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1 :2018/05/05 〜 最終レス :2019/12/03
元ネタはバキ・男塾・JOJOなどの熱い漢系漫画から
ドラえもんやドラゴンボールなど国民的有名漫画まで
「なんでもあり」です。

元々は「バキ死刑囚編」ネタから始まったこのスレですが、
現在は漫画ネタ全般を扱うSS総合スレになっています。
色々なキャラクターの話を、みんなで創り上げていきませんか?

◇◇◇新しいネタ・SS職人は随時募集中!!◇◇◇

SS職人さんは常時、大歓迎です。
普段想像しているものを、思う存分表現してください。

過去スレはまとめサイト、現在の作品は>>2以降テンプレで。

前スレ
https://medaka.2ch.sc/test/read.cgi/ymag/1404139251/
まとめサイト(バレ氏)
ttp://ss-master.saku@ra.ne.jp/baki/index.htm(ジャンプの際は@削除)
WIKIまとめ(ゴート氏)
ttp://www25.atwiki.jp/bakiss

2 :
(……。耆著は残り160弱…………)

 160弱? 全555発で先ほど根来に300使ったのなら、260弱ではないのか?
 いいや計算は合っている。忍法任意車。本来は男しか使えぬ、交合の精を介した憑依の術だが、イオイソゴは磁性流体化
の肉片を切り分けた半身または他者の肉体へ溶かし込むコトでいま一人の己を地上へ召喚できるのだ。
 それをして盟主の下に残してきた三分の魂のイオイソゴに持たせてある耆著こそ

 ちょうど100。

(で、あるから、追撃のわしの残弾は160弱)

 拳銃であったなら無限にも等しい数値だが、機関銃となると些か心もとない。乱射は、選べぬ。

 イオイソゴ=キシャクの耆著『ハッピーアイスクリーム』! 
 物体を磁性流体化させても消滅はせず何度でもリサイクル可能!
 だが、元が耆著であるため瞬間移動的な転送でイオイソゴの手元に戻すのは不可能! 

 回収の手段は!

(1)直接、取り入れる(主な手段は『拾う』)。
(2)磁力操作で肉体のどこかへ、物理的に引き寄せ取り入れる。

 のいずれかのみ! ちなみに1個1個、遠隔操作で武装解除して手元に戻すのは不可! これは磁性流体化後もリサ
イクル可能な利便性ゆえの制約! 個々の、使いまわせるだけの頑丈さを追求した結果、イオイソゴの精神を源泉として
いる筈の555発の武装錬金は、まったく別個の、一種独立王国の景観を呈した武器となり、奇妙な話ではあるが個別個別
への解除命令さえ突っぱねるほどになった。とはいえ悪い話でもない。武装錬金はふつう、創造主のダメージへの動揺を
して存在の解像度を下げるものであり、数の多い物であればあるほど些細な主のうろたえで10や20簡単に消滅する弱み
を抱えるが、ことイオイソゴの耆著に関しては彼女がよほど決定的な打撃を喰らわぬ限りまず消えない。喰らいながらの埒
外からの奇襲といった芸当さえ耆著が出来るところを見ると、個別解除のできなさは、或いは防御より攻撃を取った実利
的思考ゆえか。

 ともかく1個1個は遠隔解除で手元に戻せぬハッピーアイスクリームだ。武装解除──武装錬金総てを核鉄に戻す方の
──を選んだ場合、555発の耆著は総て一括してイオイソゴに戻る。が、根来対策として地下ならびに樹中に『鳴子』を配し
ている以上、武装解除は下策でしかない。鳴子までもが手元に還ってしまうのだ。盟主のもとに残した分身だって無手になる。
ちなみに任意車発動中に武装解除した場合、核鉄は魂の多い方に戻る。盟主の方にいるのは三分の魂のイオイソゴ……。

(つまりじゃ。『追撃戦』のさなかに飛ばしまくるのは危険……! 鳴子の結界がわしがどれほど素早く動こうがついてくる
のは、規則正しく配置しておるからじゃ。……すくら、すく…………すくらぷ? えと、すく何とかを組んでおるからして、鳴子
の結界は、磁力の堅牢極まる構成ゆえ影法師のごとくついて来るのじゃが)

 円山に乱射する物はその限りではない。普通に外れたり、キラーレイビーズに弾かれたりで、位置も距離もバラバラな
散らばり方をすると回収要件は(1)(2)とも大変満たし辛くなる。
 追撃の真っ最中なのだ、イオイソゴは。
 ルートから遠く離れた弾丸は拾い辛い。

(ある程度までなら本体(わし)からの磁力誘引で回収できようが……)

 しかし砂場中央を高速で縦断する棒磁石がだ、端の方の砂鉄まで回収……できるだろうか。

 現実的ではないよとポニテ少女、首を振る。

 マッチ棒と、瞬間強力接着剤で考えてもいい。同じ12本でもピチっとした立方体に組み上げて接合したものと、頭の
向きや配置の角度がまったくバラバラなものをそのままくっつけたものでは、耐久性に明確な差が出る。立方体と、雑然、
一端だけを摘んで全力疾走した場合、どちらが先に壊れるか問われたら誰だって後者を指差すだろう。
 鳴子の結界は立方体の要領で規則正しく編みこまれた幾何学の立体。乱射の耆著が陥るは混淆極まるマッチ棒。しか
もそれは距離を置いて散乱する。イオイソゴの放射する磁力戦はリフレクターインコムの如く耆著から耆著へと伝わり、
引き寄せるが、しかし離れるほどに、周りの耆著の数が減るほどに、減衰もまたするのだ。しかも主は追撃によって絶えず
前進する。遠ざかっていく……。

3 :
(既に根来対策に555発中300発割いている都合上、無為の乱射で空費してはならぬ!)

 実は犬飼、イオイソゴを斃さずとも勝てる。弾丸をゼロにするだけで、実はいい。

(そう。奴はたった160発弱の弾丸を使い尽くすだけで任務を果たせる。何しろ耆著は遠ざかっていく円山を最も手軽に撃
てる手段であり、且つ、わし自身の最大加速の……手段)

 前者は、舟形という、ほぼ銃弾の形をしている部分から分かるだろう。後者もまた磁力系武装錬金ゆえの特色。

(むろん耆著が払底しても使える忍法はあるにはある)

 先ほど犬飼に見せた吸息かまいたちなど好例だろう。ただこちらは最大射程およそ30メートル。ロケットスタートで200
メートルは先行した円山相手では牽制にもならない。

(他の忍法も『いくつかを除き』射程は足らぬ。耆著がなくなったら……少なくてもわし、『無傷では』、円山を殺せん)

 これはイオイソゴが戦略的に万全な立場にあればまず成立しえなかった特異な勝利条件だ。盟主の護衛と根来の警戒を
同時にこなしつつ、超加速で逃げすさる円山を追わねばならぬという極めて限定的な戦局に身をやつさざるを得なくなった
からこそ犬飼に、割きに割かれた3分の1以下の耆著を払底させるだけで敵の重鎮を詰めるという予想外の幸甚を恵んで
しまっている。

 ……だが!

(奴はこの隠された勝利条件を知らぬ!)

 厳密には、確定しようがない。

(弾丸を使い尽くさせての勝利ぐらい当然描いておろうが、あと何発かという点については想像しようがない! ひひっ、そ
うじゃろ。何せ想定の基底たる全装弾数からしてまず迷う。仮にわしの名前から五百(いお)五十(いそ)五(ご)と仮定でき
たとしても)

 根来対策や盟主側の分身にそれぞれ幾つ配したかという読みでまた迷う。

(更に犬飼は、わしの耆著の回収要件も知らぬ。『乱射で散らばった耆著。個別に解除して戻せるか否か』? ひひっ。
遠隔操作で戻せるとあれば実質弾丸は無制限だと危惧をする……)

 頭を使うタイプであれば、更に踏み込んだ警戒もする。

(武装解除。仮に残弾をゼロにしても、武装解除で手元に核鉄が戻るコトを想定した場合……再発動からの全弾発射と
いう罠に釣り込まれ覆滅されるのではないかと……考える!)

 イレギュラーに思えるが、武装錬金の持ち主同士の戦いにおいて決して珍しくもない棋譜である。カズキが秋水に仕掛けた
『武装解除後、胸内の核鉄で逆胴を受け止めつつサンライトハートでカウンター』といった戦法などいい例だ。戦士は古今の
そういう例をカリキュラムの中でいやというほど叩き込まれ、警戒せよと仕込まれる……忍びゆえに知っているイオイソゴ
だから、犬飼も例外ではないとそう断じる。

(あるいは、幸いかの。解除再発動一斉射を根来への警戒が為やれないからこそ、危惧してもらえると助かるが……)

 だからこそというか、逆にというか。160弱の耆著の打ちつくしイコール己の敗北という事実はなんとしても悟られたくない
イオイソゴだ。犬飼相手に追い込まれているというなかれ。彼女は、実質的には、盟主や根来、円山といった戦略的価値
も座標もバラバラな者たち3人を同時に相手どっているのだ。銀成での足止めですら相手集団はまだ同じ座標に居たし、
何よりそれらに目を奪われていたればこそ、根来の思わぬ奇襲で戦略構想を壊された苦い経験がある。今度は彼を警戒
しつつ、逃げる伝令を追い、一方で分身に首魁の守護をもやらせるという、ともすれば一兎も得ずな多角経営を望まずして
やらされている不遇の立場。弱卒と称される犬飼相手に弱味を掴まれかねぬ瀬戸際にあるのもやむなしというか、戦歴5
00年のイオイソゴだからこそ、決定的な露見も根来の奇襲もどうにか免れられているというべきだ。これがディプレスや
クライマックスといった連中であればとっくに根来の奇策(アシスト)に嵌められ、犬飼たちを逃がしている。

(…………いちおう、耆著が尽きても円山をR忍法……ある)

4 :
 イオイソゴの煌めく瞳に映った像は果たして本当に幻か。正中線を区切りとする真っ二つな彼女と……遥か彼方の円山は。

(じゃがそれは本当に最後の手段……! なにせ『あの忍法』の発動要件は──…)

 肉体の、磁性流体化、解除!! 

(あらゆる打撃斬撃を無効化できる優位性を敢えて捨て、わしがわしを両断せねば円山は……殺せん!)

 イオイソゴの方は人間型ベースのホムンクルス調整体だから、『両断』程度では死なぬ。胸の章印が壊れないからだ。

 だが根来ならばその瞬間は逃さない。イオイソゴは円山をRところまでは出来る。だが根来には……殺される。磁性流
体化を解除しているのだから、当然だ。金が香車を取って桂馬に取られる……白熱だが、馬鹿馬鹿しい。

(しかもそのとき犬飼めが生存しておったら最悪! 奴の口から盟主さまの所在と特性合一のからくりが戦団に伝えられ
てしまう……!)

 はてな。しかしそもそもイオイソゴ、分身を盟主の方に残しているのではなかったか。任意車なる魂を2つに割る忍法の
効力下にあればたとえ火力戦団最強のブレイズオブグローリーが直撃しても残る一方に魂が戻り、事なきを得るのではな
かったか。七分の魂のイオイソゴがここで討たれたとしても盟主の傍でリスポーンできるとすれば死への恐怖など無用な
のではないか。

(確かに分身(ほけん)は盟主さまの傍に残しておる。じゃが、だとしても、こっちのわしが根来に屠られる事いこーる『伝令
阻止失敗』! れてぃくるの危機を防げず終わることに変わりは、変わりは…………!)

 忍びにとって使命を遂行できぬのは何より屈辱だ。何より見た目こそ幼いイオイソゴだが、連続生存年数ではレティクル
ナンバーワンの最年長、任を果たす責任感がある。(連続生存年数という曖昧な言い回しをしたのは、一定期間ごとに時間
跳躍しなければならないウィルが居るからだ。彼は総計では2万年近くの時間を繰り返しているが、『誤ってもループすれば
いい』という習慣が身についているため、その精神は老練さとは真逆なゲーム世代のままである)。

(何より恐ろしいのは……!)

 ぶるっと身震いするイオイソゴ。老獪だからこそ任意車の致命的な弱点を彼女は強く把握している。分身の、どちらか
一方が斃されてももう一方に魂が回帰する任意車。一見ぜったい死なぬ無敵の忍法だ。『分身の片方が斃されても、残る
片方に、魂が戻る』のだから。

(じゃがもう片方の傍には……)

 黒い、剣聖が、居る。

(あの御方(おんかた)は犬飼に対しむしろ協力的で好意的……! あると、まずい……! 『合わせうる手段』ばあると……
まずいまずいぞ、任意車は、まずい……!)

 ちょっと考えれば分かる、とても簡単な弱点だ。平素綽々としているイオイソゴの顔がねじくれて汗にまみれる。
 根来の奇襲を恐れている理由もそこだ。それが任意車の万一と重なれば任務失敗どころではない。死ぬのだ、純乎とし
て分身2つもろともに。それも皮肉にも……『いま守らんとしている味方のせいで』。

 いやじゃいやじゃ、そんなばかな死に方いやじゃ。

 内心のイオイソゴは見た目相応のあどけなさで両目を不等号にして首を振る。牧歌的でもすらある大粒の涙が極太マジッ
クで描いたような眦の端からぼたぼたこぼれた。

(うー)

 低い鼻を酒酔いのように紅くして半目で涙ぐむ。

(なーんか、犬飼の方が……天運に恵まれとらんか…………?)

5 :
 かれ個人は大したコトはない。だが、根来や、盟主といった、外圧の導火線と近しい立場にあるのが奇妙だった。いや、
前者については先ほどの攻防をみれば意図的に利用しているのは明らかだ。だがその大前提を作ったのは後者ではな
かったか? 千歳の失明で根来を挑発したイオイソゴの、本拠地に戦士が押し寄せてくるまで篭城を決め込むという最善手
を潰したのは盟主の予想外の単独出撃なのだ。

(……。まさか単独出撃は……わし抹殺も兼ねておる…………?)

 まさに閃電の如く脳髄を貫いた不安の黒雷をしかしイオイソゴは縋るように否定する。

(お、お手討ちになさるつもりなら、出奔直前の斬撃をして成されていた筈……!)

 論拠、だった。根来という外圧に懊悩している原因は、盟主の、故意の悪意のせいではないとする論拠だった。
 照星の生首などで散々と犬飼たちを揺さぶり悪辣に振る舞ってきたイオイソゴが、信奉する盟主に裏切られるのが怖く
て怖くて仕方ないらしいというこの心理的境地。奇妙とはいうなかれ。むしろ極めて人間めいた忠誠心だ。

 ぴりぴりと肩が痺れる。ずっと感じている『影からの殺意』の漠然とした気配とは違う、奇妙な感覚だった。磁性流体化し
ている膚(はだえ)の、物理と粒子のなまなましい直感が神経を炙るさまに、イオイソゴは訳もなく浮つく。

(何かが………………おかしい。大気全体より来たれりこの不可思議なる伝導の正体は…………『何』じゃ? 巨大な台
風の直前のような…………空襲警報のうーうーのような……それでいて、555年の我が生涯のなか遭逢したあらゆる感覚
と全く違う根源的な恐怖を孕んだ……この痺れるような感覚……果たしてなんじゃ? なんなのじゃ……?)

 死の予感であるかも知れなかった。
 だが、犬飼がきっかけで、ドミノ倒しの如く落命の絶望へ落とされるうるのではないかという想定じたいは既にある。
 想定したものがやりがちな「ま、ないだろうけど」については、ない。『下手に犬飼へ手を出せば、死ぬ』という、訓戒は、
長塀の街の十字路で、駆けて飛び出せば撥ねられるから、いったん止まってミギヒダリ見ようよ程度の気安さでイオイソ
ゴを縛っている。

 が、犬飼じたいは結局、王や桂馬の虎の威で辛うじて取られずいる歩にすぎない。

(貴様のその思わぬ使命感には敬服しておるよ。じゃが貴様はわしの最終目的では、ない。円山の離脱を達成させてや
る義理はないし、ただでこの首くれてやるつもりはもっと無い)

 10年。鳩尾無銘を喰いたいと願い続けたこの10年は……長かった。年を重ねるたび1年が短くなるとはよくある話。な
ら高齢者の10年もまた光陰なのだろう。だったら555年生きているイオイソゴにとっての10年など単純換算すれば55歳
の1年程度の期間ではないのか、長いとはとてもいえぬではないか。

 いいや違う。相対性とはそうではない。美女と過ごす1分と、指先にライターの火を直接押し当てる1分では感じられる
長さが違うまったく違う。
 55歳の1年。
 確かに若者の体感時間に比べれば短いだろう。
 だが、喰わねば腹が減るものを一切喰うなと命じられた1年であるなら、長い。
 イオイソゴの10年もしかりだ。

(愛しさゆえに喰いたくて喰いたくて仕方なかった鳩尾無銘を喰えずに終わったら──…)

 犬飼ごときのせいで落命して、阻まれたら。

 この10年、一体なんのために生きて来たのだという話になる。

 いかに年齢を重ねようと、不自由な時間への絶対的な苦痛は、時間に対する曖昧模糊とした相対的な知覚を剥がし取る
のだ。こらえ性はむしろ年寄りこそ低い。自由を甘受した期間が長いからだ。老いゆえの弱音も駄々の激しさに結びつく。
 10年も我慢したごちそうを、犬飼のような、突然人生に飛び出してきただけの者に阻まれるのは我慢ならないから。

 イオイソゴは無言で両目を鋭くする。

(乱射はできん。犬飼相手に打ち尽くせば円山を狙えなくなるし……後の根来に殺される率も高まる)

 一瞬の思考のあと駆け出す老嬢。

6 :
(あの風船は複数層構造! 1発2発程度の着弾では逆に円山をば加速させてしまう)

(大量に当てれば或いはじゃが、乱射はできん)

(となると……バブルケイジを完全破裂させるには、そう、畳につかうような、長い針のようなもので全層貫通するか、または……)

 後に『コードネーム:タングステン0307』と呼ばれる犬飼円山の激越なる退き口の半分は、瞬く間に、過ぎる。


 ……。

 …………。

. ………………。

”それ”はモチベーションではない。

 祖父の、話である。

 確かに戦士長だった犬飼老人は10年前、敗走中のレティクル追撃のさなか『とある幹部』から負わされた傷のせいで非
業の死を遂げているが、しかし原動力ではない。
 犬飼倫太郎がバックリと無惨に裂けた頸から鉄くさい猩々緋の襟巻きをたなびかせながらイオイソゴ=キシャクに仕掛け
てきたこれまでの、度を越えた追撃妨害の原動力では、ない。

 祖父を殺した組織との戦い。

 真当な娯楽作品であれば無理やりにでも因縁とする関係性であり、或いは戦団上層部が犬飼倫太郎を先遣隊の1人に
抜擢したのも復讐心ゆえの爆発力を期待してのコトかも知れぬが、だが彼本人に敵討ちのつもりは全く無い。

(じいちゃんは今でも大好きだけど、死因的にこの木星の幹部が無関係なのは明らか。燃える方がおかしいのさ)

 そも中堅以上の戦士のほとんどは混同しているが、犬飼戦士長の退役は、レティクルによって落命した1995年の8月2
0日ではなくその前年たる1994年12年31日。ほぼ定年退職といってよかった。にも関わらずそのあとも戦士を続けて
いたよう眼力鋭き防人衛でさえ錯覚しているのは、犬飼老人が指導員として週4日ほどのペースで戦団に顔を出し、誰か
しらの戦士を教育していたせいだ。

 一戦を退いた主たる原因は健康。ガンなどはなかったが、戦団の進取的な医療技術では除去不能である老衰に近似値を
示す『加齢ゆえの慢性疾患』を4つも抱えており、うち1つが法律上難病と喧伝しうるものと判明した瞬間坂口照星は半ば強
引に犬飼戦士長の除隊を推し進めた。
 古傷も、多かった。『バーバリアン・ハウンド』なる錬金術の産物を嗅ぎ当てる武装錬金を有する犬飼戦士長は、その探知
能力を脅威とみなした敵に攻撃されるコトがまま多く、その細かな傷の重積はまるで老化を待っていたがごとく一気に開花し
全身のあらゆる箇所を蝕んだ。脊椎損傷のような現代医学でお手上げな傷に限っては、さしもの戦団有数の医療技術を
以ってしても完治状態を保持できるのは過酷な前線で戦い続けるのなら7〜8年、引退し静かに暮らしても2〜30年が限度
──直しきれなかった僅かな瑕疵が、日常的な磨耗によって年々無視できない大きな亀裂へと変じてゆく人間的摂理は避
けられない──であり、老年期に達すると一気に”ゆり返す”のだ。

 不遇の多い犬飼倫太郎の生涯に一筋の光を与えたのは皮肉にも、祖父の持病と古傷であった。もしレティクルの蜂起が
1994年の大晦日以前であったなら、周囲を恨みつつも怪物化による復讐だけは良しとしない辛うじて正義側な精神は、
恐らく培われなかったであろう。

 一線を退いた祖父は8ヵ月後の死出の夏まで時間のある時は必ず孫と過ごしていた。キラーレイビーズに合わせた追跡
術の伝授はもとより、大きな街へのショッピングや遊園地訪問、虫取りや雑談、ファミリーレストランでの昼食などといった、
普通の家族が普通にやるような他愛のない交流を限りなく重ねた。

 大柄でカイゼルひげがトレードマークの、ハンドラーというより海賊の親分めいた偉容の犬飼戦士長は戦団にあっては
厳粛極まる上官として敬われており、犬飼自身、正月ぐらいにしか逢わなかった幼い頃は内心恐々とはしてはいたが、いざ
かれが退職すると評価は一変。自分に対しては妙に優しいというか『ゆるっゆる』な、そこらにいそうなおじいちゃんの顔を
よくする祖父に段々と、家族の誰より懐くようになっていた。

7 :
 ハンドラーの家系にあって本物の犬が苦手という致命的な欠陥な抱えていた犬飼は、祖父以外の親族からは落ちこぼれ
と常に指をさされ笑われていた。

 祖父だけは、しなかった。犬を好きになれとすら言わなかった。いつも連れている、犬というより馬ほどの大きさした黒い
生物を、孫と逢うときだけは他に預けていた。


 犬嫌いの克服のきっかけを作った訳ではない。
 戦士としての心構えを訓戒たれた訳でもない。


 犬飼戦士長はただ1人の祖父として、それが持ちえて当然の愛情を、何気ない交流の端々で孫へ示していたに過ぎない。
 平凡な形容になるが、人が、怪物にならず済むために必要な、ぬくもりというべきものを、無条件で、与えたのだ。

8 :
 祖父がレティクルとの戦いで戦没して棺の中の人物となった時、犬飼は唯一の暖かな家族を喪ってしまった痛嘆の赴くま
ま、取りすがって一生分の涙を流しはしたが、不思議と恨みは込み上げなかった。

『大きな決戦がある。1人の戦力でも必要だ』。祖父が出撃前そう親族の誰かに話しているのを幼い犬飼は偶然聞いていた。
誇りに思いつつも、退役せざるを得なかったほどボロボロな体と突き合わせ、どこかで覚悟はしていた。

「ボク、戦士になるよ」

 最後の交流は自宅でだった。雑談の割合が多かったが、思い出ばなしは極力避けていた。してしまうと、本当に祖父が
死んでしまいそうで怖かったから、気弱な犬飼は──『今までありがとう』が言いたくて言いたくて仕方なかったのに──
避けていた。

「ボク、戦士になるよ」

 と何かの拍子で兼ねてよりの、しかし口に出せば不相応だとどこからか半畳を入れられそうな夢をポロリと漏らしてしまっ
たのは、有体にいえば『未来』を祖父に見せたかったからだ。未来を示唆しさえすれば、祖父は漫画か何かの主人公のよう
うに、窮地の中で未知なる力に目覚めて虎口を脱し、めでたしめでたしの有り様で自分の下へ帰ってくるのだと、論拠もなく
縋るように少年は思い込み……たかった。

「そうか」

 祖父は可も非も述べなかったが……皺くちゃの眦が更に皺まみれになるほど目を細めた。


.

9 :
 祖父を殺した幹部については、10年前の決戦の終盤、音楽隊リーダーらしき金髪の剣士によって絶息させられたとする
見方が一般的だ。だがもし仮に生存していたとしても犬飼はさほど殺したいとは思わない。

(ボクは……ボクらしくない考えだけれど、最後の対面の時、言いたいコトはなるべく言ったつもりだからね。何気ないコトに
なるべくお礼を言うようにもしてた。今までの気持ちを込めて……お礼を、ね)

 幼いなりに覚悟はしていた。

 戦士の家系に育ったから、死は市井の人間より身近で生臭い。ハンドラーの一族に生まれたから、いつか仲良くなりたい
と思っていた大きな生命が時に驚くほど呆気なく消散するのを知っている。

 起こりうるコト、だった。

10 :
 両親や親戚の口からたびたび聞いている勇猛な名前が訃報の主語になるなどザラだった。物心ついた時からしょっちゅう
傷を負い、危篤ゆえに『今度こそは難しいかも』と聞かされ蒼褪めたコトさえ──現役の頃はさほど交流はなかったが、実の
祖父なのだ、少年が逝去を恐れてどこが不思議であるだろう──二度や三度ではなかった。

 10年前の決戦直前の戦団は、ぴりぴり、していた。入隊さえまだの10歳な犬飼さえも遠くから感ぜられるほどぴりぴりと。

『今度のは、ありえないほど大きくて厳しい戦い』と訳も無く腹が下るほどの雰囲気が漂う中、祖父が、ただでさえ老いと衰微
でなめし皮のような面の皮に重油を塗ったような”ただならぬ”顔色で孫(じぶん)を訪ねてくれば──…

 最悪など想定して当然ではないか。 

 だから犬飼は幼いなりに永訣を、悔いなきものにできるよう、務めた。せせら笑われてきた落ちこぼれだからこそできうる
対処だった。齢10にして彼は、感情任せにやろうが、打算を組み立てようが、失敗し、後悔を重ねるコトがあまりに多い世界
の辛酸を嘗め尽くしていたから、祖父との最後になるであろう対面においては、いやだ行かないでと爆発させてしかたない
引き攣れた情感も、見栄やおべっかのような格好のつけたさも、やれば絶対後悔すると幼心に分かっていた。だから全部を
湿って絞られる喉奥に叩き込み、いつも通り振る舞った。


 ただ1人、自分を人間として愛してくれた祖父が、愛してよかったとずっと安心できるよう、静かに、誠実に。


 だから点鬼簿に蓋棺事定を刻まれてしまった冷たい祖父を見ても、悲しみ以外の負の感情は湧き起こらなかった。津村
斗貴子のようなほぼほぼ殺戮者といっていいホムンクルス全体への復讐心を得られなかった代わりに、周囲からの嘲笑へ
の感想を間違った形で爆発させかねぬ不安定さも持ちえず済んだ。犬笛の所持者以外総て噛みR狂犬病状態がデフォ
ルトと言いつつ、制御解除自体は、犬飼自身の完全なる任意で行えるキラーレイビーズなど正に証拠ではないか。奇兵奇兵
と言われながらも彼は、おのが武装錬金の狂的なる状態を、完璧といっていい統御の支配下に実は置けているのだ。

11 :
 犬飼老人の死因は若い戦士を兇刃の軌道から突き転ばした直後襲い掛かってきた追撃だった。
 肝臓破裂のショックと出血が引き金らしい。

 庇われた若い戦士も4年後、発狂した信奉者の機関銃から幼い男児を守り抜いて世を謝(さ)った。

 人を守り、死ぬ。

 犬飼の密かな理想の1つではあった。されど無常にも彼はそれを成しうる実力が、なかった。人間のやっかいな屈折が
生じるのは、私利私欲を強く糾弾された時よりもむしろ、憧憬してやまぬ『暖かな正しさ』の体現者に自分がなれぬと思い
込んでしまった時である。

 人を守る力が欲しい。最初は純粋だった気持ちが、心ない仲間からの罵倒や、うまくいかない焦りのせいで、功名心め
いた挑戦の意欲になるまでさほど時間はかからなかった。おぞましい、強い敵と戦いさえすれば、自分も強くなり、周囲から
認められるのだと、半ば鼓舞するような感情で彼はずっと、掛け違ってしまった思いを……続けていた。

 奥多摩で敗北する、までは。

     コ  レ          ホムンクルス
──『武装錬金は人に害を成す化物を斃すための力で』

──『人をRための力じゃない』


──『人を守るための、力だろ?』

(だからボクはアイツに腹が立つ。ヴィクターVに、腹が立つ)

12 :
 きゅっと歯噛みする犬飼の眼前ではちょうど、レイビーズBの爪が木星の幹部の肩口をバシャリとドス黒くしぶかせていた。
ひひっという笑いが響き、漆黒の、水銀のようにプニプニした大小さまざまな無数の真球が、残影を描いて航空する少女の
毛筆の跡のような長い体にスゥっと吸い込まれ癒合する。ゲル状スライム状の磁性流体化の体に爪撃など効かぬ……分かっ
ていた筈の、しかし様々な理不尽な出来事のせいですっかり忘れていたコトを改めて突きつけられるのはまったく業腹だと
犬飼は、思う。

(ヴィクターVの件なんか正に……!)

 武装錬金が人を守るための力であるなど、犬飼はとっくに知っていたのだ。人生の躯幹だった。羅針盤、だった。祖父や、
彼が命がけで救った若い戦士から、無言のうちに学んでいた。学んでいたからこそ、他者を救うために命を使いたいと心中
私(ひそ)かに望んでいたからこそ、犬飼は苦しんでいたのだ。
 蔑んでくる周囲をそれ以上の武装錬金で、力で、捻じ伏せるという、一番分かりやすくて、楽な手段にだけはどうしても出
れなくて、だからずっと、伸びない実力という現実との板ばさみで…………苦しみ続けていたのだ。

 確かにやらかしてしまえば制裁は受ける。だが……溜飲じたいは、下げられる。イジメっ子に石で逆襲して何が悪いと、そ
ういう論理だ。裁判では通じないが、人を小ばかにするコトでしか何事かを発散できぬような親族など、落ちこぼれに復讐さ
れても仕方ないではないか。

 火渡ならやる。
 戦部でも、やる。

 強者なら選択する。自力救済に対する社会的な制裁さえ堂々と捻じ伏せただ一言。『俺を、舐めるな』。

 されど嗚呼。犬飼はできない。想いがブレーキをかけたのだ。

『腹の立つ親族もまた家族なんだ、じいちゃんの、家族なんだ』。

 ……殴れない。

 なのに割り切れぬ幼稚な精神性の持ち主はよく妄想をする。犬飼も、する。
 親族らが強大な化物に襲われ絶体絶命という時、居合わせた犬飼にその怪物が『憎いだろ? それで復讐しな』と核鉄
を投げてよこしてくる想像の中の犬飼はいつだって、親族ではなく怪物の方へ武装錬金を差し向ける。親族が好きという訳
ではない。Rばいいとは思う。だが見殺しは違う。直接殺めるのは、更に。逆に守ってやるコトが最大の復讐なのだ。お
前らは落ちこぼれのお蔭で助かったんだ、ざまあみろと、今際の際の網膜に、安全圏へと逃げていく親族どもを焼き付けて
やって、ようやく溜飲は真の意味で下がるのだ。高邁をぬくぬくと貪る奴らだからこそ不可能な、『じいちゃん』の誇り高き
生き様を、犬飼だけは何の立場も有さぬからこそ……できるのだ。したい、のだ。

 ひねくれた自己犠牲の、精神。

 見失っていても、見失ってはいない正しい心。

 なのにヴィクターVは。

 犬飼にとっては、やがては人を、祖父が守り続けてきた世界を、ただ害していくだけの『怪物』に過ぎなかった少年は。

 犬飼という、人を救う夢のため、苦境のなか辛うじて人道を守っている青年を。

 ただ功名心に駆られた理念なき有象無象の戦士として扱い……高所から説教を、した。

──『人を守るための、力だろ?』

(わかってんだよとっくにそれ位…………!)

 心に秘めた、したくてもできない正心(ゆめ)にまるで気付かず落ちこぼれ扱いしたのだヴィクターVは。親族と、同じように。
もちろん犬飼の正心(ゆめ)など、再殺当時の立ち居振る舞いからは到底察しようも無い、埋もれた、分かり辛いものでしか
なく、故に彼がヴィクターVを無理解と詰るのは難癖でしかない。

13 :
 ただ、戦士が怪物に説教されるのは立腹だし、何より前段の犬飼の機微からすると『ヴィクターVは人を見殺しにしたら
自分も怪物確定で死ぬしかないから、だから説教して助けた、自分が助かるため綺麗事を弄した』という想いはずっとわだ
かまっていた──そもそも犬飼だって、『ヴィクターV』の真情の総て知っている訳ではないのだ。向こうが自分を理解して
いないように、自分も向こうを正しく知悉してはいない……という所にまでは卑屈な考えは及べない──から、

(ボクは、アイツを……憎む)
                                   オマエ
 頚動脈を切った理由のうち、『小さな方』の1つである。怪物が無理やりポケットにねじ込んできた命だから捨ててやるとい
う当てつけの気持ちは他に別個として佇んでいた『首を切る、最大の理由』を電撃的に後押しした。

 しかし、状況は、悪い。


(に、200メートルはあった距離が……!!)

 軽く振り返った円山円は、仮面様に顔面覆う風船の薄膜越しに見える黒ブレザーの少女の、突如として近(おお)きくなっ
ている輪郭に背筋を粟立たせた。

 50メートルを、切っている。

(あ、あれだけ犬飼ちゃんが苦労して稼がせてくれた距離が……!)

 75%減! 

 頚動脈切断に端を発する数々の策謀の重合で捻出したロケットスタートによる彼我の距離200メートルの実に75%が!


(15秒で! 削られた……!!)

 悪夢のような出来事はまず照星の生首の全力投擲から始まった。先ほど根来の奪還を危ぶむあまり携行していると指摘
された筈の彼女の思わぬ行為に犬飼が刹那のあいだとはいえ攻めあぐねた瞬間、無数の弾丸が生首めがけ嵐のように
放たれた。

(まさか!)

 思うころにはもう遅い。円山めがけ170メートルほどスッ飛んだ照星の生首は弾幕の先陣を切る耆著に辺り蕩けた瞬間、
後続する黎(くろ)い水平霖雨を天の河でも飲み干すように受け入れながら、右側頭部をぼこっと波打たせた。ガスの浮いた
干潟のように薄かった泡は瞬く間に角立ち、角は飴細工の倍速再生のように捩れ、分岐し、枝を不可視の力でねじって伸ば
したように整えながら少女の形へと再生した。すなわち、イオイソゴ=キシャクそのものへと。
 同時に耆著を放った方の肉体はいつの間にか白い裸形もむき出しになっており、それは次の瞬間、胸から下を溶かして
散らす。木に降りかかったそのしぶきが如雨露で軽くかけた程度の物に留まったのは恐らく、先ほどの無数の弾丸の中に
肉片の殆どがまじっていたせいだろう。

「ひひ。外道風に言おう。一分の魂で動きしイソイオゴ=キシャク、ここに殉教(まるちり)を遂げまする。──」

 指を立て得意気に消滅するイオイソゴの傍を通り抜け、

(……知っていたのに、阻止、できなかった…………!)

 犬飼が歯噛みするのもむべなるかな。銀成で既に割れた筈のネタにまんまとしてやられたのだ。イオイソゴ版の任意車は
ムーンフェイスとはまた違った分裂の厄介さを孕んでいる。魂を込めた耆著を種の如く他者の肉体に植え付けそこから再生
できるのだ。この手段で銀成におけるイオイソゴが、斗貴子たちを足止めする直前、金星の幹部グレイズィングの肉体に隠
れ潜んでいたればこそ、足止めのイオイソゴが根来の奇襲に端を発するブレイズオブグローリーの直撃を受けたにも関わら
ず、絶息をまぬかれ、再生できた。

 ああ、だがまさかその『他者の肉』にまさか照星の生首を使おうとは! 先ほど指摘されたように手放せば根来に取られる
やも知れぬのにまったく大胆不敵、イオイソゴは初手から危険を犯した!

(ひひっ。どうせ乱戦になれば試せぬ仕儀よ。根来に回収されるのは確かにまずくはあるが、わしの”ぺぇす”で呼び出せる
場合に限りそうではない)

14 :
 肉片ごと融かし授受したらしい。再生したスカートのポケットに手を入れ絶大な期待を滲ませるイオイソゴ。何を隠し持っ
ているかは不明だが、根来が照星に釣られた場合、それで斬るつもりだったのは明らかだ。妙手という他ない。そも一撃で
斃せるはずの犬飼を放置して円山を追うと決めたのは、根来の存在があるからだ。犬飼を、”かまける”と根来に奇襲され
る隙が生まれるから放置しているという構図は、言い換えれば根来さえ初手で排除してしまえば犬飼→円山の順番で悠然
と各個撃破できるというコトに他ならない。

(……ひっひっひ。どうやら根来めの判断力は健在であるらしい。そうだわな、場が煮え滾ってもない時に奇襲をかけても
意味は無い。照星の生首を手にできても、直後すぐさま斬り伏せられたら無意味……じゃからのう)

 まったく巧者という他ない。根来が出ればよし、出なくても円山との距離は縮められる任意車の授受であった。

 果たして再生の硬直分だけ伝令に前進され距離を開けられたイオイソゴだが、それでも!

 差し引き! 結果! たった! 15秒で! 200メートルあった円山との距離を50メートルにまで、短縮!!
 犬飼に構わず追跡に専念という基本方針が見事図に当たった形である。

(ひひっ。斯様な距離であれば根来対策の鳴子はとうに円山をも圏内に捉えておる。忍法人くい花に転化し奴ばらを呑む
のも可能じゃが……その隙に、鳴子を解いた瞬間に奇襲されてもつまらん)

 イオイソゴはあくまで根来を『引きずり出す』つもりだ。犬飼と円山を悠然と絶体絶命に追い込んで、それを助けに『出ざる
を得ない』状況を作る算段……。
 スカートの中にある謎めいた、形見と称す、『短刀ほどの長さの、柄ある武器』を小さな指で撫でる。

(爺御の怨念を武装錬金特性で……昇華すれば、しーくれっととれいる何するものぞ……!)

.

15 :
 追われる円山は絶望しかない。

 彼には僚機がいた。キラーレイビーズA。先のロケットスタートのどさくさに紛れ下半身をパージしたAは、その縮小ゆえ
万一円山がバブルケイジのスーツを喪った場合、騎(の)って逃げられなくなってしまったが、見返りとして中空を飛び回る
──奥多摩における戦いで見せていたあの状態だ──コトが可能となった。

 その機動性であれば、乱射の大半は、弾ける。しかも残るBからDは犬飼ともどもイオイソゴの傍……。円山への射線を
抜本的に大きく逸らせる。つまりAの役割は運悪(よ)く届く残弾掃討であるから、1体でも申し分は、ない。

(そう思っていたのに、乱射ならばいなしつつ合流地点へ行けると思っていたのに……!)

 15秒で、余剰距離の75%が減殺された事実は震撼するに充分だ。

 犬飼の戦慄は円山以上。

(何とか引き離さないと!)

 かれの乗るキラーレイビーズBをCが咥え……轟然と投げ放った。森の未舗装な地面を駆ける限り中空飛び回るイオイソ
ゴを決して抜けないのがレイビーズだ。(だから追いつかれ、この戦端が開いた)。
 だから軍用犬で軍用犬を投げる。もちろん捕捉前多用できなかったのを見ても分かるように、乗組員への重力の負担とか
多用したいならピッチャーをどう追いつかせるんだとか、諸々の問題と無理を抱えた手法だが、ああしかしイオイソゴと円山
の距離は50メートルを切っている! やらざるを、得なかった!

16 :
(ひひっ)

 万朶の枝の中、磁力加速で青々とした葉を何枚も回し落としながら円山めがけ滑翔していたイオイソゴが不意に全身ごと
振り返った。すぐ後ろを追撃していた犬飼が(攻撃される……?!)と戦略的な期待を交えつつも本能的恐怖で臓腑を痢の
感触にくつろげた瞬間にはもうイオイソゴ、傾いだ独楽の如く全身を倒しつつ旋転を始めている。前方への全力シュートか
ら後方へのオーバーヘッドなるコンボなどサッカーにはまずないが、そういう、体勢だった。

 パっと見は黒タイツな鎖帷子に覆われた榾(ほた)の如きなよなか左足を右に向かって鋭く切り上げ→同方向に胴体もん
どりうって遊泳→余勢の赴くままポニーテール側からリクライニング→体重の旋転を乗せた左足の蹴りを──…


 といった滑らかで流麗な動作はおよそ一瞬の間に完了したため犬飼が実際目撃できたのは、結局。

 マサカリの如く肥大化したドス黒い左足が滑腔したての砲弾のような唸りを帯びて迫っている、風景。

 すぐ、理解した。即死だと。居合いの前の藁束だと。浴びれば最後、胴体が両腕ごと、豆腐でも切り分けられるように真
一文字に断ち割られると理解した犬飼は乗機たるキラーレイビーズBに回避を命令。果たしてそれは叶ったが彼の消えた
地点の背景を占める木々に一条の眩い銀閃がきらめいた瞬間イオイソゴはニンマリと会心の笑みを浮かべる。

「王手、飛車取り。──」

 ぞっとするほどの艶笑だった。外観の、7〜8歳のあどけなさに、臘(ろう)長けた人ならざる魔性の笑みを彫り込む少女。
そも七罪と幻三罪を標榜するレティクルエレメンツにあって大食を司るイオイソゴであるがその食人衝動はホムンクルス由来
のものではない。人だった頃から既に人肉を貪ってやまなかったいわば人鬼なのだ。で、あるから、そのおぞましさは、忍び
としての絶大な自信と相まって微笑に凄絶な構造色を与えている。

17 :
 しかし王手飛車取り? いや、犬飼を狙った以上王手であるのは疑うべくもないが、飛車とは? 

 おお、見よ。彼女の髪を、見よ。後ろに束ねているため決して長くは見えぬ彼女の髪がうぞうぞと、それ自身生命あるも
のの如く蠢きながら伸びている! すみれ色の髪が、水中に没したかの如く四方八方へたゆたって、いる!
「あっ」
 と犬飼が目を剥くころにはもう遅い。少女が瞬き1つの間に4〜5mまで生長した驚倒の毛髪はもう絡め取っている。犬
飼を、ではない。先ほどマサカリ状の足が雷光と共に薙ぎ払った木を、だ。
(マズい!!)
 遠ざかっていく円山と自分たちの中間点に、先ほど自分を投げたC含む2頭のキラーレイビーズを急行させる犬飼。速度
的に矛盾があるよう思えるが、裏技だ。

(”こんぼ”かい。武装解除→再発動で付近に召喚しなおし……急行、と。ひひ、どうやら核鉄に戻るのは犬笛らしい)

18 :
 考えれば当たり前のコトだった。手元にある、コントローラーたる犬笛が核鉄に戻るのは。してみると犬飼が己の直掩たる
CとDをちょうどすっぱり『真希士の核鉄ゆらい』の武装錬金で纏めたのはけして偶然ではないらしい。

 ともかく軍用犬2頭を咄嗟に急行せしめた犬飼の配剤はまったく見事という他ない。なぜならば正にその時その場所に毒々
しい紫の蔦が巻きついた巨木が破門の勢いで衝き込まれていたからだ。
 忍法念鬼もどき。髪を操る忍法だ。早坂秋水決死の飛刀に比ぶれば意思なき樹木を支配するなど実に容易い。もちろ
ん追撃で移動しつつだから、頑健と根付く木をすぐさま丸ごと引き抜く力はないが、手足をナタのごとくする忍法小豆もどき
で伐採したものであれば話は変わる。

 飛車とはつまり木だったのだ。撞木の如く断面の側から2頭の軍用犬へ雪崩れ込む大木。決して中型犬ほど小さくは
ないキラーレイビーズたちの勢いは、勁(つよ)い。急行直前それぞれ地面や木をカモシカのような後ろ足で蹴り上げてい
るためその体当たりは2m級のヒグマであれば即死させうるものであった。
 相ぶつかる犬と樹木。クリアな波濤が飛び散った。撞木は確かに一瞬いきおいを、弱めた。が、飛びかかりなど畢竟使
い捨ての弾丸だ、空を舞いつつの防御姿勢である以上軍配は、駆動可の質量大なる方に上がる。むべなるかな、髪の
後援で鬩ぎあいをば突き破る大木。旋転しつつ後方めがけ蹴散らされる犬ども。


 香車2枚が剥がれた空間の彼方に見えるは玉。円山。飛車は、ゆく。

「えおりゃあーーッ!」

 両目を不等号にしながら明るく、しかい名状しがたくもある奇声をあげ髪で大木を投げつけるイオイソゴ。これは忍法と
いうよりホムンクルス調整体であるが故の膂力だろう。

 もはや、ミサイル。後方に引きずる梢が緑の噴炎と見まごうばかりの勢いで円山めがけ水平に飛び始める大木。

(ご、豪快……!)

 犬飼は気を呑まれる。老獪なるイオイソゴから想像もできぬやり口もまた、予想外。

(ひひっ。忍びだからとて地味に攻める必要はない! 火遁ば知るのじゃー! 派手で目を引き勝つのも忍びじゃあー!)

 力任せでも、勝てばいいと景気よく割り切り、

「さらにさらにーーー!!!」

 背後から円弧えがく爪撃を倒立しつつの跳躍で回避するイオイソゴ。しっかと樹木に結わえた髪に引かれニューっと円山
めがけ凄まじく推進し始めたのが偶然でないのは「わっはっはー! 大成功じゃー! わーい!」と逆さながらに”へそ”覗
かせつつバンザイ三唱で笑顔な彼女からいやというほど見てとれた。意外な気のよさに犬飼はちょっと祖父を想像し、あや
うく親近感を催しかけたが慌てて抑える。

(遠投で円山を狙いつつ自身も加速……! 耆著すら、使わずに…………!!)

 厳密にいうと忍法念鬼もどきの髪の延伸は頭部に内蔵した耆著もたらす磁性流体化の毛細管現象の結晶であり、犬飼
もその辺りは分かっている。『使わずに』というのは、外部への話だ。犬飼は足止めたる自分に1発でも多く無駄撃ちさせる
コトで円山への狙撃とか、加速追跡の手数を僅かなりと減らそうと思っていた。イオイソゴが根来対策で何がしか鳴子めい
た物を仕掛けると──だいたいだ、葉に石を投げて出現を危惧させたのは、耆著の鳴子で自分たちへの弾丸を削るため
でもあった──鳴子めいた物を仕掛けるのであればなおさら無駄撃ちさせる意義は、大きい。

(ひひ。それが分かってて誰が撃つかよ)

 口元は悪辣にゆがむが、ずんぐりとしたどんぐり眼だけは星映す湖面のように、わっくわくと澄んでいる。材木に引っ張られ
て飛ぶ非日常(アトラクション)が子供らしく、楽しいらしい。

 イオイソゴ⇔円山間の距離、残り37メートル。少女を結んで飛ぶツリーミサイルの速度は、速い。

(後はゆるりと運ばれるまで……)
「させるかああ!!!」

19 :
 裂帛の気合と共に三叉する光線が凧糸の如き濃紺の髪に迸った。「ひ?」 一瞬の浮遊感のあとくるりと翻り足裏で別の
木の枝を撓ませ前方へ跳躍したイオイソゴが、黒ブレザーなびく風の中で。

 前方の下界で変わらず円山めげか直進する木をうむうむと認めた後。

 ちらりと後ろに向けた大きな瞳に、映したのは。

 主人を乗せ、2頭の軍用犬(なかま)と共に咆哮しながら追ってくるキラーレイビーズB。それらの爪牙には、髪──…

「ほほう? ま、木と結ぼれるため内部のごく僅かな芯以外、融けてはおらんかった髪じゃ、ひひ、断たるるは当然……」

 だが一定の加速は得られている。撞木めいたミサイルに一瞬とはいえ引っ張られたのだから、当然だ。その余勢の赴く
まま髪を伸ばし手足を延ばし、飛び移っていくイオイソゴ。その俊敏さたるや熱帯の猩猩の如く。──

(…………)

 速い、追いつけないと思った瞬間もう犬飼の犬笛は犬達を犬死させかねぬ残虐な命を下していた。

 キラーレイビーズCが、Dの襟首を咥えて、ブン投げた。イオイソゴが鼻歌交じりで髪を結えようとしていた枝が粉散らしつ
つほぼほぼ爆散のいきおいで砕けたのは、八宝菜の中の小エビのように背筋を丸めた哀れなDが激突したせいである。

(ほ、砲弾……)

 檜臭い砕片の雨の中、やや呆気に取られながらも次なる移動に移りかける老練な少女の背後で、残影が、受肉した。

「そっちも同じコトしてるんだ。言わせないよ、文句は」

 犬飼は乗騎ごとイオイソゴを貫通した。砲戦を巨大プリンに仕掛けたような水音が響いたが、当然ながら致命傷では、
ない。

(ひひ。まーた自分を投げさせたか、れいびーずに)

 丸く抉られた胴体へ逆再生のように黒い飛沫を集結させるイオイソゴ。追い抜かれ……目撃する。円山と自分の間に、
いまだ一颯の血けむりを首すじに雲烟と纏う眼鏡の青年が、着地する軍用犬に跨りながら壮絶なる眼光で射抜いている
のを。

(貫かれたんだし、肉片付着させて何かやっといた方が良かったかの? でもそっちに神経使うと円山逃げるし、根来に
付け入る隙やっちゃうしのう……。んー。でも……。なんじゃ。今とは言わんが──…)

 犬飼は、思わぬしつこさ。普通の者なら苛立ち始める頃だが、ちょっと立ち尽くしたイオイソゴはポリポリと、困ったような
微苦笑で頬を掻く。温和な老農夫が意固地な幼児に出くわしたような一種牧歌的でもある表情だ。

(時よどみ……。使わざるを得んかもな)

 かつて鳩尾無銘が早坂秋水を死線に追い込んだ恐るべき魔技の炸裂や、如何。──


 時はごく僅か逆行するが、円山。


(当たったら、死ぬ!!)

 気配に振り返った円山は、ミサイルと見まごう巨木が飛んできているのを見た瞬間、ほとんど泣きそうな表情をした。が、
同時に戦士としての冷静な部分は両膝に風船爆弾を展開! 破裂の空気圧で上方へ逃れる。複数層のお蔭で1発2発の
耆著なら着弾してもむしろ加速できるが、大木の直撃となると話は別だ。上着2枚重ねてるからミサイル当たっても大丈夫
といえる人間などいない。バブルケイジはシルバースキンではないのだ。唸りを上げて飛んでくる木に激突されたら『円山ご
と』破裂して、終わる。

 ああ。先ほど確かに長い針であれば攻略できると考えたイオイソゴ、だがこの木(はり)の長さは全く人智を絶している!

20 :
 果たして紺碧の箒を備えた甚大なる柄は円山の下スレスレをすり抜けた。僚機たるキラーレイビーズAもまたスイっと避
ける。レトロなシューティングゲームのオプションのようだった。

(なんとか、よけ……)

 安堵は轟音で掻き消された。それが、イオイソゴの、何がしかの忍法による直接的な作用であったのならば、まだ円山
は一種の僻みを向けられた。多彩な技なるものはいつだって『ご都合主義』『後だしジャンケン』などと、持たざる者に、奇
妙な特権意識を以って蔑視されるものである。が、円山が眼前の現象に対しそれとは対極的な、心魂の銷失を伴う『見事!』
という評価をありありと感じてしまったのは、ごくありきたりの収束が見事なまでに利用されていたせいだ。

 梢。落着して地面にナナメに突き刺さった大木の、梢が。

 円山の眼前いっぱいに、広がっている。

 高速飛翔体に対してこれ以上はない、最悪なる進路妨害だった。(あ、あの幹部、ここまで考えて、木を…………!!)。
真正面から梢に衝突すれば当然ながら、止まる。伝令として、戦団の集合地へ逃げている最中の円山が、止まる。背後に
追っ手(イオイソゴ)が居る、状態で。

(マズい! このままじゃ、激突──…)
「レイビーズ!!!!」

 叫号の主人。駆け巡るA。枝という枝を鋭い爪で剪(き)り飛ばし進路を開く。だが咄嗟の出来事でもある。切除し損ねた
枝の幾つかが大木とすれ違う円山の風船(スーツ)にびしゅびしゅと引っ掛かり裂け目を作る。即座に破裂するほどひどい
傷ではないが、それまで後方の一方にのみ集中噴出していた空気の、不規則な箇所からの漏洩は明確なる減速となって
円山を苛む。

(パージ……。いや駄目! 枝がまだある状況で破裂させたらすぐ下のがすぐ駄目になる! バブルケイジはあくまで風船
……! 膨らませる時間が要るから、激戦のような速攻的な再生は……できない!!)

 つまり枝に引っ掛かるたびパージすればやがては風船(スーツ)が割れ尽くし……円山がむき出しになる。それは停止と
同義である。上への軌道修正もまたできない。さきほど大木を避けるとき、原住民的な枝どもスレスレに高度を上げている
からだ。倒木の梢を避けて生木の梢に突入……とはいささか本末転倒だろう。円山は、倒木と生木の間に開いた僅かな
隙間をゆくほかない。

(だ、だから、ちょっと減速しても、最外郭が割れ尽くすまでパージはできない!! 枝! は、早く通り過ぎて、早く!!)

 なおも懸命に枝剪るレイビーズAの傍、胴体着陸さながらのおぞましい震動を枝と奏でながら飛んでいく円山。ざわざわ
という、薄手のゴミ袋を揺すったような葉の音をBGMに陥っているのは、いっそ自害したくなるほどの悪循環だった。速度
が落ちれば枝地帯からの離脱が遅れる。遅れると枝の作る傷が増える。速度が、落ちる。ばきばきと枝が折れ灰色の虫
食い目立つ黄葉が舞う。

(このままじゃ、止まる!)

 思った瞬間、キラーレイビーズAが体当たりを敢行していた。前方へ飛ぶ衝撃にガックンと首を揺らした円山は最初意図
を掴みかねたが不快な枝との軋轢が霧消しているのに気付いた瞬間(強引に、脱出させた……)と気付く。

(い、犬飼ちゃんらしくない有能な判断ね…………)

 風船が、弾けた。パージでいくらか加速したが、ロケットスタート直後の勢いは、もうない。時速80キロ台後半というところ
だろう。

 振り返る。仁王立つ犬飼の後ろにイオイソゴがいる。距離は微増の41メートルなれど未だ危険領域。

 円山。合流地点まで…………352メートル。

21 :
 だがもう、150メートルもなかった。

 犬飼が絶命の窮地にある時、”ある座標”の亜空間から出現した根来忍が、イオイソゴの『秘奥』の1つの直撃を許してし
まった運命的な刻限まで──…

 150メートルと、なかった。

 ……。

 そこまでの攻防はいよいよ出血多量で頬を黄土色の土の如く染め上げる犬飼倫太郎の、正に最後の輝きというべき壮
烈なる攻め口に、イオイソゴ=キシャクの幻妖奇怪を極める歪な技の数々が黒炎の如き熱量で衝突し弾け散る無限獄。

 円山はもう、言葉さえなかった。スーツの加速が一段落するのも待てないとばかりそわそわと何度も首だけねじ向け後ろ
を見る。

 乱舞する犬の爪牙を木立ともども電瞬の速度で潜り抜けながらも、時々犬飼の奇策で後ろへ飛ばされながらも、なおも
執拗に加速する木星の幹部の表情に怒気や殺意はまるでない。白く濡れ光る乳歯を、渋みのある痙笑に釣りあがる唇の
狭間からきらきらと覗かせながら、楽しげに、楽しげに、好物に向かって突進する幼童のような無邪気な意欲を双眸に灯ら
せただひたすら──…

 追ってくる。

 弾かれようが、叩かれようが、忍法を阻まれようが、

 笑いながら、追ってくる。

(犬飼ちゃんの、見たコトもない強烈な攻撃が何十発も決まっているのに……!)

 背中に、肩に、頭に。耳を覆いたくなるほどの乾いた音を伴う、大砲の着弾のような轟きを浴びているのに、少女は一瞬
黒くしぶくだけだ。眉1つ、動かさない。すぐ再生して負うという生易しい一拍すら挟まぬ。濁流のようであった。磁性流体化
した肉体のどこが吹き飛ばされようが、イオイソゴ本体は、放擲された玉すだれのような粘塊を保ったままいっこう速度を
緩めずただただ、びっしゃあと円山に向かって迅激する。多少押し戻されても犬飼には目もくれず、狂ったように、追って
くる。

 それが円山には恐ろしい。徹底される原則のみが有する、整然を超距したおぞましさに肝を冷やす。

 視認のためか。加速のため黒く融けるイオイソゴは時々顔だけを原型に戻す。全身は、もともと人の形が磁性流体化した
ものであるし、何より追撃のための実利的な理由から、140cmほどのタイ米のような流線型であるものの、少女の顔は
その両端から生えるとは限らない。手足を毟られた華奢なプラモデルに、腕や腰、背中や腹部の好きな箇所に頭部を接続
できるギミックがあれば間違いなく気持ち悪がられるだろうが、イオイソゴはそれだった。人智ではありえからぬ首の生え方
であった。ゲル状の宇宙生物に喰われたいたいけな少女の生首があっちこっちからはみ出ていると形容した方が正しいの
かも知れない。太ももパーツを付けるべき腰から45度のさかさになって瞬きしたり、背面飛びのさなか人面瘡のごとき凹凸
が円山の網膜にショックを与えたりと、おぞましさの枚挙に暇はない。

 みな、笑っている。

 鼻の低さが愛らしい少女だからこそ却って凄絶だ。あどけない目を何か見つけた子猫のようにまんまると見開きながらも、
魔魅の如き怪笑に引き裂いた頬へ胴ぶるいするような色香をねっとりと纏わせている。円山が、忘れていたはずの”男”を
危うく欲情の紅い炎に絡め取られかけた程その美は魔界めいて濃艶だった。それでいて、きらきらと吹き付けるような少女
特有の清純な気風をも漂わせているのが却って狂的、凛呼とした可憐な佇まいは異性をふるいつかせずにはいられない
食虫植物の妖しさだ。

 実際彼女は処女であった。銀成での足止めの時こそ経験があるよう言ってはいたが、それらは総て人間だったころから
既に使えた任意車と他人の肉片で練り上げた分身の出来事……。淫靡きわむる幻燈図を恐れるあまり、くの一の最大責務
は総て総て分身に肩代わりさせた。だから数々の経験をトラウマのごとく心に刻みながらも、イオイソゴ本体の純潔だけは
生まれ落ちてからこっち555年ずっと清浄に保持されている。

22 :
 なのに、ああ、蹂躙された牝の記憶はある! 豊麗な手管を尽くしてきた妖婦の形質もまたある! だのに処女だけが
有する清楚の香りも散っている!

 女性的な円山でさえ捨て去った筈の性欲を刺激され、きりきりと歯噛みするのは矛盾を極めるイオイソゴの色香ゆえだ。
もはや見るだけで懊悩の袋小路に追いやられてしまう。津村斗貴子に先日破られた胃の発するぎりぎりとした痛みに風船
(スーツ)の中で蒼褪める円山。知らず知らず半開きになった口は突き出す舌さえからっから。

(ああ、悪意がないっていうのが逆に、逆に…………!)

 円山は気付いた。気付いてしまった。木星の幹部の顔つきがせいぜい、『戸棚にまんじゅうを見つけドドドと走る子供』ぐら
いのレベルであるコトに。

 だからか、一種”からっ”としているのだ、攻め口は。円山側こそほとんど心神耗弱しかけている恐るべき打ち筋の数々
ではあるけれど、イオイソゴの方は不必要に絶望を煽ったりはしない。性明朗なる天才少女棋士がバッチンバッチンと
景気よく駒を盤面に打ち付けている程度のあっけらかんとした方略だ。ただ、だからこそ、始末は余計に悪くもある。三下
丸出しでニタニタと無用な示威をかましてくる方がまだあるのだ、付け入りようは。

 なのに、景気よく、打つ。

 それでいて要所要所ではキッチリ心を折りに来るから

(無邪気さと老獪さの同居が、怖すぎる……)

 狡猾な幹部だから、見た目相応の明るい態度は仮面なのだろうと円山は思っていたが、否と評伝、改めつつ、ある。
どっちも本当の顔であるらしい。それが陰陽の如く入れ替わり立ち代わり出現する。ある意味、どうしようもなく壊れて
いるのかも知れないし、逆に感情を完璧に統御できているからこそ無邪気な側面を無防備にさらけだせるのかも知れ
ない。分身と本体の、処女性のズレが合一と共に奇妙な競合をもたらしてきた可能性も或いはだ。

 ともかく磁性流体と化した黒い颶風が吹き荒れるたび円山との距離は如実に縮まって。

 追いつかれるまで……29メートル。

 だが希望も、ある。

(この道は、通った道。盟主とコトを構えたあの見張りの場所まで行くとき通った道……)

 だから円山は知っている。

(あと『150メートル弱』で……森を抜ける。合流地点に使われている村まで約200メートルってとこなんですもの、自然
に開拓されてて当然よ。ともかく、そこからは平地。森が終わり、木がまばら……だから!)

 イオイソゴは、これまでしてきたような枝から枝への加速を封じられる。減速の目があるという訳だ。

 だが相手もそれは知っているようだ。温存していた耆著をいよいよ乱射し始めた。黒いつぶては予定通り3頭のレイビーズ
によって弾かれているが……スーツは、2層目まで割られるようになってきた。万全だと自負していた全4層のうち半分が、
呆気なく突破されつつある。加速の恩恵こそあるが、イオイソゴも正念場と速度を上げる。近づけば近づくほど命中精度と
着弾数は……上がる。

(……っ! このままじゃジリ貧! 私も何かしないと……殺される!)

 犬飼を役立たずだと思ったからの考えではない。むしろ彼は全力以上の全力を尽くしている。今なら津村斗貴子相手で
も相当の善戦ができるだろうとさえ思っている。

(けど問題なのは……敵が強すぎるというコト! 死力にイオイソゴの戦略的不利を加えてなお埋まらぬほど実力差があり
すぎる! 加勢しないと! 逃げながら……加勢しないと!)

 相反する考えだが、しかし立て続けに策を打つ犬飼をずっと見てきたのだ円山は。だいたい円山自身の着想だって、盟
主相手にバブルケイジの使い方を切り替えた瞬間、大きな転換点を迎えている。彼の思考力もまた夜明けの墓場で胃を
裂かれた時とは違う、違うのだ。

23 :
(私だって……しなきゃ! 知恵で無理を覆す程度のコトしなきゃ……ダメよね!)

 イオイソゴに重ねる幻影のような津村斗貴子を振り払い、円山円もまた動く。
 落ちこぼれだった犬飼。だがその熱はいま、人を、世界を、動かしつつ、ある。


(犬飼めが妙に賢(さか)しくなっておるのは恐らく)


 中村剛太の影響だとイオイソゴは分析する。今夏犬飼がヴィクターVに負けるに到った遠因は、突き詰めれば剛太の策
謀だ。

(”るぅきぃ”が、10代より戦士をやっておった己を降した衝撃的事実から、奴め無意識ながら学んだな。『策は経験を覆す』。
ひひっ。弱者ゆえの特権に──…)

 目覚める機会(チャンス)を与えたのは結局……ヴィクターV武藤カズキ。彼が剛太を止めなければ犬飼は再生の道さ
え許されずその生涯を終えていた。

(……難儀な、恐ろしい男よ武藤かずき)

 イオイソゴたちレティクルが、彼の不在を狙い蜂起したのは偶然ではない。意図的だ。居る時に繰り出せば幹部2〜3人
説得で無力化されやがて負けるとは未来を識るウィルの弁。だから月に消えている僅かな期間を決戦の刻とした。

(にも関わらずその残した火の粉が……予想外の形でわしに纏わりついておる)

24 :
 対象の時間感覚を限界の彼方まで遅延したあげく精神的老衰死を遂げさせる恐るべき忍法・時よどみ。
 犬飼への使用を検討しながらもここまで使わずに居るのは警戒ゆえだ。

(武藤めに『太陽』を見る者は……多い。さんらいとはーとの号を与えた津村斗貴子。名を呼ばれたぱぴよん。魔道から掬
い上げられた早坂姉弟。未来の希望と呼んだのは防人衛。関わる者は大なり小なり……『太陽』とそう想い、正しき方へと
歩んでいく。同じ太陽を冠する盟主さまと違うのはその点よ……)

 犬飼は認めないだろうが、その、滾るほどの熱もまた太陽がなければ得られなかった物だろう。警戒していた太陽の、
強い残り火を嗅ぎ取るイオイソゴは粛然と身を締める。

(『正心』。忍びが喪えばやがて報いを受けるいわば肝要。ゆえに強い正心(もの)抱く相手に忍びは弱い……!)

 絶対の、論理だ。剣豪に勝てても剣聖に勝てぬのが忍び。本家本元の時よどみが破られた事例さえある。
 さすがに犬飼は剣聖ではないが、

(こやつから匂い立つ雰囲気は……きわめて正心に近いところが…………ある! 雑魚と見縊り生半な時機で時よどみ
をば仕掛ければ滅ぶのはわしの方……!)

 ほぼ一撃必殺の大技であるからこそ、掛け終わるまで硬直を余儀なくされる弱点もある。硬直すれば円山が、逃げる。
犬飼への過分にも思える警戒感を差し引いても、うかと使えぬ戦術的な筋道が、あるのだ。

25 :
(そも無銘めが早坂秋水に敗北したきっかけもまたこの忍法……。ひひっ。『無銘めとの関係』を考えると、わしまでもが
時よどみを濫発するのはまずい、まずいのう)

 硬直を、根来に衝かれる危険だって忘れていないイオイソゴだ。観客の立場で見ればいささか勿体ぶった、じれったい
感じはいなめないが、絶大な秘奥を有しながら温存できる忍耐力はまったく見事でもある。

.

..

 自刎してまで行っている足止めが、全く奏功せず距離を詰められている現実にしかし犬飼は不思議と動揺していない。

(いつもの、コトさ)

26 :
 自嘲を込め心中笑う。何か大きな役目を与えられるたび、彼はそれが自分を決定的に変えるきっかけだと意気込んで、
自分なりの全力で挑んできた。だが結果はいつだって失敗だ。ドラマや、小説の主人公なら、落ちこぼれであったとしても、
ごくごく序盤で達成して、勇躍の端緒にできる、ゲームでいうなら1面のボス程度の、『難しいこと』を、しかし犬飼はここまで
達成できず終わってきた。

 だから、慣れている。ヴィクター級と目される幹部たちの中でもとりわけ重鎮とされるイオイソゴ=キシャクに自分の行動
が何一つ通じていない現状には焦りよりむしろ「またか」という思いの方が強い。

(けど今度は……、今回だけは……掴めてきた)

 100の耆著をイオイソゴの掌から弾き飛ばせたとき芽生えた

──(なんだ。ボクだって……やろうと思えば…………やれるじゃないか)

 という自信は、彼自身気付いていない中村剛太の観察力(えいきょう)で、イオイソゴ攻略の道筋をつけつつある。

 追撃戦が始まる前、犬飼は、した。円山と、会話を。

27 :
──「あの幹部、並みの打撃斬撃は通じないって話よ?」

──「わかってる。レイビーズでただ攻撃するだけじゃムリ臭いってのは」

──「何せ戦士中トップクラスの高速斬撃を誇る津村斗貴子のバルキリースカートや」
──「武装錬金ではない、普通の日本刀ですら相手を大小ごと両断できる早坂秋水の振るうソードサムライXでさえ」

──「あの木星の幹部に傷1つ負わせられなかった……からね」

 彼ら以上の速度や攻撃力で仕掛ければ或いは、だが、嗅覚による敵追跡こそが本懐のキラーレイビーズが突如として
津村斗貴子以上のスピードと、早坂秋水をも軽く凌ぐパワーを手に入れるなどというコトは原理的にいって有り得ない。

 イオイソゴにはエネルギー攻撃が有用だとはいうが、それもまた、軍用犬では……ムリだろう。

 それでも『1つだけ』……試したいコトがあると彼は言った。
『試したいコトがある』と。物理攻撃完全無効の幹部だが、牙や爪しかないレイビーズでも理論上は斃せると。

──(かなりの集中が必要だけど、いまある能力の1つを総動員すれば…………可能性は、あるッ!!)

 だが追跡能力こそメインのレイビーズでどうやって? イオイソゴが恐れる根来忍に津村斗貴子や防人たちが合流した
6人の集団相手に互角以上の戦いを演じた対拠点殲滅用重戦兵器・鐶光が、津村斗貴子と早坂秋水と他2名と組んで
なお斃せなかったのがイオイソゴではないか。犬飼はその「他2名」にさえ劣ると老嬢に評されているのに、どうやって?

(磁性流体化の弱味を、衝く!)

 いったいどういう話か。以下、犬飼の思慮に任せる。

(磁性流体化で打撃斬撃を無力化しているといっても、それは打ち込んだ耆著の特性あらばこその話! 木星の幹部が
溶けてもバラバラにならず動けている以上、打ち込まれた耆著は溶融しているにせよ原型そのままであるにせよ奴の体内
に残留し微細な結合の操作を受け付けている筈! ならば!!)

 犬飼に逆転の目はある!
                                                             や
(レイビーズで……嗅ぎ分ける! 奴に打ち込まれている耆著の匂いを嗅ぎ分けてその地帯を……攻撃る!!)

 いわば経穴の攻撃だ。犬笛(セーフティー)を取り上げられ敗北した犬飼だからこそ辿り着けた着想だ。そう、体を融かして
打撃斬撃を無効化している武装錬金(セーフティー)なら摘出すればそれで済む。戦士の武装錬金に置き換えて考えた場合、
一番このモデルケースを説明しやすいのはシルバースキンだろうか。やや荒唐無稽だが、構成材たるヘキサゴンパネルを
1つ、すうっと抜き取るコトができればそこから攻撃が通る……といった感じだ。
 もっと世俗的にいうなら『不定形な相手は、核(コア)を狙え』だ。耆著は鍼であり核であった。打ち込んだ場所を人肉とろ
ける経穴と化す恐るべき鍼であり、核であった。で、あるから犬飼はそこを狙う。

(耆著が溶けているなら破壊は無理に思えるだろう! けど! 弾き飛ばすコトならできる!! 磁性流体化を促している
部位をレイビーズの嗅覚で見極めて弾き飛ばせば……)

 周囲は、肉体へと、戻る。

(”それ”を……章印周りで! やる!!)

 実行できれば、犬飼でさえ、イオイソゴを……斃せる! さもありなん、磁性流体化さえ解除すれば、武装錬金(レイビーズ)
はホムンクルスの章印を貫いて……殺せる。

 だがどうして斯様な王道的な攻略法を、銀成で足止めされた5人は思いつけなかったのか。いや! 厳密には浮かんで
いた! だが津村斗貴子も早坂秋水も鐶光も栴檀貴信も栴檀香美も、耆著を、核を、ピンポイントで見つけ出す手段を
……有さなかった! 当たりさえすれば破壊ないし排除しうる斬撃はあった! 斗貴子と秋水は持っていた! 不定形に
対するもう1つの最適解、丸ごと焼き尽くすを敢行する火力もまたあった! 鐶と栴檀2人が所持していた! だが耆著の
みを捜す手段は……なかった! 唯一嗅覚が期待できるネコ型の香美でさえ、ああ、なんと言う運命の不具合! マンゴー
という柑橘系を調整体の一素材とするがゆえの、イオイソゴの仄かな匂いは、柑橘を嫌うネコ型の香美の嗅覚をかきみだ
すから、たとえあの場の誰かが嗅ぎ分けろと命じたところで確たる成果は望めなかったろう!

28 :
 しかも磁力で融けた部位を動かせるイオイソゴだ。攻撃に合わせて『核』に該当する耆著の位置をずらすなど朝飯前。

 ともかく! 探査こそ本懐のキラーレイビーズであれば嗅覚を以ってイオイソゴの核を嗅ぎ分けるコトはできる!

 同時にそれは、イオイソゴを怨敵と睨む犬型の鳩尾無銘もまたこの意外な攻略法を実践できるというコト!!

 むろん犬飼は、照星誘拐直後わずかに遭逢しただけの少年(チワワ)に意外なヒントを与えうる立場になっている運命の
おかしさまでには気づけない! 
 なんにせよ、無駄に思えるレイビーズの攻撃を繰り返し続けたのは総て耆著の所在を見極め……否! 嗅ぎ極める為!
武装錬金とはいえ元はイオイソゴそのものだった耆著である、匂いはさほど違わない。融けた肉から漂うマンゴーの、ねっ
とりとした香りもまた判別を妨げる。きっと彼女が『マンゴー』という、漆よろしくかぶれるだけが取り得の無難な植物を、調
整体の構成材料に選んだ理由はそこなのだろう。核の弱点に繋がりかねぬ耆著の匂いを塗りつぶすためマンゴーを選んだ
のだろう。

(それでも匂いの、微細な違いは分かりつつ、ある! 問題は速度だ! 見極めてすぐ耆著を弾き飛ばさないと…………
移動される恐れがある! これほど老獪な幹部なんだ! 章印周りの磁性流体化には尋常じゃないほど気を配っている
筈! こっちの微妙な仕草から耆著を嗅(きづか)れたと気付いたら速攻で移動させるか反撃してくる……!)

 秋水たちが嗅覚を持たなかったように、犬飼は攻撃力を持たない。スピードも。

(どうする……? そこさえクリアできれば斃せるんだ。考えろ。考えるんだ)

 奇運とは、あるらしい。正にその時だったのである。円山円が助援を検討し始めた瞬間は。

 そして。

 最大の駒もまた、奇襲に向けて動き出す。

 亜空間の中で、マフラーが泳ぎ出す。網目状のぎらぎらした水光をゆらめかす直上の、膜(ブレーン)へと、イオイソゴと
『あと2人』を下からの一枚絵でくゆらせる水面へと、鍔を鳴らした金色の忍者刀が、持ち主と共に浮上(うか)んでいく……。

 決まりさえ、すれば。

 円山円の後押しと根来忍の奇襲が最高のタイミングで決まりさえすれば。

 犬飼倫太郎はイオイソゴ=キシャクを打倒しうるのだ。

(ひひっ。しかしむしろそれこそがわしの狙い!)

 心中、黯(くろ)く嗤うイオイソゴ。おお、戦歴500年がどうして気付かずんばあるや! 嗅覚するどい軍用犬と事を構え
どうして耆著排除の動きに繋がらぬと楽観できるか! 

 読んでいる! 木星の幹部は、読んでいる!

 再殺部隊3名の連携が、己が章印への致命的一撃に繋がるだろうと……読んでいる!

(で、ある以上、防げる訳じゃが……ひひ。万一章印を……もちろん磁性流体化なしでの話しじゃが、章印を貫かれたと
しても…………『問題は、ない』)

 不死、という訳ではない。少なくてもこちら側のイオイソゴは絶命する。

(が、絶命するからこそ伝令を阻める!)

 魔法のような話だが、魔法と違わぬのが忍法。──

(『山彦』。わしの受けた”だめぇじ”を視界内総ての相手に与えるわざよ)

 先ほど彼女が『磁性流体化さえ解除すれば円山を殺せる』といった両断必須の忍法こそこれである!
 嗚呼、確かに根来が潜んでいる時に磁性流体化を解除するのは自殺行為。

29 :
 だが! その『解除』が犬飼の、決死の思慮の策謀の果て訪れた逆転の一撃に因(よ)る物であれば!?
 根来の絶妙きわめるタイミングでの奇襲さえ絡めた上での『解除』であれば!?

(引き込める……! 連中に疑わせることなく、忍法山彦の”かうんたー”に……引き込める……!)

 つまり! 再殺部隊3名があい協同してイオイソゴの、すぐ背後に心臓が佇む章印を深々と貫いた場合!

(貴様らも同時に、死ぬ……!!)

 だから犬飼の、耆著を探るような動きを黙認し、放置したのだ。練習さえさせてやれば、成長著しくなっている犬飼はやが
て章印を狙ってくるだろうと『信じた』から、好きにさせてやったのだ。

 まったく恐るべき狡猾さと言わざるを得ない。

 とまれ山彦で犬飼以下3名を葬れたとしても、ここのイオイソゴは心臓ごと章印を貫かれる都合上、絶息は免れない。
 が、そこは忍法任意車のしもべである。魂魄は盟主の傍に切り分けておいた方の本体(ぶんしん)へと回帰し復活する。
 伝令を阻み、根来をも斃した上でゆうゆうと凱旋できる…………。
 あとは愛しい鳩尾無銘を喰えるまで、アジトで手薬煉(てぐすね)引いて待つだけだ。

(……。ま、唯一恐ろしいのは、わしが山彦を発動したタイミングで、盟主さま近習のわしが殺されることじゃが)

『根来がこちらに来ているという仮定で話を進めるのであれば』、近習のイオイソゴを一撃で殺しうるのは盟主だろう。

 任意車の弱点もまた磁性流体化攻略法と同じぐらい平易である。

『分身するなら、分身全部同時に斃せばいい』。

 つまりこっちのイオイソゴが、根来以下3名を道連れにして死ぬ正にその瞬間、近習の方のイオイソゴが盟主などの手に
よって殺害された場合……いかな忍法任意車といえど術者の魂魄を戻すべき肉体を喪い……瓦解する。しかもメルスティー
ンに関しては磁性流体化解除など考慮すべくもない。特性破壊の大刀を有するのだ。犬飼たちからすれば魔人のごときイオ
イソゴでも、盟主は鼻歌混じりに斬り伏せられる。しかも近習のイオイソゴは近習であるが故に、盟主に山彦をかけられない。
当たり前の話だ。かれの所在を戦団につかませぬよう奮戦している守護者がだ、その守るべき対象をRなどどうしてでき
よう。もう顔の上半分は、青紫から肌色の帳(グラデ)が降りている。黒い血管を外郭に血走らせた真円の白目でがっくがっく
と戯画的に震える。

(い、いかな盟主さまといえど、こちらの状況に合わせて近習の方をR知覚はない筈……!)

 生唾を呑みながら、考える。

(そう。カメラか何かで携帯にこの辺りの様子を映しているとか……、或いは『遠見貝』のような遠方を知りうる忍法でも
使っておらぬ限り……、絶対に、絶対に)

 優れた忍びほど予想もつかぬ裏切りで殺されるのを知り尽くしているイオイソゴだからこそ、万一を恐れもするが、(いや
いや向こうのわし避けれるもん! 油断せんかったら盟主さまの攻撃でも避けれるもん! 万一殺されてもぐれいじんぐ
同行しとるし! いやほんと頼むぞぐれいじんぐ、蘇生してくれよ!?! おま、お前な、この前かふぇで”けぇき”とか”こお
ひぃ”奢ってやったんじゃからな、頼むぞ本当死んだら無銘喰えなくなるんじゃぞわし!)と胸中の虚像にぶんぶんと、馬の
尾ごと顔を振らせる。

 落ち着いた。

 余裕ある老嬢の顔つきに、奸悪なる笑みを湛える。

(ひひ。仕掛けてこい犬飼ども。死ぬ為に、な…………)



(章印を狙う。生き延びる手段はそれしかない……!)
(私は犬飼ちゃんをアシストする……!)

 最善手の先に待ち受ける罠に気付かず意を高める犬飼と円山。

30 :
.



(イオイソゴ=キシャク……)

 亜空間の中、酷薄な瞳を更に冷然と吊り上げる根来忍。
 仇敵たる伊賀忍者、『とある2人の』間にある。
 様子を窺う白皙なる紀州の忍び、目論見に気付いているのか、いないのか……。


 近習のイオイソゴは盟主と、グレイズィングに同行している。

『太陽』の幹部と、『金星』の幹部の間に……ある。


【ある作家たちの対談記事】

(上半分と作家名が塗りつぶされている)

■■■「……とんでもないタイミングでしたね、根来」

×××「ええ。何しろ仕掛けたのが金(記事はここから破れている)」


 犬飼と円山の近くのイオイソゴがずっと感じている『影からの殺意』。
 それは近習が感じているものか、否か。

 だが犬飼には近づいている。

 彼と、彼の祖父の運命に意外な関わり方をしていた1人の男は、確実に犬飼へと、近づいている。

 ……。

 10年前、音楽隊のリーダーに征伐されたというレティクルの幹部。

 その兇刃から犬飼の祖父に守られた若い青年には弟があり、その家系は……紀州の忍び、であった。

31 :
以上ここまで。

32 :
>>スターダストさん
前回から続いて、犬飼の思いには共感できる部分が多々あります。憧れこそが、正しさこそが、屈折を
生む……しかし奮起の燃料とできるなら、嫉妬もコンプレックスも毒にはならない。今の犬飼はそういう
状態ですね。あと「説得で無力化」されてしまうって、確かに敵に回したら怖すぎますな。流石主人公。

33 :
第106話 「タングステン0307(後編)」

 負け犬と、くの一の、構図。

(嗅覚でイオイソゴの胸周りの耆著を見つけて排除し……章印(きゅうしょ)を貫く!!)
(心臓ごとやるがいい! 忍法山彦で返してやるわ!)

 なお山彦は自ら胸を貫いた場合でも『視界内の敵』総て道連れ可能だが、根来への警戒感がそれを押し留めている。そ
もイオイソゴの想定する彼は、『わしが山彦を使えるのではないかと疑っておる』いわば黄信号の状態にある。そんな敵に、
不自然な自殺の挙措を見せ付けるのは、いよいよ疑念を赤信号へと到らしむだけの悪手でしかない。

(わしが自殺に移りかけた──フリも含む──場合、奴は速攻で山彦の存在を確信する。犬飼か円山、あるいは両方をわ
しの眼力の及ばぬ亜空間に退避させる!)

 どちらか片方が戦士の合流地点へ到達するだけで敗北なイオイソゴだから、片方または両方が山彦を逃れ生存すると
あれば、それはもうまったくの打ち損死に損だ。

 老獪なる少女は最低でも、犬飼と円山両方を山彦の餌食としたい。欲をいえば乱入してくる根来さえも道連れにしたい。

(そのため重要なのは犬飼決死の攻め手が、わしの想定をも上回ったように……『見せかけること』! その上で、『犬飼
の予想以上の奮戦のせいで、急所を狙われる破目に陥り、決死の様相で最後の一撃を押し留めている』という、ごくごく
自然な姿を演出せねば……釣れんよ、根来ほどの男はな!)

 賭けに、出させるのだ。根来が忍者ゆえにその筋で高名きわめる『山彦』を警戒するのは当然だが、他方、自分とはまっ
たく無縁の犬飼の、予想外の大健闘が戦局を、あともう一押しでイオイソゴを打破しうる所にまで運んでおり、しかもイオイ
ソゴが、もう一押しされたら終わりだとばかり全力全開の守勢に回っているのであれば──山彦を持つならまず考えられな
い対応をしているのであれば──、根来が罠を疑いつつも、

(わしの策を逆手に取って押し切るコトも可能と判断し打って出る率は、高い!)

 千歳の件で煮え滾っている『とすれば』、行動パターンが攻撃的になるというイオイソゴの読みは……感情準則の観点で
なれば、正しい。

(そして最後の一押しは忍法でも真・鶉隠れでもなく根来みずからが振るう全力の斬撃!)

 仕留めるならば当然の選択だ。で、あるからこそ、彼は射程内に入ってしまう。術者のダメージを敵に与える忍法山彦の
有効射程距離に、入ってしまう。『イオイソゴが、犬飼からのトドメを防がんと尽力している』土壇場であるから、根来には
再殺部隊の同僚2名を亜空間へ退避させる余裕がない──全力の一撃に総てを傾注せざるを得ない──から、結果3名
が心臓へのダメージを返される……という木星の幹部の期待、決して誇大でもないだろう。

(問題は──…)

 幼い忍びはちろりと円山を見た。風船スーツを纏いいまだ高速で遠ざかっていく円山を。しかしそれから彼の下に視線を
移したのはどういう訳か。

(まだ103めーとる、か)

 森閑たる暗影にチロチロと落ちる黄金の斑(ふ)を見やりながらイオイソゴは嘆息する。さながら暗緑の蝙蝠が如き葉が
頭上にびっしり止まっている。(功罪。忘恩……。暗夜に、鴉)。木漏れ日は、僅か。影は己のものか葉のものか……。

 とにかく根来と犬飼に手間取れば円山が逃げる。盟主の所在を握った伝令が戦士の合流地点へ逃げ延びる。それは
忍びがもっとも忌むべき情報戦の敗北だ。主君への総攻撃だけは何としても避けたいのがイオイソゴ。円山が1ミリメート
ルでも合流地点から遠いうち勝負を仕掛けたくて内心やきもきしている部分もあるが、かといって

(犬飼からわざと致命傷を受けるのもまた、不自然……)

 何故なら相手が犬飼だからだ。この場合でも根来が山彦を確信する、してしまう。

34 :
 だから結局イオイソゴが、忍法山彦をきっかけに、犬飼・円山・根来の3人に致命傷を負わせるには

『ギリギリの読み合いを制しトドメに移った犬飼相手に、決死の抵抗をするが、あと一押しで負ける体勢』

 へと陥ってしまっていると、そう見せかけなくてはならない。ただ難しいのは、本当に追い詰められてしまうと、根来に対処
できないという点。『傍目からは本当に切羽詰っているようにしか見えないが、根来に対処する余力だけは温存している』と
いう状態をキープせねばならないのだ。だいたい犬飼に真正面から章印を狙われた場合、心臓に達しきる前に、つまりは
イオイソゴが『人間にとっての致命傷を、人間どもへ返せるようなる前に』、幼き忍びは死んでしまう。さしものレティクルエレ
メンツ重鎮といえど章印を無防備に貫かれれば死ぬのだ、即刻。言い換えれば犬飼、イオイソゴの心臓まで貫いてやる義務
はない。

(で、あるから……後ろから襲わせなければならん…………! 後ろからで”れいびいず”の爪を章印めがけ貫通されれば
『心臓へのだめぇじを奴らに返せるが』、『章印への到達じたいは防げる』。しかも背中から狙わせるのであれば『間近にい
る犬飼に、どうして吸息かまいたちなどの火力高き忍法で対処できない』という不審さを薄められる……! ほとんどの忍
法は──時よどみ含め──眼前の相手にこそ届けやすいもの、じゃからな……)

 もちろん犬飼を背後に置いた場合、正面で逃げ退る円山と共に山彦の視界内に収められない問題点もあるにはあるが、
そこは髪を動かせば解決だ。忍法念鬼もどき。背後からの奇襲を『いかにも咄嗟に』受け止めた風に装う髪で、犬飼を前に
やる。根来については、『イオイソゴが背後の犬飼に気を取られている状況なら』、奇襲はマイナスかけるマイナスがプラスに
なるような道理で、直近正面、虚空からの公算が高い。その奇襲と合わせるべきだろう、犬飼の、移動は。

(それ以外の方面からだったとしても、150めぇとる圏内の木や地面をぬけてきたのなら例の鳴子を人くい花の要領で変形
せしめ捕捉! 同距離の虚空または鳴子圏外であっても、鳴子の転用で、捕縛!!)

 いずれのケースでも磁性流体の触手で根来を犬飼もろとも円山と同一視界に収め山彦発動!

 方策じたいに抜かりはない。だがイオイソゴの心を不安に戦(そよ)がせるのは膚(はだえ)で炸(はじ)ける奇妙な感覚。

(……。やはり違和感が、ある。第六感への感応というより……極めて物理的な感触というか。それが証拠に……)

 ぴりぴりとした痺れは磁性流体化している部位にだけ、来る!

(磁力の乱れ……? いや、なんと言うか、もっと根源的な、電磁気力の反応というか……。強いて言うなら、そう、強力な、

『電波』

の密集地に行った時の感触……?)

 やはり何かがおかしくなりつつあるとイオイソゴは、思う。そもそも犬飼という、再殺部隊の中でも最弱の男を、銀成市で
津村斗貴子たち名だたる5人をほぼ完璧に封殺したイオイソゴが、一撃で葬れて居ないこの構図じたいが言ってしまえば
既におかしい。
 もちろん円山の追撃や根来への警戒といった諸々な要素を抱えている身で、足止めのため生存を放棄しているいわば
死兵の犬飼にうかと手を出せば、思わぬ抵抗にしてやられるかも知れぬと警戒し、無視を決め込む判断力じたいはあな
がちマズくもない。

(……じゃが、どこか、慎重になりすぎてはおらんか…………? 数多くの忍法を有するわしじゃぞ? 片手間で、隙を作ら
ぬ程度の、小さな奴をちまちまと重ねるだけで犬飼を落とせるのかも知れぬのに……なぜ、わしはそれをせぬ……? な
どと考えるのは焦れはじめているからか? それとも…………『何か』に誘導されている心を戻そうとする……作用…………?)

 頭を使って戦う忍びならではの不可思議な懊悩だ。

(一度、ある)

 何が、か? 心をありえからぬ方向へ誘導された経験だ。それも策謀ではなく、武装錬金特性で。

(音楽隊首魁・総角主税の嘗ての朋輩……。扇動者(あじてーたー)。はろあろ……いや、当時は外道うつほと名乗ってい
たか、ともかくも蒼然たる『矮躯』の少女。10年前そやつとわしは戦ったが…………その時の心理誘導が、ちょうど、今の
ような…………)

35 :
 ぴりっと、肩口の肌が、痺れた。冬場に静電気が走った程度の刺激だったが、イオイソゴの思慮はそこで止まる。

(…………)

 一瞬、きらびやかなドングリ眼からあらゆる光が消失したコトに犬飼は気付かない。音楽隊の鐶光より虚ろな、電源が
落ちたアンドロイドのような眼差しに、イオイソゴ=キシャクは刹那の百分率の間、確かに、陥った。

 再起動。

(あれこれ考えても仕方ない。ひひ。円山はもう眼前。犬飼を振り切り致命の一撃を繰り出した場合でも根来や来る!!
犬飼を振り切れなかったとしても、”かうんたぁ”を警戒しているであろう奴をば無理やり勝負に打って出させること可能!)

 余計な思慮は命取り……その考えもまた、正しい。決定に、他律の干渉が無いのであれば……だが。

(ま、一番いいのは犬飼を葬り円山に迫りといった、わし絶対有利の状況で根来がやむなく出てくる場合じゃが)

 数多くの戦士が蠢く新月村とその近辺。幻影じみた電波を感知できたのは、イオイソゴのほか──…

(なんにせよ、もうすぐ、森を、抜ける……!!)

 残り101メートル。

 此方彼方の戦速のみを主眼にこの追撃戦を論じるなら、イオイソゴはそれまでに決着すべきであろう。先ほど円山自身
も考えたコトだが、木星の幹部の速度とは、無数の枝を利した立体的、野猿的な加速に負う部分が大きい、それは事実。
しかも追うべき円山は、森を抜け、平地に出ると、機動性と回避率を大幅に上げる。上下左右を塞いでいた木々がなくなる
からだ。故にマニューバの自由度が飛躍的に上がる。耆著の乱射を、避けやすく、なる。

(つまりわしが追いつけなくなると、奴らが期すは当然よ。……ひひひ。ま、否定はせんよ、確かに追いつけなくなりはする。
…………『速度』では、な)

 愛らしいどんぐり眼を、萱(かや)で切った様に細めるイオイソゴの腹臓や、如何に。

.

..

(……結局、ボクは、”ついで”なんだろうな)

 49メートルの間くりひろげてきた攻防の感想だ。犬飼の頬が自嘲と怒りで暗くゆがむ。決して手を出してこないイオイソゴ
からつくづくと分かったのだ。『コイツは勝負の瞬間”ついで”でボクを殺しにかかる』。

 本命の根来を引きずりだした瞬間、”ついで”でサクリと葬れると確信しているから、どれだけ円山追撃を妨害され、神経
を逆撫でされても、不快感の1つさえ向けてこない。慈悲? 違う。最大の、侮辱だ。要するに木星の幹部は犬飼を、後で
かろく始末できるから、最後に帳尻が合わせられるから、今は捨て置いて支障なしと、その程度にしか見られていないのが
ありありと分かった。

(頚動脈を切断して、あれだけ策を、練ったのに……)

 戦略的に恐れているのは盟主の所在を握り集合地点めがけ高速飛翔する円山で、戦術的に恐れているのは銀成市で
因縁を作った奇襲とステルスの申し子たる根来。死力を尽くしている犬飼については円山と根来を始末するための、ていの
いい道具程度にしか見ていない。(厳密にいうと向こうは、自身の命運を賭けた一世一代の大芝居に組み込むほどに、犬飼
の死力を大いに評価し恐怖(おそ)れているが、しかし本質的には『ていのいい道具』だろう)

(章印への一撃だってきっと読んでる……だろうな。ボクが決死の思いで繰り出す一撃すら、こいつにとっては)

 根来を呼び出すための……エサ。

 犬飼の再生の道は、剛太から学んだ策謀だ。なのにそれは振るい始めた今日さっそく挫かれつつある。戦歴500年のブ厚い
壁に、また自分は粋がった傍からヘシ折られるのかと暗澹たる気分に陥り金切り声さえ上げたくなる。

36 :
 心底、いけ好かない幹部だ。なのに『老人』という共通項のせいか、時おりふとした瞬間に祖父を重ね合わせてしまうのが
犬飼はたまらなく不愉快だ。円山の形容を借りるなら『孫相手に景気よく打っている』。取った大駒を片手でぽゥんぽゥんと
お手玉しながら、将棋がまだまだだとからかうような、成長を楽しんでいるような、そんな目を老嬢が差し向けてくる瞬間いつ
も犬飼は不覚にも祖父との対局を思い出し、懐かしさに囚われてしまう。……というのが、忍びゆえの情報収集力を基底と
する来歴(じぶん)への攻撃(ゆさぶり)であったなら許しがたいとも青年は、思う。
 だから犬飼倫太郎はイオイソゴ=キシャクを……嫌悪する。

(けど……学ぶ!!)

 奮い立たせる言葉は皮肉にもイオイソゴの言葉。毒島からの又聞きの言葉。『わしの武装錬金は幹部中、最弱』。以前の
犬飼なら『これで最弱かよ』と歯軋りしただろうが……今は違う。剛太から知らず知らずラーニングした弱さゆえの思考力が、
いま1つの考えを呼ぶ。失血状態にある脳髄が、首を絞めた時のような爽やかさに彩られているのも大きかった。

(弱い武装錬金だからこそ、この幹部にだってボクのような時代は……有った筈だ! 慎重さとか老獪さとかは、ボクのよう
な時代にやらかし続けた失敗ゆえだろ。やらかしたから、怖くて、根が臆病で、だから下手に攻めるのを恐れている!)

 そして。弱い武装錬金ゆえにしくじりが多かったのであれば。

(どう扱えば勝てるか……考え抜いた筈!)

 学ぶとは真似ぶ。弱さゆえ思考に縋る犬飼は、弱さゆえ狡猾を極めたイオイソゴに……真似ぶ。

(変えるんだ。仕掛け方そのものを抜本的に! 参照するんだ大戦士長の首なげてボクらの上いったコイツの攻め口を!!
構造的に、根幹的に、前提を崩しボクらの策をダメにした木星の幹部のやり口を取り入れてやり返さなきゃどうにもならない!)

 犬飼は、伝統を持たない。一族代々の犬を使ったハンドラーのカリキュラムを、犬嫌いゆえ受けられなかった犬飼は、人々
が正道と崇める精錬の打ち筋を身に付けるコトなく成人してしまった。戦士の教育課程についてはどうだったかといえば、奇兵
と呼ばれている時点でお察しだ。一度、横道に逸れてしまった者は、天稟を持たぬ限りその我流は我意どまりになってしまう。

 だが! だからこそ! 忌むべき怪物の巣窟の重鎮から『カッ込む』という伝統破りを敢行できる!!
 それより派生する独自的な戦術戦略が、終戦後行われた戦団の戦没者追悼式典において真先に顕彰される犬飼倫太
郎の、『死ぬまでの時間』いかなる化学作用をもたらしていくかは後段に譲るとして。

(諦める訳にいくか! 手の内全部読まれているとしても……諦める訳に、いくか!!)

 祖父と、祖父に助けられた若い戦士が頭を過ぎるのは……遥か先、飛んで逃げている円山を見たからだ。

(お前は逃げろよ。生きろよ)

 やわらかな笑みの傍でまた散った碧血が粘っこくけぶる。

 イオイソゴと、円山の距離……41メートル。一時は29メートルというほぼほぼ扶寸の距離まで追いつかれた犬飼だったが、
死に物狂いの攻勢によってどうにか恐るべき忍びを12メートル後退せしめた。

 それでも気を抜けば総てが瓦解する状況に代わりはない。仮に円山を逃がしきったところで、頚動脈をみずから切断してしまった
犬飼は、イオイソゴを斃せても斃せなくても……死ぬ。

(だとしても……足掻き抜くさ)

 ここからの、二転三転する激闘を思えば、或いは最後の、静かな心機だったのかも知れない。激情(つなみ)の前の静謐でも
またあった。

(アイツですら、バケモノですら……)

 冷たくなる体と、霞む脳髄に浮かんだのは、なぜか最愛の祖父ではなく……嫌いで嫌いでしょうがない少年だった。

(バケモノですら……諦めなかったんだよ! アイツは確かに偽善をボクに押し付けた! 腹の立つ綺麗事もたくさん吐いた!
けどまだ……貫いてはいた、だろうが! 戦士でいるコトを許されなくなって……見下されて脅かされるようになったのに…
………レティクルの盟主や木星の幹部のような諦めた眼差しで害悪を振りまくようなコトだけはしなかった……だろうが!!)

37 :
 犬飼はヴィクターVを怨んでいる。肯定する気もさらさらない。だが憎むべき相手でさえ成しえたコトを成せず終わるのは
屈辱だ。

(アイツですら……地球を…………救ったんだ)

 だから。

『怪物にはならず、正々堂々と周囲を見返す』

という理念を貫かない限り犬飼は、救われてしまった命の措(お)きどころを到底この世に持てそうにない。ヴィクターVが英
雄じみた行動を取ってしまった今、彼に負わされた犬飼の汚名はもう、復讐という手段ですら挽回……できぬのだ。

38 :
 万一斃せたとしても周囲は決して、認めない。

(円山が……伝令が…………離脱するための、僅かな…………2秒とか、3秒とかの時間でも……稼げる、なら、そいつ
が……戦団全体の勝利に繋がるっていうんなら……きっと、アジトとか掴んだだけの功績よりデカいし…………尻尾巻いて
逃げ帰ってきただなんて陰口だって叩かせずに済むだろう、な……)

 頸動脈からの出血は、現代医学ではほとんど止めようがない。激昂で跳ね上がった心拍数のせいだろう、一颯の血しぶきが
買い立てのケチャップを全力で絞ったような勢いで出て行った。標準的なプリンの容器なら一瞬で満たせる量が、霞がかって
何の木か分からない樹木の根元をびしゃりと穢す。犬飼の暈(ぼ)けた目は他人事のようにそれを見た。

(フン)

39 :
 理想どおりの形だ、ヴィクターVめ、お前の助けなんか、まだるっこしい馴れ合いだったんだよ結局は……と毒づく犬飼。

 円山は、遠ざかっていく。

 それだけのため捨て石になるのを厭わぬ犬飼は気付けない。

 命がけで誰かの命を救うという点では、奇兵の誰よりも、そう、『一緒に戦え』と好意の微笑で誘った戦部よりもずっとずっと
……犬飼の方が、ヴィクターVに……武藤カズキに近づいてしまっている事実に……気付けない。

(馬鹿ね。犬飼ちゃん……)

40 :
 哀切の滲む自分に円山は少し驚いた。縮めた斗貴子をトリカゴで飼おうとしていた位には人心が佻(うす)い筈に、今は
犬飼の決死の足止めに胸が痛んでいる。妙な話であると自分でも思う。今夏のヴィクターV再殺において犬飼をちゃっかり
利用していたのは誰だという話だ。

 だのに心が揺らぐのは、彼が自分を救うため命を賭けているのもあるけれど、

──分かってるよ。後ろに、安全な場所に下がればいいんだろ。何てったって無事戻れば勲一等なんだ……!」

41 :
 盟主と会敵してしまうまえ犬飼が吐いた言葉のせい。

──「ボクを馬鹿にした連中をやっと見返せるって時に誰が下らない無茶なんか……!」

──「ヴィクターVの時の二の舞は避ける、直接戦闘など避けてやるさ……!」

 何事もなければ今度こそ評されたかも知れない青年が突き落とされてしまった死の運命に円山は嗟嘆する他ない。

(……根来。どこに居るのよ。また私を身代わりにしてもいいから……)

42 :
 犬飼を助け、イオイソゴを退ける奇襲を…………切なる願いは叶うか否か。

 そして、犬飼は。

「行くぞ!!!」

 イオイソゴの加速の気配よ挫けよとばかり怒号を上げる。

 続くレイビーズ2頭は決して無傷ではない。攻防の余波は確実に筐体へヒビを入れ、削り取り、溶かし、見るも無惨なあ
りさまを張り付けている。レイビーズCは顔の右半分からむき出した機械部分に線香花火のような火花を散らし、レイビー
ズDは左前足を根元から欠損。後ろ右脚も膝から下が辛うじて繋がっているという有り様。

 犬飼の騎(の)るBは各所の装甲の微妙な剥がれさえ覗けば比較的無傷だが、回避の酷使の代償だろう、四肢の各所か
ら黒煙が噴き始めている。精神が具現化した武装錬金としては奇妙な話だが、どこか貴公子然としたかぐわしさの第四石
油類をフレーバーとする『モーターの焼き焦げる臭い』さえ漂っている。オーバーヒートのせいか乗り組む犬飼の衣服は焦
げ臭く、首を直接触っている掌にいたっては先ほどベロンと皮がめくれた。

 イオイソゴの選択した忍法は吸息かまいたち。同時にルーチン・ワークのような閃光が万朶の枝の中を駆け巡り、緑色
の花束を降らす。ひゅるっ、ひゅるっ、ひゅるっ。木星の幹部が唇をすぼめるたびグロス単位の花束は蜃気楼の渦に巻き
込まれ弾け飛ぶ。理由、だった。射程距離50メートルの吸息かまいたちを有するイオイソゴが圏内に収めた円山をいまだ
撃墜できていない理由だった。彼らの通過するところ割れ砕けた枝が散らばり、淋漓(りんり)たる蛞蝓の赤黒い足跡が
壮絶に彩る。

 イオイソゴは狙ったのか、どうか。勢いづいた木片が円山に迫る。自動(オート)。ただならぬ眼光をぎらつかせ迎撃に
移るキラーレイビーズA。爪が、弾いた。

 円山の傍で遊撃を引き受けているAとて既に述べた通り下半身を自らパージしているし、爪にいたっては耆著を弾き
続けたせいで末期的な齲歯(うし)の如き様相を呈している。

 吸息かまいたち阻止後すぐ犬飼が章印狙いに移ったのは、円山との距離が遠いからだ。(相手が相手! 距離がある
うち勝負に出る!!)。肉薄しつつある軍用犬3頭をしかしイオイソゴは薄ら笑いを以って迎え撃つ。

「忍法鵜飼い。──」

 あっと犬飼が息を呑んだのもむべなるかな。激射。無数の漆黒の糸がイオイソゴの全身から円山めがけ一直線に伸び
すさった。糸はどうやら彼女の纏う黒ブレザーから発しているらしく、それが証拠に、糸が延伸するたび彼女の服は毛糸を
ほどかれたセーターのようにみるみると丈を短くしていく。長袖が瞬く間に半袖になり、子犬のようにふっくらと短い二の腕
を剥き出しにした。まだくびれさえない、なめらかな腹部は生八橋のような色合いでモチッとしており、へそときたら小指を
生地にちょっとだけめり込ませた程度の慎ましさだ。半裸……とまでは行かないが、ハの字に周縁されるみぞおちや、洗
濯板のように起伏するあばらは衣服の端々から糸をあたかもダイヤ・グラムの入り組み具合で発する少女の通常ありえ
からぬ構図的座標と相まって、一種艶かしい幻妖の怪奇図だ。

 ともかくも、黒糸。伸びすさったというがいまだ彼我の間には落下中の枝が充満している。なれば糸は阻まれ円山に届か
ないよう思えるがしかし違う、まったく違う! 糸の先端には鈎針があった! 鈎針はあちこちでトトトッと、枝の太さも問わ
ずお構いなしに突き刺さり、それこそまるで魚を釣り上げた時のように糸の撓みも露に跳ね上げる。同じ現象は周囲で次々
と起こりつつある。皮肉にも、吸息かまいたちを防ぐため犬飼が伐採した無数の枝が、イオイソゴの全身から伸びる無数の
黒糸に、メデューサの髪の咥えたバラの如く、轟ッと振り上げられつつある。

(円山に投げる……!? だが糸なら切断できる!!)

 さきの忍法念鬼もどきで得た学習要綱の赴くまま滑翔するCとD! だがその動きは俄かに止まる!

「待っておったよ。それを」
(なっ……!)

43 :
 後ろから、だった。2頭の軍用犬は後ろから、首と四肢の付け根に、鈎針を……打ち込まれていた。よほど勢い余ってい
たのだろう。糸がミシミシと張り詰め僅かに揺れている。恐るべき制止……? いいやたったそれだけではない! イオイ
ソゴの十指から伸びる黒色の、衣服ではなく肉体を磁性流体化した十本の忍法鵜飼いは、少女が両掌をひらひらと動か
した瞬間、ス、ス、スと、2つのキラーレイビーズの、右前足、左前足、そして口を双方まったく同時かつ順々に動かした。
 そのあいだ犬飼は犬笛を吹いていない! にも関わらず軍用犬が動くのは!
(操作している……! こいつがボクのレイビーズを……!
(忍法鵜飼い! 追撃しながら使えばむしろ足かせになるが!)
 1回の攻撃で使い捨てるならその隙に犬飼を抜き去り円山を追える! 操った軍用犬が犬飼をかみ殺せばそれでよし、
逆に犬飼がCとDを破壊したとしても、減る! いずれきたる『章印への一撃』の際の犬飼の手数が減る! されば山彦の
成功確率が上がる!

44 :
 果たして犬飼倫太郎は襲いくる2頭の軍用犬を前に、犬笛を咥える! 

(ひひっ! ヌシの命令とわしの操作を競合させ動きを鈍らせるつもりだろうが無駄なこと! 鵜飼いは外部から物理的に
強制的に動かすわざ! ”しぃ”と”だー”が命令を受け付けたとしても! それ以上の力で強引に! 叛(そむ)くよ!)

 果たして僅かな軋みと停止のあとギギィっと打ち震え犬飼へ飛び掛るCとD! めいめいの牙と爪を指呼の間に置いた
犬飼はしかし……笑う。

「それ以上の力なら、どうかな?」

 糸を切り、翻りかけていたイオイソゴの快笑が氷結したのは、突如として2頭の軍用犬が爆発したからだ。表層が抉られる
程度の生易しいものではない。真核から轟然と魔天の彼方へ消し飛ぶような閃光を胴体から迸らせたのも一瞬のコト、焦げて
バラバラになった軍用犬の頭や四肢をあちこちにばら撒く大海嘯のような紅蓮の焚焼が、酸素を貪婪に飲み干しながら更に
巨(おお)きく速くなってイオイソゴに殺到した。

45 :
(自爆……!? きらぁれいびぃずが……!?)
(ボクも初めて試したコトだが……うまくいった! どうやら踏まずに済んだらしいね! 奥多摩の二の舞は!)

 想定が『犬笛を奪われた時』である以上、一種の感応的な操作だろう。別個に見えて元は犬飼の精神たる軍用犬だから、
その程度の操作は受け付けると見える。

 果たして爆光に飲まれる木星の幹部。
 一方の犬飼は彼女を飛び越えている。爆発の刹那、乗騎たるBを跳躍させたのだ。着地し振り返るとそこには1mを4割
ほど超えた特大の篝火。眼鏡に彩られた面頬が期待と、幻滅への覚悟で複雑に波打ったのは大打撃を期しつつもそうは
ならないだろうという観望ゆえだ。

 炎が、消え始めた。従って燃焼の眩い光の散乱に包まれていた内部の影は見る間に濃さを増しやがてその実体をも
明らかにする。

(これは……)

46 :
 犬飼は判断を絶した。イオイソゴの現状にだ。現れたのは炭と焦げたドス黒い塊。人間ならばむろん焼死を確信して
当然の状態だがされど相手が人ならざるホムンクルス調整体であるという事実が青年の魂を凍らせる。ホムンクルスは
Rば散る。ならば炭焦げたりといえ地上に残存している相手の命は? 

「──。忍法、肉鞘」
(下策じゃない! 飛び掛るのは!!)

 炭の皮をばらばらと崩しながら飛び上がるイオイソゴ。五千百度の炎でもない限り大抵の攻撃を肩代わり可能な特殊な外
皮も蛻の殻に再誕するさまはさながらサナギより飛び立つ蝶の如く。だが円山への軌道は犬飼が塞ぐ。追撃の出鼻を挫く
という一念が初速を削ぎ、そして円山は遠ざかる。周囲で飛び散る枝は先ほどの鵜飼いのどさくさに投擲されたものであっ
たが、総てキラーレイビーズAに邀撃(ようげき)されたようだ。



 いずれも予期していたのだろう。イオイソゴはキラーレイビーズBの速射する爪や牙を全身ぐにゃぐにゃと歪ませながら、
時には背筋を後ろにそらしながら避けていく。抜き去る機会をなおも悠然と窺う焦りのない表情はしかし前触れもなく響い
た破裂音と共に歪む。

 もとより小柄なイオイソゴの背丈が突如として縮んだ。はつと回避を忘れ背後に首を捻じ曲げた少女の視界に飛び込む
は鈴なりに充満する風船爆弾。彼方の麗人は、思う。


(私からのサポートよ)
(……逃げながら撒きよったか!)

 考えてみれば当然の攻撃だ。円山は追われているが先行してもいる。ならば風船爆弾、機雷よろしくの敷設が可能! 

 盟主メルスティーン=ブレイドとの戦いを経て即死攻撃の様相を帯びたバブルケイジだ。いま身長150cm足らずのイオイソ
ゴを取り巻くのは20近くのツートンカラー。全弾着弾すれば難儀なる幹部は地上から……消える。

(…………こればかりは、分からん)

 無言のイオイソゴに破裂があたる。

(山彦で……返せるか、否か

 1発。2発……。空砲にも似た乾いた音が立て続けにけたたましく森を抜き去った次の瞬間、そこには木星の幹部の姿
含め何1つ落ちていなかった。

 勝利の安堵に緩みかけた犬飼の瞳が昂然と釣り上がり、彼は犬笛を音立てて吹いた。
 戦局は電瞬の転換を見せる。風船スーツに覆われた円山の頭部が露骨に揺れ動くその傍を、影もとろかし行きすぎた
キラーレイビーズAがそこから10mもない、一見なにもない地点に岩をも砕く剛力の爪撃を振りかざしたまさにその瞬間、
ぱっと現出した黒ブレザーの少女の胴が袈裟懸けに切り離された。

(……ひひっ。さすがに見抜くか)
(バブルケイジは服までは縮めない。当たった奴が服も残さず消えてたってコトは!)
(1cmか2cmか……とにかく捕らえ辛い身長にまで敢えて縮みつつ、服ごと磁性流体化の飛沫と化して私を追ってきたっ
てコト……!)

 だから円山はバブルケイジの特性を解除し……戻した。イオイソゴを、元の、身長に。

「ま、見抜けなかったとしても『生首』の観点から解除したじゃろう。いずれにせよ」

 斜めに立たれたゲル状の体をうじょうじょと接合しつつ、イオイソゴ。

「逆利用は基本と知れ」

 1mもない、枝、だった。それがイオイソゴの足元から俄かに現れ、円山めがけ轟然と飛び始める。

47 :
(隠し持っていた! 身長を吹き飛ばした枝を!)
(いつの間に……!)

 特性解除によって元の大きさに回帰した武器を老獪な少女は足で投げたのだ。キラーレイビーズに切り裂かれつつ。

 何度もいうが、複数構造の風船スーツであって、長く、尖った物であれば円山への着弾を許す。

(『いま割られる訳にはいかない』! Aを反転し切り裂く……!)

 のを許すイオイソゴではない。手元から迸った鉛色の残影が軍用犬に突き刺さり、爪も、牙も、全身も、どろりと溶かす。

(だったら!!)

 犬飼の念に呼応し発生した爆散の圧力が枝を横に流し、円山から逸れて落ちた。キラーレイビーズAが自爆したのだ。

(この場のレイビーズは残り1頭! けど!)

 

 円山の行く手が急激に広がった。木々が途絶したのだ。

(森を……抜ける!!)

 飛翔の本領が発揮できる遮蔽物なき空間へ円山はついに差し掛かった。ここから目指すべき合流地点はわずか200
メートル、残り少ない精神力でも惜しみなく注ぎこめば30秒足らずで削りきれる距離だ。そう。『何事もなければ』円山は
この恐るべき追撃の魔境からあと30秒足らずで降りられるのだ。

(あとは加速して、縦横無尽に耆著を避けながら合流地点へ──…)

 大戦士長坂口照星救出作戦序盤の、終局への急湍(きゅうたん)をもたらしたのは円山円全力の加速ではなかった。
彼の直下で鳴り響いた、ぷつりという、ささやかな音の二連撃だった。

 たったそれだけなのに、彼はその場にぴたりと止まる。奇妙な光景だったが、彼は地面から浮いたまま、その場に
止まったのだ。吊り下げられている道化のおもちゃのようだった。

「忍法、百夜(ももよ)ぐるま。──」

 なんたる幻妖の怪奇図! 円山の影を、耆著が、縫いとめている!

 犬飼とその武装錬金との攻防の最中、円山を狙って撃たれたとしか見えぬ耆著が幾つかあった。それらは軍用犬によっ
て弾かれたり、あるいは軌道を逸らされたりしたが、中に混じって影狙いの本命があったとみえそれは見事に円山の動きを
封じたのだ。

「ひひっ。森を抜けるのを待っておったのはヌシらだけではなかったという訳じゃ。我が百夜ぐるまは明確なる影のない空間
では皆目無力のわざ……。暗鬱たる森の中では円山の影は枝のそれと溶けあっておったがゆえ控えざるを得なかったが」

 今は違う、円山の静止を見届けたイオイソゴは呵呵大笑の追加射撃を耆著で行いながら大股でグングンと距離を詰める。
彼女が追撃戦に対し『合流地点に近い方から潰す』なる縛りを自ら課しているとまでは流石に知らぬ犬飼だが、原則を徹底
するが故の恐ろしさはつくづくと感じ肺肝を摧(くだ)かれる思いさえ催した。されどそれも一瞬、原則きわむるは彼も然り。
足止めを全うするとばかり青年キッと表情けわだたせ、再びイオイソゴの前方へ躍り出て耆著を弾く。

「無駄よ無駄無駄! 残り1頭のれいびぃずに何が出来る!!」

 急霰の如き耆著の群れの7〜8割まではどうにか弾いたレイビーズBであるがその爪もまた爆ぜ割れる。「第二射……」
犬飼もろとも円山を仕留めんと、どんぐりを掴み取ったように五指の間に耆著を満ちに満ちさせ投擲姿勢に移りかける
イオイソゴ。

 どうっと、つんのめった。

48 :
 黒ブレザーの少女の幽玄に透き通る愛らしい顎が空を薙ぎ、朱の混じった唾液の線を引かれたのは、背面に何かが
激突したからだ。激突の衝撃は左肩甲骨を覆う表層部(みなも)を漆黒の王冠型にびしゃりと跳ねさせただけでは飽き足ら
ず、何かを掘り当てるように連撃する感触が、少女の細い背中でばしゃばしゃと暴れ狂い出した。

 犬が、居た。ヒビだらけで、あちこちで気息奄々の観の強いセレスティアルブルーの稲妻を瞬かせる軍用犬の武装錬金が
イオイソゴを、背後から、章印めがけ、貫いて……いた。

 はてな。キラーレイビーズらしいがしかし出所はどこなのか? Aは先ほど自爆した。CとDもまた先ほど自爆した。残る
のはBだが犬飼の跨るそれはイオイソゴの眼前にある。そして彼の所持する核鉄は2つ。レイビーズは1つの核鉄につき
2頭。計算が合わないように思えるがしかし違う、合うのだ!

(ミキシングビルド! バラバラに吹き飛んだCとDを1体の軍用犬として……発動、しなおした!!)

 そもそも源流をたぐれば1個の核鉄から分化していたのがレイビーズだ。先だっての自爆でほぼ大破状態に陥ったのは
もちろん事実であるが、2体それぞれの残存率が20%前後あったとすれば、それは1頭に再発動(ミキシングビルド)しな
おせば平生のCまたはDの、1頭分の40%ほどの状態で再び使えるというのはあながち荒唐無稽な話でもない。

 ちろりと背後を窺ったイオイソゴは、思う。

(……少し、小さくなっておらんか…………? 大破したのを繋ぎ合わせたせいか?)

  ドーベルマンよりやや大きめだった軍用犬が、ちょっと大きめのラブラドールぐらいにまで縮小している事実を木星の幹
部は疑ってかかる。
 ともかく犬飼はそれを、自爆の勢いで飛び込んだ枝の中で密かに再生しなおし……待機、させていた! イオイソゴがい
よいよ自分にトドメを刺しにくるとき背後から狙い打てる伏兵になるよう、秘密裏に移動させ……忍ばせて、いた!!

 決死の奇策!! だが!

(……ひひっ! ようやく狙ってくれおった!!)

 読んでいた! イオイソゴ=キシャクは読んでいた!! その上で敢えて背中を攻撃させているのはむろん忍法山彦発
動の為! 背後から章印を狙う都合上、犬飼の攻撃はイオイソゴの心臓を貫通(けいゆ)しなければならない! だが心臓
を破壊したその瞬間、イオイソゴは視界内総ての敵にダメージを返す忍法山彦を行使する! 

 そのためには根来が現空間を現空間に渡らせなくてはならない!

(じゃが足りんなあ犬飼よ!! わしの背中から章印に到る一帯を、磁性流体化しておる我が耆著を貴様は軍用犬の爪
牙にて排除し一撃を通すつもりじゃろうし寧ろそれは望むところではあるが……しかし易々とはやらせんよ!!

 何故ならば相手は……犬飼!! 仮にも戦歴500年を誇る『レティクルエレメンツの重鎮』が、現状ただ今こそ決死とは
いえ少し前の再殺騒ぎでは真先にリタイアした青年にである、あっけなく、簡単に、耆著を弾き飛ばされ章印の前菜たる心
臓を貫かれてみよ。不自然ではないか。イオイソゴが最大の仮想敵とする根来に気付かれてしまうではないか。こいつは山
彦のためわざと貫かせている……と。

 だからギリギリの鬩ぎ合いを演じなくてはならない。

 トドメには至らぬ犬飼なれど隙ぐらいは作れたと、いま仕掛ければ斃せるかも知れないと、どこかに必ず潜んでいるであ
ろう根来に思わせて、引きずり出し、レイビーズが心臓だけを貫ける程度に髪の力を緩め……山彦を、かける。円山と犬
飼と根来を一気に覆滅するにはそれしかない。本当は犬飼に心臓を貫かせたくて仕方ないが、それさえも惜しんでいると
いう、そういった工夫(しばい)を、全力で演じなければ……ならないのだ。

(嗅覚による耆著排除を目論まれた場合わしが取るべき最も自然な行動はそれの阻止!! 弾かれそうな耆著を磁力
操作で元の場所へ戻すのが1つ!)

 みるみると長さを増し軍用犬を絡め取った髪が、1つ。四肢や胴体を縛り、それ自身生命あるものの如くキラーレイビー
ズCDをぶるぶると剥がしにかかるのはイオイソゴならではの……『この場合とるべき普通の行動』!

 ああ! 唸りを上げていた軍用犬の進行が俄かに緩む! 章印をのみ貫くべき推進力は今、逆立つ無数の髪との押し
合い圧(へ)し合いの不毛な震えに冗費されゆく! 急速に生育した枝に押し留められたようだった。

49 :
(根来ほどの男は斯様なものを演じて初めて釣れる!! じゃから、ひひ! 気張れよ犬飼!! わしの抵抗を上回る、
ぱわーと! すぴぃどと!! とりっくを!!! 気張って気張って……捻出せい!)
(耆著の位置じたいは……嗅覚で掴めている)

 問題はその排除だと犬飼は汗ばむ。ただ痛打するだけで除去できるものでないコトは銀成におけるイオイソゴの戦いから
明らかだ。何しろ戦士中トップクラスの高速機動を誇る斗貴子も、逆胴であれば侍を大小ごと胴どめに両断できる秋水も、
耆著を排除するコトはできなかった。もちろん彼らは排除すべき武装錬金の位置までは知らなかったが、それでも全身を
とろかしている物品が、ちょっとした衝撃で外れるほど脆いものであったなら、4本の処刑鎌による全方位攻撃や、身体の
躯幹内部をなみなみと辷(すべ)る肉厚の日本刀といった『線』の威力の爆発に1つぐらい事故的に、飛ばされていたろう。

 或いは斗貴子以上の速度と秋水以上の攻撃力を兼備した一撃であれば……とは犬飼が戦闘突入前かんがえたコトだが
しかし少なくても探索専門のレイビーズでは原則的に不可能だ。それが証拠に──…

(ミキシングビルド……! CとD、2頭ものレイビーズを融合させた『CD』というべき今のレイビーズは……単純に考えれば
速度も攻撃力も平常時の2倍の筈……!)

 ああなのに! それだけのスペックを以ってしてなお除去できぬ耆著!
 イオイソゴが動かす傍から微細な匂いの違いから即座に位置を把握するという神業を犬飼は演じているのに……悲しい
かな探索型の限度!! パワーとスピードが足りない!!

(とっくにセーフティーを解除して狂犬病モードにしているのに……!)

 倍加して限界を超距したフルバーストの出力を以ってしてなお、イオイソゴの『取るべき、最低の防御反応』さえ突破でき
ていない! 章印を貫くどころか前段階の耆著排除すらこなせていない! どころか軍用犬の爪の先端すらイオイソゴの
表皮から遠ざけられていく始末……。

(やはり差がありすぎる……! ボクなんかでは幹部に、マレフィックに、到底太刀打ちできる道理が……なかった……!)

 幾度となく味わった挫折感がぶり返し、いつものように口の奥から全身を寒々と潤していくのを犬飼は感じた。

(けど──…)

──「見下され続けてきた腹いせに戦団を裏切り人喰いをやるなど……」

──「忌々しいヴィクターV武藤カズキでさえしなかったコトだ……!!」

──「そうだろ!! ボクらがさんざ追い立て殺さんとしたアイツですら恨むどころかこの地球(ほし)守って今は月だ!!」

──「だのに見逃されたボクが……円山のいうような逆恨みでアイツ以下の怪物に成り下がるなど…………」

──「嫌だね絶対! 誰がするか!!」


──「ならばそれが問いの答えだ」

 無表情で目を閉じ酒を飲む戦部の姿が、憧れてやまない強者の佇まいが──…

 萎えそうな全身に力を戻す。

(ボクはッ!! お前だって助けたいんだ!!!)

 軍用犬に何十発目かの攻撃を受けたイオイソゴの背中が明確な変化を遂げたのは決して彼女の罠でもなければ手抜き
でもない。だが……キラーレイビーズそのもののパワーアップかといえばそれも違う。確かに武装錬金が、使い手の意思の
変質によって姿を変える事例はある。だがそれは、例えば黒い核鉄によって肉体が人ならざる存在に変質するとか、その
血統を受け継ぐ黝髪(ゆうはつ)の青年が、忌むべき月の怪人の力をも理念のため使うと大英断するとか、とにかく劇的で
巨大な変革を経て初めて発露する希少きわめる現象だ。

 落ちこぼれで、奇兵の、犬飼が……ここまで卑屈ゆえに努力を怠ってきた日月の方が大きい、見渡せばどこにでも居そう
な青年が、土壇場で、ちょっと歯を食い縛って意気を軒昂させただけで転がり込んでくるほど『力』というものは甘くない、それ
は事実、厳然たる事実。

50 :
 されど!!

 扉さえ開けば、意固地さえ捨てれば呆気なく借りられるのもまた『力』!!!

 犬飼倫太郎にとっての戦部厳至は昨日まではあくまでただの同輩だった。たまたま同じチームになっただけの男だった。
だが今は……違う。『ならばそれが問いの答えだ』、強者の気まぐれながら偶然ながら犬飼の琴線に触れる肯定をした男
だ。決して犬飼に優しい言葉をかけた訳ではない。自分勝手ですらある美意識の赴くまま答えただけかも知れない。

(それでもだ)

 心を整理するきっかけを与えたのは事実だ。同輩から侮られるコトの方が多かった犬飼に、『それでもお前が戦士を続けて
いる答えは、お前の言葉の中にある』と、高所からながら普通に答えた。結局犬飼は、ただそれだけのコトが……嬉しかった
のだ。普通の人間なら普通の会話の中で普通に得られる程度の、ささやかな肯定が……染み渡るほど嬉しかったのだ。

(だのに見殺しになんか……出来るか!! ああ分かってるさ! 好きで盟主の下に残ったホムンクルス撃破数1位の戦部を、
落ちこぼれで、ヴィクターVに真先にやられたボクなんかが助けようなんてのが思い上がりってのは、分かってる!!)

 それでも犬飼が足止めを完遂できたなら、円山が盟主の所在を戦団全体に伝えられたら、あの魔人というべきメルスティーン
とただ1人相対するコトを選んだ戦部の生存確率は格段に跳ね上がる。敵が手に余るほど強ければ全力を出しつくしたすえ
嬉々として殺されそうで危なかっしいあの戦闘狂を、すんでのところで救えるかも知れないと、いまだ彼の敗北を知らぬ犬飼は、
思う。

(だから!!)

 戦部(ひと)の命を、救う。

 犬飼はそのためにもう形振り構っていられない。自分が、犬嫌いという、今にして思えば笑ってしまうほど小さなつまずきで、
どんどんどんどんボタンを掛け違ってしまい、真当な努力を放棄する惰気の青春に自ら籠もり自ら可能性の成長を閉ざして
しまったゆえのツケが、この土壇場で、耆著排除という自分にしか果たせぬ名案を画餅にしかできぬ実力不足という形で
突きつけられている事実を彼は、認めた。かつてならしなかった行為だ。本当は別に欲しくもなかった栄誉や、勲章を、周
囲に植えつけられた劣等感を払拭するためだけに求めていた犬飼なら、努力不足のツケが出現したとき、まったくただただ
取り繕うためだけ『ただ独り』、碌に掘りもしなかった井戸から水滴を集めるような焦慮まみれの悪あがきをやり、失敗し、
弁明に弁明を重ねていただろう。

 そういう下地があるから、今はまだ『新たな力への覚醒』はない。

 だが。

 扉さえ開けば、意固地さえ捨てれば呆気なく借りられるのもまた『力』。

 戦部の、そして円山の力を救うため我執を捨てた犬飼の、世界に及ぼし始めた影響は。

 一抹の泡となって顕現し、イオイソゴ=キシャクの肩口で小さく爆ぜる。

(や?)

 レイビーズの攻撃とは明らかに異なる衝撃に木星の幹部が眉を顰めた瞬間!!

 炸裂は全身に回り幾つかの耆著をも……弾き飛ばした!!!

(よもや)

 頬を波打たせる黒ブレザーの少女は我が身のコトをスっと見渡す。あぶく、だった。磁性流体化によってゲル状となり、
一切の打撃斬撃を受け付けぬはずの肢体の各所、内部から炸(はじ)けて飛んでいくさまは丁度、小さなドーム状のガス
を浮き立たせる古沼だった。

「認めるよ……」

 犬飼は我が身への攻撃を警戒しているのだろう。失血によってもはや黄土色と水色を混ぜたような壮絶な色彩の面頬
の中で、眼鏡の奥を爛々と輝かせながらイオイソゴを……見据える。

51 :
「ボクのレイビーズに、お前の耆著を排除する力はない……。速度も。だから幾ら攻撃を続けてもお前は……斃せない。
あのままやっていたらいずれ……自ら頚動脈を切断したボクが……先に死に……レイビーズ解除……。足止めから
逃れたお前が円山にトドメを刺し……根来をも迎撃…………だった、だろう」

「それでも」

「1つだけ……ある。お前の防備を突破する手段が1つだけ……ボクには……いや、ボク達には……ある!!!」

 イオイソゴの背中で連続して爆発したあぶくが、振り将棋のように耆著を飛ばす、幾つも。幾つも。同時に衝撃は髪をも
断ち切る。軍用犬が前方へ滑翔し、その爪を遂に『磁性流体化解除済みの、イオイソゴの背中』に突き立ち血を飛ばした
のはひとえに髪の束縛が緩んだせいだ。

 明らかに悪くなった状況。だがイオイソゴの顔に走った緊張は、予想外というより、『想定した勝負の瞬間にいよいよ近づ
いたから心機を引き締めた』というニュアンスが強い。

「なるほど。『委ねる』という訳か」
 そうだ。犬飼は細い息をまとめ、叫ぶ。
「バブルケイジアナザータイプ!! 際限なく増殖する円山の武装錬金なら! お前が幾ら耆著を動かそうがレイビーズを
髪で阻もうが!! それとは無関係に!! 超高速で殖(ふ)え続け、零距離爆破で苛み続ける!!!」

 背後から急襲した時、レイビーズCDの掌中には野球ボールよりやや大きめのバブルケイジがあった。それは背中からの
一撃によってイオイソゴの体内に埋め込まれた。

「能力が裏目に出たな木星の幹部! 普通の肉体の持ち主だったら表層で爆ぜて終わりだった! しかしお前なら別だ!!
全身を不定形な、ゲル状の! 磁性流体と化しているお前なら……レイビーズ程度の一撃でも埋め込める!! バブルケ
イジアナザータイプを……埋め込める!!」
(……発動までに時間差があったのは恐らく『身長の方の特性』からの切り替えを了するにしばしの刻を要したから……
じゃろうな。つまり…………)

 老嬢が涼しい顔でいられるのは……恐ろしい話だが『ここまでは』想定済みだったからだ。いやここまでどころか、この
次の事象さえ彼女は予見していた。

 刀錐を差し込んだようなきりりという激痛が、体内を突き進む。僧坊筋を貫通した虫食いだらけの犬の爪はとうとう深層の
大菱形筋さえ鈍く裂く。肩甲骨の内側縁3cmほど予想より早く割られ、第3〜5肋骨さえも爪と「ジャリッ」と破壊寸前の接触
を奏でたのは、軍用犬の太刀行きが、それまでまったく振り切れなかった筈のイオイソゴの髪の抵抗を、突如として快速で
上回り始めたせいだ。その速度上昇の幅は、バブルケイジアナザータイプ爆裂の余波たる髪の寸断を差し引いて尚ありえ
からぬものであった。

 要するに突如として体内で爪が進み始めている!! だが、おお、見よ! イオイソゴの背後で忍法念鬼もどきなる奇怪
なる髪に絡め取られる軍用犬を! 動いていないのだ! 腕そのものは動いていない!! 貫通の動きは、先の寸断を
埋めるべく伸びてきた新たなる髪の蔦にて鉗制(けんせい)され、関節部ときたらまるで膠で固められたよう寸毫も動いてい
ないのに、しかし体内に埋没した爪だけは章印めがけ……伸びている!! 

(その理由は……いやそれよりも! ……来い、根来……!!)

 予期ゆえに、決然とするオイソゴの観念的な輪郭が二重三重にブレて散らばったのは心臓部に激痛が走ったからだ。

(じゃからこそ、ここから……)

 何事かの『こういうとき、行うべき何らかの行為(しばい)』に移りかけたイオイソゴであったが、

「……お前が、カウンターを狙っているのは…………分かっている」

 思わぬ指摘(こえ)に動きが軽く固まる。

 いよいよ顔面が黄土色になっている犬飼は、急速に早まり始めた息を食い破るよう囁く。

「特性合一、だったか。盟主がカウンターを持っている以上……狡猾なお前がそれに倣わない筈がない……。敵を誘い込
んでそれを討つ、卑劣の見本市のような技なんだ……。お前は真似る。或いは盟主がお前を真似た……」

52 :
 爪はいよいよ爆発的に伸びる。イオイソゴの想定を遥かに上回る速度で伸びる。あたかも犬飼が、カウンターの発動より
速く仕留めるとばかり操作しているよう……伸びる。

 イオイソゴは、思う。

(……。先ほど見た軍用犬……混ざって再発動した”すぃーだー”が小さく見えたのは破損ゆえではない!)

 物体を小さく見せるトリックが、ある。小さくする特性が、ある。身長を15cm縮める風船爆弾だ。犬飼は融合したレイビー
ズにバブルケイジを当てていた!! タイミングは、イオイソゴに利用され解除したあと! 数は2発、僅か2発!! 
 だが! イオイソゴの体内に爪を突き刺した状態で特性を解除した場合! 爪は! 元の長さに! 戻る!! さすがに
30cmそのまま伸びる訳ではないが、元の身長と、そこから30引いた数字の比率分程度は……伸びる!! 

 だがイオイソゴが慄くはそのトリックゆえではない! そこまでは、それじたいは

(あなざーたいぷに切り替えると『身長の吹き飛ばし』の方が自動で解除されてしまう”ばぶるけいじ”の欠陥を逆利用して
くるであろうと)

 読んでいた戦歴五百年! 想到のうちにあったケースではあるからバブルケイジの小細工そのものに震撼する必要は無い!!

 彼女が、恐怖したのは!!

(カウンターを読んでなお突っ込んできた犬飼の、精神性の成長というべき勇気こそが……恐ろしい!!)

 だが犬飼本体への攻撃に移りかけたのは決して恐怖ゆえではない。『犬飼が、身の丈に合った最善手を尽くしに尽くし』、
それがゆえ自分が追い込まれる状況はむしろ望むところだし覚悟の上なイオイソゴだ。心臓はいよいよ3分の1ほどが
貫かれている。完全破壊でこそないがそれでも人間が負えばまず絶望的な傷だから、今のタイミングでも山彦発動は、
犬飼と、円山にとって致命の一撃たりうる。が、木星の幹部は根来をも釣り込みたい。照星の生首を接合しうると指摘
された奴ばらの忍法『壊れ甕』が果たして深奥の、心臓の傷をも修復しうるものか否か不明じゃが、とにかくきゃつほどの
男じゃ、山彦で転写すべきは心臓の完全破壊にかぎる……とそう幼い老婆は破壊されつつある胸中わらう。

 だからこそ、根来を呼ぶためには自分が予想外の犬飼の奮闘に追い込まれていると見せかける。
 自動人形型の武装錬金を使う者を斃すには、創造者本体を狙うのが手っ取り早い。軍用犬に心臓ごと章印を狙われて
いる状況下で、無力な、既に頚動脈を自切している犬飼を狙わぬなど不自然すぎるだろう。CDの奇襲や、バブルケイジ
アナザータイプの登場、身長吹き飛ばし解除による爪の延長といった数々の意外事にハっとしてみせてこそ当然に見える
先ほどまでとは違うのだ。

 ようやく我を取り戻して反撃に……といった芝居に移るイオイソゴに、犬飼最後の攻撃が……刺さる。

「ボクが頚動脈を切ったのは、背水の陣で力を引き出すためじゃない」

 策を一挙に叩きつける犬飼のスタイルと、戦略構想を根底から覆すイオイソゴのやり口は、追撃戦最後の最後で最悪の
溶融をして放たれた。

「落とし前だ。救出すべき大戦士長の首が、お前なんかに刎ねられてしまったコトへの落とし前にすぎないんだよ」
(っ!! こやつ……!!!)
 イオイソゴは察した。
 ここまで何度も首を捻った犬飼の、異様な死兵ぶりの原因が他ならぬ自分にあったと。

 異常な話ではある。だが……考えてみればまったく彼の言うとおりではないか。

 犬飼はたとえ無事に逃げのびたとしても、先はない。少なくても組織人としては、戦士とはしてはもう、断絶だ。
 アジトを突き止めた功を評されるというのは、あくまで照星が無事だった場合だ。だが彼はイオイソゴによって斬首された。
しかも犬飼はアジトを突き止めるのに手間取ってもいた。そのモタツキが照星殺害に繋がったのではないかと糾弾されるは
必定だ。大きな失態があったとき、一番わかりやすいポカをしていた者に責任がなすりつけられるのが、組織、なのだ。

 犬飼は、それが分かっていたから……自ら頚動脈を切った。

 つまり順番は逆であった!! 彼が頚動脈を切断した時、イオイソゴはそれが自分に鳩尾無銘の味を思い出させ動き
を止めるための策謀だと思っていたが! ああなんというコトだろう!! 逆だった!!

53 :
「ついで……だったんだよ。せっかく落とし前で頚動脈を斬るんだ、なにかの策に役立てなきゃ……損だろ?」

 狂気を帯びた、しかし楽しげな犬飼の笑いにイオイソゴは言葉を失くす。

(こ、このわしへの嘲弄が……ついでじゃと……!!)

 数々の策謀を見抜いてきたイオイソゴですら想像を絶する動機だ! いやそもそも誰が予想できよう! 落とし前という
がこれは落とし前の範疇を越えている! 思うにこれは落ちこぼれとして蔑みを受け続けてきた人間がゆえの暗い爆発力
ではないだろうか。狂犬病の名を冠し、オンオフまでは可能なれどひとたび放たれれば狂的に暴れるほかない彼の武装錬
金の精神具現ぶりとも合致する。そもそもこの夏、奥多摩でヴィクターVに見逃され、死に時を逸し生き恥を晒してしまった
鬱積こそ、そこから、ここまでの動機だから、『追跡にもたついたが故の、救助対象たる坂口照星の死亡』という組織人とし
ては致命的な現象に、彼はあっさりと──ヴィクターVへのあてつけもかねて──頚動脈を、斬った。

54 :
 その、あくまでついでに、血を浴びせ、愛しい愛しい鳩尾無銘との因縁を刺激したのであればイオイソゴは憤激する他な
い。柄にもないが、『無銘との絆は、ごく普通の人間のように大事に、思っているから』、冒涜されれば……滾る。

(きゃつ、許してはおけぬ!!)

 戦歴500年ゆえのプライドを揺るがされた怒りは確かにある。あるが同時に(見事!)という感嘆も沸き……木星の幹部
は遂に犬飼本体への攻撃に移る! 掌の上で踊らされていた屈辱を晴らすためRという色合いはあれどごく僅か、むしろ
斯様なる精神性で戦ってきた男なればこそ全力の芝居の打ち甲斐があると凄絶に笑い、急霰の耆著を連射する。

 ……。

55 :
 普通に考えれば。

 犬飼の取るべき最善手は、『レイビーズBの突撃』だろう。耆著を弾きつつ、イオイソゴに突貫するのだ。バブルケイジ
アナザータイプはいまだボコボコと彼女の体の中で炸裂し、耆著を体内から排莢している。もちろんただそれを許し続け
れば、やがては普通の肉体で体内爆破を浴び続ける破目に陥るイオイソゴだから、微細な磁力操作によって吹き飛んだ
耆著を再び体内に埋没させてはいる。排莢。まったくそれだ。拳銃のそれを再生しては巻き戻すような光景が、イオイソゴ
の周囲でひっきりなしに起こっている。舟形の鉄片が、くるくると遠ざかっては、ある一点でピタリと止まり、遠ざかる時の
動きの逆回しで黒ブレザーの少女へ戻っていく……。異常極まるこの光景はしかし、瞬間的にはどこかしこが磁性流体化
を解除し……つまりはボロボロのキラーレイビーズでもダメージを与えうる状態にまで低下しているという証拠でもあるから、

(うまくいけば正面から章印を貫ける……!! それが無理でもCDのアシストにはなる……!!)

56 :
 どうせ何もしなくてもイオイソゴの芝居(こうげき)を浴びる犬飼だ、ならば逆転の可能性に賭け、耆著を弾きつつの突貫
を敢行するのは決して悪手ではない。

(……)

 一瞬、なにかを考えたのは、次の言葉をまとめるためか、否か。

(正面から行く以上、例の鈎針や足刀、吸息かまいたちを浴びる危険もあるけど……)

 ”自分がそれらを引き受ける方が、根来の奇襲が通りやすくなるのではないか”という、まったく自身の生存を度外視した
結論が、Bへの突撃命令を決定的に後押しした。果たして軍用犬は指示通り地を蹴り……イオイソゴへ飛び掛る。

 だが、彼女は。

(ひひっ。悪いが耆著の乱射は”ぶらふ”! 貴様を必倒せしめる罠は既に張ってある!!)

57 :
 イオイオゴの手前わずか10cmである。ワイヤートラップが仕掛けられていたのは。もちろんトラップというぐらいだから、
当然犬飼の目には映らない。何故なら細い髪の毛”そのもの”で構成された代物だからだ。ぴぃんと水平に張られたその
毛は、地上からちょうど10cm置きに50本配置されている。つまり高さちょうど5mだから、レイビーズでこれを飛び越え
るのは至難の業、普通に突撃すれば犬飼は軍用犬ごと細切れになるだろう。

(これぞ忍法・風閂(かざかんぬき)! 風摩の刑四めの専売特許と思われがちじゃがしかし伊賀にもこの忍法や、ある!)

『根来七天狗』の1人さえ胴ごめに斬り飛ばしたというから威力は折り紙つきだ。

 それをイオイソゴは、張った。もし犬飼が、バブルケイジアナザータイプにびしゃびしゃと吹き飛ばされているイオイソゴを
よく観察していれば、髪の辺りから飛んだ飛沫が、付近の木に降りかかったまま肉体に戻らぬさまを目撃できていただろう。
 髪は、そこから伸びた。先ほどのさまざまな問答の最中、50本もの髪が、ツツーっと、木から木へと水平に伸びたのだ。

(来い! 突撃せよ犬飼!! されば根来は貴様を助けに現れる! 何しろ根来僧を斬り飛ばした忍法じゃからな!! 
根来めが気付かぬ道理がない!! 来るのじゃ犬飼! 奴の撒き餌になればよし、死んでも……よし!!)

 犬飼はイオイソゴとの距離を詰めていく。6m……4m……。

 ぴしぴしと耆著を迎撃しつつ、時には吸息かまいたちを回避しつつ彼は遂に1mの圏内へ辿り着く。

 犬飼は、決してイオイソゴほど賢くはない。だから風閂の存在は、意識が闇に沈んでなお気付けなかった。
 手練れた戦士であれば、接近中、咄嗟の判断で突撃を中止するというコトは、ままある。敵(イオイソゴ)の表情の僅か
な変化などから、罠を察し、まさに『間一髪』で方針を変えるのは、よくあるコトだ。

 だが犬飼はそれすらない。『突撃』という方針を……変えなかった。変えられなかった。それこそが最大の最善手だと信じ
て疑っていたため……変えられなかった。

 彼の体はもう風閂の手前30cmにある! レイビーズの速度を考えれば急停止したとしても手遅れの距離!!

(だが咄嗟の機転とやらで回避されてもつまらん! 風閂……前進!!)

 ああ! ここで『殺(と)った!』と確信し油断するイオイソゴであったなら犬飼倫太郎はどれほど楽であったか!! 幻妖
も幻妖、ふわふわと前進浮揚する風閂! 木にびちゃりとついた飛沫が耆著に戻りそうしているのだと説明されても千怪
万怪の感はいなめない! 

 だが犬飼の方針は変わらない! 突撃! やんぬるかな! キラーレイビーズBの突撃は変わらない! 果たしてその
筐体に風閂が接触し!!

 戛然!!

 破片が散り血しぶきが舞う中、瞳孔を見開いたのは──…

 イオイソゴ!!!

(なっ……!!!?)

 彼女が言葉を失ったのは根来が来援したから……ではない!!

 必断必斬の風閂! それに接触してなお突撃を試みたキラーレイビーズBが健在なるまま視界の中で、恐るべき戦略
行動に移っていたからだ!!

 Bは!! 突撃していた!!

 上方へと、突撃していた!!!

(か、風閂に気付き……飛び越え……いや違う!! 上! ひたすら上を!! 目指して……いる!!?)

 イオイソゴを無視し、あくまで垂直に飛んでいく軍用犬の不可解さにイオイソゴは激しく動揺する。しながらも背後のCDを
押し留めているのは流石レティクルエレメンツの重鎮というべきか。

58 :
(まさか!!!)

 はたと気付いたころにはもう遅い。血まみれの犬飼の拳が──…

 章印めがけ、飛んできている。

 言語に絶する位置の変転だ。軍用犬の上に乗っていたはずの彼がなぜ降りてきているのか。そして10cm前を風閂で
守られている筈のイオイソゴから、わずか5cmという扶寸の距離に犬飼の拳があるのはどうしてか。

 上記の事柄を彼女はまったく忘却した! 思考の一点は万朶の枝を掻き分け昇って行くキラーレイビーズBに集中した!

(ま、まずい!! あれは……まずいぞ!!!)

 何がいかなる戦略的破綻をもたらすか察知できたのは、走馬灯の如く犬飼(てき)の能力を分析できたイオイソゴなれば
こそ。

(先ほどの鵜飼いで分かったことじゃが……きらぁれいびぃずは……自爆機能を有している!)

 ならばそれがイオイソゴから離れていっているのはむしろ幸甚に思えるが事実はまったく逆である。

(そうさ)

 犬飼は笑う。電撃の如き流れ去る時間の中で目論見を、思う。だがベラベラとは喋らない。映画などでよくあるではないか。
起死回生の目論見をまくし立てている間に対応策を練られ、破られるといったような展開が。せっかく背後を取ったのに「○
○の仇だRぇ」と叫んだばかりに避けられた(としか見えない)末路でもいい。どっちみち犬飼は願い下げだ。だからモノ
ローグはあくまで彼の脳髄を流れ去った観念の、あくまで翻訳再構成に過ぎない。

(戦術で制すより、戦略を挫くより……戦局を根本的に逆転させるのが……お前のやり方、だろ…………?)

 だから真似させて貰ったのさ。『健在な方の』左手を、高く高く、レイビーズの昇る天へと指差したい気持ちを、高らかな
気持ちを、だがそれをやれば隙が出来るからと必死に抑え……無言で攻撃を続ける。

 昂揚をもたらすに到った彼の企ては、こうだ。

(合流地点まで200m。空中に突撃し自爆したキラーレイビーズBは……照 明 弾 に な る !)
(っ!! この期に及んでわしの認識を……覆すか!!!)

 イオイソゴの前提は、『伝令の円山が、戦士の合流地点に飛び込むとマズい』だった。そうだろう。彼が、戦士たちに……
盟主の所在という情報を伝播してしまうのだから。

 だが! それは『円山が合流地点に辿り着く』コトで初めて満たされる条件ではない! 辿り着いたとしても戦士がいなけれ
ば無意味だし……逆に言えば。

(戦士たちの方からここに駆けつけさせても……伝えられる!! 『大事なのは円山を、戦士の集団と接触させる』……だろ!)
(ち!! 悔しいがまさにその通りではある!! しかも合流地点から遠く離れた、盟主さまとの交戦点ならいざしらず、残
りわずか200めーとるのここで照明弾が上がれば……すぐに来れる! 戦士どもはすぐに来れる!!!)

 最後の突撃命令を下す直前、犬飼は思ったのだ。

──(どうせボクだから、普通に攻めてもしくじるだろうね)

 と。だから直接攻撃を捨てた。同時に、イオイソゴからラーニングした『戦局の逆転』をどうやれば実行できるか考えた。
彼女の目論むカウンターをどうすれば潰せるか……そこで思いついたのが照明弾だ。

(うまくいけば盟主どころか木星の幹部さえ殺せるからね)

(それだけの足がかりを残して死んでやれば)

 もう誰もボクを笑えないさと犬飼は会心の笑みを浮かべる。

59 :
 キラーレイビーズBは、まだ枝の群れから鼻先を出した程度だ。だが数秒後、間違いなく照明弾となってイオイソゴのあらゆる
戦略を覆す。

(自爆を許せばもう根来の始末どころではない!! 仮に当初の予定どおり3人全員始末できたとしても……戦士はどんなに
遅くても3分以内に来る!! そして……知る! ここで死んだのが犬飼、だと……!!)

 木々や枝に付着する無数の血を思い浮かべたイオイソゴは愛らしい顔を、ひたすら冷たい脂汗まみれでねじくれさせた。

(なんたること!! 放置すれば死せるからと放置しておった頚動脈からの出血が……ここに来て首を絞めた!! 戦士が
来るまでの3分で、行く道の端々ちらばった奴の血総て隠滅するのは可能? いや無理じゃ! さすがのわしでも不可能!!)

 なぜ犬飼の血の隠滅に拘るのか? 簡単な話だ。

(”でぃえぬえい”鑑定。戦団にはそれを一瞬で出来る奴らが何人もおる。うぃる坊に拘禁されたがためすぐにはこの決戦
場に来られぬ総角めも副次的じゃがその系統。血から複製した武装錬金をして誰の血か当てられる……)

 そういった連中が、犬飼の血を調べた場合。


 ここで死んだのが犬飼だと戦士が知る
 ↓
 かなり離れた場所でアジトを見張っていたはずの犬飼がなぜここまで移動し、そして死んだのか、不審がる
 ↓
 アジト近辺で敵に捕捉され、逃げてきたのだと結論付ける
 ↓
 ならボディーガードの戦部がいないのはなぜか考える
 ↓
 特性上まっさきに死ぬのは有り得ない。
 ↓
 性格上、撤退戦なら間違いなく足止めを引き受ける
 ↓
 彼がそうしつつも犬飼たちは逃がす幹部(あいて)は何者か
 ↓
 相当の強者
 ↓
 つまりアジト近辺にそいつが出張っていた
 ↓
 なのにここに”そいつ”はいない。追ってくるほど執拗で、しかも戦士よぶ照明弾(まきえ)が上がったのに……。
 ↓
 つまり犬飼を追い、殺したのは別の幹部
 ↓
 ならその『別の幹部』はなぜさほど強くない犬飼をわざわざここまで追ってきてまで殺した
 ↓
 戦部が足止めしている『相当の強者』が、その単独出撃を知られるとマズい立場の者?
 ↓
 つまりレティクルの要たる盟主?
 ↓
 盟主がアジト付近に居るとすれば
 ↓
 高速自動再生の戦部が相手だから、まだ足止めされているかも知れない
 ↓
 つまり、好機
 ↓
 一斉攻撃で盟主を仕留める好機

 ……とそう、戦士が考えるとイオイソゴは、考える。

60 :
(……犬飼本人はそこまで考えておらんじゃろう。戦士が来れば円山に伝言を頼めると、その程度の発想で照明弾を
思いついたのじゃろうが…………やられたという他ない! 貴様のその策はたとえわしが根来をも仕留めたとしても……
決定的な緒戦の勝利を戦団にもたらす一大魔術!!!)

 照明弾を見て駆けつけてきた戦士全員を殺してしまえば解決と思うほどイオイソゴは馬鹿ではない。それができる実力
があるならそもそも戦士の合流地点へ殴りこみ彼らを殲滅している。いかな磁性流体化といえど相性によっては破られる
のを熟知しているのだ。何十人もの手練れを同時に相手どれば必ず破られるとも……。

 イオイオゴ=キシャクは木星の幹部である。
 木星は錬金術において『錫』を司る星。そして錫を冶金学的に貪り食う鉱石こそ

 タングステン

 である。厳密にいうと混入によって錫鉱石をスラグ化させ、それ以上の生成を妨げるため「錫を貪り喰うオオカミ」と
ドイツで呼ばれた。(元素記号のWはウォルフのW)。

 後にタングステン0307と呼ばれるこの追撃戦は勿論……

 3月7日生まれの犬飼倫太郎を指した言葉だ。

 力及ばずながら最後の最後まで戦い抜いた誇り高き狼を……讃える言葉だ。

 キラーレイビーズはとうとう枝から50cmほどの距離に飛んだ。合流地点からの見晴らしを考えると、あと2mも飛べば
充分だろう。

(どうする!!? 耆著や吸息かまいたちでは枝に阻まれ当たらん!! 肉体を伸ばす忍法を極限まで行使すれば或いは
じゃがそちらに傾注すると……)

 背後のキラーレイビーズCDを見る。よそごとをして章印を見逃す軍用犬ではないだろう。それもこれも三人一挙の殲滅
を目論んだが故……。

(ひひっ。策士策に溺れるって奴かい)

 やや焦りを帯びた苦味ある痙笑を浮かべるイオイソゴはそれでも泰然として見えるが、

(うわーん!! 策士策に溺れるとはこのことじゃー!!)

 わしのあほー。心の中では両目を不等号にして涙を飛ばしている。

 惑乱は鬩ぎあいの力を緩めた解除と、純然たる倍加推進の奏による爪の延伸に抗していた髪の微妙な脱力が……犬飼
最後の最終突撃命令を帯びた軍用犬の轟然たるチャージを許して……しまった。

(マズい!! この勢いでは章印が心臓もろとも一気に貫かれる!!!)
(これで殺せるとは思わない! だが!)

(……お前の奇襲のアシストにぐらいなるだろ? 根来!!)

 首筋から最後の血の一絞りを吹き飛ばす犬飼は、絶望的な眩みに打ち崩れながらも凄絶に笑う。
 忘れがちだがその拳は、章印を狙っている。どこかで吹き飛んだパーツだろう。レイビーズの爪らしき破片を握ってはいるが
……薬指以下の指はない。指どころか、掌や、手首や、前腕部すら、ない。総て例の風閂で斬り飛ばされたのだ。

(なのに痛みさえ感じないとは! こやつ、精神が肉体を凌駕しておる! 斯様な攻撃相手に照明弾の方へ全神経を振り
分ければ……ありうる! 真正面からの章印狙いにわしが殺されること……ありうる!! っ!! そのうえ!!)

 犬飼にはもうイオイソゴの声さえもう聞こえない。彼女が慌てふためいた様子で背後を見るのは、レイビーズのCDまで
もが自爆シーケンスに突入したからだ。

(どうせ最後の突撃も、屁理屈じみた忍法で回避するんだろ? なら自爆だ。自爆の勢いで直進する爪なら…………ふふ、
もしかしたら……貫けるかもなあ、章印)

61 :
(……ま、その場合、ボクも巻き添えになって、無事じゃいられないだろうけど…………。いいさ。望みどおりさ)

 自分の腕が無惨に破壊されているのさえ、霞がちな視界は捉えられなかった。
 ただ、充足のみがあった。かつては『怪物』に阻まれ貫き通せなかった意地を、彼はいま……貫けている。

(ああ。やっぱり……自分の命を…………思い通りに使えるって、いいなあ)

(ざまあ……みろだ、ヴィクターV…………。勝手に……助け……やがって…………)

 満足げな死微笑に意図を見て取ったイオイソゴは「くぅううと」歯軋りしながら人差し指を立て……誦(ず)する!

(根来めに温存したかったが仕方ない!!)

 枝の上2m50cmにとうとう到達したキラーレイビーズBの胴体に閃光が走る。自爆はもう止まらない。

(忍法!! 時よどみ!!!)

 澄み渡るどんぐり眼の白い強膜がドス黒く染まり、瞳孔に到っては腐り果てた血漿のような紅に堕ちる。
 同時に金色の波動が双眸から巻き起こり、それは忍びが垂直かつ無造作に投げた耆著の間をばちばちと乱反射しなが
ら半球状の閃光となって一帯を行き過ぎた。直近の犬飼も、少し遠くの円山をも閃光は洗い……彼らの時を氷結させる。
既に影縫いで止まっていた円山さえも、より絶対的な静止の領域へと叩き込んだのだ。

 果たしてキラーレイビーズCDの動きもまた止まる。推進や自爆だけではない。身長の戻る作用さえも停止した。

 のみならず、ああ!!

 爆ぜかけていたキラーレイビーズBさえも、まさに一時停止の爆発映像の如く固まって…………そして枝からバシャリと
波打って引っ込んだ巨大な黒き念塊に総て総て飲み干されて消え去った。

(忍法虫とり草。──根来対策として枝々に仕掛けておった鳴子を使い内縛陣に穴を開けるのは痛いが…………そうでも
せねば防げぬ恐るべき犬飼の奇策じゃった…………)

 ぜえはあとイオイソゴが大汗かいて息せくのはその緊張ばかりではない。時よどみの消摩もまた決して小さくはない。

(耆著の電磁気力で増幅した時よどみは、錬金術的介在によって他者の武装錬金特性をも止める! ……もっとも、創造者
の双眸に我が眼光を叩き込む必要があるゆえ、亜空間に潜んでおる場合の根来のような視界外の敵や、或いはいまの楯山
千歳のような視力なき戦士には通じないが……)

 或いは、幸運だったのかも知れない。犬飼の話である。
 最後の血を流しきり、あとは倒れて死を待つばかりだった彼が、正にその瞬間、時よどみという、精神感覚を尋常ならざる
遅延状態に追いやる忍法を喰らったのは、少なくても生を望む人間の本能からすれば猶予という慈雨を得たに等しい。

 彼は、考える。

(『これでいい』。今から木星の幹部は動けないボクにトドメを刺しに来るだろう。だが……『これでいい』。次に影縫いで動け
なくなっている円山を殺しにかかりもするだろうが……

『こ れ で い い』

……問題は、ない)

 おかしい。あれほど懸命に円山を助けようとしていた犬飼が思うべきコトではない。だが……違う。そう思う理由がある。

 しかし。彼は……気付く。気付いて、しまう。

(……。待て! 『どうしてバブルケイジ解除の作用まで止まっている……!?』)

 ひひっ。

 低い鼻をこすり、イオイソゴは笑う。

62 :
「悪いが『それも読んでおった』」

 円山の影に刺さっていた2つの耆著が周囲の地面を巨大な錐へ造り替え、円山を貫いた。完全なる貫通だった。何層
も爆ぜ割れる地獄のような協演が山間に響き渡った瞬間、静止していたツートンカラーの風船スーツは地上から消滅した。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 血しぶき1つ肉片1つ飛ばすコトなく。

 低い鼻をさすり、カビ臭い引き攣り笑いを浮かべたのはイオイソゴ。

「飛ばぬのも道理よ。何故ならば」

 錐はなおも伸びる。天めがけ伸びて、何箇所か複雑に折れ曲がりながら、空中のある一点めがけ最後の突撃に移行する。

 風船爆弾で攻勢された雲に乗る、半裸なる身長62cmの円山円を突き殺さんと……伸びた!

 そう! 風船スーツの中に彼は居なかった!! 様子と高度からすると脱出は破壊直前より更に前のようだ。

 犬飼の顔面が決定的な敗北感に歪んだところを見ると、彼の指図の内らしい。

(クソ!! これさえも……!!)
(ひひっ。影縫い……百夜ぐるまが廻るところまで読んでおったのは見事。どうやら貴様らは最初から決めておったようじゃ
な。『森を抜けるあたりで円山本体を風船すーつから離脱させる』……と)

 森を抜ければ影ができる。すると忍びが敵である以上、影縫いかそれに準ずる忍法が炸裂すると考えるのは思考の流れ
からして当然だ。だから犬飼たちは森を抜ける直前に円山を離脱させた。タイミングは機雷の如く風船爆弾が敷設された
瞬間だ。バブルケイジの特性で、スーツの中、182cmから2cmに予め縮んでいた円山は、腰の後ろから射出され浮き上
がる風船に捕まり──イオイソゴに視認されぬよう、森の出口の『開けた場所』を避け、やや合流地点から遠回りになるが
枝に遮られ見つからないルートへと浮かび上がり──地上に残したスーツは合流地点へ向かうよう継続して操作。
 その遠隔操作は、空蝉になったのを悟られぬための細かな仕草ともども風船爆弾本来の機能である。もともと爆弾状態
でも微速ながら動かせるのがバブルケイジだから、『風船スーツ状態』でも、動かせる。
 かくしてスーツから抜け出した円山は、かつて奥多摩で斗貴子から逃れた時のように風船爆弾の雲に乗って追撃戦の舞
台からいったん距離を取り、しかるのち再びスーツを着込み全速力で合流地点へ……というのが犬飼のプランだったが!

 果たせるかな、この鬼謀神算と言っていい十重二十重の策さえもイオイソゴが見抜いていたとは!!

(レイビーズCDの攻撃も円山から気を逸らすための攻撃で! 照明弾だって円山とは逆の方向へ打ったのに……!!)
 身長吹き飛ばしの逆利用のあとの『いま割られる訳にはいかない』は、当時すでに空蝉だった風船スーツが、破裂によって
真実を明らかにするのを防ぎたかったが故の思いだ。

 それほどの努力で紡がれた策をイオイソゴが見抜けたのはどうしてか?
(ひひっ。わしは忍び。空蝉を疑わぬほどおろかではない。貴様らほどの連中なら影縫いさえも読み対策を講じると考える
は当然!! あとは照明弾とは逆の方向の気配を探ればよかった!!)

 先ほど周囲を洗った半球の閃光はイオイソゴの時よどみの波動を、遠く空高く浮かぶ円山にまで届けた。突如として地上で
起こった閃光を、犬飼を案ずる円山が見てしまったのは人間として当然の反応、責められる謂れはないだろう。

 かくて彼が遅疑極まる精神状態で錐の串殺を待つほかない状況に、犬飼の頬、歪む。

(……どこまで鋭いんだこの幹部は…………!! フザけるな!! これだけやったのに最後の最後で円山すら離脱させ
られないのかボクは…………!!)

 やはり最後の最後まで自分は何も成せず終わってしまうのかという絶望は、精神の遅疑さえ凌駕し双眸に涙を滲ませる。

(ひひ。むしろ貴様はようやった。連発できぬ時よどみさえ使わせたのじゃからな……!)

 犬飼最大最後のキラーレイビーズB照明弾が封殺された今、戦局の前提もまた照明弾以前に戻る!

 すなわち!!

63 :
(あとは根来を迎撃するのみ!!)

 鉄壁だった鳴子に、内縛陣に、照明弾阻止のためとはいえ自ら穴を開けてしまったイオイソゴだからこそ根来への執心
と警戒は……より勁烈なるものとなる。

(奴が出現した時点でわしは自ら背後のれいびぃずの側に進む! 心臓を貫かせ、そのだめぇじを忍法山彦で3名に返す
ためにな!!)

 長く伸びた足刀が森の出口左手に繁る枝を何十本と刈り取ったのは、その先に漂う円山を視界に収めるためだ。どうや
らこちらは時よどみのような増幅はできぬと見える。

(あとは……根来よ)

 奴はどこから来る……? 残る鳴子や、中空に神経を集中していたイオイソゴが圧倒的な威圧感を察知するまでさほど
の時間はかからなかった。円山めがける例の錐が、1ミリメートル程度しか進んでいない頃だった。

(来た! ひひ! 迎撃──…)

 してくれるとスカートのポケットの中の『形見』に手を差し伸べた幼い忍びの顔色は微妙な困惑に彩られる。

「──や?」

 迫り来る威圧感は複数だった。戦歴ゆえ、どこが狙われているか一種の未来視で察知できるイオイソゴが感じた攻撃の
気配は、その全身を取り囲むよう茫洋と漂っていた。

 背後150m超の鳴子射程外で前触れもなく膨れ上がった威圧感は剣気に分類されるものであり。

 数は……9。

「飛天御剣流!! 九頭龍閃!!!!)

 雪崩れ込んできた絶対的な金色の颶風をイオイソゴは回避するのが精一杯だった。山彦の布石のため、敢えて背中を
キラーレイビーズCDに浅く刺していたのが仇となった。
 攻撃の来た方向も悪い。背後、からだった。
 だからイオイソゴは形見での迎撃ができなかった。後ろ殴りの一閃程度では遅きに失し、先の先で発生前に潰すほか無
い九頭龍閃を到底迎撃できぬと瞬間的に判断し、胸を爪で横一文字に裂きながら脱出した。山彦をかけられなかったのは、
例の風閂のカウンターを期待したのもあるが、それ以上に、背後から神速で突進してゆきすぎる技など視界に収めようが
ないからだ。

 そのすぐ傍を、流れるような金髪を持った剣客が通り過ぎる。犬飼をさらい、横目で「フ」と笑ってくる美丈夫に、さしものイ
オイソゴも氷結した。総ての風閂が断たれて舞っている事実にもだが、それ以上に!!

(総角主税!!? 銀成でうぃる坊の時日監獄に封印された筈の貴様がなぜこの決戦場に!!?)
「フ。紆余曲折説明してやってもいいが」

 予想外の事態に本来の大敵を不覚にも忘失した彼女のすぐ! 右で!!

「どうやら無さそうだぞ、そんなヒマ」

 音楽隊首魁の声に合わせるよう稲光と共に出現した流線型の髪型の忍びが!
 マフラーを翻しながら空を裂き……刀と共に直進する!!

 根来忍!! 総角と示し合わせたのかどうなのか! とにかく『金』髪の剣客の作った最大の隙を、常軌を逸したタイミング
で! 彼は! 衝く!

(ちいい!! れいびぃずで山彦ができのうなった”たいみんぐ”で来よるとは……!!)

 右の根来に向き直り、せめて一撃だけでもと形見を抜きかけたイオイソゴ。だが彼女は一瞬の眩暈を感じる。

「忍法、かくれ傘。──」

64 :
 詩(うた)うような声の中、眩暈と、それに伴う時よどみの解除をもたらしたのは銀光である。厳密にいえば、傘の内側に
貼られた鏡である。鏡中の根来は薄く笑う。冷淡に、冷淡に、あざけ笑う。

(右ではなく、左か!!)

 がばと向き返る。
 根来忍法など知り尽くしている筈のイオイソゴが、忍法かくれ傘という、鏡張りで、催眠作用のある有名な忍法にまんまと
引っかかったのは、総角の予想外の出現に少なからず動揺していたからだろう。
 だから、鏡に映された、大本の、左の根来のシークレットトレイルの利剣きわまる破壊力は、やすやすとイオイソゴの章印
に迫った。

65 :
 それが分かったから──玖の突きの変形で章印を貫かれるのを恐れて九頭龍閃を避けてもいたから──死兵の狂乱
の勢いで形見の一撃に移るイオイソゴ。右に気を取られた出遅れを一瞬で取り戻した体裁きは戦歴500年ならではだろう。

 だが、つんのめる。

「忍法、傀儡廻(くぐつまわ)し。──」

 奇怪や奇怪、根来のほうり捨てたイオイソゴそっくりの土人形が、中空でこれまた根来の投げた竹箆(たけべら)に掠って
ぐるんと時計回りを1つ打った瞬間、イオイソゴ本人もまた同じ動きで体勢を崩した。人形を使った一種の呪術操作である
らしい。

 だがきりきり舞いを演じながらも双眸戛然、ポケットから形見を抜き出したイオイソゴもまたさる者。狙うはむろん根来、す
ぐ前の、根来。

「秘剣! 『牢の御剣』!!」

 その全貌は、抜く手も見せずといった速度だったし何よりこれを見た犬飼自身の視界が失血で霞んでいるからよく分から
ない。とにかく根来めがけ残影けぶりつつ翻った銀閃は短刀ほどの長さであった。(今まで耆著と忍法しか使って来なかった
癖に……)! そう犬飼に歯噛みさせる太刀行きの速さよ、気迫とあいまり周囲には、うっそりした古怪きわまる竜胆色の鬼
火さえくゆって見える! しかも雄渾! 金剛力をも孕んでいる。

(ダメだ当たる! いくら根来でも……!!)

 けくっとノドを鳴らす青年の遥か前で牢の御剣はとうとう胴ごめに斬り飛ばした。

 自爆寸前の、キラーレイビーズCDを。

(ば、ばかな!!)

 さすがのイオイソゴも双眸を剥く奇ッ怪千万!

 入れ替わっている! 先ほど遠ざかった筈の軍用犬が先ほどまで傍に居た根来と、入れ替わっている!!

「フ」

 一度見た武装錬金であればコピーできる金髪の美丈夫は瞑目し、静かに笑う。

 軍用犬の背中に仕掛けられている赤い筒は、正式名称を百雷銃(ひゃくらいづつ)と、言う。セットされた物体は攻撃に応
じて自動(オート)で入れ替わる。一番近くにある同様の、物体と。

(おぼろげながら見た……)

 犬飼は唖然と反芻する。最初は、傘だった。イオイソゴがその幻妖に眩暈を催したまさにその瞬間、総角は鳥形態に変形
せしめた百雷銃を2つ飛ばしていた。犬飼のぼやけた視界は詳しい形まで分からなかったが、予め聞いていたその特性か
らそう彼は類推した。

(片方は木星の幹部に視線を移される前の根来に、もう片方は傘の柄に。後者に、傘を見ていた頃のイオイソゴが気付か
なかったのは……動揺や眩暈もあるけど)

 傘が、広がっていたのも大きい。総角はその死角に百雷銃の航跡を合わせたのだ。

 そして傘にセットするや、同様の処置をキラーレイビーズCDに敢行、間髪居れずこれに無造作な裏拳を敢行。ちょうど
イオイソゴが傀儡廻しによる時計回りを終えた頃の話だから傘⇔軍用犬の入れ替わりは知られるコトなく静かに完了。
 そして軍用犬は根来への牢の御剣着弾をキーに彼と入れ替わり、現在に至る。

 総角主税はイオイソゴに告げる。切れ長の瞳を細め厳かに告げる。

66 :
「戦闘の全容はわからんが……俺に分かるのは1つ。フ、1つだけだイオイソゴ」

 牢の御剣で胸腰を異にした衝撃でキラーレイビーズCDは自爆を早める。

「それは未熟なれど懸命に戦い抜いた男の、魂が込められた一撃……! 逃げ得は許さん。最後まで……味わえ!」

 一度は避けられかけていた犬飼の武装錬金決死の大爆発が……イオイソゴを怯ませた。
 先ほど同様の行為に対し行われた忍法肉鞘はコーティング必須のわざゆえどうやら短期間では補充できなかったと見え、
哀れ忍びは金蛾の如き火の粉に彩られるだけでは許されず、体内で増殖途中止まった風船爆弾の、急激な温度上昇に
端を発す内部の膨張破裂の痛覚の濫発に不覚ながら硬直する。

 だが呆気なく追い詰められているというなかれ。通算でいえば彼女は5人を相手どっているのだ。犬飼、円山、根来、
総角……そして盟主。最後の一名の出奔で篭城構想を崩され、耆著を裂く破目になり、犬飼と円山の正に膏血を絞った
知略戦の前に総角の奇襲を許し、根来にすら介入され、今に到る。むしろこれだけの不利の中、自身が選んだ心臓の
傷以外に重傷らしい重傷を負っていないコトそれ自体が既に魔人。

(そもそも”といずふぇすてぃばる”……!! 忍者(わし)を忍具で嵌めるとは……!!)

 イオイソゴ、犬飼に肩を貸す総角を睨む暇もあらばこそ。

「忍法逆流れ。──」

 契機は陰鬱たる根来の声。逆転する彼女の視界の天地が、更なる混乱をもたらした!! 

(たたみ、かけよる…………!!)

 イオイソゴの視覚と感覚は乖離した!! 足の裏が確かに『下』で大地を踏みしめている実感があるのに、目に映る光景
はまるで自分がコウモリの如く天に足をつき大地を覗き込んでいるような代物だ。その不一致が入眠時のような無用の落下
感をもたらす!! 

 しかも根来はもう寸隙なる右から来ている! 一度はイオイソゴが目を離し意識を外した右方から、橋頭堡(トイズフェス
ティバル)の特性に、入れ替わりに、根来の方はまったく怯まず攻撃を続行できているのはかつて本来の持ち主と戦って
いたればこそ。しかも総角はその戦いで間接的にとはいえ根来と敵対していたから、或いは咄嗟即席かも知れぬこの連携
に両者よく識るトイズフェスティバルを選択したコピーキャットの判断もまた叡哲と言わざるを得ない。

 そこが入れ替わりを予期できなかったイオイソゴとの決定的な違い、アドバンテージ!!

 根来はゆく。千歳から光を奪った木星のもとへ
 恐るべき怒りと、殺意に、ただでさえ峻険と釣り上がっている瞳をいよいよ魔王の如く尖らせて──…

 犬飼決死の攻撃で、磁性流体化が解除されている章印へと!

 刃を、進める!!!






 そこまで目撃したあたりで意識を入滅の如く墨に染める犬飼倫太郎!

 波濤の如き連撃に苦慮し、悶え、脂汗まみれのイオイソゴ=キシャク!

 状況が状況ゆえに蚊帳の外であるが、錐が迫り絶体絶命だった円山円!

 三者の運命や、いかに──…

67 :
以上ここまで。

次回は多分、楽。

68 :
第107話 「緒戦の終わりに」

 振動が覚醒を促す。呻きと共に取り払った深淵の向こうに細道が広がった。頬に当たる冷えた微風の心地よさにしばし
前のめりのまま、ぼうっと所在無げに正面を眺めていた『彼』は「えッ!?」と鋭く叫び上体を起こす。その拍子に転がり落
ちそうになってようやく彼は自分が何かに乗せられ運ばれているのに気付いた。

「フ。気付いたか」

『彼』の覚醒を決定的にしたのは、やや前方で振り向く長い金髪の男だ。(確か……音楽隊の、総角……!) そう思った
『彼』が反射的に左右を見渡したのは、激闘の映像が怒涛の如くフラッシュバックしたからだ。

 敵は、いない。面食らった様子で振り返ると森はもう100mほど後方に遠ざかっている。乗っている『何か』は主婦の乗る
スクーターぐらいなら追い抜けそうな速度だ。勘案すると森を出てまだ間もないらしい。

(あれから何が……? いや! そもそも!!)

『彼』はただただ愕然とした。何しろ生きて森を遠ざかるコトなど絶対ないと思っていたのだ。頚動脈を自ら切り、その出血
すら枯渇によって停止したのを確かに覚えている。

「なのになんでボクは生きてる! 答えろ! 総角!!」

『彼』……犬飼倫太郎はたまぎるような悲鳴を上げた。(ま、まさか死後の世界だったり……? コイツともどもやられた……?)
という益体もない考えが浮かんだが、果たして有り得るのかと思う。自分ならともかく、仮にも音楽隊の首魁が、あらゆる武装錬金
を操り、剣腕においても早坂秋水と互角以上の男が殺されるコトなど有り得るかと聞かれれば否だろう。

(だってさっき、根来だってあの場に……)

 そもそも犬飼は辛うじて生きているという感じでもない。連休の中日(なかび)の、たっぷりした睡眠から目覚めた朝のよう
に精気が満ちている。(だいたい、血が……)とひらひら何度も翻した掌も、ふっくらした血色に彩られている。普通なら絶対
ありえない現象に、「まま、まさか、死ぬ直前の夢だったりしないよな!? 目覚めたらイオイソゴに喰われているとか嫌だぞ!」
と救いを求めるよう総角に叫ぶと、彼はやや表情を引き攣らせたがすぐ悠然と

「フ。現世であり現実さ。お前が生きているのはだな」
「衛生兵の武装錬金よ」

 艶やかな声に右を向くと、何かに跨っている円山円が居た。(えッ!!) 犬飼の顔面は崩れた。言葉の意味より彼が健在
であるのが意外だったのだ。先ほど左右を見たとき認識できなかったのは意識のどこかにまだ靄がかかっていたせいか。

「お、お前、無事だったのか!? 木星の幹部の錐が直撃しかけてたよな!? どうやって避けた!?」
「あー、そっちは」
 ニアデスハピネスさ。得意気に告げる総角の説明は、自画自賛と勿体つけに塗れていたが、要約するとこうだった。

「イオイソゴに九頭龍閃を見舞う直前、俺はニアデスハピネスを飛ばしておいた。森の出口で風船スーツを割ったあの錐の
目指す先が気になったんでな。あとは円山の気配とか、錐の殺意の向かう先とかを探って」
「本当直撃寸前だったけど、何とかあの錐の爆破が間に合い難を逃れたって訳」

 で、ハズオブラブだったかしら、総角が金星の幹部からパクってた衛生兵の武装錬金で完全回復。ぴかぴかツヤツヤの
状態で嫣然と微笑む円山に(そういえば盟主の特性合一で負わされた傷も……)治っていると犬飼は呻く。

「で、そいつでお前も治したんだが、フ、実をいうと相当危なくはあった。何しろ頚動脈を切ったんだからな」
「…………」
「ハズオブラブ。本家は蘇生能力すらあるが、俺のこれが治せるのはせいぜい24時間以内に負った傷ぐらい……」
「総角の見立てじゃ、あと10秒施術が遅かったら死んでたそうよ」
 でもまあ、助かって良かったわね。からかいの中にどこか嬉しさを混ぜて声を弾ませる円山だが、犬飼はみるみると蔭を
濃くした。
「…………ざけるな」
「ん?」
 幽鬼のような声をさすがに聞き逃したらしい金髪の美丈夫が目をパチクリしたのが呼び水、怒声が大地をつんざいた。

69 :
「フザけるな!! どうして助けた!!? どうしてあのまま死なせなかった!!!」
 なぜコイツは怒ってるんだという顔をする総角。円山は「……あ、そういえば」と何かに気付く。
 2人の反応に犬飼はいよいよ声を荒げる。
「『また』だ!! またボクは! 怪物の手で!! 怪物なんかの……手で…………!!!」
 生き延びてしまった、生き延びさせられて……しまった。そうザラつく声は次第に涙声へ変じていく。
「大戦士長だって……殺されたんだぞ……! 生首になっていましたとどうして報告できる……! 合流できたとして……
どうして…………!」
 ボクにはもう先なんてないのに、どうして…………! 洟をすする音に怨恨すら混じる。
(……なるほど、そういう理屈か)
 戦団と共闘する都合上、総角だって奥多摩の一件は知っている。円山に到っては直前の現場に居た。
(ヴィクターV武藤カズキに情けをかけられ生き延びてしまったのを恥じた犬飼ちゃんは、”だからこそ”木星の幹部との
戦いであれほど命を賭けられた。『生首』に行く末を悟り……当てつけるように、死に場所を捜すように……)
 その、結果が……ッ! 握った拳の内側から血の筋が何条も垂れるのも構わず、犬飼はなおも力を込める。
「あれだけやった結果が……、また……だぞ!! また怪物に……音楽隊のホムンクルスに……助けられて終わりとか
やっと得られそうだった恩賞すら取り消しの状態で……生き続けろとか…………フザけるな。フザけるな…………!!!」
 いつしか彼は大粒の涙を流している。臆面もなく俯いて、眼鏡に裏側から熱い水滴を落としている。無念と慙愧の戦慄き
は子供じみてすらいる喉の痙攣となって大気を鼓(こ)す。

(こういう時、なんていってあげればいいのかしらね……)

 円山は珍しく斟酌する方向で思案する。これまでからかってきた犬飼だが、先ほどの戦いで見せた策謀と気骨ですっかり
見直しているのだ。”それ”を伝えても、”それ”が怪物に助けられた命を散らす一念から出たものである以上、奥多摩の
二の轍となってしまったこの結末の中では到底なぐさめには成り得ないだろう。

「フ」

 総角は、笑う。

「犬飼……だったな。そこに不満を抱くのはな、結局、お前がまだ、どうしようもなく弱いからさ」
(ちょっとソレ言う!!?
 円山はムっとした。実際この発言で犬飼の目が憎悪に黒く燃えるのも目撃した。
(ああもうこれじゃ繰り返しになるでしょ!! ヴィクターVに抱いていた怒りの対象が今度はアナタに移るだけで!!!
そしたらまたどっかで犬飼ちゃんがヤケ起こしてああいう無謀な戦いを……!!)
 人間とは不思議な物で、自分が軽く扱っている存在が、さほど親交のない者に嘲弄されると『いやいやそれは言いすぎ
でしょ』と擁護したくなる。だいたい犬飼が──屈折した思いの末とはいえ──自分を逃がすため命を張っているのをずっと
感じてきた円山だ。男性的な側面では仁義があるし、女性的な側面では胸キュンがある。
(それを最後ちょっと出てきておいしい所かっさらったアナタが馬鹿にする!!? 冗談じゃないわ縮めてやるわ!)
 もっとオブラートに包んだ言い方もあるだろうとバブルケイジを飛ばしかけたその時、金髪の美丈夫は軽く目で制し……

「フ。未熟さ未熟さ、ああ未熟」

 ボルテージを高める犬飼に構わず、顎で、しゃくった。彼を乗せている『それ』の頭部を。

「自分が何に乗っているかさえ気付かないうちは……フ、まだまだ未熟と知るがいい」

 何を……と総角の視線を手繰った卑屈な青年の動きが固まる。

『何かに乗っている』という感覚から彼は無意識のうちに自分がキラーレイビーズに揺られていると思っていた。何故ならば
追撃戦の最中ずっとだったからだ。

(けど……)

 考えてみれば4頭の軍用犬は総て自爆したではないか。しかも犬飼は直後に気絶……。再発動のしようはない。

 ならば、である。

 犬飼倫太郎を背に乗せていた武装錬金は……『何だったのか』?

 ……正体を見極めた彼は運命の数奇を痛感した。

70 :
「これは……じいちゃんの…………」

 犬飼の祖父の、探査犬の武装錬金、バーバリアンハウンドだった。

「ば、馬鹿な!! なんでここにある!!? じいちゃんはとっくに死んだんだぞ!! 核鉄だって戦団に返した!! 現存
している筈が……!!」
 はあ。円山は嘆息した。
「ニブいわねえ。さっきまであれだけ鋭かったのに……」
「いや分かってるなら説明しろよ円山! どういうコ……あ!!!」

 犬飼は、気付いた。創造者本人が死んだとしてもその武装錬金を『複製』しうる存在がすぐ間近に居るコトに。

「フ。御名答。10年前コピーしていたのさ。そしてやはり孫だったようだな」

 音楽隊リーダー、総角主税はしてやったりと微笑する。そんないかにも挫折しらずな態度が、落ちこぼれの怒りをます
ます誘う。

「コピーしたって……いったいどうやって!!?」

 本人からの提供さ。美丈夫は歌うように答える。

「話すと長くなるが『持っていた方が役立つ』だろうと見せてもらった。軽くだがハンドラーの講習も受けたぞ?」
「……だ! だから何だっていうんだ!!? ボクがまた怪物に無理やり命を拾わされたという事実に変わりは──…」
「ある」
「はあ!!? なんでだよ!!」
「バーバリアウンドハウンドだからだ。俺をお前の元まで導いたのが、お前の祖父の、バーバリアンハウンドだからだ」
「…………!!」
「フ」

 唇を綻ばせながらも少し真顔になった剣客は、口調を一転、諭すように話し始める。

「紆余曲折を経て銀成からこの付近へ転移した俺は、他の戦士と合流すべくバーバリアンハウンドを展開していた。錬金術
の産物を嗅ぎ分けるこの武装錬金なら、既に現着している戦士たちをたちどころに見つけられる……そう考えてな」
「……」
「で、しばらく進んだ所で、お前たちの戦っている現場に導かれた訳だが……」
「……」
「バーバリアンハウンドはな、犬飼、迷うコトなくお前を向いた。すぐ傍にイオイソゴが居たにも関わらず、お前の方を」
「……そんなの、たまたまじゃ…………」
「かも知れないな。だが俺は符合を感じた。犬飼戦士長から孫の話……聞いてたからな。じゃあもしかすると、彼の魂が、
お前を助けろとそう言っているのかなと、思った」
 だから助けた。ハズオブラブで回復させた。それだけさと告げる総角に、らしくもない感傷が漂っているのを円山は見た。
「……俺自身、バーバリアンハウンドにはな、結構……助けられていたりするんだよ。戦団に26個もの核鉄を献上できた
のだって、それで処刑を免れたのだって、元はといえばこの武装錬金のお蔭だし……。貴信や香美のような、絶体絶命の
場所にいた連中を見つけたコトだって一度や二度じゃない」
 みるまにキザったらしさが抜けていく口調は、『素』のものであるのかしらとも円山は思う。
「…………」
「だからな。お前の祖父に助けられていた俺という命が、お前という孫を見捨てるというのは……できなかったんだよ。そ
れで不快な思いさせたつうなら謝るけどだな、でもお前、死ぬっつうのは本来イヤなコトだぞ? 本人がどれだけ満足して
ようが、遺された方は絶対に後味悪い思いをする。なぜ助けられなかった、なぜ助けようともしなかったと……」
「……。じゃあお前は、怪物(おまえ)の満足のためにボクに屈辱的な生き方しろっていうのか…………?」
「そこさ」
「は?」
「そーいう物の考え方自体が既に弱者だと思うがな」。やや従前の、スカした眼差しに戻った美丈夫は得意気に片頬を釣り
上げた。「怪物に生かされる』……? フ、そんなもの、しみったれた隷属根性だろ?」
 言わせておけば……凶相で歯軋りする青年から飛び散る殺意の輻射をしかし涼しげに受け流した総角は犬飼の額に人
差し指を突きつける。先ほどまでキラーレイビーズで先行していた筈の彼が距離を詰めているのは、鮮やかな軍用犬捌き
でスルスルと、瞬く間に接近したからである。
(クソ……! もう使いこなしてやがる……!!) 総角に武装錬金を複製された者なら必ず一度は催す器用さへの怒りに
眉も頬も強張らせる犬飼。その額の皮膚を人差し指の爪で以って軽くへこませながら総角は、告げる。

71 :
「覚えておけ」

 奇妙な符牒がある。

 同刻。

 どこかの、暗い一室に放り込まれた戦部厳至は、去り行く盟主の後姿を獰猛なる狩人の笑みで見送っていた。

「覚えておけ。強者は怪物に生かされようが何の屈辱も感じない。『ラッキー、次はR』とせせら笑ってハイ終わり。世界は
自分を生かして当然なのだと付け上がる。それができないのは要するに諦めているからさ。気まぐれで自分を生かしやがっ
た奴を絶対斃せないと無意識にそう決め付けてしまっているから……命を支配された気分になって、だから……恨む」
(…………!)
「だいたいだな、お前はヴィクターV武藤カズキを怪物怪物と恨んでいるようだが、冷静に考えてみたらどうだ? 奥多摩で
出逢ったころの彼はまだ、心身ともに完全には怪物にはなりきっていなかった……だろ?」
 くっ。犬飼は致命的な衝撃に顔を歪ませた。
(うんまあ、そうではあるわね。再殺対象ってコトで私たちみんな追い立てていたけど、戦団の予測では、カレのヴィクター
化完了は夏休みが終わる頃。で、私と犬飼ちゃんがカレと遭遇したのは夏休み序盤)
 じっさい武藤カズキの肌はヴィクターのような赤銅色ではなかったし、エナジードレインだって常時ダダ漏れではなかった。
「進行はしていた。されど進行に到るきっかけは彼自身が望んで引き寄せたものではない。いわば……被害者だろヴィクターV
は。そりゃ犬飼よ、お前の憤りは分かる。俺だって捻じ伏せられたあげく上から目線の説教をトドメ代わりに叩きつけられた
ら快くは思わんさ」
 けどな。よーく考えてみろ。総角は、説いた。
「お互い様って感じはしないか?」
「は?」
「だから、腹の立つコトを相手に仕掛けたのはお前だって同じだぞ? だってヴィクターVは被害者……だからな。正しい
心でただ戦士として頑張っていただけなのに、ある日トツゼン化物認定されて追われる破目になった。それでも人間に戻る
ための手がかりを掴みたいから、そのために人を傷つけたら本当に怪物になってしまうから、だから道を開けてくれと、戦
う前に頼んだであろうにだ」

「お前、問答無用で殺しにかかっただろ?」

 犬飼は黙った。ひたすらに黙った。ひたすらに黙って、空気のカタマリを半ばで留めた首をば軽く伸ばし──…

 当時の自分の振る舞いを反芻した。


──「遊びなら帰れだと? ハイそうですかって訳にはいかないね!」

──「貴様を斃して手柄を挙げておけば、次はもっと楽しいヴィクター退治が待ってるんだよ」

──「降参しても許さないッ。女戦士と三人一緒に、逝 け !!」

 嫌な汗がダラダラ流れ始める。理詰めで自分の罪を完膚なきまでに叩きつけられとき特有の、足元が崩れそうなヒリついた
浮遊感が全身を支配する。

「フ。そうさ。お前だって、ヴィクターVに大概なコトしたよな? 追われるっていうドン底の状態で、なおも正しいコトしようと
足掻いてるだけの少年の、未来とでも呼ぶべきものをお前は刈り取ろうとしてたんだからな?」

 それは犬飼の相手に対する怒りの根源とほぼ同形だった。

(揺らいでる揺らいでる)

 円山は犬飼を楽しげに見た。

「なのにお前……『助けられた』からな?  見殺しにされても仕方ないコトしたのに、救われた……からな? なのに恨むっ
てどうなんだ? 明治時代にアームストロング砲で牛鍋屋ふっとばした幕府方でさえ最後には武士の誇りを取り戻して命救
われたコト復讐相手に感謝したのに、お前は今のままで本当にいいのか?」

 ホ、ホムンクルスなんかに説教される謂れ……犬飼は声を張り上げようとするが、意気はいまいち上がらない。

72 :
「フ。つまらぬ怒りに支配されるのは自信がないせいさ」
 フキダシが犬飼の左胸を貫通した。小言は更に続き、その総てのフキダシはプスプスプスプス犬飼の全身を穿った。

「っの! 言わせておけば……!」

 逆上し、拳を振り上げかける犬飼だが、

「フ。そろそろ自信と言う奴を持ってみたらどうだ? お前はあのイオイソゴと知略で渡り合ったんだぞ? 生きて研鑽を積みさえ
すれば今は無理でも1年後2年後は強者になれるかも知れないのに……今日その切符を得たというのに、お前はまだ、死に
たいのか? 可能性を捨てる姿勢(ほう)にしがみつくのか? 以前の、嫌いで、不活発だった頃の自分を保ちたいのか?」

 思わぬ言葉に殺意が萎む。

「『祖父の救った奴が人を救う』……それに憧れ命を捨てたがってる風に見えるお前なら、強者の理念で割り切ればいいさ。
『間接的にとはいえじいちゃんに助けられた音楽隊首魁がその恩義を自分に捧げた、救命という形で献上した』……とな。
フ。どうだ円山この理論。これなら怪物ではなく人間に救われたというコトになるだろう」
「ならないわよ。詭弁もいいトコ」
 円山は微苦笑するほかない。
「そうだ。そんな理屈で…………納得できる訳……ないだろ」
 俯く犬飼の震えはもっともだ。彼にとって総角など、人生にポっと出てきただけの男ではないか。ホムンクルスでもある。
そんな男の言葉に感銘を受けられるほど素直なら、そもそも『ヴィクターV』にあれほどイラついたりしなかった。
 という機微を朋輩ゆえ分かる円山が先ほどから掛けるべき言葉を模索しつつも手詰まり感の前に沈黙せざるを得なかっ
た……というのは前述の通りだが、彼は、ふと、気付いた。
(総角いま、さらっと大事なコト言ったわね)

『祖父の救った奴が人を救う』……それに憧れ命を捨てたがってる風に見えるお前。

 この初耳のアイデンティティ、今まで犬飼が、からかわれるのが嫌で決して話さなかったであろうこの秘密を円山は衝く。

「でもさあ犬飼ちゃん」
「……。なんだよ」
「あなたに続く人って……生まれた?」
「何の話だよ! よってたかってエラそうに説教しやがって──…」
「聞いて」
 らしくもなく円山が真剣な眼差しで制すると、青年は、黙った。凛然たる視線に気圧されたらしい。
「あのね犬飼ちゃん。さっきの戦いで思い通りRていたとしても……、それでもやっぱり悪く言う人はいたんじゃないかしら。
犬飼ちゃんは、落とし前さえつければ、残った戦士全員、自分を肯定して、二度とあざ笑ったりしなくなると思っていたかも
知れないけど、でもほらニンゲンって、そこの怪物より残酷よ?」
 と顎でしゃくったのはもちろん総角だ。彼は「まぁ、な」と片目つむり肩を竦めた。辛酸嘗め尽くしているむきがあった。
「フ。人の本質の1つだろうな。見下している相手に、自分より大きな戦果を上げられたら……不愉快になりこそすれ、祝福
などしないというのは
 犬飼の表情は強張る。総角のセリフに気付かされた……訳ではない。左様な簡単なコトなど無意識の中ではとっくに気
付いていたのだ。なぜなら犬飼自身そういう類型ではないか。地球を救ったヴィクターVが戦団内において英雄視されつつ
あるのを確かに認識しながらも、助命された怒りのせいで、アイツは怪物だという蔑視のせいで、賞嘆できない……いや、
賞嘆したくないという心理境地に夏からずっと陥っているではないか。
 なのに──命を捨てても、自分が期待したほど周囲は評価を改めてくれないだろうというのを薄々気付きながらも──
一方では、イオイソゴとの戦いで死に向かう自分が必ず総ての戦士から見直されると信じ込んでいたのはつまるところ卑屈
ゆえに長年培ってきた自己愛のせいだろう。『このボクがこれだけやっているんだ、褒められて当然だ』という、人間なら大な
り小なり有している期待感が、人の本性を露にするとよく言われる生死の切所において地金を覗かせるほどに、犬飼の人間
への認識は、甘かった。さんざん見下されてきた癖に……というなかれ。不思議な話だが、さんざん見下されてきた者ほど
『大きなコトをやりさえすれば認められる』といった認識が甘く大きくなる傾向にあるのだ。

「じゃあ……どうすりゃいいんだよ。大戦士長は殺された。ボクは怪物に永らえさせられた」

 私には分からないけど……と前置きした円山は云う。

「人に認めさせるっていうのは、人を動かすってコト……よね?」
「……ああ」

73 :
「じゃあアナタが犬飼戦士長にあれだけ動かされていたのは……どうして? 彼が捨て鉢だったから? あの人の何が、
アナタの心をあれほどまでに捉えていたのか…………」
 私は人の心を洞察するガラじゃないけど、さっき戦部がアナタの心とか、セリフを、そっくりそのまま返すコトで……結果
的にだけれどアナタの考えをまとめるきっかけを作ったでしょ、だから私も似たようなコトをすると麗人は続け、
「いまアナタがどうしようもない状況になっているのは分かるわよ。大戦士長が首だけにされて、なのに一番戦犯にされや
すいアナタは生き延びてしまって、素直に報告しても、しなくても、得られる筈だった栄誉は遅かれ早かれ喪ってしまう……
確かに辛い状況よ。ドン底ね。私が犬飼ちゃんの立場ならやっぱりね、死んでいた方がマシって思うわよ」
「…………」
「じゃあどうすればいいか……なんて答えは簡単に出せない。出す方が無責任よ。それでもね、考えをまとめるコトだけは
できる。覚悟を固めるコトはできる。要領なんてイオイソゴと戦っていた時と同じでしょ。何が大事で、何を優先するべきかを
ただ整理して順番に実行していくだけでいい。そして犬飼ちゃん、さっきまでソレ、できてたでしょ?」
「…………」
「だったら今度はどうすれば人を動かせるか……人に認めさせられるか……ドン底の中から探っていくコトだって可能……
そんな気には……まだ、なれない?」
「……そうしてきたつもりだよボクは」
 犬飼の口吻には諦観と倦怠が満ちている。正しい道にいけるよう自分なりにあがいてきたつもりなのに、いつだって返って
くるのは心なき言葉……そんな経験則にどっぷり染まってしまっている口調だった。今からまたやり直したいと思っているの
に、大戦士長落命という衝撃事実の咎総てこれから自分から背負わされるのが分かってしまっているから、その辛さが今ま
での比ではないと予想できてしまっているから、だから暗澹にしか振る舞えない……極めて人間らしい失意の底に彼は在る。
「でも……アナタだって、人を動かせるから」
 円山にはもう計算はない。思ったままをただ告げて……笑いかける。いつもやっている見下しの笑いではない。好意の
たっぷり詰まった微笑である。らしくもない表情にきょとんとする犬飼に、重ねて麗人……宣告した。
「私を逃がすため、あの木星の幹部に1人立ち向かっている時の犬飼ちゃんは……カッコよかったわよ? おかげで私は
救われた。命をあの恐ろしいイオイソゴから守ってもらったから、だから私はこれから先、何があっても犬飼ちゃんの味方を
する。約束する。誰かがヒドい言葉を投げかけた時、私はさっきの戦いを語り弁護する。ね? だから……ソレって、動かさ
れてるってコトじゃない? 犬飼ちゃんの一生懸命な戦いは、人を動かす魅力があるって、そんな感じがしてこない?」
 犬飼は無言で頬をつねった。さもあらん、円山円とは斯様な台詞を吐く者であったか。
「……失礼ね」
 彼は……そう、『彼』は唇と双眸を尖らせて抗議する。そのくせ頬だけはほんのり紅い。「あー」ときまりが悪そうにボヤいた
のは総角だ。キザったらしい彼でさえ一瞬迷うほどの色香が散ったのだ、円山から。
「いくら私でも、命を救われたら最低限の礼儀ぐらい尽くすわよ。だいいち今まで通りじゃ痛い目見るってこの夏学習したのは
犬飼ちゃんだけじゃないし……!」
「……だったなあ。お前も、津村斗貴子に、なあ」
 縮めて鳥カゴで飼おうとしたら体内から胃を裂かれた……そんな経験が若干ながら改心を誘っているらしい。
 ただ円山の妙なしおらしさには犬飼ならずとも戸惑うだろう。だいたい妙に艶かしい表情には(こいつ男だからな、男……
だからな)と、余計な葛藤さえ生まれてしまう。
 が、人として、ちゃんと向き直られると、落ちこぼれの弱味、誠実に向き直らずに居られないのが犬飼だ。
「まず断っておくけど、ボクがお前を救おうとしたのは個人的な好意じゃないからな? あくまでバブルケイジの特性が伝令
向きだから、こっちが足止め引き受けて、結果守るカタチになったってだけで、だから、なんだ、暖かな感情で守ろうとした
訳じゃない……ってのは理解した上での話だよな、味方の件は」
「ええ」
「あと……総角が来なかったら死んでたってのも織り込み済みか? 白状するけど、最後のアレだけはもう、ボクではどう
しようもなかったからな?」

74 :
「ええ。承知してるわ。でも総角が到着するまで、大木とか、鋭い枝とかから守られていたのもまた事実でしょ? 動機は
どうあれ守られたのは事実。なのに伝令の役目が終わったら犬飼ちゃんを馬鹿にする側へ回るとか……最低でしょ?」
 だから私はアナタの味方をする。それでイイじゃない。うんうんと円山は1人かってに納得して頷きまくった。
 が、犬飼はまだ納得した様子ではない。(やっぱホントは死後の世界だったりするんじゃ……)とか、(実はイオイソゴの
奴に忍法ナンタラで乗っ取られているとかそんなオチがあったりは……)とか色々不安げに瞳を泳がせる。

「私じゃ……不足……?」

 円山は双眸を潤ませた。可憐な少女のような、たおやかな問いだった。

「わああ!! やめろそういう表情やめろ!! 分かったから!! み! 味方してくれるならそれに越したコトないし、感
謝もするから!! だから女っぽいカオだきゃするな頼むから!!」

 奇妙な友誼(?)が結ばれた。

「フ。イイ感じのところ恐れ入るが、犬飼に円山よ、俺はどう扱う? いちおう命の恩人だと思うが?


「どうせレティクルが片付いたら次は音楽隊……だろ?」
 涙の塩分を除きたいのだろう、眼鏡を取った犬飼は睨み据えながら宣告する。
「倒すよいつか。さっき言った色々……許しちゃおけない」
 などといいつつ笑みを浮かべ、総角も呼応するから円山は分からない。
(英雄じみてしまったヴィクターVよりかは復讐しやすいってコトなんでしょうけど……言葉の割りに爽やかねえ。もしかして
満更でもない? 総角のコト)

 よく、分からないが。
 いつか倒すの”いつか”まで生きるコトにしたのは……確かだろう。『ヴィクターV』の後よりも一歩先に、ようやく踏み出せ
たらしい。

「…………」

 涙まみれの眼鏡をどこからともなく取り出したハンカチで拭く犬飼の表情は、長年の強張りの溶けた、安らかなものだった。

(…………悪いコトをしたんだな、ボクも、ヴィクターV……いや、武藤カズキに…………)

 認めたくないコトだが、それを認めて強さを得られたのが後にタングステン0307と呼ばれる追撃戦だから

(……もし再びヤツに逢える日が来たのなら、復讐よりも、まず──…)

「フ。という訳で、お前の武装錬金、これから使わせてもらうからな」
「い? あ゛! お前!! そういや乗ってるのレイビーズじゃないか!!」

 驚きのあまりレンズが割れ、叫びは更に跳ね上がる。

「なに許諾取った感じになってるんだよ! というかさっきからずっと乗ってたよな!? ボクが目覚める前から無断で使って
たよなソレ!!」
「フ。報酬として割り切ってもらおう」
「何が報酬だ! 命助けたのはじいちゃんへの義理って感じな話の流れだったろ!!」
「それはそれ、これはこれ。フ、お前の、救われたコトに対するわだかまりを溶くための、説法の料金って奴さ」
「だから!! 完全に割り切ってないし!! ああもう使うな! 解除しろよ!!」
「諦めなさい犬飼ちゃん……。私だってバブルケイジ……盗まれちゃったのよ……」
「フ、こっちは治療代。ついでにいうと激戦もな」
「ハア!? 待ちなさいよアナタ激戦は見てないでしょ!? 戦部のDNAだってこの辺には……」
「いやあった。円山(オマエ)の服に戦部の血が付いててラッキーだった」
「えなんで私のに……あ!! 真っ二つになった時! 盟主の一撃から私庇ったとき飛んだ血!?」
「だろうな。もしやと思ってさりげなく採取したら思わぬ超絶レアで俺もビビった」
「ビビったじゃない! お前どこまでパクるつもりだ!! ああもう倒す!! 絶対倒すからな!!!」

 瞳を三角にして怒鳴る犬飼に、「フ、いまや激戦とシルバースキン併用できる俺をか?」と線目で耳ほじりつつ応じる総角。

75 :
 ともかくも犬飼倫太郎、円山円、総角主税……合流地点へ!

 更に総角主税、【キラーレイビーズ】【バブルケイジ】【バブルケイジAT】【激戦】……ゲット!


「あ」

 犬飼は気付いた。肝腎なコトを聞きそびれていると。

「……オイ総角。根来は……どこだ? それからイオソイゴも……」

 あの恐るべき木星の幹部が追撃してこないというコトは……犬飼の心に期待が灯る。

「フ。それは──…」

76 :
 右肺が、肋骨ごと断ち割られた。回避運動も空しく、その刃は致命的なまでに直撃した。

 折れた刀を振りぬいたまま、5m前方で磔刑される敵を嗤笑(ししょう)にて見据えていたのは──…


 イオイソゴ=キシャク。


「被弾!? 根来が!!?」

 犬飼にとっては有り得ない局面だった。

「なんでだよ! ボクが最後に見たアイツはイオイソゴの章印を貫く正にその寸前だった!! 向こうだってお前らの連撃で
混乱状態! 盛り返せる訳がないだろ!!」

 責任は、私よ。
 名乗り出たのは……円山。

77 :
「?? な、なんでお前のせいで……!?」

 順を追って話そう。総角の声もまた痛嘆に満ちている。


 根来はゆく。千歳から光を奪った木星のもとへ
 恐るべき怒りと、殺意に、ただでさえ峻険と釣り上がっている瞳をいよいよ魔王の如く尖らせて──…

 犬飼決死の攻撃で、磁性流体化が解除されている章印へと!

 刃を、進める!!!

(もはや回避は不能……!? いや!!!)

 イオイソゴにはまだ切り札があった。

78 :
「忍法山彦。──」

 はてな。だがこの技は『心臓を貫かれたダメージを根来たち3人に返し全員即死』のため温存していたのではなかったか。
当時のイオイソゴはもうレイビーズの爪から抜け出ている。更に剥き出しになった章印を守ろうとする修復作業の余波で、
心臓の穴も埋まっているからとても根来必倒の忍法とはいえぬ状態ではあった。

 だが。

(ひひっ! 即死ばかりが忍法山彦の芸ではない!!)

 イオイソゴ=キシャクはダメージを転写した!! 何のダメージを? 直前のレイビーズCDの自爆のそれ? いや違う!!

(転写、すべきは……!!)

 根来の体の到るところがボコボコと膨れ上がり……爆ぜた。それでも彼は表情1つ変えず特攻を続行したが、やんぬる
かな、破裂の『空気を噴く作用』が姿勢を……崩す。


「ま、まさか、根来に転写したダメージっていうのは……」

 犬飼は蒼褪める。せっかく治癒し血液の戻った面頬が蒼褪めるほどに動揺した。

「そう」

79 :
(ばぶるけいじあなざーたいぷ!! 章印を露出させるため犬飼めが打ち込んだ円山の、無限増殖する風船爆弾の”だめえ
じ”を! 異物感ともども転写完了!!!)

 恐るべき逆利用! 犬飼は震慄した!  ああ! ただの痛覚であれば冷徹なる根来は黙殺し邁進できた! だが! 
『体内で弾ける風船爆弾』というダメージを転写された根来は、その空気を噴くアポジモーターのような作用を体内から強制
的に植えつけられ……斬撃の軌道を逸らされた!!

「イオイソゴから直接見えない場所に飛んでいたのが……災いしたわ」

 血管に墨を流されたような苦渋の顔色で円山が呻くのは、次の理由だ。

「つまりそれは私からもあの場の状況が見えなかったというコト……。もしカウンターの発動に合わせてバブルケイジを解除
できていれば……根来は勝てていたかも……知れないのに」
「……いや、どの道ムリだったさ。体内爆破がなくなれば復活……してたからな磁性流体化」

 或いはそういう二者択一も兼ねたカウンターだったかも知れない、お前に非はないさと告げる犬飼に「……そ? ありがと」
と円山はほんのり赤くなって頷いた。

(やめてそういう反応やめて)、総角は微妙な表情をしたが話を戻す。

「あとは躍り上がって刃を避けたイオイソゴが、幾つもの忍法で牽制しつつ退却へ移行。もちろん俺は根来に加勢したから、
一時はあの場で決着というところまで漕ぎ付けはした」

 しかし。

 胴拍子や弓矢の散らばる戦場で、根来や総角ともども息せき切っていたイオイソゴは再び『形見』……いや、牢の御剣
(みつるぎ)を使用。対する金髪剣士は凌いだあと再び九頭龍閃に移行すべくシルバースキンを発動、忍びは完全回避の
ため亜空間に没した。

「あの刀だ。……あの刀が、俺たちの予想を遥かに超えた威力で…………戦局を、覆した」

 牢の御剣。名称こそ物々しいが、風貌たるやまるで落ち武者の武器だった。まず鍔がない。刀身も柄から30cmばかり
の地点で折れている。総角の乱入直後に犬飼が目撃した牢の御剣の残影があたかも短剣のそれだったのは、つまり折れ
ているからだ。

 その短い刀を、イオイソゴは振った。根来との距離はそのとき彼が現空間を離脱していたため不明だが、総角からはざっ
と10mは離れていた。

 なのに。

 イオイソゴが舞うように一回転した瞬間──…

 地に落ちていた牢の御剣の影が突如として伸びた!! 10m先の総角の影に届くほど、伸びた!!

「その瞬間、シルバースキンの絶対防御を無視した斬撃が俺を薙ぎ」

 犬飼は後ろからだが気付いた。総角が腹部を押さえているのを。赤い水滴さえ乗騎たるレイビーズに点在している。

「そして根来が……被弾した」


 右肺が、肋骨ごと断ち割られた。回避運動も空しく、その刃は致命的なまでに直撃した。

 折れた刀を振りぬいたまま、5m前方で磔刑される敵を嗤笑(ししょう)にて見据えていたのは──…


 イオイソゴ=キシャク。

80 :
「あの刀はどうやら、武装錬金の防御特性を無視できるようだ。恐らくだが、握っているイオイソゴの、磁性流体と化した肉
体から伝播する錬金術的な電磁気力が本来の忍法にはない特性をあの斬撃に与えているのだろう」
「だから『亜空間』という根来の絶対防御陣も突破された……?」

 奇妙な話だが、根来の影はその時どういう訳か……透明な飛沫を吹いた。牢の御剣も、また。

 が、それに構わず彼は真・鶉隠れを敢行! 九頭龍閃で突っ込み辛いんだがと困惑する総角に横目でサインを送る。

「……? そうか! 奴の肉片を」
「回収しろと言いたかったのだろう。そうすれば俺が耆著を使えるようになるからな」 

 総角がコピーの条件はどれか1つ。武装錬金を見るか、創造者のDNAを手に入れるか。前者は当然知悉済みのイオイソ
ゴだから耆著の乱射は総角登場以降ひかえていた。

「ひひっ! じゃからわしの肉片からハッピーアイスクリームを複製させよう……などというのはこの場で勝てぬと認めたが
ゆえの消極的戦法よ!!」

 荒れ狂う忍者刀を物ともせず大股で踏み込むイオイソゴが再び牢の御剣を繰り出したのは、撤退に移行しつつある方針
と一見矛盾するよう思えるがしかし違う。こやつは多少叩いた程度では必ず追ってくる、わしが盟主さまたちの元へと戻る
道中道すがら必ず妨害してきよるから、しばらく行動不能にしておくべき……と考えたが故。
 同時に被弾の衝撃か、根来は亜空間から現空間へ落下した。牢の御剣はその影を狙う、影の刃が、狙う! 通常ならば
避けるべき一撃! だが根来は跪いたまま意外な行動に出る! 左から右にスススと動かした右掌を、地を這う刃の幻影に
なすりつけた! 「あ!」と呻いたのは彼の掌に銀色の分泌液が満ち満ちているのを目撃したイオイソゴ!!

「忍法。──」

 謡うようにささやく根来の手が打ったのは! やがて訪れる共闘における『秘鍵』! 対木星の……切り札!!

「そうか! 総角にDNAを取らせようとした素振りは」
「誘い水だったようね、イオイソゴを攻め込ませるための」

 幻妖も幻妖! 根来は刃の影に怪しげなる銀の斑を施した!! その場に、ではない! 影そのものに! それが証拠
に見よ! 影が動いても銀の斑は刀身の同じ場所にある!

「忍法。濡れぐるま。──」
(虫籠と筏の合作……? ち、ちがう! 根来めは伊賀忍法を使わん! ぐるま? 根来忍法で……『ぐるま』?」

「忍法百夜(ももよ)ぐるま。伊賀にもあるが根来にもある。影に作用する忍法」

 と根来が組み合わせたのは『忍法濡れ桜』! 本来なれば女体に施すべき魔技を根来は影に施した!

「ちい!!」

 イオイソゴが歯噛みしたのは、

(『先ほど自分がやられた合作を』さっそく応用しよったか!! 『忍びの水月の塗り方で』!)

 この局面で新たな忍法を創出されたからだが、しかし牢の御剣そのものは標的との距離を狂気の如く縮め。

 根来、再び被弾。面妖にも影ならびに牢の御剣、今またしぶく──…


「そこで更に牢の御剣の追撃に移りかけたイオイソゴだが、どういう訳か突然、熱に浮かされたような表情になり──…」

 踵を返し撤退。同時に根来も……

「………………」

 出血に蒼白となりながらもチラと振り返り、視線の先、いまだ伏せる犬飼に無言の、されど賞嘆の笑みを浮かべてから。

81 :
 斬りつけた地面へ稲光をば炸(はじ)きつつ埋没。姿を、消した。

「……なんでボクを見て笑ったんだよ…………」
「そりゃ暴いたからでしょ。時よどみとか山彦とかの初見じゃ対応不可の忍法を犬飼ちゃんが暴いてくれたからこそ」

 強烈無比なる牢の御剣に辛うじてだが対処できた、だから礼のような微笑を送った──…

「ね? 犬飼ちゃんが人を動かせるって論拠……分かったでしょ?」
「……”あの”根来ですら、なら確かにそうだけど…………でも全ッ然アイツらしくないよな本当か……?」

 俄かには信じられないという顔でハシハシと瞬きする犬飼。

「フ。どうかな」。総角は肩まである双鬢(そうびん)を揺すった。「そもそもお前たちを捨て駒にしなかったのだって、もしやっ
てそれで勝てたとしても楯山千歳は決して喜ばないから……だろうし」。

「……そーいう仏心みたいなのは外人墓地で見せて欲しかったケド」

 身代わりにされた円山円がイタズラっぽくギョロっと目を剥くのもむべなるかな。

「フ。人は変わっていくものさ。非情だった根来も戦友を得て人間らしい方向へ……」
「つうかお前、逃げる木星の幹部どうして追わなかったんだよ」
 スルーかい。イイ感じで陶酔してまとめかけていたのを犬飼に遮られた総角はちょっと情けなく表情筋を取り崩したが。

「俺も考えたが、奴のいる場所を視て諦めた」
「『視る』? ……まさか」

 そうさ。颯爽と笑う剣客。「俺は九頭龍閃の時あいつの顔を見た」。である以上、総角はイオイソゴがどこに逃げようが一瞬
で捕捉できる。

「なるほどヘルメスドライブ……! にも関わらず根来との戦いで弱っている彼女をワープで追撃しなかったのは、つまり!!」

 イオイソゴは、地中20mを、進んでいた。

 服を含む全身と、牢の御剣と、それから照星の生首を総て総て磁性流体化した状態で、水が流れるが如く土粒の疎をす
り抜けて進んでいく。

「さすがに転移先が土や石の中だと……な、転移したらどうなるか察して頂けるとありがたい。転移後すぐ鐶の短剣で周り
の土の年齢をゼロにする……てのもイチバチなのさ。フ、一帯の年齢が不明だし、判明したところで埋まりながらの斬撃だ
からな、ひとなぎで年齢総て吸収できるかどうか怪しい。バルスカで掘ってもすぐ上から土落ちてくるだろうし……」
(激戦やシルバースキンを装備した状態で行くのなら……ダメね、結局身動きが取れない)

 これでもシークレットトレイルの亜空間に潜む→ヘルメスドライブのワープ で、対象の近くの「亜空間側」への転移が可能
かどうかも検証した身上だが、転移するのはあくまで現空間側だった、だからモグラの如く地中深くをいくイオイソゴの傍には
跳べないと総角は無念そうに語る。

「さっき逢ったのはどうせ任意車あたりの分身だろうとは分かっている。しかし討てればこの世に一振りしかない牢の御剣を
奪えたのも確か……。だからこそイオイソゴは地中に逃げ込んだ訳だ。捕捉されても奇襲されぬ安全地帯へ……」
「……認めたくないがやはり重鎮、か」

 向こうは土中に何がしかのワープ対策の罠を仕掛けているのだろう……と思うのは干戈を交えた犬飼なればこそ。

「負け惜しみになるが、どうせイソゴの行く先は盟主の下……。お前たち伝令を戦士たちと合流させれば自然に追撃する形
になるから、フ、こうやってお前らふたり送ってる訳だな」
「……? 盟主の所在うんぬんが出るってコトは……円山。こっちの事情ぜんぶ話したのか?」
「そりゃま犬飼ちゃんが気絶してる間にね。あとイオイソゴとか根来の忍法の名前もひととおり」
「ちなみにイソゴの使う『折れた刀』は……牢の御剣。かの後醍醐天皇の六男たる『大塔の宮』が殺されつつも噛み折った、
凄まじい由来がある」
 はー、だからこの世に一振りなのね、円山は頷いた。
「フ。そうさ。影を斬れるのは大塔の宮の怨念あらばこそ……。ま、太平記好きにはお馴染みの話ではあるが」
「剣客のお前が詳しいのは分かるけど……なんで忍法まで…………?」

82 :
「そりゃ部下を教育するためさ。フ。全28作の長編と12冊の短編集、俺は全部買い与えたさ」
 何をだよと犬飼と円山は訝しんだ。
「犬型だったっけ? 忍者なのは」
「そ。だから犬飼にも親近感がな、フ、ある」
「馴れ馴れしくしようが倒すからな本当……」
 こりゃつれないと半眼の青年をからかうように眺めていた剣客だが──…

 気になるのは。フと不意に、声を沈める。

「根来の影が飛沫を吹いたコトだ。俺が斬られた時はなかったあの現象もまた何らかの忍法とみるべき。遅効性かつ……
使用回数に制限がある類だろうな、俺にはかけなかったところを見ると。付記すると俺の『フォースクラム』のような、合体型
の気配がする」
「いやそもそも合体とかできるのか忍法」
「フ。できるぞ。任意車って奴と濡れ桜ってのが混ぜられた実績がある。ほおずき灯篭とびるしゃな如来を混用した忍びに
到っては、あの明智光秀に本能寺のきっかけを植えつけたし、ああ、桜花とか有情の特殊空間も合体の一種かもな、総て
の術を無効化する瞳と、総ての術を相手に返す瞳が見詰め合うと特殊な場が出来上がって、死者読んだり知り合いたちと
テレパシーで交信できるようになる」
「用語の意味がさっぱりだ。忍者がムチャクチャだとだけ……」
「桜花……? あ、信奉者のあのコじゃなくて、フィールドの名前ね。ややこしいわ」

 ともかく、根来が牢の御剣の影に仕掛けたのも合体忍法の一種であるらしい。

「影に干渉したってコトは、基盤(ベース)の1つは円山を影縫いにしたアレだろうな。もう1つは……」



「忍法精水波」

 単身盟主の下へ戻る最中のイオイソゴは1人ごちた

「5人の女の愛液を”こぉてぃんぐ”された男を必ず死に至らしめる忍法……! 牢の御剣に順々に浸しておいた愛液を
任意で、百夜ぐるまの応用で、対象に与える……ひひっ、荒唐無稽も極まるわが秘技よ。根来本体ではなくその影に施す
がゆえ、”しぃくれっととれいる”で亜空間に潜り込んでも排除不能……!」

 そしてレティクルエレメンツは恐るべき符合を有している! 10人の幹部のうち女性はちょうど……5人!

 すなわち!!

 クライマックス=アーマード。

 リバース=イングラム。

 デッド=クラスター。

 グレイズィング=メディック。

 イオイソゴ=キシャク。

(ひひっ。今回付与したのは”くらいまっくす”と”りばあす”の愛液よ! ま、まあ、ぐれいじんぐ以外の連中は採取のため
随分と往生したし(特にりばあす)、わ、わしも……恥ずかしい……のじゃが、根来を斃すやこれしかない!! のじゃが……)

 やられたと牢の御剣を見る。磁性流体化でドロドロで、しかも真暗な地中なのに……『影』の一部が銀光りしている。

(く。精水波の要たる牢の御剣の影に『濡れ桜』を施すとは……!!)

 濡れ桜とは如何なる忍法か? 施された肉体の部位の感度を、陰核細胞並みに引き上げる恐るべきわざだ。だがそれを
剣の影にかける? 一見ムチャクチャだがイオイソゴの振るう牢の御剣においてはその限りではない。彼女は耆著の発する
電磁気力を剣と、その影に通すコトで武装錬金の防御特性を無視した斬撃を繰り出せる。そのとき彼女は、剣と、精神具現
たる電磁気力の通脈で1つになっている。剣やその影と一種の神経接続をしていると考えてもいい。で、あるから、影に施
された忍法濡れ桜の淫猥ともいえる感度を甘受してしまうのだ。

83 :
(っ……)

 鼻にかかった甘い吐息を漏らすイオイソゴ。分身はいざしらず本体は清爽きわまる少女であるから、影からの感度は刺激
が強い。強すぎる。

(影を攻められると……隙が……できる……。迂闊には……使えなく…………なった)

 頬を桜色に染め、あえやかな息を弾ませつつ牢の御剣を体内奥ふかくに仕舞い込む。ゲル状の体が影さえもすっぽり覆い、
それでようやくイオイソゴは甘美なる刺激から解放された。

 牢の御剣に制限をかけた根来。その影に忍法精水波を2つまでかけたイオイソゴ。

 先ほどの忍法勝負はどちらが勝ったとも言いがたい。

(なにより……あやつは)

 撤退した理由は牢の御剣の一件だけではない。

 地中に逃げ込む寸前。

 磁性流体化であらゆる打撃斬撃を受け付けぬはずの体のあちこちに、淡紅色の発疹が現れていた。
 果肉を薄く塗りこめたような愛らしい唇がj硬結していたのはその少し前までのコト、この時は端が爛れ、乳白色の汁が染
み出していた。

(唐瘡(梅毒)!! やられた、真・鶉隠れの忍者刀に根来め何か仕込んでおったな!!)

 むろん本来ならどんなに早くとも3年の経過を要する症状の進行だが、奇怪根来忍法! わずか1分足らずでここまで
来た! これぞかの家康の寵臣本多佐渡守を葬った術技とはイオイソゴぞのみ知る事実だが、

(倥(ぬか)ったわ!! 病が病ゆえ、せ、性こ……いかがわしい行為のみで発動すると思っておったのに……しぃくれっと
とれいるに仕込むか普通!!? だいいち”うぃるす”由来だとすればどうやって亜空間に弾かれることなく持ち込んで……
ええい! 考えている場合ではない! ぐれいじんぐの元へ! 早く治さねばこちらのわしが病死する!)

 もう片方のイオイソゴが盟主の傍に居る以上、病死しても魂魄や記憶はそちらに転送されるが、しかし牢の御剣は死亡地点
に落としてしまう。平易な言い方をすれば、『Rばその時点での所持アイテムが散らばる』ゲームをやっている我々のような
焦燥をイオイソゴは抱いている。リスポーン地点(=盟主のそば)から急いで駆けつけねば伝説の武具が誰かに、それこそ
根来に、奪われかねないと、焦っているから目指すのだ。

(どっちみち盟主さまがそこに居られる以上、向かわざるをえんしな!!)

 速度を、あげる。

 もう1人の自分の気配が目に見えて濃くなり始めた。
 安堵しかけた自分を引き締めつつ、チラと思ったコトは。

 総角の疑念と、一致していた。

(奇妙なのは……俺が銀成から不可解な転移で辿り着いた座標が……『犬飼たちが最後の攻防に移っていた』場所から
……近かったというコト……だな)
(そうじゃ。普通ならあの局面で総角が乱入するというコトは確率的にいって『ありえない』)
 きゃつは銀成でうぃる坊の時日結界に囚われた。それは時空改竄者である『かの黝髪(ゆうはつ)の青年』と『法衣の女』
ですら脱出できなかった鞏固磐石なる物、じゃから総角が盟主さまの移し身ゆえに使える”わだち”で破壊できるか否かが
まず一か八、よしんば破壊できたとしても戻るのは元の場所、つまり銀成市の一点である筈じゃ……とイオイソゴ。

84 :
(それがどうして銀成から遠く離れた救出作戦のこの舞台に来ていた……? いや、きゃつが”へるめすどらいぶ”の瞬間
移動能力を有しておるのは知っている。じゃが翔べるのはあくまで『顔見知り』の傍。原理的にいえば総角は津村斗貴子
たち銀成組の傍……つまりは墜落前のヘリ内か、その墜落地点⇔合流地点のどこかに転移してしかるべき。なのに現れ
たのはそちらとはちょうど正反対の方角、合流地点付近の森の中……。百歩譲って犬飼たちと面識があったとしても……
顔見知りの傍に必ず転移するという制約的な特性から、奴は出現を、かの2人に気付かれた筈。言い換えれば奇襲のため
隠れているということは……両者の心理面戦術面から不可能。普通に合流し護衛を務めるか、或いは”ばぶるけいじ”で
犬飼と円山を縮め、へるめすどらいぶの質量制限100きろぐらむを”くりあ”。3名同時に津村斗貴子たちの傍へ翔べば
良かったのじゃから)
 つまり……銀成からここまでの移動手段はヘルメスドライブでは……ない? イオイソゴの推測の確度は高い。ここで
やっと彼女は総角と同じ前提を有した。
(要するに奴は、時日結界の突破の余波でこの近傍に飛ばされた……? じゃとすればやはり……『おかしい』。時間と空間
が本質的には同じものとよく言われる。じゃからわだちの特性破壊で無理やり時をば破獄すれば、空間座標に若干の乱れ
が生じ元の場所とは別のところへ飛ばされる……ということは、有り得るとしよう。そういえば確か奴が飲まれたのは”びく
とりあ”の作る避難壕の亜空間じゃし、総角が戻ってきたころ解除され現空間に回帰しておったから、そのあたりの空間的
な位相の”ずれ”が別軸への移動を促した可能性も、ひひ、なくはないと、譲歩しよう)
 じゃが……”ぴぽん”、”ぴぽん”……”ぴぃんぽいんと”? で犬飼たちの傍……いや、『奴らが逃げたすえ辿り着くその
場所の』、すぐ近くにそんな都合よく飛ばされるものか……? 木星の幹部は訝しんだ。

(誰か……何かしておらんか……?)

 奇妙な糸引きが背後にある気がしてならない。

(そもそも犬飼めが『盟主さまの出奔』『根来の潜伏』といった戦略的要件に恵まれておったコトも変じゃ。天運というには
……できすぎておる……)

 犬飼があれほど健闘できたのは、戦略的な前提に恵まれていたからだ。一方のイオイソゴは、『根来を挑発した以上、
決戦の最終盤まで篭城を決め込み、安全な迎撃態勢を保持する』という戦略構想を盟主の出奔で潰された上に、『円山を
逃がさず、根来も警戒しなくてはならない』という普通なら一兎も得ずな複雑な戦略目的を背負い込む破目になっていた。
 が、犬飼はただ『一秒でも長くイオイソゴを足止めすればいい』。かといってそんな彼の撃破を優先すれば、円山に逃げら
れるし根来の付け入る隙さえ生んでしまう。

 ……と、犬飼への攻撃に過剰なほど慎重になっていた己の機微もまたおかしいと老獪な忍びは思う。

(何がおかしいかというと、その自重がわしの死亡回避にも繋がっておるというコト……。だってそうじゃろ、総角が近くに
おったというのはまったく予想外の出来事。その状態で──…)

 犬飼に手を出せば根来が出た。根来が出ればイオイソゴは彼に全神経を傾けなければならない。その状態で総角の奇
襲を受けていたらどうなっていたか分からない。
 先ほど、彼の奇襲におののきながらも根来に対応できたのはあくまで、『根来が居る』と戦闘の最初期から警戒していた
からだ。いわば本命、最後の不安要素。だが、である。だからこそ『本命かつ最後の不安要素』たる根来が出尽くした後の、
一種安心した、虚脱の状態で、……総角という、元マレフィックでイオイソゴと同格同列なる大駒の奇襲を受けていれば……
さしものイオイソゴでも対応できていたかどうか断言できない。

(最悪こちらのわしが死亡。牢の御剣も奪われた。たとえ虎口を脱したとしても、肉片や血液は飛ばした……じゃろうな。
総角がわしの耆著を複製するに必要な、肉片や血液を…………)

 つまり今以上に悪い事態を招いておったと汗みずくで断定するイオイソゴの。

 磁性流体化の肌の電磁気力が、一帯に充満する『何か』と反応しチリチリする。

 総角はそこまで明確に察知できていないが……心当たりは、ある。

(そう。こういった『調整的』なコトをする奴を俺は、俺の前世は何人か識っている……)

 1人は、小柄な黒ジャージの魔神的な少女。いま1人は──…

85 :
「なっ」


 盟主の下へ戻り、治療を経てもう1人の己と合一したイオイソゴは目を剥いた。

「盟主さま……! い、いまなんと……!?」

 ふためく忍びを面白がるようにメルスティーン=ブレイドは告げた。

「ふ。だから、撤退してあげるよ。君たちの当初の予定に付き合って、最後の最後まで退屈なる魔王城の玉座に、基本的
には鎮座してあげようじゃないか」

 さしもの老嬢も目を白黒させざるを得ない。そうではないか。そもそも盟主は戦団相手の斬り死にしたさに出奔した身では
ないか。決死の制止をする8人の幹部に、グレイズィング不在なら再起不能まちがいなしの大破を負わせてまでアジトを脱け
出てきたのに……。

(撤退!!? いや所在握る伝令どもが駆け込んだであろう今わしとしては問題ないが、しかし何があった!? 貴様か、
貴様が説諭したのかぐれいじんぐ!?)

86 :
 と銅色巻き毛の同輩を見るのは、もう1人の自分が傍に居た筈のイオイソゴにしては奇妙な話だが、しかしそうせざるを
得ぬ事情がある。ほとんど切っていたのだ、同期を。さしものイオイソゴも離れた場所に存在する自分と自分を同時に操作
するのは困難だから、ある程度まではめいめい自律、情報のやり取りは切っていた。追撃戦のさなか犬飼または円山が、
『イオイソゴは2人の自分を同時操作している』と思っていたが、その弱点はあらかじめ殆どツブしていたのだ。
 だから元に戻っても、近習イオイソゴの記憶が追撃イオイソゴと合一するまで若干の時間を要したから、そのあたりの混濁
のせいで、『貴様が説諭したのかぐれいじんぐ』と視線を向けてしまった訳である。

 いえ、ワタクシも何も……。グレイズィングも困惑したように応える。

「アナタは合流してすぐ分裂して犬飼たちを追ったから知らないでしょうけど、その辺りからでしてよ。盟主さまが撤退どうこう
言い出したのは……」

 べっとりとした花粉が漂っているような淫猥きわまる女医が珍しく嫣然としていないのにイオイソゴはただただ面食らった。

87 :
「つれないねえ。ぼくは一度戦部を『あの場所』に置いてからわざわざ戻ってきたんだよ? 追撃戦から戻ってくるイソゴは
どうせ同期を切っているだろうと踏んだから、わざわざ元の場所で待っていてあげたのに……」
(……や? あ! そ、そういえば戦部! おらん! 盟主さまのもとへわしらが来た時はおったのに……)
「で、引くのかい、引かないのかい? ぼくは別に迫ってくる戦士ども相手に大暴れしても構わないけど?」
「ひ! 引きます! 」

 急かすように笑う盟主に直立不動で叫びながら先導で駆け出す木星の幹部は……

 付近の茂みに、足跡を認める。女医ではまず気に留めない、忍びのアンテナにしかかからぬほど幽かなものだった。

(……。盟主さまと合流した時は追撃の手立てを考えるのに忙しく、ゆえに見逃してしまったが……『誰』のじゃ? 『いつ来た』?
 サイズからすると……おなご。じゃが円山ではないな。へこみ方が、伝え聞くきゃつの体重と合わん。『軽い』のではない。
『重い』。なんというか、力士体型の者が乗ったというより、そう、何か……非常に重い武器を構えていたような……そんな足
跡の沈み方じゃ)

88 :
 そして……新しい。昨日おととい付近に来たという感じでもない。

(……つまり、何者かが……盟主さまと逢っていた? そやつが撤退を……促した……?)

 だとしてもおかしな話だと思う。武力を超究した8人の幹部にすら説得されなかった盟主に針路を変えさせるなど…………
並みの芸当ではない。そもそも誰が現れたのか。レティクル側の人間だとすればイオイソゴに連絡がないのがおかしいし、
そもそも出奔前に引き止められた筈なのだ。あの戦いに参加しなかったリヴォルハインかムーンフェイスの密やかなる指嗾?

(いや。仮にそうじゃとしても足跡とは合わん。かといってその主が戦士なら、連中との斬り合いを望む盟主さまが捨て置く
理由はない。……敢えて伝令させるため見逃した……のなら、撤退とは矛盾じゃし……。一般人だの登山者だのというオチ
は……ひひっ、まあないわな)

 なぜなら足跡が、盟主めがけまっすぐ進んでいるからだ。普通ありえない。戦部敗北からイソゴ・グレイズィング合流まで
の僅かの間についたとすれば、そのとき現場は『血だまり』『倒れている大男』『やたら長い刀を持った隻腕の男』といった、
命の危険を喚起するコト余りある情景だったろう。なのに迷わず近づいてくるというコトは……

89 :
(かたぎでは、ない)

 つまりレティクルでも、戦士でもない人物。『第三勢力』。

(そやつ……なのか? 追撃戦にさまざまなる不可思議を与えよったのは……)

 重い武器を有する、戦士ではない、女性。イオイソゴの脳裏をサッと掠めたるは──…

.

..

 時間はやや戻る。盟主が、戦部厳至を倒したその直後に。


 さぁて殺さぬよう止血でも……と戦部に近づき始めた盟主が振り返ったのは、背後で足音がしたからだ。

「ほう」。意外そうに目を丸くした金髪の剣士は笑う、にこやかに。

「これはまた、珍客……」
.

(イオイソゴとグレイズィングがぼくのもとに辿り着く、少し前の話さ)

 盟主は思い返す。茂みから現れた『部下ではない、女性を』。

 磨き上げられた、輝くような美貌だった。
 絹糸を溶融する金で泳がせたような艶やかで眩い金髪の先の房を、メタリックな7つの色に染めている妙齢の少女は、
法衣を衣擦れさせつつ……構えた。決して小柄ではないほっそりした体より、更に長く、そして軍事的な造詣の……銃を。

 黒光りする銃口と、眼鏡の奥の絶対的な殺意を、しかし盟主は涼やかに受け流しながら……呼ばう。

「始めましての方がいいかい? それとも久しぶりと言った方が昂ぶるかい? 羸砲(るいづつ)……ヌヌ行」
「どちらでも。……やれやれ。我輩はむしろ『影からいろいろ操る』方が得意なのだけれど……見つけてしまった以上やる
しかない、か」

 かつて武藤ソウヤをパピヨンパークに送った時空形武装錬金の使い手の……転生。
 彼女もまた、救出作戦の、陰にあった。

 目的はただ1つ!!

 大戦士長坂口照星誘拐時の戦闘でレティクルに囚われ怪物と化した武藤ソウヤを……元に戻す!!

 そのために盟主と演じた『戦い』が戦団全体に波及をもたらしつつあるとは……さすがのイオイソゴでさえ知りえない!
.

「ともかく合流地点……新月村到着ね」
「はあ……」

 村に踏み入れるなり青い顔で俯いた犬飼に「やっぱり気が重い?」と円山は微苦笑した。
(ま、そりゃ青くもなるな。何しろ救出作戦冒頭で、救出対象たる坂口照星どのが生首になってましたと、そう報告せねば
ならん訳だ。誰だって気が重い。追跡の遅れという、分かりやすい失点のある犬飼ならなおさら)
 フと笑ったのはむろん総角。円山の笑いはいよいよカラカラする。
「いっそ伏せちゃう? 大戦士長のコト」
「できるか!」 眼鏡の青年は短く叫んだ。「隠蔽とか最悪だろ。キッチリ言う。それが落とし前だ!」。
 肩を怒らせのっしのっしと人の気配のある方へ歩いていく犬飼に、円山の視線はますます好意を増す。

90 :
「だからやめろってソレ……。犬飼が大した奴だとは分かるけど」
 ちょっとだけ彼の耳がピクっとした。落ちこぼれだから、賞賛には、弱い。
「何しろアイツ、報告相手が”あの”火渡戦士長だって分かった上で向かってるんだからな。フ。大したものさ」
 ピキッ。歩いていた犬飼が石化した。
「いま気付いたみたいね……」
「フ。イソゴ戦の鋭さどこへやら、か」
 青年はもう、後ろからでも分かるぐらい、ブルブル震えている。インフルエンザにかかったような震え具合だ。
 人を喰う怪物よりも、人を守る戦士の方が怖いというのも妙な話だが、イオイソゴはえげつないながらに、見た目は小さな
女のコで、なんだかんだよく笑うタイプだった。卑屈な青年が一種の理想像にしがちな類型ではあるし、何より戦略上の都合で
犬飼本人は直接攻撃を、痛い目を、加えなかったから、恐怖感があまりないのは当然だと円山は思う。
 一方の火渡は凶悪なご面相が看板で、「Rぞ」が口癖なのを見ればお察しだ。美とエロスを孕むホラー映画の美少女
型クリーチャーと、残虐指定で18禁を喰らったバイオレンス映画の若頭では、どちらとお話したいか考えるまでもないだろう。

91 :
 よろめいた彼は木の棒にもたれかかる。角材にくくりつけられた丸い棒に。奇妙なオブジェだがそれもそのはず、明治11
年のとある時機、『村から逃げた警視庁の密偵』の、両親の死骸を吊るすため設計されたのだから仕方ない。誰がどういう
意図で遺したのか、風雨も1000では収まらないだろうに奇跡的に現存するその丸い棒に犬飼は寄りかかった。

(いやいやいや、さっき頚動脈切っただろ! ああ、あれに比べれば多少殴られても痛くない筈だ大丈夫だ。あああでもでも
ああした理由の1つって実は火渡戦士長にどやされるのが怖くて怖くて耐えられないからなんだよなあ……。じ、自分でも情
けないけど、失敗を怒鳴り声で突きつけられるのって本当怖い、自分がやっぱり駄目な奴だって認識させられるようで怖いし
火渡戦士長のそれはとびきりだし……。あああ怖い怖い嫌だ嫌だ話したくない助けてじっちゃんお願いだ……)

「めっちゃ動揺してるな犬飼……」
「不祥事で糾弾されるの怖くて飛び降りやったのに助かって、退院後すぐ鬼部長に呼び出された会社員じゃないんだから……」

 歯の根をガチガチと鳴らす青年は、高慢な総角すら(なんとかしてやらにゃ可哀想すぎだろ……)と憐憫催すほどの姿だった。

92 :
(何か策ない?)
(……フ。ある)
(さすが小細工の達人)
(いやいやお前ほどでも……)
(……)
(……)

 キャーキャー。

 円山と総角が両目不等号でグッグッと拳を突きつけあって意気投合したのは犬飼いじりの一点に於いてである。
 ほどよく見込みがあり、ほどよくヘタレで、ほどよく知恵の貸し甲斐とからかい甲斐のある青年が無性に可愛く思えてきたのだ。

 総角、円山に何やら耳打ち。犬飼が気付かなかったのは背中を向けていたせいもあるが、懊悩で頭を掻き毟っていたからだ。

(まあアイツ俺が言うと逆らうからな)
(なるほど。私が言うのね。味方してもオーケーって言われた私が)

93 :
 苦い意見をお母さん的な存在にやんわりと伝えさせる総角の慣れた手管は無銘少年を育てたが故か。

 ともかくパっと歩みを進めた円山は、犬飼の肩から顔を覗かせそして言う。

「丸く収まる、いいおまじないあるけど、聞く?」

.

 そして。

.

94 :
 合流地点の廃村で、津村斗貴子は眦が裂けんばかりに目を見開いていた。

「馬鹿な……! どうしてお前が…………!」

 火渡赤馬は凶笑しながら炎を出し──…

 合流していた鐶光は、感傷を以って来訪者を、眺めた。

 一同の視線を集めたのはもちろん総角主税である。

 斗貴子の驚きは、『銀成で消えた筈のお前がどうして』というものであり、火渡の凶笑は7年前人生に致命的な損傷を与え
た存在と同属たるモノが来たコトに対する反射的なものであり、且つ、それと同行している犬飼と円山が、どうやらアジト付近
から逃げてきたあげく、ホムンクルスに助けられたらしいと察したからだ。

 鐶の感傷は、しばらく行方不明だった上司との思わぬ再会に対する安堵であり……感泣。

「いろいろありますが」

 と前に出たのは……犬飼。持ち場勝手に離れやがってと怒鳴りかけた火渡だが、『負け犬』の眼光に微妙な変化を認めた
彼は「……なんだよ」とぶっきらぼうに告げるに留まる。

「火渡戦士長、お話があります」

 重大事と察したらしい。火渡は手近な廃屋を指で示した。

「そこで聞く。聞く奴も限定」

 結果廃屋内に招かれたのは犬飼と円山、火渡を除けば──…

 毒島。(火渡の秘書)

 斗貴子、剛太、桜花。(銀成組代表)

 総角、鐶(音楽隊トップ2)

 の他、天辺星さま&奏定や『師範チメジュディゲダール』、艦長といった各部隊のリーダー級7〜8人。


「犬飼の報告を公開するかどうか首脳部で検討したいのは分かるけど、なの」

 廃屋の周囲をめぐりながら、天候の具象化のようなファンシーな少女がぼやく。

「見張りとか不満、なの。私は斗貴子さんとお話したい、なの」
「まーまーここ一時的にとはいえ司令部だし。攻撃力のドラちゃんに防御力の殺陣師サンが固めておけば安心でしょ」
『レティクルが来るかも、だからな!』
「しゃー! あんたら盗み聞きしにきたらダメじゃん!!」

 何が行われているのだろうと詰め掛ける戦士たちを威嚇し追い払う香美であった。


 屋内でやや震えを帯びた犬飼は話す。盟主の急襲を受けたコト、戦部が足止めで残ったコト。イオイソゴに追撃され、抵抗
空しく総角に助けられたコト……などなど起こった事実の総てをつぶさに報告した。


「だ、大戦士長が……」
「殺された……ですって……?」

 蒼褪めて呻くのは剛太と桜花。毒島は気死寸前といったようすでフラつき、天辺星さまに到ってはワーワーギャーギャー
騒ぎ始めたのを奏定に塞がれる始末である。他の面々もざわつきだす。

95 :
「ほんとうか……?」
「クローンか何かなんじゃ……」

 斗貴子も平然とはしていられなかったが、しかし……気付く。

(火渡戦士長が激昂していない……? 大戦士長の教え子のはずなのに……)

「騒ぐこたぁねえよ」

 大型肉食獣顔負けの野太い牙を剥き出して彼は破笑(わら)った。

「け! けど! 救出すべき対象が木星の幹部に……首、首を刎ねられたんスよ!? そりゃ確かに向こうには死者だって
蘇生できるグレイズィングが居ますけど、生き返らせてくれるかどうか……!」

 剛太がワーっと行ったのは頭が回るくせに軽躁だからだ。その口火に何人かの戦士が雷同し、大丈夫なのかと口々に
問いかける。
 そこにクローン説を支持する層が反論するからたまらない。むしろその層は楽観的が故に温和な物言いだが、理性ゆえ
大戦士長殺害に恐慌ぎみな理性派層は、一種の生真面目さも相まって語調がややキツくなる。そうなるといわれた方も人
間だから、激昂とまではいかないもののちょっと甲走った声になり、それが理性派層を余計に刺激するから場の空気は
若干だが悪くなる。「うー。中、うっさいし」……外で耳のいい香美が顔をしかめるほどの声が二つ三つ飛び始めた。

「問題ねえつってんだろ……?」

 ざわめきが気に障ったらしく声を低くし凶相に皺よせる火渡。彼が一座をねめつけるだけであらゆる声が静まった。

(話の通じなそうな人だけど……)
(だからこそ紛糾している時のまとめ役にはピッタリですね……)

 桜花と毒島は火渡の威圧にこの時ばかりは感嘆した。

「いいか」。立っていた火渡は、傍の、破れて黄色いウレタンが剥き出しのソファーのホコリを腰を沈め押し出した。のみな
らず足さえ組んだ彼は、山賊か反政府ゲリラの首魁のような形相でニヤリと笑う。タバコの先で爆ぜ続ける火花だけが照明
だった。

「あの老頭児をブッRのがレティクルの連中の目的だってんなら攫ったその日にやってるさ」
「ワ、ワタシたち誘き寄せるためって線だってチョーチョーあるでしょ! で、みんなチョーチョー集まったからハイ用済みで
始末したってセンもモガガ」
「だから黙ってくれないかなあ天辺星さま。後でどやされるの私なんだけどなあ……」
 なんで天辺星さままで呼んだんだろ、奏定だけで充分なのに……といった視線が2人に刺さる中、「だったらよォ」と火渡は
頬杖ついて真顔になる。
「だったら何で木星の野郎はあの老頭児の首回収した? オイそうだよな負け犬。あの野郎、テメーらに投げたあと、した
んだよな回収」
「は、はい」。犬飼はやや上ずった声でビシィっと直立した。「アイツずっと持ってました! 持っていたらボクのレイビーズで
所在を嗅ぎつけられるっていうのに、リスク覚悟でどういう訳か!!」。
 あああホント怖い火渡戦士長、円山のいったおまじないとか本当に聞くんだろうなとヘタレな青年ブルブル震えるが、火渡
はさほど気にした様子もなく、
「つーコトはだ」
 俺らがココに集結した後でなお、生首を持っていたなら、根来の忍法で蘇生されるのを防ぎたがってたつーんなら……ギ
シギシとソファーを揺すりながら、火渡は分析する。ああ、世にこれほど恐ろしげな安楽椅子探偵があったろうか。
「老頭児は俺ら誘き寄せるためのエサじゃねえ。後に控える、『他の目的』の為だ」
(……確かに連中は、ただ私たちを殲滅できればいいという様子ではなかった)
 斗貴子も頷く。
(『マレフィックアースの器』。何らかの強大なエネルギーを降ろす寄り代を彼らは探しているようだった。問題はそれがこの
戦いや大戦士長とどう結びつくかだが)
 鋭い斗貴子ではあるが、レティクルの目論見は皆目見当もつかないのが実情だ。銀成市で劇を妨害し、即興劇の興奮
にかこつけて武装錬金を発動させたかと思えば、戦団に対しては大戦士長を誘拐するといったとんでもない狼藉を働いて
いる。それらに一貫性や関連性がないから、だから斗貴子には分からない。
(これらが『器』とやらにどう関わってくるんだ……? ただの人体実験でも済むのに……いや、人体実験じたい許せない
ものだが、少なくても秘密裏には行える筈。なのになぜ大戦士長誘拐なんてする? どうしてコトを荒立てる……?)

96 :
 事件当初はよくある共同体の悪行程度にしか思っていなかった斗貴子だが、銀成におけるレティクルとの接触で目的
の一端を知った後では、照星誘拐への見方は変わらざるを得ない。

(殺してなお、蘇生したがる理由は──…)

 桜花の脳裏に浮かぶはただ1つの武装錬金。元同輩の、武装錬金。

「ヘッ。何を企んでいようが関係ねえさ」

 火渡は笑う。考えるのを放棄した笑いではない。想到を斗貴子と同じ領域にまで到らせた上での、破城槌的な決断の
笑みだ。

「要は連中全員ブッ殺せばいいだけだろ。そうしたら老頭児の生死だの器だのゴチャゴチャしたコトも片付いて仕舞いだ」

 単純明快な意見だがそれだけに浸透しやすい。楽観組の戦意は目に見えて上がった。理性組も「……現に各部隊が
襲撃受けてるし、仕方ない、か」と不承不承ながら同意する。

「だからメンバーを選抜次第、所在の割れた盟主に一斉攻撃を仕掛けに行くつもりだが……」

 火渡の次の行動を制止できたものはいなかった。気付いた時にはもう奔流が人物を薙いでいた。炎(も)える投網が
犬飼倫太郎の上半身をすっぽりと包み込んでいたのだ。
 前触れもない、思わぬ突然の焼殺行為に戦士一同が(粛清……!?)(確かに追跡自体は前半遅れていたっていう
けど)(焼きRほどか!?)(大戦士長の落命との因果関係だって未検証なのに……!!)唖然とする中、

「へ」

 火渡は凄絶な微笑を浮かべた。

「やるじゃねえか」

 喉首を噛み破られる寸前の、体勢で。

「キ、キラーレイビーズ!!」

 剛太が唖然とするのもむべなるかな。いつの間にやら軍用犬が、横倒しの鼻先を火渡の襟先に潜り込ませている!!
そして鋭い牙の羅列を首の両側スレスレに……這わせている!!

「待てなんで無事だ!? 木星相手に自爆したんだよな! だったら核鉄はボロボロのはず! こんなキレイな状態で発動
できる訳が」
「フ。俺が治したに決まってるだろう新米戦士。我がハズオブラブは錬金術の産物も癒せる。核鉄も、な」
「実際……銀成市で…………私に両断されたソードサムライXの……核鉄だって……リーダーの衛生兵で修復され……
その後の剣戟に活用され……ましたし……」

 ハイハイ犬飼たちの治療ついでに治したのねと呻く剛太へと、「ついでに精神力の方も満タンになったから、私も犬飼ちゃ
んも万全の状態で使えるわよ武装錬金」と答えた円山の、視線の先で。

「え!! ええッ!!?」

 一番たまぎるような悲鳴を上げたのは……犬飼当人だ。燃焼の膜(ブレーン)がはらりと解けた彼は、己の武装錬金の
仕出かしている乱行に心底驚いた様子で武装解除し何度も何度も頭を下げた。

「……こっちも無事だし…………。戦団最強の攻撃力を前に服すら焦げてないとか……どうなってんだよ…………」

 ガマガエルのような声をあげるエンゼル御前に「斬り裂いたんだ」と答えたのは斗貴子。

「炎が放たれた瞬間犬飼は無音無動作でキラーレイビーズを発動。その牙や爪で向かってくる業火を切り裂いたんだ」
「なるほど。秋水クンよろしく剣圧のようなもので炎を押しのけた、と。燃え盛っているようにこそ見えたけど中は空洞、
犬飼とその周囲だけは燃焼を免れていた……って訳ね」
「ンな芸当ができるんだったらさあ、なんでアイツ奥多摩でカズキンゴーチンに負けたんだよ?」

97 :
「……成長……したの、です。イオイソゴさんとの戦いで、レベルアップしたの……です! レベル差がありすぎると……
補正で……ダメージ与えるだけで……経験値たくさんに、なるの……です……!!」
(マジかボク強くなったのか!) 喜ぶ犬飼の心を穿ったのは斗貴子の「いやそこまで速くなってないぞ」という半眼での
指摘。
「奥多摩では……まあ、私は円山に専念していたから、背後で暴れるレイビーズを直接じっくり見た訳ではないが、彼が
突然私を狙ってきた場合に備え気配で向きや速度を探ってはいたのだが……」
「あら。じゃあその時からあまり速くなってない……?」
「増してはいる。けど……測定しないコトには断言できないが、私の見たところではせいぜい10%から15%ぐらいだぞ?
確かに”あの”木星の幹部と基本的にはわずか2名で戦って生き延びた以上、成長はしているようだが」
 いきなり常時あの時のセーフティ解除状態なるとかそんなムチャクチャな成長ある訳ないだろと、極めて冷静に斗貴子
は言う。
(ク、クソ。低く見やがって……!)
 毒づく犬飼だが、ユーモラスな泣き顔にしかなれない。白玉のような瞳から滝を流すのが精一杯。
「……いやでも劇的な成長してないなら、逆におかしくない津村さん」
「そうだぜ。さほどレベルアップしてないってなら、どうして火渡の炎切り裂けたんだよ」
 精神の問題だな。部活動の副部長然とした凛呼たる少女は答えて曰く。
「犬飼は、火渡戦士長が炎を発したその瞬間ほぼ同時にキラーレイビーズを発動していた。その爪牙が炎を切り裂けた
のはひとえに初動が速かったからだ。炎が最高速に達する前に軍用犬の最高速が犬飼の遠間で迎撃を始めたから、
火渡戦士長の攻撃を、裁ち切りバサミに当てられた動く緋毛氈の如く捌けたんだ」
 武装錬金のスペックより、人間の境地が物を言ったわけね。桜花が納得するのは剣客の弟を持つがゆえか。
「だな。正に境地の問題。普通なら……今までの犬飼ならまずできなかった芸当だ。なにせ”あの”火渡戦士長の攻撃なんだ。
まず起こりを察知するコト自体困難だし、察知できてもその余りの威力に迷う。迎撃するべきか、避けるべきか……と」
「でも犬飼は迷わず前者を選んだ……?」
「私は7年戦士をやっているが、それだけの境地に到っているかどうか断言できない。戦部や、防人戦士長のような、相当な
場数を踏んでいないと今の犬飼並みの察知は不可能。火渡戦士長の業火を迷わず迎撃するなど不可能」
「そういった意味では……イオイソゴさんとの戦いの……経験値が……経験値が……」
 虚ろな目でエヘエヘ笑いながら斗貴子の袖を引く鐶だったが、ぷいっと解かれたので「えうー……です」と軽く泣いた。
「ちなみに」 鐶を鬱陶しそうに垂れ目へ収めながら、手を挙げたのは剛太。
「何でキラーレイビーズ……火渡戦士長の喉元にまで突っ込んでしまってるんスか? いくら成長したつっても、犬飼ですよ?
いきなり火渡戦士長を殺しにかかるなんてそんな度胸……」
「ん? ソレって遠回りに自分を売り込んでるの?」
 指摘は思わぬ方角から来た。円山がそちらに居ると知った剛太は眉を顰める。
「売り込む? なんで俺が?」
「だってアナタだって火渡戦士長の喉首斬ったじゃない。私たち再殺部隊6人が集結したあの雨の朝」
 思い返した剛太はしばらく呆然としていたが、急にボっと紅くなる。
「ちちち、違います、ああああの時はただ必死だっただけで!! せせ先輩のため戦うコトを決意した俺並みの境地に
そう簡単になれる奴がいないって主張するため犬飼どうこう言った訳じゃなくてですね」
 キミが何を慌ててるのかよく分からんが……肩を掴んで騒ぐ後輩を心底不思議そうに見た斗貴子は(いやそこは気付いて
あげて津村さん)と可愛らしくむくれる深窓の桜花の気配にも気付かぬまま、
「キラーレイビーズが火渡戦士長の喉首で止まったのは、不慣れな炎の切り裂きに、勢い余って突っ込んでしまったのだけ
だろう。何しろ炎の発生源があの人だ、軌道的に突っ込んでしまうのは仕方ない」
「そそそそうなんです! だから攻撃するつもりは……!!」
 慌しくレイビーズを解除した犬飼は、五指同士を曲げて絡めあった拝み手を上下し必死に弁明する。
「テメェ確か予定じゃ、見張り終わり次第後方へ下がる……だったな?」
「は、はい……」
 なよっとした肩に節くれだった熱い手を乗せられた犬飼は笛を吹くような声を漏らす。火渡の顔は、近い。めらめらっと
跳ねるくわえタバコの炎はただでさえ恐ろしげな凶相の陰影をよりドス黒く彩るからたまらない。

98 :
 あまりの威圧感に(あ、ああ、やっぱお払い箱、そうだよな追跡トロかったし大戦士長救えなかったしその上いま攻撃した
し……!)と犬飼は半ば戦力外通告じみた後方転属の辞令を覚悟する。

「取り消しだ。死ぬまで戦え」

 くるりと踵を返した火渡の言葉の意味を犬飼は、「オイ円山。てめえもだ。傷も精神力も回復してるつったよな」というドス
まみれの指図を聞いてもなお掴みかねた。

「え!? ざ、残留していいんですか前線に……? この、ボクが……」
「嫌ならこの場でブッRだけだ。核鉄待ちの予備役なんざ幾らでもいるって知ってるよな……?」

 振り返って睨みつける火渡に「い、いえ、頑張ります。はい。頑張り……ます!」と犬飼は直立不動で声を張り上げた。

「えーと。どういうコト? レイビーズよりもっと強い武装錬金あるだろうに、なんで核鉄預けたままにすんの?」

 呟く御前を撫でながら「馬鹿ねぇ」と桜花、自問自答の一種を演ずる。

「さっきの攻撃で彼が成長したって判断したのよ。スペックや境地が以前とは違うから、残しておこうって」
「大戦士長が生首にされていた件の保留でもあるな。ここに居る部隊長クラスの戦士たちに示したんだろう。自分が残留を
許可した以上、追跡の遅れうんぬんで責め立てて騒ぐなと」
「……ソレ、普通にやったらエコヒイキってますます反感買わないスか先輩」
 いえ、大丈夫、の、ようです……と戦士たちを指差したのは鐶光。

「さっきの犬飼チョーチョー凄かった!! だいたいあのイオイソゴさんに追跡されて生き残ってたんだからチョーチョー
強い! 戦って挽回できる人なら居た方がいいチョーチョーいい!!」
「……まあ、失敗してもやり直せるって…………いいしね。フフ……。そもそも私のように直接無辜の人が死ぬきっかけ
を作った訳でもないからね犬飼は……。フ、ウフフ。それに比べて私は……私は……」

 わーわー景気よく叫ぶ金髪サイドポニーの少女の傍で、しょうゆ顔でイケメンだが、薄幸オーラが物凄い青年が自嘲めい
た呻きをもらしているのに気付いた剛太は「あー」と片頬引き攣らせる。

「チーム天辺星のトップ2人……相変わらず対照的だな…………」
「というか奏定(かなさだ)……だっけ? あの副隊長むかし何やらかしたんだよ……」
 御前の問いに促され奏定を見た総角主税はちょっと息を呑んでから、「あー」と珍しく崩れた顔をした。
「その、そっとしておいてやってくれ。冤罪の人を間違って……からの、悲劇の連鎖をだな、彼は起こしていて……」
「……? 待て。なんで戦士でもないお前が奏定副隊長の前歴を知っている? ウワサですら聞いたコトないぞ私は」
 斗貴子が怪訝な顔をすると、その声で奏定が見てきた。彼は総角と視線が合うと驚いたり察したりしたあと、
「…………。ハハハ。お久しぶりなのかどうか、微妙だね…………」
「あ、ああ。俺の方は初対面、なんだろうが…………」
 また微妙なやり取りをした。
「だからキミたちの間に何があったんだ……?」
 斗貴子の問いに直接答える者はいなかった。

(フフッ。まさか総角が、知り合いの分身の、転生した姿だなんて、いえない、からねえ)

 護衛が増えた廃屋の周りで、そう思ったのは果たして誰か。

 ともかく小屋の内部では。

「……というかその、総角君…………だったよね。たぶん、あとで……私なんかよりずっとヒドいサプライズが、だね……」
「フ。もう大概のことじゃ驚かないさ」

 という、「前言撤回驚きました」の前フリでしかない会話や、

「はへー?」
 奏定に見られた天辺星さまが、心底気の抜けた表情でコッキリンと首を45度に傾ける情景や、

99 :
 それから先ほどからの犬飼がらみの流れを汲んだ、うんまあ確かに無意識にとはいえ火渡戦士長に一矢報いたのは凄
いし、とか、円山から聞いたけど落とし前で頚動脈切った状態で物凄い策の数々を連発したらしいぞ犬飼、とか、べ、別にあ
んな落ちこぼれのコト認めた訳じゃないんだからねっ、で、でもちょっとは凄いかなあなんて……え、わた、わたし何も言っ
てないし!! とかいった意見が戦士の間で交差し始めている。

「フ。イソゴ戦で成長した犬飼の、今のありようを見せたのが大きいな」
 大儀そうに片目をつむりながら、腕組みして微笑する総角。

(ああ。円山の根回しが効いてる……。今まで嫌な奴だと思ってたけど人に助けてもらえるって、認めてもらえるって
いいなあ。火渡戦士長も案外優しかったし……)

「だがLII(52)の核鉄だきゃあ没収だ」
「えッ!! ああ!!」

 左ポケットに入れていた剣持真希士の核鉄……LII(52)が、首だけ捻じ曲げ犬飼を見る火渡の、肩の上に差し伸べら
れた右手に握られているのを見た犬飼はギョっとした。

「これを銀成からわざわざ取り寄せてやったのはテメエが老頭児の追跡に手間取っていたせいだからな。成長したっつーん
なら核鉄1つで戦いぬいて見せろ。第一老頭児の首1つ持って帰って来れなかった奴に何のペナルティもねえってのは我慢
ならねえ」
「ああ、熱っ! アレ時間差! 時間差で服が……!! 水、誰か水プリーーズ!!!」
 焦げた煙を左ポケットから上げながら走り回る犬飼に、

(……なるほど。まったく見えなかったが……犬飼に炎を向けた時、解除していたらしい。腕の一部を火炎同化からな)
(レイビーズに切り裂かれながらも、腕だけは左ポケットに潜り込ませていたんですね)
(で、焼いたと。あらあらお灸にしてはやりすぎね)
(…………犬飼さんは、面白い……です)

 斗貴子が感嘆し剛太が頷き、桜花が言葉ほどには同情を見せず、鐶がニヘラーと饅頭のように頬を緩ませる中、

(あああ、でも良かった、円山のいう”おまじない”が効いた……)

 犬飼が、思うのは。


──「LII(52)の核鉄、左ポケットに入れておいた方がいいわよ」

──「なんでだよ? てかボクの自前の方もそうしなきゃダメか?」

──「あ、そっちは大丈夫っていうか、必ず右ポケットに……あ、そもそも犬飼ちゃん、右利きよね? 基本的に犬笛右手
で持ってるから……右利きよね?」

──「そうだけど」

──「じゃあLII(52)の核鉄、左ポケットね」


 新月村到着後おこなわれたその問答は、火渡の決定的な不興の回避に繋がった。


(なぜなら火渡戦士長はたぶん最初からLII(52)の核鉄を取り上げるつもりだったから! で、ボクが右ポケットからレイビー
ズを発動した瞬間、核鉄の擦れる音の有無──右に2つ入れていたら、咄嗟に手を突っ込んだとき、金属同士の触れる音
がしただろうね──とか、服全体の微妙な重心のズレとかから、左ポケットにLII(52)があると判断して、火炎同化を部分解
除したその腕で抜き取った訳だけど)

 これが右ポケットにあったのなら、つまりLII(52)でレイビーズを発動していたのなら、火渡にゆくのは犬飼のXCII(92)に
なってしまう。

100 :
(そうなった場合絶対ボクは殴られた。だって火渡戦士長が欲しいのはLII(52)だからね。LII(52)じゃないとダメな理由がある)

 防人と火渡の微妙な関係ぐらい犬飼だって知っている。で、LII(52)の核鉄の持ち主は剣持真希士。今は亡き、防人の部下だ。
いわばLII(52)は『火渡の親友の部下の形見』だから、この場で回収したいのは人情といえよう。


「なぜなら防人戦士長が、あの火星の幹部に挑むかも知れないから……ですよね」

 屋外に出て喫煙する火渡の背後にスっと現れた毒島が、言う。全体会議が終わった直後の話である。

「火星の幹部・ディプレス=シンカヒアの分解能力は絶対防御のシルバースキンすら突破する代物ですから……火渡様は
……お渡したいんですね。LII(52)の核鉄を、剣持サンの形見を、防人戦士長にお渡しして……少しでも助けにと」
「……いちいち言うんじゃねえ。Rぞ」
 ごくごくわずかだが不快そうに目を閉じ答える火渡。毒島は心得たもので、「その時は私も……助力しますから」とだけ
添えた。


 と、同時に。

 轟音がし、地面が揺れた。

 敵襲を疑うべき状況だが、火渡はたっぷりとタバコを味わい、毒島もちょっと首を伸ばして音のした方向を見るに留まる。

「アレも想定の内ですね?」
「当然! わざわざ恵んでやったんだ、これで貸し借りなしだろうさ」




 総角主税、【ブレイズオブグローリー】……ゲット!


 剛太、斗貴子、桜花、御前……呻く。

「だよなあ。さっき見せちゃったもんなあ」
「DNA経由でないぶん完全再現とは行かないが……」
「あらやだ。お互い天才気取りだから相性いいようで」
「見ただけで結構な威力かよ…………」

 焼かれたのは合流地点に押し寄せてきたクライマックスの自動人形で、それは広めの四つ辻に出来上がった直径8mの
クレーター周りでじゅるじゅると炎に冶金され消えていく。

「フ。LII(52)の核鉄の修繕費としては過分も過分。今のは試射ゆえ加減したが全力でいけば半径200m以上はカタい」
「だからコイツ誰か止めろよ!! 共闘するたびパクってくぞ!!?」

 絶叫したのは犬飼倫太郎。

「……確かになあ」
「よく考えたら最悪なのよね総角クン。見るだけで人の武装錬金パクれるし、態度でかいし……」
「茹でガエルだな……。私としたコトがすっかり慣れきっていた。疑問に思わなくなっていた……。奴の態度のデカさすら……」
「いや、俺らん時はまだ被害軽かったですからね。自分の使われたら腹立ちますけど、それでもエンゼル御前もバルスカ
もモーターギアも、火力じたいは低かったんですから……。態度は大きいですけど……」

 それが今度はとうとう、戦団最強の攻撃力と目されるブレイズオブグローリーを手にしてしまった。
 まだ影からコソっと盗んだのなら腹も立つが、どうやら火渡、何としても防人に渡したいLII(52)の核鉄の修繕費代わり
として先ほどの犬飼への攻撃時”わざと”総角に見せたらしい。いわば本人公認だから逆にタチが悪い。


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