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馬場・猪木VSブッチャー・シン 10.8後楽園 Part2


1 :2016/10/04 〜 最終レス :2019/09/03
前レスが懐かしすぎたので、Part2を立てました。
オールドファンもリアルファンは奮ってスレを!

2 :
リアルファンは → リアルファンも

新日、全日、それに国際、いくら語っても語り尽くせない昭和のプロレス。

あと数年で60歳を迎える私だが、職場の同僚達はオールドプロ野球ファンばかり。
毎夏、高校野球応援スタンドのスカイハイ、炎のファイター、サンライズを聞く度に、昭和プロレスを思い出す。

新日派VS全日派の論争。馬場だ、猪木だ、ハンセンだ。更に私たちが闘ってたのは、プロレスアンチの冷たい言葉と視線だったな。でも、そんな全てが今は懐かしい。

3 :
10月7日に東京・後楽園ホールで開催されるイベント「10・7 昭和の新日本プロレスが蘇る日」の会見が30日、
都内で行われ、今年3月に発見されたプロレス夢のオールスター戦(AS戦)の映像を公開することを発表した。

 このオールスター戦は79年8月26日に日本武道館で新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの
3団体が参加して行われた夢の興行であったが、各団体のテレビ局との契約の問題などによりテレビ中継はされず、
メーンイベントのジャイアント馬場、アントニオ猪木組−アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガージェットシン組戦が
スポーツニュースで数分間放映されただけ。これまで全試合の映像は公開にされたことはなかった。

 会見に出席した同イベントの実行委員長で元新日本プロレス専務取締役兼営業本部長の新間寿氏は
「私が秘蔵していました(オールスター戦の)全試合のビデオが、今年3月に引っ越しした時に見つかりました」と、
幻の映像を発見したことを発表。実況音声のない約2時間の映像で、「10月7日は最低でも30分は
上映できるような枠を獲りたい。ご期待下さい」と、史上初公開すると話した。

 同イベントは、新日本プロレスの坂口征二相談役、藤波辰爾、初代タイガーマスク、小林邦昭氏ら
新日本プロレスで活躍した面々に加え、元テレビ朝日アナウンサーの舟橋慶一氏、多くの
プロレス評論家らが出演。名勝負の上映会、トークバトル、プロレスお宝展示など盛りだくさんの内容で行われる。

デイリースポーツ 9月30日(金)17時53分配信
http://headlines.yah...0-00000069-dal-fight
会見を行った(左から)藤波辰爾、新間氏、初代タイガーマスク、舟橋氏
http://amd.c.yimg.jp...9-dal-000-2-view.jpg

4 :
坂口征二相談役www 
世に相談役色々いれど、クソの役にもたたねーヤツだなwww

5 :
坂口征二の存在があったからこそ、テレビの医龍がいいドラマになったよね

6 :
「世界の荒鷲」、小学生の時に鷲という漢字が難しくて書けなかった

7 :
8日に後楽園ホールに行った人がいたら是非、感想ききたいな
でもB席4千円は高いな。半額にして回数増やして欲しいな。
私の中学の頃は後楽園球場の巨人阪神戦も日本武道館などでのプロレスビックカ
ードもだふ屋さんから安い券が買えたな
パンチパーマの「やすいけんあるよー、
やすいけんあるよ」「あまりけんあったらかうよー」のダミ声が今も記憶に残ってる

8 :
イベントの4千円が高いとか
日本がどんどん貧しい国になってく様だわ

9 :
東京ドームのハンセンVSホーガンとかリングサイド近くの何万円かの席をだふ屋から2千円ぐらいで買ったな
今、だふ屋いないしな

10 :
元子とか無断使用で怒ってカネ貰いに来そう。

11 :
ジャイアント馬場 アントニオ猪木の対戦相手。
夢のオールスター戦ではザファンクスよりアブドーラザブッチャー タイガージェットシンで良かった。
ザファンクスならキレイな試合にはなったろうが。
9年振りの対決にもなり。
でもアブドーラザブッチャー タイガージェットシンの方が話題性も新鮮味もあった。
アントニオ猪木とアブドーラザブッチャーの久々の対決。
共通の師匠を持つジャイアント馬場とタイガージェットシンの初対決。
またタイガージェットシンとアブドーラザブッチャーは当時のNo.1外国人。
しかも大ヒール。
そして当時は収容が蔵前国技館より上回る日本武道館。
この時代に東京ドームがあっちゃれば東京ドーム開催は間違いなし。

他の試合もまともな映像で全部見たいわ。

12 :
プロレスでも野球でもだふ屋から買う時
って、予め1500円まで、とか2千円まで
出そうって決めておいて、余分なお金は看板とかに隠しておいてだふ屋と交渉したな。
巨人阪神戦やドームや武道館のプロレスビックカードって、だふ屋が最初は5千円とか言ってくるだけど、こっちが千5百点円とかしか無いっていうと、それで数万円券が買えたりするんだよね。
最初はパンチパーマでダミ声で怖かったけど、だんだん交渉が面白くなってきた
。そして後楽園ホールなんていつも同じだふ屋なんだよね。そんなことに慣れると正規料金のチケットなんてぜんぜん、
買わなくなった。
今はだふ屋っていないんだろうな。前レスでも書いたけど、だふ屋が札(ふだ)
の反対言葉だって最初の頃は知らなかった。
昭和、昭和。

13 :
看板→かばん

14 :
普通にようつべであがってただろ、保存してあるし、何を今更、、、

15 :
>>11
GI砲の対戦相手って、確か東スポとかハガキを出しての投票だったように記憶。
そして
1位 ブッチャー、シン
2位 ブァンクス
3位 ハンブロ
だったような記憶
私はハンブロでハガキを出したような

でも、ぜんぜん記憶違いかもしれません

16 :
→東スポとかに

17 :
でもハガキでのファン投票の結果なんてどうにでも細工できるから、始めからブ
ッチャー、シンだったのかな?
とにかくファンクスじゃなくてよかった

18 :
このスレ、17レスで伸びてるな、と思ったら、私がこれで13レス。馬鹿ですね

19 :
>>18
おっちゃん頑張れwオレもおっちゃんだけどw

20 :
私、おっちゃんだから全日や新日や世界のプロレスとかの録りだめ映像いっぱいあるよ
マードックVS前田とか長州VS原、輪島V
Sシン、デビルVSジャガー、ウォリアーズVSハンセンレイス、北尾VSビガロとかね
老後の楽しみなんだ

21 :
何故か前田をいっぱい持ってる
前田VS藤波、猪木上田VS前田藤原とかね
じゃあ、出勤です

22 :
>>15
何年か前にこの対戦チーム公募の結果が何かに掲載されていた。
1位 アブドーラザブッチャー タイガージェットシン
2位 ザファンクス

3位以下は忘れたが、タイガージェットシン ザシークやジャンボ鶴田 藤波辰巳等も。
ハーリーレイス ボブバックランドやアンドレザジャイアント アブドーラザブッチャーとかも。
それで確かスタンハンセンとブルーザーブロディの名前が一つもなかったはず。
それが意外に思えた記憶が。
この公募は1979年春頃。
もちろん夢のオールスター戦開催決定後だ。
この当時はまだリアルでは見てなかったが。

で、1979年春だとスタンハンセンはまだ4回しか来日してなかった。
※1979年春のMSGシリーズ含めて4回。

ブルーザーブロディはこの時点ではこの年の1月の1回しか来日してなかった。
だから1979年春の時点では二人はまだ日本ではあまり認知されてなかったのだろう。
あのファン投票の公募結果を見てそう思うたわい。
確か上位からベスト30くらいあったはず。
その中にスタンハンセンもブルーザーブロディも全く名前が無くて一瞬驚いた記憶がある。
ハルクホーガンに於いてはこの時点ではまだ来日してない。
取り敢えず期待の新人として日本でも多少は報道されていたとは思うが。

しかしこの3年後の1982年に計画された第二回夢のオールスター戦。
この時はスタンハンセン、ブルーザーブロディやハルクホーガンが中心だった。

23 :
新日本プロレスリングのDVD『極悪ヒール列伝』っちゅうのがある。
この中でマサ斎藤のアピールコーナーがあるのだ。
マサ斎藤がインタビューっちゅうがマイクで喚いてる映像。
隣にはヒロマツダ。
そして驚くべきは何とその後ろにハルクホーガン ジャックブリスコ ザグレートカブキ前の高千穂明久がいる。
この当時のこのエリア(AWA?)での(ヒール)軍団っぽい。
スパーリング風景もあり。
ハルクホーガンと高千穂明久やマサ斎藤とハルクホーガンがスパーリング。
日本向けの狼軍団としてのアピールコーナーだから1978年頃だろう。

マサ斎藤とヒロマツダが組んで北米タッグタイトルに挑戦というのが決まっていたみたいだし。
マサ斎藤が横にいるヒロマツダにそういうコメントを出していたから。
※ヒロマツダは緊張してか、こういうのが慣れてなかったのか、何度もどもっていた。
ハルクホーガンはアマレスタイツでまだ細かった。
あのアピールコーナー映像は当時の新日本プロレスリングの放送の中で流れたっぽい。
意外な場面を見つけたよ。

24 :
>>15
あったよ。
http://chie.mobile.yahoo.co.jp/p/chie/qa/view?qid=12121586742

25 :
>>15
1、アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン(41193)
2、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク(40876)
3、ジャンボ鶴田&藤波辰巳(34405)
4、アブドーラ・ザ・ブッチャー&アンドレ・ザ・ジャイアント(12145)
5、ハーリー・レイス&ボブ・バックランド(11971)
6、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク(9681)
7、ハーリー・レイス&ニック・ボックウィンクル(8637)
8、ジャンボ鶴田&坂口征二(7214)
9、アンドレ・ザ・ジャイアント&ボブ・バックランド(6885)
10、ビル・ロビンソン&バーン・ガニア(5612)

11、ドリー・ファンク・ジュニア&アンドレ・ザ・ジャイアント(4993)
12、ビル・ロビンソン&ミル・マスカラス(3466)
13、ジャンボ鶴田&ミル・マスカラス(3008)
14、ニック・ボックウィンクル&ボブ・バックランド(2865)
15、ハーリー・レイス&ジャック・ブリスコ(2710)
16、坂口征二&ラッシャー木村(2609)
17、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助(2487)
18、アンドレ・ザ・ジャイアント&ダスティ・ローデス(2116)
19、坂口征二&藤波辰巳(1879)
20、アンドレ・ザ・ジャイアント&ザ・シーク(1433)

21、ハーリー・レイス&アンドレ・ザ・ジャイアント(1284)
22、ハーリー・レイス&ドリー・ファンク・ジュニア(1276)
23、ビル・ロビンソン&ボブ・バックランド(1194)
24、ボブ・バックランド&ダスティ・ローデス(1047)
25、ドリー・ファンク・ジュニア&ビル・ロビンソン(1045)
26、ディック・マードック&ダスティ・ローデス(985)
27、アンドレ・ザ・ジャイアント&ミル・マスカラス(910)
28、タイガー・ジェット・シン&ザ・シーク(883)
29、ミル・マスカラス&ボブ・バックランド(816)
30、大木金太郎&キム・ドク(565)

26 :
>>15
やっぱりスタンハンセンとブルーザーブロディの名前が全く無い。
30以下にはあったかも知れないが。
アンドレザジャイアント アブドーラザブッチャーは俺の勘違いだった。

でもジャイアント馬場 アントニオ猪木とこの30チームとの試合は見たかったなあ。
それを見られたら人生に悔いなし!
正に本気でそう思えるほどのチームばかり。
っちゅうかプロレスリングに夢を抱けた。

※俺はこの当時はまだリアルではプロレスリングを見てなかったけど。

27 :
よく見たら4位にアンドレザジャイアント アブドーラザブッチャーがあったわ。
でも当時の、活躍していた外国人の色々な組み合わせがあっちゃる。
アンドレザジャイアント ザシークなんちゅうタッグチームまで。
現実的、非現実的と様々な組み合わせだね。

28 :
>>15の者
ハンブロ、無いですね。
だんだん60歳に近づいてるのでかなり記憶が曖昧。
でも、だふ屋のこととかは本当。
ただ、レスしたきっかけで3位以降のカードがわかり、嬉しいかぎり

私は
マードック&ローデスが雑誌とかで好きになった
でも、ローデスって新日か全日のどちらかでハンセンとシングルやり、弱いって気がしてしまいました。
ハンセンVSローデスってテレビ中継ありましたよね。あいにく、その映像は録りだめしてないです。もしかしたら私が死ぬまでに見たいNo1かも

29 :
レス伸びて、嬉しい、嬉しい
まずい、そろそろ仕事だ

ID変わるのはスマホが勝手にWi-Fi拾ったりすると、ですので

30 :
>>28
雑誌って大きな本屋に置いてあったアメリカ雑誌で勿論、英語版で意味はわからなかった
ただ、顔写真がありローデスとかの名前はわかったな。初来日前のレスラーを友達とアメリカ雑誌で見つけるのが楽しか
った。ベンチュラとかも。
ベンチュラなんていましたっけ?

31 :
前レスもそうでしたが、記憶が曖昧にな
ったことを質問すると、けっこう、返答していただけて、つかえていたものが取れるみたいで、有難いな

32 :
ジェシーベンチュラはプロレスラーとしてぁ期待外れだった。
でも今は州知事?
ジェシーベンチュラとアドリアンアドニスはAWA世界タッグタイトル王者だったが、同時来日はせず。
アドリアンアドニスは日本でも売れたが、ジェシーベンチュラは無理だった。
アドリアンアドニスはタッグマッチやシングルマッチと両刀っちゅうかどちらもできた。
ジェシーベンチュラ ディックマードック ボブオートンジュニアと。
またアドリアンアドニスはジャイアント馬場とタイガージェットシンと兄弟弟子。
アドリアンアドニスが1980年12月号の別冊ゴングで語ってた。
フレッドアトキンスの話になった時に。
『フレッドアトキンスのオヤジからあの二人の弱点も聞いていた』
『いざとなればあいつらだって怖くないぜ』
まあこんなコメントは実際にはなかったと思うけど。
でもこういうのがプロレスリングらしくて好きだったなあ。


もしも1982年に第二回夢のオールスター戦が開催されたらどうなっていたか?
アントニオ猪木のフライング発言が無ければ実現していた、とも言われてたが。
あとはジャイアント馬場 アントニオ猪木抜きで開催とかも。
あの発言がジャイアント馬場の『アントニオ猪木不審』に拍車を掛けた。
『アントニオ猪木不審』が更に増長して。
更には前年の1981年に引き抜き等があったからやっぱり開催は無理だったか?

33 :
仕事まであと10分

池袋とか高田馬場の大きな書店でプロレス英語雑誌を友達と立ち読み
→まだ見ぬ強豪を見つける
→やがてそのレスラーが初来日してテレビに出る

インターネットの無い時代、本当にワクワクした。そういえばプロレス英語雑誌の隣にはプレーボーイなど英語版エロ雑誌もあった。それを人目を気にしながら見たのも懐かしい

34 :
やっぱり昔は新日本プロレスリングと全日本プロレスリングは共存共栄だったな。
合わせ鏡みたいだった。
よく両団体を色々と比較したなあ。

ジャイアント馬場⇔アントニオ猪木
ジャンボ鶴田⇔坂口征二
ジャンボ鶴田⇔藤波辰巳
タイガー戸口⇔藤波辰巳
天龍源一郎⇔長州力
ジョー樋口⇔ミスター高橋
原軍司?⇔倍賞哲夫?
仲田龍⇔田中秀和
倉持隆夫⇔古舘伊知郎
アブドーラザブッチャー⇔タイガージェットシン
ミルマスカラス⇔タイガーマスク
ハーリーレイス⇔ボブバックランド
スタンハンセン⇔ブルーザーブロディ
PWF⇔NWF
インタータッグ⇔北米タッグ
日本テレビ⇔テレビ朝日
チャンピオンカーニバル⇔MSGシリーズ
世界最強タッグ決定リーグ戦⇔MSGタッグリーグ戦

35 :
新春ジャイアントシリーズ⇔新春黄金シリーズ
エキサイトシリーズ⇔ビッグファイトシリーズ
チャンピオンカーニバル⇔MSGシリーズ
サマーアクションシリーズ⇔サマーファイトシリーズ
スーパーパワーシリーズ⇔ブラディファイトシリーズ
●●年ジャイアントシリーズ⇔闘魂シリーズ
世界最強タッグ決定リーグ戦⇔MSGタッグリーグ戦

両団体の様々な部分を比較した。
ただザファンクスやアンドレザジャイアントとの比較対称はなかったな。
ジャイアント馬場⇔アンドレザジャイアント
テリーファンク⇔ボブバックランド
テリーファンク⇔ダスティローデス
アブドーラザブッチャー ザシーク⇔タイガージェットシン 上田馬之助

強いて言えばこんな感じか?

36 :
しかしこの1979年のファン投票。
こん時にタイガージェットシンとアブドーラザブッチャーが過去に組んでいたのは知らなかったのかな?
1971頃にオーストラリアで。
今でこそYouTube動画やネット情報で過去の様々な意外な事実が判明しちょる。
そんでも当時の情報源は雑誌、書物、新聞(主に東京スポーツ紙)、放送中での解説。
これしか無かった。
中には関係者が知り合いにいて、そっから色々と聞いたりと。
でもそんなのはほんの一握り寿司。
況してや(ましてや)子供ならそういう知り合いなんて滅多にいない。
プロレススーパースター列伝も当時は情報源になっていた。
しかしあれは創作だから完璧な情報源にはならない。

話は戻るが、タイガージェットシンとアブドーラザブッチャーは当時の両団体のNo.1外国人。
共に大ヒール。
この二人を組ませたいと思うのは当然。
恐らく当時は、二人がオーストラリアで過去に組んでいたとは報道してないはず。
マスコミ側も二人がオーストラリアで組んでいたのを知らなかったかも。

あと実はザファンクスの方が投票数が多かったとの説もある。
しかしザファンクスになると全日本プロレスリング3⇔新日本プロレスリング1になってもうちゃる。
それで公平に2⇔2にする為にアブドーラザブッチャー タイガージェットシンにした、と。
またザファンクスとは過去に対戦あり。
もちろんその経緯を知る側からしたら8年振りの対戦で盛り上がっただろう。
でも2⇔2ならやはりタイガージェットシン アブドーラザブッチャーだろう。
またザファンクスとのキレイな試合より荒れた試合の方が相応しい。
アブドーラザブッチャー タイガージェットシンなら荒れるのは必至。
最後は話し合いでアントニオ猪木がタイガージェットシンをクイックでフォールになった。

37 :
>>26
あるわけないだろ

38 :
フルネーム馬鹿はココを荒らすようになったのか。
もうここから出てこなくていいぞ

39 :
>>32
知事だったのは結構前だよ 今は陰謀論者だよ
東日本大震災は人工地震だったとか主張してるよ 以前YouTubeなんかに
日本語字幕の動画がいくつかあったから 興味あるならくぐってみるのもいいんじゃないかな

40 :
>>34
本当に合わせ鏡ですね
ただ新日にあって全日には無かったもの
それは前田の存在では !?

41 :
確かに当時の全日本プロレスリングには前田日明的な存在はいなかった。
団体を飛び出して新たな団体を興して成功したっちゅう面では大仁田厚かな?
でも大仁田厚がFMWを立ち上げたのは引退数年後だかんな。
前田日明みたいにいきなりではない。
まあ前田日明が旧UWFを立ち上げたわけでもないし。

42 :
夢のオールスター戦では坂口征二の相手に関して書き込みがあった。
坂口征二スレで。
ロッキー羽田では物足らず。
何度か書いたが、当日の坂口征二のカードはこうすべきだった。
ジャンボ鶴田 藤波辰巳 ミルマスカラスVS坂口征二 マサ斎藤 タイガー戸口。
あとは適当にロッキー羽田VS木村健吾あたりを組んで。
坂口征二が上記のカードならジャンボ鶴田との初対決やミルマスカラスとの再?対決が見られた。
ロッキー羽田VS木村健吾なんかはどうでもいいカードだが。

43 :
オールスター戦の時の主要カード、誰か教えて下さい
とにかく記憶が混じって曖昧になってるんで。ハンブロが第3位だったとかレスしちゃったり

44 :
和製アメリカン・ドリームってワケ分からないw

そもそも、上背は有ったけど相撲出身だから、
ヒョロっとしているのに下っ腹が出ているという、カッコ悪い体型だったしw

45 :
>>43の者
当時、色々の試合に行ってたのに、なぜオールスター戦にはいかなかったのかの自分自身の謎が解明できました
1979年の8月って私は高校3年生で8月って代ゼミの夏期講習とかでした

46 :
この夢のオールスター戦で上田馬之助と大木金太郎は何故か出場辞退したんだってね。
辞退っちゅうよりかボイコット。
この二人がいちゃればもっと違ったカードが組めた。
上田馬之助や大木金太郎なら6人タッグマッチに入れても良かった。
上田馬之助 マサ斎藤 タイガー戸口。
これなら逆に更にヒール色が強まる。
大木金太郎でもヒール色が強まるな。
当時の高千穂明久だとイマイチ。
坂口征二が入ればヒール色はなくなるが。


まあ彼等は彼等なりの気持ちでボイコットしたんだろうが。

47 :
>>28
ようつべにありましたよ

48 :
>>47
ようつべって何だか検索したら
YouTubeですね
ハンセン ローデスで検索したら本当に出てきました。約8分間
そして試合は私の記憶どおりでハンセンがローデスの良さを出さず一方的に攻める場面の連続。
アメリカスタイルの代表みたいなローデスっへ過去にハンセンスタイルの試合経験なんて無かったのでは。
猪木のブッチャーの良さを全く出さなか
った一方的な試合とイメージが重なりました。
YouTubeをスマホの小さな画面で見てもハンセンは土迫力!

本当に、死ぬまでに見れました。感謝です。
その下にハンセンVSバックランドもありますね。
今から風呂に入ってそのあと、ビールを飲みながら見ます

感謝、感謝

49 :
夢のオールスター戦の時は獣神ヨンダーライガーが中学生だったらしい。
そんで獣神ヨンダーライガーは広島県(山口県?)からわざわざ東京は日本武道館まで観戦に行ったとの事。
他にも観戦に行った(元)プロレスラーはいたはず。
1982年に第二回夢のオールスター戦が実現してればなあ。
そぉしたら俺もリアルタイムでプロレスリングを見ていた。
そんなら俺も遠い日本武道館に観戦に行ったはず。
まだ幼き子供だったから親と一緒に。

50 :
1982年第二回夢のオールスター戦の出場外国人の候補。
スタンハンセン
ブルーザーブロディ
ハルクホーガン
アンドレザジャイアント
ザファンクス
ダスティローデス
ディックマードック
ボブバックランド
ハーリーレイス
タイガージェットシン
アブドラーザブッチャー
ミルマスカラス
チャボゲレロ
ダイナマイトキッド

当時のゴング誌ではこれらの外国人達が参加した事を想定して書かれていた。
彼等に日本人を絡ませたカードが幾つか書かれていた。

日本人の参加候補。
ジャイアント馬場
アントニオ猪木
坂口征二
ジャンボ鶴田
藤波辰巳
天龍源一郎
長州力
ラッシャー木村
タイガーマスク
木村健吾
阿修羅原
大仁田厚

確かこんな面子だった。

51 :
カードは幾通りもあって全部は覚えてない。
ジャイアント馬場VSダスティローデス
アントニオ猪木VSテリーファンク
ジャンボ鶴田VS藤波辰巳
アブドーラザブッチャーVSタイガージェットシン
大仁田厚VSタイガーマスク
これらのカードが候補の一つとして書かれていた。
候補っちゅうよりゴング誌の予想的に。
第一回夢のオールスター戦同様に8/26日本武道館で、と。
更にはアントニオ猪木のフライング発言があったからジャイアント馬場とアントニオ猪木抜きの開催案もあったらしい。
これだけの面子が集結したらさすがにこの二人がいなくても超満員だったろうな。

52 :
>>48の者
スマホじゃなくPCの少し大きい画面でハンセンVSローデスをもう一度みました。スマホでは途中を飛ばしたのですが、今は全部を。試合開始後5分ぐらいまでやややハンセンが優勢ではあるが、ローデスも頑張り一進一退。
とかろがハンセンのエルボーでローデスを場外に吹っ飛ばしてからハンセンが圧倒。
ところがそんな場面で画像が止まり音声だけに
。そしてハンセンがリングアウト勝ちの名乗りを受けたあとに、リプレーでのハンセンのラリアットがもろ、ローデスの首に入った映像が。とにかく、ハンセン全盛期のド迫力プロレスですね。

53 :
https://www.youtube.com/watch?v=5BOq-tbhKa4
これ見て下さい
ウォリアーズVSハンセン、レイスです

前レスで書きましたが、私が前レスに刺激されて押入れからだした秘蔵ビデオにあったウオリアーズVSハンセン、レイスがユーチューブに。私のは、世界のプロレスからの日本語版でユーチューブのは英語版
とにかくハンセン全盛期のド迫力で一見の価値あり!

54 :
映像3分で短いと思ったらハンセンの凄いシーンが90%以上カットですね。実際はハンセン一人で、二人をヘッドロックし頭をぶつけ合わせるとかほとんおハンセン独壇場なんですが。

55 :
>>48
ハンセンとローデスの日本での試合は80年5月の第3回MSGシリーズで実現していますが、
78年〜79年までハンセンとローデスはともに主戦場だったジョージア地区で何度も対戦とチームも結成しています。
この時期には80年のハンセンスタイルの原型はほぼできあがっていました。
以前、ハンセンはインタビューで「ローデスは自分の猛攻に“青ざめていた”(went blue)」と言っていましたよw

56 :
https://www.youtube.com/watch?v=QTbbS745oJw
ハンセンVSローデス
何故か6分41秒から画面が止まっています。

57 :
>>55
アメリカでのハンセンVSローデスってアメリカンスタイルの試合だったかも。
この頃のハンセンって、アンドレ戦でもウオリアーズ戦でも、今見てもやばいですよね。数年前、プライドが流行ってた時に、確か小学生か中学生だった息子に、ハンセン全盛期の映像を見せたら、息子は凄いってびっくりでした。

58 :
ハンセンは凄いよ。
大のプロレス嫌いだった昔の俺の上司も
何故かハンセンだけは絶賛してたし。
プロレス嫌いを納得させるだけの何かがあったんだろうね。

59 :
だって甲子園は敦賀気比や興南、東京でも修徳や城東がいまだにサンライズが応援歌だからね。
そういえば先日見に行った東都の亜細亜大は走れコータローから炎のファイターの連続がチャンス場面での行け行け曲だった。
スカイハイ聞きたければ帝京高校を見に行けばいいし。

60 :
スタンハンセンは凄かったな。
あと別の視点からスタンハンセンの凄さを感じたんよ。
あのテリーファンクの怨敵になった時にスタンハンセンは嫌われなかった。
嫌われなかった所か支持された。
テリーファンクとの試合ではスタンハンセンは極悪ヒールと化した。
にも関わらず嫌われる事なく支持されて。
まあテリーファンク信者からは嫌われたかも知れないが。
しかしそれだけスタンハンセンが認められていた証拠だ。
ブルーザーブロディも同じく。
ザファンクス相手には悪の限りを尽くしたスタンハンセンとブルーザーブロディ。
しかし嫌われる事がなかった。
逆にザファンクスが飽きられてきており。
スタンハンセンもブルーザーブロディもジャイアント馬場との試合では極悪ヒールにはならず。
もちろんスタイル的に荒れた試合にはなった。
二人ともベビーフェイスではないから。
でもザファンクスとの試合の時は明かに違った。
スタンハンセン自伝にはその理由が記載されちょったが。
日本人を差し置いてヒーロー気取りが許せなかったから二人でザファンクス制裁と。
そういうガチの感情がリング上を盛り上げた。

61 :
>>25
この中で、タックパートナーじゃなく、もしシングル対決したらマスカラスVSバックランドって絶対、噛み合わないだろうな
悪魔仮面、仮面貴族、千の顔を持つ男。
バックランドのあだ名が思い出せない。
また、つっかえて眠れない。

62 :
>>60
ハンセンファンだった私はとても嬉しい文!
でも一か所、違うな。
「ザファンクス相手には悪の限りを尽くしたスタンハンセンとブルーザーブロディ」
明くの限りを尽くしたのはブッチャー、シーク。
ハンブロはファンクスに対しては、いつも圧倒的な肉体的な差を示していた。(笑)それが通じなかったのが鶴田だったが。

63 :
明くの限り → 悪の限り

64 :
ボブバックランドは超新星だったな。
あとはニューヨークの帝王とか。

>スタンハンセンとブルーザーブロディがザファンクスには悪の限りを尽くした。

まあ大袈裟な表現だったか。
でも1982年9月?にスタンハンセンとテリーファンクがシングルマッチ。
こん時にスタンハンセンが血ダルマの大流血のテリーファンクをブルロープで首吊り状態に。
覚えとると思うが。
他にもブルーザーブロディもチェーンでテリーファンクやドリーファンクジュニアを締め上げていた。
またザファンクスはこの二人との試合では必ず大流血。
ボロボロにされていた。
スタンハンセンが渾身の力でイスでテリーファンクを叩いたのも記憶にある。
そういう光景を思い起こして『悪の限りを尽くした』と。
アブドラーザブッチャーやザシークとは全く違ったやり方で。
あとは確かにザファンクスは体力的に二人に太刀打ちできない印象もあった。
寧ろ(むしろ)いい意味で『悪の限りを尽くした』と。
俺もスタンハンセン ブルーザーブロディの応援派だったから。
ザファンクスはそういう面では好きになれなかった。
また彼等はやられるのが絵になった。
特にテリーファンク。
アブドーラザブッチャー ザシーク タイガージェットシン スタンハンセン ブルーザーブロディ
彼等にはボロボロにされていた。

65 :
質問しておいて寝てしまいました
バックランドは「ニューヨークの帝王」
でしたね。他の強豪レスラーに比べ何だか渋いニックネームですが、それが逆にかなり強いんだろうな、と想像させられるような。
よく語られていたのが、バックランドと鶴田、ハンセンは修行時代の仲間で、不器用なハンセンだけが落ちこぼれていたみたいな。確かそうでしたよね。
ところで人気のテリーファンク、でも私の周りにはファンクスファンなんかいなかったような。でも会場に行くと確かにファンクスコールは凄かったな。
私はハンブロファンだったからファンクス戦はいつもいい思い。でもファンクスファンっていくら優勝しても、滅多滅多に攻撃されてしんどかっただろうな。
ハンセンってシングルではアンドレ戦を始め伝説試合がたくさんある。ところがタック戦でも特にハンブロ時代にはファンクス戦など凄い試合がたくさんある。
やっぱり本当に凄いレスラーだったな。

新日でよく使われた言がMSGからIWGPに移行しだした頃、ローランドボックが登場しましたよね。
ボックとハンセンって絡んだことがあったような無かったような?

66 :
言→言葉

67 :
逆さ押さえ込み(笑)

68 :
スタンハンセンとローランボックは一度組んでますよ。
1981年MSGタッグリーグ戦の蔵前国技館大会で。
相手はアントニオ猪木 藤波辰巳。
古舘伊知郎の『超ド級のタッグチーム』のフレーズが懐かしい。
この日は四大マッチで公式戦はなし。
※下の方ではあったかも知れないが。
アントニオ猪木 藤波辰巳VSスタンハンセン ローランボック
キラーカーンVSアンドレザジャイアント
ラッシャー木村 タイガー戸口VSダスティローデス ディックマードック
タイガーマスクVSエルカネック
テキサスジアウトローズの相手は当初はザサモアンズだった。
でもザサモアンズの片方が負傷→途中帰国。
それでラッシャー木村 タイガー戸口に変更。

ちなみにこの試合がスタンハンセンの最後の蔵前国技館になった。
新日本プロレスリングの蔵前国技館が最後と。

でもこの数日後には全日本プロレスリングの蔵前国技館大会にセコンドで登場。
そして歴史的な乱入へと。

まあスタンハンセンを嫌うっちゅうのは聞いた事ない。
嫌われる要素がなかった。
完全なスーパーベビーフェイスでもなかったのに。
これも凄いと思うがね。
テリーファンクですら呆れられたり笑われたりしたし。
ミルマスカラスは全盛期からアンチもいたみたいだし。
アントニオ猪木然り。
そう考えるとスタンハンセンはそういう面でも凄い。
誰もが認める、万人に認められた、と。

69 :
無駄に正式名称で長文奴w

70 :
この1981年MSGタッグリーグ戦は本来はスタンハンセン ハルクホーガンだったらしい。
でもハルクホーガンがスケジュールの都合が付かずにリーグ戦参加不可能に。
そんで、引き抜いたディックマードックをスタンハンセンのタッグパートナーに。
もしもハルクホーガンがリーグ戦参加可能ならばディックマードックはダスティローデスと組ませて出場。
かなり前に何かの本に書いてあった。
ただダスティローデスもスケジュールの都合が付いたかはわからず、と。
ダスティローデスがリーグ戦参加不可能ならマスクドスーパースターあたりを呼んでディックマードックと組ませたかな?
結果的にはハルクホーガンもダスティローデスも特別参加っちゅう形で来日したが。
あとはスレタイのアブドーラザブッチャー。
アブドラーザブッチャー バッドニュースアレンで参加してほしかった。
何故かパットパターソン。
1981年秋頃の雑誌にはアブドーラザブッチャー バッドニュースアレンの参加濃厚と書いてあった。
普通はそう考えるよね。
ゴング誌や月刊プロレス誌等のMSGタッグリーグ戦概要では。
1980年MSGタッグリーグ戦が豪華だったから1981年大会は少し褪せて見えた。
スタンハンセン ハルクホーガン
ダスティローデス ディックマードック
アブドラーザブッチャー バッドニュースアレン
これなら1980年大会に匹敵したっちゅうに思うわい。

71 :
>>68
こんなに鮮明に書けるということは、もしかしたら当時のゴングとか持っているんですかね。凄いです。
そして書いてある5カード、全てもう一度
、見たいものですね。しかしハンセンとボックって動と静の組み合わせでしたね

私が録りだめしてあった映像はハンセンが全日に移った後の時代みたいです。
ペドロモラレスもMSG関係でしたよね。
何だか日本では精彩無かったような

72 :
家に戻ればゴング誌(別冊ゴング、本誌ゴング)月刊プロレス、デラックスプロレス
ビッグレスラー、エキサイティングプロレス、ザプロレス
プロレス入門、プロレス大百科等

まだ残っとるよ。
またこの頃はプロレスリングが本当に面白かったからね。
だから覚えとるのです。

『●・●蔵前三大決戦』
『●・●大阪四大決戦』
『●・●名古屋四大マッチ』
新日本プロレスリングも全日本プロレスリングもこういうキャッチフレーズが多くて好きだった。
それに外国人が充実していたしね。
毎シリーズ色々な外国人の顔触れが揃う。
1981年はまだ日本人対決主流ではない時代。
ラッシャー木村等国際はぐれ軍団はいたが。
でも国際はぐれ軍団は新日本プロレスリングとの団体対抗戦の赴きが強かった。
1981年はラッシャー木村等が新日本プロレスリングに上がり始めた頃。
まあアントニオ猪木はラッシャー木村や国際プロレスリングを明かに『下』に見ていたからなあ。
それでラッシャー木村の扱いも徐々に下火に。

いずれにせよこの時代は新日本プロレスリングも全日本プロレスリングも面白かった。
こちらが幼い子供だったから尚更面白く感じたのかも知れないが。
引き抜きも最初の頃は両団体にメリットあったと思う。
新鮮なカードがバンバン組まれたし。
アブドーラザブッチャー絡み、タイガージェットシン絡み、ディックマードック絡み。
まあアブドーラザブッチャーは割りを喰う結果になってもうたが。

73 :
スレタイが間違い
10.7(金)明日です

74 :
古舘来ないかな

75 :
>>73
スレ主です !
老眼でやっとなんとかスマホなんでご容赦を(笑)
明日、行った人の感想を是非、聞きたいな。よろしくお願いいたします

76 :
81年MSGタッグはハンセン&ホーガンの予定だったんだ。
ハンセンの全日本移籍がなかったら、このチームが優勝していたんだな。
この時期のホーガンはAWAでのスケジュールがぎっしりだったし。
でも、ハンセン&ホーガンの優勝を見たかったなぁ。

テリー・ファンクがハンセンを引き抜いた後、ビンス・マクマホン・シニアに
「うちの大事なタレントに手を付けたな」と言われ揉めたと言っていたな。

77 :
アメリカって試合前にレスラーのインタビューシーンがありますよね。本人がか
っこよく喋る場合もあれば、本人が上手く喋れないと代わりにマネージャーが喋る場合も。
私は英語なんてさっぱり分からないけど
、多分、ニューヨークあたりのホーガンの喋りって都会的かっこよく、ハンセンの喋りってテキサスのすごいなまりがはいったような田舎者英語だったんだろうな。
だから代わりにフレッドブラッシーとかがマネージャーやって代わりに喋りってくれませんでしたかね。
ハンセンとホーガンて仲良くしてる場面がたくさんあったけど、同じアメリカ人でも言葉が通じてなかったり。とにかくアメリカは広いから。なんて

78 :
>>77
ハンセンは当時のアメリカンプロレスに必要不可欠なインタビュー能力は凄くありましたね。
コテコテの南部訛りの英語を逆手にとって「俺が南部のしきたりをお前らヤンキーに教えてやるよ」なんて煽ったりしてました。
76年2月にニューヨークのWWWFに初登場して、当初はブラッシーが代わりにプロモをしていたのですが、
新日本ルートで80年10月に4年ぶりに復帰した頃には、ブラッシーに対して「最初の30秒だけは任せるが、あとは自分に喋らせて欲しい」
と言って、ブラッシーも嫌な顔をせずに同意したそうです。

79 :
>>78
あ、そうなんですか!
英語はぜんぜんわかりませんが、ハンセンの英語てなんか体の割に声が高くて、なまり、とかだったらカッコ悪いのかと思っていました。
逆にホーガンて声が低くてドスがきいてるような。
そんな喋りの差もアメリカでの二人の人気の違いかと自己解釈してました(笑)

80 :
ところでブラッシーって私達世代にとってはマネージャーじゃなくて、かにかく噛みつくおじさんですよ。
ブルーザーと言えばブロディーじゃなく
、勿論、ディックザブルーザー。そしてハンブロじゃなくブルクラ。

81 :
かにかく→とにかく

ディックザブルーザーは「生傷男」
クラッシャーリソワンスキーのあだ名って何だったかな?
また気になって寝られない

82 :
ぶっ壊し屋
粉砕者

83 :
クラッシャーリソワスキーは『粉砕者』だ。
俺はディックザブルーザーとクラッシャーリソワスキーはリアルタイムでは全く知らない。
でもその迫力たるや…
色々書いてあんのを何度も見た。

1985年3月にザロードウォリアーズが初来日。
時代が違えども同じタッグチームとしてディックザブルーザー クラッシャーリソワスキーと比較されていた。

ゴング誌の故竹内宏介氏が当時はこういうコメントを出していた。

初来日のザロードウォリアーズが両国国技館でジャンボ鶴田 天龍源一郎との試合を見て。
それを踏まえてのコメント。

全盛期のディックザブルーザー クラッシャーリソワスキーと比較したら全ての面で比較にならない。
迫力が違う。
ザロードウォリアーズは作られたタッグチーム。
しかしディックザブルーザー クラッシャーリソワスキーは素の迫力。
ザロードウォリアーズと比較したら全ての面で大人と子供、又はそれ以上の違いがあった。

また別の雑誌でも双方を比較したコメントが。
誰のコメントかは忘れたが。

ザロードウォリアーズが台風ならディックザブルーザー クラッシャーリソワスキーは国を滅ぼす大地震。

やっぱり元が違い過ぎるっちゅうコメントだった。
そんだけディックザブルーザー クラッシャーリソワスキーは凄かったんだな。

84 :
でもプロレスラーのニックネームっていいよな。
他にもこうだ。
鉄人 ルーテーズ
神様 カールゴッチ
鉄の爪 フリッツフォンエリック
黒い魔神 ボボブラジル
人間空母 ヘイスタックカルホーン
魔王 ザデストロイヤー
巨像 ジェスオルテガ
荒法師 ジンキニスキー
アラビアの怪人 ザシーク
仮面貴族 ミルマスカラス
テキサスの荒馬 テリーファンク
美獣 ハーリーレイス
黒い呪術師 アブドラーザブッチャー
インドの狂虎 タイガージェットシン
大巨人 アンドレザジャイアント
死神 ジョニーパワーズ
不沈艦 スタンハンセン
超獣 ブルーザーブロディ
超人 ハルクホーガン
獣戦車 ダスティローデス
狂犬 ディックマードック
流星仮面 マスクドスーパースター
暴走狼 アドリアンアドニス
褐色の飛獣 ジミースヌーカ
南海の黒豹 リッキースティムボート

85 :
>>83
小学校低学年のころ、テレビでBI砲とよくブルクラはやっていました。
ブルクラだけじゃなくブラッシーやブラジル。この頃の外人レスラーって、小学生の自分、そして白黒映像とかも、みんな凄いというより、それを越えて恐いっていう感じでした。ウルトラQっていう番組みたいな恐さ。
とくに恐かったのがエリック。
そんな時代、そういうレベルの外人レスラーの世界から一人抜け出した人がいました。それがデストロイヤーです。何故か和田アキ子とせんだみつおのうわさのチャンネルに出て、デストロイヤーは恐いレスラーからベビーフェイスに変わってしまいました。

86 :
粉砕者って、つまり、クラッシャーの和訳ですね。
ありがとうございました。
おやすみなさい。

87 :
→小学生の自分には

88 :
寝る前に
東洋の巨人 ジャイアント馬場
燃える闘魂 アントニオ猪木
世界の荒鷲 坂口征二
人間風車 ビルロビンソン
人間発電所 ブルーノサンマルチノ
ロシアの怪力 イワンコロフ

懐かしすぎる

89 :
流血大王 キラートーアカマタ
喧嘩番長 ディックスレーター
黒い猛牛 バッドニュースアレン
ラテンの魔豹 エルカネック
放浪の殺し屋 ジプシージョー
青銅の爪 キラーカールクラップ
貴公子 リックフレアー
流血怪人 アレックススミルノフ
暴れ馬 ロンバス
五輪の怪豪 ケンパテラ
南海の怪物兄弟 ザサモアンズ
褐色の戦士 トニーアトラス
鬼軍曹 サージェントスローター
毒蛇 マークルーイン
巨大毒グモ アーニーラッド

90 :
ブルーザーブロディはニックネームが徐々に変わっていった。
怪物→キングコング→超獣
やっぱり超獣が最も合ってる。
タイガージェットシンも猛虎→狂虎と。
スタンハンセンは幾つかある。
不沈艦が定番だが、首折り男、ブレーキの壊れたダンプカー。
スコットノートンも怪豪→豪腕男→超竜。
ジャンボ鶴田はある程度の年になっても若大将だったな。
日本人も昭和時代はニックネームが様になっていた。
上田馬之助→まだら狼
キラーカーン→蒙古怪人
タイガー戸口→野生の虎
藤波辰巳→炎の飛龍
長州力→革命戦士
天龍源一郎→風雲昇り龍
ザグレートカブキ→東洋の神秘
タイガーマスク→虎戦士
スーパーストロングマシーン→破壊仮面
木村健吾→稲妻戦士

91 :
コロフはロシアの怪豪
フレアーは狂乱の貴公子
パテラは豪勇
ラッドは黒い毒グモ

ラテンの魔豹はモラレス

92 :
>>91
朝、起きたらニックネームがほとんど出てました。凄い
コロフは怪力じゃなく怪豪でしたか。でも私も惜しかった
よっし、上に載ってないレスラーのあだ名、なんとか1つでも思い出してみたくなりました。

93 :
ラテンの魔豹はペドロモラレスだったか。
エルカネックは仮面の魔豹だったわ。
ブラックジャックマリガンも黒い猛牛でバッドニュースアレンと被る。
それでただの猛牛やら巨大猛牛とか。

平成に入ってから日本人はいいニックネームがあまりなかった。
橋本真也の破壊王がずば抜けて良かったが。

94 :
桜井さんが一線を引いた事が大きいのでしょう。
今日は新間さんのイベントですね。

95 :
>>92の者
参りました、もう浮かびません
ただ
ジャガー横田→女豹
デビル雅美→女帝
神取忍→ミスター女子プロレス

とか

96 :
桜井の解説は毘沙門天の話題が出たりして味わいがあった

97 :
昭和時代のプロレスリングは本気に良かったな。
平成時代も初期は良かった。
まあなんちゅうか 本中華 冷やし中華
まあなんちゅうか平成時代に入ってから(或いは1990年代に入ってから)盛り返した感じが。
平成時代は既にジャイアント馬場とアントニオ猪木の時代ではなかった。
しかし粒揃いに。
新日本プロレスリングも全日本プロレスリングも。
でも昭和時代は古き良き時代に相応しかった。
当時はそれが当たり前っちゅうに思うちょった。
強豪外国人が揃ってるのが当たり前だと。
しかし昭和時代末期に近付くとプロレスリングも末期状態に近い冬の時代に。
後々の数年前の日本のプロレスリングの惨状と比較したら遥かにマシだったが。

またプロレスラー=強い プロレスラー=凄い
こんなイメージを抱かせたもんだ。
プロレスラーこそ最高のタレントであり俳優であり名優。
俺はそう見ていた。
だから夢中になれたのだ。

一時期はプロレスリングから気持ちが離れたら事もあった。
※今はもう完全に離れちょるが。
しかし1990年頃には再びプロレスリングへの熱い気持ちが芽生え始めた。
プロレスリングへの熱い想いが復活。
1990年からは『平成プロレスリングブーム』とも言われたし。
それだけの熱さや勢いもあったからなあ。

98 :
行ってきたが21時で出てきた
(プロレス中継終了時に合わせて)
司会の船橋がテンポが悪くて少しグダグダだった

99 :
>>98
混んでましたか!?

100 :
夢のオールスター 時間が無く 途中で打ち切りは…坂口も途中で帰っちゃったし。

101 :
そないなイベントあったのは知らんかったわ。
このスレッドで知った。
スレッドタイトルのカード、これなら当時は国立競技場でも超満員だったろ。
あと1980年頃にジャイアント馬場 アブドーラザブッチャーVSアンドレザジャイアント スタンハンセン。
こちらも国立競技場でも超満員だったはず。
やっぱりこの時代のプロレスラーは本当に最高だな。

102 :
夢のオールスター時間がなくって?
BI砲VSブッチャーシン、鶴田藤波マスカラス一緒のドロップキック映像無し、じゃないですよね

103 :
>>102
ドロップキック前で終わり BIに関しては早送りして再生本編は一切流しませんでした。

燃えプロで見れる試合 4試合で40分流したのに。

104 :
元子さんからストップかかったのでは!?

105 :
>>100 >>102-103
そういう宣伝の時点では吹きまくり自画自賛しまくりなのに
いざ本番になると毎度毎度ショボショボな出来に終わってしまうのが90年代以降の新間絡みのイベントだからねぇ
今更猪木や小鉄の悪口は言える立場には無いし
体裁を繕う為の「今のプロレスは〜」もこんなグタグタを繰り返してすっかり説得力を無くしちゃっているからなあ

106 :
夢のオールスター戦の映像が観られると思って行ったのに....
司会進行の舟橋慶一がグダグダで進行が遅すぎた
時間が無いとか言ってほとんどオールスター戦を流さなかったのに(ブーイング&延長コールあり)、
その後に2度目の休憩を入れたり、築地なんちゃらからのマグロ一本(小さい!)贈呈式&記念撮影、
グダグダ爆笑の追悼20カウント&記念撮影など無駄に長く時間をかけていた
もっとテキパキやればオールスター戦を流す時間があったのだと思う

トークショー部分で途中で数度スタッフがゴングを鳴らし次へ進むように合図していたが新間も
桜井も一度話し出すと長いし舟橋も「まだいいじゃないですか、ねぇ」などと言ってダラダラして
いるし事前にきちんとタイムスケジュールがタイトだと伝えていなかったのか?
他の理由なら、何らかの大人の事情で流せなかったのか、まさかとは思うが次回(ある?やたらと
「来年3月京王プラザHで!」と言っていた)への営業的引き伸ばし?

藤波の人の好さは相変わらず、今回の記念Tシャツの売れ行きが悪かった為か休憩時間中に売り場に
立ち購入者にサインを始めた...対照的に佐山というよりその取り巻きは...(ry

107 :
『流せなかった』ではなく敢えて『流さなかった』のでは?
まさか最初から流さない予定でそのイベントを組んだわけではなかろう。
それなら詐欺だし。
でも土壇場で流せなくなり、それで流さなかった。
YouTubeにはあるものの、やはり肖像権等が絡んで。
行った人達はバカ見たわけだが。
大『金返せ』コールのもんだな。
YouTubeで何度も見てるが、他の試合も見たいもんだ。
6人タッグマッチとかも。

当日は坂口征二はラッシャー木村とのシングルマッチでも良かったかも。
後々にはこの二人の試合は何度も見られたが。
でもこん時は新日本プロレスリングと国際プロレスリング。
やなり夢の対決だし。
ただ国際プロレスリングのエースのラッシャー木村にも華を持たせないと。
でも坂口征二だといい形で勝つのもなあ。
坂口征二の立場もあるし。
そうなると既に落ち目だったストロング小林が妥当だったか。
そんで坂口征二はロッキー羽田に完勝と。
でもやっぱり坂口征二はもっといいカードを組むべきだったっちゅうに思う。
相手がロッキー羽田では格が違うし、夢の対決でもない。
ロッキー羽田が坂口征二にどんだけぇ〜迫れるか、が焦点だったのかもな。


どんだけぇ〜

108 :
新間寿は、新日本プロレスリング発刊DVD『極悪ヒール列伝』に登場。
昔のプロレスリングを大絶賛して今のプロレスリングを貶めるコメントの連続。
中でもでアントニオ猪木 タイガージェットシン 上田馬之助を大絶賛。
そして今のプロレスリングを批判。
※今っちゅうても2012年の作品だが。
また流智美がナビゲーターで新間寿と色々と語り合っており。
流智美は今のプロレスリングを批判はしとらんかったけど。
いずれにせよ新間寿からしたらやっぱり昭和時代の新日本プロレスリングなんだろう。
それもアントニオ猪木と二人三脚でやっていた時代。
そこにタイガージェットシンや上田馬之助もいて。
その頃が一番プロレスリングが光り輝いていた、っちゅうにいうちょった。
まあ俺も新間寿の言うちょる事ぁよぉーくわかるわ。
俺も最近のプロレスリングは全く見ちょらんが。
でも昭和時代のプロレスリングを見てきたからこそここ数年前のプロレスリングはつまらぬ。
もうプロレスリングに三下り半を叩き付けて何年も経つが。
それに今のプロレスリングをボロクソ叩いても何も始まらぬ。
見なけりゃあいいだけ。
そぉよぅ面でぁ俺も新間寿に全て同意しちゃるわ。

109 :
舟橋さんは悪くないよ。
イベントの構成が悪いんだから
司会者はどうしようもない。
冒頭の映像が長過ぎる事に尽きる。
約一時間も見せれば眠くなっちゃうよ。
せいぜい二十分程度にして欲しかった。

110 :
手前味噌の押し付けと揺るぎなき自信は新日イズムの極みだな

111 :
当日行かれた方、夢のオールスター戦の映像どれくらい流れましたか?
また映像はテレビ局所有の物でしたか?
是非教えて下さい。

112 :
>>111
6人タッグは約6分くらいでトリプルドロップキックが出る前にフェードアウト
BI砲は入場時からセレモニー途中からは早送り映像になり試合途中で再度通常スピードの
映像に戻ったがすぐフェードアウトでアタマから通して2〜3分くらいだった
映像の元ネタがどこの物かは自分にはわからない

113 :
上映会とトークショーは分けて開催するべきだったな
あのメンバーでは話を始めると長くなるのは目に見えてる

114 :
>>112
ありがとうございました。

115 :
http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/602705/
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00000105-dal-fight

さすがに東スポは尻切れ上映については触れないんだね
そういえば20カウントゴングの時に元子ではなく敬子さん(力道山夫人)登壇してゴングを鳴らせたよ

116 :
新間寿も今のプロレスリングの事は『学芸会』だとかボロクソだった。
でも東京スポーツ紙ではさすがにそうは言えないか。
確かに1983年に新間寿が新日本プロレスリングから去ってからは一変した。
新間寿が新日本プロレスリングにおればストロングマシーン軍団は登場しなかっただろうし。
新間寿がいたから新日本プロレスリングが盛り上がった部分もあっちゃる。
それもアントニオ猪木全盛時代に。
更には放送では古舘伊知郎。
そして粒揃いの外国人も揃っていた。
そしてプロレスリングが世間から認知されていた時代背景。
人気が出る要素が揃いすぎて塊すぎていた。
新日本プロレスリングと全日本プロレスリングは共存共栄で成り立っていたとも思う。
お互いが良いバランス関係を保っており。
全日本プロレスリングもそれなりに盛り上がっていたからな。
特に1981年〜1984年の二団体時代。
子供受けするプロレスリングでもあった。
そんな中での夢のオールスター戦。
盛り上がらないわけがない。
1982年にも第二回夢のオールスター戦を開催して欲しかった。

結果に第二回夢のオールスター戦とやらは何年か前にやったんだよな。
棚橋弘至を中心に。
全く興味なかったから見てないが。
夢でもなんでもない。
本当に今のプロレスリングは論外 圏外 問題外。

117 :
>>116
最初の二行は昨日のことではないよね?
この流れ、その書き出しだとまるで昨日のイベントで言ったように読める
昨日の新間は今のプロレスを認めた上で昭和のプロレスとは違うことを強調していたよ

118 :
>>107
BI砲VSブッチャー、シンも鶴田藤波マスカラスのドロップキックもYouTubeに入ってるなんて知りませんでした。
検索したら本当に入っていました!

119 :
ところで先日、人に連れられて池袋の鳥定という居酒屋に行ったところ、店内が全て昭和調、でも雰囲気は明るくとても混んでいました。でもそこは野球好きが多く。
どこか、都内でそんな昭和調のプロレス好きな人だけが集まり、しかも明るい雰囲気の居酒屋って無いでしょうか?
以前、池袋の猪木酒場に行きましたが演出がキラキラしすぎていて。またカブキの店にも行きましたが、特に客はカウンターのカブキとプロレスの話題をするわけでなく。
どっか、いい居酒屋、都内でありませんかね?
このスレでの内容みたいのが会話できるような

120 :
>>103
1分位流れたけどな
嘘つき

121 :
>>117
昨日のイベントは行ってないよ。
新間寿は前に何かの本でも今のプロレスリングをボロクソ言っていた。
認めるどころかボロクソに。
っちゅう事ぁ新間寿は今のプロレスリングを少しは見とるのかと思うた。

それと新日本プロレスリング発刊DVDの『極悪ヒール列伝』。
ここにも新間寿が登場する。
まあここでは今のプロレスリングをボロクソっちゅうより昭和時代のプロレスリングを絶賛。
今のプロレスリングをボロクソのコメントはなかったかな?
故山本小鉄もインディペンデントはボロクソだった。
『あんなのはプロレスリングではない!』と。

よく『最近のプロレスラーは小さくなった』と批判めいた意見がある。
でも俺からしたらサイズの大小の問題ではないと思う。
何故プロレスリングが衰退したかは原因探れば幾らでも出てくる。
こじつけもできる。

しかし何を言っても始まらない。
俺ぁ昔のプロレスリングを楽しむしかないと思うちょる。
YouTubeやら昨日のイベントやらと。
昨日のイベントは行ってはないが。

まあ今のプロレスラーは頑張っとる人は頑張っとるだろうし。

122 :
試合無しのイベントで高い入場料を取って
後楽園ホールを埋められるんだから
新間さんのパワー健在だよ。
第二弾の京王プラザ?にも期待したい。
次回は是非猪木さんを呼んで欲しいところですね。

123 :
誰かキラーカーンの新しい店に行きましたか?

124 :
>>84
ここまで

なんで

地獄の料理人 ハンス・シュミット
狂った野獣 ブルート・バーナード

がない?

125 :
無駄に正式名称で長文奴www

126 :
>>124
懐かしすぎる
バーナードのパートナーがシュミットでしたっけ?

127 :
ブロディーの声出しって、もしかしたらバーナードの真似!?

128 :
最大限のリスペクトを込めて書く、


タイガー・ジェット・シンはまるで、キ○ガイのようだ、
あんな滅茶苦茶な悪役プロレスラー(あえてヒールとは書かない)は居ない。

129 :
そういえば私は凄い試合を見たことを思い出しました。それが私が何歳の時でいつだったのかは思い出せません。
それは西武球場で行われた全日本と新日本のソフトボールの試合です。何故、急にそれを思い出したかというと、今、たまたまYouTubeで長州と高田の昔の対談を見ていてその話題が出てきたからです。
対談での話にありました確かに長州が新日のキャッチャー。そして坂口征二とかのこともなんとなく覚えている。でももっと凄いのは馬場と猪木がピッチャーとバッターで対決していたこと。どっちがピッチャーでどっちがキャッチャーだかは覚えていないのですが。
とにかく場所は西武球場。当時、二団体わ仲が悪いはずのころ。何故、私がそこに行ったかというと、当時、私は西武池袋線在住。一人ではいってないはずですが、どの友達と言ったかも記憶にない。
どなたか、このソフトボールの試合の詳細ってわかりますか?また、どっかに映像とか写真とか残ってますか?

130 :
ところで私は、このスレパート2を立てた者です。そして、久しぶりのレス。

131 :
http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/92128/

132 :
凄い、なんで今日の東スポWEBに!?
もしかしたら、YouTubeの長州と高田の対談が最近ですか?2時間くらいなので40分くらいで今日は見るのをやめました。
33年前って私は大学4年生でした。
その日、観衆は100人くらいだった気が。勿論、無料だったと思います。西武ライオンズが出来たのは高校生になってすぐだったかな?そんなと頃、キャンディーズ解散コンサートが後楽園球でした。私は行きませんでしたがクラスの友達が行きました。
昭和時代 万歳!!

133 :
記事を読んだら観衆は100人じゃなく3千人って出てますね。その3千人の中にこのレスを読んでる人がいたらこれまた嬉しいですね。この試合にはその他小鉄は勿論、藤波も。なんとなく前田もいたような。
全日では鶴田、それに大熊か小鹿あたりがいたような。そうだ、ジョー樋口も審判じゃなく選手で出たんじゃなかったかな?まあ、70%以上は曖昧な記憶です。

134 :
>>132
>>131 ですが、ん?今日の日付?と思ったらほんまですね。ちなみに記事自体は2013年のもののようです。

こんな記事もあったのでどうぞ


http://www.houyhnhnm.jp/blog/kiyono/2013/04/post.html

135 :
2013年の33年前でしたね。
私は大学2年生ぐらい?でした。

136 :
清野茂樹

ももいろクローバーZのコンサートを見るため西武ドームに行って来た。つい2年前まで中野サンプラザだったのが、今や球場が2日間満員である。
それはともかく、春の西武ドーム(西武球場)と言えば、実は猪木がジャイアント馬場と対決した重要な場所なのである。
1980年4月3日。
東スポ主催でただ一度だけ行われた、プロレスラー対抗ソフトボール大会で、猪木は馬場が率いる全日本プロレスチームと対戦している。
引き抜き戦争勃発の前年、平和な時代もあったのだ。

猪木は4番でピッチャー、しかも監督として新日本プロレスチームの指揮を執るプレーイングマネージャーであった。

1番 山本小鉄
2番 倍賞鉄夫
3番 長州力
4番 アントニオ猪木
5番 ストロング小林/星野勘太郎/仲野信市
6番 坂口征二/高田伸彦
7番 永源遥
8番 木戸修
9番 木村健吾

監督の猪木が決めたのだろうか、眺めるだけでもワクワクする昭和・新日本プロレスのオーダーである(倍賞美津子がDHで出場!)。

●前田、いませんね。
全日本のオーダーも見たかったですね!





昨年、長州と高田がトークショーで共演した際、この試合の話を笑顔いっぱいで振り返った通り、結果は22対5で新日本プロレスが圧勝しているのだ。

全日本側がバラバラのジャージ姿だったのに対し、新日本側はお揃いのユニフォーム姿で統一、事前に自衛隊チームとも練習試合をして備えるなど、試合に向けた覚悟はまったく違ったようである。

ピッチャー猪木は全日本打線を5点に抑える完投勝利。

しかも、打っては5打数4安打、ホームラン1本の大活躍で最高殊勲選手賞を受賞している。猪木は格闘技以外は運動音痴説を吹き飛ばす活躍と言ってもいいだろう。

そして、注目のBI対決は、ピッチャー猪木とバッター馬場というシチュエーションで一度だけ実現し、猪木が馬場を三振に打ち取っているのだ。

前年の武道館で猪木と馬場が約束した一騎討ちが実現となったわけだが、2大巨頭の対決を目撃した観客はわずか3000人と、昨日のももいろクローバーZの観客の10分の1なのであった。

137 :
●行間間違えたのでもう一度、貼ります
清野茂樹

ももいろクローバーZのコンサートを見るため西武ドームに行って来た。つい2年前まで中野サンプラザだったのが、今や球場が2日間満員である。
それはともかく、春の西武ドーム(西武球場)と言えば、実は猪木がジャイアント馬場と対決した重要な場所なのである。
1980年4月3日。
東スポ主催でただ一度だけ行われた、プロレスラー対抗ソフトボール大会で、猪木は馬場が率いる全日本プロレスチームと対戦している。
引き抜き戦争勃発の前年、平和な時代もあったのだ。

猪木は4番でピッチャー、しかも監督として新日本プロレスチームの指揮を執るプレーイングマネージャーであった。

1番 山本小鉄
2番 倍賞鉄夫
3番 長州力
4番 アントニオ猪木
5番 ストロング小林/星野勘太郎/仲野信市
6番 坂口征二/高田伸彦
7番 永源遥
8番 木戸修
9番 木村健吾

監督の猪木が決めたのだろうか、眺めるだけでもワクワクする昭和・新日本プロレスのオーダーである(倍賞美津子がDHで出場!)。

昨年、長州と高田がトークショーで共演した際、この試合の話を笑顔いっぱいで振り返った通り、結果は22対5で新日本プロレスが圧勝しているのだ。
全日本側がバラバラのジャージ姿だったのに対し、新日本側はお揃いのユニフォーム姿で統一、事前に自衛隊チームとも練習試合をして備えるなど、試合に向けた覚悟はまったく違ったようである。

ピッチャー猪木は全日本打線を5点に抑える完投勝利。

しかも、打っては5打数4安打、ホームラン1本の大活躍で最高殊勲選手賞を受賞している。猪木は格闘技以外は運動音痴説を吹き飛ばす活躍と言ってもいいだろう。
そして、注目のBI対決は、ピッチャー猪木とバッター馬場というシチュエーションで一度だけ実現し、猪木が馬場を三振に打ち取っているのだ。
前年の武道館で猪木と馬場が約束した一騎討ちが実現となったわけだが、2大巨頭の対決を目撃した観客はわずか3000人と、昨日のももいろクローバーZの観客の10分の1なのであった。

●前田、いないですね。
全日のオーダーも見たかったです。
でも、この資料で当日の雰囲気をたくさん思い出せました。
ありがとうございます。

138 :
西武ライオンズの創設を検索したら1979年でした。
創設当初は石毛とか清原の黄金時代ではなく、田淵幸一に野村克也、松沼兄弟、森投手などが売りでしたね。ライオンズが西武になって所沢に来た時、池袋のサンシャイン60で夜、窓の明かりでライオンズって描いたんですよ。

139 :
アントニオ猪木が小声で「元気ですか・・・・・?」

youtubeで見れるネット報道番組「虎ノ門ニュース10月27日」に出演した青山繁晴国会議員が

アントニオ猪木議員の質問の様子や、小声で「元気ですか?」と言う様子を伝えてくれました。

番組の1時間45分くらいから。

https://www.youtube.com/watch?v=mQf9vHSmqVo

是非ご覧ください。

140 :
シンが当時言っていたコメントがかなり後に掲載されていた。
ブッチャーと組むならイノキと組んでババ ブッチャー組とやらせろ!
11年後には猪木 シン組と馬場 ブッチャー組が現実に組まれた。
間接的なこの両チームの対決は猪木 シン組の勝ちに終わったが。

141 :
馬場マンホールの上でブリッジ
力道馬場の腹の上に跨がりドスンドスン
おい!馬場 お前のブリッジ崩れたら二人もろとも穴の中へ真っ逆さまだ!!ワッハッハッハ

142 :
ブッチャー シン 対 ファンクスも見たかったなあ。
88年最強タッグで実現すると期待も虚しくファンクス不参加。

143 :
Memories of Abdullah the Butcher House of Ribs & Chinese Food
https://www.facebook.com/Memories-of-Abdullah-the-Butcher-House-of-Ribs-Chinese-Food-178523145531431/

ブッチャーのバーベキューレストラン、閉店してたのか。
一度行ってみようと思ってたのにorz

144 :
ブッチャー「今までW・リーグ戦は十二回もずーっと日本人レスラーがチャンピオンになっているだろう。
常に日本プロレス界のナンバー1レスラーが就いている過去がある。
それなのに準決勝戦の第一試合でナンバー・ツーのイノキはトルコの力を借りて決勝に進出して、
ナンバー・ワンのババと“セメント・マッチ”で闘い、
自分の方がババより断然強いというところをみんなに見せたがっていた。
俺はイノキという男は、まだプロレスのなんたるかを知らない青二才の小僧ッ子だと思ったぜ。
どこの試合会場でもババの人気の方が、イノキの倍も三倍もあるのを彼自身が判らぬはずもないのに……。
イノキは今でもそうだが、すぐにカッコをつけて“セメント・マッチで来い”とか
“ピストル(真剣勝負)”で勝負をつけようではないかといった言葉をすぐに弄する。
イノキがババに勝ちたければ、イノキとババで決着をつければいいんで、
何も、この俺やデストロイヤーまで巻き込む必要はないんだ。
そこらあたりがイノキがプロフェッショナルな男ではないと言われるゆえんだ。」

145 :
>イノキがババに勝ちたければ、イノキとババで決着をつければいいんで、
>何も、この俺やデストロイヤーまで巻き込む必要はないんだ。
>そこらあたりがイノキがプロフェッショナルな男ではないと言われるゆえんだ。

1975年、全日主催のオープン選手権がまさにそれ
建前上は世界中の団体に門戸を開いているので、誰でも歓迎
猪木もこれに参加すれば馬場との直接対決が実現するぞ、
といかにも馬場が猪木の挑戦を受けてそれに応えたかのようなポーズをとっているだけ

結局、猪木が不参加を表明したから全日は「猪木は逃げた」等と批判していたが、
初めから猪木が絶対に参加するはずもない条件を提示したのが全日なんだよなあ

146 :
http://plaza.rakuten.co.jp/thisman/

147 :
大ヒールというキャラだが、シンもブッチャーもセメントファイター。

148 :
共に大型ファイターだったからね。

149 :
上西小百合議員が猪木批判してる。

150 :
>>145
平成生まれのプロレスファンなんだろうけど色んな後付け情報がゴッチャになってるね。

初めから猪木が絶対に参加するはずもない条件を提示したのが全日だとか言って批判したいんだろけど、
対戦がほぼ不可能だった同時に対戦をけしかけて馬場が沈黙すると逃げたとネガキャンし続けていたことを
同様の手口で新日に投げかけたのが75年の全日。

先に猪木がやった参加するはずもない条件を提示に関して馬場に対してだけ怒り狂うのは少々お粗末だよ。

151 :
>>150
145だが、俺は昭和プロレスファンで当時リアルタイムに見ていたものだ
ただし田舎であったがゆえ、新日は地上波で毎週欠かさず見ていたが全日は見れなかった
全日の情報は一ヶ月遅れで当時の月刊紙を見て知るしかなかった
結果として新日オタク、新日シンパとなってしまったことを明かしておく

俺が意見を申すとどうしても猪木寄りになってしまうんでな
そこでバランスを取るために、馬場側から見た当時の猪木×馬場戦について詳しく聞きたい
罵倒しあうのではなく、昭和プロレスファンとして物事を多角的に見てみたい
建設的なご意見を期待しているぞ

152 :
http://i.imgur.com/hTx9AdY.jpg
http://i.imgur.com/Qn69NCd.jpg
http://i.imgur.com/MMj1pwi.jpg

153 :
馬場 対 猪木
80年代は団体という規模でこの対決は行われていた。
間接的に常に比較されてたわけだからね。

154 :
人気、ファンの支持度、カリスマ性、話題性、存在感、周囲への影響力
確かに80年初頭からなら猪木の勝ちになるわな。

155 :
馬場も巨人症という衰えが常人に比べて早いというハンディがあるものの、あの
痩せさらばえ方は酷すぎた。
トレーニングを力道山・アトキンス時代ほどとは言わないがその何分の一かでも
継続していればもうちょっと見栄えある身体、身体能力の衰えも抑えることが
出来ただろう。
「猪木なんて相手にしてない」と強がるだけで実情はどんどん差がついて、
ファンの評価も「馬場猪木がどちらが強いか」というレベルじゃなくなっていく
悲しさ。
75年ぐらいまでだろうか、馬場と猪木の強さを真剣にファンが論じていたのは。

156 :
日プロ時点で、ほぼ並ばれてしまっていたのに「猪木と俺では格が違う」みたいな馬場の態度は逆に滑稽だった。

まぁ猪木が必要以上に挑発していたのに不快感もわかるけど。

157 :
夢のオルスでのブッチャー シンは正に夢のチームだったな。
ようつべ見ると古舘は 猪木、馬場組 シン、ブッチャー組と。
新日側を格上に表現しているのがわかる。

158 :
日テレ版のこの試合を見てみたい。

159 :
アブドラー ザ シーク
タイガー ジェットブッチャー
ザ シン

160 :
アブドラーザシン
タイガージェットシーク
ザブッチャー

161 :
シンとブッチャーの貢献度考えたら総選挙の結果はおかしい、っちゅうかデタラメ

162 :
アブチャとタジェシは確かに貢献度は高かったなあ。

163 :
ブッチャーは例の裁判で敗訴したけど
その後はどうなっているの?
きちんと賠償金、相手レスラーに支払ってるのか?
詳しい人 教えてください

164 :
つか変な略称使う奴が現れてもともと過疎気味だったスレが完全に無人と化した感
こいつの人を寄せ付けない得体の知れないスキルははっきり言って異常

165 :
79年当時は馬場、猪木、ブッチャー、シンが日本マットでのビッグ4だった。
また非常にわかりやすい四人でもあったわけだった。

後には日本人では鶴田、藤波、長州、天龍、外人はハンセン、ブロディ、アンドレ、ホーガン。

今の時代だとこういう特定のレスラーを厳選すんのは無理だろう。

166 :
闘魂三銃士
全日本四天王
ベイダー ビガロ ノートン ホーム
ハンセン ゴディ ウイリアムス スパイビー

平成だとこういう括りはあったね。

167 :
平成の外人四天王
(全日本)ハンセン ゴディ ウイリアムス スパイビー

(新日本)ベイダー ビガロ ノートン ホーム

この中でスパイビーとホームは共に四天王に入れるのは疑問、との記事も。

168 :
生前葬にタジェシやスタハも参列。
アブチャは体動かず無理だろうが。
バンベイやハルホも参列してくれ。

169 :
>>168
Rや

170 :
☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆

171 :
ホーガン参列は無理っぽいな。

172 :
アノキとハルホはもう会うことはないのかも
今もアノキはアメリ在住なのかな?

173 :
生前葬って思ったより地味だったみたいだね。
試合も無意味なのばかりで。

174 :
馬場・猪木VSブッチャー・シン はまさに夢の対決だった

鶴田 藤波 マスカラス組も良かった

キム ドクからタイガー戸口と改名した戸口とロッキー羽田と対戦した
坂口がかわいそうな気がした

ここまではリアルタイムで知っているがそれ以前の
大木金太郎対ボボ ブラジルの頭突き対決のことが知りたい
ブラジルの方が頭は硬かったのか?
原爆頭突きが敗れたのか?
と聞いたが教えてほしい

175 :
アブチャやタジェシもそういう年代なんだな。
ザ・ファン、ミルマ、ハリレなんかも。

176 :
馬場ごもし健在なら年明け80か。
さすがにこの年までは生きてないか。

177 :
ジャイバが亡くなってもう19年近くも経つのか。
アノキ引退の翌年にジャイバ死去。
その翌年にゃ後を追うようにジャンツが不慮の死去。

178 :
シンやブッチャーの移籍は失敗だったという意見が大半。
でも俺は必ずしもそうは思わない。
あのまんま両者が移籍せずにいたら更にマンネリで何は干されたと思う。
移籍によって取り敢えずマンネリからは脱却できた。

全日時代のシンも新日時代のブッチャーもかつての輝きは得られなかった。

しかし時間を経て双方共にゆくゆくは古巣に復帰して。
復帰後はやはりかつての輝きを取り戻すことはできず。

シンが新日復帰後は肝心の猪木はセミリタイア。
また坂口や小林は既に引退していた。
この頃の新日のトップは、かつては若くて格下だった藤波や長州。
それに橋本、武藤、蝶野と全く接点がなかった新顔。
外人もベイダー、ビガロ、ノートンとこれまた新顔が中心。

ブッチャーにしても馬場はおり、ファンクスもいた。
しかしファンクスとの対決も最早時代遅れで全日の主流にはならず。

しかしシンもブッチャーも移籍があったから復帰できた。
あの移籍がなければもっと早くに日本マットから消えていたと思う。

長い目で見るとあの移籍も二人に取って決してマイナス面ばかりではないと思う。

179 :
さすがに8年も同じ団体にいたらマンネリは当然だわな。
まあその間にどんどん新顔も登場した。
日本人外人と。
そいつらと絡ませて新たな戦いを描くのもひとつだが。
でもファンは新しい方に目を向ける。
そうなると限界がある。
シンもブッチャーももっと活かされたら生きたと思うし。
特にブッチャーは。
全日でシン絡みはある程度実現した。
でも新日でのブッチャー絡みは実現しなかったのが多い。
新日デビュー戦で組まれたカーン戦、アンドレ戦、バックランド戦。
また抗争が盛り上がったホーガンとは更に絡ませれば面白かった。
ローデスともいい試合だったと思う。
猪木、ホーガン×ブッチャー、アレン
ローデス、マードック×ブッチャー、アレン
アンドレ、●●×ブッチャー、アレン
カーン、戸口×ブッチャー、アレン

好カードは幾らでも組めた。

180 :
またブッチャーが不運だったのは移籍と同時期に新日が主要タイトルを返上した事。
もしNWFがあればブッチャーも一度は挑戦しただろう。
また北米タッグにもブッチャー、アレンで挑戦と。
しかし主要タイトルがなかったからこそブッチャーも挑戦しようがなかった。
っちゅうかブッチャーのタイトルマッチを新日が組みようがなかった。
タイトル自体が無いのだから。
藤波のWWFインターに絡ませても意味無い。

あとブッチャー移籍直後に国際軍団が新日に上がったのも不運。
ファンの目は猪木とブッチャーより猪木と木村に向いた。
新日も国際との全面対抗戦を売りにして。
それで猪木×木村の試合を蔵前で二連続組んで。
国際軍団の新日登場がせめてあと半年延びてたら。
そうなれば猪木とブッチャーの絡みが当時の新日のメインとなったはず。
またブッチャーと新日外人達の絡みも。

181 :
81年以降は猪木は言わば無冠だった。
IWGPがタイトル化されるまでは。
タッグは新日版のWWFタッグができたが。

まあブッチャーもタイトルあれば挑戦という事にはなっただろうが。

WWFインターには絡んでも意味ないし、展望もない。

182 :
ブッチャーは気の毒な籤を引いた。
シンはまだマシ。

183 :
アフドラー・ザ・シーク
タイガー・ジェット・ブッチャー
ザ・シン

184 :
ブッチャー・戸口は国際軍団に全部持って行かれちゃったな。後回しにされちゃった。

185 :
後回しならまだいいが、後でもろくに出番がなかったも同然。
ブッチャーはホーガンブレイクに一役買った形だが。
戸口は取り敢えずカーンと組んでた流れで維新軍には入ったが、大した活躍はなし。
またその維新軍でも浮いて。
二人の存在感を潰した形の国際軍団にしても最初だけしか重宝されず。
重宝されたのは最初だけ。

新日はいい素材を悪い扱いで結果的に潰してきた。
そのツケが後々の冬の時代へと。

186 :
それを考えるとシンや上田は全日では全然マシ。
タッグタイトルも巻いたし。
シリーズのエースも何度もあった。
テレビ登場率もブッチャー、戸口に比べたら遥かに多い。
シン、上田は毎週テレビに登場したし。
最強タッグでも上位だった。
※シン、上田の時は。
馬場はシン、上田を干したり飼い殺しという気持ちはなかっただろう。
だからそれなりの扱いに。

187 :
知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

MSFC9

188 :
83年発刊の『男は馬之助』をBOOK・OFFで買ったが、面白い。
当時も読んだが、忘れてた事や新たな発見も。

一時期レスラーになった上田の息子も写真に写ってる。
まだ子供だが。

また上田にはかなり年の離れた弟がいるのも判明。
今は還暦すぎくらいか。

シンとの事も書いてあるが、二人が本当に信頼関係にあったのがわかる。

189 :
馬場
猪木
ブッチャー
シン

当時の日本人外人No.1同士とわかりやすい。
この時代に全日にはファンクス、マスカラス、レイス
新日にはアンドレ、バックランド
トップ外人は他にもいた。
でもシンやブッチャーは立場的にもわかりやすかった。
しかし時代が変わると日本人外人共に誰が真のトップだかわかりにくくなり。
全日はまだわかりやすい面もあったが。
新日は本当にわかりにくかった。

190 :
73年にシンが初来日して以来数年はブッチャーよりシンの方が目立ってたらしいな。
新日の名物外人になり。
全日ではブッチャー以外にも外人は沢山いた。
だから73年頃はブッチャーは特に目立つ存在ではなかた。
ブッチャーが本当の意味で大ブレイクしたのは77年オープンタッグ。
ファンクス、特にテリーも同じく。
それまではシンの存在感の方が上回っていた、とオールドファンから聞いた事がある。
当時はさすがにプロレスはまだ見てないから。


わかる方いますか?

191 :
今日はシンの誕生日。
8月11日説もある。
でも古い雑誌では4月3日となってるからこちらが正しいと思う。

192 :
シンが最後にリングに上がったのっていつ?

193 :
>>190
亀だけど俺の主観で
まずシン初来日の頃
あの頃の新日と全日を比べると、企業の実力として新日:全日=10:100ぐらいのとてつもない差があった
うち個人の実力としては猪木馬場が5、シンが3〜4、ブッチャーら全日豪華外人勢が3、その他大勢が0〜2と言ったところ

今では信じられないことだが初来日のシンは、リング内では模造品のサーベルで暴れるも、
外では普通にインタビューや写真撮影に応じる普通の悪役レスラーだった
要するに代わりはいくらでもいるような存在

ところが新日がシンを必要とした
「リングを降りてもヒールであれ」を提案し、シンもこれを受け入れた
他の試合に乱入するのは日常茶飯事、観客を襲い記者やカメラマンを殴りつけ
あまり知られていないが、ホテルから会場へ向かうタクシードライバーに暴行を加えたこともある
そして例の新宿伊勢丹だ
一般報道こそされなかったものの、これをすっぱ抜いた東スポの記事が噂になり、
「シンは本当に狂っているかも」と話題になるには十分すぎる演出であった

それからは猪木、シン、新日の人気はうなぎ登り
新日:全日の評価はあっと言う間に30:100あるいは50:100ぐらいにまで新日側が急上昇
猪木とシンだけで10〜20ポイントは稼いでいたと言っても過言ではない

それを象徴する一つの例を
74年頃、都内で新日と全日の興行が被ったある日のこと
全日側はNWAタイトルマッチを筆頭に一流外国人と豪華カードの目白押し
新日側の目玉は猪木対シン戦のみ、それもノンタイトル
でも観客動員では新日の方が勝ってしまったという

194 :
猪木のパチンコそれも甘デジのやつやったらシンが火を吹く演出あったけどこの人そんな事してたわけ?

195 :
>>194
パチンコの演出は知らんけど、いくら凶悪レスラーとはいえ口から火を吹くことはないよw

3度目の来日の時(1974年)、タイトルマッチでマジックファイアを用いて猪木の顔面に火を投げたことがある
火にまつわるエピソードはこれがあまりにも有名
解説者の話を聞く限りではどうやらこれ以外の試合でも放っていたことが伺えるが、熱心なファンをしても真偽は不明

ザシークも同様で火といえばシン以上にシークのイメージが強いが、日本で初めて火を使ったのは1979年
初来日から7年も経ってのことだ
その後全日本を去る1981年まで火を使ったことはあるものの、それも数える程度
やはり口から火を吹くなんてことは無かった

ではなぜこの両者には、実際の頻度や規模とは別に火炎放射のイメージが付きまとっているか
理由は簡単で80年代に発刊された「プロレススーパースター列伝」のせい
あの漫画の中で口から火を吹く描写があり、それが真実だと思い込んでそのまま大人になった層が少なからずいるんだよ
今では到底考えられないことだがあの頃のプロレスは、力道山には及ばないもののまだまだ社会的影響力があった
おまけに家庭用ビデオもほとんどない時代、マニアのライブラリはほとんどが紙面だった
やがて脳内で実写とマンガの垣根がなくなり、数十年後には「口から火を吹いた」ことがさも事実であるかのように語られる
きっとこういう図式なんじゃないかな

それを示す他の例を一つ
有名な新宿伊勢丹事件は平日の夕刻に発生し、それをリアルタイムに報じたのは東スポ一社というのが真実
ところがマンガでは休日の昼間であるかのような描写だった
それが真実だと錯覚されたのか、最近までwikiあたりに「シンは猪木夫妻を白昼堂々襲った」との記述があった
ついでになぜか「一般紙も報道し、シンは本当に狂ってると広く社会的に思われた」という尾ヒレ背ヒレまでw

こういうことが実際にあるので、パチンコメーカーの上層部にシンが口から火を吹いたと思ってる人がいても不思議ではない

196 :
>>195
う〜ん、詳しいねえ〜
何だか感心する

猪木のパチで勝ってアマゾンから購入した猪木自伝読んでる最中なんだけど
何だかシンはもともとは正統派の人らしいけど猪木を通じて荒れ狂うようになっただけで
その意味では余程悔しかったのだろうと考えているんだよ

その一方で猪木のパチではシンのドアップで火を吹く演出があったため
シークの他にも火を使う奴がいたのかと考え込んだわけ
もしかすると指摘のエピソードやマンガの影響でそのままそうした演出が盛り込まれてしまったのかも知れない

197 :
>>195
列伝のは凄かったね。
シンもシークも。
口から火を吹くってのが凄い。

やっぱり列伝世代には色濃く残ってる。

あと当時の何かの本では『ガソリンを口に含んで、吹き出す時にライターを付ける』と書いてあった。
これはシークの火の吹き方として。
でもガソリンを口に含んで吹いても火が口にまでくるのでは?
子供の頃は何の疑問も抱かずに信じたが。
純粋というか無知だったというか。
無知だったから純粋に捉えたのだろうが。

いずれにせよ火を吹くという部分ではシンよりシークだな。
あとエンフォーサーも火炎攻撃やってた。

しかしああいうのは本当に上手くやらないと。
上手く火を出して、尚且相手に火が触れない様にと。
手品師みたいだな。

198 :
インディのファイヤーはやりすぎ。
凶器だって進化すればいいってもんじゃない。

199 :
日本のプロレスにおける火の使用についての考察

国内メジャーではっきりと記録が残っているのは以下の三点
・シン→猪木
・ブッチャー→デストロイヤー
・シーク→ブッチャー
これ以外にも猪木×シン戦の中継で解説が「シンが火を投げました!北海道大会で使ったのと同じものでしょうか」
という趣旨のことを言ったり、シーク全日末期の頃に会場の備品に放火しまくったという記事をテキストで見たが、
いずれも真相は不明

ではなぜ火は凶器のフラッグシップになり得なかったか
上に書いた通り昭和までマニアのライブラリはほとんどが紙面、つまり静止画であったことが主因だと推測する
凶器と言えばブッチャーがテリーに放ったフォークが特に有名で、
仮に「凶器の使い方」というマニュアルがあればまず間違いなく表紙を飾る象徴的なシーンであろう
あれは使い手のブッチャー、受けるテリー、見て見ぬふりする樋口の連携プレイが素晴らしく、
フォークを振り下ろす直前にカメラ目線用の間がしっかりと設けられていたことが大きい
つまり静止画を意識したプロの仕事であろう

それに比べると火は一瞬で消えてなくなるので静止画では捉えにくい
運よくシャッターに収めたとしても、一番美味しいタイミングを逃してしまいがち
やはりあれは動画でこそ映えるものだと思う
(消防法の問題もあると思うがw)

その後FMWが台頭し、ホームビデオの普及も相まってインディでやっと火が市民権を得た印象がある
お金のない弱小団体は野外興行が多かったという側面もあるが、
当時セミリタイヤ状態だったシークが不死鳥の如く蘇り、シーク=火を定着させた功績はあまりにも大きい
ちなみにマジックファイアにせよポーゴらのガソリン火炎放射にせよ、一瞬で消えてしまう火はほとんどノーダメージ
ガキの頃、花火イタズラしてケガした人は少なくないと思うけど、致命傷を追った人ってまずいないでしょ
ファイアーデスマッチのように燃え続ける炎に囲まれるのが一番やばい
あれはほとんど火事と同じだからな

200 :
81年に国際でエンフォーサーも火を使った。
でもシークやシンと比較すると明らかに位負け。
81年新春黄金での不甲斐ないイメージが強すぎた。

201 :
http://img.photobucket.com/albums/v441/JasonPics/SheikSabu9494.jpg

おそらくFMW末期、北海道は羽幌町野外特設会場でのヒトコマと推測される
なぜかこの日のシーク様はゴキケンで一通り暴れたと思ったら会場の隅にあるドラムに興じてみたり、
花束を観客のお婆ちゃんにプレゼントしたりといつもと真逆の意味でやりたい放題だったらしい

202 :
遠くからサンボ浅子が見ているw

203 :
https://www.youtube.com/watch?v=4W_IWeotB-c

204 :
アブドラー ザ シーク
タイガー ジェット ブッチャー
ザ シン

205 :
アブドラー ザ シン
タイガー ジェット シーク
ザ ブッチャー

206 :
シークは晩年はかなり太ってた。
初来日の頃のブッチャーより太ってただろう。

207 :
晩年のシークは130オーバーの巨漢だった

208 :
シークとサヴーの腹を比べると全然違った。
サヴーは腹筋が割れた腹。
シークは晩年は腹周りも凄かった。

209 :
鉄拳制裁と言えば聞こえはいいが、猪木はピンチになると必ずパンチ攻撃。
ストロングスタイルとは、反則のパンチを繰り出す事。

中途半端に格闘技を取り入れ、プロレスを駄目にした張本人も猪木。

引退試合のドンフライ戦なんか、八百長の極み。

210 :
馬場&ブッチャー×猪木&シンの方が見たかったなあ。
90年9月30日にこのカードやればドーム7万動員も夢じゃなかった。
合同興行で。






と身勝手な意見を書いてみた。

211 :
>>211馬場の公式身長だが、両者のデビュー戦同日に合わせた合同興行の話はあったらしいぞ。

212 :
39年前はこのカードが日本人外人で最高のカードだったんだな。
8年振りに復活のBIの対戦相手が当時の新日全日のトップ外人のシンとブッチャー。
会わせ鏡の如くバランスが取れてたな。
一般紙にも掲載されたりニュースで放送されたり。
当時はリアルタイムで見てないが、言葉では言い表せぬ衝撃だったのだろう。
カードが決定してからも途中で『本当に実現できるか?』と波乱もあったらしいし。

213 :
>>210
それ、1979オールスター前に実際にシンが言ってた
「あんな奴(ブッチャー)と組むぐらいならいっそイノキと組んで、ババブッチャー組と対戦してやる!」ってね
どこまでマジでどこからリップサービスなのかは分からんが

214 :
>>213
今となっては実際のシンのコメントかもわからんからね。
シンがブッチャーを良く思ってないのを前提に勝手に盛り上げ手段が書いた可能性もある。
まあプロレスとはそういう世界だしね。

215 :
そのデマがファンタジーを生むという効果も。

216 :
214バレンタインだが、
シンもブッチャーも70越えて健在なのは嬉しいことだな。

217 :
アブドラー・ザ・シン
タイガー・ジェット・シーク
ザ・ブッチャー

218 :
何年か前の両国での猪木ゲノム。
猪木 ホンマンVSブッチャー シンってのがあったな。
ホンマンを馬場に仕立てて。

219 :
>>213
その11年後に実際に《猪木・シン》《馬場・ブッチャー》が実現した。

220 :
>>219
最大瞬間風速だけど、あの日の猪木・シン組と馬場・ブッチャー組とでは雲泥の差があったな

あのシンが9年ぶりに新日に帰って来る!しかも猪木とタッグを組む!
と、古くからのファンは諸手を挙げて大歓迎ムード一色だった
直前のインタビューでもシンは、
「正統派のインド式レスリングで戦う。イノキとのコンビネーションに不安はない。
 ただし試合中にイノキが裏切らなければの話だがな(笑)」とジョークをかますほどの余裕

そうは言いつつも場外乱闘ではしっかりと凶器攻撃
シンがジュラルミンケースをベイダーに振りかざした時、会場から割れんばかりの大歓声が起こった
シンの凶器攻撃は残酷ショーではないということを全ての観客が本能で理解していたからだ

試合後は両者スポットライトを浴びてマイクパフォーマンス
「チョトマテクダサイ」「大坂、名古屋、札幌、日本中どこででも猪木とタッグを組みたい」
爽やかな風が吹き抜けたかのような感動ムードに包まれて猪木30周年イベントは大成功に終わった

一方の馬場・ブッチャー×アンドレ・ハンセンはというと
馬場とブッチャーが組むという点だけがセールスで、他はマンネリと化していた固定メンバー
これといった目新しさは特に無し
馬場が凶器だけは持ち込まないでくれよと念を押していたのに、ブッチャーは無視
シンのそれと違って会場からは大ブーイング
結局空中分解して孤立したブッチャーがピンされて終わりという何とも後味の悪い結末に
とはいえこの四者の中で負けブック飲めるのはどう考えてもブッチャーしかいないという状況、
普通にフォールされるよりはまだ仲間割れの方がベターだったのかな

猪木の方は最初から猪木が浜口に勝つことが約束されたカードだったのだから、
馬場の方も同様に 馬場・ブッチャー×キマラ1号2号 といった組み合わせならまた面白かったかも
馬場とブッチャーが組むだけでなく、キマラがブッチャーと袂を分かつという新鮮なネタが加わるから

221 :
>>220
同意。
あの時はむしろ猪木、シンが仲間割れするのでは?との危機感があった。
馬場、ブッチャーは仲間割れせずに。
それと仰る通りシンは9年振りの新日マット復帰。
ブッチャーは既に全日マットに上がり続けていた状態。
この時点でシン(の新日マット復帰)の方が新鮮味もインパクトも強かった。
また馬場とブッチャーはそこまで遺恨を感じなかったし。
むしろブッチャーの遺恨相手はテリー。
猪木とシンは9年のブランクがあるとはいえ、遺恨のイメージが強かった。
その両者が組むという事も非常に共学させられた。


そして実際に当日の試合も言うに及ばず。
猪木、シンはこれ以上はないハッピーエンド。
シンとベイダーという新旧外人エース対決も実現して。
一方の馬場、ブッチャーは無惨にも仲間割れ。
最後は馬場、アンドレ、ハンセンVSブッチャーという図式に。
あれはブッチャーが気の毒に映った。
ブッチャーも全て承知の上で引き受けて全うしたのだろうが。

222 :
【訂正】
>>221
×非常に共学させられた

○非常に驚愕させられた

223 :
>>221
一応4人とも動ける試合と
4人中3人が動くことも微妙だった試合の差だと思う

224 :
>>223
確かに。
新日側は四人動けたが、全日側は動けたのはハンセンだけ。

当時の雑誌にあのカード の事が書かれていたのを覚えてる。
馬場、ブッチャーVSアンドレ、ハンセン もう10年前なら凄いカード。
それこそ後楽園球場でも超満員間違いなしのカード。
そんな記事があった。
あの記念大会直後ではなく少しあとだったかな?

80年にあのカードが組まれたら確かに凄かった。
ちょうど全日2VS新日2で。

225 :
350お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)2018/12/30(日) 13:02:06.33ID:VG3zTl2QK
350御子霊だが、
後楽園ホールが1階会場と認識されてたのは常識だろ、お前らRっ!

226 :
馬場 ブッチャー アンドレ ハンセン
80年9月なら四人とも全盛期バリバリだな。
馬場は全盛期バリバリとは言えないか。
でも80年には馬場も三回目のNWA巻いたりとまだ主軸だった。
最強タッグ優勝とか。
81年もCカーニバル優勝。
馬場もまだ需要はあった。

80年9月(30日)に馬場、ブッチャーVSアンドレ、ハンセンがあれば凄かった。

227 :
222お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)2018/12/30(日) 18:34:44.44ID:VG3zTl2QK
>>223
確かに。
新日側は四人動けたが、全日側は動けたのはハンセンだけ。

当時の雑誌にあのカード の事が書かれていたのを覚えてる。
馬場、ブッチャーVSアンドレ、ハンセン もう10年前なら凄いカード。
それこそ後楽園球場でも超満員間違いなしのカード。
そんな記事があった。
あの記念大会直後ではなく少しあとだったかな?

80年にあのカードが組まれたら確かに凄かった。
ちょうど全日2VS新日2で。

808お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)2019/01/02(水) 15:04:11.29ID:22URQu6BK
きたキタ来たKITA キタキツネ

809お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)2019/01/02(水) 15:52:55.45ID:22URQu6BK
にしニシ西NISHI 二四が八

224お前名無しだろ (ガラプー KK8b-1KoE)2019/01/03(木) 11:20:55.91ID:8vIjCsYHK
馬場 ブッチャー アンドレ ハンセン
80年9月なら四人とも全盛期バリバリだな。
馬場は全盛期バリバリとは言えないか。
でも80年には馬場も三回目のNWA巻いたりとまだ主軸だった。
最強タッグ優勝とか。
81年もCカーニバル優勝。
馬場もまだ需要はあった。

80年9月(30日)に馬場、ブッチャーVSアンドレ、ハンセンがあれば凄かった。

228 :
226ラジャライオンの公式身長だが、
90年の時点ではハンセン以外は動けなかったかんな。
馬場、アンドレ、ブッチャーは。
動きの定義をどこに定めて線を引くかだけどね。
少なくとも同日の新日では四人とも動けた。
猪木、シン、ベイダー、浜口。
全盛期バリバリはベイダーだけだが。
試合の見応えはあった。
シンも久々の新日でハッスルハッスル。
浜口も久々の大舞台でやっぱりハッスルハッスル。

229 :
227富士な、だが、
アンドレとブッチャーは新日時代に見たかったなあ。

230 :
ブッチャー引退か
スレあげとくわ

231 :
とにかくディートンが気になって仕方ない
もっと連絡取れる中堅外人も呼んでほしかった

アルペレス
リチャードスリンガー
ジョニースミス
ジャイアントキマラ
サニービーチ
クリスヤングブラッド
マークヤングブラッド

232 :
230伏され、だが、
ブッチャー引退は武道館の方が良かっただろ。
つーか馬場自体が両国より武道館なんだから。

233 :
>>232
黙れってニワカw

234 :
>>1
今や動画で見られる時代に
便利というか夢の様なお話ですな

235 :
https://www.youtube.com/watch?v=5Xot5-zUBxI

236 :
https://www.facebook.com/abdullahthe.butcher.121

237 :
いまでも鶴田は坂口とタッグ結成で、
マスカラス・藤波・原組で良かったんじゃないかと思っている

238 :
坂口と鶴田の対決かタッグ、同じリングに立つ絵を見たかった
身長や体格はほぼ互角
得意技がジャンピングニー
当時は鶴田もアトミックドロップもよく使っていた
あとバックブリーカーも
そして団体のNo.2
一度は対決を見たかった

239 :
当時でも坂口の相手にロッキーは格落ち感あったんじゃね?

240 :
●坂口、鶴田vs○アンドレ、誰か、なら上手くまとまったと思う

241 :
坂口、鶴田組 対戦相手、大巨人、美獣組 又 大巨人、狂犬組 妥当。
或 大巨人、流血怪人組。
対格、立場等均等。
大巨人、流血怪人組場合 全日、新日、国際。
大巨人、美獣組 大巨人、狂犬組場合 全日、新日。

242 :
坂口 鶴田、対決、二人組、双方 実現希望。
同輪具 揃。
鶴田 若上、坂口 経験年数上。

243 :
127お前名無しだろ (コードモ e2b7-86aj)2019/05/05(日) 17:39:45.72ID:EA42CJnD00505>>130
実際、毎日何やっているんだろう
前の荒らしの時に調子に乗って57歳設定とか書き込んでいたけどホントなんだろうな
で、また犯罪予告ですわ 

274お前名無しだろ (コードモ KK1e-c4Bf)2019/05/05(日) 17:22:34.36ID:OTEfLMtxK0505
>>271-273
貴様等 今後 背後、厳重警戒(忠告)。
後、貴様等 宿、夜中火災注意也。
原因不明出火可能性大也。
貴様等 身元、調。

貴様等 早急消滅、跡形無、希望。
墓場不要、遺骨不要也。

了解?納得?完璧?

128お前名無しだろ (コードモ Sa3a-/nqt)2019/05/05(日) 18:10:46.16ID:7QWZX5fKa0505>>130
このキャラやるまで普通に書き込んでて皆にスルーされてたのが哀れだったなw
キチガイのフリする普通のおもろないジジイなんだろうなw

244 :
>>243
此奴 武道館大会、生卵投犯人。
↓↓

[***]P お前名無しだろ (ワッチョイ e2b7-86aj)[] 2019/**/**(*) **:**:**.** ID:*********
かなり昔だけど
全日武道館大会ではよく生卵投げたな。
セミやメインになると照明が暗くなって会場が大歓声になるじゃんか。
入場テーマが鳴るとお祭り騒ぎ。
そういうときに生卵をよく投げたもんだよ。
何度も投げたね。
持参した生卵が袋の中で割れたアクシデントもあったりしてね(苦笑)
そのうち武道館は生卵投げに行ってるようになってさ(笑)


そしたら何と雑誌の片隅にそれが掲載されたんだよね。
「悪質ファンの生卵投げ事件」みたいに。

利口な俺様はさすがにマズイと思って止めた。
バカな奴は続けるんだよ。
俺はそんなバカじゃないし。
ま、いい思い出だからさ。

245 :
釣 釣 釣 釣 釣馬鹿日誌

246 :
亜武寅 座 飼育
大河 寺柄斗 佛茶
座 芯

247 :
猪木 本万 対 芯 佛茶

猪木団体、両国大会 実現。
御祭興行也。

248 :
モウスグオールスターセンカラ40ネンカ。
イガイニモコジンハババダケ。

249 :
オールスターのでぃんぶいでぃーははつばいされないかな。
ぜんしあいしゅうろくのやつ。
でもにってればんとてれあさばんがあるからむずかしいかな。
りょうほうのをはつばいしてほしいが。

250 :
さがっとる。

251 :
78年開催なら、藤波・原・佐藤トリオだったな。

252 :
ageage

253 :
にってればんのおーるすたーのほうそうをみたい。
ようつべどうがはてれあさのほうそうだし。

254 :2019/09/03
あぶどらー・ざ・しん
たいがー・じぇっと・しーく
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