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4代目市川猿之助ホモセクシャル日記44
二世鴈治郎はんを語ろう

【思い出】名舞台、名場面【記憶】


1 :04/03/10 〜 最終レス :2017/05/03
今までに感動して心に残っている舞台語りましょう。

2 :
2げっと

3 :
最近の舞台だと
一昨年の菅原の通しの寺子屋、忠臣蔵の通しの大序〜四段目が良かった。

4 :
>3
おととしの忠臣蔵通しに同意。
演舞場でやったのですよね?道行の新之助が良かったのと、
あれがマモルさんの最後の舞台になるとは思わなかった。

5 :
一昨年は歌舞伎座!

6 :
歌右衛門最後の舞台の井伊大老。
先代の幸四郎の白鸚襲名のときも見ていたから、
やべえ、歌さんこれが最後じゃないかと胸騒ぎがしたな。

7 :
梅幸最後の玉手だな。
漏れが歌舞伎見るようになった時、彼はすでにピークを過ぎていて、
正直、それまでどこがいいのかわからずにいたんだけど、あの玉手にはぶっ飛んだ。
凛として美しく、少女の透明感、ひたむきさというか必死の思いが溢れていて、
初めて梅幸の舞台で感動した。その後も三千歳を勤めたはずだが、
漏れが行った時にはもう休演していたので、個人的にはあれが梅幸最後の舞台だ。

8 :
最後の舞台の話が続いてすまないが、宗十郎最後の蘭蝶も忘れられない。
切り口上で、20世紀の締め括りに家の芸である蘭蝶を勤めることができて嬉しい、
こんなに可愛い芝雀さんと、若い八十助さんの八十助としての最後の舞台に
一緒に出られて嬉しいというようなことを、痩せた体で、にこやかに話していた。
あの姿は思い出すたびに胸が詰まる。もっともっと見たかったよ。。。。。

9 :
あの豊満な紀伊国屋が痩身になっちまってな・・。
数年前にお坊吉三勤めたときは全然元気だったのにな。
さっぱり系の役者が多い昨今で数少ない濃厚な味があった
役者だっただけに、あまりにも早い死が惜しまれる。
漏れも、もっと紀伊国屋の舞台は見たかった。

10 :
紀伊国屋さん、楽しく面白い人でした。朗らかでカラッとしていて、
素顔も素敵な方でした。
猿之助の小栗判官「壇風」の場。矢橋の(役名忘れた)で、オーレー
オレオレに合わせ、舞台でサッカーやったのが忘れられません。
今健在なら どれほど舞台が厚くなったか、ほんと「亡くなってから
重さを感じる」人。代わりがいないという意味で「元気で生きてりゃ
人間国宝」の可能性まであったんじゃなかろうか。

11 :
>>7-6
何かこんな時間に泣けてきた

12 :
すまん、>>7-10だ。

13 :
良いスレ発見。自慢しあいましょ。
胸が詰まるというより、本当に涙が溢れたのは....
昭和50年代の歌舞伎座。勘三郎の駒形茂兵衛に歌右衛門の
我孫子屋お蔦。2階と下の会話を聞いているだけで、
困るほど涙が出てきました。感動=涙と考えれば、これが一番です。

14 :
同じ中村屋なら、東京でただ一度、国立劇場で2週間だけ演じた
(前半休演で辰之助が代役)、逆櫓の松右衛門。
梶原屋敷の様子を語る面白さといったら....。これ見てる人は
殆どいないはず。自慢しちゃう。

15 :
いい話が続いているところに、こんな話でスマソだが、
確か1999年11月歌舞伎座で、菊五郎、八十助、団蔵のらくだ。
初日のことだが、菊五郎の屑屋が酒乱の本性を現したあたりで、
「酒を注げ」と言われた八十助がほんのちょっぴり注いでやると、
「そんなしみったれたことだから、二人も女房に逃げられるんだ!」
場内は爆笑、二度目の離婚後間もなかった八十助はあまりの不意打ちに呆然自失。
ポカンと口を開いたまま何も言い返せない空白の時間が流れ、その阿呆面に場内また爆笑。
「感動」ではないけど、これも忘れられない場面のひとつ。

16 :
梅幸最後の玉手、宗十郎の蘭蝶、同じ思いのお人がいて嬉しい。
梅幸丈死去の翌月の菅原「賀の祝」で、最後に白太夫がへたり込んで
忍び泣く場面、羽左さんがほんとに泣いているように思えて、
また涙・・・・でした。

17 :
宗十郎の蘭蝶は歌舞伎を見始めた頃でした。
ですので体調が良くないとは知らなかったので亡くなった時はびっくりした。
次の月の三津五郎襲名には初日から出てなく残念と思ってたところの訃報でした。
12月は最初観る予定では無かったのだが観ておいて良かった。

18 :
>>17
宗十郎って3256襲名とは別でマツタケ座じゃなかった?

19 :
>15 見たかった。しかし、こればかりは....だから自慢できるんですな。
昭和50年代、夏の新橋演舞場、藤山寛美の舞台途中に突然の夕立。
場内にも大雷が鳴り響く。その度に寛美は上を見つめ、首を捻り、表情を
変え、あれは幸福な経験だったのだなあ。

20 :
寛美のアドリブよかった。「たそがれの虹」の滝見すが子、「愛情航路」の長谷川稔
「浪花の鯉」の東光男「お祭り提灯」の花和幸助・・・千葉蝶の「愚弟愚兄」
思い出の舞台。

21 :
>>18
いや、歌舞伎座だよ。亡くなったのは大阪だが。
幸四郎×雀右衛門の熊谷陣屋で義経の予定だった。

22 :
>>19
いいだろ〜(w
やったのは初日だけだった。八十助が泣き入れた?みたい。

23 :
誰か「中村歌右衛門の白雪姫を此の目で見ている」という人
いませんか?確か、その時の魔女は中村屋?

24 :
>>15,19
そんなに前だったか?2000年ぐらいじゃなかったっけ
オイラが見たのは中日杉だったけど、そのアドリブやってたよ。
もっとも中身は異なって、
おめえだけ女房を2人も貰おうってのかい、みたいなニュアンスだった。
当然、場内大爆笑。

25 :
蘭牒、宗十郎のあの挨拶、素晴らしかった。
正月を迎えての突然の訃報、しばらくあの舞台が頭の中をかけめぐった。

26 :
>>24
ごめん、その通り2000年だった。襲名の前の年だったからね。
他の日にも似たのはやってたけど、「逃げられた」は初日だけのはず。

27 :
私は、国立劇場で演された
左團次(先代)、歌右衛門、芝カンさんのお三輪の道行き。
義太夫の道行きものに初めて酔いしれました。
中でも左團次さんの芳香にノックアウト

28 :
年がわかっちゃうけど、ずーっと昔のことね。
歌舞伎座のは見てません。

29 :
>>3
忠臣蔵、吉、鴈、勘三人共良かった。
吉、鴈の相手だったので勘が変にでしゃばり過ぎず良かった。
役はでしゃばる役だけどね。

30 :
>27さん 歌右衛門が初めて国立に出た時でしょ。確か漁師鱶七は
中村鴈治郎。昭和40年代の半ばですか?いいなあ。

31 :
昭和46年歌舞伎座の国姓爺合戦。松緑の和藤内、歌右衛門の錦祥女、
仁左衛門の五常軍甘輝、三津五郎の老一官に鴈治郎の母。
こうなると「早く見た人の勝ち」になっちゃうけど、それが芝居で
もあるな。

32 :
これはいいスレだ
Thanks 1さん

33 :
ジジババが自慢たれるスレはここでつか?

34 :
>>27
左團次さんのああいう役、よかったわよねー
関の戸、もう一度見てみたい

35 :
>>33
隔離して語らせとけ。

36 :
>>35
なるほろ

37 :
歌舞伎座、團十朗襲名直前の4月にやった桜姫東文章。
TVで見てはまって劇場まで出かけた。
あれが初歌舞伎だった。

38 :
海老さまの魔界の道真。
道真を貶めた人々の妄想の中に現れる魔界に堕ちた道真の激しさ、
天空に向かって叫び笑う狂気の二役の時平。
そして、本当の道真の亡霊は恨みも含まず静謐の中にいる。
すすき野に佇む亡霊は心情を吐露し、生前仕えていた
牛飼いの童子(現富十郎)の吹く笛の音が響く中に幕となる。
もう一度見たい舞台。いずれ新海老蔵で。

39 :
>>38
孫で見れるって最高だね。裏山〜。

40 :
天拝山自体、歌舞伎じゃ見たことないもんな〜
見たことあるってだけで裏山なのに、それが海老さまだなんて!!

41 :
カキコ観ただけで興奮した。
ぜえったいやってくれ。新海老蔵!

42 :
>40 天拝山は、確か国立開場の折、出たはず。山崎屋・河原崎権十郎
だったんじゃあないかなあ。間違ってたら訂正してください。
果たして「私は見た」という人が現れるか?

43 :
11世市川團十郎の御葬式を見てる。青山葬儀場が中学への
通学ルートだった。自慢にはならないか。

44 :
なります。

45 :
>>42
アタシにとって、国立はとっくに開場してた劇場だもん。

46 :
宗家藤間会での素踊り「楠公」。宗家に加え、勘三郎、雀右衛門、富十郎、
権十郎、あと誰が居たっけ。とにかく全員が素顔。これ私の自慢です。

47 :
勘三郎を言うなら最後の法界坊。チケットを持ってる日まで
「休演するなよお、ちゃんと出てくれよお」心配でたまら
なかった。今となっては、坂東弥五郎の番頭だって自慢だ
もんね!

48 :
>>42
いや。
市川中車(猿翁の弟)
なんか新作じみて(特に新部隊の装置を疲労しようとやたらスペクタクルで)
中車の菅丞相も悪役じみてた。

49 :
それと>>38さんのいってるのは天拝山とは別の海老様の為に
書かれた「魔界の道真」と言う新作。
内容は>>38さんのとおり。

50 :
>48さん
THANKS!やっぱり御幣振り回したり、火を吹いたりしたのかなあ。
文楽では天拝山やりますよね。生身の人間で見たなんて、うらやま
しいです。42拝

51 :
>>49さん、フォローありがとう。
「魔界の道真」は海老さまのために数々書き下ろした
(築山殿始末や若き日の信長など)大仏次郎の作です。
上演は、1957年10月の歌舞伎座。
再演はないままです。
>>46
藤間宗家の会で上演した素踊り「佐野源左衛門常世」
私は見られなかったのですが、これも海老さまの
北条時頼が素晴らしくて、彼なくしては上演は考えられないと、
当時の宗家が言って封印されてしまいました。
写真は演劇界の追悼増刊に載っています。

52 :
桜姫東文章、何で12代目はやらないんだろ?
ニンじゃないのか。
しかし、絶対観たいな。

53 :
>>52
当代團十郎の清元・権助なんざ、見たくもない。

54 :
342 :338 :04/03/03 22:48
338の公演以外をNHKが放送したかどうかは不明。
ダンダン(海老蔵時代)の清玄バージョンはたぶん放送していないと思う。
清玄・権助は仁左さんとダンダンで3通りの組合せで上演されてる。
清玄・権助の2役変わりと清玄・ダンダン、権助・仁左さんの3通り。
全部見られたのは幸せだったと思ってる。
特にダンダンの権助。
男の色気を危ないくらいにプンプンさせてた。
桜谷の草庵の濡れ場なんて劇場が静まりかえってた(トオイメ)
ダンダン権助やってるし、良かったよ。

55 :
コピペ、うざっ。

56 :
>>54
イラネ。
スレチガイ。

57 :
>>56
別にスレ違いでもないと思うし、オマイの方がウザいよ。

58 :
大根役者について語るスレはココですか?

59 :
たとえ大根と言われる人であろうと、
一人の観客に生涯忘れ得ぬ感動を残したのであれば、
十分にこのスレで語られる資格がある。

60 :
59がいいこと言った。

61 :
八百蔵、源之助、弥五郎に支えられた桜姫を見てる。こんなこと書くと
「14世勘弥とのを見てるぞ」てえ人が出てきそう。居ます?

62 :
ねらーでいたら凄いw

63 :
猿之助の助六、雀右衛門の揚巻、鴈治郎の意休、段四郎の
くわんぺらを見てます。このスレは「貴重なものを見た」
も受け入れてくれますか?その頃の演劇界によれば、鴈治
郎が宝塚の 風と共に去りぬ にリンカーン大統領の役で
出演。「赤毛物は初めてや」そう喜んだとあります。どな
たか ごらんになってません?

64 :
>63 猿之助の助六、雀右衛門の揚巻、鴈治郎の意休、
歌舞伎座で昔、俺は当時の扇雀が揚巻だったと思うが如何?

65 :
>61観たいルゾ、大学生だった自分、国立劇場。それに 宇都谷峠の
通し、東宝へ移籍したG幸四郎が久しぶりに勘三郎と四つに組んだ。

66 :
勘三郎と四代目時蔵の「め組の喧嘩」
時蔵の亡くなる1週間前に見たので
絶対忘れられない。
民放TVで中継され、追悼で再放送されたんだけど
その映像は現存しないのかなぁ。
又八は勘九郎だった。
とってもいい女房振りだったので、若い死はとてもショックだった。
役者の死でショックだったのは、時蔵、團十郎、團蔵、辰之助です。
>61
諸般の事情で勘弥・雀右衛門の清玄桜姫は見損ないました。

67 :
>>50
なんせ遠い昔なんで(w
火も吹かなかったし(正直、無理だと思う)御幣振り回したりはしなかったと思う。
文楽の天拝山を見た事がないので比べられんが、人間が文楽どおりやっても面白くは
ないと思う。
古い演劇界引っ張り出して確認したが、劇評も不評っぽい。

68 :
髪結新三の大家、中車丈が私の観た翌日にお亡くなり吃驚、合掌。
急な代役は先の権十郎が演じた。

69 :
>>59
1人を感動させればココで語る資格ある。
って言いますけど、そんなの勇気入りますよ。
アンチに無意味に叩かれるの怖いから
胸の中に大事にしまっておきます。
よりによって、團十郎の東文章すか、勇気ありますね。

70 :
玉スレで玉ヲタが語ってたのをコピペしただけじゃん。
当人がここに書き込んだわけじゃない。
よく読めや、藻前こそ勇気ありますね。

71 :
このスレ面白い。年寄りの自慢を聞くのも口惜しいけど、まあ
芝居ばっかしは「先に見た方が勝ち」だから仕方ないか。最近
見始めた人もドンドン書き込んでください!あたしゃ、15・24
さんの書いてる「らくだ」が一番の名舞台。確か 逆櫓・将門
と続いてくたびれた後で...菊五郎も八十助も素晴らしく、團蔵
のらくだがまた結構で「歌舞伎役者の喜劇がこれほど素敵とは」
と見直しました。長く見ている母親も「最近じゃあれが一番良
かった」と言ってます。

72 :
>63 京都 南座?

73 :
戦後すぐに東劇で忠臣蔵の通しがあり、高砂屋の戸無瀬と判官は
気品があってよかった・・・。もっとも、先代梅玉を見たのは
これきりでしたが・・。

74 :
>73 御冗談でしょ と言っちゃいたいけど、やっぱ羨ましい。
70越えて2ちゃんねるさまあ、もっと話を聞かせてくだされ。

75 :
>>71
他の日は八十助も「イヤなこと言うなよ」とか言い返してたけど、
まさか初日っからやられるとは思ってもいなかったんでしょう、
あの機転者が何も言い返せなくて、見事に固まってましたよね。
あれ観て八十助がますます好きになっちゃいました。

76 :
質問です。
昭和50年国立の「加賀鳶」を見たという方いませんか?
団十郎が海老蔵時代に子守り娘のお民をやったとありました。
私の生まれる前の話で、演劇界の別冊で写真を見ただけなので話が聞きたいです。

77 :
75さん 加賀鳶が好きで観ています。久し振りの通しで橘屋が死神も。
多賀之丞のお兼が最高 新聞評でも<珍役=市川宗家の娘役(鳶の2役)
元気いっぱいの演技で愛嬌がある>本人いわく『暗中模索です」ーーー2ちゃんではこれぐらいが限度。


78 :
>>77
早速のお話ありがとうございます!
写真の団十郎さんは素顔に近くってでもかわいいw

79 :
>77   ↑76さんの間違い、すまそん

80 :
鶴助さん最後の「合邦」の講中

81 :
多賀蔵、最後の「対面」の大名。せりふ回しはまるで世話。

82 :
歌舞伎座、勘三郎急病で俊寛は勘弥、桔梗の光秀は十三代目が代役。
   勿論、役者はそつがなく、大向こうが代役ご苦労様〜と。

83 :
>82さん 勘弥の俊寛、羨ましい!私が見たのは権八、南郷、繁山栄之丞、
伊右衛門、細川勝元....つまり華々しい主役が1つもないんです。凄い
不入りだったと聞く国立の鬼一法眼三略巻の時も、大蔵卿の演技は素晴ら
しかった由。源平布引滝の齋藤実盛なども御覧になってますか?主役の
勘弥って如何でしたか?

84 :
勘弥「明君行状記」に寿美蔵、舞台で倒れ、そのまま病院行きかと思いきや
なんと九州のとある温泉に行く。あれは病気だったのか、いったなんだったんだろう。
名古屋中日劇場

85 :
三右衛門、なんと「石切り」の剣菱、黒子に身体を支えられ最後の舞台。
もうふらふら

86 :
「廓文章」阿波の大尽が松柏、幇間が小紅屋の市十郎、もう皆んな、これが最後の舞台
というのがわかってるので、まわりの役者たちは、涙なみだ状態。松柏はもう餅つきの杵
すら持てる状態じゃないし、市十郎も立ってるのが精一杯。見てる方も辛かった。
このあとあまり日がたたないうちに、訃報を聞いた。

87 :
勘弥=劇団には幸、勘がいて常に後塵。が、老若男女そつなく懐は深かった、11代目死後の
 数年間は本役の15代目系の役、昔から16ミリの羽左と称されたじゃないの。
 国立が出来て準専属的、御所の五郎蔵とか与三郎の通しの主役を張りましたっけ。

88 :
晩年の寿海@歌舞伎座〜もう立てなくて座ったまま,板付き“対面の工藤

89 :
「松浦の太鼓」でも左司馬の寿美蔵と大喧嘩。結局升田屋が折れたが・・・
勘弥のあの時の切れようはなかった。

90 :
寿海の工藤、もう最後かと思うと、そんな思いで見てたな。

91 :
>89 これは「勘弥が主役を演じると、揉め事が起こる」
という意味なのですか?舞台で怒ったのですか?

92 :
>84
勘弥が「名君行状記」の相手役に孝夫ちゃんを
抜擢した時のは見ました。
演舞場で孝夫にいろいろ役を付けてくれましたね。
権十郎の「実盛」は東横ホールで見ました。
孝夫の東京初演の「義賢最期」が付いたので、
小万の件が良く理解できました。

93 :
成太郎が「紙治」の三五郎。この頃はかなり弱っていたので、この役をやる成太郎が
かわいそうで。もう、栄御前もお庄もおえんもできなくなっていた。千秋楽のころは
花道すら使えない状態であった。数え80の三五郎を上方の味で熱演していた。
心の中でさようならを告げた。

94 :
歌舞伎チャンネルで放送する昭和55年11月の歌舞伎座「敵討襤褸錦」は?

95 :
>94 鴈治郎、延若、勘九郎の舞台でしょ、生で見てる。
青江下坂二つ胴 の台詞が有名だけど、名舞台というよりは
貴重な舞台。以来、出てないはずです。同じ鴈治郎なら、
「沼津」が放映されるチャンスがあれば是非御覧なさい。
空前かどうかは知らないけど、絶後の呉服屋十兵衛。

96 :
「沼津」荷物安の三右衛門 なんともいい味
最晩年は花道がおぼつかなかった

97 :
>96 荷持ち安兵衛って....嵐リカクの前は、三右衛門だったん
ですか?

98 :
映画から戻ってきて、すぐ荷物。成駒屋がりかくにスカーフをプレゼントして
その代わりに「三右衛門に荷物やらせてやってな」

99 :
>本題と違う話ばかりでスミマセン。私が見た昭和50年代の
鴈治郎の十兵衛(南座、中座、歌舞伎座)。荷物は全てリカ
ク。あの顔と花道での独り言が好きでした。ああ芝居を見て
るんだと感じました。三右衛門っていつ頃、荷物を勤めてい
たんですか?リカクより更に良かったんですか?

100 :
そのリカク最後の京都顔見世。1日だけでも出たいということで「曽根崎」の天満屋。
とにかく舞台に上がれる状態でないところを、寝台車と酸素、点滴など持ち込み、意地の
舞台。2,3日勤めて、その暮れの27日に亡くなる。
リカクの荷物のほうがもちろんいいが、三右衛門は名古屋を勤めた。
花道の独り言は、なんともいい味でしたな。上方のこの手の役者はもういません。


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