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JoyDivision_03


1 :2009/06/14 〜 最終レス :2020/05/19
前スレ
JoyDivision
http://music8.2ch.sc/test/read.cgi/legend/1011159258/l50

JoyDivision_02
http://jfk.2ch.sc/test/read.cgi/legend/1191943388/l50

2 :

「彼は素晴しい詩人で、謎めいたパフォーマーだった。
 いつでも、どこか居心地の悪さを感じていたんじゃないかと思う。
 ジム・モリソン、カート・コバーン、ジミ・ヘンドリックス。
 若くして死んだミュージシャンは、みんな偶像化されがちだ。
 そして、若い人々がそういうものに惹き付けられるのも仕方のないことだと思う。
 僕も10代の頃は、確かにそういう類のものに憧れたこともある。
 でも僕は、出来るだけ彼を普通の男として、素晴しい才能をもったひとりの若者として演じようと思ったんだ」

3 :

「実在の人物を演じるわけだから、出来るだけ彼に近づくことが重要だと思った。
 だから、出来る限りの彼に関する映像を見たよ。
 当時はビデオカメラもあまり普及していなかったから、イアンのインタビュー映像はなかった。
 普段の声があまり知られていないことは、僕に有利に働いたかもしれないね。
 それでも、僕は出来る限り映像から研究して、彼の声を真似ようと飽きるほど練習したよ。
 実際にセットに行ってバンドと演奏したときは、彼の演技が自然に出来た。
 自分を忘れて、僕はイアン・カーティスなんだって言い聞かせていたんだ」

4 :

「(撮影中に)実際の寝室で衣装替えをしたり、待ち時間に仮眠をとったりした。
 もちろん彼が亡くなったキッチンも見た。 変な気分だったよ」
「彼女(イアンの奥さんのデボラ・カーティス)は物静かで素敵な女性だった。
 実は『もう君を愛していない』とデボラに伝えるシーンを撮影しているときに、
 彼女が現場に来ているのが目に入ったんだ。僕は心の中で『まずい!』と思ったよ。
 でも彼女はクールで『サマンサとあなたが気の毒だわ』と言ってくれた。
 翌日も彼女は現場に来てくれたので、僕は『ハーイ、デビー!』って声を掛けたんだ。
 そしたら彼女は『ハロー、イアン』って返してくれた。そういうのって素敵だろう?」

5 :

「最初は(ギグのシーンでは)ジョイ・ディヴィジョンのアルバムの音を使う予定だったんだ。
 でも観客がいるギグのシーンで丁寧に作りこまれた音楽が流れてくるのは変だろう?
 2週間のリハーサルの間、ずっと僕らは彼らの曲を練習してたんだ。
 すぐにうまくなって最終的にはアントンが、僕が歌い、メンバーが演奏した方がよりリアルで良いって
 言ってくれたんだ。
 ほかのメンバー? バカで嫌なやつらだよ(笑)、もう慣れたけどね。
 ハリー(・トレッダウェイ※スティーヴン役)は 『一度もドラムを叩いたことがない』 って言ってたけど
 あれは嘘だろうな。本当にうまいんだ。
 ジェームズ(・アンソニー・ピアソン※バーナード役)は、ほとんど弾いたことがないのにオーディションで
 『ギターが弾ける』 と言ってしまったので短期間でマスターしたらしいよ。
 ジョー(・アンダーソン※フッキー役)は本物のフッキー独特のベーススタイルをすぐに習得してたよ。
 僕自身はオーディションのときから、イアンらしい声で歌えると思っていたからね」

6 :

「決断には時間をかけたよ。説得力のある演奏シーンにしたかったからね。
 でも、彼らは完璧さを求め、毎日練習してどんどん上達したんだ」
「リハーサルは他にもうれしい効果を生んだ。
 例えばメンバーが集まり、演奏するのでは無くただ座っているシーンがある。
 その時も、本物の雰囲気が出るようになったんだ。予想外だったけどうれしかったよ」

7 :

「一番の方法だと思う、実際に弾いてみると動作の意味が理解できるんだよ。
 それは楽器を覚えて初めてわかることなんだ、物まねとは意味が違う。
 不思議なもので色んなことが分かりはじめるんだ」
「1週間もリハーサルして弾けるようになってくると、生演奏する話が出てきた」
「でも、予期しない状況に焦ったよ。それでさらに必死になって練習を重ねていったんだ」
「フッキーのことはよく知らなかった。
 コメディ番組で姿を見たけど、記事で見た程度の知識しかなかったんだ。
 現役の人ということもあって悩んだよ。
 役として演じるべきか、完全な物まねをするべきなのか、ってね。 よく知らない人だから難しかった」

8 :

「(実際に演奏することによって)彼らの音楽が独特だった理由も分かるようになったんだ。
 彼らは既存のやり方にとらわれずに意外な道具も使ってた、 だけどそれがカッコよくて
 独特だったんだ」

9 :

「ライヴ・シーンは楽しかったよ。
 よく知っている世界だしステージにも慣れてるからね。
 メンバー間の仲間意識は穏当に存在していた。
 実際に演奏しているから一緒に快感を味わえたよ」

10 :

「確かに音に関しては、生のライブパフォーマンスに聞こえるように何度もミキシングを行うなど、
 細心の注意を払った。
 でも、これは音楽映画ではないんだ。 僕はこの映画で純粋なアプローチを試みた。
 多くのシーンには全くと言っていい程、音が入ってないんだ。
 最近の映画は常に大きな音で音楽が流れているものが多いから、このような作品は珍しいん
 じゃないかな。
 個人的には、そんな部分がとても気に入っている。 音が静かな方がストーリーに集中して
 もらえるだろうし」

11 :

「元々は、ジョイ・ディヴィジョンの生まれた場所に近づく為に英国に移住したぐらいだから、彼らは
 僕にとって非常に重要な存在だった。
 
 その後、二度、彼らの写真を撮る機会があったけど、イアンが亡くなった時に、彼らとの付き合いも
 これで終わりだと思っていたんだ。
 ところが、そこから再リリースされた「Atmosphere」のビデオ制作の話が来たり、「コントロール」と
 いう素晴らしい映画も作ることが出来た。
 今ではすっかりニュー・オーダーのメンバーとも仲良くなったよ。」
「彼ら(ニュー・オーダー)は『(映画を)観るまでは何とも言えない』と言ってた。
 だから、彼らにはかなり初期段階で観てもらうことにしたんだ。
 映画を観てからは曲を提供してくれたりして、すごく応援してくれてる。
 バンドが解散してるにもかかわらず、ロンドンでのプレミアには3人揃って来てくれたし、ピーター・
 フックが他の上映会でもDJをやってくれたり、すごく前向きにこの映画のことを観てくれたよ」

12 :

「俺にとっては、ジョイ・ディヴィジョンの映画なんだから、その残党が音楽を作るというのは一番自然
 なことに思えたんだ。それでああなった。
 俺が監督に、『俺たちに音楽をやらせるべきだ』って言ったんだよ。
 残念ながら、当時のニュー・オーダーはうまくいっている時期ではなかった。
 だから、どう控え目に表現しても音楽を作るのは難しいことだったけど」
「バーナードは別に、俺とスティーヴンは一緒に作ったよ」
「アントンが(サントラの)責任者だよ。彼が俺たちそれぞれをスーパーバイズしていたんだ。
 俺たちがバラバラにやっていたからね」

13 :

「(キャストが演奏した『トランスミッション』については…)よくやったと思う。俺はどれも楽しんだよ。
 それにしても、とても現実離れした経験だったな。
 カンヌのプレミアでは、映画の後、とても感動的だったし、実際、観客はスタンディング・オベーション
 をしてくれたほどだ。すごく妙な気分だったよ。
 その後、俺はトイレに立った。けっこう長い映画だからね。
 で、トイレで俺の隣で小用を足していたのは、映画の中のイアン・カーティスとバーナードだったんだ」
「完全に超現実的だね。
 俺の人生は、とても豊かで、アップダウンが激しく、クレイジーな瞬間がたくさんあった。
 これはそれをとてもよく取り込んでいるよ」
「『24アワー〜』も俺たちを扱っているし、友人のトム・アテンチオが作ったジョイ・ディヴィジョンの
 ドキュメンタリーっていうのもある。これもとてもいい作品だ。
 ただ俺はジョー・アンダーソン (『コントロール』のフッキー役) の中に、 『24アワー〜』 の役者よりも
 自分自身をたくさん見つけたよ。 でも、そうなるのはある意味で予想していたことだ。
 マイケル・ウィンターボトムよりもアントンの方が俺のことをずっとよく知っているからね」

14 :

「アメリカの配給会社の誰かが電話してきて、9月25日にNYでやる(『Control』の)プレミアで
 ジョイ・ディヴィジョンがプレイできないかって訊いてきたんだ。
 俺はこう答えたよ。
 『そうだな、最後に聞いたところでは、リード・シンガーは死んだって話だった。
  でも、何か状況が変わったか訊いてみるよ』 」

15 :

「実は俺だけ脚本家に会っていないんだよ。
 みんなが会ったとき、ちょうど俺は離れたところにいたから。
 だから彼は実際に俺がどんな人間なのかは良く知らないはずだけど、それでもこの映画はとても
 正確だと思う。きわめて的確だよ。
 イアンがまるで……サム・ライリーは彼を驚くほどうまく掴んでいる。
 この映画の素晴らしい点は、あの出来事に関わったいろいろな人のアングルから物事をフェアに
 描いていることだ。
 アントンはデビー(デボラ・カーティス)の原作(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)をだいたい
 基にしていると言っていたけど俺があの本を読んで思ったのは、デビーが気分を害さないことを
 願うけど、原作にはほんの少しビターなトーンが感じられるんだ。
 というのは、彼女は彼女のアングルからイアンを見ていて、俺たちは反対側からイアンを見ていた
 わけ。でも、もちろん俺達はデビーのことも、イアンを通してのみ見ていたわけだ。
 だからこの映画のおかげで俺は彼女の苦しみを、より良い観点から理解することができた。
 夫を失った彼女の苦しみがよくわかったんだよ。
 それまで俺が彼女に対して抱いていた印象は、愚痴っぽくていつもイアンにつきまとう奥さんという
 ものだったけどね。
 イアンはよく、『彼女はまた僕に腹を立てている』と言っていたし、そんなときあいつはとても不機嫌
 で不幸せに見えたから」

16 :

「2度ほど見たよ。 よかった、すごくよかった。
 ピーターや俺のように深く関与している人間には見るのがちょっと辛かったけどね、でも、アントン
 (・コービン)はよくやったよ」
「自分について、他人が映画を作りたがるというのは、奇妙なものだよ。
 それにけっこう違っている。
 『24アワー〜』はいい映画だけれど、本質的にはコメディだ。
 ただ基本的にはイアン・カーティスの物語である『コントロール』と比べると、ファクトリーの精神の
 ようなものをとらえている。
 ファクトリーの気風や精神は、ジョイ・ディヴィジョンではカヴァーしきれないものなんだ。
 とにかく『24アワー〜』はコメディで、『コントロール』はトラジディさ(笑)。
 でもああいう映画は見にくいものだよ。
 なにしろよく知っている人たちの話だし、実際、自分までそこに登場しているんだから。
 ただ映画というのは、現実をそのまま反映しているものではなく、単なるエンターテインメントなんだ。
 映画で真実を伝えたいなら、ドキュメンタリーでないとね。
 ジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリーというのも公開されたけど、なかなかいい作品だよ」

17 :

「完成版ができ上がる前、ラフ・カットを観せてもらって、その後カンヌで初めて作品を観たんだ。
 観る前にはものすごくナーヴァスになったよ」
「ほんとに! 例えば死ぬ時に自分の一生が頭に浮かんだり、神を見たりするような体験ときっと
 似ているんじゃないかな。
 でもそれを多くの観客と一緒に観るのは神経を切り裂かれるような気分だよ。
 まさに煉獄の試練だね。でも気持ちいい試練ではあった(笑)。
 だって映画が素晴らしかったからさ。
 もちろんラストはとてもエモーショナルになったよ。 おそらく他の人もそうだと思うけど。
 ただ正直言って当事者としては、落ち着いて観ていられない心境だったな」

18 :

「すごく驚いたのは、映画全編を4分の3ほど見終えたところで、友人に『あっ、この映画はモノクロ
 だったんだね』って言われたことだな。
 実際、俺も映画がモノクロなのに全然気づいていなかったんだ。
 そのとき、1970年代のイギリスは、考えようによっては白黒の世界だったからじゃないかってピンと
 きたよ。
 でも、総じて、この映画を気に入っているよ。
 嫌いな箇所っていうのはなくて、映画そのものをすごく楽しめたんだ。これまですでに三、四回見て
 いるけれど、もう見てしまっているってことが気にならないぐらい楽しめるんだ。
 つまりすごくパワーのある映画だっていうことだよ。 今見ても、ドキドキしたりするんだから」

19 :

「すごく楽しんだよ。
 でも、心が踏みにじられたようにも感じた。1番奇妙に感じたのがラストだ。
 本当に悲しいところなのに、みんな拍手をし始めた。
 重々しい沈黙があったほうがよかったな。『おい、俺はこれを経験したんだぜ!』って思ったよ。
 ズタズタにされたような気がした。
 で、トイレに行ったら、俺の横にイアン(・カーティス)とバーナード(・サムナー)がいた……。
 2人を演じた俳優だったんだけど、『おおおお!』ってなったよ。あれは、シュールだった」
「俺はいつも、こういう見方をするのが好きなんだけど、映画の上映中に何人がトイレにた立ったか
 で映画の良し悪しを判断できるんじゃないかな? 
 (『Control』がカンヌで上映されたときには)2人だった。バーナードと70歳のお婆ちゃんだ」

20 :

「イアンが自殺した後、俺達はみんなあいつに腹を立てた。
 でもこの映画は、あいつがなぜそうした境地に追い込まれたのかを丁寧に描いている。
 カルトについては俺にはよくわからない。
 おそらく自殺が彼らを、より謎めいた存在にするんだろう。
 でも、それはすごく不健全なことだと思うよ。
 彼らをそうさせるすべてのことが不健全だ。
 でも俺達は彼らじゃない。彼らのようなプレッシャーも持っていない。
 俺はミュージシャンとして成功して、カンヌにも行って、燦々と輝く太陽のもと、素晴らしい何日聞
 かを送ることもできた。
 でも自殺した人について語るのはいつだって俺達の視点からしか語れないわけだから、公平に
 判断はできないものなんだ。俺達は彼らと同じフレームで物事を見ていない。
 同じ人間じゃないし、同じ人生を歩んでいるわけじゃない。
 彼らを批判することはフェアじゃないよ。ただ、それは悲しいことだけどね。
 でも俺が思うに、イアンは自殺したから興味深い存在になったわけじゃないよ。
 彼はとてもパワフルでとても美しい、時代を超えて残り続ける音楽を何曲も遺した。
 それは今も古さを感じさせない。ちょっとしたグッド・チューンを書いて自殺したわけじゃないんだ。
 それが、彼がカルトになった最大の理由だと思う」

21 :

「彼は偉大な詩人だった。 だから、多くの人が今だにジョイ・ディヴィジョンを聴くのだろうね。
 妻のデビーに関しては、彼の事をどう思っているかは分からないけれど、彼は彼女の全てだった
 だろうし、 さよならを言うことすら出来なかったから、 今でも何か心にひっかかっているだろうな
 とは思う。
 ニュー・オーダーのメンバーは、功績を残した活動を若い頃に共にした仲間だから、きっと忘れる
 事はできないだろうね」

22 :

「確かに僕は以前よりも、彼のことを多く知っている。
 英国に移り住んだ時、英語はあまり話せなかったから、実際にイアンに会った時も彼とはあまり会話
 することは出来なかった。
 その当時、彼はシャイではあったけど、良い人なんだろうなという印象を受けた。
 でも今回、彼の妻が書いた本を読み、関係者に会ううちに、彼に違う面があったことに気づいたんだ。
 彼は良い人でもありながら、何でも自分で決めたがるコントロール・フリークで、ちょっと嫌な面や、
 攻撃的な面もあり、用心深い人でもあったんだ。
 だから、後になってイアンともっと会話をしておけば良かったと後悔したよ。でも、人の記憶って本当に
 変わってしまうものなんだよ。
 フッキーがあるインタビューで『アントンは俺達の友達で、イアンの友達でもあるんだよ』と言っていたのを
 覚えているよ。
 たった2回会っただけで、私はろくに会話もできなかったのに、友達と言えるとはとても思えなかった。
 イアンが本当にそう思ってくれていたなら、光栄なんだけどね」

23 :

「人生っていうのは、自分の思い通りにはいかないものだと思う。
 たしかにジョイ・ディヴィジョンの音楽やイアン・カーティスの声があったからこそ、その音のもとになっている
 イギリスに移り住もうって気持ちを持っていたわけなんだけど、イギリスに移って、実際にイアンやバンドの
 メンバーに会って、写真を撮ってそれが実際に世の中に広まっていった。
 それでビデオ・クリップも作った。
 誰も好きになってくれないだろうな、って思っていたんだけど、それもすごく広まっていった。
 イアン・カーティスが亡くなったことは、もちろん悲しいことなんだけど彼の死があったからこそ、自分を
 映画監督にしてくれたところもあるのかもしれないし、それをふまえて考えると、これからもイアン・カーティスと
 自分には切っても切れない、そういう繋がりみたいなものがあるのかもしれないって思う」

24 :

「ハハハ(笑)。
 もし(長年撮り続けてきたU2の映画を)作るとしたら、(中心になるのは)ラリー(ドラムス)だね。
 だって彼以外のボノ、エッジ、アダムは信用できないからね(笑)。
 でも、彼らの映画は作らないと思う。
 U2とはこの2月で26年の付き合いになるんだけど、お互いにちょっと親密過ぎる。
 僕としては、何か新しい経験をしたいし、自分自身に挑戦したい気持ちが大きい。
 自分がすでにやったことをやりたくないし、すでに通った道を再び歩きたいとは思わないんだ。
 だから、この『コントロール』という映画は、自分の新たな人生の始まりであり、今までの人生との決別
 でもあるんだ。だからといって、U2との関係を絶つわけではないよ。
 彼らのニューアルバムの写真を去年夏にモロッコで撮っているからね」
「フッキーが 『ニュー・オーダーの映画を作るときはタランティーノだな』 って言ってたよ(笑)。
 まあ、次は音楽に関した映画ではなく、フィクションのものを撮りたいと思っているよ」

25 :
(2008年2月26日のニュース)
『Joy Division(ジョイ・ディヴィジョン)のドキュメンタリー映画が公開
 来月に公開が迫ったアントン・コービン監督の『Control』で注目の高まるジョイ・ディヴィジョン。
 その『Control』とは別に、バンドのドキュメンタリー映画、その名も『JOY DIVISION』の公開が緊急
 決定。ジョイ・ディヴィジョンとは何だったのか?その手がかりになるであろう注目のもうひとつの
 映画の詳細をお伝えします。
 70年代後半から80年にかけて、その短い活動をボーカル、イアン・カーティスと共に閉じた伝説の
 バンド。アントン・コービン監督の『Control』は、そのイアンの生涯の伝記映画となっていますが、
 こちらの『JOY DIVISION』は、レディオヘッドのツアーを追ったドキュメンタリーで高い評価を集めた
 映像作家、グラント・ジー監督によるもので、バンドそのものに迫る内容となっています。
 映画では、これまでほとんど目にすることのできなかった、ジョイ・ディヴィジョンの貴重なライブ映像
 に加え、 バンドメンバーでありニュー・オーダーとして現在も活動を続けるバーナード・サムナー、
 ピーター・フック、スティーヴン・モリスのインタビュー。さらには彼等が所属したファクトリー・レコーズ
 のオーナー故トニー・ウィルソン、グラフィックデザイナーのピーター・サヴィル、そして『Control』の
 アントン・コービンらも証言を寄せています。
 活動中止から30年近く、これまで決して語られることのなかったジョイ・ディヴィジョンというバンドを
 解き明かしていくと共に、イギリスの社会的・政治的な変化の時代をとらえたドキュメンタリーとなった
 この作品。公開は5月17日(土)より、渋谷シネ・アミューズにて。『Control』と共に要チェックです』

26 :

「1980年、15歳だった私は、ジョイ・ディヴィジョンのアルバム『アンノウン・プレジャーズ』を買った。
 それは、私がそれまで所有していたものの中で最も美しかった。
 ただ音を吐き出すだけではなく、全く新しい風景を創り出すようなレコードを聴いたのは、それが
 初めてのことだった。
 数ヶ月後、ベッドの中でジョン・ピールのラジオ番組を聴いていて、イアン・カーティスが自殺した
 ということを知った。
 私は、それまで感じたことのない不思議な、青年期の喪失といったようなものを感じた。
 撮影と映画制作以外で私の唯一の楽しみは、都市地理学における土地感覚を研究することだった。
 だから2006年にプロデューサーのトム・アテンシオとトム・アスター、それに作家ジョン・サヴェージ
 が、ジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリーについてコンタクトを取ってきたとき、美や喪失、そして
 都市といった面から、そのプロジェクトに着想するのは自然な成り行きであった」

27 :

「歴史がお手軽なコンビニのようになってしまった今日、 美術や映画、 音楽といった芸術の大きな
 転換点が、 突然歴史の中に飛び込んで生まれたのでなく、 その生誕地の土壌に根付いた場所
 から生じたものであるということは、 たやすく忘れられてしまう。
 ジョイ・ディヴィジョンとファクトリー・レコードの物語は、 グローバル化された世界で、ますます
 喪われている芸術のモチベーションを定義するパーフェクトな例だ。
 イアン・カーティスのような人々の物語というだけでなく、 どんどん抽象化される世界の中で自身
 の価値観をなんとか保持しようとする人々の苦闘の物語でもある。
 これは、私たちすべてにとって重要な物語であり、教訓である」

28 :

「この映画(『ジョイ・ディヴィジョン』)は、過去ではなく未来へとつなぐ何ものかを秘めている。
 1980年の夏、私もまた JOY DIVISION の音に埋もれて喪失に耐えたものだ。
 イアンの自死のみではなく、マンチェスター、東京といった世界中の都市で、私たちは大きな
 絶望の予感を前に立ちすくんだ季節だった。
 その冬には、ジョン・レノンすら失うことになる私たちだった。
 いずれにせよ私たちはそこから再び歩き始めたのだ。
 すべてのブランク・ジェネレーションにとって、この映画は歩み始めた、あの時の決意を、
 絶望を乗り越える意思を思い起こさせることだろう」

29 :

「ドキュメンタリー制作のいいところは、自分が何を考えているのかがはっきりすることだ。
 はじめのうちは、思考や感じ方、主張がぼんやりとしているが、取材対象と向き合っていくうちに
 それらが徐々に明確になっていく。
 監督の仕事とは、作品のテーマについて自分が発見したことや考えたこと、そして知っていること
 の全てを、映画に反映させることだ。 言い残したことがあってはならないのだ。
 だから、なぜ私にとってジョイ・ディヴィジョンが特別なのかと聞かれれば、その答えは映画で
 語られた言葉の中にある、としか言いようがない」

30 :

「JOY DIVISION というのはマンチェスターのバンドで、私がデビューアルバムをレコーディングした
 ロンドンのエデンスタジオで、彼らはその前日までデモを録音していた。
 そんなこともあり、私とは、妙に縁があった。映像のあちこちに私と縁のある人物が顔を見せていた。
 もちろん、それだけではない。私はこのバンドの音楽性にぞっこんなのだ。
 バンドは、80年の5月にヴォーカリストの自殺で活動にピリオドを打ち、残されたメンバーは、
 ニュー・オーダーというバンド名で活動を再開した。一般には、この後の名前のほうが知られている。
 今回の作品は、そんな有名なバンド、ニュー・オーダーのものではなく、JOY DIVISIONという不幸な
 バンドの物語に焦点をしぼっている。
 有名になったバンドのメンバー全員が登場しているものの、映画はというと、70年代から80年に移行
 する時代と、当時のマンチェスターで何が起きていたか、そして、その最中で逝ってしまったイアンが
 何をしようとしていたか、何を考えていたか、そうした点を丁寧に掘り起こしていく。
 いわゆるパンクムービーではない」

31 :

「パンクという文脈の中で幾度も語られた、70年代後半における大都市ロンドンのデッドエンド。
 何もかもが行き詰まり、覇権を米国にうばわれた英国が、大航海時代以降の拡大路線の放棄
 を迫られ、路線の転換をはかるあの時。
 サッチャーが登場して、弱者を切り捨てて無理やりのようにして新時代へと舳先を向けさせた
 あの時代、である。その余波は、地方都市であるマンチェスターに遅れて到達し、マンチェスター
 は八十年代を前にして疲弊の極致にあった。
 そんな時、パンクムーブメントが町を襲った。映画はここから始まる。そして、JOY DIVISIONが
 産声をあげるにいたる。そんな流れを私たちは俯瞰で眺めるように映像につきあう。
 当然、最後はイアンの自殺が待っている。
 当たり前のようにして、イアンの自殺で彼らの冒険物語は幕を閉じる。
 であれば見終わった後は、脱力感というか、絶望感が残るはずなのだが、私にとってこの映画は、
 むしろ希望を垣間見せてくれた。
 1980年、イアンが逝った夏、私もまた個人的な絶望を抱えて街を彷徨していた。
 その際の、寒々しい心象を思い出しもする。 が、それだけではない。
 この映画は、むしろ希望のようなものを、今の時代に生きる私たちに提示してくれている、
 そう強く感じたのだ。
 2008年の今、私たちが直面しているのは、まさに当時の英国に似た退廃と堕落だ。
 シャッターが下りた地方都市は現在日本の姿そのものだ。
 工場で働くしか他に生き方を見出せないマンチェスターの若者達は、まさに私達に他ならない。
 それでも彼らは脱出を試みた。それが大事なのだ。
 大切なのは諦めないことだ」

32 :

「イアン、君はバカなやつだ。
 でも、君がこの作品(『 Control 』)を気に入って誇りに思ってくれれば素晴らしいよ」

33 :

「(『 Control 』は) 三角関係の中でみんなの幸せを、実現しようとした男の物語だ。
 自分の幸せと、他人の幸せのはざまで苦しみながら言葉を愛した男の物語なんだ」

34 :

「物語はちょうど 『ワルシャワ』 結成の前くらいから始まる。
 ジョイ・ディヴィジョンとなり、成功していく様子が描かれるんだ」

35 :

「バーナードとは中学で出会った。 11歳の時だよ。 付き合いは殺人の刑期より長い」
「(バンドを)組むのは簡単、その後が難しいんだ」

36 :

「ドラムとヴォーカルを募集したら、男から電話があったんだ。
 まともそうな奴で、名前を聞くと『イアン』だと言う。
 『名字は?』、 『カーティス』
 俺は思い出した。『二人のイアン』の片方だってね。
 俺は『クラッシュのギグで会ったな』と言った。
 『ああ、それは僕だ』、
 『いいよ、ヴォーカルは君だ』と電話で即決した」

37 :
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)
「イアンが好きなのは何と言っても音楽で、昼休みには大体ヴィクトリア・パークのアパートで
 MC5やロキシー・ミュージック、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いて過ごした。
 デヴィッド・ボウイに対する熱狂ぶりは、特にジャック・プレルの曲『マイ・デス』のボウイ・
 ヴァージョンに顕著で、当時彼の中のマイ・ブームになっていた」
「イアンのヒーローのほとんどは、死んでいるか、死に近づいているか、死に取り憑かれている
 かのいずれかだったが、死に憧れることは特に珍しいことではなかったし、今でも共通する
 十代特有の現象だ。
 イアンは大人になることについて他の連中より真面目に考えていたふしがある。
 あたかも大人になることに抵抗すれば若さを長引かせられるとでも言うように。
 ジェームズ・ディーンが映画『理由なき反抗』で着ていた赤いジャンパーとそっくりなものを買い、
 映画と同じように反抗する者でいたかったが、彼のヒーロー同様に彼にも反抗する理由はなかった。
 反抗することの大半は、他人の生き方に言葉でケチをつけるやり方で、それが相応しいと思えば
 不機嫌な言い方にもなったし、素っ気のない言い方にもなった。
 彼はある種独特の雰囲気を持っていたので、人は彼の友人の輪の中に入りたいと願うのだ。
 人を引きつける彼の不思議なカリスマ性は、当時からオーラを出していた」


38 :
(『タッチング・フロム・ディスタンス』より)
「イアンの寝室は実家の正面にある客間だった。
 私たちはそこに座り、何時間もルー・リードやイギー・ポップを聴いていた。
 自分のお気に入りの曲がどんどん増えていくので同じ曲ばかり聴いても気にならなかったが、
 彼の持っているアルバムで唯一熱中できなかったのがルー・リードの『ベルリン』だった。
 ある午後、彼は私にオスカー・ワイルドの『幸福の王子』を読んで聞かせようとした。
 宝石で覆われた彫像とツバメとの友情の物語だ。
 ツバメはその可哀想な王子を助けようとして、越冬のために南下するのを延期する。
 ツバメは宝石をもぎ取り、苦しんでいる町の人々に与える。
 王子は『小さなツバメよ、お前は私に驚くべきことを話してくれた。
 しかし、苦しみを受けている人々の話ほど驚くべきことはない。
 度しがたい悲しみ以上に解きがたい謎はないのだ。
 小さなツバメよ、私の町を飛んで、そこで見たことを私に教えておくれ』と語る。
 物語の終わりにづくと、イアンの声は彫像の重苦しい心臓がひび割れるように上ずり始め、
 赤ん坊のように声をあげて泣くのだった」

39 :
(結城浩氏訳)
『…一日中ツバメは飛び、夜になって町に着きました。「どこに泊まったらいいかな」とツバメは
 言いました。
 「泊まれるような所があればいいんだけれど」 それからツバメは高い柱の上の像を見ました。
 「あそこに泊まることにしよう」と声をあげました。
 「あれはいい場所だ、新鮮な空気もたくさん吸えるし」そしてツバメは幸福の王子の両足の
 ちょうど間に止まりました。
 「黄金のベッドルームだ」ツバメはあたりを見まわしながらそっと一人で言い、眠ろうとしました。
 ところが、頭を翼の中に入れようとしたとたん、大きな水の粒がツバメの上に落ちてきました。
 「何て不思議なんだ!」とツバメは大きな声をあげました。
 「空には雲一つなく、星はとてもくっきりと輝いているというのに、雨が降っているなんて。
 北ヨーロッパの天候はまったくひどいもんだね。あの葦は雨が好きだったが、それは単なる
 自己中心だったし」 すると、もう一滴落ちてきました。
 「雨よけにならないんだったら、像なんて何の役にも立たないな」とツバメは言いました。
 「もっといい煙突を探さなくちゃ」ツバメは飛び立とうと決心しました。
 でも、翼を広げるよりも前に、三番目の水滴が落ちてきて、ツバメは上を見上げました。
 すると――何が見えたでしょうか。
 幸福の王子の両眼は涙でいっぱいになっていました。そしてその涙は王子の黄金の頬を
 流れていたのです。
 王子の顔は月光の中でとても美しく、小さなツバメはかわいそうな気持ちで一杯になりました。
 「あなたはどなたですか」ツバメは尋ねました。
 「私は幸福の王子だ」…』

40 :

「(友人のイアン・カーティスが)ヴォーカルに応募してパブで彼らと会った。
 イアン(・カーティス)は見るからにワルで革のパンツだった。
 背中に『HATE』と書いた上着を着て店で反感を買ってた。
 (あの恰好は)76年のマンチェスターでは危険だった。
 俺が『結婚なんて退屈でパンクじゃない』って言うと、
 『僕は結婚してるぜ』って彼は指輪を見せたんだ。『俺は案外いい奴かも』と思ったよ」

41 :

「バーナードと俺は、何度かイアンをギグで見かけたことがあった。
 自然と話すようになって、一緒にバンドをやることになったんだ」
「彼はちょっと目立ってたね。
 絶縁テープで作った『HATE』って文字が、後ろに書いてあるジャケットを着ていたからね。
 彼はそのジャケットを仕事にも着ていく時は、その『HATE』のテープを剥がしてたんだ」

42 :

「『求む、ドラマー  パンク・バンド ワルシャワ』の貼り紙を見て俺は電話した。
 いかにもパンクって感じの荒っぽい奴が出るかと思ったら、温厚で話し好きなイアンだった。
 初めて彼らと出たギグはエレクトリック・サーカスの閉店の夜だ」

43 :
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのエレクトリック・サーカスの観客へのインタビュー)
インタビュアー:「なぜこのライブ・ハウスへ?」
女A:「最高のパンクをやるから。雰囲気いいし」
男:「何かしたいんだ。今の僕はゼロだから」
女B:「それがパンクよ」

44 :
(映画『コントロール』でのエレクトリック・サーカスのMCのセリフ)
『次のバンドは、マックルズフィールド出身の4人組 ――― 』

『ワルシャワ!』

45 :
(映画『コントロール』でのバーナード・サムナーのセリフ)

『ルドルフ・ヘスを忘れたか?』

46 :

『まるで他人の部屋のような 母親の子宮から生まれ 
 新しい人生を誓った
 君の人生を犠牲にして
 チャンスがそこまできている
 そこに触れられそうになった時
 騒音は殆ど耐え難いほどになる
 撒かれた種はもはや君のものではない
 ちょっとした作戦が行われ 最後通牒を突きつける
 無数の言葉が語られ 無言の群集をだます
 通りを歩いていくと不快な音が響く
 君は隠れることが出来たらと思う
 ドライブに行った方がいいかもしれない
 どこかのピープ・ショーにでも
 そこでは未来など作られていない
 悪夢のような状況が 想像力に浸透する
 破られた法律が生んだ壁際は 過去の聖戦の味がする
 人類の指導者たち─ 欲求不満から産み落とされた
 人類の指導者たち─ 奇妙な情熱に浮かれているだけ
 人類の指導者たち─ 新しい生活の約束をしながらも
 僕たちのための救済者ではなく
 憎しみに囚われた人たちを操るため
 自己暗示的なごまかしで
 あらゆる大衆救済の思想を打ち砕くために…』

47 :

「職場の奴が本を何冊かくれたんだ、1冊は『ダニエラの日記』。
 ナチの収容所の本だよ。
 読まずにページをめくると兵士の慰安施設の名が出てきた。
 俺は思った『ひどく悪趣味だけどパンクだ』。
 その名前を聞いた皆が『最高だ』と言ったよ」

48 :

「(練習用のリハーサル・ルームの)場所はだだっ広い工場の一室で、
 冬には部屋中のゴミを掃いて片隅に集めて火を焚いて暖をとった。
 俺たちは『俺たちの島』にいて俺たちの音楽だけを目指して練習してた。
 他人はどうでも良かった」

49 :

「(リハーサル・ルームでは)ベースは低音だと聴こえず、高音だと聴こえた。
 ギターの音がデカすぎたんだ。
 でもイアンは『それだ、高音でいこう』と言った。
 『ギターとのからみが独特で面白い』って」

50 :

「そんな幸運な偶然から独特の音が生まれたんだ。
 イアンはいつも歌詞を用意してて『歌詞の箱』から言葉を取り出しては歌った。
 毎晩、家で歌詞を書いていたんだ」

51 :

「(どこからもギグを断られ)それで練習に拍車がかかったんだ。
 曲も書きまくって腕を上げた。
 ギグで『ザマみろ』って言えるようにね」

52 :
(映画『コントロール』でのロブ・グレットンのセリフ)
『最高だ!マジですごかったよ!客がこんなに興奮したのは久しぶりだ。
 もっとすごくなれる方法があるぜ』
『簡単さ、俺を雇え。
 君らは演奏、俺はマネージャー、大金持ちになろうぜ。任せな。』
『ロブだ。
 今までに俺が手掛けた、どのバンドよりズバ抜けてる。
 格が違う、完全に降参だ。
 ジョイ・ディヴィジョン万歳!ハレルヤ!』

53 :

「私は彼をラフターズのDJ時代から知ってた。
 今でも覚えてるよ。彼はよく熱っぽく語っていた。
 いかにジョイ・ディヴィジョンがすばらしいか。
 『今まで見たバンドの中で最高だ』
 『マネージャーをやっていろんな所へ連れていくつもりだ』って」

54 :
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのロブ・グレットンのメモ)
ICE AGE - Good fast one
      - memorable but lyric a bit simple
      - Don't like guitar bit at end

55 :

『本物の残虐行為を目の当たりにした
 砂の中に埋められ
 安全な場所は ほんのひと握り人たちのもの
 僕たちは手を携えて佇む
 僕が生きるのは氷河期のような時代
 耐えられるものは何もなく
 順応できるものも何もない
 この冷たさの中では
 光が遮られているわけじゃない
 僕が生きるのは氷河期のような時代
 別の方法を探し求めながら
 ドアの陰に身を潜め
 僕らは穴ぐらや打ち捨てられた坑内で暮らす
 かすかな希望を胸に
 僕が生きているのは氷河期のような時代
 耐えられるものは何もなく
 順応できるものも何もない
 この冷たさの中では
 君の口元に浮かぶ微笑みは消え失せる
 僕が生きるのは氷河期のような時代
 氷河期のような時代
 氷河期のような時代…』

56 :

「ステージのイアンは信じられないぐらいよかった。
 畏敬の念すら覚えたよ。
 俺が以前に原型を見ていた、あの踊り方も超俗的だった。
 『これが妻に花束を贈る、あの良き夫のイアンか?』
 ステージの彼は刺激的で人を陶酔させるんだ。
 『完全にやられたよ』そう思った」

57 :

『…ウィルソンは似たような雰囲気のものを以前に見たことがあった。ヴァン・モリソンだ。
 70年代にヤワくなった、60年代の神様だ。
 息を吸って、息を吐く、息を吸って、息を吐く、息を吸って、息を吐く……。
 彼は霊感の奇跡にまた気づいた。 ディオニュソス的なバカ騒ぎ、自発的な声、口と魂
 から内容が溢れ出てくる。 自発的で、止めることができない。
 そして答えはそこにあった。 センター・ステージに。 唯我論の知性派、ウィルソンが
 わずかなエゴ・マッサージで分かったことは、テレビに出演させたバンドは正しい選択を
 しているということだった。 ピストルズ、クラッシュなどにデビューの場を与えたことを
 自慢には思っても、彼は個人的に、氷山の底辺に拘った。
 まだ出演させていない、200余りのバンドに。
 そして彼はその試験でも満点を取っていた。
 あの正解することへの愛。サルフォードの中流階級の下の、正当な安全毛布で育った
 若者は新しい酸素を見つけた。 A&Rだ。 バンドを選ぶこと。アートを選ぶこと。
 だが彼は、アート批評の正しい判断がどこから来ているのか分からなかった。
 今ようやく、彼は頭の中のまっすぐなフィルターを理解した。
 彼は「真実味」のあるアーティストを選んでいた。 真実味よりもっと深い。
 彼には選ぶことさえ出来なかった。 好むと好まざるとに拘わらず、頭から勝手に溢れ出て
 くるものだった。 99.99パーセントのバンドが、音楽業界に入りたかったからステージに立っ
 ていた。「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出たかったから。ロックンロール・スターになりたかった
 から。
 そして選択の余地などないからステージに立っているのはごく少数だった。
 それが何であれ、表現したいという衝動が、彼らを前へ押しやるのだ。 選択の余地はない。
 そしてその夜、ワルシャワはこのつんざくような音楽を演奏するためにステージに上るしか、
 選択の余地はなかった』

58 :

「彼は触覚と8つの目を持つエイリアン。それが第一印象だ、異星人さ。
 何しろテレビ界のスターだ」

59 :

「彼の番組『ソー・イット・ゴーズ』はパンクを支持した唯一の場だ。 素晴らしかった。
 権力側というのが皮肉だよ。 若者には『テレビ』は最大の権力だ」

60 :

「当時は彼をバッシングする声もあった。
 でも僕は理解できなかった。 
 なぜなら彼は保守的なグラナダTVで働きながら、別世界への扉を開いたんだから」

61 :
(映画『コントロール』でのトニー・ウィルソンのセリフ)
『「ファクトリー」と契約しないとダメだ。 
 我々は新しいレーベル、君たちも新しいバンド。
 「マンチェスター共和国」を盛り上げよう』
 『利益はフィフティ・フィフティ、版権は君たちにあり、いつやめてもいい。
 ロブ、才能ある彼らを食い物にはしない。
 私の血でサインしてもいい』

62 :

「ジェネティックは我々に4万ないしは5万ポンドでオファーしてきたよ。
 十分過ぎる金額だったけど、俺たちの理解を遥かに超えたものだった。
 だから、その価値が分からなかったんだ。
 ロブ・グレットンは、トニー・ウィルソンのところであくせく働くことのほうが、
 a)より興味深い、そして、b)よりストレスも溜まる、しかしながら、
 c)最終的には報われる、と判断したんだ」

63 :

「(A Factory Sampleを出す)資金の5000ポンドはトニーが出した。
 お母さんの遺産から。
 A Factory Sampleを出した目的は、利益を得るためではなくて
 5000ポンドを溝に捨てる覚悟で出した。それでよかったのよ」

64 :

「ファクトリーの1枚目(A Factory Sample)に参加できて嬉しかったよ。
 マーティン・ハネットと仕事をするまではね」

65 :

「マーティン・ハネットは変人、完全な一匹狼ね。まあ、トニーもロブもそういうタイプだけど。
 面白くて頭がいい、マーティンを表す形容詞はこの2つ。
 いつもユーモアがあったけどスタジオでは真剣だった。やってることに集中していて。
 スタジオにいる時のマーティンは、いつも自分の作業に没頭しすぎて
 まわりにも気が回らないほどだったわ」

66 :
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』での生前のマーティン・ハネットへのインタビュー)
『彼らは「神からの贈り物」だった』
『無知だったから』
『私は細かい工夫をいろいろ施したが、彼らは議論も質問もしてこなかった。
 そう(最初に作ったのは)デジタルという曲だ。
 天国からの贈り物だ』

67 :
(『24hour party people』サウンドトラックのトニー・ウィルソンによるライナー・ノーツ)
『マンデーズはファクトリーの二番目に優れたバンドである。 一番目のバンドは色々な
 名前を持っていた。
 レッサー・フリー・トレイド・ホールで行なわれたセックス・ピストルズの公演に刺激を
 受けた少年たちがバンドを結成した。
 最初はスティッフ・リトル・キトゥンズというバンド名をつけたが、わずか1週間後には
 ワルシャワに。しかしその後またジョイ・ディヴィジョンに変えた。
 ライターのポール・モーリーは、そのバンドを最後のバンドあるいは最初のグループ
 あるいは似たような名前で呼んだ。それについては、彼の著書『ナッシング』を読んで
 ほしい。
 最初の7インチのシングルが「トランスミッション」だったグループについて書いた、
 すばらしい本である。
 いいロックバンドは常にすばらしいダンスバンドである。メロディックな激しいパンクを
 奏でるバーナード・サムナーのギター、やがてハイ・フレットがトレードマークとなる
 ピーター・フックのベース、 執拗にロックのリズムを打つスティーヴンのドラムが
 プロデューサーのマーティン・ハネットのデジタル・ディレイ・マシーンによって
 フィルタリングされ、それを支えて半躁病的なリード・シンガーがラジオを通して
 ダンスに参加するように訴える。
 ダンス、ダンス、ダンス!エネルギーと攻撃性。ロットンとの結びつきは明らかである…』

68 :
(映画『コントロール』でのトニー・ウィルソンのセリフ)
『多くのバンドが、この番組でデビューしました。「ザ・ビートルズ」や「ザ・バズコックス」も。
 北西部で最も注目のバンドを紹介します。
 「ジョイ・ディヴィジョン」
 ギタリスト以外は、マンチェスター出身です。曲は「トランスミッション」』

69 :
(映画『コントロール』本編字幕より)
『ラジオ 生放送
 ラジオ 生放送 
 沈黙に耳を傾け ひびかせよう
 見えない瞳が 太陽を恐れてる
 僕たちは 夜を楽しく生きる
 破滅に身を任せ 見えるのを待つ
 何も悪くないよう 振る舞い
 時代から隠れ 孤立したまま
 同じ場所で 時の流れを超え
 遠くから触れ合う より深く
 踊ろう 踊ろう ラジオに合わせて
 踊ろう 踊ろう ラジオに合わせて
 つらくなったら 叫べばいい
 学んだことなど 役に立たない
 言葉はいらない サウンドだけ
 愛とビートを シンクロさせよう
 そして踊ろう
 踊ろう 踊ろう ラジオに合わせて
 踊ろう 踊ろう ラジオに合わせて
 ラジオに合わせて…』

70 :

「ストロベリー・スタジオでマーティンと作業をするのはまだマシだった。
 なぜなら彼と距離を保つことができたからね。
 問題は、彼が人をどうしようもないバカだとしか思っていなかったことさ。
 彼のおかげでそこに居ることができるんだ、と。 それはドラッグのせいだと思う。
 デレク・ブランドウッドは常々言っていたよ。
 マーティン・ハネットと一週間を過ごせば、何年も続いたバンドでさえもすぐに崩壊
 してしまう、って。 彼は事を荒立てるのが好きだったんだ。
 とんでもない奴だったよ。
 だけど天才だった」

71 :

「彼のアイディアの多くが大量のドラック摂取から生まれたのは明らかだよ。
 でもそれだけじゃなくて、彼のフラットにはあのバカでかいスピーカーがあったんだ。
 とんでもないサウンドをしていたよ。
 5フィート×4フィートぐらいの穴開きのメタル・パネルが付いていて。
 そこには椅子もあって、彼はそれら2つのスピーカーの間に座っていたよ。
 彼の作るサウンドは、このスピーカーで聴くと素晴らしいんだ。
 だけど、あんなスピーカーを持っている奴は世界中どこにもいないからね。
 彼はこのスピーカでのみ素晴らしく響く音楽を作っていたんだ。
 低音がなくて、あんな風に高音ばかりのね」

72 :

「マーティンは常に何かを探していたよ」
「彼は言うんだ『この曲には何かが足りない。さあ、やるんだ』って。
 自分のやっていることが分からなくなったよ」
「マーティンは触媒だった。それ以上に振舞うこともなく、いい人ぶることもなかった。
 よく一切の説明もなしに同じ事を何度も繰り返させた。
 彼にとっての特別な瞬間が訪れるまで。
 『もっとキラキラ』とか『アーシーに』とか具体的な指示なくひたすら繰り返させたんだ」

73 :

「アルバム制作は、まるで不思議なSFの世界を旅するようだった。
 ハッパも大量に吸った。
 彼ははっきり『こうしろ』とは言わなかった。
 こんな感じだ。 『もう一度だ、今度はカクテル・パーティ的に』
 『もう少し黄色く』」

74 :

「あの当時は、曲を90%完成させ、そこにマーティンが自分の色を加えていったんだ。
 彼は触媒だった。ただ周りにいて、その人に素晴らしいキーボードやギター、ベース
 のパートを作らせるような人間だったよ」

75 :

「これはたぶん異説だが、マーティンはジョイ・ディヴィジョンの理解法を示したんだ。
 彼らの中に何かを発見し何かを感じ取った。それが何なのかを頭の中に投影してたんだ」

76 :

「俺達はあのレコードを喜んで作っていたよ。
 それはあの大冒険の始まりだった。
 俺たちの機材は最悪なものだったから、俺はイアンの歌を聴いたことがなかったし、バーナードの
 ギターも聴いたことがなかった。だから、それを聴いた時には、まさに天の啓示だったよ。
 『アンノウン・プレジャーズ』は俺たちのスタートだった。
 あんなものをまた作ることはできないさ」

77 :

「『アンノウン・プレジャーズ』は俺たちの現実世界への第一歩だった。
 スタジオは俺たちにとって未知の新鮮な世界だった」

78 :
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのロブ・グレットンのメモ)
『トニーと約束、アルバムの権利は我々にある』


79 :
もう少し黄色くとか要求されたら発狂するな・・・・w

80 :

「フッキーと俺は最初それに嫌悪感を抱いていたよ」
「サウンドは固くて重苦しくて。 俺たちはマーティンが音を抑え――特にギターを―― 、
 そして、そのエッジを取り除いて、 より刺激の少ないものにしたんだと感じていたんだ。
 マーティンのサウンド・プロダクションはアルバムに陰鬱で不気味なムードをもたらして
 いた。俺たちが白黒で絵図面を描き、 彼がそこに色を施したんだ。
 だけど、ロブはそれを気に入り、 ウィルソンも気に入り、 メディアも気に入り、 大衆も
 気に入った。
 そして俺たちはそれを作った、ただの哀れな馬鹿ミュージシャンというわけさ!」

81 :

「世界中でバーナードと俺だけが気に入らなかった。 皮肉だよ。 たまには気が合う(笑)」


82 :

「俺は『アンノウン・プレジャーズ』に満足していたよ。
 当時の俺の持論では、2つのこと ―― レコードを聴くこととギグに行くこと ―― は別物だった
 からね。
 ギグを見に行く前にレコードは聴きたくないだろう。もう少しエネルギーを感じたいはずさ。
 ライヴでのジョイ・ディヴィジョンはとても生々しく、親密なものだった。
 マーティンはそれを別のところへと導いたんだ。
 それは俺たちが望んだものではなかったけれど、素晴らしいものだと思ったよ。
 サイケデリック――俺の得意とするところさ。けど、ペイズリー模様じゃないよ。もっと暗いやつさ」

83 :

「もし僕がレコード屋で見たら欲しくなる、そんなデザインにしたんだ。
 誰も言わなかったよ『変えろ』なんて。
 (ジャケットのデザインをしたのは)曲を聴く前だった。
 資料はもらってたけど、波のパターンは最高だった。
 『アンノウン・プレジャーズ』ってタイトルにぴったりのイメージだろ。
 デザインを持ってロブの家に行った。
 『テスト盤、聴くか?』とロブ。
 僕は内心『40分も耐えられない』と思った。マネージャーの前だしね(笑)。
 でも断れなかった。
 ところが聴き始めてすぐに分かった。
 『これは人生が変わるほどの体験だ』って。
 どの瞬間も僕の予想を超えていた。まさに超越していた。驚異だよ」

84 :
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)
「『アンノウン・プレジャーズ』は1979年6月にリリースされた。
 黒いリンネル仕立てのジャケットの中央に白いフーリエ解析が施されたパッケージで、片面が
 “インサイド”でもう片面が“アウトサイド”。 “インサイド”には『シャドウプレイ』『ウィルダネス』
 『インターゾーン』『アイ・リメンバー・ナッシング』が収められ、“アウトサイド”には『ディスオーダー』
 『デイ・オブ・ザ・ローズ』『キャンディデイト』『インサイト』『ニュー・ドーン・フェイズ』が収録された。
 『オートサジェスチョン』と『フロム・セイフティ・トゥ・ホエア』は当初アルバム用にレコーディング
 されたが、収録は見送られ、後にファスト・レーベルの12インチEP『イヤーコム2』に収録される事
 になる。
 たいていの人々が想像するよりもずっと真実に近いことが、『サウンズ』誌に『死のディスコ』という
 見出しで掲載された『アンノウン・プレジャーズ』の記事に書かれた。
 そこにはアルバムを巡るショート・ストーリーが書かれて、「自殺を考えている人には、ジョイ・
 ディヴィジョンがその淵まで連れて行ってくれることを保証する」とあった。
 最初私は、『アンノウン・プレジャーズ』が好きではなかった。
 それはバンドの“堅固な輪”から徐々に閉め出されたことに嫉妬していたからかも知れない。
 あるいは病的な葬送歌とも言えるこのアルバムを心から心配していたからかも知れない。
 このアルバムの詩に馴染んでくると、イアンが憂鬱だった十代の頃に舞い戻ったのではないかと
 心配になった。
 彼は私が妊娠している間、過度に優しくしてくれたが、同時にこれらの詩を書いていたのだった。
 『だけど憶えているよ、僕らが若かった頃を』と、イアンはあたかも若い時を終えてしまったように
 年寄りじみて言った。
 私は『ニュー・ド−ン・フェイズ』の歌詞をあれこれ考えた末に、イアンの前でその意味するところ
 について切り出した。
 つまり、これは歌の歌詞に過ぎず彼の本当の気持ちではないことを確かめたかったのだ。
 しかし、この会話は一方通行に終わり、私が話題にしたことに肯定も否定もせず、彼は外へ
 出て行った」

85 :
『夢はいつだって終わるもの
 遠のいていくばかりで現実となることはない
 だけどもうどうだっていい
 これ以上望む気持ちも失せてしまった
 僕は怖れてはいない 少しも怖くない
 それが遠のいていくのを僕はじっと見つめてる
 だけど僕は憶えてる 僕らが若かった頃の事を…
 浪費癖のある者は
 自分のセンスや趣味の良さを挙げ
 自分が正しかったことを確かめる
 自分が正しかったってわからないのかい?
 僕はもう怖れてはいない
 ドアにしっかりと目を向けてる
 だけど僕は思い出す…
 君のために流した悲しみの涙
 君のための激しい変化
 あの時の一瞬を映し出す
 あの特別な一瞬を
 僕たちは時間を無駄にしてしまった
 僕たちには本当に時間がなかったのに
 だけど僕は憶えてる 僕らが若かった頃の事を…
 神の天使たちよ 気をつけろ
 判事たちよ 気をつけろ
 幸運な息子たちよ くれぐれも気をつけろ
 そこにいないすべての人たちのため
 僕はもう怖れてはいない
 もう怖れてはいない…』

86 :

「18歳の時、彼らのデビュー盤が出たんだ。
 発売日が何度も延期になったので、毎週月曜日にレコード店に並んで待ったよ。
 4週目にやっと出たので、発売当日に買った。
 カンタベリーの学生の間で、ひそかに話題になってたんだ。『もう買ったか?』と。
 彼らの音楽との出会いは感動的な体験だった。
 当時はサッチャー政権下で、全体的に陰気で希望のない時代だった。
 そこに鳥肌が立つようなバンドが現れたんだ。 すごく意義深かった」

87 :

「俺が初めてジョイ・ディヴィジョンのレコードを聴いた時、俺にはまるでジム・モリソンが
 黄泉の国から蘇ってクラフトワークに参加したように思えたものだったよ。
 で、それが好きになったんだ」


88 :

「ジョイ・ディヴィジョンは僕が79年にイギリスに移り住もうと決心した要因になった音楽
 でもあった。
 その当時はあまり英語ができなかったんだけど、それでも彼らが何を言おうとしているか
 感じ取れたし、大きな絶望感は伝わってきた。心を揺さぶられるような気がしたんだ。
 さらに、今から考えるとその中で70年代末期ならではのものがあったと思える。
 
 ファースト・アルバム『アンノウン・プレジャーズ』のジャケットにしても黒地に白い波形が
 あるだけなんだけど凄くインパクトがあったし、どこにも自分たちの写真を載せていない
 のも彼らの主張を感じた。
 70年代ってのは今と違って、音楽とか映画、写真ってものがものすごく重要だったんだ。
 今って娯楽がたくさんあるから一つのことに固執しないのかもしれないけど、当時って
 限られていたから。
 それだけに音楽も多くの人にとってもっと重要だったし、僕もとても大きな影響を受けた。
 そしてもちろん色々な音楽が好きだったんだけど、その中でもジョイ・ディヴィジョンは
 特別な存在だったんだ」

89 :
(『アンノウン・プレジャーズ』のアルバム評)
『衰退への郷愁に背を向けている、そんな力を感じる』


90 :

『…ジョイ・ディヴィジョンのファースト・アルバム『アンノウン・プレジャーズ』は、かなりの
 アルバム評が書かれるほどのカルト・ヒットとなった。
 ファクトリーは1万枚をプレスし、新しいインディペンデントな流通系統やお店に5000枚
 を送り込んだ。
 もう半分はアランのディズベリーのアパートに持ち帰られた。
 その暗い、1階の、張り出し窓のある居間が、会社の事実上の事務所になっていた。
 ウィルソンとエラスムスは、トラックがこの北部まで荷物を運んできた夜、都合よく出かけ
 ていて、ベースの神様、フッキーが一人で、2階分の階段を、その箱を担ぎ上げなければ
 ならなかった。 大した共同体だ。
 ファクトリーは注目を集め始めていた…』

91 :

『…ファクトリー・レコードはレコード会社になっていた。
 かなり大事になってきていた。
 それはジョイ・ディヴィジョンにとっても、少し大事になりすぎているようだった。
 真実味という意味では、まあまあ良かったのだが、たまに、少しばかり入れ込み
 すぎてるようにも思えた。
 だが一番入れ込みすぎていたのはイアンかもしれなかった。
 そんな印象は、イアンが何度かステージ上で癲癇の発作を起こしてからさらに
 強くなった。
 ステージに上がるバンド。
 我らがヒーローたちは、互いに向き合うことは、ほとんどなかった。
 彼らの態度、振る舞い、目線は、観客であるあなたに向けられていたのだから…』


92 :

『…顔を見合わせてリズムを盛り上げていこうとするベース・プレイヤーとドラマーは、
 少しベタで恥ずかしく、見られたもんじゃない。
 でもジョイ・ディヴィジョンは、それが必要な夜は、特別な団結心を繰り出した。
 セットの終盤で『トランスミッション』に入り、イアンがセカンド・コーラスを抜けて3つ目
 のヴァースに最大パワーで突入した時、バーナードとピーターほ覗き込み、彼らの
 リード・シンガーをじっと観察した。
 イアンの狂ったように痙攣する腕の動きが少々ターボに入りすぎてるのを感じたら、
 彼が入り込みすぎていることが分かった。
 じゃ、どれだけ保ったのか?
 夜によっては、セットの終盤に差しかかってからで、ある夜は、その曲の最後に
 入ってからだった。
 そうなるとイアンはマイク・スタンドをぶっ倒して、急速に横へよろめきながら、
 フッキーとバーニーと、ロード・マネージャーのテリーの手で、大急ぎでステージから
 担ぎ出された。
 彼を押さえておくのは大変だった。テリーが一番うまかった…』

93 :

「僕はバンドの結成時からメンバーを支えて尽力してきた。
 そこへロブが加わったことで、最も頭を悩ましていた(連絡手段の電話がないという)
 問題は解消された。でも、僕はクビになった。
 どうすべきなのかすごく悩んだよ。腹の立つ出来事だからね。
 あの時は本気でメンバーを訴えようと思った。手続きは知らないけど知識はあったんだ。
 でも、裏付けになる書類は何もなかった。
 僕らの歴史を紙切れで語れるわけもない。
 残された道は2つしかなかった。全てをあきらめて仲間と別れる…つまり、怒ってバンドを
 飛び出してお別れするか、ここに留まるべきか。
 僕にとって…バンドは最高の道楽さ。
 バンドをやる気のある人はがいればぜひやってみて欲しい。最高に楽しいんだ。
 人生を賭ける必要はないが試してほしいね」

94 :

「僕が世話役になるのはアメリカ・ツアーからだった。
 サウンドと無関係な完全な裏方に回る予定だったんだ。
 仕事の中身はイアンに薬を飲ませること、ホテルへ連れ帰ること、それから
 十分な睡眠と食事の管理をすることだった。
 アメリカ中でツアーをやるのは大仕事だからね。イギリスとは全くの別世界さ。
 メンバーが行く先々で男女を問わず熱狂的なファンが押し寄せてくるはずだった。
 『10分だけでもイアンと過ごしたい』と。
 彼はジム・モリソンのようにアメリカ中で敬愛されたことだろう。
 僕は期待で一杯で張り切っていたよ、いい仕事をしてイアンをしっかり支えようとね。
 確かにバンドの活動中対立したこともあったけど、イアンと一緒に過ごすのが楽しみ
 だった。
 僕たちは夢がかなうと思っていたが、イアンだけはつらい病気を抱えてた。
 苦しんでたんだ」

95 :
(映画『コントロール』でのロブ・グレットンのセリフ)
『いよいよだぞ。荷物をまとめておけ。
 5月19日アメリカへ出発する。2週間のツアーだ。
 認められるぞ、大物になるんだ。
 成功を祈って乾杯だ!』


96 :

「しかし、(物語は)急な結末を迎えるんだ」


97 :

「笑いが絶えないなか、唯一の気がかりはイアンの病気だった。でも彼も頑張っていた」
「イアンの病気についてはみんな無視できるような気がしていたんだ。
 バンドがあまりにも調子が良かったので、勢いだけで乗り切れるような気持ちになっていた。
 そしてイアン自身も、そう思い込もうとしていた。
 そのストレスが今思えば病気を悪化させていた。
 睡眠不足のせいもあったし、食事も不規則ではしゃぎすぎていた。
 イアンは病気で極度のストレスにさらされ、単純に限界を超えていたんだ」

98 :

「彼の発作は突然起きたし、重症で強いものだった。
 放っといても治まるとかいう生易しいものじゃない。強くて激烈な大発作だ。
 自分の子供も抱けず、車の運転も禁止。駅ではホームの端に用心した」
「(癲癇治療の薬の副作用で)ある日は陽気に笑っていたかと思うと、次の日は暗く
 落ち込んでシクシク泣く。
 そんなこと薬を飲む前にはなかったよ。感情の起伏が激しい奴じゃなかったんだ。
 彼は他に女性関係でも問題を抱えてた。恋人のアニークと妻と。
 その間で、ひどく難しい決断を迫られていた。子供もいて」

99 :

「信じられなかったわ。4人とも冗談を言ったりする普通の若者よ。
 なのにあんな深く重い音を作り出すなんて…。
 特にイアンはステージに上がると自分から抜け出して別人になった。
 何か強力なパワーが乗り移って、別世界から来て、また別の世界へ入ってしまう。
 感情も高まって、とても強いけど繊細で傷つきやすい人に見えた。
 勇気があったと思うわ。あんな風に歌い、踊るのはね」
「彼の発作を何度か見たことあるけど心底恐ろしかったわ。
 悪魔が憑いたようで。
 信じてもらえないでしょうけど、本当に体が地面から浮きあがるの」

100 :
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)
「私たちの間が何かおかしいと気がついたのは、簡単なことからだった。
 英国てんかん協会から私宛てに送ってきた印刷物のどれを読んでも、イアンの行動に対して
 私が準備できるものはなかった。
 援助を受けるためにどこへ行ったらいいのか、あるいはたとえてんかんが本当に犯人である
 にしても、どうしたらいいのか私は分からなかった。
 イアンは常にエキセントリックで、精神分裂的な性格の持ち主になってしまった。
 私の十代の時には非常に魅力的だったのに、そこがまるで違うようになっていた。
 今では、彼の中の不快なところや嘘つきの面の方が強いように見える。
 バンドのメンバーとコミュニケーションをとるにはイアンを通してしかなく、彼はメンバーにも
 心配をかけていたけれども、イアンの問題の多くが私のせいだと彼らに非難されているように
 感じていた。
 みんな以前のようにはフレンドリーではなくなっていたけれど、それは理解できることだった。
 イアンは、私が彼の人生をいかに不幸にしているかを仲間に話すのがお決まりになっていた
 というし、ピーター・フックが私に語った事によると、礼儀知らずのイメージが伝わっていたらしい。
 私たちの結婚生活は破綻し、彼は私に話をしなくなった」


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