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関ヶ原で西軍が勝つにはどうすればよかったんや
- 1 :2017/10/09 〜 最終レス :2020/04/17
- 多分これについてはよく議論されてるんやろうけど、話したくなったw
一つ一つの出来事を詳しく書いていってほしい
- 2 :
- 秀頼自ら関ケ原へ親征させるか
逆に天皇も大坂城に移して籠城するか
いずれにせよ家康が「これはまずいな」と感じるような土俵で戦わないといけない
- 3 :
- 社長がトップダウンで指示するベンチャーズ企業(しかし今では大企業)と
課長がプロジェクト責任者になるが他の部署が言うこと聞かなかったりする大企業が戦ったようなもの
- 4 :
- 全ては三成の人望の無さから来てるのか?秀吉の小姓時代から福島正則や加藤清正から嫌われてたからな。
- 5 :
- 東軍は何も家康の人望についていったわけではない。
お家存続、発展を考えた場合どっちに付くほうが有利かという打算が根源にある。
戦国大名にとっては普通のこと。
それを第一に考えなかった三成はやっぱり変態。
自分の業病でヤケになった大谷の自爆は、家臣達にとっちゃとんだ迷惑でしかない。
- 6 :
- >>4
人望がなかったらあんなに味方は集まらないと思うんだけど
- 7 :
- >>6
秀吉が死んだ途端に家康が勝手に養女を次々と大名の正室にねじこみ
諸大名たちの義父となり大名から人質を取っては主従関係を結び
露骨な天下取りに動き出したことについては上杉景勝も怒っていたわけだし
西軍は豊臣秀頼を天下人にする太閤の遺命が主だったとおもう
東軍は徳川家康の天下にするためについていった大名が多かったが
西軍は石田三成の天下にするためについていったわけではない
- 8 :
- >>7
それじゃあ加藤清正が三成の立場だったら西軍を集めることが出来たかな?
- 9 :
- 三成の比較対象を家康にしてる時点で三成を過大評価してるわ。
家康は本来秀吉と同格で250万石、しかも五大老の筆頭で前田利家とツートップ。
五大老と言っても家康と利家、ジュニアの秀忠と利長が秀頼の補佐役として指名されており、
景勝と輝元は外部顧問みたいなもの。秀家に至っては見倣いだから権限なし。
それに東軍諸将はみんながみんな家康を天下人にするために働いたわけでもないぞ。
家康を秀頼の守役と思っていたから傘下に着いたもの、
景勝討伐のために駆り出されて成り行きで東軍に付いて行ったもの、
家康と三成では勝負にならないから保身で東軍に参加したものもいる。
>>7はいったい何の小説を参考にしてるのかと。
- 10 :
- ムリメ
- 11 :
- >>8
上杉景勝は三成を天下人にするために西軍についたのか?
意味不明
- 12 :
- >>9
家康VS三成という小説を参考にしているのはお前だろう。
西軍の総大将は毛利であって石田三成ではない。
- 13 :
- >>12
じゃあ輝の人望が問題なんですけど
- 14 :
- 名前貸してるだけだろ
指揮してない
- 15 :
- 大将は三成だといってみたり輝元だといってみたり
お前らバカだろ
- 16 :
- >>14
三成を天下人にするために上杉と毛利の大老2人が名前貸すかよw
西軍が勝ったら三成が征夷大将軍で天下を指揮し
上杉と毛利は三成の下につくつもりだったのか?
そんなわけはないw
- 17 :
- 家康を西軍の総大将にすれば、
必ず勝てたね。
- 18 :
- 豊臣秀頼公御自らご大坂城より出陣有って、元帥総大将として陣頭指揮にあたっていれば、、、
東軍の大多数は豊臣恩顧の大名、侍たちですから、徳川といえども(名目上ではあるが)主君に弓引く逆臣の汚名は免れなかっただろうし、
付き従った武将、軍団は徳川の指揮下から離脱、豊臣方に付いて徳川方が瓦解することは容易いかと。
因みに、徳川の本隊三万(秀忠公が率いる)は真田氏の上田城攻めをした事が仇となり、戦法戦術に長けた真田氏に翻弄される形で信州に張り付けられていて、
関ヶ原の合戦の時点では未だに信州、それからしばらくして大遅参(後の祭(戦さ)り)
- 19 :
- 結局、西軍でマジに戦ってたの、誰?
大谷とか、あと誰?
- 20 :
- >>19
関ヶ原限定だと大きい所は
宇喜多石田小西大谷くらい?
- 21 :
- 有名な戦術家が関ヶ原の陣形みて西軍の勝ちと即答したらしいが
とても三成が家康に勝ってたような気にはなれない
仮に裏切りがなくてもね
- 22 :
- 西軍は関ケ原で決戦せず、主力部隊を大阪城に集結させて、持久戦に持ち込めば
よかったのではないか?
そうすれば、豊臣秀頼を擁して、毛利・宇喜多などの重臣が居並ぶ西軍が政治的に
有利になっていき、徳川方についた大名を切り崩せたのではないか?
- 23 :
- 福島や加藤は1600年に大阪城攻撃できないだろうしな
- 24 :
- でも東軍が勝たないと関東平野の開拓は数百年遅れてるし
今の東京ほどには発達してないだろ
それだと国力の点で大いに差が出るし結局東軍が勝ってよかったんだよ
- 25 :
- どんな局面だろうと、三成が裏切られないわけがない
- 26 :
- 秀頼を西軍の総大将に担ぎ上げる事に成功してれば
少なくとも西軍の負けはなかっただろうけどな
そもそも家康がそんなところにつっかかっていかないから戦にならない
よって、東軍の負けもない。
家康を倒すには...ということだったら、やはり秀吉が存命中で元気なうちだな
小田原征伐後がベスト...適当な罪をでっち上げて袋叩き
実際秀吉の死から関ヶ原にかけての家康の謀略とかって凄いよ
太刀打ち出きるものがいない
- 27 :
- 前田利家がまだ健在な時に前田・毛利・上杉連合で戦うしかないと思うが。
関ヶ原の戦いというか慶長五年の時点で家康相手に勝てる要素など全くないわ。
- 28 :
- 家康暗殺とか考えなかったのかな。
秀吉も幼少の秀頼では行く末が不安だっただろうし。家康はかなりの脅威だっただろう。
- 29 :
- >>27
前田利家存命中、秀吉が死んだ直後から家康は諸大名に養女を送り込んで私婚し
次の天下人であると公言しはじめた
利家はこれ咎めて一発触発になってるよね
家康はこの時点ですでに前田、上杉、毛利に勝つ自信があり
主張を一歩も曲げず不満があるなら戦だという態度を貫いた
それはまずいとおもった利家が「家康は好きなだけ
諸大名と私婚していい」と定め鞘をおさめた
利家は秀吉の死から一年もたたないうちに死に
前田利長は生母まつを人質に出して家康に臣下の誓いをした
利家が生きている頃でも関ケ原が少し早くなっただけだよ
- 30 :
- >>29
秀吉が存命中に無理してでも家康を倒さねばならなかったんだよね
ここで三成がーとか言ってる奴は頭がおかしい
- 31 :
- 利家と家康の間で戦になったら利家につく... って公言してたとかいう蒲生が生きてたb
- 32 :
- 途中書き込みした
蒲生が生きてた場合の利家対家康には興味がある
会津の蒲生と越後の上杉と...徳川を封じることが出来そうな気もする
- 33 :
- 徳川を父祖の地、三河、遠州から剥がして当時は荒れ地の武蔵野(関東)に移したのが間違いの元?
虎(大狸)を広々とした野に放ち自由気儘な新天地を与える愚を犯したも同じ。
- 34 :
- 蒲生氏郷が死んでその役割を担えるのは上杉景勝しかいないから会津に移転させられたんだね
しかし逆方向には徳川に近い伊達もいるし上杉一人ではどうにもならんよな
豊臣系の武将を会津に込めるとしてもその重責を担える大物は皆無なわけで
下手すりゃ清正や正則みたいに家康の味方になってしまうし
- 35 :
- >>26
>秀頼を西軍の総大将に担ぎ上げる事に成功してれば
>少なくとも西軍の負けはなかっただろうけどな
関ケ原に秀頼が担ぎ出されていれば家康はこれ幸いと11歳の秀頼を戦犯として処刑するだけだよ
もともと家康は本多や井伊などの徳川の譜代家臣に関ケ原の戦功を立てさせるつもりで
外様の力はそこまで宛てにしてなかったし
秀吉恩顧の清正や正則もこの時点では家康の臣下となり姻戚関係を結んだ後であり
多少本気モードがなくなったところで西軍に寝返ることはあり得ない
もともと西軍の毛利が大坂城を占拠し秀頼を擁した状態で東軍大名たちは戦っており
秀頼が西軍の人質にされたり殺されても本望(むしろそれを奨励)という立場だった
関ケ原に担がれなかったことでその後も家康は少しだけ秀頼に気を使わないといけなくなったが
関ケ原に担ぎ出されていればそこで豊臣宗家滅亡、家康は笑いが止まらなかっただろう
- 36 :
- 一つ訂正
関ケ原時点での秀頼の年齢は数え9歳
ちなみに秀頼の遺児、国松は大坂の役の後
徳川家康の命令で8歳で六条河原で処刑されている
- 37 :
- >>35
あのー...秀頼が西軍の総大将として立っても戦になる前提で語ってるけど
家康が秀頼を攻める大義名分が何処にあるの?
自分から謀叛人に成り下がるって?
三成や輝元みたいな「君側の奸」を討つんじゃなくて御本尊ですよ?
逆臣上杉を討伐するって言って大阪を出たのを忘れてないかな...
さすがに関ヶ原まで辿り着く前に殺されるわ
- 38 :
- なんで家康は秀頼を連れて会津征伐へ出陣しなかったんだろうなw
三国志だと魏の実権を握った司馬昭は、重臣の諸葛誕が地方で反乱が起こすと、
皇帝と皇太后を連れて出陣して鎮圧した
- 39 :
- 田辺城の幽斎に人を割きすぎ。あそこは3000でいい。後の12000を大津城に向かわせ、大津城の15000を関ヶ原に投入していたら十分勝負になった。
- 40 :
- >>37
関ケ原の最中に大坂城から秀頼を連れ出して西軍に担がれた場合の話だろ
9歳の秀頼に政治能力はなく秀頼が総大将となって
自ら陣中に繰り出し西軍を指揮するという前提は無理
というかそもそも秀頼が成人していれば関ケ原は起こらない
- 41 :
- >>38
家康の天下取りのための上杉征討だからだろ
家康が上杉に対して徳川への臣従と人質を命じたのに対して
上杉が断ったことが上杉征討の発端だから
秀頼を擁することで上杉が秀頼に臣従し豊臣に人質を出しても
家康の希望とは全然違うことになる
- 42 :
- >>40
家康が上杉攻めに入る直前であろうが、西上する途中であろうが、西軍と対峙した
- 43 :
- 対峙した時であろうが同じだよ
家康が率いるのは上杉討伐のために集められた軍で、率いる武将も豊臣の家臣
だから秀頼を攻める大義名分もないし、攻めたいなら徳川だけでどうぞ...ってことになるの
家康ってそこまで馬鹿なの?
- 44 :
- >>43
家康は上杉征討軍を使って関が原で全く別の大名を攻めているので
この時点で秀頼関係ないw
しかも関ケ原の恩賞として主君豊臣秀頼の領地を削って5分の1以下にし
徳川の領地にする傍若無人ぶりw
- 45 :
- 豊臣秀頼が戦場に出てきた場合は全く別物だよ。
大坂城を攻撃するようになるまで十四年も必要とするほど直接戦闘に踏み切れなかった。
なお秀頼自身が出なくても毛利本隊か最低でも秀包くらいが関ヶ原に出てくれば、
吉川の日和見や小早川の西軍攻撃は阻止できた可能性はある。
- 46 :
- >>45
東軍が秀頼を奪い返すという名目でますます西軍に突進し
関ケ原後は豊臣の領地を削って徳川に付け替えるだけだよ
西軍が攻撃をやめないならば秀頼をRと言えば
家康は勿論「どーぞ、どーぞ」だろ
家康が処刑しなくても西軍が殺してくれれば御の字
豊臣恩顧大名は余計に西軍憎しで奮闘してくれるし
大坂城にいた毛利が秀頼を連れ去ることも人質にすることもできたのに
家康はそれでいいから西軍を討ったわけだし
- 47 :
- 秀頼を奪い返すと言う名目で西軍に突撃するのは徳川と一部の東軍だけで、
ほとんどは西軍に寝返った方が早いと思う、という見方もある。
秀頼関係なく戦うなら、家康の圧倒的優位は動かないだろうけど。
- 48 :
- >>45
だから田辺城に人数割きすぎ。幽斎はろくな兵をつれてないから多くても5000でいい。
残りの10000を大津城に差し向け立花宗成・小早川秀包・毛利元康の3人だけでも関ヶ原に投入してたら、毛利と島津がまともに動いてた。
- 49 :
- 毛利、長曽我部、島津は秀吉に抑えられても何故西軍なんだろ?
- 50 :
- 西国大名は地理的に西軍と近く、行きがかり上、西軍に取り込まれてしまう
ケースが多かった。本心では東軍に着きたかったというケースが多く、
そのため、東軍への内通、戦闘に参加せず傍観、土壇場での寝返りを生ずる
ことになった。
- 51 :
- >>50
島津は率いている人数が少ないので東軍の仲間に入れてもらえなかった。
- 52 :
- 関ヶ原の合戦後の主な全国大名石高ランキング
※徳川・豊臣は除く
1. 前田利長(加賀/金沢) 119.5
2. 結城秀康(越前/北ノ庄)67.0
3. 伊達政宗(陸奥/仙台) 60.5
4. 蒲生秀行(陸奥/会津) 60.0
5. 最上義光(出羽/山形) 57.0
6. 島津忠恒(薩摩/大隈) 56.0
7. 黒田長政(筑前/福岡) 52.3
8. 加藤清正(肥後/熊本) 52.0
8. 池田輝政(播磨/姫路) 52.0
8. 松平忠吉(尾張/清洲) 52.0
11. 小早川秀秋(備前/岡山)51.0
12. 福島正則(安芸/広島) 49.8
【減封】
毛利輝元(周防/長門) 36.9
上杉景勝(出羽/米沢) 30.0
佐竹義宣(出羽/秋田) 20.0 ※元(常陸/水戸)は54.5であったが、上杉討伐に応えず、減封
- 53 :
- >>52
立花宗成は一旦改易されたんだね。
- 54 :
- >>47
毛利や上杉主導で秀頼を補佐していくという構想は東軍大名たちになかったと思うよ
自分たちは家康の下で働きたい
秀頼を取り返せばそれが実現するのだから当然家康に忠誠を尽くす
大名たちだって自分や家族や家臣たちの生活のほうが大事だからね
お家が滅んでもいいから秀頼に忠誠尽くすなんてまずないから
- 55 :
- 家康に同行した福島、浅野、池田あたりは、家康が反秀頼なら家康に敵対して戦うだろうよ。
大坂の陣が近いころですら秀頼のために尽くしてるんだし。
そもそも家康は武将連中を秀頼への忠誠の名目で引き連れている。
東西の戦力がほぼ互角で秀頼まで擁したとなれば福島たちが寝返ることで西軍有利になるんだし。
秀頼の出陣を一番恐れていたのが家康なんだよ。
小山から引き返したあと一ヶ月も江戸で諸大名の引き留め工作に終始したんだから。
- 56 :
- >>55
反秀頼ではなく「秀頼を取り返す」
関ケ原の前、上杉景勝の家老・直江兼続が家康にたたきつけた
直江状に見られるように
家康が秀頼をコケにして天下を自分の思うようにしている様子はあったんだよ
それでも福島、浅野、池田は家康に従った
浅野や池田は関ヶ原の前から家康の娘婿だった
関ケ原の後、家康が秀頼の所領を奪って徳川に付け替えるのを見て
福島、浅野、池田はなぜ一切文句を言わなかったんだ?
家康から領地を加増されて大喜びで家康の征夷大将軍就任に臣従の誓いをしたんだ?
大阪の役の頃ではすでに遅い
- 57 :
- 訂正
浅野や池田は関ヶ原の前から家康の娘婿だった
→家康の娘婿だったのは福島、池田
池田の娘が浅野に嫁いでいる
- 58 :
- >>56
取り返す、といっても秀頼が敵の大将として担がれて福島らに「家康を討て」とくればそうもいかんよ。
あなたがいうように簡単に行くなら家康だってじっくり構える必要なんかなかった。
関ヶ原の戦後は、家康は名目上秀頼の補佐だし、将軍職に豊臣は無関心。
秀頼が目指したのは関白だから。
- 59 :
- >>58
「家康を討て」でも相手が9歳の秀頼では
福島だって秀頼が無理矢理言わされているだけとしか思わんだろう
家康が秀頼を取り返しさえすれば「三成を討て」「毛利を討て」
に簡単に変更できることは明白
そんなことは分かってるから秀頼を取り返すために頑張るだけ
関ケ原後の家康は秀頼の補佐ではなく武家社会の主君として振る舞っている
家康が大坂城に入ったのは関ヶ原の戦後処理の時だけで
徳川が豊臣を上回る石高を手にすると二度と大坂城を訪問せず
以降は一度も秀頼に臣下の礼をとっていない(二条城対面は対等対面)
家康が将軍になるときには豊臣の目をそらすために
7歳の孫・千姫と秀頼の婚礼を決め淀殿を婚礼準備に奔走させた
その隙に征夷大将軍となった
- 60 :
- >>58
あと、秀頼が目指すのは関白だから
福島らは家康の征夷大将軍就任に何の不満もなかったという点
家康は関ケ原後、摂関の座を五摂家に返還しており
(豊臣秀次死後、この時まで摂関は不在だった)
秀頼の関白就任を事実上阻止している
そして家康の征夷大将軍就任を持って全国の諸大名は家康の直臣になってるんだよな
秀頼の家臣ではなく家康の家臣
家康が征夷大将軍になっても秀頼は公家だから福島らに文句はなかったじゃなくて
福島らはこの時点で家康を主君と仰ぐ立場になっている
- 61 :
- 宇喜多騒動がなければ西軍圧勝だった
- 62 :
- >>59
君はそう思う
俺はそう思わない
水掛け論だな
互いに証明のしようもないんだし
- 63 :
- 思う理由を比べればいい
- 64 :
- >>61
田辺城に15000も割いたのは愚の骨頂。
- 65 :
- >>59
1602年3月に家康は大坂城へ登城して秀頼に年賀の挨拶をしているぞ
http://tikugo.com/osaka/sonota-os/nenpyo/1602.html
- 66 :
- これで秀頼を取り戻す論は壊滅
そもそも秀頼を取り戻すといいつつ家康に忠誠とか支離滅裂だもんな
- 67 :
- 関ヶ原は中央政界を追放された政治家(石田)が地方軍閥(毛利宇喜多)と組んで起したクーデター
大坂城を不法占拠した挙句に公務(上杉討伐)中の筆頭大老を攻撃する=秀吉の死後の政治システムを破壊する、と公言する連中になんで豊臣家が味方せにゃいかんのだ
淀殿が家康宛書状で石田討伐を依頼する一方、西軍へは軍資金の提供・御墨付きの発給・七手組(豊臣家旗本)前線投入のすべてを拒否したのも当然といえる
- 68 :
- 秀頼と毛利輝元が関が原にくればよかった
そうじゃなくても毛利家と長宗我部軍が東軍と戦っていれば、小早川秀秋も裏切ることはなかっただろうしな
毛利家が徳川に天下を取らせたんだな
本多正信は、石田三成が関ヶ原の戦いを起こしてくれから徳川の天下が取れた大功として、その息子は
ゆるしているんだよな
- 69 :
- 歴史的経緯から西軍が勝つのは良くない事、このifには魅力がない
- 70 :
- 石田三成が単独で家康本隊を撃破していれば勝った
- 71 :
- >>68
幽斎の宮津城に兵を割きすぎ。宮津に5000。残りの10000を大津。
大津の15000を関ヶ原に投入していたら秀秋らは裏切らず。
毛利も島津も動いていた。それで勝っていた。
- 72 :
- 勝てば石田三成政権維持なのがあかんかった
- 73 :
- 維持もなにも三成は失職中やで
- 74 :
- ただ単純にもっと大阪城よりの近江付近の山岳地帯に防衛ライン
引いて大軍によるゲリラ戦してれば遠征軍の東軍の方が補給がつきる
大軍だからと安易に征東軍を行ってしまったのが負けた理由じゃね
福島や黒田は石田がいる限り寝返らないにしても
田中とか寺沢はむしろ石田に人脈的に近いのだからそこら辺は
長引けば多分寝がえり応仁の乱のグダグダ再びには持ち込めたはず
- 75 :
- >>74
関ヶ原に立花宗成・小早川秀包・毛利元康ら15000が参陣していたら小早川秀秋ら5将の寝返りはなかったであろう。
そうなると戦線は膠着し毛利は弁当を食ってばかりおれず山を降りざるを得なかっただろう。
- 76 :
- 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
IWLO9
- 77 :
- >>75
小早川だけは無理だろう。あれは完全に東軍だから
史実では秀元も不戦に同意したとしか考えられない行動取っている
その原因が小早川が松尾山占拠したことの衝撃としか考えられない
そうでなければ目の前の吉川は無視して家康の本隊攻撃しているだろう
ただ西軍が1日でも粘れたら毛利元康と秀包の旗がたってしまえば
秀元も西軍で動くだろうけどそれができなかった理由を探っていけば
岐阜城を家康抜きで短期に落とされたことと松尾山を小早川に占拠された
ことにつきるんだよな
- 78 :
- >>77
初めから元康と秀包と立花宗成は関ヶ原にいたらだよ。
秀秋は裏切れまい。
- 79 :
- >>78
大津城をもっと早く落とせていたらか
しかし立花はともかく元康と秀包は関ヶ原が開戦していないなら
南宮山に行くだろうから小早川が松尾山落として東軍と分かっている
時点ではたして毛利家内を西軍でまとめられるだろうか
- 80 :
- 野戦の指揮は本陣の臨機応変さが求められる
関ケ原の総大将が、
毛利か宇喜多か石田かわからない烏合の衆同然の西軍では無理
西軍が勝つには西軍の強みを活かし、東軍の弱みを突くことだ
西軍の強みは大坂城と秀頼を確保していること、それが東軍の弱みでもある
だから、秀頼を奉じて大坂城に立て籠もって戦う それしか勝ち目はない
14年後に起きる大阪の役を先に前倒しでやってしまうのだ
しかも山陽道の毛利、宇喜多が海上から大坂城に補給してくれる
大坂城は天下無敵の要塞だ
しかも野戦と違って、籠城側としても敵軍を大坂城内に入れないという
目的が明快なので、烏合の衆でも戦いやすい
- 81 :
- 西軍の総大将輝元が秀頼連れて参陣
確実に西軍が勝つ
この場合関ケ原の本戦の時に主力が大津城を攻めるというような愚行もないからそもそも戦力が違う
実際の関ケ原は総大将がいない烏合の衆だから負けて当然だわな
というかあの状況であれだけ戦えたのは、徳川軍の主力がいなかったから
家康は非常に稀有な勝利を手に入れたと思うよ
決して必然的勝利ではない
- 82 :
- >>81
両方とも大失敗したんだな
- 83 :
- >>79
宮津なんか15000もいらない。
大津と宮津で15000でいい。
大津の15000を関ヶ原に投入すれば良かった。
幽斎の宮津城はロクな兵もおらずそれも500。
- 84 :
- やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/bouhan/1516500769/
- 85 :
- 圧倒的戦力差を跳ね返して勝った例って第2次長州征伐とか
日本でも普通にあるのだから3万くらいしか信頼できる部隊がないとしても
やりようがあったと思うんだけどなあ
この時代でも小牧・長久手で家康は1万7千で10万の秀吉軍相手に引きわけに
持ち込んでいるし
- 86 :
- >>85
そりゃ総大将がしっかり居れば3万vs10万でも勝ちようはあるさ
西軍は総大将が居なかったんだからこれが致命傷
- 87 :
- >>86
名目上の輝元、最大兵力で最初に行動起こした宇喜多、事実上の指揮を取っていた
石田の誰か分からんということか。三成絡みでの人間関係は良く言われているが
こうなった原因の根本は毛利と宇喜多の確執じゃね
毛利からしてみれば宇喜多なんぞ滅んでくれた方がよほど良いのだし
- 88 :
- >>86
楠木正成の700と鎌倉幕府の100万というのもあるしな。
- 89 :
- 日本の歴史では時代の変わり目において、」
少数兵力の反乱軍が中央政権側の大軍を破る事例が起こりやすい
木曽義仲が平氏政権の大軍を破って都落ちに追い込んだ倶利伽羅峠の戦い
楠木正成が鎌倉幕府の大軍を破った千早城の戦い
六角高頼が室町幕府の大軍を結果として撃退した鈎の陣
そして江戸幕府の大軍を撃破した第二次長州征伐、鳥羽伏見の戦い
- 90 :
- 戦はそりゃ人数多い方が絶対的に有利だけどさ、
やはり人間同士の戦いだから、軍の統制と指揮って人数に負けず劣らず大事だよね
統制が取れて優秀な指揮官に率いられた軍なら、烏合の衆の大軍に対して勝つことはおかしなことでもなんでもない
大軍といっても個々人の集まりだから統制が取れてないと人数いても機能しないからね
愚かな指揮はもってのほかだし
- 91 :
- >>90
島津義弘は朝鮮で5000の兵で30万の明・朝鮮の連合軍を破ったぞ。
- 92 :
- 問題は「どうすれば勝てるか」だよな
- 93 :
- 桃配山の家康陣地にナパーム弾を落とせば西軍の勝ち
- 94 :
- 桃配山で柿を配る
- 95 :
- 家康はゲン担ぎのために実際に桃を配りまではしなかったんだな
- 96 :
- 豊臣秀頼の出陣が実現できない以上、野戦に打って出るのは得策ではない。
西軍は大阪城に籠城して、「秀頼を擁して」戦うのが上策だ。
上に出ている見解に賛成する。
当時の西軍の諸将と兵力ならば、大阪の陣と比べて格段に優れている。
長期戦に持ち込めば、東軍は大阪城を落とせないのではないか?
時間が経過すれば、加藤・福島・浅野など、豊臣家功臣たちが西軍に
切り崩されて、東軍は不利になるのではないか?
- 97 :
- >>96
あの東軍の戦力で大坂城落とすのは到底無理
そもそも西軍の方が数多いし、徳川軍だって秀忠合流しても6万しかおらん
あとの東軍は秀吉恩顧の連中だから大坂城攻めを長期間やるのはさすがに苦しい
- 98 :
- >>93
なぜそれをやらなかったんだ
- 99 :
- 徳川の東軍が関ケ原に集結の裏をかいて、
海自の護衛艦を江戸湾に派遣、艦砲射撃で徳川本拠江戸城を攻撃する
- 100 :
- そんな簡単なことも出来ない西軍は最低だな
- 101 :
- 西軍が勝つ方策を考えてもそれで豊臣政権が安泰になったかといえばなぁ...
船頭が多くなるだけで海にも山にも行けないグダグダな船になる未来しか見えない
- 102 :
- 戦国時代が長く続いた方が武器や船舶が発達して西欧に対抗できたかもな
歴史ってのはちょっと変わるだけで行先も随分変わる可能性がある
- 103 :
- >>101
歴史のイフを語る人のほとんどは具体的な話をしないから貴方みたいな人は貴重
- 104 :
- >>101
三成はどうすれば家康に勝てたか
真田信繁はどうすれば家康に勝てたか
考えるのは面白いけど、三成や真田が勝ったら天下泰平にはならず、
豊臣政権は室町幕府の足利義政期のように脆弱化
やがて大名たちが二派にわかれて第二の応仁の乱からの第二戦国時代だろう
家康が勝って戦国乱世が終結したのは、庶民としてはありがたい
- 105 :
- >>104
ちょつとスレちがいになるが秀長と家康が長生き合戦をしていたらどうなだろう?
- 106 :
- 西軍が籠城策を用いなかった理由は家康打倒を目的にしていたから
大阪城に籠城していては家康は絶対に攻めてこないから家康打倒は実現できない
もしこのIFなら西軍は大義を失い、領国に帰る大名が続出する
- 107 :
- 大坂籠城とわかれば安心して上杉征伐に専念出来るもんな
- 108 :
- 三成の挙兵がもうすこし遅く家康と景勝が合戦を始めた後ならどうだったろう。
- 109 :
- >>108
それは東軍にとって地獄だね
まず東部戦線は膠着戦になる
伊達も最上も様子見に入るからね
で、膠着戦になると西軍が秀頼の下で輝元を主将として大軍であることがわかると、
東軍についてる豊富恩顧の連中が必ず動揺する
そうすると、裏切るやつが出てくるからそれを潮に寝返り続出
戦国時代の再来になりそうだね
- 110 :
- >>106
いや家康は攻めてくるだろ
秀頼様を君側の奸から救出するそぶりを見せないと、
東軍に味方した豊臣恩顧系の諸侯が納得しない
- 111 :
- >>109
佐竹が徳川の後ろをつき真田が江戸城に攻めよせる。
- 112 :
- 後年の二条城の対面の時に家康を殺せば何とかなったかも知れん。
家康相手に戦を起こしちゃ相手の思う壺だよ。三成は徹底して不戦を貫くべきだった。
- 113 :
- >>111
江戸城を落とした功労者は誰かということで揉めそう
- 114 :
- >>112
北マンの命で宇喜多が挙兵しちゃったのが先なんだけどね
- 115 :
- >>110
攻めてこないだろ。史実でも2か月も江戸に籠ってたのは豊臣配下が信用できなかったからだよ。西軍が籠城策なんか取ったらまず攻めてこない
家康が上杉を攻めた後に立てば間違いなく西軍が勝った。そこしか後から
考えたら勝機はない
- 116 :
- いろいろ考えると家康は相当幸運に恵まれていたことがわかるね
ちょっとでも史実と違った展開になっていたらどうなっていたか全くわからなかった
ただ、西軍の敗因は運が悪かったからではない
総大将がしっかりしていなかったことにつきる
やはり戦は大将次第ですな
- 117 :
- >>116
毛利輝元はいつも通り二股かけてた
こういう時に二股かけるのは宝治合戦で負けてからはこの家の習性でもある
元就は大内と尼子の両方に基本的には通じていた
- 118 :
- >>117
元就はそんな甘ちゃんじゃないぞ
尼子の方が優勢な状況であえて大内についたんよ
そして尼子の大軍を一手に引き受けて耐え抜いた
陶に対しても不利ながら策謀を用いつつ正面から戦った
どっちつかずの態度は取らんよ元就は
そして戦う時は自ら先頭に立って戦ったわ
- 119 :
- 関ヶ原で勝てたら最大功労者は誰になるんだ?
宇喜多か真田か?
- 120 :
- 史実の関ヶ原は、戦一つでケリがついたけど、
西軍が勝つとして、家康の首を取れなかったら元の戦国に戻るだけじゃないの?
- 121 :
- >>120
各地方がそれぞれ国家となってそれなりに安定するかも
- 122 :
- ≪五大老≫
徳川内大臣ー武蔵、相模、伊豆、上総、下総、上野、下野、安房
前田大納言ー加賀、能登、越中
毛利中納言ー安芸、長門、周防、石見、出雲、隠岐、備後、備中
上杉中納言ー陸奥ノ内、出羽ノ内、佐渡
宇喜多中納言ー備前、美作
島津少将ー薩摩、大隅、
伊達少将ー陸奥ノ内
佐竹侍従ー常陸
小早川中納言ー筑前
最上侍従ー出羽ノ内
長曾我部侍従ー土佐
鍋島侍従ー肥前
織田中納言ー美濃
- 123 :
- >>120
一日で終わると思ってなかった人たちが大勢いたからねえw
上杉さんとか、黒田さんとかw
- 124 :
- ≪関ケ原役の後≫
前田ー加賀、能登、越中
毛利ー長門、周防
上杉ー出羽ノ内
島津ー薩摩、大隅、
伊達ー陸奥ノ内
佐竹ー出羽ノ内
小早川ー備前、美作
最上ー出羽ノ内
鍋島ー肥前
加藤ー肥後
福島ー安芸、備後
浅野ー紀伊
黒田ー筑前
細川ー豊前
蜂須賀ー阿波
山内ー土佐
藤堂ー伊勢、伊賀
池田ー播磨
- 125 :
- ≪明治維新後≫
前田ー侯爵
毛利ー公爵
上杉ー伯爵
島津ー公爵
伊達ー伯爵
佐竹ー侯爵
鍋島ー侯爵
浅野ー侯爵
黒田ー侯爵
細川ー侯爵
蜂須賀ー侯爵
山内ー侯爵
藤堂ー侯爵
池田ー侯爵
- 126 :
- 秀忠軍が到着して、徳川パーフェクト勝利の場合、
領土配分がどうなるのかも気になる
- 127 :
- >>121
うーん。豊臣政権が室町幕府化してグダグダが続くような気がする
- 128 :
- 西軍も総大将がしっかりしていたら、
関ケ原一つで壊滅しなかっただろうに。
大阪くらいでもうひと戦ができただろうに、
- 129 :
- 家臣のロリ嫁取り上げた挙句にその家臣を虐Rるようなやつだからどうしようもないw
- 130 :
- >>129
「島津奔る」という小説の中で義弘が家臣の中馬大蔵の女房を犯す場面が出てきていたが。
- 131 :
- >>125
伊達(宇和島)は侯爵
- 132 :
- >>129
ああいった価値観はどうなのだろうな。
旧約聖書でもそういった事例を挙げて、預言者がけしからんといさめているけど、
その割にはダビデ王にしても、毛利家にしても結構皆がついていって
いるのだよな。
あの当時の人は家来の嫁を取り上げるのは罪だとは思っていなかったのかな?
- 133 :
- 鎌倉初期、源頼家が御家人の安達景盛の妻を取り上げたとき、北条政子が頼家を
諫めたというエピソードがある。
家臣の妻を取り上げるのはよくないという価値観は昔からあったのではないか?
- 134 :
- ≪関ケ原役 西軍が勝利したら・・・夢≫
徳川ー改易
前田ー出羽ノ内
毛利ー安芸、長門、周防、石見、出雲、隠岐、備後、備中、豊前
上杉ー越後、越中、上野、佐渡
宇喜多ー備前、美作、播磨
島津ー薩摩、大隅、肥後
伊達ー伊豆
佐竹ー常陸 、上総
小早川ー淡路
最上ー伊賀
長曾我部ー土佐 、伊予
鍋島ー壱岐
織田ー美濃 、飛騨
石田ー近江
大谷ー敦賀
真田ー信濃
小西ー紀伊
立花ー筑前、筑後
安国寺ー讃岐
九鬼ー伊勢、志摩
- 135 :
- >>1
これが幕末明治維新の頃だと、宣伝工作がかなり力を発揮したのだけどな。
徳川になると鎖国をして、貿易ができなくなって貧乏になるぞと言っても
だれも乗ってこないだろうしな。
むしろ大名に、うちが勝てば100万石やるぞと手紙を出すほうが
手っ取り早いよな。
- 136 :
- >>134
平塚為広にも弾んでやってくれ。
- 137 :
- 平塚為広ー大和
直江兼続ー下野
真田幸村ー丹波
- 138 :
- ≪関ケ原役 西軍が勝利したら・・・夢≫
徳川ー改易
前田ー出羽ノ内ー5万石
毛利ー安芸、長門、周防、石見、出雲、隠岐、備後、備中、豊前ー160万石
上杉ー越後、越中、上野、佐渡ー160万石
宇喜多ー備前、美作、播磨ー80万石
島津ー薩摩、大隅、肥後ー100万石
伊達ー伊豆ー2万石
佐竹ー常陸 、上総ー60万石
小早川ー淡路ー1万石
最上ー伊賀ー2万石
長曾我部ー土佐 、伊予ー50万石
鍋島ー壱岐ー1万石
織田ー美濃 、飛騨−30万石
石田ー近江ー40万石
大谷ー若狭、越前ー30万石
真田ー信濃ー30万石
小西ー紀伊−40万石
立花ー筑前、筑後ー40万石
安国寺ー讃岐−20万石
九鬼ー伊勢、志摩−35万石
平塚為広ー大和ー25万石
直江兼続ー下野ー30万石
真田幸村ー丹波−25万石
- 139 :
- 西軍が勝利したら、史実と比較して諸侯の所領が大き過ぎる事態になるな
豊臣宗家は諸侯に対するコントロールが効かなくなり、室町幕府のような
弱い政権になるだろう。
やがて、諸侯同士の合戦も頻発するようになり、再び戦国時代になるのではないか?
- 140 :
- 関白―小早川秀秋
五大老―宇喜多、毛利、上杉、前田(利政)、佐竹
五奉行―石田、小西、増田、長束、前田(玄以)
- 141 :
- 秀秋からみれば、
光成から関白にしてやるといわれても、秀次事件を想起して震えたんじゃないかww
むしろ家康が提示した上方2か国のほうが現実的な利益だ
実際に拝領した備前美作の2か国が上方といえるのかは疑問だが
- 142 :
- 備前美作は上方じゃねえなあw
せめて播磨くらいじゃないと
まあ文句言ったところでどうにもならん立場だからね
- 143 :
- まあその点播磨もらった池田輝政はさすが家康の婿だから優遇度が凄いわな
- 144 :
- 池田は、親の敵の娘と結婚して正解だった。命乞いしてもらえたし、所領は増えるし。
- 145 :
- >>139
豊臣の領土が減るのは史実と同じっぽいな
- 146 :
- 関白―豊臣秀頼
五大老―宇喜多大納言、毛利内大臣、上杉大納言、前田(利政)中納言、佐竹中納言
五奉行―石田少将、小西少将、増田侍従、長束侍従、前田(玄以)宰相
- 147 :
- 関ヶ原以前に清洲で勝たないと話にならん
- 148 :
- 佐竹が江戸城落としたら征夷大将軍名乗りそう
- 149 :
- >>145
秀吉には強力な直轄軍というものを形成する暇がなかったからな
他人に領地大盤振る舞いしてようやく天下取れたという点で足利尊氏に酷似している
所詮足利幕府の二の舞にしかならんわ
- 150 :
- まあ秀吉は100万石クラスの大大名である信雄や丹羽や蒲生を、
戦を起こすことなく命令書1本で改易や大幅減封に処したり、
上杉や伊達や徳川に国替えを命じて実行させている
特定大名への追討令を発して、すぐに恩赦で引っ込めたりの朝令暮改の室町幕府とは
やはり異なるよ
ただ関ヶ原で西軍が勝利した場合は、豊臣政権がそうなる可能性はあったが
- 151 :
- >>150
それは秀吉個人の力だからな
それを支える客観的基盤がないわけだから秀吉が死んだ瞬間に足利幕府レベルの力しかなくなるのよ
やはり秀次を潰したのが致命傷だった
- 152 :
- 明治維新とは違った情報工作、
とにかく、西軍が勝つ、西軍が勝つと宣伝しまくるしかないだろうな。
実際にまともに戦えば西軍が勝つ可能性はかなりあったのだからな。
- 153 :
- 秀次が生きていても秀次側と秀頼側で二分して国内騒乱になったと思う。
- 154 :
- 毛利が裏切らなければ勝てた。
- 155 :
- >>138
如水とか清正は?
- 156 :
- >>153
秀長が1615年あたりまで生きていたらどうなっただろう?
- 157 :
- >>154
吉川広家がいなきゃ勝てたんだな?
- 158 :
- 豊臣政権は秀吉の個人商店でしかなかったんだよな
大阪城や金銀が残ろうが後はカスな形骸に過ぎないって
- 159 :
- それだな
全国販売してただけの人気店豊臣商店
それが創業店主が亡くなって無能な息子とバカ嫁がくいつぶしただけ
番頭も自分のことばかりで取引先をふりまわして信用をなくす
大手取引先の徳川株式会社が助け船をだそうとしても反発
ついには商圏もろともよそにもっていかれてエンド
- 160 :
- >>157
文藝春秋などの最近の記事によれば吉川の離反は東軍の勢いに恐れをなしての命乞いに近かった模様
また西軍の行動は戦略的に不利化した大垣周辺からの急撤退であり実際は東軍による追撃戦に近いとか
- 161 :
- 西軍が勝つには秀頼を担ぎ出すしかないが流石に10歳前後の子供を戦場に駆り出すのは無理。
なので秀頼の、誰も文句のつけようのない後見人、まあ叔父か養父あたりを戦場に駆り出すしかない。
叔父は既にこの世にいないので、許嫁の父あたりを後見人として戦場に連れてくるべきだったね。
結局、秀頼の嫁選びが一番の秀吉の失敗だった。
- 162 :
- いずれにしろ西軍は総大将が腰座っておらず、その結果戦力が分散してるわけだから勝てんわな
東軍も戦力集中に失敗してんだけど総大将の家康が現場におるから全然違う
- 163 :
- 秀頼かつぎだす名聞もないよな
徳川もべつに豊臣をないがしろにしてないわけで
- 164 :
- >>163
そんなんなんでもいいんだよw
家康の前田討伐、上杉討伐、後年の大坂攻め、全部難癖だろw
- 165 :
- 上杉討伐は豊臣への敬意がたりない、謀反のための武装をしているとしているわけで。
あくまで豊臣のために動いているのを止める西側があきらかに謀反なわけで。
もちろん徳川が難癖王なのはわかってるよ
でもそれはそれより後の話
- 166 :
- >>165
秀頼を献帝、家康を曹操、三成を劉備、上杉を孫権と考えればいい
- 167 :
- >>166
それはアリだな
なんだかんだで三国志を引用するのは歴史を楽しむうえでまあアリだわ
- 168 :
- >>163
内府違いの条々で十分だろ
あとは輝元が千成瓢箪と一緒に秀頼引き連れて毛利全軍が結集して動けばよかった
つうかそれしか方法ない
もっともこれで毛利勝ったら毛利が徳川になるだけで豊臣家にとってなんもプラスじゃないけどなw
- 169 :
- 毛利全軍プラス小早川秀包&立花宗茂だったら実はこれ当時の日本最強の布陣だろ
小牧長久手以後約15年実戦経験してない徳川より朝鮮で明相手に散々戦ったこっちの方が相当強いだろ
- 170 :
- >>168
内府ちがいもさ、三成が言っても説得力ないよな
- 171 :
- 輝元が元就だったら普通に西軍勝ってたなw
裏切りが出るのも東軍からだろうよww
- 172 :
- >>161
許嫁の父は戦場に間に合わなかったが、祖父なら居た。
- 173 :
- >>172
それ知ってる
- 174 :
- >>171
隆景が生きていたら毛利家はどう動いたか?
- 175 :
- 西軍はもともと戦意が低いのだから、無理に決戦することなく、畿内に駐留して動かなければ
よかった。岐阜の織田秀信に少し援軍を出す程度でよかった。
毛利輝元・石田三成・小西行長・恵瓊などの首脳は大坂城に本陣を置いて、動かなければよい。
タイミングを見て、天皇の仲裁の勅旨を得て、東軍と和解すればよかった。
- 176 :
- >>175
如水が九州を平定し東上してきたら?
- 177 :
- >>176
そいつが動くのは関ヶ原で東軍が勝ったあと。
単独で戦うほどの器じゃないよ。
- 178 :
- >>177
西軍が勝ったら?
- 179 :
- 如水が九州で落としたのは西軍の城だから袋叩きになる
- 180 :
- 吉川広家がおるから袋叩きにはならんよ
どっちに転んでもいいように計算して動いている
- 181 :
- 攻められて不満をもたない武家はない
- 182 :
- 清正はどうなっていただろうね。
- 183 :
- >関ヶ原で西軍が勝つにはどうすればよかったんや
天下の名城大坂城に陣を敷けばよかっただけ
- 184 :
- そうだよなあ
豊臣の看板のかかった大坂城を攻めるわけにもいかんわけで
- 185 :
- >>183
家康の最終目標は秀頼殺して徳川の天下にすることだから
どさくさに紛れて秀頼殺しちゃうよw
関ケ原の時に家康が秀頼殺してたら
諸大名は一丸となって家康を攻めただなんて妄想
前田は家康に生母を人質に取られてたし
ほかの東軍大名もほぼ家康の姻戚
- 186 :
- 関ケ原はもう西軍に勝ち目はないから
もっと早くに家康に天ぷらをたくさん食べさせればよかったのだ
- 187 :
- >>185
それなら上杉討ちにいくまえにやれること
- 188 :
- >>187
歴史を知らない奴だな
家康は秀吉・利家が死ぬとまず最初に「前田征討」を発表した
すると前田利長は家康に実母を人質として差し出し
どうか家康の家臣にしてください私を攻めないでくださいとお願いした
そこで家康は戦わずして前田を家臣にすることができた
そこで家康は上杉にも同じことをした
上杉も前田同様、実母なりを家康の人質に出して家臣になるはずだった
それを拒否したので「さっさと人質出して家臣にならんかい」が上杉征討
最終的に秀頼をRにしてもまず大老全員から人質とって家臣にしてからと思ったんだよ
- 189 :
- >>187
そもそも秀頼に謀反をたくらんだからRべしとした前田利長が
家康に人質を出して実母を江戸城へ送り
家康に臣従の製紙を出しただけで「謀反無し、許す」になったわけで
この時点で諸大名は家康を主君として動いている
上杉に対しても謀反の心がないなら「徳川の城である江戸城に」
人質を出せと要求している
秀頼に人質を出せなどとは一言も言ってないし
実際に秀頼になど人質を出しても家康は「殺せ」としか言わない
- 190 :
- >>188
歴史がどうこう、じゃないだろ
秀頼Rなら関ヶ原以前にやれてたってこと
やらないでいた時点で関ヶ原時点までは徳川に秀頼殺害の意志はないってこと
- 191 :
- 関ケ原合戦の時点では、まだ豊臣方の諸将が健在なので、秀頼に手を出すことはできない。
五大老クラスでも、家康に臣従しない大名は、毛利・宇喜多・小早川などがあり、島津・
長宗我部・織田・佐竹なども家康の勢力圏には入っていない。
石田・小西・恵瓊などは徳川と激しく対立している。
この時点では、大阪城と秀頼は西軍側が抑えており、朝廷も西軍の勢力下にある。
したがって、西軍は大坂城・秀頼・朝廷を拠点として、「負けない」体制を築けばよかった。
持久戦になれば、西軍のほうが優勢だったはずだ。
- 192 :
- 戦国板でやれよカス共
- 193 :
- >>191
暗殺はそういうの関係ない
歴史上わりかし謎の死をとげる有力者はいたわけで
- 194 :
- このスレ30年前からタイムスリップしてきたような人ばかりですね
- 195 :
- どうも岐阜城早期陥落で全国的に流れが変わった。
秀信に2000ほど援軍つけて籠城させ、清洲の正則らが攻城戦にてこずったところで宇喜田勢など伊勢方面軍をぶつけて野戦で勝てば行けるんでは。
でも天下三分か4分で乱れそうだが。
- 196 :
- >>195
中央で膠着すればする程西で黒田が、東で上杉と伊達が勢力拡大しますね
- 197 :
- >>191
島津維新は家康よりだったけど。
- 198 :
- >>196
黒田黒田言ってる奴は司馬小説を鵜呑みにして史実を知らない人
- 199 :
- >>190
関ケ原前に家康が秀頼を殺せなかったからって
なんで関ケ原の時の秀頼は絶対安泰なんだ
関ケ原で勝利した家康は何でもできる立場
- 200 :
- >>3
ベンチャーズ?
- 201 :
- 陰謀の日本中世史面白い。
増田長盛がぶれてる理由、毛利輝元のやる気もわかった。
- 202 :
- 関ヶ原で西軍が負けた決定的理由
大軍を擁する毛利が参戦しなかったからという簡単な理由
毛利も上杉や黒田官兵衛と同じく関ヶ原が一日で終わると考えておらず、
まず四国制圧、その後九州を制圧する算段だった
大軍同士の決戦が一日で終わる例は多いね
日本、ローマ帝国、イングランド征服
- 203 :
- 徳川・前田連合と、毛利・宇喜多・上杉のどっちが多数派でどっちに勝ち目があるか、みんなが迷ってた。
家康もパニックになり必死だった。
それが、清洲勢の岐阜城陥落で流れが決まった。
大垣勢で赤坂を強襲できれば流れを逆転するチャンスはあったが、兵力不足。
伊勢路勢が遅く、行軍中に調略で半分中立化。赤坂夜襲前に家康と小早川着陣で勝負あった。
西軍の戦力分散が致命的失敗。家康の反転が遅ければ、畿内をじっくり制圧しててもいいんだが。
上杉北進を見極めて決戦場に向けて東海道を突進した家康のリーダーシップの勝利。
輝元が正当性根拠の秀頼を手放せず出陣できなかったのは仕方ないが、
濃尾平野への戦力集中は指示すべきだった。
毛利の四国征伐はどうみても余計。
中央で勝利すれば四国は論功行賞で取れるのに。
- 204 :
- 三好長慶を大河ドラマに 協議会設立
http://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20180612/8020002023.html
徳島県生まれの戦国武将で、一時は近畿地方や四国地方を広く勢力下に置いたとされる
三好長慶を主人公にしたNHK大河ドラマの誘致を目指す協議会が、徳島市内で設立されました。
- 205 :
- とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
P3R
- 206 :
- 北政所を西軍に引き込めれば勝ってた
- 207 :
- 北政所はもともと西軍
- 208 :
- 三成軍六千が全力で徳川以下七万を蹴散らせばよかった
- 209 :
- 関ヶ原が野戦になったのは、西軍が籠城し攻城戦になると面倒なことになるので
避けたため、秀忠軍が着くのも待たず家康側は開戦に踏み切った
- 210 :
- 未だに司馬小説そのものの知識でドヤってる奴がいることに驚き。
ここって昭和のままかいなwww
- 211 :
- >>206
その程度の理屈なら徳川家康を西軍に引き込んだ方が早いんでね?
- 212 :
- 死ぬまでまとう徳川家康。
隠忍自重の一言に尽きる。
- 213 :
- 毛利、吉川、小早川を無力化し寝返らせた黒田長政の活躍だろう
先代から続き毛利家は黒田に翻弄されっぱなしなんだよな
- 214 :
- 戦国自衛隊の到着を待つ
- 215 :
- >>213
黒田官兵衛は小早川景驍ェ危険と秀吉にそれとなく告げ口したが
秀吉がダメならと毛利が喰われてしまった
- 216 :
- >>215
日本語でおk
- 217 :
- ワロタ
- 218 :
- 毛利が下りてきてたら楽勝だった
小早川が裏切っても大丈夫だったさ
しかし毛利家って関ヶ原の恨み〜とかずっと持ってたって本当かね?
吉川広家に仕切られたことや輝元のマヌケさが原因なのに、負かされた相手を恨んでどうするよ
- 219 :
- >>161
鎌倉幕府つぶした軍勢の大将は4歳児だぞ
- 220 :
- 西軍が関ケ原に勝ったとしても次で負けそう
- 221 :
- 家康の寿命が尽きるまで「次」を起こさなければ勝てる。
豊臣家の音頭をだれかが執れればだが。
- 222 :
- 毛利秀元は、豊臣秀長の娘(秀吉の養女にもなった)である大善院の婿のはず。
関ケ原の戦い当時も大善院は存命のはずだから、秀頼の出陣が無理なら、大善院を連れて行って、関ケ原における名目上の大将にしたら良かったんじゃないだろうか。
豊臣家の血縁だし、秀次たちも秀吉の姉の子で女系だったので、秀頼の子どもが育たなければ、大善院の子どもが(できたなら)関白になる可能性すらあった重要人物。
東軍にはお勝の方もいたみたいだし、西軍に大善院が居たって不思議は無かった。
- 223 :
- >>221
豊臣の音頭を取っていたのが家康その人だったんですけど
- 224 :
- >豊臣の音頭を取っていたのが家康その人だったんですけど
家康が寿命が尽きるまで豊臣家の音頭を執っていれば、西軍の勝ち。
- 225 :
- 徳川家康を「豊臣政権の執権」につなぎとめ、徳川宗家代々がこの地位に就く形に持ち込めれば、豊臣政権は維持されたといえるわな。
でも家康がそんな鎖を引きちぎって幕府を開いたのは、秀吉死去時で250万石という卓越した石高を持っていたから。
これはもちろん、秀吉自身が関東に与えたものだが、これぐらいしないと転封を承知しないと思われていた。
つまり、問題の源泉は、
天正壬午の乱で家康の旧武田領蚕食を牽制しなかったばかりか、影で後押ししたという秀吉の致命的戦略ミスにある。
あの時、家康ではなく上杉を支援して諏訪湖ぐらいまで取らせれば、家康は関東に移封させても100万石程度で済み、
五大老筆頭のまま、豊臣政権を壟断するだけで済んだ可能性が高い。
- 226 :
- 秀吉存命中に、秀頼、宇喜多秀家、福島正則、加藤清正のいずれかを征夷大将軍にしていればどうだろう?
関ヶ原に勝っても、家康に幕府は開けない。
- 227 :
- 秀吉存命中でも家康には遠慮せざるを得ない状況だったんだから、
秀吉がRばすべては家康次第、という状況になるのが必然。
秀長・秀次と貴重な一門を失った段階で秀吉は詰んだのかもしれない。
- 228 :
- 天正自身が無ければ、秀吉は家康に総攻撃を行い、家康は滅んでいた、というが、
この時家康は北条と同盟していたしその北条と伊達が同盟し、上杉・佐竹連合と対峙していた。
島津や長曾我部も反秀吉だったから、秀吉の味方で目立つのは毛利、大友、上杉、佐竹ぐらいしかおらず
、調略次第では家康勝っちゃうかも、という形成。
- 229 :
- >>226
幕府を開いたらそれには逆らっちゃいけないと家康が考えていたとでも?
秀家「さあ、オレは将軍だぞ」
家康「知るか。宇喜多なんか滅ぼしたるわ」
清正、正則「俺は将軍だぞ」
家康「知るか。お前らなんか滅ぼしたるわ」
清正、正則「すみませんでした、あなたに従います」
大野治長「秀頼さまが将軍です」
家康「知るか」→あとは史実のように
- 230 :
- 知るか
- 231 :
- 秀次が切腹した段階で詰んだ。
この段階で豊臣政権の存続は諦め、家康へ諸大名の前で公式に禅譲し、
秀頼の後見を頼めば、家康も自分の政権の下で面倒をみたかもしれない。
- 232 :
- >>229
そんなことは考えてないよ。
でも、関ヶ原後に将軍になったから、諸大名は臣下の礼をとったわけで、将軍になれなかったら、家康も諸大名も豊臣家臣のまま。
家康が言うことを聞かすためには、豊臣を叩き、各大名をひとつひとつ潰していかなければならない。
家康にそれほどの時間は残されてないよ。
- 233 :
- 黒田家を味方に付けてたら勝てたな
その後天下を掠め取られたとは思うが
- 234 :
- >>232
将軍になったら誰でも従うのか。
じゃあ足利にさからった信長はなんなんだろうな。
- 235 :
- >>234
232をよく読みなおして、落ち着いて説得力のある反論をしてくれることを期待してるよ。
- 236 :
- 家康が将軍になったって臣下の礼をとらなかった武将も数多くいたんだけどそれはどう説明するんだか
- 237 :
- 将軍になっても実力が伴わなければいうことを聞かせるなんて無理だと思うけど?
- 238 :
- 加藤清正や福島正則を征夷大将軍に任官させるような朝廷工作をだれがやるのか?
それに朝廷だって一大名程度を征夷大将軍になんか任命するわけないだろ。
- 239 :
- >>238
226では「秀吉が存命中に」とあるね。
- 240 :
- >>236
>>237
232をもう一度声に出して読んでみよう。
- 241 :
- >>240
そもそも232が幼稚すぎて
- 242 :
- >>241
ちゃんと読めてないのにどうしてそんなこと言えるのかな?
幼稚とか批評するのは、説得力のある反論ができないからみたいに見えるよ。
- 243 :
- まず、任命の件。
秀吉存命中ということは、対外戦争中ということ。豊臣姓の外征将軍を征夷大将軍に任命することは道理にかなう。
しかも秀吉の意思であれば、何の障害もないよね。
- 244 :
- 次に将軍の権威の件。
仮に加藤清正が将軍になり、その後歴史通りに関ヶ原が展開したとしよう。
清正は東軍だし、将軍を罷免するわけにはいかない。
そうなれば、家康は豊臣政権の大老として主君秀頼の名のもとに戦後処理をするしかない。
家康が諸大名を臣下にするのは、個別に行うしかなく、そんな状況で九州にいる将軍清正を倒すには何年かかるやら。
さらに秀頼を滅ぼすとなると、時間がかかりすぎて家康の寿命が尽きるだろう。
実力を伴わない将軍に従うものは少ないが、権威のない実力者に従う者もそう多くないのだよ。
- 245 :
- そうはならなかったけどな
- 246 :
- 加藤清正は秀吉在世中は豊臣子飼いの一大名に過ぎないし、出自的に無理だろ。
家康は任官された時点では400万石の石高と内大臣の官職をもっていたし、
家系図を新田家傍流に書き換えて任官されるように土台を入念に準備している。
- 247 :
- 家康を征夷大将軍させない、秀吉が在世中に意図していたなら、
足利義昭にそのまま任官を続けさせることで、名誉職にさせていたはず。
- 248 :
- >>246
加藤清正と福島正則は豊臣姓で秀吉と血縁関係もあるから、少なくも秀吉存命中には問題なく征夷大将軍になれる。
外征将軍だしね。
初代征夷大将軍坂上田村麻呂の出自は東漢氏で、それほど貴種というわけではないね。
- 249 :
- >>247
なるほど、そういう手もあるかもね。
ただ、足利義昭は秀吉より先に死んでしまったんだよね。
空席になった将軍職が名誉職であり続けるかどうかは微妙かもしれない。
- 250 :
- >初代征夷大将軍坂上田村麻呂の出自は東漢氏で、それほど貴種というわけではないね。
少なくとも朝廷の直臣であり、豊臣の陪臣である福島や加藤と同列ではないし、
近衛府勤務からスタートしていて、天皇に対する信任に至っては別格。
そんなゴリ押しで朝廷相手に紛糾するぐらいなら足利家をそのまま継続させて将軍家とした方が効率が良い。
- 251 :
- >>226
秀頼は豊臣家なんだから関白にはなれても武士の頂点である征夷大将軍はなれないんじゃないかな? 宇喜多や加藤や福島は血統の面から不安要素が多いし
- 252 :
- >>229
そもそも家康に将軍任官を豊臣は後押ししてたやろ
- 253 :
- 四の五の言わずに三成が単体で東軍蹴散らせば良かったんだよ
- 254 :
- >>250
東漢氏は渡来系でもともと蘇我氏の陪臣のような氏族だった。
同じ源氏とはいえ源頼朝の陪臣(御家人)だった足利氏が将軍になったわけだから、摂関家である豊臣姓の加藤、福島が将軍になるのがそんなに無理とは思えないな。
小早川秀秋も関白になれると自他ともに思っていたわけでしょ?
- 255 :
- >>251
豊臣政権当時、武家の棟梁は武家関白だよ。
- 256 :
- >東漢氏は渡来系でもともと蘇我氏の陪臣のような氏族だった。
田村麻呂自身は近衛府から出仕して紛れもない直臣だし、天皇の信任は歴史的にも稀に見る厚さ。
加藤や福島なんか当時の天皇からすればどこの馬の骨か分からぬ上に、秀吉の子分に過ぎない。
秀吉がゴリ押ししたとしてもそのせめぎあいの姿を諸大名に晒し、時間を浪費するだけだろ。
>同じ源氏とはいえ源頼朝の陪臣(御家人)だった足利氏が将軍になったわけだから、
源氏の分家筋だし、全国の武家を二分する一方の指導者だろ
>摂関家である豊臣姓の加藤、福島が将軍になるのがそんなに無理とは思えないな
加藤や福島が豊臣本家を乗っ取る形で諸大名に号令する立場になり、家系図も源氏なりそれなりの家に書き換えればなれるかも。
- 257 :
- 豊臣の家臣内ですら内輪もめするような加藤や福島が
征夷大将軍を名乗るだけの統率力には値しないだろ。
足利のような確かな血筋でもないし。
- 258 :
- >>256
坂上田村麻呂のときの桓武天皇と、秀吉が関白になって以降の天皇じゃ持ってる権力が全然違う。
せめぎあいになんぞならんよ。
実際、秀吉は臣下を内大臣やら大納言にもしている。
あと、足利が源氏の分家筋なら、加藤福島小早川も豊臣の分家筋。
豊臣は摂関家で武家の棟梁だから、わざわざ源氏になどなる必要はない。
あなたは、源氏や将軍を特別視しすぎなんじゃね?
- 259 :
- >>257
足利も実に盛大に内輪もめしてたよな。
- 260 :
- >>255
だよなぁ…
征夷大将軍ガーという議論は、滑稽以外の何物でもないw
- 261 :
- >>255
秀吉が五摂家に取り入ったから関白になれたわけだからあくまで貴族の官位じゃん? 武士の頂点は征夷大将軍だと思うんだけど
- 262 :
- >>257
文治派vs武断派の熱い内部抗争
- 263 :
- >>253
関ヶ原での三成って細川と黒田に入れ代わり立ち代わり攻め込まれても頑張って持ちこたえてたよな
- 264 :
- >>261
豊臣姓を下賜されて武家関白家となったよ。
武家関白は貴族の官位ではなく、武家の棟梁として認知されているから、秀吉は将軍を置かなかったわけだ。
自分の意のままに動かせる傀儡将軍が必要なら鎌倉幕府みたいに摂関なり親王なりを据えれば済むことだけど、そんなものは必要無かった。
- 265 :
- >>257
鎌倉幕府四代将軍は摂家の非嫡子で、しかも3歳の幼児だったから、摂家分家筋も統率力も天皇の信任も全く問題にならないということだな。
- 266 :
- >>264
なるほも あと気になったのは豊臣姓を下賜されたのは太政大臣になってからだと思ったんだけど違ったかな?
- 267 :
- 坂上田村麻呂は長年失敗してきた奥州平定に成功したし、天皇の近臣として厚い信頼を寄せられた。
頼朝や尊氏は源氏の血筋で、しかも多くの武家従えていた。
福島や加藤は豊臣の配下としては猛将かもしれないが、それまで叙任された征夷大将軍
としては豊臣家配下として同僚といさかい起こしている程度の人物で小物過ぎるし、
血筋も頼朝や尊氏に比べ不確か、大名としても二〇万石程度と小身、
少なくとも利家のように仲の悪い三成と清正を丸め込んでまとめる度量ぐらいは必要。
。
- 268 :
- >>265
ある程度支える武力があればな
鎌倉には北条がいたから将軍が雑魚でも倒れなかった
しかし豊臣にはそんな勢力はないんでね
徳川が絶対服従なら話は別だけど
- 269 :
- >>268
秀吉に武力が無いとか不思議なことを言う人だね(笑)
- 270 :
- 加藤、福島の征夷大将軍に成れるか問題点とかw
こんな続くから逆に信憑性あるのかな
- 271 :
- >>269
秀吉亡き後の秀頼にないっていう話だろ。関ヶ原の時秀吉は存命だったのか?
ちなみに加藤福島が将軍になったら将軍の権威にひれ伏す連中連れて東軍についてしまうわw
- 272 :
- >>271
一番初め>>226に「秀吉存命中に」とあるよ。もはや、君に説得力ある意見を
求めるのは無理のようだね。
秀吉存命中に、朝鮮出兵時の司令官を征夷大将軍に叙任することが可能だというのは、もはや議論の余地が無いと思う。
「将軍ガー」君の蒸し返しに答えるのはこれで終わりにする。さようなら。
問題は、その場合でも関ヶ原(のようなもの)が起きて、徳川の世が訪れるかどうかということ。
俺自身は、それについての考えは固まっていないが、最終的に徳川の世になったとしても、そのプロセスは史実とは違った様相を呈するのではないかと思う。
賢明な諸兄のご意見を賜りたい。
- 273 :
- つうかだなあ、太閤が自ら乗り出して、隣国の征服作戦に邁進しているその期間に、
何が悲しくて、部下にわざわざ征夷大将軍になってもらおうとするんだよ('A`)
そんなわけわからんことをして、唐入りの作戦遂行に、何かプラスにでもなることがあるのか?
- 274 :
- 天皇を北京に移して秀次を明の関白に、宇喜田秀家を日本の関白にするという
秀吉のアジア構想が実現すれば、家康の征夷大将軍もありえるかもな
- 275 :
- 諸国大名を腕力で黙らせて
最終的には帝の認定を貰う
これが長らく日本の最終的秩序だな
- 276 :
- 唐入りしたことがすべての元凶だな
朝鮮の冬の寒さに耐えきらず凍死者だしてるようじゃ華北も占領できん
戦力以前にそうしたことがダメ
- 277 :
- >>276
満州は関係ないでしょ
戦とは兵站で決まるもの、当時に三成より優れた人はいない
- 278 :
- 家康の将軍就任は、秀頼家臣から家康家臣に鞍替えしたかった諸大名に口実を与えた訳で、
将軍職を長生きしそうな別の奴にくれとくのは面白い嫌がらせ。
清正とか武張った奴に与えるより、ひょうげ者に与えて、将軍職の権威を落としておく方がいいと思うが。
しかし、将軍職は口実であって、その前の事実としての権力交代を防がないとな。
- 279 :
- >>278
古織将軍ですか(笑)
それはそれで面白いですね。
ただ、あまり小者だと、将軍ごと担がれてしまうリスクがありますね。
そこそこ力があり、できれば秀吉と血縁のある豊臣姓のものが最適かなとは思います。
- 280 :
- 結城秀康と徳川秀忠や本田正信と大久保長安など徳川内部か抱えている対立を煽る。
出来そうな奴が西軍に居ればだが。
- 281 :
- 上杉討伐の前に大阪で家康暗殺できたらな
- 282 :
- 結局ペリー来航のあたりで歴史のブレークラインでチャラになるんですが
誰が支配してても結果は同じって所が日本の持ち味じゃないの?
- 283 :
- >>1
どうすれば西軍が勝てたか?
もう答えは出ているだろ。
秀頼が出陣するだけで勝てたはずだ。
西軍の陣頭に秀頼が自ら立ちはだかれば、東軍の軍勢はことごとくその場にひれ伏し、戦にもならなかっただろう。
- 284 :
- >>283
見なかった事にして押しきるのでは?
- 285 :
- >>184
絶対的な指揮者がいないから愚策。
離間工作して各個撃破。まずは上杉討伐,そして石田・毛利の本拠地を攻める
しびれを切らして戦端を開いたのは石田側。家康の死を待っても…
京を押さえられたら朝敵にされる恐れも
>>272
その征夷大将軍とやらは加藤にしろ福島にしろ石田三成を襲撃した際殺害しちゃうのでは。
でも上下関係が判らないよな
>>284
鳥羽・伏見のときの明治帝は幼かったけど慶喜は撤退したが
- 286 :
- >>285
帝を頂いたという強気と相手の動揺を嘗めんな
将軍の息子と比べるな
- 287 :
- 太陽を背に戦わなかったから負けたんやで
こんなの神武以来の常識や
- 288 :
- 日本人の戦争には常に正義と悪がある
帝を担いだら正義
それ以外は悪
指導者はこれを無視する事ができない
民衆が納得しないからだ
当然納得した兵士と納得しない兵士で戦えば結果は見えてる
- 289 :
- 佐竹義宣が石田三成を見捨てて七将に引き渡す。
- 290 :
- >>24
でも関西在住としては、西軍が勝ち政治の中心が関西となる歴史も見るたかった。
- 291 :
- 毛利や島津に戦勝後、豊臣政権での執権的な立場を約束するとか
タヌキが得意な根回しを、石田さんもしっかりしとくべきだったね
- 292 :
- >>19、石田三成、宇喜多秀家、小西行長など
- 293 :
- >>220
だからその場で家康を討ち取らないとダメ
- 294 :
- 小早川秀秋が裏切る前に南宮山の毛利勢が土壇場で家康との内応を反古にして背後から襲ってその場で首を取れば歴史は変わってた。家康が毛利勢が動かないのを見て、前進を始めたタイミングなら絶妙。
- 295 :
- 家康が早死しててら歴史はどうなってのかな(´・ω・`)
秀忠と幕閣だけでも秀吉無き豊臣を圧倒してそうだけど
- 296 :
- 家康領を分割しないと無理
秀忠を江戸20万石
秀康の結城10万石
四天王も各10万石で他所に移す
- 297 :
- てか秀吉が死んだ時点で豊臣政権=徳川政権くらい家康に全部委ねてるから西軍に勝ち目ゼロ。
- 298 :
- >>266
まぁ秀吉は関白を世襲するために結構裏技使ったからな…
既にここらへんから綻びは始まってたのかもしれん。
- 299 :
- 天下の豊臣が全力出しても倒せなかった徳川を、
一奉行に過ぎなかった石田がどうやって倒す?
無理だろ。三成に非はない。
- 300 :
- >>299
秀吉が死んだ瞬間、すげー勢いで家康に擦り寄るってのはどうだ?
- 301 :
- 家康を西軍の大将にして、東軍は解散する
- 302 :
- 万が一、関ヶ原で家康が敗れても、家康さえ生きていれば無傷の徳川本隊が残っているから、何度でも復活戦できる
関ヶ原で1回負けただけで終了してしまった西軍とは大違い
- 303 :
- >>302
裏返せば家康さえゴルゴ13が討ち取れば東軍は烏合の衆で崩壊だな
総大将の代わりがいない
ゴルゴは冗談だが、桶狭間合戦のように家康本陣だけを奇襲して家康を討ち取る軍師が西軍にいればな
秀吉が天下を取った後に軍師の黒田官兵衛を冷遇していなければ、
官兵衛が秀吉死後の豊臣家を守るために知恵の限りを尽くしてくれただろうに
- 304 :
- 家康本隊だけでも西軍主力と同じくらいいて、さらに最前線に犬どもが頑張っているのに、
西軍の誰がどうやって家康本隊まで突撃出来るかねぇ。
- 305 :
- 個人的にはなんで三成は小早川秀秋なんてのを自軍に組み込んでたんだ…?
伝説を加味してもとても豊臣に忠義感じてそうには思えないんだが…
- 306 :
- >>304
らっぱで暗殺とか無理なん
- 307 :
- >>306
家康は伊賀と甲賀が味方してるし、
剣豪柳生一族まで付いてるから並大抵の連中じゃ無理そうじゃないか。
冬の陣だが、豊臣の決死隊が秀忠襲ったけど柳生宗矩一人に蹴散らされたし。
- 308 :
- >>210
くそスレに帰れ
- 309 :
- >>307
嘘臭いなぁ
- 310 :
- >>305
徳川家康も律儀もので通ってたらしいから秀吉ってひとたらしとか言われるわりに人を見る目がないな
最も心の底から秀吉を尊敬しついていった人間がどれだけいたのやら
晩年こ数々のやらかしで人心は離れてったからこそのしょぼい結末
- 311 :
- >>303
それは言えてる勘兵衛を恐れたからというがそれなら家康に250万石もの大領地を与えたのはうかつすぎる
もっと分散させなきゃ
- 312 :
- >>307
実際の忍者の役割は逃走補助と情報収集
戦闘能力は低い
ましてや暗殺なんて無理
- 313 :
- >>303
それができたとしたら吉川広家だったと思う
東軍とは関ヶ原開戦前に内応していたと言われるがそれを土壇場で反古にして毛利勢が山を下り背後から家康を襲えば桶狭間の再現になったかも知れない
- 314 :
- >>310
実際、家康は戦国時代基準で見ると無茶苦茶律儀者なのよ。
恩義にはかなり忠実だし、その上交友関係がかなり広い。
織田から成り上がった秀吉は、悪く言えば織田を乗っ取って天下人になったから旧織田家臣団を抑えてくれる管理職は何人いても足りんくらいだった。
信長の盟友で、律儀者の家康は最高の人材だった
- 315 :
- >>126
領土配分でいえば、もし三成が挙兵せずに何もしなかった場合、
上杉は徳川連合軍に滅ぼされるだろう(もしくは上杉降伏)
その場合、上杉領の会津120万石をどう配分するかだな
(上杉が降伏した場合は、上杉は取り潰しされずに生き残る可能性があるので、
家康が上杉から召し上げた領土はもっと少なくなる)
あれだけ多くの大名を動員して、遠く奥州の上杉征伐に駆り出したのだから、
恩賞を与える必要になる
史実では関ヶ原合戦があったから、家康は味方に与える恩賞が莫大にあったが、
関ヶ原合戦が無かったらどうなってたのだろうか
- 316 :
- >>315
そうしたら?前田をいちゃもんつけて潰しに行く?毛利にいちゃもん(ry、?宇喜多に(ry、とやってくつもりだったのかねぇ…
- 317 :
- >>315
降伏したら上杉景勝と直江兼続は切腹かな
- 318 :
- >>316
前田にはすでにいちゃもんつけて攻撃しようとしたところ屈伏してきたので不問にしたこの時点で前田は実質徳川一味になってしまった
上杉が潰されたらもちろん次々に喧嘩吹っ掛けて潰していったろうな
- 319 :
- >>312
花の慶次に出てくる忍者は強すぎるな
- 320 :
- その通り。
忍者が強いのは漫画の世界の話
- 321 :
- >>317
うろ覚えだけど、有名な直江状は種々の研究によると江戸時代に創作された偽書の可能性が高く、
当時の史料からは直江兼続は速攻徳川に土下座して事情を説明してる可能性が大とか言われてなかった?
だとすると上杉討伐は割と徳川のポーズで、
本命は石田三成一本釣りだった可能性も…
- 322 :
- 三傑の流れって割と奇跡だよな
ここまで役割分担にしろ引き継ぎにしろ、完璧な流れってそうないだろ
人類の発展シミュレーションをスパコンで何度やってもここまで完璧な流れはそうあるまい
- 323 :
- とりつぶすといえば戊辰の会津戦争みたいになるから
景勝に15万石くらい安堵だろ
上杉の家督は長員
藤田を大名取り立て
直江は本多の倅を送り込む
史実と大差ない
これじゃ恩賞が足りないから
次のいちゃもんは毛利だろう
- 324 :
- 史実では家康が上杉から取り上げた領土90万石(上杉は会津120万石から米沢30万石へ削減)は、
蒲生(取り分は会津)と最上(取り分は出羽庄内)と伊達(取り分は白石)に主に分割された
ただの上杉征伐だけなら、戦後の恩賞問題が大変なことになる
それと徳川の天下が長期化した一因は東海道と畿内を徳川色にほぼ固め、
幕領を400万石まで増やせたからだ
上杉征伐毛利征伐宇喜多征伐を成就したとしても、史実のようにはいかないだろうな
- 325 :
- 90万石以上あるよね実際は
伊達が白石2万石
蒲生が会津と二本松、白河で60万石
最上が庄内24万石(残りは小野寺などから召し上げ6万石)
天領(代官は大久保)が佐渡14万石
- 326 :
- まぁ1番の狙いは徳川にちゃちゃいれてきそうな奴を潰すことより、
豊臣同士を潰し合わせてその上で豊臣蔵入地の処分にあったかもしれんから…
- 327 :
- 小牧・長久手の敗北って豊臣の終わりの始まりだよな
ここで完勝して家康をぶっ潰せば、歴史は変わってたろ
- 328 :
- >>327
秀次が潰されたのが痛過ぎる。負け方が酷い。敵の背後取ろうとしてテメェの背後突かれて壊滅とか聞こえも最悪だし…
地震がなければ、とか言われてるけど徳川も北条・伊達等に反秀吉連合呼びかけてたから和睦して無かったらマジでここが最終決戦だったな…
- 329 :
- ガンダム
- 330 :
- >>327
その通りだと思う。
堺は秀吉が押さえていたのだし、イエズス会のキリシタン大名たちも秀吉側
だったのだから、高山とか小西とか蒲生とか黒田とかの神がかったカルト兵
の鉄砲隊で圧倒すれば、徳川家康を滅ぼすことは可能だったはず。
関ケ原時点では、もう手遅れだよね。政権に全然人望が集まってなかったし、
秀頼は秀吉の種ではないことは皆が知っていたし。
キリシタン禁教を解除して、信仰を許すって布告して、高山右近とかを呼び
戻せれば、すごいことになったかもしれないが。
- 331 :
- 朝鮮出兵したおかげで豊臣政権は内部崩壊
反石田派が家康に味方してしまった
朝鮮出兵でなく第二次関東出兵で家康を滅ぼしていたら豊臣政権は続いていただろうに
- 332 :
- >>331
動機が無いってのが最大のネックだな
北条を攻めた時の軍功考えると領土増やさないといけなかったし…
- 333 :
- >>332
無いものを作るのが政治
関ヶ原前に家康に攻撃されそうになった上杉にも大軍おくられるようなことはしてない
直江状も架空なんて話もある
- 334 :
- ただ豊臣政権は秀次一味粛正と朝鮮出兵で求心力を失ってたので徳川が滅んでても関ヶ原での豊臣造反組が他の誰かを担ぎ上げて崩壊してた気もする
- 335 :
- 秀吉が存命中その気になれば濡れ衣でも謀反の疑いがあると言えば家康でも潰された
- 336 :
- >>333
北条攻めの前だと北条とタッグを組んで大戦争になるし、
北条攻めの後だと軍功あった奴に毒盃で応じたことになって豊臣の人望が地に落ちるし…
大義名分に拘ると家康は潰し難いとは思う。
しかも家康は義理の弟だし…
- 337 :
- 亡くなった父が日本一の権力者で、おばさんの旦那さんが日本で二番目の権力者の家康さん。叔父と甥が仲悪いなんて世間にははいて捨てるほどある。
- 338 :
- なぜ秀吉は家康を暗殺しなかったのか
宴会にかこつけて目障りな部下や政敵Rなんて中国じゃお家芸なんだが
考えられる理由その1:そもそも秀吉は家康を敵と見なしてなかった
将来の禍根と見ていなかった
理由その2:家康を警戒し、やりたかったができなかった。家臣のガード等硬すぎて無理
理由その3:物理的にはやろうと思えば可能だった
しかし、集団統治型の当時の日本では謀反の疑い、命令違反をしていない律儀物の家康をRことは、大名の支持を失い
それが豊臣政権にとって致命的になってしまい無理
- 339 :
- 秀吉晩年期では家康は対武家では信長の盟友、律儀者という評判から豊臣政権と武将達の折衝役を務め、
対朝廷では、秀頼が成人するまで大臣職を五摂家より守護する重石となっていた。
また、秀吉は家康が源氏の一族で、故に将軍を狙っているとも知っていたが、朝廷での工作が功を奏して家康が将軍になる可能性は無かった。
だから家康が天下を握るなら秀頼を奉じるしかないと考えた。
この考えは半ば当たってはいた。
- 340 :
- 司馬遼太郎はよく嘘を書く小説家だ
- 341 :2020/04/17
- 推定年齢11歳の雄であると推定されている
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