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最近の世界救世教いづのめ教団で思うこと


1 :2019/09/07 〜 最終レス :2020/03/27
 最近の世界救世教いづのめ教団のフェースブックを見ていると、まるで、「芸術文化普及推進運動団体」になったみたいだ。
 なんで、岡倉天心の事が出てくるのか分からない。
 まるで、「岡田茂吉の原点は、岡倉天心にあり」とか、「岡田茂吉こそ、岡倉天心の跡を継ぐもの」とか、「岡田茂吉が、本当にしたかったのは、芸術文化普及推進運動で、宗教ではない。」と言っているように見える。

2 :
フェースブックに、瑞雲郷の写真ばっかりで、どこかの観光案内のようだ。観光客でも増やしたいのかな?

3 :
9月度月次祭のことについて、在る人から聞いたら、参拝者人数は、公称で960名前後らしい。
でも、正直に言って、信用できない。
本当に、960名も参拝をしていたら、参拝風景の写真が出てくるはず。
今回のFacebookには、ダイレクトに参拝をしている写真が一個もなく、どれも、微妙に背景を移していない。
このあたりを考えるのであれば、かなり少なかったのではないか?正直言えば、500名を割っていたのではなかろうか?

4 :
 救世会館の参拝者数についてつづき

 960という数字をあげた人は、救世会館が、「陸の孤島」であるという事実に気がついていないのだろうか?
 救世会館には、バスか車か、タクシーで行くしか、交通手段がない。
 車の台数を数えれば参拝者数が分かる。

 参拝バスはなかったから、0
 路線バスは、9時から11時で、定期が6台。2倍のバスは、でていないと思うので10台とみる。
 最近のバスは、1台あたり、多くても25人程度しか乗せないようだ。
 なので、250名。

 下の駐車場は、91台停車することが出来るが、最初から止まっている車、他でも行事を行っていたから、そこも、使うので、多くても、救世会館に行く人が止めた車は、多く見ても50台程度ではないか?
 1台につき、4人乗れるが、4人で来るだろうか?とも思うが、とりあえず、4人とする。
 200名。

 250名+200名で、450名。
 900人になるためには、4人乗りタクシーが、100台以上必要になる。
 そんなに、タクシーで上がったのだろうか?

 9時から11時の120分で、100台は、1分に1台の割合だ。
 瑞雲郷の1角で、外に立っていた身としては、そんなに多くのタクシーが行ったとは思えない。

 40台として、4人乗って、160人。先ほどの450名と併せて、610名。

 今の議論から分かるように、これでも、多目に見たつもり。

 なので、やっぱり「実数」としては、500名を割ったのではないか?
それ

5 :
 救世会館の参拝者数の続き

 救世会館のとなりにある売店に行ってきた。参拝日用に入荷されている人気商品が大量にそして、未だに売れ残っていたのにびっくりした。
 やっぱり、9月1日は、かなり少なかったようだ。

6 :
 救世会館の参拝者数のさらに続き

 私の知り合いに、バスの運ちゃんと親しい人がいた。その人が「バスの運ちゃんが、バスは、ほとんど満席にすることなく出した」という事だ
 バスは、満席で、25名程度。半分ならば、12,3人程度。バスが、15台上がっても200人にならない。
 だとすれば、実数として、400名を切っている可能性が出てきた。

7 :
前の秘書室長が亡くなられたらしい。
御冥福をお祈りしたい。
私も、知らない人ではなかったので、出来れば葬儀に、少なくとも、御香典くらいは上げさせていただきたいと思っていたが、どうも、もう葬儀は終わったらしい。
こういう情報は、幅広く伝わるようにして欲しいと思う。

噂では、「密葬なので、本当に親しい人以外は、伝えられなかった」という話も聞いた。

誰が、密葬を希望したのだろうか?
密葬を希望したのが、ご家族だとすれば、ご家族は、教団関係者に対して思うところでもあったのだろうか?
そんなことも思ってしまった。

8 :
 世界救世教いづのめ教団のFacebookに愛知教会の月次祭かな?の写真が掲載されていて、「大勢の信徒さんが、参拝された」と書かれていた。
 やっぱり、「いっぱい参拝者がいます」という写真を掲載したいのだなと思う。
 と考えると、救世会館における9月度の月次祭の参拝風景の写真が無く、「大勢の信者さんが、参拝されました。」という言葉がないということは、やはり少なかったと思われる。
 そもそもにおいて、「このタイミング」で、愛知教会の参拝風景を掲載したのも、「救世会館での参拝者が少なかった」という「印象」を払拭するためではないだろうか

9 :
 最近の世界救世教いづのめ教団のFacebookに、瑞雲郷の夜景の写真が有った。
 あのあたりは、夜なんて誰も歩かないし行かないし。
 そもそもにおいて、あのあたりまで行くのは、暗いから歩いていくのも危ない。
 参拝は、昼間しか無いから夜なんて歩かない。
 まるで、観光地のように掲載をしているが、一般の人でも呼ぶつもりだろうか?

10 :
瑞雲郷の「綺麗な写真」をたくさん掲載しているが、結構荒れ果てている事を知らないのだろうか?

11 :
 綺麗で美しい、庭園や境内を維持するためには、それこそ、すごいお金か、奉仕者が必要になる。
 そんな、「お金」や奉仕者やいるのだろうか?
 数年前でさえ、今のお庭担当の方が定年退職されたらどうするのか?と噂をしていたのに。
 もう、今は、人がいなくなって、日常の救世会館の中でさえ維持・管理できなくなっているのではないだろうか?

12 :
最近の状況参考になります。
ぃづのめ時代は献金、勧誘、MOA化で疲弊していました。
主之光教団は他者を付くような信仰はないので、
今は本当に明主様の説かれた信仰をしていると実感できています。

13 :
 9月15日に救世会館で、入信式があったらしい。
 瑞雲郷の一角に立っていたが、余りにも静かなので、何の行事も行われていないかと思ってしまった。

 さて、今回は、救世会館で何人が入信したのだろうか?
 ゼロということはないだろうが、100名という事もないだろう。

 取りあえず、「参拝者」を推測してみよう。
 先ほども書いたが、「静かだった」これから、推測をすると、

  1.バスは、定時以外無い
  2.定員ぎりぎりと言うこともない

この2つを科してしまうと、実の所、バスで上がったのは、多く見ても100名程度だろう。

14 :
 自家用車で来た人が、どれくらいいるのだろうか?正直に言って、20台程度ではないだろうか?
 1台につき、3人と考えて60人。

 バスで上がってきた人と併せて、150人前後ではないだろうか?

15 :
 9月15日の参拝者数は、実数としては、100名を割ったのではないだろうか?
 世界救世教いづのめ教団のFacebookに9月15日の写真が掲載されていた。

 座席番号の確認できるものを見ていると「8−34」と読めた。
 このことから、写真は、「1−28」〜「10−36」のあたりを写したものと思われる。

 この写真の左端を見てみると席が空いているのが見て取れる。
 前の方の混み具合と比較して、ちょっと、不自然な気がする。
 多く見えるようにするために、前によってもらって撮ったのではないか?

 本当に150人もきていたら、救世会館の一島は、171人なので、一島にまとめてしまえば、結構「人がいる感」が出てくる。
 あれだけ、「参拝者が多い」と宣伝をしたい人達が、しないのはおかしいと思う。
 なので、写真に写っている人達が、実は、ほぼ総数ではないか?とすれば、100名を切っていることになる。

 「入信者」が座る「指定席カバー」が8列目にかけてあることが見て取れる。
 「全指定席」に入信者が座ったとすれば、72人近くになるが、ここ数年の実績を考えると、あり得ないと思うので、半分とみる。
 この場合、36人になる。
 36人という事も無いだろうから、30人前後、というか、「入信者」は、30弱だったのではないだろうか?

 ここ数年の実績から考えても妥当だろう。

16 :
 入信式のFacebookの写真をよく見たら、お守りを渡そうとする人の手前に、渡すために用意されたお守りを入れるための「お守り入れ箱」が写っていた。
 一箱に10個入るようで、3ケースあるので、入信者に渡すために用意をされたお守りは、30個だと思われる。
 入信者一人に1個のお守りだから、9月15日の入信者は、最大30人だと思われる。

 ただし、一つの箱が完全に空っぽなのは、気になる。
 もし、この写真の人が最初の人だとすると、お守りは、20個しか用意していなかったことになる。

17 :
 お守りを渡すところの写真の右側を見ると、一人を除いて、全くいない。
 なので、右側の島には、誰もいなかったと考えていいと思う。
 だとすると、150人とか、220人も多いのではないか?
 実際は、100人ぐらいだった可能性が、出てきた。

18 :
写真だけですごい考察ですね。
以前も成増で信者が入信して水増教会と言われてましたから、数でいくと怪しいですよね。
それが原因で、今もWebでの顔がボカされてると聞きまし、公式発表数は当てになりませんよ。
祭典時の写真も参拝人数が入ってるときだけ全体を写して、少ないときは一部っていうのもおかしいですよね。
まぁ箱根から増員したりしてるそうなので参拝席埋まってもこちらもあてになりません。

19 :
 写真の考察の続き。
 自分でも、しつこいと思うけど、ちょっと、ショックだったこともあったので、書いてみたい。

 写真の「視線」とでも言うのだろうか?それを確認することで、どこの位置から撮影したかが確認できる。
 たぶん撮影場所は、14列目の廊下だろう。
 想定される、写真の位置から、この写真を撮ったとすると、右側の茶髪の人とのラインと、左側の指定席に座っている白い服を着た人とのラインで挟まれるイスの数を数えてみる。
 一番手前をどこにするのかが、問題なので、10列までとする。
 数えてみると、37席ある。

 

20 :
 写真で該当するところの頭の数を数えてみると、24〜25。
 この推測が正しければ、写真の3分の1近くが、空席になる。

 当然の事ながら、私の頭の数え方が、間違っている可能性は否定しない。
 しかし、想定される撮影位置からであれば、もし、本当に満席に近ければ、右側が頭が、重なり、数えることが出来ないのではないだろうか?
 写真右側をみると、頭が重なって無く、一つ一つ数えることが出来そうに見える。
 とすれば、それだけ、空席があったのではないだろうか?
 写真右側は、かなり空いていたのではないだろうか?

21 :
 さすがに、参拝者が50名を切っていたとは、思いたくないが、実数として70〜80名程度だったのではないだろうか?

22 :
 Facebookをみたら、「パンフレット、及び、リーフレットの増刷が決定した」と出ていた。
 正直に言って、「なんで、これがニュースになるのだろう?」と疑問になった。
 しかも、どうも、すごい喜んでいるでいるようだ。

 「パンフレット」だから、配って当たり前、無くなれば、増刷をして当たり前。
 既に、無くなっていて、かつ、配りたいという要望があるが、何らかの事情で、増刷が出来なかった。ということであれば、ニュースとして価値はあるだろう。
 しかし、どうも、文章的には、

    配ってもらって、無くなった。

事を喜んでいる感じがする。
 だとすれば、このネタは、パンフレットを作った人たち以外、あまり意味がないはずのもの。
 何故、載せたのだろうか?

23 :
 考えられる可能性の一つは、「載せた人は、何も考えていない」という可能性がある。
 「載せるものと、載せないもの」の識別が出来なくなって、「自分達にとって、意味があることを載せている。」
 Facebookを「誰にも、見せるつもりが無い」という可能性だ。

 もう一つの可能性は、様々な関係者に「自分達は、頑張っているし、信者さんも味方してくれいる」と言うことを見せるためだ。
 要するに、「いづのめ教団は、もう危ない」と思っている人たちに、「そんなことは、ありません」と示すことだ。

 後の可能性の方が高いような気がする。

 「いづのめ教団」のFacebookを見ていると、どうも、「外部への広報」というよりも、「自分達は、まだまだ、元気です。」と言うこと「誰か」に示すことが目的のように見える。

24 :
 そんなことをしていて大丈夫なのだろうか?「元気」だったら、「視点」が外に向かうのではないか?
 今のFacebookの視点は、内向きだと思う。
 ホームページも更新がなされているように、見えない。(更新は、Facebookを通してで、Newsは、3年前から変わっていない)
 「教団」として、全体に、「外向き」の視点と「元気」が無くなってきているのではないか?

25 :
 いづのめ教団のFacebookに、「ほほえむ」の写真が載っていた。
 普通は、「表紙」を出すと思うのだが、「中身」を出してきた。
 どうしてだろう?

26 :
 「ほほえむ」というのには、「浄霊体験」が載っているらしい。
 あれほど、「宗教的なこと」を避けてきたいづのめ教団としては、珍しいと思う。
 どんな内容が書いてあるのか、少し、興味がある。

27 :
 世界救世教には、「景仰」というのがある。
 この本の「刊行によせて」という文章の中に、

  本教信仰の向上は、一口に申して”教祖明主様(岡田茂吉)に近づくこと”であると思います。

と述べられています。
 また、世界救世教いづのめ教団の売店で、この「景仰」が販売されているのでが、そこにあった宣伝パンフに

   その体現者でいらっしゃった

とある。ここでは、「実践者」ではなく、「体現者」と表現されている。
 このことは、

   明主様(岡田茂吉)の日常生活の全てが、「教え」そのもの

という「考え」が現れている。
 これらのことを考え合わせていくのであれば、

   世界救世教いづのめ教団は、「明主様(岡田茂吉)を我らの模範」として、仰ぎます。

と言っている集団だと解釈が出来る。

28 :
 別の表現をすれば、

  世界救世教いづのめ教団の目的は、教祖(岡田茂吉)のような人を増やすこと。

という事だろう。
 世界救世教いづのめ教団の目的を

   岡田茂吉のような人を増やすこと

と理解することによって、世界救世教いづのめ教団の

   岡田茂吉を全面に出した、芸術方面を強調する事

の意味が見えてくる。

29 :
 さて、ここで、ちょっとした問題がある。
 いま、「世界救世教いづのめ教団」は、「包括法人 世界救世教」の「被包括団体」だ。
 「世界救世教」のホームページにある、「信徒のページ」にいくつかの文書があるが、この文書中で、「明主様模範説は、間違いだ」と書かれている。
 世界救世教いづのめ教団は、明らかに「明主様を模範」といしているみたいだが、問題はないのだろうか?

30 :
 包括団体と被包括団体の関係は、私はよくわからないが、「包括団体」に「間違い」と書かれていることを堂々とやっているということはどう言うことだろうか?
 包括団体は、被包括の事柄については、一切口を出せないのだろうか。
 逆に、被包括の側から包括側に、「そのようなことを載せてもらっては困る」というクレームが出なかったのだろうか?
 それとも、「信徒のページ」に載っているものは、信徒が、勝手に言っていることで、世界救世教は関係ないのだろうか?
 世界救世教は、そんなに信徒に対する指導力がないのだろうか?

 実は、「包括団体 世界救世教」にとって、「被包括団体 世界救世教いづのめ教団」は、「世界救世教」と名乗ってはいるが、「世界救世教」とは、全く別の団体で、早晩、包括被包括関係を解除することが決まっているのだろうか?
 そんなことを思ってしまった。

31 :
 最近、世界救世教の古い新聞を読む機会があった。
 その中に、

  神様に、御縋りし「きる」事が、大切だ。

という内容があった。
 「縋る」だけではだめで、「きる」事が大切だという。
 どういうことだろうか?

 それは、相手(この場合は、神様)を絶対に信じ切るという事だろう。
 それは、相手の力や技だけではなく、誠意や善意、そして、愛を信じきる事だろう。
 信じ切って、相手に全てを任せるだけでなく、自分の全てと、その結果を委ねていくというではないだろうか?
 相手に「任せる」というのは、相手に対する信頼を表すことだが、「委ねる」は、より深い信頼を相手に置いていることだと思う?

32 :
 さて、先日、世界救世教いづのめ教団において、

   「委ねる」という言葉は、岡田茂吉の著作物で、「教え」として教団が
  採用しているものの中に無いので、「委ねる」を使った、「教え」は、
  岡田茂吉の「教え」ではない。

という見解が出たという話を聞いた。
 前述のように、古い新聞に、「縋りきる」という言葉が使われ、「神」に対する信頼の重要性を説いているのだから、「委ねる」という事が、より一層の神への信頼を表していることは、明白だ。
 岡田茂吉も「お任せせよ」というという事を書いていると聞いている。岡田茂吉自身が、「神への信頼」を「お任せせよ」という言葉で説いているのに、より深い、信頼を表す「委ねる」を「言葉を使っていない」という理由で禁止するとは、とんでもない錯誤だと思う。
 余りにも、形式主義的すぎて、心配になる。

33 :
 「神への信頼」を表す、「委ねる」を禁止した世界救世教いづのめ教団は、結果的に、「神への信頼」を結果的に否定したことなるのではないか?
 むしろ、「委ねる」という言葉に表される、「神への信頼」に対して、違和感を感じたから、世界救世教いづのめ教団は、「委ねる」を禁止したのではないだろうか?

 「神への信頼」を「拒否した」と言うことは、「神」に対して、「縋りきる信仰」も禁止したことになる。
 「古い新聞」を見ていると、「現当利益をいただくためには、縋りきることが大切」と言っている。
 「縋りきる」事を禁止した、世界救世教いづのめ教団は、大丈夫だろうか?

34 :
 何故、「心配」かと言えば、「世界救世教いづのめ教団」の「本来」の「売り」は、「現当利益」だ。「現当利益」を売りにしていることは、最近の
Facebookの中に、「現当利益があった」という記述をみたので、変わっていないと思う。
 なので、「現当利益」があるための「本来」の道を、閉ざしてしまった世界救世教いづのめ教団に未来は、あるのだろうか?
 あったとして、それは、岡田茂吉が世界救世教を設立したときに目指した、「神への道」と同じなのだろうか?
 そんなことを思った。

35 :
 世界救世教いづのめ教団は、

   岡田茂吉は、宗教をしたかったわけではない。

と言っているらしい。
 どうも、

    「宗教団体」になったのは、「時代」のせいだ

と考えているようだ。
 「宗教をしたくなかった」とはどういう意味だろう?
 一番簡単な解釈は、

   岡田茂吉は、「神がある」とは思っていなかった。

という事だろう。
 しかし、岡田茂吉は、自らの教えを「神から教えられた」と言っているらしい。
 どう言うことだろうか?

36 :
 一番合理的な解釈は、

  自分の考え方が、当時の常識からかけ離れていたために、周りを納得させるために、

    神から教えられた

  と言った。

だろう。

37 :
 最近の世界救世教いづのめ教団の動きは、「岡田茂吉は、『神はいない』と考えていた」と思っているからではないだろうか?
 ならば、早々に宗教法人を解散して、全く別の団体になった方が、良いのではないか?

38 :
 世界救世教いづのめ教団には、岡田茂吉が識者に対して、メモを取り学ばれたことを

   「識者」に対する接待だ。

という指導者がいるという。
 この人は、

   岡田茂吉は、全てを知って生まれ、「学ぶ」と言うことは、一切無かった。

というのだろうか?
 岡田茂吉の人生を見れば、若い頃には、様々な後援会へ行ったり、様々な哲学書を読み、学んだことは明白だ。
 人生の最晩年でさえ、美術館を建設するために、様々な美術の勉強をしたらしい。
 むしろ、岡田茂吉の本当のすばらしさは、「教祖」といって崇めれられるようになっても、分からないことは、分からないといい、素直に勉強をし、識者に対して、頭を下げたことではないか?
 岡田茂吉は、「新人たれ」と言った。「常に、進歩向上を怠ってはいけない。」と。
 自らが、「進歩向上に努めている」その姿を、「接待だ」といって否定する指導者。
 そんな指導者をあがめていること自体が、世界救世教いづのめ教団が、おかしくなった最大の理由ではないか?


  「岡田茂吉の思想」を広めることだという。

しかし、それが、本当におかだもきちがしたかったことなのその体現者でいらっしゃったこと

39 :
 今、世界救世教には、岡田茂吉の日々向上を心がけた、姿勢を受け継ぎ、日々研鑽を怠らない素晴らしい最高指導者がいると聞いている。
 しかし、最高指導者が、「師」に対して頭を下げている姿を、「おかしい」といって、貶めている人達がいるという。
 世界救世教いづのめ教団もその一つだ。
 やはり、日々向上を心がけた、岡田茂吉の姿を否定する愚かな指導者を崇めているから、今の最高指導者が、日々研鑽に取り組んでいる姿が評価できないのではないか?

40 :
 世界救世教いづのめ教団は、最高指導者が言う言葉が、今まで自分達が使ったことのない言葉を使い、自分達が考えてきた、岡田茂吉の思想と違うからと言う理由で、最高指導者を否定したらしい。
 何という愚かなことだろうと思う。
 世界救世教の最高指導者は、「神の御使い」であり、「神の言葉を伝えるもの」であり、いわば、「神望む方向へ導く」「教師」といってもいい。
 いかなる学校に置いても、「教師」と「生徒」は同じ所にはいない。
 世界救世教いづのめ教団は、最高指導者が、自分達が今まで聞いたことがないことを、まるで、他の宗教のようなことを言っているから、「自ら捨てたのだ」という。
 しかし、先ほども言ったが、「教師」と「生徒」は同じ所にいない。「教師」は、「生徒」よりも、常に高いところにいる。
 「生徒」が、「教師」に近づく、同じ高さまでくれば、教師は、より高いところに上る。「生徒」から離れるのは、当たり前だ。
 「離れる」のは、「最高指導者」」としての努めを果たすべくされたことで、賞賛すれど、非難をするのは、間違っているのではないか?

41 :
 鎌倉のハトサブレを作っている社長は、「今作っているのは、ベストではない」と考えているという。
 「もっといいものがあるはずだ」と、いい料理人は、「研究」として、他の人の料理を食べ、それを自らの料理に取り入れることを考えるらしい。
 「今、自分の物が最高ではない」「より良いものがあるはず」と考える人達は、誰も、他の人から学ぶことを躊躇しないのではないか?
 「自らが最高」と考え、「学ぶ姿勢」を「貶める」指導者をもった、世界救世教いづのめ教団は、何ら変わることもなく、10年一昔のように、同じ事をしていくのではないか?
 10年も同じ事をしていれば、「骨董品」的な価値が出てくるかもしれないが、「骨董的価値」しかないような宗教は、岡田茂吉が一番嫌うところだったのではないか?
 そんな、世界救世教いづのめ教団に未来があるのだろうか?心配になる。

42 :
 世界救世教いづのめ教団は、岡田茂吉が生前に話していた、

   指導者は、「私一人だけ」

という言葉を使って、今までの最高指導者を首にしたらしい。

   岡田茂吉以外を指導者としていたのが、間違っていたのだ

と。

43 :
 この「指導者は私一人だけ」という言葉を取り上げて議論する事が好きな人が大勢いるが、実は、この議論は、詐術だ。
 何故かと言えば、「指導者とは何か?」と言うことを議論していないからだ。
 「指導者とは何か?」を考えれば、この議論が、「詐術である」事がすぐに分かる。
 「指導者」とは、「指導する人」を意味する言葉。
 では、「指導」とは何か?
 今の問題点を指摘し、あるべき方向を示すことだ。
 これは、

   「指導」出来るのは、今、生きている人

だけだ。
 つまり、

     死んでいる岡田茂吉に、「指導」は出来ない。

のだから、「指導者は、明主様(岡田茂吉)のみ」と言うことは、

     如何なる、人間も、私に「指導」など、許さん。

と言っていることであり、事実上、この「指導者は・・・」と言った人が、

     私こそ、指導者だ。

と言ったことに等しい。

44 :
 世界救世教いづのめ教団は、「今、生きている指導者」を拒否をした。
 今の自分達の「あり方」「考え方」で満足をし、「次の段階」に上がることを拒否したという事だ。
 特に、「最高指導者が、自分達の今まで、学んできたことと、違うことを言っている」と言う理由で首にしたのであれば、なおさらだろう。
 岡田茂吉は、昨日の自分よりも、新しくなる人、変わろうと努める人を好ましいと考えた「教え」としてもあるらしい。
 世界救世教いづのめ教団は、「岡田茂吉」の教えを戴いて、普及しようとしているらしいが、自らが実践をするつもりはないらしい。

45 :
 岡田茂吉が言った、「指導者は、私一人だけ」という言葉は、「死者」はもう指導することが出来ないのだから、今の時代を生きるものにとっては、岡田茂吉の「正統後継者」に対する事柄だろう。
 岡田茂吉の正統後継者は誰か?
 岡田茂吉は、死の数日前に、彼の妻に、「後を継ぐように」と言い残したらしい。
 正統後継者は、妻だろう。
 妻が、亡くなられる時に、娘を後継指名したらしい。
 娘の後継は、娘による指名ではないが、「後継であることを認めた」と聞いている。
 その方が、岡田茂吉の「正統後継者」だろう。

 指導ができるのは、生者のみ。「指導者は、私一人だけ」という言葉は、岡田茂吉の正統後継者である、その方に捧げられるべき言葉だろう。

46 :
 世界救世教いづのめ教団は、最高指導者を「岡田茂吉と違う教えを説いた」といって首にした。
 世界救世教にとって、「岡田茂吉の教え」は、神聖不可侵で、最高指導者が違反をしたという事らしい。

 「岡田茂吉の教え」がなぜ、神聖不可侵か?
 それは、「神の啓示」だからだ。
 いわば、岡田茂吉は、神の言葉を預かるもの預言者だ。
 今の「最高指導者」は、岡田茂吉の正統後継者だから、預言者だろう。
 今の世界救世教いづのめ教団は、最高指導者を預言者ではなく、普通の人として、首にしたようだ。

 預言者であるかどうかは、本人しか分からない。
 他人に判断することは、出来ない。
 本人がそう思いこんでいるだけで、実は、違うかもしれない。
 しかし、それも、本人しか分からない。

47 :
 一定の資格がある者が、「自分は、預言者」だと言ったとき、誰も否定できない。「預言者」を選ぶことは、神がすることだからだ。
 神が預言者を選び、言葉を預けるのだから、以前の「預言」に神が囚われる必要はない。
 預言者が、本物か偽物かは、「預言」が以前と違うかどうかでは、判断できない。
 前に、預言者が現れたことがあれば、今、現れても不思議ではない。
 自称「預言者」を否定するためには、「預言者など現れたことなど無い」と言うしかない。

 今の最高指導者を預言者ではないと言うためには、岡田茂吉も預言者ではなった。ということになり、岡田茂吉の言葉を「神聖不可侵」にしていた根拠もなくなる。
 世界救世教いづのめ教団は、事実上、「神など居ない。あるのは、岡田茂吉の教えのみ」という事だろう。
 前に、自分達が認めた預言者も偽物であったと言わない限り、目の前の預言者を偽物ということは出来ない。

48 :
 最高指導者のことは、重要だと思うので、重複になる部分もあるが、書いてみたい。
 まず、岡田茂吉は、自らが「なりたくてなった」のではない。
 神に対して、立候補をしたのではない。
 神が、岡田茂吉を選んだのだと、岡田茂吉は、自らが言っている。
 そして、自ら説いたことを「神示」と言っている。つまり、神から示されたもの、教えられたものだと言うことだ。
 さらに、岡田茂吉は、「病をいやす技」の行使を「神から与えられた」と表現している。
 岡田茂吉は、「神の御使い」とでも言う存在だろう。
 誰が、神に御使いになるかを、決めるのは、岡田茂吉も選ばれたと言っているのだから、神だろう。
 人が、決めるのではない。

 「自称」神の御使いが本物であるか、偽物であるかは、「神の御使い」を決めるのは、神だから神しか分からない。
 「話す事柄」が以前の神の御使いと同じであるかで、判断が出来るか?といえば、「話す事柄」も神が決めるのであり、神が、過去と同じ事を話さなければいけない理由はない。
 「話す事柄」で、「神の御使い」が「本物」であるか、「偽物」であるかを決めることは出来ない。
 「神の御使い」が本物であるか、偽物であるかは、神に聞くしかない。

 岡田茂吉を神の御使いと認めた以上、次の神の御使いが現れることを否定することは出来ない。
 そして、岡田茂吉自身も、「自らのような存在は、唯一である」とは、言っていないらしい。
 このことは、世界救世教いづのめ教団を応援している団体が、

   岡田茂吉は、唯一の救世主であると「信じる」

と言っている。岡田茂吉は、「自ら」「唯一である」とは言っていないようだ。
(ここの部分は、「神の御使い」としての岡田茂吉のことを指しているのではないが、「自らのような存在」について、岡田茂吉自身が、唯一であると言っていない事を表すために使った。)

49 :
 ここで、

   「無い」という照明は、出来ない

ということをご存じだろうか?
 ネス湖のネッシーは、何回も探されたが、未だ発見されていない。しかし、全ての人を「無い」と納得させていない。
 英語には、「不可能なことをする」と言うことを「黒い白鳥を探すようなもの」というらしい。「黒い白鳥」など、「絶対」にあり得ないからだ。
 ところが、オーストラリアに「黒い白鳥」が居るらしい。
 今まで、「無い」と思われていたものでも、「一例」でもあれば、ひっくり返る。
 「黒い白鳥」も、

   今まで、自分達の周辺では、見つけることが出来ないから、「無い」と考えることが妥当である。

というのにすぎない。

50 :
 なので、今の最高指導者を「神の御使いである」と言うことを否定するためには、

    人類の歴史上、「神の御使い」が現れたことなど無い。

というしかない。
 さっきも書いたが、「ただの一人」でも、過去にいたと認めるのであれば、その人物が、「神の御使い」ではないと、「神」に直接聞かない限り、「人」が否定することは出来ない。

 今の最高指導者を「神の御使い」であることを否定するためには、岡田茂吉も神の御使いではなく、唯の人であり、教えも神示ではなく、岡田茂吉自身の考えであるとするしかない。
 結局、今の世界救世教いづのめ教団は、

   神など、存在しません。

そして、

   あるのは、岡田茂吉と、その教えと、遺産だ。

と内外に向かって宣言をしたのだ。
 

51 :
 「在るのは、岡田茂吉本人と、教えと遺産だ」ということの意味は、

   目に見えないものは、無く、在るのは、目に見える物のみ

ということであり、別の表現をすれば、

   世界救世教いづのめ教団は、唯物主義を信奉する団体です。

と宣言をしたのだ。
 ならば、早急に、「宗教団体」から、「世界芸術化普及推進団体」とでも、衣替えをすべきだろう。

52 :
 さて、10月1日は、世界救世教いづのめ教団で、秋季大祭という祭典が行われたらしい。
 大祭と名が付くのだから、さぞ大勢の人が来たのではないか?と思うので、一般信者の参拝者数を推測してみよう。
 前にも書いたが、救世会館は、陸の孤島なので、車の台数を数えることで、大まかな推測が出来てしまう。

 12時40分頃、MOA美術館の上の駐車場を見に行ったら、海側の駐車場は、ガラガラだった。10台も停まっていなかったのではないだろうか?
 12時50分頃、MOA美術館の下の駐車場を見に行ったら、バスが3台(中型2台、大型1台)、乗用車が80台程度停まっていた。
 80台程度と推測をしたのは、下の駐車場は、「駐車枠」が全部埋まって、91台だが、埋まりきっていなかったので、80台程度とみた。
 結局、救世会館にきた車の台数は、多く見て、100台程度だろう。
 100台程度であれば、1台に4人と見ても、400人しかならない。

53 :
 次は、バスの台数だが、今回は、バスの台数を数えることが出来なかった。
 なので、車で来た人数かけるに2程度と見ると多くても800人。
 しかし、800人等人数は、バス1台あたり、20人と見ると、40台になる。
 12時35分頃、MOA美術館のバス停にいたが、私が乗ってきたバスが、到着をすると、既に、バス停にいたバスが出た。
 他に、ロータリーにバスはなく、これから40台もバスが上がってくるようには、見えなかった。
 ちなみに、終了予定は、13時頃との事だったので、12時30分過ぎ頃は、ロータリーにバスが控えていてもおかしくはないが、控えていなかった。
 なので、バスで上がった人は、800人というのもかなり多目に見た人数だと思う。

54 :
 自家用車で来た人数+バスで来た人数が、救世会館の一般信徒の参拝総数とみていいので1200人。
 さっきも書いたが、「多目に見た人数」なので、実際は、1000人前後ではないだろうか?

55 :
 10月1日の参拝風景の写真が公開されていた。これを元に推測をしてみよう。
 推測をするためには、「見えている情報」も大事だが、「見えていない情報」、つまり、「何を見せていないか」を考えることも重要だ。
 何回か前の参拝風景の写真では、バルコニーの座席の写真が写っていた。今回の写真にはバルコニーは写っていない。
 さらに、通常座席の部分も、よく見てみると、一番左と、一番右の「島」が丸ごと写っていない。
 何回も、書いているように、今の世界救世教いづのめ教団は、「大勢の人が参拝をした」と言うことを見せたいのでなるべく多くの人が写るアングルを選んでいるのが見て取れる。
 「写っていないところ」には、「写したくないもの」が有ったと推測が出来る。たぶん、空席だろう。
 だとすると、実際の参拝者は、左右の島を除いた、4島しか居なかった可能性が高い。
 1島の1列の座席数は、9席。4島なので、4倍して、36席。
 救世会館は、33列しかないので、1,188席になる。
 海外参拝団による、指定席があり、数えてみると16列有る。なので、16×9で144席が、指定席になる。
 1,188−144で1,044席
 やっぱり、一般信徒の参拝は、1,000人程度ではないか?

56 :
 「最高指導者が、岡田茂吉の道からはずれた。」もしくは、「最高指導者が、岡田茂吉と違う教えを説いた」言う人達に限って、「岡田茂吉は、神なのだ」という。
 要するに、「岡田茂吉の孫であるということだけで、最高指導者になっている唯の人間と、岡田茂吉は違う」という意味だろう。
 しかし、岡田茂吉が、亡くなる直前に、彼の妻に対して、「自分の死後も、あなたを、死後の世界から守護するから、後を継ぐように」という意味のことを遺言をしたらしい。
 ならば、「死後の世界からの岡田茂吉の守護」は、その後の岡田茂吉の正統後継者にも引き継がれただろう。
 ここで、「岡田茂吉は、最高の神である」と主張している人達のことを思い出すと、「最高指導者は、最高の神によって守護されている」ことになる。
 「最高指導者は、道をはずれた」「違った教えを説いた」と言っている人達は、決まって、「最高指導者は、邪な影響を受けている」という。
 「最高の神の守護」はどこに消えたのだろうか?

57 :
 結局、彼らの主張を一貫するためには、

   岡田茂吉が、生前主張していた、「死後の世界」や「神仏の実在」など無い。
   有るのであれば、最高指導者が道を間違うなどあり得ないからだ。

ということになるではないか?
 結局、彼らは、岡田茂吉が説いていた

    神仏の実在や死後の世界の存在

を信じていない。
 岡田茂吉は、

    神仏の実在や死後の世界の存在を信じること

こそが、自分の「教え」の根幹だと言っていたらしい。
 なら、

    「最高指導者が道にはずれた」「違う教えを説いている」と主張する人達は、
    岡田茂吉の教えを信じていない。

つまり、

    「岡田茂吉の信徒」を名乗る資格は無い

のではないだろうか?

58 :
 今の「最高指導者の言葉」を「岡田茂吉の教え」で判断をすると言うことの問題点を指摘したい。
 これを、するためには、「この世界」が、「岡田茂吉の時代」から何一つ変わっていないと考えなくてはいけない。
 岡田茂吉の時代以後、変化していないと考えるのは、不自然だ。
 天地開闢以来、世界は、一切変化していないと考える方が自然だろう。
 このことは、神の介入は、天地開闢における、天地創造で終わった。ということだろう。
 岡田茂吉は、自らの教えを「神からの教え」「神示」と言っているが、実は、「嘘」で、自らが知ったことを伝えやすくするために、「神示」という形を取った。ということになるだろう。
 「岡田茂吉の教え」で、今の最高指導者の言葉を判断するという行為それ自体が、実は、「神は、無い」と言っていることになる。

59 :
 今日、世界救世教いづのめ教団のFacebookを見たら、岡田茂吉と為郷氏との対談の事柄が出ていた。
 その中で、「自分の死後も、死後の世界から奇跡を起こすので、問題ない」という意味の事柄が書いてあった。
 なぜ、今の時期に、この記事を出してきたのだろうか?

60 :
 理由の一つは、為郷氏が、読売新聞社の偉い人だった。岡田茂吉は、当時の知識人と対談をするくらい偉い人だったということをいいたいのだろう。
 しかし、この対談の内容で、教祖の死後について、世界救世教が行っていた、療術との関係について記載しているのは、以外だった。
 世界救世教いづのめ教団は、宗教を辞めたがっているはず。特に、療術については、もう、表に出したくないのではないか?
 ならば、教祖の死後と療術について言及してきたのは、以外だった。
 でも、逆に言えば、世界救世教いづのめ教団は、何をしたいのかよく分からないということになる。

61 :
 もう一つの問題は、岡田茂吉は、自分の死後も、療術の力をふるうと言ったらしい。
 しかし、療術の力を受ける方がどうだろうか?
 元々は、世界救世教は、信者は、岡田茂吉作ったお守りを身につけることによって、療術の力をふるう。
 お守りは、岡田茂吉の療術の力の中継器といっていい。

 元々、為郷氏の質問も、「あなたが死んだら、お守りは、誰が作るのですか?」という意味があったはず。
 岡田茂吉は、この質問に答えていないといっていい。
 純粋に、考えるのであれば、岡田茂吉の死後、お守りは必要がない。療術の力に、お守りは不必要で、ただ、死後の世界にいる岡田茂吉と繋がればよいということだろう。
 その後の世界救世教の歴史を見れば、岡田茂吉の正統後継者が、お守りを作っている。いわば常識的なところだろう。
 岡田茂吉の正統後継者を追放した、世界救世教は、「しかるべき者」であれば、誰でもお守りは、作れると言い出した。
 言い出した、人達は、組織のトップが作るつもりだろうが、今の世界救世教は、包括団体と被包括団体があり、常識的に考えれば、包括団体のトップだろうが、たぶん、被包括それぞれが、それぞれで出来ると言うことになるだろう。
 一度、「唯一の存在」から離れれば、いくつにも分裂するのを防ぐ論理はない。
 末端の現場出来ると言うことになる。それは、有る「布教拠点」の「しかるべき者」がすればよいからだ。
 どうするつもりなのだろうか?
 すごい不思議だ。

62 :
 今日のFacebookに、故渡辺哲男理事長の写真が貼ってあった。
 どうも、6周忌らしい。
 しかし、世界救世教いづのめ教団は、どうしてこう、「死者」が好きなのだろうか?
 岡田茂吉と言い、渡辺哲男と言い、今の世界救世教いづのめ教団で、人の写真が掲載されれば、まず、間違いなく、死者の写真だろう。
 なぜ、死者の写真なのだろうか?

63 :
 理由の一つに、

   死者は、黙して語らず。

つまり、自分達にあれこれ言わない。生きていた時代に、どれだけ自分より偉く、自分に命令をした人であっても、「死者」となれば、自分達に指図することはできない。
 これが、結構重要な要素だろう。
 特に、今の最高指導者を「自分達に、いろいろ指図してくる」と言うことが、イヤで最高指導者を追放した人達にとって、

  自分達に、あれこれ、指図をしない、偉い人

ほど、ありがたい存在はない。
 特に、自分達が、

   死者の遺志を継ぐのだ

と言っている場合には、特に、ありがたいだろう。
 そして、どんなことをしても、文句を言われることもない。

64 :
 次に、

  死者に対して、どんなことをしても、「文句」が本人からでない。

これも、重要。
 今の最高指導者を何とか、言うことを聞かせたかった、今の、世界救世教いづのめ教団にとって、どんな飾りたてをしても、生前どんなことを言ったことになっていても、本人から文句は出ない。
 まるで、

    良い指導者とは、死んだ指導者だ

と言っているかのようだ。

65 :
 さて、「指導者は、死者である」ということの問題点は、

   その「指導者」が死んだときから「時間」が動かなくなる。

ということだろう。
 指導者が死んで、しばらくたてば、集団の内部も、外部も、いろいろ変わり、指導者が亡くなった当時と同じことでは、うまく行かなくなる。
 しかし、「死者」を指導者にしているため、内外の変化に応じて、新しいことが出来ない。
 いうなれば、

   死者の奴隷

とでも言う状態だろう。
 普通に考えても、そんな集団が、生き残ることは出来ないし、また、岡田茂吉も嫌いだったはずだ。

66 :
 通常、死者の写真を掲載するときは、死者の写真は、あくまでも、背景であり、手前で、誰かが「激」を飛ばしているものだ。
 「死者」を背景にしつつも、「激」を飛ばすのは、「生者」にしかできない。
 世界救世教いづのめ教団の掲載では、「激」を飛ばす生者が見えない。
 これでは、ただ、「偉大なる先覚者」を偲んで終わり、明日が見えてこない。
 「あの、偉大なる時代が終わった。これから、指導者不在の時代どうしよう」という不安をかき立てるだけではないだろうか?
 「死者」の写真のみを掲載することで、「今の自分達が、うまく行かないのは偉大なる時代が終わったからだ」といいわけをしているようにも見える。

67 :
 世界救世教いづのめ教団の今生きている指導者の顔がほとんど見えてこないというのは、極めて異常と言うよりほかに言葉がない。

68 :
 数日前の世界救世教いづのめ教団のFacebookを見てふと思ったことがある。
 救世会館の外の写真に、日本人が写っていない。
 救世会館の外に、日本人がいなかったのではないか?

 参拝が終わったら、救世会館の上の出口から出て行く人が一定数いたはず。
 その人達の写真を撮ればよいのに、日本人以外を撮っている。
 しかも、写真の中には、日本人がいない。
 この手の写真を撮るときには、日本人を含めて撮るのが効果的ではないだろうか?

 もしかすると、参拝者が非常に少なく、付近に誰もいなかったということかもしれない。

69 :
 Facebooを見たら、「浄霊」についての岡田茂吉語録があった。正直に言って、何か唐突な感じがする。
 世界救世教いづのめ教団のFacebookを見れば分かるように、彼等は、「普通の人」になりたいのだ。
 「私達は、皆さんと違いません。普通の人です。」と言っているのが分かる。
 その目から見ると、「浄霊」がここに出てくるのは、不思議な感じがする。なぜなら、「浄霊」こそが、世界救世教の信徒と一般の人を分けてしまう、「壁」だからだ。
 彼等が、「普通の人になりたい」と考えているのは、しばらくのFacebookを見れば、「手かざし」そう、「浄霊」をしている写真が一つもないことからも理解できる。

 先日の「ほほえむ」の記事にも 「浄霊」のことが出ていた。
 何か、彼等の中で、方針変換でも有ったのかとちょっと疑いたくなった。

70 :
 Facebookを見ていると、現在の「理事長」という人がどんな顔をした人か分からない。
 先日の渡辺哲男氏の写真のアップが在ったが、まるで今の理事長が、渡辺哲男氏であるかように見える。
 このような、表に出てこないような、理事長は、早く変わったほうが世界救世教いづのめ教団のためではないか?

71 :
 数年前、ある世界救世教いづのめ教団の職員と話をした時に、

   今の最高指導者が、「正しい神」と繋がっているか、確認が必要。

という事をいっていた。
 このことを聞いた時、私が思ったのは、正直に言って、「この人は、自分が何様だと思っているだ」だった。
 なぜなら、「最高指導者を、確かめる」ということは、自分のほうが、最高指導者よりも、神に近いと考えていることになる。
 もし、「最高指導者」の言葉を持って、様々な、邪なものに、道を外されたと考えるのであれば、そういう人に限って、「岡茂吉は、最高の神である」という。
 その「最高の神」が、一番最初に守護するものは、誰だろうか?自らの正当後継者ではないか?
 自らの正当後継者さえ、正しく導けない、または、守護できない、「最高の神」が、「最高の神」を名乗る資格があるだろうか?私はないと思う。
 ならば、彼等の言っていることは、矛盾だ。
 その職員も含めて、世界救世教いづのめ教団の職員は、そんな「矛盾」さえも気が付かなくなっている。

 ちなみに、この「矛盾」を解消する、一番合理的な、「仮説」は、

    神などなく、岡田茂吉も既に、無い。

と考えることだろう。

72 :
 世界救世教いづのめ教団は、最高指導者の「言葉」を「岡田茂吉の教え」と違うと言って否定をした。
 まず、簡単な事実を指摘しよう。
 それは、

   岡田茂吉の教えは、幅広く、また、当時を反映したものであり、相互に矛盾も有り、「全体像」を理解は出来ていない。

という事実だ。
 なので、誰もが、

    岡田茂吉の教えをいくつか選ぶ。

という事をする。この時に、選ぶ基準は、当然のことながら、

    自分が正しいと思ったもの。

を選ぶことになる。
 こうして選ばれたものは、本来であれば、岡田茂吉の教えは、「神示」なのだから、「神」または、「岡田茂吉」に「これでよろしいでしょうか」と聞かないといけない。

73 :
 「世界救世教いづのめ教団」と「仲間」とでも言うべき、「東方之光」もそんなことはしてない。
 しかし彼等は、「自分たちの理解が、唯一絶対で、正しいのだ」と主張し、「正しい、私達を肯定しない、最高指導者は、邪なもの」だと、最高指導者を否定した。

 彼らの論理は、要するに、

   私達は、「正しい教えに、正しく遵い、正しくお行っている、正しい私達。」

であり、

   正しい私達を、肯定しないものは、全て邪なものである。

と主張している。

 しかし、ここで、考えてみて欲しい。私は、「教えを選ぶ」ということを行った。そして、彼等は、自分たちが選んだ教えを「正しい教え」と言っている。
 では、彼等が選んだ教えがなぜ、「正しい」のだろうか?それは、「正しい私達が選んだから」だ。
 なので、先程の言葉は、

   正しい私達が、選んだ正しい教えに、正しく従って、正しく行っている、正しい私達

となる。論理がループしているのだ。
 結局、

    彼等の主張には、全く意味がない。

事が理解できる。

74 :
 彼等の主張には、全く意味がない。しかし、彼等は、「自分たちは正しい」と信じている。
 結果何が起こるか?自分たちを基準にして、

   自分たちに、都合のいいものは、正しき者

であり、

   自分たちに、都合の悪いものは、邪まな者

になる。
 つまり、

  「正しき者」を、「味方でない」という理由により、「邪まな者」と判定。

し、そして、

  「邪まな者」を、「味方をである」という理由により、「正しき者」と判定

するという状態になる。

という

75 :
 既に、世界救世教いづのめ教団と盟友東方の光は、最高指導者を、自分たちを肯定しないという理由により、「邪まな者」と判定をした。
 ならば、「邪まな者」を「味方である」という理由によって、「正しき者」と判定しているのではないか?

76 :
 彼等は、論理が、ループしているのであれば、ループしていることに気が付かない。
 気が付かないが故に、、

   自分たちは、「正しい神」に認められた「正しき者」

という「結論」を得て、満足をする。
 つまり、

   自己正当化をしている。

と言っていい。
              以上

77 :
 以前、ある人と、「岡田茂吉の教えを選んだ時に、正しいか間違っているかをどうやって調べるか?」という事を話したことがある。
 その時に、

    社会常識だと思う。

とその人は、言った。
 この人にとって、「正しさ」を求める「源泉」は、「神」ではなく「世間」だと言っていい。
 このことは、

   岡田茂吉は変革者ではなく、普通の偉人だ

ということになる。

78 :
 世界救世教いづのめ教団の教えの選択は、「社会常識に則るの良い」という人達が、中心にいるように見える。
 岡田茂吉の教えを「社会常識に則って選択」をしたのであれば、そこに、社会常識を覆すような内容は含まれない。
 結果的に、残るのは、「したほうが良いとは思うけど、誰もしなかったこと、出来なかったこと」になる。
 「岡田茂吉は、宗教をしたくなかった。」「岡田茂吉は、芸術の推進をしたかった」という彼等の主張だろう。

79 :
 今日(10月15日)の昼頃に世界救世教いづのめ教団のFacebookを見たら、「岡田茂吉の教え」として、

   天災は、人災なり

というのが掲げられていた。
 今見たら無かったので、削除されたのではないだろうか?
 私が、見たときには、10月11日の記事として掲載されていていたので、少なくとも10月12日から掲載されていたことになる。
 掲載されていた、文面の内容は、

   悪の心・言・行によって、汚された土地を、台風の防雨によって、洗い清める。

という内容だったと思う。

80 :
 岡田茂吉の教えの全文を読めば、言いたいことは、

  善の心・言・行を心がけていれば、天災は起こらない。

ということであり、要するに、

  自分たち一人一人の努力によって、天災さえも起こらなくなる。

ということだ。
 ある意味、宗教者らしい教えだと思う。

81 :
 しかし、台風19号が、本土上陸という直前に、この教えを掲載したということは、

   被災地に、汚れたが溜まったので、清められた。

そして、被災地が、なぜ汚れたのかと言えば、

   そこにいる住民が、悪の心・言・行を行ったからだ。

ということだから、被災者に向かって

   お前たちが悪いことをしたから、天罰が下った。

もしくは、

   お前たちが、ひどい目に在っているのは、自己責任だ。

と世界救世教いづのめ教団は、宣言をしたのだ。

82 :
 別の言葉で言えば、

   支援の手など、差し伸べる必要はない。

ということだ。

83 :
 ちなみに、もし、11日の昼頃に掲載されたのであれば、

   裁きの時は来たり。汝ら悔改めよ。

ということだろう。

84 :
 そして、本部がある救世会館が無事なのは、

   我らが、正しきゆえに、何の被害もなかった。

という事であり、もう一歩進んで考えれば、

   我らの正しさが実証された。
   我らに対して、反対するもの、妨害するものには、天罰が降る。

という意味にも取れる。

85 :
 無くなったのは、「まずい」と誰かが指摘をしたからだろう。

86 :
 世界救世教いづのめ教団の基本的な思考法は、

   幸福は、自らの努力で掴み取るもの。

という考えであり、逆に言えば、

   結果が出ないのは、努力をしなかったからだ。

という事になる。
 この思考法に基づくのであれば、今回の

   天災は、人災だ

という岡田茂吉の教えが掲載されたのは、現在の世界救世教のメンタリティからみて、極めて自然なことと言っていい。

87 :
 しかし、Facebookは、信者さんだけではなく、一般の人も見る。そこに、今これから台風が来る、それも、過去最大級という台風が来るという時に、「天災は、人災だ」などを掲げるのは、センスを疑われてしまうということに気が付かないのだろうか?
 結局、今の世界救世教いづのめ教団は、もう視点は、外ではなく、うちに向いているのだろう。

88 :
知り合いから10月1日は、1,500名程度だったと聞いた。本当だろうか?

89 :
10月1日が1,500名程度というのが本当かどうかは、ちょっとおいて、「昨年より、300名増えた」と喜んでいるらしい。
しかし、昨年は、台風24号が、9月30日〜10月1日に、日本に上陸をして、交通機関が、まともに動いていなかったはず。
1,200名という数字も、かなり後まで、待って得た数字だった覚えがある。

90 :
昨年は、4月に2,400名、6月に2,200名、8月に2,300名程度と2ケ月毎にある大祭に、2,000名程度の参拝者がある。
ならば10月も、2,000名程度、少なめに考えて、1.800名程度は、期待できたはず。
1,800名から考えれば、300名程度減っている事になる。
昨年の期待できる1,800名から目を逸らし、台風で、異常に減った1,200名と比較をして、喜んでいるのはおかしくないだろうか?

91 :
 今の救世会館において、1,500名という人数の意味を考えよう。
 現在の救世会館では、実のところ、下の参拝席は、1,900人弱で、2,000人も入らない。
 2,000人も入らない、下の一般席で1,500も居たら、席の3/4は、座っていることになる。
 8席で2席余るだけ。結構、満席感が出てくると思う。
 下の参拝席全部で、Facebookの写真の状況が、実現していると言っていい。
 前にも、指摘をしたが、「本当に、Facebookの写真状況」が下の参拝席全体で実現しているのであれば、その写真を掲載すればよい。
 世界救世教いづのめ教団は、「救世会館に、参拝者が一杯いる」という事を示したいのだから、必ずそうするだろう。
 しかし、「一部」の写真しか示さなかった。
 それも、両脇の「島」を巧妙に、隠すようにしてだ。
 なので、1,500名という数字は、あまり信用できないと思われる。

92 :
 世界救世教いづのめ教団は、元々、「飾り物の最高指導者」として、蔑ろにされていた最高指導者を、「神の御使い」として、働いていただこうという運動の結果、できた集団だった。
 今の理事長は、最高指導者にたいして、「私たちが、尊重するのは、貴方ではなく、歴代の最高指導者だ」と言ったらしい。
 実の所、今の世界救世教いづのめ教団の理念を表すものとして、実に適切だと思う。

93 :
 「歴代の最高指導者」という意味は、大きく言えば、2つ有る。
 一つ目は、岡田茂吉についても解説をしたが、詐術で、歴代の最高指導者も生者ではないという点をみれば、

  死者は黙して語らず。

で、

  俺様に、指導をする奴の存在など許さない。

ということだ。


   神など、いない。

94 :
 二つ目は、
 「歴代」と言うことにこだわるのは、「最高指導者」を

  世界救世教の「伝統」の体現者

と見ていると思われる。
 なので、今の最高指導者が、今まで、自分達が聞いたことが無いことを話したときに、

   世界救世教の「伝統」を破壊するもの

と考えたのだろう。

95 :
 「世界救世教の伝統」とは何だろうか?
 今回の「最高指導者の追放」と言うことが起きたときに、「追放」を指示する人達が、「私たちが参拝をするのは、今、今日拠点にあるものです」と言ったという。
 今、救世会館で参拝をしている対象は、実は、岡田茂吉の手による書ではない。岡田茂吉の妻である、二代教主の手による書だ。
 さらに言えば、今、救世会館で行われている祭典の有り様は、二代教主の元で定められたらしい。
 等々、今の世界救世教いづのめ教団は、岡田茂吉の世界救世教というよりも、むしろ、二代教主の世界救世教だろう。

 「世界救世教」とは、「こう言うもの」と考えている物は、何となく、「岡田茂吉の時にできあがった」と思っているが、実は、かなり違っている。
 そして、その変化は、「時の教主」によって、定められてきた。
 このあたりのことを知らないのではないか?

96 :
 今回の世界救世教いづのめ教団で、最高指導者の言葉が、岡田茂吉の教えと違うと言って、追放した人達には、先祖供養に励んでいる人が多い気がする。
 岡田茂吉が生きていた頃は、世界救世教は、「慰霊」など行っていなかった。
 慰霊祭を初めたのは、2代様だし、今の「御霊屋様」が出来たのは、三代様の時代だろう。
 このように、「時の教主様」によって、世界救世教は、変わってきた。
 このことを知らないのだろうか?

97 :
 最近の世界救世教いづのめ教団の責任役員には、本当の意味で、「布教をしてきた人」「現場で力ある人」が入っていない。
 「そういう人などいらない」と考えているようだ。

 なぜだろうか?
 一番有りうる理由は、

   今の理事長が、10年理事長を続けるために、邪魔だから。

ではないだろうか?

98 :
 今の理事長は、「いつ辞めるのですか?」とよく聞かれるらしい。
 「私は、いづ辞めてもいいんです。信頼できる人が現れたなら。」と答えるらしい。
 では、「信頼できる人」とはどんな人だろうか?
 スバリ、

   今の理事長に、絶対服従する人。

要するに、

   今の理事長を、「神の代行者」とする人

だと思う。

 本当に、「いつ辞めてもよい」と考えているのであれば、責任役員会に、「この人が次の人」と誰にでも分かる人を入れるだろう。
 しかし、そういう人は居ない。

 布教現場で力を付けてきた人が、責任者になれば、実力を背景に、理事長である自分が蔑ろにされることを恐れたのだろう。
 布教現場の責任者に、元人事課長がなったということこそ、「自分に逆らうものはいらない」と考えている証拠だと思う。

 むしろ、

   本当の、布教現場の責任者は、俺だ

くらいに今の理事長は考えているのではないか?「この俺様の、指導が布教現場に徹底するれば、V字回復するはずだ。」と考えているのではないだろうか?

  今まで、世界救世教いづのめ教団が、落ちてきたのは、間違った指導者を、指導者として仰ぎ、本当に正しい指導をする、この俺様の指導が行き渡らなかったらからだ。
  間違った指導に従って、間違った指導をしていた布教師が全員居なくなって、本当に正しい指導をする、この俺様の指導が、現場の隅々にまで、行き渡るようになった。
  世界救世教いづのめ教団は救われたのだ。1年と待たずして、参拝者も上納も10倍だ。

くらいに考えているのではないだろうか?
 今の責任役員会のメンバーを見ていると、今の理事長は、そんなふうに考えているとしか見えない。

99 :
 どうも、最近少し、世界救世教いづのめ教団で、人事異動が有ったらしい。
 鎌倉教会の人が、宗務会議に入ったらしい。
 その人は、No2とも、次時代の人とも言われている人らしいので、この人が「次の理事長」の可能性もある。
 しかし、「宗務会議」は、「規則上の権限」は無いと聞いている。ある意味、「名誉職」とでも言う会議だとも聞いている。
 ならば、「宣教部門に、鎌倉流の研修を導入する前触れか?」とも見れないこともないが、どうも、そういう雰囲気でもないらしい。
 結局、「うまく利用しよう」というこのような気がする。

100 :
 ここで、ちょっと「東方之光」教団の事について触れてみたい。
 東方之光教団の何が、問題なのか、正直色々あるのだが、「東方之光教団の信徒は、教主中心だ」という主張が、ある事について考えてみたい。
 少なくとも、東方之光教団の信徒は、「自分達は、教主中心だ」と信じているらしい。
 東方之光教団の祭典で、1番盛り上がるのは、教主様の登場する時であり、決して、教主様を拒絶などしていない。という事らしい。
 彼らの考えているあり様は、「信徒の前で、にっこり笑って手を振って、季節の挨拶をする。」という事だ。
 決して、「教主様を、『信仰の最高指導者』として仰ぐ」というものではない。
 今の天皇陛下のあり様に近いものであり、要するに、「象徴」という事だ。
 東方之光の信徒は、「教主様は、象徴でよい」と考えているのだろう。
 しかし、「教主中心」という事が、「象徴教主」の「否定語」として誕生した事から考えれば、彼らを「教主中心」考える事は、出来ない。


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