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- 1 :2019/03/31 〜 最終レス :2020/04/13
- 壊滅的最下位から急速に強くなったような気がするけど
- 2 :
- 80年後期からだねまともになったの
勝てばマジック点灯というところまで行った
ひたすら打つだけで脚と守備がないという黄金時代とはまったく別のタブチくん野球
- 3 :
- 真弓移籍〜石毛入団までの間のライオンズ遊撃隊っぷりの酷さよ。
- 4 :
- 私は1981年の秋、ライオンズの監督就任が決定した数日後から、
秋季、冬季の自主トレーニングに立ちあった。マスコミは「広岡流の
管理野球が始まった。」などと喧伝した。ヤクルト時代の年中無休の
イメージを重ね合わせて、そう思い込んだらしい。しかし、私はその時
正確に言えば、まだライオンズの監督ではなかった。契約書に調印は
したが、その契約書によれば、私の契約は1982年1月1日から発行す
ることになっていたのだ。契約時の話し合いで「それ以前の秋季練習など
を視察するのは拒まないけれど、それに対する報酬は支払われない。」と
なっていたし、根本陸夫前監督の「まあ、のんびりして、来季になってから
ボチボチやってくれよ。」という話に、私も、「そうさせていただきましょう。」と
答えたものである。ところが数日後、私と共に入団が決まった森昌彦、
近藤昭仁両コーチらと雑談中、誰からともなく、こんな話が出た。「せっかく
秋季練習をやっているんだから、ちょっとのぞいて見ませんか。選手を見て
予備知識を仕入れておくのことも無駄じゃない。」スポーツ新聞は若手選手
だけではなく田淵幸一、山崎裕之らのベテランも汗を流していると伝えている。
「では、退屈しのぎにちょっと行ってみるか」ということになった。ごく軽い気持ちで
見物するつもりだったのだが、見物しているうちに、私たちの気持ちは大きく揺れ
動き始めた。
- 5 :
- 選手達の動きを目で追いながら、私は金縛りにあったように立ち
つくしていた。いつの間にか、その自主トレーニングに魅了されて
いた。森昌彦が耳元でささやいた。その声は、興奮のためか、震え
ていた。「いけますね、これは。」その言葉は、今でも私の耳に残っ
ている。私も同じ思いだったからである。その時の私は、表現のしよう
のないなにかに感動し、身体中の血が騒ぎはじめていた。
私は、選手達のプレーぶりや、トレーニング法が見事だったから
感動したのではない。彼らの技術は明らかに未熟といえた。
トレーニング方法にも欠陥が目立った。 しかし彼らの肉体はたくまし
かった。みんなバネがある。瞬発力も鋭い。このことは、プロ選手
としての技術を吸収し、身につける上で欠かせない基礎体力の養成が
ほぼ近づいていることを意味している。もちろん全員がそうだとは
いえないが、予想以上に多くの選手が、そのレベルに達していた。
「ウーン、ここにいると・・・・」と言いかけた私の言葉をさえぎるように
森がまたささやいた。
「巨人軍の選手が子供に見えますね」
私は思わず吹き出した。その森の言葉が、彼に告げようとしていた
私のセリフとまったく同じだったからだ。
豊かな素質を秘めた選手が予想をはるかに超えて多いことも
発見できた。未完成だが、同レベルの選手達が、横一線に並んで
競い合っている。そんな感じの自主トレーニングだった。そのせい
だろうか、全員がキビキビと動いていた。コーチにハッパをかけられて
いるわけではなかった。全員が自らの意志で動いていた。自主性が
芽生えているのは明らかだった。しかも、彼らの態度は、真面目で
ひたむきだった。「いいムードですね」近藤が言った。森が「当分の間
毎日、僕らも見学にきましょうか。」 「そうするか。」と私。この場合、
森のいう「見物」とは、私達の自主トレーニング参加を意味していた。
私たちはライオンズに魅せられ、引きずり込まれた形で、彼らの
自主トレーニングに自主参加することになったのである。しかも無報酬で・・・
つい一時間前には思っても見なかった成り行きになった。私には
コーチの経験も、監督の経験もあった。だが、指導する側が、指導される
側に引きずり込まれて指導するというのは、初めての体験だった。
広岡達朗(1982〜1985西武ライオンズ監督)
- 6 :
- 自分が去った後に近鉄が連覇し、引退した翌年から西武の黄金時代が始まった
土井はついてないね。
もっともコーチとしては飽きるほど優勝するわけだが
- 7 :
- 土井と言えば、
大原麗子主演ドラマで由紀さおりの夫役をやったときの棒読み振り。
- 8 :
- 富田勝なんて南海、巨人、日本ハム、中日
みんな富田が退団した翌年に優勝している
- 9 :
- >>8
ある意味優勝請負人ってことだ。
- 10 :
- タブチくんの映画で西武広岡招聘とかいう
ネタがあった
- 11 :
- 球場の高級感がすごかった。
くぐもったウェットのあるウグイス嬢のアナウンスが都会を感じさせた。「バッターは〜立花」とか
エレクトーンも。
今思えば西武鉄道より近鉄のほうが大きいことを知るが
- 12 :
- チームは弱いのに、球場は豪華で新人選手の契約金は高額で、こんな金持ちの球団を
見たのは初めてだった
自分は地方に住んでいたので、西武鉄道という会社をこのとき初めて知って、こんな
羽振りのいい会社があるんだなと驚いた
- 13 :
- http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20180521-41
1979年の西武といえばこの写真
- 14 :
- メジャーリーガーが西武球場を見て
「なんて美しい球場だ」と絶賛した
日本の球場は狭いと言われるが広さもこの位あれば十分だって
- 15 :
- 暗黒のパ・リーグを変えてくれるんじゃないかという希望を持たせてくれた
- 16 :
- ダイエーやオリックスが参入したのは西武ライオンズがあったからだと思う
70年代はペプシコ日本法人がライオンズを買うと言う話があったが
東映フライヤーズの身売りを見て「これはダメだ」ととりやめたわけでね
- 17 :
- >>15
あほか、暗黒の始まりだろ、ホークスから無理やり王者の座を奪って、その結果暗黒パリーグを作った元凶
- 18 :
- ホークスから無理矢理王者を奪うって西鉄の話ですかw
- 19 :
- 将棋事件とボンバーマン事件見てれば意識の差とその変遷がわかるわな
- 20 :
- >>16
ANAという噂もあった。
福岡市もなくなるとまでは思ってなかったから
かなりぞんざいな扱いだった。
なくなって初めて喪失感を感じ
それがあったからダイエーが来たときはVIP扱いだったが。
- 21 :
- >>20
ホークスは福岡に移って良かった
どんな世界でも「ぜひ来てほしい」と言ってくれるところに
行った方が良いに決まっている
- 22 :
- >>17
やっと地味な不人気球団・阪急の黄金期が終わって
いよいよ新しい時代が来るぞという予感を持たせたやん
- 23 :
- パはあまりにも他の球団が地味でパッとしなかったから
新興の西武は華やかに見えた
最初は弱かったけどね
- 24 :
- 1980〜81年はキャンプ〜開幕前に西武持ち上げ報道が多かった。
放送業界だとTBSとフジテレビ。スポーツ紙はスポニチ、日刊、サンスポ。
開幕後は目立った戦いもせず、あまり取り上げなくなったけど。
- 25 :
- でも83年あたりになるとどのメディアも巨人様に戻ったな
- 26 :
- 1979年ごろのライオンズはボロボロだったよね。
打線はつながらないし守備は酷いとしか言いようがないレベル。
今は強面になっており森が、このシーズンは確か5勝30敗くらいの負け越しだった気が。
前年のオフにショートでレギュラーだった真弓を出して捕手として怪しくなった田淵を
獲得しているが、今だったら補弱とか言われてメディアにフルボッコされていただろうね。
- 27 :
- >>16
直後にパイオニアも撤退したよな
- 28 :
- 真弓のショート下手そう
動きが何となくぎこちなさそう
- 29 :
- 立花がチームの看板選手になると思っていた。
- 30 :
- 東尾、松沼兄弟、土井、大田、山崎とそれなりに選手は居たんだけどな。
根本監督が勝つことよりも育てることに注力した結果なんだろうけども。
- 31 :
- 真弓は猫にいたままなら何回も優勝できていたのに
- 32 :
- TBSとフジのドラマではストーリーに関係なく
出演者に西武の話題、選手が云々と喋らす台詞があったり、
子役にレオ帽被らせたりとわざとらしい演出が目立った時期。
- 33 :
- TBSは広岡・森(初期の頃)監督の時にゴールデンで西武球場から全国ネットで中継をしてたな。いつの間にか見なくなったけど。
フジテレビも西武ライオンズ初期の黄金時代はTBSとともに日本シリーズ中継を分けあっていたが何故か途中から抜けてしまったな。裏で何があったかは知らんが。
- 34 :
- 単純に88年から夜中継を多く行っていたテレ朝中心に放映権の推薦したから
- 35 :
- 今はパリーグ全球団がテレ朝を1番局に据えてて、シリーズは必ず推薦されてる
セリーグは阪神ぐらいかな?
- 36 :
- >>32
へえ
そんな時期があったんだな
- 37 :
- >>32-33
「くれない族の反乱」に土井正博が出演したのもその絡みかね
- 38 :
- >>37
おそらくはその流れだろうね。
奇抜というか素人役者にも程があるといった感じだったw
同じTBSの「やる気満々」では劇中、新聞記者役の志穂美悦子に西武担当の異動辞令が下ったり、
フジの「君は海を見たか」では萩原健一の息子役だった六浦誠が学校で、
「僕のお父さんは西武の大田選手と友達なんだ」という嘘を付く台詞のほか、
番組タイトル失念だが、若者向けドラマでは、「ライオンズ戦のチケットが手に入ったけど、どう?一緒に行く?」だの、
「ユネスコ村って西武球場の近くだよな」といった西武関連の台詞を無理矢理台本にねじ込ませ、
野球に興味ない視聴者に対しても、西武球団のイメージを向上させようという戦術があからさまだった…
- 39 :
- ステマじゃねーかよwww
- 40 :
- ケンちゃんチャコちゃんの「涙のサインボール」にも田淵が出演したっけ。
もちろん本人役で。
- 41 :
- TBSがベイスターズの親会社になる前、関東ローカルで「ナイスプレー、ライオンズ」という番組を早朝やっていた
- 42 :
- 男女7人夏物語で女の一人が西武球場のウグイス嬢だったな
- 43 :
- >>36
1987年「ニュース23」の「開幕直前企画」で「各球団ファンからの応援コメント」というのがあり
「西武ファン代表 ビヨン・ボルグ」が「I LIKE SEIBU RIONS」とやり(やらせ?)司会の筑紫哲也が
「なんでボルグが西武の存在を知ってるんだ?」とやってた。
マスコミが自由自在に走れた時期らしい話。今ならネットの「おもちゃ」となるであろう。
- 44 :
- 安いステマにのせられることができた時代だから開拓できた人気だな
反対に阪急あたりはとにかくバッシングされていた
今だとあいみょんが持ち上げられてmiwaが叩かれる流れがそれに近いかね
- 45 :
- 根本監督がとにかく訳の分からない若手をよく使ってた。
今、原監督が同じ事やって絶賛されているけど、根本さんには時代が追い付いて無かったんだな。
- 46 :
- 何で時代考証無視した糞太便器ヲタが粋がってんの
- 47 :
- >>46
ヒールだから
- 48 :
- 長野五輪誘致成功辺りまでは西武は本当に元気だったな。
- 49 :
- 江川 巨人憎しが強まり
所沢移転決まり直後のドラフトは1位で森繁和 2位で紫田 ドラフト外で巨人がとる寸前だった松沼兄弟と即戦力投手とりまくり
1980年もも1位で石毛 ドラフト外でこれも巨人のスキをついて秋山獲得
1981年は1位で伊東 6位で工藤とあっという間に戦力整えた
- 50 :
- 石毛宏典 杉本正 安部理
全員同い年に入団、指導者としては最低レベルの3人だったが
- 51 :
- 石毛オリックスはとんでもねー暗黒チームだったな
- 52 :
- 裏金性豚
- 53 :
- 西武としては58年の日本一が分岐点だったな。
初優勝の57年の次の年、もしもこの年が3位くらいに終わっていたら、
以降尻すぼみで10年に優勝した横浜みたいになっていたかも知れん。
- 54 :
- 昭和57年の前期、巨人戦など他球団の中継で、西武リードの速報が入ってくると、
アナウンサーが「西武が強いですねー」と言う場面がよく見られた。
長年、パリーグのお荷物だったライオンズが、首位を走り、優勝候補になったことは
驚きの目で見られていた。
- 55 :
- 広岡さんが阪神と西武同時に監督要請されたんだよね
阪神は挨拶と条件面だけの話
西武はチーム状況とか、将来のビジョン 練習方法
分厚いレポート作成して広岡さんに監督要請した
阪神にもし広岡さんが来てたら劇的に変わってたかもね
- 56 :
- 根本は ファームに楽しみなのがたくさんいるといって口説いたらしいね
阪神はただ来てくれってだけで何もビジョンがなかったと
- 57 :
- >>41
がんばれライオンズの事?
ホークスが移転してくるまでの福岡でもRKBがネットしていた。
- 58 :
- >>38
TBSがライオンズと放送権の契約を結んだのみならず、当時経営危機に陥っていたにも関わらず親会社の毎日新聞もそれどころでは無かった(一旦倒産した
直後の時期)為、放置されていたスポニチを西武が救済支援した事もあって、巨人&読売グループと同様の関係を作り上げようとしていたし、又パ・リーグ関係者
には、西武が毎日新聞を買収して本格的にメディア進出するのを期待する向きすらあった。
- 59 :
- >>55
西本幸雄も阪神から監督就任要請されたが断っているし
「阪神は体質に問題がある」って見抜いていたのかもね
- 60 :
- 阪神は広岡との契約内容も明確でない点があり、広岡は不信感を抱いたらしい。
西武のオファーは非常に誠実で、契約期間も10年契約を提示してきたらしい。
広岡は当時の西武に強い信頼感を抱いたことを著書で述べている。
- 61 :
- フジが西武見捨てた理由はなんなんだ
- 62 :
- 「西武じゃ数字が取れない」じゃね?
- 63 :
- >>55
広岡監督でも阪神は変えられんでしょ
まず記者と揉めてOBに叩かれて選手が言うこと聞かなくなって終わりだよ
- 64 :
- 1992は、中村監督を影で傀儡してたどで言われてたけどね広岡さん
最近もサンスポで若かったら阪神監督になって
鍛えまくって強くしたいと書いてる
阪神好きなんかと。
ま、西武は阪神相手に足元見たトレードしまくってたね
北村↔金森 吉竹前田↔田尾 とか
真弓↔田渕のトレードで阪神に恨みあったのかな
- 65 :
- >>60
そこは、阪神電鉄からの出向のオッサン(たぶん本社で残れなかった人たち)が
意思決定者のチームと、根本という球界に強くかつ権限も強いおっさんのいるチーム
との違いだろうね。
- 66 :
- >>44
あいみょんとmiwaに関しては実力としか
- 67 :
- >>13
この写真好き。ヤクザみたいで
- 68 :
- >>59
体質に問題あるとか弱いチームに言われがちだが
阪神は1985、2003、2005にリーグ優勝してるからな
今強い広島なんか20年以上優勝してなかったし、オリックスや横浜も
横浜はCSから日本シリーズ出たがリーグ優勝は20年空いてるだろ?
体質に問題とか結果論ぽくない?
セリーグには巨人、パリーグにはソフトバンク
リーグに圧倒なチームいると他球団の優勝の確率は下がる
全盛期のライオンズも圧倒的なチームでしょ
近鉄と阪急も強かったからそう思われてないだけ
- 69 :
- 結果論で語ってるのは>>68
- 70 :
- >>68
1985年はバースのまぐれ当たり。2003と2005年は星野の体質改善およびその余波。
阪神の球団としての体質の問題は何冊も本が出てるしググればいくらでも出てくるレベル。
そもそも2005年だって日本シリーズの3日前まで合コンだ温泉だと遊び呆けて33-4食らってる。
- 71 :
- >>70
お前のような虚カスにだけは言われる筋違いはない
- 72 :
- まぐれ当たりって。
1984シーズンオフに解雇寸前まで行ったんだよバース
脚が悪いのをわかっていて契約して
二割八分20本くらいの外人を
残留させての三冠王なんだから、まぐれはないだろ
- 73 :
- そんなチームに日本一を許したチームってどんだけ恥ずかしいんだ
- 74 :
- >>71
虚カスじゃねーよ
本当阪神ファンて阪神と巨人だけで世界ができてんのな
- 75 :
- >>74
酷い文章を見た
- 76 :
- >当阪神ファンて阪神と巨人だけで世界ができてんのな
何をいまさら・・・
- 77 :
- 最初の3年間は、トレードとドラフトだけじゃなくて
ドラフト外でも大量の選手を獲っていたのを覚えてる。
一軍だけじゃなく、チーム全体で徹底して福岡時代のにおいを
消そうとしてた感じ。
- 78 :
- 西鉄の選手で残ったのは東尾と大田だけだっけか
三原が日本ハムの社長に就任した後も東映フライヤーズの
主力を次々に放出したな
- 79 :
- 広岡監督1年目の開幕時点(82年)で、福岡時代からいた選手は
一軍の選手では東尾、大田、永射、立花、鈴木くらい。
あとはさすがに思い出せなかったので調べて見たけど
木村、吉本、浜本、山中、大原、山本、加倉 で全部だった。
吉本は確か前年は半分位捕手で出場してたけど盗塁されまくりで
この年はほとんど使われず。翌83年には放出。
ともかく3年で選手の8割以上が入れ替わっていた。
- 80 :
- >>72
>二割八分20本くらいの外人
1年目(1983年).288 35本 83打点(113試合出場)
2年目(1984年).326 27本 73打点(104試合出場)
足が悪くて一塁しか守れない点や欠場が多め(但し1年目は外国人3人制(一軍登録は2人まで)に依る面もあるが)な事から、解雇が検討されていた
のはその通りだけど。
- 81 :
- >>26
森繁は5勝「30敗」もしてねーよw
そもそも、NPB史上、シーズン30敗投手は一人もいないし。
- 82 :
- >>81
1940年中山正嘉投手(名古屋金鯱軍)の29敗がシーズン最多敗戦か(18勝)
367イニングも投げて防御率2.82だから援護が少なかったんだな。
80年近く前の事だから実際に中山投手を見た事のある人も殆どいないだろうね。
- 83 :
- >>78
根本監督時代に大規模なトレードをして、獲得した選手の多くが主力となったのが大きい
(田淵、山崎、片平、黒田、高橋直樹)
巨額の契約金を投じて獲得した新人の多くも主力となった
(石毛、松沼兄弟、森繁)
気がついたら、西鉄時代の選手は、東尾と太田くらいになっていた
- 84 :
- >>81
確か19敗くらいだっけ?
もっともシーズン通じて勝率2割程度だったらマウンドに上がるのが嫌になりそう。
- 85 :
- 16敗じゃん
何が30敗だよ大袈裟に
- 86 :
- 1985年のドラフトで清原が当たらなかったらプリンスホテルの藤井が2位予定だった。同学年の藤井と秋山はチームこそ違えど同じ西武系チームで第二球場は二人の青春だったと聞く。高山(秋田商)川村(松商学園)と同期だ。
- 87 :
- >>83
根本が監督をやっていたときにトレードや画期的な新人獲得などで
血の入れ替えをしたことが大きいかな。
また、根本も負け癖がついていない、そして身体能力の高い選手を入れることで
指導しやすい環境を作っていったのかもしれない。
- 88 :
- 1979年で覚えてるのは、移籍してきたムース野村の衰えが顕著だったこと
特に肩がすっかり衰えていて、もう捕手をやれるような状態では無かった
とっくに前年以前から衰えていたし、もう44歳だったから当然と言えば当然だが、
開幕12連敗の原因の1つになってしまった
- 89 :
- アンダースローでモーションの大きな松沼兄が投げて、弱肩の野村が受けていると、
盗塁され放題だったのを覚えている。
それでも、球史に残る名捕手の野村のリードを経験することで、西武の若手投手が
育ったのなら、大切な投資だったかも知れない。
若手投手の球を野村が受けている光景は、見ていて楽しかった。
- 90 :
- 永射はいたけど、先発完投能力のある左腕が、杉本入団まで全く存在しなかった。
- 91 :
- >>90
杉本と田尾なら中日でローテ守って二桁勝利も何度もしてる杉本が得だな
西武時代の田尾とかたいして活躍してないし
- 92 :
- 大石もスペ体質の中尾とドラ1の中村までの繋ぎとしての機能を果たしたしな。
- 93 :
- 70年代までの中日はトレードが下手で有名だったが
田尾放出と落合獲得は中日側が得したと思う
- 94 :
- 片平・黒田⇔山村・?
のトレード成立が地味に大きい
?は誰か忘れた
- 95 :
- 大洋から来た山下律夫
- 96 :
- >>95
引退後はテレビ埼玉の解説者に。
大洋のイメージが強すぎだからTVKと思いきや、意外な人選だった。
- 97 :
- 黒田は打力は弱かったが、野村引退後の西武は経験のある捕手が乏しかったので、
ベテランの黒田の存在は大きかった
黒田は長年、南海で野村の控えだったので、西武で活躍できて黒田のためにもよかった
- 98 :
- 野村時代の南海は再生工場と言われたが
80年代に入ると「南海のトレードは補強じゃなくて補弱や」と言われる様になる
- 99 :
- 山下律夫は、大洋からクラウンに移籍した年の後半にエース級の働きをした(オールスター後8勝2敗)のだが、永射とは違ってほとんど注目されなかったな。
西武になってからは衰えてしまった。
- 100 :
- 山下律夫って亡くなってたんだな…
- 101 :
- 山村は守備が下手だから広岡に見限られて南海にトレードされた
- 102 :
- 山下は苗字も変わっていたね。
- 103 :
- >>94
81年西武は対南海7勝16敗3分
ところがこのトレード以降2002年まで21年連続西武が勝ち越し
まさにお買い得なトレードだった
- 104 :
- >山下は苗字も変わっていたね。
苗字が変わったということは、もしや在日?
- 105 :
- 昔出たベースボールマガジンのライオンズ60年史って本で工藤と石毛が対談していた
工藤が入った年(1982年)の西武の最年長は古沢って言っていたわ。
でも1982年古沢って西武一軍で投げてないんだよな
そのあと、古沢よりさらに年上の高橋直樹との交換で広島にトレード
古沢って広岡に嫌われていたのか、この年、調整が遅れていたのか何だったんだろう
- 106 :
- あ最年長っていうのは投手陣のことです。野手では田淵や山崎がさらに年上
- 107 :
- >>105
古沢は江本と仲がよかったそうで、いかにも広岡に嫌われそうな感じw
- 108 :
- 古沢が一軍に入れないくらいの層の厚いチームになって優勝できたということだろう。
- 109 :
- その年(昭和57年)春の広島市民球場での古沢のブルペンの投球見たが数多くの投手そこで見たが
その日の古沢が一番速いと思ったな。「36歳のおっさんがこんな速いのか!」と感じた。ルーキーの金森が受けてた
が球が地面を這うように伸びてきて金森のミットが爆音を上げていた。
- 110 :
- 立花大田片平…と日本人だけ見ると暗黒っぽい
- 111 :
- 悪く言われた名前に山崎は入ってないし
語られている通り山崎は広岡のお気に入りだったんだろうな
ttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/41225?page=3
田淵:はっきり言って、私は広岡さんのことをあまり好きじゃありませんでした。
広岡さんが就任したばかりの秋季練習で、みんなを集めて、こう言ったんです。
「この球団で最高給取りがいます。その選手が守れない、走れない」。
これが第一声でした。私は今でも忘れられません。
二宮:それは田淵さんのことを指していたわけですね。
田淵:名前は言わないんですよ。でも、みんなが私の顔を見た(笑)。
次に広岡さんはこう言った。「いいピッチングをしてもね。最後には打たれて負ける」。
これは東尾(修)のこと。そういうふうに大田(卓司)、
石毛(宏典)も、めちゃくちゃに言われましたよ。それが最初だったので、
広岡さんには冷酷、冷徹というイメージをずっと持っていましたね。
- 112 :
- 81年の西武は不気味なチームと呼ばれていた。
まだまだのチームだがこのチームの持つ底知れない可能性を目に見えない不気味な形で
みんな感じ取っていた。
- 113 :
- >>111
部下をボロカスに批判して主導権を握るやり方って
自己啓発セミナーにありがちだよね。
- 114 :
- 西武ライオンズ黎明期の根本監督時代は、まだはじまりのチームに注目を向けてもらおうと田渕、野村、等みんな知っている超ベテラン選手を寄せ集めた
- 115 :
- >>113
本来はちゃんとした指導者が教育される側に自己の欠点弱点を自覚させるための技法で
それを新興宗教や悪徳商法等が自己喪失させて洗脳する方向で悪用した。
順番が逆。
- 116 :
- プロってめんどくさいな。高校生なんかだと最初にガツンと厳しいことを言って引き締めて、と言う方法は、無条件についていく奴が多いだろうけど、プロでベテランにもなるとプライドが高くて扱いにくいか。
きちんとフォローできたらよいけど。
- 117 :
- 江夏もいまだに悪く言っている
江夏豊氏「学生野球じゃねえぞこのバカ野郎」 “最後の監督”に我慢できなかったこと
https://www.sanspo.com/baseball/news/20180612/npb18061217590008-n1.html
- 118 :
- 広岡を擁護するつもりはないけど、
江夏って本当にネチネチして嫌な性格だね
広岡に対する態度にしろ吉田義男や金田正泰に対する40年以上に渡る被害妄想にしろ
結局、引退後、薬物なんかやっていた捕まっていたアホじゃないか。しかも売人なみの所持量
なんで薬物の入手先言えなかったの? やくざとの付き合いがバレたくないからかな?
阪神時代黒い霧の時、やくざに酒の席で時計貰って「酒の席で“ファンです”と言われて
時計を貰った。ファンかやくざなんか分かるわけがない」とかヌケヌケと言って、
謹慎食らっていたけど、捕まって入手先も言えない時点で発言の信ぴょう性ゼロだよ。
江夏は自分のこれまでどんな発言してきたのか顧みたことがないのかな
- 119 :
- >>116
幾ら高校生でも無条件についていく奴ばかりではないでしょ。
言うことを聞いているフリをしないとベンチに入れなくなるから
納得した風の態度を取る選手だっているだろうし。
- 120 :
- 江夏は「西武には西武の家風があるらしいが、俺には俺の家風がある」と公言してたもん。
どうも自分の傍若無人がどこまで受け入れられないれるかで相手を計ってることがあるな。
受け入れられるとそのまま横柄に振る舞うし
受け入れらないと途端に反発する。
- 121 :
- 西武もある程度江夏のワガママは許してたみたいじゃん
ここは81年以前のスレなので江夏の話題はやめとくが
- 122 :
- 81年は吉本が走りに走られまくって与盗塁の日本記録を作ってしまった。
シーズン後半の大失速の原因になってしまった。吉本がもっとしっかりしていたら初優勝は82年では
なく81年になされていたかもしれない。
- 123 :
- 朝生の野球討論の回で江夏が西武を大絶賛していたのは違和感あった。
何から何まで全てが違うとべた褒めだった。それに栗本信一郎が食いついてた。
管理されないと何もできないんじゃしょうがないでしょと自主性の大事さを言ってたけど
それを江夏の口から出なかったのは意外だった。
- 124 :
- 福岡からプロ野球を奪ったという非難する人も多かったけどみんな段々と西武の事を認めだした。
そこはオリックスやサッカーのヴェルディとは様子が違っていた。
- 125 :
- 80年から81年によく聞かれた西武の不気味さってのは僕は感じなかったな
ダメな雰囲気しか伝わってこなかった。
- 126 :
- 84年は森と江夏の救援リレーが六月まではうまく機能していた。夏以降ダメになって
しまったのはどうしたんだろうと思った。
- 127 :
- 1984年は5月で優勝諦めたって広岡が言っていたわ そのあとずっと若手育成
- 128 :
- 1985年はよくあの貧相な打線で圧倒して優勝できたと思う
日本シリーズでは負けたが
- 129 :
- 秋山が覚醒したんじゃなかった?
- 130 :
- 当時の秋山、伊東、辻とか79〜81年なら普通に上位中軸打者だろ
- 131 :
- 81年に評論家になったノムが、当時の西武を
「西武は高見山、豪快に買って豪快に負ける。間違っても競り合いをうまくモノにする試合巧者ではない」
って例えてたのが秀逸だった。
- 132 :
- 1981年って石毛の1年目だけど、当時の中心選手を考えて見ると
石毛以外は田淵、山崎、太田と若さとは程遠い選手たちだよね。
広岡はどういった選手たちを見てポテンシャルの高さを感じたのかな?
- 133 :
- 1981年秋の合同練習を見て田淵やら東尾の主力も出ていたけど若手だと
投手だと西本や柴田じゃないのかな
西本は開幕一軍で先発もして期待されて広岡に高く評価されていたね
1982年のルーキーだと工藤も、普通は高卒新人が二軍に行かすんだけど
工藤だけは一軍に帯同させ南海門田や阪急加藤なんか相手に登板させたんだと
野手では、秋山は若手時代の王以上に素質があるっとか広岡は言っていた。
で、山村がトレードで南海行ったときすげー怒っていた
- 134 :
- >>132
秋山、伊東(練習生からそのまま入団)を筆頭に
>>133や
アマ時代から評価が高かったか、イースタンリーグでの成績がすぐれていた
駒崎、安部、小野和幸
鉄砲肩だけで一軍に抜擢した西岡
ものにならんかった選手も多かったけど、素質だけならそれなりの選手がゴロゴロしていた
- 135 :
- >>133-134
ありがとうございます。
- 136 :
- 工藤は広岡監督のことを尊敬していて、「食事や生活習慣など監督の教えを守ったから
自分は長く現役を続けられた」と語っている。
工藤は当時まだ新人だったから、広岡監督の指導を素直に聞けたのだろう。
広岡監督は著書で述べているが、選手にうるさく食事などの指導をするのは、監督としての
私利私欲ではなく、「選手に長く現役を続けて、お金を稼いでほしいから」だという。
その意図が工藤に伝わったのかも知れない。
- 137 :
- 渡辺久信も「若いときに広岡さんと出会えたことは僕にとっては幸運だった」と回想しているな
- 138 :
- 柴田はノーコンだったな。日ハムへ行ってもどうせノーコンは直らないだろうと思っていたけど
ノーコン克服して覚醒してしまったから驚いたよ。
- 139 :
- 工藤や渡辺らもあの頃から既にバーベルスクワットとかやらされていたので。
食事も徹底管理されていて広岡管理野球も当時はかなり叩かれたけど今や広岡さんが
やってきたことが当たり前になっているんだもんな。
- 140 :
- 話がどうも82年以降にシフトしてしまうが81年以前に戻すと
根本さんって放任主義の監督にしては選手への激はドスが効いてて怖かった。
ダイエーの監督時代でも放任主義は変わらなかったけど激はあまり飛ばさなくなって
すっかり丸っこくなっていた。
- 141 :
- 80年の田淵がよく打ったので81年はいけるぞと思ったけど81年は不振だったので何だかなと
思ったよw広岡さんに鍛えてもらわないとなと思ったw
- 142 :
- 81年後期の日ハム製終戦の四連戦を全て負けて後期優勝の可能性は絶たれた。
江夏の石毛に対するピッチングが物凄かった。全てど真ん中ストレートで三球三振。
新人の石毛にまだまだ俺と戦うのは早いぞといった物凄い形相だった。
それ若い人に話すとどうせ当時の野球はレベル低かったんでしょと失笑を買うけど
あの時の江夏の球は魂がこもっていたと思う。ムキになった時の江夏は怖かった。
- 143 :
- >>140
根本は選手に対して「タニマチは作るな!」と厳命してたって話
ヤバいタニマチ関連のトラブルを見てきたんだろうな
- 144 :
- 昭和40年代の一番アレな時期に広島で監督やってた人だからな
- 145 :
- >>136
森監督の頃は新人類投手とか言われ、独身時代は周りからも
ちやほやされて天狗になって毎晩六本木で飲み明かすなど不摂生をきわめてたけどな
88年から90年辺りの不振の頃はマンションの隣人に深夜酒片手に突然訪問し、
一晩中飲み明かしたという逸話もあったくらいの荒んだ生活ぶり 結婚したから嫁さんが改善したようだが
- 146 :
- 根本さんも監督時代に選手をもっと鍛えてスタミナを付けさせていたら80年と81年の
終盤の大型連敗は回避できたかも。
- 147 :
- 79年に初めて西武球場を見た時は今まで見たこともないような綺麗な球場だったので虜になってしまった思い出がある。
まるでディズニーランドにでも来たかのような感覚だった。
- 148 :
- >>147
日米野球でメジャーリーガーが来た時に
「何という美しい球場だ。日本の球場は狭いと言われるが
広さ的にもこの位あれは十分だ。」と言っていた
だが強引に屋根をつけて糞球場になってしまった
- 149 :
- >>105
82年は広島へ移籍1年目
- 150 :
- すまん、シーズン中の移籍だった
- 151 :
- 小学生だった昭和56年2月の選抜甲子園時「ニュースセンター9時 NHK」で選抜出場高校の選手に
「どこの球団へ行きたいか?」との記者の質問に対し「西武です!」「西武です!」「西武がいいですね。」・・とほとんど
西武で驚いた。当時はあまり野球を知らなかったもので。「そういえば田淵って阪神でなくジャングル大帝の変な帽子かぶってたな・・
あれが西武か?」がファースト・インプレッションだったな。
- 152 :
- 古沢が広島に移籍して登板するやいきなり球場が停電になったのはビビったw
投げる寸前で照明が消えたから危なかったねw
- 153 :
- 田淵が広島に行くなんて話も出ていたので。
行ってたらどうなってたかなとも。
- 154 :
- 田淵には近鉄へのトレード話もあったが
阪神が梨田有田の捕手2人を要求してきて
西本監督から「非常識。論外だ!」と断られていた
- 155 :
- 真弓がライオンズに残ってたら
石毛入団時に三塁コンバート?
- 156 :
- 阪急ファンだったので西武球場での西武戦は数少ないテレビ中継があることが多く楽しみだった。
だいたい日曜の昼の1時20分くらいからNHKの「オリンピック・マーチ」が流れた後、西田アナウンサーの
実況が始まり石毛の打席のウルトラマンの演奏が聞こえマウンドには山田がいる光景は最高だった。
YOUTUBEでは「1986年 西武VS阪急 NHK」あるが「1981年 西武VS阪急」とかなら最高だな。
- 157 :
- >>156
1番石毛、ウルトラセブンの演奏は、
なんか当時の西武戦の風物詩だよね。日シリも含めて。
- 158 :
- 79年8月17日、前年初の日本一になったのに最下位低迷のヤクルトで森、植村両コーチの降格命令に怒った広岡
監督が辞表を叩き付けた。
翌8月18日、初めての自分1人の東京巡りでこの年開場の西武球場へ行った。その時自腹でスポーツ新聞各紙を
買い込んで西武電車の中で読んだが、サンスポは「ヤクルト最悪事態」だったが、その他の新聞はまあ無責任にも
「広岡西武監督」とか「牧野ヤクルト監督」とかデカイ見出しが躍ってた。名古屋にいたので中日スポーツじゃこんな
見出し滅多に出さなかったんで驚いた。まあ「広岡西武監督」は2年後のオフに実現するわけで。
でも広岡さんはヤクルトに続き西武でもケンカ別れしちゃうんだよね。
朝10時くらいに西武球場に着いて、内外野の境のゲートが空いてたので入っちゃったが、戻ろうとしたら係員がいた。
でも何も言わず開けてくれた。今まで見た事の無い、いわゆる建物では無い野球場には驚いた。
何か時代を先取りした気分だったなあ。あれから40年。
- 159 :
- 広岡さんのいけない所はすぐにメディアに告げ口をするので。そりゃもうメディアは面白可笑しく書くから
大騒ぎになってしまう。川上さんはある程度我慢してたけど根本さんは怖い人で本気で怒ってしまった。
- 160 :
- >>157
ちびっこファン達がチン毛だマン毛だ野次ってて鬱陶しかった。親もどういう教育をしている
んだかと思ったよ。余りに酷いと注意しよう思ったこともあったけどね。
- 161 :
- 阪急ファンの応援の「かっとばせー〇〇ー秋山倒せーおー」には違和感あった。
何で西武ではなく秋山なんだとうと思ってしまった。それだけ大きい存在だったんだろうね秋山って。
穴の多い未完成の打者だったので阪急ファンがそこまで恐れるほどかなとは思ったよ。
- 162 :
- 西武球場を初めて見たときは素晴らしい球場ですぐに虜になってしまったけど雨が降ったら
逃げ場がないなとは心配したよw狭山茶が美味しくてよく飲んでたよw
- 163 :
- >>160
タケちゃんマンの歌を大声で歌ってた子供も居たほどだしw
親の前でも平然と、♪よしわらー ♪ほりのうちー と口ずさんでいたw
- 164 :
- 西武球場で西武の応援団が一回裏に必ず地平をかける獅子を見たを前奏してたんだけど
いつからこれやらなくなったんだろう。
- 165 :
- >>163
西武球場はマナーが良かったので子供たちのそういうのは残念でしたね。コラって一喝しとけば
良かったかなと思っています。
- 166 :
- 1980年代の西武球場ライト席の、かわいい子供たちは今、浦和レッズ・サポーターで人種差別発言とか
してるネトウヨおじさんになってそう(笑)土田とかもそうだし。
- 167 :
- この頃、文化放送の土日ナイターの無い日の夜の番組が楽しかった。解説の別所さんとか豊田さんとか出ていて、笑い声が絶えなくて。
80年GWの西武球場のレポートは「西武球場は満員でした。でも試合終盤は西武大敗で3分の2くらいになっちゃいました。みんなユネスコ村に行っちゃっいました。」
どうやら野球の半券でユネスコ村にタダで入れたみたいで。
ちなみに81年までの平日の文化放送はナイター時間帯に大学受験講座をやってた。
- 168 :
- >>118
悪いけど根っからの悪人つうかチンピラだもんな
なんだよあの捕まった時の覚醒剤の量
例の疑惑もあるし、マジでヤバいんじゃねーかな江夏は
- 169 :
- >>125
もう80年の後期には普通のチームになっていたからな
やっぱり見ていても「あれ、なんか違うぞ」とは思ったよ
- 170 :
- 82年開幕前の評論家予想はどうだった?
西武は推されていたか。
- 171 :
- 西部優勝を挙げてた人が多かったね。
西本さんが4位と予想していて広岡イズムを浸透させるのにはまだ時間がかかるだろうと話していた
僕もそうなるかなと思っていた。広岡さんと選手が対立して空中分解するのではと心配した。現にそう
なりかけたからね。あの大阪球場での田淵の起死回生のホームランがチームを生き返らせたのはまさに奇跡。
- 172 :
- セーフティーリードでランナーがいない場面でも田淵が打席に立つとマウンドに輪ができるほど
だったからね。それだけ田淵は試合の流れに影響する乗せてはいけない存在だった。
- 173 :
- 81年の後期に高橋一三が西武に完投勝ちしてインタビューで「投げてても本当に不気味ですね」と
話していた。西武も大型連敗中で打線も沈黙していてそこまで怖いかな?と思ったけど翌年の82年の
プレーオフでその不気味さの正体があらわになった。交代した高橋一三の初球甘く入った球をテリーが
満塁ホームランにして西武時代の幕開けとなった。
- 174 :
- 西武および西武ファンは80年代の「金持ち自慢」の報復を現在の「FA流出」でされてる感じ。
「運と不運が五分五分」を実証してる。
- 175 :
- ちょっと何言ってるかわからない
- 176 :
- 福岡末期を含めればライオンズは貧乏な時期の方が長いんだよな。
- 177 :
- 大洋も豪奢なスタジアムを本拠地にしてたから目立たなかったけどあそこも親会社が経営難でお金がなかった。
- 178 :
- 田淵が四千万円の提示に感極まって涙するような時代だったので当時の物価を差し引いても
そこまで金満な感じでもなかった。堤さんも設備には恐ろしくお金を掛けていてその後の日本球界に
多大な影響を設備面でもたらした。
- 179 :
- 81年後期の近鉄戦で石毛が柳田から打った逆転満塁ホームランが印象にあるかな。
想像を遥かに超えた大型新人だとその時に思った。
- 180 :
- 前期の間違い
- 181 :
- 初年度のザル内野は酷かったな
- 182 :
- 西武は真弓を放出して、内野が手薄になっていたので、山崎の加入、石毛の新人王は大きかった。
外人のスティーブがサードに入って、内野が一気に手厚くなった。
- 183 :
- 元は広岡ヤクルトが山崎裕之を獲得しようとしてて
ロッテもトレードに乗り気だったけれど
交換対象になったヤクルトの選手がトレードを拒否した
ヤクルトは甘い体質でそういうワガママも通してしまう
山崎が浮いたところに西武がトレードのオファーを出して成立した
- 184 :
- メディア(TBS、フジテレビ、テレビ埼玉、毎日新聞、スポニチ)とのコラボレーションで
イメージアップとファン獲得に乗り出したイメージ。
特にフジはその時期、むしろヤクルトよりも西武を推し、プロ野球ニュースでも
シーズンオフに「来季西武は優勝できるか?」という特集をやったり、
解説者が集っては「広岡西武への提言」と題して座談会もあったほど。
- 185 :
- 82年の後期だったかな。南海戦で9回表西武2点リードのツーアウトツーナッシングの場面で永射が香川に
打たれた逆転スリーランが妙に印象にある。あの時は選手も監督も呆然となってしまった。あれで後期優勝は
ないと確信した。香川伸行って想像以上に恐ろしい存在だった。
- 186 :
- >>185
スレタイ百戒嫁
- 187 :
- >>183
西武の内野はザルだったので、山崎がセカンドに入って引き締まったね
1番、2番、6番、時にはクリーンナップも打てる技術、長打のある「野球を知っている」
老練な選手だった
後に広岡監督が絶賛したのももっともだ
- 188 :
- 山崎がヤクルトきてくれてたら
あそこまでの暗黒にはならなかったんだろうな。
西武黄金時代の到来も少し遅れることになったのかな。
- 189 :
- >>182
正サードだった山村を南海に放出して片平と黒田を獲得できたのも大きい
山村は南海では外野にコンバートされたくらいサードの守備が下手だった
- 190 :
- >>186
でもあの頃の西武って前期優勝したにせよまだまだ発展途上のチームで後期は弱さを露呈していた。
81年からの延長線上にまだあった感じだった。
- 191 :
- 問題はキャッチャーね吉本がああだったので。黒田を補強できたのは大きかったかも。
- 192 :
- ベテランが多い割にはよく人工芝でやれたなとも。
- 193 :
- 西宮も人工芝でも内野は土だった。
阪急は年寄りばかりだからというのがもっぱらの理由だったようだ。
- 194 :
- >>189
とっくにサードのポジションの座は80年から奪われていた
80年前期はダンカンで山村よりもちょいましレベル
後期からスティーブが入ってかなりましになった
- 195 :
- 81年の日本ハムよりは西武のほうが強そうなイメージあるけどね
- 196 :
- >>182
レギュラーのショート(真弓)とキャッチャー(若菜)を放出して
代わりに獲得したのが守れない田淵とノーコンの古沢だものね。
今の野球に当てはめたら「補弱ですか?」と言われかねない。
もしかしたら、根本は女の子っぽい苗字が嫌いで2人をトレードしたのかも。
石毛が入ったのは1981年だから、最初の2年間はいる選手たちで色々やりくりしながら
ショートを回していたのだろう。
このころはまだ、二遊間の守備はあまり重要視されていなかったのか?
- 197 :
- >>196
ちょっと黙ってろ
- 198 :
- 田淵のトレードについては田淵は打撃では活躍したし
田淵がいるだけで球団への注目度が上がったから西武は損はしていないと思う
トータルでは真弓がとれた阪神が得だったかもしれんがね
落合のトレードはロッテが損したトレードだったと思う
牛島は3年しか持たなかった
- 199 :
- 単純に当事者の成績でいえば阪神の得だけど
西武は全国的知名度が必要だったからな。
真弓にとってもずっとライオンズにいたら同じ成績でもあれほどの人気は得られなかっただろうし
田淵にしても同じ成績で阪神にいたとしたら叩かれまくってたんじゃないかな。
西武初優勝の82年なんて主役みたいな顔で優勝のインタビュー受けてたけど
.218 15HR 49打点だもん。
阪神時代なら袋叩きだよ。
- 200 :
- >>200
1982年の成績とごっちゃになってる。
打率はあってるが、25本59点だ
- 201 :
- 1979年〜1980年の辺りは、4番の田淵が打率.250〜.260で25本塁打前後、
3番は大田とか立花が打っていたような打線だった覚えがある。
まあ人材が不足していたのだろう。
機動力のある野球をするわけでもなく、若手がスタメンにたくさんいたわけでもなく
この当時を現代に照らし合わせても将来有望なチームとは言いづらい。
- 202 :
- 勝ってバックネット裏のビクトリーロードを上がって行く儀式の時に
3三振しても「田淵さん、明日は頑張って下さいね〜」
という暖かい声援をもらっていたが、
阪神時代のえげつないヤジに慣れた田淵は
「もっと(厳しく)言ってくれよ」と思ってたとか。
- 203 :
- >>201
ドラ1の森繁和
都市対抗で1試合17奪三振新記録の松沼博
東都で39勝の松沼雅
このドラ1級投手を球団設立とともに3人一気に獲得したのがまず将来性の第一歩。
- 204 :
- 82年が前後期制でなかったら西武は恐らくこの時はリーグ優勝できなかったと思う。
83年からだろう本領発揮されたのは。
- 205 :
- 82年後期は阪急にいきなり3タテ食らって早々優勝争いから脱落したからプレーオフ対策に切り替えた
江夏攻略でプッシュバントの練習を重点的にやって、見事上手くいった
- 206 :
- >>204
1シーズン制に戻った(変則プレーオフあり)83年は
開幕前から真価が問われるとあちこちで言われていたが、
結果は大独走で杞憂に終わった。
- 207 :
- 工藤幹夫が完調だったらどうだっただろうか。
- 208 :
- 1982年頃はまだライオンズの強さが完成されていなかったから江夏に広島時代の力があったり工藤が怪我してなかったり田淵のサヨナラホームランが
無かったら優勝とこの後の黄金時代は少し遅れたかもしれない。塁審村田の足もアシストになった。優勝という結果が出なければ広岡の求心力も一気に低下しただろうから。
ライオンズの黄金時代は村田の足に始まってストラーデの登板で終わった気がする。
デストラーデの登板までは対檻は5分だったから森時代には見せないスキを見せてしまったから相手に行けるという気にさせてしまったな。
- 209 :
- >>208
江夏は日ハムはケチで安旅館に泊められて隙間風で風邪ひいて体調悪かったと
いってた記憶ある。 嘘くさいけど
- 210 :
- 西武以外のパ球団はみんなケチだった
ファイターズは年俸が高くなった選手は積極的にトレードに出す
だからファイターズ(フライヤーズ)一筋で現役を終えた選手で
ベストナインを組むと何とも言えない微妙な顔ぶれになる
- 211 :
- 堤さんは黄金時代という言葉を極端に嫌っていた。
黄金時代と思った時点で負けですから常に前を見て全力投球ですとよく話していた。
このチームが強い理由がわかるね。
- 212 :
- >>207
いつまで体が持つか心配だったけど案の定故障してしまった。
- 213 :
- 堤さんが過去の栄光に縋るのを極端に嫌う人だったので。
だから今のライオンズは過去の栄光に縋りすぎなので僕はファンサービスであっても感心しない。
- 214 :
- 80年後期の天王山の近鉄戦。1対4で負けて西武初優勝の夢が潰えたのは悔しかった。
- 215 :
- 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青と6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青と6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B清水(東京都葛飾区青と6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高橋(東京都葛飾区青と6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
D長木義明(東京都葛飾区青と6−23−20)
※日曜日になると必ず風俗に行くほどの風俗好きである
E高山犬子(東京都葛飾区青と6−23ー18)
※顔と根性がが異常なくらいひん曲がっている
F九●●(東京都葛飾区青と6−26−5)
※還暦低学歴不細工で犯罪者顔のキツネ目の男/警察に通報したら完全にビビってしまい急に涙目になってオドオドしてブルブルと震えていた
- 216 :
- >>212
自分は著書でしか知らないのだが体操してて小指を骨折したんだっけ??
プレーオフで無理させて故障
- 217 :
- >>216
体操してて骨折が一応表向きの理由で
実際は喧嘩して骨折
無理させて故障も、翌年の開幕投手を務めて郷里の大先輩山田に投げ勝ち
夏場に離脱するまで8勝を挙げてイマイチ因果関係がわからんのだよね
- 218 :
- タイプとしては高津臣吾をグレードアップしたような感じの選手で全盛期はそりゃ打てるものではなかった。
先発完投で酷使されてたから長くは持たないだろうとは思っていた。
気の強い人でケンカで腕を痛めてしまったのも災いした。
- 219 :
- 工藤幹夫は最速でどれくらい出てたのかな?? 木田勇と工藤の2本柱を見たかった
- 220 :
- 斎藤雅みたいな優しい性格だったら喧嘩もせずもっとやれたろうに
- 221 :
- 松沼兄弟が巨人に行ってたらどうなってたかな??
- 222 :
- 日本ハムと西武は食事が当時対称的だったみたいだね。
日本ハムは親会社の特権で毎日キャンプで良質な肉食いまくりで しゃぶしゃぶ すき焼き
ステーキ等々
西武は金はあるが玄米??とかばっかだったみたいだし
- 223 :
- 工藤幹夫
https://www.youtube.com/watch?v=UzOFxIjJrTQ
- 224 :
- >>221
松沼兄弟はジャイアンツに入っていたら江川と同期になるね。
その当時だったら、小林が抜けて江川は6月頭まで出場停止だったから
最初から重用されたのではないかな?
- 225 :
- ダメチームのレッテルを張ってからかえたのも1979年の僅か一年だけだったので。
嘗てのダイエーや楽天みたく新興チームとしてもう少し長くダメチームを楽しませてほしかったなw
- 226 :
- 特に79年の前期が酷く、内野守備に関しては目を覆いたくなるプレー続出だった。
山崎の怪我からの復帰と後期に向けて日ハムから行沢をトレードで獲得して
何とかマシにはなったが
- 227 :
- 強いチームって守備が良いんだよね
V9巨人、黄金期西武、黄金期阪急も外野に福本がいて
大橋-マルカーノの二遊間は鉄壁と言われていた
- 228 :
- >>226
ただ、あの当時守備力だけを考えるなら吉岡と広瀬で二遊間を組めば
守備の乱れは大分収まったとは思うんだけどね。三塁にエラー王山村がいたけど。
根本監督は実績はあるけど伸びしろはもう無さそうなベテランより
若手を使ったって事なのかもしれないけど。
- 229 :
- >>228
二塁・基、遊撃・真弓と
不動のレギュラーを同時に放出というのは
普通なら考えられないことだったね。
一方で土井、田淵、大田とDHで使った方がいい選手が3人いるし。
- 230 :
- 西武が30年間自身を西鉄の後継球団として認めなかった経緯からして
基は放出しなきゃいけない選手だったからなあ
- 231 :
- 西武球場こけら落としで合計7エラー。
途中からショートに入った大原のエラー(フライを落球)の映像を見たことがあるが、とてもプロの次元のプレイとは思えなかった。
スタメンショートの益川は、さらにひどく、その試合が最後の公式戦出場だった…
- 232 :
- >>231
クラウン監督になったときに言った根本の一言
「お前ら、野球同好会だな」
こんな選手しかいなかったんだから
- 233 :
- さらに言えば就任当初
「このチームは故障者が多いと聞いています。それなのにみんな元気だ。どんどん怪我してもらいます。私は故障者大好きです」
そしてキャンプでも休みなしで、神風野球と言われた
後にダイエーの監督になって、初日から紅白戦やり、練習も早く終わったのとは大違いだった
- 234 :
- >>232
根本もよくそんなチームの監督を引き受けたな。
結果的に経営権が金のある西武に移って根本の手腕が発揮されたけど、
福岡の球団のままだったら弱いチームの監督として物足りない人生だったかもしれない。
- 235 :
- 272:神様仏様名無し様
14/12/15 16:10:44.82 SOMeikd0.net
根本陸夫−安藤昇(安藤組組長)−桜井義晃(クラウンライター・廣済堂会長)−福岡野球
とかいうあんまり表でないルートから就任依頼が来たらしい
なもんで就任のいきさつについては評伝でもゴニョゴニョ隠してる
- 236 :
- なもんで西武も切る気満々だったが
たった一回の堤−根本会談でオーナーが根本の本質というか凄さに気付いてしまい
一転監督兼編成の全権限を委譲
- 237 :
- http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=093-20160425-01
僕は、ルーキーのときに当時西武の球団編成・管理部長だった
根本陸夫さんから言われた言葉が今でも忘れられません。
それは「タニマチは作るな!」です。ファンの方などと仲良くなるのは構わないのですが、
ご飯を食べに行くときは「絶対に自分で支払いをしろ」と言われていました。
理由は一度おごってもらうと「大久保さん」から「君」に変わる。
3度目くらいから「君」から「デーブ」に変わる。そしていつしか「オイ!」と呼ばれ始め、
さまざまな頼みごとをされるようになり、なかなか断れなくなる、ということ。
その言葉を守り、当時、ご飯を食べに行くのも先輩たちだけでしたね。
今でもその言葉を守っていますよ(笑)
- 238 :
- グラウンドの外では何でもやってのける怖いイメージの根本さんだったが
監督としては何か優しいと言うか勝負弱いという印象が強かったな
- 239 :
- 根友さんをダイエーに譲渡した経緯ってどうだったんだろう?
堤さんがリーグ全体の利益を考えての事だったのかそれとも確執があったのか。
- 240 :
- 根友って何だw根本さんねwちゃんとみなおして送信しないとなw
- 241 :
- >>239
西武プロパーでも十分やれると思い上がったのと
根本式高コストに嫌気がさして
ダイエーでも全く同じ理由で放逐されようとしてた
スパイ騒動で一気に形勢逆転したのはご存じの通り
- 242 :
- 根本が巨人に来たらどうなったかな
- 243 :
- 小久保と井口は巨人だったかな
- 244 :
- >>238
かなりの放任主義で、その影響で選手達も負け犬根性が染みついていて、
全体敵にチームがだらけていたと、当時を振り返ったノムに批判されてたっけな。
- 245 :
- 根本は監督としての才能はなかったが、チーム編成、GMの才能があった
広岡はGMの才能はなかったが、選手育成、指導力、監督としての才能があった
編成根本で監督広岡が最強
- 246 :
- 根本監督の頃の西武もダイエーも優勝争いには加わっているんだよね。
終盤になって失速するのはやはりキャンプでの練習不足が響いてたのかなと思う。
監督としての采配自体は優秀だったと思う。
- 247 :
- 放任主義というか自主性を重んじてたよね根本さんは。
だから大人扱いしていい強いチームで監督やってたら面白かったかもね。
- 248 :
- 南海で兼任監督の経験があった野村でさえ口を出さなかったというのも
コーチ兼任ですら無かったから
- 249 :
- 根本は1979年シーズン終了時点でヤクルトを辞めた広岡に対して
すぐに監督を依頼しなかったのだろうか?
当時の事情はわからないが、根本は自分が現場の監督向きでないことはわかっていただろうし、
カープ時代にコーチとして働いたことがある広岡なら打診はできたと思うけど。
- 250 :
- >>247
自主的に動く選手とサボりっぱなしの選手を見極める意味合いが強かったのでは
実際西武でもダイエーでも後者は1年目のオフから続々と放り出された訳で、種をまく前の地ならしこそが根本の本領なんだと思う
>>249
その地ならしは数年を要するもので、西武については安心して後任に引き継げるレベルに整ったのが81年のオフということ
- 251 :
- 何も手をつけてない粋のいいのを集めておいたから
後はお前が頼む、って言って根本が広岡を口説いた
- 252 :
- 根本は地ならし、人選の達人というところか。
ただ、特に1979年とか1980年は負けつづきで、その状況下で
モチベーションを持続しチームプレーを続けるのは困難だったと想像できる。
野球に限らず、負けが多いチームの選手たちは自分のスタッツだけのために
個人プレーに走る傾向があるからね。
- 253 :
- 80年は前期だけだな
後期は一転優勝争いに絡み、勝てばマジック点灯というところまで来て、
その後も残り3試合全勝で優勝というところまで粘った。
その間東尾が中一日で志願先発したりして。
逆に82年は前期優勝したけど後期は開幕3連敗して、それだけでもうチームに
優勝する気がなくなったと
- 254 :
- >>249
西武が最も欲しがっていたのは長嶋さんw再三のラブコールもやはりダメだった。
大洋も欲しがってたな。だからよく王さんを口説けたなと感心している。
- 255 :
- 80年後期と81年前期の西武と94年のダイエーは終盤まで優勝争いに加わっていた。
だから根本さんの采配自体は決して悪くないと思うし優秀な監督だと思う。
キャンプでもっとシゴいてスタミナを付けさせておけば優勝できたかも知れない。
- 256 :
- 二番目の候補の上田さんに振られたのは阪急に愛着があっての事かと思っていたけど根本さんとは
元々ソリが合わなかったみたいだね。西武でエエデ節を聞いてみたかったねw
- 257 :
- 「ボサボサやってんじゃねーこの馬鹿野郎!!!」
根本さんのドスの効いた怖い怒鳴り声がグラウンドに鳴り響いているのを見てこれが本当に
甘ちゃん監督なのかと思ってしまった。言われているほどチンタラやってなかったと思う。
だから80年も81年も優勝争いに加われたんだろうし。
- 258 :
- 仮に長さんが西武の監督になってたらどうなっていた事やら。
基本的に勝てないよ采配は滅茶苦茶だし。人気取りで客は入るだろうけどね。
- 259 :
- >>256
根本と上田は広島で正面衝突しちゃったからなあ
- 260 :
- 野村、田渕、と言った往年のスター、客が見てみたいと思う選手と、金の卵と呼ばれるスター候補生が両立していた
- 261 :
- 94年ダイエーで優勝争いやっていたとき、フロントに「俺が監督やってるうちは勝たないと言っただろ」と一喝したらしい
だから80年後期残り14試合で五分なら優勝なのに4勝10敗
81年通算でAクラス確実だったのに残り16試合で8連敗含む4勝12敗
「球界地図を変えた男、根本陸夫」に「あの人は勝つのをセーブしている」なんて書かれている
- 262 :
- それは後付でたんに根本の采配能力が欠如してただけじゃね
- 263 :
- 明らかに疲れが出てたよね終盤になって。キャンプで鍛えてないから失速してしまった。。
- 264 :
- 田淵はともかく長嶋さんはちょっとな幾ら人気取りとは言っても。
まあ来ないの最初から分かっていて話題作りで出した話だったのかも。
- 265 :
- 野村が選手として在籍していたのだから、野村を監督にする構想はなかったのかな?
野村はベテラン捕手として松沼兄弟など若手投手をリードし、指導力を発揮していた。
南海をリーグ優勝に導いた実績もある。
- 266 :
- >>265
参謀できるのがいなかった。南海時代の参謀だったブレイザーは阪神監督だし、
高畠はロッテの打撃コーチだった
- 267 :
- 野村は引退後は当初TBSでその後テレ朝だったかな。
両方とも比較的西武とのつながりが強い局だったし
広岡がコケてれば野村が後任の可能性もあったんじゃないかな。
- 268 :
- 野村西武監督ね。可能性は低かったな。
引退の理由も理由だし… 実現したとしたら、少なくとも、徹底的に鈴木葉留彦を干しただろうな。
高畠は、野村と共にロッテに移籍したのに、野村が退団後も10年間、ロッテに残って打撃指導を続けた、ってのが凄い。
- 269 :
- いかにも根本さんらしい引導の渡し方だったけどそれが野村さんに上手く伝わらなかったというか。
いずれにせよ西武に残っても良いことは無かったかも。
- 270 :
- 頑張れタブチくんに出てくる根本監督も割と怖いキャラですが実際もあんな感じだったんですね。
決して甘い監督ではなかったです。
- 271 :
- 怖くはないかw固いとでもいうか。ふやけた感じでは決してなかったです。
- 272 :
- GM向き:根本
監督向き:広岡
コーチ向き:中西太
- 273 :
- 根本監督の前の亀頭監督もサングラスをかけていて怖いイメージがあった
その前の江藤兼任監督も豪傑肌で、ライオンズの監督と言えばやくざっぽい印象があったな
- 274 :
- >>273
> 亀頭監督
あのさぁ…
- 275 :
- 祈祷監督に同意
- 276 :
- >>222
大沢親分「あんな葉っぱばかり食ってる ヤギみたいなチームに負けれるかよ」
- 277 :
- 広岡VS大沢の対照的なキャラの監督対決も良かったが
もう一年だけでも西本監督に続けてもらって西本VS広岡対決も見たかった。
- 278 :
- >>276
今の日本ハムもこういう食事なのかな?? 最近選手がすき焼き食べるってあまり
聞かない焼肉は聞くけど
このころの竹園旅館もすき焼き しゃぶしゃぶ ステーキのローテーションでクロマティー
切れたという話しを聞く
- 279 :
- >>276
今や球団自らこんな本を出している位だし(´・ω・`)
北海道日本ハムファイターズの食事術 〜選手が育つ「食事」の秘密〜
ttps://www.fighters.co.jp/news/detail/00001424.html
少なくともすき焼き・しゃぶしゃぶ・ステーキ・焼肉のローテでは無さそうだ。
- 280 :
- >>279
昔はいい加減だったのかな??
- 281 :
- 阪神なんかヒョロガリと相撲取りしかいなかったしいい加減でしょ。
- 282 :
- 初優勝した時西武デパートいった。
手のひらサイズのレオ人形もらった。
レオがバットもってスイングした形な奴。
- 283 :
- 今の選手で すき焼きを食ってるという話しは聞かないな
- 284 :
- >>280
極一部の意識の高い選手(そんな選手も多分に自己流だったが)を除いて暴飲暴食が当たり前みたいな風潮すらあったし、選手自身もそれで豪傑ぶる
とこもあった様な。
張本なんて嘗ては「浴びるほど酒飲んだり、生水を腹いっぱい飲んだりと一切自己管理しなかったのが長持ちした秘訣だな。」と豪語していたし、極度の偏食
に起因するとは言え衣笠は肉類とワイン以外は一切受け付けなかったという。
- 285 :
- >>280
ヤクルトはキャンプの昼飯で幕の内弁当2個とか普通だったらしい
広岡が来て改善したらしいが
- 286 :
- 親会社が乳酸菌飲料の製造販売大手であることを忘れて選手に豆乳を飲むよう強要し
オーナーから怒られたんだよな
- 287 :
- 広岡さんがやった食事管理も当時は叩かれたけど今ではそれが当たり前になってるもんな。
今はプロテインも強化米も美味しくなって本当にいい時代だな。
- 288 :
- 竹園旅館といえば原辰徳の不貞の舞台やなw
但馬牛の旅館だから、その辺の牛肉料理のローテなのは当たり前か。
クロマティは一体何を食べたかったんや。
- 289 :
- 豆乳と麦飯だから昔は辛かったろうね。今は本当に美味しく食べれる時代だからいい時代だ。
- 290 :
- >>268
サッチーの介入で退団となった南海と同じパリーグの球団の監督には根本も出来なかった・・という書き込みを見たことがある。
- 291 :
- >>288
本に出てたのはあんな脂っぽいばかり食えないだとよ。 チキンも食わないと
だめだよだって。
ノーランライアンもステーキ食うけど脂分は切り取るそうだ
- 292 :
- 鈴木葉留彦はトレードされずによく生き残ったなと思う
同じ左バッターの片平が移籍してきた時にトレードされると思ってた
- 293 :
- 大昔、阪神あたりの選手が東京遠征したら、銀座あたりの料亭だったが、南海はいつも宿舎ですき焼きだった、となんかのスレで読んだな。
俺なら迷うことなくすき焼きを取りたいw
広岡西武の時代も、ここぞという時にはステーキ等振る舞ったらしいが…
- 294 :
- >>293
今の選手はすき焼きって食べるのかな?? 焼肉・ステーキ食うってのはよく聞くけど
- 295 :
- DeNAが出したDVD(ブルーレイも)に筒香と乙坂がすき焼き食いながら入れるの具について語るシーンがあったな
- 296 :
- >>293
時にはストレス発散も必要というのは栄養士の指導なのかそれとも広岡さんもそれは分かっていたのか。
どちらかは分からないが当時としてはよく出来た指導だなとは思う。
- 297 :
- >>296
>時にはストレス発散も必要というのは栄養士の指導なのかそれとも広岡さんもそれは分かっていたのか。
田淵や東尾、山崎らベテランに関してはキャンプ中の飲酒・肉食も大っぴらにやらない限り黙認してた
あと食堂で出していたカレーに油揚げ(肉の代わり)が入っていたことをスポーツ紙に
面白おかしく書かれてバツが悪くなったのか「肉食うな!」から「食っていいけど野菜もね」と
トーンダウンしてる
- 298 :
- おせちもいいけどカレーもね♪
>>297
家の食事にまでは監視するわけにもいかないから、目の届かないところで肉を食べていることは織込済みだろうな。
- 299 :
- 東尾は試合後に隠れてビールを飲んでたそうだけど
広岡も東尾クラスなら「隠れて飲むなら良いか」と黙認してたのかもね
堂々と飲んでたら流石に二軍落ちだろうけど
- 300 :
- クラウン時代は遠征時に夕食も出ない、わずかなお金渡されて「外で食べてこい」状態だったから、
西武になった途端、待遇は別世界のように良くなったのだろう。
- 301 :
- >>292
鈴木葉留彦は大卒だし、幹部(フロント)候補だったのではないだろうか。
阪神でいうと、中村勝広のような存在だったように感じる。
- 302 :
- >>300
所沢移転後もしばらくはそんな状態だったらしい
5000円渡されて各自好きなとこで食べてこいと
当時、球場の近くで試合後もやってる店が中華料理店一店しかなくてみんなそこで食ってたそうで
むしろ遠征の時の方が店を色々選べるんで楽しみだったんだと
- 303 :
- >>302
さやま食堂か、あの店も長いね。
- 304 :
- 吉井の話によるとヤクルトに移籍してセリーグで食事が豪華になると期待したが
近鉄と同レベルと言ってたな。
巨人は食事が豪華すぎてバランス悪いと落合が言ってた
- 305 :
- >>302
5000円も渡されるだけまだマシ
都県境でもそんなに食べる場所なかったのか
- 306 :
- >>302
5000円も渡されるだけまだマシ
都県境でもそんなに食べる場所なかったのか
- 307 :
- 山口城址前交差点(西武園ゆうえんちの麓)まで行って漸くまともな店があるかどうかって感じだからな。
- 308 :
- >>304
別スレで読んだ話だけど巨人と檻だと
ホテルや食事等で待遇が違うって西本が言ってたらしい
もちろん巨人の方が豪華だそうだ
- 309 :
- 若手投手の球を野村が受けている光景は、見ていて楽しかった。
- 310 :
- >>308
パリーグでよいのは全盛期西武だったんだろうなただお金あるのに食事制限で
粗食だった
日ハムは本社から当時、肉が供給されまくって食事は豪華だった
ロッテは金田監督の時は良質な肉が出た。
広島は貧乏といわれるが合宿所や遠征の食事は豪華で有名
巨人は豪華すぎて美食らしくアスリートの食事とはいいがたいそうだ
- 311 :
- >>310
金田は「走りこみ重視練習」で有名だが
「プロは体が資本だから食事や水も最高のものを
とらなきゃいかん」って思想だったからね
- 312 :
- 食事は大洋ヤクルトオリがひどいと聞いた。
巨人は豪華すぎてクロマティーが怒る
- 313 :
- その通りだ
- 314 :
- ダルビッシュの食事見てたら豪華ならいいってもんでもないとは思うけど、
身体デカくする、疲労を回復させる、という点に特化してるから「モノを食う喜び」
みたいなモンは皆無よね、アレ
意識高くないと三日と保たないよ、あのメニュー
- 315 :
- >>312
大洋は1000円ぐらい、南海は500円ぐらいと長崎慶一が書いてたな
- 316 :
- >>304,310
巨人って、嘗てユニフォームを銀座の高級紳士服店のオーダーメイドで仕立てたりと、とにかく金が掛かってりゃ良い!みたいな考えから中々抜け出せなかった
様な(w
- 317 :
- 肉はタンパク質ですから体に良いのですが脂も多い。
だからプロテインを飲むわけですが広岡さんの頃はプロテインの代わりに豆乳を飲ませて
いたんですね。そして炭水化物もビタミンEを含んだ麦飯を食べさせたわけです。
今はプロテインも強化米も美味しいから本当に良い時代なんですね。広岡さん頃は時代が
ちょっと良くなかったということです。
- 318 :
- 広岡さんが選手に課していた食事管理も当時は叩かれましたが今ではそれがすっかり当たり前になってますからね。
広岡さんの指導は間違っていなかったわけです。
- 319 :
- 肉も選んで食べればいいんですね。油の少ない赤身肉を選べばよいわけです。
- 320 :
- クロウは新幹線に乗るのを嫌がっていた。
煙草の煙が車内に充満して地獄だったとか。
- 321 :
- >>320
桑田も「禁煙車を作って欲しい」と要望したんだよね
当時は喫煙率が異常に高かった
今の選手ってどうなんだろうな
- 322 :
- >>319
ノーランライアンはそうだね。 ステーキ食う時に肉の脂は切り落とす。
クロマティーがブチ切れたのは日本の肉は脂多くてそれを竹園旅館行くと3連戦
食わされることらしいから。
- 323 :
- >>303
40年前の一人5000円なら、結構なもの食べられるぞ。
プロの選手がさやま食堂てのも切ないな。
>>316
南海の畠山準は、入団前に500円て聞いたから怒って入団拒否しようと思ったら「そんな馬鹿なことはあり得ない」と南海フロントに否定されたが、実際に入団してみたらほんとに500円だった、とインタビューに答えていた。
- 324 :
- 末期の南海はこんな状態だった
【ダイエーホークス創世記(1)】薄給ブラックさも日本一…南海から脱皮
https://www.sanspo.com/baseball/news/20150201/haw15020111000004-n2.html
「実は指名後にスカウトの方が家に来られて『1位で指名したが、君の評価は3位。
だからウチは3位としての契約金や年俸しか払えない。それでもよかったらウチに来てくれ』と言われたんです。
情けなかったけれど、その時のボクにはイヤとは言えませんでした」なんとも悲しいお話だ。
- 325 :
- ベストナインを組むと何とも言えない微妙な顔ぶれになる
- 326 :
- 補強じゃなくて補弱や
- 327 :
-
鷹はダイエー身売りで一気に豊食に♪
>>323
5000円なら小手指や所沢市街まで出て食ってたかもナイトゲームで延長だとキツイが
広島が粗食だったの球団創立後の万年Bクラス時代と思うが改善進んだのも
優勝近付いた根本-広岡体制時なのか…
- 328 :
- >>327
広島もその頃東洋工業が全面的にバックアップするようになって資金難が若干改善されたからね
オイルショック前で東洋工業がロータリーでイケイケだった時期と重なるし
- 329 :
- >>327
広岡さんの話によると広島の食事は高級肉にビールでキャンプなのか宴会なのかわからない
食事で根本さんに言ってやめさせたとラジオで言ってた
昔は太平洋のように粗食か栄養無視の美食が両極端だな
広島は伝統的に食事は豪華。 考えてみれば年俸も広島の物価考えたらいうほど安く
ないと思う。 川口はFAでG行ったときに年俸上がったけど生活レベル下がったというし
武田はハムからホークス行ったときに東京感覚で家賃これくらいの家をと言ったら
どれだけ豪華な家住むんですかと言われたみたい
- 330 :
- そりゃ川口なんてカープがNPBで一番羽振り良かった時代の選手なんだからな
- 331 :
- 豆乳に麦飯はちょっと可哀そうだよね。今みたく美味しく食べられる時代ではなかったからな。
アスリートも昔は食事で苦労したんだね。プロテインなんて臭くて飲めたものではなかった。
- 332 :
- まずいもの無理やり詰め込むのも拷問だよ ストレスたまる
- 333 :
- >>329
逆に高橋慶彦がロッテに放出された時はバブル時代で、広島の時の感覚でマンション一棟買いするつもりでいたら
「一部屋でも億単位なのに、一棟丸ごととなったらいくらになるか分かりませんよ」と言われて諦めたという話があったな
- 334 :
- 谷繁のベイス時代は試合前の食費が1000円とか1500円で、越えた分は天引きされていた、と言ってるな。
あんまり試合前にガツガツ食べるものではないだろうけど、なんかシャビーだな。
谷繁は、今でも今永らが食べている目玉チャーハンを好んで食べていたらしい。
西武はやはり、試合前の食事はプリンスホテルのケータリングだったのだろうか。
- 335 :
- 小池がロッテを拒否ったころ、巨人やヤクルトと比べてロッテを馬鹿にする小池に対して
ロッテの食事は日本一だ、という記事を読んだことがある。
- 336 :
- ほとんど広岡の話で面白い
八重樫幸雄に巨人レギュラーの可能性 「トレードの話があったみたい」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190926-00872470-sportiva-base
――広岡さんといえば、「管理野球」。とくに玄米中心の「食事制限」が有名ですよね。
食事に関しては、相当厳しかったんですか?
八重樫 どうだったかなぁ? みんなにそれを聞かれるんだけど、
一度も「玄米」なんて聞いた覚えがないんだよなぁ......。
僕がよく覚えているのは「コーラを飲むな」っていうこと。
ある時のミーティングで、広岡さんがどこからか抜けた歯を持ってきて、
それをコーラに入れたらあっという間に溶けてなくなったんだよね。
――確かに、「コーラを飲むと骨が溶ける」とは、昔、噂でよく聞きましたけど、
さすがに「あっという間に歯が溶ける」なんてあるわけないじゃないですか(笑)。
仮にあったとしても、明らかに何か細工しているに決まっているじゃないですか!
八重樫 確かに。「本当に本物の歯なのかな?」とは思ったけど、歯が溶けた瞬間は、
意外とみんなで「オーッ」って歓声が上がったよね(笑)。
半分疑いつつ、少し笑いながらだったと思いますけどね。
- 337 :
- >>334
確かに横浜ヤクルトはセリーグでありながら食事ひどいというのは聞いたことある。
吉井が近鉄のほうがましといったくらいだし
ロッテは金田時代に限り良質な肉をを取らせてたみたい。
西武は金持ちだけど食わせてもらえなさそう?? 日本ハムは昭和時に限り食事だけは
豪華だった。 美食だけど
>>336
ヤクルトと西武では違うのかな???
- 338 :
- ヤクルトは、池山や広澤がいた頃、クラブハウスで「ヤクルトラーメン」作ってみんなで食べるのが流行ってます、、みたいなことを言ってた。
この人達、他に食べるものがないのか、て思ってしまった。
あと、日ハムにソレイタがいた頃は、試合前の食事が毎日カツ丼だった、と近藤唯之が著書で書いていた。
- 339 :
- 田淵が西武時代、「捕手」としてスタメン出場したのは実は初年の79年のみなのは
あまり知られていない。引退年(84年)の最終試合で途中から捕手になるまで
捕手を休業してDHや一塁に回ってた。
- 340 :
- よそのスレの話題から拾ってきてドヤ顔で披露して楽しい?
- 341 :
- 楽しいですよ
- 342 :
- ヤクルトラーメン懐かしいなw
調べたらまだ売ってるんだな
麺が緑色なんだよな
- 343 :
- 昔はクロレラ入りだったから緑色だったけど、今は青汁入りの緑に変わってんだよね
- 344 :
- 旨いのそれ?
- 345 :
- >>344
味噌は食べたことないけど。塩と醤油食べたことある。
醤油のほうがおいしい
- 346 :
- >>338
スンヨフもカツどん好き
- 347 :
- >>322
赤身をしゃぶしゃぶにして野菜と一緒に食べるようにすれば
ステーキよりも健康的に思えるけど。
もっとも最近まで赤身=筋が多くて硬い、というイメージはあった。
- 348 :
- >>347
同じ肉ならしゃぶしゃぶより焼いた方が油が落ちるんだよ
- 349 :
- https://www.bbm-japan.com/health/17201071
私には実体験があります。その一例が51歳でなった痛風です。
当時、選手を連れて長野県諏訪市の治療家の先生のところに通っていましたが、
その先生が焼肉好きで、ホルモンがおいしいと勧められて、よく一緒に食べていたのです。
確かに、ホルモンを食べると体の調子がおかしくなっていました。
病気が間違っていることを教えてくれたのです。痛風になって体にはよくないとわかり、
ホルモンは食べないようにしました。ほかにも歳をとってからは、
動物性の肉類も食べる量をどんどん減らしていきました。
食生活を正したことで、薬を飲まずに、痛風はすっかり治りました。
本当によかったと思っています。
- 350 :
- >>345
青汁入りの麺でも旨いんだね
ちょっと食べてみたくなった
- 351 :
- >>349
先天性の病気の人とか見たらちょっと頭にくる内容だな
- 352 :
- 04,05は2年連続でシーズン一位通過も、プレーオフで敗れて、リーグ優勝ならず。
10年もクライマックスで下克上され、合計3度の下克上を食らっているホークス。
去年ようやく1つ取り戻したけど、まだまだプレーオフで失ったものは大きい
西武は1.2戦見ててダラダラとした無駄な失点が多すぎる。「シーズン通りの戦い」ってフレーズをはき違えてる気がする。
パリーグのファイナルステージは、第2戦もソフトバンクが勝ったようですね
昨日、今日と、西武との打ち合いを制した形になりました
これで、2勝1敗
はやくも3勝としたセリーグ王者の巨人とは対照的に、パリーグ王者の西武は、アドバンテージの1勝を無駄にしてしまったような連敗スタートです
第3戦もソフトバンクが勝ちますと、日本シリーズ進出へ王手がかかるだけに、
西武としては、第3戦を勝って、まずは、2勝2敗のタイにしたいところかと思います
今後、私の発言の後にはこのAAを貼ってくれたまえ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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./彡,,,;;-"⌒```"`-ミ::i.
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`i 、__/ (,,, ,,,) \__ i' ,,,,、
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ヽ. `---' ./ | ..| ..| ..|∩
,,..-‐'゛:::::|ヘ\、__,/|:::゛`‐-..,, ∩ | !. .! ..!! .|
,,..-‐'゛:::::::::::::::::::::| \______/ |::::::::::::::::::::l´)' .,゛ ' `' .|
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./ :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| |;;;;;;;;| |:::::::::::::::::::::::::::::::ヽ_ . _/
ライオンズはシーズン中の戦い方では短期決戦では勝てないことを去年学ばなかったのかな、今年も同じ轍を踏んでる気がする。
やはり西武は,昨シーズンもですが,シーズン通しての長丁場で勝てる(というか,長丁場でないと勝てないというか)チームという印象はぬぐえません。
短期決戦で戦えるチームではないということだと思います。ソフトバンクとの差はやはり投手力でしょう。
短期決戦は結局は投手力の差が大きく左右するのだと思います。
投手力と配球力の差が出た試合だ。SBの投手は配球やコ−スを工夫して的を絞らせないように見えるが、西武は予想通りの配球しかできない。
- 353 :
- 短期決戦は継投のタイミング、選手の調子や相性の見極めの機敏性、チーム全体の
調子がどういう状態にあるか(ピーキング)など。
加えライバルが他チームに負けて脱落することも期待できない、自力で倒すしかない
- 354 :
- 自分の日記帳か
野球板の本スレにでも書いてねガイジくん
スレタイも読めないの?
- 355 :
- 幅敏弘さんて黒幕中の黒幕だったようだな。
- 356 :
- http://hissi.org/read.php/meikyu/20191011/Sk5ZWTNZZ2w.html?name=all&thread=all
板:野球殿堂(仮)
日付:2019/10/11
ID:JNYY3Ygl
名前の数:1
スレッド数:5
合計レス数:5
- 357 :
- http://hissi.org/read.php/meikyu/20191011/RG1tKytsSWo.html
板:野球殿堂(仮)
日付:2019/10/11
ID:Dmm++lIj
名前の数:1
スレッド数:5
合計レス数:5
- 358 :
- >333
慶彦って都内出身でカープ時代も遠征で散々遊んだのにその感覚だったのか
- 359 :
- >>358
慶彦は都内っつってもほぼ埼玉の清瀬育ちだしな
- 360 :
- 慶彦も江藤智も西武沿線育ちか
- 361 :
- 今の名球会の事実上のボスは柴田
- 362 :
- 勝てばマジック点灯というところまで行った
- 363 :
- 西武黄金時代の到来
- 364 :
- 田淵が子供向けドラマに出演
- 365 :
- この時期西武は次期監督に上田利治の招聘を考えていたっていうけど
結局なぜ上田は西武を断って阪急に復帰したのかな。
上田体制でも恐らく強いチームになったとは思うが
史実の広岡体制とはだいぶ雰囲気の違うチームになりそう。
- 366 :
- 石橋貴明が入団テストを受けた。
- 367 :
- 梶本がダメだったから球団側から頭下げてきての再招聘で
日本シリーズのゴタゴタは全部チャラになって、
4連覇時代よりも強い権限が与えられての阪急復帰らしいよ。
西武がいくら金持っててどんだけ調子いいこと言っても、どのくらいの権限が
与えられるかは不明で、上田監督はその辺を天秤にかけた
- 368 :
- 梶本がダメだったから球団側から頭下げてきての再招聘で
日本シリーズのゴタゴタは全部チャラになって、
4連覇時代よりも強い権限が与えられての阪急復帰らしいよ。
西武がいくら金持っててどんだけ調子いいこと言っても、どのくらいの権限が
与えられるかは不明で、上田監督はその辺を天秤にかけた
- 369 :
- ダブった失礼
- 370 :
- >>368
過去のレスの中には広島のコーチ時代に当時の根本監督と喧嘩別れしたから
西武の誘いを蹴ったって言うのもあったけど、それだったら最初からオファー
しないとも思うし、やはりどれだけ自分の思うようにやれるかってのが
重要だったのかな。でももし受けていたら広岡へのオファーは当然なくなり
西本監督の後の近鉄が広岡監督などと言う事も有りえたのかな、とも思う。
これはこれですごい対決になりそうだが。
- 371 :
- 毒舌の広岡監督と違って、選手を盛り立てるタイプの上田監督なら、東尾や田淵のような
ベテランともわだかまりが生じなかったかも知れない。
一方、広岡が西武に来なければ、森も西武に来なかったと思われるので、その後の西武の
歴史も変わってきたと思われる。
- 372 :
- 上田の後任にノムが来てくれるかどうかかな
来るなら成績的にゃ史実以上だったか…
あるいは森がヤクルトの監督になって黄金交代が来たか
- 373 :
- >>371
それと上田西武になった場合、誰が阪急の監督になったのか想像もつかない。
阪急が一気に弱体化した可能性もあるね。
- 374 :
- >>371
その場合は西武の監督は堤さんが熱望してた田淵だったりして
>>372
森は81年に巨人のバッテリーコーチになってたかも。 広岡が巨人の監督して
ヘッドでついていったかもしれない
>>373
長池監督
- 375 :
- >>374
確かに山田・福本・加藤らを納得させられるような人選となると
彼等の厳しい兄貴分とも言うべき長池くらいしか考えられないか。
監督としては全く未知数で不安はあるが、おそらく自分がそうだったように
若手を猛練習で鍛え上げ、ベテラン達にはある程度自由にプレーさせる
と言ったとてもオーソドックスな事になりそうではある。
老獪な上田監督に翻弄されそうな気もするけど。
- 376 :
- >>370
広岡監督率いる近鉄
まるで想像がつかんwww
- 377 :
- 西本監督は広岡の手腕を常々評価しており後継者になって欲しいと言っていた。
広岡自身も育成に長けた西本こそ最高の指導者と言ってたくらいだし
個人的な関係ではお互いを認め合う間柄だった。
もし西武の口が無くなっていれば近鉄監督広岡もありえたかもしれない。
ただし西本監督の考えイコール近鉄のフロントの考えだったがどうかは分からない。
- 378 :
- >>377
誘いあったけど在阪パということで即拒否。 阪神に関しては巨人と戦えるということで
関西在住考えても魅力的だったが条件が合わずに拒否
- 379 :
- 広岡は81年巨人の監督したかったらしいが本当にオファー来て受けたら藤田以上の
成績残せたかな?? そうしたら広岡の後森がやって 王さんの目は消えたかな
- 380 :
- >>378
どっちが良い悪いではなく、その辺が誰も監督をやりたがらないような
阪急や近鉄を強くした西本と、広岡との違いなんだろうね
- 381 :
- >>365
中日も1980年オフに監督要請している
- 382 :
- 広岡はヤクルト受けてる 関東から離れたくないんだろうな。
西本はもともと関西在住??? 大毎のときは関東に出向いてた感じ???
- 383 :
- >>382
西本は出身は和歌山で立教大学進学で上京。野球とは関係無いけど
出征で中国に渡る。戦後は社会人野球の別府星野組、そこから毎日オリオンズ。
そこから阪急→近鉄だから場所へのこだわりはあまりないみたいだね
- 384 :
- 壊滅的最下
- 385 :
- >>382
広島のコーチはしていたわけだから広岡のこだわりは
関東+故郷の広島というところですか
- 386 :
- 勝てばマジック点灯というところまで行った
- 387 :
- >>385
対巨人というか対川上哲治。 セリーグならどこでも行くのかも
- 388 :
- ロッテのGMまでやるなら
近鉄でやらない理由もないな
- 389 :
- >>378
阪神は「悪い様にはせんから」を連発したらしいな。
で広岡が不信感を抱いた。
- 390 :
- >>281
阪神は甲子園のベンチにペプシコーラがおいてあった。
当然飲み放題で江夏が試合後、それ飲みながら記者からの質問答えてる映像見たことある。
- 391 :
- 優勝より興行優先風な阪神では広岡の気質むきじゃなさそう
- 392 :
- >>388
広岡のこだわり 対巨人川上 在京
- 393 :
- 広岡の阪神監督就任の話は条件が合わなくて
流れたって話を読んだことがある
阪神は西本幸雄にも監督就任のオファーを出したが
「あんな球団の監督はやりたくない」と断られたとか
- 394 :
- 星野ぐらいのGM級権限と補強育成費を渡されるかどうかってとこかな
- 395 :
- >>392
広島でコーチやってるし
- 396 :
- 阪神は具体的なビジョンがなかった
西武は根本が二軍に楽しみなのがたくさんいると 育成重視の広岡の心を揺さぶった
- 397 :
- 野球選手の食生活云々が言われ出したのて広岡以後だからな
それまでは体を大きくするために肉肉なんていうのが常識だった
- 398 :
- 玄米ならなんやらをどこも真似しなかったし
現代もやってないのだからやっぱ思いつきじゃアカンのやな
- 399 :
- 食生活にこだわっていたと言えば金田も早い
金田の場合は玄米とかではなくて
「プロは体が資本だから最高級の食材を食わねばいかん」という感じだけどね
金田監督時代のロッテの食事は十二球団一豪華
有藤の話では金田は厨房に入って新鮮な食材かチェックしていたそうだ
- 400 :
- 金田はナベらしいsね
今のようなプロティンとかじゃなくたんぱく質は鶏肉だった
- 401 :
- カープの木庭スカウトも口説き文句で
「うちの合宿所のメシは12球団一豪華だ」って言ってたらしい。
もっともそれで目を輝かせて入りたいと言ってくる選手は
80年代に入るとめっきりいなくなってしまったんだと
- 402 :
- 広岡は「私なら守備がダメなバレンティンは使わない」と言っている
守備重視はブレないね
- 403 :
- 金田は巨人の主力に当時では珍しいキムチ鍋だったかを教えてらしいね
その点野村克也は肉ばっか食わせてたヤクルト時代
- 404 :
- https://bunshun.jp/articles/-/14454
「私なら、バレンティンを使いません。守れない選手がいることのデメリットを考えたら、
いくらホームランを打とうと割に合わない。
バレンティンも村上(宗隆)も確かにホームランはたくさん打った。
でも、チームが最下位なら意味はないでしょう。彼らは自分が打つことばっかりで
真剣に勝とうと思っていないですよ。
だって、チャンスでも平気で三振するじゃない。私だったら絶対に許さない。
“(自分のために)頑張る”と、“チームのために頑張る”は全然違うんです」
- 405 :
- 広岡はヤクルト監督時代に打つだけで守備走塁に難があったマニエルを
近鉄へトレードに出してたな
- 406 :
- 広岡ヤクルトに来たのがマニエルじゃなくペピトーンだったら
- 407 :
- 素行不良から改心するまで干すだろうな
- 408 :
- 広岡ならペピトーンは獲らない
調査の段階で獲得は見送る
- 409 :
- 広岡招聘に動いた小津はブレイザー呼んできたり、田淵を放出したり
何らかのヴィジョンはあったんだろうな。
成功してればリーグ分裂後日本一1回ということはなかったんだろうけど
勝てないのに人気は上がってるし球団経営的にはよかったのかな。
- 410 :
- マニエルは西本とはウマがあったようで
西本を「日本の父親」と言っている
だが自分も指導者をやるようになって広岡の言っていた事も
理解できるようになったそうだ
- 411 :
- 指導者になると、守備が下手な選手=当たり前のことができない計算できない選手
と考えるようになるからだろうね。
特にDHがないリーグで、まともに守れるポジションがない選手を使うのはしんどいと思う。
古木とか金本とか…
- 412 :
- >>415
ペピトーンなんて、誰が監督であっても使いたくないだろな。
あれは選手として三流である以前に、人間のクズ。
- 413 :
- 連覇したホークスの工藤監督の手本は広岡なんだよね
茶髪、ネックレス、ガムかみ、つば吐き禁止の規律重視で
栄養士と相談して選手の食事管理も行っている
広岡も自分のスタイルが2019年になっても受け継がれている事は
喜んでるんじゃないかと思う
- 414 :
- 広岡は時代を先取りしすぎて反感買ったけど
ナベツネ同様、言ってる事は至って正論
ただここは79〜81年のスレだから
広岡招聘前の話題書きなよ
- 415 :
- 西武って広岡招集前でも選手の質は良かったと思うけど・・・。 あれでなんで勝てないと
思うわ。 80年くらいは+土井がいて25本くらいは打ってたよね
- 416 :
- >>415
レギュラー陣に勝ち方を知らない面子しかいなかったからだろ。(但し山崎を除く)
- 417 :
- >>415
機動力がない
守乱
強力打線といっても爆発力は近鉄の方が上
エース東尾の気まぐれピッチング
豪快に勝つが接戦で負ける典型的な野球で
(勝てばマジック点灯の試合で阪急に9盗塁されて競り負けたのが一番象徴してる)
まあそれはそれで面白いんだけど
- 418 :
- >>415
個々の力があっても一丸となる組織力が無ければ勝てない
- 419 :
- 今の西武で広岡が監督やったら強くなるわけか
- 420 :
- 伊原の5倍くらい拒否反応おこされ崩壊する
- 421 :
- 当時小学生だったが覚えていること。
西友やパルコにライオンズコーナーが設けられ、
シーズン中は館内BGMに松崎しげるの歌声がしつこいほど流れたほか、
開幕前後はレオ帽を被った店員が館内あちこちで見られた
新聞、テレビ、ラジオで試合開催広告やCMを流した(特にTBSとフジテレビが力を入れていた)。
テレビ埼玉で主催ゲーム完全中継(録画含む)し、
オフには毎週日曜夜にライオンズスペシャルと題した応援番組。
とにかくファン獲得へ向けて西武グループが躍起になっていた時期。
- 422 :
- QRライオンズナイターも・・・
あと読売のオーナーがム台だった80年代は
西武との関係が険悪で互いの広告・売店から相手の掲載・発注を閉め出してたらしいが
沿線の新聞販売店・拡張団は抜け駆けやってたのか西武球場の試合チケットを契約特典の景品に配布してた記憶が
- 423 :
- >>417
しょっぱなからチームの弱点を見抜いてたのが分かる
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41225?page=3
田淵:はっきり言って、私は広岡さんのことをあまり好きじゃありませんでした。
広岡さんが就任したばかりの秋季練習で、みんなを集めて、こう言ったんです。
「この球団で最高給取りがいます。その選手が守れない、走れない」。
これが第一声でした。私は今でも忘れられません。
二宮:それは田淵さんのことを指していたわけですね。
田淵:名前は言わないんですよ。でも、みんなが私の顔を見た(笑)。
次に広岡さんはこう言った。「いいピッチングをしてもね。最後には打たれて負ける」。
これは東尾(修)のこと。そういうふうに大田(卓司)、石毛(宏典)も、めちゃくちゃに言われましたよ。
それが最初だったので、広岡さんには冷酷、冷徹というイメージをずっと持っていましたね。
- 424 :
- >>421
今や優勝セールぐらいしか松崎しげるの歌流れないもんな
- 425 :
- 土井正博が「くれない族の反乱」に出演して下手な演技を披露
- 426 :
- >>414
ナベツネが正論にワロタwwww
- 427 :
- >>424
松崎ソングは歌詞に「ミラクル元年」が入るから埼玉移転30年の今はレギュラー使用しづらいかな、2019は改元イヤーだったからもっと流してもよかったが…
「若き獅子たち」は今も数試合置き?にラッキー7で流れる筈だが
――
緑の森にいま沸きあがる―♪
熱い祈りの大歓声(だいかんせい)が―♪♪
鍛え抜かれた若き獅子たち―♪
気高く進め勝利はそこに―♪♪
ウィー♪ アー♪ ザー・ラーイオンズ♪♪
オー♪ オー♪ オー・ライオーンズ♪♪
- 428 :
- >>424
あと西友はウォルマート傘下に移って球団との提携が切れた
- 429 :
- 江川事件で巨人ファンをやめる人の受け皿の一つにはなったな。
- 430 :
- …30年でなくもう40年だよなぁ
- 431 :
- >>429
その程度で好きなチームを鞍替えするようなのは
カープ女子と同レベルだわな
- 432 :
- 程度としては長い球史において黒い霧に次ぐレベルで高い
- 433 :
- >>428
イトーヨーカドーは巨人と西武の両方の優勝セールやるのかな?
そごうも!
- 434 :
- 坂井保之
「江川を指名しないと確約していた? そんなことはあり得ませんよ。
中村オーナーは岸信介の秘書だ。派閥の長でもないフナチュー(船田中)の話を中村が聞くわけない。
球団経営を任されていた俺としては、一番いい選手を指名しただけ。
当時、経営状態は確かに悪かったからね。沈みゆく船をこのままにしておくわけにはいかない。
代表としての意地だよ」
- 435 :
- 江川事件は世界のプロスポーツの情報が入るようになってからは大した
問題でないだろう?? むしろ今なら野球界が悪いとなる
- 436 :
- >>433
ヨーカドー店舗が通年で応援歌流しているのは巨人のほうかな
西武は優勝時だけなんじゃないかと
- 437 :
- >>427
今は通年「吠えろライオンズ」で「若き獅子たち」なんかもう何年も前から全く使ってないけど
- 438 :
- あと「地平を駈ける獅子を見た」はライオンズ勝利試合で40thバージョンが流れる
- 439 :
- >>427
この時代の文化放送ライオンズナイターの実況やってた戸谷アナ元気かな…
- 440 :
- >>425
由紀さおりの別れた夫役だったかな。
土井以外はいいドラマだった。
田村正和はこのドラマでTBS八木プロデューサーと出会い
コメディー路線で大成功することになった。
- 441 :
- >>436
ぁ なるほど!
ヨーカドーとしては西武vs巨人の日本シリーズの方が望ましいかな。
どっちに転がっても「日本一おめでとうセール」を出来る。
しかし西武線の売店に読売新聞が置かれなかった時代を考えたら隔世の感。
- 442 :
- 豊田泰光さんの葬儀の司会が戸谷さんだったよ
- 443 :
- 堤は西鉄時代を抹消してたのに西鉄系の東尾監督になったんだろな?
土井 伊原 鈴木葉も九州系だし
- 444 :
- >>443
石毛や山崎に拒否されたからな、しょうがなくつなぎで。
というか西鉄云々とかでなくあの事件があってよく監督になれたよな。
- 445 :
- そもそもこのスレにレスし始めたのは、シリーズでの采配に堤が現場介入し、
伊原がそれに逆らえなかったことで、チームがバラバラになり西武は巨人に惨敗
するかもとの危惧を抱いたからだ。短期決戦では、やはりチームワークに亀裂が生じた
場合、その修復には時間が短すぎる。不幸にして予想は的中してしまった。
このシリーズ、投手は総崩れでバッターでどうにか打てたのは外国人の3人のみというのも
西武の現在の状況を象徴しているかのようだ。
シリーズの件はまたあとでふれるとして、昨日の続き。
常勝西武の最大の功労者・森をシーズン優勝したにも関わらず首にした堤は
次期監督に「まあ、おきにいり」の東尾を指名した。
当時の既定路線としては森があと数年監督を務め、その間に石毛をコーチ修行
させ、いずれ監督就任というものだった。
この路線を壊してしまったのが、他ならぬお召し列車に乗っている「天皇陛下」
だったのだから始末が悪い。鉄道会社の社長の不祥事なら責任追及もできようが、
「天皇」ならばなすすべがない。
- 446 :
- 824 :727 :02/10/31 12:33 ID:???
フロントに根本さえいればこの「ご乱心」も食い止められたろうが、
今のフロントはすべて「天皇の臣下」。逆らうどころか堤とまともに話しさえ
できないのだから、もうどうしようもない。
このことでの最大の被害者は石毛だろう。
ただでさえ現役選手からいきなり監督というのが無謀であるのが分かりきったことなのに
優勝したのに監督の首を切るようなチームに、誰が情熱を注げようか。
激怒した石毛は当然のことながら監督就任依頼を蹴り、退団した。
その後の石毛についてはご存知のとおり。
彼は現役晩年に経験した屈辱をはらそうと必至になったが、それがあせりとなって
選手の人心掌握術を身に付けぬまま監督になってしまい、結果が出せない。
そしてまたそれが新たなあせりを生むという悪循環に陥っている。
それもこれも元々の原因は堤にある。
- 447 :
- 827 :727 :02/10/31 13:03 ID:???
石毛の件についても書きたいことは山ほどあるが、
スレ違いなのと、すでに一部で知られていることもでもあるので少しだけにしておく。
森退団のあとの監督人事については、実は外部からの招聘で数人候補が挙がっていた。
優勝監督の退任のあとなので、誰でもやりにくいが、熱心に誘えば承諾する大物も
いることはいたのである。
それが堤の指示で、フロントは石毛に監督を要請した。全く無茶苦茶な人事である。
確証はないが、この件で石毛は堤の真意を量ろうと堤に直談判したようだ。
それはチーム内の友人から「オーナーは断られるのを承知でお前に監督要請をしたようだ」
との話を聞いていたからだ。
監督を断るということは、すなわち西武にいられなくなることを意味する。
石毛にとってプリンスホテル時代から堤は雲の上の人であり、尊敬する企業人でもあった。
当然、現役を引退すればコーチ・監督となりチームに恩返ししたいとの考えを持っていた。
その西武のオーナーが俺を邪魔者扱いにするのか?
石毛と堤の「会談」がどのような形式で行なわれたのかは残念ながら分らない。
しかし石毛がそのあと堤にたいしてぬぐい難い憎悪の念を抱いたことは確かである。
830 :727 :02/10/31 13:32 ID:???
石毛が断ることを百も承知で監督要請し、退団させたあとに堤が選んだのが東尾。
これには堤をよく知る側近も仰天した。
西武のイメージを悪くしたあの賭博事件の東尾。
しかも引退後はコーチ経験もない人物。
いかに選手時代にスターだったとはいえ、あまりに意外な選択だった。
堤の「趣味」と「趣向」、そして彼が考える今後の西武球団のあり方というものを
熟知していないと、この選択は理解できないだろう。
それと堤がダーク・イメージをもっとも嫌うというのは、ダークである人間ほど
クリーンなイメージを欲しがるということも付け加えておきたい。
そのクリーン・イメージにはとても合わない賭博逮捕経験者を選んだということは、
第一に自分の「趣味」に合い、なおかつ自分の言うことを素直に聞く人間に
一度現場トップに据えてみたい。その思いがイメージよりも優先したというわけだ。
- 448 :
- 847 :727 :02/10/31 19:28 ID:???
監督就任依頼については、当事者の東尾自身がもっとも驚いたことだろう。
彼自身、監督はおろか投手コーチとしてさえ現場に戻れることはあるまいと考えていた。
過去に不祥事をしでかした自分を監督として迎えてくれた堤に対し、東尾が逆らうことは
ありえない。それどころかフロント連中よりもさらにさらにへりくだってオーナーに接し、
堤の言葉を脂汗を流しながらかしこまって聞いている東尾には大きなヘマさえしなければ
広岡・森並みの長期政権が約束されていた。
そして、結果からいうと東尾の監督在籍期間は7年。森の9年、広岡の4年に比べると、
成績の割には長かったといっていいだろう。
実は、堤としてはもう2〜3年東尾に監督を続けさせてもよかったのである。
それを7年目で見限った遠因は、平成11年に入団した松坂にある。
851 :727 :02/10/31 20:20 ID:???
コーチ経験が全くない東尾が、7年間でリーグ優勝2回、2位2回、3位3回という
成績だったことは、近年のプロ野球では奇跡的な成績だったといってもいいだろう。
これはひとえに東尾が堤から「長期政権」の約束を取り付けていたことが大きい。
それと忘れてはならないのが、当時ダイエーに移っていた根本の存在だ。
根本は同一リーグの球団フロント・トップという立場にありながら、東尾のために
コーチの人選や、監督業のイロハなど、様々な点で親密にアドバイスをしている。
これが、同じライオンズの釜の飯を食った仲間同士との思いからのことであったのか、
あるいは東尾のためにと堤が根本に世話を頼んだのか、それは定かではない。
(根本は堤とさんざんやりあって、堤にはかなり恨みを抱いていてもいいはずだが、
どうもこの人のものの考え方は凡人には理解できないことが多い。「寝業師」とは
よくいったものである)
今の日本プロ野球界で、オーナーと監督が無条件で長期政権を約束するなどという
球団は西武以外にひとつもないだろう。むろんそれは巨人とて例外ではない。
(よく○○監督永久政権などとぶち上げるオーナーがいるが、あんなものはただの
リップサービスである)
- 449 :
- 852 :727 :02/10/31 20:25 ID:???
「長期政権」の約束でじっくりと監督業に専念できた東尾は、伊原を始めとする
優秀なスタッフにも恵まれ、1年目・2年目は3位に終わったものの、就任3年目に
念願の監督初優勝を果たし、翌年も優勝し2連覇を達成する。
この頃の東尾は得意の絶頂だった。
日本一は逃したが、3連覇・4連覇と続け、広岡・森に並ぶ新たな西武黄金時代を
作りあげる自信もたっぷりあった。
そんな平成10年のオフ、ドラフト会議を前にして東尾は「天皇陛下」からの呼び
出しを受けた。(以下明日に続く)
871 :727 :02/11/01 16:27 ID:???
東尾を監督に据えるため、堤は東尾にとっては邪魔な存在でしかない石毛を追い出した。
ここに至って、西武の主力選手も堤の正体を見る思いだったろう。
あとで触れるが、あれほど堤の「寵愛」を受けた清原が、約束されていた将来の監督の座を
蹴ってまで西武から出て行ったのは、「あこがれの巨人軍」に行きたいという思いよりも、
いつか捨てられる可能性のある西武よりも、巨人で選手生活を終えた方が
自分にとって得だと考えたからだ。
清原は堤よりも長嶋を選び、球界では大きな力を持つ巨人OB連の庇護を求めたのである。
無論それは、清原だからこそ出来たことであって、東尾は堤の手の中では生きて
いく術がない。少なくとも球界に関わる仕事をする以上は。
監督就任時における、こういう経緯と「長期政権」の約束がある以上、
東尾は堤には絶対に「反抗」できない。
清原がFA宣言したとき、堤は東尾に「全力で引き止めよ」との「ご下命」を
発しているが、東尾は説得に失敗した。このときの東尾のコメント
「初恋の人が忘れられないようなものかな」というのは実に意味深な言葉である。
清原残留の説得に失敗した東尾はいよいよ堤に頭が挙がらなくなっていた。
(清原離脱のもともとの原因は堤にあるのだから、なにも東尾が責任を感じる
必要など全くないのだが、そこは「臣民監督」のつらいところである。)
2連覇達成後のオフ、東尾は堤から異例の呼び出しを受け、またしても「ご下命」を賜る。
それは「なにがなんでも、横浜高校のエース・松坂大輔を獲得せよ」というものだった。
- 450 :
- てか石毛は慰謝料の支払いが大変だから現役にこだわったんだよ。
監督になったら相当減収になるから、まだ現役に未練があっただろうし
いきなり監督やる自信もなかっただろうし。
- 451 :
- >>441
イトーヨーカドーは西武のセールはやらない、(そもそもライオンズと百貨店は元々別グループ)
イトーヨーカドーは以前12球団のどこが優勝してもセールという企画を立てたが、翌年「日本ハムを除く」ってセールになって、その後やめた
その後西武が優勝したとき一度だけセールをやった(なぜやったかは忘れた)
その翌年以降は巨人が優勝した時だけセールになり、いまでは優勝セール自体やってない
(やってる店舗があったとしても一部のみ)
- 452 :
- >>451
そうなんだ。
黄金期のホームユニフォームには西武百貨店のロゴが入ってたが。
- 453 :
- 異母兄弟の経営者の元でユニフォームにロゴ入れ、優勝セールくらいはやれる関係。
ただセゾン系が作った大借金を鉄道系に肩代わり求められたときは渋った。
- 454 :
- >>452
西武は歴史がややこしいからね…
ライオンズ当時はまだ兄貴も役員にいたんだっけ
むしろ両堤が退場してからの方が接近してるイメージ
- 455 :
- >>460
何その「日本ハムを除く」って。
当時よほど不義理をしたのか。
今年は「北海道日本ハムファイターズ応援感謝セールnanacoポイント4倍」なんてのをやっていたけど。
- 456 :
- 食肉売り場に日本ハム製品が無かったとか
- 457 :
-
ヨーカドーでやったのは去年と2008年
西友で優勝セールしたのは2004年が最後だった。
――
西武ライオンズ・パリーグ優勝セール2018!西武・イトーヨーカドーで開催!?
https://float.fun/lions-yusyou-sale-seibu
優勝セール、あちこちで開かれている謎。イトーヨーカ堂は、巨人、西武、そして(関西地方で)阪神のセールを
https://nikitoki.blog.ss-blog.jp/2008-10-11-4
- 458 :
- >>457
去年やったんだ
地方のイトーヨーカドー内でテナントの仕事やってるが気付かなかったわ
田舎だからハブられたのかな?
- 459 :
- 埼玉県内と西武線沿線のヨーカドーは今年もセールやってる
https://www.seibulions.jp/news/detail/00003142.html
- 460 :
- ウチの近隣店舗は東村山店と東大和店
- 461 :
- 何とかマシにはなったが
- 462 :
- >>443
楠城も。
- 463 :
- ド派手に負けるか長打だらけの大雑把さで打ち勝つ
田淵土井太田野村にブラッシュボール投げてナンボのトンビなど
役者が揃っていた、負けて楽しい根本野球
片平スティーブ山崎加入で傭兵度アップしていたのは広岡からだったか?
- 464 :
- 足使うようになったけど今の西武も似たような野球だな
- 465 :
- 愛甲猛が見た西武黄金期を築いた 最強タッグ「完全に任侠映画の世界」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191108-00877000-sportiva-base&p=1
- 466 :
- >>463
山崎は79年から居た、
根本時代はタイロンとダンカンのイメージ。
広岡来る前にテリー、スティーブに入れ換えられたけど
タイロンだけ南海で2年食い繋いだな…
- 467 :
- マルーフは今の時代なら残留だったな。
- 468 :
- >>466
1979 マルーフ、ミューサー→タイロン
1980 タイロン、ダンカン→スティーブ
1981 スティーブ、テリー
ミューサーとダンカンは半期のみ
- 469 :
- >>466
タイロンはトレードで南海に行ったけど
その交換相手がドラ1で1年目の名取
ドラ1の選手を1年で外国人選手とトレードっていかにも暗黒南海らしいわw
- 470 :
- 大雑把に負けながら、大雑把を超えた出鱈目さで勝つ
観る者にとっては負けても楽しい根本マジック
- 471 :
- 南海は同じドライチの長谷川もすぐトレードに出してるし
どうせ入団1年でトレード出す約束で入団してもらっただけじゃないの
福間もその約束でロッテに渋々入って2,3年で阪神に行ったし
- 472 :
- >>471
その入団条件って今無いのかね?
これがあればドラフトでもめる事もだいぶ減ると思うんだがなぁ
- 473 :
- >>469
前年ダントツビリの南海で5勝したんだからそれなりに働くかと思ったが
西武では一勝も出来んかったな名取。まあ余剰戦力になっていたタイロン
との交換だから働いてくれたら儲けもんくらいの感覚だったのかもしれんけど。
- 474 :
- 丸ーフはそこそこ活躍したし、「西武球団初安打」という記録の持ち主でもある。
だが、ミューサーは外れだった。
対論は長打もあってかなりよかったが、ダンカンがまたも外れだった。
- 475 :
- 外国人は枠の制限でやりにくいが
出来ればセリーグに出したかったろう
>>471
NGだったが盟主がやらかしたから
同年ロッテ入りした福間の契約にどうこう出来ようなかったんじゃ…
他にJリーグでは創設時から自由なレンタル移籍もプロ野球ではずっと禁止な筈だが裏でやってた例出てた
――
https://www.vice.com/jp/article/wj4qb9/suguru-egawa-a-blank-day-part-two
…江川と小林のトレードが成立したため、ようやく江川問題は終結を迎えたと思われたが、トレードを前提とした新人選手の契約は野球協約で禁じられていたため、
他球団は「事前交渉をしていたハズだ」「裏取引ではないか」「間違いなく違反である」と巨人、阪神、金子コミッショナーを非難した。
結局2月8日のプロ野球緊急実行委員会において、金子コミッショナーはトレードへの〈強い要望〉発言を撤回。江川と小林については、以下のようにまとめられた。
・小林は江川との交換ではなく、あくまで江川とは関係のない阪神への無償トレードとする。(阪神から江川への契約金は、巨人が全額支払うことで相殺となった)
・江川のトレードは、野球協約通り開幕以後とする。(巨人のキャンプにも参加できない)
・この件は特例であり、慣例および前例とはしない。
- 476 :
- 西武には西武の家風があるらしいが、俺には俺の家風がある
- 477 :
- テリーは口髭とソウルジャズなハービーマンそっくりの落ち武者風情で愛嬌があったな
テリーはたぶんブリーデン同様にタブチくんに連れられて銀座赤坂六本木三昧で親日家のはず
- 478 :
- 東尾が自伝で毎年祝勝会で銀座に行くたんびに
「普段は飲めないテリーまでがひっくり返って」って書くほどだからマジメ系だったんじゃね
- 479 :
- >>470
根本ダイエーもそんな感じだったな…
>>472
近年では「ヨッシャー!」の時に福留孝介が
3年で好きな球団に行かせてやると言われて
「社会人で3年待つぐらいなら…」と本人も一瞬揺らいだようだが
NPBから移籍前提の入団交渉はダメと横槍が入ってアウトに。
金村に家をプレゼントしてやると言いながら、
実際には仲介手数料を1%割引しただけとか色々あった近鉄だから
3年後には平気で約束を反故にしてたと思うけど(笑)
- 480 :
- >>470
そんなおおざっぱな野球をやっていてよく投手陣から苦情が出なかったな。
野手はともかく投手にとっては耐えられない環境に思えるけど。
- 481 :
- 一転監督兼編成の全権限を委譲
- 482 :
- >>480
野村が西武時代を振り返る際に根本の名は出さずとも、
あのような監督では優勝は絶対に無理と批判していた。
- 483 :
- 根本は広島西武ダイエーで監督をやってたがほとんどBクラスだったからな
ただ三球団とも根本が監督を辞めた後に黄金期が来ると言う
- 484 :
- >>479
近鉄を拒否した福留は、近鉄が準フランチャイズにしてた日生球場の日本生命へ
清原は意中の球団ではなかったら日本生命へ行くと宣言してた
内匠などPLと日本生命は、太い繋がりがあったのかもしれんが
福留が近鉄拒否して日本生命入りは、西武拒否してプリンスホテル行きみたいな感じに思えた
近鉄と日本生命はそこまで近くはないけど
- 485 :
- >>483
地慣らしの名人だろうけど、采配を振るう監督よりむしろコーチ向き。
- 486 :
- 野武士の血を入れ替えた責任者として泥を被るということだろう
普通なら三十路回った田淵古沢を入れるために真弓若菜はあり得ない
吉岡売り頃、竹之内はアリだが、職人芸の基は微妙
デービスはナンミョーホーレンなんで仕方ない
- 487 :
- 阪神は近鉄に田淵⇔梨田、有田ってトレードも打診したが
西本に「非常識だ!」と断られた
- 488 :
- 田渕獲得を要望したのは堤、それとも中村?
- 489 :
- 根本じゃないの
ダイエーの時もまずは全国区(秋山)のスターとってから チームつくり開始だし
- 490 :
- 工藤も
>>486
真弓若菜の78年の成績見ると
即戦力の大砲欲しかったなら仕方ないかも
田淵も全く打てなかったわけでないし
あとは伊東が来るまで捕手併用が必要になった問題か。
- 491 :
- 基の『前科』は知らんか
職人芸がどうのじゃなくて前科持ちだからどうこうなしで放出対象
- 492 :
- 基も黒い霧関連でグレーだったとか?
- 493 :
- 村上も船田も放出されているし基も早く放出したかったんでしょうな
- 494 :
- 嫌々やらされたか知らないが基は敗退行為には加担したんだよな
- 495 :
- 黒い霧で戒告処分
与田益田 敗退行為認定 永久追放
------------
池永 永久追放
村上船田 出場停止一年
基 戒告処分(裁定日までの出場停止処分で相殺)
池永以下の処分はかなり恣意的でなんでこんな差を付けたか今でも疑問の声が残る
買収当時、西武側の「西鉄時代の歴史を消したい」ってのは
結局黒い霧のイメージを抹消したい、ってのと同義だから基はともかく置いとけなかったろうね
- 496 :
- 村上基船田は報告義務怠った程度でたいして深く関わってないんだろ
野手を買収してもたいして意味ないだんだろし
- 497 :
- 投手だけ買収しても八百長を失敗しまくったんで
「野手も買収しないと成功しない」って事で
村上船田基ボレスにも八百長を持ち掛けた
それでボレスが球団に報告して報知の記者にも「うちには八百長選手がいる」と
漏らしたので八百長が発覚した
村上船田基は八百長を断った事は認められたが球団に報告しなかった為
処分された
- 498 :
- 基はどっちみちライオンズを退団したがってた節があった。
76年オフにも中日の藤波とのトレード話があって、基は出る気満々だったのに藤波側がごねて
トレードが流れた経緯も
- 499 :
- https://middle-edge.jp/articles/Bf3do
「オウンゴールをありがとう」と言われ射殺されたコロンビア代表DF『エスコバルの悲劇』
1994年のワールドカップ・アメリカ大会。
グループリーグの初戦を落とし、あとが無い状況で迎えた開催国アメリカとの対戦。1点も与えられない試合で、コロンビア代表のDF・エスコバルが失点に絡むプレーをしてしまいます。
前半35分、アメリカ選手が左サイドからゴール前に入れたグラウンダーのクロスボールを、カットしようと足をのばしたエスコバルでしたが、運悪くカットしたボールがゴール内へと流れてしまいました。
コロンビアはこの後もアメリカに1点を追加され、終了間際に1点を返しますが、反撃及ばず1-2で敗戦してしまいます。これにより、コロンビアの1次リーグ敗退が事実上決定しました。
ワールドカップを戦い終えたコロンビア代表の選手達は、国内での強烈な批判等を恐れ、帰国を一時的に回避します。しかし、オウンゴールを献上してしまったエスコバルだけが帰国を選択しています。
それは「自分はあのオウンゴールについてファンやマスコミに説明する義務がある」と、チームキャプテンを任せられる程のエスコバルの責任感からでした。
まだワールドカップ開催中だった7月2日の深夜。バーで友人と過ごしたエスコバルが、店外に出た際に、暴漢に襲われます。
拳銃を持った犯人は「オウンゴールをありがとう」と言いながら、12発にも及ぶ銃弾をエスコバルに浴びせました。犯人は翌日逮捕されましたが、この事件は衝撃的なニュースとして世界中を駆け巡りました。
当時のコロンビアは犯罪率が高く、殺人発生件数も世界でも最悪とされる程に治安が悪い国でした。この事件の背景には、ワールドカップを対象にした不法賭博の運営組織が絡んでいるのではとされていますが、実際には明らかになっていません。
- 500 :
- サカ豚って聞かれても無いのにすぐ玉蹴りの話始めるよね
- 501 :
- サッカーバスケはルールと戦術を知っても生理的に受け付けないんだわ
何でなのかと考えたらチャラいカジュアルなんだよな
野球も後ろの髪だけ伸ばした角刈り金髪が目立ち始めた頃から観なくなったが
今や甲子園の延長上にいるコンビニ式野球ロボット対戦
やきうと蔑まれても致仕方ない
- 502 :
- 味気なくなった
基本はパンチかスポーツ刈りで、本物に片足突っ込んでるオッサン同士がやるもんでないから楽しくない
アスリート?何じゃそりゃ!?なド派手な空振りで敵と客をビビらす鉄人やら、打った後にバットを放り投げる姿が美しいブーちゃんやらがいない
それは置いといて
基と船田の買収工作には意味があるだろう
二遊間なら何気ない仕草で捕手のサインを伝えられる
打者の目線の範囲内で投げる寸前にミットの位置も教えられる
- 503 :
- >>502
センターラインの選手を買収するのが常套手段らしいね
鶴岡一人、賭け屋との対決
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180509-14
当時、特に関西では野球賭博が盛んで、賭け屋が選手を買収し、八百長をさせることもよくあった。
鶴岡は八百長をするのが投手、センター、セカンドが多いと聞き、自らのポジションをサードから一塁にし、
選手を観察することにしたという。
さらに警察とも連携し、怪しい選手は婦人警官らに尾行してもらい、徹底的に調べ上げた。
そのうえでやった前科がある選手だけでなく、賭け屋との接触があり、陰でやっているか、
今後やりそうな選手もすべて解雇したという。
- 504 :
- この最初の3年で福岡時代からの選手が大量に戦力外になって
他球団に拾われた選手も結構いたけど、そのチームで活躍した選手は
残念ながらほとんどいなかった。
- 505 :
- >>504
後々横浜ベイスターズでも同じことが起きたけどやっぱり活躍しなかったし
やっぱりそんなもんなんだな。
- 506 :
- 移転時に竹之内、真弓、若菜、基、倉持と売れ筋は出尽くしているんでな
逆に1年だけ確変の吉岡を出して、若くてユーティリティータイプの行沢を取るなど上手いトレードを成立させている
- 507 :
- 福岡時代の主力で残れたのは
エースの東尾、土井正博、大田卓司なんてとこかね
- 508 :
- セニョール・パでネタ扱いされまくとった立花やら山村もおるでよ
- 509 :
- >>506
あと古賀も出した。
一方で、1977年にエースクラスの働きをみせた山下は残し、通算100勝を西宮で達成させた。
高代とか古屋が出てきて、行沢の出番はないと日ハムは判断したかな。
- 510 :
- 広岡の指導でもバントさせられなかった田淵
- 511 :
- 広岡と川上が険悪な仲になった理由が書いてある
有藤と山崎が対談で「榎本さんと江藤さんは打撃は凄いが一塁守備は酷かった
一塁が前田になってから守備では助かった」と言っていたそうだが
川上の一塁守備も酷かったらしい
守備も一流だった王は凄いんだな
広岡達朗&森昌彦「遊撃の“貴公子”とV9“陰の主役”がつないだ黄金の歴史」/プロ野球20世紀の男たち
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191128-00000004-baseballo-base
1年目は失策も多かったが、一塁手が手を伸ばせば捕れそうな“悪送球”で失策となったケースも少なくない。
一塁手は川上哲治だ。“打撃の神様”だが、その守備は、同期で二塁手の千葉茂に言わせれば、“員数外”。
ただ、これを1年目の遊撃手が「あれくらいの球、捕れなくて何がプロだ」と吐き捨てると、事情が変わってくる。
この発言を聞いた記者が川上に告げ口したことで、2人の関係はギクシャクし始めたという。
- 512 :
- 田淵は守備が下手だし、鈍足だし、節制しなくて肥満したりで、いかにも広岡監督に
嫌われそうなのに、案外、好かれていたらしい。
広岡監督は田淵のような華やかなスター選手が好きな一面もあった。
いつも田淵が四番で、チームの主砲だった。
- 513 :
- 広岡は長嶋の客に魅せる事を意識した守備が嫌いだったって話だね
投手が捕った方が早い位置に転がったゴロを
「あの位置は三塁手が魅せる上で一番美味しいんだ」と飛び出してきて
捕りに行ったり
- 514 :
- ファースト以外のゴロは全部捕りに行こうとしたからな
- 515 :
- 20年ぐらい前に
ゲンダイで山崎裕之が上げた懐古ネタだと就任時は田淵の出張った腹を一喝したらしい。
- 516 :
- 何故ロッテは山崎を西武に放出したのかな。
交換相手の古賀と倉持は確かに戦力になったがそこまでして投手が欲しかった?
山崎が放出されなかったら落合は内野に空きが無くそのまま埋もれていたかもしれんけど。
- 517 :
- ・木樽、成田、留広の3本柱が消えて兆治しか残っていない
・三十路の二遊間は当時なら峠の年齢
・即戦力落合の獲得
・リー兄とミスターロッテの有藤に加え、リー弟獲得でクリーンアップ、1番には弘田がいる
- 518 :
- >>516-517
もともとは広岡が山崎を獲得したがっていてロッテ側も乗り気だったが
ヤクルト側の選手がトレードを拒否した
ヤクルトは甘い体質でそういうワガママも許してしまう
トレードご破算でロッテ側は放出する気だったので山崎が浮いてしまった
そこに西武が獲得したいとオファーして成立という流れ
>1978年オフから1979年1月
>・山崎裕之「ロッテ」−安田猛「ヤクルト」
>・山崎裕之、岩崎忠義「ロッテ」−西井哲夫、渡辺進「ヤクルト」
>・v2を目指すヤクルト広岡監督は山崎の野球センスを高く評価。正遊撃手に据えたい意向だった。
>しかし、ほぼ合意に達しながら安田が強固な移籍拒否、ご破算になる。
>年末にかけてヤクルトは再び「山崎獲り」に動く。今度こそ成立したかと思われたが、
>西井、渡辺両選手が球団幹部に残留を直訴。トレード不成立が伝えられたのは年明けの事だった。
- 519 :
- 水谷の守備を高く評価していたが、レギュラーに据えるのは不本意だったのか。
というか山崎はプロでは二塁手メインだよね。
- 520 :
- >>519
プロ入り当初は遊撃手だったが、肩を痛めたか何かで二塁に移ったんじゃなかったかな
1969年以降はほぼ二塁手で、遊撃を守ったのは5試合のみ
- 521 :
- ヒルトンを三塁にまわして山崎を二塁って構想だったのかもしれんね
ここら辺は広岡に聞いてみないと分からん
- 522 :
- 広岡監督は山崎を高く評価していた。
守備、打撃、野球知識のそろった名手で、いかにも広岡好みの内野手だ。
山崎も広岡監督を尊敬していて、山崎の背番号2は、広岡の現役時代の背番号2を
意識していたらしい。
- 523 :
- >>520
スペンサーが(多分デッドボールの報復で)、二塁に進塁した時にベースカバーに入った契約金5千万で話題となっていた山崎に体当たりして彼の右肩をダメにしたんよ。
その時の様子を当時阪急ヘッドコーチだった青田は
「デッドボールを喰らった時、普段なら激怒して大暴れするオスペが黙って一塁に歩いてったんよ。こりゃ何か企んどるぞ気を付けんと・・・・思っていたら、二塁に進んだ時に
二塁カバーに入った山崎に思いっきり体当たりして脳震盪喰らわせよったわ。」
と語り、当事者の山崎は引退してかなり経った際のインタビューでもまるで昨日の出来事のように激怒していたっけ。
- 524 :
- >>518
西井はその後、倉持とのトレードでロッテに行った
- 525 :
- >>506
今だとそれだけのレギュラークラスを放出するのなら
見返りに将来性の高い若手を7〜8人くらい獲得して不思議ではないが、
そこまで若手強化に振り切ったわけでもないよね。
- 526 :
- 松沼兄弟とか杉本森繁大石とか
ドラフトで補充した感じ
- 527 :
- >>526
松沼兄弟はドラフト外
- 528 :
- 松沼兄弟はあの当時に巨人と争奪戦をして勝ったのが凄いね
セとパでは人気に大きな差があった時代なのに
- 529 :
- >>526
杉本は1981年、大石は1980年入団。
あと、1978年〜1980年オフのドラフトでは、各球団4名までしか指名出来なかった。
だからドラフトでの乱獲は無理、ドラフト外で多く取る必要があった。
- 530 :
- >>525
投手陣は若手強化に全振りしたと言っていいかな。
1位で4球団競合の森繁和をゲット、2位は南秀憲を近鉄と競合負けで柴田保光、(3位の山川猛と4位の黒原祐二はともかく)、ドラフト外で松沼兄弟。
これだけ即戦力クラスの新人を取れるなんて、そうそうない。
南はプロ野球では全くダメだったが、今は司法書士だそうな。
- 531 :
- >>528
兄弟揃ってスカウトする方針で西武が勝ったって報じられてたね。
松沼兄の方は社会人屈指の好投手だったけど既に26歳だったので
もうプロ入りは無いだろうって思われていたし。
- 532 :
- 1979年は投手陣は一気に若返ったけど、野手に関しては質の面で後退した感がある。
この守備陣をバックに投げていた投手たちはご愁傷様ものだよね。
特に森なんか相当守備に足を引っ張られていたし、よくメンタル病まなかったものだと思うわ。
- 533 :
- >>532
パのエラー王・山村だけが前年の内野陣から唯一残っていたのが皮肉。
- 534 :
- >>532-533
田淵獲得のために真弓と若菜を放出しちゃったからね
- 535 :
- >>533
そんなエラー王(と山下)で片平と黒田を獲得した西武の補強のうまさよ
この時代の南海はトレードがことごとく失敗して上田に「補強じゃなくて補弱や」って揶揄されてたな
- 536 :
- >>531
兄弟で契約金1億5000万出せば西武に行かせると松沼の父に言われるが、それを用意して
太平洋〜クラウンの貧乏時代を知る坂井保之も驚いたんだよな
- 537 :
- 山村兄の暴投はすさまじかったな
南海はかつての強力な内野から最低になっていった
- 538 :
- 山村は西武二年目から外野に転向させられ、移籍した南海でも外野メイン
移籍当時の南海内野は河埜藤原定岡でノムが自ら育てた自慢の守備ラインが
残っていたが、藤原引退、河埜外野転向、定岡アキレス腱断裂、久保寺急逝で
一気に劣化して山村も三塁に再転向
- 539 :
- >>538
藤原はまだレギュラーなのに引退したよな。
昔はそういうのあったけど、
層の薄い弱小チームがやることじゃないわ。
- 540 :
- 当時の南海はチームを強くするよりも年俸削減が至上命題だからね
コーチ就任で藤原の年俸は1/3くらいに減ったんじゃない
新井の放出も全く同じ理由
- 541 :
- 西武は79年オフドラフトで1位に岡田を指名。
外れると新外人には三塁手のダンカンを獲得。
ダンカンはいまいちだと後期からスティーブが来日。
山村の三塁守備は重大な懸案で、外野コンバートは決定事項であり
三塁に戻すつもりは無かったことが分かる。
- 542 :
- >>532
「がんばれタブチくん」では東尾が「男は玄関を一歩外に出れば
七人の敵がいる」とザル守備陣を皮肉るネタがあった。
- 543 :
- 山村って石立鉄夫みたいなもみあげをしていたとっぽい顔の選手だっけ?
- 544 :
- 山村で片平晋作を取れたのに広岡は年齢面(当時山村は26歳、片平は32歳)をダシに
明らかにうちの方が損とか言ってたけど、どう考えても実績から見てブラフだったな。
山村は大阪出身(大鉄高)だから地元へ帰った方が力を発揮しやすいのではという
根本の配慮があったんだろうけど。
- 545 :
- >>538
三塁で再び起用されるようになった頃の山村は守備もまともになっていた
ってイメージを持っていたのだが、記録を見てみると守備率はエラー王時代と
ほとんど同じだった。南海だったからあまり取り上げられる事が無かった
というだけのことだった。
- 546 :
- 一年目の西武のライバル?は南海、唯一背中が見えた。
もし南海がなければ記録的な最下位だったろうな。
- 547 :
- 1981年は四位だけど得失点差はリーグ最高
- 548 :
- これどう思いますか?書いた本人は当たり前だと主張
↓
殿堂板「変えたほうがいいルールや決め事」 にて
2019/12/02(月) 17:55:13.50ID:OowhLA5V
>>560
そもそも日本シリーズに興味を持たれなくなることの何が問題なんだ?
日本シリーズなんてたかだか7試合しかないんだぞ
たった7試合のためにペナントの数十試合を犠牲にするほうがバカげてる
- 549 :
- >>540
一体、何が楽しくて球団経営していたんだろ。こんなのオーナー川勝のエゴでしかない。
- 550 :
- >>549
関西私鉄チーム(特に南海と近鉄)は労組がガンだった。野球自体に興味無く、
チームの存在を不良債権扱いしてた
- 551 :
- 南海については川勝以外の上層部はみんな球団を売りたがっていた
川勝が亡くなったら電光石火の早業でダイエー売ったからね
- 552 :
- もし南海がさっさとチームを手放していたならば
西武ホークスやダイエーライオンズが誕生したりしたのかなあ
- 553 :
- >>551
わずか数か月の間のあっという間に話まとめてたよな
- 554 :
- パ・リーグ関西3球団は面子だけで球団持ってると言われていたな。
実際問題、関西に4球団は多すぎた。
- 555 :
- >>553
阪急の電光石火ぶりがもっとすごい
イメージ保持のため絶対に一番手で売りたくなかったのを
南海の動きを三和経由で仕入れてあっという間にオリックスに売却
88年の連続売却劇は結局三和銀行M&A部隊の暗躍によるところが大きかったと
『1988年のパリーグ』では記している
- 556 :
- 阪急は最後のオーナーだった小林公平(小林米三の娘婿)がブレーブスにはさほど愛着をもたず
宝塚歌劇団ばかりに力を入れてたから、三和銀行の球団売却話に乗ったというのも
当時の三和銀行は阪急・南海の身売り話を仕掛けて暗躍したヒール役
- 557 :
- 地元のラジオ関西でビバ!タカラジェンヌっていう紹介番組が
今も40年近く続いてるそうだが確かに平成入ってからあの業界も多少賑わい増した感出てたな。
反面、当時の同局の中継番組は基本、RFジャイアンツナイターの送り受けが殆どで
自社制作の中継はあんまやってないんだが
たまにやるのかホームのオリックス戦だったらしいけど…
- 558 :
- まあ球団と歌劇団のどちらを売るか(どちらが売れるか)を考えると
どうしても球団になっちまう罠
後に「タカラヅカのほうも売りましょう」と銀行筋から持ちかけられて
担当者が出禁になったとかならなかったとか
(ちなみに売却先は吉本興業だったとか)
- 559 :
- >>547
西武ライオンズの一年目は近鉄や阪急にサンドバッグ状態にされていたのに
たった3年後には優勝だからね、いかに急速にチーム力をアップさせたか分かる。
- 560 :
- 鷹…11年
鷲…9年
- 561 :
- 今ではドル箱のタイガースが阪急の傘下になったので企業としてはそれが正解だな
- 562 :
- 88年の夏に三和銀行主催で三水会の視察旅行に阪急とオリックス(当時はまだオリエントリース)も参加したが、その際にオリックスの誰かが「我が社も球団持てたらいいのに」と言ったのがきっかけ
翌年に社名変更することが決まっていたから、宣伝で球団買収しただけ
- 563 :
- 福岡ソフトバンクホークスを応援しよう!|西鉄旅行
https://www.nishitetsutravel.jp/hawks/
西鉄、福岡オープントップバスで「ホークスコラボツアー」実施
https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1213800.html
- 564 :
- 昔は交通が不便だったので、首都圏や関西に球団が固まっていたのではないかね?
西鉄の選手は在来線の夜行列車での移動で、大変だったらしい。
交通が便利になれば、地方へ球団が散らばっていくのも必然の流れだったように思う。
- 565 :
- 平和台球場と猫屋敷とでは前者の方が都会だわな。
- 566 :
- >>561
阪急グループにとっても、所有チームが閑古鳥のブレーブスから
人気チームのタイガースになって万々歳だろうね。
ところで所沢移転は1979シーズンからだけど、西武グループは
最初から既存のチーム買収を前提に球場を作ったの?
それとも、当時リーグ拡張案とかがあって、それに乗って球場を作って準備したの?
- 567 :
- 国土は横浜スタジアムの建設に関わっていて
堤は当初はホエールズを買収したかったんだが頓挫して
それでライオンズ買収→首都圏に移転に方針を変えたらしい
- 568 :
- >>566
貸し球場として建設。
78年夏頃のスポーツ紙には「セリーグ、来季の巨人戦開催を検討」「大リーグ公式戦も誘致も」…etc.という見出しも。
しかし、当時週ベにあった球界の話題を扱うコーナー記事「プレスセンター24時」には
2年以内に既存の球団を買収して本拠地化と報じられたほか、
「国土計画、西武ドジャース(仮称)」を設立しセリーグへ新規加盟か?」
といった憶測記事すらあった。
因みに球場名には仮称として「西武所沢球場」と用いられていた。
- 569 :
- まさか一番遠い福岡のチームを買って持ってくるとは
この時点で予測してる人は殆どいなかったのかな
- 570 :
- 福岡野球のライオンズは潰れる寸前だったので買いやすかった
堤の「負債を肩代わりするが所沢に移転」という条件も
福岡財界からさんざん嫌がらせをされていた中村・坂井はあっさりOKした
- 571 :
- >>570
むしろ中村・坂井からしたら、福岡にしっぺ返しが出来るんだから、願ったりかなったりだ
- 572 :
- >>567, 568, 570
そういう背景だったのですね、ありがとうございます。
- 573 :
- >>552
田淵や門田や片平がライオンズ球場のスタンドに
白球を飛ばし
松沼兄弟やベテラン山内をリードする伊東が
見れたりしたのか
- 574 :
- 全盛期のニャンコが快投するライオンズ
- 575 :
- >>511
それは広岡の一方的を言い分を鵜呑みにしてるだけ。
この前死んだ後藤修という一時巨人にいた人は、
「川上が打撃のことばかり考えて守備はおろそかだったというのは嘘。必死に守ってくれた」
と回想してるからね。
千葉にしても巨人監督の座を争って負けた奴だし、
かなり私怨が入ってバイアスかかってるわ。
- 576 :
- 必死でやるのは当たり前
守備が拙かったのは川上本人も認めている
それでも最後まで改善できなかったのだから「あいつはうわの空で守っている」と疑われても仕方がない
- 577 :
- 張本の外野守備も酷かった
東映時代に
「オレが悪いとしたら、どこが悪いのかはっきり言ってくれ。お願いだ!」と訴えたら
ナインから
「守備面で構えがないからスタートが遅い、カバーリングが悪い、個人記録を追い過ぎる」と
批判されまくったそうだ
- 578 :
- >>542
確か「僕の場合は8人」って溢してたんだっけ?
- 579 :
- 1978年の田淵獲得トレードを確認すると、
タイガース: 田淵幸一、古沢憲司 ⇔ ライオンズ: 竹田和史、若菜嘉晴、真弓明信、竹之内雅史
スターの田淵を獲得するのにそれなりの選手を放出しないといけないのはともかくとして、
田淵とセットで獲得したのが古沢ってのはタイガースに足元を見られたのかな。
古沢獲るくらいなら、もう少しマシな中継ぎ投手とか守れる二遊間の選手を
という話にならなかったのかね?
根本なら、当時のライオンズ守備陣がショボいことくらいわかっていたと思うけどな。
- 580 :
- >>579
当時の阪神の内野手だったら、中村に榊原、あと渡辺って選手もいたね。
この中の誰か一人取れていれば山崎が怪我したとはいえあれほどの
守乱にはならなかったかな。
- 581 :
- >>579
真弓の代わりの遊撃手は石毛をプリンスホテル経由で獲得することにして
それまでの2年間はひたすら辛抱、の想定
‥‥という話をどこかで読んだ気がしなくもない
- 582 :
- >>579
当時のライオンズは先発投手がとにかく足りなかった。23勝をマークした東尾が303イニング登坂するほど
(しかもチーム唯一の二桁勝利投手、上に近鉄の鈴木啓が25勝したため最多勝になれなかった)だったし、
大ベテランの石井茂雄も自由契約で退団して他は山下律くらいしかいなかった。
森繁や松沼兄弟を獲得したとはいえ、実力は未知数だったのも
- 583 :
- >>579
阪神とのトレード相手が田淵・古沢じゃなく田淵・藤田平だったらどうだっただろう?
まぁ成立しないだろうが
- 584 :
- 82年に古沢憲司出してまで高橋直樹取ったのもその時も先発投手が足りなかったのだろうか
ただこのトレードは高橋直樹にとって大成功だったな
- 585 :
- 81年で引退した守備の人広瀬宰
ものすごいベテランというイメージがあったが引退時で34歳だった。
79年の守乱の時もこの人を使ってればあんなにエラーボロボロには
ならなかったんじゃなかろうかね。
- 586 :
- >>584
西武にとっても大成功だよ
- 587 :
- >>579
田淵の知名度が新球団に必要だったのはわかるけど
今見れば真弓と1対1でもお互いwin-winだな
- 588 :
- 西武側は多少損をしても田淵の知名度が欲しかったってのがあったからね
結果的にはこのトレードは両球団とも成功だった
大型トレードでも落合のトレードは中日が得してロッテが損した感が強い
- 589 :
- >>576
広岡うっせーな
- 590 :
- >>584
西武時代の古沢は期待外れ
「出してまで」というほど出血感はなかったし、いくら広島で散々な状態だったとはいえ古沢プラス1名で高橋直樹が獲れたのは驚きだった
- 591 :
- セリーグ向きじゃなかったケースか
他所で活躍ならタダ同然でもイイかって
- 592 :
- >>576
当時の一塁手が打つけど守備は下手なのが多かっただけでしょ。
強打の外人が一塁手になる前の時代だっただけ
- 593 :
- >>582
それで前年4勝16敗で防御率もボロボロな古沢でもいいとなったのか。
結果的に、田淵の影響もあってかライオンズの知名度が上がったのはプラスだが、
田淵がそこそこ活躍したのは巨人と日本シリーズをやった年くらい。
単純に成績だけを見たら、このトレードは阪神1人勝ちでしょ。
- 594 :
- >>593
78年の阪神は後藤クマの無計画なチーム刷新が完全に裏目に出てた。
投手のローテーションも解体され(元々は抑えだった山本和行の先発転向をあっさり認め、代わりの抑えはエースの江本が先発と兼任)
その煽りを受けて大幅に負け越していて、77年までは先発ローテーションで二桁勝利が計算できる投手だった
- 595 :
- >>593
よく言うわ
田淵はシーズン前半にホームラン量産して、
王の記録越しそうなハイペースだった年があっただろ。
デッドボールでダメになったけど。
優勝した年か次の年か何年だったか忘れた。
- 596 :
- >>593
阪神も、1978年はクラウン並に投手陣がボロボロで、古沢より上の成績となると、11勝13敗の江本、9勝6敗の池内、5勝10敗の山本和くらい。古沢でもまだマシな部類だった。
一方で、阪神は、真弓がまさかここまで人気と実力を備えて長く活躍出来る選手になるとは思ってなかったろう。
- 597 :
- >>595
それ593のいう「巨人と日本シリーズをやった年」(1983年)
- 598 :
-
晩夏にこんな明暗コラも誌面に飛んだが
終わったら2本差で門田がHR王。
――
テリー 『西武優勝ッ♪♪ ボクHR王っ!!!』
田淵 『死球さえなければ…、』
- 599 :
- >>593
>>595
80年の43本97打点。これが西武でのキャリアハイな。
後期優勝争いで爆発した打線の軸になった。
王の記録越しそうになった年ってのが83年で巨人とシリーズやった年。
このトレードの損益計算は
知名度以上にのんびりとした田淵のキャプテンシーが西武ナインとマッチして
広岡管理野球の空中分解を寸前で阻止したとか、田淵が打つとベンチが異常に
盛り上がって田淵不敗神話(ホームラン打った試合は負けない)なるものができた
成績よりも存在感が大きくて、これだけで西武はトレード大成功だったと思ってるよ
- 600 :
- >>584
広岡は、開幕構想では森繁、東尾、松沼博、松沼雅、杉本でローテを編成して
中でも森繁を軸にしようと考えていた。
その森繁が開幕からイマイチの投球成績で5月には救援転向。
ただその森繁の穴には若手の西本を抜擢して一応ローテは5枚揃ってたんだよなあ。
西本は1ヶ月くらいローテで活躍したが、得意のシュートでの内角攻めを某選手に
威嚇されてからは一切できなくなってしまい、先発失格→その穴に高橋がすっぽりはまる
という流れ
お互い余剰戦力同士を交換して西武にツキがあったというところか。
- 601 :
- 真弓が阪神で打撃がグンと伸びたのは中西太のコーチングのおかげかね?
- 602 :
- 真弓を出した穴は、石毛の入団で埋まった。以後、ライオンズは「打てる遊撃手」を
次々に輩出することになる。
若菜を出した穴は、ベテランの野村、黒田でつないで、伊東が長く正捕手を務めた。
古沢は期待外れだったが、高橋直樹と交換できたのは大きい。
田淵のおかげで人気球団になれたし、西武にとって結果としてよいトレードだった。
- 603 :
- 西本和人って広岡時代までと思ったら
平成入ってからのが登板数多かったのか…
森が使ってたのはもう小田とか山根ぐらいと刷り込まれてたが
- 604 :
- 阪神側にとっても守備の人でとった真弓が打撃でも覚醒してくれたからね
両チームにとって良いトレードだった
- 605 :
- 竹ノ内「おいらの事もたまに思い出してください・・・・」
- 606 :
- >>602
豊田泰光・ロイ「俺も強打の遊撃手として鳴らしたんだけどな」
- 607 :
- 根本は田淵や秋山のような新しいチームの顔になるような選手をトレードで獲得してチームの血を変えて行った
西武もダイエーも旧ライオンズやホークスのメンバーを粛正することによって強豪チームの礎を築いた
東映時代の選手をやみくもに放出して行った日ハムとの違いが昭和後期〜平成初期の強さの違いか
- 608 :
- >>602
石毛は確かドラフトでブレーブスと競合しての獲得なので、幸運だったといえる。
石毛を取れなかったらどうなっていただろう?
1979年に入団した即戦力3人(松沼兄弟、森)が投手陣の軸になり、
ルーキーの石毛は1年目から3割20本と大活躍。
結果オーライの部分もあっただろうけど、埼玉移転3年目にして
1年目のボロボロな守備、アバウトな打撃陣から大きく進歩したというところか。
- 609 :
- その辺の運含めて西武はすごかったんだよ
○森繁和
×岡田彰布
○石毛宏典
×高野光→渡辺久信
×広澤克実
○清原和博
欲しい大物は引き当て、外しても代わりもしくは翌年によりよい選手を引き当てる
岡田と石毛のキャプテンシーは両立しないだろうし、
大学No1の高野よりも渡辺の方が活躍するとは誰もが思ってなかっただろう
広沢が取れてれば清原の年は桑田か長冨か伊東にいってただろう
引き当てて大外れだったのは立教の野口くらい
このドラフト一位の運と、下位での穴指名、ドラフト外
練習生囲い込み、プリンスでの囲い込み(他球団への妨害)
ここまで徹底してやったから短期間で強豪チームができあがった。
残念ながらダイエーは運がなくて、ドラフト外もなくなって社会人チーム(ローソン)での
囲い込みもチーム結成で出遅れ、その分西武よりも初優勝まで時間がかかったんだと思う
- 610 :
- >>608
そのまま残留して翌年は他球団も指名を見送って単独指名だろうね
阪急がどのみちドラ1を西武に奪われる形に
プリンスの選手は給料の方もそれなりによかったらしい
- 611 :
- >>610
金村いわく
「近鉄よりプリンスホテルの方が待遇が良かった」と
言ってた選手がいたそうだ
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190504-14
というのも僕は、中日、西武も経験していますけど、待遇の悪さという点では、
近鉄が際立っていました(苦笑)。社会人の延長みたいな感じで、
プリンスホテルから入団してきたヤツが、プリンスのほうがよかったというぐらいの球団でした。
- 612 :
- ハムの親分は東映選手が放出されてく段階で
81年の日本シリーズ進出をピークの優勝争いに絡むようなったから直接要因ではないんじゃ…
- 613 :
- >>609
野口って古舘のお名前番組に出てたな。
夫婦同姓同名。
>>611
石井かな?
- 614 :
- >>609
ライオンズは埼玉移転後4年、ホークスは福岡移転後11年で日本一になったけど、
ホークスがここまで時間が掛かったのは裏技が使えないために
選手層を厚くするにも時間を要したことが一因だと思うよ。
ホークスのときはドラフト外もなくなったから、後はよそより金を掛けて逆指名する、
FAでよそより金を積んで実績のある投手を入れるといった金パワーしか選択肢がなかった。
- 615 :
- >>614
ホークスと西武のコーチ監督の差。
- 616 :
- >>614
ライオンズは他球団がヘタレていた時期に上手く勝ったけどホークスはライオンズ相手にしなけらばならなかったからねぇ。
- 617 :
- 王監督と広岡監督森監督の差
投手コーチ村田ちょうじと八木沢さんや宮田さんとの差
- 618 :
- 当時の西武の球団経営へのお金のかけ方は、それまでの球界の常識を破るものだった。
新人選手の契約金も高かったし、監督の年俸も高かった。
洗練されたデザインの球場を自前で作った。外野席は芝生が敷かれ、ホームランが
出ると花火が上がるのも、当時としては斬新だった。
まだ巨人に権威があった時代に、「巨人と球界の盟主の座を賭けて戦う」姿は、格好よかった。
吉永小百合、ばんばひろふみなど、芸能人の中にも西武ファンが現れた。
「何かをやってくれるすごい球団が現れた」印象があった。
- 619 :
- 西武がチームを強くするために広岡を招聘したのは納得だが
なんでホークスは監督未経験の田淵だったのかってのがあるね
せめて古葉を呼ぶとかできなかったのか
- 620 :
- >>141
後付けキモい
- 621 :
- >>619
古葉は大洋での失敗のイメージが強いからかな
- 622 :
- >>616
途中でバファローズ優勝が1回あったけど、それ以外はずっとライオンズ優勝していたからね。
根本が監督に就任するまでの3年間は何を残したのかね?
- 623 :
- >>618
まだ神宮ハマスタ甲子園のHR花火は無かったか。
広島の場内ファンファーレが75年辺りからか…
- 624 :
- >>619
西武は最初は長嶋を監督に招聘する考えだったから、勝負より人気球団を目指した
のではないかと思う。
阪神から田淵を獲得したのと動機は近いかも知れない。
一方、上田を監督に招聘する計画もあり、この計画だと勝負を重視したことになる。
監督が広岡にならなかったら、その後、森も監督にならなかったし、西武は別の
歴史を歩んだかも知れない。
- 625 :
- >>624
このころ広岡と森は蜜月だったのかな?? 80年オフに巨人は森を招へいしようとした
が森に拒否されて広岡と共に西武にいった。
森が巨人選んでたら西武は広岡辞任後やばかった
- 626 :
- 森が監督にならなかった西武ライオンズか。
ちょっと面白いね。
まさかの近藤昭仁監督ってことはなかっただろうけど、一応広岡門下生なんだよね。
- 627 :
- 西本監督の西武
ノムさん監督の西武
ミスター長嶋の西武
それぞれどうなったものか
- 628 :
- 80年で伊原が引退し、81年からコーチになるわけだけど
改めて現役時代の成績を見てみるとレギュラーだったのは一シーズンだけ
しかもこのシーズンは三塁手で山村並みにエラーしまくり。
正直守備も打撃も良くなければ脚も無い。
まあ指導者の適性は現役時の成績とは必ずしも一致しないにしても
西武の首脳陣は良くコーチに抜擢したなあと思う。
- 629 :
- >>627
野村は現役最終球団が西武だし、若手投手の指南役でもあったので、監督候補として
有力だと思う。しかし、ロッテ時代は金田の後釜として監督候補になったけど、
西武では監督候補になった話を聞かないね。堤オーナーに気に入られてなかった
のだろうか?
西本は育成型の指導者なので、根本とかぶってしまうと思う。
日本シリーズでは多分勝てなかった。
- 630 :
- 根本采配を「なにもしない」「言ってることが意味不明」と
評論家になった途端ボロクソにこき下ろしてたからなノムは
野球観というか、それぞれのやることがあまりに違いすぎて相交わらなかったのだろう
という根本の眼鏡にかなわない人物だったので野村西武はまずあり得ない
- 631 :
- 野村は幸代との例のゴタゴタで南海監督されて3年しか経っていない
監督なんかできない
- 632 :
- 根本はライオンズ時代に長嶋に、ホークス時代には王に監督を要請したそうだけど、
意外とミーハー体質なのかな?
それとも野球は勝ち負けよりもエンターテインメントと割り切っていたのか。
- 633 :
- スター監督は有能コーチ陣で固めようとしたのがダイエー時代なんじゃ…
- 634 :
- 広岡監督の後任に田淵監督でもそれなりに勝てたかも
- 635 :
- >>632
攻撃重視の監督が好きなんだと思う。 野村・古葉って大砲育成下手だししようとしない。
根本さんは96年のダイエーの構成ですら野手重視のドラフトしたし。
根本さんのドラフト方針は良い野手がいるときは投手犠牲にしても獲得しろだし
- 636 :
- 実際に根本が去った後の西武の白にゃんこ打線っぷりを見たら野手中心の根本の考えは間違いではないって思うわ。
- 637 :
- この記事に長嶋にオファーした事が書いてあるが
堤が熱望したんだそうだ
【虎番疾風録第3章】(83)長嶋獲得へ西武の熱き思い
https://www.sankei.com/sports/news/191207/spo1912070001-n1.html
- 638 :
- 古葉・野村・森・落合は大砲育成できずに去っていった。 原もそうなる系統かな
- 639 :
- 失敗すると阪神や広島みたいになる
- 640 :
- 根本は広島 西武 ホークスと良い伝統を作る
- 641 :
- 広岡と森って球界でも1位2位を争う仲の悪さだよね???
野村長嶋よりひどそう
- 642 :
- 森の方が性格的には大人なのと
ハワイで悠々自適なので日本球界に絡んでこないから
もう表面化しないだろうな
個人的にはジャーマンの幼稚な性格で作る敵対関係が一番たち悪そう
- 643 :
- 森の人間性は否定できても、野球自体は自分のバージョンアップだと認識してるから
それ以上たたけない
かっての腹心が袂を分かったというと野村高畠もそうだな
- 644 :
- 森は現役時代にどんな手を使ってでもライバル捕手を潰したと言うのがちょっとなw
広岡は黒江に親切に教えてあげたと言うのに
黒江透修「何だ、そのお茶のいれ方は」最初は戸惑った広岡さんの教え
https://www.sanspo.com/baseball/news/20151013/gia15101311000001-n2.html
- 645 :
- ――今の時代、なかなかそこまで断言してくれるリーダーは少ないですね。
では再び広岡監督が実現した際のヘッドコーチはどなたですか?
広岡 森祇晶しかいないでしょう。森は選手を育てることはできないけれど、
とにかく頭が良くて参謀として優秀。私は今でも、彼の能力は買っていますから。
https://news.nifty.com/article/sports/athletic/12176-473708/
広岡はまた監督やるんなら参謀は森がいいらしいww
- 646 :
- >>641
今の長嶋野村は、仲悪くないから、ダントツだろうね
- 647 :
- >>645
広岡 必勝法、必敗法、それぞれ70ヵ条ずつあって、例えば「必勝法?常にベストコンディションを保て」「必敗法?ベンチの中の弁護士は嫌い」とかね。これはベンチで言い訳するヤツはいらないという意味。
西武のときはみんなに覚えさせて、たまに名指しして答えさせました。でも、田淵幸一には事前に「おまえにはここを当てるから、こう答えろ」って伝えておいてね。ベテランに恥をかかせるわけにはいかないから(笑)。
こんな気遣いする人だったんだなw
- 648 :
- >>647
東尾は反抗して絶対覚えないだろうし、田淵は本当に覚えられない気がする。
広岡監督は実績のあるベテランが自分に反感を持つことも織り込んでいて、表面上は
自分の言うことを守っているようにしてくれれば、適当に見逃すというタイプだと思う。
そういう柔軟さがあったから、広岡体制は持続したのだろう。
巨人の現役時代、別所コーチが主力選手と対立して失脚したことなども念頭にあった
かも知れない。
- 649 :
- ホークスは強くなるまでに時間がかかった半面、黄金時代は長く続いた
ライオンズは逆、すぐ強くなり、あっという間に転落した
- 650 :
- 現在2連覇中のチームが転落なんだ…
- 651 :
- 日本一が…
- 652 :
- >>649
広岡森東尾伊原伊東の26年連続でAクラスに入って
14回優勝するくらいの黄金時代になってから来た方がいいね
西武がダメになってもなんだかんだ最下位になったりBクラスに入ってるチーム
- 653 :
- >>649
ホークスアンチかなって思うくらいの贔屓の引き倒し
- 654 :
- >>632
それぞれオーナーの希望だっただけ。
王の場合は中内オーナーが王が抱える負債の肩代わりまでしちゃったので、オーナーの希望通りに王がやってきた。
- 655 :
- 中内Jr.は92年秋に上田監督招聘で動いていたのが
反Jr.派が根本を担ぎ出して逆転したらしいね。
この時、根本じゃなかったら後に王になってないし
その後にダイエー本体が傾いたり、スパイ騒動があったりしたときどうなったんだろうな。
福岡ホークスの歴史は全く変わってたと思う。
- 656 :
- >>654
ダイエーの時は古葉ってウワサ出なかったっけ?
だから王ダイエー初年度のコーチ陣に古葉人脈が数名いたという話をチラッと聞いた
- 657 :
- その通り。95年は寺岡ヘッドコーチ、高橋慶彦、達川がコーチに。ある時点までは確実に古葉監督招聘だったが、何故か
コーチ3人が残った。で、慶彦と達川は広島時代から不仲だったとかで西武球場の試合前に大ゲンカをおっ始めた(笑)
- 658 :
- 古葉は上田と共に根本と不仲だったはず
上田が根本と喧嘩別れした年のオフに古葉は南海へトレードされたから
それから25年も経ったから多少は仲直りしたかもしれないが、この話はどこまで本当かわからない
- 659 :
- ゲンダイみたいな適当なレスだなあ
- 660 :
- 昭和50年の優勝の時に「カープの外へ出て勉強してきたのが良かった」みたいに語ってた気がするんだけど。
それはそれとして恨んではいるのかな。
- 661 :
- >>655
杉本正が95年ダイエーの2軍投手コーチなったけど根本じゃなかったら実現しなかった
実現しない方が良かったけど。どっちにしろ東尾がコーチで呼ぶから
指導者にはなっていたのだろうけど
- 662 :
- 頭のおかしいアンチ杉本大石いるよな
上のやつだろうが
- 663 :
- まあ間違いなくネタとしてネットで拾ってきただけで
実際のピッチングは見てないだろうなあ
- 664 :
- どの球もすごいというわけでなく
強いて言えばスクリュー、それすら日本シリーズの一番いい場面で
真ん中に入って中畑に痛打された
制球や組み立てがすごいわけでもなく
テンポの良さと度胸でなんとなく勝って橋戸賞投手はダテじゃないと思わせた。
何よりも西武では唯一の貴重な先発左腕
- 665 :
- 待遇も良くなってチームも強くなって来年は優勝もというところで
南海にトレードされてしまった山下と山村は残念だったろうな
- 666 :
- 逆に片平と黒田は良かったろう
- 667 :
- 黒田はずっと野村の控えだったが、西武に来て出場回数も増えて優勝も経験できた。
よいトレードだったと思う。
- 668 :
- 捕手は内野手外野手に比べて給料が安いと言われるが
上手い捕手は需要の割に供給が足りていないので
控えができる位の力量があれば獲得してくれる球団があり
選手寿命が長くなるメリットもある
- 669 :
- 後年、ライオンズの細川がホークスに移籍して、以後ホークスに痛めつけられた
黒田の逆パターン
- 670 :
- >>444
短期でしか考えていなかったから東尾でよかったというのもあるだろうし、
賭博という後ろめたい過去がある東尾だからこそ上席の命令に服従してくれるという
考えもあったのかもしれない。
ブラックな部分がある組織だと、身元がきれいな人より脛に傷を持つ人のほうが
理不尽なことでも従ってくれるという理由で取り上げてもらえることもあるよ。
- 671 :
- 今だから言える話かな
プリンスホテルがアマなのに支度金2500万出していたってのもすごいな
松沼兄が告白。「西武ドラフト外入団」 の真実と「空白の一日」との関係
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191224-00881340-sportiva-base
- 672 :
- >>671
デレク・タツノの時はもっと出したのかもね
- 673 :
- ライオンズはいくら優勝を重ねても人気球団になれなかった
ホークスは弱いころから大声援に恵まれ、今や巨人、阪神に次ぐ人気球団だ
- 674 :
- 587 神様仏様名無し様 ▼ 2019/12/26(木) 12:03:01.42 ID:Xr45OwYM [1回目]
豊田泰光
セリーグもレベルが落ちましたねえ
ソフトバンクにセリーグ六球団すべて負けるなんて、昔じゃ考えられなかったですよ
パリーグも2年連続CS敗退した西武はダメですねえ
強かった西鉄ライオンズが西武になってすっかり弱くなってしまいましたよ
- 675 :
- >>642
森の人間性はわからないけど、監督としては結果をだしたし
ライオンズ時代は最後のほうで理不尽な追い出され方をしたことで、
もう球界と関わるのはバカバカしくなったのかもね。
で、お金には困っていないので後はハワイでリタイア生活。
- 676 :
- >>675
よ、横浜は…
- 677 :
- 広岡監督も自分の後任には森がいいと発言していた。
このころには仲が悪くなっていたが、広岡は森の指導者としての実力は認めていた。
だが、清原の素行がよくなかったのは、森が指導しなかったからだと批判していた。
- 678 :
- >>673
ノムさん退団後の暗黒自体を知ってて言ってる?
- 679 :
- ライオンズは強かった時代も人気があった時代もないB級球団
ホークスは黄金時代と超満員が永遠に続く超A級球団だ
- 680 :
- >>679
だったら南海末期〜ダイエー初期は・・・
- 681 :
- ガイジを相手にしちゃダメ
- 682 :
- >>677
広岡は後任を推薦できる立場ではなかった
- 683 :
- >>677
清原の素行がよくなかったのは、堤天皇のお気に入りで
周りが口を出せる立場になかったから。
オーナー社長の会社で、社長のバカ息子が何をやっても周囲がだまっているのと同じ。
注意したい人は左遷や自主退職に追い込まれること覚悟でやらないといけない。
- 684 :
- 清原を叱れるのは伊原くらい
あと根本が清原の愚行を始末して公にしなかった
- 685 :
- 下手なりに一生懸命やっていたそうだ
広岡達朗氏 田淵氏の殿堂入り祝福、西武時代の監督「正直で真面目な男が認められた」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200114-00000184-spnannex-base
- 686 :
- 「期待の若手」〜「小野 秋山 駒崎」の名はいっつも挙がってたな。
- 687 :
- 先発五月女、リリーフ森のリレーで強豪近鉄に完封勝利
試合終了後の炭坑節はいまだに耳に残っている
- 688 :
- >>673
>>679
万年2位のインチキ優勝球団オタが、一人恨日馬鹿チョン=チュチェ思想で暴れてやがるなw
さっさと南鮮経由でイランに核兵器材料の輸送手伝いやってることをゲロっちまえよ、
九州のイナカ巨人オタから派生した、恨日チョンバンク関係者w
- 689 :
- アンタの大好きな稲尾がホークスファンだったことをお忘れなく
- 690 :
- 前田勝宏の東スポ連載で見たかったプリンスホテル時代の思い出だけ見れなかった。
石山監督の悪口とか書いてそう(笑)。
- 691 :
- 元西武ファンだったが、ガラガラのスタンドに我慢できずにホークスファンに乗り換えた
現在は日本一の球場で超満員のファンとともにホークスの優勝を見守る日々を楽しんでいる
ホークスファンになってよかった、私は死ぬまでホークスを応援していくだろう
- 692 :
- >>691
R
- 693 :
- 10分で特打ちから帰ってきたってのが地味に可笑しい
やっぱり天才なんだな
祝殿堂入り、「田淵幸一のような人間が多くなれば、世の中はよくなる」/廣岡達朗コラム
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200124-00000004-baseballo-base
- 694 :
- 今の西武の監督やコーチって楽天やホークスで指導試合になれなかった連中が仕方なしに集まってる感じだからな
- 695 :
- >>694
それでも自分の出身球団にすら必要とされないよりかは全然マシ。阪急・オリックスの生え抜きスター監督なんてどれだけいるよ?
- 696 :
- >>647
やっていることがブラックな小売業者や通販業者と同じだな。
決まり事をチームで作ること自体は悪くないけど、70か条まで増えるのは
必要なことだけを文章化しているのではなく思い付きベースで書いていたからでしょ。
この手のことはやり方を間違えると間違い探しとか罰ゲーム大会、
最悪の場合はいらない選手の公開処刑大会になる。
- 697 :
- >>684
その後の清原の言動を振り返ると、愚行を反省したとは思えないな。
むしろ「俺のバックには堤がいるのだから何でもやり放題や」と確信したと思う。
- 698 :
- 弱いチームを鍛え上げて強くする広岡って三原以上の名監督じゃないかな
三原は広岡野球を批判していたが、アンタの放任野球はその後どうなりましたかね
- 699 :
- そりゃ三原に浄化してもらった後の据え膳食ってただけの広岡がデカい口叩いてたら笑われるよw
- 700 :
- つまり根本が一番偉いと
- 701 :
- >>699
見たいものしか見えないアホがおるな。間に荒川が入ってチームぶっ壊してんだろ。
- 702 :
- >>698
八重樫が言うには中西は八重樫をコーチしていた時点で
「おれは監督には向いていなかった」と言ってたそうだからね
だけど打撃コーチとしては最高
広岡もロッテGM時代は根本みたいにはなれなかったし
人間には向き不向きがある
- 703 :
- >>702
近鉄・オリックスで仰木監督&中西ヘッドコーチのコンビは最高だったね。
実質は中西総監督・仰木監督という趣で、西鉄時代など全く知らない関西の野球ファンからも
「ベンチのど真ん中で監督以上に威張っているヘッドコーチ」と認知されていた位w
中西さんは仰木が近鉄監督に就任した時に、「ワシには使いこなせなかったけど、お前なら・・・」と三原ノートをそっくり渡したそうな。
- 704 :
- 巨人、南海、阪急が大リーグから野球を学んでいる時代に
まだ三原野球に固執している中西西鉄はそりゃ没落するわなw
- 705 :
- でも西鉄バファローズ・ブルーウェーブはリーグ優勝は果たしたじゃないか。
- 706 :
- 今だから言える話だろうな
こんなやり取りがあったそうだ
当事者が語る「巨人松沼兄弟獲得」 大誤報の真実と根本陸夫の口説き文句
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200205-00885360-sportiva-base
「まあまあ、森じゃあ、お前のことは『いらないな』って言うに決まってるから、
やるなら、ダイエーを紹介する。ダイエーでやるか?」
「ダイエー......九州......」
「お前なあ、向こうへ行ったところで、やっても1年か2年だぞ。今ここで辞めるんだったら、
テレビ局、ラジオ局を紹介するけど、どうする?」
- 707 :
- 三原ヤクルトは巨人のドジャース戦法の前にアウトの山
早稲田野球が基本の三原はもう時代に合わなかったw
- 708 :
- だけど黄金期西武に唯一土をつけたのは
三原野球を受け継いだ仰木だったんだよ
- 709 :
- 飛田穂洲に「邪道」と評されたホームスチールをもって
常道の中の奇策が自分の野球とまで主張してたのに
そもそも早稲田野球とは何かすらわかってなさそう
- 710 :
- 三原が寧ろ早稲田野球と真逆を指向していたのは、西鉄時代の流線型打線で明らかだと思うが。
- 711 :
- 辻ってぶっちゃけ過大評価だよな
今でいえば楽天にいる藤田と同等レベルの選手
- 712 :
- 首位打者1回盗塁王未遂1回B95回GG8回で過大評価って・・・・。
- 713 :
- うんそうだね
キミの素晴らしい選手評価眼をもっと知ってもらう為に
どんどん他にスレにも書き込んで他の人にも共感してもらうともっといいよ
- 714 :
- お、かぶってしまった
>>713は >>711あてね
>>712さんすまん
- 715 :
- 三原野球とは
マスコミを通じて敵を中傷する
雨が降らなくとも雨天中止
投手の投球モーション最中に代打を宣告
当て馬作戦
サイン盗み
サイン盗み対策に乱数表
知将と言われているが決してクリーンな監督ではない
- 716 :
- >>715
生放送に来なかったというのもあったらしいな。
(1960年日本シリーズ前夜に大毎・西本監督との対談)
- 717 :
- 大洋時代は飛ばないボールを使用していたと週刊誌に記事が載っていた
大毎・西本監督のスクイズが失敗したのはそのせいかもしれない
- 718 :
- 飛ぶボールと飛ばないのをごっちゃ混ぜにするのは仰木もやってたな
西武戦だと飛ばないボールにしたとか
- 719 :
- 阪神は甲子園で飛ぶボールを使っていたとバースが言っていた
ただ「これはどのチームもやっていることだ」そうだ
- 720 :
- 大久保博元の暴露話で「1986年にアメリカの独立リーグに参加したが実はこの年の
オフにまさかの1位指名を受けた森山良二さんも参加してた。「アルメイダ タモリ」とかいう
偽名を使って日系人になりすましてた。「日本語は絶対使うな」と根本さんから注意されてたようだ」
とやってた。
- 721 :
- >>602
超亀レスで悪いが
打てる遊撃手なんて石毛以外いたか?
清家田辺がずっとレギュラーだった
記憶しかない。
真弓出したのを、ずっと根本さんが
悔やんでたらしいが。
阪神も、人気+打てる選手欲しかったから
真弓だけは絶対交換リストから外さなかった
と、ラジオで言ってたな根本さんが。
- 722 :
- 当時の阪神監督だったブレイザーが真弓を第一希望していた。
ブレイザーは南海のヘッドコーチ時代から真弓の素質を見抜いてた。
- 723 :
- どんな方式か忘れたが
江川ドラフトの時、一番目はクラウン
二番目は巨人と、一位指名の順番が
決まっていて、どうしても江川が欲しい
巨人が水面下でクラウンに西本を譲るから
江川を指名しないでと、交渉したが
クラウンは断固拒否して江川指名→入団拒否。
概に西武売却が決まっていて、江川をおみやげにしたかったとの事。
当時のクラウンのスカウトが、西本に
江川の次に優れた選手指名できたのにと
悔やんでたそうな
- 724 :
- >>721
松井稼頭央
中島裕之
らのこと言いたいんだろ
亀レスにピンポケかっこわるい
- 725 :
- >>723
予備抽選方式。
以前のドラフト会議は、日本シリーズ敗戦リーグの最下位からだったが、改正されて、指名順位の抽選してから、指名選択。
- 726 :
- >>723
入札ならクラウンは江川にいってないだろうからな。
指名したって来ないことも分かってただろうし
利害ではなく、経営難のクラウンが江川から逃げたと思われたくないという完全にメンツの話だった。
- 727 :
- 江川は慶大を不合格になるわ
ドラフトで巨人が二番クジを引いたのにクラウンに指名されるわ
肝心のところで持ってないな
- 728 :
- >>727
「江川、慶大不合格」が各局のトップニュースで報じられたのは18歳の少年にとって大きなダメージだった
引退後も江川は「わざわざ速報する意味あったのかな、あれで江川はバカだと全国に知れ渡ってしまった」とボヤいている
- 729 :
- >>724
松井いたねー、すまんす
古い時代の西武しか頭になかったな
- 730 :
- 昔の事は詳しいが
割と近年の事は忘却する殿堂板らしいな
- 731 :
- >>728
慶大じゃなくて早大を狙えば良かったのにな
江本が言うには岡田の英語力は中学一年レベルで
「よくあれで早大に入学できたな」と思ったそうだ
ちなみに岡田は阪神第一希望だったが阪急南海近鉄の
在版球団なら入る気だったし関東でも巨人や西武なら
入団する気でいたそうだ
- 732 :
- 【速報】元プロ野球選手の野村克也さん(84)が死去 警視庁
http://hayabusa9.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1581380455/
- 733 :
- >>724
松井は兎も角、 中島は無いやろ。
- 734 :
- 中島も渡米帰国後のオリックス巨人のイメージしか知らない奴がいるのか
- 735 :
- 西武でレギュラー取ってから渡米までの9年間で
3割6回20本4回で守備はアレだが十分「打てる遊撃手」だった
- 736 :
- >>732
西武時代の野村はいよいよ肩の弱さが顕著になり日ハム戦で島田誠に走られまくったことが有名だけど、
新人だった松沼兄や森繁和とバッテリーを組み、ピッチングの指南役としてリードしていたこともあった。
80年前期の近鉄戦で生涯唯一の代打ホームランを放ち、対戦相手だった西本翁の推薦で
オールスター戦にも出場したこともあった
- 737 :
- 前田エバンス吉竹北村平尾平塚榎田
まだいるかな
阪神からトレードで獲得した選手
確実に戦力にしてたよね
阪神ファンは、絶叫してたがw
- 738 :
- >>731
早稲田なら作新からスポーツ推薦枠があったかた受験しななくてもしても
どっちにしても入れた。 それが嫌だったみたい
八木沢ってロッテの監督とか西武のコーチしてた人がその枠で早稲田にいった
山倉は早稲田受験したのかな
- 739 :
- >>738
別に野球するために大学行くんだから推薦でも何でも同じなのに
勉強はできないって思われるのが嫌だったんかね
- 740 :
- >>738-739
早稲田の推薦だと教育学部体育学科かな。
引退後のビジョン(絵に描いた餅w)を考えて慶応を望んだのでは?
弟の中は一橋→超一流企業の重役だったような。
脳筋の家系ではないよね。
- 741 :
- >>737
清家
- 742 :
- 早稲田の政経とか法学部あたりはどうだったのかな?? 江川
- 743 :
- 巨人のセ・リーグ優勝が速すぎて
シリーズまでの消化試合の内容とか知らなかったから
いかに西武と相性良くてもこの年9勝の槙原が初戦先発コールされて唖然とした
斎藤雅が下り調子でも代わりに桑田ぐらいアタマに持って来る筈と…
- 744 :
- 西武に勝てたの阪神だけだった時
あったよな日本シリーズ
近鉄に足元すくわれなかったら
巨人のV9抜いたのかな
そりゃ森に嫌みのひとつくらい
言いたくなるわな堤さんも
- 745 :
- >>744
あれはブライアントがおかしすぎた
- 746 :
- https://i.imgur.com/ARPirHa.jpg
- 747 :
- 西武ライオンズ誕生一年目の1979年選手名鑑を見ると小川史が背番号1で、一体この
高卒ドラフト外入団の小さな新人(170くらい)はどんなすごい奴なんだろうと思った。
ライオンズには4年しかいなかったけど今に至るまでずっと球界で働いているんだから
人生の選択は間違ってなかったわけだけど。
- 748 :
- >>747
小川って西武でもダイエーでも秋山に背番号追われる人か。
- 749 :
- そこそこの成績だったけどずっと球界で仕事している人ってたまにいるね
森山良二、真喜志、野村克則・・・
- 750 :
- 立花義家・黒田哲史も。
- 751 :
- >>744
ブライアントを近鉄にプレゼントした中日にも嫌味を言わなあかんよね
- 752 :
- 近鉄は名古屋に乗り入れている関連もあって、毎年ナゴヤ球場で試合を行ったりと通常から中日と付き合いがあったからな・・・。
- 753 :
- 森山などは入団の経緯(根本絡み)とその周辺の人の縁で残っているような気がする。
真喜志は梨田ライン、立花は台湾で現役引退後は一度球界離れてはいるが。
小川史は無名の浦安高でドラフト外、西武入団した際の1はシーズン途中で変更されているが
どちらかというと南海でもレギュラーとはいえ再度もらえたのが随分な評価。
江川は早稲田だと体育会気質でOBが五月蠅いのも知ってたはず(八木沢等実績あるし)
結局はバッテリー組んでた捕手が進学した。
- 754 :
- 小川は小柄なショートで顔がオジー・スミスに似てるってしょうもない理由で背番号1をもらえた
- 755 :
- >>754
当初は2の予定だったが山崎裕之が急遽トレードされてきたので
山崎:2 小川:1になった
広岡ヤクルトが山崎を欲しがったが頓挫して浮いたところに
西武が「山崎をくれ」とオファーしてそれで決まったからね
- 756 :
- ライオンズは福岡から所沢へ移転する際にレギュラー二塁手だった基を大洋へ放出してたしな。
基はライオンズを出たがってたし、後釜が山崎なら選手の格的にも釣り合ったけど、
大洋から交換で来た投手2人(王に700号を打たれた投手の鵜沢と根本隆)が
まるで戦力にならなかったのも誤算
- 757 :
- 基はあのままライオンズにいればV1戦士に間に合ったのにな
- 758 :
- >>757
基は黒い霧事件でグレーとされた選手
本人の意向がどうあれ移転とともに放出された
- 759 :
- >>758
本来はもっと早く藤波とのトレードで中日に行ったはずだったからね
藤波が引退をかけて拒否したので流れちゃっただけで
- 760 :
- 基が抜けた後のライオンズの内野は攻守とも脆弱だったので、山崎の加入は大きかった。
野村はさすがに全盛期の力はなかったが、若手の多かった投手陣にとって、野村のリードは
投手陣の育成につながった。
スティーブ、テリーは外人としてはかなり当たりで、攻撃力が大幅に強化された。
昭和56年に新人の石毛が加入したのも大きかった。
南海から片平、黒田が加入して、黄金時代の準備が整った。
- 761 :
- >>749
仰木・・・。
- 762 :
- >>599
田淵にとって、ライオンズが日本一になって本当に良かったよなあ。
タイガース時代に経験できなかった優勝を経験できたというのもあるけど
優勝したことで田淵の存在が肯定的にみられるようになった。
優勝できなかったら、ケガばかりの上に守りも走りもできない高給取り
というきつい批判に晒されたと思うわ。
- 763 :
- >>761
仰木さんは一応オールスターも出てるからなぁ。
- 764 :
- >>759
藤波はライオンズに行かなくて正解だったかもしれないな
もし行っていたら埼玉移転後に人材一新のために再トレードされていた可能性が高い
- 765 :
- 西武のライバルは南海
- 766 :
- >>765
根本監督時代は南海に足を引っ張られていたね。
広岡時代以降はどうにもならなくなったが
- 767 :
- >>753
森山はライオンズが色々手を尽くしたあげくドラフト1位で指名した割に
通算成績を見るとかなり平凡。
確かに森山がいなくても毎年優勝できるだけの戦力はあったから問題にされないが、
あれなら当時の注目選手を1位指名して森山は3位以下でもいいだろって思う。
- 768 :
- 10勝して日本一にも貢献したからドライチ指名自体間違ってない
あの年でドライチで明らかに森山以上は阿波野西崎木田しかいないんだし
(デニー猪俣は微妙だが)
同じ年でこっちもまったく無名をドライチに仕立てた広島栗田のが明らかに失敗
- 769 :
- 広島に森山の存在がバレたから急遽1位に繰り上げた
- 770 :2020/04/13
- >>766
球場に連れられった試合で負けるときは
たいてい南海戦だった印象
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