄目だ……でも全身に隅々まで隈なく丹念に薬を塗ってくれたら助かるかもしれない!」

尾弐が旅館を出て外へと足を進めて見れば、案の定。土の上にはノエルが転がっていた。
ノエルが地面に転がっている事など如何にも在りそうではあるのだが……
いくらノエルでも夜中に泥遊びをする趣味は無いだろうと、
心の中に僅かに残るノエルの理性への信頼からそう思い直した尾弐は、一体何が原因なのかと周囲を見渡す。
すると、見えてくるのは折れた木の枝と、最寄りの風呂の位置。

「……ナルホドな」

ノエル。風呂。高い木。折れた枝。
ここまで揃っていれば、探偵でなくとも想像は付く。
恐らく……というよりは、間違いなく覗きだろう。
ノエルという妖怪は、自然霊寄りの存在であるが故に性別への敷居が他者より低いきらいが有る。
本人と周囲が許しているので、これまでは尾弐も乾いた笑いで済ましていたが

「流石にやり過ぎだ……とりあえず物理的に性別変換の治療いっとくか、色男」

今回ばかりは、少し『おいた』が過ぎたというべきだろう。
言葉を並べる尾弐の額には青筋が浮かんでいる。
その怒りは、ノエルが覗きを行った事に対してのモノ――――ではない。
尾弐が怒りを見せたのは、ノエルが那須野が隠す物を無理矢理に暴き出そうとした事に対してであった。

人が何かを隠すという行為は、暴かれたくない真実があるという事と同義である。
そして、その隠したモノを覚悟無く、遊び半分で踏み荒らすのは、例え親しい間柄であろうと恥ずべき行為だ。
故に……流石に言葉通りの去勢とはいかないが、それでも体罰によって強制的に反省させるべく、
尾弐は持ってきた救急箱からアンモニア臭が独特な痒み止めの液状薬剤を取り出した。
そうして、注意書きに『粘膜への塗付は行わないでください』と記載されているその液状薬剤を
ノエルの鼻にいざ流し込まんとし

>「ノエルさんは じつに ばかだなあ」

遅れてやってきた那須野の呆れた様な声にピタリと腕を止め、暫しの逡巡の後に手を引いた。

「…………はぁ。まあ、大将がそれでいいならいいんだがよ」

尾弐が手を引いたのは、張本人たる那須野がノエルの行為を許しているが故。
被害者が許してしまえば、第三者であるそれ以上尾弐が何かを行う権利は無いからだ。
それでも尚、何の被害も受けてない尾弐がノエルに私刑を加えてしまえば……
それはもう他者を想う気持ちではなく、ただの尾弐自身の悪意と成り果ててしまう。

……ただ、そう理解しているにも関わらず、何となく感情を持て余した尾弐はノエルの脳天に軽くチョップを入れるのであった。

74 :
>「……そういえば、祈ちゃんとポチさんはどこへ行ったんです?」

さて、そうした状況が一段落した辺りで、那須野が疑問の声を上げた。
質問の内容はこの場にいないポチと祈の所在に関するものであったが
当然の事ながら、先ほどまで部屋に居た尾弐は二人の行方を知らない為、首を傾げながら口を開く

「ポチ助なら散歩してるんじゃねぇか? 祈の嬢ちゃんは……ポチ助に気ぃ使ってやってくれってくれって頼んじまったからな。ひょっとしたら一緒に――――」
>「大変だーっ! ポチ君が脱走して祈ちゃんが追いかけてった!」
「はぁ!?」

だが、そこで地面を蒲団としていたノエルが起き上り、尾弐の言葉を遮り慌てた様子で重大な事実を口にする。
そして、その予想外過ぎる事態に尾弐は珍しく素っ頓狂な声を上げる事となった。

>「やれやれ……。やっぱりと言うべきか、我慢できませんでしたか」
>「クロオさん、お手数ですが車を出してください。ふたりを追いかけましょう、まだそこまで遠くには行っていないはず」
>「駄目だよ飲酒運転になっちゃうじゃん! 僕が運転するよ! こんなこともあろうかとお酒を飲んでいないのさ!」

「……ポチ助の奴、様子が妙だとは思ってたがよ」

それでも、二人の言葉を聞いていくうちに何とか状況を噛み砕き理解する事に成長した尾弐は、
自身の眉間を指で揉み、舌打ちをしてから、駐車してある車へと走って行く。
そして、エンジンを入れた車をノエルと那須野の前に車を停車させてから、運転席の窓を開け二人に声を掛けた。

「あー……お前ら、乗ったらシートベルトはきっちり締めとけよ。
 夜道で飲酒で法定速度完全超過予定なんて、人間社会なら豚箱入り間違いなしの危険運転だからな」

―――――

かろうじで事故なく辿り着いた森の奥では、祈とポチの二人が対峙するという、尾弐にとって喜ばしくない光景が繰り広げられていた。

>「ハイハイ!そこまでー!」
>「うんうん、全く、しょうがないポチ君だ」
「ったく、糸の切れた凧どころかテッポー弾みてぇな真似しやがって……二人とも怪我はねぇな?」

先に下車した二人の後を追う様に運転席から下りた尾弐は、祈とポチの双方共に怪我が無い事を目視で確認すると、安心した様に小さく息を吐く。
そうして、ポチを無理矢理連れ戻そうと二人に向けて歩を進めるが

>「じゃ、ポチさんはこのまま東京へお戻りなさい。現地で合流と行きましょう」
>「……へっ?」
>「ふぁっ!?」
「……本気か?」

那須野が放ったポチが先行する事を了承する旨の発言により、その動きを止める事になった。
許可を出さたポチですらも驚愕している様子であったが、現地へと向かいたい想いが強いのだろう。ポチは混乱から直ぐに立ち直ると、

>「遅れないようにって、ホントに……ううん、ありがとね。橘音ちゃん」

そう言い残して闇の中に消えて行った。
……そうして残されたのは、ポチを除いた東京ブリーチャーズの一向。

>「納得いかない……という顔をしていますね?祈ちゃん」

当然の事ながら、その場には那須野への説明を求める空気が残り、それに答えるべくして彼の探偵は口を開く。
その話は、ポチの衝動に対してのガス抜きを鑑みたものであり、一応の納得は見せられる道理はあった……が。
それでも思う所が有るのだろう。尾弐は帰りの車中で何ら言葉を発する事は無かった。

75 :
宿へと戻った尾弐は宛がわれた一室へ戻り、どかりと窓際の椅子に座りこむ。
そうして、そのまま暫く窓から夜空を眺めていたのだが……

「……なあポチ。お前さんは、顔も知らねぇ狼を選ぶんだな」

ふと、寂しげにそう呟いた。
……心に積もった思いは、とても重い。それは尾弐も理解している。
そして、誰かが誰かを想う気持ちに優先順位がある事もまた知っている。
きっとポチにとってニホンオオカミという存在は何よりも重要な存在なのだろう。
それこそ、尾弐達を置いて駆け出してしまう程に。

……本当に我儘な話だ。
尾弐自身が己の感情に順位を付けているというのに、他者にはそれをして欲しくないなど。

部屋に戻ってきて直ぐ、尾弐が問いに答える前に寝入ってしまったノエルの布団を掛け直し、
夜が更けてからも、尾弐は纏まらない思考を誤魔化すように、酒瓶片手に夜空を眺め続けた……

―――――

そして翌日。那須野の持つ珍妙な道具シリーズの『天神細道』によって東京へと戻り、
手持無沙汰に那須野の事務所で待機をしていた尾弐であったが、掛かってきた一本の電話により状況は動く事となる

>「えっ!?怪人65535面相、もといカンスト仮面から、先日捕獲されたニホンオオカミを頂くとの予告状が届いた!?」
>「それはまさしくボクの出番ですね。承知しました、さっそく伺います。この狐面探偵・那須野橘音にお任せあれ!」
>「さて。……では、行きましょうか」

「あいよ、大将――――あの変態マスクの名前も偶には役に立つもんだ」

怪人65535面相がこのタイミングで送ったという、狼を盗むという予告状。
その話を聞いた尾弐は、大枠で那須野の立てた作戦を察して苦笑を浮かべた。



「あー……こんな所で会うたぁ奇遇ですなぁ、綿貫警部。
 差し入れのコーヒー持ってきたんで、同僚さんと飲んでくだせぇ」

国立科学博物館へと辿り着いた東京ブリーチャーズの面々は、那須野の手引きで易々と館内への立ち入りを果たす事が出来た。
尾弐は、そこで出会った綿貫という中年の警察官へ挨拶すると、道中の業務スーパーで購入した缶コーヒーの段ボール箱を手渡す。

……意外な事ではあるが、尾弐とこの綿貫警部は知人である。
勿論、怪人65535面相関係ではなく、尾弐の本業の関係の付き合いだ。
尾弐は、人には言えない状態の遺体や異様な事件で亡くなった遺体の葬儀を請け負っているのだが、
その業務上どうしても警察関係者とは頻繁に顔を合わせる事となるので、結果として、尾弐黒雄には顔見知りの警察官がそれなりに居るのである。

「どうも力仕事が出来る奴が必要だってんで、那須野の奴に声掛けられましてね
 うろちょろされるのは深いでしょうが、警察の皆さんのご迷惑にならねぇよう俺がしっかり見とくんで、
 警部は俺らの事は空気とでも思っといてくだせぇや」

そう言って尾弐は、軽く頭を下げ警察関係者から離れニホンオオカミの方へと歩を進める。
檻の外からその姿を眺め見てみれば、成程そこには確かにニホンオオカミと思わしき獣がいた。

「……ついこの間までそこらの森にいたお前さん達が、今じゃ絶滅動物か。人の世界が巡るのは早ぇモンだな。
 あんまりに早すぎて、オジサン付いていくだけで精一杯だぜ」

純白の毛並みを持つそのオオカミを見て尾弐が抱いたのは、驚嘆よりも郷愁に近い感情であった。
尾弐からしてみれば、つい数百年までは吐いて捨てる程に居たニホンオオカミが今や目の前の一匹を残すのみというであるという事実は、
どうにも現実感が伴わないものである。

――――と。

76 :
test

77 :
>「来ましたか……!」

硝子の割れる音と共に、室内に警報が鳴り響く。
那須野に事前に聞かされていた計画の通り、犬神が潜入してきたと考えた尾弐はさりげなく消火器の近辺へと歩を進める
恐らくは、どさくさに紛れて噴霧することで混乱を増そうという考えなのだろう。

だが

>「下等妖怪どものニオイがしたんで来てみりゃァ、テメェらとはな……。ツイてるぜ、そろそろ頃合と思ってたところだ」


砂煙の向こうから現れたのは、犬神も化けた赤マント――――では無かった。
底冷えする様な荒々しい声。ダブルスーツを着込んだ、筋肉質な肉体。

「な――――東京ドミネーターズだと!?」

驚愕に目を見開き那須野の方を見れば、彼の探偵も想定外の事態に困惑の色を見せている、
当たり前だ。まさかこれだけ衆目の有る環境に、しかも正面突破で現れるなど想像しようも無い。

>「ゲハハハハハーァ!待ったぜ、この時を!約束だったな……どっちが頑丈に出来てるか、比べっこと行こうぜェェェェェ!」

「知るかっ、頑丈もクソも――――オジサンの腰は硝子製なんだっつーの!!」

そんな尾弐の驚愕など知った事ではないという様に、東京ドミネーターズ『狼王ロボ』は、尾弐へと標的を定め襲い掛かってきた。
その速度は、圧倒的な速度を誇る祈よりも尚早く、その膂力は路中に埋め込まれた標識すら引き抜く尾弐より尚強い
以前の前哨戦から察するに、彼の妖壊と正面から打ち合うのは、はっきりと言えば愚策であった
眼前の敵は、周到な罠を仕掛け、数を用意し、倫理に悖るあらゆる手段を用いても、それでも勝ち目が有るかすら判らない相手なのだ。

だがそれでも―――――

尾弐が視線だけを向けた先に居るのは、怪盗から狼を守らんとしていた多数の警官隊。
ここで尾弐が回避行動を取れば、彼らがドミネーターズの攻撃に巻き込まれる可能性は高い。
ならばこそ、尾弐には愚策を選ぶ事しか出来ない
せめてダメージを最小限に抑えるべく、尾弐は両腕を交差させて受けの姿勢に入り

78 :
>「橘音ちゃん!」
「ポチ助か!」

けれどその絶妙なタイミングで、支援の手が入った。
尾弐の視線の横から飛び入って来たのは、巨大な獣――――先行して博物館へと走っていたポチであった。
ポチは躊躇いなくその狼王ロボへと飛びかかり、その首筋へと牙を突き立てんとする。
その直前にはノエルがバナナを投擲する事で注意を逸らそうとしており、
並みの相手であれば十分に致命の一撃を与えられる連携であった。

二人の行動を見た尾弐は、とっさに防御を解き、追撃として狼王ロボの鳩尾に向けて渾身の力を込めた右拳を放つ。
装甲車ですら易々と破砕するその一撃は、これまで数多の妖壊を屠ってきたのだが

(――――っ、不味い!)

放った拳の先から伝わるのは、分厚いゴムを殴ったかの様な感触。
尾弐は、自身以上の強者へ対して防御ではなく攻撃を選んでしまった自身の迂闊さと、腕力への過信を呪う。
だが、その後悔はもう遅い。
尾弐の拳が届くという事は、相手の拳も届く距離であるという事なのだから。

今の尾弐には、次に訪れるであろう攻撃に備えて全身の筋肉に力を込め硬化させる事しか出来なかった。

79 :
 ポチが行こうとするならば戦ってでも止める。そう決めた祈は、深く腰を落とし半身に構えた。
 行くとするならばせめて明日だ。
万全とは行かないまでも、時間があれば皆の足並みは揃い、
足並みが揃えば作戦の成功確率はぐんと上がる。尾弐も飲酒運転をしないで良いし、
そしてポチは要らぬ後悔などを抱え込まないで済むのだろうから。
 とは言え、止めるのは簡単ではない。祈を半妖と呼ぶのなら、ポチは全妖の狼犬。
すねこすりの特性は戦闘向きでないにしても、送り狼の側は圧倒的に戦闘向きだ。
身体能力の面では速さ以外に祈が優るところはそうあるまいし、更にこの暗闇。
送り狼の闇や影に溶け込む性質も手伝い、戦闘になれば俄然ポチが有利になると思われた。
 しかし、祈は自分が敗北するとは思っていない。
ブリーチャーズに入る遥か以前、ランドセルを背負っている頃から祈はただ一人妖怪と戦ってきたのだから。
>「……僕は、祈ちゃんと喧嘩したくない。祈ちゃんが僕を止める気持ちだって、分かってるつもり」
 そう頑なに言いながら、夜闇に体を溶かしていくポチ。
>「だけど、ごめん。じっとしてられないんだ。あんな狭いところに閉じ込められて、独りぼっちで。
>可哀想じゃないか。だから一声……独りじゃないって、言ってあげなきゃ。
>それだけなんだ。それだけで、絶対にそれだけで帰ってくるから……」
>「追いかけてきちゃ駄目だよ。こんなに暗いんだ。転んだら、怪我しちゃうかもしれない」
 その体は深い黒に飲まれ、だんだん見えなくなっていく。
しかしポチは祈と戦おうとなどとは考えなかった。選んだのは自身の特性を活かした逃げの一択。
夜闇に紛れられれば、いかに足が速い祈であろうと追跡は困難になる。
(――まずい。今捕まえないと逃げられる)
 逃がすまいと思い飛びかからんとする祈だったが、
しかしそこに、ライトの光とエンジン音が横から割り込んできた。
一台の車がポチと祈の側で停車し、ライト光で両者を照らす。
光は闇に溶け込もうとしたポチの姿を浮かび上がらせ、
暗闇に慣れていた目にライトの光が痛かった祈は思わず腕を眼前に翳し、顔に影を作った。
 停車した車の助手席からは橘音が降りてきて、
>「ハイハイ!そこまでー!」
 と、緊迫した空気を壊すように、祈とポチの間に割って入って来る。
>「せっかく、ボクがゆっくりしろって。焦りは禁物って言ったのに……。仕方ないですね、ポチさん」
>「うんうん、全く、しょうがないポチ君だ」
 橘音だけでなく、後部座席にはノエルもいる。運転席には当然尾弐が座っていて(飲酒運転だ!)、
>「ったく、糸の切れた凧どころかテッポー弾みてぇな真似しやがって……二人とも怪我はねぇな?」
 と言って尾弐もまた降りてきた。
ブリーチャーズ総出でポチの脱走を止めに来たのだろうと、束の間安心した祈であったが、
>「じゃ、ポチさんはこのまま東京へお戻りなさい。現地で合流と行きましょう」
 橘音がまたしても言葉の爆弾を炸裂させる。
>「……へっ?」
>「ふぁっ!?」
>「……本気か?」
 ノエルも尾弐も、許可を出されたポチですらもその発言に首を傾げるが、
>「場所はわかりますね?アナタの自慢の鼻で探れば、ニオイの元を突き止めるのは造作もないことでしょう」
>「アナタが到着するまでの間に、お膳立ては整えておきますよ。……じゃ、遅れないように」
「えっ、ちょ……え?」
 ポチではなく祈の方を手で制したまま、橘音は一方的にポチにそう告げてしまった。
ポチの脱走を見逃す、と。
>「遅れないようにって、ホントに……ううん、ありがとね。橘音ちゃん」
 ともあれ、行って良いと許可を出されたポチは、礼を述べるや否や振り返ることなく走り出し、
どうしていいか迷っていた祈も結局、他のブリーチャー同様にその後ろ姿を見送ることになった。
ポチの姿は完全に見えなくなってしまう。
>「納得いかない……という顔をしていますね?祈ちゃん」
 そう祈に問う、橘音。
「……そりゃね。今のポチは冷静じゃない。何かあったらどうすんだよ」
 不満げに、頭を掻きながら祈は答える。
 何かあったら。それは当然、ポチの身を案じての言葉ではある。
転んで怪我をしまいか、迷ってしまわないか。
そして同時に、冷静さを欠いたポチが何らかの過ちを起こしてしまわないかという心配もあった。
 しかし。

80 :
>「彼の中には今、長年溜め込んだ同胞への想いが渦巻いています」
>「それは彼自身にも制御できない衝動となって、彼の中で荒れ狂っている。それを押さえつけて眠れと言うのは、どだい無理な話です」
>「今の彼には、ガス抜きが必要なんですよ。岩手から東京までは、おおよそ500km弱――」
>「東京に着く頃には、程よくガスも抜けているでしょう」
>「ま……元々、彼は狼。犬じゃない……『待て』なんて命令、聞くはずなかったってことでしょうかね」 
 橘音は敢えてポチに寝ずの行軍をさせることによって、冷静さを取り戻させる策に出た。
いわばポチの脱走すらも作戦に組み込んだ形である。
そこには確かな一理がある。今のポチを抑えられても、
明日の作戦で冷静さを欠いて暴走してしまえば、それこそ作戦はご破算。
しかし橘音の言う通り走り回らせ疲れさせてしまえば、多少のクールダウンは見込めるであろうし、
また作戦時に暴走したとしても、疲れているのなら被害は最小限で済む。
橘音の狙い通りに事が運ぶとすれば、これは良策であるように思えた。
「言われてみれば、そうかもしれないけど……」
 しかし、それでも心配ではある。
後ろ髪を引かれるような思いで、祈はポチが走り去った方向を見遣った。
>「ポチさんがボクたちよりも先に上野に着いてしまったらどうするのか、って?ふふ……心配ご無用!」
>「その辺りの対策も、ちゃぁんと考えてありますとも。だから……ボクたちが今すべきことは、ただひとつです」
 橘音が助手席に乗り込んで、祈にも乗車を促した。
>「ゆっくりお風呂に浸かって、ゆっくり眠ること。そして明日に備えることです。オーケー?」
「……橘音がそう言うなら」
 祈はポチが走り去った方向からようやく目を離し、車の後部座席に乗った。
 車が動き出して少し。ぼんやり窓の外を眺めていた祈だったが、
思い出したように、横に座るノエルの肩を手の甲でぽすんと叩いた。
「『僕に構わず行け!』って、なんでカッコイイ感じになってんだよ。……てか大丈夫だった?」
 そんな時間差ツッコミを入れてみたりしたのだった。

81 :
 車で旅館に戻った祈は、寝る前に卓球場で動いたりポチを追ったことで掻いた汗を流そうと風呂に向かった。
橘音が何度も内風呂に入るので、そちらは橘音用にと空けておき、目指すは露天風呂だ。
 今度は遅い時間だからか、女湯側もそれなりに賑わっている様子だった。
祈がタオルを体に巻きつけて脱衣所から露天風呂へと続く引き戸を開けると、
そこには、やけに首の長い女。髪をほどくと頭に口のある女。歩くと時折さらりと白砂が零れる女など、
妖しく怪しい大人の妖怪美人達が入浴していた。
 知らない人達と一緒に入浴するのって少し恥ずかしいな、とか思いながら体を簡単に洗い、
女性妖怪と自分の体を見比べ、あたしもいずれあんな風になったりするのかな、
などと考えながら、露天風呂の湯にゆっくり体を沈めていると。
>「祈ちゃん! "ポチ君"は……いなくなったりしないよね!」
 不意にノエルの、否、乃恵瑠の声がするので、反射的にざぶんと頭まで一気に温泉に潜った。
そして頭をあげた祈は、どうやらノエルが男湯から話しかけてきただけのようだと察する。
しかし何故か、乃恵瑠の姿になった状態で話しかけてきているようだった。
なんだ驚かせやがってと男湯の方を見遣る祈だったが、祈の反応で、
隣の男湯から話しかけられた祈とは誰であるかわかってしまったようで、女妖怪達が祈を見てくすくす笑っている。
(くっ……ちょっと恥ずい……!)
 しかし毒を食らわば皿まで。ノエルが不安に駈られているようなので、祈は天を仰いでこう言ってやった。
「いなくならないよ! 多分!」
 しかし、それは結局ポチが決めることだ。
ポチはブリーチャーズという仮初めの群れでなく、本物の狼の群れを欲している。
故に、囚われの狼がポチを選んだなら、ポチはブリーチャーズのポチではなく送り狼として生きる道を選ぶかもしれない。
また、ポチがブリーチャーズに所属する理由は定かではないが、もし同胞を探すことを条件に協力していたのだとすれば、
それが果たされた後は所属し続ける理由もなくなってしまうのだろう。
 だから祈の言葉は気休めでしかないし、
残された祈やノエルにできるのはそれに備えて覚悟を決めておくこと。
ノエルとて、それはわかっているだろうと思う。
 瞬間的なガールズトークの後、なんとなく居づらくなった祈は早々に露天風呂を上がり、部屋に戻った。
その後、ポチが居なくなった未来を想像して寂しくなったのだろうか、ノエルが女部屋に突入してきたので適当に遊んだ。
ノエルが橘音に抱き枕になるよう迫るのを止めてみたり、枕投げをしようと言うので枕でキャッチボールをしてみたり、
「ひんやり触感で寝苦しい夏の夜に最適!」などと言いだすものだから、
実際に布団にノエルを30秒ほど寝転ばせ、退かしたた後に祈もそこに横になってみて、
「いやひんやりしてるけど……これ逆に寒くて寝れないと思う」などと言って却下してみたりしたのだった。

82 :
てすと

83 :
 その夜。
橘音と祈に割り当てられた部屋で、祈は布団に仰向けになりながら天井を見つめていた。
もはや日課となっている、コトリバコやその被害者達、雪になって消えたクリス等への祈りを捧げた後、
明日の為にも早く眠ろうと思い布団に入ったのだが、ポチのことが気掛かりで寝付けずにいるのだった。
 ノエルという賑やかな妖怪が去った後だからか、余計にしんとして感じられる室内。
ふと横を見るとそこには衝立があり、祈と橘音の間を明確に隔てている。
祈が橘音の狐面の下を間違っても見てしまわないように、
また、橘音が男であった場合に祈が気にならないようにと念の為に配置したものだが、
着替え時など、橘音がこの頼りない小さな壁の向こうにいると知っていても
びっくりするほど緊張はなくて、祈は自分で思っているよりも橘音に対して信頼を寄せているのだと嬉しくなった。
橘音の事情さえなければ衝立なんていらなかったな、と。そんな風にすら考える。
 橘音の方も大して祈を意識している様子はなかった。
橘音は以前、祈のことを生まれた時から知っていて妹のように思っている、と言ってくれていたから、
同室だからと言って意識するような間柄ではないと、そんな風に感じているのかもしれない。
ただ、祈が橘音と会っていたのはなにぶん小さい時のことであるし、
ある時に再会するまでは橘音のことをすっかり忘れていた祈であるから、なんとなく申し訳なくはあった。
「……もう寝ちゃった?」
 衝立をじっと見ていた祈は不意に、囁くような小さな声で問うた。
 返事はなく、規則正しい息遣いが衝立の向こうから祈に聞こえてきている。
恐らく橘音は寝ているのだと思われた。
「ポチ、大丈夫かな。道迷ったり、どっかで転んで怪我してないかな」
 祈は、橘音が寝ているのだろうと判断して、一人で言葉を連ねていく。
今も未だ走っているだろうポチ。ライトの灯りの届かない、闇の中に消えていく後ろ姿が思い出された。
「きっと大丈夫だよな。でも喉は渇いてるだろうから……温泉のお湯でも持って行ってあげよっか?」
 水筒を持ってきているから、それに源泉を汲めば持って行けるだろう、などと思う。
とは言え、ポチを先行させたのは走り回らせて疲労させるのが目的であるので、
ケ枯れ寸前の状態からでも回復させてしまうと言う秘湯の源泉を飲ませるとすれば、それは非常事態に限るだろうけれど。
 祈は身をよじって体を橘音の方へ向けた。衣と布団が擦れる音が響く。
「……ね。橘音。一回言った事だけど、もっかい言うね。連れてきてくれてありがと。すごく、すごく楽しかった。また一緒に来ようね」
 思っていることを言葉にしたことで満足したのか、ざわついていた心が落ち着いてきた祈は、
また身をよじって仰向けになる。暫くすると、祈も寝付いた。
 祈はまだ、両親の死の真相を知らない。

84 :
 朝になると、一行は再び宴会場で朝食を摂った。
受付の山彦がちゃんと伝えたのだろう、用意された膳は昨日より一つ少ない。
 食事は昨晩の夕食のように重たいものは少なかったが、それでも豪勢なものだ。
鮭の塩焼きは旬ではないのに程よく脂がのって、丹念に箸で啄みたくなり、白米とよく合う。
皮もバリッとしていた。
出汁巻き卵は卵の味わいがしっかり活きていて、味噌汁は塩味よりも出汁を利かせてあり、香り良く飲みやすい。
きっと何百年と修行を続けた、腕のいい妖怪の料理人がいるのかもしれない、などと考えながら、
祈は旅館で味わう食事との別れを惜しむようにじっくり料理を味わった。
 朝食を味わった後は、各々思い思いに過ごした。
入り納めだと祈は朝風呂を堪能し、売店で日持ちするお菓子類を祖母やモノの土産に購入したり、
窓から見える森の木々や川を眺めてみたり、昨夜言ったように秘湯の源泉を水筒に汲んでみたり。
 それが終わると浴衣から私服に着替え、
有事の際に必要になる荷物をスポーツバッグに纏めるなどしてこれからに備えた。
準備が終わり、いざ出陣、としばらく構えていたのだが、橘音が行動を起こしたのは正午を過ぎた頃であった。
>「ホントは二泊三日のはずだったのに、途中で帰るなんて風情がない……。さっさと片付けて、またここへ戻ってきますよ。皆さん」
 しかもまだ遊ぶ気であるらしく、そんなことを言う。
 惜しむようにあれだけ卓球と風呂をループしていたのに、と祈は少々呆れたのだが、
戻って来れるのならば戻って来たいのは祈も同じであるので反論はせず、
素直にスポーツバッグから着替えなど不要な物を出して部屋においたのだった。
 そうして橘音が旅館の玄関先で取り出したのは、狐面探偵七つ道具の一つである『天神細道』。
どうやって収納していたのかと突っ込みたくなるような、祈の身長ほどの小さなこの鳥居。
これを潜れば、一方通行ではあるがどんな場所にも一瞬で行くことができると言う。
これを使って、先駆けたポチに追いつこうと言う話であるらしい。
 そして鳥居を潜って、一行は「SnowWhite」の店先へ――東京へと戻ってきた。
 東京に戻ってまず思うことはと言えば。
「あづい……」
 森の木々が作る影。近くを流れる清流と、そよそよと吹く風。
それらによって生み出される、旅館内のひんやりとした空気。
それがなくなった瞬間、東京の夏の暑さを実感する。早くも迷い家旅館が恋しく思えたが、振返っても旅館は見えない。
『天神細道』は一方通行。戻ることはできないのだった。

85 :
>「ニホンオオカミ奪還作戦は夜に。ボクの蒔いた種が芽吹いたときが、作戦の開始時刻ということで」
 橘音が事前にこう言っていた通り、作戦開始は夜になった。
時計は午後十時を回り、ブリーチャーズの姿は上野の国立科学博物館の敷地内にあった。
博物館の敷地内は警察やパトカーが来ており、緊張した雰囲気が漂い、騒然としている。
「ふぁ……」
 祈はそれを見ながら緊張感なく欠伸を漏らす。
仮眠を取ったとは言え、平時なら寝ている時間で、僅かに眠気が抜けきらないでいるのだった。
しかし目尻に滲んだ涙を指先で拭い、荷物を担ぎ直して気合を入れる。
そう、気合を入れなければならない。何故なら、今から狼奪還作戦が始まるのだから。
 橘音が立案した今回の作戦を簡単に纏めるとこうだ。
『関係者として堂々と博物館に入り、自ら騒動を起こし、どさくさに紛れて狼を偽物と入れ替えて盗み去る』。
 あまりにも奇抜。しかし見事な作戦だと言えよう。
 手順としては、まず名探偵・那須野橘音にとっての宿敵、怪人65535面相の名で警察に偽の予告状を出す。
それによって知り合いの綿貫警部が橘音を呼び出せば、わざわざ警備を掻い潜って泥棒のような真似をせずとも、
ブリーチャーズは晴れて関係者として堂々と博物館に入れることになる。
 つまりただ一枚の紙きれを使って、博物館の警備を無効化して見せた事になる。実に鮮やかな手口であると言えた。
警備の為に警察こそ増えるが、彼らの目は怪人65535面相に向いている。
まさか協力者が狼を盗むとは思っていないだろうから、完全に虚を突くことができる。
 そして次の手順で虚を生み出す。いかに怪人65535面相が来ると警察が目を外に向けていても、
流石にその近くで堂々と狼を盗めば彼らも気付いてしまうだろう。
故に、盗み出すための虚を生み出す必要がある。
それを為すのが、怪人65535面相に変装した犬神の乱入だ。赤いマントを羽織った犬神が騒ぎを起こし、博物館を舞い。
そうして作り出された警備の隙を突いて、橘音が狼を盗み、犬神と入れ替えるのだ。
その後は怪人65535面相は逃げ去ったことにし、狼を守り切ったとして橘音達はその場を離れる。
 完全犯罪とはまさにこのことである。
祈がやることと言えば、警察を混乱させるために展示物を倒したりするぐらいで、
祈の当初考えていた侵入劇などよりはずっと楽な仕事になると思われた。
 テンプレ警部っぽく橘音に「邪魔をするな」と釘を刺す綿貫と、それを軽くいなす橘音。
 意外にも綿貫と知り合いだったらしい尾弐が、綿貫らに缶コーヒーを振る舞ったり挨拶を終えた後、
祈もそれに続いた。
 祈もまた綿貫警部とは顔見知りである。祈は橘音が事件解決に向かう際に時折助手として同行しており、
また橘音の出張るような難事件の担当が綿貫警部であるのか、顔を合わせる機会があるのだ。
「タヌキ警部久しぶりー。今日はよろしく!」
 祈は怪しく見えないように努めて明るく挨拶しながら、綿貫警部に心の中で騙してごめんと謝った。
 そしてブリーチャーズは博物館内部へと、誰にも怪しまれることなく侵入することに成功する。
入口からエントランスを抜けて、階段、エレベーター前を過ぎれば、関係者以外立ち入り禁止の部屋に行きあたった。
ブリーチャーズはその中に通され、そこで檻の中に囚われた美しい白狼と対面する。
白狼は前足を組んで伏せ、その上に頭を乗せて休んでいた。
>「よかったですね。もう少しで、お仲間に会えますよ」
 と、橘音がまず声を掛けた。
>「なんて、綺麗なんだ……」
「うん。テレビで見るよりずっとキレーだな……」
 そしてノエルと祈は感嘆の声を漏らす。テレビでは遠目に彼女を映した映像ばかりが流れていて、
どんな狼なのかはいまいち分かっていなかったが、狼がこれ程美しいものだとは。
間近で見るその姿に見惚れると共に、
少々疲れていそうではあるがその体に感じる生命力や、漂う気品にはある種の神秘すら感じた。
なるほど狼が大神と字を当てられたり、神や神の御使いとして信仰されていた理由が分かる気がした祈である。

86 :
てすと

87 :
 これだけ多くの人間を前にしても動じない、美しき白狼。
彼女がもしニホンオオカミにして送り狼であるとするなら、
こちらの言葉も分かっているだろうと思い、祈はしゃがんで、彼女にこう囁く。
「ごめんな。今から騒がしくなる。でも橘音が言った通り仲間に――」
 仲間、という言葉を口にしたとき、祈は言葉に詰まった。
もし彼女がポチを仲間と見なさなかった場合を考えてしまったのだ。
今のポチは『己が何者であるか』という問いを、他者に委ねてしまっているように見える。
だとすれば他者の、取り分けこの白狼の答えこそが、ポチが自分を何者か判断する材料の全てになってくるのだろう。
もし彼女がポチを仲間と見なさなかった場合、ポチはどうなってしまうのだろう。
狼か。それ以外か。ポチにとっての答えがもうすぐ出る。そう考えると、少し怖くなった。
>「……おや?」
 そして橘音が何かに気付いたように言った時。
>ガシャアアアアアンッ!!!
 想定にない音がエントランス側から響いてきた。鳴り響く警報は異常事態を告げ、
そこにいる者達に緊張が走ったのが肌で感じ取れる。
>「来ましたか……!」
 橘音達に続いてエントランスまで出てみると、正面玄関は粉々になっている。
自動ドアのガラスも砕かれ、辺り一面にガラスが散らばっていた。
壁も壊されていて、周囲にその粉塵が煙のようにもうもうと舞っている。
凄まじい破壊の痕跡。カンスト仮面登場の演出にしては余りにも過剰だと思われた。
 違和感を覚えた祈だったが、しかし橘音からの目配せを受けたので、
パンフレットなどが置いてある棚でも倒そうかと思っていると、
粉塵の中から犬神が扮している赤マントの影が薄く見えた。だが何か様子がおかしい。
祈は動きを止め、じっとそれを見た。
 飛んでいると言うよりも釣り下げられたように見える赤マント。
それが歩幅にして一歩程前に出ると、その首根には何者かの大きな手が見える。
続いて、粉塵をかき分けるように巨大な体躯が姿を現す。
犬神が扮する赤マントはその巨躯の男に首を掴まれ、ぐったりとしているのだった。
>「下等妖怪どものニオイがしたんで来てみりゃァ、テメェらとはな……。ツイてるぜ、そろそろ頃合と思ってたところだ」
>「大統領の思惑なんざ知ったことか。オレ様は喰いたいように喰い、殺したいようにR。それだけのことよ」
 巨躯に隆々とした筋肉。窮屈そうなダブルのスーツ。荒々しいその声。
見間違うはずもない。かつて商店街で出会ったドミネーターズの一角。
尾弐に匹敵する力を感じさせた男。狼王ロボが其処にいた。
そして理解する。この徹底的な破壊の後は恐らく、逃げ回る犬神を狼王ロボが追い詰めた結果できたものなのだろうと。
項垂れた赤マントがケ枯れを起こし、すうと消えていく。
 今宵の仕事は、ずっと楽な仕事になる筈であった。しかし今この瞬間。
ここは過酷な戦場へと様相を変える。
>「ゲハハハハハーァ!待ったぜ、この時を!約束だったな……どっちが頑丈に出来てるか、比べっこと行こうぜェェェェェ!」
 狼王ロボの咆哮が響き、ロボは尾弐へと襲い掛かる。

88 :
てすと

89 :
(こいつ、あたしより速い……!)
 驚愕に祈は目を見開いた。尾弐へと接近するロボの動きは俊敏にして機敏。
反応できない速さではないが、祈の目をもってしても追うのがやっとだ。
 しかし。祈は冷静にスポーツバッグの中に手を突っ込み、ある物を引っ張り出した。
 狼奪還作戦時という最悪のタイミングで襲来した狼王ロボ。
この事態を一体誰が予想しただろう。祈は当然のことながら、あの橘音ですら予想外だった様子だ。
 だが、祈は持ってきている。
クリス戦で祈は、何の備えもなく学校から神社へと直行した。
結果、武器や道具を持たずにクリスと相対する形になってしまい、大して役に立てなかった。
その反省を活かし、常に持ち歩くようにしているのだ。
いつ何時、ドミネーターズとの戦いが始まっても大丈夫なように――『対ドミネーターズ用の武器を』。
 取り出した物を握り込むと、一緒に引っ張り出した金属バットをもう片方の手に掴み、全速力で駆け出した。
ロボの咆哮は警備員や警察官達を恐慌状態に陥れ、彼らの本能はこの場から逃げることを命じただろう。
逃げる最中で、祈が異常な速度で走っていたとして気にもしまいし、
この緊急事態で力をセーブしている余裕は祈にはなかった。
 ロボはノエルによって投擲されたバナナによる撹乱と、どこからか現れたポチの牙をその喉元に受けており、
更に今――尾弐の一撃を鳩尾に叩き込まれた。
 それを好機と見た祈はロボの背に肉薄し、やや勢いを殺しながら跳躍。
「くらえ狼オヤジ!」
 祈の体が宙に舞い、上下反転。そしてロボの頭上に差し掛かった辺りで、
対ドミネーターズ武器であるスティック状の物体を持った手を伸ばし、ロボの鼻先に付きつける。
更に、スティック状の物体の頭部を強く押し込む。
すると無色の液体が、ロボの鼻先めがけて勢いよく噴射された。
 祈の持っているスティック状の物体とは、“痴漢撃退用の催涙スプレー”。
噴射されたのは“オレオレジン・カプシカムを主成分とする液体”だった。
 ブリーチャーズとドミネーターズが出会って随分経つ。
それは祈が彼らについて調べ、対策を練るのに十分な時間があったことを意味している。

 彼らが名乗った名前や特徴を頼りに、
祈はその妖怪達についての文献やネット上に散らばる情報を漁った。
当然、狼王ロボについても調べている。
そして判明したのは、人狼(ルーガルー)が圧倒的フィジカルを持っていると言うこと。
妖怪の強さは人々の認識等に左右される為に断言はできないとしても、
狼王ロボの身体能力が尾弐や祈を上回る可能性は充分にあった。
もしそうであれば、ロボを退治せんとその場に集ったブリーチャーズが束になって掛かっても、
数の優位すら覆されて全滅、怪我人どころか多数の死者が出る恐れがある。
また、弱点らしきものは銀で作られたナイフや弾丸のみ。
しかしその銀の武器も、人狼の身体能力で躱されてしまうなどすれば意味を為さない。
つまり、その驚異的な身体能力を封じることは最優先事項だと言えた。
だが、弱点の少ない人狼の身体能力を封じるにはどうすれば。
 そこで祈が目を付けたのが狼の生態であった。
生物系妖怪は基本的に、元となった動物の特徴を受け継いだ実体を持つ。
例えば狼犬であるポチは発汗量が少なく、舌を出して体を冷やそうとするし、
また狼や犬らしく鋭い嗅覚を持っており、追跡を得意としている。
同様に人狼も、人と狼をベースにした妖怪であるとするのなら、
化物じみたフィジカルを封じるヒントはそこにあるのではないかと、祈は考えたのである。

90 :
 一方で、祈が持ってきた催涙スプレーは、
先述したようにオレオレジン・カプシカムを主成分としており、
主に暴徒鎮圧や痴漢撃退などに用いられる。
水鉄砲のように纏まった液を発射し、周囲に被害が出にくいタイプのものでもある。
 効果としては、皮膚に付着しただけでヒリリとした痛みがあり、
目に入れば激痛が走る。刺激物を洗い落とそうと涙が溢れて一時的な盲目になる。
鼻に入っても激痛があり、鼻水が止まらなくなる。
呼吸器に入れば咳が頻発し、呼吸困難にすら陥る。
そして特筆すべきはその持続性。一度浴びればそれらの症状は15分から30分もの間続く。
ブリーチャーズが戦闘を行うのはそれほど長時間ではない為、15分から30分とは即ち、
戦闘中ずっと効果を与え続けることを意味する。
山葵や胡椒、柑橘類の香水なども検討していたが、この点で祈はこの催涙スプレーを採用したのである。
――『狼王ロボの嗅覚を麻痺させ、弱体化させるのに最適だと思ったから』。
 狼の鼻に備わる嗅覚は鋭く、人間の一万倍以上。
その狼の特徴を持つであろうロボの鼻に今、そんな危険な催涙スプレーの中身をぶちまけた。
鋭敏にして繊細な鼻腔に走る痛みは、人間の何倍にも及ぶだろう。
灼かれるような痛みに叫びを上げ、怯み、一時攻撃の手を緩めたり隙が生じるかもしれない。
 また、狼は視覚がそれほど優れていない為、視覚以上に嗅覚と聴覚を頼りに世界を知覚している。
その中でも嗅覚は最も重要で、認識の40%から45%もの割合を占める。
それが絶えず溢れ出す鼻水によって使えなくなってしまえば、当然普段のように動くことはできなくなるだろう。
 鼻が塞がれ呼吸さえも苦しく、
獲物の動きを普段通り察知できないという不慣れな状況下での戦闘。
それはストレスや焦り、怒りを呼ぶ。
持続する痛みは集中力を削ぎ落とし、ロボの狩りの腕を鈍らせる。
 ロボがいかに力自慢で祈を超えるスピードがあっても、当てられなければ意味をなさぬし、
どれ程頑丈であっても、こちらの攻撃を上手く察知できず避ける事も満足に出来ぬなら、
いずれはその固い防御を貫いて、ケ枯れすらも起こさせられる。
――……筈だと。祈はそう考える。
 しかし所詮は拙い思考に基づいて積み上げられた理。
人狼が祈の想像をはるかに超えたタフさを持っていたり、
あるいは人狼がノエルのような精霊系の妖怪であるとすれば、このような小手先の攻撃は効果が薄いだろう。
また、当たったように見えたが、上手く躱していたということもあり得る。
 ロボと尾弐を飛び越し、更に半回転して足から着地した祈は、
意図せず、ロボが尾弐に攻撃を加えようとした瞬間に放つことになった催涙スプレーの、
その小手先の攻撃が通じているかどうか注意深く窺った。

【祈、尾弐に襲い掛かろうとするロボに催涙スプレーを噴射。狼にとって重要な器官である鼻を潰し、弱体化させる作戦に出る】

91 :
お前ら、便秘になったんだけど
何使って治してる?

92 :
「グルルルルルァァオオオオオオオオン!!!!」

天井の高い博物館のエントランスに、ロボの咆哮が轟き渡る。
大気を震撼させる吼え声は狼の――というよりは、むしろ虎やライオンのそれに近い。
人間の本能に訴えかけるポチの遠吠えとは違う。ごくごくシンプルに暴威と死を連想させる、猛獣の声だった。

「な、なんだ、あいつは!?怪人65535面相が……!」

予告状の主(偽者だが)をいとも簡単に葬り去った正体不明の大男を見て、綿貫警部ら警察関係者たちが慄く。
素手で鉄筋の壁材を破壊し、博物館に乱入してくるなど、明らかに尋常ではない。
そして、直後の咆哮。妖怪との戦闘など経験しているはずもない警官たちは、その声を聞いてたちまち恐慌状態に陥った。
その場で泣き叫ぶ者。我先にと逃げ出そうとする者。銃を発砲しようとする者――
なんとか理性を保つことに成功したらしい綿貫警部が怒号を発してなんとか押し留めようとするも、まるで効果がない。
東京ブリーチャーズが手を下すまでもなく、博物館の内部は大混乱の様相を呈した。

「ゲァッハッハハハハ―――ッ!砕け散れェェェェェェェ!!!」

ゴゥッ!と烈風を撒き、ロボの巨躯が尾弐へと肉薄する。
硬く握りしめられた右拳が、尾弐の胸板へと放たれる――その瞬間。
どこからか飛び出してきたポチが、ロボの首筋めがけて跳躍してきた。
次いで、ノエルの投擲した冷凍バナナが凄まじい勢いでロボへと迫る。
絵面的には間抜け極まりないが、妖怪が妖力を使い凍結させ妖怪の力で全力投擲したバナナだ。命中すればタダでは済まない。
が、ロボはちらりとそれを一瞥し、尾弐へ繰り出そうとしていた右拳で蝿でも払うように簡単に叩き落とした。
ただし、それはあくまで囮。ポチの攻撃を成功させるための、ノエルの名アシストだ。
バナナにほんの一瞬注意を向けたロボの太い首に、ポチががぶりと噛みつき牙を立てる。

「……!?」

加えて、尾弐の攻撃。今まで幾多の妖壊を戦闘不能にしてきた、必殺の右拳。
それが轟音と共にロボの鳩尾に炸裂する。
さらに、その三者の攻撃を見て取った祈の、催涙スプレーの一撃。
現状この上ない連係プレーと言えるだろう。並の妖壊であれば、このターンで勝敗は決しているに違いない。
……が。

ロボは『並の妖壊』ではなかった。

「ゲハハハハハ……ハハハハァ―――ッハッハッハッハッハハ―――ッ!!!」

四人の漂白者に囲まれながら、ロボは狂暴な笑い声をあげた。
ポチの鋭利な牙は、確かにロボの首を捉えている。
が、『通っていない』。ポチの上顎と下顎はロボの首を挟んではいるものの、食い破るには至っていないのだ。
密度の高すぎる鋼のような筋肉が、牙の貫通を防いでいる。
また、常ならば妖壊を昏倒させるに充分な尾弐の一撃も、ロボに有効打を与えるには至っていない。
一般的に人体の急所とされ、攻撃されれば悶絶間違いなしと言われる鳩尾だが、そこもまた分厚い筋肉の鎧に覆われている。
尾弐の拳に返ってきたのは、ダンプカーの専用タイヤを殴りつけたときのような硬い弾力。
そして、祈のスプレー。確かに直撃すれば、即戦闘不能とは行かないまでもロボの脅威を大幅に削ぐことができただろう。
……当たれば、の話であるが。
祈の攻撃に対し、ロボが取った行動は『ほんの少し身をよじる』これだけだった。
祈は命中率を高めるため、スプレーのノズルをロボの鼻先につきつけた。
ロボの首筋には現在、ポチが喰らいついている。
つまり『ロボの顔のすぐ近くに、ポチの顔もある』ということだ。
ロボはほんの僅か、本当に僅か首を反らす――たったそれだけの行為で、ノズルの目標を自分の鼻先からポチの顔面へとずらしたのだった。
広範囲に噴霧されるタイプでなく、水鉄砲のような一点集中タイプであれば、ロボへの被害は極めて軽微。
時間にして、ほんの数秒。瞬きするほどの間。
それでロボはすべての状況を把握し、鮮やかにブリーチャーズの攻撃を凌ぎ切ったのである。

93 :
テスト

94 :
「テメェら、このオレ様を誰だと思ってやがる?妖壊退治屋を気取ってる割にゃ……ちょいと不勉強が過ぎるぜ!」

首筋に噛みついたポチの首根を右腕でむんずと掴み、強引に引きはがして壁めがけて投げつける。
さらに、眼前で防御態勢を取っている尾弐へと攻撃。――だが、これは先程やろうとしていた拳での殴打ではない。
インパクトの瞬間、ロボは握っていた右拳を掌打にスイッチした。

ずどむ!!!

先程の返礼とばかり、ロボの掌打が尾弐の鳩尾に炸裂する。
普通の打撃なら、尾弐の強固な防御力を突き崩すことは難しい。
だが、それはあくまで単純破壊能力に特化した攻撃ならば、という話だ。
今、ロボが尾弐に対して放ったのは、いわゆる『発勁』。『浸透勁』というものである。
丹田で練り上げた氣を相手の体内に送り込み、外――筋肉でなく、内――内臓に直接ダメージを与える、中国拳法の奥義。
いかに筋肉を硬化させようと、内臓までは強固にすることはできない。

「オレ様は狼王!テメェら三下どもとは格が違うんだよ……ゲァ―――ッハッハッハァ!!!」

そう。
ロボは何も、怪力と俊敏さに頼るだけの妖壊ではない。
博物学者アーネスト・トンプソン・シートンをして、狼の中の王であると言わしめたその強さ。
『悪魔が知恵を授けた』とまで評され、人間の仕掛けた罠のことごとくを看破したその智慧。
圧倒的フィジカルとクレバーな戦闘頭脳が同居した魔物。こと戦闘という事象に関して、ロボに比肩しうる者は存在しないのだ。
そして、ブリーチャーズにとって更に絶望的なのが――
『この人狼はまだ、人間の姿でいる』という点であった。

「これで終わりか?そうじゃねえよなァ?さあ――もっと遊ぼうぜ!どっちかがボロ雑巾みてェになってくたばるまでな!」

ロボが哄笑する。その全身から発散される闘気と妖気だけでも、人間を発狂させるには充分だ。
実際、混乱の極みに達した警官の何人かがロボへ発砲したり、遮二無二掴みかかりに行ったりしているが、ロボは歯牙にもかけない。
ただ、鬱陶しそうに腕を振るって蹴散らすだけである。
そして、そんな何気ないロボの行動さえ、人間にとっては致死の攻撃に等しい。
ロボに振り払われ、邪魔だとばかりに放り投げられた人間たちは壁に激突し、床に叩きつけられ、血反吐をはいて動かなくなった。

「ククク……さあ、かかってこいよ。誰でもいいぜ!何ならもう一度全員で来てもいい!オレ様を楽しませろよ、東京ブリーチャーズ!」

ずん、とロボが一歩を踏み出す。ノエルを、尾弐を、祈を、そしてポチを順にねめつける。
……しかし。

「……ん?」
「この……においは……」

不意に、ロボが何かに勘づいたように頤を反らす。何かのにおいを嗅ぎ付けたのか、すんすんと鼻をひくつかせる。
何を思ったか、ロボはブリーチャーズに背を向けると、ある方向へ向けて歩き始めた。
向かった先は、戦場であるエントランスの奥にある立入禁止区画。
白いニホンオオカミのいる場所だった。

「いけない!……召喚、おとろし!」

橘音がマントの内側から召怪銘板を取り出し、妖怪おとろしを召喚する。
長いざんばら髪を振り乱した、巨大な顔の妖怪おとろしがロボの頭上に出現し、その重さで狼王を圧し潰そうとする。
しかしロボは落ちてきたおとろしを両腕でがっしと支え、膂力に物を言わせて持ち上げると、

「やかましい!!」

ニホンオオカミのいる立入禁止区画の扉へ向け、力任せに投げ飛ばした。
ガガァァァンッ!!という轟音と共におとろしが扉と激突し、両開きの分厚い扉が呆気なくひしゃげる。
邪魔者を排除し、ロボが悠然とした足取りで部屋の中へ入る。
そして。

ロボはその視界に、檻の中でうずくまる純白のオオカミを捉えた。

95 :
今までロボは一貫して王者の風格を前面に出し、傲岸不遜な態度を崩さなかった。
が、白いオオカミを見た途端、それが一転した。

「……ブ……、ブラン……カ……?」

ロボは唇をわななかせ、ようよう小さく何かの名前を口にした。
その双眸は大きく見開かれ、ただただ白いオオカミに釘付けになっている。

「ブランカ!オレ様だ!ロボだ!ああ……おまえ、どうしてこんなところに!」

そう言ってロボは檻へと駆け寄った。
その口調には、白いオオカミへ向けての親昵さ、親愛が溢れている。今までの王者の傲慢さはどこにもない。

「今、出してやるからな……!」

檻の鉄格子に両手をかけると、ロボはぐにゃりといとも簡単に鉄格子を捻じ曲げ、オオカミの出られる隙間を空けた。
だが、檻の中のオオカミは出ようとしない。檻の外に立っているロボの姿を見て、頭を低くし尾を立てて低い唸り声をあげている。
少なくとも、オオカミにとってロボは顔見知りでも、まして親しい相手でもないらしい。

「ブランカ、どうした?出てこい!」
「こんなクソッタレな檻も、罠も!人間の作ったものなんざ、オレ様が全部ぶち壊してやる!だから……」

ロボがオオカミへ両手を広げる。
一方のオオカミは警戒の唸り声を発したまま、ロボの方へ行こうとしない。
しばしの間、両者は見つめ合った。
そして、痺れを切らしたらしいロボが檻の中に入ろうと、一歩を踏み出しかけたそのとき。

「!?……ッグァ!」

背後から伸びた長い腕がロボのダブルのスーツ、その襟首をむんずと掴むと同時、無理矢理に持ち上げ檻から遠ざけた。

「やらせませんよ……、そのオオカミは!ボクたちの仲間の心を照らす灯火なのですから……!」

破壊された扉の脇で、召怪銘板を持った橘音が叫ぶ。
橘音がおとろしに代わって召喚したのは、手長足長。
身体に釣り合わない長い脚を持った足長と、それが肩車している尋常でない長さの腕を有する手長で構成される、二体一組の妖怪。
その手長がロボのスーツの後ろ襟を掴み、力任せに反対方向へと投げつける。
ロボの身体は立入禁止区画から元の戦闘区域エントランスホールへと逆戻りした。

「……クッ、ククク……。ゲハハハ、ハハハハハ……。そォか……、テメェらが隠していやがったのか……」

顔を僅かに俯かせ、肩を震わせてロボが嗤う。

「このクソ虫どもがァァァァ!『オレ様のブランカ』を!」
「いいだろう、お遊びはやめだ!そこまでバラバラになりてェってんなら、望みどおりにしてやるぜ……テメェら、全殺しだ!」
「そして、ブランカはオレ様が頂く……元々オレ様のものだ、文句は言わせねえ!!」

ロボの全身から先程とは比較にならない濃度の闘気と妖気が溢れ出す。人間が浴びれば悶死するレベルだ。
スーツの上からでも容易にわかる筋肉が、ぼこりと一回り大きくなる。耐え切れなくなったスーツが音を立てて裂けてゆく。
『獣じみた』人間の顔が『獣そのものの』銀狼の面貌に変化する――。
古今東西、いわゆる不死身と呼ばれる魔物はごまんといるが、人狼ほどその能力に特化した存在はいない。
人間時のロボにさえ敵わなかった東京ブリーチャーズが、人狼としての本性を現したロボと戦う、その圧倒的窮地。
そして。

「……こんなところで、何をしているんですの?」

出現する、新たな妖気。ロボの破壊した正面玄関に佇立する、小柄な人影。
長いツインテールの黒髪を夜風に靡かせる、黒いミニスカワンピ姿の少女――。

東京ドミネーターズのひとり、レディベア。

96 :
テスト

97 :
「ロボ。貴方は妖怪大統領に無用の殺生はしないと誓ったはずですわよね?だというのに、なんですの。この有様は」

エントランスに散らばる警官たちの死体を見回すと、緩く腕組みしたレディベアは嘆息した。
とはいえ、殺戮そのものを咎めているわけではない。ロボが妖怪大統領に対して誓った約定を破ったことが問題らしい。

「こいつは不可抗力だぜ……。オレ様は降りかかる火の粉を払ったに過ぎねえ。文句は軽く小突いただけでくたばる人間に言いな!」

「そんなことは言い訳ですわ。『殺さない』と言ったからには『殺さない』……。それが誓いというものでしょう」
「まして、この博物館はわたくしたちの計画にとって戦略上重要な場所。破壊することは許されませんわ」

ロボの抗弁も、レディベアは聞く耳持たない。しばし、東京ドミネーターズ同士の言い合いが続く。

「うるせえ!誓いなんぞ知ったことか、オレ様はなんでもやりたいときにやる!言ったはずだぜ、誰もオレ様の自由を――」

「お と う さ ま に い い つ け ま す わ よ」

「……!!……」

じわり……と全身から濃い闇の妖気を滲ませ、隻眼を炯々と黄色く輝かせて、レディベアが告げる。
『言いつける』。その言葉が殺し文句だったらしく、ロボはギリリ……と長大な牙を噛みしめて黙った。
これだけ強大な力を持つロボにとっても、妖怪大統領という存在は従わざるを得ないものらしい。

「カスども……、調子くれてるんじゃねェぞ。ブランカはオレ様のものだ……オレ様だけのものだ!」
「近いうち、必ずブランカを頂戴するぜ……。テメェらはくたばる時期がほんの少し延びただけだ、それまで首を洗って待ってな!」
「ゲハハ……、ゲッハハハハハハッ!ゲァ―――――ッハッハッハハッハッハハハハァ―――――――ッ!!!」

ひとしきり高笑いを響かせると、元の人間の姿に戻った狼王ロボは高く跳躍し、窓ガラスを突き破って姿を消した。

「……勘違いしてもらっては困りますわ。貴方がたのためにしたことではなくってよ」

ただひとり場に残ったレディベアが、ブリーチャーズの面々を見て嘲るように笑う。

「この博物館は、わたくしにとって重要な地。つまり妖怪大統領にとっても重要な地だということ……それを守っただけの話ですわ」
「ということで、用件は済みました。このまま貴方たちを屠ってもよいですが、それはまたの機会に。では皆さん、アデュー!」

一方的にそう言うと、レディベアもまた闇に融けるように去った。
レディベアはこの博物館が東京ドミネーターズの戦略上重要な場所であると言ったが、具体的なことは何も明らかにされなかった。
が、祈だけは後日、レディベアの言葉の意味を理解することになる。
夏休みが明けてからの二学期の行事予定に『国立科学博物館への社会科見学』なる記述を発見したことで――。

「……やれやれ。まったく、とんでもないヤツに目をつけられたものですね……」

東京ドミネーターズの二人がいなくなり、戦闘が終了すると、橘音は疲労困憊した様子でそう言った。
博物館の壁は半壊し、警官隊にも少なからぬ犠牲者が出たが、ブリーチャーズの面々はなんとか危機を回避することができた。
『あの』狼王ロボの急襲を凌いだというだけでも、最上級レベルの幸運である。
ロボはあのニホンオオカミをブランカと呼び、手に入れると言っていた。
その意図は不明だが、言うまでもなく好きにさせるわけには行かない。それには、ブリーチャーズが狼を保護することが急務だ。

「ひとまず、警官の方々のことは綿貫警部にお任せしましょう。皆さん動けますか?今のうちにオオカミを確保しますよ」

橘音は仲間たちに声をかけると、オオカミを手に入れるべく再度立入禁止区画へ向かった。元々そのつもりでここへ来たのだ。
犬神を失ったが、これだけの惨劇が起こったのだ。身代わりを立てずとも、どさくさ紛れにオオカミは遁げたと報告すればいい。
オオカミさえ確保してしまえば、後は彼女を迷い家へ送り届けるだけでミッション・コンプリートだ。
迷い家はぬらりひょんの富嶽が許した相手しか入れない、一種の結界になっている。
いくらロボが嗅覚にものを言わせてニホンオオカミを探したとしても、決して見つかることはない。
そんなことを考えながら、橘音はひしゃげた扉の先にある、オオカミの檻のある部屋に入った。

が。

そんな橘音の思惑とは裏腹に、オオカミの入っていたはずの檻はもぬけの殻になっていたのだった。

98 :
黙ることを知らんのか

糞キツネ虫

99 :
テスト

100 :
ノエルの援護が、ロボから時間を奪った。
それはほんの一瞬。一秒にも満たない時間……だがそれで十分だった。
狼の、狩人の感性が、不意打ちの成功を確信する。
剥き出しになった鋭い牙が、ロボの首に埋まる。

(捉え……た……?)

……その瞬間、ポチの中にあった確信が掻き消えた。
牙は確かにロボの首筋を捉え、食い込んだ。
だが、浅い。その堅牢な筋肉に阻まれて、食いちぎる事が叶わない。
相手はまだ人間の姿を取ったままだと言うのに。
信じがたい現象に、戦闘の最中でありながら、ポチは驚愕を禁じ得なかった。
そしてそれ故に……彼はロボの僅かな視線の動きに気づけなかった。
ロボが、首筋に食いつくポチなどまるで存在しないかのような体幹の安定をもって、僅かに身をよじる。
直後にポチの目鼻に襲いかかる、正体不明の鋭い痛み。
何が起きたのか分からないまま彼はロボの首筋から引き剥がされ……不意に全身を包み込む加速。
自分が放り投げられたと気づいた時には、ポチは壁に叩きつけられていた。
なんとか身をよじり受け身を図るが、間に合わない。

「がっ……げほっ……」

そのまま壁に激突したポチはそのまま床に落ち、立ち上がれない。
口吻からは赤黒い血が零れる。

>「オレ様は狼王!テメェら三下どもとは格が違うんだよ……ゲァ―――ッハッハッハァ!!!」
 「これで終わりか?そうじゃねえよなァ?さあ――もっと遊ぼうぜ!どっちかがボロ雑巾みてェになってくたばるまでな!」

ロボがブリーチャーズを順に睨む。
ポチも、ロボを睨み返す。

「ちくしょう……ちくしょう……!そうだよ、僕はまだ負けてない……!」

ポチの出血箇所は、口だけではない。
血涙だ。ポチの双眸からも血が流れ出ている。
負傷が原因ではない。妖怪の変化能力によって自ら出血を促しているのだ。
祈に浴びせられてしまった催涙スプレーを洗い流す為に。
所詮、細い血管を破るだけの事。畜生が人間に化けるよりも、ずっと容易い。
鼻は利かなくとも……目の前にいるロボに食らいつくのに、嗅覚など必要ない。

「僕だって、狼なんだ……狼に、なるんだ……!」

内臓が悲鳴を上げている。
僅かに身を捻れた事で背骨は無事だが、肋骨にも頭骨にもヒビが入った。
それでも、ポチは体を起こし、非常に緩慢にではあるが立ち上がろうとして……

>「……ん?」
>「この……においは……」

しかし不意に、ロボはブリーチャーズに背を見せた。
そしてそのまま皆から離れるように歩いて行く。
その先にあるのは……立入禁止区画。


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