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やる気・向上心があまりなかった選手
1983年日本シリーズ 西武×巨人★3
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1983年日本シリーズ 西武×巨人★3
- 1 :2016/04/17 〜 最終レス :2020/05/11
- 西武ライオンズと読売ジャイアンツの激突となったこの日本シリーズは
「球界の盟主の座を賭けた決戦」と日本社会の広い範囲から注目を集めた。
第3戦以降逆転に次ぐ逆転の連続で屈指の名勝負となった。
西武が4勝3敗で勝利し、2年連続で西武になってから2度目、西鉄時代から5度目の日本一。
西武はシーズン途中から日本シリーズを見据えて巨人の選手を研究していた。
田淵幸一は江川卓のビデオを「夢にまで出るほど」見ていたという。田淵は打棒が冴えて優秀選手に輝いた。
大田卓司はシリーズ通じて打ちまくり最優秀選手となったが、
7戦通じて一度もお立ち台にあがることなくMVPに輝くという珍しいケースだった。
クローザーの森繁和は当時5勝5敗34セーブをマークし34セーブは当時の日本記録だったが、
第3戦と第5戦でサヨナラ打を浴びてしまった。
また、第4戦以降は入団2年目(21歳)の捕手・伊東勤が先発メンバーとして抜擢された。
彼はその後、1998年の第2戦まで、捕手として67試合連続日本シリーズスタメン出場という快挙を達成する。
サヨナラゲームが3試合、第3戦以降は先取点を取った方が必ず負ける試合展開。
第6戦で巨人が1点リードで迎えた9回、優勝目前の巨人は必勝を期して西本聖をマウンドに送ったが同点とされ、
延長10回、今度は江川が金森栄治にサヨナラ打を放たれる。
この両エースの投手起用失敗が巨人にとっては大きな誤算となった。
Wikipediaより抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/1983%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
前スレ
1983年日本シリーズ 西武×巨人★2
http://wc2014.2ch.sc/test/read.cgi/meikyu/1414248606/
- 2 :
- 1: 風吹けば名無し 2013/02/10(日) 20:57:29.75 ID:k9rL+XD0
暇な時にウィキペディアの野球記事を読み漁ってたんやけど、ある日こんなの見つけたんや
2011年のワールドシリーズ#評価
http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA#.E8.A9.95.E4.BE.A1
『ハードボール・タイムズ』のクリス・ジャフは、主観的ではなく定量的な評価を行った。
彼は歴代のポストシーズン各シリーズについて「1点差試合は3ポイント、1−0の試合ならさらに1ポイント」「サヨナラゲームは10ポイント、
サヨナラが本塁打によるものならさらに5ポイント」「7試合制のシリーズが最終戦までもつれれば15ポイント」などというように、
試合経過やシリーズの展開が一定の条件を満たすのに応じてポイントを付与することで、面白さの数値化を試みた。その結果、今シリーズは107.7ポイントを獲得し[† 8]、
ワールドシリーズでは史上5位、地区シリーズやリーグ優勝決定戦を含めた全263シリーズ中でも13位の高得点となった[196]。
http://blog.livedoor.jp/yakiusoku/archives/53892796.html
------------------------------------------------------------
その結果
*2位 129.7P 1983年 西武 4 (○●●○●○○) 3 巨人
http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/linescore1983.html
西武が巨人を下してシリーズ2連覇を達成。監督の広岡達明は自らを追い出した巨人への復讐を成し遂げた。
第3戦・第5戦・第6戦と3試合もサヨナラゲームがあり、特に西武が3勝3敗のタイに持ち込んだ第6戦は41.1P。
- 3 :
- リアルでこの日本シリーズを見たが、本当にすごかった。
いまだにこれ以上の日本シリーズを見たことはない。
藤田監督のもとでこの日本シリーズを戦った牧野コーチが、「こんなすごい
日本シリーズは初めてだ」と言っていた。
川上監督の参謀を務め、百戦錬磨の牧野コーチがそう言ったのだから、
やっぱりすごかったのだろう。
- 4 :
- このシリーズ詰まんないだろ
当時としてはだろ
- 5 :
- >>4
ちょっと何言ってるかわからない
- 6 :
- 名勝負だったな
- 7 :
- 最後は巨人が自滅したイメージ。
西本リリーフで墓穴を掘った。
- 8 :
- 第6戦の巨人は、西本を出さず、加藤初を続投させていれば勝っていた。
このシリーズのヒーローだった西本で締めくくろうとしたのだろうが、
第2戦でシュートを投げ過ぎて疲労していたので、「大丈夫か?」と
思いながら見ていた。
案の定、中畑の三塁打で必勝の流れから同点にされ、延長に突入して
しまった。
9回の裏が終わって、西本がマウンドから降りてくるとき、自分への
怒りから、スパイクで土を蹴っているのが印象的だった。
- 9 :
- 広岡の巨人との相性判断が的確だった
東尾は先発では通用しないが、抑えでは通用する
森の抑えは通用しない(典型的な巨人に通用しないタイプ)
先発に右の上手投げを出すと滅多打ちを喰らうから、
先発は全試合下手投げと左腕にする
特に松沼兄の荒れ球は巨人はいやがるから1・4・7戦に先発させる
- 10 :
- 広岡監督は日本シリーズでは、森繁和と松沼弟はほとんど使わなかった。
ふたりとも、ペナントレースでは主力投手だった。
ゲスト解説の江夏が、「この一年、森君で来たんだから、森君で行くんだと
思いますけどね」と言っていたが、広岡監督の考えは違うようだった。
第一戦では松沼兄、第二戦では大ベテランの高橋直樹が先発した。
高橋はサイドから絶妙の制球力でのらりくらりと投げていた。
- 11 :
- >>10
先発が3人いれば済む当時の日本シリーズの先発ローテーションで
5本柱のうち東尾と松沼雅を後ろに回しただけじゃん
松沼雅は7戦のうち4試合に登板して11イニングも投げている(第4戦は勝利投手)
- 12 :
- 83年といい92年と言い西武のリリーフ陣が俺達化すると名勝負になるな。
- 13 :
- 篠塚には永射
- 14 :
- 松沼弟は結構投げていたんだな。
東尾は重要な場面でリリーフしていたのが印象に残っていて、
第7戦の優勝を決めた場面でも、最後の打者・篠塚を打ち取った
のは東尾だった。
でも、松沼弟はほとんど印象に残っていない。
- 15 :
- 広岡監督は日本シリーズの先発に
アンダースローとサウスポーを起用する事に
強い拘りが有った。
シーズン18勝の東尾と15勝の松沼弟を
中盤からのロングリリーフで使うのは
異例の起用法でしょう。
- 16 :
- 金森のサヨナラ打は、30年以上たった今でも夢に見るほどのトラウマ。
- 17 :
- 当時のセリーグに有力なアンダースローの投手がいなかったことに
広岡監督は着目したのではないか。
だから、松沼兄を中心に先発のローテーションを組んだのだろう。
巨人打線の目が慣れるまで、松沼兄は簡単には捕まらないと
考えたのではないか。
- 18 :
- いまこういう戦術で相手をたたくというのないよな
起用法がつまらない
- 19 :
- 7戦トータルで4勝すればいいと考えた広岡。
とにかく4勝したいと勝ちを急いだ藤田。
その差がはっきりと勝敗に表れた。
- 20 :
- >>19
シリーズでは出し惜しみしてはいかん、てのも一つの道理なんで、
間違ってない。
が、西本信頼し、かつ7戦の先発決めてたなら、7戦だけ投げさせることにすれば良かった。
6戦最後は加藤初で十分。かなり度胸座ってるし。
崩れたら&延長は、江川でいけばなぁ。
- 21 :
- 加藤で抑えられたかねえ
- 22 :
- >>12
92年はヤクルトも投手陣あまり揃っていなかったからな
- 23 :
- 初戦お兄ちゃんが通用すれば2戦目高橋(直)もいける、という考えだったらしい
- 24 :
- 高橋直樹はセリーグでは精彩を欠いてたからな
巨人はそんなに苦手意識はなかったはず
- 25 :
- 3ランHRのクルーズは兄から情報を入手していたとか
- 26 :
- 角が怪我で使えなかった
河埜が死球の影響でフル出場できなかった(以前から日シリでは渋い活躍をしてきている)
第7戦7回表、篠塚の三塁線の微妙なファール
同じく7回裏、テリーの2塁打で1塁ランナーの太田まで生還させてしまった
30年以上経つが返す返すも残念
- 27 :
- 第七戦は月曜日だから
観ていない人が多いんですよ。
- 28 :
- おれは巨人が負けたらいいと思っていたから、西武が勝ってプロ野球の勢力図が巨人一辺倒から変わるかと期待したが無理だったな。やはり日本プロ野球界は巨人なしでは成り立たないんだなと知ったわ。
- 29 :
- >>16
体が小さいからさすがに舐めた
パリーグの野球を知らなかった悲運かも
- 30 :
- クルーズのサヨナラ弾が印象にあるかな
残留してたら面白かったかもレジーともウマが合ったようだし
- 31 :
- 直さん大事な試合で緊張する所あるから
捕手の大石が言ってた
- 32 :
- >>3
牧野は「荒れた」という意味で凄いと言ったのでは?
結構エラーやミスも目立ったシリーズだったような・・・
- 33 :
- >>9
広岡は、エースを常にロングリリー待機させる。
82、85年も、東尾は後ろ。
82年は小林、83年は松沼雅、85年は工藤が同様に後ろに回った。
- 34 :
- 当時は日シリでDHを採用しないというハンデがあった為に片平を先発で使えず
さらに巨人の主力が右投手ばかりだったので
左打席の長打力が右に比べて格段に落ちるスティーブが3番の西武打線に
ペナントレース時の迫力が無かったというのも接戦になった一因だろうな
スティーブはスイッチ止めて右一本に絞れば30HRも狙えて「HRが打てないから」と解雇される事も無かったのに
- 35 :
- 第七戦の東尾のビーンボールと投球間隔じらし投球は犯罪
- 36 :
- スティーブ・田淵・テリーというややタンパクなクリーンナップを広岡さん妙に好きだった印象
やはりこういう感じになるんだろうね
田尾・スティーブ・片平の方が広岡さんの好みのように感じるけどこっちの方の方が不満がっったよう
長距離打てる外人が欲しかったみたいね
- 37 :
- 第七戦原がデッドボール当たりに行っておけば、
東尾炎上もあったかもね。
- 38 :
- 当時リアルタイムで見ていないんだが、第6戦の9回裏のリリーフは、西本で妥当だったのか?それとも打たれまくっていた江川が良かったのか?
当時の風潮として優勝を決める場面は江川西本しかいなかったと思われる
その上で、結果論ではなくあの時点でどちらの投手が良かったのか、リアルタイムで見ていたファン目線での意見を聞きたい
- 39 :
- 38だが、どちらが良かったのではなく、江川西本どちらに投げてもらいたかったか、だな
- 40 :
- 西本に決まってる
誰がどう見ても、西本!
西本以外に有り得ない
- 41 :
- はっきり言うと江川でも西本でもどっちでも打たれていた
82年ってのは池田旋風に象徴されるようにレベルの変革期だった
82年のシリーズでは小松の150キロを西武打線はいとも簡単にポカスカ打った
決して小松の調子が悪かった分けではなく明らかに力負けしてしていた
広岡さんは早くからパワートレーニングをプロでも取り入れていたので他チームより
一段上のレベルの高い野球をしていた
結局巨人が勝てる勝機は後楽園の魔物だけだった
6戦と7戦で地力の差が出ただけだ
パワートレーニングがまだ巨人に浸透してなかったこそ金森を舐めたんだ
寧ろ巨人が善戦したといっていいくらいまだレベル差は大きかった
- 42 :
- 小錦が稽古中にバーベルを持ち上げて親方や兄弟子からも怒られてマスコミからも叩かれた
まだそんな時代だったんだね
池田旋風がパワートレーニングの幕開けだったわけです
それを池田の蔦さん同様にプロでも早くから取り入れていた広岡さんに優れた先見性があったという
分けです
- 43 :
- 当時の西武ファンだったら分かると思うけど後楽園の日ハム戦なんてもう完全に
子供扱いしてたでしょ
もう後楽園の箱庭のオモチャ球場でやりたい放題だった83年は
まさにメジャーと日本くらいの差があった
- 44 :
- 江川の謎の投げ込みはいったい何だったんですか?
- 45 :
- >>44
誰も解説出来なかったから謎なのでは?
- 46 :
- >>43
当時はどこも箱庭だったけどな
一番広かった西武球場ですら規定を満たしていなかった
- 47 :
- 両翼95メートルセンター120メートル
中間の膨らみが113.7メートルですから決して今の球場と比べても狭くは
ないですよ
横浜や神宮より広いです
この広さだったら恐らく今の統一球だったらホームラン出ないでしょう
何せ日米野球ではメジャーの選手達が素晴らしいと絶賛していた球場です
当時としては考えられないようなモダンな球場だったわけです
- 48 :
- 阪神戦の三者バックスクリーンとか伝説になってますが西武だって日生かどこかで
四者連続ホームランとかやってたんですよ
パワートレーニングが当たり前になるまで西武のやりたい放題でした
- 49 :
- スティーブ・田淵・テリーの何処となくタンパクなクリーンナップを広岡さん妙に気に入ってたんですよ
田尾・スティーブ・片平の方が広岡さん好みそうですが余り好きではなく不本意だったようです
広岡さんの野球観って池田の蔦さんに寧ろ近いんですね
真のハイパー野球を目指していたわけです
- 50 :
- >>43
本当に当時見てたの?
後楽園はその時代では標準サイズだよ
両翼90か91でセンターが119か120が当時の基本形(大洋と西武以外はほぼその形)
遠征で平和台だったらセンター122で広い球場扱いだったくらいだし
- 51 :
- ポール際が極端に狭かったですからねぇw
パワートレーニングで鍛えた西武の選手からしたら最早笑えるレベルでした
82年のシリーズでは西武の選手がナゴヤ球場を見て凄い狭い球場だなぁと
みんなで笑っていたそうです
- 52 :
- このシリーズ、確かに名勝負だけど、さすがに昔話になりすぎたかな
- 53 :
- 83年のパのペナントレースはもう6チームの中に1チームだけメジャーのチームが
いるような感じでした
あそこまでやりたい放題暴れたチームって見たことがありません
- 54 :
- ウエイトトレーニングなんて最早どこも当たり前のようになった頃から池田旋風は
すぐに去って西武も簡単には勝てなくなってきました
そこへ彗星の如く現れた救世主が清原だったわけです
清原がいなかったら西武もあそこまで優勝できなかったでしょう
- 55 :
- 田淵が選手生命を延命出来て優勝の美酒を味わえたのも全ては広岡さんの管理野球のお陰
だったんですよ
たから広岡さんに感謝してるんですね田淵は
今でも仲のいい交流は続いています
- 56 :
- なんか変な人が来ちゃったな
- 57 :
- >>12
亀レスだが元々俺達だった2008年もシリーズは名勝負になったな
(それでも後半戦でグラマンが抑えに固定されてからはいくらかマシになってたが)
逆に今年の緒方カープやJFKがいた岡田阪神のような
固定された継投パターンを持っているチームだと
勝つ試合と負ける試合がはっきりする傾向が強いように感じる
- 58 :
- >>49
メディアは西武は緻密緻密いうんだけど。なんか違和感感じるんだよな。
緻密野球の割に、大田とか片平みたいな守備下手打撃のみの選手を妙に買ってたし
よっさんと体質的には似てると思う
よっさんも牛若丸いわれた真逆で、野球理論はハイパー野球そのものだった
- 59 :
- >>58
> よっさんも牛若丸いわれた真逆で、野球理論はハイパー野球そのものだった
違うだろ
優勝した昭和60年も、犠打数はセ・リーグNo.1
そもそも吉田は土台作りをキャッチフレーズにしていたし、ハイパー野球(?)はあくまでも結果論
- 60 :
- 阪神は下位打線頑張ったからね
木戸もよく打った
意外と85年の阪神って一番から九番まで全員ホームラン打てるようなそこまでの
凄さはなかった
その点では広岡さんの頃の西武打線は切れ目が無かった
- 61 :
- >>58
強打者がいればそれをまず使うのは当然
打ってリードすれば守備固め出せばいいわけだし
それにレフトとファーストなら及第点でOK
他には強力投手陣であったのもその理由
- 62 :
- 85年の西武打線って広岡さんが最も好みそうな感じだけど広岡さん不本意だったみたい
ホームランをな打てる外人をもう一人欲しかったよう
- 63 :
- トニー・グウィンがロッテ入りかの報道が出たときに広岡GMはもっとパワーのある選手が
欲しいねと否定してた
- 64 :
- 第四戦の立花のホームランだねパワーの違いが出たのは
超高速ライナーでスタンドに放り込んだ当たりはまさにパワーに重点を
置いたトレーニングによって生み出されたものだ
- 65 :
- この当時はまさか立花世代から誰も2000本安打を達成しないなんて思わなかったわ。
- 66 :
- 82年シリーズ第二戦の初回の都のアクシデントだってパワーの違いが出た結果だと
思う
石毛の恐ろしいほどのスピードライナーを都も受け止められなかった
- 67 :
- だいたい83年ペナントレース時の西武は「9番」が.303 16HRの石毛だぞ
巨人の対右6番、対左5番だった中畑の.300 15HRより打ってるんだぞ
河埜や新井がクリーンナップを打つことも多かった南海あたりから見れば反則もいいところだろう
- 68 :
- あとペナントレース中は右打席の打率が4割に迫ろうかというスティーブが
左打席不振の時期に右投手相手にも右で打ってたよ
- 69 :
- 最後に巨人は松本じゃなく吉村を先発で使うべきだったな
松本みたいなOPSの低い選手が1番では得点力が上がらないのは今だと定説だけどな
- 70 :
- 追伸
東尾の緻密な制球や松沼兄のアンダーからの球威あるパワーピッチが打てないのは解るんだが
松沼弟、高橋、森、杉本が打てなかった当時のパリーグ打者陣のレベルヤバ過ぎだろ
- 71 :
- >>70
記録だけでモノを言っているのが丸解り
弟、森繁の力のあるボール
高橋、杉本のキレのあるボール
彼等はいずれも当時のパリーグで実力的に上位に入るのは、誰もが認めるところだった
- 72 :
- 巨人打線に打ち込まれるのはどうも乱数表を読まれているようだと西武も見て乱数表を差し替えた途端に
巨人打線の当たりが落ち着いたのはやはりといった感じだった
- 73 :
- 83年の西武がボカスカ打ったのって他チームの乱数表を解読していたからじゃね?
乱数表が廃止された84年は見る影も無かったし
- 74 :
- 巨人もセ・リーグの中では上位クラスの 強力打線だったはずなのに
さらにその上だったからな
元々身売り当時から、山崎や田淵など他球団の主力が多い中にテリーやスティーブなどのメジャー
緻密とはかけ離れてた超強力打線だった
- 75 :
- 当時の巨人打線って中日阪神広島より下じゃね?
大洋ヤクルトよりは上だけども
- 76 :
- 中日は翌年こそ恐竜だったが
大して強力って訳でもない
広島は強力打線というイメージは薄い
そつのないってイメージはあるが
阪神は、勢い乗ると強いが
勢い乗るのに時間がかかるイメージ
スミスの補強と原の4番定着で、ある程度打線は固まった
- 77 :
- >>73
パワートレーニングをどこもやりだしたからね
その点での優位性はすぐに無くなったと思う
池田旋風もすぐに姿を消した
どこの学校もこぞってやりだしたからね
- 78 :
- >>66
投手にダメージを追わせる強襲ライナーを打つことにかけては、石毛の右に出る選手はいない。
石毛にはそんなシーンが多い。
- 79 :
- 西武は小林誠司や柴田保光が中継ぎやってたくらいだからなぁ
それに他チームならクリーンナップ級の山崎が1番、石毛が9番、片平が7番だった訳で
打線の穴が8番捕手しか無かったしな、そら山崎が1番で82打点を挙げたのも納得
- 80 :
- 柴田はまぁノーコンだったから何だけどw
日ハムへ行ってもどうせ直らないだろうなと思ってたけど見事に変わっちゃったので驚きw
江夏と柴田のトレードでも江夏?先は短いけど出すのは柴田だしいい買い物だったなと思ったよw
- 81 :
- 大杉が江川から弾丸ライナーで後楽園の外野防御柵に叩き付けるホームランを打った
その時にあの柵が衝撃でレフトから中間までガッシャーンっと物凄い衝撃で波打った
レフトスタンドが暫くざわついていたがあんな物凄いホームランを大杉が打てたのも全く
を持ってして広岡さんのパワートレーニングによるもの
まさにメジャー級だったね
- 82 :
- 広島打線は強力だったよ。
ヨシヒコが一番で24本塁打70盗塁
山崎三割
長内、ピーコ、ゴリラのクリンナップで
六番に勝負強い長嶋
七番に後半あたりだしたアイルランド
- 83 :
- ヘクター・クルーズが余り語られないね
このシリーズ頑張ったんだよぉ
残留してたら楽しみだったね
スミス大先生の指導でバッティング開花しだしたからちょっと勿体なかった
- 84 :
- クルーズもスミスも仲が良かったのでお互い気分よくプレーしていたというか
クロマティとの仲が険悪だったので84年の巨人の不振はそういう所もあったかも
知れない
- 85 :
- 84年の巨人は83年の西武と伍する強力打線だったのに倒壊起こして駄目だったね
やっぱ定岡の不振とOPSの低い松本の1番に拘った所為やろうなぁ
定岡なんて83年5月末時点で最多勝争いトップだったのが信じられない凋落ぶりだったし
- 86 :
- 変化球の癖を見抜かれたのと
定岡正二自身が集中力が維持できない性格の問題もあったみたい
藤田はかばえる人だったが
当時の王貞治は融通性がなかったからキレて近鉄に行かそうとして引退した
- 87 :
- >>82
セ・リーグ全体が破壊力って打線はなかった
強いてまとまった時の阪神ぐらい
西武の基本打順
1石毛2山崎3スティーブ4田淵5テリー6大田7片平8大石9立花
破壊力抜群の打線って名前みてもわかる
緻密とはかけ離れてる
- 88 :
- >>87
こいつ、いつもろくにあたらずに自分の思い込みだけで書くのな
こんな基本打順だった時はないよ
- 89 :
- 石毛は序盤戦ボロボロで9番にまわされて帳尻的に3割達成
だから数字以上に評価は低かった
あと4〜6は田淵−大田−テリーだろ
田淵欠場時は大田が4番に繰り上がった
この人は自分の思い込みを勝手に膨らませて持論を展開するなあ
- 90 :
- スタメンデータベース 1983西武
http://sta-men.jp/1983lions.html
先発陣の5人とも離脱することなく閉幕までローテーションを守り通したのが凄い
- 91 :
- スミスもスティーブも右打席の方が強力だった
ついでに言えばデストラーデもセギノールも右打席の方が凄かった
外人のスイッチってバークマン(左利き両打)にしてもそうだが意味があるのか?
- 92 :
- >>90
84年の阪急なんて先発4人と抑えの山沖だけで71/75勝やで
そら日シリも負けるわ、阪急ファンだったから悲しかった
- 93 :
- スティーブはサードもファーストもどっちも守備上手かったので守備ではやりくり出来た
- 94 :
- 広岡は典型的なビッグボール派だよな
当時の阪急の方がよほどスモールボールをやってたな
83年は日本記録の200盗塁を達成したし、内外野の守備力も上だった
ちなみに西武はチーム盗塁が両リーグ最下位だった
だがチーム打率本塁打が両リーグ断トツ1位の西武に得点力で完敗した訳だ
- 95 :
- チーム盗塁の日本記録は1956年の阪急277個
適当なこと書かないように。
- 96 :
- 野村さん:何で子供でも分かる事が出来ないんだろう
広岡さん:子供でも分かる事が出来ないんですから出来ない事はやらない事です
広岡さんって意外とそういう人なんですね
出来もしない事をやらせなかったわけです盗塁が少なかった年は
- 97 :
- どちらかというとボビーに近いんですね広岡さんの野球観ってのは
ボビーは基本スモールなのですがフィットネス重視という点では非常に近いです
- 98 :
- 長嶋さん・落合さん:出来ないのなら出来るようにさせてやる
広岡さんこれにも近いのですがちょっと違うんですね
意外と出来ない事は瞑って長所を伸ばすタイプなんです
- 99 :
- 連投うざいよ
- 100 :
- >>91
まあそりゃあ全員右利きだからそうだろうよ。
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