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二世鴈治郎はんを語ろう


1 :2005/12/08 〜 最終レス :2016/01/08
大阪の真の名優、中村鴈治郎はんを語ろう。
同時代、それ以前の名優の思い出を語ろう。

2 :
二世鴈治郎はんも亡くなってから、20年以上
三世延若も亡くなって、はや10年以上
我童はんも亡くなり(まぁ、我童はんはお江戸の育ちやけど)
上方の味のする役者は皆無になってきているね
ホンマに寂しいわ
ワイが、鴈治郎はんの生の舞台を見たのは、高校時代
高校生のための歌舞伎教室やったわ
「伊賀越道中双六」の沼津の十兵衛やったわ
市民会館での舞台やったけど、ホンマに今でも覚えているわ
ワイの前の通路を通ってくれはった
肌は縮緬のようにシワシワやったけど
鴈治郎はん、延若はん、それに、お米は、芝翫丈やったわ
ホンマにあれ以来やわ
大学で京都に行って、それから顔見せにも行くようになった
その頃の鴈治郎はんは、まだまだ元気な頃で
顔見せは「鴈治郎」のもの、という感じで、6役ほどやってはったわ
今は亡き、澤村宋十郎丈の襲名興行も兼ねていたと思うわ
修復前の南座の3階は、風がヒューヒュー入ってきてたのを覚えているわ
これから、ワイの鴈治郎はんの思い出を書き込ませて貰います。
皆さんも、思い出があれば、書き込んでください。


3 :
重兵衛やったかな、役名を間違ったかも

4 :
成駒屋はそんなことかまいはしまへん
関連スレ
http://that4.2ch.sc/test/read.cgi/rmovie/1087731870/

5 :
おおきに、おおきに
そんまスレもあったんやね
大成駒〜〜

6 :
重複スレが立つなんて凄いね
頑張って語ってください

7 :
息子とは、役者が違うな。ホンマモンの歌舞伎役者や。

8 :
二代目鴈治郎はんは、上方を意識しなくても上方歌舞伎そのものだった人。
いまは、上方を意識しても上方歌舞伎になっていない。

9 :
>>8
そりゃ云いすぎだな。
三代目も河庄とか封印切、
或いは河内屋系の権太とか
三二五六七とかやらせると
結構いい味だしてる。
曽根崎心中は
上方歌舞伎と言うよりは
東宝歌舞伎というべきね。

10 :
二代目延若はんの三二五六七を見たかったでんな
誰か見はった人いはる??
二代目鴈治郎はんが、三代目扇雀丈の団七で「宿無団七時雨傘」を見たときに
幕切れで、下駄を履いて、かけて舞台に出てきたときは、涙が出るくらい
感動しましたわ もうかなりの高齢やったのに
あの味は、三代目はんのも見たけど、出てなかったわ
語りまんで、思い出しながら
ワイがアルツハイマーになるまで(藁)

11 :
8の意見、当ってる。
9の曽根崎、2代目以外は、ズバリ当ってる。

12 :
そうや、猿之助丈が新歌舞伎座で奮闘公演をしていた頃
延若はんの平作で、十兵衛をやりはったことがあったわ
あの足の運びは、二代目の鴈治郎はん、そっくりやったわ
二代目はんのお気に入りは、猿之助丈やったもんね
荷持ちは、右近丈がやっていたわ、あの頃は良かったのに
嵐璃?はんが良かったけどね〜 
璃?はんと言えば、忠臣蔵の伴内が絶品やったわ


13 :
>>12
リカクさんね。
ものすごい顔でした。
役者は顔ね。
>>10
あの宿無団七、俺も見た。
めちゃくちゃ面白かった。
その後のは翫雀が団七やったやつでしょ。
ありゃだめだわ。
たった10年ちょっとで
随分と水準が下がりました。
二代目で見たかったのは
大晏寺堤ね。
折角こちらの歌舞伎座で掛かったんだけど
見てないんだな。
こないだ歌舞伎チャンネルで見て、
イヤモウ、残念なこと残念なこと。

14 :
>>13
大安寺堤は、DVDで持っていまっせ
鴈治郎はんは初代の型をやっているんやと思いまっけど
あれは凄かったですわ
延若はんも元気で、意外に羽左右衛門がマシ〜

15 :
>>14
延若のベリベリも見事でしたし、勘九郎も神妙でした。
滅多に掛からない芝居ですから、本を読むのが先でしたが、
こんな芝居どこが面白いのか、さっぱり判らない不思議な芝居と思ってました。
あのビデオで初めてわかりましたよ。こういう芝居は役者次第ですね。
本で読んだだけじゃ判りません。痛感しました。

16 :
>>15
ホンマにそうでんな
勘九郎もまとも芝居をしてましたな、
あの頃は、親爺が生きていたからかいあな
今は、先代の気持ちの悪いところをアップで見せられているようで気分が悪いわ
あれは、藤山直美の嫌らしさと同じでんな
二代目はんは、二代目の延若はんを崇拝してはったんで、
ひょっとしたら、延若はんの型かもしれまへんな
けど、あれは、やっぱり二枚目役者が顔を汚してやる芝居やね
そやから、初代は良くやったみたいやね、
「二枚目の鴈治郎が汚れ役をやるんや」という気持ちやったんかもね
初代はんの写真持ってますけど、やはり、二枚目やわ
(今やったら、吉右衛門丈にやって欲しいね)
けど、二代目はんは、若いときは知らんけど、年取ってからは、二枚目とは
ちょっと言い難いけど、それを芸で見せてはるわ
役者の藝で見せる芝居の代表みたいなもんやね
今年の正月の、我當はんの「時平の七笑い」観たけど、
あれも役者で見せる芝居やね
我當はんには無理やわ
二代目鴈治郎はんはやってはるんかいな、面白かったやろうね

17 :
>>16
播磨屋は照れちゃうんで
大晏寺堤ははずすかも知れない。
初代がやった上方系の芝居も
結局手がけずじまいでしょ。
東京ではとにかく出ない芝居。
あの二代目鴈治郎の所演以来出てないでしょ。
時平の七笑も難しい芝居。
おっしゃるとおり、我当丈には無理。
彦三郎の道真が如何にも良い人で
好ましかったんですけどね。
関西、東京と二回見たけど、
特に歌舞伎座の客席は寒かったな。
もっとも、我当丈に意外と白塗りが似合うんで
吃驚しました。
昔松緑がやりましたよ。国立で。
けど、そのときも珍品の虫干しに終わってましたね。


18 :
>>17
亀レスですんまへん
当代の播磨屋はんの、女大名は絶品やったでっせ
確か去年の正月、三代目の鴈治郎はんの孫、今の扇雀はんの息子の初お目見え
に付き合いはったんやけど、そりゃ、大真面目に三枚目役をやってはったわ
ワイは、あまりの面白さに、2回も観に行きましたで
土蜘蛛も良かったし、それに、菊畑も良かったですけど
あの、女大名は傑作やったですわ 
今の播磨屋はんは、おつきあいで出ても、芝居を投げはらへんね、
兄貴とは大違いやわ
ただ、残念なんわ、悪役をすると、顔が笑って見えるところやね
金閣寺なんかでは、損してはったわ
初代の吉右衛門丈は、前の歌六はんの息子やし、上方狂言もやってはったよね
そりゃ、親爺の藝もやってはったんやね
二代目の延若はんの「芸話」に詳しゅう載ってまっせ
手にはいるんかいな、ワイは、古本市でたまたま見つけて、買うたんやけど
初代はんの話も、前の歌六はんの話も面白いでっせ
そういや、今は亡き、女王歌右衛門丈のNHKのインタビューで、
二代目の延若はんの芸談を嬉しそうに話してはったね
戦争前に中座でやった、忠臣蔵の通しでの経験を語ってはったけど
あのお方から、五代目はん以外の人を褒めているシーンは、ワイはあれしか
知らへんわ、余程、延若はんの師直が良かったんやろね
二代目鴈治郎はんの師直は、延若はんの型やね
あれは、ビデオはおますか?
どなたか、情報をよろぴく

19 :
書き忘れていましたわ
播磨屋はんで、ワイは「沼津」を観たいですわ
富十郎はんの元気なうちに平作、雀右衛門丈(もしくは芝翫丈)のトリオで
観たいな〜


20 :
播磨屋の重兵衛、歌舞伎座でやりました。天王寺屋の平作でした。
久しぶりの沼津なんで、(勘三郎が初演する前でした)
楽しみにしていたら、結果残念。平作がセリフが入っていないわ、
そのわりに元気すぎて哀れはないわで、千本松原では、見ていて悔し涙にくれました
あまりお勧めしません
播磨屋の重兵衛は東京式ということで、実事の役づくりでしたから、結構でした。
しかし芸の火花が散らないので残念でしたな。

21 :
そうやったんでっか 情報おおきに〜
天王寺屋はんはアカンか...
やっぱり、亡くなった、延若はんは偉大やったんやね
ホンマにええとこなしで亡くなったんで、ワイはホンマに悲しいわ
ワイは、お江戸の役者では播磨屋はんしか期待していまへんわ
ワイも十兵衛、観てみたいですわ
きっと良かったやろね
お江戸にまで見に行かんとアカンかな〜
正月も奥州安達ヶ原の貞任、観たいな

22 :
>>18
ウツボザルね。
常磐津の文句(全体の構成)が
いつもと違ってた印象があります。
播磨屋の女大名も大らかなよさはありましたが、
大きな体で結構照れてましたよ。
踊りとしては照れちゃ駄目なんです。
役者としては愛嬌ですみますけどね。
十年位前に先代三津五郎、当代、巳之助でやった
坂東流のウツボザルは本格で、
ああいう踊りがめっきり歌舞伎座に掛からなくなりました。
さみしいものです。
>>21
安達三は必見でしょうね。
これこそ播磨屋の傑作ですよ。
けど、この前国立でやった時は
二時間掛けて敷妙上使から出したのね。
今回は違うみたい。
二役もやめたしね。
藤十郎披露で盛綱やるでしょ。
あれ、初代同様二杯道具でやるらしいけど、
ちょっと楽しみだね。
成駒屋には河庄や封印切りだけでなく、
時代物にも独自の演出があるのね。
いつぞや現藤十郎で見た
初代の型と称する石切梶原も
曲芸めいてビックリしたが、
二代目でああいう系統の役も見てみたかったね。


23 :
>>22
どうもです
確かに、踊りということでは、そう言えるかもしれまへんな
三代目の鴈治郎はんが、孫と一緒に出るのが余程嬉しそうで良かったですわ
けど、二代目はんは、扇のおかげで、孫と出られへんかったみたいやね
相当、仲が悪かったみたいでんな
奥州安達ヶ原は、そうやろね
ワイもお江戸まで久しぶりに出かけようかなって思ってますわ
けど、「お初」は食傷気味やし、播磨屋はんの芝居だけでええわ(藁)
先代の扇雀はんのやりはった「石切」は、ワイも見ましたわ
なかなかええもんやったけどね、あの頃の三二五六七も良かったけどね
初代はんの型みたいやけど、初代はんは、六郎太夫と娘を出してから、
出演者全員が揃ってから、梶原が出てくるというやり方をやりはった
みたいでっせ
先々代の梅玉はんの六郎太夫やったみたいでっけど
そんな無茶な注文も、初代はんはやりはったみたいでんな
(二代目延若はんの芸話から)
二代目はんのも見たかったけど、ワイは見てまへん;;
写真でしか知りまへんわ、残念ですわ
二代目はんは、延若はんを崇拝してはったみたいやから、延若はんのやり方
やったかもしれまへんな


24 :
いっぱい書きすぎて、書き込みが出来まへんでした(藁)
靫猿は、二代目はんも女大名をやってはるみたいですわ
先々代の三津五郎丈と
藤十郎はんの襲名興行の中では「夏祭」を愉しみにしてますわ
現勘三郎の「夏祭」を、13代目の仁左右衛門はんが見はって、
えろう怒りはったみたいでんな
ワイも、あれは許せんわ;;
先代勘三郎丈の団七はあんなんちゃうかったし、
あれは、何でんねん!!
ええ加減にせえ、って言いたいですわ
13代目の仁左右衛門はんは、二代目の延若はんの団七が最高やって
書いてはったけど、想像するだけしかできひんしね
そういや、鰻谷も出えへんね;;
現仁左右衛門丈は、やりはらへんのかな
播磨屋はんで見てみたい気もするんやけど
このスレッド、なんか、播磨屋はんのスレッドみたいになってまんな(藁)

25 :
>>23
鴈治郎型の石切は舞台がお寺だから
見た目は地味なのね。
東京で見慣れたのとは違って
出が違ったり、歌詠んだり、
手水鉢の下が割れたりで、
随分変わってた。
ものすごかったのは刀の目利きで
口に咥えた懐紙をパラパラとさせたことで、
一緒に見てた友人がとなりでゲラゲラ笑い出したことを
覚えてますよ。

26 :
>>24
流石に二代目の女大名は見てません。
ちょっと想像できませんけどね。
夏祭の団七は初代や二代目はやってるのかな。
二代目の三婦はどっかで見たような気がするが
巡業だったかな?
記憶違いかもしれない。
今の翫雀がやった時は河内屋の型。
成駒屋のやり方と言うのは無いのか。
そのとき現藤十郎はお辰一役やってたが、
これは先代勘三郎同様
肥満が目立って個人的には不可。
巧いとは思いましたけどね。
先代勘三郎の団七は
あの顔と身体だから、こってりした印象があるけど、
やってることは実は江戸前のさっぱりした団七なのね。
藤十郎にはそれこそコテコテの
団七を見せていただきたいものです。

27 :
二代目もじゅるじゅるしてたんですか?

28 :
江戸前の権太と一緒で、江戸前の団七があった・・・十五代羽左衛門や六代菊五郎。
でも、播磨屋はもともと上方出身だから、大阪弁の団七だった。
ただし、お囃子はだんじりではない。
十七代勘三郎も播磨屋型で、やはり大阪弁。
結局は江戸前の団七は消滅してしまった!!!

29 :
>>26
初代の鴈治郎はんもやってはると思うんやけど
どうかな、初代はんが亡くなったときに出た、昭和10年(やったと思うんでっけど)
に出た本で、やった役を調べてみんと分かりまへんわ
初代はんは、延若はんの得意とする役はあんまりやりはらへんかったみたいやから
やってはらへんのかも
若い頃は分からへんけどね
初代はんの女形の写真も残っていますね、若い頃の
九代目はんと一座していた頃のね
二代目はんも、団七はやってはって、その写真は見たことがあります
二代目延若はんの型でんな
松竹か国立に映像が残ってへんのかいな
猿之助丈が、鴈治郎はんの映像をいっぱい持ってはるらしんですわ
そういうのを一般に公開してくれはるとええんやけど
現藤十郎はんは、お梶も兼ねはるんとちゃうやろか
一座のメンツによるとは思うんやけど、
秀太郎はんが一座してはったら、役を譲りはるかもしれへんけどね
ワイは、芝翫丈のを見てみたいやんけど
ひょっとしたら、先代梅玉はんの型を覚えてはるかもしれへんし
芝翫丈の紅の引き方は、梅玉はんの真似をしてはるんやてね
それは、なんかのインタビューで、芝翫丈が言うてはったわ
先代の勘三郎丈は、大阪弁とは言えへんわ(藁)
あんなもん、上方言葉とちゃうで
三代目の延若はんを義兵次にするなんて、酷い話やわ
ホンマに、三代目はんは、ええとこなしで、亡くなって、可哀想やわ
ええ役者やったのに

30 :
>>27
二代目はジュルジュルまではいかない。
でもやっぱり上方役者ね。
「ダンヒチ、ダンヒチ」
なんて今でも耳に残ってる。
>>28
そうだ!、勘三郎も上方言葉ね。
播磨屋の型。ご指摘ありがとう。
けど芸の質が意外とさっぱりしてんのよ。
住吉なんて特にそう感じた。
今は、確かに昔の東京のすっきりした芸と言うのが消えかかってるね。
音羽屋系の世話物ですら厚ぼったい。
三津五郎にどんどん挑戦してほしいな。
>>29
二代目も河内屋の型か。
でも二代目の団七というのは
見てみないと想像もつかないね。


31 :
でも、
十七代勘三郎の団七や平作の大阪弁は、
いまのカンジャクやセンジャクよりエエよ!!!!!!

32 :
ワイは、今、昭和52年の中座の「忠臣蔵」の通しの興行を
思い出そうとしますわ
鴈治郎はんの師直、由良之助
延若はんの、若狭之助、勘平
仁左右衛門はんの判官
芝翫丈が出てはったと思うんやけど、ワイの記憶違いかな
覚えてはる方いはります?

33 :
九段目の本蔵も、仁左右衛門はんやったね

34 :
>>32
それ、叔父に連れられて
東京から見物に行きましたよ。
京都観光の帰りですがね。
学校一日ズル休みしたんで、
帰ってきてから叔父が親爺に
エラク怒られてたことを
覚えてます。
はじめての中座で畳の桟敷に
びっくりしたものです。
顔世、こなみが秀太郎、
お石が徳三郎、
お軽とトナセが扇雀
芝翫は出ていないと思います
叔父のメモ付きの当時の番付が
手元に残ってる筈です。
探してみないと。


35 :
>>33
おおきに
見てはる方がおられて嬉しいですわ
シカン丈は出てはらへんかったかいな
ワイも京都の下宿先から見に行ったんですわ
徳三郎はんと言えば、「雁の便り」の「お玉」が良かったでんな

36 :
>>34
レスを間違うてましたわ
おおきに〜 見てはる方がおられて嬉しいですわ
扇雀はんは、大序の足利公もやってはったような気がしますわ

37 :
お軽勘平の道行きは、落人ではなくて、裏門のほうでしたな。

38 :
上方の場合は、裏門でんな
延若はんの勘平、良かったでんな
前の鴈治郎はんの勘平は太りすぎていて、哀れさがちょっと少ないわ
延若はんも語ろう!

39 :
>>38 前の鴈治郎て三代目でんな。ややこしがな。太りすぎフンフン

40 :
>>39
ワイの鴈治郎はんは、二代目はんしかないねんよ
初代はん、写真でしか知らへんしね
そういや、初代はんが亡くなってから、もう70年でんな

41 :
重要無名文化財

42 :
延若はんの 小さん金五郎 はよかったね。
大阪新歌舞伎座
大坂の二枚目とはこういう役かとよくわかりますなあ。

43 :
>>42
あの芝居、見はった方がおられるんや 新歌舞伎座
嬉しいな〜
鴈治郎はんが亡うなってから、延若はんが猿之助丈の芝居に上置きで
出てはって、延若はんの芝居もやらせて貰ってはったんやね
猿之助丈の十兵衛で、延若はんの平作、お米は、門之助丈やったと
「小さん金五郎」ワイもよう覚えてま
下駄を履いて、舞台の中央から出てきた姿、良かったわ〜
二代目延若はんの姿は、ワイは、映画の「楼門」しか知らへんけど
三代目はんもええ役者やったと思うわ
もっと長生きして、「乳貰い」とか、「鰻谷」とか、「雁の便り」とか、
河内屋のお家の芸を見せて欲しかったわ
ホンマに残念や
延若はんが亡うなったときに、仁左右衛門はんが「可哀想や」って新聞に
書いてはったよね
お江戸で「なまっている」って虐められ、ホンマに悔しかったと思うわ
義太夫狂言でね
冥福をお祈りしますわ
「向こうに見えるわな、ありゃさ、向こうに見えるは河内屋の定紋じゃ」
「延若、ささささ、延若さん」(雁の便りの下座から)

44 :
延若はん
「髪結の手は、あ〜ぶらだらけ」でしたなあ。
小さん金五郎
石段の前で立ち回りがあって、昔馴染んだ女とわかる。
幕切れは二人手を取って花道へ。
この狂言は先代延若いらいのうちの芸ですわ・・とか言いながら花道を入りはりました。
NHKの芸能百選と思うけど、スタジオ歌舞伎で映像が残っていると思います。
先代萩の八汐もやってはったですわ。 古怪でね。 


45 :
延若はんの平作・・・お米は確か宗十郎やと思います。

46 :
延若さんというと、歌右衛門の芝居になくてはならない役で、
ことに赤面なんかばかりやっておられた記憶があります。
阿古屋なら岩内とか…。
その後は、猿之助一座の芝居で幾度か拝見しましたが、
結局、歌右衛門に便利に使われて大きなお役もせず、
むしろ猿之助一座と組んでからの方が、なんとなく楽しげだったような。
歌右衛門がそれほどに評価してたとは、舞台見てた当時思えなかったのですけど。
とても好きな役者さんだったのですが、何が原因で名跡は未亡人預かり、
その後松竹が頼んでも一切駄目の、封印されたお名前になったのでしょうか?
団七や石川五右衛門など、「延若さんでみたい芝居」は沢山あるのですが、
河内屋の芸は、すっかりとだえてしまいましたね。

47 :
>>46
どうもでおま
六代目の歌右衛門女王さんの一座では、相手役がいなかった都合で
延若はんが使われたんですわね、あの頃は、勘三郎丈、幸四郎丈、鴈治郎はん、
などが、東宝(?)、映画へ行ってはった関係でね〜
歌右衛門はんはやり易い相手役やったんやと思うですよ
けど、勘三郎はん、幸四郎はん、鴈治郎はんが戻ってきはってからは、
ええ役は全部先輩に取られてしもうて、赤面くらいの役しか回ってこんように
なりはったんでんな
猿之助丈の一座では、鴈治郎はんの代わりに使われはって、必ず、河内屋の
出し物を猿之助丈もやらしてあげてはったでんな
生き生きしてはったね、ホンマに〜
實川延若の名跡は、留め名になったみたいでんな
亡くなる直前に、「権太」を二代目はんの型で、『巡業で』やりはったのが、
最後の輝きやったみたいでんな
「研辰の討たれ」でも、ワイは延若はんの方がええわ
延若はんは、勘九郎を偉く買うてはったみたいでっけどね
で、延若はんが家の芸を晩年に教えはったみたいでんな
「封印切」も成駒屋型とも松嶋屋型とも違う型があるみたいでっけど
今は、実川姓は、延郎はんだけとちゃうやろか
寂しいね、初代鴈治郎はんも、もとは実川雁次郎やったんやからね

48 :
ああ、なるほど〜。ありがとうございました。
東宝歌舞伎の夢崩れ、幸四郎・勘三郎が松竹に復帰してからしか
私はみていないのでした。納得です。
でも、大映に行ってらした鴈治郎さんも、なかなか出番がなくて、
扇雀さんと近松物を一幕って感じでやっておられましたよね。
むしろ時代など大一座での共演は、十三代目仁左衛門さんって感じで。
鴈治郎さんと他の役者との絡みは、東京ではあまり記憶がないんです。
翫右衛門さんのような前進座の方とは、よく一緒に出ておられた気がしますが…。
猿之助は鴈治郎さん、延若さんと、上方の芸がとってもお好きでしたよね。
自分もずいぶんと勉強なさったみたいですし。
延若さんが勘九郎に目をかけていたというのは、なんとなくわかりますけど、
果たして現勘三郎が、河内山の型でしっかりと上方狂言みせましょうなんて
思うのかどうか…。それよりも野田版がいいよって感じですしねえ。
猿之助が元気だったら耳に痛いことをいえたかも、ですが、今は誰もいないですね。

49 :
48ですが、うっかりいたしました。
河内山じゃなく、河内屋です。いやほんま、お恥ずかしい・・・
河内屋の型は、たとえば、「二つ玉」の斧定九郎など、
色々あるようですよね。
もっとも、型だけやっても、あの延若さんの風貌と体つき、調子がなければ、
きっとピンと来ないものになってしまうと思いますけど。
今の亀鶴に、なぜかほんの少し延若さんのもっていた不思議さを感じますが、
古怪でいて、愛嬌があり、なおかつ凄みのあった延若さんの芸が、今や映像だけ、
まして實川姓も残るは一人…というのは、本当に切ないですね。

50 :
鴈治郎はんが亡うなったときは、NHKで追悼番組があったでっせ
そのときは、歌右衛門はんも出てはって、「華を全部持って行っておしまいになった」と
珍しゅうええこと言いはったんよ。
延若はんは追悼番組もなかったわ;;
鴈治郎はんは、歌右衛門はんとは、一緒によう出てはったよ、政岡に八汐、
鴈治郎はんが戻る前は、延若はんがやってはったんやけどね
鴈治郎はんの岩藤にしはったり、歌右衛門はんの「隅田川」では、
鴈治郎はんの舟長の役も覚えてますわ。
で、三代目の「河庄」では、歌右衛門はんが小春に出はったんやと思うわ
前の亀鶴はんはよう覚えてるわ、鴈治郎はんが生きてはる間は、やっぱり
親戚ということもあり(初代はんの孫やしね)、色んな役に出してはったね
けど、鴈治郎はんが亡うなってからは、役に恵まれんで、自殺しはったんやね
今の亀鶴はんは、富十郎はんが面倒を見ているみたいやね
あの真面目な延若はんが照れながら、家の芸を守ろうと頑張ってはんやね
どてらを着た「斧定九郎」やね、確か、中座で見た覚えがあるわ
三代目の鴈治郎はんもやってはったね
實川一門には、實川延夫ちゃんという男前がいたんやけど、延若はんが亡うなってから
猿之助一座に入りはったしね
そういや、雛助はんの弟子連もみんな、猿之助はん一座に入ってしもうて
嵐姓も亡うなってきているね
魁車はんの息子の成太郎はんも魁車を継がずに亡うなったし、そのまた
息子の太郎はんは、成太郎も継がんうちに亡うなりはった;;
上方のええ名前がどんどん無くなっていくわ
鴈治郎も亡うなったし;;

51 :
延若はんの権太、神戸文化ホ−ルでみましたで!!!!

52 :
延若はんの権太、私も神戸で見ましたよ。
お里が嫌で困ったけど。
板橋で見てから追っかけした。
板額(宗十郎)と堀川(我當)も文楽劇場で見たんだけれど、
ちょうど昭和天皇の病が篤く、もしやの時は公演中止もあり得ると、
宿ではニュースを見ながらドキドキしたことを今思い出した。

53 :
ああああ、嬉しいな
延若はんを覚えてくれてはる方がおられるんや
ホンマに嬉しいわ
「延若、ささささ、延若さん」

54 :
延若はんは、三代目鴈治郎襲名披露の「吉田屋」に、亭主喜左衛門を付き合ってはります。
翌月は京都顔見世・・・ただし、南座は改装中で歌舞練場でした。
落人の勘平・・・これが最期の役になりました。
いまの松助襲名披露として伴内は松助。 お軽は梅幸。
なんといっても、中座の忠臣蔵はやってほしかったですなあ。
由良助と師直と勘平のはずやったのかな???
最期は二枚目の役どころであったのがせめてもの慰めとおもっておりますよ。


55 :
何か、延若はんのスレッドみたいになってまんな
けど、それも、ええですね
今、二代目延若はんの芸談を読み直しているンでっけど
面白いでっせ
鴈治郎はんの「鴈治郎の歳月」に、二代目延若はんが「ワイがあんたを教える
で、あんたは、ワイの息子を教える、ワイの息子があんたの息子を教える
そうやっていけば、上方の芝居は残りますわ」
って言ってはったみたいでんな
松嶋屋はんは、11代目はんが、初代の鴈治郎はんと上手くいかんようになって
東京に移りはったからね、松嶋屋はんは、やっぱり、上方色が薄かったでんな
その点、鴈治郎はん、延若はんは、やっぱり上方の役者やったと思いますわ
鴈治郎はんも最後の舞台は、新口村の忠兵衛やったでんな
顔が小そうなってはって、哀しかったけどね
そうそう、国立でやった、菅原伝授の「道明寺」は仁左右衛門はんの
道真公が話題になったし、玉三郎丈の刈屋姫も良かったけど
ワイは、延若はんの覚寿も良かったと思うんやけどね、鴈治郎はんの予定やった
みたいやけど、休演で延若はんがやりはったんですよね
劇評はせりふが入っていないとか、散々やったけど
ワイが見たときは良かったけどね〜
何せ、東京の劇評はいつも悪かったわ;;
あの真面目な延若はんは、相当気にしてはったやろね

56 :
当方、関東もんですが。
幕間みたいな雑誌は、関西にはもうなかったんですか?
演劇界の劇評は、今でもまったくアテにならないと思います。
むしろ、古本屋で手に入れた幕間の方が、ずっと面白かったです。

57 :
先日、二代目鴈治郎はんの特集がNHKで放映されました。
忠臣蔵九段目の由良之助(最晩年)、河庄の治兵衛、寺子屋の千代、伊勢音頭の万野など。
二代目鴈治郎はんの大安寺堤。三代目延若はんの封印切、操三番叟、研辰の討たれ。
これらのビデオは家宝にしております。

58 :
菱田雅夫の、関西歌舞伎新聞 というのがあったでっせ。

59 :
二代目ご贔屓の好事家の言。
「松嶋家の菅丞相も、二代目が覚寿やってたらあこまで評判にならなんだはずや」
二代目の覚寿、名品やったそうですね。
河内家、かろうじて晩年拝見しています。あれこそ大阪の芸。下座音楽にも一家言
あったそうですね。そのあたり現・藤十郎は無頓着とか。

60 :
先代亀鶴、二代目さんが引き立ててはりましたが、二代目の没後、冷や飯食いに。
そのあたりの経緯のことを、昔「演劇界」の増刊でぼんやり指摘されていました。
現・亀鶴も天王寺屋の部屋子でやってはりましたが、愛息鷹之資の誕生で「天王寺屋」
から「八幡屋」へ。(この屋号も二代目・三代目富十郎の屋号ですから、イイ屋号なんですが)
「天王寺屋」は鷹之資へ、ということなんでしょうな。今は藤十郎のもとで修業。歳は若いが
翫・扇より資質は上と見ています。便利使いされぬことを祈るのみ。
懐かしいです。菱田雅夫の関西歌舞伎新聞! 

61 :
二代目鴈治郎・十三代目仁左衛門・三代目延若・二代目扇雀
我当・秀太郎・孝夫(当時)等が一座した昭和56年1月の中座のこと
教えてください。

62 :
ぢいさんばあさん 河庄 柳生二蓋笠

63 :
延若はんは、源蔵と覚寿でしたなあ。。

64 :
藤十郎はんのスレッドよりもこっちの方が書き込みが多いでんな
関西歌舞伎新聞てなもんがあったんでっか、ワイは知りまへんでした
今でも手に入るでっしゃろか?教えてくらはい〜
確か56年の1月も、鴈治郎はんは途中で休演しはったとちゃうやろか?
「ぢいざんばあさん」で「ばあさん」るん、若い頃の姿が絶品やったと(藁)
二代目はんは「柳生二蓋笠」が好きやったみたいでんな、「あれはオモロイ芝居やった」
と書いてはるのを読んだことがおます
富十郎はんも亀鶴はんには期待してはると思うやけどね、そやないと、とても、
あの小さい息子が役がつくようになるまでは生きてはらへんと思うしね
で、亀鶴はんを部屋子にしてはったんやとおもうんやけどね
どないやろ?
愛之助ちゃん(千代丸ちゃん)でも、次の仁左右衛門の扱いになってますわな
鴈治郎はんは、覚寿を「七人の会」でやってはるんやったね、もちろん
ワイは見てまへんけど。国立の通しの看板には、鴈治郎の名前が載っていたん
でっせ。それ見て、ワイは哀しかったわ、また、休演やと思ってね
でも、それで、延若はんは、本役の源蔵だけでなく、覚寿も回ってきたん
でんな
二代目の延若はんも、下座に関してはうるさかったみたいでんな
けど、昔の役者はんは、皆そうみやいでんな
初代吉右衛門丈の父親の歌六丈も、「あんな下座では、ワイはしねん」とか
言うて、ごねはった話が、二代目延若はんの芸談に出てきますわ

65 :
ちょっと質問なんですが、いまの亀鶴は、古写真で観た初代鴈治郎と
いちばん風貌が似ていると思うんですが、どうでしょう。
いまは敵役ばかりやらされてますが、二枚目のほうが似合うような気がします。

66 :
いまの亀鶴は横浜育ち???
器用貧乏におわらないように祈ります。

67 :
>>66
京都生まれの横浜育ちらしいね。

68 :
>>64
現天王寺屋が亀鶴を大事に育てているとは、正直思えません。
天王寺屋も、若い頃、色々あったので苦労は人一倍知ってると思いますが、
息子が生まれてから、他はどうでもいいという風になったような気がします。
現藤十郎さんのところでもどうなんでしょうか?
息子二人へも芸の継承をきっちりなさらない家風ですしね。
もっとも、それは二代目さんも同じだったと思いますけど。
延若も現藤十郎も、武智歌舞伎がなかったら頭角を現せなかった。
そこに猿之助や富十郎も絡んでましたので、今思うと武智という人が
私財投げ打ってやった壮大なお道楽も、どうして大したものだな〜と思います。

69 :
>>68
そうやね、ワイもそう思いますわ
ホンマは、亀鶴はんに一回は富十郎を譲って、自分の子を亀鶴はんの養子にして
富十郎の名前を残していくんがええでっしゃろけど
そんな気はさらさら無いみたいでんな
今の亀鶴はんは、国立の研修生上がりですわな、それにしては、
ええ役がついているのは、富十郎はん、というよりも、三代目はんの意見が
通っているんでっしゃろな。
確かに、武智はんは、ええ仕事をしはったと思いますわ
少なくとも、扇雀はん、鶴之助はん、延若はん、雷蔵はん、ええ役者を
育てはったてんからね
今の藤十郎はんには、そういう面を見習うて欲しいけど
今、雷蔵はんが生きてはったら、藤十郎はんと同い年ですわ
きっとええ役者になっているんとちゃいますやろか
寿海はんの出し物だけでのうて、上方もんも出来ますからね
惜しいな〜、ホンマに
鴈治郎はんが「もっと先輩には、遊んでもろて、ぎょうさん子供を作っておいて
くれたら良かったんやけど」って書いてはりましたな
昔の上方では、腕だけあれば、大立て者になれたんですよね
初代はんも同じですわね、けど、今はそんな時代ではないですからね
愛之助ちゃんがええ役ついているのは、上手いってこともあるけど
仁左右衛門はんの押しも大きいとおもいますわね

70 :
贋鴈治郎

71 :
雷蔵は、俳優としては素晴らしいけど、いい歌舞伎役者たりえたのかどうか。
胃腸が生来虚弱で、腰がまったくはいらないというハンデが痛かったかもです。
とても好きな人ではありましたが、少なくとも扇雀のようにはいかなかったろうなと。
ただ口跡は、寿海さんそっくりでしたね。よく似てました。
寿海という名跡も、誰ぞに継がせたりはしないのでしょうかねぇ。
愛之助には期待しています。近頃、ぐっとよくなってきた気がしますし。
我ながら、かなり上方役者好きだったんだな、とこのスレを読んで思いました。
二代目鴈治郎さん含め、上方の名人芸のお話、楽しませていただいてます。

72 :
愛之助はね。
口跡が幼稚っぽい。 女形をやってた割には柔らか味が少ない。
現在は「16ミリ孝夫」でっせ。

73 :
与一っつあんも、成駒屋の御曹司やなあ。
歌舞伎を修業していたのに、途中から東宝へ・・・美空ひばりの相手役やった。
与一が続けていたら「両成駒」で、面白かったやろうな。
以前、NHK芸能百選の舞踊で、清元の「新口村」がありました。
与一と秀太郎。
秀太郎が「与一さんとは若い頃に一緒に歌舞伎に出た仲なので、とてもよく気持ちが伝わっていい踊りが踊れる」
と言うてましたよ。

74 :
与一つあん、あの世代じゃピカ1に二枚目なのに、
全く勿体無い

75 :
>>71
ホンマに、こないに書き込んでくれはる方がおられるとは、ワイは思うても
いませんでしたわ。ホンマに、まだ上方の芝居を愛してくれてはる方が
おられるんやと、ワイはホンマに嬉しいですわ。
雷蔵はんはそうかもしれまへんね、けど、富樫をやりはった写真を見はったこと
ありまっか?そりゃ、素晴らしい姿ですわ。
こない上方の役者がおらんようになってしもうている今、雷蔵はんが生きてくれて
はったら、とワイは思うたんですわ。
>>73,74
そやね、忘れていましたわ
ホンマの成駒屋の御曹司は、初代はんの長男又一郎はんの孫の与一はんでんな
そりゃ、あの世代ではホンマの二枚目ですわな
けど、どういう訳か、初代はんのあの「目」を受けついだんは、二代目はんで
三代目はんも同じ目をしてはりますわな
与一はんは、あの目は受け継いでいないような。
後ろ盾がいないと、アカンのかもですな
与一はんは、長谷川一夫の影響が強いみたいでなんな、同じ路線をやりたいと
何かの番組で言うてはったけどね それも上手くいかんみたいやね
又一郎はんの長男が戦死しはらへんかったら、変わっていたかもしれまへんな
脇を固める、璃かく(りかく、文字がでえへんみたいで)はんみたいな、お役者衆
がいはらへんことが、寂しいわ
璃かくはんの伴内は、最高やったわ
「時雨の炬燵」の五左右衛門も 合掌


76 :
細こうて済まん。 誤爆ごめん。
いつも頑張って 仁左右衛門はん (五左右衛門も)と書いているお一人へ。
癖でんな、右の字は不要だんねん。 <歌右衛門、吉右衛門は右だけ>


77 :
雷蔵さんは芸域の広い人で、いろんな映画に出ていますな。
「ぼんち」が面白いと思います。

78 :
>>77
確かに「ぼんち」はオモロイでんな
鴈治郎はんも、ちょい役で出てはりますな
女優陣が凄かったでんな、山田五十鈴、毛利菊江、京マチ子、
若尾文子、きら星のような女優陣でんな
もう、ああいう映画は作れまへんわな

79 :
愛之助のファンの人には悪いけどね・・・
愛之助は、役者として「上手くはない」と思うよ。決して下手ではないけど。 
天才的な上手さは無い。
いまの大役を見ると背伸びしているように見える。 余裕が無い。
口跡が幼稚。 踊りは下手。 勧進帳の弁慶は無理やろうね。
でもね。松嶋屋は大器晩成型の家系だから、10年後20年後に期待してます。

80 :
ぼんちは、越路吹雪、中村玉緒も。
中村玉緒がイビリ出されるのは面白かったわ。
あとは、焼け跡のみんなの再会の場面。

81 :
私は殺陣師段平が好きです。
雷蔵の沢正も素敵やった。

82 :
殺陣師段平。 田中絹代と夫婦役。
シェンシェイ、リアリズムってなんだんねん???

83 :
段平も良かったでんな
けど、ワイは、「小早川家の秋」での、浪速千栄子はんとのやり取りが、
忘れられまへん。浪速千栄子はんの「あっけないもんですな」と言うところは
最高ですわ、もちろん、鴈治郎はんの、「もういいかい」と孫と隠れん坊を
するところもええですけど。
浪速千栄子はんとか、三益愛子はんみたいな、上品な上方言葉がのうなったね
哀しいこっちゃわ、玉緒はんはかなり下品やしね(藁)
そや、妹役の杉村春子はんが、焼き場で思わず泣き出すシーン、あれは、名演やね
ホンマに上手いわ
杉村春子はんといえば、「浮草」での、押さえた演技も凄いですな
「お父さんがどないな気持ちで出て行きはったと思うているの」と言うところは
迫真ですな
「浮草」では、京マチ子はんと、道の両側に分かれて、雨の中、口げんかを
するシーン、それに、最後の汽車の中で、マチ子はんに差し出された、
爪楊枝をプッと吹いて、手ぬぐいでぬぐってから使うシーン、
あれは、小津の演出なんでっしゃろか
それと、階段を着物を着ながら降りてくるシーン
鴈治郎はんは、「時雨の炬燵」でも、着物を着替えるシーンがおますけど
ああいう細かいところに芸がありますな
帯をきゅっと締めるのが、ホンマに上手いわ
段平のDVDは、ちょっと前は売っていたのに、今は売ってまへんな;

84 :
愛之助ちゃんは、まだ丁稚の役が本役やわね、それに四天王くらいやね
ワイは、子役の千代丸ちゃんの頃から見てるから、応援してますわ
ホンマに可愛かったけどね
松嶋屋はんの息子連も下手糞ぞろい、ようもあそこまで「棒だら役者」なんは、
信じられへんわ(こないのこと書いたら、どっかから怒られますけどな、藁)
成駒屋はんの方もあんまり期待できひんし
しゃあないから、愛之助ちゃんに期待するんですわ
上方言葉も母語やしね
そういや、右近ちゃんも大阪のお人やったね、
猿之助丈の「沼津」の十兵衛の時の、荷持ちは良かったでっせ
それに、ワイは、梅玉はんも役をホンマにちゃんと与えてあげはったら
頑張りはるんとちゃうかな
富十郎はんの代役で、去年の初芝居頑張ってはったけど
ホンマによう頑張ってはったよ
ワイは、見直したんでっけどね
もうちょっとマシな役を付けてあげて欲しいわ

85 :
>>83
二世鴈治郎さんの映画で感動したのは、『炎上』の生臭坊主です。
愛人に会いに行く前、何気なく化粧水をつける仕草が本当にすごかった。
>鴈治郎はんは、「時雨の炬燵」でも、着物を着替えるシーンがおますけど
>ああいう細かいところに芸がありますな
本当にそう思います。
その才能は、今の藤十郎さんにもあるような。
特に上方和事の芝居では、何気ない動きに「はっ」とすることが多いです。
延若さんの和事はみたことがないのですが、たとえば成駒屋さんと比較すると、
どんな風に違っていたのでしょうか?

86 :
それと、『殺陣師段平』のビデオをはじめ、
いわゆる大映シリーズですが、
大映→徳間→角川と、映像化権が変わったため、
店頭在庫だけとなってしまってますね。
ただ、おそらくストックはあると思うので、
注文すれば取り寄せできるのではないでしょうか?
問題は、キネマ倶楽部ですよね。
あそこで扱われていた作品は、今のところ行き場がないような…。

87 :
>>85
三代目の延若はんの芸風は、一言で言って、生真面目ということではないでっか
違いを色々と朝から考えたんですわ
けどね、鴈治郎はんは、初代はんのやり方とはかなり変えてはるところがある
と思うんですわ
初代はんは、九代目の影響もあり、また、自分なりの型を工夫するという
ところもあり、「写実」というのを大事にしはったみたいでんな
それに反して、二代目の延若はんは、それとの対抗で、昔の古風なやり方で
勝負したってことが、何かの本に書いてありましたわ
で、鴈治郎はんは、延若はんの崇拝者、ワイは、初代はんも、二代目の延若はんの
舞台も、見た人から聞いたことしかおまへん
鴈治郎はんの芸のどこまでが、初代はんのものか、また延若はんのものか
それに鴈治郎はんの独自工夫か、ホンマに難しいでんな
三代目の延若はんは、きっと二代目はんを目標にしてはったとおもうんでっけど
体格も押し出しも違いますわな、
三代目の延若はんの「八汐」とかは、二代目はんの真似をしてはると
おもうんでっけど、
和事では、どないでっしゃろ 延若はんの「封印切」は確か「切れる」では
のうて、「切る」という気持ち(逆やったかもしれまへん)
成駒屋の型とは、違うていたと思いますわ
けど、衝立に窓をつけといて、顔を出してばぁーというところは、
鴈治郎はんが若い頃にしやはって、それを見た二代目の延若はんが真似を
しはったそうでっけど、三代目の延若はんはやってはったかな
延若はんはじゃらじゃらしたところが、得意ではなかったような気もします
根が真面目やからね、鴈治郎はんはそういうところをこれでもかって
やってはりましたわな
けど、ホンマは、古風な上方の型を守ってはったんわ、延若はんやったんと
ちゃいますわ
じゃらじゃらしていながら、それに照れている、延若はんを思い出しますわ
そやから、院本物の方が良かったような気がしますわ
忠臣蔵の勘平とかね
あの六段目は良かったですわ、哀れでね

88 :
一つ、延若はんで思い出したことが
歌右衛門女王はんの道成寺で、所化(で良かったでっか)、
きいたか坊主で出てはって、一人だけ、
上方のなまり「聞いたか、聞いたか」「き」にアクセントをつけますねん
上方は、
お江戸の役者衆は「た」にアクセントがあるように思いますわ
ワイは、延若はんが正しいように思うでっけど
どなたか、詳しい方おられたら、教えてくらはい

89 :
三代目延若さんの封印切のビデオを見ました。
衝立の窓から八右衛門が「こんばんは」というのはありました。
封印は「切れ」のほうですな。 勘平の財布と一緒で、胸元で確かめる。
切れているのを見て、泣く。 それから思い切って封印を切る。
他と大きく違うのは、梅川が「八っつあんの意地の悪いのは常のこと、短気起こしてくだしゃんすな」
と忠兵衛に封を切らないように意見することです。
封を切るときにポポポと鼓が鳴り、「・・・合い合い笠のかみかけて」という汐汲の合方が入る。

90 :
歌右衛門の娘道成寺のビデオも見ましたわ。
延若はんは「きいたか きいたか」、ほかの役者は「聞いたぞ きいたぞ」
きいたかは「き」にアクセント、聞いたぞは「た」にアクセントですなあ。

91 :
>>89
おおきに、詳しゅう書いてくれはって。
ワイは封印切のビデオは持ってまへんねん;;
残念ですわ; 歌舞伎チャンネルでやってくれへんかな
「切れ」の方やったでっか、三代目の延若はんが何かに書いてはるのを
読んだことがおます、成駒屋と型が違うって。
>>90
やっぱりそうでっか、「聞いたぞ」も「き」もアクセントがあるのが
ホンマやと思うんでっけど
どないなんでしょ?
三代目の鴈治郎はんの襲名の時の、道成寺も見てますけど
そんときも「た」にアクセントがあったような
それで、延若はんの「聞いたか」を思い出したんですわ
皆さん、メリークリスマス〜

92 :
京都南座の顔見世夜の部見ました。
口上はあんまり面白くなかったな。
二代目の鴈治郎はんの話題はまったくなし。

93 :
二代目鴈治郎はんの最後の舞台は、南座顔見世の新口村。

94 :
ワイも、その舞台見ましたで

95 :
河内屋の話題うれしいですね。私も晩年追っかけました。それでついでに猿之助も好きになった(笑)。
平作とか、はこせこで千松を叩いて、鏡で政岡を伺う八汐とか、すし屋権太は新宿文化センターでした。
国立大文字屋、セリフはぼろぼろだけれど、座っている姿の良いこと。歌舞錬場の勘平は、あれだけしかないセリフが出てこなくて、見ていて泣きました。
そういえばあの顔見世では我童さんが対面の虎でしたな。我童サンのお話もいかがですか。
それはそうと、河内屋がなくなった時、水落潔さんが演劇界に書いた追悼文「いすかの嘴」は、名文ですよ。読むたび、目頭が熱くなります。

96 :
>>95
歌舞練場、行きましたよ私も。
二代目もそうだが、延若も晩年は台詞が出なかったね。
年齢相応と言えばその通りなんだけどね。
今の年寄りがやたら元気なのが異常なのかな。

97 :
ここの掲示板にも、大文字屋のことが書かれています。
河内屋ファンのようですよ。
http://www1.bbs.livedoor.com/3002127/bbs_plain?range=-20&base=3400

98 :
京都南座の顔見世では、歳末助け合いのサイン会がありました。
私は延若はんの絵を買いました・・・色紙に墨で、御所人形の絵です。
いま、私の部屋に飾っておりますよ。
延若はんは、顔見世では、保名の一役だけのときもありました。
たしか、十三代目仁左衛門=松王、十七代目勘三郎=源蔵、梅幸=千代の「寺子屋」があった年ですな。
十三代目は「忠臣蔵七段目」の由良助も。

99 :
ワイも、延若はんが顔見せで、「保名」一役やったこと
覚えてますわ、可哀想やったな、ワイも観に行ってました
他に延若はんがやっても良さそうな役があるのに、
延若はんには回ってこんかったでんな;;
「寺子屋」やったら、そりゃ、源蔵ですわな
可哀想やったでんな
延若はんは、せりふが出てこない、という意見もおますけど
水落はんがある本で書いてはったけど、院本物でお江戸でやったとき
「訛っている」とお江戸の役者衆にだいぶ虐められはったみたいでんな
真面目な延若はんには、それに悩んだってことが書いてありましたわ
あの年の顔見せ、鴈治郎はんの記憶がないんですわ、ご存じのかた、
教えてくらはい。
鴈治郎はんの台詞のよたは、有名でんな
けど、あれも味でしたな
鴈治郎はんが亡うなったときに、松禄はんがええこと書いてはりましたわ
「踊りもよたで、こっちの振りを観ながら踊ってられるが、それを
味にしてしまう」ってね。
台詞では、義経役で「ものども」が出てこんこともあったみたいでんな
これは、猿之助丈が書いてはったわ

100 :
三代目延若はんは、「せめてあと10年」。
昭和50〜60年代は、雀右衛門、富十郎、田之助も不遇でした。芝翫は永久二番手みたいな感じ。 当時の扇雀はコマ歌舞伎が終わって中途半端な時期。
それが、勘三郎、松緑・・・歌右衛門と亡くなるに連れて、活躍の機会が増えた。
あの羽左衛門でも最後は歌舞伎座の座頭みたいになってしまった。
延若はんは雀右衛門さんと年齢はひとつ違い。



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